大鹿一八「本日の一言」

平成16年2月から令和1年7月末までの「本日の一言」です。ヤフーブログ閉鎖により、ライブドアへ過去の記録として引っ越しました。

2014年04月

庭の木々から父親の姿を懐古し

イメージ 1
 
 我家ではツツジが満開となっており、庭は花で溢れていますが、いずれも先祖や父親が残した木々で、私の子供の頃に父親が植え替えている姿がよみがえってくるものの、私には3人の息子がおりながら、未だに独身のままで、結婚して分家でも建ててくれないと植え替えどころか、新たな樹木の購入もできません。
 
イメージ 2イメージ 3  私の父親は、山から木を持ち帰ることが趣味で、仕事で出かける機会に持ち帰ってくることも多く、挿し木ができる木は必ず挿し木をするだけでなく、杉や桧も挿し木で増やしたことによって、隣にも杉花粉で迷惑をかけている可能性も高く、隣に迷惑をかけないためにも庭師さんが伐採に励んでくれますが…
 
 父親が次々と木々を挿し木したり持ち込めたのは、弟の分家した土地に我家より多くの植木を移植できたためで、我家では木々が大きく成長しているため、新たな植木を植えるスペースがなく困っていましたが、最近では父親の残した木々の維持が難しくなってきました。
 
イメージ 4 右に添付したツツジも、父が何処かの山から持ち帰ってきた「山ツツジ」ですが、私の子供の頃と大きさは変わらず、綺麗な花を咲かせるものの、肥料を置いても大きくはならず、花をいけるため枝を切ると新芽も出てこないなど、この木を次代まで引き継ぐことは難しそうで、植え替えることでも枯れてしまいそうなため、目立つ場所にも移植ができません。
 
 さて、子供たちの分家の可能性もないように記しましたが、私の父親は私の子供の頃から、いずれ分家を自分の手で建てる場所まで考えており、私のように子供が必要になったら勝手に建てろとは随分と考え方も違うことを実感させられるとともに、今から挿し木をしても庭木にもなりませんね。
 
 もっとも、父親が自ら持ち帰ったり、挿し木で増やして弟の庭に植えた木々については、弟の不始末によって家と土地が他人の物となり、すべて根もとから切られて1本も残っておりませんから、伐採される姿は見ていませんが、他人の育てた樹木には愛情も感じないのでしょうね。 
 
イメージ 5イメージ 6
 左は父親が残したブルーベリーの花で、右も父親が私の長男のために植えたサクランボで、今年は既に色づききじめました。
 
 今でこそ、ブルーベリーもサクランボもホームセンターで簡単に入手できますが、当時は植えても実がなるとは思えないような珍しい存在で、我家では父親の代わりに花をつけ、実を残すようになりました。
 
 一週間後に家族を伴って四国遍路に出かけますが、四国遍路が開創されて1200年も経過していることに驚かされるとともに、我家の系図は350年程度しか残されていないものの、せめて先祖の残した木々はこのまま歴史を刻んで子孫に引き継がれていって欲しいと思う一日ともなりました。
 
                                  4月30日の一言

上高地から帰宅する道中の道草へ

イメージ 1
 昨日の上高地穂高連峰です
 
 昨日の上高地行きは、今年になってから初めての上高地ですが、2日間だけの行程だったため、行ってきただけにとどめて、行きには郡上市にある國田家の芝桜を鑑賞し、帰りも普段より早い午後2時に上高地を出発し、旧丹生川村にある荒川家住宅に立ち寄りました。
 
イメージ 2
イメージ 3
 
 
   荒川家住宅は旧丹生川村(現高山市)にあり、元禄以来庄屋をつとめた旧家で巨材を利用し梁間を広げた切妻造二階建の大型住居です。国の重要文化財に指定されており、飛騨地方を代表する民家です。
 入館料は無料で、午前8時30分から午後4時30分まで開館しており、水曜日が休館日となっていますが、12月1日より3月31日までも休館しているようです。
 
 さて、愛知県の我家では桜の花どころか、サクランボの実が色づきはじめているのに、高山市から平湯峠にかけては桜がやっと満開になった状態で、足元を見るとフキノトウが頭を出し、ツクシがのびのびと生えていました。
 
 家内とともにおもわず摘み取りそうになりましたが、2年前に他人の畑のツクシを取って議会で「ツクシ泥棒」の汚名をきた議員が存在したことと、山道の山菜を無断で取ると罰せられることから荒川家住宅の受付の方に問い合わせました。
 
イメージ 4 「ツクシを取っても良いですか?」
 「ツクシなんか? どうするんですか?」
 「食べようかと…」
 「良いですけど、畦道は(除草剤)よした方が良いですよ」
 
 旧丹生川村の人たちはツクシを食べないのか、荒川家住宅の入り口だけでかなりの量のツクシが生えており、それも汚れなくすくすくと育っているため、わずかな時間で両手満杯となり、本日の夕食のおかずになりました。
 津島市のように、犬の糞が道にある汚いツクシ取りのイメージとは違い、童謡のような清々しい環境に感謝するとともに、1ヵ月のタイムラグを実感する新鮮な一日ともなりました。
 
 これまで高速道路を走り、いかに速く上高地へ到着するかを考えていましたが、何もありそうにない場所への道中の道草にも新しい発見があり、私の車には携帯ガスコンロや、飲料水、珈琲、紅茶等も積んであるため、時間を無視した運転も意外に良さそうです。イメージ 5
イメージ 6
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 私の上高地行きには必ず同行している相棒リマですが、上高地にはペットの持ち込みが制限されており、家内が抱かえて大正池を散策したものの、バスターミナル駐車場では車中でおとなしくしており、上高地では車中での留守番と自覚しているようですが、上高地を出ると我家の主役のようになります。
 
 ちなみに、愛犬家には安房トンネルの西側に位置する平湯キャンプ場がお薦めで、隣にある「ひらゆの森」の温泉も利用できますから、人目を気にして愛犬と上高地に入るよりは、マナーを守って愛犬と共にゆっくりと過ごした方がナチュラルです。
 
平湯キャンプ場 http://www.hirayu-camp.com/
 

 本日は、午前中に家内とモーニング珈琲に出かけた後に母校の神守中学校に走り、午後は福祉有償運送のボランティアで病院に同行しましたが、休み時間には午前中から夜まで来客が続く忙しい一日となり、昨日の疲労と暑さで疲れました。

 
 
 
 
 

上高地の開山式が行なわれ

イメージ 1
 
 晴天に恵まれ、上高地開山式には多くの観光客が集いました。添付した写真は開山式の前に行なわれるホルンの演奏です。
 
イメージ 2 最初に穂高神社の宮司さんの神事が行なわれ、来賓には松本市長から地元県会議員、国会議員、近隣市長、国土交通省、厚生労働省、アルピコバスなど交通事業者やタクシー協会など、過去の開山式より多くの方々が玉串を奉納されました。
 
 昨年は真冬の猛吹雪でしたが、今年は晴天のため、観光客も多いものの…
 
 「おい、座れッ、座れ!!
 「 … … 」
 「座れッ!! 、… 聞こえんのか!!
 「 … … …」
 
 開山式は、午前10時50分開始予定でしたが、訪れた観光客が多いため、時間よりも早く開始されたものの、早い人は午前9時30分から河童橋の階段に陣取っており、私と家内も10時前から座っていました。
 
イメージ 3
 しかし、通路と仕切られたチェーンの後ろから通りかかった観光客がまたいで入り、我々の背中を押し、頭の上から写真を撮り、私の置いていたリュックが邪魔だと怒り、「私は1時間以上前から待って居たんだ」と発すると黙りましたが…
 
 前記した会話は、通りかかった観光客が我々の前に進んで行き、立ち上がったまま写真を撮り続ける姿に発せられた言葉ですが、いくら大声で叫ぼうと、相手は日本語の判らない中国人らしい外国人なんですから、聞こえても理解もされないわけで、年々増加する外国人観光客のマナーの悪さに苛立ちます。
 
イメージ 4
イメージ 5
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 今年で46回目となる上高地の開山式は約1時間で終わりましたが、神事の後にアトラクションとして地元の獅子舞が披露され、河童橋中央で日本酒樽酒の鏡開きが行なわれて観光客に振舞われるとともに、小梨平のビジターセンター前の広場で太鼓の演奏とともに、やきそばや桝酒が振舞われ、多くの観光客の列が続きました。
 
                                4月27日の一言

本日朝の大正池

イメージ 1
 
 午前7時の北アルプス焼岳です。
 
 本日は早朝こそ霧が出ていましたが、今年の上高地開山式は、晴天に恵まれ、雲ひとつ無い青空の下で行われそうです。
 
 とりあえず、本日の大正池から望む北アルプスと、湖面に映る焼岳を添付して速報とします。
 
イメージ 2
大正池に映る穂高連峰
 
イメージ 3
大正池に映る焼岳
 
開山式(午前10時50分~)の様子は夜に添付する予定です。
 
半年ぶりの上高地には、やはり凛とした神々しい空気にあふれていました。
 

上高地入りを明日にして平湯温泉へ

イメージ 1
 
 添付した写真は岐阜県郡上市にある國田家の芝桜で、道の駅明宝から高山方面へ車で約10分の距離にあり、毎年4月下旬から5月上旬にかけて白・ピンク・薄紫色の可憐な花を咲かせ、本日も多くの観光客で駐車場はいっぱいになっていました。
 
 
 本日は、明日に開催される上高地の開山式に向けて車を走らせましたが、高速道路を使えば我が家から3時間で到着するものの、途中に名所がありながら素通りの繰り返しのため、一般道を走ってコーヒータイムも楽しみながらの行程を選択しました。
 
 最初に道の駅美濃にわか茶屋に立ち寄ったところ、自転車ロードレースのツアーオブジャパンの写真展が行われており、過去のレース写真の中に、三男がかつて所属した実業団「コムレイドジャイアンツ」の選手の姿があり、懐かしいユニフォームから家内は息子のレースに付いて行った昔話に花を咲かせていました。
 
 一般道を北上し、道の駅明宝ではまだ桜や花桃が満開とは言えないものの残っており、多くのカメラマンが三脚を立てており、ここには多くの愛犬家も訪れ、我が家と同じように犬を伴った人々であふれていました。
 
イメージ 2 本日は通過した各地の温度が24度から27度を表示し、夏と変わらぬ暑さを感じていましたが、せせらぎ街道に入ると車内よりも外の温度の方が涼しいことが判り、窓の外を見ると雪がいたるところに残っていました。
 
 左に添付した写真は平湯温泉から見た乗鞍方面の山並みですが、山肌だけでなく道路横や駐車場にまで雪が大量に残っています。
 
 「これからどうするの?」
 「このまま入っちゃおうか」
 「せっかくの上高地なのに…」
 
 半年ぶりの上高地に、これから暗くなる夕方に入るよりも、明日の朝に入ったほうが感動的と思われることから、本日の旅程は平湯温泉までとし、「ひらゆの森」の温泉に入ってゆっくりとすることに決定です。
 
イメージ 3
 ごらんのように、ひらゆの森の駐車場にも大量の雪が残されており、昨年の開山式は猛吹雪だったことを考えると、明日の天気が晴天であることを祈るばかりですが、明日は大丈夫と思われ、皆さんには河童橋で北アルプスに向けて演奏されるホルンと開山式の様子を伝えたいと思っています。
 
         4月26日の一言
 
 

都市監査委員会定期総会のため新城市へ

イメージ 1
 
 本日は東三河・新城市にある新城文化会館で開催された、愛知県都市監査委員会定期総会に参加するため、津島市監査事務局長の運転で、代表監査委員とともに3人で新城市を目指しました。
 
 予定では午前11時から開会される幹事都市会議に出席する必要がありましたが、伊勢湾岸道が渋滞し、東名高速も岡崎市で事故渋滞に遭遇し、会場に到着した際には午前中ながら昼食用の弁当が配布された後となりました。
 
 午後からは決算報告や会則の一部改正などに続き、報告と予算案を承認し、次期役員都市の選出や総会の開催地の報告を受け、最後に愛知大学地域政策部教授鈴木誠氏の講演がありました。
 
 「リスクに強い地域社会と地域公共人材の育て方・活かし方」として、若者・産業・学校の空洞化時代を迎えてのサブタイトルのもと、一般論から教授の関わった事例や、会場となった東三河地区の農工商連携や食肉、食農産業の事例や交通インフラ、地域産業戦略などの成果についても説明がありました。
 
 さて、詳しい資料は持ち合わせていませんが、高速道路の渋滞が慢性化しており、早く到着するための利用がアダになるケースもあり、本日も複数の都市の監査事務局関係者が渋滞に遭遇していました。
 
 自然渋滞の場合はまだしも、大型トラックの横転事故などは道路の通行が不可能なため、高速道路上の車は身動きができず、予定された時間に到着できないケースについて関係者はどのように考えているのか。
 
 4月より高速道路の通行料金が消費税によって改定されるだけでなく、ETCの割引き制度も変更になり、深夜割引や休日割引が5割から3割に引き下げられ、平日の朝夕割引(通勤割引)も1回の通行には適用されなくなりました。
 
 こうなると、高速道路としての利点が発揮できず、一般道の通行より時間がかかった場合の通行料の割引も考えるべきで、渋滞の原因が事故であるならば、事故の当事者に損害分を請求してでも、通行者の通行料を低減させるべきではないか。
 
 ましてや、事故によって高速道路上で渋滞し、仕事上の被害が出ているケースも考えると、渋滞を起こした当事者に責任を課しても、被害は補填されるべきで、十分な車間距離もとらずに追突したり、危険な運転から事故を起して渋滞を招いた責任はとらせてでも、利用者の利便性は守るべきと思います。
 
                                   4月25日の一言

知多新四国結願と三河三弘法へ

イメージ 1
三河三弘法・蜜蔵院(刈谷市)大師堂で
 
 本日は、10日前に歩き遍路として残してあった知多半島新四国霊場について、足を痛めた同行者が存在したことから、私の車にて結願を果たし、名古屋の八事山興正寺と、三河三弘法(知立市と刈谷市)を巡拝することが急遽決まりました。
 
 朝7時に津島市を出発し、名古屋駅と北区各地でメンバーを拾い、最初に八事の興正寺へ参拝し、東海市の第86番寺から、85番、84番、5番(大府市)と巡拝し、午前11時前に第88番円通寺で結願となりました。
 
 こんなことなら、前回の巡拝で納経時間締め切りまで残した1時間半を有効に巡拝しておれば、前回で結願していた可能性も高いと思ったものの、残していたことから本日2人の同行者が増えたことも考えると結果吉となりました。
 
 知多半島を結願後に、知立市の遍照院に走り、本堂に上がって参拝し、境内下の戒壇巡りに入り、本堂の奥にある岩屋に篭り般若心経を唱え続けましたが、この岩屋には弘法会の先輩先達が篭って修業されたとの話で、同行者は先人の思い出話に花を咲かせていました。
 
 
 知立市の遍照院の近くには、多くの仏壇や仏具店が軒を連ね、我々は山門の隣にある老舗料理店で昼食となり、私には自分では絶対注文しないような高価な「うなぎ定食」が特別に注文してもらえました。有り難うございました。
 
 知立の弘法さんのおかげで、周辺の住民が商いで潤っている姿は、京都の八坂神社と対比される津島神社の門前町と言われながら、地元住民が何も恩恵を得ていない津島市とは違い、毎月の縁日には参拝客が列をなすとの話をうらやましく思いました。
 
 我々は知立市から刈谷市に入り、密蔵院と西福院、井戸寺に参拝し、国道一号線から名古屋市に戻り、午後5時には津島市に帰ることができました。
 
 さて、全国に弘法大師に関係する伝承は多く、全国各地に弘法大師の掘り当てた井戸や温泉が存在しているものの、現実には史実ではない伝承がほとんどで、弘法大師が全国各地の人々に親しまれた有名税とも思いますが、知多半島でも今年は「1200年」ののぼりが張られており、弘法大師が知多半島に上陸して1200年と語られています。
 
見返弘法大師と三弘法のいわれ
弘仁年間(810年代)に、弘法大師が関東地方に御巡錫の途中、当地へ約1ヶ月の間御逗留になり、布教に勤め衆生済度を実践され、佛道の社会的実践の場として当山を建立され、出立の際には庭前の赤目樫の木をもって御自身の座像を三体刻まれ、当山の御本尊とされたのであります。
 
知多四国八十八ヶ所霊場の由来書
弘仁5(814)年、弘法大師が諸国行脚の途中、三河から舟路で知多半島を南下、南知多町大井聖崎に御上陸され、同地医王寺と同町山海岩屋寺に御留錫、護摩修法された後、野間を経由し、陸路北上されて伊勢路に向かわれたという。
 
 添付した書き込みは、三河三弘法と、知多四国八十八ヶ所霊場会がネット発信している内容ですが、ここに記された弘仁5年(814年)とか810年代は勿論ですが、「大同3年(808年)に大師が百日の護摩を修業して、自分の像を岩窟に納めた」と言う知多半島岩屋寺や、「弘仁5年に弘法大師が7日間護摩修業した」と言う医王寺など、弘法大師の略年譜とは違う発信が堂々と発信されていることに違和感を覚えずにはおれません。
 
 これも弘法大師のご遺徳として寛容でありたいと思うものの、問題は寺院を訪れる観光客に、弘法大師が知多半島で長期間修業されたという事実とは違う話が、さも本当の史実のように僧侶の口から宣伝されている事から、私は知多半島の巡礼や弘法信仰を好意的には思えないばかりか、四国遍路の紛い物としか感じません。
 
 しかしながら、今回同行している名古屋市北区の志賀弘法会の伝承者たちは、車中で般若心経を唱え、知多の霊場に建つ大師堂でも般若心経と光明真言、御宝号を声高々に読み上げており、巡礼中は買い物や買い食いも許されない参拝姿を見せつけられると、「これもありか」と思わされる一日になりました。
 
                                   4月24日の一言

上高地の名物画伯から連絡が入り…

今年の上高地 世界の交差点・ホームレス画泊は7月までお休みです!
イメージ 1
 
 先週金曜日に釜トンネルが開通し、今度の日曜日(27日)に上高地は開山式を迎えますが、私は前日から上高地に入る予定をたてて、今では上高地の有名な聖地と言うか、上高地の名物男となった人物との再会を楽しみにしていると…
 
 「あー、もしもし、大鹿さん?」
 「はーい、大鹿ですよ!!
 「上高地には何時入るの?」
 「週末には行こうと…」
 「実は、今年は…」
 
イメージ 2 昨年は猛吹雪の開山式となりましたが、そんな真冬のような上高地に、右の写真のようにテントを張っていたのが千葉県旭市の渡辺氏で、このまま秋までテント生活を続けるのが毎年の定番となっています。
 
 私は勝手に「ホームレス画泊」と命名し、勝手に名前や住所まで発信していますが、渡辺氏は上高地の小梨平にテントを張り、1年間の半分ほどを河童橋近くに油絵のキャンパスを置いて、穂高連峰や焼岳を描き続けておられます。
 
 しかし、本日の電話では、今年は5月に目の手術を受け、7月に親類の結婚式があることから、今年の世界の交差点開設は7月中旬になるとの話で、当り前のように存在したテントと画伯が不在の上高地に寂しさも覚えます。
 
イメージ 3
 左の写真は私とのツーショットですが、こんな感じで上高地を訪れる人々と交友を深め、信濃毎日新聞の一面に掲載され、テレビでも紹介される存在となっており、上高地を訪れる人々のネット配信にも登場しているので、一日も早い上高地入りを願うものです。
 
 もっとも、目の手術後に見える上高地の新しい景色に期待し、今までとは違う作品の登場にも期待し、今年も多くの人々との交友に花が咲く事と思います。
                                 4月23日の一言
 
今年の上高地イベントスケジュール
 4月27日(日)  開山式
 5月 7日(水)  上高地ウォークラリー  6月30日まで
 5月31日(土)  ウェストン祭
 6月 1日(日)  ウェストン祭
 6月14日(土)  音楽祭  場所 小梨平キャンプ場 午後1時~3時 出演  タケカワユキヒデ
10月 8日(水)  穂高神社奥宮例大祭 場所 明神池 時間  午前11時より
11月15日(土)  閉山式
  

四国から徒歩遍路への参加案内が届けられ

イメージ 1
 
 本日、我が家に四国八十八ヶ所霊場会から手紙が届き、来月9日に開催される四国八十八ヶ所霊場開創1200年記念事業となる、「お大師さまと歩む四国遍路」結願法要徒歩遍路への参加案内が届けられました。
 
 四国八十八ヶ所霊場会では、平成25年2月4日から弘法大師尊像を背負い、青年僧侶や公認先達の有志が、四国遍路全行程を27回(基本的に1泊2日)に分けて巡拝してきた歩き遍路が、5月9日の第74番甲山寺から75番善通寺までで結願します。
 
 一度は参加したいと思っていたものの、現実には3ヵ月先の日程が定まらない現職議員の立場では応募もできないままに、最後の最後の極めて短い歩き遍路では申し訳ありませんが、参加メンバーに加えてもらえました。
 
 四国八十八ヶ所霊場が開創されて1200年という記念すべき年に、善通寺への結願の道を大師尊像について歩き、善通寺内で行われる結願法要と開創記念法要に参加し、開創記念紫燈護摩供を自分自身の目で体感できることは、私の人生の中でも最高の至福となりそうです。
 
四国霊場開創1200年記念大法要のご案内
●日付 : 平成26年5月9日(金)午前10時~正午
●会場 : 四国霊場第75番札所 『総本山善通寺』
●日程 : 午前10時~御影堂にて「記念大法要」、午前11時~金堂前にて「柴燈護摩」
 
 ただし、身勝手な四国遍路になっている面もあり、「服装は遍路の慣習である白装束、そして公認先達用の輪袈裟は必ず着用してください」の注意書きに、純白のズボンは汚れることからシルバーのズボンを着用しているため、新しく買い求めるとともに、日常生活でも腰につけているウエストポーチに先達の名札をつけているものの、これも黒色のまま巡拝を続けています。
 
 「私たちはどうするの?」
 「なに?私たち?」
 「一緒に歩くんでしょう?」
 「何を言っているんだ」
 
 5月9日の法要に家族も同行する予定をたてているものの、歩き遍路は先達のみの参加となっており、「遍路は修業です」の但し書きがある中で、家内は孫とともに観光気分で同行するような気持ちだったようで、善通寺で待っているようにと伝えても、「歩いて勝手についていくのは自由でしょ」と開き直りのような一言です。
 
 もっとも、私自身も孫は連れて歩かせたい気持ちもあり、離れた後ろから勝手についてくるお遍路まで拒絶はされないと思う一方で、「身勝手な行動をとられる方は、参加を中止していただく場合があります」の注意書きを見せ、善通寺で待たせるようにしたいと思います。
 
 さて、本日開催された夜の書道会でも四国遍路が話題となり、6年前に国立病院の医師から子供ができないだけでなく、早い時期に子宮を摘出するよう診断された娘のために、私が子宝を授かる願をかけて四国を巡拝した姿を見ていた同行メンバーとの会話で盛り上がり、今でこそ笑い話となった孫の誕生と、巡拝中の説明のできない不思議な体験についても、年月の経過で感動が薄れている現実について花を咲かせました。
 
 四国遍路は、弘法大師(空海)が弘仁6年(815年)に開創されたと伝えられており、現代まで1200年にわたって続いた遍路道と、お大師の功徳に驚かされますが、1200年という年月を、百歳の金さん銀さんが12人バトンタッチしたと考えると、弘法大師も身近な存在と思えてしまうから不思議ですね。
 
衛門三郎伝説 http://www.ku-kai.org/kono.html
 
四国霊場開創1200年記念事業
 四国八十八ヶ所霊場会  http://www.88shikokuhenro.jp/1200.html
 四国別格二十霊場会  http://www.bekkaku.com/?page_id=413
 
 しばらくは四国への想いだけで日々が経過していきそうです。
     
                                  4月22日の一言

相棒と動物病院を訪れて…

イメージ 1
 
 本日は愛知県西部地方は雨の一日となり、肌寒いもののストーブまでつけると生暖かくなるため、家内と母親はコタツの中の一日となったようです。
 
 津島市は昨日より市長選挙が始まったものの、保守系候補からは具体的公約が出されず、改革を目指す候補者は組織がまとまらず、独自候補にこだわる革新政党によって野党票は割れ、国の構図と同じく保守系候補の不戦勝のような雰囲気となっており、投票率は天候にもよりますが過去最低となりそうです。
 
 添付した建物は名古屋市内の動物病院で、相棒リマの診察のため訪れましたが、ここには昨年に亡くなられたものの、私と横井庄一記念館で親しく討論を続けた馬の獣医さんの息子さんが勤務しているため訪れますが、8人の獣医さんと13人の看護師体制で土曜日や日曜日も診察が行なわれています。
 
 本日の血液検査の結果では、相棒の血液にフィラリアは存在せず、24時間蚊取りマットをつけている効果が確認され、ワクチンを摂取してから帰宅となりましたが、財布は軽くなったものの大きな安心感を持ち帰りました。
 
 さて、今週は公務で訪れる金曜日の新城市以外は手帳を空白にしていましたが、木曜日に知多半島の八十八ヶ所霊場を結願した弘法会の人々の依頼で、三河三弘法と八事の興正寺に同行することとなり、週末は毎年訪れている上高地開山式に出向きます。まさに遠出の連続となります。
 
長野)上高地へ道路開通、観光客が散策 
 
 上高地は毎年27日が開山式となっていますが、それに先立ち先週の18日に釜トンネルから先にある県道上高地公園線が開通し、多くの観光客が訪れているようですが、昨年の開山式はタイヤチェーンが無ければ通行できない猛吹雪だったことから、週末の天気が気になる週明けとなりました。
 
                                   4月21日の一言
追伸
引き取り先が無ければ里親を考えていたワンちゃんの里親が決まったようです。ホッとすると同時に、少し寂しい気持ちですが…
 
大鹿 一八様
こんばんは。
今回はシエラちゃんの里親様を検討して下さり本当にありがとうございます。
シエラちゃん本日良いご縁がございまして、ご家族様が決定いたしました。
せっかくのお申し出でしたのに誠に申し訳ございません。
今回はご縁がありませんでしたが、まだまだ家族が居ない寂しいワンちゃんネコちゃんはたくさん居ますので、今後も気になる子がいましたら、是非ご連絡下さい。
お待ちしております。
それでは失礼致します。

自転車の聖地となりつつ四国からの発信が続き

 昨年に還暦を迎え、今年3月に同級生が定年退職となったことで、有り余る時間に対して四国遍路を薦める時に、私自身が一ヶ月以上の時間を取れないことと、歩き遍路は大変なため、自転車による遍路を薦めるものの、現実には難しい問題が多く存在して大きな壁となります。
 
 一般論として、公共交通機関の電車やバスで自転車を持ち込む場合は、折りたたみ自転車か、タイヤ等を分解して袋に入れれば持込みが可能とあり、自転車を四国へ運行している長距離バスに持ち込もうとした知人が断られたことがありました。
 
 自転車を折りたためば新幹線でも積み込みが可能なため、バスや電車は持ち込めると思っている人も多いものの、現実には高速バスについては自転車やスキー板とかスノーボードは持込みが禁止されており、公共交通にも認められているゲージに入れたペットの持ち込みもできません。
 
高速バス車内含む、床下トランクへお持込をお断りしているお荷物
 1 長大荷物(大型楽器、自転車、サーフボード、スキー用品、スノーボード等)
 2 貴重品、その他走行中に損壊する恐れがある物
 3 愛玩動物(ゲージその他に入れてトランクへのお預かりもお断りいたします)
 4 危険物及び、他のお客様に危害を及ぼしたり迷惑をかける恐れのある物。
 5 車両を破損させる恐れのある物
 
 さて、本日の新聞報道では、折りたたまずに自転車を持ち込めるサイクルトレインが19日、JR予讃線と予土線で走り始めたと発信されており、折りたたんだり分解せずそのまま列車に乗り込めるのは心強い発信です。
 
自転車そのままで乗車OK JR予讃線などで春秋に運行
記事の続き…
 松山市のJR松山駅で出発式があり、今治市の長野和幸副市長が、和田竜(りょう)さんの小説「村上海賊の娘」が本屋大賞を受けたことを引き合いに「往時の水軍や海賊を想像しながら一日楽しく遊んでください」とあいさつ。1番列車にサイクリスト24人が乗り込んだ。
 愛媛銀行の行員でつくるサイクリングクラブは8人がそろいのブルゾン姿で参加、大島や伯方島など80キロ近くを走る計画という。メンバーの森拓(たくみ)さん(31)は「サイクルトレインは初めて。車と違ってみんなでワイワイできるので親睦が深まると思います」。
 しまなみ号の運行は春が5月25日までの土日祝日15回、秋が9月14日~11月24日の同じく25回。1日1往復で途中の停車は波止浜(はしはま)駅(今治市)だけ。運賃は大人が片道千円。事前予約制でJR四国ワープ松山支店(089・945・1689)へ。
 一方、四万十号は春が5月25日までの土日祝日15回、秋が9月20日~11月3日の同じく17回。1日1往復で北宇和島、真土、若井を除く全駅で乗り降りできる。ダイヤ通りの列車(海洋堂ホビートレイン)に自転車専用の1両を連結して運行するため、運賃は通常(宇和島―窪川間で大人1850円)と変わらない。
 どちらの列車も、車内では自転車をゴムひもでつり革や手すりに固定。サポートする要員も乗る。
 
 もともと広島県尾道市と愛媛県今治市を結ぶ全長約70kmの瀬戸内しまなみ海道には、日本で初めての海峡を横断する自転車道(瀬戸内海横断自転車道)があり、しまなみ海道はサイクリストの聖地とも呼ばれていますが、ちなみに、本州と四国を結ぶ「明石海峡大橋」や「瀬戸大橋」は自転車での通行ができません。
 
 広島県尾道市では、しまなみ海道を対象としたレンタルサイクル事業の窓口があり、広島県と愛媛県を結ぶバス会社「おのみちバス」は、バス車内に自転車を無料で積み込める路線バス「しまなみサイクルエクスプレス」の運行を月末から始めるとの発信もあり、自転車による四国遍路を考える人には朗報となります。
 
                                    4月20日の一言

我家に父親が残した牡丹の花です

イメージ 1
 
 我家の牡丹(ボタン)の花です。玄関横の植え込みの中にあるため、咲いているのにも気づかず、気がつけば散ったあとで、ここに紹介するのも初めてとなりますが、この花も平成5年に他界した父親の残した忘れ形見となります。
 
 この牡丹の近くには、同じく私の父親が残した「ギボシ」や「ユキノシタ」が植えられているものの、年数の経過とともに危機的状況となっており、地植えと言えども維持するのは大変になりつつあります。
 
 我家の樹木のほとんどは、先祖伝来のものか、父親の残したものばかりですが、これは私が一本たりとも切らないと宣言しているためで、私の植えた杏(アンズ)や月桂樹が事務所横に伸び放題となり、屋根より高くなっており、これは私自身の手で伐採する時に迫られています。
 
犬の殺処分、ゼロを達成 神奈川の保護センター
記事の続き…
 県動物保護センターはゼロ達成に向けて、様々な取り組みを進めてきた。
 手っ取り早い方法は、センターに来る犬を減らすことだ。飼い主が高齢化や転居などの事情で「もう飼えない」と持ち込んできても、しつけ方をアドバイスしたり新しい飼い主を探すよう促したりして、簡単には引き取らない。また、迷い犬を確実に飼い主に返すため、狂犬病予防法で義務づけられた鑑札(登録証)の装着も推進してきた。
 保護した子犬は避妊去勢手術をした上で、月1回の「譲渡会」で新しい飼い主を探す。成犬の引き取りは主にボランティアが担う。30を超えるNPOなどの団体・個人が登録し、犬を引き取って世話をしたり、新しい飼い主を見つけたりしている。センターから譲り受ける際、1匹当たり1220円かかっていたのを昨年9月に無料化。ボランティアが協力しやすくした。
 センターの秋山雅彦業務課長は「センターばかりが頑張ってもゼロにはできない。ボランティアの協力や、飼い主の意識も大切。ゼロを続けられるよう取り組んでいく」と話す。
 猫の殺処分数も、1989年度には全国で約32万8千匹だったのが、2012年度は約12万3千匹に減っている。県内でも1992年度に約2万匹だったのが、2012年度は2600匹余に減少した。ただ、県によると、猫は繁殖しやすく、親猫がいないと子猫を育てるのが難しいことなどから、一定数は殺処分せざるを得ないという。
 
 横浜、川崎、横須賀の3市以外で捨てられたり逃げたりした動物を預かっている神奈川県動物保護センターで、昨年度、殺処分された犬がゼロだったとの報道があり、確実に里親制度や支援するボランティアの存在が、保護センター(保健所)行きは薬処分という過去のイメージを払拭しつつあることを実感させられました。
 
 2日前に相棒リマを動物病院へ連れていった際に、待合室に「動物病院による保護犬猫譲渡活動支援サイト」なるチラシが置かれており、持ち帰って閲覧しましたが、我家の相棒の家族とか思えないような犬も存在し、病気でもないかぎり引き取りたい心境となります。 
  
動物病院による保護犬猫譲渡活動支援サイト 
              https://www.veterinary-adoption.com/ 
 
 動物の命についても、一代限りとなり、家族で子孫を継承した経験がありませんが、我家の庭に眠る相棒の先輩や、愛猫たちを思い出すと、ペットショップを廻るだけでなく、事情があって行き場のない命を優先してやりたいと思う一日ともなりました。
 
イメージ 2 「おい、ちょっと見てみろ」
 「リマのストレスとなるからダメッ」 (三男)
 「可愛そうだろゥ」
 「だから、そんなのは見てはいけないんだわッ…」 (家内) 
 
 一家の主とは言いながら、子供や家内まで言いなりとはなりませんが、サイト内に相棒とよく似たポメラニアン(右の写真)を見たことから、相棒リマと出会って別れなくなったような心境となり、2件の問い合わせがあるようですが、相棒の家族のように思えて早速サイトのユーザーに登録し、問い合わせてみたいと私の悪い性格が抑えられなくなりました。
 
                                        4月19日の一言

我家の畑のネギ坊主です

イメージ 1
 
 我家の畑で輝く「ネギ坊主」です。私の住む津島市越津町は、「越津ねぎ」発祥の地で、当地方では当り前の名産品となっており、越津ネギは白根の部分と青菜の部分が柔らかいので人気が高いものの、柔らかく痛みやすいので全国には発送されていきません。
 
 私の村の先人によって作られた品種で、私の父親たちは越津ネギを単車に積んで市場に走っていましたが、最近では市場に持っていく人はほとんど無くなり、私の住む地名がついた名産品ながら、隣のあま市や、一宮市が越津ネギの産地になってしまいました。
 
 一方で、地産地消として地元野菜を使うことが叫ばれ、学校給食に使われるようになり、私の住む津島市では「ネギクッキー」まで誕生していますが、かつての名産品を生産する農家が存在せず、畑に老人しかいない現実から、発祥の地から名産品が消えてしまうかも知れません。
 
四国八十八カ所巡礼を被災地に 「お砂踏み」届ける
記事の続き…
 東北の被災地には試行錯誤の段階だった震災翌年から「お砂踏み」を届けてきた。寺や仮設住宅の集会所も行った。今年3月10日に訪ねた福島県相馬市の特別養護老人ホーム「相馬ホーム」は、入居者約100人でにぎわった。車いすでお参りした大野庄一さん(77)は「この年齢で、不自由な体ではなかなか88カ所は行けない。こんなにありがたいことはない」。
 家を流され、お墓が遠くなってしまった人、亡くなった人の供養を満足にできなかった人。「お砂踏み」に、涙を流して喜ぶ人もいるという。大西さんは「東北では身内を何人も亡くされた方もいる。手を合わせる機会を少しでも設けられてよかった」。喜ばれる限りは続けようと意気込む。
 6~7月と10~11月にも、西日本の希望する福祉施設まで「お砂踏み巡礼」に出向く予定だ。問い合わせは岩屋寺(0892・57・0417)へ。(太田成美)
 四国八十八カ所霊場会は、88体のご本尊を描いた掛け軸や、特別にあつらえた「出張用」の木彫りのご本尊を用い、大規模な「お砂踏み」も各地で有料で開いている。昨年は東京・丸の内や中部国際空港、仙台空港などで催した。この仏像は普段、75番札所・善通寺(香川県善通寺市)の「お砂踏み道場」に常設されている。
     ◇
 〈お砂踏み〉 四国八十八カ所の札所の砂を踏めば、実際にお遍路をしたのと同じ御利益があるとされる風習。元々は、ご本尊を描いた88の掛け軸をかけ、その下に砂を入れた座布団のような麻袋を置いて踏んだという。江戸時代に入り、修行僧が中心だった霊場に豊かな商人が出かけるようになり、お遍路がブームに。この頃、商人らがお遍路を伝えようと全国各地へ砂を持ち帰り、「お砂踏み」が始まったとされる。交通手段が未発達で、四国が地理的に不便だったことから、お遍路を身近に感じるための手段だった。
 
 本日の朝日新聞には、東日本大震災の被災地東北へ、四国八十八ヶ所霊場会のワゴン車による「お砂踏み巡礼」が訪れ、被災地の老人ホームや福祉施設の人々に喜ばれているとの報道がありました。
 
 我々のように半日で到着する四国とは違い、東北地方から四国へは飛行機か新幹線を乗り継がないといけないため、何事がなくても四国遍路に趣くことは大変な決断がいり、震災によってより遠い存在になったものと思われます。
 
 「お願いがあるんだが…」
 「何でしたか」
 「願の叶うお寺に行ってきてくれッ」
 「四国ですか?」
 
 病院の入院病床で、四国遍路の代参を依頼されたことがありましたが、その人のためだけに10日ほどの時間を空けることは不可能で、ましてや「願」を叶えられるお寺と思えても、その人の代役で効力が発揮されるか確信もなく断りましたが、行きたいと思っても、現実に行けない状態となり、体調管理もできないために、こんな非日常的な依頼をされるようになったものと思われます。
 
 こんな要望に対応する「代参」業者も存在するものの、私は霊感とか法力を微塵も持ち合わせてはおらず、こんな状態になって依頼されたところで役にも立てませんが、何とか四国のパワーを役立てたいもので、地域で必要とする総てに人に「お砂踏み巡礼」を体験してもらいたいものです。
 
                                   4月18日の一言

相棒の診察で知った知人の訃報に

イメージ 1
 
 薄暗い動物病院の待合室で診察を待つ相棒リマですが、午前中の来客に驚いて慌てて立ち上がる際に左前足を痛め、触ろうとすると痛がって悲鳴をあげ、横にもならずに痛みに震え続ける一日となりました。
 
 相棒は3年前に病院を訪れているものの、長い毛が首輪に絡んで悲鳴をあげた以外は何一つ悪いところがなく、久しぶりの病院行きとなりましたが、過去の記憶がよみがえり震えて診察を待ち、診察の緊張感から痛みも吹っ飛んでしまったようです。
 
 痛み止めの注射を打ち、4日間様子を見ながら改めて診察を受けることになったものの、家内と2人で名古屋の病院まで走り、近くに住む娘も孫を伴って付き添いにくるなど、人間よりも大変な診察となりました。
 
 「お父さんはお元気ですか?」
 「 … … 」
 「どこか悪いの?」
 「 … 実は…」
 「えっ?」
 
 この動物病院に勤務し、本日診察してもらったY医師のお父さんとは、横井庄一記念館で出会ってから雑談する気の合う知人となり、氏の運営するブログ中に私に関する記載もありましたが、昨年に亡くなったことと、5年前からガンの闘病中だったこと、そして61歳で亡くなっていたことに返す言葉も見当たらず、同行していた家内も61歳と聞き絶句です。
 
 氏は弥富市にある名古屋競馬場のトレーニングセンターで、馬の獣医さんをされていましたが、馬の獣医を引退し、氏の運営するブログも休止されたため、機会があれば訪れたいと思いながらそのままとなり、一年前に他界されていたことは悲しい現実であり、帰宅後に下記に添付したブログを確認すると、ブログまで削除されていました。
  
地方競馬のたどる道~武豊も訪れるブログ http://blog.goo.ne.jp/comano/
 
指定されたページがみつかりませんでした
大変申し訳ありません。お探しのページが見つかりませんでした。
名前が変更されたか、移動したか、削除された可能性があります。
 
 同世代で私よりは年上と認識していたものの、息子さんから昨年61歳と聞かされ、自身の病気のことは何も語られなかったことと、私との会話の先に何を見つめておられたのか、「そう言えば…」と、今となっては身勝手な私の話に何を思われていたかも判らず、息子さんにかける言葉も思い浮かびませんでした。
 
今日から名古屋競馬が開催されます。 先日、弥富トレセンで今井貴大騎手と出会いました。デビューしたての新人ジョッキーです。  「よくやっているネ、期待しているよ」 「はい 頑張ります」 「君も、青いハンカチが似合いそうだね 」 「??? ・・・・・」  急な出会いで、写真も いまいち です。  最近も地元の新聞に 「夢むげんだい:初の平成生まれジョッキー・今井貴大さん」 との記事を目にしました。 
 
…毎日新聞記事添付・省略…

本人になりかわりまして、樋岡徹也さん ありがとうごさいます。       2006年11月13日
 
性別      男性
都道府県   愛知県
自己紹介
地方競馬 経営努力の甲斐もなく売上げが低下する原因は、このまま盛り上がりを見せずに、役割を終えるのが時代の流れなのでしょうか?地方競馬の話題を中心に馬のいる社会についてを紹介。
 
氏のブログの1ページ分です http://archive.today/R48N
 
 Y氏の記憶を回顧するブログも削除された今となっては、ネット検索から氏(ブログ名・セントレアさん)の足跡を探して添付したものの、肝心のセントレアさん、Y氏は存在せず、記録されている携帯電話もつながりません。
 
長年にわたり名古屋競馬の身近な話題を数多く提供されてきたセントレアさまが、このたび2012年末をもって地方競馬のブログ「地方競馬のたどる道」を辞められるとのこと。
これは自分にとって、最近のどんな名古屋競馬のニュースよりも大きな出来事である。
「地方競馬のたどる道」は、時には外からの視点で厳しく、時には何気ないトレセンの日常の話題まで、自分が名古屋競馬を一番身近に感じることのできるところであった。
自分の場合、地元は名古屋ながら、もともと仕事で千葉に住んでいた頃に船橋競馬場に通い始めたのが地方競馬に嵌ることとなったきっかけである。
船橋にはけっこう通い詰めたのだが、家庭の事情で名古屋に戻ることになったのが7年前の2005年。
ちょうど、マリーンズが31年振りに日本一に輝いた年である。
その頃はまだ、南関東の代用みたいな感覚でドンコに足を運んでいたように思う。
山本茜ジョッキーデビューの日にたまたまドンコにいたことから、やがて自然な流れで彼女に興味を持つこととなった。
そしてブログを始めたのが、6年前。
我が生まれ育った地元の地方競馬、「名古屋競馬」の話題を取り上げたかったからである。
一競馬ファンに過ぎなかった私のこの訳のわからない拙ブログに、セントレアさまから初めて温かいコメントを頂いたのがその頃である。
はや6年、されど6年。
「地方競馬のたどる道」には、地方競馬に関する多くのことを教わった。
6年前といえば、宇都宮、高崎と廃止が続き、笠松の存廃問題も継続中で新聞記事に何かととりだたされていた頃。
あくまで外野的な視点でしか見られなかった地方競馬を多角的に考えられるようになったのも、たぶんセントレアさまのブログのおかげであるように思う。
 
 
悲しい現実の連続に、ただでさえ暗く後戻りばかりの性格が余計に暗くなり、本日も寂しい回顧録としてしまいました。
 
ブログ名セントレアさん、Y氏に合掌
                                     4月17日の一言 

名鉄120年の新聞記事を目にして…

 先週土曜日に知多半島の巡礼に出かけた際、同行者の一人を名古屋市南区の本笠寺駅前で乗せましたが、待ち合わせ場所の前が名鉄産業の本社と聞き、戦後帰国した父親が名鉄乗務員から出向して勤務していた会社だけに、初めて見た建物に父親の影を探しました。
 
 名鉄電車の運転手から名鉄産業に出向した父親は、昭和30年代にオープンした一宮市のドライブインの店長や、ガソリンスタンドや油脂庫の所長などを務め、それらの仕事場に小学生や中学生の私も連れて行きましたが、唯一行ったことがないのが本笠寺にある本社でした。
 
 鉄道員からサービス業に転出した父親は、我家より仕事を優先し、休日や夜も鉄道員仲間のもとへ営業に走っており、その度に車の助手席に乗って行ったものの、本社勤務になってからは重役でもないのに自由に出社して、夜はマージャンを繰り返しており、私の知らない部分でもありました。
 
 この本社勤務時代以降に、重役でもないのに多くの名鉄幹部との交友が広がり、名鉄グループの燃料を担当する石油部に所属したことから、名鉄関連会社に幅広い交友が広がり、息子である私にも出会うはずの無い重役さんから本や貴重品が届けられました。
 
 私の高校生活は名鉄病院での入退院の繰り返しでもあり、入院中の父親の会社の専務さんだけでなく、当時5階の特別病棟を自宅のようにしておられた土川会長や、4階におられた名鉄百貨店長尾社長など、名鉄の大幹部にあたる人々にも親切にしてもらいました。
 
 私が大学時代にアルバイト先としていた名鉄系の名古屋観光バスでは、観光地や遠方で給油したり休憩する場所で、「大鹿さんの息子」として手土産がいただけ、一緒の運転手さんから「大鹿と一緒だと得だぞ」とか、「何所のドライブインにバスを停めようか」など、美味い思いばかりが記憶されます。
 
 赤字続きの国鉄とは違い、大きなバスターミナルやホテルを建設し、北海道や九州に就航したフェリーなど、全国各地に展開していた当時の名鉄は輝かしく、最近の低迷する姿が信じられず、当時名古屋商工会議所会頭を務められた土川会長が平社員同然の息子の私でも家族のように接していただいた姿が忘れられません。
 
 さて、こんな思い出話を長々と続けてしまったのは、新聞紙上で「谷こえ山こえ名鉄120年」の記事を読んだからで、父親の残した昭和35年刊の「名古屋鉄道社史」や、父親が死んだ翌年に発行された「名古屋鉄道百年史」を読み直すことにもなりました。
  
谷こえ山こえ名鉄120年 リニア契機、アクセス強化
記事の続き…
 来年度には基本計画を策定し、東京五輪が開かれる2020年度にも着工したい意向だ。名鉄の山本亜土(あど)社長は「名古屋の玄関口として、(JRや近鉄を含めて)名古屋駅前をきちんと整備し、乗り換えやすくする必要がある。名古屋を国際都市、魅力ある都市にするきっかけになる」と語る。
 名鉄は12年度からグループ146社を含めた3カ年計画で、原点の鉄道事業に回帰する動きがみられる。自動車産業の拠点である愛知・豊田方面の輸送を強化したい意向だ。
■赤い電車、競馬場に健在
 名鉄のシンボルと言えば「赤い電車」。車体の赤色は「名鉄スカーレット」と呼ばれ、親しまれてきた。
 日本で初めて運転席を2階にし、先頭車両の1階前面を客室にして眺望を良くした「パノラマカー」は、名鉄スカーレットの代名詞だ。初代パノラマカーの名鉄7000系は1961年にデビュー。翌年、鉄道愛好者団体「鉄道友の会」(会長=須田寛・JR東海相談役)から、その年の最優秀車両としてブルーリボン賞を授与された。
 パノラマカーが奏でる「♪ミー、#ドーラー、ミー、#ドーラー、ミー、#ドーミーラー」の警笛の旋律は、この地方のソウルミュージックに。毎年3月、JRA(日本中央競馬会)の中京競馬場(愛知県豊明市)で開催される「名鉄杯」のファンファーレとして生演奏されることでも知られる。同競馬場東門近くには、09年に引退した7000系パノラマカーの車両が展示されている。
■吸収重ね拡大、不採算路線は廃止
 名鉄は1894(明治27)年6月25日、「愛知馬車鉄道」として創業。1898年に、笹島(名古屋市中村区)―県庁前(名古屋市中区)で路面電車として開業した。笹島から柳橋、御園町、七間町、県庁前の順に5駅4区間あり、運賃は1区間1銭だった。
 当時の車両「名電1号」は名古屋市内で活躍した後、札幌市初の路面電車として使われ、引退後も札幌市内で保存されていた。昨年12月に里帰り。来年3月に明治村(愛知県犬山市)が50周年を迎える記念事業として、同村で今年6月下旬から一般公開される。
 名鉄の路線は、企業合併による拡張や譲渡、廃線などを繰り返してきた。1922年、経営戦略上の理由から名古屋市内の路線を同市へ譲渡し、郊外へ活路を求めた。25年に尾西鉄道(現在の尾西線)、35年には各務原(かかみがはら)鉄道(同各務原線)を吸収合併した。
 太平洋戦争下の44(昭和19)年にも豊川鉄道などと合併。わずか総延長2・13キロからスタートした市電が120年経った現在では、愛知、岐阜両県にまたがる444・2キロに。私鉄では、近鉄の508・1キロ、東武の463・3キロに次ぐ3番目に長い路線になった。
 その一方で、近年は不採算路線の廃線が目立つ。2001年10月には揖斐(いび)線(黒野―本揖斐)や八百津(やおつ)線(明智―八百津)など、04年には三河線(碧南―吉良吉田、猿投―西中金〈にしなかがね〉)、05年には揖斐線(忠節―黒野)や美濃町線(徹明町〈てつめいちょう〉―関)などを廃止した。
 名鉄が基盤とする中京圏は、トヨタ自動車のおひざ元。首都圏や京阪神に比べてマイカー普及率が高いためだ。合理化のためワンマン運転や無人駅なども多い。(立松大和)
■名鉄120年の歩み
1894年6月25日
愛知馬車鉄道設立
98年5月6日
笹島~県庁前間開業
1921年6月13日
名古屋鉄道設立、翌年、名古屋市に市内線を譲渡
41年8月12日
新名古屋駅(現・名鉄名古屋駅)開業
48年5月16日
豊橋―新岐阜(現・名鉄岐阜)間直通運転開始
59年9月26日
伊勢湾台風で全線に大きな被害
61年6月1日
7000系パノラマカーデビュー
65年3月18日
博物館明治村開村
67年6月1日
名鉄バスセンター開業
89年7月9日
金山総合駅が完成
2001年10月1日
谷汲線、揖斐線(黒野―本揖斐)、八百津線、
竹鼻線(江吉良―大須)廃止
04年4月1日
三河線(猿投―西中金、碧南―吉良吉田)廃止
05年1月29日
空港線開業、特急ミュースカイがデビュー
4月1日
岐阜市内線、田神線、美濃町線、揖斐線を廃止
11年2月11日
ICカード型乗車券「manaca」のサービスを開始
14年6月25日
創業120周年
 
 さて、新聞記事を見た事から、書棚にある昭和35年に発行された「名古屋鉄道史」や、平成6年に刊行された「名古屋鉄道百年史」などを持ち出すと…
 
 名鉄の礎となる愛知馬車鉄道の創立委員長を務められた岡本清三氏は、津島市愛宕町の平野家の次男として生まれ、津島村議会議員から県会議員として活躍された後、津島市の町制施行にともない「初代」町長を務められ、名古屋電気鉄道の常務、名古屋鉄道になってからも取締役として活躍されました。
 
 津島市の四代目市長を務められた竹内節雄氏についても、京都帝大時代に名鉄の土川元夫社長と同級生であったことが縁で、昭和40年代に津島駅周辺の高架事業や、名鉄ストアーの進出など、駅前の住宅公団建設とあわせて、名鉄の先進的駅前の実現を果たされました。
 
 過去に活躍された先人たちの遺徳を偲ぶとともに、来週に告示される津島市長選に立候補する予定者の顔ぶれを比較すると、愛知県内でも特に沈滞した津島市の現実が悲しく思われ、市議会議員としても責任を感ずる夜にもなりました。
 
                                   4月16日の一言

議員が選挙からストレスを溜めるようでは…

 現在となりの愛西市では市議会議員選挙が行なわれており、遠くから街宣カーのスピーカー音が聞こえてくることから選挙中ということが判りますが、愛西市の選挙は街宣カーが私の住む津島市を無音のまま横切りますから、勘違いした市民の方から私の選挙を心配した連絡も入ってきます。
 
 昨日が新聞休刊日のため、告示されても月曜日の朝刊に載らない事から、愛西市で選挙が行なわれていても本日の朝刊まで知らない津島市民の勘違いになったようです。
 
 津島市は来年の統一地方選挙が四年目の改選年となり、私は立候補すると5期目の挑戦となりますが、新聞で他市の立候補者一覧を見ると、5期目に挑戦する議員はほとんど存在しなくなることから、政治の多選批判も考えると自問自答となってしまいます。
 
 「まだ、若いんだから」と言われますが、支援者が年齢を重ねているため若いと思われるだけで、多くの支援者が鬼籍に入っており、事務所に届けられる行事案内がどんどん増えて、すべて対応したら大変なストレスを抱えるため、最近は飾りの来賓は欠席するようにしているものの、自分の熟成した居場所に拘るようにしています。
 
 そんな中で、四国遍路や巡礼を趣味としているため、お寺からの行事案内も増え、来月に善通寺で開催される『四国八十八ヶ所霊場開創1200年記念大法要』は勿論ですが、今年は全国各地から多くの案内が届けられることから心が揺れ動きます。
 
 我家の宗派である浄土宗の大本山知恩寺(京都)は、我家の旦那寺の本山であるだけではなく、毎年大晦日の除夜の鐘撞きに訪れており、宗祖法然上人の御忌の案内が届けられたことと、この中に『年に一度の弘法大師御真筆・利劍の名号の御開帳』の文字を見つけたことから気になります。
 
 千葉県の満願寺からの案内も、昨年に10年前の日本百観音の満願の証をいただき、昨年に結願した分の証が欲しいことから気になるものの、いずれも議会日程や公的行事の合間の行動となることから苦痛を伴ってきます。
 
 「明日の都合はどう?」
 「四国遍路の話ならするけど」
 「話の展開次第かなァ」
 「うーん、ところで何時に?」
 「10時に…」
 
 4月に入ってから、午前3時半からアンケート配布に出ており、明日で終了する予定にして、日中は同窓会協賛広告の集金に充てる予定でしたが、10時の約束はすべてが台無しとなるものの、相手は今年定年となった市職員で、来週から予定されている津島市長選に関わっているため、誘いはストレスの堪ること必死で、議員が政治からストレスを溜めること事体に自身の限界も感ずる一日ともなりました。
 
                                   4月15日の一言

最後を覚悟する闘病女性に同行して

イメージ 1
 
 本日、私の事務所に届けられたアンケートが同封された返信封筒で、一日の返信量としては過去最高の62通で、受取人払いは15円追加された97円の料金がかかり、本日だけで6014円の金額が記された交付証が添付されておりますが、これが大相撲の懸賞金なら笑いがこらえられないと思われます。
 
 受取人払いの配達は、土曜日や、日曜祝日は配達されないため、月曜日の配達は多くなるものの、過去4回のアンケート調査も含めて最高の配達数となりましたが、土曜日と日曜日に知多半島に行っていたために、残された仕事も山積して忙しい月曜日となりました。
 
 私が知らないだけで、週末不在の代役として家内が文化会館に走り、地元の花道家元さんからいただいたご招待状を持参して挨拶に出向いており、知り合いはそれぞれが不在だったようですが、私にはできない留守番役を果たしていました。
 
 本日は午前中に議会日程を済ませたものの、午後には病魔に苦しむ女性を家内とともに病院へ移送し、検査と診察中に「人畜無害」の天然活性剤『HB-101』を勝手に購入してから診察後の女性に手渡しました。
 
 「時間の覚悟ができました」
 「えっ?」
 「立会人とともに診断を聞きました」
 「そうですか…」
 「やるべきことを一つ一つ記録していきます」
 
 細かいことはあえて聞きませんでしたが、女性は医師の薦める抗がん剤投与を断っており、漢方とか良いと聞く処方は何でも試す一方で、医師から宣告されたと思われる時間の中で、遣り残さないため動けるうちに済ますという強い決意を語られました。
 
 「これのお金をとってください」
 「いえ、これは差し上げますから」
 「いや、貰ったものではご利益が有りませんから…」
 「そッ、そうですか…」
 
 四国遍路で授かってきた「千枚通御護府」を、差し上げるつもりで持参していたものの、相手の気持ちを考えて気持ちだけの金額をいただきましたが、真剣な眼差しに説明をするのも真剣で、四国霊場で教えてもらった延寿法の印の説明書きも手渡しました。
 
 女性は私と同世代で、ガンの手術後に他の部位への転移が見つかり、膠原病にも苦しめられていることから、他の患者の動向や薬剤師の薦める「冬虫夏草」や、私の薦めたHB-101も積極的に取り入れる反面で、完治しないと判断した抗がん剤や入院を断っていますが、死も覚悟しながらの独り暮らしは想像ができません。
 
 「絶対に治らない」と聞いての移送ですが、女性は生きることを諦めておらず、私は最後を迎えるまでできるかぎりの移送と支援を約束したものの、私自身は病気に関しては相手の話を聞いた部位や胃が痛みだす癖があり、これからも何とか穏やかな日々が続くことを祈らずにはおれません。
 
 福祉有償ボランティア移送は高齢者や障がい者、病人しか対応していないため、必然的に人生の最終章に関わることとなり、同行者の苦痛が強く辛く圧し掛かってストレスを溜めていきますから、情けない話ですが家内が同行してくれないとハンドルが握れないケースが増えそうです。
 
                                  4月14日の一言
追伸
膠原病やガンに効果のある情報を聞かせて下さい。
 私のメールアドレス s281218@yahoo.co.jp か、右のゲストブックへ

2日間の知多半島巡礼を終えて

イメージ 1
 
 昨日より巡拝中の知多半島新四国八十八ヶ所は、昨日に約半分の巡礼を済ませ、メンバーは早朝より5ヶ寺を歩いて済ませ、午前8時に40番影向寺から巡拝を始めました。
 
 昨年に巡拝した経験が多少は活かされますが、ほとんどはお遍路歴50年の先達さんの助言に頼る巡拝となり、お昼に62番、午後2時には72番と順調に足を進め、新四国は午後6時まで納経所が開いているため、午後3時台に80番を済ませ、何とか満願が可能と思われた83番弥勒寺の参拝を終えた時に…
 
 「本日はここまでとし、残りは歩きで打ち終える」との宣言です。「まだ廻れるのに…」の個人的希望は、弘法大師から先達への「お告げ」の前に封印し、メンバーは再度歩いて満願を目指すこととなりました。
 
 「6月は大丈夫かなァ」
 「えっ、何でした?」
 「6月は議会じゃないの?」
 「そうですが…」
 「私達は毎年6月が高野山じゃないの」
 「はぁ…」
 
 昨年6月に津島市内のお寺から、「お参りする足が無くて困っている」と紹介され、高野山や善光寺などに同行しましたが、高齢化したメンバーから完全にあてにされ、6月の高野山だけでなく、来年の新四国まで私を予約されているようです。
 
 「できれば秋に四国もお願いしたいの…」
 「四国って、四国ですね…」
 「そう、4回で廻れるかなぁ?」
 「4回って、別格もですね?」
 「そぉ、全部あんたに任せるから」
 「えっ?、私の4回は夜行ですよッ」
 
 私は夜11時に名古屋を出発し、仮眠後の朝7時から午後5時まで巡拝し、3日目も午後5時まで巡拝してから名古屋まで戻る2泊3日の行程4回で、満願から高野山御礼まで巡拝する旅程を基本に巡拝しており、高齢ゆえに夜行の徹夜疲れを心配すると、自分たちは車中で寝ておれば良いんだからと若者のような返事でした。
 
 私自身も夜行3日間の行程には、年々体力の限界を感じているものの、いかに安く効率的に廻るかを考えた行程で、1回ごとに遍路以外のサプライズを入れており、3日目は日帰り温泉で入浴後の帰路が定着してきました。
 
 こんな生活を楽しんでいると、昨年還暦を迎えたことからリタイヤに憧れてしまいますが、「あんたは次も頑張ってよッ」と先達さんに釘を刺され、議員であることが気軽に頼める理由とされ、引退して無職になってしまうことは許されない雰囲気で2日間を締めくくりました。
 
                                   4月13日の一言

知多半島巡拝一日目が済んで

イメージ 1
 
 本日は名古屋市の志賀弘法友の会の人々の運転手役で、愛知県知多半島の新四国八十八ヶ所霊場の巡拝に出ており、添付した写真は名鉄海上観光船で篠島から師崎に戻ってきた同行者たちです。
 
 本日は津島市を5時に出発し、午前7時に第87番長寿寺からスタートしましたが、私の頭には豊明市の1番寺から巡拝することしかなかったものの、新四国の中で唯一名古屋市のお寺が存在し、我々の通り道上にあることを遍路の先人から教わることとなりました。
 
イメージ 2 天候に恵まれ雲ひとつない晴天の中を 順調な巡拝を進め、12時には半田市の第21番常楽寺まで廻りましたが、途中にはまだ残る桜吹雪の中を参拝です。
 
 武豊町の第24番徳正寺まで廻ったところで、知多半島の先にある師崎港まで知多半島道路を走り、午後1時55分発の乗船を目指し、結果的には10分前に到着したものの、途中の道路工事や渋滞で肝を冷やします。
 
 午後1時55分発の船に乗船して日間賀島東港に10分後に上陸(島での参拝時間25分)し、日間賀島発午後2時30分発の船で10分後に篠島に到着(島での参拝時間35分)して参拝を済ませ、3時25分発の船で師崎に戻ります。この時間が一日の中で一番効率の良い巡拝となります。
 
 師崎より残してあった36番から26番まで巡拝し、納経時間の午後6時を廻っても朱印を後日にして25番に巡拝したところ、お寺のご好意で朱印も済ますことができたため、本日は36番まで巡拝を済ませることができました。
 
イメージ 3 さて、私は四国遍路の常識から納経所の朱印は午後5時までと思っておりましたが、知多半島では春のシーズンは午後6時まで朱印が可能で、明日は50以上のお寺の参拝を残しているものの、朝7時から午後6時までの巡拝で満願が実現する可能性もありそうです。
 
 一日50ヶ寺の朱印という常識はずれのような巡拝ができそうなところに四国遍路との違いを実感するとともに、我々以外の巡拝者から読経の声は聞こえず、スタンプラリーとなっていることに違和感を覚えました。
 
 マイクロバスで巡拝中のツアーは、添乗員が大きなカバンで朱印を取りに走りますが、参拝に降りたのは数人で、大多数が車中に座ったまま私を見る異様な視線に驚かされる知多巡拝の一日でもありました。
 
                                     4月12日の一言

遍路道外国人排除とのマスコミ報道に異論を

イメージ 2 昨日の一言に、四国各県で外国人排除の貼り紙との朝日新聞記事を添付し、私の考えも記しました。
 マスコミや新聞各紙の報道は、外国人差別の貼り紙(左)に対して外国人排除と厳しい批判ばかりですが、昨年公認先達に補任された韓国人女性が、四国各地に四千枚もの韓国人しか判読できないハングル文字のステッカーを貼ったことに対する抗議であり、標識や電柱に無許可で貼られている写真や、間違った道順を示すステッカーの存在など、マスコミには報道されない地元の嫌悪感と、韓国人女性先達の身勝手な行為を美談としてしか報道しない姿勢への反発もありそうです。
 
遍路小屋に外国人排除の貼り紙 3県10市町に
 
外国人差別の貼り紙、おもてなしの心泣く 徳島の遍路道
 
 私は昨日の一言に、外国人を排除するような貼り紙を批判する一方で、原因となった「韓国人しか読めない韓国人限定のステッカーが必要とは思えない」事と、必要なら「全世界に共通する英語で共通するステッカーに限定すべき」と記し、「四国霊場会とか公的機関の公認したステッカーに限定することも必要に思う」と記しました。
 
イメージ 1 マスコミの一方的な論調に対して、ネットでは「大切な遍路道を朝鮮人の手から守りましょう」と記された貼り紙を添付し、この貼り紙が張られる原因となった、韓国人女性が四国各地の電柱や公的表示板に張りまくったハングル表示のシール(右)も添付し、このシールに対する地元の声や、日本人が韓国の観光地で同様なシールを貼った場合に想定される韓国の対応まで予測している。
 
お遍路に次々「外国人排除」の張り紙 ハングル案内シールへの抗議だった より抜粋
 
 13年5月に崔さんが4度にわたって、お遍路の寺88か所すべてを巡礼したときには、約4000枚を貼り終えたという。4度の巡礼を受けて、崔さんは12月、四国八十八ヶ所霊場会から外国人初の「公認先達」に認定されている。
 香川県の都市計画課によると、崔さんは実際、電柱やカーブミラーなどには無許可でシールを貼っていた。2013年5月の報道を受けて、県にこのことについての意見が寄せられ、県は、事実関係を調べたうえ、8月に崔さんに事情を聞いた。
 徳島県によると、崔さんのシールについて、意見が数件来ており、四国がお遍路の世界遺産登録を目指していることから、「一定の基準を作らないと、登録にマイナスになる」といった危惧が寄せられた。一方、香川県の文化振興課によると、お遍路の案内について、世界遺産登録に備えて統一サインを作ることを現在協議しているそうだ。
 
イメージ 3 ネット上では、張り紙について、「驚くべき愚行」といった批判がある一方で、「景観保存の主張であり、外国人排除を主張しているとは思えません」と新聞報道に異論も出ており、原因となったハングル表示ステッカー(左)に対する批判と、地元の反発が多く寄せられており、新聞報道のあり方にも疑問が残ります。
 
>電柱などのハングル案内シールは無許可だった
>香川県の都市計画課によると、崔さんは実際、電柱やカーブミラーなどには無許可でシールを貼っていた。
>2013年5月の報道を受けて、県にこのことについての意見が寄せられ、県は、事実関係を調べたうえ、8月に崔さんに事情を聞いた。
>崔さんの行為は、県屋外広告物条例に抵触することを伝えると、崔さんは、「理解しました。もうこれ以上は貼りません」と謝罪した。
>電柱などに勝手に貼ってはいけないことは知らなかったといい、ほかにお遍路の日本語案内シールも貼られていたので、「大丈夫だと思ってしまった」と説明した。
>ただ、シールをはがすとまでは言っておらず、電柱などにまだ貼ってある可能性はあるという。

 
 マスコミが美談としてハングル文字のステッカーを貼る女性を発信した反面で、現実には案内表示が間違った方向を示している例も指摘されており、何よりも四国各県に生活する人々の意見が何も紹介されていない事が不快です。
 
 考えてみれば、「おもてなし」とか「お接待」の文化と言われても、毎日生活している住民にしてみれば、お遍路のために地域に住んでいるわけでなく、私の家の前に立つ電柱に韓国人しか判らないハングル案内シールが貼られていたら抗議します。
 今回の事件も、マスコミが美談としたハングルシールが原因であり、地元の正直な本音が紹介されていません。
 
 昨日の一言にも記しましたが、西欧人(白人系)のお遍路や観光客は事前に下調べをして訪れ、行動が自然であるのに対して、何故に韓国人や中国人は騒がしく、自国の看板まで欲しがるのか理解できませんが、これが国民性の違いであるなら、日本国内のことですから、日本流にこだわって日本の文化として継承していきたいものです。
 
                                 4月11日の一言

四国遍路に外国人排除の貼り紙が貼られて

 四国霊場八十八カ所を巡る参拝者らが休憩する徳島県鳴門市などの複数の遍路小屋で、「『大切な遍路道』を朝鮮人の手から守りましょう」などと記された貼り紙が見つかり、徳島県が9日、調査に乗り出したとの記事が発信され心が痛みます。
 
遍路小屋に外国人排除の貼り紙 3県10市町に
議事の続き…
 四国遍路をめぐっては、昨年末に参拝者を導く「先達(せんだつ)」に外国人女性として初めて公認された韓国の崔象喜(チェサンヒ)さん(38)が、四国への恩返しと参拝者の案内のため、道順を示す矢印や日本語にハングルを添えたステッカーを、許可を得た家や店に貼ってきた。崔さんは「ショックです。自分は余計なことをしたのかな。悲しいです」と話している。
 四国各地に遍路小屋を整備するプロジェクトを進めてきた大阪府吹田市の建築家の歌一洋(いちよう)さん(66)は「お遍路のおもてなしの文化を壊す行為だ」と批判。四国八十八ケ所霊場会の会長で52番札所・太山寺の吉川俊宏住職(70)も「ハングルのステッカーは善意でやっていること。差別的な表現で非難するのはおかしい」と指摘した。
 
 私自身の四国遍路を第二の人生と考え、本年には孫を四国別格20霊場の子供先達に推薦しようと考えており、聖域と感じて歩いて遍路を巡拝する地域で、こんな恥ずかしいステッカー事件が起こっていることに当事者の見識を疑います。
 
「四国八十八ヶ所ヘンロ小屋プロジェクト」を支援する会  http://www.geocities.jp/henrogoya/
 
 私が所属する歩き遍路友の会東海の総会には、四国八十八ヶ所ヘンロ小屋プロジェクトを支援する会の事務局長さんも会員として奈良県から参加されており、ヘンロ小屋の存在が歩き遍路にとって貴重な存在となっていることからも、早期の改善に期待したいと思います。
 
 四国八十八ケ所霊場会の会長は、「ハングルのステッカーは善意でやっていること。差別的な表現で非難するのはおかしい」と指摘したとありますが、今回の発端となった韓国人女性の新人公認先達が、四国への恩返しと参拝者の案内のため、道順を示す矢印や日本語にハングルを添えたステッカーを、許可を得た家や店に貼ってきたとあり、「ショックです。自分は余計なことをしたのかな。悲しいです」と話しているようですが、はっきりと言って余計な事で、韓国のハングル文字のステッカーは韓国人だけのためであり、配慮が足りない行為としか思えません。
 
 観光地の案内板にハングル文字や中国語が表示されるのは全国的な風潮のようですが、JR東海では英語表示のみとなっており、日本国内の四国の遍路道にハングル文字の表示が必要なら、中国語も必要となり、ラテン語も、ドイツ語もとなり、それ以前に英語のステッカーが必要になってきます。
 そもそも、日本で1200年にわたって伝えられた遍路文化を、韓国人しか読めない韓国人限定のステッカーが必要とは思えません。
 
 必要とあれば、個人的な判断で作るステッカーではなく、歩き遍路には多くの西欧人が挑戦している事から、全世界に共通する英語で共通するステッカーに限定すべきで、あまりにも多種多様な国のステッカー乱立は遍路の混乱を招きます。 
  
外国人差別の貼り紙、おもてなしの心泣く 徳島の遍路道
記事の続き…
 バイクで四国霊場を巡る途中で同寺に立ち寄り、貼り紙を目の当たりにした名古屋市の男性(63)は「愛媛県西条市でも3日ほど前に見かけた」という。「見苦しく、嫌な気分になる。八十八カ所はみんなのいやしの場であり、遍路道は開かれた文化の道だ。こんな貼り紙はそぐわない。もっと広い心を持ちたい」
 徳島市新町橋2丁目の阿波おどり会館前の2棟の遍路小屋にも貼られていた。椅子に2枚ずつ計4枚。管理する市観光協会の職員は「全く気づかなかった。公共の場所で、こうした行為はやめてほしい」。
 夫婦でお遍路をしている松山市の主婦(62)は、2日前に吉野川市川島町の休憩所で同様の貼り紙を見たという。「遍路道は誰でも歩ける道なのに。日本人として恥ずかしい」。夫(67)も「貼った人は1200年も続いている遍路道をわかっていない。本当に遍路道を守ろうという気があるならそんなことはしないはず」とあきれた表情で話した。
 外国人のお遍路さんは増えている。四国4県や企業などでつくる四国ツーリズム創造機構は外国人宿泊者をさらに増やすため、ウオーキングやトレッキングが人気の韓国では、遍路道や自然体験をPRする戦略に取り組んできた。
 徳島県内の23の札所をまとめる阿波部会の会長で、5番札所地蔵寺の岡本慈勝住職(70)は「韓国人のお参りも増えている中、驚きと同時に憤りを感じる。どういう経緯かわからないが、許すことはできない」と話す。
 貼り紙が中傷しているのは、四国霊場参拝者の「先達」に公認された韓国人女性の崔象喜(チェサンヒ)さん(38)=ソウル在住=が、一昨年から道中の店や休憩所に貼っているステッカーとみられる。
 崔さんによると、参拝者の案内のために貼ったという。当初は韓国人遍路に向けてハングルで作成していたが、去年は韓国人に限定しないよう、日本語に小さくハングルを併記したものにかえた。はがす人がいることも知っていたが、遍路仲間から「ステッカーの案内、助かりました」と声をかけられることも多かったという。
 今回のことについては、「こんな紙を貼る人が出てきたことはショックだった」
 遍路道に休憩小屋を整備するプロジェクトを進めてきた海陽町出身の建築家歌一洋さん(66)は「一部の心ない人の行為で、お遍路のおもてなしの心を無視している」と批判する。歌さんが建設した高松市内の小屋でも先月、同様の貼り紙が見つかったという。「道に迷う韓国人は多く、ハングルのステッカーは役立っていると聞く。貼り紙は失礼だし、間違っている」
 貼り紙に書かれた「日本の遍路道を守ろう会」という団体に関して、札所の寺院でつくる「四国八十八カ所霊場会」(香川県善通寺市)は「把握していない」といい、四国遍路の世界遺産登録を目指すNPO法人「遍路とおもてなしのネットワーク」(高松市)も「聞いたことがない」としている。
■「非常に悪意に満ちた表現」
 徳島弁護士会人権擁護委員長の上地大三郎弁護士は「特定の民族をおとしめる表現だ。浦和レッズの試合でも不適切な横断幕が掲げられたが、お遍路という場で見つかったのは根深く深刻な問題だ。逆の立場で、差別される人の気持ちを考えなければならない」と話す。
 金明秀(キムミョンス)・関西学院大社会学部教授(計量社会学)は「差別の扇動にあたる、非常に悪意に満ちて、外国人排斥をあおりたてる表現だ」と指摘する。
 「こうしたヘイトスピーチのような表現が近年、インターネットの外にあふれ出ている。日本には法的規制がないので、広がりに歯止めがきかない懸念がある。異色な存在を好ましく思わない同化主義や、見知らぬ他者を信頼しない風潮が日本社会に根強く残っていることが背景にある」
■徳島県、全市町村に調査依頼
 徳島県男女参画・人権課は9日、吉野川市川島町の休憩所に貼り紙があるとの通報を受け、現地に職員を派遣して調査した。同様の貼り紙がほかにもないかどうかを調べるように、県内の全市町村に依頼した。
 阿波吉野川署は軽犯罪法違反(はり札)の疑いも視野にいれて捜査を始めた。
 
 私が責任者なら、韓国人しか認識できないステッカーもすべて英語の案内に変更することで、韓国人を差別する貼り紙もすべて排除し、四国の遍路道とおもてなし文化を全世界の人々に発信したいものです。
 
 私の好きな上高地には、大声の母国語で案内する中国人や韓国人の団体がガヤガヤと訪れるようになり、私がカメラを構えている前に入って山河を撮影するようになり、京都の観光施設でも同様に不快を感ずることが多くなっていますが、明らかに西欧人のナチュラルな観光マナーとは違います。
 
 新聞記事では、韓国人を中傷する貼り紙に厳しい批判が集中していますが、空海が極めた真言密教は、元々が師となる中国の恵果和尚から継承しており、外国人を排除する張り紙には嫌悪感があるものの、韓国人だけへのハングル文字ステッカーの氾濫に不快感を感ずる日本人とともに、地元住民にも多く存在することと、公認先達の中からも不快とする声を聞いたこともありますから、本来は霊場会とか公的機関の公認したステッカーに限定することも必要に思います。
 
                                   4月10日の一言 

20年前に他界した父親の普通預金が存在しており

 「大鹿と申しますが、アンケート用紙を配布しているんですが…」
 「うちじゃー、ないよー」
 「お暇な時に記入して返信してください」
 「 … … 」
 
 1月よりアンケート用紙を配布中ですが、説明しても理解不能の人も存在すると、「議員は犬や電柱にも頭を下げて廻る」の一言を思い出し、認知症としか思えない人に理解もされないのに説明している自分の足が停まってしまいます。
 
 日中の仕事の合間に歩いて配布してきましたが、歩いては配布できない場所が残るため、4月に入ってからは朝の新聞配達と同じように、午前3時に起床して単車で配布を始め、日中に歩いて、やっと3千戸(1万5千戸分の印刷)ほどの残りとなりました。
 
 「いつもご苦労さん」
 「いえ、最近はサボりぎみで…」
 「毎回見ているよ」
 「どうも、ありがとうございます」
 
 地域を歩いていくと、私が昭和52年に起業してからの知り合いも多く、能力以上に高い評価をいただくと気恥ずかしいものの、議員を15年も続けておりながら、転入してきたばかりと思われる人から、真剣に考えもせず返信されてきたアンケートの酷い一言に、我々は誰のために頑張るのかと自問自答をさせられます。
 
 さて、私の父親は平成5年に他界しておりますが、我家から父親の名前が消えてしまうのは寂しいため、固定電話の名義だけ父親のままにして残したことから、毎月父親の名前で郵便局経由で請求書が届けられてきます。
 
 20年前から存在しない父親について、郵便局の配達の人々は存在する郵送先として配達しており、毎月父親への手紙(請求書)を当り前にして受け取っていますが、本日は農林中央金庫から父親宛に手紙が届けられました。
 
 中身を見ると、どうやら私達の知らない普通預金が存在し、長い間金銭の出し入れがないことから、「ご失念されないようお知らせいたします」と記され、今後もこれまで同様に自動継続にて取り扱うとの連絡でした。
 
 「おい、親父の貯金があるらしいぞッ」
 「まさか、ある訳ないだろう…」
 「それが、あったんだわ。ところで通帳は何処に?」
 「何も無ーい」
 
 死んだ直後に農協から生命保険が支払われており、通帳についても精算は済んでいるはずですが、まさかの連絡に通帳は存在しておらず、手紙を見せても誰も本当の話と信じません。
 
 「ところで、いくらあるの?」
 「それが、びっくりとするなよ…」
 「それで…」
 「3千万円 !!
 「えっ、まさかァ」
 
 そうです。そんに美味しい話はありません。残金は3万303円でした。「みんなで何か食べに行けば一食分かぁー」の家内の一言は許しがたく、父親の残したお金ですから、そのまま残していくと宣言しました。
 
 仕事から帰った三男に、「3億円」として同じ話をしたところ、「みんなで何か食べに行こう」の家内の一言に、「絶対に使っちゃダメだ!! 」と、三男からホッとさせられるような一言があり、このお金を残すことで父親の存在が後々まで続きそうな気持ちにさせられました。
 
                                     4月9日の一言

後ろ髪引かれて、初めての理髪店へ

イメージ 1
 
 数日前の新聞折込に入っていた理容店の広告です。私が中学生になった頃に、隣村に理髪店が開業し、中学生の頃から現在まで、私は一度も他所の理髪店に行ったこともなく、病院に長期入院中の時には時間外でお願いしてきた理髪店ではありますが、一ヶ月前にはシャッターが半分閉まっていました。
 
 訪れたところ、ご主人が階段から落ちて動けないとの話で、他所には行ったことがないことから、奥さんで良いからと散髪をお願いしたものの、さすがに一ヶ月も経つとゲジゲジになり、未だにシャッターが半分閉まっていることから、さすがに今回も奥さんの散髪では限界と思われ、この広告のお店を訪れました。
 
 50年近く通ったお店を素通りするのは心苦しいものの、本日火曜日は理髪店がお休みのため、少しは心安らかに通り過ぎましたが、広告のお店に入ると多くの店員さんがおり、待たされることなく散髪が始まり、散髪が終わると別の店員さんが顔を剃り、終わると次の店員さんが待つシャンプーを経て整髪が終わりです。
 
 早い、早い。こんなに早く終わってしまうものか… しかも、年中無休です。
 
 そして、びっくりするくらい安い。
 
 大人はカット1500円で、今回はシャンプー300円がサービス券により無料ですが、60歳以上の人は200円割引きとあり、本日は消費税104円とともに1千404円の料金ですから、平生の半額で済んでしまいます。
 
 待たされることなく、早くて料金も半額となると、50年近く通った縁と比較しても、考えさせられてしまい、本日の店内には若いお客さんよりも、私よりも高齢で頭髪そのものが無いような人々で満席状態となっていました。
 
 私のように白髪となっているものの、頭髪がある者は別としても、頭髪の薄い人々にとっては待たされて高額はたまらないと思われ、高齢者は200円引きとは考えたもので、今まで外から見ているだけで判らなかったものの、多くのスタッフと多くのお客さんの姿にびっくりとさせられました。
 
 もっとも、昔ながらの理髪店は世間話にも花が咲き、私の同級生の近況も理髪店で知らされることもあり、なんといっても中学生の頃からの私を知る理髪店だけに、ご主人が早く健康を回復されて復活して欲しいものです。
 
 さて、いきつけの喫茶店が閉店して、イチゲンさんとして知らないお店に入る寂しい記憶がありますが、理髪店のご主人が高齢になって引退される現実も他人事ではなくなってきました。
 
 ご主人の完全復活はなるか… それよりも、ここに通う同級生たちの頭髪はどうしているのか…
 
                                   4月8日の一言

迷い猫にかつての愛猫の顔をうかべて

イメージ 1
 
 我が家の飼い猫ではありませんが、一日に一度は我が家を訪れて、倉庫に置かれた綿の上で休憩し、私のもとには寄ってくるようになった「ゲジゲジ」で、首輪を付けていることから、近所の飼い猫か、何処かから迷ってきた猫と思われます。
 
 「私のもとには…」と記したのは、あまりにも毛色がゲジゲジで汚いため、家内が相手になってはいけないと言っていたものを、深夜の間にエサで手なずけたため、私のところだけには寄ってくるようになったしだいで、寄ってくれば可愛いため、家族も伴って誘っているうちに、家族にも寄ってくるようになりました。
 
 もっとも、一日中居るわけではなく、気が向いたは時だけ訪れている様子で、このまま我が家の飼い猫になる可能性はないものの、我が家は県道沿いにあるため、飼い猫が交通事故で死んでしまうことから、捨て猫や迷い猫が来たら飼うことにしており、久々に人懐っこい猫の登場は明るい話題となりました。
 
 この「ゲジゲジ」は、ずいぶんと身体が堅く、耳にも無数のキズがあることから、年老いているのか、本当に迷い猫で帰る家がない可能性もありますが、そうなると我が家に君臨する相棒リマが居ることと、リマが犬一倍綺麗好きなことから、シャンプーで洗えるくらいに懐かないとなりませんが…
 
 「おーい、ゲジゲジ」
 「 … … 」
 「チュッ、チュッ、」
 「 … … 」
 飼い猫ではありませんし、近所の飼い猫かもしれませんから、私の思うようにはなりませんが、この数日間は「ゲジゲジ」を確認するために何度も裏庭に通うのが日課となってしまいました。
 
 不思議なもので、ゲジゲジで毛色の汚い猫が、過去に我が家の飼い猫であった、血統書付きの猫と顔は同じと思えるようになり、過去に死んだ猫が私に会いにきたんではないかとバカな心境にもさせられる毎日ともなりました。
 
 さて、本日は小学校の入学式に来賓として出席してきましたが、孫と同じような新入生と、参加される保護者との年齢の違いから、自分だけが部外者のような心境で座っていたところ、まったく場違いのような来賓の姿にホッとさせられました。
 
 「町で出会った知らないオジサンだけでなく、お兄ちゃんにも気をつけて…」
 「 … … 」
 「判らない人に声をかけられたら、…」
 「 … … 」
 「助けてー !!! 誰かー!!! 」
 
 還暦を迎えた私よりは確実に若いはずの警察官ですが、どう見ても年長にしか思えない風体(大変失礼ですが)で、小学生に話した経験もないからでしょうが、こんな話では子供たちが挨拶もできないばかりか、世間の知らない人は悪人ばかりと思わせるような訓示に驚かされました。
 
 私の子供時代には、町で出会った人には、大きな声で「おはようございます」と挨拶するように言われていたものの、最近は物騒な世の中になったことから、知らない人には気をつけるように注意しなければならない現実にも寂しさを覚えました。
 
                                       4月7日の一言

四国遍路にかき立てられて

 四国八十八ヶ所霊場開創1200年記念大法要が、5月9日(金)に開催されると案内があり、法要前の午前7時から第74番札所甲山寺から第75番善通寺まで徒歩で遍路してから法要と結願法要に参加する募集案内に申し込みました。
 
 募集人数が200名となっており、昨年から1年以上かけて歩き遍路を続けてこられた最後の結願だけ参加するのは虫が良すぎるかもしれませんが、まずは参加が認められるかどうかの話となります。
 
 もっとも、徒歩遍路に参加できるかどうかは別として、開創1200年記念大法要には参加する予定で、家内と娘と孫を同行させて四国に出かける話をしており、今年は孫に別格二十霊場会の子供先達に推薦しようと考えていることから、我が家では初めての三世代遍路となります。
 
ハロー「日本の巡礼路」 お遍路歩く外国人客 
記事の続き… 
 88番札所・大窪寺近くの「前山おへんろ交流サロン」(香川県さぬき市)には昨秋、歩き遍路の外国人がほぼ毎日訪れた。昨年11月にはフランスの雑誌「フィガロマガジン」の記者が来日し、今年1月、スペインの世界遺産でキリスト教の「サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路」と四国遍路の共通点を探る特集記事が掲載された。
 「お接待文化の素晴らしさや人と人との絆を描きたい」とドキュメンタリー映画の制作を始めたのは、フランス人女性映像作家エミリ・ベルトさん(35)だ。11年4月から49日かけて88カ所の札所を歩いたときには、道中でおにぎりやミカンのお接待を受けたり、励ましの言葉を掛けられたり……。泊まる場所がなくて困っていると、車遍路の男性が一緒に宿を探してくれたこともあった。「出身も年齢も異なる多くの人たちと出会い、温かい心に触れることができた」
 今年2月下旬から、再び札所を巡りながらカメラを回している。約2カ月かけて88カ所を歩いて撮影し、今秋に完成させる予定だ。日仏での上映をめざすベルトさんは「遍路を通じて日本の歴史や日本人の心を語りたい」と話す。
 高松市のNPO法人「遍路とおもてなしのネットワーク」は06年からスペインやフランス、ブラジルの巡礼路と交流し、10年には「サンティアゴ・デ・コンポステーラ」沿いにあるスペイン・モリナセカ町に四国遍路の資料室を設けた。
 香川県観音寺市の仏師・荻田文昭さん(73)は今月下旬にモリナセカに渡り、現地の巡礼宿に泊まりながら巡礼路沿いの生木に観音像を彫る。荻田さんは「キリスト教の巡礼路にある仏像を偶然見て、仏教にも思いをはせる契機になれば」と期待を寄せる。
 
 本日の新聞には、外国人の四国遍路について発信があり、四国を訪れる遍路客は年間15万人といわれ、歩き遍路は約5千人とされるが、外国人の遍路客も年間50人から100人が訪れ、ほぼ全員が時間をかけて歩いていると紹介されています。 
 
 最近のお遍路は、初めて四国遍路に参加しようとする人に、名古屋から5千円以下の低額で日帰りバス旅行に参加させ、納め札や朱印の納経帳をサービス品とし、白衣や金剛杖を買わせることで、高額となる最後の満願まで参加させてしまうもくろみですが、外国人の場合は日本に来る旅費も考えると本格的です。
 
 以前の話となりますが、徳島県を1人で歩くドイツ人女子学生と遭遇した時、我々が薄暗くなって車を走らせようとする中で、駐車場にテントを張って夜をすごす準備をはじめる姿にびっくりしました。
 
 日本人でも躊躇する歩き遍路を1人で続ける外国人女性の姿にびっくりですが、88番札所・大窪寺近くの「前山おへんろ交流サロン」(香川県さぬき市)には昨秋、歩き遍路の外国人がほぼ毎日訪れたとあり、最近ではフェイスブックで情報交換してから来日するのが主流と記されています。
 
 個人的には来週に知多半島の八十八ヶ所に2日間訪れますが、来月には半年ぶりの四国行きが決まり、今月の上高地開山式など、久しぶりに四国遍路の全国発信記事に山積した仕事も忘れてしまう一日となりました。
 
                                   4月6日の一言

幻想的な天王川公園の花見を

イメージ 1
 
 日本の公園百選にも選ばれている津島市の天王川公園の桜は満開となっていますが、私は公園の花見に訪れたことは一度もなく、本日も公園を取り巻く堤防道路を走ったものの、道路に車を停め添付した写真を撮っただけの花見となりました。
 
そんな訳で…
 
イメージ 2
 
 本日7時の天王川公園の様子を添付しました。午後から花見に訪れていた三男の写真で、池を囲んで屋台が並び、その上の大きな夜桜の下を花見客が花見を楽しんでおり、天王川の水面に映る風景は幻想的でもあります。
 
石破幹事長「自衛官の死傷は政治家が覚悟しなきゃ」
 
この記事に関するニュース
 
 嫌な世の中になりました。自民党の石破幹事長は、集団的自衛権を行使する際に、「自衛官は危険を顧みないとの誓いをしている。危険だからやめようということがあってはならない」と、自衛隊員の死傷者の可能性を問われて答えています。
 
 以前の一言にも触れましたが、自分自身や自分の子息を戦場や紛争地の最前線にたたせる覚悟もない日本の政治屋の判断で、貴重な命を散らすような事態にならないようにしたいものです。
 もっとも、イギリス王室のように、王室の皇太子や王子が紛争地の最前線に一番乗りしてでも国益のために戦う意識があれば別ですが、首相の子供や孫は勿論のこと、天皇家の皇太子や親王を戦場の最前線に立たせる覚悟なんか日本には皆無で、人命に関わる軽薄な発言としか思えません。
 
 添付した本日の記事に添付されていた関連ニュースも添付しましたが、「知らせない権利」、「国家が存立してこそ」など、国民に知らせないことや、国民より国家が優先されているような発言が当り前のように発信される自民党政権には嫌悪感が漂います。
 
 太平洋戦争では、多くの青年や若者が敵地で命を落とし、その遺骨さえ収集されないままに戦争が終わり、地域で建てた戦死者の名前を記した慰霊碑が行き場を失い、両親が子息を慰霊するため建立された石碑すら子孫から邪魔者扱いを受ける現代社会になっています。
 
 さて、今晩の雨によって、満開となった桜も散りゆくのみとなりますが、夜のライトアップで幻想的な感動を受ける風景も、朝の散歩に同行する犬の糞が放置されており、私の子供の頃に楽しみとしていた「ツクシ採り」も、散歩の犬の糞によって見向きもされなくなっているところに、地域の明暗と課題を感じさせられます。
 
                                    4月5日の一言

桜見物も用水の対岸からとなり

イメージ 1
 
 私は仕事が一段落した夕方にイキツケの珈琲店に走りますが、その通り道の水路沿いに桜が植えられており、満開となって見事な桜並木のようになっていますが、桜は老人福祉施設の中に植えられており、中には入れないため対岸から鑑賞です。
 
 「お花見に行こうか」
 「行くなら歩いていこう」
 「自転車にして欲しいわ」
 「うーん、歩いて行くくらいなら…」
 
 アンケート用紙の配布も大量に残しており、3月1日に発行した中学校の同窓会報の協賛広告の集金も残し、5月より発行を再開しようと考えているミニコミ紙も手付かずになっている現状を考えるとお花見の気分にはなりません。
 
 津島市にも天王川公園には屋台が並び、提灯に灯りが燈っていますが、わざわざ車で走って行ってまでの花見は風流とは思えず、公共交通機関を利用できる場所か、歩いていける花見ができれば最高ですが…
 
皇居・乾通り初公開 桜並木に大混雑、繰り上げ終了 
 
 東京の皇居内にある並木道が、天皇陛下の傘寿記念の一環として初めて一般に公開され、多くの人々が約600メートルにある80本の桜を鑑賞し、予想以上に混雑したため午後1時半にこの日の入場を締め切ったと発信されています。
 
 最近の天皇陛下を見ていると、災害時の被災地にいち早く訪れ、皇后陛下とともに被災地の国民を励ます姿が当り前のように報道されますが、国民を戦争の危機に陥れるかもしれない安倍首相とは違い、全国民の親のような慈愛を感じさせられ、今回の皇居内の桜並木公開にもそんな一旦を感じさせられます。
 
 大鹿姓を名乗る伊勢大鹿氏の娘は、第30代敏達(びだつ)天皇との間に皇女を授かり、その皇女の子供が第34代舒明(じょめい)天皇になり、舒明天皇の子供が天智天皇で、その後も脈々と現代の天皇家まで血脈を継続されてきた歴史と、国民の総親のような天皇家の存在を、桜並木一般公開の記事から実感させられました。
 
角竜類の化石、北九州で発見 国内3例目
 
 さて、今は我家の先祖伝来の土地のように思っている自宅も、我家の先祖が住む以前には先人が住んでいた可能性や、巨大な生物がナワバリとしていた可能性も考えると、自分の人生がいかに短い瞬間としかならない事を、北九州で発見された恐竜化石の記事から実感させられる一日ともなりました。
 
                                   4月4日の一言 

老害となった石原元都知事が哀れに思えて…

イメージ 1
 
 四畳半の和室に並べられているのは108体の仏像で、すべてが粘土を焼いた陶器でできており、奥の3体の仏像は登り窯で焼いた大型の仏像で、その奥の掛け軸には小さな千躰地蔵が組み込まれています。
 
 添付した写真は、市内にある津島市交流センターで開催されている「津島の街並みジオラマ展」を出品されている作者の作品で、センターに隣接する和室に展示されており、京都に実在する仏像を粘土で忠実に再現されています。
 
イメージ 2 肝心のジオラマ展は、津島市を旧津島と私の住む神守村に分け、建物や風景をすべて粘土で焼いた陶器で再現してあり、SL機関車や自動車、樹木まで焼いてあり、見た目の地味さとは裏腹に、出展までに大変な時間をかけた作品であることが判ります。
 
 観光交流センターは午前9時から午後5時まで開館しており、このジオラマ展は今月の12日(土)まで開催されています(入館無料・月曜日は休館日です)から、近隣の方々には是非お立寄りいただきたいと紹介しました。
 
津島市観光交流センター
 
 最近の身内の会合で持論を展開したところ、無名の若手議員に「出て行け」と恫喝された日本維新の会石原共同代表ですが、原発輸出を可能にする原子力協定に反対する党の方針に反対するだけでなく、4日の衆院本会議の採決に欠席した場合でも同じように処分する方針を決め、代表としての立場どころか、老害として発言権も失ったことに寂しさよりも悲しみが漂います。
 
維新、採決欠席は処分 原子力協定、石原共同代表を警戒
 
 多数決で原発維持に反対と決めた党方針に対し、石原氏は賛成の意向を表明したものの、代表でありながら「出て行け」と言われて党の方針に従うと表明していたが、議場を欠席や退席して持論の面目を護る最後の行動まで制限されたとなると、代表どころか国会議員の存在感すら存在しません。
 
 総理大臣とも張り合える発言力を東京都知事時代は発揮しており、任期途中で辞職して臨んだ国会議員ですが、理念を共有していると思われた橋下大阪市長との距離は広がり、維新の会の求心力も低下し、その維新の党に発言を封印された現状と、突然の辞任により後継者となった猪瀬知事も悪玉となって辞職し、公民権も剥奪された姿とあわせて栄枯衰退を実感させられる一日ともなりました。
 
                                  4月3日の一言

早朝のアンケート配布を始めて

 昨年末よりアンケート用紙を地域に配布してきましたが、まだまだ事務所に山積みしたまま残していることから、昨日から午前3時30分より単車を使った配布を始めましたが、久しぶりの配布ゆえに身体中が悲鳴をあげています。
 
 大学時代から朝3時に起床する新聞販売店の仕事を続け、当り前の習慣となっていた仕事ですが、議員になってから15年の歳月を経過したここと、還暦となった身体の老化現象も重なって、かつてのような働きは見込めません。
 
 新聞販売店を営んでいた頃には、配達後の入れ忘れに対応後の午前8時から午前10時30分までは仮眠にあてており、本日も販売店時代のように仮眠していると、電話とインターホンだけでなく、訪れた知人が眠らせてくれません。
 
 「どうしたの?」
 「今起きたところ」
 「具合でも悪いの?」
 「配達、配達 !!
 「えっ?」
 
 私の車があることから、存在を確信した訪問だけに居留守も使えずに出て行くと、後期高齢者の有り余る時間の話相手となり、帰宅後も忘れていた仕事と、依頼してあった車のタイヤが届いたため名古屋まで取替えに走り、精算したあとの明細には8%の消費税が明記されてありました。
 
 明日は市議会の日程がありますが、明日の午後から明後日は雨の予報が出ていることから、明日の朝もアンケート配布に出ようかと迷いますが、身体の疲労の蓄積も考えると二の足を踏み、手帳の空白と、残された配布分を考えるて指を折る夜となりました。
                                   4月2日の一言

本日より消費税が増税となり…

 本日より消費税が8パーセントにあがり、名古屋地域でも名鉄電車の窓口の料金トラブルなど、料金切り替えのニュースが新聞やテレビの話題となりましたが、手元にある郵便ハガキや料金を前納しているレターパックなど、そのまま投函すると受取人に不足分が請求されることから注意が必要です。
 
消費税アップ 名古屋でも8%商戦スタート
 
 消費税が5%から8%に増税されてしまった本日になって、大量に買い込んであるハガキだけでなく、車のオイル交換やタイヤの買い替えなど、駆け込みと言われても増税前に購入しておけば良かったと後悔する事と、スポーツシューズやエアコンなど近く購入が必要な案件へ増税が重く圧し掛かってきます。
 
消費税8%スタート システム更新でトラブルも
消費増税分、首相「全額社会保障費に充てる」
消費増税だけじゃない、社会保障も相次ぎ負担増へ
 
 国民全体への増税ですから、増税された税金の増収分が社会へ有効に使われることを祈るばかりですが、私の初めての増税負担はコメダのコーヒー代となり、偶然にも帰宅後の朝日新聞夕刊に、「増税後のモーニング」と題したコメダ珈琲店の値上げが記事となっていました。
 
 私のイキツケの珈琲店は秘密ですが、我家から車で10分の場所にあり、コメダは我家から100メートルと近いため、来客があるとコメダに出向きますが、これまで380円だった珈琲代が400円になったことから、2人分、3人分を支払うと高額になったことを実感させられます。
 
 一方で、我家の駐車場には、次男が設置した飲料水の自動販売機が置いてあり、本日は旧料金のままになっていますが、120円のカン珈琲を買ってこれば安上がりで、我家を訪れる知人の中には、コメダの前にあるコンビニで100円の珈琲を購入して持ち込んでくる例もありますから、「すき屋」や「なか卯」の朝食メニューやランチより高額となった珈琲代は、消費税の増税で生活パターンが変わるかも知れません。
 
 さて、還暦を迎えた私の同級生は、それぞれが定年退職を迎えましたが、公務員や教員は昨日が最後の出勤日となり、本日から完全自由になった者と、定年後も引き続き勤務する者も、それぞれの近況報告が伝えられてきます。
 
 これからの有り余る時間を巡り、本日夜に開催された書道会でも、定年後も出勤する2人がともに金曜日を休みとしていることから、筆を休めて旅行の話で盛り上がりましたが、旅行についても多種多様な選択ができることから、今年は旅立ちが増えそうになってきました。
 
                                      4月1日の一言
ギャラリー
  • ようこそ 大鹿一八の納経所へ
  • ようこそ 大鹿一八の納経所へ
  • 令和6年 上高地開山式の様子です
  • 三重県桑名市大福田寺の聖天祭へ
  • 毎年恒例となった我家のアンズジャム作りへ
  • 毎年恒例となった我家のアンズジャム作りへ
  • 本日もボランティアの一日となって
  • 我家のきゅうりとプランターのイチゴです
  • 我家のきゅうりとプランターのイチゴです
アーカイブ
  • ライブドアブログ