大鹿一八「本日の一言」

平成16年2月から令和1年7月末までの「本日の一言」です。ヤフーブログ閉鎖により、ライブドアへ過去の記録として引っ越しました。

2013年04月

本日は温泉と神社仏閣を仕事で楽しみました

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 本日は、津島市内の天王川公園周辺に住む「猫の会」のメンバー10人とともに、依頼のあった岐阜県海津市の「水晶の湯」を目指しましたが、私の予感的中で定休日の月曜日が祭日のため、繰り延べでお休みとなっていました。
 
 後は私にお任せとなりましたが、些少とはいえ「運賃」に代わる御礼をいただいた以上は満足してもらいたいことから、関が原に近い垂井町まで足を伸ばして添付した南宮大社へ参拝しました。
 
 津島市の人にはなじみが薄いものの、南宮大社は美濃の一の宮となっており、祭神となっている金山彦命は、伊勢神宮の天照大神(あまてらすおおかみ)の兄神に当たる大神様であり、関が原合戦の兵火で消失した社殿を、寛永19年(1642年)に春日の局の願いにより 三代将軍徳川家光公が再建した由緒ある神社です。
 
 
イメージ 2 ここから15分の距離に池田町の池田温泉があり、豪華な弁当を持参していたことから、道の駅に持ち込む予定でしたが、メンバーから「車の中の方が温かくて良い」との意見によって、車中泊ではなく、車昼食となりました。弁当は地元の業者に依頼したようですが、刺身や赤飯も入る豪華版で、高齢のメンバーには食べきれないボリュームにびっくりさせられました。
 
 
 池田温泉には本館と新館があり、本館は水晶の湯と同じく本日定休となっていましたが、新館が営業しており、本館と新館の定休日が違うということは、「年中無休」ということにもなり、多くの人々で駐車場は満杯となっていました。
 
 この温泉は500円の低料金で、露天風呂やサウナのほかに、健康回復のための歩行浴や、障がいを持った人や家族のために「ふくしの湯」もあり、宿泊して身体のリハビリに専念することも可能です。
 
 私にとっては、設置されている足ツボマッサージ機と全身のマッサージ機が旅の疲れを癒してくれ、静養で御礼をいただくのは心苦しい心境にさせられます。
 
イメージ 3 さて、温泉入浴後は、ここから30分の距離にある「お千代保稲荷」に立ち寄りましたが、本日は月末となっていることから、参拝客は多く、日中のためまだ良いものの、愛知県方面から車を走らせると渋滞に見舞われ、遠くの駐車場から歩くこととなりますが、本日は逆方面からのため本殿の近くに駐車することができました。
 
 先週から坂東巡礼に栃木県から茨城、東京を走り、週末は家族で上高地に出向き、本日は依頼された仕事ととは言え、神社仏閣と温泉行きですから、この一週間はまさに私のゴールデンウイークとなる日々でしたが、これからしばらくは積み残した仕事が待っています。
 
                                    4月30日の一言

吹雪の上高地 開山式

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開山式直前の上高地河童橋
 
 添付した写真は4月27日の上高地、河童橋の様子ですが、積雪によって白黒写真の世界となっており、本来なら河童橋の前、五千尺ホテル前の広場で行なわれる開山式が吹雪く天候によってバスターミナルの待合所へ変更になりました。
 
イメージ 2  左の写真は上高地バスターミナルの朝の駐車場の様子(一番手前が私のキャラバン)ですが、開山式に関わる関係者の車輌ばかりで、まだ観光バスも到着せず、路線バスとタクシーによって入ってきた登山客しか存在せず、この時は吹雪いてはいないものの鉛色の空が不気味な天候です。※ちなみに、この日の上高地は冬用タイヤか、チェーンがなければ入れません。
 
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 開山式は午前10時50分頃から開始となりますが、例年は河童橋から北アルプス穂高連峰にむけて演奏されるホルンは、天候不良によってインフォメーションセンター前で奏でられることとなりました。
 
 ※ホルン奏者のお1人が私のためにポーズをとっていただき、最前列を教えていただきました。
 
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 午前11時に全員でホルンが吹かれ、上高地の一年のスタートが切られました。大きな音色に観光客から大きな拍手がたたかれました。
 
 
※最前列は最高のポジションですが、両横と後ろを観客に囲まれ、筒先まで写らない嬉しい悲鳴です。
 
 
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 ホルンの筒先を囲むテレビ局と新聞社の報道陣のカメラです。その後ろに観客もいますが、後ろが階段のため、僅かな人しか見られません。
 
※例年の河童橋では、テレビ局や新聞社のカメラと三脚が最前列を占拠していますが、本日は天候が回復すれば広場で演奏する話もあり、開山式を目的としたカメラマンには絶好のポジションが確保できます。
 
 
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 何とか1人分移動して、開始前にポーズをとってくれた奏者をホルンとともに撮影できました。毎年の恒例行事ですが、強風で帽子が飛ぶ吹雪の中の演奏は大変だったと思われます。
 
※北アルプスの頂きに向けて音を出して欲しかったですね。
 
 
 
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  ホルンとアコーディオンの演奏が終わると、穂高神社の神主さんによる神事が行なわれますが、今年はバスターミナルの待合所の下を会場にしているものの、屋根から積もった雪やツララが落ちると危険なためにほとんどの観光客は遠巻きに見守るしかありません。
 
 
 
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 会場内では神主さんによる儀式が行なわれていますが、会場は満員で近寄れず、遠くから望遠ズームで狙いますが、レンズ前を吹雪の雪が遮ります。
 
 
※外は雪と言うよりも、吹雪といった状態になってきました。 
       
                             
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 中の様子は見られないものの、屋根からの落雪の被害を防ぐため関係者が厳しく注意しておられるため、後戻りもできずに猛吹雪を背中に受けた観客が会場の風よけ役となっていました。
                             ※毎年北アルプスで命を失う登山者が存在するため、神事は厳粛に行なわれています。
 
 
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 屋根の下では身動きもできないすし詰め状態となっていましたが、玉串を奉納する地元松本市長や、衆議院や参議院の地元国会議員が続いて呼ばれていきます。
 
※今年は無事故と、良い観光客の増加を望みたいですね。
 
 
 
  
イメージ 9 開山式が終わって随分時間が経過した昼食後ですが、インフォメーションセンター奥で用意されていた肉まんや甘酒には長蛇の列ができていました。 
 
※地酒も毎年ふるまわれていますが、車を運転している私にとっては香りだけとなります。しかし、今年は行列を猛烈な吹雪が襲います。                   
 
 昨年に続いて参加した開山式ですが、今年は飛騨側の積雪が続き、普通タイヤでは平湯まで行くこともできず、最近では一度も使ったことの無かったタイヤチェーンを装着して上高地に入りました。     
 
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 学生時代より毎年訪れている上高地ですが、マイカー規制だけでなく、シーズン最盛期の休日には観光バスも規制しているものの、観光客のマナーは年々悪くなり、最近では中国人と思われる団体客が大声で叫び、中国人ガイドが大声で説明するばかりか、写真撮影するカメラの前に当り前に割り込んでくることから、外国人観光客のマナーを徹底して、人による不快感を減らして欲しいものです。
 
 それはさておき、今年も上高地のシーズンが始まりました。
 
 
 
                                              

本日は休養と一週間の記録の日に

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我家の本日のサクランボ ムクドリの偵察隊が来たのでまもなく熟します
 
 先週は月曜日の夜に6人のメンバーで坂東巡礼の旅に出発し、26日(金)の午前3時に津島市に到着し、この日の夜10時に、今度は家族6人が夜行で上高地へ出向き、昨日28日(日)の夜に帰宅しました。坂東が1493キロ、上高地と信州が558キロと、一週間で2千キロを超える旅程となりました。
 
 本日は旅の疲れを癒す一日となったものの、栃木県の中禅寺湖周辺の雪景色に驚き、27日の上高地開山式では雪どころか、猛吹雪に見舞われており、我家の暖かい春の陽気が信じられない気持ちですが、本日から書き残した吹雪の上高地開山式と、私が命名した「ホームレス画伯」について別に記したいと思います。
 
                                        4月29日の一言
 吹雪の上高地 開山式 http://blogs.yahoo.co.jp/s281218/47248746.html

上高地から信州散策の旅へ

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松川村道の駅「寄って亭まつかわ」の朝
 
 上高地でゆっくりと滞在する予定でしたが、昨日の開山式が猛吹雪に見舞われたことで、私はそのまま上高地に残りたいと思っていたものの、家族(家内、母親、妹、娘、孫)や孫が靴を濡らして寒さに震える姿から、昨晩から上高地を後にしていました。
 
 過去に5月の上高地行きでも雪に遭遇していることから、マイカー規制でも上高地内に入るためタイヤも気にしていましたが、これだけの吹雪は経験したことがなく、厳冬期の凍える寒さとは違うものの、家族まで巻き添えにはできません。上高地で自由気ままに行動するためには、登山靴かトレッキングシューズではなく、一日中歩き続けても疲れないゴム長靴が必需品となります。
 
 本日の朝は、長野県松川村道の駅「寄って亭まつかわ」からスタートとなりましたが、最近の車中泊ブームの中でもびっくりするほどの車の駐車で、ネット検索すると24時間対応のトイレが出ているためか、我家のような愛犬家をはじめ、私の隣の車は若い母親と子供たちだけの車中泊でした。
 
 かつての車中泊は、野宿の延長線にあり、安心して車を停める場所の確保に苦労しましたが、最近ではわざわざ私の車の隣に停めてきますので、自分だけの駐車スペース確保に苦労するようになりました。
 
イメージ 2 さて、昨日の猛吹雪が嘘のような春の好天に恵まれ、もう一度上高地へ戻りたい心境でしたが、荒れた岐阜県側と違って長野県側は風が強い程度だったらしく、山々に残る雪を眺めながら塩尻から中仙道から愛知県を目指します。
 かつては上高地も長野県側から入っており、この辺りから白馬に至る界隈はよく走っており、懐かしく懐古しながらのドライブとなり、途中の奈良井宿に立ち寄りました。
 
 今では中仙道でも有数の観光スポットとなっていることから、駐車場も満杯となっており停める場所に困っていると、当方のナンバーから営業車と認識した係員が、大型車用に確保してあったスペースに案内してくれ、「良いですか?」と聞きましたが、私用では申し訳ない気持ちで停めさせていただきました。緑ナンバーでは良くある配慮です。
 
 母親から孫まで4世代と、相棒リマも一緒の宿場散策は、昼食だけは相棒とともに私が店先で「ぜんざい」を注文して家族を待ちましたが、愛犬を同伴した家族連れも多く、愛犬とともに旅にでる姿が当り前のようになってきました。
 
イメージ 3 奈良井宿を後にして、このまま道の駅で休憩を続けながら愛知県に戻る予定と話していましたが、母親の親(私の祖父)の石碑のある御嶽山にも立ち寄ることと内心決めていたことから、途中の道の駅で木曽駒ケ岳を眺めながら。ロウソクと線香を探しましたが見つかりません。
 
 「ロウソクと線香なら里宮の日野にある」との母親の一言は、御嶽山の一番ふもとにある御嶽神社の向いにある日野製薬の売店のことで、ここでは必要とするロウソクを1本から必要数売ってもらえますが、我家の常備薬となっている「百草丸」も買うこととなります。
 
 「どこの講社なの?」
 「垣見さんところ」
 「垣見さんところかぁ」
 
イメージ 4 お店の人と母親の会話ですが、垣見さんも個人的に旧交があり講社も祖父と一緒であるものの、祖父は津島市ではなく旧祖父江町の信者で、旧尾西市にある「橋本講社」であったことから、母親が津島市の垣見さんの名前を出したのは、高齢からボケているのか、我家は橋本講社ではないことと、最近では垣見さんの方が御嶽山に頻繁に通われていることを認識して話しているのか判りませんが、かつてはこの店には日野製薬の親族の小母さんがおられ、祖父の名前を言うと割引きしてもらえたことを思うと、歳月の経過を実感させられることともなります。
 
 最近では家族と訪れる上高地の帰路は必ずこの石碑のある霊神場を訪れていますが、祖父は御嶽山の熱心な信者で、尾張地方では知らない人がいないくらいの先達として頑張っていました。
 祖父の息子である叔父が亡くなり、跡取が御嶽山の祭壇を無くすように叔母に求めていることから、この石碑が将来どうなるのか判りませんが、私が存命中には忘れず訪れる予定で、今回は母親だけでなく、私の孫も同伴させたことからこんな慣例が引き継がれていくことにも期待しております。
 連休とは言え、交通渋滞とは無縁の上高地と信州散策の旅になりました。
 
                                4月28日の一言

上高地 終日吹雪

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本日の上高地は朝から夕方まで雪が降り続きました。

先週からテント生活を始めた渡辺画伯も本日は大変です。
詳細は明日に、、、、、

上高地 開山式

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上高地開山式は、例年は河童橋で行われていますが、本日は吹雪状態のためバスタ-ミナルで行われました。

一番の撮影場所をいただきました。

上高地 安房トンネル前

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本日は上高地に向かっていますが、この時期の大雪は想定外の車ばかりで、途中で立ち往生となっています。

私はチ-ン装着で、これから上高地まで入ります。

昨日は東京でピアノリサイタルを鑑賞してきました

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 坂東三十三観音の2回目は、一日目に第17番満願寺から18番、19番、20番、21番日輪寺まで巡拝し、二日目には、22番佐竹寺から23番、24番、25番、26番清瀧寺まで廻り、最終日の昨日は東京都で唯一となる第13番浅草寺を訪れました。
 
イメージ 3 浅草の浅草寺からはスカイツリーが間近に見え、参道の商店街を見学し、団子やぜんざいのお店に入ってから、坂東巡礼とは全く関係がありませんが、巣鴨のとげ抜き地蔵尊のある高岩寺を参拝しました。
 
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 ここには洗い観音(写真左)があり、自分の悪いところに水をかけて洗い、手ぬぐいで拭きさるとご利益があると言われており、多くの人々が並んでおられました。
 
 ちなみに、この高岩寺は愛知県の知多半島山海にある洗い観音様の本家にあたり、知多の宝珠寺のご住職がこのお寺で修行されて大学に通っておられたご縁で、知多半島に分身となったいわれがある観音様です。
 
 私にとっても十年ぶりの参拝となりましたが、6人のメンバーはすべてがシルバー世代だけに、お婆ちゃんの銀座と言われる商店街の方が関心が深く、近くでお奨めの海鮮どんぶりを食べてから、3時までショッピングとなりました。
 
 とにかく安くて、お婆ちゃんの買いたい品物が何ても揃っており、帽子から衣服まで買い込む姿を他人事のように見ていましたが、あまりの安さに「母の日も近いんだから、何か買ってあげたら」の助言を素直に受け、家内と母親の衣類を買い求めました。「これは東京でしか売っていないんだぞ」と、恩付けがましく母親に手渡し、家内には「これは誰にも内緒だぞッ」と渡しました。
 
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 巣鴨から場所を葛飾柴又帝釈天に移し、帝釈天とフーテンの寅さんの舞台となった商店街で団子を食べ、寅さん記念館と山田洋次ミュージアム、矢切の渡しなどを鑑賞後、かつしかシンフォニーヒルズで開催されるピアノリサイタルを鑑賞に出向きました。
 
 このピアノコンサートは、愛知県一宮市のピアニスト佐藤由美さんの演奏会で、先月には名古屋でもピアノコンサートを行なっており、遠く離れた東京での演奏会だけに1人でも多くとの思いから同行のメンバーを誘いました。
 
 もっとも、私はピアノというよりも音楽そのものが無縁の生活をおくってきましたが、今まで佐藤さんの演奏会は何度も鑑賞しているものの、東京のお客さんの多さだけでなく、聴く雰囲気の熱気の違いを感じ、観客が会場の左側に集中する理由も初めて知ることとなりました。
 
イメージ 5 坂東巡礼の旅の後に、ピアノ鑑賞とは我ながら名案と思いますが、コンサートは午後7時から開演となり、終了が午後9時頃になるため、その後に5時間以上かかって帰ってくるハードスケジュールは大変で、本日は午前中から会員さんを病院に連れて行くボランティアと、市役所に出向く仕事をかかえていたことから、無計画な予定を聞いた家内が鬼の形相になっていました。
 
 冗談でも、東京の会場に地元愛知県から駆けつけるのは名案で、翌日のために「眠るつもり」でメンバーと離れて最後部のイスに座りましたが、背後に会場の係員が座っていたことと、前記したような会場の熱気から真剣な鑑賞となり、帰路を考えると一目散の退出となるところですが、「せっかくだから」と言うメンバーとともに演奏者と記念撮影に出向いていました。
 
 葛飾区モーツアルトホール…首都高速…東名高速道路…足柄SA…上郷SA…名古屋IC…清洲西IC…
 
 帰宅は3時頃となり、ボランティアと市役所の仕事を済ませましたが、今晩は深夜から上高地に出発する予定となっており、大急ぎで荷物を積み込み、家族6人の旅立ちとなります。
                                      4月26日の一言

坂東三日目、東京三昧

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本日は第十三番浅草寺だけの巡拝で、お婆さんの銀座巣鴨のとげぬき地蔵に参拝して商店街で昼食です。

最後は葛飾柴又帝釈天と寅さん記念館に入り、葛飾シンフォニーホ-ルで夜のビアノコンサートを鑑賞後に愛知県へ帰ります。

10年前の坂東巡礼を回顧する一日に

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本日は朝を除いて雨の一日となりました
 
本日の行程
 まんだらじ旅館…久昌寺…西山荘(常陸太田市)…第22番佐竹寺(常陸太田市)…第23番観世音寺(笠間市)…第24番楽法寺(桜川市)…第25番筑波大御堂(つくば市)…第26番清瀧寺(土浦市)…東横イン・つくばエクスプレス八潮駅北口
 
 本日宿泊していた「まんだらじ旅館」は、10年前に18名のメンバーで巡拝中に、午後6時になっても宿泊場所が見つからずに困っていた際に、最後に参拝した佐竹寺の奥様が、「行ったことはないが案内してあげる」と、私たちのマイクロバスに同乗して連れて行ってもらった旅館でした。
 
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 「そおー、あの時は一度に多くの人がやってきてびっくりした」と、茨城の方言で女将さんは回顧されましたが、真っ暗になって連れていかれ、屋根があるところで寝れただけの記憶でしたが、部屋も綺麗にリニューアルされており、四百年の歴史を誇り、水戸の黄門様も入ったと云われる鉱泉と、夕食も豪華だったことから、母親の在所に帰ったような感覚にされる旅館で皆さんにお奨めしたい宿です。
 
 本日は日程的に余裕を持っていたことから、宿の近くで水戸光圀公の母親と縁のある久昌寺に参拝し、その足で水戸光圀公が隠居されていた西山荘にも立ち寄り、時間前にもかかわらず入り口にある常陸太田市の西山の里マネージャーの案内をいただきました。
 
イメージ 3 西山荘は水戸藩主を退いた光圀公が、60代から70代までの約10年間の晩年を住まいとした住まいで、ここも時間前でしたが、準備中の担当者が対応してくれ、入り口で仕事の準備中だった職員が成り行きで案内役をかってくれ、園内の庭園から建物まで全部同行していただいたことから、テレビドラマでは知りえぬ黄門様の生い立ちや、農民の味方と言われる人気の秘密も知ることができました。光圀公は、隠居後にここで約五反の田を耕し、農民と同じ年貢を納めていたと言われ、現在もその水田には稲が作られています。
 
 この西山荘は現在でも水戸徳川家が所有しており、職員は全員が徳川家の15代目に仕えているとの話に、「世が世ならば…」と案内していただいた職員さんに冗談を飛ばしましたが、広大な敷地の管理は入場者の拝観料だけが頼りとの話に、皆さんにも呼びかけてこのまま徳川家の手で維持されることを祈るばかりです。残したい雰囲気と環境がここにはあります。
 
 
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 右に添付した写真は坂東第22番佐竹寺の本堂ですが、10年前に納経帳に書き込んでいただいたご住職は昨年90歳で亡くなっておられ、私たちを案内してくださった奥様は健在で、本日筆を持っておられましたが、10年前の話をしようとしても耳が遠くなっておられ、娘さんの通訳なくしては会話にもならなかったことが残念でした。
 
 10年前の御礼を伝えて立ち去りましたが、恩を感じていたのなら、何も手土産を持たずに訪問した反省が必要ですが、宿泊した旅館の女将さんとの会話と、お寺の娘さんの会話から当時の行動が鮮明に回顧させられました。本堂の手前にあるイチョウの銀杏を踏んだことから、マイクロバスが異臭で大変なこととなり、ドラッグストアーに消臭剤を買いに走ったことも思い出しました。
 
 さて、本日は余裕の一日としていましたが、問い合わせた宿泊場所が全て満室で、「困った時の東横イン」を口癖にしているものの、東横インも満室ばかりで、やっと空き室を見つけたつくばエクスプレス八潮駅北口店での宿泊となりました。
 
 ここから浅草まで電車で30分の距離と聞いたものの、明日は第13番浅草寺だけでなく、巣鴨のとげ抜き地蔵や、葛飾帝釈天などを訪れる予定のため、道路の渋滞と天気の回復を祈る一日となりました。
 明日は夜に葛飾区で開催されるピアノコンサートを鑑賞してから帰る予定のため、帰宅は明後日の未明になるのは必死となります。
 
                                   4月24日の一言

坂東巡拝は懐かしい雪が残っており

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坂東第19番大谷寺近くの平和観音像と私です
 
 昨晩の深夜11時に津島市を出発して、本日は午前6時40分に最初に巡拝予定としていた坂東第17番満願寺(栃木県栃木市)に到着し、朱印をもらう納経所が開く午前8時まで仮眠をとろうとしていると、運転席後部のタイヤの空気がもれてパンクしていることが判りました。
 
 早速JAFに連絡したところ、車を停めていた満願寺は山中にあるため、到着まで1時間半以上かかるとの話に、近くのお店で空気入れを借りて空気を入れ、参拝後に近くのガソリンスタンドに移動して修理してもらいました。
 
 JAFの会員だからとJAFに依頼することが得策ではない事を実感し、わずか10分でパンクが直り、パンクの後遺症はなかったものの、朝からのパンクは巡拝に対する警鐘となりました。
 
 第17番満願寺…第18番中禅寺立木観音…
 
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 さて、立木観音は中禅寺湖のほとりに建つお寺ですが、途中から雪まみれとなっており、足元にも雪が残り、真冬とおなじような風景にびっくりさせられます。
 
 愛知県では雪とは無縁の春となっているものの、栃木県や茨城県の山々には雪が残っており、車は走れたものの、数日前の積雪時と重なっておれば大変な巡拝となったことを実感させられました。
 
 第19番大谷寺…第20番西明寺…第21番日輪寺…宿・まんだらじ旅館
 
イメージ 3 巡拝は予定通りに進み、余裕の巡拝で大谷寺では本殿だけでなく、宝物館近くの平和観音のある公園まで訪れる余裕で巡拝していましたが、最後の参拝地としていた日輪寺の道路が途中閉鎖されており、迂回しているとここにも積雪があり、大変な山道を走って何とか巡拝することとなりました。
 
 昨日の一言にも記しましたが、日輪寺参拝後の宿を探したものの見つからず、10年前にも宿がなくお世話になった常陸太田市の「まんだらじ旅館」までは、1時間半以上もかかり、宿に到着したのは6時半になっていました。
 
 幸いなことは、10年前とは違い建物がリニューアルされており、10年前は宿が見つからず遅く訪れたことから、夕食は宿に入る前に済ませる素泊まり状態の宿泊でしたか、本日は低価格でも豪華な夕食が容易されていたことでした。
 
 帰宅後には私の宿泊した宿のお気に入りの宿として、お奨め印を付けたいと思っていますが、パソコンの無線ラン環境も当り前のことですが素晴らしく、同行のメンバーに粗末の宿として予告していた当方の認識を反省し、歴史のある鉱泉(風呂)はもちろんですが、ビジネスでも利用をお奨めしたい宿となっていました。
 
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 ご覧のように、まもなくゴールデンウィークを迎える現在も日光の中禅寺湖周辺や、茨城県北部の山々は雪が残り、冬景色と変わりない風景に、坂東巡拝後に訪れる上高地に積雪が残るのは当然かと、季節感も変えてしまう坂東巡礼となりました。
 
 明日は茨城県のお寺を回り、最終日は余裕の東京三昧にしたいと考えています。本日だけで、900キロ近い徹夜の運転となりましたが、パンクの際に空気入れを貸すだけでなく、実際に空気を入れていただいた栃木県出流町の満願寺の近くの橋本商店のご家族や、頼みもしないのに境内を案内していただいた関係者に感謝する一日ともなりました。
                                  4月23日の一言

本日深夜に坂東に向けて旅立ちとなります

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本日のキタムラ店内・カードは電気店より安い
 
 本日は今晩に夜行で出発する「坂東三十三観音」の準備に追われ、明日の宿泊場所がなかなか見つからないため、宿泊を予定している茨城県北部の宿をネットから検索していると4時間が経過していました。
 
 宿泊地を探していたのは、坂東第21番日輪寺を参拝する前後の久慈郡大子町付近か、次の22番佐竹寺のある常陸太田市付近で、多くの旅館やホテルが存在するものの、全部満室と断られる展開に、「困った時の東横イン」ともおもいましたが、十年前にも宿泊場所が見つからず、佐竹寺のお婆さんに暗くなってから案内してもらった「まんだらじ旅館」が頭に浮かびました。
 
 とりあえず何処かに宿泊する必要があるため連絡してみると、明日の宿泊は大丈夫と判ったものの、料金が安いため心配になり、当時と比較しているとどうやらリニューアルしている様子に一安心です。
 
10年前のまんだらじ旅館 http://www.onsenwalker.com/kanto/mandraj.htm
現在のまんだらじ旅館のHP http://www15.ocn.ne.jp/~mandaraz/
 
 10年前はマイクロバスで訪れており、午後5時を廻っても宿泊場所が見つからず、参加していた18名を野宿させるわけにはいかず途方にくれていると、「やっているかどうかは判らないが、案内しようか」と、佐竹寺のお婆さんにマイクロバスに乗ってもらって案内してもらいました。
 
 今にして思えば、やっと見つかった宿だったことから、宿の善し悪しは何も考えず寝る場所があった事に感謝しかありませんでしたが、案内してもらったお婆さんがお寺までどうやって帰られたかも記憶しておらず、10年も経過していることから健在でおられるかどうかも判りません。
 
 一方で、北日本から伝わる天候は、突然の雪をともなう映像が発信され、2月の天候とも報じられていることから、途中で通過する長野県から、目的地の栃木県や茨城県の天候が気になり、日輪寺の山道は5月でも雪で通れないことがあると聞いているため天候が気になる旅立ちともなります。
 
 さて、5月19日に刈谷市で第39回東海自治体学校が開かれ、この中の地域交通分科会の中で、「津島市における福祉有償運送と福祉タクシー」について、私が現地報告をすることになっており、事前に案内される資料に添付する原稿が本日締め切りとなっていたことから、一夜漬けですが夜なべで仕上げて送付したのが下に掲載した原稿です。
 刈谷市の産業振興センターで開催され、「地域交通を地域みんなで考えよう」のテーマで分科会は開催されますが、誰もが参加できるようなので地域交通に関心のある方は是非とも参加されて意見交換の場にしたいと考えています。
 
                                     4月22日の一言
 
愛知県西部における福祉有償運送の現状と展開について
                    NPO法人ひとまち生活ネット津島 大 鹿 一 八
津島市の公共交通の現状
津島市では、名鉄電車やバスがダイヤ改正をする度に便数が減らされ続けており、かつては津島市から岐阜県海津市や一宮市、蟹江町、八開村、立田村と、四方八方に延びていたバス路線が廃止され、公共交通の空白地帯と化してきました。
平成12年の市長選において、「コミュニティバスの導入」を公約とする市長が誕生し、福祉目的から名鉄バス2台による運行が開始されたものの、任期途中の病気引退により後継となった首長たちは経費削減と行政改革を旗印にしており、コミュニティバスが市民の足として浸透していないのに、巡回バス検討委員会を開くたびに「存続するかどうか」をテーマにする現状で、バス停そのものが存在しない町内や、障がい者や高齢者はバス停まで歩いていけない現状が存在しています。
一方では、コミュニティバスが市内を運行しているため、名鉄電車とともに公共交通としては唯一の足となる津島市と名古屋の名鉄バスセンターを結ぶ名鉄路線バスの便数が減らされていく悪循環も生んでいると思われます。
 
福祉有償運送開始に至る経緯
平成17年に、佐屋町(現愛西市)で、障がいを持つ幼稚園児の保護者が出産を控えて、園児を幼稚園に送迎できなくなるため困っており、佐屋町の社会福祉協議会から相談を受けた稲沢市の福祉団体が、遠距離のため支援できないと相談した名古屋市のNPO法人理事長の渡辺勝氏(移動ネット愛知代表)の紹介で、私(大鹿)に相談がありました。
仕事としては朝と夕方の送迎だけですが、園児が歩けない状態にあることと、幼稚園の受け入れと退出が、健常児の送迎を優先した後にされて時間が確定しないため、対応に苦慮していたところ、私の家内が名乗りをあげてくれました。
本来は料金を受け取って人を運ぶ事には多くの規制が存在しますが、この事例に対応する方法が見いだせないことから、私の家内と保護者が個人的に契約して対応することとなり、福祉団体や社協の料金は複雑な計算となっていた事から、片道500円の「ワンコイン」と決めました。
 
NPOからNPO法人に至る経緯
障がいのある幼稚園児を運ぶために始めた福祉有償運送でしたが、「ワンコイン」の話を聞いた高齢者の要望が複数寄せられたことと、私の知人の協力を得られることになり、「福祉目的」なら「白タクまがい」は許されるとの横着なボランティアを始めました。
一方で、無許可の有償運行は、福祉目的へのボランティア活動には行政も寛容とは言うものの、違法行為である事実は否めず、国が白ナンバーの自家用車でも料金をもらって運行する「福祉有償運送」を公的に認めたことから、認可を受けるために必要とされる法人格の取得が必要となり、平成19年にNPO法人として愛知県の認証を申請し、この年の秋に愛知県からNPO法人の認可を受けました。
 
福祉有償運送と福祉タクシーの認可までの経緯について
運輸局の認可については、申請を代行する司法書士や行政書士がありますが、資金も資産もないNPO法人であったことから自力での申請を始めました。ただし、協力を約束した市役所職員から求められるままに申請書類を出し続けたものの、1年以上経過しても具体的に進捗しませんでした。
一方で、福祉有償運送の認可を巡って開催される各地の運営協議会において、低料金の福祉有償運送の誕生に反対するタクシー事業との対立があり、簡単には認可されない現実がありました。
求められる需要がありながら、無許可でボランティアを続けるリスクを考え、福祉有償運送だけでなく、福祉タクシーの申請も考えたところ、福祉タクシーの「ぶらさがり運行」の方が簡単に実現できることが判ってきました。
しかし、福祉タクシーについては、料金が一般タクシーと同等か高額になり、運転手は二種免許や介護資格も求められることから、経済的にタクシーを利用できない人には対応できないことと、ボランティアではなくなることから、福祉タクシーについては個人(大鹿)申請として、NPO法人ではボランティアの自家用車を利用した福祉有償と両立を目指すこととなりました。
 
運輸局からの事業認可と現状、今後の展開について
福祉タクシーは平成21年に運輸局の認可を受け、このことから「タクシーを利用できる人は福祉タクシー」で、福祉有償運送は「あくまでタクシーや公共交通を利用できない人をボランティアで」と住み分けを図ったことで、ボランティアによる福祉有償運送についても、津島市と愛西市で構成する海部西部圏域福祉有償運送運営協議会の推薦を受け、平成21年から運輸局の事業認可を受けました。
ちなみに、福祉タクシーの業務の範囲は、身体障がい者手帳や介護保険の要介護認定か要支援認定を受けている人が対象で、その他として、肢体不自由、内部障害、知的障害及び精神障害、その他の障害を有して単独でタクシーや公共交通機関を利用することが困難な人が対象となります。
福祉有償運送の業務の範囲も福祉タクシーと同様ですが、あらかじめ利用者としての会員登録(現在38名)が必要となります。
課題は多く、ボランティアが不足しているため、広く利用者に対応できないままに推移していることと、福祉事業者によって介護保険を利用した各種制度と併用されるため、低価格だけが売り物として着目され、ボランティアの無力感と独自性の欠如も実感するようになりました。

 
第39回東海自治体学校の概要
日時 2013年5月19日10時開催 分科会開催時間は13時です。
場所 刈谷産業振興センター(刈谷市)
○スローガン「生かそう憲法、いのちと暮らしを守る自治体に
~地方自治、防災・福祉・環境・地域を考えよう~」
○基調講演  講演:「憲法と地方自治(仮題)」
講師:永山利和 元日本大学教授
 
地域交通分科会の概要
○テーマ:「地域交通を地域みんなで考えよう。」(仮題)
地域では、生活交通をどのように確保したらいいか悩んでいます。地域交通の課題を洗いだし、地域住民や行政、専門家が一体になって考えます。
○助言者 森田 優己(桜花学園大学 教授)
○参加者 20名程度(予定)

お寺の行事に参加する一日となり

 ボストンマラソンで起こった爆破テロ事件は、事件の容疑者2人の兄弟を特定して、映像を公開するとともに容疑者を急襲し、銃撃戦で兄が死亡し、逃走していた弟も重症を負っているものの身柄が確保されました。
 
孤立深め、過激思想か ボストン爆破テロ容疑の兄弟
 
 政治や思想とスポーツは別と言われますが、世界中から多くの人々を集めた伝統あるマラソン大会で、不特定多数の観客を目的に爆弾を仕掛けて死傷者を出した事件だけに、2人の兄弟だけの犯行かどうかの徹底的捜査と、事故の再発を防がないとスポーツ大会への参加もできなくなります。
 
 一方で、事件後にアメリカの捜査当局が犯人を特定した高い能力と、犯人確保に対する徹底的な対応に、屋根に篭城した犯人確保にもてこずる日本の捜査との大きな格差を実感し、日本で爆破テロが行われた場合の脆弱さも実感させられる事件となりました。
 
 犯人となった兄弟が、何のために爆弾を仕掛けたかは判りませんが、死亡した兄をイスラム過激派として強い信仰心を持っていると、2年前に米政府から依頼されたFBIが捜査していることが判っています。宗教観の違いが事件の背景にあるとすれば悲しい現実でもあります。
 
 さて、私は朝から隣の尼寺で開催された春の永代経の受付に座っていましたが、尼寺は浄土宗のお寺であるものの、浄土宗の檀家は10軒程度で、参加する人々の多数は浄土真宗の門徒で占められています。
 
 宗派にこだわらない仏教の良さととらえる意見もありますが、最近では葬儀等でも浄土真宗のしきたりを指導されることがあり、多勢に無勢で、多数意見が優先されるのは仕方がないと思うものの、押し売りが目に余るようになっています。
 
 本日は町内の農業用水の清掃作業も行われており、我家は両方への参加が必要となり、これも檀家の少ない尼寺の行事ゆえに平行して行われ、参加する人々は大変な思いで参加しておられたが、実は町内の真言宗のお寺でも午前と午後に渡って行事が行われていました。
 
 これについても、浄土真宗の人々は気付いておられないものの、浄土真宗のお寺の行事と町内の行事が重ならないように配慮されていることが多く、少数の意見が軽んじられる傾向は、少数宗派の信者の寂しさも実感させられます。
 
 イスラム過激派と日本の仏教を比較するつもりはありませんが、午前中は浄土宗のお寺に座り、午後は真言宗のお寺で開催された「阿息観」に参加し、阿息観終了後には、少数ながら熱心な信者さんとともに弘法大師の足跡や真言密教の魅力に花を咲かせる一日となりました。
 
                                  4月21日の一言

孫へのサービス精神からしわ寄せが

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 我家のアメリカザリガニと赤ちゃんたちです。温かくなる日中には50匹ほとが親から離れて動き廻り、夜になるとほとんどの子供が親の尻尾の下にくっついており、最近では赤ちゃんどうしの取っ組み合いも繰り返すようになりました。
 
 本日は積み残した仕事を減らす予定でしたが、娘が孫を連れて帰ってきたことから、久しぶりに稲沢市の矢合観音に出向いて、昼食、買い物(私と相棒リマは車中で昼寝)と帰宅は夕方になりました。
 
イメージ 2 矢合観音は汲み上がる井戸水がガンなどに効果があると伝わり、お寺ではないものの1ヶ月に1回の目標で参拝しており、一杯の水が胃袋に染み渡るのをイメージして飲んでから、参道入り口にある小玉食堂で、みたらし団子とおでん、昔ながらの中華そばを食べて帰るのが習慣にもなっています。
 
 一方で、稲沢市には大型ショッピングセンターが集まっており、アピタ本店やホームセンターを訪れれば一日中でも滞在が可能で、津島市民も多く訪れており、ブラブラしていると確実に顔見知りと出会います。
 
 津島市には地元スーパーの本店が存在して商圏独占を目指して頑張っていることから、大手ショッピングセンターや大型ホームセンターが市内に存在せず、必要な生活用品を購入することはできても、商品を見ながらショッピングを楽しむことができず、市民の多くが不満を持っていると思われますが、交通体系や土地環境も考えると、新手の参入の期待は難しく、この手の文化は不毛の地となりそうです。
 
 明日は隣のお寺で春の永代経が行なわれ、私は朝から受付役として座ることとなっておりますが、今年は我家も炊事の当番になっているものの、家内は町内の農業用水路の清掃に参加する事から、80過ぎの母親も老体にムチうっての参加となります。
 
 午後には町内の真言宗のお寺で「阿息観」もあり、昼食抜きにならないことを祈りたい心境と、本来やるべき仕事を遂行するためには徹夜になることを覚悟の一日となります。今日のツケですが、自業自得とはいえ、孫の魅力には勝てません。
 
                                  4月20日の一言

散歩から500年前の情景まで見えてきます

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 添付した写真は、津島市の地域文化広場内の児童科学館中庭にある水槽群で、当地方に存在する淡水魚が集められています。科学館の施設と言うよりも、市内の元中学校教員の尽力で集められたもので、見せるために展示しなおせば立派な水族館になりそうな貴重な財産でもあります。
 
 今年2月末でお店を閉店した名物マスターが児童科学館で開催されていた水墨画展を鑑賞に訪れており、我々はマスターを追いかけて訪れましたが、雑談していると防犯関連の行事に訪れた警察署長さんが丁寧な挨拶をされて通られた後になって、「隣に偉い人が居たな。俺なんかに挨拶するわけがないわなぁ」の一言に、自分に挨拶をされた意識もない自分と、数回しか逢っていないのにジャンパー姿の私を認識されていることに、警察官としての職業意識を実感させられました。
 
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 左の写真は、愛西市の勝幡駅の北に建てられた「勝幡観音」で、この地は旧駒捨場と言い、今から500年ほど前に織田信長が生まれたと伝わる勝幡城の東に位置し、人や駒(馬)を埋葬する場所にされていたことと、その後は地域の火葬場として利用されていた場所のため、この地を地域のコミュニティセンターとして活用するにあたり、昭和61年に観音像を建立して霊を鎮めようとしたことが記されていました。
 
 都市計画や宅地開発のために、かつての墓場や火葬場なども埋め立てられ、人々は何も知らずに通り過ぎていきますが、500年前には西を見れば勝幡城が見えたことと、駒捨て場であったことを考えて目を閉じると、当時の景色が脳裏に浮かんで心身が震えてきます。
 この地には人々は寄り付かず、その後も火葬場として使用されていた場所だけに土を掘れば何かありそうですが、鈍感な私だけでなく相棒も何も感じていませんから、年月の経過は過去を払拭していきます。
 
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 本日は昨日に続いて午後5時30分に相棒と散歩に出発しましたが、春一番のように強い風が吹いていたことから、途中で出会う人も少なく、ひたすら歩き続けるだけです。ちなみに、隣の愛西市では来週から市長選と議員の補欠選挙が行なわれることも、掲示板から知らされました。
 
 昨日は相棒が水を欲しがりましたが、本日は水を与えようとしても飲みませんし、私の身体から汗も出てきませんから、それでも水を口にする私と、本能から水も口にしない相棒との大きな違いを実感させられました。
 
 本日の歩行距離は、途中の雑談が一度もなかった事から、昨日の2倍(昨日は愛西市勝幡町、本日は稲沢市西溝口町まで)に達していきましたが、一週間前からバットの素振りを繰り返し、昨日に続く散歩のため身体のダメージが少なくなっており、しばらく精進をつづけたいと思います。
                                     4月19日の一言
追伸
0時50分頃に家がミシッとしたら、長野県南部を震源とする地震です。

久々に相棒と遠くまで散歩同行に

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 本日開花した「朴の木」の花ですが、昨年は5月3日に開花していたことから、今年の我家の植物は確実に2週間ほど早く開花していることとなり、年々開花が早まっているものの、今年は特に早いことが過去の一言と比較することで判ります。
 
3年前の5月13日の一言 http://blogs.yahoo.co.jp/s281218/43365437.html
 
 毎年この花が咲くと、白馬の宿のご主人だった丸山さんの思い出話を繰り返してしまいますが、丸山さんが亡くなって3年が経過し、丸山さんがこの朴の木を裏庭から掘り出してくれて11年の歳月が経過しています。
 
 さて、本日は午後から、昨日開設した「歩き遍路友の会」のブログの体裁を整えていたところ時計は午後5時を廻ってしまい、慌てて相棒リマと2時間コースの散歩に出ましたが、久しぶりの散歩は久しぶりの再会の繰り返しで、雑談続きの2時間となりました。
 
歩き遍路友の会 東海 http://blogs.yahoo.co.jp/s281218_0417
 
イメージ 2 ここ数日間は、毎夜野球のバットを振っており、終末にはバッティングセンターに出向く予定としていますが、久しぶりの散歩は足腰に大きなダメージを残しており、こんな状態では歩き遍路友の会の会員であることが恥ずかしく、四国霊場会の徒歩練行会には参加もできません。
 
 四国用のズボンに着替え、上着こそ白衣ではなく黄色のジャンパー姿ですが、リュックサックには遍路と同様の荷物を詰め込んでおり、来週の坂東巡礼と上高地行きも意識した散歩でしたが、こんな小さな相棒に引っ張られているようでは情ないかぎりです。
 
 「こんにちわ」
 「こんにちわッ…?…エッ?、大鹿さん?」
 「お久しぶりです」
 「どうしたの?」
 
 車でも10分はかかる場所を、私が小さな相棒に引っ張られて散歩している姿は、一瞬驚かれるようですが、遠くからでも判る人には判るようで、途中休憩で雑談ばかりとなったことから、予定の半分も歩けなかったものの、私の足腰はガタガタになりました。
 
                                      4月18日の一言

全国各地に地震が発生しており

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我家の庭で満開となったツツジとヤマブキ
 
 来週から坂東巡拝や上高地行きが続くことから、やるべき仕事に迫られていますが、やるべき仕事に着手する前に、突然湧いてきた雑用に走っていると、帰宅時に時計は午後3時を廻っていました。
 
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 添付したのは、最近一週間に地震が発生した全国地図だが、本日も震度5以上の地震が宮城県北部と、東京の三宅島で起こっており、14日には震度6弱の地震が淡路島で発生していることを考えると、日本列島全体に地震が発生していることから、地震についての全く素人の私だけでなく、誰もが大きな地殻変動が起こっていることを予感しているものと思われます。
 
地震情報(各地の震度に関する情報)
 
宮城北部・中部で震度5弱 東北新幹線一時運転見合わせ
 17日21時03分頃 震源地は宮城県沖
 
三宅島で震度5強、けが人も 気象庁「噴火の兆候ない」
 17日17時57分頃 震源地は三宅島近海
 
淡路島、早朝に震度6弱 兵庫県内、14人けが、損壊も 4月14日
 
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 さて、右に添付した地図は、過去100日分の地震発生を記したものですが、これを見れば全国で地震と無縁の地区は皆無で、何時何所で地震が発生しても不思議ではないことが判り、半年以内にあなたも必ず地震を体感すると予言しても、ほぼ間違いなく地震が訪れる可能性が高いことが予想できます。
 
 昨日の夕方の話となりますが、私が会員となっている歩き遍路友の会東海の会長さんの訪問を受け、近いうちに四国八十八ヶ所の奥の院や、別格二十霊場を巡る遍路を企画する話がまとまりました。
 
 私の行きつけの珈琲屋さんで3人が話し続け、気がつくと閉店時間となっており、実に3時間以上もの時間を会話に費やしていたわけですが、同じ趣向を持つ中高年の熱は熱く、仕事が山積していることを自覚しておりながら、本日にはこの一言を後回しにして友の会のブログを立ち上げていました。
 
歩き遍路友の会 東海 http://blogs.yahoo.co.jp/s281218_0417
 
 多くの遍路情報を集約することと、多くの人々の書き込みに期待して、今後は友の会の発信基地にしていきたいと考えています。
 
                                    4月17日の一言

我家を一度に大家族としたペットの登場です

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 日曜日に家内が田んぼから連れてきたアメリカザリガニです。親の左側と前方(ヒゲの部分)に小さな赤ちゃんが2匹出ていますが、温かい日中には20匹以上の赤ちゃんが動きまわるものの、夜になって寒くなると母親の尻尾の下に全員が納まっていきます。
 
 私は以前にもアメリカザリガニを飼っていたことがあり、当時のザリガニの餌が大量に残っていたことから、昨日からの継続のような飼育となりましたが、過去の記憶をよみがえらすと弱肉強食の厳しさを実感させられたように思います。
 
 我家では水槽が大量に残されており、過去にはコイからメダカ、金魚になったフナ、ブルーギル、ブラックバスなど多くの魚を飼っており、用水や川で捕獲してきたものばかりですが、テナガエビやカニを飼っていたこともありました。
 
 思い起こすとライギョやナマズだけでなく、私の地域では見られなくなった七色に輝く「トウギョ」や、ハゼが居たこともあり、最後には庭の土の下に眠らせてしまうことから、数年前(2009/2/13)に亀の「クミ吉」が死んで以降は全ての水槽が空になっていました。
 
 昨年から、孫の希望によって金魚を5匹飼っていますが、今回は家内が噴霧した除草剤から救うために持ち帰ったものの、大量の赤ちゃんを付けたザリガニに孫が喜ぶのは確実で、孫を呼ぶためにも水槽が増えていきそうです。
  
総人口1億2751万人 減少数、減少率とも過去最大
記事の続き…
 総務省によると、総人口は2年連続の減少で、減少幅はいずれも20万人台だった。出生者数から死者数を引いた「自然増減」は過去最大の20万5千人減で、男性は8年連続、女性は4年連続の減少だった。一方、65歳以上人口は前年に比べて104万1千人増え、少子高齢化が進む様子がうかがえた。
 都道府県別にみると、東京、埼玉、千葉の3都県が自然増減で初めて減少に転じた。65歳以上人口は、すべての都道府県で初めて、年少人口(14歳以下)を上回った。
 入国者数から出国者数を引いた「社会増減」は7万9千人減。このうち外国人は5万6千人で、4年連続の減で過去最大の減少幅となった。日本人は2万3千人減だった。
 東日本大震災で大きな被害を受けた宮城、岩手、福島は、震災後初の前回調査に比べ、いずれも人口の減少幅が縮小した。それでも、福島はマイナス1・41%(2万8129人)で2年続けて減少幅が最も大きかった。
 
 さて、総務省は16日、2012年10月1日現在の人口推計を発表し、総人口は1億2751万5千人で、前年と比べ28万4千人(0・22%)が減少したことと、1950年以降、減少数、減少率ともに過去最大となったと報道されてきました。
 
 家内が持ち帰ったアメリカザリガニについても、私の子供の頃にはもっと大きなザリガニがバケツに満杯となり、当地方では名物となっていた「ナマズ」についても、大量に獲れて食用にしていたことを考えると、人間の少子化とは違いますが、環境の悪化で回復は見込めません。
 
 カニについても、常識では海の動物ですが、私の子供時代には、石垣や縁側の縁の下に必ずおり、指をはさまれたカニのハサミが折れたまま離れない痛い経験をしていますが、現在はカニの姿を見かけることは無くなりました。
 
 人間の少子化は、高齢者が増加の一途をたどり、いずれは人口も減っていく寂しい現実に至りますが、環境悪化による動植物の減少も、川から魚が皆無になってしまう実感すら感じなくなり、子供たちは川には汚水しか流れていないと認識していきそうです。
                                    4月16日の一言

半月早い植物の成長にあわせて

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 珈琲店から持ち帰ったハーブ
 
 日曜日に娘と孫が我家にやってきたので、家族全員で私の行きつけの珈琲屋さんを訪れた際に、孫の注文した飲み物のアイスクリームの上に乗せられていたのが添付したハーブで、家族に勧められるままに持ち帰ってきました。
 「こんな葉っぱがどうなるの」と思う事なかれ。このままでも数日で根が出て、成長を始めます。
 
 実は、ちょうど一年前にこの珈琲屋さんを訪れた際に、私が同じように孫のアイスクリームの上に乗せられたハーブを持ち帰っており、この時は「レモンバーム」だったようですが、帰宅後に発根し、現在も植木鉢で大きく育っています。
 
ハーブが事故の原因と報じられて 24年5月 http://blogs.yahoo.co.jp/s281218/46271334.html
 
 今回持ち帰ったハーブは、香りから「アップルミント」のように思いますが、偶然にも一年前に家族で訪れた際に持ち帰っており、幼い孫が注文する飲み物にしか付いていないことから、孫のハーブと思って今年も大切に残したいと思います。
 
 昨年にはハーブに関心を寄せ、近辺の園芸店でハーブを探して購入し、桐生市から「ホワイトセージ」を取り寄せたりしていましたが、栽培方法が判らず多くのハーブを枯らしてしまいました。しかし、挿し木に成功したハープは全て生き残っており、「ホワイトセージ」についても、購入した苗は全部枯らしたものの、折れた枝を挿し木した一本が生き残りました。
 
イメージ 2 右に添付したのは、本日の我家のサクランボで、今年は花の開花が早かったことから、熟するのも早くなり、昨年よりも2週間ほど早い成長となっており、昨年のサクランボの成長と比較すると5月1日頃のサクランボに成長しています。
 
 このまま成長を続けると、2週間後のゴールデンウィークには食べ頃を迎えそうです。
 
昨年5月のサクランボに関する一言
 
 さて、日頃から人気のない一言のため、コメントも入っておりませんが、昨日に家内が田んぼから持ち帰った「ある物」は、一匹が数十匹になりそうです。昨日には子供たちが独立していましたが、本日は親の体に戻っており、全員が親離れしたら賑やかになりそうです。
 
 「ある物」とは何んだと思いますか?
 
 明日は複数の約束した案件が予定されていますが、その結末と「ある物」は明日の一言にして、本日の一言はここまでです。
 
                                   4月15日の一言

アマガエルが手のひらに

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 「おじさん、お久しぶりですね。僕を覚えていますか?」と言って、ぴよーんと私の手の平に飛び乗ったとあれば可愛いアマガエルですが、暖かくなったことで我家のアマガエルが冬眠から目覚めて我家の庭に登場しました。
 
 本日は家内が田んぼの除草作業に出向き、朝からの作業に疲れて帰ってきたことから、主でありながら何もしない私は家内の顔色を伺う午後になりましたが、家内が田んぼから拾ってきた「ある物」によって、私の出番ができました。
 
 春は植物や生き物から発芽や誕生の喜びを実感させられれますが、実は我々人間にとっても成長のチャンスでもあるはずが、暖かくなる気候の変わり目が、血圧や体調に気をつける日常となっている自身の反省しかでてきません。
 
 本日家内が持ち帰った「ある物」は、最初は一匹だけだったものの、我家で数十匹にも増えており、予想もしていなかった我家に多くの家族が増えたことで、何もせずに用無し役だった私が主として登場です。
 
 「ある物」については明日以降の楽しみとしていきます。一匹と思っていたら、数十匹になっていた「ある物」が判る人は当てて下さい。当てた人には来月に実る我家の「アンズジャム」を強引にもらってもらいますから是非コメント欄まで…
 
「もうかっているのは外国の投資家」 民主・前原氏
「本当に働く人の賃金上がるのか」 民主・海江田代表
 
 春に浮かれた気分になるのは自然な行動かもしれませんが、安倍首相の登場によって確実に経済が動いており、今のところ自民党の経済政策によって経済は好転していることは間違いのない事実で、国民の世論調査によっても高支持率が維持されている。
 
 こんな時に、野党になったとは言え民主党の代表と、政権時の主要閣僚があいついで安倍首相を批判するとともに、「本当に働く人の賃金が上がるのか」とか、「もうかっているのは外国の投資家」などと新聞に報道されてきました。
 
 私は自民党とは無縁ですが、小泉首相退陣後の政権には目標とする経済政策が皆無で、民主党政権は景気の動向や円高についても成り行き任せだったことを、安倍首相が実証したのかもしれません。
 
 「もうかっているのは外国人投資家」と発言した民主党前原元代表の一言は、自分が関心がなかった裏返しとしか思えず、もうける気持ちがあれば誰でももうけるチャンスがあった事と、外国人投資家だけがもうけたとの裏付けがありません。
 
 海江田代表の「本当に働く人の賃金が上がるのか」の一言も、安倍首相の発言と指示が経済を実際に左右している現実からすれば、傍観者の無責任な一言に過ぎず、労働者を束ねる連合の支持を受ける民主党の無力感しか思い浮かびません。
 
 消費税の増税についても、我々は生活費の負担増しか考えませんが、投資家は金を増税前に買って、増税後に売って儲ける方法を考えますから、成り行き任せでは生活も好転しないことを悟っていく必要を感ずる報道ともなりました。
 
                                  4月14日の一言

孫が来ると相棒も二番手となります

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 本日は夕方まで家を不在にしていましたが、帰宅すると孫が訪れており、そのまま家族全員で珈琲屋さんに走って、孫に求められるままに近所で「みたらし団子」を買い求め、手を引かれるままに町内を散歩しました。
 
 私は4人の子供がおりますが、私の記憶では子供を連れて散歩したことは思い出せず、3年前に我家にやってきた相棒リマによって、近所の散歩どころか車の助手席に乗せて木曽川の砂浜まで行くようになっており、本日も相棒こそ一緒ではなかったものの、孫に手を引かれて町内を一周しました。
 
 ただし、私の子供時代とは大きく様変わりしており、私の子供の頃は道はアスファルトではなく、家と家との堺となる塀もなかったことから、目的地に向かって直線的に歩き、川の水は清らかで、田んぼ道は2本の轍と青々とした草が生え、レンゲの花が咲き乱れる田んぼが遊び場となっていました。
 
 現在は道路を歩くのは犬の散歩だけで、氏神様の境内に設置されたブランコや滑り台で遊ぶ子供もなく、子供たちの遊び場が外ではなく、家の中になっている現実も実感させられる散歩にもなりました。
 
 今から10分程度の休憩です。休憩の目的は、先週から始めたバットの素振りで、来週にはバッティングセンターに行ってホームランを狙ってみたいと思っています。
 
           … 素振り …
 
 たった15分のバットの素振りでは汗も出てきませんが、身体の各所が悲鳴があげており、若かりし頃にバッティング場のホームラン王を目標にしていたようにはいきませんが、老化した身体にはしばらく悲鳴をあげさせないと老化の一途をたどりそうです。
 
 添付した写真の孫の背後に津島市の広報板があり、今月25日(木)から5月6日(月)まで開催される「尾張津島藤まつり」のポスターが掲示してありました。今年は江南市にある曼荼羅寺藤まつりと一緒にPRしていくと報じられており、双方へ足を運んでもらいたいものです。 
 
江南・曼荼羅寺藤まつり http://www.geocities.jp/psbtr259/090mandaraji.html
 
 私は以前に藤の花では日本一の規模を誇る栃木県足利市のフラワーパークを訪れたことがありましたが、最盛期を予測するのは難しく、満開時に訪れて花の魅力を体感して欲しいと思います。
 
 明日は津島市の文化会館で、華道未生流の「いけばな展」が開催されますが、我家では家内が田んぼの除草作業に出かけると言っていることから、風流にいればな鑑賞とはいかない雰囲気で日曜日を迎えます。
 
                                   4月13日の一言 

仕事が完了し、心も軽やかになり

 本日は、3月1日付けで発行された神守中学校同窓会報の、広告欄に協賛していただいた広告スポンサーへの集金を午後から廻っていましたが、「また明日にでも…」という甘い気持ちを払拭して夜まで訪問して全部完了させました。仕事というよりも役務のような感覚から、期限が決めてないため、留守なら「また近いうちに…」と日延べを繰り返してきましたが、心を鬼にして本日限りにした事から、仕事を残しているストレスから一つ開放されました。
 
 積み残した仕事は山積したままですが、本気を出せば意外に早く済みそうな気持ちにもさせられるものの、次々と新しい仕事(ボランティア)を入れてしまうことと、金を生む仕事ではないことが、労働意欲を希薄にして、仕事を繰り延べにしてしまっていると思われます。
 
 さて、本日集金に訪れたお店で、私を昔から知っておられる人がおられ、年齢を重ねた話題から身内の病気まで話が広がり、最後は「四国遍路」の話題となりましたが、議員になって顔を合わせていない多くの人々が病気に苦しめられ、鬼籍に入ってしまっている人の多さに驚かされました。
  
お試し歩き遍路に65人 5番札所までの18キロ 徳島
 
 昨日の朝日新聞の徳島県の地方版に、お試し遍路の記事があり、歩き遍路の楽しさを知ってもらう「お試し歩き遍路」が7日あり、県内外から65人が参加したとの報道がありました。
 
 四国霊場1番札所の霊山寺から5番札所の地蔵寺までを歩くと約18キロあるようで、新聞では休憩しながら約6時間半かかったとありましたが、これくらいなら私でもできそうな距離と思われます。
 
 さて、数年前からオートバイをこよなく愛す市役所職員に、修理を依頼したままで預けたままとなっている自動二輪が、どうやら5月の連休後には車検に出せる状態に仕上がっているようです。
 
イメージ 1 私の愛車はホンダのVF400Fですが、約30年ほど前に製造されていた二輪車で、議員になってから14年間は車検が切れただけでなく、毎年7千円の税金だけを払って埃を被らせたままにしていました。
 
 議員になったことで、支援者と家族から危険なため厳禁とされていましたが、このままでは永遠に愛車を粗大ゴミと化してしまうだけでなく、私自身も二輪にも乗れない高齢者に錆びつかせてしまう事から、今年は封印を解いて風になりたいと考えています。
 
 四国を歩いて廻りたいとは思うものの、時間の制約が存在し、とりあえず身体を護られた四輪車から、四国の風を受けて走る二輪で走ることも今年の目標としており、行動から身体と心のリフレッシュにつとめて、ストレスも発散させたいと思います。
 
                                    4月12日の一言

孫のためならアッシー君も喜んで

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 本日は娘と孫を乗せて、孫の健康診断のために、名古屋市の西部医療センターまで走りましたが、私のタクシーは車高が高く駐車場に入れないため、指示された場所に停めて車内で待ち続けることとなりました。幸いなことに、私の車には熱湯や水が積んであることから、車内でテレビドラマと珈琲の休息タイムともなりました。
 
 この病院は、かつての城北病院で、城西病院を統合して名古屋市の拠点病院として近代化された医療センターとなり、ガンの最先端治療となる陽子線治療センターをはじめ、出産や小児医療の拠点病院として、WHO・ユニセフによって「赤ちゃんにやさしい病院」にも認定されています。
 
名古屋市立西部医療センター http://www.west-medical-center.city.nagoya.jp/
 
 娘は3年前に名古屋市内の産婦人科医院で出産に臨みましたが、難産のため羊水を飲み込んだ孫は出産時に呼吸をしておらず、医師が搭乗した救急車によって城北病院に搬入されました。
 
 幸いなことに、救急車で搬入されるだけでなく、救急車に搭乗した産科の専門医が車内で施術を続けていたことから、搬入時には呼吸も正常になっていたようですが、孫はここの新生児室で後遺症を残さないように10日ほど入院していました。
 
 有難いことに、名古屋市では出産時に問題のあった新生児は、定期的に城北病院から連絡があり、検査やワクチン接種などが実施されており、孫は当地域では最高の環境で医療を提供され、後遺症は何も見当たらずに順調に成長を続けています。
 
 私は4人の子供がありますが、4人とも何の心配もなく地元の産科で出産しているものの、娘の子供が生れる時は大変な事態となり、出産時を正確に再現すると、名古屋市であったことが救いとなり、津島市で出産しておれば確実に後遺症を残していたと思われます。
 
 孫が生れた状態は津島市の医療では限界があり、近くの海南病院か中村日赤に救急車で搬送したとしても、確実に脳細胞の酸素不足から後遺症を残したと思われ、医師が搭乗した城北病院の救急車のお蔭で救われました。
 
孫のワクチン接種に同行して 10年3月
               http://blogs.yahoo.co.jp/s281218/43034002.html
 
 一年後に同様な例が書道会のメンバーのお孫さんにも起こり、母子共に3分遅れたら生命の危機にあったものの、名古屋市の中村日赤に搬入されて助かっており、同時期に津島市で出産に臨んだ近所の母親が亡くなり、生れた子供は植物状態で現在も寝たきりとなっている現実を考えると、出産や小児医療の格差是正は急務です。
 
脊髄損傷でも手足動く新技術 人工回路、サル実験成功
記事の続き…
 これまでは、脳からの信号を取り出してロボットアームを制御する方法などが注目されていた。今回は、大脳と脊髄を人工的な回路で結ぶ方法を新たに開発したという。
 この技術を使えば、将来的には小型のコンピューターチップを体内に埋め込み、マヒした体を動かすことができる可能性があるという。脊髄損傷のほか、脳梗塞(こうそく)で体が不自由な人にも応用できるとしている。
 西村准教授は「ロボットアームによる機能代替や再生医療よりも、現実的な方法ではないか」と話している。
 
 さて、本日の新聞には、脊椎を損傷して障がいを残している人々には朗報となる、「人工神経接続」技術を開発したとの報道があり、将来、脊椎損傷などで手足が不自由な患者の治療に役立つ可能性があるというもので、サルによる動物実験は成功していることから、一日も早い導入に期待したいものです。
 
 一方では、医学の進歩は目覚しいものがあるものの、搬入された医療機関の限界内の医療しか施されない事が多い現実を見据え、万が一を想定して「かかりつけ医」としている主治医と話しておくことも有効と思います。
 
                                    4月11日の一言

運転中の携帯電話から歴史探訪へ

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愛西市千引町にある奥津社
 
 津島市と隣接する愛西市に千引という地域があり、津島市の葉苅町と隣接していることから町内までは入らないものの、連日のように道路を通過していますが、本日は携帯電話がかかってきた事から、集会所の駐車場(下の写真中央)に車を停めました。
 
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 普段であればこのまま用件が済みしだい車を走らせますが、集会所の横に立つ建物の扉が開いており、中に石仏が見えたことから車を降りて覗いたところ、石仏は観音様で33体が鎮座しており、私は野辺に置かれたお地蔵様を集積したものと思っていたのでびっくりとしました。
 
 私の住む町内では、これまで2ヶ所の観音様の維持管理を浄土宗の檀家で護ってきたものの、今後の管理が難しいと町内会に維持管理を依頼したいとの声があり、講組の解散を希望する声もあるため、立派な観音堂の存在に驚かされました。
 
 予備知識もないままの訪問で、勝手な推測は禁物かもしれませんが、観音堂が集会所の横に存在していることから、かつて存在した観音堂か無住となったお寺の跡に集会所が建てられ、町内で維持管理されているのかも知れません。※あくまで私の勝手な推測です。
 
 さて、この近くの小高い丘に奥津社(神社)が存在し、一説によれば愛知県で一番旧い古墳とも云われていることから、そのままついでに訪れましたが、鎮座は四世紀と伝わっており、低湿地帯に唯一小高く築かれた丘の上に建つ本殿前に立って、今から千五百年前の景色を想定して南方の海(今は見えませんが)を眺めてみました。
 
 この古墳から発見された三角縁神獣鏡がかつては社殿に奉られていましたが、現在は名古屋市の熱田神宮に保存されていると記されています。
 畿内の大和朝廷と当地方の関係を裏づける発見ですが、この本殿の下にそのまま眠っている歴史的資料がある可能性を考えると夢が膨らみます。
 
 私の父親は幼少の頃に母親を交通事故で亡くし、「口減らし」のためお寺に預けられた叔父が逃げ帰ってくると、祖母と兄弟が揃って千引の橋まで叔父を送り、泣いて別れた叔父がお寺に入っていくのを確認して家に戻ったようです。
 
 まさしく、昭和の初めに我家の先人が悲しい記憶を蓄積した場所が、奥津社から見える場所(2階建ての無い昭和初期には)にあり、我が家の先人は奥津社が古墳であったことや、当地方が尾張地方でも有数の権力者が存在した場所とも知らぬままに死んでいった事、かつては叔父が預けられた津島市の長福寺も見えたと考えると、人間が勝手に決めた市町の境界線によって、無関心で走り抜けていく自分を反省する一日ともなりました。
 
 昨日に続き、本日も一日中家を空けておりましたが、明日は孫の健康診断に行く娘のアッシー君を約束しています。
 子供は親の近くにあって欲しいを持論としてきましたが、名古屋市の医療体制や子供に対するサービス面と津島市の大きな格差を実感させられ、津島市に帰ってこいとは言えない現実と、同じように税金を支払っても津島市民の受けるサービスの低さに議員としての無念さを感じながらのアッシー君となります。
 
                                    4月10日の一言

野良犬の里親を探す今治市のボランティアに

 本日の朝日新聞の全国地方版で一番の話題は、行政やNPOを頼らず、費用は手弁当で殺処分される運命の犬を治療し、健康診断をして里親へ手渡す活動をしている愛媛県今治市の愛犬家たちで、捨て犬や野良犬を保護して、新しい飼い主を探す活動を10年ほど続けていると報道されています。
 
野良犬に飼い主を 愛犬家、活動10年自費で 愛媛
記事の続き…
 須藤孝次郎さん(54)ら数人。地質調査技士の須藤さんは12年前に今治に移住。建設現場の空き地や公園で野良犬を見ることが多かった。もともと犬好きで、処分される犬たちに心を痛め、松山市にある動物愛護団体の会員になった。
 この団体には犬を飼う施設がなく、会員たちが保護した犬を飼い主が見つかるまで自宅などで預かることにしていた。今治に支部がなかったこともあり、約10年前から犬好きの仲間と今治での活動を始めた。
 野良犬を見つけて保護すると、知人の獣医師に頼んで健康診断とノミの駆除、去勢や避妊手術を施す。インターネットのブログやビラ配り、張り紙で飼い主を募る。治療費、えさ代などの費用はすべて自費という。
 「野良犬をこれ以上増やしたくない」との思いから、犬を預ける飼い主の条件を厳しくした。希望者の自宅環境、家族構成、人柄を重視し、半年に1度は犬の写真を送ることが条件だ。これまで約100匹を「里親」に仲介し、自身も保護した犬を6匹飼っている。
 「犬を捨てるのは人間のエゴ」と須藤さん。「小学校の道徳教育で動物の命の大切さを教えるなど、モラルをもっと高めてほしい」と訴える。
 
 東日本大震災で飼い主を失った愛犬や、仮設住宅で飼い主と一緒に生活できないペットを、一時的に預かって里親を探している団体や、薬殺処分となるペットを救い、新たな飼い主を探しているボランティアは全国各地に存在しています。
 
 俳優の堺雅人を主役として撮影された「ひまわりと子犬の7日間」も、添付した記事と共通するテーマで描かれており、「信じる心を失った母犬との出会い。ぼくらは、その小さな命を、守ると決めた―」と宣伝され、「実話から生まれた、やさしい愛に満ち溢れた感動作」となっていますが…
 
 しかし、現実社会の中では、新たな飼い主を探すのには限界があり、犬の健康管理や餌代などよほどの信念を持って臨まないと、野良犬だらけとなって、飼育代も青天井となりそうで、行き場のない犬を抱えて路頭に迷う結果を招いていきます。
 
 そういった意味でも、今治市の愛犬家グループの活動は参考にしたい事例で、愛犬が家族の一員となって人間の癒しとなっている現実の半面で、飼い主の高齢化によって飼いたくても飼わない人々が増加している現実の打破を目指したいものです。
 
 交通量の多い県道沿いに住む我家では、飼っていた猫が次々と交通事故で命を落とすことから、捨て猫が迷って我家に来た場合には飼う事としており、わざわざもらってきても事故で死なすのは忍びないためそうしています。
 
 本日火曜日は、毎週我家の2階で書道会を行なっていますが、書の指導をされている後藤先生の自宅で飼われていた愛犬が半月前に死んでいます。15年前に畑の周辺に捨てられていたのを拾ってきた愛犬でしたが、孫のいない恩師は自分の子供のように可愛がっておられ、家族に見守られて死んだ話は、恩師が中学に赴任されていた現役時の厳つい姿からは想像もできない悲しい物語でもありました。
 
 私も福祉有償ボランティアに手を染めており、思いつきで気の向くままに犬のボランティアまで参加はできませんが、捨て犬も存在しなくなっている当地域にも寂しさを覚える半面で、人の目につかない場所で次々と野良犬が薬殺されている現実への反省もしたい新聞報道となりました。
 
                                   4月9日も一言

地元の小学校入学式に出席して

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愛知県では、本日小学校の入学式が行われました
 
 本日は小学校の入学式へ来賓として出席しましたが、完全に年代が世代交代している現実と、まもなく孫の入学式を迎えようとしている現実を実感するとともに、来賓としての議員が軽薄化していないか自問自答する一日ともなりました。
 
 さて、皇室でも秋篠宮家の長男・悠仁さま(6才)が7日、お茶の水女子大学付属小学校(東京都文京区)入学され、次女佳子さま(18才)が8日、東京・目白にある学習院大学の入学式に出席したと報道されています。
 
 皇族が学習院初等科以外の小学校に入学するのは戦後初めてと報じられていますが、秋篠宮家の教育に対する寛容な対応を好意的に見守るとともに、将来の天皇陛下として相応しい人格形成がなされることに期待したいものです。
 
悠仁さま元気に入学式 お茶の水女子大付属小に
佳子さま、学習院大に入学 文学部教育学科に
 
 安倍首相の登場と、春の訪れで浮かれた気分になっていると、台風並みの低気圧の通過により列島各地から被害が報じられており、当面は気候の変わり目の自然災害に注意する必要がありそうです。
 
だんじりにひかれ、中2死亡 兵庫・南あわじ
 
 兵庫県南あわじ市福良の市道で、春季例祭のだんじりを担いでいた近くの市立南淡中学校2年生の男児(13)が転倒し、だんじりに頭をひかれ、約1時間20分後に病院で死亡するという悲しい事故も発信されています。
 
 毎年繰り返される全国の祭り会場から、毎年必ず死者が出る事故が報告され、しばらくは注意されるものの、楽しいはずの祭りの陰で犠牲になる人が存在している現実に歯止めをかけたいものでもあります。
 
 半月前にも火災で燃えた家が近くに存在しますが、本日も隣接するあま市の住宅で火災が発生しており、ぶり返した寒波にしばらくは慎重な対応で、本当に花まつりのような気分になりたいものです。
 
 本日4月8日は「花まつり」の日です。釈迦の生まれた日にあたることから、全国各地のお寺で花祭りが行なわれており、降誕会(ごうたんえ)、仏生会(ぶっしょうえ)、浴仏会(よくぶつえ)、龍華会(りゅうげえ)、花会式(はなえしき)など呼び名は様々であるが、キリスト教の生誕を祝うクリスマスとは違い、どんどん忘れ去られようとしている現実を寂しく思う一日ともなりました。
 
                                   4月8日の一言

愛犬と参拝できる神社が登場し

 本日の朝日新聞に、ペットを歓迎する神社が増加しているという記事が掲載され、神奈川県座間市の座間神社はペットと一緒に参拝できる社を建て、名前を「伊奴寝子(いぬねこ)神社」として両側に犬と猫の石像まで立っていると紹介されています。
 
愛犬と参拝できます ペット歓迎の神社、じわり増加中
記事の続き…
 伊奴寝子神社は本殿と離れ、公園の散歩コースから直接立ち寄れる場所にある。飼い犬と散歩でよく立ち寄る女子大学生(22)は「長生きしてね、と手を合わせます。神社が身近になった」と話す。
 東京都新宿区の市谷亀岡八幡宮はペットの七五三をする。排泄(はいせつ)を済ませ、飼い主のひざに載せていれば、拝殿で祈祷(きとう)を受けられる。5年前に始めたところ、晴れ着やはかまで盛装した犬や猫が年々増え、昨年は150匹以上を数えた。
 10年以上前から、要望があればペットの祈祷を受け付けてきた。初詣もペット専用日を設ける。梶謙治宮司は「元気でいて欲しい、といった飼い主の願いは真剣だ。神頼みしたいほどの悩みが現実にある以上、宗教家として受け止める必要性を感じる」と言う。
 とはいえ、ペットの立ち入りを禁じる神社がまだ大勢だ。全国約8万社を包括する神社本庁は「神様をおまつりする清浄な場所なので、排泄をする動物は境内に入れないのが一般的」(広報課)と言う。
 「そもそも犬猫など四本足の動物自体が不浄とされてきた」と指摘するのは、国学院大の石井研士教授(宗教社会学)だ。神道上の清浄と不浄の区分は明文化されておらず、時代とともに変化してきた。
 例えば、かつて出産は穢れとされ、妊婦は神社に近づけなかったが、そう考える人は今はあまりいない。石井教授は「清浄の感覚は、生活のなかで共有される文化的なもの。ペットは不浄という常識は通用しなくなるかもしれない」と話す。
 
 記事の中には、東京都新宿区の市谷亀岡八幡社がペットの祈祷を受け付け、昨年には150匹以上を祈祷したと紹介されていますが、我家も相棒は犬と言うよりも、子供役として我家のカスガイになっていることから、時代の趨勢としか思えません。
 
イメージ 1 昨年7月に四国を訪れた際に、私は1日目に松山城の天守閣まで相棒を抱いてのぼり、2日目には別格二十霊場の第13番仙龍寺(写真右)のご住職の許可を頂いて、腕に抱いたままで本堂へ参拝させてもらいました。
 
 一方で、毎年訪れる上高地へも相棒を連れて行きましたが、上高地ではペットの宿泊どころか、ペットの連れ込みすら難しいことから、テントを買って家族もテントで宿泊し、小便もさせぬためにパンツをはかせました。
  
昨年7月13日四国からの一言
   7月14日四国からの一言
昨年8月26日上高地からの一言
 
 さて、新聞記事で気になることは、ペットブームだからといっても、我家の近所の田んぼ道は犬の排便で汚くて歩けず、かつては楽しみにされていた「ツクシ採り」すら行なわれなくなっている現実で、神社やお寺についても聖域であるためには犬を一般道のように散歩させて欲しくはありません。
 
 過去の一言にも記したことがありますが、和歌山県の高野山の奥の院にも犬を引っ張る観光客が存在しており、連れられた犬が墓標を囲む石柱に小便をかけている姿を見たことがありました。
 
 人間が参拝する場合にも、山門に入ってから手や口を水で清めてから参拝していることや、真言宗のお寺では身を清めるために塗香(ずこう)を塗ってから本堂に入っている現実を考えると、ペットの神社やお寺への入場にも一定のルールを定めて欲しいものです。
 
 ペットが市民権を得ている中で、ペットの宿泊ついて寛容に対応していた旅館やホテルの中に、飼い主の無責任なペットの管理による被害から、逆にペットは厳禁と厳しい措置を講じた施設も存在します。
 
 最近の高速道路のサービスエリアにはペット用の水道や散歩道だけでなく、ペットも一緒に入れる飲食店まで誕生していますが、ペットと気持ち良い旅行や行動をするためには、犬やペットを嫌う人々の存在も考えた管理と、せめて大小便だけは絶対に放置しない厳しさを徹底させたいものです。
 
                                    4月7日の一言

夜の引っ越し

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三男の引っ越しに借り出されて、桑名市で深夜まで頑張る一日になりました。
 
 ここ数日間に我家を訪れた人から、共通して話題となったのは、子供が思うように独立しない話と、結婚適齢期を過ぎても結婚していない現実に対する話で、我家でも長男は30半ばを迎えていることから、共通の話題として私自身も考えさせられました。
 
 さて、私は仕事を失って時間を持て余す人や、引きこもり状態となっている人などに四国遍路を勧めていますが、私は宗教的な霊的効果を信じて勧めている訳ではなく、実は四国遍路に出向くことでの新たな出会いと、歩くことで体感する肉体的変化に期待して勧めています。
 
 空から降ってきた雨の水を、毎日飲み、大地に育った新鮮な野菜や穀物を食べて排泄して……私たちの体の中を流れる水は、どんどん入れ替わります。
 
 数ヶ月のうちに、あなたの体は全て、新しい身体になっています。
 赤子の体も、老いた体も、降ってきたばかりの真新しい水で満ちています。
 年をとることも、失うことも無いのです。
 全てのものは、ただ浄(きよ)らかです。
 
 灼熱の大地に育まれた穀物は、夏の終わりに、枯れてしまいますが、褐色に熟した種子は充実して硬く張り、お百姓さんの手で、大切に刈られて今日の食卓にあります。
 
 その姿はじつに誇らかではありませんか。
 充実して働いた後に、年老いる身体も、誇りに満ちています。
 
 ここに添付した文章は、四国霊場の一番霊山寺で頂く四国遍路のパンフレットに記された一文ですが、四国八十八ヶ所を歩いて一周した知人は、最初から室戸岬まで歩いたあたりまでに、それまでの身体に蓄積した老廃物が汗となって落ち、愛媛県に至る頃には汚れのない浄らかな身体に生まれ変わり、そこから新しい血と力を身体に蓄積して香川県で満願を迎えたと語っていました。
 
 四国を歩くことで、過去の汚れを払拭し、新たな人生を切り開くことが可能と私は思っています。
 お寺の山門から入り、身を清めた後に本堂と大師堂に参拝し、参拝した証しとして納経所で朱印をいただく一連の行為の中でも、お遍路さんと出会って挨拶し、納経所でお寺の関係者や僧侶と交わす言葉によって今までとは違う体験を経験できます。
 
 10年前に遍路をスタートした時は、18人のメンバーでマイクロバスによって巡拝しており、全員の朱印帳をリュックサックに詰めて納経所で朱印をもらっていましたが、数年前から朱印については団体ではなく、個人個人で納経所を訪れるようにしました。
 
 たったこれだけのことでも、八十八ヶ所のお寺で挨拶を交わし、会話の中から新しい知恵をいただき、仲間内の会話だけの遍路とは大きな違いが生じており、出会う人との会話も増え、無理をせずに少し歩いてみると、遍路道で四国の人々に温かいご接待を受ける機会に遭遇すると、身も心も清々しい気持ちになっていきます。
 
 四国を歩いた菅元首相についても、四国を政治に利用したとの批判もありますが、私は菅さんが次の政治目標を持って、自分の足で遍路道を歩いた結果、総理大臣になっている現実から、失業して部屋に篭っている位なら何も考えずに歩いた方が得策に思います。
 
 「歩いてどうなるんですか」とか「何故」と問われますが、白衣を着て、菅傘をかぶり、金剛杖を持って街中の一般生活道を歩くという、非日常的な行為をすることは、理屈や効果を語る必要のない緊張感を実感させられますが、足が棒のようになり、体力の限界を感ずる頃には無心となっていきます。
 
 こんな体験から、「四国へ」の一言が口癖になっているものの、今年は坂東観音巡礼に走っており、私の四国遍路は未定となったままとなっていますが、親子三代(私・娘・孫)と相棒で巡拝する夢を捨ててはおりません。
 
                                 4月6日の一言

瀕死の山椒が木の芽を出して

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 枯れたとしか思えない状態で越冬していた山椒の木が新芽を出しました。どうにか半分が生き残っていたようですが、山椒の新芽が「木の芽」と呼ばれ、家庭の香辛料として奴豆腐や酒の肴に利用できるものの、現実には鉢植えでは水の管理が難しく、路地植えでは新芽を芋虫に食べられてしまうので、我家では過去に何度植えても残ったことがありません。
 
 
 木の芽として食卓に上げるためには殺虫剤が使えず、そのままの環境では目に見えないくらい小さい虫を見つけて駆除するのが大変な手作業となります。
 この山椒の木は、昨年の5月5日に岐阜県のお千代保稲荷の参道で買い求め、「育たない」ことを前提として植え、10月20日の一言には、アゲハの幼虫に食べられて瀕死の状態となったことが記されていました。
 
昨年10月20日の一言 http://blogs.yahoo.co.jp/s281218/46747315.html
 
 枯れた可能性が高かった木が新芽を出したことは嬉しいものの、食材に香辛料として利用するためには殺虫剤が使えないため、気をゆるすと上に添付した記事に紹介した写真のような虫に喰われてしまう運命が迫り、虫から隔離するため移動できる鉢植えは水の管理を間違えて枯らしてしまう過去を払拭できるかが今年の課題となります。
 
 本日は、午後から長距離を歩いていくために、着替えてリュックを背負おうとしていると、14年前に一緒に政界へデビューし、現在は大きな選挙を歴戦したもののフリーターとなっている仲間の訪問を受け、当初の政治目標や現状を語り合っていると外は真っ黒となっていました。
 私は4期目となり、待つのは引退の決断だけとなりますが、訪問者は年齢も若く、国政への挑戦も諦めていないことから、応援する支持者として今後は後援会活動についても熱く語ると、14年前の会話が甦ってきました。
 
 さて、本日は全国各地の地方版記事の中に、渥美清さんに関する記事を見つけました。長野県と徳島県で関連する記事が掲載されていますが、渥美さんが亡くなって年数が経過しているものの、ファンや関係者にとっては渥美さんが現在も存在していることに心強さと、横井庄一記念館の存亡も身近な話題となっていることから、他人事には思えず添付した次第です。
 
脇町オデオン、寅さん聖地に 徳島で「語る会」始動
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 佐藤さんはここで「男はつらいよ」シリーズの鑑賞会を開き、ファンが集まる「聖地」とするよう提案。会長の清水行伸さん(49)をはじめ語る会は今年中の実現を目指すことを決めた。
 佐藤さんは文化放送のラジオ番組「みんなの寅さん」のパーソナリティーを務め、山田監督や山田映画の出演者らと親交がある。語る会のメンバーで地元のラジオキャスター梅津龍太郎さん(72)の知人でもあることから、今回のゲストとして招かれた。
 山田映画の魅力やエピソードを語った後、県内の映画館の減少について佐藤さんは「映画館がなくなっても映画がなくなるわけではない。みんなで一緒に見たり語ったりする機会をつくってはどうか」と提案した。また、東京の柴又帝釈天で定期的に開かれている鑑賞会では、寅さん映画のマドンナ役をシークレットゲストとして登場させファンを楽しませていることを紹介。「オデオン座でも、私が必ずゲストを連れてきます」と約束した。(中川竜児)  
 
瀬戸際、渥美清こもろ寅さん会館 存続へ署名 長野
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 故・井出勢可さんらの出資で、1995年にオープンした。映画「男はつらいよ」のポスター、台本、写真、小道具などを展示している。
 小諸を舞台にしたシリーズ第40作「寅次郎サラダ記念日」のロケ地の紹介もあり、「寅さん」の世界を味わうことができる。各地からファンが訪れ、渥美さんもお忍びで何度も来た。
 しかし、館長の井出さんが昨年10月に84歳で死去し、冬の閑散期に入ることもあっていったん休館した。例年は観光シーズンに入る春に再オープンするが、今年は再開のめどが立っていない。
 「このままでは会館そのものがなくなってしまう」と、市民有志7人でつくる「いつもココロに寅さんを」(通称ココトラ)が3月から、会館の存続を求めて署名活動を始めた。
 会館は、株式会社「こもろ寅さん会館」が所有、運営している。敷地は市のもので、市も3千万円を出資している。
 社長を引き継いだ竹花谷十郎さんは「会館は、渥美さんや映画会社の松竹と太いパイプがあった井出さんだからこそ続けてこられた。貴重な展示物の散逸は防ぎたいが、赤字が予想されるまま会社として続けることはむずかしい」と話し、展示物を含めた会館の引き取りを市に求めている。
 ココトラは市の引き取り前提に、経費削減のため、ボランティアによる管理、運営を市に提案。市議会も「観光資源として活用するため、支援を検討すべきだ」と、申し入れている。
 市はこれまで、会館の運営にはほとんどかかわってこなかった。会館が赤字続きだったことなどから、引き取りには慎重だ。市企画課は「現時点では白紙。会館が、小諸の観光や経済にどれだけ寄与するのか見極めたい」としている。
 小諸で観光人力車を経営しているココトラ代表の一井正樹さん(32)は「小諸は渥美さんが何度も訪れ、『心のふるさと』と呼んだ場所。会館は地元の宝物であり、何とか地元に残しておきたい」と話している。署名活動の問い合わせは一井さん(090・2953・2172)へ。
 
                                                4月5日の一言 

テレビCMの俊介君と相棒を対比させて

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イメージ 2 私の相棒「リマ」ですが、先週の土曜日に犬の美容院で夏用のサマーカットになって戻っており、それまでの長い毛でおおわれたフワフワの相棒(右)とは別人(犬)のようになっています。
 
 もっとも、温かくはなっているものの、突然に毛皮のオーバーを刈り取られ、頼りない子供(犬)に戻ったような弱々しい相棒にとっては、三寒四温の日々の変化が辛そうにも思われます。
 
 さて、最近のテレビコマーシャルに登場するサマーカット(柴犬カット?)のポメラニアン「俊介くん」が話題となっていますが、俊介くんは2002年生まれのポメラニアンで、過去には雑誌やDVDなどに多数出演しているそうです。
  
イメージ 3じゃらん CM 犬(ポメラニアン、俊介) 画像動画まとめ
 
 同じポメラニアンでも、我家の相棒(2008年生まれ)は「暴君」でもあり、俊介くんのようにおとなしくじっとしてはおれず、人一倍食欲が強く、自分の食欲の邪魔をする者には容赦なく唸りますから、少しは俊介くんにあやかっておとなしくなってもらいたいものです。
 
 昨日我家を訪問された同級生が、姉妹3人で知多の八十八ヶ所霊場を廻りはじめており、四国遍路の「同行二人」や巡拝について問われ、知多とは全く違う四国遍路について話していましたが、先週訪れていた坂東巡拝ではお寺側の身勝手な講釈に悩まされました。
 
 鎌倉にある第4番長谷寺では、団体(バス2台分)の納経帳をリュックで持ち込んだ添乗員と遭遇したところ、個人の朱印は後回しにされ、「20分後に来て下さい」と担当者に言われ、本堂にも着いていない参拝前の団体よりも、参拝後の数人の朱印が先ではないかと言うと、「その人に頼んでください」と添乗員と交渉するように言われました。
 
 第2番の岩殿寺では、納経所の受付終了時間前に山門の扉が閉じられ、納経所は電気が消えてカギがかけてありました。そして、わざと個人ごとに参拝している読経についても、全員で揃って読むように言われる始末です。
 千葉県側の巡拝では、納経帳の紐を緩めて6人分の納経帳を重ねて提出するように求められ、勝手に納経帳の紐を緩めて重ねられましたが、私達はあえて一人一人で納経帳を提出して、それぞれで朱印をもらっているこだわりは理解されません。
 
 昼休みに1時間の休憩がある納経所や、納め札を入れる場所が見つからないお寺、ロウソク台や線香たてのないお寺も存在し、朝7時から午後5時までは確実に朱印に応じている四国霊場との大きな違いも実感する坂東巡拝でもありました。
 
 「知多に行く位なら、四国に行ったら」
 「行きたいけど、遠いでしょう」
 「四国と知多は全く違うんだよ」
 「そーなのッ」
 
 同級生の話では、知多の巡礼も大変と思っており、知多の大変な巡拝が終わると四国遍路と同等と思い込んでしまう人も多いことから、夜行で出発すれば1泊2日の行程でも四国遍路が続けられる事を伝えるとともに、久々に先達教典を開ける一日ともなりました。
                                     4月4日の一言

花が飽き性の私を救います

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 上に添付した写真は昨年10月に購入してきた密香というイチゴ(写真下の右)で、順調に成長して花を咲かせていますが、庭の植木鉢やプランターにイチゴを植えたのは昨年からで、家から離れた畑とは違って、日々の成長が手にとるように判ります。
 
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イメージ 3 左に添付したのは昨年の3月に植えた2種類のイチゴで、右の「草姫」は枯れてしまったものの、左に植えた「宝交早生」は案内書に、「宝交早生はランナーが多く発生する」と記されていたとおりに、多くのランナーから苗が育ち、来年は畑に移植できそうな数になっています。
 
 昨年の春にはハーブや花々を買い込んで、多くの植木鉢を管理していましたが、椿をはじめ、多くのハーブや花々が枯れてしまい、タネを収穫できなかったことから、今年は寂しい現実をむかえていたものの、添付したイチゴを筆頭にして子孫が残った花々も存在し、最近では千葉県の飯岡漁港の道端から抜いてきた「アシタバ」など、新しい仲間も増え、越冬させた「ポリジ」やタネとなった「バジル」などもこれから新芽を出していきます。
 
12年10月24日の一言
 船橋市職員が住民情報を漏洩して逮捕へ http://blogs.yahoo.co.jp/s281218/46758354.html
12年3月11日の一言
 完全に春の息吹を実感し…ハーブを植えました http://blogs.yahoo.co.jp/s281218/46116207.html
 
 庭に植えたら成長を続ける木々とは違い、花々は花が散ればそのままとなるケースが多く、過去に何度も気まぐれで買い求めても、結果的にはその場限りとなり、熱が冷めると残された植木鉢ばかりが残されてきました。
 
 新しいものには目がいくものの、飽き性で長続きしない私の性格から、多くの花々が姿を消したものの、大木となったアンズの木や、白馬でお気に入りの宿としていたご主人に抜いてもらった「朴の木」も2階の屋根を越すまでに成長しました。
 
 私の父親も山から木々や石を持ち帰ることが多く、庭から溢れた木々が畑に移植されたり、人に譲ったりしていましたが、私の弟が新家を新築する際に大量に持ち出されて、行き場ができたものの、我家には3人の息子がおりながら家を建てるどころか結婚相手もいない体たらくで、木々は当面持込ができないことが残念でもあります。
 
 さて、名古屋市では、市から委嘱されている西区の区政協力委員長による協議会が、研修旅行の名目で毎年、温泉地などに観光旅行をしていたことが報じられていますが、研修目的となっているものの過去10年間の行き先は全て温泉地となっており、どう考えても観光旅行としか思えません。
 
社協の助成金で観光旅行 名古屋市の区政協力委員長ら
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 2009年度の会計報告によると、富山県砺波市の庄川温泉に旅行。約110万円かかったが、19学区から集めた協議会の会費約140万円の一部と区社会福祉協議会が研修旅行に対し助成した15万円を充てていた。こうした旅行は少なくとも10年以上続けていた。
 参加者の自己負担はなく、ある委員長の男性は「旅行は委員長の役得。酒を飲み、見物と買い物だけの無駄なお金」と話す。
 協議会の事務局を務める、西区まちづくり推進室の兼松龍治室長は「1泊2日で5万円は高いが、昨年は神戸で防災に関する施設を見学するなど、自分を高めることが一つぐらいは入っている」と説明する。研修旅行に助成してきた区社会福祉協議会の担当者は「飲食でなく、研修やバス代など必要なものに対して助成している」とする。
 協議会の会費は、1学区当たり年7万4千円。委員長の男性は「町内会費から払っている。自腹を切る人はいない」と話す。一方で推進室は「ポケットマネーで支払う委員長もいると聞く」と反論するが、会費の原資については把握していないという。
 こうした協議会は市内16区すべてにあり、各学区の委員長が集まる各区の協議会は、市にとっても地域住民の要望を吸い上げたり、広報ちらしの配布を頼んだりできる便利な存在だ。
 だが市の地域振興課は「協議会はあくまで自主的な組織で、運営の中身をチェックすることは難しい」としている。
     ◇
 全国市民オンブズマン連絡会議事務局長の新海聡弁護士の話 そもそも区政協力委員の存在が分かりにくく、町内会費が知らないところで温泉旅行に使われては、住民に不信感を持たれるだけだ。行政が協議会で「住民の意思」を都合良く聞き、地域に伝達するだけの組織になっていないか。在り方について見直す時期に来ている。
■最近10年間の「研修旅行」の行き先
(※予定も含む)
2013年 奥湯河原温泉(神奈川県)
 12年 有馬温泉(兵庫県)
 11年 東日本大震災のため中止
 10年 山中温泉(石川県)
 09年 庄川温泉(富山県)
 08年 戸倉上山田温泉(長野県)
 07年 石和温泉(山梨県)
 06年 天橋立温泉(京都府)
 05年 蓼科温泉(長野県)
 04年 焼津温泉(静岡県)
     ◇
 〈区政協力委員〉 名古屋市が、行政と地域のパイプ役として委嘱する非常勤特別職の地方公務員。約5500人いて、報酬は月2262円。約8割が町内会長と兼務し、広報ちらしの配布や防犯活動に協力する。小学校区ごとに学区区政協力委員会があり、その委員長で区政協力委員協議会を構成する。
 
 1人あたり5万円の会費は、町内会費や区社会福祉協議会の助成金を充てており、参加者の自己負担はなく、ある委員長の男性が「旅行は委員長の役得。酒を飲み、見物と買い物だけの無駄なお金」と話しているのを聞くと、河村市長の市民税減税の功罪を論じている市長選挙の論点がかすんでしまう旧態依然の社会が存在していました。
 
                                   4月3日の一言

体調の復調は饒舌にもなります

 やっと先週の旅疲れがとれてきましたが、4月1日から年度が新しくなっていることから、転勤や異動によって新しく着任した人々の訪問を受け、完全休養がとれないために完全復活とは言えないものの、次第に復調していくことが実感させられます。
 
 さて、先週から横井庄一さんの奥さんに、相談したいことがあるから来週早々に来て欲しいと電話があったものの、先週の疲れが取れずに不調のためそのままにしていると、記念館の今後について親族から後継の申し出があったとの電話です。
 
 昨年から夫人が85才になる現実の中で、今後の記念館の存続について相談されていましたが、私自身は大鹿家の長男であり、遠くないとはいえ名古屋市の記念館の維持管理には限界があるためそのままとしていましたが…
 
 横井庄一記念館の土地や建物は、横井さんが跡を継ぐはずだった横井家の遺産ではなく、グアム島から日本に帰国した当時に、全国各地の横井さんを支援する人々から送られてきた善意の基金により購入された土地であります。
 
 子供のいない横井夫人の養子に入って横井姓となって横井家を継ぎたいのであれば異論はありませんが、横井庄一さんの親戚を看板にすれば家業に生きるとか、苗字が変わった人の資産として存続を託すのには疑問です。
 
 横井庄一さんの母親は、後継を申し込んだ家の先人に子連れの再婚者として虐め続けられていた過去もあったことから、悲しい選択を迫られており、私は記念館を個人の所有ではなく、NPO法人化して、夫人や私が死亡してからも30年は存続される事を望んできました。
 
 「NPO法人でも良いけど、大鹿さんが責任をもって仕切ってくれるの」の一言に、「夫人の考えが私と一緒であるならば」と、今週から動くことを約束してしまったので、大きな難題を抱え込んでしまい、家族から「我家の後継も定まっていないのに」と皮肉られる夜を迎えました。
 
長嶋茂雄氏と松井秀喜氏に国民栄誉賞 政府決定
 
 政権の政治利用との批判もありますが、長嶋(元)監督と松井(元)選手の国民栄誉賞の政府発表については、日本のプロ野球人気の礎となったミスターと、大リーグのワールドシリーズで最優秀選手となったゴジラの師弟コンビの受賞に喜びを隠せません。
 
 長嶋監督と松井選手の同時受賞に対して、2人の功績を比較して批判的にコメントを述べている識者も存在しますが、そんな議論をはじめるとサッカーのなでしこジャパンに与えたなら、東京オリンピックの女子バレーにも与える必要があり、女子レスリングの吉田選手の受賞は、同等の記録を持つ伊調選手や水泳の北島選手もとなりますから、受賞者の比較は差し控えるべきではないか。
 
 「広く国民に敬愛され、社会に明るい希望を与えることに顕著な業績があったもの」が国民栄誉賞の基準となっており、比較はできないもののミスターもゴジラも十分な有資格者と思われることから、素直に喜んで祝いたいものでもあります。
 
 もっとも、私自身は、長嶋監督の現役時代からのファンで、松井選手も同様に応援してきたことから公平な議論はできませんが、松井選手が大リーグに去り、桑田、元木、仁志選手が放出された事から、アンチ巨人と言うよりプロ野球そのものまで無関心で生活してきただけに、久しぶりに巨人ファンであった頃の気持ちが甦ってきたようにも感ずる一日ともなりました。
 
                                    4月2日の一言

ボランティアの尻拭いに走る…

 先週の坂東巡礼の旅は、夜行で出発して深夜を越えた未明に帰ってくるハードスケジュール(火曜日の夜出て、土曜日の朝)だっただけに、蓄積した疲労はなかなか取れず、少しでも横になっていたいと思っていると…
 
 「11時に頼めないかなぁ」
 「はい、判りました」
 
 福祉有償運送の会員さんから病院まで運んで欲しいとの電話でしたが、担当者に電話すると「今日はダメ、ダメ」と取り入る隙もない断りで、他の担当者に連絡すると、「同じ時間にお客さんがある」との返事で、3月は議会で何もしていないので自分で行こうと覚悟していると…
 
 「突然ですが、9時45分に頼めませんか」との依頼で、市役所に出かける予定もあることから大慌ての朝となり、11時の会員さんを送迎すると、「〇〇サンからも断りの電話があった」と聞くこととなり、詳しく訪ねると私が連絡した2人に断られてから連絡があったことが判りました。
 
 本来は運行管理者の私から配車を手配するシステムが、直接運転手が受けており、運転手に断られた尻拭いで私に依頼されるケースが増えており、先週も巡礼先の千葉県で依頼を受けて手配したケースも、実は運転手から断られて依頼されていたことが判明しました。情ない話ですが、断られたことも知らずに、電話をかけつづけた空しさが残ります。
 
 元々は、私が忙しいことから、直接運転手に連絡して用が済めば幸いとしてきましたが、依頼が重なれば走れませんから、時間を変更したり断ってしまうようでは公のサービスとしては失格で、今後は管理者として会員さんの要望に確実に応えるようにしていく責任も感じました。
 
 さて、本日の報道では、太平洋戦争の開戦や戦争継続に反対していたとされる旧海軍の山本五十六連合艦隊司令長官が、開戦の4カ月前に、戦争回避を望む心情をにじませた書簡を部下に送っていたことが、書簡を受け取った伊藤整一海軍中将の遺族が保管していたことから判明しました。
 
にじむ対米戦回避への心情 山本五十六、開戦前の書簡
記事の続き…
 だが、9月6日の天皇と重臣による御前会議で、外交交渉での解決が難しければ戦争に踏み切る「帝国国策遂行要領」が決まった。11月5日、対米交渉が決裂した場合は12月に開戦する方針が正式に決まり、12月8日にハワイ・真珠湾への奇襲攻撃が行われた。
 伊藤は書簡を受け取って4年後の45年4月、戦艦大和などによる沖縄特攻を指揮し、米軍の攻撃を受けて戦死した。書簡は、東京に住む長女の今澤純子(すみこ)さん(87)が自宅で保管してきた。伊藤宅は空襲で焼けたが、書簡は防空壕(ごう)に移して焼失を逃れたという。
 ノンフィクション作家の中田整一さんが取材過程で書簡を見つけた。1日に出版する伊藤の評伝「四月七日の桜」(講談社)に掲載する。
     ◇
■山本五十六記念館(新潟県長岡市)の星貴(たかし)・展示企画委員の話
 山本の書簡は記念館で約500通保管しているが、礼状などが多く、軍政への意見を率直に述べたものは珍しい。対米戦争を回避し、外交で解決を図ろうと最後まで模索した思いがよく表れた貴重な史料だ。上層部への不信感を現役軍人に漏らすのも異例で、伊藤への個人的な信頼感も読み取れる。
     ◇
 〈山本五十六〉 新潟県長岡本町(現・長岡市)出身の海軍軍人。米国駐在経験がある知米派で日独伊三国同盟に反対したが、1941年12月の米ハワイ・真珠湾攻撃では連合艦隊司令長官として作戦を指揮。前線視察中の43年4月、南太平洋ブーゲンビル島上空で搭乗機が米軍機に撃墜されて戦死した。人心掌握の心得を示した「やってみせ言って聞かせてさせてみて ほめてやらねば人は動かじ」の言葉を残した。五十六の名前は、生まれた時の父親の年齢から付けられたとされる。
 
 太平洋戦争が終わって60年以上が経過しているが、戦争に反対しながらも連合艦隊の司令長官として指揮をとり、最前線の戦地で自らの命を失った山本長官や、長官の書簡を受け取った伊藤整一海軍中将も4年後に戦死している。
 
 靖国神社にはA級戦犯も合祀されているが、戦争に反対しながらも自らの命を散らした人々の存在を考えると、国内から戦争を指示し、国民の最後の1人まで命があるかぎりの徹底抗戦を訴えていた国賊(戦争犯罪人)との区別が必要と思う一日ともなりました。
 
                                   4月1日の一言
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