京都百万遍の年越し法要が始まりました。
2014年12月
京都百万遍の年越し法要が始まりました。
大原から大徳寺門前の細見酒店に寄り、夕食後に八坂神社に到着しました。
毎年の慣例としていますが、今年もをけら詣りに来られました。
今年は雨の影響で人が少ないですね。
延命十句観音経
観世音 南無佛 興佛有因 興佛有縁 佛法僧縁
常楽我浄 朝念観世音 暮念観世音 念念縦心起 念念不離心
わずか42文字の最も短い経典として知られる十句観音経ですが、古来ただ何度も唱えるだけでご利益を得られるとされており、真の信心をもって唱えると、病気が治ったり苦しみが消えたりのご利益があるといわれており、私は手帳に挟んで繰り返し口ずさんでいることがあります。
初乗り140円で千葉一周できるか? 10時間半の挑戦
記事の続き…
待ち時間を使って、駅弁や飲み物などを調達するなら千葉駅で買っておくのが便利だ。駅弁では、煮アサリなどが入った「潮干狩り弁当」を購入。いかにも千葉らしい一品だ。
内房線で木更津を経て館山駅へ。ここからは進行方向右側に座席をとるのをお勧めする。船の行き交う東京湾の奥に雪化粧した富士山を見ることができるからだ。館山には午前11時着。駅前の寿司屋でおいしいランチを食べたいが、途中下車は御法度。我慢、我慢。
安房鴨川駅から外房線に乗り換え大網駅に。今度は車窓に太平洋が広がる。内房とは趣の違う奥行きのある雄大な海が楽しめる。
■銚子を目前に
大網駅では、東金線への乗り換えは3分。ホームが離れているために小走りで向かうことに。着いた成東駅での総武線乗り換え時間は1分。脚力が衰えた身ではさすがに厳しいと思われたが、幸いに向かいのホームだった。
松岸駅に午後2時半に到着。隣の銚子駅まで行ってみたかったが、銚子から松岸に戻ると、重複はしないという規定に触れてしまうのであきらめる。
成田線の成田行き電車が来るまでの約50分は松岸駅で過ごすことになった。子供連れの場合は遊び道具があった方があきないかも。さすがに50分もあると、知らない者同士でも話に花が咲く。年配の女性と若い男性が熱心に趣味の話をしていた。
午後3時18分、松岸から利根川沿いに成田に向かう。夕暮れの中、田園風景の向こうに筑波山が見える。成田は午後5時16分発。沿線はすでに闇の中に沈んでいた。
我孫子駅から常磐線に乗り、最終到着地は新松戸駅の手前の北小金駅。時間は午後6時半前。出発から約10時間30分。さすがに腰が痛くなったが、やり遂げた達成感も。かかった費用はJR料金(140円)プラス弁当・お茶代などで約1500円。鉄道好きにとっては結構お得かも。(斉藤勝寿)
◇
大都市近郊区間の特例 東京近郊など大都市近郊区間内のみを普通乗車券または回数乗車券で利用する場合、経路にかかわらず、最も安くなる経路で計算した運賃で乗車できる。重複しない限り経路は自由だが、途中下車はできない。乗車区間など詳しくは時刻表の「運賃計算の特例」に掲載されている。
わずか140円の乗車券で千葉県の房総半島を一周できるとは驚きで、新聞記事を読み直しても理屈が理解できず、途中で降車しても140円を追加し続ければ好きな場所に行けるとは思いませんが、ただ乗っているだけではと思う反面で、老人ホームの決められた机に一日中座っているよりは楽しみなプランです。
名神高速道路羽島インターから入り、一宮ジャンクションから東海北陸道を北上し、小矢部砺波ジャンクションを北陸道に入り、今度は米原ジャンクションから名神高速に入り、一宮インターで降車すると一区間分の高速料金で通行できるかどうかを知人と議論したことがありますが、違法な行為や鉄道のキセル乗車ではなく、合法的に行える楽しみ方はいたるところに存在しています。
さて、本日は事務所の掃除にかかりましたが、掃除より先に過去に集めた旅行先のパンフレットの破棄と、保存してある議会資料を思い切って破棄したものの、必要な物を選別するだけで時間が経過し、掃除は未完成のまま年越しになりそうです。
本日の体重 71、5キロ 徒歩数 3923歩
12月30日の一言
過去の選挙ポスター 右から平成11年、15年、19年、23年
「子供が大鹿さんの頭はヅラだと言うんです」
「えっ? どうして?」
本日知人との会話の中で、小学生の息子さんが私の頭髪が「カツラ」だと思っていると聞きびっくりしました。詳しく話を聞くと、私の頭髪がシルバー(白髪)であるのに、このブログやホームページの頭髪が黒いことから、私が頭にカツラをかぶっていると言っているとの話です。
私自身が自分の頭髪は以前から白いと思っていましたが、ホームページやこの一言の看板となっている顔写真は、ホームページを開始した平成16年当時の写真のままで、頭髪も白髪は多かったものの写真では真っ黒に見えます。
添付した写真は、私の事務所裏の休憩室に貼られている過去の選挙用ポスターですが、4年ごとに頭は白くなっており、現在は4年前より確実に白く、今年7月から管理栄養士さんの指導を受け、過去4回の選挙時より体重も減り、脚力や体力は増強したものの、風体は確実に年寄らしくなりました。
さて、我家の家系には頭髪が薄い人は存在せず、白髪はあるものの禿頭とは無縁で、我家の先人である横井庄一さんにいたっては、グアム島で発見された時に57歳でしたが、頭髪は左の写真のように真っ黒でした。
最近は頭髪が特に白くなり、「染めたら10歳は若返る」と言う声がある反面で、多くの人たちからは染めずに白髪のままの方が良いと言われ、健康のために減量したら「痩せると爺臭くなる」と言われ、「太っていた方が恰幅が良い」と言われる始末です。
どちらにしても、私が議員であることから4年ごとにポスターが残っており、ホームページがあることから頭髪の変化が比較でき、毎日の一言を記していると感覚は10年前と変わっていないものの、残された写真を見比べると確実に変化を実感させられます。
ホームページやブログの写真については、事務所の鏡に映った自分を、自分の手にしたカメラで撮影した10年前のものですが、このままでは年齢詐称と言われても困りますから、名残惜しいもののいずれ交換したいと思っています。
本日の体重 72、2キロ 徒歩数 2530歩
12月29日の一言
本日のピーちゃんです。早朝の会報配布のため、薄暗い事務所の鳥カゴの横を素通りし、帰宅後はそのまま仮眠に入り、家内は三男が入院していたため、ピーちゃんの相手が後回しになり、家庭内の空気の違いを敏感に察した警戒感からか、鳥カゴから出てきません。
事務所に人が居ないことは、事務所の室温も低い日が続いており、ピーちゃんも好きでない巣の中に入っていますが、糞の状態を見ると下痢をしている可能性もあることから、本日は時間をかけて相手をしていました。
室温の低さもそうですが、私は不在時に安心させるため鳥カゴの横にあるテレビをつけて外出しますが、電気代を節約するため家内が切ってしまい、私が帰ってくるまで無音で冷たい環境下になってしまいます。
本来なら自然環境の中で、仲間達と自由に行動できるのでしょうが、目も開かぬ赤子状態で保護されたピーちゃんは、私を親代わりにして、私の与えた環境下でしか生活できないため、鳥カゴの温度(100ワットの保温灯を付けています)や、エサの良し悪しが体調に大きな影響を与えます。
主食となる皮付き餌のほかに、カルシュームを含むボレー粉、ビタミンや小松菜を含む複数のペレットを用意し、オヤツとして黒糖入りの米粉もカゴに入れてありますが、私が不在時には大好物の蜂蜜もなく、生餌のミールワームももらえません。
私が口にする菓子も催促するくらいに敏感なピーちゃんですが、小松菜についても私が手にして与えており、好物の卵の殻を砕いて作った粉も私が与え、保護した直後にドッグフードとすりえを混ぜて作った応急の餌も私の手からしか食べません。
鳥は鳥目と言うくらいですから、夜になると何も見えず、早朝の朝日がさした時間から夕暮れまでが行動範囲ですが、我家のピーちゃんの朝は遅く、私の事務所は夜10時まで必ず電気をつけており、私が座っている限りは深夜まで眠れません。
ただし、確実に言えることは、我々が手をかけ、私が声をかけたらかけただけ敏感に反応して元気になることは間違いがなく、下痢を心配した糞についても夜には回復しており、私の声に応答し、鳥カゴから出て、私の手から部屋中を元気に飛び回ってから私の肩に戻ってきます。
鳥カゴに保温用の電灯はつけていますが、暖房によって部屋全体の温度を高くしてやる必要を実感する一日ともなりました。
さて、本日は午後から小雨が降り、夜には気温も下がっているため、明日の会報配布はできそうにもありませんが、部屋の掃除もしておらず、年内にやるべき仕事が大量に残っており、何とか安心して大晦日に京都に出かけられるよう頑張りたいと思います。
本日の体重 71、1キロ 徒歩数 1万707歩
12月28日の一言
本日は久しぶりとなる会報の早朝配布のため、目覚まし時計が午前3時30分にセットしてあり、起きることは学生時代に新聞販売店を起業して23年間続けた習慣から余裕で、午前4時に自宅をバイクで出発しました。
私が創業したのは昭和52年1月元旦でしたが、真冬だったことから防寒対策は大変で、下着だけでなく、ジャンバーを重ね着しても寒く、重ね着によって身体は重く、スキー姿で配達に出た、暗黒のような大変だった記憶がよみがえります。
しかし、時代とともに衣類の改良によって、薄いだけでなく軽い防寒衣が販売されるようになり、若くいくらでも走れるため、身体は温かく汗をかくようになりましたが、還暦を過ぎた身体は走れず、寒さが身にしみるものの、慣れた仕事は自然に身体が反応して懐かしい記憶がよみがえりました。
さて、添付した写真は、本日まで4日間入院していた三男のベットに貼られていた名札で、孫たちがお見舞いに行かないうちに退院してしまったため、入院していた証拠品として携帯電話に記録したものです。 (娘は入院が私のウソと思っていたようです)
お世話になった病院の悪口となってしまいますが、最初に急患で応急処置を受けたのが月曜日で、翌日の祭日にも点滴治療を受け、その翌日の水曜日に耳鼻科の診察を受けるように指示され外来を訪れたところ、予約どころか連絡も忘れられていたのか、痛みに耐えて待合室で4時間以上待たされた後に入院となりました。
初日から入院した方が良いと言われていた患者を、順番とは言え外来で4時間以上も待たせ、私と親しい事務局長が横になれる場所を確保してくれたと家族は感謝していましたが、私からすれば結果的に入院となる患者に対して、一度も息子の容態を確認して対処しなかった看護師や医療スタッフの対応は問題です。
本日無事に退院してきたことから、この時点では感謝の一言しかありませんでしたが、夕方になってから処方された薬が無いことが判り、病院に電話連絡すると…
「処方された薬がないんですが」
「医師もいないので薬は処方できません」
「処方された薬が無いんです」
「薬局も終わっているので出せません」
無事に退院したものの、処方されていた薬を看護師さんが渡し忘れており、慌てて家内が取りに走ることになりましたが、痛みに耐えて治療を受けている三男は文句も言わないものの、祭日の診察とは言え翌日の外来との連絡ミスや、診察の無い土曜日とは言え、退院後に飲む薬を渡し忘れるなど病院としての不備を見せつけるような結末となりました。
我が身に置き換え、脳梗塞やくも膜下出血の場合には大変な事態が想定され、患者が入院を要する重篤になればなるほど自己主張もしないため、このような連携ミスは改善が急務と怒り心頭の夜となりました。
本日の体重 71、9キロ 徒歩数 1万7千604歩
12月27日の一言
津島市神守町 憶感(おっかん) 神社と吉祥寺の本堂 本日12時30分
本日は議会だよりの原稿締め切りが午前中で、午後1時から編集委員会の割り当てられた原稿を受け取る必要があるため、スケジュールを開けていましたが、10時前に原稿を届けると、私に割り当てられた原稿が届いていたため、午後に出向く必要がなくなり、今日も午前中から地域へ会報配布に出発しました。
神守町は旧神守村の中心地で、旧東海道の脇往還佐屋街道の一里塚があり、その中でも上町は歴史の宝庫のような場所です。
添付した神社は穂歳神社で、私は父親が末期がんで助からないと聞かされた平成5年に約半年間祈願したお宮で、「今日も生きて朝が迎えられた」と家に帰っていました。
旧神守村にある神社の中で、一番綺麗に管理されているお宮です。
右に添付したお堂は、上町の北に位置するAさん宅にある「神變大菩薩」を奉るお堂で、金峯山修験宗、教祖「役行者(えんのぎょうじゃ)」の名前が石塔に記されていました。
このお宅の主が吉野の金峯山寺の修験者で、神守不動行者講としてお堂が建立されたようです。
私は過去の一言で、吉野の金峯山寺・蔵王堂で平成16年に不思議体験をしたことを書き記しています。
平成16年4月29日の一言 吉野の不思議体験の一部を抜粋
あのまま続いて般若心経を唱え続けていたら、どんな世界があったのだろうか。残念だが分からないままとなった。しかし、何か目に見えない法力が僧侶と行者の呪文と手法にあった事は間違いない。経験した事の無い体験だが、説明は難しい。今日は観光旅行のはずだったが、不思議な体験によって修験道の聖地を実感する旅となった。
下記全文
私の遍路や巡礼体験の中で、唯一何かが私に乗り移ったか、導いたかは判りませんが、我家の隣村にも吉野で何かを体現されて修験者となられた人があったことを、自宅の庭にお堂を建てられたことから実感させられました。
左に添付した写真は、憶感(おっかん) 神社と吉祥寺の入り口にある「六角堂」で、「延命地蔵」が奉られています。
この延命地蔵は、宝暦8年(1758年)に吉祥寺へ祀られ、六角堂は文政3年(1820年)に建立されたことが石碑に記されています。
吉祥寺は真言宗智山派のお寺で、ホームページでは海東西八十八ヵ所、第54番札所と紹介されていますが、本堂前の石柱には、「尾西弘法21大師」の第15番札所とも刻印されています。境内には「聖観世音菩薩」を祀るお堂も建立されています。
吉祥寺は慶長13年(1600年)以前の創建といわれ、明治元年(1868年)の神仏分離までは門前にある八剱社の社僧坊でもあったとも紹介されていますが、愛知県知多市南粕谷「大智院」の兼務寺のためか、真言宗の弘法様でも参拝者の姿と、参拝された形跡がないことが寂しいですね。
私の少年時代には、本堂で「そろばん教室」が開かれており、津島市議会の先輩議員となる「加藤忠篤」さんが先生で、私も習いに通っていましたが、当時は夕方になると多くの小学生が歓声をあげて本堂前で遊んでいた姿が走馬灯のようによみがえりました。
南無大師遍照金
本日の体重 71、4キロ 徒歩数 2万8千958歩
12月26日の一言
津島市牛田町の「国司稲荷大明神」です
本日添付したのは我家から800メートル離れた隣村のお宮で、子供の頃に遊んだ懐かしい場所です。近所の人の話では3軒のお宅で管理されている「お稲荷さん」だそうで、商売繁盛のご利益のあるお宮との話です。
牛田町には村の氏神様として「日吉神社」が存在しますが、私達の子供時代には「お稲荷さん」へ探検に訪れたことがあり、今でも竹と雑木の林となっており、過去に首吊り自殺をした人があり、「狸」が住みついているといわれた時期もあり、夜には恐ろしくてお参りもできない雰囲気です。
本日は午前10時過ぎに市役所から帰り、11時に家を出発し、途中で30分ほど喫茶店で休憩したものの、午後5時まで会報配布に歩いて帰宅したときに、携帯電話の万歩計は2万5千530歩、移動距離15、8キロ、歩行時間3時間45分を記録していました。
さて、先週末の土曜日(20日)は午後に雨が降り、一日の徒歩数が1568歩に終わり、体重こそ72、3キロでしたが、翌日の日曜日(21日)はお寺に出かけた一日のため、徒歩数3070歩、体重72、7キロとなり、この日は近所のみたらし団子のお店が閉店のため大量の団子(5本以上)を食べ、家内が買ってきた草餅が大量に残っていたため5個ほど食べ、弘法会の人たちから頂いた寿司やご馳走を食べたことと、翌日22日は議会の最終日で歩かなかったため体重は73、2キロになりました。
7月から8月には80キロあった体重が、管理栄養士さんの指導により11月24日から72キロ台まで減量し、12月に入ってから71キロ台が2日ありましたが、わずか数日の不摂生と運動不足で簡単に増加することを実感させられました。
翌日となる23日は、午後から車で名古屋市に走り、夕方は書道会の忘年会のため、更なる体重増が心配されたことから、午前中に会報配布に出かけ1万2325歩歩いたことと、忘年会ではお酒を口にしなかった効果で72、7キロとなりました。
昨日は更に1万9千200歩歩いたため、体重は72、2キロへ戻りましたが、本日は2万5千530歩も歩いているため、夕食は食べたいだけ食べ、間食も摂っていますが体重は71、7キロに減少していました。
最近の体重と徒歩数
19日 72,3キロ 1万3574歩
20日 72,3キロ 1568歩 土曜日 雨 間食
21日 72,7キロ 3070歩 日曜日 お寺の一日 間食多い
22日 73,2キロ 1484歩 議会本会議の一日
23日 72,7キロ 1万2325歩 祭日 忘年会
24日 72,2キロ 1万9200歩
25日 71,7キロ 2万5530歩
20日 72,3キロ 1568歩 土曜日 雨 間食
21日 72,7キロ 3070歩 日曜日 お寺の一日 間食多い
22日 73,2キロ 1484歩 議会本会議の一日
23日 72,7キロ 1万2325歩 祭日 忘年会
24日 72,2キロ 1万9200歩
25日 71,7キロ 2万5530歩
26日 ? ?
本日の体重 71、7キロ 徒歩数 2万5千530歩
12月25日の一言
愛知県津島市下切町の神明社です
添付した神社は、我家から800メートルほど離れた隣町のお宮です。子供の頃からここで遊んだ経験はあまりありませんが、右側が小高い丘になっており、海抜ゼロメートル地帯では珍しい森のようになっています。懐かしい昔のままの雰囲気です。
私の住む町内のお宮も、かつては大きな樹木で覆われ、裏手は大きな川があったため、ススキや葦が茂った遊び場となっていましたが、川は埋め立てられて道路となり、木々は伐採されて遊園地となっており、アニメに出てくるような森のイメージは皆無となりました。
もっとも、私の子供時代はお宮に限らず、道路が遊び場になっており、収穫後の田んぼに積まれたワラの上で遊び、川の堤に生える葦の中に隠れ家を作ったりしていました。最近では正月の凧揚げができる場所もなくなりましたが、私の小学校時代では高く上がった凧の糸が切れ、飛んでいった凧を追って1キロ先まで田んぼを走ったように、遊び場に境界線もないままに遊んでいました。
添付した神社前の道路が狭いため、通り抜ける車は限られており、私もほとんど通らない場所ですが、本日は午前中から実施したアンケートを集計した会報を配布するため訪れました。
この神社の隣りに無住となった尼寺「地蔵寺」があり、お寺を維持するため私の叔父が名目上の名義人になっていた時期もありましたが、現状はお寺の建物は残っているものの、境内のほとんどが墓地と化しており、新たな僧侶が見つかる可能性は低く、いずれ朽ちかけるとしか思えず、寂しい気持ちで通り過ぎました。
さて、本日は午前10時に自宅を出てから、午後4時まで地域を歩き廻りましたが、出会った人々や先輩、旧友と時間を忘れて談笑する一日となり、一度も座っていないため足腰への負担は大きく、帰宅後は三男が入院したため家中が慌しくなっており、落ち着かない一日ともなりました。
本日の体重 72、2キロ 徒歩数 1万9千200歩
12月24日の一言
名古屋市にある八事山興正寺の「平成大仏」と五重塔です。この五重塔は文化5年(1808年)に建立され、東海三県唯一の木造の五重塔で、高さは30メートルあり、国の重要文化財に指定されています。
真言宗 八事山興正寺 http://www.koushoji.or.jp/
本日は書道会「神守丈友会」の忘年会を開く前に、名古屋市昭和区にある興正寺を訪れ、ボランティアのご婦人に奥の院へ案内していただく予定でしたが、不在だったことから私の町内の弘盛寺の副住職に案内をお願いしました。
本堂から虚空蔵菩薩(秘仏)を本尊とする能満堂、大日如来像がご本尊として安置されている大日堂、開山堂(かいざんどう)とも呼ばれ、弘法大師をお祀りする弘法堂、不動明王をお祀りする不動護摩堂まで真言を唱え、奥の院となる阿弥陀如来を本尊とする東山本堂では般若心経を副住職の先導で読み上げました。
副住職には添付した五重塔の前まで案内していただき、我々メンバー8人は喫茶室のある光明殿に入って休憩し、光明殿に立派な書を残された桑山清一さんが設立された桑山美術館に向かいました。
しかし、残念ながら美術館は作品入れ替えで休館となっており、お寺しか眼中にない私は、本日仕事で勤務しているメンバーと待ち合わせる栄に近い、東区の建中寺を訪れることにしました。
先に訪れた興正寺は尾張徳川家の祈願所になっていましたが、建中寺は尾張徳川家の菩提寺にあたり、東海地区の浄土宗の中心となっているお寺で、寺の紋は徳川家の三つ葉葵となっています。
徳興山建中寺 http://www.kenchuji.com/
残念なことは、これだけ大きなお寺でありながら、庶民が日常的に参拝するお寺ではなく、本堂の扉こそ開いていたものの、参拝する信者どころか僧侶や関係者の姿は不在で、葬式仏教と化している浄土宗と、庶民に親しまれて信者が集う真言宗との大きな違いを実感させられました。
太閤天然温泉 湯吉郎 http://www.toukichirou.com/index.html
本日の忘年会は、庄内川と新川の間にある清須市の天然温泉を予約してあり、名古屋市の中心栄で仲間を乗せ、太閤天然温泉「湯吉郎」に入りました。温泉と豪華料理を堪能して帰宅となりました。
本日の体重 72、7キロ 徒歩数 1万2325歩
12月23日の一言
本日は12月議会の最終日となり、正午は過ぎたものの午前中で議会が終わったため、久しぶりに同じ会派議員と昼食に出かけ、食事後にあま市七宝町にあるカフェを訪れました。
訪れたカフェは、『一服する「の~民」』というブログを運営して、愛知県内各地のカフェを紹介されていた「の~民」さんが、『カフェのモーニングを楽しむのはずが、「Café猫の散歩道」を開店させ、モーニングを提供する側になってしまいました』と紹介されているお店で、店内のいたるところに猫が表現され、サービスのケーキを乗せる皿や伝票にも猫がイメージされています。
もっとも、普通のコーヒーを注文しただけですが、各地のカフェをブログに紹介されていたご主人だけにコーヒーにもこだわりがあり、説明ができませんが特殊な容器に入れた私だけのコーヒーを目の前でカップに注いでいただきました。
これだけ猫にこだわりを持たれると、子供づれのお母さんたちにぴったりのお店で、県道から入った場所にあることから、(お店には迷惑かもしれませんが)時間を忘れてのんびりしたい隠れ家のようなカフェです。
「また来てくださいね」の一言に気分良くお店をでると、駐車場の奥に「の~民ファーム」の看板があり、「Café猫の散歩道」自家菜園の説明とともに、「安心安全なお野菜を使用しています」と記されています。
「の~民さんですか」と、同行者が裏の畑で作業中の男性に問うと「はい」と返事がかえってきたため、ずうずうしく押し入り、「本日のブログに顔が出てもかまいませんか」と、「の~民」さんの顔をカメラに収めてきました。
さて、これからが大変でした。市役所に戻った時に自宅から電話が入り、三男が頭が割れるように痛がっているとの話で、昨日に休日診療所の診察を受け、本日午前中にも信頼する開業医で診察を受けたものの、扁桃腺炎で熱が下がらないままとの話です。
市民病院に連絡して、私の車に乗せて走ることにしましたが、車まで歩くのがやっとで、「バットで叩かれたくらい痛い」と痛がる車中の様子から救急車を依頼した方が良かったかと思うような容態です。点滴治療を受け、明日の午前中にも通院することになりましたが、心配したクモ膜下出血などではなかったことは幸いです。
減量して、肩こりが無くなり、ウォーキングから軽い走りに発展した私ですが、これだけ寒い日々が続くと、インフルエンザや風邪の心配もあり、明日は我が身かもと心配もする一日にもなりました。
本日の体重 73、2キロ 徒歩数 1484歩
12月22日の一言
本日は午前中より町内の弘盛寺(高野山真言宗)において、今年最後となる「納め弘法」が開催されたので参加してきました。
午前中に僧侶4人による物故者灯明供養が行われ、参詣者全員で仏前勤行を読み上げ、三和讃(真言安心和讃・光明真言和讃・弘法大師和讃)も続けられました。
我家の宗派は真言宗ではなく浄土宗ですが、このお寺で毎月21日に開催されている「阿息観」に参加しており、高野山でしか体験できなかった「阿字観」が近所で体験できることを知り参加するようになり、弘法会も機会があれば参拝するようになりました。
実際のところ、本日は午前中の納め弘法に参加し、午後には名古屋市の大須観音の近くで集まっておられる弘法会に参加する人に同行しようと思っていましたが、勧められるままに昼食(おとき)をいただき、家内に名古屋市まで走ってもらい、そのまま「阿息観」に参加しました。
こんなことが奇縁につながるのでしょうね。ここのお寺のご住職や息子さんの副住職夫婦は、名古屋市昭和区にある八事山興正寺に勤めておられ、そんなご縁で参加されたと思われるご婦人たちと話が盛り上がりました。
この中に、毎日ボランティアで興正寺に行かれているご婦人がおられ、これまで一度も行ったことのない奥の院への案内をしていただけることになり、参加されていた女性僧侶も奥の院の関係者と判り、ご開帳の日も教えていただきました。
2週間前に興正寺を訪れ、前記した副住職より呈茶券をいただき、訪れたレストラン横で桑山美術館の初代館長桑山清一さんの揮毫した書を発見し、明後日の書道会の忘年会の前に興正寺と桑山美術館を訪れる予定をたてていたことから、本日の出会いは絶好のタイミングでもありました。
さて、帰宅後に家内が送っていった名古屋市の志賀弘法会のメンバーを迎えに走りましたが、この弘法会も高齢化して高野山や巡礼に走る案内役として私に依頼があり、全く一緒に参拝するうちに仲間のように受け入れられており、来年の善光寺参りや高野山行きも決まっており、本日も私の分として大量の「御下がり」が用意されていました。
還暦を越えていますが、まだまだ私を必要とされている人々の存在に力を貰ったように思います。
本日の体重 72、7キロ 徒歩数 3070歩
12月21日の一言
隣町となる津島市神守町の畑に残されたままのミカン
雪の残る畑に実ったままのミカンが放置されていました。畑の地主さんが適切な時期に収穫して食べれば美味しいミカンだったと思われ、私自身も我家の畑を訪れたこともないことを考えると、地主さんが体調でも壊しておられるのでしょうか。
もったいないことは、肥料不足か実をつけたままのためか葉が落ちており、寄生虫や病気でないことを祈るだけですが、我家のミカンが一晩で全部盗まれたことを考えると、盗まれた残りの可能性もあり、誰にも盗まれていないとすればホッとさせられますが、無常の雨が振り続ける姿に寂しさが募ります。
本日は午後から小雨が降り始め、夕方には激しい雨になりましたが、明日から高気圧におおわれ晴れの日が続くため、一昨日に降り積もった雪が溶け、来週には会報が配布し続けられることを祈るばかりです。
さて、明日は地元のお寺で最後の「納め弘法」が行われ、午後からは毎月の行事となっている「阿息観」が行われます。明後日に議会が最終日となり、書道会の忘年会や市役所の仕事も残っているものの、このまま正月が迫ってくるのがストレスになってきました。
鉛色の空から降る年末の雨は寂しいものがありますね。
本日の体重 72、3キロ 徒歩数 1568歩
12月20日の一言
追伸
本日のテレビ番組「ビートたけしのニュースキャスター」では、豪雪地帯で新聞を配達する人に密着取材して放映されましたが、歩くこともままならない雪を掻き分けて新聞が配達される姿に、私は坂も無い平地の配達しか経験がなく、同じ新聞購読料であることを考えると新聞を届ける使命感がなければ続きません。ぬるま湯に浸かった我が身の反省しかありません。
津島市日光町 日光橋西交差点午前9時頃
本日はボランティアの「福祉有償運送」の依頼があり、名古屋の病院に通院するため9時30分の予約が入っていましたが、昨日の大雪で高速道路が閉鎖されているため道路も渋滞しており、予定より30分早く出発しましたが…
平常時には1時間程度で到着する行程で、診察の予約まで2時間もあるため余裕を持った出発でしたが、名古屋市内に入ってもビルの北側の道路や交差点には雪が凍結しており、交差点の渋滞が名古屋駅まで続き、病院到着時には診察予約時間の11時を5分過ぎていました。
こんな状態で帰宅すると、午後1時の市役所の仕事に間に合わない可能性もありましたが、さすがに通勤時間を過ぎて道路の凍結も少なくなり、なんとかコンビニのパンで昼食をとって市役所に駆け込みました。
さて、市役所から帰って、地域に配布して返信があったアンケートの集計表を地域へ配布に出かけましたが、裏道の日陰部分はツルツルに凍結しており、アパートの階段は油断すると滑り落ちてしまいそうになっていました。
歳をとりましたね。私はかつて新聞販売店をやっており、こんな日でも何事もなく先頭を走っていたものですが、階段の手すりに両手をついて上り下りし、滑って転ばないように歩くのが精一杯です。
一方で、私が販売店を起業した昭和50年代当時は田舎の田園風景が広がっており、何処でも立小便が可能でしたが、宅地化されてきたことでそんな場所は何処にもなく、車で移動するため普段は気になりませんが、わが地域を歩く人たちの利用できる公衆便所が一ヶ所もないことも、極寒の本日ゆえ切実に感じさせられました。
私のようにバス停の真ん前に住んでいる者(元々が車で移動するためバスには乗りませんが…)は感じませんが、バスに乗車するためにバス停まで歩き、バスが到着するまで待ち、本日のような日には名古屋駅まで2時間もかかることを考えると、誰もが利用できる公衆トイレは重要と思いながらの会報配布ともなりました。
健康志向でウォーキング姿の人々を目にしますが、夕方から夜にかけて歩く私の目には映りませんが、道路端には犬のフンがいたる所に放置されており、雪や凍結がなくなった後を想像すると不衛生極まりない地域です。
我々の子供時代は道路が遊び場になっており、雪が降れば友達と雪合戦をしたものですが、こんな不衛生な環境では遊べとも言えませんね。
「あれッ、大鹿さん?」
「はい、お久しぶりです」
「痩せられたねぇ」
「ガンじゃありませんよ(笑)」
救いとなるのは、地域で出会った人々との会話ですが、私は議員になる前に新聞販売店の仕事で、毎日のように自然に人々と顔を合わせていたことで、久しぶりの再会によって心が安らぐことです。議員になって地域に出なくなった反省も実感する街歩きともなります。
本日の体重 72、3キロ 徒歩数 1万3574歩
12月19日の一言
我家の玄関前のナンテン
本日の夜になるまで、本日が自分の誕生日だったことを忘れており、思いついて一番にしたことが孫の携帯電話への発信でした。
「誕生日には何をもらったのかな?」
「僕の誕生日は終わったよ」
「ケーキもらったかな?」
「だから、誕生日じゃないから」
5歳の孫に謎かけをしても、私の誕生日を知るはずもなく、私の誕生日と伝えても反応がなく、小さな孫がケーキを持ってきてくれるはずもありません。「おめでとう」と言われても、61歳にもなると誕生日が棺桶へのカウントダウンとしか思えず、何も変わらぬ一日が経過しました。
さて、最近は意識しなくなりましたが、私の名前「一八」については、同級生たちは判っているため「いっぱち」とは言われないものの、街角では「いっぱちさん」と言われることも多く、少年時代は病院などの呼び出しで恥ずかしい思いをしていました。
三重県の伊勢戦国時代村が開業した直後に訪れましたが、施設内の大衆演劇場で行われる時代劇に、タイコ持ちの「いっぱち」が登場し、思わず自分の分身のように思えて、チリ紙で包んだ10円玉を舞台に投げ入れていました。
タイコ持ちの「いっぱち」については落語にも登場しますが、私の欠点が「タイコ持ち」になれないことで、人の機嫌をとるどころか、あえて嫌なことでも意識せぬまま話してしまい、宴席の雰囲気を盛り上げようとも考えたこともありません。
太鼓持ち. 【意味】 太鼓持ちとは、人にへつらい機嫌をとる者。宴席などに出て客の機嫌を取り、その席をとりもつことを職業とする男性。
幇間(ほうかん、たいこ)は、宴席やお座敷などの酒席において主や客の機嫌をとり、自ら芸を見せ、さらに芸者・舞妓を助けて場を盛り上げる職業。歴史的には男性の職業である。
人にへつらい、機嫌をとる必要はないかもしれませんが、自分本位の性格を見直して、相手の立場を思いやれる性格なら、もっと人気者になっておれたかも知れず、せめて四国遍路の道中のように、誰にでも挨拶や言葉がかけられるようにしたいと思う一日にもなりました。61歳にもなって性格の見直しは遅すぎますが…
本日の体重 72、5キロ 徒歩数 1254歩
12月18日の一言
全国各地が大雪に見舞われていますが、私の住む愛知県津島市も昨晩から激しい雪が吹雪いており、本日は白銀の世界になっていました。
「こんな日ですが頼めますか?」
普段は他のメンバーが同行している会員さんから病院までボランティアの依頼があり、雪を屋根に載せたまま出動となりました。メンバーに断られたのか、こんな時しか私には連絡のない会員さんのため悪いと思われたたのか、病院到着後に封筒を差し出されました。
「何ですか?」
「私の気持ちなの、受け取って」
「こんな物は受け取れません」
「恥ずかしいから持っていって」
必死に返そうとしましたが、会員さんも必死で、玄関先で人目もあることから帰りに返すことを伝えましたが、封筒内にはビール券が2枚入っており、これを受け取ることは他のメンバーのためにもできませんが、何よりも私が議員であるため公職選挙法に触れることが認識されていません。
高齢者の独り暮らしになると、こんなことまで考えて用意している姿に、「オレオレ詐欺」の被害者になってしまう一因も感じさせられ、最近は定期便となった叔父の居る老人ホーム行きも、子供ではないものの、我家の同じ居間で生まれ育った親族として足を運びたいと思います。
こんな日に役に立つのがボランティアの真骨頂ですが、私の母親は会員さんと変わらぬ年齢ながら、「乗せて行くよ」と言う家内の言葉も無視して、雪の中をバスと電車で遠く離れた稲沢市の病院に出かけました。
こんな日に役に立つのがボランティアの真骨頂ですが、私の母親は会員さんと変わらぬ年齢ながら、「乗せて行くよ」と言う家内の言葉も無視して、雪の中をバスと電車で遠く離れた稲沢市の病院に出かけました。
家族が同居していても、素直になれない高齢者の難しさも実感させられます。
私の盟友 浪漫亭砂九さん(平成18年没)
今年2月に閉場した名古屋市唯一の常設寄席、大須演芸場(同市中区)が短編映画の舞台になり、ここを拠点にしていた芸人たちも出演し、近隣の人たちや愛好家もエキストラで参加し熱演したとの報道があり、来年2月4日に完成披露会があるとの発信です。
閉場の大須演芸場、映画の舞台に 地元芸人熱演
記事の続き…
酒井監督は「プロポーズの場面は幻想空間として描いたが、CGや書き割り、ミニチュアだとうそになる。大須演芸場という本当の場所が持つパワーや魅力を映し出せた」と話す。
名古屋が舞台の短編小説を募る第7回「ショートストーリーなごや」の佳作が原作。名古屋市などがつくる実行委員会が、制作費(佳作は30万円)を出して映画化が決まった。これまでの受賞作品は「ショートショートフィルムフェスティバル&アジア」や県内外の映画祭などで上映されてきた。今回も各地で公開される予定だ。
原作は演芸場の閉場が決まる以前に書かれた。寄席の舞台の様子や、当時の席亭をほうふつさせる男性も登場する。執筆した名古屋市在住の脚本家いとう菜のはさん(45)は、酒井監督と相談し、閉鎖中の演芸場に忍び込む話にするなど、閉場した現実を踏まえた物語に書き換えた。
いとうさんは「東京や大阪の寄席で撮る方法もあった。でも大須演芸場が好きで話を書いたし、演芸場を愛した人たちも楽しめる作品にしたかった。無事に撮影できてよかった。映画で演芸場の存在を思い出してもらい、復活に役立てれば」と語る。
大須演芸場は改修のための資金調達にめどがたたず、当初目指していた年内再開は厳しい状態。建物を所有する土井信策さん(64)は「年明けから耐震補強などの工事を始める予定。再開はする。春以降を目指している」と話す。
撮影では、おなじみの赤ちょうちんが舞台を彩った。海演隊リーダーの落語家雷門獅篭(しかご)さん(43)は言う。「最初入ったときは懐かしさを感じたが、5分もたてばかつての日常に戻った気がした。あの日から時が止まったまま。この雰囲気はいいね。こういう所がなきゃいけないな」
添付した浪漫亭砂九さん(本名・纐纈彰良さん)は、落語家になるため関西大学に進んだものの、親の家業を継ぐために名古屋に戻り、アマチュアとして社会人落語で活躍した人物で、本人が開設していたホームページでは私を私設マネージャーに指名していただいていました。
私の主催していた「街角座談会」の36会場に『大鹿寄席』として友情出演してもらい、彼は自分の勉強会と位置づけ、私は彼に背中を押されて座談会を開催していましたが、平成18年11月に飲酒運転の右折車と正面衝突し48歳で他界しました。
浪漫亭砂九さんの命日です 2012/11/24の一言です
砂九さんは家業の後継が決まったら、本業の落語家として生活する目標を立てており、そのときは私も本職のマネージャーとして同行する約束を語り合っていましたが、一度だけ一宮市の商店街の落語会に同行して一緒に帰ってきたことが懐かしく思い出される一日となりました。
本日の新聞報道で、名古屋で唯一の常設寄席だった大須演芸場の復活を目指して、多くの芸人や落語家が頑張っている様子がうかがわれ、砂九さんが津島市でホームグランドとしていた「茜屋」さんも昨年2月に閉店しており、砂九さんが居ないことで津島市の落語の灯も消えてしまったようです。
社会人落語 楽語の会 東海支部
前記したように、浪漫亭砂九さんは平成18年に亡くなっていますが、彼の所属した落語の会は亡くなって8年が経過したにも関わらず、未だに砂九さんを仲間の一人としてメンバー表に残し、他のメンバーが各地で活躍しておられることに力をもらうとともに、砂九さんの存在を伝えて津島市で落語会を再開したいと思う一日ともなりました。
本日の体重 72、3キロ 徒歩数 1万5643歩
12月17日の一言
添付した掛け軸は、20年と23年に記した般若心経です
我家の2階では毎週火曜日の夜に書道会『神守丈友会』が開かれていますが、この書道会は平成6年秋に私の中学時代の恩師「長谷川丈夫」先生に指導をお願いし、「びた一文もらわんぞ」と無償の指導との条件で始まりました。
数年後から現在の恩師「後藤毅」先生に指導が代わり、市内各地で書道展を開くとともに、バスを使った団体旅行を企画したり、新聞にも紹介された時期もありましたが、長谷川先生は亡くなり、メンバーも減り、昨年には書道展の会場にしていた画廊喫茶が閉店となるなど寂しい話題ばかりです。
しかし、今年で20年が経過しており、来春には書道展を開催するため現在作品を書き込んでいる最中ですが、過去に記した『般若心経』と最近の作品を見比べると、最近記した書のあまりにも落ち着きのない下手な文字にびっくりとさせられます。
元々上手ではありませんが、私の『般若心経』を欲しいという人もあり、娘の家の玄関にも私の書が掲げてあるものの、最近の書には落ち着きがなく、メンバーが一見するだけで違いが判る代物しか書けず、何とか年内に仕上げたいと思っていますが…
さて、写経用紙の表紙裏に、写経の作法が記されており、「写経は書道ではないため、上手下手は関係ない」ことや、難しいルールは無いものの、空腹時に行うことと、「腹式呼吸(臍下丹田)」で行うことが記されています。
ただし、書き写す気持ちにおいて、「御仏の教えを書き写す」という意識が希薄になっており、右から書き出すと記した墨が手でにじむため、般若心経の終わりの左の行から書いていることなど、美しく書き残すことを意識して、写経の目的が忘れられていたことも反省が必要となります。
そもそも、写経を作品と記していること事体が間違っており、過去の般若心経が掛け軸にして残してあったことから、腕前が低下している現実も判りました。
本日の体重 72、4キロ 徒歩数 2191歩
12月16日の一言
町内のお寺・本日の掲示板です 良い言葉ですね
東京モノレールは15日、東京都大田区の新整備場駅で、当直の男性駅員(28)が寝過ごして改札をあけなかったために、始発の普通列車に乗れなくなるトラブルがあったと発表された新聞記事に、私自身の過去を回顧する一日ともなりました。
駅員寝過ごした…8人が列車乗れず 東京モノレール
記事によると、駅は午前5時15分に営業を開始することになっていたが、駅員が寝過ごしたために、始発列車に乗車する利用客8人が駅に入れず、列車を降りた1人が駅から出られなかったとのことです。
寝過ごして仕事を遅刻するだけでなく、寝過ごすことによって仕事そのものが停止してしまうのも損害となりますが、鉄道のように利用者の利益を阻害する影響を考えると、当直職員の責任は重大なストレスとなります。
私は大学3年次の元旦に朝日新聞販売店を起業して独立しましたが、新聞を積んだトラックが午前2時45分頃に店舗に到着するものの、元々が夜型人間の学生のため徹夜で朝を迎えてしまったり、寝過ごすことも度々ありました。
目覚まし時計を3個用意したり、友人と夜遅くまで出歩いたときには、店舗前の土間や新聞の仕分け台の上で仮眠したことなどが懐かしく思いだされますが、配達する従業員やアルバイトが出社してきますから、仕事が止まってしまうことはなく、お客さんに迷惑をかけたことは一度もなかったものの、全員が寝過ごしてびっくりしたこともありました。
朝早く、休みのない仕事だっただけに、寝過ごすことに対する心配は大きかったものの、議員になってからは、時間に遅れて議会や委員会を欠席することは辞任を問われる責任ともなることから、より緊張感が高くなりました。
人間はそれでも「うっかり」が起こり、親しい知人の突然の訃報や、急を要する電話や来客があると時間を忘れたり、日時を勘違いして行動することもあり、議会の本会議の当日と勘違いし、休日に寝過ごしたと勘違いして車中で衣服を着ながら大慌てで市役所に走った笑い話もありました。
駅員さんの朝の寝過ごし事件についても、過去に何回も同様の事件が起こって発信されていることから、絶対に寝過ごさない仕組みや対策を考えることが必要で、うっかりミスでも新聞に報じられるため、1人で当直となる駅員さんのストレスも大きいでしょうね。「寝過ごし」は許されることではないかも知れませんが、時計によって生活を支配されることはストレスともなり、朝になって明るくなったら起き、暗くなったら眠る動物のように自然体で行動できる環境にあこがれも感じます。
本日の体重 72、2キロ 徒歩数 1万2059歩
12月15日の一言
過去最低の投票率となりそうな衆議院選挙の投票が終わり、開票早々に事前から予想されていたとおり自民党の単独過半数確定が伝わり、二大政党論が叫ばれて導入された小選挙区が一強多弱になってしばらくは変わりそうもありません。
添付した新聞記事は本日付けの中日新聞ですが、愛知の激戦区として愛知3区が取り上げられており、添付された写真は公示日の午後に次世代の党公認が決まり、津島市から今まで選挙運動もしたことのない名古屋市で突然立候補した「井桁亮(いげたまこと)」候補の後姿です。
名古屋市緑区徳重駅前で、「アベノミクスで給料が上がる約束だったが、そうなっていないのでは。額に汗して働く人が報われる社会にしたい」と語り掛けたとありますが、全く勝算もなく土地勘のない土地に落下傘のように降り立った選挙でもありました。
私は井桁候補が愛知県議会議員に最年少で当選した15年前から行動を共にしてきましたが、自己主張を貫くために勝ち目のない愛知県知事選挙に1期途中で立候補し、孤立無援で国政選挙に挑戦を続けてきました。
今回の選挙には候補者自身の選挙権もなく、公認はもらったものの孤立無援の選挙となり、期日前の出口調査では3パーセントの支持しかありませんが、少ないものの津島市出身者や津島市とゆかりのある有権者の応援が伝わり、故郷の有難さも実感させられました。
井桁候補はまだ45歳と若く、厳しい選挙結果にもめげておりませんが、私は最後には津島市を地盤とした政治に戻って欲しいと期待しています。
さて、自民党だけで単独過半数を確保する結果となりましたが、原発再稼動や集団的自衛権発揮など、各種の世論調査で国民の半数以上が反対している事案について、民意が無視されることをどのように阻止できるのか野党の踏ん張りに期待したいものです。国民に増税しないと財政運営ができない国政と、医療費をはじめ公的負担増を強いられる政情に発信していきたいと思っています。
本日の体重 72、9キロ 徒歩数 4712歩
12月14日の一言
東京や神奈川の7市区自治体から、同時に生活保護を受けたとして詐欺罪に問われている女性がおり、検察側は懲役4年を求刑している。判決は16日に言い渡されると言うが、7市区から2年半で計約570万円を不正受給していたとみられ、報道された内容から全国の受給者を調べなおす必要を感じます。
生活保護、7市区から不正受給 なぜできたのか?
記事の続き…
「『住む場所がなくなった』と役所の窓口で言えば保護してもらえた」。11月からたびたび勾留先の静岡刑務所で取材に応じた春日野被告は、こともなげに言った。
福祉事務所など各自治体の窓口で「友人と暮らしていたが追い出された。お金もない」などと訴えると、自治体の多くはまずホームレスの一時宿泊施設などに入れてくれた。当座の生活費を手渡され、その間にアパートを探すよう指導されたという。アパートに数カ月住んだこともあれば、施設から姿を消したこともあった。
「通帳は持っていない」と伝えていたため、保護費は自治体から支給連絡があれば、窓口に出かけて受け取った。「黙っていなくなっても役所は私を捜しにこない。住んでいないんだから受給をやめろと言われればやめたが、言われなかった」。受け取った金は「食費などの生活費や薬代、タクシー代にすべて使った」。1カ所に定住しなかったのは「近隣とトラブルになったり、役所の対応に腹が立ったから」。面会では冗舌で時々笑顔も見せたが、役所を批判するときには鋭い目つきに変わった。
被告は東京生まれで、両親と3人暮らしだったと話す。専門学校卒業後、事務職として複数の会社に勤めた。だが10年前に体調を崩して働けなくなり、生活保護で一人暮らしをしてきたという。「社会復帰したらまた生活保護を受けると思うが、その中から返していきたい」
不正はなぜ見過ごされたのか。生活保護は住民登録がなくても居住実態があれば申請できる。自治体は申請者の住民登録や通帳などから、資産状況やほかの自治体から既に支給されていないかを確認する。
ただ、生活保護の受給者情報は自治体間では共有されない。申請者が故意に以前の住所を隠せば、気づくのは難しいという。被告に生活保護費を渡していた自治体によると、同被告は以前、東京都新宿区に住民登録があったが、当時はすでに抹消されていた。相模原市の担当者は「(被告は)以前住んでいた場所についてもあいまいな話を繰り返すだけだった」という。
地方自治体が12年度に把握した生活保護費の不正受給は約4万2千件、総額は約191億円に上る。
生活保護に詳しい吉永純・花園大教授(公的扶助論)は「自治体間の情報共有がないことや住所不定者はまず保護されることなど、一般にはあまり知られていない制度の死角をつかれた形だ」と指摘。その上で「生活保護は高度な個人情報。自治体間でやりとりすれば情報漏れのリスクも高まり、共有すべきでない。だが保護開始後の最初の3カ月は、できるだけ訪問の頻度を増やすなど、調査を徹底するべきではないか」。
検察側は懲役4年を求刑。判決は16日に言い渡される。
生活保護については、申請する窓口の自治体に住民票が無く、住所が定まらないホームレスでも無収入で生活費が無い場合には生活保護の対象となり、逆に住民票があり生活実態がある人には預金通帳や資産を徹底的に調べて、生命保険まで解約しないと生活保護は受給できない厳しさもあります。
かつての生活保護は、無収入で明日の生活費が何も無い人でも、健康で働ける人は追い払われていたものの、最近は本人が無気力で働かない人物にも支給されており、悪意を持って窓口を訪れていても無視はされません。
今回起訴されている女性は検察側に懲役4年を求刑されていますが、生活保護に限らず自治体から受け取る補助金は、その財源は総てが国民の支払った税金であることを考えると、不正に受け取ったことが確認された容疑者には厳罰に科す必要がありそうです。
明日は衆議院選挙の投票日となりましたが、私の住む愛知9区には、自民党と民主党、共産党の3人の候補者より立候補しておらず、自民党は嫌でも民主党も嫌いな人は共産党しかなく、共産党や民主党が絶対嫌と言う人には自民党しか選択肢がないことから、「誰も投票する人が無い」との声も複数から聞きました。
支持する政党を持たない無党派層が圧倒的に多い現状の中で、1人しか当選しない小選挙区の限界も感じながら、記名する人物を特定できないまま期日前投票にも行きそびれ、投票所に行く時間が迫りつつあります。
私の投票基準は、脱原発と消費増税反対と、平和憲法堅持等ですが…
本日の体重 71、7キロ 徒歩数 1068歩
12月13日の一言
昨日の続き…私の右手を居場所とするピーちゃんと、縄張りを死守する相棒リマです
12月議会の一般質問において、公共交通問題について質問しましたが、私自身地域の交通空白地帯を地域で解決していく可能性はあると思うものの、現実には利益が出ない事業の存続は難しく、各地から事業の中止や失敗の報も発信されてきます。
戸口送迎サービス(デマンド交通等)を活用した買い物支援サービス事業
事業者名 株式会社 長大
実施対象地域 千葉県佐倉市 和田・弥富地区
事業の概要
地域に生鮮食料品や日配品等を扱うスーパーなどが存在せず、鉄道や路線バスなどの公共交通がない地域において、地域の移動手段であるデマンド交通を利用し、高齢者などに対し、以下の事業を行った。
○お出かけ支援サービス
買い物などの外出の動機づけとその手配を実施。
・買物計画提案
・各種予約代行(デマンド交通、各種施設利用)
・地元商店やイベント情報の提供
○買い物手伝いサービス
外出先や在宅における買物サポートを実施。
・買い物先での案内(買い物ツアー等)
・配送支援(買い物代行等)
※以下の理由により、事業収入はなかった。
・買い物ツアーのサービス対価を無料とした。
・協賛企業からの紹介手数料を見込んだが、利用者が低迷し手数料徴収が難しい状況であった。
・買い物代行は利用がなかった。
○お出かけ支援サービス
買い物などの外出の動機づけとその手配を実施。
・買物計画提案
・各種予約代行(デマンド交通、各種施設利用)
・地元商店やイベント情報の提供
○買い物手伝いサービス
外出先や在宅における買物サポートを実施。
・買い物先での案内(買い物ツアー等)
・配送支援(買い物代行等)
※以下の理由により、事業収入はなかった。
・買い物ツアーのサービス対価を無料とした。
・協賛企業からの紹介手数料を見込んだが、利用者が低迷し手数料徴収が難しい状況であった。
・買い物代行は利用がなかった。
成果の検証(専門家の評価)
当地域における当事業モデルは、ビジネスとして成り立たない
【主な課題等】
・高齢化が進む交通不便地であるが、多世帯家族が多く家族と買い物に出掛けるため、ニーズがほとんどない。 ※なお、他地区で実施する場合の成立条件の主なものは、次のとおり(マーケットとしての買い物支援を要望する潜在的な利用者ニーズと切実な要望が多数聞かれる/対象商店街や商店等に出かけたくなる要素・魅力が十分にある/商店街と商店の協力と受け入れ体制(案内、休憩所等)が十分整っている/移動のためのデマンド交通の利便性と低料金の設定が可能 など)
【主な課題等】
・高齢化が進む交通不便地であるが、多世帯家族が多く家族と買い物に出掛けるため、ニーズがほとんどない。 ※なお、他地区で実施する場合の成立条件の主なものは、次のとおり(マーケットとしての買い物支援を要望する潜在的な利用者ニーズと切実な要望が多数聞かれる/対象商店街や商店等に出かけたくなる要素・魅力が十分にある/商店街と商店の協力と受け入れ体制(案内、休憩所等)が十分整っている/移動のためのデマンド交通の利便性と低料金の設定が可能 など)
委託事業者の委託事業終了後の取組方針
・利用者ニーズが極めて少なく、採算性も確保できないことから、当地域における事業は、中止する。
・今後、他地域で大幅にスキームを変えた上での実施を模索。
・今後、他地域で大幅にスキームを変えた上での実施を模索。
「障がいのある子供を幼稚園へ送迎して欲しい」との依頼を受け、家内だけのワンコインボランティアからスタートし、NPO法人化して「福祉有償運送」や「福祉タクシー」の認可を受けて高齢者や障がい者の移送を続けてきました。
ただし、コーヒー代程度の小遣い銭で参加するボランティアの存在があって続いているだけで、新たな車両を導入して続けていくことには限界があり、全国各地から新たな試みが発信されてくるものの、それ以上に撤退していく事例が多く存在します。
本日の新聞報道では、全国の公営住宅で、一人暮らしの高齢者が全世帯の4分の1を占めることと、 孤独死が多発して昨年1年間だけでも1320人の人々が孤独死していることが発信されています。
公営住宅、4分の1が単身高齢者 孤独死1300人超す
ボランティアによる移送サービスを始めて10年近く経過しましたが、ボランティアを続けられるのもあとわずかで、10年後にはボランティアのお世話になるか、家族の手を煩わせる立場になる現実を実感する一日ともなりました。
本日の体重 72、1キロ 徒歩数 7267歩
12月12日の一言
私の手に乗り、ジャンバーの中で眠るピーちゃん
やんちゃ坊主(娘かも)です
頬の黒い斑点が目のようで可愛いでしょう
先週から12月議会が始まり、公示された衆議院選挙の応援に名古屋市に出かけているため、事務所が留守状態になっていましたが、本日市役所より帰宅すると、孤独に耐えて留守番役となっていたピーちゃんが、カゴから飛び出して私から離れません。
警戒心が強いため、鳥カゴの中から出てこなかったピーちゃんですが、最近は私の不在が多いためか、私の姿を確認すると跳び回り、扉を上げると一目散で私に飛んできて、左肩の上に居る時なら歩いても飛び立たず、部屋中を飛び廻っても必ず左肩か左腕(頭の上の時もあります)に戻ってきます。
手の平や指にも乗りますが、左手は好きではなく、右手が安心できる様子で、私の胸か腹の前であれば安心してそのまま一時間でも眠ってしまいます。こんな甘えん坊では野生に戻れそうにはありません。
「ウォーキングされてるんですね」の一言は、私が議会の質問中にウォーキングしていると話したことを聞いて、「やっぱり、痩せられましたね」と続き、「実は、私もウォーキングして痩せたんです」の一言が返ってきました。
発言の主は市役所の課長さんで、集団検診の際に生活習慣病の危険性を指摘され、ウォーキングだけでなく食事の指導を受け、82キロあった体重が68キロに減ったという顔は私よりスリムになり、洋服も買い換えたとの話に花を咲かせました。
私より身長は高いものの、14キロの減量は驚異的で、詳しい話を聞いてから再度紹介したいと思いますが、私自身も80キロから72キロ台まで減量しましたが、2キロの壁がなかなか乗り越えられないため、目標としても注目したい話題です。
本日の体重 72、4キロ 徒歩数 6671歩
12月11日の一言
追伸
自分の顔を見ることがほとんどありませんが、頭が真っ白になっているが驚きで、8年前にヤフーブログに添付した写真の頭の黒さと比べるとびっくりさせられました。
ガソリン給油中 自費選挙を宣言した候補者の出費は大変です
昨日に議会の一般質問があり、明日からは自分が所属する厚生病院委員会をはじめとして各常任委員会が開催されますが、空白の一日となった本日は、朝から愛知3区(名古屋市昭和区、天白区、緑区)から立候補している「井桁亮(まこと)」候補の街宣車を運転する一日となりました。
私の住む津島市(愛知9区)の支援者と2人で交代の運転ですが、選挙は朝8時から夜8時まで展開されますから、候補者はもちろんですが、休みのない運転も大変で、委員会で私が市役所にカンヅメとなる明日は、朝8時から夜8時まで1人で運転となりそうです。
選挙の街宣車は、地域の学校周辺や病院施設などではスピーカーの音を消すか、ボリュームを下げて走行する必要がありますが、地元から遠く離れた選挙区のため土地勘がなく、選挙区から選挙区外にはみ出さずに廻るのが精一杯で、突然の出馬のため候補者名を知らしめるには時間がありません。
「イゲタ、イゲタ」の連呼となり、国の方向性を論ずるゆとりもありませんが、元市長を父親に持ち、最年少の県会議員となり、愛知県知事選挙にも挑戦した過去の経歴を有権者に知らしめる時間もないままの立候補です。
来春の統一地方選挙のため、市議会議員や県会議員を目指している候補者と、現在出馬している自民党候補者と並んだポスターが選挙掲示板より大量に張られている街角を、聞いたこともない「イゲタ」の名前を連呼しても隅々まで浸透はしていきません。
何故に「地元から出ないの」と言いたいものの、いずれは地元で花開くことを信じて、縁故もない土地を「よそ者」の視線を感じながら走りますが、僅かでもエールをおくられ、車窓に手を振っていただける人が存在することに、既存の政治に対する不信感も垣間見られます。何と言っても、名前を知ってもらう時間が足りませんが、候補者はいたって元気に行動しているのが救いです。
本日の体重 72、3キロ 徒歩数1723歩
12月10日
丹波ワイン 鳥居野(赤ワイン)
最近は夕食時のビールを控える代わりに赤ワインを飲むようにしていますが、格安のワインが店頭に並んでおり、ガラス瓶がプラスティックになり、更に紙パックの飲料水のような超格安ワインが当たり前になると、ワイン本来のコイルの栓を開けることも久しぶりの感触になりました。
本日添付した赤ワイン「鳥居野」は、先月に三男が京都で買ってきてくれた丹波ワインで、私は鳥の「翡翠(カワセミ)」の赤ワインを買ってくるように依頼したものの、間違えて購入してきたもので、本来はお金を渡さなければなりませんが、三男から私へのプレゼントになりました。
本日津島市議会では一般質問が行われ、5人が登壇した最後が私の一般質問で、明日一日間の休会の後、各常任委員会が開催されていきますが、明日の休会日は名古屋市の愛知3区選挙区へ「井桁亮(いげたまこと)」候補の応援に走ることになりました。
本日の一般質問では、公共交通の名鉄電車やバスのダイヤ改正の際に便数が減らされ続ける電車について、名鉄への折衝と同時に、行政として交通の流れを把握して、公共交通機関を使えない市民の「交通空白地帯」を解消するように求めました。この質問は、平成15年より繰り返し続けており、私自身が市民の足代わりになるため、ボランティアの福祉有償運送や福祉タクシーを自らが関わるようになった質問で、過去の答弁についての検証も求めました。
もう1件の質問は、過去に質問した県道名古屋津島線バイパスや、生活道路の安全確保を求めた過去の質問の進捗状況と、更なる改善を求める質問で、私の実施したアンケートでも道路や歩道の安全を心配する市民が多かったための再質問でした。
市民の足確保については、私自身が身銭をきって前記した事業をボランティアで実践する立場になっており、行政の場当たり的な答弁や、市民の足確保に対するやる気不足に本音の発信で要望しました。
本日の体重 71、9キロ 徒歩数 7610歩
12月9日の一言
本日津島市議会では12月議会一般質問が行われ、7議員が登壇して質問に立ち、明日は残り5人の質問が続けられ、私は最後の12人目の登壇となっているため、午後2時頃に質問に立つ予定です。
突然の国政選挙と、同志の突然の出馬により、自分自身の予定した行動が総て足止め状態となっており、明日の質問についても質問内容の通告はしてあるものの、答弁する市役所側にとっては当方の意図を理解していない可能性がありそうです。
さて、『大雪の影響で徳島県西部の集落が孤立して4日目の8日、つるぎ町半田で独居の女性が心肺停止で見つかり、病院で死亡が確認された』と報道されており、徳島県では2日前にもお寺の住職ら2人が死亡しており、雪のイメージがわかない四国の大雪に多くの人々がびっくりしています。
徳島で98歳女性死亡 大雪で孤立続く 1人連絡とれず
心肺停止の住職ら死亡を確認 徳島の雪山
「大鹿さん、四国に雪が降るなんて異常ですね」とか、「雪なんて降らないでしょう」と、南国の高知県のイメージが浸透しているのか、四国には雪が降らないと思っている人が愛知県では多く、今回の大雪にびっくりしたコメントを耳にしました。
現実には四国遍路においても、第60番横峰寺については、積雪によって冬季の通行ができなかったり、林道が通行止めにされている場合があり、第65番雲辺寺にいたっては「スノーパーク雲辺寺」スキー場の山頂に建立されており、愛知県より雪に注意が必要と思われます。
左の写真が6日の雲辺寺スノーパークのライブ写真です。
もっとも、大雪による災害が発信されているものの、徳島県の井川スキー場は『スキー場までの県道が倒木多数の為、通行止めとなっており、スキー場まで来ることが出来ない』と営業もできない様子も発信されています。
本日報道されている高齢者の死亡については、大雪によって電気も送電が止まっており、安否確認ができない人々が複数存在することから、高齢化するだけでなく山村の独居生活がいかに危険かということを実感させられます。
山村の独居老人の生活を支えるため、我々の住む愛知県では考えられない利益を度外視した出張販売や、移動困難者の移送介助など四国のぬくもりを感ずる話題を多く耳にしてきましたが、今回の大雪や台風とか豪雨災害に遭遇した際の自然界の厳しさを改めて実感させられました。
被害に遭われた人々の冥福を祈るとともに、発信されている地域にも親しい人々が存在することから、一刻も早い復旧に期待したい一日ともなりました。
本日の体重 72、0キロ 徒歩数 589歩
12月8日の一言
名古屋市昭和区 八事山興正寺の本堂
新たに建立された仏舎利塔
井桁候補の応援に知人と名古屋市内の昭和区を訪れました。
その途中に八事山興正寺を訪れて一緒に参詣しましたが、私の町内の弘盛寺の副住職に出会い、呈茶券をいただいたので境内の食堂で昼食も済ませました。
八事山興正寺 http://www.koushoji.or.jp/
今から井桁候補を追いかけます。
追伸
写真は名古屋市内で街頭演説をする自民党前職候補者ですが、現職だった国会議員が誰とも判らない通行車に笑顔で手を振る姿と、「アベノミクス」の連呼ばかりとなる演説に、日本の国政や将来について自分の意見を本音で語らない昨今の国会議員に夢も希望も感じられません。こんな若者に国政を託すしかないのかと自問自答。
レベルは違うものの、「電信棒や犬にも頭を下げる」と揶揄される政治屋のいやらしさと、来春は自分もそんな立場になるのかと思うと自己嫌悪に襲われ、同行してくれた知人に揺れる心を話し続けていました。
「ところで、今回の選挙はどうしたら良いですか?」
「どうしたらとは、どうゆうこと?」
「誰に投票するんですか?」
「 … 」
「投票は行くけど、投票する人がいないじゃん」
私の住む津島市は愛知9区になりますが、自民党と民主党、共産党の3人が出馬しているものの、自民党は嫌いだが民主党にも投票したくない、ましてや共産党は支持できずに投票する対象が無いとの声が多く聞こえてきます。
打算的な野党の野合も支持はできず、アベノミクスの不調と、女性閣僚の不祥事の打開を図る選挙に付き合わされ、消費増税を先送りするものの確実に増税する自民党と、増税を先送りすることで年金受給者の支援も先送りするなど、国民は税金を取られ続け、国民の巨大な税金を使った党利党略の選挙はうんざりです。
おまけ
境内にある光明殿の1階に掲げられた「光明殿」の揮毫は、桑山美術館を建てて初代館長を努められた桑山清一さんによるものでした。
桑山美術館は、初代館長の桑山清一が永年にわたって収集した美術品や工芸品の寄贈をもとに、昭和56年に開館しました。近代の日本画や、鎌倉時代から現代にいたるまでの茶道具を中心とする所蔵品は、各々のテーマごとに年3回の展示替えによって公開しています。
庭園内は小間席の「青山」、本館2階には広間席の「望浪閣」別館2階には立礼席、さらに別館1階には多目ホールがあり広く一般市民にご利用頂いています。 名古屋市観光情報から引用しました。
庭園内は小間席の「青山」、本館2階には広間席の「望浪閣」別館2階には立礼席、さらに別館1階には多目ホールがあり広く一般市民にご利用頂いています。 名古屋市観光情報から引用しました。
かつての実業家や政治家には、絵画や文化に秀でた人も多く、私の事務所に掲げてある「来る人も 来る人も 福の神」の色紙は、私が学生時代に起業する祝いに元名古屋市長の杉戸清さんからいただいたもので、杉戸さんと私の父親は日本画家の浅見香城先生の弟子だったことから、父親もよく桑山美術館を訪れていました。
本日の体重 72、4キロ 徒歩数 6089歩
12月7日の一言
本日の名古屋市内は快晴の一日となりましたが、私と家内は愛知第3区から立候補した井桁候補のポスター張りのため、名古屋市内の昭和区に出かけました。
正面に見えるのは朝日新聞名古屋本社とヒルトンホテルで、私は昭和52年1月に起業してから平成11年まで朝日新聞販売店を経営していたため、定期便のようにここまで足を運んでいた懐かしい場所です。
みっともない白髪姿ですが、昭和区の1番の掲示板に到着したのが午後2時40分で、衆議院選挙が公示されたのが火曜日ですから3日遅れのポスターとなるものの、ポスターが刷り上って2時に集合したばかりの1枚目となりました。
担当した最後の50番目の掲示板です
スタートが午後2時で、終わったのは午後10時過ぎとなりました。名古屋市の昭和区の50枚を担当しましたが、主要道と地下鉄駅周辺のため、道路が渋滞しているだけでなく、住宅地は一方通行だらけで目的地にたどりつけません。
終了後に明日のポスターを受け取り、帰宅途中に「すき家」で夕食となりましたが、帰宅は午前様になっていました。
突然の出馬で人手が足りません。明日も朝から天白区と緑区へ、家内と2人で割り当ての86枚のポスター貼りとなります。
本日の体重 72、1キロ
12月12日の一言
「おい、今日は忙しいかなァ」
「うん、…またカメラ?」
「今日は違う、家まで行きたい」
「うーん、午後なら何とか」
「今日は家内の命日だから…」
「あっ、そうなんだ…」
議会中のため市役所から随時連絡があり、愛知3区から衆議院選挙に立候補している井桁候補からも常時連絡が取れるよう依頼されているため、慌てて携帯電話を手にすると老人ホームの叔父からの電話で、叔母の命日のため自宅の仏壇にお参りしたいとの連絡でした。
不謹慎な話ですが、叔父から叔母の命日であることを聞いた瞬間に、私は叔母の葬儀の夜に家に長男が内緒で預かっていた子犬(現在の相棒リマ) が来たことから、相棒が我家に来て何年になるのかと考えていました。
本日も病室の中から http://blogs.yahoo.co.jp/s281218/42372759.html 平成21年12月3日
昨日の笑顔と元気さは何だったのか http://blogs.yahoo.co.jp/s281218/42380935.html 12月4日
本日は悲しみの中にも温かいものが http://blogs.yahoo.co.jp/s281218/42387240.html 12月5日
沈んだ気持ちを払拭した子犬 http://blogs.yahoo.co.jp/s281218/42392809.html 12月6日
施設に着いたのは午後2時を廻っていましたが、叔父は外出することを施設に話していなかったため、慌てて外出許可をとってから自宅に走りましたが、暖房を入れて仏壇に電気を入れ、供え物を供え、線香を立てて準備するのは叔父ですから刻々と時間が経過しますが、勝手が判らない私が手伝うこともできません。
叔父は今でこそ老人ホームの老人になっていますが、元々は教員であり、浄土宗の僧職であることから、お経を唱える前の準備は念入りで、供え物の場所にこだわり、箱の中身を出して供えるなど大変な作業で、僧侶だけにお経も手抜きなく法要のように時間が経過しました。
私は浄土宗の檀家でありながら、真言宗のお経しか判らないため、叔母の最後の頃を振り返って思い出していましたが、昏睡状態にあった叔母が突然元気になり、トイレも自分で行けるような回復を見せた翌日に他界したことは、今でも鮮明によみがえってきます。
意識がなく寝たままの末期がん患者が、一日だけ元気に回復して、叔父の見舞いに同行しただけの私まで叔母の指示で昼食も一緒に食べ、このまましばらく回復していくと思った翌日早朝に息をひきとる…
こんな奇跡的な最後は今にしても信じられない一日ですが、元気な姿を叔父や家族に見せたのか、翌日死ぬことをこの時に叔母は悟っていたのか、未だに不思議な出来事として思い出され、本日も遺影に問いたい心境で叔父の読経を聞いていました。
さて、終わったあとは近所にある私の行きつけの珈琲屋さんに立ち寄り、家の将来や過去の思い出に花を咲かせていると施設の夕食時間が近づき、慌てて施設に戻りましたが、限られたスペースの行動は体力の低下と思考力が鈍っていきます。
現在痴呆もなく、数年前まではパソコンでホームページも立ち上げていた理工系の叔父だけに、何か部屋で打ち込める作業はないかと施設の職員に尋ねると、「足し算」とか「お絵描き」があると言われたものの、ほとんどの人がそれを何とも思わない環境が恐ろしく、金も無く年金も少ない場合には施設にも入れないため、どちらが良いのか判りません。
明日の午後には立候補が遅れた井桁候補のポスターが完成し、午後からは家内を伴って土地勘のない名古屋市内の選挙掲示板を探す一日となります。
本日の体重 72、3キロ 徒歩数 2498歩
12月4日の一言
本日は朝から突然に選挙へ立候補した同志の応援のため、名古屋駅前ロ-タリ-へ8時前に訪れました。
「残念だったね」
「立候補が決まりました」
「新聞に載っていなかったじゃない」
「今日の午後に決まったんです」
「まさか、本当に?」
「とにかく、明日の8時に名古屋駅のロータリーに来てください」
この会話は昨晩のやりとりで、野党から出馬を目指していたものの、選挙協定や現職優先のため出馬が難しく、昨日午後に岐阜県選出の国会議員藤井孝男さんの秘書と名古屋駅で偶然出会ったことから、党本部が公示当日に突然の公認を決めてくれたとの話です。
無所属、無党派の私とは無縁の選挙のように感じておりましたが、議員になって15年間一緒に活動してきた候補者のため、議会開催中での応援のため慌ただしい師走になりそうです。
実際のところ、候補者本人も選挙関係の書類や、ポスター、街宣車の手配などで徹夜状態ですが、私も名古屋駅は我家から車で30分の距離にあるものの、朝の渋滞や、駅前の駐車問題と一日の行動が判らないため、久しぶりのバスで移動することにしたところ、仕事が終わった午前2時から眠られないままの一日となりました。
さて、今回の立候補は私の選挙区ではなく、名古屋市の愛知第3区のため、応援しようにも選挙区が名古屋市の南東部になることから土地勘も少なく、国政選挙のため集票の足しにもなれませんが、投票日の14日まで名古屋市と津島市を往復する生活となりそうです。
本日の体重 72、2キロ 徒歩数 1万3308歩
12月3日の一言
親しい知人より届けていただいたクッキーです。健康に良い食材を使ったパン工房を運営しておられ、本日バターを探しに業務用販売店を訪れたものの入手ができなかったとの話に、作り手の苦労を感じさせられましたが、ただでさえバターや乳製品が高騰している中で食材にこだわる工房の運営の難しさも実感させられます。
最近は間食を口にしないようにしていますが、写真に収めるため封を切ったことから、まずは自分が味見をしようとしていると、庭を掃除中の家内が機嫌悪そうに戻ってきました。
庭一面に落ちた落葉を掃除中で、私は無関心で手伝わないために不機嫌なんですが、「これ、食べろよ」と差し出すと、「コーヒーを入れようか」と何もしていない私も休憩となりました。
実は昨日から全く身体を動かしていないため、間食の節制が必要ですが、家庭円満が第一のため美味しくいただき、夜の書道会にも出してみようと思っています。
さて、何もせずにボーとしていたために、何も家事を手伝わない私へ険悪な顔をしていた家内でしたが、駐車場で突然に出された甘いクッキーの効果は抜群で、コーヒーを飲んでから庭に出て花を眺める雰囲気になりました。(単純!!)
半月前にランナーの先に出ていたイチゴの新芽を鉢植えしたところ、時期ハズレの花が次々と咲き出し、僅かながらも実が熟すようになり、家内に言わせると春のイチゴより美味しい実も収穫できました。
孫に食べさせるため、2年前に畑ではなく自宅の裏庭の植木鉢に植えたイチゴが親となり、次々とランナーが伸びたものの、そのまま放置してありましたが、冬が間近にせまった時期の移植も、空中ではなく豊富な水と栄養があることから、イチゴが季節を勘違いしているねかもしれません。いずれにしても、ペットと一緒で可愛がった分は確実に良くなりますね。
最後に添付したスミレは、春の花とは色違いですが、こちらも春に花を咲かせた後に伐採された片割れで、この花も品種が違うのか、時差ボケで咲いたのかは判りませんが、手をかければ一年中花が咲かせられそうと思う一日となりました。
本日の体重 72、7キロ
12月2日の一言
12月議会 私の一般質問
1 件名 津島市の公共交通対策について
要旨 ・過去の議会質問と答弁の進捗状況に関して
2 件名 津島市の道路対策について
要旨 ・過去の議会質問と答弁の進捗状況について
今回の一般質問では、過去に何度も質問しながら、市役所側からまったく具体的行動が行われていない名鉄電車のダイヤ改正について、便数が減らされるばかりのため名鉄側と折衝することを求める質問です。
巡回バスについては、市内全域に路線を走らせるだけでなく、交通空白地帯を確実に把握することと、空白地帯を減らしていくために、具体的な目標を設定していくことを求めたいと思っています。
ちなみに、東京都の武蔵野市はバス停から半径200メートル以上離れている地域を交通空白地帯に設定しており、国土交通省もバス停から400メートル以上の地帯を空白地帯の目安としています。
その他に市内に3ヶ所ある名鉄津島駅と青塚駅、JR永和駅の整備についても質問します。
2件目の質問についても、過去に質問した内容と答弁に基づいて再確認するための質問です。
県道名古屋津島線のバイパスの現状と今後の計画についてあらためて問い直し、予算化しないと現地説明会も開かれない現状を、市民に機会あるごとに説明することを要望します。
過去の議会で前向きな答弁があっても、議論さえされないままになっている事案や、歩道や交差点の整備について、市民生活のなかで安全を確保するためにも繰り返しの質問が必要と考えた質問です。
津島市議会の一般質問は来週の月曜日と火曜日(8日~9日)の2日間開催され、今回の12月議会では12人(現職議員19名)が通告しており、私は12番目の登壇となります。
本日の体重 72、9キロ
12月1日の一言
本日は12月議会一般質問の通告締め切り日のため、市役所の1日となりましたが、議会控え室から見える風景は雨のため、鉛色のような風景となりました。
市役所から消防署と市民病院方面の風景です。
2日前に蟹江町で発生した運送会社の火災は、未だに完全に沈下しておらず、火災現場と隣接する尾張地方の動脈となっている西尾張中央道が現在も通行できません。まさか、運送会社の火災がこれだけ長期にわたって鎮火しないことに驚きです。
同じような建物が津島市内にもありますが、道路沿いの火災は消化活動だけでなく、一般の生活にも支障をきたすことを実感させられる大火災となりました。
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