大鹿一八「本日の一言」

平成16年2月から令和1年7月末までの「本日の一言」です。ヤフーブログ閉鎖により、ライブドアへ過去の記録として引っ越しました。

2014年01月

葬式参列が議員の評価となる一言に

 「ところで、ご主人は?」
 「13年前に亡くなって…」
 「えっ?」
 
 アンケート用紙を配布に訪れたお宅での会話ですが、学校は違うもののかつて一緒にPTA役員を務められたのがご主人で、議員になる15年前までは朝日新聞の配達でもお世話になっていたお宅で、私の主催する朝日旅行友の会の旅行にもご夫婦で参加されていた人の訃報も知らないまま、13年が経過していました。
 
 亡くなられていた61才の年齢もショックですが、この家とは議員になった時点で時間が停止しており、「議会でいくら頑張っていても、地域の葬式に参列するか、バス旅行を企画して、顔を見せないと判らない」の一言は、いくら議会で真面目に頑張っても、直接顔を見せない議員は評価されない、法律で制限されている戸別訪問をした者が評価されるという現実にもショックを受けました。
 
 「もしかして、ご主人は?」
 「はい、平成19年に…」
 「やっぱり、そうですか…」
 「困った時は頼みますねッ」
 
 このお宅のご主人には、かつて私の会報を地域に配布していただいており、体調不良は耳にしていましたが、まさか亡くなられているとは思わず、奥様は通院や買い物に行けなくなった時の心配から、一度連絡しようかと思われていたようです。
 
 「自分の会報を配布してくれていた人が亡くなっていたのも知らなかったのですか?」     (同行者の驚きの一言)
 
 私は議員活動の報告のため数年前までは議会後に会報を発行しており、「困った事は何でも相談して下さい」との窓口を設置していた事から、通院や買い物に行けない高齢者や障がい者のボランティアのため、平成19年にNPO法人を設立し、福祉有償運送の認可を取得し、福祉タクシーの認可とボランティアの車輌も購入しました。
 
 今年は津島市の監査委員になっている事から、通院や買い物の依頼に応えられない事が多く、今月15日にはボランティア活動を維持するため家内が会社を辞めましたが、議会活動と相談への対応に、ボランティアが加わったことで、会報の配布や戸別訪問をする時間がなくなりました。 (四国遍路や上高地行きもありますが…)
 
 議会でほとんど質問や発言をしない議員が、地域の葬式参列やバス旅行を企画して安定した選挙結果を残している現実に、過去の仕事やボランティアの遺産だけで4期も議員を続けてきたものの、最近では存在も忘れられている現実と、選挙で一度も頭を下げない横着な議員のツケも実感させられました。
 
 本日のアンケート配布は、久しぶりの訪問でショックも多かったものの、訪ねれば変わらぬ知遇を得ている人々が存在していることも実感し、今更葬式への参列や、自己宣伝となる選挙のための会報配布もしたくない事から、議員だけではなく、人の役にたつ市民ボランティアでより大きな地域貢献を果たしていきたいと思う一日ともなりました。
 
 さて、その前に、明日からは2月に入り、3月1日に発行予定の神守中学同窓会報の原稿締め切りが迫ってきている現実に、しばらくはアンケート配布とともに、トイレを我慢するような日々が続きそうです。
 
 
この一言の満10年までのカウントダウン、あと12日
                                   1月31日の一言

外出先で見た恩師の書に

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 本日は市役所の定期監査と、午後は教育委員会の現地監査として市立高台寺(こうたいじ)小学校を訪れ、校長室で歴代校長の写真から懐かしい恩師達の尊像を見るとともに、毎週火曜日に書道の指導を受けている恩師「後藤毅」先生の揮毫した書(写真の上)を見つけて写真に収めてきました。
 
 後藤先生は私の神守中学時代の学年主任で、我々の卒業後に教頭として高台寺小学校に勤務し、その後に同じ中学校区の蛭間小学校の校長を務めておられますが、行く先々で見る恩師の書に、是非とも恩師に見せたいと思うものの、残念ながら退職した教員がかつて勤めた学校を訪れることはほとんどありません。
 
 我家の2階で毎週火曜日に開かれている書道会「神守丈友会」は、平成6年に私の中学時代の教頭であった「長谷川丈夫(たけお)」先生( 2008年3月29日没)に無償で指導をお願いし、数年後に後藤先生にバトンタッチされたものの、今年は会が始まって満20年を迎えます。
 
 恩師の長谷川先生と後藤先生は、神守中学に勤務する昭和40年代から、当地方の書の大家「岡本白濤」先生の指導を受けた弟子で、長谷川先生が校長になって忙しくなるまで10年ほど岡本先生のもとへ一緒に通われた兄弟弟子となります。
  
岡本白濤先生 
 愛知教育大教授として書道教育に力を入れる一方、書道団体「玉信会」を主宰し、隋代や唐代、空海や良寛の書などを幅広く研究した中部書壇の重鎮。2008年5月に94歳で亡くなられました。
 
 私の中学時代は、学校で叱られた記憶しか無いほど問題のある生徒でしたが、私の唯一の理解者が教頭の長谷川先生で、この縁が高校で落第して非行少年となっていた時も続き、後に大学を卒業した頃には校長になられ、当地方の校長会長になられてもお付き合いしていただけました。
 
 平成6年、私が津島市のPTA連合会会長を退任した時、招待された展覧会や画廊などで記名する時に自信のない書を書き込んできた反省から、「せめて自分の名前位は自信を持って書き込みたい」と、恩師に指導をお願いしてから20年が経過しました。
 
 無償の指導は私の提案で、多くの書道教室が存在する事から、「退職後に小遣い稼ぎをしていると言われたくない」と言う恩師に、「タダでお願いに来ました」と思いつきで応え、「何い、タダだとゥ」と大笑いとなり、「じゃー、びた一文貰わんぞッ」と引き受けていただきました。
 
 こんな恩師との出会いが、現在の恩師に引き継がれ、長谷川先生の他界によって、長谷川先生と縁のあった展覧会へ書の出展となり、恩師に指導を受ける我々も一緒に年月を刻んできました。
 
 過去の一言にも、同じような思い出の記載が重複して記されていますが、本日も出向いた小学校で見た恩師の書から、改めて書道会20年の歴史を振り返り、母校(神守中学校)の恩師と教え子でスタートしている事から、現在作成中の同窓会報にも紹介したいと思う一日にもなりました。
 
この一言の満10年までのカウントダウン、あと13日
                                   1月30日の一言
 

50万円稼げるの甘い囁きメールに

 最近になり、私のメール受信箱に、「私が稼げた秘密をあなたも無料で体験できます」のメッセージが連日のように届けられ、私はそのまま確認もせぬままに削除を繰り返していますが、内容を確認するとギャンブルである競馬で月に50万円稼げるとの内容です。
 
1日わずか15分で月50万円稼ぎました
            "私が稼げた秘密をあなたも無料で体験できます。"
こんにちは…
  …、、、正確にはごく普通の男でした。
 …  … …
なぜかというと今では仕事以外での収入で
月50万円前後は安定して稼げているからです。
その理由は
“本来ギャンブルであるはずの競馬をとあるサイトの
馬券情報のおかげで投資利用出来ているからです”
       ↓
≪≪空いた時間にできるので、会社勤めの方でも手軽に利用できます≫≫
       ↓
・ご紹介しているサイトに無料登録する ・担当スタッフから無料情報を受け取る ・無料情報をもとに馬券購入
 
 情報を送ることは違法ではなく、参考にするのも、登録して情報を入手して利用するのも、個人の判断となりますが、株の運用とか、外貨の資金運用などはまだ理解できますが、競馬で確実に利益をあげることはあり得ない話で、こんなメールが野放しになっていることは問題と思います。
 
 「競輪は儲かる」
 「そんな馬鹿なァ」
 「いや、正確には儲かるではなく、損はしない」
 「えー、本気で言っているの…」
 
 「競輪で損をしていない」の一言は私の口癖ですが、私は議員になった平成11年に一宮競輪場に参加していた7市3町競輪組合の議員として津島市から派遣されており、定期的に一宮競輪場を訪れていました。
 
 この時に議員への日当として2千円が支払われており、「日当は使い切って競輪場に戻して下さい」との意向で、何も判らないままに車券を買っていましたが、私は競輪は一度もやったことが無かったにも関わらず、日当が無くなったことはあるものの、自己資金の持ち出しは無く、時々は1万円から2万円程度を持ち帰っていました。
 
 選手の名前も判らない私は、現地で発行されている競輪新聞と、一般のスポーツ紙2紙の3紙が予想する本命、すなわち1着の◎と2着の〇が共通する車券を中心に購入していただけですが、任期中に赤字にはなっておりません。
 
 日当の2千円を4回に分けて資金として、300円を◎〇で購入し、100円を〇◎、100円を大穴で購入していると、運が良ければ4回のうち1回は当たり、資金が増えれば1回の掛け金を倍にする程度で、新聞3紙の予想が全く共通しなければ購入しませんでした。
 
 ギャンブルが好きな人達からは、「そんなものはギャンブルでない」と言われましたが、こんな方法ならあまり損はなく、「そんなら毎回行けば」と言われましたが、損は無いものの確実に儲かる訳ではありませんから、競輪組合が解散してからは出かけたことがありません。
 
 最初に添付した「詐欺紛い」のメールに対する警鐘が、ギャンブル推奨になっていたら問題ですが、私の三男は高校時代に自転車部に在籍し、先輩や同期に多くの競輪選手がおり、同級生の小川大地君が名古屋競輪場に所属し、「S級に上がったら横断幕を作って応援する」と約束してあるため、早く応援に行ける日を心待ちにはしていますが…
 
 さて、詐欺紛いのネット情報や、このブログの下段にも「40代50代 大人の出会い」などの広告が入っていますが、中にはギャンブルで60万円儲けたとか、生涯の伴侶が見つかったとの朗報も存在するものの、大多数は大金を失ったり、家庭崩壊に至るケースもある現実から、ネット発信の検証も重要です。
 
この一言の満10年までのカウントダウン、あと14日
                                   1月29日の一言

岡崎市出身の俳優 杉浦直樹さん

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 先日車検を受けたばかりの車の前面に、「車 高価買取ります」の広告が貼られており、「この車を売る予定があるのでしたら、ぜひこちらの方で買取り致しますので…」と記されているものの、どう見ても27年目を迎えた私の車ライトエースを廃車することに期待したチラシとしか思えません。
 
 近くに置かれたキャラバンや周りの車には貼られていませんし、見ただけで年代物と判る我が愛車のために、「廃車手続き無料です」と記したチラシを、わざわざ車を停めて貼っていったのでしょうから有難く拝見したもののまだまだ頑張ります。
 
 「今なにをしているんだ?」
 「何もしていない」
 「迎えに行ってやろうか?」
 「もしかして、あの車?」
 
 保育園を休んだ孫と暇をもてあます娘との会話ですが、私の車が年代物のため、買い物に行っても乗せてもらってきた事が恥ずかしいとの話をした直後に、こんなチラシが貼られていたことから、なるほどと実感する一日ともなりました。
 
 昨日の話となりますが、戦争映画DVDの創刊号に鶴田浩二さんが出演する連合艦隊のDVDが付いているため書店を訪れると売り切れとなっており、四国八十八ヶ所お遍路入門の保存版と記された「一個人」を買い求めてきました。
 
 「また買ってきたの?」
 「新しいのが出たから」
 「もう、たくさんあるでしょう」
 「今度は新曲だから」
 「なんで新曲があるの?」
 
 こんな繰り返しで、鶴田浩二さんの新しい作品を買い求めてきましたが、家内の言うように鶴田さんは昭和62年に亡くなっており、新曲がでるはずもないものの、それでも買ってきてしまう癖が、今度は四国遍路の冊子や真言密教に関する冊子になってきました。
 
 さて、鶴田浩二さんが主演した最後の作品が「シャツの店」で、山田太一さんの脚本で1986年にNHKドラマ人間模様で放送された作品です。
 
 オーダーメイドのシャツを仕立てる職人役が鶴田さんで、頑固な主人に耐え切れずに出て行った妻(八千草薫)と、夫婦仲をとりもとうとする弟子や息子たちとの家族の葛藤を描いたドラマで、頑固で亭主関白の主人公を演じながら、鶴田さんとしてはちょっとかっこ悪い役柄でしたが、同じく山田太一さんの作品「男たちの旅路」でも共通する人間の弱さを見事に演じきったドラマとなりました。
キャスト
磯島周吉:鶴田浩二 ・磯島由子:八千草薫 ・里見昭夫:平田満 ・磯島秀一:佐藤浩市
       ・村川知子:美保純 ・村川重彦:杉浦直樹 ・宇本賢次:井川比佐志
 
 本日は、主人公の息子の彼女役だった美保純さんの父親役を務めた杉浦直樹さんについて添付しておきたいと思います。
 
イメージ 2 ドラマでは破天荒な娘に、顔をゆがめた磯島周吉役の鶴田さんでしたが、この娘の父親役として何度も磯島家や居酒屋に訪れ、若い娘を持つ父親として娘の無礼な行動を謝りながらも、娘のために身体を張る場面もあり、同じ親の立場で鶴田さんと飲み語る姿が忘れられません。
 
 杉浦さんは1931年(昭和6年)に愛知県岡崎市に生まれ、2011年(平成23年)9月に亡くなられているが、26歳で結婚したものの13年後に離婚し、「役者は生活のにおいを出してはいけない」と一人でホテル住まいを続け、ゆえに家を持たず、結婚自体も否定して生涯独身を貫くとまで話して役者一筋の生活を貫いていたといいます。
 
「独身」杉浦直樹さん 妻に看取られ逝く
 
 演技に生活臭がでるのを嫌い、脳梗塞で倒れるまでは都内の一流ホテルで生活していたとの話や、酒豪・愛煙家であり、日本酒一升は軽く、タバコは両切りピースを好んでいたとの話は、酒とタバコと縁の切れなかった鶴田さんと共通ですが、脳梗塞で倒れてからは看病で付き添っていた仁美さんと夫婦になり、再起を目指してリハビリに努めていたものの志は果たせませんでした。
 
 鶴田浩二さんは昭和62年に亡くなっていますが、シャツの店で妻役を演じた八千草薫さんと杉浦さんが代表作となる「岸辺のアルバム」で夫婦役を演じていることから、鶴田さんにあと10年の命があったなら、山田太一さんの脚本で、名脇役だった杉浦さんともコミカルなドラマが展開されたと想像されてなりません。
 
 テレビの毒舌で有名な俳優の坂上忍さんは、自分のブログの中で「杉浦直樹先輩」と題して、一度だけ共演したドラマの中で、杉浦さんに演技上の苦言を受けたことを記し、「見て見ぬ振りが当たり前の世の中で、【許せないモノは許せない】、【おかしいモノはおかしい】と言ってくれる先輩は、今となっては財産でございます」と書き残しています。
坂上忍オフイシャルブログ 2011年9月23日
 
 高価買取のチラシを貼られた27歳の愛車は勿論ですが、還暦を迎えた私の残された人生も残り少なくなっており、鶴田浩二さんや杉浦直樹さんのように、鬼籍に入ってからも語り継がれる存在を目指したいと思います。
 
この一言の満10年までのカウントダウン、あと15日
                                   1月28日の一言 

放送法に反するNHK新会長の発言に

 NHK新会長の籾井(もみい)勝人氏が、従軍慰安婦について「戦争をしているどこの国にもあった」と述べた上で、日本に補償を求める韓国を疑問視した。
 
 韓国についても「日本だけが強制連行したみたいなことを言っているから話がややこしい。お金をよこせ、補償しろと言っている。しかしすべて日韓条約で解決している。なぜ蒸し返されるんですか。おかしいでしょう」と発言しており、尖閣諸島・竹島など領土問題については、国際放送で「明確に日本の立場を主張するのは当然。政府が右ということを左というわけにはいかない」と話したとあるが、個人的意見は自由だが、「政府が右ということを左というわけにはいかない」との発言は、公共放送であるNHKの会長として、不偏不党の立場とは思えぬ政権与党の犬と化したような発言だけに問題である。
 
NHK籾井新会長「従軍慰安婦、どこの国にもあった」
 
NHK会長の慰安婦発言「まさに正論」 橋下氏が評価
 
 この発言に対して、大阪橋下市長が自分の発言と同じで正論と評し、「似たり寄ったりのことは世界どの国もやっていた。戦争と性の問題はどの国も抱えてきた不幸な歴史だ」と持論を展開。「NHK会長でそれなりの経歴のある人が言われた。日本国民はしっかり考えないといけない」と語ったとある。
 
 私が問題と思うのは、国で定めている放送法の第1条の目的の中に、「放送の不偏不党、真実及び自律を保障することによつて、放送による表現の自由を確保すること」とあり、第4条の放送事業者は、国内放送及び内外放送の放送番組の編集に当たっては、政治的に公平であることと、意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすることと定められていることから、国民から強制的に受信料を徴収するNHKの会長として相応しい発言とは思えません。
 
第1条 この法律は、次に掲げる原則に従つて、放送を公共の福祉に適合するように規律し、その健全な発達を図ることを目的とする。
1.放送が国民に最大限に普及されて、その効用をもたらすことを保障すること。
2.放送の不偏不党、真実及び自律を保障することによつて、放送による表現の自由を確保すること。
3.放送に携わる者の職責を明らかにすることによつて、放送が健全な民主主義の発達に資するようにすること。
第4条 放送事業者は、国内放送及び内外放送(以下「国内放送等」という。)の放送番組の編集に当たつては、次の各号の定めるところによらなければならない。
1.公安及び善良な風俗を害しないこと。
2.政治的に公平であること。
3.報道は事実をまげないですること。
4.意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること。
 
 私は大学時代に朝日新聞の販売店を経営することになりましたが、新聞社に初めて訪れた際に、販売部のデスクより朝日新聞の歴史を勉強するための資料が手渡され、朝日新聞綱領について頭に叩き込むよう求められました。
 
朝日新聞綱領
一、不偏不党の地に立って言論の自由を貫き、民主国家の完成と世界平和の確立に寄与す。
一、正義人道に基いて国民の幸福に献身し、一切の不法と暴力を排して腐敗と闘う。
一、真実を公正敏速に報道し、評論は進歩的精神を持してその中正を期す。
一、常に寛容の心を忘れず、品位と責任を重んじ、清新にして重厚の風をたっとぶ。
 
 平成11年から津島市議会議員となりましたが、それまで23年間続けた販売店を廃業した理由も、販売店と言えども政治との関わりは許されないため(当時は)で、配達するだけの仕事でも「不偏不党」の立場を求められました。
 
 朝日新聞の報道についても、ネット上で賛否両論の議論があり、新聞関係者の不祥事も存在しますが、少なくとも責任ある立場にある者が、特定の政党や偏った発言を続けることは許されません。
 
 橋下市長の発言についても、世界中から批判されるばかりではなく、それまで高い支持率を続けていた政党維新の人気も急激に低下したことを考えると、こんなバカで性格に問題がありそうなNHKトップに便乗することは、政党トップとしての反省が足りないとしか思えません。そして、安倍首相になってから、右傾化した発言が際立っており、国際協調が図れません。
 
 本日の一言は、昨日の一言に鶴田浩二さんの記載をしたところ、鶴田さんに関するコメントが入っており、鶴田さんと「シャツの店」で共演した、愛知県岡崎市出身の杉浦直樹さんについて書き込もうとおもっていましたが、怒り心頭でこんな一言になってしまいました。
 
この一言の満10年までのカウントダウン、あと16日
                                   1月27日の一言 

久々に戦争映画を鑑賞して

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 本日は名古屋市中川区にあるコロナワールドへ、家内と一緒に映画「永遠の0」を鑑賞に訪れたところ、2年前の4月以来映画館を訪れておらず、貯めていたポイントカードは無効になっていました。
 
 「永遠の0」については、最近の戦争映画は脚色したり、戦争を歪曲したものも多いため見ないことにしていましたが、一週間ほど前に香川県三豊市役所に勤め、近代戦争史を研究しているMさんより連絡があり、この映画の原作を書き上げるため、特攻隊の生き残りとなった丸亀市の方から作者が取材していたことを聞かされました。
 
 そんなことから遅まきながらの鑑賞となったものの、戦争映画は久しぶりで、途中からは涙腺が緩みっぱなしとなり、腹筋が笑うのを隣の家内に知られぬのに必死の鑑賞となりました。
 
 今月21日に戦争映画のDVDコレクションが発売され、テレビ画面よりコマーシャルが流れ、創刊号の「連合艦隊」の映像に「鶴田浩二」さんが敬礼姿で映ることから、昨日も購入しに行こうかと迷っていました。
 
 鶴田浩二さんは多くの戦争映画に出演していますが、自身が学徒出陣で飛行専修予備生徒(第14期生)で、日本が降伏した際には大井海軍航空隊に所属する整備科予備士官であり、出撃する特攻機を見送る立場にありました。
 
イメージ 2 鶴田さんの主演作品『雲ながるる果てに』(くもながるるはてに)は、昭和28年に公開された映画ですが、原作は、海軍飛行専修予備学生(特攻隊)として出撃して亡くなった青年たちの遺稿集『雲ながるる果てに 戦歿飛行予備学生の手記』である。
 
 この作品のあらすじは、昭和20年春、本土の南端にある特別攻撃隊基地で、命を棄てる覚悟をした若者たちが今生の思い出となるべき日々を過ごしていた。勇ましく死を覚悟しながらも、この世に残すものに対する愛着や未練がかれらを包み込んでしまう。やがて仲間がひとりひとり大空に向って飛び立っていくというもので、鶴田さんの出演した多くの戦争映画でも特筆される映画ともなりました。
 
 本日鑑賞した「永遠の0」についても、作者が戦争で生き残った人々の聞き取りをしているため、命に対する葛藤は共通しているものの、出演者に大きな違いがあり、「雲ながるる果てに」に出演した鶴田さん以外にも、木村功さんや、西村晃さん、高原駿雄 さんなど学徒出陣した経験者が多数出演しているため、平和な世の中に生まれた原作者や出演者とは緊迫感が違います。
 
 原作者の百田 尚樹さんについて、本日までほとんど予備知識もありませんでしたが、安倍首相と志を一緒にしているような発信もあり、日本軍創設を主張し、渡部昇一氏との対談で「安倍政権では、もっとも大きな政策課題として憲法改正に取り組み、軍隊創設への道筋をつくっていかねばなりません」と述べていると聞くと、本日鑑賞した「永遠の0」では何を主張していたのか判らなくなってきました。
 
 さて、我家には鶴田浩二さんの映画作品が100本程度収集されていますが、いずれもビデオテープの作品のため、最近は見たこともなく、現状はかなりフイルムが劣化して音声も低下している可能性が高いため、何とかDVDに記録しなおし、多くの人々に鑑賞してもらいたいと思う一日となりました。
 
この一言の満10年までのカウントダウン、あと17日
                                   1月26日の一言 

「えっ?」 東京の細川選挙事務所まで行ってきたの

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 脱原発を旗印にしている小泉元首相と二人三脚で、東京都知事選挙に立候補した細川元首相の選挙を応援したいものの、東京都に紹介できる人脈も乏しく、傍観者になっている私に、「政治は行動力だ」と言い残し、津島市から東京都まで走り、細川さんの選挙事務所を訪れた井桁元県議(元市議)です。
 
 「いったい何のために」と思ってしまいますが、今にして思えば、かつて「脱談合」を旗印として長野県知事に当選した田中康夫さんが、初挑戦した長野県知事選挙の全候補者が出席した立会演説会を聞くため、松本市まで一緒に訪れたことを思い出しました。
 
イメージ 2 遠くから傍観するだけでなく、当事者の生の声を直接聞くことは、地方議員と言えども参考になるばかりか、反自民の無党派議員にとってその臨場感は現場に行ってみないと判らない体験になったことを地方に篭っていることで忘れていました。
 
 それにしても、若さは武器と言いますが、自分の得にもならないことに、新幹線の乗車券まで支払って東京に走る姿は、私が「脱原発」の小泉さんと細川さんを応援していることから感服するしかなく、自身の行動力の怠化を実感させられました。
 
 さて、私には一番まともに思える細川さんだが、高齢を理由に苦戦しているとの情報もあり、少しでも政策面の評価を得て当選してほしいと思うとともに、小泉さんなら当選確実の声を聞くと、当選できないことで原発再稼動に至る可能性から、小泉さんには今以上に頑張って細川さんを当選に導いて欲しいものです。
 
99歳女性スイマー、なぜ強い? 11の世界記録達成
記事の続き…
 「自由な暮らしと、緊張感。この二つが両立する生活が続いてきたから、今がある」。横浜市に住む長男の宏行さん(73)は語る。
 長岡さんは53歳で夫が病死してから一人暮らし。家業のわら製品卸問屋を94歳まで切り盛りする一方、87歳まで能楽に打ち込んだ。水泳にのめり込んだのは、耳が聞こえにくくなり能楽が続けられなくなってからだ。
 ビデオを見ながらの反省点の洗い出しも、成長の源のようだ。ほぼ毎月出場する大会に宏行さんが同行して撮影。「次の目標を一緒に考える。母は知恵と工夫を重ねて達成しようとする。それが母の生きる喜びになる」
 始めた当時、背泳ぎで25メートル泳げるまでに1年かかった。それが、日本記録達成、世界大会出場と飛躍を続け、95歳になる年から世界記録を連発した。「90代後半まで記録が伸び続けていたのがすごい。いまは私が教えられることの方が多い」と澤田さんも舌を巻く。
 長岡さんは95~99歳部門で一時18の世界記録を保持した。昨年米国人に七つを塗り替えられたが、今年から出る100~104歳部門で再び18の世界記録を樹立するのが目標だ。「早く泳ごうと思うとフォームが崩れる。無心で臨めば大丈夫」。今月18、19両日、千葉の大会でさっそく四つの日本新記録を出した。いずれも世界記録として認められる見通しだ。(小川裕介)
 
 本日の新聞報道には、世界記録を11持つ99歳の女性スイマーの元気の秘訣に迫る記事が掲載されてきましたが、80歳で水泳をはじめ、今年7月に満100歳を迎えると聞くと、還暦で老け込んでいる自分が情けなくなってきます。
 
 「53歳で夫が病死してから一人暮らし。家業のわら製品卸問屋を94歳まで切り盛りする一方、87歳まで能楽に打ち込んだ」と聞くと、私も今から新しい家庭でも築くくらいの気持ちで働くと健康長寿にあやかれそうですが、3才で両親を失った私の父親は、60歳を過ぎていた祖母(私の曾祖母)が、それから乳母車に野菜や花を積んで売り歩いて育てたのですから、人ごとではありませんね。
 
この一言の満10年までのカウントダウン、あと18日
                                   1月25日の一言 

26歳の愛車ライトエースが戻り

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 私の旧来の愛車「ライトエース」ですが、今月21日で車検が切れるため稲沢市(旧祖父江町)の自動車工場に出し、車体下のサスペンション付近から異音がするため、続けて修理を依頼してありましたが、本日修理が済んで戻ってきました。
 
 車体下の異音については、走行には支障がなく、車検そのものには関係無いと判っているものの、車から出る「キシミ音」は人を乗せることが出来ず、同乗者に心理的な不安を与えそうなため、修理を続けてもらいました。
 
 このライトエースは平成1年に初年度登録された車で、今年で満26年目となり、これから2年先の28歳まで走ることになりますが、部品によっては存在しない物もあることから、故障するたびに思案することになりそうです。
 
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 かつてはトヨタ系列の営業所で車検を受けていましたが、当方が感ずる微妙な異常のたびに高額な部品交換を要求され、当方の指摘する部分(ハブベアリング)だけの修理をしないため、部分的な修理をする近くの自動車屋さんに修理を依頼して、トヨタで提示された15万円の部品交換が3万円以下の部品交換で済みました。
 
 この修理工場も、私が感ずるキャブレターのわずかな異常の原因が判らず、「トヨタの営業所で調べて欲しい」と言われ、トヨタではキャブレターの修理ではなく高額な部品交換を提示され、我慢して乗っていましたが、現在持ち込んでいる稲沢市の山内商店が、キャブレターのオーバーホールをして不調を解消してくれました。
 元々が自動車解体業もやっていたため、部品の取り替えも熟れており、旧い車の修理には手頃な自動車工場と思います。
 
 今回の異音についても、車体下の消耗品(ゴム類)を全部交換したものの収まらず、サスペンション関係の部品交換は7から8万円かかるそうですが、部品を全部分解してグリスを補充して音を消したそうで、当分は大丈夫と思われるものの、車が旧いため異常を解消すると他の部分からの異音が聞こえてきます。
 
 エンジンは極めて好調で、天井のスカイルーフや、後ろ向きや横向きになるセカンドシート、完全にハネアゲとなるサードシートによって、荷台には冷蔵庫や洗濯機も乗せられ、三男が参加するロードレースへ自転車を乗せて遠征や車中泊が可能です。
 
 「お父さん、もう新しい車に代えたら」
 「どこも悪い所がないのに…」
 「いくらでも安い車があるのに」
 「軽トラックに乗るよりはマシだろう」
 
 我家は兼業農家ですが、田畑の草刈り、水田の除草作業や、玄米の精米には軽トラックも必要となり、大量に出る庭の剪定時の枝葉の移動は乗用車ではできず、軽自動車並みに小回りのきく愛車は捨てがたく、7人も乗車できる一方で、貨物にも変身する愛車は万能の車としか思えません。
 
 それにしても、26年間も走ってきたのは驚異で、タフで大きな故障もしなかった事が長持ちの原因と思われますが、このまま私が運転できる限界年齢まで走り続けて欲しいものです。
 
この一言の満10年までのカウントダウン、あと19日
                                   1月24日の一言 

来月で「本日の一言」が満10年を迎える現実に…

平成16年2月…
 
 「今時、インターネットは当り前だ…」とか、「パソコンもできない地方議員ではなぁ…」の大合唱に、「じゃー、毎日何かを記すことにする」と語ったところ、「そんな出来ない事を言っても絶対にダメだ」と言われた中を、本日の一言を記し始めました。
 
 平成16年2月13日は、稲沢市と合併を予定していた旧祖父江町の町議会選挙が告示されており、私は応援を依頼されたK議員(現稲沢市議会議員)の個人演説会に参加し、翌日には意気投合した落語家の浪漫亭砂九(ろまんていすなっく)さんと津島市内で座談会と出前寄席を開き、その翌日には津島市文化会館で開催された「生でおいしい水道水」をテーマとした講座に参加していました。
 
 初日は「つぶやき」と記し、2日目は「独り言」とし、3日目は「叫び」と書き、4日目に「一言」となりましたが、その翌日には「午後のひととき」とし、その次は「朝の一筆」と記しており、その翌日には「不慣れなパソコン操作で全画面が消えた半日後、2月19日の夕方」と記されており、パソコンから消えた画面を復旧するために徹夜同然でもがいていたことが思い出されます。
 
平成16年2月の一言 http://www1.clovernet.ne.jp/oshika18/log162.htm
 
 当時は私のホームページ「津島の新しい風」の中で一言を記しており、4月からは「一言」になっていきますが、2年ほど経過してからパソコンの不具合が繰り返し、平成18年11月1日からこのヤフーブログの一言に移行してきました。
 
 
 10年一昔と言われますが、来月の2月13日には「満10年」となり、当時の一言を読み直すと、その日の行動をそのままリアルに記しており、私の活動や行動を知ってもらうために記されており、当時は写真も添付されていません。
 今にして思うと、1年間に365日分記しており、単純計算でも3千650日分の一言を記してきており、全てを読み直すのも大変な時間がかかりそうです。
 
 平成19年頃からは、感度は悪いものの携帯電話の写真を添付し始めており、四国遍路や上高地の旅先から携帯電話を利用して一言を書き込むようになり、最近はデジタルカメラから当り前のように挿入しています。
 
 さて、本日も同志とともに地域へアンケート用紙を配布しており、地域の知人宅にも立ち寄って昔話や今後の街づくりに花を咲かせてきましたが、議員になる15年前までの行動力と体力を思い出し、議員になる前の行動が懐かしくなってきました。
 
 来月の13日からは、10年前の自分の行動を回顧しながら、10年前とは確実にレベルアップした発信を続けていきたいと思います。
 
 満10年までのカウントダウン、あと20日
                                 1月23日の一言

私への厳しい一言に奮い立てるか

 現在アンケートを地域に配布中ですが、医療や行政に対する市民の意向を探るために貴重な返信となっているものの、中には私の政治活動に対する厳しい批判や意見も同封されており、議員として言い訳のできない現実にさらされます。
 
 大鹿議員の政治活動が、全く聞こえなく何を行なっているのか、私の耳に入ってこないです。私だけに入ってこないだけですかね。
 以前は会報を定期的に出され、私は大鹿議員が一生懸命頑張ってみえる事だなと思っておりました。しかしながら最近は大鹿議員の情報が何ひとつ伝わって来ないです。
 
 全く指摘されるとおりで、2年前より会報を発行しなくなっており、発行しなくなった理由はあるものの、発行しないことは何も理解されないままとなり、私の活動自体は変わっていないものの、ボランティア活動も困った人に対応しているため市民の目にもふれません。
 
 「他の議員は会報を出したり、報告会を開催したり、いろいろな会合に顔を出され…」との記載もありますが、最近は議会だよりが毎議会後に市議会から発行され、議会報告会も開催されるようになっており、私が議員になった15年前とは環境も変わってきました。
 
 議員になった平成11年より2年前までは、議会終了後に必ず会報を発行していましたが、会報を出して返信される内容から、議員活動とは別に通院や買い物に出かけられない高齢者や障がい者の人々に対応するNPO法人を平成19年に設立し、運輸局の認可を得てボランティア活動をはじめました。
 
 議員活動のために、会報を配布し続けるとボランティアはできず、今年は津島市の監査委員など議員活動も忙しく、議員活動とボランティアに徹するだけで、四国遍路や巡礼に力が入っている反省はあるものの、市民の方からの電話や相談に応えるだけで精一杯となっています。
 
 実際には、配布しているアンケート調査についても、15年前に一緒に議員デビューした元県議に尻を叩かれて配布をはじめた次第で、還暦を迎え、元気なうちに息子の独立開業を支えたい事と、ボランティアとはいえNPO法人を軌道にのせ、福祉有償運送や福祉タクシーを自立させないと人生で何も残せません。
 
 「その方が大鹿君には適役だな」の一言は、私がかつて発行していたミニコミ紙「ふるさとアサヒ」について知人が語った最近の会話で、議員とか政治と一線を引き、真言密教で身と口と心を清め、ミニコミ紙の発行からイベントやボランティアで今一度カムバックしたい希望が湧いてきます。
 
 自分自身の過去を振り返り、会報の発行や報告会は、私の議員活動の宣伝と、次の選挙対策としか思えないことから、大鹿流の発信と行動に固執し、これから終末期に入る人生を謳歌したいと思います。
 
細川氏が会見「原発再稼働に強い危機感」 立候補を表明
 
 76歳となった細川氏や70を廻った小泉さんが、脱原発を旗印として都知事選挙に臨む姿に、私も議員のイメージを払拭した「大鹿流」を通し、姿の見える発信を考え、「何もしていない」の一言を払拭させないといけませんね。
 
                                 1月22日の一言

残虐なイルカ漁の論議再び

 キャロライン・ケネディ駐日米大使が18日、短文投稿サイトのツイッターに「米国政府はイルカの追い込み漁に反対します。イルカが殺される追い込み漁の非人道性について深く懸念しています」と書き込んだ事が論議を呼んでいます。
 
 このことに対して、菅義偉官房長官は20日の記者会見で「イルカ漁業は我が国の伝統的な漁業の一つで、法令に基づき適切に実施されている。米国に日本の立場を説明していく」と述べ、更に本日には、和歌山県知事が、「残虐というが、命を奪って我々は生きている。クジラやイルカを殺すところだけ残虐というのは論理的でないと思う」と反論したとの報道がありました。
 
 イルカ漁について、ケネディ大使が「イルカが殺される追い込み漁の非人道性について深く懸念しています」の書き込みをしたことは、反対意見があるのは報道されているとおりですが、日本国内において水族館でイルカショーが子供たちの人気を得ている現状から、非人道的かどうかは別としても、残酷な行為であることは間違いがなく、わざわざ国の官房長官が日本の伝統漁業と反論する必要があるだろうか。
 
米大使イルカ漁批判に反論 和歌山知事「論理的でない」  2014年1月21日
 
官房長官「イルカ漁は適切」 ケネディ大使に理解求める  2014年1月20日
 
「米国政府はイルカ漁反対」 ケネディ大使がツイート  2014年1月19日
 
 私は今から4年前に、「イルカ漁が食文化と言えるのか」の書き込みを残し、当時のイルカ漁を批判する映画「ザ・コーヴ」の上映に抗議して反対する太地町や漁業関係者の発言に対して感じた違和感を記しており、私の一言では最大と思われる31のコメントが残されています。
  
イルカ漁が食文化と言えるのか  2010/3/8(月)私の一言
 
 当時の太地町町長は、「イルカ漁の正当性を国内外に主張していきたい」と語り、和歌山県知事も「長いあいだ太地町で行われてきた生活を守る営みを、一方的な価値観や間違った情報で批判するのは紳士の道に反する」と話したとあります。
 
 今回のケネディ大使の発言について、イルカの追い込み漁が日本の伝統漁法としても、戦後の食糧難の時代は別としても、日本人の多くはイルカを食べてはおらず、イルカ漁とイルカを食することを当り前に主張する官房長官の発言にはやはり違和感を覚えてなりません。
 
 私の住む地域でも、昭和30年代までは犬の肉を売りにくると言われた人々があり、地元の人々は忌み嫌っていましたが、今ではあり得ない話となり、犬や猫を虐待することや、池の水鳥やハトに矢を射ることで逮捕される時代になりました。
 
 関係者がイルカ漁の正当性を主張しても、イルカの追い込み漁を記録した映像を見るかぎり、ケネディ大使の発言を否定することはできず、残酷と言われる行為を国の大臣や県知事が正当化することに寂しさを覚えます。
 
 新聞報道でも賛否両論の投稿があると記されていますが、我々はイルカではなくとも、牛やブタなど生き物の命を奪って生きている現実があり、残酷な現場を人任せとしているものの、最近のクジラ肉についても、かつての大衆食材から高級料理店でしか食せなくなっている現実から、残酷とか非人道的と言われる行為は無くしていきたいものです。
 
                                   1月21日の一言

許せない名護市長選の石破幹事長500億円発言

 沖縄県名護市長選で選挙期間中、500億円の振興基金構想を表明していた自民党の石破茂幹事長は、米軍普天間飛行場の同市辺野古への移設反対を訴えた稲嶺進氏が再選を果たしたことを受けて、自身が発言した500億円の振興基金構想を見直すと報道されています。
 
 そもそも、500億円の振興基金は国民の税金であり、国民の税金を自分のポケットマネーのように利用し、選挙期間中に名護市民に提示したこと自体も問題と思われ、その発言によって投票した市民も存在していると思われるが、移設反対の稲嶺進氏が当選すると引っ込めるような発言は、地方自治体や名護市民を馬鹿にしているとしか思えず、こんな幹事長が次の権力をうかがう自民党や安部政権は信頼できません。
 
 一方で、落選したから良かったものの、石破茂幹事長の発言した500億円の振興基金によって、落選した末松氏が当選していたら、日本国民の税金によって、名護市民が買収されたような汚い選挙になっていたかもしれませんが、名護市民の良識を称えるとともに、今後の名護市民の反対運動を応援したいと思います。
 
振興基金500億円見直し 石破氏、名護市長選うけ
 
政府の「アメとムチ」、名護市民怒りの審判
 
「500億円の名護振興基金新設」石破氏、市長選演説で
 
 一方で、19日が投開票となる名護市長選で、自民党が推薦する候補の応援演説とはいえ、新たに500億円の「名護振興基金」をつくることを、投票日目前の16日に表明していることを、投票日翌日に反故にされること自体に問題はないのか。
 
 あまりにも無責任で、国民の声を無視し、外交問題でも国益を損なう民主党野田首相には辟易としており、国民の高い支持率を誇る安部首相の再登板と、好調なアベノミクスから無党派の私も期待する面はあったものの、高い支持率と、圧倒的多数を占めた自民党の国会運営は、国民を危険にさらす外交や、国民の多数が反対する原発再稼動や秘密保護法案、民意と対立する辺野古への移設問題など、国民目線とは違う自民党の強権路線がはっきりとしてきました。
 
 東京都知事選挙についても、脱原発を訴える細川元首相の立候補を批判しても、脱原発を訴える小泉自民党元首相の意見を無視するだけでなく、批判していた自民党安部政権の姿勢に問題があり、国民の民意を無視しても強行することを許してはなりません。
 
 東京都から遠く離れた愛知県の一地方議員の声は、国政にとってはアリの存在よりも小さいと思いますが、選挙を有利に進めるために、国民の税金を勝手に利用しようとしたり、思うようにならないと税金を出さない暴挙は腹立たしく、こんな国の交付税に頼らざるを得ない地方都市の悲しさを実感させられ、東京都知事選挙においては絶対に自民党の応援する候補者を民意で落選させてもらいたいものです。
 
 本日も地域を歩いていたことから、名古屋市民が、津島市の耕作放棄地の農地で展開する新たな試みに感動し、過去に記した農地を利用した太陽光発電など、新たな展開についてここに記すつもりでしたが、500億円の振興基金に対する自民石破茂幹事長の発言から怒り心頭の一言になってしまいました。
 
                                  1月20日の一言

久々にペットが話題となる一日となり

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我家の相棒リマです
 
 日本中を強力な寒波が襲っており、私の住む愛知県西部も寒風は吹き荒れているものの、昨晩も雪ではなく雨が降り続け、少しは暖かいのかと思っていると、本日の日中は今シーズン一番とも思える寒さから、コタツに集まるものの、上着を羽織らないと寒さが身にしみる一日となりました。
 
 「犬を飼ってみたいんですわ」
 「犬は良いよ」
 「飼うのは大変なんですよね?」
 「家庭が温かくなるよ」
 「ペットショップは何処にありますか?」
 「平和のバローか、稲沢のアピタ…」
 
 我家は私の相棒となるリマ(雄ポメラニアン)が完全なる家族となり、大人だけとなっている家庭の子供役となっており、最近では私の主人のようにオヤツをせがみ、夜は私とは4メートル離れたケージで寝ています。
 
 私は知人からの電話に、犬を飼うことを勧め、犬が売られているお店を紹介しましたが、しばらくすると知人から「今、犬を買うことになりました」と電話があり、「〇〇円もかかりました、トホホ」と、奥さんと子供が犬を持ち帰るため応対している報告がありました。
 
 できることなら、ポメラニアンのメスを飼ってくれて、我家の相棒リマの子供を授かりたかったものの、メスは子供を産むため高額らしく、オスのトイプードルに決めたとの話で、帰宅後に子供に抱かれるワンちゃんの写真を送ってもらいました。
 
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 生まれて2ヶ月しか経過しておらず、当面は家庭内で順調に成長して欲しいものですが、ヌイグルミのようなペットが家族の一員となり、家族の旅行や外出に同行する姿を想像すると、家庭がより温かくなっていくことが実感できそうです。
 
 それにしても、午前中に「犬は良いよ」と話していたのに、夕方には犬が家族の一員になっている現実に、我家では新たにペットを飼うことに家族は厳しく、毎日の世話をする家内は勿論ですが、口うるさい母親が私の話には何でも反対することから、こんなに簡単に家族一丸となってペットを買って持ち帰る家族にはびっくりで、うらやましさで一杯となります。
 
 さて、本日の寒さにより、家族全員がコタツに入っておりますから、我家の相棒にとってもコタツ周辺が本日の居場所となり、家族一丸の一日とはなりましたが、こうなると1台のテレビの番組で険悪となる可能性を秘めた夜になりました。
 
                                1月19日の一言

びっくりした昨日の訪問者数から…

現在の訪問者数 764
過去になく多い不思議な訪問者数です
 
 昨日の一言の最後に、昨日にこのブログを訪れた訪問者数「764」を記し、過去の訪問者数の最高でも200人程度のため、異常な多さにびっくりとすると同時に、その原因について考えると、やはり前日の水道水の断水について知りたい津島市民の方々の訪問としか思えません。
 
 2日前の夜に起こった津島市の水道の断水事故は、津島市の7割程度の世帯が断水し、その原因が判らないために、多くの市民の方々が市役所に連絡したもののつながらず、我家にも数名の方から電話がありました。
 
 下記に市役所から我が家に届けられたメールを添付しましたが、我々議員にメールから情報が届けられた時間には復旧が始まっており、メールが届けられていることも判らず、電話の声に一緒に原因を考えるしかありませんでした。
 
〇2014年1月16日 木曜日 午後9:15
只今、又吉配水場の配水施設に事故が発生し、日光川西地域にて断水中です。
災害対策本部を設置するとともに、復旧を行っております。
 
〇2014年1月16日 木曜日 午後11:23
 水道の断水については、復旧をいたしました。
水質は安全原因については、機械の不具合でありました。ですのでご安心下さい。大変ご迷惑をおかけしました。
 
〇2014年1月17日 金曜日 午前9:08
昨日発生しました日光川西地域の断水について、添付ファイルのとおり状況を報告いたします。
 
日光川西地域断水について
原因
又吉配水場内配水ポンプの管継手が抜け出し、水が溢れたことにより、残る5台のポンプの電気抵抗器に水がかかり、圧力流量制御が不能となり、配水ポンプが停止し断水した。
断水世帯数 約18,000世帯 人口 約45,000人
1月16日
・断水 19時41分
・応急措置 20時50分 県水緊急連絡管を使用
・応急措置 21時06分 神守配水場からの連絡管(水管橋)を使用
・復旧 22時46分
 
津島市の水道水が広範囲に断水して 2日前の私の一言
 
 市民の方からの電話の会話は、ありえない事故原因ばかりの推測でしたが、市役所への通話が不通の状態では何も判らず、推測による会話への応答しかできず、地元の有線テレビでは全世帯に情報が伝わらず、広報車の放送も聞こえなかったようです。
 
 これが地震など自然災害の場合には大変な事態となることから、これまでのマニュアルでは災害時には十分な状況が伝わらないことを実証したことになり、今後の改善が必要であることと、これまでの防災対策そのものの脆弱さも実感することとなりました。
 
 本日は地域を歩き廻る一日となりましたが、議員になる以前は毎日必ず地域のお宅を廻っており、多くの顧客とともに、親しい知人が多く存在していた事と、議員になってからの空白期間に、多くの知人が鬼籍に入ってしまい、取り戻せない日々と、私の家庭内に眠らせたままの写真フイルムも、手渡す人が存在しない寂しさを実感させられる一日ともなりました。
 
                        1月18日の一言

箱根駅伝選手、神野大地君が母校を訪れ…

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 添付した写真は、私の母校である神守中学校の校長室で、訪問した卒業生を写真に収める校長先生で、訪問している卒業生は新年を飾る箱根駅伝でエース級が登場する2区を走った、青山学院大学2年生の神野大地君です。
  
◆神野 大地(かみの・だいち)1993年9月13日、愛知・津島市生まれ。20歳。青学大総合文化政策学部2年。小学校時代は野球で投手。神守中1年から陸上を始める。中京大中京高で11年全国高校総体5000メートル出場。12年全国都道府県駅伝5区4位。今季は出雲駅伝6区4位、全日本2区6位と健闘。164センチ、42キロ。左利き。家族は両親と兄。
 
 新聞報道では、『小さくても頼れるエースで、人呼んで「小さな巨人」。体重42キロと今大会最軽量の神野が青学大の浮沈のカギを握る』と記されており、今季は出雲駅伝6区4位、全日本大学駅伝2区6位と活躍し、箱根駅伝では区間6位と健闘し、青山学院の往路5位、総合で5位の原動力となりました。
 
箱根駅伝公式HP http://www.hakone-ekiden.jp/
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10月3日放送 青山学院、神野選手インタビュ
             (一部分の抜粋です) 
 
松島アナ:最後に、神野大地選手が練習の時に意識していること、そして三大駅伝の目標と将来の目標を聞いてみました。
 
神野選手:練習の時に、絶対自分が箱根駅伝の2区を走っているのを頭にイメージしながらとか。出雲駅伝だったらアンカー走りたいので、アンカーで走って優勝テープ切ることを頭に思い浮かべながら、練習はやっています。
 
松島アナ:三大駅伝のその後、遠い将来でも良いですけど、
       目標はありますか?
神野選手:将来的にも実業団を考えているので、
       実業団入って2年ぐらいはトラックでタイムを出したり、駅伝で結果だして、
       3年目ぐらいからマラソンをやりたい気持ちがあるので、
       しっかりマラソンの練習をして、東京オリンピックぐらいで
       ちょうどいい歳になってくると思うので、
       東京オリンピック目指してやっていきたいと思います。
 
文化放送の全内容 http://www.joqr.co.jp/henomichi13/2013/10/06/ 
 
イメージ 2 神野選手の活躍は、津島市の公式ホームページでも紹介され、今月12日に津島市文化会館で行なわれた成人式に参加した神野君を、中日新聞が取材して翌日の紙面も飾っています。
 
 神守中学校の同窓会では、3月1日発行予定の同窓会報「至誠」で、神野大地君を2ページにわたって紹介する予定をたてており、3日前に神野君のお兄さんが私の三男の同級生のため、お兄さんを通じて箱根駅伝の感想と今後の抱負をメールで受け取っており、訪問時に偶然居合わせたことと、彼の気さくな性格から本日の添付となりました。
 
 今年の箱根駅伝には、校長先生が横断幕を持って応援に訪れていますが、来年は増員して応援に訪れる約束をするとともに、今年秋に愛知県の熱田神宮から三重県の伊勢神宮の間で開催される全日本大学駅伝にも同窓生を募って応援に駆けつける約束をしたので、しばらくは彼の活躍を地域全体で応援していきたいと考えています。
 
 神野君は、陸上競技の抱負として、将来は「実業団に入り、マラソンでのオリンピック出場を目指す」とのメッセージを母校の会報に寄せているので、母校の神守中学校からオリンピック選手が選出される夢を見たいと思います。
 
 さて、平成8年の話となりますが、私の長男が山梨のインターハイで、走り高跳びの表彰台に乗った直後に、地元の大学進学を望む私へ、「お父さんのレベルで考えないで下さい。私はオリンピック選手に育てるレベルで声をかけている」と、中央大学の陸上部監督より電話がありました。
 
 長男は足のケガで競技生活を断念しましたが、久々に地元からオリンピックを目指す選手との出会いとなり、神野大地選手を応援しながら東京オリンピックを迎えたいと思う一日ともなりました。
 
                                    1月17日の一言 
現在の訪問者数 764
過去になく多い不思議な訪問者数です
  

津島市の水道水が広範囲に断水して

 「もしもし、水が出ないんだけど…」
 「あっ、そうなの」
 「何とかして下さいよ」
 「そう言われてもねぇ」
 
 議員と言えども、原因も判らず、市役所や配水機場に連絡しても電話もつながらず、何ともできないままに時間が経過して…
 
 「おい、そっちは水出ているか?」
 「出ていますよ」
 「そうか…」
 
 津島市内では広範囲にわたって水が断水しており、各地から問い合わせが相次いだものの、私の住む地域は断水している地域とはポンプと配水経路が違うため何事もなく、次々と続く電話に身勝手な原因を考えると…
 
 「トイレも行けないし」
 「そうですか」
 「ご飯も焚けない」
 「そっかあ」
 
 地域が限定しておれば水道管の破損も考えられものの、市内を二分する日光川の対岸側となる旧市内が広範囲に断水していることから、配水機場から水が送り出されていない可能性が高く、電話では推測と雑談が続きます。
 
ネットによる投稿内容です
名前: 東海子 投稿日: 2014/01/16(木) 19:48:  水が出なくなった 断水?
名前: 東海子 投稿日: 2014/01/16(木) 19:51  市役所も配水場も電話つながんねぇ
名前: 東海子 投稿日: 2014/01/16(木) 19:52:  うちも出なくなった!!
名前: 東海子 投稿日: 2014/01/16(木) 19:52  水出なくなったの家だけじゃないね..
名前: 東海子 投稿日: 2014/01/16(木) 19:58  水かいにいかなきゃダメかな
名前: 東海子 投稿日: 2014/01/16(木) 20:00  風呂入れない トイレは公衆 食器洗えない 米炊けない
                          不便だな 冷静に考えりゃ公衆トイレも止まってるし銭湯もだめか…
名前: 東海子 投稿日: 2014/01/16(木) 20:03   柳原の宇佐美の辺りの水道管が破裂したという噂
名前: 東海子 投稿日: 2014/01/16(木) 20:05  水出なくなったぞ
名前: 東海子 投稿日: 2014/01/16(木) 20:06  ツイッターが混乱してた。 ゆらくとか大丈夫なんだろうか
名前: 東海子 投稿日: 2014/01/16(木) 20:12  水出ないと思うと逆にトイレ行きたくなるな…
名前: 東海子 投稿日: 2014/01/16(木) 20:12  神守地区は、水が出ていますよ。
名前: 東海子 投稿日: 2014/01/16(木) 20:34  又吉町の排水ポンプが壊れた  復旧の目処なしだそうだ
名前: キンブル主婦 投稿日: 2014/01/16(木) 20:39:  情報 金町にある浄水場の何かが、とまってて復旧工事                         中だけど、めどがたってないらしい   津島市の90%がとまっとるらしい
名前: 東海子 投稿日: 2014/01/16(木) 20:41  マジで水出ないw
名前: 東海子 投稿日: 2014/01/16(木) 20:43  柳原は通ったけど何もなかったわ  又吉町だな
名前: 東海子 投稿日: 2014/01/16(木) 20:48  Yストア水売り切れでワロタwww
名前: 東海子 投稿日: 2014/01/16(木) 20:48:  又吉町のどのへんなん?
名前: 東海子 投稿日: 2014/01/16(木) 20:49  それって、ペットボトルじゃなくて元気の水の事?
名前: 東海子 投稿日: 2014/01/16(木) 20:53  水出たね 水圧低いけど
名前: 東海子 投稿日: 2014/01/16(木) 20:54  分からない。俺はクッキー買いに行っただけだからね
                          でも多分話し方から察するにペットボトルもじゃない
名前: 東海子 投稿日: 2014/01/16(木) 20:55:  元気の水が売り切れなんて何かの間違いだよな?
                          ペットボトルだけの間違いだよな?
名前: 東海子 投稿日: 2014/01/16(木) 21:01:  ちょっとで出したで!!
名前: 東海子 投稿日: 2014/01/16(木) 21:01  消防が回ってる  津島市の一部で断水中
                          原因は究明中  それだけだったけど
名前: 東海子 投稿日: 2014/01/16(木) 21:03  Twitterだから真偽は知らんが  津島市の水道の断水、
                   又吉町の配水場の電源の不具合が原因だそうな(クローバーテレビより) だってさ
名前: 東海子 投稿日: 2014/01/16(木) 21:07  元気の水くんできたぜ!
名前: 東海子 投稿日: 2014/01/16(木) 21:07:  外で放送してたのは消防だったか。 又吉町ってのは聞こえた
名前: 東海子 投稿日: 2014/01/16(木) 21:14:  絶対今日のクローバーテレビの視聴率すごいことになってるw
               テロップ流れてたけど、間もなく復旧する予定らしいよ。間もなくってどれくらいだろう・・・
名前: 東海子 投稿日: 2014/01/16(木) 21:21:  ケーブルテレビによると又吉配水場の不具合による断水は間も無く復旧の見込み
名前: 東海子 投稿日: 2014/01/16(木) 21:25  お、水出たわ
名前: 東海子 投稿日: 2014/01/16(木) 21:26  又吉町近くです。排水場前が水浸しでした。水は復旧した模様。
名前: 東海子 投稿日: 2014/01/16(木) 21:36  今のクローバーテレビwwww
                            現在復旧作業が行われておます←誤字がwww
名前: へびびーび 投稿日: 2014/01/16(木) 21:55  いつなおるんだ?
名前: 東海子 投稿日: 2014/01/16(木) 21:55  普通に直った
名前: 東海子 投稿日: 2014/01/16(木) 21:56:  柳原はもう普通に出るよ  若干水圧弱いけど
 
 連絡のあった人々の住まいを考えると市内のおよそ半分が断水していたと思われ、議員では何もできないものの、問い合わせがあった事は、少しは頼りにされているものと思われる半面で、これを防災に置き換えると、市内で起こっている事が何も市民に伝わらなかった反省と、我々議員や行政の責任は大きいものと思われます。
 
   断水通知                   2014年1月16日 木曜日 午後9:15
 議 員 各 位     
市議会事務局長 大 〇 〇 雄
只今、又吉配水場の配水施設に事故が発生し、日光川西地域にて断水中です。災害対策本部を設置するとともに、復旧を行っております。
 
 議会事務局より、我家には午後9時15分にメールで連絡が入っていますが、ネット上では午後7時48分に市民から断水の情報が発信され始め、午後8時半頃には既に有線テレビ等で原因が発信されていることから、議員軽視と言うよりも有事の情報発信に問題を残し、市役所の電話応対が放棄されていた事も改善が必要です。
 
 一方で、議員に届けられた行政の連絡よりも、市民が自由に発信するネット上で、断水の現況が素早く伝わっている現実もリアルに実感され、今後起こりうる災害時や有事の連絡方法を改善する大きなヒントにもなりました。
 
  断水復旧通知                 2014年1月16日 木曜日 午後11:23

水道の断水については、復旧をいたしました。原因については、機械の不具合でありました。水質は安全ですのでご安心下さい。大変ご迷惑をおかけしました。
                            
津島市公式ホームページ
2014年01月16日22時25分
市内西地域 津島市からのお知らせ
災害発生地区:市内西地域
災害発生場所:日光側西地域
避難勧告:無し
詳細情報
現在、津島市の日光川西地域で、水の出にくい状況になっております。
復旧に努めておりますので、ご理解をお願いします。

 津島市の公式ホームページに午後10時25分に発信されていることから、素早い発信ができない現状の反省と、市民の方々から私に対する問い合わせは、この一言に毎日記していることと、ホームページ「津島の新しい風」がありながら看板だけとなっており、完全に情報化社会の歯車から外れている反省は急務でもあります。
 
 こんな時に、ネット上から素早い発信ができ、市民の方々からリアルタイムで注目されるブログを考察してみたいと思います。
 
                                   1月16日の一言

それも送りつけ商法ですねの一言に…

 「おーい、急いで、急いで!!」の一言は、本日市役所に出かける準備であわただしい時に母親が取り次いだ電話で、「東京からだから!!」と大声で呼びますが、私自身は東京から電話をもらう覚えもなく、電話に出る余裕もないことから嫌々の応対です。
 
 「日本の憲政史を…」
 「えっ?」
 「国会の歴史や動きが…」
 「私は、そんなレベルの議員ではないので…」
 「是非とも会派の先生に紹介してください」
 「では、他の会派から見せてもらいますから…」
 「先生へ一番に連絡しています」
 
 市民の声を代弁することを公約として、国政や憲政史など大して興味もない私への専門書のお勧めですが、私の不在時に電話口に出る母親は、「東京から」わざわざ何度もかかってきた電話に、私が不在であることが悪いような取次ぎです。
 
 「一度見て下さい」
 「いえ、結構です」
 「見てから不要なら送り返してもらえれば結構だから…」
 「えっ?」
 「宅急便で送り返してもらえれば結構ですから…」
 
 以前にも、東京の国会周辺から、人権問題を主題にした高価な専門誌を恫喝するように薦められたこともあり、議員になったばかりの時には、「アンケートに答えて下さい」と取材を受け、真面目に答えていたら数万円もする「自治行政録」という冊子を買うことになった経験もあることから、議員の足元を見た勧誘には注意が必要です。
 
 ただでさえ、四月の新年度を迎える年度末には、東京や大阪から「来年度の政務調査費」を見越した教育専門誌や、行政関連の冊子の勧誘が入り、「考えて見ます」とでも言うなら、自宅だけでなく議会事務局まで連絡が入り続け、重要な案件と勘違いした職員や家族を巻き込む事態に巻き込まれます。
 
 知らないことには関心もあり、一度聞いて見たい心境はありますが、一冊数万円する専門誌や、年間契約となる冊子の勧誘ばかりなので、関心があっても聞くこともできません。
 
 「それも送りつけ商法ですね」の一言は、本日の電話内容を聞いた市役所職員の一言ですが、「見てもらってから…」の安易な勧誘は、送り返す宅配料金や、クーリングオフのわずらわしい手続きとなりそうです。
 
健康食品「送りつけ商法」、主犯格3人を逮捕 詐欺容疑
 
 さて、本日の新聞報道に、偶然にも送りつけによる詐欺容疑で東京都の健康食品会社の経営者が逮捕されたとあり、健康食品を勝手に全国の高齢者に送りつけ、多額の金をだまし取ったとされる「送りつけ商法」事件で逮捕者が出ています。
 
 「注文を受けていた商品ができた」などとうその電話をかけ、健康補助食品「凰寿(おうじゅ)」を代金引換で送りつけて約2万5千円をだまし取った疑いとありますが、私の母親にも各地からカタログやサンプル製品が届けられてくることから、注意も必要です。
 
 東京都の都知事選挙は、細川元首相と小泉元首相の脱原発発言を争点にして熱気を帯び始めましたが、我々の住む地方都市にとっては、東京の一言が高齢者を惑わし、我々地方議員にも東京発信として勧誘の手が伸びている現実も実感する一日となりました。
 
                                     1月15日の一言

共に学び育つ…長谷川春一津島市元教育長著

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 本日添付した本は、「共に学び育つ」で、かつて津島市の教育長を務められた長谷川春一先生が、平成14年3月に発行された非売品で、私の手元へは発行日より前となる1月に、私の同級生でもある先生の娘さんによって届けられました。
 
 最近になって読み直したところ、冊子にメッセージが折り込んであり、発行日よりも早く届けられていたことを知るとともに、更にメッセージの2月が1月吉日に書き直されていることから、当り前のように戴いたままとしていた反省も感じました。
 
 本日一緒に行動していた同志も、長谷川先生が校長を務めておられた小学校の教え子にあたり、仏壇に手を合わせたいとの一言からご自宅を訪れましたが、残念ながら家人は不在のためそのまま帰りました。
 
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 長谷川春一先生は、大正12年に神守村に生まれ、愛知県第一師範学校を卒業後に、海部郡蟹江国民学校の訓導になられ、昭和18年に海軍飛行予備学生(特攻隊)に入隊し、終戦時は海軍大尉で復員し、蟹江小教頭、弥富中教頭、海部教育事務所指導主事から、津島市神島田小校長、愛知県の指導主事などを経て、佐屋町立永和中校長、津島市西小校長を歴任後の昭和61年に津島市の教育長に就任されました。
 
 この冊子は、単なる自己満足による回顧録ではなく、257ページからなる中身には第1部の「共に学び共に育つ親と子」として、教育の目的や家庭教育、社会教育に言及されており、第2部には「老いて学べばいのち長し」として、七十年を回顧していじめとしつけや、青少年の健全育成に思うなど、引退後の気持ちも綴られています。
 
 最後の第4部には、自身の戦争体験記から、学童疎開「対馬丸」についても記され、自身の恩師への思いや、自分が師範学校の時にサッカー部に所属し、昭和15年に明治神宮国民体育大会に出場したことと、昭和25年の愛知国体にも愛知県の選手として教員では唯一選手として参加したことも記され、更に3人のチームメイトを太平洋戦争で失ったことも記されていました。
 
 今更、この本について記しても、ご本人は数年前に鬼籍に入られており、何にもならないようにも思いますが、この冊子の中に記された「いじめとしつけについて」は、今の教育にも重要なヒントが記されており、教育に関わる人々にも参考にして欲しいものです。
 
 今から十年以上前の、平成14年に届けられた書物を、今頃になって真剣に読み直している反省も必要ですが、この本がただ単に個人の回顧録としてではなく、教育現場に関わる人々の参考書になる価値もあることから、図書館にも所蔵されているとは思いますが、多くの教育関係者に読んでいただくよう勧めたいと思っています。
 
 私自身は直接教えてもらった恩師ではありませんが、子供の保護者として長男が中学に入学する前年に、当時は強制的に坊主頭にされていた中学校の頭髪の自由化について、当時教育長であった長谷川先生に、「どうしても自由化がダメなら先生の手によってバリカンを当ててください」と迫ったことがありました。
 
 当時は愛知県内の各地で頭髪の自由化が叫ばれたものの、自由化は認められない環境下にありましたが、息子が中学に入学する半年前に、津島市では希望者は頭髪を伸ばしてもよくなりました。
 
 まさか、私の一言だけで頭髪の自由化が認められたとは思いませんが、生意気で横着者であった私のような一言にも耳をかたむけられる素直で庶民的な人柄が今でも忘れられません。思い出は尽きませんが、改めて合掌です。
 
                                   1月14日の一言

津島市消防団のラッパ隊です

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津島市の天王川公園中ノ島です
 
 添付したのは津島市の天王川公園ですが、かつての木曽川の支流を堰き止めてできた池だけに大きく、7月には巨大な巻き藁舟を浮かべた川祭りが行なわれ、津島市の消防出初式もここで行なわれます。
 
イメージ 2イメージ 3 この式典の中で、国旗掲揚から行進に至るまで、消防ラッパが鳴り響き、このラッパにあわせて消防活動で命を落とした功労者の黙祷が行なわれ、消防隊員たちが行進していきます。
 
 津島市の消防分団ラッパ隊は15、6名の消防団員によって組織され、今年の消防出初式では12人の隊員によってラッパが演奏されていましたが、蛭間分団Mさん(56歳)を隊長として、毎月第一水曜日と第三水曜日に消防本部へ集まって練習を続けているそうです。
 
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 ラッパ隊が組織されたのは10年ほど前の話ですが、誰でもできるわけではなく、熟練が必要なことから、お孫さんのいる隊員も存在し、若いと思っていた指揮者(神守分団)のТさんも51歳になっているとの話にびっくりです。
 消防隊員の定年は55歳ですが、ラッパ隊には定年がないことから、足並みの揃った音色を続けるために長く頑張って欲しいものです。
 
 ラッパ隊の演奏は、出初式だけでなく、夏の消防本部での消防大会や、秋の技術大会や、津島市の総合防災訓練などに出動しているそうですが、日頃の消防活動も考えると大変なボランティアです。
 
安倍首相、「脱原発」争点化に警戒感 都知事選 
 
 脱原発を訴えて東京都知事選挙に立候補を予定する細川元首相の存在は、それまで圧倒的優勢で推移していた自民党にも脅威となり、安倍首相も海外から脱原発の争点化に警戒感を持つ発言が報じられてきました。
 
ストップ!安倍政権  http://blogs.yahoo.co.jp/tt23vd8m/11726763.html
 
 国会の安定多数の議席を背景に、好調なアベノミクスによって、国民の圧倒的支持があると勘違いした安倍首相は、原発再稼動や、世界的な情報公開の波に反する秘密保護法案の成立から、集団的自衛権の行使を目論んでおり、中国や韓国などと極めて危険な国際関係を生んでいるだけでなく、元職とは言え、自分の前任者となる小泉元首相の脱原発発言を無視するだけでなく批判していた現実は、国民の民意や風は無視されているとしか思えません。
 
 原発の再稼動は、福島の再来も予感され、安倍首相の集団的自衛権は、誰もが望む国際平和の流れに反し、私たちの孫や子孫が徴兵される危険性も感ずるため、都知事選挙は国政とは関係無いとは言うものの、安倍政権の強行路線を阻止するために、高齢ではありますが細川さんに頑張って欲しいものです。
 
                                  1月13日の一言

津島市消防出初式が行なわれて

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 本年度の津島市消防出初式が天王川公園で開かれ、津島市の消防本部や市内8分団の分団員など関係者が集まり、開式後に消防殉職者に黙祷の後、分列行進、一斉放水など、例年と同じように厳粛な式典が行なわれました。
 
 その後、日本消防協会表彰など今年度の表彰、訓示、祝辞、謝辞などが行なわれましたが、全国的には厳しい寒波が伝えられる中で、私が議員になって15回の出初式では一番温かい出初式となりました。
 
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 本日は消防出初式の後で、成人式が津島市文化会館で行なわれました。例年の出初式では来賓席かそのテントの周辺にいますが、本日は消防ポンプ車の近くに移動していたことから、多くの知り合いと顔を合わせ、きちっとした写真が無いと話す消防ラッパ隊の写真も写真愛好家に依頼するなど、自分の居場所を再認識するような一日となりました。
 
 一方で、成人式では、議員になってから初めてのことですが、やっと来賓紹介が簡素化され、これまで来賓の個人名を呼び上げ、その都度立ち上がって声を発する「議員の宣伝」と言われそうな慣例が改められました。
 
                                    1月12日の一言
 

細川元首相が東京都知事選挙へ

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 本日は久しぶりとなる「かかりつけ医」へ診察のため通院しましたが、土曜日は院長の診察ではなく、外部の医師が診察しており、待合室で待っていると、診察室の様子が聞こえ、患者さんの苦痛が聞こえてきます。
 
 聞こえてきた内容を聞いていると、高齢者の足腰の悪い様子がうかがえ、内容は私と一緒ではないかと思え、「そんなことくらい…」と思っていたものの、外科系の病院であることから、接骨院や針灸の治療の延長となります。
 
 「どうですか?」
 「いつもと一緒です」
 「何も変わりはないですか?」
 「実は…」
 
 深夜にパソコンを見ているためか、慢性的に肩と首に違和感が残り、母親が病院でもらってきた鎮痛薬を飲むと身体が楽になることを話し、母親にもらった鎮痛薬「ロキソニン」を見せ、肩と首の違和感を訴えました。
 
イメージ 2 初めての先生でしたが、病院の奥にあるリハビリ施設で、首と肩を温めて電気を流してもらうこととなりましたが、ここで電気をあてるだけでなく、医療関係者による施術が行なわれると、接骨院や治療院の世界になるのだと思われます。
 
 個人的には、マッサージやアンマなどのように、身体に直接負荷をかけて欲しいものの、私自身は運動不足のため、身体を温めて自分でストレッチをするしか解決策はなさそうです。
 
 私は病院は勿論ですが、接骨院で治療を受けたことがありませんが、三男が柔道整復師で、将来は接骨院の開業を目指していることから、治療効果よりも内部の環境を覗いてみたく受診したものの、10床ほど並べられたベットから、診療単価は低いものの、大量に治療できることからそれなりに繁盛しそうな雰囲気を感じました。
 
細川元首相、立候補へ最終調整 「脱原発訴えたい」
記事の続き…
 また、小泉政権を自民党幹部として支えた中川秀直元幹事長が安倍政権幹部に対し、細川氏が立候補した際は小泉氏が支援する方向だと伝えている。細川氏は立候補の意思を最終的に固めたうえで小泉氏に会い、支援を要請する見通しだ。
 細川氏をめぐっては、民主党が「最有力」(松原仁・都連会長)として、立候補すれば支援する方針を示している。同党は10日、無所属での立候補を想定する細川氏側と、掲げる政策の内容や支援のあり方について調整に入った。
 細川氏は、参院議員、熊本県知事を経て1992年に日本新党を結成。93年に衆院議員に当選すると、日本新党や社会党、新生党など「非自民」8党派による連立政権の首相に就任したが、約9カ月で辞任した。98年に政界を引退し、現在は主に陶芸家として活動している。
 都知事選には、自民党が支援する元厚生労働相の舛添要一氏(65)のほか、共産、社民両党が推薦する日本弁護士連合会前会長の宇都宮健児氏(67)、日本維新の会の石原慎太郎共同代表が個人的に支援する元航空幕僚長の田母神(たもがみ)俊雄氏(65)らが立候補する考えを表明している。
 
 さて、東京都知事選挙に、元首相の細川護熙(もりひろ)(75)が立候補の意向を固めたと報道されており、「脱原発を訴えたい。勝ち負けは関係ない」と原発の再稼動に反対し、小泉元首相と連携し、原発再稼動に意欲を燃やす自民党の動きを阻止してもらいたいものです。
 
 もっとも、小泉元首相との連携がなければ勝てないとすれば、小泉さんが立候補するのが一番と思いますが、一番の元凶は、多くの国民の主張する脱原発の主張や、脱原発を訴える小泉元首相まで批判し、国民と乖離した自民党安倍政権の国会運営であり、国民の声に耳を貸さない体質には鉄槌も必要です。
 
                                  1月11日の一言

元愛労評議長成瀬昇さんの野武士のごとく

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 我家に隣接する事務所の2階は、我家のご先祖にあたる「横井庄一」さんの、陶芸作品や書を展示したミニ記念館になっていますが、私の父親や知人の残した絵画や書物などの倉庫ともなっており、久しぶりに覗くと私の恩師や恩人から戴いた著作本が無造作に積んでありました。
 
 添付した写真の書物は、私の住む津島市出身で、社会党から津島市議会議員を5期続けられ、愛知県の愛労評議長を歴任された成瀬昇さんの、「野武士のごとく」と「不屈」の2冊で、私に対するメッセージも残されていました。
 
 「野武士のごとく」は、朝日新聞に137回の長期にわたって連載された記事を中心に、愛知県の労働運動のリーダーとして、本山革新名古屋市政誕生などに尽力された成瀬さんの労働運動の回顧録で、「不屈」は成瀬さんの座右の銘でもあり、反自民、反独占、反安保を旗印に反骨、反権力として闘った記録でもあります。
 
イメージ 2 朝日新聞に「野武士のごとく」が連載された後に、私が津島市で発行していた「ふるさとアサヒ」に、「野武士ー若き日の回想」として、津島市での労働運動や社会党の市議会議員として活動を連載してもらっていました。
 
成瀬 昇さん
1925年(大正14年)、愛知県津島市生まれ。51年(昭和26年)から津島市議連続5期(社会党)。79年、愛労評5代目議長(4期8年)。愛労評顧問、全国革新懇代表世話人などを歴任
 
                        2011年12月18日没 享年86歳
 
 さて、昭和63年から平成5年まで、23号発行した「ふるさとアサヒ」は、平成5年に私が津島市のPTA連合会会長や愛知県の関連役員を務めて多忙になったことと、平成5年に父親を亡くしたことから休刊としてしまい、成瀬さんの「…若き日の回想」についても13回で途絶えたままで、連載予定となる伊勢湾台風を記した原稿を書庫に眠らせたままにしてしまいました。
 
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 私が津島市議会議員に立候補した際に、挨拶にうかがったものの、支援をお願いすることは迷惑をかけると思って距離をおいており、地方政治についての議論をすることなく、亡くなられていたことも知らないままのお別れとなっていました。
 
 自分勝手に「議員生活の後始末」と、勝手な幕引きのレールを引いていたものの、元県議の応援という議員生活のスタート時点の源からケツを叩かれ、事務所2階に置かれた恩師や恩人のメッセージにも頭を叩かれるような心境にされました。
 
 昨年に書庫を作った「我家のささやかな珍品」として、書や絵画とともに、地元の恩人や恩師に戴いた著作本についても、これから紹介していきたいと思っています。
 
                                  1月10日の一言

近所に存在した太陽光発電所へ

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 遠くの海岸のリゾート地に立つ地元漁師さんのようなイメージですが、実は我家から歩いて500メートルの距離もない田園の中に、一面にソーラーパネルを敷き詰めた太陽光発電による発電所が存在し、既に稼動していました。
※ちなみに漁師さんのような人物は元県会議員ですから念のため…
 
 ネットで囲まれた敷地内に、大量のソーラーパネルが並べられており、3人の見学者の姿がありましたが、道路に停められた車の浜松ナンバーが気になり、戻って話し掛けたところ、投資のため建設された本格的発電施設で、施行した企業の浜松事業所の社員が見学に訪れていたことが判りました。
 
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 敷地の前に立てられた看板には、この発電所は投資目的で建てられ、地元の不動産会社が関係していることが記されていますが、この太陽光発電については、一般家庭の屋根に設置されたソーラー発電のように家庭で余った電力を買い取ってもらうものとは違い、発電した電力全てを電力会社に売る完全なる発電システムで、敷地は3百坪程度ですが、完全なる発電所であることが判りました。
 
 施行したサンヨーホームズ社員の話では、最初の建設資金に1千600万円かかっているものの、年間200万円の電力を生み、20年間で約4千万円の収入になるとの話で、巨額の資金が必要になるアパート経営よりは確実に利益を生んでくれそうです。
  
サンヨーホームズ太陽光発電 http://www.sanyohomes.co.jp/so-life/
 
 さて、先祖から引き継いだ田畑を維持する農家のほとんどが兼業農家となり、稲作を続けるために耕作業者に高額の作業料金を支払うと、米が売れても赤字となっている農家が多い現状から、土地の有効活用を考えた発電は的外れな話とは思えません。
 
 もっとも、農業以外に利用できない農地では考える事も出来ませんが、農地からの転用が可能な土地であれば、このまま農地にしておくよりは確実に利益を生んでくれそうです。
 しかし、かつての農家が土地の有効利用のためアパート経営に走り、建設資金の支払いが終わった頃に建物が老朽化し、空き室が埋まらず、家賃の値下げや改築資金が必要になり、結果的に何もしない方が得だったとの話から、破損や故障時のメンテナンス、利益に対する節税対策等も考えた決断が前提になります。
 
 本日は、午前中から夕方までアンケート用紙の配布に地域を廻りましたが、帰宅後の事務所には大量のアンケートの返信が届けられていました。
 真面目に記されたアンケートや、自身の住所氏名を記した返信もある中で、嫌がらせとしか思えぬ記載や、白紙のままの返信も存在します。
 
 道路を通行中にも、後続車から喧嘩を売っているとしか思えぬ嫌がらせを受けたり、交通事故で他人を傷つけても反省もない行為や、警察に相談しても無視され、嫌がらせを受け続ける市民の相談も存在します。
 
 誰もが住みたくなる地域社会には、多くの問題や課題も存在しており、アンケートに記された内容は、私を戦場に呼び戻しているようにも感ずる一日となりました。
 
                                 1月9日の一言 

たかじんサン64歳の死去について

 歌手のやしきたかじん(本名家鋪隆仁〈やしき・たかじん〉)さんが、1月3日に亡くなり、葬儀は故人の強い意志によって近親者のみの密葬にて済ませていたことが7日判り、新聞やテレビなどから大々的に報じられてきました。
 
 64歳の年齢を知り、4歳の差しかない現実と、62歳で亡くなっている鶴田浩二さんや弘法大師の享年が、我が身に迫る危険信号のようにも思えてきます。
 
やしきたかじんさん死去 64歳、歌手・テレビ司会
 
 タレントや芸能人の訃報については、直後の通夜や葬儀において、生前の故人との関係を語るのが定番となっていますが、毒舌で知られたたかじんサンが大阪府の橋下市長の政界入りに大きく影響し、タレントやキャスターなど幅広い人々に影響する人物だったと知り、あまりにも早い訃報が残念に思われます。
 
 『2012年1月、初期の食道がんを理由に芸能活動を休止。手術後の13年3月に復帰したが、5月に再び体調を崩し、長期休養に入っていた』との報道に、がんの早期発見とともに、がんの完治が叫ばれる中での現実に身が凍りつきます。
 
食道がんの検査方法とは
 
 添付したネット情報では、「レントゲン検査と内視鏡検査が中心とあり、レントゲン検査は、バリウムを飲んで食道に流し、がんの大きさなどを調べることができる造影検査です」とあり、自分自身も胃がん検診の際に、バリウムで食道もついでに検査されていることを自覚させられますが、「バリウムの食道造影検査では、がんができてから間もない早期病変の診断は困難です」との専門医の声を聞くと、食道がんの早期発見は難しいと思われます。
 
食道癌 の予後改善のために
 
 一方で、「早期発見が困難ながんで、有効な治療法が少ない状態が続いています」との専門医の意見を読むと、たかじんサンの「初期の食道がんを理由に芸能活動を休止」は正確な情報だったのか知りたいとともに、故人のプライバシーはあるものの、治療の経過についても知らせて欲しいものです。
 
 さて、我が身について考える時、私自身は注射そのものが嫌いで、内視鏡検査についても過去に呼吸困難に陥っていることや、喉の傷で約1ヵ月間も痛みに耐えたことを考えると、バリウムの食道造影検査しかできず、それでは早期発見ができないとなるとPET検査が必要になってきます。

 PET検査(陽電子放射断層撮影検査)
体内にあるがん細胞をみつけるための検査です。悪性のがん細胞は正常の細胞よりも活発で、グルコース(糖)をより多く吸収します。PET検査では、少量の放射性グルコースを静脈内に注射し、その取り込みの分布を撮影して悪性がん細胞を検出します。糖の取り込みが多い部位は強く染まることで全身の転移の有無を検索し、食道がんの病期決定に役立てます。特にCT検査による判断が困難な転移の評価に有用な場合があります。
 
 還暦を迎え、複数の同級生が定年退職を迎えており、自分自身の幕引きも考えるようになっていますが、昨日一緒に珈琲を飲んだ同級生が、年末から腰痛に悩まされ、整形外科医の診察を受けたところ、腰部分の骨の変形と骨化した骨のトゲが神経に触れており、手術も難しいとの診断を受けたと聞きました。
 
 本日訪問を受けた知人に話したところ、手術をしないと痛み止めの注射の効果もなくなるとの話で、「寝たきり」覚悟の厳しい現実と対座していく現実に、健康で平均寿命まで生きぬく厳しさを実感させられます。
 
                                    1月8日の一言 

親馬鹿…息子の起業のため商工会議所へ

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 本日は市役所の一日となりましたが、添付した創業塾について地元の津島商工会議所を訪れ、開業を目標としている三男のために、今後開催される創業のための創業塾や、創業を支援するセミナーなどの予定について聞いてきました。
 
 私自身は大学3年次の23歳の時に起業を決め、24歳になった直後に朝日新聞販売店を開業しており、一文無しの状態で資金の融資を受け、やる気だけで経営を始めました。
 
 三男も現在23歳になっていることから、開業資金は何も持っていないものの、開業に向けた勉強をするには良い機会と思い、資料をもらってきたところ、受講する気満々で明日にも商工会議所に申し込んでくるとの話となりました。
 
 私の場合は、人より遅れて20歳で大学に進み、サラリーマンになる気は少しもなく、日雇い人夫になる覚悟で独立開業を目指しており、父親の勤めていた名鉄の旅行関係のアルバイトで父親以上の賃金を得て、独立のチャンスをうかがっている時に、朝日新聞社の関係者に見いだされ、大学在学中に起業に踏み切りました。
 
 当時の時代背景に比べれば、若者や女性だけでなく、中高年にも独立開業を支援する社会基盤が整備されており、経営の基本を学び、社会が必要とする事業を展開し、最悪(倒産)の事態を回避する術を把握しておれば、サラリーマンなんかやってはおれません。
 
 こんな書き込みを見ると、倒産のリスクを何一つ考えていないように思われますが、事業主には必要経費が認められており、売上が少なくとも税金の節税が可能で、仕事を続けておれば確実に収入がありますから、絶対に踏み込んではいけない領域に踏み込まなければ倒産は考えられません。
 
 絶対に踏み込んではいけない領域とは何か…
 
 周りには多くの商店が開業し、次々と閉店や倒産するお店を目にしますが、家賃の高い貸し店舗で安易に開業し、自分が病気やケガをおって仕事ができない場合の所得補償も考えない経営者が倒産するのは宿命です。
 
 私は議員になって廃業するまでの23年間、取り引き相手や銀行から勧められても、一度も小切手や手形は利用せず、現金主義を貫きました。職種や事業規模にもよるでしょうが、倒産しないための最低ルールを厳守すれば倒産は考えられません。
 ちなみに、新聞未経験の学生の私を経営者としてスタートさせるにあたり、朝日新聞社の販売デスクは、ギャンブルや賭け事を一切やらない事を条件として念を押されました。今にして思えば、学生が突然に大金を手にして、酒やギャンブルにはまれば倒産していたかもしれませんね。
 
 私は起業することだけを考え、アルバイトでサラリーマンの父親より稼ぎ、独立するためのチャンスを大学で眠りながらうかがっておりましたが、三男は国家資格を有する柔道整復師として開業する職種が決まっていることから、開業資金の確保としっかりとした事業計画を立てれば開業は難しくはありません。
 
 ただし、「絶対に倒産しない」との自信を持つ私の起業ではありませんから、三男が経営の基礎知識から学び、マーケティング戦略や、会計処理などを自分自身で習得し、自分の人脈で資金確保を図らなければ開業しても長続きはしません。
 
 還暦を迎え、人生の後始末に入った私が、息子達の10年後を見届ける保証はありませんが、私が一度も頼ったことのない商工会議所に出向き、息子が起業する資料を持ち帰ったのは、三男には私とは違う独自の知脈や覚悟で起業して欲しいとの思いからです。
 
 さて、三男は私の想いに応えてくれるでしょうか…
 
                                 1月7日の一言

アンケート用紙が返信されだして…

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 正月休みが済み、本日から普通の生活が始まり、長男、三男、家内と仕事に出かけ、母親は定期便となっている病院に外出していきましたが、年末より残されていた仕事とともに、夜に触っていたパソコンの不調が気になり動けません。
 
 グーブログで発信している人から、「ヤフーブログは使い辛い」の一言を聞いたことがありましたが、ヤフーブログとグーブログの中継に使用しているブログに書き入れたところ、発信してもうまく表示されず、この一言からリンクしているアドレスでも表示されず、書き込みもできなくなりました。
 
 サイト側の問題とありますが、書き込み中の記載を削除しようとして不調に陥ったようで、他のパソコンでは何事もなく表示することから、パソコン操作上の問題と思いますが、やはり慣れたヤフーブログが間違いはありません。
 
 さて、添付した私宛の封筒は、年末に地域へ配布して廻ったアンケート用紙の返信で、本日は14通の手紙が戻ってきました。
 
 内容については、任期途中で辞任を発表した市長への評価や、巨額な赤字が続いている市民病院や、公共料金や市役所の窓口対応などとともに、私自身への意見や要望も記してもらうようになっています。
 
 アンケートを実施する前から私自身の予感はありましたが、市民病院に毎年10億円(今年度は12億6千万円)を越える税金が投入されていることを知る市民はほとんどおらず、市議会で市長と議員が市民病院の赤字か黒字かを議論していたものの、市民には自分達の支払った税金が1年間に5億円以上投入されていたことすら伝わっていませんでした。
 
 行政側は、広報に詳しい財政状況を公表していると思っていますが、こんな基本的な情報すら正確に伝わっておらず、津島市民の税金が投入された市民病院で、津島市民が自己負担を強いられている子供医療費について、隣接する市町の住民が無料で診察される不公平感を訴える内容も記されていました。
 
 一方で、議員になってから毎議会後に発行していた私の会報について、市議会で議会だよりを発行するようになったことと、議員の発行する会報がポストに氾濫し、その内容が議員の宣伝ばかりとしか思えないことから発行しなくなった事について、「行動が見えない」と厳しい批判もいただきました。
 
 アンケートは一万五千部印刷したものの、現在時点では500部程度しか配布しておらず、春までに全て配布することを目標にして、当分はアンケート配布を「健康のため」とか「四国遍路の足慣らし」と考えて歩きたいと思っています。
 
                                 1月6日の一言

集金手続きとともに福袋が届けられて…

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 本日は正月休み最後の日曜日となり、のんびりとテレビを見ていると、昨年の支払いが済んでいない車の部品代があると連絡があり、正月早々から日常業務に入っていることに感心していると、大きな福袋を持参した訪問となりました。
 
 正月早々の支払いは人によっては嫌われることから持参されたと思いますが、カード決済のため現金を支払う必要はなく、カード決済が遅れていただけで、支払いを忘れていた当方にも責任はありますし、無理な注文ばかりしていることから、逆に申し訳なくなりました。
 
 我家は元々はトヨタの車ばかりで、トヨタ系列の営業所で車検を受けてきましたが、平成元年登録のライトエースは部品やキャブレターの修理が新品での交換しかできず、修理をしてくれている町工場に車検を依頼することになり、家内の使用するスターレットについても、昨年の車検時に20万円を越える料金を提示され、近くの町工場に依頼しており、今ではメーカーの違う私の日産キャラバンだけしか持ち込んでいません。
 
 このキャラバンについても、近くの日産営業所の整備員が、当方の指摘したエンジンからの異音に対応しないことから、トヨタの営業所経由で日産の整備を受けたこともあり、愛知県においてはトヨタのサービスが充実しているものの、年式の旧くなった車については部品交換ばかり提案し、修理をしてくれない現実もあります。
 
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 本日は、そんな不満を言うために記しているのではなく、初売りの福袋を持参してくれた担当者に感謝する意味で記しており、「どんな事でも言ってください」との一言に甘え、利益にならない依頼ばかりに走らせていることから、福袋に同封されていた車の宣伝を見ても買えないため、名古屋トヨペットの津島神守店の宣伝として少しでも販売に協力したい心境です。
 
 この福袋については、同期の競輪選手の練習に同行していた三男も、練習後に愛知トヨタの販売店に立ち寄った際に、同じ大きさの福袋をもらって帰宅したことから、トヨタの営業所では来店者に共通して出されているようです。
 
 さて、正月休みも本日で最終日となり、明日からは日常生活が始まりますが、私も正月休みに浮かれて、済ませておくべき仕事が手付かずになっており、明日は二日分とはなりませんが、あわただしい一日になりそうですが、気分一新どころか、身体が動かない現実に悩む一日になりそうです。
 
                                     1月5日の一言

四国の話はくどいと言われて

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 本日は事務所に積んだままとなっていた高野山の「ごまとうふ」が持ち出され、今晩のおかずにされることになり、自分が欲しくて買ってきた物なのに、そのまま放置していたことに苦言までもらって食べられる事に矛盾を感じながらの夕食となりそうです。
 
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 購入した「ごまとうふ」は、左のように高熱無菌装置で充填パックされており、日もちするだけでなく、味も損なっていないと説明書きがあります。
 
 家族は高野山で購入してきたことから、「高野どうふ」と勘違いしていましたが、私自身も「ごまとうふ」の原料が、吉野山で取れる葛と胡麻でできているとは認識しておらず、できあがったごまとうふに満足の夜となりました。
  
高野山鈴木食品のごまとうふ http://item.rakuten.co.jp/koyasan/gomatohu/
 
イメージ 4 さて、「大師秘伝」と記してあると、話題はどうしても高野山や真言宗の話題となってしまいますが、偶然にも本日の郵便ポストに町内のお寺から「弘法さんだより」が投函されており、家族には聞きたくない精進料理や般若心経の話になってしまいます。
 
 「くどいんだなぁ」
 「なに?」
 「四国の話はしつこいと言われているよ」
 「だーれがー?」
 
 三男の一言ですが、昨日三男とともに珈琲屋さんに同行した知人から、「大鹿さんは四国の話になるとくどい」と本日言われてきたようで、年末の大晦日の八坂神社の参拝についても、参拝の意味とルールを説明して家内と険悪になっている現実から素直に反省も必要なようです。
 
 私自身が四国遍路だけでなく、般若心経や真言密教について知らないことが多く、知るたびに新鮮な気持ちになり、知ったことを多くの人に伝えたいと話すことが多いため、自分の引き出しに蓄えておくことも重要と思う一日となりました。
 
                                  1月4日の一言

お土産物から京都を実感する一日に

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 年末大晦日に訪れた大徳寺門前の細見酒店を訪れたところ、お酒購入の御礼に多くの土産物をいただいており、帰宅後になって観光地である京都に行っていた実感を味わうことになりました。
 
 添付した商品は、細見酒店の店頭に置かれていますが、酒粕カレーについては製造元のキンシ正宗の商品案内の中にも存在しないことから、京都以外から入手する方法はなさそうです。右下の商品は、細見酒店の純米大吟醸の酒粕です。
 
 
ちりめん山椒こと路 http://www.kotoji.net/
 
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 今回購入してきた酒は、左から「にごり酒」と純米吟醸「ひやおろし」(しぼりたては頂き物)で、雪紫「純米大吟醸」2本と、キンシ正宗の製造する地ビール3種です。
 
 私の住む愛知県津島市から京都へは、新名神を利用すると1時間半程度で楽々到着しますが、車を運転していくと通りすがりのお店に立ち寄ることもできず、せっかくの試飲もできないことから公共交通機関の利用もお薦めです。
 
 名古屋から京都へは、一般的には新幹線が利用されていますが、新幹線のぞみの指定席では6100円かかり、ひかり自由席でも5640円かかりますから、仲間と一緒のグループ旅行には、在来線を利用する2520円か、高速バスの2500円(往復4,000円)が実用的と思われます。
 
高速バス 名古屋・京都 http://www.meitetsu-bus.co.jp/express/kyoto/
 
 ネット検索では、在来線の場合、名古屋岐阜間と岐阜京都間の乗車切符を買い求めると180円安くなるとか、東海道本線ではなく関西線を利用したり、近鉄線を利用する方法、金券ショップで格安の乗車券や株主優待券を入手するなどの方法が紹介されていますが、2時間半程度で到着する高速バスの往復切符が一般的に思えます。
 
 高速バスでは午前7時から30分間隔で名古屋駅から運行されており、京都駅からは午後7時30分が最終便となり、9時55分に名古屋に戻ってこれます。
 こんな一言も、昨年夏にも記しており、過ぎてみれば何もしない一日が存在することから、今年はバラエティーにとんだ旅程を実践したいと思う一日となりました。
 
 
                                                 1月3日の一言 

初詣に津島神社まで

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 本日は、知人2人と初詣で地元の津島神社へ参拝しました。私自身の初詣は、元旦に京都・船岡山にある建勲神社へ参拝を済ませておりますが、本日は津島神社とともに、稲沢市にある矢合観音に参拝し、参道入り口の小玉食堂で昼食後に孫の土産物を買ってから帰宅しました。
 
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 両側に添付した写真は、左側は昨年の1月3日の津島神社で、右側は2年前の1月19日の写真で、津島神社への初詣は雪に降られ続けていたようですが、本日は久しぶりに雪とは無縁の参拝となり、参道は多くの参拝客でにぎわっていました。
 
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 本日は肌寒いものの風がないことから、穏やかな一日となり、近くの天王川公園の臨時駐車場も満杯となっていました。
 
 こんな時に地元の人間関係は役にたち、神社近くにある元市長さんのお宅の駐車場に車を停め、近所の人間のように楽々の参拝としましたが、津島市に入る国道は参拝客の車で大渋滞となっており、各地に臨時駐車場があることから、市外からの流入方法を改善することも急務かもしれません。
 
津島神社 26年1月の行事 
歳旦祭  <1月1日 午前6時>
新年を祝し、皇室の弥栄と国家の安泰を祈ります。
元始祭  <1月3日 午前9時>
皇位の元始を祝い、国運の隆昌を祈ります。
和魂社例祭 [茅の輪くぐり] <1月4日 午前9時 [茅の輪くぐりは7日まで]> 
古くは蘇民祭と称し、和魂社(古称 蘇民社)において悪疫退除を祈願した後茅の輪をくぐります。
この祭の由緒は、御祭神建速須佐之男命の蘇民将来伝説に基づき、当日は「お守り・御幣・粟餅」が授与されます。
きのえね祭  <1月10日 終日>
本殿の相殿にお祀りします大国主命(大黒様)の御神徳をいただき、一年の商売繁盛・福徳円満をお願いします。
当日のきのえね祭祈祷者には、福くじで景品が当たります。
小朝拝 [七草祭]  <3月31日 午前9時半 [七草祭 1日~6日 7時半]> 
古来「津島の七草まつり」と称し、七草神饌を供えて氏子崇敬者の災いを除き、国の隆昌を祈願します。特に1日は、高杯に特殊神饌を供えます。
伊勢湾台風以前までは、南門広場にサーカスの他色々な出店や、植木市がお堀に建ち並び、遠近の参拝者で正月を越える賑わいでした。
津島神社ホームページ http://tsushimajinja.or.jp/
 
 さて、神社へ参拝して願いが叶うのかどうかは判りませんが、「般若心経」には「除夜日数心経法」というものがあり、年末の大晦日の日に、365巻の般若心経をあげるというもので、本来は僧侶による正式な作法があるようですが、般若心経を一年間の日数分あげるというものです。
 
 「除夜日数心経法」の正式の作法では、旧暦の大晦日か節分の前夜に行なうものであり、その他の日々に祈願を叶える方法には、「千巻心経」というものがあり、一日に千遍の般若心経を唱える方法もあります。
 
 津島神社の後で訪れた矢合観音については、お寺ではなく一般の在家に観音様が安置されており、この境内にある井戸から汲み上げた水に効力があり、この水を飲むとデキモノに効くと言われることから、私は本堂で般若心経を声をあげて読みあげてから、水を腹一杯飲んで帰ってきます。今年も効力が続く事を祈願しました。
 
                                    1月2日の一言

謹賀新年

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               明けまして おめでとうございます。
 
                           
 
 本年は四国八十八ヶ所開創1200年にあたることから、60年しか経験したことのない意識を、1200年前に空海が修業の場所とした現地に座り、弘法大師の心境に近づきたいと考えています。
 
 本年もよろしくお願いいたします。
 
                              平成26年元旦
 
 
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