大鹿一八「本日の一言」

平成16年2月から令和1年7月末までの「本日の一言」です。ヤフーブログ閉鎖により、ライブドアへ過去の記録として引っ越しました。

2014年03月

明日からコーヒー代も値上げです

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 添付した写真は「あま市(旧七宝町)」にある喫茶店のモーニングサービスですが、2種類のパンに、サラダ、玉子とメロンがついており、名古屋の全国に有名となっているモーニングサービスの有難さを初めて実感させられました。
 
 訪れたのは土曜日ですが、4月から消費税が増税されるため、月内にチケットを購入するとお得(11枚綴りで3300円)とのお店の勧めに、我家から車で15分程度もかかる遠い場所にあるものの、家内はモーニングサービスによって機嫌良く購入していました。
 
 一方で、本日訪れたイキツケの珈琲店では、明日から380円のコーヒー代が10円値上がりして390円となるものの、10枚綴りのチケットを購入すれば値上げ後も340円で飲む事ができ、このチケットも本日中に購入すれば、明日以降も330円で飲めるため購入も考えたものの、女々しいと購入せずに帰宅しました。 
 
河口湖の桜30本、無断で切られる 富士山眺めるため?
 
 新聞報道では、世界文化遺産に登録された河口湖湖畔に、約300本植えられている桜のうち30本が、管理する住民団体「河口湖緑の会」に無断で伐採されたことがわかり、観光目的で切られたことに「さくら祭り」を前に怒りの声が上がっています。
 
 さて、自然環境の維持に厳しい上高地では、生えている植物どころか、観光客が落ちている枝葉や梓川の流木を拾っても厳しい注意を受けることがありますが、現実には梓川沿いに自然に芽生えた樹木が関係者の手によって伐採されており、観光客には厳しいものの、上高地内の関係者のやりたい放題は見逃されている一面も存在します。
 
 自然に一切手を加えないと、ジャングルのような雑木林となることから、人間の進入さえ難しくなり、上高地でも樹木に一切手を加えなければ、北アルプスの見事な銀嶺も見晴らせないはずですから、自然保護と観光の妥協も必要に思われます。
 
 今回の河口湖の桜の伐採についても、緑の会のボランティアが30年前に植えて、管理を続けて桜の名所に育てており、「さくら祭り」では夜もライトアップしていることから、観光収入のため身勝手な伐採は許せないものの、ボランティアと協調した管理を続けて行くべきでしょうね。
 
                                    3月31日の一言

花見に大衆演劇と春の話題が届きます

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 本日は隣のお寺の春の永代経が行なわれ、朝から受付に座る一日となりましたが、午後は昼の「オトキ」(昼食)も断って、約束した時間よりは遅れたものの車を走らせ、自由な時間になったのは午後7時になっていました。
 
 津島市の天王川公園では桜が開花をはじめ、せっかくの日曜日も雨と強風のために人出はなかったものの、屋台の設営が整い、夜には公園に張られた提灯に電気が灯り、これからの一週間は満開の桜の下で花見が繰り広げられます。
 
 添付した写真は津島神社の東の鳥居と楼門ですが、夜にはライトアップの照明がともり、幻想的は空間が広がっていましたが、感度の悪い携帯電話しか持ち合わせておらず、イメージとは随分かけ離れた写真になってしまいました。
 
 今週は、津島市内の花の様子も添付していきたいと思います。
 
どっこい生きてる時代劇 福岡、大衆劇場が守る文化
記事の続き…
 しかしその時代劇は、苦境にある。かつては民放各局に時代劇枠があったが、「銭形平次」、「暴れん坊将軍」と消え、42年続いた「水戸黄門」も2011年に終了、地上波の民放から時代劇のレギュラーがなくなると話題になった。背景には視聴率の低迷、特に若い世代の時代劇離れがあった。
 ところが、福岡ではなぜ時代劇が廃れないのか。東京の明治座でプロデューサーをしていた村田さんは「拍手や笑うタイミングなど、福岡のお客さんは目が肥えており、時代劇を受け入れる土壌が残っている。一つには、大衆演劇の影響があるのでは」と話す。
 大衆演劇の演目は、勧善懲悪の分かりやすい時代劇がほとんどで、それを華やかな衣装の踊りや歌のショーとともに旅役者たちが見せる。飯塚市の嘉穂劇場は、その「聖地」とも言われ、全国座長大会は昨年35回目を迎えた。運営するNPO法人の伊藤英昭理事長は「聖地だなんて、ただここが残っただけ。炭鉱がにぎわっていたころは遠賀川沿いに50以上の芝居小屋があったそうです」と語る。
 座長大会も、劇場が減り、活力を失いつつあった大衆演劇の人気を盛り返そうとして生まれた。劇場こそ減ったが、大衆演劇を何とか残そうとする思いは、今も福岡に残っている。
 上毛町(こうげまち)の温泉施設には昨年12月、ぶらり劇場がオープン。この地域では初めての大衆演劇の施設だ。北九州市小倉北区では昨年10月に大衆演劇館宝劇場が誕生。大衆演劇が見られる場所が地元から消えることを嘆くファンに応え、九州演劇協会長で旅役者の玄海竜二さんがつくった。
 玄海さんは「自分が座長襲名した土地でもあり、大衆演劇の灯を消したくなかった。九州の旅役者には独特のプライドがある。たぶん全国の旅役者の6割くらいがルーツは九州になるのでは」と話す。
 3月は南條光貴さんの一座が出演している。元は銀行だった建物で、パイプいすを並べ、金庫もそのまま物置にしているが、観客の熱気は変わらない。
 福岡市博多区にある博多新劇座は今年16周年を迎える。やはり旅役者の紅(くれない)あきらさんが、演じる場を残そうと建てた。安東孝幸支配人は「開館当時のファンの子や孫など、世代交代しながら新しいお客さんも増えています」と話す。
 3月は紅さんの弟の3代目大川竜之助さんと、いとこの美川麗士さんという2人の座長が公演中。平日の昼に訪ねると、客席の大半は女性で、子分の敵を討った親分に拍手喝采、女形のつややかな踊りにうっとり。休憩時間には役者から前売り券を買い握手してもらう。とにかく舞台が、役者が近い。佐賀県唐津市から来た70歳代の女性3人は「ストレス解消」「月1回の楽しみ」と語った。
 時代劇研究家のペリー荻野さんも、福岡のお客さんは「楽しみ上手」だと指摘する。「マツケンサンバを追っかけて各地を回った時、福岡のお客さんが、いちばんしっかりお芝居を見て、ショーでは一緒に踊っていた。時代劇を楽しむには、理屈ではなく作り事と分かってお約束の物語を楽しむことが必要なんです」と話す。
 お約束の大衆演劇を愛する情熱がある限り、時代劇愛も消えそうにない。
 
 本日の朝日新聞には、福岡で展開される大衆演劇について大きく取り上げられていますが、全国各地で大衆演劇が行なわれており、私の住む愛知県では名古屋以西には無いものの、名古屋東部や三重県四日市市、岐阜県の郡上八幡などの温泉で、大衆演劇が行なわれ、地域の憩いの場所となっています。
 
 私は四国遍路の帰りに、必ず日帰り温泉で汗を流してから名古屋を目指すようにしており、香川県坂出市に近い宇多津町(瀬戸大橋の近く)の四国健康村で薬湯に浸かり、夜7時から食事をとりながら大衆演劇を鑑賞することを楽しみにしてきました。
 
四国健康村・大衆演劇  http://www.kenkou-mura.com/05_engeki.html
 
 かつては1万円札で作った首輪を役者の首に掲げるファンや、お気に入りの役者にオヒネリを差し出すお客さんを見てびっくりしましたが、最近はペットボトルのお茶1本をオヒネリ代わりに座長にさしだす身近な寸劇が繰り広げられ、2時間コースは750円で風呂に入って演劇が見られる地域に根ざした存在となっています。
 
                                   3月30日の一言

千四百年も続く企業の存在に

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 本日は娘の依頼で、朝から孫を預かっており、孫と一緒に買い物や桜の花見などを目標に出かけましたが、私の助手席は相棒リマの指定席となっており、車を走らせた時には喜んでいたものの、本日の主役は相棒ではなく、珈琲屋からホームセンター、スーパーマーケットと、我々が車を離れる度にストレスを溜めまくる一日となってしまいました。
 
 家内の話では、車で出かけると解ったときは喜んでいたようですが、孫が一緒だと解ると嫌そうな表情をしたらしく、出かけるのは好きですが、助手席の留守番役となり、私のいない運転席で叫んで寂しく待ち続ける相棒でしたが、最近は孫が助手席に座りたがるため、助手席だけは死守して喜んでいる姿を添付しました。
 
創業1400年、金剛組に異変 「最古の企業」当主不在
記事の続き…
 とりあえず、今年の儀式は金剛組相談役の植松襄一(じょういち)さん(71)が、前例のない「正大工代務者」となって挙行した。19歳で入社し、四天王寺から「権大工(ごんだいく)」(正大工の補佐役)の称号を拝受している。「伝統ある儀式を続けられてほっとした」と話すが、当主不在は長引く可能性がある。
 金剛組や四天王寺に具体的な記録が残る17世紀以降、金剛家が当主不在で「手斧始め」を迎えた例はない。だが、後継者難や経営危機は何度もあった。
 亡くなった利隆さんが病床で完成させた著書「創業一四〇〇年」によると、江戸時代、病弱だった33代目は26歳で自ら正大工を退き、継いだ34代目も「職道不熟」で退任に追い込まれ、分家からの養子でしのいだ。明治時代、廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)で四天王寺が寺領を失うと、お抱え宮大工の扶持(ふち)米2石3斗もなくなり、経営が悪化。他の社寺の仕事をもらってしのいだ。
 1932年、37代が後継者がないまま先祖の墓前で自殺。急きょ、38代目となったのが妻の故・よしえさんだった。48年、福井県の建設会社で働いていた利隆さんを婿養子に迎えて後継者のめどを付けると、55年には株式会社化して経営を再建。社寺の鉄筋コンクリート造りに素早く対応するなど、「なにわの女棟梁(とうりょう)」として名をはせた。
 しかし、マンションなども手がけたバブル期の拡張主義が遠因となり、2005年に経営危機に直面。06年に中堅ゼネコン高松建設(大阪市)の支援で子会社となった。その際、社長だった利隆さんの一人息子が責任を取って退社し、金剛家が経営から退いたことが、今回の当主不在の事態につながった。
 ただ関係者は、金剛家からの正大工を期待している。高松建設から金剛組に転じた刀根健一社長(59)は「120人の専属宮大工には、伝統ある『金剛家の弟子』との自負がある。社寺との信頼関係や精神面で金剛家が必要だ」と話す。
 四天王寺の吉田明良(めいりょう)・総務部長(46)も「寺は災害や戦災で7回失われたが、金剛家のおかげで再建できた。1400年の付き合い。いつかまた正大工を担ってほしい」と願う。
 相談役の植松さんは「当主不在は長い歴史に比べたらほんの1ページ。ふさわしい40代目が現れるまで技術と伝統を預かっていく」と決意している。
 
 私は学生時代から朝日新聞販売店を経営していましたが、平成11年に選挙に立候補することになり、政治との兼業が禁止されていたため廃業することになり、23年間で看板を降ろしましたが、自分の仕事を次世代に継がせるのも大変なのに、千四百年も歴史を刻む企業の存在には驚きの一言しか思い浮かびません。
 
  聖徳太子の命で四天王寺建立して以来、千四百年も継承されてきた「日本最古の企業」ともいわれる「金剛組(大阪市天王寺区)が、昨年10月に39代目当主金剛利隆さんが後継者不在のまま89歳で死去してしまったとの朝日新聞記事です。
 
 金剛組は578年 初代・金剛重光が百済から渡来して創業し、593年に聖徳太子の命で四天王寺を建立したとあるが、日本書紀に「百済に行った使者が僧や造寺工を連れ帰り、難波(大阪)に住まわせた」という趣旨の記述があり、金剛組の系図は「用明天皇の皇太子(聖徳太子)が金剛、早水、永路の3人の大工を召して四天王寺を建立した」と記されており、天皇家と遜色ない歴史を宮大工として残しているだけに、金剛家の血脈で40代目を継承してもらいたいものです。
 
                                   3月29日の一言

渡辺氏だけでなく、党全体の責任問題だ

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散り始めた我家のアンズです
 
 徳洲会グループから5千万円を受け取っていた猪瀬直樹東京都前知事に対して、東京地検特捜部は公職選挙法違反の罪で東京簡裁に略式起訴し、簡裁から虚偽記載罪の罰金刑の上限50万円の支払いを命じられた事と、今後公民権が5年間停止されるとの報道があります。
 
猪瀬氏「なぜこんなことを…」 虚偽記載で罰金50万円
 
 この5千万円については、徳洲会に司直のメスが入ったため慌てて現金を返却した事が墓穴を掘った格好で、どうせ辞任に至った結果からは、発覚するまで知らぬふりをしていれば徳田氏と猪瀬氏だけの秘密になっていたのかも知れません。
 
 猪瀬氏はこの5千万円によって、東京都知事の座を去り、確実に悪役のレッテルを貼られているが、みんなの党の渡辺代表については、8億円もの政治資金を借り、貸した相手が選挙資金の証拠となるメールを公開しているにも関わらず、「個人的な借金」として使途も明かさず、国会を風邪による体調不良と嘘でずる休みする態度は、国民を欺く詐欺師として糾弾されなければなりません。
 
借金の使途「かなり大きい熊手」 渡辺代表会見3
 
「8億円は選挙資金」 DHC会長、渡辺氏に提供認める
 
 5千万円を返しに走った猪瀬氏と比較すれば、借りた借金を返すこともできず、猪瀬氏の資金問題を痛烈に批判していた言動から、自分自身の幕引きだけでなく、みんなの党として責任を問われることは必死で、このまま説明責任を果たさなければ党の解党しかありません。
 
 さて、本日は今年度最後となる出納監査のため市役所の一日となりましたが、年度末は本日と来週の月曜日が最後となり、自身の政務調査費の会計も締め切りとなるものの、支払いが済んでいない調査費や材料費が複数あることから、慌てて支払いと振込みに走る夕方ともなりました。
 
 津島市の監査委員は代表監査委員1名と、市議会から1名選出される監査委員は慣例で一年交代となっていることから、私の任期も5月の臨時議会までとなり、4月に新城市で開催される県内行事と月末の例月監査が最後のお勤めとなります。
 
 市役所職員のように毎日の勤務ではないものの、2名だけの役職のため欠席できない責任から、今年の冬は毎年行なってきた上高地行きを断念したり、新たな仲間との四国遍路も企画せずに年度末を迎えました。
 
 「大鹿さん、秩父へ行きたいんだけど、〇万円くらいで行けるかな?」」
 「えっ、その半額くらいで行けますよ」
 「3人だけだから」
 「それでも、そんなにはもらえません」
 「それじゃー、あんたの儲けにもならないよッ」
 
 かつて、四国遍路に同行した知人との会話で、ご自身は自動車会社の社長さんで、海外旅行にも行きたいだけ行く人ですが、金額が高くても80代のお姉さんを連れて行きたいとの話に、5月に3日間で巡拝することが本日決まりました。
 
                                  3月28日の一言

捜査関係者の責任を問いたい袴田事件

 48年前に一家4人を殺害したとして死刑判決が確定していた、袴田巌さんの再審が静岡地裁で認められ、本日東京拘置所から釈放される姿がテレビニュースでも放映されましたが、48年の拘置所生活により精神を病み、78歳になってしまっている現実を、証拠品を捏造したと思われる当時の捜査担当者にどのような責任を問えるのか。
 
袴田事件の再審開始決定、釈放へ 証拠「捏造の疑い」
 
 48年分の自由を奪われた損失を補償されたところで、平均寿命を考えると48年分の報酬を使いきれる時間と体力は残されてはおらず、身に覚えの無い犯行を押し付けられ、犯人の家族として人目を忍んで生活し、既に他界されているご両親や兄2人など多くの人々の人生を暗転させました。それらの人々には謝罪することもできません。
 
 私は幸いにして警察に拘置されるようなことは一度もありませんでしたが、非行に走る前の中学生時代に、塾をサボって深夜徘徊している時、突然数人の警察官に取り囲まれて駐在所に連れていかれたことがありました。
 
 「何か言う事はないか」と問われ続けたものの、身に覚えがないままに服を脱がされて身体検査が行なわれ、ポケットに入っていた千円札の出所を問われて、父親まで呼び出されて犯行を自白するよう繰り返し質問が続きました。
 
 私に対する取り調べは、当時の農協売店に忍び込み、何かを盗み出した疑いで調べられ、身体検査から大声で暴力スレスレの犯人と特定したような威圧的な取り調べと、反対に優しそうな警察官の組合せで行なわれたものの、犯人ではないため取調べが進まず、父親が私をわざと本気のように殴ったために、「まぁ、まぁ、お父さん」と、父親の暴力を心配して解放されました。
 
 しかし、翌日から何事もなく学校には行ったものの、どこかで警察官に見張られているような心配と、近所に農協の職員も存在したことから、周りに疑惑の犯人と思われているような疑心暗鬼な気持ちにさせられ、駐在所で生活する警察官と家族も我家と親しかったことから、世間に背を向け、塾を辞めるだけでなく、元々が学校嫌いのため、学校をずる休みする生徒になっていきました。
 
 さて、この事件については、その後何もありませんでしたが、病気と非行に走り高校を落第して2年下となる後輩と同級生になった時に、この事件の犯人が私の知る後輩で、直後に捕まっていた事実を聞くことになり、当時の暴力紛いの取り調べをした警察官に抗議したい心境となったものの、当時は不良少年になっていたため、後輩に犯人と間違われた笑い話としてしまいました。
 
 非行少年にもこだわりはあり、私は仲間を売ることと、空き巣のような他人の物を盗むこそ泥はやりませんから、純真な少年(とは言えませんでしたが)の心を傷つける警察官の対応には、今でも怒りが収まりません。
 
 還暦を迎えるまでにも、警察官の理不尽な対応には何度も遭遇しており、落ちていたカバンを届けた際に、中身の現金が抜かれていた事から犯人と疑われたり、議員に初当選する1ヵ月前にも、娘の自転車に乗って「自転車泥棒」と勘違いされ、パトカーのスピーカーで怒鳴られて派出所に連行されたりと、語り尽くせないほどのエピソードが存在します。
 
 同じ間違いであっても、袴田さんのように死刑囚に陥れられたわけではなく、今では笑い話にできるものの、こんな理不尽な取り調べでも犯人に仕立てられてしまう危険性は、情報化社会となった現代社会からは払拭していくと同時に、間違って罪人とした場合の警察官への強い厳罰を求めていきたいものです。
 
                                  3月27日の一言

散りゆくアンズに悲しい話題を重ね合わせて

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 本日は朝から雨の一日となり、満開を向かえた事務所前のアンズ(杏)は、一瞬にして散り落ちる運命となり、可憐な花弁は通行する人の足に踏まれ、花見をする余裕もないまま散りゆくアンズに寂しさは否めません。
 
 事務所前のアンズは、私が事務所を建てた昭和60年頃に、長野県(たぶん更埴市か)出身の知人からいただいた木で、庭の奥に植えられたアンズは、私の父親がこの木の花を見て買ってきたもので、我家では父親が長男のために植えたサクランボとともに大きく成長して庭を花で埋め尽くしてくれます。
 
出た出た1万円札520枚 ベトナム、スピーカー解体中
 
 さて、ベトナム南部ホーチミン市のくず鉄回収業の30代の女性が、「見知らぬ人から買い取った古いスピーカーの中から520枚以上の日本の1万円札が出てきた」と警察に届け出たとの話題が大きく取り上げられています。゛す
 
 我家では、私の祖父の形見としてもらったバイオリンが、家族に粗末に扱われて軒先に出されていたり、父親が戦前の満州鉄道時代から愛用していた水筒を洗って置いておいたら捨てられていたり…
 
 私が高校の入学記念に祖父から貰った腕時計や、高校時代から愛用していた二眼レフカメラがガラクタとして家内に捨てられ、横井庄一さんから貰った鈴木清々さんの一輪挿しの花瓶を、子供が割ったからと私に隠すように捨てられていました。
 
 四国八十八ヶ所の朱印を押した掛け軸にしても、30万円から47万円という原価の3倍以上の高額で販売されている一方で、中古品については1万円程度で販売されていく現実を見ると、四国で苦労して完成させた先祖の遺品が軽々しく処分されている寂しさを実感させられます。
 
 我家の事務所2階には、横井庄一さんの残した書や陶芸作品が多数残され、父親の日本画の帝展画家浅見香城先生の画帳や、日本画仲間の書画とともに、私自身が恩師にいただいた書画や、瀬戸の陶芸家山口コ小左衛門さんからいただいた抹茶茶碗などがトラックに一台分ほど保存されています。
 
 私が鬼籍に入った時、これらが残されることに期待する反面で、高価な物は売られると考えると寂しく、捨てられてゴミとして処理されるのは更に悲しい運命ですが、異国のベトナムの回収業者の手によって発見された520万円に、真の所有者の声が届かぬ悲しさを実感させられる一日となりました。
 
                                 3月26日の一言

配布したアンケートが連日返信されて

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 添付した封筒は、私が地域へ配布したアンケート用紙を挿入して返信されてきた私宛の手紙で、今年に入ってから事務所へ毎日送られてきますが、昨日だけで22通届けられており、過去4回(平成14年、16年、18年、22年)と比較すれば少ないものの、他の議員さんらの話では多く戻っているようです。
 
 現在の現状では、配布予定1万5千部のうち3分の2程度を配布しており、残りを来月の20日までに配布する必要に迫られますが、今回は記入した本人の名前を記名した返信が少ないことから、私に対する期待不足かも知れないものの、その理由について考えさせられてしまいます。
 
 津島市の財政状況の悪化から、市民サービスの低下は否めず、子供医療費の無料化は県下最悪と言われ、市民病院に対して毎年10億円を超える市役所一般会計からの補助金(今年度は12億6千万円)を入れても赤字が見込まれ、市長が任期を1年残して突然辞職することも市民からの厳しい意見となって届けられてきます。
 
 次期市長選についても人材不足は否めず、市民の関心は過去にない低さで、こんな市政運営については、市長や市議会議員に対する厳しい意見が届くものの、東京都知事選挙や大阪市長選などと同じく低投票率の可能性が高そうですね。
 
 「大鹿さん、4期もやっていて何とかならないの」との厳しい一言も、私自身は直接手をつけてしまった高齢者や障がい者を対象とする福祉有償運送ボランティアの維持と、NPO法人の存続だけでも人生の限界値になっており、高額な資金を投入してきただけに、これをボランティアの後継者につなぐ命題で精一杯です。
 
 さて、先週に若狭方面へ日帰り旅行を行なってから初めての書道会が本日開かれましたが、先週の余韻で旅行話に花を咲かせ、メンバーで一番若く定年後も働くNさんが休みをとり、天候が良ければ当日でも出発する話でまとまりました。
 
京都・南山城の11寺結束 知名度アップへ文化財PR
 
 奈良県と隣接する京都府南山城の11のお寺が、「京都南山城古寺(こじ)の会」をつくり、貴重な文化財を守っている寺が数多くあることをアピールし、知名度アップを図ると新聞報道されています。
 
 京都府南山城村については、三重県上野市と隣接し、梅園で有名な奈良県月ヶ瀬の北に位置する地域で、木津川沿いに走れば見事な渓谷美に驚かされますが、愛知県からここを目標に走ることはほとんど無いと思われます。
 
 私も奈良県や京都府には何度も足を向けましたが、南山城村については訪れたことがなく、数年前に高速道路を使わず四国へ向かった時に初めて通りかかり、観光地化されていない日本の原風景のような魅力を感じました。
 
 私自身が上高地と京都、四国遍路を定番としていることから、書道会の話題も私の好みとなってしまいがちですが、南山城については距離も近く、訪れたこともないことから、夏までには是非とも訪れたい話題を新聞からもらいました。
 
                                   3月25日の一言

三男が京都に行っており…

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京都大徳寺門前、山国屋の日本酒「雪紫」です
 
 昨日の話となりますが、三男が京都を観光目的で訪れており、途中で私のお気に入りとしている酒屋「山国屋細見酒店」の雪紫を購入して帰っていました。
 
 この細見酒店は、議員になる前にも立ち寄っていましたが、議員になった15年前からは8月16日の送り火の日と、年末の大晦日には必ず訪れることにしており、3年前には知人と一緒に屋上から大文字送り火を鑑賞させていただきました。
 
 三男は昨年にもここを訪れていますが、せっかく立ち寄ったものの、私の息子であることを名乗っておらず、「何故にそこまで行ったのに…」と言っていたため、昨日は名乗ったところお土産をいただいたとの話に、今度は絶対に貰わない工夫が必要です。
 
 さて、津島市議会は明日が本会議の最終日となりますが、アンケート用紙の配布が終わっておらず、3月1日付けで発行した神守中学校同窓会報の協賛広告の集金も残しており、明後日からは議会中より忙しい毎日となります。
 
 一方で、5月を目標にして、20年前に発行していたミニコミ紙「ふるさとアサヒ」を復刊させる話も展開中で、明後日に紙面の構成を話し合う約束もあり、何も進捗していない内容と、これは発行するために新たに協賛してもらう広告主を探す必要もあることから、議員の仕事とは無縁の活動となることから、再発行も大変ですが、再発行後の苦難を考えると「何故の再発行?」と言われても答えられません。
 
 もっとも、平成5年を最後にして休刊中になっていますが、昨年に津島市図書館が地域で発行された大正から昭和初期の新聞と同等に評価して、一冊の記録本に収録して残していただいたことから、私の人生の中で唯一評価されて残された嬉しさの半面で、これまでの過去形にしたくないための最後の仕事とするつもりです。
 
 これも前日の一言を引きずりますが、何を言っても考えても、「すい臓ガン」と宣告されればそれまでの話となり、気力を奮い起さないと何もやらないままに時間を経過させてしまいそうな心境のままに夜を迎えました。
 
                                    3月24日の一言

棺内の故人から凍りつく絶望感が…

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 昨年の11月7日に、四国別格第十四番椿堂でいただいてきた椿が花を咲かせました。いただいてきた椿は3本で、1本は地元の同じ高野山真言宗のお寺にもらってもらう予定で、弘法大師ゆかりの椿が愛知県でも花を咲かせていきます。
  
先達研修会から、第14番椿堂まで椿をもらいに
 
 さて、昨日の一言にも記しましたが、本日はかつての仕事の先輩の葬儀に訪れましたが、棺の中で眠る個人の姿に、かつての面影は皆無で、祭壇の遺影と見比べてみても、赤の他人としか思えない姿に悲しみよりも地獄を見たような気持ちになりました。
 
 故人は昨年7月にすい臓ガンが発見されてから闘病生活を送っていたとの話でしたが、私より恰幅の良かった体が、完全なる骨と皮だけになっており、顔色も黒ずんでおり、木像としか思えない姿に、ガンは治る病気になったとの言葉がある反面で、ガンに罹ったら絶対に助からない心境を実感させられました。
 
 私の父親も肝臓ガンで、半年の闘病の後に故人と同じ65歳で亡くなりましたが、これほどには痩せてはおらず、生前の面影も残しておりましたから、本日の知人の姿からは一度発症したらガンは絶対に死に至るとしか思えないような絶望感すら感じ、すべての気力も失せてしまいました。
 
 「故人は小学校3年生から新聞配達をはじめて…」との、弔事を読む朝日新聞販売局長の言葉に、私のように新聞配達の経験もないまま学生時代に起業した半端者とは違う仕事に対する執念を感ずる一方で、骨と皮になってしまった姿に心が凍りました。
 
 「もう、仕事なんかやっておられないなぁ…」
 「どうしたの?」
 「ガンになったら半年後の命は無いんだぞッ」
 
 帰宅直後に家内と交わした言葉ですが、どうせ治らないなら、ガンと闘って骨と皮の姿になるよりも、このままの姿で死にたいと思うとともに、一年先の予定を語ったところで何ともならない無力感を味わうとともに、胃の痛む一日ともなりました。
 
                                  3月23日の一言

かつての仕事仲間の訃報が届いて…

 「大鹿君、あんたに電話するべきか迷ったんだけど…」
 「何でした?」
 「あんまり良い話じゃないけど、○○君が亡くなったんだわァ…」
 「えっ、」
 「どうも、すい臓がんらしい」
 「そうですか…」
 
 15年前、私が議員に立候補するため廃業した朝日新聞の先輩店主からの電話ですが、長年一緒に働いた店主仲間の訃報で、亡くなった先輩店主には私の結婚式にも出席してもらい、父親の葬儀にも参列してもらった恩のある人でした。
 
 地域でリーダーシップを発揮していた店主ですが、私とは仕事に対する考え方が違い、大先輩の年長店主にかわいがられて、昔からの伝統を第一に考える私とは正反対で、仕事の目的のためには先輩にも苦言を呈する熱血漢の店主でした。
 
 私よりは5年年長にあたり、大学時代に起業した私の兄貴分として、自分の考えを指導するつもりだったと思いますが、戦前から続く老舗販売店の店主と相容れないことと、私はそういった老舗店主に期待されていたため、お互いの距離を縮められないまま私は廃業してしまいましたが…
 
 それでも、個々の仕事は別々でも、高校野球の球場設営や、大学駅伝の中継所などの設営は一緒に行い、同じ販売目標に向かって23年間も一緒に活動した先輩店主の訃報は、私自身には大きなショックとなり、思いのほか気力を奪われました。
 
 「実は、本社の〇〇さんも今年になってから亡くなっていた」
 「えっ、〇〇さんも…」
 
 現役大学生として販売店を起業したことから、私は新聞社の人々にも可愛がっていただいた人が多くありましたが、15年前に突然廃業したままとなっており、私をスカウトした恩人も退職されており、私に複数の販売店を任せた恩人も大阪本社に戻ってから退職されています。
 
 現在の議員としての生活よりも永く働いた仕事の関係者と、無縁のままに廃業してそのままとなっていましたが、新たな出会いは無いものの訃報の連絡ばかり入るため、悲しい話題ばかりとなります。
 
 こんな時に、生々しい政治の話をされても、人の情と感情が入っていない事から、昔からの仲間との会話は懐かしく、悲しい連絡ではあるものの、明日は悲しい別れと同時に、当時の懐かしい仲間との再会にしたいと思います。
 
                                    3月22日の一言

サクランボが満開となって

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 満開となった我家のサクランボです。昨年の一言を振り返ると、3月16日に満開となっており、その前年は3月25日が満開であったことから、例年通りの開花と思われますが、昨年には2日後にアンズも満開となっており、今年も我家は花が咲き乱れるにぎやかなシーズンとなっていきます。
 
 サクランボが実るのはゴールデンウィークの頃となり、昨年は5月1日に色づきはじめた実をムクドリが食べ始め、7日頃に完熟したものの、人間よりもムクドリの居場所になり、5月16日に完全に食べつくされています。
 
イメージ 2  この頃になると、我家の名物になりつつある「アンズジャム」のアンズが実りだし、2本あるアンズのうち事務所裏のアンズは6月末まで枝に残り、ドンドンと音をたてて落ちるアンズ拾いが日課となり、大量に落ちるアンズを放置すると、庭中が甘酸っぱい香りに包まれます。
 
 さて、アンズと違ってサクランボはムクドリが集団で訪れるだけでなく、私の孫も喜んで収穫に訪れますから、今年はムクドリの餌食にならぬ工夫をして、多くの人に食してもらいたいと思います。
 
小6ピアニストが単独公演、一宮の亀井さん
 
 一宮市在住の小学6年のピアニストが22日、初の単独リサイタルを岐阜市内で開くとの新聞記事が目にとまりました。4歳のとき本格的にピアノを習い始め、小学1年で初めて臨んだコンクールの中部大会で金賞に輝き、全国大会でも銅賞を受賞し、昨年の岐阜国際音楽祭では岐阜市長賞を受賞したとあります。
 
 この記事を見たときに、同じく一宮市在住のピアニスト佐藤由美さんが頭に浮かび、中学生で日本一になり、高校から単身で東京藝大付属高校に進み、藝大大学院を修了して国際大会にも出場している先人と比べてしまいました。
 
ピアニスト佐藤由美の公式ブログ  http://ameblo.jp/yuminosuke97/
<佐藤由美の略歴>
東京藝術大学音楽学部附属音楽高等学校、同大学音楽学部器楽科を経て、同大学大学院音楽研究科修士課程修了。

第45回全日本学生音楽コンクール(毎日新聞社主催 / NHK後援)中学校の部名古屋大会及び全国大会第1位、併せて野村賞受賞。第8回日本モーツァルト音楽コンクールピアノ部門第1位。第1回日本モーツァルト音楽大賞選考演奏会(ザルツブルク・モーツァルト国際音楽コンクール派遣者選考演奏会)にて優秀賞受賞、第7回モーツァルト国際音楽コンクールへ派遣される。
 
 佐藤さんは私の長男より一年年長ですが、我家も長男が中学時代に陸上の走り高跳びで注目され、高校からスカウトされ、インターハイで表彰台に乗り、東京の中央大学から誘われて入学したものの、ケガで競技生活を終わっているだけに、大学院修了後も目先の仕事に惑わされることなく演奏だけに専念する姿を応援してきました。
 
 私は3人の息子がスポーツで全国大会に進み、親バカで応援していたものの、それぞれが成人して応援もできない環境となりましたが、佐藤さんの父親は私より年長でありながら、年金生活だけでなく引退後も働いて娘さんの支援を続けておられます。
 
 過去の一言に、「意外なエビソード」として、私の長男より一年年長の歌手「広畑あつみ」さんとのエピソードを記していますが、気がついたときに彼女は引退しており、我家の息子達と同じく応援できない寂しさを実感させられます。
 
意外なエピソード 07年3月の一言
 
 新聞報道された小学生には、これからも有り余る可能性が残されており、ご両親や周りの人々の期待に応えて成長を続けて欲しいものです。
 
                                    3月21日の一言

患者さんを背負ってベッドへ搬送し

 春の選抜高校野球に出場する徳島県の池田高校は、92年の夏の選手権以来の甲子園となり、その間に旧池田町は合併して三好市となったものの、人口は約6千人減っており、かつて「やまびこ打線」と言われ、「攻めダルマ」と呼ばれた蔦(つた)文也元監督の指導で全国の高校野球ファンを魅了した池田高校は久々の出場となります。
 
池田復活、支えたOB教室 部活引退後の中3を指導
記事の続き…
 子どもや高齢者向けのスポーツ教室を開いている地元の「いけだスポーツクラブ」がつくった。池田は故蔦(つた)文也監督のもと、強力な「やまびこ打線」で夏春連覇を含む3回の甲子園優勝を果たしたが、1992年夏を最後に出場していない。大西真知子クラブマネジャーは「かつてのように甲子園で活躍し、町を元気にしてほしかった」と話す。
 協力したのが池田の元球児らだ。バットやボールを寄付し、20~50代の約20人がボランティアでコーチ役を担ってきた。保険料や道具の維持費など参加費は半年間で1人2500円。
 74年春に部員11人で準優勝を果たした「さわやかイレブン」のエースだった高知市の会社員山本智久さん(57)も講師を務めた。「再び甲子園にという、我々の長年の願いがかなった」。前年夏に続いて83年春に優勝した直後、入部した金山努さん(46)は「教えたことが少しでも役だったのかなと思うとうれしい。あのころのように甲子園を沸かしてほしい」とエールを送る。
 現部員の半数超はこの教室の経験者だ。一塁手の木村諄(しゅん)君(3年)は「教室で硬式球の跳ね方を感覚でつかんでいたので、入部後、守備はすぐに対応できた」と感謝する。
 現在のコーチのまとめ役は川原輝さん(26)。岡田康志・現監督(52)が一度池田を離れて県立穴吹高校の監督をしていた時の教え子だ。「母校にも頑張ってほしいが、やはり池田が甲子園で活躍しないと始まらない」。初戦には、教室の生徒15人と甲子園で観戦する予定だ。(山崎啓介)
 
 高校野球の場合は指導者の指導と影響力が大きく、名古屋の東邦高校を指導した阪口監督が岐阜県の大垣日大に移ってから、愛知県の有力選手も大垣日大野球部を目指し、大垣日大は甲子園の常連校になっています。
 
 一般論として、池田高校も蔦監督の引退によって、甲子園へ遠ざかったかのように思われるものの、現実には野球部の寮が無くなり、野球部員が帰宅する交通機関の便数減によって練習時間が減ったことも大きく、今回の出場の裏には町を元気にするため、野球部員の食事や生活面を地域の人々が支援した事が実を結んだと思われます。
            ♪       ♪        ♪
 
 さて、本日は愛知県内の小学校の卒業式が開かれましたが、私の母校では今年から卒業式に着物姿で参加する女子卒業生が目立ち、時代の変化かもしれませんが、卒業生全員が卒業式のためだけに衣服を新調している現実に、式典が合理的に簡素化され、来賓紹介も簡素化されるなかで派手になった姿に驚かされました。
 
 「大丈夫ですかねぇ」
 「はい、何とかします」
 
 本日は福祉有償運送のボランティア不足により、卒業式から一目散で津島市民病院に走り、本日退院される会員さんを自宅まで同行することになりましたが、会員さんは半身不随で右足と右手は使えない状況にあることから、車高の高いキャラバンへの乗降は大変な作業となります。
 
 病院玄関では病院ボランティアも存在しますが、歩けない状況の人々の介助ができる人はおらず、車イスから座席への移動も見物されている環境となり、患者搬送術で得た方法を酷使するものの、初対面で症状の判らない半身不随の人に一人で対応するのは大変です。
 
 さて、自宅に到着したものの、車内から自宅内のベッドまでの移動はもっと大変で、本日はかなり激しい雨が降っていめため、同行する奥さんと入室進路の確保をしましたが、介助方法が見いだせません。
 
 なんと言っても、私より体格の良いご主人ですから、今まで同行していたボランティアも大変だったと思われ、丁寧な介助では雨に濡れてしまうし、玄関からは狭いため困難と思われましたが…
 
 「私が背負います」
 「えっ、主人は大きいから…」
 
 座席で待たれるご主人に、「私が背中におぶって行きます」と伝えると、動かぬ右腕を示されたものの、「私に安心して乗っかってて下さい」と背負ったところ、軽い、軽い…。 私より大きいのに背負えばあっと言う間にベッドへ到着です。
 
 患者搬送法や、介助の講習でも「背負う」なんて教わったことがありませんが、車から車イスに移動させ、更に車イスからベッドに移動させる方法は、階段や段差のある一般家庭ではスムーズな移動とはならず、足腰の丈夫な私の場合は背負って行った方が簡単に移動が完了します。
 
 「こんな簡単で便利な背負う方法がありながら」と思ったものの、病院の玄関で患者さんを背負った姿は見たことがありませんし、私以上に体重の重い場合もありますから、背負うのが最善ではないものの、昔から子供を背負い、病人も背負って医者に走った歴史を忘れているとすれば寂しい現実かもしれません。
 
                                  3月20日の一言

現実と瞑想の狭間で一日が過ぎて

 大阪府高槻市で、83歳のご主人と82歳妻のご夫婦が風呂場で倒れて死亡しているのが本日発見されたと報道されています。記事によれば、昨日には2人で近所のデイサービスを受けていたとあり、妻を入浴を介助する御主人が倒れて2人とも死亡した可能性が高く、2日前のネットで注文したベビーシッターによる幼児死亡事件とともに、現代社会を象徴するような事故となりました。
 
入浴介護中に倒れる? 浴槽で80代夫婦が死亡 大阪
 
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 写真は昨日訪れた若狭町の天徳寺奥の院ですが、巨木と苔で覆われた見事な境内は、山全体が静寂に包まれるとともに、柵によって立ち入りを禁止された聖域と、日本名水百選の瓜割の滝の前にたたずむと時間を超越した気持ちになります。
 
 参道入り口にある日本名水百選となる駒清水の霊水を飲んで、山内に設けられた石仏による四国八十八ヶ所の石段の前で、深呼吸してから八十八の石仏に真言を唱えて一歩一歩足を進め、最後の真言をあげて下山し、身体中に染み渡る感覚を意識して霊泉を飲んで深呼吸する。
 
 そして、再度同じように奥の院に足を進め、総ての石仏に真言を唱えて参道を下り、身体中の体液を輩出して、再度霊水を飲み込み深呼吸する。
 
 これを一日中繰り返していけば、身体中に滞った体液を総て吐き出し、修験者が修業道場とする雨乞の聖地から吸い込む清涼な空気と、八大龍王が本尊馬頭観音菩薩の御徳を感じ授かった霊水によって、新たな新鮮な血液が循環して新鮮な身体に生まれ変わっていきそうです。
 
 およそ千四百キロと言われる四国八十八ヶ所を歩いていく感覚を、天徳寺にある石仏四国八十八ヶ所で体現できそうな雰囲気がありました。
 
 ただし、昨日は、こんな話をしたところで、とても理解されるとは思えない書道会のメンバーですから、一人で奥の院に参拝したものの、石仏の入り口に立っただけで背を向け、車に戻った時には「やっと戻って来たか」とメンバーのため息を実感したような次第となりました。
 
 本日は朝から市役所の議会だより編集委員会が開催され、今年は監査委員を拝命していることにより、委員会を欠席することが多かっため、初めて参加するような心境で出席しましたが、明日は小学校の卒業式の来賓として参加するため、しばらくはストレスを貯める日々が続いていきます。
 
                                 3月19日の一言

書道会の思いつき日帰り旅行へ

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 本日は書道会「神守丈友会」の日帰り旅行を行いましたが、出発してまもなく羽島インターに入り、名神高速から北陸自動車道に入る頃には雨が降り出し、敦賀インターを出た頃には100メートル先が見えない鉛色の旅立ちとなりました。
 
イメージ 2 しかし、最初の目的地とした三方石観音に到着した時には雨も収まり、天気が回復しそうな雰囲気となり、傘をさす事なく本堂に参拝しましたが、本堂周辺は大きな梅の盆栽が持ち込まれ、梅まつりの準備中で、参拝する雰囲気ではありませんが、私以外は参拝が目的ではありませんので、一人で読経後に納経所で重ね印をもらいました。
 
 三方石観音の観音像は、弘法大師が一晩で彫ったと伝わり、夜明けを告げる鶏の鳴き声を聞いて彫るのをやめたために右手首がないと言いますが、その由来から「片手観音」と云れ、手足の病にご利益があると参拝客が訪れます。
 
イメージ 3 ここから10分程走ると周辺の道路の両側に梅の木が花を咲かせており、次の目的地「梅の里梅園」に到着し、名産品となっている梅干やお土産を買い込み、三方五湖レインボーラインを目指しましたが、頂上まで行けるものの、途中から通行止めとなっており、通り抜けができないだけでなく、途中にも二ヶ所が工事中で信号待ちの繰り返しです。
 
 山頂駐車場にあるレストランで昼食予定だったものの、品数は少なく値段も高額なため退散し、ここにある山頂までのケーブルカーも高額なため、鉛色の空を眺めて「来なきゃ良かった」と呟き下山です。
 
 レインボーライン入り口にある湖畔の立派なドライブインは営業しているとは思えず、隣の小さなドライブインでの昼食となり、名物といわれた「イカ丼」を食べましたが、ここも1350円と高額で、シーズンオフ(?)とは思われるものの、「今日のお客さんは我々だけか」と思われるような閑古鳥です。
 
イメージ 4 ここから最後の目的地となる日本名水百選の瓜割の滝を目指します。瓜が自然に割れた故事から瓜割水、瓜割の滝と呼ばれているようですが、養老7(723)年、泰澄大師が開基し、のちに弘法大師が寺観を整えたといわれる天徳寺にあり、瓜割の滝より奥は立ち入り禁止となっています。
 
 瓜割の名水は、八大龍王が本尊馬頭観音菩薩の御徳を感じ授かった霊水で、駒清水と命名されており、多くの人々がポリタンクを持参して水を汲んでおられました。
 
 この一帯は、修験者の修業道場と雨乞の聖地で、駒清水の湧き出る所に霊験あらたかな不動明王をお祭りしてあり、駒清水は古来御幸水としての霊泉であると記され、滝の上に柵を張って霊地として立ち入りが禁止されています。
 
イメージ 5 天徳寺は養老7(723)年に泰澄大師が開基したという古刹で、のち弘法大師が寺観を整えたと伝わりますが、「天の声あって佐渡の石工に刻ませたとの秘話を持つ四国88ヵ所石仏」の看板に偽りはなく、本堂に向かい合う奥の院右手には、「石仏四国八十八ヶ所」の入り口があります。
 
 山一帯が修験者の修業道場となっており、書道会のメンバーと一緒のため、立ち入らなかったものの、参拝目的で訪れて八十八ヶ所の石仏すべてに真言を唱えたい四国遍路と遜色ない雰囲気があります。
 
 さて、本日はここを最後にして、敦賀インター近くの「日本海さかな街」に立ち寄り、メンバーの一人が懇意にしているお店で大幅に値切ってもらい、大量の土産物と一緒に帰路としますが、最後のサプライズは関ヶ原インターで下り、岐阜県池田町にある「池田温泉」で入浴後に津島市に帰りました。
 
                                    3月18日の一言
追伸
一日中雨に降られましたが、目的地に到着する度に雨が上がり、「弘法大師のお加護」かと思ってしまうような日帰り旅行となりました。

ネット社会の危険性を実感するとともに…

 14日に横浜市の母親がネットを通じてベビーシッターに預けた2人の子供が、翌日の通話後に連絡が取れなくなり、二十代男性の住む埼玉県富士見市のマンションで発見され、8ヵ月の次男は無事だったものの、2才の長男は死亡していたと報道されています。
 
ベビーシッターを死体遺棄容疑で逮捕へ 男児の体にあざ
記事の続き…
 男は15日午前、女性にメールで2児の様子を伝えた後、連絡が途絶えた。16日に2児を引き取る予定だった女性は県警磯子署に相談。やりとりのメールアドレスなどから、県警は富士見市のマンションで「家庭保育室」を運営する男を特定した。17日朝、捜査員が部屋を訪ねると、男は「家に入られるのは困る」などと言ったという。消防によると、死亡した男児は畳の部屋で仰向けに倒れていた。弟とみられる乳児も体が冷たく、病院に搬送された。
 男は、県警の事情聴取に「14日に預かって部屋に連れてきた。15、16日も世話をし、食事を与えた。16日昼過ぎに薬を飲んで自分は寝てしまい、翌朝起きたら亡くなっていた」と説明。16日に帰さなかった理由などについては、あいまいな話をしているという。
 女性は男と3月上旬から7回ほどメールでやりとりし、男の本名や住所、電話番号を知らずに預けたという。女性は以前もサイトでベビーシッターを見つけ、預けたことがあるという。
 
広がる「ネットでシッター」 行政のチェック届かず
 
 何でもネットを通じて購入でき、ネット情報によって生活が困らない社会になっており、私も明日に出発する日帰りの旅程をネット検索していますが、情報収集程度は参考にできるものの、ネットだけで相手を信用するまでには成熟していません。
 
 幼児の保育や一時預かりについては、公的機関が設置されているものの、現実には働く母親の需要に応じられておらず、ベビーシッターについては特別の資格や基準は必要ないと言うものの、今回の事件は引き受けた人物へ第三者を通じて子供が預けられるなど、法的規制や公的な基準は急務と思われます。
 
 私自身も、議員として子供を預かって欲しいとの依頼に応じたことがありますが、私自身は子育ての経験が無いことから、現実には家内に依頼して預かりましたが、今回の事件で逮捕される二十代男性ベビーシッターの家庭環境が解らないものの、他人の子供を安全に預かる責任は大きく、横浜で預かった子供が埼玉県で死亡して発見されるという衝撃的事件に、公的な仕組みを考えて行政に発信したいと思います。
 
 平成17年の話になりますが、お母さんが出産するため保育園に通園できなくなる障がい児をワンコイン(500円)で送迎するボランティアをはじめました。
 こんな要望に応えられない行政に代わって、私自身と家内でボランティアとして参加して以来、障がい児だけでなく高齢者の通院や買い物もボランティアに含めて、平成19年に愛知県よりNPO法人の認可を受け、運輸局の認可を得て福祉有償運送として活動を続けてきました。
 
 このボランティアの維持だけでも手を焼いている現状ですが、ボランティアを創める当初の気持ちでは、何でもありで「困った人に対応する」気持ちでスタートしており、今回のようなケースについても、私の周りでも十分に対応できる人材があり、私自身でも4歳の孫なら大喜びで子守してきたことから、こんな悲しい事件の再発を防ぎたいと思う一日となりました。
 
                                 3月17日の一言
追伸
本日は私のアンケート用紙配布の応援に、NPO法人のWさんと、私の三男が加わって3人で配布しました。こんな協力があると、ボランティア精神も覚醒させられます。

知人の退職記念旅行を企画して

 今月3月末で定年退職となる知人が、明後日の火曜日に年休を取っているとの話から、一緒に書道会に参加しているメンバーで、慰労会を行なう話に発展し、せっかくなら車で遠出する話となったものの、行き先が決まらないままに本日を迎えました。
 
 私は過去に朝日旅行友の会の企画として、観光バスの募集企画や、マイクロバスを運転して各地を訪れているものの、日帰り旅行については過去に行った場所ばかりで、どうしても良い場所を選ぶと同じ行き先になってしまいます。
 
津島市・8時出発…羽島IC…敦賀IC…
 
三方石観音
   福井県三方上中郡若狭町三方22-1   0770-45-0017
弘法大師が一夜で彫りあげた観音像は夜明けを告げる鶏の鳴き声を聞いて彫るのをやめたために右手首がない。その由来から「片手観音」と云れ、手足の病にご利益があるとされる。
 
三方五湖レインボーライン
   福井県三方上中郡若狭町気山18-2-2   0770-45-2678
標高400mの梅丈岳を走り抜ける11.24kmの有料道路。五色の湖面をもつ三方五湖と海や山の素晴らしい景観を見下ろせる。山頂にはパノラマの展望台公園もある。
 
梅の里会館 梅園   
   福井県三方上中郡若狭町成出17-4-1    0770-46-1501
福井梅の一大産地、若狭町の三方五湖周辺では3月、白梅が見ごろを迎えます。同町成出や田井に広がる梅林には約8万本が植生。9割が梅干しに適する「紅映」、1割がジュースなどに向く「剣先」で、いずれも白い花を結びます。国道162号から山手に入って坂道を登ると、三方湖との美しいコントラストも楽しめます。
 
瓜割の滝  
   福井県三方上中郡若狭町天徳寺37-1    0770-62-0186
養老年間(717~724年)に泰澄大師が開いた天徳寺奥林の湧水で日本名水百選の一つ。水温が11.7度と冷たく、瓜が自然に割れた故事から瓜割水、瓜割の滝と呼ばれている。
 
天徳寺 
   福井県三方上中郡若狭町天徳寺38-3  0770-62-1038
養老7(723)年、泰澄大師が開基。のち弘法大師が寺観を整えた。天の声あって佐渡の石工に刻ませたとの秘話を持つ四国88ヵ所石仏および名水で知られる「瓜割の滝」が奥山にある古刹。
 
イメージ 1 本日若狭方面の観光地を検索していると、過去に何度となく観光バスの昼食会場としていたドライブイン若狭松風が2年前に閉店している記事をみつけ、寂しさを実感させられるとともに、久しく若狭方面を訪れていなかったことも実感させられました。
ホテルなどを手掛ける福井県小浜市遠敷の松風は、ドライブイン若狭松風(同)の営業を4月15日に終了する。交通網の変化により、今後の利用客の見通しが厳しくなっていることなどが理由という。40年間、各観光地をつなぐ嶺南の中核施設として親しまれてきた歴史に幕を下ろすことに、地元には衝撃が広がっている。(吉川良治) 同社の宿泊施設、サンホテルやまね(同市白鬚)と松月花松風(高浜町薗部)はこれまで通り存続する。 同ドライブインは1971年にオープンした。  福井新聞
 
 かつて何度も訪れていたお店が閉店しているのは寂しく、とりわけ大きな駐車場を持つ豪華なドライブインの閉鎖だけに、考えてもいなかった方角でしたが、若狭方面に冬の面影を探しに走って行こうと思いネット検索しました。
 
 三方五湖はもちろんですが、小浜の国宝めぐりや、蘇洞門(そとも)めぐりなど、かつて何度も訪れた場所を訪れ、鬼籍に入っているかつての同行者を偲んで参拝し、最後には温泉で身体をほぐして帰宅したいと思います。
 
                                   3月16日の一言

本日も四国遍路や巡礼話で盛り上がり

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我家のサクランボ
 
 3月議会の一般質問や常任委員会など公的日程が続き、昨日まで市役所へ往復すると同時に、確定申告の手続きや、タクシー事業の確認に陸運局に走るなど、例年より慌ただしい日々を送ってきました。
 
 久々の週末となりましたが、午前中は弘法信仰50年の先達さんと巡礼の打ち合わせと、来月の知多半島巡礼と、秋の四国遍路を話題に花を咲かせましたが、午後は同志の政治活動に同行してこのまま夜を迎えると思っておりましたが…
 
 二人で夕方に休憩として訪れた市内の喫茶店で、経営者のご家族と雑談中に、私の願の叶え方として納め札入れの中の御影を出したところ、私の納め札に気づかれ、店内に飾ってある四国遍路の納め札を入れた額まで案内されました。
 
 額の中には、四国を100回以上巡拝した先達さんの「錦の納め札」が飾られており、ご家族も四国遍路にたいへん興味を持っておられたことから、四国遍路や西国巡礼など、私の大好きな遍路修業で花が咲きました。
 
 さて、帰宅した時には夕陽が沈む前でしたが、我家の「サクランボ」の花が咲きかけており、来週には満開となるばかりか、我家の名物となっている「アンズ」の花も来週には開花をはじめそうで、季節は完全に春を実感できる一日ともなりました。
 
神職が般若心経、僧侶が大祓詞 東寺で合同法要
 
 京都の東寺と、石清水八幡宮が合同で人類平安などを願う法要が15日、東寺であり、僧侶が神道の大祓詞(おおはらえのことば)を、神職が般若心経を唱えるという、神仏習合の行事が行なわれたと報道されています。
 
 日本では古来から神と仏を混合して一緒に信仰されていましたが、明治時代になってから神仏分離令で引き離され、神社とお寺は参拝形式も別々となっていますが、真言宗では宗派にも拘らず参拝を受け入れており、四国遍路では仏教であっても山岳信仰と共通するものもあり、当然とも思える神仏習合が今までなかったことが不思議です。
 
 弘法大師が空海と名乗る前に、室戸岬にある御厨人窟(みくらど)で虚空蔵求聞持法(こくぞうぐもんじほう)を習得した時の様子は、洞窟で風雨を凌ぐなかで、「土州室戸崎に勤念す 谷響きを惜しまず 明星来影す 心に感ずるときは明星口に入り 虚空蔵光明照らし来たりて 菩薩の威を顕し 仏法の無二を現す」と弘法大師によって「三教指帰(さんごうしいき)」に書き残されています。
 
 まさに弘法大師の人生は神仏習合で修業されており、弘法大師の残された根本道場「東寺」で、僧侶と神職が一緒になって人類平安を祈願したことは、政治によって分断された神仏が、現代社会では当り前となった信教の自由が自然に行なわれた点で画期的な出来事と思います。
 来月4月3日には石清水八幡宮に東寺の僧侶が出向いて一緒に祈願されるそうです。
 
                                    3月15日の一言

運輸行政から規制緩和を実感する反面で…

 「タクシー料金を値上げしたくないが」
 「4月以降も現行のままで良いんですね?」
 「そうしたいんですが」
 「はい、解りました」
 「今のままで良いんですね」
 
 4月から消費税が増税されることから、本年1月末に中部運輸局愛知運輸支局長からタクシー運賃等の取扱いについて、中部運輸局長の通達がタクシー事業者に届けられており、一般タクシーの値上げ内容が新聞紙上でも報道されていることから、本日名古屋市中川区にある運輸支局を訪れました。
 
 私の場合は福祉輸送運賃となりますが、通達の内容が詳しく理解できないための訪問となったものの、当方が希望する現行料金のまま値上げしたくない旨が理解され、今後消費税が10パーセントに上がっても現行料金で運行できるようです。
 
 一方で、車イスや患者さんを寝かせたまま運べるストレッチャー搭載車輌を1台増車したいと考えており、この件についても簡単に認可が下りそうで、今後は車輌購入の資金繰りと、希望する車輌探しが急務となりそうです。
 
八重山教科書 きょうにも是正要求 国、竹富町に直接 琉球新報
 
教委制度改革、自民党3案入り乱れ 自公チーム議論開始 朝日新聞
記事の続き…
 これまでの党内の議論では、首長に執行権限を移す「A案」のほか、教委に執行権限を残す「B案」を検討。だが、A案には「政治的中立性に懸念がある」と公明党が難色を示す一方、B案では現行制度とあまり変わらない。
 このため、妥協策として「C案」が浮上。教委に執行権限を残して首長の影響を抑えつつ、教育長と教育委員長を一体化させて機能を強める案で、公明党の理解を得ようとするものだ。
 だが、首相に近い文教族議員は「A案に『首長は政治的中立性に配慮する』と書き込めばいい」と妥協の動きを牽制(けんせい)する。今月中旬に自公WTで議論を始め、3月に関連法案の提出をめざすが、与党内調整はまだ難航しそうだ。
 
教科書採択 国の責任で早期正常化を 産経新聞
 
 文部科学省は14日にも、地方自治法に基づく直接の是正要求を沖縄県竹富町教育委員会に出す方針を固めたと琉球新報が報じており、竹富町教委は教科書調査員の評価が最も低かった育鵬社版が石垣市、与那国町とともに教科用図書八重山採択地区協議会で選定されたことを問題視し、評価が高かった東京書籍版を独自に採択して使用しているが、国は是正要求という最も強い措置に踏み切る。
 
 いよいよ政治が教育に介入していく現実を実感させられ、安倍政権になって靖国参拝から、集団自衛権の確保、憲法改正から、秘密保護法案、原発再稼動など独り善がりの政策が独善的に行なわれていく事も感ずると不快な一日となりました。
 
 地方分権から地方主権と言われていた時代を懐かしく思うとともに、国際社会から孤立していく安倍首相の強権政治に嫌悪感を感じ、本日訪れた運輸支局の規制緩和された対応が、国の厳しい規制によって縛られることがないように祈るばかりです。
 
                                 3月14日の一言

家内を心配した先達さんからの連絡に…

 「連絡はあったの?」
 「えっ? えっ?」
 「大変なことになっているでしょう」
 「えっ?、いや、実は…」
 
 日本中が強風と激しい雨に降られる一日となっており、家内が四国に行っていると思っておられた知人から、家内を心配する電話をいただきましたが、家内は依頼主から断られていたために、四国から発信されてきた風雨とは無縁の我家でテレビに見入っておりました。
 
 本日は私の住む愛知県でも朝から雨が降り続き、夕方には竜巻注意報が出され、夜には台風なみの強風が我家の古家の窓を鳴らしました。
  
屋久島で記録的大雨 修学旅行バス、土砂崩れで立ち往生
 
日本列島、春の嵐 屋久島で猛烈な雨
 
 家内を心配して連絡をいただいたのは、名古屋市北区の志賀弘法会に属する津島在住の先達さんで、昨年に地元のお寺のご紹介で高野山に同行し、私自身も大変勉強になり、その後も長野善光寺や三重県の椿大社に同行しており、来月には知多半島の新四国霊場に同行し、秋には四国へ同行する約束がしてあるため、今回の他団体の地獄のような依頼には大変な心配をしてもらっていました。
 
 幸いにして断られ、今回の荒天に遭遇することもありませんでしたが、私自身は昨年秋に知多半島の新四国へ同行したものの、二度と行きたくないと断った団体で、今回も議会中で行けないため断ったものの、代役として家内に依頼を受けていました。
 
 心配して連絡いただいた先達さんや団体とは意気投合して、私とはお金なんかは二の次とした関係になっていますが、今回断った団体は15万円程度の旅費でまかなえる四国への行程に、25万円の会費を徴収しており、こんな不透明な運営には不信感が募るとともに、誰かが懐に入れているとしか思えない旅程は厳しい監査が必要と思われます。
 
 「私達は大丈夫だわねぇー」の一言は、今後の遍路への同行を心配した一言で、「好きで同行しているのですから」と応対したものの、四国遍路の多くは年金生活となっている高齢者が多いため、これこそ公認先達として経済的に負担の少ないお遍路に心がけて同行していきたいものです。
 
 頼んででも付いて行きたい巡礼と、頼まれても行きたくない団体の両極端の組織の存在に、限られた時間を消化していくことから、自身の修業とならない役務として依頼された同行は完全に断っていく必要がありそうです。
 
                                  3月13日の一言

本日は委員会が午後2時に終わって…

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 今週は家内が不在の予定だった事から、夕食はワタミの弁当が届けられるようになっており、これで我慢できれば生活習慣病のような体質も改善されるのは確実ですが、これだけでは空腹に耐え切れません。
 
 本日は総務協働委員会が開催されましたが、初日の厚生病院委員会が時間切れで明日に順延され、昨日の文教建設委員会が夜9時近くまで審議したのとは違い、午後2時には解放され、その足でアンケート用紙を配布に地域を歩きました。
 
 本日は陽射しも強く、冬の装備で出かけていたものの、下着を一枚脱いだだけでなく、ベストも脱いだものの汗がしたたり、完全に春の雰囲気を感ずる一日となりましたが、明日は終日雨の予報となっており、一雨ごとに春の到来を実感させられます。
 
 さて、全国各地から春の話題が発信されていますが、私が本日気になった新聞記事は、「外れ馬券は経費か」の見だしで、競馬で得た30億円余りの払戻金を申告せずに脱税したとして所得税法違反罪に問われた元会社員の男性被告(40)の報道で、ギャンブルと無縁の私でも、外れ馬券に大金を投じた人が、一攫千金を狙って獲得した当たり馬券の払い戻し金に課税されている理不尽さには腹立たしく思われます。
 
「外れ馬券は経費か」控訴審判決5月9日 脱税事件
記事の続き…
 ■ファンは注目
 競馬の外れ馬券は「経費」なのか――。二審の焦点も一審同様そこにある。
 税法上、ギャンブルとして偶発的に得る競馬の払戻金は、当たり馬券分の費用しか経費として認められないというのが旧来の解釈だった。大阪地検もその前提で巨額の脱税をしたとして男性を在宅起訴した。
 ポイントは、男性の特殊な購入方法だった。着順を予想する市販ソフトを改良。日本中央競馬会のサイトを利用し、全国のレースで何百通りも大量購入していた。払戻金も得られるが、自動的に大量の外れ馬券も発生する仕組みだ。
 男性側は「継続的に大量購入しなければ成立しない方法で、偶発的な所得ではない」として外れ馬券は経費と主張。一審判決は「娯楽の範囲を超えており、資産運用とみることができる」と述べ、購入費を経費と認めた。
 大阪高裁がどう判断するのか。競馬ファンは判決を注視している。
 
馬券の払い戻しに税金はかかる? http://www.umadb.com/tax/t4/
競馬(馬券)の税金と確定申告
 
 競馬の馬券を一度も購入したことがなく、当たり馬券の払戻金が一時所得として申告する必要があることも知りませんでしたが、30億円という配当金に驚かされるだけでなく、3年間で28億円もの馬券を購入していた男性の存在にもびっくりさせられます。
 
この事案を解説したネット情報
 
男性は2007~2009年の3年間に計約28億7000万円分の馬券を購入。計約30億1000万円の配当を得ており 利益は約1億4000万円だった
        
大阪国税局は 税務調査の結果 配当額から当たり馬券の購入額を差し引いた約29億円を一時所得と認定した
 
 一審の大阪地裁の判断は、購入して外れた馬券の購入費を経費と判断し、賞金額より購入費総額を引いた利益分に課税する判断を示しているが、聞いても私には理解もできない購入方法で利益が出されており、賞金を得るために投資した購入費が経費とみなされないと、男性は大阪国税局に約5億7千万円を脱税したとして起訴されており、更に05、06年分も含めた計約8億1千万円の追徴金額とあわせると巨額な損失が発生することになります。
 
 ちなみに、宝くじは当選しても確定申告する必要がないそうですが、この男性のように確実な利益は生み出せませんから、大阪高裁の判断が気になるところです。一方で、30億円を得るために投資した金額も私とは無縁のレベルですが…
 
                               3月12日の一言

昨日に続き、委員会が夜まで続いて…

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 昨日の厚生病院委員会は市役所の閉庁時間を経過しても終わらないため、3日後に順延されたようですが、本日開催された文教建設委員会においても、審議が夜まで続き、終了したのは午後9時近くになっていました。
 
 津島市議会には明日開催される総務協働委員会と三つの常任委員会がありますが、本日の文教建設委員会が一番審議する議案が多いものの、昨年は午後3時頃には終わっていることから、前日の厚生病院委員会とともに今年は審議に随分と時間がかかっています。
 
 さて、本日火曜日の夜は書道会の開催日で、書の恩師は私が迎えに行っていることから、慌てて家内に代役を依頼するとともに、会場としている事務所2階の掃除と暖房を依頼しましたが、以前の話ですがカギを開けるのを忘れて恩師を迎えに走った際にはメンバー全員が事務所前で震って待っていたことがあるため、家内が四国行きを断られていた事が幸いして、書のメンバーに迷惑をかけることはありませんでした。
 
 議員は私だけの仕事ですが、家族も身代りになって走る場面も多く、私の犠牲になっている被害者意識も強く、本日の昼休みには私が家内の健康保険証を預かったまま紛失した疑惑で連絡が入り、さんざん嫌味を言われて電話が切れました。
 
 「再発行してもらってよ」
 「自分で窓口に行けよ」
 「市役所にいるんでしょ」
 「再発行は本人しかできないから」
 
 結局は家内が紛失しており、市役所で再発行を受けて帰ったようですが、代理でも再発行はできるものの、最近は本人確認を厳しく行なっており、議員だからと甘い申請を期待されても、議員だからこそ厳しい行動が求められています。
 
 本日3月11日は東日本大震災から3年目にあたり、地震発生時間には市役所全体で1分間の黙祷を行う予定となっており、委員会審議を中断して被災者に黙祷を捧げましたが、3年前の地震発生時は私の一般質問登壇直前で、質問中にも余震があり、議場の天井を見上げた記憶がつい最近のように思い起されてきます。
 
 もう3年も経過していることにびっくりさせられますが、個人的には一宮市のピアニストが呼びかけている被災地にピアノで貢献する運動に共感し、被災地の知人たちに連絡をとっていたものの、そのまま頓挫したままになっている現実と、必死に連絡していた熱意が薄らいでいる現実からも3年の時の経過を実感させられる一日ともなりました。
                                3月11日の一言
 

ネット発信が数秒遅れ、空白のカレンダーに

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本日午後5時過ぎ津島市の空模様です
 
 本日は厚生病院委員会が開催されましたが、積もりこそしないものの時々雪が舞う一日となり、午後3時に人との約束があったものの、市役所の窓から強風と大粒の雪が吹いており、雪を理由に委員会室で傍聴を続けていると強い陽射しが差し込みました。
 
 委員会が休憩になった事から、午後4時に慌てて約束の場所に走りましたが、輝く夕陽は一瞬で、寒風とともに大粒の雪がバサバサと降り、積もらないとは思うものの、今年は一度も雪の中を走っておらず、日本中が雪に降られる中で、雪と縁のなかったことに感謝しかありません。
 
首相「日本のISS貢献の表れ」 若田さん船長就任祝う
 
安倍首相、狩野選手を祝福 パラ五輪金「堂々たる成績」 
 
 安倍首相がパラリンピック金メダリスト狩野選手や、国際宇宙船の船長になった若田さんらと電話会談する姿がテレビでも放映されていますが、そんな暇と国民目線があるのであれば、脱原発発言を続ける小泉元首相や、国会や首相官邸の周辺で原発再稼動に反対してデモ行進する人々との会話をしないのか疑問になってくる。 
 
3・11前に「再稼働反対」 都内で脱原発デモ3万人
 
 このままでは茶の間のほのぼのとした話題には顔を出すが、自分の嫌いな人々や、緊迫する中国や韓国との協議を先送りしているとしか思えず、このエネルギーを北朝鮮問題や、冷え切っている日米関係に費やさないと、安倍首相の外交は国際親善のもとに日本国民の税金をバラマキに渡航しているとしか思えません。
 
 さて、津島市議会では3月議会の常任委員会が開催中で、明日は文教建設委員会が開かれます。基本的に市役所内にカンヅメ状態となることから、明日も帰宅後の夜まで忙しい一日となりそうです。
 
                                  3月10日の一言
 

思い立って車を走らせて…

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上げ馬神事が行なわれる三重県の多度大社の参道前です 
 
 本日は午後になって突然に思い立つ事があり、三重県の東員町まで走ることになりました。
 
 「今から、三重県まで行かないか?」
 「何故、突然に?」
 「行こうと思うんだ」
 「他の日ではダメなの?」
 
 特別に用事があるわけではなく、約束がしてあったわけではありませんが、どうでも良いような行動は思い立った時でしか行動できない事から、時計は午後2時半になっていましたが、地元の「大須ういろう」を購入して車を走らせました。
 
 東員町を目指した理由は、大学の同級生と会うのが目的で、私自身が大学生活の途中で起業して、卒業式も途中で退席しており、卒業証書についても仲間が届けてくれたような学生だったため、仲間と呼べる友人も少ないため、訪ねた相手も卒業以来会ったことがありません。
 
 3年前にも訪れたものの留守で、本日も留守でしたが、しっかりとした表札と車など生活感があるためポストに名刺とメッセージを残し、この家から5分の距離にある、私の父親ら3人の子供を残して家出した、私の祖父の在所に立ち寄りました。
 
 私の祖父は三重県から養子に来ており、3人の子供をもうけたものの、交通事故で私の祖母にあたる妻を亡くし、義母と子供を抱えた生活に耐えられず、無情にも子供を残して家出しており、大祖母は60歳を過ぎてから野菜や花を行商して歩き、叔父にいたっては3才でお寺に小僧として出されたため、叔父や叔母たちから憎まれたまま、昭和36年に亡くなりました。
 
 3年前に初めて訪れた際に、私の車と同じ18番ナンバーの車があり、当主の息子さんは私の親族と同業の企業に勤め、親族の葬儀に参列していただけでなく、親族の営んでいた会社の後継への引継ぎも担当していたとの話に、知らないとはいえ目に見えない奇縁を感じずにはおれませんでした。
 
 昨年末に亡くなった名古屋の叔父の葬儀に訪れた際に、当主の息子さんが勤める会社の社長さんが、叔父の次男で私の従兄弟とは幼馴染の同級生と判り、何も知らないままに生活していることにびっくりさせられました。
 
 数年前までまったく無縁であった三重県ですが、縁切りとなっていた祖父の在所だけでなく、ここから5分で同級生の家があり、ここから10分のいなべ市に家内の姉の嫁ぎ先もあることから、当地域も私にとっては身近と思える場所になりました。
 
 さて、添付した写真は、白馬伝説の残される多度大社で、階段の左側では毎年「上げ馬神事」が行なわれる場所ですが、会ったこともない祖父も見ていたと思うと、本日訪れた東員町の丘や神社も祖父が眺めた景色も共有しているように思って帰途につきました。
                                   3月9日の一言

我家の牛乳史(笑)から…

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 我家に残っている牛乳箱ですが、前列の左が昔から配達されていた「昭和牛乳」で、右側が「名古屋牛乳」、上が現在配達されている「森永牛乳」の牛乳箱となります。実際には昭和牛乳と名古屋牛乳の間に「海部牛乳」が配達されていましたが、牛乳箱がありません。
 
 我家に昭和牛乳が配達されていた歴史は長く、昭和55年頃に配達されていた人が高齢により辞められており、昭和60年よりは海部牛乳の販売店から配達が始まり、海部牛乳の製造中止により、名古屋牛乳が配達されるようになり、先月途中から森永牛乳に替わりました。我家と言うよりも、私の還暦に至る牛乳史です(笑)
 
安倍首相の地元・山口で反原発集会 県内過去最大の規模
記事の続き…
 上関原発は2009年に始まった準備工事が大震災を受けて中断。中国電力が申請した予定地海域の埋め立て免許の延長について、2月下旬に就任したばかりの村岡嗣政知事は可否の判断を迫られる。集会では、上関原発の白紙撤回に加え、村岡知事に延長申請の不許可を求める集会宣言を採択した。
 
 東日本大震災から3年を迎えますが、中国電力上関原発の建設計画に反対する大規模集会が8日山口県内で行なわれ、現存する原発の再稼動でも大反対となっている中での新規建設に、原子爆弾の被害を受けた広島県に近いだけに、安倍首相から地元山口県の生活感と郷土愛は何も感じられません。
 
 福島県の惨状を見るかぎり、生活する自宅の生活圏内に原発を建設して欲しい国民は誰もなく、安倍首相が本当に安全でコントロールされていると確信するのであれば、自宅か首相官邸の隣に建設すれぱ良く、それができなければ再稼動も見直すのが当然ではありませんか。
 
 中国や韓国とは危機的状況に陥り、ウクライナ問題で対立するロシアとアメリカとも強力なパイプが無い現状は、四面楚歌の外交が改善されるとは思えず、せめて日本国民には信頼される大衆政治家であって欲しいものです。
 
ドイツ大統領、ギリシャで謝罪 大戦中の民間人虐殺
記事の続き…
 欧州の政府債務(借金)危機の結果、ギリシャでは厳しい緊縮策をドイツが主導しているとして、ドイツへの反発が強まり、第2次大戦中の被害に対する補償を求める声も改めて出ている。
 旧東独の人権活動家だったガウク氏は2012年に大統領に就任した後、フランスやイタリアなどでもドイツが犯した戦争犯罪の現場を訪れ、許しと和解を求める行動を続けている。
 
 第2次世界大戦の戦争責任を問われているのは日本だけでなく、ドイツでも同じような批判をあびており、ドイツのガウク大統領は7日、第2次世界大戦中にドイツ軍が多くの民間人を虐殺したギリシャ北西部のリンギアデスを訪問し、慰霊碑に花輪を捧げた後、「恥と心の痛みを感じながら私はドイツの名において殺された人たちの家族に許しを請う。恐ろしい犯罪の犠牲者たちに頭を下げる」と述べたと報道されています。
 
 国と国との関係と、人と人との関係を比べるのは的外れですが、加害者が被害者に過大に批判されたとしても、反論したところで事の解決には至らず、ましてや一度認めた事実を、全く無罪にすることは容易ではなく、ドイツのガウク大統領に学ぶことも多いのではないでしょうか。
 日本の周辺は敵だらけで、信頼すべきアメリカとも協力なパートナーシップを築けず、国民の圧倒的支持があると勘違いした独善的な政治姿勢は、外交での武力衝突や、原発事故再来の危険など国民に大きなストレスが存在することを理解していないと思われ、ドイツとの大きな格差を実感する読者となりました。
 
                                 3月8日の一言

各地から春の息吹が伝わり…

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 週末の日本列島上空には寒波が居座り、日本海側には雪が舞うとの天気予報が伝えられていますが、私の住む愛知県西部では確実に春の息吹が感じられ、知人が仕事中の畑に立ち寄ると、添付した写真のように、辺り一面にツクシが頭を出しており、今年は孫を伴ってツクシ採りにでも出向きたいと思う一日となりました。
 
 当地方では体感温度を下げる「伊吹おろし」の寒風が吹き荒れていましたが、梅の花は各地で満開となっており、我家の「サクランボ」も花芽が色づきはじめ、我家の名物となっている「アンズ」も枝の色が変わってきました。
 
 一昨年の一言には、我家の花と樹木の書庫を作って、春のサクランボから秋の柿まで添付したものの、昨年は勝手に咲いて実るサクランボとアンズのみとなり、2年前に植えたハーブは全滅している寂しい現実を今年は払拭したいと思います。そんな日々を大切にしたいものです。
  
高知)マナヅル北帰行? 四万十市
 
 高知県四万十市で昨年11月から越冬していたマナヅル2羽が、繁殖地に向けて飛び去ったと報道されていますが、マナヅルは中国北東部やロシア東部で繁殖しており、拉致被害者の返還や、北方四島の返還を巡って北朝鮮やロシアと交渉している日本政府とは違い、渡り鳥には国境もなく自由な行き来ができることがうらやましく思われます。
 
宮崎)「日本一早い」山開き 諸塚山に700人
 
 宮崎県諸塚村の諸塚山(1342メートル)で、2日「日本一早い山開き」があったとの新聞報道にも春を実感させられますが、諸塚村の諸塚山とは何所にあるのか。宮崎県東臼杵郡諸塚村の地図をネット検索したものの、熊本市と延岡市の中間となる、九州の真ん中にあり、何も実感が湧いてきません。 
 
渥美半島菜の花まつり 期間:2014.01.11~2014.03.31
渥美半島は春爛漫~電車とバスで巡る菜の花まつり 
 
 来週の月曜日から11日間四国遍路に出向く予定だった家内ですが、依頼主からお断りを受けたため、日々溜めていたストレスからは開放されたものの、留守になる事から予約してあった家族全員分の夕食の弁当は届けられてくる事など、準備していたものが全部我家の持ち出しになってしまいました。
 
 私の代役で依頼されていたものの、私自身がお断りして、専門のタクシー会社に依頼するよう求めていたものの、依頼主は家内を安い料金で使用するだけでなく、参加者からは旅行会社のタクシー貸切料金より高額な会費を集めており、初日は朝3時から午後5時過ぎまで家内一人で走り続け、昨年より2日間少ない過酷な行程を指示されていたため、過酷な労働を強いる仕事に使われる家内に心を痛めていました。
 
 今回のケースは、私の過去の四国遍路の会費より10万円近くも高く、旅行社やタクシー会社が表示する料金より高額であり、今後は不当な会費を集める理不尽な四国遍路をなくしたいと思っています。憶測ですが、先達が不当利得しているとしか思えません。
 
 さて、10日間も不在と思っていた家内が居る事から、上に添付した渥美半島から春を体感し、花の名所にも訪れる機会をつくり、楽しい観光地から家族の発信を提供したいと考えています。
 
                                   3月7日の一言

還暦の私でも必要ならとは思いますが…

 富山県の北陸自動車道サービスエリア駐車場で3日、宮城交通夜行バスが大型トラックと衝突し26人が死傷した事故で、死亡した運転手が事故当日まで11日間連続勤務だったことが報じられ、その理由に東日本大震災後の同社の運転手不足が深刻化したという記事が報道されています。
 
運転手、11日連続勤務 北陸道夜行バス事故
 
震災後、運転手不足が深刻化 宮城交通の夜行バス事故
       
http://www.asahi.com/articles/ASG357RHHG35UTIL05B.html
記事の続き…
 労組によると、震災後、待遇が良い復旧・復興関連のダンプなどの会社に転職するケースが続き、運転手は震災前より1割減った。幹部は「週1回程度あった休みが、10日に1回程度になった」と明かした。
 また、同社は昨年12月、運転手が足りず8路線の高速バスを運休・減便した、と国土交通省の会議で報告。募集しても確保が難しく、多くの運転手が休日出勤を繰り返していると説明した。国交省の担当者は「バス業界は人件費が安く、人の確保が厳しい。被災地での運転手不足は懸念されていたので、今後詳しく調査したい」と話した。
 
 
 事故直後には、宮城交通がしっかりとした企業であることと、運行体制にも問題がないとされており、私自身も2人の運転手が2~3時間程度で交代して運行していることから、決して無理な運行管理とは思えず、事故そのものは運転手個人の体調問題が原因と思われます。
 
 しかし、震災の影響により、待遇が良い復旧・復興関連のダンプなどの会社に転職するケースが続き、運転手は震災前より1割減ったとの記事に、失業者があふれる世情の中で、被災地や地域格差も実感させられました。
 
 実は、事故を起こした宮城交通については、私が学生時代に名鉄の職員だった父親が、出世を望むなら宮城交通に転出する話を受けており、かなり真剣に家庭内で議論していた時期がありました。
 
 戦後、満洲(鉄道)から帰国した父親は、名古屋鉄道の駅員から運転手になっており、駅長になる前に、駅長に大学出身者が登用されるようになったことから、自身の判断で鉄道からグループ企業となる名鉄産業の本社に転勤していました。
 
 学歴のない父親には、頑張っても課長どまりの現状よりも、宮城交通に転出して重役になれと先輩上司から打診され、家族の我々が一緒に行く覚悟があれば簡単に決めたと思いますが、反対意見ばかりで単身赴任も覚悟の話をしていましたが、結局は仙台があまりにも遠いことと、水田の維持管理もあることから、この話はそのまま立ち消えとなりました。
 
 当時の名古屋鉄道は全国に躍進中で、北海道や九州にフェリーを運航し、北陸や東北、北海道の鉄道会社にも資本出資しており、今回事故を起こした宮城交通には1975年(昭和50年)2月に経営参加しています。
 
 あの時に父親が仙台に行っていたら… そんな思いをめぐらせましたが、時代の移り変わりは速く、父親の先輩で「おんたけ交通」の副社長を努められたKさんは、木曽福島に別荘まで持っておられたものの、今では過去の人になって忘れられている現実と、知多半島新舞子にあったお宅についても、名鉄駅前の再整備で移転されている現実を考えると馬鹿な話です。
 
 さて、私は大学時代に名鉄の名古屋観光バスでアルバイトをしており、一生の中で一度は観光バスの運転手をやりたいとの希望を常々持っており、乗ることもない筈の大型二種免許も取得しており、遠く離れた東北であっても「運転手不足」と聞くと、一大決心をする魅力を感じますが、時すでに遅く、昨年末に定年となる還暦を迎えている現実は寂しい限りの夢物語になりそうです。
 
 是非とも、宮城交通には頑張ってもらいたいものです。
                                     3月6日の一言
 

卒業式前日の同窓会入会式へ

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 本日は、私の母校となる神守中学校で、明日に控えた卒業式の予行練習と、3年生の終業式が行われましたが、その合間に同窓会入会式が行われ、同窓会長として最後の挨拶をおこなうとともに、次期会長に指名した山田副会長(右上の写真)を紹介し、卒業式後は同じ同窓生として同窓会行事に参加を促し、地域社会で助け合えるような関係を作りたいと話しました。
 
 さて、本日は27歳となる愛車ライトエースの電装関係に時々不具合が現れることから修理に出し、オルタネーターを交換してもらいましたが、こんな時に旧式となるだけに部品の調達が心配となりますが、最近の電子化された車と違い、故障しても低額で何とかなってしまうため修理するたびに一安心となります。
 
 ただし、完全に故障していない場合に、製造元のトヨタ関係の営業所に相談すると、直そうとする前に「そんな年式の車となると…」と、暗に部品が存在するかどうか不安な応対となり相談もできませんが、修理してくれる自動車屋さんと、トヨタの電装関係を全部請け負っている町工場の存在があることから愛車の寿命を延ばしてくれます。
 
 本日の夕方には、一月に会社を辞めた家内の失業保険の手続きにハローワークに送りましたが、本日の手続き後3ヶ月目の7月から3ヶ月間支給されるものの、男性の私なら絶対に腹立たしくなる質問や、失業した時のためにかけ続けた雇用保険を受け取るのに、情けない思いをせず堂々と受け取れない雰囲気に、実際の会話を録音させて聞いてみたいと思いました。
 
 失業時に受け取る失業保険は、労働者の義務を果たしてきた当然の権利ですが、我家は家内が結婚して会社を辞め専業主婦になった際には申請しておらず(結婚は申請できない)、年末のボーナス間際の結婚だったことから、ボーナス受給後に退職しようとした家内をボーナス支給前に辞めさせており、今回が初めてとなる支給されるべき失業保険の受け取りに情けない心境にさせられる応対は許せません。
 
生活保護不正受給191億円、過去最多を更新 12年度
 
 最近の厚生労働省の発表では、191億円もの巨額となる生活保護の不正受給があり、「不正受給額の増加は3年連続で、09年度と比べ倍増した」と、新聞にも報道されていますが、意図的に我々の税金を着服した不正受給と、失業保険の受給とは全く意味が違います。
 
 働く意思を詳細に問うのは当然の仕事かもしれませんが、長年雇用先から雇用保険の負担を続けた人々には当然の権利でもあり、過去を封印して情けない応対を経験した知人達の心境が、家内のわずかな失業保険から実感させられる一日ともなりました。
 
                                   3月5日の一言

私の登壇する一般質問は終わったものの…

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議会終了後のスナップです
 
 添付した写真は、本日の議会終了後に同じ会派「青風会」の山田議員が撮影してくれた一枚です。
 本日の一般質問は、9時からの一番手が山田議員で、次の二番手が今議会9人目となる私で、私が最後の質問者のため午前中に議会は終了しましたが、このまま市役所を後にして自宅に帰りました。
 
 普段はこのまま市役所に残り、帰宅は夕方となりますが、アンケート用紙の配布が予定の半分も終わっていない現実と、税金の確定申告についても何も手付かずとなっており、明日以降も公的日程が連続することから即断の帰宅です。
 
 さて、2月から風邪ぎみのためアンケート配布に出ていなかったため、久しぶりの地域廻りとなりましたが、雨が近いためか身体中から汗が噴出し、心地よい肉体への苦痛を感じた時に一宮市から知人が我家を訪れたと連絡が入りました。
 
イメージ 2 知人は広告物の編集が本職ですが、最近は年金暮らしながら異業種の仕事に出ており、私が心の中に秘めているミニコミ紙の発行について、発行に向けた相談のため訪れており、平成5年より休刊となっている「ふるさとアサヒ」の復刊について話しているとタイムアップです。
 
 ミニコミ紙「ふるさとアサヒ」は、私が昭和63年から平成5年にかけて23号まで発行していたミニコミ紙で、なかなか復刊が叶わぬままに今日を迎えていますが、昨年には津島市図書館が大正時代から昭和にかけて地域で発行されていた新聞と一緒に大きな本の中に収集されて発行されました。
 
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 「お前は、議員になる前の方が輝いていた」と、ミニコミ紙を発行していた当時を評価されることが多く、ミニコミ紙を発行するために地域のイベントに参加し、ミニコミ紙を通じて「朝日旅行友の会」や「水郷釣り大会」を企画していた頃の方が議員活動よりも適役だったのかも知れません。
 
 とにかく5月から再発行することで、今週中に記事内容の具体案をまとめて再会することにして時間切れの散会です。
 
 せっかく一宮市から来てもらったのに、毎週火曜日の夜は書道会「神守丈友会」が開かれており、書道会の開始時間7時30分に間に合うように、私が恩師を迎えに走っていく必要があるため、「ご飯でも」とお誘いすることもできません。
 
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 左に添付した梅の花は、我家に植えられている3種類の梅の木ですが、庭の木々が多すぎる中に植えられた環境が極めて悪く、一番上の梅は結実したことがなく、真ん中の梅は毎年切られ続け、一番下の梅の木は実は多くつけるものの、家族の目にも入らない日陰で咲いています。
 
 昨年は、自分の手で梅干にしようとしたものの、塩分の量が不足したためか腐ってしまい、私自身は元々梅干が嫌いなため、今年は「梅酒」にしようかと検討中ですが、忙しい日々が連続すると何もできないままに日時が経過するため、ミニコミ紙は勿論ですが我家の環境にも気をつけたいものです。
 
                                 3月4日の一言

議会の一般質問が始まり…

 本日は津島市議会で一般質問が行われ、7人の議員が登壇して質問を行いましたが、今回の議会には9名の議員しか質問が出されていない事から、明日は午前中に質問が終わりそうです。
 
 ちなみに9番目の最終質問者が私で、明日は午前10時過ぎからの登壇となり、1時間の時間制限から午前中に一般質問は終わりとなります。
 
 市議会議員にとって議会は一番大切な時間となりますが、今月の末日をもって現市長が任期途中での引退を表明していることで、質問を通告する議員が少ない可能性も高く、来年度予算も新市長のため骨格予算となっているため、例年のように予算に対する質問がないため議会の雰囲気が違います。
 
 さて、家内は来週月曜日から四国遍路に同行しますが、10日間も家を空けた経験もないため、それまでに済ます仕事も多く、10日間の家族の夕食の弁当を予約するため、注文するメニューを見せられて選択を迫られます。
 
 今まで家内が居なかったことがないため、弁当を手配した経験も少なく、過去に事業所らしく従業員用に弁当を配達してもらっていた時期がありましたが、弁当の評判が悪かったため長続きはしませんでした。
 
 四国へ同行と言うと気楽なお遍路のように思われますが、完全なる運転手役を期待されており、家内のせいで行程が進まないと責任もあるため、私に同行する四国遍路とは違った緊張感が連日続きます。
 
                                     3月3日の一言

息子がハーフマラソンに出場して

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 本日桑名市で開催されたハーフマラソンに、初挑戦した三男が見事完走して帰ってきました。
 
桑名リバーサイドマラソン 開催日  2014年3月2日 (日)
                http://www.sportsentry.ne.jp/event/t/39719
 
  主催  桑名リバーサイドマラソン実行委員会
  種目・参加資格
        ハーフ  男子高校~29歳、30代、40代、50歳以上、女子高校以上   制限時間:2時間30分
        10km    男子高校~29歳、30代、40代、50代、60歳以上、女子高校~39歳、40歳以上 
        2km        男女別高校以上、中学、小学    
 
 三男は中学時代は陸上部に所属していましたが、高校からは自転車競技部に所属し、高校卒業後は実業団の自転車チームでレースに出場しており、自分の足で走る陸上大会は中学以来の出場となり、家族も完走できれば上出来と考えておりましたが…
 
 ハーフマラソン初挑戦となる三男は、男子高校生から29歳までの選手が出場するハーフマラソンで、223人中38位、1時間34分50秒の記録を残しており、自転車のような大怪我の心配がないため、本格的に練習して好タイムを記録して欲しいものです。
 
 この一言には、三男の自転車レースの結果を残しておりましたが、4年前から国家試験に専念するためレースに出場しておらず、3年のブランクは大きく昨年に復帰したものの過去の全盛期のようには復活できておらず、自転車ではないものの久しぶりに順位が残されたことからここに添付しました。
 
息子の(自転車)最新レース結果 http://blogs.yahoo.co.jp/s281218/folder/993520.html
 
 さて、明日からは市議会の一般質問が開催されますが、来週には家内が一人で四国遍路の人々を車で同行するため、持参する衣類の準備や資料の確認にも付き合わされる一日となり、忙しさから身体が思うように動きません。
 
                                   3月2日の一言

津島市の表彰式と金婚式が開催され

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 本日の津島市では、文化会館で市政施行67周年記念式典が行なわれ、特別表彰6名をはじめ、永年勤続表彰や一般表彰など29名に表彰状が手渡され、表彰式に続いて行なわれた金婚式には、昭和39年に結婚して50年を迎えられた66組のご夫婦に賞状と記念品が手渡されました。
 
 私が初めて津島市の表彰を受けたのは平成6年の表彰式で、神守小学校の行程に「望」と記した同窓会碑を建立した際に、建設費用が100万円以上かかっていた事から表彰対象となりました。
 
 当時から20年が経過しており、議員になってからはこの式典に来賓として臨席しているものの、当時の重々しく厳粛な表彰式と比較すると、表彰対象者の服装も簡素になっていることなど式典に関する簡素化の波を感じずにはおれません。
 
 その一方で、数年前には表彰式のついでのように開催されるようになり、式典後に対象者から厳しい苦言を受けた金婚式が、現在は表彰式以上に多くの時間をかけて行なわれるようになり、参加者の面持ちも明るくなりました。
 
 私が金婚式に招待されるのは13年後となりますが、還暦を迎えてからの13年は容易とは思えず、私の父親も65歳で他界していることから、日々の節制と適度な運動を持続させないとこの場所には来れません。
 
 「おーい、大鹿君!!
 「あっ、お久しぶりです」
 
 表彰者の中に市議会の先輩議員の姿を見つけ、「いつも見てるぞ、頑張れよ」の声をいただき、議員としてだけでなく、日頃疎遠としてしまっている反省と、何も役にたっていない現実に、市民と手が届く距離が必要と思う一日になりました。
 
「私は今も青春」71歳の高校生、首席卒業 愛知
 
 さて、愛知県では71才の男性が、高校を主席で卒業した新聞記事が掲載されていますが、高度情報化社会の中で、四年間もかけて定時制高校に通学された気力には驚かされ、まだまだ長期的計画をたてた行動が可能との実感もさせてもらえました。
 
                                    3月1日の一言 
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