大鹿一八「本日の一言」

平成16年2月から令和1年7月末までの「本日の一言」です。ヤフーブログ閉鎖により、ライブドアへ過去の記録として引っ越しました。

2013年05月

旅先から引っ張りだこになり

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秩父第七番法長寺の牛伏像
 
 一昨日に坂東三十三観音を結願し、昨日は秩父三十四観音巡礼をはじめ、午後5時に第18番神門寺(ごうどじ)まで巡拝して、関越自動車道花園インターから上信越自動車道、長野自動車道を経由して、中央自動車道から愛知県に到着したのが、午前1時となりました。本来は午後11時には帰宅できたと思いますが、東部湯の丸サービスエリア(上信越自動車道)で夕食を2時間もかけた雑談が原因です。
 
 私自身は平成16年5月以来の秩父巡礼ですが、四国遍路や他の巡礼と比較しても、山紫水明に恵まれ、花に囲まれた遍路は女性に優しい一番のお気に入り霊場です。
 ただし、道路は狭く、愛車キャラバンでも屋根に木々があたることから、前回はマイクロバスでこの路を通過して行ったことが信じられなく恐ろしくなりました。
 
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 右に添付した写真は、第8番西善寺の樹齢五百年のモミジで、天然記念物にふさわしく本堂よりも大きく威風堂々した姿は圧巻で、モミジがここまで大きくなるとは信じられないくらいですが、境内が見事に整備されてゴミ一つないのにも驚かされます。
 
 上に添付した牛伏像は平成11年に寄進されており、前回の巡拝で眺めてさすったかもしれないと考えると、同行者で天国に召された人々の顔が脳裏に浮かび、人生のはかなさも実感させられます。
 
 さて、秩父は遍路だけでなく、四季を彩る花や紅葉も見事で、花火や秩父夜祭の屋台も絢爛豪華です。一方で、秩父鉄道のSL運行や、長瀞ライン下りなど、遍路だけではもったいない魅力があり、来月は結願を果たして観光もしたいと同行者一同口をそろえます。
 
イメージ 3 添付した写真は、小鹿野町にある旅館梁山泊で、ここも私のお気に入りの宿にしており、今回は到着したのが7時を回り、食べきれないほどの料理と、天然温泉も十分に堪能できなかったため、来月は5時前に到着して、温泉や夜景見物やホタルの鑑賞にも出向きたいと考えています。
 
 四国、西国、坂東と巡拝した中でも、一番のおもてなしをメンバー全員が感じた宿でもありました。
 
 本日は帰宅してパソコンのメールを確認して寝たのが3時で、9時から開催された市役所の出納監査に参加したため、睡眠不足は否めませんが、体調は万全で明日も春日井市まで出向きますが、愛車の手入れと休養も重要なため、日曜日までニッサンの工場に入れました。今回は走行距離も1300キロ程度ですが、酷使に耐えてよく走ってくれました。
 
 「もしもし」
 「はい、大鹿です」
 「高野山にお詳しいと聞いたんですが…」
 「高野山ですか?」
 
 電話の主は地元津島市のお寺の奥様ですが、私自身は高野山に詳しいとは言えないものの、お寺から高野山に詳しいとして同行を問われたことに気を良くして、先に予定していた上高地音楽祭とテンビンをかけていると、遍路中のメンバーから「先約優先」とクギを指されました。
 
 もっとも、私の10人乗りのジャンボタクシーがあることからの依頼ですが、これまで金儲けで運行させたことがなく、費用を聞かれても答えられず、依頼主がどの程度の旅程を考えておられるのか解らないことと、お金をもらっても「運転手さん」では気乗りできず、遍路の先達として話が折れ合えるかによっては、大好きな上高地行きを断念せざるを得ませんね。
 
 もっとも、私が勝手に予定していた上高地行きを、私が行く事を前提として参加しようとしていた人々の存在にもびっくりですが、身体は一つしかありませんから、非情な選択を迫られる展開も迎えることとなりました。
 
                                     5月30日の一言

坂東から秩父三十四観音

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秩父三十四観音を巡拝しはじめ、本日は第十八番神門寺まで巡拝しました。

今回はこのまま帰り、来月に満願を目指します。

坂東三十三観音も満願となりました。

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坂東三十三観音 第12番慈恩寺(さいたま市)
 
 昨晩11時から(メンバー6人)夜行で車を走らせ、本日は8時から埼玉県さいたま市の坂東三十三観音第12番慈恩寺から参拝し、次に群馬県にある第15番長谷寺、第16番水沢寺を済ませると時間は昼を廻っていました。
 
 ここから関越自動車道で東松山市まで戻り、第11番安楽寺、第10番正法寺、第9番慈光寺を参拝し、メンバー全員の坂東三十三観音の満願となりました。四国八十八ヶ所、西国三十三観音に続く満願で、明日からの秩父三十四観音を打ち終えると日本百観音の結願となります。
 
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 私にとっては十年ぶりの坂東巡拝となり、新しい道路が整備されて、過去の経験は全く参考にはならないものの、特徴のある寺院は記憶しており、慈恩寺の離れた丘に建つ玄奘三蔵の霊骨堂や、第16番水沢寺の観音様を左回りに押して願い事を行なう六角輪堂は懐かしく思い出されてきます。
 
 さて、本日は12番慈恩寺から群馬県の第15番長谷寺に移動する際に、カーナビ任せにしたことから、東北自動車道を一旦東京へ南下してから、外環自動車道経由で関越自動車道を北上する大回りをしてしまいました。予定では東北自動車道を北上し、北関東自動車道経由の方が距離も短く、渋滞の心配もないと下調べがしてありながらの失態に、夜行で疲れた身体を酷使することとなりました、
 
イメージ 3 左の写真は満願を果たしたメンバーの記念写真ですが、本日の宿となった埼玉県秩父郡小鹿野町にある梁 山 泊に到着したのは午後7時となり、睡眠不足のため余裕で露天風呂と目論んでいた予定は狂い、午後5時からが一日で一番忙しい運転となりました。
 
 明日は秩父の一番寺から巡礼を進め、明後日に市役所の仕事ができたことから、明日の夜には愛知県にもどります。
 一言の終わりを記していると、上高地のホームレス画伯から、女優の竹下景子さんと3時間対談したとの連絡が入り、6月の早朝のテレビに放映されるとの情報が入りました。興味ある一言ですが、帰宅後に正確な情報を紹介したいと思います。
 
                                  5月28日の一言

新入社員研修に四国遍路の報道に

 東京の企業が新入社員の社員研修として、社内研修後に3日間の「お遍路」を導入しているとの記事が香川県の地方版に掲載されています。
 
 3日間と限られた日程ではありますが、79番目の札所の高照院(坂出市)から、大窪寺までの75キロを歩き、道路を検索できる携帯電話は預けてしまい、5分ほどの間隔を空けて、1人ずつ地図を頼りに歩くなど研修として考えてあります。
 
 自分の位置が確認でき、行き先が検索できる携帯電話やナビが当り前の社会になっていますが、1日25キロを連日歩くのは思った以上に辛く、万が一道を間違えたら大変な苦しみとなることから、日頃は口も聞かずに通り過ぎる地元の人を頼らざるをえなくなります。
 
新入社員、1人お遍路 東京の企業、研修に導入 香川
記事の続き…
小雨が降る10日の午後2時すぎ、3日間歩き通した新入社員が一人、また一人と寺に到着した。先に着いていた新入社員が「お疲れさま」と出迎える。到着したばかりの社員は足を引きずりながら「疲れたー」と応えるが、みな笑顔だ。
 お遍路研修には、東京での社内研修を終えた新入社員の7人全員が参加した。今年のコースは、79番目の札所の高照院(坂出市)から、大窪寺までの75キロ。8日の午前中にスタートし、大窪寺を目指した。
 社員は、5分ほどの間隔を空けて、1人ずつ分かれて歩く。白衣にすげ笠をかぶり、右手には金剛杖。地図だけを頼りに次の目的地を目指す。研修中、携帯電話は預けてしまうため、インターネットでの道順検索はできない。迷ったら、地元の人に道を聞くしかない。
 コンビが「お遍路研修」を始めたのは2年前。「道に迷ったり、地図を無くしたりといったトラブルにどう対応すればいいのか。正面から立ち向かうことで自立心を育てられる」。同社の研修担当で、総務人事部の金子寛数マネジャー(47)は、研修を始めた目的を説明する。泊まりがけでのお遍路を新人研修に取り入れている企業は、めずらしいという。
 2年前の研修でのこと。初日は杖でふざけるなど、緊張感が欠けていたという。だが2日目、ある男性新入社員が、道を外れてふらふら歩くのに、金子さんが気付いた。訳を聞くと、「昨日、お遍路の道をきれいにしている地元の人に会った。僕もごみを見つけるたびに拾おうと決心した」と打ち明けた。金子さんは「共感さえすれば、はっきりと変わるんだ」と実感したという。
 今年の新入社員の五島ちなみさん(22)は「前の人が、自分が行こうとしている道と違う方に進んでいくと、不安になった。自分には決断力がないんだなと気付かされた」と話す。
 末吉長臣さん(22)は2日目、途中で道に迷った。それでも「地元の人に聞いたら道を教えてくれた。『これでジュースでも買いなさい』と小銭も渡された」と振り返る。「どの道に進むべきかという決断や、様々な障壁がある厳しい所を進んでいく。そんなお遍路は、今の自分の境遇と似ているのかな」
 研修に同行した先達の山下正樹さん(68)は「お遍路で、人の情けのありがたさが身にしみる。もっと多くの企業に取り入れてほしい」と話している。
 
不登校対策に四国遍路を 2010/12/14の一言  http://blogs.yahoo.co.jp/s281218/44446589.html
 
 さて、私は学校に行けなくなり、不登校を続けたり、自分の部屋や家に引きこもっている生徒にも、四国遍路は間違いなく有効だと思っていますが、現実には道中の責任を考えると簡単には勧められません。
 
 上にも添付しましたが、私は数年前から不登校や引きこもりの生徒に四国遍路をと、機会があるごとに語ってきたものの、自分自身に同行していく時間がなく、現職教員にも無理な話で、定年退職された教員経験者の協力が有効とは思いますが、一緒に歩くだけでも苦行となり、対象となる生徒が夜中に逃げ出して行方不明になったり、自殺でもされれば責任問題になる可能性もあります。
 
 四国遍路から西国、坂東と続けている巡礼も、本日の深夜に出発する巡拝で、坂東を結願して明日には秩父三十四観音に入ります。
 当初は、夜行で出発し、2泊3日の旅程としておりましたが、月末には監査の仕事が入ってきたことから、1泊に変更し、6月に終わるはずだった遍路は7月まで続きます。四国遍路が遠く感ずるとともに、やはり時間に余裕がないと不登校に有効とも言えない現実も実感させられます。
 
                                    5月27日の一言

本日もボランティアの一日となり

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 本日は福祉有償のボランティアで、稲沢市の園芸業者まで会員さんを送迎しましたが、目がほとんど見えず、大きな声でないと耳も聞こえないため、日曜日で休養中の家内を補助員として出動しました。
 
 会員さんの目的は、自宅裏の借地を返すため、植えてある木々を稲沢市の業者に処分してもらうのが目的でしたが、処分するだけなら稲沢市まで行かずに津島市の業者に電話すれば済むのではと思っていたものの、現実には大きな違いがありました。
 
 会員さんはかつて造園業や園芸店を開いていたことから、取り引きのあった知り合いの業者に依頼されましたが、津島市の業者なら生えている木々を伐採して、産業廃棄物として産廃施設へ持ち込むと思われるものの、稲沢市の業者は自分の土地に木々を持ち帰ると言うのです。
 
 全国有数の植木の町として、全国に庭木を出荷している町だけあって、伐採を依頼されても、伐採でなく木々を持ち帰り、欲しい人に売ってしまおうとの発想は、さすがに稲沢市の業者でなければできません。
 
 そういう意味では、木々の伐採を依頼されたら、依頼どおりに伐採している津島市の業者も、稲沢市の業者と連携して、木を最大限生かしてもらいたいと思う一日となりました。
 
ツタヤ図書館、宮城にも 多賀城市が新設、運営委託へ
 
 さて、図書館の運営をレンタル大手「ツタヤ」に指名したことで、全国から注目されている佐賀県武雄市の図書館に続いて、宮城県多賀城市でもツタヤに運営を委託する方向で検討していることが報道されています。
 
 年中無休で開館し、コーヒー片手に読書できるなど、公立図書館の常識を払拭した武雄市図書館ですが、ツタヤが運営することから注目されているものの、津島市の図書館についても、実質年中無休で開館しており、武雄市図書館を参考にして更なる利用者増を目指して欲しいと思います。
 
 津島市図書館は、市内のNPO法人が指定管理者として運営しており、私はこのNPO法人が決まる前年に、同じくNPO法人が運営する岡山県新見市の図書館を総務文教委員会で視察し、ほぼ年中無休で運営している現場を見てきました。
 
 津島市の指定管理者にNPO法人が決まったあとは、図書館協議会の委員として、それまで休館日となっていた月曜日の開館を働きかけ、現在は月曜日も開館するようになっており、月1回実施している図書整理日の休みも職員は勤務していることから、年末年始の休館以外は年中無休状態となっています。
 
 今年は数年ぶりに図書館協議会の委員となりましたので、現在の人員で完全なる年中無休と、ツタヤのコーヒー片手など、経費を掛けずに指定管理者も利益増となる図書館を考えて提言していきたいと思っています。
 
 多賀城市の市長は、武雄市図書館を視察してツタヤに委託する方針を出していますが、武雄市は市民病院も民間に運営を委託して利益をあげており、我々も関心を寄せて参考にしたいものです。
 
                                     5月26日の一言
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
津島市出身の参議院選挙比例区候補者大野拓夫さんです!!
 
 
大野拓夫のホームページ http://www.ohnotakuo.net/

大掃除によって珍品現る

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 本日はボランティアの依頼が一件ありましたが、「万が一の場合に連絡するかもしれない」との一言もあり、万が一に備えて来客の応対以外はゴロゴロし、大掃除中の家内に邪魔者扱いされており、結局は何事もないままに日が暮れようとしていると…
 
 「今から頼めないか?」
 「良いですよ」
 「歯医者に行きたいんだ」
 「すぐ行きます」
 
 突然の依頼があり車に乗り込むと、時計は7時近くなっており、歯医者さんの診察時間の終わりが近づいていることから、「歯医者さんへ連絡しておいて下さいよ」と連絡して走りましたが、歯医者さんへ連絡ができないとの話に、私も念のため連絡したもののつながりません。家の前には2台の家族の車が置いてあり、我々は「タダ働きはしない」と、少額でも有償ボランティアを前提としていますが、割り切れない無償ボランティアが多くなりました。
 
 この会員さんの話では、ボランティアに連絡したら「もう、酒を飲んだのでダメだ」と断られたとの事で、最近の私への依頼の多くが、ボランティアの都合が悪いための代役となっており、議会日程を優先して補助要員となっている私ですが、明日の日曜日も1件依頼が入っており、都合の悪いときの「大鹿さん」にされているとしたら問題です。
 
 さて、添付した写真は、昭和54年2月に発行された「アサヒグラフ」の増大号で、家内が大掃除した後の本箱から見つけましたが、かつては大量のアサヒグラフを保存していたものの、ほとんど破棄された中で、三男の部屋で掃除がされていなかったために残された貴重な資料になりました。
 
イメージ 2 このアサヒグラフには、明治32年から昭和40年までの日本映画のポスターが特集されており、発行された当時には気づかなかった鶴田浩二さんが主演した「獣の宿」が添付されていました。見事な表現力です。
 
 この映画は鶴田さんとのロマンスが噂された岸恵子さんと競演した昭和26年の作品で、この年に紹介されているポスターはすべて手書きとなっており、写真が登場するのは昭和30年代になってからのことです。
 
 ちなみに、鶴田浩二さんと岸恵子さんの競演は昭和26年6月の「獣の宿」が初めてで、27年1月の「唄くらべ青春三銃士」、8月の「坊ちゃん重役」、「弥太郎笠」、28年1月の「ハワイの夜」と続きました。
 
 我家には朝日新聞の発行したアサヒグラフや特集などがまだまだ多く残されており、今となってはこれらも歴史を刻んでいることを実感させられますが、横井庄一さんの戦地からの手紙や、帰国後に作陶した茶碗や花瓶も多く残されており、大正から昭和初期の地元紙や雑誌なども多数存在することから、整理も含めて展示できるようにしていきたいものです。
 
                                  5月25日の一言

年齢を超越した三浦雄一郎さんに

 80歳になった三浦雄一郎さんがエベレスト登頂に成功し、高齢者だけでなく日本国民にとって励みになる快挙に、同世代の石原前都知事が吼え、高齢者の遭難事故を発信し続けてきた新聞やテレビも、80歳の驚異的体力を検証した記事を掲載しています。
 
 もっとも、三浦雄一郎さんは元々が体力自慢のプロスキーヤーですが、65歳になった時にスキーを続ける父親と自分のメタボ体質を比較し、新たにエベレスト登頂を目標として体力を鍛えなおしたといいますから、定年を迎えようとする我々にもこれからの可能性を感じずにはおれません。
 
 それよりも私自身がびっくりとさせられるのは、日本人の平均寿命は延びているものの、自分の年齢を引き算し、弘法大師や鶴田浩二さんが62歳で亡くなったことと、自分の父親が65歳で鬼籍に入ったことを自身の人生と重ね合わせていたことから、三浦雄一郎さんの活躍に人生をリセットしなおしたい心境です。
 
80歳、心は老いない 三浦さんエベレスト登頂に称賛の声
記事の続き…
快挙に称賛の声が相次いだ。
 「小さな努力でも、熱意を持って、真面目に長い間積み重ねると、こんなにすごいこともできるんだ。改めてそう教えられた」
 昨年、2度目のエベレスト登頂に成功し、女性の世界最高齢記録を持つ渡辺玉枝さん(74)は感慨深そうに語った。「80歳で命をかけて進もうという精神力に驚かされる」。ネパールで三浦さんに会った時の印象は鮮烈に残っている。「テレビのまんま、見るからにパワフルな人だった。そう思えば、登頂も納得です」
 先代社長に続き、三浦さんを支援してきたサントリーホールディングス(大阪市)の佐治信忠社長(67)は「今日まで燃やし続けられた挑戦心と、80歳にして人間の可能性を世界に示したすばらしい偉業に深く敬意を表します。85歳の新たな挑戦を心から楽しみにしています」とコメントした。
 「快挙ですね!」と、ストレートな言葉を送ったのは、家族ぐるみの友人という歌手の加山雄三さん(76)。「ふだんから努力する方だと知っていましたが、80歳での成功は並大抵な努力だけではない。すごい強い意志を持った方だと、改めて感動しました」
 ■一時脱水症状、下山が遅れる
 23日正午過ぎに登頂した三浦さんら登山隊は、第4キャンプ(7980メートル)を目指し、午後1時ごろに下山を開始した。三浦さんの事務所(ミウラ・ドルフィンズ)によると、三浦さんが途中で脱水症状を起こすなどして、下山は難航。午後11時近くに、到着したとの連絡が事務所に入ると、長女の恵美里さん(53)はほっとした表情をみせた。
 ■「挑戦したほうが人生楽しい」 冒険家・堀江謙一さん(74)
 「まさに偉業そのもの。たくさんの人が勇気をもらったはず」
 登頂成功の一報に、海洋冒険家の堀江謙一さん(74)は、三浦さんに喝采を送った。「三浦さんのお父さんは100歳を超えて現役スキーヤーだった。同じように挑戦を続けてほしい」
 堀江さん自身も、限界への挑戦を続ける。1962年、小型ヨットで太平洋の単独横断航海に成功。当時23歳。その後も単独無寄港で世界一周を達成し、足こぎボートでハワイから沖縄の海を旅したこともある。
 69歳の時には、波の力だけを使う「波浪推進船」による世界初の挑戦で、紀伊水道―ハワイ間約7千キロの単独航海に成功した。それでも「生き物が生きていけぬ極地を自分の足で進む三浦さんは、私とは比べようもない」とたたえる。
 年齢と限界を超え、挑戦を続ける気力の源は何か。
 「本能でしょう」と堀江さんは笑った。「動いてみると、自分の可能性が見えてくる。すると、目標ができて頑張りたくなるんだよ。チャレンジした方が人生は楽しいからね」
 再び海に出る計画を練っているという。
 
 ■体力向上、でも無理は禁物 高齢者の運動
 子どもの運動能力低下が心配されている一方、高齢者(65~79歳)の体力は年々伸びている。
 文部科学省が昨年10月に公表した調査結果によると、例えば75~79歳の男性の6分間の歩行距離は565・93メートルで、10年間で28・22メートル伸びた。男女ともほぼ全項目で体力が向上した。
 高齢者の体力向上について、順天堂大大学院の内藤久士教授(運動生理学)は「運動は体によいということが常識になり、スポーツジムなどが身近になるなど環境も整備されたことが大きい」と解説する。
 1964年の東京五輪を見て感動した世代でもある。「小さい頃は大いに外で遊び、若い時から積極的にスポーツに取り組んだ。それが今の高齢者です」
 年齢を重ねてなおチャレンジするには何が必要か。
 立命館大の後藤一成准教授(トレーニング科学)は「20~60歳の40年間をどう過ごすかが問われる」。マスターズ陸上などで活躍する高齢者に共通するのは、この40年間で食生活に気を使い、日常的に運動していることだという。「必ずしも厳しい鍛錬を積む必要はなく、40年間きちんと体を動かしてきたか、歩いてきたかが大事」
 ただ、高齢になるほど、転倒による骨折などけがの危険が増すし、心臓への負担が心配なのも事実だ。
 後藤准教授は入念な準備運動を勧める。「運動は反動をつけずにゆっくりと。体力は個人差も大きいので無理なく自分のペースで。まずは今日からできる範囲で軽いスクワットを」(吉永岳央)
 
 ■65歳以上でエベレストに登頂した日本人の例
2002年 石川富康 (65)
  03  三浦雄一郎(70)
  06  荒山孝郎 (70)
  06  小川誠  (66)
  07  柳沢勝輔 (71)
  08  藤森幹仁 (68)
  08  三浦雄一郎(75)
  11  田路繁男 (67)
  12  渡辺玉枝 (73)
  13  楠忠樹  (69)
  13  三浦雄一郎(80)
 
 65歳以上でエベレストに登頂した日本人は9人存在しており、これからも増加していくと思われますが、私は高所恐怖症で、3千メートルにも至らない焼岳の途中にあるアルミのハシゴすら冷や汗が出るため考えられません。
 
 65歳からトレーニングを再開した三浦雄一郎さんは、日頃から足首に10キロの重りを付け、20キロのリュックを背負って歩いておられた事から、私も四国の歩き遍路を目標に、歩く機会を増やしたいと思います。
 
 一方で、「いつ逝っても良い」と言っている私の母親も、80歳を超えているのに朝から畑に出かけるチャンスをうかがっており、体調不良で病院に行っているのに、休養しない心情が理解できませんが、こんな根性が長生きの秘訣かもしれませんね。
 
                                   5月24日の一言
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
津島市出身の参議院選挙比例区候補者大野拓夫さんです!!
 
 
大野拓夫のホームページ http://www.ohnotakuo.net/
 

天下りと言わせない仕事を直視し

 国家公務員の天下りはマスコミや社会の批判のみならず、私の大嫌いだった前民主党政権も批判をしていましたが、津島市議会でも県職員の登用をめぐって度々「天下り」との批判が声を大にして叫ばれていたことがあります。
 
 今年から津島市の監査委員になり、一年間は監査委員として津島市の一般会計や特別会計などの決算審査に加わることとなりましたが、本日は選任されて初めての例月出納検査が行われ、津島市の公営企業会計(市民病院と上下水道)の審査に臨みました。
 
 審査の中身については守秘義務があり、ここに記すことができませんが、津島市では議会選出の私と、代表監査委員の2人で審査するものの、代表監査委員は元は愛知県の職員であり、議会に選任を提案された際は前記したように「天下り」として大きな批判を受けました。
 代表監査委員にどのようにして白羽の矢が当たったかは判りませんが、本日の審査に同席し、議会で批判されていたような「天下り」や「馴れ合い」は一切なく、過去の行政経験を生かした的を得た厳しい審査が繰り返され、議会では質問されたこともない視点での質疑に自身の勉強不足も実感する一日となりました。
 
 国全体で「天下り」を批判する風潮が当り前となっていましたが、行政期間のトップに君臨した幹部が、引退後に実務を伴わない役職に趣くのは問題ですが、行政経験を十分に発揮できる役務につくのは地方自治体のレベルアップになる実例を本日直視したのでここに記しました。
 
 つい最近開催された議会に対する所管概要説明でも、津島市にない制度を「何もありません」と断言する場面もありましたが、実際には愛知県の窓口に県民に対するサービスがパンフレットとして置かれており、県から派遣されている職員が補足する場面がありました。何でも「天下り」の批判ではなく、レベルアップにつなげていく実利を考える必要性もあり、人物本意の重要性を実感です。
 
 これから一年間は、代表監査委員と一緒の審査が続きますが、初日から議会にはなかった視点の質疑と、「馴れ合い」とは一線を画した過去の経験を生かした厳しい指摘に、新たな引出しを期待してしまう一日となりました。
 
                                   5月23日の一言
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
津島市出身の参議院選挙比例区候補者大野拓夫さんです!!
 
 
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孫の健康祈願に大塚のせんき薬師へ

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 本日は、前日に微熱を出したため、保育園の遠足に行けなかった孫のために、娘と孫を連れて稲沢市で待ち合わせた家内と一緒に昼食を囲み、その後はジジイパワーで大塚町にある「せんき薬師」まで走りました。
 
 このお寺は真言宗のお寺で、薬師如来を本尊としており、子供の「おしっこ」や疳の虫などお薬師様らしく病気治癒に御利益があり、一年前に訪れた際には泣いていた孫が、本日はなんとか一人で本堂まで入りましたが…
 
イメージ 2 このお寺は突然訪れても誰かが加持祈祷を受けに訪れており、本堂横には願が叶ったか、新たなお守り袋を授かった人々の守り袋が大量に掛けられており、こんな非日常的な雰囲気と、薄暗い中で黄金に輝く仏具に、お寺には慣れてきたはずの孫も尻込みます。
 
 このお寺の良さは、子供の加持祈祷が多いこともあり、待合所には子供の絵本やオモチャが並んでおり、ご住職や奥様方も子供の扱いになれておられているため、本日の孫は泣く事なく加持を受けてくれました。
 
 「三つ子の魂百まで」と言いますが、弘法大師のお蔭で授かった孫であり、私の助手席に座れば必ずお寺に連れて行くため、「マカハンニャハラ…」と般若心経の出だしを口ずさみますから、暗くて怖いお寺にも慣れてきたようです。
 
 私には4人も子供がいながら、娘以外は結婚もしておらず、孫も1人しかおりませんが、我家の跡取となる孫にお寺の魅力を伝えておきたいと思うものの、本日一緒に祈祷を受けた親子の祈願は、本人か家族の婚姻であったことから、私も他人事ではなく息子達の婚姻を祈願する時期が迫ってきたことも実感させられます。
 
イメージ 3 実は、私と四国遍路に趣いた複数の人々が子息の結婚を祈願しており、その中で2軒は確実に「お遍路のお蔭」と語っており、1軒は常識的に考えると決まるはずのない遠距離の結婚が実現しています。
 
 我家も三男は21歳ですから心配する年齢ではありませんが、長男は35歳になっており、次男もまもなく30代を迎えるため、今まではそんなことを祈願したことがないものの、そろそろ真剣に考えないと居候だらけの大鹿家になってしまいますね。
 
 本日は、ここから祖父江町の木曽川まで走り、東海大橋の「草原」で遊び、最後はショッピングセンターで孫とみたらし団子を食し、娘と待ち合わせた駐車場で親子を降ろして帰宅しました。こんな時間が少しでも永く続いて欲しいものです。
 
                                     5月22日の一言
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
津島市出身の参議院選挙比例区候補者大野拓夫さんです!!
 
 
大野拓夫のホームページ http://www.ohnotakuo.net/

不誠実な富士火災の対応に腹立つ一日に

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 私の事務所横を彩る「ビオラ」です。雑草のように逞しく、毎年花を咲かせますが、家族と思えば全員が私を見つめているようにも思われてしまいます。
 
 昨日から続いていた市役所の所管事務概要の説明会が終わりました。明日は約束した仕事で市役所に出向きますが、時間の決め事がしていないため、一日の中で済ませれば良しと考えると気が楽になり、娘からの電話につい新たな約束をしてしまいました。
 
 明日は孫の保育園の遠足が予定されているものの、微熱があって欠席させることにしたとの連絡に、つい「じじいが」となり、昼休みに孫を伴って食事に連れ出す約束をしてしまいました。3才児になって参加する遠足を楽しみにしていたと言いますから、孫の体調を見ながら遠足に代わる一日にしてやりたいものです。
 
 さて、本日は21日のため、午後には町内の真言宗のお寺で開催された「阿息観」に参加してきました。真言宗では「阿字観」修業が注目されていますが、その前に阿息観ができなければ、阿字観には至らないとの話で、私には呼吸法すら全くできていない現実を実感させられる一日となりました。
 
 本日火曜日の夜は、平成6年から毎週続けている書道会の日ですが、恩師を迎えに走ろうとしていると、本年1月に千葉県で追突された自動車事故の修理について、修理した自動車板金屋さんの訪問を受け、恩師を迎えに行けない事態にメンバーにも迷惑をかける事態です。
 
 この事故は、信号待ちしていた私の車に一方的に追突された、全責任が相手にある事故でしたが、事故現場で加害者に謝罪された記憶もなく、相手の車に掛けてあった損害保険会社に修理工場の名前と電話番号を知らせたのも私なら、自宅に帰ってから私の車が青ナンバーの営業車であったことから、数日後に依頼されていた仕事が行えないことを当方が問い合わせ、納得のいく話ができないままに富士火災の担当者とは音信不通となっていました。
 
 半月前に、富士火災の一宮市の担当者から連絡が入り、修理は済んで事故そのものを忘れていたくらいでしたが、何事もなかったかのような話しぶりに、事故後に一度も富士火災の担当者から連絡をもらっていない現実と、加害者の女性からも一度も謝罪の連絡が無い事を話したものの、話せば話すほど腹立たしくなったため、「二度と電話してくるな」と電話を切っていました。しかし、修理した近所の板金屋さんに私が書類に署名しないと修理代金も支払われてこない現実を聞き、不本意ながら板金屋さんのために署名しました。
 
 1月の事故の書類を、まもなく6月になろうとしている本日記名するとは思ってはおらず、車が直っているため、いまさら何も請求する気持ちはないものの、加害者の無責任な対応と、千葉県の富士火災担当者から一度も連絡をもらっていない横着な応対に、これからも富士火災の名前を挙げて批判を続けていこうと思っています。
 
 被害者を泣かす富士火災なんかに安心して保険を任せられません!!
 
 こんな気持ちでは書道どころではなくなり、せっかく「阿息観」で心を落ち着かせようとしていた一日が台無しとなりましたが、書道会終了後にメンバーと近くの珈琲屋さんに出向いたことで、何とか心乱れる一日が終了しました。
 
                                    5月21日の一言 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
津島市出身の参議院選挙比例区候補者大野拓夫さんです!!
 
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大野拓夫のホームページ http://www.ohnotakuo.net/

意外なところに津島出身者が

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 添付した写真は、夜7時頃に我家の水田で薬剤を散布する家内の姿ですが、農家の長男でありながら田植えどころか、水田に足を入れたことがなく、家内の作業が終わるのを道路で待ちつづける姿は、明らかにナマカワな婿養子のような存在で、「嫁さんに働かせて何やってるの」と言われそうな肩身の狭い亭主としか思えません。
 
津島市出身の大野拓夫さんが緑の党から参議院選挙の公認候補へ
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 昨日の夜に帰宅すると、「お父さんこれ」と家内から手渡された緑の党のパンフレットに、「どうしたの?」と問うと、〇〇町の大野さんが御夫婦で訪問され、「息子をよろしく」と言って帰られたとの話でした。
 
 「大野さん?」
 「〇〇町の大野さん」
 「えっ? 大野さんてアンズの?」
 「何言ってるの。お父さん一緒に四国に行ってきたでしょう」
 
 〇〇町の大野さん(御夫婦)は、2年前の6月に四国八十八ヶ所の遍路を結願した同行者で、それ以前のこの一言に、アンズの木に登ってアンズを獲られる姿を掲載した御夫婦ですが、半年間に4回も四国を巡拝し、その間はご主人とは同じ部屋に宿泊していながら、一度も息子さんの話を聞いたことがなく、それ以前に津島出身の市民運動家として息子さんのホームページを閲覧していたことがあったのでびっくりとさせられました。
 
 本日の市役所の帰りに立ち寄り、「一度も息子さんの話を聞いたことがなかったのでびっくりしました」と言うと、「大鹿さんは自民党だと思っていたから迷惑と思って」と、息子さんの話が出なかった理由を聞きました。
 
 もっとも、私は自民党どころか、議員になった14年前に、叔父とは親族となる愛知県の自民党の重鎮だった寺西県議に、「反自民ですから」とお誘いを断った経緯があり、無党派・無所属の議員として政党と関わった経験がありませんが、今回は津島市出身の若手活動家として大野拓夫さんを全面的に応援していきたいと思っています。
 
大野拓夫のホームページ http://www.ohnotakuo.net/
 
 勿論、公約に入っている「脱原発」や、「平和憲法の堅持」は私も望むところで、私は上高地などで野宿することを生きがいにしており、大野さんの「里山再生プロジェクト」にも共鳴できることから是非とも頑張って欲しいことからの応援です。
 
 議員でありながら、この一言には政治的表現を意識して記していませんが、過去に禁止されていたネット選挙が解禁されており、私の生まれ育った愛知県津島市出身の市民活動家を勝手に応援していきますから、上に添付したホームページを見て、共鳴できる人々のご支援を賜りたいと思います。
 
                                5月20日の一言 

東海自治体学校のため刈谷市へ

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刈谷市産業振興センター
 
 本日は、「第39回東海自治体学校」がJR刈谷駅前にある刈谷市産業振興センターで開催され、私は日頃から参加している公共交通勉強会の森田教授(桜花学園大学)が助言者となっている分科会に参加しました。
 
 「人間らしい営みを生活交通から考える」が交通問題分科会のテーマで、森田教授から「地域の交通をどのように作っていくのか」の問題提起があり、地域住民の運動とNPOの取り組みについて、報告と交流を通じ、よりよい生活交通のあり方を考えるとのねらいが記してありました。
 
 この中で、私は「愛知県西部における福祉有償運送の現状と展開について」のテーマで、津島市の公共交通の現状から、福祉有償運送開始に至る経緯と、福祉有償運送と福祉タクシーの認可までの経緯、事業認可後の現状と今後の展開について報告しました。
 
イメージ 2 報告は他に2件あり、1件は「廃線の危機に直面して」のテーマで、四日市の交通と街づくりを考える会のメンバーから、四日市市の近鉄内部・八王子線の存続方策について説明があり、もう1件は「上飯田連絡線で敬老パスを使いたい」のテーマで、敬老パスを求める住民の会から報告がありました。
 
 他の自治体や、他地域の公共交通の現状や問題を聞くことで、自分の住む津島市の問題や課題も認識され、こんな機会にもっと津島市の関係者が参加して問題意識を持つ必要性を実感させられます。
 
 嬉しいことは、名古屋市港区在住で全盲の稲垣さんが参加されており、私とは愛知県の「人にやさしい街づくりアドバイザー」で一緒の仲間で、過去に津島市のバリアフリー検証会にも参加してもらいましたが、報告者の私の名前を聞いて他の分科会からくら替えして参加していただいたことです。
 
 一方で、公共交通に関心の高い大治町の吉原議員も参加しており、現在は共産党議員として活躍しているものの、かつては津島市の名門企業の御曹司で、20年前には黄柳野高校の開校を目指して一緒に活動していた仲間の登場に心強く感じた次第で、久しく忘れていた他の市町の議員との議論の場が不足していたことも反省です。
 
 分科会の開始前に、瀬戸市でコミュニティバスの有効利用を訴えておられるメンバーから、愛知県地域振興部交通対策課の発表した資料を手渡され、「県内ワースト3は相変わらず」と言われ、稲沢市と瀬戸市に続いて利用率の低い津島市のコミュニティバスの現実と、先進地の東京武蔵野市や、県内でも日進市を比較させると、全くコミュニティバスとして機能していない現状を津島市の担当職員や、巡回バス検討委員会の議事録では認識されていないことも寂しく思われました。
 
 本日訪れた刈谷市は久しぶりの訪問となりましたが、駅前の整備が済んで街並みが変わっており、民間は勿論ですが、市営駐車場の大きな看板が駅周辺に目立ち、トヨタ関連企業の城下町としても、交通の要所としても大きな息吹を感じさせられました。
 
                                   5月19日の一言

葬儀に参列してしんみりと…

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我家の庭に唯一咲くタンポポ
 
 本日は、福祉有償運送の突然の依頼に朝から慌てて車を走らせると、利用者から町内の男性が風呂場で死んだことと、葬儀が10時から行なわれる話が出され、私が議員として参列する必要性があることを告げられ、病院に移送後に慌てて葬儀場に走りました。
 
 亡くなったのはまだ55歳の若さであり、ご両親も風呂場の事故で亡くなっておられ、今回は事故ではなく脳卒中だったようですが、まだ息子さんが中学生だったことから、クラスの同級生たちも参列しており、心が痛む葬儀となりました。
 
 私が中学校のPTA会長を務めていた20年前にも、任期中に3人の保護者の方が亡くなられ、残された子供さんがスポーツシューズを履いて葬儀の場に立っていた姿が生々しく思い起こされ、本日も突然に父親を失った息子さんの顔を見ると瞼が熱くなりました。
 
 本日のテレビニュースで、日本人の平均寿命は85歳で世界一との報道がありましたが、最近亡くなった夏八木勲さんは73歳で亡くなられており、私の尊敬する鶴田浩二さんは62歳で亡くなっていることを考えると、私の人生も風前の灯火のように感じてしまいます。
 
 1日40分運動すると、がんや認知症のリスクが2割減るとの新聞報道(下記添付)がある半面で、最近では当り前となった臓器移植で、腎臓を提供した人が約1ヵ月後に死亡したとの報道も新聞に掲載されています。
 
1日40分運動する高齢者、がん・認知症リスク2割減 
腎臓提供者、移植手術34日後に死亡 埼玉医科大 
 
 さて、明日は東海自治体学校に参加するため刈谷市まで出向く予定ですが、午後から開催される公共交通の分科会で、30分とはいえ津島市の現状を報告することとなっており、資料は用意しているものの、筋書きは明日に考えることとしており、留守中に家内が田んぼに出向くため、肩身の狭い一日となりそうです。
 
                                  5月18日の一言 

市役所ロビーの作品展を訪れ

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我家の庭に生える小判草
 
 添付した小判草は、ヨーロッパ原産で、明治時代に観賞用に導入された帰化植物と記されていますが、日本では、本州中部以南に分布し、畑、道端、荒地などに生育し、日当たりのいいところを好み、乾燥に強く、土壌の質を選ばないとの説明のように、我家では年々増殖し、家内からは雑草として扱われるようになりました。
 先についた小判のような穂先から、お金がたまる縁起物として残したい草花です。
 
イメージ 2 添付した左の写真は、津島市役所の1階ロビーに展示されている「人権を理解する作品コンクール」に入選した書道や絵画を集めた作品展のコーナーです。
 
 作品展には、書が19点、絵画18点、標語が25点展示されており、8枚のパネルを並べただけの展示コーナーでも、61人分の作品が掲示でき、それぞれの家族や関係者が訪れるとかんがえれば、公の施設の有効利用と集客の参考になると感じさせられました。
 
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  右に添付した書は、入選した小学校四年生の筆による作品ですが、私自身も小学校の時に嫌々でも書道塾に通わされ、色々な作品展で入選した経験があるものの、一度も展示された作品を見たことがなく、中学に入ってからはほとんど筆を持つ機会を失った反省から、是非とも作品を見て書道を続けて立派な書家に育って欲しいと思います。
 
 そういう意味では、作品を展示できる施設を増やし、作品が展示されることによって、書道や絵画の腕を磨き、立派な芸術家に成長してもらいたいもので、発表できる機会と場所が不足しています。
 もっとも、最近の展示は、リタイヤした高齢者の自己満足による作品展ばかりが発信されてくる現実の反省も必要です。
 
 私もその一人で、毎年開催していた上高地の写真展と、平成6年から続けている書道会の作品展も、展示していた「茜屋」さんが閉店されたことから発表の場をなくしており、代わりの会場を探しているものの、適当と思われる場所が見当たりません。
 
 私の事務所の2階は、建設した30年前には写真展や絵画展にも利用していたものの、現在は卓球台と書道会に利用しているだけで、多くの荷物置き場になっていることと、このままでは人も入れぬ倉庫と化すことから、上高地が閉山される11月を目安に書道展や写真展が開催できるスペースに衣替えできたら…
 こんな展開で次々と考えてしまいますが、身体が動かなくなっていることと、やる気が苦痛となっていきます。そんな日曜日が迫ってきました。
 
                                      5月17日の一言

サクランボが食べ尽くされました。

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 我家のサクランボは、市役所に出かける朝には少し残っていたものの、昼に戻った際にはムクドリに全部食べつくされており、半月にわたったサクランボの発信も本日が最後となりますが、実は1個だけ黄色のサクランボが残されていました。
 
 3月の花の開花から2ヵ月が経過しましたが、騒々しいムクドリのギャングの叫び声も懐かしい思い出となり、これからは害虫の発生に耐えて来年の結実までのスタートとなります。一週間後はアンズの結実に悩まされることとなります。
 
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 本日は西愛宕町にある彦坂外科を訪れましたが、私はここの彦坂医師をかかりつけ医としており、毎年の健康診査から、胃がんをはじめ各種のがん検診を受けています。
 
 20年ほど前の寒い夜に目が回って不快になったことがあり、検査しても原因は判らなかったものの、血圧が高かったことから、それ以後は血圧を安定させる処方を受け、最近では2ヶ月に一度診察と薬の処方を受けています。
 
 2ヶ月前から時々家庭内で血圧を測定しており、時には高いこともありましたが、薬のお陰もあって正常範囲内に収まっており、連休後は一段と低くなっていたものの、病院で測定すると数値が高く、家の中ではパソコンの前に座ってばかりの生活のため、歩いた後や仕事から帰宅直後などを測定し、より確実なデータにしたいと思います。
 
 さて、2月から健康保険が適応となったピロリ菌について、五十代以上の7割が感染しているとの話から検査を希望すると、検査の前に胃カメラを飲んで、ピロリ菌が存在することが判らないとピロリ菌の除去ができないとの話です。
 
 テレビのワイドショウでは簡単に口から吐く息で検査ができると紹介されて、除菌も抗生物質の薬を2週間服用するだけで効果があると報じられていたものの、胃炎や胃潰瘍の患者以外には簡単に保険が適用されない様子です。
 
 胃カメラまで飲んでピロリ菌が存在しても、炎症もなく実費負担となるくらいなら、最初から胃がん検診の際に胃カメラを飲むなど、計画的に診察を受けないと、注射を一番の苦手とする私には耐えられそうにもありません。
 
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 そんな私が頼りにするのが薬で、右に添付したのは彦坂外科の隣の薬局で、処方された薬を受け取りに行くだけですが、ドラッグストアーのサンドラッグで買い求める風邪薬の「ジキニン」や頭痛薬の「ケロリン」が、体調不良や風邪防止にも頼りになる保険かお守りとなっています。
 
 明日も市役所からスタートし、週末に刈谷市で開催される自治体学校の資料をまとめ、来週の予定を遂行するための連絡を忘れると大変な事態に陥るため、緊張感をもった行動に心がける必要がありそうです。
 
                                    5月16日の一言

修理から紛失物の発見まで

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 これは私の携帯電話の裏側で、今月6日から電池のカバーが紛失し、探しても見つからないことから新しい携帯電話に交換しようと機会をうかがっていましたが、携帯の名義が家内になっていることから、今週末には一緒に携帯ショップへ出向こうと考えていました。
 
 家の中で落としたわけですから、家捜しすれば見つかるはずが、探せば探すほど見当もつかなくなり、夜中でも「もしかしたら」と起きて探す繰り返しで一週間以上が経過していきました。
 
 一方で、四国遍路だけでなく、西国や坂東巡礼でも朱印帳から納め札は勿論のこと、ローソク、線香、賽銭まで入れているセカンドバックの肩紐が、携帯の電池カバーと同じく6日に取れ、本日もホームセンターで代わりを探したものの適当な品が見つかりませんでした。遍路では肩にかけないと邪魔になります。
 
 連休後の一言にも記しましたが、遍路用の菅笠を修理し、遍路の便利グッズとして紹介したエナメル(銅)線ですが、本日の夜になってエナメル線でセカンドバックの肩紐を取り付けました。見た目は悪いものの実用性は変わりません。
 
イメージ 2 修理後に出した朱印帳や線香などを入れていると、カバンの底に白く光る物があり、入っている物を全部出して確認すると、なんと同じ6日から紛失していた携帯電話の電池カバーで、本日代わりのバックを購入するか、修理せず週末に携帯電話ショップに走っていってから見つかっても手遅れになるところでした。
 
 本日は25年選手となる愛車ライトエースのエアコンを整備に出していましたが、完全復活したエアコンは寒いくらいに冷房が効き、こんな旧い車でも三男が自転車のロードレースに積んで行きたいと言っていることと、私自身も愛着があることから、何事も新しい物に走らず、私の残された寿命とともに歩きたいと思います。車のエアコンと、カバンの修理と、電池カバーの発見と、鬱積したモヤモヤが晴れた一日となりました。
 
 さて、明日から議会に関係する日程が連続し、週末には刈谷市の東海自治体学校での発表も控えていることから、しばし遠出には限界がありますが、京都と上高地くらいの日帰りは可能なため、7月までは隙間を活かしたチャンスをねらいたいと思います。
 
                                     5月15日の一言

お寺への訪問は心が清々しくなります

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稲沢市(旧祖父江町)南川原にある真言宗正塔院(しょうとういん)
 
 本日は連休中に訪れた、在家に弘法堂と立派なお大師の坐像がある家の縁者(私の知人)とともに、旧祖父江町にある高野山真言宗の正塔院を訪れ、坐像の今後の対応についての考えを聞かさせていただきました。
 
 
 一週間前に訪れた時は、明らかに弘法大師と判る大きな坐像と、この坐像のために建てられた在家の弘法堂に驚かされましたが、本日はこの家の先人をお寺のご住職が認識されており、先人が地域の指導的立場で地域のよりどころにされていたことを知らされました。
 
 一方で、檀家でもない在家にこのご住職も何度も読経に訪れておられた事と、弘法堂が維持できなければ、安易にお寺に預ける前に、隣に建つ離れ座敷にでも安置して護っていったほうが良いとの意見を聞きました。
 
 
イメージ 2 実は、この正塔院は、私の戸籍に記された出生地となる母親の在所の前に建ち、ご住職も私の子供の頃から知っておられた関係から、訪れると聞いた知人に同行して訪れた次第で、参考に意見を聞いた後で、「数珠」のかけ方や持ち歩く時の持ち方まで伝授していただくこととなり、暫し真言密教の話から、ご住職の高野山の修業時代や、帰ってからのお寺の沿革も聞かせていただきました。
 
 山門から本堂までの参道は、高野槇が両側に植えられており、これは大阪万博の頃に苗木だったものが生長したもので、私の子供時代にはありませんでしたが、細いながらも生長に伴い見事な苔が地面を覆っていました。在所の前にありながら、一度も真剣にお参りしたことがなく、本日は知人と二人で般若心経を唱えてきました。
 
 さて、このお寺は尾張七福神の一つとなっており、話の中に同じ七福神の一つとなっている永張寺の名前が出たことから、この永張寺のご住職は私の高校時代の恩師であるだけでなく、私の母親の小学校の同級生だったことから話題となったところ、知人はご住職の弟さんの名前を出されたことにびっくりとさせられました。
 
 同時にご住職の弟さんは、私の高校の大先輩で、同窓会長をされていたことから私も親しくしていただいていましたが、知人は小学校時代の恩師にあたり、主題となっている弘法堂に住むお兄さんの担任だったと聞き、偶然にも共通の知り合いだったことから、休憩後に永張寺も訪れることとなりました。
 
 
 永張寺は曹洞宗のお寺ですが、知人の弘法堂の話をしたところ、先に訪れた正塔院のご住職と同じく、弘法堂の先人を認識されており、ここではかつての慣習として地域のそれなりの家が弘法大師像を奉り、時々縁側に出して近隣の人々に供え物をふるまっていた良き伝統として話され、是非とも護っていって欲しいとの話を聞かされることとなりました。
 
 突然の訪問で、知人も所用があり帰られましたが、私は久しぶりに恩師との話に花を咲かせ、恩師の奥様も四国遍路を経験しておられることから、お遍路や弘法大師も話題にしていると時間は5時を大幅に廻っていました。
 
 「帰りに寄ります」と応えていた所用は、明日一番の仕事となり、明後日から手帳の空白は6月末までないことから、議会は勿論ですが、残されている坂東巡礼の2泊を1泊にかえ、職務に怠慢と言われないためにも、土曜日や日曜日の選択は非情にならざるをえません。
 
                                    5月14日の一言

ボランティア活動が夜まで続き

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名大病院と保存されているかつての門柱
 
 本日は福祉有償運送のボランティアで、名古屋市昭和区にある名古屋大学医学部附属病院まで車を走らせましたが、会員さんのお宅から17キロ600メートルのため、料金は2,200円となりました。
 
 ちなみに、帰りは自宅までタクシーではいくらになるかメーターを廻してきたところ、料金は5,750円(15キロ800メートル・福祉有償では1,900円)となりましたが、現実には交差点の待ち時間も料金に加算されることから、簡単にはタクシーが利用できないことと、我々の福祉有償運送の料金はタクシー料金の半額程度で設定されているものの、遠距離になると3分の1程度で収まることが判ります。
 
名古屋大学医学部附属病院 http://www.med.nagoya-u.ac.jp/hospital/
 
 この病院も正面玄関や駐車場が数年前に改装されており、津島市から走るタクシーの中には、入り口に有料駐車場のバーが存在することから入り口の外の道路で降ろされるらしく、本日も「道路で良いですよ」と言われました。
 
イメージ 2 「大鹿さん、ここで良いですよ」
 「いや、玄関まで送ります」
 「だって、駐車料金がかかるでしょう」
 
 たしかに、入り口で有料の駐車券を取らないと玄関には行けませんが、病院の駐車料金は30分間無料となっており、お客さんを玄関に降ろしてそのまま退出すれば無料で、名古屋市内を走るタクシーには当り前の玄関が、市外のタクシーの中には「有料だから」と外の道路に降ろされている現実を聞かされました。
 
 もっとも、市外から走るタクシーの中には、経験の浅い新人の運転手なんでしょうが、タクシーや送迎専用の入り口があることを知らず、一般の自家用車の駐車場に入る渋滞の列で30分も待っていた車があると聞きましたから、緑ナンバーの私の車は当り前の送迎ですが、白ナンバーのボランティアはどうしているのか気になるところでもあります。
 
 さて、昨日の一言に、相棒リマの仰向けのフテ寝姿の写真を撮り損ね、ブログの話題を逸したと記しましたが、実はもっと話題性のある写真を撮り損ねており、こんな繰り返しで忘れてしまうテーマが多く存在してきました。
 
 昨日の一言に、娘と孫が帰ってきたことで、珍しく家族全員が揃い、夕食が時間差となったことを記していますが、4人も子供がいながらも、「母の日」にプレゼントを持ってきたのは三男だけで、持ってきた花束は我家では過去にない豪華な内容でした。
 
 この花束は、本日になって玄関や台所などに分けられており、昨日よりも見事に開花しているとの話ですが、花は綺麗でも見事にラッピングされた花束はもっと豪華で、舞台公演を終えた女優に届けても良さそうな代物でした。
 
 明日は予め定まった予定がありますが、娘から体調不良になった孫の相手をして欲しいとの依頼があり、何とか時間を調整して午後から訪れる約束をしましたが、その代償は「父の日」に三男に負けないプレゼントをもらうこととしました。
 
 別に意識している訳ではありませんが…
                                5月13日の一言 

子はカスガイを孫が再現し

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 2日前に孫とサクランボ狩りをした時にも、風前のともし火となっていた我家のサクランボですが、昨日の雨が幸いしたのか、天敵のムクドリの集団が遠ざかり、本日も訪れた孫と娘に加え、2年ぶりに自転車の練習を再開した三男も加わる家族ぐるみのサクランボ狩りの一日となりました。
 
 そして、やはり2日前に体調不良を訴える電話をもらった横井庄一夫人も、「今日は何とか体力が戻ってきた」と連絡があり、本日は娘夫婦が帰ってきたため家族全員が集まり、夕食は時間差でないと一緒に食べられない嬉しい悲鳴となりました。
 
 さて、こうなると寂しい(悲しい)思いをするのが私の相棒で、日頃から自分を主役として行動しているため、孫や娘夫婦に騒々しく吼えまくり、娘も愛犬を連れてきたたことから、家内にゲージに入れられてしまい、仰向けになってフテ寝をしていました。
 
 今にして思えば、相棒の仰向けのフテ寝姿を撮影すれば、このブログの主役に抜擢もできましたが、家族団欒の雰囲気とアルコールに酔い、せっかくのチャンスを逃したことを今になって気がつきました。
 
 「子はカスガイ」と言いますが、我家には3人の息子がおりながら全員が独り身のため、娘の連れてくる孫が来ると家内と不快な会話をしていても、「一時休戦」となるため、我家にも新しい伴侶が訪れて新たな「カスガイ」の誕生を待ちたいものです。
 
 三男が2年ぶりに自転車のロードレースへの復活を目指してトレーニングを開始していますが、かつては一緒に運転して大会に同行していた家内も、これからは三男が自分で運転していくため用済みとされそうです。
 
 もっとも、復帰は嬉しいものの、ロードレースは事故と隣合わせのため、過去の落車や転倒事故によって、入院するには至らなかったものの、普通の人間なら一ヶ月程度入院となる大怪我もありました。
 
09年4月の三男の事故を記した一言 http://blogs.yahoo.co.jp/s281218/39972248.html
 
 私が同行した大阪の舞洲でのロードレースでは、最後の一周までは優勝を狙える位置にいたものの、ゴール間近の最終コーナーで事故に巻き込まれ、救急車を必要とするケガを負い、必死で津島市に戻ってきたことがありました。
 
 一方では、鈴鹿サーキットで開催された大会で、最速チャンピオンになったり、プロ選手に混じって入賞した栄光の記録もよみがえり、国際大会への出場資格を獲った当時に記憶をリセットする夜にもなりました。
 
 
                                    5月12日の一言

黄柳野高校の火災現場から灰皿が

 本日は地元小学校区の自主防災会の総会と、コミュニティ推進協議会の総会が行なわれ、今年4月からオープンした津島市生涯学習センター(旧愛知県勤労福祉会館・アイプラザ)において、今年度の予定と予算案を決議して散会しました。
 
 8日午後に男子寮から出火し、木造2階建ての寮舎約600平方メートルが全焼した焼け跡から1人の遺体が見つかった愛知県の私立黄柳野(つげの)高校(辻田一成校長)の火災について、火元となった可能性の高いC棟の7号室の焼け跡から、灰皿が見つかったと報じられている。
 
 灰皿の発見と、吸われていたタバコが火災の原因とは特定されていないものの、寮生活でタバコが放任されていた可能性もあり、学校の指導体制の甘さも火災に影響した可能性も強いと思われ、高等教育としての再検証が必要に思われます。
 
火元?の部屋から灰皿 愛知、黄柳野高寮全焼で校長会見
 
 平成6年に津島市のPTA連合会の会長職を退き、私の高校時代の非行体験や、高校生活を5年間おくった経験から、全国の不登校や中途退学者を救うために開校を目指していた黄柳野高校の設立のため、当地方の市民運動の代表に推せられ、募金運動やフリーマーケットの収益金を送付していた時期がありました。
 
 ただし、非行体験や不登校体験は同じでも、私は落第して2年年下の同級生と普通学級でやり直したことから、開校後に不登校や中退して学校に行けない生徒を特別体勢で受け入れる黄柳野高校の教育には違和感を覚えずにはいられませんでした。
 
 私の高校時代は私学のレベルが低かったものの、最近は県内の私立高校のレベルが高くなり、生徒指導においても公立高校より厳しく、タバコの喫煙が見つかれば退学となる可能性も強く、今回の火災や繰り返される不祥事から、黄柳野高校の学校としての成長の無さにがっかりとさせられました。
 
 本日開催されたコミュニティー推進協議会の総会で、市民の方から地域を走り回る暴走族の爆音や行為に対する苦情が、津島市長に直訴されましたが、救いようのない少年や犯罪行為が改善できない現実と、火災後にテレビ画面から写された髪を染めてピアスを付けた黄柳野高校の生徒を重ね合わせていました。
 
                                    5月11日の一言

今年も孫とサクランボ狩りを

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毎週日曜日だけ開館している横井庄一記念館 名古屋市中川区
 
 本日は津島市議会の臨時議会が午前中に終わったため、昼休み後に市役所を出ようとすると、携帯電話に「非通知」のコールがあり、「非通知」の主には連休後に約束したことがあったため、反省しながら出ると…
 
 電話の主はグアム島で発見された横井庄一さんの夫人で、体調が悪いため再来週に予定されていた17回忌を9月に延期するとの話に、家の畑で採れたタマネギとエンドウを持って訪問しました。
 今年85才になることと、京都の兄たちが他界していることから、気弱になっているのかと思いますが、明日まで休養して日曜日に開館している記念館は一人で頑張れるとの話ですので、気力の回復を祈りたいと思います。
 
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 本日はその足で名古屋市港区の保育園に通う孫を迎えに走りましたが、昨日の一言に記したように、私には4人の子供がありながら、一度も保育園に迎えに走った経験がなく、母親(娘)が幼稚園の時には、父親参観日に参加した私を無視されたことがあるため、孫が喜んで来てくれれば良いものの、娘にされた悪夢がよみがえりながらのお迎えです。
 
 「じいちゃーん」と喜んで走ってきてくれ、孫の一番人気となっていることを実感しましたが、保育園を出た直後にトイレに行きたがると聞いていたため、トイレをすませて車に乗せ、こんな機会はないことから記念写真です。
 
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 孫を助手席に座らせましたが、私の助手席は普段から相棒リマの指定席となっていることと、孫は危険防止のため後部座席に座っていることから、私の横に座るのが嬉しいのか背伸びして景色を楽しんでいました。
 
 もっとも、迎えに行った孫を乗せて交通事故でも起せば大変なため、安全運転で走行してきましたが、孫と2人だけのドライブも初体験で、このままサービスで何処かに立ち寄ろうとも考えたものの、孫のために事務所前に鉢植えしたイチゴと、サクランボ狩も考えていたため、我家に一目散の帰宅です。
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 保育園を出た頃から雨が降り出していましたが、帰宅後には雨脚も弱まり、孫もサクランボを楽しみにしていたらしく、自分から脚立にのぼってサクランボを採り、美味そうに食べました。
 
 「美味しいか?」
 「うん」 
 孫が美味しそうにサクランボを食べる姿に、サクランボが好きでない私までつられて食べたところ、完熟していることから予想していたより美味しく、珈琲屋さんのアイスクリームの上に乗せてあるものと遜色がありません。
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 続いてプランターと植木鉢のイチゴを食べさせようと移動したところ、熟していた大きなイチゴが存在せず、小さなイチゴしかありませんでしたが、孫は「美味しい」と言って食べ、次々とちぎりますが、半分白いイチゴまでちぎって食べ、「美味しいか?」と問うと、「うん」と答えましたが、どう考えても美味しいとは思えません。
 
 どうやら、完熟していたイチゴは鳥に盗られた可能性が強く、サクランボだけではなかったようですが、孫の食欲は旺盛で、この後で近くにある「みたらし団子」屋さんに出向き、帰宅後はオニギリやバナナにも手を出し、気がつくと居眠りした私の横で、座ったままバナナを持って眠っていました。
 
 孫と2人だけでも何とか過ごせることが解かり、これからは頼まれれば喜んで保育園まで走っていきたいと思っていますが、トイレの世話や着替えなど、我が子でもしたことのなかった体験をし、迎えにきた父親に孫を託しました。
 
                                    5月10日の一言

臨時議会が開催されています

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まだまだ、残されていたサクランボです
 
 本日は津島市議会で臨時議会が開催されており、帰宅が夕方になったことから、ムクドリの独壇場となって見るも無残なサクランボの樹を予測していましたが、何とか手の届く低い部分には残っており、終末に孫とサクランボ狩りをすることが実現できそうです。
 
 明日も臨時議会が続きますが、夕方には孫を迎えに名古屋市港区の保育園に出向く約束がしてあり、私にとっては孫どころか、4人の子供がありながら幼稚園から小学校まで一度も子供のために迎えに走った経験がないことから初めての体験となります。
 
 もっとも、誘拐犯と間違われては困るため、保育園に連絡をとってもらっていますが、孫は3才になったばかりのため、おしっこの粗相をしないように、トイレの仕方まで娘に指南されての子守が続きます。
 
 一方では、我家では、私の子供役となっている相棒も夕方には私の帰宅を待っているため、相棒と一緒に迎えに走るか、迎えてから相棒を連れにくるか迷い、孫と2人っきりで外出した経験も少ないことから、「じじい」人気を不動のものにするため、思案したいとも思ってみたりと…
 
 こんな余裕の一言を記しておりますが、週末には地元の公的日程が続き、翌週末に刈谷市で開催される東海自治体学校では、公共交通の分科会で福祉有償運送と福祉タクシーの報告者に指名されていることから、事前資料の整理と提出が必要になり、月末の坂東、秩父への巡礼も考えると今月もめまぐるしい日々となりそうです。
 
 私を待っている四国遍路関係の人々や、上高地のホームレス画伯を暫し忘れた日々となりますが、今年は再生されて車検を受ける自動二輪も待っており、ここでは公表できない新たな仕事(ボランイィア)と、NPO法人の山積した仕事を考えると、孫や相棒とは言ってはおれない現実をひしひしと感ずる一日ともなりました。
 
                                    5月9日の一言

遍路用菅笠を補修する一日に

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 添付した菅笠は、私の四国遍路用の笠ですが、4月に訪れた上高地が猛吹雪だったことから使用したところ、雨傘が必要なく快適に行動できたことから、四国では雨と厳しい日差しよけとして使用しているものの、いかに菅笠が実用的かを確信させられました。
 
イメージ 2 この遍路用菅笠の正面に記された梵字は弥勒菩薩を表す梵字で、後ろに記された「同行二人」はいつも弘法大師とともに歩いているという意味があります。
 
 そして「迷故三界城」、「悟故十万空」、「本来無東西」、「何処有南北」については、「迷うがゆえに、三界は城なり、悟るがゆえに、十方は空なり。本来東西はなく、どこに南北があろうか」との意味があり、これをかぶることは死の世界からの再生を意味しているとの説もあります。
 「迷故三界城」は骨壷にかかれるもので、道中で倒れた場合には、菅笠が棺の代わりをし、遍路に使う金剛杖が墓標になるとも伝わっています。
 
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 上高地で実用的だったと記したのは、最近の菅笠には左のようなビニールカバーが一緒に販売されており、ビニールを完全にかぶせれば頭だけでなく上半身の雨が防げるため、多少の雨の場合でも傘どころか、カッパもないままに巡拝が続けられます。
 
 一方では、「帽子が似合わない」と言われる私の顔を小さく見せるだけでなく、夏には風通しが良いことから頭が蒸れずに、顔を全面的に覆うため日焼け防止にもなります。
 
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 さて、実用的だったと記載した上高地では、開山式のホルンの演奏を撮影中に、後ろからの強風によって菅傘が前に吹き飛ばされる事が多く、手ぬぐいで「ほうかぶり」の哀れな姿をさらし、河童橋周辺で吹き飛んだときは、ずいぶんと遠くまで飛ばされていき、あわや梓川に流される危機にも陥りました。
 
 これは、菅笠の裏側にある、囲炉裏の上に置く「五徳」のような部分と笠の締め付け部分の不具合と、首に廻す紐が不安定であるのが原因で、日よけと降雨には有効でも、前後左右から吹いてくる強風にはひじょうに弱いためです。
 
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 この菅笠の補強と効果的な首紐について、多くの巡礼者が効果的な方法を記しておられ、最近ではワンタッチのベルト式首紐も販売されていますが、ホームセンターで「たこ糸」も買ってきたものの、細いエナメル線(銅線)で補強し、最初から付いていた緑のゴム紐を後ろにずらして首の後ろに廻し、前に付いていた紐は余裕を持ってぶら下げれば、万が一の強風で飛ばされることもないことが判りました。
 
 四国遍路では菅笠姿に違和感がありませんが、さすがに上高地では「何者」だろうと勘違いされそうなため、雨用ビニールイメージ 6を付けてかぶれば、多少の風雨や強い日差しよけになりそうです。
 
 四国を歩いて巡拝する人々の発信から、遍路中の必需品を知らされることが多く、毎日歩くリュックサックの中に入れる限られた物だけに参考になります。
 
 今回も元々付いていた「タコ糸」よりも、金属のエナメル線の方が後々に便利になるとの知恵を参考にしましたが、今にして思えば、購入する際に見た目だけでなく、永い使用に耐えうる丈夫な品物を選ぶためには、値段の大小よりも実用性と耐久力を第一にすべきだったとの反省の一日ともなりました。
 
                                   5月8日の一言

我家のサクランボ

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本日の我家のサクランボです
 
 今年は急に温かくなり、花の開花が早まったことで、我家のサクランボも半月早く花を咲かせ、サクランボも同じように早く色づきはじめたものの、我家のサクランボを急襲するムクドリも完熟するのを待たずに飛来することから、昨年のように対処する気持ちも薄れ、ギャングたちのやりたい放題となっています。
 
昨年のサクランボの記載 http://blogs.yahoo.co.jp/s281218/46298593.html
 
イメージ 2 今年は3月13日にサクランボの花が開花をはじめており、一週間後にアンズの花が満開を迎えていますが、約1ヵ月後に実が大きくなり、4月29日に色づきはじめ、5月1日からムクドリが連日飛来するようになりました。
 
 完熟を待たずに飛来したムクドリの集団に、抵抗し撃退する気力はまったく湧かず、今年は人間が一粒も口にしていませんが、来週まで残っていれば孫とサクランボ狩りを楽しみたいと考えています。
 
イメージ 3 ちなみに、我家のサクランボは昭和55年から58年頃に私の父親が購入し、私の長男の木として植えたもので、当時は珍しく、誰もが実らないと言っていたものですが、屋根を越す大きさとなり、毎年多くの実をつけるようになってきました。
 
 サクランボの寿命は判りませんが、確実に私の死後も花を咲かせて、同じようにムクドリのギャングが飛来するでしょうから、これからは剪定知識も入手し、次世代の子孫にも愛されるサクランボの木に育てていきたいと思います。
 
 さて、今年はいつまでサクランボ情報を発信できるのでしょうか。
                                    平成25年5月7日
 

弘法大師の尊像の前に導かれて

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 3冊とも高野山奥の院の朱印ですが、全く見た目が違うことから、同じ奥の院でも納経所の担当者の違いで、両側の違いは微妙であるものの、真ん中の朱印帳は全く別のお寺のように見えてしまいます。
 
 一番右の朱印帳は、昨日に娘が訪れて頂いてきたものですが、いずれかは四国八十八ヶ所にも行きたいとの希望を持っていたため、四国へ巡拝できる納経帳を高野山で買い求めたようです。
 
 残念なことは、せっかく高野山に参拝するのであれば、奥の院だけでなく金剛峰寺にも参拝すべきですが、娘の話では時間がなかったとのことで、私からすればついでの参拝には疑問がありますが、行楽に行ったのですから良しとすべきかもしれません。
 
イメージ 2 さて、本日は知人の本家にある「弘法大師らしき」奉られた品々をどうしたら良いか相談があり、「お寺に預かってもらう」前提での話だったものの、現物を見なければ何とも判断できないことから、稲沢市(旧祖父江町)のお宅を訪問させていただきました。
 
 訪れてびっくりとさせられたのは、明らかにご本尊のために建てられたお堂で、「弘法大師らしき…」ではなく、厨子の中から明らかに弘法大師の右手に握られた「五鈷杵」が見え、その坐像は真言宗のお寺と比べても遜色のない大きなものでした。
 
 お寺に預けることも視野に親族の知人に相談されていたのは、ご当主の奥様はこのお堂に毎朝お供えを運び、夕方にお参りして片付ける生活を毎日の日課としておられ、転勤族の息子さんは退職後に戻られるとしても、その次のお孫さんまで強いることは難しいとの思いからで、屋根や床の修理も必要になっていることも理由でした。
 
 大師像の横には不動明王の掛け軸がかかり、右横には(私の予想では)他家から依頼されて預かったと思われる掛け軸や弘法大師の大きな立像もあり、この家には居住する母屋に先祖を奉る仏壇もあることから、明らかに弘法大師を奉った弘法堂と思われます。
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 ご本尊の前に置かれた書き置きを読むと、明治43年に寄付された金額によって、祈祷や先祖供養する期間を定めた記載が残され、地元の人々だけでなく、名古屋や遠くは三河の幡豆郡や、現在の蒲郡市の人々の名前が大量に残されていることと、最後の記帳は昭和6年になっていることから、少なくとも明治から、大正、昭和初期までこのお堂で先祖供養だけでなく、加持祈祷が行なわれており、遠来の参拝者が多数存在したことが明らかになりました。
 
 こんな状況に遭遇して、「お寺に預けたら」なんて一言は私には言えず、お寺の大師像と遜色ない立派な坐像の存在は、近隣の人々に開放してお参りの場所にしたほうが、ご先祖のためにもなり、当家の繁栄にもつながると進言して帰宅しました。
 
イメージ 4 退室した際に振り返る(逆光で見にくいですが)と、明らかに在家の居住のために建てられた離れではなく、完全にお堂と確信させられました。
 
 当家の先祖は教育者として教育に関わっておられ、お堂の中にも捨てがたいと思われる明治期の教育書も残されており、昭和期は子息の勉強部屋になっていたようですが、私は一族で何とか雨露をしのぎ、地域のよりどころとなる場所にして残して欲しいと思います。
 
 知人はこの後に近くの先祖のお墓参りに走り、先祖を大切にしたらと力説した私は、この家から近くにある家内の在所に走りました。私が家内とは別に一人で在所を訪れたことはなく、両親が亡くなってもろくにお参りにも行かない者の訪問ですが、訪れると我家に持ち帰る品々が用意してあり、夕方に家内が訪れる予定だったことが解りました。
 
 このまま帰ろうとしていると、義兄の同級生が訪れてきたことから、お墓参りに走った知人も義兄の同級生だった事から、早速連絡して暫し談笑の夕方となりました。
 
 他人のことは簡単に「先祖を大切に」と言えますが、我家の仏壇は母親任せとしており、私自身が信心深いとは言えません(四国遍路は自分のためです)が、訪れた家には仏門に関係する縁者が多いことから、私を導いていただいたとしか思えません。
 
 朝には町内の側溝清掃があり、身体を持て余す連休で終わりそうでしたが、午後からの知人の電話によって、弘法大師の尊像に手を合わせ、寄り付かぬ家内の在所を訪れ、和歌山県から戻ってきた娘夫婦と孫に会えたことで、気持ちの切り替えができる一日となりました。
 
                                    5月6日の一言

相棒しかいない子供の日に

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 昨日の相棒ですが、ホームセンターのペット用カートに座っているものの、下に敷くシートを忘れてきたことから落ち着きません。やはり、他所のペットの臭いが付いていると思われ、相棒のための買物でしたが、相棒には辛いひと時だったのかも知れません。
 
 こんなに小さい相棒のため、出会った人々は簡単に手を出して、相棒の頭を撫ぜようとされますが、家族以外に触られることが大嫌いで、突然に手を出されると唸りますから、同行する我々も緊張する一瞬です。
 
 「まぁー、可愛いー」
 「ちょっと危険ですので…」
 「大丈夫、大丈夫、ヨシ、ヨシ」
 
 大抵はこんな感じになるのですが、相棒が絶対に警戒する風体とか態度があり、一度警戒するとなかなか馴染めないので、相手が何とか撫ぜたいと思われれば思われるだけ我々が大変な思いをすることとなります。
 
 ちなみに、相棒は女性には寛容ですが、人相の悪い男性や素行が悪そうな(大変失礼な表現ですが)人には、絶対に警戒することと、自分のテリトリーと獲物に対する独占欲が極めて強いため、家族でも痛い思いをさせられます。
 
 ただし、私はどんな場合でも相棒を叱らないことと、夕食も私と一緒でしか飯台に行けないなど、どんな時でも相棒の味方となっていることから、「お父さんだぞッ」の一言で特別扱いとはなっていますが…
 
 4月29日で相棒の先輩となるモモが亡くなって2年が経過し、相棒と兄弟のように生活している反面で、人一倍寂しがり屋だったモモの存在感が薄れていく現実に、私や家族と相棒との生活がこのまま続くことを祈るばかりです。
 
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 こんな感傷にふけっているのは私だけで、相棒は私の助手席を指定席として、自分が置いていかれないために必死ですが、乗り込んでしまえば安心して寝てしまい、私と協調する気持ちは一切持ち合わせていません。
 
                                      5月5日の一言
追伸
娘夫婦が孫を連れて旅行中のため、我家のこどもの日は子供が存在せず、相棒だけが子供の役割を担っています。

写真撮ってもらえますか?

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 「大鹿さん、何所に行ってきたの?」と問われそうな写真ですが、若いギャルと言うと失礼ですが、あまりにも若々しい女性たちとの写真は、平成16年からこの一言を書きだして初めてのこととなります。
 
 本日は一宮市から訪ねていただいた知人と2人で津島保健所前のガストに出向きましたが、長々と雑談に花を咲かせて店を出たところで、「写真を撮ってください」と声をかけられたのが5人組のギャルでした。
 
 「写真を撮って下さい」
 「えっ? アッ…」と、差し出されたスマートホンを預かり、なれぬ手つきで何とか撮り終えた後で、胸にかけていたデジカメに気付き、「我々の写真も撮ってもらえるかな」と話したところ、こんなオジサン達と3人の女性が一緒に写ってくれました。
 
 こんな若い美女軍団と一緒の写真はあまり機会もないため、「ブログに載せちゃうけど良いかなッ」と、半ば強引に承諾をいただいた次第です。
 
イメージ 2 「このオジサン、誰か判る?」の知人の一言にも、一同シーンとしていましたが、知人が私を議員であると紹介してくれたものの、一週間前には後期高齢者も含まれるメンバーと坂東巡礼に出ていた写真(右)とは大違いです。
 
 お遍路や巡礼に同行する人々からは、かろうじて50代でも私は若者となりますが、実際に若い人々から見れば完全なるお爺さんでもあり、あまり話す機会もないことから、写真が縁のひと時でしたが新鮮な気持ちにさせていただきました。
 
 メンバーの1人から、「現在就活中」との一言を聞きましたが、かつては同級生の娘さんの就職活動に借り出され、保育園や福祉施設などへ足を運んだ記憶が蘇り、久しく忘れていた感覚に懐かしさを覚えました。
 
 2年前の選挙に、私は「働く女性の立場を、体を張ってバックアップします」の公約を新たに入れました。過去3回の選挙には無かった公約ですが、私の娘が初めての出産を経験し、共稼ぎで働くために苦労している姿を見て、娘や孫の力にもなれない反省もあって入れた公約でした。
 
 一年前の議会で、同僚の井桁議員から子育て支援について、「本当に公約を実現するため行動していますか」と厳しい指摘があり、「自分は実際にやっているぞ」と言いましたが、考えてみると私を知っている人から頼られて働くだけで、積極的に呼びかけて活動しているとは言えず、頼られる高齢者のボランティアに走っているだけで、若者の立場とは随分離れていた反省も必要です。
 
 このブログの内容も、遍路や巡礼が多く、何度も走る上高地についても、中年から高齢の観光客だけでなく、若者が登山者として歩き、四国遍路でも若い大学生や外国から来た若い女性が歩いている事から、私の視線が定年を迎える世代や、高齢者ばかりに向いていたことを実感し、少し若返った行動と目線に心がけようと自戒する一日ともなりました。
 
                                     5月4日の一言

連休後半は家に足止めされており

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 毎月のことですが、四国八十八ヶ所霊場会から届けられる会報「へんろ」がポストに届けられ、この情報誌から新たな四国情報と、明治期の霊場の様子等も知らされ、歩く事による健康法などを知ることができます。
 
 この会報は、四国八十八ヶ所霊場会が監修しているものの、発行は伊予鉄不動産「へんろ」編集部が発行しており、全国に点在する霊場会の公認先達全員を対象として配達されてきます。
 1部60円、郵送料60円、年間契約1440円と記されていますが、実際には無償で届けられており、平成19年から毎月届けられた会報の情報量は膨大となり、一般に販売されているガイドブックでは解らない情報が蓄積されてきました。
 
 さて、この会報に同封されてくるのが、今年2月よりスタートした公認先達と若手僧侶によって行なわれる「徒歩練行」の案内で、今回は7月に高知県安芸市穴内から高知市石戸までと、8月の土佐市宇佐町までの参加申込書が添付されていました。
 
 1泊2日の日程で2万円の会費は手頃で、来年5月までに一度は参加したいと考えているものの、私にとっては1日25キロ程度歩ける体力があるとは思えず、過去に同程度歩いた経験からは、1日目は自信があるものの、2日目の自信が湧いてきません。
 
伊予鉄おすすめ四国八十八ヶ所巡拝 http://travel.iyotetsu.co.jp/tour/88/
 
 四国の情報を定期的に提供していただく伊予鉄道については、四国遍路のパイオニアとして、四国巡拝に各種のプランを持っており、長距離バスと組み合わせて参加すれば、旅行会社のツアーよりも格安となり、レベルの高い巡拝ができそうです。
 
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 ゴールデンウィーク前半に、坂東巡礼から、上高地、信州と続いた旅程も、後半の4連休は我家の留守番だけでなく、水田への肥料散布に借り出されそうな雰囲気が濃厚で、家におれば外のムクドリの「ギャー、ギャー」との鳴き声が気になり、一目散でホースの水で追い払い部屋に戻ると、次のギャングが再び鳴き声を上げますから、何も手につかないままに連休が経過していきそうです。
 
 我家はサクランボの被害に悩まされていますが、我家の周辺では畑の作物がムクドリの集団に食い尽くされており、ムクドリが津島市の造営した市民の森に巣を作って飛来してくることから、住民の不満も行政に向けられており、何らかの対応も急務となっています。
 
                                       5月3日の一言

交通事故が頻繁に起きていますが

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 昨日の夕方ですが、自宅へ帰る道中の交差点で複数車輌による交通事故が起こり、警察が到着していませんが、大勢の人だかりができていました。
 この交差点は2車線の県道主要道にありますが、通行量が多いのに右折のための矢印信号がないため、よほど運がよくなければ朝や夕方の通勤時間帯には信号を無視しないと通行ができません。
 
 私はこの交差点では県道から右折しないことと決めていますが、信号が変わっても通行しようとする直進車が続き、信号が黄色から赤になっても右折する車があれば、事故が起こるのは必然となり、事故を起さないためには信号を厳守するしかありません。
 
 最近は損害保険が完備されており、万が一の際も安心と思われていますが、現実には被害者が泣かされているケースも多く、軽症と思っていた事故の後遺症が長引き、保険会社の保障を巡って弁護士の力を借りなければ治療も続けられない事例も多くあります。
※弁護士の依頼について、高額な着手金が必要と思われていますが、交通事故については事故の程度に応じて低額の着手金で対応してくれる弁護士さんも存在します。
 
 私も1月に千葉県で追突事故に遭遇しましたが、相手のかけていた富士火災の対応が悪く、私の車は緑ナンバーの営業車のため、追突された車の修理中は営業活動ができないことにも対応せず、修理は済みましたが、その件はそのままにされています。
 
 実は私の知人が昨年秋に事故に遭遇し、救急車で搬送されたものの、事故後の痛みが解消せず、病院の転院を繰り返すうちに、重大な後遺症が残る事が判明しましたが、相手からの謝罪もないままに保険会社からは保険の打ち切りを伝えられました。
 この保険会社も富士火災で、現在弁護士が入って通院して治療中ですが、弁護士に依頼しないと被害者の泣き寝入りになるところで、弁護士が対応しても身体に残された後遺症は残りますから、加害者はさておき、被害者の不満は確実に残されます。
 
 話は随分とさかのぼりますが、私が起業した30年以上前の話となりますが、従業員が事故に遭遇した際に、車輌にかけていた損害保険が富士火災で、横着な相手で謝罪どころか保険の手続きもせず、仕方なく被害者請求をすることにしたものの、富士火災が何もしてくれないために苦労した経験がありました。
※私はこの事故後に日新火災に替え、一時は保険代理店にもなっていました。
 
 富士火災については、個人的な恨みつらみもありますが、私の経験からは要注意の保険会社で、事故だけに目を奪われがちですが、事故の相手によっては、自分の過失を一切認めないケースもあり、事故に遭遇して重要な約束を履行できない事も考えると、くれぐれも事故を起さない防衛運転が求められます。
 
                                      5月2日の一言

一年前の一言が同じように起こり

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 我が家のサクランボの木を、わが物顔で占拠するムクドリで、木が大きく私の手が届かないことを知ってか仲間を呼び込み、いまだ完熟していないうちから食べ尽くしてしまう姿は、まさにギャングと呼ぶにふさわしい集団です。
 
 ムクドリをギャングとして記すのは毎年のことで、サクランボが色づきはじめると必ずムクドリが偵察に訪れ、食べられると判断すると仲間が一斉に飛来して、我々が気がついた時には丸裸にされてきました。
 
昨年のムクドリの一言 http://blogs.yahoo.co.jp/s281218/46290293.html
ムクドリとの攻防が始まって http://blogs.yahoo.co.jp/s281218/46268372.html
 
 昨年の一言を読み直すと、これからの一週間がリアルに予測され、明日に開催される議会運営委員会から今月の臨時議会、今月末から続く6月議会と、しばらくは議会日程が続くことを実感させられます。 
 
本日先行して記した一言 http://blogs.yahoo.co.jp/s281218/47251586.html
 
  本日は、昨年のサクランボ関係記事と、本日未明に記した「上高地開山式とホームレス画泊」の一言を添付して終わります。
 
                                   5月1日の一言

上高地開山式とホームレス画泊

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上高地小梨平 梓川のカラマツ
 
 上の写真は、上高地で開山式が行なわれた4月27日の小梨平にある梓川沿いに立つカラマツです。厳冬期の12月や1月とは温度差があり、凍えるほどではなかったものの、冬と変わらぬような吹雪に見舞われた一日となりました。
 
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 河童橋の前に作られた雪ダルマと、観光客の姿を見れば、これが4月のゴールデンウィークとは思えない真冬と同じ雪景色です。
 
 
※吹雪でもここでは笑顔が出ます。
 
 
 
 
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 河童橋から100メートル進んだ清水橋です。
 
 
 
※夏にはクーラーのように涼しい冷気と、水草の中のイワナを求めて人々が足を止めますが、この日は誰もが素通りしていきます。
 
 
 
 
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 ビジターセンターと背後は六百山です。
 
 
※積雪のため、普通の靴ではここまで来れず、この日にビジターセンターを訪れる観光客の姿はまばらです。
 
 
 
 
 
 
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 小梨平の入り口ですが、この日は積雪により白黒写真の世界となっており、凍結したこの先へ足を運ぶのは登山家か、よほど計画性を持った人なんでしょうね。
 
※寂しいと言うよりも寒々とした小梨平です。
 
 
 
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 こんな雪の中にテントを張る人もあるんですね。これは意外に大きなテントですよ…
 
 
 
※こんな雪の中に生活する人の気持ちが解りません。
 
 
 
 
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 テントの主が出てきて、なにやら黙々とやっておられますぞッ…
 
※この場所には、昨年にも同じテントがありましたが…もしや?
 
 
 
 
 
 
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 「大変ですねー」
 「いやー、参っちゃうよ」
 「忙しそうですね」
 「お茶入れるから入ってよ」
 
 
 
 
 
 
 テントの主は、開山式の一週間前から上高地に入っている千葉県旭市の渡辺氏で、今年はこのまま11月まで滞在される予定ですが、今年は雪に埋もれるようにテントが張られており、一日にカセットコンロのガス4本を暖房として使わないと寒くておられないそうです。
 
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 渡辺氏は、この6畳分ある大型テントで生活し、河童橋周辺に油絵のキャンパスを立てて描き続ける「ホームレス画泊」で、番地のないテント宛に全国から手紙が届く、上高地では超有名人となっています。
 
 ちなみに「ホームレス画泊」と命名したのは私で、昨年は新聞に取り上げられており、地元の千葉県では盛大な懐古展を開催するなど、上高地を描き続けて半世紀となる上高地一筋の人物で、閉山後のシーズンオフにも次の上高地入りを考え続け、千葉県の自宅には上高地のギャラリーが併設されています。
 
 これほど上高地を愛する人は珍しく、絵を描き続けるうちに、上高地を訪れる人との会話を楽しみ、届けられる手紙のやりとりから、テントを「世界の交差点」と命名して、多くの人々との交友を楽しんでおられます。
 
ギャラリー
  • ようこそ 大鹿一八の納経所へ
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  • 令和6年 上高地開山式の様子です
  • 三重県桑名市大福田寺の聖天祭へ
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