柔道女子日本代表の園田隆二監督(39)らが暴力やパワーハラスメントに当たる行為をしていたとして、ロンドン五輪メダリストを含む国内トップの女子15選手から日本オリンピック委員会(JOC)に告発された問題は、園田監督だけでなく全日本柔道連盟の上村会長までもが日本オリンピック委員会の選手強化本部長の職を辞任することになりました。
大津の中学生が生徒からのイジメを理由に自殺し、大阪の高校生が指導する教師の体罰によって自殺した事から、愛知県の高校でも複数の体育指導者の体罰が問題としてクローズアップされており、それは全国に波及しています。
柔道女子日本代表の園田監督が辞任表明
上村・全柔連会長、JOC選手強化本部長を辞任へ
テレビカメラの前では誰もが、「暴力があってはならない」と答えているが、当事者である園田監督自身が手を出したことを認めており、本人の説明を聞くかぎり暴力とは言い難く、やる気を引き出すための指導上の延長のようにも思われ、柔道の指導中のシゴキには違和感を感じません。
義務教育の中で起こった中学生の陰湿なイジメに絶えられず、自殺を選択した生徒には同情を隠せないが、高校や社会人になってから、スポーツの指導中に指導者から受けた体罰を総て悪とする風潮にこそ違和感を覚えます。
我家の3人の息子達はスポーツによって高校に進学していますが、長男は監督の体罰に不満を訴えていたものの、わざわざ長男を入学させたいと中学校まで勧誘に来てくれた監督を私が信頼しており、結局は指導するコーチとともにインターハイの表彰台に上りました。
次男も同じ高校の相撲部の監督にスカウトされましたが、意外なことに監督からの体罰や暴力は皆無だったとの話にびっくりしたものの、上級生からのシゴキはスポーツの域を越えており、それを当り前として耐えて成長したように思い、先輩からのシゴキがなければ全国には行けなかったと思います。
三男はスカウトもされておらず、自分の意志で自転車競技を選択しており、自転車競技は指導は厳しく、競技が重傷事故と隣り合わせでしたが、体罰やシゴキとは無縁のスポーツでした。
次男の相撲部はスポーツというよりも格闘技であり、長男の陸上競技も個人競技のため、指導者の手が出ることは親である自分でも一緒と思われ、息子達の成長を願う指導者との信頼関係があった事から不満もありませんでした。
「信頼関係があると勘違いして行き過ぎた指導をしてしまった」と、反省の弁を語った園田監督だが、指導を受けて成長した選手も多数存在し、15人の連名で団体外の日本オリンピック委員会に訴える前に、直接監督に訴えられなかったことが残念と思います。
生徒のイジメが社会問題となり、高校のスポーツの指導者からの体罰が問題にされ、最後は社会人の柔道やレスリングが問題となってきました。暴力が悪い事は当り前ですが、こうなるとプロレスも問題とされそうな社会に、あまりにも陰湿な側にたった問題提起のようにも感じます。問題とされている指導者についても、感謝の念を抱く選手も多い現実を忘れたくないものです。
1月31日の一言


今回の千葉行きは、上高地で知りあった千葉県在住の2人が、偶然にも千葉県旭市と成田市において、昨年末から絵画展と写真展を開催されていたことから、私の家族4名と相棒も一緒に訪ねるという「変り者」しか考えないような強行軍でした。
左に添付した写真は、成田市のエクセルホテル東急のロビーで開催されている写真展で、主催者の石原和子さんを囲んだ私の家族と、上高地のホームレス画伯こと旭市在住の渡辺さん(右端)です。























津島市では消防出初式とあわせて成人式が行なわれることから、本日も市長をはじめ我々議員も会場となる文化会館まで大急ぎで移動となりました。
かつての祖父江砂丘については、最近は国営木曽三川公園に組み込まれていることから立派な大駐車場が整備され、多くの人々が訪れていますが、松並木は昔のままで、久しぶりにゆっくりとした時間を過ごせました。

残念なことは、私の少年時代には自由に滞在できた祖父江砂丘も、国営のワイルドネイチャープラザとなったために、大きな駐車場が建設されたものの、堤防の入り口に頑丈な門扉が設置され、自由に滞在できなくなっており、私のように車中泊を好む人々には豊かな自然環境も時間限定となってしまうことです。3時の休憩を野点として家を出てきたため、相棒との散歩とティータイムが終わると夕陽が沈み、相棒との貴重な時間も終わりとなりました。


この神明社の本殿横には7つの社殿が並んでおり、一番奥に須佐之男命を祭神とする津島神社の末社が鎮座しているのも、織田信長と同様に津島市と尾張各地の結びつきを感じさせられます。
本日図書館を訪れた目的は、昨年末に図書館より連絡が入り、私が昭和末期から平成にかけて編集発行していた「ふるさとアサヒ」を、津島市で発行された郷土紙として保存したいとの話でしたが、私の手元にも一部ずつしか残していないため、データ保存するために持ち込んだ次第でした。
そもそも、納め札には巡礼者の願い事が記されており、病気治癒や劣悪な環境改善を祈願した納め札を持ち帰りたくはありませんし、礼儀正しい巡拝を続けておれば、自然と尊敬できる人格を持ったお遍路さんと出会い、ごく自然に納め札を交換する機会が出てきますし、顔馴染となったお寺から錦の納め札を頂く機会にも恵まれます。



除夜の鐘というと浄土宗総本山の知恩院が有名ですが、夜8時過ぎから並んで電車の通勤ラッシュ時のように誘導されて鑑賞するだけで、(浄土宗大本山)百萬遍知恩寺では10時過ぎに本堂に上がって法話や除夜法要が済んでから、護符と記念の手ぬぐいがふるまわれ、全員が鐘を撞いた後では甘酒が振舞われています。
元日は、建勲神社に参拝後に、名神高速大垣インターで下り、岐阜県のお千代保稲荷にも立ち寄りましたが、愛知県から参拝する場合には渋滞で車も動かない事から、北西方向からお千代保稲荷の真裏に入った事から、簡単に参拝できました。








