大鹿一八「本日の一言」

平成16年2月から令和1年7月末までの「本日の一言」です。ヤフーブログ閉鎖により、ライブドアへ過去の記録として引っ越しました。

2014年02月

津島市立看護専門学校を訪れて…

 本日は議会中ですが、例月監査の一日となり、午後には市民病院の隣にある津島市立看護専門学校の現地監査に出向きました。
 
 津島市立看護専門学校は、定員30人の看護専門学校で、社会人入学5名、推薦入学10名、一般入試20名の募集で、卒業生の国家試験合格率100パーセントを維持しており、約半数が地元の津島市民病院の看護婦として活躍しています。
 

受験年度
本校の合格率
全国の合格率
平成20年度
100%
89.9%
平成21年度
95.0%
89.5%
平成22年度
100%
91.8%
平成23年度
100%
90.1%
平成24年度
100%
88.8%

 
 津島市内には大学や短大もなく、唯一の高等専門学校として存在するものの、学校の所在地が市民病院裏側の敷地内に位置するためか、90名もの学生が存在しているにもかかわらず学校のイメージも湧いてきません。
 
 定員30名の学校と考えると、極めて小さな存在のようにも思えますが、入学を希望する受験者は157名もの応募があり、地元の津島市だけでなく尾張西部地域の看護師を輩出する学校として大きな存在感があることも実感させられます。
 
 本日の監査によって多くの進学希望者の存在と、地域全体の問題として看護師不足が訴えられる事から、募集枠を増やしたらどうかとも思いますが、学校の建物が市民病院の敷地内の限られたスペースに建てられている現状や、実習する施設等の問題もあり募集の拡大は残念ながら現実的ではありません。
 
 さて、地域の切実なる看護師不足を解消するためとはいえ、財政状況の厳しい津島市が看護学校を運営すること事体が大変な事ですが、養成した看護師さんのほとんどが女性のため、結婚によって子育てや家庭を抱えて離職する労働環境の改善も重要と思う一日となりました。
 
 議会の一般質問を来週に控えておりますが、今月の後半は母校の同窓会報の配布に忙しく、本日の監査や明日の公的式典、母校の卒業式と前日の同窓会入会式など、議会以外の日程も連続しているため、自分の確定申告や、運輸局への申請手続きなどを考えると余裕のない日々が連続し、10日から10日間は家内が四国行きで不在となるなど波乱の3月が明日から始まります。
 
                                    2月28日の一言

四国からも春の到来が発信されて

 私の住む愛知県では本格的な雨模様の一日となり、ストーブがなくても過ごせそうな温かい日中から春を訪れを実感させられますが、久しぶりに検索した四国四県の新聞記事からも春の息吹を感ずる記事を発見しました。
 
愛媛)春の足音、ローカル線に乗って 伊予市の伊予灘
 
 愛媛県伊予市のJR予讃線沿いでは菜の花が見ごろ。のんびり走るローカル列車を満開の「春」が迎えてくれると発信されていました。伊予市は松山市の南西に位置し、瀬戸内の伊予灘に面した一帯は地元住民が手入れした菜の花の名所です。
 
 高知県はプロ野球オリックスのキャンプが行われており、沖縄の一次キャンプから高知市の五台山の市東部球場で二次キャンプをスタートさせています。
 
高知)オリックス2次キャンプ開始 実戦モードに
 
徳島)各地の河口、シラス漁本番 漁獲量、昨年より多い
 
香川)遍路道に古民家再生の「古街の家」 4月から営業
 
 さすがに香川県の記事から春を直接連想する記事はありませんでしたが、宇多津町の遍路道に古民家を再生した「古街の家」が完成したとの記事があり、遍路道の話題から遍路のシーズン春が近づいていることを実感させられました。
 
 さて、私はしばらく議会活動が続くため、四国遍路も四国に行く話題もありませんが、私の代理として私の家内が四国を案内する事が決まっており、私でもこなせない無理な行程を送りつけられている事から、明後日に依頼者たちと打ち合わせる予定となっています。
 
 四国遍路についても、当地方では高齢になって自分で運転して行けない人や、かつて大きな集団であった講組織が弱体化して、団体での企画ができず、限られた年金で経済的に苦しいお遍路が増加しており、タクシーを依頼することもできないための苦肉の策として私の家内が頼られているわけです。
 
 もっとも、私は四国遍路を商売にしてはおらず、過去の四国行きは仲間と会費制で企画しているため、安価な行程だけが耳に入っている可能性が高く、安い代金で運転手役として期待され、思い通りに動かそうとされているため、この人たちとは今回限りの四国行きとなります。
 
 「この行程では出来ません」
 「やってみて下さい」
 「事故でもあったら責任がとれません」
 「それでも、やってみましょう」
 
 何を言っても聞く耳を持たない依頼主の代表には、「やれませんから断ります」と固辞しても、「あなたも一度受けられたのだから…」と断りも通じず、中に入っているお寺の存在があるため我慢をしているものの、投げ出したい心境で実施日が近づきます。
 
                                 2月27日の一言

同窓会報配布先でトラブルに…

 本日は母校の同窓会報7千部を校区44ヶ所の町内会の戸数別に分け、各町内の会長さんのお宅に届けることとなり、一緒に配布作業にあたる役員さんは、仕事を休んでの参加となりましたが、仕事まで休んで配布していることは誰も知りません。
 
 「ここの団地は自分で配ることにした!!
 「どうしたの?」
 「政治がどうのこうのと言われて!!
 「えっ? どうしたの?」
 
 詳しく問い詰めると、会長を務める私が特定の政治家を支援していることが原因で、そのことに対する苦言を大声でまくし立てられ、「そう、伝えろ!! 」と怒鳴られたことに対して、「同窓会は政治とは無縁だ!!  自分も関係無い!! 」と言い返すだけでなく、会報の配布を依頼するのも嫌になって持ち帰ったのでした。
 
 政治と関わる私が会長を務めているものの、同窓会報は政治とは無縁であり、ましてや仕事を休んで配布に協力している役員にしてみれば、特定の政治家や私の手先のように怒鳴られたことに腹を立てるのも当然ですが…
 
 ここの住宅だけであれば2人でも配布できるものの、来年以降の配布や、同窓会活動は私だけでなく特定の政治色とも無縁で活動しており、同窓会報の配布と政治を一緒に論じられては帰るわけにはいきません。
 
 「何が原因ですか?」
 「あんたは何故〇〇と一緒なの!! 
 「私は議員になった時から〇〇ですよ」
 「なんで〇〇なんかを」
 「それは最初から決めているので」
 「行動が違うのになんで〇〇を!!?
 
 〇〇とは元県会議員の事で、私の主張や政治姿勢が〇〇とは違うのに、何故〇〇を応援するのだと言う主張でしたが、私は政党に所属する議員ではないため、政党色のついた応援はしませんし、自分の主義主張は誰にも束縛されたくない事を説明し、議員になる時に〇〇を応援する約束をしたことと、主義主張の違いをお互いが尊重しあい、行動は束縛しあっていない事を説明し、何とか、何とか円満に会報を預けてきましたが…
 
 私自身は議員になる以前から同窓会長を務めており、昨年の総会で次期会長の人選も済ませており、同窓会を自分の選挙運動に利用したこともありませんが、今年は来月に市長選挙が行なわれることから、こんなハプニングにもなったのだと思います。
 
 多くの議員が立候補する市議会議員選挙であれば、それぞれが支援する候補者を応援するだけで済みますが、市長など一人の首長を選択する選挙は、地域を敵と味方の関係に分けてしまい、私も敵対する相手として苦言を受けたと思われます。
 
 学校や教職員は選挙運動が禁止されており、学校が特定の議員や政治家を優遇するようなことはなく、同窓会報については地域全体の協賛広告の収益で発行されているため、政治色は無縁ですが、私の個人的政治関係のために同窓会や役員まで批判されては堪りません。
 
 役員の言動に「よく言った」と思う反面で、議員である私が会長を務めていることで、公正な同窓会活動が行なわれていても、評価されていない批判的な人の存在と、私の引退で会報の存続を危惧している学校の声が交差する一日となりました。
 
                                 2月26日の一言

3月議会 私の一般質問です

26年3月津島市議会 私の一般質問
 
1件目 市役所の駐車場と進入路について
 要旨 ・駐車スペースや通行について
     ・防犯カメラの設置はできないか
 
2件目 公正な選挙と地域の関わりについて
 要旨 ・市民からの手紙をもとに、町内会や諸団体について問う
 
3件目 市民の急病時やケガの対応について
 要旨 ・市民病院と消防本部が隣接するメリットを活かせないか
 
 1件目の質問は、市役所の駐車場における事故や当て逃げによる被害の実態把握と改善を目的とする質問で、昨年から私だけで4人の知人が当事者(1件は加害者)となっており、多くの台数分を確保するために駐車スペースの幅が狭くなっているため、強風時に開いたドアによる被害が存在すると思われます。
 
  12年1月には、一宮市から市役所を訪れた知人が当て逃げの被害に遭い、この一言に記したこともありますが、購入したばかりの新車に大きなキズを残された悔しさは当人だけでなく、明日は我が身の心配となります。
 
遠方の知人が津島市役所で当て逃げされ 
 
 そうなんです。明日は我が身となるのです。今年1月に市役所に停めた私の車の側面に、隣に駐車した車のドアによって付けられたキズが残されていました。津島市役所の駐車場は駐車台数を増やすため一台分のスペースが狭く、進入路も幅が狭いため、通行も大変な現実を改善してもらいたいものです。
 
 2件目の質問は、選挙が近づくと町内会の推薦が当り前と思われており、町内会役員から特定議員の後援会の入会案内が届けられたり、町内の農業組織の役員が特定候補者のパンフレットを配布する悪例が続いており、今回は市民の投書に基づいて質問します。
 
 地域ぐるみで特定の議員を応援しなければならないような体質や、特定議員の使い走り役となっている町内役員の存在について正し、自由で公正な選挙を実現させるための質問です。
 
 3件目の質問は、津島市の場合には、市民病院と救急車が配置されている消防本部が隣接しているため、家族を車で搬送する場合に、患者の容態が急変した場合には、救急隊員が市民病院に走って、患者の搬入を介助し、早期に治療にかかれる態勢をとれるように連携することを提案します。
 
 また、市内には多くのAEDが設置されていますが、設置場所が休日となる週末には利用できないとか、設置された機器のバッテリー切れなどの確認がされていない事から警鐘を促し、普通救命講習についても、一度だけの認定で更新されていないことと、より高度な講習も可能なことを質問したいと考えています。
 
 3月議会の一般質問は、来週の月曜日(3日)と火曜日(4日)が予定されており、9人の議員が質問を通告しており、私は最後の9番目の登壇となりますから、4日のお昼頃の質問になりそうです。
 
                                  2月25日の一言

同窓会報が印刷所から届いたものの…

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今年の神守中学校同窓会報が完成して届きました
 
 本日から3月議会が開会し、議案の上程と説明のあと質疑応答があり、議会が終了したのは午後3時を廻っていました。
 
 自宅では、昨日届けられた3月1日発行の同窓会報に不具合があり、知人にボランティアで依頼した消し込み作業が続けられており、大半は終わっていたものの、明日の午前中に再開する予定で散会となりました。
 
 不具合というのは、会報発行の資金源となる協賛広告の中に、市長選立候補予定者の名前が記されていることから、選挙目的ではなくとも、公職選挙法に抵触する可能性があるため、修正テープで7千部の全会報を訂正する必要ができました。
 
 同窓会報は毎月1日に全戸に配布される市役所の広報紙と一緒に、中学校区の全戸に配布されますが、7千部を44の町内に小分けして、それぞれの町内会長さんのお宅まで届ける作業が残っており、これだけでも半日以上の時間を要します。
 
 協賛していただける広告主に依頼に走り、原稿を依頼するとともに自分でも4ページ分を書き込み、届いた会報を各町内まで届けると一安心ですが、それからも広告代金の集金に走る仕事が残されており、これを私の先輩会長も続けておられたのですから、当り前に続けてきたものの後任者にも強いるのは酷ですね…
 
減収分の賠償、打ち切りへ 東電が来年2月と発表
 
 本日の朝日新聞には、「東京電力が福島第一原発事故伴って失業や転職をした避難者らに支払ってきた減収分の賠償を来年2月に打ち切ると発表した」と報道されています。
 東電の発表によると、3月以降は来年2月までの1年分で打ち切り、原則延長しないとあり、「これまで事故の特殊性を考えて十分に対象期間を長くしてきた」とのコメントに、理不尽にも先祖伝来の地を追われた避難者は納得できるのか。
 
震災3年、初の避難指示区域解除 福島・田村市、4月に
 
 一方では、福島第一原発から20キロ圏内にある福島県田村市都路(みやこじ)地区について、国は4月1日に避難指示を解除する方針を決め、他の6市町村も今後2年ほどの間に解除を検討し、都路地区を含む計約3万人が帰還するかの判断を迫られる見込みとの報道もあります。
 自宅への帰還は明るい話題に見えますが、除染作業の手抜きも発信されており、人体への影響も不透明な中での帰還は、果たして吉となるか。
 
 原発事故による賠償が打ち切られ、除染作業の効果に確証が持てない住民の心配をも無視した帰還計画は、原発事故により家を追われ、職を失って避難生活を送る人々に対する配慮は何も感じられず、脱原発運動を無視して再稼動に走る安倍首相を背景に東電のやりたい放題としか思えません。
 
 一人の人間としての無力感を感ずる一日となりました。
                                   2月24日の一言

名古屋で「殺すつもりだった」と車が飛び込む事件が

 本日の午後、名古屋駅の近くで、歩道に乗用車が突っ込む事故があり、逮捕された男が、「わざと歩道に突っ込んだ。殺すつもりだった。誰でもよかった」と供述している事件が起こっています。
 
歩道に車突っ込み13人負傷 運転の男逮捕「わざと」
 
 運転していたのは30歳の無職男性で、事件を起す直前に駅近くのレンタカー会社で車を借りており、人を殺すためとの動機が理解できないとともに、こんな動機で突然に被害者にされてはたまりません。
 
 「一般の人が『出てこい』と言っていたが、(車の外に)出てくることはなく、ずっと車の中にいました」と目撃者が話しているが、22歳の男性が骨盤骨折とみられる重傷を負っており、逮捕された殺人未遂罪だけではたまりません。
 
 
1位 73.68bg  大鹿一八 『本日の一言』
2位 71.70bg   しおりんの・・・
3位 36.35bg   稜線を渡る風
5位 32.98bg   Colors of the Wind
 
 さて、昨年10月から訪れていない上高地ですが、久しぶりにメニュー欄に添付しているブログラムを検索すると、上高地のブログランキングで私の一言が第1位にランクされており、今年は閉山後に一度も訪れていないだけにびっくりさせられました。
 
 上高地は11月に閉山されますが、釜トンネルから歩いて行けば訪れることも可能で、毎年閉山後の上高地を訪れているものの、昨年の年末から忙しくて訪れることもできず、明日から3月議会が開催されることから、開山式前の訪問は難しくなりました。
 更に、最近の積雪による交通事情や雪解け時の雪崩等を考えると、シーズン開幕まで待った方が良さそうです。
 
 上高地には、テントで半年間も滞在している知人(ホームレス画泊)もありますが、私はタクシー車輌を所有しているため、その日の朝に決断しても3時間後には上高地を訪れることが可能で、最近では最盛期の観光バスも規制されるため、渋滞もなく上高地に行けるようになりました。
 
 
 シーズン中には安価で上高地を訪れるツアーも存在しますが、本日ネット検索してみると結構料金は高く、名古屋から5,980円のクラブツーリズムの日帰りもありますが、長距離バスでは片道5,500円もかかり、鉄道でも8千円を超えてしたうことから、意外に遠い存在になってしまいます。
 
 私の住む愛知県から上高地行きのお薦めは自家用車で、東海北陸道から高山市まで走り、平湯温泉でタクシー(定額4,500円)に乗り換えれば3時間半で上高地に入れます。
 
 もっとも、私は直通で入っていきますから、今年は一人でも多くの津島市民を上高地へ案内し、上高地の魅力を紹介していこうと思わせる一日になりました。
 
                                   2月23日の一言

明日は相棒とともに留守番の一日となります

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 本日美容院に行ってきたばかりの相棒リマです。我家の相棒はカメラが好きではないため、添付した写真も顔が強張り、何をされるんだろうかと疑いの視線を向けています。
 
 かつては美容院に行くのも嫌いで、行く前から震っており、迎えに行ってもしばらくは震っていましたが、元々が綺麗好きで、毛をハサミで切る事や、ブラシで毛をとぐ事が好きなうえ、「チョキ、チョキ」とか「キレイ、キレイ」の言葉も好きですから、最近は美容院に行くことも苦にならなくなってきました。
 
脱原発訴え、官邸周辺に800人 ドイツの地方議員も
 
 東京都知事選挙で脱原発を訴えていた細川元首相が惨敗したことから、自民党政権から原発再稼動の流れができつつありますが、原発再稼動に反対する人々の運動が縮小していないことにホッとする新聞記事ともなりました。
 
 燃料や核廃棄物の処理が確立されていない問題と、福島のような事故に伴う人体への影響や、第三者の生活を脅かす補償が莫大になることを考えると、再稼動に走るメリットは何も感じられず、現在原発による電力を頼らなくとも生活できる現状を考えると、危険と隣り合わせとなる再稼動は止めなければなりません。
 
(もんじゅ君のエネルギーさんぽ)下水でも発電できるよ
 
 さて、本日の新聞には、農業用水を利用した小規模の水力発電も紹介され、これまで配水するだけだった下水処理場の配水を利用した発電など、可能な限りの資源を活用することで、『ひとつひとつのパワーはちいさいけれど、たくさん積み上げれば大きな電力になる』との発信に、原発に頼らない生活が可能と思わされました。
 
近所に存在した太陽光発電所へ 今年1月の私の一言
 
 先月の一言に、近所に建設されていた小規模の太陽光発電所を添付しましたが、日本中の建物の屋根にソーラーパネルを設置すれば、間違いなく現在の電力の半分程度の電力をまかなう可能性が出てきます。
 
 小泉元首相の脱原発発言をも無視し続ける自民党安倍政権にとって、官邸周辺で繰り返される脱原発デモはどのように映っているのか判らないが、福島の原発事故によって多くの人々が先祖伝来の土地を追われ、核の脅威におびえている現状を考えると、再稼動を許してはならず、民意を無視し続ける政権には鉄槌が必要ですが…
 
 明日の我家は、三男が豊橋市まで仕事で派遣されますが、家族は全員で犬山市にある明治村まで行楽に出向く予定で、来週から始まる市議会本会議を控え、学区全戸に配布する同窓会報の到着を待つ私は、一人で留守番となる一日を相棒とともに迎えます。歯も痛いし…
 
                                   2月22日の一言

我家から20分の天然温泉まで送迎し

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 本日の夕方は、津島市から桑名市長島町にある「ハートピア温泉・ホテル長島」まで送迎を依頼されましたが、依頼主は病床にある御主人の代理で、ここを会場にして開かれた取引企業の新年会に「まだ、〇〇も頑張っているぞ」と参加されたようです。
 
 ご主人は私のPTA会長の前任者で、長年鉄工所を経営されており、2年ほど前からは病床にあります。その後は奥さんが代理で従業員とともに頑張っておられますが、私が送迎すれば出席されるとの話に、責任感と言うよりも元々が夕方の珈琲タイムにあたることから快諾した送迎となりました。
 
ハートピア温泉 http://www.heartpia-onsen.com/
 
 このハートピア温泉ホテル長島は、木曽川を三重県側に渡りますが、対岸も津島市と隣接する愛知県愛西市の福原地区があり、その境界線にあるのがこの温泉で、桑名市と言うものの我家からも20分程度の場所にあり、今まで訪れたことはありませんでした。
 
 日帰り入浴も可能で、午前11時から夜9時まで営業しており、宿泊も宴会もできる天然温泉の施設ですが、主要道から外れていることと、今回の依頼者のように「夜に運転して行くのは怖い」と思われる環境にあることから、本日に限って言えば人出が多いとは思えません。
 
 さて、「浅田真央選手が3月26日にさいたま市で開幕する世界選手権に出場することが21日明らかになった」との新聞報道にホッとしましたが、森元首相が福岡県の講演会で発言した内容に各界から批判の声が出ています。
 
「スポーツ分かってない」ダルら批判 森元首相発言
記事の続き…
 スポーツ評論家の玉木正之さんも、「重圧を感じて戦う五輪選手への尊敬の念が全く感じられない」。
 団体戦に出場したリード姉弟は「帰化させた」と森氏は発言したが、もともと日本国籍があり、実績に基づいて代表に選ばれた点を指摘。「無知で、あまりに失礼」
 陸上の元五輪代表の為末大さん(35)は、競技途中での発言だったことを重くみる。「モチベーションに影響しかねない。『選手が主役』という考え方を大事にしてほしい」
 「悪意は感じない」とみるのは、佐藤綾子日本大教授(パフォーマンス心理学)。「国民全体が金メダルを期待していた。期待とのギャップが大きかった裏返しでは」。ただ、「東京五輪に向けて責任ある立場。発言が注目を集めることを考えてほしい」。
 森氏は21日、朝日新聞の取材に対し、「私の真意は浅田選手の批判でなく、個人戦に専念させられず可哀想だったということ。大事な時に緊張感で転んだと言いたかっただけで、むしろかばった」と話した。
 ■森氏の発言要旨
 何とか頑張ってくれと思って、みんな浅田さんを見ていたが、見事にひっくり返っちゃいましたね。あの子、大事なときには必ず転ぶんですよね。なんでなんだろうなと。日本は開会式の翌日の(フィギュアスケートの)団体戦に出なきゃ良かった。あのご姉弟(リード選手)は母が日本人で、父が米国人。まだ五輪に出るだけの力量は無かったということですが、日本には(アイスダンスを)できる人がいないですから、日本に帰化させて日本選手団で出して、点数が取れなかった。団体戦惨敗の傷が浅田さんに残っていたとしたら、ものすごくかわいそうな話。負けると分かっている団体戦に出して、恥をかかせることはなかった。
 
 表現の自由が当り前の世の中になり、私も意図的に人を批判していることがあり、過去のブログの中で、鶴田浩二さんの持唄のイメージを壊して歌った歌手を批判した際には、歌った歌手のファンから大人げないと批判された事もありました。
 
 森元首相は、2020年東京五輪・パラリンピック組織委員会会長の職責にあることを考えると発言は問題で、新聞に公開された発言内容を見ると、明らかな間違いにより選手を傷つける内容が含まれており、こんな考えの老人の下で競技する若い選手達が可哀相でもあります。
 
 森元首相の発言に対して、「だれもやらないトリプルアクセルに挑戦したことに拍手すべきだ。人生で転ぶことはたくさんある。そんなことを言っていたら挑戦する人がいなくなる」と、不快感を示したのが浅田選手の地元・名古屋市の河村たかし市長で、このあたりの人情味は河村市長の魅力か。
 
 昨日の一言にも記しましたが、若い浅田選手には引退を考えるよりも、これからも挑戦者として頑張って欲しいため、本日の3月の世界選手権出場の報にホッとする新聞報道ともなりました。
 
                                    2月21日の一言

浅田選手に温かい拍手と、これからの期待をしたい

 金メダルはさておき、メダルは確実と思われていた浅田真央さんが、ソチ五輪のフィギュアスケート女子のショートプログラム(SP)で16位にとどまり、早朝のテレビ放送では国民のびっくりしたとのコメントが多く寄せられていました。
 
真央16位、ヨナ首位、鈴木8位 フィギュアSP
 
 朝日新聞の夕刊では、「賭けが裏目に」と題して、海外メディアの記事も紹介されていますが、個人的には私の三男と浅田選手は同学年で、一緒にスケート場で練習していた同級生が身近にいたことから、みんなで応援していただけに残念です。
 
 私がお気に入りとしているブログでも、日本のマスコミの過剰な取材と期待に対する批判が存在しますが、私は取材そのものよりも、指導者の指導力と選択ミスがあると、家族には前々から語っていました。
 
 海外のロイター通信が、「浅田のトリプルアクセル(3回転半)のギャンブルが裏目に」と題した記事を配信しているようですが、事前の練習で2回に1回しか成功しないトリプルアクセルを跳ぶことはまさに半分のギャンブルで、1位となった韓国のキムヨナ選手をはじめとして上位選手の誰もが跳ばないトリプルアクセルを、浅田選手だけは跳ばなければ勝てないと思う環境は指導者の選択ミスであり、跳ばなくても勝てる指導が前回オリンピックからの四年間の練習でもできたと思います。
 
 マスコミの過大な期待はもちろんですが、練習でも完全でないトリプルアクセルを絶対に跳ばなければ勝てないプレッシャーが影響した可能性は高く、3回転のジャンプで勝負できるスケートで確実に跳べる場合にのみ、本人の選択でトリプルアクセルに挑戦しておればプレッシャーも少なかったと思われます。
 
 14才で世界の頂点に立ち、笑顔が似合った浅田選手ですが、最近は笑顔が少なくなり、責任感で顔が引きつっているように思えたのは私だけでしょうか。
 四十代になっても現役と金メダルにこだわるスキージャンプの葛西選手の例もありますが、23才の若さで引退する決意をして出場する必要はなく、金メダルを獲得するまで引退できない気持ちで、その時の最高の演技をすれば道は拓けたかも知れません。
 
 金メダルを期待されて金メダルを獲得した羽生選手も存在しますが、今回のオリンピックでマスコミから金メダルを期待された選手の多くが惨敗し、マスコミがほとんど紹介しなかった選手たちがのびのびと演技し、日ごろの実力どおりにメダルを獲っている現実は専門家によく検証してもらいたいものです。
 
 浅田選手はよく頑張りました。まだ、23才なんですね。浅田さんの同級生達はまだ大学を卒業して一年も経過していない新人であることを考えると、これで終わりのようなプレッシャーよりも、これからも挑戦者の気持ちを持ってもらいたいものです。
 
 さて、昨日夜間の急病診療所に連れていった家内は、本日の診察でインフルエンザと判明し、風邪気味の母親も疑われる事からインフルエンザの処方を受け、長男から家内、家内から母親と家族への連鎖があったと思われます。
 
 「熱が下がったから」、「まだ、疑いだから…」と、台所に居座る長男と、テレビの前を離れない母親に、三男が吼えました。
 
 「いい加減にしてくれ!! こっちは、仕事を休めないんだから!!と…
 
 私も同じです。議会日程が迫っており、月末には中学校の同窓会報を、全町内の会長さんに届け、1日には全戸に配布する必要があり、明日からも予定に空きがないばかりか、休むと地域全体に影響するため、インフルエンザとしても休んではおれない環境にあり、迫るインフルを信念で防御すべき夜となりました。
 
                                    2月20日の一言
追伸
これで何んとも無かったら、神がかりか、弘法大師のご加護か…

風邪の家内を夜間診療所へ付き添い

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平日夜間も診察している海部地区急病診療所です
 
 「身体がだるーい」
 「おい、インフルエンザじゃないか?」
 「大丈夫だわァ」
 「大丈夫じゃないだろう!!
 
 本日も市役所と中央公民館の現地監査が終わって帰宅すると、マスクをした家内がコタツに入っており、インフルエンザに感染すると議会にも出席できないと市役所で雑談していたことからびっくりです。
 
 「熱はあるのか?」
 「7度4分かな」
 「病院へ行ってこい!!
 「もう、何処もやってないわ」
 「それが、夜11時までやっているんだなァ」
 
 私の住む津島市内には、津島市の医師会が運営する津島地区休日診療所と、海部医師会が運営する海部地区急病診療所も存在し、海部地区急病診療所については、津島地区と同じく日曜・休日の診療だけでなく、平日夜間の8時30分から深夜11時まで診療が行なわれており、この事はあまり津島市民に知られておりません。
 
 数日前に、我家が檀家となっているお寺の本堂で、一年に一度と決められた私個人の市政報告会があり、何か市民に安心できる材料はないかと、月曜日も開館して年中無休状態の図書館とともに、平日夜間に診療する海部医師会の急病診療所を紹介しており、家内に上から目線で話しました。
 
 「だから、早く行ってこい!!  」
 「行ってこい、行ってこいじゃなく、乗せてってあげようとは思わないの!!  」
 「うッ … 」
 
 考えて見ると、子供が小さい頃から、誰かが病気になると家内が車で連れて行き、私は家内を病院に連れて行った経験は皆無で、風邪をひいて熱があり、動くのも辛いと言っている家内に「行ってこい」と怒鳴っている私は、いかに思いやりのない人間か…
 
 「薬が一日分しかもらえなかった」
 「当り前だろう」
 「3日分くらいくれないと治らないじゃない」
 「急病の時のための診療所だから」
 
 休日診療所や、海部地区の急病診療所は、病院の外来や民間開業医が診療していない時間帯をカバーする貴重な施設で、診察と一日分の薬がもらえれば、翌日改めてかかりつけ医に走れば済む事ですが…
 
 実は、私は注射や医者は大嫌いですが、私の身体はすべてお任せできるかかりつけ医が存在しており、反面では注射や医者が嫌いでもなんでもない家内が、特定のかかりつけ医をもっておらず、私は風邪の予感がすれば予防がわりに市販薬を買ってくるのに反して、家内はめったに薬も服用しません。
 
 津島市には多くの個人開業医が存在し、面積の小さな市内に10分以内で到着できる2ヶ所の休日診療所が存在しており、休日や夜間の急病時には弥富市にある厚生連の運営する大きな海南病院が存在しているため、医療環境は本当に恵まれているものの、その恵まれた環境があまりにも理解されておりません。
 
 さて、幸いにも家内はインフルエンザの診断ではなく、熱が下がらなければ明日以降に診察を受けるよう指導されてきましたが、周りに風邪の人が多いため、来週から始まる市議会の日程や、家内が四国遍路の運転手役を依頼されていることから、家族全員が体調管理に気をつけていく必要がありそうです。
 
                                  2月19日の一言

歯痛、アンケート配布が史跡巡りに

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蜂須賀蓮華寺入り口の道標
 
 本日は3月議会の議会運営委員会が開かれましたが、昨晩から歯が痛く、噛むと頭の先まで痛みが走ることから歯医者さんに連絡すると、「今から来れますか」と言われたため急いで帰宅しました。
 偶然にも母親が歯の痛みを訴えて連絡しており、「午後3時半に来て下さい」と言われたとの話で、「何で私は早く診てもらえないのか」と言われ、「大切なお客さんが優先されるんだ」と悪態をつきながら歯医者さんに走りました。
 
 幸いにして治療後は痛みが残っていたものの、治療とともに治療後に飲んだ炎症止めの薬のおかげで、夕方に帰宅した頃には痛みが消えており、当り前のことかも知れませんが、歯医者さんのおかげを実感させられました。
 
 さて、添付した道標は、徳島藩主となった蜂須賀小六正勝の生誕の地で、蜂須賀城跡地にある蓮華寺への入り口にある道標で、名鉄青塚駅と駅から東に300メートルの場所に建立されています。
 
愛知県あま市蓮華寺 http://www.aichitabi.com/ama/hasu.html
 
 蓮華寺の創建は弘仁9年(818)、弘法大師空海が巡錫でこの地を訪れた際、熱田神宮の御告げがあり開いたのが始まりと伝承されており、今から1200年前に創建された当地方屈指の真言宗の古刹となります。
 
 もっとも、弘法大師が当地方に足を運んだ史実はなく、弘仁9年の弘法大師の年表を確認すると、弘仁7年に朝廷から高野山を下賜する太政官符が下り、翌年に弟子を派遣して高野山開創が始まり、弘仁9年11月に勅許後初めて高野山に登り、翌年春まで滞在と記されている。
 
 弘仁10年春には、高野山上に伽藍を建立するために七里四方に結界を結び、七日七夜にわたる作壇法を修し、伽藍建立のため明神社を建立とある事から、私は弘仁6年の春から夏にかけて密教経典流伝のため東国に派遣した弘法大師の弟子達の残した伝承ではないかと推察します。
 
 こんなことを記すと、知多半島にも弘法大師が訪れたと堂々と言い切る僧侶も存在しますが、この頃に「即身成仏義」、「声字実相義」、「吽字義」などの教義書、文章論、「文鏡秘府論」、日本最古となる漢字辞書「毫隷万象名義」などを次々と執筆して残していることから、来れるはずもない弘法大師の伝承よりも、弟子でも史実としての記録を探して残して欲しいものです。
 
 さて、「空海が法力で毒蜂を鎮め、蜂塚を築いて供養した」との弘法大師うんぬんの話はさておき、阿波の国の藩主となった蜂須賀小六正勝は大永6年(1526年)、蜂須賀正利の長男として蜂須賀城に生まれたことは史実であり、織田、豊臣に仕えて天正14年に大坂城外の邸宅にて死去しており、出生地の蓮華寺にも墓碑が残されている事を考えると当時の戦国時代の風景が思い浮かんできます。
 
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 右に添付した社は、青塚駅の南に位置する田んぼに立つ子安観音ですが、由来は別の機会に記すものの、2百年ほど前からの伝承となり、科学では説明のできない不思議なパワースポットが青塚駅のある津島市蛭間地区には多く点在しています。
 
 本日は午後からアンケート配布に地域を廻りましたが、久しく忘れていた地域の史跡や伝承を記録していく必要性も実感し、思いつきで記した次第です。
 
 明日は市役所で監査の一日となり、3月議会も迫っていることから、地域探訪もしばらくは小休止となりそうです。
                                  2月18日の一言

がんの新治療法が年内にもとの報道に

 免疫の攻撃力を利用する「免疫療法」の一種で、効果が限定的だった従来の方法とは異なる新しいがんの治療法が、早ければ年内にも国内で始まると、本日付の朝日新聞に報道されています。
  
がん新治療法、国内で年内にも 免疫の攻撃力いかす
記事の続き…
 国内の臨床試験(治験)では、患者35人の半数が5カ月半以上、がんが進行しなかったという。一方、免疫反応が過剰になり、2割の患者に肝炎などの重い副作用が出た。
 従来の免疫療法は、クリニックなどで全額自己負担で実施されている場合もある。効果は科学的に証明されておらず、国内で承認された医薬品はない。今回認められれば、公的医療保険が使える国内初の免疫療法となる見込み。
 小野薬品は今後、肺や腎臓、肝臓、胃、血液など多種類のがんに広げることを計画している。米国で予備的な治験を実施。治療法のない肺がん患者76人の18%、腎臓がん患者33人の27%にがん縮小効果があったとされる。通常の抗がん剤は、同様の患者での縮小効果は1割以下が多い。
 新しい免疫療法は、開発競争が激しい。海外では皮膚がんで別の薬が承認されている。
 治療法のカギとなるたんぱく質を発見した本庶佑(ほんじょたすく)・京都大名誉教授は「がん治療を大きく変革させるかもしれない。なぜ効かない人がいるのかなど不明な点も多い。分析を続ける必要がある」と話す。
 
 申請されたのは、既存の治療法で効果がなくなった皮膚がん患者が対象と、限られたがんの治療法ですが、山中教授のiPS細胞や、先月末には理化学研究所チームによる新万能細胞「STAP細胞」作製成功のニュースが流れ、がん治癒が現実となりつつあることを実感させられます。
 
天然植物活力液
 
 添付したHB-101については、植物の活力剤ではありますが、かつて人間のガンや内臓疾患に効果があった事例を本にまとめて発行されていたことがあり、私の母親がコーヒーやお茶に2~3滴入れて飲むようになったところ、白髪の一部が黒くなったことがあり、人間にも効果があることは確実で、15年前に救急車で運ばれた母親がその後元気でいるのもHB-101のおかげかもしれません。
 
 原料は杉・桧・松・オオバコから抽出した天然の植物活力液で、本来は野菜や果物とか花など植物を元気にする製品ですが、原材料以外は何も使わず、化学処理もされておらず、「人間にも動物にも地球にもやさしく安全無害です」と商品には書かれているとおり、人畜無害の商品で、何よりも安いことが魅力です。
 
 元々は母親が薬局で勧められて飲むようになったのですが、薬事法の関係で病気に対する効果をまとめた本も発行されなくなり、薬局も人間への効果は言わなくなったものの、今でも金魚や犬や猫など「ペットに効果があるなら人間でも」と使用した体験談がネットにも発信されています。
 
肺がんにのコントロール法  http://ganblog.com/
 
 さて、私の父親は50代半ばで膀胱ガンとなり、ガンの治療により転移はありませんでしたが、64歳の時に胃がんが肝臓に転移した末期ガンと診断され、余命一ヶ月といわれ半年後に亡くなりました。
 
 当時、「助からない」と判っていても、周りの人々に勧められるままに、ガンが治ると週刊誌に紹介された富山県の霊水を汲みに走り、高額な冬虫夏草を東北から買い求める反面、「野菜スープでガンが治る」と聞き試したり、ヒトツ葉とアズキを煎じて飲むとガンに効くなど、言われるままにすがったものの何も効果はありませんでした。
 
 ガンに対する健康食品や、病院以外の治療方法がネット上でも多く見られますが、本当に効果があるかどうかは判らず、末期ガンになってから藁をも掴む心境で飛びつく人も多いものの、私も確実に父親のガン年齢となっているため、ガンの新治療法に期待するとともに、ガンにならないために真剣に考えたいと思う一日となりました。
 
                                 2月17日の一言

まもなく名古屋牛乳が配達されなくなり…

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 我家に届けられている「名古屋牛乳」ですが、まもなく製造が中止になるため、販売店からは森永牛乳が配達されるそうで、地元で生産された牛乳が消えていく事と、看板と商品を変え続けても生業を続けて生活する販売店の悲哀も感じさせられます。
 
 ただし、名古屋牛乳のホームページを見ると、製造が中止される気配は何も感じられず、販売店の都合なのかも知れませんが、私自身は森永の製品は学生時代から好きでないため複雑な心境となるものの、販売店との縁もきれません。
 
 
 名古屋牛乳は戦前から販売されており、私の少年時代にはテレビコマーシャルも流れていましたが、私の住む愛知県西部ではかつて津島市で「昭和牛乳」や「海部牛乳」が製造されており、高校は「尾西酪農」の牛乳が販売されていました。
 
 我家も最初は「昭和牛乳」が配達されていましたが、販売店の廃業によって、現在の販売店の配達する「海部牛乳」に変わり、海部牛乳の製造中止によって現在の「名古屋牛乳」に変わっており、地元に残っている昭和牛乳もまもなく製造を中止するとの話も耳にします。
 
海部牛乳・昭和牛乳 http://canquest.web.fc2.com/cap.tusima.html
 
 私は森永製品を好まないと記しましたが、高校時代の恩師から「企業の社会的責任」として、森永ヒ素ミルク中毒事件を起した後の被害者への対応に対して、企業としての責任が不足するだけでなく、アメリカでは大量の死者を出した企業が生き延びることはないと、森永製品の不買運動を聞かされた影響が今でも残っています。
 
森永ヒ素ミルク中毒事件
 1955年(昭和30年)、森永乳業徳島工場で生産された粉乳の中に、大量のひ素化合物が混入し、事件は発生しました。当時の被害児は12,131名、その内死亡者130名という、世界でも例のない大規模な乳児の集団中毒事件。
 
 さて、希望しない森永牛乳ですが、牛乳販売店も存亡の危機に瀕しており、最近はスーパーに格安の紙パック製品が並び、多種多様の品物を選択できるため、毎日届ける1日1本の配達の維持は難しく、販売店のために森永牛乳を飲むことになりそうです。
 
 もっとも、我家の近くにかつての森永牛乳の販売店があり、店主は私より早く市議会議員になっていましたが、私だけでなく生業としていた朝日新聞の悪口ばかり言われ続け、私が議員になって以降も悪口は止まず、最近でも「おっ、挨拶ができるようになったのか」とか、「無礼な奴」と言われていたのですから、まもなく届く森永牛乳には複雑な思いが払拭できません。
 
 何よりも悲しいのは添付した昭和牛乳や、海部牛乳など地元で製造されていた業者の縮小や廃業で、来月から届かなくなる地元の名古屋牛乳についても、何とか販路を広げて奮闘して欲しいと思います。
 
                                   2月16日の一言

行きつけの理髪店が会員制になっており

 本日夕方に行きつけの理髪店に出向くと、シャッターが半分閉まっていた事から、爆弾低気圧による寒風が吹いて客足が少ないため早めに閉店するのかと思い、扉を開けるとご主人がパジャマ姿で座り、お店の照明が半分切られていました。
 
 「もう終わりですか?」
 「今日はできないんだわァ」
 「どうしたんですか?」
 「階段から落ちて動けないんだわァ」
 
 中学校の頃から通う理髪店で、一度も他所の理髪店に行った経験もないため、「できない」と言われてもどうして良いか判らず、「奥さんでも良いから」と、ご主人の仕事を手伝っておられる奥さんに依頼しました。
 
 「うちのヤツで良いかね?」と問われたものの、数年前に病に襲われるまでは奥さんも現役だったためお願いしましたが、同じように奥さんに依頼する人もあるらしく、この理髪店しか利用したことのないお客さんにとっては、知らないお店に行くよりもマシと思うのは私も同じでした。
 
イメージ 1 「どうやって落ちたのか判らない」
 「それで病院には行ったの?」
 「骨には異常がなさそうだから行ってない」
 「大丈夫なんですか?」
 「日にち薬だわァ」
 
 それにしても、4日前に階段から落ちて、当分動けそうもなく、いつから仕事に復帰できるか判らないのに病院に行かないのはいかがなものか…
 
 「うちの人は頑固だから」
 「行った方が良いと思いますよ」
 「酒飲みだからこんな事になるんだわ」
 「えっ」
 
 ご主人が酒好きとは判っていましたが、理髪店のお休みの日は昼間から酒が入るらしく、過去にも酒を飲んでケガをしたことが何度もあるとの話ですが、奥さんに代役を頼んでいるためご主人は文句も言えません。
 私は車を運転する事から、日中から酒を飲む習慣はありませんが、この理髪店のご主人は車を運転しないため、いつ酒を口にしても困らない事が、ケガや体調管理に悪影響をもたらしているようです。
 
 「年だから、いつまで出来るかと話している」の一言は寂しいものの、お店を休むと閉店したと勘違いされるため半分シャッターを下ろしており、年中無休だと酒好きの御主人の節制にもなることから、やる気満々で回復を祈りながら、「会員制に付き、ご案内申し上げます」のビラは、常連客のための開店しているため、新規のお客さんに来られても困るために貼られているそうですが…
 
 還暦を迎えた私の同級生も、当然のように定年退職となっており、仕事を続けているもののいつかは仕事から引退する時が訪れ、議員の私でも当然引退の時期は訪れるものの、仕事を辞めてまもなく他界する人も多いため、仕事や生活の目標をリセットし直していつまでも現役でありたいものです。
 
                                   2月15日の一言

ヤフーブログから引っ越しの案内が届き…

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我家の隣のお寺の駐車場です
 
 本日は私の住む愛知県西部地域も朝から雪が降り出し、一時は10センチ程度の積雪となりましたが、道路の通行には支障がなく、午後には雪が雨に変わったため、夕方には添付した写真のようになりました。
 
 ただし、歩道は雪と雨が混ざり長靴でないと歩けないシャーベット状態になっており、これからバスを降りて帰宅する人々は大変で、「明日は強風が吹き荒れる」の天気予報を聞かされると、明日の凍結が心配となりそうです。
 
大鹿さん
ご無沙汰しております。PCがXP⇒WIN8に変更になりプロバイダも変更しますので
今月でyahooブログも出来なくなります。facebook御検討お願いします。
 
 長年一緒に発信してきたブログ仲間からゲストブックへ本日の書き込みですが、ブログ仲間と言うだけでなく、ブログを通じて知り合い、お互いの住所や携帯電話番号を交換するだけでなく、実際にお宅を訪問したり、顔をあわせるようになった知人のヤフーブログ撤退には寂しさが募ってきます。
 
 同じようにブログを通じたお付き合いが、ブログの更新が途絶えてそのままになったままの人も多く存在しますが、ブログの内容がガンの闘病記だった知人も存在し、住んでみえる市町や病院は判っていても、名前まで知らないままの別れは悲しさが漂います。
 
 一方で、フェースブックや他のサイトのブログに誘われるものの、複数のブログやサイトを同時に運営することは時間的に難しく、私はヤフーブログのみとして、お気に入りりブログを訪れることしか出来ませんが…
 
 同窓会報の編集が締め切り直前となり、引用する写真や原稿の確認作業が続きますが、予定では本日の朝に編集者の住む一宮市まで走る約束がしてあったものの、大雪との天気予報から昨晩の深夜に走り、本日の未明に帰宅しました。
 
 おかげで雪に見舞われることはありませんでしたが、原稿の確認と、広告の内容が変更されている事から、明日の夕方にも編集者に届ける必要ができ、最終的には日曜日に完成させて印刷所に出す手筈になっており、印刷後の全戸配布まで責任はあるものの、何とか一息つけそうになってきました。
 
 さて、知人の他サイトへの移動を記しましたが、学校関係のネット環境に関しては、未だに「一太郎」しか使わない教員からそのままデータが提出され、メール添付した写真が表示できないソフトが使われているケースが存在し、自分のパソコンで表示されても送付先で表示できないなど、確実にデータが送付できないため、USBやカードにコピーして手渡す必要があり、こんな不都合も解消してもらいたいものですね。
 
                                  2月14日の一言

国府宮裸祭のなおいと餅が届いて

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 愛知県稲沢市では、昨日に尾張大国霊(おおくにたま)神社(国府宮)ではだか祭が行われ、裸男約9千人が参道へ繰り出し、参拝者約20万人が見物するなかで、神男(しんおとこ)に触れて厄を落とそうと裸男たちが激しくもみ合ったと報道されています。
 
 祭りの開催日は毎年旧暦正月13日、42歳と25歳の厄年の男を中心に、尾張一円から、サラシのふんどし、白足袋をつけただけの数千の裸男が集まり、神男に触れて自身の厄を落とそうと裸男に集まりますが、なかなか触れることは困難で、毎年多くの人が救急車で運ばれており、天下の奇祭として有名です。
 
「はだか祭」、裸男がもみ合う 愛知・稲沢
 
 本日は家内が昨日行われた稲沢市のはだか祭に奉納された大鏡餅を切り分けた餅と、「なおい」を授かりに訪れ、偶然にも神男と握手をされて帰りましたが、祭り当日だけてなく翌日にも神男に触れるために多くの信者が列をなします。
 
 はだか祭には毎年尾張近郊の地区から約4トンという巨大な「大鏡餅」が本殿に奉納されますが、この餅を祭り本番の翌日(旧暦正月14日)の午前8時から切り分けられて頒布されており、この餅を食べると無病息災の言い伝えがあり、多くの参拝者が買い求めます。
 
 私の家内も本年1月まで稲沢市に勤務していたので、「なおい」と餅を授かりに行く習慣となりましたが、我家全員の車と母親の自転車に「なおい」が付けられ、これが無いと安心できないようになってきました。
 我家は車に付けていますが、多くの人たちは厄除け用のお守りとして、毎年サイフに入れているようです。
 私は裸になって参加した経験がありませんので、下記の動画を見て祭りの臨場感を味わってください。
 
国府宮はだか祭・稲沢市 http://www.city.inazawa.aichi.jp/p_s/hadaka/top.html
国府宮はだか祭・国府宮神社  http://www.konomiya.or.jp/main/hadakamatsuri
 
2月_1日(土)_9:00   儺追神事(はだか祭)標柱建式   旧正月_2日
2月_1日(土)10:00   儺負人(神男)選定式   旧正月_2日
2月_5日(水)_9:00   大鏡餅餅米洗旧正月_6日
2月_6日(木)_5:00   大鏡餅餅搗(おおかがみもちもちつき)  旧正月_7日
2月_9日(日)17:00   儺負人(神男)参籠(なおいにん(しんおとこ)さんろう)   旧正月10日
2月10日(月)_9:00   大鏡餅飾付   旧正月11日
2月11日(火)13:00   大鏡餅奉納(おおかがみもちほうのう)   旧正月12日
2月11日(火)19:00   庁舎神事(ちょうやしんじ)   旧正月12日
2月12日(水)15:00   儺追神事(はだか祭)   旧正月13日
2月13日(木)_3:00   夜儺追神事(よなおいしんじ)   旧正月14日
2月13日(木)_8:00   大鏡餅餅切始(おおかがみもちもちきりはじめ)   旧正月14日
2月16日(日)19:00   的射神事(まといしんじ)   旧正月17日
2月23日(日)_9:30   なおい茶会
 
国府宮裸祭(平成25年2月22日)
 YouTube        http://www.youtube.com/watch?v=ZGYBDH23F-4
 
平成25年 国府宮はだか祭 「神男」 ついに参道へ登場! ノーカット版
  YouTube         http://www.youtube.com/watch?v=hiqV1gBJM7U
 
 さて、年齢を重ねるとともに時間や日時の経過も早く、裸になる年齢も逸してしまい、見物に行く元気もありませんが、3月1日に配布する母校の同窓会報の編集締め切りが迫り、議員活動のアンケート配布も遅れており、昨日から午後は配布に出ているものの、明日は雪の予報が出ていることから、迫る3月にストレスがたまる日々の連続となっていきます。
 
                                     2月13日の一言

本日の一言の書き込みが満10年を経過して

 平成16年2月に、ホームページ上で私の一言を書き出してから、本日で満10年が経過したことになり、読み直すことはありませんが、読み直すと懐かしさだけでなく、10年の年月によって世の中の環境が大幅に変わっていることが実感させられます。
 
 下に10年前の2月13日分に記した一言(つぶやき)を添付しましたが、当時は国の大号令で市町村合併が急がれており、私は市町村合併に反対の立場であったものの、選挙の応援に訪れた旧祖父江町議会選挙の個人演説会に立ち、候補者は合併推進の立場であったが、昭和30年に津島市と合併した我が町「旧神守村」が、50年経過していても対等になっていない現状を記しています。
 
祖父江町会議員選挙個人演説会場で…
  愛知県祖父江町では、現在、町議会議員選挙が開かれており、私も仲間の応援のために連日出かけている。
 昨夜の個人演説会で1人の町民の方から質問がでた。「合併したら、祖父江町の名前はどうなってしまうのか」と言う質問に、候補者から「祖父江町の名前は無くなり、稲沢市〇X町になる事になっています」と説明したところ、「それでは祖父江の名産品のギンナン等の名前はどうなるのか」と具体的な質問が出された。自分達の町の名前が消える事に対して、町民からは納得しづらい声があがった。
 私の住んでいる旧神守村の名前は、昭和30年に津島市との合併によって無くなった。以来、50年近く経過しているが、未だにその名前の呪縛から解かれてはいない。未だに旧市内との施設等の格差が問題にされたり、現住所の説明には「旧の神守村の・・・」が自然に使われる。大きな市町に吸収される町の動向に注目したい。                         平成16年2月13日のつぶやき
 
 先週金曜日に図書館協議会が開催され、今週月曜日の出納監査の対象も津島市立図書館でしたが、図書館の収集する歴史資料について、旧神守村部分の資料がほとんどないことが告げられました。
 
 旧神守村にも、戦前から「神守山文庫」が存在し、ガリ版刷りではありますが昭和14年には「郷土研究」として地元の歴史資料が発行されていることから、明治17年に21あった村が5の村に集約され、明治39年に「神守村」が誕生しており、少なくともそれ以後の記録が昭和30年に津島市となるまでは存在したものと考えられます。
 
 昭和30年の合併と、平成10年に旧神守村部分の神守支所が新庁舎に移築したことで、過去の歴史資料が散逸してしまったと考えられ、合併によって吸収された村が後回しにされる悲哀は現在まで続き、公的施設や公園の不備などはなかなか解消されません。
 
 昨日訪れた旧祖父江町の長岡地区に残る「おびしゃ」祭についても、地元では厄払いのためにかなり広範囲で開催されていますが、1ヵ所だけの「おびしゃ」が大々的に発信されている愛西市と比較すると、稲沢市では発信もされていない現状を、地元の人から「稲沢市には厄払いは国府宮神社の裸祭りが翌日にあるから」と説明してくれました。
 
 10年前の一言を読んで、10年一昔と言いますが、これからの人生の記録として、議員を引退しても書き込めるうちは書き込みを続け、自分のストレスを発散するとともに、訴えることで世の不正や理不尽な慣習を改善できればと思っています。
 
明日からは、新たな一歩が始まります。
                                    2月12日の一言

祖父江町長岡地区のおびしゃ祭へ

イメージ 1 本日は稲沢市祖父江町の長岡地区で行なわれている「オビシャ」という祭りを見物してきました。家内の在所のある祖父江町神明津の河原地区(神明社)では午前11時に「オビシャ」が行なわれ、午後2時に開かれた神明津の矢田塚(秋葉社)で、家内の家族(家内の姉と孫、家内の兄)が参加するのに同行しました。
 
 聞き慣れない「オビシャ」という祭りで、私の住む津島市では聞いたことのないお祭りですが、長岡地区では神明津だけでなく、鵜之本や拾町野地区でも行なわれており、祖父江町では広範囲で行なわれている祭りです。
 
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 本殿で町内役員や地元選出議員が神主さんとともに神事を行い、神主さんのお祓いが済んだ後の太鼓の音を合図に、本殿裏から一斉に餅や菓子、ミカンなどが投げられます。
 
 小さな村の中の字単位の氏神様ですが、道路は車が数珠ツナギで駐車されており、集まった人々の数を考えると、町内だけのお祭りとは思えません。
 
 「鵜之本に行ったけど誰も居なかった」と、家内らと話していた古老が話し掛けてこられたものの、祭りの事情も何も判らず聞き流していると、遠く離れた祖父江町の上牧から自転車で来られており、昭和4年生まれと言われた事から、私の生まれた在所の伯父(母親の兄)の名前を告げると、同級生であることが判り、私の祖父と古老の親も親しかった昔話を聞くこととなりました。
 
 祖父江町上牧で45年間営業している喫茶店「川」の初代店主で、私の祖父が証券会社に勤めていた事から、古老の父親と株を通じて付き合いがあった事や、伯父が志願して出征した時に、苗字が同じ人物と間違われて配属となり、伯父は無事だったものの、伯父と間違われた人は戦死したなどと、私の知らない親族の昔話も知る機会となりました。
 
 さて、「オビシャ」とは、厄払いのため、餅やお菓子を奉納して、集まった人々に本殿裏から集まった菓子や餅を投げて振舞う祭りのようで、添付した矢田塚のオビシャが終わった後で、鵜之本の神社では更に多くの車が道路に並んでおり、より盛大な「オビシャ」が行なわれていました。
 
オビシャ 定納地区にある白山社 愛知県愛西市二子町松原9(白山社)
 定納地区にある白山社で毎年2月に行われる「オビシャ」は約300年もの歴史をもっています。もともとは満15歳を迎えた若者の元服を祝う祭りであり、神社につくられた高さ約5メートルのぐらぐら揺れる櫓の上から威勢よく餅が投げられ、その下で一斉に餅拾いが行われます。
 度胸試しとお披露目を兼ねたこの日から、一人前の男子として認められます。
 
イメージ 3 「オビシャ」祭りをネット検索したところ、上に添付した愛西市二子町にある白山社の「オビシャ」しか出てきませんでしたが、どうやら同じ形式のお祭りで、定納地区は若者の元服と目的は違うものの、祖父江町の「オビシャ」の方が広範囲で行なわれており、二子町も祖父江町と隣接していることから、旧祖父江町と旧八開村にかけ広範囲に行なわれているお祭りのようです。
 
初午おびしゃ祭  東京都新宿区西早稲田3-5-43水稲荷神社
2つの的に矢を放ち、豊作物の吉凶を占う「おびさ」の祭事
旧暦2月の初午の日に水稲荷神社で開催される、最近の東京では珍しい「おびしゃ」の祭事。福と鬼の文字が書かれた2つの的に矢を放って農作物の豊凶を占い、福を祈る。
 
 添付した花は家内の在所の梅の木ですが、まもなく一斉に花を咲かせそうで、全国各地より爆弾低気圧の降雪が伝わる中で、幸いにも我々の住む愛知県西部では雪に泣かされることなく、春が近いことを予感させられる温かい一日となりました。
 
この一言の満10年までのカウントダウン、あと1日
                                   2月11日の一言

脱原発の細川さんが惨敗して…

 安倍首相は本日の衆議院予算委員会で、「新たなエネルギー基本計画を踏まえ再生可能エネルギーの導入状況、原発再稼働の状況などを見極め、できるだけ早くエネルギーのベストミックス(最適な電源構成)の目標を設定していく」と答弁したと発信されている。
 
 東京都知事選挙で脱原発を訴えた細川候補の得票が伸びず、自民党と公明党の推した舛添要一氏が当選したことを受れての発言だが、そもそも脱原発を争点にしない選挙戦略をすすめた結果だけに、原発再稼動の口実を与えたと考えると口惜しいものがあります。
 
またも敗北、脱原発派は落胆 「一本化できていれば…」
記事の続き…
 細川、宇都宮両氏の得票の合計は200万票に迫ったが、舛添要一氏の得票に及ばなかった。河合氏は「一本化できていれば脱原発論議は盛り上がったはず。ただ、原発は五輪などと次元が違う問題なのに、都民に理解されなかったことは事実で残念」と話す。
 脱原発を訴える勢力は、これまでも選挙で結果が出ていない。2012年衆院選では、嘉田由紀子・滋賀県知事が「卒原発」を掲げて日本未来の党を立ち上げたが、幅広い勢力を取り込もうとして主張がぼやけ、惨敗した。13年参院選は、世論調査で原発再稼働反対が半数を超えるなか、主要政党で唯一再稼働を主張した自民党が圧勝した。
 脱原発派は東京電力福島第一原発事故後、大阪市、東京都、新潟県、静岡県で原発再稼働の是非を問う住民投票の実施も目指してきた。「原発問題は憲法改正に匹敵する重大な問題。直接民主主義が必要だ」。住民投票に詳しいジャーナリストの今井一さん(59)は言う。だが、いずれも住民投票条例案が議会で否決され、実現しなかった。
 ただ、市民が原発政策と向き合う選挙は今後も続く。23日に投開票される山口県知事選では、候補者2人は建設予定の中国電力上関原発計画への反対を明言する。「エネルギー政策は国策」として争点化を避ける候補者と対立する。
 北陸電力志賀原発があり、3月16日に投開票を迎える石川県知事選では、安全性が確認された原発の再稼働に肯定的な現職に対し、新顔2人は脱原発を訴える。7月には嘉田由紀子・滋賀県知事、11月には佐藤雄平・福島県知事がそれぞれ任期満了を迎える。
 都知事選投開票2日前の7日、首相官邸前の反原発デモがあった。毎週金曜夜、一帯は熱気に包まれる。主催する「首都圏反原発連合」の中村ゆみさん(51)は言う。「都知事選脱原発が争点の一つになることで、市民が考えるきっかけになったという意味はある。私たちはまだまだ続けます」
  
首相、原発再稼働に前向き答弁 「電源構成、設定する」
 
首相、原発再稼働へ積極姿勢 都知事選勝利で「早く」
 
 雑誌のフライデーは、猪瀬前知事の辞任直後から、小泉元首相の出馬と当選によって、原発の再稼動が阻止できるシナリオを発信していたことから、小泉さんが支持する細川さんの当選が期待させられましたが、あまりにも細川さんの弱々しい発言は期待外れで、原発再稼動を阻止して、原発の無い社会を実現するためには、小泉さん自身の出馬とならなかった事が残念で、今後の再稼動に反対する方法が見当たりません。
 
 米軍の県内移設に反対する沖縄県では、沖縄選出の自民党国会議員に国内移設を容認させ、移設反対を主張していた現知事に移設を容認させ、世論に耳を傾けずに滑走路を建設しようとしていますが、原発の再稼動についても反対する住民の声が無視されるだけでなく、再稼動が当然のような発言に無力感が漂います。
 
 本日は、出納監査のため市役所の一日となり、午後に開かれた図書館の現地監査から戻ったものの、中学の同窓会報編集の打ち合わせが深夜まで続き、このパソコンの前に座った時には、まもなく日付が変わる寸前となっていました。
 
この一言の満10年までのカウントダウン、あと2日
                                   2月10日の一言
 
 
 
 

リード外された大型犬が人を噛む事件が…

福岡県朝倉市の筑後川河川敷で、リードを外された体長約120センチの大型犬「バーニーズマウンテンドッグ」に、祖母と孫2人が噛まれ、女児と男児は約1週間の入院となり、女性は足や腕などに軽傷を負う事件が起こったと報道されています。
 
リード外された大型犬、河原で幼児ら3人をかむ 福岡
 
 飼い主の無職男性(57)は、「付近に人がいないと思ったので放した」と話しているものの、同じ犬種の大型犬3匹を河川敷で散歩させ、日常的にリードを外して放していることから、これまでにも危険を感じていた市民が存在するとすれば、飼い主の責任が厳しく追及されなければなりません。
 
バーニーズマウンテンドッグ
バーニーズ・マウンテン・ドッグは、全体的に大きく、がっしりと丈夫な体格をしています。たくましさと機敏さをバランスよく持ち合わせているので、荷物などを引く牽引き作業にも、家畜の群れを移動させたりといった仕事にも適しています。普段作業に従事している時は、ゆっくりとバランスのとれた余裕のある足どりをしています。

寒さから体を守るのに役立つ、長くて厚い被毛は、ストレートかもしくはわずかにウェーブがかかっており、つやのある鮮やかな毛色が特徴的です。性格は温和で優しく、従順です。
 
 我家の相棒はポメラニアンですが、小さいのに意外と勇敢(気が小さい)で、来客があると吠え続け、チャンスがあれば噛み付こうとするため、私の事務所入り口と自宅との通路には大きな柵を置いてあります。相棒が道路に飛び出さないためでもあります。
 
 もっとも外出した道路や、散歩中はおとなしく、人と出会っても吼えることもありませんが、女性が触るのは怒りませんが、男性には警戒感が強く、出会った犬には攻撃的になりますから、リードを外して犬を放すことはできません。
 
 10年ほど前のことになりますが、地域へ会報を配布中に、リードを切った大型犬シェパードに襲われ、手提げ袋を破られ、右足の大腿部を噛まれたことがありました。
 飼い主の家族が犬を隔離したものの、そのままでは危険なため、場所を離れ「会報を届けに行った自分の責任」と帰宅しましたが、夜になっても痛みが取れないため、かかりつけ医としている外科に出向いたことがありました。
 
 「保健所には連絡したの」と問われましたが、自分にも落ち度はあると思い、飼い主から謝罪もあるだろうと思っていましたが、何の連絡も無いままに月日が経過し、その後に新聞配達中の男性がこの犬に噛まれて大怪我を負ったことを聞きました。
 
 結果論ですが、私が噛まれた時に、謝罪を期待するだけでなく、二度と過ちが起こらないように指摘していれば、後に噛まれる被害は防止できたかも知れず、被害の補償とか犬の処分は求めなくとも、近所で嫌らしいと思っても対策を求める事は重要です。
 
 さて、私の幼少期には白い秋田犬「アキ」が飼われており、近所のニワトリを食べたことから保健所に連れていかれました。私の中学時代には、狂犬病の注射が打ってないと近所から通報され、私の不在時に愛犬はいなくなっていました。
 
 愛犬をベット以上の家族同然の存在とする現代社会では、飼い犬がたとえ人を噛んだとしても、強制的に連れて行かれることは無いと思いますが、大型犬は周りの人々にも脅威となるため、飼い主の安全管理が求められ、危険な飼育環境は徹底的に排除したいものです。
 
 
この一言の満10年までのカウントダウン、あと3日
                                   2月9日の一言
 

百田尚樹NHK経営委員の行動は問題だ

 作家の百田尚樹氏が3日、東京都知事選候補者元航空幕僚長の田母神俊雄候補の応援演説に立ち、「米軍による東京大空襲や原爆投下は悲惨な大虐殺」と話し、東京裁判について「これをごまかすための裁判だった」と持論を展開した。
 
 表現の自由は誰にも認められており、どの政党を支持しようとも他人に批判されるものではないものの、百田氏はNHK経営委員を努めており、放送法31条が経営委員について「公共の福祉に関し公正な判断をする」者の中から総理大臣が任命すると定め、経営委員の服務準則は「委員は、NHKの名誉や信用を損なうような行為をしてはならない」と定めている点や、NHKがテレビ所有者全員から強制的に受信料を徴収している公共放送であることを考えると問題だ。
 
NHK籾井新会長「従軍慰安婦、どこの国にもあった」
 
 NHKの新会長となった籾井(もみい)勝人氏が、従軍慰安婦について「戦争をしているどこの国にもあった」と述べた上で、「日本だけが強制連行したみたいなことを言っているから話がややこしい。お金をよこせ、補償しろと言っている。しかしすべて日韓条約で解決している。なぜ蒸し返されるんですか。おかしいでしょう」と発言しており、日本に補償を求める韓国を疑問視し、韓国や中国だけでなく米国からも批判を受け、国会にも参考人として召致され陳謝している。
 
NHK経営委員の百田氏が応援演説 都知事選
 
米国務省「不合理」と反論 百田尚樹氏の都知事選演説
 
 昨日の一言に福島県の子供たちの甲状腺異常について記しましたが、素人考えでも原発事故で被曝した可能性を考えれば、最悪の事態を回避するために被爆の可能性も考えた対応が求められて当然ながら、関係者は全員が因果関係を否定する世の中に異様な危険性を感じずにはおれません。
 
 過去の戦争について、事実を歴史として残すことは重要と思いますが、戦争は戦いであり、相手を倒す手段が残虐かどうかの主張より、人が人を殺戮する戦争を反省することが重要で、国の公共放送であるNHKの会長と経営委員が、特定の政党や候補者を公の場所で応援するだけでなく、隣国や同盟国の米国まで批判するのは経営者としての責任は皆無としか思えず、考えの異なる視聴者は受信料を支払う気持ちにはなれません。
 
 1982年(昭和57年)に起こったイギリスとアルゼンチンのフォークランド紛争勃発に伴い、英国のアンドルー王子はヘリコプターのパイロットとして従軍する事となり、他の将兵と同様に最前線に出撃し、紛争終了後、エリザベス女王とフィリップ王配夫妻は、ポーツマスの軍港まで、他の搭乗員の家族に混じって帰港を出迎えている。
 チャ-ルズ皇太子の息子ヘンリ-王子も、アフガニスタンのタリバン掃討のために、前線勤務についています。
 
 安部首相になってから、秘密保護法案の成立、集団的自衛権容認、愛国教育の強化などを発言しているが、過去の日本の戦争を振り返ると、戦争を主導する指揮官は安全な場所にあり、最前線で命を落とすのは命令された下級兵士ばかりでした。
 安部首相や、NHKの籾井新会長、百田経営委員には、国を思う発言だけでなく、英国王室のように、国の一大事には自身の子息が戦場の最前線で戦う覚悟があれば理解できますが、日本にはそんな意識があるとは思えません。
 
 我家では沖縄で戦死した伯父の遺骨すら戻っておらず、大鹿家の先輩となる横井庄一さんは、戦争が終わったことも知らぬまま、グアム島のジャングルで28年間も隠れて潜み、昭和47年に帰国しており、若者が命を落とす悲惨な戦争を二度と繰り返す可能性は回避して欲しいと思っています。
 
この一言の満10年までのカウントダウン、あと4日
                                   2月8日の一言
 

ストレスを貯め込んでいます

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 今年の節分は名古屋で講習を受けていたので、日曜日に地元のお寺で開かれた豆まきへ家族が参加してきましたが、留守中の我家には京都大原・宝泉院より「福豆」と「お札」が届けられていました。
 
 この手紙が届くようになって十数年は経過していますが、届くのが当り前のように思っているわけではないものの、同封される「お札」をあまりにも粗末に扱っている可能性もあり、一度御礼に訪れたいと思います。
 
 本日は毎年発行している母校(中学校)の同窓会報の広告スポンサー廻りに地域を走りましたが、多くは母校の先輩や知人にあたるため、「おー、久しぶり」とか「元気?」などと世間話に花が咲きますが、広告とはいっても寄付のような一面もあるため、無理にお願いしたスポンサーからは強いストレスも貰ってきます。
 
 「毎年お願いしている広告ですが」
 「えっ、毎年と言われても…」
 「広告を見たとの声も聞かないから…」
 「不景気で大変なんでー」
 
 私は平成9年から母校の同窓会長を務めていますが、店主の死亡や閉店は勿論ですが、不景気による広告の辞退によって、新たな広告主を探しているうちに、会報の広告スポンサーの多くが「大鹿銘柄」になってしまいました。
 
 せっかく新たにお願いしてきても、数年後に他の役員さんがお願いにうかがうと断られ、再度お願いして掲載すると、断られた役員さんが協力しなくなり、結局はほとんどのスポンサーを受け持つこととなります。
 
 同窓会報は地域7千世帯に全戸配布されており、私などは母校に5千円の寄付程度に考えていますが、「押し売り」や「悪徳セールスマン」のような視線を感じると、次への足が鈍り、1年に一度のストレスを溜め込みます。
 
 もっとも、ほんんどを私が廻れますから、ほとんどは世間話や思い出話に花を咲かせているものの、一軒の苦言が全部のように思われ、選挙でも頭が下がらないと言われる私ですから、一年分の仕事をしてきたような気持ちにさせられます。
  
甲状腺がん、疑い含め75人 福島の子、県が調査
記事の続き…
 県民の被曝の健康影響の調査のあり方を検討する委員会の星北斗座長は、被曝の影響とは考えにくい理由としてチェルノブイリ事故で子どもの甲状腺がんが増えたのは、発生後4、5年からだったことなどを挙げた。
 子どもの甲状腺がんの遺伝子解析をする県立医大の鈴木真一教授(甲状腺外科)は「甲状腺がんの発生と関係することがわかっている遺伝子変異のほかに、未知の変異がないかを探し、放射線の影響で発生したかどうかを見分ける目印にならないか調べたい」と話す。被曝の影響で甲状腺がんが増えるとしても判明するのは何年も先にな
 県民の被曝の健康影響の調査のあり方を検討する委員会の星北斗座長は、被曝の影響とは考えにくい理由として、チェルノブイリ事故で子どもの甲状腺がんが増えたのは、発生後4、5年からだったことなどを挙げた。
 子どもの甲状腺がんの遺伝子解析をする県立医大の鈴木真一教授(甲状腺外科)は「甲状腺がんの発生と関係することがわかっている遺伝子変異のほかに、未知の変異がないかを探し、放射線の影響で発生したかどうかを見分ける目印にならないか調べたい」と話す。被曝の影響で甲状腺がんが増えるとしても判明するのは何年も先になり、個々の甲状腺がんが被曝の影響でできたのかを見分ける方法も現時点ではないためだ。(野瀬輝彦、大岩ゆり)
 
 さて、新聞やテレビでも度々報道される福島県の子供たちの「甲状腺がん」被害ですが、行政関係者は原発事故の被曝被害との関係を否定し続けているものの、現時点での関係は確定できなくとも、被曝の影響を考えた対応を考えることが重要で、原発再稼動に反対する人々への影響を考えて否定しているとしたら取り返しのできない事態を招きそうだ。
 
 自民党の安倍政権になってから、消費税の大増税や、秘密保護法案の成立から原発再稼動、集団的自衛権容認から、愛国教育の強化など、反対意見に耳を貸さぬ独善的手法が多く、脱原発を訴える細川さんが落選でもしたら、人の痛みも無視される厳しい世の中になりそうだ。
 細川さん、頑張れ!!!
 
この一言の満10年までのカウントダウン、あと5日
                                   2月7日の一言

久々に連合艦隊のDVDを鑑賞して

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 本日書店を訪れたところ、一週間前に売り切れとなっていた戦争映画のDVDが置いてあり、購入しようと取り上げて確認すると、出演者に「鶴田浩二」さんの名前がなく、見直していると既に2号の「日本海大海戦」となっていました。
 
 ただし、横を見ると創刊号も置いてあり、同行した家内の財布が開かないため、自分の小遣い銭で購入(990円)して、売り切れで諦めていた「連合艦隊」のDVDを手にすることができました。
 
 私が尊敬する「鶴田浩二」さんは、この映画は主役ではなく特別出演ですが、沖縄作戦で第二艦隊司令長官を務めた伊藤整一海軍大将役を演じ、アメリカ航空艦隊艦載機による総攻撃によって撃沈される戦艦大和とともに海に沈んでいきます。
 
連合艦隊 東宝映画 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
映画「連合艦隊」十の泣き所
 
『連合艦隊』 主題歌 谷村新司 『群青』
 
 私はこの映画のビデオテープを持っていますが、最近と言うよりも15年ほどは見ておらず、久しぶりにパソコンによる鑑賞となったものの、昭和56年当時としては破格の10億円の製作費をかけ、興行収入・動員数ともに第1位を記録した映画だけに迫力が違います。
 
キャスト
真珠湾攻撃・ミッドウェイ作戦
山本五十六(連合艦隊司令長官): 小林桂樹
宇垣纏(連合艦隊参謀長): 高橋幸治
南雲忠一(第一航空艦隊司令長官): 金子信雄
草鹿龍之介(第一航空艦隊参謀長): 三橋達也
永野修身(軍令部総長): 小沢栄太郎
及川古志郎(海軍大臣): 藤田進
福留繁(軍令部第一部長): 藤岡琢也
レイテ作戦
小沢治三郎(第一機動艦隊司令長官): 丹波哲郎
貝塚武男(空母瑞鶴艦長): 神山繁
武田上整曹(瑞鶴飛行隊整備士長): 長門裕之
豊田副武(連合艦隊司令長官): 田崎潤
沖縄作戦
伊藤整一(第二艦隊司令長官): 鶴田浩二
有賀幸作(戦艦大和艦長): 中谷一郎
本郷家
本郷英一(瑞鶴艦上爆撃機隊の隊長。海軍大尉): 永島敏行
本郷眞二(瑞鶴、のちに大和の航海士。海軍少尉): 金田賢一
本郷直樹(奈良博物館館長): 森繁久彌
本郷歌子(英一・眞二の母): 奈良岡朋子
本郷陽子(英一の婚約者、後に眞二の妻): 古手川祐子
小田切家
小田切武市(海軍兵曹長。大和工作科分隊班長): 財津一郎
小田切正人(海軍中尉。特攻出撃した戦闘機搭乗員): 中井貴一[12]
小田切照代(正人の姉): 友里千賀子
小田切美代(正人の妹): 里見奈保(鶴田さやか
 
 添付したキャストを見ただけで、歴史に名を残す大スターが揃う豪華メンバーであることが判りますが、私がビデオテープを入手して鑑賞した頃と違い、現代社会はネット情報が充実している事から、俳優の経歴だけでなく、演じた実在した人々の経歴も判る事から、当時の戦況や歴史背景も見ながら鑑賞すると映画の奥行きが深くなっていきます。
 
 久しぶりの鑑賞となりましたが、時間がないため鶴田浩二さんが登場する後半しか見ておりませんが、撃沈された大和の艦内は浸水した水が戦死した兵士の血で真っ赤となり、どす黒い油が浮き、現実と変わらぬような臨場感ですが、パソコン画面でなく大型のテレビ画面で見れば更に感動は増幅されると思います。
 一方で、映画のラストを主題歌「群青」が見事に引き立てますが、この映画のために作られたと言ってもよいような感動を生みます。
 
 さて、パソコン画面でも涙で溢れますが、勝手な借り物としたグーブログ「連合艦隊十の泣き所」を参考にされれば更に感動となり、この映画で鶴田浩二さんの三女の「小野(鶴田)さやか」さんが出演していることを知り、再度見直したいと思う夜となりました。
 
この一言の満10年までのカウントダウン、あと6日
                                   2月6日の一言
 
追伸 ウィキペディアから削除されていたので、記録として残します。
あらすじ
1940年(昭和15年)、連合艦隊司令長官山本五十六らの反対にもかかわらず、時の海軍大臣・及川古志郎の「やむを得ない」の一言により日独伊三国軍事同盟が締結された。
その頃、船大工の小田切武市は、息子の正人海軍兵学校に合格したので有頂天になっていた。18年間の海軍勤務でも准士官止まりであった武市は、正人の将来の出世は約束されたと信じて疑わなかった。
1941年(昭和16年)の春、海軍中尉に昇進した本郷英一は、学問の道を志す弟の眞二三高に合格したことを、奈良博物館の館長である父親の直樹や婚約者である早瀬陽子とともに喜んでいた。
やがて、ドイツ対ソ宣戦布告や日本軍の南部仏印(現在のベトナム)への進出、そして、それに対するアメリカの対日制裁置としての日本への資源の禁輸などが始まると、世界情勢は日毎に緊迫の度を強め、対米戦争の予感は現実味を帯びてきた。日米協調派である山本は、もしも、日米開戦となった場合でも、早期和平を実現させるために、アメリカ太平洋艦隊の本拠地であるハワイオアフ島真珠湾空母機動部隊により奇襲するという作戦計画を立てた。
やがて、日米交渉が決裂し、1941年12月8日、真珠湾攻撃が行われた。英一は、空母瑞鶴飛行隊の九九式艦上爆撃機部隊の搭乗員の一員として真珠湾攻撃に参加し、真珠湾に停泊中の米太平洋艦隊が壊滅的打撃を受けるのを興奮の面持ちで見つめていたが、そこに空母の影は1隻もなかった。
同じ頃、5年の歳月と造船技術の粋を集めて、極秘のうちに建造されていた戦艦大和が竣工した。翌1942年2月、大和は連合艦隊の旗艦となり、山本長官以下、連合艦隊司令部が乗り組んだ。大和の乗組員の中には、予備役から応召、大和の工作科分隊士として海軍に復職した海軍兵曹長、武市の姿もあった。
日本軍の破竹の快進撃が続く中、同年4月18日の米空母ホーネットから発進したB-25爆撃機の編隊による日本本土初空襲の衝撃を受けた軍令部は、空母を含む米太平洋艦隊の残存部隊を全滅させるという山本のミッドウェー攻略作戦案を了承し、5月下旬、連合艦隊の主力部隊は、ミッドウェー島沖に向けて出撃した。しかし、6月5日・6日のミッドウェー海戦では、事前に日本軍側の作戦情報を入手していた米軍の待ち伏せにより、日本海軍は主力空母4隻を失い、ミッドウェー攻略作戦は大失敗に終わり、戦局は、ジリ貧の消耗戦へと突入していった………。

解説[編集]

本作は、日米開戦前年の日独伊三国軍事同盟の締結から始まり、真珠湾攻撃、ミッドウェー海戦、南太平洋海戦ソロモン諸島攻防戦山本五十六の戦死レイテ沖海戦などを経て、沖縄水上特攻作戦に向かった戦艦大和が坊ノ岬沖海空戦で壮絶な最期を遂げるまでの、太平洋戦争における連合艦隊の興亡の光と影を、ダイジェストながらも編年史として描いた初めての作品であり、東宝の、そして、松林宗恵監督自身の戦争映画の集大成として製作された映画[2]。世界第3位の規模を誇った旧日本海軍連合艦隊が、1940年日独伊三国同盟調印により第二次世界大戦太平洋戦争大東亜戦争)へと引きずり込まれ、約5年後の戦艦大和撃沈によって、その終焉を迎えるに至るまでの軌跡を、市井の2つの家族を中心にして描いた作品である。レイテ沖海戦は、日本の戦争映画では本作で初めて映像化された。
それまでの太平洋戦争をテーマにした戦争映画では、山本五十六などのような歴史に名を残す軍人を描いたものが多かったが、本作は「本郷家」と「小田切家」という、連合艦隊に関わった2つの架空の家族を中心にして、この時代と世相を描いている。実質的な主役は、本郷英一、本郷眞二、小田切武市、小田切正人の4人である。
本作で、この「市井の目から見た戦争映画」という様式が取られた背景には、監督の松林宗恵と脚本家の須崎勝彌に共通する、ある思い入れが介在している。両者は、ともに旧海軍の出身だが、彼らが過去に東宝で製作に関わった戦争映画は、いずれも英雄譚としての性格が強いものばかりだった。そのため、かねてより、「現在の日本の繁栄は無名の英霊達の犠牲の上に成り立っているのではないか、息子達を戦場に送り出した父母の思いは如何だったのか?」という疑問を抱いていたのだという[3]
製作費は、当時としては破格の10億円。劇場公開時の配給収入は約19億円(興行収入に換算すると32.3億円)で、1981年に公開された日本映画の中では、興行収入・動員数ともに第1位を記録し、大ヒット映画となった[4]

特撮[編集]

この映画で使われた戦艦大和の模型は、石川島播磨重工業(現:IHI)の子会社によって9000万円の製作費を費やして縮尺1/20(13mサイズ)のものが作られた[2]。船体(木材や金属で作られていた過去の撮影用模型と異なり、FRPを使用[2])はIHIクラフトが、艦橋や煙突、砲塔やマストなどの上部構造物は東宝美術と東宝特殊美術(現・東宝映像美術)が製作し、1981年1月20日に完成し進水式が行なわれた。2005年に開館した呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)で1/10の模型が公開されるまでは、最大の大和の模型であった。この1/20の大和の模型は、小型漁船用の水冷ディーゼルエンジンを動力とし、船体内部に3人が入って時速6ノットで自力航行できただけでなく、火薬とラジコン装置を用いて46cm三連装主砲の発射シーンを再現することもできた[5]。船体の前方にも舵がついており、プール内で楽に回頭できるようになっている[2]。なお、坊ノ岬沖海戦の戦闘シーンのうち、遠景や、(ラストの)爆沈のシーンなどの撮影では、東宝特殊美術が中心になって製作した縮尺1/40の模型が使用された。
13mサイズの超大型のミニチュアが造られた最大の理由は、東宝撮影所敷地内の特撮用大プールではなく、外洋で撮影するためであった。しかし、この当時、船舶法などの関連法令の改正により、13mを超える(小型)船舶の海上での航行には、船舶への航海標識灯の設置、ならびに、船長や無線士の資格を持つ者が操船することなどが必要となっていて、結局、三浦半島沖での外洋ロケは見送られ、特撮用大プールでの撮影のみとなり、中野昭慶特技監督が思い描いたヘリコプターからの空撮は実現できなかった[6]
空母瑞鶴についても、小型漁船用のディーゼルエンジンを動力とし、船体内部に1人が入って自力航行できる模型(船体は、大和の模型と同じく、FRP製で、飛行甲板や艦橋などは合板製)が東宝特殊美術で製作された。[7][8]
神奈川県茅ヶ崎市柳島海岸に、瑞鶴の艦橋や飛行甲板、対空機銃などが実物大セットで再現された。また、東宝撮影所の敷地内には、大和の艦橋下部周りや、高角砲、シールド付の25mm三連装機銃が並ぶ船体中央部の最上甲板、1番副砲、さらに、艦橋最上部(防空指揮所、15m測距儀、21号電探)などが、実物大セットで再現された。東宝撮影所のスタジオ内には、瑞鶴の艦上機格納庫甲板や艦橋内部、ならびに、大和の第一艦橋内部や司令長官室などがセットで再現された。
本作のために製作された縮尺1/20の大和の模型は、撮影終了後に東武動物公園に寄贈され、直後にテレビドラマ[9]の撮影にも使用された。その後、船の科学館に譲渡されて長らく玄関脇に展示されていたが、2004年の年末に暴風雨によって横転し、上部構造物が損壊、修理不能と判断され解体・廃棄された。
本作で大和が初登場するシーンでは、これまで、ほとんどの映像作品で描かれることがなかった、2番・3番副砲を備えた最初期の艤装を復元している(なお、『連合艦隊』以前の東宝の特撮戦争映画で、最初期の艤装を再現した大和のミニチュア模型が実際に特撮シーンに登場した作品は、1968年の『連合艦隊司令長官 山本五十六』のみ。1960年の『ハワイ・ミッドウェイ大海空戦 太平洋の嵐』の劇中の瀬戸内海柱島泊地のシーンにおいて、1カットだけ登場する大和の模型(木製模型)は、ミッドウェー海戦の直前であるにも関わらず、レイテ沖海戦時の艤装であった。また、1953年の『太平洋の鷲』に登場する大和は、マット画処理により作製されたものである)。
本作での大和や瑞鶴などのミニチュア撮影は、あえて、波の縮尺を度外視して大きくした「磯波」で演出されている。これは、中野昭慶特技監督の、「迫力にこだわりたい」との意図によるものである。また、背景の空(ホリゾントに描かれたもの)が曇天なのも、悲劇性を強調してのものであった。ラストシーンでの大和の大爆発(爆沈)シーンでは、大和の艦橋を凌駕する派手な爆発の炎が話題となったが、この爆発の撮影は、一度目のものは、中野監督が「爆発は良いが波が気に入らない」ということとなったため、改めて撮り直され、「磯波」で録り直した2テイク目が採用された。当時、「この爆発の火柱が大き過ぎるのではないか」と指摘があったが、中野監督は、「それは間違い。実際は、あんなものじゃなく、船の2倍くらいの大きな火柱が上がっている」とコメントしている。この大爆発(爆沈)シーンには乗組員の描写が無いが、これも中野監督によると、「大和が主役だから」との趣旨による[10]

患者等搬送乗務員の適任者講習が終わり

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会場となった名古屋市昭和消防署(御器所)の車輌です
 
 愛知県消防長会の主催する『患者等搬送乗務員』の適任者講習が、3日間の日程で名古屋市昭和消防署で開催されていましたが、本日が最終日となり、最後の実技試験と筆記試験の後全員に適任証が手渡されて散会となりました。
 
 この適任証は、患者を搬送するために法的に絶対必要とされているものではありませんが、消防本部の認定を受けるためにはストレッチャーや車イスを搭載できる車輌で、呼吸循環管理資器材や創傷保護用資器材など認定基準に適合した資機材を積み、なおかつ適任証を持った乗務員が必要になります。
 
 愛知県では東京消防庁の設置基準に準じて指導されており、県内各消防本部(私達は津島消防本部)を通じて申請し、名古屋市消防本部の指定する講座を受講しますが、強制的ではなく任意のため、我々のように2年の更新任期から漏れてしまうケースもありそうで、今後は2年後に定期講習を受けることになります。
 
 患者さんを搬送する関係者としては、救急車に搭乗する本職の救急救命士や救急隊員が存在しますが、我々のような介護や福祉タクシーも依頼されることから、ボランティアの福祉有償運送であっても、最低限の知識の蓄積と、搬送する患者さんの急変時に備える必要があり、我がNPO法人「ひとまち生活ネット津島」と「おおしか福祉タクシー」では3年前から認定を受けることにしています。
 
 さて、患者等搬送乗務員の適任者講習と言うと判りづらいものがありますが、誰もが家族の急変に遭遇したり、外出先で交通事故に遭遇する場合もあることから、応急手当の方法として、地元の消防本部の主催する普通救命講習を受けることは有効で、私の住む津島市でも定期的に講習が行なわれています。
 
 私自身は、過去に愛知県の防災ボランティアコーディネーターや防災カレッジの養成講座を受講した際に、豊川市の消防本部で救命講習を受け、ヘルパー2級の養成中にも指導を受けているものの、当時と指導方法も若干変更されていることから、定期的に参加する必要性も実感させられる3日間となりました。
 
救命講習について
半日の「普通救命講習 I(普I)」「普通救命講習 II(普II)」「普通救命講習 III(普III)」と終日の「上級救命講習」3種類があり、「普I」は3時間の講習で、一般市民を対象に主として成人の心肺蘇生法と簡易応急手当が教授される(赤十字の基礎講習と同等)。「普通II」はIと同じだが、医務室など高頻度で処置を行なう可能性のある部署にいる人向けで、講習時間は4時間、さらに修了試験が課される。「普III」は一般市民を対象とした3時間の講習だが、内容が主として小児・乳児・新生児に対する応急手当となっており、学校職員・教員や児童クラブ指導者などに向いている。
 
 「上級救命講習」では「普I」および「普III」の小児の内容に加えて、外傷手当(やけど処置や骨折固定や三角巾包帯法など)や異物除去、搬送法などが加わり、8時間の講習で実技試験と筆記試験による効果測定もあるとありますが、限られた時間ではあったものの、患者さんを搬送するための講習のため、外傷手当や異物除去、搬送法など、上級の指導が行なわれており、参加者には貴重な体験となりました。
 
 現実には、過去に何度も講習を受けているものの、過去に配布された人工呼吸用マスクや、感染防護具などを使用したこともなく、何事もないのは有難く思うものの、万が一の際には役に立たない可能性もあることから、定期的な参加を心がけることと、危険と背中合わせの仕事をしている危機感を持つ必要性も実感する3日間となりました。
 
この一言の満10年までのカウントダウン、あと7日
                                   2月5日の一言

連日の講習とモーニングサービス

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 本日も昨日に引き続き「患者等搬送適任者講習」が、名古屋市昭和消防署で開催され、講習が終わったのは午後5時を廻りましたが、朝のモーニングコーヒーを朝食代わりにしている同行者があるため、朝からコーヒー屋探しが行程に入ります。
 
 昨日は車を停めた駐車場の近くにコーヒー屋さんがあったものの、店構えが立派過ぎたため、地下鉄御器所駅の入り口にある「スターバックス」に入りましたが、名古屋名物の「モーニングサービス」は無いため、コーヒーは安価なものの、サンドウィッチを注文したら昼食代より高くなりました。
 
 本日は、御器所交差点にあるパーキングに車を停め、交差点を北に歩いたところ、初めての路地に昔ながらの喫茶店「グリーン」を発見し、このお店は名古屋では当たり前ですが、各種のモーニングコーヒーがあり、マスターとママさんが運営するお店で、車を停めるスペースが無いのが残念ですが、「また来たよ」と立ち寄りたいような雰囲気で、明日もここに立ち寄るのは確実となりました。
 
 さて、この講習会は、愛知県全体が対象となっており、我々は過去の講習会が開かれていた中消防署より遠くなって不都合となりましたが、今回の講習会に参加するメンバーの中には、静岡県に近い豊橋市や豊田市からも受講者があります。
 
 「昼は近くに人気のそば屋がある」と、インターネットで調べてきたのが豊橋市から参加したメンバーで、会場となっている昭和消防署の真向かえにある中華そば屋に向かいましたが、我々は、私が「なか卯」の大ファンですから、御器所交差点にある「なか卯」を見つけたため連日の「なか卯」通いです。
 
 「ネット情報は美味いとあったが、入ってみたら不味かった」のが、豊橋メンバーの感想で、味の良し悪しはそれぞれの好みですし、さすがのインターネットでも味までは伝えきれないものの、豊橋から名古屋まで出てくるのは大変なことから、明日も「ハズレ」とならないことを祈ります。
 
 我々も旅先で「どこから来たの?」と問われると、簡単に「名古屋」と答えているものの、現実には名古屋市とは近いものの、せいぜい用のある愛知県庁付近まで行くのがせいぜいで、御器所付近を歩くのは10年ぶりくらいになります。
 
 明日で3日間の講習が終わり、明日は午後3時程度には終了することから、午後の珈琲タイムも楽しんで帰りたいとおもいますが、最終日は簡単とは思われるものの、実技と筆記試験があることから、久しぶりに少しは緊張する一日となりそうです。
 
 さて、こんな時に限って留守中の津島市から福祉有償運送の依頼ですが、残されたボランティアでも対応できず、現在口コミとなったままのボランティアから、一般タクシー並みの応対にもっていくためには、さらに多くのボランティアを募る必要性も感ずる一日となりました。
 
この一言の満10年までのカウントダウン、あと8日
                                   2月4日の一言

患者等搬送乗務員の適任者講習を消防署で

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 本日から3日間は、名古屋市昭和区御器所通りにある名古屋市昭和消防署において、「平成25年度患者等搬送乗務員」適任者講習が行われ、津島市からNPO法人ひとまち生活ネット津島と、おおしか福祉タクシーから3名が参加しました。
 
 もっとも、私ともう一人は、過去に講習を受け、既に患者等搬送乗務員の認定を受けていましたが、消防署からの連絡が忘れられており、あるはずの更新の連絡がなく、3年が経過していることから、2年以内であれば3時間で済む定期講習が3日間になってしまいました。
 
 本日は、午前中は身体の仕組みの座学で、心臓や呼吸器の仕組みから、異常時の対応などが教授され、午後は赤十字社の職員より、ベッドから車椅子への介助や、ベッドでの一部介助や全面的介助について、ヘルパー養成講座のような指導が続きました。
 
 明日からも外傷手当(やけど処置や骨折固定や三角巾包帯法など)や異物除去などと、 AED(自動体外式除細動器)や応急手当など搬送法についての講習が続きますが、私自身がヘルパーの養成講座や、消防署の普通救命講習だけでなく、独立行政法人の自動車事故対策機構や防災ボランティアでも介助等の指導を受けながら、まるで初めて指導を受けているような心境のため、定期講習の3時間ではなく、本日から3日間の適任者講習になったことが人々の役に立つためには良かったのかも知れません。
 
 もっとも、本日は初日のため、遅刻しないことと、車を停める駐車場を探すために早朝より出かけましたが、明日は7時30分の出発となり、知人が運転してくれることから少しは楽な講習になりそうです。
 
 さて、私自身はタクシーメーターによるタクシー料金と、タクシー料金の半額以下となるボランティアの福祉有償運送の料金を使い分けていますが、ボランティアが福祉有償料金470円で移送している会員さんを、業者が車イスのままだと3900円で運んでいるとの話に、私の福祉タクシーでも千円以下と思われることから、どうしたらそんな高額になるのか理解できません。
 
 ただし、正義感で「私に任せて」なんて叫ぶと、大変な事態を招き、議員活動すら継続できなくなりそうで、ボランティアと言えども自立していない人々まで手を差し伸べる気はありませんが、あまりにも高額になっている現状には踏み込んでいく必要がありそうです。
 
 こんな一言を記すことになったのも、講習とは言え、目的を同じくする人々の集う場所に出向いたためで、新たな知識と体験を入手する機会の重要性も実感させられる一日となりました。
 
この一言の満10年までのカウントダウン、あと9日
                                   2月3日の一言

人が簡単に殺される社会と、犬も殺させない仕組みと…

 最近の新聞記事を読んでいると、連日のように新たな殺人事件や、介護に疲れた家族による殺人や心中事件が掲載されており、本日だけでも下記の発信がありましたが、これ以外にも札幌の少女の行方不明など殺人が日常的に起こっていることに驚きは隠せません。
  
山中に男性遺体 遺棄容疑で知人の男2人逮捕 愛媛
 
 愛媛県では34才の知人男性の遺体を治市の山中に埋めたとして男性2人が逮捕され、関わった少年など2人の行方を追っているが、「金銭トラブルがあり、犯人は車の中で殺した」と供述している。
 
アパートで一人暮らしの女性死亡 殺人事件で捜査
 
 群馬県館林市では30歳のパート女性がもアパート2階の自宅の一室で死亡しているのを訪れた母親(56)が発見したとあるが、 腹部に刺されたような目立つ外傷が1カ所あり、県警が殺人事件として捜査を始めている。
  
「寝たきりの妻かわいそう」 85歳夫、殺人容疑で逮捕
 
60代夫婦、遺体で発見 「介護できない」の遺書 大阪
 
 一方で、各地から老々介護に疲れた心中や殺人事件も後を絶たず、本日も2ヵ所から事件が発信されているものの、高齢の老々介護や独居老人については周りの予測も出来そうだが、大阪府豊中市の事件は61歳の妻が69歳の夫の介護に疲れ、「これ以上は介護できません」の遺書を残しており、私と年齢も違わない事件だけに深刻に思います。
 
 さて、ペットブームの中で、捨てられたりして年間16万匹が殺処分されているとの発信もあり、ペット業界でも「売れない犬」を安易に処分させない仕組み作りが始まっているとの新聞記事を見つけたので添付しました。
  
ペット、売れなくても生きる道 業者、引き取って保護
記事の続き…
 「幼ければ幼いほど人気がある。かわいく見えると高く売れるから」とあるブリーダー(65)は言った。
 だが、あまり幼い時期に親離れさせると精神的に不安定になり、攻撃的になりやすいとの見方がある。飼育放棄にもつながりかねないとして、国は動物愛護法を改正し、昨年9月から生後45日以内の販売を禁じた。オークションでは、多くがきっちり46日目で出品されていた。
 1日の取引は500匹前後。頭の形がいびつだったり股関節がゆるんでいたりする犬や猫が売れ残った。
 業界団体によると、オークションは加盟業者だけで全国15カ所で開催。非加盟業者によるものも4カ所である。環境省は年間に売られる犬猫の約4割がオークション経由とみている。
 ■トリマー学校の教材犬などに
 オークションや店での売れ残りはかつて、悪質な業者が人知れず捨てたり、殺処分させたりしていると批判を浴びた。そんな状況を変えようと、業界内でも新たな動きが出始めている。
 埼玉県内3カ所でオークションを開く「上原ケンネル」の上原勝三(かつみ)社長(57)は2010年、そうした売れ残りや、病気や障害で競りに出品すらできない犬や猫を引き取り始めた。
 「命の値段を競る業界だからイメージはよくない。売れない犬猫がどうなるのか。『ブラックボックス』などと言われる状況を変えたかった」と話す。
 経営に行き詰まった繁殖施設を買い取るなどして、数百匹が飼える「シェルター」を埼玉と群馬県に確保。業界に批判的な動物愛護団体とも連携し、飼い主探しや、毛を整えるトリマー学校の教材犬など「第二の生き方」を見つけるネットワークを作った。これまでに約1900匹を受け入れ、1400匹近くの引き取り先を見つけたという。
 無責任な飼育をする悪質ブリーダーを温存するとの批判もあるが、上原さんは「自らの戒めでもある。ブリーダーの質を上げる努力も続け、引き取りを減らしていきたい」。運営費は収益の一部を回し、寄付にも頼る。いずれは業界全体で幅広く負担する仕組みを作り、全国に広げたいという。
 大阪市でも12年、販売が難しい犬や猫の保護活動をするNPO「ラブファイブ」が活動を始めた。東海から関西地方のオークションや店を回り、売れ残ったり、繁殖を終えたりした犬猫を引き取る。
 代表の岸大輔さん(36)は15年間、大手ペット店チェーンで働いていた。動物愛護法改正の審議で業界の実情を説明し、批判の矢面に立った経験が、立ち上げのきっかけだ。
 「動物が好きで働いてきたし、納得できない面もあった。ペット産業を無くせるわけではない。販売の裏側の灰色な部分をよくしていこうと考えた」
 毎月、30匹前後を保護。市内の公園などで譲渡会を開催する一方、常設の出会いの場とする喫茶店「HO(ホ)GO(ゴ)KE(ケ)N(ン)CA(カ)FE(フェ)」も昨年、2店舗オープンした。(井上恵一朗)
     ◇
 〈改正動物愛護法〉 販売困難になった動物を死ぬまで飼育することを業者に義務づけた。殺処分する都道府県に対しては、ペット店やブリーダーからの持ち込みを拒否できることも明記。それまで犬は「生後40日以内」、猫は「45日以内」の販売自粛という業界内の自主規制に頼っていたが、初めて犬猫とも「生後45日以内」の販売を法で禁じた。16年9月以降は「生後49日以内」に規制を強め、最終的には欧米で主流の「生後56日以内」にすることが検討されている。
 
 金曜日の午後の話となりますが、乳母車に2匹のポメラニアンを乗せ、1匹の犬に引かせて散歩するお婆さんと出会いましたが、最初のポメラニアンの夫役にポメラニアンを飼ったところ、柴犬のように大きくなり、ペットショップに抗議するともう1匹のポメラニアンをくれたため、3匹を連れた散歩になったようです。
 
 高齢になり、愛犬の存在感は大きいものの、愛犬と死と自分の死による別れを考えて飼わない人も多い中で、この人は愛犬の子供を残そうと考え、結果的には子供ではなく、2匹の愛犬が増えたわけですが、愛犬にとってはお婆さんが母親役であり、お婆さんにも母親役としてペットが貴重な存在になっています。
 
 愛犬やペットの飼育環境も確実に向上しており、家庭内でのペットの存在感が増している半面で、人が簡単に殺されて遺棄されたり、先の見えない生活に絶望した心中や自殺も増えており、生活の格差や多様性も感ずる一日ともなりました。
 
この一言の満10年までのカウントダウン、あと10日
                                   2月2日の一言

4才の孫を娘から預かったものの…

 日本相撲協会の理事候補選挙において、協会ナンバー2の九重事業部長(元横綱千代の富士)が落選する異例の事態が報道されているが、九重親方は、『元横綱千代の富士」という知名度とは裏腹に、親方衆の間では「人に頭を下げて頼むことができない」などと言われ、もともと人気が高くない』との報道に、平生だけでなく選挙時でも「頭を下げて頼めない」私と共通し、昨日の私の一言と重なった記事に吾が身のように感じる新聞記事ともなりました。
 
「九重落とし」動いた出羽海一門 しこり抱えた相撲協会
記事の続き…
 そして、今回。出羽海一門のある元三役は「九重さんを落とさなければならなかった」とささやく。協会の全事業を取り仕切る九重親方は、協会と業者との契約などを巡り、北の湖理事長やその側近の事務方と対立を深めた。そこで、理事長が所属する協会最大派閥の出羽海一門が、「九重落とし」に動いたという。
 伊勢ケ浜一門は、現職の伊勢ケ浜審判部長(元横綱旭富士)を第1候補として擁立。第2候補は一門の残り票で戦う友綱親方で、ここに「九重落とし」でまとまった出羽海一門から票が流れ、友綱親方の得票が九重親方を上回った。
 九重親方に近い親方の一人は「絶対に、このままでは終わらせない」と怒りをあらわにした。3月下旬の新理事会で再選が確実な北の湖理事長と、排除されたナンバー2。内部に大きなしこりを生みだし、新法人が動き出すことになった。
 
 協会と業者との契約などを巡り、北の湖理事長やその側近の事務方と対立を深め、理事長が所属する協会最大派閥の出羽海一門が、「九重落とし」に動いたという報道に、トップに反対すれば組織のナンバー2も排除されると言う、過去の不祥事から再生を図る相撲協会の反省のない体質が改めて浮かびだされました。
 
 本日は仕事に出かける娘からの依頼で、朝から孫(4才)を預かりに名古屋まで迎えに走り、孫が興味のある熱帯魚の水槽がある津島市の喫茶店まで戻り、孫のお絵描きに付き合い、なだめるためにパソコンの乗り物や水族館の動画を見せ、近所のみたらし団子を一緒に買いに行きと…
 
 夕方には戻った娘と家内に同行し買い物の運転手役となり、待ち疲れた後にやっと一人で馴染みの珈琲屋さんに降ろしてもらうと、「ボクも行く」と孫が一人で降りてきた時は嬉しかったものの…
 
 私の倍近い高価な飲み物を選び、ケーキを食べさせたところ、「トイレに行きたい」と言い出しどうして良いか判らず、今度は待てども家内が迎えに来ず、我慢の限界のきた孫を連れて歩いて帰りだしました。
 
 4人の子供がいながら、一日中子守をした経験はなく、珈琲屋さんでトイレに連れて入ったのも、飲み物を食べさせたのも初体験で、夕食後もテレビの正面で遊ぶ孫の声で番組も見られず、「じいちゃんも連れて帰ってあげて」と言われても反応する気力も応対する元気もありません。
 
 孫を連れて家内と一緒に四国遍路に行くことを今年の目標にしており、できれば四国別格二十霊場会の子供先達になろうと孫にも言い聞かせていますが、4才の子供の面倒を見ることの大変さを実感させられる一日となりました。
 
この一言の満10年までのカウントダウン、あと11日
                                   2月1日の一言
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