
我家ではツツジが満開となっており、庭は花で溢れていますが、いずれも先祖や父親が残した木々で、私の子供の頃に父親が植え替えている姿がよみがえってくるものの、私には3人の息子がおりながら、未だに独身のままで、結婚して分家でも建ててくれないと植え替えどころか、新たな樹木の購入もできません。

私の父親は、山から木を持ち帰ることが趣味で、仕事で出かける機会に持ち帰ってくることも多く、挿し木ができる木は必ず挿し木をするだけでなく、杉や桧も挿し木で増やしたことによって、隣にも杉花粉で迷惑をかけている可能性も高く、隣に迷惑をかけないためにも庭師さんが伐採に励んでくれますが… 父親が次々と木々を挿し木したり持ち込めたのは、弟の分家した土地に我家より多くの植木を移植できたためで、我家では木々が大きく成長しているため、新たな植木を植えるスペースがなく困っていましたが、最近では父親の残した木々の維持が難しくなってきました。
右に添付したツツジも、父が何処かの山から持ち帰ってきた「山ツツジ」ですが、私の子供の頃と大きさは変わらず、綺麗な花を咲かせるものの、肥料を置いても大きくはならず、花をいけるため枝を切ると新芽も出てこないなど、この木を次代まで引き継ぐことは難しそうで、植え替えることでも枯れてしまいそうなため、目立つ場所にも移植ができません。 さて、子供たちの分家の可能性もないように記しましたが、私の父親は私の子供の頃から、いずれ分家を自分の手で建てる場所まで考えており、私のように子供が必要になったら勝手に建てろとは随分と考え方も違うことを実感させられるとともに、今から挿し木をしても庭木にもなりませんね。
もっとも、父親が自ら持ち帰ったり、挿し木で増やして弟の庭に植えた木々については、弟の不始末によって家と土地が他人の物となり、すべて根もとから切られて1本も残っておりませんから、伐採される姿は見ていませんが、他人の育てた樹木には愛情も感じないのでしょうね。


左は父親が残したブルーベリーの花で、右も父親が私の長男のために植えたサクランボで、今年は既に色づききじめました。
今でこそ、ブルーベリーもサクランボもホームセンターで簡単に入手できますが、当時は植えても実がなるとは思えないような珍しい存在で、我家では父親の代わりに花をつけ、実を残すようになりました。
一週間後に家族を伴って四国遍路に出かけますが、四国遍路が開創されて1200年も経過していることに驚かされるとともに、我家の系図は350年程度しか残されていないものの、せめて先祖の残した木々はこのまま歴史を刻んで子孫に引き継がれていって欲しいと思う一日ともなりました。
4月30日の一言



「ツクシを取っても良いですか?」


最初に穂高神社の宮司さんの神事が行なわれ、来賓には松本市長から地元県会議員、国会議員、近隣市長、国土交通省、厚生労働省、アルピコバスなど交通事業者やタクシー協会など、過去の開山式より多くの方々が玉串を奉納されました。






本日は通過した各地の温度が24度から27度を表示し、夏と変わらぬ暑さを感じていましたが、せせらぎ街道に入ると車内よりも外の温度の方が涼しいことが判り、窓の外を見ると雪がいたるところに残っていました。



昨年は猛吹雪の開山式となりましたが、そんな真冬のような上高地に、右の写真のようにテントを張っていたのが千葉県旭市の渡辺氏で、このまま秋までテント生活を続けるのが毎年の定番となっています。



「おい、ちょっと見てみろ」




天候に恵まれ雲ひとつない晴天の中を 順調な巡拝を進め、12時には半田市の第21番常楽寺まで廻りましたが、途中にはまだ残る桜吹雪の中を参拝です。
さて、私は四国遍路の常識から納経所の朱印は午後5時までと思っておりましたが、知多半島では春のシーズンは午後6時まで朱印が可能で、明日は50以上のお寺の参拝を残しているものの、朝7時から午後6時までの巡拝で満願が実現する可能性もありそうです。
昨日の一言に、四国各県で外国人排除の貼り紙との朝日新聞記事を添付し、私の考えも記しました。
マスコミの一方的な論調に対して、ネットでは「大切な遍路道を朝鮮人の手から守りましょう」と記された貼り紙を添付し、この貼り紙が張られる原因となった、韓国人女性が四国各地の電柱や公的表示板に張りまくったハングル表示のシール(右)も添付し、このシールに対する地元の声や、日本人が韓国の観光地で同様なシールを貼った場合に想定される韓国の対応まで予測している。
ネット上では、張り紙について、「驚くべき愚行」といった批判がある一方で、「景観保存の主張であり、外国人排除を主張しているとは思えません」と新聞報道に異論も出ており、原因となったハングル表示ステッカー(左)に対する批判と、地元の反発が多く寄せられており、新聞報道のあり方にも疑問が残ります。





肝心のジオラマ展は、津島市を旧津島と私の住む神守村に分け、建物や風景をすべて粘土で焼いた陶器で再現してあり、SL機関車や自動車、樹木まで焼いてあり、見た目の地味さとは裏腹に、出展までに大変な時間をかけた作品であることが判ります。







