大鹿一八「本日の一言」

平成16年2月から令和1年7月末までの「本日の一言」です。ヤフーブログ閉鎖により、ライブドアへ過去の記録として引っ越しました。

2014年10月

遍路とは思えないような四国から帰って

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私の四国八十八ヶ所納経帳です
 
 「何時まで廻る気なの?」
 「まだ、5時まで時間がある」
 「もう、良いじゃん」
 「何のために来たんだ」
 
 昨日までの四国遍路は、孫が別格二十霊場の「子供先達」の辞令を受けるのが目的で、孫が何か言うのは辛抱ができますが、一緒に便乗して付いてきた家族は観光気分のため、行動するたびに口論が始まります。
 
 朝7時…
 
 四国遍路の常識として、朱印帳への納経時間は朝7時から始まるため、いかに早くからお寺に移動して参拝するかを考えますが、我家の家族は朝の食事を「朝マック」にしたいとこだわります。
 
 「そろそろお昼じゃないの」
 「もう少し廻ってからにしよう」
 「リョウちゃんがいるから」
 「仕方がないな…」
 
 食堂やレストランに入ると待ち時間がかかるため、コンビニへ弁当を買いに走りましたが、オニギリを食べながら移動しようとすると、「食べる時くらいはゆっくりと座りたい」と訴え、遍路の常識と車を走らせると、おでんを食べるのに「スープがこぼれる」と疑いたくなるような汁物を車内に持ち込んでいました。
 
 「いったい何時になるの?」
 「1時半くらいかな」
 「えっ、何でそんなに遅くなるの」
 「 … 」
 
 最後くらいは温泉に入りたいと温泉に立ち寄り、食事も好きなものを頼み、最後だからと土産を探し、「買いたい物が無いから」と途中のサービスエリアに寄り、トイレ休憩に車を停めると、トイレのついでに買い物から帰ってきません。
 
 高速道路は深夜0時を過ぎると3割割引になるため、インター出口へ0時を5分でも過ぎてから帰宅したいと行程を組んでいましたが、食事や買い物で時間はどんどん経過していき、運転する私が一番疲れるのに「もっと早く帰れるようにしてよ」と苦情を聞くことになります。
 
 朝7時から巡拝し、午後5時一杯まで参拝するのが遍路の常識ですが、朝は8時過ぎとなり、昼はどこかに入って食べたいと訴え、5時前から遍路を終えたいと耳にし、遍路どころか家族のイサカイに発展していきます。
 
 「路面電車に乗ってきたら?」
 「何故に?」
 「一日乗車券を買ったから」
 「疲れたから」
 「リョウちゃんを乗せてあげたら」
 
 2日前に先達研修会終了後に家族と交わした言葉ですが、私が孫と娘と研修会に出ている間に家族は松山市の観光を楽しんでおり、疲れた孫が乗りたくないのに乗せたいと何度も勧めます。
 
 さて、四国遍路そのものは節約が可能ですが、朱印(3百円)別格霊場の二十ケ寺念珠(男玉・女玉)をそれぞれが購入すると費用はかかり、全員でロープウェーに乗れば1万円が必要となり、土産物まで購入しているとお金がかかります。財布が軽くなるにつれ家内の機嫌も悪くなっていきます。
 
 添付した朱印帳は私の納経帳で、10回にもならない重ね印でこんな状態となりますが、孫が別格霊場会から頂いた先達用納経帳はまっさらで、初めての筆が下ろされ、初めて押された朱印は新鮮に思え、家族の雑音を封印しながら四国遍路の魅力を伝えていきたいと思います。
 
別格二十霊場公認先達について http://www.bekkaku.com/?page_id=189
 
                         本日の体重 74、4キロ
                                    10月31日の一言
 

四国遍路 第三日目

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別格第十番 西山興隆寺で

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私のナビゲーター 助手席で待つ相棒リマ

 四国別格二十霊場先達研修会を終えて、本日は孫の推薦をいただいた箸蔵寺の周辺を巡拝して今夜中に帰宅します。
 
 四国健康村…第67番大興寺…別格16番萩原寺…別格15番箸蔵寺…別格14番椿堂…別格13番仙龍寺… 
 
    高瀬天然温泉・入浴と夕食…三豊鳥坂インター…瀬戸中央大橋…与島PA…西宮名塩SA…土山SA…名古屋西インター…
 
 
 
                午後6時の体重 73、3キロ 徒歩数 9343歩

四国 第二日目

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先達研修会修了 松山市ホテル古湧園

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僧侶が入場して、ここから研修会が始まりました
 
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別格第十番興隆寺で飼われているトイプードル 白衣を着ていました

本日開催された四国別格二十霊場先達研修会で孫が子供先達になりました。

松山から香川県に移動し、明日も巡拝してから名古屋に戻ります。

孫と四国遍路 第一日目

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 昨晩11時に愛知県を出発し、本日午前8時より今治市の四国八十八ヶ所第54番延命寺から巡拝をスタートさせました。五歳の孫と母親(私の娘)とともに、私の家内と私の妹と母親に犬一匹のお遍路です。
 
 弥富インター…新名神…中国自動車道…山陽自動車道…福山インター…尾道インター…しまなみ海道…今治インター
 
 本日は、第54番、55番南光坊から今治城に立ち寄り、56番、57番、58番、59番と巡拝し、松山市の第53番、52番太山寺、51番石手寺まで巡拝し、早々にホテルに入りました。
 
 なんと言っても5歳になったばかりの孫と一緒のお遍路ですから、お寺を嫌いにならないことが一番で、55番南光坊では納経所で折り紙のコマやお土産を貰い、今治城では天守閣に上り、資料館の化石や魚の標本を見ながらの巡拝です。
 
 5歳のお遍路は珍しいため、多くの人々の写真に収まり、飴を貰ったりして気分良いお遍路となりましたが、「ちびっこセンダーツ」(子供先達)を地球を守るヒーローと勘違いしているようで、明日の先達研修会が心配にもなります。
 
 家族はホテルから道後温泉に行きましたが、私は相棒リマが車中にいるため車中泊となり、暗くなった車中で相棒と二人の寂しくも嬉しい夜を迎えました。
 
 明日は別格二十霊場の先達研修会が開催され、孫も大人に混じって先達研修会に参加しますが、孫と娘と私以外は松山市の市内観光に出向く予定で、孫にとっては「長ーい」苦痛を感じる一日となりそうです。
 
                                   10月28日の一言
 

今晩、深夜から四国遍路へ今治市まで

 「明日から四国遍路へ行くんだ」
 「また四国ですか?」
 「またって、今年は5月以来だけど…」
 「へえ、そうですか?」
 
 今年5月以来となる四国遍路に出発しますが、この話を聞いた人々には私が半年ぶりの四国行きとの話が信じられないらしく、毎月四国に出かけているような錯覚を与えていることを実感させられました。
 
 先週に高野山町石道を歩いてきましたが、上高地や高野山に出かけていても、周りの人たちには四国のお遍路に出ているように思われているようで、お遍路も高野山も一緒のようなものかも知れませんが、私にとっては半年振りの四国行きです。
 
 明後日に松山市で四国別格二十霊場会の先達研修会が開催され、5才になる孫が子供先達に推薦をいただいているため、家族5人と相棒リマも一緒に出向き、明日には今治市から松山市まで八十八ヶ所の遍路に訪れます。
 
愛媛)マダニ感染症SFTS、全国最多 8人が死亡
記事の続き…
 県内で報告された10人目までの感染者うち6人が犬を飼うなど、ペットの飼育率が高いことも判明。ペットについたダニに刺された可能性があるという。
 また、県内の感染者は50代以上で、先月初めまでに全国で感染が確認された約100人の平均年齢も73歳と高かった。中国では子どもの感染例もあるが、生理的な免疫力が落ちる高齢者の方が感染しやすいとみられる。
 四宮所長は「病気の存在と危険性をきちんと認識したうえで、ダニにかまれないような服装などの対策を取ってほしい」と話している。(藤家秀一)
■マダニ対策(県ホームページから)
・長袖の服、長ズボン、帽子、靴を身につけ、上着の袖口は手袋に、ズボンのすそは靴下に入れる。
・首にタオルを巻き、防虫スプレーを肌の出る部分にかける。
・帰宅後は上着を屋外で脱いでよく払い、すぐに入浴してダニがいないか確認する。
     ◇
 〈重症熱性血小板減少症候群〉 ウイルスを持ったマダニに刺されて起きる感染症の一種。発症すると発熱や血小板の減少などの症状が出て、死亡する場合がある。2009年に中国で集団発生の報告があり、11年に原因ウイルスが特定された。国内では13年以降、感染者が確認されている。
 
 さて、愛媛県で気になるニュースは、マダニに刺された感染症で死者が出ているとという新聞記事で、マダニを介して感染する重症熱性血小板減少症候群(SFTS)の県内感染者は愛媛県が全国最多となっており、県内のマダニはウイルスの保有率が全国平均より高いことが判明しているとの発信は気になるところです。
 
 マダニによって死の危険を感じたことはあまりなく、この感染症はペットについたマダニから感染する可能性も高く、高齢者に感染の可能性が高いと聞くと、高齢者の多いお遍路と、汗をかいて歩くお遍路や、野宿同然の遍路についても心配はつきません。
 
 長袖、長ズボン、帽子、靴は当然ですが、「上着の袖口は手袋に、ズボンのすそは靴下に入れる」などの注意や、「首にタオルを巻き、防虫スプレーを肌の出る部分にかける」の対策が愛媛県のホームページに掲載されています。
 
 我家は昨年からテントを3種類購入し、より自然の中でペットと一緒の行動を念頭にして旅立っているだけに、四国だけでなくそれなりの対策が必要になりそうです。
 
 遍路の様子は明日から添付します。
                            本日の体重 74、1キロ
                                  10月27日の一言

早朝の座禅会から午後の演劇鑑賞へ

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 津島市内雲居寺で行なわれた朝の座禅会に参加しました。
 
 歩き遍路友の会の会長が関わっておられる事から誘われての参加ですが、真言宗の座禅・阿字観の「瞑想法」と違って、曹洞宗の座禅は「無」の境地になると聞くものの、邪念が多いためか早朝の睡魔にでも襲われないと日常の出来事が次々と頭に浮かんできます。
 
 しかし、まだまだ知らないことが多く、本堂への入り方も初めて教えていただき、改めて生きる者への指導が行なわれている禅宗や真言宗の奥深さを実感させられる朝となりました。
 
 さて、本日は一緒に書道会へ参加している同級生が出演する演劇公演が名古屋市内であり、午前中より恩師やメンバーとともに会場に走りました。
 
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公演終了後の舞台挨拶です
 
 名古屋市で演劇活動を続ける遠山事務所の二十周年記念公演が名古屋市芸術創造センターで催され、「薩摩義士伝」の演目でしたが、劇団員の繰り広げる熱心な演技に引き込まれ、公演終了後は外が真っ暗になっていました。
 
 「薩摩義士伝」は、江戸時代に行なわれた愛知県と岐阜県、三重県に流れる木曽三川の治水工事に関係する伝聞ですが、理不尽と思われる幕府の命に従い、島津藩のために自害した関係者の存在が、私の生まれるわずか2百年前の出来事であったことに、地方議員として自身の使命感の不足を実感させられずにはおれません。
 
宝暦治水
1753年(宝暦3年)、徳川幕府は琉球との貿易によって財力を得ていた薩摩藩を恐れて、毎年氾濫による被害が多発していた木曽三川の分流工事を薩摩藩に命じる。工事費用は薩摩藩が全額負担、大工などの専門職人を一切雇ってはならないとした。
露骨な弾圧政策に薩摩藩は幕府への反発を極め、このまま潰されるくらいなら一戦交えようという過激な意見まで噴出したが、平田が「民に尽くすもまた武士の本分」と説破して工事を引き受けることとなり、平田は総奉行となる。
40万両にも上る工事費用を捻出するため大坂豪商から借金を重ね、幕府へもたびたび専門職人の雇用許可を要請するも許可は下りず、工事のやり直しを命じられることがしばしばあった。工事に派遣された薩摩藩士達の過労や伝染病による死亡が相次ぎ、また幕府に抗議して切腹する薩摩藩士達も続出した(この時には、本来監視役のはずの徳川家からも、薩摩藩に同情して抗議の切腹を行う武士が二名いたほどである)。この件に関して、平田は幕府との摩擦を回避するため、切腹した藩士たちを事故死として処理している。薩摩藩は最終的に病死33名、自殺者52名という多大な殉職者を出している。
分流工事は着工より1年3ヶ月ほどでようやく完成したが、平田は藩への多大な負担の責任を取り自害、享年50。遺体は山城国伏見の大黒寺に葬られ、遺髪は鹿児島城下の妙国寺に埋められる。藩主島津重年も心労で、後を追うように翌月に27歳で病没している。
 
 工事を指揮した総奉行平田靱負の辞世の句は、「住みなれし 里も今更 名残りにて 立ちぞわづらふ 美濃の大牧」。
 
 工事に従事した薩摩藩士は追加派遣された人数も含め総勢947名で、工事中に薩摩藩51名自害、33名が病死している事実を、今回の演劇公演で改めて認識させられ、現地を行楽のため通過していく現代人に伝承していく責任も実感させられる一日となりました。
 
                本日の体重 74、6キロ 徒歩数 約1千歩
                                 10月26日の一言

体重の減少は著しいものの、歯の治療は数年に及んで…

 携帯電話を新しくしたことで一日の徒歩数が自動的に判るようになり、判るようになると意識するようになりますが、本日の徒歩数は4100歩くらいを記録しているものの、病院のお見舞いに自転車で出向いたことから徒歩数は伸びませんでした。
 
 さて、生活習慣の見直しと、野菜の摂取を増やしたものの、間食を減らしたことによって体重が5キロほど減少し、上高地や高野山町石道など歩く機会が増えたことから顔も細くなってきましたが、その一方で、数年前から歯の治療が続き、歯槽膿漏のため歯肉が炎症を続けています。
 
 「歯医者を変えてみては…」と無責任に言う人も多いものの、治療中の歯や歯肉の炎症が治まると、他の部位が痛んだり化膿するため、歯医者さんのせいではなく、私自身の歯が悪いわけですが、これだけ長期化すると真剣な対応が急務です。
 
 歯が年齢とともに悪くなるのは宿命としても、歯肉が炎症を起こすたびに炎症を止める抗生物質を飲み続けるのは問題で、歯から入った細菌で大変な事態を招いた人の話も聞くことから真剣な対応は急務です。
 
 歯が折れたり欠けたりするのは仕方ないかもしれませんが、歯茎が痛んで化膿するのは減らしたいもので、ネット検索から「排膿散乃湯」と「十味敗毒湯」を見つけたものの、近くのドラッグストアに出向いても見つかりません。
 
 「排膿散乃湯」(ハイノウサンキュウトウ)は皮膚の腫れや発赤をしずめ、治りをよくすると記され、化膿性の皮膚病のほか、歯肉炎や歯槽膿漏などにも効能があると説明がありますが、炎症を鎮め、膿を排出する働きがあるため、歯茎が腫れたときに効果が期待できそうな漢方薬です。
 
 「十味敗毒湯」(ジュウミハイドクトウ)は、皮膚病の病因を発散させる“荊芥”や“防風”、排膿を助ける“桔梗”、炎症をひく“柴胡”、血行をよくする“川きゅう”などが配合されており、腫れや化膿をおさえるだけでなく、そのようになりやすい体質を改善すると記されています。
 
 悪くなれば歯医者さんに出向けば良いため、排膿散乃湯と歯周病専用のはみがきを入手して歯周病予防を図りたいと思います。
 
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 添付した写真は相棒リマと上高地(本年8月)大正池でのツーショットですが、犬猫と家族がふれあう写真展が奈良県で開催されているとの新聞報道があり、「ペットが死んだ時に一緒に撮った写真が少ないと後悔する飼い主が多いと感じたことから撮影を手がけるようになった」と記され、「ペットとの間柄を改めて考えてもらいたいと、写真展の開催を思いついた」とあります。
 
飼い主と一緒、ニッコリ ペットと家族の絆考える写真展
 
 相棒リマとは「親子」のような感覚で、日常生活はもちろんですが、旅行先にも一緒に連れ出しているものの、3年前に死んだ愛犬モモについては、リマ以上に車が好きで、リマ以上に甘えん坊だったものの、大きいため旅行に連れて行ったことがありません。楽しい場所での記録を残しておきたかったと後悔が残っています。
 
                            本日の体重 74、8キロ
                                    10月25日の一言

我家の柿がたわわに実って

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我家の庭に実る柿
 
 高野山町石道を歩いた時に「ご接待」で見事な柿をいただき、高野山奥の院参拝後にもお供えの饅頭とともに柿をいただきました。
 帰宅後に我家の柿を見るとまだ完熟とはなっていないものの、家族の話では完熟する前に鳥が食べてしまうらしく、まだ固いうちにもぎ取って食べていることも初めて知りました。
 
 我家には明治時代からの柿の木が1本残っているものの、ほとんどは家の建て替えや駐車場の整備で伐られてしまい、添付した柿の木は父親が庭の真ん中に植えた後で、「切っても良い」との遺言を残して逝きましたが、親の残した柿ゆえに庭の真ん中に残してあります。
 
 和歌山県九度山町の畑でいただいた柿は我家の倍ほど大きいだけでなく甘かったことから、それ以後毎日口にしていますが、幸いにして外泊した3日間で増加した体重も、昨晩から元に戻りました。
 
 偶然ですが、小林製薬から届けられる「すこぶる」11月号に、「中高年のダイエット」が特集されており、高カロリーの食べ物にシュークリーム、クッキー、日本酒、ビール、大福もち、フライドポテトと、ご飯以外は私の好物ばかりが記されていました。
 今まであまり食べなかった野菜を摂取しているため、食べる量は増えているのに体重が減る理由は、毎日食べていた珈琲のサービスに出るシュークリームや、夕食時のビールにあったことを実感させられる一日ともなりました。
 
 ただし、私の理想体重とは大幅な差が存在し、許容できる体重にも5キロ程度の差が残っているため、しばらくは節制と注意が必要になります。
  
愛車、自動ブレーキで選ぶ 開発競争、メーカーしのぎ
記事の続き…
 自動ブレーキは、車に付いた小型カメラやミリ波レーダーなどのセンサーで障害物を認識し、車が自ら減速したり止まったりするしくみだ。前の車への追突などの事故を防ぐことも出来る。
 当初はシステムが高価だったため、高級車を中心に広がった。だが、ダイハツ工業やスズキなど、軽自動車を中心に売るメーカーが、4万~5万円追加すれば付けられる安価なシステムを開発して、一気に広がった。両社とも、いまでは半分ぐらいの人が、自動ブレーキを付けるという。
 ただ、ブレーキが作動する速度など性能にばらつきがあり、分かりにくいという指摘もあった。作動条件の範囲より速すぎたり遅すぎたりすると、ブレーキが利かない恐れもある。業界では、「性能面の限界もきちんと説明している」(東京都内のスズキの販売店の店長)という。
 自動ブレーキが、車を選ぶ基準の一つになっている以上、メーカー側も手をこまねいてはいられない。
 トヨタ自動車は、2017年までに米国で販売するほぼすべての車種に、自動ブレーキを付けられるようにする。国内でも、15年以降、モデルチェンジに合わせて投入していく方針だ。
 トヨタで現在自動ブレーキが付けられるのは、レクサスブランドやクラウンなどの高級車が中心だ。価格の高いシステムを優先的に開発したためだが、今後はより低速の時だけに作動する簡易版をつくり、小型車にも付けやすくする。
 日産自動車も、三菱自動車と共同で開発した軽自動車「デイズ」向けのシステムの開発を急いでいる。
 自動ブレーキの技術は、将来の「自動運転車」にもつながる。各社は、簡易版と同時に、より高度な技術開発も迫られている。
 
 さて、本日の新聞報道には、最近では自動ブレーキの有無が車を購入する際の大きな選択肢となっていることが発信されてきました。
 誰もが万が一の事態はありうるため、危険を察知して自動的に停まることは理想と思いますが、新たな車を購入する予定もないことから、私は「鶴田浩二」さんの厳しい居眠り監視対策を続けることになりますが、安価な後付自動ブレーキの開発に期待したいものです。
  
           本日の体重 74、6キロ   徒歩数 1万1301歩
                                   10月24日の一言

阿字観から心は上高地へ

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阿字観  高野山恵光院のHPから
 
 20日に訪れた高野山恵光院で「阿字観」に参加し、外国人宿泊客も通訳付で一緒のため、本格的とは言えなかったものの、案内された阿字観道場は大きいだけでなく、瞑想に入る環境はすばらしいものでした。
 
高野山真言宗薬師院HPから参照 
 阿字観の成立は密教の主要教典である『大日経(だいにちきょう)』『金剛頂経(こんごうちょうぎょう)』や、真言密教の祖師である龍猛菩薩(りゅうもうぼさつ)の菩提心論(ぼだいしんろん)にその典拠があるものの、正式に阿字観について述べられているのは、弘法大師、空海が口述したものを、その弟子である実慧(じちえ)が記録したとされる「阿字観用心口決(あじかんようじんくけつ)」が始めの事です。
 
 阿字観とは真言宗に伝わる呼吸法・瞑想法で、弘法大師の伝承より1200年もの間、真言宗の僧侶によって伝承され、かつては一般人には伝授されていませんでしたが、現在は高野山金剛峯寺で毎日開催されています。
 
 私の住む町内の弘盛寺(高野山真言宗)でも毎月21日に「阿字観」が開かれていますが、ここでは「阿息観」が行なわれており、その他に「数息観」、「月輪観」等があり、冒頭に紹介した恵光院では「数息観」が行なわれていました。
 
 「阿字観」についてネット上では、古式には「阿字観」を授ける前に『護身法加行』がありと記されており、護身法(ごしんぼう)となると「浄三業」の五處(額・右肩・左肩・心・喉)や、被甲護身として五處の加持も含まれますから我々にも興味はつきません。
 
 さて、私は「阿字観」に参加しているものの、格好だけで内容が伴いませんが、過去にこの一言に「上高地で阿字観を行なう」ことを理想として記しています。驚くことは同じような記載を元オウム真理教の上祐史浩さんのブログに発見したことです。
 
◆上高地:日本一美しい自然の聖地 上祐史浩(ひかりの輪代表)
 
 「上高地は、ひかりの輪が縁を感じている素晴らしい聖地の一つです」とか、「梓川に沿って、高山植物豊かな歩道を歩いて、明神岳とその下の明神池に向かって散策(歩行瞑想)などと記されており、過去に何度も修業に訪れていることが判ります
 
2011年9月24~25日に、ひかりの輪では、毎年恒例となった、長野県・上高地の ­聖地巡礼を行いました。
我が国屈指の山岳景勝地である上高地は、雄大な山々と透明な清流、豊かな緑と澄んだ空 ­気に包まれた、まさに自然の宝庫ともいうべき聖地です。
                          動画です→  ユーチューブの動画
 
 オウム心理教はサリンを使用して多くの人々を殺戮した団体ですが、上祐史浩さんのみどりの輪が、透明な清流と穂高連峰の銀嶺から流れる神々しい空気を吸って修業する環境は、方法は違うものの私も同じように思います。
 
 四国を歩いて巡拝した人から、徳島県では身体の汚い体液を排出し続け、高知県では身体の中身が入れ替わり、愛媛県で身体の細胞を新しい組織に生まれ変わらせ、香川県で心を仏に近づけると聞いたことがあります。
 つまり、歩くことで身体の中身が変わり、心も変えられるというものです。
 
 高野山の素晴らしい修業機会を活かし、「阿字観」を上高地の自然環境の中に持ち込めたら最高ですが、私自身は真言密教について入り口から覗いている程度のレベルですから、自然環境の中で同化できるように精進したいと思う高野山行きともなりました。
 
 本日は保健センターで「津島市高齢者福祉計画・介護保険事業計画」策定委員会が開催され、私は傍聴席で出される意見を聞いておりましたが、同じ収入と同程度の資産の家庭であっても、我家のように家族が介護してしまう家庭では制度を利用する機会は少なく、高額な保険料だけを負担し続ける不公平感を実感させられました。
 
 
                              本日の体重 74、9キロ 徒歩数 約2500歩
                                              10月23日の一言

3日間の外出で体重が逆戻りに

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イメージ 2  添付した左の写真は、高野山恵光院の「お籠もりプラン」の夕食で、毎月20日だけの限定プランで、安価で宿泊できるものの「一汁一菜」の精進料理です。右は普通プランの夕食内容です。ちなみにビールは追加注文です。
恵光院の案内
毎月21日はお大師様の日です。20日の夜、昔ながらのお籠もりをしてみませんか?
このプランに限りお部屋は男女別の相部屋とさせていただきます。お大師様にお参りするという共通の目的を持った見知らぬ方との触れ合いをご用意しました。昔は、こういった場所で人生などを語らったものです。
食事も簡単な1汁1菜の精進料理です。夜半の奥の院参拝も行います。(夜参り)
 
 20日に高野山町石道の約23キロの道のりを、標高約800メートルの高野山まで歩いたために、夜の食事前にお風呂で計測した私の体重は73、3キロまで減り、過去最高の減量となっていました。
 
 19日から帰宅した昨日までの3日間は外食となっており、19日の民宿の料理は豪華版で、朝食の定番としていた野菜やヨーグルト、バナナが摂れず、昼食には野菜が摂取できませんでした。
 
 お籠もりプランの「一汁一菜」は減量には最適だったものの、普通プランより多くのご飯と蕎麦の組み合わせは主食の重ね食いとなり、夜に同行者とビールも数本飲んでおり、朝食の大盛りご飯に昼食は丼物だったためか、昨晩の帰宅時の体重は75キロを超えたままで、本日早朝の体重も75キロを上回りました。
 
 8月中旬に80キロ前後で推移していた私の体重は、9月に78キロから76キロ台に減少し、一週間前からは74キロ台を維持しており、高野山の73、3キロは最低の記録となり、歩くことの効果を実感していたものの…
 
 本日早朝の空腹時の体重が75キロを越えていたのはショックですが、19日から3日間は同行者と同じ料理を食べ、大量のビールを口にするだけでなく、出された宿の食事は残さず食べてしまう性格が災いしたようです。
 
 さて、本日の体重も、1時間後にトイレに行ってから計測すれば75キロを下回ると思いますが、あえて75キロと記録して、明日から予定した食事内容で再び74キロ台に戻して、今月中にもう一度73キロ台を目指したいと思います。
 
イメージ 3 宿泊した恵光院については、外国観光客の宿泊も多いため、阿字観も外国人には英語で説明されており、朝の勤行や「即座護摩」もストロボを発行させなければ写真撮影も許されていることと、奥の院一の橋に近く、大型駐車場もあることからお奨めの宿坊と思えます。
 
 
                  本日の体重 75、0キロ 徒歩数8088歩
                                   10月22日の一言

高野山町石道から帰りました

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本日 高野山壇上伽藍を目指して歩きます
 
 歩き遍路友の会・東海で企画した「高野山町石道徒歩巡拝」は、参加したメンバー4人全員が完歩し、本日は宿坊としていた恵光院の朝の勤行と護摩行のあと、9時から奥の院のお勤めに参加し、金剛峯寺、壇上伽藍の金堂などに参拝してから、バスと電車で九度山駅まで戻り、預けてあった車で名古屋に戻りました。
 
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 本日21日は弘法大師の命日(3月21日)にあたり、午前9時より奥の院「弘法大師御廟」でお勤めがあり、多くの僧侶をお迎えして厳かな読経が続けられました。
 
 左の写真は、納経所のある御供所の前で僧侶を出迎える四国のお遍路さん(友の会メンバー)です。
 
 高野山や真言宗の魅力は、こんな重要な儀式の際にも、宗派に関係なく参詣者を御廟前の燈籠堂の中まで招き入れていただけることで、法要終了後にはお供えの饅頭と柿が振舞われました。
 
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イメージ 4 左は奥の院納経所前で、ご詠歌を披露する真言宗若手僧侶の皆さんです。ご詠歌を参拝者に紹介するだけでなく、世界平和のために募金活動も行なわれていました。
 
 右の写真は、僧侶の勉強中の学生の一団が御廟橋を渡って燈籠堂に移動していきます。
 
 最近の高野山は世界文化遺産に指定されたことで外国人観光客も多く、奥の院でも外国語が当たり前のように飛び交いますが、ありがたいことは騒々しいアジア系外国人ではなく、西洋系の人達のため日本人以上にマナーが良いことですね。
 
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 左は御影堂で熱心に読経を続ける遍路姿の女性です。
 
 右は高野山のシンボルとなっている根本大塔で、御影堂の隣にあります。
 
 本日は日本人と変わらぬほど外国人が多く、巨大な仏教施設にカメラを向けていましたが、驚かされたことは彼らにとっては、我々のお遍路姿も珍しいらしく、朝一番に宿坊玄関でカメラのモデル役を求められ、我々の姿を見つけて道路をわたってきてシャツターを押す外国人にも遭遇しました。
 
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 外国人観光客のモデル役になった私です。一の橋の左側にある鶴田浩二さんのお墓の前でツーショット…いや、お大師さまとスリーショットです。一の橋を入った左側にある同期の桜の白い碑の奥にありますので、是非とも手を合わせていただきたいものです。
 
             本日の体重 75、3キロ 徒歩数 1万1782歩
                                 10月21日の一言

高野山 町石道を金剛峯寺まで

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 本日は高野山町石道を歩いて高野山を目指しました。添付した写真は弘法大師のお母さんが高野山の弘法大師に会うために麓で生活していた慈尊院です。歩き遍路友の会東海の企画で、4名の挑戦です。
 
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 左は展望台です。
 
 まだまだ始めですが、ここで甘柿のご接待をうけました。
 
 名古屋で買えば数百円はしそうな大きくて甘い柿でした。傷物との話でしたが、傷は判らないほどで、カメムシが付いたそうです。
 
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  六本杉です。
 
 町石道は、九度山駅(180町石)から高野山大門まで全工程に180本の石碑が立ち、六本杉は137番目にあたります。
 
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 矢立小屋です。ここで日中からビールの補給です。飲まなければ痛みで動けないほどの疲れです。
 
 ここからは六十町石で高野山です。
 
 一町は約109メートルで、九度山から180の石碑が立っています。
 
 全工程で約4里の登り道です。ここからは、約2時間の行程ですが、我々は2時間半の時間がかかります。 
 
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 高野山町石道はこんな山道を登っていきます。
 
 ここは平地ですが、かなりきつい傾斜があります。
 
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 高野山大門に到着したのは午後3時です。
 
 途中で休憩もしていますが、7時間の山道を登り続けるのは運動不足の還暦男には苦痛で、音をあげたい限界が来たときに大門に到着です。
 
 歩いて到着すると、大門の大きさに改めて驚かされます。
 
 日ごろは歩くのが苦痛に感ずる高野山が優しく思える町石道の歩きでした。
 
  本日は恵光院へ宿泊です。
 
           本日の体重 73、3キロ
               本日の徒歩数 3万9千495歩 24、4キロ
                                   10月20日の一言
 

本日は高野山の麓まで

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 明日に「歩き遍路友の会・東海」のメンバーと、高野山の「町石道」を登っていくため、本日は奈良県の「室生寺」と、「聖林寺」、「談山神社」に参拝し、宿を予約してある和歌山県九度山町の民宿「龍王亭」にたどり着きました。
 
 添付した写真は、室生寺の奥の院にある「大師堂」ですが、奈良県のお寺は観光用のように思われがちなものの、室生寺は「女人高野」と呼ばれるだけあって、完全に四国遍路の延長線にあり、ジャンパー姿で参拝したものの、その後の聖林寺と談山神社は白衣を羽織って参拝することとなりました。
 
 本日は午後4時半には宿に到着し、明日のためにメンバーとともにビールで乾杯してと考えていると、地元から電話が入り、あまり聞きたくない問題を耳にしましたが、携帯電話によって離れた場所でも地元とつながっていることを実感させられる一日となりました。
 
                      本日の歩数 約7千歩(ただし、山道と階段のみ)
                                           10月19日の一言
 

明日から高野山の「町石道」から金剛峯寺へ

 明日から3日間高野山に出向くため、着ていく衣類を用意していると、荷物がどんどん増えていき、家族から厳しい言葉を浴びますが、高野山そのものが山上にあることと、今回の高野山行きは麓の慈尊院から山上までの「町石道」を登っていくため、汗で暑くなるのか寒いのかが判りません。
 
 町石道とは、高野山の麓に建つ慈尊院から壇上伽藍の大塔まで約22キロの道のりで、高野山までの道しるべとして一町(約109メートル)おきに石柱がたてられており、それぞれの石柱に密教の梵字が刻まれています。
 
 22キロの旧巡礼道に約7時間はかかるため、明日に名古屋を出発すると夜までに到着できないことから、明日は高野山の麓にある民宿に宿泊し、明後日の朝7時30分に出発して午後5時頃を目標に高野山へ歩きます。
 
 到着後は、高野山恵光院の宿坊へ宿泊しますが、弘法大師のご入定された21日の前夜は「お籠もりプラン」という一泊二食五千円のプランが用意されており、部屋は男女別の相部屋で、食事は一汁一菜の精進料理ですが、恵光院は阿字観、写経、勤行、護摩と、お寺らしさが充実しています。
 
 もっとも、私一人なら夜の奥の院参りや、阿字観、写経、勤行など総ての行事に参加したいものの、今回は歩き遍路友の会のメンバー4人での行動のため、3日目は金剛峯寺と奥の院参拝後に名古屋へ戻ることとなります。
 
高野山 恵光院ホームページ http://www.ekoin.jp/
 
和歌山)高野町ふるさと納税、豪華謝礼で寄付続々
記事の続き…
 しかし、そもそもは高野山真言宗の「修行の地」。派手な特産品が少ないため、他の自治体の謝礼に比べて品ぞろえで見劣りし、寄付実績は年250万~320万円と伸び悩んだ。
 そこへ「カタログギフト」事業を手がける旅行会社・JTB西日本(大阪市)に提携を持ちかけられた。町は思い切って新制度を導入。寄付者には金額に応じて1円1ポイント相当の点数を渡し、同社が送るカタログから好きな品を選んでもらう仕組みにした。
 食べ物の他、旅行券や、熊野古道との姉妹道「サンティアゴ・デ・コンポステラの巡礼路」(スペイン)への旅行パックなども用意した。寄付者への返納額も、従来の2万円につき2千円分から、1万円ごとに5千ポイントにまで増額した。
 ポイントの管理や配送などはJTB側が担う。「小さな町にとっては初期投資が少なく、提携は魅力的」と町総務課。「年間100万人の観光客のうち、1%の人が1万円ずつ応援してくれるようになれば」と夢は膨らむ。寄付金1億円を目標にしているという。
 
和歌山)主要観光地の訪問客数8.8%減 7・8月
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 県観光振興課は和歌山市、高野町、田辺市龍神村、田辺市本宮町、白浜町、那智勝浦町、串本町の7カ所を調査。各市町が調べた宿泊施設の利用やイベントの人出を集約した。
 その結果、悪天候などの影響から、宿泊客は7~8月で昨年比5・2%減の84万6600人だった。特に落ち込みが激しかったのは、7カ所の全てで昨年の水準を下回った日帰り客。昨年比10・2%減の209万8200人だった。
 田辺市龍神村ではツーリングや釣り客が激減し、日帰り客は昨年比で66・3%にとどまった。和歌山市では宿泊客は増加したものの、海水浴客や観光施設の利用者を中心に日帰り客が昨年より10・8%減って110万9600人だった。
 同課の村越隆文課長補佐は「天候のことだけに対策は難しい。天気さえよければもっと来てもらえたはず」とみる。9月以降は、県やJR各社などが取り組む大型観光キャンペーン「和歌山デスティネーション・キャンペーン(DC)」の効果もあって観光客は増えているという。
 
和歌山)平安衣装で熊野古道詣で 名古屋からのツアー客
 
 さて、新聞紙面から高野町へふめさと納税で多くの寄付が集まっているとの朗報がある一方で、和歌山県への観光客が約1割近くも減少していめ現状が記されており、熊野古道を平安衣装を着て巡るツアーが名古屋から企画されたとの報もあるものの、観光客は天候や景気にも左右されることから、お遍路や高野山への御礼参りなど必然性から訪れる原点に立ち返る必要も実感させられます。
 
                本日の体重 74、3キロ 歩数 5272歩(携帯電話)
                                    10月18日の一言

我家はアマガエルの楽園になってきました

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 機種変更した携帯電話の画素数が1210万画素になったことで、寒さを堪えて「明日葉」の上で寄り添う3匹の「アマガエル」がはっきりと写り、今までのように近づかなくてもズームで撮影できるため撮影の機会が増えそうです。
 
 昨年ごろから庭どころか屋内まで「イタチ」が侵入するようになっており、それまで温かい間は恐怖の主役のようになっていた「ヘビ」が庭から姿を消したことで、アマガエルも食べられる心配もなく増えている可能性があります。
 
 アマガエルの止まっている「明日葉」は、千葉県飯岡漁港に近い路肩で抜いてきたもので、来年には植木鉢から庭に移す予定ですが、多くの新芽をだしており、四国のツバキ、長野県のアンズ、朴の木など、全国各地から移植した植物は大切に育てていきたいと思います。
 
 2年前に孫を喜ばすために植えたイチゴも、そのまま放置してあった新芽を植木鉢に移植しており、来春はイチゴ、トマト、サクランボ、アンズ、ブルーベリーと、我家の庭で一年を通してにぎやかになりそうです。
 
小渕氏団体の観劇会、2012年未記載 規正法に抵触か
記事の続き…
 17日午前の委員会で、小渕氏は観劇会の収支の記載がないと指摘されると、12年も観劇会があり、自身も参加したことを認めたうえで「12年が必ず(両団体の)共催だったか申し上げられない」と答弁。一方で「他の団体が主催したということは、私が知る限りはない」とも述べた。
 小渕氏はこの日、過去の観劇会では1人あたり「1万~1万2千円」の会費を集めていると説明。「(収支の)差額がどこに消えたか私自身も分からない」とし、一連の問題について「知らなかったでは済まされないとの思いだ」と話した。差額を後援会などが負担したとすれば、公職選挙法に違反する疑いがある。
 小渕氏の後援会女性部で地区役員を務める群馬県内の女性(64)は「12年も観劇会が開催された」と証言する。例年同様、後援会から地区ごとに人数の割り振りがあり、地区役員が希望者を募って会費を集め、後援会事務所まで持って行ったという。別の女性部役員の女性(66)は、12年の観劇会に自ら参加。会費も他の年と同じ1万2千円で、他の会員らとバスに乗って都内に向かい、日帰りで観劇したと証言した。
 小渕氏を巡っては、関係政治団体から親族企業に支出したり百貨店で乳幼児用品などを購入したりしていた問題も指摘されている。小渕氏は17日の閣議後会見で「先代の頃からご縁のあった方々やお世話になった方々に対する贈答品で、現時点で私が私的に使ったという物は出てきていない」と述べ、私的な流用を否定した。
 
「うちわ、極めて悪質な寄付」 民主、松島法相を告発
 
 さて、地方議員の政務調査費の不正使用が社会問題となっていましたが、昨今は政権幹部となる松島みどり法相の「うちわ問題」だけでなく、小渕優子経済産業相の後援会などが、後援会員らの観劇費の一部を負担した疑いが出ており、事実とすれば利益供与を禁じた「公職選挙法」違反の可能性があり、2年前の政治資金収支報告書には記載されておらず、事実とすれば「政治資金規正法」に抵触する疑いが出てくるため、しばらくは責任問題と進退問題に発展しそうになってきました。
 
 自分の似顔絵が描かれた「うちわ」が討議資料と他人事のように言い張る議員が、公正な裁判や法律の責任者となる法務大臣に居座ることは異常で、素直に認めて調査すると答弁した小渕議員より、額は小額とは言え悪質性が強く、徹底的な追及と処分がなされないと来春の統一地方選挙は無法状態を招きます。
 
        本日の体重 74、3キロ  本日の歩数 1万2261歩
                                  10月17日の一言

新たな携帯電話に機種変更して

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 本日注文してあった新しい携帯電話(写真右)が届きました。
 
 私の携帯電話は家内名義になっており、家内の携帯電話が私名義になっていることから、自分の携帯電話であっても、家内が同行するか委任状がないと交換もできないため、家内の帰宅を待って慌てて販売店に走りました。
 
 「何でスマホにしないの?」
 「今のまま使いたい」
 「何で便利な物を選ばないの」
 「写真の画質が良くなれば良いんだ」
 
 ブログに掲載する写真を撮るためにデジタルカメラと携帯電話を使っていますが、上高地の写真についてはフイルムカメラを使うため、一度に3種類のカメラをぶら下げる煩わしさから、携帯電話のカメラの画素数を高めたいと思っていました。
 
 新たな携帯電話は1210万画素カメラが搭載されていることと、メーカーが同じでボタン配置も一緒のため、使いやすいとは思いますが、過去の使用料が高額だったため、通話し放題とデータ低額パックに変更となりました。
 
 来月からはネット情報も携帯電話で見られるようになりますが、結果的にはスマートホンよりも高額となっており、自宅のパソコンや、旅先でノートパソコンもできるために中継器も契約しており、いずれは整理しないと大変な支出が続きます。
 
 さて、機種変更は簡単に終わったものの、今までのような使い勝手とはいかず、メールの送受信データは残されておらず、とりあえずブログへの送信できるように設定しなおし、受信別に変えていた着信音を元通りにするなど、しばらくは慣れる必要があります。
 
 カメラについては画質だけでなくズーム機能があるため効果が期待できそうで、ブログへの発信も便利になると思う反面で、還暦を過ぎていずれ現役を退いていくことを考えると、工夫して節約していくことが必要と思う一日ともなりました。
 
                          本日の体重 74、3キロ
                                   10月16日の一言

御嶽山噴火の犠牲者に旧知の人があったことを知り

 国際社会全体の問題となっているエボラ出血熱について、オバマ大統領と安部首相が電話会談を行い、「国際社会が一致して取り組むべき課題」との認識で一致した報道されていますが、流行中の西アフリカの問題だけでなくなり、米国の病院で女性看護師の二次感染が確認されるなど欧米でも不安が広がり、我々の住む日本も対岸の火事ではなくなっていることが実感させられます。
 
安倍首相、米大統領と電話会談 エボラ対策で連携確認
 
全身防護服で感染の衝撃 エボラ熱、欧米で不安広がる
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 CDCは死亡した男性が隔離前に接触した疑いがある48人を特定し、観察を続けてきた。だが、入院後に治療にあたったスタッフへの二次感染は防げているとみて、看護師は観察対象から外していた。今回の感染確認で、その根幹が揺らいだことになる。
 現時点で、看護師にウイルスが感染した原因は解明できていない。米メディアによると、マスクや手袋などを外す際に過ってウイルスに触れる危険があるとの指摘もある。看護師は2010年に大学を卒業したばかりで、経験が浅かったとの見方もでている。看護師の症状は、今のところ安定しているという。
 CDCは、病院に専門職員を追加派遣。フリーデン所長は「数日のうちに複数の感染者がでる恐れがある」と述べ、観察対象を治療スタッフにも広げた上で、原因の特定や感染防護手順の確認を急ぐとした。
 米国では、テキサス州で初のエボラ患者が確認された9月下旬以降、国民の間に懸念が広がっていた。全身を防護していたはずの医療従事者の二次感染で、不安はさらに高まりそうだ。
 オバマ米大統領は12日、ホワイトハウスで国土安全・テロ対策担当の補佐官らと協議。政府機関に対して、早急に追加対策をとるよう指示を出した。13日にも緊急対策会議を開いた。
■スペインでも
 不安は欧州でも募る。
 スペインでは西アフリカで感染、帰国して治療を受けた患者(のちに死亡)の看護にあたった女性(44)が二次感染し、マドリードの病院に入院中だ。
 最初に微熱が出た9月末から5日ほど郊外の自宅で過ごしていたとされる。スペインメディアなどによると、夫や、診断した医師らのほか、足を運んだ美容院の従業員らが入院し、経過観察の対象になっている。用心のためマスクをつけて過ごす地元住民の姿も報じられた。
 隣国フランスでは、リベリアで感染した看護師の女性は治癒し、検査を受けた別のケースも「陰性」だった。それでもトゥーレーヌ保健相は13日、「極めて強く警戒している」と語った。バルス首相も「冷静になる必要がある。パニックを引き起こしてはならない」との立場だ。
 ドイツ東部ライプチヒの病院は14日、リベリアで感染し、治療を受けていた国連スタッフの男性(56)が死亡したと発表した。ドイツではアフリカで感染した3人の患者が治療を受けたが、初の死者となった。病院は、他の患者や医師らへの感染の危険はないと強調している。
 
デング熱、10月以降の感染3人目 流行は下火に
 
有毒セアカゴケグモ、東京に侵入 すでに繁殖開始か
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 セアカゴケグモは1995年、大阪府で国内初の生息が報告された。その後、他の県にも広がったが、2010年ごろまでは西日本を中心に分布していた。
 ところが近年は東日本への拡大が目立つ。昨年から今年にかけて、茨城、千葉、埼玉などの各県で侵入の報告が相次いでいた。
 なぜ拡大しているのか。比較的温暖な気候を好むクモだが、国内での分布拡大と地球温暖化の関係ははっきりしない。
 また、「クモの中には体から糸を出して風に乗り、積極的に分布を広げる種類もいる。セアカゴケグモはそうした広がり方はしない」と岸本さんは話す。
 そこで、最大の要因と指摘されているのは、荷物などに付着した個体の移動だ。引っ越し荷物などに紛れて運ばれやすいほか、自動車の車体の裏に付着したまま移動することもあり得るという。
 セアカゴケグモは、都市の環境に適応している。コンクリートに覆われた場所や公園のベンチの裏など、その生息域は人の生活圏と重なる。自動販売機の下や墓地などのほか、園芸用のプランターの裏に潜んでいることもある。
 毒グモとして有名だが、国内では死亡例の報告はない。積極的に人を襲う性質はなく、むやみに恐れる必要はない。ただ、神経毒を持っており、素手で触るのは危険だ。福岡市では12年9月、足の指をかまれた80代の女性が呼吸困難になる被害も起きている。
 分布が報告された地域では、庭仕事をする際に厚手の軍手をはめるなどの自衛策が求められる。
 「特定外来生物」に指定されており、生きた個体を持ち運ぶことは法律で禁止されている。環境省は「家庭用の殺虫剤や熱湯、靴で踏みつぶすなどの方法で駆除してほしい」と呼びかけている。
 国立環境研究所の五箇公一・主席研究員は「体力が低下した高齢者や体重が軽い乳幼児は重症化する恐れがあり注意が必要だ」とした上で、「かまれた後に、吐き気やめまい、呼吸困難などの全身症状が出た場合には、速やかに医療機関を受診してほしい」と話している。(山本智之)
     ◇
 〈セアカゴケグモ〉 オーストラリアが原産とされる毒グモで、メスは体長1センチ前後、オスは4~5ミリ。α―ラトロトキシンという神経毒を持つ。人に被害を与えるのはメスで、かまれると痛みや吐き気など様々な症状が出る。国際航路の船などを経て、日本国内に入ったとみられている。環境省によると、これまでに東京を含む35都府県で侵入が報告された。
 
 国際化の波の中で、エボラ熱の脅威だけでなく、デング熱についても、当初は代々木公園だけで封じ込めると説明されていたが、結果的には現時点で18都道府県に拡大し、感染者数は159人になっており、海外渡航者や海外から入国した外国人がもたらしたウイルスが大きく蔓延しています。
 
 一方で、西日本を中心に生息が報告されていた「セアカゴケグモ」が、東日本でも勢力を拡大し、ついに首都・東京に侵入したと報道されています。
 蚊や蜘蛛のような目につきにくい感染源だけに、完全なる封じ込めは不可能で、いかに拡大させないかの対策は急務です。
 
 外国には行かない私個人としては、江戸時代の鎖国制度は無理としても、海外から入国する人々への厳重な検査をして、日本国民の安全を確保すべきと思いますが、医療に携わる関係者が完全防護服を着用しても感染していることから、国際協調の前に完全なる感染対策を再確認すべきと思います。
 
 店主が腰の骨を折られて動けなかったことから、しばらく訪れていなかった理髪店を訪れると、久しぶりだけに話が盛り上がり、理髪店が街の情報交換の場所となっていることを実感させられたものの、びっくりする事実も耳にすることになりました。
 
 御嶽山の噴火の犠牲者に私の住む津島市の住民は存在していませんでしたが、実際には私の隣町に先祖代々住んでいた人が、市外に転居されて被害者となっており、被害者の母親は私の父親と同じ職場に勤めておられた旧知の人でありました。
 
 しかも、被害者は私と2年違う(私が上)だけで、同じ小中学校の同窓生であることが判り、転居先の住所のため判らない人も多かったようですが、聞けば子供時代の顔が浮かびそうになり、ご夫婦で被害に遭われたことから、現在は父親と孫だけが残されたとの話です。
 
 父親と同じ職場だった母親は3年前に亡くなられた事も本日知らされ、転居後の住所は他界した私の父親しか知らないため、新聞にご夫婦の顔写真や住所が掲載されていても全く知りませんでした。偶然にもご夫婦の葬儀場を通りかかった私の娘から、多くのテレビ局が来ていたことを知らされ、噴火の被害者の葬儀として会話を交わしていただけに、知っておればと後悔だけが残りました。
 
 ご夫婦のご冥福と、残されたお孫さんとともに、失意のお父さんの一日も長いご長寿を祈らずにはおれません。
 
                           本日の体重 74、8キロ
                                    10月15日の一言 

原発被災地の愛犬悲話に

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 東日本大震災の東電原発事故によって、居住制限区域から避難生活を送っている人々の飼っていた愛犬が、避難場所に飼い主と一緒に住めずに、岐阜県富加町のNPO法人に保護されており、今回一時避難した飼い主のもとへ13頭が里帰りしたとの発信がありました。
 
原発事故で避難中の犬が一時帰宅 飯舘村で飼い主と再会
 
 犬嫌いの人からすればたかだか犬くらいと思われるかもしれませんが、愛犬に「お父さん」と認識させ、人と同じ家族として旅行にも同行させている私からすれば、親子の別れにも等しく、人災とも言える原発事故でこんな悲しい現実が改善されないことに怒りすら覚えるとともに、我々に伝わってこない悲劇がまだまだ存在しそうに思います。
 
 原発事故の放射能を浴び、牧場から開放された捨て牛が被災地をさまよう姿が報道された時期もありましたが、人間だけでなく家畜やペットまで考えると、原発の安全も確約できないまま再稼動をすすめる自民党政権や電力会社の気持ちが理解できません。
  
狂犬病感染、厚労省が実態調査へ 台湾での発症受け
記事の続き…
狂犬病発症前後の犬などの動物に人がかまれると、唾液(だえき)に含まれるウイルスに感染する恐れがある。発症すると有効な治療法はなく、呼吸障害などでほぼ死亡する。世界保健機関は、世界で年間6万人以上が死亡していると推計する。
 国内では狂犬病予防法で、飼い犬の登録や年1回の予防接種が義務づけられ、1958年以降は人でも動物でも発生していない。2012年度の犬の登録頭数は約679万頭で、うち7割にあたる約491万頭しか予防接種を受けていなかった。登録していない犬も多いとみられ、実際は4割程度しか予防接種を受けていないとの推計もある。
 
 一方で、日本では50年以上感染報告のない狂犬病について、日本と同じように感染例がなかった台湾で昨年、イタチアナグマで感染が確認されたのを受け、厚労省が統一した基準を設け、検査体制を整えることにしたとの報道も気になるニュースとなりました。
 
 新聞記事にも記載されていますが、日本国内では狂犬病予防法によって予防接種が義務付けられているものの、実際には4割程度しか予防接種を受けていないと報道されているものの、これについても登録されていない犬の存在を考えると実態は判らず、犬を家族と考える飼い主を意識した接種方法の改善も急務です。
 
 3年前の狂犬病の予防接種に、私は愛犬モモと相棒リマを連れていきましたが、注射が痛いと判っているモモが逃れようとするのを獣医が、まるでゲームのダーツを投げるかのように注射を打ち、モモの悲鳴を聞いたリマも後ずさりしました。
 
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 右に添付した写真は、3年前の予防接種会場で家内に抱かれるリマと、足元がモモですが、動物病院では見られないまるで牛や家畜でも扱うように注射を打たれました。
 
 このときに注射を打つ獣医に、「最近食欲がない」と訴えたものの、何事もないように注射を打たれ、数日後に近くの動物病院に連れていきましたが、「散歩中に除草剤でも舐めたのではないか」と薬を処方され、日に日に弱っていき、最後に処方された薬を与えたところ呼吸困難に陥りました。
 
 深夜診療している名古屋市の動物病院に連れていったところ、末期がんに陥っており、毛色が黒いため黄疸に気づかれず、予防接種を受けて弱わり、連れていった動物病院で解毒剤を投与され、無理やり口の中に投与するように指示されたことが寿命を縮めたと説明がありました。
 
 モモは狂犬病の予防接種から半月後に死んでおり、飼い主としての不注意もありますが、事前の体調不良の申告を無視して接種した獣医師と、検査もせぬまま末期がんの愛犬に除草剤の解毒剤を投与した獣医師など、結果的には誰とも判らぬ獣医師の乱暴な集団接種が命を縮めました。
 
 残された相棒リマについては、完全に室内で生活しており、犬や動物どころか、我家の家族以外とは接触しないため、現実には狂犬病に感染する可能性は低く、50年も狂犬病の感染がない現実を考えると痛い思いはさせたくありません。
 
 最近は、愛犬の健康診査も行われており、フィラリア予防なとで動物病院を訪れる犬も多いことから、信頼できる動物病院で予防接種を受ければ、犬が悲鳴をあげるような対応はないことから、行政の一ヶ所に集める集団接種の見直しや案内の工夫を訴えたものの、現実は何事もなく集団接種が繰り返されています。
 
 自分の症状を的確に説明できない子供を相手にする小児科医は大変と聞きますが、犬や猫は何も訴えられません。最近の愛犬は家族の一員と化しており、行政の対応も改善が必要に思うとともに、3年前の悪夢もよみがえりました。
 
                        本日の体重 74、8キロ
                                 10月14日の一言

台風の来るこんな日に孫の運動会が実施されて

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 本日夜7時の台風19号の位置と進路予想ですが、11時頃の進路予想の真下に我家周辺が存在することから、今回は覚悟が必要ですが、できる事なら勢力が衰えて何事もなく通過してくれることを祈るばかりです。
 
 現在(午後8時45分)は風も強くなってきましたが、何よりも雨が激しく降っており、事務所の窓や壁に打ち付ける雨音に、鳥カゴのピーちゃんが驚いてバタバタと飛び廻っています。
 
 「お父さん、時間だよ」
 「なに、こんな日には無いだろう?」
 「警報がなければあるって」
 「そんなバカな…」
 
 孫の運動会があり、前々から私も来るように言われていたものの、朝から小雨が降っており、雨天では出来ないと休んでいると、運動会が開催されており、私と家内の席も確保してあると電話があったようです。
 
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   運動会の会場となっていたのは名古屋市港区の稲永スポーツセンターで、地域全体に競技場が集中するスポーツ施設となっており、プロスポーツも開催されているような観客席もある大型屋内施設で運動会が開かれていました。
 
 保育園の運動会と言えば、小学校の運動場を借りるか、狭い園内で行なわれる認識しかありませんでしたが、さすがは名古屋市と感心したものの、実際には例年行なわれる会場が工事中のためと判りました。
 
 もっとも、保育園の保護者には共稼ぎの親も多く、天候に左右される運動場では、雨天時の順延日に仕事を休む必要が出るため、このような全天候型の施設で決まった日に行なわれるのは好評のようで、見物する我々高齢者も客席に座って楽に参加が可能でした。
 
 一方で、会場が広いため孫の姿を発見することが難しく、家内や娘に言われるままにカメラのレンズを向けますが、肝心の親でも子供を捜すのに苦労しており、来年は三脚を用意していく必要が出来ました。
 
 そういう私は、子供が4人もおりながら、ほとんど運動会の応援や見物に訪れた経験がなく、家内は子供と2人だけで昼食をとったとの寂しい話を聞く一日ともなりました。
 
 さて、台風はこれから近づいてきますが、竜巻注意報もでており、築50年近い我家が明日の朝を無事に迎えられるか心配をしながら台風の通過を待ちます。
 
                        本日の体重 75、0キロ
                                 10月13日の一言

上高地 嵐の前の静けさか 

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上高地小梨平と穂高連峰
 
 添付した写真は私のお気に入りの場所です。最近の上高地は外国人観光客が増え、大声でガヤガヤと到着し、登山やハイキングの中高年が団体で行進していく姿からは、神々しい上高地とは程遠くなってきましたが、ここだけは比較的静かに座っておられます。
 
 「一緒にお昼でも食べに行こうか?」
 「今日はこのまま帰ります」
 「えっ、帰っちゃうの?」
 「台風も来るから…」
 「明日は大丈夫みたいだよッ」
 「えっ、そうなの?」
 
イメージ 2 明日には台風が近づくと思い、朝一番で上高地に入り、日帰りで帰る予定で訪れましたが、河童橋で油絵を描くホームレス画伯こと、渡辺さんの話では、台風の動きが遅れており、明日も大丈夫との話に少し後悔したものの、我家ではピーちゃんが待っています。
 
 写真は、我家の家族のお気に入りで、天然温泉のある上高地温泉ホテルで、日帰り入浴も可能で、無料の足湯もあります。
 
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 河童橋から梓川の対岸を20分ほど歩くと、ウェストン碑に到着しますが、私は焼岳登頂以来、久しぶりに立ち寄りました。
 
 日本(北)アルプスに魅了され、明治時代に諸外国に日本アルプスを広めた功労者、ウォルター・ウェストンの碑が穂高橋の近くにあります。
 
 ここから南に歩くと西穂高岳の登山口があり、更に進むと焼岳の登山口があります。
 
 穂高橋から西穂高岳まで、上りが約6時間、下りが約4時間となっていますが、西穂高へは飛騨側からの登山が多く、上高地からの登山は少ないため、登山道が荒れており大変な行程となり、下りだけでも半日仕事となります。
 
 焼岳へは上り3時間、下り2時間と案内されていますが、こちらもよほどの健脚でなければ一日の行程となります。
 
イメージ 4 穂高橋から見る北アルプス穂高連峰です。
 
 ここから20分で田代池と田代湿原に至り、更に20分程度で大正池に到着します。
 
 バスターミナルへは15分、梓川沿いに散策すれば30分程度必要になります。
 
 
 
 さて、日帰りの上高地行きは久しぶりですか、朝8時に大正池を出発して田代池、河童橋へと歩き、ここから約1時間かけて明神池に至り、1時間半かけてバスターミナルまで戻ってくると、計算上は簡単そうですがかなりの苦痛を伴います。
 
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 本日の上高地は、紅葉の3連休のため観光客も多く、午後3時にはバスターミナルにはバスの乗車を待つ人の列ができましたが、台風19号が近づいているため昨年と比較すれば寂しい人出です。
 
 本日の(家内の)万歩計は1万4千歩ほどを記録しました。
                         本日の体重 75、3キロ
                                  10月12日の一言

上高地へ到着です

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 「大鹿さん、何時に到着するの?」
 「今釜トンネルの中だから、あと10分かな」
 「じゃー、今から一輪車持っていくよ
 「はい、はい」
 
 上高地に到着直前に、渡辺画伯から見ていたようなタイミングで電話があり、すぐに到着すると言ったものの、あまりにも見事な紅葉に大正池で途中下車しました。本日も好天です。
 
イメージ 2 午前10時の河童橋です。
 
 紅葉期最後の連休のため、観光客は多いものの、ほとんどのお客さんが大正池でバスを降りて歩いてくるため、河童橋は1時間後以降に増えると思われますが、観光バスが規制されて入ってこれないことと、台風19号が近づいているため昨年よりは観光客が少ないと思われます。
 
 昭和49年に初めて上高地を訪れ、議員になってから15年間は開山式や、音楽祭に訪れ、夏休みは家族全員の夏休みとしており、昨年からはテントを3種類用意したことと、上高地で長期滞在する人々からラブコールが届くため、わが故郷に帰ったような気持ちにさせられます。
 
イメージ 3 7月から上高地に滞在している渡辺画伯も、今月20日に千葉に帰ってしまうため、今年の上高地最後のツーショットとなります。
 
 さすがに隣りにテントを張っていたことや、千葉の自宅を訪問していることから、人見知りする相棒リマも馴れているのか、画伯の前ではおとなしくしています。
 
 もっとも、ペットの持ち込みに厳しい上高地のため、相棒も雰囲気から察している様子で、我家では人に鳴き続けるものの、上高地では家内のリュックの中でおとなしくしています。
 
 昨日予定されていた公共交通の視察が中止になったことから、昨日から訪れれば良かったと後悔しても遅く、明日以降に襲来する台風を気にしながら、ひと時の休息日となのました。この時期の木々の香りは最高に香り、鼻から私の身体中に染み込むように感じます。
 

上高地行き 本日の平湯です

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 安房トンネル西側の休憩所です。右に行くと平湯温泉、左に行くと高山方面です。まもなくトンネルを通過し、釜トンネルから上高地へ入ります。
 
 この辺りでも紅葉はすすんでいます。台風が来るのが信じられないほど晴天の一日となりそうです。
 
 

更なる体重の減量を目標に 管理栄養士さんの指導を受け

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 本日夕方の風景ですが、稲刈りの時期ではあるものの、台風19号の予想進路の真ん中に愛知県が入っているため、あわてて稲刈りを始めた農家も多く、この田んぼのご主人も暗くなってもヘッドライトを点けて作業されていました。
 
 最後の収穫期を迎えて、大型台風の通過は稲が倒れてしまうため、農家にとっては大変な痛手となるものの、農家の多くが稲刈りを専門業者に委託しており、やりたくともやれないのが現実で、できるだけ被害を少なくしたいものです。
 
 本日は午前中に、津島市保健センターで3回目となる管理栄養士さんの指導を求め、私の順調すぎる体重の減少について確認し、今後の生活習慣と食事の見直しなどについて指導を受けてきました。
 
 相談した6月には79キロ台から80キロを前後していたものの、8月の後半から減少を続け、9月のはじめに77キロ台となり、9月後半には76キロ台となり、10月からは75キロ台に入り、2日前より74キロ台になりました。
 
 減量の理由について、管理栄養士さんから饅頭など甘い間食の減少と、毎日訪れる珈琲屋さんのサービスで出されるシュークリームを食べないことなどを指摘され、このままでもしばらくは減少するとの見通しを聞きました。
 
 ただし、私の身長から計算される理想体重(BMI22)は62キロであることと、健康のために許容できる体重(BMI25)は70、5キロであることを示され、指導されてから野菜の摂取量が増えたものの、糖分の摂取が減って体重が減っていることと、現状では主食となる「ごはん」が欠けている指摘もありました。
 
 減量を意識して炭水化物を減らすため「ごはん」を食べておらず、主菜となる魚や肉、豆腐、卵や、副菜となる野菜は十分に摂取しているため、今後は「ごはん」を1日3杯程度まで摂取したいものの、減量も維持したいために少しずつ増やしていこうと思います。
 
 あとは運動ですが、特別に歩くとか、新たに何か運動することも無理なため、本日は我家から3キロ弱の距離となる珈琲屋さんまで歩いて訪れることとし、一杯のご飯を増やしました。
 
 万歩計が見当たらないため、歩き始めの歩測は1分間に115歩、到着時は1分間に111歩を測り、片道30分弱かかったことから、7千歩弱歩いたと推測され、本日は7千歩は確実に歩いていると思われます。
 
 次に管理栄養士さんを訪れるのは一ヵ月後ですが、意識して運動量を増やし、主食の「ごはん」を摂取するなかで、なんとか72キロ台まで体重を減少させることを目標にしたいと思っています。
 
                          本日の体重 74、8キロ
                                   10月10日の一言
追伸
体重を減らすためにシュークリームや菓子パンなど間食は我慢していますが、塩分とか食事量を減らして減量しているのではなく、ビールは飲まないものの、赤ワインは毎日摂取し、野菜の摂取量は増えている中で減量が続いており、我慢の減量ではないので念のため…

首都圏郊外の買い物弱者に関する報道について

 「いつ頃から我家へ」
 「開業(昭和35年)した直後にお願いに廻って」
 「私が中学生の時には来ておられたから」
 「お母さんが名鉄病院に入院されてた頃には行っていた」
 「それならオリンピック頃かなあ」
 
 我家へ集配に訪れているクリーニング店のご主人が亡くなり、本日葬儀が行われ、私の少年時代から我家に洗濯物を届けていた故人の弟さんと交わした会話ですが、帰宅後に母親に聞くと、入院していたのは昭和38年と判りました。
 
 現在は月曜日と木曜日の朝に故人の息子さんが集配に訪れていますが、20年前までは故人の弟さんが訪れており、私の父親が名鉄産業で新設されたドライブインの店長をしており、その後の本社勤務も続いたことから定期的にクリーニングに出していました。
 
 それにしても、我家とは50年以上のお付き合いが続いていたものの、自宅の入り口に置いておけばクリーニング後に届けられる関係で、衣類を持ち込むお客ではなく、ご主人との関わりは少なかったものの、50年もの長きにわたった取引が続いていたことにびっくりする一日となりました。
 
首都圏郊外でも買い物困難に 移動販売・市場などで支援
記事の続き…
 毎週金曜の昼、ここに2トントラックが放送を鳴り響かせてくる。静まりかえっていた5階建ての団地から、お年寄りや主婦が次々に出てきた。京王電鉄が昨年11月に始めた移動販売の車だ。
 荷台には野菜や果物、弁当、花など300種類の商品がぎっしり。近くで1人で暮らす石崎静子さん(88)は、ブロッコリーやインゲン豆を買った。「実際に見て選べる。宅配してもらうより楽しい。今日はこれでサラダをつくるの」と笑顔をみせる。カラオケ仲間に会えるし、会話も弾む。
 値段は京王電鉄の系列のスーパー「京王ストア」と同じ。たくさんは食べられないお年寄り向けに弁当は小さめで、卵は4個入り、コメも2キロ詰めから並んでいる。
 商店街の真ん中にあったスーパーの大丸ピーコックは2010年に閉店した。移動販売は週5日、ニュータウンを中心に計16カ所をまわる。1日100人ほどが訪れ、売り上げは10万円ほど。利益はまだ上がっていないが、京王電鉄は「沿線が住みやすいまちになれば、鉄道や不動産などグループの収益にもつながる」という。
 JR大船駅からバスで十数分。横浜市栄区の公田(くでん)町団地は60年代、丘の上にできた。団地唯一のスーパー「そうてつローゼン」は96年に閉まり、後に入ったコンビニも07年に営業をやめた。いまの人口は2千人ほどだ。
 ここでは毎週火曜、生鮮品を売る「あおぞら市」がある。タマネギ5個は税込みで150円、バナナは一房120円。コメや調味料など日持ちするものは、あおぞら市とは別に、ほぼ毎日、売っている。丘の下のスーパーより高めだが、1日数十人が来る。姉と2人暮らしの長沢暁美さん(75)は「重い物は、ここで買う」と話す。
 運営は、団地住民の有友フユミさん(67)らが09年につくったNPO法人「お互いさまねっと公田町団地」。「買い物をする場所がなくなって、初めてありがたみを知った」と有友さん。商品はネットや団地外のスーパーなどで仕入れている。
 メンバーは、店の前を通りかかる人にも「元気にしてる?」などと声をかける。客や通行人の情報をきっかけに、病気で動けなくなった人のために救急車を呼んだり、介護の悩みを行政にとりついだりすることもある。地域の見守り役だ。
 20人弱のメンバーは平均年齢が70歳を超えた。運営側の高齢化が、最大の悩みだ。
■「買い物弱者」全国に600万人
 東京都青梅市では、地元のスーパー、マルフジが昨年10月から、千ケ瀬(ちがせ)店と周辺の7カ所を結ぶ無料バスを週に3日、1日6便走らせている。「バス停」は食品スーパーが閉まった場所などで、1日20人ほどが利用している。
 モノをたくさん買う働き盛りの世代は、首都圏の郊外で減り始めている。スーパーの閉店が目立ち始めたのは、こうした流れと無縁ではない。
 国勢調査によると、生産年齢人口と呼ばれる15~64歳の人数は、2000~10年に、東京23区では20万人あまり増えた。一方で、23区以外の東京都と神奈川県、埼玉県、千葉県の周辺地域では計66万人減った。
 経済産業省によると、店が閉まったり公共交通が不便になったりして、日ごろの買い物が難しくなっている「買い物弱者」は10年の調査で全国に約600万人。地域別の内訳は出していないが、今後も増えていくと、経産省はみている。
 
 本日の新聞報道ですが、東京都の周辺でもスーパーの閉鎖で、年金暮らしの高齢者が買い物弱者になっている現状と、打開するために大手企業が移動販売車を巡回させている紹介もされています。
 
 ただし、東京の郊外での買い物弱者は多いものの、その対象者の人口も密集しているため対応もしやすく、我々の住む愛知県西部の買い物弱者はそれ以上に厳しい現実があり、過疎化された山村や農村部では収益を考えたら絶望的な状況下で対策が講じられてきました。
 
 一般的に、鉄道駅やバス停から400メートル以上離れた地域を交通空白地域と言っていますが、 東京都武蔵野市では、バス停から300メートル以遠の地域を交通空白地域と決め、バス停から300 メートル以内の地域でも、バスの便が少ない地域を交通不便地域とし、これら交通空白・不便地域の解消を図り、高齢のかたや小さなお子様連れのかたをはじめ、多くの人が、気軽に安全にまちに出られるようにすることを目的に、コミュニティバス「ムーバス」を運行しています。
 
 私の住む津島市では、コミュニティバスのバス停が町内に一ヶ所あればそれで十分程度の感覚しか行政にはありませんが、武蔵野市の感覚で考えれば、市内のほとんどが交通空白地帯となり、この地域に生活する人の多くが買い物弱者、「買物難民」となる可能性が出てきます。
 
 ただし、かつては村に一軒はあった「万屋(よろずや)」や酒屋が無くなって不便だったものの、最近は各町内に一軒はコンビニエンスストアーができ、スーパーやフード店の宅配サービスもあることから便利になってきました。
 
 地方は首都圏の先進例が時期遅れで到来することから、報道された発信に耳をすませて、現状把握に努めるとともに対策を考えておきたいもので、それでも対応できない個々の事例も存在することも忘れてはなりません。
 
                       本日の体重 74、9キロ
                                 10月9日の一言 

新しいアシックスシューズの話です

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 先週の土曜日に購入したランニングシューズ(手前)です。
 
 今から20年以上前の話になりますが、スポーツショップで6千円程度のシューズを購入したところ、それまでのスポーツシューズは2時間程度の仕事でも足首や踵が痛くなっていたのが、全く痛むどころか疲れも少なく、それ以来シューズはアシックスのランニングシューズと決めて履き続けてきました。
 
 スポーツショップで5千円から6千円したランニングシューズが、靴の量販店では4千円程度で購入できるようになり、一時は3千円代の安価なシューズもありましたが、最近ではアシックスのシューズが見つからず、仕方なくよく似たシューズを履いたところ、すぐに足が痛くなりました。
 
 今まで履いていたシューズは名古屋まで出かけて購入しましたが、同程度のシューズを探しても見つからず、ガムテープで補修して履いていましたが、今回は四日市市の大型スポーツショップまで出かけて購入してきました。
 
 インターネット上ではアシックスのロードジョグが、安価(3千円代)で当たり前に表示されるものの、私の住む愛知県津島市周辺では品物が見当たらず、四日市市ではロードジョグではなくアスティード(4,212円)を購入してきました。
 
足首ずれないランナー靴登場 アシックス
 
 本日の新聞記事には、「足首ずれないランナー靴登場」と題して、後ろ半分に樹脂製の補強材を交差させてとりつけ、着地や蹴り出しで足首がずれないようにしたほか、靴底のクッション性も高めたマラソンランナー向けアシックスの靴が発信されていました。
 
 
 さて、新しいシューズの発任務は、日曜日の上高地から再来週の日曜日の高野山行きとなりますが、今週末は雨天となりそうです。
 
 「もう、邪魔だから捨ててよ」
 「いや、まだ履くんだから…」
 「何のために新しいのを買ったの」
 
 家内に怒られますが、一番最初に購入したシューズは未だに残してあり、先代、先々代のシューズ(添付した上の2足)は今でも時々履いており、たかだかシューズと思われるかもしれませんが、自分にあった履き慣れた靴は重要です。
 
     本日8時の体重 75、0キロ
            本日12時の体重 74、9キロ
                  本日夕食2時間後の体重 75、6キロ
                                    10月8日の一言

上高地で一喜一憂となる一日に 

イメージ 1 「今度の日曜日の都合はどうかな?」
 「何かあるんですか」
 「高山の方まで行きたいんだけど…」
 「高山だけですか?」
 「伊勢神宮でも良いんだけど、
     あんた、そっちの方が好きでしょう」
 
 「上高地?」
 「そう、そう」
 
 今週末に奥さんの法要があり、大阪や九州から親族が訪れる知人からの電話で、親族を何処かに連れて行ってやりたいとの依頼に、「本当は、3連休に上高地に行きたかったけど」と、土曜日に公共交通の視察となって上高地へ行けなくなっていたことを話し、「こちらからお願いしたいくらいですよ」と大喜びで電話を切りました。
 
 その10分後に…
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 「大鹿さーん」
 「はい、はい、お久しぶり」
 「今度いつ来るの?」
 「日曜日に行くことになって」
 「来る時に
     ビールと生卵持ってきてくれる?」
 「それだけで良いんですか?」
 「今年は20日で帰るから」
 
 「上高地に行ってくれ」との依頼から、10分後に上高地のホームレス画伯からの電話があり、「日曜日は上高地だ。席があればお前も…」と、帰宅後に家内へ週末の上高地行きを話し、「今は紅葉が最高だぞ」とその気になっていると…
 
 「連絡したら、弟は腰が悪いと言うので行けなくなった」と、お断りの電話が入りました。画伯と約束してしまったことと、元々行きたかったことから、家内の行く気が出来たことから、車中泊で上高地と御嶽山の参拝に行くことに決定です。
 
 その30分後に…
 
 「あれ、今日○○さんは?」
 「入院したよ」
 「えっ、どうしたの?」
 「脳梗塞で」
 「えっ、いつに?」
 
 本日夜の書道会で、メンバーの一人が入院していたことが判り、先週の書道会で身体の異変から「病院に行った方が良いよ」と、「脳梗塞」について話が盛り上がっていた記憶がよみがえりましたが、その翌日に救急車で運ばれていたようです。
 
 幸いにして症状は軽そうですが、限られたメンバーのため、一人が居ないことの精神的影響は大きく、書道展用の練習に入ろうとしていたものの、復帰を待って全員で作品を完成させたいと思う一日となりました。
 
                       本日の体重 75、5キロ
                                10月7日の一言 

着物と雪駄で1千キロ徒歩の旅に驚かされて

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 大型台風と言われた18号は、私の住む愛知県西部には何事もなかったように通過し、午前中には青空が広がり、夜には見事な月が輝きました。続いて発生した19号も無事に通過することを祈るばかりです。
 
着物と雪駄で1千キロ徒歩の旅 風呂敷背負い70日
記事の続き…
 秋月さんは米国の高校を卒業後、入学した早稲田大で能のサークルに所属。学んだ日本や日本人の心を大切にしたいと卒業後は着物姿で通している。
 一方で電車やバス、タクシーなど現代の交通体系に頼らないライフスタイルを模索。どこに行くにも歩くと決めているという。大学を卒業して東京を離れ、神奈川の実家に戻った時も徒歩で帰った。
 なぜそんなに歩くのかとよく聞かれるが、返答は「歩くのが仕事になっている」。以前、随筆に「魚が水の中を泳ぎ、鳥が空を飛ぶように、人間とは歩くものだと知った」と書いたことがあるが、今回、自身の最長距離を歩き通し、「やっぱりもう仕事ですね」と会心の笑顔を見せた。
 水俣で知り合った女性と結婚し、福祉施設勤務のかたわら、東京では古典を教える塾も開く。福祉施設内では制服だが、通勤はもちろん片道1時間半の「着物ウオーキング」だ。
 
 本日の新聞記事ですが、普段から着物姿で雪駄(せった)履きの生活をおくる神奈川県の男性が、着物と雪駄姿で大分県水俣市から、四国、紀伊半島、東海地方を70日ほどをかけて歩いて神奈川県厚木市に到着していたと記されてきました。
 
 現代社会の中で、茶道や華道を生業とする人は別として、日常生活を着物ですごす男性は珍しく、荷物を風呂敷包みで背負って1千キロを超す距離を完歩したことに驚かされますが、判っていたら愛知県通過中に出会いたかったものです。
 
 敗戦直後の話となりますが、稲沢市に住む父親の友人が、我家の水田を耕すため牛と一緒に来てくれたことがあり、10キロ程度の距離を歩く牛のために8足のワラジを履き替えてきたとの話を聞いたことがあります。
 
 遠州森の石松が、静岡県から四国の金毘羅宮に参拝した話は有名ですが、当時の履物や荷物を考えると大変な旅だったことが偲ばれ、今回の36才の男性も雪駄を5足履きつぶしたとありますが、好きで行なった事とは言え、今年は雨も多かったため大変な旅程だったと思われます。
 
 私の少年時代は大学に進学して、大企業に就職するのが理想のように思われていましたが、企業の終身雇用体制や年功序列が崩れ、最近の若者は我々がやりたくても出来なかったような体験をいとも簡単に実行してくれますね。
 
 一方で、我々の若かりし頃なら、着物と雪駄姿の若者が風呂敷を背負って歩いてきたら、見て見ぬふりをされ、誰も関わりたくない危険人物と思われたと思われ、「途中で多くの人に声をかけられ、食料をもらったり、自宅に泊めてもらったりした」との報道に、世の中の大きな変化を実感させられました。
 
 私が四国遍路で名古屋から夜行バスに乗る際、白衣と菅傘の遍路姿で自宅からバスに乗ろうとしていると、「お父さん、恥ずかしいから止めて」と、家族が車で名古屋駅まで運んでくれましたが、私自身にも非日常的とためらう気持ちがありました。帰りは遍路姿のままバスで帰宅しましたが…
 
 今月は高野山の麓から高野山まで旧道を歩いて登る計画がありますが、わずか2泊3日の旅程でも積み込む荷物と装備を考えてしまい、ましてや1400キロと言われる四国の歩き遍路は過酷な旅程を考えて準備万端で臨みますから、5足を履きつぶしたと言えども雪駄での旅には驚かされました。
 
                      本日の体重 76、2キロ
                        午後3時の血圧 117ー72
                                    10月6日の一言

上高地の焼岳も噴火の危険との発信に

 御嶽山の噴火を受け、「火山噴火予知連絡会」の緊急会合が先月28日に気象庁で開かれ、噴火で被害が出る恐れのある47火山を24時間体制で監視しているが、御嶽山は、その中でも特に活動が活発とされる23火山のひとつだったと発信されています。
 
 ならば、何ゆえに前兆となる地震が頻発していたのに登山規制や警戒情報が発信されなかったのか疑問になるが、「噴火は想定外だった」と言うのであれば、同じように噴火した昭和54年の結果が全く活きてはおりません。
 
草津、上高地、富士山、伊豆諸島…噴火秒読み7火山
 
 全く恐ろしいのは、私が何度も訪れている上高地の焼岳も同じように危険と発表されていることで、立命館大環太平洋文明研究センター・歴史都市防災研究所の高橋学教授は「前兆が観測され、御嶽山の噴火は時間の問題だと分かっていた」と指摘し、御嶽山と同様に周辺で地震が頻発しているのが、草津温泉の近くの白根山と、上高地の焼岳だと発言していることだ。
 
 焼岳については1915(大正4)年6月に水蒸気噴火を起こしており、この時の泥流が梓川をせきとめ大正池を造っており、昭和に入っても何度も噴火を繰り返し、平成7年の水蒸気噴火では安房トンネルの建設関係者4名が犠牲となっています。
 
 問題と思われるのは、東日本大震災直後から焼岳の地震活動が活発化し、有感地震が多発していたにも限らず、特別に警戒されていたとは思えないことで、登山者は簡単に噴火口付近まで登頂して写真を発信していることです。そういう私も最近10年間に3度家族と登頂しており、全く危険とは思ってもいませんでした。
 
 今回噴火した御嶽山については、信仰を目的に登頂している団体の多くが、8月のお盆前に参拝をすませ、お盆以降は「天候不順・雷雨」を理由にして団体での登頂はしないようにしているようです。
 
 かつては数台のバスを連ねていた御嶽講が壊滅状態になっており、「秋の紅葉シーズンに行けば参加する信者も増えるのでは」との私の意見に、「お盆が過ぎると雷が発生しやすくなる」と言われた先達さんの一言が今でも鮮明に記憶されており、噴火は別としても、山の危険を考えない最近の登山への警鐘も大事に思います。
 
 さて、本日は名古屋の叔父の一周忌が行われ、日ごろ節制してきたのが台無しとなる豪華料理を残さず食べてしまい、帰宅後にも普段より多めの食事を摂ったため、体重計が大幅に増えていると思いましたが、体重計は正直です。
 
 法要後の雑談の中で、我家の大正から昭和初期にかけての貧しく苦しい時期の話となりましたが、当時の状況については、昭和47年にグアム島で横井庄一さんが発見され、横井さんが我家の大鹿庄一として生活していたことから知ることとなり、横井さんは私以外には夫人にも苦難の貧乏暮らしを語っておらず、私だけしか知らない話になってしまったようです。
 
                          本日の体重 76、4キロ
                                   10月5日の一言  

買い物のスーパーから見事な夕暮れが…

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 嵐の前の静けさ…よく聞く言葉ですが、週明けに大型台風が近づいており、私の住む愛知県も暴風雨圏内に入りそうな予報が気になりますが、本日の夕暮れは見事な茜雲となっており、風光明媚な山や海なら感動の夕暮れだったと思われます。
 
御嶽山の噴火、死者50人に 台風接近で捜索難航の恐れ
 
 御嶽山の噴火で、本日新たに心肺停止状態の4人が発見され、長野県警は、このうち3人の死亡を確認し、噴火による死者は計50人になったと報道されています。安否不明者が16人と公表されており、今後も捜索は続けられるが、台風18号の接近で5日以降は悪天候になる見込みで、捜索は長期化しそうです。
 
 私の住む津島市の消防本部からも明日と明後日に現地の捜索に派遣され、明後日に山頂付近の捜索に加わるとの報道がありましたが、捜索に加わる月曜日は台風が接近するため捜索に参加できない可能性も考えられます。
 
台風18号、5日に九州・四国に接近 6日には本州へ
 
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 残された不明者は火山灰の下になっているため、雨により火山灰が固まると余計に発見が難しくなりそうですが、それ以前の問題として台風の勢力が大きいため、土石流の発生や土砂崩れによる現地の被害拡大も心配になりそうです。
 
 台風18号は、5日に九州や四国地方に近づき、6日には本州の太平洋側に接近するようですが、気象庁は前線が活発になるため、明日から明後日にかけて西日本から東日本の太平洋側を中心に大雨のおそれがあると、大雨や暴風、高潮に警戒を呼びかけています。他人事ではなく、我家の心配も急務ですが、明日も明後日も予定が入っており、無防備を承知で台風を迎えることになりそうです。
 
 さて、添付した茜色の夕暮れをこの一言に度々添付してきましたが、私の尊敬する鶴田浩二さんの最後の曲となった「望郷歌」の雑誌の宣伝が「茜色」をバックにしていることと、鶴田さんの同期の桜の台詞中に「茜色の夕燒け空が拡がる時に、俺は必ず征く」とあることから、感情移入してしまいます。
 
 物資も届かず敗戦が確実となりつつある昭和20年にも、こんな茜色の夕焼けが当たり前に存在し、明日の命が判らない若者たちも見ていたと考えると、朝一番の日の出も魅力的なものの、どうしても夕焼けに惹かれてしまいます。
 
 鶴田浩二 「同期の桜」 台詞
昭和20年3月21日 陽光麗らかな日
「美しく立派に散るぞ!」 
そう言って一番機に向かう戦友(とも)の胸に、
俺はまだ蕾だった桜の一枝を飾って送った 明日は俺の番だ
死ぬ時が別々になってしまったが、靖国神社で逢える
その時は、きっと桜の花も満開だろう

3月26日 花爽やかに開く日
お父さん、お母さん、只今より出発します
この世に生を受けて二十三年 
まさか、お父さんやお母さんより早く死ぬとは思ってもいませんでした
お母さん、「泣くな」と言うのは無理かも知れません
でも、どうか「よく死んでくれた!」そう言って下さい
私達は祖国を護る為に死んで行くのですから

4月2日 春雨の煙る日
幸か、不幸か、俺はまだ今日も生き延びている
だが、雨が上がり、虹が橋を架け、茜色の夕燒け空が拡がる時に、俺は必ず征く
後に続くことを信じて
俺達の死を決して、犬死にしてもらいたくないのだ
海軍少尉、小野栄一、身長五尺七寸、体重十七貫五百、極めて健康!

                   大鹿一八  本日の体重 75、8キロ
                                   10月4日の一言

道端に咲き誇る花の中を走り

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 我家から500メートル離れた椿市町の道路ですが、右側の路肩に花が咲き誇り、奥に見える神社まで走ると、今度は左側の路肩にコスモスの花が咲き誇っており、ここだけを見ればホッとする田舎の風情が漂います。
 
 添付した黄色い花は、地域の人々が外来コスモスと話しておりますが、キバナコスモスと思われ、繁殖力も強そうなため、地域ぐるみで種をまけば良さそうに思えますが、過去の先人が繰り返したものの、後々の草の管理ができずほとんどが姿を消してしまいました。
 
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 かつては、水田に稲を栽培せず他の作物を植えた転作や、全く何も栽培しない休耕田には国からの補助金が出されていました。
 
 この頃には、水田全体に蓮華草や、コスモスの種をまく農家も存在したものの、このような補助金が無くなり、高齢となり後継者もないことから、田植えも稲刈りも専門業者に委託する農家がほとんどになってしまい、水田の周りや道路から花も消えてしまいました。
 
 上高地を訪れる途中に走る高山市周辺の道路には、四季折々に見事に花が咲き誇っていますが、こんな配慮ができる地域や自治体の配慮が、わが市には全く無いことへの淋しさを実感させられます。
 
 我家の事務所前にあるアンズの木についても、貸し店舗の管理をお願いしている不動産屋さんから、「何で切らないの」と何度も言われ、家内にも常々言われていますが、ここを通行する人々から「見事な花」と言われることから伸ばし放題にしており、庭のある各戸にそんなこだわりがあれば地域の雰囲気も変わりそうです。
 
政活費すべてに領収書、義務化の改正案否決 岡山県議会
 
 全国各地から政務調査費の不正支出が発信され、住民の批判と議員に対する不信感も強い中で、岡山県議会では1万円以上の出費に領収書添付を義務付ける条例に対して、「すべての支出に領収書添付」を求める改正案を、最大会派の自民党の反対で否決したとの新聞報道があります。
 
 世の中では領収書の添付は当たり前で、サラリーマンの経費は領収書がなければ認められず、税務署の立ち入り調査でも領収書が無ければ経費とは認められませんから、住民の支払った税金を使う政務調査費に領収書は必須と思います。
 
 領収書が必要な自治体においても不正な書き換えや偽装が発覚している現状の中で、1万円以下の支出に領収書が必要無しとなれば、不正の確認もできないのは問題で、自治体の監査そのものが出来ません。
 
 これだけ議員の政務調査費が社会問題となり、国民の批判が強い中で、来年4月に統一地方選挙があるにも関わらず、改正案をいとも簡単に否決している現実は驚きで、1円たりとも住民の税金を不正流用させてはなりませんね。
  
                         本日の体重 76、4キロ
                                                       本日の血圧 124→66
                                  10月3日の一言 

町内のお寺で「ほうろく灸」を体験して

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 本日訪れた町内の弘盛寺(真言宗)にあった蓮の葉ですが、花は散ったものの実が残され、枯れ果てる前の葉も、我々の心にホッとする和みを与えてくれます。こんな育て方なら、一般の家庭でも十分に育てられますね。
 
 お寺を訪れた目的は、毎月1日に開催されている「いっきゅうさん」に参加するためで、毎月21日に開かれている「阿息観」に最近は参加できていないため、何をするのかも知らないままに訪れた次第でした。
 
イメージ 2 本堂前の参道に置かれた看板ですが、「いっきゅう」とは、一と灸の組み合わせで、私は「一休さん」と勘違いしておりました。
 
 受付で記名し、「飲み物は何にされますか」と問われ、お茶を飲んでから読経でも始まるのかと本堂のイスに座ると、素焼きの皿(ほうろく)の上に大きな「モグサ」を置き、もうもうと煙をたてた「お灸」らしき物をご住職が運ばれてきました。
 
 これを頭の上に置いて、頭の上にあるツボ「百会(ひゃくえ)」を刺激する「お灸」で、身体健全、病気平癒を祈願するお大師様伝承の祈祷法で、春が過ぎた梅雨前に大々的に行なわれているようです。
 
 今まで新聞に紹介された「ほうろく灸」については記憶にありましたが、まさか本日体験するとは思っておらず、頭の上に火のついたお皿を乗せて、両手で押さえているとジワジワと額に汗が噴出し、久しぶりに頭の熱い体験となりました。
 
 お寺の「ほうろく灸祈祷」の案内チラシによれば、焙烙(ほうろく)を頭の上に載せ、頭頂部にあるヅボ(ひゃくえ)にお灸を据えて、身体健全、病気平癒を祈願するお大師さま伝承の祈祷法ですと記され、効能として全身調整、健忘、頭痛、めまい、抜け毛、精神不安、高血圧、更年期、視力低下等々と案内されていました。
 
 久しぶりに訪れた寺の境内では、信者の遺骨を納める納骨堂の建設が続けられており、それに伴う庭の整備によって、私が四国別格二十霊場第14番椿堂(四国中央市)で頂いてきた弘法大師ゆかりの椿も一緒に植えられるとの話を聞きました。
 
椿堂のツバキ
 弘仁6年(815年)四国巡錫中の空海(弘法大師)が当時この地で熱病が流行しているのを聞き、杖をもってその邪気を地中に封じ込めたという。空海が立てた杖から椿が芽を出しやがて大木となったという。その伝承より「椿堂」と呼び、この地方の地名になったようです。
 
 椿堂のツバキについては、幕末の安政6年(1859年)に寺院の火災により椿も焼亡し、現在の椿は焼け跡から再び芽が出たもので空海の伝承から4代目になり、「大師お杖椿」と呼ばれ境内の向かって右側に生育しています。
 お杖椿の葉を湯呑みの水に浮かべ、光明真言を7回唱えたのち、その水を飲むと病気平癒の霊験があるとの伝承もあります。
 
光明真言(こうみょうしんごん)
オン アボキャ ベイロシャノウ マカボダラ マニ ハンドマ ジンバラ ハラバリタヤ ウン
 
 四国から遠く離れた愛知県で、「大師ゆかりのお杖椿」として大きく成長し、病気平癒の霊験を発揮するまで生きて見守りたい心境の一日ともなりました。
 
                            本日の体重 75、5キロ
                                     10月1日の一言
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