大鹿一八「本日の一言」

平成16年2月から令和1年7月末までの「本日の一言」です。ヤフーブログ閉鎖により、ライブドアへ過去の記録として引っ越しました。

2014年11月

一家団欒はペットが主役に…

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 事務所に私が居るときは鳥カゴの扉を開けてあるものの、「ピーちゃん」が自分から出てくるのは珍しく、私の手に乗っているときに出すことがほとんどですが、本日は開けた途端に私に飛びついて左肩に乗ったまま離れません。
 
 最近は手は嫌がりますが、肩に乗せて移動しても何とかそのままで移動が可能になったことから、連れたまま台所に連れていったところ、私の相棒リマが私にくっついたままのピーちゃんに嫉妬したのか私の周りを離れません。
 
 私には4人の子供があり、現在も3人の息子が同居していますが、日中は誰もおらず、台所はリマが主役になっており、ここにピーちゃんが登場し、私達が食べるお菓子や果物をもらうようになり、リマが二の次にされる場面が増えました。
 
 ピーちゃんが生まれて目が見えるようになった初期段階でリマを見ているため、リマを見ても驚くことはなく、怖がることもありませんが、相棒も普段は何事もないものの、ピーちゃんが羽ばたいて部屋を飛び回る姿を見ると興奮して暴れだします。
 
 リマは遊び感覚かもしれませんが、万が一のことがあってはいけないので、家内が慌ててリマを抱きかかえるため、このことも気に入らないらしく、リマは益々不機嫌になっていきます。
 
 幸いなことは、ピーちゃんに菓子や果物を与えるときは、相棒リマも一緒にもらえるため、このことが平穏な時間に引き戻してくれます。
 一方で、私がポケットや上着の内側にピーちゃんを隠してリマの隣に行くことがあるため、リマはピーちゃんの匂いが気になり、私の手や衣類を嘗め回しており、私は苦にもしていませんが、私の身体はスズメと犬の匂いで一杯になっていると思われます。
 
 本日のテレビ番組で、犬の大量遺棄が問題となり、ペットの飼い方も社会問題となることがありますが、我家も大人ばかりの世帯となっており、娘が孫を連れてきたときは孫中心になることから、大人ばかりで殺伐とした世帯でペットの存在は大きくなっています。
 
 孫の面倒をみるような難しさはなく、自分の意のままとなるペットとのひと時は、家庭円満に一役かっており、いずれ相棒の頭に乗るピーちゃんの姿を目指して、本日もペットが主役となる我家の一日が経過しました。
 
                  本日の体重 72、4キロ 徒歩 家庭内だけ
                                    11月30日の一言

夜になってから家内と歩き出して

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本日の蟹江町中部第一運輸の火災 PM9時40分現場から500m
 
    ANNニュース
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29日夕方、愛知県蟹江町の運送会社から火が出て、倉庫などが現在も激しく炎上しています。
 午後4時17分ごろ、蟹江町の運送会社「中部第一輸送」の関係者から、「倉庫の2階から火が出ている」と119番通報がありました。火は激しく燃え広がり、地元の消防に加えて、隣の名古屋市消防局からも応援が出て消火活動にあたっていますが、倉庫とみられる約5階建ての建物が現在も激しく炎上しています。警察によりますと、従業員は全員、避難し、これまでのところ、けがをした人はいないということです。現場は、東名阪道の蟹江インターチェンジのすぐそばで、煙や火の粉が流れ込んでいるため、東名阪道は現場付近で通行止めとなっています。
 
 「歩いてこようか」
 「…うーん、…行こうか」
 
 水曜日と金曜日は珈琲屋さんまで歩くことをノルマとしていますが、家内と歩くことは考えてもおらず、アルコール(赤ワイン)の入った夕食後に歩いたこともありませんが、昨日一緒にインソールを購入していることから午後9時に家を出ました。
 
 その時、知人から蟹江町で火災が起きているとの電話があり、家内もテレビニュースで見たとの話から、普段は自宅から北方向に歩いているものの、火災現場の方向に歩き出しました。
 
 家を出た直後に、火災現場方面の上空にヘリコプターが飛んでいるのが確認でき、1キロも歩いた頃にはヘリコプターの音が聞こえ、2キロも歩くと火柱や煙も見え出したため、目標を蟹江町にして黙々と歩き出しました。
 
 さて、我家の息子たちは陸上部に所属し、陸上だけで大学まで進んだ長男をはじめ、3人とも全国大会を経験し、三男にいたっては自転車の選手でしたが、今年春に練習をせぬままハーフマラソンで14位になるなど走ることを苦にもしませんが、私は学生時代から走るどころか歩くのも苦痛でした。
 
 インソールを購入したからではありませんが、数日前から腿を上げずにゆっくり走ると疲れないようになり、本日は競歩のように両足が地面から離れないように走ると、足への負担も少ないことを実感しました。
 
 減量したとはいえ、73キロの体重がドンドンと片足にかかるのと、どちらか片足は地面についていることを意識して走ると、最近は歩きなれているため呼吸も苦しくなく、足腰への負担も歩くことの延長のような感覚です。
 
 ほとんど歩いていない家内と一緒のため、私が走ると家内も走らないとならないため、家内のペースを意識して歩きましたが、「戻ろうか」を連呼する家内を火災現場まで連れ歩くことは不可能で、現場から500メートル地点まで歩いてから帰りました。
 
 私自身は「8千歩」を携帯電話の歩数形のノルマにして、「一万歩」は当たり前と思い、「戻ろう」を連呼する家内にも「一万歩までは」を繰り返しましたが、私の携帯電話の歩数計と家内の歩数計が違う事を、携帯電話の性能差と思っていたものの、家内の歩幅が狭いため、家内は私より多くの歩数になることも本日理解しました。
 
 本日の蟹江町の火災は、東名阪自動車道を通行止めにし、隣を走る西尾張中央道も迂回が必要になり、私の添付した写真を見た知人が、午前0時過ぎに現場に走ってから状況を連絡してくれましたが、火の手は収まってはおらず、ドンドンと破裂する音も聞こえたとの話です。
 
 この運輸会社は、かつて七宝町に本社があり、30年ほど前に現在地に移転したものの、若かりし頃に毎日夕刊を届けており、親しく話す人々もあったことから、一刻も早い復興を図ってもらいたいものです。
 
                本日の体重 72、3キロ 徒歩数 10929歩
                                    11月29日の一言 
追伸
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こんなすごい火災なんですね。午前1時になっても火勢は収まっていません。

相棒とともに開店したスポーツデポ蟹江店へ

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 我家の相棒リマのお気に入りの一つが私の助手席で、車窓から見える風景と、窓から入る涼しい風がお気に入りで、長距離移動の際には後部座席に相棒のスペースを用意しますが、助手席から離れません。
 
 本日から12月議会が開会し、午後1時半には終わりましたが、議員になった際に配布されていた防災服の回収が本日付のため、市役所に届けるとともに、相棒に家内と三男を伴って蟹江町に本日開店した「スポーツデポ」へ向かいました。
 
 相棒は3ヵ月間だけ預かる約束で我家に来ましたが、長男に車で連れてこられたため、飼い主のもとに帰りたかったのか、私の車に乗って出歩くのが好きで、一緒に出かけるとともに、深夜も相棒と一緒に寝ていると別れられない関係になってしまいました。小学生の頃に飼っていた「まる(スピッツ)」が、生まれ変わって帰ってきたとさえ思えました。
 
イメージ 2 本日開店したスポーツデポは、桑名市にも大型店舗が存在し、10月にアシックスのランニングシューズを買ってきました。
 
 ただし、使いふるしたアシックスシューズより底が固いため、ガムテープで補修した前のシューズの方が履き心地が良く、最近はじめたウォーキングや短い距離のランニングでも足腰に負担が増えました。
 
 三男は柔道整復師の仕事をしていますが、元々が陸上や自転車の実業団チームに所属していたことから靴については詳しく、最近では患者さんのリハビリで靴の中敷を調整したりしているため指南役としてついて来てくれました。
 
 私はアシックスのシューズにこだわっていますが、値段にもこだわりがあり、7千円以下と決めているものの、三男に言わせると「高いシューズから選ぶ」と言い、私は軽くてクッションの良い靴を選びますが、三男は力が逃げない固い靴を選ぶと言います。
 
イメージ 3 もっとも、三男は「自分にあった靴が高くても、足腰を痛めて治療院に行くよりは安くつく」と言い、接骨院の患者さんの靴選びや痛みを和らげる靴の調整をしているようで、本日は私の希望するクッション役のインソールを選んでくれました。
 
 高い靴はインソールも良い物が使われているとの事で、本日購入したインソールを入れ替えて歩くと、確実に足への衝撃が減り、走っても足腰や膝への負担が軽くなりました。
 
 高価な靴も履きましたが、インソールを工夫することで安価な靴でも履き心地が一変することを実感する購入となりました。
 
 この店舗にはスポーツデポだけでなく、ニトリやダイソーも入っており、近くに大型ホームセンターやスーパーも存在することから、確実に顧客の足が向くのは確実で、隣接する市町に次々とオープンするショッピングセンターと、何も進出してこない津島市を考えると複雑な一日にもなりました。
  
               本日の体重 72、9キロ 徒歩数 9724歩
                                   11月28日の一言

白夜のようになった住宅環境から

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午後9時30分の事務所前 LED照明でなんとか新聞が読める明るさになりました
 
 我家は名古屋市と津島市をつなぐ県道沿いにあり、敷地の前に名鉄バスのバス停があり、50メートル先に24時間営業のコンビニがあるためにぎやかで、事務所前と自宅前に大きな道路照明燈2本と横断歩道の表示燈があり、バス停と自販機の灯りで元々明るかったのですが…
 
 最近になり道路照明燈がLED照明に交換されたため、夜でも白夜のように明るくなり、道路側では本も読めるくらいの明るさになり、電気料金が安いLED照明を町内の総ての電柱に設置すれば、夜でも照明なしで散歩ができそうに思えるようになりました。
 
 もちろん、行政頼りでは実現できませんが、各家々の協力があれば1万円から2万円程度でも照明燈は取り付けられ、LEDは電気料金も安いことから、クリスマスのイルミネーション感覚で導入は可能で、自宅の防犯対策として考えればできそうにも思えるものの、町内ぐるみの取り組みが前提となります。
 
 私の住む地域では、昭和40年代に農地の耕地整理を進める中で、各町内のまとまった土地に住宅団地が建設されて分譲されましたが、今では高齢化して老々介護や独居老人の住まいが増加しています。
 
 一方では、全国各地に最新式のエコタウンが建設され、太陽光発電で家庭の電力をまかない、住環境に配慮した街づくりやマンションが登場しており、既存の集落との環境格差は著しいものがあります。
  
 相模原市のエコタウン事業

事業名称
「ソーラーパネル輝く光が丘エコタウン創造事業」
所在地
神奈川県相模原市中央区光が丘2丁目5209番3
交通
JR横浜線「淵野辺駅」より神奈川中央交通バス「光が丘小学校前」
 
まで約10分、バス停下車徒歩1分
開発面積
34,869.48㎡
売主
大和ハウス工業株式会社
施工
大和ハウス工業株式会社
販売開始日
2013年春頃予定
入居開始日
2014年冬頃予定
総戸数
128戸
販売価格
未定

 「光が丘エコタウン」は、神奈川県企業庁が「かながわスマートエネルギー構想」を推進するため、民間の事業者が持つ企画力や技術力等のノウハウを活用し、再生可能エネルギーの利用拡大と環境に配慮した新たな住環境を創造するべく開発するエコタウンです。
 128区画全ての住戸に太陽光発電システムと家庭用リチウムイオン蓄電池、HEMS(※1)、EVコンセントを導入するとともに、環境配慮型商業施設の誘致や太陽光発電システムを搭載した集会所を建設します。
 
 
 旧来の農村型集落においても、地域全体で議論して自然環境を生かしたエコタウンを目指すことは可能で、議員であることから賛同者からでも、夜も安心して出歩ける明るい街づくりを提案していきたいと思います。 
  
               本日の体重 73、0キロ 徒歩数 2040歩
                                 11月27日の一言

ピーちゃんや私の体重からブログ文化を実感して

 昨日の一言に、我家のスズメ「ピーちゃん」の近況を記しましたが、野生のスズメを飼育することは禁止されているため、スズメの飼育を指南する専門書はなく、私は限られたネット情報と体験談を探して眼も開かぬヒナを育ててきました。
 
 さて、ブログ文化とも言われるようになりましたが、昨日の訪問者履歴の中にスズメ関係のブログがあり、そのブログ運営者の「お気に入り」の中に、我家と同じ「ピーちゃん」というスズメを16年3ヶ月も育てられた人が存在することを知りました。
 
 早速ブログを訪問し、過去の飼育記録を読み、16年3ヶ月というびっくりする長寿に心強くさせられるとともに、ゲストブックに「長寿の秘訣を教えて欲しい」と記したところ、貴重な体験談を記していただきました。
 
長生きの秘訣を教えていただけたら幸いに思います。
            ↓
早速、ピーちゃんの写真を拝見しました。
我が家のピーちゃんとそっくり!(笑)

お問い合わせの秘訣ですが
我が家では16年間、餌の他に岩塩をずっと置いてたのと
水浴び、砂浴び用の容器を置いてました。
毎日、何度も水浴び、砂浴びをするので
周囲は水や砂だらけになるのでその都度掃除が大変でした。

それと何度も食べ物を喉に詰めて死にかけた事もあり
その度に家内が爪楊枝で取り出したり
口をつけて吸い出してました。

それと何度か様子が変になって
動物病院に連れて行って注射も受けました。

家中、糞だらけになりますが
毎日、朝から8時くらいまで放し飼いで
夜は捕まえて籠に入れ階段下の物入れが
ピーちゃんの寝室でしたね。

小鳥が寿命途中で亡くなる大半は人間が誤って踏んだりすること、
家具の隙間に入って出て来れず、見つけてもらえなかった。が
多いようで
我が家も何度も大騒ぎで捜しましたよ。

その他、16年の思い出はいっぱいです。

大事に育ててあげてください。
 
 昨日の一言にも記しましたが、部屋の中を自由に飛び廻らせてやりたいと放した際に、家具の隙間からどんどん入っていき、何処にいるのか判らなくなり、大慌てで探しましたが、過去には子猫が倉庫で行方不明になったことがあり、最近でも水槽から脱走したザリガニが行方不明になったままで、体験者しか判らない記載は貴重な指南書になることを実感させられ、早速記載されていた「岩塩」を買い求めて鳥カゴの中に入れました。
 
 16年3ヶ月の飼育体験は貴重です。条例で禁止されている野鳥の飼育ですが、足元に羽も生えず眼も開かぬスズメのヒナが落ちていれば、救いたいと思うのが当たり前で、役所の窓口で「そのまま放置せよ」と言われても「放置できない」のが人間らしい行為と思います。
 ※親が近くにいるヒナや、巣から捕ってきたヒナを飼育するのとは違います。
 
 私の一言は身勝手に想いのままに記していますが、ピーちゃんの飼育体験を参考にされる人も存在し、それぞれのブログの書き込みを参考にし、体験談を指南書がわりにされていることは、ブログだけに限りませんが、市民の発信が確実に生活文化となってきたことを実感させられます。
 
 他力本願ではいけませんが、6月27日より管理栄養士さんの指導を受けていることで、80キロ前後あった体重が減少を続け、今月の10日からは73キロ台になり、21日には初めて72キロ台を記録し、昨日の72、9キロに続き本日も73キロ以下になりました。
 
 この体重の変化が健康診査の数値を改善しており、この一言に体重を記録し続けることの効果は確実にあり、訪問された人の書き込み内容は参考になり、意識の共有から励みにもなります。ブログ文化の恩恵を実感されられます。
 
 本日朝食前の体重 72、3キロ → 昼食後の体重 72、6キロ
           本日夕食後の体重 72、9キロ 徒歩数 10054歩
                                  
                                    11月26日の一言

ピーちゃんと家族の居間まで出張です 

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 本日は雨で歩くこともできず、久しぶりに「ピーちゃん」とゆっくり遊べる時間ができ、事務所内を元気に飛び回らせましたが、野生の逞しいスズメとは違い、過保護の「箱入り」ですから冒険すると家具の隙間に入り込んで出てこれません。
 
 ただし、疲れると私のもとに戻ってきますから、放置しておいても大丈夫とは思いますが、万が一過去に仕掛けたネズミの粘着シートが残されている可能性も考えると、救出作業は大変な作業となります。
 
 これまでは遊びの範囲を事務所の休憩室と限定していましたが、本日はこんな様子を見せるため自宅の居間まで連れて行き、台所を自由に飛ばせました。
 
 「ピーちゃん」、「ピー太郎」と、家内や母親が自分の手に乗るように声をかけますが、私の頭上を周回して私の手か肩や胸に戻ってきます。
 相棒リマ(ポメラニアン)は食事をもらうお母さん(家内)を一番重要に思っているものの、ピーちゃんは毎朝エサと水換えをしてもらっている家内よりも、オヤツと遊んでもらう私が大切なようで、手乗りスズメになっていますが、現実には私以外の手には乗ったことがありません。これは生まれて初めて目にしたのが、私や相棒リマだったことが影響していると思われます。
 
イメージ 2 5月3日に保護(左の写真)して半年以上が経過しましたが、眼も開かぬ赤子のスズメを育てた経験もなく、鳥を長期間飼った経験もなかったことから、保護したものの死なせないことだけに気をつけ、まさか室内で自由に遊ばせられることも、私の意志に反応して戻ってくることも夢のような出来事です。
 
 さて、保護してしばらくして愛知県の窓口や野鳥園を訪れたものの、野鳥は飼ってはいけないので外に放せとの話で、さすがに野鳥園は否定しませんでしたが、愛知県の窓口からは「今放したら死んでしまう」との当方の話に、「それでも放せ」と冷酷に言われました。
 
 野鳥を捕まえて飼育することは条例で禁止されていますが、保護しなければ死ぬと思われるヒナを放置はできず、保護しても人に育てられた野鳥は外に放せば死んでしまい、人や犬を脅威に思わず寄ってくるピーちゃんのようなスズメは放せばエサも取れず、カラスか猫の餌食になってしまいます。
 
 残念なことは、添付した写真で判るように、左足の外側の指が内側に折れてしまったことで、保護した直後に私の不注意で折れたと思われ、これも野生に戻せない根拠にしているものの、鳥カゴの限られた中で生活していくことも、人間に与えられた環境でしか生きていけません。
 エサは8種類用意し、生餌のミルワームを与え、小松菜も毎日取り替え、ビタミンやカルシュームなど栄養不足にならないように気をつけていますが、ハチミツを催促し、私が口にする菓子や柿なども大好物のため、与えすぎも問題となります。
 
 こんな関係が永く続き、私の寿命と競争するようになれば幸いで、ヒーちゃんとは本当の親子のような感覚に浸っています。
 
              本日の体重 72、9キロ 徒歩数 1003歩
                                 11月25日の一言

三男と孫から紅葉の便りが…

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 添付した写真は、京都大徳寺黄梅院で、京都を訪れていた三男が昨日訪れた際のもので、黄梅院は天文20年(1551年)に、織田信長が父の供養のために創建した黄梅庵が前身で、後天正14年(1586年)豊臣秀吉が本堂を、小早川隆景が庫裡と鐘楼、客殿を改築して黄梅院と改称したお寺です。
 
 
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 京都は紅葉の最盛期になっており、三男は2日前の嵯峨野散策から、昨日は大徳寺を経て大原を訪れており、京都のすばらしい景色がメールで送られてきました。
 
 私自身は京都が大好きで、結婚式の仲人を務めていただいた横井庄一さんの夫人が京都出身だったことから、新婚旅行の行き先も京都にしたくらいで、昭和63年から始まった朝日旅行友の会の日帰りバス旅行の旅先も京都へ多く出かけてきました。
 
 最近こそ、四国遍路と上高地の繰り返しとなっていますが、元旦の初詣は織田信長を奉る船岡山の建勲神社からスタートし、お盆の送り火は毎年京都に出向き、一年の最後となる大晦日は八坂神社の「をけら参り」と百万遍の除夜の鐘と決めています。
 
 最近では三男が度々京都を訪れており、今回は私のリクエストで丹波ワインを購入し、大原に出向いていたため宝泉院に立ち寄るよう依頼し、自分が行けない代理のように京都の魅力にはまっているようです。
 
イメージ 4 左に添付した写真は、岐阜県美濃加茂市の「日本昭和村」に出かけていた孫から送られてきたものですが、場所は不明です。
 
 孫たちは岐阜県に出向いて、「昭和村」で孫は乗馬体験もした様子をメールで送ってきてくれました。
 
 もっとも、その足で立ち寄った我家では、午後から稲沢市に買物に出かけ、孫のリクエストで「せんき薬師」に立ち寄り、買い物の後で「矢合観音」に参拝して帰宅となり、孫との貴重なひと時も知人の訪問により、外出から戻ったときには孫一家はすでに帰っていました。
 
イメージ 5 日本昭和村の紅葉も見事ですが、私の認識していなかった銭湯が昭和村に存在していたことは驚きで、銭湯は夜10時まで営業していることを知り、一度は訪れてみたいと思う一日ともなりました。
 
 
 さて、何処にも出かけない3連休となりましたが、食事が不規則となり、ご飯の食べ過ぎだけでなく、本日は「たい焼き」と「たこ焼き」に加えて、炭酸水や菓子を食べ続けたため、運動不足も加わって体重計の数値が落ちません。
 
 
 本日の体重 73、8キロ
             徒歩数 3618歩
 
                11月24日の一言
 

ボランティアのながーい一日となり

イメージ 1 本日は福祉有償運送のボランティアで、春日井市にある徳洲会名古屋病院から退院される方の送迎に、ご家族の自宅から春日井市まで走りました。
 
 この病院は昭和61年に中部地方初の徳洲会病院として開設され、本年4月に新築移転したばかりで、350床の総合病院として、徳洲会の理念である、『生命を安心して預けられる病院』『健康と生活を守る病院』の理念のもとに、年中無休・24時間対応の救急医療を展開しています。
 
 退院される方に同行するわずかな時間でしたが、救急や手術数が多いため、病棟には家族の控え室が多く作られており、病棟間をつなぐ通路には自動ドアの扉がきめ細かく設置されており、感染防止に対する対策もしっかりととられ、コンビニもあることから利用者には便利になっていました。
 
名古屋徳洲会総合病院
 
 年間10億円もの税金を繰り入れた上でも赤字が続く津島市民病院を維持しているのに比べ、民間の病院が24時間対応で治療にあたり、レベルの高い救急体制を展開しているのをうらやましく感じました。
 
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 添付した写真は津島市内の老人ホームで、入所中の叔父のカメラが不調になっているとの連絡があったため、午後4時からウォーキングをかねて出向きました。
 
 カメラが不調なのではなく、高機能を搭載したメニューが判らず、判らないままにボタンを押し続けた結果、過去に撮りだめた写真が総て消えてしまい、モニターは見たこともない画面に変わっており、購入時に設定された初期画面に戻すのは大変な作業となりました。
 
 「これを持って帰って勉強してくれ」と、カメラと取り扱い説明書を手渡されましたが、カメラまで持ち帰るとすぐに届ける手間がかかるため、取り扱い説明書だけを持っていきつけの珈琲屋さんに出向いたものの…
 
 叔父の性格を考えるとまた電話をもらうことになるため、珈琲屋さんでも取り扱い説明書を見ていると、このまま操作しないと忘れてしまうため、再度施設を訪れることにしてシュークリームを購入して再び部屋を訪れることにしましたが…
 
 夕食が済んだ施設内はホールに人の姿はなく、叔父も電気を消してベッドで横たわっており、改めて仕切りなおしでタッチパネルで設定が変わらないようにし、撮影の手順と撮影した写真の管理を繰り返して練習してホームを後にしました。
 
 さて、難しい設定をしてきた反面で、この頃から私の携帯電話の画面がピンボケ状態となり、間違えて「ベールビュー」でのぞき見防止機能にしてしまい、帰宅後に取り扱い説明書を見ても改善できず、結局は適当に触っていたら自然に直ったため、これからも直し方は判らずじまいとなり…
 
 夕食は午後9時となり、しかも「とろろご飯」のため食べ過ぎ、体重が減らぬままの体重測定となりました。
 
              本日の体重 73、5キロ 徒歩数 8897歩 
                                           11月23日の一言

本日の夕方 京都の三男と私の夕暮れ景色です 

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本日の京都・ライトアップされた大覚寺です
 
 添付した写真は、本日午後5時30分に三男から送られてきたもので、嵯峨野大沢池に映るライトアップされた大覚寺ですが、今日の午後1時過ぎに台所に居た三男が、職場の仲間と京都を訪れていたのにはびっくりとさせられました。
 
 私自身は真冬状態となった上高地に感化され、すっかりと冬の意識になっていましたが、11月23日はまだ秋の紅葉シーズンが終わってはおらず、私が主催していた朝日旅行友の会では毎年旅行を企画していた日でもあり、昭和63年から平成20年まで毎年バス旅行を募集してきました。
 
朝日旅行友の会 過去の行き先リスト
 
 早速、京都でライトアップされている京都の社寺の情報をメール送信しましたが、朝日旅行友の会の過去のデータを見直し、最近は大晦日と8月16日の送り火だけにしてしまい、忘れていた京都に寂しさを自問自答する一日ともなりました。
 
 そんなことから、早速京都行きの資料を作りました。
 
 さて、昨日の体重は73キロを下回り、初めて72、9キロを記録しましたが、管理栄養士さんの指導で今月中旬からは「ごはん」を3食摂取しているなかで減量が続くのはうれしいものの、最近は「食べ過ぎ」と家族に言われており、歩く事で食べ過ぎをカバーするようになりました。
 
イメージ 2 添付した写真は、本日午後6時30分の市内葉苅町の珈琲屋スプーンベルですが、水曜日と金曜日は我家から歩いて行くスケジュールに決めており、昨日行けなかったため本日出向きました。
 
 我家から片道3キロほどあり、我家を午後5時過ぎに出発し、30分程度休憩して、午後6時半前後に出発すると7時前に自宅に到着となります。
 
 これだけでは目標の8千歩にはならないため、小走りに走るようになり、最近は電柱2本分を走って、1本分歩いて2本分走ってを繰り返しますが、明るいと恥ずかしいため、暗くならないと走りません。
 
 元々がナマカワな性格のため、苦痛を感じるようなことはしませんが、走りかけたときは電柱1本間が辛かったものの、最近では5本分まで持続して走れるようになり、三男のようにいきなりハーフマラソンに参加できるようなレベルではありませんが、身体も若返りたいと思うようになってきました。
 
              本日の体重 73、0キロ 徒歩数 6740歩
                                11月22日の一言

国会の身勝手な解散に世情をあわせて

イメージ 1 本日は12月議会の議会運営委員会が開催されましたが、個人的には早朝より福祉有償運送のボランティアの依頼があり、朝早くから目覚まし時計をセットして車に乗り込んだものの…
 
 車のフロントガラスの露を拭うと凍てついており、利用者の体調を考えて暖房を十分にとって到着したものの、依頼者が出てこられないため心配して待機し、シビレを切らして電話連絡することに…
 
 依頼者は会員募集のバスツアーに参加するための依頼だったようで、時間は十分に余裕があり、公共交通機関を利用して参加はできないものの、10分もかからない仕事に1時間前から準備して走り、その依頼者は観光バスでツアーに参加と聞かされるとボランティアの心が折れ、市役所に出かけるまで仮眠もできず…
 
 さて、本日は先月まで半年近く入院されていた知人が、午後に名古屋市の大須観音まで送迎して欲しいとの依頼も受けており、21日は地元のお寺の「阿息観」も開催されるため、家内の協力で送って出迎えには同行しました。
 
 依頼者は私が高野山や長野の善光寺に同行する弘法会の代表で、入院が長期になったことで、会のメンバーは参加を心待ちにしておられ、依頼者の参加で来年の善光寺行きと、高野山行きの日程が決まりました。もっとも、同行する私の日程が判らないため、家内の協力もあっての話ですが…
 
 「今日乗せてきて貰ったお礼なんだけど…」と、助手席の私に伸びた手にはボランティアとして貰う金額ではない「お札」が握られており、「こんなのは受け取れません」と固辞していると、「会の仲間があんたにと出し合ってくれたので黙って受け取って」との涙がでるような話です。
 
 知人は50年間毎月名古屋市で開かれる弘法会に参加されており、メンバーの高齢化によって私の同行が巡礼のカギとなり、その私も還暦となっていることから、家内の協力も必要になりそうです。
 
 さて、自民党と安部首相の身勝手な解散によって、年末の忙しい時期が選挙に費やされますが、700億円とも言われる選挙費用も我々国民の税金なら、消費税の増税ができないから高齢者への年金支援も見送ると、国民の税金を使った身勝手な政治は許してはなりません。
 
 国会の解散は総理大臣の権限ですが、その突然の行使によって地方で企画されていた行事が、選挙や投票のため中止に追い込まれています。公共施設とは言え、前もって予約して企画してきた行事が、突然の投開票によって会場が使用できずに断念する立場の人々の悔しさは理解されていません。
  
アベノミクス「失敗」39%、「成功」30% 世論調査
 
 数字は正直です。口で何を言ったところで、消費増税は国民の生活を苦しめ、海外へは無制限な援助金を支出し、節税意識もない安部政権によって、経済的効果も思うように出ておらず、米国が心配しているような顛末となっています。
 
年金少ない人への支援、見送り検討 政府、増税先送りで
 
 早朝の10分のボランティアに1時間前から待機した仕事と、知人に同行した私に大金を出し合って手渡された謝礼と、国の身勝手な選挙も含めて、複雑な心境とさせられる一日にもなりました。
 
                   本日の体重 72、9キロ 徒歩数 7020歩
                                     11月21日の一言 

高齢者の活躍する記事が続々と…

 80歳を超えてからブログを始め、93歳の今も毎日続けている徳島市の女性が、童話集「青蛙(あおがえる)のペキ」を出版したと朝日新聞に報道され、これまでにエッセー集など2冊の本を出していることと、本のあとがきに「夢を抱き続けておればいつか実現できるということを確信いたしました」と記されていることが紹介され、私はこの記事にびっくりとさせられました。
 
徳島の93歳ブロガー、童話作家デビュー 挿絵も手がけ
 
 私のブログで、私が不摂生な生活習慣を管理栄養士さんの指導で減量している書き込みのコメント欄に、私より1歳年長となる61歳の男性が100メートルを12秒台で走ることを目標にしておられる書き込みがありました。
 
私も39歳の時に80kgありました。サウナで見る自分の足はスプリンターの面影一つないありさまでした。40歳で100mに出ることをきっかけに今は62kg台です。何か目標がないと減量は厳しいですね。減量の方法は毎日測定と記載だと思いますよ。当方61歳です。
               100m60代で12秒台へ http://blogs.yahoo.co.jp/cqkqr842
 
 一日8000歩歩くことを携帯電話の設定目標にしてありますが、世の中には私の若かりし頃の最速記録よりも早い記録を目標にしている60代男性が存在し、関連する記事には90歳を超えた現役選手が活躍しており、104歳の選手も出場したとの報道に驚きは隠せません。
 
90歳、陸上世界記録更新続ける 鹿児島の宮内さん
記事の続き…
 20代の頃、市役所チームの一員として地元の駅伝大会で活躍したが、結婚を機に一線を退いた。競技を再開したのは40年近くたった63歳のころ。知人の誘いで挑んだマラソン大会で準優勝。65歳で初出場したマスターズ大会で、いきなり65~69歳の日本記録を出し、それ以降も更新している。
 体力を支えるのは、朝の練習と畑仕事という。さらに、毎夕食時に煎って食べるニンニクひとかけらと、芋焼酎のお湯割り1杯。
 70歳前後の「若いころ」は、周りのランナーと張り合っていた、と振り返る。今はペースを守ることだけを心がけ、ラストスパートを待つ余裕ができた。「抜かれても焦らず自分の走りを続ければ、その時がくる。大切なことは何でも一緒」
 10年前、「90歳まで走る」と公言していた。その年齢になった今も視線は次のレースを向く。「走れるだけ走りたい。どこまでいけるかね」
 鹿児島マスターズ陸上競技連盟会長で、一緒に大会に出たこともある右田忍さん(79)は「100歳を超えても走っていますよ、あの人は。そうであってほしい。私たちの大きな目標ですから」。同居する長女ひろ子さん(65)は「生きがいですから、応援するしかないですね」と静かに見守っている。
 
お達者ニッポン、陸上で世界新 男女とも世界最高齢
記事の続き…
 63歳の時、友人に誘われて数十年ぶりにスパイクを履いた。だが73歳で胃がんに。主治医に余命半年と言われた。「バカ言うな」。75歳で200メートルの日本記録を作る――。これを達成するまで死ぬわけにはいかなかった。胃の全摘手術。2年間、リハビリを重ねた。
 78歳で、日本記録を更新。81歳で、200メートルと400メートルで世界記録を樹立した。次の目標は、100メートルでも世界記録だ。「無限の可能性を作るのは自分次第。次の目標に向けて、ワクワクしっぱなしです」
■元気のカギは日本食
 厚生労働省によると、全国の100歳以上は5万8820人(15日時点)と過去最多だ。
 「存命中の世界最高齢の男性」としてギネス記録に認定されているのは、111歳の百井盛(ももいさかり)さん=さいたま市中央区。女性は116歳の大川ミサヲさん=大阪市東住吉区=だ。
 百井さんは規則正しい生活を守り、三食をしっかりとる。好物は魚。和菓子なども、たまにつまむ。漢詩をたしなみ、60年も前のことも記憶は鮮明だ。
 長生きの鍵は――。様々な説があるが、順天堂大学の白沢卓二教授(加齢制御医学)は「遺伝が25%、生活習慣などの環境的要因が75%と言われている」。19世紀後半に生まれた双子が何歳まで生きたかを追跡したデンマークの研究で明らかになった。遺伝子が同じ一卵性双生児でも、大人になって生活習慣が変わるにつれ、寿命に20年の差がつくこともあったという。
 人間の体には、効果的に働けば寿命が延びるとされる「長寿遺伝子」が50個ほど確認されている。その長寿遺伝子のスイッチを入れるには、伝統的な日本食が有効だというのは、東北大学大学院の都築毅准教授(食品機能学)らの研究グループだ。
 グループは、1960年、75年、90年、2005年の各年代の平均的な家庭の献立1週間分を再現。乾燥・粉末にしてマウスに食べさせ続けた。例えば75年の夕食は、ご飯、サバのみそ煮、五目豆、白菜とワカメのすまし汁といった具合だ。60年代より肉や野菜なども加わり栄養価が高い。
 一方、05年の献立にはハンバーガーやミートソーススパゲティなどが並ぶ。75年に比べて食材は16種類少ない。魚介類は3割減り、肉類は5倍に増えた。煮る、蒸す、焼くなどの多彩な調理法も半分に減ったという。
 その結果、75年の食事をしていたマウスは、05年のマウスより寿命が1・2倍長くなったという。都築准教授は「75年ごろの日本食は内臓に負担が少なく、長寿遺伝子を効果的に働かせる」と説明する。
 食習慣は40歳ごろのものがそのまま続く傾向にあるという。75年ごろの食事を続けている人たちは80代だ。都築准教授は「和食が世界無形文化遺産に登録され、多くの食材を少しずつとるという良さを再確認することが重要だ」と話す。
 
岩手)104歳、京都の宮崎さん激走 マスターズ陸上
記事の続き…
元気の秘訣(ひけつ)は「欲をかかないことと、食べ物に気をつけること」。口に入れたら30回かむようにしているという。この日の走りについては「もう少し足が速く出るかと思ったが、少し遅かった」。大会にはこれからも出場し、「来年は世界新記録を出したい」と元気いっぱいだ。
■夫婦でメダル60個目 奥州の石川董さん 81歳
 全日本大会に夫婦で27年連続出場の日本記録を更新した石川董(ただし)さん(81)=奥州市江刺区=は100メートルに出場し、15秒60で80~84歳クラスの2位に入った。「念願の『夫婦で計60個目』のメダルになった」と喜んだ。
 石川さんは2月に左足の病気で大きな手術をし、4週間ほど松葉杖の生活を送った。プールで水中を歩くリハビリを繰り返し、「何とかスタートラインに立てた状態だった」という。その中で結果を出すことができ、「夫婦であと3年出場し、連続30回を目指したい」と張り切っている。
■スタンドから園児ら大声援
 この日、スタンドには北上市内の幼稚園児や小学生が応援に訪れた。自分たちで色を塗ったという各国の小旗を用意し、大きな声で「頑張れー」と励ました。
 江釣子保育園はインドの小旗を用意した。すると、インドの選手たちが駆け寄って声援に感謝し、大会バッジを園児にプレゼントする姿もあった。
 スタンドには市内の小中学生が作った各国の「応援のぼり」も登場した。
 
 これらの記事には健康で長生きするヒントが盛り込まれ、「遺伝が25%、生活習慣などの環境的要因が75%と言われている」順天堂大学の白沢卓二教授(加齢制御医学)東北大学大学院の都築毅准教授(食品機能学)らの研究グループは、『人間の体には、効果的に働けば寿命が延びるとされる「長寿遺伝子」が50個ほど確認されている。その長寿遺伝子のスイッチを入れるには、伝統的な日本食が有効だ』と紹介されています。
 
 不規則な食習慣を改めて間食を減らし、適度な運動をすれば体重が減少するのは当たり前のことかもしれませんが、報道されている人々はマスターズとは言え、世界記録を記録しており、65歳で他界した父親をモデルにしているわりには不摂生が治らない私は恥ずかしくなるばかりです。
 
 80代の男性が、「一つ一つの積み重ねが大事。仕事や生き方とどうつなげられるか、試行錯誤の連続です」と、夜には2・5キロを19分間で歩く「強歩」を欠かさないなどの目標をたてて生活されている姿は我々のよき見本です。
 
 朝はバナナとヨーグルト、昼は適当で食べても食べなくても苦にならず、夜はビールか日本酒で適当なオカズを食べていた私の食習慣は、外出先で食べる間食と、夜型のため口にする菓子など、今にして思えば朝・昼・晩の3食をきちっと摂っていませんでした。
 
 指導を受けて間食は減らしたものの、野菜やごはんの摂取を増やして食事量は増えたものの、体重は80キロから73キロ台に減っており、意識して歩き出した足腰の負担も減量によって軽やかになりました。
 
 小走りに走ってみると、若いときのようには走れませんが、年相応の負担のない走り方をすれば、当初苦しかった50メートルが300メートル持続するようになり、本日添付した新聞記事を読んで、「65歳までかも知れない人生観」を変えても良いかなと思う一日となりました。
 
               本日の体重 73、2キロ 徒歩数 1247歩
                                  11月20日の一言

犬が小学生を噛む事件が起こり

 本日の報道では、大分県中津市で、通学中の児童が犬にかまれてけがをしたと通行人から110番通報があり、小学生と幼稚園児の男女計7人(6~10歳)が手足などを犬にかまれ、数日から2週間程度のけがをしたと発信されています。
 
通学路の児童、泣き叫びパニックに 犬にかまれ7人けが
 
登校中の小学生ら、犬に襲われる 7人が手足にけが
記事の続き…
 現場はJR日豊線の東中津駅の南約850メートルの地点。近くに住む無職大塚之規さん(71)は、児童らの声が騒がしいのに気づき、家の外に出たところ、犬が子どもを追い回し、次々にかみついているのを目撃した。「子イメージ 1どもたちは泣き叫び、パニック状態だった。ほかの大人たちと3人で犬を子どもから引き離した」と話した。
 福岡県朝倉市では今年2月、小学生や幼稚園児ら3人が、大型犬のバーニーズマウンテンドッグ3匹に顔などをかまれ、けがを負う事故が起きている。飼い主はリードを外して散歩中だった。山梨県笛吹市では2012年5月、飼い主と散歩中だった土佐犬に首をかまれた女性が死亡。リードをつけていたが、犬の首輪が外れ、襲いかかったという。
 犬のかみつき事故は減少傾向にある。環境省動物愛護管理室によると、1979年度は1万3312件だったが、12年度は4198件。大半が飼い犬による事故だった。同室の担当者は「飼い主にマナーやモラルを呼びかける必要がある」と話している。
 
 今回の事故について、事故現場周辺では見かけない犬と報道されているものの、首輪をした飼い犬とみられ、捕獲されたされた後の姿は凶暴な犬とは思えず、飼い主が早く名乗りでて責任を果たしてもらいたいものです。
 
 私の幼少時に父親が知人から貰ってきた白い秋田県「シロ」がいましたが、つないであった鎖が取れたときに近所の鶏を噛み殺したとして保健所に連れていかれ、悲しい別れがあったことを今でも忘れられません。
 
 私が小学生の時になりますが、私についてきた捨て犬「ジャンプ」を愛犬として飼っていましたが、中学生になった時に近所から無届の告げ口が保健所にあり、元々家で飼っていた犬がいたため、私が家に居ないときに何処かに連れ去られていきました。
 
 また、他所からの訪問者に必ず噛み付く愛犬「エル」もいましたが、この頃は私が親も困る非行少年になっていたことから、「鎖でつないである犬に近づいた相手が悪い」と、責任をとって保健所に出そうとしていた家族から守ったこともありました。
 
 「シロ」、「ジャンプ」、「まる」、「エル(噛み付く犬)」、「マル」、「チビ」、「クロ」、「もも(僅か3ヵ月で交通事故死)」、「モモ(ももの妹)」、「リマ」…
 
 私の家庭にはいつも愛犬が存在してきました。それぞれに個性(癖)があり、今にして思うと懐かしい家族の一員ですが、過去には外で風雨にさらされていた番犬が、「クロ」から土間で飼われ、「もも」と「モモ」は台所で生活し、「リマ」に至っては私の相棒として、我家の子供役として旅行も一緒に行動するようになりました。
 
 もっとも、人間と同じ生活をしている「リマ」も、外出先ではおとなしくしているものの、我家や事務所に入ってくる来客に対しては吠えるだけでなく、隙あらば噛みつこうとしますから、我家では相棒優先で対応しており、事務所の内側に入れないように柵が置いてあり、それを越えて勝手に入らないようにビラが張ってあります。
 「リマ」も来客には吠えますが、一人だけは言うことを聞いて隣りに座ります。この知人は、相棒にオヤツを与えるためで、飼い主が工夫すれば愛犬は我が子より従順になります。
 
 本日の噛み付き事件の記事を読み、添付した写真を見るかぎり、事件は起こしたものの凶暴で手がつけられない犬ではなく、飼い主が名乗り出て責任を取り、しっかり管理して飼い続けて欲しいと祈ります。
 
            本日の体重 73、1キロ 徒歩数 9907歩
                                  11月19日の一言

ボランティアより頑張るスーパーのネットサービスに

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蟹江町のスーパー・オークワ 
 
 本日蟹江町を通行中に「オークワ」の店舗が存在することに気づき、家内と一緒に買い物に立ち寄ったところ、地元生産者の野菜が並べられたコーナーに、私の住む津島市の生産者の顔写真と名前を発見し、親しみを感じてトマトを手にしていました。
 
 オークワは私の住む津島市にはありませんが、隣接する愛西市に店舗があり、ここでは津島市内にも配達サービスを行なっており、インターネットが使えることが前提となるものの、注文した当日に届けられるため、高齢者や病気療養中の人々には貴重な存在となっています。
 
オークワネットショッピング http://www.okuwa.net/netshop/
 
 私がオークワの配達サービスを知ったのは今年になってからで、病気になって買い物に行けない人から、ヘルパーに頼むと高額になることから何か良い方法はないかと問われ、闘病中の知人が無料で配達してもらっていることを耳にしました。
 
 この知人は店舗で買い物した商品を自宅に届けてもらっていますが、問われた人は買い物にも行けないことと、インターネットも使えないため、いざというときに買い物を代行するために私自身がネットショッピングの会員になりました。
 
 介護保険制度を使ってヘルパーに買い物を依頼すると利用者は高額な費用がかかるとの相談で、津島市にはワンコイン(500円)で買い物を依頼できるボランティア制度もあるものの、店頭の多くの品揃えを確認して注文でき、3千円以上の買い物は無料で配達してもらえ、低額な注文でもボランティアより低額で配達してくれます。
 
 店頭に並ぶ価格でそのまま配達してくれることから、ボランティアによって間違った商品が届けられて我慢することもなく、民間のため行政期間は宣伝しませんが、外出が困難な障がい者や高齢者には有難いお店です。
 
 私の住む津島市には地元中堅スーパーヨシヅヤの本店があり、市内の要所に出店しているため、大手のスーパーやホームセンターが無く、市外に出ると大型ショッピングセンターが進出しているため市外への外出は魅力を感じられずにはおれません。
 
 「もうそろそろ俺も死ぬのかな、同じような歳だから」の一言は、俳優の高倉健さんの訃報を聞いた元東京都知事石原慎太郎さんのコメントですが、現役の大スターであるものの、いつまでも兄貴分と思っていた俳優の死を実感させられる一言となりました。
 
 高倉健さんは日本中の誰もが知る大スターですが、私の尊敬する「鶴田浩二」さんとの共演作品も多く、任侠映画では必ず鶴田さんが兄貴分かとして登場しており、改めて共演作品を見直していると自然に涙が溢れてきました。
 
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「飛車角と吉良常」
             昭和43年 東映作品
左から
 小金:若山富三郎
 寺兼:大木実
 飛車角:鶴田浩二
 宮川:高倉健
 
 
 今でも全員健在のように思われます
 
YouTube 人生劇場 飛車角と吉良常「予告篇」    http://www.youtube.com/watch?v=_NI76WBFpGM
 
岐阜市まで映画鑑賞に訪れて 本年7月31日の一言
                  http://blogs.yahoo.co.jp/s281218/48216999.html
 
 私の「鶴田病」を知る家内は、早々に退散して寝室に消えましたが、鶴田さんと共演した役者さんの訃報の際には、ネットから鶴田さんの映像を探しだし、映像を見ていると自然と涙が溢れ出してきます。
 
 一方で、還暦を超え、周りから多くの知人が鬼籍に入っていく現実の中で、その世界には鶴田さんや高倉健さんが存在すると考えると、若い頃の死に対するイメージとは違った安心感も感ずるようになりました。ご冥福を祈るとともに、先人に恥じぬ人生を全うしたいと思います。
 
                  本日の体重 73、4キロ 徒歩数 2,268歩
                                   11月18日の一言

知人から差し出された1枚の納め札に

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 添付した写真は四国八十八ヶ所霊場で出会った人(納経箱から持ち帰った札もあります)や納経所でいただいてきた錦の「納め札」で、この中でも特に親しい人や、納経所でいただいた札は縁起かつぎで持ち歩いています。
 
 「大鹿さん、良い物をあげるわッ」
 「何ですか?」
 「これッ」
 「どうしたんですか?」
 
 差し出された物は四国霊場の「納め札」で、知人が四国遍路から持ち帰った札との話で、入手した経緯を聞くと納め札箱から見つけて持ち帰ったことを聞き、せっかくのご好意でしたがお断りして返しました。
 
 私は平成13年から四国遍路を始め、当時は納め札に関心もありませんでしたが、同行する人たちが貴重品として金の納め札を探すのを見て、探して持ち帰った時期もあったものの、錦のインチキ納め札を寸志とはいえ買わされたこともあり、最近は知らない人の納め札は手にしません。
 
 四国遍路の納め札は、1回から4回までが白色で、5回から6回が緑、7回から24回が赤、25回から銀、50回からが金色になり、添付した錦の納め札は100回以上巡拝した人たちが使用できる札です。
 
 お遍路に出る人の目的は様々で、中には自分の犯した罪の反省から廻る人や、失業や失恋から歩く若者など、祈願する目的も様々なため、直接出会って交換した納め札なら別ですが、錦の札でも全く判らない人の納め札を箱から持ち帰ってもご利益はありません。
 
 一方で、バスツアーの観光客でも納経帳に朱印をもらうことが当たり前になっていますが、私は四国遍路と百観音(西国、坂東、秩父)だけしか朱印はもらっておらず、ましてや社寺や仏閣をごちゃ混ぜにした納経帳には関心もありません。
 
イメージ 2 右に添付した納経帳は、多くありそうにも見えますが、四国八十八ヶ所と別格二十霊場に百観音の物で、一番左の4冊と右の1冊は、先達になる前の四国遍路の納経帳です。
 
 四国遍路や巡礼は、無関心な一般人から見れば、非日常的な現世離脱的な行為であり、こだわりがなければ何度も廻らないことから、納め札や納経帳にもそれぞれのこだわりが出てきます。
 
 四国霊場が開創されて1200年になりますが、八十八ヶ所霊場会先達手帳によれば、「(弘法大師の)弟子たちが、師の御誕生の地であり、御修行の地、成道の地を踏み、そこで師と同じように修業してみたいと思うのは、ごく自然のことといえる」と記され、弘法大師が42歳の弘仁6年(815)に開創された根拠にされています。
 
 恥ずかしながら、私もそんな心境になりたくて四国の弘法大師の御修業の地を訪れており、他人から見れば精神異常者と思われるかもしれませんが、自宅での日常生活にも白装束の遍路姿で過ごしたいとさえ思います。
 
 失礼にもご好意をお断りした知人から差し出された1枚の納め札によって、過去に出会った人々の納め札を見直し、しばらくは封印となる四国遍路について改めて想いをめぐらす一日にもなりました。
 
                   本日の体重 73、3キロ 徒歩数 3527歩 
                                   11月17日の一言

夕暮れの散歩道風景 

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目比川排水機場  日光川と目比川の合流点
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アサヒゴルフセンターとナビシティマンション・津島市宇治町
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日光川 対岸は愛西市諸桑町

本日は午前中に防災訓練があり、予定していたショッピングセンターの買物ウォーキングができませんでした。
※水曜日・金曜日は珈琲屋さんまでウォーキング。日曜日はショッピングセンターの買物ウォーキングをノルマにしました。
 
午後に施設に入所中の叔父より「カメラの調子が悪い」と連絡があり、施設を経由して愛西市勝幡町のホームセンターとスーパーマーケットに出向いたため、家内に車を運転して帰ってもらい、私は約4キロの道のりを歩いて帰ることにしました。
 
愛西市勝幡町…日光川…宇治町…下切町…越津町 約五千歩30分の行程です
 

自主防災会の防災訓練が行なわれ

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 本日は神守小学校区自主防災会の防災訓練が、小学校校庭と体育館で行なわれ、校区内全町内から参加した人々により、応急手当や初期消火、人工呼吸、救出体験などが行なわれました。
 
 訓練のテーマは、「自分達の命は自分達で助け合い守る、自分達の地域はみんなで助け合い守る」として、地域の防災力を高めようをサブタイトルにして訓練が進められ、午後には炊き出し体験で作られた汁物を全員で試食して散会となりました。
 
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 左に添付した写真は、救出体験のコーナーで徒手搬送訓練中の様子ですが、ここでは毛布と竹の棒を使った応急担架を作って、実際に人を乗せて搬送しました。
 
 訓練では、人工呼吸訓練では心臓マッサージやAEDの使用方法を学び、初期消火訓練では、消火器の使い方、天ぷら鍋消化体験も体験しました。
 
 
 
 
 
 
 
 
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 左は三角布による応急手当の訓練です。年齢だけでなく頭も高齢化した私には、教わったとおりにやっているつもりでも、思うように三角巾が使えず、結ぶことさえ満足にできません。
 
 毎年の例年行事となっていますが、人工呼吸訓練は何度行なっても忘れているため、何度も繰り返して体験することが重要に思います。
 
 個人的には、愛知県の防災ボランティアコーディネーターや防災リーターになっており、有償運送ボランティアでは、民間救急搬送として「患者等搬送乗務員」の講習を受けているため、年に数回研修を受けているものの、公衆の面前での体験は戸惑いが隠せません。
 
 自然災害に見舞われないことが一番ですが、何かあったときにこれだけ多くの人々が寄り集まる環境を心強く思う一日ともなりました。
 
            本日の体重 73、5キロ 徒歩数 10,415歩                                            11月15日の一言
 

京都のワイン

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今年7月より管理栄養士さんの指導を受けており、私の勝手な判断で夕食のビールを8月より赤ワインに変えて摂取してきましたが、昨日で品切れになっていたことを忘れており、近所のコンビニに行くように言われていましたが、出不精のため本日はビールか日本酒にしようと考えていましたが… ちょっと待てよ…
 
事務所2階の冷蔵庫に京都細見酒店の日本酒「雪紫大吟醸」を保存している中に、箱にはいったままの丹波ワインの赤ワインを発見しました。
 
 
収穫したばかりの葡萄をMC法(マセラシオン・カルボニック法)といわれる方法で醸造しています。これはボジョレヌーボーなどと同じ製法で、渋みの少ない、フルーティーなワインになるのが特徴です。赤ワインでもこのワインは少し冷やし気味でお飲み頂くとより一層ワインの特徴が引き立ちます。

表ラベルの鳥は翡翠です。
「遊びをせんとや生まれけむ 戯れせんとや生まれけむ
 遊ぶこどもの声きけば わが身さえこそ ゆるがるれ」
『梁塵秘抄』第359歌
平安末期、後白河法皇(1127-1192)が編んだ歌謡集。主として「今様」と呼ばれる平安末期に流行した声楽の歌詞の集大成。

歌の意味:人は遊ぶために、戯れるために生まれてきたんだなぁ。子供が無邪気に遊ぶ声を聞いていると、大人になってしまった私まで心がゆさぶられるよ。
 
我家のワインは2012年製ですが、ラベルに貼られたカワセミは「翡翠」ヒスイと書くことと、今年5月に保護したものの死なせてしまったカワセミを懐古しながら味わいたいと思います。
 

本日上高地が閉山となり…

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 本日は上高地の閉山式が行なわれる日で、例年だと確実に訪れる予定で行動していますが、今年は10月に上高地だけでなく高野山や四国遍路に出かけていたため、今月は忍の一字で見送り、朝からライブカメラの映像を見る一日となりました。
 
 写真は五千尺ホテルのライブカメラの映像ですが、白黒テレビではなく朝から雪の舞う一日となっており、上高地は完全に冬景色となっています。
 
 「大鹿さん、上高地はどうしますか?」
 「どうするって、行かないよ」
 「冬の話ですよ」
 「冬っ?」
 
 会話は昨日の電話ですが、昨年は行けませんでしたが、例年閉山された12月に上高地へ一緒に訪れている知人からで、今年はどうしようかとの電話に、「行きたいと言ってもらえれば確実に行くよ」と応えました。
 
 行くのは簡単ですが、明日から4月までは釜トンネルが閉鎖されており、車を停める場所に困るとともに、天候によっては吹雪の一日も多いため、一人で行くことは周りから心配され、一緒に行く人にその気がなければ勧められません。
 
 もっとも、車どころか人も居ない上高地の静寂の中で、一歩進む自分の吐息を感じながら、無音と白黒の世界はシーズン中よりも魅力を感じさせられます。それにしても、上高地の閉山式は寂しいもので、このライブカメラだけでも閉山後も残してもらいたいものですが…
 
                本日の体重 73、0キロ 徒歩数 家庭内だけ
                                    11月15日の一言
 

生活の新兵器続々…

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 携帯電話が新しくなり、カメラの画素数が高く(1210万画素)なっただけでなく、ブログに適した画像のリサイズや加工が容易になり、使ったことのないものの人権に配慮したモザイク加工もでき、通話とネット通信を無制限に設定したため写真もSDカードを取り出さずにメール送信するようになりました。
 
 さて、車の移動中にかかってきた電話を受けるためイヤホンマイクを使うことが多いものの、新しい携帯電話になったことで、これまでのイヤホンを差し込む端子が無くなり、カーショップで探したところワイヤレスのイヤホン(添付写真の右)しかありませんでした。
 
 高額な製品ではありませんでしたが、購入した現場で設定してもらい、使い方を指導されたものの買った時から使えず、何度も練習したものの自由自在には使えないまま、ソフトバンクの販売店に相談したところ充電する端子からイヤホンが使えることが判り新たに購入しました。
 
 「高額ではありません」と記しましたが、携帯電話やデジカメ、インターネット中継器などの充電器がそれぞれ必要になり、イヤホンについても端子が違うため、無用の長物となった部品が捨てられずに置かれています。目覚まし時計にいたっては2代前の携帯電話を使っており、目覚ましのためにコンセントにつなげてあります。
 
 さて、昨日に津島市の保健センターの管理栄養士さんの指導を受けましたが、本日早朝の体重は72、3キロを示しており、BMIの数値25以下の可能性が現実のように感じられますが、新しい携帯電話の画面に絶えず徒歩数が表示される設定と、自分で設定した徒歩目標数を達成するとファンファーレが鳴ります。
 
 議員の顔を宣伝するためには日中のウォーキングが効果的なんでしょうが、人見知りの性格ではあるものの、おしゃべりの性格のため、日中の散策は出会った人々と雑談になるため、水曜日と金曜日をウォーキングの日と決め、仕事が終わって暗くなる夕方に家を出発します。
 
イメージ 2 念のため黄色のジャンパーを着ていますが、夕方5時過ぎに家を出発し、約2キロ半ある珈琲店まで歩き、30分休憩してから帰宅する頃には辺りは真っ暗となります。本日は更に足を伸ばして相棒のペットフードも購入して帰りました。
 
 右に添付した写真はウォーキングに携帯している灯りですが、水色に発光しているのは防犯笛が一体となっており、点滅を続けるため手にぶら下げると効果的で、上に持っている白い光は指でボタンを押すと発光するライトで、小さいため極めて軽く、対向車や自転車が近づいた時だけ指でボタンを押すため、電池の消耗も少なくて長時間使用できそうです。ともに軽くて負担にはなりません。
 
 本日は柔道整復師として医療に関わる三男と健康診査について議論していると、私の診査結果より家内の診査結果の方が中性脂肪や血中脂質の数値が悪く、しかも改善前の私の昨年の数値より悪く、検査した担当医から指摘を受けていたことを初めて知りました。
 
 本日は知人を保健センターの管理栄養士さんのもとに同行しましたが、家内の方が深刻な結果に驚かされ、今年1月まで会社の健康診断を受けていたものの、チェックされても何も改善されていない企業の体質にも驚かされました。
 
           本日の体重 73、1キロ 徒歩数 10,635歩
                                  11月14日の一言
 

体重減と健康数値の改善を実感する一日に

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 我家の柚子(ユズ)です。
 
 私の住む愛知県津島市にはいたる所に柚子の木があり、同じように黄色い実を実らせています。これは30年ほど前の話となりますが、地元のライオンズクラブが小学校の入学記念に柚子の苗を記念品として無料配布していたためで、庭や畑に多く残されています。
 
 さて、本日は3回目となる保健センターの管理栄養士さんの相談日となりましたが、6月27日から始まった食事や生活習慣の見直しにより、8月中旬まで80キロあった体重が6キロほど減少し、本日早朝の体重は72、6キロを示していました。
 
 夕食後には73、3キロになりましたが、体重の減少が中性脂肪の数値を大幅に改善し、昨年には238mg/diあった数値が151mg/diに減少し、149mg/di以下の基準値をわずかに超えているものの、特定健診を実施した10月1日の体重75、5キロから2キロ減少している現在は基準値内に収まっているものと思われます。
 
 一方で、肝機能検査の数値GOT(AST)も昨年の38U/Lから19U/L(基準値は30U/L以下)に改善し、GPT(ALT)も昨年の68U/Lから25U/L(基準値は30以下)に下がっており、10年前の数値に戻りました。
 
 実は、10年前には当時の管理栄養士竹内先生の指導を受け始めた時で、この時は食生活の改善のみと思っていましたが、5年前から竹内先生が津島市に来られなくなり、その翌年から私の体重とともに肝機能や中性脂肪の数値も悪化していたことから、体重増と健康についてあまりにも無関心だったと思います。
 
 さて、問題は竹内先生が居なくなったことで体重が増えた過去の体験と、血圧測定についても1週間程度で続かない私の飽き性な性格から、時々の厳しいチェックがないと継続は難しく、本日は今後も定期的にチェックしてもらうため、3ヶ月後の相談日を決めて保健センターを後にしました。
 
 私の理想体重は71キロ以下との話で、次回の相談日まで朝食にごはん(現在はヨーグルトとバナナに野菜を食べています)を食べる事と、水曜日と金曜日には2キロ離れた珈琲屋さんまで歩く事、日曜日にはショッピングセンターに出かけて歩く事などを管理栄養士さんと決めました。
 
 市役所の窓口を転々として帰宅は夕方になりましたが、こんな顛末を聞いた家内が一緒に歩くと言い出し、午後5時からドラッグストアーまで歩いて出向き、5キロ程度のウォーキングとなりました。実は家内と一緒のウォーキングは初めての体験となりますが、私が減量して体型が変わったことで、周りの人々からも注目されているようです。
               本日の体重 73、3キロ 徒歩数 1万2201歩
                                   11月13日の一言

本日の相棒リマとの時間

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 「ピーちゃん」
 「ぺロ、ぺロッ…」
 「なんだァ、リマちゃんか」
 
 私がスズメのピーちゃんを呼んでいると、「リーちゃん」との勘違いか意図的かは判りませんが、相棒リマが走ってきて私の手を舐め回します。
 
 やはり、我家の主役は相棒リマなんですが、この相棒も平成21年の年末に3ヵ月の約束で息子が預かってきた境遇で、毎日一緒に寝ていた私が別れられなくなり、返すのを1週間から1ヵ月延期してもらい、2ヵ月延期しているうちに、飼い主(ドイツからの留学生)の事情もあって私の相棒となりました。
  
今日も「今日無事」となる愛犬との一日   2010/4/6(火)
              http://blogs.yahoo.co.jp/s281218/43155557.html
 
 我家に来た当時は、相棒は飼い主を想って散歩中に出会う若い女性が気になってしようがない様子に、相棒とは別れたくないものの可哀想に思っていました…
 
 「ガリガリ(おーい)
 「はい、はい」
 「ガウッ(早く来い)
 「はい、はい」
 
 私の夕食時には一緒にいるのが当たり前と思っており、来客があり夕食が遅れた今夜はすでにゲージに入れられていたものの、私が食べる度に床を引っかいて食べ物を持ってくるのが当たり前として催促します。
 
 旅行(上高地や四国遍路等)は私と一緒に車中泊かテントで、朝の挨拶に舐め回され、私の衣類や寝具に自分の匂いをこすり付け、私が食べる物は自分も催促して当然と思っています。
 
 部屋を飛び回るピーちゃんは、私の胸をめがけて必死で戻ってくるし、私の事務所への来客には自分が警備隊長とばかりに必死で向かっていく相棒リマとともに、ペットとの幸せな日々が続いていますが、ピーちゃんの散らしたエサを狙って入ってくるネズミには同情もできず、心を鬼にして退治です。
 
                 本日の体重 73、3キロ 徒歩数 1万1073歩
                                   11月12日の一言

本日のピーちゃんです

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本日のピーちゃんです。

鳥かごの出入り口を開放してありますが、臆病者のため自分からは出てきません。自分の意思で自由に部屋を飛び回って欲しいと思っているんですが…

ただし、私にはやりたい放題で、クチバシで痛い目にあわせられます。

そして、私の手の中でそのまま眠ってしまうんです。自分の子供の育児すらしたことがありませんが、眠るピーちゃんを見ていると子供の育児のようで、そのまま時間が経過していきます。

ピアノリサイタルに名古屋市まで…

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 全国各地より雪の話題が届き、我家の庭にも柿が残るのみとなった時期に、イチゴが花を咲かせて実をつけていることに気づき、今年はランナーから多くの孫たちを鉢植えにして来春を楽しみにしていたのでびっくりとする一日となりました。
 
 何も物言わぬ草花ですが、手をかければかけただけの結果を出してくれることを実感です。
 
イメージ 2 今晩は一宮市在住のピアニスト佐藤由美さんのピアノリサイタルが、名古屋市の電気会館コンサートホールで開催されたため家族や知人を誘って出向きました。
 
 ピアノ演奏中は写真が禁止されているため、こんな写真しか紹介できませんが、ハイドン、ラヴェル、ショパン、リストのピアノ曲が、3時間近くも披露されました。
 
 今年からは後援会が設立されており、9月に「愛知からの音便り」と題して、茨城県高萩市や宮城県東松山市、石巻市でもコンサートを開催しており、本日の会場には宮城県からも鑑賞に訪れた人々が存在しました。
 
 この会場では何度も佐藤さんの演奏会が開催されており、私と同じ津島市の人々も来られるため、地元ではなくこの会場で顔をあわす人も存在し、ピアノが創る人と人との縁にもびっくりとさせられます。
 
 さて、佐藤由美さんのピアノ演奏会は、来年2月22日(日)に一宮市民会館大ホールで開催され、3月21日(土・祝)には大垣市上石津町にある「日本昭和音楽村」の音楽ホールでも開催されます。
 
 私は音楽音痴で、ピアノの良し悪しも判りませんが、佐藤由美さんのお父さんとの関係から、15年前から演奏会を聞いており、最近は座席で座禅の「法界定印( ほっかいじょういん」の手を組み、自己流の「瞑想」をしながら聴いています。
 
               本日の体重 73、7キロ 徒歩数 約1000歩
                                     11月11日の一言

昔は良かったと懐古しながら歩く

イメージ 1 左に添付した写真は、我家から50メートル離れたコンビニから撮影した我家周辺ですが、コンビニの向かいに「コメダ珈琲」と「中京銀行」があり、左から最近開店した「インド料理店」があり、隣にアパートをはさんで家内の貸し店舗で開業する「個人指導塾」があり、コンビニの隣りに焼肉店と建築リフォームのお店があります。
 
 更に30メートル先にガソリンスタンドがあり、向かいに団子屋さんと婦人服のお店があります。ひじょうに便利な環境で、5百メートル以内にコンビニがもう1軒あり、宅配便の営業所、大型ドラッグストアー、自転車屋、料理店3軒、珈琲屋2軒、理容店1軒、美容院1軒、銀行1軒があるため生活には困りません。
 
 同じく、隣りの町内になりますが、反対方面に行けば、こちらも5百メートル位の間に、郵便局やスーパーマーケット、銀行などがあり、珈琲屋さんや弁当、居酒屋、喫茶店だけでなく、私のいきつけの理髪店もあります。
 
 世間では「買物弱者」とか「買物難民」などの言葉も存在しますが、我家から500メートル内の環境は、医療施設以外はほとんど歩いて行ける(動物病院と歯科医院はあります)ので、お金さえあれば生活に困るとは思えません。ちなみに、我家の隣りはお寺で、我家と同じ浄土宗の尼寺のため、父親の葬儀に参列した僧侶たちは、梵鐘を合図にお寺から行列で我家に入場してこられました。
 
 本日は、今年1月より津島市内全域に配布したアンケート調査の返信分を整理し、報告書としてまとめようとしていると、「おはよー」と知人が事務所を訪ねられ、数日前に昼食への誘いを断っていたため、家内とともに珈琲屋さんに出向いたため、仕事が先送りになってしまいました。
 
 今月になって座ってばかりの生活となっているため、本日は夕方に歯医者さんまで歩き、更に1キロ先のドラッグストアーまで歩きましたが、少年時代に薄暗くなった遠方の道を歩くと未知の緊張感があったものの、鈍感となって何も感じない自分に過去の新鮮な気持ちはよみがえりません。
 
 さて、議員は日中に歩き廻らないといけないのでしょうが、日中だと出会った人々と挨拶だけでなく雑談となるため、暗くなる夕方の散歩は人目を気にする必要なく歩けるものの、車だけでなく下校する高校生の自転車も走るため、無心どころか、考え事をしながら歩くことは危険極まりなく、子供や少年時代に知らない土地を歩いた新鮮な気持ちにはなれません。
 
                  本日の体重 73、9キロ 徒歩数 7586歩
                                   11月10日の一言

26年に実施したアンケート調査の集計 書き入れ中

26年 アンケートの集計
  返信されてきた手紙総数 897通 そのうち連絡先記名70通
津島市内1万9千5百世帯(ほぼ全域)へ用紙配布
                                           11月10日現在
  アンケートを集計した会報を配布中です。
     現在は会報に発表した結果だけしか記してありません。
市内の半数以上に配布した時点より、残り分を一項目ずつ結果を発表していく予定です。
    
市政に関する質問
 
◎市長の任期途中の辞任について
   ・残念に思う   人  ・無責任だ  人
     ・辞めて当然だ  人  ・関心がない  ・その他
 
    伊藤市長の評価について
   ・良くがんばった  人  ・普通  人  ・悪かった  人
 
      ・関心がない  人   ・その他
 
    市議会の対応も市長辞任の理由になっていると思いますか
   ・思う  人  ・思わない  人  ・市長の個人的責任
 
      ・判らない  人  ・その他
 
◎津島市議会の議会中継(ケーブルテレビ)を見たことは?
・ある 433人   ・ない 431人             ・無回答 32人
 
◎議会だよりを読んだことがありますか?
   ・ある 614人   ・ない 235人              ・無回答 47人
 
◎議会報告会が年1回開催されていることを知っていますか?
   ・知っている 347人  ・知らない 484人         ・無回答 60人
 
◎市役所の窓口対応について  
   ・大変良い 48人  ・良くなった 186人   ・普通 463人
     ・分からない 67人  ・悪い 99人        ・無回答 37人
 
※窓口対応が悪いとの意見
 ○××課に行くと○○課へ行って下さい。○○課に行くと△△課へ行って下さいとたらい廻し。
 ○道路の補修を何回もお願いに行っても町内会長を通してとのことでしたので通したのに、今後との話がありましたが、いまだにそのまま所々でこぼこで…
 ○敬語を使う職員が少ない。態度も悪いし市民をなめている。それは、叱られる事もなく、減給もなく、解雇されることもないから、窓口に来た市民に怒られても顔色一つ変えることもない。市役所の苦情を受け入れる機関を設けてほしい。
 
※過去に4回のアンケート調査を行いましたが市役所の窓口対応は確実に向上していると思われるものの、悪いと応えた人々には職員の解らない事への対応や、他の部署との連携が悪いと思われる事例が多く記されていました。良くなった意見も寄せられていますが、ここには改善を求めるため悪い具体事例を紹介しました。
市民病院についての質問
◎市民病院にかかった事はありますか
   ・ある  人   ・ない  人
 
    ある人に質問です
   ・現在通院している  人  ・通院したことがある  人
      ・入院したことがある  人                 ・無回答 人
 
◎市民病院にかかった事のある人に質問です。
 
  ※かかった印象は?
    ・良かった 172人  ・普通 364人  ・多少不満 156人 
     ・最悪だった 97人                         ・無回答 36人
 
  ※現在通院している方への質問です?
    ・満足 107人  ・普通 116人  ・不満 52人 
・無回答 85人 
市民病院を利用しない人に質問です。利用しないのは
   ・信頼できない  人  ・自宅との距離がある  人 
・交通が不便  人  ・診療科目がない  人  ・その他
                                   ・無回答  人
  
◎市民病院に毎年10億円を超える税金が補助されている事について
   ・知らなかった 482人  ・知っていた 180人
    ・仕方がない 116人  ・絶対に反対 116人         ・無回答 44人
 
◎これからも毎年10億円以上の税金(津島市民の5億円以上の税金)を補助することについては?
   ・絶対に反対 166人  ・減らすべきだ 383人  
    ・仕方がない 210人  ・補助すべきだ 69人         ・無回答 85人
 
◎このまま市民病院の赤字経営が続くことについては?
・税金を入れても津島市で続けるべきだ 205人
 ・民営化を考えるべきだ 420人  ・その他 152人  ・無回答 120人
 
※津島市で続けるべきとの意見 
○民営になった時の危険を考える。民営化になったら、医師への謝礼が発生する悪循環が出るのではないかと思う。
○いざと言う時、病院とか消防署はなくてはならない。市民が容認できる範囲(1人千円程度)の赤字ならやむをえないと思います。 
○民営化は大反対。責任のなすり合いでは良いものは生まれない。
※民営化を考えるべきとの意見 
○民間の病院なら倒産です。議員も動くべき。議員にも責任あり。
○高価な医療機器(サイバーナイフ)の購入は税金の無駄遣いと思われる。
○毎年10億円の赤字とは驚きです。市もこれ以上借金を増やさぬ様に民営化を考えるべきです。利用する側にとっては、市営であっても民営であってもどちらでもよいから名医(腕の良いドクター)である事を一番希望します。
○一度も市民病院を利用しない市民の税金も使って、赤字が増え続けるのは大問題。本当に必要なら診療所で良い。これ以上税金を使うな。
※無回答の人の意見
 ○どうしてそんな経営になったか、外部からの手が入ったのに何故改善されなかったのか知りたい。 ○私ども自営の場合は即倒産です、もっと考えるべきです。
 ○市民のための医療は、どこかを減らすよりも合理化する方法で考えるべきではないか。
   ※紹介した意見は、連絡先の記名のあった手紙を優先して引用しています
 
生活全般についての質問です
 
◎家計における公共料金の割合は?
   ・高い 534人  ・普通 258人  ・安い 5人     ・無回答 102人  
◎税金が高いと感じますか
   ・高いと思う 639人  ・普通と思う 112人  
・高いと感じない 10人  ・無回答 140人
 
    高いと感じるのは何ですか
・市民税 456人  ・健康保険 381人 ・固定資産税 353人  
 ・国民年金 142人 ・自動車税 175人  ・介護保険 21人  
   ・その他 22人                       ・無回答 167人
 
    津島市の巡回バスを利用した事がありますか
   ・ある 210人   ・ない 586人                 ・無回答 101人
 
◎今後の巡回バスのあり方について
   ・絶対に必要 200人  ・今後は必要 287人  
・廃止すべきだ 169人  ・その他  99人         ・無回答 143人
 
     生活する中で不便を感じる事はありますか
   ・買い物 150人  ・病院 151人  ・交通の便 248人   
    ・公共施設 165人  その他 31人  ・無し 70人  
                                 ・無回答 318人
 
     生活する中で心配になる事はありませんか
   何ですが  ・道路、歩道等 139人  ・川、用水等 132人 
 ・犯罪 168人 ・病気 295人  ・老後の生活 460人  
 ・その他 56人 ・無し 45人  ・ある 8人    
                                  ・無回答 120人
 
     津島市に必要と思われる事は
   ・企業誘致 502人  ・大型店の誘致 294人 
    ・福祉施設 201人  ・スポーツ施設 105人  
     ・文化施設 74人  ・その他 65人         ・無回答 139人
 
※津島市政に希望する具体的意見です
 ○個人情報の徹底管理、本人もしくは一部の親族しか知り得ない戸籍上の情報が、職員から近所の人へ伝わっていたことが判明した。 ○災害に対してもっと真剣に取り組んでほしい。
○年金生活でも普通に暮らしていける住み良い市にして欲しい。
○市街化調整区域の見直しによる市民増を図る。○ヨシヅヤ以外の大型店の誘致。
 ○名古屋へのアクセスを良くすること、企業誘致・福祉施設等まちおこしで活性化して欲しい。
○生活保護の受給者をもっと見直して、本当に困っている人に生活の保護を。
○条例を変えてでも、職員の数と市会議員を減らせ。
 ○津島市は税金が高い評判である。歳入だけ厳しく、歳出は親方日の丸ではだめだ。
 
アンケート結果から ここからは大鹿の私見です
市民病院のアンケートについては、私の「民営化」への個人的意図が質問の背景にあるとの批判もありましたが、大半の市民が毎年10億円以上の税金を繰り入れた上での赤字の脱却が目標にされていたことを知らず、津島市民が直接支払った市民税だけでも5億円を超えている現実を考えると、詳しい情報を市民に提供して、市民の意見を集約する必要があると思います。そういう意味でこのアンケート調査と結果は重要と考えます。
個人的には、救急部門や深夜の時間外診療もあるため、最小限の赤字は仕方がないと思いますが、5億円という市民の税金を毎年投入し続けることは、他都市と比較して市民サービスの低さや格差を解消できないことから、繰入金投入が削減できなければ民営化も検討すべきと思います。
津島市には多くの開業医があり、大学病院と太いパイプのある医師も多く、自分が信頼できる「かかりつけ医」をつくり、病気にならないことが重要で、休日診療所や平日夜11時30分まで診察されている海部地区急病診療所(市内莪原町)を利用できることがあまり認識されていません。
 
 生活全般についてのアンケートでは、限られた年金で生活する高齢者にとって、税金や公共料金の支払いが4年前のアンケート調査時と比較して確実に負担増になっており、生活に占める割合が増えている現実から、他の市町とのサービス格差を実感する市民が多いことが集計から読み取れます。
 生活面では子供医療費の無料化拡大が市政の主題にされてきましたが、今後は高齢者の生活実態の把握と、どんな心配事も相談できる窓口を設置していく必要を感じます。
 
大鹿一八への意見について
 好意的な意見もいただきましたが、厳しいご批判やご指摘も多くありました。
○議会での質問では何も実現も実行もできないのではないか。
 私は議員になってから、すべての議会で質問に立ってきましたが、質問が結果につながらない反省はあるものの、名鉄津島駅構内のバリアフリートイレ設置や、図書館の月曜日開館など、質問した結果は確実に具現化されてきました。
○行動が見えてこない。顔が見えない。
 以前は会報「津島の風」を毎議会後に配布していたものの、市内全域には配布できず、「選挙のための宣伝」との批判もありました。平成16年2月よりホームページ「津島の新しい風」を設置し、以来一日も欠かさず毎日の一言を記してきました。
 市民活動として、平成19年からNPO法人「ひとまち生活ネット津島」を設立し、高齢者や障がい者の在宅支援として、安価な料金で病院や買い物に同行するボランティアの「福祉有償運送」の認可と、福祉タクシーの認可を運輸局より受けており、必要とされる人々に同行しています。必要な方は気軽にお問い合わせくだされば幸いです。
○身近な存在として相談にのって欲しい。
 事務所は議員になってから毎日午後10時まで電気をつけて開けています。気軽に電話して下さい。
 
 
 
 

渋くなっている先祖からの甘柿を収穫して

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ウイスキーのアルコールで渋みを抜くため収穫した我家の柿です
 
 この柿は我家に明治時代より残る柿の木から収穫した柿で、我家には甘く大きい父親の植えた柿が存在することと、最近では渋みがあることから、食べることもなく落ちるがままにされ、鳥が突付くだけでしかありませんでした。
 
 大正時代に我家で生活していたグアム島で発見された「横井庄一」さんの話では、この柿が当時の我家に3本あった柿の木で一番甘くて美味しい柿だったらしく、我家で昭和初期にあった小屋の火災によって幹の半分が焼け枯れており、私にとっては我家の歴史をとどめる貴重な遺産でもありました。
 
イメージ 2 「切っちゃったら」
 「何故に…」
 「渋くて食べないでしょう」
 「元々は一番甘かった柿だぞ」
 「木が半分腐っているじゃない」
 
 嫁いできた家内の目には、黒い幹を腐ったと思っていたようで、枯れかけの渋柿と思っていたらしく、こんな雑音を聞かないためにも、本日はウイスキーのアルコール分で渋みを抜くため収穫して箱に入れました。
 
 前期したように、私の少年時代には3本の柿の木があり、子供の頃には近所の子供たちが裏庭にあった屋根より大きな柿を取りに集まり、まだ青いうちから採ってしまうため曾祖母に竹で突付かれて怒られていました。
 
 その後、家の新築に伴い、当時一番甘かった柿の木が切られ、畑に数本の柿が植えられ、その後事務所の東側に3本が移植されていたものの、貸し店舗の建設によって駐車場になり、移植はしたものの全部枯れてしまいました。
 
 現在の我家には、庭のまん前に屋根より高い柿の木がありますが、これは父親がとりあえず植えたもので、「邪魔になるから切ってくれ」と言い残して他界したものの、親の遺産として残してあり、大きくタネのない甘い実が毎年熟しています。
 
 一方で、この柿の木の根元には、私が少年時代に飼っていた愛犬が眠っており、あたらな家族にとっては邪魔となる木々であっても、先祖が愛着を持って植えたものであり、何とかそのまま残しておいて欲しいものです。
 
 今まで渋柿を食べようと思ったこともありませんでしたが、先月宿泊した和歌山県九度山町の民宿で、渋柿を甘く処理した甘い柿が出され、その方法を聞いていたものの、昨晩に九度山町の柿農家の人がテレビ出演し、渋柿を甘くする方法を説明されていたため、早速に収穫して挑戦してみたしだいです。一週間後が楽しみになりました。
 
     本日の体重 73、3キロ(午後6時現在) 雨のため徒歩数約500歩
                                   11月9日の一言
                   夕食後の体重 74、1キロ

過去の健康診査の結果を記録し直す一日に

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本日実施された神守小学校でのゴミゼロ作業後の運動場 少年野球の試合中です
 
 昨日にかかりつけ医を訪れ、1ヵ月前におこなった健康診査の結果を聞きましたが、血圧については相変わらずなものの、体重の減少から腹囲はもちろんですが、総ての数値が驚異的に改善していました。
 

年 度212223242526標準値
身 長168.6169.2169.1169.3169168.7
体 重76.776.879.180.580.575
腹 囲96.593.495.596.598.589
B M I2726.827.828.128.226.4
血 圧134-85144-88135-82130-66146-84146-80139~89以下
中性脂肪12414019016423815130~150
HDLコレストロール56585454555140~65
LDLコレストロール123128124123115103130~220
GOT(AST)2829352938190~40
GPT(ALT)4651545068250~35
γ-GTP2730323036214~70
ヘモグロミンAIC5.15.15.25.55.75.413~18
赤血球数5085365135085315064.00~5.50
血色素量15.1161515.215.814.88~20
ヘマトクリット47.350.547.948.8504738~54
 

 中性脂肪の標準値は30から150となっていることから、わずかに1オーバーしているものの、検査を受けた10月1日より1ヵ月経過し、わずかではありますが1キロの減量を果たしているため、現在は基準値以内に入っているものと思われます。
 
 今年6月に津島市の保健センターを訪れ、生活習慣病にならないための指導を受け、体重をこのブログに記すことは決めたものの、野菜の摂取を増やすなど、体重を減らすことが目標ではありませんでしたが、8月に訪れた2度目の指導で間食などを制限し、生活習慣を見直したことが結果につながりました。
 
過去3回の相談日に記した一言
管理栄養士さんの指導を受けて 6月26日 http://blogs.yahoo.co.jp/s281218/48154350.html
孫のために捕ってきたカニの近況が届き 8月25日 http://blogs.yahoo.co.jp/s281218/48261760.html
更なる体重の減量を目標に 管理栄養士さんの指導を受け 10月10日
                             http://blogs.yahoo.co.jp/s281218/48342537.html
 
 食事の改善について、自ら保健センターを訪れながら、応対した管理栄養士さんに、「管理栄養士の竹内先生でないと無理です」と、5年前から来られなくなった先生の名前を出し、素直に聞けない私に対して、「やれる事から始めましょう」と話し、10月の健康診査の数値を改善することを目標に指導を受けてきました。
 
 さて、体重の減量については、過去の栄養士さんの指導でも実現したことがありますが、以前の栄養士さんの指導は食事の改善が主で、指導された半年間は結果を出せるものの、それ以後の持続ができずに、5年前に竹内先生と津島市との契約が打ち切られたためリバウンドしたままとなりました。
 
 現在の栄養士さんは津島市職員であり、私の健康診査のデータも見ながらの指導のため、生活環境や食習慣の見直しで結果を導いていただき、私のように持続ができない者には特別に指導も可能との話から、とりあえず71キロを目標に、年内には73キロ以下を目指したいと考えています。
 
 わずか3ヶ月間の無理のない節制が、びっくりする数字の改善になったことから、平成10年から残してあった健康手帳の数値を昨晩から一覧表にし、来週の管理栄養士さんの相談日に持ち込んで、新たな目標を設定していきたいと思う一日となりました。
 
       本日の体重 73、4キロ(午後6時現在) 徒歩数2,933歩
                                    11月8日の一言
                  本日の最終体重 73、9キロ 
 

エボラ出血熱国内感染の疑いに緊張感が

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 津島市椿市町から見る養老山脈 午後5時28分
 
 本日の報道では、エボラ出血熱流行国リベリアに滞在歴がある東京都内の60代男性が発熱症状を訴え、近くの医療機関を受診し、念のためエボラ出血熱の患者を治療できる国立国際医療研究センター(東京都新宿区)に男性を搬送したと厚生労働省が発表している。
 
エボラ熱の感染有無を検査へ リベリア滞在の60代男性
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 男性は6日夜に38・9度の熱があり、7日午前に近くの医療機関を受診、のどの痛みもあり、へんとう炎と診断された。帰宅後、発熱をメールで検疫所に報告。同日夕に自宅から同センターへ搬送される前は37・2度だったという。
 厚労省は10月24日に、流行国の滞在者は、帰国後1カ月で発熱した場合は医療機関に行かず、保健所に連絡するように呼びかけていた。だが、男性は直接、近くの医療機関に訪れていた。医療機関側も滞在歴を尋ねていなかった。
 
 夜のテレビニュースでは、男性の帰国後の国の対応の不備を問う発信もありますが、私はエボラ出血熱流行国に滞在し、帰国後に異常があった場合に連絡場所を指示されていたにもかかわらず、近くの医療機関を勝手に受診し、リベリア滞在暦も伝えなかった男性の無責任さが問われるべきと思います。
 
 この男性がエボラ出血熱かどうかは判明しておらず、可能性も低いと報道されているものの、感染していれば医療機関で治療にあたった医師や看護士に感染させる可能性や、同じ待合室で診察を待っていた人々の不安も考えると許されない行為と思います。
 
 さて、同じようなことが身近にも存在します。これから流行が始まるインフルエンザについても、感染すると5日間は外出が禁止され、症状が治まらないと仕事や学校へ通学も禁止されるため、仕事や試験に参加するため風邪の市販薬で我慢し、周りの人々に感染させている現実です。
 
 私自身の体験として、「インフルエンザじゃないから」の言葉を何度も聞きながらも、あまりにもひどい咳が続く人に同行したことがあり、福祉有償運送では身体の弱った高齢者を移送するため、その直後に軽い風邪と思いながらも念のため検査を受けると、検査紙に判読できない位の感染を示す線が出ました。
 
 仕事を休めないとか、試験や受験に欠席できないなどの事情で、現実には風邪として市販薬で済ませる人は多く、議会中にインフルエンザになると議会を欠席することになるため、絶対に病院には行ってはいけないと政治関係者から聞いたこともありました。
 
 江戸時代の鎖国制度のように、国際化の波を止めることは不可能で、海外から新たなウイルスを持ち込む可能性は否めませんが、万が一持ち込む可能性と、持ち込んだ際に被害を最小限に留める意識が渡航者には重要です。
 
               本日の体重 74、2キロ 徒歩数 8453歩
                                   11月7日の一言

雨の夕方に歩いた効果は夜の体重計に

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 本日は午前中から忙しい一日となり、家内の所用も聞いていたため、家内も一緒に同行して市役所駐車場に待機し、昼食に戻った三男から電話で呼び戻された時は午後1時を経過しており、午後の予定もどんどん遅れていきます。
 
 先月末から座ったままの仕事が多く、昨日には意識して小走りに歩き、本日受け取りに行けなかった写真を、「写真は夕方に歩いて取りに行く」と家内に宣言していましたが、夕方には霧雨も舞う天候になりました。
 
 ここで明日に先送りするのが私の性格ですが、あえて自宅を歩き出したところ、1キロも歩かぬうちに霧雨とは言えぬ状態になり、ここでもあえて後ろを振り返らず歩き続けて約3キロ離れたカメラのキタムラに到着したとき午後6時を廻っていました。
 
 写真を受け取り店を出たときは完全なる小雨となっており、傘も持っていないため途中で雨宿りするか、知人のお店かお宅で待機しようかと迷い、我家はバス停のまん前のためバスで帰ることも考えましたが、高野山町石道や四国遍路の苦しみと比較して自宅までずぶ濡れになって歩くことを選択しました。
 
 遍路の菅傘があれば最高でしたが、足取りは軽くなっており、時間があれば木曽川を渡り三重県か岐阜県まで歩いて行きたい心境で、5キロの減量が足の負担を軽くして苦痛を感じなくなってきたと思います。
 
長野)北アルプス・上高地でニホンジカ確認 森林管理署
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一方、環境省松本自然環境事務所の西尾治・首席自然保護官は、ライチョウの餌でもある高山植物が消失し、生態系が破壊されることを心配する。ニホンジカの生息密度が高い山麓(さんろく)付近で、捕獲を強化し、シカを減らしたいという。
 また、信州大の中村浩志・特任教授(動物生態学)は「シカの問題は『初期消火』が大事。燃え広がったら手がつけられない。国と自治体が一刻も早く駆除しないと、美しいお花畑やライチョウは守れない」と警告する。
  
長野)山小屋関係者、御嶽に入山 許可受け冬支度
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 山小屋の屋根に1カ所、直径30~40センチの穴が見つかったほか、窓ガラス1枚が割れていた。いずれも木製の板をあてて応急処置をした。ひどかったのは火山灰で、雨戸の戸袋にも灰が入りこんで固まり、ビスを外して戸袋を解体し、灰をこそぎ落としたという。
 このほか、冬支度として、建物の柱やはりに筋交いも設けた。例年、積雪に備えて10月半ばに終える作業という。
 作業中も硫黄のにおいがし、白い噴煙が絶えず上がっていた。「あれが真っ黒い煙になりはしないかと、ひやひやしながらの作業だった」と新井さんは話す。
 夜間は9合目の石室山荘まで下りて泊まり、翌19日午前中に再び二の池山荘で作業をして夕方には下山した。
 新井さんは「噴火の時はふもとにいたので、山小屋の様子が気になっていた。入山許可を得て冬に備えての応急処置ができたのはありがたい」とする一方、「入山規制はまだ続くので、先のことは分からない」と不安を口にした。
 
 さて、上高地も15日が閉山式となりますが、毎年閉山祭へ訪れてきたものの、今年は忙しさと山積させてしまった仕事のため行けそうにもありません。しかし、御嶽山の噴火はもちろんですが、自然の厳しさを実感させられることも多くなり、本日の新聞記事からは上高地の鹿が話題になっており、今年は熊の出没も相次ぎ発信されました。私もしばらくは観光気分に冬眠が続きそうです。
 
           本日の体重 74、1キロ 徒歩数 1万1233歩
                                   11月6日の一言

減量の壁が近づいたようで…

 恥ずかしいような話ですが、8月に80キロ前後を推移していた私の体重が、先月まで順調に減り続けて、75キロを下回り、朝一番には体重計が73キロ代を示しており、このままだと73キロも間近と思っていると、四国遍路では減らしたものの、帰宅後に食欲が増進し続けて、74キロ代で足踏み状態となりました。
 
 2日に訪れた伊勢で買ってきた「赤福もち」と「虎屋のういろう」の賞味期限が迫り、先月末に家族で訪れた四国で購入した「讃岐うどん」も賞味期限が近づいており、家内に食べてくれと迫られると、元々が好きなだけにいくらでも口に入ってしまいます。
 
 本日は市民病院と公的施設に出向き、市役所では5階まで3往復したものの、連日座ったままの状態が続いているため、本日は夕方に行きつけとしていた珈琲店まで歩くだけでなく、短距離で走りながらたどり着き、休憩後の帰宅までは小走りに走ってみました。
 
 還暦となった年齢になりながら、若いときのようには腿を上げて走ると苦しいものの、足を上げずに早歩きのように走ると、結構長続きで走れることが判り、先月訪れた上高地の長時間散策や、高野山「町石道」登坂、四国遍路の階段上りなどにより、足腰は鍛えられていたのか苦痛を感じません。
 
 毎日通っていた珈琲店ですが、サービスで付いていたシュークリームを食べない事にしたため、最近は水曜日と金曜日しか訪れておらず、日の入りが早くなり、小走りする不恰好な姿が判らないため、今後は小走りで行き来してみようと思っています。
 
 理想としてはあと4キロの減量が必要ですが、ノルマとしてはあと1キロ減量し、その体重を維持することとして、食事量は減らさずに軽い運動で目的を果たしたいと考えています。
 
 さて、本日は久しぶりに朝日新聞デジタル版を見たところ、高野山の紅葉が最盛期を迎えていることや、来年の高野山開創1200年に向けて、中門の再建や丹生都比売神社の改修が進められていることと、高野山大学で巡礼遍路研究会が発足されるなど興味深い発信があり、記録用としても添付したしだいです。
 
和歌山)高野山で紅葉が見ごろ
 
和歌山)再建中の「中門」に四天王像安置 高野山
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イメージ 1 像の修復・制作は、運慶や快慶など慶派仏師の流れをくむ仏師、松本明慶さん(69)が手がけた。京都市西京区の工房で、修復が必要な2体を解体し、劣化していたヒノキ材を補強。新しい2体は虫に強いヒバ材を選び、ひな型を4体ずつ作って像にふさわしい姿を考えながら制作してきた。
 既存の像は1体約300キロなのに対し、新しい像は1体が約1トンになる。搬入作業は23日に始め、初日は多聞天、持国天の2体をトラックで運び込み、中門内に組んだ足場で仏師約20人が胴や腕などに分割した像を組み立てていった。さらに24日は新造の広目天、増長天の2体が安置された。
 2日間とも好天に恵まれ、高野山を訪れた参拝客らが工事用囲いの外から作業風景を見物し、写真を撮った。午後4時からは僧侶らが像の安置を祝って中門の前で法要を営んだ。
 松本さんは「100年に1度の御遠忌に立ち会え、像を納品できたことは大変な幸せ。結界に入る善男善女に像を見てもらい、『守ってもらっている』と感じてもらえれば」と話した。
 金剛峯寺の添田隆昭執行長は「やっと多聞天、持国天にお帰り頂き、広目天、増長天にお越し頂けた」とあいさつ。「新しい2体は人間的な温かみとともに威厳を感じる。伽藍を守るとともに、人々の邪悪な心を戒めて頂きたい」と述べた。
 四天王像は、しばらくの間は周りを囲われて姿を隠し、来年4月2日の中門落慶法要に合わせて開眼、お披露目される。
※写真は先月20日に訪れた際の中門です。
 
和歌山)15・16日に遷宮祭事 丹生都比売神社
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 改修工事は2年がかりで進められ、神社の発展に尽くした僧をまつった若宮を含む計5棟で檜皮(ひわだ)屋根を葺(ふ)き替えた。また、工事と並行して実施した調査で、前回の修理(1977~78年)では朱1色に塗られた柱類が、少なくとも江戸時代には落ち着いた赤と、オレンジに近い赤の2色に塗り分けられていたことが判明。塗装作業では、江戸時代の色彩を再現した。総工費は約2億5千万円。
 丹生晃市宮司(59)は「地元住民や県内企業などに助けられて、着々と神社本来の姿を取り戻せている」と喜んでいる。
 一方、柱などに描かれた極彩色の絵や文様は、傷みが目立つものの調査が十分進まず、修復は次の機会へと持ち越された。
 遷座祭は15日午後8時からあり、先に改修を済ませた2棟に仮安置されたご神体を、それぞれの本殿へと納める。翌16日は午前10時から遷宮を祝う奉幣祭(ほうべいさい)があり、高野山真言宗の関係者も参加して神事や舞楽奉納が営まれる。問い合わせは丹生都比売神社(0736・26・0102)へ。
 
和歌山)巡礼遍路研究会を発足へ 高野山大・密教文化研
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事務局長は、江戸時代の遍路道を再現した著書「江戸初期の四国遍路」のある柴谷さんが務める。柴谷さんは「学歴や分野を問わない研究会にしていきたい」と話している。
 研究発表会では、四国八十八カ所霊場会会長の吉川俊宏さんによる記念講演と、研究発表がある。研究会の年会費は3千円、賛助会員は1万円以上、会員外聴講は2千円。問い合わせは柴谷さん(090・3629・0044)へ。
 
                   本日の体重 74、4キロ 徒歩数 9511歩
                                   11月5日の一言 

カメラ屋さんの関係者のような一日に…

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帰宅中の夕暮れ風景ですが、多度山の南(左)に鈴鹿山系の山々が
 
 「おい、カメラが故障したぞ」
 「まさか…」
 「壊れたんだ」
 「そんなに簡単には壊れないでしょう…」
 「とにかく来てくれ」
 
 昨日老人ホームから外出した叔父に同行して購入したばかりのカメラが故障との電話に、仕事を中断して走ったところ、間違ったボタンを押したために、10秒間のタイマーがはたらいてシャッターが切れる設定となっており、撮りたい時に写真が撮れなくなっていました。
 
 こんな煩わしさが嫌で未だにフイルムで写真を撮っているのに、私が案内して購入したため細かい説明書を読んで、叔父が間違って操作した設定を解除したものの、叔父が必死に長時間操作し続けていたためバッテリー切れとなり作業は中断です。
 
イメージ 2 バッテリーを充電している間に仕事に戻り、折り返しでホームに戻り、取り扱い説明書を読んで、操作中に写ってしまった数百枚におよぶデータを削除し、初期設定で撮影ができるようにしたものの、カメラを使う叔父がチンプンカンプンのため、撮影の基本を繰り返して何とか撮影できるようになると夕方になっていました。
 
 若いときは夜にアマチュア無線の交信や、カメラの暗室作業をしていた夜型人間だけに、新しいカメラを手にして必死に説明書を見て操作したと思われますが、最近の説明書は文字が細かいため眼も限界となり、触れば触るほど設定が変わって返品したい心境になっていたようです。
 
 叔父のカメラの撮影指南によって、最近のデジタルカメラの性能の良さを実感させられますが、バッテリー切れで撮影ができなくなるデジタルカメラより、フイルムさえあれば撮影が続けられる旧式カメラの方が機械式だけに安心です。
 
 さて、今回購入したカメラには標準レンズと望遠レンズが付いており、叔父は高性能なカメラを手にしたものの、老人ホームのフロアーから外に出ないと撮影できる対象は入所者と介助職員しかありません。
 
 施設を外出するには親族の同行が必要と聞きましたが、近くに97歳になっても車を運転して買い物に出かけている人も存在するため、元気でありたいと思うとともに、我家では私が寝たきりになっても家に置いてもらいたいと思う一日ともなりました。
 
                          本日の体重 74、7キロ
                                    11月4日の一言

叔父のカメラ購入に同行して

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タイムオーバーで、仲間が繰り上げスタートした後に到着した選手たち
 
 「本当に伊勢まで行ってきたんですか?」
 「ああ、行くと約束したから」
 「残念でしたね?」
 「残念だけど、区間3位の走りだからね」
 
 昨日応援に訪れた全日本大学駅伝については、母校(神守中学校)の後輩となる神野大地選手が母校を訪れた際に、応援に訪れると約束し、その日の一言に記しており、今年3月に発行された母校の同窓会報にも同窓生の応援を呼びかけました。
 
本年1月17日付け私の一言
 箱根駅伝選手、神野大地君が母校を訪れ…  http://blogs.yahoo.co.jp/s281218/47804932.html
 
 誤算だったのは、昨年走った2区(愛知県弥富市から三重県川越町)を走る前提で声をかけており、三重県松阪市から伊勢神宮まで8区の最終ランナーになったことで、あまりの遠さに家内と2人だけの応援になったことと、横断幕が用意できなかったことです。
 
 神野君は2位でタスキを受け取り、結果的には3位でゴールしていますが、25人の選手中3位の結果を残しており、確かに本人も「相手がエースでも僕は競り勝たなければいけない。悔しい」と新聞に発言が掲載されているものの、20キロ近いエース区間を3位で走ったことは立派としか思えません。
 
青山学院大学体育会陸上競技部(長距離ブロック)公式ホームページ
 
 8区 神野大地(3年)
応援ありがとうございました。自分の力は出し切ることは出来ましたがアンカーは順位を決める大事な区間なので1つ下げてしまったことはとても悔しいです。2ヶ月後の箱根に向けて切り替えて努力していきます。
 来年3月に発行される同窓会報の表紙も、箱根駅伝の花のエース区間2区を走る神野選手の掲載を予定しており、神奈川県まで応援に行くことになりますが、雪の箱根を越えていくことは心配なものの、神野選手が東京オリンピックも視野に活躍してくれることを母校の誇りとして応援していきたいと期待するものです。
 
 さて、本日は老人ホームに入所している叔父の依頼で、デジタルカメラを購入しにカメラのキタムラに同行しましたが、高級一眼レフカメラしか使ってこなかった叔父のこだわりと、杖をついている現状から、世界最小・最軽量と宣伝しているキャノンのイオスキス7を購入して帰りました。
 
 施設内では撮影する対象が限られているため、もっと小型なデジカメラでも良さそうなものですが、複雑な機能やビデオまで付いている高機能カメラの撮影は大変で、使い方の指南にお店の担当者にはずいぶんと時間をかけてもらいました。
 
 叔父は僧侶ですが元教員で、アマチュア無線の指導や、写真もDPEをやるような理科系のため、パソコンもかつては私に指南するような腕前だったものの、難病をわずらい病院と施設の生活が増え、パソコンも身体のために止めています。
 
 心配する私は未だにデジタルカメラが使えず、フイルムカメラを使用しているくらいですから、叔父の方が私より先にいっているわけで、フイルムカメラとデジカメと携帯電話カメラを使い分ける私自身が完全デジタル化する必要も実感する一日となりました。
 
                         本日の体重 74、6キロ
                                    11月3日の一言

大学駅伝応援のため伊勢神宮まで

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 本日は愛知県の熱田神宮と、三重県の伊勢神宮の間で行われた「全日本大学駅伝」のアンカーとして最終区に出場する母校神守中学校の卒業生を応援するため、松阪市の第7中継所まで家内と出かけました。
 
 応援するのは青山学院大学の神野大地選手で、母校卒業後は中京大中京高校で活躍し、青山学院入学後も主力選手として活躍しており、今年の箱根駅伝の活躍の様子を同窓会報に添付した際に応援に行く約束がしてありました。
 
 「神野君?」
 「…だね?」
 「 … 」 頭をコクリ
 「 … 」
 「神守中の…」
 「頑張ってー!!
 
 通過予定時間12時23分の一時間前に到着し、偶然にも中継所の裏道を練習中の神野君らしき選手を見つけて声をかけますが、練習の邪魔になってはいけないのと感極まって声も出せず、走り去った神野君に大声で声をかけました。
 
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 中継所を2位でタスキを受け取った神野選手が走り出しました。
 
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 「神野君 
 「カミノくーん 
 「頑張って!!
 
 私と家内はカメラを持っているため声がかけられませんが、周りの地元の観客の皆さんに、「神野君と声をかけてやって下さい」と依頼してあったため、カミノの合唱です。
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 コースとなった国道23号線は1時間前から人垣で一杯となっており、長いと思っていた1時間はあっと言うまに過ぎ去り、神野選手の応援に駆けつけたため、彼が走り去った後は何もやることがありません。
 
 私のカメラはフイルムのため、臨場感のあるリレーシーンが添付できませんが、デジカメを持った家内は撮影に失敗しており、私自身も新兵器の携帯電話も家に忘れて置いたままにしたことから、現地からの発信もできないままに、応援していただいた人々にお礼の声をかけて車に戻りました。
 
 大学駅伝のゴールは伊勢神宮で、追いかけても選手を追い抜けませんから、車内のテレビで結果を見届けましたが、ここまで来たからには前を走る車について大渋滞の伊勢神宮を目指します。
 
 予想したとおり伊勢神宮へ入る道路は「駅伝」のため進入を規制されており、誘導される駐車場までの車は満杯のため動きません。
 
 「えい、こっちだ」
 「お父さん、ダメでしょう」
 
 進入を規制されているのは一般車両で、右側車線をタクシーやバスは入って行く様子から、私の車も営業車の青ナンバーのため、そのまま伊勢神宮内宮まで入っていくことができ、渋滞のため「止めようか」と迷っていた伊勢神宮に参拝することができました。
 
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 本日は朝から町内の側溝掃除が行われており、作業終了後にあわてて車を走らせたため、携帯電話や携帯品の多くを家に置き忘れており、連絡ができないだけでなく、目的地で自由に行動するためには携帯電話が不可欠となっていることを実感する一日ともなりました。
 
                        本日の体重 74、6キロ
                                  11月2日の一言

何も予定がなくとも忙しい一日になり

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我家の昔(明治?)からある柿の木です。  手前右の枝は平成になって父が植えた柿
 
 新しい携帯電話になり、通話が無制限となり、ネット情報もパケット使い放題となったものの、契約は本日11月1日からとなっており、早速使おうとしたものの使い方が判らず、使用法を息子に尋ねると、「スマホじゃないと判らない」とつれない返事です。
 
 何でも無制限で使い放題となったことから、電話の着信音に「鶴田浩二」さんの曲を検索していると、「それはお金がかかる」と娘に叱られ、「使い放題じゃないのか?」と勘違いしているとパソコンのように安心して使えません。
 
 さて、一方で、旅先でパソコンを使用できるようにするため加入していた「OCN」が不調で、四国からは携帯電話のメールで送信していたものの、本日パソコンの専門家にボランティアで修理してもらいました。しばらくは携帯とパソコンの併用でブログ発信していきます。
 
 パソコンの専門家とは、元々は私の叔父のアマチュア無線の仲間の息子さんで、本日は親子で訪問していただき、「叔父さんの調子はどう?」と尋ねられていたものの、偶然にも直後に叔父から電話です。
 
 新しいデジタルカメラを購入したいとの話ですが、叔父は元々が教員でありなから、昭和40年代にはカメラのDPEを学校の通勤途中の店から回収して、翌日の朝に届ける「東海フォト」の個人会社をアルバイトにしていた(今なら公務員の兼職で解雇になります)くらいですから、簡単なデジカメでは我慢ができず、10万円程度の一眼レフが希望です。
 
 私は未だにフイルムカメラを使用していますが、叔父は何台もデジタルカメラを購入しており、愛用のキャノンのカタログを入手していると、「何処に居るか判るか」の電話で、現在入居している老人ホームに走りました。
 
 外出が困難で、施設の入居者の写真を撮る程度のようですが、簡単なデジカメでは納得ができない様子で、「世界最小・最軽量」のキャッチフレーズの付いたカタログも眼中にない様子です。外出許可をもらって、後日販売店に出向いて直接手にしてから購入する約束で退散です。
 
 さて、明日は名古屋市の熱田神宮と、三重県の伊勢神宮の間で開催される全日本大学駅伝に出場する地元の同窓生(青山学院・神野大地選手)の応援に出かけますが、昨年まで走っていた愛知県内の2区ではなく、最終のアンカーとして8区を走るため三重県の松坂市から伊勢神宮まで走ることとなります。
 
全日本大学駅伝コースマップ http://daigaku-ekiden.com/coursemap/
 
                                   11月1日の一言
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