大鹿一八「本日の一言」

平成16年2月から令和1年7月末までの「本日の一言」です。ヤフーブログ閉鎖により、ライブドアへ過去の記録として引っ越しました。

2013年02月

名物マスターの画廊喫茶が閉店し…

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 私の住む津島市西愛宕町で、絵画や写真、書などを展示する「画廊喫茶」として40年の歴史を刻んできた「茜屋」が、本日の夜をもって閉店するため、普段は行かない朝一番で訪れ、私が最近お気に入りとしているモーニングセットを注文しました。
 
 店舗を借りている所有者の都合で建物が転売され、近々解体されるための閉店ですが、津島市周辺のアマチュア芸術家のたまり場として、公民館を借り切った合同展を開くなど、地域の芸術振興にも寄与していただけに寂しい閉店です。
 
 「茜屋」の名前は知らなくとも、ビルがツタだらけの喫茶店とか、絵の展覧会をやっているコーヒー屋と言えば判る名所ともなっており、落語会やピアノコンサートの会場としても使われてきました。
 
 私も過去に「神守丈友会」の仲間と一緒に3回の書道展を開催し、上高地の写真展を2回開催しており、店の閉店がなければ4月に写真展を開催する予定となっていましたが、用意した作品だけを残して開催は未定となります。
 
 さて、私は毎日訪れる常連客ではありませんが、兄貴分のようなマスターから「お前はなぁ」と常連のように扱われ、馴染み客から「こっちに来なよ」と座席に誘われる居場所のような喫茶店でした。
 
 私には漫画を読みに訪れる喫茶店が1軒ありますが、マスターやお客さんと一緒に雑談する喫茶店はここだけで、本当に行き場所を失ったように感じますが、過去に喫茶店だけでなく、写真屋さんとか家具屋さんなど、通ったついでに訪れて会話に花を咲かせる居場所が確実に無くなってきました。
 
 「今日はどうしたの?」
 「○×に行ってきたから…」
 「みんな元気でやってるの」
 
 こんな会話をしながら、通ったついでに用もなく訪れていた居場所が少なくなり、買物にしても店主との会話どころか、寿司屋は回転してくる皿を眺め、うどん屋は流れ作業で受け取り、コーヒー屋さんもチェーン店ばかりで店主の顔も判らなくなりました。
 
 明日は文化会館で津島市に貢献した人々の表彰式と、結婚して50年を迎えた金婚夫婦を祝う式典が行われます。来週は、議会の一般質問をむかえるだけでなく、中学校の卒業式も行われ、別れと出会いの春を迎えていきますが、本日は人知れず消えていく伝統のお店の閉店に心寂しい一日ともなりました。
 
                                  2月28日の一言

中学校の同窓会報が完成して

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 平成1年登録の25年選手ライトエースが主役となる一日となり、午前中は本日完成した直後の神守中学校同窓会報を受け取りに、岐阜県羽島市の製本工場まで走り、午後には校区内にある44の全町内会の嘱託さんのお宅に世帯分を区分けして届けるというハードな仕事となりました。
 
 会報を届ける先は私しか知らず、万が一でも私が事故でも起して入院し、本日中に会報が届けられないと、毎月1日付けで発行されている津島市の広報と一緒には配布できない事から、1ヵ月遅れの発行となれば3年生の卒業式も終業式も終わってしまうため、責任をヒシヒシと感じながらの運転です。
 
イメージ 2 もっと責任重大となるのが、右に添付した佐藤さんで、かつて印刷をお願いしていた地元の印刷屋さんの印刷の納期遅れとミスが続いて、学校への出入り禁止となった後釜に困り、私の個人的依頼に一宮市から駆けつけ、それまでより大幅に低料金であるばかりか、日程的に印刷の常識を破る締め切りに応じて編集を担当してもらっています。
 
 元々は大手自動車会社のカタログを作るプロの編集者ですが、現在は引退して他業種の仕事についておられ、本日は会社を休んで製本会社から配達まて付き合っていただいたものの、佐藤さんが病気やケガをしても、確実に発行はできない2人の綱渡りの仕事でもありました。
 
 「何故に羽島市の製本会社か」と怪訝に思われるかもしれませんが、印刷日程や低価格を実現するためには、地元の津島市では実現しなかったと思われ、発行の責任者となる私自身が羽島市の印刷所を知らず、完成した製本会社しか知らないという綱渡りよりも危険と隣り合わせの作業でもありました。
 
 「津島市では実現できない」と記すと、市内の印刷関係者から異論や反論が出そうですが、原稿から印刷する納期についてはできるとしても、格段に安い低価格は絶対に実現できないと断言できるのは、利益のでない仕事を受けるはずが無いためです。
 
 それまで印刷をお願いしていた業者の料金も、印刷業界では常識外れの低価格でしたが、印刷の仕事はパソコンの普及や印刷機器の発達により、原稿が電子データで送信でき、活字を一文字ずつ印字する印刷の手間が無くなり、価格そのものが低価格化しているものの、既存の業者は自ら値下げしない事から、学校関係で支払われる価格は高額のままに据え置かれている例が多いという実情が存在します。
 
イメージ 3 さりとて、佐藤さんの持つプロの編集ソフトと、パソコンが故障したら継続は難しく、完成して当り前ですが、完成には1日、1時間の遅れが命取りとなる綱渡りの完結です。
 
 完成した会報「至誠」は、A4版12ページで7千部印刷し、3月1日に校区内の全世帯へ配布されますが、今年で25年目となる25号となり、私はこれから協賛していただいた広告主さんにお礼と広告代の集金に走る仕事が残されていることから、議会日程とともに極めて厳しい日々が連続する現実は変わりません。
 
 今年度の会報発行の責任は果たせましたが、前記したように格段に安い印刷料金は、私と佐藤さんのコンビで実現していることと、約60件の広告スポンサーの大半は私の依頼したお店で、何よりも全町内会へ会報を配布すること自体が大変な作業で、「新聞屋の経験」が無ければ家も道も判らないと言われると、次を託す後継者への配慮も重要です。
 
 もっとも、25年選手の愛車「ライトエース」の存在も大きく、普通車でも軽自動車並みに小回りが効くことから狭い路地まで乗り入れ、軽自動車では積載できない印刷重量を貨物として積み込めます。奇遇ですが、会報と同じ25年の歴史を背負っていることから、来年も車検を継続したいと思う一日となりました。
 
                                  2月27日の一言

3月議会における私の一般質問です

 私が3月議会に通告した一般質問の質問と要旨です。
 
1件目 市民病院の夜間及び、時間外診療について
 要旨 ・夜間や時間外診療の現状と実態について
     ・当直職員の電話対応について
 
2件目 津島市の救急搬送について
 要旨 ・救急車の不適切利用が半数以上に及ぶとの新聞報道に関して
 
3件目 市内の産廃施設やリサイクル施設について
 要旨 ・関係施設の現状と問題点について
     ・住民からの苦情と市役所の対応について
 
 今回の議会には17人の議員が質問を通告しており、現在19人(1名欠員)の議員のうち、議長を除くと18人の議員しかいないことから、1名の議員を除いて全員が質問にたつという、津島市議会では過去にない一般質問となりました。
 
 1件目の市民病院については、救急や時間外の患者を積極的に受け入れる事を目標にしているものの、現実には電話応対の際に、「そのまま自宅で様子を見て下さい」と断ってしまうケースが多く、今月の10日には私の母親も遠く離れた海南病院の時間外診療で診察を受けました。
 
 電話応対だけで診察もしないことが、市民の生命の危機や症状の重篤化につながる危険性も考えると、「必ず救う」との真剣な応対が必要で、電話応対を後日でも検証できるテープ録音は有効と思われ、無責任な応対を無くすために必要で、要望をこめて質問したいと思います。
 
 2件目の質問は、救急車の適正利用と、少しでも早く現場に到着するための質問で、田舎では近所の目を考えて救急車を呼ばないケースもある事から、新聞に報道された不適切な救急要請の内容についても質問します。
 
 3件目の質問は、私の住む地域の各地で、建設廃材や資源回収の出す騒音や振動による苦情が出ていることから、認可や許可を必要としていない施設の現状と、苦情を解消するための方策を問いたいと考えています。
 
 さて、一般質問は来週の月曜日と火曜日(4日と5日)に開催されますが、私の登壇は3番目となることから、4日の午前中には終わる予定ですが、翌日以降も手帳の日程表は満杯になっており、予定表に入れていない自身の確定申告や、県から6日を締め切りとされているNPO法人の事業報告など、最初から手がつけられない現実を考えるとストレスは最高潮となる日々が続いていきそうです。
 
                                   2月26日の一言
 

喫茶店も無くなり、本屋も姿を消し、雑誌まで…

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 2月19日発売の3月5日号(2795号)で休刊することが新聞報道されていた「漫画サンデー(実業之日本社)」がついに最終号を迎えて、連載中の全ての漫画や記事が、全て完結の最終回を迎えるという現実がやってきました。
 
漫画サンデー休刊へ 「静かなるドン」などで人気 朝日新聞1月の記事
 
 1月の一言にも記しましたが、創刊されたのが昭和34年(1959年)で、54年間にわたって発行されてきた漫画界の老舗の休刊は、麻生首相の首相在任中には漫画文化とかコミック社会として、漫画が社会の表舞台に登ったかのように扱われていたのが懐かしく思われます。
 
 愛知県の喫茶店については、かつては毛織物工場の商談の場として普及したと報じられますが、我々が社会人になった頃には、漫画や劇画雑誌を見るために喫茶店を訪れる人々も多く、私にとっては二十代から続けてきた生活習慣でもあり、一雑誌の休刊とは言え寂しい限りです。
 
 3年前には漫画サンデーが休刊されることも全く予想せず、連載されていた漫画に教育的効果ありとの一言を記しており、一週間前には「週間漫画」の蔵の宿の原作者の逝去を記したばかりですが、時代の変化を読み間違うと売れない(読まれない)現実は厳しいことを改めて実感させられました。
 
漫画の教育的効果に感心して 平成22年10月の一言
 
 私の喫茶店行きは、火曜日に配達されていた「漫画サンデー」と、水曜日に発行される「少年マガジン(講談社)」、金曜日に発行される「週刊漫画(芳文社)」と「漫画ゴラク(日本文芸社)」にあわせて出かけており、行きつけの喫茶店には月に2回発行されている「ビックコミックオリジナル(小学館)」や婦人雑誌も多く置かれています。配達する本屋さんの話では、地域で一番配達する本の数が多いそうです。
 
 モーニングサービスの豪華さで全国に珈琲屋文化が発信されている愛知県ですが、私の住む津島市では個人経営の喫茶店が次々と姿を消し、大型の珈琲チェーン店が進出しており、個人経営の喫茶店に配達されていた雑誌を配達する本屋さんも閉店が続き、最近では市外の本屋さんが喫茶店に配達されている現状です。
 
 お客の立場とすれば、客足が減ると愛読している本が削減され、本が無いから本の多い喫茶店に移り、後継者の無い個人の喫茶店が次々と閉店し、残されたのは大手チェーン店のみとなり、私の中学校区(約7千世帯)に4軒あった本屋さんも全店閉鎖されており、結果的に負の地域連鎖になっている現実は他人事ではありません。
 
 これは、かつて全町内に存在した個人商店がほとんど姿を消し、コンビニに姿を変えたように、個人のお気に入りの喫茶店が姿を消してしまい、コメダなどの大型珈琲店ばかりが残され、かつての愛知県の喫茶スタイルとは変わってしまった自覚もなく、同じことが全職種に共通する、画一的な社会を実感させられます。
 
 ちなみに、20年前には町内に6軒あった喫茶店が大型店3店に変わり、行き場を失った私は2キロ以上離れた喫茶店に通っており、近所の大型珈琲店はモーニングサービス目当ての高齢者の集会所と化しています。
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 もっとも、我家では次男が「少年ジャンプ」を買いに走り、三男は「少年マガジン」を定期購読しており、長男の部屋はコミック単行本で溢れています。
 私の自家用車には珈琲だけでなく紅茶や昆布茶、ココアや抹茶まで積んであることから、私が多様な選択をする時代になっているのかもしれません。
 
 今月も、津島市内で私の知り合いの喫茶店が2軒姿を消していきます。
 
                                  2月25日の一言
追伸
本日より津島市議会が開会しました。来週の一般質問から各常任委員会が続き、3月22日まで審議が続いていきます。

お寺の御忌と涅槃会に参拝して

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これは何でしょうか? 判りますか?
 
 本日は我家の旦那寺となる浄土宗のお寺で開催された、涅槃会(ねはんえ)と御忌(ぎょき)に参加してきました。
 涅槃会はお釈迦様の業績をたたえ、追慕、感謝する法要で、釈迦入滅の日とされる陰暦2月15日(現在は3月15日)に、涅槃図をかかげて遺教経(ゆいきようぎよう)を読誦するようです。本日の読経については阿弥陀経が読まれていました。
 
 御忌については、浄土宗の宗祖・法然上人の年忌の法会であり、そのご命日に、上人のご遺徳を偲び、ご遺訓の『一枚起請文』を声高らかに拝読し、営まれる法会を御忌会と言うとあります。
 
 法然上人は、 建暦2年(1212)1月25日、80歳に京都・東山の吉水で亡く亡くなられており、釈迦については、紀元前500年から383年とか定かではありませんが、その頃の2月15日にクシナガラ郊外の沙羅双樹(さらそうじゅ)の下で、頭を北、顔を西に向け横たわる姿で、高弟や信者に見守られて入滅したと伝わっています。
 
 インドのお釈迦様が広めた仏教の教えが東南アジアから中国、朝鮮を経て日本に伝わり、多くの宗旨に枝分かれしたものの、現代社会まで引き継いでいる事にも驚きですが、それぞれの教義は異なってもお釈迦様への尊厳が失われていないことにも驚きを隠せません。
 
 さて、最初に添付した棒は何か判りましたか。多くの方は子供の頃に見たか、食べられた経験があるでしょうが、法要が終わった後にご本尊に供えられた果物と一緒に配られる米を原料とした餅で、これを1センチ程度に切って焼いて食べます。
 この餅については、お寺の近所の檀家のご婦人たちが作るそうですが、私の住む町内の浄土宗の講組では、講組自体を止めようかと相談している有り様で、お寺の檀家の温度差も実感させられます。
 
 私の隣にも浄土宗の尼寺があり、私の子供の頃には春にお釈迦様の像にお茶をかける「甘茶」がふるまわれており、それはお釈迦様の4月8日の誕生を祝う行事でしたが、今ではそのことを記憶している人も少なくなっており、当り前のように続けられている伝統行事には頭が下がります。
 
 日頃、四国遍路や古刹めぐりには関心を持っていても、先祖供養には無関心になっている反省も必要ですが、本日は僧侶として叔父も参加しており、本堂に張り出された檀家の年忌表を眺め、親類の法要の存在とどうじに年月の経過に花を咲かせる一日ともなりました。
 
                                    2月24日の一言

ブログの削除について我が身として考える

 3日前に久しぶりに矢嶋武弘さんのグーブログを訪れ、入院されていたことを知り、ヤフーサイト以外のブログとの情報不足を補うため、グーサイトにアンテナブログを開設しましたが、矢嶋さんがヤフーブログを削除されて本日が満1年になり、削除の原因となった「著作権法」について記されていることから添付しました。
 
JASRACよ、歌詞の引用がなぜ悪いのか!?     13年2月23日 矢嶋武弘の部屋
「音楽著作権」によれば、歌詞の引用は原則的に禁じられているという。私も以前のヤフーブログに、良かれと思って大いに歌詞を引用し紹介したのだが、それらが著作権を侵害したとのことでブログが全面削除された。しかし、これははなはだ疑問である。著作権法第32条にも「引用利用権」が明記されている。歌詞を引用・紹介して音楽を大いに称賛したというのに、それがどのような“実害”を与えたのだろう . . . 全文を読む
 
ヤフーの“暴挙”は絶対に許せない!     13年2月23日  矢嶋武弘の部屋
<私のヤフー・マイブログが全面削除されてから、ちょうど満1年になる。あの時の衝撃が忘れられないが、多くの人に励まされ助けられた。そのことも忘れられない。お世話になった方々に感謝の意を込めて、以下の文を再録しておこう。 2月23日>私はいまgooのブログを使っているが、実は2月23日にヤフー(Yahoo!)のマイブログを「全面削除」されたのでこちらに移ってきたのである。ヤフーのブログを全面削除さ . . . 全文を読む 
 
 著作権法の運用について、私も個人的には著作者や販売元に実害やイメージダウンがなければ緩やかな運用でも良さそうに思いますが、2日前に記したように、作曲家の吉田正さんと俳優の鶴田浩二さんが一緒になって誕生した曲の多くは、映画の主題歌となっている例がほとんどで、全く縁もなくイメージも違う歌手が歌うとファンでも嫌ですから、そういった意味での規制も欲しいものです。
 
 さて、矢嶋さんがヤフー側に憤慨しているのは、これまで毎日記してきたヤフーブログが突然無くなり、問い合わせたら著作権法に違反しているとの指摘を受けて削除したことが判ったものの、これまで連日記してきた自分の記事が総て消えてしまったことで、削除する前に予告があっても良かったとの主張です。
 
 ヤフーブログが消えてから開設された矢嶋さんのグーブログの利用規約では、「当社は、本サービスを、最低10日間の予告期間をおいて停止又は廃止することができます」と記されており、私自身も平成16年から連日記してきたホームページから、平成18年にヤフーブログへ移行して連日記してきただけに、万が一の間違いで突然削除されたとしたら心境は矢嶋さんと一緒です。
 
 来週の月曜日から3月議会が開会しますが、3月1日に地域の各戸(約7千戸)に配布される予定の神守中学校同窓会報は、月曜日に印刷が仕上がり、火曜日の夜には完成品が我家に届けられる予定となっていますが、翌日の27日には地域の全町内会まで送付する必要があり、配布先は私しか把握していない事から、万が一の事故を考えると多くの協賛スポンサーへの責任からかなりのストレスがたまってきます。
 
 同窓会についても、平成9年より会長を拝命しており、今年が最後と思いながら毎年会長に留まってきたものの、最後にしようと思うと、辞めていく立場では協賛スポンサーの代わりも探せぬ現実に、議員活動も含めて、公的役職の引退と、身体の老化やストレスを真剣に考える日々が増えてきました。
 
                                    2月23日の一言

gooブログにアンテナブログを開設して

 かつては同じヤフーブログで私が当り前に訪問していたブログの中には、他人からの中傷や不適切なコメントに嫌気がさして閉鎖されたり、本人の病気の悪化や入院からそのままになっているブログもありますが、ヤフーとのトラブルが原因で他のブログに移っていった人々も存在します。
 
 そんな一人に、元フジテレビの記者だった矢嶋さんがあり、著作権に触れる書き込みが存在したことに、何の前触れもなくYahooブログ全体が削除されたことに憤慨して、gooブログへ移って毎日記しておられます。
 
矢嶋武弘の部屋 http://blog.goo.ne.jp/yajimatakehiro
 
 元テレビ局の記者として著名人との思い出や、社会を風刺する主張には共鳴するものがあり、時々訪れていたのですが、忙しさでしばらく訪問していなかったところ、ご本人が脳梗塞で入院されている記載を見つけました。
 
 今では確実にブログが文化として社会に根付いた感がしますが、ブログ間の壁は厚く、同じヤフー内のブログのようには行き来ができない現実から、私はあくまでもヤフーブログで展開していきますが、グーブログにも私のアンテナブログを開設することにしました。誰かは伏せて、「中年男のエレジー 郷愁」としました。
 
私のgooブログ http://blog.goo.ne.jp/s281218
 
 しかし、全く別物のブログを展開するためのものではなく、Yahooブログとgooブログの行き来用であり、gooブログに存在する知人たちのブログへの交流用ブログであります。
 
 書き込み方も判らないgooブログに戸惑いましたが、本日はこのことだけで一日を終えたいと思います。
                                2月22日の一言

永遠に鶴田浩二さんとともに

 愛知県ではテレビ愛知で放映されていますが、テレビ東京の番組で「木曜8時のコンサート2時間スペシャル」が今夜放送され、小林旭さんや西郷輝彦さんの懐かしい歌声を聞きながら久しぶりにのんびりとしていました。
 
 しかし、画面に作詞・宮川哲夫、作曲・吉田正のテロップとともに、「街のサンドイッチマン」の曲名が紹介され、タンタン、タララララ、ララララララララ、タンタン、タラ…と懐かしい演奏が始まったまでは良かったものの…
 
 「お父さん、良かったねー」
 「なァに、がー」
 「歌ってもらって」
 「何を言っとるんだー×××」
 
 歌うのは私が生涯のファンとなる「鶴田浩二」さんではなく、渥美二郎なる演歌歌手ではないか。私の生まれた昭和28年に発売された曲ではあるが、この歌を歌うことを作曲者の吉田正さんはどう思い、何よりも鶴田浩二さんはどう思うのか。難しい著作権とか、法律は許しても、似ても似つかぬイメージで歌われては鶴田浩二さんのために作られた曲ではなくなってしまうではないか。
 
街のサンドイッチマン http://www.youtube.com/watch?v=p_Pc9hGe-m8
 
 「映画俳優の鶴田浩二でございます」…鶴田浩二さんがステージで歌う場合に必ず冒頭に挨拶した一言ですが、この一言を巡って鶴田さんは吉田正さんと大喧嘩をし、歌についてはプロとしての厳しさ、難しさを熟知していたことから生涯貫きとおした哲学でもありました。
 
 街のサンドイッチマンについても、昭和28年に吉田正さんがビクターのスタジオで「これはダメな曲だ」と断って弾いた曲であったが、この曲を聞いた鶴田浩二さんが「この歌はいい歌だ」と宮川哲夫さんの詩の一編を気にいって引っ張り出し、「さすらいの湖畔」のB面で発売されている。
 
 鶴田浩二さんにとっては代表作となるこの曲も、すぐには人気がでず、発売された翌年になって当時のサラリーマンの心理と重なり合って大流行し、翌年の「赤と黒のブルース」から31年の「好きだった」の大ヒットにつながっていきました。
 
 「酒でも飲んで少し砕けろや」との鶴田さんの一言が、それまでほとんど酒の飲めなかった吉田さんを変え、「大衆歌謡は、書斎に閉じこもって書くものではない。絶えず世の中に肌で接していてこそ書けるものなのだ」と、この曲の誕生が作曲家の人生も変えていきました。
 
 曲の誕生秘話については、大学の後輩となる杉井輝応さんが、平成9年に発行された「鶴田浩二」に詳しく記されているが、作曲家の吉田正さんと俳優の鶴田浩二さんが酒を酌み交わしながら世情とともに誕生して披露されたもので、鶴田ファンとしてはプロの歌手であっても、金をもらって人々に歌って聞かせられるものではなく、金を払ってカラオケで歌うしかないのである。
 
 現実に、吉田正さんや鶴田浩二さんが現存していたら、絶対に渥美二郎がテレビで歌って聞かせることはできなかった曲で、「歌は人間の心を伝えるものだ。人間の肌の温かさを感じさせるものだ。生身の人間の愛おしさを感じさせるのが歌だ」と語っていた鶴田浩二さんしか表現のできない曲でもあり、本日の歌声には寂しさとともに、怒りが込み上げてきました。
 
 少なくとも渥美二郎が、杉井さんの「鶴田浩二」を熟読しても、鶴田さんの曲を歌えるのかを知りたいものですが、何でもかんでも現役で、しかも、盛りの過ぎた歌手が歌う必要もなく、当時の映像と鶴田浩二さんの実声を聞くしかないのである。
 
 ただし、久しぶりに、鶴田浩二さんのことが家庭の話題となり、家内は「勝手に言っててよッ」とかなり立腹のようですが、過去に記した一言に添付したユーチューブが無効になっており、改めて添付してテレビの前で(車内では毎日聞いております)唄声を聞けたことには感謝です。
                                  2月21日の一言
 
名もない男の詩  http://www.youtube.com/watch?v=df2PokRsRps         
 
 

大木から松の新芽が…御嵩宿で

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 添付した写真は、樹齢100年以上の古木に枝を出す松の枝で、桜と思われる古木の折れ口から発芽して新芽を伸ばしており、共存共栄を図れば数年後には春に桜の花が咲く松として有名になるのかもしれません。
 
 携帯電話の感度が悪いため、説明がなければ判りませんが、桜の古木は枯れていくものと思われ、桜の花と松のコラボレーションは実現しない可能性もあるものの、根元からは新しい桜の枝も出ていることから、専門家が面倒をみて名物に育ててもらいたいものです。
 
イメージ 2 この木は中仙道49番目の宿場「御嵩宿」にある古刹願興寺(がんこうじ)の山門近くに生えており、願興寺は天台宗の開祖となる最澄が弘仁6年(815年)に創建と伝えられ、山号の大寺山のごとく荒廃はしているものの私の住む津島市周辺には存在しない大きな本堂と広い回廊に驚かされます。
 
 境内からは最澄の時代より古い奈良時代の古瓦が出土しており、古代創建の前身寺院(願興寺廃寺)が存在したとありますが、私が驚いたのはこの一帯の御嵩宿は尾張藩領とのことでした。御嵩町は岐阜県のため遠い印象が強かったものの、愛知県の犬山市に隣接し、宿場町として歴史を刻むだけでなく、旧中仙道から高速道路網が拡充されたことで、車の流れから外れて隠された観光スポットとしての魅力を感じます。
 
 私の住む津島市は、旧東海道の熱田から桑名までの海路に併設された陸路の佐屋街道が通っていますが、中山道は東京の日本橋から始まり、浦和や高崎、軽井沢と進み、塩尻、薮原、馬篭から御嵩へ入り、鵜沼から関ヶ原を経由して草津から東海道に合流して京都三条大橋に至ります。
 
 木曽川の河口となる我々の住む一帯は、木曽川や関連する支流の氾濫が繰り返された歴史によって、古刹が水害で流され続けたことから存在せず、御嵩宿に残された宿場町としての遺産や神社仏閣は輝かしい文化、観光資源でもありました。
 
 半月前に訪れ、記憶からも忘れられていた古木に生えた松でしたが、携帯電話に残された画像を削除する中から存在に気づき添付した次第です。春の桜が開花するころに訪れてみたい宿場でもあります。
 
                                     2月20日の一言

蔵の宿の原作者の訃報を知り…

イメージ 1 1ヵ月前から休載中となっていた週刊漫画「蔵の宿」の原作者が、胃がんのため亡くなっていたことが、先週に発売された最新号に掲載されており、漫画のファンではありながら、原作者の名前も知らないままに、しかも原作者は私と同年であった事実に悲しいの一言となりました。
 
 たかだか漫画と笑われるかもしれませんが、スタートした当時(1998年9月)から毎週読んできた漫画であり、この週刊漫画の主役級の漫画だっただけに、この漫画を読むために毎週金曜日の夕方に喫茶店に通っていた私の長い歴史が途絶えてしまったような気持ちです。
 
漫画「蔵の宿」、西ゆうじさん死去 坂井市丸岡町出身、59歳
 福井県の造り酒屋を舞台にした漫画「蔵の宿」などで知られる坂井市丸岡町出身の作家で漫画原作者、演出家の西ゆうじ=本名・祐治=(にし・ゆうじ)さんが6日午前2時12分、胃がんのため東京都板橋区の病院で死去した。59歳。
 関係者によると、2年ほど前から都内の病院に入院していた。通夜は8日午後6時から、告別式は9日午前10時半から、いずれも東京都豊島区池袋3の1の6、祥雲寺で。喪主は長男由澄輝(ゆずき)さん。
 坂井市丸岡町安田新出身。大学卒業後、映画監督の鈴木清順氏に師事し、テレビドラマの脚本から作家活動を始めた。深夜ラジオ番組や舞台演出など幅広く手掛け、1998年~2010年の長期にわたり、週刊漫画TIMESで「蔵の宿」を連載。主人公を本県生まれに設定した「あんどーなつ―江戸和菓子職人物語」や「華中華」など数多くの原作がある。
                     福井新聞の転載です
 
 本日は朝から市議会の議会運営委員会や議案説明会が夕方まで続き、夜に開催される書道会との合間に訪れた喫茶店で訃報を知り、書道会後に中学の同窓会報の校正を持って一宮市に走ったため、帰宅した11時過ぎにこの一言を記しかけました。
 
 ネット検索で、私が愛読してきたビックコミックオリジナルの「あんどーなつ」の原作も西ゆうじさんの原作と知り、人を笑わせるだけの漫画とは違って、共に不遇の過去を胸にしまって頑張る女性達が主張して、我々を感化させる作品だっただけに残念でもあります。
 
 「あんどーなつ」については休載されておらず、原作がどの程度残されているのか気になりますが、「蔵の宿」についても原作が残っておれば、作画を続けて欲しいと思いますが、さてどうなるのでしょうか。
 
 漫画にも色々あり、「蔵の宿」や「あんどーなつ」のように、原作者によって筋書きと完結のある劇画が増え、テレビドラマや映画化される例が多く、原作者の故郷である福井や北陸にこだわって描かれていただけに悲しい別れともなりました。
 
 さて、「蔵の宿」が連載されていた週刊漫画は、私にとっては巻末の占いのコーナーも捨てがたいものがあり、今週の私の占いは何ともならない失敗がありそうな相であり、本日の夜になって一宮市まで走ったのも、明日への先送りは危険と察しての行動でした。しばらくは油断のできない日々が続きます。
 
                                     2月19日の一言

グループ茜小さな作品展へのいざない

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 本日訪れた津島市西愛宕町の珈琲店「茜屋」では、グループ茜「小さな作品合同展」で、茜屋の壁に作品を飾った芸術家や、愛西市の公民館で開催される「合同展」に作品を出展していた人たちが、小さな作品を持ち寄った展覧会が開催されていました。
 
 この作品展は、今月末の28日まで開催されていますが、これまで40年間にわたって営業していた茜屋が、建物の所有者によって建物が解体されるため、今月末を持って閉店することから茜屋さんにとっても最後の展覧会となります。
 
 「それでは茜屋さんはどうするの」の一言が聞かれますが、ご主人も70才になっておられることと、数年前には大病を患っておられることから、新たに開店される気持ちは持っておられず、隠居として悠々自適の生活に入られるそうです。
 
 私はここのマスターを通じて、社会人落語として、本職の落語家以上に落語会に参加して、私の住む津島市を中心とする地域に、社会人落語の礎を作った「浪漫亭砂九」さんを紹介されました。
 
 その砂九さんこと、纐纈さんも交通事故の被害者として命を落とし、私の一番の恩師でもあった中学時代の教頭長谷川先生も、長谷川先生と一緒に書道展に書を披露しておられた木村さんも鬼籍に入られており、その他の多くの知人たちを偲ぶ場所が無くなるのは寂しいかぎりです。
 
 本日は現在完成を目指して編集中の「神守中同窓会報」を編集する一宮市の佐藤さんと一緒に訪れましたが、佐藤さんの娘さんも茜屋に置かれたグランドピアノでピアノコンサートを9年間も開催してきた事から、茜屋さんの閉店によって会う機会が減る知人と携帯電話の番号を交換しあっておられましたが、一軒の珈琲屋さんの閉店が人々の交流する機会まで減らしていき、お互いが年齢を重ねているだけに寂しさを実感する一日ともなりました。
 
 どこからも表彰されることなく、茜屋さんのマスターも表彰とは無縁の性格で、忌憚のない発言を続けてこられましたが、津島市や海部地方の社会教育に大きな足跡を残す茜屋の閉店には、昭和の気概や気風の終末のような気持ちが湧き、我々市民からの表彰状を贈呈したいような気持ちです。
 
 閉店の話題は寂しく、今年の4月中旬には私の「上高地写真展」も開催を予定されていただけに、一つの目標を失ったような心境ですが、私以上に元気だったマスターが見せる横顔の寂しさが身に堪えます。
 
 一人でも多くの人々に、グループ茜「小さな作品合同展」へ足を運んでいただき、40年の歴史を振り返ってもらいたいものです。
 
                                     2月18日の一言

忘れていた椿を思い出し

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 添付した写真は、昨年4月3日の一言に添付した椿の写真で、綺麗なピンク色で大量の花を咲かせていましたが、その後遺症もあったのか、夏に数日家を空けていた隙に枯らかしてしまいました。近いうちに植木鉢から路地植えにしようと考えていただけに残念ですが、枯れた木から新芽は出ませんでした。
 
 この椿は、四国の別格14番椿堂で平成9年にいただいた椿の木で、昨年11月に訪れた際にご住職の奥様に話したところ、「まだ残っているので良かったら…」と言われましたが、ピンクの花の咲く木が特定できない事から、咲いたら判るようにお願いして帰ってきました。
 
 下に添付した過去の一言にも記されていますが、このピンク色の椿には思い出が詰まっており、3年間だけでしたが当り前に花を咲かせ、特に昨年は大量に花を咲かせたことから、枯れるなんて思ってもいませんでした。
  
 
 昨秋に「花が咲いたら」とお願いしてきましたが、愛媛県の新聞報道から「つばき祭り」の記事を見つけ、まだ先の話と思っていた椿の開花が現実のものとなっており、昨年は4月に開花していたものの、3年前には2月に開花していた事から、私の記憶もいい加減なものですね。 
 
華やぐ参道 松山で椿まつり始まる
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ワッショイ」。16日午前0時の開門に合わせ、和菓子の「一六本舗」などを経営する「ITMグループ」(松山市東石井1丁目)の社員110人が楼門から走り込んだ。「商売には一番が大切」と30年ほど前から続ける社を挙げてのイベント。玉置泰社長(63)は「社員とともに、今年一年をやり抜くぞという気持ちになりました」。ほかにも参拝客10人ほどが「一番乗り」の祈祷(きとう)を拝殿で受けた。
 好天に恵まれた日中は500店ほどの露店が並ぶ参道が食べ歩きを楽しむ人たちでにぎわった。鳥居横の駐車場付近には、縁起物店が十数店。地元の農家らが毎年、福を呼び込む熊手や福俵など手作りの縁起物を売り、毎年買い求める常連客も多い。
 近くの主婦今村光枝さん(69)は半世紀近く、自作の稲から家族で作った福俵や宝船を売っている。「今年も来たよ、とお客さんに声をかけられるのが一番のやりがい。皆さんの一年がいい年になれば」と話す。松山市の自営業谷口見和子さん(43)は「昨年より一回り大きい熊手を買いました。一歩前に踏み出せる年にしたい」。
 神社は縁起開運と商売繁盛の神で知られ、祭りは毎年、旧暦の1月7~9日に合わせ伊予路に春を呼ぶとされる。3日間の期間中に約千の企業や自営業者が祈願に足を運ぶという。17日午前9時から例大祭、同午後6時半からみこしを金刀比羅神社(同市北土居4丁目)へ運ぶ「お忍びの渡御(とぎょ)」があり、18日深夜12時の閉門まで休みなく続く。
 権宮司(ごんぐうじ)の長曽我部昭一郎さん(41)は「季節の移ろいを感じながら、心静かにご参拝いただければ」と話した。
 
 さて、私は平成13年から四国遍路をはじめましたが、これまでの10年間にもっとアンテナを広げておれば、もっと四国を無駄なく廻っておれたと反省ばかりの繰り返しで、今回も松山市の椿神社で規模の大きい「椿まつり」が行なわれていることを初めて知りました。
 
 椿神社は、伊豫豆比古命神社といい、伊豫豆比古命・伊豫豆比売命の二柱を祭神として二千余年の古くより鎮座しており、縁起開運・商売繁昌の神様として多くの参拝客が訪れているようですが、現在も境内一帯に藪椿を主に、各種の椿が自生していることが、「椿の神社」と呼ばれるとの説話があるようです。
 
 まもなく3月議会が開催されていきますが、四国に残してあった宿題も忘れてはならない事を実感する一日となりました。
 
                                     2月17日の一言

27年ぶりにSLが名古屋を快走し

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私のメールに送信されてきた知人の撮影した本日のSL
 
 本日は、名古屋市の「あおなみ線」で、名古屋駅と名古屋貨物ターミナル駅を結ぶ約5キロ間を、客車3両を引くSL「C56形160号機」に約200人が乗車し、鉄道沿線には鉄道ファンだけでなく、多くの人々が訪れた様子が全国に発信されました。
 
「SLの聖地」に向け出発 27年ぶり名古屋の街を快走
 
 名古屋市の河村市長は、名古屋を「SLの聖地」にする構想を掲げていて、市は今回の実験走行の結果も参考に検討を進めると報じられていますが、発表当時の思いつきのような発想と批判を一蹴して実現した実行力は見事です。
 
 SLが走るのは27年ぶりとのことですが、私が名古屋の名鉄病院に入院していた昭和44年当時に、名鉄栄生駅の南側の国鉄東海道線車輌置き場をSLが行き来しており、入院期間が長かっただけに屋上から黙々と走るSLを眺めることが多く、時々聞こえる夕暮れの汽笛が悲鳴のように聞こえて自宅が恋しくなったことが昨日のことのように思い起されました。
 
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 添付した写真は、名古屋市の交通局に勤める知人が撮影したものですが、冒頭の写真は本日の朝に名古屋駅を発車した直後のSLで、上の写真は京都から東海道線を運送中のSLの様子で、先頭の電気機関車とディーゼル機関車が引くSLと、3両の客車で、木曽川の近くで撮影した写真だそうです。
 
イメージ 3 左の写真は、「あおなみ線」の留置線の奥で整備中のSLとの説明です。
 
 子供の頃に、御嶽山へ参拝するため木曽福島駅まで利用したSLは力強く、トンネルに入るたびに窓を閉めるものの、閉め忘れると顔が黒くなるだけでなく、目にススが入って目が開けられなくなった当時が懐かしく思い出されます。
 
 平成17年に、朝日旅行友の会のバス旅行で、静岡県の大井川鉄道のSLに金谷駅から千頭駅まで乗車しましたが、観光目的であっても時間を忘れて景色を眺める機会は少なく、新幹線で景色を眺めることはなく、バス旅行でも見えるのは高速道路の側壁ばかりとなっている現代社会の是非とも復活して保存してもらいたいものです。
 
 SLは本日と明日の2日間だけの運行ですが、運行した「あおなみ線」の先には金城ふ頭駅があり、駅を下車した先にはJR東海の鉄道博物館「リニア・鉄道館」があることから、名古屋駅からSLに乗って「リニア・鉄道館」に入場するプランなら、全国から鉄道ファンを呼ぶ観光資源にもなりそうです。
 
 
リニア・鉄道館 http://www.linear-tetsudokan.com/
 
 東京都の石原都知事が国政に転出してから、これまでの存在感がないばかりか、隣国との摩擦をおこす問題発言ばかりを続けていることを考えると、河村市長には地方から国会に物申す首長として、地方主権の具現者として頑張って欲しいものです。
 
                                   2月16日の一言 

ピロリ菌の除菌に保険適用が拡大へ

 本日の午前中にロシア・ウラル地方で、巨大隕石の落下による火の玉と飛行機雲のような白い軌跡を撮影したテレビ映像が世界に発信されました。
 
 ロシア科学アカデミーは「数メートルの大きさで、重さ約10トン、秒速15~20キロで大気圏に突入した」と発表しているが、隕石は湖に落下して直接の落下被害はなかったものの、500人以上が負傷し、約300の建物が被害を受けた被害の甚大さにはびっくりとさせられます。
 
突然、火の玉が 衝撃で吹き飛ぶ扉、転ぶ人 ロシア隕石
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 ノーボスチ通信によると、州都チェリャビンスク市の屋内スケート場でスケートを楽しんでいた多数の子供が、衝撃で一斉に転んだ。目撃したアレクサンドラ・マルテンツさんは「屋根を支えるはりが揺れ、壁の一部が崩れた。みんなスケートを履いたまま出口に殺到した」と話した。
 落下地点の近くに住む男性はラジオ局の取材に「家にいたら、突然、部屋全体が光でいっぱいになり、一瞬で消えた。その直後にすごい音が聞こえた」。子供と公園を散歩していた母親は「隕石が真上を通り過ぎた時、衝撃波で転んでしまった。泣きじゃくる子供を抱えて、近くの建物に駆け込んだ」と証言した。
 地元薬局には、けがの治療のための包帯や、精神的ストレスを和らげるための鎮静剤などを買い求める住民が殺到しているという。
 インタファクス通信が地元住民から得た情報によると、チェリャビンスク市から約40キロ離れたコルキノ市では、爆発直後から大勢の市民が車で街から避難を始めているという。
 チェリャビンスク州知事は、州政府のすべての医療、治安、消防機関の職員が職場に出ることを求めた。ロシア緊急事態省は、多数の住民が負傷しているため、同州に救急隊員約2万人を派遣。内務省は治安維持のために1万人近くの警官を動員したという。
 
ロシア・ウラル地方で隕石爆発 衝撃波で500人超けが
 
 地球に近づく惑星や衛星については、アメリカ航空宇宙局や各国が監視を続けており、地球と衝突の危険性についても警告しているが、今回のように数メートルの隕石でも甚大な被害を及ぼすことから、何ともならない自然環境と同じく人間の無力感を実感させられました。
 
 グアム島で無差別殺人事件が起こり、3人の日本人も被害者となって命を奪われているが、一瞬にして抵抗することなく命を落とす人々や、自然災害によって大量に奪われる命を考えると何事もなく人生をまっとうできること自体が幸せですね。
 
 昨日所用で訪れた診療所で、胃がんに影響があるといわれるピロリ菌の検査を依頼したところ、保険適用ができないため高額になると言われ、調べてもらうと8千円の料金が必要と判りました。
 
 医師の話では、胃潰瘍とか胃の異常がなければ保険は適用とならず、ピロリ菌が発見されれば保険が適用されるとの説明でしたが、昨日訪れた市民病院職員の話では、保険は適用にならないと判明しました。
 
 幸いと言えるかどうかは判りませんが、私は胃がんのバリウム検査の際に、胃の部位に必ずチェックが入る箇所があり、かかりつけ医以外では必ず再検査となる事から、かかりつけ医であれば保険が適用になる可能性もあります。
 
 帰宅後にピロリ菌の顛末を話していると、母親が朝日新聞の「天声人語」に、ピロリ菌の使用に公的保険が適用される見通しの記事があったと話し、検索すると下に添付した大きな記事が存在しました。何事にもアンテナをはりめぐらせないと損をする一例かもしれません。
 
 隕石の落下や、津波などの自然災害を考えると無駄な抵抗のように思われますが、良いと判っていることは実践して、胃がんの発症を抑えたいもので、医療面に対する安部政権の即断即決にも期待したいものです。
 
                                   2月15日の一言
 
胃がん予防、大きな前進 ピロリ菌、胃炎での除菌も保険適用へ
記事の続き…
 がんのなかでも日本人に最も多い胃がんの患者は、約21万人とされ、年間約5万人が亡くなる。胃がんは、がんの死因では2位だ。川崎医科大学(岡山県倉敷市)消化器センター長の春間賢教授は「例えば高校を卒業した時に、ピロリ菌の感染検査と除菌治療をする。こんな方法で除菌が広がれば、胃がんの数は激減するはずだ」と話す。
 春間教授によると、「日本人で胃がんの人はほとんどピロリ菌に感染している」という。「29歳以下の感染率は約30%と低いが、その世代で胃がんになった人の9割以上に感染がある」
 ピロリ菌と胃がんの関係は長年研究されてきた。2001年に発表された日本人を対象とした調査では、約1万5千人でピロリ菌感染の有無を調べ、10年間追跡した。その結果、感染していた人の3%が胃がんになり、感染していなかった人では1人もいなかった。
 08年には、「除菌をすれば胃がんの発生が3分の1になる」と発表された。日本ヘリコバクター学会は09年、胃がん予防のために除菌を勧める指針を出した。
 ピロリ菌は世界中に存在する細菌だ。50代以上の日本人では特に感染率が高く、80%程度という。
 多くの人は5歳までの子どもの頃に井戸水や便、感染者からピロリ菌に感染。ピロリ菌が、胃の粘膜に定着すると胃炎になる。この状態から長い年月をかけて一部が胃潰瘍や胃がんに変化すると考えられている。「ただし、ピロリ菌だけでなく、たばこや、塩分などの食生活が胃がんのリスクを高めます」と春間教授。
 感染経路は特定できない場合が多い。子どもは、ピロリ菌を持った親から感染するケースもある。春間教授は「中高年はもちろん、胃がんになった場合に進行が速い若い人も、一度は検査をしてほしい」と呼びかけている。
 ◆抗生物質飲み、しっかり治療
 ピロリ菌の除菌治療はこれまで、胃・十二指腸潰瘍や早期胃がんの治療後など、4種類の疾患で保険適用されていた。ピロリ菌がいても、そうした病気がない場合の除菌は自費診療となり数万円必要だった。だが近く、胃のもたれや不快感といった症状の「慢性胃炎」と診断されれば、保険で受けられるようになる。
 実際の除菌治療では、「アモキシシリン」「クラリスロマイシン」の2種類の抗生物質と、胃酸を抑える薬剤を1日2回、7日間飲む。4週間以上あとに、除菌できたかどうかを検査する=イラスト。
 東海大学医学部の古賀泰裕教授によると、「最初の治療で除菌できるのは70%程度」という。
 除菌が失敗するのは、患者が下痢や腹痛などの副作用で、きちんと薬を飲まないケース。また、クラリスロマイシンに耐性を持つピロリ菌がいるためだ。最近は成功率が下がる傾向があり、耐性菌が増えているのでは、という指摘がある。
 除菌が失敗した場合、薬の種類を変えて再び除菌療法を行う。
 古賀教授によると、除菌の成功率を高めるには「薬を飲む2~4週前にヨーグルトを食べる、という方法があります」という。
 特定の菌株のヨーグルトには、ピロリ菌の抑制効果があることが分かっている。同大の高木敦司教授らの研究で、除菌の3週間前からこのヨーグルトを1日180グラム食べると、除菌の成功率が12%程度高くなった。また、耐性菌を持つ患者でみると、約15%だった成功率が50%以上に。「このヨーグルトが耐性菌に対しても効果があるということを示しています」
 ピロリ除菌後に胃酸が増えて、胸焼けなどを起こす逆流性食道炎の症状が出る場合がある。「その際にもヨーグルトを食べることで症状が抑えられる効果も期待できる」と古賀教授は話す。(朴琴順)  

病院から日曜日時間外の調査結果が届き

 日曜日の夜に、私の母親が津島市民病院の時間外診療を受けられず、弥富市の海南病院で七時間を越す診察を受けた顛末は、当日から3日間にわたって詳細に事実と私の率直な気持ちを記しました。
 
 海南病院で七時間を越す検査と応急処置を施された診療だったことから、津島市民病院の「しばらく様子を見てください」と、電話口で断られた事実は、私の母親でなくとも誰であっても大問題であり、私はこの事実から「何故、電話口で断った」のか原因を調査するように担当者に伝えてありました。
 
 その調査結果が本日の夜にもたらされました。その内容は、私がこの一言に記したとおりでしたが、大きな違いは私の家族が津島市民病院の時間外診療を受けたいと望んで病状を説明しているのに対して、「診療しない」ことを前提に聞かれているとしか思えないことでした。病院側は「診察することを前提に病状を聞いた」と説明していましたが…
 
日曜日の再掲載です 赤字が本日の記載です
母親が外出先で体調不良になっており、夜になっても改善しないため、夜間診療をうけるため津島市民病院へ連絡したところ、様子をみてくれとの話で、途中から受話器から音楽が鳴り出し会話不能になったとの話です。
 午後8時30分
通話は約10分~15分くらいと思われる。 「しばらく様子を見てくれ」…「診察をしてくれ」…「現在の症状は」…「今はおちついている」…「様子を見て下さい」…「万が一があっては困るから」…こんな応答が続いた挙句に、母親の症状を聞いて電話で告げようとすると受話器から音楽が流れており話せません。「もしもし」を何度も繰り返して、無反応のため家内は電話を切りました。
病院側は、「電話が切れて、その後待機していたが連絡がなかった」との話でした。
              
家内と三男が直接母親を連れて病院へはしりましたが.....  午後9時
津島市民病院に連れて行けと指示しました。
            
途中で戻ってきた家内に叱られ、私も出動です。  午後10時30分
母親の薬情報が必要になっての出動です。
            
しかし、真っ暗な病院内を探しても家族の姿はありません。
津島市民病院にはガードマンが1人、通路のソファーに毛布を被った患者と付き添いが1人ずつ、診察室の明かりはついていたものの人の気配は無し。
            
母親は市民病院ではなく、弥富市の海南病院の夜間診療を受診していました。
家族は津島市民病院の前まで行ったようですが、「行っても診てもらえないかも…」と、素通りして海南病院に走っていったようです。
 病院側は、診察するにあたって病状を聞いていたと言いますが、「様子を見て下さい」の返答に、およそ10分以上にわたって受診するために家内は病状を説明しており、最後に保留中の音楽が流れたことは「何かの間違いだった」としても、説明とは違って診察を断る前提で聞かれていたとしか思えません。
 
 結果的には当日の当直は脳外科医が担当しており、救急患者もいなかったことから、市民病院に連れて行ってもその場で診察されたと思われますが、そうであれば電話口で「しばらく自宅で様子を見てくれ」とは言わず、「診察するにあたって…」として母親の症状を聞くべきだったのではないでしょうか。
 
 火曜日の一言に、「津島死人病院の悪いウワサを実感し」と記したことに、一般市民ならいざ知らず、議員としての立場で記されたことが悲しいし、影響力を考えて欲しいとの話でしたが、過去に何度となく救急患者や時間外診療を断った事例の改善を議会で求めており、私の家族だけでも3回目の事例だけに、議員として本音の怒りで記してありました。
 
 病院側の立場で調査した担当者と、患者の家族として私の本音を聞いた担当者は板挟みでしょうが、何を弁解しても時間外診療のために帰宅していた医師まで呼び出して母親を診察した海南病院との差は歴然です。
 
 もっとも、私は3日間にわたって書きたいだけ批判しており、当日の電話対応の調査と、今後の改善が図られれば良しと考え、市民病院については書き続ける気持ちはなく、昨日からは話題を変えましたが、本日訪れた担当者は高校時代からの友人であり、「診療拒否は誤解」との説明は納得できませんが、「津島死人病院は心外だ」との意見には同情するものがあり、火曜日の題目を市民病院に変更するために本日も書き記した次第です。
 
 結果論として、市民病院が弁解しても診る気のない電話応対だった事は明らかですし、そんな病院で診てもらうよりも、夜間に呼び出された海南病院の内科医師が、自ら母親の今後の診療を引き受けられ、医療レベルの高い病院に通院できるようになったことを「運が良かった」と思っています。
 多くの方々から心配する電話をもらいましたが、母親の肺炎は改善に向かっており、本日の検査では膵臓と肝臓の検査が引き続き必要なものの、万が一と思った日曜日の危機感は回避できたように思われます。
 
                                 2月14日の一言

表向きは立派でも、本題は中身だ

 本日の朝日新聞の地元地方版に、「救急車の正しい利用を促すパンフレットとDVDを津島市が作った」とする記事が掲載され、「ねんざ」や「病院で順番待ちをしたくなかった」などの不適正使用が、津島市の救急車出動件数の半数以上に及ぶとの記事が掲載されてきました。
 
救急車の正しい利用法知って
記事の続き…
…あくまでも「正しい利用」。パンフレットでは、「すぐ119番」の症状を大人と小児に分けて図示したほか、頭痛や腹痛、胸痛、やけどなどそれぞれの分野で具体的なチェック項目をいくつか設け、「ひとつでも該当すればすぐに119番通報を」と呼びかけている。
 市によると2011年の救急出動回数は2774件あった。しかし、そのうち54%が、包丁で指を少し切ったり足首をねんざしたりといった軽症者だった。なかには「病院で処方された薬がなくなった」「熱があるので病院で順番待ちをしたくなかった」ことによる出動要請もあったという。
 市消防本部にある救急車は3台。通報から現場到着までの平均所要時間は約7分。「本物の緊急事態が重なった場合に対応が遅れ、助かる命が助からない事態が起きてしまう」(市消防本部)と懸念し、啓発に乗り出した。
※添付した朝日新聞記事中の、「市広報紙といっしょに3月1日から市内全戸に配布する」は誤報で、全戸配布はされませんとの連絡が市役所よりありました。
 
 「救急車は近所迷惑だから…」と、苦労して重症の家族を病院に連れていった話や、救急車を頼んでいたら助かったのにといった悲劇も存在し、救急車をタクシー代わりに使う不届き者が存在する反面で、救急車を依頼すべき人が依頼していないケースも相当数にのぼると考えられます。
 
 「大鹿さん、主人を〇〇医院まで連れてってください」との依頼に「おおしかタクシー」を走らせると、布団の上のご主人は歩く元気もなく、四つんばいになった奥様の上にご主人をのせて玄関まで辿り着いたこともありました。
 
 「これは救急車の方が…」との私の一言に、「何とか運んでもらえませんか」の一言から、座席まで運んだものの、降ろすこともできない症状から、救急車なら確実に病院へ搬送すると思われる症状のため、かかりつけ医ではなく病院に行こうと連絡すると、病院側の受け入れに厳しいチェックがあり、素人診断でもこれは確実に病院と、強引に搬入したこともありました。
 
 喉に餅がつまっても、出血して血が止まらなくなっても、患者を少しでも早く病院に搬入する必要があり、当事者になって考えれば、1分1秒が命に関わる必死の状態となりますが、少しでも早く患者を病院に搬入するためには、救急車だけでなく、病院も絶対に助けるとの必死の受け入れ体勢を取って欲しいものです。
 
 さて、明日は午前中に特別養護老人ホームへ家族の受け入れを申し込みたい人に同行し、午後には日曜日の救命センターでお世話になった海南病院へ母親を連れて行く予定となつています。
 
 同時進行で神守中学校の同窓会報の編集が進んでおり、来週まで待つ必要のある広告主もあることから、半月を残している2月についても、25日から開催される3月議会まで、完全にスケジュールは埋まってしまい、うかつには約束のできない日々が続いていくこととなります。
 
                                      2月13日の一言

津島市民病院の悪いウワサを実感し…

 本日は市役所で議会運営委員会が開催され、国の制度改正に伴って、津島市議会の政務調査費の内容についての審議が展開されました。
 
 日曜日の夜に母親を海南病院に連れて行ったことについて、昨日までにこの一言に記した内容から、思いもよらぬ人々から容体を聞かれたり、津島市民病院に対する我家同様の不満も届けられてびっくりともさせられています。
 
 ただし、市民病院に対する考え方に大きな違いがあり、私自身は津島市の市議会議員をしていても、市民病院に世話になりたいとは考えてもおらず、交通事故や急病で仕方が無い場合には世話になるものの、日常生活においては彦坂外科の院長がかかりつけ医として存在し、手術を要する重篤な場合にも利用したいとは考えておりません。
 
 何でも市民病院とは考えておらないものの、赤字を垂れ流す津島市の市民病院については、なんともならない交通事故や、生命に関わる突然の救命に役立たなければ、存在しなくとも良い位に考えて、市税の投入にも理解を示しているだけに、今回の母親のように、受診拒否とは言わせないように、時間外の患者を受け付けない電話対応をした担当者には名前を調べて公表したいような怒りを覚えています。
 
 一方において、夜間であるにも関わらず、担当となっていなかった内科医を電話で呼び寄せて対応した弥富市の海南病院には感謝の一言で、夜間に呼び出された医師が、原因を解明するために4日後の自分の外来を受診するように手配してくれた熱意は感謝だけではすまない恩を感じています。
 
 今回のいきさつを再度説明しますが、夜間診療の案内をしてくれた医療センターから津島市民病院を指名され、家内が市民病院に事前連絡をしたところ、母親の症状を聞かれた挙句に、「しばらく様子を見てくれ」と断られ、何とか診察を受けたいため詳細に伝えて、母親に様子を聞いている間に、受話器には保留中の音楽が流れ続け、問い掛けても音楽が流れ続けて応答できない事から、知り合いの医療関係者に問い合わせ、病院に行く必要があると言われたことから、三男が母親と家内を乗せて搬送しました。
 
 ちなみに、私はそれでも市民病院に連れていったと思っており、後発で市民病院に走ったところ、受付にガードマンが座っていたものの、時間外診療は誰もおらず、待合室のベンチに横たわる女性と付き添いが1人いただけでした。(海南病院は常時20人くらいの患者が待合室を埋め尽くし、朝まで患者が続きました)
 
 あれだけ頼んでも診察しようともしなかった市民病院に連れて行って、「医師がいない」と言われても困るため、家族は海南病院に走ったと後に判りましたが、海南病院が7時間を超えた検査や応急処置をし、なおかつ4日後の再診まで手配した母親は、心配された脳卒中は(診察時は)異常なかったものの、肝臓と膵臓の数値は極めて悪く、軽いものの肺炎も併発していたことから、万が一の危険もあったと推測されます。
 
 「誰のために診察しているの」の一言は、あまりにも長い処置に悪いと思った母親が、「もう良いから帰して下さい」と言った一言に対する医師の言葉で、頭のCTから内臓の超音波やCT、肺のCTで肺炎が見つかってからは、痰から細菌の検査をして薬を処方するなど、万が一の危険を避けるための対応と、その都度家族に説明をしながら7時間を超える診察は日中の診察よりも真剣に思えました。
 
 海南病院が7時間以上もかけた診察を、津島市民病院は電話対応だけで、「しばらく様子を見てください」と事実上の受診拒否した対応は、市民から津島死人病院と揶揄されても否定できない、誠意どころか氷のように冷たい仕打ちとか思えません。本当に自宅で様子を見ていて大丈夫だったのか。
 
 議員や議員の家族が特別扱いされたいとは考えてもおりませんが、緊急時の不安な市民の心情を無視するような対応は許しがたく、こんな病院を頼らざるを得ない寂しさを実感するとともに、こんな高飛車で不誠実な公立病院は徹底的に糾弾していく必要性を実感させられます。
 
                                     2月12日の一言

病気は明日からの生活を真っ暗にします

 本日は昨晩から母親を連れていった弥富市の海南病院の救急外来から帰ったのが7時過ぎになり、一時間後に仮眠をとっている私の枕元で携帯電話が鳴り響き、寝ぼけたように応対すると、薬局まで乗せて行って欲しいとの福祉有償運送の依頼で、一瞬メンバーの顔が浮かんだものの、連休の早朝ゆえに眠ったままの身体で着替えて車を走らせました。
 
 依頼者は、身体の痛みが心配で、次回の通院までに品切れとなってしまった鎮痛剤の「ロキソニン」を買いたいとの希望で、訪れた薬局に薬剤師が不在のため、他の薬局を探して買い求めて送迎は終了したものの、身体は夢遊病者のような状態です。
 
 さて、昨日に訪れた横井庄一記念館では、今年が横井さんが亡くなって17回忌の年にあたるため、5月に法要を行なうことと、夫人が今年には85才になることから、「そろそろ、記念館の後々のことを考えて…」と、記念館の継承の話に発展していきました。
 
 「自分(私)が死んでからも、30年位は記念館が続いて欲しい」と話したことはありましたが、無料で開館している記念館の維持のためにも、建物や土地の税金やら、庭の剪定や建物の修理費などを考えると、夫人の存在なくしては考えられません。
 
 しかし、夫人の年齢を考えると記念館の将来について、NPO法人化などによって永続的に続ける仕組みを考えるのは急務で、「あなたなら親戚の誰もが納得する」と言われても、我家ですら私の後継が決まっていない現状から、今年は具体的な話し合いが必要になりそうです。
 
ローマ法王、28日に退位「職務継続が難しくなった」
記事の続き…
 新法王は従来通り選挙(コンクラーベ)で選ばれる。法王退位後すみやかに、バチカン市国のシスティーナ礼拝堂で、世界から集まる80歳未満の枢機卿による秘密投票によって行われるとみられる。
 ベネディクト16世は高齢による体力の衰えが目立ち、ミサの際の移動に台車を使うことも目立っていた。84歳で亡くなった前法王ヨハネ・パウロ2世がパーキンソン病などで衰え、言葉も発せない状態で晩年を迎えたのを側近として支えた経験がある。
 ただ、ベネディクト16世の医師団は11日、ANSA通信に対して「(法王は)リウマチと慢性心房細動を患っている」ものの、現時点では職務遂行には問題ない状態だ、と語ったという。
 本名ヨーゼフ・ラツィンガー。1927年4月16日、オーストリアとの国境に近いドイツ南部バイエルン州マルクトル村で生まれた。ナチスの青少年組織「ヒトラー・ユーゲント」に義務的に入っていた時期がある。第2次世界大戦末期は対空砲発射台の補助部隊員で、米軍の戦争捕虜として終戦を迎えた。
 ミュンヘン大などで哲学や神学を学び、51年に司祭になった。62~65年の第2バチカン公会議では若い神学顧問として注目された。独レーゲンスブルク大の副学長から77年には枢機卿に。81年に前法王の故ヨハネ・パウロ2世からバチカン教理省長官に任命され、前法王死去まで務めた。05年4月のコンクラーベで新法王に選ばれた。
 教義に関しては、事実婚や中絶、未婚者の性交、神父の妻帯を認めないなど、前法王時代からのきわめて保守的な姿勢を保った。
 外国訪問では平和と和解の路線を継承。06年5月のポーランド訪問では、アウシュビッツ・ビルケナウ強制収容所跡を訪れてホロコースト(ユダヤ人虐殺)の犠牲者への祈りを捧げ、「ドイツ人として、ここに来ることは義務だ」と述べた。
 06年11月に訪れたトルコでは、前法王に次いで歴代2人目のモスクを訪問した法王となった。しかし、イスラム圏とは摩擦が目立った。トルコ訪問の2カ月前に独大学で行った神学講義でのイスラム教に関する引用では、イスラム諸国から強い反発を招いた。
 また11年1月には、エジプト国内のキリスト教の一派、コプト教徒へのテロを厳しく批判。中東域内のキリスト教徒の安全を懸念したところ、エジプトのイスラム教スンニ派最高権威アズハルのトップが「内政干渉」と反発、エジプト政府が駐バチカン大使を召還する事態に至った。
 
 偶然ですが横井夫人と同じ「85才」のローマ法王が、高齢のため体調維持が難しいとして退位する報道があり、昨晩救急外来に連れて行った私の母親は4才若いことを考えると、昨晩の半日がかりの検査と処置にぴ゛っくりした現実が重なりました。
 
「千鳥」のノブさん、頭痛訴え入院
 
 本日の報道では、わずか33才のタレント「ノブさん」が頭痛を訴えて入院したとの記事がありましたが、昨晩は母親の検査が済む度に医師の説明があり、原因が判らないため14日に再診する事となりましたが、「もしかしたら…」と心配する検査と処置が7時間もかけて深夜に行われました。
 
 「万が一」を考えて深夜に検査が続けられだけでなく、肝機能と膵臓の数値が悪い事から、消化器科の医師まで連絡して呼び寄せるなど、海南病院の対応には感謝の一言しかありませんが、私の住む津島市民病院の時間外診療は最悪で、電話で断っているため患者も1人しかいませんでしたが、医療センターから市民病院を指定されて連絡しているのに、診察もせずに「しばらく様子を見て下さい」と告げて、家内が母親の様子を聞いているうちに、受話器には保留中の音楽が流れつづけ、結果的に応答拒否となった事は許す事のできない怠慢です。
 
 このことは、また明日に…
                                     2月11日の一言 
追伸
母親は脳卒中の検査は異常なかったものの、肝臓と膵臓の数値が悪いため、再診することになっていますが、肺炎も併発していることが判り、肺炎の細菌も検査して処方されたため、半月ほど続いていた微熱は改善されたようです。

母親を夜間診療へ

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本日は久々に横井庄一記念館におりましたが、外出していた母親が外出先で体調不良になっており、夜になっても改善しないため、夜間診療をうけるため津島市民病院へ連絡したところ、様子をみてくれとの話で、途中から受話器から音楽が鳴り出し会話不能になったとの話です。  午後8時30分
              
家内と三男が直接母親を連れて病院へはしりましたが.....  午後9時
            
途中で戻ってきた家内に叱られ、私も出動です。  午後10時30分
            
しかし、真っ暗な病院内を探しても家族の姿はありません。
            
母親は市民病院ではなく、弥富市の海南病院の夜間診療を受診していました。

情けない情けない話です。

市民病院て診てもらえず遠くの弥富市で待っていると、津島市民の姿もあり、議員としても恥ずかしい気持ちでいっばいとなりました。
 
追伸
海南病院を出たのは午前6時30分。夜10時から午前5時30分まで、検査と診察は7時間を越し、帰宅は7時を廻っていました。

名古屋30キロマラソンの応援に一宮市へ

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 本日、一宮市のに国営木曽三川公園138タワーパークで「名古屋30キロマラソン」が開催され、男子30キロの選手として出場した津島市の佐藤雅成選手の応援に、家内と相棒リマも伴って訪れました。
 
名古屋30キロマラソン
大会スケジュール 
7:00 駐車場オープン
8:00 会場オープン
9:30 オープニングセレモニー
10:00 スタート
12:00 表彰式              14:00 レース終了(制限時間4時間) 
 
           名古屋30キロマラソン http://30k-series.com/nagoya/index.shtml
 
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 前日のテレビニュースで本日からの三連休は、北からの寒波に見舞われて、場所によっては雪が舞うとの報道があったため、会場オープンから表彰式まで時間が長いため、厳冬期の上高地用に購入した下着を着けて出かけたところ、身体が汗ばんで気持ちが悪いほど日差しが差しており、参加された選手にも走りやすいレースになったのではないでしょうか。
 
 こんな感じで、2年前までは実業団の自転車選手として海外レースを夢見ていた三男について、全国各地で開催される自転車のロードレースの観戦と応援に走っていました。しかし、ERからBRに昇格し、国際ロードレースへの出場資格まで得たものの、学業と国家資格取得に専念するためプロを断念したことから、忘れていた久しぶりの感動がよみがえってきました。
 
 本年の正月に、毎年の恒例行事となっている箱根駅伝が開催され、復路の中継地点に到着した上武大学の選手がテレビ画面に映された時、「あっ、佐藤だっ、佐藤が映った」と三男が叫ぶ声を聞き、私はびっくりとしました。
 
 私はその時に佐藤君を走ってきた選手と勘違いしていましたが、三男が叫んだ佐藤君は、笑顔で仲間の選手を出迎えて温かいオーバーウェアーを掛ける裏方でした。それを聞いた時に、私は目頭があつくなり、涙を堪えるのに必死でしたが、三男と同じ神守中学校から陸上を続け、愛知の名門中京大中京から、花田監督のもとで注目されている上武大学陸上部に入り、女子のコーチ役までかってでて、後輩にあたる選手たちの裏方をこなしながら陸上を続けていたことに感激しました。
 
 私の母校である神守中学校では、3月1日に同窓会報を発行することになっており、私は迷わず佐藤君を頑張っている同窓生として紹介したく、三男を通じて連絡をとりあうようになり、本日の観戦は是非とも応援したく訪れた次第でした。
 
 さて、本日の30キロマラソンは、記録を狙う選手だけでなく、一般の市民ランナーや、健康のため走る中年から高年の参加者もあり、「応援」とは言ってもスタート時の佐藤君を見つけるのは至難の業で、15キロで戻ってくる中継点で待っていたものの、市民ランナーの到着予定時間を教えられていた事から、訪れたときには既に走り去っていました。
 
 最後のゴール地点の正面に陣取れば間違いないと待っていると、佐藤君は3位でゴールテープを切って入ってきましたが、声を掛けると嗚咽が漏れそうで、涙を堪えて声をかけましたが、佐藤君の笑顔に救われて話すことができました。
 
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   1時間44分24秒で見事3位に入った上武大学佐藤選手です。
 
 最近ではスポーツ選手に対する体罰が大きな社会問題になっていますが、記録の限界と戦いながら、心身ともに厳しい時期もあったでしょうが、身体を節制しながら頑張ってきた佐藤君の経験は後輩の励みになると信じます。
 
 「お父さん、佐藤と会えた?」と、三男から電話がありましたが、「おい、3位だったぞッ」と言うと、「そうか、すごいなッ」と、三男も趣味ですが自転車競技を再開するらしく、触発されてくれれば幸いと思う一日にもなりました。
 
                                      2月9日の一言

自損事故の自転車に、行政が139万円もの賠償金を…

 自転車の自損事故をめぐって道路整備に不備があったとして、千葉県東金市で自転車の所有者に138万5千円の損害を賠償するとの報道がありました。
 
 事故による所有者の人的被害は無いようだが、所有する自転車は所有者が趣味で手作りしたもので、車体は高級素材のカーボン製とは言うものの、背もたれ付きのシートに座り、仰向けに寝そべるような格好でペダルをこぐ「リカンベント」と呼ばれるそうで、普通の運転スタイルなら事故が回避できたと思われることから、市議会に提案される賠償に対する議論が気になるところです。
 
市道の不備で高級自転車破損 市の賠償金138万円ナリ
 
 最近では、津島市内でも道路にできた穴によってタイヤのホィールが傷ついたり、車体が損傷した場合に、道路管理者の津島市に賠償を求める例も多く、側溝のフタが外れて隙間があっても、それが原因で事故になれば管理者として津島市への賠償責任が問われてきます。
 
 数年前には、車の車高を低くした高級車が、大型トラックのタイヤによってできた道路の轍によってキズが付いたとして、行政に賠償をもとめた報道もありましたが、車高が低い車を運転する場合には、運転手自らが気をつけて走るべきで、今回の仰向けに寝て運転する自転車もについても、運転者の自己責任がもっと問われるべきではないでしょうか。
 
 かつて、我々の少年時代においては、車が水溜りで撥ねた泥水が歩行者の服を汚した場合には、クリーニング代を請求できましたが、最近では水を噴水のように撥ね上げた車が高速で走り去り、歩行者がナンバーも控えられないことから泣き寝入りになっていることから、これも道路管理者に責任を問うたらどう判断されるのか。
 
 「どこまでが道路管理者の責任か」の問いは、道路の破損が管理者だけの原因とも限らないことから、議会で質問したいと考えた事がありましたが、「どこまで」という事例を作ることは市民からの請求が急増する可能性も否めません。
 
 ただし、今回報道されたような原因で、自転車が転倒して破損するだけでなく、通学する中高生がケガをして我慢しているケースもあることから、私も行政に判断を求めていきたいと思う一日となりました。
 
                                      2月8日の一言

葬儀作法が判らない見習い僧侶に送られた心境は

 愛知県名古屋市で高野山真言宗の別格本山に指定されている八事山興正寺で、僧侶の資格を持たないハローワークで募集して採用した見習い僧侶を、信者の通夜に1人で派遣していたとの報道は、弘法大師や真言宗を信仰する人々に大きな波紋を生んでいます。
 
 報道によれば、八事山興正寺では住職が替わった平成18年頃から僧侶の不当解雇を進め、通夜や葬儀に見習いの僧侶を入れないと回らなくなり、人手不足からホームページやハローワークで僧侶を募っているとありますが、数年前には不正経理でも摘発されており、葬儀会社との結託のウワサなどを聞くと、弘法大師や空海を信奉する人々にとっては信じられない行為でもあります。
  
僧侶を次々解雇、人手不足に 見習いに通夜任せていた寺 
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  これに対し、興正寺側は「僧侶が寺に出入りする葬儀会社などと結託して住職を失脚させようとした。契約違反で解雇の理由になる」と主張した。
 09年の判決では、僧侶の行動が寺の解雇を正当化するものだとは言えず、いずれも解雇は無効だとした。判決は確定している。
 また、興正寺から「委託契約に切り替えないのなら出勤には及ばない」と告げられた名古屋市昭和区の僧侶(47)は地位確認を求めて昨年に提訴。寺側が僧侶側の主張をすべて認めたため、事実上の敗訴となった。
 興正寺は、現在の住職が就任した06年3月以降、自分の寺を持つ僧侶とは雇用から業務委託契約に切り替えを進めている。
 興正寺は否定するが、関係者によると、相次ぐ「不当解雇」が人手不足の一因となったという。興正寺にいる僧籍を持った僧侶は現在、他の寺院と兼務する8人を含めても20人未満。この関係者は「通夜や葬儀の当番に見習いを入れないと回らなくなった」と明かす。提訴した3人は裁判後、葬儀を担当していないという。
 
 「大鹿さんも僧侶になったら」との一言は、浄土宗の僧侶を務める叔父の知人の僧侶からで、その方も企業を定年退職してから親のお寺を相続しておられますが、浄土宗では比較的簡単に僧侶になれそうでしたが、私は仕事としての僧侶には無関心で、修行に期待するものがあったわけです。
 
 その考えも、「僧侶は永年修業している我々本職に任せなさい」と、僧侶にならなくてもお寺を通じての修行は可能だとする、四国遍路で親しくなった僧侶の一言に納得させられて四国遍路を続けているものの、今回の名古屋の報道はまったく僧職にある人達の信頼も失うような大事件でもあります。
 
僧侶見習が通夜、遺族憤慨 名古屋の寺「修行の一環」
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 男性は作法を熟知しておらず、納骨に必要な作法を一部省いた。インターネットで探した他宗教の法話を自分の経験に置き換え、遺族に話した。作法がわからず、寺に相談したが聞き入れられなかったという。
 墓の作法を省かれた女性(52)は「信じていたのにひどい。やり直してほしい」と憤る。昨年1月に妹を亡くした女性(80)は、見習いとは知らずに興正寺に布施と寄付金計200万円を払った。妹と2人暮らしだった女性は「妹は成仏できたのか。随分ばかにしている」と怒り、寺に謝罪してほしいという。
■寺「深刻な人手不足」
 興正寺の梅村正昭住職は、見習いに任せたのは「修行の一環だ」と強調する。ハローワークでの募集は「深刻な人手不足」が理由だという。2004年ごろからホームページなどで募り、約3年半前からハローワークも利用しはじめた。
 ただ、こうして集まった約8割は見習いのまま1年未満で寺を離れたという。ハローワークで募集した4人全員も、1~3年未満で寺を去った。通夜などを1人で担当後、「能力や姿勢が著しく欠落している」として、寺にやめさせられた見習いもいた。
 興正寺の現状について、高野山真言宗の最高議決機関「宗会」の星島光雅議員は「通常は1人で見習いに担わせることはない」と指摘する。「死者の魂と、遺族を導く責任重大な儀式。十分な修行を積んだ正式な僧侶に任せるべきだ。法律の規定がない分、宗教者自らが律すべきことだ」というのが理由だ。
 一方、全国に約3700ある高野山真言宗寺の総本山金剛峯寺の片岡良仁・総務部次長は「興正寺が従業員を僧侶にするべく修行させているので問題ない。ただ、僧籍がなければ高野山真言宗の僧侶ではない」との立場だ。
 
 私は最近のこの一言のスペースにも記してきましたが、知多半島の八十八ヶ所霊場会の案内書や、住職の法話や知多の先達の宣伝する内容に、弘法大師(空海)を利用した史実とは違う内容に、機会があれば反論を続けてきました。
 
 1200年も前に空海は、中国から持ち帰った密教の教典の貸し出しをめぐり、天台宗を創建した最澄とは絶縁となる断りを入れたと伝えられていますが、そうやって考えると真言密教の根源に関わる教義や、知多半島の観光客目当てに都合よく宣伝される霊場のあり方には、四国遍路とは全く異質で、健脚目的程度のスタンプラリーとは一緒にはされたくありません。
 
八事山興正寺HP  http://www.koushoji.or.jp/about/index.html
 
 さて、今回の八事山興正寺の問題も、宗教にとっては一番大切にされなければならない根本とか真髄が忘れられており、僧籍の無い作法も知らない見習い僧侶でも良いと判断するのであれば、僧侶でなく葬儀屋さんにテープを借りて通夜や葬儀を行なっても同じではないか。
 
 資格のない見習い僧侶でも僧侶として派遣され、故人の位牌やお墓への納骨までされてはたまりませんが、四国別格二十霊場の第13番仙龍寺のご住職は、愛知県に多くの営業所を展開する企業主に請われて毎年愛知県を訪れて来られますが、企業の浮沈に関わる重要な存在となっており、空海が創建した四国善通寺では、毎朝の勤行の後に必ず真言宗十八本山のトップに座る樫原管長が我々に解かり易い法話をされています。
 
 報道によれば、高野山の総本山金剛峯寺の片岡良仁・総務部次長が「興正寺が従業員を僧侶にするべく修行させているので問題ない」と記されていますが、「僧籍がなければ高野山真言宗の僧侶ではない」とも述べられており、死者や故人の家族が僧侶でない者にお金まで払って通夜や葬儀を依頼するはずはなく、こんな不祥事は払拭して反省の弁を聞きたいものですね。
 
                                      2月7日の一言

立春の便りが京都大原から

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 日曜日に節分の豆まきに参加しましたが、本日は京都大原の宝泉院から、立春の節分会で祈祷されたお札と福豆が届けられました。お札には、「奉讀誦節分会日数般若心経如意吉祥祈攸」と記されています。
 
 昨年は何度となく京都を訪れましたが、同行者があったことから一度も大原を訪れてはおらず、不義理を続けているにもかかわらず届けられたお札と福豆には大感謝ですが、私はお札を粗末にしている可能性も高いことから扱いには注意も必要です。
 
 
 手紙の中には宮沢賢治の詩が記されています。
 
 雨ニモマケズ  風ニモマケズ  雪ニモ  夏ノ暑サニモマケヌ 
 丈夫ナカラダヲモチ  欲ハナク  決シテ瞋ラズ  イツモシズカニワラッテイル
 一日ニ玄米四合ト  味噌ト少シノ野菜ヲタベ 
 アラユルコトヲ  ジブンヲカンジョウニ入レズニ 
 ヨクミキキシワカリ  ソシテワスレズ  
 野原ノ松ノ林ノ陰ノ  小サナ萱ブキノ小屋ニイテ 
 東ニ病気ノコドモガアレバ  行ッテ看病シテヤリ  
 西ニツカレタ母アレバ  行ッテソノ稲ノ束ヲ負ヒ
 南ニ死ニサウナ人アレバ  行ッテコハガラナクテモイイトイヒ
 北ニケンカヤソショウガアレバ  ツマラナイカラヤメロトイヒ
 ヒドリノトキハナミダヲナガシ  サムサノナツハオロオロアルキ
 ミンナニデクノボートヨバレ  ホメラレズモセズ  クニモサレズ
 サウイフモノニ  ワタシハナリタイ
 
 そして、宝泉院住職から、「人の本当の生き方はお金や地位や名誉では無いのです。どういうものになりたいのかという志なのです。わたしはそのような志の様な世界を持っていきたいと思っています」と記されてきました。  
 
 昨日の朝日新聞に、真言宗の別格本山である名古屋市の八事山興正寺が、ハローワークで集めた僧籍のない見習い僧侶を通夜に1人で派遣させ、わからない作法は省略して死者を弔わせていたとの報道があり、大きな問題にもなっています。
 
 愛知県のお寺や僧侶の中には、日頃からのお寺への寄付金の多少や、葬儀費用の金額によって死者への扱いが粗末にされる例が存在していることから、宮沢賢治の詩や、宝泉院住職の一言から清々しい気持ちをもらったように感じました。
 
                                   2月6日の一言

開業医の真剣なる選択を考える

 本日の朝日新聞に山口県周南市の徳山動物園に、人間なら100歳以上になる24歳のライオンが存在する記事があり、35頭の子孫をもうけた事と、国内のライオンでは全国最高齢になるとの報道がありました。
 
 人間より大きく、百獣の王と言われるライオンであっても、寿命は17年から18年であることと、オスの寿命はもっと短いとの記事に寂しさを実感するとともに、1日に4キロから5キロの肉を平らげ、もっと長生きしてもらおうと、好物の肉にローヤルゼリーを混ぜているとの報に、本日の記事一覧の中に、一人で寂しく息を引き取った死因も判らない高齢者の記事が存在することから、世の中の矛盾も感じさせられます。 
 
長寿の王レオ 食欲旺盛、狙うは世界一 山口の動物園 
記事の続き…
 担当飼育員の柏村(かしわむら)俊秀さん(36)は長寿のひけつについて「おとなしくてのんびりしているからか。ほかのライオンに比べても、走っている姿を見たことがない」と話す。
 もっと長生きしてもらおうと、園は好物の肉にローヤルゼリーを混ぜている。昨年末からは、風が吹き込まないようにおりを透明のシートで覆う。様子の変化を注視しながら、獣舎に出したり寝室に入れたり。ストレスを与えないようにしている。
 園には、国内で24年3カ月、海外ではアイルランドの25年と8日、飼育されたという記録がある。レオは11月で入園から丸25年。園の獣医師、木原一郎さん(44)は「ライオンではありえない長寿。できる限りのことをしてあげたい。1日でも長く元気でいてほしい」と話している。
     ◇
 〈アドベンチャーワールド(和歌山県)の林輝昭運営部長の話〉 飼育されているライオンの寿命はメスで通常17~18歳、オスはもっと短い傾向なので、大事に飼育されているのだろう。少なくとも過去10年ほどの記録を見ても例がないかなりの長寿といえる。
 
 本日も福祉有償運送のボランティアに出向きましたが、遠く離れた市外の開業医まで通院されている理由は、この開業医の医師の機転によって心臓病から命を救われた事がきっかけとなっており、小さな開業医の医師と言えどもかつては大病院の名医であった人も多く、いかに有能な「かかりつけ医」を見つけるかが寿命を大きく左右する事にもなります。
 
 一週間ほど前の話となりますが、心臓病で津島市民病院に入院されていた方のご家族から連絡があり、症状が悪化したことから一宮市の病院に転院したことと、深夜の急変時に一宮市まで走ってもらいたいとの依頼でした。
 
 この方は福祉有償運送の会員になってもらっており、数年前から利用されている方ですが、担当しているボランティアが午後5時以降は飲酒するため依頼できず、夜間の急変時には私に依頼したいとの話でした。
 もっとも、一時は酒を控えていた私も、最近は次男に付き合って日本酒を口にする事があり、深夜に電話をもらっても事務所の電話や携帯電話では気づかないこともありますが、家族総動員で対応するとの約束をしました。
 
 さて、前記した開業医の院長は心臓病や循環器の症状には、津島市民病院の医師よりも信頼できる経験をお持ちのようで、自分で対応できない場合は一宮市の病院や、より重篤な場合は自分が勤務した大学病院を紹介していただけるそうですが、一週間前に連絡があった会員さんは、完治すると期待して入院した市民病院で悪化して一宮市の病院に転院されており、判断の善し悪しは患者を苦しめることとなります。
 
 平成16年の年末の話となりますが、我家や家内とは極めて親しかった女性が心筋梗塞で亡くなられました。
 体調が悪いことを自身が自覚し、前日に近所の開業医の診察を受け、市民病院への紹介状をもらって週明けに受診する予定となっていたものの、開業医の診察を受けた翌日に救急車で搬入され、手遅れでその日に亡くなっておられます。
 
関係する私の一言10年4月 http://blogs.yahoo.co.jp/s281218/43147726.html
 
  誤診ではありませんが、本日訪れた開業医のように、その場で病院へ連絡して受診しておれば救われた可能性もあり、日頃から身近な関係となる開業医についての真剣な選択も重要と実感させられる一日ともなりました。
 
                                   2月5日の一言

議員とボランティアを天秤にかける一日に

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 本日は福祉有償ボランティアの会員さんではないものの、私を個人的に依頼されるご婦人(おばあちゃん)を病院に搬入しましたが、私の自宅からご婦人の家まで25分かかる距離にあり、ここから病院までは10分で到着する事から、搬入よりも出向く方が大変なボランティアでもあります。
 
 本来ならボランティアのNPO法人に入会してもらうのが筋ですが、「大鹿さんがダメなら良いわ…」と諦めてタクシーを利用されますから、ボランティアではなく『おおしかタクシー』として出動していますが、先祖代々の地主さんの家柄のため、誰でも良いのではないようで、誰が来るかも判らない一般タクシーも好きではないようです。
 
 最初はタクシー料金よりも低価格にしていましたが、最近は福祉有償として完全なるボランティア価格で搬送しており、低価格では私に悪いと考えられ寄り道されるようになり、私の公的日程とは重ならない依頼のため、時間を無視して同行しています。
 
 「タバコも買っていきたいんだけど…」
 「いいですよ」
 「実は、そこにしか無いタバコなんだけど…」
 「何処でも行くから良いですよ」
 
 病気で入院が続いているのに、ご婦人の「タバコ」の一言にびっくりしていると、何処にでもあるタバコではなく、津島市のその店以外には名古屋市まで行かないと販売されていないそうで、この店を教えてくれたのが病院の入院仲間というのも皮肉ですが、このお店の話ではその2人しか買われないタバコのようです。
 
 もっとも、このタバコ屋さんは、駅に近い旧国道の交差点に存在し、歩行器がないと歩くのもやっとのご婦人を降ろすことは危険なため、私が代行して走りましたが、タバコと無縁の私は役立たずのため雨の中を何度も往復することとなりました。
 
 「大鹿さん、待ち時間分も料金取ってよ」
 「急いでいないから良いよ」
 「取ってもらわないと頼み辛いんだけど…」
   (本当は福祉有償運送でも待ち時間分の料金はいりますが…)
 「〇〇さん、本当はもっと行きたい所があるんじゃないの?」
 
 そんな展開から添付したショッピングセンターに立ち寄り、薬屋さんだけの予定でしたが、買い物に出向く機会も無い人だけに、時間無制限で待つと伝えると、カートに満杯の買い物袋を持ち、「これは大鹿さんに」と私へのお駄賃の土産も買ってこられました。
 
 ご婦人の地域は電車の駅にも遠く、路線バスの路線は皆無で、行政の運営するコミュニティバスのバス停も遠く、タクシーを呼ぼうにも近くにタクシー会社もない農村のため、買い物に出るのも容易ではなさそうです。
 
 以前は介護保険のヘルパーに買い物も同行してもらえたそうですが、それまで1時間あったサービスが45分に短縮され、ショッピングセンターに出向いても歩くのがやっとでは買い物をする時間も無いそうで、時間の延長はできない事から利用もできないようです。
 
 お金に困らない家庭ですが、同居するご主人も闘病中で、庭に置かれた盆栽にも水がやれないくらいのほぼ寝たきり状態となっており、買いたい物も自由に買えない環境がありながら、打開策は見当たりません。我家の近くには生協の車や、夕食材料を運ぶ車も見かけますが、この地域には出向いても採算がとれないような田舎なんでしょうね。
 
 「買い物難民」という言葉が当り前のように使われるようになりましたが、都会でも買い物に不自由するのに、わざわざ過疎の農村部へボランティアに出かける人はなく、金銭のトラブルまで考えると田舎の買い物ボランティアは大変です。
 
 郊外に大規模なショッピングセンターができ、田舎には必ずあった村々の商店が経営難から廃業し、最近は田舎にもコンビニが存在しますが、車に乗れなくなった高齢者は買い物にも出かけられません。今でこそ便利で有用となる御用聞きも、高額なことから顧客にそっぽを向かれ、顧客を安売りする大型店舗に奪われて消失し、今なら「いくらでも良い」と思っても来てくれる業者もありません。
 
 大型ショッピングセンターもコンビニも存在しない山奥よりも、手の届きそうな距離に各種の店舗が点在する都市近郊部では行政も肩入れできないため、都会の真ん中や、都会に近い農村部の方が買い物弱者が多数存在しているのかもしれません。
 
 「議員を辞めてボランティアに本腰入れようかな」
 「何を言っているの」
 「議員の代わりはいくらでもいるから…」
 「大鹿さんの代わりにはならないでしょ」
 
 ご婦人は私の住む津島市の住民ではなく、隣の愛西市の住民ですが、(高齢のおばあさんに)私の議員生活まで心配されると、今年の年末には60歳を迎え、立ち上げたNPO法人だけでなく、青ナンバーのタクシーまで買い込んだものの、このままではボランティアの目的も達成できない事と、30代から仕事とボランティアに明け暮れて、我家の庭やガタのきた家屋に見向きもしなかった自己の人生まで考えさせられる一日ともなりました。
                                      2月4日の一言

家内と相棒と節分会へ走り

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 本日は家内の在所に近い祖父江町(現稲沢市)の地泉院まで、節分の豆を授かりに訪問しましたが、駐車場が満杯で車を停める場所もない混雑ぶりで、午前中に受付を済ませたものの午後まで時間がかかりました。
 
 幸いにして私の車には携帯ガスコンロや水が積んであるだけでなく、熱湯の入ったポットも用意してあり、カップ麺の昼食を摂っていると、「何をしているの」と急かされ本堂前に走ると豆まきが始まっていました。
 
 このお寺は真言宗智山派のお寺で、「今から約600年ぐらい前、第97代後村上天皇、皇后安産、勅願寺(天皇の祈願の為に建てられた寺院)として建てられた」と紹介されており、当地方では安産のお寺として知れわたっています。
 
 
 かつては、名鉄津島駅から定期バス路線がこの地泉院までひかれていましたが、現在では路線は廃止されており、節分や縁日には臨時バスが運行されるものの、稲沢市のコミュニティバスが尾西線森上駅から運行されています。
 
 さて、もうひとつ残念なことは、添付したお寺のホームページに記された、「本尊子安延命地蔵尊(秘仏)は、行基菩薩作」との記載で、歴史をそのまま信ずれば600年以上の歴史がありながら、お寺が創建されるずっと以前の749年(天平21年)に81歳で入滅している行基菩薩の名前が使われていることです。
 
 同じことが知多半島の八十八ヶ所のお寺にも言え、中国から帰国して九州・大宰府の観世音寺に止住され、京都へ入京の許可を待っている弘法大師が、「百日の護摩を修業し、自分の像を岩窟に納めたゆかりの地」と808年の年号まで記して宣伝するばかりか、真言宗以外のお寺の僧侶が参詣者に、弘法大師の知多半島での修業の様子を説いているのを見ると、信心する気持ちがそがれていきます。
 
 地泉院についても、かつてはお寺を目的地とするバス路線まで存在し、住職も書道では高名な人物だけに、行事に参拝客を寄せるだけでなく、日頃から参拝を続ける信者が繰り返し参拝する信仰のお寺として賑わって欲しいと願います。
 
 家内は在所の近所であり、住職に書道を教えてもらっているだけに、毎年節分に訪れることが必須となっていますが、こんな偏屈な記載をしている私へのご利益は見込めなくとも、せめて家族にはご利益があることを祈願したいものです。
 
                                   2月3日の一言

県内のアジアゾウの誕生と、悲報も報じられて

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 添付した写真は新東名高速道路に誕生した沼津サービスエリアの中にあるカフェですが、愛犬と一緒に堂々と入店できることが外の大きな看板から判り、内部の入り口には犬用のパンやミルクなどのメニューが掲示されています。
 
 かつて、犬は家の外に鎖でつながれた番犬役でしかありませんでしたが、現代社会においては、子どもが成長して巣立っていった高齢者の子ども役になり、家族の一員として宅内で人間と同じように生活するのが当り前となってきました。
 
 一週間前に訪れた千葉県で、我家の相棒とそっくりのポメちゃんを連れた御夫婦と談笑しましたが、一年前に愛犬が亡くなり、全国から似ている愛犬を探して、9ヶ月前に買い求めたとの話でしたが、愛犬の存在が家庭や人間関係を支える重要な役割を負うようになってきました。
 
東山動物園でアジアゾウの赤ちゃん誕生 国内6例目 
 
 先月の30日に名古屋市の東山動物園で、アジアゾウの赤ちゃんが誕生したニュースが新聞に報じられ、テレビニュースからは愛らしい姿も放映されましたが、皮肉にも県内の豊橋で2年前に誕生していたアジアゾウの両足の骨折が判明し、骨折が治ったとしても生きるためには大変な状況にあることが記されています。 
  
生 きる望み、捨てない 愛知・豊橋のアジアゾウ治療懸命
記事の続き…
…別の部分を痛めることがある。今後の生育は難しい」と話した。
 マーラは現在、前脚をギプスで固定し、横になっている状態だという。ただ、このままだと寝たきりになってしまう。寝たきりの状態が続くと、ゾウは長生きできない。
 神戸市の市立王子動物園では、2004年3月に生まれた「モモ」が同年11月に骨折し、05年4月に死んだ。07年10月生まれの「オウジ」は08年11月に骨折、12年4月に死んでいる。
 こうならないよう、4日からは、帯でマーラをつり上げ、脚に負担がかからないように立たせるほか、今月下旬から仮設プール(2・3メートル四方、深さ1・1メートル)でのリハビリを予定している。
 豊橋総合動植物公園にとって、子ゾウ誕生は悲願だった。雌のシャンティが出産の失敗で03年に死んだ。6年後、アーシャーを東京・上野動物園から借り受け、ようやく出産にこぎつけた。マーラを産んだときのアーシャーは推定34歳で、国内では最高齢出産だった。
 豊橋市は、ゾウを集客の核にしようと、今後9年で36億円をかけて動物園を再整備する計画を進めている。このうちゾウには、ゾウ舎を広げ、頭数を増やすなどの費用として12億円を予定している。
 
 サラブレッドはいくら優秀な成績を残した名馬でも、骨折するとほとんどは薬殺されてしまいますが、豊橋市は36億円をかけて園舎を整備し、アジアゾウを集客の目玉にしたいと考えており、アジアゾウの回復は必須と思われますが、何とか復活して長生きさせてもらいたいものです。 
 
2年前のヒヨドリの関係記事  http://blogs.yahoo.co.jp/s281218/45541264.html
我家の愛犬モモ逝く  http://blogs.yahoo.co.jp/s281218/44992033.html
 
 添付した一言は、2年前に亡くしたヒヨドリと愛犬モモの記載ですが、息子が拾ってきたヒヨドリのヒナが骨折した原因は、鳥カゴと思っていたカゴがハムスターのカゴだったことが原因で骨折させてしまった後悔と、モモについては末期ガンになっている事も知らぬままに最後を迎えた後悔があり、生き物を飼う以上は避けられない苦しみでもあります。
                                   2月2日の一言 

名古屋周辺自治体の連携が進捗する可能性が

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 本日も何事もなく過ぎようとしていたのですが、帰宅した夕方に開けたポストに届けられた手紙に、ささやかかも知れませんが1千円の「お食事券」が同封されており、昨年末に書道会のメンバーと訪れた知多の食堂からの手紙でした。
 
 昨年12月9日に訪れた南知多町豊浜にある「まるは食堂」を訪れた際に、無料で旅行へ参加できる抽選ハガキがあり、メンバー全員で応募箱に入れた記憶があり、旅行の招待券が入っていると思ったら、期待もしていなかった会場のまるは食堂のお食事券が当選していました。
 
 もっとも、当たったとは言うものの、宛名は私ではなく家内宛となっており、私の抽選ハガキは外れた模様で、千円の食事券を利用するために、家族も一緒に出向けば食堂も利益を見込めるため、無策で客を待ち続けるよりは効果的と思われます。
 
南知多まるは食堂 http://www.maruha-net.co.jp/toyohama/
 
イメージ 3イメージ 2 さて、先週の土曜日に千葉県で追突されていたため、本日より修理工場に持ち込み、右のレンタカーが届けられていましたが、緑ナンバーの営業車の代わりにはならず、四国まで出向く予定をたてていましたが、乗りなれない車ではフットワークも悪い事から、出かけるのを中止して、しばらくは車が戻るまで休養です。
 
 昨年の衆議院議員選挙では維新に合流できず、間に合わせの政党未来へ走って惨敗した名古屋市の河村市長だが、次の市長選への出馬を表明しただけでなく、自治体の広域連携を考える首長会議「尾張名古屋の行く末を考える会」を開催し、名古屋市内の病院の救急搬送情報を他自治体と共有する考えを示し、名古屋周辺地域の病院のたらい回しが解消される可能性が出てきました。
 
救急搬送情報共有 名古屋市も参加へ
記事の続き…
有することを明らかにした。これで同市内の病院への搬送状況を市外の救急車がリアルタイムで把握できるようになり、名古屋市周辺の自治体で受け入れ先の病院が見つからず患者がたらい回しされることが減ると期待される。
 県は2009年4月から、タブレット端末を使って、各病院への救急車の搬送状況の情報をリアルタイムで送るシステムを始めている。県医務国保課によると、現在、県内36消防本部のうち、26の消防本部がシステムに参加しているが、名古屋市は参加していなかった。
 河村市長は新年度から県のシステムに参加することを表明し、「みなさんの町の救急車が名古屋市の病院をすぐに使っていただけるようになる。ささやかな第一歩だが重要なこと」と語った。
 会議には副市長による代理出席を含めて26市町村の首長が参加。リニアと防災をキーワードに連携の枠組みを検討することや、自治体合同の防災訓練などのプロジェクトを進めていくことが提案された。
 
 「総理大臣を目指す男」をキャッチフレーズにする河村市長も、昨年末の第3極合流では存在感を示せず、政党としての「減税」勢力も壊滅的となっているが、東海地区の中心となる名古屋市長として、周辺自治体と連携した街づくりを展開していけば、地域住民の存在も忘れてカリスマと化した橋下大阪市長や、都民を捨てて国政の窓際となった石原前都知事よりも地方政治としての成果を残せそうに思えます。
 
 本日のテレビニュースで、テレビ事業の停滞で経営難の続くシャープが、台湾の企業の支援を期待していると報じられていましたが、国外の企業の力を借りる前に国内の企業との連携や資金協力ができない経済界にはうんざりとさせられます。
 
 日本国中が停滞する中で、唯一元気の良かった一昔前の愛知県は、中部国際空港を造り、愛知万博を成功させてきましたが、自治体間の連携だけでなく、トヨタをはじめとする大企業や中小企業の連携にも務めて愛知型とも言える経済発展を果たしたいものです。
                                       2月1日の一言
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