大鹿一八「本日の一言」

平成16年2月から令和1年7月末までの「本日の一言」です。ヤフーブログ閉鎖により、ライブドアへ過去の記録として引っ越しました。

2013年01月

体罰と暴力は一緒ではないが…

 柔道女子日本代表の園田隆二監督(39)らが暴力やパワーハラスメントに当たる行為をしていたとして、ロンドン五輪メダリストを含む国内トップの女子15選手から日本オリンピック委員会(JOC)に告発された問題は、園田監督だけでなく全日本柔道連盟の上村会長までもが日本オリンピック委員会の選手強化本部長の職を辞任することになりました。
 
 大津の中学生が生徒からのイジメを理由に自殺し、大阪の高校生が指導する教師の体罰によって自殺した事から、愛知県の高校でも複数の体育指導者の体罰が問題としてクローズアップされており、それは全国に波及しています。
 
柔道女子日本代表の園田監督が辞任表明
上村・全柔連会長、JOC選手強化本部長を辞任へ
 
 テレビカメラの前では誰もが、「暴力があってはならない」と答えているが、当事者である園田監督自身が手を出したことを認めており、本人の説明を聞くかぎり暴力とは言い難く、やる気を引き出すための指導上の延長のようにも思われ、柔道の指導中のシゴキには違和感を感じません。
 
 義務教育の中で起こった中学生の陰湿なイジメに絶えられず、自殺を選択した生徒には同情を隠せないが、高校や社会人になってから、スポーツの指導中に指導者から受けた体罰を総て悪とする風潮にこそ違和感を覚えます。
 
 我家の3人の息子達はスポーツによって高校に進学していますが、長男は監督の体罰に不満を訴えていたものの、わざわざ長男を入学させたいと中学校まで勧誘に来てくれた監督を私が信頼しており、結局は指導するコーチとともにインターハイの表彰台に上りました。
 
 次男も同じ高校の相撲部の監督にスカウトされましたが、意外なことに監督からの体罰や暴力は皆無だったとの話にびっくりしたものの、上級生からのシゴキはスポーツの域を越えており、それを当り前として耐えて成長したように思い、先輩からのシゴキがなければ全国には行けなかったと思います。
 
 三男はスカウトもされておらず、自分の意志で自転車競技を選択しており、自転車競技は指導は厳しく、競技が重傷事故と隣り合わせでしたが、体罰やシゴキとは無縁のスポーツでした。
 次男の相撲部はスポーツというよりも格闘技であり、長男の陸上競技も個人競技のため、指導者の手が出ることは親である自分でも一緒と思われ、息子達の成長を願う指導者との信頼関係があった事から不満もありませんでした。
 
 「信頼関係があると勘違いして行き過ぎた指導をしてしまった」と、反省の弁を語った園田監督だが、指導を受けて成長した選手も多数存在し、15人の連名で団体外の日本オリンピック委員会に訴える前に、直接監督に訴えられなかったことが残念と思います。
 
 生徒のイジメが社会問題となり、高校のスポーツの指導者からの体罰が問題にされ、最後は社会人の柔道やレスリングが問題となってきました。暴力が悪い事は当り前ですが、こうなるとプロレスも問題とされそうな社会に、あまりにも陰湿な側にたった問題提起のようにも感じます。問題とされている指導者についても、感謝の念を抱く選手も多い現実を忘れたくないものです。
 
                                     1月31日の一言

本日も相棒が助手席で待っています

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 先週の週末に私や家族と一緒に千葉県まで行ってきた相棒リマは、家族の外出には敏感になっており、特に私が上着を着込みだすと立ち上がって、自分も外出できるとアピールして催促をはじめますから、連日私の助手席を温めています。
 
 埼玉県の空き地から遺体が発見されたスイス在住の資産家夫婦も愛犬2匹を子供のように可愛がり、夫人はブログにリボンをつけた愛犬の写真を連日発信していたと報じられている。
 
 新聞には元同僚のコメントとして、「子どもがおらず、わが子のようにかわいがっていた」と記されていますが、我家でも愛犬は子どものような存在となっており、私は相棒として位置づけておりますが、相棒にとっては「お父さん」と呼んで認識させられており、最近は実の子供たちよりも身近な存在となっています。
 
 我家では私の子ども時代から、犬のいなかった事がありませんが、庭先で雨に濡れていた番犬だった時代から、30年前には土間が居場所となり、10年前から台所までが行動範囲に変わり、3年前に相棒が来てからは完全なる家族として、食事すら隙あらばと顔を並べています。
 
 千葉県で宿泊したホテルの社長さんの話では、自分も愛犬家のため以前は犬も一緒に泊めていたが、ケージに入れる約束がしてあっても布団で一緒に寝たり、壁に爪の引っかき傷が残っていたり、糞尿がそのままになっていた事もあったことから、現在は泊めないことにしたとの話でした。
 
 我家の相棒は必ずしも躾ができている訳ではありませんが、家の中ではパンツにオムツを付けており、糞尿の粗相は心配ありませんし、家族以外が近づく時には「噛むかもしれません」と警告しており、第三者が心配する抜け毛もありません。
 
 昨年には、相棒と一緒に宿泊するために、大学以来となるテントやキャンプ用品まで買い込み、旅先では私が車中泊の覚悟を決めているため、相棒と一緒のドライブや旅行は当り前となっていますが、愛犬家のモラルを向上させたいものです。
 
 3日前に訪れた新東名高速の沼津サービスエリアでは、犬と一緒に入れるレストランが存在し、犬の食事メニューまで掲示してあった事から、確実に愛犬を旅行に同行させる人の増加が環境を変えていきます。
 
 本日は、四国や上高地に相棒を同行させるために、愛犬も一緒に宿泊できるホテルや宿をネットで検索したところ、これまで高額となる愛犬との宿泊も、安価で宿泊できる施設やコテージが増加しているのにびっくりとさせられました。
 
                                    1月30日の一言
追伸
中学のイジメから、高校の体罰が社会問題となっていますが、ついに柔道界の指導にもメスが入れられました。しかし、何でもかんでも問題なんでしょうかね…
  
女子柔道の代表監督、暴力行為認める 「平手で何度も」
記事の続き…
 会見に先立って、園田監督は30日朝、「所属先(警視庁)、連盟と話し合ってから、なるべく早い段階で対応したい。いまは詳しい中身は話せない」と語った。
 複数の柔道関係者の話によると、園田監督による暴力行為は一部の選手に対して、とくに集中的に行われた。昨年2月の欧州遠征では「試合内容が悪い」「気持ちが入っていない」などと叱責(しっせき)しながら平手打ちを繰り返したため、見かねた別の指導者が止めに入ったという。ロンドン五輪前の国内強化合宿でも棒でたたくなどの行為があった。
 全柔連内では、同五輪の直後に園田監督の指導方法を問題視する声があがっていた。昨年11月に2016年リオデジャネイロ五輪までの続投を決めた際には、小野沢専務理事が「(選手との)意思の疎通が十分でなかった面があったようだ。監督としっかり話し合った」と説明していたが、詳しい内容は明かさなかった。
■文科省も調査
 女子柔道のトップ選手15人が指導陣から暴力を受けたとして日本オリンピック委員会(JOC)に告発文を提出した問題で、文部科学省は30日、事実関係の調査を始めた。JOCと全日本柔道連盟に対し、告発内容や経緯について報告するよう求めた。
 下村博文文部科学相は30日、省内で記者団に「事実とすれば大変に遺憾なこと」とコメントした。大阪市立桜宮高校の体罰問題にも触れ、「体罰を含めた暴力がスポーツの中で行われ、指導の正当化を図るという発想を切り替える時期に日本も来ている」と述べた。
 
 
 
 
 
 
 

知らないままに風化させている現実に

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 美しい九十九里浜・千葉県旭市の飯岡漁港
 
 「3人なら2千500円です」
 「えっ? 4人ならいくらになります?」
 「2千円です」
 「えっ?2千円ですか」
 
 宿泊したホテル(写真左上の建物)のあまりの安さに驚きの会話ですが、数年前のテレビに放映された際に料理が良いと紹介されていたのに、素泊まりのビジネスホテルになっていた事から、経営者と話していると東日本大震災の風評被害で観光客が減ったことと、コンビニ弁当持参のビジネス客ばかりになったためとの話でした。
 
飯岡温泉グロリア九十九里浜  http://www.gloria99.com/
 
 「風評被害があったんですか?」
 「あったどころか、被害も酷かったのよ」
 「ここにも被害が?」
 「そうよ、ここも津波で13人が亡くなっているのよ」
 
 連日報道された東日本大震災でしたが、千葉県の被害は浦安市の液状化による災害ばかりが印象に残っており、旭市や飯岡漁港の津波被害には全く無知で、津波で亡くなった人が存在したことにびっくりとしました。
 
東日本大震災 千葉県旭市飯岡海岸津波被害
 
東日本大震災 ① 飯岡~旭 津波 http://www.youtube.com/watch?v=lIC4M_b6Wz0
東日本大震災 ② 飯岡~旭 津波 http://www.youtube.com/watch?v=jjeJnRYOFVw
 
 愛知県から東北の宮城県や岩手県に出かける災害ボランティアも多いが、千葉県にも甚大な津波被害があった事を知っているのだろうか。あまりにもセンセーショナルな陸前高田市や石巻市の津波の映像が頭に残り、私は千葉県の津波被害には認識しておらず、ネット社会で何でも判っているようでも、自分の狭い情報量を実感させられました。
 
 添付した被災時や被災直後の映像を見ると、宿泊したホテルが映し出され、屏風浦を見に訪れた灯台下や飯岡漁港を津波が飲み込む様子があり、ここで13人もの人々(行方不明も2人)が命を落としているのが信じられません。
 今回の千葉行きでは、知人との再会や、愛犬家との遭遇の中で、美しい九十九里浜にも悲惨な過去があった事を知らされ、ここで起こった教訓を全国で生かすことが重要と思います。 
 
津波の教訓、どう生かす 警報「半信半疑」3割
記事の続き…
 津波が押し寄せてくるまでの行動については、40・8%が「津波に関する情報を得ようとした」と答えたものの、津波による浸水地域を示したハザードマップを実際に確認した人は0・4%しかいなかった。
 気象庁は地震発生から3分後の午後2時49分に大津波警報を出した。これをテレビや防災行政無線で見聞きしたと答えたのは58・0%。このうち3割強の人が「大津波が来るかもしれない」と思った一方、3割弱の人は「半信半疑だった」と振り返った。
 避難を始めた時間に関する問いでは、「5分以内」が9・6%、「5分超~30分以内」が28・9%、「30分超」が4・1%だった。避難しなかった人は18・4%に上った。
 避難したと答えた人は8521人おり、このうち現金や携帯電話を持って逃げたとした人は4割を超えたが、食料や水、防災セットを持ち出したのは1割以下だった。5割近い人が車で避難していたが、渋滞や道路の陥没でスムーズに動けなかったと答えた。車ごと流されたり、水につかったりした人もいた。避難先で津波に巻き込まれた人も210人いたという。
 津波は繰り返し被災地を襲ったが、当日の夕方までに浸水地域に12・5%の人が戻っていた。「自宅の被害を確認するため」「家族や親戚を捜すため」が主な理由だった。
■家族で話し合い 大切
 未曽有の被害をもたらした大震災。その備えについての質問では、1万1400人の24・2%が「避難場所や経路を家族で決めていた」、21・0%が「津波避難訓練に参加していた」と答えた。一方、三陸地方には「大地震が起きたら、てんでんばらばらでいいから早く1人で高台に逃げろ」との言い伝え(津波てんでんこ)があるが、これを意識していた人は9・7%にとどまっていた。
 70・8%が「これほど津波が強い威力とは思っていなかった」とし、「これほど内陸まで津波が来るとは思わなかった」とした人も55・2%いた。
 震災を受け、行政に対して「停電時でも警報や情報を確実に伝える」(68・9%)▽「大震災の記録を後世にしっかり伝える」(62・3%)▽「短時間で安全に避難できる場所を整備する」(54・7%)――ことを求めた。6割を超える人が教訓として「家族と避難について話し合っておく」ことを挙げた。
 被災者がつらい記憶をたどりながら答えたアンケート。群馬大の片田敏孝教授(災害社会工学)は、避難先に行き着いた人が津波に巻き込まれたことが改めて明らかになった点に着目し「いったん避難しても時間が許す限りより高いところを目指す姿勢が大切なことを示している」と話す。
 関西学院大災害復興制度研究所の室崎益輝所長は、大津波警報を見聞きした人のうち3割弱が「半信半疑だった」と答えたことを踏まえ、「大津波警報を見聞きするのは一生で何度もない緊急事態だ、ととらえてほしい」と呼びかける。
 津波で宮城県東松島市の自宅を流された中井政義(まさよし)さん(48)は、長男(20)が車で避難して渋滞に巻き込まれた。命は助かったが、水は足元まで迫った。中井さんは「過去の大津波を私たちは忘れていた。震災を風化させず、語り継ぐことが大切」と話している。
    ◇
 アンケートは昨年8~10月、岩手、宮城、福島3県を対象に内閣府が実施。津波で浸水した地域に住んでいた人のうち約1万3646人に協力を求め、1万1400人が回答した。
 
 ここに添付した朝日新聞は昨日の記事ですが、津波に限らず災害に対する意識は同じことから、「過去の大津波を私たちは忘れていた。震災を風化させず、語り継ぐことが大切」との被災者の声を噛み締めたいものです。
 
                                  1月29日の一言

千葉では相棒も出会いの旅に

 右に添付した写真は、3日前(土曜日)の朝、アクアライン「海ほたる」から眺めた日の出の様子で、週末の千葉行きのスタートはイメージ通りの出だしとなりました。
 
イメージ 3 今回の千葉行きは、上高地で知りあった千葉県在住の2人が、偶然にも千葉県旭市と成田市において、昨年末から絵画展と写真展を開催されていたことから、私の家族4名と相棒も一緒に訪ねるという「変り者」しか考えないような強行軍でした。
 
津島市(25日夜11時出発)…飛島IC…伊勢湾岸自動車道…東名高速…(浜名湖SA・休憩)…東京湾アクアライン(海ほたる・仮眠)…館山自動車道…(市原SA・休憩)…千葉東金道路…横芝光IC…旭市(26日午前9時到着)
 
 愛知県から千葉県までは、東名高速道から東京都内を経由していくのが走行距離も料金も安く済みますが、家族サービスも考えてアクアラインの海ほたるで仮眠後に、早朝の「日の出」を迎えましたが、とにかく風が強くて立っているのがやっとのため車中からの鑑賞となりました。
 
イメージ 2 左に添付した写真は、成田市のエクセルホテル東急のロビーで開催されている写真展で、主催者の石原和子さんを囲んだ私の家族と、上高地のホームレス画伯こと旭市在住の渡辺さん(右端)です。
 
 石原さんは千葉県八街市在住で、リハビリを兼ねて3年前から長野県の山々をカメラに納め始めたとの話ですが、とても3年の経験とは思えぬ見事な作品が並び、高校時代から写真を趣味にしてきた私の存在感は皆無としか言いようがありません。
 
 私達の到着を待って作品を入れ替え、次のテーマで上高地の写真展は続けられますので、近くの人々には是非立ち寄っていただきたいと思います。
 
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 右に添付した写真は、昨日に銚子市にある地球の丸く見える丘展望館の駐車場で出会った千葉市の御夫婦の連れられた愛犬と、私の相棒リマ(2匹ともポメラニアン雄)のツーショットです。
 
 私の前を相棒にそっくりのポメちゃんを連れた左の御主人が歩いていかれたことから、相棒と散歩中の家内を探しに行くと、私たちの姿を見た奥さんが走りよってこられました。
 
 「一年前に亡くなった子(ポメちゃん)にそっくりだから…」と、歩いて行かれたご主人を携帯電話で呼び戻されての記念撮影ですが、相棒リマとそっくりの愛犬が死んだことから、9ヶ月前に似た犬を探して飼い出したのが左のポメちゃんとの話です。
 
 相棒にそっくりだったという亡き愛犬に似たポメラニアンを全国のペットショップから捜し求めて飼ったというだけあって、大きさも顔つきもそっくりで、ただそれだけの縁で私のように人と挨拶もしないような中年が何枚も記念撮影して語り合うのですから、ペットの存在は大きいものがあります。
 
 この愛犬は三重県生まれのようで、愛知県のペットショップで買ったとの話でしたが、帰宅後の写真を見れば見るほど、愛知県一宮市生まれの相棒と全く無縁とは思えない事から、私から一歩踏み込んで連絡先の交換くらいはしておけばよかったと反省する一日ともなりました。
 
 さて、土曜日から日曜日にかけて愛知県は大雪で大変だったようですが、私たちは風は強かったものの暖かい千葉県に滞在しており、帰宅した翌日になった本日は千葉県が大雪との報道があり、旭市や銚子でも10センチの積雪があったようです。
 
空の玄関、白銀に 首都圏、天候回復の見込み
 
 成田空港の積雪によって閉鎖された滑走路の映像や、道路に積もった積雪を見ると、一日違っていたら帰ってこれなかった事は確実で、日の出からスタートし、人との再会や新たな感動的な出会いなど、昨日の我々の帰宅まで天候に恵まれたことに感謝の一言です。
 
                                 1月28日の一言
 旭市(午後4時30分)…横芝光IC…千葉東金道路…京葉道路…高速小松川線など…東名高速…(海老名SA・休憩)…新東名高速…(駿河湾沼津SA・夕食)…東名高速…(上郷SA・休憩)…名古屋IC…午前1時30分に帰宅

千葉県銚子市の一日

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本日は旭市のホテルを出発し、飯岡刑部岬展望館から飯岡漁港、屏風ケ浦の岸壁を散策し、銚子の犬吠埼まで出向きました。

銚子の目的地は満願寺と坂東三十三観音霊場二十七番飯沼観音でした。

途中で立ち寄った地球の丸く見える丘で、飯沼観音門前の近くにある丼屋七兵衛を紹介され、ここで新鮮な魚料理の昼食にしました。

ここから成田市の成田山新勝寺を訪れる予定でしたが、渡辺画伯から連絡があり、再度会うこととなり、コ-ヒ-をご馳走になり、4月に上高地で再会する約束をして愛知県へ一目散で戻ります。

帰宅は深夜になります。
                                                        1月27日の一言
追伸
午前1時に無事愛知県に戻りました。

千葉県の上高地=絵画展と写真展へ

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本日は千葉県で開催されている上高地の絵画展と写真展を鑑賞するため、昨晩の深夜に愛知県を出発し、アクアラインの海ほたるで日の出を拝んでから千葉県に入りました。

サ-ビスエリアも南国のような気分となります。写真展は、上高地のホ-ムレス画伯こと渡辺さんの作品展で、旭市のヒューマンブラザ黄鶴で開催されており、本日は結婚式でも賑わっていました。

写真展は、成田市のエクセルホテルのロビーで、八街市の石原和子さんが主催されており、写真の見事さに驚かされました。

絵画展の渡辺さんと、私の家族まで一緒に、石原さんからホテルのランチをご馳走になり、千葉県の人は親切と紹介しますの冗談ではすみませんが、上高地で出会った石原さんと渡辺さんに感謝の一日となりました。

ただし、世の中はそんなに甘くなく、成田空港近くの交差点では車に追突される悪夢のような一日ともなりました。

家族も同乗者の渡辺画伯も、相棒リマも元気で、車も傷だけで愛知県まで帰れる事は幸いでした。

先進医療よりも足元の安全対策を

 京都大学では山中教授のノーベル賞受賞後に、再生医療の新しい発見や成果が続々と報告されており、20年前に私の父親が胃ガンから肝臓ガンへ転移しており、末期ガンを宣告され、「移植以外には可能性もありません」と言われた当時とは比べようのない進歩を実感させられます。
 
 自分の骨髄や細胞を培養して、骨や内臓を造る可能性が高まったことで、せめて10年ほどはガンにならず、医療レベルの進歩に期待したいところですが、現実には何事もない時に耳にした情報を記録して、万が一の際に即断して新しい治療を受診できる備えが重要です。
 
生存率向上 膵臓がんに「新薬」 県立静岡がんセンター
記事の続き…
 臨床試験は同センターを中心とする全国33医療機関で2007年4月から10年6月の間、385人に対して行われた。手術可能な膵臓がんに関し、日本では200以上の症例をもつ臨床試験はなく、その数の多さからも大きな意味があるという。
 山口総長は「静岡がんセンターのこの10年で、最も注目される他施設共同臨床試験のデータといえる。手術可能な膵臓がんへの新たな武器が手に入ったことになる」と評価している。
 
 本日の朝日新聞には、静岡のがんセンターで膵臓ガンの生存率が大幅に向上する新薬が開発され、従来の抗がん剤よりも副作用も少ないとの報に、10年刻みで進歩するガンの医療レベルの恩恵を請けたいと思います。
 
 現実には、開業医で重篤な病気を疑われ、自宅と近い二次医療機関を紹介され、検査後にそのまま入院し、手術を受けたものの改善しないケースも多く、転院もできない症状になってから相談されるケースも多く、セカンドオピニオンどころか、高度医療に対応する損害保険の特約を掛けてあっても利用もできない人が存在します。
 
 こんなことを記している私自身も、注射が嫌いで、医者嫌いの看板を背負っているような性格のため、自身のかかりつけ医しか行きませんが、重病になっても行き先がないと困る事から、ガン検診や人間ドックなどは高度な医療機関やがんセンターで受診したいものです。
 
 さて、数日前に亡くなられた町内のご老人は、自宅の風呂で入浴中に溺死したとの話で、子息や孫と同居する家族構成でも、ちょっとした隙に事故は起こり、僅かな時間のずれで命を落す危険が存在します。
 
 我家では、昨晩にストーブに乗せてあった鍋がひっくり返り、何事もなかったから良かったものの、相棒が家内の足元にまとわりついていた事から、相棒が原因のように糾弾され、相棒を心配する私と大声のやりとりを聞いた相棒は自らゲージに入っておとなしくしていました。
 
 家族が一番安心できる居場所は、前記した風呂やストーブなど、危険と隣り合わせとなっており、風呂の水を入れに行く母親が滑って転んだり、ストーブのヤカンでヤケドする可能性もありますから、高度医療の心配よりも、今一度家庭内の安全確保と確認も重要と思う一日となりました。
 
                                     1月25日の一言

上高地が千葉県と愛知県の距離を縮めて

 昨晩遅れて訪れた通夜会場で、棺の上に四国別格二十霊場の納経帳が置かれており、故人の奥様に尋ねると、奥様が2年ほど前に四国八十八ケ所と一緒に頂いてきた朱印帳で、すでに八十八ケ所の朱印帳は納棺してあり、この朱印帳も入れるとの話に、私の「納め札」も一緒に入れていただくように差し出しました。
 
 故人はかつて三菱重工業に勤務されており、私の家内が結婚するまで勤めていた職場の直接の上司にあたることから、仕事で参列できない家内に「絶対に送ってよ」と念を押された本日の参列でもありましたが、同じ町内の団地に住んでみえたものの、参列者の顔を見ると「浦島太郎」状態で、議員として地域を廻ってない反省と同時に、参列者の顔が老化して変わっている現実を実感させられました。退職されて10年から15年の経過は、人相や姿を一変させている現実にびっくりです。
 
一本松の絵「ありがとう」 千葉の銭湯に、岩手から手紙
記事の続き…
 「…震災を忘れず、被災地を励ますシンボルに」と女湯の背景画を一本松に変えた。年末、写真に撮って陸前高田市へ贈ったところ市長からはがきが届いた。
 《本当にありがとうございます。我々が一番恐れている事が、まさに世の中から忘れさられる事。課題は山積しておりますが、しっかり前を向いて頑張ります》
 写真は市役所に飾られているという。長沼さんは「市長さんからの言葉に感激した。千葉からもできる限り応援したい」と話している。(高木和男)
 
 さて本日は、週末に家族4人で訪れる予定にしている千葉県旭市に住む「ホームレス画泊」こと、上高地の河童橋近くで油絵を描き続ける渡辺氏より連絡があり、何時に到着してどんな予定をたてているのか問い合わせでしたが、土曜日の午前10時に画伯が主催している絵画展会場に到着する約束としました。
 
 土曜日は旭市の上高地絵画展を訪れ、画伯の案内で成田市で開催されている上高地の写真展を一緒に鑑賞したのちに、九十九里浜のホテルに宿泊予定としていますが、同行する相棒リマが存在する事から、私だけは相棒と車中泊になります。
 
 上高地で出会った画伯の主催する千葉県の絵画展に訪れる人は全国各地に点在し、私より遠い岡山県の人もあるようですから、人と人とのつながりが、それぞれの出身地をつないでいく広がりに感動させられますが、東日本大震災の悲惨な体験も、被災地と全国をつないでおり、本日の朝日新聞は岩手県陸前高田市と千葉市の銭湯が一枚の絵画を通じた交流を報じていました。
 
 最近の私には、上高地や高山市周辺や、四国遍路で出会った人々との交流が増えており、学生時代から好きだった京都も含めると、旅先での出会いが携帯電話やネットによってより身近な存在となり、私の交流範囲を広めている現実と、清々しい心の交流になっていることを実感する一日ともなりました。
 
                                     1月24日の一言
追伸
土曜日の朝はアクアラインの「海ほたる」で洋上の日の出を見て、夕方は九十九里浜の夕陽を眺め、日曜日の朝は犬吠崎の朝日を拝み、屏風ケ浦や灯台を鑑賞した後、「海ほたる」の夕陽を見てから、愛知県に戻りたいと考えています。

安いガソリンスタンドを見つけて

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 アベノミクス効果で円安が続いていますが、この円安は我々の生活にも直結しているのを実感するのが、ガソリンの値段が値上がりを続けていることで、本当に円安の影響かどうかは定かではなく、業者の談合疑惑のようにも感じますが、我家の隣近所のスタンドも本日は152円(レギュラー)の看板がついていました。
 
 私の住む津島市には出光の看板で全国展開している宇佐美鉱油店の本社があり、仕事上は出光カードを使ってきましたが、近所のスタンドはモービルのため、カードはモービルとゼネラル、エッソが利用でき、本日ボランティアで出動した愛西市のエッソのスタンド(セルフ)に144円の看板を見かけたためセルフは使いたくないものの入れてみました。
 
 現実には、144円ではなく、147円の看板があり、私はセルフの店ではカードが無くても給油できる発信機がキーについており、このスタンドでは1円の割引きで146円となり、近所のスタンドの会員価格より3円の節約となり、100円程度の節約となりましたが、添付した領収書には1ヵ月以内にこのスタンドを訪れると更に3円の値引きとなるチケットが添付されており、このチケットがあれば143円になったことになります。
 
 カード社会となり、現金を必要としていない事から無関心になりがちですが、改めて現代社会ではこういった細かい所まで注意していないと損をする例として添付しました。
 
 もっとも、セルフの格安スタンドばかり利用する家内は、ブレーキランプの球切れや、エンジンから出る異常な音を見過ごしたことから、大掛かりの修理をしたことがあり、セルフだけでなく多少の修理が可能なスタンドを利用する事も重要です。
 
 さて、本日のボランティアは福祉有償運送の会員さんではなく、私のタクシーが利用できれば利用したいと言う人で、料金については安ければ有り難いという程度の利用者ですが、最近は通院する機会も増えており、私一人では限界となりつつあります。
 
 しかし、バス停より自宅が遠く、バスや電車が利用できず、経済的にタクシーも利用できない人は多く、買い物や病院への通院を考えると、有償とは言えボランティアだけで対応できる問題ではなく、行政も我が身になった対策を考えないと利用者は無尽蔵に増加していきます。
 
                                  1月23日の一言

埼玉県で年金のため、教員が1月で駆け込み退職へ

 国は今年1月から国家公務員の退職金を3段階で削減し、最終的に約15%引き下げることに合わせて、津島市も市役所職員の退職金を今年1月より減額する条例案を、昨年12月議会に追加提案し可決しました。
 
 その減額は、それまでの支給額「100分の104」を、今年1月より「100分の98」まで減額し、今年10月より「100分の92」、来年7月以降は「100分の87」まで減額する内容で、私は議案説明のあった時に、職員の駆け込み退職の可能性について質問したところ、昨年12月までに駆け込み退職しても1月以降の月給が入らないことから考えられないとの答弁がありました。
 
 本日の朝日新聞には、「埼玉県内の公立校の教諭ら100人以上が、3月末の定年を待たずに1月末で退職することがわかった」と報道されており、埼玉県が条例改正して2月から段階的な減額を決めたため、100人以上の教員が駆け込み退職し、この中には高校の教頭や学年主任だけでなく、担任を受け持つ教員も含まれており、かつては教師と呼ばれた教員の倫理観や職業観を疑う事件でもあります。
 
退職金少しでも多く… 教諭の駆け込み退職続々 埼玉
記事の続き…
 さいたま市教委によると、1月末での退職希望者は小学校8人、中学校11人の計19人。うち学級担任は3人(小学校2人、中学校1人)で、中学校の副担任は10人、小学校の専門教科は6人いた。年度末に退職する小中学校の教諭は103人で、前倒しした教諭は約18%。理由はすべて「一身上の都合」だが、過去に1月末に退職する教諭はほとんどおらず、退職金減額前の駆け込みの可能性が高い。市教委は「少しはいると思ったが、まさかこんなに多いとは」と驚く一方、「児童生徒を最後まで見届けて欲しかったが、退職金は今後の暮らしに欠かせないし。教育と生活をてんびんにかけられて混乱しているようだ」と困り顔だ。
 早期退職する教諭がいる学校では、今月中に保護者に対して状況を説明し、副担任を担任にしたり、臨時教員を集めて欠員を補充したりして対応する。
 こうした駆け込み退職は埼玉県職員でも希望者がおり、今年度の定年退職者の約17%にあたるという。
 減額の適用が3月からというある政令指定市の教育委員会は「2月末の退職希望を校長に相談した教諭がいる」と警戒する。
 公務員制度改革に詳しい新藤宗幸・千葉大名誉教授(行政学)は「国に準じるとはいえ、減額改正を急ぐ必要はなく、児童や生徒に迷惑がかからないようにするべきだった。早期退職は個人の自由だが、児童生徒が理由を知ったら先生に対する信用を失うだろう」と話す。
 
 津島市議会でも、「何故に慌てて追加議案として減額する必要があるのか」との質疑もありましたが、財政改革の早期実現だけでなく、議決を1ヵ月遅らせることが新聞報道されたような駆け込みを生む可能性が出ていた事から、教員の不徳だけでなく埼玉県の提案した2月からの減額にも原因がありそうです。
 
 数年前にも議員年金の廃止や減額により、任期満了を待たずに駆け込み辞任する議員が続出したことがあり、新聞紙面で名指しされた報道もありましたが、今回の教員の駆け込み退職は担当する生徒の指導を放棄する事から、駆け込みを許さない提案が重要だったと思われます。
 
 戦後の公務員の語り草として、警察官が法律に反するヤミ米を手に入れず、家族が飢え死にしたような話が残っていますが、義務教育で教室の生徒を指導する担任を放棄して退職するような倫理観に欠けた教員は、担任から見捨てられた子供の教育に悪影響を及ぼす行為であり、許してはならない行為でもあります。
 
 同じような事例が全国から伝わる可能性もありますが、公務員としての自覚や教師としてあるべき心構えが希薄であり、公益よりも自己利益を優先した行為は、真面目な教員や公務員だけでなく、社会全体に与える悪影響を残す事件です。
 
                                   1月22日の一言

交通死亡事故ワースト1位は、愛知、香川、島根も…

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 年末に家族が松竹梅を買うという話に、「もったいないから」とホームセンターの屋外に格安に置かれた松と竹を買い、梅は我家の庭にある枝を切って、本当に適当な鉢植えを作ったところ笑われましたが、珈琲代より格安の松竹梅です。
 
 「どうして、カップから出して植えなかったの」と、家内に評判の悪い松竹梅ですが、私の目的は松竹梅ではなく、2年前に失敗した松に挑戦するためで、そろそろ鉢から出して松として植え替えることを考えています。
 
 2年前と記した松の一言は、実際には6年前の話となり、思い起こすと5月に採ってきた幼木は、その夏に枯らしてしまい、翌年に長野県から採ってきたカラマツやイチイの木は、翌年に葉を出しませんでした。
 
 私の悪い実例として、気にいって買ってきた木々で未だに残っているものは、総て鉢から庭に植え替えた物ばかりで、事務所の周りはジャングルにしていますから、この松については「生き物」として、相棒のように大切にしたいと考えております。
 
松を記した07年の一言 http://blogs.yahoo.co.jp/s281218/20390174.html  
カラマツを記した08年ま一言 http://blogs.yahoo.co.jp/s281218/29892950.html
 
 さて、四国遍路の話題を探してアサヒコムを探していたら、香川県の交通事故が2年連続で全国最悪との記事があり、交通死亡事故については、不本意な話ですが、愛知県が連続してワーストワンを続けていることから、思いもしなかった記事を読み直す事になりました。
 
香川県、12年の交通事故死81人 2年連続で全国最悪
 
 読み終えたついでに交通事故の記事を検索すると、島根県もワーストワンとなっており、香川県は人口に占める交通死亡事故数が全国1位を続けており、島根県については全国の死亡事故数が減少する中で、圧倒的な増加となっている事から、私の住む愛知県だけでなく全国で真剣な議論と対策が必要になっている現実を実感させられました。 
 
交通事故死の増加率、全国最悪の県…特徴は 
 
 島根県については、夜間の高齢歩行者の道路横断中の死亡事故が多いのが特徴と言い、香川県についても犠牲者の過半数を超えるのが高齢者という事から、愛知県だけでなく全国的な問題として、高齢者の自転車や歩行者を被害者にしない対策は急務です。これは、高齢者だけの問題ではなく、ホームセンターに千円を下回る格安の蛍光ジャンパーが販売されていることから、我々も夕方や夜間は発光する衣類を着用したり、安全グッズを入手して高齢者に多い黒い衣類を一掃したいものです。
 
 一方で、香川県では飲酒運転による犠牲者が前年の3倍となっており、飲酒運転や危険な運転に対する罰則を強化し、被害者は更なる厳罰を求めている現状の中で、当り前のように繰り返される飲酒運転には、事故を起さなくとも容赦なく免許証を剥奪する厳しさが必要と思います。
 
                                   1月21日の一言

歩き遍路友の会総会が開催され

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夕暮れの春日井グリーンパレス玄関 
 
 本日は歩き遍路友の会(東海)の総会が、春日井市のグリーンパレス春日井で開催され、参加者数は減ったものの、東京や奈良からの参加もあり、会員の遍路体験談を聞きながら、車とは違う参考になる例を多く耳にしました。
 
 四国八十八ヶ所ヘンロ小屋プロジェクトを支援する会の事務局長を務めるMさんは、はるばる奈良県からの参加ですが、持参された自身の資料の中に、「遍路日数と体重変化」について添付されており、過去3回分の遍路がグラフにまとめられ、歩きだしてから結願するまでの体重が記録されていました。
 
 健康のために遍路に出られた先輩の資料もありましたが、歩くことによって中高年に多い慢性疾患を改善することを、統一した数値で記録することで、参拝と納経帳への朱印とは違う新たな目標ができそうです。
 
四国八十八ヶ所ヘンロ小屋プロジェクトを支援する会
                     http://www.geocities.jp/henrogoya/
 
 さて、昨年は春に家内と相棒リマと一緒に四国を訪れましたが、秋には四国霊場会と別格霊場会の先達研修会へ参加した際に、奥の院や弘法大師が修行された霊跡で真言を唱え続けましたが、人が入らないことから雑木が茂って車では行けない場所もあり、同じ体験をした者同士が語らう場所は貴重です。
 
 本日も19番立江寺の奥の院「星の岩屋」を目指したものの、場所が判らず断念したとの体験談を耳にしましたが、私も入り口が判らず何度も行き来し、最後は地元のミカン農家の軽トラックに先導してもらいました。帰り道は来た道が狭く大変だったことから、戻らず進んだ事から余計に大変危険な思い(下に添付)をしました。八十八ヶ所から外れた奥の院や、修業の場は案内板もなく、歩き遍路には大変です。
 
空海の修行した史跡に立ち 11月3日
 
 歩き遍路友の会も一時は会員が70名を超えていたそうですが、会員数が減少を続けており、メンバーも高齢化しているため、本日も役員交代や厳しい会計状況が報告されました。若い学生や、外国人の遍路も目立ち、お遍路の数が増加しているだけに、今一度周りの遍路仲間を誘って盛り返したいものです。
 
 本日の一言については、最近ビールのテレビコマーシャルで放映されている、サラリーマンの寺島さんが「プロレスラー長州力に挑戦したい」という夢を実現するために、後楽園ホールを使って進められた映像を載せたいと考えていました。
 
 実現不可能と思われるような夢も、現代社会では実現できる可能性が高いことから、何事も諦めないことが重要として、最近の一言に自殺や心中の話題を続けた反省として、添付して暗い気分を一新したいと考えています。
 
長州力コマーシャル 
 
のどごし 夢のドリーム1 メイキングムービー  http://www.youtube.com/watch?v=b5OgkwspcPA
 
のどごし 夢のドリーム1 プロレス篇  http://www.youtube.com/watch?v=tdfQTjPTieE
 
 先の予定と余裕で記されたスケジュールが、現実のものとなり、来週は千葉県を訪れ、再来週は四国へ出向く予定が現実となってきます。ちょっと頑張りたいと考えています。
                                   1月20日の一言 

畑でミカンをもぎ取ってきました

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 本日は我家の畑に2つだけ実っていたミカンを収穫しましたが、2年前に植えた初生りのため「どうせ美味しくない」と言っていたわりには、「美味い」の一言しか見当たらない美味で、来年からの実りが楽しみです。
 
 15日に東京都町田市で起こった、祖父が9才の孫を絞め殺して心中を図った事件の原因と、殺害した状況についてが新聞に記されてきました。
 
最期に叫んだ「おじいちゃん」 東京・町田の女児殺害
記事の続き…
 どんど焼きに行った次の日の朝、7時のニュースが始まったころ、孫の眠る2階寝室へ行った。仰向けの顔に布団をかぶせ、馬乗りになって布団の上から首を絞めた。
 「だれ?」。目を覚ました孫はそう言って足をばたつかせ、「かみさまっ」と叫んだ。
 「後ですぐに行くからな」。念じながら絞め続けた。孫はもがき、手をほどこうとした。「おじいちゃん」。いつも一緒に眠る自分を呼んで助けを求めたが、それを最後に動かなくなった――。
 嘉行容疑者は風呂場で手首を切ったが死にきれず、帰宅した次男(35)の通報で駆けつけた警察官の前で首をつろうとしたが、殺人容疑で逮捕された。
 青森で生まれ、20年ほど前に離婚した後、中学生だった次男とともに関東に出てきた。
 次男を一人で育てつつ、パン工場などで働いた。次男が結婚し、優花さんが生まれた9年前、後に事件現場となる町田市の一軒家に引っ越してきた。
 次男夫婦、3人の孫との6人暮らし。目立って「おじいちゃん子」だったのが優花さんだ。
 近くに住む主婦(71)は「放課後の学童保育のお迎えの時間、優花ちゃんは『おじいちゃんが来た』と駆け寄っていた。手をつなぎ、いつもにこにこしていた」。通っていた小学校の校長も「元気で成績がよく、宿題もきちんとしてくる。安定した家庭ととらえていた」と話す。
 しかし、嘉行容疑者の心の中は違ったようだ。
 昨年12月に次男夫婦は離婚。次男、優花さんとの3人暮らしになった。営んでいた印刷業は採算が取れなくなり同じころやめた。年金保険料の納付期間を満たしていなかったため年金も受給できない。
 車のローンに月十数万円の家賃、生活費……。「次男の勤めの収入だけでは足りず、貯金も底をついた。もう生きていけない。そう思ったが、かわいい優花をひとりぼっちにできない。だから連れて行こうとした」。無理心中を図った動機についての供述だ。
 「どこか吹っ切れたような表情に見えた。ただ、自分が死にきれなかったことについては後悔していた」。逮捕後の様子について、捜査関係者は言う。
 どんど焼きのときには心中を決意していた。嘉行容疑者はそうも供述している。
 そのどんど焼きの広場で優花さんは、嘉行容疑者のそばを離れなかった。棒に刺した団子を火であぶり、うれしそうにほおばる姿を近くの住民は覚えている。
 
 「生活が苦しく、孫の首を絞めて殺した」と、逮捕直後に供述しているが、66才になる祖父の人生は暗く、20年前に離婚して中学生の次男を連れて関東へ出てきたが、結婚した次男夫婦と3人の孫の幸せな家庭が、次男が一ヶ月前に離婚したことで振り出しに戻ってしまった。
 
 20年前と違うのは、自分の力では何ともできない年齢になっており、年金も受給できない環境と、車のローンや家賃から、次男の収入では生活ができないと、孫とともに無理心中を図ったようだ。
 
 新聞報道では詳細が判らないものの、20年前に離婚した妻と長男も苦しい生活を送っていると思われ、次男と離婚した妻も2人の子供を抱えていることから、離婚が苦しい家庭を生んでいるという現実です。
 
 一方で、何ともならない家庭を救うために生活保護法があり、最悪の事態を回避すべき制度が機能していない現実と、死のうとした祖父に相談する意思があったかどうかも気になるところである。
 
 私より少し年長にはなるが、老後は年金しか頼るものがなく、子供が失敗しても救ってやれない環境は身につつまされるものがあり、同様の事件が再発しないように真剣な検証が必要に思うと同時に、連日記してきた人の命について、自殺や殺人が繰り返されぬ社会を構築していきたいものです。
 
                                      1月19日の一言

本日も自殺は最低の一言で締めます

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 市内の広報板を見ると、「開扉祭」のポスターが貼られていました。津島神社で3月12日(旧暦2月21日)に行われる行事で、「春を招く炎の祭典」のキャッチフレーズが添付され、今年はボランティアも募集しているようです。
 
昨年の開扉祭を取り上げたブログ…新・鉄火お嬢が行く
 
 開扉祭は地元では「おみと祭り」と呼ばれ、観光客にはあまり知られてはおりませんが、添付したブログ内の写真を見ると、京都で行われる「鞍馬の火祭り」と遜色ないようにも思えるものの、完全なる地域エゴでしかなく、規模も小さく神社内の神事ゆえに比べるものでもありませんが…
 
 さて、昨日の一言に、私の中学時代から高校生活を実例として記しましたが、個人的な性格や精神力の違いもあるから、私の例とは比較できるものではないと口頭で伝えられた人がありました。
 
 確かにその通りですが、私が中学校の生活で受けた精神的なダメージは強く、今回の大阪で自殺した生徒や、愛知県刈谷市で自殺した高校生よりも、自らの意思で陥った不良生活でしたが、退学を希望される厳しい環境下にあり、完治しづらい右足大腿部の骨髄炎は、中学3年生から高校4年目まで3回の手術を受け、一年生を3年間も続ける体験をしており、私にしたら安易に自殺した生徒の受けたダメージは死ぬに値しないとしか思えません。
 
 過ぎた事は簡単に思えますが、中学の朝礼は身長の低い順に前から並んでいましたが、担任に嫌われていた私は、私より頭半分身長の低い同級生の前の先頭に立たされ、同級生から「学級委員かと思った」とからかわれたこともあり、不良生活は自業自得としても、私は同級生の金品まで盗むと思われた屈辱には耐えられず、親にも言えませんでした。
 
 高校に入って2年目の一学期最初の試験は、自分の犯した事とは言え、無期家庭謹慎中で全科目0点となり、病気の再発で入院した期末試験も全教科0点となり、学校へ呼ばれた母親が、「こんな成績では高校生活は続けられない」と言われてきた病室で、「一度も試験を受けていないのに…、…お前はどんなに嫌われているんだ」と、オール1の通知表を出して泣いていました。
 
 こんな私を「一からやり直すように」拾ってくれた恩師の存在で始まった3年目の1年生も、病気の再発で入院となり、自ら退学を覚悟しましたが、「最後まで諦めるな」との恩師の一言で、医師に「急いで手術して欲しい」と頼み込んで、数日しか余裕のない出席日数で進級できました。
 
 私の患っていた骨髄炎については、ケガで細菌が入ったと思われるものの、骨の腐る病気として当時は10年経過しても完治しない人が存在し、発症すると長期入院に陥り、落第や休学なら幸いで、病気のために学校を退学した事例も多く、不良生活と闘病生活の相反する環境と、完治しない病気の再発を考えると、暖かい春から夏が来ると眠れぬ日々が続きました。
 
 落第と簡単に記していますが、不良が病気で同情されるのは耐え難く、年下の生徒と一緒に生活することも大変で、良くも悪しくも学校で注目され、最後こそ恩師や学校長にも信頼される卒業生となりましたが、歯車が狂っておれば中卒となっていただけでなく、母親は「間違いなくヤクザになっていた」と言い切ります。
 
 私は何とか大学まで行き、起業して一度も就職することもなく、現在は議員を続けられていますが、私の周りには学校を退学した不良仲間や、病魔に倒れて若くして命を散らした知人も多く、人生山あり谷ありと言いますが、山や谷を越える事のできる人は幸せです。昨日に続いて回顧録となりましたが、厳しいようですが、原因が何であれ「自殺した人間は最低」の一言で、本日の一言も締めくくりたいと思います。
 
                                   1月18日の一言

中学時代のズル休みを回顧して

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 今年に入って、もう半月が経過してしまいましたが、運動不足で身体にキレがないことから、久しぶりとなるウォーキングのため自宅を出ました。私が住んでいる場所は、名古屋市と津島市を結ぶ県道沿いにあるため、沿道には飲食店やお店が建ち並んでおりますが、5分も歩くと添付したような田園風景が拡がっています。
 
 私の中学生時代には、田んぼには冬でも稲ワラが積んであり、川の両岸には葦が茂っており、教師不信から学校嫌いになっていた私は、ワラの中でラジオを聴いたり、川に隠れ家を造ってズル休みを続け、持参した弁当を食べてから、夕方に帰宅していた頃がありました。
 
 教師の体罰で自殺した生徒に同情的な報道が多いものの、教師より体格の良い中学生や高校生までが体罰やイジメを理由に自殺する事には、私は可哀想とは思うもの、自業自得としか思えず、良いこととは思いませんが、死んでしまった子供の心中も悟れず、死んでから学校や行政に訴えている保護者にも同情はしたくありません。
 死ぬくらいなら、本当に自由にやりたい事をやれば済むことで、学校が嫌なら不登校で一度も登校しない生徒も野放しになっている現状から、家出して好きな場所を放浪するのも方法で、自分の命を自分で絶つ自殺は最低の行為として、恥とする認識を持った報道をしないと、負の連鎖を生んでいきます。
 
 私は中学一年生になったばかりの頃に、私が不良行為を行ったのが原因ですが、仲間の名前を言わなかったことから、午前中から下校時間まで宿直室に閉じ込められ、夜に呼ばれた父親の前で、「何で名前が言えないのか」とか、「名前を言うと仕返しが怖いのか」などと、教師2人がかりの厳しい尋問が続きました。
 
 この担任が、2年生も担任となったことから、私の中学生活は最悪で、クラブ活動には参加せず帰宅することから、学校の教室で金品が無くなった時には必ず疑われ、他のクラスに呼ばれて、全生徒の座る前で質問を受け、疑いが晴れたときに、「やっていないなら、何故来たんだ」と言われ、「○○が行って来いと言ったから」と担任の名前を挙げましたが、謝罪すらありませんでした。
 
 こんな生活をしていると、学校の楽しみは、クラブ活動を引退して行いが良くない先輩を頼って遊ぶ事で、そのためにその後も注意を受ける問題のある生徒になり、一泊で行われた林間学校も「金が無いから」と欠席を希望した事から、家族を巻き込んで大問題となりました。
 
 3年生になって担任は代わったものの、学校嫌いはかわらずズル休みを続け、右足の骨髄炎で入院するなど、進学を控えて大変な事態となっていきましたが、新しく赴任されてきた教頭先生が声をかけてくれるようになり、無償で家庭教師をしてくれた恩人の存在もあって、何とか高校に進学しました。
 ただし、進学直後に右足の骨髄炎で長期入院し、落第を経験したことから、学校に行かずに遊んでいた不良仲間と遊び、暴力団に入る事が誇りのように思う生活をしていた時期もありました。
 
 毎年再発する骨髄炎で入院し、高校は落第を続け、不良行為もあったことから、退学しか方法が無くなったときに、「僕のクラスで一からやり直してみないか」と救ってくれる恩師が現れ、18才から高校一年生となり、「早く社会に出たい」と思っていた卒業間際に、「大学に行った方が良い」と言ってくれた恩師のおかげで人生が変わりました。
 
 今にして思えば、悪いことをやっていても、正々堂々と行動しておれば、必ず道は開け、声をかけてくれる恩人が現れるもので、中学校で2年間担任となり、大嫌いだった教師に、「いつも大鹿の活躍を楽しみにしている」と、地元テレビ局の議会中継を見て応援されていると聞くとびっくりの結末となっています。
 
 学校に行ったふりをして、ズル休みができた自然環境が当時の救いであり、最近は学校をサボって遊んでおれる場所がない事から、自宅を出ないまま不登校になっている生徒が増えているとも考えられます。
 生徒に迷惑をかける立場にあった私ですが、現実には指導される教師からイジメられており、イジメを全く無くすことはできない現実から、いかに乗り越えていくかを発信していきたいものです。
 
                                   1月17日の一言

母校に立ち寄り、教育を考える一日に…

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 本日は相棒リマと野点を楽しむため自宅を出たものの、今年度の同窓会報の発行について打ち合わせるため、母校の神守中学校に立ち寄り、教頭先生だけでなく校長先生(母校の同級生)と地域の話と昔話にも花を咲かせてしまいました。
 
 私の同級生にも多くの教職員があるものの、校長先生までなったのは彼一人で、定年を一年後に控えていることから、歴史に残る業績を残して欲しいとの思いから、原稿を依頼するだけでなく、取材先に直接訪れる約束までした事から、3月1日の発行まで忙しい日々が続きそうです。
 
 さて、午後の主目的だった相棒リマとの野点でしたが、助手席で待たせたことからストレスを溜め込んでいたらしく、市内の地域文化広場に到着したところ、一目散に走り出し、広々としたグランドを点になるまで走っていきました。
 
 政治の第三極として注目されてきた維新の橋下大阪市長が、教師の体罰によって生徒が自殺した大阪市立桜宮高校の、今春の体育科とスポーツ健康科学科の入試を止めるべきだと市教委に伝えたことが会見から明らかになりました。
 
 同席した教育委員長は、「今すぐには受け入れがたい」と語っているものの、いくら大阪市立の高校とは言え、市長独断の独善的発言としか思えず、体育科を志望している中学生や、高校に在学中の生徒へ自分の考えを押し付ける発言に、政治と教育との一線を画すことの重要性を実感させられました。
 
 在校生や入学を希望する生徒に配慮したのか、体育科ではなく普通科で入学すれば良いと発言が変わったものの、志望する受験生にとっては一生の進路を左右するだけでなく、体育科と普通科の授業内容の違いから、教師の配置もままならぬことまで配慮できない軽率な発言に、メッキがはがれてきたように感じます。
 
橋下市長、体育科入試の中止求める 体罰問題の高校
記事の続き…
 その中で市長は、桜宮高の体育科は「指導において体罰が黙認され、歯止めがかけられない状態」と指摘。「いったん入試は止めてもらって、実態解明をする。体育科のあり方を冷静に検討する必要がある」「そのまま入試をすれば大阪の恥」として、スポーツの実技教育を行い、原則全員が運動部に所属する体育科とスポーツ健康科学科の体育系2学科の入試中止を強く市教委に求めた。
 ただし「入試が迫っているので混乱を最小限にとどめる」ため、体育科(定員80人)とスポーツ健康科学科(同40人)の計120人を普通科の定員へ振り替えることを提案したという。
 桜宮高の体育科とスポーツ健康科学科の入試は、2月13、14日に願書の受け付けがあり、同20日に学力検査と運動能力検査、21日に運動技能検査が予定されている。合格発表は26日。
 
 弁護士という職業にあったことと、既成政党に対する反発から、第三極として無党派層にも注目を浴びているものの、自身の出生に対する週間朝日の中傷記事で朝日新聞社に謝罪させたことで、何でもまかり通ると勘違いしているフシがあり、今回の教師による体罰についても、全教員が体罰を行っているわけではない事から、二度と同じ過ちを犯さない対策を講じるべきで、体罰による生徒の自殺があっても、なおかつ受験したい生徒の進路を妨げるべきではありません。
 
 「体育科が普通科になっても我慢できないようでは、社会に出ても通用しない」との発言は、子供の頃から少年野球を続けてきた生徒に、卓球をやらせても一緒と思わせるような発言と思われ、戦前の強制的な軍国教育のような香りがするとともに、思想的には無党派や市民派とは違う体質を実感させられました。過去の卒業式の日の丸掲揚や、君が代を歌わない、起立しない教師は排除する方針から、「学校(自分)の方針に従わない生徒は学校に来なくても良い」との発言につながるような前時代的な香りがします。
 
 私も一地方議員と言えども、学校からはみ出して高校生活を5年も体験する不良経歴を持ちながら、PTA役員の活動に関わり、母校の同窓会会長として教育と関わってきた足元から、生徒に理想と思われる教育環境や、学校に行けない生徒の存在も見捨てない教育実現に対して、独善的な発言には厳しい視線を向けたいと思う一日となれました。
 
                                   1月16日の一言

議員の限界も実感しつつ

 「あの件はどうなったのでしょうか?」
 「あの件とは?」
 「あなたは議員として議会へ提案しましたか?」
 「できる事と、やれない事があるので…」
 
 市民の方からの電話でしたが、一年前に地域の方から、「解体業者が夜間に搬入する建設廃材の搬入で、振動と音が迷惑だ」との連絡をいただいていた件について、私の対応が不足しているとの指摘がありました。
 
 一年前の記憶をよみがえらすと、市役所の担当窓口に連絡し、状況を確認した後に、「夜間の実態も調べて県に連絡し対処する」との市役所の対応に委ねましたが、産廃業者は県の業務と思っていた市役所と、認可もしてもいない愛知県は他人事と思っており、行政任せとした私自身の無責任は問われても仕方ないものの、通報された警察ですら何も対処できない法律の枠内の行為には一体どんな方法があるのでしょうか。
 
 問題となっている業者は、解散した企業の土地を入手し、多数の業者が持ち込む建物などを解体した廃棄物を受け入れ、再処理する業務を行っており、地域住民にとっては振動や騒音を出す迷惑企業でしかありませんが、認可を必要とする業務ではなく、自分の土地に一時的に廃材を持ち込む行為を取り締まることもできず、地域住民は苦情を共有するだけで、何ら解決する方法も見当たりません。
 
 行政が規制したり、改善命令を出せないとなると、議員の立場であっても何も改善できる方策は見当たらず、住民と一緒に直接業者と話し合うとか、話し合いの効果がなければ司法に訴えるなど考えられることは当り前のことばかりです。
 
 現実には、私が少年時代に耳にした、毛織物工場主と近所の人々が、機織り機の音や振動を巡って当事者間で騒動となっていた延長で、法律で裁くことができず、生活する上で迷惑とは判っていても、強制的に止めさせる事ができず、当事者間で話し合って解決するより方法がありません。
 
 一年前に自分なりに現地を調べ、行政に善処を要望し、要望された市民へは行政が連絡をとっていることから、自分の役目は終わったと思っていたものの、何ら改善もされないままに時間が経過しているため、何もしなかったのと同じと言われればそのとおりで、議員として結果を出せと言われると、無責任かもしれませんが、当事者が前面にたってもらわないとたまりません。
 
 とりあえず、一年前に連絡をいただいた方と、今回電話を頂いた人に再度話を聞き、廃材を搬入している業者に直接訴えたいと考えていますが、法律と条例の網をくぐって起こっている同種の問題は多義に渡り、地域で生活するなかでは避けてとおれない問題でもあるので、行政頼みは反省し、我が身と思って対処する責任を実感する一日ともなりました。
 
                                    1月15日の一言

出歩かなければ良かった一日に

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 年末に送っていただいた「にごり酒」(写真一番左)を開けたところ、舌の先にピリリとくる久しぶりに生きた日本酒を飲んだ感触がよみがえってきました。
 これ以上書き込むと、業者から何かもらっていると思われると困りますから…
 
 実は、もらってしまっていたのでした。議員が金品を贈ることは厳しく禁止されており、贈るだけでなく受け取る事も公職禁止法によって厳しく禁止されています。
 
 こんなことを書くと、自分の法律違反を堂々と自己申告していると勘違いされそうですが、公職選挙法で禁止しているのは、議員や立候補を予定している人が、投票対象となる選挙区の有権者と金品の授受を行なう事で、私のもらった「雪紫」は愛知県から遠く離れた京都の大徳寺の門前にある細見酒店からでした。
 
 西国巡礼で京都を訪れた時に立ち寄り、私の希望する「にごり酒」が売り切れていたことから、数日後に宅配便で送られてきましたが、年末の大晦日に訪れた際に料金を支払おうとしましたが、受け取っていただけなかったのでせめてここで宣伝に協力して、一人でも多くの人々に「雪紫」を購入していただけたら幸いに思います。
 
 
 私が細見酒店に初めて訪れたのは、議員になるずっと以前にさかのぼり、平成5年から大文字送り火の夕食会場を大徳寺の中にある泉仙大慈院店を利用していた事から、観光バスを駐車している門前にある細見酒店へ自然と足が向いていました。
 
 平成11年に議員になってからは、大晦日は京都行きを続けており、8月の送り火にも立ち寄り、2年前には3階の屋上から送り火を食事付きで鑑賞させてもらうなど、お客というよりも訪れるとお店に損をさせる訪問者と化しています。
 
 さて、こんな前提で聞いていただければ結構ですが、「にごり酒」だけは毎年微妙に味が変わりますから、その年の気温や環境の違いが味を変化させ、甘い時もあれば、酸っぱい時もあり、今年は舌にピリリときて甘さも最高に仕上がっています。
 
 本日は全国から寒波や大雪の話題が届いていますが、私の住む愛知県は久しぶりに暖かい一日となり、大雪を心配していたものの雨が夕方まで続き、相棒とともに出かけたものの、ホームセンターの買い物で時間を浪費する一日となりました。
 
 数日前の野点によって、茶器や抹茶などを購入するのが目的でしたが、珈琲のドリッパーとガラス容器まで買い込み、帰宅後に車中で試してみたものの、水気で座席を汚すことから、車中では味にこだわるよりも、インスタント珈琲の方がむいており、全く不要な品々を買ってしまったと反省する一日ともなりました。
 
                                       1月14日の一言

消防出初式と成人式が行なわれ

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 本日は津島市の消防出初式が天王川公園で開催され、津島市消防本部を始め市内8分団の消防団員が出揃って一斉放水が行なわれました。
 
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 毎年の恒例行事ではありますが、私が議員になったばかりの年は、市長はじめ市幹部が赤いジープの上で敬礼して観閲し、消防本部職員が実際に消火活動をするなど、緊迫感もありました。
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 各地から出初式の様子が報じられる中で、ハシゴを使った昔ながらの伝統的な火消しの技を見せている地域もありますが、時々ハシゴから転落する事故が起こり、今年も福岡市で事故がありました。
 こんなことがあると危険な技が見直され、安全で簡素化した出初式になってしまいがちですが、消防職員や消防団員は火災の際には危険にさらされており、我々議員も来賓席でストーブを用意してもらうのではなく、一緒に整列していたい心境です。
 
出初め式ではしごから転落、けが 福岡市の消防職員
 
 さて、津島市のはしご車はマンションの14階まで届くとの話で、市内のマンションも14階の高さ制限があるため、高層階に住む人々も安心はできるものの、真下にはしご車を停めるスペースがないため、更なる対策が必要になりそうです。
 
イメージ 6 津島市では消防出初式とあわせて成人式が行なわれることから、本日も市長をはじめ我々議員も会場となる文化会館まで大急ぎで移動となりました。
 
 添付した写真は、会場の緞帳が下りた、成人式が始まる前の舞台裏ですが、緞帳が上がるまで会場の様子が判らず、開いた瞬間に金髪ハカマ姿のヤンキーが日本酒のビンを持って舞い上がっていた年もあり、緊張の一瞬でもあります。
 
 幸いなことに、今年の新成人は落ち着いており、開会されるまで騒いでいた新成人も存在したものの、開始後は真面目に座り、暴言もほとんどない静かな成人式となりました。
 
 成人式そのものは、新成人となる実行委員の人たちが企画して運営されていくため、我々の時代とは様変わりしていますが、最近は儀式が簡素化されていく傾向にあり、出初式だけでなく成人式や各種行事へ市民全体で関わっていく関心が必要と思う一日ともなりました。
 
                                    1月13日の一言

相棒と一緒に木曽川で野点を

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 本日は3時の休憩を野点(のだて)にしようと相棒と出発しましたが、見晴らしの良い場所に駐車場が見つからず、私の出生地である祖父江町(現稲沢市)まで足を延ばし、祖父江砂丘(ワイルドネイチャープラザ)まで車を走らせました。
 
 添付した写真は、ワイルドネイチャープラザの入り口にある長命山刈萱堂で、最近は尾張七福神のひとつ「寿老人」が奉られているお寺ですが、私の少年時代には壊れかけた本堂や、この地区には人が寄り付かない(辺りを捨町野と言います)堤防のため、パワースポットと言うよりも霊がさまよう墓場のようなイメージだったものが、新しく立派な本堂が完成していました。
 
 このお寺は尾張七福神の事務局になっており、納経所にもご住職が座っておられましたが、尾張七福神は突然訪れても不在のお寺が多いため、7日のイベントにあわせて参拝しないと朱印が完成しない可能性もあり、お寺のご利益は期待できないものの、豊かな自然の中を歩いて廻るのも健康のためお勧めのコースです。
 
 
イメージ 2 かつての祖父江砂丘については、最近は国営木曽三川公園に組み込まれていることから立派な大駐車場が整備され、多くの人々が訪れていますが、松並木は昔のままで、久しぶりにゆっくりとした時間を過ごせました。
 
 相棒リマも一緒の野点でしたが、これだけ広い砂場は一緒に訪れたことがないため、相棒のリードをとって開放すると、一目散に駆け出し100メートル以上離れた場所まで行ったままで戻ってきません。
 
 慌てて追いかけたものの追いつけず、追いかければ余計に走り出すため、しばらく放置していくと心細くなったのか戻ってきたので、パンツを外してリードを付けて自由にしておきましたが、交通事故の心配なく相棒を放したのは初めての経験です。
 
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 さて、本日の目的は野点で、キャラバンには携帯ガスコンロや水タンクも積んでありますが、ライトエースで出かけたため、ポット2本に湯を入れ、普段の珈琲だけでなく、抹茶と昆布茶も持参しました。
 
 しかし、快晴ではあるものの、木曽川に吹いてくる西風(伊吹おろし)は厳しく、心身とも凍ってしまいましたので、野点のはずが車中のティータイムとし、相棒には水とドックフードを与え、私は抹茶とシュークリームで一服としました。
 
 木曽三川公園というと、岐阜県の海津市のイメージがつよいものの、祖父江町のワイルドネイチャープラザも含まれており、下流に建設された馬飼頭首工(大橋)が堰となってできた広い川面ではウインドサーフィンやカヌーの名所ともなり、本日も寒風の中へサアファーが繰り出していました。
 
イメージ 4イメージ 5 残念なことは、私の少年時代には自由に滞在できた祖父江砂丘も、国営のワイルドネイチャープラザとなったために、大きな駐車場が建設されたものの、堤防の入り口に頑丈な門扉が設置され、自由に滞在できなくなっており、私のように車中泊を好む人々には豊かな自然環境も時間限定となってしまうことです。3時の休憩を野点として家を出てきたため、相棒との散歩とティータイムが終わると夕陽が沈み、相棒との貴重な時間も終わりとなりました。
 
 本日は我家から抹茶や茶せんなどを持参したものの、今後は茶道具を車に常備するとともに、紅茶などを増やしていきたいと思っていますが、街中とは違う自然環境の中で、全く自由に相棒を放したことから、人間の常識から離して野生のままに行動させてやりたいと思う一日ともなりました。
 
                                   1月11日の一言

110番の日は早朝から取り締まりが行われ

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 本日1月10日は、110番の日との話ですが、我が家の前でも午前7時からスピード違反とシートベルトの取り締まりが行われ、予期せぬ早朝の取り締まりに多くの車が対象となり、道路横に用意された警察車両に誘導されていきました。
 
 スピード違反で突然停められた運転手もびっくりとしますが、運転手の中には素直に誘導に従わぬ車もあると、早朝の通勤時間のために道路は大渋滞となりますが、シートベルトは我が家の手前で見張っているため、逃げようもありません。
 
 私はこの取締りに大反対で、本日は道路の反対側を取り締まりましたが、当方の車線を取り締まる際には、私の事務所駐車場の入り口にスピード検知器を置き、我が家の西側の隣の駐車場で違反切符を発行するため、違反した人は「大鹿一八」の政治看板の下で違反したスピードを確認するのです。
 
 「こんな場所でやられたら迷惑だ」
 「やっては駄目と言うんですか」
 「駄目とは言わないが迷惑だ」
 「事故の犠牲者を減らすための取締りが迷惑ですか」
 「捕まるのは津島市民だぞ」
 
 こんな頭の血管が切れそうな会話をしたのが2年ほど前で、県道主要道で交通量も多く、信号と信号の距離の長い我家の前はスピード違反を検挙するには絶好の場所で、シートベルト違反を取り締まるために隠れる場所も両側にあります。
 
 交通事故を減らすための取締りと警察官は言いましたが、我が家のトイレに座って聞き耳を立てていると、ピーと言う機械音の後に、「来たぞ」とか「捕まえろ」などの大声が聞こえ、違反車両とは言え動物を捕まえる狩りと同じ心境になり、人が人を捕まえる修羅場が展開されていきます。
 
 何よりも悔しいのが、「大鹿が警察とグルになって取り締まっている」という内容の一言で、我が家の前で捕まえ、横の駐車場(隣のお寺の駐車場です)に入れるため、議員の私が積極的に警察に協力していると思われることです。
 
 交通事故を減らすためと言われれば、文句も半分になってしまいますが、本当に交通事故を減らそうと思うなら、「手が回らない」と物損の事故現場には来ない現実と、検挙するためでなく事故を防ぐため各地へ警察官を配置してもらいたいものです。
 
                                   1月10日の一言

漫画サンデーが休刊を発表して

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 本日は津島市文化会館で、大阪の業者が2日間開催している「生活応援セール」に出向きましたが、新聞朝刊にタブロイド版4つ折の大型広告が入っていたものの、最近ではホームセンターでも格安の商品が並んでいるため、衝動買いでもせぬ限り、利益まであげるのは大変かと勝手な心配をする一日ともなりました。
 
 安いから何でも飛びつきそうになるものの、商品をひとつひとつ見ていくと、何かが足りないために、必要のない物まで買い込む癖を封印して、100円のネクタイ1本と、国内メーカー名がついた398円の乾電池10本入りのみ買いました。
 
 昭和50年代に、新聞の販売競争のサービス品として、鍋や時計、電卓などを拡張員(セールスマン)が自転車に積んで走った時代には、このような商品でも珍しくて飛びつき、商品目当てで新聞の購読契約書に印鑑を押したかもしれませんが、最近の100円ショップが当り前となった社会では簡単には売れません。
 
 さて、本日の朝刊では、1959年に創刊された漫画雑誌「漫画サンデー」が来月で休刊すると報道されています。
  
漫画サンデー休刊へ 「静かなるドン」などで人気
 
 新聞報道によれば、最盛期の90年代半ばには30万部を超えていた販売部数が、最近は7万部まで落ち込んでいたとあり、昨年から二週間に一度の隔週発行となっていたのも焼け石に水となり、読者を減らしたと思われます。
 
 「静かなるドン」は、88年から24年間の長期連載で人気を集めていましたが、昨年12月に最終回を迎えたのも、休刊を意識した幕引きだったと思うと寂しいかぎりで、休刊とはいえ再発行は望めないのではないか。
 
 「静かなるドン」と並んで人気のある「蒼太の包丁」についても、今週発行された最新号で、主人公をあえて厳しい修業に出す事を匂わす方向で終わっており、昨年から休刊を前提にした筋書きに向かっていたとも思われます。
 
漫画の教育的効果に感心して  
 
 2年前に私の記した一言に、「漫画サンデー」を主題として、教育現場よりも漫画の方が教育的効果があると記しておりましたが、漫画の内容が確実にレベルアップしているだけに、最近の週刊誌に共通する女性のヌード写真や性風俗が氾濫する現実と対比した寂しさも覚えます。
 
                                   1月9日の一言

ボランティアの合間に歴史探訪へ

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 本日(福祉有償運送の)ボランティアで名古屋市中村区の医療機関まで出向きましたが、自宅に戻って再度迎えに走るのも不効率と思い、私のお気に入りブログに数日前紹介されていた稲葉地城跡を訪れました。
 
 
 稲葉地城跡は、中村区城屋敷町にあり、城跡を示す道標は庄内川を渡った北側、中村区稲葉地町の神明社に立っていますが、この近くに私の叔父の家があったことから、私は小学生の頃に従兄弟たちに連れられてこの地を訪れて遊んだ懐かしい思い出があります。
 
 昭和40年頃までは、この神明社の北の庄内川堤防沿いに、手造りのほったて小屋が並ぶ朝鮮部落(当時呼んでいた表現・今にして思うと戦後か伊勢湾台風の被災者だったのかも知れません)があり、「出て行けー」などと叫んで石を投げて遊んでいました。
※今にして思えば全く思いやりの無い行為で、当時の当事者の方々には申し訳ないと反省していますが、子供の頃の話ですのでお許し願いたいと思います。
 
 昨日に津島図書館から頂いた資料(海部津島人名事典)の中に、織田信長に関係する記述が存在し、私の住む津島市や近隣の地域に織田家や豊臣氏に関係する史跡も多く、この稲葉地城についても、織田信長の叔父津田信光(父信秀の弟)が築城した居城でした。
 
 織田信長は尾張を統一するために兄弟や伯父などを討伐した残酷なイメージが語られていますが、この信光の一族は桶狭間の戦いでも活躍し、本能寺の変で信長が倒れた際に4代目の小藤次も亡くなり、稲葉地城も廃城となったと記録されています。
  
 
イメージ 2 この神明社の本殿横には7つの社殿が並んでおり、一番奥に須佐之男命を祭神とする津島神社の末社が鎮座しているのも、織田信長と同様に津島市と尾張各地の結びつきを感じさせられます。
 
 そんな遥か遠い歴史だけでなく、私の住む旧神守村(昭和30年津島市と合併)の人々は、庄内川を渡って名古屋市に出て行った人々の家を認識して、名古屋に出て行った時に立ち寄ったり、名古屋に出た者同士が連絡しあっていた親達の交流風景も思い起こされてきました。
 
 そんな訳で、ついでに、中村公園(豊臣秀吉生誕の地と伝わる)の近くにある、喫茶店では老舗格となる「チェリー」を訪れましたが、この店は旧神守村出身の方が創業され、奥様は私の父親の同級生ですが、さすがに(年齢からか)お店には出ておられませんでした。
 
 このお店は、中村区に昔から住んでいる人たち(中高年)には知られた存在で、意外に有名な政財界の人々と出くわすことも多く、私の住む地域の行動的な高齢者たちには、名古屋に出ていった成功者の例として語られていました。
 
 ちなみに、我が家から1キロの距離にある宇治町に、織田信長の弟であった長益が城主であった宇治城がありましたが、現在も「茶の里」の字名を残しており、長益は有楽斎如庵と号す茶人で、徳川家康に与えられた屋敷跡が東京の有楽町として残り、愛知県犬山市の犬山ホテル前には国宝茶室「如庵」が残っています。
 500年前の出来事が想像できない町並みとなっており、車を停めるスペースにも困りますが、津島市から出て行った武将たちが全国各地に史跡を残しており、久しぶりの歴史探訪ともなる一日ともなりました。
 
                                   1月8日の一言
追伸
 本日は本年最初の書道会となりましたが、考えてみると書初めとなる事も忘れていました。

久々に津島図書館を訪れて

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津島市図書館
 
 本日は津島市役所で農政協議会が開催されましたが、私にとっては今年初めて市役所内の公式審議会となり、年末年始の休み気分も完全に払拭し、明日からボランティアや行事がスケジュール表を埋めており、このままでは気がつくと3月議会となってびっくりすることになりそうです。
 
 昨日のことですが、「図書館が休みだった」との一言に、「年中無休の図書館のはずだが、どうなっているんだ」と発すると、津島市の図書館の話ではなく、稲沢市の図書館が休みだったと解ったものの、新しい図書館には魅力もあるんでしょうが、わざわざ津島市から稲沢市まで走って休館は気の毒な半面で、新しいだけではサービスにならないことを実感させられました。
 
 津島市の図書館は、過去には休館日であった月曜日も数年前から開館しており、月に一度の図書整理日は利用ができないものの、年末年始の休館日以外は職員が年中無休状態でサービスを提供しています。年中無休の図書館実現を訴え続けて実現させた事も、私の議員生活の誇りの一つです。
 
イメージ 2 本日図書館を訪れた目的は、昨年末に図書館より連絡が入り、私が昭和末期から平成にかけて編集発行していた「ふるさとアサヒ」を、津島市で発行された郷土紙として保存したいとの話でしたが、私の手元にも一部ずつしか残していないため、データ保存するために持ち込んだ次第でした。
 
 ふるさとアサヒは、B4版4ページの体裁で、昭和63年から平成5年までに23号発行しており、津島市内を対象に1万部ずつ発行していたものの、発行に要する印刷費用をまかなう広告スポンサーの確保に困窮し、次の原稿を用意したまま休刊してしまいました。
 
 もっとも、朝日新聞のミニコミ誌の役割も担っており、販売店の宣伝経費と思えば発行は続けられたと思いますが、当時は数年おきに何度も税務署の職員が訪れ、利益漏れを指摘するだけでなく、私の税務調査から新聞社まで乗り込んだことがあり、「赤字でやるはずがない」の一言に気力をそがれたことも、今にして思えば懐かしい思い出です。
 
 私は大学3年次から朝日新聞の販売店の経営者となりましたが、地元新聞より大きな店舗を建て、店舗2階で2組の卓球台を無料開放し、展覧会やイベントの会場とし、釣り大会や朝日旅行友の会を主宰するなど、若くして店主となった事から、利益は50歳になってからと決め、55歳で引退すると口癖にしていましたが、議員転出が避けられず50歳どころか、45歳で政治との兼業禁止のため廃業してしまいました。
 
 借金こそありませんが、仕事を廃業したことで収入が半減し、家内も仕事に出させ、国会議員の選挙事務所より大きい店舗を事務所にして、さらにボランティアの福祉有償運送をスタートするため、営業もしないタクシー車両まで買い込み、無報酬のNPO法人まで抱えてしまった人生は貧乏の象徴のようになりました。
 
 我家大鹿家の先輩となる「横井庄一」さんは、グアム島から帰還してから「耐乏評論家」と名乗っていたことがありますが、私の人生も横井さんに負けない貧乏実践家となり、銀行も相手にしてくれない年齢層に入りました。
 
 事務所2階には、大正から昭和初期に発行された貴重な書物や、著名人から頂いた絵画が山積みとされ、横井さんの残した大量の陶器や手紙が展示されていますが、このままではゴミと化し、後継者に捨てられてしまうため早期の整理が必要になりました。
 
 ミニコミ誌のデータ保存を機会に、書物や絵画の整理を進めたいと考えていますが、引退を前にもう一度一仕事、利益二の次の人生のため、イベントの再開やミニコミ誌の再発行も頭をよぎる一日となりました。
                                   1月7日の一言

愛知県から飲酒運転を撲滅するために

 全国で最多を記録している愛知県の交通死亡事故の対策として、愛知県警は検挙された人に酒を提供した飲食店に対し、店名を公表したり、酒の提供を禁止する命令を出したりできる条例の制定をめざしているとの報道がありました。
 
 年末にも、法制審議会が悪質な運転による死傷事故の厳罰化を議論し、法務省が新たな罰則を盛り込んだ法改正の原案を示すと報じられ、飲酒や薬物、発作を伴う病気が原因の事故について、自動車運転過失致死傷罪と道路交通法違反(酒酔い運転など)を合わせて適用した場合の上限である懲役10年6カ月より、重い量刑にする方向が発表されていた。
 
 愛知県警の発表について、前向きな対応には違いありませんが、これまで酒を提供した飲食店への対応が甘く、飲酒運転による重大事故が起きていても、提供者に厳罰が課せられることは少なく、野放し状態が続いてきました。
  
飲酒運転、店から防げ 店名公表など愛知県警が条例検討
記事の続き…
 条例案では、飲酒運転で検挙された者に酒を提供した店で、1年以内に飲酒運転で検挙される客が出たり、店側が飲酒運転をしないようポスターを掲示しなかったり、代わりの運転手がいるかを確かめなかったりした場合、県公安委員会が指示書を出す。対策をとらなければ、店名を公表したうえ、酒類の提供を禁止する命令を出す。さらに従わなければ、5万円以下の過料を科す。
飲酒運転をめぐる罰則つきの条例は昨年9月、全国に先駆けて福岡県で全面施行された。同条例では店名は公表されるが、酒の提供禁止命令の規定はない。
■違反、目立つ郊外居住者
 愛知県警が、昨年11月までに飲酒運転で検挙した人が住んでいる県内の自治体を調べたところ、郊外部が多いことがわかった。県警は、交通網が発展していない地域で、飲酒する際に車ででかける傾向が強いとみている。
 免許人口1万人当たりの検挙者数が最も多かったのは、武豊町の8.43人だった。豊山町の6.18人が続いた。4人以上だったのは名古屋市守山、港、南の各区のほか、名古屋市近郊、蒲郡、豊橋、岡崎各市などだった。
 これに対し、繁華街を抱える名古屋市中区は1.93人で、同市中心部は少ない傾向だった。
 新しい条例案では、飲酒運転の違反者や、違反者に酒を提供した飲食店が多く、飲酒運転の根絶に重点的に取り組む必要があると認める市町村を「重点自治体」に指定。自治体名を公表したうえで、効果的な対策をとるとしている。
 
 さて、今回新聞に発表された、「検挙した人が住んでいる県内の自治体を調べたところ、郊外部が多いことがわかった」ことから、「繁華街を抱える名古屋市中区は1.93人で、同市中心部は少ない傾向だった」ことは事実としても、その結果から郊外の飲食店をターゲットにしたような対策や報道には疑問が残ります。
 
 私は議員になった平成11年以降こそ飲酒運転を厳禁し、このブログの一言でも飲酒事故やひき逃げに対して批判の記載をしていますが、それ以前の生活の中では知人とともに飲酒運転した経験があり、警察の飲酒の検問を避けて帰宅してきたことも何度もあります。
 
 検挙される人が繁華街ではなく、郊外に多いというのは、飲酒運転によって検挙された場所が郊外というだけで、名古屋市の繁華街で飲酒後に郊外に出る際に検挙されている可能性が圧倒的に多いと思います。
 
 公共交通の足が不足することから、郊外部で飲酒運転が存在するのは当り前のことですが、飲酒運転の常習者は警察が飲酒運転を取り締まる場所を熟知しており、私の経験では大きい川を渡る橋の前後や逃げ道の無い一本道に限られ、常習者は絶対に検挙されない道を走ります。
 
 肝心な事は、新たな条例を出すことよりも、飲酒運転で重大事故が起こった場合に、飲酒運転になると承知で酒を提供した飲食店には、被害者が運転手と同等の賠償を求めていくことがより実効性があると思います。
 
 このことは、被害者の立場になれば当り前で、まともな運転ができない状態まで酒を提供し、そのことが原因で事故に遭遇して命まで落とした場合の被害者本人と、残された遺族の心境を考えれば見逃してならない問題と思います。
 
 愛知県は交通事故による死亡者数が全国最悪を続けており、昨年は私の近所で起こった事故で私の知る2人が命を失っているだけに、運転者として事故防止を心がけるだけでなく、事故の原因や事故防止を訴えていきたいと思います。
 
                                   1月6日の一言

四国遍路の納め札入れを作ってみました

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 本日は四国遍路で使う「納め札」を、ワイシャツの胸ポケットに入れて携帯するのに便利なファイル(手作り)を覆うカバーを試行錯誤して作りました。
 
 作ったと言っても、昨年の朝日新聞の不織布のカレンダー(原田泰治)を切って重ねただけですが、遍路の巡拝用品として立派な「納め札入れ」が販売され(下に添付)ているものの、かさばる事から、納め札を名刺入れのようにポケットに入れられると、出逢った人との交換に便利なため、細長い札入れかケースをホームセンターや文具店で探していたものの未だ見つかりません。
 
 
 代用品として、念珠入れか経本入れを代用しようと、薄くて細長いポケットに入るサイズも探しましたが、自分の理想と思うサイズが見つからないため、当分の代用品として作りましたが、後になって写真のフイルム入れのようにすれば良かったと思っても、見た目の良い材料が見当たりません。まぁ、見つけるまでの間に合わせですから、こんなものでも役には立ちそうです。
 
 さて、名刺入れのようにポケットに入る「納め札入れ」を探してネット検索している時に、私がお気に入り登録しているブログ「大文字山を食べる」を運営されている、Yさんが4年ほど前に記された四国八十八ヶ所の納め札の記載が目に映りました。
 
大文字山を食べる
 
 この中には、「四国遍路をしていて、一つだけ気に入らないことがある」として、納め札の制度が取り上げられ、巡拝回数によって納め札の色が違う事が示され、「そういう数の支配からは自由になりたい」、「まるで階級制度。あまりにも低俗な発想だと思う」と記されています。
 
 確かに、公認先達に補任されている人でも、本堂や大師堂に参拝する前に納経所の朱印に走っていく人もあり、何度も巡拝して金や錦の納め札を持つ人でも十分に参拝しない人があるなど、弘法大師と同行二人の参拝とは思えない現実も目にします。
 
 私自身も巡拝初期の12年前に、偽名が記されたインチキの錦の札に、謝礼を支払って入手したことがありますが、何度も巡拝するうちに他人の札どころか、納め札の入っている納め札箱をかき回されることに嫌悪感を覚えるようになりました。
 
イメージ 2 そもそも、納め札には巡礼者の願い事が記されており、病気治癒や劣悪な環境改善を祈願した納め札を持ち帰りたくはありませんし、礼儀正しい巡拝を続けておれば、自然と尊敬できる人格を持ったお遍路さんと出会い、ごく自然に納め札を交換する機会が出てきますし、顔馴染となったお寺から錦の納め札を頂く機会にも恵まれます。
 
 右に添付した納め札は、12月4日に開催された霊場会先達研修会で一緒になった人と交換した納め札で、赤色の2枚は一緒に権中先達になった千葉県のSさんと、埼玉県の龍宮寺のご住職で、錦の札は大先達に昇補された神戸の廣部さんの納め札で、善通寺駐車場の写真屋さんで談笑後に直接いただきました。
   
四国遍路・野宿編
 
 別格二十霊場にも専用の納め札があり、先達になると黄色の納め札となっているようですが、私は白色の納め札のまま巡拝しており、納め札の色よりもお遍路として恥ずかしくない行動を心がけることが重要で、納め札の色や先達などの区別なく、清々しい気持ちで遍路を進みたいと思います。
 
                                   1月5日の一言 

鶴田浩二さんの記事収集

 
上記ブログの転載です。
 
最近、以下2冊の本を読んだ。

http://ecx.images-amazon.com/images/I/418WXJDHW7L._SL160_.jpg父・鶴田浩二
カーロン 愛弓
新潮社


http://ecx.images-amazon.com/images/I/51HX3TR630L._SL160_.jpg父・鶴田浩二の影法師―末娘が綴った銀幕スタアの真実
鶴田 さやか
マガジンハウス


鶴田浩二は戦後第一世代最高のスターでありそんな稀代の「いい男」を巡る骨肉の愛憎劇が詳細に描かれていた。
鶴田浩二には3人の娘がいたのだがこの娘同士で父親を取り合う。
この勝負は先に生まれたことに加え相性の良さで長娘の勝利に終わる。
だが一方で母と娘の戦いがあり、鶴田浩二の実母と嫁の戦いがあり鶴田浩二が浮名を流した女優達と妻&娘達との戦いがある。
一人の男を巡る

嫉妬

なのだが父と娘となるといささかアブノーマルではある。
その辺の話は娘二人が一番分かっており二人とも重度のファザコンを自称している。
乗り越えなくてはならない壁なのだがその壁は余りに厚いと私は思う。
嫉妬の炎は凄まじく結果的に家族の絆はバラバラ、鶴田亡き後は崩壊してしまったようである。

男の色気がいかに恐ろしいものか?

改めて痛感した。

何ゆえ鶴田浩二は公私共に強烈な色気を放っていたのだろうか?
それは単に顔がハンサムとか長身であるとかルックス面だけではない。
2冊の本を読めば瞭然のように鶴田浩二もまたエニアグラム・タイプ4だ。
まぁこれはエニアグラムを少し勉強すれば本を読まずとも分かってしまうのだが・・・・
http://ecx.images-amazon.com/images/I/41XD32YG5HL._SL160_.jpg性格のタイプ―自己発見のためのエニアグラム
クリエーター情報なし
春秋社


鶴田浩二もまた悲しい幼少時代を過ごした。
暴君であったが一方で非常に繊細で涙もろかった。
躁鬱気質が激しかったのだが一方で暴力団の脅しや暴力に屈せず「三代目(山口組組長)の前で堂々としているのは鶴田ぐらいのもの」と周囲が驚くほどであった。
小野榮一は終生、周囲が望む鶴田浩二を演じ続けそれは虚構と言って良かったのだが誰よりもファンを大切にしていたからだろう。
親しい友人は一人も居なかったようだが寂しがり屋の一面がありそれは忘年会と合わせて毎年開催された誕生日会の模様で分かる。
大勢を自宅に招いた鶴田浩二は学生服を着て軍歌を熱唱し羽目を外す。
それは青春の焼き直しに過ぎなかったのだがいつも宴の真っ最中に突然、姿を消して、寝室に引き上げてしまったと言う。
ドンチャン騒ぎした「宴の後」の寂しさには絶対に耐えられなかったからだと長娘は言う。
鶴田浩二の言い知れない哀愁は身体から滲み出たものでありそれが=周囲の女性を虜にしてやまない「男の色気」に繋がったんだろう。
だがそんな強烈な光はそれと同じくらいの大きさの反作用を生じさせ陰惨な漆黒の闇を作り出していたのだ。
昭和の日本にはそんな「色気に満ちたスター」が山ほどいた。
大映には市川雷蔵、若山富三郎がいたし勝新太郎もいた。
中村錦之助もいた。
東映には高倉健がいたし松方弘樹もいた。
杉良太郎もいたし加藤剛もいた。
枚挙に暇がない。
翻って今の日本の映画界を観て理屈では割り切れない何かを感じるのは私だけだろうか?
まぁこれは日本に限った話ではなくハリウッドもヨーロッパの映画界も本当の色気を持った俳優は激減しているように思う。
少なくとも実の娘が誰彼構わず猛烈に嫉妬してしまうような俳優は居ないだろう。

終わり

正月早々に国民を欺く事件が発覚し

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私の住む越津町の氏神様 梁川八幡社 
 
 本日の朝日新聞朝刊に報道されたのが、東京電力福島原発周辺の除染作業で、取り除いた土や枝葉、洗浄した水の一部を現場付近の川に垂れ流したり、捨てていたことが確認され、証拠の現場写真や作業員の証言も掲載されています。
 
「手抜き除染」横行 回収した土、川に投棄
記事の続き… 
 取材班は昨年12月11~18日、記者4人で計130時間、現場を見て回った。楢葉、飯舘、田村の3市町村の計13カ所で作業員が土や枝葉、洗浄に使った水を回収せずに捨てる場面を目撃し、うち11カ所で撮影した。また、作業員約20人から、ゼネコンや下請け会社側の指示で投棄したという証言を得た。「作業ルール通りやればとても終わらない」との声も相次いだ。
 楢葉町の道路沿いの山林で働いた下請け作業員は11月27日、大日本土木の現場監督から刈り取った草木の一部を崖下に捨てるよう指示されたと証言。取材班はこの際の録音記録を入手した。大日本土木や前田建設は取材に回答していない。同町では12月17日、2人が屋根やベランダを高圧洗浄機で洗い流し、水が飛び散る場面も撮影した。
 田村市で働いた4人は11月16、17日、下請けのリーダーから落ち葉や土を熊手で川にかき落とすよう指示されたと証言。取材班は同市の別の現場で12月14日に下請けのリーダーが自ら川岸にたまった落ち葉を足で蹴って川に落とす場面を撮影した。鹿島は「事実関係を調査中」としている。
 飯舘村では12月18日、駐車場の路面の高圧洗浄で使った水がそのまま側溝に流れ、川に注ぎ込んでいくまでを撮影した。大成は「確認中」としている。
 除染作業中に土や枝葉を捨てる行為は契約違反にとどまらず、放射性物質による環境汚染への対処に関する特措法が禁じる廃棄物の投棄(5年以下の懲役や1千万円以下の罰金)に触れる可能性がある。環境省は「事実なら重大な問題だ」とし、ゼネコン各社から事情を聴く方針だ。
 
 今回の報道には、大日本土木や前田建設工業だけでなく、鹿島建設や大成建設の名前も挙がっているが、いずれも「確認中」とか取材を無視しているものの、現場の証拠写真も撮られており、作業員の証言だけでなく、現場監督から捨てるように指示されていたことが確認されており、徹底的な事実関係の確認が重要である。
 
手抜き除染、作業員証言 「詰め切れぬ葉は捨てて」指示
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 男性は納得できなかった。大きな袋を抱えて斜面を上り下りするのは確かに大変だが、これで除染したと言えるのか――。
 作業開始から1カ月余りたった11月27日、男性は現場監督にただした。そしてそのやりとりを録音した。
 男性「落としちゃっていいんですか」
 監督「うんうん、OK。しょうがない」
 監督は「自然に葉っぱがたまったんでしょ、そういうのは」とも言った。辺りは落ち葉が散らばり、人影はない。ばれないと思っているのだろう、と男性は感じた。
 男性「環境省から言われたんですか」
 監督「いや、まわりから言われて」
 「まわり」とは誰なのか問い詰めず、男性は指示に従ったという。男性は年末、投棄させられたことを環境省に通報した。
 鹿島JVが受注した田村市の山林で働いた3次下請けの40~50代の4人は11月16~17日、川沿いの斜面で落ち葉や枝をかき集め、川に捨てるように指示されたと証言した。計3立方メートルほど投げ込んだ。川は茶色く濁ったという。
 取材班はこのうちの1人の男性(43)に現場を案内してもらった。川の縁にある崖の下に落ち葉が山積みになっていた。男性は富山県から来て、12月26日に作業を終えた。「命令とはいえ、川を汚してしまった。申し訳ない」と取材に語った。
 
 作業にあたっていたのは下請けや孫請け会社の作業員とは言え、受注した大手建設会社の責任は免れず、多くの人々が未だに自宅に帰れず、仮設住宅の避難生活に馴染めず自殺した人々が存在する現実と、一刻も早い除染作業に期待する被災住民や、帰宅を心待ちにする人々を考えると許す事のできない事件でもあります。
 
「何のための除染か」 手抜きに地元首長ら怒り
 
 新聞報道によると、『除染作業中に土や枝葉を捨てる行為は契約違反にとどまらず、放射性物質による環境汚染への対処に関する特措法が禁じる廃棄物の投棄(5年以下の懲役や1千万円以下の罰金)に触れる可能性がある。環境省は「事実なら重大な問題だ」とし、ゼネコン各社から事情を聴く方針』とあるが、国民の税金を支出して作業が行なわれていることと、川への核廃棄物の破棄は、自然界全体に汚染を拡大し、汚染地域以外にも汚染被害を与える可能性から、現場の作業員や監督だけでなく、受託した大手ゼネコンの担当者にも厳罰が必要である。
 
 地元自治体や関係者の怒りは当然だが、私は国民の支出した税金を支出する公共事業については、意図的な契約違反があった場合、国民を欺いた詐欺事件として、対象となる受託企業や事業体を公共事業から締め出す必要があり、今回の事件についても地域限定ではなく、全国の公共事業に参加できなくする厳罰を科す必要を感じます。
 
 最近の国内の事故や事件には、中央高速のトンネル崩壊や、架橋の破損によって人命を奪うような事例が再発し、過去には信じられないような手抜き事故が多発していることから、公共事業の受託には厳しい企業責任を課すことが重要に思います。
 
 放射能に汚染した危険な材料に接触する仕事を自社の社員にはさせられないことから、下請けや孫請け企業に請け負わせて、その上前だけをビンハネして利益にするゼネコンの体質は許してはなりません。
 原発の稼動を容認する議員や、事故後の責任も感じていないような東電幹部にも、今回の事件と同じ体質を感ずることから、国益を損なう行為についての厳しい罰則を求めたい心境となりました。
 
                                     1月4日の一言

津島神社へ参拝して

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雪が舞う本日の津島神社
 
 本日は家内だけが仕事に出かけましたが、家族は全員が休みのため、私は次男の運転する車で、津島神社に参拝し、知り合いの土産物店で甘酒を飲み、次男の買い物に付き合ってホームセンターを訪れました。
 
 本日の当地方は昼頃から雪が舞い始め、出かける時には傘が要るくらいに降っており、私は神社に近い知り合いの所に車を停めたいものの、次男が嫌がることから天王川公園の駐車場に車を停め雪の中を歩きましたが、大晦日の京都のように周りが外国人ばかりで耳障りな雑言が聞こえず、清々しい参拝となりました。
 
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 今年の三が日は天候が良く、元日は参拝客が多かったようだが、参道に店を構える屋台の売れ行きも今ひとつのようで、神社本殿前には明日に開催される「茅の輪くぐり」が準備されており、15日に開催される月次祭(つきなみさい)(小祭式)と、平成25年のスケジュールが淡々と過ぎていきます。
 
(ち)の輪くぐり  4日午前9時~
 
 さて、毎年のことですが、元旦を北アルプスで迎える人の遭難が相次ぎ、連日テレビ画面のニュースが報じていますが、被害者や女性にムチ打つ気持ちはないものの、今回も60歳の女性が動けなくなっており、中高年の山岳事故が問題となっている時期の厳冬期の登山だけに、当り前のように携帯電話で110番通報して救助要請してきた神経が理解できません。
 
北ア・西穂高岳で神奈川の3人遭難 悪天候で救助できず
北アルプス明神岳、登山の2人不明 ルート確認後戻らず
 
 この一言のなかには過去に何度も山の遭難について記してきましたが、今回の遭難で救助にあたる大量の人々の数を考えると、自己満足の登山を決行するのは勝手ですが、登山家でもないのに厳冬期の高山に入るのは問題です。
 
 今回の遭難にも雪崩の可能性が報じられていますが、遭難そのものが危険な環境下で起こっており、救助に飛ぶ捜索のヘリコプターも、雪山に入る救助隊員も巻き添えで事故に遭遇する可能性もあり、閉山式後の上高地や北アルプスに入る人々の責任も問われなければなりません。
 
救う対象より大きい犠牲に 09年9月の一言
 
 一方で、半月前にも一酸化炭素中毒を起したワカサギ釣りの山中湖で、本日同じように一酸化炭素中毒の事故が起こり、4人が病院に搬送されているが、ここには相手が人間であることが希薄としか思えません。
  
山中湖ワカサギ釣り船またCO中毒 10歳女児ら4人
 
 普通に生活していても交通事故に遭遇する可能性が否めず、食生活に気をつけていてもガンで命の危険に陥る人もありますから、何が幸せで何が災いとなるかが判りませんが、そろそろ正月気分を忘れて充実した日々を送りたいと思います。
 
                                  1月3日の一言 

元日を振り返って

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 今年の元旦は京都の船岡山にある建勲神社からスタートする予定をたてていましたが、知恩寺で38番目の撞き役となった除夜の鐘を待っている時に歓声が上がり、今年のスタートは百萬遍知恩寺の鐘撞き堂となりました。
 
百萬遍知恩寺 http://hyakusan.jp/
 
イメージ 2 除夜の鐘というと浄土宗総本山の知恩院が有名ですが、夜8時過ぎから並んで電車の通勤ラッシュ時のように誘導されて鑑賞するだけで、(浄土宗大本山)百萬遍知恩寺では10時過ぎに本堂に上がって法話や除夜法要が済んでから、護符と記念の手ぬぐいがふるまわれ、全員が鐘を撞いた後では甘酒が振舞われています。
 
 「今年こそ 気持ち良く咲け 福寿草」の言葉は、知恩寺の法主が年頭の法話で語られた一言ですが、法要が終わった後で1080顆の大念珠が本堂に降ろされ、百萬遍大念珠繰りが行なわれました。
 
 この知恩寺は我家の旦那寺の本山でもあり、津島市の西方寺のご住職が長年勤務されていた縁もあり、私は何度も訪れていますが、京都にあって拝観料も取らずに参拝記念の手ぬぐいや護符を授けるなど、宗祖法然上人の大衆性を引き継いでいる貴重なお寺だと思います。
 
 さて、私は議員になってからゲンかつぎで、元旦の午前0時に船岡山の建勲神社に一番目に拍手をうって参拝していましたが、船岡山は豊臣秀吉によって主君織田信長の廟所と定められた場所で、神社の祭神も織田信長となっています。
 
建勲神社 
 
 国家安泰・難局突破・大願成就の神社とされる事と、私の郷土出身の英雄織田信長公が祭神となっている事もありますが、船岡山は平安京の造都に際して都の北の基点となったとされ、歴史上も貴重な場所にあります。
 
イメージ 3 元日は、建勲神社に参拝後に、名神高速大垣インターで下り、岐阜県のお千代保稲荷にも立ち寄りましたが、愛知県から参拝する場合には渋滞で車も動かない事から、北西方向からお千代保稲荷の真裏に入った事から、簡単に参拝できました。
 
 比較したことがありませんが、津島市の津島神社よりも参拝客が多いと思われ、参拝した時間に津島神社の参道に並ぶ屋台は店を閉めていますが、お千代保稲荷(写真上)では朝まで客足が止まず、屋台の串カツ屋さんには大きな人だかりができていました。
 
 今回の京都行きは家族5人(家内、母親、妹、次男、私)で、次男を無理やり誘っていたことから断念しましたが、大垣市にある金生山明星輪寺に参拝して元旦の初日の出を拝みたいと考えていたことから、帰宅後にテレビから放映される各地の初日の出の映像から、少しですが悔いを残す元旦となりました。
 
                                      1月2日の一言

謹賀新年

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         明けまして おめでとうございます
             
                    本年もよろしくお願いいたします
 
平成25年 元旦
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