大鹿一八「本日の一言」

平成16年2月から令和1年7月末までの「本日の一言」です。ヤフーブログ閉鎖により、ライブドアへ過去の記録として引っ越しました。

2015年10月

ピーが逝って三日目となり

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 ピーちゃんが逝って三日目となりましたが、部屋に入ると主が居ない鳥カゴがあり、事務所に出ると保護した直後から半年置いてあった机があり、外に出ると日光浴をさせていた光景が思い出され、屋根で鳴くピーの家族と思えるスズメたちから涙が溢れてきます。
 
 屋根の巣から落ちなければ、親や兄弟たちと一緒に飛び回って、添付した稲穂も見たであろうと思われ、わずか1年半の事とは言え、ホームセンターに出向くようになったのも、ピーのエサや備品を買うためであり、毎日一緒に生活していたためしばらくは涙の溢れる生活が続きそうです。
 
 ピーのために備蓄した各種のエサと、ピーのためにミルワームを飼育まで始めたものの、元気になった虫を食べるピーが存在しないので、増えたミルワームを今後どうするのかも問題となっています。
 
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 「大鹿さんですよね?」
 「はい、そうですよ」
 「どうされたの?」
 「えっ、…」
 
 定期となっているウォーキングで、元気の無い私へ声をかけて下さる方が多く、説明すれば我慢しても涙が滲んでくるため、同行した家内が説明していると、余計に悲しくなって滲んだ涙が流れだしてきます。
 
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 ピーは外に連れ出しても逃げてはいかず、私の肩や頭から離れなかったものの、万が一を考えて稲穂の実る田んぼや、紅葉した公園や散歩には連れ出しませんでしたが、こんな結末を迎えるなら一緒に外に外出してタンポポの横に置いてやれば良かったのでしょうね。
 
 我家を訪問された人達に励まされて、仕事を創ってピーを忘れるようにしますが、しばらくは腑抜けの日々が続きます。

                                    本日の体重 70、9キロ 徒歩数11932歩
                                   10月31日の一言
 
 

一日中ピーちゃんから離れられず

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私の愛雀ピーちゃん 相棒リマとも最後のお別れです

 昨日亡くなったピーちゃんを、午後4時30分玄関前の門柱の横に埋葬しました。

 生きるものの宿命が悲しい別れとなります。昨年5月3日に我家の庭で保護したピーちゃんでしたが、私の不勉強でわずか1年半の寿命で終らせてしまったものの、この時にそのまま放置すれば3時間程度で死んでいたと考え、3時間の命を一年半に延ばしたと考えて悲しみをしのぎたいと思っています。

イメージ 2 目も開かぬ冷え切った真っ黒な肉片のようだったピーでしたが、無理やりエサを口に入れたところ、大きな口を開けてピーピーと鳴くようになり、保護した5日後に四国遍路に出かけたため、車に乗せて1時間おきにエサを与えて同行させ、今年7月にも四国へ連れていきました。

イメージ 3 今となっては懐かしい思い出となってしまいましたが、生きようとする生命力の強さに驚かされ、子供の面倒も見たことのない私に父親役を体験させてくれました。

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 こんな時もありました。

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 こんなことも…

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 こんなことも…

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 悲しみと涙で何も記せません… 
 さっきまでは、私の手の中に居たのに…

 しかし、ピーちゃんは、我家の屋根で生まれ、私の部屋で亡くなり、我家の玄関の前で我家の土となって生き続けていると思って生活していきます…

                    本日の体重 70、8キロ 徒歩数3323歩
                                    10月30日の一言

ピーちゃん逝く

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本日未明ピーちゃんが天国に召されました。

日々の生活に流されているものの

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午後6時45分 津島東高校の西方から

 本日夕方のウォーキング中に東の空を見ると、見事にまん丸の月が輝いており、満月かもしれないと持っていた携帯電話で写真に収め、帰宅後にネット検索すると昨晩が満月でしたが、今年はあと2回の満月と2回の新月で一年が終ると考えると空しさも実感させられます。

 無関心で不勉強な私にとっては、満月と新月の違いも説明ができず、改めて確認した次第ですが、約半月ごとに満月と新月が繰り返されて一年が経過しており、グアム島に潜んでいた旧日本兵の横井さんは、この月の変化で28年間の日時を確認していたと言い、28年で数日間よりズレが無かったことには驚かされました。


不登校の子がハロウィーン企画 「みんなで楽しい」
記事の続き
 福岡JCの担当の西島大輔さん(36)が、不登校経験のある高校生や大学生らでつくる団体「Fline(フライン)」に企画を持ちかけ、同団体の催しに参加している不登校の子ども10人近くが集まった。西島さんは「子どものためのイベントだから、子どもを巻き込みたいと考えた。みんなで何事かを成し遂げる経験は大切。楽しみ、達成感も含めて体験してもらえればうれしい」と話す。
 同市早良区の中学3年牧野春花さん(14)は小学2年の時、飛行機が落ちてくる怖い夢をよく見るようになったのがきっかけで母から離れられなくなり、不登校に。中学校でも不登校が続き、修学旅行には参加したが、運動会や合唱コンクールは一度も行かなかった。「先生に声をかけられても、周囲に『特別な時だけ来て』と思われるのも嫌だし、みんなの足を引っ張っちゃうんじゃないかと思って」
 将来の夢は保育士。「こうしてみんなでわいわいやるのは楽しい。貴重な経験だし、小さい子とふれあうのもとても楽しみです」。当日は子ども向けの遊び場でゲームの担当をする。
 イベントは31日午前11時~午後5時、小学生以下が対象で無料。問い合わせは福岡JCの西島さん(090・1114・6996)。


 本日の新聞には、不登校の記事とともにイジメに関する記事も掲載されていましたが、この問題は永遠に無くならず、永遠に繰り返されて新聞記事になっていくと思われるものの、学校のルールから外れれば簡単に回避できる問題かもしれません。

 私は不登校との意識はありませんでしたが、中学2年生の学期末に入院し、退院した時には3年生の新しいクラスになっており、それまでの空間と比較すると息苦しく、毎日家を出て行くものの、学校には行かずに自転車で遠出をすると、それまで親に連れてもらって行っていた場所に自分で行くことができ、やるべきことを放棄して自分の自由になる時間が病みつきとなり、それ以来「ズル休み」の常習者になってしまいました。

 同級生たちが教室で授業を受けている間に、自分は何も考えずに放浪する気分は最高で、今でも総ての責任を放棄して捨てたいと思う願望がありますが、家や部屋から出られない不登校は問題と思うものの、イジメに耐え、嫌でどうしようもない教師に怒られて我慢するばかりでなく、結果を考えずに外界に出ることも一つの選択と思われます。

 「やられたらやり返すまで帰ってくるな」が私の父親の教えで、最近はこんな教えは問題とされるかも知れませんが、イジメられたら教師や親に言うだけではイジメは無くならず、自分の手でイジメられない対応を考える必要があります。教師や親に訴えるより、周りを見渡すと簡単な解決策が存在します。

 もっとも、そんな対応ができないためにイジメを苦にして自殺する生徒が後を絶たないと思いますが、イジメはいけないものの、イジメは絶対に無くならない前提にたてば、無くすことよりも「やられたらやり返す」か「されない工夫」を指導していく必要を感じます。

 私は不登校体験だけでなく、高校の落第経験も、非行体験もあり、高校時代には強力な仲間が存在していたことから、学校にストレスを感じなくなり、学校に行くことが好きになっていきました。そんな経験も役に立つことをしばらく忘れていました。

                 本日の体重 71、5キロ 徒歩数 8594歩     
                                    10月28日の一言

名古屋第一赤十字病院へ出向いた家内に同行して

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 名古屋市の中村公園です。公園内には豊臣秀吉の出生地と伝わる「豊国神社」があり、隣に図書館があることから市民憩いの場所となっています。池の廻りには多くの高齢者が談笑されていました。

 
 さて、私はこの公園に憩いのために訪れたのではなく、家内が近くの名古屋第一赤十字病院(中村日赤)に紹介状を持参して検査を受けており、病院の待合室で待ち続ける強い精神力がないため、車を移動させて待機することにしました。
 
名古屋第一赤十字病院(中村日赤) http://www.nagoya-1st.jrc.or.jp/
 
 昨年7月より保健センターの管理栄養士さんの指導を受け、野菜など食習慣の見直しと、週3回以上をノルマとしたウォーキングなどで自分の生活習慣病を改善し、65才に肝臓ガンで亡くなった父親の二の舞いは避けたいと考えてきました。
 
 とにかく病院が嫌いで、注射が大嫌いなことから、病気にならないことを目標にしていますが、家内は全く無関心で、昨年まで健康診断を受けたことも無く、今年の胃ガン検診についても「昨年受けたから今年は止めとくわ」と受診もしませんでした。
 
 そんな横着なツケではないと思いますが、半月前に右脇腹が痛いと訴え、私のかかりつけ医を訪れましたが、愛知県出身の川島なおみさんが胆管ガンで亡くなった直後だったことから、医師は「大丈夫とは思うけど」との診断だったものの、CTスキャンや超音波エコーで写った胆のうの小さな影の原因を徹底的に調べることになりました。
 
 本日診断した中村日赤の医師に、胆のうに小さな脂肪片があるものの、極めて小さく急変するものではないと診断されたため、検査と診断結果を持ってかかりつけ医で定期的に経過観察を続けることになりました。
 
 とりあえず安心ですが、医師から「脂肪肝」と言われてショックを受けており、「そのために保健センターに行っているんだから相談してみろ」と伝えると、保健センターの指導は今月で終わったとの一言に、思い起こせば、私は指導者の監視の目がないとすぐにリバウンドしてしまうため、お願いして続けて指導を続けてもらっていたことを思い出しました。
 
 ただし、時々でも痛いと言われるとウォーキングや行動に制限が出るため、私だけでなく家内の健康も考えていく必要が出てきました。私が3日間家を留守にしたことにより、愛雀ピーちゃんが鳴いて私を呼ぶようになり、本日も一日中私の手や胸におり、相棒リマに関しては四国にも連れて行きましたが、家内が居ないとストレスを貯めるため我々の健康問題はペットにも影響を及ぼします。

 ペットのためにも健康であり続けたいと思う一日ともなりました。

                 本日の体重 71、3キロ 徒歩数 3428歩
                                   10月27日の一言
 

本日も遍路の打ち合わせに

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名鉄勝幡駅のホームです

 昨日までと言うよりも、本日未明に3日間の四国遍路から帰ったばかりですが、本日の午後には「歩き遍路友の会」の打ち合わせが名古屋市内であり、久々に名鉄電車に乗って名古屋市まで出かけてきました。

 来週の11月5日には知多半島の八十八ヶ所を会員で歩き始める予定となっており、知多の八十八ヶ所を遍路と思っていない私も会運営のため「健康目的」として参加するものの、あくまでも四国八十八ヶ所の歩き遍路のための準備運動で、遍路の目的を知多にしてしまってはなりません。

 過去に何度も記しておりますが、知多半島には史実に基づかない創作された言い伝え(嘘・知多半島に空海が来たことを前提とする作り話)を事実として宣伝しているお寺が複数有り、「空海が唐から持ち帰った法具」と僧侶に聞かされ、「持った手が震えた」と紙面に記してしまう朝日新聞記者も存在することは、オウム真理教と同質としか思えず、「四国と功徳は同じ」と説明する知多の公認先達が存在すると、四国遍路を知らないままに知多で終ってしまう人をつくっていきます。四国遍路は四国だけです。

 そんな想いを語りかけると、本日の打ち合わせも殺伐としてしまいますが、四国も体験しておられる人たちですから、知多の体験を四国遍路につなげていければと気持を切り分け、最後は四国遍路に花を咲かせて散会となりました。

 さて、20年前の火災により小学校6年生の娘を保険金目的で殺害したとして、無期懲役刑を受けて収監されていた両親が、和歌山と大分の刑務所からそれぞれ釈放され、無罪の両親を捜査段階で追い詰めた自白による判決で、子供を殺したと判断されただけでなく、8歳の息子は殺人犯の子供として親が不在で生活してきたことを考えると、冤罪に対する補償だけでなく、担当した捜査官や司法関係者の責任も問われないと納得もできません。

「やっと20年目にして…」 釈放の青木さん一問一答
記事の続き…
 ――いま一番したいことは
 娘のお墓に行きたいです。
 ――どんな言葉をかけたい
 助けてあげられなくてごめんね。でも、ママがあなたを殺していないことはあなたが一番知っていたでしょう。そして今日まで見守ってくれて、助けてくれてありがとう。(ハンカチで目頭を時折押さえる)
 ――(黄色の)服装の理由と、警察や裁判所に言いたいことは
 娘が好きだった色の服をずっと着たいと言っていたので、この黄色(の上着)と黄色の髪のシュシュを用意してもらいました。
 警察には初めの捜査の間違い、初めからしっかり事故の火災の原因を調べてくれていたら、こういうことにはなっていなかったと思います。
 息子と20年離れた期間はいくら謝ってもらっても取り返すことはできません。息子との時間を奪われたこと、娘の(亡くなった)悲しみを普通に味わうことができなかったことは警察・裁判所の責任だと思います。
 しかし、再審(請求審)になって、やっと真実に目を向けてくれる裁判官たちに出会えて勝てたことが、本当に裁判官の中にも、きちんと審理してくれる裁判官がいるんだなと感謝しています。
 ――息子さんにはどのように声を
 本当は(高裁の)再審開始決定が23日に出て、24日には息子の誕生日を一緒に祝えると思っていたのですが、釈放の日が26日と聞いた時は本当につらくて夜泣きました。誕生日は遅れたけど、20年分の誕生日を祝ってあげたい。もう一度、20年前の捕まった当時からやり直したいと思います。

小6死亡火災再審、母親ら午後釈放へ 検察側の異議棄却

 殺人事件が日常的に発信されている中で、本日の釈放まで冤罪を訴えていた両親が存在したことも認識していませんでしたが、本日も東京の日野市で男子小学生が殺害された事件がおこっており、憎むべき凶悪犯人には厳罰を処していく一方で、無罪の可能性のある者まで十分な証拠に基づかないまま量刑を科す反省も重要と思われます。

                   本日の体重 71、8キロ 徒歩数 8465歩  
                                     10月26日の一言

四国遍路第3日目

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 四国最終日は、第50番繁多寺からスタートとなり、朝早いので出会えないと思っていた「アイスクリン」屋さんの姿はありませんでしたが、参拝後に納経を済ませて駐車場に戻ると、リヤカーに商売道具を積んだ親父さんが登場し、しばらく待ってアイスクリンを食べていると、親爺さんが孫に食パンを下さり、池に投げていると大きな鯉やカモが寄ってきました。

 お遍路より、お寺に金魚や魚がいるかに関心のある孫には、このお寺とアイスクリンの親爺さんは忘れられない存在になったと思います。そして、そんなことでお寺や遍路と関われればと思っています。

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 さて、次は四十八番西林寺の参拝後に、紙で作ったアクセサリーの「ご接待」を受けた家族の写真で、四国では「お接待」が自然な文化となっており、この後にも第46番浄瑠璃寺でも、食べ物のご接待を家族全員で受けました。

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 明日は孫の保育園や、我々にも仕事があるため、本日の巡拝は第60番から44番太宝寺まで逆打ちして午後1時に巡拝を終えて名古屋を目指しますが、旅の疲れは香川県の「たかせ天然温泉」で落として、一目散で帰宅していきます。
 
 果たして何時に名古屋市まで到着するのでしょうか。

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高速道路川之江辺りの風景です

          本日の体重は不測定  徒歩数 現在(午後5時)6891歩 
                                     10月25日の一言


四国遍路第2日目

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 本日四国八十八ヶ所霊場一番目の巡拝は、高知県足摺岬にある第38晩金剛福寺となり、子供先達の孫も一所懸命に参拝しましたが、魚に興味がある孫は、境内の池で元気良く泳ぐ鯉や金魚の方が関心事となり、山門近くにある海亀の石像を気にいった様子で、「このお寺とカメを忘れるなよ」と伝えました。

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 第40番観自在寺では、地元愛南町の高校生が「お接待」をしており、家族全員にお茶とお菓子をサービスしてもらい、このお接待が「お腹が膨れてしまった」と、昼食は遅くなっても良い位の食感を味あわせてもらいました。
 感謝のワンショットです。
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 現在は愛媛県宇和島市に合併していますが、元々は津島町があったことから、ここを通ると私の住む愛知県津島市と錯覚してしまいそうな雰囲気があり、「津島の特産」として大きな横断幕を発見し、店の中には津島名物の「花しょうぶ」や、「大うなぎの里」も販売されていました。

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 本日は第38番金剛福寺から第43番明石寺まで巡拝し、魚が好きな孫のために、別格8番十夜ヶ橋に立ち寄り、橋の下に野宿された弘法大師の伝説の地に行き、川の鯉とハトに餌を与えて本日の打ち止めとしました。

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ながーい一日となりました 私の影です

 本日の宿は、JR松山駅前にあるゲストハウスカサブランカです。一室借り上げてあるため、ホテルや旅館よりゆったりとしており、近くにある天然温泉「キスケのゆ(湯) 」で入浴し、館内の食事処で豪華で安価な夕食のため明日の体重が心配となります。
 四国は、宿泊場所と温泉が多彩になっていることから、経済的には今までの2倍は四国遍路に来れそうな気持にさせられました。新たな「お気に入り」発見です。

ゲストハウスカサブランカ http://casablanca-hotel.jp/
オーナーのご挨拶 http://casablanca-hotel.jp/message/

天然温泉キスケのゆ http://www.kisuke.com/yu/

                  本日の体重 69、98キロ 徒歩数 7121歩
                                     10月24日の一言

四国遍路で大先輩と奇跡的な再会になり

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 世の中にはありえない話や、びっくりする偶然に驚かされることがありますが、本日の四国での出会いは、まさにびっくりの再会となりました。

 写真の男性は、愛知県瀬戸市在住の葛原さん(75才)で、私が会員となっている歩き遍路友の会東海の先輩会員で、9月に開催された総会で、遍路の野宿の体験を教えていただいたばかりで、高知県の第36番青龍寺を参拝後の道路で見慣れたキャリーを引かれる姿を見つけました。

 本当に奇跡的としか思えない再会で、こんな重い荷物を引っ張って歩くお遍路さんは珍しく、この日も野宿して歩き出したと聞き、9月の総会でキャリーの車輪の磨耗対策について聞いていたため、もしやと車中から眺めて車を停めて感動の再会です。

 こんなことはありません…信じられない再会ですが…
 いや、あるんですね。こんなことが…

 私は四国遍路で会うことの無いと思われる名古屋の人との出会いが何回もあり、その偶然にお互いがびっくりして、いつもその話の繰り返しとなります。

 それにしても、恐るべき体力と信念ですね。私の得意技は車のジェット巡拝ですが、葛原さんは布一枚のテントの下で、およそ千四百キロある四国を自分の足だけを頼りに歩いて結願を目指しておられるんですから。
 友の会にとっても、びっくりの話題です。

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歩き遍路友の会東海のブログ http://blogs.yahoo.co.jp/s281218_0417


四国遍路第1日目

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 私の菅笠の下で強い陽射しを避けている相棒リマです。思わず笑っちゃいました。

 本日は高知県安芸郡の八十八ヶ所第27番神峯寺(こうのみねじ)を午前7時に参拝し、南国市、高知市から四万十市の第37番岩本寺まで巡拝し、オートキャンプ場の「とまろっと」のキャビンを宿として、隣接する天然温泉の「いやしの里」で入浴と夕食をとりました。

オートキャンプ場とまろっと http://www.tomarotto.com/
四万十いやしの里 〒787-0155 高知県四万十市下田3370

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八十八ヶ所第27番神峯寺 大師堂

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第31番竹林寺の石段

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第36番 青龍寺 
          横綱朝青龍が
                                 高校時代に足腰を鍛えた石段です

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本日最後の参拝となった岩本寺

                 本日の体重 69、8キロ 徒歩数 103430歩
                                    10月23日の一言

四国遍路の準備の一日になり

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 明日から3日間の予定で家族と四国遍路を巡拝するため、本日は深夜に自宅を出発しますが、その前にオイル交換に走りました。
 9月に車検があったので、うっかりしていましたが、四国滞在中にオイル交換の時期を迎えるため、ちょっと早いものの安心して走りたいので、地元のカーショップ「ジェームス」にあわてて走りました。
 
 普段は2階の休憩所で待っているのですが、今日は空いているため30分程度で終わると聞き、車が正面に見えるドリンクコーナーで待っていると、まるで自分の健康診断を受けているような感覚になり、今すぐに出て行って問診に応えたい心境になるのを抑えて待ち続けます。
 
 出発直前のオイル交換と点検のため、万が一異常があったら行けないとか、直ぐに直るのかと余分なことを考えてしまいますが、無事終了となり慌てて帰宅です。
 
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津島市今市場町の県道名古屋線です
 
 私のお遍路は、朝7時から午後5時過ぎまで巡拝し、宿はその後の順路で次のお寺の近くに宿泊するため、宿の良し悪しは気にしませんが、6人のうち6歳の孫以外は全員女のため、予め宿を予約しないと心配して落ち着かないため、今回は予定する行程の先に2日分の宿を予約しているものの、予約することはその日にその宿に着かないといけないため、今度は運転手のストレスともなります。
 
 一方で、明後日は行楽シーズンの土曜日のため、予定する松山市内のホテルはほぼ満室状態で、6人の宿泊は高額となるため、必死に安い宿泊場所を探しましたが、私は相棒リマが車中に居るため、相棒とともに車中泊となります。
 
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 さて、相棒リマは私の横で寝るため車中泊は馴れたものですが、息子たちが居るものの、自宅で留守番となる愛雀ピーちゃんは、過去にも留守番の経験はありますが、最近は私の手の中か腕の中に居るため、今晩からの3日間は心配の種となっています。
 
 夜の冷え込み対策は保温灯で大丈夫と思われますが、「日中の温度は大丈夫か」、「夜型なのに日の入りと一緒に部屋が暗くなるが大丈夫か」と心配となり、テレビの音量を低くしてつけっぱなしにしようかとか、あれこれ考えますが、連れていくことはできない(過去には2回連れて行きましたが)ため、ピーちゃんだけでなく私にとっても試練の3日間となります。
 
          本日の体重 70、8キロ 徒歩数 2383歩+夜の歩行分
                                     10月22日の一言

ボクは坊さんの上映が始まり

 四国八十八ヶ所第57番栄福寺の白川密成住職が原作者となる「ボクは坊さん」が映画化され、今週末の24日(土)から全国で上映されますが、四国エリアでは先週より公開されており、テレビ画面からも映画のコマーシャルが流されています。

 10月1日付で発行された四国八十八ヶ所霊場会の監修する四国遍路の情報紙「へんろ」に紹介されていたことから心待ちにしていた作品で、私が出かける中川コロナでは上映されませんが、我家の前の県道を走るバス路線で直接行ける名古屋市の伏見ミリオン座で上映されるため逆に便利と思われます。

伏見ミリオン座 愛知県名古屋市中区栄1丁目4番16号  電話 052-212-2437
          地下鉄東山線・鶴舞線伏見駅6番出口より次角右折徒歩1分

愛媛)「ボクは坊さん。」、あすから上映
記事の続き…
イメージ 1  ロケの多くが市内であった。撮影は栄福寺の境内のほか、市内の鈍川温泉、中華料理店やバーなどでもあり、白川さんや市職員らもエキストラで出演した。白川さんは伊藤さんに僧侶らしい所作を示して「演技指導」もしたという。

 白川さんは栄福寺で生まれ、育った。高野山大学の密教学科を卒業。いったんは市内の書店に勤めたが、住職だった祖父の死後、01年に24歳で跡を継いだ。
 白川さんは「宗教を難しい言葉ではなく理解できる映画です」と話している。
 
「ボクは坊さん」公式サイト  http://bosan.jp/

映画の解説 映画com引用
イメージ 2愛媛県今治市にある四国八十八カ所霊場の第57番礼所・栄福寺の住職・白川密成氏が、糸井重里氏が編集長を務める「ほぼ日刊イトイ新聞」で連載し、後に書籍として出版もされた実話エピソードを映画化。住職だった祖父の死をきっかけに書店員の仕事を辞め、自らも24歳で住職になった白川光円。初めて知る住職の世界は奥深く、毎日が驚きの連続だった。光円は、檀家の人たちとの関係に悩み、冠婚葬祭で人々の人生の節目を見守り、様々な経験を積むことで成長していく。主人公の僧侶・白川光円は「映画 ビリギャル」「踊る大捜査線」の伊藤淳史。共演に山本美月、溝端淳平、濱田岳ら。「ALWAYS 三丁目の夕日」で知られる制作プロダクションのROBOTが手がけ、同社所属の映像クリエイター、真壁幸紀が長編映画監督デビューを果たした。

 明日の夜には愛知県を出発して、23日(金)から25日(日)まで四国八十八ヶ所を巡拝し、高知県の第27番から愛媛県まで巡拝する予定ですが、映画の舞台となる栄福寺は既に娘たちが巡拝を済ませているため素通りとなるのが残念でもあります。
 四国遍路に行く人の目的は様々ですが、映画の主人公となった栄福寺の白川住職だけでなく、厳しい修行をされた魅力ある人々が納経所におられ、何気なく話す会話や雑談の中から教わることも多いことも遍路のお薦めになります。

四国八十八ヶ所第57番栄福寺 http://www.88shikokuhenro.jp/ehime/57eifukuji/

 さて、本日は町内にある真言宗の弘盛寺で開催された「阿息観」に参加していましたが、阿息観の指導だけでなく、真言密教に伝わる呼吸法や、お寺や大日如来など仏道に関する話に花を咲かせてから帰宅しました。

 愛知県は浄土宗や浄土真宗のお寺が多く、檀家がお墓参りや先祖供養しかお寺に行きませんが、真言宗では毎月21日に行事が行われており、前記した弘盛寺では1日にも誰もが参加できる行事が行われています。

                 本日の体重 71、4キロ 徒歩数 2787歩
                                   10月21日の一言

ネット不調により過去の一言を振り返って

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 昨日の一言に、「無線ランWi-Fi機能の不調に時間を浪費して」と題した記載を行いましたが、我家は地元の有線テレビ局とインターネットのサーバー契約をしているため、パソコンやネットに不具合があると、有線ゆえにパソコンに詳しい知人のアドバイスがそのまま生かされないことがあり、今回もそんな単純な不具合で、訪問してくれた知人には大きな迷惑をかけてしまいました。

 私は上高地や四国遍路に出かける時のために、一番低額の設定ですが「OCNモバイル」と契約しており、携帯電話と固定電話はソフトバンクと契約して、携帯電話でもネットができておりメールもヤフーを使っているため、周りから「ヤフーBB」や「OCN」に移行することを勧められますが、過去に書き込んだ記録や、ホームページのアドレスの関係で移動ができません。

 無線ランWi-Fi機能の断線は一週間前から続いていましたが、前記したように「OCNモバイル」と契約しているため、何事もなくネット生活が持続しており、外出時は携帯電話からパソコンのメールも確認でき、ブログも発信できるため支障はありませんでした。

 さて、私は平成16年2月に初めての一言を記しましたが、過去の本日付の一言を読み直したところ、当初は議員として選挙や政治活動に関する記載が続いていたものの、最近は我家のペットや孫、四国遍路とか上高地など趣味や趣向に関する記載に変わってきています。

祖父江町会議員選挙個人演説会場で…平成16年2月13日のつぶやき

 今回の無線ランWi-Fi機能の不調は、1ケ月前からプリンターのWi-Fi機能も不通になっているため、新しい機器に交換しようかと覚悟を決めていましたが、新しいパソコンを入れても過去のパソコンを予備として残してきたために、総てのパソコン(現在デスクトップ2台、ノートパソコン3台)の設定を変えるのは大変な労力となってしまいます。
 新たにデスクトップ1台を入れ替え、ノート型1台と2台だけで運用する必要がありそうです。

高野山 町石道を金剛峯寺まで …26年10月20日
週刊朝日は売れたものの…24年10月20日
監視が厳しい私の事務局長に…23年10月20日
漫画の教育的効果に感心して …22年10月20日
行動しないと反応も返ってこない…21年10月20日
不正の改善を市民の足かせにしない…20年10月20日
矢合観音と3ケ寺めぐり…19年10月20日
名古屋市より津島市の方が親切…18年10月20日
      http://www1.clovernet.ne.jp/oshika18/contents14.htm#161020

 本日の夜開催された書道会は、平成6年の秋から毎週火曜日の夜に開催してきましたが、恩師が書き記した手本を総て残してあれば貴重な手本になったと思われますが、10年後から始めたこの一言は総て残されており、毎日記してきた一言を読み直すしていくと、自分の主張にも年齢とともに変節していることが判り、忘れていた新鮮な気持ちも思い起こさせてくれます。

                  本日の体重 71、3キロ 徒歩数 1884歩
                                     10月20日の一言

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無線ランWi-Fi機能の不調に時間を浪費して

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 秋の夕暮れは感傷的になりますが、一年中で一番美しい夕暮れを演出してくれます。本日午後5時30分の津島市宇治町の夕暮れです。

 1ケ月前よりパソコンのプリンターのWi-Fiワイファイ)機能が不能となり、パソコンのお世話になっている知人に連絡すると、「直接パソコンを直結して使えば」との一言で、パソコンをプリンターの所まで持っていって使用しています。

 家の何処でパソコンを打ち込んでも、プリンターのWi-Fi機能により楽に印刷してきましたが、Wi-Fi機能が利用できないことの不都合を不都合と思わなくなってきたものの、今度は一週間前よりパソコンの無線ランのルーターが故障して、インターネットとの通信が不能になりました。

 幸いにして、四国や上高地に出向いた時の通信手段として、低額で利用できる無線LANとして「OCN」の端末を持っていたことから、最近はこの「OCN」の端末を利用してインターネットを使用してきました。

 ただし、低額の契約のため通信の情報量に限度があり、スピードが遅いだけでなく、容量の大きい情報や動画には限度もあり、新しい無線ランのルーターを購入しようと考えていると、故障した無線ランのルーターと同じ機器を持っている知人が存在し、故障した機器と交換して取り付けてくれることになり、本日の夜に来てくれました。

 しかし、交換したものの、接続はしているのに肝心のネットとは交信ができず、何をしてもネットとつながらず、無意味に時間ばかりが経過して、後日に仕切りなおしとなりましたが、プロバイダーのモデムも含めて、何が不調なのか原因そのものが判らず、新しい無線ランのルーターを購入する前に配線そのものの確認が必要になりました。

 プロバイダーのモデムから直接パソコンにつなげばネットがつながるものの、これを無線ランのルーターを経由するとつながらず、同じ作業の繰り返しが数時間の空白を作り、訪れた知人にも達成感のない苦痛を与えてしまいました。デスクトップ2台とノート型3台の旧式のパソコンを酷使するネット生活ですが、最新式のネット環境への更新が必要になっているものと思われます。

「小渕氏に法律上の責任ない」 政治資金問題で第三者委
記事の続き…
 元秘書への判決によると、小渕氏の資金管理団体「未来産業研究会」では過去に慶弔費などの支出を記載せずに収支のずれが生じ、それを解消するため、2009~13年分の収支報告書で地元・群馬の政治団体に計約5600万円の寄付があったと装った。さらに、群馬側の政治団体の収支報告書でも、観劇会の収支について計約2億円分、うその記載をした。
 第三者委の佐々木善三弁護士は、元秘書2人による虚偽記載を認めたうえ、「悪質性は明らかだが、元々あった収支の乖離(かいり)を処理するための責任感・義務感の強さが虚偽記載に結びついた」と話した。
 小渕氏は、群馬県渋川市内で20日に開かれる会議で元秘書の事件について支援者に説明する予定。

 これは酷い幕引きになりそうです。この事件では、元秘書2人が政治資金規正法違反の罪で在宅起訴され、東京地裁が今月9日、執行猶予付きの有罪判決を出しており、小渕氏自身は知らなかったとしているものの、「小渕氏に法律上の責任ない」とした第三者委員会は、小渕氏自身が依頼した弁護士や税理士で組織されていると報道されており、自分の事件を自分の依頼した委員会で「責任なし」とする結論が通用するはずがありません。

 この事件は、後援会のこととは言え、多額の資金が観劇会を通じて有権者の手に渡っており、この行為によって間違いなく選挙の投票数に影響していると考えれば、選挙時に候補者が知らない場で違反行為があっても連座制で失職する可能性を考えると、こんな結論で済まされることではなく、社員が犯した罪でも責任をとる会社の上司や社長だけでなく、全く知らないような末端の組員が犯した罪でも逮捕される暴力団の組長はたまったものではありません。こんな甘さも圧倒的多数を背景とした政権の驕りとしか思えません。

                  本日の体重 71、3キロ 徒歩数 5467歩
                                    10月20日の一言

横井庄一企画展が開会されており

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 昨日の17日から11月29日(日)まで、名古屋市博物館にて「横井庄一さんのくらしの道具」展が開催されています。

企画展 横井庄一さんのくらしの道具

 午前9時30分~午後5時(入場は午後4時30分まで)
 休刊日 10月19日(月) 26日(月) 27日(火)
                 11月 2日(月)  9日(月)  16日(月)  24日(火)
 拝観料 一般300円 高大生200円 中学生以下無料

 横井庄一さんは大正4年(1915)3月31日、愛知県海部郡佐織村(現愛西市)に生まれましたが、両親の離婚によって、生まれた直後に母親の実家となる私の家に預けられ、小学校5年生の時に母親が再婚して横井家の養子になるまで、大鹿庄一として我家で、私の祖母となる従姉妹2人と伯母となる母親の姉の3人とともに4人で生活していました。後に私の伯父や父親が生まれていますが…


 昭和47年1月に、旧日本兵として、グアム島の密林で28年ぶりに発見された当時、私は高校生で、横井庄一さんの存在も知らず、帰国後の10月に我家の法事に訪れた横井さんと初めて対面した時も、遠い親戚程度に考えており、私の生まれる28年前まで我家の家族として生活していた大鹿家のご先祖様とは思ってもいませんでした。


 私にとっては横井さんは、家族や親族が大反対した家内との学生結婚に唯一の理解者として、私の父親を説得して家内の両親に会いに行き、自ら結婚式の仲人を引き受けてくれた大恩人ともなりました。

 横井さんは平成9年に他界していますが、平成18年に横井庄一記念館が開館しており、夫人である館長とは、没後50年となる平成59年までは記念館を存続させていく約束をしており、高齢となっている夫人が亡くなった後にも記念館を存続させるための後継問題も急務となっています。

 今回の企画展は、横井さんが生まれてから100年になることから企画されており、博物館が保存するグアム島から持ち帰った道具を見られる機会もしばらくはありませんから、是非ともご覧いただきたいと思っています。

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横井庄一記念館公式ホームページ
公式ブログ
横井庄一記念館・明日への道 http://blogs.yahoo.co.jp/oshika59


                  本日の体重 71、3キロ 徒歩数 5175歩

                                    10月18日の一言

本当に細かい…消費税の繰上げ料金について

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 「おい、オレはいくら払えば良いんだ」
 「490円」
 「そこに消費税がいるから」
 「じゃー、500円払っておくから…」
 「それじゃー30円足りない
 「面倒だなァ、千円払っておくわッ」
 「それも払いすぎだから…」
 「オレは422円だから」
 「そうすると、端数がおかしいぞ」

イメージ 2 昨日は高山市まで出かけており、昼食は私の勧めでジョイフルに入りましたが、税込みで530円の食事3人分と、422円の1人分をそれぞれが出したテーブルを見ると、2012円が集まったものの、請求書の伝票は2009円のため、3円の浮いた差額があり清算ができません。

 ジョイフルの店員さんに聞くと、コンピューターが出したから間違いがないとの返事で、説明とはならず、税抜きの料金総額に、消費税8パーセントを足したとは推測した(老眼のため老眼鏡が無いと見えません)ものの、メニューに税込みの料金が表示してあるため、それぞれが支払った総額は実際に支払う料金とは違ってきます。

 「そんなことどうでも良いだろう」
 「説明ぐらいできないのはおかしい」
 「安いんだったら良いじゃないかァ」
 「いや、安いとか高いの問題じゃない」
 「おまえも難しいなぁ」

 要するに、メニューの単品については税込み料金が表示してあるが、食事後の支払いは税抜き料金の総額に消費税分を足して支払うことになり、そのことを店員さんが説明できないことが問題と思います。

 一方で、消費税は国に支払う税金ですが、今回の場合に税抜きの総額は1860円で、この金額に8パーセントの消費税をかけると、厳密には伝票に記された消費税149円ではなく、正確には148,8円となり、たとえ0,2円と言えども税金を切り上げて消費者に負わすことは絶対におかしいと思われます。

 私自身は税金に詳しくはありませんが、全国展開するジョイフルが1円以下の金額と言えども、繰り上げて支払いを求めて、総合計した売り上げに単純に8パーセントを支払うとしたら、税金からの差益が発生することにもなります。このあたりの1円以下の切捨てや繰上げがどうなっているか、我々顧客に問われても応えられる社員教育は必要に思われます。

 「コンピューターが計算しているから間違いがない」との答えは、真剣に顧客の質問に応えているとは言えず、今回の0,2円とは言うものの、返金できない消費税の繰上げ請求分の納得はできません。

 旅先の高山市で、使ったこともない携帯電話の計算機を、老眼鏡を使って出した僅かな差額に、メニューの税込み料金よりも3円安くなっていることと、ジョイフルが元々低料金のため誰も不満には思わないものの、久々に頭の体操となる一日になりました。

 本日は津島市議会の「議会報告会」が開催されており、会場の割には少人数の参加しかありませんでしたが、日頃から行政に批判的な市民の参加がなく、ボランティア等で行政と関わりのある人々との意見交換は、地域で悲鳴をあげてあられる人々の声が伝わらず残念と思う一日ともなりました。

                 本日の体重 71、9キロ  徒歩数 2375歩
                                    10月17日の一言

高山市の柏木工本社ショールームまで

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本日の岐阜県「せせらぎ街道」の紅葉の様子です。

  かつて、津島市に営業所のあった「柏木工株式会社」の関係者が、岐阜県高山市の本社と新築されたショールームを訪問することになり、私は都合で行けないことになっていたものの、運転していく知人は80歳に手が届くことから、「事故でもあったらどうするの」との家内の一言で、予定していた行事に代理を依頼して同行することになりました。

 「もっと車間距離をとったらどうですか?」
 「大丈夫、大丈夫」
 「あっ、危ない !! 
 「何が、危ないんだ !! 
 「運転、代わりましょうか?」
 「何ともないから大丈夫」
 
 車の運転に自信のある人ですが、年齢による衰えは隠せず、車間距離が短いため急ブレーキの繰り返しで、後部座席の知人からも「危ない」の一言が出るものの、本人には危ないとの意識は皆無で、助手席の私が胆を冷やしての同行です。

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 柏木工の本社を出たのが午後4時近くなっており、高山市を訪れながら観光どころの話ではなく、「せめて足湯でも」と高山駅に近い「高山桜庵」を訪れたところ、足湯には複数の外国人(欧米人)が入っており、無料の後ろめたさが吹き飛んで4人でゆっくりと浸かってきました。

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 このホテルは純和風の施設のためか白人系外国人のお客さんの人気があり、本日訪問した「柏木工」の高級家具も置かれているものの、貧乏旅が得意な私には縁の少ないホテルともなりますが、このホテルの展望内風呂は建物の最上階(13階)にあり、昼間は北アルプスの景色を一望でき、冬には白銀の高山の街並みを見下ろす絶景の天然温泉ともなっています。

 ちなみにこのホテルのお薦めは食事で、飛騨牛や地元の新鮮な食材が使われ、食べ放題のデザートや、夕食と遜色ない朝食バイキングは翌日の昼食が食べられないほどの満腹感を味わうこととなります。

高山桜庵  岐阜県高山市花里町4-126  0577-37-2230 

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 紅葉にはまだ早く、10日くらい後がお薦めになりそうですが、「ひた清見紅葉まつり」は今月25日に開催されます。上高地の閉山まで1ケ月となりましたが、道中となる高山市の旧丹生川村や「せせらぎ街道」も見事な景色を演出してくれそうです。

                  本日の体重 71、8キロ 徒歩数 4857歩      
                                    10月16日の一言

三男が貰った軽自動車の名義変更へ

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 秋日和と言う言葉がひったりの季節となり、朝晩が冷え込むようになりましたが、朝晩の空も見事な芸術作品のような景色を見せており、写真は本日午後5時過ぎの空ですが、連日風景画のような見事な夕暮れを見せてくれます。

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 添付した車は、家内の姉が乗っていた軽自動車で、新しい車に買い換えたため、我家の三男が貰って乗ることになり、一週間前に三重県から我家に持ち帰っておりましたが、本日は名義変更に名古屋市港区の「軽自動車検査協会」まで行ってきました。

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 たかだか名義を変更するだけに、高額な手数料を支払うのももったいないと、家内が手数料を三男に貰う約束で代行することになりましたが、事前に電話で情報を入手していたものの、三重県の姉の自宅と、申請する名古屋市港区が離れているために、委任状や納税証明など「たかだか」とは言えない苦労がありました。

 名義変更などを自動車の営業所に委託すると、1万円程度の代行手数料が必要になりますが、委任状や譲渡証明書など各種証明書は自分で集める必要があり、すべて集めてしまえば持って行くだけのため、時間がある人はやってしまえば簡単です。

 私の住む津島市の場合は、普通車については名古屋市中川区の愛知運輸支局に出向きますが、軽自動車は港区の「軽自動車検査協会」で申請や検査が行われており、軽自動車の場合には普通車のようにナンバーが封印されていないことと、認印で手続きが済むため業者任せにする必要はないと思われました。
 ただし、多くの人が順番待ちしているため、時間の覚悟は必要となります。

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 さて、新しいナンバーを貰ってきて、車に付け替えましたが、11月に車検の切れる三男の「スターレット」は、同級生の親父さんが使用していたものの、高齢になって運転されなくなったため、廃車する車を貰ってきたもので、このように知人や親族の車を有効使用すれば資源の有効活用になるばかりか、経済的負担も少ないため、使用した愛車を手から手へとバトンすることはお薦めです。

 ちなみに三男は25才になりますが、家内の車や貰った車を使用しているため、車を買ったことがなく、任意保険も私のままになっており、本日の名義変更も家内がやったとなると「手間賃」もくれませんから、今回の名義変更を機に自立意識を持ってもらうことにも期待しています。

                  本日の体重 71、9キロ 徒歩数 2901歩
                                    10月15日の一言

原発は環境汚染産業…小泉元首相の言葉

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 安保デモについて、「自分の思うところを発言し行動すること」は、民主主義社会では当然と題した小泉元首相の言動が記事となり、「そういう多くの意見に政治家は常に耳を傾けていかなきゃいけないと思っている」との松山市の9月の発言や、今月に掲載された朝日新聞記事が、脱原発発言とともに週刊誌の話題となっています。

安保デモ「民主主義社会では当然」 小泉元首相

 国民だけでなく、憲法学者や学識者も首をかしげる安保法案から、原発再稼動や沖縄の辺野古移転問題など、国会の圧倒的多数を占める議席を背景にして、国民の声や学者の意見を無視した安部首相の独走が止まらず、沖縄基地問題では官房長官に任せて議論の場にも出てきません。

 圧倒的国民人気に支えられた小泉元首相についても、引退後には劇場型政治などと批判する人も存在しますが、小泉さんは厚生大臣時代から視線の先は国民に向いており、郵政民営化についても自分の信念だけでなく国民の支持が伴いました。

「原発は環境汚染産業」 小泉元首相、再稼働を批判
記事の続き…
 原発再稼働を推し進める安倍政権に対しては「原発推進論者の意向に影響を受けている。残念だ」と批判。今年3月、首相経験者による会合の席で安倍晋三首相に「原発ゼロは首相の決断一つでできる。こんないいチャンスはないじゃないか」と直接迫ったことも明らかにした。
 米国と原発推進で歩調を合わせていることには「日本が『原発ゼロでいく』と決めれば、米国は必ず認める。同盟国であり、民主主義の国だから」と述べた。
 原発ゼロを掲げる政治勢力を結集するための政界復帰は「まったくない」と否定。ただ、原発政策が選挙の争点にならない現状について「争点になる時は必ずくる。その時に候補者自身がどう判断するかだ」と強調し、原発ゼロの国づくりをめざす国民運動を「焦ることなく、あきらめずに続けていく。そういう価値のある運動だ」と決意を示した。

 東日本大震災から4年が経過したものの、未だに多くの福島県民が自宅に帰れず、福島第一原発の汚染水の流出すら止められないばかりか、汚染したゴミの処理もできない現状下にありながら、川内原発が再稼動されていく政権には国民の生命がないがしろにされているとしか思えません。

 安保問題や基地問題については、安部首相には祖父の無念を晴らそうと意固地になっているとしか思えず、何でも米国と一蓮托生の政策は、過去の米国を中心とした過去の国際状況下の意識から進化しておらず、米国の指導力低下と中国の台頭や国際テロの存在を考えると国益につながるとはかぎりません。

 さて、核廃棄物の処理方法が確立しておらず、事故が起これば多大な経済的損失や、国民の命に影響する危険性と、原発が稼動していなくても電力不足にならなかった現実、風力や太陽光による発電量の増加などを考えると、「原発は環境汚染産業」と言う小泉元首相の発言を聞くまでもありません。

 夏が過ぎ、秋の気配が強まるとともに、太陽の沈んでいく夕暮れにも感動を覚えますが、未だに自宅に帰れない原発の被災者や、自然豊かな自然環境を核に汚染されたゴミの保管場所に決められた人々には恨めしい風景に映っているのかもしれません。安部政権の独走のついたてとして、小泉元首相の発言に注目していきたいと思います。

                  本日の体重 71、3キロ 徒歩数 9367歩
                                    10月14日の一言

ピーちゃんの飼育日記です

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 本日の「ピーちゃん」です。

 私が事務所に顔を見せると、食べ物が一番かもしれませんが、その前提として鳥カゴから出ることを当たり前としており、私がエサを出すのを観察しながら、私が差し出すエサを私の手の平で食べはじめます。

 一番の好物は「ミルワーム」で、以前は生餌と缶詰の「ミルワーム」を交互に与えていましたが、現在は生きた「ミルワーム」しか与えていません。
 「ミルワーム」を一番と記しましたが、甲乙つけ難い好きなオヤツは「ハチミツ」で、基本的に「ピーちゃん」は甘いものが好きなため、クッキーやビスケットも好んで食べており、好きでないカルシウムを与える時に「ハチミツ」をまぶすと食べてくれます。
 
 もっとも、好きだからと甘いものばかり与えると糖尿病になってしまうため、最近は気をつけて与えるようにしていますが…  最近はバターピーナッツの粉や、あられの粉も好物としています。
 
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 そんな「ピーちゃん」の心配事は、夏ごろから羽が生え変わろうとしているものの、うまく羽が抜けないためか、羽を噛んでクルクル回ることがあり、この時は私の手の平の上だと噛まれることもあり、この痛みは半端ではありませんから早期の解決が望まれます。

なぜ鳥に日光浴が必要なの??
鳥は紫外線を浴びることにより、皮膚でビタミンDからD3を合成します。ビタミンD3は消化管でカルシウムを吸収するのに必要なビタミンであり、ビタミンD3が不足すると、結果的にカルシウムも不足し、骨粗鬆症、骨格異常、軟卵(しっかりとした卵が作れず、柔らかい卵になってしまう)痙攣、腎臓の問題を引き起すことがあるのです。

 可能性として、日光浴が不足していることから、カルシウム不足になっている可能性も高く、最近は意識して外に出していますが、とりあえず換羽期の栄養不足を補うために小鳥の栄養飲料を入手して3日前から与えています。

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 さて、現在与えているエサは、主食用に皮つきの餌と皮むきの餌を混ぜ、最近はここにカナリア用の皮つき餌を混ぜるようにしており、これとは別に、グリーンミックスペレット、カルビタミックス、黒糖おやつ「米」、カルシウムボレー粉の4種類を別々に置いてあります。
 ちなみに、ピーちゃんは、黒糖おやつ「米」がお気に入りで、最近はカルビタミックスが好きになってきましたが、食欲が旺盛であることが安心にもつながります。

 小松菜はそのままカゴの中に置いてありますが、私が入れた時だけしか口にしないことから、食べていない時には、小松菜とキュウリを細かく刻んで与えると食べてくれます。カルシウムも意識して摂取させるためにハチミツをまぶすと食べてくれます。

 野鳥の飼育は条例で禁止されており、スズメの飼育を指南する本も存在しないため、文鳥やカナリアの飼育本を参考にしたり、多くはネット上の飼育体験や情報を頼りに飼育しており、頼りにするだけでなく私の現状も発信し、一年後の比較材料に残したいと本日の一言は記した次第です。

                 本日の体重 70、8キロ 徒歩数 11354歩
                                    10月13日の一言

20年ぶり? 養老の滝へ

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 岐阜県の養老の滝です。
 我家から車で50分も走るとこんな環境が存在します。子供が小さい頃は何度も訪れた場所ですが、子供の成長とともに目的地が変わり、議員になってからは初めてとなることから、20年は訪れていなかったと思われます。

 日本の滝百選に選定されており、高さ30メートル、幅が約4メートルあり、流れる水が酒に変わったという「養老孝子物語」はこの地域に語り継がれる伝説で、岩角を打って流れ落ちる水は清冽で、その雄麗な姿は必見ですと宣伝されており、ウォーキングにも手ごろな場所と思われます。


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霊亀3年(717)、元正女帝は奈良の都から行幸になり、自ら飲浴され、「老いを養う霊泉」と元号を養老と改められました。
養老山地から湧き出るミネラルを含む水は、世の中をくくり結び、病に効く「菊水泉」と名付けられ、日本の名水百選に指定されています。

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西美濃三十三霊場 24番 養老山大菩提寺(大悲閣) 臨済宗
 飛鳥時代の聖観世音菩薩がまつられる。 西美濃三十三霊場の第二十四番目札所。

 数日前に同じ山並みとなる三重県多度町の多度峡と多度大社を訪れ、清々しい環境の中をウォーキングする魅力を感じて、本日は岐阜県養老町にある養老公園を訪れましたが…

 「お父さん、何処に行くの?」
 「無料の駐車場だ」
 「安いから、そこに停めたら」
 「高いとか安いの問題じゃない」
 「どこまで行く気なの…」

 養老公園の案内看板をたよりに走ると、必ず有料の駐車場へ誘導されていくことが気にいらず、多くの係員が存在するものの、すべて有料の駐車場へ誘導していることにも納得がいかず、隅々を探し求めた結果、臨済宗の養老山大菩提寺(大悲閣)の境内を見つけました。

 滝の近くに車を停めたい訳ではなく、適当な距離を歩くことが目的のため、当たり前に誘導して駐車料金を稼ぐような案内は不快で、距離はあったものの参拝のできるお寺を発見し、駐車料金をお賽銭と地元のお店に落とすことにしました。

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西美濃三十三霊場 25番 滝寿山養老寺 浄土真宗
養老寺(ようろうじ)は、岐阜県養老郡養老町にある真宗大谷派の寺院である。山号は滝寿山。「養老孝子伝説」の源丞内ゆかりの寺院であり、不老長寿に利益(りやく)があるという。多芸七坊の1つ。
本尊は十一面千手観世音菩薩。


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 かつてはリフトのある滝に一番近い駐車場に停めていましたが、今年3月で営業を休止しているとの話で、おかげで多くのお店の前を通り、久しぶりに新鮮な感覚で訪問できました。

 「ワンちゃんも一緒で良いよ」
 「えっ、良いんですか?」
 「ゆっくりとしていって」
 「有難うございます」

 店番の女将さんに相棒リマも一緒でも良いと誘われ、厳格には食品を提供する場所にペットはダメと思われますが、高齢の女性ばかりで運営されて、お客さんも一人も居なかったことから、遠慮なく相棒とともに座りましたが、相棒と食べ物のお店に入ったのは初めての体験となりました。

 「これ、食べる?」
 「ウッ…」
 「欲しいだろう」
 「欲しいかな?」
 「ウッ、ウッ」
 「はい、はい」
 
 お店の店員さんたちも愛犬家が多いようで、相棒が好きそうなお菓子をいただき、夕方のため飲み物だけのつもりでしたが、相棒を子供のように接していただいたため、「おでん」と「草団子」を注文し、「また寄ってね」の一言に気分良くお店を後にしました。

 上り坂の往復で約8千歩の行程は適度なウォーキングとなりました。

               本日の体重 71、7キロ 徒歩数 12076歩
                                   10月12日の一言

何もしないままに一日が経過して

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我家の花梨です。これから虫が入って完熟には至らないんですね…

 「朝からごめんなさいね」
 「何かあったの」
 「実は、母親が亡くなったの」
 「えっ、そうーなの」
 「それで、今日10時半から葬儀なんだわァ…」
 「じゃー、送らせてもらうわ」
 「えっ、今日は居るの…」
 「今から急いで行くわッ」
 「えっ、今から…」
 「今、何時なんだァ」

 昨日の夜半から早朝にかけて気温が低下したことで、起床した時に身体に違和感があり、布団に入りなおして寝ていると携帯電話が鳴り響き、時間もわからず応対した会話ですが、例年の慣例では10月の8日か、前後する三連休には上高地に出かけていますが、今年は休日の前後に公的日程があることと、月末に四国遍路を控えているため外出しておらず、中学の同級生で私のいたずらには手を焼いていたという女性からの電話で起こされました。

 「おい、何やっているんだぁ」
 「どうしたんだ」
 「コーヒー屋でも行こうか」
 「いかん、いかん、葬式があるんだ」

 今度は学生時代の不良仲間からの電話で、葬式が済んでから連絡することにして外出したものの、帰宅後に仮眠のつもりがそのまま寝てしまい、目覚めた午後5時に携帯電話の履歴に気づいて連絡すると、朝からアルコールも口にせず待っていてくれた様子に、慌てて車を走らせました。

 本日は雨が降っていたこともありますが、何もしないままに一日が経過してしまいました。明日も特別な予定はありせんが、自分のやるべき仕事は山積したままとなっており、それでも締め切りが無いので手がつきません。

 さて、本日午後10時20分の訪問者数は300230 人となっていますが、最近の他のブログを拝見して、「キリ番ゲット」の記載を読んだことから、記念する「30万人目」のカウンターを見たいと考えていましたが、昨日の早朝までの未明にキリ番が終っていました。
 このヤフーブログは、平成18年秋から記し始めましたが、この一言は16年2月から続けており、人気のあるブログではないものの、このブログによって出会った人も多く、このまま元気で続けていきたいと思っています。

                   本日の体重 71、3キロ 徒歩数 789歩
                                    10月11日の一言

祖父江・サンドフェスタで「つし丸」と出会い

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孫と一緒に津島市の公式キャラクター「つし丸」君と記念撮影

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 本日は家族と一緒に、稲沢市祖父江町のサリオパーク祖父江(祖父江砂丘)で開催されているサンドフェスタに出かけましたが、来場者が多くて車を停める場所がなく、停めた場所は会場よりはるかに遠い馬飼大橋に近く、かつての私なら帰ってしまうくらいの混雑ですが、最近はウォーキングのチャンスと遠いことが幸いともなりました。

 サンドフェスタの主役は、国営のワイルドネーチャープラザ(祖父江砂丘)で展示されている巨大な砂の像で、会場には高知県の作家による作品も2点造られており、今月末にも高知県から遍路を再開させることから親しみを感じました。
 ちなみに、祖父江町の砂は、海岸の砂と違って土が混ざっていることから、海辺の砂のように崩れることなく固まり、こんなイベントが可能になったと思われ、本日の多くの子供たちが砂で遊んでいました。

稲沢サンドフェスタ http://inazawa-sandfesta2015.com/  

稲沢イチョウ黄葉まつり 11月23日~30日

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 この会場から1キロ歩いていくと、私の出生地となる母親の在所があり、近くに大きな善光寺がたっており、私が5年間(普通は3年ですが)も通学した高校もありますが、この会場から3キロ下流へ木曽川を下ると、家内の実家があります。
 この場所は、私の少年時代から馴染みの場所で、夏休みにはここで泳いでいたこともあり、家内と結婚前に車で来ていた懐かしい場所でもあります。

 祖父江町では、全国有数のギンナン(銀杏)を出荷する名産地ですが、銀杏の紅葉が見ごろとなる来月の23日から「稲沢イチョウ黄葉まつり」が開催され、かつては臭いの臭さから嫌われていたイチョウの木が観光客を呼び込む資源になっています。
 こちらもお薦めのイベントです。

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 さて、会場のイベント会場ではステージでお笑いや音楽もにぎやかに披露されていましたが、栃木県大田原市や京都府福知山市など、愛知県内だけでなく全国各地のイメージキャラクターもイベントを盛り上げており、やはり自分の生活する津島市のテントが気になり、家内と相棒リマ、孫はを呼んで連れてきて津島市のゆるキャラ「つし丸」とともに写真を撮りました。

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 いまひとつ人気が伸び悩む「つし丸」ですが、津島神社をイメージして作られており、津島市には「尾張津島天王祭」に登場するまきわら船をイメージした「マッキー」も存在することから、一緒になって巻き返しに期待したいものです。
 「つし丸」は、ゆるキャラグランプリにもエントリーしているので、是非とも皆さんの投票で順位を上げていただきたいと切にお願いいたします。

ゆるキャラ®グランプリ参加キャラクター つし丸

 津島市から離れた場所で、津島市の「つし丸」や関係者に遭遇すると涙が出てきますね。ちなみに、明日は津島市の出店はお休みとなり、市役所職員は水害の被害を受けた茨城県常総市にボランティアに出かけると話していました。

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 最近はピーちゃんに人気を奪われた格好の相棒リマですが、外出時には必ず家族に同行しており、本日訪れた祖父江砂丘は、かつては私と2人で一緒に訪れ、リードを外して全力で走りまわっていた場所のため、ストレスもなく人間に同化したように同行していました。

                  本日の体重 71、7キロ 徒歩数 7967歩
                                    10月10日の一言

多度大社付近の仏蹟を訪ねて

 本日は家内の姉の使用してきた乗用車をもらいに三重県いなべ市(旧大安町)まで行き、帰りに上げ馬神事で有名な多度大社と、その隣に建つ「観音堂」に参拝した後に、多度峡から「雲切不動尊」のある多度峡みそぎ滝まで歩いてきました。

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 三重県桑名市にある多度大社境内には神馬がお遣えしており、神の使者である白馬が、人々に幸せを運んでくるという「白馬伝説」があります。現在も境内には神馬・錦山号がおり、人に馴れており手から人参を食べてくれます。

  多度大社の御祭神である天津彦根命(アマツヒコネノミコト)は、伊勢神宮の御祭神である天照大神(アマテラスオオミカミ)の第3子です。この関係から、伊勢の神宮に対して、「北伊勢大神宮」とも呼ばれ、北伊勢地方の総氏神として崇められています。

 5月4日・5日に行われる多度大社御例祭は一般に多度祭りと称され、県の民俗文化財に指定されている上げ馬神事はその中の神事の一つで、氏子の中から神占いにて選ばれた少年騎手6人が武者姿で約2メートルの絶壁を人馬一体で勇壮に駆け上がり、その年の農作物の吉凶を占います。
 流鏑馬神事は、11月23日に新嘗祭とあわせて、天下泰平・国家安泰・五穀豊穣を願って、馬上より騎手が矢を射ます。

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多度大社の横にある桑名三十三ヶ所巡り第33番多度観音堂

 天平宝宇7年(763)多度大社の東、鷲の倉の地に満願禅師が道場を開き、丈六の仏像を安置して礼拝、修行をしていた。神像を祀って多度大菩薩と号し、鐘楼と共に銅鐘の寄進を受け、三重の塔の奉納を受けるなど寺院の基礎が出来上がったと記されている。

 宝亀11年(780)勅使を遣わされ、翌天応元年(781)法教禅師は伊勢・美濃・尾張・志摩四国に勧請して、法堂・僧坊などを建立し、仏物・法物・調度を整えて寺は一層充実し、寺運は興隆した。天文2年(1533)時の住僧頼応は「多度山の衆僧宝雲寺以下の寺院七十余あり。且つ寺内の僧侶は三百余」と、学府として数多くの研修僧が集い、参堂して文化の地として栄えていた様子を記している。

 長島の一向宗徒が織田信長と対立して一揆を起こし、多度大社で信長の調伏祈願を行ったので、元亀2年(1571)美濃路から進撃した柴田勝家・氏家常陸介の大軍がこの地に押し寄せ、多度大社共々堂塔の全てを兵火により焼失した。
 江戸時代に入り、桑名を領した本多忠勝の多度神社復興に次いで、元和3年(1617)松平定勝が藩主となり、遠州掛川から愛宕神をこの地に移し、また、住僧良心法師が各地を行脚して寄付を仰ぎ、承応2年(1653)大修理を行って、多度大社の別当として宝雲寺を再興した。

 明治の初め、神仏分離の政令により法雲寺は廃寺となり、昭和38年(1963)に信者の寄付により像の修理を行った際に改築し、仏具調度品を整備して現在に至っているとありますが、かつては三重塔や寺院七十余あり、寺内の僧侶は三百余」と言う記録を読むと、現在の姿はあまりにも寂しい現実を感じさせられます。

桑名観音巡り三十三ヶ所霊場

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 多度峡みそぎ滝と「雲切不動尊」ですが、毎年8月には大護摩祈願と火渡り神事が行われており、本日も足元には清めの塩が大量に残されており、参詣者の捧げたお神酒が大量に供えられていました。

 多度大社の存在によって、神社と多度山上公園を中心とするハイキングや観光地のイメージが強いものの、かつては当地方に真言宗の大きな寺院が存在し、現在でも大護摩祈願と火渡り神事などが行われ、立ち入れない場所にも多くの仏蹟が残されている聖地であることが実感させられました。

                本日の体重 71、4キロ 徒歩数 17582歩
                                    10月9日の一言
追伸
 多度は神社と仏蹟だけでなく、すばらしい自然環境があり、ミカンや柿など農産物の生産もさかんで、ウォーキングやサイクリングにも最高の環境が存在します。

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多度峡の大堰

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犬に拳銃13発の千葉県警に600件の意見が

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 本日は夕陽が沈む頃になって、来年まで当番となっている町内のお地蔵様の賽銭を回収する家内について、相棒リマとともに同行し、そのまま足をのばして隣村まで歩いてきましたが、日頃から甘やかされている相棒は途中から抱っこされての帰宅となりました。

 数年前には、私が相棒を連れ出して遠くまで歩いておりましたが、最近は家内が連れ出しており、家内には旅行先でも腕に抱かれることを当たり前としていることから、散歩でも抱かれることがくせになっているようです。

 本年9月14日午前2時に、千葉県松戸市の住宅街で、地域の住民に次々と噛み付いた紀州犬に、3人の警察官が拳銃を向け、13発も発砲して犬を射殺した事件について、千葉県警には600件もの意見が届いているとの報道がありました。

犬に13発、千葉県警に意見600件 射撃の腕の問題?
記事の続き…
  なぜ、なかなか当たらなかったのか。「そもそも拳銃は動物を撃つには不向きです」。猟友会に所属するハンターの一人(64)はそう指摘する。獣を狙う散弾銃なら50メートル先でも狙えるが、拳銃は飛距離も威力も劣る。「当たったとしても動物はすぐには倒れず、動き回る習性がある。動物に不慣れで動かなくなるまで撃ち込んだら、13発になったのでは」という。競技射撃の経験者は「散弾銃を使うクレー射撃は別として、オリンピック競技でも、ピストルやライフルで競うのは動かない標的。訓練していても、犬のように動き回る標的は当てるのが難しい」と話す。
 警察庁によると、全国で職務中の警察官の発砲件数は2014年に6件9発。今年も9月末で今回の13発を除けば3件3発にとどまる。拳銃を使える場合を定めた警察庁の規範では、狂犬など動物を撃つことも想定されており、千葉県警も「適正だった」と話す。警察庁の把握では、12年に静岡県伊東市で、商店街に突進してきたイノシシに4発撃った例はあるが、犬への発砲例は把握していないという。
 13発の一部は犬を貫通し、住宅の外壁やブロック塀などに穴が開き、5世帯の10カ所で銃痕が見つかった。自宅の壁に直径5センチの穴が開いた30代の女性は「流れ弾の怖さを身をもって知った。2歳と5歳の子がもし外で遊んでいたら……。麻酔薬を投与するなど別の方法はなかったのか」と振り返る。
 今回の発砲後、松戸署と県警には計600件超の意見が電話やメールなどで寄せられた。「放置したら危険。よくやった」との励ましが1割ほどあったが、大半は「何で13発も撃ったのか」などの苦情だった。立正大の小宮信夫教授(犯罪学)は「緊急性があるとはいえ、住宅街で犬に向けて拳銃を連発しては住民の不信感を招く。犬がかみつくのはどこでも起こり得るケースで、警察は事前に想定して、捕獲道具や対応マニュアルを準備しておくべきではないか」と話す。

 飼い主でも手に負えない凶暴な紀州犬だったとは言え、深夜の午前2時という時間に、犬に対して3人の警察官が拳銃を向けて、13発も発砲して射殺する必要があったとは思えず、「よくやった」と励ましの電話が1割ほどもあったと言う警察の発表が信じられません。

 13発の一部は犬を貫通し、住宅の外壁やブロック塀などに穴が開き、5世帯の10カ所で銃痕が見つかったと報道されており、事件直後に松戸署の浜元裕彦副署長は「被害拡大を防ぐために、拳銃の使用は現時点では適正かつ妥当だったと考えている」と発表しているが、家の壁に直径5センチの穴が開いた家が存在したことを考えると「適正かつ妥当だった」とはとても思えません。

 さて、我家の相棒リマについても、散歩や旅行中など家の外ではおとなしくしているものの、家の中に入ってくる訪問者に対しては、激しく吠えるだけではなく、挑発されると噛み付きにいきますから、見た目はおとなしく小さくものの凶暴な一面も持ち合わせています。

 3人に噛み付きケガをさせた紀州犬ですが、国の天然記念物にも指定されており、人を噛み殺すような大型犬ではないことを考えると、拳銃による射殺以外に捕獲する方法があったと思われ、警察官以外の我々なら拳銃は使えません。

 最近では凶暴なクマでも捕獲後に山に返される例があり、凶悪犯に対しても拳銃で射殺することはまれなことから、犬については網や捕獲する道具を用意して、今回のような危険で残酷な対応を繰り返さないように望みたいものです。

本日の訪問者数 299848 明日か明後日には30万人を達成できそうです。
                  本日の体重 71、3キロ 徒歩数 4953歩
                                     10月8日の一言

小学生の賞状を見せてもらって

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 知人からの朗報です。

 あなたは全国敬老キャンペーン「あいち」において、おじいちゃんおばあちゃんに書かれた手紙は、感謝の気持と命のつながりを大切にするすばらしいものでした。よってここに表彰いたします。
                               平成27年9月21日

 知人の小学生になる息子さんが、小学校で表彰状を受け取って帰宅したとの話に、メールで賞状を送付してもらうとともに、手紙に書いた内容についてもご両親より聞き取りました。

 「僕はおじいちゃんとおばあちゃんがいないので、堀田先生へ手紙を出します。先生は70才近いと聞きました。くれぐれもお体に気をつけてお過ごしください」と言うのが手紙の内容のようですが、宛先とした堀田先生は父親の中学時代の恩師で、親の恩師をおじいさん役とした子供の素朴な気持が評価されたものと思います。

 それよりも、性格のねじ曲がった私なんかは、おじいさんとおばあさんが存在しない子供は教室でどう書き込むのかと思うとともに、来年小学校に入学する孫が、私をおじいさんとして手紙を書いてきたら、涙が出てくるとは思うものの、おじいさんとおばあさんという言葉で書き入れられることと、手紙の内容が他人に評価されることに抵抗があります。

 それでも、子供の考えで、父親の恩師を「おじいさん」として書き込んだ子供の発想に感心するとともに、恩師と教え子の関係が継続し、教え子の子供が親の恩師を知っている生活環境を評価したいですね。

 「それはそうと、モラロジーって知っています?」
 「知っているよ」
 「どんな団体なんですか?」
 「それは、…」

 モラロジーとは、「道徳」を表すモラル(moral)と「学」を表すロジー(logy)からなる学問名で、創立者廣池千九郎(法学博士)博士が大正15年、前半生の学識と体験の集大成として「総合人間学としてのモラロジー」を創建し、昭和10年に「道徳科学専攻塾」を開設して、モラロジーに基づく社会教育と学校教育を共に行う生涯教育をスタートさせ、現在のモラロジー研究所に受け継がれてきました。

公益財団法人モラロジー研究所 http://moralogy.jp/

 私は高校に入学した直後に足の負傷による「右大腿部骨髄炎」で入院し、半年の入院と手術後の退院時には、高校の落第が決まっており、ここから遊び仲間と駅で遊ぶようになり、翌年も病気の再発と非行問題で2回目の落第が決まり、有り余る時間を不良少年として行動するようになりました。

イメージ 2 仲間には暴力団に入っても不思議ではない連中が多く、私もヤクザの先輩にあこがれる不良少年として時間を費やしており、親に心配をかけ続ける生活を見て心配していただいた、近所のモラロジーに熱心な会員さんが存在し、私の「精神修養」のために、モラロジーの2週間の合宿生活による「概要講座」に参加することになりました。

 モラロジー(道徳科学)による行動と結果を学びながら、現実には不良仲間と非行に走る真逆の二重生活が続き、私はこの概要講座を昭和45年12月と、翌年8月にも受講しており、多くの先人たちにご指導を受けながらも、実生活は不良少年から抜け出すことができませんでした。

 ただし、この団体で学んだことにより、真面目にやり直す必要を感じていたことが、後々のチャンスにもつながったと思われ、高校生活をやり直して大学まで進み、自立する職業をつかんで現在に至っており、モラロジーは宗教団体ではありませんが、私が心酔する空海の説いた真言密教や、四国遍路にも通じる団体でもありました。

 偶然にも、本日の電話により、「モラロジー」という懐かしい名前を耳にしましたが、最高道徳(モラロジー)の実行によって品性を向上させることが結果と結びつくという学問は、今にして思うと空海の説く十善戒にも共通することから、当時学んだ本が懐かしく、概要講座の修了証を探し出しました。

       本日の体重 71、6キロ 徒歩数 未測定(携帯をおいたままでした)
                                             10月6日の一言

親族の法要と納骨式に参列して

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 本日は名古屋市中村区のお寺で、叔父の三回忌法要が営まれ、法要後に平成9年に他界した叔母のお骨とともに、お寺の納骨塔の中にお骨が納められました。

 我家が檀家となっている津島市葉苅町の長福寺にも、私の叔父の寄進した檀家であれば誰でも入れる納骨塔がありますが、最近では境内にお墓を建立する土地も少なくなり、共同の納骨塔を建立するお寺が増えてきました。

真宗大谷派・廣賛寺 http://www.kosanji.or.jp/

 一方で、お寺との縁を嫌って、お寺にある先祖伝来のお墓を、公営の分譲墓地に移す人も複数存在し、その公営の墓地を子息が遠隔地に生活するため、行政に返納する人も存在しており、お墓から寺院の納骨堂や共同墓地に移す人も増えました。

 もっとびっくりすることは、今年7月に亡くなった知人が、子息にお寺の負担を継続させたくないために、お寺との縁を切ると宣言しておられましたが、この知人の親は津島市内でも規模の大きいお寺の檀家総代を務めておられた人であり、現実に葬儀会場に僧侶の姿がないままに出棺されていきました。

 「僧侶が居なくてどうやって葬式をやるの」と、この話をした時に驚かれた人も存在しましたが、9月に他界された隣町の大鹿○医さんは、僧侶やお寺抜きで盛大なお別れ会が営まれ、多くの花と参列者に送られていかれました。

 この大鹿家は、天皇家の第34代舒明天皇に血脈を持つ、伊勢の古族大鹿(おおか)一族の正統な流れをくみ、津島市でも「大大鹿」と呼ばれる家系ですが、家柄とか先祖との縁でお寺と縁が続くとは限らない時代になってきました。

 さて、私もお寺とか僧侶については一家言あり、先祖の供養をしてもらっているお寺よりも、現在生きている自分と縁のあるお寺や僧侶との関係が一番で、先祖からの宗派だから当たり前と言われ、自分が死んだときに誰が住職かも決まっていないお寺と縁を続けたいとは思っておりません。

 もっとも、高齢になり動けなくなったり、子供の支援で生活するようになったときに、「オレはこうだ」と言い切れるかは疑問ですが、生きている時に親しい縁もない僧侶やお寺に供養してもらいたいとは思えませんね。

                  本日の体重 71、4キロ 徒歩数 2089歩
                                     10月4日の一言

全く歩かない一日が経過して

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 本日の愛知県は清々しい秋晴れとなり、ピーちゃんを日光浴のため2時間外に出していましたが、部屋へ戻したところ私のもとを離れず、手の平で死んでしまったかのように眠り続ける姿から、私が安否確認のため何度も夜に確認に行くために睡眠不足になっている可能性も感じさせられました。

 野生の鳥は、夕陽が沈んで暗くなる午後7時頃には巣に戻り、朝の日ノ出以降に行動を始めると思いますが、我家のピーちゃんは夜10時まで部屋の電気がついていることと、私が安否確認で巣を覗きに行くだけでなく、生きていることを確認してから戻るため、確実に寝不足になっていると思います。

 さて、一年前には私を呼ぶために「チュン、チュン」と鳥カゴから鳴いて呼んでいたピーちゃんですが、最近は私を呼ぶことはなくなったものの、私が帰宅すると鳥カゴを出て一緒に居ることを当たり前にしており、私の傍で居眠りするようになりました。

 最近になって判ったことは、私を呼ぶために鳴かなくなったものの、家内の声を聞くと「チュン、チュン」と鳴くようになっており、家内は毎日鳥カゴの掃除と水の交換をしていることが原因で、鳥カゴの掃除をする時に必ずミルワームを与えていることから、ミルワームを目的に鳴いていると思われます。

 私を呼ぶために鳴かなくなったことは、一年前には鳥カゴの扉を開けておらず、今はいつでも飛んで出てこれるようになっているため、呼ぶ必要もなくなったことと、いつも在宅時は一緒にいることを当たり前にしているからと思われます。

 何故に家内しか鳴かないんだろうとの疑念も、家内と一緒に居てもピーは私のもとに飛んで来るため私が一番の存在には違いがなく、このことで家内にも可愛がられれば幸いと思っています。

 本日は胃ガン検診のため、昨日の夜8時以降は食べ物を口にできず、夜12時以降は水も口にできないため、最後に水をコップ2杯飲んだことから、夜にトイレに走り、無意識に食べ物を口にしてしまう心配をすると眠られません。

 10日後に一緒に検査した肺ガンの検査結果とともに結果が判りますが、これから大腸ガンと前立腺ガンの検査も続き、最後に基本検診を受診する予定となっており、昨年7月より管理栄養士さんの指導を受け、9キロの減量結果となっていることから、検査結果も改善していることに期待していますが、最近リバウンドしかけており…

                    本日の体重 71、8キロ 徒歩数 273歩
                                      10月2日の一言

祖父江町で津島市民を道案内へ

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我家の近くで見かけたザクロです

 「明日、来たら」との息子(三男)の一言により、数日前から肩や腰の不調を感じていたため、息子の勤務する祖父江町の「いしかわ針灸接骨院」に走りました。

いしかわ針灸接骨院 http://www.cure-care.jp/ishikawa/

 本日は議会だよりに掲載される自分の原稿提出期限が午前中になっており、編集委員となっている自分が担当する原稿を受け取るのが午後1時になっているため、昼前に市役所に出かけて午後に帰る予定としていましたが、息子の一言によって、市役所に原稿を提出してから祖父江町に走って、午後に市役所に戻ることになりました。

 祖父江町は私の出生地となる母親の実家があり、私の出身高校が存在するため、治療後に懐かしい母校の周りへ車を走らせ、すっかり変わった街の中に昔の面影を探して実家の祖父や伯父と縁のあるコーヒー屋さんに立ち寄りました。

 今年85歳になられる先代のご主人から昔話を伺うと、私の祖父とご主人の父親が株を通して縁があり、ご主人は伯父と同級生のため、昔話に花を咲かせていましたが、ご主人の耳が遠いため私の言葉は伝わらず、ご自身の株の投資話を聞き続けることになりました。

 そんな時に、知人の住む町名と道を尋ねて訪れた老婦人があり、ご主人が地図を持ってこられて、訪ねていくお宅のありそうな住宅は判ったものの、このコーヒー屋さんから行き方を教えても土地勘がなく行けそうもありません。

 ご主人とのやりとりから、老婦人が私と同じ津島市から来られたことが判り、目的地が津島市に帰る道筋にあることから、私のカーナビで検索して目的地まで誘導していくことになりました。

 「大鹿さん?」
 「はい、大鹿です」
 「いっぱち(一八)さんですね?」
 「私が判りますか」
 「○○です」
 「そう言えば、見たことが…」
 「○○の前の○○です」

 議員になって17年目になっており、17年前の選挙時に知人より紹介されたお宅の奥様で、年齢を重ねて顔が変わっているものの、偶然に他市で出会った人が同じ津島市民で、津島市民と判ったことで、私を「大鹿」と認識していただいたことに議員冥利を感ずることになりました。

 私にとっては出生地となる第二の故郷で、旧知の人々との会話中に、偶然にも同じ津島市の人と遭遇し、道案内を申し出たところ、年齢を重ねて風貌は変わっていたものの、お互いが知りうる人だったことに驚きと同時に、親切にしておいて良かったと思いました。

 一方で、5回も選挙を経験しておりながら、このお宅には17年も顔を出してなかったことも反省の一語となりました。
 さて、明日は胃ガン検診です。

                 本日の体重 71、4キロ 徒歩数 1649歩 
                                     10月1日の一言              

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