大鹿一八「本日の一言」

平成16年2月から令和1年7月末までの「本日の一言」です。ヤフーブログ閉鎖により、ライブドアへ過去の記録として引っ越しました。

2014年05月

鳥のピーちゃんの隣でブログを更新して

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 先月の3日より、パソコンの横にはスズメのヒナ「ピーちゃん」がおり、当初の小さな巣箱から、大きな鳥カゴに変わったものの、1時間おきのエサやりが習慣となり、それまで台所のノートパソコンを使っていたものが、鳥の横のパソコンに座るようになり…
 
 最近では、ピーちゃんが私の姿を認識できるようになった事から、私が座ると巣から降りてきて、エサを突付きながら私に相手をせがむようになり、無視しているとカゴを飛び回り危険なため、手を入れて相手をするのが日課のようになりました。
 足元の相棒リマと、手元のピーちゃんの相手だけで毎日が過ぎればこんな幸せはありませんね。
 
 さて、鳥カゴの横に座ると、自然にパソコンに手が伸び、私が旅先で検索するのに便利なようにと、朝日旅行友の会のホームページの動きが遅いため、先月に開設したばかりのブログに移動させていると…
 
 2日前に全国から健康ランドを検索して、宿泊可能な健康ランドを集約していると、まるでその場に立っているような錯覚をし、当初は当地方と四国まで検索していたものが、最終的には北海道から九州まで添付していました。
 
宿泊可能…全国健康ランド http://blogs.yahoo.co.jp/asahi_s281218/32761743.html
 
 大学卒業後は旅行関係の仕事を考えていたこともあり、学生時代に観光バスのアルバイトをしていましたが、現実にはお金を使う趣味の立場になり、朝日新聞購読者用の「朝日旅行友の会」として旅行の会員募集をしていました。
 
 昨日のメール受信箱に、「愛知県に旅行するのですが…」と、愛知県を中心とした名所とお薦めの宿を問われて、「灯台下暗し」を実感し、自分の住んでいる地域を旅行しないため、解っているつもりでも何も解っていない現実を思い知らされました。
 
 現実に、遠方に出かける際に、手土産として「何を持参しようか」と毎回迷い、結局は「大須ういろう」を持っていくものの、県外から愛知県を訪れる人々に、愛知県の魅力を伝えた経験もないため、本日は愛知県を紹介まではできないものの、愛知県を旅行先に選択した人が利用できる情報を添付したページを作りました。
 
名古屋・愛知の各種情報 検索版 http://blogs.yahoo.co.jp/asahi_s281218/32765701.html
 
 私のブログについても、自分の出かけた上高地や四国をそのまま記しているだけですが、第三者には愛知県内の観光地についても詳しいと思われているようで、改めて地元の紹介が不足していることを実感させられる一日ともなりました。
 
                                  5月31日の一言

種が玉ネギになり、スズメと会話する日々に

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 本日は、家内が朝から畑の玉ネギを収穫に訪れており、元々は母親が育てた玉ネギですが、重いため抜き取ったものを車で運んできました。
 
 「お父さん、変わった玉ネギがあったんだけど」
 「ふーん」
 「もしかして、突然変異なのかなァ?」
 「何がおかしいんだ…」
 
 私は、四角の玉ネギか、双子になった変わった玉ネギがあるのかと思っておりましたが、どうやら1本だけ違う品種の苗が混ざったらしく、まん丸の玉ネギの中に一つだけ扁平となった玉ネギが入っていました。
 
 「珍しいでしょう」
 「何が?」
 「なぜ1本だけあんなのになるのかなァ」
 「そりゃー、苗が混ざっただけだろう」
 「だって、種からだもの…」
 
 種でも苗でも、一つだけ混ざっただけですが、何故に珍しいのか判らないままに、数百個もある玉ネギを運ばされたらたまりませんから、知らぬそぶりをしていると、夜には紐で結ばれて棚にかけられていました。
 
 さて、議員活動には胃が痛くなるような場面もありますが、最近は我が家に入れば愛息?「ピーちゃん」がおり、呼べば変事が返ってきます。
 
 ただし、エサをやろうと手作りの箸を差し出しても反応がなく、私が居ない時には家内が声をかけてエサを与えており、自分でもエサ箱のエサを拾うようになっている事から、どのくらいエサを与えて良いのか判りません。
 
 現在のところ、最初に手のひらで温め、目も開かぬ時から1時間おきにエサを与えてきた私の人気は絶大ですが、相棒リマが毎日の食事をもらう家内を一番慕っている現実と、家内の協力をもらわないと大変なため、自分だけのピーちゃんにも限界がありそうです。
 
 自分の子供の子守すらしたことの無い私にとっては、冷え切った肉片でしかなかったヒナを保護し、保温とエサを与え続けたことで、60年の人生では経験したことのない貴重な体験をしたように思います。
 
 スズメのヒナは、35度から37度の適温で、1時間から1時間半程度の間隔でエサを与える必要があり、3時間放置すると死んでしまうとの指南書に、与えるエサすら何も判らないなかで、パソコンの横に巣箱を置いてネット情報を頼りに飼育してきました。
 
 議員という仕事は、人の相談にのる機会が多いものの、自分の思い込みで応対している場合も多く、間違った自己流ではヒナは育たないことから、これまでの思い上がった判断もあったのではないかと自己を省みる機会にもなりました。
 
                                  5月30日の一言

落語家のようにお話だけで一日が経過してしまい

 2日前に6月議会の議会運営委員会と各派代表者会が開催され、来週には本会議が開かれる合間の一日となり、朝一番の仕事がスズメのヒナ「ピーちゃん」をパソコン横に移動させ、移動によりスズメが落ち着くまでパソコンでスズメの行動を調べると…
 
 自分でも、何となくそのように思っていた、両方の翼をブルブルと震わせて寄ってくる行動は、ヒナが母親に甘えている行動と記されており、とりわけ私には鳴いてクチバシで突っつき続けるのは愛情表現と判ると余計に愛おしく思えてきました。
 
 事務所の裏に出ると、ピーちゃんのエサとして採取してきた青虫のサナギから羽ばたいた紋白蝶がよろよろと飛んでいく姿を発見し、慌ててカメラを取りに走ると、かんじんの紋白蝶が見当たらず、行方を捜していると…
 
 「大鹿さん、これは高山の方にある木だなァ」
 「そうです、朴の木です」
 「そうだ、そうだ、葉が大きいなァ」
 「花も一番大きいんですよ」
 「花も咲くのォ?」
 
 事務所前のバス停でバスを待つ市民の方と雑談になり、我が家の名物となっているアンズの話になると更に話が盛り上がり、「もしかして、ご出身は長野県ですか」と問うと、「そうだよ」と子供の頃に口にしたアンズの話を聞いているとバスが来ました。話半ばのままに…
 
 紋白蝶は何処かに飛んでいってしまい、事務所に戻ると首を伸ばして「チュン、チュン」と鳴くピーちゃんのもとに行くと、離れると鳴くのでエサを与えてそのままにパソコンを起動させて…
 
 今月は上高地や四国、山梨と旅に出続けたため、節約したものの出費も多くなり、何とか安く旅に出られないものかと、健康ランドで宿泊して宿泊費を浮かすために、全国の健康ランドの一覧を添付していると…
 
宿泊可能…全国健康ランド一覧 http://blogs.yahoo.co.jp/asahi_s281218/32761743.html
 
 まるで、その場所に出かけているような感覚に襲われていると、珍しく家内から珈琲屋さんに誘われ、予定外のモーニングサービスで昼食もいらなくなり、そのまま事務所に座っていると…
 
 最近はピーちゃんを事務所のパソコンの横に置いた事で、その前に座る私の姿を見た知人や市民の方が立ち寄られて、話をしているだけで時間が経過していき、極めつけに一宮市の知人から連絡があり、近くに来ているのでと言われると…
 
 共通の知人宅を訪問する話となり、出かけて長話して帰宅すると時間は夕食の時間となっており、人と話しているだけで一日が経過してしまいました。
 
 四国八十八ヶ所霊場会の先達教典に、先達に必要な三要件として、「自由になる時間」と「健康な身体」とともに、「経済的余裕」が記されていますが、お遍路を続けていくためには贅沢をしていると出費はどんどん膨らんでいきます。
 
 豪華で高額な旅行を志向する人もありますが、少しでも安く節約して、一日でも多く旅に出たいと考えると、一ヶ月前に開設した「朝日旅行友の会」のブログに資料を添付していくと時間も忘れて一日が経過していきます。
 
                                  5月29日の一言

私の手が親と認識されているようです

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 この紙箱は、ピーちゃんが目も開かぬ時から、巣箱代わりに使ってきた紙箱ですが、最近はこの紙箱を遊び場所にするようになり、中に敷かれているティシュペーパーにもぐりこんだまま、わざと隠れて遊んでいます。
 
 15日頃から羽ばたく姿をみせ、22日に藁の巣を入れた際に鳥カゴから飛び出して飛べることが判りましたが、最近は巣の中にも入るようになり、日中は巣の上に乗っており、ティシュ入りの紙箱を取り出そうと考えていたところ、本日は遊び場所にしていることが判り、しばらくはこのままになりそうです。
 
 2日前にイタチに襲われたものの、鳥カゴが真っ黒に覆われていたため、イタチの姿も見ていないため恐怖心はないようで、後遺症は何もないばかりか、本日は水を飲むだけでなく、私に見せるかのように、水の中に入ってビショビショになって遊んでいました。
 
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イメージ 5 左の写真は水に頭を突っ込む瞬間のピーちゃんで、右は身体をふるって水を飛ばす姿です。
 
 
 
 
 鳥カゴを買ってきたのが15日で、一週間前から自分で水を飲むようになり、22日には自分でエサを拾うようになりました。
 
 25日には止まり木の上で夜をあかし、昨日未明にイタチに襲われと、日々が事件の連続ですが、目をうっすらと開けたのが6日で、四国から帰った10日には完全に目を開いて私を認識するようになりました。
 
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 水浴びした後に、巣の上の電球で身体を乾かすピーちゃんです。
 
 
 
 
 もっとも、最近になってはっきりとしてきたことは、ピーちゃんは私と家内の声には確実に反応することは間違いがありませんが、自分を抱いてエサをもらっていた手のひらを声以上に認識しており、私の声と手のひらを親として認識している可能性が高いということです。
 
 さて、野生の鳥を飼育した場合は、懲役刑や罰金刑があるとの心配のメールをくれた知人がありました。3日にヒナを保護し、同様の心配をする知人が存在したことから、翌日の一言にも記しましたが、保護しないことでヒナが死んでしまうのを放置することはできません。
 
 一方で、関係者に確認した話では、行政期間ではスズメのヒナを保護して育ててくれる所は無く、飼育目的で捕獲したのではない事と、スズメは狩猟鳥となっている事から、処罰の対象にはならないと思います。
 居酒屋で焼き鳥にされているスズメのヒナを保護して育てることが罪になるとは思えません。
  
ヤフー知恵袋 
 スズメの赤ちゃんを見つけ保護してます。野生の動物は飼育してはいけないと聞きました。かわいそうでそのままにはできません。飼ったらホントにいけないんですか?
 
 平成15年4月16日からは、鳥獣保護法の全面改正により、狩猟鳥(スズメ・カラス・カモなど29種)以外の野鳥を捕獲すると、1年以下の懲役、もしくは百万円以下の罰金が科せられます。また、これを飼育した場合、6ヶ月以下の懲役、もしくは50万円以下の罰金が科せられます。
傷病鳥への対応は自治体ごとに異なりますので、まずはお住まいの都道府県庁の「鳥獣保護行政の担当部署」に連絡していただき、指示に従って下さい。
 
 我が家の家族同然となっているピーちゃんですが、保護しなければ確実に死んでいた状況と、奇跡的と言うよりも鳥の親になりきった保温と食の与え方によって現在があり、我が家の庭を飛んで欲しいものの、人や動物を怖がっていない現状と、左の指が変形しているため、野生に戻すのは難しいと思います。
 
 メールの主は、私が議員であるために起こる批判を心配しておられる事から、近いうちに行政機関に届け出はしておこうと思っております。
 
 イタチについては、屋根裏から進入して壁の間に子供を産んでいる様子で、イタチがいなくなるまで、夜は私と相棒の隣の就寝となりますが、しばらく私のピーちゃん飼育日記にお付き合い下されば幸いです。
 
                                   5月28日の一言

ピーちゃんがイタチに襲われて

 安倍内閣は27日、原子力規制委員に田中知(さとる)・東京大教授(64)=原子力工学=と石渡(いしわたり)明・東北大教授(61)=地質学=を任命する国会同意人事案を衆参の議院運営委員会理事会に示したと報じられている。
 
規制委員に元原子力学会長ら 「審査厳格」の1人退任
記事の続き…
 島崎氏は元地震予知連絡会長、大島氏は国会事故調の元委員。島崎氏は、活断層問題や再稼働の前提となる審査で、電力会社に対して厳しく慎重な姿勢で取り組んできた。このため、原発の早期再稼働を臨む関係者から批判が出ていた。
 
 一方で、地震学者の島崎邦彦委員長代理(68)は9月に任期が切れて退任となるが、原発再稼動に対して厳しい審査をしてきた人材を締め出し、再稼動を積極的に推進する人材だけで原子力規制委員を運営することに戦前の軍国主義のような危険性を感じるのは私だけではないはずだ。
 
除染下請けは駒のごと…元作業員の短歌4首、朝日歌壇に
記事の続き…
 休憩時間に、浮かんだ言葉の断片をスマートフォンに打ち込んだ。南相馬市のプレハブ宿舎で夜、形を整え、投稿した。
 3・11後、ずっと福島が気になっていた。定年を迎えてハローワークに通い、復興の役に立ちたいと、東京電力福島第一原発に直接関係する作業を希望した。しかし技能面などが条件に合わず、除染作業を選んだ。
 「原発問題は、いまの日本の焦点ですよね。同時代の人間として、私も何か関わりたいと思いました」
 今年2月からゼネコンの2次下請けとして働き始めた。同僚には青森や沖縄の人もいた。来夏まで続くはずだったが、会社側の都合で6月末での打ち切りを告げられ、退職した。「私たちは使い捨てなんだな」と感じ、こんな歌も詠んだ。
 一次、二次、除染下請けは駒のごと工期に追われ終われば待機
 顔なじみの南相馬市の居酒屋の主人に帰京を告げると「また来てください」と深々と頭を下げられた。福島を見捨てないで、と言われていると感じた。もう一度、福島に戻るつもりだ。
 
福島)「汚染土を他人の庭に埋めた」 作業員が告発
 
 国が再稼動に走るなかで、福井地裁は関西電力大飯原発(福井県)の運転差し止めを命じ、「司法は死なず」と反対運動をすすめる人々だけでなく、小泉純一郎元首相も23日、福井地裁判決について、都内で記者団に「常識的で良かった」と評価したことが発信されている。
 
 安部首相の集団的自衛権の行使や、憲法解釈について、私はかつての一言に「自分の子供を最前線に立たせる気持ちが無い」と記したことがありますが、「安部首相には子供がいないから判らないわ…」と、旅行に同行したご婦人が発言しました。
 
 200人以上の女子生徒が誘拐されたナイジェリアでは、自爆テロや銃撃戦が連続し、道路に遺体が散乱していると報じられているが、国のためとはいえ、自分の子供や孫が戦場で人を殺しあう最前線に行かされることを望む国民はおりません。
 
 戦争と原発事故を一緒に論ずることは許されませんが、ともに国民の生命がかかっており、国民よりも国家が優先するような発言が、首相や自民党幹部の口から当たり前に発せられることに嫌悪感を感じずにはおれません。
 
 さて、3日に保護してから順調に成長を続けるスズメのヒナ「ピーちゃん」ですが、昨晩は九死に一生の大事件が起こり、鳥カゴをビニールで覆っていたため助かったものの、外部から進入した「イタチ」に食べられそうになっていました。
 
 昨年にもイタチが屋根裏に侵入し、追い出すのに苦労した経験がありましたが、最近は何事もなかったので、かつて飼っていたジュウシマツのツガイと卵をヘビに食べられた悪夢の再現だけは避けたいと考えていましたが…
 
 「お父さん、鳥カゴに何かがいる」
 「えっ、何がいるんだ」
 「判らない」
 「バカ、なぜ見てこないんだ」
 「だって、ヘビがいたら怖いでしょう」
 
 置いてあった場所から大きく移動した鳥カゴの姿に、夜に一大事件が起きていたことは判りましたが、エサが散乱し、水浸しになった鳥カゴの中に「ピーちゃん」がおり、しばらくは強張っていましたが、声をかけて手でなぜ続けたところでやっと鳴いてくれました。
 
 今晩はイタチ対策も施しましたが、このままでは(私も)夜に安心して眠られないことから、私と相棒リマ(ポメラニアン)の真ん中に鳥カゴを置いたものの、相棒も気になって眠られない様子で、慣れるまで大変な夜が続きそうです。
 
                                   5月27日の一言

何でも対応していきたいものの

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名鉄電車弥富駅に近い踏み切りです
 
 本日は愛西市の会員さんの依頼で、福祉有償運送のボランティアに出かけ、津島市や海部地区では一番規模の大きい海南病院と、会員さんが個人的に信頼して相談されている薬局まで送迎しました。
 
 
 会員さんは膠原病を患うとともに、ガンの転移により重篤な環境にありますが、医師の勧める抗がん剤治療を断り、自分で良いと思う治療に挑戦中で、自分の父親の末期ガンの闘病生活を思い出すと、医師に委ねて病院で死を待つよりも、自分の最後は納得できる生活をおくった方が延命が果たせるのかもしれません。
 
イメージ 2 海南病院は、愛知県では三重県との県境となる弥冨市にあり、JR関西線と近鉄名古屋線、名鉄弥富線の終着駅が近いものの、車で訪れることはあっても、鉄道を利用した経験がほとんど無いため、道路を把握することも含めて、診察を待つ間に訪れてみました。
 
 右に添付した名鉄弥富駅は単線で、反対ホームがJR関西線の駅ホームとなっており、かつては尾西鉄道として津島市から一宮市を結ぶ主要鉄道で、尾張地方では名鉄よりも歴史の古い鉄道でもありました。
 
 さて、ボランティアは、会員さんの自宅から6キロ程度離れた病院まで乗せていき、その後に4キロほど離れた薬局に寄ってから、6キロ程度の距離にある自宅に送るだけですが、症状の急変も考えて家内と2人で同行しており、前回からヘルパーさんも同行するようになり、病院内ではヘルパーさんが付き添ってみえます。
 
 本日は病院から自宅に戻り、ヘルパーさんを降ろしてから、再度薬局に走るという効率の悪い依頼となりましたが、会員さんは要介護2と判定され、ヘルパーの付き添いについては全額自己負担となっており、1時間1500円の支払いが必要になることを聞かされました。
 
 「1時間1500円ですからね」
 「えっ、全部自己負担なんですか」
 「歩けるからダメだそうです」
 「でも、付き添いは必要なんですね」
 
 私達の受け取る費用より高い料金が付き添う(車に乗っている)だけで必要になることにも驚かされますが、判定の数字だけで必要と思われる介護サービスが利用できない現実に、「何とかできないか」と考えてみましたが、ボランティア意識で「ワンコイン(500円)」と言うと自分自身が大変なことになるので封印はしましたが…
 
 「福祉」という単語が社会のいたるところで目にふれる社会となっていますが、所詮は国や行政からの保険金目当ての商売で、福祉タクシーが一般タクシーよりも高額となっていたり、1時間1500円もの料金がヘルパーに必要という現実に、有償ボランティアとは言え低額で頑張っていくことの難しさも実感させられる一日となりました。
 
                                  5月26日の一言

鳥のエサだった青虫が孵化して羽ばたき

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 本日我家から羽ばたいた「モンシロチョウ」ですが、これは保護したスズメのヒナ「ピーちゃん」のために畑から採集してきた青虫で、ピーちゃんが食べなかったことから、箱に忘れていたものがサナギになり、本日の羽ばたきになりました。
 
 畑ではキャベツを食い尽くす害虫でしたが、鳥のエサになり、鳥が食べないために綺麗な蝶々になったもので、明日以降も次々と羽ばたくと思われ、鳥が食べておれば存在せず、その時点で処分しておれば存在しなかったものの、ヒナの保護から連鎖で生き残りました。
 
 さて、結果吉の話ですが、ピーちゃんが一口は食べたものの、2匹目からは絶対に吐き出して食べなかった青虫は、キャベツに付いていたもので、鳥に与えていけない青菜としてキャベツが入っていたことから、スズメのヒナが直感的に食べなかった可能性も考えると驚きとなりました。
 
与えてはいけない青菜
 ほうれん草・ねぎ類(玉葱・長ねぎ・万能ねぎなど)・にら・キャベツ・レタス・パセリ・アボガド・芽キャベツ
 
 ネットからの入れ知恵ですが、ほうれん草やキャベツなどあくの強い野菜には、蓚酸という成分が含まれており、カルシウムの吸収を妨げ、骨の弱い子になり、キャベツは甲状腺腫誘起物質を含むのでよくないとありました。
 
 
 一方で、スズメを保護すると誰もがやってしまいそうな、パンには塩分が含まれている上、パンの中の酵母が発酵して真菌性そのう炎などになりやすく危険とあり、焚いたご飯粒や、牛乳についても与えると危険とあります。
 
 3年前に保護したものの、足の骨折から死なせてしまったムクドリについても、私はハムスターのカゴのせいと考えていますが、現実にはビタミンやカルシウムが豊富な青菜を与えてはおらず、動物病院でカルシウムの薬は処方されていたものの、飼うだけの知識が不足していました。
 
 本日も夜になって問題発生です。昨日取り付けた巣の位置を変えたため、夜に真っ暗にするとカゴの中を飛び続けており、再度取り替えたものの、本日は生まれて初めて止まり棒の上で寝ていますが…
 
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 本日は久しぶりに横井庄一記念館を訪れましたが、玄関前に掲示される看板の色から、開館から8年の歳月が経過している現実を実感させられました。
 
イメージ 3 左の写真は開館直前の門柱用の看板ですが、並べて比較すればその色の違いがはっきりと判ります。
 
 門柱に出される看板は、日曜日しかだされないため、玄関の看板のようにはなっていませんが、開館したばかりと思っていましたが、今年6月で開館から8年となります。
 
 かつては毎週訪れていた記念館ですが、最近は電話だけで足が遠ざかっており、5月の連休中には訪れると語っていたことから、随分と遅れた訪問となりました。
 
 家族の近況報告に花を咲かせていましたが、こんな時にはお客さんも多く、久しぶりに案内をしながら閉館時間が経過し、帰宅しようとすると記念館前の道路拡幅の話となり、5年以内には玄関周辺の庭が無くなる説明を受けました。
 
 館長(夫人)は昭和2年生まれで、今年87歳となりますが、介護保険のお世話にはならないものの、遠くまで外出する余裕は無くなっており、できることなら現在の環境のままにしてほしいものですが…
 
                                  5月25日の一言

本日もスズメのピーちゃんが主役の一日に

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 久々に稲沢市のホームセンターに同行しましたが、目的である家内の必要な買物を済ませた後は、当り前のようにペットショップにむかい、相棒リマの買い物のように振る舞っていたものの、実は…
 
 このホームセンターは、びっくりするほどの大型店舗ではないものの、ペット用品を購入するのには当地方で一番品揃えが多く、近くにも同じ店がありますが、消耗品は別としても、新しい品物は比較して購入しないと後悔することがあり、3年前にハムスターのカゴに入れたヒヨドリのヒナ「ピーコ」が、足の骨を折って最後は死を迎えました。
 
 今月3日に保護したスズメのヒナ「ピーちゃん」は、一日ごとに成長して驚いてばかりですが、気が付いた時には足の指が1本曲がっており、生活には支障がないものの、今にして思えば気がついたときに処理すべきだったと…
 
 「最初からだったんじゃないの」
 「判らない」
 「落ちた時に折れたんじゃないの」
 「さあー」
 
 折れた指が曲がったままくっついてしまい、近くに鳥に対応できる病院がなく、自然治癒に期待したものの、そのままとなってしまい、指を見るたびに後悔となります。
 
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 保護したときはカゴの中に入れ、最近は紙箱にティッシュをひいて巣の代わりとしてきましたが、そろそろ住処となる巣を置こうと考え、藁で作られた左の巣を購入してきました。
 
 さて、買ってはきたものの、ピーちゃんが巣に入るかどうかの心配よりも先に、巣が扉のスペース幅を上回って入らないため、カゴの天井を解体して入れるしか方法がありません。
 
 ガタン、ガタンと音をたてて解体していると、驚いたピーちゃんが天井から室内に飛んでいってしまい、万が一来客が扉を開けると大変な事態となることから、カギをかけてから巣をカゴに設置しました。
 
 元気に飛べることは確認できましたが、今度はどうやって捕まえてカゴに入れるかが問題となり、近づけば飛んでいってしまい、手の届かない天井や、手の入らない物陰に隠れたりと大変です。
 
 「やっぱり、人間には懐かないのか…」としばらく放置したままにしましたが、「ピーちゃん」と呼ぶと「チュン」と返事があり、再び「ピーちゃん」と呼びながら両手を出すと、寄ってきて手の中に乗ってくるではありませんか…
 
イメージ 3 感動の一瞬でした。
 
 鳥は目を開けて最初に見たものを親と認識すると言いますが、冷え切った身体を最初に温めたのが私の手で、私の手の中でエサを与えており、私の手を突付くのは怖がっているのではなく、一緒に遊んでいることも判りました。
 
 こんな姿をカメラに収めたいものの、カメラを近づけると怖がり、柵にピントがあってピンボケ写真しか撮れませんが、水を飲み、エサも皿から突付くなど、今後は手もかからなくなりそうです。
 
 せっかく設置した巣ですが、無理やり押し込んでも入らず、慣れてはきたものの、夜には巣の上で寝ており、気にはいったくれた様子で、様子をうかがっていると時間はどんどん経過し、来客への返事も上の空で、訪れた孫もそっちのけです。
 
 明日も…
                                  5月24日の一言

ヒナのエサがサナギとなり、まもなく蝶々に

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我が家のブルーベリーです
 
 本日も午前中の総務協働委員会に続き、午後には昨日から順延された厚生病院委員会が開催されたため、帰宅は夕方になったものの、愛息「ピーちゃん」のエサやりのため、昼休みには一時帰宅しました。
 
 今年はサクランボこそ大量に実ったものの、毎年大量に落ちる果実の処理に困る「アンズ」の実が少なく、梅については全部落ちて実は存在せず、毎年実るのが当たり前と思い、アンズジャムを我が家の名物にしようとの魂胆は崩れ、今年は我が家の貴重品になりそうです。
 
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 さて、左に添付した物は、愛息「ピーちゃん」のためにと、畑のキャベツから採取してきた青虫のサナギで、「ピーちゃん」が食べないために箱に入れたまま忘れており、本日箱を開けたら大量のサナギに成長していました。
 
 写真は一部の拡大ですが、大量に発生して母親が困っていた青虫だったものの、エサにもならなかったことから、結果的には綺麗な蝶々になって我が家から羽ばたくこととなりました。
 
 これも「ピーちゃん」が来たことでの副産物です。
 
 「ピーちゃん」と呼ぶと反応していたヒナは、本日は隣のパソコンに座っている私を「チュン、チュン」と呼ぶようになり、本来なら巣立ちを迎えて、母親や兄弟と一緒に行動していたものと考えると可哀想でもあり、「チュン」と呼ばれれば「ピーちゃん」と返しています。
 
 明日は土曜日で、久しぶりに完全自由となる土日を迎えると考えていると、日曜日には新規入会したいと、福祉有償ボランティアの依頼があったことから、知人や先輩のお見舞いや、これも久しぶりとなる「横井庄一」記念館を時間刻みで行き来する週末となりそうです。
 
 2日前に「阿息観」に参加した町内のお寺が、週末に高野山へ一泊でバスを出すと聞いた事から、もしかしたらと考えましたが、そんな自由な時間は存在せず、おとなしく我が家周辺に介在する生活となりそうです。
 
 もっとも、田植えの時期が迫っており、本日も家内が水田に出かけており、何もしない私は肩身を狭くしている姿が正直な現実となりますが…
 
                                  5月23日の一言

還暦の爺が、ピーちゃんのお父さんになって

 
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 今月3日に我が家の庭で保護したスズメの「ピーちゃん」です。目も開かず、親指程度しかなかったヒナが見事に成長し、毎日1時間おきにエサを与えてきましたが、最近ではエサの好き嫌いも意思表示するようになり、自分で水を飲み、エサも拾うようになってきました。
 
 「ピー、ピー」と鳴き続けていたものが、最近では「ピーちゃん」と呼びかけると、「チュン、チュン」と応えるようになり、知らない人が呼びかけると、巣箱代わりの箱の中に隠れて様子をうかがって出てきません。
 
 保護した時に最初に温めた私の手のひらについても、記憶しているのか乗ってきますが、指を動かすと口ばしで突付きにくるのは、威嚇しているのか遊んでいるのか判らないものの、カゴの中にカメラレンズを入れると逃げていくので、私と認識している様子です。
 
 もっとも、鳥は生まれて最初に見た者を親と認識すると言われますが、どうやらそうではなく、私の代役でエサを与える家内の声を聞いても鳴くところをみると、総合的に判断しているようで、鳥の生きるための逞しさにも驚かされます。
 
 一方で、これまでは手に乗せて、好き勝手にカメラを向けて写真に収められましたが、最近は飛べるようになっているため、鳥カゴの中にカメラを入れると、怖がって暴れて飛ぶため、足を骨折させても困るので、これからは違う配慮が必要になってきました。
 
 さて、本日は津島市議会各常任委員会の、所管する担当課別の概要説明会が開催され、厚生病院委員会は時間内に終わらなかったため、明日に開催される総務協働委員会が終わった午後に順延となりました。
 
 午後には文教建設委員会が開催されましたが、添付した「ピーちゃん」が居ることから、昼休みには一時帰宅して、自分よりも先にエサを与え、午後にも一時帰宅して出かけるパターンが当たり前の生活となりました。
 
 およそ半月間ですが、上高地に2回も出向き、四国遍路や山梨、静岡にも出かけていたため、山積させた仕事を済ませることと、来週には6月議会の議会運営委員会が開催されることから、慌ただしい日々を覚悟する一日ともなりました。
 
                                  5月22日の一言

オープンガーデンとお寺の阿息観へ

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津島市唐臼町地内で開かれているオープンガーデンです
 
 本日は同級生の娘さんが開催している「オープンガーデン」に、家内と相棒リマも一緒に訪れました。
 
 期間は明日までの一週間で、先週末から上高地に出向き、今週は昇仙峡や白糸の滝などを訪れていたため、明日は議会日程があることから、昨晩から激しい雨が降っていたものの、雨覚悟で予定していたところ午後には快晴となりました。
 
 このオープンガーデンはバラを中心にした庭作りがされており、バラだけでなく、野辺に花咲く野イチゴまで多種多様な草花が植えられています。
 
 
イメージ 2 「リマちゃんも一緒に来てねッ」と、主催者が言ったかどうかは別として、当たり前に相棒も一緒に訪れ、「ワンちゃん連れの方は抱っこでお願いします」と記されていたことから、家内の胸のバックに入れていきましたが、玄関内に招き入れられてミルクもいただいて、我が家では暴君と化している相棒もおとなしく抱かれていました。
 
 かつて我が家に植えてあったバラは、なかなか大きくなりませんでしたが、一年で大きくなるつる性のバラもあり、バラにはトゲがあり子供には危険なものの、防犯対策として家の周りに植えれば泥棒も入ってこれないため、活用も考えれば綺麗な庭ができそうに思える訪問となりました。
 
 さて、毎月21日は、町内にある真言宗の弘盛寺で、阿字観の前段階となる「阿息観」が行われており、私は3年ほど前から参加するようにしていますが、呼吸法を極めることは健康に通じるため、新鮮な気持ちで参加しています。
 
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 左に添付したパンフレットは、高野山1200年開創記念として、7月4日に名古屋市の熱田文化小劇場で開催される「お待ち受け公演」の案内で、阿息観終了後にお寺でいただいてきました。
 
 この「お待ち受け公演」は、高野山開創のシンボルとなる三鈷杵が、空海が唐より帰朝する際、浜辺より投じた三鈷杵が、日本で密教を弘める聖地を求めて、飛び来たったという伝承に由来するもので、この三鈷杵が見つかったのが高野山の松の木で、「大師の飛行三鈷」をかたどった御本尊(祈念三鈷)と木製「撫で三鈷」、奥之院に今も灯り続ける「不滅の聖燈」を全国にリレーしていくというものです。
 
 
高野山結縁行脚  https://www.facebook.com/1200kechien
 
 「不滅の聖燈」については、高野山で約1千年間にわたって輝き続ける燈明で、弘法大師の御廟前で祈念して灯し続けられた火は、奥之院の「不滅の聖燈」として、護り続けられてきましたものだけに一見の価値がありそうです。
 
 今年は四国霊場が開創されて1200年となりましたが、来年は高野山が開創されて1200年を迎え、多くの行事が催されますが、四国遍路に関連づけると、弘法大師が若き日に歩いたとされる吉野山金峯山寺から高野山壇上伽藍までの道のりを歩く「高野山結縁行脚」にも魅力を感ずる一日ともなりました。
 
                                     5月21日の一言
 

富士芝桜まつりと白糸の滝へ

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富士芝桜まつり 本栖湖リゾート
 
石和温泉…河口湖…西湖…鳴沢の氷穴…本栖湖…富士芝桜まつり…
       …道の駅朝霧高原…富士花鳥園……朝霧高原パラグライダー…白糸の滝…音止めの滝…
           …新富士IC…新東名高速…遠州森町PA…伊勢湾岸道…刈谷PA…飛島IC…津島市
 
 本日は石和温泉ホテル千石を8時30分に出発し、河口湖経由で西湖を通り、最初に鳴沢氷穴をめざしましたが、富士山は雲に隠れてほとんど見えず、遠回りをした意味はありませんでしたが、ダイナミックな富士山のイメージは体感できました。
 
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 鳴沢氷穴(なるさわひょうけつ)は、山梨県南都留郡鳴沢村に立地し青木ヶ原樹海へ入った場所にあり、西隣にある富岳風穴とともに富士山麓の天然記念物に指定された溶岩洞穴です。
 
 年間の平均温度は摂氏3度と紹介されており、ジャンパーを持ち込みましたが、氷穴が短いので必要なかったものの、入り口にあったヘルメットは頭の保護のため必需でした。
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 氷穴内には氷の貯蔵庫があり、江戸時代には幕府に献上するため、大正時代には冷蔵庫として使われていたそうです。
 
 現在は用途が無いため、毎年冬に四角い氷を作り再現しているそうですが、洞穴内にできたツララ状態の氷は鍾乳洞のように神秘的でした。
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 次に訪れたのは、本栖湖の近くで開催されていた富士芝桜まつり会場で、平日にもかかわらず多くの車が訪れており、駐車場から入口まで10分程度も歩くことになりましたが、「首都圏最大級」と宣伝されているだけあって、広大な敷地には80万株の芝桜が満開となっており、宣伝文句に間違いはなく、全員大感激の鑑賞となりました。
 
 
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 次に、道の駅朝霧高原から、富士花鳥園を訪れましたが、駐車場は閑散としており、観光バスの団体が入場していたものの、入場料が高額なため、メンバーは入り口で土産物を見ただけで入りません。
 
 個人的には、家にスズメのヒナがいることから、関心がありましたが…
 
 
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 富士花鳥園の向いに朝霧高原パラグライダースクールがあり、体験フライトや、インストラクターと一緒にフライトも可能ですが、今回は着陸地点で飛んで来るパラグライダーを見物させてもらいました。
 
 メンバー曰く、「花鳥園よりも良かった」
 
スクールのHP http://www.asagiri-para.com/
 
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 本日最後の訪問地が「白糸の滝」で、朝には雲に隠れていた富士山がくっきりと見えるようになりましたが、添付した写真よりも肉眼ではもっとはっきりと見えていました。
 
 白糸の滝そのものは無料で鑑賞でき、少年時代に父親に連れてきてもらった時とは違い、多くのお店に囲まれており、イメージが違っていたものの、滝は見事の一言です。
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 白糸の滝に隠れた存在ですが、隣接する音止めの滝は水量も多く、滝つぼには虹ができており、こちらも見ごたえがありましたが、鑑賞できるスペースが少なく、ゆっくりと見られなかったのが残念です。
 
 メンバーは完全なるシニアであるため、白糸の滝に戻って、富士山をバックにして滝の前で記念撮影したかったものの、戻るのが辛いの一言で退散となりました。ここから50分で富士山の五合目に行けるとの話ですが、今晩は書道会が開催されることから、ここで新東名高速から帰路としました。
 
 山梨県の昇仙峡を目標とした旅程でしたが、世界文化遺産となった富士山へ車を走らせたことから、静岡県が主題となってしまいました。次は何所に行こうかとなりますが、しばらくは議会に集中し、6月の上高地音楽祭まで旅は封印となります。
 
                                5月20日の一言

山梨県昇仙峡の一日に  

山梨県昇仙峡への1泊旅行 メンバー6名
 
午前8時津島発…名神一宮IC…中央高速恵那峡SA…八ケ岳SA(昼食)…韮崎IC…昇仙峡午後1時10分…
 
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昇仙峡の主峰・覚円峰(午後4時20分)
 
本日は、四国遍路を一緒に結願し、その後西国、坂東、秩父の百観音巡礼の満願を果たしたメンバーを中心として、6人で山梨県の昇仙峡を目的にして、午前8時に津島市を出発しました。
 
 高速道路の工事は多かったものの、車の通行が少なく、駒ケ岳や南アルプスの山々に残る雪景色を楽しみながら走りましたが、元々が4時間程度必要な行程のため、八ケ岳サービスエリアで昼食をとったうえでの昇仙峡到着となりました。
 
 昇仙峡を訪れるのは初めての体験で、平成5年に他界した父親が病院のベッドで「しょうせんきょう」と呟いていたとの話から、昨年の百観音結願となった秩父観音霊場の帰りに立ち寄ろうとしたものの、悪天候から時間切れになったことが今回の訪問となりました。
 
 昇仙峡ロープウェイに到着直後に、タクシーの運転手さんから話を聞いていると、地元の観光案内人が現れて説明をはじめられたのて、これ幸いと聞いていると「まず初めに無料の資料館へ」と近くの水晶を販売している建物に連れていかれ、結局は無料をエサに売りつけようとするお店でした。
 
 「次のロープウェイは○○分まで無いので」と、実際には20分おきに運行していたのに、宝飾と健康寝具の説明を聞くこととなり、「もう時間が無いので」と慌ててロープウェイに走ると、「無料で差し上げる」と言われていた品は誰ももらってはおらず、「今時こんな詐欺まがい」の観光案内が昇仙峡には存在するんですね。
 
 ずいぶんと時間を浪費してロープウェイへ…
 
 本来なら見えるはずの富士山のほとんどが雲に隠れており、展望台には行ったものの、汗をかくだけでなく、岩と砂に足をとられ大変な5分となりました。
 
イメージ 2 車に戻ってから、荒川ダムにむかい、その近くにある大滝を目標に足をすすめたところ、人に毒されていない自然そのものの滝と、滝から流れる水の冷気が身体に余裕を与えてくれました。
 
 ここから静観橋に戻り、仙娥橋や石門を歩いて下ったメンバーを、覚円峰前で迎え、車を回送して長潭橋から渓谷を走らせて、多くの奇岩を鑑賞しましたが、日本一の渓谷と宣伝されているだけあって、メンバー全員が感嘆の声をあげることとなりました。
 
 さて、画像を送信する容量に限界があり、一枚しか写真を添付することができませんが、本日訪れた甲府地方には見事なバラが咲き誇っており、途中で鑑賞に訪れるなど、遍路とは違う楽しい一日となりました。
 
 明日はメンバーの希望を聞いてから旅程を考えたいと思います。
 
                                  5月19日の一言 

上高地から乗鞍スカイライン雪の壁へ

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5月17日(土)午後3時15分の乗鞍スカイラインです
 
 昨日の一言の続きとなります…
 
 除雪作業のため閉鎖されていた乗鞍スカイラインでしたが、管理事務所に連絡すると午後には開通しており、慌てて上高地バスターミナルまで歩き、走り出した時には午後2時30分になっていました。
 
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 スカイライン(平湯側から)に入ってしばらくすると左のような雪景色となり、これまで滞在していた上高地を見下ろす北アルプスがはっきりと確認でき、このままとどまって見ていたい心境でしたが、道路の凍結状況も判らず、乗鞍岳はガスで包まれていることから、とにかく雪の壁を目指して一目散に車を進めました。
 
 午前中に通行止めになっていたためと思われますが、降りてくるバスは一台もなく、スカイラインは貸切状態で通行でき、車を停めて写真を撮り放題にできますが、冬の装備を積んでいる私と違い、同行している知人はあまりの寒さに車内から出てきません。
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 午前中に除雪のため閉鎖されていた現実と、午後になってからの進入のためゆっくりと景色を楽しむ余裕はありませんが、それよりも5分も車外に出ると、寒さで手が氷のように冷たくなり、寒風によって頭が痛くなるため、景色を楽しんでいることはできません。
 
 雲がかかると真冬のようになり、雲間の陽射しが身体をホッとさせてくれます。
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 日本有数の山岳ドライブウェーらしく、ダイナミックな視界が開け、昨日は通行する車もほとんど無いことから、余裕で下界を眺めながらの走行ができました。
 
 私にとっては7ヶ月ぶりのスカイライン走行で、黒鉛を出す観光バスもいないため、ストレスもたまりません。
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 乗鞍スカイラインに出向いた目的の1つ、道路両側の「雪の壁」です。
 
 新聞報道によれば、「高いところで約8メートルの雪壁が残る」と記されていますが、観光バスの屋根よりは高いものの、最高20メートルもの高さとなる立山黒部アルペンルートの雪の壁と比較すれば少し寂しいものがあります。
 
白壁縫って夏の観光へ 北ア・乗鞍スカイライン開通
 
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 上高地から約45分で乗鞍スカイラインの終点に到着しました。
 
 さて、今回の目的は、知人が自転車で乗鞍スカイラインを走行する「ヒルクライム」でしたが、本日も凍結のため自転車の走行が禁止されており、乗鞍岳で自転車を持ち上げた姿を記念撮影する私の目的のため、知人にはヘルメットをかぶって寒風吹き荒れる中で万歳をしてもらいました。
 
 「足を痛めているので、残り3キロの所で降ろして下さい」
 「えっ、下から走るんじゃないの」
 「こんなに寒いとは思わなかった」
 
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 とにかく、午前中の上高地バスターミナルに続き、乗鞍でも自転車を持ち上げた万歳姿を撮影して、私の目標である上高地行きも果たしましたが、知人は目的である乗鞍スカイラインを走ることなく今回の行程を終えました。
 
乗鞍ヒルクライム  http://www.gifu-np.co.jp/hillclimb/
 
 ちなみに、本格的なロードレース「乗鞍ヒルクライム」は7月13日に開催されますが、知人は一ヵ月後に再度挑戦するらしく、「今度も誘ってよ」と声をかけましたが、とにかく今年になって乗鞍で一番最初に自転車を持ちあげて万歳したのはこの人ですよ(笑)
 
 本日は、知人のピアニストの後援会発足式に一宮市を訪れましたが、明日はお遍路仲間の希望に応えて山梨県に出向くものの、町内に訃報があり、家内もボランティアで重症患者さんを病院に付き添うため、次男が会社を休んで葬儀に参列することになりました。家族に感謝する夜となりました。
 
                                   5月18日の一言

上高地で (自転車) ヒルクライム?

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閉鎖された乗鞍スカイライン入り口です
 
 本日は、と言うよりも、乗鞍スカイラインを自転車でヒルクライム(走っていく)するために、知人とともに昨晩から高山市のホテルに宿泊していたものの、スカイライン入口に到着するとゲートが閉められていました。
 
 関係者の話では昨晩の積雪により、岐阜県高山市(飛騨)側から乗鞍岳畳平を繋ぐ延長14.4kmのうち約8キロを除雪中で、昨日は10時半に開通したものの、本日は昨日より遅くなり、開通するとも言えない状態との話でした。
 
 それどころか、昨日も自転車の走行は禁止され、知人が目的としてきた自転車の通行は本日も絶望的との話に、知人のために同行した私の目的である上高地しか行き先がないこととなりました。
 
イメージ 3 そこで苦肉の策として、上高地でヒルクライムと冗談が現実となり、釜トンネルは危険という知人を釜トンネルの出口で自転車とともに降ろし、私はいつもどおり大正池ホテル横に車を停めて知人を待ちます。
 
 さて、本日到着時の上高地は山の頂に濃いガスがかかっており、冬と変わらぬ寒風により、大正池に居続ける事も苦痛となり、午後からは晴れ間が見え出して寒さも和らぎましたが、あまりの寒さにジャンバーだけでなく車から手袋を持ち出しました。開山式の時には無かった貸しボートが大正池に並べてありました。
 
上高地大正池ホテル http://www.taisyoike.co.jp/
 
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 左の写真はバスターミナル駐車場で自転車を担ぐ知人ですが、実際には薄いユニフォームで走行してきたものの、あまりの寒さにズボンとジャンバーを着込んでの記念写真となりました。
 
 私の予定では、本日の一言は、乗鞍スカイラインの終点で自転車を担ぐ写真を添付する段取りだったため、こんなパフォーマンスで協力をいただいた次第です。本来の上高地にこんな人は存在しませんので念のため…
 
イメージ 4 上高地は初めてとの知人のために、本日はバスターミナルから河童橋へ歩き、清水橋からビジターセンターへ案内し、私のお気に入りの場所としている梓川沿いの小梨平に移動して穂高連峰の銀嶺を期待したものの、雲に隠れて頂は見えませんが、見ごたえのある風景に知人も感動です。
 
 この場所は私のお気に入りの場所で、梓川にせり出したカラマツの背後から眺める穂高連峰には郷愁を感じるとともに、ここから左手にあるベンチに座って穂高を眺め、左を見ると焼岳が見え、右を向けば明神岳が見える絶好の場所です。
 
 ここにテントを張れば、朝一番に穂高連峰を拝む事ができ、こんな環境下で時間の経過を忘れ、鼻から胸一杯に新鮮な空気を吸い込み、口から身体を浄化した息をゆっくりと吐き続けると、身体の汚れがなくなっていくような気持ちにさせられます。
 
 本日は、ここから約3キロ離れた明神池を目指して歩きましたが、歩く途中には未だに雪が残っており、冷蔵庫の中を歩くような環境が、汗をかくこともなく快適な歩きとなり、約1時間で明神池に到着となりました。
 
イメージ 5 久しぶりとなる明神橋ですが、昨年11月から4月まで上高地が閉鎖されている事から、久しぶりは当り前の話で、「久しぶり」と聞いた人には、まさか半年振りとは思われません。
 
 ここまでくると河童橋周辺で聞こえてくる中国語はあまり聞こえませんが、観光バスで大量に運ばれてくる外国人観光客が上高地を雑踏のようにしており、明神橋でかつての河童橋のような雰囲気を感じさせられました。
 
 
 明神池の嘉門次小屋で軽めの昼食をとり、午前中に閉鎖されていた乗鞍スカイラインの管理事務所に連絡すると、午後には開通しており、慌ててバスターミナルまで戻って、車を発車させて乗鞍岳を目指す事となります。
 
 「乗鞍ヒルクライムは成るか」については明日の一言に…
                                 5月17日の一言

本日夕方に岐阜県高山市へ 明日は上高地と乗鞍まで

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 本日午前中に、福祉有償運送のボランティアで弥富市の海南病院に走った後で立ち寄ったイオンの駐車場に、小さなポニーが連れてこられたので、家内と一緒に見物に訪れました。
 
 近くにある長島温泉に隣接する乗馬クラブのデモンストレーションで、日ごろは5千円必要な乗馬体験が1200円で参加できるキャンペーン中で、今まで数回しか乗馬体験が無く、家内にとっては一度も無いとの話に魅力的な話でしたが、期間が5月末までとの話に、私は参加ができませんが、孫に体験させてやりたいと…
 
イメージ 2 さて、本日は夕方から今年定年退職した知人に誘われて、岐阜県の高山市まで来ており、到着した午後6時から高山市を歩くことになりました。
 
 考えてみると、かつては観光バスで訪れたり、家族や書道仲間と宿泊した場所でもありますが、最近では高山市を歩く機会もなく、久しぶりの散策となりますが、学生時代に夜行列車でたどり着いた高山駅周辺もずいぶんと様変わりしていました。
 
 高山駅から国分寺、高山陣屋まで歩いて夕陽の沈んだ町並みを宿としている「高山桜庵」に戻りました。
イメージ 3 高山市の朝市は有名ですが、夕暮れの高山市を歩く機会は少なく、平日のためシャッターを下ろすお店も多く、廃業した旅館や、灯りの点らないホテルも存在しますが、バックパッカーの看板を出す格安の宿が健闘しており、観光都市らしい雰囲気を感じて宿に戻りました。
 
 ホテル「高山桜庵」は、外国人が多く宿泊する宿との話で、知人はこのホテルグループの株主になっていることから、格安で宿泊することが可能で、会席料理だけでなく、バイキング方式も利用できたことから、二食分の夕食となり、食べすぎで苦しい夜を迎えました。
 
 
 明日は知人は自転車で乗鞍スカイラインのヒルクライムに挑戦し、上高地で夜まで時間を使い切ってから愛知県に戻る予定としています。
 
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これはホテル13階にある露天風呂からの夜景です
 
 この露天風呂は東向きにあり、朝の天候が良いと乗鞍岳や北アルプスがはっきりと見えるそうで、明日の天気が楽しみになりますが…
 
                                 5月16日の一言

ダンボール箱から鳥かごへ

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 同級生が、自分の娘さんが開催している「オープンガーデン」の案内を今夜届けてくれたので、(見えにくいものの)添付しました。
 
オープンガーデン 津島市唐臼町地内  
 2014年5月15(木)日~22日(木)まで ※午後から~
 
 自宅の庭を開放して、バラの花を中心とした「オープンガーデン」が毎年開催されており、多くの皆さんに訪れていただきたく添付しましたが、見学は予約制とのことですから、希望される方は私まで(24-0018)電話を下されば連絡をさせていただきます。
 
 「ワンちゃん連れの方は抱っこでお願いします」のただし書きがあり、バラにはトゲがあるため、子供さんから目を離さないようにと記されておりました。
 
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 右に添付したのは、本日購入してきた鳥かごで、成長したヒナの適温が30度とあるため、アルミの保温材で囲んで、上から60ワットの電気をあててあります。
 
 「ピーちゃん」
 「… チュン、…」
 「おい、ピーちゃん」
 「… … …」
 
 鳥かごを買って自宅に戻ったところ、巣箱にピーちゃんがおらず、周りを見渡しても姿がなく、家内を呼んで家捜しとなりましたが、薄暗い机の下の電気コードに挟まって身動きできなくなっていました。ダンボール箱を飛び出していたことから、グッドタイミングの購入となりました。
 
 鳥かごを嫌うヒナもあるようですが、我が家のピーちゃんはすんなり入ったものの、今までの巣箱が入らないため、簡易な紙箱に移し変えたところ、これも気にいったらしくその場でエサを食べてくれました。
 
 さて、夕食時にエサをやるために戻ったところ、巣箱の前の止まり木にピーちゃんがとまっており、日々の成長に驚かされて家内を呼びに走ったところ、家内の姿を認識したピーちゃんが巣箱に隠れて出てきません。
 
イメージ 3 そして、私が呼べば顔は出すものの、出てはきませんでしたが、しばらくして私一人で鳥かごに近づいたところ、隠れもせずに止まり木にとまっており、大きな声で「チュン、チュン」とエサをねだるではありませんか。
 
 鳥は目が開いて初めて見た者を親と認識するとの話がありますが、それはさておき、3日に保護して以来、毎日1時間おきを目標にして、「ピーちゃん、ピーちゃん」と言ってエサをやっているわけですから、エサを運んでくるヤツ程度には認識しており、家内の姿を見て隠れた時と比較すると、明らかに違う反応にうれしさが隠せません。
 
 現実には、私の不在時には家内がエサを与えており、明日の午後から高山市まで移動して日曜日の夜まで帰ってこないため、家内の協力は不可欠ですが、本日は家内と一緒に鳥のエサも買いに行っていることから、鳥の魅力に家中がはまっており、しばらくは鳥中心の生活が続きそうです。
 
                                 5月15日の一言

ペット・ラヴァーズ・ミーティング

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四国遍路中の家族を山門で待つ私の相棒
 
 
和歌山電鉄のウルトラ駅長「たま駅長」が29日、15歳の誕生日を迎えた。人間だと「喜寿」の77歳にあたるとの事です。全国に多種多様のペットの話題がありますが、「たま駅長」の人気は高く、昨年度の乗客数は223万8千人で、南海電鉄から経営が移管されて十年間で最高の乗客数となっています。
 一方で、15歳という年齢から、いずれ迫りくる寿命を考えると、悲しい現実も切実な問題となってきます。
 
和歌山)たま駅長、「喜寿」のお祝い
  
福島県・三春シェルターに身を寄せる被災動物たち
 
 「ペット・ラヴァーズ・ミーティング(PLM)」という聞きなれない記事を発見し、家族のような伴侶動物を失うなどの悲しみを抱えた人々が、その悲しみと向き合うための何らかの糸口を求めて、愛犬愛猫の写真や思い出の品を携えた人が集まっているとの内容です。
 
伴侶動物を失い、悲しみを抱えた人々が集う「PLM」
 
 今月3日に庭で保護したスズメのヒナを、家族で四国に出かけると面倒をみる者がいないため、車に乗せて四国まで行きましたが、3年前に保護したヒヨドリのヒナを何とか成長させたものの、不用意に持ち出したカゴによって骨折させ、やっと治りかけた時に良いほうの足も骨折させてしまい、最後は死なせてしまった後悔から、人から見れば異常としか思えない行為に至りました。
 
 拾った鳥のヒナでも、私を頼りに見つめる眼差しは、私の子供と同じであり、一定の温度を維持することと、一時間おきのエサやりについても、鳥の親は四六時中子供のためにエサを探しているのですから、人間に育てられないはずはなく、3年前の悲劇は繰り返したくありません。
 
 ペット・ラヴァーズ・ミーティングについても、孫から「じーちゃん」と言われているものの、我が家には内孫が存在せず、相棒リマのお父さん役で生活していることから、相棒が死ぬときに子供を失うような悲しみとなるのは当然で、確実に世の中が変わってきたことも実感させられます。
 
PLM(ペット・ラヴァーズ・ミーティング)のホームページ  http://www.ddtune.com/plm/
 
 「ちょっと見てきて」、「こっちへ来い」、「お母さんが呼んでるよ」など、我が家の相棒は我々の言葉を理解しており、相棒の存在は人間と同じであり、ましてやペットだけを家族として生活する高齢者にとってペットの死は深刻な問題となります。
 
 そんな現実を解消する様々な試みが行われている社会を新聞紙面から実感させられました。
                                    5月14日の一言

急遽、上高地、乗鞍、昇仙峡へと

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  左の写真は、4月27日の長野県上高地内の道路で、両側には大量の雪が残されており、真冬と変わらぬ環境にありましたが、右側の写真は、先週5月9日に訪れた香川県三豊市の道路(左側を歩いているのは訓練中の自衛隊員)で、春と言うよりも初夏の雰囲気となっており、わずか2週間の間の環境の違いに驚かされます。
 
 昨日と本日は、津島市議会の臨時議会が開催されており、今年度の新しい正副議長の選出や、各常任委員会の役割分担が決まり、新しい陣容で一年間の議会活動が始まりました。
 
 さて、本日火曜日の夜は、4月29日と5月6日が祭日だったことから、4月22日以来3週間ぶりの書道会となったものの、今年3月末で市役所を定年退職した友人がわざわざ自転車で訪問したことから、「帰ってくれ」とも言えず、書道会の恩師を迎えに走っただけで、不参加となってしまいました。
 
 「15日に乗鞍スカイラインが開通するので」
 「あっ、そうだったんだ」
 「15日は雨なので、16日に行くことにしている」
 「行きたいなぁ」
 「一緒にどうです」
 「日にちを変更したら?」
 「宿が予約してあるので…」
 
 友人は乗鞍スカイラインを自転車で登って下るヒルクライムが目的で、一緒に誘われても16日の午前中は約束した予定があるので残念と思っていると、「16日の予定は何時までなの」の一言に…
 
 友人は私の約束が終わってからでも良いとの話になり、行く気満々になったものの、予約してある宿が高額なため躊躇していると、部屋が無かったのでツインの部屋を予約していることと、1万円の株主優待券を使うので私の負担は3千円で良いとの話になりました。
 
 一方で、乗鞍スカイラインの雪の壁も魅力がありますが、私は上高地にも行きたいため考えていると、「ボクが乗鞍に行っている間に行ってきたら」との話になり、私がマイカー規制には関係なく上高地にも乗鞍スカイラインも通行できる事が説明してありませんでした。
 
 とにかく、行くか行かないかは家内の理解のみで、明日の午前中に連絡する約束で友人は帰宅し、2階で開催中の書道会に顔を出すと…
 
 「大鹿さん、宿は大丈夫?」の一言で、来週月曜日と火曜日に山梨県の昇仙峡に行く約束があったことすら忘れており、突然の上高地か乗鞍行きは、来週以降の日程を大幅に忙しくしていきそうです。
 
                                  5月13日の一言

先達の金剛杖に圧倒されて

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 四国八十八ヵ所霊場会公認先達に所持が許される「朱の金剛杖」ですが、これだけの数が並んだ姿を見たのは初めてのことで、自分の杖を探すのに一苦労すると同時に、見事に輝く五輪塔にしばし見入ってしまいました。5月9日善通寺御影堂の風景です。
 
イメージ 2 この日、四国霊場開創1200年記念大法要が善通寺で行われ、歩き遍路で結願を果たした200人の先達をはじめ、各札所の住職や遍路を導く公認先達らが参列し、御影堂への回廊の道中散華があり、参堂は参拝客でいっぱいとなりました。
 
 右の写真は、京都の仏師が制作した木造の像(大師像・高さ約30センチ)を交代で背負い、1400キロを1年余りかけて歩いた若手僧侶と、先頭を歩いた第47番札所八坂寺の八坂善教住職(41)を先頭にして僧侶が御影堂に入場するところです。
 
弘法大師像背負い、歩き遍路 霊場開創1200年で法要
 
 四国八十八カ所霊場開創1200年目を記念した歩き遍路「お大師さまと歩む四国遍路」が全札所を回り終える結願(けちがん)を迎え9日、弘法大師・空海の生誕地、香川県善通寺市善通寺町の総本山善通寺(樫原禅澄法主)で「記念大法要」が営まれた。       10日四国新聞社
 
イメージ 3 午前10時から御影堂で1200年開創記念法要と、結願法要が行われ、来賓として会場となった総本山善通寺樫原禅澄法主、高野山真言宗総務部長、開創1200年連絡協議会松田会長の挨拶が続き、最後に霊場会会長を努められる第52番太山寺吉川俊宏住職が霊場会を代表して参加者への御礼の挨拶が行われました。
 
イメージ 4 法要はここまでで、参加僧侶の退出となり、この後に紫燈護摩巌修が行われる金堂に向かって「法螺貝」の行進が行われ、金堂西側の広場で参詣者の祈りを込めた護摩を祈願する「紫燈護摩巌修」が行われて9日の行事はすべて終了しました。
 
 9日全体の様子を知り合いの先達さんのブログが見事に記録してあったので、勝手に添付しましたが参考にご覧ください。
 
 
 さて、現在も四国を遍路中の方もありますが、本日から生々しい議会日程が展開されており、わずか3日前に行われていた非日常的な行事と、昨日の早朝に帰宅したばかりなのに、四国遍路がはるか遠い日々のように感じられ、冒頭に添付した金剛杖が鮮やかに思い浮かんできました。
 
                                  5月12日の一言
  

犬とスズメと家族6人の四国遍路珍道中

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 四国遍路中の相棒リマ(ポメラニアン・オス6才)と、今月3日に保護したスズメのヒナ「ピー」ちゃんですが、臆病者の相棒もピーちゃんが気になるらしく、私が不在の車中ではカゴを覗き込んでおり、相棒にも自分の家族としての認識はできたようです。
 もっとも、そうは言っても相棒を信用するわけにはいかず、なにせ相棒の一番のお好みが「鳥のささみ」ですから、絶対に好き放題にはさせられません。
 
 スズメのヒナは35度から37度が適温とのことから、暖かい車中では元気いっぱいで「チュッ、チュッ」と鳴き続け、夜は真っ暗な箱の中で眠っていますが、昨晩は車が移動中のため、帰宅するまで鳴き続ける一日となりました。
 
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 左の写真が本日のピーちゃんですが、もうすぐ羽ばたくような姿に成長しており、鳴き声も「チュッ、チュッ」から、「チュン、チュン」に変わってきていることから、本日の夕方に落ちていた庭に連れ出していたところ、鳴き声を聞いた親鳥らしきスズメが飛んできて、また屋根の向こう側に飛んでいきましたが、こんなところに自然復帰のカギがありそうです。
 
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  これが3日の日に保護したばかりのぴーちゃんです。スズメのヒナはこんなに成長が早いのに驚かされますが、四国まで連れて行って、1時間おきにエサを与えて正解でした。 
 
7日の私の一言
 
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 四国の3日間は、1日目は四国八十八ヶ所第1番霊山寺でお父さんの孫の白衣を購入して、1番から6番安楽寺まで巡拝し、昼食後に香川県まで走り、満濃池の隣にある別格第17番神野寺に参拝し、観音寺市の名物「観音寺饅頭」を買い求めてから、善通寺市にあるゲストハウスに到着しました。
 
 ただし、お父さんはボクと一緒に車中泊です。
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 2日目は、朝から第74番甲山寺へ。お父さんはここから第75番善通寺まで、四国霊場会公認先達の人々と歩いて結願するため、ボクたちは一足先に善通寺で待ちます。
 善通寺では、四国遍路が開創されて1200年を記念する大法要が行われましたが、ボクとピーは入れてもらえないため車で待機です。
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 善通寺の催しは午前中で終わり、ボクたちは第71番弥谷寺の入り口にある「ふれあいパークみの」の喫茶店で昼食ですが、ボクは昼食抜きのため、ピーと待機でしたが、弥谷寺にはお母さんが抱っこして連れていってくれました。
 ここから、72番、73番に参拝した後に、第66番雲辺寺に走ります。
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 雲辺寺にはロープウェーで上りますが、家族5人は乗っていったものの、ボクとピーはお父さんと車で留守番です。
 2日目はこれで終わり、観音寺市の「観音寺饅頭」を購入し、この日の夜の宿となる宇多津の四国健康村に走りました。
 
 ここでも、ボクとピー、お父さんはお留守番。お父さんはピーの箱を暖かくする必要があるため、お湯を沸かせて箱に入れます。夜にも温度計で箱の中の温度を確認し、温度が低ければお湯を沸かして補充します。
 
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霊山寺の池のコイに餌をやる孫と、おこぼれに期待するハトたち
 
 相棒との車中泊は慣れたものですが、今回はピーちゃんも一緒で、親子四世代の旅となり、お遍路だけに集中することもできず、「野宿でも良いから」と言って、目的の孫と娘だけでなく、家族6人の旅程となったものの、お遍路では利用しないロープウェーの利用料も高額となり、三食とも外食ばかりとなり、用意していた食材はそのまま積み残して帰宅することとなりました。
 
 「お遍路は白衣が当たり前」との一言は、予定していた孫だけでなく、娘の白衣も親バカの散財となり、行く先々で購入するお土産で車内はいっぱいとなりました。
 
 「ちびっこ先達になると、○○ができるぞ」と、孫にお遍路を楽しいものと印象づけたものの、「ちびっこセンダーツは何をするのー?」と4才の孫に聞かれ、お寺参りだげでは飽きてしまう現実も実感させられる三日間の四国遍路となりました。
 
                                    5月11日の一言

孫に楽しい四国遍路を

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お寺の本堂に参拝する孫と娘です
 
 本日は四国健康村から朝が始まり、近くのマクドナルドに走って朝食分を確保し、目と鼻の先にある「宇多津臨海公園」で瀬戸内海の島々や、瀬戸中央大橋を眺めながら家族団欒の朝食となりました。
 
 このあたりの海岸から眺める夕陽は最高とは聞いていたものの、一度も訪れたことがありませんでしたが、家族6人だけでなく、相棒リマと、「ピーちゃん」も一緒となり、三日間で最高の時間となりました。
 
 ピーちゃんが居るためとは思えませんが、どこからともなくスズメが飛んできて、私たちの食べているハンバーガーやサンドウィッチのパンくずをねだり、車に戻ると廻りは子供連れの家族でいっぱいとなっており、我が家と同じ犬同伴のご家族が訪れて話に花が咲きました。
 
 さて、本日の遍路は、第78番から第79番へ進め、香川県でも有数の名物となっている八十場、清水屋の「ところてん」を食べたのが昼食の時間で、80番、81番白峯寺を廻ってから遅くなった昼食「讃岐うどん」となりました。
 
 さて、大人のお遍路では考えられない事ですが、なんと言っても4才の孫と一緒の遍路で、秋に別格二十霊場会の「子供先達」にしたいと考えているため、「お遍路は楽しい」印象を残しておきたいため、屋島のドライブウェーから屋島寺を巡拝しようと考えていたものの今回はここまででお遍路を終了としました。
 
 四国霊場開創1200年記念徒歩結願と法要については追記し、今回のお遍路に同行しながら一度も顔を出していない相棒と、ピーちゃんについても、自宅に到着してから書き入れます。
 
 現在は午後9時55分、中国道「西宮名塩サービスエリア」です。娘と孫を降ろし、妹を送った後の帰宅は、午前様となりそうです。
 
                                     5月10日の一言
 

四国霊場会開創1200年記念法要

 本日は四国霊場会歩き遍路結願について記し、四国霊場会開創1200年記念法要について記す予定でありましたが、画像については送信する画像の容量が基準を超えたため画像の発信が明日までできません。

 午前中に歩き遍路と、善通寺で行われた法要も終わり、朝の歩き遍路前に参拝しただけの第74番寺にもどり、昼食を第71番弥谷寺の入り口にある道の駅でとり、第71番弥谷寺に参拝してから、第73番、第74番と参拝したものの、このまま遍路を続けると孫が四国を嫌う可能性もあり、ロープウェーのある第66番雲辺寺に走ったところで遍路のタイムアップです。

 孫にとってロープウェーは初めての体験だったようで、「遍路は楽しい」との印象を大切にして、本日の部屋が予約してある四国健康村に走る途中に、観音寺饅頭を土産に購入して日程終了です。

 さて、四国健康村では夜7時から大衆演劇が行われますが、家族は全員が見たくないとの話で、私はブログを記してから風呂の前に食事となり、風呂に入った後は相棒リマの不安解消のため、車に戻って相棒プラス「ピーちゃん」とともに車中泊の夜となります。

 さて、明日はどうしましょうか
                                5月9日第2部の一言

四国霊場会…徒歩遍路結願

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本日…四国八十八ヶ所第75番善通寺に到着した私と待っていた孫です
 
 本日は午前5時に起床して、74番甲山寺に到着したのは午前6時30分でした。本日は74番甲山寺から第75番善通寺までの歩き遍路が行われ、本日の徒歩遍路によって、昨年2月から四国霊場会で行われてきた徒歩遍路が満願を迎えます。
 
イメージ 1 この歩き遍路は、四国霊場会の公認先達の参加により、若手僧侶を先頭にして巡拝が続けられてきたもので、本日午前7時受付が始まり、甲山寺から善通寺の金堂に到着すると結願を迎えます。
 
 二百人の先達が一同に揃い、霊場会僧侶の挨拶と注意のあと甲山寺駐車場から、橋を渡り、僧侶と僧侶に背負われた弘法大師像の後ろに一列に並んで、「南無大師遍照金剛」と唱えながら遍路道を歩いていきますが、これだけの大人数の先達が赤い杖をついて歩く姿は壮観でした。
 
 僧侶の数もそうですが、街角に配備されたガードマンの数にびっくりしました。
 
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 一年に一度は先達研修会が行われ、その数からすれば二百人の先達が多いとは思いませんが、先達の赤い杖をつき一列となって整然と歩いていく姿は圧巻です。
 
 もともと甲山寺と善通寺は見えるような距離ですから、すぐに到着すると思っていたものの、普通に通勤する車や生活する自転車も存在するため、数百メートルにわたる大行列となりました。
 
 さて、こんな写真を撮っているため、私は最後尾となり、先頭が到着したことから、善通寺の五重塔の前で待つ家族から催促の電話が入り、やっと到着した私と孫のツーショットが冒頭の写真です。
 
イメージ 4 到着した歩き遍路のメンバーは、多くの見物人やお遍路さんに見守られて、金堂前で僧侶の先導で読経の大合唱です。
 
 終了後にこれから御影堂で行われる開創記念法要と徒歩巡行結願法要のスケジュールが説明され、記念品の引き換え等についての説明がされているのが左の写真です。
 
 それにしても霊場会の若手僧侶の存在はたくましくなり、日ごろ一家言ある大先達の方々も静かに聞き入り、意志の共有がされていることも実感させられました。
 
 1200年開創記念法要については、次の書き込みに…
 
                                   5月9日の一言

孫と一緒の四国、お遍路へ

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 昨晩の夜に愛知県を出発し、明石海峡と鳴門海峡以外は一般道を走り続けて、本日朝一番の仕事は孫の子供用白衣を購入することでした。
 
 四国は今年霊場が開創されて1200年にあたることと、春のお遍路シーズンのため第一番霊山寺には観光バスが数台停まっておりましたが、乗客の衣類を見ると普段着の人も多く、十数年前に「遍路に衣装は関係ない」と横着な遍路を始めた自分の姿を懐かしく思い起こしました。
 
 「孫にも衣装」と言いますが、別格二十霊場では子供先達が制度化されており、私が元気なうちに孫と一緒に四国を結願したいとの願望のため、「ちびっこ先達」と口癖のように言っており、今年秋の先達会で推薦をもらいたいと考えております。
 
イメージ 2 本日は、第一番霊山寺から、第六番まで巡拝し、私の遍路の昼食はコンビニが定番となっているもりり、家族にはお奨めの食事場所としている「やまじゅう」に連れていったところ、味も量も大満足との評価を得ました。
 
 さて、あまり札所を走り回って孫が嫌がると子供先達どころではありませんから、本日はここから満濃池を見せに行ったものの、ここにある別格十七番神野寺があることから、参拝になってしまい、挙句にご住職まで引っ張りだして子供先達の話に花を咲かせてしまいました。
 
 本日は明日の7時から行われる歩き遍路と、善通寺で行われる1200年記念法要のため、金蔵寺の近くに格安の宿をとっており、家族は宿ですが、私は相棒と車に戻って車中泊となります。
 
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 本日は一番寺の門前で、母親をカメラに収める孫の姿を添付して、相棒リマとヒナのピーちゃんのもとで眠ります。
 
                                   5月8日の一言
 

えっ、ヒナも一緒なのッ…

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本日のピーちゃん
 
 本日の午後4時のピーちゃんですが、毎日が成長著しく、当面は大丈夫と思われますが、温度が30度を下回る早朝は元気がなく、その度に温度を上げてやりますが、わずかな環境の違いで泣き声が違ってくるので、帰宅時に「あまり食べない」と聞いた時にはやはり温度が低くなっていました。
 
イメージ 2イメージ 3 左が先週土曜日(3日)に保護したばかりのピーちゃんで、ほとんど動かない体が冷え切った状態で、右が一日後の写真ですが、このころにはエサを求めるようになっており、1時間も待てない食欲から、めきめきと元気になってきました。
 
 一方で、本日も午前8時半に市役所に出向き、家内の協力はもらったものの、温度の管理だけでなく、1時間から2時間以内にはエサをやろうとすると、家を開けられないこととなり、家に残る息子たちも仕事の合間では面倒は見れないため、本日深夜に出発する四国行きも一緒となりますが緊張の飼育ともなります。
 
 ヒナの話は意外な人々にも伝わって(このブログを見て)おり、出会う人々から鳥を保護した成功例や失敗談を聞くこととなり、何とか成長させて、我が家の庭から鳥の仲間入りを果たし、私が呼べば家族と飛んでくるようにしたいものです。
 
 もっとも、そこまで無事に成長させられるかが問題で、3年前のピー子の二の舞にならないことと、「だから拾ってはダメッ」と言われないためにも、しばらくは鳥を拾った責任感を意識した生活となります。
 
イメージ 4 さて、明日から3日間は四国の生活となり、我が家には3人の息子たちだけとなり、私は日曜日まで不在となりますが、我が家の庭にはサクランボだけでなく、多くの花が咲き誇っており、帰ってくるころには散っている可能性も高いことから、我が家の花々を添付して本日の一言を書き終えたいと思います。
 
イメージ 6 明日は四国遍路の模様を添付予定です。
 
 
                          5月7日の一言
 
 
 
 
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雀のヒナの成長に驚かされて…

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本日のスズメのヒナ ピーちゃんです
 
 土曜日に保護した時には、動かず目も開かずに羽も生えていなかったスズメのヒナが、適温と言われる35度から37度で保温し、1時間ごとのエサやりを続けたことで、本日はうっすらと目を開け、「ピー、ピー」と力強く鳴くようになりました。
 
 3日前には、エサをやろうにも口も開けず、エサを食べないと死んでしまうため、指で口を開けて無理やりエサを入れましたが、本日は目が見えるようになったため、エサをせがんで大きな口を開けて鳴くようになり、私の物音を察知すると鳴き止みません。
 
 「ヒー、ヒー」と小さな呼吸音のような鳴き声が、「ピー、ピー」に変わり、本日は「チュッ、チュッ」と思えるような声に変わり、羽や尻尾が伸びており、本当にびっくりするほど成長が実感させられます。
 
 しばらくは注意が必要ですが、成長した暁には庭に戻すため、屋根の巣を探すものの、我が家にスズメの巣は見当たらず、「ピー」チャンの登場で寛容にしていたムクドリが、我が家のサクランボを喰い荒らしてしまい、サクランボは残り少なくなっていました。
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 例年はわざと私の黒い車を置き、脚立の上に人形や黒いビニールを置くだけでなく、ヘビと勘違いさせるため自転車のチューブもぶら下げてムクドリの被害を防いでいますが、今年はピーちゃんと同じ鳥と思って好き放題にさせていたところ、2、3日もすれば全部喰いつくされてしまいそうです。
 
 ムクドリに寛容なのは良いとしても、大きなカラスまで来ており、庭は鳥の楽園と言うよりも食事場と化しています。
 
雪壁の道を試運転 乗鞍岳春山バス、26日から
 
 さて、明日には議会運営委員会が開催され、来週に臨時議会が開催され、翌週にも議会日程があり、月末には6月議会の運営委員会が開催されるため、ボランティアも仲間の助けを借りる現状の中で、今週末には四国善通寺の1200年記念法要に出かけるものの、各地からの観光シーズンの話題が気になります。
 
 今月末には、過去にお遍路を同行したメンバーと、山梨県の「昇仙峡」に出かける予定となっており、昇仙峡については死の淵となった父親が、意識も混濁する中で「しょうせんきょう」と呟いていた場所であり、父親の面影を偲ぶ旅程となりそうです。
 
昇仙峡観光協会HP  http://www.shosenkyo-kankoukyokai.com/
 
 一方で、添付した乗鞍岳についても、私はマイカー規制とはならないタクシーを所有していることから、何とか乗鞍スカイラインの雪の壁を通行したい魅力も感じると、行きたい場所ばかりが頭を巡りだします。
 
 犬やスズメのヒナと旅行し、犬のために車中泊をするような私を、20年前に亡くなった父親はどう思うか判りませんが、春に冬を回顧できる旅行や、子供のころの夢だった愛犬と一緒に寝られる幸せも実感しています。
 
                                   5月6日の一言
 

北海道の桜が満開になり、沖縄は梅雨入りへ

 本日の朝日新聞には、北海道函館市の五稜郭公園で桜が満開となり、夜にはライトアップされていると発信されてきました。
 
夜空に映える満開の桜 北海道・函館の五稜郭
 
 私がお気に入りとしているブログ「シリベシアンのやさしい時間」では、昨日に寿都神社の桜が満開になった写真が添付されておりましたが、本日は中島公園の満開の桜が添付されており、一週間前に満開となった岐阜県高山市と、1ヵ月前に満開となっていた愛知県と比較し、青葉となった桜から季節の移り変わりの早さを実感させられる一日ともなりました。 
 
シリベシアンのやさしい時間
 
 九州の鹿児島県や、四国高知県が3月下旬から4月上旬まで満開となり、愛知県も同時期に満開となっているものの、我が家は桜ではなくサクランボですが、3月21日に満開となり、アンズの花も3月27日には散りかけた現実を考えると、満開となった北海道の気候が想像できそうです。
 
 ちなみに、福島県や宮城県でも散りかけているものの桜が残っており、北陸や新潟県の一部にも残っているようですが、2ヵ月程度で日本列島を北上することから、最初の開花から最後の散りかけるまで旅を続けられたら… 
 
沖縄地方が梅雨入り 平年より4日早く
 
 一方で、沖縄県では梅雨入りしたとの報道もあり、一ヵ月後には愛知県も梅雨入りすると考えると、夏から秋にかけては台風も襲撃し、「春一番」との言葉や桜前線や花見情報など過ぎ去った日々が懐かしく思われます。
 
 本日の新聞には、新潟県の海岸で5人が亡くなり、登山客や山スキーに訪れていた6人が死亡するなど、全国各地より楽しいはずのゴールデンウィークの事故が報道されており、飛騨地方や松本で地震が連続し、本日は首都圏でも大きな直下型地震が発生しました。
 
 「大丈夫かなぁ」の一言は、2日後の夜に孫まで乗せて四国に出かけることを心配する家内の一言で、家族だけでなく、相棒リマと、三日前から珍入してきた「ぴー」ちゃんも、一時間ごとの餌やりのため連れて行く予定で、大変な三日間となりそうです。
 
 もっとも、連休明けには議会日程もあり、ボランティアの依頼も受けていることから、綱渡りの連続に緊張感が漂います。
 
                                   5月5日の一言

スズメのヒナに一喜一憂して

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 昨日屋根から落ちて動かなくなっていたスズメのヒナですが、昨日「スズメSOS」を参考にして餌を用意し、巣箱の温度を35度に維持し、一時間おきに餌を与えて夜を迎え、保温のため点けた電球の光が当たらぬように工夫し、一時間おきに温度を確認に走りました。
 
 それでも、朝方には冷え込んでいたため、4時間の睡眠後には、「冷たくなってはいないか」と心配したものの、直接手のひらで温め、電燈を直接あてると元気になり、餌を与えると、「ピー、ピー」と声をあげました。
 
 落ちていた時には声もあげなかったことから、確実に元気になっていることと、餌を求めて大きな口を開けて鳴くようになったので、まずは順調に回復して成長していく予感がするものの、夜にフタをした中の温度が判らないので気になります。
  
道端に落ちていた雛(または成鳥)を保護したものの、
どうすれば良いか分からない方の質問トピックです。
巣立ち雛かの判断や、レスキューについてはこちらでご相談ください。
*鳥によって食餌が異なります。まずは鳥種の特定をした方がよいと思われます。

雛を拾わないでキャンペーン
http://www.jspb.org/hina/hina.html
 
毎年、春から夏にかけて多くの野鳥のヒナに関する相談があります。その中の多くは、巣立ち直前のヒナで、飛ぶ練習中に巣から落ちたり、巣から出てきたりしたヒナです。
ヒナ達の中には、完全に飛べるようになる前に、巣から出てしまうものも多くいて、周囲で親鳥が見守っています。親鳥は、警戒心が強いので人間がいると、なかなか姿を現してくれませんが、近くにいるはずですし、エサもちゃんと与えているはずですので、むやみに捕まえてしまわずにそっとしておいてあげてください。
万一猫等が近くにいて、危険だと感じたら、猫に捕獲されないように細い木の枝に止まらせてあげるか、巣が見つかるようでしたら、巣の中に戻してあげてください。
どのヒナもとてもかわいいので、保護したくなりますが、人間に育てられたヒナがその後自然の中で生きていくことは非常に難しいので、ヒナのためにも拾わずにそっとしておいてあげてください。

拾った時の参考HP
http:// www.geo cities. jp/suzu mesos/
http:// asteris k-web.c om/spar row_clu b/resq/ 3.htm
http:// www.asa hi-net. or.jp/~ ep3n-ki zm/gara kuta/re scue.ht m
http:// www.bir dfan.ne t/about /faq/ke ga.html
ケガをした野鳥を見かけたら
最初はよく観察してみてください。軽微なケガ等については自然に治る場合があります。野鳥は人間が保護することにより体力、精神的にも負担をかけてしまう恐れがあります。やむを得ずケガをして動けなくなっている野鳥を保護した場合は、お近くの獣医さんにご相談ください。獣医さんに相談できない場合は、弥富野鳥園に連絡してください。当園でもケガをした野鳥の保護も行なっていますが診断については、まず獣医さんに見てもらうことが大切です。なお当園から、ケガをした野鳥の捕獲に出かけることはできませんのでご了承願います。
 
野鳥を保護した場合は
①…保護した野鳥より、ふたまわり程度大きいダンボール(鳥かごよりも、羽等が傷つかないのでよい)の、下部に空気穴を開け、中に新聞紙等を敷き、入れてあげてください
②…羽を膨らまして、震えているようでしたら、ダンボール内にタオルを巻いたペットボトルにお湯(約42℃)を入れて保温してあげてください。
③…種類がわかれば、その野鳥が食べるものとお水を入れてあげてください。種類がわからないときは、野鳥園に電話頂ければ種類がわかるかもしれません。電話でも種類がわからない場合は、パンを小さく切って入れておいてください
 
 3年前にヒヨドリのヒナ「ピー子」ちゃんを保護し、動物病院を訪れた際にも、「落ちている野鳥を拾わない」とのポスターが掲示してありましたが、結果的には死なせてしまったものの、息子が拾ってこなかったら、夜のため確実に歩行者か自転車に踏まれて死んでいたと思われ、今回も親鳥が気づいておらず、既に動きが悪くなっていたことと、近くに巣も見当たらないことから、拾ったことが間違っていたとは思いません。
 
 野鳥を拾って育てることには難しい条例や届け出が必要かも知れませんが、そのまま拾わずに死なせることを考えると、わざわざ巣からヒナを奪って飼おうとすれば問題なものの、毛も生えずに目も見えないヒナの放置の方が問題です。
 
 一方で、3年前には高額な病院代まで負担して何度も通院し、成長を予測して多くの餌まで購入したものの、結果的には死なせてしまったことから、本当は保護してもらえる場所に持ち込むべきだったのかもしれませんが…
 
 「えっ、馬鹿じゃないの?」
 「だって、誰も面倒見てくれないだろう?」
 「リマも一緒でしょう」
 「一時間ごとに餌をやってくれる人あるかな?」
 「だからって、四国まで…」
 
 現実は大変で、親鳥が四六時中面倒を見ているヒナを、仕事をしながら育てるのですから、しばらくは鳥の面倒で大変な日々が続き、9日に開催される四国善通寺での1200年法要も一緒と決め、家族には宿が確保してあるものの、私は相棒と新入家族のために一人で車中泊となります。
 
ヤフー知恵袋
 すずめの寿命を教えて下さい
         ↓
ベストアンサーに選ばれた回答
 野生のものは普通1年、長くても2,3年だそうです。が飼っている手乗りのものは平均5,6年で … 我が家の手乗り雀は満6歳です^^
 
 さて、過去に何度も鳥を保護しているものの、ヒナを育て上げた経験はなく、今回の保護についても前途は多難と思われますが、3年前にヒヨドリのピー子を保護した経験から、当時の道具一式がそのまま役にたったため、ピー子のためにも成長させて、我家の庭を飛び回る姿を夢みたいと思います。
 
                                  5月4日の一言

目も開かぬスズメのヒナが落ちており…

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 「おーい、鳥が落ちてるよー」
 「えっ、何っ、何ぃー」
 「何か判らないけどー」
 「 … … 」
 
 見ただけで雀(スズメ)のヒナと判りましたが、落ちていた上の屋根を見渡しても雀の巣らしき場所は無く、発見時に近くにいたという親鳥の姿も無いものの、我が家の屋根から落ちてきた我が家生まれの雀の赤ちゃんであることは確実です。
 
 「そのままにしておけば、親鳥が連れにくるわァ」と、有り得ない話をする家族を尻目に、箱を探して藁を敷いて入れましたが、家の中は肌寒く、「外に置いておいた方が暖かい」と言う、家内の言葉にそのまま置いてきましたが…
 
 3年前の秋に、息子の拾ってきたヒヨドリのヒナ(ピー子)を育てたものの、鳥カゴを使わずハムスターのカゴを使ったため、足を骨折させて何度も動物病院に通ったあげくに死なせてしまった悪夢がよみがえってきました。
 
3年前のピー子関係記事 http://blogs.yahoo.co.jp/s281218/45541264.html
 
 早速ネット検索し、「すずめSOS」を見たところ、「注意事項:すずめは3時間以上、餌を食べないとすぐに弱りきってしまいます」と記されており、体温も37度程度に保つ必要があると判り、あわてて手のひらの中で温め、3年前のピー子の飼育セットを持ち出しました。 
 
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 ピー子もヒナでしたが、さすがにヒヨドリのヒナは大きく、今回のヒナは雀のため小さく、手のひらの中でも十分持っておられますが、昼食も片手では不都合なため、ピー子の箱の中で、温度を裸電球で確保して育てることとしました。
 
 一方で、パソコンの横なら、飼育方法を検索しながら育てられるため、パソコンの横に置いたものの…
 
 
 体温を温め、水を与えたところ「ピー、ピー」と声を出すようになり、相棒リマのドックフードを砕いて水で練って与えたところ、元気に大きな声をあげだしました。
 応急のエサとして、ゆで卵も良いときされていたため、ゆで卵も作りました。
 
 ただし、5日後には四国に旅だつ予定となっており、餌はこまめに与える必要があると記されていることから、夜の温度確保も考えると大変な飼育が予想され、ピー子の二の舞にはしたくないものの、家内の協力がないと育てられないでしょう。
 
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 最近はスズメの巣が少なくなったものの、私の子供時代にはいたるところにスズメの巣が存在し、友人たちとスズメの巣の中にいるヒナを取りに行った経験もあり、路上に落ちていたヒナを持ち帰ったこともありますが、過去には1羽も育てられた経験がありません。
 ましてや、今回は目も開いていないヒナですから明日以降が心配で、1時間おきのエサやりも大変となります。
 
 本日は美容院に行った相棒が宇宙人になった姿を添付するか、初めてスーパーの商品をネット注文した顛末を書き込む予定でしたが、突然の珍客登場に私の予定も大幅に狂ったものの、手をかけるだけ元気になる珍客に癒される一日ともなりました。
 
                                    5月3日の一言

情報化社会を実感する一日に…

大鹿 一八 様

いつもネットスーパーオークワをご利用いただき誠にありがとうございます。

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 添付したメールは、最近ネットショッピングに登録したスーパーから届いた案内ですが、このスーパーは遠いことから頻繁に利用するお店ではないものの、パソコン画面から商品を選択して注文すると、300円の配達料金で午後1時から夜9時まで即日で商品が届き、3千円以上の買い物には無料で配送してくれます。
 
 家内はパソコンを使いませんし、私自身は銀行窓口やカード決済を全くしないため、ネットショッピングとも無縁の生活でしたが、病院に同行している会員さんが買い物に出かけられないことから、介護保険制度を利用することになり、高額な買物代行料になることと、社会福祉協議会でもワンコインの買物サービスがあることを知ったものの、ネットショッピングを利用すれば地方自治体の負担も、ワンコインとはいえ配達料金を支払う必要もなく、もっと高齢者や障がい者に紹介する必要を感じ、まず自分からと登録した次第です。
 
 私の住む津島市にあるスーパーではありませんが、三重県や滋賀県のスーパーでは注文配達が当り前のように行なわれており、津島市でも寿司やピザ、弁当だけでなく、コンビニのセブンイレブンの宅配車輌も見かけるようになりました。
  
セブンイレブン食事お届けサービス  http://www.sej.co.jp/services/meal.html
 
 かつては各村々に何でも揃う商店が存在し、出前も当り前に存在していたものの、最近では昔からのお店や酒屋さんが姿を消してしまい、高齢者や病弱な人々が買物に出られず困っていましたが、各地にコンビニが進出し、現代的な宅配体制が構築されてきました。
 
 もっとも、パソコンやインターネットと無縁の高齢者や障がい者も多く、簡易な注文方法が必要とは思いますが、今や行政が財政負担をしてまで配食サービスを考えたり、ボランティアの顔色を気にしてサービスを提供されなくとも、民間企業のサービスを利用した方が低価格で精神的負担も軽減できそうです。
 
 もっと踏み込むと、独り暮らしの高齢者に対して、市役所が自慢するように説明する緊急通報システムについても、民間の通信事業者のサービスの方が先進的になっており、無料とすれば行政の財政負担が生じ、自己負担が必要なら民間のサービスを利用した方が本人だけでなく家族にも安心です。
 
 「病気の治療ができないらしい…」
 「そんなことはないでしょう」
 「医者がそう言っているから…」
 
 地元の病院から帰る高齢者との会話ですが、その病院ではできないだけの診察を、医療の限界と勘違いしている例も多く、1時間の通院時間をかければ高度な医療を提供してくれる病院が存在することも考えておられません。
 
 スーパーの宣伝のために届いたメールから、便利な世の中になっていることを実感するとともに、そんな情報を何も知らないまま不都合に甘んじている人や、人を介さないとサービスを受けられない人の存在も実感させられる一日となりました。
 
                                 5月2日の一言

事務所に眠る日本画から先人を偲んで

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 私の事務所の2階には、父親が若い時から日本画を習っていたため、師となる浅見香城先生の画帖が多く残されており、この虎の絵もその中の一枚ですが、父が亡くなっててから置かれていた倉庫が雨漏りしていたため、保存状態は最悪だったものの、中に描かれた絵は臨場感がそのまま残されていました。
 
朝見香城 (あさみ こうじょう)
明治二十三年(1890)-昭和四十九年(1974) 享年八十四歳
姫路市の生まれ。はじめ画を森月城に学ぶ。のち京都の西山翆嶂の門に入り花鳥画を極める。
大正元年に名古屋に。新派の画家として活躍し、同四年の文展に出品して初入選。
それ以降帝展・日展に入選して東西にその名を知られた。
中京出品協会理事として名古屋画壇の為に尽力し、昭和三年に渡辺幾春・喜多村麦子らの若手作家と、中京美術院を創設して後進の育成に功績があり同二十五年に愛知県文化功労賞を受ける。
 
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 週刊誌の占いコーナーに、「部屋を片付けることが吉」とあり、事務所の2階に放置されたままの画帖を持ち出したところ、総てが父親の師の作品と思っていた物が、現実には複数の画家の手によるものと判り、父が存在すれば簡単に聞けるであろう作家名を知る手立てが見つかりません。
 
 父の師となる浅見香城先生は、昭和49年に亡くなっておられることから、それまでの年代と香城と記された画帖は間違いがないものの、「小寺礼三」、「俊三」と記された画帖の作者がネット検索しても判りません。
 
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 左は画帖の巻末に記された年号と記名で、右側は「昭和37年新春香城」と記されていますが、左の画帖には「昭和壬子師走」と記されており、壬子は干支で、「みずのえね」と読み、干支は60年周期ですから、ここに記された昭和壬子にあたる年は1972年(昭和47年)に記されたものと判りましたが…
 
 本日まで、画帖はすべて浅見先生の作品と思っていたことから、作者の判らない多くの作品の出現に戸惑いましたが、「部屋を片付けることが吉」との占いに、封筒に入れたまま忘れいているヘソクリを期待していたものの、父の残した作品も評価額はかなり高額と考えられるため、父親の書画は千円クラスですが、著名人の手による作品だけは整理して保存に努めたいと思います。
 
イメージ 4 さて、冒頭に添付した虎の絵はいったい誰によって描かれた作品なんでしょうか。
 右の虎も同じ作者による絵画ですが、見事な作品であることは疑いがなく、「開運!なんでも鑑定団」で鑑定してもらわないと作者が特定できません。
 
 ちなみに、経歴を添付した浅見香城先生も、戦前の帝展や、日展に入選している日本画家で、本日はじめて名前を知った「小寺礼三」さんについても、大正1年生まれで名古屋出身であることと、帝展や新文展、日展に多数入選されている大和絵、仏画を得意とした作家であることがネット検索で判りましたから、占いのように「部屋を片付けることが吉」になったのかも知れません。
 
 
 昨日は父親の残した木々を添付し、本日も父親が残した遺品の中から、著名な作家による日本画を添付することになりましたが、しばらく忘れていた我家の珍品についても添付を続けていきます。
 
                                  5月1日の一言
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