大鹿一八「本日の一言」

平成16年2月から令和1年7月末までの「本日の一言」です。ヤフーブログ閉鎖により、ライブドアへ過去の記録として引っ越しました。

2013年11月

無免許運転等への厳罰化が実施されて

 無免許運転の厳罰化を盛り込んだ改正道路交通法が12月1日施行されるとの新聞報道です。
 
■12月1日施行の改正道交法の主な内容
・無免許運転やその命令、免許の不正取得などの罰則を1年以下の懲役か30万円以下の罰金から、3年以下の懲役か50万円以下の罰金に引き上げ
・無免許運転者への車の提供に3年以下の懲役か50万円以下の罰金、同乗に2年以下の懲役か30万円以下の罰金を新設
・ブレーキのない自転車の運転について警察官が検査したりブレーキ整備や運転継続の禁止を命じたりできる。命令違反に5万円以下の罰金
・自転車などの軽車両の路側帯通行を車道左側に限定
 
無免許運転厳罰化、改正道交法が1日施行 自転車対策も
 
 2011年4月に栃木県鹿沼市でクレーン車を運転していた男がてんかん発作で意識を失い、小学生6人をはねて死亡させた事故がありましたが、てんかんや統合失調症、そううつ病などで発作を起こしたり意識を失ったりする症状があるにもかかわらず、隠して免許の取得や更新をした人に「懲役1年以下か罰金30万円以下」の罰則に改められている。
 
 さて、今回の改正道路交通法は、今年6月の衆議院本会議で、全会一致で可決、成立しているが、多くの被害者家族が傍聴するなど、被害者だけでなく社会の大きな関心を集めてきたが、こんな状況下でも昨日には定年間近となった市役所職員が飲酒運転で人命を奪う事故を起こして、自動車運転過失致死容疑で逮捕されています。
 
酒気帯び運転で男性はねた疑い 千葉市水道局職員を逮捕
 
 誰もが車を運転すれば加害者になる可能性があり、私も明日には加害者となっている可能性もありますが、少なくとも運転する前から飲酒運転など運転してはならない状況下で車を運転して人を傷つければ、過失ではなく殺人事件と言われても否定できません。
 
 千葉市の職員についても、私と同じ59才という年齢からすれば、定年が間近に迫っている公務員であり、退職金や老後の生活を考えると信じられない行為で、年金までの生活や老後の生活を考える前に、監獄の生活が続いていきます。
 
 一方で、被害者になった72才の男性にとっては、明日以降の予定もあったと思いますが、一瞬にして命を奪われた相手が飲酒運転では、自分の身に置き換えると怒りが収まりそうにもありません。
 
 安全運転に気をつけていても、速度が超過していたり、信号をうっかり見落とすことは誰にもあることで、自分だけのウッカリミスで済めば幸いですが、相手もうっかりしていれば事故となり、突然に飛び出してくる自転車もありますから、今回の運転する前の厳罰化は当然の措置と思われます。
 
 我家で毎週開催されている書道会も、半月後に忘年会を開きますが、「酒のない宴会は全く味気ない」という私の一言で、我家からも歩いて行ける会場を探したものの、指導を受ける恩師などは車が無ければ会場に来れません。
 車社会の中で、ついうっかりのミスや事故を起さない準備も重要ですね。
 
                                11月30日の一言

高速道路の料金割引制度が削減され

 東日本、中日本、西日本の高速道路3社は29日、来年4月以降の料金割引案を発表し、深夜割引を現在の5割から3割にすることや、地方で平日の日中に行っている3割引きを廃止することなどが柱と報道されています。
 
 本日の報道によれば、現在半額となっている土曜日や日曜日の休日割引きについても、来年4月から都市部は廃止され、地方部では金額から3割引きになるとありますが、運送業者など向けの「大口・多頻度割引」は拡充し、最大割引率を現在の3割から4割に引き上げるとの発表に、国民の前から姿を消した安倍首相や、圧倒的議席を占めた自民公明の経済界にすりより、国民を無視した政権運営を垣間見たように思います。
 
高速深夜割引き3割に縮小 東京の休日割廃止 4月から
 
 高速道路の無料化が過去の政権公約となっていたことが信じられないような割引きの廃止で、民主党に政権交代される前の自民党麻生政権でも、どこまで走っても千円の高速料金を実施していたことを考えると、政権与党に安定多数の議席を与えることは国民の不利益になるような気がしてなりません。
 
 現実には正規料金を支払うのが当然のことなんでしょうが、一時は政権交代をめぐって大きな争点にもなった割引きが、いとも簡単に廃止される現実に、原発再稼動や秘密保護法案など、国民に有無を言わさぬ安倍政権の本性をみせられたようにも感じます。
 
 さて、私が頻繁に利用する四国までの高速料金は、愛知県の弥富インターから徳島県の鳴門インターまで、午前0時から4時の間に通行しておれば現在五千円で通行できますが、割引きがなければ1万350円となり、割引きがあっても7千500円程度は覚悟が必要になってきます。
 
 高知インターまでは1万2500円、松山インターまでは1万3千円の料金となっており、割引きの廃止は利用者には確実に堪え、ここに消費税の増税分も上乗せされると身近だった四国との距離が遥かなる四国に変身していきます。
 
 不安定な国会運営から外交面での問題が指摘されていましたが、圧倒的安定与党が誕生したことで外交面は強化されたかもしれませんが、国民の脱原発など民意は完全に無視され、消費増税だけでなく公共料金まで簡単に値上げされていきそうです。
 
 民主党の一貫性のない政権運営で国会が混乱したものの、自民党と公明党に圧倒的多数の議席を与えたことで、国民が主役となる民主政治から、民意を無視した経済優先の強権政治に戻ったような嫌悪感を、高速道路の割引き廃止からも感ずる一日となりました。
 
                                  11月29日の一言

菅元首相の四国遍路結願の報を読んで…

イメージ 1 元首相の管直人さんが、9月29日に四国八十八ヶ所の結願寺となる大窪寺に到着し、四国遍路を満願としていたことを、私は本日まて確認しておらず、「満願になった」とは聞いていたものの、過去のお遍路のように大きく報道されなかったことに寂しさは隠せませんが、よくぞ全てを歩いたものと称賛を送りたいと思います。
 
菅元首相 お遍路「約1200キロを歩き、ようやく結願」 
 民主党の菅直人元首相は29日、四国霊場88カ所を巡る「お遍路」を終えた。自身のブログで、88番札所の大窪寺(香川県さぬき市)に同日午後に到着したと報告。
 「約1200キロを歩き、ようやく結願することができました」と書き込んだ。お遍路を始めたのは平成16年7月。参院選東京選挙区で無所属候補を支援したとして党員資格停止中の菅氏だが、これで心機一転、出直しを図る?                                  産経ニュース 2013.9.29
 
管直人オフィシャルブログ
結願
今日午後、88番札所の大窪寺に到着。2004年7月、お遍路で四国を歩き始め、約1200キロを歩き、ようやく結願することができました。     9月29日
 
続結願
昨日は私の結願を、生まれ故郷の仲間が20人余り大窪寺に集まり、出迎えてくれた。嬉しい限り。
お遍路で歩き始めたのは2004年7月、結願まで9年かかった。衆院選に初出馬した1976年から政権交代まで、33年年かかった。次の政権交代はいつになるか。それまでには原発ゼロを実現しておきたい。小泉元総理の原発ゼロ積極発言は大歓迎。     9月30日
 
続続結願
 結願から2日、何かほっとし、気持ちも疲れも和らいできた。9年がかりで1200キロを歩いたお遍路は私の人生にとってやはり大事業であった。
 この間に東日本大震災とそれに伴う福島原発事故が起き、私自身、総理という立場で全力を尽くした。
 今はあらためて原点に返って、残された人生をどう生きるかを考えている。    10月1日
 
 菅さんは、2004年7月から四国八十八カ所巡りを開始しており、「年金未納問題で党代表を退き、直後に妻がクモ膜下出血で倒れたものの、幸い大きな障害が残ることもなく生き延びられ、人生を振り返るいい機会だと行動に移した」と週刊朝日の取材に語っております。
 
 「初回は妻だけに話して準備し、単身徳島県へ。秘書にも知らせていなかったのに、1番札所の霊山寺で支度中にマスコミが集まってきた。後で住職が記者に連絡したと聞き、驚きました」などは、自らのスケジュールを予告して歩いているとのウワサとは違っていました。
 
途中の顛末は、週刊朝日13年10月18日号か下記を参照してください
             http://dot.asahi.com/news/politics/2013101000042.html
 
 「9月29日に88番大窪寺で最後のご朱印をいただきました。門をくぐる際、すがすがしい達成感と同時に寂しさも感じた。長年の宿題で、楽しみでもありましたから。菅笠と金剛杖、納経帳は、お守り代わりに自宅に置いてあります。今は改めて原点に立ち返り、残りの人生で何ができるかを考えたい」と結ばれていました。
 
 数年前の話になりますが、松山市の手前の峠から下る遍路道を、「ここを菅さんが歩いたんだ」と、同行者を乗せて車で走ったことがありましたが、車でもエンジンが悲鳴をあげるような遍路道を菅さんが歩いたことに驚いたことがありました。
 
 歩き遍路の人々が悲鳴をあげる「遍路ころがし」の焼山寺や、一日では次の札所に到着しない高知県の室戸岬や足摺岬、私は翌日に足が動かなくなった横峰寺についても、菅さんは苦痛を隠して笑顔でカメラに収まり、行き交う人々と挨拶して遍路を続けていました。
 
 私は議員になる14年前より以前から無党派で、自民党だけでなく民主党も大嫌いな政党でしたが、菅さんの市民派としての野党時代の活動は嫌いではなく、個人的な好き嫌いも多少はあるものの、四国を通しで歩いたことはありませんが、歩き遍路の体験からすれば、体力と脚力だけでなく強い精神力には驚かされました。
 
  菅さんが満願した後のネットへの書き込みを読むと、中傷記事が多く、読者として読めば見事に笑えるコメントが氾濫しています。下記を参照して下さい。
 
そのまま冥途に行けよ
歩く恥さらし
今度は地獄で永遠にお遍路してろ
涅槃まで行ってこい
香川じゃなくて福島に行け
 
結果としてお遍路を達成しても
 人格的に能力的になんの効果もないと証明されましたw
 これって一般のお遍路に対する嫌がらせだろうw
 
 週刊朝日の取材に対して、菅さん自身が「人生を振り返るいい機会だと行動に移した」と述べており、お遍路に旅立つきっかけは様々で、お遍路の動機の善し悪しは論ずるものではなく、菅さんが全て自分の足で歩き続けた四国遍路を第三者が評価できるものではありません。
 
 「政治活動では目的を果たしたら戻る『点から点』の移動 … 歩き遍路は自分の感覚で動き、過程を楽しむ。時間の流れが全く違うんです」とか、「歩いている最中は足を踏み出すだけで精いっぱい。『無心』です。歩くこと自体でリフレッシュされ、気持ちが豊かになりました」など、歩く事で菅さんが得た感覚は間違いなく今後の活動に役立つと思われます。
 
 四国を歩いて党首に返り咲き、四国を歩いて総理大臣となった菅さんには、原発に頼らぬ社会を実現するために、もう一仕事頑張って欲しいと思います。
 
 本日私は菅さんの公式ページに(下記に添付した)メッセージを送付したところ、「自動返信です」の断りがありましたが返信があり、「今後の活動の参考にさせて頂きます」と記されておりました。
 
 元首相であっても、影響力は無くなってはおらず、地域に根ざした市民活動や、若者の理解者として頑張って欲しいものです。
                             11月28日の一言

私が送付したメールです
 
愛知県津島市で、無党派・無所属の市議会議員をしています。
私は平成13年から四国遍路をはじめ、現在は四国八十八ヶ所と別格霊場会の公認先達になっています 
私も当初は管さんの人気とり程度に考えておりましたが、動機は何であれ、あれだけの距離を歩きとおした体力と脚力には感服するしかありません。
高知県の足摺岬までの道のりと、松山までのお遍路は車でも大変な距離となります。
ネット上で管さんのお遍路を揶揄する一言を目にしますが、とにかく四国を歩いて一周することの大変さは、歩いた者しか判りません。
まだ、年齢的にも体力的にもがんばれると思いますので、私の故郷出身の市川房枝さんのように、市民目線で、脱原発や、これからは四国の空海が修業した禅定などで、心の病に悩む若者などとともに、精神的支柱になって頑張ってほしいと熱望しています。
来年は、空海によって四国遍路道が開創されて千二百年になります。
地域の中には、多くの悩める人々が引きこもっています。そんな人々のために是非とも行動して欲しいものです。
四国遍路の結願おめでとうございました。
もっと、もっと、頑張ってください。
 

私の12月議会の一般質問

イメージ 1
会派控え室で、この一言を書き込み中の私です
 
 津島市議会の12月本会議は昨日開会し、一般質問は12月2日(月)と3日(火)の2日間開催され、今回の議会には13人の議員が質問を通告しており、私は13番目の最後の質問者となりましたので、3日の午後に登壇する予定となりました。
 
12月議会 私の一般質問です。 
 
1 件名 津島市役所の窓口対応と市民の情報管理について
  要旨 ・現在の窓口対応の現状について
     ・守るべき情報と情報公開の現状について
 
2 件名 津島市の防災備蓄食料と、地元産の食材の活用について
  要旨 ・あかだ、くつわ等地元名産品を備蓄用に考えられないか
    
    
3 件名 伊藤市長の理想と考える地域医療と市民病院について
  要旨
 
  一件目の質問は、逗子ストーカー殺人事件の際に、犯人は探偵業者を通じて被害者の個人情報を入手しており、逗子市役所の納税課の職員から情報が渡ったことが確認されたことから、津島市役所の情報管理と窓口対応について質問いたします。
 
 一方で、市民の個人情報と思われるような資料が、インターネットを通じて簡単に検索できたり、名簿が流出しているケースもあることから、全体での見直しと対策も求めたいと思っています。
 
 問題は、本人以外でも情報が入手できる代理人や委任状に対する対応を検討する必要があると思われます。
 
 2件目の質問は、津島名物の「あかだ」と「くつわ」等について、保存食として賞味期限を延ばすことによって、防災備蓄食材とすることができれば、津島だけのお土産物から全国へ発送できるチャンスと私は思うものの…
 
 現実には、「あかだ」と「くつわ」については、原材料は米の粉が主であるものの、油で揚げた食材であることから、長期保存には難題も多く、何とか挑戦してほしい製造者も首をかしげていることと、市役所の担当者からも5年間の長期保存でき、なおかつ安いとの前提を聞いているだけに厳しいものがあります。
 
 3件目の質問は、現職の伊藤市長が任期を一年残して、来年の3月末までて市長職を辞任すると発表していることから、危機的状況下で市長に就任し、医師不足の解消と経営改善にがんばってきた評価をすることと、市長の目標としていた地域医療と、市民病院への思いを語ってほしいとの気持ちからの質問です。
 
 さて、私の一般質問については、事前に原稿用紙に質問をまとめておらず、手にした資料のみで登壇して質問していることから、答弁する理事者側も突然の質問も心配なためか、聞き取りの時間も長く(私がおしゃべりなだけかも知れませんが)なり、明日以降も職員の質問が続きそうです。
 
                                11月27日の一言

名古屋市の電柱の葬儀案内看板が禁止との報に

 名古屋市は26日、葬儀社電柱に掲げる葬儀案内の看板を広告とみなし、来年度から全面禁止する方針を決めたと報道されています。
 
電柱の葬儀案内、全面禁止へ その理由は… 名古屋市
 
 「お父さん、〇〇さんて書いてあるけど…」
 「 … … 」
 「〇〇さんて、もしかしたら…」
 「何が言いたいんだッ」
 「〇〇さんて書いてあったから」
 「だから、何なんだ
 
 一週間ほど前にもありましたが、今年の夏に上高地に向けて家を出た直後の交差点に置かれた葬儀社の看板を見た家内との会話ですが、楽しいはずの旅立ちが家内の「もしかしたら」との縁起でもない訃報話となりました。
 
 結果的には苗字が同じ人は多く存在し、まったく知らない人の訃報でしたが、議員の中には選挙区内のほとんどの葬儀に参列している者もあり、話題にしておりながら無視するのも無礼と思われてしまいそうです。
 
 本日開会した12月議会の一般質問で、私は逗子ストーカー殺人事件の際に住民の個人情報が流出していた問題から質問する予定ですが、訃報の情報についても、町内によっては回覧版で案内している自治会もあり、電柱や交差点に置かれる葬儀案内についても苗字だけでなく名前も明記しないと、同姓の人すべての安否が気になってしまいます。訃報についての氏名の公表についても、地域で議論する必要がありそうです。
 
 私の住む津島市でも、葬儀を自宅で営む家は減少し、最近ではほとんどが葬儀会館で行なわれるようになっており、自宅で執り行われる葬儀会場を案内する看板とは役目が違ってきたのかもしれません。
 
 さて、新聞報道では、名古屋市だけでなく、豊田市や豊橋市も葬儀の看板を禁止していると記されており、情報化社会となっているだけに、誰もが知人の訃報を見逃さない情報提供も考えていく必要があると思う報道ともなりました。
 
                                11月26日の一言

国の横暴と、早朝のひき逃げ事故に心凍る夜に

 新聞各社やマスコミが一斉に反対の声を上げ、ジャーナリストや文化人だけでなく、静岡県知事など国民の大多数から反対の声が聞こえてくる中で、公聴会の空席となった傍聴席へ参加を希望する市民の声も封印され、公聴会で全員が反対するも、国会では着々と法案成立に向けて進められていると、戦前の情報操作されていた前時代的恐怖政治のように思えてなりません。
 
 朝まで生テレビの田原さんが正論を述べても無視される現実を見ると、何も書き記す気持ちにもなれませんが、改めて自民党に圧倒的多数の議席を与えると、聞く耳を持たぬ横暴な政治となる嫌悪感を感じてなりません。
 
原発被災者の思い、届かず 福島で秘密保護法案公聴会
 
(秘密保護法案)時代にそぐわぬ物騒さ 菅原文太さん
 
秘密保護法案の福島公聴会、全員が反対 原発情報に懸念
 
秘密保護法案は「悪法だ」 川勝・静岡県知事が批判
 
特定秘密保護法案、原発情報の扱いに懸念 福島で公聴会
 
新聞各紙、秘密保護法案に懸念 「廃案」「慎重さ」求める
 
 さて、本日の早朝に新聞を配達中の44歳の男性が車に追突されて死亡する事故が発生しており、真っ暗な寒い路上で突然命を失った無言の死亡事故に、自分自身の過去の出来事がよみがえり、胸が痛くなってきました。
  
朝日新聞配達員、車に追突され死亡 ひき逃げ容疑で捜査
 
 25日午前4時10分ごろ、福井市文京2丁目の県道で、朝日新聞販売所「ASA福井東」のアルバイト配達員、加藤裕治さん(44)=同市乾徳1丁目=運転の原付きバイクに軽乗用車が追突。加藤さんは病院に運ばれたが、全身を強く打って約5時間後に死亡した。
 
 今から30年ほど前の話となりますが、私の経営する朝日新聞販売店で、私が起業する前から配達をされていた女性が、新聞配達を終えて自宅に帰る途中の交差点で、乗用車と衝突して数時間後に死亡されました。
 
 大学時代に起業して、若い社員が多かったことから、まさかこんな重大事故に遭遇する危機感も感じておらず、通夜の席で「そっちが飛び出してきた」と反省もない相手に、殴りたい心境を被害者のご主人に止められ、母親を亡くした高校生の娘さんの姿から自身の責任を痛感していました。
 
 当時も新聞配達には十分な損害保険や傷害保険が制度化されていたことから、金銭的には何も心配は無かったものの、それまで存在した人間を失った家庭は大変な危機を迎え、賠償金で家を購入して転出していかれた遺族は、手にした大金がアダとなったかのように離散していきました。
 
 その交通事故が起こったのは12月14日でした。偶然にも、翌年の12月14日に同じ道路の1キロ先で老婆の死亡事故が起こり、その翌年の12月14日には、死亡事故にはならなかったものの、500メートル離れた道路上で若い少年が交通事故の被害者となりました。
 
 こんな恐ろしい偶然が30年前の12月14日に、私の生活する地域を走る農面道路で3年連続して起こっており、私が議員になって販売店を廃業した14年前までは、 「12月14日に農面道路を走らない」ことをシキタリとしていました。
 
 年月の経過から忘れていた悲報が、新聞に記されたひき逃げ事故と、反対の大合唱の中でも国民を無視して進められる秘密保護法案の記事によって私の脳裏によみがえる一日となりました。
 
                                  11月25日の一言

天網恢恢疎にして漏らさず

  東京都猪瀬直樹知事(67)が、医療法人「徳洲会」グループから5千万円を受け取っていた問題で、徳田虎雄前理事長(75)の妻(75)が、9月に返却を受けるまで「猪瀬氏側から資金を返す話は、一切なかった」と周辺に証言していることがわかったと朝日新聞が報じています。
 
虎雄氏の妻「返金話なかった」 猪瀬知事説明と食い違い
 
 天網恢恢疎にして漏らさず(てんもうかいかいそにしてもらさず)の諺がありますが、東京都の猪瀬都知事が徳洲会の徳田虎雄前理事長から5千万円を受け取っていた事件は、猪瀬都知事が悪人かどうかは判らないものの、まさにそのことわざどおりの展開と思われます。
 
 日時をさかのぼって読み直すと、徳洲会に捜査のメスが入った直後に5千万円が返却されているが、金銭を貸し出すにあたって、「取りに来させろ」とか「足がつかぬように処理せよ」などと指示されており、金を無心した猪瀬氏の情けない立場と、返却しなければ借金の存在が発覚しなかった可能性から、猪瀬氏の罪の自覚と小心者の性格がはっきりと報道されてしまいました。
 
ヤフーことわざから引用…天網恢恢疎にして漏らさず
天の張る網は、広くて一見目が粗いようであるが、悪人を網の目から漏らすことはない。悪事を行えば必ず捕らえられ、天罰をこうむるということ。
 
 個人的な借金か、政治資金かは判りませんが、公の金融筋から借金しておれば何事もありませんが、徳洲会に捜査のメスが入らなかったら、この5千万円は闇から闇に葬られた可能性や、都知事として徳洲会に便宜が図られた可能性が高く、私の性格なら責任を問われれば辞任しかなく、辞任する覚悟があれば、最後まで借金したことすら存在しないと開き直りますが、開き直れば5千万円も懐に入っていたのかもしれません。猪瀬氏より悪者かも知れませんが、私はそんな借金自体をしませんし、貸してもらえる人徳もありませんが…
 
自販機ジュース、増税で130円に 端数切り上げを申請
 
 さて、5千万円を着服するような話を記しながら、消費増税による缶ジュースの価格を記すのは小心者でしかありませんが、増税されても買わなければ良いだけの話で、国民の納税がなければ何もできない政権与党が圧倒的数の力で、原発の再稼動や、秘密保護法案を強行していくことに、我々は国民の数の力で抗議していくしかありませんね。
 
手紙82円・はがき52円に値上げ決定 増税で日本郵便
 
 買わない、使わないと思っても、既に買って所有しているハガキや切手の値上げについては、ウッカリすると送り手に負担をかけますから、そのままポストに投函できるとして購入しているエキスパックなど、増税は日常生活のなかに大きく影響することを実感させられます。
 
 上高地から四国遍路、ピアノリサイタルから演劇鑑賞など、夢に浮かれる一言を書き続けてきましたが、世の中では多くの事件が多発しており、最近では国会で絶対的多数を占めた自民党による国民無視の横暴も感ずるようになっており、厳しい視線も必要と思う一日となりました。
 
                               11月24日の一言

演劇鑑賞から名古屋城見物へ

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 本日は名古屋市にある愛知県芸術劇場小ホールで開催された、「アニーとヘレン」を鑑賞してきました。
 ヘレン・ケラーという名前は聞いたことがありましたが、この演劇を通じて、視覚と聴覚も失ったヘレンが、アニ―・サリバンという教育係を得て、言葉を理解するまでの生活が演じられ、最後は涙を堪える人でいっぱいとなりました。
 
 同級生が出演しているのが縁で、毎年鑑賞に訪れていますが、主催する遠山事務所が来年で二十周年を迎えると聞き、パンフレットに添付された過去の演目と写真を見て、懐かしさと後戻りのできない年月の経過も実感させられました。
 
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 左の写真は、終演後にヘレンの教育係の役を演じた小嶋さんとアナグノス役の丹羽さんを囲んだ「神守丈友会」のメンバーで、撮影はしたものの、まさかここに添付されるとは思っていないでしょうから、判ったらびっくりでしょうね。
 
 実は丹羽さんが私の同級生で、神守丈友会のメンバーでもあることから、メンバーで揃って鑑賞に訪れているわけで、劇団の二十周年との記載を見て、来年は我々神守丈友会も二十周年になることを知りました。
 
 「せめて大人として、恥ずかしくない署名ができるように」と、私の中学時代の恩師「長谷川丈夫」先生に指導をお願いし、母校の神守と恩師の丈をとって「神守丈友会」と命名し、平成6年より毎週火曜日に我家の2階で開催してきました。長谷川先生は亡くなり、指導は同じく中学時代の恩師となる後藤毅先生に変わっているものの、来年は二十年を迎えます。
 
 昨年まで毎年書道展を開催しておりましたが、今年から会場としていた画廊喫茶が閉店したことから、今年の書道展は開催できませんでしたが、来年が20年と判ったことから、新たな会場探しとともに、過去とは違うレベルでの作品展を考えていきたいと思います。
 
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 右の写真は名古屋城です。金のシャチホコでテレビにも登場しますが、このブログを愛知県から発信しているものの、私自身は小学校の遠足以来、名古屋城に行ったことがないばかりか、近くを通りながら見たこともないため、本日は演劇終了後に訪れました。
 
 紅葉も見事で多くの観光客が訪れていましたが、我々はお掘をはさんで北側にある「ノル・シャトー」という喫茶店からの鑑賞です。
 
 名古屋城のお堀沿いにあり、100台収容の駐車場を看板としており、世が世であれば大変な場所にコーヒー一杯で休憩できることに感謝の一日となりました。
 
                                 11月23日の一言

久々に移送ボランティアに出向いて

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 本日は午前中の予定が開いていたためのんびりしていると、固定電話から転送でボランティアの福祉有償運送の依頼が入り、メンバーにしらせようとしたものの、時間が迫っていたことから自分で走り、市内の開業医への送迎を終えて運転席に座ると…
 
 「大鹿さん、頼めるかな?」
 「はい、ハイ、いつですか?」
 「今なの…、良いかな?」
 「はい、ハイ、すぐに行きますね」
 
 こんな展開で電話があり、依頼主の立つスーパーマーケットに走ると…
 
 「どうしたの、こんなに早く」
 「急いで、走ってきたんです」
 「議会は大丈夫ですか?」
 「来週からはダメですけどね…」
 「そぉー、助かったわー」
 
 9月議会が終わるのを待って、多くの人から知多半島の新四国八十八ヶ所や、百観音御礼の善光寺など、巡礼の依頼が続き、自分自身の上高地行きから、今月は四国へ走っていたため、ボランティアは久々の参加となりました。
 
 明日からの週末に、12月議会の一般質問の通告する質問内容をまとめようと考えておりましたが、明日は知人の出演する演劇が名古屋で開催され、明後日は名古屋の叔父の四十九日法要が営まれることから、余裕でまとめることはできず、深夜の作業となりそうな雰囲気となりました。
 
 さて、地元で長年続いていた演劇鑑賞会が昨日開催されたものの、今回で解散するとの話を参加された人から聞きましたが、高齢化社会となっている中で、高齢化で廃止されたり存続が危ぶまれる行事や団体の多さを、これから高齢者となる立場に立ってから寂しさを実感しながら聞くことが多くなりました。
 
 こんな話が続くと、自分自身の議員活動までそろそろ引退と考えてしまいますが、「絶対にダメッですよッ、もう1期続けて息子の応援を」と説得され、気力を振り絞ってみますが、四国遍路より厳しい歩きが求められています。
 
 本日は久々にボランティアの一日となりましたが、元々は福祉有償運送ボランティアの提唱者だっただけに、こんな生活が連続しているのが本当の姿で、忘れていた感覚がよみがえったような一日ともなりました。
 
                               11月22日の一言

1泊4日の歩き遍路の回顧に花を咲かせて

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先週土曜日にスタート直前の歩き遍路友の会メンバー 左から3人目が私です
 
 本日は町内の真言宗のお寺(弘盛寺)で「阿息観」に参加し、今月7日に四国別格二十霊場第十四番椿堂でいただいてきた椿の幼木を頂いてもらう約束をし、来春に本堂前の境内を整地される時に移植する話としてきました。
 
 椿堂で頂いてきた椿は3本で、弘法大師ゆかりの椿を我家だけに植えるのはもったいないため、椿堂と同じ高野山真言宗の弘盛寺に植えてもらえるのは大変ありがたく、弘法大師ゆかりの椿堂の椿として、私の故郷越津町で永く成長してくれることを祈るばかりです。
 
椿堂 略縁起
弘仁6年(815)10月15日未明巡錫中の弘法大師がこの庵を訪れ、当時この地に熱病(インフルエンザ)が流行し住民の苦しめるのを知り、住民をこの庵に集めて手にせる杖を土にさして祈祷し、病を杖とともに土に封じて去る。後にこの杖より逆さなるも椿が芽を出し成長し、住民はこの椿を大師お杖椿として信仰の対象としてこの庵を「椿堂」と呼びこの地方の地名ともなりました。安政六年(1859)に火災に遭いましたが、現在の椿はその時焼けた株から芽を出したものといわれています。

 お寺から戻った直後に事務所に来客があり、顔を出すと先週末から「1泊4日」の旅程で一緒に四国を歩いてきた歩き遍路友の会東海の上野会長で、四国で撮影された写真を収めたCDを持ってきていただきました。
 
 本日未明には、友の会のブログに旅程の報告を記しており、記したことから閲覧者からのコメントや、会長からのメールもあったため、訪問を受けて遍路の思い出話に花を咲かせ、正月の新年会や、春の新たな企画など話は尽きません。
 
讃岐七ヶ所まいり 一日目  http://blogs.yahoo.co.jp/s281218_0417/54320993.html
 
 「1泊4日」のキャッチフレーズは上野会長の発案ですが、金曜日深夜の長距離バスで仮眠をとり、翌日は遍路道を山越えして四国善通寺に1泊し、その翌日には更に距離を歩いてから深夜にバスで仮眠をとって名古屋に帰り、その日は普通に仕事に出かけたのですから、今までの過去にない経験となりました。
 
 お寺に聞いても「止めた方が良い」と言われる過酷な山の遍路道を歩き、鎖につかまってよじ登る捨身ヶ嶽禅定と、10ヶ寺を「1泊4日」で達成してきたのですから、回顧してもその余韻に酔いしれる日々が続きます。
 
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 さて、左に添付した写真は、四国健康村で行なわれている大衆演劇で、日曜日は前日の山行きで足を痛めた1人を治療のため残して善通寺を6人で出発し、1人は予定の2ヶ寺で終わり、この後は更に足を延ばして4ヶ寺を巡拝しました。
 
 ここで、1人は更に一週間ほど遍路を続けるためお別れとなり、4人で四国健康村まで列車で移動しました。途中で分かれた2人がここで先行して待っており、大浴場で汗を流したあと演劇の行なわれる食堂で盛り上がっていると、夜7時から歌と演劇の大衆演劇が始まりました。
 
 この日は一日中滞在しても1050円のスペシャルデーでしたが、格安の3時間コースで入浴後に、食事をとりながら大衆演劇を楽しめば、仲間との宴会や忘年会に盛り上がることは間違いがなく、ここで盛り上がったことが、友の会の次の企画話に発展していきました。
 
 「1泊4日」の四国歩き遍路から帰って4日しか経っていませんが、菅傘と白衣姿だけでなく、非日常的な四国遍路に浮かれる生活が当分は続きそうです。
 
                                  11月21日の一言

議員として勉強不足を実感する一日に

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夕陽が沈んだ直後の津島市内・市役所5階から
 
 本日も市役所の一日となりましたが、議会活動の中で市役所で夕暮れを迎えることはありましたが、議会日程とは違い定期監査による一日は、大学時代に起業して以来、どこにも勤務経験のないない私にはサラリーマンになったような感覚にも思えてなりません。
 
 昨日に12月議会の運営委員会や代表者会が開催され、議員の一部には既に一般質問を通告して、議会の準備を着々と進めている中で、議会とは無縁の定期監査の部屋に通う一日となり、今月は本会議開会前日と、議会開会後の月末にも監査が行なわれます。
 
 さて、この出納監査の席で知り得た情報は、議会や一般社会に漏らしてはならないことから、議会活動での質問との関連に悩みますが、本日監査対象となった市役所市民課については、今回の一般質問に取り上げたい窓口業務があったことから、議会まで口を噤むこともできず、質問することを話しながら質問をしました。
 
 かつてコンビニエンスストアーが出現し始めたときに、まさか年中無休で24時間営業が当り前になるとは思えませんでしたが、現代社会ではそれが当り前となり、市役所内にコンビニが併設されたり、各種証明業務が自動交付機により休日も利用できるようになってきました。
 
 先進地の先進事例ばかりに注目が集まるものの、私の住む津島市についても、年末年始を除いて年中無休で各種証明書が発行され、納税業務まで行なわれていたことを、知ってはいたものの勤務実態までは詳しく認識もしていなかったことに、議員として関心も少なかった反省を、本日の監査の場で実感させられました。
 
 監査の場で知り得たことを口外してはならないことになっていますが、監査の場に臨む前に議員として知っておくべきことを理解していなかった不勉強により、監査の場で知りうることになってしまったのは皮肉ですが、これは監査委員でしか知り得ぬ情報ではありませんので、議会質問とは無縁と思っていた監査が思わぬ勉強の場になってしまいました。
 
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 先日は私の発信したこの一言の情報から、岡山県に住むMさんが四国で合流して、しばし一緒の歩き遍路となりましたが、このブログには、津島市に家族を残して単身赴任している人や、故郷を離れている知人も存在することから、市役所の南側に見える夕暮れ風景を左から東、南、西と3点添付しました。
 
                                   11月20日の一言

ピアノリサイタルに出向いて

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 本日の夜は、名古屋市中区の名古屋電気会館のコンサートホールで開催された「佐藤由美」ピアノリサイタルに出向き、ドビッシー、モーツァルト、ショパンなどの名曲を2時間にわたって鑑賞してきました。
 
 私自身は音楽と言えば「鶴田浩二」さんしか関心がなく、ピアノとかクラッシック音楽とは無縁の人生ですが、奏者の父親には選挙用のポスターやパンフレットの印刷をお世話になっている縁から、議員になってから毎年ピアノ鑑賞を体験するようになりました。
 
 今年は3月にも同じ会場で佐藤由美さんのピアノリサイタルを鑑賞しており、4月には東京都の葛飾区で開かれたピアノリサイタルにも、坂東巡礼の合間にもお遍路仲間とともに参加しており、今晩は今年3回目の鑑賞となりました。
 
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 佐藤由美さんは、愛知県一宮市在住(旧尾西市)のピアニストで、中学生の時に全国大会で1位となり、東京藝術大学の付属高校から大学、大学院と学び、モーツァルト国際音楽コンクールへ派遣されるなど、当地方有数のピアニストとも言える存在となっています。
 
 津島市との関係も深く、今年2月に閉店された西愛宕町の「茜屋」さんでも10年近くピアノコンサートを開催しており、今晩の多くの津島市民のファンが会場を訪れていました。
 
 右上に添付した写真ですが、佐藤由美さんを挟んで左側は、茜屋で音楽や映画を語らしたら一家言とか一言居士と思われたKさんで、右側は愛知県知事になり損ねた井〇〇さんです。リサイタル終了後の和やかな一瞬です。
 
 さて、本日は12月議会の議会運営委員会が開催され、任期途中の辞任を発表した市長が津島市のホームページに記した議会批判について、事実と違う記載があるとして委員会終了後に各派代表者会を開催し、文書による改善策を提出することになりましたが、議会での激論が予測されそうです。
 
 私自身は、明日も議会開会後にも定期監査が予定されており、山積した仕事と約束を考えると正月まで休みもとれないスケジュールが続くことともなります。
 
                                  11月19日の一言

四国・善通寺前の熊岡菓子店の堅パン

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四国・善通寺前で売られている堅パン
 
 先週に津島市の名物となっている堅いことで有名な「あかだ」と「くつわ」を紹介しましたが、2日前に訪れた四国善通寺の門前で売られている「堅パン」も、「あかだ」や「くつわ」に負けない堅さが売り物で、名前のとおり堅くて私の歯では嚙み切れません。
 
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 善通寺の西側にある御影堂の門前にお店があり、店の周辺はまるで大正時代にもどったような錯覚をおこします。
 
創業1896年(明治29)の老舗で、日清戦争の頃、大阪の菓子店松前堂の大番頭を務めていた初代:熊岡和市氏が、軍用食の開発に携わることになり、日持ちがして腹持ちもよいものという軍の要望で作ったのが堅パン。
 
 
 
 堅パンとは読んでそのままですが、石パンとかお遍路さんの「保存食」とも言われているようです。
 ちなみに、添付したパン(と言うりも堅い煎餅)を食べ忘れた事があり、一年ほどしてから口にしたことがありますが、水分が抜けて固められているためか、カビも見られず食べても違和感はありませんでした。
 
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 2日前に訪れた際には、時間が4時半頃になっていたことから、品切れになっている菓子も多く、津島名物の「あかだ」や「くつわ」のような土産物ではなく、地元の人たちが日常的に口にするお菓子であることが実感させられました。
 
 堅パンの名前と保存食と聞くと、乾パンのイメージがわきますが、実際にはパンと言うよりも石のように固い煎餅ですね。
 
 値段も庶民的で、100グラム150円とか1枚30円など買い続けても経済的負担は感じられません。
 
 
 さて、2日間の歩き遍路では、別格18番から遍路道で山越えし、第71番から79番まで巡拝し、73番出釈迦寺では奥の院の捨身ヶ嶽禅定まで我拝師山を登りました。
 
 昨日の午後には雨が降りだし、最後の天皇寺に到着したものの、楽しみとしていた八十場名物トコロテンの清水屋さんが定休日となっているなど、思わぬハプニングにも見舞われましたが、予定通りに日程が消化できました。
 
 本日の朝にバスで帰宅したことが、ずいぶんと過去の出来事のように思われる夜を向かえ、明日からも忙しい日々の日常が続いていきます。
 
                                  11月18日の一言
 行 程
15日(金)11時10分 名古屋名鉄バスターミナル発丸亀行き 
 
一日目 16日(土)
 …香川県丸亀駅午前7時10分…JR丸亀駅…JR海岸寺駅…別格18番海岸寺…71番・弥谷寺…72番・曼荼羅寺…73番出釈迦寺…奥の院・拾身ケ嶽禅定…74番・甲山寺…75番・善通寺…宿泊 宿坊いろは会館
 
二日目 17日(日)
 善通寺…76番・金倉寺…77番・道隆寺…78番・郷照寺…79番天皇寺…JR八十場駅…JR宇多津駅…四国健康村(温泉・夕食・大衆演劇鑑賞)…タクシー…JR丸亀駅 丸亀 17日(日)午後9時30分発車…名古屋到着・18日(月)午前6時10分
 
 

四国歩き遍路 二日目

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善通寺前(東側)の旅館の女将さんに
シャッターを押してもらいました。後ろは善通寺五重塔
 
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四国ではいたる所に遍路道の看板が立っています
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丸亀市の中心市街地を行くメンバー
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丸亀市役所近くの人気うどん店です
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坂出駅から宇多津駅に移動中のお遍路メンバー

本日は善通寺の朝のお勤めに参加してから、朝食後にメンバー七名で歩き始めました。

四国はお遍路には優しく、善通寺前でシャッターを押しましょかとご婦人が駆け寄った来られました。

我々も非日常的な行動に酔いしれて、白装束を当たり前に歩いて行きます。

さて、四国お遍路では、地図も必要ではありますが、道路の電柱に貼られた遍路マ-クをたよれば次のお寺に到着します。

最後の写真はお遍路終了後に電車で移動中の写真です。

こんな事は四国では苦にもなりませんが、明日の朝は名古屋から私の住む津島市までは帰るためにかなりの度胸がいりそうです。

四国歩き遍路 一日目

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海岸寺駅から海岸寺を目指すメンバー7人です
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出釈迦寺奥の院の捨身ケ嶽禅定です
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久しぶりでしたが、来る度に足が震えます
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釈迦寺から甲山寺に向かう時に、
私の相棒とそっくりの子犬と遭遇し、暫し談笑(飼い主と)です。

本日は深夜バスで名古屋から四国丸亀駅に到着し、列車で海岸寺駅まで移動してから、別格海岸寺から遍路道で山越えし、弥谷寺から善通寺まで巡拝しました。

出釈迦寺では、奥の院の捨身ケ嶽禅定まで進みました。

さて、名古屋を出発した時は、歩き遍路友の会メンバーは6名でしたが、丸亀駅で現地集合して七名に増え、更に海岸寺で我々の予定をネット検索した岡山県のMさんが待っておられ、八名での巡拝となりました。

今まで全く知らなかった人が、まるで旧知の知り合いのように行動できることが四国やお遍路の魅力で、参加されたMさんには感謝の一言しかありません。

Mさん、絶対に連絡くださいね。

歩き遍路友の会の企画としては大成功と思います。

明日は善通寺からの巡拝となり、足を棒にした遍路が夕方まで続きます。

今晩から、2日間の四国歩き遍路へ

 本日も昨日に引き続き市役所での会計監査の一日となりましたが、朝から降り続いていた雨もあがり、温かくなってきたことに安堵するとともに、市役所を退出したあとになってから、本日中にやっておくべき仕事に追われることとなりました。
 
 さて、今晩には、10時30分に名古屋で集合し、歩き遍路友の会のメンバー6人(現地で一人合流して7人の遍路です)と深夜バスで四国丸亀市を目指すことになっており、明日から二日間だけですが歩いて巡拝する予定にしていることから、途中の山越えや捨身ヶ嶽禅定があるため、荷物の選定に迷うことになりました。
 
 なにしろ、部分的には歩き遍路も体験しているものの、これまで四国までは車で出かけており、とりあえず必要な物は車に積んでいたことから、今回のようなリュック一つに荷物をまとめ、菅笠と金剛杖を持った白衣姿で路線バスに乗って名古屋まで行くことも初めての体験となります。
 
 予定では明日の午前7時頃に丸亀市に到着し、電車で別格18番海岸寺まで移動してから歩き出しますが、2日間の遍路が終了後には、日曜日の夜9時半の深夜バスで名古屋に戻って、月曜日の朝6時頃に名古屋に到着することから、私は朝から白装束の遍路姿で自宅に戻ってくることになります。
 
 名古屋から四国への長距離バスは四国四県に4コースありますが、これを利用して週末に何度も歩き遍路へ出向けば、意外に苦痛なく歩き遍路による結願も可能ですが、やはり仲間の存在があると心強く、今回は現地で一人合流して7名での遍路となることも心強く思います。
 
讃岐屏風ヶ浦七カ所まいり  http://www.zentsuji.com/nanakasho/
 
 今回は別格の18番海岸寺と、73番出釈迦寺の奥の院「捨身ヶ嶽禅定」を加えて、讃岐七カ所まいりをノルマとし、余裕があれば78番郷照寺と79番天皇寺まで歩けたらと考えています。
 
 最近では四国や上高地からもパソコンでこの一言を書き込んでおりますが、明日と明後日は持ち歩けないため、携帯電話から写真添付程度となります。元気で帰ってこれることを祈っていてください。
 
                                    11月15日の一言
 

名産品を全国にと、発想は良さそうですが…

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 旅先の道の駅では見慣れた風景となりましたが、地元の生産者の名前を記した野菜が、大手スーパーの一角に登場しており、これなら作物の移送や経費も省けることと、新鮮な野菜が安心して購入できそうに思います。
 
 我家の畑は60坪ほどしかありませんが、収穫時になると食べきれず、作っているのは母親ですが、仲間や知人と一緒に苗を買いに走り、収穫した作物を物々交換したり、もらってもらえる人に差し上げたりしています。
 
 その一方で、野菜泥棒が常習化しており、住宅団地の人々を犯人と推定して、「盗むな」の看板も掲げられている風景は教育上も問題で、差し上げる「こころざし」の精神で考えたいものです。
 
 スーパーの店頭に並んだ野菜からは、生産者の名前が判ることから安心感がある一方で、私の町内でも野菜を市場に持ち込む人があるものの、町内の中ではその家の野菜とは一切無縁で、その理由は売り物のためではなく、市場に出すために他の農家より強い殺虫剤が使われているから身体に良くないと囁かれています。
 
 市場に流通する野菜は虫に喰われた作物はありませんが、本来は虫に喰われた野菜の方が安心で、グアム島で28年間自給自足生活をおくった横井庄一さんは、動物や虫の食べない葉や作物は一切口にしなかったことで食中毒は起しませんでした。
 
 本日は市役所で定期監査の一日となりましたが、昨日に立ち寄った津島神社門前の土産物店の「あかだ」と「くつわ」を口にして、この地元の名産品を「防災」の備蓄食料に出来ないかとひらめき、早速生産する店主に話しました。
 
 実際には、賞味期限は3ヶ月程度で、油で揚げてあることから、長期保存に耐えられるかどうかが問題となりますが、原材料が「米」ですから、真空パックやカンヅメで可能ならば、津島名物を全国に発送できる可能性もと…
 
 「考えたこと無いもんなァ」
 「考えてよ」
 「縁起物の土産だもんなァ」
 「全国に送ろうよ」
 
 私のヒラメキも簡単にはいきませんが、無理やり創作料理や地産商品を作るよりも、一工夫で津島の名産品が全国に販売できる可能性と、地元でも口にしなくなって知らない子供が多い現状を考えると、挑戦する価値はありそうで、早速間近に迫った津島市議会で提案したいと思っています。
 
 来週からは議会運営委員会が開催され、そのまま12月議会の日程が続くものの、本日は議会の合間にあたり、市役所の閉庁時間には議員の姿はありませんが、一室だけ赤々と電気が燈る委員会室があり、ノックすると6年前に最年少議員として当選した、私と同じ会派のU議員が一人で資料をまとめていました。
 
 政治は選挙運動ではありませんから、一人で資料を集めて勉強することは重要で、老眼のため細かい資料が億劫になり、過去の経験や人に聞いて済ませてしまう自己の反省とともに、若さをうらやましく思う夕方となりました。
 
 明日も市役所の一日となり、深夜には長距離バスで四国に走るため、忙しい一日となりそうです。
                                 11月14日の一言

名物「くつわ」の作業場を見せてもらい

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 本日添付した写真は、私の住む愛知県津島市の名物である「くつわ」を揚げている「松屋儀左衛門」さんの当主で、元は市役所幹部から市議会議員の先輩にあたり、津島神社の門前で先祖代々の老舗土産物店を守っておられます。
 
 時々立ち寄るものの、実際に作業場に入ったのは初めてのことで、数人の店員さんによって材料が作られ、次々と油の中に入れられて「くつわ」が完成していきますが、これだけ大量に作られるということは、それだけ売れている証でもあります。
 
 「あかだ」と「くつわ」は津島市の名産品となるお菓子で、「あかだ」は弘法大師が当地を訪れた際に、悪疫退散を祈願として、米の団子を油で揚げて、津島神社に供えたという伝承がのこり、「気をつけて食べてください」と言わないと、あまりの硬さに歯が折れてしまうと言うくらい硬いお菓子です。
 
 かつては、これを食すればその年は疫病に罹らないと言い伝えられており、「くつわ」については、「あかだ」の原料に砂糖を混ぜて、馬の蹄のようにして同じように油で揚げたお菓子で、天保11年に尾張藩主の好みで作られたと伝わっています。
 
イメージ 2 右の写真の上が「あかだ」で、下が「くつわ」ですが、とにかく硬いので歯が丈夫でない人は、しばらく口の中に入れておいて、人肌で柔らかく(なかなかなりませんが)なるのを待ってから食べたほうが無難です。
 
 現代社会のように甘いお菓子が当たり前となる前には、「くつわ」も甘くて美味しいお菓子だったと思われ、現代でもクセになって食べるのを止められない大ファンも存在します。
 
 今でこそ神社前の土産物店は寂れているものの、昔は人で賑わい、私なんかは相手にもしてもらえなかった老舗で、尾張名所図会にも記されている歴史のあるお店です。
 
 実は、四国の善通寺の門前にも硬さでは「あかだ」や「くつわ」に負けないお菓子「硬パン」があり、本日は週末に歩き遍路友の会のメンバーで宿泊する善通寺の宿坊に「あかだ」と「くつわ」と一緒に、柔らかい名古屋名物「ういろう」も送付しました。
 
 弘法大師ゆかりの「あかだ」と「くつわ」を、弘法大師の生まれた香川県に紹介して、全国にPRしていきたいと身勝手に考えておりますので、気になる方は当方まで問い合わせていただければ幸いですが…
 
                                   11月13日の一言

朝から晩まで走り回る一日となって

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 本日は愛知県庁に出向く所用があったため、その後に年末調整に利用する年金の証明書を受け取りに、名古屋市にある日本年金機構・中村年金事務所を訪れましたが、私の車は車高が高いため隣のイオンタウンの駐車場に車を停めました。
 
 イオンタウンは名古屋駅に近いため有料の駐車場となっており、30分150円の駐車料金の看板を見ながら、買い物をすれば1時間無料となっていることから、駐車料金を払うくらいなら何か買い物でもしようかと迷いながら年金事務所を訪れると…
 
 年金事務所を訪れた客は、1時間無料との看板が張り出されており、サービスの良さに気分よく事務所に入っていくと、「いらっしゃいませ」と笑顔の女性職員が立っており、気持ち良く案内されるままに「年末調整用の証明書が欲しい」と伝えると…
 
 「年金額が確定する12月まで発行はできません」
 「毎年この頃に出ているんだけど…」
 「この時期には出せません」
 「今日が締め切りになっているんだけど…」
 
 年金の難しい仕組みや、専門用語で説明されても判らないことから、市役所の議会事務局に携帯電話で連絡し、直接事情を伝えてもらうものの、何ともならないため、「このまま電話借りますが…」と、他の詳しい職員を訪れて行きましたが…
 
 戻ってきた担当者から、「ご本人と何とかしますから」と、打開策もないままに市役所との電話が切られ、あれこれと話しているうちに…
 
 「大鹿さん、もしかして、国民年金ですか?」
 「はい、そうですよ」
 「あっ、国民年金は3階なんですよ」
 
 屋内の看板を見直すと、「厚生年金」と記されており、私も良く調べてから訪れば良かったものの、階段を上がっていった正面で笑顔で挨拶され、そのまま案内されるままについて行ったわけで、双方が勘違いしており、私が「国民年金」と言えばこんなハプニングもなかったと思いますが…
 
 一連の不祥事が続いたことから、年金事務所もサービスを重視しているのでしょうが、あまりの対応の良さからうかつにもそのまま付いて行ったわけで、相手も何とかしないといけないと一生懸命に対応した結果と思われます。
 
 さて、中村年金事務所は、私の家の前の県道を名古屋に向かい、名古屋駅の直前の右側に50メートル入った場所にありますが、車のカーナビに案内させると、県道を左折するように案内します。
 
 実は、県道を右折できれば50メートルでも、右折ができないことから、カーナビは一旦左折させ迂回しながら、反対車線から左折させて目的地に到着させるわけで、見事な案内役に感心して帰りもカーナビに案内させると…
 
 しばらく走るうちに方向音痴と迷子状態となり、何所を走っているのか判らないままに走っていると、我家の前の県道を我家に向いて走っていることが判り、やはり判っている場所の機械任せはヤブヘビになることも実感させられます。
 
 本日はこのままかかりつけ医に走り、その足で海部津島水利事務所に走ってから市役所に到着して仕事を済ませ、午後は自由になる時間があると帰宅すると、消防署からの連絡が入り、「患者等搬送乗務員」適任証を維持するための手続きが必要となり、関係者に連絡していると夜となり、夜の書道会に参加していると、朝から夜まで自分の自由になる時間は無かったことを実感させられました。
 
 明後日から2日間は市役所にカンヅメとなることから、金曜日の深夜バスで四国に出かける準備も明日中に済ませないと大変な結末となるため、明日も朝から走り回る一日を迎えそうな気配濃厚の…
 
                                  11月12日の一言

大正天皇の石が増上寺大僧正から我家へ

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捨我精進 辨匡
 
 私の事務所の奥に飾ってある額で、「捨我精進」と記された書ですが、揮毫されたのは椎尾 辨匡(しいお べんきょう)という宗教家の手による、我を捨てて精進せよとの意味で、長年名古屋の東海学園の倉庫で埃と雨水に打たれて眠っていたものを、私のために叔父が持ち帰り、京都の表装屋さんに出して表装しなおしたものです。
 
 椎尾 辨匡さんの最盛期には、「1字20万円」と言われた書だったようで、宗教家は亡くなると字の価値も下がると聞いたことがありますが、私が事務所を新築した際に叔父が記念に贈ってくれた貴重な書でもあります。
 
椎尾 辨匡(しいお べんきょう、1876年7月6日 - 1971年4月7日)は、日本の仏教学者浄土宗僧侶・政治家大正大学学長大本山増上寺法主などを歴任した。
 
名古屋円福寺住職の子として生まれ、13歳で得度。東京帝国大学を卒業後、宗教大学(後の大正大学)・日本大学・早稲田大学などで仏教学の講義を担当。1913年に東海中学校校長となり、1922年に仏教運動として共生運動を始める。1926年に大正大学教授となり、学長を3度経験(第6代・第9代・第14代)。僧職の傍ら、1928年の総選挙に愛知1区から立候補し当選し、衆議院議員を3期務めた。
1945年には増上寺法主となり、戦災で大打撃を受けた寺の復興に当たった。また東海学園理事長を務め、1963年に開学した東海学園女子短期大学(現東海学園大学)の学長に就いた。
 
 最近になり、浄土宗のキャッチフレーズとなっている、「法然共生(ともいき)」の共生が椎尾上人の残された言葉で、椎尾上人は「共生」という言葉を、法然上人が師と仰いだ中国唐の時代の善導大師の『往生礼讃』という書物の中の「願わくは諸の衆生と共に安楽国に往生せん」というものから引用されていたようです。
 
 椎尾上人の共生の理念は、人は時々刻々常に生まれ変わり、臨終の夕べにはもっともこの世における生命の完成された姿で浄土往生を迎えることになると表現されています。
 
イメージ 2 叔父は東海高校から大正大学に進んだ浄土宗の僧侶で、東京のお寺に住み込んで大学に通っていたことから、椎尾上人が法主となっていた東京芝の増上寺から頂いた大正天皇にまつわる三石(左の手のひらの石)も私の手元で家宝となっています。
 
 もっとも、我家に届いた当時(私の高校時代)は3個の石が存在したものの、20年ほど前には2個になり、今では2個が行方不明で、この1個だけしか存在しません(家中の何処かには存在しているはずですが)
 
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 右に添付した写真が3個の石の但し書きで、右側の茶色の封筒には、「大正天皇 九條家、御賜三石入り 道重信教大僧正 御書付ヶ添付」と書かれ、当初は3個の石が入っていました。
 
 添付されていた「御書付」が左側の筆書きで、「三石 ○? 大正天皇相州葉山海浜二於テ 拾セ玉 ○?石也 九條鶴殿二参上し節 拙僧頂キタルモノナリ ○?而○?二記シ置クモノ也  大本山増上寺七十九世 大僧正信教謹書」と記されています。
 
 落款が押されておりませんが、頂いた当時の話では、「欲しかったら増上寺に行けば筆跡で判るから…」と言われたものの、最近の「なんでも鑑定団」のテレビ流に言えば残念なことかもしれません。
 ただし、2個が行方不明とは言え、この1個の石は確実に葉山の海岸で大正天皇の手によって拾われた石であり、その石が私の手の中にあると思うと、大正天皇は勿論ですが、石は永遠にそのまま残っていくことに感動させられます。
 
 戦後60年が経過し、終戦直後に縁あって叔父の手元にきた大正天皇の石が、我家で歴史を重ねてきたことと、当時は貴重だった椎尾上人の書が、学校の倉庫で埃にまみれて存在すら忘れられ、叔父によって再生されて、我家の事務所に掲げられている現実を考えると、時間の経過は一瞬で、今度はこんな但し書きを私が残していく必要に迫られていることを実感させられます。
 
                                  11月11日の一言
追伸
本日は市役所で定期監査の一日となりましたが、木曜日と金曜日も市役所で同様の生活となり、明日と明後日は個人的に山積したプライベートの仕事を夜まで続けないと、週末の四国遍路に出発もできません。

四国遍路 慈眼寺の穴禅定

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 2日前(金曜日)に訪れていた四国別格二十霊場第3番慈眼寺で、四国八十八ヶ所霊場の第20番鶴林寺の奥の院にあたり、弘法大師(空海)が19才の時に、ここで修業中に鍾乳洞を発見し、邪気祓いのため護摩をたいて洞窟を清め、悪魔悪霊を洞窟内に封じ込め、結縁灌頂の秘法を修められたと言われる行場です。
※不動堂(左)と大師堂(右)
 
イメージ 3慈眼寺 徳島県勝浦郡上勝町正木
        TEL:0885-45-0044 
 
 四国遍路の大多数は八十八ヶ所だけ廻り、奥の院や別格霊場まで足を運ぶ人は少ないものの、弘法大師が7才の時に山から飛び降りたと言われる「捨身ヶ嶽禅定」も奥の院で、太龍ヶ嶽禅定も奥の院です。
 
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 別格二十霊場を巡拝する人も多く、20ヶ寺を廻って集めた数珠を自慢げに見せられる人もありますが、ほとんどの巡拝者は慈眼寺の本堂に参らず、大師堂に手をあわせて、隣の納経所で朱印をもらっただけで帰ってしまいます。
 
 実は私もその一人で、穴禅定の存在すら知らず、本堂とともに行ったことがありませんでした。
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 私が初めて穴禅定に入ったのは5年前で、あまりの非日常的な体験のため、入った瞬間からパニックとなり、このままでは穴から出られない恐怖心から、案内する導師の女性の言葉を真剣に聞いて、すがるように退出しました。
 
 その後は絶対に欠かせない訪問となりましたが、ここに入ることで健康を実感させられます。
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 上から2枚目の写真が本堂への入り口で、その下の写真のような坂道を登りかけると足腰の苦痛と、呼吸の苦しさに顔をゆがめる頃に4枚目の石の大師像が現れ、ここで半分くらいでしょうか。
 
※左の写真が本堂です
 
 ここから一踏ん張りで本堂に到着しますか、しばらくは息が上がって読経ができません。
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 このお寺の開基は弘法大師より古い行基菩薩により、ご本尊は薬師如来(真言・おん ころころ まとうぎ そわか)が安置されています。
 
 左の写真は、穴禅定ではなく、入り口の岩場で、私のように生活習慣病で太った人は、岩場を通り抜けられるか柱の間を通れるか確認されます。
 
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 ここから案内の導師について岩場を登ると、左のような頑丈な鉄の柵に施錠された入り口があり、この中に入って真言を唱えたあと、時計やメガネなどを外してから入ります。
 
 「メガネがなかったら見えんだろー」と、私の恩師は激怒しましたが、穴の中はローソク1本の光で進むため、メガネは必要がありません。
 
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 左の写真はガイドブックからの転用ですが、大師堂の横で穴禅定用の白衣に着替えた姿で、案内されるままに手足を動かして岩の隙間を通過していきます。
 
 ここで素直に行動できない人は、岩の隙間に身体がはさまれて動けなかったり、足が前に進まず苦痛を味わうこととなります。
 
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 メガネで激怒した恩師も元は校長先生ですが、一緒に同行したお医者さんも屁理屈ばかりで、奥にたどり着くまで苦痛を味わい、ここでは素直になれないと出口まで戻ってこれません。 
 
 穴禅定では、日頃ワンマンでプライドの高い人でも、奥の大師像に祈願して、穴を這いずって出る頃には赤ちゃんのように素直になっています。
 
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 私にとっても、日頃の傲慢となった生活を反省する機会となっており、太りすぎれば入れないことから、健康管理の機会ともなっています。ここで、時間を忘れてまっさらな気持ちになるのもお勧めです。
 
慈眼寺のHP
 
  私にとっては一年ぶりの参拝となりましたが、本堂からの下りには見事な紅葉が鑑賞でき、遠くの山並みを眺めながら、時間を超えた悠久の自然と会話ができているような錯覚も覚えました。
 
                                  11月10日の一言

四国遍路から自宅に帰り

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四国別格20番大瀧寺のとなりにある西照神社
 
 奈良時代に行基菩薩が大瀧山に登り、この地に一宇を建立し、阿弥陀三尊を安置されたのが大瀧寺の始まりで、弘法大師が24才の時に立ち寄り「求聞持修法」を修業され、42才の時に西照大権現の像を安置したことから神仏混淆の山岳道場となったと伝わります。
 
 大瀧山は香川県と徳島県の県境にあり、大瀧寺と西照神社は徳島県にあり、明治初期の神仏分離令により西照神社と寺院の大瀧寺に分離されたものの、元々ご本尊が一緒のため名前こそ西照神社となっても大瀧寺と一体と思われます。
 
 本日は別格二十霊場第20番大瀧寺について、カーナビが最適な道路を案内しないことから、脇町から登る道と、夏子ダムから入る道を走り、比べてみました。
 実際には、脇町から入るコースでも、途中から左右二手に分かれており、近道のため右側を選択すると車のすれ違いに手間取り、香川県側の塩江方面から入ると狭いだけでなく、過去に何度も道を間違えて迷子になりました。
 
 結論として、四国八十八ヶ所結願の大窪寺からは夏子ダム経由で入り、参拝後は第1番霊山寺に行くため脇町に下るコースがお薦めですが、夏子ダム経由は道路が農業道路のためカーナビが案内しないので、ダムを越えたら看板を見逃さないことが重要です。
 
イメージ 2 本日はここから別格1番大山寺に立ち寄りましたが、ここは大瀧寺よりも距離は短いものの道路が狭く、高齢者や女性の運転するお遍路はすれ違いができませんから、遭遇すると大変な苦労をさせられます。
 
 本日は大山寺から午後1時半に帰路につきましたが、途中で唯一見かけた八丁目休憩所に「ホッ」とさせられましたが、通り過ぎてから「ゾッ」としたので、車を降りて確認したところ、休憩していたのはお年寄りではなく…
 
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 お年寄りと思ったのは、間近で確認しないと判らないような人形で、日中でも人と勘違いしたくらいですから、夜間に走ったら「ゾッ」ではなく、「ギャ―」と背筋が凍ることと思われます。
 
 四国の山中には昔ながらの萱葺屋根の家も多く、畑を護る手造りの案山子(カカシ)も多いことから、日中はほのぼのと感ずるものの、夜に道に迷って焦っているときには恐怖に陥りそうで、前日の夜に迷子状態となった山間の燈篭や墓標にも無関心を装って走りました。
 
 昨年から一人遍路の時は、高速道路を利用せず一般道だけで四国を行き来していますが、およそ9時間の行程となるものの、神戸と大阪の都市部を除いた淡路島から京都、三重県には土地勘もでき、長い道中では自分だけの世界となり、四国と自宅が道路でつながっていることも実感できますから、運転が嫌いでないかたにはお薦めです。
 
 4日間の走行距離は1,247キロメートル。  
                                  11月9日の一言

四国身勝手遍路 三日目です

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香川県観音寺市 道の駅とよはま
 
 2日前より四国にいますが、今回は車中泊の気まぐれ一人遍路を楽しんでおります。添付した写真でお判りのように愛媛県に近い香川県観音寺市にある道の駅とよはまの看板ですが、過去に何度となく車中泊の場所としている駅で、昨年には家内と相棒リマとで訪れています。
 
昨年の7月の一言
 
 
 地理的に四国の中央に位置することから、お遍路の拠点にしやすいことと、駐車場とトイレが道路を挟んで両側にあることに加え、何よりも便利なことは歩いていける隣にコンビニがあり、夜間でも欲しい物が手に入ることです。
 
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 車の後ろは瀬戸内海で、日本一と言われる夕陽は見事で、熟睡したい時は海辺の駐車場に停めると照明も暗く、海辺のベンチを利用すれば家族で食事ができ、遠くの坂出や広島県の夜景も見事です。
 
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 本日は早朝より、浜辺で貝をとる人があったことから、次回にはとれたての貝を食してみたいと思いますが、昨晩こそコンビニでビールを買ってきたものの、今回の車中泊には日ごろの生活と変わらぬ食材をすべて積んであり、コメと味噌汁だけでなく、ヨーグルト、バナナ、柿、みかん、赤飯、焼きそばのカップ麺、うどんとラーメンと蕎麦のカップ麺、モチ、ヨーカン、菓子類まで一週間生活できる食材が積んであります。
 
イメージ 6 ちなみに、私の車には日頃からカセットガスコンロと水は積んであり、コーヒー、紅茶、ココア、緑茶だけでなく、抹茶と茶碗もありますから、日常生活より優雅な生活を送ることもできそうです。
 
 さて、上高地では9月にはケビンの中でも寒く、車中泊は身が凍る思いをしていたため、今回は寝袋だけでなく、毛布も積んできましたが、四国では寝袋だけでも温かく、キャンプや車中泊には最高の季節となっているのかもしれません。
 
 本日は四国八十八ヶ所第65番三角寺について、カーナビによる案内にしたがって進むと、遠回りをした挙句に、山を下って元の場所に戻る事が多いため、すべての登山道を地図を確認しながら走り続け、ここだけはカーナビよりも強くなりました。
 
 さて、本日は午後に別格3番慈眼寺を目指しましたが、四国山脈の山を越えて到着したのが、午後2時半でしたが、穴禅定に入る人もなかったことから、納経所で案内の先達さんと雑談に花を咲かせた後に、本堂と大師堂に参拝して帰りました。
 
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 「帰りました」と記しましたが、明日も四国遍路の予定で、別格20番と1番寺に参拝するため、一般的な道路ではなく、四国山脈を真北に横切る峠を越えてばかりいると、山中で迷子になり、カーナビも認識しない道に入ったことから、薄暗い中から身震いする身が凍る思いをしてから吉野川市に到着しました。
 
 しかし、風力発電を高原の上から鑑賞し、泉質の良い神山温泉に入ってこれたので自業自得ですが、見事だった慈眼寺の紅葉についての添付は、明日以降に先送りします。
 
                                   11月8日の一言

先達研修会から、第14番椿堂まで椿をもらいに

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 本日は香川県琴平町の琴平グランドホテル紅梅亭で、四国別格二十霊場先達研修会が行われ、午前中は四国霊場開創千二百年記念開白法要と土砂加持法要が行われました。
 
 土砂加持法要というのは、四国別格二十霊場の土に加持を加える法要で、この土を自宅のお墓や店に置くとご利益があるそうで、個人的には魅力も感ずるものの、東日本大震災の被災地への寄付箱に志程度の金額を入れればもらえるとの話に、自身の欲を感じて頂きませんでした。
 
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 午後は新任先達さんには、別格14番椿堂の田中ご住職が研修をおこなわれ、我々は別格5番鯖大師本坊柳本ご住職の研修となりました。
 
 柳本ご住職の研修は、先達としての心得との内容でしたが、先達としての勉強ではありませんが、研修前に阿字観瞑想の初歩的な「阿息観」を始められ、鼻から息を吸って、口からゆっくりと身体中の空気を吐き出して… … 息を吸いながら、両手を天井に向かって上げ、息を吐きながらゆっくりと手を下げてと繰り返され、その後は座禅が続けられると…
 
 睡眠不足の身体が一瞬「ウトッ」としてハッとすると、まだ座禅が続いていましたが、人の前で講演する人にはこの方法は時間かせぎに大変有効と思われ、私も今後は大いに利用したいと思いました。
 
 右上の写真は、今年から子供先達になったちびっ子先達に辞令が渡されているものですが、今年は新任の先達に70名も辞令が渡されており、四国八十八ヶ所と変わらぬ盛況な先達研修会となりました。
 
イメージ 3 さて、先達研修会は午後3時には予定どおり終了しましたが、昨年の先達研修会の時に、別格14番椿堂に参拝し、奥様に以前もらった椿が枯れてしまったことから、新しい椿をもらいたいと話したまま、今年は坂東や秩父など百観音を廻っていたために、一年ぶりとなる参拝となってしまいましたが、今回の研修会と同じくらい私にとっては大きな課題でもありました。
 
 
 昨年にも「どうぞ、持っていってください」と言われましたが、家内が喜んでいたピンクの椿が欲しいことから、花を確認してもらってからピンクの椿をいただこうと思っておりましたところ、運悪くピンクの花が咲かなかったとの話です。
 
 しかし、奥様が運んでこられたのは上に添付した大きなプランターで、これはピンクではないものの、弘法大師ゆかりの椿の可能性も高く、「ピンクかどうかは判らないけど」と、ビニールの中に1本の苗も入れてくださいました。
 
 今度は枯らさないようにしたいと思いますが、日曜日には一年ぶりとなる椿堂ゆかりの椿が我家に復活します。今回は弘法大師ゆかりかもしれない椿ですから、車に追突されないように我家まで帰る責任を感ずる四国ともなりました。
 
                                    11月7日の一言
追伸
趣味の車中泊ですが、3本の椿のおかげで孤独ではなくなりました。

えっ、満願なんですか

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満願となったお遍路で賑わう大窪寺
 
 本日は四国八十八ヶ所第1番霊山寺から、第八十八番大窪寺まで巡拝しましたと記すと、満願と勘違いされそうですが、満願の直前の道の駅の前にある、「おへんろ交流サロン」を訪問するために、大窪寺にも立ち寄りました。
 
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 前山おへんろ交流サロンは、遍路資料展示室と談話室があり、へんろ資料展示室では、江戸時代の紀行本や古地図や曼荼羅図、また、接待を受けたおへんろが残した江戸中期からの納札や納経帳、往来手形など、四国遍路の歴史を感じさせる貴重な資料となる品々が展示されています。
 
 毎年この前を通りながら、最後の大窪寺に行って満願を果たすことと、その後に別格20番札所から、最後に1番寺にも行く必要があるため、寄りたくても寄る時間がなく、本日は一人のためにゆっくりと訪れ、案内役のお二人にじっくりとお話を聞きました。
 今後は、満願前に立ち寄る価値がありそうです。
 
おへんろ交流サロン
 
イメージ 3 さて、本日最後に訪れたのは別格20霊場の第18番海岸寺で、今週の土曜日に、私が所属する歩き遍路友の会東海の歩き遍路を海岸寺からスタートするため、第71番弥谷寺までの山越えの遍路道について教えを請いにうかがった次第です。
 
 海岸寺のご住職はあまりお薦めではない荒れた遍路道のようでしたが、奥の院の納経所におられる先達さんが詳しいと聞き、受付時間を大幅に越えてお話を聞き、その後に本堂に上がって読経をさせてもらいました。
 
 地図があるので簡単に考えておりましたが、予備知識もなく行き当たりばったりでは無謀と思われることから、訪れてお話を聞いたことで安心して出向けることとなりました。週末が楽しみです。
 
 四国は広いし、いたるところに温泉があることを実感する夜にもなりました。非常に肌に良い温泉と思いますが、人は少ないのが気がかりです。そういう私は温泉だけで、車中泊ですが、明日の研修会会場の駐車場が狭いため、夜中に移動しておく必要がありそうですね。
 
ホテル レオマの森  http://www.ooedoonsen.jp/reomanomori/
 
                                               11月6日の第二弾です

一年ぶりの四国遍路へ

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四国八十八ヶ所第1番霊山寺山門
 
 本日の未明(1時30分頃)に愛知県の自宅を出発し、三重県、奈良県、大阪府、神戸市と一般道を走り続けて、明石海峡大橋を渡った淡路サービスエリアで仮眠後の午前10時に鳴門大橋を渡って徳島県に入りました。
 
 四国八十八ヶ所霊場第1番霊山寺到着は10時52分。今年は坂東や秩父観音霊場を巡拝していたため、四国は昨年12月以来で、一年ぶりの四国遍路となりますが、いつもの日常生活のように違和感なくスタートを切りました。
 
 本日のノルマはありません。無事故だけが願いです。
 
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霊山寺本堂
 
南無大師遍照金剛
 
                                    11月6日の一言
 

一年ぶりの四国に、「ウソ―」の一言が

 朝鮮戦争休戦60年を祝う軍事パレードに出席するため25日から北朝鮮を訪れていた日本維新の会のアントニオ猪木参院議員が30日帰国した。
 猪木氏は北朝鮮高官との面会で、拉致や核の問題にも触れたと説明し、「内容については差し控えたい」と述べるにとどめていると報道されていますが、国交のない日本が交渉していくためには貴重な窓口になるものと私は思います。
  
猪木議員、北朝鮮から帰国 「会談内容は差し控える」
 
 この行動について与野党の国会議員が批判の声をあげているが、猪木氏所属する日本維新の会の橋下代表までもが、「北朝鮮との関係は極めて慎重にやっていかなければならない外交問題。一議員の勝手な行動は許されない」と不快感を示したと報道されています。
 
橋下氏、猪木氏訪朝に不快感 「勝手な行動許されない」
 
 私は、拉致被害者の一部が帰国することとなった小泉訪朝があった事を考えると、猪木氏だから北朝鮮の高官と面会できる貴重なパイプ役であり、安倍首相の懐刀とも言われる飯島氏も訪朝している現実から、猪木氏を批判する与党議員には多数による締め付けと、野党には行動力のない僻みを感じずにはおれません。
  
山本太郎氏「辞めない」 参院議運委員長に回答
 
 さて、園遊会で天皇陛下に手紙を渡したことで問題となっている山本太郎参議院議員について、与野党から議員辞職を求める声が相次ぎ、参院議院運営委員委員長が山本氏から意思を確認したとあるが、あたかも民意のように辞職を口にする国会議員には怒りすら覚えます。
 
小泉元首相「脱原発」発言、高市政調会長が精査へ
 
 小泉元首相については、今では国会議員を引退しているものの、その影響力に驚かされるとともに、現職国会議員よりも民意に敏感であることを実感させられます。
 本日の朝日新聞には、自民党が小泉発言を調査することが記され、その影響力が野党に及ぶ前に対応するつもりかも知れませんが、調査する前に小泉氏本人と接触できないところに自民党の閉鎖的体質を感じて不快感は否めません。
  
報酬年800万円、名古屋市議の懐具合は?
 
 最後に、名古屋市の河村たかし市長の公約で、暫定的に始まった年800万円への市議報酬半減について、半減の恒久化に踏み込む条例案を市議会は否決し、対立が続くとの報道もあります。
 
 報酬800万円について、「800万で活動するのは大変」と話す議員の声とともに、800万円の議員報酬では子供の学費や生活費が足らないとの反対意見も掲載されていますが、我々地方議員の多くは名古屋市の800万円より低い報酬で活動している現実を考えると、1ヶ月50万円の政務調査費(津島市は年額15万円)も使える環境と、市長と違い兼業も認められている議員の言い訳にしか聞こえてきません。
 
 随分と賑やかな政界ですが、私は7日に香川県で開催される別格20霊場先達研修会に参加するため、明日の未明から四国に向けて車を走らせます。昨年12月に善通寺で開催された八十八ヶ所先達研修会以来の四国行きとなりますが、「一年ぶり」との一言に、「ウソ―」としか言われないものの…
 
                                 11月5日の一言

小泉元首相の脱原発発言に期待したい

 小泉元首相の脱原発発言に対して、安倍首相をはじめとして批判する勢力が多いなかで、小泉元首相は横浜市で行なわれた講演の中で、批判する勢力を批判するとともに、改めて原発を推進することの危険性と、経済効率の悪さを訴えました。
 
小泉元首相「批判の方が無責任」 脱原発批判に反論
 
 東日本大震災発生から年月が経過し、プロ野球楽天の優勝によって東北地方の被災地からも再起の声が発信されてくる中で、東電の原発事故によって未だに避難所で生活する人々の帰還はめども立たない現実を考えると、原発の再稼動で利益を求めるリスクは大きく、核燃料の再処理や保管を考えると「脱原発」こそ自然な考えと思われます。
 
 諸外国においても核廃棄物、つまり原子力発電所から出る使用済み核燃料の長期的な処理に関するきちんとした方針がなかったり、核廃棄物を10万年後まで地中で保管するなど、原発を継続するリスクの大きさが現実問題となっています。
 
 今回のような原発事故による被害は甚大で、同じ被災地となった東北のような復興はめども立たず、核廃棄物の保管や処理施設についても場所の選定もできず、維持するために関係自治体への補助金は膨大となります。
 
 稼動する原発を安全に完全停止できる技術と、使用済み核燃料を無害化して処理できる技術が確立されないかぎり、原発を動かすことが危険なことは判りきっており、政府がどうしても再稼動させたいなら、国会周辺の東京都か安倍首相の選挙区でやってもらいたいものだ。
 
 現実に原発が停止した状態でも電気は流通されており、新たな自然燃料を確保する機運も高いことから、私は「人間の考えは変わるんですよ。過ちを改むるにはばかることなかれ」とも述べたと言われる小泉節の影響力に期待します。
 
                                  11月4日の一言

善光寺の勤行「お朝事」に参加して

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 本日は午前5時に起床し、宿泊していた善光寺威徳院ご住職の案内で、6時半から始まる善光寺本堂の勤行「お朝事」に参加するため、まだ薄暗い山門前から善光寺の参道を進むと、既に長蛇の列ができていました。
 
 早朝より並んで待っておられる人々には申し訳ない気持ちになりましたが、善光寺の宿坊に宿泊している者の特権は、優先して本堂の最前列に案内されることで、金色に輝く本殿のご本尊様の真ん前で勤行に参加し、終了後に威徳院ご住職のご案内で戒壇巡りに参加しました。
 最近は色々な戒壇巡りがありますが、真っ暗な本堂下を進み、ご本尊様につながる金属のカギに触れて一同大満足で本堂に戻りました。
 
イメージ 2 すべての行事が終わった後に、善光寺ご住職によるお数珠のお授け(お数珠頂戴)があり、ご住職(男性のお貫主さま、女性のお上人さま)が本堂を往復する際、参道にひざまずく信徒の頭を数珠で撫でて功徳をお授けになる儀式で、本日は女性のご上人様(尼宮様)から授かりました。
 
 我々は本堂の横で授かりましたが、一般の信徒は本堂前の参道にひざまずき、この列は山門前まで続いており、お数珠頂戴のため徹夜で善光寺に通う信者も存在しますが、善光寺ご住職はこの行事を毎日繰り返しておられると思うと、善光寺に対する認識を新たにしました。
※上の写真、赤い傘の下にご上人様がおられます。
 
 朝の勤行は8時過ぎには終了し、勤行に参加されていた威徳院ご住職とともに宿坊に戻ってから朝食を済ませ、威徳院の本堂に安置されている名古屋志賀弘法会先達の位牌に一同で手を合わせて今回の目的は終了です。
 
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  右に添付したのは、善光寺本堂の西側にある観音堂で、この観音堂には爪彫如来像が安置されており、爪彫如来像は浄土真宗の宗祖となる親鸞聖人が、善光寺に逗留した際に自分の爪で彫った観音像と伝わり、眼病を治す効力がある仏様として信仰を集めているとの説明です。
 
 威徳院ご住職の父親が転勤族だったため、小学校の頃に名古屋市に住んでいた経験からメンバーと昔話に花を咲かせておられましたが、前日は駐車場で私の車を待ち受け、荷物を宿坊まで運ぶ車の手配がしてあり、宿坊まで各所を案内しながら歩かれましたが、本日も駐車場まで歩いて説明をしていただきました。
 
 さて、本日の行程は、弘法大師のお導きによって決まりますが、本日の行程は私の腹の内に任されている様子で、私自身は上高地にも寄りたいものの、曇り空のために白馬村と安曇野に目的地を設定しました。
 
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 もっとも、今回のメンバー9人のうち2人は90才に近く、私の腹の内を言うのに躊躇はありましたが、冬季オリンピックのスキージャンプ競技が行なわれたジャンプ台で、大学生や高校生の選手が練習しているのを鑑賞し、メンバー全員で表彰台で記念撮影するだけでなく、顔を出す写真台に乗って全員が写真に収まりました。
 
 安曇野では菊花展が行なわれている穂高神社に参拝し、足腰に良いとされ山門前に大きなゲタが置かれた東光寺に参拝後に、大王わさび農場に立ち寄り、安曇野ICから名古屋に車を向けました。
 
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 3連休の日曜日のため高速道路は大渋滞で、サービスエリアも大渋滞のたる立ち寄れず、小牧インターから名古屋までの高速道路が工事により通行止めとなっていることから、春日井インターから名古屋を目指しましたが、約1時間遅れで到着したのは幸いで、全員を無事に届けたことでホッとする夜を迎えました。
 
                                   11月3日の一言

長野・北向観音から善光寺参りへ

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北向観音本堂
 
 本日は名古屋市の弘法会の9名の人々と、長野県上田市にある北向観音と善光寺参りに同行しました。
 
 津島市(午前7時発)…名古屋駅…北区…(名古屋高速)…小牧…中央自動車道…虎渓山PA…駒ヶ根SA…麻積IC…上田市(午後1時)
 
 今回の善光寺参りは、名古屋市の弘法会の依頼で同行していますが、行程については私に任されていたことから、北向観音に参拝後は八角三重塔で有名な安楽寺と、北向観音の本坊となる常楽寺に参拝したいと考えていました。
 
 北向観音…安楽寺…前山寺…(上信越自動車道)…上田管平IC…長野IC…善光寺
 
 現実には紅葉シーズンに入っていることから、愛知県内から交通渋滞が続き、北向観音に参拝後に昼食を予定していたものの昼食が先となり、大正世代の参加者もあったことから、安楽寺の本堂を参拝しただけで、三重の塔どころか常楽寺には行けません。
 
北向観音・常楽寺  http://www.kitamuki-kannon.com/
 
イメージ 2 それでも弘法大師が開基したと伝わる真言宗智山派の前山寺だけは、弘法会だけに通り過ぎることはできずに立ち寄った次第で、見事な茅葺きの本堂や三重の塔、弘法大師像に参拝しました。
 
 
 予定では3時半には善光寺に到着したい予定を立てていましたが、三連休の真ん中となる土曜日の渋滞は高速道路だけでなく一般道でも車が並び、予定時間を過ぎてから前山寺を目指す展開に、善光寺到着は午後4時半を廻り、宿泊予定としている宿坊のご住職を随分と駐車場に待たせる到着となりました。
  
 
 
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 今夜の宿となる宿坊は、善光寺の中にある威徳院(いとくいん)というお寺で、弘法会の先人と60年前から縁のあるお寺との話です。
 
 さて、明日は午前6時より麻の勤行がおこなわれ、弘法会の先人の供養を済ませた9時にはお寺を後にしますが、天候が午後には雨になる可能性が高いことから、目的地選びが大変で、快晴と判れば「上高地」にでも走っていきますが、雨を想定すると行き先が問題となってきます。
 
                                    11月②日の一言

山本参議院議員の行為を理解したい

 「10月31日の秋の園遊会で天皇陛下に手紙を渡した山本太郎参院議員(無所属)に対し、1日、議員辞職を求める声が相次いだ」と朝日新聞は報道しており、与党だけでなく野党も山本議員に対して一斉に批判の声を寄せています。
 
山本太郎議員に辞職求める声 園遊会で陛下に手紙渡す
 
 批判される天皇の政治利用については、本人は否定しているものの、テレビカメラを通じて国民にすべてが報じられており、本人が否定しても参議院議員であることを考えれば政治利用は明らかで、「公人でなく個人として」と本人は語っているものの、参議院議員でなく個人では園遊会そのものに出席できないことから、しばらくは批判の嵐をやり過ごすしかなさそうですね。
 
 しかし、批判する国会議員のコメントも程度が低く、下村文部科学相は「議員辞職ものだ。これを認めれば、いろんな行事で天皇陛下に手紙を渡すことを認めることになる。政治利用そのもので、(足尾銅山鉱毒事件で明治天皇に直訴を試みた)田中正造に匹敵する」と批判したと報じられているが、戦後の象徴天皇を明治時代の事案と対比させるところに前時代的な意識を感じさせられます。
 
「水俣の苦しみ今も」石牟礼さん、皇后さまに手紙
 
 この事件(?)が起こる数日前には、『「水俣の苦しみ今も」石牟礼さん、皇后さまに手紙』との報道があり、熊本県在住の作家が「水俣にはまだまだ問題が残っています。患者の苦しみに思いを致していただく機会になればと思います」との手紙を皇后陛下に送付した記事が好意的に報道されています。
 
 確実に皇室に対する世の中の感覚や対応に変化があり、不適切な行為とは思われても、「国民の多くが怒りを込めて思っている」との太田国土交通相のような発言は異常で、国民の大多数が原発反対の意志表示をしていても、原発再稼動をすすめている政府や国会議員に国民の名のもとに批判されることの方が腹立たしく思われる。
 
 天皇の政治利用は厳しく制限されているものの、天皇陛下に手紙を手渡す行為が禁じられているわけでもなく、園遊会という場所で行なわれたことは問題としても、あえて上手でもない筆で手紙を書いて手渡した山本議員には原発反対の意志を貫いて頑張って欲しいと願うものです。
 
 引退間際ではあったものの菅元首相が脱原発を訴え、国民の高い支持率を有したまま引退した小泉元首相も、最近になり原発の存在そのものを見直す発言を続けており、これらの発言や世論調査の結果に目をつぶり、再稼動をすすめる政府や電力会社に対しては孤軍奮闘したと評価する声も存在します。
 
 国会周辺では、未だに原発に反対する国民のデモ行進が続けられており、先祖代々住み慣れた故郷と自宅を追われたまま避難所生活を続ける福島県の人々が存在する中で、原発の廃炉に対する研究と対策は急務としても、原発を再稼動させる動きは国民として絶対に阻止させたいものです。
 
 
                                    11月1日の一言
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  • 毎年恒例となった我家のアンズジャム作りへ
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  • 本日もボランティアの一日となって
  • 我家のきゅうりとプランターのイチゴです
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