大鹿一八「本日の一言」

平成16年2月から令和1年7月末までの「本日の一言」です。ヤフーブログ閉鎖により、ライブドアへ過去の記録として引っ越しました。

2013年09月

明日からは知多半島の巡礼の旅へ

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 本日は9月の最終日となり、明日からは10月に入りますが、私の住む愛知県西部地方では添付した写真でお分かりのように、稲田が見事な黄金色に輝いており、まもなく始まるであろう稲刈りまでは秋一番の景観が楽しめそうです。
 
 自然災害が連続して全国各地を襲っており、愛知県においても集中豪雨による水害や、台風による被害を各地が受けておりますが、ここ数年間は幸いにして私の住む地域は被害をまぬがれており、今年の稲田も稲が倒れている姿は見受けられません。
 
 9月議会が終わり、本日は8月分の出納監査で市役所の一日となりましたが、スケジュールの空白部分はすべて外出する約束が入れてあり、明日から市議会の仕事のある4日までの3日間は、地元から依頼のあった「知多八十八ヶ所霊場」の運転手役で家を開けることとなっています。
 
 さて、意外な落とし穴が、簡単に何処へでも運転を引き受けているものの、旅行保険の契約行為が必要になったり、明日は毎週火曜日の夜に我家で書道会が開催されることから、全員に書道会中止の連絡を入れ忘れており、今晩になって慌てて電話をするなど、思わぬ仕事の多さに驚かされています。
 
 明日から3日間の知多半島ですが、何度も訪れている地域であっても、観光名所でもないお寺を百ケ寺以上参拝することと、同行する人々が過去に経験のない高齢者ばかりのため、かなりのストレスとなっています。
 
 また、夜行で徹夜同然のお遍路は慣れたものですが、朝5時に迎えに走ることは、うっかり寝過ごす可能性も考えると、今までの仲間との遍路同行とは違う体験で、先週の白山スーパー林道と、2日前の上高地、乗鞍スカイラインの素晴らしい余韻が払拭されてしまうような責任を感じ、何事もないままに行程が完結されることを祈らずにはおられません。
 
 我家から1時間で到着する場所でありながら、宿泊して3日間も家に帰れないストレスもあり、近いゆえに走って帰宅したい心境を封印して無事に帰ってきたいと思っています。
                                    9月30日の一言
 

歩き遍路友の会総会で春日井市へ

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 本日は「歩き遍路友の会東海」の総会が春日井市のグリーパレス春日井(旧春日井勤労福祉会館)で開催され、遠くは東京や浜松市から会員が集まり、新入会員の自己紹介や最近の遍路情報に花を咲かせました。
 
 私は所々の気まぐれ歩き遍路で、全行程を通しで歩いた経験がありませんし、友の会にはメンバーの紹介で、歩き遍路の体験談を聞くために入会したものの、メンバーの高齢化と現会長の辞意を留まっていただくため、新参者でありかな゛ら今年から副会長を拝命しており、高齢化で会員数が減少する歯止めが課題と思っています。
 
 今年4月から、友の会の公式ブログを開設しておりますが、会員の中でもブログの存在を知る人はほとんどいないことと、あまり書き込んでも私の個人色が出るため、ブログの骨格だけにとどめており、本日メンバーなら誰でも自由に書き込みができるようにログインにひつようなIDとパスワードを公開しました。
 
歩き遍路友の会東海 http://blogs.yahoo.co.jp/s281218_0417 
 
 最近は歩かず車で巡拝しているメンバーにも、かつての歩き遍路で蓄積した経験を披露してもらい、お遍路なら何でも判るブログに発展させていきたいと考えております。
 現実には、書き込みのパスワード等を示しても、実際に書き込もうとすると苦労する体験から、本日は何所でもパソコンが利用できるように、最近になって車に搭載したパソコンも会場に持ち込みました
 
 一方で、お遍路から遠ざかっているメンバーも多く、友の会として1泊2日の歩き遍路を11月に企画し、過去の経験と知識をよみがえらせ、昔からの遍路道を忠実に歩いて見たいと趣旨を発表しました。
 
 歩いて四国の全行程を廻った先輩達に、私の未熟な行程がどのように映ったかは判りませんが、この一言を記している最中にも参加の意向を連絡いただいた会員さんが存在したことから、とりあえずは何とか企画が挙行できそうな雰囲気となってきました。
 
 この企画は会員用に企画したものですが、会員でない方や、一度もお遍路に出向いた経験のない人でも、苦痛のない行程となっておりますから、この一言をご覧になっておられる東海地区の方々にも気楽に参加してもらいたいと考えております。
 下記に行程を添付したので、気軽に連絡をいただければ幸いです。
 
                                     9月29日の一言
 
讃岐七カ所まいりを歩いてみましょうか
 
 日時 25年11月16日(土) 17日(日)
     出発は15日(金)夜11時10分 深夜長距離バス使用
     名古屋着は、18日(月) 朝6時10分
 行 程
 集合 15日(金)22時45分 名古屋名鉄バスターミナル
              名古屋発車は11時10分 
一日目 16日(土)
 … 香川県丸亀駅午前7時10分 …JR丸亀駅 … JR海岸寺駅 … 別格18番海岸寺 … 71番・弥谷寺 … 72番・曼荼羅寺 … 73番出釈迦寺 … 奥の院・拾身ケ嶽禅定 … 74番・甲山寺 … 75番・善通寺 …
          宿泊 善通寺宿坊いろは会館(一泊二食付き)
二日目 17日(日)
 善通寺(朝の勤行後記念撮影) … 76番・金倉寺 … 77番・道隆寺 … 78番・郷照寺 … 79番天皇寺 … 八十場清水の心太 … JR八十場駅 … JR宇多津駅 … 四国健康村午後5時~8時(夕食と大衆演劇鑑賞) … JR宇多津駅 … JR丸亀駅 
 
 丸亀 17日(日)午後9時30分発車 … 名古屋到着・18日(月)午前6時10分
 
会費(必要経費) 約2万円
    内訳 バス往復代金1万2200円 宿泊代(善通寺)5千800円
       四国健康村(3時間)840円 JRの電車代など
 
主催 歩き遍路友の会東海
申し込みは会長 上野勝彦まで 愛知県愛西市諏訪町橋本301-4
               TEL 0567-25-5654  <uenobest@isis.ocn.ne.jp >

快晴の上高地から

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28日午前10時過ぎの穂高連峰 小梨平から
 
 雲一つ無い快晴の上高地は久しぶりで、同行したメンバーから「明日まで居ても良いんだよッ」と言われたものの、明日以降はスケジュールに空きが無く、元々はお遍路の御礼参りに善光寺を訪れる行程を、台風一過の天気に期待して独善的に上高地の宿を確保した旅程でした。
 
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 晴天の河童橋です。しかも、秋の清々しい風と温度です。
 
 初めて上高地を訪れた時に、こんな天候に恵まれれば、「また今度来たい」と、絶対に上高地ファンになるでしょうね。
 
 
 
 
 
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 一年間で一番気持ちの良い天候と言いたいような過ごしやすい気温と季節を迎えています。
 
 梓川の水と、青い空に恵まれ、これから紅葉シーズンを迎えると最高の色彩美を体感できる予感がします。
 
 
 
 
 
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 12時直前の大正池から見た焼岳です。
 
 帝国ホテルで、午前10時から創業80周年を記念した限定20品のケーキセット(2千円)を楽しんでいる間に、それまで雲一つ無かった焼岳に雲が広がりはじめました。
 
 
 
 
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 右の木々を見て判るように、紅葉が始まっており、上高地全体から秋の気配が感じられます。
 
 最高の天気と、過ごしやすい温度のため、このまま座って時間の経過を忘れたい心境でしたが、同行するメンバーがおり、今回はここまてで退散です。
 
 
 
イメージ 2 上高地から四十分の場所に立つ私です。
 
 どこか判りますか?
 
 
 
 
 
 
 
     28日の追加です。
 
 
 

上高地の朝です

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本日朝、雲ひとつ無い晴天の上高地です
朝6時から6時30分の小梨平 この後で朝食をと考えていると、メンバーは外出した私を追って、明神池まで行っていたとの話ですが…
私の上高地は小梨平か、大正池でスタートします。

久々に晴天の上高地へ

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 本日(9月27日午後4時)の上高地・大正池です。写真(携帯電話)の感度が悪くわかりにくいかもしれませんが、雲は多いものの、大正池には強い夕陽が差し込み、池のシンボルとなっている枯れ木が輝いてみえます。
 
 この時期の夕暮れは早くなっているものの、本日は強い日差しがあるため、安心して途中休憩です。ここから帝国ホテルによって珈琲タイムにしたいものの、駐車場(バスターミナル)から宿としている小梨平のAケビンに入って、食事と入浴も控えていることからあわてて車を走らせます。
 
 「今回はいつまで?」
 「明日まで」
 「いつもありがとう」
 「今回は犬はいませんからね(笑)」
 
 今年に入って何度も来ていることと、犬を連れてくることから、駐車場の人とのコミュニケーションは重要で、そんなことから会話も弾みます。
 
イメージ 2 本日の朝、津島市を出発した時には雲ひとつない晴天でしたが、上高地に入ったのが夕方のため、穂高連峰が霞んで見えますが、何とか日の入りまで頂が見えましたから、今回はまずまずの天候です。
 
 今年は4月の開山式が猛吹雪で、7月は晴れていたものの、8月は四日間とも雨で、2週間前は台風の上陸直前で3日間とも雨にさらされてきただけに、久しぶりに晴れた上高地を歩くことができました。
 
 さて、本日宿泊している小梨平のAケビンは、一泊一人七千円と五百円の入浴代がかかりますが、今回は優優プランで入っていることから、一人六千円で二部屋借りており、この中に入浴料も含まれています。
 
 小梨食堂のオーダーストップが午後5時20分で、風呂は7時まで入れます。四国遍路とはまったく違う上高地で、メンバー6人(女性4名)が乾杯し、ほろ酔い気分で風呂に入りました。風呂もリニューアルしてあり、シャンプーやヘヤードライヤーも完備されています。
 
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 さて、夕暮れ時のため写りの悪い写真(携帯電話)ですが、ご覧のように上高地は確実に紅葉が始まっており、あと一週間もすれば最高の紅葉が鑑賞できるのではないでしょうか。
 
 夜のテーブルに座る足元が、暖房中にもかかわらず寒くなり、、明日の朝もかなり冷え込みそうな予感がします。本日は私のお気に入りの作務衣を持ってきましたが、明日の朝は作務衣だけでは食堂に行くのも寒そうな気配濃厚です。
 しかし、久しぶりに晴れた上高地となり、明日は清々しい一日となります。
 
                                  9月27日の一言…弐
 

北向観音と善光寺へ御礼参り

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 本日は昨年に結願した四国八十八ヶ所と、西国、坂東、秩父の御礼参りのため、長野県上田市の北向観音と、長野市の善光寺に参拝しました。
 
 本来ならば、北向観音の近くには同じような名刹寺院が存在しますが、今回は善光寺参拝後に「上高地」に移動し、上高地で宿泊する予定をたてているため、北向観音の真ん前の有料駐車場に車を入れ、本堂参拝後に愛染かつらの木を鑑賞しただけで退散しました。
 
イメージ 2 朝6時に津島市を出発し、高速道路の通勤割引制度を3枚のETCカードを、9時までに使用して走ったことで、善光寺(上の写真)に到着したのが12時半で、ここではゆっくりと参拝し、参道の買い物を楽しみ、昼食もお遍路のようにコンビニで済ますことはせず、ゆっくりと味わいました。
 
 明るいうちに上高地に入るため、善光寺を2時に出発し、松本経由で上高地を目指しました。
 
                                   9月27日の一言…壱
 

巡礼の御礼を上高地にしてしまい

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 本日は9月議会の最終日となり、議案の上程と質疑の後に採決して散会となり、午後4時前には市役所を後にしました。
 
 添付した天気図は、本日の午後6時に気象庁が発表したものですが、日本全国すべてに晴れマークが付いており、大型の台風20号が太平洋上を東進して去ったことで、気温は下がったものの清々しい風が吹いています。
 
 昨年に四国遍路を結願し、昨年から今年6月までに西国、坂東、秩父の百観音を結願したメンバーの御礼参りに、明日から長野県の善光寺と上田市の北向観音を訪れる予定をたてています。
 
 本来であれば、長野市や上田市の名所旧跡を周る予定でしたが、私自身が上高地で雨にたたられており、4月の開山式は猛吹雪で、8月は初日の夜から四日間とも雨で、9月の三連休は三日間とも雨だけでなく最終日は台風が通過し、散々な結果に終わっていることから、メンバーの同意を得て上高地に宿泊することに決めました。
 
 もっとも、メンバーには百観音巡拝中に、上高地や京都送り火に同行したいと言われており、約束を果たしていないため、台風一過の好天を絶好の機会ととらえ、上高地に走り、翌日の明後日には乗鞍スカイラインも走って畳平を訪れたいと考えています。
 
 ただし、日中の温度は18度程度と思われるものの、朝の最低気温は5度以下と予測されることから、突然の環境変化に身体がついていかない可能性も高く、乗鞍スカイラインの山頂部の凍結も想定していく覚悟も必要です。
 
 私の身勝手な上高地行きですが、メンバーからは歓迎されていたことは幸いで、これを最後とはしたくないものの、一年に一度くらいは上高地をフイルムに収めたい願望が果たせそうになりました。
 
                                    9月26日の一言

十四年前の自分に戻したくて

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 「何だ、これー、ダセエー」と、添付した写真を見た三男に言われましたが、私が14年前に朝日新聞販売店を廃業した当時は新車だった「ヤマハ・メイト80」で、そのまま残してあったものを、一ヶ月前から持ちだして乗るようになりました。
 
 それにしても仕事用としての単車は丈夫で、バッテリーだけは新品に交換したものの、それ以外は何も修理することなく、タイヤの空気を入れただけで、14年前と同じように走ってくれました。
 
 このメイトは2サイクルエンジンを搭載しており、この手の単車では人気のあるホンダ・カブより加速が早く、小回りがきくので新聞配達には適しており、最盛期は10台以上のメイト・50を使用して、私だけは80に乗っていました。
 
 まもなく還暦を迎える歳になって、「何故にメイトか?」と問われますが、議員になった時に置いてあった400㏄の中型バイクについて、「乗って事故でも起こしたら応援してくれた支持者を裏切る」と、後援会の人々に封印されていたホンダVF400の修理がまもなく完了して車検を受ける段階になってきたことから、いきなり大きな単車には乗れないためメイトに乗るようにしており、本日は市役所や、添付した珈琲屋さんにも乗って行きました。
 
 大学時代に起業して以来乗り慣れていた単車ですが、久しぶりに乗ると大きな違和感があり、右折時には後ろから追突されそうでヒヤヒヤしながらの運転となり、車より加速が良いものの、車のようにはブレーキが効かず、しばらくは過去の勘が戻るまで乗り慣れるしかありません。
 できればこの荷台にテントとガスコンロを積んで、見知らぬ場所に走っていけたら面白い体験になると思われますが…
 
 さて、9月議会も明日が最終日となり、明後日は観音巡礼結願の御礼に長野善光寺に走り、日曜日は歩き遍路友の会総会のため春日井市に出向き、月末こそ例月出納監査のため市役所に居ますが、その後も知多半島の巡礼のため3日間家を空けることとなります。
 
 スケジュールは書き込むだけですが、それぞれの旅程には旅行保険をかけており、私が不在や事故にでもあえば、その連絡先すら誰も知らず、行程も私任せとなっていることから、万が一のミスは多くの人々に迷惑をかけることになるため、しばらくは大変な日々が続きそうです。
 
                                      9月25日の一言

彼岸花から縁起の善し悪しを考えて…

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 旅先で見事な彼岸花の群生を見ながら走ってきましたが、我家にもわずかですが彼岸花が咲く場所があり、本日訪れると見事な花を咲かせていました。
 
 一般住宅に彼岸花は縁起が悪いと言われ、口にすると舌が曲がってしまうとか、有毒のため死に至るなどの理由から、田畑のモグラよけに植えられたり、堤防にモグラが穴をあけないように植えられており、お彼岸の頃に花を咲かせるため嫌う人も多かったものの、最近ではいたる所に植えられているようです。
 
 彼岸花の名は秋の彼岸ごろから開花することに由来し、死人花(しびとばな)、地獄花(じごくばな)、幽霊花(ゆうれいばな)、剃刀花(かみそりばな )、狐花(きつねばな)、捨子花(すてごばな)、はっかけばばあと呼んで、日本では不吉であると忌み嫌われる一方で、別名の曼珠沙華は、法華経などの仏典に由来し、"天上の花"という意味も持っており、「赤い花・天上の花」の意味で、めでたい兆しとされることもあるそうです。
 
 本日の彼岸花添付は、私にとって縁起が悪いか、めでたい兆しなのか…
 
 さて、明日は朝から胃がん検診が予約してあり、午後からは議会日程が続きますが、明後日の本会議の最終日によって気分的には開放感も感じるものの、私は空いた日程をすべて人との約束にあてており、金曜日から1泊で善光寺への御礼参りに走り、日曜日に春日井市で開催される歩き遍路友の会の総会に出向き、翌日こそ市役所におりますが、10月は1日から3日間(2泊)の知多巡拝に同行する約束がしてあります。
 
 四国にも行きたいし、上高地にも行きたいし、京都からもお誘いがあることから、家を空ける約束ばかり作っており、本日も歩き遍路友の会で11月に四国の歩き遍路を企画したことから、手帳に空いている空欄はすべて埋まっていきそうです。
 
 さすがに、これは好きなこととは言っても身体の休まる日がなく、このままでは何か問題が起きそうで、酷使する車も同じですが、完全休養日を考えていく必要がありそうですね。実は、このままでは日程がパンクする可能性もあり、大反省が必要になってきました。
                                    9月24日の一言

休養日ですが、休養とはならず…

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 ♪♪♪佐藤由美ピアノコンサート♪♪♪

日時:2013年9月29日(日)13:30開場 / 14:00開演
場所:名曲喫茶カデンツァ
(東京都文京区本郷7-2-2 本郷ビル地下1階 / 03-5844-6807)

 
佐藤由美 ピアノ関連記事 
 
佐藤由美ピアノコンサート 名古屋
 名古屋市民芸術祭2013参加公演
      「その時に感じる音楽を大切に」
  13/11/19(火)  電気文化会館 ザ コンサートホール (名古屋市中区栄2-2-5)
 
佐藤由美ピアノコンサート 京都
   日時:2013年11月26日(火)18:30開場 / 19:00開演
   場所:京都府立府民ホール アルティ(京都市上京区烏丸通一条下ル龍前町590-1)
 
上記に関するお問合せは
yuminosuke97@hotmail.co.jp
まで よろしくお願いいたします

 3連休の最終日になりましたが、家内は仕事に出かけ、家族もそれぞれに外出していることから、昨日の疲れをとるため横になっていると朝から来客があり、来客が帰られた後にやることがなくパソコンの前に座るとそのまま転寝をしていました。
 
 「本日の都合はどうですか?」
 「午後も来客の約束があるので…」
 
 午後から知人が訪れる約束があるものの、時間の約束がしていないため、人との新たな約束ができずに時間のみ経過を続け、このままでは健康に良くないと自転車ででかけると、「今何所にいます」と連絡をもらっても戻ることができません。
 
 結局は外出先の珈琲屋さんで話を終えたものの、我家に帰らないと資料が渡せないために、自動車と競争して慌てて帰宅しましたが、昨日の疲れからか身体が夢遊病者のようでシャキッとしません。
 
 「11月〇〇日の予定はどうですか?」
 「何所に行くんですか?」
 「善光寺に行きたいんだけど」
 「〇〇日か〇〇日なら良いですよ」
 
 有難い話で、私の好きなお遍路へ仕事での依頼ですが、一緒に同行するだけでなく運転手としての謝礼もいただける話です。
 もっとも、運転手だけの依頼はストレスを溜めますから、お遍路へ運転手としの仕事はお引き受けしないこととしており、自分も一緒に参拝できる環境でなければ、「専門のタクシーにお願いして下さい」と、私は断ることとしています。
 
 今回の善光寺行きは、6月に高野山へ同行した先達さんからの依頼で、全く一緒の参拝と行動ですから、自分の知らない知識や世界を体験できます。
 
 さて、今週末には、昨年に四国八十八ヶ所を巡拝し、今年に入って西国、坂東、秩父の百観音を結願した人々と、善光寺と北向観音に御礼参りを行い、10月1日から3日間で知多八十八ヶ所の巡拝に同行することが決まっています。
 
 自分のシルバーライフとするお遍路が、運転手として必要にされ、必要とされることから経験となり、出歩くことからストレスを発散できることに感謝する一日ともなりました。
 
                                      9月23日の一言 

慰安旅行が目的の書道会かも…

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白山スーパー林道で愛車とともに
 
 本日は宿にしていたシーサイド松任を午前9時に出発し、JR松任駅前にある松任中川一政記念美術館で開催されていた「中川一政芸術の黎明」に出展された作品を鑑賞しました。
 
イメージ 2 美術館というと高額な観覧料が当たり前になっていますが、この記念館は300円で入場でき、隣接する「千代女の俳句館」と、「白山市立博物館」も共通券として拝観できるとともに、俳句館のとなりの「ふるさと館」には美術館の別館とともに、品の良い珈琲コーナーがあり、その奥には右に添付した見事な日本庭園が存在していました。
 
 書道会の指導をする恩師は、高齢と言うだけでなく、数年前に胃の全摘手術を受けており、長距離の旅行は苦痛を伴い、駐車場から美術館、ふるさと館と歩いて移動することも不機嫌となりますが、元々が美術教師だったことに加え、珈琲コーナーと庭園の存在が「中川一政は良かったな」との一言をもたらしました。
 
 さて、ここからは私の大好きな最後の野球選手となった「松井秀喜ベースボールミュージアム」に走りました。
 
松井秀喜ベースボールミュージアム http://www.hideki.co.jp
 
 長嶋監督が選手として引退した年に生まれ、長嶋監督の手によって巨人軍に1位指名され、長嶋監督の指導によって日本を代表する4番バッターに成長し、大リーグヤンキ―スで活躍する姿が映像で紹介されました。
 この映像は感動もので、緩んだ涙腺から熱いものが流れてきます。
 
イメージ 3 私にとっては2度目となる記念館ですが、中日ファンの恩師も映像に釘付けになり、書道会メンバーも松井選手には違和感が無かったようで、「ついでに、実家の前を通って欲しい」と依頼され、近所を巡回してから帰りました。
 
 甲子園の全打席敬遠策にも一度として怒りを表さず、真剣にバッターボックスに立った姿は、小学校の頃に出場した相撲や柔道においても同じで、ヤンキ―ス時代に手首を骨折した際にも同じようにベンチに戻ってきました。
 
 私の子供たちとあまり年齢も違わないのに見事としか言いようがなく、国民栄誉賞を受賞したことに恥じぬこれまでの野球人生を、指導者として開花して欲しいと思いながらミュージアムを後にしました。
 
イメージ 4 今回は、美濃白鳥から越前へ入り、福井県から石川県まで足を延ばし、白山スーパー林道から帰ることにしたのは、自家用車等を利用して、加賀温泉郷(あわづ、片山津、山代、山中)、辰口温泉、白山温泉郷、金沢温泉郷の協賛宿泊施設に宿泊すると3150円必要となる片道通行料が無料になるキャンペーン中だったからです。
 
 
 我々が宿泊したシーサイド松任もその対象となっており、11月10日までに石川県の温泉宿に宿泊すれば、宿泊前に通過した人は宿でキャッシュバックされ、宿泊後に通行する場合は片道分の利用券が宿でもらえます。
 
イメージ 5 目的地から早く帰りたい人にはお薦めできませんが、途中には落差86メートルのふくべの大滝があり、白山は勿論のこと、北アルプスの山並みまで展望できることから、これから迎える紅葉の時期には国内最高級の景観が鑑賞できそうです。
 
 神守丈友会は、平成6年より毎週火曜日の夜に書道会を開催しており、来年の秋には20年を迎えることから、書道そのもののレベルアップを図るとともに、恩師が健康で来年も遠くまで旅に出たいと思っています。
 
                                       9月22日の一言

書道会の慰安旅行に参加して

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 本日宿泊したシーサイド松任の近くの海岸に沈む夕陽です。住所は石川県白山市相川町ですが、私にとっては久々に海岸での日の入りを鑑賞する機会となりました。
 
 本日は書道会「神守丈友会」の一泊旅行のため、8人のメンバーで午前8時に津島市を出発し、東海北陸自動車道から、美濃白鳥インター、九頭竜湖を経由して、福井県大野市の本願清水にあるイトヨの里に到着しました。
 
大野市イトヨの里 http://www.city.ono.fukui.jp/page/itoyo/
 
 イトヨという希少価値のある淡水魚は、オスが繁殖のための巣を作り、そこに卵を持つメスのイトヨを誘惑して誘い、産卵後の卵を食べに来るメスのイトヨや他の生物から守り、巣立つまで養育している姿を実際に水中の生態を見ながら鑑賞しました。
 
イメージ 2 大野市の後は勝山市に移動し、越前大仏を目標に車を進めましたが、メンバーの多くが過去に何度も訪れているとの話から、近くにある平泉寺を訪れ、駐車場の真ん前にあったお店で昼食にし、ここで名物の「おろしそば」を食べていたところ、女将さんの勧めで参道を登って参拝することとなりました。
 
 この一帯も国立公園になっているとの話でしたが、人があまり足を踏み入れない自然の魅力を、見事な杉や苔から体感することとなりました。
 
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 平泉寺は、霊峰白山(標高2702m)の越前側登拝口に開かれた白山信仰の拠点寺院で、今から1300年近く前、泰澄によって開かれたと伝えられます。
 
 天正2年(1574)、一向一揆との戦いで全山が焼失し、往時の姿を伝えるものはほとんど失われたとの話に、お寺の僧侶が信者を戦いに扇動したことと、現在も当時の姿を発掘している姿に矛盾も感じさせられます。
 
国史跡白山平泉寺旧境内 http://www.city.katsuyama.fukui.jp/heisenji/
 
 本日は、この後に永平寺と越前竹人形の里を訪れてから、丸岡インターから徳光インターを経て、宿泊地としているシーサイド松任に到着しました。
 
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 久々となった永平寺も、年齢を重ねてから訪れると新鮮なものがあり、延々と続く永い廊下を歩く時に感ずる心境にも過去に訪れたものとは大きな違いを実感するとともに、僧侶にとっては修行する聖地でありながら、我々が参拝する環境を考えると明らかに物見遊山の観光客となっており、四国や高野山とは異質の凛とした空気を実感させられました。
 
 平成6年から続いている書道会ですが、時々はこんな息抜きも必要で、昨年は日帰りの食事会しか行っておらず、時間を考えぬ異空の地での雑談の時間によって今後の活力になることも実感していきます。
 
                                    9月21日の一言
追伸
本日宿泊したシーサイド松任は、白山市地域振興公社の運営する公的宿泊施設ですが、最近は低価格を売り物にしながら、休前日は割増価格を設定する宿が多い中で、休前日も平日価格で運営しており、源泉かけ流しの天然温泉で、食事も安かろうではなく真心がこもっています。
経営難でのれんを外す公的宿泊施設が多いことから、ぜひとも利用していただいて末永く存続されることを望むものです。

横井庄一記念館にある父親の色紙      横井庄一さんの17回忌が行なわれ

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横井庄一記念館に飾られる私の父親の色紙 「小銭が貯まる」
 
 本日は横井庄一さんの17回忌が行なわれ、今回は新たに夫人の在所の京都から甥子さん夫婦も参加され、あっという間に経過してしまった16年間の思い出話に花を咲かせましたが、完全に世代交代していく現実も実感させられました。
 
 添付した写真に写る絵画は、私の父親が「小銭が貯まる」として横井家に持ち込んだ自筆の色紙で、金の色紙に輝く稲穂が描かれており、いつ頃持ち込んだかは夫人に聞かないと判りませんが、記念館が開館したときから居間に飾られています。
 
 先月に私の父親の描いた色紙が沼津市からオークションに出されたことから、記念館に置かれている色紙もコレクションとして記録してきました。
 
 さて、名古屋の結婚式の豪華さが話題になりますが、実は法要の後に御礼として用意される贈答品も豪華で、法事の後に大きな紙袋を持ち帰ることとなるものの、横井夫人は紙袋こそ大きいが、中身には「山椒は小粒でも」の諺のように、小さくても品のある京都の老舗の茶菓子などが手配されていました。
 
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 右に添付したお菓子は、京都「亀末廣」さんの玄米落雁「一休寺」という品で、玄米と和三盆と大徳寺納豆が組み合わせられており、甘い和三盆のまん中に塩味の大徳寺納豆があり、品の良い茶菓子になると思われます。
 
 身勝手に他人のブログを拝借すると、「亀末廣は文化元年(1804)に伏見醍醐の釜師であった初代・亀屋源助により創業され、以降、二条城の徳川家や御所から特別注文を賜ってきた歴史を有す京菓子の老舗である」と紹介されています。    
                             亀末廣 京都の地図
 亀末廣に関するブログ  http://hero1945.livedoor.biz/archives/50733720.html
 
 8月の月末に京都を訪れた際に、ホテルが烏丸御池にあったことから、京都の町屋を歩いてリーズナブルで新鮮な素材を用いた居酒屋を見つけ、翌日の一言に添付したのが烏丸御池の魚座というお店で、この店の近所に亀末廣が存在することから、京都の新たな魅力を発見しと記しておりながら、こんな老舗の前を素通りしていたわけですからなかなか老舗の敷居は高かったのだと思います。
 
 御池 魚座 http://r.gnavi.co.jp/kbsz700/
 
 もう一品は、大阪の「神宗 淀屋橋店」のご進物で、神宗の歩みは、天明元年(1782年)、初代・神嵜屋宗兵衛が大坂・靭に海産物問屋(三町問屋)を構えたことから始まりましたと紹介されていました。
 
 年末の八坂神社と、年始の初詣に始まり、誘われるままに京都を訪れ、平成3年からは毎年送り火に出向いていますが、人々から京都に詳しいと言われて否定もしてこなかった恥ずかしさを実感する一日ともなりました。
 
                                  9月20日の一言

ミミズなんて飼ってどうするの?

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 我家のペットとは言えませんが、我家の庭先で数年前から生育しているのが「シマミミズ」で、魚釣りの餌として購入した残りを、写真右の植木鉢に放し、思いついたときに残飯を与えてきました。
 
 このシマミミズが不思議なもので、中身をかき回して探したものの一匹もいない時があり、全部死んでしまったと思っていたら、梅雨入り前には売っても良いくらい多く繁殖していました。一匹もいない状態からの大量発生は卵が残されていたと思われます。
 
 梅雨明けに見たところ、今度も大量に減っていたため、私の推測では雨が降った時に植木鉢から逃げていったと考えられ、逃げられない箱に移す機会をうかがっておりましたが、やっと昨晩に発泡スチロールの箱に分離しました。
 
 実は、もう少し大きな箱が確保してありましたが、箱が大きいと持ち運びに不便なために、その場所に置いたままとなる可能性が(私の性格から)高く、「ちょっと小さいかな」と思う箱で増やしていきたいと思っています。
 
 「そんなもの飼ってどうするの?」
 「増やすんだがぁ」
 「増やしてどうするの?」
 「増えれば、魚釣りの餌にもなるだろうし…」
 「誰が釣るの?」
 「三男が釣るだろう…」
 
 さすがに結婚して三十数年も一緒に生活していることから、家内は私の性格を知り抜いており、魚釣りについても釣った魚を殺して食べることができず、飼育しても最後には死んでしまうため、最近は魚釣りにも行きません。
 
 いろんな野菜を畑に植えていた時もありましたが、せっかく育てた野菜を採って食べることを躊躇し、収穫しないことから食べ頃を逃すのも私の悪い性格で、「種を採ろう」とそのままにしてしまった野菜や花も多くあり、種は採れてもどこかに積んで忘れて翌年にはその存在すら忘れてしまいます。
 
 このシマミミズについても、私が増やすことを目標にしても、増やすだけで「可哀想」とそのまま三男の餌にしない可能性と、「せっかく増やしたのにもったいない」と言うだろうことを家内は見抜いているのだと思います。
 
 「ミミズを飼育した土は肥料にもなるんだぞッ」と言いましたが、時間をかけるよりもホームセンターには200円程度で安い土も手に入ることから、自分でも何のためにしているのかと思ってはこの話はおしまいです。
 
 さて、本日は議会運営委員会が開催されていましたが、市民には議会日程が続いていることが理解されておらず、私の都合を尋ねる連絡が続きましたが、この一言には議会の中身や内容よりも、上高地やお遍路などを優先し、私の私的行動を記していることから、議員活動も理解してもらう必要性を感ずる一日ともなりました。
 
                                  9月19日の一言
追伸
明日は横井庄一さんの17回忌がおこなわれます。

ついでに200円のランを家内へ

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 本日ホームセンターの園芸コーナーに出かけたところ、売れ残ったランが集めて販売されており、値段を見ると200円と300円で、一年前に家内が200円で購入してきたものの、今年の春先に枯らしてしまったランに似た300円のランを購入してきました。
 
200円のランの生命力に驚き  http://blogs.yahoo.co.jp/s281218/46647949.html
 
 ランについては、一鉢数万円する高価な花をいただいたこともありますが、大きく立派な花は豪華ではあるものの、花が終わると置き場所に困り、その年の冬の越冬はできても最終的には枯らかしてしまいます。
 
 そんなことから昨年1月に家内が持ち帰った200円のランは、一年に2度の花を咲かせたことと、簡単に場所の移動ができるため、家の片隅を彩る存在としては可愛い存在で、本日もささやかな花を咲かせていたランを選びました。
 
 「お父さん、そんなに行っていたらお金がなくなっちゃうでしょう」と家内に叱られますが、私が一人で日常的に買い物に出かけられるのが、「バロー」と言うホームセンターで、このお店は相棒のリマも連れて入れますし、目的もなく店内を歩いていると、面白い品物や新しいアイデアがひらめいてきます。
 
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 本日は、シマミミズが植木鉢で養殖中であるものの、逃げたい放題であったことから、発泡スチロールの箱に移しかえるため、土に混ぜる腐葉土を買うのが目的でしたが、並べられている材料があまりにも安いため、鹿沼土や桐生砂、赤玉土も購入してしまいました。
 
 4袋購入しても千円でお釣りがあり、このまま買い物を続けたい心境でしたが、あまりの重さになってしまったため、店頭の園芸コーナーだけで退散です。
 
 「安くても何に使うの?」
 「ブルーベリーの挿し木かな」
 「挿し木ができるの?」
 「できる、できる」
 「根がついても何所に植えるの?」
 「うーん… このランはお前に買ってきたんだぞ」
 「えっ、そうなの」
 
 買い物が大嫌いで、結婚して以来、買い物に同行した記憶もなく、自分の下着や衣類も家内任せだった私ですが、数千円のスーツや、千円以下で買える品々が豊富なことから、買い物についていくのが好きになり、アウトドア商品などは使う想像をするのも楽しく、一人で買い物に出向くようになったことから家内にも驚かれていますが、そのままの気分や思いつきで購入して一度も使用していない品物もあることから自省も必要です。
 
                                     9月18日の一言

引きずったカラマツから上高地への郷愁を

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 上高地を中心とした飛騨路を走った三連休から帰った昨日の夕方になって、我家の駐車場に上高地などに生育する「カラマツ」の枝や葉が多数に散らばっていたことから、車体下にカラマツの枝を引きずってきたことが判りました。
 
 昨日の朝は野麦峠を目指しましたが、峠からの帰り道は、台風による強風と激しい雨で道路が小川状態となり、道路に倒れた倒木を避けて走りましたが、道路上には折れた木の葉や枝がじゅうたんのようになっていました。
 
 それらのことから、野麦峠のある高根町で引っ掛け、高山市からせせらぎ街道、東海北陸自動車道を経由して我家まで引っ張ってきたものと思われます。いや、正確には引っ張ってきたのではなく、前向きに挟まっており、道路を露払いのように擦ってきたのです。
 
 「ギー、ギーッ」
 「お父さん、何の音なの?」
 「… … …」
 
 高速道路で車体から聞こえた原因不明の音に、まさかこんな木が車体下に挟まっているとは思わず、車体下のスプリングが出した異音か、部品の何かが歪んだ音ではないかと、勝手な解釈をしていましたが…
 
 「だから、停めて見てみたらと言ったでしょう」と、家内に言われましたが、台風がこれだけ大きく発達していることも知らず、落石の危険も考えず、木々を乗り越えてきても帰宅するまで台風の大きな被害を他人ごとのように走っていました。
 
落葉しないカラマツに暖かさを感じて
      http://blogs.yahoo.co.jp/s281218/29892950.html  …私の四年前の一言  
 
 さて、引きずってきたカラマツについては、松の中では唯一落葉する品種で、10月末には上高地の小梨平をレンガ色のじゅうたんのように埋め尽くします。
 上高地は動植物だけでなく、枯れた木々の持ち帰りも厳禁されることと、仮に持ち帰っても温度差から枯れて生育しませんから、添付した過去に育てていたカラマツは上高地の外で入手したものですが、上高地では落葉するものの、私の住む津島市では落葉せずに越冬しました。
 
 ただし、翌年の夏を前にして、一緒に育てていた「イチイ」の木とともに、暑さから葉が落ちて枯れてしまいましたが、引きずってきたカラマツが旅愁と、道の駅に忘れてきたお気に入りのカサの存在から後ろ髪を引っ張られました。
 
 日本中に大きな被害をもたらした台風18号ですが、「台風一過」の言葉どおり、本日は秋の涼しさと清々して晴天をもたらしており、今年は4月の開山式の吹雪に始まり、雨にたたられてきた上高地でしたが、こんな最高の日に上高地に立ちたいとの想いから、今月末に改めて訪れたいと思いなおしました。
 
                                     9月17日の一言

上高地が目的だった…はずでしたが

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野麦峠 「ああ飛騨が見えるの」慰霊碑です
 
 本日は朝から雨が激しく降っており、道の駅飛騨たかね工房から野麦峠を目指したものの、すれ違う車は1台もなく、先行きを心配しながら進みましたが、野麦峠に到着した午前8時頃には、台風が愛知県を通過していたんですね。
 
 ああ 兄の背に 野麦峠を登り詰め 
       飛騨が見えるの一声で  此の世を去ったおみねさん
                聞くも語るも皆涙
 
 飛騨側(高山市)と松本側(松本市)の中間に位置する野麦峠です。岡谷や諏訪地方で毛織物が盛んな頃、飛騨側から貧しい家を救うため、十代の少女たちがこの野麦峠を越えて松本側に連れていかれたんですね。
 
 今でこそ、自家用車で簡単に通行できますが、当時は細い山道を歩いてやっと辿り着いたのが野麦峠で、兄に背負われたおみねさんの慰霊碑に刻まれた詩を読むと、自然に涙がほおをつたい、胸が高鳴りました。
 
 当方のこんな心境も理解せず、車中で相棒リマと仮眠している家内を見ると腹立たしくなり、9時から開館するはずの「野麦峠の館」の開館を待ち続けたものの、台風のためか開館されないばかりか、職員どころか観光客も皆無です。
 
 天気が良いと乗鞍岳が見える景観も、台風の影響で道路は川と化し、靴の中までびしょ濡れとなり、こんな天気の中を連れてきたと機嫌の悪い家内のため、木曽路の方が近いものの、温泉に入って昼食をとるため下呂温泉を目指しました。
 
イメージ 2 道の駅「飛騨朝日村(左)」から鈴蘭高原を通ってまもなく国道41号線というところで、道路が頑強な鉄の扉で閉じられ、道路が通行止めとなっており、今まで来た道を逆戻りすることになりましたが、野麦峠から下りてくる道路は落石と倒れた木々をかいくぐって来ただけに、通行止めは当然と思う反面で、目的地だった上高地は初日の夜から雨に降られ、昨日は神岡から宇津江四十八滝を訪れ、雨の中に出向いた三連休になってしまい、最終日は強風と豪雨に見舞われましたイメージ 3
 
半月前から、上高地でテントを張り、小梨平で3連休を過ごす予定を立てて、多少の寒さにも対応できるように準備がしてあったものの、初日の土曜日こそ雨がなかったものの、「今日のテントは止めた方が良いよ」と、テント経験豊富な画伯に言われ雨の心配の無い車中泊になってしまいました。
 
 ただし、同じ日にテントを持って上高地に入った人は多く、雨と台風により、キャンプには最悪の3連休となったと思われ、18日で半年間のテント暮しを終え千葉に帰る予定だった画伯も、台風の襲来が後片付けを早めました。上の写真は土曜日の大正池
 
 
 
イメージ 5イメージ 4 さて、雨と台風の3連休は天国から地獄のような3日間になりましたが、相棒であるリマ(ポメラニアン雄5才)にとっては、雨のために私と家内に置いてきぼりにはされず、車中では一緒ですし、元々が濡れた地面が嫌いですから、私達の赤ちゃんになったような日々で、久しぶりに「せせらぎ街道」を走ったところ、新しく建てられた「ウッドフォーラム飛騨」では、相棒も抱かれての入場ができました。
 
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 添付した写真の正面にいるのは相棒ではありません。何か判るでしょうか?
 
 子グマかなと思って観察していると、イノシシの成獣であることが判りましたが、危険なため近寄れず、イノシシと判る写真は撮れませんでしたが、自然界では危険と隣あわせである事を実感させられます。
イノシシは上高地ではなく、せせらぎ街道での遭遇です
 
                                    9月16日の一言

せっかくの上高地も晴れ間がなく…

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安房トンネルの料金所前です
 
 本日の上高地は、夜半からの雨があがり、いっときは雲間に光がさしましたが、それも一瞬のことゆえ見切りをつけて安房トンネルを越えました。添付した写真のように雨がつづき、正面に見えるはずの北アルプス穂高の銀嶺は雲に隠れて何も見えません。
 
イメージ 2 このまま待機しても8月と同じ雨の中になりますから、車を移動させて平湯から新穂高温泉郷、栃尾温泉と走らせると、わずかに紅葉する木々を見つけ、あと一週間もすれば紅葉シーズンが始まる気配も感じさせられました。
 
 こんなことから、目的地を「宇津江四十八滝」に変え、その道中にある道の駅と、神岡城跡に立ち寄ることにしました。
 
イメージ 4 神岡城に到着した頃には雨もおさまり、相棒リマも一緒に訪れましたが、神岡城はもちろんですが、同じ場所に存在する建物や鉱山記念館の中にはペットほ持ち込んではイメージ 5行けないとの看板があり、この看板の捉え方ですが、ペットに対する認識が、前時代的な獣のイメージにも感じられたことから、庭園を散策しただけで車に戻りました。
 
 右に添付したピンぼけ写真は神岡の街で、かつては鉱山の街として人々が集まり栄えた様子も伺えますが、ペットに対する低い認識から、観光に対するイメージも低下し、このまま退散することとなりました。
 
 一年前には、相棒リマを伴って松山城の天守閣から松山市の街を見下ろしていただけに、ペットを生き物ではなく獣のように認識する神岡の認識が残念です。
 
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 さて、宇津江四十八滝は、大小の滝が連なる自然の景勝地ですが、日ごろの不摂生な生活から身体中の汗と、滝の影響で湿気が多いことの相乗効果で、下着からびしょ濡れ状態となってしまいました。
 
 ここにも弘法大師にまつわる伝説が残り、宇津江の沼に存在した大蛇と、その大蛇を行者が救ったところ、大蛇は龍になって天に上ったとの話と、大沼が干上がるとともに滝が出来上がったとの伝承の後に、諸国修行中の弘法大師が立ち寄り、以後これらの滝を四十八滝と呼ぶようになったと記されていました。
 左上の滝の正面に祠があり、ここに不動明王が祀られております。
 
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 「天気はどうですか?」
 「何とかもったけどね」
 「じゃー、明日はどうです?」
 「明日は台風が直撃と言っているよ」
 
 宇津江の滝から望む北アルプス(左奥)や乗鞍岳(右奥)が遠くに見えますが、上高地の画伯との連絡では、台風のために天気も予測がつきにくく、本日は上高地にも戻れる距離を保ち、乗鞍岳と御嶽山の中間に位置する野麦峠の近くまで移動しました。
 
                                    9月15日の一言

上高地は人との出会い旅を演出します

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 三連休初日となった本日は、午前9時に我家を出発し、東海北陸道に入り長良川サービスエリアで休憩していると、見たことのあるような人が歩いており、世の中には似た人があるもんだと思っていると、今度は見覚えのある2人の女性が当方を見ておられ、よく見ると隣の町内の先輩たちのご家族で、あまりの偶然にびっくりさせられ、近所ではめったに会わないものの、はるか遠くで談笑することとなりました。
 
 実は、8月に上高地を訪れた際にも、その三日前に母校の同窓会総会の物故者法要をお願いした先輩にあたるご住職の家族やお仲間と遭遇し、「大鹿さん」と呼ばれてびっくりしたことを思い出しました。
 
 せっかくの連休ですが、元々が雨の予報だったところへ、発生したばかりの台風も進路を向けていることから、8月の雨の4日間につづいて今回も雨にたたられる上高地になりそうです。
 
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 本日の上高地は、平日にはマイカー規制でも入ってこられる観光バスやマイクロバスが規制されていることと、雨と台風の天気予報が重なったため駐車場はガラガラで、観光客の姿も例年より格段に少ない一日となっていました。
 
 昨日の一言にも記しましたが、テントや寝袋だけでなく、カセットガスや食材も豊富に積み込んできており、雨が降らないことを祈っていたものの、雨こそ降らないものの本日の上高地は曇り空の一日となりました。
 
  
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 8月には千葉に帰っていた渡辺画伯も、本日は元気にキャンバスを立てており、電話では声を聞いているものの、二ヶ月ぶりに元気な姿を見たことで安心しました。
 
 7月には同行した家内の姉夫婦が油絵をいただいており、私が上高地に出かけるたびに交友関係を深めているだけに、来週末で千葉に帰られる前に会えて責任が果たせたような気持ちにもなりました。
 
 「どちらからですか」
 「愛知県です」
 「えっ、愛知県のどこですか」
 「愛西市です」
 「えっ、私は隣の津島市です」
 「津島のどこですか」
 「神守です」
 「愛西のどこですか」
 「勝幡です」
 
 渡辺画伯の油絵を覗きこんでいた人々が近所から来ておられることが判り、びっくりの会話で盛り上がりましたが、すれ違えば無縁の人々が、「さて」と一言発することで旧知の友人であるかのような会話に発展します。
 
 渡辺画伯の話では、私が上高地で知り合った写真家(趣味ですが)の石原さんが、4月の開山式の時に私を探されていたとの話に、今年も閉山まで二ヶ月となってしまった月日の早さも実感する一日ともなりました。
 
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 さて、上の2枚は、まもなく夜を迎える直前の河童橋と、最後の客を待つバスターミナルの様子ですが、こんな時間に上高地を歩くのも久しぶりで、天気予報のとおりに明日も雨の場合は、いっそのこと松本側に車を走らせ、美ヶ原にでも行ってみようかと話しながら、「こんな日はテントより車の方が天国だよ」との画伯の助言を実践する夜となりました。
 
                                       9月14日の一言

雨が予想される上高地行きとなり…

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半月前から出しているテント一式を乗せたキャリー 
 
 明日から3連休を迎えますが、あいにくと天候が今一つで、私が出かける予定としている上高地は、今晩にも雨が降る予報が出ており、明日の日中は晴れるものの、夕方には降りだし、日曜日と月曜日も雨マークになっていることから、月初めから出してあるテントや寝袋も無用の長物となりそうな気配濃厚となっています。
 
 
 上高地の小梨平でテント生活をおくるホームレス画伯によると、9月に入っても雨の日が多く、雨の夜はジャンパーを着込んでも寒く、夜はガスコンロで暖をとっているとの話を聞くと、雨が確実視される中でテントを張るのも億劫ですが、来週末には千葉に帰ると言う画伯とも最後の上高地となることから、テントの選択にも迷いました。
 
 雨の中のテント生活は小さいとストレスが堪り、大きいと雨の中での撤収が苦痛となることから、真ん中をとって3人用を積み込みましたが、結局は車が大きい事から「車中泊」の方が楽かもしれません。
 
 今回は焼岳か岳沢まで歩こうかと考えていたため、明日からの天候を考えると苦渋の選択ともなり、雨の中を歩いてまで行く覚悟はありませんし、テントや車中で一日を過ごすのも苦痛で、こんな事なら行かない方がと考えてしまえば…
 
 実は、8月の上高地で、画伯の隣にテントを張っておられた豊中市のHさんは、連日の雨にもかかわらず、テントの前に張ったターフの下で本をめくり、手帳にメモをとられる姿から、世の中に達観したかのような飄々とした余裕を感じさせられました。
 
 ただし、私一人ならそれも良しとしますが、家内と相棒も一緒の3連休ゆえに、相棒もストレスを感じない3日間にしたく、出かける前からこんな一言を記している次第です。
 
 さて、過去の3連休なら、孫を伴った娘から連絡があり、上高地なら必ずついてくると思いますが、今回は何も音沙汰がなく、全く身勝手な奴らと呆れますが、雨の旅程にわざわざ誘うこともできず、せめて小雨で過ごせることを祈るばかりです。
 
 今月は来週も3連休で、来週は毎週火曜日に我家で開かれている書道会も、メンバー全員で1泊旅行が決まっており、こちらは祝日の宿泊代が高いことから、限られた会費で賄おうとすると行き先に困り、窮余の策で写経に参加して京都の宿坊に泊まってしまおうかとも考えましたが…
 
 再来週は、地元のお遍路の方々を知多半島の八十八ヶ所巡礼に案内することになっていますが、今までのお遍路とは違い圧倒的に高齢となったメンバーのため、果たして3日間で全部巡拝できるかどうか…
 
 もっとも、これらの行程に雨が重なったら最悪で、せっかくの旅程だけに今こそ雨乞いをしたい心境とさせられる一日となりました。
 
                                     9月13日の一言

ランダムブログに魅せられて相棒を…

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あんまり可愛いので他のブログから拝借しました
                               引用したブログ・輝く翼 君に囁くよ!
                           http://blogs.yahoo.co.jp/aoisangosyou99/15630171.html#15630171
 
 本日は文教建設委員会が開催され、委員会は昼過ぎにおわったものの、過去に積み残したままの仕事や、依頼してあった雑用に追われる一日となりました。ただし、久しぶりに感ずる充実感も感じての帰宅となりました。
 
 さて、添付した写真は、ランダムで初めて目にしたブログに添付されていたもので、本来のブログには運営者の作曲した自身の歌声が流れており、久しぶりに他人のブログから新鮮な気持ちをいただき添付した次第です。
 ここで、「皆さんこんばんわ」と私の肉声が出せたら最高ですが…
 
 週末には3連休を迎えることから、半月前からキャリーに3人用テントと寝袋を積み、携帯ガスコンロやナベなどを積んで置いてあり、先週は家内を連れてアルミ箔の防災寝袋を購入しに行ったことから、一人でテント暮しを覚悟していますが、一人での上高地行きではなくなりそうです。
 
イメージ 1 もっとも、そうなると困るのが相棒リマの存在で、家族が居るので置いていくことも可能ですが、相棒の私だけでなく、朝晩の食事と散歩に同行する家内が3日間も不在となるだけに、確実にストレスを溜め込みます。
 
 8月の上高地はケージとリュックに入れて同行させ、私のテントで一緒に寝ましたが、現地のタクシー運転手が駐車場の料金所に通報していました。
 
 これについても、上高地はペットの連れ込みを規制していますが、連れ込んでリードを外した放し飼いと、川や大正池に入れるのを禁止し、大小便の始末とケージを利用して人に迷惑をかけなければ罰せられる違法行為ではなく、8月も通報はあったものの何事もありませんでした。
 
イメージ 3 しかし、何も知らない相棒を巡って、犬嫌家と善し悪しの議論を戦わせたいとは思ってはおりませんから、今回は愛車キャラバンの車内で留守番となります。
 「そんなのは可哀相」と家内は言いますが、自宅に残しても日中は狭いケージの中の留守番となりますから、不運にも天気予報が悪いことも幸いし、上高地から出る可能性も高く、相棒との楽しい思い出が残せそうです。
 
 今では家族で外出する際には必ず同行し、私の助手席を指定席と思っており、車で出かける際には置いていかれないように行動し、旅行に行くと察知するとリュックサックやカバンの中に入り込みますから相棒抜きの生活は考えられません。
 
イメージ 2 もっとも、私の車に同行するのは、2年前に亡くなった愛犬モモ(左)からで、私が車で家内や三男を迎えに走る時に、内緒で車内に隠して連れ出したのが最初で、今にして思えば元気なら2匹とも一緒に連れていく家族環境になっていますが、相棒より車好きだっただけに残念な急死が悔やまれます。
 
 我家では私が生まれた時から犬がいますが、綱を切って隣のニワトリを食べたことで保健所に連れていかれたアキ(秋田犬)や、捨て犬を連れ帰って飼っていた愛犬ジャンプが無鑑札を通報され、私が小学校に行っているうちに連れて行かれた悲しい思い出もあります。
 
 添付したモモについても、モモの姉にあたる先代モモは、私達が旅行中に、我家へ訪れた宅配便の運転手の開けた扉から飛び出し、車に轢かれて生後3ヶ月で死亡していることから、一年以上待って生れた妹をもらってきた愛犬でした。
 現在は自宅の扉の外にツイタテがあり、事務所の扉にもツイタテを立てる二重の安全策をとっており、過去の愛犬たちへの反省と、愛犬たちの死が残した最高の環境の中で相棒リマは存在しています。
 
 それにしても、冒頭に添付したワンちゃんは最高でしょう。
                                   9月12日の一言

横井庄一作 初期の抹茶茶碗です

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 添付した焼き物は、グアム島で発見された「横井庄一」さんが作陶した抹茶茶碗で、陶芸を始めた一番初期の作品で、「すごいだろう」と我が家の家族に自慢するために持ち込んだ茶碗です。
 
 横井庄一初期の作品ですが、正確な作陶年月は不明で、グアム島から帰国して2年後の昭和49年7月の参議院選挙に立候補して落選しおり、この直後に陶芸を初めておりますから、昭和50年頃の作品で、初期に指導を受けた長久手の青少年公園の窯で焼かれた作品と思われます。
 
 
 年譜を見ると、『昭和54年の秋に自宅裏へ窯を築き六十路(むそじ)窯)と命名』とありますから、この頃から本格的に作陶生活を続け、昭和55年に東京銀座三越百貨店で個展を開催してから、昭和59年に名古屋三越百貨店で作陶十年を記念する個展を開くまで、全国8ヶ所で個展を開催しています。
 
イメージ 2 名のある陶芸家の多くは、腕が未熟だった頃の初期作品を見るのを嫌がるそうですが、まさに添付した抹茶茶碗は横井庄一が全くの素人として入門当初に焼いた作品で、我が家では普段の来客に使用されており、上部にぶつけて欠けた小さなキズが残ります。
 この茶碗は、ひも状にした粘土を巻いて器にした陶器で、ロクロを回して作られた抹茶茶碗ではありません。
 
 平成18年に横井庄一記念館が開館したのに併せ、我が家の事務所2階にもミニ記念館として陶器や書を展示したため、この抹茶茶碗もケースに入れられて現在は使用されていません。
 
 右上に添付した「ぐい呑」は、帰国15周年を記念して名古屋市中区三の丸会館でパーティーが開かれ、ここへ出席した人々に記念品として配布された物です。
 横井さんは多くの陶芸作品を作っており、販売はしていないものの、多くの焼き物を記念として差し上げており、差し上げた人々の高齢化と世代交代により、最近はオークションに出展されるようになってきました。
 
 我が家に残された横井さんの陶芸作品や書なども、我家のささやかな珍品として、これから時々紹介していきたいと思います。
 
 さて、本日津島市議会では、厚生病院委員会が開催され、明日は文教建設委員会が開催されます。
 個人的には、本日病院で健康診断の予約を済ませ、今月25日に胃がん検診を受けるのを皮切りに、各種がん検診や基本検診を受けることにしています。還暦をひかえ、確実に身体機能が低下しているため、何事もないことを祈るとともに、何事があっても動じない気力で乗り切りたいと念じています。
 
                                   9月11日の一言

名鉄バス利用で困惑した記憶を

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名鉄津島駅バス発着場の名鉄バス
 
 本日は昨日に続いて津島市議会の一般質問が行われ、私を含めて4人の議員が議場に登壇しました。
 一方で、新たに2件の議案が追加され、1件は津島市職員の給与を減額する内容であるものの、国が国家公務員の給与を減額したことから、国から地方公務員の給与も減額するように要請されたことによる追加議案でした。
 
 厳しい財政状況の中だけに、減額もやむなしの雰囲気はありますが、私は今回の国の要請が、給与を減額しない自治体には国からの補助金を減額するとの「脅し」が存在することと、市役所職員の給与は減額するものの、津島市の財政の厳しさの元凶である市民病院の医師や看護師の給与は減額させない不公平な条例改正案のため素直には受け入れられません。
 
 また、来年3月31日までの期限付き減額であることから、来年3月に定年退職となる職員の年金額に終身影響することや、今年から退職金の支給額も大幅に減額されていることを考えると、国からの身勝手な要請と、地方分権とか地方主権とまで言われていた過去と対比して国の暴走を垣間見たようにも思え不愉快な一日となりました。
 
イメージ 2 さて、冒頭に名鉄バスの写真を添付したのは、先月末に久しぶりに乗車した際、自身の「田舎者」ぶりを実感したと同時に、日頃バスを利用していない乗客に対する運転手の対応にも問題があることも事実として記録しておきたいと思ったからです。
 
 8月29日の朝、私は我家の近くにある名古屋行きの越津バス停を、午前9時36分発の「栄」行きの名鉄バスに乗車しました。
 
 このバスを利用して、名古屋駅午前10時32分発の新幹線に乗車する予定で、名古屋駅に徒歩5分の距離にある笹島バス停で降車する予定から、バスの時刻表を調べると笹島バス停に10時13分に到着予定でした。
 
 しかし、この日のバスは運行が大幅に遅れ、朝晩の通勤時でもないのに笹島バス停に到着したのが、新幹線の乗車時間が迫る10時30分に近づいていました。
 電車と違って、道路状況による遅れは想定していたものの、私の住む越津バス停から笹島バス停まで1時間近くもかかるのは、時刻表の到着時間37分と比較してもあまりにも遅れすぎです。
 
 この遅れの理由は、バスの運転手のドアの開閉に問題があり、安全確認とは言えども、バス停を共用している名古屋市営バスを利用するためバス停に立つ乗客に、「乗られませんか?」と問い掛けてバスの遅れを減らす工夫もなく、黙って立ってバスに乗ってこない市バス利用者に黙ってドアを開けている無神経な操作が原因と思われます。
 
 ここで、「乗られませんか?」と確認して、「発車します」とアナウンスすればかなりの時間短縮となりますが、バス停に立っている人があれば、乗らないと判る立ち位置でも必ず停まって、黙ってドアを開けて黙って様子を見ており、名古屋市内のバス停全部に停まれば遅れることは明白です。
 
 「こんな馬鹿な事を記すより、1本早いバスに乗れば良かったのに」と言われても仕方ないものの、遅れて申し訳ないとの意識もない運転手の運転と操作に問題があると思われることからあえて記しました。
 
 さて、遅れに遅れて笹島バス停に到着した際の顛末です…
 
 「笹島に停まりませんか?」
 「ハス亭にしか停まりません」
 「停めてください」
 「バス亭にしか停められません」
 「ここで停めてください」
 「バスはバス停にしか停められません」
 
 こんな会話を紹介すると、私がバス停でない場所でバスを停めろと言っているように勘違いされますが、「笹島バス停」は二ヶ所存在し、私が子供の頃から存在する笹島バス停と、市バスと両立する笹島バス停で、津島から名古屋駅(バスターミナル)に行く笹島バス停と、私が乗車した「栄」行き用の笹島バス停が存在していました。
※バス路線図にもバス停は一つですが、現実には二ヶ所の笹島バス停が存在します。
 
 つまり、停まると思っていた笹島バス停を通過した事から、慌てて「停めてください」と言ったわけで、3回も「バス停にしか停まらない」と繰り返すよりも、「100メートル先の笹島バス停に停めます」と運転手が説明すれば慌てることもなく、満員の乗客に横着な客と思われることも無かったと思われます。
 
 日頃からバスを利用する人から見れば、「田舎者」とか「馬鹿者」としか思えぬ会話で、今後の肥やしにするつもりでしたが、後日談として語った際に、私と同じ経験をした人も複数存在することが判り、学生時代には当り前に利用していたバスですが、日頃利用しない人にとっては乗り方から困惑している現実が運転手には理解されていません。ましてや、初めて利用する人も存在し、知らない乗客が悪いのではなく、乗客の問いかけに的を得た説明をする配慮が運転手には必要です。
 
 自分の恥かき話と思っていましたが、運行時間を大幅に遅れても急ごうとしないドアの操作や、目の前にバス停が存在して停まるのであれば、「そこのバス停に停める」と的確な説明をしない運転手の教育も必要に思われます。
 
 この顛末については、名鉄の名古屋駅に勤務する私の妹にも伝えましたが、今は名鉄電車とバスは別会社になっている事から、機会があれば名鉄バスにも伝えようと思っていたものの、記憶は薄れていくことからここに記して記録として残しました。
 
                                 9月10日の一言
追伸
予定していた新幹線には乗り遅れました。

相棒の笑顔に癒やされて

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 本日は津島市議会の一般質問が開催され、6人の議員が質問のため登壇しました。明日は通告している4人の議員が登壇し、私は明日の二人目のため、10時過ぎに通告した3件の質問に立ちます。
 
 さて、議員にとっては議会が一番重要ですが、一般市民の方々は無関心な人が多く、議場内は電話に出られないことから封印中の携帯電話には、ボランティアの依頼と、市役所の窓口に対する苦情が何度も寄せられていました。
 
 今週は明日まで一般質問が予定され、明後日から常任委員会が開かれますが、週末の上高地行きに胸踊らせていると、継続して積み残している仕事と、四国遍路や約束してある仕事などが、締め切りの余裕もなくなってきています。
 
 一方で、私の議会日程の一番の犠牲者は相棒リマ(ポメラニアン雄5才)で、事務所にエアコンが入らない暑い一日が夕方まで続き、私が帰らないとケージに入れられたままにされますから、今週はストレスを溜め続けることになりそうです。
 
 我が家の相棒は、カメラを向けるとそれまで口を開けて笑っているような表情が一変して、口をつむって厳しい表情しか見せませんが、他所の愛犬が優しいのではなく、カメラを向けた飼い主がいかに愛犬を愛し、根気のある人であるかを実感させられます。
 添付した写真は、相棒が平生に私に向ける笑顔で、カメラの前での笑顔は珍しく、本日は永くケージの中にいたため、私の帰宅がよほど嬉しかったものと思われ、相棒の笑顔は私のストレスも払拭してくれます。
 
 本日は新聞の休刊日のため、夕刊の一面記事はオリンピックが東京に決まった記事となり、情報化社会の中で夕刊のない日曜日と休刊日が重なったことで、かなり遅れた記事に感じられました。
  
「なぜ、東京は五輪を勝ち得たのか?」記者座談会 
 
                                                   9月9日の一言

車中でもパソコンが利用できるようになり…

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 2日前にノートパソコンの1台が不調になった事から、名古屋に走ってリセットし直すとともに、外出した車の中でもパソコンが出来るように依頼したため、本日から車の中でもパソコンが使用できるようになりました。
 
 これまでは、旅先にパソコンを持ち込み、宿やホテルのネット環境を利用するか、インターネットカフェや漫画喫茶に入るわけですが、第三者と一緒のグループや団体での外出には利用ができず、この一言についても携帯電話のメールで発信していました。
 
 来週末の3連休については、上高地へ出かける予定があり、来月の月初めの3日間も地元の人々の運転手役で、知多半島の八十八ヶ所霊場を廻ることから、車内でパソコンが使えるのは大きな進展で、旅先での情報収集に大きな武器となりました。
 
イメージ 2 これまでも何度か外出先でパソコンを使いたいと考えていましたが、ネットのために何口も契約するのも料金が勿体無いと現在まで至り、アイパッドやスマートフォンなどを勧められたものの、新しいものには頭がついていかず本日に至りました。
 
 今回は、車の12ボルトの電源を、150ワットではありますが、パソコンが使えるパワーインバーター(写真右)を購入して、NTTドコモの端末「OCNモバイルONE」の1カ月980円の基本料金で契約し、モービルルーター(写真下)を購入しました。
 
 もっとも、パソコンがあることで、旅先でもネット情報やメールを交換するようになると、家庭と同じ深夜族の連続となることから、寝不足で運転する可能性を考えると、今までの不都合のままでも良かったのかもしれません。
 
イメージ 3 一方で、私の身勝手な利用で動きが遅く不調となっていたパソコンも、データを移し変えて新規一転させたことで、スピードアップが図られたことで、新たなパソコンが必要かと覚悟を決めていましたが、当面はこのままで延命が図れそうになってきました。
 
 私の車には、寝袋や毛布は勿論ですが、携帯ガスコンロやナベ、飲料水を積み、食材だけでなく珈琲や紅茶、ココアに抹茶まで搭載しておりますから、パソコンの搭載により、テレビ、携帯電話も利用できることを考えると帰宅しなくとも仕事まで継続できそうです。
 
 もっとも、このままパソコンをセットしたままにしておこうかと考えていましたが、このまま車内に置いたままでは盗難の可能性があり、ただ単に機器を盗まれるだけでなく、パソコン内の情報が流出するとの指摘に、オリンピック招致では安全な国とアピールされていたものの、随分と凶悪な国になっていることも実感させられました。
 
                                   9月8日の一言

魚屋さんへミミズの飼育用の箱をもらいに

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 先週に引き続き三男が昨晩から魚釣りに行き、小さなウナギ(写真が撮れていません)と、写真のウグイと思われる魚を釣ってきました。もう一匹はハゼで、元気なまま持ち帰ったため、過去に生きたまま持ち帰るために買った酸素を探して、飼うことにしましたが果たして永く生かせるのでしょうか。
 
 イメージ 2我家には3人の息子がいますが、私が24才の時に生れた長男と、37才の時に生れた三男とは私の趣味が変わり、三男と一緒に魚釣りに連れて行った記憶がありませんから、今年の春から仕事半分と自転車半分にして、時間の余裕ができたことから生れた楽しみかもしれません。
 
 そうやって考えると、今から20年前には釣ってきた魚が水族館のように飼われていたことが思い出され、いずれも死んでいってしまった過去が思い出されてなりません。過去の遺産というべきか、使わなくなった水槽は庭先に放置したまま転がっていますから、繰り返す可能性は大かもしれません。
 
 このまま釣り行きが続くと我家の土曜日の昼食は魚のから揚げが続き、料理する家内の手は生臭く、使用したタオルまで臭くなりますから、朝帰りで午後まで眠っている三男の無責任さに腹立たしい一日ともなりました。
 
 さて、三男の魚釣りとは関係ありませんが、数年前に魚釣りの餌として購入したミミズが残り、大きな植木鉢に移して餌となる残版や新聞紙などを入れて飼い続けてきたものの、多いときはびっくりする数のミミズがいるのに、時には数匹になっており、どうやら雨で濡れたときに逃げ出しているものと思われます。
 
イメージ 3
 そんなことから、本日は近所のスーパーで魚を入れる発泡スチロールのフタのある箱をもらいに訪れたところ、巨大な箱しか存在せず、もらってはきたものの、ここに土を入れて置いたらミミズの大量飼育は可能かもしれませんが、私の性格からしてこのまま数年間は動かさないままとなりますから、スーパーのご厚意は有難くいただき、改めて手頃な大きさの箱を探したいと思います。
 
 私の子供の頃には近所に「シマミミズ」が存在する畑の「クマシ」という生ゴミ置き場があり、魚釣りの餌は買わなくても川の近くで獲ってから行っていたものでした。今では町内にシマミミズの密集する穴場は無いものと思われ、これからも再現はできないと考えると寂しいかぎりです。
 
ミミズ飼育のサイト http://www.ikigomi.jp/mimizubako2.htm
 
 それにしても、子供の頃に当り前に存在したシマミミズがいなくなり、今年は飛んで来るトンボの数も少なく、水藻やヨシに囲まれた水郷は、コンクリートと金網に囲まれた用水路となり、遊び場だった道は危険な道路となり、土地に対する郷愁は感じられなくなりました。
 
                                      9月7日の一言

パソコンが最悪の環境に陥り

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名古屋駅の南 笹島交差点手前です
 
 本日はノートパソコン1台の動きが重く、ストレスをためて座っていたところ、「パソコンの状態は最悪」と意味するようなメッセージがあり、慌てて勧められるままにクリックしていくと、文字も書き込みができなくなる事態に陥っていきました。
 
 私にはこんな時に頼れるパソコンの救急者(パソコン関連会社運営)が存在し、早速連絡すると「仕事の帰りにでも寄りましょうか」と言われたものの、いつも来てもらうのも悪いため、名古屋市中区の会社の場所を聞いて車で走りました。
 
 メッセージを見てクリックしてから異常になっていることから、どうやら詐欺紛いの勧誘に騙された可能性が高く、それまでもウイルスや勝手な操作でパソコン環境は最悪になっており、パソコンを持って走ったものの、データを保存して初期設定からやり直すこととなりました。
 
 「旅先の車の中でパソコンが出来たら…」と私の発した一言で、会社が大須にあることから、車の12ボルトを家庭用の100ボルトに変換する「パワーインバーター」と、月額980円でパソコンが接続できるモデムを買ってきてもらいました。
 
 結局は時間切れで改めて設定してもらうこととなりましたが、今後は旅先でもパソコンが車の中で利用できるようになり、四国遍路や旅先の行動が広がり、旅先で電源を確保する心配も無用になりました。
 
 もっとも、アイパッドやスマートフォンを持っている人には当り前の事で、腕時計型の携帯電話が存在する時代に、旅先でパソコンを使いたいなんて時代遅れも甚だしい話ですが、パソコン4台に固定電話3台、携帯電話2台にパソコンモデムなど、支払先も多種にわたり、私が倒れたらこのブログや支払いの内訳は大丈夫かと心配になる一日ともなりました。
 
 さて、名古屋は30分もかからぬ距離にありますが、私の車は車高が228センチもあることと、車の長さも4メートル99センチあることから、駐車場探しや駐車料金を考えると最近保険をかけた単車(メイト80)で行けば良かったのかもしれません。
 
 まもなく仕上がってくる自動二輪(VF400)も加わると、生活環境はより多様となり、車中泊用の道具も揃っていることから、自宅から出たままでの生活も可能と考えると夢が広がりますが、そんな勝手が許されれば最高なんですがね…
 
                                    9月6日の一言

津島総合案内所 名鉄津島駅構内

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 先月末の京都行きについては、しばらくバスや列車に乗っていないことから、バスの降車や新幹線の乗車券(回数券のため)に戸惑いながら、やっと高校時代から利用しなれた名鉄津島駅に到着しました。
 
 ここも高校時代のようにたむろする仲間の姿もなく、中年と言うよりも初老の通行人としてトボトボと歩いていくしかありません…
 
 こんな寂しさを払拭してくれたのが、改札口の真ん前にある総合案内所で、ボランティアの丹下さんが「寄っていってよ」と呼んでいるとしか思えないような笑顔で招き入れて下さいました。
 
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 ここには津島市の名産品や地酒などが並べられており、津島市内を紹介するパンフレットも多数揃えられています。
 
 冒頭に添付した丹下さんは、今年3月まで津島市観光交流センターに常駐する観光ボランティアを務めておられたことから、市内の名所にも詳しく、イベント等についても詳しいので立ち寄って情報収集するのも有効と思います。
 
 
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イメージ 4  左は津島名物「あかだ」と「くつわ」です。
 
 右は新しい「津島生姜カレー」です。
 
 
 
 
 津島市は津島神社の門前町で、名鉄津島駅と津島神社を結ぶ天王通りの商店街を中心に発展してきましたが、車社会になったことで商店街はさびれ、人も寄り付かぬ環境になっており、神社と津島駅の中間点に位置する観光交流センターについても、本来は鉄道やバスのある津島駅を起点にして考える方が自然であり、この総合案内所をボランティア任せにせず、もっと有効に利用していく必要も感じます。
 
 私自身も車で移動することから、津島駅に立ち寄ることもありませんが、鉄道や駅を中心に街づくりを考えると、車の駐車場を整備するとともに、バス路線も駅へ集約する必要があり、駅周辺の整備を私鉄の名鉄任せではなく、行政も一体となった街づくりを考えなかったツケが今の起点のない津島市にしてしまったのかも知れません。
 
 鉄道や公共交通と、車社会の融合を果たせなければ中心市街地は衰退し、車社会のため道路ばかりに気を取られると、人々が通過していくだけの街となり、県内を見渡しても駅が中心となっている自治体は発展しています。
 
 そんなことを考えながら丹下さんの話を聞いていましたが、「定年後の残りの人生をボランティアに賭けた」との一言には、NPO法人まで立ち上げた福祉有償運送のボランティアに対する覚悟が不足しているようにも思え、自己反省したい心境にもなりました。
 
 本日は久しぶりにボランティアの一日となりました。
                                  9月5日の一言

台風・竜巻・豪雨で日本中に災害が

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津島市で一番大きな日光川 本日夕方の様子です
 
 2日に発生した竜巻は、埼玉、千葉、茨城の3県で計約3万1500軒が停電する大規模な災害となりましたが、本日は栃木県でも大きな竜巻が発生しており、今や竜巻も台風のように日本中で発生する自然災害となってきました。
 
 本日は昼頃に地震が発生し、東京のテレビ局が揺れたことから大きく発信され、台風が九州に上陸した報道では、九州には6年ぶりに上陸したことにびっくりとさせられましたが、そんな他人事のような余裕は午後の東海地方にはなく、木曽川を挟んだ岐阜県では海津市や大垣市の5539世帯1万6380人に避難勧告が出るなど、大雨による被害がでており、私の住む津島市にも大雨洪水警報がでました。
 
 「津島市は大丈夫ですか」
 「今のところは…」
 「名古屋や岐阜県で避難しているでしょう」
 「そうですね…」
 
 雨の被害を心配する独り暮らしの人から電話があり、本日は津島市では一番大きな日光川(2級河川)の様子を見に行きましたが、天井川ではありますがまだ堤防のブロックの下に水位があり、深刻な状態ではありませんでした。
 
 しかし、木曽三川の河口部にある津島市ですから、稲沢市で道路が冠水しているのであれば、下流の津島市の危険はより高く、記録的豪雨に見舞われれば水没する危険性は否めず、本日午後の強風と激しい落雷と雨は独り暮らしの人には恐ろしい時間になったと思われます。
  
岐阜県で豪雨、9地点で1時間100ミリ以上を記録
栃木県中央部で竜巻発生 吹き飛ぶ屋根、けが人の情報も
台風17号、温帯低気圧に 九州上陸は6年ぶり
竜巻、埼玉で停電約3万世帯 千葉や茨城でも
 
 東日本大震災によって壊滅的な被害を受けたものの、その後も日本各地で何らかの自然災害に見舞われ、地震と台風だけでなく、竜巻や集中豪雨が連続して壊滅的被害を及ぼすようになってきました。
 
 大災害の後も秩序を保つ勤勉な国と評価された日本も、連日のように人が殺害される事件が起こっており、まるでこんな凶悪事件をおこす現代社会に制裁を与えているかのように自然災害が牙を剥いてきます。
 
 「おーい、久しぶり!! 
 「そちらはどうですか?」
 「毎日、雨ばっかだよゥ」
 「寒さはどうですか?」
 「ジャンバー姿でも寒いよ」
 
 議会の休会中(10日後)にテントを持ち込もうと考えていますが、目的地としている上高地のテントの中から本日電話があり、雨が続いて寒さに震えているとホームレス画泊の声を聞くと、本日の我家の落雷と激しい雨をテントの布一枚でしのいでいる厳しさを実感させられます。 
 
上高地・ホームレス画泊  http://blogs.yahoo.co.jp/tokisa3316/16544291.html
 
 「来週にでも行きます」と、観光気分で簡単に言葉を発しましたが、気温10度以下の上高地にテントを持ち込むなら、それなりの装備が必要となり、こちらは夏の余韻に浸れるものの、天候を確認して出向かないと大変なことになりそうです。
 
                                 9月4日の一言

9月議会 私の一般質問

 9月議会 大鹿一八の一般質問
 
1件目 津島市の空き家対策と民間住宅借上げ公営住宅の可能性について
  要旨 ・空き家の現状と対策について
      ・民間住宅の有効活用について
 
2件目 津島市の生活道路と交差点の整備について
  要旨 ・右折レーンの確保について
 
3件目 市民菜園開設に向けての具体策について
  要旨 ・具体的にどんな交付金がかんがえられるか
 
 1件目の質問は、津島市の空き家の現状と、空き家を有効利用するため利用できる国の支援策を問い、空き家や敷地面積の広い農家を公営住宅として借り上げ、家族数の多い家庭に提供できないかを質問します。
 
 2件目は、大きな計画や主要道ではなく、市民生活を送る中で発生する生活道での渋滞箇所を解消するための国や県の制度利用や、交差点の右折レーンのスペースを確保することで渋滞を減らして、スムーズな通行のできる道路の提案します。
 
 3件目の質問は、過去の質問に対して、「市民菜園の設置については、現在は民間活力を活用できるように誘導していきたい」との答弁があったものの、現実には何も進捗していないことから、県内の他自治体の設置状況を問い、実際に開設しようとする場合に利用できる国や県の支援策を問いかけ、平成17年に閉演となったままの市民菜園再開の足がかりにしたいと思います。
 畑の貸し借りからトラブルが発生することから、畑を無償で貸している現実や、耕す人がないため、雑草を茂らせている農地も多い事と、野菜を栽培したいが畑のない市民も存在するための質問です。
 
 今年は、津島市の監査委員になっていることから、監査の場で知りえた情報を漏らすことが禁止されており、どこまでが守秘義務かの判断も難しく、知っておれば話したくなるため、質問の内容を意図的に変えています。
 
                                  9月3日の一言

新聞販売店の苦労を回顧して

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 議員になる前まで23年続けていたのが朝日新聞の販売店で、先週に京都で開催された監査委員の研修会の帰路、名古屋から津島への名鉄電車で、久しぶりに電車に積み込まれた地元紙の夕刊とともに津島駅に降りました。
 
 この夕刊は、津島駅から尾西線の電車に積み替えられ、沿線の駅で販売店が取り出しに来るのですが、私自身は他の販売店の取り出しで、電車から新聞を降ろした経験はあるものの、未だに列車で新聞が配送されていることに懐かしさを覚えました。
 
イメージ 2 我家が販売店を起業した当時、朝刊はトラックで配送されてくるものの、夕刊は名鉄バスに載せられて配送されており、我家の前がバス停のため楽ではあったものの、バスは電車のように時間に正確ではない事から、積んでいないバスに乗り込むとそのままバスに乗せられて走り出したり、当時は時刻表より早く通過して終点のバス停に夕刊が置かれたままになったりとハプニングの繰り返しとなりました。
 
 私が起業した当時は台風が来たり、雪で道路が凍結した際にはバスの時刻が混乱し、どのバスに夕刊が積まれているかも判らず、通過するバスを全部停車させて確認したり、大幅に遅れて配達が夜になることもありました。
 
 こんな苦労も、津島市の商店連合会のトラックが夕刊を配送してくれるようになり、トラックの運転手さんが降ろしてくれるようになりましたが、その後に名古屋都市高速も完成し、万が一の場合は名古屋まで直接取りに行ったこともありました。
 
 懐かしい記憶と、時々はお手伝いも健康に良いと感傷に浸っていましたが、未だに駅まで取り出しに来ている販売店の苦労を考えると仕事の厳しさも思い出すこととなりました。
 
                         とりあえず、9月3日の第一弾です

我家のヤモリの赤ちゃんを見つけて

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 我家に昔から生息する「ヤモリ」の赤ちゃんです。事務所の2階で三男に保護され、親達がいるであろうと思われる事務所の窓の外に放しましたが、暑かった夏が過ぎて、これから日に日に寒くなっていくだけに心配です。
 
 私はヘビが大嫌いなため、トカゲも好きになれませんが、夜になると窓の外にへばりつき、灯りに寄ってくる虫を食べようとしているヤモリは可愛く、「家守」と思えば大切に共存していきたいものです。
 
 三男の手のひらに乗るヤモリは小さく、こんな小さいヤモリが自分で餌を食べて生きていけるか判りませんが、何とか今年の冬を乗り切って、大きく成長して欲しいものです。
 
 
 
 
ヤモリの飼い方より引用
イメージ 2ニホンヤモリGekko japonicusは体長10~14cmのヤモリで日本では昔から家に住み着いて害虫などを食ってくれるので「家守」とか「守宮」などと書かれます。家の戸袋などの隙間を住みかにしていて日が暮れる頃になると灯りに集まる虫などを狙ってごそごそと出てきます。

その特徴は何と言っても指にある指下板とよばれる器官によって垂直はおろか、天井などにさかさまに「張り付いて」自由自在に運動するところです。
 
 

えっ、ウナギ丼ですか…

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 本日は津島市議会定例会(9月議会)が開会し、初日から正午を越えた熱心な審議が続けられました。
 
 「お昼でも奢ろうか」 (私)
 「いいですねー、有難うございます」
 「なか卯のスダチのうどんは良いよ」 (私)
 「今年はウナギを食べてないから」
 「鰻ねぇ…」 (私)
 「ウナギ、良いですねぇ」
 「…そうかっ、なか卯も捨てがたいが…」 (私)
 
なか卯のすだちおろしうどん
 
 こんな展開で、市内にはあまり見かけない鰻屋さんを目指したお店が創業江戸末期という「松廼屋(まつのや)」さんで、メニューを見ると小うなぎ丼が1800円とあります。
 
 「小ウナギ丼とは何ですか?」
 「ウナギが少ないの」
 「並ウナギ丼(2200円)が普通のですねぇ」
 「そうですね」
 「そっ、それじゃー、並三つねッ」
 
 こんな展開で、我家の恒例となっているスーパーのウナギ丼ではなく、ウナギ専門店のウナギを食してきたものの、殺生ができないので無理ですが、三男にウナギでも釣ってきて欲しい心境となりました。一度に財布が寂しくなり、奢ると言わなければ良かったと思っても既に遅し…
 
                         とりあえず、(今晩)9月2日の一言です

居間のエアコンが故障して

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 本日の昼食のおかずは、昨晩に三男が釣ってきた黒鯛と鱸(すずき)で、我家から30分の場所で簡単に釣り上がり、早速食卓に上がってくるわけですが、私は釣る事はできても生きているものを食べられませんから釣りにも行かなくなりました。
 
 娘夫婦が孫を連れて訪れたことから、一緒に昼食や外出を考えていると電話で、10月1日から3日間の行程で出かける知多半島の八十八ヶ所巡礼の打ち合わせの約束を忘れており、慌てて市内のお寺に走る一日となりました。
 
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 昨日の一言に、平成5年に亡くなった父親の描いた色紙が戻ってきたことを記しましたが、私が京都に行っていた先週木曜日にエアコンが壊れており、このエアコンも父親の最後を快適にするために設置したもので、これまで故障もなかっただけに随分と頑張ってくれたものだと思います。
 
 もう少しで夏も終わるだけに、事務所の冷気を扇風機で送ってしのいでいるものの、このまま続けることは限界があり、修理かできれば幸いですが…
 
 動かない理由はヒューズが切れていたことで、その理由が知りたいものの、我家の電気工事をお願いした会社は解散しており、後輩の電気屋さんは電話も廃止され、仕事をしていない可能性もあり、かつては母校の同窓会長も電気屋さんでしたが、亡くなられて存在しません。
 
 知恵がありそうな知人に電話すると、「エアコンにヒューズ?」、「ヒューズを買ってきて付けてみたら」とか、ネットでメーカーに問い合わせてみろなど役にたたず、大手の電器量販店は存在するものの、これまで存在していた町の電気屋さんがほとんどなくなっており、相談もできなくなっていることを実感させられました。
 
 私の住む中学校区には1軒の電気屋さんしか残っておらず、幸いにして母校の同窓会報のスポンサーになってもらっていることから、連絡してヒューズを交換してもらいましたが、どうやらモーターに異常があり、ヒューズを交換してもすぐに切れてしまうそうです。
 
イメージ 3 このエアコンは、200ボルトを使う業務用で、買い換えると30万円程度はするそうですが、なにしろ20年前の製品だけに、修理する部品があるかどうかも判らず、メーカーに問い合わせてもらうこととなりました。
 
 最近は電器製品の消費量が低く改良されているため、低料金のエアコンを入手した方が得に思っていましたが、200ボルトのエアコンの方が料金は得のような話に、せっかく200ボルトの電源が残されているため、今後は最高の空調環境を考えてみたいと思っています。
 
 20年前に他界した父親の色紙が戻りましたが、父親が他界してから生活環境は何も改善されておらず、庭の木々は成長して林のようになった以外は、屋根のトイがネジレ、壁の塗装がハゲ、床の土台が緩み、電器製品も老朽化しています。
 私の欠点がすべてにおいて集合するような家庭環境となってきました。
 
                                     9月1日の一言
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