大鹿一八「本日の一言」

平成16年2月から令和1年7月末までの「本日の一言」です。ヤフーブログ閉鎖により、ライブドアへ過去の記録として引っ越しました。

2013年10月

連日玄関前に犬のフンが放置されて

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 我家の玄関前の歩道に、一昨日に大きな犬のフンが放置され、歩道を通行した自転車が踏んで通行したため、歩道にこびり付いて片付けられない中を、小学生の通学団や中学生が歩いていく姿に、玄関前だけに非常に強い不快感を持っていました。
 
 ところが…
 
 「なんだー、こりゃー」
 
 本日は、3日間続いた市役所での例月出納検査が終わり、帰宅した直後に相棒リマとともに、玄関のポスト内の郵便物と夕刊を取り出しに走ったところ、昨日に引き続いて犬のフンが放置されていました。
 
 「どこの、どいつだ!!
 
 本日は不快感を通り越して、腹の底から怒りがこみ上げ、我家の玄関前に犬のフンを放置した犯人を捕まえて警察に通報してやろうかと勇んでみても、肝心の犯人が夜中に通るのか早朝なのかも判らず、特定しても警察が来る可能性は皆無と思われます。
 
 何よりも放置されたフンの前を、我家の家の中で人間と同じように生活させている相棒と通ることも不快であり、相棒を連れて放置されたフンを処理する気持ちにもなれず、相棒を家の中に入れてから、フンの処理と同時に添付した看板を立てかけましたが…
 
 実は、近所でも犬のフンに憤(フン)慨している家があり、手描きの注意書きを貼りだしてありますが、当事者以外には笑い話にしかならず、我家も10年ほど前に連続したフン害のために添付した看板で対応していた次第です。
 
 それにしても不愉快で悪質な犬の飼い主の存在は、地域の生活道路を犬のフンまみれにし、こんな道を我家の相棒とともに歩くのは、相棒に不潔であると同時に、まるで我家の可愛い相棒も当事者と思われる可能性から、最近ではのんびり散歩する気持ちも湧いてきません。
 
 人の玄関前にフンを放置するような横着な住民が、近所か同じ地域に住んでいることも腹立たしく、一方では厳罰に処する条例も整備されておらず、警察に通報しても相手にされるとも思われません。
 
 連休を前にして、はっきりしない天気と、急に冷え込んできた足元から、不快感が身に滲みる一日ともなりました。
                                  10月31日の一言

食材の偽装だけじゃありませんね

 阪急阪神ホテルで発覚した食の偽装標示問題は、札幌や徳島のホテルに飛び火するだけでなく、愛知県の名古屋観光ホテルでも食材の偽装が報告され、高級ホテルでの高額な食事は信用できない時代になりました。
 
 高級ホテルに限らず、観光地や一般の料理屋においても、絶対に偽装がないかといえば疑わしく、過去に知人たちと訪れた料理屋さんで、完全なる天然鮎とは思えなかったものの、知人たちが「絶対に天然」と言い張るので黙っていたことがありました。
 
 私は過去に食した天然鮎の「ハラバタ(内臓)」の味と違っていたことと、知人達がハラバタを食べ残したものの、お店の女性は何も言わなかったことから、本当に天然を売り物にしているなら、美味なるハラバタを残されて黙っているはずがないと思い、完全なる天然物ではないと思いました。
 
 もっとも、私は高級料理店とは無縁の生活で、最近のお気に入りは「なか卯」と公言して、家族から恥ずかしいからやめてと言われているくらいで、「なか卯」は安いだけでなく、待たされることなく、待たされてストレスを溜めることがありません。
 
 
 さて、当分は全国各地のホテルや高級料理店の食材の偽装が発信されてくるものと思われますが、これは食材に限らず、高級志向の品々や、芸術品にも偽装が問題となりそうです。
 実は、ネットオークションにおいても、偽物が出展されていることがあり、横井庄一記念館が開館した際に、記念品として無料で配布された印刷した色紙が、「直筆」の色紙として5千円で出展されているのを見たことがありました。
 
 印刷技術が発達して、印刷であっても印刷とは思えない色紙でしたが、横井庄一さんが色紙に揮毫してから20年以上が経過していることから、本物の色紙は色紙に染みや色あせがあるのが一般的で、無料で配布された印刷した色紙の出展は、偽装と言うよりも詐欺行為としか思えません。 
 
日展書道、入選を事前配分 09年度「篆刻」、有力会派で独占
記事の続き…
1万円を払えば誰でも応募でき、入選すれば展示される。今年度は11月1日から国立新美術館(東京・六本木)で開催される。1万3919点の応募があり、7割が書だ。
 書には漢字、かな、調和体、篆刻(てんこく)の4部門がある。朝日新聞は、石材などに文字を彫る「篆刻」の2009年度の審査を巡り、当時の篆刻担当の審査員が有力会派幹部に送った会派別入選数の配分表と、手紙を入手した。配分表には有力8会派ごとの応募数と入選数が直筆で記され、過去5年分の会派別の応募数と入選数の一覧も添えられていた。
 手紙は審査員が入選者公表前の10月15日に書いたもので、「今年は昨年度の会派別入選数厳守の指示が日展顧問(本文は実名)より審査主任に伝達され、これに従った決定となりました」とし、配分表通りに入選数を決めたと説明している。日展顧問(89)は書道界の重鎮で日本芸術院会員。審査主任は書の4部門全体の審査責任者で、当時は日展常務理事だった。
 手紙を出した審査員は「審査中に審査主任から『日展顧問(実名)の指示だ』と言われ、会派別の数字が書かれたメモ(配分表)を受け取り、その通りにした」と取材に証言。09年度の篆刻の8会派別の入選数はこの配分表通り決定し、8会派に属していない人はひとりも入選しなかったという。
 審査主任はすでに死亡しており、日展顧問は取材に対し、09年度の審査について「審査主任に指示したことは一切ない。審査主任が勝手にやったことだ」と関与を否定する一方、その後は書の4部門について審査前に日展理事らで合議して入選数を有力会派に割り当ててきたことは認めた。
 日展を開催する公益社団法人「日展」は「会派別の入選数を割り振るということはあり得ないと考えている。今のところ調査は考えていない」。公益法人を監督する内閣府は「そのような事実があれば、日展に徹底した調査とその報告を求めることになる」としている。
 
 「やっぱり」の声が聞こえそうですが、日展に入選する作品にも「天の声」が存在し、所属する会派や有力な審査員の影響が大きいことと、選ばれるためには大金が必要になることや、作品の善し悪しよりも事前に入選者を決めていたことが関係者の残した手紙から報じられました。
 
 芸術作品の評価にも大金が動いている現実を考えると、未だに汚い舞台裏が存在する社会を実感させられますが、食材の偽装だけに終わらせず、世の中の偽装や詐欺をすべて一掃する覚悟で臨みたいものですね。
 
                                  10月30日の一言 

善通寺から指導僧の暴行事件が発信されて

 香川県善通寺市真言宗善通寺派の総本山善通寺で、20代の男性修行僧が、指導役の40代の男性僧侶から修行中に暴行を受けて2週間のけがを負ったとして、香川県警に被害届を出した。僧侶は謹慎中という。
                                 朝日新聞本日付け夕刊
 
総本山善通寺で指導役僧侶が修行僧に暴行、2週間のけが
 
 他の新聞によれば、男性はあばら骨が折れており、別の修行僧1人も継続的に暴力を受けていたとも報道されており、より年長の僧侶は、指導役の僧侶に「それ以上したら捕まるぞ」などと注意したことや、一緒に寮生活した複数の僧侶も状況を認識していたが、止めなかった事も報じられています。
 
 被害にあった男性は近畿地方の寺の僧侶で、9月から約3カ月間の予定で、善通寺の境内にある寮で生活しながら修行をしており、報道によれば指導役の僧侶は以前、別の修行僧を暴行していたが、この修行僧が寺を出た後、男性が被害を受けるようになったとあるため、謹慎中(解雇との報道もあり)と言われる僧侶には、僧侶の指導役というよりも自身の暴力癖を改善する必要がありそうです。
 
 高野山では幹部による会計処理にまつわる不祥事も大きく報道されましたが、今回の暴行事件とあわせると、程度こそ違え、「金と暴力」と言う暴力団の看板のようなテーマで報じられており、真言宗の寺院や、弘法大師を信心する人々には大きな痛手となる事件であります。
 
 私も起業したのが大学時代のため、私生活で非行に走るアルバイトや、仕事に穴を開けた学生に暴力を行使した苦い経験もあるものの、年末で還暦を迎える年齢となった現在では、体力的な限界も原因となるのかもしれませんが、暴力を行使しなくても指導は可能と思います。
 
 暴力では人の心はつかめず、非行に走ったり、交通事故を起した少年と当時は歳もあまり変わらなかったものの、雇用主として一緒に警察や家庭裁判所に出向いたことで、強い絆が生まれ、今でも当時の雇用関係のままでつながっている人間関係が存在しています。
 
 私が毎月21日に訪れたいと考えている同じ町内にあるお寺(真言宗)では、私だけでなく80才の男性や40才位の男性が、35才の若い副住職によって、「阿息観」という呼吸法を指導されており、ここには前記した金銭や暴行なんて無縁の、清々しい関係で時間が経過しております。
 
 来月には所属する歩き遍路友の会の旅程で、2日間だけですが、善通寺に宿泊して朝の勤行にも参加する歩き遍路の予定がたててあり、弘法大師が生まれたと言われ、弘法大師が開基した善通寺を舞台に、このような不祥事が起こったことは非常に残念です。
 
 さて、本日から3日間は、市役所で定期監査と例月出納検査が続くため、朝から晩まで事務所は不在となりますが、本日は我家の事務所に置いてあるパソコン2台がリニューアルされ、これまでの起動の遅さによるストレスがほとんど払拭されました。
 最近では不在が続いていた書道会も、本日は久々に参加できましたが、不在中に出向いた上高地や御嶽山の話や、何よりも健康審査の再検査で、さしあたりガンの心配が払拭されたことから、躁状態のように口が弾み、かんじんの筆は眠ったままの夜となりました。
 
                                    10月29日の一言

人災により、尊い人命と馬の命が奪われて

 本日未明の事故ですが、岐阜県の笠松競馬場から逃げ出した競走馬と軽乗用車が正面からぶつかり、さらに対向してきた乗用車と正面衝突し、逃げ出した競走馬と、軽自動車の64才の男性運転手が死亡する事故が発生しました。
 
逃げた競走馬と車が衝突、男性死亡 岐阜・笠松競馬
 
 新聞報道によれば、「笠松競馬場では2月に競走馬が場外に逃げて車と衝突する事故が発生。今年に入って競走馬が場外に逃げる事案が2月の事故を含め3度起きていた」とあります。
 
 「対策をとってきたつもりだった」と責任者は発言しているが、過去の事故に対する反省は何も感じられず、突然の事故に遭遇して命を失った被害者とその遺族は勿論ですが、競走馬とは言え生産者や馬主などの気持ちも考えると、赤字経営に苦しんでいるとしても、命に対する思いやりも皆無の運営者たちに対する厳しい糾弾が必要と思います。
 
 岐阜県の道路を走行していると、突然に現れるタヌキにビックリさせられ、四国の自動車専用道を家族で走っていくイノシシにビックリしたこともありますが、まだ薄暗い午前3時に突然現れた巨大な競走馬と衝突することを被害者は想定したこともなく、何事が起きたか判らないまま死亡してしまったのではないか。
 
 この事件について外出先で聞こえてきたのは、「まあ、かわいそうに…」の一言でしたが、突然に飛び出してきた競走馬にぶつかられた男性は当然としても、もう一人は逃げ出して車と衝突した競走馬を指して「可哀相」と話していました。
 
 人間と馬の命を天秤にかけること自体が不謹慎な話かもしれませんが、私も暴れたとしても道路に飛び出して死んだ馬についても、笠松競馬場の対応がズサンすぎ、今年3件もの前例があれば、飛び出さない対策を完了させておくべきで、今回の事件で人命まで奪う事故は発生しなかったと思うだけでなく、こんなズサンな管理者のままでは赤字経営も脱却できないばかりか、今回の損害賠償についても保険や行政頼りではなく、関係者に個人賠償させるべきと思います。
 
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 添付したのは2年前に死んだ我家の愛犬モモ(ちゃん)ですが、このモモの姉にあたる先代モモ(平成13年3月3日生まれ)は、平成13年7月2日に我家の前で交通事故により命を失いました。
 
 そんな訳で、1年後に妹となるモモが来た時には、外に出られないようにリードの先に鉄アレイ(写真の手前の玉)を付けました。我家では私が議員になってから、2匹の猫も事務所前の交通事故で死んでいます。
 
 モモが死んだ後になって、残された鉄アレイ5キロの重さが気になり、こんな重い物を引っ張らせていたんだと反省するとともに、残された相棒リマを完全に交通事故から護るため事務所の出入り口だけでなく、中扉の前の2ヵ所目の柵を置くようになりました。
 
 「こんな物を置いたら邪魔じゃない
 「リマが死ぬよりはマシだ」
 「お客さんも入ってこれないじゃん」
 「モモの二の舞はゴメンだ」
 
 議員が事務所の出入り口に柵を置くのは好ましいとは思いませんが、重要な案件で訪問される来客は別としても、先代モモは宅配便の運転手さんの開けた扉から飛び出して死んでおり、その運転手さんの辞めた理由は判りませんが、モモが死んでから謝罪の訪問を受け、我家を通るたびに心が痛むと話していたことから、二度と事故の再発を防ぐことは我家の掟となっています。 競走馬の事故について、我家の飼い犬や飼い猫を思い出す一日ともなりました。
 
                                 10月28日の一言

上高地の予定が御嶽山の巡礼になり

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御嶽山八海山神社付近から見える御嶽山剣ケ峰
 
 昨日の健康審査の結果が悪かったら、本日から上高地で一泊して心を整理し、結果が良かったら、やっぱり上高地で一泊して気持ちを切り替えようと、家族には身勝手な一人旅を告げてありましたが…
 
 第三者から見れば、健康審査の再検査程度は心配することではないかも知れませんが、私の父親は名鉄在職中の50代で膀胱腫瘍となり、退職の一週間前に足の靭帯を切り、64才の時に胃がんが肝臓に転移した末期ガンで余命1ヶ月と宣告され、病名を知らせぬまま定年まで勤めた名鉄病院で鬼籍に入りました。
 
 父親の膀胱腫瘍(ガン)は、ピンク色の血尿を放置したことが発見を遅らせ、私は父親の闘病年齢と重ね合わせて、血尿は深刻な問題と思っており、血尿の原因は判らないものの、ガンでないとの診断は過去にない大きな安心となり、改めて弘法大師や、御嶽山の先達だった祖父に感謝するとともに、そのことが行き先を上高地から御嶽山の参拝に変え、一人旅を家族と叔父も一緒の巡礼としました。
 
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 左は(黒沢口)御嶽神社里宮(一番麓の里にある神社)で、ここが最初の参拝場所となり、ここから暫く走ると、私の祖父たちの石碑や納骨堂のある明栄講の霊神場(日の出旅館前)があります。
 
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 左は明栄講の霊神場で、講祖となる覚礼霊神(旧甚目寺町・現あま市)を中心として多くの霊神の石碑が建ち並んでいます。
 
 右の道成霊神の石碑が祖父の碑で、周りには旧尾西市や祖父江町の先達の石碑が並んでいますが、後継者が信心を止めた石碑も多く、信者が白衣姿で列をなし、線香の煙が漂った昔と比べると寂れた現実は隠せません。
 
 本日は朝7時半に自宅を出発し、ナビは到着時間を10時半と示しておりましたが、母親や叔父の昔話を聞いて立ち寄った店が多く、里宮神社到着時には快晴ではっきり見えていた御嶽山頂が、上に添付した八海山神社(小屋・宿)に到着した頃には雲に覆われていました。
 
 八海山神社には眼病に効果のある水があり、小屋では御嶽山頂にある三の池の水(無菌のため腐らない)も分けてもらえるようです。ここには、弘法大師の生誕1200年を記念した大師像も建てられていました。
 
 さて、ここから10分ほど走ると5合目の見晴らし小屋がありますが、現在は閉鎖されており、木々が乱立して、ここから見える乗鞍岳や北アルプスの山並みも見づらく、本日の午後は強風と雲によって上高地のカケラも認識できませんでした。
 
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 添付した写真は、御嶽ロープウェー乗り場から見えた御嶽山頂や景色ですが、ガスが出ていたものの、絵に描いたような幻想的な風景が体感できました。
 
 ちなみに、ここからロープウェーに乗り、1時間半歩くと8合目に到着し、ここからは乗鞍岳や上高地から見える穂高連峰だけでなく槍ヶ岳も見え、8合目から2時間半程度歩けば山頂に到着します。
 
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 御嶽山の巡礼と記しましたが、上高地行きの予定を参拝のために御嶽山をめざしたものの、紅葉の最盛期となっていたことから、参拝後の午後は完全なる紅葉見物の一日ともなってしまい、北アルプスや南アルプスも眺める濃厚な一日となりました。御嶽山の紅葉から、きっと上高地もシーズン最高の紅葉風景を迎えていると思うと、このまま上高地に走りたい心境にもかられました。
 
                                    10月27日の一言

健康診断後に、南無大師遍照金剛を唱えて

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御嶽山明栄講霊神場の石碑群  日の出滝前
 
 「南無大師遍照金剛、南無大師遍照金剛、南無大師遍照金剛…」
 
 本日は健康診断で再検査となった2項目について、名大付属病院の呼吸器外科の先生の診断を仰ぎましたが、レントゲンに写った肺の影については心配なく、痰からも異常は出ず、腫瘍マーカーの血液検査の結果から、膀胱や腎臓のガンの心配は払拭されました。
 
 9月に行った肺ガン検診で「要精検」となり、今月9日に肺のCТ検査と、尿に血液が混ざったことに対しては、血液検査によってガンの有無を調べておりましたが、この件についてもガンの心配はないとの診断に、自然と「にっこり」の結果になりました。
 
 毎年行っている健康診断ですが、2項目も異常が指摘されたのは初めての経験で、不摂生な日常生活から自分なりの悪い予感もあり、予め基本検診の他に血液検査による腫瘍マーカー検査も依頼してあったことから、ガンの覚悟はあったはずでしたが、いざ再検査となると複雑な心境にさせられました。
 
 幸いにしてガンの心配は払拭されましたが、今年は中性脂肪の数字が前年の164から238に上昇(基準は149以下)し、GPТも50から68(基準は30以下)となり、血小板の数値も高いことから、食事や生活習慣の改善は急務です。
 
 気になる血尿については、膀胱、尿道か腎臓の炎症(三男は腎臓の数値は悪くないと言います)か、微小な結石が下りている可能性がありそうですが、血液検査の中に「シュウ酸Ca結晶」が3+となっていることから、痛みを伴わない結石が原因と(私のネットによる素人診断ですが)思われます。
 2年前に初めて血尿を体験しましたが、最近は登山や重労働に関係なく、血尿の頻度が増えていることから、これも改善は急務で、私の父親は血尿から膀胱腫瘍と診断され、病院に通院して治療を続けながら、最後は胃から肝臓へ転移した末期がんで65才の人生を終えたため、私も正念場となる年齢になってきました。
 
 「大鹿さん、良かったですねッ」
 「ありがとうございます」
 「心配ないって言ったでしょう(笑)
 
 私は二十年来この病院をかかりつけ医としてきましたが、診察後にお医者さんや看護婦さんと笑顔で会話した記憶もなく、事務長さんから「良かったですねッ」と言われたのも初めての経験で、ガンの呪縛から逃れ自然に笑みがこぼれました。
 
 会計を済ませて車に向かう間に、意識せず「南無大師遍照金剛」とつぶやいており、やっぱり「お大師様」に守られていたと自然に思われました。
 
 さて、添付した写真は、私の祖父の石碑のある御嶽山霊神場で、弘法大師とは違いますが、4月の上高地開山式が吹雪のため立ち寄ったものの、夏から秋にかけて何度も上高地を訪れながら、一度も訪れていなかった反省から、明日は診察の結果の善し悪しに関係なく行くことにしていた上高地行きを変更し、家族と親族を誘って御嶽山に向かうことを今晩決めました。
 
                                   10月26日の一言

ここへの訪問者が二十万人を超えて

訪問者 今日 112   全体  200150   開​設日​: ​20​06​/8​/1​4(​月)​  
  すべて表示 (2700)      平成25年10月25日午後10時現在
 
 上に添付したのは、この一言の本日の訪問者数ですが、実は昨日に20万人を越えることが予測できたので気にはしていたものの、気がついた時は既に越しており、20万ピッタリの記録は残せませんでした。
 
 実は、この一言については、ヤフーブログは、平成18年11月1日よりスタートしていますが、私自身の一言は、平成16年2月13日より私のホームページ「津島の新しい風」上でスタートしており、来年の2月になると満20年となります。
 
16年2月13日の一言 
 
 一言をスタートした当時の原稿量は、現在と比較すれば非常に少なく、写真も添付できない文字の羅列で、読んだ人から「長すぎて一言ではない」とか、「長いと読む気がしない」と散々な感想が寄せられていました。
 
 一方で、「そんなに長文を続けると、ネタ不足になる」との助言もありましたが、毎日必ず何かを記すことを(いわば政治公約として)前提にして、途中でパソコンの不調に悩まされ、ヤフーブログに移行し、万が一の事態にパソコンの予備を用意し、旅先からは携帯電話で写真転送し、現在は車中からも書き込みができるようにしました。
 
 「ブログに本名を書くなんて非常識」とか、「誰か判らないところがブログの魅力」など、パソコンの先輩となる知人から言われるスタートでしたが、多くのホームページやブログが消えていった中で、現在まで一日も欠かすことなく一言が続きました。
 
 決して人気のあるブログではなく、何かに特出した魅力もありませんが、読み手の気持ちも考えず、私の自己満足だけで続けた一言ですが、このブログを通じて連絡が取れるようになった人や、実際に顔と顔を合わせた人が多数存在しています。
 
 実際に四国遍路については、このブログから仲間ができ、その関係者からの情報が実際に役立つようになり、上高地についても他の発信が情報となり、私の発信を読んだ人から、実際に電話での問い合わせもありました。
 
 パソコンやネットに関係する犯罪が社会問題ともなりますが、パソコンやネットによる情報量は莫大になっており、たかだか私一人の行動についても、正直な発信を続けることは参考になる可能性も否めません。
 
 現実問題として、私の健康審査については、私に2項目のチェックが入り、再検査を受ける状況を記したところ、ネット上でのアドバイスや励ましもありましたが、直接連絡してもらった人も存在し、私の個人的な問題ではあるものの、明日の再検査の結果や、その後の動向についても記していくことで、参考になる人も存在する可能性から、とりあえずは来年2月13日の「満20年」を目標に、健康管理に関する書庫も増やして頑張りたいと思っています。
 
 皆さんの励ましや助言に感謝する一日ともなりました。
                                10月25日の一言

本日、近所にコンビニがオープンして

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我家の向えに本日オープンしたサークルK
 
 本日は我家の前の県道をはさんで向かい側にコンビニエンスストアーが開店し、月末まではオープンセールで粗品や割引きがあるため、日頃コンビニを利用しない高齢者も溢れましたが、我家も80を過ぎた母親が家命によって1パック98円の玉子を購入し、風船をもらって喜んで帰ってきました。
 
 いつもの日課となっている年寄りのモーニング(珈琲)仲間と、「明日も行くことになった」と語っておりましたが、若者のお店と思っていたコンビニが、高齢者にも気軽に利用される時代になったことも実感させられました。
 
イメージ 2 町内には500メートル先にも同じコンビニがあり、30メートル先に銀行、50メートル先にガソリンスタンドと理髪店があり、300メートル先に薬のドラッグストアー、その近くに宅配便のクロネコヤマトや自転車屋さんもありますから、日々の生活には困りません。
 
 一方で、100メートル先に珈琲のコメダ、300メートル先に珈琲ランプがあり、向えが焼肉店で、50メートル先には私の好物である「みたらし団子」屋さんもあり、何よりも自宅前に名鉄バスの停留所があり、バスを利用すれば地元だけでなく、雨の日であっても名古屋駅や栄の繁華街までカサ無しで外出できます。
 
 ちなみに、右に添付した写真の正面は我家の貸店舗の塾で、その前にある自販機が次男の設置したもので、自宅でコーヒーが買えるようになったと冗談で言っておりましたが、コンビニの出現がどのように影響するのか判りません。
 
 もっとも、自販機設置については、どうせ買ってきて飲むのだから、自分の自販機で買った方が得だと語っていた次男が、我家から近いもののアパートを借りて出て行って購入していませんから先のことは判りません。
 
 さて、このあたりでは昔から面白い人が多く、例えば交通事故が発生すると間違いなく3人の見物人が必ず駆けつけたものですが、そのうちの一人は若くして亡くなられ、そのうちの一人は議員になったことから、「みっともない」と家族に言われて出ていきませんから…
 
 本日開店したコンビニは、元々は大型パチンコ店の閉店で空地になっていた場所で、町内の多くの店の閉店が続いた中で、久々の新規開店のため、地域に明るいイメージを与えるだけでなく、地元の伝説が残っていたことも判明しました。
 
 愛知県の私の住む地域では、開店の記念に並ぶお祝いの花を、開店直後に抜き取ってもらっていく習慣が残っており、今回の開店の際にも、我家のごく近所の伝説のお年寄りが一番乗りを果たして、花を持ち帰ったとの話が聞こえてきました。
 
 色々な意見もあるでしょうが、交通事故があっても誰も近寄らず、知らぬ顔を装っていたり、人の中傷によって開店の花をもらいに行かなくなったら寂しい話ですね。
 
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 最近の一言には、自身の健康診査のチェックが影響して、聞く人にも辛い思いを発信しているかもしれませんが、本日は左に添付したパンを焼いて走ってきてくださった人があり、健康診査のアドバイスもいただきました。
 
 誰もが検査によって健康を確認するだけでなく、万が一に備える早期発見も目的ですが、結果の善し悪しに注目するだけで、隠れた異常まで発見して、自身の身体を改善していく意識が希薄だったことの反省です。
 
 「○○科のクリニックにも行って検査したら」との一言に、もっともな意見とは思いますが、土曜日の検査で何とか合格後でないと、受診する気力も湧いてこず、しばらくは過去の不摂生の反省と、診断の朗報を聞くまでは「ウジウジ」と時間が経過していきますね…
                                 10月24日の一言

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 8月からアメーバブログに移転しました
     
 
  


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                                                                 私へのメールアドレス    s281218@yahoo.co.jp
 
  学生時代に起業し、23​年間続けた朝日新聞販売店を廃業し、平成11年から市議会議員を専業として活動しています。専業の地方議員には有り余る時間でしたが、最近は身動きがとれぬスケジュールが続き、何でも参加型から自分の専門だけにシフトが必要になりつつあります。議員活動は無党派無所属で、市民派でありたいと考えています。

   10年前に設立したNPO​法人「ひとまち生活ネット津島」の活動を中心に、福祉有償運送のボランティアで高齢者や障がい者の通院や買い物に同行し、運輸局の認可を得たタクシー事業主として「おおしか福祉タクシー」を運営し、利益を度外視した地域の民間救急の役目も担い、上高地や四国遍路など観光地への旅にも同行しています。平成28年からは環境省のパークボランティアとして上高地の自然保護にも貢献したいと考えています。

   四国遍路については、四国八十八ヶ所霊場会の公認先達として身と口と心の修業にも心掛け、空海修業の聖地や高野山へも足を延ばしていきます。

 平成29年12月18日、私の誕生日(昭和28年12月18日)と同じ日に、我が家の後継者となる三男の長男が生まれました。御嶽山の霊神場に願をかけて誕生した奇跡の誕生でした。残された人生を孫のために生きていきます。

本年5月から無職の年金生活者となりました。

    職歴   昭和52年1月  朝日新聞津島東部専売店創業
             昭和55年4月  朝日新聞七宝専売店兼営
         朝日新聞津島東サービスセンター設立 (所長)
         平成11年2月末  同廃業

         平成11年4月 津島市議会議員初当選となる
         平成15年4月 津島市議会議員再選なる
         平成19年4月 津島市議会議員3期目の当選なる
         平成23年4月 津島市議会議員4期目の当選
         平成25年5月 津島市監査委員
                  平成27年4月 5期目の市議会議員選挙当選
              平成31年4月  立候補せず議員を引退
 
経歴  津島市立神守小学校同窓会会長  平成1年~4年
    津島市立神守小学校PTA副会長   平成2年~3年
    津島市立神守中学校PTA会長  津島市PTA連合会会長 平成5年
      愛知県小中学校連絡協議会理事  平成5年
      ふるさとアサヒ創刊(昭和63年~平成5年)
    海部津島水郷釣り大会主催(平成5年~10年)

    津島市立神守中学校同窓会会長(平成9年~27年)

現在   NPO法人ひとまち生活ネット津島・監事 (平成19年~)
     おおしか福祉タクシー・事業主 (平成21年~)
          環境省上高地パークボランティア(平成28年~)
          NPO法人 横井庄一記念館を護る会・理事長(平成30年~)
          横井庄一記念館・館長(平成31年4月~)

   ・愛知県人にやさしい街づくりアドバイザー ・県ボランティアコーディネーター
   ・愛知県防災リーダー ・県防災ボランティアコーディネーター
   四国八十八ヵ所霊場会 公認先達 ・四国別格20霊場会 公認先達
      ・西国三十三所札所会・公認先達
      ・ホームヘルパー2級 
      ・大型二種運転免許 患者等搬送(民間救急)乗務員適任証所持
      ・愛知県安全運転管理者
 
 

ビタミンCの存在を忘れており

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 3年前の12月に、閉鎖された釜トンネルを歩いて入り、雪に閉ざされた上高地で8時間ほど歩いて帰宅した2日後に初めて微量の血尿が出てびっくりし、病院の精密検査の結果ではガンの心配はなく、目に見えない細かい結石が下りたのではないかと言う医師の結論になりました。
 
 9月の健康診査の血尿についても、同様の結果であることを祈るばかりですが、最近ではその頻度が高くなっており、今となって考えると、初めての血尿を体験後に、ネット検索で「結石の予防にはレモンが良い」との情報を得て、それ以来は我家の駐車場に設置された次男の自販機から、CCレモンを毎日購入して飲み、小林薬品の栄養補助食品ビタミンCも飲んでいたのですが、今年の7月から完全に止めていたこともすっかりと忘れていました。
 
 「お父さんのお腹どうなったの」
 「どうなったって、前から変わらんよ」
 「いや、いや、ものすごく太ってる」
 「そんなことないだろう…」
 「毎日炭酸ばかり飲んでるからだわ」
 「 … 」
 
 人間は何が異常があると真剣に対応しますが、何事も無くなると別の事が気になり、腹回りが太くなったとの指摘と、体重が増えている現実から、炭酸が悪いとの言葉に、それ以後はCCレモンからどくだみ茶に替えていました。
 
 今回の健康診断の再検査の結果が、ガンでないことを祈るものの、もしガンでなかったら、結石を予防するビタミンCの摂取を続けたいと思います。
 
 さて、本日出かけた珈琲タイムに読んだ雑誌に、高濃度のビタミンCを点滴することによってガンが消えてしまったとの記事が掲載されており、帰宅後にネット検索してみると、東京目黒区のハタイクリニック西脇俊二院長が存在していました。
 
 本日のお昼のワイドショーでは、地元愛知県の大学病院でロボットを使う「神の手」と呼ばれる最先端医療が取り上げられていましたが、身近な住宅地で開業する医師が、身近な治療に取り組んでいる姿にホッとするとともに、頼りにしたいと注目です。
 
ハタイクリニック
    点滴療法:高濃度ビタミンC点滴・マイヤーズカクテル(月・水・木・金)
東京都目黒区中町2丁目47−22 統合医療ビル
    電話番号 : 03-3719-8598 - FAX : 03-3716-2330 - メール : info@hatai-clinic.com
 ハタイクリニック httpwww.hatai-clinic.com/ja/chinesemedecine
 
 「いまやアメリカやカナダの多くの医師らがガン患者に対して超高濃度ビタミンC点滴療法を行うようになり、この治療を受ける患者の数は急増しています」と記され、「この治療が有効なガンの種類についてはまだ研究段階です」とあるものの、副作用もなく、確実に効果があることが記されています。
 
 情報化社会の中で、ネットを悪用する犯罪や新たな詐欺事件が発信され続けていますが、我々としては、この情報化社会の中で、あらゆる可能性について情報収集して、自身の健康管理に役立てていくことが可能となっているいることも実感する一日ともなりました。
 
「笑っていいとも!」3月で終了 背景に視聴率の低落
 
 一方では、年月の経過も実感する寂しい話題もありますが、今から20年前に末期ガンと診断された父親のため、雑誌や医療専門誌からガンに対する資料を集め、ガンには詳しいと思っていたものが、まったくその現実すら忘れて空白の年月が経過し、今度は自分自身がその対象者として情報収集していく必要に迫られている現実も実感する一日ともなりました。
 
                                   10月23日の一言

再検査の診断を週末に控えて

 本日は午前9時から市役所で議会だより編集委員会が開催され、予定より大幅に早く終了したため、自由な時間ができたことを喜ぶべきですが、週末に迫り来る台風27号と同時に、健康診断で2ヶ所のチェックが入り、再検査の結果から今週土曜日に再診断を受けることになっていることから、突然の自由な時間こそが心を虚しくします。
 
 今年12月で還暦を迎える現実から、年齢からくる身体の衰えと疲弊は当然として、日ごろの不摂生な夜型生活の反省も必要と思いますが、何も自覚症状がないため、自分の身体の中で起こっている異変すら認知できない自分にも虚しさが漂います。
 
 一方で、土曜日が再診断の日でありながら、「大丈夫だわ」とその日の京都行きを誘う知人もあり、これが万が一ガンとでも診断されれば一大事で、私自身が関わっている善光寺行きや四国遍路にも影響を及ぼすことは必死です。
 
 もっとも、何ともないことを祈るだけでなく、自分自身もガンなど最悪な状態とは思っていませんが、思っているようにならないのが健康で、私の同級生もガンによって若くして鬼籍に入った者も多く、何事も言わぬままに最後の別れになった例を考えると、明日は我が身の心境ですね。
 
 さて、肺ガンのレントゲン検査で影があり、CТの再検査ではガンとは診断されませんでしたが、週末には呼吸器外科の専門医の診断を仰ぐため、心配はガン以外にも横井庄一さんの夫人が結核で入院していたことも脳裏に浮かんできます。
 
肺結核・一年前の体験を振り返り 09年4月の一言
 
 最近の事例として結核と気付かず2ヶ月も教壇に立ち、同僚教師や生徒に感染させた教員の事件も発信されており、肺結核となれば即日にして指定された専門病院に隔離されてしまいますから、病室で闘病日記を発信するのが仕事になる可能性も否めませんね。
 
健康診断で肺に影があると言われたら
 
 もう一点は、尿検査に混ざった血尿ですが、父親が膀胱ガンだったことも脳裏に浮かびますが、初めて血尿に気づいて精密検査を受けた2年前と同じ状態を想定していますが、これも土曜日の検査結果次第では…
 
診断は無罪放免でした  11年1月
 
 こんな心境のところへ、台風27号も同じように向かってきていることから、明日から出発する予定の上高地も断念して、しばらくは針のムシロの心境でおとなしい日々をおくっていくことになりそうです。
 こんな時に、同じように再検査をされた方や、病気体験者の一言は大いに参考になるものの、部屋にこもっていますから、よけいに悶々としてしまいますね。
 
                                 10月22日の一言

咲き誇ると伐採され、細々と花をつけて

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 我家の西洋アサガオ(ヘブンリーブルー)ですが、一年ぶりにやっと花が咲きかけました。昨年は8月から咲き続けていましたが、今年はやっと咲いたという状況で、我家の西洋アサガオの花は一年ごとに咲き乱れる運命にあります。
 
イメージ 2 右が昨年10月の花ですが、比べるまでもなく花の数だけでなく、花々の勢いが違い、今年も夏までは昨年以上に成長していたものの、9月に根こそぎ切り取られてしまい、根元を気づかれなかった1本が成長して花を咲かせた次第です。
 
 西洋アサガオは、放置しておけばどんどん成長して、毎年花を咲かせることは間違いありませんが、自由に成長させて木に絡みついたときの伐採が大変なことと、建物の土台部分にも入り込んでしまうため、大きくなると家内が容赦なく根こそぎ伐採してしまいます。
 
 一昨年は全滅の可能性もあり、家内が捨てたゴミの中から探して移植し、一年がかりで花を咲かせた苦労がよみがえりますが、あまりにも強い植物ゆえに過保護になると他の植物を征服してしまうので、程々に成長するように手入れは必需となりそうです。
 
 さて、テレビ報道や天気予報でも連日話題になっているので、多くは語りませんが、台風27号は、10年に一度の大型台風と言われた26号と同規模の勢力を保持したままに日本列島に向かっています。
 26号と同じようなコースを進行しているものの、速度が遅くなっており、専門家でも今後の予測は難しいと解説しており、今回は私の住む愛知県も進路上になりそうな予感がすると何も手につきません。
 
 明日は市役所で議会日程が組まれていますが、日程が終了後に上高地に出かける予定をたてていたものの、台風の襲来を前に出かけることもできず、週末は健康診断の再検査の結果を聞くため、不確定な天候とおなじく不安な日々が続きます。
 
 一週間ほど前の一言で、上高地で深呼吸して身体の体質を変えたいと記していますが、隣国の中国では深呼吸するどころか、普通に生活するのが難しい環境になっており、5メートル先が見えない深刻な大気汚染が来年春まで続きそうです。
  
中国でPM2.5急上昇 石炭暖房本格化で空真っ白
 
 我が国においても、福島の汚染が自然まかせとなっている現状から、偉そうな批判はできませんが、日本の過去の大気汚染より深刻と思われ、この汚染源から確実に隣国の韓国や日本も影響を受けますから、内政干渉と言われても地球規模での提言と改善は急務です。
 
                                   10月21日の一言 
追伸
本日は久しぶりにお寺の阿息観に参加できました。
 

上高地がbeランキングで全国第4位に選ばれ

 朝日新聞には毎週土曜日に発行される週末版beがありますが、日本全国の「特別天然記念物」75件の中から、朝日新聞デジタル会員に「関心のある場所」をアンケートし、19日付け新聞でbeランキングとして発表しています。
 
 これによると、第1位は阿寒湖のマリモで、2位に屋久島の原始林、3位に秋芳洞と続き、私がお気に入りとしている上高地は、5位の黒部渓谷や6位の尾瀬を大きく引き離し、第4位に選ばれていました。
 
 記事中には、「上高地」に亡き両親と旅した愛知県の女性(57)は「雪をかぶった山を背に、梓川の清流、橋がとても印象的。もう一度訪れてみたい」と、選考した人の意見を紹介しています。
 
 私が初めて上高地を訪れたのは昭和49年の夏で、訪れたと言っても上高地のバスターミナルの駐車場までで、この時は名古屋観光バスのアルバイトの車掌として訪れており、河童橋も見事な穂高連峰も見ておらず、当時の真っ暗でゴツゴツした釜トンネルの怖い印象しかなく、戻ってきたお客さんの感動する声とのギャップから、「この奥にはどんな景色があるんだろう」と思ったのを今のように思い出します。
 
 旅行が好きで、夏休みだけでなく大学を休んでも参加していた観光バスのアルバイトの中でも、このギャップは大きく、翌年の夏に高校を卒業したばかりの家内と一緒に上高地に出かけましたが、この時は岐阜県側から上高地に入りました。
 
 名古屋から高山線の最終列車に乗り、駅で仮眠する予定でしたが、飛騨側から穂高を目指す登山家たちとタクシーに乗り、タクシーで仮眠させてもらい、新穂高ロープウェイの始発に乗り、西穂独標、西穂山荘経由で上高地に下りました。
 
 ガイドブックによれば、西穂高岳から上高地田代橋まで下りで4時間となっており、当時は若い大学生であったことを考えると、今では再現もできそうもなく、当時は重いテントと一週間分の食料も持った行動でした。
 
 小梨平でテントを張り、バンガローにも泊まりましたが、当時宿泊したバンガローは使用できないものの現在も残っており、最近ではテレビと水洗トイレも付いているケビンにになっているものの、当時の記憶は白黒でしか残って(写真はカラー写真でしたが)いません。
 
 当時は安房トンネルもないため、名古屋からは松本経由の列車で、半日がかりで名古屋に帰ったものですが、バスや車も松本経由で日帰りは厳しかったものの、最近は我家から3時間の行程となりました。
 
 さて、今週にも上高地に出向く予定をたてておりましたが、大型台風27号が進路を向けており、来月の四国遍路も控えて、閉山まで1ヵ月を切った中で、何とか上高地にとの気持ちと、一年の経過の早さと空しさも感じずにはおれません。
 
 ちなみに、上高地は昭和27年に日本で初めて「特別名勝」と「特別天然記念物」に指定されており、当時は観光地と言うよりも、「上河内」としての山の盆地という意味と、「神河内」として神々が住む苑としたイメージも残っていたようです。
 
 上高地が全国に知られるようになったのは大正時代からで、善光寺詣の参拝客が上高地に立ち寄るようになり、その後急速に訪れる人が増えたとありますが、やはり当時は「神河内」のイメージだったと思われます。
  
(beランキング)関心のある特別天然記念物
記事の続き…
 壮大な山河をおさえて、小さなマリモが1位になった。
 「どうしてこんな姿を生み出すのだろう」(大分、79歳男性)と球体の不思議に心引かれる回答がたくさん寄せられた。北海道旅行のお土産に「買った」「もらった」思い出も数多い。
 マリモについては、また後段でご紹介します。
 2位「屋久島スギ原始林」は、「一度は見たい」の声が圧倒的だった。訪れた人は「厳かな森の雰囲気に圧倒された」(埼玉、46歳女性)。一方で「見に行きたい。しかし、自然が荒らされることを思うと行ってはいけないとも思う」(三重、49歳女性)との悩みも。
 「秋芳洞」は「長い時間をかけた自然の造形に目を見張りました」(埼玉、39歳女性)、「スケールの大きい幻想的な雰囲気に魅了されます」(千葉、53歳男性)。つらら状、タケノコ状、皿状など鍾乳石の多様さも特徴だ。この鍾乳洞の上に「秋吉台」が広がる。
 「上高地」に亡き両親と旅した愛知県の女性(57)は「雪をかぶった山を背に、梓川の清流、橋がとても印象的。もう一度訪れてみたい」。東京都の女性(42)は「黒部峡谷」の紅葉を「この世にある色の種類で表現できぬほど多彩」とつづる。
 16位ながら熱いコメントが多かったのが、体長1メートルを超える両類類「オオサンショウウオ」。「初めて見た時、『これは地上の生き物か?』と驚いた」(広島、65歳男性)。不気味ともいえる姿なのに「変な親近感が湧き、気持ち悪いと思わない不思議な動物」(静岡、52歳女性)。「太古の遺留動物」(「国指定文化財等データベース」の解説)は人々を強く引きつけている。
 広島県の女性(55)は、子供たちとよく広島市安佐動物公園を訪れたという。ここは1971年の開園以来、オオサンショウウオ研究に力を入れ、繁殖に成功している。幼生も展示し、今なら卵も見ることが出来る(11月上~中旬に孵化〈ふか〉)。昨年オープンした京都水族館でも鴨川で捕獲し、展示されている約40匹が予想を超えて人気を集めている。ショップではリアルな形のぬいぐるみが、多い日は200体も売れるそうだ。
 
                                              10月20日の一言

ボランティアの時間を完全に忘れており

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コミュニティフェスティバル最後の餅投げ風景
 
 本日は私の住む神守小学校区のコミュニティフェスティバルが開催されましたが、朝から小雨が降っていたため、予定した校庭から会場を体育館に移して、最後のビンゴゲームと餅投げまで日程が無事に終わりました。
 
 住民相互の交流の場として、日頃あまり顔合わせがない近所隣りや地域の人たちの交流の場を広げるため、参加者には全住民を対象に、幼稚園児や保育園児から、ボランティアで参加した中学生など、若い人々や高齢者まで会場は人で溢れました。
 
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 幸いにして、主会場は体育館に移したものの、雨が降る事はなく、本来主会場となる運動場に張られたテントでは、地元JAによる新鮮野菜や花の即売に長蛇の列ができ、みたらし団子や飲み物が販売され、津島市社会福祉協議会はポップコーンを無料で配布していたことから、行列にポップコーンの製造が追いつかない盛況となっていました。
 
 餅投げに用意された餅は、前日にビニール袋に入れられており、関係する役員さんたちが事前に準備されていた様子がうかがわれ、雨のために運動場が使えず、会場が狭いだけでなく、運動場で待機した関係者には残念な天候となりました。
 
イメージ 3 6年目となるコミュニティの祭事ですが、当初は行政主導であったものが、最近では住民が自主的に企画して、防災対策についても自主的に活動する体制ができてきたことから、万が一の地震や台風被害に遭遇した場合にも地域で助け合う体制が出来つつあります。
 
 
 「大鹿さん、今日は…」
 「えっ、あっ、あー」
 
 午後1時にはフェスティバルが終わることから、3ヶ月ほどボランティアを他の人に依頼していた会員さんからの、福祉有償運送のボランティアを受けていたのですが、朝から立ちっ放しの疲れから開放されたことから時間を間違えており、30分遅れの出動となってしまいました。
 
 幸いにして、時間に制約のない買い物であったことと、家内と相棒も一緒に同乗していたことから、一緒に買い物ができたため、家内にも会員さんのお宅を認識させたことで、来年からボランティアに加わる家内と会員さんの橋渡しともなりました。
 
五輪金の船木さん アップルパイを手売り
 
 さて、スキージャンプの金メダリスト船木選手が、名古屋市の鉄百貨店本店で開かれている物産展でアップルパイを自ら売っており、後進の育成と練習の傍ら全国の百貨店などを回り、収益の一部はスキーの競技環境の充実に充てているとの新聞報道がありました。
 
 長野五輪の時と比べスキーの競技人口は大きく減少しており、「メダリストとして、行動で競技に貢献したい」と、これまでに全国の小学生2500人以上にスキー用具を送るなど、年間約500万円相当の支援をしてきたとの報道に、何とか協力したい心境になりましたが、最近は涙腺が緩くなっており、本人を見たら言葉にならないばかりか、名古屋まで出向く時間がないのが残念です。
 
                                   10月19日の一言

さらに大きな台風27号が発生しており

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 台風26号による不明者の救助も終わっていない中で、新たにマリアナ諸島近海で発生した台風27号が、日本の南海上を北上しており、26号の被災地への二次災害も心配されているが、進路によっては日本中に大きな被害をもたらす可能性が強く、今後の台風状況から目がはなせません。
 
台風27号、日本接近の可能性も 気象庁、注意呼びかけ
 
 添付した本日昼頃のアサヒデジタル新聞には、中心気圧は970ヘクトパスカルで、最大風速は35メートルと記されており、今後非常に発達するとあるものの、現状の勢力から過小認識していたところ、気象庁の発表した現在の数値を見てびっくりさせられました。
 
 気象庁が本日午後6時45分に発表した台風情報によれば、中心気圧は930ヘクトパスカルになり、最大瞬間風速は70メートルに成長しており、明日の午後6時の予報は中心気圧は920ヘクトパスカル、最大瞬間風速は75メートルと発表されていることと、明後日まで勢力は維持される予想に、10年に一度の巨大台風と言われた26号と同じような巨大台風の襲来に我家も他人ごとでは済まされそうもありません。
 
 台風については、自分の住む地域が進路になるか外れるかが関心事で、進路から外れれば一安心となってしまいますが、今回発生した27号は過去に日本に大きな被害をもたらした台風と進路も似通っているようで気になりますね。
 
 私の住む津島市は、過去に伊勢湾台風による堤防決壊で長期間水没しており、海抜ゼロメートル以下の土地に住んでいるわけですから、満潮時と台風や豪雨が重なれば全財産が水没する危険性も否めません。
 
 テレビ放映が東京中心のため、災害が首都圏や関東地方に及ぶと、全国に災害の被災地から大々的に発信されてきますが、今年は大規模な災害が全国各地で起こっており、日本全体で災害に備え、全国から救援に走る意識が必要に思う一日となりました。
 
                                    10月18日の一言

久々に相棒と木曽川堤防まで

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 本日は午前中に仕事を済ませ、我家からこのまま車を20分走らせたところが、木曽川の堤防で、対岸の松並木とその奥には養老山脈が見え、心地良い風の中で、昼食と午後の休憩にあてました。
 
 私の車にはテントや寝袋だけでなく、携帯ガスコンロや鍋が積んであり、水や食料も積んであるため、我家から相棒リマを助手席に同伴させて出発しました。
 
 かつては木曽川の至る所に河川敷への進入路があったものの、最近では進入路は限られ、堤防そのものの通行が規制されていますから、堤防上の道路に車を停め、相棒とともに堤防を下りようとしたところ、相棒は伸びている雑草に埋没し、私は雑草のツルに足を取られて転倒して転がり、相棒は転んだ私にリードを引っ張られて悲鳴をあげることとなりました。しかし、転倒しても痛くもない雑草のジュウタンは心地よいものですが、相棒にとっては堪りません。
 
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 結局は散歩することもなく、相棒が安心する車内にもどり、インスタントラーメンをつくり、久しぶりにテレビの鬼平犯科帳を見ていると気持ち良い睡魔に襲われ、気がつくと3時になっていました。
 
 最近では車にパソコンも搭載しており、本日は夕陽が沈むまでとどまり、木曽川からこの一言を発信しようと考えておりましたが、四国別格二十霊場が11月7日に開催する先達研修会の会費が納めてなかったことから、慌てて郵便局に走ることとなりました。
 
 私達の住む津島市は愛知県の西部に位置し、木曽三川(木曽川、長良川、揖斐川)が伊勢湾に注ぐ河口部にありますが、西は添付した養老山脈があり、私の子供の頃は山に夕陽が沈むのを見てから帰宅するような生活だったものの、最近は家が立ち並び山に陽が落ちる姿は見れなくなりました。
 
 木曽川堤防へ北向きに車を停め、はるか遠くに見える山並みを眺めていると、はっきりと識別はできないものの、先週の3連休に訪れていた北アルプスの山並みが山の後ろにうっすらと確認でき、良く晴れた早朝にここを訪れれば、御嶽山から乗鞍岳を眺め、上高地にいるような気分に浸れるかもしれないと思われました。
 
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 昨日は11月16日に歩き遍路友の会のメンバーで出かける四国丸亀までの長距離バスと、善通寺宿坊の予約が完了し、2日に出かける長野善光寺の打ち合わせも終え、事務所から台所に入って着替えると来客があり、今月内に京都まで同行する話となりました。
 
 実は、来月の前半に四国の先達研修会に出向く際に、四国を一人で廻る予定もたてており、11月15日に閉山となる上高地も、閉山式が市役所の公務で参加できないため、それまでに訪れたいと考えており、市役所の予定がある日以外はいずれも遠出となる日々が連続していきます。
 
                                   10月17日の一言

連日お寺の僧侶との縁が続いて

 私の住む愛知県では進路から外れたため、台風26号の被害はありませんでしたが、伊豆大島では17人が死亡し、43人が行方不明との報道があり、東京都町田市や千葉県成田市、神奈川県でも複数の死者や行方不明が存在することから、10年に一度の大型台風といわれた26号が近畿地方から東海地方に上陸していたら莫大な被害をもたらしていたのかもしれません。
 
大島町の死者17人、行方不明43人 台風26号
 
 伊豆大島では1986年に島中央部の三原山が噴火し、町民が一時、全島避難していますが、三原山の噴火によって堆積した火山灰に、新しく成長した木々の根が土砂を食い止めるだけ成長しておらず、自然災害の負の連鎖にも人間の限界すら感じずにはおれません。
 
 偶然にも、私の住む地域は、過去から台風による壊滅的被害を受けておらないものの、海抜ゼロメートル以下の低湿地で、2級河川とはいえ大きな日光川が天井川となっている現実からは、海の満潮と大型台風が重なれば河川の氾濫は隣り合わせとなります。
 
 好天の3連休によって、私だけでなく日本中が浮かれていたと思われますが、直後に訪れた台風26号によって、いとも簡単に多くの尊い人命が奪われたことは、日頃から危機感が欠如していた反省も重要で、過去の検証と対策も必要と思われます。
 
 さて、昨日は京都の浄土宗本山から人権同和室長と課長補佐さんの訪問を受け、浄土宗の人権問題に対する考えだけでなく、過去の反省や宗教の責任についても議論を深めることと、我家の宗派でありながら自身の勉強不足を自覚することとなりました。
 
 
 本日は市内の浄土宗の尼寺を訪れ、ご住職が高齢となり、これまでのように自分で運転して檀家廻りをするのは危険と判断された福祉施設の関係者と共に、我々が運営するNPO法人のボランティアが関わっていくことを決めました。
 
 一般市民としては、僧侶の檀家廻りは、お寺のお金儲けのように語られることが多いと思われますが、このお寺の一番遠い檀家は三重県東員町にあり、タクシーを使って走っていては行く事が損になるような事例を話し合いました。
 
 「檀家廻りが損になっては…」
 「檀家廻りは、損得ではなく、お寺の責任」
 「でも、損までして行くのは」
 「損とは思わないし、年金から出すから」
 
 我々の福祉移送ボランティアは、タクシーの半額以下の料金設定となっていますが、三重県まで走れば片道2千円程度は必要と思われ、ご住職が檀家からいただくお布施より高額になってしまう可能性から心配すると、行く事が損になっても檀家廻りはお寺の責任として熱心に話され、我々の心配する話ではありませんが、自分の年金や貯金を使ってでも檀家を訪れる尼僧さんの意志の強さに驚かされました。
 
 高齢者の買い物や病院への移送手段が大きな問題となっていますが、四国遍路や高野山へ参拝してきた人々も、高齢化により参拝する足の確保が問題となっており、私自身も今年から高野山や知多新四国などへ同行し、来月も善光寺に、来春には四国遍路への依頼があります。
 
 もっと身近な問題として、僧侶も高齢化して檀家廻りが厳しい現実と、檀家もお寺に行く交通手段に困っており、お寺からどんどん檀家が減っていくだけでなく、地域のコミュニケーションを担っていたお寺や檀家の「講組」も廃止されていく地域の危機感を実感させられる一日ともなりました。
 
                                     10月16日の一言

上高地から岳沢小屋まで 2

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13日(日)上高地から岳沢小屋までの昨日に続く記録です。
 
上高地から岳沢小屋まで 1
 
 「岳沢まで登ってみたい」と、家内の安易な一言から穂高、岳沢登山路に入ったのが午前10時30分で、膝や腰の痛みに耐えながら登り続けました。
 
 登山路入り口には、岳沢まで2時間と表記されていましたが、上高地観光アソシエーションの発行する散策マップには、河童橋から岳沢まで2時間30分とあり、「もう着いても良いだろう」と念じていると、左のような絶景が現れました。
 
 河童橋からは点のようにしか見えない雪渓が正面にあり、手の届かぬ領域であった奥穂高岳が間近にそびえており、足元の石ガレを渡ると左側に目的にしていた岳沢小屋があります。
 
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 河童橋からおよそ3時間で到着しており、家内は別としても、軟弱な私にしてはよくぞここまでと、自分を褒めてやりたい心境です。
 
岳沢小屋のホームページ
 
 岳沢小屋は1泊2食付きで8000円で宿泊ができることから、ここに宿泊すれば翌日にここから3時間の行程となっている前穂高岳を5時間の行程で臨めば何とかなるかとも思われます。
 もっとも、我々は登山と思っていますが、小屋の人々からすれば「上高地からの日帰りハイキング」と思われており、ハイキングでもここまで来れる環境に感謝です。
 
岳沢小屋スタッフブログ 13日分
 
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 上に添付した写真の上2枚は、岳沢小屋の前にあるヘリポートの左側の西穂高岳と正面の奥穂高岳で、下2枚は正面から右手になる吊尾根から前穂高岳の銀嶺ですが、靴や装備の用意があれば頂上を目指せそうです。
 
 「お父さんは元気なんだねぇ」
 「えっ、なに言ってるんだ」
イメージ 8 「私は足を痛めたみたい」
 「あっ、そう」
 
 足を痛めたと聞いても、私より丈夫な家内ですから、心配もせずに下山を始めましたが、家内の左膝はかなりの重症で、足を下ろすたびに痛みが走り、下山する人々の邪魔になるくらいのペースですが、「先に行ってて」と言われても置いていくわけにもいきません。
 
 こんな時に登山家の人々は心優しい人も多く、「湿布ありますよ」などといたわりの言葉を受け、「いや、結構です」と当事者の家内を差し置いて断ったものの、こんな時は素直に従った方がよさそうですね。
 
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 行きは急な上り坂のため身体や足腰が悲鳴を上げ、周りの景色を楽しむ余裕もなく、途中にある岳沢名物「風穴」についても、存在すら気づかないままに通り越していました。
 
 看板には天然クーラーと表示されており、手を差し入れても涼しい風も感じることはありませんでしたが、これが8月の真夏には涼しく風を感じられるのかもしれません。
 
 一方で、登山道のいたるところに右に添付した写真のような見事な紅葉した木々があり、足を痛めたという家内の存在から、「ゆっくりと休んで行こう」と話すものの、「足が動かなくなると困るから」と、せっかくの紅葉見物も無縁の下山となりました。
 
イメージ 11 ただし、何事もなく予定した時間内で河童橋に到着した時、輝くような見事な西陽が差し込んで黄金の世界となっており、到着した安心感と余裕から、五千尺ホテル売店で土産を買い込み、2人でソフトクリームを口にする頃には家内(写真中央)にも余裕が出てきたようです。
 
 滞在した3連休は、上高地が一年間で一番混雑する時期であり、バスターミナルから河童橋前までバスに乗る乗客が行列をつくっており、足を痛めてここに並ぶとしたら家内も怒り心頭の上高地になったかもしれません。
 
 私は現在タクシー車両を所有しており、自由に上高地や乗鞍スカイラインを通行できますが、上高地のために借金をしてタクシー事業に参入したことから、高額の浪費とか道楽とか言われていたタクシーが、この日(13日)初めて家内より認められた瞬間ともなりました。
 
                                    10月15日の一言

上高地から岳沢小屋まで 1

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 昨日(13日)の、上高地から岳沢への行程を添付していきますが、パソコン容量の都合から2回に分けて添付していきます。
 
 上高地の河童橋から岳沢小屋までの所要時間は登りが約2時間30分と案内されており、家内が前日のお風呂で一緒になった登山客より、紅葉が最盛期を迎えている涸沢が人で一杯となって歩けない現実と、初心者でも挑戦しやすい行程から岳沢の魅力を聞いたため、朝になってから「行きたい」と言い出しました。
 
 
 「岳沢に行こうか?」
 「岳沢も焼岳小屋くらいの時間がかかるぞ」
 「焼岳は厳しいから…」
 「同じくらい時間がかかるぞ」
イメージ 4 「焼岳は、帰ると夕方になるじゃない」
 「岳沢も同じだ」
 「岳沢は2時間でしょ」
 
 小梨平でゆっくりと一日をおくりたいと考えていましたが、家内の一言が予定を変え、どうせ山を登るなら低いながらも北アルプスや乗鞍岳を見渡せる焼岳にしたいと思ったものの、前日の入れ知恵で岳沢を希望する家内の希望どおり、河童橋を出発して岳沢と穂高の登山口に入りました。
 
 登山道の入り口には、岳沢小屋まで4キロで2時間の表示とともに、前穂高岳まで8キロ・6時間、天狗のコル7キロ・5時間の表示もあり、これなら穂高でも行けると家内は思ったようです。
 
イメージ 5 そんな甘い気持ちも登山道に入ってまもなくなくなり、段差の大きい石段を登り続けても一向に景色が変わらず、木々のお陰で涼しいのはありがたいものの、木々の香りを嗅ぐ余裕もなく、「いったい何分歩いたんだ」と、景色の変わらない登山道を黙々と登っていきます。
 
 「こんにちわ」
 「ありがとう」
 「頑張ってね」
 
 行き交う外国人観光客は社交的で、必ずと言っても良いくらい挨拶を交わし、追い越していく外国人女性や家族の姿に黙々とついていくと、「あと10分ねッ」との下山中の外国人の言葉を頼りに家内と歩き続けます。
 
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 「あ10分」と言われた場所は、上高地から見える北アルプス穂高連峰の真ん中に位置し、白い石が雪渓のように見える場所で、下界には上高地の河童橋のあたり(写真左)が見渡せました。
 
 「お父さん、ここまででやめようか」と、絶景に満足した家内の一言ですが、上を見ると奥穂高岳の頂が手に届くような距離になっていることから、「あと半分」と気力を振り絞って前を目指します。
 
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 観光客の多くは帰りの集合時間の関係で、ここで景色を楽しんで下山を始めますが、時間制限のない私達は登山客と一緒になって足腰の苦痛に耐えながら一歩一歩と前を目指しました。
 
 この日は北アルプスに初冠雪があり、朝には真っ白となっていた穂高岳の頂も、この頃にはほとんど雪がなくなり、雲一つない晴天の日差しに照らされて、身体は汗だらけとなります。一緒に同行した登山客の話では、岳沢小屋は満室で、泊めてもらえなかったら談話室に座って睡眠をとり、翌日に前穂高岳を目指すとの話でしたが、小屋から3時間の案内を見ると私達でもそんな誘惑に駆られます。
 
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 本格的な登山家から見れば、私達は完全なる観光客でしかありませんが、両手にストックを持ち、本格的な姿と装備を積んだ登山客が、観光客の我々に簡単に追いぬかれていく姿に、中高年の登山事故が多発している一因も感じます。
 
 ただし、横に見える山々の絶景が一歩ずつ確実に変化していくことから、非日常的な空間に惹かれる中高年は、有り余る時間を有することを武器に、山の頂を目指していくのでしょうか。
 
 あと30分も歩けば岳沢小屋に到着する頃でしょうか、「もう、この辺りでも十分」とも思える絶景を横目に、苦痛に顔を歪めて歩を進めます…
 
                                   10月14日の一言
追伸
続きの転記は明日か後日へ

シーズン最高の上高地に

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 本日朝9時頃の上高地ですが、上高地バスターミナル場でタクシーの配車を担当する方のお話では、「今年で最高の晴天」との一言でした。
 昨晩の夜の雨は、穂高連峰に今年初めての初雪となり、雲一つない晴天となっていました。
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 私が上高地の魅力としているのは、自然環境の素晴らしさで、夏でも涼しい凛とした空気を鼻から吸い込み、身体中の汚れた空気を口からゆっくり吐き出し、汚れのない冷たい水を飲んで、身体中の汚れた体液を輩出し続けると、上高地に滞在しているうちに、私の身体を構成する細胞がすべて生れ変わると信じているからです。
 
 私にとっては、四国遍路と共通の想いです。
 
イメージ 8イメージ 9 さて、本日の朝は小梨平の小梨平食道でケーキセットを味わいましたが、500円の安価でも、窓の外は(右の写真のように)見事な木々の木漏れ日が見事で、木々のバックには(左の写真のような)穂高連峰の銀嶺が借景となっており、帝国ホテルの1500円のケーキセットにもひけをとりません。
 
 もっとも、小梨平は上高地で私が一番好きな場所のため、話半分と思ってもらってもかまいませんが、夏であればテントを張って、テントを開ければ穂高連峰という絶景で、一週間とか半月など長期間生活できるのは最高の贅沢と思います。
 ただし、今年は吹雪や雨続きが続き、自然環境の厳しさも実感しています。
 
イメージ 2 さて、本日は朝から河童橋から2時間半の行程となる岳沢小屋まで足を延ばしましたが、日頃から不摂生の見本のような私でも、約3時間で小屋まで到着しました。
 
 最近では最高の紅葉として涸沢カールの紅葉がテレビや新聞で報道されていますが、訪れた人のお話では、徳沢から人の渋滞がおきており、小屋もキャンプ場も満杯のため、人の少ない岳沢のほうが紅葉の鑑賞には良いとの事で、私は焼岳に登ろうと考えていましたが、岳沢の話を聞いた家内の要望で急遽訪れることとしました。
 
 もっとも、焼岳の方が厳しい行程と思っていた家内でしたが、段差が厳しく石によって足を痛めたため、小屋から河童橋まで2時間を要する苦悶の下山となりました。
 
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 冒頭に、今年最高の晴天と記しましたが、添付したように夕陽をあびた河童橋は紅葉した木々とともに最高に輝いていましたが、訪れた観光客の数も多く、バスで松本側の新島々に向かう乗客の列が、右の写真のように五千尺ホテル(河童橋の前)の前までつながり、誘導する係員も、「過去に経験がない」と話されていました。
 
 最高の晴天と、紅葉の始まった上高地を堪能されたとは思いますが、この長い列の最後の乗客がバスに乗れるのは何時になるのか…
 それならばタクシーと、バスの列を無視して歩く人もありましたが、タクシー乗場にも私が見たことのない行列ができており、本日中に全員が帰宅できるとは思えない行列ができていました。
 
 「今日くらい優越感を感じたことはなかった」と家内は言いましたが、上高地や乗鞍スカイラインに自由に行きたいために青ナンバーのタクシー事業を創め、「道楽」と評判の悪かった私のタクシーが、渋滞とは無縁で上高地へ出入りできることから、初めて家内から誉められた瞬間でした。
 
 最高の晴天と3連休は道路にも大渋滞が出来ており、高山市の国道に入る道も車が動かず、東海北陸自動車道に向かう中部縦貫道が高山西インターから渋滞しており、過去に経験のない道路渋滞が起きていました。
 毎週のように上高地に出向いてきた経験がここでも活き、迂回や「せせらぎ街道」経由で、自宅まで渋滞を免れましたが、家内の足はかなりの重症で、明日からの仕事に影響は必死の上高地行きともなりました。
 
                                    10月13日の一言
追伸
上高地から岳沢への登山は明日以降に添付します。

予報は晴天の上高地に強風が吹き荒れており

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上高地バスターミナルと紅葉
 
 本日は朝9時に津島市の自宅を出発し、車内から上高地小梨平のアルプス観光に宿泊するケビンを予約したところ、キャンセルによる空室があったことから、万が一のため用意したテント生活ではなくなりました。
 
 かつての上高地行きでは、前夜に夜行で出発するか、早朝に自宅を出発してきましたが、今回はがん検診の肺がんのレントゲンにチェックが入ったことから再診が必要となり、今月26日の最終診断まで安全宣言が出せません。
 
 そんなことから、2泊を1泊に変更し、相棒リマも完全無視で留守番に決め、朝も議会日程と同じ9時から出発した次第で、車の運転も家内に頼る弱々しい旅立ちとなりました。
 通常ならトイレ休憩程度で、上高地まで3時間の行程としていますが、今回は3連休のため渋滞もひどかったこともありますが、普段なら立ち寄らぬ中部縦貫道高山西インターにある道の駅「ななもり清見」に入り、レストランでゆっくりと昼食をとり、高山市内のキタムラでフイルムを購入し、キャンプをしても良いような食材を買い集め、上高地に入ったのは午後3時になっていました。

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河童橋からの光景ですが、曇っており穂高連峰は見えません
 
 本日は宿に入って小梨食堂で夕食をとり、風呂に入って部屋に戻ったのは午後6時となっていたものの、夕方から小雨ながら雨が降り続いており、明日は予報どおりの晴天になってほしいものです。
 
 「宿泊ですね」
 「はい」
 「じゃー、こっちを」
 
 本当は受付に置いてある割引券が必要な生ビールのサービスですが、何度も訪れていることから顔を覚えていてくれた店員さんにより割引してもらえ、今まで150円も割引があったことを知らないままに注文し続けて、まもなくシーズンが終わっていきます。
 
 「ここ、いつまで」
 「11月の連休まで」
 「そのあとは、どうするの?」
 「今度は和歌山かな、四国ではないなぁ」
 
 偶然にも上高地閉山後の活動の場を聞かれた店員さんが、和歌山県や四国の名前をあげたことから家内と顔を見合わせましたが、閉山まで1ヶ月となり、小梨平キャンプ場も来月初めの連休で閉鎖される日が刻々と近づいていきます。
 
                                  10月12日の一言

明日は上高地で心身のリフレッシュを

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最近の涸沢・あまりの綺麗さに晴山雨読記さん↓↓から勝手な引用です
 
 「お父さん、明日は何時に出発するの?」
 「9時でどうだ」
 「9時いー?」
 「なんで?」
 「涸沢まで行きたいんだけど…」
 
 涸沢の紅葉が最盛期を迎えているとのテレビや新聞報道を読んだ家内の一言ですが、涸沢までは河童橋から約6時間程度かかることから、行くなら今晩から出発して明日の早朝から歩く必要があり、家内は前夜からの旅立ちは反対しておいて、一瞬の景色のために身体を酷使するのは私には苦痛となります。
 
 明日からの3連休は、早くから上高地に行くことと決めていましたが、「お父さん一人で行ってきたら」と言っていたものが、私の健康診断で再検査が必要となり、「もしかしたら、来年は無いかも…」との縁起でもない冗談から家内が同行することとなり、気分もすっきりしない私が2日間に日程を減らすとともに、夜行で出発する気力も喪失していたことから、のんびりしたい旅立ちに、家内の身勝手な思いが腹立たしくなりました。
 
 一人なら、小梨平にテントを持ち込みたいとは思っていたものの、「涸沢にテントを張ったら」との家内の安易な一言は、10月末まで上高地に滞在する予定だった千葉県の渡辺画伯が、9月はじめの小梨平で携帯ガスボンベを3本使ってもテントの夜は寒くて震えていたとの上高地の寒さを安易に考えています。
 
 涸沢カールは標高約2300メートルあり、上高地より約800メートル高く、単純に考えても我家よりも14度程度温度が低い計算となりますから、よほど寒さに対する対策を考えて行程を考えないと風邪をひきに行く事になりかねません。
 
 本当は夜行で出発して、3日間の行程を考えておりましたが、前日からの続きとなるものの、ガン検診で再検査に至っていることは、平常心ではおられるはずもなく、3連休でなかったら上高地の前に病院に通院したい心境で、静かな静寂を求めて走る上高地には、結果(善し悪し)を確定してから行きたいものです。
 
 「万が一」との冗談とも思えぬ同行も、気力が減退した一人よりもと歓迎はするものの、自分本位の希望を訴える家内に、「涸沢に行きたいなら一人で行ってこいよ」と、行く気をそぐ厳しい一言が…
 
 さて、そんな顛末の夜に我家には雨が降りだし、明日の天気も怪しくなってきましたが、上高地の紅葉シーズンはこれからですので、機会があれば是非とも行ってもらいたいと思います。
 「上高地は高いから」と、宿泊代の高さを強調する人もありますが、人が言うほど高くはありませんし、私のお薦めする小梨平には格安のケビンも存在し、上高地で一日でも長い滞在によって、人の雑踏とはかけ離れた無音で時間が停止したままの自然環境を体感してみたいものです。
 
 
  上高地の清々しい凛とした空気で、身体中の空気を入れ替えるべく、「阿息観」の一日にしたい本音と、「もしかしたら、今年最後の上高地」になる可能性も考えると、こだわりのある焼岳の登山途中にある樹木を見ておきたい気持ちと、家内の心情も交錯し…
 
                                     10月11日の一言

医師ではなく、事務長さんの一言に、ガーンからホッと

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 本日は朝から市役所の一日となりましたが、昨日の肺ガン検診の結果、CTによる再検査が必要と言われていたことから、日時を指定されたわけではないものの、手遅れで命を落とす人もあることから、夕方にかかりつけ医を訪れる覚悟はしたものの…
 
 しかし、突然CT検査に訪れても迷惑かもしれないと病院に電話すると…
 
 「はい、〇〇外科です」
 「再検査で、CT…」゛
 「大鹿さんですね?」
 「はい、そうですが…」
 「事務長の〇〇です」
 
ガーン!!
 
 用件を伝えきらないうちに、大鹿と特定されたことから、「本当は緊急を要する事態なのか」と勝手に心配となり、人との約束を済ませて来院する予定で電話していたものの、夜の診察時間が始まっていなかったのに、「今すぐに行きます」と車を走らせていました。
 
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 診察室で昨日の診断資料を確認してから、CTの電源を入れて検査ができるまで廊下で待ちますが、日頃は何も感じない看護婦さんの動きも、何事も気づかせないように行動しているのではないかと疑心暗鬼となってきます。
 
 これから行なわれる検査の結果によっては、ここでのんびりと診察を受けてはおれない可能性も考えると、他人の病気に対しては饒舌に語れるものの、自分については注射一本でも大変な心配性の現実から、ここに通院できる患者であるうちは安心できる立場にあると実感させられます。
 
 現実は、ガン検診を一度もやったことが無い人や、再検査と言われても検査をしなかったと言う人の存在を考えれば、私の身勝手な心配性によって、昨日から完全なる病人になっているだけと気持ちを落ち着かせます。こんなに心配していても、現実は何事も無かったと済む筈だと…
 
 緊張の中でCT検査を受け、かかりつけ医の診察を受け、明日以降に痰を採取して検査を受け、昨日に行なった血液検査の腫瘍マーカーの結果とあわせ、今月26日に名大病院から来られる呼吸器外科の先生に最後の診断を受ける段取りとなりました。
 
 ガーン!! ⇒ ホッと
 
 「ガンだったら困るなァ」
 「大丈夫ですよ」
 「どうして?」
 「大鹿さん、痩せてないもの」
 「 …こんなに太ってるもんね…」
 
 痰の提出期限と、名大病院の先生の診察日を聞いた事務長さんとの会話ですが、日頃は何とか痩せたいと思っているものの、本日は太っている肥満体を心のよりどころとして病院を後にしました。
 
 中学2年の14才の時に右足大腿部の骨髄炎が発症し、高校1年から3年連続で手術を受け、一年の大半を病室で過ごし、19才まで通院した悪夢がよみがえり、成人式後に高校を卒業した忘れていた悪夢が脳裏に浮かべる日々をしばらく送ることになりそうです。
 
 明日は市役所の一日となりますが、明後日からの3連休は上高地行きを考えていたものの、こんな状態では行く事を躊躇せざるをえず、一人で身勝手な上高地行きの予定を、家内同伴で2日間の旅程に変更して心の静養にあてたいと思います。
 
 心酔するお大師様(弘法大師)との約束では、笑い話で結果報告できるはずと思いますが、最近は四国遍路から遠ざかっており、来月に開催される別格20霊場先達研修会と、歩き遍路友の会の四国行きの際に身体健全を祈願してきたいとも思います。
 
                                  10月10日の一言

自分の尻に火がつきました…

 本日は名古屋市の叔父の葬儀があるため、朝から私のかかりつけ医で津島市の健康診断(基本検診)を受診したところ、先月に行なった胃がんと肺ガンの検診結果について説明がありました。
 
 ガーン!!
 
 「大鹿さん、今回は…」
 「えっ、引っかかっていますか…」
 「胃の方は良いんだけど…」
 「じゃー、肺ガンですか!!
 「うーん、何とも無いとは思うんだけど」
 「でも、何かあるんですねッ」
 「ここにちょっと、ネッ」
 
 ほんの小さな薄い影ですが、昨年のレントゲンには存在していない白い影があり、あるものは事実として受け止めるしかなく、近いうちにCT検査を受けることとなりましたが、基本検診の尿検査にも微量の血液が混ざっているとのダブルパンチです。
 
 尿検査の結果については、かつて厳冬期の上高地で8時間歩いた2日後にピンクの血尿が出たため、市民病院で検査を受けたことがあり、その延長線にあると思うものの、今回は事前にガンの腫瘍マーカー検査も受けており結果が気になるところです。
 
診断は無罪放免でした 2年前(11年1月)の一言です
 
 人の病気の相談には簡単に人からの伝聞や、雑誌の入れ知恵程度で語っている私ですが、自分のこととなると何も思い当たらず、早速再検査を受けたい心境を押さえて、家族と名古屋市の葬儀場に走りました。
 
 タバコも吸ってはおらず、まさか肺ガンの再検査を受けるとは思ってはおらず、5年前に横井庄一さんの夫人が肺結核で入院した悪夢がよみがえり、今晩は当時の一言や、自分の検査の顛末を検索して読み直す夜となりました。
 
肺結核・一年前の体験を振り返り 四年前の一言です
 
 さて、昨日の一言にも少しふれましたが、東京三鷹市で発生した女子高生刺殺事件について、事件当日の朝に刺殺された女子高生と両親が三鷹警察署を訪れ、殺人犯となった男を特定して防止策を訴えており、その場で警察官が犯人の男に3回連絡をしていた事が報道されています。
 
高3女子が刺され死亡 当日朝、つきまとい相談 東京
 
「待ち伏せされている」 殺害の高3女子、警察に訴え
 
 不確定ではありますが、警察から3回も電話があったことで男が逆上して刺殺に至った可能性も考えると、直接応対した警察官の不手際は確実で、住民の相談に真剣に対応していない警察の実態がそのまま現れています。
 
 一方で、被害者が両親と三鷹署を訪れる以前に、学校関係者も他の警察署を訪れて相談していたものの、住居地の三鷹署に相談するように伝えて、相談内容を三鷹署に連絡していなかったことも報じられていることから、この時点で警察署が連携して対応しておればこんな悲惨な結果にはならなかったかもしれません。
 
 「忙しいから」の一言は、津島市内で車を当て逃げされた被害者や、自転車等を盗まれた被害者に対する共通する警察官の一言で、物損事故程度では犯人を探してもらえないとの被害者の声を耳にします。
 
 忙しいからと、凶悪事件の発生後でなければ対応しない警察の現状があるとすれば、交通違反でシートベルトをしていない女性を検挙している労力をあて、人が人を犠牲にする残酷な事件を阻止してもらいたいものです。
 
                                 10月9日の一言
 
 
体罰の豊川工元監督が私塾で指導続ける 
 

突然の親族の訃報に…

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 ここが何か判りますか?
 
 本日は市役所の出納監査のため、いつもどおりに準備していると、「実は、名古屋の叔父さんが…」と、病気見舞いを通り越しての訃報です。
 
 本日の予定を市役所で確認すると、午後4時までは出納監査が続くため、急遽家内に会社を早退させて、母親と共に名古屋市の名東区にある叔父の家に行くように指示したものの…
 
 叔父は元々は津島市に近い中村区稲葉地町に住んでいたものの、平成のはじめに名東区に転居しており、私が乗せて行ったことはあるものの、家内が一人で運転して行ったことはありませんから、文明の機器であるカーナビ頼りでやっとの思いで辿り着いたとの話です。
 
 さて、亡くなった叔父は、私の叔母(父の妹)の夫で、叔母は平成9年に亡くなっており、我家にとっては横井庄一さん、新家の当主とともに、毎月のように葬儀が連続し、来月にも17回忌の法要が行なわれると思っていた矢先の訃報でした。
 
 叔父は横井庄一さんとの血縁はありませんが、横井さんの母親と特に縁のあった叔母の関係から横井さんを語れる存在だっただけに、横井さんの幼少期を知る人は、病院に入っている叔父(父の弟)だけとなり、横井さんの幼少時を知る血縁者も(本人や親達から聞いている)私だけになるのも時間の問題となってきました。
 
 添付したのは千種区にある葬儀場で、受付で応対してくれた故人の次男(私より5才若い従兄弟)と談笑している時は良かったのですが、控え室前で喪主を務める長男(私と1才違いの従兄弟)の顔を見ると、幼少時の思い出や、叔母や叔父、私の父親の健在だった頃の記憶が走馬灯のようによみがえり、お互いに涙を堪えるのに必死となりました。
 
 突然の訃報は、故人や家族の生活を一変させ、本日夜に開催された我家の書道会も、宿主不在で開催され、すべての約束事をリセットさせます。
 
 本日夜のテレビニュースから、東京三鷹市の18才女子高生が殺傷される事件が発信されてきました。本日の朝にストーカー被害として21才の男を母親と共に警察に訴えていたとの報道があり、無責任な警察の危機感の無さと同時に、犯人は勿論のこと、犯人を放任していた家族にも怒りが隠せません。
 
 踏み切りで人を救助して自らの命を落とした女性の存在を考えると、他人の命を身勝手に奪う凶悪犯や、死体を切り刻んで隠匿する殺人犯には、極刑をもって人が人の命を奪う事件が二度と再発しない社会を目指したいものです。
 
                                     10月8日の一言 

大型台風24号の進路が気になり

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 本日午後8時の台風24号の現在地と予想図ですが、私の住む愛知県では水曜日か木曜日に台風の影響を受けそうで、それまでに台風の勢力が弱まってくれるのを祈るしかありません。
 
 ただし、午後6時に935hPaあった中心気圧が、午後8時40分には950hPaにあがり、最大瞬間風速70mという勢力が60mに弱まっているのを見ると、このまま弱体化する可能性も高く、建物や水路はもちろんですが、実りを迎えている稲への影響を少なくしたいものです。
 
沖縄・奄美、台風で暴風域に 九州本土は8日夕にも  http://www.asahi.com/national/update/1007/SEB201310070019.html?ref=com_top6_1st
 
 今回も大型台風として勢力を保っており、台風の進路はもちろんですが、最近では台風と同時に竜巻の被害も想定されることから、今年に起こった竜巻の被災地を見ると、事前の備えも無力感が漂うことから、発生しないことを祈るばかりです。
 
 先月末には台風の通過後に上高地を訪れ、雲一つない穂高連峰に恵まれたことから、来週の3連休についても台風が通過した後となるため、家内と一緒に上高地へ行く話に発展しているものの、相棒リマの存在も無視できず、相棒だけを車中にはできないため、苦渋の選択にも迫られそうです。 
  
進次郎氏、父の原発ゼロ発言に理解「自民変わらないと」 
記事の続き… 
《講演》
 私は自民党が誤解されていると思う部分がある。その一つが自民が原発推進政党であるということ。これは違う。自民は原発推進政党ではない。こないだの参院選公約では、「再生可能エネルギー導入促進に向けて全力を尽くす」と書いた。復興庁政務官として原発事故のあった福島に関わるが、福島、宮城、岩手で30万人が仮設住宅に住んでいる。それを忘れてほしくない。
 皆さん、中日ドラゴンズ好きでしょう? 今年引退した山崎武司さんになって下さい。山崎さんは中日でプロ生活をスタートし、東北楽天で主将としてチームを率いて東北の皆さんに勇気を与えて、中日に戻って名古屋で現役を終えた。この経過を見て、愛知県の皆さんにもこれから東北との縁を持って頂きたい。
 私もこれから壁にぶつかることもあるでしょう。勉強を重ねながら試行錯誤して全力を傾けて頑張っていきたい。皆さんも日本のこれからの復興に関心を持って頂きたい。
 《質疑》
 ――先日、父の純一郎元首相が名古屋で講演しました。ドイツなどを視察して脱原発を認識したと言っていた。ご自身は「脱原発」についてどう考えますか。
 これはマスコミが一番喜びそうな話。まさかマスコミから聞いてくれって言われたのでは。時々、そういうケースがあるんです。
 先週は父が名古屋で(原発ゼロについて)話した。いったい名古屋ってどういう(笑)。今、私は立場が政務官ですから、安倍政権の一員なんです。政府の一員という立場ですが、日本の将来を考えたときに、日本ってやっぱり変わるときが来たかなと、誰もが思ったと思う。
 何か釈然としない気持ちが国民の間で、実は今はまだ景気が回復しそうだから黙っているけども、このままなし崩しにいって本当に良いのか、という声が私は脈々とある気がします。自民党がそれを忘れたら、愛知県で4年前に(衆院選小選挙区で)起きたように、(当選者が)ゼロになりかねない。
 それを考えたら、今、話したところで私の言わんとしているような思いはじわじわと(皆さんが)感じているのではないかなと思いますが。
 これは色んな課題があるんですよ。自民党が議論するチャンス。自民党が変わるきっかけなんです。それができるかどうか。変わらなかったらダメですよ。今回、政権与党になった自民党はラストチャンス。これでダメだったら、自民党は見放される。
 そのためにも最大限尽くすべきは復興政務官として一日でも早く、スケジュールよりも一日も早く復興が成し遂げられるように全力を尽くしていこうと思う。
 これから先の希望は何か。2020年で(東京)五輪・パラリンピックが終わって、なんかみんな一つのことが終わっちゃったなっていう気分になると思う。これからの日本を築くには、そこから先の目指す道があった方が夢や希望があるじゃないですか。
 たとえそれが高いハードルであっても。そういう思いを胸に秘めて、今は復興に頑張っていきたい。
 
 さて、小泉元首相の「原発ゼロ発言」について、息子の進次郎代議士が政権与党の一員であり、自らが復興政務官でありながら、高いハードルであっても目指すべき道として理解する発言をしています。
 
 使用済み核燃料の処理もできず、現在も多くの被災者が避難生活をおくり、除染作業も済んでいない現実の中で、死の商人のように諸外国へ原発技術を売り込む安倍首相の姿に嫌悪感を感じていただけに気になる発言です。
 
                                   10月7日の一言

涸沢カールが最盛期の紅葉との新聞記事に

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9月28日早朝の穂高連峰・上高地小梨平
 
 本日の新聞報道では北アルプスの涸沢(からさわ)カールで、ナナカマドやダケカンバなどが赤や黄色に色づき見頃を迎えたと報道されてきました。
 
自然の錦絵鮮やかに 穂高連峰の涸沢カールで紅葉見頃
 
 先月末に上高地を訪れた際にも、紅葉の兆しが見受けられていましたが、この一週間で紅葉がすすんで涸沢カールが最盛期を迎えたことから、涸沢(標高約2300メートル)と上高地(標高約1500メートル)の標高差が約800メートルあることから、来週の3連休には上高地も最高の紅葉を迎えるものと思われます。
 
 秋の一週間は変化も多く、一週間後の紅葉からその一週間後にはカラマツの落葉が始まり、小梨平のカラマツの絨毯の上を歩き、一ヵ月後の閉山式を迎えるまではあっという間に時間が経過していきます。
 
 3連休の上高地から、北陸と白山スーパー林道、上高地と乗鞍スカイライン、知多新四国と、休日や手帳の空きをすべて遠出にしてきましたが、その疲れが残り、本日の休養も完全復調とはなりませんが、デジタル新聞の見事な紅葉を見ると、来週には確実に車を走らせたいと思います。
 
 一方では、消費増税や、伊勢神宮の式年遷宮など大きな動きがあり、事故や人命救助など人の心を揺さぶる事故や事件も続いており、しばらくは新聞を熟読する時間も持ち合わせていなかったことを実感する一日ともなりました。
 
 さて、私の住む津島市では、9月議会の最終日に議会の本会議場ではなく、事前に連絡してあった新聞社やテレビ局のカメラに向かって、市長が任期を一年残した来年3月をもって辞任する発表をしました。
 
 理由は議会での議員に対する不用意な発言からと報じられているものの、一議員の私から見ても任期途中で辞任するストレスがあったとは思えず、議会開催中に何も語らず議会終了時間までマスコミを待機させての発表は、議会軽視どころか、議会や議員程度に自分の進退を語ってたまるかとの意識が存在しているとしか思えません。
 
 こんな展開から、これからの半年間は、自分もその政争の中に巻き込まれるのは必死で、四国遍路や高野山などで自分の存在感を発揮しようとしていた私にとっては、かなりのストレスをためることになりそうです。
  
横浜線救助の村田さんの通夜しめやかに 官房長官ら弔問 
 
 純粋に倒れた人を救おうと、踏み切り内に入って命を落とした横浜の村田さんの通夜が今晩行なわれており、国や警察からどんな大きな賞をもらっても、曇りのない善人の命はもどってはきません。
 
 人のためになるのは当然ですが、地域のために存在する議員でありながら、村田さんのように自分の命まで犠牲にして人を救いに走れるか…
 感動に涙して、自分の残された人生も感動の中で展開できるようにしたいと思います。
                                   10月6日の一言

新家の法要が行なわれて

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 本日は我家の新家の法要があり、初代となる祖母の50回忌と、2代目当主の17回忌があわせて行なわれ、法要後は料理屋のマイクロバスによって場所を移動し、愛西市(旧佐織町)の大富で豪華な食事となりました。
 
 この料理屋は久しぶりに入りましたが、20年ほど前にはPTAや女性グループの会食にもよく利用される豪華で新鮮なお店だったものの、最近は主要道に大型駐車場のある海鮮料理が多数出現していることから、法要を主体としたお店になっているようで、ネット情報にも辛辣なコメントが残されていました。
 
日本料理 寿司 大富のクチコミ
 
 人気を維持するのは難しく、安定した経営を続けるのも大変とは思いますが、施主に招かれて提供される法要の食事ゆえに、お客さんは料金の心配はないものの、料理内容やサービスを考えると、自分の財布から料金を支払って人を連れてくる気にはなれません。
 
 新鮮な刺身などは良いと思いますが、全く香りがしない「マツタケ」の土瓶蒸しや、料理の品々の味付けが今一つで、ビールを飲んで談笑しているから何も言いませんが、日頃は口にしない銘柄のビールが次々と出されてきます。
 
 さて、今から16年前の平成9年には、この新家の当主の1ヵ月前となる9月に横井庄一さんが亡くなっており、約1ヵ月後に叔母が亡くなったことから、3ヶ月連続で葬儀が続いた忘れることのできない年となりました。
 
 一方で、我家も共有する問題ですが、法要を行なう浄土宗のお寺は生業として成り立っていますが、座敷の正面に鎮座している「御嶽(おんたけ)様」については、奉りをとりおこなう先達が存在しない状態となっており、御嶽山の霊神場に立つ石碑の場所すら知らない孫が存在する話を聞き、真剣な対応が必要に思いました。
 
 先祖供養についてはお寺が仕事として月参りに来ていただけますが、先祖が信心した御嶽教や、弘法様については、母方の祖父が御嶽山に石塔を残し、父方の祖父が弘法堂で他人の加持祈祷までしていたのに存亡の危機に至っています。
 
 私が信心する真言宗の大師信仰についても、先祖供養となる浄土宗ではなく、私が出向く寺院も真言宗のお寺ばかりとなっており、母親の在所や新家、我家でも共通となる御嶽教の衰退を眺めながら、信心と先祖供養との乖離を真剣に考える一日ともなりました。
 
                                    10月5日の一言

ヤモリの冬眠と上高地に想いを重ね

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我家の窓や壁に生息するヤモリです
いつ頃から我家に生息しているのかは判りませんが、私の事務所の外に生息して、夜になると窓明かりに寄り付く虫を狙って窓の外にへばりついていますが、最近は寒くなってきており、そろそろ冬眠の準備に入るためか、本日は窓のわずかな隙間からトイレに入り込んでいました。
家を守るという「ヤモリ」で、毎晩窓の外にへばりつく姿を見慣れているから良いものの、初めての来客がトイレで見たらビックリ仰天となりかねませんね…
だんだんと寒くなってきており、冬眠して姿を見せなくなるのも寂しい宿命です。
 
 
 本日は午前中で終わると思っていた議会だよりの仕事が午後まで続き、午後に約束してあった人々との連絡が続きましたが、市役所内で訪ねた職員は休暇をとっており、一人は異動で他の施設に移っていました。
 
 今年4月に開催する予定をたてていた上高地の写真展ですが、写真展の会場としていた喫茶店が今年2月に閉店したことから、しばらくは発表する機会を失っており、撮り貯めた写真の中から20点を選んで、とりあえずネット写真展として残そうと思いつきましたが…
 
名物マスターの画廊喫茶が閉店し http://blogs.yahoo.co.jp/s281218/47087472.html
 
 実は、過去の写真展に発表する写真について、自分では選択に迷うことと、私の美意識がずれているため、市役所内で写真について詳しい2人の職員に選択を依頼しており、本日は写真とフイルムを持って市役所に出向いたのに2人とも会えませんでした。
 
 さて、この一言で何度も記しておりますが、今年の上高地は吹雪や雨にたたられていたものの、先週末には久々に晴れた上高地に遭遇し、4月以来となるカメラを持ち出し、フイルムに収めたことから、置いたままにしていた昨年分の写真を持ち出しました。
  
2011年1月31日~2月5日
      上高地と私 http://blogs.yahoo.co.jp/s281218/44648661.html
 
2010年1月25日~30日
      上高地の10年 http://blogs.yahoo.co.jp/s281218/42727530.html
 
 写真展と言っても、上高地を撮り続けるプロカメラマン中沢義直さんの作品を見れば、私の写真は見る必要もなく思われますが、過去に撮り貯めた写真の情景内に自分が立っていたと考えると、悠久の上高地の一瞬間かもしれませんが、瞼を閉じると当時の環境下に立っているかのような錯覚も起こります。
 
 閉山まで一カ月となりましたが、我家から3時間の行程を考えると、ふらりと思いつきで訪れたい心境になるものの、今年は一度も四国を訪れていない現実があり、家内をその気にさせることが早道かもしれませんね…
 
                                    10月4日の一言 

知多半島から八事山興正寺へ

イメージ 1 火曜日から3日間の予定で巡拝していた知多八十八ヶ所が本日午前中に満願となりました。
 
 私は運転手役で参加していましたが、運転と納経帳への朱印を依頼されており、ご本尊どころか大師堂にすら一度も参拝する時間がなく、初日に車のバンパーの一部を破損したことから、謝礼どころか修理代で赤字となる散々なる知多半島のドライブとなってしまいました。
 
 今回は9月議会の合間を書道教室の恩師と仲間の親睦旅行で、北陸や白山スーパー林道を走り、四国や西国・坂東・秩父の百観音を巡拝した仲間との最後の善光寺参りと上高地・乗鞍スカイラインを走ってきた後だけに、休息にあてる日々を外出し続けたツケが身体に蓄積するとともに、車まで傷物にしてしまいました。
 
 自分の本業は何かを真剣に考える良き機会となりましたが、好きで仲間と走っていく四国遍路や上高地とは違い、運転手としての仕事で期待される依頼には、その道で生活している人々に委ねて行くことが無難と思う体験ともなりました。
 
 「さて、終わったので最後くらいはご馳走を食べましょう」の一言で、結願した寺院を出発しましたが、走りながら食事会場を探しても見つからず、満願の御礼に参拝する名古屋市の八事山興正寺が間近に迫ってきてしまいました。
 
イメージ 2 名古屋市内で車を駐車して食事をする場所は大変なことと、同行したメンバーから特定の店名が出なかったことから、興正寺には私の住む町内のお寺のご住職が勤めておられるため、連絡して知恵を借りようとしたところ、興正寺内にある食堂を勧められ、3時頃に訪れる予定だった興正寺で昼食をとることとなりました。
 
 食事を予約して、朱印も納経所に預けて、案内されるままにご本尊と弘法大師像の前で読経し、そのまま境内や裏庭などを案内してもらいました。四国遍路においても、巡拝者は勝手に参拝して無言で立ち去る例が多いものの、お寺のご住職や関係者と話す機会は貴重です。
 
 
案内してもらったご住職のお寺
 
 知多半島の巡拝を「新四国」と言い、霊場の環境が四国と良く似ていると宣伝されていますが、今回の3日間で一度も白衣姿の巡拝者と会わなかったことと、住職不在のお寺は自分で勝手に納経帳に朱印を押してくるなど、お遍路の姿にも大きな違いがあり、遍路道にも四国を感ずる場所はありませんでした。
 
 「散々なる知多半島」と記しましたが、一度も廻ったことが無かっただけに、参拝はしていないものの、大きな経験になった事は否めず、依頼された人々には感謝するとともに、久々に弘法大師のお叱りを受けたような素直な反省ができる3日間ともなりました。
                                    10月3日の一言

知多八十八ケ所巡り第三日目

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最終日となりました。
添付した写真は、日の出直後の海岸(美浜)と宿泊したいろはや旅館前です。

知多八十八ケ所巡りの二日目

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篠島の松島海上タクシー
 
 本日は三河湾の篠島で目覚め、朝7時30分に予約してあった海上タクシーによって知多半島に戻り、第35番成願寺から北上を始め、南知多町、美浜町、常滑市を越え、最後は東海市の第77番寺まで巡拝を進めました。
 
 明日も一日残しており、明日は八十八ヶ所の結願を果たした後に、名古屋市昭和区にある「八事山興正寺」への御礼に参拝する予定をたてています。
 
八事山興正寺 http://www.koushoji.or.jp/
 
※興正寺(こうしょうじ)は、愛知県名古屋市昭和区八事本町にある高野山真言宗の別格本山。山号は八事山。通称は八事観音。本尊は大日如来。境内は本堂などがある西山普門院と奥之院がある東山遍照院に分かれており、全域が興正寺公園として開放されて います。
 
 冒頭に添付した海上タクシーだけを見れば、完全なる観光旅行ですが、お寺を素早く巡拝するために高額なタクシーを契約しており、一般的には併設されている名鉄海上観光船を利用して巡拝が行なわれています。
 
 雨と比較すれば有難い快晴も、強い陽射しがキリキリと皮膚を射し、車のエンジンを停めると車内が暑くなるため、一日中エンジンはかけっ放しとなり、運転手の私は車を降りて納経所に走り、朱印をもらったら一目散で車に帰り、次の目的地をカーナビに入れていると、同行者が戻ってきて、そのまま車を走らせる繰り返しで一日が過ぎ去りました。
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 昨日も篠島の番外寺が無人でしたが、本日も常滑市に入るといつも無人のお寺が存在し、私が同行者の納経帳を開いて、私の手によって朱印を押しましたが、四国では考えられない行為が当り前に行なわれていました。
 
 無人の納経所に先客としておられた御夫婦は、ご主人が納経帳ではなく掛け軸に朱印を押されていましたが、この人たちは一度も本堂に手を合わせることなく、お寺から車で立ち去っていかれましたが、こんな姿にお遍路とは何だろうと自問自答の一日です。
 ちなみに、知多半島の納経帳は、あらかじめ全部の寺院名が印刷されており、一ヶ所100円の朱印を押してもらうだけで、納経所に「手書き300円」の料金が表示してあるものの、筆とスズリが置いてないお寺がほとんどでした。
 
 お遍路は四国以外には存在せず、四国以外をお遍路とは言わないとの持論は変わりませんが、今回同行しておられる身代り講の人々は、朱印こそ私任せとしていますが、境内に入ってからは私語も厳禁で、一心不乱に読経を続け、読経が終わると遅れてはならずと車に帰り、次の札所に向かいます。
 こんな繰り返しで、先祖や先輩の指導を守って巡拝を続けておられる姿には共感するものがあり、私の足を頼りにされている責任も実感する一日ともなりました。
 
                                       10月2日の一言
 
本日の宿 
観光旅館いろはや http://www.irohaya.jp/
  

知多半島八十八カ所巡拝に出て

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 本日私が乗船した見事なクルーザーですが、この写真を見て、「大鹿さん、何所に行っているの?」と聞かれると、「してやったり」の気分になりますね。
 
 現実は知多四国めぐりの中で、4ヶ寺だけが日間賀島と篠島に渡航する必要があり、今回巡拝されている「津島身代講」の方々がチャーターした海上タクシーで、知多半島の師崎港から日間賀島へ渡り、一ヶ寺を巡拝した後に、篠島の港まで送ってもらいました。
 
海上タクシーまつしま http://www.shinojima-matsushima.com/
 
 ここで3ヶ寺巡拝してから、本日の宿「大漁屋」さんの車の送迎で宿に着きました。
 
 本日は第一番寺から巡拝をはじめ、知多半島の先まで39ヶ寺巡拝しており、明日と明後日の2日間で満願を果たし、最後に名古屋市内にある八事山興正寺まで巡拝すれば知多四国は結願となります。
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 写真は日間賀島の第37番大光院です。知多半島に弘法大師が来たという霊場の宣伝は宣伝として、史実として空海が知多半島に来た確証は何もありませんが、こんな小さな島にまで弘法信仰が存在することには驚きを隠せません。
 
 私は今回の巡拝に単純に運転手として参加していますが、朱印をもらうのも私の役務となっており、車から降りて納経所に走って朱印をもらい、急いで車に戻るとメンバーが戻ってきますから、身体が休まる暇がありません。
 
 一方で、狭い道が多く、通り抜けられない道も存在し、途中の民家で進行方向を変えている時に、バンパーの一部を破損してしまい、自分のミスとは言え、帰宅後に自動車板金屋さんに走る、借金を作りに出たようなお遍路となってしまいました。
 
 悲しい現実ですが、四国や上高地など、暇があれば何所へでも走ってきた結果ですから、人を傷つけなかったことを幸いとして、「急げば廻れ」とか、慌てるとロクなことが無いとのお大師様からの警鐘と受け止めたいと思います。
 
 明日は知多半島に戻りますが、本日の反省から安全なる一日にしたいと思います。
 
                                    10月1日の一言
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