大鹿一八「本日の一言」

平成16年2月から令和1年7月末までの「本日の一言」です。ヤフーブログ閉鎖により、ライブドアへ過去の記録として引っ越しました。

2014年09月

体重減少にびっくりする一日に

 本日の体重 75、8キロ (夕食1時間後)
      本日朝の体重 75、2キロ (朝食1時間後)
 
 6月26日に津島市保健センターの管理栄養士さんの指導を受け、2ヵ月程度は体重を測定して毎日記すことと、市役所のエレベーターを使わず、野菜の摂取量を増やす程度で推移し、8月の25日には具体的な決め事を記して帰宅しました。
 
 過去にかかりつけ医の医師から、毎日の血圧を記すよう手帳をもらい測定していたこともありましたが、2週間程度で忙しさから棒を折った経験があり、今回の体重を記すことについても、このブログの最後に記すことにしたため毎日の習慣のついでのため続いたと思います。
 
 昨晩の夜は一流シェフの料理が出る親睦をかねた報告会のため、本日の体重増を覚悟していたところ、逆に驚異的な減少となっており、報告会の後で車を運転して帰宅し、本日の早朝にアンケート用紙を地域に配布したことも原因と思われます。
 もっとも、車で訪れたためテーブルに置かれたビールを飲んではおらず、帰宅後に何も食べなかったことも大きいと思います。
 
 普段は夕食の後に眠ってしまい、1時間後に起きて深夜までパソコンの前に座っており、夕食と睡眠の関係や、生活習慣の見直しが体重減につながることは確実で、逆にこれだけ減少し続けるとガンが心配になりそうです。
 
 この指導は糖尿病や肥満など生活習慣病を予防するのを目的としており、この3ヵ月の効果を10月の健康診査(行政の実施する基本検診)の結果につなげることを目標にしており、明日は10月になることから午前中にかかりつけ医で検査を受けたいと予定しています。
 
 体重の推移を見直すと、相談初日の6月26日には79、8キロとなっており、7月の中旬や8月のお盆頃には80キロ代が続いていたものが、8月の指導後となる9月3日に77キロ代を初めて記録し、25日から76キロ代に減少してきました。
 
 本日の体重が持続できる自信はなく、明日の夜には政治家の2万円パーティーに参加予定のため、運動不足や不摂生な習慣に戻り、目前の好物を目にしたとき元のモクアミになる可能性はありますが、明日の検査結果と前年の数値を比較して効果を実感してみたいと思っています。
 
 病院の医師の多くは、患者の健康予防には無関心で、病気になった患者を治療することしか考えませんが、生活習慣や食事の改善が習慣病予防につながることから、近くの管理栄養士さんを見つけて相談することを皆さんにお薦めいたします。
 無責任ですが、何処の自治体でも管理栄養士さんは存在する(津島市は健康推進課)ことから、迷惑を覚悟してでも相談され、生活改善を図ってください。
 こんな無責任な一言を記して、早々には鬼籍に入れませんね。
 
 さて、この際ですので、本日は血圧も測定し、体重と一緒に添付するとともに、検査結果と健康状態を公開しながら、皆さんからも私の健康指導を受けながら、健康長寿に挑戦してみるのも妙案に思う一日となりました。
 
              本日の体重 75、8キロ 血圧133-71 脈拍67
                                9月30日の一言
追伸
私の寿命を、私の父親の寿命で換算すると、私に残された年月は4年6ヵ月しかありません。

被災地ピアノコンサートの報告会が一宮市で開催され

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一宮駅3F「カフェ イチモ」で ピアニストの佐藤由美さんと 
 
 本日は現実社会の雑踏を忘れてスマートにと写真に収まったものの、白髪頭の見事な爺さん姿が現実で、よほどの修正をしないと隣のピアニスト佐藤由美さんのイメージまで低下させてしまいそうです。
 
 本日は夕方から、一宮市のJR一宮駅アイビル3階にある「カフェ・イチモ」で、『佐藤由美 東日本被災地コンサート報告親睦会』が行なわれ、三十数名の役員や会員が集まり、ピアニストの佐藤由美さんより、宮城県石巻市や東松島市で開催したコンサートについての現地報告会が開かれました。
 
 被災地コンサートは、「愛知からの音だより」として9月6日に東松島市大曲市民センターで行なわれ、7日には石巻市役所でも開催されましたが、佐藤さんは東日本大震災発生後に、自分の演奏したCDの販売収益金を被災地に役立てたいと演奏活動を続けており、現地の市民団体が佐藤さんの後援会を設立して今回のコンサートが実現しました。
 
 現地に設立された後援会では、今後も年に1回ペースで被災地コンサートを開催したいと話していることが現地発行の河北新報社の新聞が報道しており、来年の開催場所にも既に案内されており、今年11月に名古屋市で開催される佐藤さんのピアノリサイタルにも現地から鑑賞に訪れる約束となっており、ピアノを通じて愛知県と宮城県の関係が続いていきそうです。
 
                    http://ameblo.jp/yuminosuke97/
 
 本日の親睦会は、今年5月に発足した佐藤さんを応援する「ゆみのすけ後援会」の主催で行なわれ、会長の鵜飼宏成愛知学院大学教授の挨拶によって始まり、全員で乾杯の後に一流シェフの料理を味わいながらの報告と談笑が続きました。
 
イメージ 3 さて、会場となったアイビルは、JR一宮駅の3階にあり、津島市から車で35分で到着してしまいましたが、一宮駅はJRと名鉄電車の一宮駅が共用しており、線路の高架事業が完成し、駅も近代的で大きな建物に建て替えられており、駐車場に車を停めてから会場に到着するまで迷子状態となってしまいました。
 
 名鉄駅のビルディングには名鉄百貨店が入っており、広大なJR駅構内を通過しても各種の公共施設等も存在することから、入り口を間違え大騒動の会場入りとなりました。
 
 私の住む津島市の名鉄駅は、昭和40年頃に建てられたままの駅舎で、駅に併設された名鉄ストアーが閉店し、バスの営業所も郊外へ移転したため閑散としていますが、やはり街づくりの中心には、公共鉄道の顔となる人の集まる駅舎の存在が不可欠と思われる一宮行きともなりました。
                             
                          本日の体重 76、2キロ
                                              9月29日の一言
追伸
一流シェフの高級料理も、減量中の私には誘惑としか思えません。下記に11月のピアノリサイタルのパンフレットを添付しましたので、ご覧いただければ幸いです。
 
イメージ 2
 

御嶽山噴火が自然の戒めにも思えて

 昨日噴火した御嶽山では、山頂付近で31人が心肺停止状態で見つかったと発表されていますが、登山道で噴石に直撃されたり、火山灰に埋もれた人の存在を考えると、人的被害はさらに増えるものと思われます。
 しかし、何の前兆もないままに突然噴火したことは、今回の噴火が収まったとしても、うかつに山頂に立ち入ることは危険で、今後は立ち入り禁止になる可能性もありますが、登頂が解禁されても覚悟の登山となりそうです。
 
御嶽山噴火、31人が心肺停止状態 長野県警発表
爆音、噴煙、人が埋もれた 下山者、ザックに命救われる
 
 有史以来と言われた昭和54年(1979年)の噴火では、人的被害は少なかったものの、噴出物の総量は約二十数万トンで北東方向に噴煙が流れ軽井沢や前橋市まで降灰しており、この噴火がきっかけとなり、日本国内の死火山、休火山、活火山という定義そのものを見直すことになったと言われますが、山頂付近の二ノ池や三ノ池は元々が火山活動の火口と思われ、山頂付近に大量の水が存在することが、水蒸気爆発の原因になっているのかもしれません。
 
イメージ 1 私は祖父が御嶽山明栄講の先達をしていたことから、小学校2年生の頃から毎年登頂するようになりましたが、当時は蒸気機関車で木曽福島駅に到着し、黒沢口の4合目付近までバスで移動して旅館に宿泊し、ここから徒歩で登りはじめて6合目の中の湯か、7合目の行者小屋に宿泊し、8合目の女人堂に1泊し、9合目の石室山荘か9合目半の覚明堂小屋に泊まるか、二ノ池にある二ノ池本館に宿泊後の翌朝に山頂へ到着していました。
 
 祖父の関係した御嶽教の明栄講は、愛知県甚目寺町の覚礼行者によってはじまった講社で、御嶽山の黒沢口登山道を開拓した覚明霊神の流れをくむ御嶽講のため、黒沢口の里宮から登山を始めました。
 
右に添付した写真は、私の御嶽山の金剛杖に押された焼印で、昭和36年(左)と52年に購入した杖です。
 
明栄講 
尾張国の覚明系御嶽講。寿覚(福寿講講祖)の系譜を継承し、開作(上田松尾講)にも師事した覚礼が設立。1861年(文久1年)に若者組として設立された山田組が起源。1874年(明治7年)に明栄講に改組した。甚目寺町の明栄分祠殿が主な拠点。明治中期にいろは順に組を制定した。多くは木曽御嶽本教に所属しているが、一部は御嶽教に所属している。
 
 私は現在四国八十八ヶ所霊場会の公認先達になっていますが、4回以上結願してお寺の推薦があれば先達になれるものの、御嶽山の先達は比較できないほど修業が厳しく、真冬でも真水で身を清めており、祖父の死後に叔父が先達を目指したものの、厳しさから修業を途中で断念しており、最近は先達そのものが減少して講の維持ができません。
 
 「さんげー (懺悔) サンゲー、ろっこんしょうじょう (六根清浄) 」、「御山快晴、護らせたまえ」と、白衣姿の先達の号令で数百メートルの信者が合唱し、途中で動けなくなる信者には先達が加持祈祷をして全員を登頂させていましたが、御嶽山を神と崇めて登る姿は、最近の自己満足による観光登山とは趣が違います。
 
 最近ではロープウェーを利用すれば、午前中に山頂まで到着して、日帰りで下山が可能となっていますが、当時は宿泊先の小屋でも朝と夜には読経と加持祈祷が行なわれており、今回の噴火により多くの先達や先人たちの姿を思いだすこととなりました。
 
 真言宗の修業に「阿字観」という修法がありますが、本来は薄暗くしたお寺の堂内で行なわれているものの、私の勝手な想いから、大自然の環境化で実行することが、神々しい空気で体内の細胞を変えていくようにも思え、自然の山河を歩いて修業することは、四国を歩いて遍路することにも通じるように思うようになりました。
 個人的には、7合目に近い「行場」で阿字観が体験できたらと勝手に思っていますが、御嶽教の覚明行者と最も関わりの深い場所だけに、祖父が生きていたら怒鳴られるでしょうね。
 
 祖父が実行していた水行まではできないものの、残された人生が短くなってきたことから、弘法大師のおしえに基づいて、白装束で御嶽山に登りたいとの思いが年々強くなっており、噴火が収まるのを期待するとともに、今回の噴火による犠牲者の方々のご冥福を祈りたいと思います。
 
                            本日の体重 76、5キロ
                                     9月28日の一言

御嶽山が噴火し人的被害も

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 昭和54年10月28日午後1時 噴火直後の御嶽山
 
 本日、長野県の御嶽山標高3067メートル)が噴火し、長野県の木曽広域消防本部の午後10時のまとめでは、27人が負傷し、このうち、10人が意識不明の重体や重傷と伝わり、数百人とみられる登山者の多くが夜まで下山を続けたとあり、死者が出ている可能性も発信されています。
 
 噴火は2007年3月以来とのことですが、添付した写真は昭和54年10月28日に噴火(水蒸気爆発)した直後の御嶽山で、この噴火は有史以来の噴火と言われましたが、今回の噴火は規模が大きく、紅葉の時期と重なり登山者に多大な被害を及ぼしました。
 
 添付した写真は、当時のおんたけ交通副社長の倉田さんから、私の父親に送られてきた写真で、おんたけ交通の諸原さんが撮影したと記されていますが、名鉄から出向しておられた倉田さんが、私の祖父が御嶽山の先達をしていたことと、黒沢口の霊神場に石碑があることから急いで現状報告をしていただいたと思われます。
 
御嶽山噴火、1人死亡 10人が重体・重傷
 
御嶽山噴火の動画 
御嶽山噴火の写真一覧
 
 今回の噴火により32人が重症と報道されており、いまだに山頂付近の山小屋に避難している登山客も存在していることから、今後の救援活動も大変な作業となり、火山灰が山梨県甲府市でも確認されていることから、過去とは違う火山活動の可能性も発信されています。
 
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 我家では、御嶽山のふもとにある祖父の石碑に毎年訪れており、昨年も10月27日に上高地の岐路に立ち寄っており、今年も来月の紅葉の時期に上高地から御嶽山を訪れようと話していただけに心配です。
 
 右に添付した写真は、御嶽山の黒沢口から入った日の出滝前にある祖父の石碑(明栄講へ組霊神場)で、昨年4月の上高地開山式の翌日に立ち寄った写真です。
 
 御嶽山の信者の多くは、今回噴火した南側の登山道ではなく、覚明霊神の開いた東側の黒沢口から登っていますが、来年以降の登山にも影響がでそうな噴火となりました。
 
 7月のはじめに、台風8号の局地的豪雨で南木曾町が土石流の被害にあい、JR中央線の橋桁が流失し、夏のシーズンの観光事業に多大な被害がでており、紅葉の最盛期を控えた御嶽山の噴火は、地元の旅館や観光事業者には打撃的な自然災害となりそうです。
 
 もっとも、祖父(昭和47年没)が生きていた当時は、御嶽山登頂は信仰の対象でしかなく、観光客どころか、団体で参拝登山中の信者でも、山の生き物や植物を手にすると容赦なく叱られ、孫の私でも御嶽山の祖父は恐ろしかったため、今回の噴火も祖父なら「神様が怒っている」と、最近の乱れた社会への警鐘にされそうな噴火にも思えてきました。
 
                          本日の体重 76、8キロ
                                   9月27日の一言

これからが上高地のシーズンとなり…

 例年ですと、議会が終わった後は四国遍路に走るか、この時期からは毎週のように上高地に出かける予定をたてていましたが、今年は積み残した仕事も多く、月末まではホームセンターに出向く程度しか楽しみがありません。
 
 「上高地はどうだった?」
 「大変だった」
 「どうしたの?」
 「一日中雨で、何処にも行けなかった」
 
 私から上高地の話を聞いて出かけた知人との会話ですが、今年は晴れている日が珍しく、小雨ならまだしも、激しい雨が降り続けていると、長靴に合羽姿でも覚悟して歩かないと上高地は売店の買い物かビジターセンターしか居場所がありません。
 
 上高地の魅力は自然環境で、河童橋から見る北アルプス穂高連峰の頂が間近に迫った景観に圧倒されますが、雨や雲で山が見えなければ感動するものがなく、歩けば靴がぬれて不快感が増幅されてきます。
 
 「週末は上高地へ」と聞くと優雅に思う人も多いものの、雨の中では何もすることができず、私の趣味とするテント生活についても、テントから出て行くこともなく、大きな雨音の下で横になっているしかありません。
 
 私が薦める上高地についても、こんな日に訪れたら「もう二度と行きたくない」と嫌われることは必死で、絶好の天候と紅葉の最盛期に訪れると、帰りのバスに数時間も並ぶこともあり、「遥かなる上高地」が「残酷なる上高地」になりかねません。
 
 幸いにも今年は開山式も音楽際も天候に恵まれ、8月と9月の滞在も雨のない晴天に恵まれたものの、昨年は雨が続くだけでなく台風の通過に遭遇したこともあり、自然環境に影響される場所だけに訪れた日の環境が総てとなります。
  
長野)マツタケ豊作 高森の直売所に並ぶ
 
 以前の一言にも記しましたが、9月の三連休に上高地を訪れた際に、現地の人からマツタケのおすそ分けがあり、上高地内の散策路にも多種多様なキノコを目にしてきましたが、今年は夏場に雨が多かったことがマツタケの豊作につながったようで、高嶺(値)の花ではないものの、人々が話すような香りはあまり感じませんでした。
 
 一方で、長雨の影響と思われる、全国各地からクマの出没情報が発信されており、人々にとっては有難いキノコの豊作も、クマと遭遇する可能性も高いため、注意も必要になります。 
  
長野)クマ出没 すでに10件の被害 上高地でも目撃
記事の続き…
 観光客や登山者が集まる上高地でも、目撃の報告が増えている。自然公園財団上高地支部によると、昨年4~11月は50件だったが、今年は19日までに90件。人慣れした個体と見られる。乗鞍岳の畳平(2702メートル)付近での目撃例は例年9月初旬までだが、今年は下旬のいまも続く。
 クマ対策に取り組む軽井沢町のNPO法人ピッキオは、「一般論としてドングリなどが不作であれば、出没が増える可能性がある」と言う。登山やキノコ狩りで山に入る際、クマ鈴などで人間の存在を知らせ、事故を防いで、としている。
■渓流釣りで遭遇 鈴も装備に
 21日、クマの出没が相次ぐ大町市へ渓流釣りに行ってたまたまクマに遭遇した。午前7時すぎ、大町市平の舗装された道沿いにかかる橋のそば、市街地から車で20分ほどの山中の空き地に車をとめた。胴長靴を履き、竿(さお)を持って川に入ろうとした矢先、後ろで「ガサガサ」と音がした。
 思わず振り返ると、木が大きく揺れた。ミズナラの大木を体長1メートルほどの黒っぽい塊がよじ登っている。
 「クマだ!」
 一瞬たじろいだが、相手はこちらには無関心で、するすると幹を登っていく。高さ10メートルほどの地点で、張り出した直径約20センチの枝をつたって横へと移動を始めた。やがて、腕を伸ばし、器用に小枝を引き寄せて何かを口に入れ始めた。
 しばらくすると、ドングリやちぎれた枝が次々と落ちてきた。ドングリは殻が多く、むいて中身を食べているようだ。「オーイ、オーイ」。注意を引こうと声をかけたが、クマは食べるのに夢中で意に介さない。
 10分ほどすると、漁業協同組合の監視員の男性2人が軽トラックで入漁券の確認のため、見回りにやってきた。「県道沿いでクマを見るのは珍しい」といい、近くの木を指さした。クマが折った枝が折り重なった「クマ棚」だ。食べたあと、棚で昼寝をすることもあるという。
 約1時間後、木を下りて来たので、車内へ退避した。クマはそのまま山に戻っていった。渓流釣りでクマと出合ったのは初めてだ。相手の縄張りに入る以上、今後は、登山用のクマ鈴を釣りの装備に加えようと思った。
 
 蛇足となりますが、私は上高地や乗鞍スカイラインのマイカー規制に関係なく通行できるため、バスやタクシーに乗り換える時間や料金が不要なことと、荷物や装備も余分に持ち込めることから、上高地や乗鞍が身近で快適な存在になっており、雨の場合には早々の退散も可能なことが、私と会話する人との大きな障壁にもなっているようです。
 これからが上高地の最盛期となります。
 
                          本日の体重 76、6キロ
                                   9月26日の一言

ピーちゃんとリーちゃんの間で

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我家の相棒リマ(下)と、ピーちゃんです 
 
 「ピーちゃん、ピーちゃん」
 「 … … 」
 「ぺロ、ぺロ」
 「あー、リーちゃんか」
 
 私が外出から帰ると、鳥カゴの中でバタバタと飛び回り、明らかに私の帰宅を喜んでいると思いますが、警戒心も強いため、普段と違う近づき方をして、鳥カゴの中に右手を入れても、私の顔と声を確認しないと降りてきません。
 
 「ピーちゃん、おとうさん、おとうさん」と呼んでいると、私の左手に生暖かい感触がして振り向くと、相棒リマ(ポメラニアン・雄6才)が私の帰宅を察知して走ってきて、イスに背伸びして私の手をなめまわします。
 
 ピーちゃんをリーちゃんと勘違いして走ってくるのかと思っていましたが、私が自分より先にピーちゃんに相手することを嫉妬して走ってくるようで、うかつに「ピーちゃん」と声を発すると、その都度相棒が走ってきます。
 
 今年5月3日に保護してから5ヶ月近く経過し、一日の中で必ず一度は私の手のひらの中で眠る習慣となっており、当初は私の手のひらしか乗りませんでしたが、毎朝鳥カゴの掃除と水を貰う家内にも懐いでいます。
 
 スズメのピーちゃんには「ピーちゃん」と「リーちゃん」の違いは判りませんが、相棒リマには違いが判っており、どちらを呼んでも走ってはきますが、呼んでいる私自身が「ピーちゃん」に「リーちゃん」と間違え、リマに「ピーちゃん」と間違えていることもあり、発音が似ているだけに注意が必要です。
 
イメージ 2 さて、「ピーちゃん」にライバル心旺盛な相棒リマですが、保護した直後(右の写真)から間近で生活しているため仲良しで、リマが鳥カゴに近づいても驚くことはなく、リマは自分の知らない食べ物を貰っていないか確認しているのでしょうが、私が居ないときにはイスに座って鳥カゴを覗いていることもあるものの、「ピーちゃん」も当たり前のように眺めています。
 
 言葉が通じれば最高ですが、事務所の来客に対してリマが「ワン、ワン」と吠え続けていると、「ピーちゃん」も「チュン、チュン」と激しく鳴いて警戒していることから、少しはコミュニケーションも共有している様子です。
 
 もっとも、「ピー」と「リー」の発音が似ていることもありますが、私の孫が我家に訪れた際には、孫に「リーちゃん」と呼んでしまうことも多く、孫の名前が遼真のため「リョーちゃん」と「リーちゃん」も間違えてしまうのはいただけません。
 
 本日は9月議会の最終日となり、何事もなく賛成する予定の議案について、同じ会派のU議員から、総務協働委員会の時に、私が員外として発言した「市長が代わる度に政策が変わり、何も実現しないうちに、次の市長の公約のため多額の予算をかけてきた反省と、2千万円もの調査委託料をかけること」を批判したことを指摘され、その場で発言すれば良しとしてきた自分の反省から、我が会派3人は揃って反対の意思表明をしました。
 
 議会終了後には、8月に開催した議会報告会の反省会を議員全員で行ないましたが、個人主義の私は、自分の意見が何も言えない報告会には元々反対で、議会の多数で決めた行事だから参加しているだけで反省もありません。
 必要なら、自分ひとりで市民から求められる場所に出向いて報告会を行いたいのが本音で、求められれば何処にも出向いてきたことから、しばらくは我が道を歩きたいと思います。
 津島市民の皆様、何処へでも呼んでください。何処へでも伺います。
 
                            本日の体重 76、9キロ
                                     9月25日の一言

女児の遺体をバラバラにして遺棄するとは

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津島市役所南玄関 来年3月まで耐震工事が続きます
 
 台風が近づき雨模様になるとの予報に、早朝3時からアンケート用紙を配布に出向き、昔の新聞販売業を思い出しながら仮眠し、慌ててシャワーを浴びてから市役所に走りましたが、目的とする委員会室をのぞくと電気も消えて誰も居ません。
 
 事務局に確認すると、私の勘違いで午後9時から開かれると思っていた行事は午後1時からの開催で、日時を正確に確認しなかった落ち度ですが、こんな無理な生活スケジュールは後々の身体に堪えます。
 
女児遺体遺棄容疑、47歳男を逮捕 袋に診察券と吸い殻
記事の続き…
 ポリ袋は複数枚が重ねて使われていた。すべてが同じ種類ではなく、計6袋あったという。
 発見現場は、美玲さんの自宅から約100メートル東にあるマンションそばの草むら。遺体は半径5~10メートルほどの範囲に置かれていた。23日午後4時10分ごろ、美玲さんを捜索中の捜査員が異臭に気付き、ポリ袋を発見した。そのうちの一つを少し破って確認すると、子どもの小さな手が見えたという。
 県警は連日、自宅周辺の茂みなどを大勢の捜査員で捜索していた。発見現場については、近くにある空き家とその周辺を捜していたが、ポリ袋が置かれていた地点は捜索していなかったという。
 近隣住民の話では、君野容疑者は1~2年前に発見現場近くのアパートに引っ越してきた。一人暮らしとみられる。
 美玲さんは11日午後2時45分ごろに同級生の女児とともに下校。後で一緒に遊ぶ約束をして、祖母宅にランドセルを置いて外出したとみられている。
 同3時15分ごろ、近くのコンビニエンスストアの防犯カメラに日傘を差して歩く姿が映っていた。その後、美玲さんは遺体発見現場とは別の、コンビニ店近くの同級生が住むマンションを訪問。日傘はこのマンション前の植え込みで見つかった。このマンションに美玲さんは今夏まで住んでおり、今の自宅には引っ越したばかりだった。自宅が片付くまでの間、祖母宅に一時身を寄せていた。
 美玲さんはその後、近くの幼稚園や交番付近にいるのを同じ小学校の児童が目撃していたが、午後5時半ごろ、祖母宅から南東に約600メートル離れた公園付近を南へ歩く姿が目撃されたのを最後に行方が分からなくなっていた。
 
 神戸市長田区の草むらで23日に複数のポリ袋に入った子どもの遺体が見つかった事件は、行方不明になっていた神戸市立名倉小学校1年の女児と判明するとともに、発見現場近くに住む47歳の無職男性の事情聴取を始め、事件に関与した疑いが強まり死体遺棄容疑で逮捕したと発信されています。
 
 テレビニュースによると、逮捕された47歳の無職男性については、「地元のゴミ掃除活動にも参加しており、見た目は真面目そうな感じだった」と話す人もある一方で、トラブルが絶えず朝から酒を飲んでおり、以前から要注意人物だったとの報道もあります。詳細が判りませんが、犯人に共通する境遇から、犯罪防止を考えていきたいものです。
 
 さて、我々の子供時代には、街角で出会った人々とは笑顔で挨拶するように指導されていましたが、最近の小学校では知らない大人に声をかけられても挨拶をしてはいけないとか、知らない大人に声をかけられたら大きな声をあげて助けを求めるなど、犯罪ありきの指導が行われている場合があります。
 
 子供が自由に遊べない地域環境になっていることや、外で遊ぶことが危険になっていることは事実ですが、危険な人物が世の中に増えている現実も深刻で、近所と疎遠になって関わらないことから野放しとなっており、私の周りでも危険と思われて関わりたくない人物が存在しています。
 
 深夜や早朝の環境も大きく変わっており、近所のコンビニには深夜でも大音量の改造車両やバイクが訪れ、大声で談笑するのも迷惑ですが、大音響でエンジン音を響かせており、地域で生活している住民の迷惑は考えられてはいません。
 
 人を殺すだけでなく、無力な幼児を殺し、遺体をバラバラに刻んで遺棄する行為は正常とは思えず、こんな犯人に対して神喪失状態として厳罰が猶予されるような事件も多く、事件を犯してから猶予するのではなく、精神異常者を野放しにしない対応も求めたいものです。
 
 「結婚しないのか」の一言は、政治に関係する者の発言が問題とされますが、結婚して自分の家庭を築くことも重要で、我家でも30を越えた息子が2人いますが、私の家庭に居座り、居候の立場で自分の家庭観を親に発信することを異常とも思っていません。自己嫌悪に陥る一日ともなりました。
 
                         本日の体重 77、0キロ
                                  9月24日の一言 

朝の感動 日の出の美しさに

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本日午前5時49分 津島市市内から見る日の出
 
 今年1月から4月にかけて政務調査としてアンケート用紙を約一万五千世帯に配布しましたが、配布していない地域の人から「市内全域に配布したアンケートでなければ、自分の選挙用と言われても仕方がない」と言われ、今月から残された地域への配布を再開しました。
 
 目覚ましを午前3時30分にあわせ、我家から一番遠い地域にアンケート用紙と返信用の封筒を配布して、2時間程度で帰る日程を続けており、添付した写真はその帰りに見た日の出風景です。
 
 振り返って考えてみれば、大学時代に新聞販売店を起業して、23年間続けていた中でも、「これは二度と見られない」と思える朝の日の出がありましたが、当時はデジタルカメラはもちろんですが、所持する携帯電話で簡単に写真に収めるような時代でないことと、仕事中に写真を撮る余裕もありませんでした。
 
京都から富士山の山頂撮った! 西の限界、261キロ 本日の報道
 
福島)北限から富士山に挑戦 川俣町の菅野さん 今年2月の報道
 
 本日の報道では、富士山から約261キロ離れた京都府と滋賀県の境界線にある標高915メートル付近の尾根から富士山の山頂を撮影したとの発信があり、私の住む愛知県津島市のマンション屋上からでも富士山頂が見えるのではないかと思った新聞販売店を生業としていた頃の記憶がよみがえりました。
 
 ネットで富士山の最遠確認記録を検索すると、西は1997年1月に和歌山県那智勝浦町の妙法山(標高749m)から322.9km離れた富士山の最遠距離撮影成功が記録され、北は299km離れた福島県二本松市(旧岩代町)の日山(標高1052m)、新潟県の神楽ヶ峰(2030m)からも富士山が見えると記されています。
 
 かつて当たり前に行動していた時間帯ですが、一日の中で一番空気が澄み、周りの自然を実感できることから、議員になってから深夜族となり、完全に眠っている時間帯になっていたことも見直したいと思う感動の朝となりました。
 
                         本日の体重 77、7キロ
                                  9月23日の一言  

毒のある植物の一言です

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我家の彼岸花です・アンズの根元に今年は3本だけの花弁です
 
 添付した彼岸花は我家で毎年花を咲かしていますが、自然に生えてきたもので植えたものではないものの、増やしたいと思ってもなかなか増えず、増やすためには根元に共存する雪ノ下を取り除く必要がありそうです。
 
 私が小学生の頃には、「毒がある」として触らなくても指を指すだけで舌が痺れると言われ、彼岸花がお墓に多いため、「縁起が悪い花」として鑑賞することもありませんでしたが、彼岸の頃に必ず花を咲かしているだけに愛着がわいてきます。
 
 それにしても彼岸の頃に必ず花を咲かすから彼岸花とはよく言ったものですが、お彼岸について私自身はあまり意識したことがなく、秋分の日の前後一週間と言うことから、先祖のお墓に花をささげにいきたいと思います。
 
彼岸…ウィキペディアから
彼岸(ひがん)は雑節の一つで、春分・秋分を中日とし、前後各3日を合わせた各7日間(1年で計14日間)である。この期間に行う仏事を彼岸会(ひがんえ)と呼ぶ。
最初の日を「彼岸の入り」、最後の日を「彼岸明け」(あるいは地方によっては「はしりくち」)と呼ぶ。
俗に、中日に先祖に感謝し、残る6日は、悟りの境地に達するのに必要な6つの徳目「六波羅蜜」を1日に1つずつ修める日とされている。
 
 さて、本日の報道では、滋賀県高島市の朽木市場の道の駅「くつき新本陣」で、20日に有毒キノコ「ツキヨタケ」が混入した山菜類が販売され、購入した愛知県の人が腹痛を起こして発覚したものの、他にも9人が購入しており注意が必要です。
 
道の駅で有毒キノコ販売、購入者が腹痛 滋賀・高島
 
イメージ 2 左に添付した写真は、上高地を訪れた今月14日に明神方面で見つけたキノコで、上高地では多種多様なキノコがいたるところで生えており、あまりにも汚れのない綺麗な歯肉に手が出そうになります。
 
 もっとも、上高地に生息する日本猿たちは、手当たりしだいキノコを手にして口に入れているため、「猿が口にしたキノコは毒が無いのではないか」と話していましたが、業者も間違って毒キノコを出荷する事態に、素人は野生のキノコには関心を持たないほうが無難と思う一日となりました。
 
 さて、上高地は国立公園で特別保護地区に指定されており、動植物だけでなく枯れ木の持ち去りも厳しく禁止されていますが、花や植物の宝庫でもあり、思わずカメラを向けますが、大きなヘビや毒のある植物も存在します。
 
イメージ 3
 右に添付した写真も上高地に自生する「ヤチトリカブト」で、猛毒のアルカロイドを含んでおり、名前が判れば近寄りませんが、あまりにも綺麗な花の色に思わず足を向けてしまいます。
 
 この写真を撮った時にはトリカブトとは知りませんでしたが、帰宅後に調べて判った次第で、綺麗な花には毒があると言いますが、冒頭に添付した彼岸花やトリカブトは人を寄せ付ける魔力があることを実感させられます。
 
 さて、本日は来年4月1日で満100歳になるはずだった人の葬儀に参列しましたが、この方は人以上に働き者の方で、私の旅行会にも1人で参加され、「歩くのは誰にも負けない」と言われていたことを思い出し、食べ物で健康管理を考える前に、身体を動かすことが健康の源と思う一日ともなりました。
 
                           本日の体重 77、3キロ
                                    9月22日の一言  

体重減にびっくりとする一日に

 本日の体重 76、2キロ…
 
 今晩の体重計の数値にびっくりとさせられました。今年6月26日に津島市の管理栄養士さん部屋を訪れ、野菜を食事ごとに意識して摂取することと、エレベーターを使用せず階段を使うことと、毎日体重を量ることをノルマとして指導されました。
 この日の体重が79,8キロで、しばらくは80キロ前後で推移していました。
 
 次の相談日となった8月25日には、下記に添付した10月までの約束を決め、夕食時のビールが赤ワインに代わった以外はほとんど守ってきました。
 
10月検査まで   期間限定お約束
 ① まんじゅう(間食)を昼間食べたら、夕食時のビールなし。ビール(アルコール)が飲みたかったらまんじゅう(間食)は食べない 
 ② CCレモン2本摂取を1本にする 
 ③ 夜中の間食はロールサンドやホットミルクにする
 
小さな習慣
 ① シュークリーム…もって帰る…食べない
   行きつけの珈琲店のサービス・シュークリームを検査まで食べない
 ② 今日 行く … 人に会う、電話で済ませない
 ③ 体重計測と野菜摂取は今までどおり 
 
 もっとも、体重を減らすのが目的ではなく、それまでほとんど摂取していなかった野菜を余分に食べているため減るはずがなく、8月の相談日に野菜を余分に摂っていても体重が増えていないことを指摘されてはじめて体重を意識するようになりました。
 
 最近の体重は、早朝が76キロ代となっており、夕食直後も77キロ代になっており、本日のように朝から夜まで76キロ代の体重は初めてですが、確実に減っていることは間違いなく、時々菓子パンを口にすることもありますが、3ヵ月で3キロの減量は実現できそうになってきました。
 
山口)3カ月で3キロやせよう 周南市、来月から
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 対象は市内在住か勤務している20~74歳で、肥満度をみる体格指数「BMI」が23・0以上の人。昨年度は117人が参加し、6割以上が2キロ以上の減量に成功した。市健康増進課は「グラフをつけることで、生活習慣を振り返り、見直すことができる。減量の一つのきっかけにしてほしい」と話している。
 
 現在の管理栄養士さんの前任となる竹内義政先生は、昭和55年に名古屋市で株式会社ダイエットケアを設立し、食と味覚の大切さを訴えて、生活習慣病予防に奔走されていますが、最後となった5年前の指導では、毎日の食事内容を細かく記して、やってはならない食事の組み合わせをチェックしてもらい、顔が細くなるほどの減量に成功しました。
 
 竹内先生の指導は、食欲を我慢するダイエットではなく、「食事は餌ではない」と好きな好物を摂取しながら、食事の組み合わせの指導や、マヨネーズやソースに頼っていた私の食習慣を変えることで減量を果たしました。
 
 現在の先生とは、減量については話をしておらず、悪しき食習慣や行動を変えることで、10月に受ける健康診断の数値を改善することが目的となっており、体重の低下は副産物でしかありませんが、体重減から体内のコレステロール等の数値が改善されていることを祈るしかありません。
 
 我家や親族には糖尿病の患者が居ないため、安心して何でも食べていますが、間食や夜の間食などが良いはずはなく、サービスで出されるシュークリームを食べないため珈琲屋さんに行く回数も減り、その時間が生活の余裕を生みます。
 
 本日は飛び石連休中ですが、家内に言われて玄関周辺の庭木を剪定しており、日ごろから怠けた身体には堪えており、汗もかいたことが体重減になっていると思われ、身体に負荷を与える運動も考えたいと思う夜になりました。
 
                                     9月21日の一言

久しぶりに四国遍路が話題となり

 しばらく遠ざかっていた四国遍路ですが、来月に「子供先達」に補任される孫のもとに案内が届き、私は問い合わせを受けても案内が届いていないため、届いた案内を聞いて日時と場所を再確認することとなりました。
 
 四国別格二十霊場会から、10月29日(水)に松山市道後温泉のホテル古涌園を会場として先達研修会を開催するとの案内があり、子供先達を希望する孫はもちろんですが、保護者の母親とともに私も先達研修会に参加予定で、前日より四国遍路を続け、一緒に付いてくる家内や家族は松山市を観光し、翌日も遍路をしながら名古屋に戻ってくる予定をたてています。
  
道後温泉 ホテル古湧園(こわくえん)   http://www.kowakuen.com/
          〒790-0836 愛媛県松山市道後鷺谷町1−1   TEL.089-945-5911
 
 孫たちは8月に四国を訪れていますが、私は5月から四国遍路には訪れておらず、久しぶりの四国行きとなりますが、5歳の孫が一日中会場内の研修会に我慢できるとは思えませんし、家族の考えるお遍路と私の遍路とは違うことから大変な四国行きの予感がします。ましてや我家は相棒(愛犬)と一緒ですから大変です。
 
愛媛)空海の書や絵巻 県美術館で「四国へんろ展」 
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10月13日まで。大人1300円、高校・大学生千円、小・中学生700円。問い合わせは実行委事務局(089・935・2355)へ。
 
香川)空海の魅力に迫る秋 講演講座続々 
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 札所寺院で構成する四国八十八カ所霊場会は10月17日午後5時半から、「弘法大師空海を知る」をテーマにしたディスカッションをアルファあなぶきホール(高松市)で開く。伝奇小説「沙門空海 唐の国にて鬼と宴す」で知られる作家・夢枕獏(ばく)さんと丸亀市出身のフリーアナウンサー、中野美奈子さんが「弘法大師空海を知る」と題して、空海の魅力を語る。無料。参加希望者は往復はがきに①住所②氏名③電話番号④参加人数を記入のうえ、〒761・0113 高松市屋島西町678の70の312 四国リレーションズへ申し込む。30日必着。県内札所の納経所と同ホールのサービスセンターは直接チケットを配布している。
 
 四国では局地的豪雨や台風の影響で、河川が氾濫したり土砂崩れの報道が続いていましたが、人を迎えるための発信も多く、ホッとさせられるとともに、四国の感覚で街づくりを考えると私の住む津島市も一変しそうなんですが…
 
香川)ゲストハウスでおもてなし 高松に相次ぎオープン
記事の続き…
 2段ベッドが並ぶ相部屋だと素泊まりで1泊2500円。利用客は20~30代がほとんどだ。数日間滞在して、レンタサイクルで高松の街をまわったり、島巡りしたりするのが人気という。情報交換ノートには、数カ国語で旅の報告がつづられている。
 夜、居間で宿泊客が酒宴を始めると、伊藤さん夫妻も加わり旅行談議に花を咲かせる。「ゲストハウスはいろんな人に出会えるから好き」と、ドイツから日本旅行中の会社員ステファンさん(37)。
 香川を離れてみて、瀬戸内海の美しさなどが分かったという裕さんは「香川の良さや旅の魅力を伝えていきたい」と話す。
 もう1軒は高松市観光町に7月オープンした「若葉屋」。元青年海外協力隊員の若宮武さん(31)が営む。
 派遣先のアフリカ・セネガルで開業を思い立ち、帰国後ホテル勤務を経て、自宅兼ゲストハウスを新築した。国産材を使った和風の室内には共同キッチンもある。特注の2段ベッドには読書灯、カギ付きロッカーなど、ゲストハウス巡りをして欲しいと思った機能を付けた。
 若宮さんは地元の人しか知らない穴場を客に案内したり、英語でブログを書いたりして香川の魅力を伝えている。「人と違う体験をしたい旅行客が増えている。ここならではの情報を届けたい」
 JR高松駅前の観光案内所「高松市インフォメーションプラザ」を運営する高松観光コンベンションビューローの担当者は「外国人の旅行者はバックパッカーが多く、ゲストハウスの問い合わせが増えている」と話す。
 
 さて、四国行きの予定を書き込んでいますが、その前に和歌山県の高野山のふもと慈尊院から高野山の金剛峯寺まで歩いて参拝する苦行も予定されており、最近は運動不足となっていることから大変な約束ばかりが続きます。
 
「高野山丁石道を歩こう」の行程表
                               歩き遍路友の会 東海
1日目 10月19日(第3日曜日)
名古屋駅西口、JRバス乗り場 10:00集合~東名阪名古屋西IC ~ 東名阪・西名阪・針IC経由~長谷寺着 12:00 (124Km 約2時間) 14:00 長谷寺発~桜井市・御所市・橋本市経由~粉河寺着 15:45 (66Km 1時間45分) 粉河寺参拝 17:00 ~ 17:30 民宿龍王亭着 (20Km 30分)
(車全行程 210Km 7時間30分)
    [もしくは、長谷寺を取止め 桜井市・聖林寺(国宝の十一面観音立像) 12:00~13:00 談山神社(飛鳥時代より継承される最古の神社) 14:30 発 ~ 16:00 粉河寺 16:45~17:00 民宿龍王亭
 
     第2日目 10月20日(第3月曜日)
 07:30 宿所出発 徒歩 ~ 08:00 慈尊院着 参拝 09:00 出発 ~ 高野山丁石道踏破 途中 丹生都比売神社参拝 17:00 大門着 18:00 宿所 恵光院宿坊[予約完了]
  (徒歩行程 約25Km 約10時間30分)
 
3日目 10月21日(第3火曜日)
 恵光院発 徒歩 08:00 ~ 金剛峯寺参拝 ~ 奥の院参拝 ~ 高野山山上駅(ケーブル) 13:38 極楽駅経由九度山駅着 14:16 ~ 14:20 龍王亭着 車に乗り換え 14:40 発 ~ 桜井市・西名阪・東名阪経由 ~ 名古屋西IC ~ 19:00 名古屋駅西口着 解散 
(徒歩行程 5時間30分 車行程 180Km 4時間20分)      
        会費  一人当たり \23.320.-
 
 こちらについては参加者を受け付けていますので、同行できる方はぜひ参加をお考えくだされば幸いです。
 
                          本日の体重 77、2キロ
                                   9月20日の一言

車中から本当の珍品が見つかり

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 昨日の一言で、横井庄一さんの茶碗を添付したことで、我家に存在する抹茶茶碗を整理していると、車の車中泊用に積んであった茶碗に「擔風(たんぷう)」の書き込みを発見し、服部擔風(担風)さんは愛知県尾張地方で漢詩の研究や書家として名のある人物だけにびっくりとしました。
 
 早速この茶碗の由来を母親に確かめると、私の父親の作った抹茶茶碗と話し、「それじゃー、何故擔風の名前があるんだ」と問うと、「お父さんが、弥富の擔風さんの所に通っていたから」と、今まで聞いたこともない話を聞くこととなりました。
 
 母親の話では陶芸を習っていたと言いますが、擔風さんは漢詩の講義や詩作の指導に励んだ人で、書の大家であることから、陶芸を習いに行っていたのではないかも知れませんが、父親は擔風さんの指導を受けに通っており、その中で抹茶茶碗に書き込んでもらった物と判明しました。
 
服部 擔風(はっとりたんぷう)
 
 もっとも、私の父親は帝展や日展に入選している日本画の浅見香城先生のもとにも通っており、絵画や書に関心は高かったため、母親の話を聞いてなるほどとは思いましたが、父親が作った茶碗とは言え、服部擔風さんが書き込んだ茶碗だけに、車中で転がっていた環境から事務所2階に移し変えました。
 
朝見香城 (あさみ こうじょう)
明治二十三年(1890)-昭和四十九年(1974) 享年八十四歳  姫路市の生まれ。はじめ画を森月城に学ぶ。のち京都の西山翆嶂の門に入り花鳥画を極める。 大正元年に名古屋に。新派の画家として活躍し、同四年の文展に出品して初入選。 それ以降帝展・日展に入選して東西にその名を知られた。
 
 さて、昨日に添付した横井さんの「ぐいのみ」も1万円程度はすると聞いたことがありますが、本日の茶碗は父親の作った素人作品で、しかも欠けており、粗末な品物を「我家の珍品」として紹介してしまいましたが、我家にも陶芸作家から頂いた高価な抹茶茶碗が存在します。
 
イメージ 2 左に添付した抹茶茶碗は、瀬戸の陶芸作家で、作品が皇室にも献上されている山口小左衛門先生からいただいた作品です。
 
 山口さんは小左衛門窯の13代目を襲名された陶芸作家で、この茶碗は名古屋城本丸に展示されている「黄金黒耀茶碗」と同じタイプの抹茶茶碗です。
 
 この茶碗は、昭和51年に横井庄一さん夫婦と一緒に訪れた際に、居間で出された抹茶の茶碗を持って帰れと案内役の同行者から言われて喜んでいると、帰り際に新品の茶碗を出してこられ、箱に入れて記名していただきました。
 作家は第三者に満足できない作品は渡したくないためらしく、茶碗の価値も判らぬ大学生の私には高価すぎるプレゼントとなりました。
 
 「おまえ、貰った茶碗はいくらすると思っているの」と横井さんに言われましたが、当時の値段で最低でも20万円程度の価値があったようです。
 
山口小左衛門 
大正2年生  瀬戸市西窯町に生まれる。生家の小左衛門窯の13代襲名。瀬戸窯の伝統技術保持と現代陶芸創作に力をそそぎ、皇室献上品、名古屋城をはじめ国内、また海外にも永久保存品が多数。
                           本日の体重 77、2キロ
                                    9月19日の一言

横井庄一帰国15周年記念作品 ぐいのみ

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 本日添付した「我家の珍品」は、昭和47年にグアム島で発見された旧日本兵、横井庄一さんの帰国15周年を記念して、昭和62年に名古屋三の丸会館で開かれた「帰国15周年記念パーティー」の記念品となった「ぐいのみ」です。
 
 横井さんは、昭和50年に陶芸をはじめ、昭和54年秋に自宅裏へ窯を築き六十路(むそじ)窯と命名し、翌年に東京銀座三越百貨店で個展を開き、名古屋、新潟、岐阜、大阪、仙台など全国各地で陶芸展を開催しました。
 
 昭和59年には名古屋三越で作陶10年を記念する個展を開催していますが、この頃から身体に変調が出始め、59年6月に右目白内障手術(藤田保健衛生大学付属病院)を受け、翌年3月には国立東名古屋病院で胃ガンの手術を受けています。
 
 ただし、この頃は長年のサバイバル生活で身についた五感により、自分の感覚で胃の異常を感じて、自らの意思で病院を訪れ、胃ガンも極めて初期に発見されており、平成5年に胃ガンで晩年を迎えた私の父親を見舞い、「おい、頑張らなきゃーいかんよ」と13才も若い父を励ましていました。
 
 横井さんは大正4年から15年まで大鹿庄一として我家で育っており、私の祖母たちを姉のようにして生活していたため、私の父親たちにも兄貴分のように振舞っていましたが、28年もグアム島の洞穴に隠れていたため、発見後も父親よりも感覚が若く、私の良き理解者でもありました。
 
 さて、本日は最近更新していない「横井庄一記念館」のホームページを見たところ、掲示板に「奥様、大鹿様、こんにちは」の書き込みを発見し、最近まで「記念館に寄せて」と横井さんを連載されているブログを発見し、この中には平成9年に放映された「知ってるつもり」(日テレ)のビデオが添付され、当時の私の映像も紹介されていました。
 
 
 本当に有難うございました。こんなことから、横井さんの珍品を紹介することになった次第です。一方で、横井さんの公式ホームページやブログを運営しておりながら、新しい記事を書き込まないままに日々を経過させている反省もする一日ともなりました。
 
横井庄一記念館 明日への道 公式ホームページ
 
 
 本日の津島市議会では、文教建設委員会が開催され、午後5時40分まで審議が続き、傍聴のため退席も可能でしたが、気になる報告案件が最後になっていたため、人との約束を順延することになってしまいました。
 
                         本日の体重 77、2キロ
                                  9月18日の一言  
 

本日も委員会が夜まで続き…

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夕方の津島市内 市役所5階議員控え室から
 
 本日の津島市議会では、10日に開催された厚生病院委員会から順延した続きの審議が行われ、夕方には自宅に帰れると思っていたものの、10日の審議より10分遅い夜7時50分に委員会が終了しました。
 
 「お父さん、今日も遅いの?」
 「いや、今日は3時頃には終わるだろう」
 
 こんな調子で家を出たものの、先週の委員会と同じく審議が長引き、3連休でタガが緩んでいた私に、25日の最終日まで議会が続くことと、手帳の空きスペースが限られていることを実感させられました。
 
 明日も先週から順延となっている文教建設委員会が開催されますが、本日と同じような日程となる可能性が高く、積み残した仕事もあることから、来週の飛び石連休の私の行動に期待する知人も存在するものの、楽しみは半分にしていきます。
 
60代男性、北アルプスで遭難か 11日下山予定
 
北アルプス、登山者数珠つなぎ 8月悪天、連休に集中
記事の続き…
人気の北アルプス槍ケ岳や西穂高岳の独標では、頂上直下の岩場で上り下りする登山者が数珠つなぎになって渋滞するほど混雑した。槍ケ岳山荘のスタッフによると、中日の14日、槍ケ岳の頂上は、すいていれば山荘から1時間ほどで行き来できるはずが、最大5~6時間もかかったという。
 20日からの週末も、22日の月曜日を休むと4連休になるため、大勢の登山者が予想される。県警は、行程に余裕を持つなど、安全登山を呼びかけている。
 
 本日の新聞報道によれば、13日から15日までの3連休中、北アルプスでは山岳遭難が相次いでおり、長野県内の遭難は計18件あり、5人が死亡し、行方不明者1人、負傷者が10人にのぼったと発信されています。
 
 夏山最盛期の8月に悪天候が続いて登山を断念した人が多かったことと、3連休が好天に恵まれたことから、北アルプスは都会の駅のホームのように渋滞しており、経験のない山ガールや中高年の遭難が多いことから注意が必要だ。
 
 私は上高地にテントを張り、のんびりと散策を楽しんでいますが、3連休初日の乗鞍岳畳平では、真っ暗な午前5時前から、バスを降りた中高年の団体が、まるで運動会の行進か軍隊のように一列になって登山していく姿に異様な感覚を覚えました。
 
 私が孫や家族と明神から徳沢方面に歩いた時も、中高年の並んで歩いてくる団体客とずいぶんすれ違いました。ツアーで訪れていると思われますが、道草して花や木々を観賞する余裕もなく歩き去っていきますが、バスの時間を意識して歩いていると思われ、会話からもゆっくりとできない様子が伺えます。
 
 登山ブームで、服装や装備は一流登山家ですが、体力や脚力に自信のない私よりも頼りない中高年も多く、添付した新聞に掲載された写真からは、登山の魅力よりも四国の歩き遍路と同じ苦行としか思えません。
 
 これだけ大量の遭難者と死者が出ている現実は寂しく、バスに乗らない私に「前に行くな」と、乗客の割り込みと勘違いした一言からも、上高地があまりにも殺伐として世知辛い環境になってきたように感ずる一日となりました。
 
                         本日の体重 77、6キロ
                                  9月17日の一言

上高地の3日間 

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 昨年からより自然に行動するため、テントを3種類買い込み、上高地でも小梨平でテントを主体にして行動しようとしましたが、昨年は豪雨や台風によってケビンが多く、今年も雨は多いものの盆過ぎの2日間は快晴で、昨日までの3連休も快晴の上高地に滞在することができました。
 
 添付したテントは5人から6人用で、大人4人が寝ても余裕があり、2人から3人用のテントと、1人から2人用のテントを使い分ければ快適で、今回は家族が大量に食材を持ち込んだため食べすぎとなりましたが、節制した生活をしたい時には最適の環境になります。
 
イメージ 2 さて、3連休初日は、夜行で走って乗鞍で朝のご来光を鑑賞していたため、ひたすら休養する一日となり、家族は田代池やウェストンレリーフ方面に出かけたものの、小梨平をゆっくりと散策する一日となりました。
 
 2日目は、明神から徳沢まで足を延ばし、孫と木々や植物を探索すると同時に、これまで娘や孫とは徳沢方面に歩いたことがないため、孫を昼食の岩魚で励ましてひたすら歩きます。
 
 小梨平から明神館までは40分程度で到着し、いつもならここイメージ 3から明神池を訪れてから河童橋に戻りますが、このまま徳沢を目指して歩き続けます。
 
 右に添付したのはカンボクの実と思われ(違うかもしれませんが…)ますが、真っ赤な実をつけており、今年は少ないものの小梨の実もまもなく真っ赤に熟してきます。
 
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 さて、左に添付したのは登山者の人数をカウントする機器で、ここを通過していく人数を感知しており、大自然の上高地の中にも現代社会のハイテク機器が配置され、登山者の把握がされています。
 
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 今の上高地でよく見かけるのが「サラシナショウマ」の花(右)で、いたるところで見かけます。
 
 春から夏に比べて花の種類は少なくなっていますが、「アズマヤマアザミ」や「ノコンギク」など珍しい花々も多く、植物好きな人にはガイドブックを持てば違った上高地が鑑賞できそうです。
 
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 左の案内板は、明神から徳沢方面に少し進んだ場所にあり、ここを右手に7時間程度歩くと、徳本峠から島々に至る道標で、近代登山の黎明期にウェストンらが歩いた上高地と信州側をつなぐ山道となります。
 
 かつては、島々から徳本峠を越えて明神、上高地に至り、飛騨側には安房峠を越えて歩いていたと聞くと、遥かなるロマンにも感じられ、一度は飛騨側から信州側まで歩いてみたいと思いますが、真っ赤な血で道を染めて歩いた野麦峠の女工哀史を考えるとかなりの苦痛となりそうです。
 
イメージ 7 こんな想像をしながら歩いていると、林の中からずいぶん危険な視線と物音を感じ、私に対してかなりご立腹の様子で威嚇する猿の存在にびっくりです。
 
 上高地の猿は人が相手をしないため比較的おとなしいと思われますが、この猿は完全に戦闘態勢に入っており、目を合わせてはいけないと聞いているものの、迷わず携帯電話のシャッターをきっていました。
 
 私の興味は、上高地の美味しい水にもあり、古池から滾々と湧き出る水を見つけたものの、孫が一緒のため飲むには至らず、ぐずりだした孫や家族にとがめられ、あと5分で徳沢園という場所からそのまま小梨平に引き返しました。
 
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イメージ 9 左が古池で、写真はたまり水のように見えますが、地中から水が湧き出す清水です。
 
 右に添付した写真は、河童橋の五千尺ホテル横にある蛇口で、「上高地のおいしい水が飲めます」と記してあるものの、道路の反対向きにあるため観光客には気づかれませんが、帝国ホテルの水など上高地は美味しい水を探すのも魅力があります。
 
                         本日の体重 78、2キロ
                                  9月16日の一言

上高地の前に 乗鞍スカイラインへ

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13日午前5時 乗鞍岳の向かいの魔王岳山頂
 
 9月13日から15日までの三連休は、家族(家内・娘・孫)4人で上高地滞在を計画していましたが、その前に乗鞍岳のご来光を鑑賞しようと、前日の深夜11時に自宅を出発し、尾西インターから東海北陸自動車道に入りました。
 
 途中のひるがのサービスエリアで3時半まで時間調整し、飛騨清見インター、高山市、乗鞍スカイラインを通過し、4時半に乗鞍畳平駐車場(標高2702メートル)に到着した時にあたりは真っ暗で、乗鞍登山とご来光鑑賞の団体客が懐中電灯の光を頼りに移動していきます。
 
 乗鞍のご来光鑑賞は、乗鞍岳の北東に位置する大黒岳か登山途中の富士見岳が定番ですが、車中では孫と相棒リマが眠っているため、駐車場に近い魔王岳(2763メートル)に登ってご来光を鑑賞することにしました。
 
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 乗鞍の北方に位置する北アルプスの夜明け前の様子で、中央に奥穂高岳と右側に前穂高岳がシルエットで現れ、左端には槍ヶ岳の尖った頂がはっきりと見えます。
 
 上高地で穂高の頂に光がさす時には、穂高が手に届くように見えますが、乗鞍からは「遥かなる穂高」から北アルプスの全景が見渡せます。
 
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 魔王岳東側にある大黒岳(2772メートル)の小屋付近でご来光を鑑賞する人々が手に届くようにはっはりと認識できます。
 
 魔王岳ではまだご来光を鑑賞できていませんが、大黒岳の人々には既に太陽が見えており、南側に位置する富士見岳では、富士山の頂が見えていたと断言できそうな絶好の天気となりました。
 
 下に添付した写真は、乗鞍から北方の北アルプスと、鶴ヶ池より南東の方向に南アルプスの山々が遠方に見渡せます。
 
イメージ 4
イメージ 5
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 乗鞍スカイラインは午前3時30分から午後8時まで通行できますが、マイカー規制のため平湯温泉に近い「あかんだな駐車場」か「ほうのき平駐車場」からバスに乗り換える必要があり、約1時間の行程と往復2300円の料金が必要となります。ただし、夏の3ヶ月が過ぎ、10月になると午前7時からしか通行できないため、ご来光は今月末までしか拝めません。
 
イメージ 6 「乗鞍までは何時間で来れるの?」
 「3時間かな」
 「それじゃー、上高地は?」
 「乗鞍よりは早いかな」
 「そんなに近いの?」
 「近くはないけど…」
 「それじゃー、日帰りも簡単だねー」
 
 かつては松本から新島々まで電車で訪れ、バスに乗り換えて半日以上かかっていた上高地も、名古屋から東海北陸自動車道を経由することで、簡単に日帰りコースとなっており、私はマイカー規制の対象外のため直接車を乗り入れられるため、遥かなる上高地が身近な上高地になっています。
 

上高地第三日目

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上高地三日目は、上高地初体験となる診療所へ通院です。

上高地バスタ-ミナルの向かいには、東京医大の診療所があり、二日前に夕食の魚の缶詰の骨が刺さったまま、痛みが引かないため受診して治療を受けました。
 
「そのうち取れるわ」
「缶詰の骨が刺さるなんて聞いたことがない」
「何か食べたら取れる」
「私が取ってあげようか」
 
人の痛みは第三者には判らず、食べ物が喉を通る度に激痛が走り、水を飲んでも何かが引っかかっている違和感が取れず、帰宅して翌日にお医者さんに通院しようと我慢していましたが、家族が昼食を河童橋の五千尺ホテルで食べたいと言われたときは腹がたってきました。
 
無理やり食事場所をバスターミナル2階の村営食堂にしたものの、食べる度に吐き気と痛みが走るのは我慢の限界となるため、その前に診療所を訪れた次第です。
 
「どうしました」
「缶詰の魚の骨が刺さったままで…」
「奥の方で見えなければ取れないよ」
「よろしくお願いいたします」
 
考えてみれば三連休の休日で、診察してもらえるだけでも幸せですが、以前に軽い頭痛で訪れた際に、「ここはそんな軽症患者のためにあるんではない」と叱られたことがあり、喉の魚の骨で見てもらえるか心配したものの、事務員さんもお医者さんも親切な応対で助かりました。
 
しばらくすれば取れるとの家族の一言でしたが、骨は(下から2枚目の写真・爪楊枝と領収書の真ん中)折れるどころか、プラスチックのように固く、食べれば食べるほど奥に刺さっていたようで、「記念に持っていきなさい」と笑顔で診察は終わりました。
 
「こんなことなら昨日に受診すれば良かった」の一言です。  
 
 

上高地第二日目

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 上高地二日目は、明神池から徳沢方面に歩き、花や自然を楽しみました。私のテントは小梨平のホームレス画伯の隣りに設営してありますが、ここから3キロ程度歩くと明神館まで到着し、ここから左へ6百メートル歩くと明神池があります。
 
 この行程より更に3、4キロほど余分に歩くと徳沢園に到着します。明神館からしばらく歩くと、徳本峠を越えて島々谷に下りていく分かれ道があり、釜トンネルがない頃は島々方面から8時間かけて上高地に入った峠道です。
 
 5歳になった孫が一緒のため、明神館の岩魚料理を食べたいとの希望をかなえるため、引っ張って歩かせながら、木々や草花、鳥や岩魚を探していると猿の集団が現れ、さすがに大群のため孫も驚き歩けません。
 
 「抱っこして」
 「もう少し、頑張れ」
 「うーん、抱っこ」
 「ふくろうが待っているぞ」
 
 孫がビジターセンターに展示している鳥や冊子に興味があるため、何とかなだめて歩きとおさせて、本に夢中になっていると呼び出しです。
 今晩は画伯に差し入れられた「マツタケ」を肴に夕食を約束してあり、我家と一緒の団欒となる予定です。
 
 ちなみに、昨日の体重は77、0キロでしたが、今晩は測定ができません。
 
                                9月14日の一言

上高地 一日目

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ホテル白樺側から見る河童橋
 
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小梨平に設営した私のテント
 
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三連休初日は、早朝の乗鞍岳ご来光から、上高地の休息となりました。

本日のホ-ムレス画伯

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画伯のテントと私のテント(右側)
 
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河童橋の前に立つ孫です
 
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渡辺画伯の油絵を見る孫 河童橋の下流で

本日は朝7時30分に上高地バスタ-ミナル駐車場に到着しました。

普通は、ここからテントや荷物を運ばなくてはなりませんが、到着前から画伯がリヤカーを用意して待っていてくださり、楽々の上高地入りです。

今回も画伯の隣になりました。

好天に恵まれる上高地滞在となりそうです。

乗鞍岳の夜明け

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魔王岳から見える乗鞍バスターミナル 午前5時

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魔王岳の山頂で 標高2763メートル
 
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朝日に輝く魔王岳中腹
 
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乗鞍バスターミナル 畳平 標高2702メートル
 
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バスターミナルと私の車です

昨晩に津島市を出発して、途中で時間調整して乗鞍スカイラインを走りご来光を拝みました。

このまま上高地へ入ります。

遍路の先人の報道を見ながら上高地へ

 本日は総務協働委員会が開催され、6月議会の議案審議と、25年度津島市一般会計や特別会計など決算書の審査も行なわれ、私も傍聴席で参加していましたが、本日は夕方から名古屋市北区の自治労連会議室で交通問題勉強会が行なわれるため、午後3時までの参加となりました。
 
 さて、公共交通については、仙台の東北大学を会場にした自治体学校に参加しましたが、名古屋の勉強会は久しぶりの参加となり、津島市周辺の現状と、私が参加する福祉有償運送と福祉タクシーについての実情を話しすぎ、私は日ごろから愚痴が多いことから、勉強会を発表会にしてしまった反省をしながら帰宅しました。
 
 勉強会では、10月に三重県四日市市の「内部・八王子線」を現地視察することが決まり、久しぶりの現地視察から新たな見聞が期待されます。
 
みなさまに深くおわびします 朝日新聞社社長
 
政界から厳しい声 吉田調書巡る朝日新聞記事取り消し
 
(新ポリティカにっぽん)慰安婦・吉田調書報道に思う
 
 私は大学在学中の昭和52年に朝日新聞販売店を起業し、議員に転出した15年前まで販売店を経営していただけに、今でも久しくする記者も多く、今回の福島の吉田調書だけでなく、従軍慰安婦の吉田調書の報道については、国益を損なうような報道に対する対応の悪さにも心が痛むとともに、休み無く配達を続ける人々の存在を考えると心が痛みます。
 
公認先達・歩き遍路の会会長
    、山下正樹さん 脚 遍路10回、感謝の歩み
             http://www.asahi.com/articles/DA3S11345807.html
 
 昨日の夕刊には、四国八十八ヶ所を歩いて遍路中の先達山下さんが大きく報道されてきました。お遍路では知らぬ人がないような大先達ですが、遍路道を整備するボランティアも続けられており、遍路に行くことだけを考える吾身を反省するとともに、発信に耳を傾けたいと思う夜にもなりました。
 
 さて、本日名古屋の勉強会から帰ったのが9時30分で、慌てて夕食を摂り、今から上高地に向けて出発です。明日の早朝に乗鞍岳でご来光を期待して、画伯の待つ上高地に入る予定となっています。
 
                          本日の体重 77、4キロ
                                   9月12日の一言

気分は三連休と上高地へ

 梅雨明け宣言後も四国や近畿地方に局地的豪雨が続き、超大型と言われる台風が九州や日本列島を襲来し、やっと一息と思われた後も天候は回復せず、広島では大規模な土石流が住宅地を襲い多くの人命を奪いました。
 
 四国高知や徳島から、京都福知山も水没し、日本中が水害の被害を受け、これで何とかと期待した9月になっても、局地的な豪雨や落雷が襲い、本日の新聞には東京の都心か水没し、北海道でも大雨特別警報が出されています。
 
東京23区に大雨洪水警報 北海道の大雨特別警報は解除
 
 
北日本や東日本、強い雨の恐れ 北海道に一時特別警報
 
 気象庁は、11日昼過ぎから東京23区、埼玉県南部、千葉県北部、茨城県などに大雨洪水警報を発令し、明日の午後6時までの24時間に北海道は多い所で150ミリ、関東甲信越は多い所で100ミリの雨が降る可能性があると発表しています。
 
長野県の週 間 天気予報
 
 
 「7月に来てから5日しか晴れた日が無かった」の一言は、8月中旬に訪れた上高地でテント生活をおくる渡辺画伯の言葉で、この日から2日間は晴天が続きましたが、上高地は今年も天候には恵まれていない様子です。
 
 本日は文教建設委員会が開催され、委員長が冒頭に「本日の委員会は、たとえ深夜になっても終わるまで帰れません」と宣言して審議が始まりましたが、昨日の厚生病院委員会と同じく、午後7時を廻った直後に、予備日にゆっくりと仕切りなおしとなりました。
 
 私自身は、今回審査する25年度決算審査については、監査委員として審査していた決算書の審査だけに、自分の所属する厚生病院委員会以外は、9月議会の議案審議が終わったら傍聴席から退席する腹積もりでしたが、現在進行中の裁判の経過報告もあるため、席を離れないままに一日が終わりました。
 
 さて、明日は総務協働委員会が開催されますが、明日は夕方から名古屋市内で公共交通の勉強会が組まれており、夕方には名古屋まで移動する必要があり、NPO法人の報告書を愛知県庁に届ける締め切りが迫り、政策金融公庫や運輸局へも足を運ぶ必要に迫られており、書類の整理は深夜でもできますが、行政の窓口に足を運ぶ時間が見当たりません。
 
 「お父さん、連休はどうするの?」
 「どうしようかな」
 「どこか行こうよ」
 「そうだな…」
 
 議会の休憩中の電話ですが、娘だけなら何処にも行きませんが、連休は行政窓口も開いていないため、「上高地へ行こうか?」、「どうせなら、乗鞍スカイラインから乗鞍岳でご来光を見ようか」と発展し、明日の深夜に孫と相棒リマも一緒に車を走らせることが決まりました。
 
 「何か必要な物はないですか?」
 「ガスのカセットボンベが頼めれば…」
 「はい、はい」
 「じゃー、リヤカーで出迎えるわ」
 
 上高地でテント生活をおくる渡辺画伯との電話で、現地では高額となるカセットコンロのガスボンベがあれば、滞在日数が増やせることから、帰宅後に家内とホームセンターに走りましたが、一日5本のボンベがないと寒さに耐えられないとの話に、上高地の自然環境の厳しさも実感する夜となりました。
 
                        本日の体重 77、9キロ
                                  9月11日の一言

委員会のため終日市役所の一日に

 広島の被災地へボランティアに出かけていた友人が本日津島市へ帰り、帰宅途中に我家に立ち寄ってくれましたが、昨日送信されてきたメールの中に、「作業している最中に、すぐ近くで、あと二人だった行方不明者のうちの一人が発見されました。すぐに警察や消防が交通を遮断して搬出作業にかかりました」とあり、昨日の一言にそのまま記しました。
 
 本日の新聞報道によれば、この現場で見つかった男性の遺体は、広島市安佐南区八木3丁目の朝日新聞販売所従業員、西田末男さん(63)と判明したと報じられており、私の以前の仕事に関係する人が被害者だったことと、昨日の発見現場に遭遇した友人が今まで私の前にいたことから、余計にショックを受けました。
 
 西田さんは災害当日の8月20日午前2時40分ごろ、雨の中をバイクで販売所に向かった後、行方不明になっていたとありますが、家族はもちろんのこと、毎日の新聞を届ける貴重な戦力を失った販売店には、私も現職中に2人の従業員を失っていることから、我が身のようなショックを受けました。
 
 改めて今回の災害で亡くなられた73人の方々のご冥福と、残されたご家族や関係者の皆さんには頑張って立ち直って欲しいものです。
 
広島土砂災害、発見遺体の身元判明 不明は女性1人に
 
 さて、本日津島市議会では、厚生病院委員会が開催され、9月議会に提出された議案審議の後で、平成25年度津島市一般会計や特別会計などの決算審査が行われ、午後7時40分まで審議したものの、多くの部署の審査が残っていることから、17日の予備日に再開することを決めて散会しました。
 
 私が議員になった15年前から昨年までは、決算審査については特別委員会を設置して、10月に審査を続けてきましたが、今年からは常任委員会で審査することになりました。
 
 定例議会の延長による決算審査は、資料を手にしてから見直す時間も限られており、私自身は25年度の監査委員だったことから、決算審査時に問題となった資料を持っており、監査委員として知りえた情報は口外してはならないものの、当時を回顧しながらの審査となりました。
 
 明日は文教建設委員会が開催されますが、平生の委員会の審議時間が一番長い委員会のため、明日も一日の日程では消化できない可能性が高く、予定された予備日を埋める可能性が高くなりました。
 
 週末の夜には名古屋で公共交通の勉強会が開催されることから、過去の議会以上に忙しい議会スケジュールとなり、せっかくの三連休ですが、旅立ちを準備する時間もなく、家族任せにはなりますが、楽しい三連休に期待したい心境の一日ともなりました。
 
                        本日の体重 78、0キロ
                                 9月10日の一言
追伸
食べ過ぎました。久しぶりの78キロ代です。

地方議会「見える化を」の新聞記事に

 本日津島市議会では一般質問が行われ、7人の議員が登壇して、明日に残った6議員が質問に立ちます。私は明日の5人目のため、午後の登壇となりますが、明後日からは常任委員会が開催され、今年からは前年度の決算審査も行われることから、時間延長だけでなく、3日間の予備日にも審査が順延されそうです。
 
(葦)地方議会「見える化」を 神田誠司
記事の続き…
 そんな中、葛巻町議会は3年前に議会のテレビ中継を始めた。全戸に張りめぐらせた光ファイバー網を使う。厳しい意見も含め議会への関心は間違いなく高まったという。まずは知ってもらうこと。信頼回復は「見える化」から始めたい。
 
 朝日新聞の中に、「地方議会見える化を」の見出しを見つけたので、本日の一言に添付しました。
 
 「地方議員~どん底から反転へ」。東京で8月下旬、そんなタイトルのシンポジウムが開かれた。「号泣県議」をきっかけに地方議員不信が高まるなか、どうすれば有権者の信頼を回復できるのか――。地方議員たちが討論するというので聞きにいった。…
 
 こんな書き出しで記事が記されていますが、今年8月に津島市内で行われた議会報告会でも、「議員が何をやっているのか判らない」との質問が市民から出され、個人的な説明は議員個々の宣伝にもつながるため、答えてはならないルールになっていたため説明が出来ませんでした。
 
 私自身は、津島市議会の本会議は誰でも傍聴ができることと、議会は地元有線テレビで中継されており、委員会の傍聴も可能なことから、決して見えない環境ではなく、議会後に議会だよりが発行され、議員のホームページやブログも存在するため、「見えないのではなく、見よう(知ろう)としていないのではないか」と反論したかったものの、発言は許されませんでした。
 
 個人的には、高齢者や障がい者の通院や買い物へ同行する移送ボランティアに関係しており、「まさか、市議会議員が…」と思われるような行動も知って欲しい心境で、見せることが宣伝と思われるため発信していない行動も存在します。
 
 「議員の政務調査費について問題になっているが、津島市の議員は大丈夫か」の質問も出され、添付した「号泣議員」が影響した質問でしたが、司会役の私から「津島市議会では絶対に心配ありません」と応えました。
 
 地方議員の待遇の違いが全く理解されておらず、問題となった月額50万円程度の政務調査費は県会議員や政令指定都市のレベルで、津島市は年間15万円の政務調査費であり、1円単位で領収書が必要となり、議会事務局で不適格な費用は受け付けません。
 
 「15万円?」
 「はい、そうですよ」
 「月額だね? 年額?」
 「年額15万円です」
 「 … 」
 
 税金を好きなように使っているのではないかとの厳しい質問も、津島市の金額と領収書添付を聞いて無言となりました。
 
 しかしながら、議員の姿が見えないとの指摘は、私が実施しているアンケートにも多く記されており、私自身は記したように「見る努力もせずに見えないのではないかと」反論したい気持ちもあります。
 
 「大鹿さん、来ないと忘れられるよ」の一言は、今年の冬に仲間の政治ビラを一緒に配布中に聞いた言葉で、「本当に申し訳ない」と反省していると、「○○議員や○△議員は葬式に必ず顔をだしているし、旅行もやっているよ」と言われ、議員は葬式と後援会の旅行だけを期待されているのかとがっかりしたこともありました。
 
 議員にとっては4年に一度の選挙があることから、地元に顔を出すことが選挙のための宣伝にもなり、葬儀参列や後援会の旅行も政治活動として評価される市民感覚にも私は我慢がてせきません。
 
 「実るほど、頭を下げる稲穂かな」の一言は、私が親しくしていた先輩(故人)からいただいた色紙の言葉ですが、葬式への参列や、有権者に頭を下げて廻ることができない私の性格から、選挙の度に票を減らしており、「大鹿さんは大丈夫」との一言も足を引っぱり、来年の選挙は意識改革も必然になってきました。
 
                        本日の体重 77、9キロ
                                  9月8日の一言

広島被災地 ボランティアの現場から

広島被災地の現場から友人のメール添付です
 
イメージ 2先の大雨による広島市内の被災地の災害ボランティアに、最低3日間程度は従事しようと天気予報を見ながらタイミングをうかがい、本日から従事しています。
今日は、広島市安佐北区の可部というところでの従事です。
 
日曜日ということもあり、多くの方が参加されています。昨日の土曜日は、安佐南区のボランティアセンターでは、予定の人数を大幅に上回り、従事出来なかった人が大勢いたそうです。今日同じグループになった人の中にも、受付開始の8時半に行ったら、目の前で打ち切られたので、今日は早く(7時半)来たそうです。
そんなこともあってか、今日の安佐北区の定員は昨日の200人から400人にしています。
新聞やテレビなどでは、広島県内の人だけを受け付けると報道されていますが、同じ愛知県から先週行った人からの情報で、朝早く行けば問題ないとのことだったので、7時に現地に行きました。

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特に県内・県外の区別無く、順番に整理券を配って、問題無く受け付けてもらいました。
安佐南区はまだ復旧出来ていない家が残っているそうですが、安佐北区は落ち着いてきて、実際の作業は敷地内に堆積した土砂を取り除く作業でした。明日は平日で、参加者が大幅に減ると思われるので、安佐南区に行ってみようと思います。
 
ボランティアセンターにはいろんな支援物資が寄せられていますが、地元企業からの支援を紹介します。まず、同じ可部地区にある(ボランティアセンターからわずか150m)『可べの湯』という日帰り温泉です。ボランティア参加者に無料招待券を配布しています。私も行きましたが、ボランティアで一緒になった何人もの人に会いました。
 
もう一つは、愛知県にも縁がある(うろ覚えで、本社が稲沢市だったかと思いますが、違ったらごめんなさい。訂正、一宮市でした)ココ壱番屋の可部店です。ボランティア参加者は、千円以内のメニューなら無料で食べられます。ボランティア受付時に名前を書いたシールが目印です。私も後で行こうと思っています。ボランティア参加者は、こう言うと失礼ですが、経済的にゆとりのある人は少なく宿泊も安い宿を探しますが、こういう支援は参加者には有難いことです。

イメージ 3ボランティアに参加する場合に特に注意することは、参加者の思い入れがあるため、とかく頑張りすぎるので、暑いときは熱中症にかかったりすることです。センターの人が注意を呼びかけているものの、今日も熱中症になった人が出たそうです。小まめに休憩をとり、水分補給を十分(1日に2リットル程度)採ることです。
基本事項として、作業服もしくは作業できる服装、長靴、帽子(必要に応じてヘルメット)、手袋、マスク、必要ならサングラス、あと忘れてはならないのが昼食(忘れる人が多いです。)と十分の水分です。
手袋、マスク、水分、塩飴などはセンターで用意してくれる場合が多いですが、念のため自分で用意が必要です。水分は重たいので、自分で用意したペットボトルが1、2本なら、あと2、3本はセンターでもらうといいでしょう。
ただし、災害発生直後は、体制が整っていないので、全て自前での用意が必要です。
最後に、感心させられたのは、福山から中学生が参加していたことです。母親に連れられてきたとは言え、非常にいい経験になっただろうと思います。
 
 ここからは愛知県の私からです。
 
 本日は、春日井市で歩き遍路友の会東海の総会が開催され、愛西市在住の会長さんとともに、春日井市で会員1人を乗せてから、会場となっている春日井グリーンプラザまで走りました。
 
 総会は1時からでしたが、10分前しか部屋のカギが渡されないため、慌てて部屋に入って借りてあったプロジェクターを起動させパソコンにつなげましたが、報告する歩き遍路の写真が現在携帯しているノートパソコンではなく、古いパソコンに保存してあったため、そのまま持ち込んだためネットとの接続ができません。
 
 昨年の記録は写真のためそのままスライドで紹介できましたが、友の会のホームページの書き込み方法や、最新情報などについては紹介ができず、最近使っていないパソコンを確認もせずに持ち込んだ大失策です。
 
 さて、遍路の体験談や昨年の報告については盛り上がっていましたが、役員改選の議題になり、現会長の辞意が固く、後任の人選どころか会員が減少していることから、友の会の存続問題まで議論し、閉会時間まで議論が続いたまま慌てて記念写真となりました。
 
 友の会が主催する行事として、10月19日から3日間の予定で、高野山のふもと慈尊院から丁石道を歩いて高野山まで登る企画については、現在5人の参加が予定されているため、現会長のもとに実行し、翌年9月6日に総会の開催を決めて散会となりました。
 
 四国を歩いて廻るお遍路人口は増加中で、若者や外国人の歩き遍路も当たり前となっていますが、昔から続く「講」やお寺の主宰する遍路行きは存続の危機にあり、友の会も設立当時の人々は高齢になり、お遍路にも行かなくなっていることから、会の存続も大変になっていきます。
 
 「大鹿さん、講を創ったら」と四国霊場会のご住職に言われたことがありましたが、創るのは簡単ですが自分自身も年齢を重ねると、連れて行く立場から連れていってもらう立場が近づいており、歩き遍路友の会についても、このままでは高齢化で自然消滅となりかねず、しばらくは副会長の立場で存続のため頑張りたいと思う一日になりました。
  
                         本日の体重 77、5キロ
                                   9月7日の一言

ライブ会場での演劇を鑑賞に訪れて

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こんな雰囲気の演劇鑑賞会でした
 
 本日の夜は、名古屋市の鶴舞駅の高架下にあるライブハウス「KDハポン」で開催された、「ムーンライトティチャー」番外公演のコント三本立を、娘と孫の3人で鑑賞してきました。
 
 この公演に出演する同級生に誘われ、予定では家内と2人で鑑賞する予定でしたが、土曜日は孫が母親と家に帰ってくることになっていたため、家族や孫を残して2人で出かけると夕食もとれないため、孫と3人で出かけ、夜7時から始まる演劇を鑑賞してから夕食をとって帰ることとしました。
 
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 出演は裏表なし無精隊、OBK3、安藤鮎子、ムーンライトティチャーの4組で、休憩中に次の演者が次の設定の準備をする(左の写真)ありのままの演劇です。会場は狭いながらも2階席まで満席で、ドリンク付きのため会場は熱気満々です。
 
 ちなみに、同級生たちは昭和初期の居酒屋を再現し、酔っ払いが店で給仕する小僧をからかう寸劇となっており、時間と正確さが求められる現代のファーストフード店と違い、ふざけた酔客ともまともに相手するかつての飲み屋が再現されていました。
 
 鑑賞にあたって心配したことは、5歳になったばかりの孫が2時間以上となる演劇鑑賞に耐えられるか心配したものの、短編コントの繰り返しであったことと、子どもでも単純に笑える内容だったことから最後まで安心して鑑賞できました。
 
 演劇が終わったのは午後9時になっており、会場の外は大雨となっていましたが、途中で家内と三男と待ち合わせて久しぶりの外食となり、私自身は節制して注文していたものの、次々とビールを注文する三男に影響され、10月まで飲まないはずのビールを注文し、減量の大敵となる食材を口にしていました。
 
 「乗せて行ってあげる」の娘の好意が、毎日の節制を台無しにするビール摂取となり、アルコールの強さがあだとなりました。
 
広島の被災地、空き巣相次ぐ 7件で130万円被害
広島土砂災害、被災者宅に空き巣 警察かたる電話も
記事の続き…
 一方、安佐南署によると、安佐南区八木地区の民家に21日、警察官を名乗る男女から「避難勧告が出たので避難してください」という電話や訪問があった。窃盗目的で住民をおびき出す手口の可能性もあるとみて注意を呼びかけている。
 
 災害があるとボランティアが駆けつけるのが当たり前の世の中となりましたが、善意で駆けつける人々にまぎれて、被災地には空き巣や泥棒も出没し、ボランティアと言えども素性の判らぬ人々の受け入れに不安の声をもらす被災者も存在します。
 
 私の住む地域では、昭和51年に目比川が決壊し、津島市や佐織町一帯が水没したことがあり、避難所に避難していた叔父から「留守番をしてくれ」と言われ、電気もない真っ暗で無人となった地域の2階で留守番をしたことがありました。
 
 電気もなく真っ暗の被災地は無音状態で、テレビもなく静寂な夜になり、留守番役を引き受けたことを後悔していると、「コン、コン」と窓を叩く音が響き、びっくりして音のする方向の窓から下を見ると、和舟に乗った二人連れの男が「居るぞ、居るぞ」と言って家から離れていきました。
 
 その時は、警察か関係者の確認程度に思っていましたが、翌日になってそれは水没した家々を廻って家財道具を盗んでいた空き巣と判り、学生の私だけでは危険なため、翌日には叔父も避難所から戻って留守番をするようになりました。
 
 昔から火事場泥棒や災害時の空き巣が必ず存在し、厳しい災害にあった被災者が不在の家々をターゲットにしており、被災地に全国からボランティアが駆けつけるようになり、見知らぬ人が存在しても不思議に思われない環境は、空き巣にはこのうえない環境ともなりました。
 
 善意のボランティアを選別はできませんが、これからはボランティアの身元確認か、公的証明書を持参しないと被災者の疑心暗鬼は払拭されず、被災地の空き巣や泥棒を阻止するためのボランティアも必要になりそうですね。
 
                          本日の体重 77、7キロ 
                                   9月6日の一言

デング熱被害が拡大して

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快適なテント生活に蚊は心配ですね 上高地小梨平
 
 代々木公園の蚊に刺されて拡大したデング熱が、新宿中央公園でも蚊に刺されて感染した可能性と、横浜市でも刺された可能性があり、今後は東京に限らず広範囲での防除が課題となりそうです。
 
 デング熱のウイルスを人に感染させるヒトスジシマカの寿命は30日から40日程度と言われていますが、デング熱は、ウイルスを持った人を刺したヒトスジシマカが、別の人を刺すことで感染が広がるため、少なくとも現在67人になった感染者が生活する地域では、感染者を刺した蚊によって次々と拡大する可能性があり、厚生労働省は感染が全国的に急速に広がる可能性は少ないとみているが、来年以降も恒久的に増加するように思えてなりません。
 
代々木の感染、新宿に拡大か デング熱ウイルス一致
記事の続き…
 代々木公園に隣接する明治神宮は5日、公園側の道路約500メートルへの立ち入りを制限。公園の北西の国立オリンピック記念青少年総合センターは、屋外施設の使用を中止した。
 また、横浜市は、代々木公園でデング熱に感染した女性がその後、同市金沢区の海の公園でも蚊に刺されていたとして、予防措置として園内の「犬の遊び場」の利用を中止。園内の蚊の検査を始めた。
     ◇
 厚労省は代々木公園とその周辺でのデング熱の感染が新たに11人確認されたと発表。新宿中央公園の感染も含め国内感染は12都道府県在住の計67人になった。
 
 新聞報道によれば、新宿区は公園の立ち入りを制限し、蚊の駆除を始めるとともに、公園で暮らす十数人のホームレスに福祉施設などへの移動を促したとありますが、外国から進入したウイルスによって、ホームレスの生活環境にも影響していたんですね。
 
デング熱、蚊が近づく色は避けて 服の上からスプレーを
 
 最近ではあまり聞かなくなりましたが、日本脳炎も蚊によって感染し、免疫のない人が感染した場合、100人に1人から1000人に1人の割合で発症し、重症例のうち50%が死亡、生存者の30~50%に精神障害や運動障害などの後遺症が残るといわれるだけに軽視はできず、日本にはまだ発生事例はないものの、1999年以降の米国での大流行により、日本への上陸が心配されいている西ナイル熱も含めて蚊の駆除は重要に思われます。
 
49歳山本昌、史上最年長勝利 64年ぶり更新
 
 さて、本日のニュースでは、中日ドラゴンズの山本投手が今期初登板し、勝利投手の権利を得る5回まで無失点で切り抜け、プロ野球史上の最年長勝利記録を64年ぶりに更新したとの明るい話題が発信されています。
 
 私自身は子どもの頃から中日ドラゴンズが大嫌いでしたが、球団代表が山本投手の50歳までの現役続行を支援する発言をしていることから、山本投手の残された現役生活を自身のカンフル剤として応援していきたいと思います。 
 
                           本日の体重 77、6キロ
                                     9月5日の一言

わずかな体重差を意識する一日に

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上高地の画伯と比べれば太りすぎは明らかですね 
 
 私事で恥ずかしいような話で、体重の減量については第三者に話すと結果が伴わないとの経験者の声もありますが、本日の体重が昨晩から午後7時まで78キロを下回っており、夕食を食べると微妙ですが、7月や8月には80キロを上回ったこともあるため、確実に1キロから2キロは減量していると思います。
 
 今晩の夕食を減らせば確実に77キロ代を維持できますが、こんなことは続きませんから、今一度10日前に相談している管理栄養士さんと約束したことをここに記し、改めて生活習慣を見直したいと思います。
 
10月の基本検診まで   期間限定お約束
 ① まんじゅう(間食)を昼間食べたら、夕食時のビールなし。ビール(アルコール)が飲みたかったらまんじゅう(間食)は食べない
  ② CCレモン2本摂取を1本にする
  ③ 夜中の間食はロールサンドやホットミルクにする 
小さな習慣
 ① シュークリーム…もって帰る…食べない
   行きつけの珈琲店のサービス・シュークリームを検査まで食べない
 ② 今日 行く … 人に会う、電話で済ませない
 ③ 体重計測と野菜摂取は今までどおり 
 
 指導の目標になっているのは体重を減らして10月に受診する基本検診の数値を改善することで、上に添付したのが栄養士さんとの約束ですが、間食については時々口にしてしまい、食時のビールを「健康に良い赤ワインなら良いだろう」との勝手な解釈はあるものの、意識して守ってはいます…が…
 
 そんな事から、本日はネット内から体重の減量に関する記事を検索し、「週に1回程度は軽度の運動」と、「塩分の多いものを食べるときや食べた後は一部の野菜果物やコーヒー・お茶などカリウムを含む物を飲食する」、「に入る2時間前から飲食しない・夜9時以後の間食は絶対にしないを付け加えようと思います。
 
 問題は間食ですね。「はい、これお父さんの分ね」と大福餅が置かれたり、パソコンの横に菓子が置かれていると我慢ができません。珈琲屋さんのシュークリームは封印したものの、代わりに出されたピーナッツを食べてしまいます。
 
 一方で、確実に判っていることは、仕事で出かけている時には間食をしませんし、家に居ると昼食の量が多く食べすぎる事で、パソコンの周辺に菓子や菓子パンを置かないことなどに気をつければ、10月までに(7月から)3キロの減量は果たせそうな実感をする一日となりました。
  
6月26日の体重79,8キロ   
          7月10日の体重 79,4キロ    25日の体重 78,4キロ      
8月11日の体重 79,8キロ   9日の体重 80,1キロ   26日の体重 78,3キロ 
 
9月1日の体重 78、5キロ   2日の体重 78、4キロ  3日の体重 77、7キロ 
 
               本日の体重 午前11時 77、3キロ 
                         午後10時 78、1キロ 
                                  9月4日の一言
追伸
夕食に注意すれば77キロ代を維持できましたが、結果的に食べ過ぎて叶いませんでした。 

我家の蚊から駆逐したいものです

 デング熱の感染者が全国に広がっており、重症化しても死には至らないというものの、感染した人を蚊が刺してウイルスに感染すると、来年以降は全国に蔓延する可能性も高く、多種多様な防虫剤の普及によって室内の蚊がいなくなる一方で、庭や公園での防除が今後の課題となりそうです。
 
デング熱、複数の蚊が媒介か TBSロケでも感染の疑い
記事の続き…
 ただ、代々木公園といっても約54ヘクタールもの広さがある。新たな感染者が公園のどの辺りで蚊に刺されたのかはわからない。厚労省の中嶋室長は「公園のどこに(ウイルスを持つ蚊がいる)スポットがあるのか、特定は非常に難しい」と述べるにとどまった。
 このため東京都も1日、蚊の追加駆除は見送った。ヒトスジシマカはやぶの中で生息し、公園のような環境を好む。代々木公園は外国人や帰国者も含めて多くの人が訪れる。東京都は利用者に蚊に刺されないように注意喚起し、蚊の発生を抑えるため噴水池の水抜きや側溝の清掃を始めた。
■温暖化で分布域拡大
 国内でデング熱に感染する恐れは、専門家の間では以前から指摘されていた。海外からウイルスが入るケースが増え、ウイルスを媒介するヒトスジシマカも温暖化で国内の分布域が広がっているからだ。
 1940年代前半の流行は、戦地から帰国した兵士がウイルスを持ち込んだとされる。戦後、衛生状態が改善されたことなどもあり、国内での感染は確認されなくなった。
 しかし、海外との行き来は年々活発になり、ここ数年は海外で感染し帰国後に発症した人が200人を超す年が相次ぐ。環境省などの報告書によると、ヒトスジシマカの生息地は1950年は栃木県北部周辺が北限だったが、2000年には秋田県、10年には青森県の一部に広がった。
 厚労省の担当者は「今までも水面下で(地域限定の)小流行があったかもしれない」と話す。ただし、全国に広がって多くの患者が出てくる可能性については、国立感染症研究所(感染研)の西條政幸ウイルス第一部長は「想定できない」と否定的だ。
 蚊の寿命は30~40日程度。ヒトスジシマカは10月末ごろには死んで越冬せず、ウイルスは次世代に引き継がれることもない。
 感染研の高崎智彦ウイルス第一部室長は、年中流行しているアジアなどのような「定着」はないとみる。一方で、蚊が活動を始める5~10月ごろには、持ち込まれたウイルスによって再び国内で感染する患者が出てもおかしくないという。
■高熱や頭痛、大半は自然に回復
 デング熱はアジア、アフリカなど世界では年間1億人近くの患者が出ている。
 感染しても半数以上は発症しない。残りは、感染後3~7日ほどで38度以上の高熱や頭痛、筋肉痛などインフルエンザのような症状が出る。赤い小さな発疹が体に出ることも多い。
 通常は1週間ほどたてば自然に回復する。一方で、発症者の1~5%ほどが、吐血や血尿など全身に出血症状が出る「デング出血熱」になる。大人より子どもに多く発症する。
 原因のデングウイルスには四つの型があり、年や地域によって流行が異なる。今回見つかったのは今年アジアで流行している型。一度感染すると免疫ができ、同じ型には感染しにくくなるが、別の型に感染すると重症化する率が高まるという。ただ、日本で発症し、治療を受けた人で死亡した例は戦後確認されていない。岡部信彦・川崎市健康安全研究所長は「根治薬はないが、(点滴など)対症療法は進んでいる。日本で発症しても大きな心配はいらない」と話す。
 ワクチンはなく、蚊に刺されないようにするしか予防法はない。蚊の多い場所では肌の露出をなるべく避け、虫よけ剤を使う。
 ヒトスジシマカは昼間に活動する。東京医大病院渡航者医療センターの濱田篤郎教授は「夜に蚊取り線香を使うが昼間の対策は手薄な人は意外と多い」と注意を促す。虫よけ剤を使った後で日焼け止めを塗ると効果が薄れる。併用するときは虫よけ剤を最後に使う。
 
 私の住む愛知県津島市では、30年前までは農業共同組合によって、地域全体の水田を目的とする防虫作業が行われ、大型車両を用いた大がかりな消毒が行われていました。
 
 防虫作業は夕方から夜にかけて行われ、ウォーン、ブォーンと消毒散布の作業音が地域全体に響き、まるで戦争中の防空壕に潜むように作業が終わるのを待ったものですが、散布して半月ほどは水田だけでなく庭や家の蚊もいなくなりました。
 
 散布前にチラシで実施日が知らされ、当日には車を回して拡声器を使った周知が行われていましたが、宅地化が進み住民の反発も多いため途絶えたと思われ、近年になって再開を要望する声がでてきました。
 
 現実には地域全体での大がかりな防除作業は難しいと思われますが、蚊を仲介役とするデング熱や、今では聞かなくなった日本脳炎などの発症があれば、広範囲の防除作業が必要になるのかもしれません。
 
 さて、私自身は夏でも長袖のシャツを着ており、裏庭にはほとんど出ないことから、蚊の被害はほとんどありませんが、元々が木曽三川の河口部に位置して蚊が多い地域のため、虫除けや蚊取り線香を用意して洗濯物を干しても家内は被害を受け、かゆみ止めが手放せません。
 動植物にあまり被害を及ぼさず蚊を退治する庭や小公園規模用の殺虫剤や、水溜りのボウフラを退治する薬剤を購入して、我家の庭からも蚊の存在を消したいと思います。 
                         本日の体重 77、7キロ
                                   9月3日の一言

9月議会 私の一般質問の内容です

9月議会 私の一般質問
1 件名 津島市長選挙に関して
  要旨 ・市民からの投書を受けて
 
2 件名 市議会の傍聴に関して
  要旨 ・障がい者の議場での傍聴について
 
 来週の8日、9日と開催される市議会一般質問の質問内容ですが、一件目は6月議会の質問(下記に添付)に具体的な答弁が何もなかったことから引き続きの質問となります。
 今回は、実際に起こった選挙の事実関係に対して、市長の反省を求めるとともに、答弁の最後に、一部の(市民)の訴えから質問したことに異議を示す答弁があったことに、少数意見を無視するとの市民の投書から代弁する質問となります。
 
 二件目の質問は、車イスを使用する議会傍聴者が、人々の介助なく自力で入場できないことに、議会内の議論は継続しているものの、市役所の管理者として市側の考えを問うとともに、聴覚障がい者の手話や要約筆記の早期導入を要望します。
  
6月議会の私の質問と答弁 議会だよりからそのまま添付 
津島市長選挙について 
質問
市内四つの私立幼稚園の教育現場で、市長選の直前に、日比市長の選挙運動と思われる後援会入会申込書が大量に配布されたことは、教職員の地位利用の禁止、事前運動の禁止に抵触する可能性もあり、問題ではないか。 
答弁 市長
 後援会活動として、A園の方に後援会の入会のしおりを渡したことはあるが、その後のことについては一切関わっていない。
 
質問
 ある幼稚園では、保護者にお金(国からの就園奨励費)を手渡す時に、後援会入会申込書を配布したとあるが。
答弁 市長
配布のされ方については、一切私は関知する由も無い。
 
質問
 最高三十万円ももらう可能性のある就園奨励費を渡す日にチラシを配布していた幼稚園について、特定の園長さんが勝手にやってくれたこと、知らないで、一園長さんの責任だけと思うか。
 答弁 市長
 後援会の入会のしおりをある方に渡しただけで、この日に何をしてくださいとか、何々のときにとか、そういうことを一切した覚えはない。
 
質問
 昨年11月図書館で行われた教育懇談会で、A幼稚園より園舎前の道路改修の要望が出され、「日比先生の一言でやってもらった」と園長が語っているが、選挙直前の道路改修は口ききではないのか。
 答弁 市長
 道路については、21年から町内要望を受けており、24年度と25年度に工事が進められたものである。
 
質問
 計画を知っていたら、幼稚園側から要望のあった昨年11月に、なぜそのように伝えなかったのか。
 答弁 市長
 私は心根の優しい議員だから、そこで言う必要はないと考えていた。
 
質問
 真実は何かを解明していく意思は。 
答弁 市長
 一部の話をここに持ち出されていかがなものか。
 
本日の朝日新聞より 
合宿で「脱メタボ」集中指導 厚労省が来春にモデル事業
記事の続き…
 厚労省は、モデル事業に先駆けて、3泊4日の「合宿」を沖縄で年内に試行する。40~50代の約40人を対象に、ビーチヨガや自然体験プログラム、沖縄の伝統野菜の食事などを計画中だ。
 厚労省は「日常生活に戻っても指導した内容を続けてもらえるようなものにしたい」という。モデル事業を通じて効果の高いプログラムに練り上げ、16年度以降は全国に広げたい考えだ。
 
若年層のがん、診断時の進行度高く 61万人を集計
記事の続き…
 いずれも、早期の1期だった割合は40~80代に比べ低かった。
 がんセンターの堀田知光理事長は「若い患者のがんは進行が速いのが原因ではないか」と話している。若年層はこれらのがんの検診の対象外だが、体に異常を感じたらすぐ受診することが望ましいという。
 集計は07年分から始まり、6回目。年代別に進行度を集計したのは初めて。
 
  本日の朝日新聞記事ですが、生活習慣病を防ぐため、旅館やホテルに泊まりながら、専門家の集中指導を受けながら「脱メタボ」を目指す合宿に、厚生労働省が取り組むとの内容です。
 
 3~5日間程度で、医師や保健師、管理栄養士、健康運動指導士、理学療法士らに食事の取り方や運動の仕方など、専門的な保健指導を受ける。スポーツや観光なども組み込み、参加者のやる気を引き出すとの内容に、現在管理栄養士さんの助言を受けている私からすれば、まさに理想で他力本願ではないものの、自然に体質改善が図れそうです。
 
 一方で、若い人たちのガンについて、発見時にすでに重度に進行してしまっている現実が記されていますが、中高年のように行政から検診の案内がなく、仕事や生活に追われて病院の診察が遅れてしまう現実がデータとして示されています。
 
 以前の話となりますが、診察時にガンが疑われ、早期の来院を促したものの、仕事や育児などの後回しにされ、病院に来ない若い女性が多く、次に訪れたときにはガンが進行して手遅れになるケースが多いことについて、親しい病院医師から聞いたことがありました。
 
 早期に来院して欲しいものの、患者が来院せず、重症化する若い女性の存在と、育児と生活(経済的負担)のため手遅れとなる若い女性のガン患者については、若い患者のガンの進行が速いことから、医療機関や行政の関与が必要に思われます。
 
                       本日の体重 78、4キロ
                                  9月2日の一言

カメラ撮影での逮捕劇に明日は吾身か…

 五日前の私の一言に、「愛知県の高校教頭が盗撮で逮捕されて」と題して記し、『実は、私も数年前に、鳴門の渦潮を鑑賞する観光船に乗っている時、カメラのレンズ前に若いカップルがおり、私を睨んでいたことがあり、びっくりしてカメラの向きを変えたことから余計に誤解を与えたことがありました』と記すとともに、『高校野球の撮影についても、球場内で可愛いと思うチアガールを撮影すると問題とされるケースがあり、こんな事件が起こると、海水浴場で望遠レンズのカメラを持つことも咎められるようになりそうです』と記しました。
 
 本日のテレビニュースを見ていると、電車内の女子大生を動画撮影した男性が現行犯逮捕されており、本人は「女性がきれいだったので撮った」と話し、事実関係を認めているものの、ネット上では「普段着の女性を撮影しただけで逮捕か」と疑問の声があがっています。
 
 現実には、今回の逮捕劇は、逮捕された男性の撮影機器や方法にいささか疑問があり、神奈川県の迷惑行為防止条例違反容疑で逮捕されていますが、前記した私の体験や、高校野球のチアガールや、道路で写真を撮影していても自分を写されたと一方的に訴えられると逮捕される可能性があります。
 
 かつてのカメラマンは美しいものを勝手に撮影し、被写体の気持ちも考えずに公表しており、私自身も高校野球の写真展を主催して展示した作品には、観客席で応援するチアガールを展示していたことがあり、今でも雑誌にチアガールの写真が被写体の承諾もなく公表されていますが、肖像権によって訴えられると雑誌の写真もすべてボカシか目隠しが必要になってきます。
 
 こんなことが話題になる社会と、堂々と見たものをそのまま被写体にできない社会に嫌気がさしますが、身に覚えの無い犯人として逮捕されることも、公衆の面前で疑いをかけられることも屈辱となります。
 
盗撮容疑:電車内で女子大生動画撮影、川崎市職員を逮捕
毎日新聞 2014年08月29日 17時07分
 神奈川県警宮前署は28日、小型カメラで女性(21)を盗撮したとして、川崎市宮前区鷺沼2、同市職員、大高亮輔容疑者(40)を県迷惑行為防止条例違反容疑で現行犯逮捕した。容疑を認めているという。
 逮捕容疑は28日午後5時45分ごろ、東急田園都市線の長津田−鷺沼駅間を走行中の電車内で、隣に座っていた大学4年の女性の全身を7センチ大の小型カメラで動画撮影したとしている。宮前署によると、カメラに気付いた女性が鷺沼駅で大高容疑者をつかんで現行犯逮捕し、駅の事務室に連れて行ったという。【河津啓介】
 
着衣の女性を撮っただけで逮捕 ネット上で疑問の声
                     J-CASTニュース - 8 時間前
  着衣の女性を撮影したとして、川崎市環境局職員の男性(40)が県迷惑行為防止条例違反(卑わいな言動)の現行犯で2014年8月28日に神奈川県警に逮捕された。新聞各紙が報じたが、ネット上では、女性を撮っただけで逮捕されるのかと疑問の声も出ている。
   報道によると、男性はこの日夕方、東急田園都市線長津田―鷺沼駅間を走行中の上り電車内で、大学4年の女子学生(21)の顔や足などをUSBメモリー型のカメラで撮影していて、気づいた女子学生がその場で取り押さえた。男性は、「女性がきれいだったので撮った」と話しているという。
 
イルカ追い込み漁解禁 反捕鯨団体集結 和歌山・太地
記事の続き…
 この日、地元の太地いさな組合の漁師らは「この波の高さではイルカは見つからない」として漁の中止を決めた。漁師歴9年の男性は「自分の仕事をしっかりとするだけだが、(反捕鯨団体が)大勢来ると、小さなことでトラブルに発展するかもしれない。今年はちょっと怖い」と心配する。
 漁は沿岸約30キロまでの沖合で行われる。海面にイルカの群れを見つけると、漁師が鉄の棒を海中に入れてたたき、音で群れを入り江まで巧みに誘導する。約400年の捕鯨の歴史を持つ町で、この漁法を始めたのは1969年だ。当初は、町の博物館に展示する生きたイルカを捕獲するのが目的だったという。
 海外からのイルカ漁への批判は90年代からあったが、映画「ザ・コーブ」(2009年)が拍車をかけた。反捕鯨団体の嫌がらせはエスカレートし、イルカを入れたいけすの網が切られたり、捕鯨の姿を描いた銅像が壊されたりするなどの事件が相次いだ。
 映画では、漁師が船の上からイルカの群れに銛(もり)を刺し、入り江が血で染まる場面が強調された。国際的な批判もあり、映画で描かれた手法は中止した。いまはイルカを網で浅瀬まで引き寄せ、あまり血が出ないようにナイフで急所を刺して即死させている。
 町民たちが懸念するのは、国際司法裁判所による判決の影響だ。三軒一高町長(66)は「今年は捕鯨反対派が大勢来ると予想される」と警戒する一方、「判決は全ての調査捕鯨を禁止しておらず、事業(漁)を続けていく」と言う。太地いさな組合の松本修一組合長(52)は「非難されるいわれはないし、嫌がらせには負けない。誇りを持って漁をしていきたい」と話している。
 
 添付した和歌山のイルカ漁についても、過去の一言で批判すると「あなたは動物の肉を口にしていないか」と、4年前の一言には私の返信も含めてコメントは31件にも及んでおり、意見は賛否両論あるものの、これだけ食肉が豊富になっている現代社会の中で、本当にイルカの肉が必要か、イルカ漁が生活のために必要かとの日本国内からの議論も必要に思います。現実に、私はイルカの肉を生まれて一度も口にしたことはなく、これからも食べたいとは思っていません。
 
残虐なイルカ漁の論議再び 26年1月
イルカ漁が食文化と言えるのか  22年3月
 
 本日は、津島市議会9月定例会が開会し、今月25日までの会期を決定し、議案の審議とともに、平成25年度の決算審査についても、例年は翌月に特別委員会で審議していましたが、今年から9月議会の常任委員会で審査することになっており、日程にゆとりのない議会日程が続いていきます。
 
                         本日の体重 78、5キロ
                                     9月1日の一言
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