大鹿一八「本日の一言」

平成16年2月から令和1年7月末までの「本日の一言」です。ヤフーブログ閉鎖により、ライブドアへ過去の記録として引っ越しました。

2015年06月

鳥のピーちゃんを中心に生活が廻り

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岐阜県羽島市の水田飼われているカルガモです 
 
 昨日に蟹江町の朝日新聞販売店を訪れたところ、玄関前にスズメの集団が飛んできて、家人のばら撒いた米を一生懸命に突付き始めました。
 話を聞くと、半年くらい前から1羽の人懐っこいスズメが来るようになり、米をやると毎日のようにやってくるようになるとともに、仲間のスズメもついてくるようになり、最初に来たスズメは手にも乗るようになったとの話でした。
 
 我家にも手乗りどころか、人間を親と勘違いしているスズメのピーちゃんが居ますが、ここには今年生まれたばかりのスズメも飛んできて、玄関前でコロコロと仲間とじゃれ合う姿に、鳥カゴの中ではなく自然の中で関わりたかったと思いました。同じスズメでも野生のスズメは逞しく、自然に戯れる姿は愛らしさがあります。

 我家でも、ピーちゃんを自然界に戻すため、事務所横の朴の木にエサを入れたカゴをつるし、地面にもエサをばら撒いてスズメが寄ってくるようにしていますが、警戒心が強いため思うように寄っては来ず、スズメが朴の木に来た時にはピーちゃんを肩に乗せて見ていますが、ピーちゃんも関心はなく、訪れたスズメもピーちゃんに関心を示してはくれません。

ライチョウのヒナ、富山で誕生 人工飼育で1羽目

 
 添付したカルガモは岐阜県羽島市の馬飼大橋の近くの水田で飼われており、訪れると(エサがもらえると思い)遠方からも慌てて寄って来ますが、人間を怖がってはおらず、ピーちゃんの存在によって鳥を見る見方が変わりました。

 添付したライチョウの保護も、生まれる前から人が管理し、人によって飼育して成長させるため、自然に戻す大変さも実感しますが、鳥は死ぬ瞬間まで元気そうな姿のままなので保護する関係者の苦労が実感させられます。

・コメント  ぴいちゃん (まりん) 2015-06-27 22:19:28
我が家の駐車場にも巣から落ちたスズメが居ました。
夕方夫が保護し子供たちが一生懸命お世話を始めたためネットで情報を集めお世話をしました。名前はぴいちゃん
元気に鳴きエサもしっかりたべましたが先程4日目の晩急に水の様な下痢をして旅立ちました。残念です。
どうすればよかったのかわかりません。そのまま親が連れて帰るのを待った方が良かったのか?と逡巡しつつこのブログに辿りつきました。
                  中年男のエレジー 郷愁 http://blog.goo.ne.jp/s281218

 昨日の私のグーブログへのコメントに、落ちたスズメの記載があり、スズメは何も訴えてこないため、保護しても飼育が難しく、私自身も朝の鳥カゴで元気なピーちゃんを見て、死んでいなかったと安心した日々の繰り返しから現在の元気な姿がありますが、近くに鳥に詳しい獣医さんがいないため心配は尽きません。こんな時に、前記したような野生のスズメを餌付けした方が恒久的な楽しみに思えます。

本日はここ  に行ってきました。
フジカーズジャパン岐阜   http://www.fukushinofuji.jp/shop/gifu_fs.html
 車イスのままで乗車できる福祉車両を購入したいと考えています。
 
                本日の体重 70、7キロ 徒歩数 2842歩
                                     6月28日の一言

発言も封じられそうな政権運営に

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本日午後7時15分の自宅前です 曇り空から眩しいくらいの夕陽が差し込みました

 自民党安倍首相に近い議員でつくる勉強会「文化芸術懇話会」で、沖縄の地元紙を含む報道機関を威圧する発言などが問題となっていますが、講師役で首相と親しい作家の百田尚樹氏の発言が明らかに公平性に欠けているが、後のマスコミの取材に、「講演で言ったのではなく、講演後の出席議員との雑談のなかでポロッと出た軽口だった。冗談のつもりで、本意ではない」との言い訳は余計に確信犯であることがうかがわれます。

 多数決は民主主義の原則ではありますが、国民世論の過半数以上が反対する世論を無視した安部政権の国会運営と、安部首相をとりまく関係者や、公平性に欠けたNHK会長の発言や、今回の百田氏の発言などを考えると、戦前の言論統制に走った歴史背景と同じような暗黒時代のような気持ちにさせられます。

沖縄の尊厳・報道の自由を威圧 放言飛んだ自民勉強会
記事の続き…
 会合の最後、百田氏が「政治家は言葉が大事。『負』の部分はネグったら(無視すれば)いい。いかに心に届くかだ」と締めくくると、会場からは大きな拍手が起きた。
 百田氏の発言内容にもかかわらず、勉強会の代表を務める木原稔・党青年局長は会合後、記者団に「百田氏は自分の強い信念に基づいて発信し、国民に受け入れられている。われわれ政治家が学ばなきゃいけない」と語っていた。
 出席者の一人も26日夜、軽い調子で振り返った。「百田さんの話がめちゃくちゃ面白かったから、居酒屋トークみたいになっちゃったんだよ」(二階堂友紀)
■首相陳謝せず
 「事実であるとすれば大変遺憾だが、行政府の責任者としてだれがどう発言したのか報告するのは難しい」。首相は26日、安全保障関連法案を審議する衆院特別委員会で語った。民主党寺田学氏が勉強会での発言内容を確認するよう求め、昼休みを使って浜田靖一委員長が確認。それでも、首相が事実関係を説明することはなかった。
 「報道の自由」や「沖縄との信頼関係」を揺るがす発言だが、明確な陳謝もなかった。首相は「その場にいないにもかかわらず、勝手におわびすることはできない。発言した人物のみが責任を負うことができる」と語り、民主党辻元清美氏は「自民党として恥ずかしいとの言葉はないのか」と追及した。
 首相は発言者への処分について問われたが、「私的な勉強会で自由闊達(かったつ)な議論がある。言論の自由は民主主義の根幹をなすものだ」と否定した。沖縄1区選出で共産党赤嶺政賢氏が自民党に「何が自由と民主主義だ」とヤジを飛ばし、騒然とする場面もあった。
 自民党内からも、沖縄を地盤とする宮崎政久氏が勉強会代表の木原稔青年局長に百田氏の発言について「歴史に対する無理解だ」と抗議。木原氏は「事実と違うならメンバーに正しいことを伝えなければいけない」と語った。
 通常国会は安全保障関連法案を成立させるため、戦後最長の95日の延長を決めたばかりだが、自民党佐藤勉国会対策委員長は周辺に「毎日毎日、鉄砲玉が後ろから飛んでくる」と漏らし、いら立ちを隠さない。憲法学者から法案を「憲法違反」と指摘されたことに続く大きな火種になった。
 野党が特に問題視するのは「(勉強会は)首相の応援団。安倍政権の体質が本当に劣化している」(辻元氏)とみるためだ。
 勉強会には、首相側近の加藤勝信官房副長官らが参加したが、逆に、同じ日に開催を予定していたリベラル系議員の勉強会には、党執行部が「時期が悪い」と注文をつけ、結果的に開かれなかった。
 異論を封じる姿勢はメディアに対しても続く。昨年の衆院解散直後、党はテレビ各局に選挙報道の公正中立を求める文書を送付。今年4月には党幹部がテレビ朝日とNHKの幹部を呼び、報道番組の内容について事情を聴いた。
 小選挙区制度の導入で、首相や党執行部の力が強まり、中堅・若手の空気は特に一色に染まりがちだ。また、2009年の下野後、党の独自色を出そうと保守的な色彩が強まったことも背景にある。首相と距離のある党中堅議員はこう切り捨てた。「首相の応援団のはずが、逆に足を引っ張っているじゃないか」(高橋福子、笹川翔平)
■権力のおごり
 《砂川浩慶(ひろよし)・立教大学准教授(メディア論)の話》 今回の百田氏の発言は、非公開の場という油断があったのだろうが、逆にいえば元々の考えが出てきた「本音トーク」。民間人の発言とはいえ、人選の段階で何を話すかは想像できる。自分たちの思いを代弁する人を呼んでいるわけで、今の自民党の思いが反映されていると言える。主催者として発言内容に責任を持つべきで、意に沿わない発言ならその場で指摘する必要があるだろう。
 安倍政権では、たびたびメディアを名指しした批判が問題になってきた。報道の自由の根っこにあるのは少数意見の尊重。東京から見て「少数」である沖縄の意見を「つぶせ」というのは権力のおごりで、民主主義の根幹を理解していないといわざるを得ない。
     ◇
 25日の勉強会は冒頭以外は非公開で行われたため、朝日新聞は勉強会の複数の出席者を取材するなどし、26日付朝刊で「メディア規制」に関する発言内容を報じた。その後の取材で、百田氏の「沖縄の二つの新聞社は絶対につぶさなあかん」などの発言が明らかになったことから、本人らに取材したうえで、26日付夕刊と27日付朝刊で報道した。

「マスコミに圧力、ダメと言った」 百田氏、批判に反論

昨年2月に私が映画「永遠の0」について記した文面です    2014/2/2(日)
 「永遠の0」については、最近の戦争映画は脚色したり、戦争を歪曲したものも多いため見ないことにしていましたが、一週間ほど前に香川県三豊市役所に勤め、近代戦争史を研究しているMさんより連絡があり、…(中略)… 
 そんなことから遅まきながらの鑑賞となったものの、…(中略)… 
 本日鑑賞した「永遠の0」についても、作者が戦争で生き残った人々の聞き取りをしているため、命に対する葛藤は共通しているものの、出演者に大きな違いがあり …(中略)… 
 鶴田浩二さんは多くの戦争映画に出演していますが、自身が学徒出陣で飛行専修予備生徒(第14期生)で …(中略)… 
 鶴田さんの主演作品『雲ながるる果てに』(くもながるるはてに)は、昭和28年に公開された映画ですが …(中略)… 
 学徒出陣した経験者が多数出演しているため、平和な世の中に生まれた原作者や出演者とは緊迫感が違います。

 原作者の百田尚樹さんについて、本日までほとんど予備知識もありませんでしたが、安倍首相と志を一緒にしているような発信もあり、日本軍創設を主張し、渡部昇一氏との対談で「安倍政権では、もっとも大きな政策課題として憲法改正に取り組み、軍隊創設への道筋をつくっていかねばなりません」と述べていると聞くと、本日鑑賞した「永遠の0」では何を主張していたのか判らなくなってきました。

 私の尊敬する鶴田浩二さんは、多くの戦争映画に出演していますが、昨年2月に「永遠の0」を鑑賞した時に感じた違和感は、同じ戦争映画と言っても、鶴田浩二さんが出演した映画をはじめ、戦後に制作された戦争映画は、過去の戦争による残酷で悲惨な状況下と、軍国主義の反省から制作されており、「永遠の0」には原作者の百田氏の戦争を知らない世代の戦争美化の思想が漂っていたのですね。

 鶴田浩二さんを戦争好きな右翼のように思ってみえる人もありますが、鶴田さんの歌う軍歌や出演した戦争映画は、鶴田さんの若くして命を散らした戦友への鎮魂と、おろかな戦争への反省が柱となっており、最近の変質してきた戦争観に危険を感ずる百田発言ともなりました。

                本日の体重 71、5キロ 徒歩数 12623歩
                                    6月27日の一言

歩き遍路友の会の打ち合わせで小牧市まで

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何処に貼られた案内か判りますか?
 
                                             解かる男性には判ると思いますが…ふるった看板です

 本日は「歩き遍路友の会・東海」の役員会が小牧市で行われ、愛西市在住の会長の車に同乗し、毎年会場としている桃花台のコメダで、友の会を創立した元会長と、春日井市在住の顧問の4人で9月の総会と会の将来について話し合ってきました。

 歩き遍路友の会(東海)は、四国八十八ヶ所霊場を歩いて巡拝した愛知県を中心とした東海地方の人々が集まり、平成15年に結成された団体ですが、会員の高齢化と会員減少に悩まされており、四国遍路へ若者や外国人が増えている中で会の運営には苦戦中でもあります。

歩き遍路友の会・東海 http://blogs.yahoo.co.jp/s281218_0417

 会員の多くが四国を歩いて結願した先輩が多く、車のジェット巡拝を得意として、部分的にしか歩いていない私などは勉強のため参加したような会員ですが、会長の体調が不調のためしばらくは代行で頑張ることになりました。

 還暦をこえ、母校の同窓会長をはじめ、関わりのある役職や団体を減らしてきましたが、歩き遍路友の会については、私の残された人生を四国遍路を柱にして生活したいことから、個人的なこだわりで持続させたいと考えていますし、高齢になってもお元気な先輩が多いことを励みにしたいと思います。

 さて、NPO法人を設立して、福祉有償運送の認可を得ることと、どんな人でも対応できるようにするため福祉タクシーまで開業してしまったものの、利用される人々にとっては通院や買い物への移送が、最後まで住み慣れた我家で生活するための生命線になり、私の都合で勝手に終止符を打つことはできませんから、大鹿の個人商店のような環境を恒久的な組織化によって継続させる責任があります。

 一方で、横井庄一記念館についても、館長となる夫人が88歳になっている現実と、夫人から「あなたしか居ないんだから」と言われているため、夫人亡き後の記念館存続の責任も考えると、NPO法人化して私が死んだ後も運営できる体制にすることは急務です。

 もっとも、歩き遍路友の会東海については、四国遍路という趣味的な同好者の集まりであり、2年前には夜行バスを利用した讃岐七ヶ所参りで遍路道を歩き、昨年は高野山の町石道を歩くなど、楽しみを共有していけることから、楽しみな企画を発信して発想の転換を図りたいと思う一日ともなりました。

                  本日の体重 70、8キロ 徒歩数 981歩
                                    6月26日の一言

名古屋市との地域格差を実感する一日に

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 本日は、今年秋に津島神社で七五三に参拝する孫の前撮り写真を撮影するため名古屋市まで走りました。
 かつて、私が親しくしていたライオン写真館の店主(故人)は、津島神社で七五三の写真を撮影しており、この仕事が生活を支える大きな収入源になっており、秋の週末は夫婦で七五三に訪れる家族に声をかけて撮影しておられました。

 奥さんを亡くした晩年は名古屋市の病院や施設に入床されていたが、この時期になると自宅に戻って一人でも七五三の写真を撮るため、参拝客に直接声をかけて勧誘していた姿が懐かしく思い起こされます。

 私は学生時代から写真を趣味としていたため、前記したライオン写真館の長谷川公男さんは暗室に入って手伝うほど親しくしてしており、津島の老舗写真館のランカ堂写真の高橋来一さん(故人)は私の発行していたミニコミ紙に大正時代の写真と原稿を提供してもらい、その弟さん(故人)の経営しておられた高橋写真館は現在も選挙用ポスターの撮影をお願いしています。

 しかし、時代が変わりすぎましたね。

 本日、孫の七五三の前撮り写真を撮りに行ったのは、名古屋市港区にあるイオンモール茶屋店の中にある子供専用の写真スタジオで、多くの貸衣装の中から2種類の着物を選び、場面設定を数回変えて、2人の女性スタッフが撮影しましたが、七五三の貸衣装は平日参拝には無料で貸してくれるとの話で、このシステムだけを見ても津島市の写真スタジオの追随を許しません。

 私の孫が津島市の津島神社の七五三に参拝するものの、地元の写真館に依頼できないほどサービスが充実しており、平日とは言え貸衣装代無料のシステムには対抗もできず、多くの顧客が訪れる名古屋市の大型ショッピングセンターならではのシステムと言えそうです。

ららぽーと、名古屋進出 東海初、17年春ごろ開業へ

 私の住む津島市には当地方では中堅のヨシズヤと言うスーパーの本店があり、隣接する市町村のように大手のスーパーが進出しておらず、買い物だけでも大手の多種多様なサービスが展開されていないため、市外に買い物に出かける家庭も多く、本日の新聞報道では名古屋市には更に大きなショッピングモールが開業する記事が存在し羨ましく読まされました。

 本日訪れたイオンモール茶屋店では、会員になると一日一度は無料で利用できるサロンというスペースがあり、お菓子が人数分いただけ、飲み物や雑誌も無料で提供されており、買い物だけでなく見物で半日は滞在できそうです。

「闇サイト事件」神田司死刑囚の死刑執行 法務省

 本日の新聞には、8年前に起こった闇サイト事件の死刑囚に対する死刑執行が大きく報道されていますが、ネットを通じて仲間を誘い、31才の女性を車に拉致してハンマーで殴り殺した残酷な事件で、この事件の舞台になったのが津島市や愛西市のスーパー駐車場などで犯行が行われました。

 死刑執行の是非を話題にしている報道もありますが、男3人で車に拉致して現金やキャッシュカードを奪い、その後、被害者の頭部をハンマーで多数回殴打し、顔に粘着テープを巻き付け、首をロープで絞めて窒息死させ、岐阜県内の山林に遺体を捨てた犯行は残忍極まりなく、残された母親の心境を我が身に置き換えて考えると死罪は免れません。
 この事件の犯行が、津島市や愛西市も舞台になっていると知る人は少なく、繰り返される残忍な事件の多さとともに、事件の風化の早さにも寂しさを覚えます。

                  本日の体重 70、4キロ 徒歩数 2903歩
                                    6月25日の一言 

何もできないままに一日が経過して

 戦後70年となり、8月の終戦記念日まで戦争で犠牲となった国民や、戦地に赴いたまま帰還しない旧日本兵の記事が新聞記事となってきますが、人の命が犠牲となる戦争が依然と続くことに、国の存在や政治そのものが原因のようにも思えてきます。

沖縄慰霊の日 翁長知事、平和宣言で「辺野古反対」表明

 国益が優先するのは理解ができるものの、地元となる沖縄の過半数の住民が反対している基地移転について、聞く耳も持たぬまま無視して工事を進めていく手法には、我が身に置き換えると、先祖代々守り継いできた家であっても、公共の利益のためには強制的に奪われても泣き寝入りとなるような前時代的な臭いを感じさせられます。

(インタビュー)沖縄に海兵隊は必要か
    元米駐日大使、マイケル・アマコストさん
記事の続き…
沖縄に海兵隊は必要なのか、と。
 ――駐日大使在任中、湾岸戦争や貿易摩擦で日米関係は様々な課題を抱えていました。今、日本の安倍政権は日米同盟の強化を推し進めていますが、90年代と比べ、今の日米関係をどう見ていますか。
 「貿易摩擦、湾岸戦争だけでなく、(米海兵隊員による)沖縄での少女暴行事件、小渕恵三首相とクリントン大統領による同盟の再確認など、90年代の日米関係は浮き沈みが激しかった。比較は難しいですが、今はうまく行っていると思います」
 「任期中、最大の難題は、やはり冷戦終結後初めての紛争である湾岸戦争への対処でした。石油の輸入を依存している中東は日本にとって重要な地域ですが、当時の日本はイラクのフセイン政権に対する多国籍軍への協力と、その後の国連平和維持活動(PKO)への参加について、法的枠組み、政治的な合意のどちらも存在していなかった。湾岸戦争を機に、その後、どちらも大きく前に進んだのは良いことだったと考えます」
 ――4月に訪米した安倍晋三首相の上下両院合同会議での演説も、現在の良好な日米関係を反映したものと言えそうですね。
 「素晴らしい演説でした。戦争で犠牲になった米国人に弔意を表し、第2次世界大戦で日本がアジアの苦しみを引き起こしたことを認めた。過去の首相たちの正式な謝罪を引き継いだものと私は思います。最も大切なことは、日米同盟のさらなる強化を望んでいるというメッセージを伝えたことで、今回の訪米の重要な要素でした」
 ――安倍政権による安全保障政策の変更をどう考えますか。
 「集団的自衛権の行使を閣議決定したことはとても評価しています。が、これは決して新しいことではありません。9・11同時多発テロを機に小泉政権によって特別措置法が作られ、米国のみならず他の同盟国へも洋上給油などの後方支援ができるようになった。これは同盟がバランスの取れたものになる先触れでした。日本はさらにグローバルに、遠隔地で活動するようになるということです」
    ■     ■
 ――日米の安保協力といえば、基地の提供があります。しかし、沖縄では過重な負担に県民の反発が強まり、普天間の名護市辺野古への移設は実現していません。
 「太平洋における米国の戦略基盤として、沖縄は重要な場所であり続けました。嘉手納飛行場は米空軍にとっては王冠の宝石のような存在です。一方で、沖縄に駐留する海兵隊が死活的に重要なものだとは私には思えません。嘉手納と同様の決定的な役割を海兵隊が担っているという、納得のいく説明を私は聞いたことがない」
 「この20年、普天間という二流の基地の問題が日米の大きな懸案となっていることに当惑を禁じ得ません。もし事故が起きたら日米同盟に壊滅的な影響を及ぼす。辺野古移設は今のスケジュールでも2020年代までかかるわけで、コストと便益を考えると見合わない。さらに沖縄における反対運動は広範で、選挙区から選ばれた国会議員と知事、名護市長の全員が反対している。これほど高い政治的コストに比べて、海兵隊基地の戦略的な価値はどれほどあるのでしょうか」
 ――一方で、中国が海洋進出を進め、沖縄県の尖閣諸島をめぐる緊張もあります。
 「確かに過去10年、中国は多くの予算を海軍に注いできました。中国はグローバル経済大国として世界中から資源を得ており、エネルギー市場へのアクセスを守ろうとするのは当然とも言えます。中国海軍の存在が大きくなるにつれ、アジアでの戦略を調整しなければならない。それが現在、米国と日本が行っていることです」
 「一方で、ワシントンの米議会では国防費を含めた予算の削減が強く求められている。限られた予算でアジア太平洋地域における効果的な戦略を考えれば、空軍と海軍が持つ機動力と即応力こそが最も重視すべきものです。そこで、こんな疑問が浮かぶ。なぜ韓国に米陸軍が駐留しているのに、さらに沖縄に同じ地上軍である海兵隊がいるのか、と。もちろん海兵隊は水陸両用部隊で、海軍の第7艦隊と連携していますが、機動性といえば空海軍が主役です。各軍の間で限られた資源を再配分すれば、アジアでの能力と機能を増大させることができます」
 ――ではなぜ、海兵隊は沖縄に駐留し続けているのでしょうか。
 「ワシントンから離れて13年になりますが、海兵隊が大きな政治力を持っている現実は変わらない。議会から支持を受け続け、古くはマイク・マンスフィールド元駐日大使ら、海兵隊出身の政治家も多くいます。イラクやアフガニスタンでも重責を負い、米国民から称賛を受ける仕事をしてきたことも支持されている理由です」
 「とはいえ、予算削減で軍備を減らすという時、個々の部隊が駐留する地元の反対も判断理由になり得る。沖縄の問題は、米国の予算獲得競争とつながっています」
 ――沖縄戦を戦った海兵隊にとり、この島は「血であがなったもの」という意識があるのでは。
 「それが沖縄の海兵隊の空気なのは確かでしょう。でも、もう70年前のことです。現役海兵隊員の大部分は20歳ほどで、沖縄戦についての個人的な記憶はない。空気は今も続いているが、時が経つにつれて薄れていくはずです」
    ■     ■
 ――普天間移設計画は、20年近く宙に浮いています。
 「日本政府では首相が毎年のように代わり、政治的に最優先の課題となりませんでした。近年、中国の台頭と北朝鮮の核開発により、日本国民が国際情勢に危機感を持つようになり、日米同盟の深化を求める気持ちが高まった。それゆえ、安倍首相は長い間、未解決のままだった問題に高い優先度を与え、政治的なコストを費やそうと考えているのでしょう」
 「しかし、この移設計画には実行する価値があるのか、私の疑問は依然として残っています。基地周辺の住民の善意に頼っている現状は不幸なことであり、もし移設を強行すれば、嘉手納のような重要な基地すら住民の反発というリスクにさらす恐れがあります」
 ――将来、沖縄からの海兵隊の削減はあり得ると思いますか。
 「もちろん。普天間に加えて、沖縄の海兵隊駐留そのものを減らす必要があります。グアムへの移設が主に考えられていますが、一時的なオーストラリアへの移転、フィリピンへの訓練移転、ハワイ、米西海岸への帰還などもあり得るでしょう。19年間も解決されなかった問題を解くには、難しい決断も必要です」
 「一方で多くのことが中国と北朝鮮の状況に依存しています。中国がより攻撃的になったり、北朝鮮が執拗(しつよう)に核兵器開発を続けたりすれば、米議会はアジアにおける米軍のプレゼンスを保ち、防衛予算の増加を認めるでしょう。米軍を維持させる『外圧』は今、米国側にあるのではありません」
 ――日米同盟の今後をどう見ていますか。
 「理想の同盟とは、効果的に紛争を抑止するものです。過去に生まれた安全保障における日本の自主規制は、国民の多くが持つ軍事反対の感情に配慮すると同時に、米国による日本の防衛政策への介入を制限するために考えられたのだと思います。今や日本はよりグローバルで、より行動的な手段を取ろうとしており、それは日米のさらなる統合を可能にします。私の任期と比べて多くのことが変化しましたが、改革は続けなければいけない。日本で言う『カイゼン(改善)』が必要なのです」
    *
 Michael Armacost 1937年生まれ。米国務省の外交官として駐フィリピン大使、国務次官などを経て駐日大使(89~93年)。現在はスタンフォード大アジア太平洋研究所特別研究員
 ■取材を終えて
 「ミスター・ガイアツ」と呼ばれていたことはご存じですね。そう問うと、にやりと笑った。外圧、つまり「米国の意思」を象徴した元駐日大使の口から沖縄の海兵隊不要論が飛び出した。沖縄に同情的だから、ではない。米軍が地元世論に受け入れられなければ、日米関係が不安定化するという冷徹な視点である。
 日米同盟についての元大使の考えは、あくまで米国の国益に即したものだ。仮に米側が普天間移設を見直すとしても、アマコスト氏のいう「日米のさらなる統合」、同盟強化と米軍の肩代わりを一層求められる可能性は高い。
 それでも注目すべきは、日米同盟を重視し、安倍政権の安保政策を支持する立場からも、沖縄の海兵隊の存在意義を疑問視する見方が米国に存在するということだ。米国の戦略上、必要不可欠でないとしたら、沖縄に基地を押しとどめている本当の理由は何か。
 沖縄の翁長雄志知事は、日米安保の重要性を認めつつ、なぜ沖縄なのかと問う。本当に、それしか選択肢はないのかと。問われているのは私たちだ。 (ニューヨーク支局長・真鍋弘樹)

 引用した記事は、かつて日本に駐在したアメリカ大使の発言ですが、「この移設計画には実行する価値があるのか、私の疑問は依然として残っています」との記載には、国会議員も冷静に議論する必要を感じます。

 私は国益よりも個人の財産、国よりも地方主権と思っていますから、沖縄の民意を無視する安部政権には嫌悪感を感ずるとともに、後ろから指揮官に命じられるまま最前線で敵の銃弾に倒れ、その遺骨さえ回収されていない旧日本兵の存在を知っていないのではないかと思えてなりません。

 本日は午前中より電話応対や来客が続き、午後に市役所の仕事を済ませて、帰宅後に積み残した仕事を続けていると、毎週火曜日に開催している書道会の時間が迫り、恩師を迎えに走ったものの、来客があり一度も筆を持たぬままに書道会は終りました。

 「今日は歩かないの」と家内の一言がありましたが、議会最終日に報告する文教建設委員会の委員長報告を今夜中に仕上げる必要があり、ほとんど歩かないままの一日となってしまいました。
 本日の深夜番組では、医師から男性は毎日9千歩歩く必要があるとの一言があり、携帯電話にセットした歩数目標を改めたいとも思います。

                 本日の体重 70、9キロ 徒歩数 1964歩
                                    6月23日の一言

バリアフリーの現実と希望について

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 高野山奥之院の駐車場に停めた私のタクシーと車イスです。この車両は、車イスのまま乗降できる福祉車両ではなく、一般には旅行や大人数の移動に利用するジャンボタクシーですが、車イスを積んで走ることはできます。

 高野山奥之院はバリアフリー化されており、弘法大師の御廟前まで車イスで行け、あらかじめ連絡すれば御廟近くの職員用駐車場まで車で行けるとの話も聞きましたが、関係者の対応は微妙です。

 「そこに停めても良いですか」
 「ダメ、ダメ !!
 「車イスの人を乗せているんですが…」
 「手帳はあるか」

 金剛峯寺の前で誘導する駐車場の警備員との応対ですが、道路上で車イスだけでも降ろしてから移動するつもりが、停車もさせてもらえず、3台分空いていた障がい者用駐車スペースに停めることも手帳がないため、遠く離れた高野山大学の臨時駐車場まで行くように指示されました。

 一方で、目的地の金剛峯寺では、一年前に納経所まで車イスのまま入れるエレベーターを設置し、インターホンで連絡すると職員が室内用に用意された車イス(5台常備)を持って来て、納経所まで押してくれます。

 添付した駐車場の話をしたところ、過去にも同じような苦言を受けて注意したことがあるが、お寺の職員ではないため何度も繰り返しているようで、あらかじめ連絡すればお寺の裏にある宗務所の駐車場に停めてもよいとの話で、事務方の電話番号まで教えていただきました。

 金剛峯寺の隣にある荒神様に参拝した際には、前の道路に停車したまま待機していると、中から関係者がわざわざ出てきて、中の関係者用駐車場まで入れても良いと伝えてくれました。
 しかし、同行者の話では、以前に中の駐車場に車を駐車した時に注意されたと言いますから、ご厚意は有難いものの全員に徹底して欲しいところです。

 奥之院や金剛峯寺など、高野山の施設全体のバリアフリー化は目覚しいものを感じますが、宿坊やお寺の多くは車イスを持っておらず、スロープの無い建物も存在しており、世界文化遺産になっていることから、障がいを持った人や高齢者でも、誰もが遠慮せず行動できる配慮が欲しいところです。

 今回同行した人も、申請すれば確実に身体障害者の手帳はもらえる状態ですが、補装具をつけて杖があっても介助なくして歩けないものの、手帳は要らないと自立しておられ、末期ガンで死の宣告を受けた人も手帳は持っておらず、こういった様々な状態に応じた寛容な対応が求められています。

                本日の体重 71、0キロ 徒歩数 13333歩
                                    6月22日の一言

充実した高野山の2日間から

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 本日は高野山から全員無事に名古屋へ帰りました。写真は2年ぶりとなりますが、金剛峯寺で偶然に再会した『帰ってきた坊さん』(ブログ名)こと僧侶 さんの懐かしい法話を聞き、奇跡的な出会いに感激して記念撮影となりました。


 最近になって感ずるようになりましたが、四国遍路や高野山に何度も訪れる魅力のなかに「人との出会い」があり、四国遍路を通じて色々な人と出会い、年齢の壁を越えて語れる人ができ、還暦を越えた私を叱ってもらえる人もありました。

 1200年前に空海(弘法大師)が真言密教の根本道場として開創し、自らの入定の地とした高野山には、歴史上に名を残す多くの人々が訪れており、現代社会においても一般庶民の厚い信仰を集めています。

 私が高野山を訪れるようになったのは、四国八十八ヶ所霊場の納経帳(朱印帳)に高野山の金剛峯寺と奥之院の朱印のスペースがあり、高野山を参拝しないと四国遍路の納経帳が完成しないためという「付け足し」のような感覚でした。

 しかし、高野山は観光で訪れる京都の寺院や、賽銭箱の前で手を合わせて参拝する「他力本願」だけのお寺とは違い、四国結願後に何度も訪れるうちに、「せっかくだから」と『受戒』を受けてみるようになり、次に『阿字観』に参加し、『結縁灌頂』を受けるようになりました。
 高野山が世界文化遺産に認定され、多くの観光客が訪れるようになりましたが、駐車場のすべてが無料で提供されており、大師の御廟前の燈籠堂(とうろうどう)にいたっては、拝観料も要らないのに内陣まで入れてもらえて気が済むまで座っていてもとがめられません。

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 私にとって心のよりどころは、一の橋を渡った左側にある「鶴田浩二」さんのお墓で、ここでは鶴田さんのご冥福とご家族の繁栄を祈り、国のために若き命を散らした鶴田さんのご戦友と鶴田さんに、汚れの無い心情で地域貢献したいと誓って自身の戒めにしています。ここがあることで、高野山をより身近に感じるようになりました。

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 さて、今回同行している志賀弘法会は名古屋市北区の弘法友の会で、高齢化して移動に支障がでるようになったことから、「四国や高野山に詳しい運転手」として依頼されるようになりましたが、高野山に参拝して50年以上の人達で、知ったかぶりや一夜漬けの知識は通用せず、奥義まで聞かせていただけることに感謝の同行ともなっています。

                 本日の体重 70、8キロ 徒歩数4431歩
                                    6月21日の一言

高野山奥の院から波切不動尊

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波切不動尊本堂の見事な龍の下で参拝です

 本日の午後は高野山奥之院から波切不動尊(写真上)に参拝し、明日の天気予報が雨のため、普段は2日目の午後まで厳禁となっていた土産物を買いに走りました。
 
 参拝は真剣です。高野山の麓から大門の近くまで車中で般若心経の読経を続け、奥之院ではお百度石を廻り、普通の参拝客とは違い、参拝後は休憩もとらずに目的地まで急ぎ足の参拝です。

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 さて、タクシーの魅力は目的地に横付けできることですが、大鹿タクシーの魅力は車イスを搭載していくことで、本日も奥之院まで車イスを押し、同行者の年齢が高いために車イスが早く着いてしまい、同行者を待ち続けることになりました。
 高野山のバリアフリー化は著しく、車イス専用の通路も整備されている反面で、宿坊は階段が残ったままになっており、高齢者が多いお寺のバリアフリーについても考えさせられました。

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 蛇足となりますが、高野山と言えば、私は「鶴田浩二」さんのお墓への参拝もスケジュールに入れており、本日も墓前で身勝手な話をしてきました。生前なら大スターの足元にも近寄れませんが、ここには身近な先人としての「小野栄一」さんが存在し、私にとっては気持ちを引き締める大きな力にもなってもらっています。

 明日は雨模様のようです。本日の体重は不明、徒歩数は6090歩
                                     6月20日の一言

慈尊院から丹生都比売神社へ

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名古屋駅(7:30)…東名阪…名阪国道…奈良・郡山ジャンクション…京奈和道路…橋本インター…

 全面開通にはなっていませんが、京奈和道路が大部分開通しているため、名古屋から高野山が近くなり、今までは針インターから桜井市経由で高野山をめざしていたものの、本日は天理市を通り越して大和郡山ジャンクションから京奈和道路を利用して高野山の麓にある慈尊院に午前11時に到着しました。

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 慈尊院で参拝後に、高野山との中間地点にある丹生都比売(にうつひめ)神社に立ち寄り、昼食(と言ってもおにぎり2個ですが…)を食べてから参拝しました。
 かつて、慈尊院から高野山へ町石道を歩いて登ったときは、この神社に参拝後に山上の高野山に向かっており、この神社は開創されて1200年になる高野山より古く、今から1700年以上前から創建された歴史のある神社です。

 高速道路のおかげで約一時間近く時間が短縮され、本日の宿となる宿坊総持院に1時に到着し、奥の院、波切不動尊の参拝だけでなく、明日が激しい雷雨との予報もあるため、土産物店に立ち寄ってから宿坊に戻りました。


四国の椿が町内のお寺に植えられており…

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津島市越津町の弘盛寺に植えられた四国別格二十霊場椿堂の椿です
 
 
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 明日から高野山に出かけますが、明後日に町内のお寺で開催される「阿息観」に参加できず、4月は選挙期間中で、5月は市議会の所管事務概要説明のため、3ヶ月連続の不参加となるためお寺を訪れましたが珍しく不在でした。

 ただし、境内を見ると建設中だった「納骨塔」が完成披露され、その横には昨年6月に私が届けた四国椿堂の椿が植えられており、我家とは違って十分なスペースに白い石が敷かれ、子々孫々まで残されていく雰囲気を感じました。

 今から1200年前、空海が四国の地に突き立てた杖が芽を出し、大師由来の椿として椿堂の地名となり信仰を集めてきた椿が別格二十霊場15番椿堂のシンボルであり、縁あって私がご接待でいただき、枯らして再度戴いた椿が3本あったことから、地元のお寺にもらっていただくことになりました。

椿堂 略縁起
 弘仁6年(815)10月15日未明巡錫中の弘法大師がこの庵を訪れ、当時この地に熱病(インフルエンザ)が流行し住民の苦しめるのを知り、住民をこの庵に集めて手にせる杖を土にさして祈祷し、病を杖とともに土に封じて去る。後にこの杖より逆さなるも椿が芽を出し成長し、住民はこの椿を大師お杖椿として信仰の対象としてこの庵を「椿堂」と呼びこの地方の地名ともなりました。安政六年(1859)に火災に遭いましたが、現在の椿はその時焼けた株から芽を出したものといわれています。
 
 四国椿堂ゆかりの椿を植え替えて 2014/6/18 私の一言
                         http://blogs.yahoo.co.jp/s281218/48139675.html
 
別格二十霊場第14番椿堂 http://www.bekkaku.com/map/14.html
高野山真言宗 弘盛寺 http://www.geocities.jp/kaikodojp/kouseiji/
 
 平成13年から四国遍路を始め、四国のお寺や出会った人々とのご縁で四国霊場会の公認先達にもなり、身勝手な行動は反省ばかりですが、私が同行した人の中には願が叶った人も存在し、私の人生はいくばくも無いものの、生まれ育った地に弘法大師ゆかりの椿を植えていただき、四国がより身近に感じられます。

 明日は名古屋市北区の志賀弘法会の9人とともに高野山に出かけます。今年は高野山が開創されて1200年が経過しており、高野山周辺の道路もどんどん建設されていますが、部分開通している京奈和道路を通行するため、これまでとは行程が違うことが楽しみでもあり、これが心配ともなります。

 同行する人たちは、車をスタートした直後に般若心経の読経が始まり、最後に運転手に一巻唱えるしきたりとなっており、休憩する度にその繰り返しとなりますから、安易に車を停めることも気になります。
 そして明日の昼食は用意されたおにぎり2個と決まっており、明後日の昼食までは途中で買い物や買い食いも禁止されていることから、健康には良いでしょうが、眠気防止の柿の種や清涼飲料水も我慢することになり、明後日の朝はお寺の勤行1時間前から読経を始めるため緊張感のある旅程ともなります。

               本日の体重 70、4キロ 徒歩数 10731歩
                                    6月19日の一言

登山家野口健さんの沖縄遺骨収集について

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孫に連れられて近所を散歩する私の相棒リマと孫の愛犬テツ(右)
 
  登山家の野口健さんには、私より20才も若い41才とは思えぬ発想と行動力に驚かされます。登山家としても、富士山の清掃やエレベスト登山とともに、自然環境の保全に奮闘する姿は知っていたものの、旧日本兵の遺骨収集を5年前からしていたのには驚きです。
 
登山家野口健さん沖縄戦の遺骨探す 遭難事故の悔恨抱え
 記事の続き…
 登山家として知られる野口健さん(41)が沖縄で遺骨収集を始めたのは2010年。年に数回、沖縄を訪れてはガマに通う。今回で13回目になる。
 きっかけは、祖父(故人)から聞いた戦争体験だ。ミャンマーからインドへの進攻を目指したインパール作戦で、多くの部下を失ったという。祖父は生前、異国の地に人知れず眠り続ける多くの部下に対し、「生き残って申し訳ない」と繰り返していた。
 何げなく祖父の話を聞いていた野口さんだったが、07年にエベレストで直面した出来事が転機になる。登頂後の下山途中、登山仲間が目の前で死亡。遺体を運ぶことができず、山中に残した。
 自分だったらどうか。「好きで山に行ってるのに『こんなところで死にたくない。日本に帰りたい』と思う。戦地に送られた人の無念はなおさらだ」。祖父の悔恨を実感し、「おじいちゃんの宿題」として遺骨収集に取り組むことを決意した。
 08年にフィリピンで活動を開始。その後、沖縄県内で60年近く遺骨収集を続ける那覇市の国吉勇さん(76)を知人から紹介された。沖縄にも多くの遺骨が残っていることを初めて知り、遺骨探しに乗り出した。
 ガマには遺骨のほか、様々な遺品も残されている。女性が使う「くし」とともに子どもの遺骨を見つけたこともあった。野口さんの脳裏に、犠牲になった母子の姿が浮かんだ。
 「国が始めた戦争で犠牲になった人を見つけ出すのは国の責任だ」。厚生労働省など国にも遺骨収集に積極的に取り組むよう働きかけている。
 この日見つけた骨は石より軽く、割れた断面が網目状になっていた。野口さんは話す。「戦争はひどいと口で言っても、それだけではリアリティー(現実味)がない。まだまだ遺骨が残っているという現実に触れ、感覚的に感じることが大事だ」
 
野口健 公式ホームページ http://www.noguchi-ken.com/
 
 太平洋戦争で戦友たちを南方に置き去りにしたと悔やみ続けた亡き祖父の思いとともに、エレベスト登頂後の下山途中に登山仲間が目の前で死亡し、遺体を運ぶことができずに山中に残したことが、遺骨収集に駆り立て、「おじいちゃんの宿題」として遺骨収集に取り組むことを決意したことが新聞に記されています。
 
 私の尊敬する鶴田浩二さんも自身の戦争体験から、先に見送った戦友の慰霊とともに、日本兵の遺骨収集のためにチャリティーで歌い、巨額の資財を提供していますが、彼の活動を見せたかったですね。
 
 その鶴田浩二さんの命日は6月16日(昭和62年)で、2日前だったことを完全に忘れており、明後日には高野山のお墓を訪れる予定でありながら、亡くなってから28年でも忘れてしまう現実から、戦後70年の歳月の風化が気にもなります。
 
 この記事のお陰で、70年前の6月21日に沖縄で戦死した私の伯父の存在も思い出し、戦死した場所の特定と遺骨収集についての情報を書き入れていただいた沖縄の鉄人D​O​Cさんのご友人の連絡先をコメント欄から慌てて調べなおしました。
 
 
沖縄戦遺骨収集ボランティア「ガマフヤー」
活動目的 沖縄のガマや山野の沖縄戦被災者の遺骨を、慰霊のため収集し、家族の元へ帰す活動を通して、民間人をまき込んだ地上戦の実相に近づき、戦争のない次世代を作るための精神的な礎とする。
活動内容
実績 (1)沖縄戦の戦跡地の調査。(2)山野における遺骨の捜索、収骨、壕内遺骨の収集、埋没壕の捜索、開口。 主な活動分野 人権と平和をめざす

代表者 具志堅 隆松
連絡担当者 具志堅 隆松
設立年 1982年
電話番号 098-862-6622
ファックス 098-862-6622
URL http://blogs.yahoo.co.jp/sougennzi52
所在地 〒900-0012
那覇市泊1-28-3 サントピア泊501
 
 高野山を訪れた時に、私は必ず鶴田浩二さんのお墓に手を合わせていますが、戦後70年にあたり、戦死された方々のご冥福を祈るとともに、現在も遺骨収集を続けておられる人々の存在から、戦争を二度とくり返してはならないと思わされる一日ともなりました。
 
                  本日の体重 70、8キロ 徒歩数 1227歩  
                                      6月18日の一言
 

自宅ではピーちゃんと一緒に一日が経過して

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事務所で仮眠中も私の上にいるピーちゃん

 私が自宅に帰り、事務所に居なくても、私の声が聞こえるとピーちゃんが私を呼んで鳴き続けるため、なるべく自宅に帰ってからは鳥カゴのある事務所裏に座るようにしますが、私が昼寝していても私から離れません。

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 ピーちゃんも一緒に寝ている間はかまいませんが、自分が眠くないときは私を呼び続けて、座っているときは耳の穴を突き、無視していると耳たぶに噛み付き、私が横になっていると口元で鳴き続け、唇や鼻の穴を突いてきますから、あまりの痛さから居眠りもできません。

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 鳥は生まれて初めて目にした物を自分の親(保護者)と認識する「刷り込み」があると言いますが、ピーちゃんはまさにその典型で、目が開く前から2時間おきにエサを与え、目が見えるようになってからも毎日一緒に居るため、私が居る時は毎日鳥カゴのフンの掃除と水替えをしている家内にも寄りつかず、私以外の家族が手を出して持とうとすると突いて激しく怒ります。

 足の指の骨折もありましたが、野生に戻そうと現在も事務所横の朴の木にスズメを寄せるエサを置き、鳥が集まるとピーちゃんに仲間を見せますが、関心も示さないだけでなく、相棒リマも私と同じように目にしているため、犬にも恐怖心を持っておらず、獣医さんにも相談しましたが、放鳥すれば確実に死を招くと思われ私の秘書役が当分は続きそうです。

スズメの子を保護しました http://jmty.jp/osaka/pet-etc/article-y47o

 自然界に戻れず、室内か鳥カゴの中で一生を送るのは可哀想と、仲間の存在を希望してきましたが、本日は娘から「スズメの子供里親募集あったよ」とのメールがありました。

 「カゴなど持参して取りにきて下さる方、よろしくお願いします 」の書き込みに一瞬喜んだものの、発信者は大阪府高槻市の人で、明日は市議会の委員会があり、週末には高野山に出向くものの、多くの人を乗せて行くため引取りができません。
 もっとも、添付されたヒナの写真から、私の直感では自然界で野生に戻せる可能性が高く、わざわざ愛知県まで連れ帰ってピーちゃんの仲間にする必要も無さそうです。ただし、野生に戻すのは飼育するより難しく、一瞬にして成長してしまうため、スズメを保護した経験の無い里親では飼育は難しいと思います。

 さて、ついでに、スズメに似ている錦華鳥(キンカチョウ)に関する発信を添付しましたが、「成鳥はたくさん売ってますが、やめたほうがいいと思います。まず触れないし全く懐きません」の記載に、我家のピーちゃんとまったく共通するものを感じました。
 
錦華鳥(キンカチョウ)の性格の特徴、寿命、ヒナのお値段を教えて下さい(>_<)!

 ピーちゃんの存在から鳥が大好きになりましたが、鳥カゴを開けたら逃げていってしまうような鳥は可愛くもありませんから、錦華鳥のヒナを入手してピーちゃんの仲間にできたらと思う一日ともなりました。

                  本日の体重 70、5キロ 徒歩数 11636歩
                                      6月17日の一言

簡易宿泊所1週間ルポの記事を読んで

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我家のアンズです。太陽に当たった果実は真っ赤ですが、日陰の実はこれからです。

 
 本日は、昨日の厚生病院委員会に続いて文教建設委員会が開催されましたが、明後日の総務協働委員会が終わると常任委員会が終わるものの、私自身は議会最終日に発表する本日の委員会の委員長報告をまとめるとともに、議会だよりの編集委員になっているため、しばらくは議会活動が続いていきます。
 
 本日の新聞記事に簡易宿泊所で生活する生活保護者に密着した一週間の取材記事が掲載されていました。
 
孤独と悔恨の3畳一間 簡易宿泊所1週間ルポ
記事の続き…
 1階の共同台所の電子レンジで、お湯を沸かしている男性がいた。武田正成さん(61)。来月の生活保護費の支給日まで2日に1食、即席麺で済ます。
 「仲良くなって素性をあれこれ聞かないほうがいい」。9年ほど前に飲食店の店主を殴って傷害容疑で捕まった。その後、刑務所に1年3カ月いたという。「おとなしく住んでいても、きれいな人なんていない」。そう割り切って暮らしている。
 深夜、やけに華やかな模様の布団に仰向けになった。誰かがせき込む音が壁から伝わってくる。廊下を歩く音が響く。引き戸が閉まると、また別の誰かが引き戸を開ける。まるでお互いが接触を避けているかのように、それが続く。
■85歳も、20代も
 この辺りの相場だという。月にまとめて払う人もいれば、週ごとに支払う人もいる。いまは18人が暮らす。40~70代が多く、85歳という高齢者もいる。
 20代もいた。
 ある日の昼前、スマートフォンにつなげた白いイヤホンを耳につけた男性が玄関に入ってきた。しばらくして、台所で40円の袋麺を調理し始めた。四藤(しどう)祥吾さん(28)。86年生まれ。記者と同い年だった。
 大半は部屋で過ごす。パソコンで求人サイトを見たりネットゲームをしたり。いまは声優にはまっていて、スマホで聴いていたのもアニメソングだ。「ここには友人になれる年の人もいませんし」とこぼす。
 4年間余り勤めた会社を1月に辞めた。それがきっかけで家族ともめ、家を飛び出した。役所に相談して簡宿を紹介され、生活保護受給者になった。「まさかこの年で。落ちる所まで落ちた」
 1月までは月25万円近く稼いでいた。いまは支給された額から宿泊費のほか、携帯電話とインターネット代、食費などを払い、手元に残るのは2万円くらいだ。460円の銭湯は週1回だけになった。
 何をしていても、悔恨の思いにつながる。
 ある朝ふと目覚めると、携帯電話の時計は午前11時をまわっていた。「一体何をやっているんだろう。みんなは働いているのに」。袋麺をゆでていても、「なんでこんな飯食ってんだ俺は」。スーパーでチーフになったり、映画会社で成功したりしている同級生の顔が頭に浮かぶ。
 四藤さんは「このままここで終わる人間じゃないはずだ」と自分に言い聞かせる。だが「1カ月で出る」と決めていたのに、もう4カ月経った。
 宿での暮らしに慣れきってしまった住人もいる。四藤さんの部屋の三つ隣に住む50代の男性は3年目。時間があれば、初乗り分だけ切符を買い、一日中電車に乗って過ごす。
 約1年前に入った2階の四宮(しのみや)道(とおる)さん(40)は、自分を変えたいと思っていた。19歳で覚醒剤にはまり、36歳までやめられなかった。以前は、社会復帰を目指す人たちの施設にいた。
 施設では管理された集団生活だが「わいわいがやがやしていて、ある意味よかった」。ここでは会話する相手は一人もいない。「ここにいると、自分がただ生かされているみたい」
 早く賃貸アパートに移ろうと、週2、3回、ハローワークに足を運ぶ。だが、本気で仕事を探す気が起きない。生活保護で食いつないでいる。外出先から戻った平日の夕方、簡宿街の通りは帰宅途中の会社員や主婦が行き交う。「1時間だけ」と言って、徒歩5分のパチンコ店に向かった。
 
 『武田正成さん(61)。来月の生活保護費の支給日まで2日に1食、即席麺で済ます』の記事は、私と同年の人物ですが、野菜を積極的に摂取して、3食ともご飯を食べるとの管理栄養士さんの指導を守る私からすれば、信じられないような食生活で、ここには健康管理という言葉は存在しません。
 
 『建物は、1951年に建てられた木造2階建て。全25部屋で、1泊1800円』の記事には、1泊8百円で宿泊できる上高地小梨平野営場のテントを考えてしまい、真面目に生活していればアパートがもっと安く借りられます。
 
 『支給された額から宿泊費のほか、携帯電話とインターネット代、食費などを払い、手元に残るのは2万円くらいだ。460円の銭湯は週1回だけになった』の記事についても、上高地で悠々自適にテント生活するシニア世代を対比させてしまい、1回600円の小梨平大浴場を思い浮かべました。
 
 長年真面目に働いたにも関わらず、わずかな国民年金で公的負担を支払い、厳しい生活を晩年まで余儀なくされている人々も多いが、定職につかず無年金で家族も資産も何もないのに生活保護でノウノウと生活する例も多く、結果に差がないと良し悪しの比較もできません。
 
 国民の多くは家族と住む家を構え、子供の成長を支え、定年を迎えても残した資産に対する税金を死ぬまで支払い続け、末期がん患者で死の宣告をされた人も医療費を支払っている現実と、『1時間だけと言って、徒歩5分のパチンコ店に向かった』との記事から、生活保護費で医療費も心配なく生活する人との大きな違いを実感させられる記事ともなりました。
 
                  本日の体重 71、1キロ 徒歩数 2952歩
                                      6月16日の一言
 

私のこだわり宣言と矛盾に

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 愛西市の勝幡駅から孫とともに歩く私、昨日夕方の様子です。

 「恥ずかしいから止めてよ」
 「何が恥ずかしいんだッ」
 「だって、そんな姿で…」

 着ている作務衣は呉服屋さんで選んだ紬(つむぎ)織の高級作務衣で、家族に安物の甚平か寝間着のような言い方をされ、こだわりがあったわけではありませんが、昨日は展覧会の会場やホームセンターもこの姿で行動しました。

 今週末は半年ぶりになりますが、高野山に志賀弘法友の会の人々を案内することになっており、この作務衣の上に四国遍路に使用している袖無しの白衣(半袖の道中衣)を着ていくか、上下とも純白の遍路姿か迷っていますが、四国や高野山から遠く離れた愛知県でこの姿は「変人」と思われるのかもしれません。

 この作務衣で四国を歩いたことはほとんどなく、ウエストポーチも作務衣用に緑系の物を探し、歩き遍路を意識して私のお気に入りとしたい姿ですが、作務衣とスポーツシューズの組み合わせだけは違和感が残ります。靴にも再考がいるようです。

福島の米にこだわったバウムクーヘン「安心して食べて」

 本日の新聞報道には、福島市の洋菓子店が製造・販売しているバウムクーヘンが紹介され、あえて福島県産の米粉と卵を使い、原発事故後の2011年12月に新商品として売り出し、経営者の「米は安全が証明されている。安心して食べてほしい」との談話が掲載されています。

 一見して美談か風評被害を払拭する記事のようにも感じますが、昨日の一言に「鳥のエサにしている小松菜」に関連して、虫も食わぬスーパーの綺麗な野菜の農薬や殺虫剤にも疑念を示す記載をした私には理解ができません。鳥に与える小松菜でも心配になり、自分の手で栽培して、虫を手で取り除いている私には、わざわざ食べたい品物とは思えません。

 郷土愛から福島産にこだわって製造販売するのは評価したいものの、デジタル新聞に店の名前と電話番号まで記して全国に紹介するのはお節介としか思えず、新聞記者の意図が理解できず、食材の良し悪しにこだわる人々には迷惑とは言えないものの無縁の話です。

 こんな記事を添付したのは、写真を添付した私の作務衣姿と同じで、本人がこだわって生活していることに第三者の意見は無用で、福島産にこだわる店主の心意気には共鳴する自分自身でも矛盾を感じながらの一言でもあります。

                  本日の一言69、9キロ 徒歩数 9445歩
                                     6月15日の一言

小松菜の植木鉢が鳥カゴに入り

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 半月前から鳥カゴに入れるため栽培していた小松菜が、生え揃ってきたことから本日カゴの中に入れました。
 最近では青虫が付くようになり、一晩で食べ尽くしてしまうことから、他に栽培中の小松菜の青虫取りに頭を痛めていましたが、鳥カゴに入れてしまえばピーちゃんが食べてしまうため手間がかかりません。
 
 これまで野菜に付いた青虫に関心もありませんでしたが、鳥に与えるため農薬や殺虫剤も使えず、毎日見つけて取り除いてきたものの、翌日には新たな青虫が発生してイタチごっこで、これまでのように切り取った小松菜はすぐに痛んでしまうため、これからは食べても食べても小松菜は成長してくれるので、我ながらグッドアイデアと思います。
 
 もっとも、半月前に鳥カゴに取り付けた水遊び用の「バードバス」については、やっと最近入るようになりましたが、ピーちゃんは警戒心が強く、入れたからすぐに食べるとは思えず、しばらくは植木鉢の小松菜の存在に慣れさせることが先決です。
 
 一方で、小松菜や大根の葉、ブロッコリーなどは与えても良いものの、ほうれん草やねぎ類だけでなく、キャベツやレタスなどもスズメには与えてはいけませんから、何でも口にしている人間よりも鳥は大変です。自然界の鳥と違い、カゴの中では与えられた食材しか口にしないため飼い主の責任も重大です。
 
 スーパーには見事に成長した小松菜や野菜が販売されていますが、最近の我家の青虫の発生を考えると殺虫剤を使っている可能性は高く、たかだかスズメの餌に付く青虫を取った苦労を考えると我々の食べる野菜が心配にもなってきます。
 
野菜摂取と健康の関係  http://www.5aday.net/v350f200/kanri/kankei_1.html
がんを予防するために食べたい野菜
 
 野菜が健康に良いことは誰もが知りうることですが、平成5年に父親ががんで他界したときに、畑で大根やニンジンを作った経験があるだけで、昨年保護したピーちゃんのために作る小松菜は栽培を半年以上続けてきました。
 これからの小松菜づくりはピーちゃんの寿命がカギとなりますが、鳥カゴに小松菜の植木鉢を入れて3時間が経過したばかりでピーちゃんが食べ始めており、「環境に慣れさせることが先決」と記したものの、食べ物には何でも喰らいつくピーちゃんだけに、今度は交換する小松菜の急成長を待つことになります。
 
ポール、なぜベジタリアンに? 京大卒業生ら来日中取材
記事の続き…
インタビューのアイデアは仲間との雑談から生まれ、動物の権利保護に取り組むNPO法人「アニマルライツセンター」と共同で企画。マッカートニーさんらが推進する、週1回月曜に肉を食べずに地球温暖化を防ごうと呼びかける国際的キャンペーン「ミート・フリー・マンデー」を国内で広めたいと伝えた。
 来日公演中だった4月25日、東京ドーム東京都文京区)内で約15分間のインタビューが実現。川野さんら3人が英語で行った。
 インタビューでマッカートニーさんは、ベジタリアンになったきっかけは自身が経営する農場での30年以上前の体験にあると明かしている。飼育する羊のラム肉を食べている時、草原で遊ぶ子羊が目に入った。
 「その時、私たちが食べている料理が、この生まれたばかりの小さな動物と同じものとしてつながった」。ミート・フリー・マンデーについては「多くの人が実践すれば、地球の未来のためのとても重要なムーブメントになる。みんなできるよ、さあやろう」と呼びかけている。
 川野さんは「一人一人が少しでも行動すれば、世の中は変わるのだと伝えてくれた。毎日の食の選択が食料問題や地球環境問題などとリンクしていることに気付くきっかけになってくれたらうれしい」と話す。
 映像は川野さんらが10月上旬に開催予定のミート・フリー・マンデー啓発イベントで公開する。問い合わせはメールで、ベジプロジェクト(vege.project.kyoto@gmail.com)へ。
 
 本日の新聞報道から、歌手のポール・マッカートニーさんらが推進する、週1回月曜に肉を食べずに地球温暖化を防ごうと呼びかける国際的キャンペーン「ミート・フリー・マンデー」を知りました。こんな節制には共鳴できるものがありますね。
 
               本日の体重 70、8キロ 徒歩数 11534歩
                                   6月14日の一言
 

童心にかえる孫と一緒の一日になり

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 津島市児童科学館で開催中の第27回茜合同展に出展してある私の「般若心経」の掛け軸を見る孫と娘です。
 
 本日は児童科学館に隣接するプールに孫が母親と出かけており、科学館の2階で茜展が開催されていることを知らせて、私は自宅から歩きながら会場を目指しましたが、展覧会が開催されている地域文化広場では、高校野球やソフトボールの試合が行なわれており、大きな歓声が沸きあがる中を会場入りしました。
 
 この児童科学館には、地域に生息する淡水魚が展示してあり、魚が大好きな孫にとっては最高の環境でもあり、還暦を過ぎた爺に魚の説明をして回ってくれたことから、私もついつい子供心に触発されて「めだかを取りに行こう」と叫んでいました。
 
 ここから娘の車に同乗し、家内と合流して「かっぱ寿司」で昼食です。

 「大鹿さーん」
 「えっ、…」
 「大鹿さーん」

 か細い声の主を探すと、旧知の先輩の姿がありましたが、食道がんで来週から入院するとの話で、やせ細った姿に「お大事に」の言葉に続いて「頑張って」と続け、偶然隣の席となりましたが、病気の人にかける言葉が判りません。
 
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 議会が続いて今週は歩いていないため、昼食後に自宅まで歩いて帰ろうとすると、孫がついてくると言い出し、しばらく歩くと「疲れた」と話し出す始末で、「消防車を見せてやるから」と何とかつれて歩きましたが…

 消防署に到着すると、整然と並ぶ消防車に後ずさりし、建物の裏で訓練中の署員の様子を見物していると、私を認識する若い職員が近寄り、「はしご車に乗せてあげましょうか」と言ってくれたものの、孫はヘルメット姿の職員を怖がって逃げていきます。

 「議員が孫と消防車に乗せてもらっていた」と、市民から言われるのは困るので確認すると、車の始動確認を兼ねて幼児が訪れると常時行っていると聞き、孫と2階のように高いはしご車の助手席に座り、エンジンをかけてもらいました。

 簡単に「めだか」と言いましたが、めだかを捕まえるのは大変で、タモとバケツを持って町内の用水を廻り、やっとの思いで捕まえたものの、家に帰ってから水槽に水を入れて移し変えるのは大変で、めだかのエサを買いにホームセンターまで行くことになりました。

 「あっ、カブトムシだッ」の一言からの後は、皆さんの想像に任せます。
     
               本日の体重 71、0キロ  徒歩数 13995歩
                                    6月13日の一言
 

八代目市川団蔵奉納歌舞伎から四国遍路へ

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市役所から帰宅した午後6時頃には激しい降雨で道路は川のようになっていました。

 本日は津島市議会の一般質問が行われ、私も午後3時に5番目の登壇で質問に立ちました。昨日から2日間で14人の議員が質問に立ち、私の前に質問に立ったK議員から、「選挙後の初めての議会で質問に立たないのは支持して投票した有権者の期待を裏切る」と質問しない議員への批判があったことから、私はあえて選挙時の私の公約を紹介し、任期中と言うよりも、残された人生をかけて約束を実践すると述べました。

 私の公約とは、高齢者や障がい者の在宅支援で、高齢者や障がい者を病院や買い物に同行する「福祉有償運送」を主体としたボランティアの実践で、「誰もが行きたい所へ、行きたい時に行ける」社会を実現するため寄与していきたいと思っています。

 平成17年に障がいのある幼稚園児を幼稚園に送迎するボランティアを個人的に引き受け、その後協力してくれるボランティアを募り、平成19年に愛知県よりNPO法人の認証を受け、平成21年には国土交通省から「福祉タクシー」の認可と、ボランティアの参加する「福祉有償運送」の認可を受けました。

 ボランティアと簡単に言っていますが、このボランティアによって生命を維持させておられる方も存在し、「病院の治療費よりもタクシー代の方が高い」と悲鳴をあげておられた市民の声に、やっと車イスのまま乗車できる車両を確保し、これからは低価格で通院に同行できるようになりましたが、これは議員の任期に関係なく、利用者が存在する間は止められない活動となり、自分も年齢を重ねて高齢者になっていくため、組織的に法人を維持させていくことが課題となっており、本日私が市役所に居る間もボランティアが利用者を病院に運んでおり、選挙期間中ですら家内をボランティアに走らせていました。

 私の残された人生は、ボランティアの維持拡大と、「横井庄一記念館」の存続が使命とされており、どれだけの年数が残されているかは判りませんが、精神的疲弊は困りますが、新たな人との出会いを糧として頑張りたいと思います。

徳島)八代目市川団蔵50回忌 1番札所で奉納歌舞伎
記事の続き…
傾く会理事長の河野稔治さん(72)は、八代目の舞台を東京で見たことがあるといい、「高齢なのに3階席まで通る声で驚いた」と懐かしむ。「九代目団蔵さんも気合十分のよう。どんな演技が見られるか楽しみ」。芳村住職も「50年の節目に、寺で公演していただけるのは光栄。新しい市川団蔵を見に来てほしい」と話す。
 公演は8月22、23の各日、午前11時と午後3時半から、霊山寺の大師堂で。県内の小中学生でつくる「阿波の国子ども歌舞伎」も出演し、阿波人形浄瑠璃の「傾城阿波の鳴門」をアレンジした演目を披露する。チケットは6月6日午前10時発売で、A席8800円(霊山寺、088・689・1111)、B席6千円(阿波交通、チケットWeb松竹で販売)。問い合わせは傾く会(080・3922・2565)へ。
 また、八代目の命日にあたる6月4日、寺の本堂で午後1時から声明を行う。八代目が描かれた浮世絵や写真を展示。徳島市の和菓子店・茜庵(あかねあん)がこの日のために特別に作る菓子の接待もある。

 四国霊場1番札所・霊山寺で8月、歌舞伎役者の八代目市川団蔵の50回忌に合わせ、奉納歌舞伎が行われるとの発信があります。

 本日の昼休みに、四国八十八ヶ所霊場会の「先達教典」を読みながら、八代目市川団蔵が自身の引退興行が終った直後に四国遍路の旅に出て、満願を果たして小豆島の新四国霊場に向かい、3泊してから関西汽船に乗り自らの命を絶ったことを読み直していました。

市川団蔵 ―遍路道が最後の花道― 愛媛県生涯学習センターデータベース
  このホームページに含まれるデータは愛媛県生涯学習センターが著作権を保有しています。

 「我死なば 香典受けな通夜もせず 迷惑かけず さらば地獄へ」と、家族に残した辞世の句に惹かれ、帰宅後にネット検索して徳島発信の新聞記事を見つけ、愛媛県生涯学習センターの発信する市川団蔵の記事と、四国遍路のあゆみを検索しました。これは見事です。色々な本が出版されていますが、これだけ正確に記された内容は一見の価値があります。

                 本日の体重 70、5キロ 徒歩数 1489歩
                                    6月12日の一言

市議会の一般質問が始まり

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 事務所裏のアンズが熟しはじめ、鳥に突かれて落ちてきます。同じアンズでも事務所前のアンズは黄色く熟し、裏のアンズは少し大きく桃のように赤くなります。

イメージ 2 写真右のアンズが10日前に熟した事務所前のアンズですが、黄色く柔らかいためジャムにするには適しており、事務所裏のアンズは果物としてそのまま食べられるため、鳥も群がりはじめ、熟す前から鳥の被害にあって落下しています。

 これから熟すアンズは実も大きく数も多いため、来週には家内も鍋の番人になってジャム作りの連続となっていきます。

 本日は議会の一般質問が行われ、8人の議員が登壇しましたが、明日は残された6人が登壇する予定で、私は明日の5番目の質問になっていることから、予定では午後3時頃の質問になりそうです。

 明日の質問が終ると、来週に常任委員会が開催され、月末まで議会は続きますが、来週末からは休会日も存在することから、6月議会が済むまで残したままにしてきた自分の仕事にとりかかりたいと考えています。

 自分の仕事?

 議員が本業になっていますが、ボランティアで始めた福祉有償運送と福祉タクシーの車イスが搭載できる車両の購入と、一年前から約束してある高野山への案内(20日・21日)など、お遍路関係の仕事(?)と、上高地の知人たちとの約束、等々

 平成5年まで発行していたミニコミ紙「ふるさとアサヒ」の再刊も宣言してあり、今年中に四国八十八ヶ所と別格二十霊場の満願(一巡)を果たしたいと考えており、会長が不在となっている歩き遍路友の会東海や、事務所2階を地域の人々の集う場所として提供するとともに、神守丈友会の書道展も作品が完成して開催を待つのみとなっています。
 個人的には、市役所の知人に整備を依頼した自動二輪が完成間際になっており、若者気分でツーリングのキャンプ行きも数年前から約束してありますから、役職は減らしてきたものの忙しさは変わりません。

オレオレならぬ「ワタシワタシ詐欺」 東京で13件被害

 さて、「オレオレ詐欺」が「ワタシワタシ詐欺」となった発信があり、男女同権が叫ばれる社会では当然のことかもしれませんが、今まで女性の詐欺事件が騒がれなかったことを考えると、女性の方が良心的なのかもしれませんね。

                 本日の体重 69、9キロ 徒歩数 925歩
                                   6月11日の一言

本日は愛西市「まんまる工房」へ

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 津島市の西愛宕交差点を100メートル南に位置する愛西市日置町にある「まんまる工房」です。(天然温泉湯楽の南方向)
                   496-0906 愛知県愛西市日置町山の池220
                       葉手那窯 まんまる工房 TEL 0567-22-4330
 
 ここでは陶器の電気窯とガス窯があり、グループで参加できるロクロが置いてある陶芸教室になっており、自らの茶碗づくりや絵付けもできる貴重なスペースになっています。
 
 本日は、今週12日(金)から14日(日)まで、津島市の児童科学館で開催される「茜合同展」の作品を11日の搬入日に議会中で持ち込めないため、合同展を主催する名物マスターの居られる「まんまる工房」まで届けました。
 
名物マスターの画廊喫茶が閉店し… 2013/2/28
 
 茜合同展は、かつて津島市西愛宕町にあった画廊喫茶「茜屋」に出展されていた芸術家が出展する展覧会で、絵画から書、陶芸など幅広い作品が展示されていましたが、地主さんから建物の解体が決まり、2年前にお店は廃業されてしまったものの、参加されていた人々の熱意は衰えず、今年も開催することになりました。
 
茜合同展 27  
        平成27年6月12日(金)~14日(日) 9:00~17:00 (14日は15:00jまで)
        津島市児童科学館・2階ホール 津島東公園内のプラネタリウム併設館
                津島市南新開町2-74  0567-24-8743 (駐車場完備)
 
 私が出展したのは「般若心経」を記した書で、過去に出展した作品より劣る下手な作品ですが、元々が下手を承知でマスターより誘われて出展しており、書の上手下手よりも「般若心経の人」であれば良いと言われての参加となります。

 さて、一週間前の一言に、徳島県の浄土真宗の僧侶が殺人で逮捕された事件を取り上げて書き込みましたが、本日は一年前の「僧侶がテレビで不倫も許されると発言し」へのコメント欄に「内緒」ではありますが意見が記されてきました。
 
僧侶がテレビで不倫も許されると発言し 2014/7/1
 
 その十善戒の中に、不邪淫として「不倫をしない」ことが記されており、真言宗だけでなく曹洞宗の僧侶も「不邪淫戒」として戒めた発言をしていることから、条件つきとは言え、不倫を認める浄土宗僧侶の発言や、「多少は良い」と発言した浄土真宗尼僧の発言の真意が判りません。
 
 「お寺は生きている時に行く所で、死んでから行くのはお墓」との一言について、過去に名言として感心した記憶があるものの、不倫を認めるような僧侶のもとを訪れて相談する気にもなりませんが、他力本願で葬式仏教と言われる浄土宗の限界をみせられたように思います。

 テレビ番組とはいえ、浄土宗と浄土真宗の僧侶が、一年前に「不倫」を良しと認める発言をしており、今回は殺人事件として驚きの結末になったものの、浄土宗や浄土真宗の僧侶は一般の我々と同じ俗人でしかないことが判ります。

 改めて一年前の自分の一言を読み直し、「お寺は生きている時に行く所で、死んでから行くのはお墓」の名言とともに、我ながら見事と自画自賛したい内容が記されていたことから、下記に再掲して残すとともに、自身の戒めにもしたいと思います。

 真言宗では、即身成仏が教義の中心となり、生きている人間がそのままで究極の悟りを開き、仏様になることを目標に、仏と自分とが一体になった状態こそが即身成仏で、そのためには真言行者は身と口と心の修行である三密行(さんみつぎょう)を実践し、日常的には十善戒(じゅうぜんかい)という正しい生活の基本を実践することが求められます。
 
 明日から2日間は津島市議会で一般質問が開催されますが、私が不在時でもボランティアは活動を続けており、週末は茜合同展が行われ、町内の親睦会の役員会など議会中と議会だけに専念できない日程が続きます。

 本日訪れた「まんまる工房」へは、茜屋のマスターを訪ねて訪れたわけですが、偶然に寄られた瀬戸の陶芸家が日展に入選されていることを聞き、上高地で油絵を描いている盟友「ホームレス画伯」と、日展画家の吉田さんを思い出し、上高地にも疎遠になっていることと、四国へも想いをはせる一日ともなりました。

上高地の仙人 ホームレス画伯と小梨平
上高地 ホームレス画伯

              本日の体重 69、9キロ 徒歩数 8033歩
                                    6月10日の一言

イエローキャブの発信に新鮮な気持ちに

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大塚性海寺歴史公園・性海寺

 稲沢市で行われている「あじさいまつり」に行ってきました。稲沢市大塚町の性海寺で毎年開催され(今年は14日まで)ており、全国各地で開催されている「あじさい祭り」のレベルでは、「えっ、これだけ」とびっくりするほど規模は小さく、会場となっている性海寺は参拝できる環境にもなっていませんが、私は会場近くに建つ「せんき薬師」の参拝に時々訪れており、ここに参拝するのを主目的にして訪れています。

第24回稲沢あじさいまつり http://www.inazawa-kankou.jp/ev/bana.cgi?no=300 

 しかし、会場に到着してまもなく雨が降り出し、様子をみていたものの雨足は弱まらず、傘も車中に置いたままだったことから、一緒に同行した家内は不機嫌となり、「せんき薬師」に行く雰囲気とはならず、「お父さんだけで行ってきてよ」の一言によって、会場近くで世話になったままの知人宅に土産物を届け、ホームセンターへ買い物に走りました。

せんき薬師 http://www.senki894.com/

 家内が不機嫌になった原因は、雨の中を車まで戻ったこともありますが、それ以上に足腰の負担が大きく、私と一緒に一万歩を目標に歩いているものの、途中で休憩しないと苦痛を感ずるようで、本日は性海寺歴史公園の丘へ階段を上り下りしたことが原因と思われます。

 2年前、上高地から岳沢小屋まで歩いた際にも足を痛めて、下山に苦労したこともあり、学生時代に水泳で県大会に出場し、私より丈夫だったはずの家内ですが、体調管理も必要になってきたようです。

日本版「イエローキャブ」、都内を快走 NY採用モデル

 さて、今週には議会の一般質問を控えていますが、議会活動をおろそかにするつもりはないものの、今年4月の立候補にあたり、私の活動の大きな柱とした「公約」は、通院や買い物に移動困難な高齢者や障がい者を目的地に移送することと在宅支援で、新たなタクシーを購入したいと考えています。

 本日は午前中に、知人の業者から格安の車両があると連絡が入り、目的としている車種ではなかったものの、選択肢を広めて考えていると、本日の新聞やテレビニュースからタクシーの「イエローキャブ」の発信がありました。

 還暦を過ぎ、年齢的にも働ける時間に限界がありますから、福祉移送ボランティアの「福祉有償運送」の規模拡大と、福祉タクシーも事業として本格的に取り組み、移動困難者と在宅支援を本格化したいと思う一日ともなりました。

                  本日の体重 70、3キロ 徒歩数 4580歩
                                      6月8日の一言

知人に場外馬券場に誘われて

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 名古屋競馬場の弥富トレーニングセンター内にある場外馬券売り場「サンアール弥富」です。
 
 本日は一宮市から訪れた知人が、最近競馬の馬券を購入するようになったと話し、車からスポーツ新聞を持ってきて、競馬の馬券の的中率について語りだしました。
 私は過去からギャンブルは一切やらないことと、議員になってから一宮競輪場の競輪組合の議員になったことから、競輪はやったことがあり、「競輪では損をした覚えがない」と話し、話題を競馬から変えて世間話に熱中していましたが…
 
 「どこかに行ってきましょうか」と、昼食も忘れて話していたため私の車に誘い、「何処に行きますか」と問うと、「何処でも良いですよ」と返事があったものの、気乗りしないような雰囲気から、「一度も行ったことがないから行ってみましょうか」と話したところ、「ちょっと待ってて」と自分の車にスポーツ新聞を取りに走られました。
 
 「ナベちゃんは何してるかな」との一言から、サラリーマン時代はギャンブル大好き人間だった同級生の名前が出たため電話をすると、「行く、行く」と昔の記憶がよみがえり3人で走ることとなりましたが、「ナベちゃん」は最近馬券を買ったこともなく、「今日は何日かなァ」と『6-7』の馬券を買うと車中で決めました。
 
 このトレーニングセンターには、かつて横井庄一記念館で親しくなったYさんが馬の獣医師をされており、一度訪れるとの話をしていたものの、自身の病気については何も語られないまま亡くなられてしまい、故人の思い出を偲びながらの訪問ともなりました。
 
相棒の診察で知った知人の訃報に  2014/4/17
 
 「惜しかったなァ」の一言はありましたが結果は2人とも惨敗で、私は馬券を買わずに2人の行動と、来場者の様子を見ていただけですが、2人の話を聞いていると当たるとは思えず、私には関心も沸きませんが、競馬場であれば馬の走る姿を見ることもできますが、馬券も買わないのに場外馬券売り場に行くこと自体が場違いでもありました。
 
競馬GⅠ・安田記念、モーリスがGⅠレース初制覇
 
 さて、人の趣向は様々で、私は小学生の時に「体調が悪い」と仮病を使い、学校から早引きしたスリルと、自分で作った自由な時間が忘れられず、中学時代には朝に自宅を出て、学校とは逆の方向へ、行き先も決めずに黙々と自転車のペダルをこいで、行ったことのない場所に一人で居ることの魅力に取りつかれました。
 仕事には責任があり、仕事に穴を開けることはできなかったものの、「ずる休み」で責任を放棄して社会で起こっている事態と声を遮断して行動する魅力は、社会と家族と無縁で一人で四国遍路に訪れる魅力にもつながり、日々の生活の中でも時々誘惑の声をあげてきます。
 
 趣向は違いますが、知人の競馬に取り付かれた行動とも共通する、非日常的な行為への憧れを感じ、常識で縛ろうとする家内や家族に対して、還暦を過ぎていることから「もう良いだろう」と、過去の自分を全部否定しても放浪の旅に出たい心境にもなりました。
 
                 本日の体重 70、5キロ 徒歩数 11030歩
                                      6月7日の一言
 

久しぶりに出したバイクに孫を乗せて

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 久しぶりにカブ(実際にはヤマハメイト80)を出して埃を落とし、目的も無いままに出かけようとしていると、孫が両親とともに訪れ、「一緒に乗りたい」と訴えたため、親達は乗せたくなかったと思いますが、孫と一緒に地域を走り廻ってきました。
 
 久しぶりと記しましたが、大学時代に起業した新聞販売店で23年間も仕事の足としていたバイクのため、何も違和感がないばかりか、今でも現役の配達人として十分に通用すると思われます。
 
 それにしても仕事用に販売されていたメイトは丈夫に出来ており、販売店を廃業した16年前に3万キロを超えていた走行距離は現在3万3273キロになっていますが、未だに乗用車に加速は負けません。さすがに後輪のスプロケット(ギア)が磨耗しているため急加速はチェーンが悲鳴をあげますが、丁寧に乗れば私の残された人生のお付き合いになりそうです。
 
 私の希望ではこのバイクで四国遍路へ一人で出かけ、地元の人のように地域に同化してお寺を参拝することで、荷台にテントや寝袋を積んで宿には泊まらず、食事も総て自炊で満願を目指せたらと思っています。
 
ものづくり王国愛知、原点は二輪車 地元収集家が展示室
記事の続き…
 冨成さんが二輪車の収集を始めたのは26歳の頃。名古屋市で1953年、オートバイレース「名古屋TTレース」が開催されたことを知ったのがきっかけだ。ホンダとヤマハ、スズキ、カワサキといった大企業しか知らなかったが、レースには19ものメーカーが出場し、うち六つが名古屋周辺の企業だったことを知って驚いた。
 以後、知り合いの部品業者のつてを頼って、当時のメーカー関係者らを探し出し、資料や写真を集めた。技術者らも訪ねて、製作秘話などに耳を傾けた。全国の愛好家らと連絡を取ってコレクションを譲り受けた。そのうちに興味は自転車にも広がった。
 冨成さんによると、60年代ごろまで名古屋周辺では、オートバイのメーカーが創業や廃業を繰り返し、その数はのべ七十数社にのぼるという。また50年には市内だけで、自転車関連で約145の会社があった。ほとんどは零細企業で、59年の伊勢湾台風で被害を受けるなどし、業界の再編が一気に進んだという。
 冨成さんは99年、集めた証言や資料、コレクションなどをまとめて、写真集「名古屋オートバイ王国」を刊行している。実物を見たいとの要望がよく寄せられるようになり、公開を決めたという。「名古屋は二輪車王国で多くのメーカーがしのぎを削ってきた。技術者の情熱や苦労が詰まった話がたくさん残っている。その語り部になりたい」と話す。
 名古屋郷土二輪館についての問い合わせは、冨成さん(090・4198・4771)へ。
 
 偶然にも愛知県で趣味で収集したオートバイや自転車を一般公開し、「名古屋郷土二輪館」として土曜日と日曜日に無料で公開している人物が紹介されており、知人に預けて車検に向けて整備中の自動二輪車とともに、このバイクもこれからの生活に役立てたいと思う一日ともなりました。
 
               本日の体重 70、4キロ 徒歩数 6348歩
                                       6月6日の一言
 

僧侶が殺人事件で逮捕される衝撃に

 昨年12月に愛媛県松山市で37才の女性が殺害された事件は、徳島県徳島市の僧侶、来見佳典(くるみよしのり)容疑者(29)が昨日愛媛県警により殺人容疑で逮捕されたが、僧侶が人を刺殺するという展開に驚きは隠せず、本日は容疑者の所属する浄土真宗本願寺派の石上智康総長が談話を発表するなど社会に与えた衝撃は大きいものがありました。
 
徳島の僧侶の男を殺人容疑で逮捕 松山の女性殺害
記事の続き…
 逮捕後、黒田さんの父親は「強い憤りを覚えます。心から罪を償ってほしい」との談話を出した。
 一方、来見容疑者の父親は徳島市内の寺で取材に応じ、「息子は厳格な性格。本当かうそかわからない。信じられない」と驚きを隠せない様子で語った。近所の主婦は「外で掃除をしていると、『いつもお世話になります』と声をかけてくれた。まちがいであってほしい」と話した。
 来見容疑者が在籍する寺のホームページによると、寺は安土桃山時代の天正地震で津波の被害を受けたとみられ、その後、今の場所に移ったという。宗派幹部は「情報を収集して事実関係の確認を急いでいる」と話している。
浄土真宗本願寺派トップ「申し訳ない」 僧侶に殺人容疑
アパートに血を流した女性遺体 松山、殺人事件で捜査  昨年12月の新聞記事
 所属する浄土真宗本願寺派トップの石上智康(いわがみちこう)総長は、「僧侶は仏道を歩み、仏法を聴聞して、教えを説く立場」であり、「自らを律する生活を送らなければならない」と述べ、当人に対しては宗派としても厳正に対処いたします」との考えを示した。
 
 さて、事件発覚後に自宅となるのホームページを閲覧すると、「ほとけの子の集い」として「この夏、お寺に泊まりませんか?」との過去の呼びかけがそのまま掲載されていますが、子供を宿泊させるどころか、この殺人者を出したお寺に先祖の供養を依頼する門徒の気持ちを察すると複雑な心境にさせられます。
 
 一方で、来見容疑者が役員として所属した宗派青年部のブログは、事件後に閲覧できないようになっており、これこそ事件から逃げずに、事件を正面からとらえて信頼を回復させる努力が必要ではないか。
 
 事件が報道された昨晩のネット情報の中には、事件が四国の松山市で起こり、犯人が徳島市のお寺の僧侶のため、四国八十八ヶ所のお寺と混同する書き込みや、我々お遍路に訪れる参拝者まで茶化する書き込みがあり、僧侶の殺人事件の社会に与える影響の大きさも実感させられました。
 
 本日は、午前中から終日入れ替わりで市役所職員の訪問を受けていましたが、ボランティアへの参加で問い合わせのあった市民が、四国遍路に廻っている話題となり、早速事務所を訪問してもらいボランティアと四国遍路で花を咲かせる一日ともなりました。
 
 四国遍路については、世間の誤解があるようですが、お遍路は浄土宗や浄土真宗のように念仏を唱えて「死後の極楽浄土」を目指してはおらず、真言密教では生きている間に自身の行動を慎み、生きて即身成仏を目標にしていますから、しばらく遠のいていたお遍路についても、自身の身を清めるために議会終了後の来月に家族で再開することを決めました。
 
               本日の体重 70、3キロ 徒歩数 7797歩
                                      6月5日の一言

アンズが熟してジャムつくりに

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我家のアンズです。今年もジャム作りが始まりました。
 
 添付したのは事務所前のアンズで、今年は雨が少なかったため、過去と比較すると最高に甘く、熟して落下した実を拾った手についた果汁がべたつきます。
 
 これが毎日バケツに一杯程度落下しており、気をつけて拾いに走りますが、拾っても拾っても際限なく落ちており、昨日から家内が大鍋に入れてジャム作りを始めましたが、作ったジャムを入れるビンも大量に必要になります。
 
イメージ 2 右に添付した写真が本日落下したアンズで、これだけでも大きな鍋でも1回では煮込めませんから、午後から家内は鍋に付きっ切りとなって煮込んでいます。
 
 本日は買い置きしてあったジャムを入れるビンを使い切ってしまったため、ホームセンターまで買いに走りましたが、大量に買い込むためジャムをいれるビンは売り切れとなり、数日後に補充されていないと、さらに遠くにあるホームセンターまで走っていくことになります。
 
 一年はあっという間に過ぎ去り、「来年は専用ラベルを作って販売しようか」の一言をここに記しますが、保管するのにも困る有様で、売るどころか処分するように貰い手を捜してジャム作りは終わります。
 
 もっとも、事務所の裏には更に大きなアンズの樹があり、こちらのアンズは長野県で売られているように甘いものの、実はさらに大きくたくさん実っており、毎年採りきれずに裏庭を甘すっぱい香りにしています。
 
 欲しい人は採りに来てくださーい。
 
 東京・銀座のママと客の関係は、「不倫」ではなく「枕営業」である。東京地裁が出したこんな判決が波紋を呼んでいる。クラブで結ばれた男と女、それは不倫なのか、営業なのか? 線引きできるものなのか?
 
「不倫」か「枕営業」か、判決波紋 探偵業界も衝撃
記事の続き…
 こうして、「不倫だ」との妻の訴えを退けた。
 「妻の立場をあまりにも軽んじる判決」「枕営業なら不法行為じゃないっておかしい」。判決が報じられると、ツイッター上に妻たちの怒りが飛び交った。
 男女の性的関係が不倫か営業か、区別を示した判例はあるのか。不倫訴訟に詳しい田村勇人弁護士は「直接争われた事例は聞いたことがない」。ただし、「既婚者と関係を持てば、遊びだったか愛情があったかを問わず配偶者に慰謝料を払う義務がある」とした1979年の最高裁判決以降、既婚者と知って関係を持てば賠償責任を負うとの考えは定着しているといい、ホステスに慰謝料の支払いを命じた判決もある。
 それだけに、今回の判決については「7年もの長期間の関係を『営業』と言い切る感覚は疑問だ。特異な判決として埋もれていくのでは」と指摘する。
 「探偵業界にとって衝撃の判決だ」と話すのは、大手探偵会社「MR」(東京都)の広報担当、橋本文良さん。同社は年間千件ほどの浮気調査をするが、水商売の女性が浮気相手というケースは全体の2~3割をしめる。配偶者の浮気の証拠を押さえて慰謝料請求につなげたいと調査依頼する人が多いが、「浮気相手が水商売だと慰謝料が取れないとなれば、依頼を見送る人もいるだろう。我々の仕事が減りかねない」。
 「枕を重ねる」「枕を交わす」など、日本では古くから、男女の関係を「枕」を使って表現してきた。大辞泉(小学館)は、枕営業の意味を「契約成立の交換条件として顧客と性的関係を結ぶこと」と説明する。
 銀座の「枕営業」は本当に「公知の事実」なのか。クラブ歴7年のホステス(32)は「客とそういう関係になる話を聞くこともある」。売り上げのノルマを課す店もあるといい、「人によっては、客を呼ぶ有効な手段なのかもしれない」。判決については、「7年でしょ。ママには恋愛感情があったと思う。なければ続かない」。判決は確定し、ママは慰謝料から逃れた。でも、「ママはもう銀座では生きていけないのでは。だとすれば慰謝料以上のものを失った」。
 銀座歴42年のママ(71)は「人間だから妻子がいてもお客さんを好きになることはある。でも『枕営業』と言われるのは心外」と話す。知性と会話で客を楽しませてこそ銀座のプロとの意識があるからだ。ただ、好きな客と一緒にいる時は「楽しいという感覚。だけど、どこかで『店に来てほしい』とも思っている」。だから、不倫か営業かの線引きは「ファジーです」。
 商品が時に、男女関係の暗喩になる枕業者。「枕工房 待夢(たいむ)」(東京・神楽坂)を営む岡田晃さん(55)は、人生の3分の1を占める睡眠時間を良質にしてほしいと毎日、枕を売る。「枕営業」と聞けば、あまりいい気はしない。「枕への敬意に欠けてますから」
 
 日本も寂しい国になりましたね。
 夫の不貞行為を「不倫」として司法に訴えた妻も、「商売で肉体関係を持ったまで」と主張する銀座のママも、『対価を得て大人の関係を持つのと同様に、ママは商売として応じたに過ぎない。だから、結婚生活の平和は害しておらず、妻が不快に感じても不法行為にならない』との司法の判断も含めて、人間としての尊厳や倫理観があるとは思えません。また、妻に訴えられた社長も夫としての存在感はありません。
 
 こんな司法判断が出ることは、未成年でなければ売春行為も咎められず、営業であれば不法行為にもならないような錯覚を持つ人が現れても不思議ではなく、飲食店のママと男性客が繰り返し肉体関係をもったとしても、「商売として応じたに過ぎない」と「枕営業」の単語を使った判例は、生臭い前時代的な匂いがして堪りません。

                 本日の体重 69、9キロ 徒歩数 12689
         朝の血圧 139-73 脈拍 70 夜の血圧 111-55 脈拍 79
                                      6月3日の一言
 

6月議会 私の一般質問です

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「どうしたのかな?」

 
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 本日はヤフーブログが障害により表示されず、復旧を待っていると本日(6月2日)の一言が空白になる可能性があるため、とりあえずグーブログに書き込みました。
 平成16年2月より毎日記してきただけに、空白の一日は作りたくありません。

 昨日1日に開会した津島市議会は、来週11日と12日に開催される一般質問の通告が本日正午が締め切りとなっており、14人の議員が質問の通告を行い、私は13番目に通告したため、12日午後の登壇となりそうです。
※津島市議会では、通告した順番が質問順になっています。下記に私の質問通告書です。

質  問  通  告  書
 津島市議会議員  大 鹿 一 八 
 下記のとおり一般質問(個人)をしたいから通告します。
 平成27年 6月 2日
津島市議会議長 様
1 件名 高齢化社会の現状と問題点について
  要旨 ・津島市の現状と将来予測について
    
 
2 件名 生涯学習センター(旧アイプラザ)の利用について
  要旨 ・利用状況について
    
    
3 件名 津島市の市営墓地について
  要旨 ・市民より樹木葬・樹木墓地を要望されて
 
 
 1件目の質問は、高齢化社会の問題点を、医療・看護の不足、社会保障費の増大、介護負担の増大、生活年齢人口の減少の4点を中心として、津島市の現状と、5年後、10年後の予測について報告を求め、現在問題となっている事や、今後の取り組みについて質問します。

 生涯現役化を図ることが重要と考え、2050年に定年75才を実現することを目標として、高齢者の人材活用について問い、社会保障費の増大については、老人医療費の変化について過去と現在を対比させ、今後の将来予測と見通しについて質問します。また、介護負担の増大について現状把握について問い、交通弱者や買い物難民等についても質問します。

 2件目の質問は、愛知県から移管された生涯学習センターについて、利用状況と問題点について問い、市民から要望されている指摘と、人が集える施設環境を求めたいと質問します。

 3件目の質問については、津島市にお墓がありながら、子息が遠くで生活している人や、娘さんが嫁いで後継者が存在しない人から、自分の死後に後継者に負担をかけずに、安心して津島市を安住の地とできるように、「樹木葬」を要望する声があったことから質問に入れました。

 この問題については、平成24年6月議会でも、だれでも納骨できる共同墓地の設置を質問しており、行政の関わりは難しいとの答弁はあったものの、核家族が増え、後継者が無いものの、長年生活した土地で永遠に眠りたい心境を理解し、今後の研究課題にしたいとの答弁があったため、再度の質問となります。最近になり、愛知県の長久手市で樹木葬の設置がされており、津島市にも希望する声が存在するものの、広大な墓地としての土地も必要なことから、共同の納骨や共同墓地の設置を求める質問です。

 さて、4月に統一地方選挙が行われて初めての議会となり、もっと多くの議員から質問が通告されると思っていましたが、14人の登壇(議員定数20人)となったことは意外です。
                  本日の体重 69、9キロ 徒歩数 1万8958歩
                     血圧 108-75 脈拍 75  6月2日の一言
 

鳥のピーちゃんを中心に生活が廻っており

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 添付した植木鉢は、小松菜のタネが蒔いてあり、手前の大きい鉢は一週間前に蒔いた物で、小さい3個の植木鉢は3日前に蒔いた物です。
 
 一年前に愛雀ピーちゃんを保護し、しばらくしてから小松菜を与えることが必要と知り、畑や大きな植木鉢で栽培して、時には切り刻んで与えたり、コーヒーカップに挿して与えてきましたが、喰いついても持ち上がってしまい、喰いぎれず食べ辛そうにしており、最近は小松菜が痛んで水も腐ってしまうため、鳥カゴに入る小さな植木鉢で栽培してそのままカゴの中に入れた方が小松菜も成長して最後まで食べられるとの発想です。
 
 手前の植木鉢をそのまま入れようと考えていますが、ピーちゃんが食べ尽くしてしまえば、交換が必要になるため、更に小さな植木鉢にもタネを蒔き、今後は刈り取った小松菜ではなく、生きたまま新鮮な小松菜を与えられると思っています。
 
イメージ 2イメージ 3 他のネット情報でも見たことがありませんから、我ながら良いアイデアと自画自賛していますが、私が居るときはカゴを出すようせがみ、パソコンの周りを歩いたり、私のもとで居眠りしたりと一緒に生活しており、ここまで考えると部屋中を鳥の生活環境にしてしまうのが最高なんでしょうね。
 
 保護した直後は、死んでしまうだろうと思っており、鳥カゴも大きな物を選びませんでしたが、こうなると巨大な鳥カゴを入手して、カゴの中に盆栽を置いて食べる野菜まで植えてしまえば、カゴの中で小さな自然環境が造れそうです。
 
 本日、津島市議会では6月議会の本会議が開会し、来週の一般質問や、再来週の常任委員会など、公的日程が26日まで続きますが、この中で福祉有償ボランティアと、一年前から約束してあった高野山行きも予定されており、上高地でも知り合った仲間が待っておられ、私自身も四国遍路に赴きたい希望があることから、慌ただしい日々が連続していきます。

                 本日の体重 70、2キロ 徒歩数 1927歩
       朝の血圧 128-71 脈拍 74 夜の血圧 117-54 脈拍 79
                                     6月1日の一言
 
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