大鹿一八「本日の一言」

平成16年2月から令和1年7月末までの「本日の一言」です。ヤフーブログ閉鎖により、ライブドアへ過去の記録として引っ越しました。

2013年08月

父親の描いた色紙が里帰りして

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 本日の午前中に宅配便が届き、中身は平成5年に他界している私の父親が描いた猿の色紙で、今月ヤフーオークションに出展されているのを発見し、絵としての価値は感じないものの、親の残した遺品としてオークション初参加ながらも落札することができました。
 
 添付した写真は我家の玄関で、他界する前年に父親が「どうしても門柱を建てたい」と造ったものですが、「大鹿」の表札も父親の書を彫ったものだけに、届けられた色紙の里帰りのようにも感じた一日となりました。
 

◆大鹿時義 作◆ 日本猿を描いた肉筆色紙画/津島

商品の情報

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 オークションに参加したのも初体験で、過去にネットを通じたトラブルが発信されていることから、自ら入札に応募するとは思ってもいませんでしたが、宣伝するつもりは毛頭ないものの、トラブルを払拭して安全に参加できるシステムになっていたことを実感させられました。
 
 私の父親の色紙は静岡県沼津市の方から発送されており、我家で父親が描いていた絵が、どのような経路で沼津に存在したかも気になるところですが、有名でもない父親が趣味で描いた色紙を「こんなもの」と捨てられても当然と思うものの、発送した色紙を保護するために別の色紙が重ねられており、出展していただいたことご配慮に感謝の一言です。
 
 父親は旧満州鉄道の鉄道員であったことから、戦後は愛知県に戻って名古屋鉄道の乗務員からグループの名鉄産業で定年を迎えており、若い時から帝展の日本画家浅見香城先生の指導を受け、描いた絵の多くは名鉄を定年退職された人達や同僚への記念品として、かなり多くの色紙が出回っていると思います。
 
 昭和40年代までは大きな額に入る作品も描いていましたが、定年退職した昭和63年頃からは地元の勤労会館で開催される日本画や書道の教室に通い、毎日のように絵を描いていたことから、そんな頃に描かれた色紙だと思われます。
 
 さて、過去にも差し上げた人が亡くなった際に、遺族から戻った色紙が存在しますが、今回里帰りした色紙についてはかなりシミがついていることから、居間か玄関に飾られていた可能性も高く、付着したシミの存在が所持したおられた人と色紙の距離を感じます。
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 私の少年時代までは、恩師の浅見先生の弟子の人たちによって「たんこう(坦交?漢字が定かではありません)会」という画展が開催され、出展した父親の作品にも希望者から値段が付いたことはありますが、父親はそういった作品を名鉄の大切な人に差し上げており、今回の色紙が唯一売買された作品になりました。
 
 しばらくは我家の仏壇に飾り、額に入れて大切に保管していきたいと思います。
 
                                   8月31日の一言

京都の研修会から新たな魅力発見

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 昨日から国立京都国際会館で開催されていた「全国都市監査委員会総会・研修会」に、津島市の代表監査委員と3人で参加していましたが、本日終了後に地下鉄から新幹線を乗り継いで名古屋に帰ってきました。
 
 かつての視察と言えば観光旅行との批判も当り前のような時代もありましたが、全国から参加した関係者は会場から地下鉄駅まで行列で歩き、会場内の飲料水も自己負担は当然とは思いますが、水も有料との徹底振りには驚かされます。
 
 国内有数の観光地「京都市」に来ていながら、会場とビジネスホテルだけではもったいない気持ちはありましたが、このまま新幹線で帰るのも味気なく、せめて最後の食事くらいは豪華(と言っても1250円ですが)に食べてきました。
 
イメージ 3イメージ 2  私自身は夜型で、夜にも間食をするため、昼間は少食にしていますが、意外に人が食べている物が気になり、決断ができないままに注文して後悔することが多いため、店頭に並んでいるお得なメニューの中から最高の弁当を注文しました。
 
 京都駅前の地下街(ポルタ店)にある富士屋さんの定食でしたが、朝はバナナとヨーグルトがあれば良しとし、昼は最低限に控えている習慣では明らかに食べ過ぎで、ご飯と蕎麦の重ね食いも誉められたものではありませんが、2日間の京都のささやかなご褒美です。
 
 
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 昨日の一言にも記しましたが、車で高速道路を利用すれば自宅から1時間半で京都に到着することから、バスや電車を乗り継ぐ行程は経験がほとんどありませんでしたが、京都観光には列車や地下鉄がかなり有効であることを実感する参加となりました。
 
 さて、昨日の名古屋までの名鉄バスと、本日の新幹線で名古屋に到着後に、田舎者のような恥ずかしい思いをしました。
 これについては、日頃公共交通機関を利用していない人は、誰もが体験する可能性もあり、本日関係者に連絡したところ、改善の余地がありそうなため、書面で改善を求めるとともに、今後の(明日かな…)一言にも記していきたいと思います。
 
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 「おい、今度は列車で京都に行こうか」
 「何、どうして」
 「いやー、車とは違う魅力がある」
 「何所でも行っているくせに…」
 
 車では十分に体験できないのが食事で、車ではいくら有名店を目指しても、アルコールは勿論のことですが、駅前の飲食店街や町屋の中に続くお店を内容や値段から選択して入ることが出来ませんから、車では体験できない京都の魅力再確認です。
 学生時代には仙台や尾道、輪島から在来線の列車を乗り継いで名古屋に帰っていた懐かしい記憶がよみがえってきました。
 
                                  8月30日の一言

京都議定書が採択された国際会館へ

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 添付した写真は、京都市左京区宝ヶ池にある京都国際会館です。本日は平成25年度全国都市監査委員会総会が京都市で開催され、津島市から代表監査委員と監査事務局長と共に参加しました。
 
 京都は何度も訪れている場所で、今月も16日の大文字送り火に来ていますが、列車や地下鉄を使った訪問は久しぶりで、新幹線で訪れたのは家内との新婚旅行以来となり、高速道路を使って車で来ていることから、移動そのものが初体験のようなもので、地下から地上に出ないと場所が判りません。
 
 京都国際会館については、平成9年12月に地球温暖化防止京都会議(COP3)が開催され、「京都議定書」が採択 されたことで有名ですが、各種の国際会議に利用される日本を代表する会場で、私にとっては朝日新聞の関係で訪れてから30年ぶりの来館となりました。
 
イメージ 2 本日は総会と研修会が行なわれ、議事や表彰の後に、「監査の充実・強化について」をテーマにして島根県松江市の監査委員から報告があり、総務省自治行政局の監査制度専門官泉水克規氏より「監査委員制度をめぐる動向むについて」の講演が行なわれれました。
 
 私は今年5月より1年間の任期で津島市の監査委員を拝命しておりますが、監査の目的から現状について説明があり、今後の問題点や動向について知る良き機会となりました。
 
 明日も午前9時30分より、関西学院大学大学院教授の小西砂千夫氏より「自治体財政健全化法と公会計改革・公営企業会計改革」について講演があり、次に後藤・安田記念東京都市研究所の西尾勝氏から「地方制度調査会の動向」をテーマに講演が続きます。
 
 
イメージ 3 さて、京都国際会館については、過去に地下鉄で訪れて、ここから大原までバスに乗って行った経験がありましたが、国際会館が宝ヶ池にあることから、鴨川沿いに走る京阪鉄道の延長上にあると勘違いしていました。
 
 今晩の宿となったハートンホテルが地下鉄烏丸御池駅の近くにあり、地上に出たことで、地下鉄は京都駅から京都市内の真ん中を真北に走り、北大路駅を越えてから右に曲がっていることを理解した次第です。車で走ることを前提に地図を見続けており、鉄道やバスの路線は一度も考えたことがなかった反省と、これからは地下鉄や鉄道・バスを利用した京都見物もありと実感する一日ともなりました。
 
 車だと走り抜けてしまう京都の町屋を歩きながら、歩けば魅力のあるお店や名所がまだまだ眠っていることも実感です。
 
                                      8月29日の一言

上高地へのペット持ち込みについて

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 本日は津島市役所で例月出納監査があり、午後に帰宅した足で近くのホームセンターにヤマハメイト(80)のバッテリーを買い求めに走り、「FT4B-5」という二輪用バッテリーを買ってきました。かつてのメイトの6ボルトのバッテリーは安価でしたが、これは12ボルトで9280円もしました。
 
 2日前に3年分の自賠責保険を掛けたことで、単車に乗ることが可能となっており、バッテリーがあがったままでも走れるものの、万が一の余裕のため取り替えた次第で、今度は愛用のヘルメットを探すと、カビと汚れで臭いため、タオルを頭にかぶって薄暗くなっていた町内を走り続けました。
 
 さて、今度はスピードを加速するとハンドルがブレ、片手運転では危険なため、タイヤの空気圧不足と思いますが、ギヤの変速も音が大きいことから、週末にオイル交換もしないと快適な走行とはなりません。
 
 学生時代に新聞販売店を起業して、議員になった45才まで乗りなれた単車ですが、最近2年ほどは一度も乗っていないことと、今年還暦を迎えることから随分と運転に違和感を感じ、まもなく戻ってくる自動二輪(400)の運転は議員になってから全く乗っていないため、初心者の気持ちが必要になってくることを実感させられます。
 
 歩く事もなくなっており、秋に約束してある四国遍路も考えると、単車や自転車などから体調を回復させていく必要にも迫られてきました。
 
イメージ 2 右に添付した写真は、東海北陸自動車道の川島パーキングエリアで相棒リマと一緒の写真ですが、上高地へのペットの連れ込みが厳禁との意識が常識となっているものの、実際には犬などペットの持ち込みが法律によって罰せられる違反行為ではないことが知られておりません。
 
 自然公園法施行令が改正され、国立・国定公園特別保護地区内では、原則として全ての動植物の放出が規制されることとなっていますが、これは犬の持ち込みを禁止しているのではなく、リードを首輪から外して自由に放出してはならないのであって、ケージ(犬を入れるオリ)に入れた犬を持ち込んだ場合には法律によって罰せられる禁止行為ではありません。
 
 私の場合には、タクシーでバスターミナルまで乗せていき、ここからはケージに入れており、大便どころか小便もパンツをはかせていますから、ペット持ち込みを禁止する意図には反しておらず、一度も上高地内を散歩もさせていません。
 
イメージ 3 犬を持ち込むのが目的ではなく、家族全員で上高地に行くために考えた苦肉の策であり、犬だけを家に4日間も置いて行けない事から、テントを3個購入して82歳の母親も4才の孫も7人全員がテントで過ごしました。
 
 今回は初日の夜から雨が降り出し、4日間とも雨の上高地であったことから、相棒には辛い思いをさせたと思い、連れて来て欲しくない場所に連れて行くことは犬にとっては良くないのかもしれません。
 
 私の理解としては、国立・国定公園の山岳部などでは、以前より他の公園利用者や野生動物への配慮からペットの持ち込みを禁止しているのであって、犬嫌いの人も含めて、人に迷惑をかけないことと、大小便による自然界や野生動物への悪影響を及ぼさない前提が必要と思います。
 
イメージ 4 あたかも間違った法律を盾にして、ペットの持ち込みを拒否したり、ケージに入れたペットであっても、公共交通機関であるバスやタクシーが乗せないことの方が法律を犯しており、空前のペットブームの中で、新東名高速のサービスエリアにはペットのレストランまで登場している現実から、禁止したい趣旨の理解と、連れていきたい飼い主の相互理解が必要に思います。
 
『ペット連れ旅行』は旅人の恥
 
犬を上高地に連れていった人のブログ 
 
上高地へペット連れで行かれるお客様にお願い          
 
 ペットを連れた旅行は旅人の恥との記事も添付しましたが、私と同じように犬を連れ込んだ人のブログと、環境省の公式サイトね添付したお願いの3種の書き込みを添付しました。 (右上の写真はテント内の相棒と私の足です)
 
 「旅人の恥」とまで言い切る書き込みには異常な違和感を覚えますが、法律で罰せられないことを盾に連れ込み、第三者とのトラブルに巻き込むのも、かんじんのペットが可哀相です。
 今回の上高地行きの中で、現地のタクシー運転手の通報により、駐車場の係員からペットの持ち込みへの注意を受けました。私に直接言ってこられれば、禁止する趣旨と法律について議論するつもりですが、わざわざ旅先でトラブルを起したくはなく、今後はもっとオープンに専門家も交えたペットの持ち込みを議論して欲しいものです。
 
 一方で、過去の一言にも記しましたが、中型犬を高野山奥の院に連れ込み、その犬が石柱(お墓の囲い)に小便をしている現場に遭遇したこともあり、人に迷惑をかける行為や、犬嫌いの人に不快感を与えるようなペットとの行動は厳しく糾弾していく必要性があります。
 我家の周辺の道路についても、人間よりも大きい犬の大便が次々と放置され(道路が犬の便所と化している)ており、犬を連れて散歩にも行けない現実があり、犬を人間と同じ目線で考える(我家の相棒には汚い食を与えていませんから、同じ物を口にしても気になりません)人と、獣の延長上にある飼い主との格差も実感させられます。
 
                                      8月28日の一言

郵便局の窓口で待たされ続けて…

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 本日の夕方に津島郵便局に、留守中に配達されポストに不在票のあった小包を受け取りに訪れると、私の前に並んだ人の小包が見つからず、30分もかかっているとの話で、その前の人も同様に時間がかかっていたとの話を聞くと、自分も待たされているものの、怒りよりも何故そうなったのかが気になりました。
 
 民営化によって、郵便窓口と小包の部門が別組織になっており、終業時間となった窓口に人はいるものの、添付した小包の窓口は1人だけで対応しており、前の人の小包が出てくるまで、私は待つしかありません。
 
 「私は電話で苦情を言ってから取りに来ているのよ」
 「… … …」
 「いったい何所に行っちゃったの?」
 「… … …」
 
 前の人は怒り心頭で、なま物(卵)だから窓口に取りに行くと伝えたのに、自宅に何度も届けに来たらしく、「窓口に取りに行くから、不在票を入れておいて」と伝え、不在票を持って郵便局に来たのに、品物が行方不明で、後ろに並ぶ私に気を使って状況説明を聞くこととなりました。
 
 実は、私も過去に何度も同じような経験がありますが、サービス向上のため夜間も小包を配達している半面で、電話を受ける担当者と、配達する担当者との連携が悪いことから、郵便局になければならない小包が、配達人から郵便局に戻っていなかったものと思います。それにしても、無口で説明もないままに、窓口と小包置き場を慌てることなく行き来する担当者には呆れますが、夏場になま物の卵であり、代金引換の小包ゆえに、届け先の人が受け取らないと送り主は商売になりません。
 
 「この卵は3ヶ月待たないと手に入らないの」
 「へぇー、そんな卵があるんですか?」
 「高知県から送ってもらっているの」
 「えっ、高知県からですか…」
 
 テレビで有名料理人が紹介したらしく、手に入らない卵が高知県からと聞くと、四国病の私には興味深々で、見つかった小包から卵の生産者名と四万十町を見せていただきましたが、私が小包を受け取って郵便局を出ると、車で待っておられご主人からメモをいただきました。
 
 株式会社ぶらうん[直営店] 〒786-0027 高知県高岡郡四万十町東大奈路331-144
               
TEL 0880-22-3488[定休日]水曜日 [営業時間]10:00〜19:00
 
 住所から四国八十八ヶ所第37番岩本寺の近くで、卵だけてなくスイーツも売り物にする専門店のようなので、お遍路の祭には是非とも立ち寄りたいお店となりました。
 
 さて、高知県と言えば「カツオ」が有名ですが、愛知県では「カツオのたたき」を当り前にしている人も多いものの、現地の人からは新鮮なら刺身が一番と言われ、最近ではクール宅急便で当日に届きますから、今回の卵と言い、良い品物を入手するためには距離は関係無いことを実感させられました。
 
 さて、数日前に訪れていた上高地のテント生活では、キーワードは相棒リマ(雄ポメラニアン5才)であり、上高地はペットの持ち込み禁止と言われていますが、厳密には厳禁ではありません。撮りだめた相棒とのショットも掲載していきたいと考えています。
 
上高地へペット連れで行かれるお客様にお願い
  
       環境省の公式ホームページより抜粋
自然公園法施行令が改正され、国立・国定公園特別保護地区内では、原則として全ての動植物の放出が規制されることとなりました

[問3]リードをつけてあれば、ペットの持ち込み(犬連れ登山等)はしても良いのでしょうか。
(答え)□ 罰則の対象にはなりませんが、地域のマナーは尊重してください。
     □ 今回の改正により規制される行為は「動物を放つこと」であり、「持ち込むこと」を罰則つきで禁止するものではありません。
     □ しかし、国立・国定公園の山岳部などでは、以前より他の公園利用者や野生動物への配慮からペットの持ち込みの自粛を要請している地域もあります。今回の改正により、このような取扱いが変わるものではありませんので、以前同様、御理解と御協力を御願いいたします。
 
      □ なお、マナーの問題に留まらず、ペットを連れての公園利用を罰則をもって制限する必要が生じた場合は、自然公園法第15条に基づく利用調整地区の指定等により対応することが考えられます。 
 
 本日は議会運営委員会が開催され、明日も市役所の一日となり、いよいよ夏が終わり、秋に突入して行くことが実感させられる一日となりました。
 
                                    8月27日の一言

テントの掃除から上高地の余韻へ

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 本日は昨日まで使用していたテントを組み立てて、水で洗い乾燥させていると、電話が続きましたが、午後には約束してあった日新火災代理店のUさんの訪問を受け、一年前から保険が切れたままとなっていたヤマハメイト(80)の本日から3年分の保険証明書と、9月に保険が切れる乗用車3台分と、10月に切れるタクシーの継続契約も済ませました。
 
 これでメイトに乗れることから、自由になる時間があれば、市内だけでなく1人でぶらり旅をしたいともくろんでおり、修理を依頼してある自動二輪が戻ってこればと、一人での旅立ちを考えていると、訪れた代理店のUさんがテントを張るキャンプを趣味としている話から盛り上がり、私の買った安物のテント3種をタネにして話が夕方まで続きました。
 
 今回の上高地が初日こそ夜まで雨は降らなかったものの、4日間とも雨と言ってもよい不運な体験から、テントの雨対策を聞くとともに、キャンプの体験を聞き、春と秋が最適なシーズンと聞き、お勧めのキャンプ場についても教えてもらいました。
 
 私にとっては希望する上高地の4日間でしたが、家族にとっては苦痛に付き合わせた感もあるため、秋には環境の良い山と水のある場所か、孫が喜ぶ場所を目的としたキャンプを探してみたいと思います。
 
 さて、昨年までは毎年開催していた上高地の写真展があったことから、何とかシャッターチャンスを探して上高地内を歩きましたが、今年はカメラを持っていたものの、リュックに入れたままで、携帯電話とデジカメしか写しておらないことから、さすがに目的のない上高地は長続きはしないでしょう。
 
 学生時代のように本格的な登山はできないことから、飛騨側からロープウェイを利用して西穂山荘まで登り、稜線から焼岳をまわって上高地に下りるとか、開山式やウエストン祭、穂高神社例大祭(お船祭り)など、目的を持って行く必要がありそうです。
 
槍・穂高へのルート案内 http://www.yarigatake.co.jp/route/route03.html
西穂山荘・登山案内 http://www.nishiho.com/tozan.htm
上高地の散策マップ http://www.kamikochi.or.jp/about/walking-map/
 
 さて、明日は9月議会のための、議会運営委員会が開催され、明後日は例月出納監査、その翌日から2日間は京都への出張が続き、週末を挟んで9月議会の日程が連続しており、こんな話題もしばらくは封印となりそうです。
 
                                      8月26日の一言 

4日間とも雨の上高地でした

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小梨平のカラマツ林 (テントを張っていた場所です)
 
 今回の上高地は22日から本日(25日)までの4日間でしたが、4日間とも晴れ間のない雨の上高地となり、本日も雨の中でのテント撤収となりましたが、快適な気温のため、雨は雨で清んだ空気と木の香りも魅力です。
 
 テントを2つ買い足し、家族7人で三つのテントを張りましたが、2日目の雨によって水たまりの中にテントがある状態で、私以外は小梨平のケビンに移っていきましたが、私にとっては希望だった自分だけの一日となりました。
 
イメージ 2 雨のテントの中で、今度はどうやって来るかを考え、一人でテントを撤収していると、家族全員の食料や食器から寝袋などを持参して行くことを考えると、一人なら左の写真のように、リュック(衣類や食料など)とキャリー(テントや携帯ガスなど)だけで数日間は過ごせそうです。
 
 さて、小梨平には、4月から上高地にテントを張って、油絵を描いている千葉県のホームレス画泊こと渡辺さんが有名人ですが、実は多くの人々が一ヶ月とか半月程度の間隔でテント生活を楽しんでおられます。
 
 今回、渡辺さんの「世界の交差点」のテント脇にテントを張りましたが、その横にテントを張られていたのは、大阪豊中市のHさんで、7月に続いて今月中旬から月末まで上高地へ滞在されていました。
 
 Hさんは食料品などを上高地の郵便局止めで送り、松本経由で上高地入りされていますが、仕事を引退された第二の人生を、悠々自適に生活されており、今年還暦を迎える私にとっては参考になる話でもあり、元気な高齢者でいられることから、私は施設に頼る福祉政策にもヒントになると実感させられました。
 
イメージ 3 7月に訪れた際に、今年は世界文化遺産になった富士山の影響で、上高地に訪れる観光客が減っているとのタクシー運転手の一言を添付しましたが、今年はそれ以上に雨の日が続いたことにより、観光客が減るととともに、半年しか営業できないホテルや売店の売上にも響いているようです。
 
 今回の4日間では、一度も穂高連峰のジャンダルムや焼岳の頂きも見えませんでした(最終日に少し見えました)が、学生時代のように登山はできない事から、今年は紅葉の時期に涸沢(からさわ)か岳沢(だけさわ)に行きたいと考えており、これには家内も興味津々のため、何とか実現したいと考えています。
 
 残念なことは、上高地の名物となっているホームレス画泊が、近所の葬儀によって千葉に帰っておられ、テントやビニールをかぶった画材が雨による土ぼこりをかぶっていたことで、行き過ぎる登山客が心配そうに覗き込んでいました。
 
 住む場所が千葉と愛知では遠く、とても隣人にはなれませんが、上高地では隣人となれるチャンスでしたが、今年は実現しそうもなく、お互いが元気であればチャンスもあろうかと思いながら、主不在のテントを通り過ぎました。
 
                                     8月25日の一言

上高地第三日目

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ケビン・キャンプ場の受付・小梨平
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B型ケビン・1人5千円で泊まれます
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観光客でいっぱいの河童橋
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河童橋
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昨晩から朝にかけて激しい雨に見舞われ、家族は湖の中のようなテント生活に怒り心頭となり、朝食後にケビンへ移って行きました。

天気は悪いものの、土曜日のため観光客は多く、河童橋は人でいっばいです。

本日は午後になってから天気が回復して木の香る清々しい上高地らしい環境になりました。

うるさい家族と離れて、本日は相棒リマとテント生活になります。
やっと私好みの上高地になりました。

上高地第二日目

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アルプス観光・風呂
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梓川と穂高連峰・頂きが見えません
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河童橋
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遠方は渡辺画伯のテント

本日の上高地は、朝から曇り空で太陽の日差しがありません。

家族は明神へ歩きに出向きましたので、相棒とテント生活で、昼は自炊です。

午後からは雨で外出できる環境ではありません。

さて、上高地では毎回のように津島市の知人と出会い、大鹿さんと言われてびっくりの一日にもなりました。

上高地第一日目

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中部縦貫道・安房トンネル(平湯側)
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大正池
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手前から3人用・5人用・2人用のテント
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穂高連峰
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学生のキャンプファイヤー

上高地一日目は、留守となっている渡辺画伯のテントの横に、三っつのテントをを張って家族七人で夜を向かえました。
 
 津島市(8時)…羽島インター…長良川SA…ひるがの高原SA…高山・板蔵ラーメン(午後12時)…安房トンネル…上高地バスターミナル(午後2時)…

四日間の滞在予定です。

明日から上高地へ

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残暑お見舞い申し上げます
 
 ほとんどの方々がお盆休みで長期の休暇を取られたばかりですが、7月から続いていた昨年度の市役所の決算審査が7日で終わったものの、我家にとってはお盆の13日はお坊さんの昼食の宿になっていることと、15日はお寺の「施餓鬼会(おせがき)」があり、お盆は休暇とはなりません。
 
 16日は毎年の行事としている京都の送り火にでかけたものの、18日は会長を務めている母校の同窓会総会があり、翌日は議会日程があったことから、議会の始まる月末の27日の前日までが私の夏休みとなり、明日から日曜日まで家族7人で上高地に出かけます。
 もっとも、我家には(上に)添付した私の相棒がおりますから、上高地のホテルや宿泊施設に泊ることができないため、昨年からはキャンプ用のテントを購入しましたが、今年は更に3人用と2人用のテントを2個購入して、全員がテント生活となるかわりに、宿泊費が要らないため4日間も上高地に滞在できる訳でもあります。
 
 久しぶりに家族揃っての旅行となりますが、家族は歩く気満々で、上高地を歩くだけでなく、焼岳に登ると語っていることや、ランチや食事の会話など、昨日からテントや持参する品々を買いに歩いて足腰の痛い私とはかなりの温度差がありそうです。
 
 できれば4日間は、好きな日本酒を2種持参して、テントで相棒と涼しい無計画な時間を共有したいと思います。荷物が引越しのように増えていますが、誰が運んでいくのでしょうか。
 
 「明日から4日間行くんですが」
 「あっ、そうなの。実は家に戻ってきたんだわ」
 「どうしたんですか?」
 「隣のお葬式があるもんだから…」
 「そうですか、残念ですね」
 「ちょうど良かった。ついでにビール一箱持って行ってよ」
 「いいけど、何所に置いておくの?」
 
 電話の相手は、上高地の小梨平で4月からテント生活を送る千葉県の渡辺画伯で、私が上高地に入る時には生活物資を持ち込む約束がしてあり、留守中のテントにビールを持っていくことにしたものの、上高地の名物となっている画伯が不在とは小梨平も寂しいものがありますね。
 
福島の子どもの甲状腺がん、疑い含め44人に 16人増
 
 福島の原発の影響が疑われる子供たちへの甲状腺がんの記事が報じられていますが、ロシアのチェルノブイリでは4、5年後から甲状腺がんが増えている現実を考える時、福島県の「被曝(ひばく)の影響は考えられない」との発表にも疑念が残ります。
 
 私が毎年楽しみとしている上高地行きですが、福島県では突然の原発事故でふるさとを追われ、行きたい所まで行けない原因をつくったのは津波である前に、東京電力の責任であったことが認識されているとは思えません。
 現在も原発の汚染水が海に流れだしたままとなっており、除染どころか放射性物質を垂れ流す東電の体質には、安部政権との密約があるのかと思えるような傲慢さを感じるようになってきました。
 
福島の酪農家自殺訴訟 東電、争う姿勢「原因は男性に」
 
 「自殺の原因は男性側にあり、賠償責任はない」との東電の説明にも、原発事故によって全財産が無くなった被害者に対する思いやりは考えられず、会見する関係者の本音と家族の心境が知りたいものだ。
 
                                   8月21日の一言

オークションに父親の色紙を発見して

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 昨日の一言に、数日前に発見した父親の色紙を添付したところ、発信後に偶然ヤフーオークションに出されている父親の色紙を発見し、父親の落款の押された猿の絵と、色紙の裏側に押された父親の住所印も添付されていることから、この色紙が二十年以上の歳月をかけて、どのような経路で出展者のもとにあるのか興味は勿論ですが、平成5年に鬼籍に入った父親の身体は存在しないものの、親父の描いた猿の絵が人から人へ伝わって、描かれた我家から静岡県まで伝わっていたことと、不用とされ可燃物のゴミとされていなかったことに感謝の心境でいっぱいになりました。
 
 出展者から、『迫力ある猿の絵です。全体にシミがあります。昔のものです。神経質な方、完璧を求める方、入札お控えください』と、迫力をアピールしていただいたことにも感謝ですが、オークションへ入札したことがないので、帰宅した三男に入札してもらいました。
 
 結果は判りませんが、数年前にも父親が親しくしていた御岳交通の副社長を務められた名鉄の元重役の奥様から、「主人が亡くなったので、お父さんの息子であるあなたに返したい」と、父親が差し上げた色紙が送られてきたことがありました。
 
 「親父の絵がヤフーオークションに出展されていた!!
 「うそー、そんなことがあるの?」
 「本物なのー?」
 
 親父の絵が売られようとしていることにも驚きでしたが、家族もびっくりの展開に、偶然にも昨日添付した父親の色紙が発見された頃、添付した父親の猿を描いた色紙が出展されていた偶然にもびっくりさせられるとともに、一緒に添付された落款と住所印は親父の残した物に間違いなく、迫力は感じないものの、親父が何を思って描いたのか想像すると、20数年の歳月が昨日のように感じられてきます。 
 
父親の日本画の恩師や先輩を懐古して 2012/10/23の一言
                    http://blogs.yahoo.co.jp/s281218/46756223.html
 
 2年前の話となりますが「30年の時を超えて、作陶して差し上げた抹茶茶碗が宅配便で戻ってきました」と、横井庄一さんが作った陶器が里帰りして喜ぶ夫人の様子を下記に添付した一言に記してありました。
 
差し上げた茶碗が数万円で里帰りし… 2011/5/11の一言
               http://blogs.yahoo.co.jp/s281218/45046600.html
 
 東京のテレビ局で縁のあった人に横井さんが無料で差し上げた茶碗である事は判明したものの、相手は50万円で手に入れたと話しており、いくらでも良いから買い取って欲しいとの電話で、「本物かどうかも判らないし、無料で差し上げた物を買えなんて酷い話だ」と私は言いましたが、夫人は「それでも横井の物なら引き取りたい」と話していたと当時記しています。
 
 まさか、横井さんならいざ知らず、私の父親の作品が出展されるとは思ったこともなく、現実に出展された身になってみて、生前は「へたくそ」と作品をけなしていたものの、何とか買い戻したい心境にさせられました。
 
 私の父親が描いた絵や色紙は多く、会社の退職者への送別記念や、部下となった人に多量にばら撒かれており、中には恩師と一緒に出展した作品展で、買取希望のあった大きな作品(誰にも売ってはいませんが)や、私も気に入っていた絵もあることから、こんな里帰りは大歓迎で、父親の残した日本画が世間に存在している現実に気力をもらいました。
 
 本日は愛知県庁に出向く所用があったことから、木曜日に出発する上高地行きに持っていく、新しいテントを探しに娘と孫に同行してもらいましたが、これが大変な買い物となり、行く先々で希望するテントが存在せず、買ったのは相棒のパンツや金魚の備品だけで、帰宅は書道会の始まる間際になっていました。
 
 …名古屋市港区・カインズホーム…県庁・女性会館…中川区・カーマ…蟹江町・ジャンボエンチョウ…稲沢市・ケイヨウディツー…旧平和町・バロー…
 
 大型のテントは所有していることから、3人程度のテントを探したものの、気に入った物がなく、明日に稲沢市と名古屋市港区まで出直すこととなりました。地元の津島市に目的とするショッピングセンターが欲しいものです。
 
                                     8月20日の一言

蟹…大鹿時義作 父親の遺筆

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私の父親の書いた色紙です
 
 掃除をすると物が移動するため探すのが大変なことから、基本的に事務所は積んだままの状態となっており、久しぶりに物を探すため掃除をすると、忘れていた旧い品々が発見され、最近では30年ぶりに出てきた娘の本が孫のお気に入りになってきました。
 
 添付した色紙は、平成5年に亡くなった私の父親が蟹を描いた色紙で、数日前に偶然発見したので添付しましたが、父親は若い頃から日本画家の浅見香城先生に師事しており、多くの色紙や絵画が遺品として残されています。
 
 もっとも、名鉄に勤務していた父親は、自分の描いた絵画や色紙の出来の良い作品は、会社の先輩方の定年退職や、病気見舞いなどに持っていくため、我家に残された父親の絵画は出来の悪いものが多いものの、人に差し上げるために残された色紙はそのまま残されています。
 
 一方で、戦前の帝展(帝国美術院展覧会・現在の日展のような存在)画家であった浅見先生が父親に手本として書き記した画帳や、父親が日本画で交流のあった著名人の色紙や絵画が事務所の2階に山積みされています。
 
 テレビの鑑定団に出したいような品々ですが、残念なことはほとんどが表装されておらず、大正から昭和初期の書物や、横井庄一さんの遺品となる茶碗や花瓶まで含めると我家の2階は宝の山かもしれません。
 
 しばらくは我家に保存された書や絵画などの品々を紹介し、我家のささやかな珍品として記録していきたいと思っています。
 
                                     8月19日の一言
追伸
この記事を書き込んだ後で、ヤフーオークションに私の父親の書いた色紙が出展されていることが判明しました。
私の父親の絵は趣味で、色紙を売ったことはありませんが、どんな経路で出展者のもとにあるのか興味は尽きません。 
確実に父親の書いた色紙(下の絵)なので、買い戻したい心境もありますが…
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母校の同窓会総会と物故者法要が済んで

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 本日は私の母校である神守中学校同窓会の総会が開催されました。午前10時より校長室で総会が始まり、11時に同窓会碑の前で記念撮影後に、近くのお寺(百島町・徳應寺)に移動して物故者の法要(添付した写真)を行いました。
 
 総会は毎年お盆過ぎの日曜日に開催される慣例となっており、毎年この時期が迫ると最低限の出席者確保のためにストレスをため、時には病気になって「出席できません」と言えたら良いなという気持ちを繰り返しきました。
 
 今回は恩師4名と少なく、卒業生も少なかったものの、過去の総会とは違う清々しさがありました。
 
 数年前の総会時に、「そろそろ、引退を考えています」と、会長を辞める話をしたところ、「後任を見つけて、更に盛大になる同窓会になる道筋をつけるまでに辞めるのは無責任だ」と恩師にいさめられたことがありました。
 
 本日の会長挨拶の中で、私が抜き打ちのように会長に推挙された平成9年の話をして、本日も会長の後任を託す腹づもりの後輩に、私の会長就任時の話の後で、バトンタッチすることを公言し、恩師や参加者の合意も得られることができました。
 
 私は平成5年に母校のPTA会長と、津島市のPTA連合会長も引退しましたが、私の完全引退を見届けて、当時の同窓会長から活動を手助けして欲しいと言われ、同窓会役員になりました。
 
 実際には、2年後に突然会長の話が前任会長より出されてびっくりしていると、私が過去に小学校の同窓会を立て直したことから、私がPTA役員をしている時に、前任会長が会長を引き受ける条件として、さらにその前任となる会長が私を後任にさせると約束していたことが判りました。
 
 そこまで考えないと後任探しは難航し、「やりたい人」は複数考えられたものの、本当にやって欲しい人には恵まれず、17年も会長を続けてきたわけで、突然の指名にびっくりとさせたものの、私より18才も若い後継者に引き継ぐことができました。
 
 「お節介かもしれないが、交代は水泳のタッチ式ではなく、陸上式のリレーゾーンをもってやった方が良い」と恩師のアドバイスもありましたが、交代して後は終わりにしてはならないとの苦言で、新しい同窓会を展開する中で、当分は裏方として支えていきたいと思います。
  
マイクロバスが崖下に転落、1人死亡10人けが 長野
 
 さて、本日の報道では、長野県でマイクロバスが18メートル下の崖下に転落し、死亡者もでているとの記事があり、私自身も人を乗せて走る事と、今年は久しぶりにマイクロバスを利用した行程を考えていただけに気になるとともに、今年には60歳の還暦を迎えることも心配の種となりました。
 
                                      8月18日の一言 

京都送り火の車中鑑賞の極意を

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昨日の東山大文字です 
 
 昨日16日の京都送り火です。京都五山送り火については、添付した東山如意ガ岳の大文字が有名ですが、実際には宝ヶ池の「法」と「妙」、西賀茂の「船形」、金閣寺の近くに「左大文字」、嵯峨野の「鳥居形」の送り火が展開されています。
 
 私が一番好きな鑑賞場所は船岡山で、ここでは嵯峨野の鳥居形以外は全部見えるだけでなく、左大文字が間近に見えます。
 
 昨日は、家を午前11時半に出発し、弥富インターから東名阪道へ入り、第二名神から名神高速大津インターまで走り、ここからは琵琶湖の西岸を走る湖西道路を北上して、レインポーロードで北部から大原に到着しました。
 
 
 さて、大文字の鑑賞には色々な観賞場所がありますが、今年は4才の孫と82歳の母親だけではなく、相棒リマ(雄ポメラニアン・5才)も一緒のため、車によるエアコンで涼しい車中から鑑賞としました。
 
 車中からの鑑賞も、私の車が車高の高いキャラバンのため、隣の車と併走しても見えますが、普通の乗用車の場合は隣の車の陰になって見えないこともあるので、参考にされる場合は注意が必要です。
 また、走る時間を綿密に計算(予測)しても、渋滞に巻き込まれると何も見えない可能性もあり、速すぎても駐車や停車もできません(警察官がいます)から、最初の東山の大文字の点火(午後8時)直後に鴨川を渡ることが重要です。
 
イメージ 2 午後8時に京都御所の北側にある同志社大学今出川キャンパス前を出発し、今出川通りを東に向いて走ると、大文字が点火された直後の賀茂大橋に到着します。渋滞を心配して早く出発すると、点火前に橋を通り過ぎてしまい、遅すぎると大文字しか見えません。
 
 できるだけ走行車線を走っていると、人が車道にはみ出すため、警察官が車を止めてくれることで、一番の観賞場所となっている賀茂大橋で、歩いて鑑賞している人よりもゆっくりと鑑賞(上の写真)が可能となります。
 
 賀茂大橋を過ぎてからそのまま走り、百万遍の交差点で左折します。大文字をもっと見たい場合はそのまま東進し白川通りまで行きますが、妙法や船形を見るためには、未練を断ち切って左折北上し、高野交差点を左折します。
 
 交差点からすぐに高野川にかかる高野橋に到着し、ここでは法の送り火が右側に見えます。ここから北大路を西に向いて走ると鴨川の北大路橋を渡りますが、これまでに注意深く右側を見ていると妙と船形が鑑賞できます。(今回は妙を見損ないました。確実に妙と船形を見るためには、高野橋を越えてから下鴨本通を右折し、北山通りを左折して西に進むと綺麗に見えます。ちなみに、運転しながら右側に見える法や船形の写真は撮れませんでした)
 
イメージ 3 さて、北大路橋を越えてから北大路をそのまま西に車を走らせると、正面に左大文字(左の写真)が見え出し、大徳寺周辺で車を停めても鑑賞できますが、私のお薦めはそのまま西に走り、道が左に曲がったあたりが金閣寺前となり、ここを越えると車線に余裕ができて、駐車スペースが確保できることから、車を停めて歩道で鑑賞します。
 
 車での鑑賞は、真夏に涼しく鑑賞できることから、日帰りの家族連れにはお薦めですが、大渋滞の中を運転するリスクと、渋滞時に迂回する京都の地理を熟知している必要があります。
 
イメージ 4 一方で、一ヶ所で落ち着いて鑑賞することも魅力があり、今回は見えなかった嵯峨野の鳥居形についても、真正面で鑑賞できる格安のホテルも存在し、渡月橋の近くや桂川の川原で日本酒の嗜みながらの送り火も最高です。
 
 過去には、西陣織会館の屋上から五山全部を鑑賞したことや、ホテルで夕食後に大文字を見たこともありますが、私が初めて訪れた平成3年以降で、激しい雷雨に見舞われたことがあっても、一度も送り火が中止されたことがない事から、関係者の意気込みがうかがわれます。
 
 右上の写真は左大文字が終わった衣笠大北山から、送り火の関係者が下りてくる灯りで、終わったあとの関係者の動きまで見えます。今年は天候が安定していたことから、私のような車中鑑賞に訪れた他県ナンバーの車も多く見られました。
 
                                    8月17日の一言

京都送り火へ

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本日は京都五山送り火の鑑賞に来ました。

大原の宝泉院、大徳寺前の山国屋細見酒店に立ち寄りました。

送り火については、明日の一言に添付いたします。
 
上から1枚目 大原・宝泉院 
     2枚目 大原・勝林院
         3枚目 大原・芹生茶屋
     4枚目 大徳寺前・細見酒店
     5枚目 送り火が終わり・金閣寺の近くで

敗戦から68年が経過して

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本日の長福寺(浄土宗) 津島市葉苅町
 
 本日は先祖の施餓鬼供養のため我家が檀家となっている浄土宗長福寺を訪れました。訪れたと言っても、イスに座って住職を中心とした7人の僧侶の読経が済むのを待ち、我家の塔婆を墓の前に立ててくるだけで、親不孝の私にはお盆でも仏壇やお墓から何の啓示も感じられません。
 
 日常を楽しみ吉。名所旧跡や宗教的御祈祷で啓示を受けるとの雑誌の占いを数日前に添付しましたが、お寺と縁のあるお盆でも、我家の宗派が浄土宗であるため、非日常とか啓示とは無縁と思われ、明日の京都送り火に期待したいと思います。
 
 京都の五山送り火については、都合で行けなかった平成21年を除いて平成3年から毎年鑑賞に訪れており、平成15年までは観光バスで訪れ、2年間はマイクロバスで訪れたものの、その後は個人か家族単位で訪れるようになりました。
 
 観光バスはどうしても観光になりがちで、多くの参加者の希望に添うため名所や旧跡を訪ねるとともに、夕食場所も確保する必要がありましたが、個人や限られた人々との鑑賞は、嵯峨野渡月橋の近くで日本酒を飲みながら鑑賞したり、京都の知人のビルの屋上から鑑賞するなど、楽しみのバリエーションが増えました。
 
 今年の送り火は、11月に京都でピアノリサイタルを開催するピアニストの佐藤さんの父親と、リサイタルの宣伝をすることも日中の予定に入れていることから、一汗かいた後に涼しく鑑賞したいと思っています。
 涼しく鑑賞する顛末は明日以降の一言に…
 
新藤総務相・古屋拉致問題相、靖国神社を参拝 
 
悼み誓う68年、終戦の日 首相式辞、アジアには触れず
 
戦後68年、遠のく記憶 靖国・千鳥ケ淵の8・15
 
 終戦と言うよりも、敗戦から68年が経過し、本日は各地で追悼式が行なわれましたが、 政府主催の全国戦没者追悼式は東京都千代田区の日本武道館で開かれ、安倍首相をはじめ天皇、皇后両陛下も列席されました。
 
 一方で、安倍首相や主要大臣の参拝はなかったものの、一部閣僚の参拝が中国や韓国の批判も浴びている靖国神社へも、全国から多くの参拝者が訪れており、政治家の多くが戦争とは無縁の年齢層になっていることから、日本軍の犯した戦争の反省が忘れられてはならないと思います。
 
 国のためと信じて戦い、遺骨さえ戦地の土となっている旧日本兵を英霊として慰霊することは重要と思いますが、「1億総玉砕」と提唱し、戦争を長引かせたり、敗戦を予測できる立場にありながら、兵士を出撃させた軍幹部の責任は免れません。
 
 中国や韓国の靖国参拝への反発についても、戦争犯罪人となるA級戦犯が合祀されていることが大きく、私の伯父は2ヶ月早く戦争が終わっておれば死ぬこともなく、戦死した場所も特定できず遺骨もない現状から、国民の最後の一人まで徹底的に戦うと主張していたA級戦犯と一緒に合祀されていることを喜ぶとは思えません。
 
 一度奉られたA級戦犯を分けて奉ることはできないと言う靖国神社については、戦死したことになっていた横井庄一さんについて、戦後から昭和47年まで生きている人間を奉っていたわけですから、ここに神が存在するのかも怪しくなります。
 
 戦争の悲惨さは誰もが十分に判っており、だれもが自分自身や家族を戦争で死なせたいとは思っていないことから、戦争があることも想定する必要はあるものの、戦争を回避することを目標にして、過去の過ちを繰り返さぬ努力と継承が重要と思われます。
 
                                   8月15日の一言

歩き遍路…小牧桃花台で役員会に

 本日は9月に総会の開催が決まっている「歩き遍路友の会東海」の役員会が、小牧市桃花台にあるコメダ桃花台店で開かれ、今年度の総会の打ち合わせだけでなく、今後の友の会運営について議論していると時間は3時間を大幅に廻っていました。
 
 友の会は、歩き遍路で四国を結願した愛知県や東海地区を中心とした人々や、将来歩いて四国を廻りたいと思っている人々によって平成15年に結成され、私も車遍路の経験しか無かったものの、当時の事務局長さんに誘われ平成20年に入会しました。
 
 私が入会した当時、会員数は50人を超えていたものの、友の会発足当時から運営の中心となっておられた会長さんが引退されたことから、年々会員数が減少し、昨年の総会時には会員数が32人となり、現会長さんが健康上の心配から辞意を漏らされるなど会存続のピンチが続き、昨年から新参者の私が副会長になっている現状です。
 
 本日は現会長さんが我家まで迎えに来られ、顧問を務めてもらっている結成時からのH会長さんと、毎年の総会の段取りをされているW顧問の4人による役員会です。
 
 「その前に、この会はこれからも必要なのかな」
 「そりゃー、必要ですよ」
 「そんなら良いけどネ」
 
 友の会を結成して会を引っ張ってこられた顧問の一言から始まり、最近の会員が減少している現実と、会費納入どころか、連絡しても全く返信のない会員も存在することから、総会開催時にいつも問題となる会運営の心配が話題となりました。
 
 現実には今でも歩き遍路の現役会員も存在し、私のような車遍路の会員も存在するものの、過去に体験した遍路を回顧されるだけの高齢会員さんも存在し、総会の体験談でも過去の古い体験談の自慢としか思えない報告もあります。
 
 現会長の体調不安もありますが、私自身も次期会長を引き受ける余裕は無いことから、現体制でいかに会の魅力を発信できるかを中心に打ち合わせ、今年4月に開設した友の会ブログを公開し、会員全員が自由に書き込みできる環境と、会員情報を共有して幅広く発信できることを決めました。
 
歩き遍路友の会東海 http://blogs.yahoo.co.jp/s281218_0417
 
 「誰も見ていないものなぁ」
 「今は、会員にも存在を公表していないから…」
 「もっと、見たい内容にしないとなぁ」
 「私一人で書き込むと私のブログになっちゃうので…」 
 
 その上で、11月に友の会主催で、1泊程度の歩き遍路を企画し、四国と東海地区をつなぐ発信を、今後の展開として話すだけでなく、実際に実行していくことで、多くの人々にも注目されるブログと会にしていく事で役員会はまとまりました。
 
 一周千四百キロと言われる四国4県の遍路道を歩いて結願した人たちの体験談は財産でもあり、昨年の総会時にも、「私の健康方法」とか、「遍路日数と体重変化」など複数の会員から体験報告があり、四国に限らず歩くことによる健康法は参考になります。
 
 私自身も、平成9年から地元中学校の同窓会会長を務めていますが、総会を開催しても継続した参加者は見込めず、会報発行の広告確保に苦労しており、ボランティアの延長で発足したNPO法人についても、裏方から雑用までこなしても資金不足や、後継者が見込めない現実は、現会長の心配は他人事ではなく、しばらく頑張る約束で散会しました。
 
                                   8月14日の一言

猛暑のお盆が始まりました

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我家のお寺にある檀信徒なら誰でも入れるお墓
 
 本日は盆の先祖供養が行なわれ、早朝に隣のお寺(浄土宗・尼寺)のご住職が仏壇に参られ、昼前には旦那寺(浄土宗)のご住職が、僧侶である私の叔父とともに2人で仏壇に読経を続けられました。
 
 本日は檀家の家々をすべて廻られますが、2人が若い戦後間もない頃には、自転車で手分けして広範な檀家を廻り、お寺に戻らず我家で落ち合い、昼食後に休憩してから檀家廻りに出ていた習慣が今も続けられています。
 
 今でこそ、車で檀家廻りが行なわれていますが、戦中戦後の舗装もされていない道路を、真夏の8月に自転車で廻るのは大変なことで、現代社会のようにエアコンや扇風機もない時代だけに、盆参りはお寺の一大行事だったのかもしれません。
 
 添付したお墓は、お寺に建つ檀信徒用のお墓で、娘2人が嫁いだため後継者のいない叔父が、自分達も入るためにお寺に寄進したもので、これからは後継者のいない人や、お墓のない人にためにも必要と建てられました。
 建立直後には、自分達が入るのは先のことと思っていたものの、早々と叔母が入ったことで、叔父は心身とも大きなショックを受けておりましたが、苦しいながらも独り暮らしにも慣れ、本日の足取りも昨年より軽くなっていました。
  
四万十市、4日連続で40度台 今夏の病院搬送3割増
 
猛暑日に関する記事一覧 http://www.asahi.com/topics/word/猛暑日.html
 
 さて、全国各地より不安定な気象状況も報道されてきますが、最近は全国的に雨のない猛暑が連続しており、40度を超える気温が当り前に発信されるようになっていますが、高知県の四万十市では4日連続で40度超えを記録して話題になっています。
 
 地球規模の温暖化が常識として語られていますが、自然を無視した人類の行いが影響している面も否めず、コンクリートとアスファルトで地表が固められた環境と、雨や高気圧などの組合せが常識外れの気温を生み出しているようです。
 
 今月は22日から家族で上高地へ出かける予定を立てていますが、上高地は我家より9度は気温が低いことから、しばらくはエアコンを全開にして暑さをしのごうと考えているものの、明日からは外出する日程が続くのも皮肉のようです。
 
                                    8月13日の一言

明日からお盆の行事が続き

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 帰宅してから、横に座ってツーショットにすれば良かったと思ったのが、ミスタードーナッツに置いてあるマツコデラックスさんの看板で、本日のお盆のお参りに来られるお寺のご住職に持って帰ってもらうお菓子を、稲沢市のアピタまで購入に行きました。
 
 稲沢市にはアピタやユニーの本社があり、津島市のショッピングセンターとは規模の違う買物客と車の量に、駐車場に入ったものの、通路の高さが2メートル10センチしかなく、入れるスペースもなく前進も後退も出来ず、帰りも交差点まで気が遠くなる渋滞に見舞われました。
 
 こんなことを記すと、地元のショッピングセンターでも良いではないかと言われそうですが、限られた選択肢しかできない津島と、選択に困る稲沢との違いは歴然で、私自身は混み合う場所が嫌いなものの、家内に連れられての買い物です。
 
イメージ 2 「みたらし団子でも食べる?」
 「いらない」
 「カキ氷は?」
 「うーん、いらない」
 「ここは?」
 「やめとこう」
 
 家内には内緒ですが、私は夕方に行きつけの喫茶店に出向くことに決めてあり、この喫茶店ではサービスにシュークリームが付くため、家内と珈琲タイムにすると珈琲のハシゴとなることから躊躇していると、ミスタードーナッツに入られ、ドーナツを見てしまうと、節制という言葉は私とは無縁になりました。
 
「踊る阿呆」が9万人、徳島・阿波踊り開幕 15日まで
 
 週刊漫画の巻末に占いコーナーがあり、私の射手座の今週金曜日までの占いは、「日常を楽しみ吉。名所旧跡や宗教的御祈祷で啓示を受ける」とあります。
 
 明日はお盆のため、昼はご住職と我家で昼食を囲むことになっており、15日にはお寺のお施餓鬼がありますが、明日の夜には高野山でロウソク祭りが開催され、14日は歩き遍路友の会総会の打ち合わせがあり、16日は毎年鑑賞している大文字送り火のため京都に出かけます。
 
 非日常を楽しむとなると、白衣に菅笠姿で外出することが可能と思い、宗教的行為は連日続きますが、御祈祷は思い当たらないため、啓示を受けるとなると機会を考える必要がありそうです。
 
 上に添付しましたが、徳島の阿波踊りも本日開幕し、15日までの4日間で、県内外から延べ約900連が参加し、同約9万人が「踊る阿呆(あほう)」になるとの報道に、真夏に着物姿の阿波踊りも非日常の典型となります。
 まだ先と思っていたお盆になり、予想していたことですが、このままあっという間に9月と秋がやってきてしまいそうですね。
 
                                     8月12日の一言

ピアノリサイタルに花を咲かせて

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 今年3月と4月に、名古屋と東京でピアノリサイタルを開催した愛知県一宮市のピアニスト佐藤由美さんが、本年11月19日に名古屋電気文化会館と、11月26日は京都の府立府民ホールでピアノリサイタルを開催することになりました。
 
♪♪♪佐藤 由美ピアノリサイタル♪♪♪

☆プログラム☆

ドビュッシー:映像 第1集
モーツァルト:ピアノソナタ イ短調 KV310
クライスラー/ラフマニノフ編曲:愛の喜び
ショパン:4つのバラード

☆公演情報☆

<名古屋> 名古屋市民芸術祭2013参加
日時:2013年11月19日(火)18:30開場 / 19:00開演
場所:電気文化会館ザ・コンサートホール
(名古屋市中区栄2-2-5)

<京都>
日時:2013年11月26日(火)18:30開場 / 19:00開演
場所:京都府立府民ホール アルティ
(京都市上京区烏丸通一条下ル龍前町590-1)


☆チケット情報☆

全席自由 / 前売り¥3,500・当日¥4,000
(詳細については調整中)

イメージ 2 今年3月26日に名古屋で開催されたピアノリサイタルについては、東京の視察から帰路途中に会場を訪れ、その日の夜11時に坂東巡礼に出発する慌ただしい鑑賞となり、4月25日に東京葛飾区で開かれたリサイタルは、津島市から一緒に坂東三十三観音を巡礼中だった5人(右の写真・左から3人目が佐藤由美さん)と一緒に鑑賞することとなり、遍路姿では不自然なことから、巣鴨の商店街で上着を購入する会場入りとなりました。
 
 11月のリサイタルについても、是非とも京都会場で鑑賞したいと考えていましたが、この日が12月議会の開会日となることから、名古屋会場だけの鑑賞となります。
 
 本日は津島市まで父親とともに訪れていただき、近況報告とともに、今後の演奏活動について知人も交えて夕方まで花を咲かせました。
 ちなみに、私はピアノどころか、音楽については全くの無知で、歌についても音痴に類していますが、佐藤さんが昨年まで10年間に渡ってコンサートを開いた津島市の茜屋のマスターに紹介したことから、判らないもののピアノ談義に加わっています。
 昨晩の話では、本日の夕方に田んぼの草刈りに出かけることとなっていましたが、佐藤さんの訪問で救われたものの、この作業がいつになるのか気になります。
 
 私は今週の16日に京都で開催される「五山送り火」の鑑賞のため京都に出かけますが、この送り火に佐藤さんの父親も同行して、11月のリサイタルの宣伝活動にもあたることとなりました。
 
                                     8月11日の一言

お遍路のご利益にロトセブンを託して

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 添付した写真は本日購入したロト7ですが、宝くじの高額当選経験者が語った「夕陽が当たる明るい売場」に向かったものの、自転車で家を出たため暑さから断念し、「夕陽を浴びながら」近くの売場に走りました。
 
 私がロト7を購入したのは今年6月が初めてで、5月に四国観音寺市の宝くじ売場で8億円が2本当選した報道に触発されてあやかりましたが、以後3回購入したものの、残念の「ざ」にもなっておらず、ひらめくものもありませんが…
 
 購入は1枚だけで、四国八十八ヶ所霊場の75番善通寺と、73番の一ノ宮寺の御影の間に入れ、お遍路で頂いた先輩先達の錦の納め札で囲んで、お遍路仲間に作ってもらった納め札入れに入れて来週金曜日の抽選日を待ちます。
 
 8億円の当りクジ2本が出た観音寺市には、第68番神恵寺と第69番観音寺がありますから、観光名所の銭形が夕陽に輝く日に、当りクジが出た売り場で購入して、神恵寺と観音寺の2枚の御影で包んで、錦の納め札2枚を重ねると当選するように思いますが…
 
国重文の一遍上人像焼失か 松山・道後の宝厳寺全焼
 
 愛媛県松山市の宝厳寺本堂付近から出火し、木造平屋建ての本堂約150平方メートルと「庫裏(くり)」約120平方メートルが全焼したと報じられていますが、宝厳寺は時宗を開いた一遍上人の生誕の地とされ、本堂に安置してあった「木造一遍上人立像」が見つかっていないとの事から消失したものと思われます。
 
 四国八十八ヶ所のお寺より歴史は浅いものの、一遍上人の生れた土地に建つ本堂と、上人立像が火災によって失われたことは残念で、宝厳寺も訪れたいと思っていたお寺だったことから残念でたまりません。
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 本日の帰り道のお寺で、盆踊りの提灯が張られた会場を見つけ、立ち寄って眺めたい心境を封印して帰宅しましたが、途中の畑には水不足で葉が枯れて放置された大きなスイカが残されており、今年の環境の厳しさを実感させられました。
 
 我家でも秩父から持ち帰って庭に植えた「ユキノシタ」が水不足で瀕死の状態になっており、慌てて植木鉢に植え替えて、日陰に移しましたが、植木蜂に植えた山椒の木やハーブが悲鳴をあげています。 
 
 明日は三男が自転車のロード大会に走り、私はもしかすると田んぼの草刈りに行かされそうですが、来週にはお盆が迫り、翌週には母校の同窓会総会が開催されることから、できれば心の静養にあてたいと望んではいますが…
 
                                    8月10日の一言

愛知県議が政務調査費不正受給と報じられ

 名古屋市の河村市長が代表を務める減税日本の錦見輔(たすく)愛知県議(32才・名古屋市天白区選出)が、うその報告をして政務調査費を実際の支出よりも多く受け取っていた疑いがあることが明らかになり、辞職して責任をとるとも報じられている。
 
減税日本の愛知県議、政務調査費を過大受給
 
 2年前の統一地方選挙で大躍進を果たした減税日本も、当選直後から名古屋市議の不祥事が繰り返され、今回もあまりにもズサンで市民の税金を着服した詐欺事件となることから、減税により市民の負担軽減を実現しようとする河村市長にとっては大きな痛手となりそうです。
 
 今回の事件は、昨年5月から今年2月まで自分の秘書の給与として毎月20万円前後を支払ったと愛知県に約167万の支出を報告しているものの、実際には月に6万円程度の支給で約41万円しか支払われいないと報道されていることから、不適切な使途ではなく、完全に政務調査費を着服する詐欺事件と思われます。
 
 愛知県議への政務調査費は月額50万円が支給されており、報酬の二重取りとの批判も多く、かつては領収書も必要とされていなかったことと、海外視察への批判など度々新聞にも報道されてきました。
 
 下記に津島市の政務調査費について添付しましたが、津島市の政務調査費は年額15万円で、月額にすると1万2500円しかなく、愛知県議や名古屋市議の月額50万円とは桁が違うものの、金額の多少よりも政務調査費が市民の税金であることから、悪用や不正は許されません。
 
津島市の政務活動(調査)
◎政務活動費とは
 政務活動費は、議員の調査研究その他の活動に資するため必要な経費の一部として、議会における会派に対し交付するものです。
◎交付額
 1人につき年額150,000円(月額12,500円)

項 目
内 容
         主な例
       調査研究費
 
会派が行う市の事務、地方行財政等に関する調査研究及び調査委託に関する経費資料印刷費、調査委託費、文書通信費、交通費、宿泊費等
研修費
会派が研修会を開催するために必要な経費、団体等が開催する研修会の参加に要する経費
講師謝金、会場費、交通費、宿泊費、文書通信費、参加費等
公聴費
会派が行う住民からの市政及び会派の活動に対する要望、意見の聴取、住民相談等の活動に要する経費
資料印刷費、会場費、茶菓子代、文書通信費、交通費等
会議費
会派が行う各種会議、団体等が開催する意見交換会等各種会議への会派としての参加に要する経費
会場費、資料印刷費、交通費、宿泊費、文書通信費、参加費等
資料作成費
会派が行う活動に必要な資料の作成に要する経費
印刷製本代、翻訳料、事務機器購入、リース代等
資料購入費
会派が行う活動に必要な図書、資料等の購入に要する経費
書籍購入費、新聞雑誌購読料、有料データベース利用料等
事務所費
会派の行う活動に必要な事務所の設置、管理に要する経費
事務所の賃貸料、維持管理費、備品、文書通信費、事務機器購入、リース代等

 
 こんな事件が起こると、すべての議員が同じように見られ、津島市でも同じように支給されていると思われますが、「津島市の政務調査費は年額15万円ですよ」と説明しても、最初からは信じてもらえないことが何度かありました。
 
 名古屋市の河村市長が自身の報酬を800万円とし、市議会議員の報酬も800万円あれば十分と全国に発信していたことから、我々津島市議も高額の報酬を受け取っていると思われる市民も存在しますが、我々の議員報酬はその金額を下回っており、私は議員になった時に、前年度の三分の一の収入に激減しました。
 
 もっとも、これも金額の大小よりも、市民の税金を受け取る公人として、税金に見合った働きをしているかとうかが重要で、今回のような不祥事が起こると、所属する減税日本や河村市長だけの責任ではなく、全国の議員に及ぼす影響も大きいことから、我々も生活環境から見直してみたいと思います。
 
                                    8月9日の一言

新聞に、お遍路の募集広告が連続して

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本日収穫した我家のブルーベリーです
 
 2日前の新聞に、四国八十八ヶ所お遍路の旅と題する日帰りで名古屋から2千980円の広告が掲載されてきました。
 創業65年記念総額6500万円還元キャンペーンと記されていますが、昼食と夕食が付いたうえに、納め札やロウソク線香など5点セットのサービスも付く、格安というよりも赤字とも思われる募集に、四国で定期的にお遍路を企画するバス会社や、タクシー会社には脅威の企画と思われます。
 
 もっとも、一回目こそ2千980円ですが、ネット検索すると二回目は7千980円となり、高野山の御礼参りまで全12回に及ぶ総額は33万4160円から45万7960円もかかり、お寺ごとに300円の朱印代がそれぞれ必要となりますから、思いつきの参加では最後まで続きません。
 
 昨日の新聞にも、28年間の経験と実績をうたい、秋から始めるお参りの旅と題する大きな四国遍路の広告が掲載されていますが、こちらもネット検索すると、初回こそ4千980円となっているものの、全9回の行程で総額28万3380円から33万380円の費用がかかってきます。
 
 四国八十八ヶ所の先達教典のなかに、先達に必要な条件として自由になる時間とお金が記され、その上で健康な身体がないと人々を四国に導けないと記されていますが、先達になる以前の問題として四国にはお金と時間がかかります。
 
 旅行会社にとっては、初回に赤字を出しても、初回の参拝で白衣や金剛杖とともに、八十八ヶ所分の納経帳も購入させてしまえば、参加者は最後まで続けて参加する可能性が高いことから、初回の格安料金で参加を増やしたい商魂は見え見えです。
 
 さて、四国霊場会から補任されている公認先達は1万人を超えていますが、70代から80代の先達が半数を占めているため、先達自体が案内するよりも自分自身が四国に行けない現実問題が横たわっています。
 
 一方で、お寺の募集によって四国遍路や高野山へ参拝する団体募集も参加者が激減し、募集すら取りやめている講も多く、講のメンバーの減少と高齢化によって、これまでの遍路が続けられなくなっています。
 
 紹介した旅行社の遍路ツアーは、ほとんどが初めて参加者を対象としており、料金の高さにも驚かされますが、結願を果たすのに1年間もの時間を要するため、何度も遍路に出ている人々にとっては現実的ではありません。
 
 数人の遍路仲間が存在すれば、乗用車の乗り合いで割安のお遍路が実現できますが、それぞれの都合もあり、同じメンバーだけでは難しく、何度も巡拝した人であればあるだけこだわりも多く、行く手段に困っている現実から、旅行社の工夫にも期待したいものです。
 
 以前の話となりますが、一緒に同行する仲間を誘った知人に、「バスで行くから」と我々の会費が高いように思われた人が存在しましたが、現実にはツアーバスで行く費用よりタクシーの方が格安で利用できることもあまり知られていません。
 
 来年は四国遍路が開創されて1200年が経過する記念の年となり、再来年は高野山が開創されて1200年を迎えることから、今まで一緒に巡拝した人々に呼びかけるとともに、弘法大師が修業された聖地へも同行したいと思うこの頃です。
 
 こんなことを記しておりますが、今年は坂東や秩父の巡礼に廻っていたことから、昨年12月以来四国に渡っておらず、四国は11月までお預けとなるものの、9月の歩き遍路友の会東海の総会と、10月の知多八十八ヶ所巡礼(私は知多は廻らないので、案内だけです)など、お遍路との縁は切れてはいないんですが…
 
                                     8月8日の一言
追伸
昨日の一言に記したものの、転送の不具合で消えた一言の再掲となりました。

ブログを記す気力が殺がれました

 本日は7月5日から1日おきに開催されていた平成24年度決算審査の最終日となり、今月は毎月末に開催される例月出納検査まで、暫し市役所の会議室から開放されることになりました。
 明日からも予定は入っているものの、日程の変更可能な予定が多いことから、5月の臨時議会から6月定例議会、7月からの決算審査が終わったことにより、議員になって14年目にして初めて夏休みを迎えられるような心境となりました。
 
 さて、昨日の一言に、隣のあま市で起こった生活保護費の不正受給事件について記しましたが、このことで津島市の生活保護を担当する職員と課長さんが待っておられ、私の記載が津島市でも同様な事案が存在すると誤解を与えるとの指摘がありました。
 
 この中に、『津島市でも「酒を飲んでパチンコ屋ばかり行っている」と(私に)通報のあった受給者も存在することから』の記載があり、これは事実であり書き直す気持はありませんが、この当事者について津島市は対応済みであり、あま市の事件と一緒に思われる可能性があり心外との担当者の一言に、それでも現実には不正を考える市民が存在する中で、津島市はそれを許さないとした職員の指摘に頼もしさを感じ、本日も記した次第です。
 
 ただし、職員の意気込みに関係なく、何とか生活保護費を受給しようと不正を考える住民も存在し、私の周りにも津島市で受給要件が満たされず受給できないことから、市外に転出して生活保護費を受給した住民も存在し、今後は自治体間で連携した検証も重要と私は思います。
 
 さて、さて、ここからが本日の本題です…
 
 と、記して、「書き込み中」にして、ここからかなりのスペースに記した一言が、ネットの接続の不具合で転送されていないばかりか、記事そのものが行方不明となり、これから書き直す気力が湧いてきません。
 
 記載内容は、格安で四国遍路に誘う旅行社の新聞広告に対する内容で、昨日に旅行社の遍路プランを収集したアドレスも添付し、遍路の現実問題も記してありましたが、とても書き直す気力はないため、明日(本日)に改めて記したいと思います。
 
お遍路―各旅行社のプラン  http://blogs.yahoo.co.jp/tokisa3316/18070716.html
 
歩き遍路友の会東海  http://blogs.yahoo.co.jp/s281218_0417
 
 容量の関係かどうかは判りませんが、最近では表示まで時間がかかり、こんな不具合もあると気力がそがれますね。
 
 自業自得ではありますが…
        最近はパソコンの動きが重くなってきました。
 
                                8月7日の一言
 
 
 

隣のあま市で、生活保護費の不正受給が発覚し

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我家の近くを流れる目比川 本日午後6時頃
 
 昨日から本日の昼頃まで愛知県にも激しい雨が降り続け、尾張地区でも北部からは道路冠水や床上浸水の報道があったものの、大雨洪水警報が出続けた私の住む津島市では最悪の事態には至らず、海抜ゼロメートル地帯でありながらも、添付した写真のように警報が出ていたことも感じないゆるやかな川の流れです。
 
 私の住む津島市は、愛知県でも三重県と岐阜県に近い尾張西部に位置し、木曽川や揖斐、長良の木曽三川の低湿地地帯であり、伊勢湾に近い海抜ゼロメートル以下の低地であることから、日光川や目比川が決壊すれば全財産が水没します。
 
愛知で100ミリ以上の大雨 浸水被害 交通機関に影響
 
 5日深夜から6日未明にかけ、名古屋市港区愛知県大府市豊明市刈谷市では1時間に100~110ミリの雨が降り、名古屋気象台は「記録的短時間大雨情報」を出し、雷の影響で約2万2100戸が一時停電するなど、各地で道路が冠水し、床上浸水の被害が報告されています。
 
 「2000年の東海豪雨以来だ」と話す住民の姿も報じられていますが、ここ数年間に愛知を通過した台風や、尾張地区で浸水被害の出る豪雨がたくさん発生しているものの、私の住む津島市については難を逃れており、今回も近くの稲沢市や一宮市で道路冠水による通行止めが発生し、名古屋市や江南市では床上浸水の被害も発生しているものの、我家の周辺は何事もなかったように時間が経過しました。
 
生活保護費330万円詐取容疑、男を逮捕 愛知
 
 さて、隣接するあま市の旧七宝町では、収入がないと偽って生活保護費約330万円をだまし取った疑いで、54才の男性が詐欺容疑で逮捕され、本人も認めていると全国に発信されています。
 
 問題は、同じ不正受給事件であま市の男性(49)を逮捕した際、「同僚から方法を教えてもらった」と供述したことから事件が発覚しており、同様の事件が他にも蔓延している可能性も高く、同じ訴え方をすれば生活保護費が受給できる証しともなります。
 
 とにかく、家や資産が何も無く、無職で生活していく預金や生活費がまったく無ければ受給できる可能性もあり、以前のように「働けるから出せない」とか、「自家用車があるからダメ」とは言われないため、以前よりも受給できる可能性は高くなっています。
 
 勿論、行政の窓口が、申請されれば何でも簡単に受給を認めているわけではなく、受給対象と思っても低額な数日分の生活費を出して様子を見たり、預金通帳や生活実態を説明できる書類を持って出直させたりしていますが、最近では弁護士同伴で窓口に出向く申請者も存在していると言いますから、出して当り前と思っている輩もありそうです。
 
 隣接するあま市の事件だけに、津島市や周辺自治体の再確認も必要で、「酒を飲んでパチンコ屋ばかり行っている」と(私に)通報のあった受給者も存在することから、本当に必要かの検証も急務と思います。
 
                                    8月6日の一言

萩野選手と瀬戸選手に感動をもらって

 本日は未明にテレビ映像がスタートした水泳世界選手権を、30分後にオフタイマーとして横になっていたところ、萩野選手と瀬戸選手が出場した400メートル個人メドレーで、2人がレースを先行し、結果的には萩野選手が5着になったものの、瀬戸選手が金メダルを獲得したことから、眠る機会を逸して最後の女子メドレーリレーまで見てしまいました。
 
瀬戸、男子400個人メドレーV 世界水泳、萩野は5位
 
 それにしても、金メダルこそ獲得できなかったものの、17レースに出場して銀メダルを2個獲得した萩野選手については、金メダルを狙って出場するレースを絞れば、確実にメダルが取れそうな逸材で、体格の良い外国人選手と対等に張り合える活躍に過去の選手権とは違ったテレビ観戦となりました。
 
 そして、萩野選手と金メダルを獲得した瀬戸選手のレース後の握手に、嫌味を全く感じさせないスポーツマンとしての見事なツーショットにも感動させられ、小学生からライバル関係と言うものの、2人とも同級生で若いだけに水泳界での今後の躍進が期待できます。
 
 一方で、私達が今年中で定年を迎える年齢になっていることから、30歳になって衰えが隠せない「世界の北島」選手が、必死になって頑張っている姿に寂しさは隠せませんが、何とか頑張って欲しいとの期待と、若手に抜かれたままではなく、今一度復活を果たして欲しい気持ちで一杯となりました。
 
 今回の世界選手権については、過去の惨敗に終わった水泳界とは違い、全種目でメダルを争えるレベルになっている事が実感させられ、北島選手が世界王者として後進を引っ張り続けた成果が、若手が臆することなく世界と渡り合える環境にしたのかもしれません。
 
 さて、本日は朝から夕方まで市役所で決算審査が続けられたことから、水泳が終わった直後から仮眠は急務だったものの、午前5時には我家の三男が起床し、ロードバイクで多度まで練習に走っていったことから寝付かれず、寝ようにもあたりは明るくなっていたことと、目覚し時計はセットしてあったものの、万が一の寝過ごしを心配すると完全なる徹夜で朝を迎えてしまいました。
 
 これでも居眠りすることなく一日を経過させたことから、体調不良はあるものの、まだまだ元気で丈夫で不摂生でも乗り切れることが自覚され、無気力となっていた生活に新たな気力を見いだしたい気持ちにもなりました。
 ちょっと頑張ってみましょうかね(笑)
                                   8月5日の一言
 
 
 
私のHP 津島の新しい風 http://www1.clovernet.ne.jp/oshika18/ 
                                私のmail  s281218@yahoo.co.jp  

ウナギの老舗を思い出しながら

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 本日は半月前から家内に急かされていた田んぼの草刈りに出かけましたが、使用している草刈り機は私の父親が購入した物で、父親が平成5年に亡くなっていることを考えると大切にしていない割には丈夫で長持ちな草刈り機と言えそうです。
 
 昨年秋に草刈りをした時に、「また、来週にでもやるから…」の一言で、ガソリンを全部使い切っておらず、ガソリンを入れたままで長期間放置すると、簡単にはエンジンがかからない事から、本日もかかれば幸いと考えていましたが一発でかかりました。
 
 夕方の2時間だけの草刈りで、家内のように水を張った田んぼに入った除草ではありませんが、一年間で一番の汗をかき、帰宅したときに衣類はビタビタとなっており、慌てて衣類を洗濯機に入れ、さっそく風呂に入りました。私の一番風呂もめったにはありません。
 エンジンがかからないと思っていた草刈り機が好調なため、来週も草刈りに出向いて残った田んぼも除草したいと思いますが、過去に全部の草刈りを終わらせた記憶が無いことから、今年は是非とも完結させたいものです。
 
意地でも維持 250円の激安弁当
 
 さて、 愛知県阿久比町の弁当屋さんが、名古屋駅の近くで250円の弁当を販売して低価格で奮闘している様子が報道されていますが、私の家から500メートルの距離にあるスーパーアブヤスでも250円の弁当が販売されており、遠方からも人が買いに来られています。
 
 そんな中で、昨日が土曜の丑とは思ってもおらず、テレビ中継から流れるウナギの話題にびっくりとさせられましたが、最近のウナギの名店と言われるお店の料金の高さにもびっくりとさせられており、それぞれがウナギの老舗と言っていることに私は寂しさも隠せません。
 
 8年程前にご主人が亡くなったことで閉店となった、名古屋市の納屋橋にあったウナギの名店「大友」は、名古屋の広報板の看板に使われた老舗で、味が良いだけでなく料金も安い名店であり、我家の息子たちの最近のウナギ論議に、老舗とか名店とかを宣伝にして高額が当り前となっているウナギに騙されているとしか思えませんでした。
 
 「大友」は朝日新聞名古屋本社にも近く、私の同級生が店主に嫁いだことから、馴染み客のように2階の座敷を借りたり、駐車場を借りたりしていましたが、当時の定食が1400円で、「ウナギでそんなに高くなる筈がないでしょ」が、同級生の口癖でした。
 
 その同級生が病気により若くして亡くなり、夫人を亡くしたことでご主人も気力を失い、夫人を追うように亡くなってしまい、老舗と言われた「大友」もあっけなく閉店となってしまったものの、もう少し生き永らえて後継者に委ねてほしかった名店でした。
  
2008-07-06 23:10:51
テーマ:栄、納屋橋
その昔、納屋橋に「大友」という鰻やさんがありました。
鰻天国の愛知県にあってなお味は突き抜けていたように思います。
僕の中でのベストうな丼です。

3年前くらいに大将が亡くなり、遂に閉店してしまいました。
名古屋には熱田、栄、大須といった辺りにまだまだ鰻の旨い店がありますが、それでも一番気に入ってたお店が無くなってしまうのは哀しいことであります。
出典  こんなとこで食べとるがね  http://ameblo.jp/asa-hiro/theme-10007136217.html
 
ひつまぶし
1月21日(木)
夜、早めに引けてひつまぶしを食いに行く。
ひつまぶしは名古屋の名物。
名物にうまいものなしとはいうが、これだけは別。
鰻は好物だが名古屋に来て「新しいうなぎの世界が広がった」
というのは、少し言い過ぎだが、それくらいうまい料理である。
名古屋でも有名な店はいくつかあるが中でも
安くてうまい店、大友
名古屋駅と伏見の間。
名古屋の中心部を流れる堀川に架かる納屋橋の
東詰めを北へ入ったところ。
近くに御園座もあり名古屋でも古い区域。
先日の居酒屋 大甚もこのあたりにある。
店は古くテーブル席6ほど、こぢんまりとしている。
ひつまぶしとは、いわゆるお櫃にご飯を盛り、この上に
細かめに刻んだうなぎがまぶして(散らして)あり
さらに刻み海苔がかけてある。
以前に名古屋式の鰻丼については書いたが
ひつまぶしの場合はより細く刻んである。
また、店によっては飯のなかにも
このうなぎが2段になっているものもある。
これを茶碗にしゃもじでよそって食べるわけである。
つまり、うなぎの混ぜご飯といった状態である。
最後の一膳は、お茶をかけうな茶にして食べる。
これがまたうまい
前にも書いたが名古屋のうなぎのたれは
お茶をかけても、
負けぬくらいの濃いたれだからこその味。
このひつまぶしで\1400。
安くてうまい名古屋 納屋橋 大友である。
 
出典 断腸亭料理日記 http://www.dancyotei.com/hitsu.html
 
 店は無くなっているものの、納屋橋の「大友」を記憶されている人々も多く、ネット検索でも思い出が記されていることに亡くなった店主へ伝えたいような嬉しさを感ずる一方で、あまりにもあっけないお2人の短い人生が残念でなりません。
 
 父親の残した草刈り機によって、過去に思いを馳せてしまいましたが、今晩連絡のあった知人からも、「最近は疲れたとか忙しいなど、ブログが暗くなっていませんか」の一言をもらいました。元々が後ろ向きで暗い性格なんですが、勘違いされているとしたら幸いですね。
 
                                     8月4日の一言

お墓も子孫について引っ越す時代になり

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 本日は津島市議会の議会報告会が3会場で開催され、私は午前10時から開催された図書館と、午後2時から開催された生涯学習センター(元愛知県勤労福祉会館)の報告会に参加しました。議会報告会は児童科学館でも開催され、明日の午後2時からは文化会館でも開催されますので、機会のある方は参加して下さい。
 
 さて、不安定な天候から晴天の日々が続き、私の住む地域は災害とは無縁のまま、夏本番となってきましたが、雨が続いた後の猛暑に誕生を待ち続けたセミが一斉に孵化し、軒下の蛍光灯に集まって深夜まで鳴き続けています。
 
 添付したアブラゼミも、我家の庭で誕生したセミですが、私の子供時代にはクモの巣を使って捕獲するのに苦労したものの、最近は大量に誕生してくることから、素手で簡単に捕まり、夜には窓の外や蛍光灯の前にいれば勝手に身体にとまってきます。
 
 セミが増えた原因は、議員になった直後に、敷地内に建っていた倉庫を貸店舗に建て替え、周りに植えてあった樹木を集めて植えかえたためと考えられ、年々セミが増えて現在に至っていることから、7年後も今年以上のセミが誕生してくると思うと、セミが人間以上に逞しく思われます。
 
 本日の朝日新聞には、都市部で墓地が不足していると記され、その原因として都市部に出て行った後継者によって、先祖や親の墓地を墓参りしやすい都市部へ改葬していることも理由に挙げられています。
 
 我家のセミでさえ、親の死んだ土地から7年後に誕生し、その後も同じように同じ土地で輪廻を繰り返すことから、死後に安らかに眠っているお墓まで改葬され、どこに眠るか判らない人間社会の現状に寂しさを隠せません。
 
都市部で墓地不足 高齢化で多死社会・地方から改葬…
記事の続き…
 厚生労働省によると、全国の埋葬数は11年度が約130万件で、10年前より25%増えた。特に都市圏の伸びが著しく、首都圏1都3県では10年前より34%増えて30万件を超えた。
 全日本墓園協会によると、都市部では、高度経済成長期に地方から移り住んだ人が寿命を迎えつつある「多死社会」に突入し、墓地の需要が高まっている。
 民間の霊園開発は活発だが、土地不足のため数千個の骨つぼを安置する納骨堂や数百区画の小規模な霊園が目立ち、1区画の規模も縮小している。少子化で遺族の負担が増し、墓地にかける費用が下がっていることや、お墓観の変化も影響しているという。
 同協会の横田睦・主任研究員は「都市部では新たな供給が限られ、自宅近くで墓地を入手できない人が大勢いる。20~30年は逼迫(ひっぱく)した状況が続く」と話す。
■地方からの「改葬」が拍車 遺族高齢化、墓参難しく
 高齢化で墓参が難しくなった遺族が地方から都市部に墓を移す「改葬」も、墓地不足に拍車をかける。
 東京都町田市の高木知津子さん(77)は今秋、和歌山市の墓を自宅から車で5分の民間霊園に移す。10年前に亡くなった夫と義父母らが眠る。体力的に墓参がきつくなり、数年かけて実現した。「これから面倒をみてくれる子や孫のことも考えた」と話す。
 首都圏や関西圏が中心の葬祭サービス大手「メモリアルアートの大野屋」(東京)では、販売する墓石の3割を改葬が占める。自宅から1時間以内を希望する人が8割という。「都会に定着した団塊世代が故郷のお墓を移す動きは今後も続く」(担当者)とみる。
 約7万区画がある国内最大級の「富士霊園」(静岡県小山町)は1965年に墓地不足を見込んで開園。当時は東京都や神奈川県の人たちによく売れた。ところが、最近は年に数百件が改葬などで転出している。
 利用者をつなぎとめようと、同社は毎週金~日曜に新宿駅から直行する片道2時間の「墓参バス」を運行。墓参が難しい人向けの「ネット墓参」も始めた。それぞれの墓をネット上にアップし、「参拝」してもらっている。
 首都圏などで霊園開発を手がける「ニチリョク」(東京)の寺村久義社長は「都心から2時間以上離れた場所の需要は減り、都市部と地方の二極化が進む」と話している。
 
 津島市の市営墓地についても、自分達の死後の安住の地として墓地を確保したものの、後継者が市外に転出して帰ってこないため、墓を立てる前に返上する高齢者も存在し、自身は何所のお墓に眠るのか判らないと語られる現実に立ち会ったことがあります。
 
 我家も旦那寺の境内の、寺族のお墓のとなりに先祖のお墓がたっていますが、先祖代々住んでいる我家の敷地へ、県道が通ったことで固定資産税が高くなり、アパートに住んでいるよりも割高になっていることから、子供たちがこのまま維持していけるか心配となり、市外へ転出する可能性も考えると他人事ではありません。
 
 本日の新聞訃報欄にも、私と同世代の訃報が掲載されており、そろそろ自分以後の道筋も考える必要を感ずるとともに、墓所くらいは立てられた場所に永遠で存在して欲しいと思う夜になりました。
 
                                     8月3日の一言

老眼についての独り言です

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 2日前の一言に、「車専用の老眼鏡をどこか(トイレ?)に忘れて」と記したことで、車の運転専用の老眼鏡があるのかと錯覚を与えたようですが、車の運転に老眼鏡が必要なわけではありません。
 
 カーナビの細かい文字を見るためには老眼鏡が必要となりますが、外したりつけたりが面倒なため、私は運転の視界の邪魔にならないよう目の下部にずらしてつけているものの、長距離運転には目ざわりとなることもあり、添付したメガネの上部にフレームがないレンズだけの物を愛用してきました。
 
 私は若い時から目の視力が良かった反動で、老眼鏡も早くから必要になりましたが、現在でも明るい外や部屋では無くても見えますから、絶対必要な存在ではないことから、必要な時に無かったり、どこかに置き忘れたりの繰り返しとなります。
 
 さて、最近では老眼には違いがありませんが、長距離運転の午後や、太陽に向かって運転していく時に確実に視力が低下することから、長距離運転中は午前午後とブルーベリーの栄養補助食品と目薬が必要となっています。
 
 本日も昨日に続き、夕方に自転車で家を出ましたが、本日は風が強いことから頭にかぶった帽子が取れ続けて走れません。しかし、こんな程度が今の私の身体には適当なんだと思って帰宅です。
 
古い消火器が破裂、死亡者も 消防庁「操作しないで」
 
 古くなった消火器が破裂する事故が連続して起こっており、我家にも消火器としての使用期間を過ぎた消火器が複数残っていることから、扱いを間違えると当事者となる可能性も高いものの、古くなった消火器の詳細が判らないため、我家の消火器についても確認してみたいと思う夜を迎えました。
                                       8月2日の一言

自転車で走って行こうとは思ったものの…

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 身体のメタボが酷いことから、色々考えていると、四国遍路に昨年12月から行っておらず、運動不足どころか歩く機会もないため、本日は午後2時半に完全自由の身になったことから、歩く前段階で自転車に乗って出かけることにしました。
 
 自己診断では、今年の春からビタミンCを摂取するため、事務所前の次男の自動販売機で炭酸水を水代わりに飲用しており、2ヶ月ほど前からビールを毎晩飲んでいるだけでなく、夜に帰ってくる三男の持ち込むコーラを同じように飲用していたことと、極度の運動不足によって身体に自覚症状が出ていました。
 
 そんなことから、昭和50年代のサイクリング車「ユーラシア」の両輪に空気を入れ…「さぁ行こう」とスタンドを上げると、1時間前に入れたばかりの空気が減っており、後輪に至っては完全に抜けたパンク状態になっていました。
 
 それでは電動アシスト自転車に乗ってと、また空気を入れてからホコリを拭きとり、家を出発して横断歩道の前でギヤのワイヤが動かない事が判明し、後輪の空気もへっているように感ずることから、改めて空気を入れるとともに、添付した写真のように空気入れをカゴに入れての出発となりました。
 
 ギアは一番重い状態のまま動かないため、四車線の道路は電動アシストの力を借りて横断しようとすると、バッテリーは満タンでも機能せず、より重くなってペダルを踏んでも動きません。
 
 2年前には毎日1時間歩いていたこともあり、本日もスイスイと1時間程度のサイクリグを考えて出発したものの、15分走った頃には足が動かず、行きつけの珈琲屋さんを見つけて休憩にしてしまいましたが、信じられないような脚力と体力不足にびっくりとさせられました。
 
 おまけに、空気を入れれば走れると思っていた自転車がパンクしており、電動アシスト自転車も機能せず、ギアも重いまま変速できない現実に、私の身体と同じで、屋根の下に置いてあっても2年間のブランクは非常に大きい事を実感させられました。
  
愛工大名電 貫禄V2
 
 今年の高校野球愛知大会は、2年連続で愛工大名電が189校の頂点にたち、夏の甲子園大会への出場を決めました。
 昨日の決勝戦は岡崎市民球場で行なわれましたが、仕事を休んだ三男は最前列で優勝を見届け、そのまま豊橋競輪場まで足をのばして、愛工大名電の同期小川大地選手の応援に行きましたが、こちらは2着に終わってしまったようです。
 
 我家の息子達は3人とも愛工大名電の出身で、長男が陸上部の監督から誘われ、次男は陸上部ではなく相撲部の監督に誘われて入学し、三男は自力で入学したものの自転車競技部で兄達と同じように全国大会まで出場しました。
 
 3人の息子のおかげで、インターハイや国体など、全国大会に付いて行くことができましたが、それも愛工大名電の指導する恩師のおかげと感謝するとともに、息子達の後輩達が頑張っている姿を、是非とも甲子園で応援したいものです。
 日程を見て、今年は甲子園まで走っていきたいと考えています。
 
                                    もう、8月1日ですよ。 
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