現在開催中の12月議会に質問を通告している「ボランティア」の問題について、質問に関係する担当部署に質問趣旨を説明して、担当部署の説明を聞いているだけで、ボランティアの立場が曖昧にされ、存在そのものすら認識されていないボランティアの存在に怒りすら覚えてきました。
そもそも、今議会にボランティアの問題を取り上げたのは、津島市観光交流センターの指定管理者となっていたNPO法人が、来年4月から指定管理者を外れ、県外の企業が管理者に選考された(実際には今議会の議決後の事ですが)ことから、市内の観光案内をしてきた観光ボランティアの人々が、今後の活動を心配するとともに、過去の活動が評価されなかったと落胆されている現実がありました。
津島市の観光ボランティアが成立した経緯が、現在指定管理者となっているNPO法人関係者の指導だったことから、新たに岐阜の業者が参入してくる可能性から、メンバーに動揺が走ったものの、津島市は今までどおりの活動に期待していたわけです。
一口にボランティアと言っても、行政の監督する施設ばかりでなく、民間施設で活動する福祉系ボランティアも多く、ボランティアの存在そのものが把握されていないケースも多く、一方では、行政と連携するボランティアは津島市の表彰対象になっているなど、ボランティアに対する環境は様々です。
津島市民病院のボランティアは、全員が一人に8600円かかる健康審査を毎年無料で行い、ボランティア保険も病院が負担しており、無料の健康審査が受けられる事を告げて「ボランティアになったら」と、知人をボランティアに誘った例もあり、「病院のためにしてもらうから当然」とする関係者の認識に疑問が高まります。
全国で活躍する災害ボランティアの活動の前提には、「ボランティア保険」は活動の前提となっており、ボランティア個人の負担は当り前ですが、活動先ではケガを負っても自己完結を求め、食料や寝る場所も自己責任の参加となります。
私が愛知県によって養成されたボランティアでも、「人にやさしい街づくりアドバイザー」については、愛知県から津島市に対する補助金が切れた平成19年度からは、事業そのものが無くなっており、愛知県が地域で街づくりに役立つため養成されたボランティアは活動する場所も機会もありません。
もっとも、「人にやさしい街づくり」のアドバイザーである私は、現在愛知県に認証されたNPO法人として、国土交通省の認可を得て、福祉有償運送を展開しており、津島市とは無縁で有償ボランティアの道を進んでおり、ボランティア個々のこだわりもありますから、行政の関わり方の難しさは理解できますが…
本日の新聞紙面には、電気料金を滞納したため電気が止められた直後に、80歳の母親が心臓病で亡くなり、母親が面倒を見ていた身体障がい者の娘も直後に低体温症で亡くなっていたという悲惨な事故が報道されています。
滞納で電気止められた家から…80歳母と娘の遺体 石川
同時に、増加の一途をたどり、減ることのない生活保護受給者に関する記事も発信されており、「収入の減少」や「無職」を生活保護申請者の多い理由に挙げられているが、申請者に「職の選り好み」による例も多いことから厳しい審査も急務で、働かない者に税金が垂れ流される悪例は封印してもらいたいものです。
生活保護受給者206万人 11年度、11万人増える
記事の続き…
生活保護を受け始めた理由をみると、最も多いのが「働きによる収入の減少・喪失」(27.8%)で、「傷病」(27.6%)、「貯金等の減少・喪失」(25.4%)と続いている。08年度までは病気やけがによる保護の開始が最も多かったが、09年度以降は失業による開始が上回っている。厚労省は「リーマン・ショックによる雇用情勢の悪化が原因で生活保護を受けざるを得ない人が増えている」とみている。
一方、保護廃止となった理由では、死亡が29.8%でもっとも多く、「働きによる収入の増加」は16.7%にとどまる。厚労省は就労支援の強化などによって自立を後押しする「生活支援戦略」を近くまとめ、生活保護から抜ける人を増やしたい考えだ。
本日は、手元にあった30数万円を持って、市役所の収納課に出向きましたが、来年3月までの今年度中に、私は50万円程度を納める必要があり、1ヶ月に10万円程度を納めている自分と、毎月生活費をもらっている人々との大きな違いも空しくなるような新聞報道でもあります。
11月30日の一言








「誰に書いてもらおうか?」も議論になりましたが、同じ頃に隣の七宝町の宝小学校が石の校歌碑を造っており、卒業生で愛知県を代表するような書の大家に依頼してお礼を30万円支払ったとの話を耳にしました。



こんなペースでも10時30分には華厳寺に到着し、一同は歩いて本堂を目指しますが、参道の商店街の入り口から車は有料駐車場に誘導され、メンバーの中には身体障がい1級の人も存在するものの、およそ1キロはある商店街をお寺まで歩かされるわけですから、人にやさしい観光ではありません。
実際には真っ赤に紅葉しており、
黄色く色づいたイチョウも見事です。







本日は西国第26番一乗寺、25番清水寺、番外霊場東光山花山院菩提寺と車を進めましたが、途中から雨に降られたものの、紅葉は最盛期に近く、雨でも振り返りたくなる情景に足元の悪さも苦になりません。





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もっとも、イタチの侵入経路と出入り口が判っているため、天井裏と縁の下にネズミ除けのハーブの芳香剤を置き、進入口には臭いの強いハーブ(右)の枝を丸めて詰め込みましたが、我家ではイタチの存在によってネズミが追い出され、以来一度も入ってこないことから、ハープの存在によってイタチもネズミも防御できれば幸いですが…



お大師は、この場所で「我執」を捨てる厳しい修練を100日間続けたと言われており、今でも修行僧は午前1時から夜の9時までこの場所に座り、50日間修行を続けると言いますから、私のような朱印をもらって喜んでいる物見遊山とは違います。




かつては大きなマイクロバスで巡拝しており、そんな経験どころか、屋根のテレビアンテナが引きちぎれたり、行き止まりとなった長い山道をバックして戻った苦しい記憶もありますが、この奥の院への道程は、過去にない厳しいもので、孤独な一人旅ゆえに、「このまま行けるだろうか」と、何度も緊張して曲がり角では何度もハンドルを切りなおして下山しました。
ここから20分も走って別格3番慈眼寺に到着し、一人のため穴禅定は当初から入る予定はなかったものの、3人連れのご家族が来られたため、一緒に同行させてもらえることになりました。ここでは2人の女性が洞窟内を案内してくださいます。
次に訪れたのが、星の岩屋の朱印を代行している第20番鶴林寺ですが、ここも山道が狭いだけでなく、駐車場も小さくて満車状態でしたが、階段が長くつらい参道を登りましたが、本日は苦行と思える参拝も時間制限がないことから余裕の参拝となりました。
ここでは更に太龍ヶ嶽に足を延ばし、弘法大師が19歳のときに「南舎心嶽」によじ登られ、「求聞持法」を修行された場所にたち、少しはお大師の気持ちに近づきたい気持ちと、1千200年前に空海が眺めた風景と同じ景色を見てみたいと思っていましたが、岩場は危険と表裏一体でもあり、人には薦められません。
椿堂の椿ゆえに、お大師ゆかりの椿として大切に育てていたところ、翌年に花を咲かせたものの、昔からの椿ではなく「薄いピンク色」の椿だったことから、少しがっかりとはしましたが、善通寺の樫原管長によれば、「椿堂さんから頂いた椿で良いんではないの」一言があり、我が家の家宝として育てようと考えました。
さて、右に添付したのは別格15番箸蔵寺の本堂と大師堂の間に咲いていた「桜」の花で、
一人の遍路は気ままですが、お大師が同行していただいているとは言え、語る相手がまったくいない遍路は寂しくもあり、本堂前で話しかけられた老婆(失礼)に、娘の話とこのお寺の効力を話し込んでしまいました。

四国八十八カ所霊場会のように、大きな会場に満席となるような研修会ではありませんが、別格20霊場は僧侶の顔が間近で見える関係が魅力で、私も半分位の僧侶の方々のお顔からお寺の名前が判るようになってきました。
佐藤令宜大僧正(右の写真の赤い法衣の人)は三重県の出身で、高野山で得度され、別格15番箸蔵寺の住職から、真言宗御室派の教学部長や宗努総長を努められた後、平成15年から5年間真言宗御室派の管長、総本山仁和寺の第十八世門跡になられ、在任中には全日本仏教会の副会長や、真言宗十八本山の代表となる真言長者となられた真言宗だけでなく仏教会の重鎮とも言える人物です。
本日の研修会の中で、参加した先達が一番真剣に聞きいったのが、別格19番香西寺住職を講師とした「護身法」で、十善戒を三業に分けた判りやすい説明と、印の結び方も過去の研修会と比べると理解しやすい説明でした。








