
今年も残り少なくなった我家のアンズです
落下して困っていた我家のアンズも今年は残り少なくなり、裏庭には落ちたまま朽ちかけたアンズの実が鼻をつく酸っぱい香りを発していますが、家では家内が連日ジャム作りを続けており、今年は数えていないものの多くの知人にジャムをもらっていただいたようです。


左に添付した桃は、近所の方から母親へのもらい物ですが、我家のアンズジャムのお返しだろうと思われ、右に添付したパンは、我家から届けたアンズジャムで試作されたパンで、本格的にパンを焼いておられる工房で作られ、本日届けていただきました。
このパンの詳細については、ご自身のブログに記されてあったので、下記に添付しましたが、我家のアンズも年々甘味が増してきており、ジャム以外にも活用できそうになってきました。
マイ・パン教室 http://blog.goo.ne.jp/sugiura57
さて、本日のアサヒデジタル新聞に、65歳からの職探しがいかに大変かと、65歳と60歳前半の年代を比較して、「65歳からの職探しは、60代前半よりも2倍難しい?」として発信されてきました、
65歳からの就活、60代前半の倍大変? 厚労省が集計
記事の続き…
一方、観光案内や物品賃貸といった一部のサービス業や、専門職の保育士や栄養士では、65歳以上の就職率は60代前半の7割前後と差が縮まっている。
厚労省の岡崎淳一職業安定局長は「実感ではわかっていたことが数字でも裏づけられた。求職者の指導に生かしたい」という。内閣府が60歳以上の男女3293人に尋ねた09年の意識調査では、65歳を超えても働きたいとの回答が7割を超えている。
私も今年の12月に60歳を迎えますが、同じく60歳を迎える同級生は、公務員は来年3月まで雇用されるものの、民間企業に勤める同級生は誕生日になると退職となり、再雇用制度もあるものの、一旦は会社を辞める知人も身近に存在します。
かつては60歳の定年が定着しており、自分から早期退職する人も存在しましたが、最近では65歳まで働くことが当り前となり、年金の支給も年齢が引き上げられ、更に引き揚げられる可能性もあることから、70歳まで働くことも当り前のように語る人も存在します。
もっとも、日本人の平均寿命も年々上昇してきたことから、60歳で定年を迎えることが当り前ではなくなったとも思えますが、社会人になった当時は60歳まで働くことを目安に人生設計を立てており、限られた人生の中で経験したことのない趣味や行動もあるとは思えるものの…
「仕事を辞めると早死にする」と言う知人も存在すると、労働はしたくないものの、何か打ち込める仕事か趣味を確保したいと思います。
もっとも、再雇用を断って60歳で定年退職した私の父親は、年金が全額支給される65歳で亡くなっており、こんな馬鹿らしい人生もなく、老後はボランティアや趣味に専念したいと思ってきましたが、賃金をもらって働き続ける同級生たちの姿を見ると、「そんなことで良いのかなァ」と生活の心配から自問自答されられるようにもなってきました。
6月30日の一言




観音寺市中心部の商店街にある「観音寺チャンスセンター」には「16億円 当売場(うりば)から出ました」と看板が掲げられる。同センターがある駅通(えきどおり)商店街には、関西や東海のナンバーの車が列をなし、くじを買いに来る人たちでにぎわう。 






鶴田浩二さんは昭和62年に亡くなっておられ、最近の若い人には判らない人も出てきましたが、同行したメンバー全員が一致団結して行動できる年代ばかりで二日目にしてはじめての余裕のひと時となりました。
さて、高野山を下り、かつらぎ町の道の駅に立ち寄り、私の唯一のお薦めとなる犬鳴山にある七宝瀧寺に立ち寄りました。


















左が事務所前のアンズですが、明らかに色が違い、実も一回り大きく、甘味も濃いため、ジャムよりも桃のようにしてそのまま口にしたい果物として成長してきました。


こんな展開で、待ち合わせた家内とモスバーガーで別れて自宅に到着する頃には、満腹となった孫だけでなく、3時間前には孫を威嚇していた相棒までが一緒になって眠ってしまう姿に、本当に子供が二人いるように思えて笑いが堪えられませんね。
さて、本日の書道会には、一緒に四国遍路や観音霊場を廻っている知人が、私の納め札を入れる「納め札入れ」を数種類作って持ってきていただきました。

さて、出来上がってビンに入ったジャムを見ると、「なんだ、たったこれだけか」としか思えませんが、2階の屋根もこすアンズの大木にハシゴや脚立を立て、1個づつ手でもぎっているのですから、気の遠くなる作業で、採っても採っても頭上のアンズは減りません。



「16億円当てた人と同じクジを買いたいんですが?」





今月の中旬に依頼された高野山同行について、引率される先達さんの話を聞き、団体のこだわりと旅程を伺って打ち合わせは終わりましたが、弘法寺ご住職(左の写真)のご厚意により、私は2階に飾られた写真や、ご自身が本山から贈られた「長者杖」などを見せてもらい、お寺の歴史やご自身が勤めておられた善通寺の話に花を咲かせてきました。
お寺というと、死んだときの葬儀や先祖供養しか思い浮かばないものの、真言宗のお寺や弘法様は心配事や病気治癒を祈願して参拝される人が多く、本堂前に建てられた四国八十八ヶ所のお砂踏み用のご本尊は、信者のたてるロウソクや線香のススで真っ黒になっていました。






こんな展開で、東海地区から300人以上の監査委員や議員、行政職員が参加しておりながら、我々津島市の3人だけが控え室へ入り、一緒に写真に収まりました。







