大鹿一八「本日の一言」

平成16年2月から令和1年7月末までの「本日の一言」です。ヤフーブログ閉鎖により、ライブドアへ過去の記録として引っ越しました。

2012年12月

京都で大晦日の行事へ

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大徳寺門前の細見酒店
 
本日は午後2時に自宅を出発し、弥富ICから、東名阪、新名神、土山SA、京都東ICから、大徳寺の山門前にある細見酒店に立ち寄り、このお店にしかない日本酒「雪紫」を購入して、八坂神社に向かいました。

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八坂神社の楼門です 
 
八坂神社門前の駐車場に車を駐車しましたが、年末年始は、30分500円と高額な料金にびっくりしたものの、数年前に知恩院の近くの路上駐車で違反キップを貼られ、元旦早々に反則金を支払った苦い経験から迷いはありません。門前には「なか卯」があり、夕食をとってから一旦車にもどります。戻った理由は相棒リマ(ポメラニアン・雄)にも夕食を与えるためで、本日も相棒と家族5人での京都行きです。
 
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八坂神社で参拝後に、「をけら火」をもらいました。過去には何年もかかってやっとをけら火を愛知県まで持ち帰りましたが、本日は早々に消し、その足で浄土宗総本山知恩院へ立ち寄りました。
 
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荘厳な知恩院の山門
 
本日はこの後で、浄土宗大本山百万遍・知恩寺へ参拝し、法話と法要後に除夜の鐘を撞きましたが、ここで本年のタイムオフです。

来年(明日から)も宜しくお願いいたします。
 
                                           平成24年12月31日の一言

年末に重大事故が多発して

 昨日深夜に起こった京都府日向市の交通事故であるが、歩行者を500メートルも引きずって死亡させ、逃げていた28歳の犯人がひき逃げ容疑で逮捕された。
 午前2時の事故で、8時間も経過してからの自首は、飲酒運転の可能性が高く、飲酒の罪を隠すひき逃げと思われ、軽ワゴン車に500メートルも引きずられて死亡した被害者の心情を考えると許せない事件でもあります。
 
 被害者の奥さんは、「容疑者がすぐに119番通報をしていれば助かったかもしれない。無念です。仲良く2人で暮らし、お正月のお節料理も用意して楽しみにしていたのに。これからどうすればいいのか」とコメントしているが、発見者が119番通報した時、まだ息があったように見えたと証言していることから、事故直後に救助すれば助かったと思われ、これは完全なる殺人事件として厳しい断罪が必要と思います。
 
京都市職員、ひき逃げされ死亡 500m引きずられる
記事の続き… 
 捜査関係者によると、通りかかったタクシー運転手が「車が人を引きずっているのを目撃した」と証言。近くのコンビニ店の防犯カメラにも軽ワゴン車の映像が記録されていたという。
 市などによると、林さんは京都市バスに勤務。運行管理業務をしていた。28日は休みで、夜から職場の忘年会に出席して帰宅途中だった。林さんの妻は「容疑者がすぐに119番通報をしていれば助かったかもしれない。無念です。仲良く2人で暮らし、お正月のお節料理も用意して楽しみにしていたのに。これからどうすればいいのか」と涙を流した。
 119番通報した飲食店経営者によると、発見時、林さんはまだ息があったように見えたという。
 現場は阪急東向日駅の南東約300メートルの住宅街。
 
 過去にも同じように人を500メートル引きずる事故が大阪でおこり、今年も京都で重大事故が多発しているのに、相手の存在も考えない非情なひき逃げは許されない行為で、残された遺族の心境を考えると許せません。
 
 本日の早朝には、香川県でも宇多津町の交差点で車2台による衝突事故が起こり、4人が死亡して4人が重軽傷との重大事故が発生していますが、テレビ画面からバラバラになった車が映し出され、事故現場は私がお気に入りにしている四国健康村の近くだけに明日は我が身の心境となりました。
 
乗用車とワゴン車が衝突、4人死亡 香川・宇多津
 
 あと一日で新年を迎える年末になり、浮かれておれば被害者となり、気の緩みが加害者となる悲しい現実に、明日の夜は京都の八坂神社を訪れ、除夜の鐘を聞いて初詣を予定していることから、気を引き締めて新年を迎えたいと思います。
 
                                   12月30日の一言

いよいよ年末も最後になり

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 朝日新聞出版の発行している「名医の最新治療」の最新版で、朝日新聞の仕事を辞めて13年が経過しましたが、私にとっては貴重な先輩店主が、年末にカレンダーとともに届けてくださる1冊で、我が家には20年ほど前から朝日新聞社から発行された「漢方」とともに書庫に並べられています。
 
 この雑誌は週間朝日の増刊号で、毎年発行されており、15年ほど前の話となりますが、ガンが何度も再発し、当時名大付属病院に入院して「もう何もできない」と言われていた知人が、当時発行されていた「先進医療」に記された新しい治療法を訴えたところ、医師が同調してくれ、この知人は現在も元気に生活しています。
 
 今年11月に発行された最新号の表紙には、「中高年の病気を救う治療と医師がここにいる」とあり、「年だから」と諦めてきた症状の改善や、近くの名医を知ることで万が一の場合の安心感が得られます。
 
 私がこの手の雑誌に敏感になったのは、父親が末期の胃から肝臓に転移したガンで、「早ければ一ヶ月、長くて3ヶ月」と宣告されてからで、慌てて治療法を調べたものの、周りから野菜スープとかガンの治る霊水の話や、高額な健康食品しかなかったことで、こんな状態になってからのヒントは無力と実感したためでした。
 
 一方で、入院した病院では何もできない症状が、先進的治療を取り入れた病院では当り前に治療されている現実に、重症化して動けなくなってからでは転院もできない事から、日頃から治療に関する本や雑誌に目を通すことは有効と思います。
 
 さて、本日は我家で「餅つき」を行ないましたが、餅つきというよりも餅づくりと言った方がよく、餅つき機でもち米を蒸して餅にしてくれる優れものに、家内が一人で餅を作って、昼食は「あんころ餅」と「きな粉餅」、ダイコン下ろしの3種類の餅を食しました。
 
 私の少年時代までは家族総出で餅つきを行いましたが、私達子供が手伝わないことから、父親が餅つき機を購入し、当初の機械は不調で満足な餅にはならず、次々と買い求めた最後の餅つき機が、未だに現役で使われてきました。父親の遺品です。
 
宮城・名取の仮設商店街でもちつき ボランティアと交流
「良い年に」桂文枝さんら、もちつき 大阪・繁昌亭
 
 全国各地から餅つきや、正月を迎える話題が届きますが、私は事務所の大掃除を始めたところ、重要なものが行方不明となり、探すために捨てたゴミを確認し、置き場所が変わってしまったため捜索は難航し、掃除よりも捜索に2倍もの時間を要し、結局は掃除も終わっていません。最近の物忘れの多さも原因ですが、大切なものだからと移動させるのも禁物と思う一日となりました。
 
                                   12月29日の一言

上高地の出会いと写真の奇縁に

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 本日は朝から市役所の仕事を済ませて、福祉有償運送のボランティアに走りましたが、会員さんは写真を趣味にされており、仲間と一緒に定期的に写真展へ出展されている方で、私への依頼は手を骨折して車が運転できない事から出動となりました。
 
 会員Oさんは、自分のかかりつけ医としている稲沢市(旧平和町)のクリニックに写真を毎月差し替えて提供しておられ、本日も見事な山岳写真を掲示されましたが、自己満足するだけの写真の趣味が、立派なボランティアになっており、診察に行くたびに写真を交換されており、これは生きがいにもなることから羨ましく思いました。
 
 私も過去には夏の高校野球展や、上高地の写真は何度か個展を開きましたが、フイルムにこだわる程度で、カメラも高額な物でもなく、見たものをそのまま写しているだけではありますが、同じ趣味の人とは話が弾み、「大鹿さん、急いでいる?」と問われ、珈琲屋さんに誘われてご馳走になってしまいました。
 
 さて、実は昨日の郵便ポストに、記憶にない千葉県の女性が差出人となる手紙が届き、同封された手紙を読むと、上高地の小梨平でご主人とともに出会い、写真を趣味とされてカメラを持っておられた事から、しばらく一緒に談笑して歩いた人からの懐かしい手紙でした。
 
イメージ 2 手紙の中には、雲ひとつない穂高連峰と河童橋の写った上高地の写真(右)が同封(もう一枚は蓼科なんでしょうか?)されており、あまりにも見事な写真にびっくりとさせられましたが、手紙の文面から写真歴3年とあり、昭和40年代の高校時代から趣味としてきた自分がいかにも未熟と自覚したしだいです。
 
 この女性、K I さんは、今月15日から、長野県の蓼科会場と、千葉県成田市の2会場で写真展を主催されており、ともに来年一月下旬まで開催されていることから、近隣の方々にはぜひとも鑑賞してもらいたいと考えて添付しました。
 
 長野県・蓼科会場
 テーマ 「光踊る心の目でみたたてしな」
 会場 ホテルコロシアムイン蓼科    会期 12月15日~13年1月31日まで
     長野県北佐久郡立科町女神湖畔   電話 0267 (55) 6341
 
 千葉県・成田会場
 テーマ 「北アルプス上高地 山々の合唱」
 会場 成田エクセルホテル東急     会期 12月15日~13年1月下旬まで
     千葉県成田市大山31  電話 0476 (33) 0109 
 
イメージ 3 今年最後に発行された週間漫画の占いのコーナーには、来年の占いが掲載されており、私の射手座の欄を見ると、「人との手出会いで、運命が大きく変わる年。良い縁を大切に」と記されており、まさにこの手紙もその良き縁と思わざるを得ません。
 
 実は、今月12月2日の一言にも記してありますが、私の上高地の友人と呼ぶには大先輩に対して失礼ですが、上高地では近所付き合いをしている「ホームレス画伯」こと渡辺氏が、今月5日から来年2月5日まで、油絵の展覧会を千葉県旭市で開催されており、1月末には家内と千葉県の会場まで足を運ぶ予定を立てております。
 
 手紙には、「遠方の地においての写真展ですので、見ていただくことは難しいとは思いましたが…」と記されていましたが、偶然にも上高地で出会ったお2人が同じ時期に展覧会を開催されている奇遇な縁に、早速行く気満々の手紙を返信しました。
  
釜トンネル閉鎖後も続く上高地との交流に http://blogs.yahoo.co.jp/s281218/46859755.html
 
 我々の年代になると、なかなか新しい友人との出会いがありませんが、私は四国遍路や旅先で出会った新しい人々との交友が続いており、そういった出会いは損得勘定のない清々しい関係となっていることから、占いの内容と重ね合わせて心温まる年末から新年を迎えられそうな気持ちにさせられる一日ともなりました。
 
                                    12月28日の一言

政党交付金目当ての未来分裂と生活に鉄槌を

 選挙直前に設立され、維新と相容れない政治集団が集約していた日本未来の党が、共同代表人事で小沢氏を中心とする勢力との対立が回避できないとして、年内に分裂する事を嘉田代表が発表した。
 
 設立直後こそ、嘉田滋賀県知事が主張する「脱原発」など環境重視の新鮮なイメージから期待されたものの、小沢氏の生活が第一とか、減税日本など理念も志も違う政治集団の合流と、選挙準備も整わない環境で大敗となり、政党の存在感も嘉田代表の県議会での立場も厳しい現実とはなっていましたが、裏方に徹すると発言していた小沢氏の影響で最後は風前の灯火となりました。
 
未来の党名「生活の党」に 嘉田氏ら分派へ
記事の続き…
 党を分ける一連の協議では、嘉田氏らが引き続き「日本未来」の名称を使うことになったが、存続政党となるのは「生活」になる。制度上、2013年分の政党交付金8億円余り(見込み額)は生活に渡り、嘉田氏や阿部氏が国政政党を離れる形だ。
 嘉田氏は27日、出張先の大阪市内で記者団に「支援頂いた皆さんにおわび申し上げたい。戦略を練り直して次のステップを踏み出していきたい」と語った。そのうえで、小沢氏との関係については「政策で協定できるところは、他のグループを含めて色々あると思う」と述べた。
 嘉田、森両氏は28日、滋賀県内で共同記者会見し、一連の経緯について説明する予定。
 
 さて、個人的には、田中、金丸の金権体質を継承する小沢一郎氏が好きになれないことと、司法の場では無罪となったものの、億単位の現金を秘書に指示して動かす体質には元々嫌悪感を感じていますが、嘉田代表を看板として選挙を戦い、結果が伴わないと分党を持ちかける手法を我々は許してはならないと思います。
 
 自分達の思うようにならないから分党はともかく、結果的には嘉田代表や一部の議員は党名だけを持って追い出される形となり、年内に分党する目的は、来年に交付される8億円と報道されている政党交付金を自分達の手にすることしか分党の理由が見当たりません。
 
 小沢氏のグループは、過去にも自由党などの解散で同様に政党交付金を持ち出しており、国民の税金が交付されることだけに、好ましいとは思えない支出を改善するとともに、このままでは終わらせず、来年の参議院選挙では国民の鉄槌を下したいものです。壊し屋の異名がある小沢氏と、亀井代議士が笑顔で並ぶ議席光景が放映されましたが、有罪にはできなかったものの、行為は悪徳金権政治でしかありません。
 
 一方で、小選挙区への投票は別としても、比例区で未来に投票した人の中には、嘉田代表の主張に共鳴して投票した人も多いと思われ、政党交付金だけでなく、国民の支持を努力することなく裏切る小沢氏を中心とする「生活」には民意は無視されています。
 
 私は議員になった直後に、自民党の県幹部からの誘いに「反自民」と話し、無党派無所属で地方議員を続けてきましたが、3年間の野党経験が安部首相や自民党を変え、民意に敏感になっている現実と、我が道を貫く民主党や生活など、野党勢力の行動が民意とかけ離れている現実も実感され、腹立たしい年末となりました。
 
                                   12月27日の一言

上高地帝国ホテルのケーキセット

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県道名古屋津島線・神守ノリタケ交差点で横転する事故車両
 
 我家の前を通る県道名古屋・津島線は、我家より500メートル東に位置する神守ノリタケ交差点の交通事故によって、一時は完全に通行止めとなり、名鉄バスも待機する大渋滞が夜まで続きました。
 
 交通事故は午後3時30分頃に発生し、救急車3台と特殊車両が複数出動する事態に、地域は騒然となりましたが、事故現場では乗用車が横転して道路を塞ぎ、私が訪れた頃には多数の警察官によって事故車両が移動され、車が通行できるようになりました。
 
イメージ 4 昨日の一言に投稿されたコメントに対して、「上高地の帝国ホテルのケーキセットよりは良かったですよ」と、昨日訪れたカフェと上高地の帝国ホテルを比較する安易なコメントを返してしまいましたが、朝のモーニングバード(テレビ朝日)の番組を見て、料金だけを比較した軽率な自分のコメントに反省しきりの朝となりました。
 
 本日のモーニングバードでも紹介されていましたが、帝国ホテルは「明治からニッポンに新文化を発信」のテロップとともに放映されており、1800円で宿泊できる明治時代にランチが1200円もした事を考えると、近所のカフェと比較すること自体がまったくの的外れと言う一言しかありません。
 
 上高地の帝国ホテルは昭和8年に、日本初の本格的な山岳リゾートホテルとして誕生しており、東京の帝国ホテルとは雰囲気は違うものの、フランス料理から懐石料理まで楽しめる一方で、宿泊客だけでなく我々も、リゾート地としての上高地にふさわしい雰囲気を味わいながら、食事から珈琲まで利用できる環境は上高地を訪れる人々に至極のひと時を提供しています。 
   
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イメージ 3 添付した左の写真は、帝国ホテルのHPから拝借しましたが、右の写真は23日に訪れた際に、人の出入りのない雪に閉ざされた帝国ホテル(横から撮影)で、真冬の白銀の世界にあっても、真っ赤な屋根が存在感を示しており、降り積もった雪が私たちを寄せ付けません。
 
 上高地帝国ホテル http://www.imperialhotel.co.jp/j/kamikochi
 
 ちなみに、上高地帝国ホテルの宿泊料金は平日1泊3万1千185円(平日)からと案内されており、スイートルームは10万円にもなりますが、ツイン(2人分)の一室料金のため、高いとのウワサに惑わされている人も多いと思います。
 
 もっとも、四国にある東横インについては、お遍路と証明できれば4千500円(朝食付)で宿泊できますから、これも比較する対照にはなりませんが、帝国ホテルのケーキセットは1500円で食べられますから、せめて玄関ロビーにあるグリンデルワルトで味わって欲しいと思います。
 
                                    12月26日の一言
追伸
愛知県の交通死亡事故は全国ワーストワンを続けていますが、今晩8時頃には我家から1キロほど離れた北の県道でも車が横転して、道路が規制されていました。せめて、大晦日まで事故を起さない大合唱が必要に思います。

12月議会が終了しました

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稲沢市(旧平和町)のカフェ・インコントラーレ
 
 津島市議会は本会議が開催され、11月27日から続いていた12月議会も本日最終日を迎えました。今回の議案には、地元の観光交流センターの指定管理者の選定が入っており、選定委員が現在管理している地元のNPO法人を外して、岐阜市のビル管理会社を選定していたことから、今までのNPO法人に関係する市民の訪問を受けた議員も多く、私も複数の訪問を受けていました。
 
 地元の法人や企業が選定されるのは理想とは思えますが、学識経験者や市民で構成された選定委員会の選定における議論や、採点結果を見るかぎりでは、地元の法人は応募した3社の中で最下位となっており、ひいき目で見ても選定委員が厳格に選んだ企業を否決することは津島市の観光事業の地盤低下につながります。
 
 そもそも、津島市の天王川祭りや秋祭りに関わる人々は、日本三大川祭りとか高山祭りの屋台より由緒あるなどと力説しますが、祭りの中心となる津島神社については、県内の人々に聞いても知らない人も多く、確実に関係者の認識と違い、知名度は年々低下しているものと思われ、津島市に経済的効果を発揮しているとは思えません。
 
 今回の選定では、交流センターを訪れる観光客が激減している現実と、現実を改善しようと感じていない地元の法人と、市外の管理会社が説明した市外への発信力に魅力を感じた選定結果なのかもしれません。
 
 もっとも、観光客を運んでくる名鉄電車やバスと津島市の関係についても、昭和40年代には名鉄の高架事業やスーパー進出など、名鉄の先進的な試みは津島市が先陣を切っていたことが信じられないほど冷え切っており、津島駅からバス営業所が撤退しただけでなく、名鉄観光や名鉄系の企業がほとんど撤退している現実を立て直すのが急務とも思われます。
 
 私は市外の業者を選定した議案について、賛成者多数で可決した委員会の長として壇上で報告しており、本日の議決についても、関係者には地元を軽視する議員として恨まれているかもしれませんが、公正な選定結果が全員ではなかったものの、賛成者多数で可決されたことに議会が正常に機能していることを実感しました。
 
イメージ 2 さて、上に添付した店舗は、稲沢市(旧平和町)にあるインコントラーレと言うカフェで、議会終了後に私の所属する会派「青風会」の3人で、議会終了の慰労を兼ねて訪れました。
 
 私の所属する青風会は、最年少で当選して2期目の上野議員(写真・右)と、まだ40才になったばかりで新進気鋭の山田議員(中央)が、まもなくリタイヤしていく中年の私を足しても平均年齢を下げており、若い気持ちで裏心のない環境が、政治の疑心暗鬼な心境とは無縁であることが誇りでもあります。
 
イメージ 3 このお店では、パンやケーキが店内で作られており、多種多様のパンやケーキが店頭でも販売されていますから、甘いものに目のない私のような中年や、子供づれのファミリーにはお薦めのお店と思います。
 
 「写真撮っても良いですが」
 「どうぞ、どうぞ」
 「ついでに、ブログに載せちゃっても良いかな?」
 「どうぞ、どうぞ、ウチもブログあるんで」
 「じゃー、今日のブログに添付しちゃうよ」
 「ありがとうございます」
 
INCONTRARE http://incontrare.web.fc2.com/
愛知県稲沢市平和町横池中之町198番1  TEL  0567-46-5541
営業時間 8:00~19:00(L.O.18:00)   定休日 第1・3水曜日
モーニング  8:00~10:30  ランチ 11:00~14:00  アフタヌーン 14:00~18:00
パン販売   8:00~19:00
 
 初めて訪れたお店ですが、美味しそうなケーキやパンだけでなく、応対するスタッフの愛想が良いことから、気軽に私の携帯電話のシャッターを押してもらい、3人一緒の写真が添付できましたが、笑顔の2人に反して、無愛想な私によってお店のイメージを損なっていては困りますから、添付したお店のHPやブログをご覧いただければ幸いです。
 
 議会が終了したものの、年末までに議会だよりの原稿を提出する必要があり、明日からはボランティアも予定されていることから、過去の一言に記したように、休みのないままに大晦日と正月を迎えそうです。
 
                                  12月25日の一言

上高地にも入山税は必要かも

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 釜トンネルの外は真っ白の世界です
 
 昨日に上高地で撮影したフイルムをカメラのキタムラに持ち込みましたが、かつては1時間程度でできた写真の同時プリントが、最近ではデジタルカメラが優先される一方で、フイルムへの同時プリントは時間がかかるようになっており、何とか今日中には仕上げてもらいましたが。
 
 さて、昨年まで冬季の河童橋の様子がライブ中継によって見られていましたが、今年は総てが休止になっている事から、私はブログランキング内にある記事から上高地の様子を見ていますが、本日のブログランキングでは私が上高地の第1位にランクされていました。
 
 
 かつて、サクランボの部門では1位にランク(現在3位)された事がありますが、上高地では初めての経験で、釜トンネルが閉鎖された閉山後の上高地は、冬季の上高地へお客さんを案内されているペンション「しるふれい」さんのブログが1位を指定席にしており、私自身もこのブログを参考にしてきました。
 
ペンション「しるふれい」ブログ
 
 本日は下記に焼岳や平湯大滝の様子が見られるライブカメラを添付しましたが、本日の中日新聞一面には、長野県で登山客から入山税や入山料として地方税を検討していることが上高地の写真とともに報道されていました。
 それは、ただ単に新たな税収確保として、登山ブームや登山客に目をつけたたものではなく、登山道や山岳道路の維持管理に多大な経費がかかることと、多発する遭難者の捜索に出動する県警ヘリや救助隊の経費も長野県の出費となり、対象者の8割が県外在住者といった面でも、入山者に応分の税負担を求めるのは当然かもしれません。
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 岐阜県の乗鞍スカイラインでは、終点の畳平駐車場で支払う駐車料金に環境保全税(普通車2000円のうち300円)が徴収されており、上高地も歩いて入ると釜トンネルの道路面の破損に気づき、トンネル出口に近い崩壊した産屋沢(うぶやさわ)が、右に添付した写真のように、閉鎖後の現在も多くの重機が投入されて作業が続けられています。
 
 上高地にあるビジターセンターや観光アソシエーションも無料で利用でき、観光客のために整備された木製の散策路についても、破損箇所の修繕や保守管理には多額の費用がかかることを考えると、私も出入りする観光客の一人としても応分負担は必要に思います。
 
 ただし、上高地は自然環境を守るためにマイカー規制がひかれ、週末や連休には観光バスも規制されており、シャトルバスへ乗り換える不都合から観光客の数が減っているようにも感じられ、入山に税金がかかる事で余計に観光客が減ることは、静かな環境を求める私には都合が良くても、ホテルや売店などには痛手になる可能性もあり、地元での十分な議論が必要にも思います。
 
 昨年11月の閉山式から昨日までに撮り貯めた上高地の写真がアルバム20冊になり、来春には写真展を催したいと考えていますが、閉山後の上高地は全施設が閉鎖されている事から、貨幣は1円も要らない自然そのものとなっており、4月の開山式までに再度訪れて自然と共存したい心境です。
 
                                 12月24日の一言

今年最後となる上高地入りです

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 本日は11月に閉鎖された釜トンネルから、大正池や帝国ホテル、河童橋から、私が上高地で一番大好きな小梨平の梓川のほとりまで歩きましたが、午前中は天候にも恵まれ、暖かい冬の一日を体験できました。
 
 3年前から四輪駆動の乗用車に乗せて、私に同行して閉山後の上高地まで歩いてくれる知人が存在することから、この時期の上高地行きは毎年の恒例行事化していますが、一年目の私は2日後にピンク色の血尿が出て大騒ぎとなり、市民病院で精密検査を受けた苦い経験もありました。
 
 今年は天候にも恵まれて暖かく、風も無かったことと、今年は四国遍路や西国巡礼で足が鍛えられていたのか、足取りが軽かったものの、小梨平を後にして、河童橋、バスターミナルを越し、帝国ホテルにさしかかる頃には凍結した道路に足を取られるようになりました。
 
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   添付したのは、シーズン中にバスやタクシーに行列ができているバスターミナルの観光センター(右)ですが、バスどころか人も存在せず、私がお世話になっていた駐車場の料金所も完全に雪の中で孤立していました。
 
 さて、本日の上高地行きは間違いなく今年最後の上高地となりましたが、今年は4月の開山式から、6月の音楽祭、10月の明神池お船祭りなど、開催されたイベントに参加するとともに、3才になる孫や、80歳となる母親と一緒にテントを買い込んで上高地に滞在し、4月から10月末まで小梨平のテントで油絵を描き続けた渡辺画伯には油絵を頂きました。
 
イメージ 5 本日は午前7時40分に釜トンネルに入り、1時間後に大正池に到着して20分たたずみ、10時にバスターミナルに到着しました。
 
 15分後に河童橋に到着し、小梨平の雪に埋まったベンチの雪をのぞいて、太陽に照らされた焼岳を眺め、穂高連峰の銀嶺を覆う雲がきれるのを待ちましたが、天気予報のとおりに青空が鉛色と化してきたため、名残惜しいものの12時には河童橋を後にしました。ここから釜トンネル通過までは約2時間かかります。
 
 写真を撮るためには、テントを持参してでも1泊したい心境ですが、冬の上高地の環境は厳しく、本日も風の音がジェット機のエンジン音のように吼え、午後から舞い出した小雪が吹雪きはじめました。
 
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 凍結した路面は靴底のスパイクを通して足裏を打ち、誰も入っていない雪の中に入ると50センチほど足が沈み、スパイクを取れば氷上を滑って転倒しますから、行きたい所があっても好き勝手には入っていけません。
 
 閉鎖後の上高地には利用できるトイレも限られており、大正池ホテル横や小梨平キャンプ場位しかありませんし、転倒してケガをしてもホテルや売店をはじめとして、保守工事の関係者以外は誰も駐在していませんから、単独行動は禁物です。
 
 閉鎖後の上高地の魅力は、観光客がいないため無音の体験ができ、梓川の川の流れと、木々から落ちてくる枝や、木々や建物から落ちる雪や氷の音しかしませんから、足腰に感ずる苦痛に自問自答しながらの滞在となります。
 
 私は夏には一日中小梨平でボーとしているのが大好きですが、冬の上高地からはボーとする余裕と時間も与えられず、午後には太陽が雲に隠れ、強風と吹雪きに追われて帰ることが多く、出かけたら帰ってこない私が唯一夕食に間に合う旅程ともなります。
 
 今年最後と記しましたが、来年4月の開山式前にも訪れたいと考えています。釜トンネル前にハス亭があり、冬季も平湯や新島々方面から定期路線バスが運行しており、疲れた身体を温める温泉も魅力です。
                                   12月23日の一言

京都にうどん博物館がオープンし

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 本日は相棒リマを伴ってホームセンター「バロー」まで家族とでかけましたが、ぺット専用のショッピングカートはホームセンター入口の露天に置いてあり、綺麗好きな相棒はシートをひいたものの、足元の臭いが気になって落ち着きません。
 
 過去に使った人がシートもひかずにペットをそのまま入れたか、カートそのものが汚いのか解りませんが、この店ではぺット用のカートはあっても、利用する人がほとんどいない田舎のため、ぺットが人間と同じ家族というよりも、意識は庭につながれた番犬や家畜の延長にあるのかもしれず、ぺットの地位向上に頑張ることが必要なようです。
 
 さて、相棒は小さなポメラニアンのため、出会う人々は可愛いぺットの意識をもたれますが、実は私以上に男気が強く、礼儀正しい女性やご夫人には何事もありませんが、無礼な対応をされると吠えますし、人相や風体の悪い男性には警戒して唸り声をあげます(本当に良く識別します・笑い話ですが…)から、本日の買い物は私の腕の中になりました。
 
ご当地うどん勢ぞろい 京都に「うどん博物館」オープン
記事の続き… 
 一般財団法人「うどんミュージアム」代表理事で工務店経営の高屋友明さん(41)が、全国約120軒のうどん屋を訪ね歩いて準備した。
 京都で博物館を立ち上げた理由について、高屋さんは「京都は日本の伝統文化の中心地で、うどんも伝統文化の一つ。国内だけでなく、外国人観光客をターゲットにうどん文化の世界発信も目指したい」と話す。
 訪れた香川県出身の会社員岸本圭史さん(44)=大阪府吹田市=は「うどんが好きで全国各地で食べ歩いているが、遠方のうどんが同じ場所で食べられるのはうれしい」と話していた。
 午前11時~午後10時。入場は無料。問い合わせは同ミュージアム(075・531・0888)へ。
 
 本日の朝日新聞には、京都の祇園に「うどんミュージアム(博物館)」が開館し、全国26ケ所のご当地うどんが食べ比べられると報じられており、うどん県と言われる香川県も出し抜かれたかと思いましたが、東京や主要都市で各種の博物館ができれば地方まで人が訪れません。
 
 そう思う一方で、年末に京都を訪れる予定のため、立ち寄りたいと思う身勝手な自分がありましたが、世の中はそんなうまい話ばかりではなく、記事に添付されていた愛知県の「みそ煮込みうどん」の写真(クリックすると画面が出ます)をみて、一度にその思いが払っ飛びました。
 
 記事に添付された愛知県のみそ煮込みうどんは、愛知県のお店だけでなく、インスタントのみそ煮込みうどんでも作られるとは思えない代物で、やはりご当地うどんはその土地に出向いて食べないと本物ではなく、少なくともみそ煮込みうどんについては店のレプリカを差し替えるとともに、愛知県らしいうどんを提供してもらわないと全国の人々に誤解されてしまいます。
 
 うどん県と言われる讃岐うどんには、北海道や全国からうどんの食べ歩きツアーが企画されており、讃岐うどんの名店をバスで巡る定期路線バス(琴参バス)も運行していますが、私が初めて讃岐うどんを食した時には、「こんなものか」とびっくりとさせられました。
 
 それは、注文の仕方も組み合わせもおかしく、日ごろ食べているうどんの食感で食べようとしたからで、その次からは「何がお勧めですか」と問い、勧められた讃岐うどんを食べて初めて讃岐うどんの魅力を感じて、最近では香川県の農道を名店目指して走るようになりました。
 
 一緒に同行する人も、香川県で名古屋のような店構えのうどん店を選んで入り、「何が讃岐うどんなの」と言う人も多く、せっかく香川県でうどんを食べても、名古屋のうどん店で出されるようなうどんを注文して食べているケースもあるんですね。
 
 京都は観光地で、全国から人が集うことから、全国のうどんを食べ比べるという発想は商売としても的を得ていると思うことから、できることなら全国の有名店のレシピを提供してもらい、より味にこだわったご当地うどんを提供してもらいたいものです。
 
                                    12月22日の一言

市議の口利きで採用されたとの報道に

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 本日は町内にある真言宗の「弘盛寺」において、今年最後となる阿息観が行われる事から、午後一番の予定にしていると、道路の損傷による穴ぼこによって、通学の自転車通行にも支障が出ているとの電話が入り、市役所の職員と待ち合わせて現地に走り、連絡していただいた市民の方にも立ちあってもらって、今後の対応を話あっていると阿息観の始まる午後1時30分になってしまいました。
 
 慌てて参加者の座っておられる合間をぬって席に座り、若住職に指導されるままに行動していると、けたたましい音で私の携帯電話が鳴り響き、慌ててマナーモードに切り替えましたが、今度は静寂な阿息観の最中にマナーモード中のバイブレーターが震えだして音をたて、慌てて電源を切ったものの、遅刻した上に周りの気分を損なう失態です。
 
 本日は午前中から納め弘法が開かれていたこともあって、普段の倍以上の参加者がありましたが、阿字観(阿息観)に対する関心の高さも実感することが多く、仏教と言うと葬式や先祖供養だけのイメージが高いものの、四国遍路や密教に関心を寄せる若者も多いことから、来年は参加者も増えそうです。
 
「市議口利きで職員合格」 名古屋市幹部ら書類送検へ
 
 本日の報道では、名古屋市で採用した嘱託職員の採用について、自民党市議の口利きの疑惑があり、市議は否定しているものの、愛知県警の任意の取調べに対して、関係した市役所の担当者や市役所幹部は市議からの口利きがあったことを認めていることから、大変な責任問題に発展していきそうです。
 
 嘱託職員やアルバイトとは言え、行政の職員として採用試験を実施して、合否を決定する人事に、点数の加算があり、それが議員の口利きや圧力によることがあった事実にびっくりとさせられますが、我々も市民からの問い合わせがあれば不正や圧力はかけないものの、担当職員に簡単に問い合わせる可能性は存在し、それが職員からの口利きや圧力と感じられる可能性もあることから、今一度の注意も必要ですが…
 
 とにかく、今回報道されている名古屋市の場合は、市議からの口利きがあったと幹部職員が証言し、「採用するよう頼まれたので点数を水増しした」と捜査関係者に話したと言うから、共謀が問えないとして立件を見送る警察の方針にも疑問が残り、私は徹底的な糾弾がひつように感じます。
 
                                  12月21日の一言

便利な物から久々の痛みを実感し

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 最近の購入した指先の開いたゴム付き手袋ですが、手の平のゴムのイボイボが滑り止めとなり、指先が開いているため機能的には大変便利に着用していましたが、本日はこの手袋によって大変痛い思いをしました。
 
 最近は、添付したステンレスボトルに湯を入れて携帯していますが、ストーブに置いてあったヤカンからボトルに湯を入れようとしたら、沸騰していた湯が勢いよく噴き出し、私の手にも熱湯が溢れてこぼれました。
 
 痛いのはこの後です…
 
 右手にヤカンを持ち、左手に持ったボトルを置くことも捨てることもできず、手袋をしていることから熱湯がついたままで、簡単に手袋を外すこともできずに、久しぶりにヤケドの痛みを実感することになりました。
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 左手の人差し指は熱湯によって完全に水ぶくれとなり、皮膚が破れてジンジンとした痛みが夜になっても続きます。
 
 子供の頃に、手袋の上から熱湯を浴びてヤケドで痛みが続くものの、手が冷えるため手袋は外せず、ヤケドの痛みに耐えつつ仲間と遊んでいた冬の記憶がよみがえりました。
 
 さて、昨日には記せませんでしたが、議会最終日に報告するための委員長報告書を、委員会を記録した議事録からパソコンのワードに打ち込んでいましたが、夕方に訪ねてこられた知人と近所の珈琲屋さんに出向き、帰宅後にパソコンを再起動させようとしたものの、誤って切ってしまいました。
 
 完成に近い長文は、パソコンの修復ファイルからも見当たらず、再度初めから打ち込み始めたものの、完成したのは本日の午前3時過ぎで、市役所へメールを送信したのは3時30分となっていました。
 
 本日は病院に通院する人を朝から送迎することになっており、午前中に市長と会派の3議員との懇談会も予定されており、郵便局への振込みや、書の表装を依頼されていた人に届けるなど、仕事が集中しており、夜にはNPO法人の理事会も開催されたことから、久しぶりに睡眠不足の一日が慌ただしく経過しました。
 
 明日は今年最後となる「阿息観」が地元のお寺で開催され、明後日には閉鎖されている釜トンネルを歩いて上高地へ訪れる予定をたてていますが、昨日から体感している寒波の襲来が気になる週末を迎えます。
 
                                   12月20日の一言 

善意の運転手への禁固刑判決について

 本日は朝から来客があり、事務所が冷えていることから近くのコーヒー屋さん(コメダ・我家から150m)へ行くと、向かいの席に旧知のご夫婦が座っておられ、主賓を前にして話が尽きず、来客との話が終わって帰ろうと思うと、他のテーブルから相談を受けていた人が報告と次の相談に訪れ、来客もつきあわせて時間オーバーとなりました。
 
 本日は、3日前に亡くなられた同級生(故人・女性)の父親の葬儀が行われ、同級生は10年ほど前に40代で亡くなり、そのご主人も後を追うように他界されていることから、喪主を努められた奥様(他界した同級生の母親)と、孫となる娘さん2人の3人家族となった姿に寂しさいっぱいの出棺となりました。
 
 祖母は亡くなった同級生とそっくりで、孫となる長女も母親にそっくりのため、幼馴染としても親の心境のようになり、女性3人だけとなった家族が心配にもなりましたが、亡くなった同級生と親しかった女性(私とも同級生)の姿があったことから、故人の友人の支えもあると思うと少しホッとした心境にもなりましたが…
 
野球部のバス事故で禁錮刑 福岡高裁、一審判決を破棄
記事の続き…
 陶山裁判長は「休憩をとることに心理的抵抗があっても、安全確保のためにバスを止めるべきだった。刑事責任は軽視できず、禁錮刑の選択自体はやむを得ない」と結論づけた。
 被告の弁護人は上告について「判決を詳細に検討して対応したい」と話した。
 
 本日の朝日新聞の記事には、昨年の夏に大分県で起こった高校野球部のマイクロバス事故で、福岡高裁は運転手をしていた野球部員の父親に、禁固2年6ヶ月(執行猶予3年)の判決を言い渡したとの報道がありました。
 
 一審判決は、過失は大きいが、眠気を催しても自身の判断で休憩を取りにくい状況だったとして、「ただちに禁固刑を言い渡す事案ではない」と判断したが、禁固刑を求めていた検察側が控訴したことに対する判決である。
 
 運転する者にとって、交通事故に対する責任は免れず、居眠り運転し、大型トラックに追突したことで、部長兼監督を死なせ、部員やトラック運転手ら6人にけがをさせた責任は大きいものの、野球部員の父親として善意で運転していた人物に対する禁固刑は厳しすぎるのではないでしょうか。
 
 省みると、私も30年ほど前から、マイクロバスに少年野球の小学生を乗せて、高校野球の愛知大会決勝戦に連れて行ったり、少年野球チームの一員だった息子達のチームを球場に運んだ経験があり、何事も無かったから良かったものの、事故を起こした可能性も否めないことから、他人事とは思えず、善意のボランティアへの配慮に欠けた判決としか思えません。
 
 もちろん、現在でも当り前のように行っている四国遍路や、来春より再開する予定の坂東三十三ヵ所巡礼についても、金儲けとして車に参加者を乗せて運転しているわけではありませんから、万が一の事故についても、車の任意保険の他に旅行傷害保険を掛けているものの、禁固刑になると考えたら二の足を踏みたくなってきます。
 
 もちろん車を運転する以上、万が一の交通事故の責任は当然と思うとともに、ボランティアだから事故の責任が免れられるとは思いませんが、飲酒運転や暴走運転による事故に対する厳しい処分と一律に考えられたら、多くの善意やボランティアでの車の運転にも大きな影響を残す判決であると思われます。
 
 もっとも、執行猶予がついていることが、善意のボランティアに対する配慮かもしれませんが、今まで気軽にマイクロバスや車を提供してきた自分にとっても、責任の再認識といっそうの安全管理に努める必要を感ずる新聞報道ともなりました。
 
                                    12月19日の一言 

59歳の誕生日を迎えて

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 本日12月18日は、私の59歳の誕生日です。まもなくするとクリスマスが訪れる事から、バースディケーキがお預けなのは慣れていますが、4人も子供がいながら一人も私の誕生日に気づかない現実と、歳を重ねた寂しさも実感させられます。
 
 「今日は何の日か知っている?」
 「今日?」
 「お父さんの誕生日なんだけど…」
 「そうなんだ…」
 
 本年最後の書道会のため、近くの珈琲屋さんでコーヒーとケーキで打ち上げて帰宅したのが10時になっていましたが、私自身も忘れていた誕生日について、家内と次男が話しており、私のドーナツを食べてしまった反省からか、次男が近くのコンビニで好物のプリンを買ってきてくれました。
 
 プリンのラベルには、「大満足プリン」と記されており、家内がスーパーで買ってくるプリン3個セット分ほどありますが、コーヒーとケーキを食べてきたうえに、夕食を口にした後では、大好物と言えども受けつけません。
 
 昨日まで58歳であったものが、本日から59歳となり、半月後の新年になれば、手帳の年齢早見表に60歳と記されていることから、これからの一年間はアッと言う間に「老人クラブ」の仲間入りとなっていきます。
 
 さて、今年の春に郵便局からリストラされた同級生が、「明日は早朝5時から深夜10時まで勤務だから…」と、早々に帰宅していきましたが、彼は親の残したマンションの家主であることから、家賃で十分生活ができるのに、こんな年齢になって何も考える必要のない単純労働で通勤する気持ちが理解できません。
 
 東京の名門大学まで通い、就職難とは言え郵便を家々に配達し、長年簡易保険の営業にかかわったものの、上司から散々いびられ、忍耐の限界に達して離職したものの、再就職した職種も語れない仕事に縛られて、休みも自由に取れない労働環境で何故我慢するのか私には理解できません。
 
 かつての定年は60歳であったものが、最近では年金の支給が高齢化し、年金支給年齢まで働かないと生活できない環境は、早期退職を促していた時代とは大きな差ができました。
 
 本日の新聞報道では、「国民年金の保険料を2年間、全く納めていない未納者が2011年3月末現在で455万1千人にのぼることが17日、厚生労働省の実態調査でわかった」と報道されていますが、所得が低いなどの理由で保険料支払いを免除されたり、猶予されたりしている人も、438万5千人で、ともに過去最高だったとの記事からは、政府の場当たり的な施策に対する不信感が増幅していきます。
  
国民年金の未納、455万人 加入者の26%は過去最多
 
 高齢化社会を迎え、世界の最高長寿者が日本人になったとの報道もありましたが、年金の未払い者や支払いを免除された人が、国民年金の加入者数の半分を占める現実を考えると素直には喜べない誕生日ともなりました。
 
                                 12月18日の一言

西国三十三観音が満願となり

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中央が渡月橋、この奥の小高い丘が曼荼羅山
 
 本日の朝は、京都嵐山のホテルから嵯峨野のシンボル渡月橋と、その奥には8月16日の大文字送り火に嵯峨野の鳥居形が輝く「曼荼羅山」が正面にあり、昨晩の花灯路も最高の場所にいたことを実感させられました。
 
 さて、イメージ 2本日は西国三十三観音の満願を目指し、ホテルを8時40分に出発し、最初に第16番清水寺へ9時30分に到着しました。
 
 今年を象徴する漢字として、数日前に森清範貫主(かんす)によって揮毫されたばかりの「金」の色紙(縦1.5メートル、横1.3メートルの和紙)が本殿に置かれており、多くの観光客がカメラを向けていました。
 
 世界文化遺産になっていることから観光客の数は圧倒的に多いものの、ローソクと線香を立てて、真面目に手を合わせる白衣の巡礼者も観光客から奇異の目で見られる対象になっており、韓国から訪れた生徒たちに見つめられて参拝するのは寂しいかぎりです。 
 
今年の漢字は「金」 京都・清水寺で発表
 
 ここから歩いて10分程度で、第17番六波羅密寺に到着したものの、清水寺からの参道は下り坂であったことから、車の駐車場まで戻るのは高齢のメンバーにはきつく、私が車を取りに戻ってから、六波羅密寺の門前で乗車となりました。
 
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 次に訪れたのは京都で最後まで残した第15番観音寺で、昨日の第22番総持寺と同じ真言宗のお寺であることから、本堂の横に大師堂(左)があり、四国遍路の延長の気分で参拝できただけでなく、西国巡礼ではつきものとなっている駐車場の料金と拝観料がとられないことから、ホッとしたのは私だけでなく一同共通の気持ちだったようです。庶民に親しまれる弘法大師と真言宗のお寺の温かさを実感させられます。
 
 京都でゆっくりと寄り道しても良いと考えていると、「何かあるといけないから谷汲さんに行きましょう」とメンバーに急かされ、昼食も時間の節約のためコンビニ弁当として、ガソリン補給後に名神高速を岐阜県に向かいます。
 
 西国巡礼最後となる第33番華厳寺には、午後2時40分に到着し、本堂参拝と納経帳に朱印をもらった後に、本堂の裏手の山にある満願堂に参拝し、記念撮影後に巨大な杉の幹を見ると、灰色の雲間から一条の光があたり、我々の満願を祝っているようにも感じました。
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 満願堂から本堂に戻る途中の廊下には、西国巡礼のあとに坂東と秩父を巡拝した人々の団体で撮影した年代物の写真が額に入れて残されており、こんな写真を見せられると、気持ちは百観音に感化されていきます。
 
 我々はここから大垣市の美濃赤坂にある金生山明星輪寺を訪れ、西国巡礼の納経帳の最後に朱印をもらい、近くにある池田町の池田温泉に入って夕食を済ませ、メンバーの自宅に近い美和町の電飾イルミネーションを鑑賞後に全員無事に帰宅となりました。このメンバーは来年3月より坂東三十三観音で巡礼が再開となります。
                                    12月17日の一言

西国三十三観音巡礼

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大津市の三井寺(園城寺)の山門正面です

 本日は、8人のメンバーで西国観音霊場を参拝に出かけてきました。今年9月より1泊2日の行程で毎月続けてきた西国三十三ヶ所めぐりは、今回の4回目で結願の予定で、本日は滋賀県の第12番正法寺からスタートです。
 
 午前6時津島市…弥富IC…御在所SA…瀬田東IC…正法寺(8時30分大津市)…
 
 第12番正法寺…第13番石山寺…第14番園城(三井)寺大津IC茨城IC
 
 第22番総持寺…茨城IC山崎IC…第20番善峰寺…沓掛IC亀岡IC…第21番穴太寺…亀岡IC沓掛IC…第19番行願寺…第18番頂法寺(六角堂)…細見酒店…(宿)
 
 天候にも恵まれ、滋賀県の3寺を巡拝して、大阪府茨城市の総持寺まで移動して残された京都市内のお寺を巡拝するスケジュールは余裕の滑り出しで、今日中に岐阜県の33番華厳寺を残して全部終わってしまいそうな錯覚をしていましたが、穴太寺から京都市内に入ると道路状況は一変し、このままでは第19番行願寺までたどり着けないくらいの渋滞となりました。
 
 ここからはカーナビを無視して、京都の人々の利用する狭い生活道を進んで何とか到着し、山門前に車を停車させたことで、予定していた第18番頂法寺まで巡拝することができました。
 
 午後5時に大徳寺の門前にある細見酒店に到着し、メンバー全員(私以外)が暖かい甘酒をご馳走してもらい、日本酒や土産を購入して、宿泊する嵯峨野を目指しますが、嵯峨野の渡月橋が夜間にライトアップされていることから、観光バスや車が渋滞してなかなか宿にたどり着けません。しかし、人々が身動きもできないほど混雑する渡月橋をゆっくりと進んだことで最高の観覧席となりました。
 
嵐山花灯路12月17日まで http://www.hanatouro.jp/arashiyama/index.html
 
 本日の宿はビジネスホテル嵐山ですが、駐車場を確保してもらっていたことから駐車場のない乗用車を尻目に一番混雑する渡月橋の近くに車を停め、それぞれの部屋から渡月橋や嵯峨野のライトアップや、桂川(保津川)の屋台の灯りが正面に見え、最高の鑑賞となりました。
 
 ホテルはビジネスホテルですが、安価なだけでなく夕食と朝食がついており、夕食にはドリンクサービスもついていることから、生ビールで乾杯のあとでほろ酔い気分の雑談が盛り上がりました。
 
 さて、順調な一日でしたが、西国巡礼ではそれぞれのお寺で駐車料金が必要となり、その上に拝観料の出費も必要ですが、本日訪れた第22番総持寺では、拝観料がいらないだけでなく、車を停めたパーキングの駐車券を無料にしてもらいました。総持寺は真言宗のお寺で、大師堂もあって四国巡拝のイメージが蘇りました。
 
 明日は第16番清水寺と第17番六波羅蜜寺を一緒に廻り、第15番観音寺を巡拝した後に、名神高速を大垣市まで走り、西国巡礼最後となる第33番谷汲山華厳寺を巡拝すると西国巡礼は満願となる予定です。
 
                                 12月16日の一言

大鹿さん、どの党に投票したら良いんですか

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 夏に多くの実を付けた我家のブルーベリーですが、現在は葉が見事に紅葉し、隣でまっ黄色に実った柚子や、ほとんど落葉したものの黄色い葉を残しているサクランボやアンズの木々とともに、冷え切って寒々とした庭を彩っています。
 
 「大鹿さん、ちょっと相談があるんですが?」
 「えっ?何ですか」
 「実は、今回の選挙にどの党を書いたら良いのですかねぇ」
 「僕は、○○さんなんだけど…」
 「実は、僕一宮市なんですよ」
 
 明日の西国巡礼をひかえて、車に燃料を補給に行った隣のガソリンスタンドの店長さんの一言ですが、新聞やテレビでは色々と騒いでいる衆議院選挙が、私の住む津島市だけでなく、選挙区の違う一宮市でも地域的には盛り上がっておらず、投票日を明日に控えた本日になっても、投票する候補者も政党も決まっていないの話でした。
 
 「うーん、何党と言われてもねー」と、自分が昨日の期日前投票で記名した政党名も他人に言えないのが現実で、選挙区も違うので「薦められないが、僕は○○だから、○○党に入れてきたけど」と答えると、「じゃー、僕もそうしますわ」の一言が返ってきました。
 
 自民党の安部総裁も驚いた突然の解散劇は、有権者にも十分な候補者や政党を選択する時間を与えないままに投票日を迎えそうです。国民に期待された第三極と言われる政党は、公約も無視した合併や、候補者の選定や調整すらできないままに公示日を迎えていることから、十分な人物評価や政党の公約を見極めることなく選挙が終わり、国民の大多数が無党派層と言われる中では、民意とはかけ離れた結果としか思えません。
 
 さて、明日は寒々とする中を、最後の結願をめざして西国三十三観音の巡礼に出発しますが、四国八十八カ所霊場では、平成26年に弘法大師によって霊場が開かれて1200年目を迎えることから、来年から多くの行事が始まります。
 
 来年2月4日には、開創千二百年「立春初大師大法要」が善通寺で開催され、この日から翌年の5月6日まで毎月2回ずつ、四国霊場を歩いて満願を迎える「開創1200年記念徒歩練行」がスタートします。
 
霊場開創1200年記念徒歩練行 平成25年から26年5月9日まで
     参加資格 公認先達で一日25キロ程度歩けること
 第1回 2月4日(月)~5日(火) 善通寺から根来寺まで
 第2回 2月18日(月)~19日(火) JR鬼無駅から長尾寺まで
 
 今年4月より今のメンバーで四国遍路をはじめ、そのまま西国巡礼に走りましたが、坂東や秩父も含めた日本百観音になるのかはメンバーの意識しだいですが、自分自身の政治的進路や、本来の四国巡りを含めて計画的に進めないと大変な年になりそうです。
 
                                    12月15日の一言

期日前投票を済ませてきました

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 本日は衆議院選挙の期日前投票(不在者投票)に出かけて、私の一票を投じてきました。投票のキーワードは、脱原発と消費税の増税反対で、個人的に会話のできる候補者名を記してきました。
 
 「ここの写真を撮っても良いかなァ?」
 「いや、いや、ダメです」
 「記入した投票用紙もダメ?」
 「はい、そうです」
 
 投票所の投票箱と、私の投じた候補者名を記した投票用紙(候補者本人に恩を押し付けるため=冗談ですよ)を写真に写し、ブログの材料にしようと尋ねたところ、担当者からダメ出しとされたものの、私の目的がブログと察した選管の担当職員が選挙済証を手渡してくれたため、投票所前の看板の前での撮影となりました。
 
 新聞やテレビで候補者の投票する姿が報道されることから、自分の投票風景を自分で撮影することが悪いとは思えませんが、こんなことで騒動を起こす気持ちもありませんから、早々に期日前投票所を立ち去ろうとすると、近所のご家族と遭遇し、選挙ではなくて四国遍路の話題に花を咲かせました。
 
イメージ 2 本日は家内と稲沢市で昼食を待ち合わせていましたが、午前中より来客が続き、コーヒー屋さんのモーニングサービスが続いたため、昼食の時間になっても食欲がわかず、買い物で時間を浪費してからハンバーガー屋さんに入りました。
 
 こんな時に困るのは、日ごろから利用したことがないため、入り口のメニューを見るとレストランのランチサービスの料金より高くなり、簡単な組み合わせでも高額になってしまう事で、結局は食べたいと思う組み合わせではない注文となりました。
 
 買い物についても、明日が土曜日のため、家内と近所のホームセンターに出かければ良しと何も買わなかったところ、家内から「明日は出勤」と言われ、明日は一人で寂しく買い物となりそうですが、せっかく稲沢市まで足を延ばしたことから、久しぶりに知人宅を訪れると、今度は「遠くまで出張中」との話から、チグハグな一日の行動が夜まで続きました。
 
イメージ 3 本日の外出には、まもなく25年選手となる愛車を使い、相棒のために菓子とキャベツまで持ち込んでいたものの、相棒の入れないホームセンターや、市役所には連れていけない事から、相棒リマにとっては欲求不満のまま、運転席で待ちぼうけの一日ともなりました。
 
 さて、衆議院選挙も明日が最後の運動日となりますが、私の住む選挙区では、既存政党の自民、民主、共産に、第三極の未来と維新も立候補しているものの、地域での盛り上がりには至っておらず、選挙戦終盤になった今になっても、「誰が良いのだろうか」と問われる始末で、突然の解散と身勝手な主張に地域は白けている感もあります。
 
 そんなことよりも、いくら首相だけが持つ国会の解散権であっても、この時期に地方自治体では12月の定例議会が開催されており、選挙どころではない現実も全く考慮されない現実に、地方は全く無視されている現実を実感させられる選挙ともなりました。
 
                                     12月14日の一言

弾道ミサイルも中国航空機も…

 北朝鮮は12日午前9時49分ごろ、長距離弾道ミサイルとみられる機体を南方に向かって発射し、搭載していた人工衛星は無事に軌道に乗ったと発表し、北米航空宇宙防衛司令部も、人工衛星の軌道に乗ったことを認めている。
 
 国連安全保障理事会は12日午前、北朝鮮か長距離弾道ミサイルを発射したことを受けて、緊急会合を開き、発射は安保理決議に「明確に違反する」と非難する非公式の報道機関向け談話を発表するとともに、今後、安保理としてどう対応するかを本格化させると報道している。
 
北朝鮮ミサイル発射 米NORAD、衛星の軌道進入確認
 
 北朝鮮の行為については日本も韓国も一緒に非難するが、北朝鮮の主張は人工衛星の発射であり、今回も衛星が軌道に乗ったことが確認されており、かつてはロシアもミサイルの技術で人工衛星を打ち上げた歴史から、日米韓の一方的な批判は身勝手でもある。
 
 さて、本日の報道では中国の航空機が尖閣諸島魚釣島周辺で日本の領土を侵犯し、領土を監視中の日本の艦船の警告に対して、「ここは中国の領空」と応えて飛び続けたと発信されています。
 
中国機、尖閣南方で領空侵犯 「ここは中国の領空」主張
記事の続き… 
 統合幕僚監部によると、自衛隊のレーダーは中国機を捕捉できず、海保からの通報でF15戦闘機8機とE2C早期警戒機1機を発進させた。現場上空に着いた時には、すでに飛び去っていた。中国機の飛行ルートは不明。中国の海洋監視船の領海侵入は3日連続で、13日午前は4隻が入っていた。尖閣諸島上空では79年に旧ソ連の爆撃機、94年に台湾の民航機が領空侵犯したことがある。
 
 こんな悪質な違法行為が警告や抗議だけで済まされている現実を見れば、北朝鮮のミサイル発射についても、領空を通過する場合には打ち落とす命令が出ていた現実とは大きな矛盾が存在し、大国や強国の行為は放任されていると思うと日本外交のふがいなさを実感させられます。
 
 日本国内で憲法9条や平和憲法の維持を巡って議論を戦わせても、隣国となる中国や韓国、北朝鮮が武力による行動を平然と仕掛けてくる現実からは、好ましいとは思えませんが、日本も弾道ミサイルや核兵器を持てる科学力は保有していることから、保有しないのであればそれに代わる威力が必要となります。
 
 このままでは、やられたら国連や米国に訴えるだけで、現実には竹島の二の舞が尖閣諸島で起こっても、対等な対応はできそうにもありません。
 
                                 12月13日の一言

議会委員会後も市内を歩き

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 私が自宅に帰る前の夕方に、一人で「ホッ」とするスプーンベルですが、午後5時を廻ったばかりでも深夜のような様子となり、真っ暗な中に白い館のように浮かび上がり、寒波の影響でお客さんの帰宅も早くなり、6時を廻ると落ち着いて座っておれない(営業時間は7時まで)雰囲気となります。
 
 本日の津島市議会は、委員会最後となる総務協働委員会が開催されましたが、午前中に審査が終了したことから、会派の3人で街中で昼食をとりに出かけることとなりました。
 
 「インド人のやってる、インドカレーはどうですか?」
 「インドカレー?」
 「お昼からカレーはちょっと…」
 「じゃー、ラーメンの○○」
 「ラーメンもなァ」イメージ 2
 「○○に人気の店が…」
 
 津島市周辺の人気店の名前があがったところで、和食の寿司屋さんで意気投合し、地元の名物である「もろこ寿司」などを市内外のイベントなどにも参加してアピールしている「末廣寿司」に走ることとなりました。
 
 私の場合は、元々が朝日新聞販売店の主であったことから、世話になっているお店以外に行くことが仁義に反し、決まった店しか顔を出しませんから、頑張っておられるのをネットで拝見しても、基本的に人から誘われないと行く事はなく、久々に新しいお店へ来店することになりました。
 
 ここでは地元で展開される「信長めし」などもありますが、津島市では家庭で食されてきた「もろこ寿司」や「箱寿司」と言う伝統の寿司も販売されており、本日は割子弁当を食しましたが、結構なボリュームで満腹となりました。
 
末廣寿司に関係するブログ
 
 さて、我々はこのお店から歩いて5分の場所にある津島市観光交流センターを訪れましたが、今回の議会の議案の中に、交流センターの来年度の指定管理者が、現在の地元法人から新たな業者を選定した議案が含まれていることから足を伸ばしました。
 
 新たに選定しようとしている業者は岐阜市の業者だが、これまでの指定管理者が地元のNPO法人であり、この法人によって観光ボランティアが育ち、地元の祭りや地域との結びつきが多いことから、最終日の議会で新たな業者が選定されると、これまで関わってきた人々の離反も想定され、引継ぎに苦労することも予想されます。
 
 議会でも複数の議員が質問に立ちましたが、どうやらNPO法人が非営利であることから、営利企業と比較した大きな誤解があるようですが、このNPO法人は津島市の公の施設の指定管理料や補助金が活動資金になっていることから、行政の補助金は受けずに赤字も覚悟して自主運営している我々のNPO法人とは違い、我々から見れば株式会社と何ら変わらないことが理解されていません。
 
 津島市とは言え、津島市の東部半分は昭和30年に合併した旧神守村や翌年合併した永和村の一部であり、未だに旧市街地とは感覚が違い、津島神社や川祭りなど津島市の伝統行事にも余所者の視線で見ており、津島市から多額の予算が伝統行事に垂れ流される現実にも根強い批判が存在します。
 
 津島市の職員も津島市外の在住者が多く、伝統行事については市職員は無知として馬鹿にする人もあり、観光についても、我々のように合併した市民の目には、まるで京都や高山祭りと同等のように話す関係者とは大きな意識の違いが存在します。
 
 今回の指定業者の選定には、こういった意識の違いが、観光資源としては人を集客できない現状打破を期待した結果とも思われ、今までが行政の考える施設の目的と指定管理者が一枚岩でなかった結果でもあります。
 
 もっと言えば、津島神社を中心とした伝統的な街づくりではなく、津島駅を中心とした街づくりや、バスなど公共交通体系を真剣に考えるためには、私企業とは言え名鉄との真剣な協議が後回しにされている現実の改善が急務で、観光についても交流センターよりも名鉄の協力なくしては成り立ちません。
 
 地元を無視したように思われる今回の指定管理者選定について、私は委員長として議会で委員会の審議内容を報告する立場にありますから、仮に新たな業者が議決されても、現在交流センターで活動するボランティアの人々や、活動の拠点としている人々とのスムーズな引継ぎは大きな課題となり、本日の訪問もそんな心境からでもありました。
 
                                  12月12日の一言

選挙公報が地元新聞しか折り込みされず

 本日は津島市議会では文教建設委員会が開催され、昼休みまでずれ込む熱心な審議が続きましたが、明日に予定されている総務協働委員会が終わると、最終日の本会議までに委員長報告をまとめる仕事等は残るものの、委員会の審議そのものは終わりとなります。
 
 さて、本日は地元の中日新聞には、折込広告の中に衆議院選挙の「選挙公報」が折り込まれて配布されてきましたが、朝日新聞には折り込まれておらず、昨年4月の総選挙時にも配布されなかった事から、選挙管理委員会に連絡しました。
 
 担当職員の説明では、中日新聞の読者以外は、中日新聞の配達員が選挙公報をポストに投函するとの話に納得して電話の受話器を置いたものの、ポストを確認すると選挙公報は投函されておらず、改めて電話をし直しました。
 
 担当職員が販売店に確認すると、私の住んでいる地域は、中日新聞には本日折り込んで配布したものの、朝日新聞や他紙の読者の家には配布されておらず、明日から3日間程度で配達するということでした。
 
 本日の朝には中日新聞の読者に届けられた選挙公報が、他の新聞を購読する家には明日以降には届くものの、私の妹は3日前の土曜日に不在者投票を済ませており、公平に選挙情報を届ける観点ではいささか問題ありと思います。
 
 我家は朝日新聞の読者ですが、中日新聞も購読していることから、ポストにも投函されない可能性も高く、私自身は中日新聞の広告には目を通しませんから、織り込まれた選挙公報は広告と一緒に捨てられる運命となります。
 
 選挙管理委員会は投票日までに公報が届けば問題がないと考えているようだが、昨年の総選挙においては、我家だけでなく朝日新聞の読者である私の選挙事務長の自宅にも公報は届いておらず、選挙後に選挙管理委員会に通告してあったものの、関心の無い人には配布されていなくともそのままとなってしまいます。
 
 愛知県では中日新聞の普及率が高いため、安易に中日新聞に折込と配布を委託しているようですが、新聞に折り込まれる家と、ポストに投函される家とがあり、中日新聞を愛読していない家にはポストに投函するということは、アパートの空家や選挙権の無い外国人の家にもムダに投函されることにもなります。
 
 職員の話では、過去のように町内会や自治会に委託して配布する事が難しくなったために新聞折込となったようですが、市民協働とかコミュニティ重視と叫ばれている中での現実に、無関心と少数切り捨ての悲哀も感じされられました。
 
 さて、京都では秋の紅葉時の夜にライトアップされる寺院も多く、私がお気に入りにしている大原の宝泉院も毎年11月にはライトアップされ、「秋の夜灯り」として夜9時まで拝観されていましたが、京都のライトアップもほとんどは今月2日には終了しています。せっかくのライトアップも鑑賞できなかったので、ここに添付しておきたいと思います。
 
光に埋まる「清水の舞台」 「慈悲」の光、西へ照らす
 
幻想、大海に浮かぶ親子龍 京都・高台寺で試験点灯
 
枯山水に400本の灯 京都・妙心寺で5日から特別拝観
 
 日本列島全体を襲った寒波によって、紅葉どころか散策する気分も無くなる冷蔵庫のようになっていますが、紅葉のシーズンばかりでなく、京都は冬の雪化粧も見事で、冬の京都も大人としてゆっくり散策するのも魅力です。
 
冬、輝く古都 京都・嵐山花灯路始まる
 
 京都の観光地・嵐山の一帯を光で彩るイベント「京都・嵐山花灯路(はなとうろ)」が8日から始まり、近隣の二尊院や常寂光寺(じょうじゃっこうじ)など8カ所では夜間特別拝観が行われるとの事です。来週の日曜日に西国巡礼で京都を訪れることから、是非とも立ち寄りたいと思い、宿泊場所も再検討したいと思う夜となりました。
 
                                    12月11日の一言  

愛知県西部も冷たい白黒の世界に

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 本日は天気予報のとおり、愛知県の西部地方でも未明より雪が舞い、朝から家も道路も真っ白となり、この雪は午後まで降り続いたものの、解けるのも早く夜には道路の雪も無くなっていました。添付した写真は、津島市役所の5階から東側(古川町)と南西方面(市民病院)の本日の様子(雪の合間の写真)です。
 
居座る低気圧、各地で大雪 東海道新幹線に遅れ
 
 気象庁によると、日本列島周辺は西高東低の冬型の気圧配置となっており、北海道の東海上に居座る低気圧の影響で、各地は9日から10日にかけて大雪に見舞われたようですが、全国各地から交通網の乱れや、事故のニュースが発信されました。
 
 私の心配事は、来週の日曜日に一泊で出発する西国巡礼で、京都市内の五ヵ所のお寺は大丈夫でしょうが、大津市に残した石山寺など3ケ寺や、京都の西南部にある吉峯寺など3ケ寺も山の中にあるので、道路の凍結など現地情報が気になります。
 
 そして、最後の結願となる33番寺谷汲山華厳寺は、岐阜県の揖斐川町の山中にあることから、間違いなく雪が残っていると思われ、名神高速道路の関ヶ原が雪の難所であることから、新名神から桑名経由となる覚悟も必要と思われます。
 
 家族や仲間とは、もっと雪深い御嶽山や高山市のスキー場にも走りましたが、高齢者の8人組の巡拝ゆえに、例年より早い寒波や雪の積雪が苦になる巡拝にもなってきました。
 
 さて、家族は何事も無かったように仕事に出向きましたが、これも昨晩に家内と次男の車のタイヤを冬用スタッドレスに交換してくれた知人のお蔭で、家内の話では鉄道の高架橋を登れない(通行できない)車によって出勤時の道路が混んでいたようです。
 
 私は万が一の場合は歩いていける距離に市役所があることから、普段どおりに家を出ましたが、途中に日光川を渡る急坂が存在するため、車は若干渋滞していたものの予定通り到着しました。ただし、明日の委員会は私が議事を進行していく委員長のため遅刻は厳禁で、今晩すでに歩道は完全に凍結して光っていることから、今後の気象状況が気になる夜にもなりました。
 
                                    12月10日の一言

書道会の忘年会で知多半島へ

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知多半島山海 宝珠寺の洗い観音様
 
 本日は書道会「神守丈友会」のメンバー8人で、知多半島へ忘年会に出発しました。朝9時に津島市を出発し、飛島から湾岸自動車道に入り、知多半島道路の阿久比サービスエリアで珈琲タイムをとった後に、最初の目的地である岩屋寺に到着し、我々は山道の奥にある奥の院へ歩きました。
 
 知多の八十八ヶ所霊場の中でも、弘法大師が808年に100日間も護摩修行をしたと記されて(実際には弘法大師は来ていませんが…)いる古刹ですが、四国とは似ても似つかぬ雰囲気で、奥の院の近くまで在家のお墓が並んでおり、奥の院でも「般若心経」を唱える人もありませんでした。
 
イメージ 2 それでも雰囲気は独特なものがあり、もっと信仰の対象として僧侶や関係者が力を入れれば、岩屋寺や奥の院を目指す人もありそうですが、このままでは年寄りのお参りとハイキングの延長で、再度訪れるリピーターもできないでしょうね。
 
 岩屋寺は知多半島の山海に建っていることから、忘年会の食事会場としていた「まるは食堂」に行くためには、私が避けて通れない「洗い観音」の宝珠寺を通過しなくてはならず、そんな腐れ縁よりも住職の笑顔を見るために、メンバーの顔色を見ながら車を遠慮がちに停めました。
 
 「おーい、皆さーん、入って来てよ!!」と、住職の元気な声に、観音様の横に座っていたメンバーも休憩所に座って住職の話に耳を傾けましたが、建物だけだった岩屋寺の分も観音さんの住職がフォローして話していただけました。
 
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 この宝珠寺の観音様は、東京巣鴨の高岩寺(とげぬき地蔵で有名な寺)にある洗い観音様からの分身で、ガンが再発して医者から治療ができないと宣告された佐屋町(現愛西市)の女性が、この洗い観音に祈願して奇跡的にガンが消失してしまった事から、ガンが治る観音様として参拝者が増加してきました。
 
 
 食事の会場は、豊浜の「まるは食堂」で、1階も2階も満席で順番待ちの行列ができていたものの、30分程度で全員揃って席が確保され、新鮮な食材で腹一杯の昼食タイムとなりました。こんなに多くのお客さんを、こんなに早くさばく食事処は県内でも珍しく、閉店しているお店や旅館が多いなかでも珍しい存在です。
 
 
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 満腹になった後には、豊浜の「魚ひろば」に立ち寄って、新鮮な魚介類を土産に買い込み、そのまま北上して美浜にある「えびせんべいの里」では、試食とサービスのコーヒータイムとしましたが、メンバーの買い込んだ土産の量も半端ではありません。
 
 夕陽に照らされた知多半島は、まだまだ紅葉が楽しめ、渥美半島や三河湾の島々が間近に迫るように見え、帰路となった名古屋港の手前で夕陽が西の山並みに沈んでいきました。
 
 朝9時に集合し、午後5時に解散する1日がかりの忘年会となりましたが、近所で2時間の忘年会よりも充実した一日となりました。
 
                                 12月9日の一言
追伸
帰宅後の津島市も、夕方には雪が舞い、慌ててタイヤを冬用に交換する事となりましたが、幸いにも知人が駆けつけてくれたことで、家内と次男の車のタイヤが交換できました。明日は大変な朝を迎えることになりそうです。

明日は知多半島へ忘年会に

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京都千本玉壽軒銘菓 金閣
 
 添付したお菓子は、京都金閣寺の境内の売店でしか販売されていない「金閣」で、金箔のついたラクガンの中に小豆餡が入っており、抹茶や珈琲にぴったりのお菓子です。三男の土産ですが、本日まで仏壇の前に忘れられていました。
 
京都千本玉壽軒金閣を扱ったブログです
 
 明日は平成6年から我家で続けている神守書道会の忘年会で、知多半島に食事に出かける予定となっており、私が運転手のため行き先も私のハンドル任せとなりますが、出かける以上は寺院が入るのは当り前となっており、平成5年より足を運んでいる山海の宝珠寺だけでなく、半島で一番の古刹と思われる岩屋寺も予定に入れました。
 
 寺の歴史を見ると、霊亀元年(715年)に行基によって建立された古刹である事が記されているが、知多四国霊場会の発行している巡拝ガイド本によれば、弘法大師や親鸞上人が訪れたことが記されています。
 
 知多半島の八十八ヶ所については、弘法大師との縁を口にするお寺の住職も多く、知らない人はそのまま信用しているのかも知れませんが、飛行機や新幹線のある現代なら可能かもしれませんが、今から1200年前に簡単には来られません。
 
 知多霊場会の発行している「同行二人」によれば、岩屋寺は弘法大師が留錫、親鸞上人も阿弥陀堂の本尊を納めと記され、岩屋寺の奥の院については、大同3年(808年)に大師が百日の護摩を修業し、自分の像を岩窟に納めたゆかりの地と記されています。
 
 「もし我を信ずる者あらば、病気災難等の身代わりに立ちつかわさん」との言葉を残したことから、当山は身代大師の総本山としてあがめられるようになったとも記されています。
 
 ただし、信頼できる弘法大師の年表や、四国八十八ヶ所霊場会先達教典の年譜を見ると、知多四国霊場会やお寺の説明は全くのウソや偽りでしかなく、こんないい加減な説明文を記すと岩屋寺の創建された縁起も信用できなくなります。
 
 
 知多の岩屋寺で弘法大師が100日間の護摩修行をしたという808年は、中国の唐から806年10月に九州大宰府にある観世音寺に入り、朝廷から入京の許しが出た809年7月まで 留め置かれていたのが定説で、高野山大学教授の武内孝善氏の監修した「弘法大師空海の寺を歩く」にも詳しく記されています。
 
 一方で、知多霊場会発行の「同行二人」の末尾には、「弘法大師は弘仁5年(814年)諸国巡錫の折、三河から海路知多半島を南下、大井の聖崎に着く。上陸した大師は、大井の医王寺と山海の岩屋寺で護摩行を修し…」と記されており、同一の本の中に年数も異なる記載のままに記されて発行されていることにも驚きです。
 
 中高年が失われた健脚を取り戻すために、知多半島をスタンプラリーとして廻るのは大いに結構と思われますが、四国を巡拝する私の前で、知多半島のお遍路の霊験を負けじと話す存在もありますが、これでは宗教の将来が心配となります。
 
                                    12月8日の一言

心中は、議会から遍路、夜は涙、涙に

 本日は津島市議会の一般質問が行われ、私も最後の11人目の登壇となり、与えられた1時間の持ち時間の最後の1分まで、通告してあった3件の質問を続けて答弁をもらいました。
 議会は来週から常任委員会の審議に入りますが、年内に人々と約束してある書道会の日帰り忘年会(明後日)や、最後の結願となる西国巡礼(再来週)、厳冬期の上高地入り(23日)など、休息の無い中で大晦日が迫ってきます。
 
 「今日行ったお寺は、弘法様だった」
 「何所に行ってきたんだ」
 「三重県の方へ…」
 
 近所の仲間とバス旅行に出かけていた(夜まで知りませんでしたが)母親の一言によって、持ち帰ってきたお寺の案内書を見てびっくりとさせられました。
 母親が訪れていたのは、伊賀市の新大仏寺で、このお寺は1202年に重源上人が開山した真言宗のお寺でした。
 
 びっくりしたのは、案内書に記された重源上人の名前で、まさか数日前に通り過ぎていた三重県の伊賀市に真言宗の規模の大きいお寺があったとは全く知らず、無知な自分を思い知らしめる一日となりました。
 
 重源上人は、四国八十八ヶ所霊場会の先達教典に名前を残す名僧で、教典の霊場年譜の事歴には、「重源、高野聖元祖、東大寺大仏殿再建大勧進となる。十七歳のとき四国の邊地を修業する」と記されています。
 
 平安時代末期から鎌倉時代にかけての僧で、真言宗醍醐寺で出家し、後に浄土宗の開祖法然上人に学び、四国や熊野などで修行し、焼失した東大寺の復興を果たしたとの経歴がお寺の案内書にも記されていました。
 
 奈良県にある東大寺の再興の勧進職として、上人が全国に七ヶ所の東大寺別所を開創されたお寺の一つで、伊賀の別所として広大な寺領と伽藍を有した名刹でした。
 
 
 
 さて、今晩は57歳の若さで急逝した中村勘三郎さんを追悼する「さようなら勘三郎さん最後の告白」が放映され、子供の頃からテレビの子役として活躍し、不祥事や不道徳な痴態の多い歌舞伎役者の中で、本人や家族、一族は真面目で正直に生活していた同世代の優等生の見本のような人物の訃報に、私の涙腺は緩みっぱなしの夜となりました。
 
 先代を一年前に亡くし、勘三郎として子供に勘九郎の名跡を譲り、襲名披露の真っ最中の訃報だけに、本当に残念で悲しい訃報となり、今年名古屋御園座で行なわれた勘九郎襲名披露を鑑賞した私の母親も声を震わせて見ていました。
 私も同世代として、3才の孫の訪問を心待ちにしていますが、勘九郎さんにはお孫さんと三代揃った舞台を見せてもらいたかったと思うと今も涙腺が潤んできます。
 
 悲惨な事故や、残酷な殺人事件が連続する社会ですが、真面目でおごる事なく平和に生活していた人が、こんなにも簡単に病魔によって命を終わらせる現実に、空しさと人間の生命の微力さも実感させられ、明日は我が身…
 
 いや、いや…、こんな後ろ向きの性格は封印して、4日の先達研修会の講師を務められた三池孝尚氏の講演で聞いた、先のことを考えるよりも今を楽しく生きる貴重なアドバイスを思い出し、心穏やかにして挑戦したいと記して筆(パソコン)を置きます。
 
                                   12月7日の一言
追伸
中村勘九郎さんのご冥福を祈ります。追悼番組の中で夫妻の結婚記念日の映像を見た家内が、「お父さん、昨日が私達の結婚記念日だったけど…知ってた?」、「うっ、うん」と、勘九郎さんに恥ずかしいような現実が我家ではありました。

久々に新聞紙面を材料にして

 ブリーダーとして自宅の犬の世話を怠ったなどとして、大阪府の40代の女性が動物愛護法と狂犬病予防法違反で大阪府警に逮捕されたとの報道がありました。
 容疑者は11月7日から15日間、約160匹の犬に餌や水を与えず、室内は1畳あたりに5匹の密集状態で、家宅捜索で、餓死や病死とみられる死骸17匹が発見され、近隣住民は「犬屋敷」と呼んで、悪臭に悩まされていたとの話である。
 
160匹犬屋敷、元ブリーダー逮捕 動物愛護法違反容疑
記事の続き…
 石井容疑者は2007年5月から約5年間、繁殖させた犬をネット販売していたという。
 
 160匹の犬が全て売れておれば問題もありませんが、売れ残った犬は行き場がないだけでなく、餌も食べつづけることから、ブリーダーを続ければ続けるだけ人気のない犬が増え続けるため、好きな犬が飼えて利益になる程度に考えたブリーダーの末路のように思います。
 
 私も相棒リマ(ポメラニアン雄)の家族が欲しいと、雌のポメラニアンが欲しいと考えていますが、子犬が生まれても売るのは可哀相で、別れるのも寂しいと考えると、添付した犬屋敷の二の舞になりかねないので他人事にも思えません。そもそも、3ヵ月の予定で預かった相棒との別れが悲しく、1ヶ月もしないうちに別れられぬ関係となり、絶対に別れられぬ関係になった私ですから…
 
 私の知り合いにも、生まれた子犬と親犬を引き離すのが可哀相と、10匹程度の大家族になっている例がありますが、ペットは人間のような計画的家族構成にはならず、可哀相だけでは大変な結果が現実となることを本日の報道から感じました。
 
 さて、日本中の大問題となっているトンネルの崩落事故であるが、本日の朝日新聞一面には、笹子トンネルの担当者が、「人手もコストも時間も必要になるので、目視で絞り込んだ方が効率的と考えた」とマニュアルの運用を変えた理由を説明しているとの掲載がありました。
 
笹子トンネルだけ打音検査せず マニュアルでは義務
記事の続き…
 このため、コンクリートに異常が見つかった00年の緊急点検以外は、トンネル最上部のボルトで打音検査をしてこなかった。
 一方、東日本と西日本は「詳細点検で定義されている以上、打音検査は必須だ」として、つり天井のある全てのトンネルで打音検査をしているという。
 中日本は「マニュアルは基本的な点検手法を示しているにすぎず、運用に問題はない」と説明する。他のトンネルは天井板から最上部までの高さは2メートル前後だが、笹子トンネルは約5メートルあり、打音検査には足場を組む必要がある。
 笹子トンネルの担当者は「人手もコストも時間も必要になるので、目視で絞り込んだ方が効率的と考えた」とマニュアルの運用を変えた理由を説明している。
■つり天井型のトンネル新たに11カ所
 中央自動車道笹子トンネル山梨県)の天井崩落事故で、国土交通省は5日、県などが管理する国道や県道で、つり天井構造のトンネルが新たに11カ所12本あったと発表した。
 管理する各県や市、道路公社は事故後に点検し、落下の恐れはないというが、国交省は改めて打音検査などによる緊急点検を求めた。これで、高速道路会社や国が管理するものも含め、つり天井構造のトンネルは計48カ所61本になった。
 一方、中日本高速道路は同日の会見で、天井板が約130メートルにわたって次々と落下したのは、天井板の上部にある隔壁が原因とみられるとの考えを示した。
 隔壁は1枚あたり縦5.3メートル、横1.1メートル、重さ1.5トン。天井板上部の空間を、排気用と送気用に分けている。
 天井板と隔壁は約60センチずれ、互い違いに組まれている。このため、トンネル上部のボルトが抜けて落下した隔壁が隣接する天井板に引っかかり、連鎖した可能性が高いという。中日本高速は「1カ所で不具合が出た場合に、天井板が単独で落ちないように設計されていた。今回は裏目に出た」と説明した。
 
 私に近い知人の中に、「猪瀬にやられた」と、道路公団の民営化のしわ寄せでリストラ要員となり、早期退職した人物がいますが、安全確保に関する部門のコスト削減が大事故につながり、多くの人命が失われたことへの反省は重要です。
 
 もっとも、4日の善通寺の研修会において、山口県下松市の閼伽井坊名誉住職三池孝尚氏に至っては、トンネル事故に遭わないためには、フルスピードでトンネルを早く走り抜ける事と話され、その結果からスピード違反で捕まって罰金を取られたら、罰金が地域の設備投資に使われる社会貢献をしたと思えと、冗談ではあるが物事を前向きに考える事例が紹介されました。
 
 安全運転に心掛けていても、無責任な道路管理によって若き命が大量に奪われ、関係者から「人手もコストも時間も必要になるので…効率的と考えた」との手抜きの証言を聞き、家族の心情を考えると許しがたい怒りが込み上げてきました。
 
                                  12月6日の一言
追伸
テレビや新聞の話題は衆議院選挙一色ですが、ほとんどの地方議会では本会議が開催中で、津島市議会も本日は一般質問が行われ、6人が登壇し、明日も残された5人が質問に立ちます。ちなみに、明日の5人目が私です。

四国から帰って現実社会に

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 昨日は香川県の善通寺の遍照閣で、四国八十八ヶ所霊場会の先達からの昇補と研修会が開かれていましたが、一昨日には今年から新たに先達になった人々の研修会が行なわれており、2日間にわたった今年度の研修会は盛大に終わりました。
 
 この研修会には、山口県下松市にある花岡大師こと、閼伽井坊の先代住職で、真言宗御室派仁和寺の教学部長を務められた三池孝尚氏により、1日目は「旅は道ずれ、ご縁を大切に」のテーマで、昨日は「今を大切に楽しく生きる」のテーマで講演が行なわれました。
 
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閼伽井坊・山口県下松市 http://www11.ocn.ne.jp/~mike/
 
 私は全く知りませんでしたが、講師の三池孝尚氏はテレビやラジオに度々出演されており、 みのもんたさんが司会をしている 日本テレビ「午後は○○おもいっきりテレビ」のコメンテーターとして、昭和63年 4月から十年間出演されたいた超有名人だったようです。
 
 今しかない人生ゆえに、他人のことより今の自分が何をしたいかを考え、自分のために生きていく人生を、75才とは思えぬ体験談を交えて語られ、先のことを考えるよりも今を楽しく生きる貴重なアドバイスになりました。
 
 午前中は、「四国遍路と世界遺産」のテーマで、徳島県の第4番大日寺の真鍋俊照住職から、文化庁との協議や四国四県の対応など、歴史や経緯について説明があり、観光目的や地元の利益だけでなく、1200年続いてきた遍路道と霊場の保存と保護のためにも運動を続けていく必要性の説明がありました。
 
 午後からは、「仏の道、日々の道、遍路の道」として、高知県の第31番竹林寺海老塚和秀住職の講義があり、最後はお寺の娘と結婚して僧侶となった香川県第76番金倉寺の村上副住職から「信仰の姿」のテーマで講義が行なわれました。
 
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 さて、研修会の最後には、公認先達から権中先達となった我々や、中先達、権大先達、大先達に昇補した先達の人々に公認証の授与式が行なわれました。
 
 左は大先達になられた神戸のHさんで、偶然にも研修会終了後に善通寺専属の写真屋さんの事務所で出会い、貴重なアドバイスを頂きましたが、昭和39年から巡拝を始められて71才となる現在も元気で遍路を続けておられる姿は我々の手本でもあります。
 
 2日間で立ち寄ったのは、四国八十八ヶ所の奥の院與田寺と、高松市の法然寺、第83番一宮市と第75番善通寺のみですが、八十八ヶ所以外にも大きなお寺が存在し、町と共存している姿と出会いに感動の四国行きともなりました。
 
 
 
イメージ 4イメージ 5 法然寺は仏生山全体がお寺になっており、その門前にはお寺の運営する福祉法人の運営する「竜雲」があり、中にはうどんや中華そばがあり、おしゃれなお店だったことから、食事時間ではありませんでしたが、右のつけ麺(食べかけです)を注文しました。
 
 帰宅後にネット検索すると、「法然寺を開創した頼重公は、同時に門前町を開発し、そこに高松藩中の製麺業者を集めた。平池の水で水車を回し、小麦粉を挽いて無利子で貸し付け、製麺を奨励した。お城の役人が出向いての検査・仲買システムもできあがり、仏生山の人びとはみな麺づくりに精を出した。これが「さぬきうどん」の発祥」とあり、四国は八十八ヶ所のお寺ばかりではないことも実感させられました。
 
 本日は朝から電話と来客が夜まで続き、本当に仮眠のままに一日が経過し、議会に関する質問と市民の方々の訴えに、議会開催中に2日間も家を空けたつけを身体で実感する一日となりました。明日から2日間は一般質問が続きます。
 
                                     12月5日の一言

四国霊場会先達研修会

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本日は善通寺で、先達研修会が開催されました。

帰宅後に補足したいと思っています。

四国の霊跡に感激の一日に

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高松クレーターの湯 天然温泉きらら 一宮寺の近くです
 
 本日は午前1時に自宅を出発し、三重県、奈良県、京都府、大阪府、兵庫県と、一般道だけを走り、明石海峡大橋から淡路島に入り、鳴門海峡大橋から徳島県を通って香川県に入りました。
 
 一ヶ月前にも一般道で四国を往復しましたが、今回は前日に山梨県の中央道でトンネルが崩壊しており、一般道の方が安心でき、停めたいところで停められることから、時間はかかるものの、午前9時には香川県の道の駅みろくで仮眠をとり、午後から行動です。
 
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 最初に訪れたのは與田寺(よだじ)で、厄除けのお寺として有名なようですが、このお寺は四国八十八カ所の奥の院となっており、このお寺の住職はかつて善通寺の管長をつとめられ、ネットでも詳しい情報を発信しておられることから、私は奥の院や弘法大師が修行された場所について大変参考にさせていただいていたお寺でもあります。
 
 何度も訪問したいと思っておりながら、所在地が88番大窪寺よりかなり東にあり、最近の私は八十八カ所だけでなく別格20霊場も巡拝していることから、大窪寺の後に別格20番大滝寺に走り、最初の1番霊山寺へは山越えしていきますから、行き着けなかったのでもあります。
 
イメージ 3 こんな物好きな巡拝には、同行者をお付き合いさせられないため、ひとりで四国に来たときしかチャンスはありませんが、私の朱印帳の最後のページに四国八十八カ所奥の院與田寺の朱印が押されました。
 
 朱印帳に残された余白は数枚しかありませんから、残されたスペースはお大師が修行された場所の朱印を納めたいと考えています。
 
 四国の魅力は、まだまだこんな大きなお寺が残されており、與田寺は弘法大師より古い行基菩薩が開基したお寺で、真言宗善通寺派の別格本山となっています。
 
 岐阜県海津市にある行基寺も行基菩薩が開基しており、遠く離れた四国との縁にも驚かされますが、本尊の薬師如来は行基の作と伝わっており、虚空蔵院と言われると聞くと、美濃赤坂の虚空蔵(こくぞう)とのつながりにも興味が湧いてきます。
 
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 次に訪れたのは、高松市の法然寺で、このお寺は浄土宗を開いた法然上人が島流しになっていた満濃池の近くにあるお寺を藩主となった松平の殿様が大きく移築したもので、左の写真のように見事な紅葉になっており、山深い参道はモミジの葉がじゅうたんになっており、参拝者は少ないものの、お寺の規模は大きく、仏生山全体が紅葉の名所となっています。一度は訪れたいお寺です。
 
 さて、私の遍路は昼食の時間も惜しんで、コンビニ弁当で済ませてしまうのを慣例としてきましたが、法然寺の境内にちょっと一服してみたい雰囲気のお店があり、訪れるとさぬきうどんが販売されており、同じ讃岐うどんなんでしょうが、ちょっと上品なメニューがありました。このお店は「本格手打ちさぬきうどん」の看板が出ていましたが、お寺の関係となる社会福祉法人が運営しているようで、上品でやさしい雰囲気のお店でした。
 
イメージ 5 本日最後の写真は、高松市の街中を托鉢に歩く僧侶の一団で、法然寺に関係する浄土宗のお坊さんと思われますが、大きな声で「般若心経」を唱えており、手にしたのぼりには東日本大震災の復興と記されておりました。
 
 車を運転しており、ついて歩けませんが、私もついて歩きたい心境を抑えて、後ろにつけていましたか、交通渋滞となるので後ろ髪を引かれて走りましたが、四国にはこんな風景が当たり前に残っているのですね。
 
 今晩の夜は悲惨な車中泊となりますが、四国にはいたるところに温泉施設が点在し、愛知県では利用したことのないインターネットカフェやコンビニに入り、議会中であることを忘れてしまう体験が続きます。明日は善通寺の研修が夕方まで続きます。
 
                                   12月3日の一言

釜トンネル閉鎖後も続く上高地との交流に

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             上高地を描く 渡辺勝夫回顧展
 
        会 期 平成24年12月5日から平成25年2月5日まで
        会 場 〒289-2505 千葉県旭市鎌数9229-1
             ヒューマンプラザ 「黄 鶴」
             ℡ 0479-63-0007 (代)
 
 上高地は先月の15日に閉山式が行われ、釜トンネルが閉鎖されているため、マイカー規制でも入れる私のタクシーも入れず、今月末には閉鎖後の上高地ファンとなってきた知人と歩いて訪れる予定を持っています。
 
 シーズンが終わって、上高地から発信されていた情報や、ライブカメラから送られていた映像が途切れ、現状がわからないままとなり、最近では閉鎖後の現地に入って写されたペンションのご主人のブログ(下に添付)で近況を見ていますか…
 
ペンション「しるふれい」ブログ http://blog.goo.ne.jp/silflay
 
 さて、明日の未明から旅立つ四国の準備もしていないのに、今年は上高地で4月から10月までテントを張り、河童橋から見える北アルプスを連日描き続けていた「ホームレス画伯」こと渡辺勝夫氏から小包が届き、上品なお菓子とともに絵画展の案内が届きました。
 
イメージ 2 小包の中には、来年のカレンダーの裏側に、右のような昭和35年から渡辺さんが描いた上高地が12枚添付されたA4サイズの案内が入っており、丈夫なラミネートに包まれているため、立派な下敷きとしても使用できそうです。
 
 私の住む愛知県からはひじょうに遠い千葉県の絵画展ですが、私が来年4月に開催する上高地の写真展に、渡辺さんの油絵も友情出展してもらう約束がしてあることから、新しい年になったら家内と一緒に鑑賞したいと楽しみに思う回顧展だけに、千葉県に近い人々には是非とも足を運んでいただきたい展覧会でもあります。
 
 上高地が好きでたまらない人々の中でも、半世紀以上も上高地に魅せられて、一年の大半を上高地のテントで生活する渡辺さんは別格の存在で、健康な年金生活者の理想と思いますが、閉鎖された後のシーズンオフにも上高地の延長となる生活が続いていた朗報にうれしい一日となりました。
 
 雨が降り、心身が凍るような寒波の中で、本日は山梨県の中央自動車道で、トンネル内の崩落事故が起こり、多数の車輌が下敷きとなり、多くの人々も犠牲になっている模様で、愛知県から四国への道中も多くのトンネルを通過するため他人事には思えず、早急なる救出は勿論だが、崩落の原因も早急に検証してもらいたいものである。
 
トンネル崩落事故、7人不明か 2人けが 山梨の中央道
 
 今回の事故はトンネルそのものが崩れたのではなさそうですが、最近の高速道路はトンネルが多く、今後建設されるリニアモーターカーもトンネルが多用されることから、安全と思われていたトンネルの安全確保は急務で、川にかかった架橋についても絶対安心とは思えぬ神妙な夜を迎えました。
 
                                  12月2日の一言

娘の車で孫と外出です

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 本日は孫と一緒に娘の運転する車で稲沢市まで出向きました。私が運転して出かけると思っていたので、一宮市にある妙興寺や博物館に出かける予定を立てていたものの、娘が乗せて行ってくれた事から、仕事中の家内と待ち合わせて稲沢市のアピタでランチタイムとなりました。
 
 ここで、家内と別れて3人で店内を廻っていると、子供が飽きないオモチャ売り場はもちろんですが、ペット売り場には犬や猫だけでなく、鳥や熱帯魚、金魚と新たな商品が並んでいることから、「仕事が終わるけど」と家内が電話してきたときにも、我々は店内にいたことから時間の経過を完全に忘れていました。イメージ 2
 
 さて、ここの近くに10月に開店したばかりの「日本一のたい焼き」稲沢店があり、愛知県ではなじみのないお店ですが、高野山詣での帰路となる奈良県ではよく目にして立ち寄っているお店のため足を延ばしました。
 
 たい焼きは当地方でもスーパーなどで普段から目にしますが、「日本一のたい焼き」のたい焼は、餡が全体にある事と、表面の衣がパリッとした食感に人気があると思いますが、この店のたい焼は裏側に餡がにじんでおり、食べている最中に衣から餡が飛び出してくることから、目新しいため満員で繁盛しているものの、こんな細かいところに注意しないと飽きられるのかもしれませんね。
 
 
 この「日本一たい焼」の発祥の地は福岡県で、平成4年に佐賀県城原で日本一たい焼第一号店が開店しているようですが、本日の朝日新聞には、東京のお土産として有名な「ひよこ」が発売から100年を迎える事と、福岡県飯塚市が発祥の地である事が発信されていました。今まで東京の土産と思っていましたが、たい焼と同じく福岡県が元になっていたんですね。
 
「ひよ子」、100歳に 福岡生まれの東京みやげ
 
 100年も前に製造されたお菓子が、当初のままの姿でそのまま販売されていることに驚きですが、多くの店が姿を消していく中で全国区のお菓子となり、店のホームページも歴史書を読んでいるように感じさせられます。
 
 
 さて、例年の12月議会では第一週は議会日程がありますが、今年は偶然にも6日まで休会日となっており、そのお蔭で私は香川県の善通寺で開催される先達研修会に参加することができ、明日の夜には出発しようと考えていますが、自分の議会質問を残していることから、質問要旨を持っての四国行きとなります。
 
                                   12月1日の一言 
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