大鹿一八「本日の一言」

平成16年2月から令和1年7月末までの「本日の一言」です。ヤフーブログ閉鎖により、ライブドアへ過去の記録として引っ越しました。

2012年11月

ボランティアの公平性を求めて

 現在開催中の12月議会に質問を通告している「ボランティア」の問題について、質問に関係する担当部署に質問趣旨を説明して、担当部署の説明を聞いているだけで、ボランティアの立場が曖昧にされ、存在そのものすら認識されていないボランティアの存在に怒りすら覚えてきました。
 
 そもそも、今議会にボランティアの問題を取り上げたのは、津島市観光交流センターの指定管理者となっていたNPO法人が、来年4月から指定管理者を外れ、県外の企業が管理者に選考された(実際には今議会の議決後の事ですが)ことから、市内の観光案内をしてきた観光ボランティアの人々が、今後の活動を心配するとともに、過去の活動が評価されなかったと落胆されている現実がありました。
 
 津島市の観光ボランティアが成立した経緯が、現在指定管理者となっているNPO法人関係者の指導だったことから、新たに岐阜の業者が参入してくる可能性から、メンバーに動揺が走ったものの、津島市は今までどおりの活動に期待していたわけです。
 
 一口にボランティアと言っても、行政の監督する施設ばかりでなく、民間施設で活動する福祉系ボランティアも多く、ボランティアの存在そのものが把握されていないケースも多く、一方では、行政と連携するボランティアは津島市の表彰対象になっているなど、ボランティアに対する環境は様々です。
 
 津島市民病院のボランティアは、全員が一人に8600円かかる健康審査を毎年無料で行い、ボランティア保険も病院が負担しており、無料の健康審査が受けられる事を告げて「ボランティアになったら」と、知人をボランティアに誘った例もあり、「病院のためにしてもらうから当然」とする関係者の認識に疑問が高まります。
 全国で活躍する災害ボランティアの活動の前提には、「ボランティア保険」は活動の前提となっており、ボランティア個人の負担は当り前ですが、活動先ではケガを負っても自己完結を求め、食料や寝る場所も自己責任の参加となります。
 
 私が愛知県によって養成されたボランティアでも、「人にやさしい街づくりアドバイザー」については、愛知県から津島市に対する補助金が切れた平成19年度からは、事業そのものが無くなっており、愛知県が地域で街づくりに役立つため養成されたボランティアは活動する場所も機会もありません。
 
 もっとも、「人にやさしい街づくり」のアドバイザーである私は、現在愛知県に認証されたNPO法人として、国土交通省の認可を得て、福祉有償運送を展開しており、津島市とは無縁で有償ボランティアの道を進んでおり、ボランティア個々のこだわりもありますから、行政の関わり方の難しさは理解できますが…
 
 本日の新聞紙面には、電気料金を滞納したため電気が止められた直後に、80歳の母親が心臓病で亡くなり、母親が面倒を見ていた身体障がい者の娘も直後に低体温症で亡くなっていたという悲惨な事故が報道されています。
 
滞納で電気止められた家から…80歳母と娘の遺体 石川
 
 同時に、増加の一途をたどり、減ることのない生活保護受給者に関する記事も発信されており、「収入の減少」や「無職」を生活保護申請者の多い理由に挙げられているが、申請者に「職の選り好み」による例も多いことから厳しい審査も急務で、働かない者に税金が垂れ流される悪例は封印してもらいたいものです。 
  
生活保護受給者206万人 11年度、11万人増える
記事の続き…
 生活保護を受け始めた理由をみると、最も多いのが「働きによる収入の減少・喪失」(27.8%)で、「傷病」(27.6%)、「貯金等の減少・喪失」(25.4%)と続いている。08年度までは病気やけがによる保護の開始が最も多かったが、09年度以降は失業による開始が上回っている。厚労省は「リーマン・ショックによる雇用情勢の悪化が原因で生活保護を受けざるを得ない人が増えている」とみている。
 一方、保護廃止となった理由では、死亡が29.8%でもっとも多く、「働きによる収入の増加」は16.7%にとどまる。厚労省は就労支援の強化などによって自立を後押しする「生活支援戦略」を近くまとめ、生活保護から抜ける人を増やしたい考えだ。
 
 本日は、手元にあった30数万円を持って、市役所の収納課に出向きましたが、来年3月までの今年度中に、私は50万円程度を納める必要があり、1ヶ月に10万円程度を納めている自分と、毎月生活費をもらっている人々との大きな違いも空しくなるような新聞報道でもあります。
 
                                   11月30日の一言

ウソツキ野田に怒り心頭の夜に…

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  県庁南の久屋橋交差点西向きです
 
 本日は久しぶりに福祉有償運送のボランティアで出動となりましたが、昨日に津島市議会へ通告した一般質問の内容について市役所の担当課からの問い合わせが朝から続き、車を停めて応対し、事務所に帰ってファックスを見直し、改めて車を発車させる繰り返しとなりました。
 
 一方で、NPO法人の事業報告書の提出が滞っており、愛知県から督促をいただいていたことから、事業報告書や収支計算書、貸借対照表など7種類の書類を揃えて、愛知県庁の東に位置するウィル愛知まで出向きましたが、車の車高が高いため駐車場に困り、近くに停めて書類だけ提出し、書類を確認してもらう間に空いた駐車場を探す繰り返しとなりました。
 
 ボランティアで無報酬となるNPO法人ですが、法人税については容赦ない請求書が届き、滞納すれば役務的に延滞金の支払も求められ…
 
急なボランティア依頼で緊急出動です… 午後6時20分
 
帰宅後に書き込みます。
 
 帰宅した時、時計は11時を指していました。本日のボランティアの報酬は200円で、この200円も、名古屋まで出動した車のガソリン代を考えると完全なる赤字ですが、有償ボランティアゆえに赤字でも誇りたくなる気分でもあります。
 
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 帰宅時には三男が帰っており、三男が23日に京都旅行から土産で持ち帰った「雪紫」があり、三男と一緒に口を開け、私はお気に入りの益子焼のぐい飲みに注ぎました。
 
 土産の「雪紫」は、京都の大徳寺の門前にある細見酒店で販売されている日本酒で、三男は急濾過原酒「ひやおろし」を買ってきましたが、私の息子とは知らずに店主の親爺さんや家族と息子の交わした会話は新鮮で、こんな会話を酒の肴としてコタツに座りました。
 
 さて、緊急出動前に記していた一言は、税金はきっちりと取られるものの、愛知県の我々NPO法人を担当する担当部署やNPO交流プラザの職員の対応は寛大で、催促されても書類を提出しない我々にも辛抱強く連絡し、横着で大幅に遅れて出向いた私にも親切に対応してもらえますから、こんな環境がボランティアの継続に大きな力となっています。
 
 気持ち良い日本酒のほろ酔い気分を壊したのは、深夜のニュース番組に出演していた民主党の野田首相で、公約を守らないだけでなく、公約にない消費増税を決め、前任の菅首相の宣言した「脱原発」を否定し、他党の公約に偉そうに批判している姿で、公衆で「ウソツキ」と叫ばれても、ウソツキの自覚も反省も皆無の言動に嫌悪感が漂ってきました。
 
 選挙が間近に迫っている時期の記載は微妙ですが、私(大鹿)は過去に記載した事実から、「脱原発」と「消費増税反対」が投票の絶対要件で、国民に増税して国政を維持するような無策集団は許せません。心地よい労働と、息子の土産で横になろうとした私に、迷惑な年末の選挙が怒りを呼び起こす夜となりました。
 
                                    11月29日の一言

12月議会 私の一般質問です

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 全国から雪の話題が寄せられるようになりましたが、我家の事務所や庭にある樹木も紅葉し、連日落ち葉が絨毯(じゅうたん)のようになっていますが、朴(ほう)の木の落ち葉だけは絨毯のようとはいかず、我家では朴葉(ほうば)みそとして、味噌と野菜や肉を載せて食するために一枚一枚拾っては保存しています。
 
 朴葉の大きさが添付した写真でも判ると思いますが、朴の木の花は日本の花で一番大きいと言われており、葉も人間の顔より大きくなります。こんな葉がバサバサと落ち、これまで緑の山と化していた木が、幹と枝だけになる姿は寂しい限りで、押し寄せる寒波が余計に身にしみります。
 
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 春に植えた植物も秋から冬に突入したことで、葉が落葉するだけでなく、完全に枯れてしまった草花も存在し、春の芽吹きの中でこの一言に記してきた内容や写真が懐かしく思い出されます。
 
 さて、本日は来月6日(月)と7日に開催される議会の一般質問の締切日となっており、自分の質問を通告するとともに、答弁する関係部署の担当職員にも質問要旨と内容を説明していると、時計は午後5時を指していました。
 
私が12月議会に通告した質問要旨です。
 
1件目 市内で飼われている犬など、ペットへの対応について
 要旨 ・狂犬病予防接種の方法について
     ・道路等で死んだ犬、猫等の処理について
 
2件目 公共施設の再構築基本計画と今後の展開について
 要旨 ・神守祖父母の家の運営について
 
3件目 市内で活動するボランティアについて
 要旨 ・ボランティアへの支援と対応について
 
 1件目の質問は、狂犬病の予防接種の方法について、動物病院で接種を受ける時と違い、集団で行なわれる際には、事前の問診も無いままに獣医師が乱暴に注射を打つため、(持病を持ち)接種後に不調になる犬も存在し、次年度から接種に連れていかない人も存在するため、国の制度や料金等から、接種方法についても質問します。
 一方で、道路や他人の家で死んだ動物に対する行政の対応や、ペットの火葬についても質問します。
 
 2件目は、老朽化した公共施設の今後について、サービス提供している施設の廃止について、市民の声をどのように収集して説明するのかを、私の近所にある神守祖父母の家から具体的に問います。
 
 3件目の質問は、行政参加型のボランティアと、福祉関係には行政の把握していないボランティアも多く存在する事から、ボランティアの把握と公平なる行政の支援と対応を求めて質問する予定です。
 一方で、愛知県で養成した各種ボランティアが、津島市の活動に関わっていない事例から、ボランティアの掘り起こしと連携も訴えたいと思っています。
 
 12月議会は11人の議員(議員定数は20)が質問を通告しており、私は11番目(通告書の提出順)の登壇となりますから、7日の午後の登壇となりそうです。
 
                                     11月28日の一言

相変わらず交通事故が起こっており…

 本日の午後3時15分ごろ、宮崎県えびの市で下校中の小学校2年の男児3人がひき逃げされ、1人が重体との報があり、本日の未明には、埼玉県三郷市の常磐自動車道で、大型トラックに大型トラックが追突し、追突した運転手が死亡し、追突された運転手も重体との新聞記事も発信されていました。 
 
 ひき逃げ事故については徹底的な捜査によって犯人を特定してもらいたいものですが、大型トラックによる追突事故については、毎日の仕事の中で不用意な居眠り運転や、うっかりミスで起こっており、僅かなミスが命取りとなります。
 
 私も四国遍路や西国巡礼には仲間を乗せて巡拝しており、現在も7人の同行者とともに西国巡礼中ですが、私の居眠りや運転ミスは同行者も道連れにしてしまう事から、交通事故については人ごとではありません。
 
 最近では、車自体に衝突を防止するためのブレーキシステムが搭載されたり、車間距離や走行レーンを感知して運転手に警報を鳴らす装置も開発されていますが、新車を買える人は別としても、現在の車に搭載するためには多額な費用がかかってきます。
 
アイモバイル 衝突防止補助システム http://bcnranking.jp/news/1204/120412_22522.html
 
 添付したアイモバイルは、フロントガラスに取りつけたカメラの映像で、人、クルマ、二輪車、車線を認識し、危険をいち早く警告する衝突防止補助システムで、本年4月から販売されていますが、価格が13万5千円もすることから簡単には購入の決断ができません。 
 
スマホ 安全運転サポートアプリ http://www.sompo-japan.co.jp/safetysight_app/index.html
 
 一方では、自分の持っているスマートフォンに無料で取り込める追突防止や居眠りを警告するアプリも開発されており、関係者がもっと真剣に考えれば、カーナビゲーションや、スピード検知機器と並んで、安価な事故防止機器の開発も可能ではないだろうか。
 
 もっとも、最近のスマホにはカーナビ機能がついており、スマホが一台あれば電話機能やインターネットもできる時代になっており、いっそのことパソコンと一体型の機器を販売してくれれば、私にとっては鬼に金棒となってきます。
 
 車にパソコンを積めば、私の車には携帯ガスコンロや食料、寝袋や毛布も搭載してあることから、携帯電話を酷使すれば車で生活することも可能となり、更に快適な車を中心とした生活にするためにも、事故防止の機器を開発が待たれます。
 
 本日は津島市では12月議会が開会し、市長の開会の挨拶の中にも、市内で4人の方が交通事故の犠牲者になっていることと、安全運転や事故防止に期待する話が出されました。
 年々減少している交通事故による死亡者数ですが、交通事故そのものは増大しており、愛知県は全国のワーストワンとなっていることから、事故を起さない運転に務めるとともに、被害者にもならない注意が必要に思います。
 
                                     11月27日の一言

愛知県も寒波と紅葉から落葉へと

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 津島市議会では、明日から12月議会の本会議が開会されますが、本日に議案説明会が開催されたことにより、実質は本日より議会が開会した状態となり、年末の25日の閉幕日まで市議会活動が続き、衆議院選挙が来月4日に公示されますが、地方議会にとっては来年度の予算につながる重要な議会で、身勝手な国政選挙の叫びのなかに埋没させてはなりません。
 
 添付した写真は夕暮れの事務所前ですが、降り続いた雨と冷たい強風によってアンズの葉がほとんど落ちて飛ばされていきます。
 
 「大鹿さん、いったい何が起こっているんですか?」の一言は、夕方に多くの消防車やパトカーがサイレンを鳴らして走ったことに対する市民の方からの問い合わせでしたが、私の住む地区で農地に積んであったワラが燃えていた事から出動し、偶然にも消化後に近場で同様の出火があったため、地域全体にサイレンが鳴り響いたためと判りました。
 
 全国から住宅火災のニュースがテレビ画面を通じて流されていることから、暗くなってからのサイレンは高齢者に恐怖心を抱かせ、一人暮らしの人々を安心させるためにも、地元ケーブルテレビやネット情報で安心できる地域社会を実現したいものです。
 
 本日の朝日新聞には、「名古屋市では25日、最低気温が2・6度と今季で最も冷え込み、12月中旬並みの寒さとなった」との記事が掲載されましたが、本日の市役所の委員会室も寒さに震える議案説明会となりました。
 
晩秋 目で味わう  
 
 さて、この記事によれば、名古屋市東区の徳川園や東山植物園でも紅葉が見ごろを迎えており、徳川園内のモミジ約300本は色が変わっている最中で、12月2日までは「紅葉祭」として、入場時間が午後8時まで延ばしている事と、12月上旬まで紅葉が楽しめると記されています。
 
 地元紙では私の出生地となる祖父江町(現稲沢市)のイチョウも黄金色に輝いており、こちらは町全体にイチョウが植えられイチョウの杜となっており、12月2日まで黄葉まつりが開催されていますから、一度は訪れてみたい場所でもあります。
 
第15回そぶえイチョウ黄葉まつり 12月2日まで
 
 ただし、足元に気をつけて歩かないと、踏んづけた足元から異臭が漂いますから、油断は大敵となり、踏めば車中に異臭が漂うばかりか、この臭いは簡単には消えません。先祖が暴風と防災のためだけでなく、農家の副収入や食用として植えた銀杏が、今では観光にもなっている事から、歴史に胡坐をかいで観光客が寄り付かない津島市も見習いたい事例でもあります。
 
                                    11月26日の一言

零戦が展示され、戦車を湖底から探査する報に

 明後日の火曜日から12月議会が始まりますが、明日には上程されている議案の説明会があることから、一般質問の質問内容をまとめようと考えていると、「大鹿さん、タイヤ替えましょうか」との電話があり、無償でやってもらえる有り難い話だけに、本日は冬用のスタッドレスタイヤに交換が終わりました。
 
 来てくれた知人は、大型のジャッキを持ち、電動レンチを使ったタイヤ交換のため、私はタイヤを持ってきて、交換した夏用タイヤをしまうだけですみましたが、私の車のタイヤは大きくて重いため、一人で付属の工具で交換していたら大変な作業になったと思われます。
 
 タイヤの交換が終わり、近くの喫茶店で雑談をしていると、自宅から電話で、事務所を訪れた来客があることからあわてて帰りましたが、市民生活と行政サービスに関わる相談のためこのまま夜を迎えてしまいました。
 
 さて、本日の朝日新聞を見ると、偶然にも戦時中に活躍した零戦(零式艦上戦闘機)が所沢で展示される記事と、終戦直後に浜名湖の湖底に隠された戦車の話題が掲載され、60年の時を超えた話題が揃って発信されたことに興味はつきません。
 
 所沢に展示される零戦は、現在はアメリカの博物館が所蔵しているものの、1944年にサイパン島で米軍に無傷の状態で機体が収容され、ほとんどが当時のままの状態で保存され、現在も飛行可能と記されています。
 
 この零戦は、12月1日から所沢市の航空発祥記念館で来年3月31日まで展示され、初日と2日にはエンジン始動イベントも予定されているので、全国の飛行機ファンだけでなく、戦争と関わった人々にも懐かしい再会となりそうです。
 
 愛知県にも小牧市に三菱重工業の関係で零戦が展示されており、一般にも公開されていますが、当時の航空機製造技術は世界一と言われており、エンジン始動だけでなく複数の零戦が飛び交う姿を見せてもらいたいものです。
 
世界で唯一飛べる零戦 埼玉・所沢で12月から展示 
 
 一方で、浜名湖に沈められたという戦車は、旧陸軍の秘密兵器として米軍に渡らないように自走させて湖底に隠されたと報じられていますが、今にして思えば隠す必要もなかったと思われますが、終戦直後には新たに抗戦する気持ちもあったのでしょう。
 
湖底探査、カツーンと金属音 浜松で「幻の戦車」探索中
記事の続き…
 戦車かどうかは分からないため、現場付近を空撮し、詳しい図面を作る。その後、ダイバーに潜ってもらうなどする。
 事務局長の中村健二さん(52)は「戦車が沈んでいる可能性が高まった。まちおこしのためにみんな一生懸命だし楽しんでいる」と話していた。
 
 戦争の体験者がほとんどいなくなり、戦争の記憶も薄れていく中で、零式艦上戦闘機が里帰りし、隠された最新鋭の戦車が、水中考古学や戦車の専門家らも県外から駆けつけて探す報道に、戦争とは無縁となった日本の平和を実感させられる一日ともなりました。
 
                                     11月25日の一言

浪漫亭砂九さんの命日です

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 本日は「浪漫亭砂九(ろまんていすなっく)」こと、 纐纈(こうけつ)彰良さんの命日で、飲酒運転の車にぶつけられ、亡くなってから6年が経過してしまいました。
 
 砂九さんは、落語家に憧れて関西大学に進学し、桂三枝さんが初代学長を務めた落語大学(落研)の学長を務めたものの、親の家業を引き継ぐために名古屋に帰り、アマチュアの社会人落語として当地方で活躍し、津島市でも多くの落語会に参加しました。現在の津島市での社会人落語の礎を彼は作りました。
 
 私と出逢った日時は不明ですが、我家で平成16年2月に初めて落語会を開いており、私の主催した「まちかど座談会」では36回出演し、「ギャラは一切受け取らない」との約束で、一年に一度だけ正月に京都の日本酒「雪紫」を1本渡していました。
 
 自身のホームページの中に、私を「私設マネージャー」と記し、「津島市会議員だって。ちょっとかための真面目人間」と紹介してくれていましたが、しばらくは残されていたホームページも中身がなくなっており、当時の記録がないと記憶も薄れていきます。
  
平成18年11月26日の一言
 浪漫亭砂九と永遠の別れ http://blogs.yahoo.co.jp/s281218/7408415.html
 
 砂九さんとは、「仕事に区切りをつけてプロになる」との話から、かばん持ちで付いていく話もしており、事故にさえ遭遇しなければ、私と一緒に落語会に走り、プロになる話も現実問題になっていたのかもしれません。
 
 
 
 私より3才若い砂九さんの事故死は、私にとっては大きなショックとなり、落語と一緒に政治報告会で地域を廻っていたことから、いつかは座談会を再開しようと思いながらも未だに開催する気持ちが湧いてきません。
 
 今にして思えば、私は彼の「私設マネージャー」と記されていたものの、私にとっては良き理解者として「応援団長」のような存在だったのかもしれません。私自身にリタイヤする年齢が近づき、本音で語れるはずの人間がいない現実と、亡くなって6年もの歳月が経過している現実とが交差します。
 
 本日は過去に記した一言を読み直し、失われていく「浪漫亭砂九」の記憶をよみがえらせたいと思います。
 
                                      11月24日の一言

家から旅先を懐古する一日に

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11月16日の上高地 (五千尺ホテルの写真引用)
 
 今年は4月27日の開山式から、6月の音楽祭、10月の明神池で開催されたお船まつりなど、上高地の行事があれば参加することにしていましたが、最後となる今月15日の閉山式には西国巡礼の日程と重なって行けませんでした。もっとも、普通タイヤで行っていたら大変な積雪でした。
 
 今年は暖かい日々が続いたものの、上高地も10月7日に初冠雪があり、私は翌日に訪れており、この頃はテレビ画面から「10年に一度」とか、「日本一の紅葉」として個沢の紅葉風景が発信されておりましたが、月末に訪れた時には見事な紅葉風景が展開されていました。
 
 シーズン中の上高地の様子については、五千尺ホテルや西糸屋山荘のライブカメラによって24時間発信されており、かつては閉山式後の様子を見られた事もありますが、現在は完全に停止しており寂しい日々が続きます。 
 
 
 さて、閉山式があったものの、上高地には閉鎖されている釜トンネルを歩いて入れば行くことが可能で、今年も12月末の連休に訪れる予定を立てていますが、3年前から閉山後の上高地を訪れるようになりました。
 
 ただし、釜トンネルの照明は切られて真っ暗になっている場合が多く、トンネルを出た先の道路は完全に凍結している事から、それなりの装具を持っていかないと歩けませんが、釜トンネルの中は凍結していないので、金具付きの長靴では足が痛くなるなど、行かなければ判らないことも多いものの、人のいない真っ白で無音の上高地はシーズン中とは違う魅力があります。
 
 本日は三男が1人で京都を訪れており、私がお気に入りとしている大徳寺門前の細見酒店を訪れ、私への土産に「雪紫」を買ってきてくれましたが、名乗らずに訪れていることから、店内での店主とのやりとりは新鮮に聞こえ、息子から聞く京都の情報も新鮮なものに感じます。
 
 そうやって考えると、本日の23日は、昭和63年に朝日旅行友の会の会員募集を始め、平成20年までは毎年観光バスを借りて日帰り旅行を行っていた日でもあり、最近では観光バスよりも少人数のグループ旅行しか企画していないため、観光バスの旅も懐かしく思い起こす一日ともなりました。
 
旅行友の会旅先リスト  http://www.kuronowish.com/~oshika18/newpage102.htm 
 
                                                                                                  11月23日の一言

知らぬ間に変わり果てた石碑に…

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 この石碑は神守小学校の校舎前の庭園にありますが、平成3年に当時の校長先生の筆によって「望」と記されて建立されました。
 
 「あれっ?」、…、「うーん?」、…、「何か変かな?」…
 
 この石は3メートル70センチあり、当時の同窓会会長だった私が建立を前に、津島市や海部郡にある庭石屋さんを全部廻って、「一番大きい石を探そう」と碑文を彫れる石を探し、佐織町(現愛西市)西川端の柴田庭石店さんで見つけたものです。
 
 見つけたものの、店主の見積もりでは150万円程度の費用がかかり、当時の同窓会には100万円程度しか会費が無かったことから、値切って130万程度に値引きしてもらって購入を決めました。
 
 ただし、その後になって黒い石に彫った碑文を石にはめ込む予定だったものを、石が大きいことから直彫りが良いと店主に言われ、直彫りには他の石屋に運ぶ必要があり、大きいためレッカー車を借りて稲沢市の石屋に運び込みました。
 
イメージ 2 「誰に書いてもらおうか?」も議論になりましたが、同じ頃に隣の七宝町の宝小学校が石の校歌碑を造っており、卒業生で愛知県を代表するような書の大家に依頼してお礼を30万円支払ったとの話を耳にしました。
 
 「卒業生でも金がいるのか」と、書の大家と言えども母校から金を受け取ったことに不快感を感じた私は、書道はやったことがないと固辞されていた当時の黒川恒二校長先生に、「どうしても先生に書いて欲しい」と無理にお願いし、私は「懐」の字を所望していたものの、同窓会役員に一番良いと評判の良かった「望」と決まりました。
 
 
 実際には、黒川校長先生が定年退職された9月に完成し、小学校の運動会に併せた序幕式には当時の長谷川春一教育長を始め、多くの来賓の方々が集ったものの、黒川先生は後任の校長先生に遠慮して出席されず、退職して数年で他界されました。
 
 さて、150万円を130万円に値切ったものの、その後に直彫りのための費用やレッカー代がかかっており、私と共通の知人が存在したことに気を良くした石屋の柴田さんが、除幕式当日には祝いの「白い鳩」を飛ばして下さりました。
 
 この鳩も私と柴田さん共有の知人で、当時の費用で10万円はかかっており、値切っていたものの、単純には200万円近くかかっていると思われます。
 「足りない金額は立て替えて…」と、翌年以降に入ってくる会費で返してもらおうと考えていましたが、柴田さんからの請求があるまで声を潜めていました。
 
 「大鹿さん、良い報告です」と当時の教頭先生から電話があり、柴田さんが請求書を持ってこられ、会費が足りないことを告げたところ、「冗談でしょう」と言われ、教頭先生が同窓会の貯金通帳を見せたそうです。
 
 「それで、足りない分はどうなるの?」
 「さあ、会長が何か考えておられると思います」
 「それじゃー、足りない分は大鹿さんが払う事になるのか?」
 「判りません」
 
 そんなやりとりの中で、柴田さんは通帳にあった100万円と数万円だけを受け取り、「あるだけの金額で良い」と帰られたそうで、教頭先生の「良い話」と言うのは、130万円万が100万で済んでしまったことの報告でした。ただし、私はこんな騙したような行為は心苦しく、近くを通ることもはばかるため、翌年に父親が玄関の門柱を立てたいと言った際に、柴田庭石店を使ってもらい義理を果たしました。
 
 さて、冒頭の「あれっ?」の違和感は、当時石碑の周辺は柴田さんによって石で囲われ、碑の下には植樹がされていたものが、コンクリート剥き出しになったいたためで、当時の関係者の思い入れは無視され、耐震対策でコンクリートで固められたようです。あのまわりの石や木々はどうなったの?
 
 私が知っていれば、補強後も元の姿に戻したと思いますが、学校なんてものは教員は転勤していきますし、同窓会ですら学校の言いなりが現実で、空しい気持ちでいっぱいになりました。今週の日曜日に開催された防災訓練の際に気づきました。
 
                                   11月22日の一言

都市計画審議会が開催され

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市役所前のイチョウの紅葉も見ごろです(右の建物はマンション) 
 
 本日は津島市都市計画審議会が開催され、市街化区域内にある生産緑地地区として指定してある農地の変更と、昭和14年に計画決定されたものの、何も整備されまいまま住宅が密集しており、このまま計画を続けるには多大な事業負担を伴うことから廃止される事案の2件が審議されました。
 
 生産緑地については、市街化区域内にある農地で、農林業の継続が可能で、農地として保存すべきと指定された農地であり、津島市では平成4年に始まっていますが、市街化区域内の農地にも宅地並みの課税が掛けられるため申請した農地が多く、近年では所有者の死亡によって後継者が高価で売買して、農地が分譲住宅に代わっている現状から、税金逃れのザル法との批判が当り前に語られています。
 
 確かに市街化区域内であっても、旧来から農業従事者として耕作を続けていく人々に、宅地と同じ税金を課税すれば農業を続けていくことができず、緑地として保存していく必要もあることから、生産緑地法の存在には理解できますが、地主が死亡したした場合に、耕作をしたい人に引き継ぐ制度となっているものの、農地を引継ぎたい人への買取価格は所有者の希望する高額な土地価格となっていることから、高額な宅地並み価格で農地を買い取る人はおらず、事実上は税金逃れのザル法となっているわけです。
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 さて、数日前から「物忘れ」の失態を記してきましたが、最近になって持っていた物をそのまま置いて、その後に置いた場所が判らずに、探索に時間がかかったり、出向いた場所に置き忘れる失態が多く、本日も添付したペットボトルを置き忘れたため市役所に戻りました。
 
 こんな物でも忘れれば職員が保管し、長期化すれば中身が変質するために戻ったものの、置き忘れたと思われる大会議場はカギが掛けられており、忙しい部署の女性職員がカギを取りに走り、数人の職員が電気を点けて机の下を探してくれたものの見つかりません。
 
 結果的には、その後立ち寄った議会事務局に置き忘れてありましたが、こんな物のために走り回った職員には申し訳なく、知らん顔もできないことから見つかった事を報告しましたが、物忘れへの注意は深刻です。
 
 本日の物忘れはこれだけにとどまらず、帰宅後の事務所に来客があったことから、昼食どころか昼休みが大幅に遅れ、1ヶ月に一度地元の真言宗のお寺で開かれる「阿息観」が開かれていることを思い出したのは、夜7時になってからでした。
 
 阿息観は、毎月21日に開催されていますが、来月12月は納め弘法で阿息観は休みとなり、1月は初弘法で休みとなるため、来年2月まで参加することはできず、こんなうっかりミスも含めて物忘れを意識する日々となりました。
 
                                   11月21日の一言
追伸
あまりにも多い物忘れは、もしかすると病気の前兆なのかもしれませんね…

頼まれて遊びに行ってお礼を言われて

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紅葉で有名な両界山横蔵寺(岐阜県揖斐川町)の入り口です
 
 本日は津島市内の「ネコの会」の皆さんの依頼で、岐阜県の西美濃方面に紅葉狩りに出かけました。このメンバーは、私の知人の営む喫茶店に集まるお客さんのグループで、5月にも一緒に三重県まで出向きましたが、今回は西国三十三観音最後の札所となる谷汲山華厳寺と、ミイラで有名な横蔵寺、道の駅池田温泉に加えて、1ヵ月前に訪れて感動した役行者小角(えんのぎょうしゃおづぬ)が創建した明星輪寺を訪れました。
 
5月の旅行を記した一言 http://blogs.yahoo.co.jp/s281218/46265326.html
 
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 店のオーナーは、かつて私の仕事の同業者だった女性で、何もしないのが寂しいくらいの気持ちで、仕事と言うよりも楽しみで自宅を喫茶店として開放し、小さなスペースで午前中のみ営業し、朝のモーニングのサービスの材料が無くなったら閉店という商売抜きのお店です。
 
 店主の明るい性格から、集まるメンバーも快活な女性が多く、かなりの高齢者も含めて、明らかなギンさんグループですが、本日は12人のグループ旅行(車2台、私の車に8人、男性3人)となりました。
 
 「コーヒー飲みたいなァ」と、30分も過ぎた頃に声があがり、立ち寄ろうと思うと大型店が見つからず、小さなお店を見つけて入り、突然の来客に忙しくなると、「いつもこき使われているから」と、お店のウェートレス役までやってしまうメンバーから年齢は感じさせられません。
 
イメージ 3 こんなペースでも10時30分には華厳寺に到着し、一同は歩いて本堂を目指しますが、参道の商店街の入り口から車は有料駐車場に誘導され、メンバーの中には身体障がい1級の人も存在するものの、およそ1キロはある商店街をお寺まで歩かされるわけですから、人にやさしい観光ではありません。
 
 一方で、山門近くの料理屋が大きなマイクロバスを走らせて客を乗せて往復させている事から、戻って観光センターの職員に「せめて、障がいを持つ人だけでも」と訴えたものの、「例外はありません」との前時代的な一言です。
 
 紅葉のシーズンだけとのことですが、参拝目的の西国巡礼の人や、障がい者だけでも山門横の駐車場まで入れるべきと訴えて、「馬の耳に念仏」ですがメンバーに追いつきました。参拝後に随分と早い昼食となりましたが、参道の食堂の値段の安さは西国では一番ではないでしょうか。
 
西国33番谷汲山華厳寺 http://www.saikoku33.gr.jp/33/index.htm
 
 道の駅池田温泉から、横蔵寺を目指す山の紅葉は見事で、添付している写真が携帯電話の感度が悪いために「今一つ」であるものの、イメージ 4実際には真っ赤に紅葉しており、イメージ 5黄色く色づいたイチョウも見事です。
 
 横蔵寺は即身成仏した妙心法師の「ミイラ」で有名なお寺ですが、803年(延暦22)に伝教大師最澄が創建したと伝えられる古刹で、779年(延暦17)に開創された華厳寺とともに、紅葉の名所となっています。
 
 
 我々はここから10分の距離にある道の駅「池田温泉」に立ち寄り、さらにここから10分の距離にある「こくぞう」こと明星輪寺に立ち寄りました。ここは1ヶ月前に立ち寄りましたが、独特な岩肌の山上にあり、愛知県の名古屋市内や知多半島まで見渡すことができ、左手には岐阜金華山にある岐阜城も識別できます。
  
 明星輪寺は、持統天皇の勅願により鎮護国家の道場として朱鳥元年(686年)役の行者小角が創建したと伝わり、華厳寺や横蔵寺よりも歴史は古く、弘法大師との縁も伝わる山全体が霊山の雰囲気を持つ真言宗のお寺で、本堂には大蛇を封じ込めたと伝わる岩屋があり、本堂の横には麿崖佛や、奇岩怪石からなる岩巣公園もあり、桜の咲く春から紅葉の秋まで、四季折々の季節感と山から眺める遠景に心洗われる私のお薦めのお寺です。
 
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山門から見る明星輪寺の紅葉
 
 参拝後にご住職からお茶を出していただき、そのまま津島市への帰路としましたが、私は運転手役ながら行き先も決めさせていただき、グループメンバーと全く同じように相手していただける事から、半年後の行き先を考えるのも楽しみとなりました。
 
                                  11月20日の一言
追伸
この喫茶店に通えば、「うつ」状態の人も治ってしまうそうです。

福島原発のセシウム被害が拡大し

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本日我家の庭の柿です
 
 福島第一原発から200キロ以上も離れている青森県や長野県、静岡県で今秋、野生キノコから法定基準を超える放射性セシウムが検出されており、青森県十和田市のキノコからも基準値を超える放射性セシウムが検出され、国は出荷制限を指示し、県は市内で採れたナメコやクリタケなど全種類の野生キノコの販売を禁じたと朝日新聞は報じている。
 
野生キノコ、セシウムに泣く 10県で出荷制限
記事の続き… 
 青森市で採れたサクラシメジでも同月、基準値をわずかに超えた。県が出荷しないよう指示すると、同市産の野生キノコは店頭から一斉に消えた。
 青森駅近くで八百屋を営み、キノコ研究家でもある手塚豊さん(61)は、野生キノコの扱い自体をやめた。「青森市外で採ったと言われたら、責任がとれない。秋の味覚を提供できないのは本当に残念」
 山梨県では名物にも影響が及んでいる。ほうとう店「天下茶屋」(同県富士河口湖町)は、人気の野生キノコ入りをメニューから外した。キノコほうとうの季節は、秋の観光シーズンと重なる。男性店主(70)は「店にも痛手だけど、食べられずにがっかりする観光客をみるのもつらい」とこぼした。
■1年経ち、土に染みこんだ?
 厚生労働省によると、昨年、野生キノコの出荷が制限されたのは福島県内だけだった。今年は基準値が1キロあたり500ベクレルから100ベクレルに下がった影響もあるが、福島県を含む東日本の10県93市町村に広がった(16日現在)。うち青森、埼玉、山梨、長野、静岡の5県は、野生キノコだけに出荷制限がかかっている。
 セシウムの値も各地で昨年より高くなっている。国が要請した検査によると、今年の最大値は青森県が120ベクレル(昨年は60ベクレル)、長野県は2100ベクレル(同1320ベクレル)、栃木県は3千ベクレル(同134ベクレル)だ。
 なぜ1年もたって、野生キノコだけ、このような影響が出てきたのか。
 放射生態学が専門の村松康行・学習院大教授は「詳しいメカニズムは不明だが、菌類であるキノコは植物などに比べ、セシウムを取り込みやすい」と説明。今秋の方がセシウム濃度が上がっていることについては、「昨年は木の幹や葉についていた放射性物質が、雨に流され、キノコが菌糸を張る土壌中に染み込んだ可能性がある」と話す。
 キノコは種類によって菌糸を張る深さや、セシウムの取り込みやすさが違うため、来年も一部のキノコで高い濃度が検出される可能性があり、「継続した調査が必要だ」とみる。
     ◇
 野生キノコの放射性セシウム検査は現在、国が東日本17都県に要請している。種類の見分けが難しいため、同一県内で1種類でも基準値を超えた市町村が複数あると、当該市町村の全種類に出荷制限がかかる。山の除染が進まず、これまでに解除になった例はない。出荷制限を無視して販売すると、食品衛生法違反で回収措置がとられ、悪質な場合は200万円以下の罰金または2年以下の懲役刑となる。
 
 国会の衆議院が解散し、来月には選挙が行なわれますが、一度の原発事故によって、昨年よりもセシウムの被害が大きくなり、しかも被害が拡大している現実がありながら、「脱原発」と「減原発」を否定する政党や候補者が存在するのには驚かされます。
 
 被災から一年半が経過し、除染を進めて被災地に戻る話題があり、放射性物質の存在があまり騒がれなくなり、被災地での農産物の安全を訴える発信がある中で、野生のキノコによって、昨年よりも被害が拡大している事実は重要です。
 
 人間によって、蓄積した土地や建物の放射線物質を除染しても、汚染物質が無くなるわけではなく、水によって流された汚染物質は足元の土中に蓄積され、川に流されていくだけで、被災地の数値は減ったとしても、汚染物質が広範囲に散っている現実を野生の植物から訴えられているようにも思えます。
 
                                 11月19日の一言

地域で防災訓練が開催されて

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神守小学校区自主防災会の訓練風景
 
 本日は地元小学校区の防災訓練が行われ、三角巾による応急手当や、初期消火訓練、人口呼吸訓練、救出体験などが繰り広げられ、昼には地元婦人会による炊き出し訓練の試食の後に散会となりました。
 
 毎年の恒例行事となっているため、テントの設営や後片付けは見事な協働作業となりますが、各部門を担当するボランティア組織がしっかりしていることから、住民が参加する立場となっており、参加する我々がお客さんになっている感覚は否めません。
 
 そういう私も、かつては防災ボランティアとして参加していましたが、最近では来賓としての参加になっており、愛知県の防災訓練やセミナー等には1人の住民として参加しているため、来賓としての招待ではなく、住民としての参加要請が欲しいところです。
 
 さて、昨日の一言に、「十善戒を完全に守ることは凡夫にとってほとんど不可能です」のコメントをもらいました。
 
不殺生 [ふせっしょう]…殺生をしない。命あるもの全てに対し、恐れることは何も存在しないと示す
不偸盗 [ふちゅうとう]…
盗まない。理由のないものを自分のものにしたいと思わない
不邪淫 [ふじゃいん]…よこしまな男女関係を持たない
不妄語 [ふもうご]…(故意に)でたらめを言わず真実を話す
不綺語 [ふきご]…
無駄な、飾った言葉(綺語)を使わない。へつらわない
不両舌 [ふりょうぜつ]…
人々の間に二枚舌を使わない。誰に対しても真実のことを喋ります
不悪口 [ふあっく]…粗暴な言葉遣いをせず(悪口を言わず)
不慳貪 [ふけんどん]…貧りを離れ、少なきを分かちます
不瞋恚 [ふしんに]…怒りをおさえ、心を落ち着けて、優しい気分で過ごす
不邪見 [ふじゃけん]…邪まな間違った考えを捨て、どの人にも平穏な気分で接する
 
 
 添付した大阪法楽寺の資料では、『十善戒とは、十の項目よりなる善なる戒めであり、「善」とありますが、仏教でいう善は、結果として自らに安楽をもたらす行為を意味します。「戒」というのは、みずからが決心して自発的に行うものです』とあり、『まず自分を戒めて「悪い行い」をせず、みずからが出来る「善い行い」を少しずつ、それでもしっかりと行っていけば、その心はおのずから清らかなものとなって、苦しみを離れていく。これが、諸々の仏陀が通じて説かれてきた教えです』と記されています。
 
 簡単に実現する方法は、一人で静養のために旅に出ることですが、一番の障壁は家族となり、私は昨日にも長男の間違った行動に激怒(不悪口)し、家内だけでなく家族全員に嫌悪感を残し、私自身も腹立たしさが消えません。
 
 こんな私を諌めるのは、家内や家族ではなく、私の怒った大声によってその場を離れて自分のケージに入っていく相棒で、相棒が嫌がる環境だけは避けたいとの思いが、十の怒りを五にし、相棒のためなら何でも許せる思いは、本来なら孫が担っているのですが、未だに結婚しない愚息の存在が十善戒を犯し、怒りは自身の胃の痛みにつながっていきます。
 
 明日は議会運営委員会が開催され、翌週からは12月議会が開会する中で、西国巡行と、四国修行を残しており、書道会や地域の高齢グループから依頼されている移送など、今年も年末は休みのない日々が連続していきます。
 
                                   11月18日の一言

本日も冷たい雨が降り続き…

皆戸正幸画 “蟹江町絵散歩”
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日時:12月3日(月)~8日(土) 午前7時~午後6時(但し8日(土)は4時30分まで
会場:喫茶茜屋 津島市西愛宕町2-66(TEL0567-25-6583)
 内容:蟹江町の学戸4丁目、城1丁目、蟹江新田(下西野・鹿島)、須成(門屋敷・川西上)蟹江本町(両五・今・川西)、西之森2丁目などの風景画13点を展示します。
 
津島街並みミュージアム http://blogs.yahoo.co.jp/myk_mnt
 
 昨日市内の「茜屋」さんに立ち寄ったところ、上に添付した絵画展の案内が掲示してあり、一年前の絵画展も紹介してあったことから、余計なお節介ですが添付した次第です。ちなみに、私の写真展(テーマ・上高地)も、来年の4月1日から予定しておりますので、併せてご覧いただければ幸いです。
 
 当地方は早朝より激しい雨が降っており、会員さんを希望地に移送するボランティアが本日の午後に入っていたことから、昨日の夕方に車を洗車したことが無になったようですが、明日には地域の防災訓練が行われる事から、少しでも早く雨が止むことを祈るばかりです。
 
 しかし、2日前に帰ってきた西国巡礼では、厳しい寒波襲来と予報が出ていたものの、幸いにして我々の巡拝には傘を必要とすることも少なく、帰宅した当地方の方が寒波や雨で大変だったようです。
 
 本日も宗教じみた話題となりますが、私が昨日の一言に記した「四国遍路においても、ただ口に般若心経や菩薩の名を唱え、漫然と礼拝を繰り返すだけだとしたら、意味もないように思います」の文言が物議を起こします。
 
 「お父さんも一緒じゃないの」
 「昔はそうだったけど今は違う」
 「何が違うの」
 「少なくともご本尊の前で旅館の食事の話はしない」
 
 遍路を始めた当初は、「般若心経」も読めず、ただ単に手を合わせて良しとしていましたが、最近では三帰することと五戒を受けること、しいては「十善戒」に務めて、「自分に出来ること、しなければならないことを、一つずつ、しっかり確実に行う」ことを唱えています。
 
 物見遊山で四国をスタンプラリーとしていた十年前があって今がありますが、近所の仲間と般若心経を念仏のように唱えて廻った母親と、「もう何回も廻ったから行かない」と言う家内とは大きな溝ができています。少なくとも「十善戒」に務めれば、人間関係においても間違いは起こりません。同じ時間とお金をかけて邊地(へち)を廻る遍路も、反省と自覚によって大きな違いとなっていきます。
 
                                  11月17日の一言

本日も忘れ物で迷惑をかけて

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 私がかかりつけ医としてる彦坂外科で、2ヶ月に一度の間隔で定期的に診察を受けていますが、ここで一年に一度の基本検診や各種のガン検診も受けており、年齢を重ねればここで重大な告知や決断を決まられる日がやってくるものと思われます。道路の西側に調剤薬局があります。
 
 上高地は15日で釜トンネルが閉鎖されましたが、最近は上高地や四国遍路に出かける機会が多く、2日間でしたが平日に西国巡礼で津島市を離れていた事から、本日は残務処理も多く、市役所から帰る時には荷物でいっぱいになりました。
 
 一方で、数日前に「物忘れ」について記しましたが、その舞台となったカメラのキタムラに写真と忘れ物の封筒を受け取りに出向いた際に、ここでもまた同じ過ちを冒し、本日はポイントカードが紛失して窓口を混乱させます。
 
 紛失したカードはポイントを蓄積させているだけなので、仮に無くなっても割引きされる数百円が無くなるだけのことですが、写真の同時プリント代を支払い、釣り銭をもらった後で焼増しの注文をしてから、車に戻った時にカードが無いことに気づいた訳ですから、窓口に忘れたとしか考えられません。
 
 ただし、カードは金額に関わるだけに確認も大変で、カードの使用確認をしますが、私しか使用していないことは判ったものの、肝心のカードは何所にも見当たらず、店員さんも探しようがないことから暫し沈黙が続きます。
 
 「あっ、ありました」と、私が受付に置いた手の平のガラスケースを見ると、私のカードが商品の見本のように置いてあり、私と店員さんがやりとりをしている真下に忘れてあったようで、裏側には私の名前が記してありました。
 
 このまま見つからなかったら私の不快感は続き、店員さんにも嫌な気分を残したと思いますが、両者の真下に置いてあった事から、両者が笑って解決となりましたが、私の物忘れによって他人にも迷惑をかけることから注意が必要ですね。
 
 さて、昨日の早朝に西国27番書写山圓教寺の魔尼殿で行なわれた朝の勤行で、参加者がそれぞれに焼香を行いましたが、事前に焼香の意味を説明して「三密と言われる身(からだ)と、口(ことば)と、意(こころ)に供養するためで、簡素化してはならない」と伝えてあったものの、日頃の癖のままの焼香が見受けられました。
 
 この焼香については、10月30日の一言にも記してありますが、私の住む地域では葬儀が行なわれるホールで、浄土真宗の僧侶が焼香の意味も説明せず、葬儀の作法としてつまんだままで2回とか1回と抹香を置くだけのやり方を説明するため、浄土真宗以外の人々にもそれが正しい焼香のように思われています。
 
 やはり、焼香する以上は焼香する意味を理解して、体裁だけでなく心から行ないたいもので、四国遍路においても、ただ口に般若心経や菩薩の名を唱え、漫然と礼拝を繰り返すだけだとしたら、意味もないように思います。
 
 最近になって、大阪の法樂寺の小松 庸祐(こまつ ようゆう)住職のネットから、『戒律の一つも守らず、女性と交わって当然の如く妻帯し、公然と酒を飲んで憚[はばか]らず、当たり前のように世間並以上の俗な営みをして恥じない僧侶と称する人々に、読経や祈祷、戒名の代金としての金品を、法事等の時に渡すことが功徳でしょうか』の記載に溜飲を下げました。
 
真言宗泉涌寺派大本山法樂寺 http://www.horakuji.hello-net.info/
 
 来月の4日には四国善通寺で八十八ヶ所の先達研修会が行なわれますが、それまでは座学で密教の勉強をし、ここにも記していきたいと思います。ただし、来週には議会運営委員会が開催され、議会は年末まで続くため、座学を心の静養にしたいと思います。
 
                                    11月16日の一言

西国観音巡礼2日目

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 本日の朝は、昨晩に宿泊した西国27番書写山圓教寺の魔尼殿で行なわれた朝の勤行(午前6時30分~)に参加し、大講堂、開山堂まで案内していただきました。昨日から急に冷え込んでおり、我々は防寒衣を着て参加していますが、案内の僧侶は咳をしながら山道を案内するのですが、ついて行く我々の方が息があがりついて行けません。
 
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 昨日の日本海側の冷たい雨中の参拝とは違って、本日の早朝は晴れており、山道は真っ赤なモミジが名前のごとく紅葉となっており、朝から清々しい気持ちで宿坊に到着しました。
 
 お寺での食事ゆえに、昨晩の夕食も、本日の朝食も粗食ではありますが、昨晩はこれだけで腹が膨れるかと心配したものの、全員が満腹感を味わい、朝の勤行と山道を歩いたあとだけに、味噌汁が「美味しい」との感想が自然に漏れてきました。
 
 昨日はロープウェーの最終時間に乗り遅れ、車で山上まで送迎してもらうだけでなく、本日も足腰の弱い2人と全員の荷物を運んでもらい、案内役の私の宿泊料金は半額しか受け取ってもらえないばかりか、全員が入山料となる志納金も払っておらないままに下山していました。こんな感謝の気持ちも、遅れた我々を心地よく笑顔で迎えていただいた圓教寺会館の藤本氏のお蔭でもあります。
 
イメージ 3イメージ 4 本日は西国第26番一乗寺、25番清水寺、番外霊場東光山花山院菩提寺と車を進めましたが、途中から雨に降られたものの、紅葉は最盛期に近く、雨でも振り返りたくなる情景に足元の悪さも苦になりません。
 
 両側の写真は、花山院での納経(朱印)風景と、本堂から納経所への通路ですが、色とりどりのモミジに彩られており、この時期の巡拝は西国だけでなく、四国遍路にしても最高の巡礼となります。
 
 本日は、その後第24番中山寺から23番勝尾寺まで巡拝しましたが、勝尾寺は西国巡礼の中でも紅葉が最高となるお寺であり、雨が上がって夕陽が差し込んでおり、奥の院、四国八十八ヶ所のお砂踏みのある大師堂から、本堂へと閉山時間までゆっくりと参拝することができました。
 
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 さて、来月に滋賀県の第12番正法寺から14番寺、京都市内の第15番から大阪府の第22番総持寺まで巡拝すると、岐阜県最後の第33番谷汲山華厳寺で満願となります。その後については未定ですが、10年ぶりの西国巡礼を機会に、このまま坂東、秩父と日本百観音の結願となれば幸いと思いますが…
 
                                   11月15日の一言

西国三十三観音霊場へ

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本日と明日は西国三十三観音霊場へ巡拝に来ています。

6時に津島市を出発し、敦賀インターから三方石観音へ参拝して、第二十九番松尾寺、第二十八番成相寺を巡拝後に天橋立を観光です。

ここから姫路市にある第二十七番円教寺の宿坊を目指したものの、カ一ナビは高速道路を目的地に誘導したためロ一ブウエイの最終便に間に合わず、宿坊から車で迎えにきてもらう始末です。

お寺の優しさを実感する一日となりました。

記憶に残る巡拝となりました。

物忘れを繰り返しながらも…

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 津島市にもこんな見事に紅葉した街路樹があり、あまりの綺麗さに戻って写真に収めましたが、感度の悪い携帯電話の写真だけに、私の感動した気持ちをそのまま伝えられない事が残念です。
 
 今月は1日に四国別格二十霊場の先達研修会があったため、4日まで愛媛と徳島の弘法大師が修行された場所を訪ねていましたが、四国からは毎月1日に発行される四国八十八ヶ所霊場会の会報「へんろ」が届けられており、私が不在のため取り出した家族によって私の目に届かない場所に積まれておりました。
 
 最近では物忘れが激しくなり、大切なものをそのまま置き忘れることも多く、12月に開催される先達研修会の参加費用を郵便局から送付したものの、肝心な行事そのものの日程を記した要綱を何処かに忘れてきました。
 
 後日にその事実に気付き、カメラのキタムラの受付に置いたままになっていた事が判明しましたが、キタムラに出向いたのも車の車中から、撮影済みの写真フイルムが出てきたために、撮影した日時も場所も判らぬままに届けた次第でした。
 
 何かをすれば、何かを忘れ、手元にあるものを紛失したと勘違いして家捜ししたり、忘れ物を取りに戻ったにもかかわらず、途中で目移りしたり、電話で新たな話題をそのまま続けてしまい、目的を忘れて再度取りに走ることも度々です。
 
 「お父さん、危ないんじゃない」と、認知症の心配をされますが、最近では人の名前が中々出てこないことも多く、頭で記憶しておくことの限界も感じています。
 
 さて、本日も明日から1泊で出発する西国巡礼の資料が見つからず、家捜しすればしただけ屋内の配置が変り、最後は何を探していたのかも忘れて、久しぶりに目にした物を読み直す次第でしたが、1日に発送されてきた「へんろ」を見つけました。
 
 この「へんろ」には、平成26年に四国八十八ヶ所が開かれて1千200年を迎えることから、記念事業として来年2月から月に2回のペースで歩く、「霊場開創1200年記念徒歩錬行・お大師さまと歩む四国遍路」の案内が記され、平成26年5月9日に結願するスケジュールや、参加するための要綱も記されていることから、待ち続けていた会報でしたが、本日目にするまですっかりと忘れていました。
 
 来年2月から月に1泊2日を2回のペースで歩けば、1年後の5月には八十八ヶ所総てを歩けるとの目標は、解り易く参加しやすい気持ちにされますが、決められた日時に参加することは仕事を持つ立場では絶対にできません。しかし、これなら家内と一緒に実行できそうな事から、2年がかりで歩き遍路に挑戦したいとも思うものの、現実はこれも前途多難… 間違いなし。
 
 こうして、一言を記している間にも、外から雨音が聞こえてきました。明日は西国29番松尾寺、天橋立にある第28番成相寺を巡拝し、日本海から瀬戸内に移動して第27番圓教寺の宿坊に宿泊の予定を立てています。せっかくの紅葉も、風光明媚な松原も、長靴覚悟の巡拝となりそうです。
 
                                 11月13日の一言

奈良のシカの駆除が検討されて

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 最近は庭にミカンの木が当り前のように植えられており、しかも美味しく食べられるようになりましたが、かつては柿くらいしか無かった庭の果物が多種多様になり、かつての「柿泥棒」も死語になりつつあります。
 
 近所の道ですが、私の子供の頃は、太陽が沈んで暗くなるまで子供たちの遊び場となっていたものの、最近は遊ぶ姿が無いばかりか、近所に子供や赤ちゃんの存在そのものが無くなっていました。最近の道は、子供の遊び場から、犬の散歩道に姿を変えるだけでなく、放置される糞により目も背けたくなります。
 
 今年4月に行なわれた上高地の開山式では、上高地周辺のシカの目撃情報について報告があり、シカが山に自生する植物の新芽を食べてしまうことから、自然環境を守る上でシカが大きな問題になっている事を実感させられました。もっとも、落ちた枯れ葉を拾っても、「持ち帰ってはいけません」と言うお節介が存在する上高地でも、観光客の景観を守るため、関係者によって密かに邪魔な木々が切られている現実も見過ごすわけにはいけません。
 
奈良のシカ、県が駆除検討 公園外の食害絶えず 
 記事の続き…
 県奈良公園室によると、保護管理計画の中では、駆除対象地域は、文化庁が「奈良市一円」内に定めた4区分の生息地のうち、奈良公園(約660ヘクタール)外側の2区分の一部を設定する方向で検討中という。ただ、鹿が手厚く保護されてきた歴史を踏まえ、シンポジウムを開くなどして、頭数管理への理解を求めていく。
 農作物に被害を与えた鹿については、愛護会が病気やけがの鹿とともに捕獲して園内の鹿苑(ろくえん)に収容しているが、愛護会によると、人手や収容頭数には限界があるという。奈良市の世界遺産「春日山原始林」の若木や芽などへの植生被害も指摘され、文化庁は04年、県に対し頭数管理を指導したことがある。
 奈良市や愛護会は毎年、公園を出入りしたり周辺の山にすみついたりする鹿に農作物を荒らされた農家に対し、補助金(今年度予算970万円)や被害見舞金(同660万円)を出している。鹿の生態に詳しい専門家によると、芝生1ヘクタールあたりの採食量から、園内の芝生120ヘクタールで養える鹿は480頭との計算になるという。
 県奈良公園室の中西康博室長は「長い奈良の鹿の歴史の岐路に来ている。これ以上放置すれば、さらに重大な問題が起きる。今後も人と共存していくためには、行政が主体となって保護管理する必要がある」と説明している。文化庁記念物課の担当者は「食害などの被害があり、対策を立てても解決が難しいという科学的な根拠があれば駆除もありうる。ただ、『奈良のシカ』は歴史的背景がある点で特別なので慎重に検討する」としている。
 天然記念物の動物の保護管理をめぐっては、農作物や林業被害を防ぐとして青森県・下北半島や大分・高崎山のサルに対し捕獲や避妊手術の措置が取られた。岐阜・長野では特別天然記念物のニホンカモシカが駆除されている。天然記念物ではないが、広島・宮島の鹿は増えすぎたため、餌付けが禁止されている。
 
 本日の朝日新聞では、国の天然記念物に指定されている「奈良のシカ」についても、奈良公園を離れて周辺の田畑で農作物に繰り返し被害を与えたり、周辺の山にすみついたりしている鹿の一部を駆除する検討を始めたと報じられている。
 
 先月訪れた西国巡礼でも、山道に迷い込んだ第11番上醍醐寺周辺で野生のシカと遭遇しましたが、奈良公園以外でもシカを見かけたことが多々あり、人間との共存の難しさは理解できますが、公園内で人間のエサを狙うシカよりも、公園から離れて自分でエサを探して自立するシカが駆除されるのには寂しさも感じさせられます。
 
 こんなことを記している私も、春に実ったサクランボを狙って集団で飛来するムクドリについては、鉄砲を入手してでも駆除したい怒りを覚えますから、畑の作物や実った果実を食い荒らされる人間の苦悩を考えると仕方のないことかも知れません。
 
 さて、昨年末にネズミ捕りの粘着マットにイタチが引っかかり、屋根裏に入り込んだイタチを追い出すのに苦労をしましたが、数日前にも天井からイタチらしい物音がしたため、ネズミよけのスプレーを噴射し、物音のする場所を突付いて追い出しました。
 
ネズミ捕りにイタチが引っかかり   http://blogs.yahoo.co.jp/s281218/45848102.html 昨年12月
 
イメージ 2 もっとも、イタチの侵入経路と出入り口が判っているため、天井裏と縁の下にネズミ除けのハーブの芳香剤を置き、進入口には臭いの強いハーブ(右)の枝を丸めて詰め込みましたが、我家ではイタチの存在によってネズミが追い出され、以来一度も入ってこないことから、ハープの存在によってイタチもネズミも防御できれば幸いですが…
 
 こんな植物連鎖で動物の食害が阻止できれば幸いですが、シカの被害を防ぐためにはライオンでも飼わないと効果も見込めませんから、現実には人間が駆除するしかありませんが、できることなら安直に銃殺せず、捕獲して避妊手術から着手して頭数調整を図ってもらいたいものでもあります。
 
                                    11月12日の一言

善意を考える一日となりました

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 本日は町内の側溝掃除(ドブさらえ)が行なわれ、各家庭より1名ずつ参加して、字ごとに側溝全部の清掃が行なわれましたが、私の近所の班では、消防署から破棄される消防用ホースをもらって、防火訓練を兼ねて側溝に水を入れて清掃するため、かつてのような側溝のフタを開けて土を上げる重労働ではなくなりました。
 
 住宅地とはいえ、面積のほとんどが田んぼという農業振興地域ですが、道路は市道のため両側に頑丈な側溝のフタがしてあり、持ち上げるのも大変な重労働となり、町内全部の側溝を掃除するのは大変な仕事となります。4人に1人が60歳以上の高齢社会となり、60に手が届く私が若手と言われる現実をどう思われますか。
 
 本日の深夜に放映されているミスターサンデーに、京都の大学生協が発注ミスで仕入れてしまった4千個のプリンについて、間違いを知った学生らがツイッターで「お願い。プリン買ってあげて!」と購入を呼びかけて、協力した近隣5大学の生協を通じて全部完売してしまったとの心温まる話題が提供されてきました。
 
焼きプリン4千個を誤発注→学生ツイートで「完売御礼」
記事の続き… 
 京都大(同左京区)の生協も5日に1400個の販売を始め、同生協のツイッターで「プリン大特価セール開催してます!」と宣伝し、午後7時半、「完売でした」と投稿した。
 京教大生協関係者は「申し訳ないやら、ありがたいやら。学生の皆さんに本当に感謝しています」と語った。
 
 プリンの原価までは判りませんが、販売価格は通常105円から70円に値引きしたと報じられていたことから、4千個のプリンを間違って発注した担当者の月給が全て飛んでしまうような被害が、学生のツイッターで救われたとの現代ならではの美談と思われます。
 
 もしも、私が間違えた当事者なら、仕入れてしまった損害は諦めて、4千個のプリンをどうやって配布して食するかを考えてしまいますが、呼びかけた学生は「何とか買ってやろう」と呼びかけており、ミスを機転や体裁を整えてしまう私の不純な考えは吹っ飛んでしまうまともな対応に頭が下がるばかりです。
 
 世の中は悪質な知能犯が増え続け、神奈川県逗子市で起こったストーカー殺人事件では、自殺した犯人はネットを使って被害者の情報を集め、殺害に使う凶器の包丁までどこで買えるか情報提供を求めている事から、ネット社会の中では善意はありえないのが当り前の感覚の中での美談と思います。
 
 ただし、こんなことが再三通用するとは思えず、売上が上がらず倒産の危機にあるお店が悪用しても、2匹目のドジョウとはなりませんが、困った時にネットを通じて助け合うシステムが構築されれば世の中で救われる人も多いはずで、こんなブログでも協力できる事があればと思う一日となりました。
 
                                    11月11日の一言

国会が程度の低い田舎舞台になり

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 本日の庭田山頂公園(岐阜県海津市南濃)の紅葉ですが、3年前までは三男が自転車のトレーニングコースとして登っていた場所で、20年前までは私が自動二輪車のツーリングコースとして度々通過していた場所でもあります。
 
 我家から30分で到着する場所にあり、展望台からは名古屋市や岐阜市など濃尾平野全体を見渡すことができ、遠くには北アルプスや乗鞍岳、御嶽山の山並を見ることも可能で、標高450メートルの場所にあります。
 
 「ちょっと行って来ようか」の一言で、家族5人と相棒リマで、高速道路の養老サービスエリアを高速道路を利用せずに一般道から入ろうと出発したものの、途中で方向転換して養老山脈を越えて、三重県いなべ市から多度大社を通って帰ってくるドライブとしてしまいました。
 
  さて、野田首相は、自民党から罷免要求が出ている田中真紀子文部科学相について、「少子化時代で大学の数が増え、大学の質をどう考えるのかは、方向感として理解いただける」とし、田中氏の問題提起に理解を示したと報道されているが、藤村修官房長官も「何か大臣として間違ったことをされたとは、たぶん誰も受け止めていない」と述べており、責任も感じられないばかりか、法治国家の中で正常な判断もできないことも問題ともされない異常事態である。
 
 一方で野田首相は、環太平洋経済連携協定(TPP)の交渉に参加する意向を固めたと報道されているが、民主党内には反対論が根強く、離党者が続出する可能性もあるとも報じられており、衆院選での争点化を求める声も閣内にあり、首相は参加を表明したうえで、年内も含め解散時期を探るとの報道には、国の将来を国会での審議や議論もないままに発表しようとする施政は、民主党最悪の内閣と言わざるを得ない。
 
TPP交渉、参加の意向 首相、年内解散も視野 
記事の続き…
 首相は衆院解散に向け、(1)赤字国債を発行する特例公債法案(2)「一票の格差」是正のための衆院選挙制度改革法案(3)社会保障国民会議の設置――の三つを判断材料にすると表明。自民、公明両党は特例公債法案を15日に衆院本会議で採決する日程に応じるなど、協力姿勢に傾いている。藤村修官房長官は9日の会見で、特例公債法案の成立を「(解散の)環境整備の一つであることは確かだ」と明言。首相はこれらの課題の進捗(しんちょく)状況を見極めながら、TPP交渉への参加表明に踏み切りたい考えだ。
 20日の東アジアサミットの際に日米首脳会談を調整しているが、政権内には「協議をまとめていく一定の時間は必要」(玄葉光一郎外相)との声があり、参加表明を踏まえた解散は年末か年明けを想定する。
 一方、民主党幹部は「参加表明なら選挙の前に党が割れる」としており、首相が参加を表明すれば離党者が続いて内閣不信任決議案の可決も現実味を帯びてくる。党内にくすぶる首相の退陣論に拍車がかかる可能性もあり、党執行部の一人は9日、「TPPで解散なんてあるわけない」と語った。輿石東幹事長も年内解散について「日程的にも物理的にも難しい」と否定的な姿勢を見せており、首相が思惑通り参加表明に踏み切れるかは不透明だ。
 
 衆議院で圧倒的多数を誇っていた民主党が、過半数割れの危機にあるのも、野田首相の反対派には耳を貸さない強引な政治手法が原因であり、消費増税に反対する小沢グループを排除し、解散の瀬戸際に至っても反対野党ではなく、党内の議論すら無視する姿勢からは、民主党に国民の声は届かないし、守る気も無いマニフェストを考える必要もありませんね。
 
                                     11月10日の一言

久しぶりに忌野清志郎さんを偲び

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 写真は稲沢市(旧平和町)の日光川堤防ですが、ススキが見事になり、堤防全体が黄色いじゅうたんのようになっています。津島市に近いものの、道路の両側は紅葉の始まった街路樹が並び、植木の町だけに雰囲気が違って見えます。
 
 本日は、夕方の空いた時間に市外の親族や同級生を訪ね、久しぶりの会話を楽しみましたが、疎遠になっている間に多くの人々が鬼籍に入っておられる現実も実感させられました。
 
 平成21年春に58才の若さで旅立った歌手の忌野清志郎さんは、平成17年10月30日に自転車で四国遍路をスタートさせ、11月2日に室戸岬にある第24番最御崎寺に到着している。
 
 この遍路は、雑誌の「一個人」の発心の道場を自転車で走るの企画でしたが、室戸岬で、「車じゃなくて、バイクや歩きで回ってこそ、感じられるものがあるんじゃないかなぁ、ここには」と語った言葉が印象的で、亡くなった直後の一言にもこのコメントを記しました。
 
 今月2日と3日に一人で廻った番外霊場の「星の岩屋」や、鶴林寺、太龍寺、舎心ケ嶽禅定などに立ち寄ったのも、久々にこんな心境に浸りたいためもありましたが、3年が経過して清志郎さんの年齢をまもなく越そうとしています。
  
忌野清志郎さんの死を悼んで  平成21年5月の一言
                        http://blogs.yahoo.co.jp/s281218/40234591.html
 
忌野清志郎 雨あがりの夜空に   http://www.youtube.com/watch?v=AW4MiYudAJI
 
 久々に当時の一言を見直すと、当時公開されていたユーチューブの映像が全て消されていたため、新しい映像から久々に歌声を聞きましたが、こんな元気な人でも命にはかぎりがある半面で、私のように四国からその面影を偲ぶ人間もあり、弘法大師が修行した頃から1200年の年月が経過しようとしています。
 
 この雑誌の最後には、「うなずく清志郎さんの先には、まだ1100kmの偉大なる道が続いている」と記されている。
 
 四国ボケか、死に際が近づいたのかもしれませんが、最近では一日の中に必ず四国遍路や真言が頭を離れず、夜になると当り前のように四国遍路の関係する書物や、霊場会から頂いた「先達教典」を手にしていまい、この一言もそこに行き着きます。
 
 教典には、即身成仏とは『三密(身体・言葉・心)行の実践により、煩悩即菩提の本来の「自心」に回帰する』と記され、この身、このまま、この世の中で仏となる(悟る)ことができると記されています。現実には、すれ違う車の運転手に睨まれ、「なにくそ」と睨み返してしまう現実社会の中で、自問自答する生活が続いています。
 
                                  11月9日の一言

空海の虚空蔵求聞持法について

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舎心ケ嶽禅定の朱印 
 
 四国八十八ヶ所第21番太龍寺から20分程度登った南舎心ヶ嶽(しゃしんがたけ)の朱印です。太龍寺は四国山脈の西南端に位置し、海抜6百メートルの山頂近くに建ち、西の高野ともいわれる巨杉に覆われた壮大なお寺です。
 
 ほとんどの参拝者は、四国で一番大きい全長2775メートルの太龍寺ロープウェーを利用しますが、今回(3日)は仁王門まで約2キロある参道を登り、更に五百メートル以上ある南舎心ヶ嶽の大師像のある崖まで登りました。
 
 いつもはロープウェーから眺める大師像ですが、像のある場所は岩場となっており、鎖とロープをたよりによじ登る必要があります。弘法大師が19才の時にこの崖を登り、頂上に座して瞑想修行した伝説の場所で、舎心は捨身にも通ずると記されています。
 
イメージ 2 お大師は、この場所で「我執」を捨てる厳しい修練を100日間続けたと言われており、今でも修行僧は午前1時から夜の9時までこの場所に座り、50日間修行を続けると言いますから、私のような朱印をもらって喜んでいる物見遊山とは違います。
 
 ここで弘法大師が修行された「虚空蔵求聞持法」は、真言を百万遍となえる最も難行とされる修法で、大師が24歳の時の著作となる「三教指帰(さんごうしいき)」に記されています。
 
虚空蔵菩薩の御真言
 のうぼう あきゃしゃ きゃらばや おん ありきゃ まりぼり そわか
 
 一口に百万遍と言いますが、上に添付した真言を一日に二万遍唱えるとしても、百万遍までには五十日はかかる計算となり、弘法大師はここから室戸岬の近くにある洞窟『御厨人窟 (みくろど) 』で求聞持を繰られたと伝えられており、虚空蔵求聞持」の修行によって、悟りを開かれたわけです。
 
 この洞穴にこもり、虚空蔵菩薩への祈りを唱え続けていた弘法大師の口の中に、ある日突然光りが飛び込み、その瞬間に世界のすべてが輝いて見え、洞穴から見える外の風景「空」と「海」によって、その後は空海と名乗るようになりました。
 
弘法大師の信仰の原点である「虚空蔵求聞持の法」 http://sekiho.ddo.jp/jinsei2.html
 
 添付した記事は、四国第6番安楽寺畠田住職の記事ですが、自身の体験として「一日に虚空蔵菩薩の御真言を二万遍というのは、やってみれば目がさめてから寝るまで休んでいる暇間ほとんどない」と記されています。
 
 弘法大師の残された遺蹟に立ち、真言を唱えれば何か感ずるものがあるのかもしれないとの安直な考えは、私の軽薄な考えであり、修行僧が50日かけて修行し、弘法大師も南舎心ヶ嶽で100日座られても悟りを開けなかった厳しさを実感させられます。
 
 さて、畠田住職の資料によれば、我々が参拝に必要不可欠としている数珠についても、「本来は、弘法大師の教え(真言宗)では、真言を唱えた数を操る(数える)ための道具(そろばん)です」と記されています。身勝手な感傷に浸るのではなく、真言密教の原点から勉強しなおす必要がありますね。
 
                                    11月8日の一言

旅と旅行の違いが論じられ

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 本日は雑誌の中で、「旅」と「旅行」は違うとの内容の記事があり、思わず熟読してしまいましたが、帰宅後にネット検索してみると、双方とも意味の違いは無いように思われるものの、これからは使い分けられていくのでしょうか。
 
 雑誌の内容を要約すると、旅行は日時や行程を決めていく旅で、旅は行き先も決めずに行き当たりばったりの旅立ちのように記されていました。現実には違いが判りませんが、いかにも違うように感じてしまうのが旅や旅行の魅力かもしれません。
 
 添付した写真は、運転席の後ろのテーブルに置かれたカセットガスコンロですが、私の車にはキャンプ用のテントや寝袋だけでなく、当分は生活できる資機材が積まれ、水も食料も積み込んで、移動するワンルームのように生活でき、車高が高いため立って歩けることと、足を伸ばして眠られることからストレスもたまりません。
 
 ただし、四国遍路でも山腹や山上の奥の院を目指すには車体の小さいライトエースが一番で、今後は荷物を積み替えて旅行ではなく、一人の旅を続けていきたいと思う一日となり、久しぶりに24年選手となる愛車の洗車となりました。
 
 さて、本日の朝日新聞には、学習院初等科の入試休み中を利用して神奈川県葉山町の御用邸で静養して笑顔を見せる皇太子ご一家と、通園するお茶の水女子大付属幼稚園の休みを利用して橿原市の神武天皇陵に神妙な面持ちで参拝した秋篠宮ご夫妻と長男悠仁さまの記事が掲載されてきました。
  
秋篠宮ご夫妻と悠仁さま、神武天皇陵を参拝 奈良・橿原 
 
皇太子ご一家が公園散策 静養先の葉山で
 
 次の天皇陛下となるべき皇太子でありながら、精神疾患を持つ家族のために静養することを選択するしかない現実と、次の次以後の後継者の可能性が高い秋篠宮家が、先祖となる神武天皇陵に参拝したのは皮肉のような大きな格差を感じます。
 
 一般家庭でも、家族に体調不良や闘病中の人を抱えると対外的な付き合いにも限界が出るのは当然となりますが、国の象徴と言えども国家元首ともなる天皇陛下となるべき皇太子ご一家の病気静養はこのままでは問題となるのではないか。
 
 一時は女性天皇が大きな議論にもなりましたが、秋篠宮家の長男誕生もありましたが、皇太子妃殿下の病気とともに、長女の精神的不安定な状況が議論を沈黙させ、今回の記事を見るまでもなく、将来の国家元首としての自覚すら感じられません。
 
 東日本大震災後に、自身の体調不良の中で被災地に足を運ばれる天皇陛下や皇后陛下のお姿が度々報道されましたが、大手術を受けられた天皇陛下の代役も満足に務められておらず、こんな状態が長く続くのは問題と思います。
 
                                    11月7日の一言

腹立たしい田中文科相の所業再び

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 本日添付した写真は、津島市の天王川公園の水路ですが、紅葉が始まっており、来週には公園全体が真っ赤となりそうな雰囲気が漂ってきました。
 
 「大鹿さん、頼みたい事があるんですが…」との朝一番の電話は、市内のご婦人(と言ってもお婆さんばかりですが)のグループから、「どこか紅葉の名所を案内してもらえませんか」との依頼で、春にボタンの鑑賞に三重県まで出かけたメンバーからでした。
 
 「何所に行きたいんですか」の一言に、「犬山市の寂光院か香嵐渓」の返事がありましたが、私の車だけでなく、メンバーの女性(高齢)の運転する車も一緒のため、西美濃方面を勧めたところ、「何所でも良いんです」の一言が返ってきました。
 
 「春に連れてってもらったお寺が評判が良くて…」の一言があり、今回も私が自信を持って勧められるお寺も行程に入れて説明し、20日の日程が決まりましたが、高齢になって車の運転ができなくなると行きたい所にも行けない現実を実感させられます。
 
 もっとも、こんな話をタクシー会社や旅行社に持っていったら大金がかかり、仰々しい旅行になってしまう事から、小遣い銭でも喜んでいる私の存在にも価値があり、私も好きな旅行に公然と出かけられる利害が一致する話となります。
 
 ただし、こんなボランティアとしか思えない仕事でも、万が一交通事故でも起そうものなら、参加者の家族から大批判を受けることは必死で、私がいなくなったら代役もなくなることは確実となります。
 
春にご婦人たちを案内した記事です
 
 さて、新しく文部科学省の大臣となった田中真紀子文科相が、文科省の大学設置・学校法人審議会が認可を答申し、来年度の新設を申請して開校準備をしていた3大学について独断で不認可とした問題は大きな波紋をよんでいる。
  
田中文科相、3大学設置認めず 審議会答申覆す 
 
 やっぱりとしか思えませんが、こんな独善的な大臣を任命した首相と民主党の責任は当然だが、大学側の申請は文科省に相談しながら日時をかけてきた申請であり、文科相の諮問を受けた審議会が法令のもとに答申した認可を個人的な考えで覆すのは異常でもある。
 
 「大学の乱立とは反対に、学生の数が減っている」現実は事実でも、今回申請している岡崎女子大などは、2年制の短期大学を4年制の大学に変えるだけで、人の居ない過疎地に大学を創るのとは違うとともに、何よりも卒業予定者の進路や就職問題に影響し、受験を年頭に置いている高校生の進路にも影響する。
 
 一方では、文科省の指導のもとに3億円近くかけてきた設備投資や、来春から確保していた大学教員の生活を考えると、損害賠償は当然のことで、開校に向けて指導していた文科省の責任と言うよりも、独善的に答申を覆した田中文科相個人に責任を取らせるべきでもある。
 
 こんな問題ばかり起す人間を大臣に任命したのも異常と思うが、父親の威光を勘違いした異常行為を繰り返す異常者を選出し続ける新潟県民の心理も疑うとともに、議会ルールや法令も無視した国会議員に国政を委ね続ける国民の怒りはないのか。明らかに父親の田中角栄さんと悪娘の国民や住民への視線の角度が違います。
 
                                    11月6日の一言

積雪の万里の長城で高齢者が死亡して

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たわわに実る我家の柿です 
 
 久しぶりの地元の一日ですが、町内で亡くなった先人があり、84歳の年齢を聞くと、平成5年に亡くなった私の父親より一年位しか違わず、故人の母親の顔も思い出され、町内の亡くなった人々の顔が懐かしく思いだされてきました。
 
 議員と葬式の参列は当り前のような風景となっていますが、私は親しい知人か同級生の関係者しか参列しておらず、私の住む町内だけは全部参列することとしていますが、久しぶりの葬儀のために黒いネクタイも見当たらないハプニング発生ですが、昨日四国から帰ってきたから通夜にも間に合いました。
 
 故人とはあまり接点は無かったものの、家内は私の代役で務めた町内の役員の時に親切に手伝ってもらったそうで、奥様は私の旅行会にはほとんど参加してもらっており、奥様も入退院を繰り返されている事と、私の母親と親しい人だけに元気に長生きしてもらいたいものです。
 
 久しぶりに地元で働いた感があり、酷使した車の車内を清掃しましたが、市役所への陳情を依頼されたり、明日はボランティアで病院に同行する人からも連絡が入り、無縁となっていた新聞記事も久々に熟読できました。
 
万里の長城で日本人2人死亡、1人不明 大雪で遭難
 
 中国河北省の世界遺産「万里の長城」で、日本人観光客4人と中国人ガイドの計5人が3日夜、強風と大雪のため遭難した事故では、3人の死亡が発信されているが、52年ぶりの大雪に見舞われ、学校も休校となっている中で、過酷としか思えないツアーを企画した旅行会社と、参加した高齢者の非常識さが問題とされそうでもある。
 
 新聞報道によれば、100キロに及ぶ万里の長城を9日間で歩くツアーと言うが、参加者の年齢を考えれば無理としか思えず、毎日15キロ程度を5時間から8時間かけて歩き続けることは、よほど鍛錬してないと苦痛となり、人の立ち寄らない場所を選んでいるだけでなく、事前に積雪を知りながら歩いていたと考えると自業自得しか思えません。
 
 この旅行社は3年前にも北海道大雪山でツアーを企画して、8人が死亡する事故を起しており、この時も高齢者が対象となっていることから、当時の反省が全くなかったか生かされておらず、当時も観光庁が51日間の業務停止命令を出しているが、今回の事故は旅行社への厳しい社会的責任を問う必要を感じます。
 
 一方で、毎回のように同様な事故が繰り返され、被害者の年齢が明らかに高齢者である事から、歳相応の常識を考える必要も重要と思います。たかだか四国遍路でも、10年前と対比させると確実に体力や脚力の衰えは否めず、安全と思っていた岩場でも万が一の危険を実感させられており、定年後に経験のない登山へ安易な参加も考えものと思う一日となりました。
 
                                    11月5日の一言

信ずる者は救われる、かも?

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 添付したのは、四国別格20霊場第3番慈眼寺で頂いてきた「御手形」です。穴禅定の洞窟の中で案内人に勧められる手形ですが、今回は母親の延命長寿のために頂いてきました。この袋の中に、紙でできた加持手袋(手形)が入っており、「御真言」を唱えながら、その手形で自分の悪いところを1日1回さすり、枕の下に入れて休むと御利益があるというものです。
 
 困った時の神頼みと言われますが、こんなことで願いが全てかなうとは思えないものの、本当に心まで病んでいると「そんな馬鹿な話」と聞く耳も持たれませんから、心の余裕から信じれば助かるのかもしれません。病は気からと言いますから…
 
 今年の別格20霊場先達研修会の中で、「護身法・荘厳行者法」の伝授の項目があり、参加者は真剣に耳をかたむけ、僧侶の示す手の平の組み方を個々で再現していましたが、実際には数年前に「延寿法」として説明された内容と同じだった事から、気づいていなければ実行もされていなかったことになります。
 
 私も数年前に「延寿法」を聞き、昨年の研修会には「御詠歌」の伝授だったことから残念に思い、今年の「護身法・荘厳行者法の伝授」の案内に期待して参加しましたが、現実は数年前の「延寿法」の復習だったものの、実行は大変そうです。要するに、神仏の力だけでは特効薬にはなりません。
 
 しかし、侮るのも禁物で、私は4年前に、名古屋の国立病院の医師から、「もう、子供は産めない」と言われ、「近いうちに子宮を取った方が良い」と言われて泣いていた娘に、「四国遍路でお願いしてくる」と納め札に記名させ、賽銭を用意させて、「護摩木」を焚いていただいたお寺もありましたが、奇跡的としか思えないものの、現在3才となる元気な孫に恵まれています。
 
 このことは一緒に遍路中だった仲間が見ており、「願のかなうお寺を教えてくれ」と言われた闘病中の人もありました。医師の言葉どおりにしていたら、娘夫婦は一生後継者に恵まれなかったと思いますが、これは神秘的ではなく、科学的に生まれたものの、私の言葉を信じて子供を作ろうとした事が幸いしたと思っています。実際に娘のアパートの玄関には、私の書いた「般若心経」や、お札やお守りが鎮座しており、娘はお大師のお蔭で息子に恵まれたと信じています。
 
 実は、学生時代に読んだ九州大学の池見教授の記された「心療内科」の中にも、病は気からの原理が記されており、心の持ちようによって病も重症化したり、軽減する可能性が高く、冒頭に添付した加持手袋も母親の延命長寿に効果を発揮してくれれば幸いです。これは本音ですが、こんな物を買ってくるだけで、日頃仲の悪い私も母親を心配していると思われて家庭円満になりますから、それだけでも効果は有りですね。
 
                                 11月4日の一言

空海の修行した史跡に立ち

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添付した写真は四国第21番太龍寺の南舎心嶽にある大師像
 
 本日は四国八十八カ所第19番立江寺の奥の院「星の岩屋」を訪れたものの、道が狭いだけでなく、ハイキングの登山者はあるものの、奥の院に参拝する人はほとんどいないため、道路わきの樹木が生え放題となっており、車高の高いキャラバンの屋根がキーキーと悲鳴をあげ、両側に植えられたミカン畑のミカンがゴンゴンとぶつかります。
 
イメージ 2 かつては大きなマイクロバスで巡拝しており、そんな経験どころか、屋根のテレビアンテナが引きちぎれたり、行き止まりとなった長い山道をバックして戻った苦しい記憶もありますが、この奥の院への道程は、過去にない厳しいもので、孤独な一人旅ゆえに、「このまま行けるだろうか」と、何度も緊張して曲がり角では何度もハンドルを切りなおして下山しました。
 
 誰も参拝しないため、無住となるのは自然の原理ですが、地元の観光案内にも載せてある以上は、道路の安全対策は急務で、立江寺の奥の院でありながら、納経帳への朱印は第20番鶴林寺でもらうのもおかしな話です。
 
 左上に添付したのは星の岩屋の大師堂で、車を停められるスペースが1台分しかありませんが、その前には「洗心の滝」があり、本道の奥には空海が修行したと伝わる岩屋があり、大師堂の向かいには大きな滝もあり、お遍路なら一度は訪れてみたい史跡でもあります。
 
 私はそのまま53体の石仏のある仏石も訪れましたが、ここも誰もこないため荒れ放題で、足元にギンナンの実が無数に落ちていたため、靴が臭くなるのは困るので車を降りただけで退散です。
 
イメージ 3 ここから20分も走って別格3番慈眼寺に到着し、一人のため穴禅定は当初から入る予定はなかったものの、3人連れのご家族が来られたため、一緒に同行させてもらえることになりました。ここでは2人の女性が洞窟内を案内してくださいます。
 
 今年2回目の穴禅定となりましたが、何度訪れても記憶力が悪いため、先導する案内のKさんの言葉をたよりの入洞となりますが、今回は身体の苦痛もなくすんなりと出てこれました。
 
 
 普段は同行(案内)する仲間があることから、案内してくれるKさんとも満足な会話もできませんが、本日は一人のため、もう一人の案内人(こちらもKさん)が次のお客さんを案内して出てこられるまで、雑談に花を咲かせることができました。
 
 遍路のことに始まり、過去の仕事の話から、孫の話まで久しぶりに長い雑談をしましたが、私の前に観光バスの団体が帰り、直後にも団体の入洞があるため退散しましたが、まもなく雪の季節となることから、Kさんとも来年の春まではお別れとなります。
 
 納経所に戻るとご住職から、「本堂に上がってお参りしてくださいよ」と言われ、2度目の参拝をして車に戻りましたが、こんな時間を無視したお遍路でなければ、こんな快い気持ちにもなれません。
 
イメージ 4 次に訪れたのが、星の岩屋の朱印を代行している第20番鶴林寺ですが、ここも山道が狭いだけでなく、駐車場も小さくて満車状態でしたが、階段が長くつらい参道を登りましたが、本日は苦行と思える参拝も時間制限がないことから余裕の参拝となりました。
 
 参拝後に駐車場に戻ると、若い女性2台の車が接触して、善後策を話し合っている最中でしたが、旅先での事故は予定も大幅に狂うだけでなく、せっかくの楽しみが苦しみと化してしまうことから、気をつけたいものです。そんなことよりも、こんな山の中で事故を起こしても、届けに走る警察所がどこにあるのかも判らず、大変なことになります。今回の三日間の道中では、道を譲らない女性の車や、スピードの速い後ろから煽る車も気になりましたが、初日に「慌てるとロクなことが無い」と言われた先達の先輩の言葉が思い出されました。
 
 本日最後の参拝は、第21番太龍寺ですが、ほとんどの人がロープウェーを利用した巡拝となる中を、久しぶりに車で上り、1キロ以上の道程を登山としました。案内には40分と記されていた記憶がありますが、やっぱりロープウエーを利用した方が無難で、過去の巡拝と比較しても身体に堪えました。
 
イメージ 5 ここでは更に太龍ヶ嶽に足を延ばし、弘法大師が19歳のときに「南舎心嶽」によじ登られ、「求聞持法」を修行された場所にたち、少しはお大師の気持ちに近づきたい気持ちと、1千200年前に空海が眺めた風景と同じ景色を見てみたいと思っていましたが、岩場は危険と表裏一体でもあり、人には薦められません。
 
 さて、本日は厳しい修行の参拝としましたが、一人ゆえに時間にとらわれず、思う存分に巡拝が楽しめました。一方で、山道は危険との再認識をすることとなり、過去になく危険を感ずる遍路ともなりました。人よりも早い「ジェット巡拝」が私の特徴でしたが、そろそろイメージチェンジが必要です。何も決めずに家を出た先達研修会でしたが、時間いっぱい堪能する遍路となり、これもお大師の導きのように感じてなりません。
 
 さて、さて、明日はどうやって愛知県まで帰りましょうか。
                                  11月3日の一言
 

一人孤独な遍路旅を続け

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 昨日の先達研修会が終わった直後に、別格13番仙龍寺に参拝したので、本日は別格20霊場第12番延命寺から参拝し、次に第14番椿堂に立ち寄りました。
 
 この椿堂については、数年前に輪袈裟止めを購入した際につり銭を余分にいただいて(その時は気づきませんでした)しまい、内心「シメタ」と思ったものの、罪の意識から半年後の参拝時にお返ししたところ、ご住職から「お接待」として椿の苗をいただきました。
 
イメージ 2 椿堂の椿ゆえに、お大師ゆかりの椿として大切に育てていたところ、翌年に花を咲かせたものの、昔からの椿ではなく「薄いピンク色」の椿だったことから、少しがっかりとはしましたが、善通寺の樫原管長によれば、「椿堂さんから頂いた椿で良いんではないの」一言があり、我が家の家宝として育てようと考えました。
 
 花にも人間の気持ちが判るとは思えませんが、今年の春は花が多く、しかも長く咲き続けたので、そろそろ庭の何処かに植え替えようと考えていたものの、植える場所は決めたもののそのままにしていたところ、夏に数日間の不注意で葉がしおれてしまいました。
 
 
 しばらくしても葉がしおれたままで、あわてて家内が枝を切って植え替えましたが、いまだに新芽がでないままで、私の直感ではこのまま枯れてしまう可能性が高そうです。
 
 「お父さん、椿出てくるかなぁ」
 「ダメじゃないかナ」
 「残念だねえ」
 
 私の植えた椿が枯れそうなことに家内があまりにも残念がるので、家内にも弘法大師ゆかりの椿の価値が判るとうれしく思っていると、「ピンクの椿は珍しく綺麗だった」事が、家内の残念な理由でしたが、どちらにしても枯れれば花もありません。
 
 「お願いがあるんですが…」と、お寺の奥様に事情を話したところ、「プランターにも植えてあるので良かったら持っていって下さい」とのありがたいお話で、わざわざ納経所から案内していただきましたが、ずうずうしくも「できればピンクの椿が欲しい」と、来年花が咲いたら目印をつけてもらうよう依頼して帰りました。
 
イメージ 3 さて、右に添付したのは別格15番箸蔵寺の本堂と大師堂の間に咲いていた「桜」の花で、
奥に見えるピンク色の木々も桜の花によるものですが、長い石段を登って参拝しただけに美しい桜の花は心を癒してくれます。
 
 昨日の先達研修会で講演された仁和寺の佐藤前門跡が住職を努められたお寺ですが、その先代が名古屋の人で、津島市にもその縁者が存在し、その縁者から私は佐藤門跡の色紙を頂いたこともありました。
 
 そして、何よりも、国立病院の医師から「子供は産めないよ」と言われた私の娘のために、願をかけて「護摩木」を依頼したお寺でもあり、生まれなかったはずの孫が誕生して3年が経過しています。
 
イメージ 4 一人の遍路は気ままですが、お大師が同行していただいているとは言え、語る相手がまったくいない遍路は寂しくもあり、本堂前で話しかけられた老婆(失礼)に、娘の話とこのお寺の効力を話し込んでしまいました。
 
 本日の遍路はここまでとして、車をそのまま東進させ、吉野川沿いに徳島県へ進みながら、途中で立ち寄った川島城でもお爺さんと話し込み、薦められるままに温泉に出向くことにし、十年前に宿がなく立ち寄った民宿前にあった神山温泉に立ち寄りました。十年前を回顧し、月日の過ぎ去る速さを実感して、当時一緒に巡拝した亡くなった人々を偲ぶ夜ともなりました。
 
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                                  11月2日の一言
追伸
一番上に添付した写真は、私の影です。

四国別格20霊場先達研修会に参加して

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 本日は四国別格20霊場会の先達研修会が、四国中央市のホテルグランフォーレの大会議場で行われ、会場の横にはお砂踏み会場も設営され、今年新たに先達になられた人々には「先達の心得について」指導され、我々には「護身法」が伝授されました。
 
イメージ 2 四国八十八カ所霊場会のように、大きな会場に満席となるような研修会ではありませんが、別格20霊場は僧侶の顔が間近で見える関係が魅力で、私も半分位の僧侶の方々のお顔からお寺の名前が判るようになってきました。
 
 添付した上の写真の両側に新しく新調された「曼荼羅」が見えますが、本日開眼法要が行われ、東日本大震災の被災者や、物故者となられた先達の方々の法要も、別格15番箸蔵寺名誉住職の佐藤令宜大僧正を導師として行われました。
 
 本日のメインとなる講演には、佐藤令宜大僧正を講師として、「マンダラの話」をテーマとして、胎蔵界と金剛界の曼荼羅について説明がありました。こんな大僧正のお話は簡単には聞くことができません。
 
イメージ 3 佐藤令宜大僧正(右の写真の赤い法衣の人)は三重県の出身で、高野山で得度され、別格15番箸蔵寺の住職から、真言宗御室派の教学部長や宗努総長を努められた後、平成15年から5年間真言宗御室派の管長、総本山仁和寺の第十八世門跡になられ、在任中には全日本仏教会の副会長や、真言宗十八本山の代表となる真言長者となられた真言宗だけでなく仏教会の重鎮とも言える人物です。
 ちなみに、現在の真言長者は善通寺の法主である樫原管長であり、ともに親しみが持てる人だけに、お大師様の残された真言宗の魅力を益々感じてしまいます。
 
 さて、別格20霊場については、歴史も新しく、四国八十八カ所のように多くのお遍路が訪れているわけではありませんが、すべてのお寺が弘法大師が空海と呼ばれた若き時代に修行されたり、足跡を残された大師信仰とは切り離すことのできないお寺ばかりで、先達としては四国を108ヶ寺として案内したいものです。
 
イメージ 4 本日の研修会の中で、参加した先達が一番真剣に聞きいったのが、別格19番香西寺住職を講師とした「護身法」で、十善戒を三業に分けた判りやすい説明と、印の結び方も過去の研修会と比べると理解しやすい説明でした。
 
 何よりも香西寺のご住職は、歌手の三波春夫並の甲高い声と、言葉の中に常にユーモアがあるため、高齢者軍団ともいえる先達会の人々ですが、居眠りをする人も見当たりません。
 
 本日は研修会終了後に別格13番仙龍寺を訪れましたが、普段の私なら14番椿堂、15番箸蔵寺と次を目指して走ってしまうものの、途中ですれ違った先達の大先輩から、「慌てるとろくな事が無い」との一言を聞き、山を降りて四国中央市にある「三島乃湯」に入りました。四国には、遍路の途中に気楽に立ち寄れる温泉とか入浴施設があることも魅力の一つでする
 
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                                   11月1日の一言
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