大鹿一八「本日の一言」

平成16年2月から令和1年7月末までの「本日の一言」です。ヤフーブログ閉鎖により、ライブドアへ過去の記録として引っ越しました。

2015年11月

地方分権は遥か彼方に感じられて

 私がお気に入り登録している沖縄県の『迷い道 散歩道』DOCさんの書き込みに、「11月28日(土)辺野古早朝抗議行動(座り込み)…中略…左大腿部外側に裂傷あり。タイツが破損して穴があいている…中略…何でこんな処に裂傷?…辺野古で警視庁機動隊との戦いでゴム付手袋による裂傷だと思う」との書き込みがありました。

 辺野古移設に県民の民意は、沖縄県知事選挙によって反対多数の意思表明をしたものの、国は規定の計画通りに工事を進め、反対する沖縄県民の座り込みを、東京の警視庁の警察官によって排除しようとしており、この中で肋骨が折れたと主張する住民が存在し、添付したDOCさんも「警視庁機動隊との戦いでゴム付手袋による裂傷だと思う」と記していたことからコメントをおくりました。

私が書き込んだ一言です 2015/11/29(日) 午後 10:38
住民を護るべき警察官が、国の命令で住民を傷つけている現場は傷ましいものがありますね。
多数の議席を背景にして、警察力も酷使して民意を踏みにじっている現実を沖縄から発信して、住民が主役の社会を選挙によって実現するよう頑張って下さい。 

返信 2015/11/30(月) 午前 6:41 
辺野古ゲート前での警視庁第4機鬼の機動隊の
蛮行は酷いものです。後ろに安部がいるから何でも出来ると思いこんでいる節がある。ここは日本か?日本民主国家か?戦前に戻って
警察特高なような警視庁!内地に帰れ!

返信 2015/11/30(月) 午前 9:49 
過剰警備(骨折)動画の証拠があるのに
証拠がない。と言う欺瞞が通る現状です。警察を呼べ!
機動隊は暴力団で長官は組長で安部は会長ですか?
これが法治国家といますか??その内、死人がでますよ。 
      


 沖縄県知事だけでなく、辺野古移設に反対する沖縄の一般住民が連日座り込みによって抗議し、国の命令で他県の警察官が排除しようと小競り合いが続いている現実を聞かされると、地元の公益ではなく、遠く離れた国が決めれば先祖伝来の土地も無抵抗で取られてしまう空しさを感じさせられました。

 さて、福島県は30日、東京電力福島第一原発事故当時18歳以下だった約38万人を対象に実施している甲状腺検査で、今年7月から9月末までの3カ月間に11人が新たにがんと診断されたと発表し、甲状腺がんが確定したのは合計115人になったとの新聞報道が存在します。

 この中で、福島県検討委員会の星北斗座長は「放射線の影響を受けやすい乳幼児にがんが発生していないことから、今見つかっている甲状腺がんは放射線の影響とは考えにくい」と述べており、どう考えても危険性を考えて対応すべき問題が、国の原発再稼動や推進する立場から封印されているとしか思えません。

福島の11人、新たに甲状腺がんと診断 合計115人に
       http://www.asahi.com/articles/ASHCZ61VFHCZUGTB00P.html                   

 私自身も勉強不足ですが、報道する新聞社も福島県だけでなく、他県の現状を数値で示して比較して読者に読ませる必要があると思うものの、原発事故が起きて関係した社員がガンで死亡しており、未だに福島県民が住み慣れた家に帰れない現実の中で、原発は安全として再稼動を決めた国が、地域住民の民意や利益を考えているとは思えません。

 本日から私の住む津島市でも12月議会が開会し、年末の25日まで議案審議や一般質問が続きますが、この中に沖縄の辺野古移設に賛成する現地議員から移設の早期実現を求める陳情書が郵送で届けられていました。
 こんなところにも、国と地方の組織力の違いを実感させられ、地方分権から地方主権と言われた時代があったことも、遥か昔のことのように感じられ、「長い物には巻かれろ」の世情と化していたら問題と思う一日となりました。

               本日の体重 71、3キロ 徒歩数 7701歩     
                                   11月30日の一言



叔母の七回忌に参列して


 本日は叔母の七回忌のため、午前中から叔父宅を訪れ、帰宅した時に辺りは真っ暗(途中下車していたので)になっていました。

 時の経過は早く、叔母が亡くなってから6年が経過し、難病・後縦靭帯骨化症(OPLL)の手術により叔母より先に逝くと思われていた叔父が一人残され、現在は近くの老人ホームの生活が「一番良い」と言っております。

 叔父は幼少期に母親を交通事故で亡くし、我家の生活を維持するため浄土宗のお寺に出され、東京でお寺の小僧をしながら大学を出て、檀家の少ない貧乏なお寺のため兼職で教員生活を送り、子供達に同じ苦労をさせないためお寺を出て、近くの説教所を自宅にしてきました。

 元々が理科系のため、アマチュア無線や写真のDPEを趣味として、パソコンも早くから取り入れ、難病により首が痛くなるまではお寺のホームページも運営しており、私も叔父に薦められるだけでなく、我家に自分のパソコンまで持参してくれたことから私はホームページを発信するようになりました。

 「今時、議員ならホームページくらい持って当たり前」との一言で、平成16年2月から「津島の新しい風」に一言を発信するようになり、一言のはずが長々とした愚文を今日まで続けており、勧めた叔父はパソコンを見ることも無くなりました。

 さて、6年前の話となりますが、入院して数日間昏睡状態にあった叔母が、一日だけ奇跡的に回復して病院内で開かれたクリスマス会で歌を唄い、トイレも娘の介助付きながら一人で歩いた翌日の朝になって息を引き取ったことが、今でも信じられない出来事として思い出されます。
 人間と小鳥を同一に語るのは不謹慎ですが、1ケ月前に死んだピーちゃんも、数時間後に亡くなるとは思えないサービス精神を発揮して、私だけでなく家内の背中を追いかけて飛んでいきました。
イメージ 1

沈んだ気持ちを払拭した子犬  2009/12/6             6年前のリマ→

 誰もが自分が死ぬとは思っていなくとも、身体が自然に反応しているのかもしれないことを、叔母やピーから感じさせられ、人だけでなくペットと言えども、真剣に観察して悲しい別れを防ぎたいものです。

 その6年前の葬儀の夜、長男が3ヶ月の約束で預かってきた相棒リマと出会い、一瞬にして別れられない関係となり、そのまま我家の一員として譲り受け、買い物だけでなく、四国遍路にも同行させ、相棒と一緒に旅行するためにテントも用意しました。こんな生活を少しでも永く維持したいと思っています。

 「生臭坊主」の典型と思っていた叔父ですが、自宅の玄関に「阿弥陀堂」の看板を掲げており、自宅をお寺として存続させたいと思っており、お寺とはいかないまでもその意思を受け継いでもらいたいものです。

           本日の体重 71、6キロ 徒歩数 1288歩 夜間食あり
                                    11月29日の一言

ピーちゃんと毎日挨拶しているものの

抱っこされた相棒リマ バローの前までは歩いて来ました

イメージ 1 ピーちゃんが逝って1ケ月が経過しました。

 死んだとは思わず、ピーの鳥カゴはそのままにしてありますが、当然のことですが呼んでも返事はなく、扉は開けたままにしてあっても、当然のことながら飛んではきてくれません。

 相棒リマは6年も一緒に生活していますが、ピーはわずか1年半しか居なかったものの、毎日私の手からエサを与え、成長してからは連日私の腹の上で昼寝をしており、一緒に居ることが当たり前になっていたことから、亡くなってからは心が腑抜けのようになってしまいました。

 年内に満願する予定だった四国遍路も、亡くなる数日前に3日間も遍路で家を空けていたため、後悔もあって予定を組む気持もなくなり、気を紛らわすために人と外出をつづけていますが…

 現実には、ピーの亡骸は自分の手で玄関前の門柱の横に埋め、ピーとその横にあるピヨちゃんの墓に毎日線香を2本持参しており、時間とともに心も癒されていくとは思うものの、実際にはピーの声が聞こえてくるのを期待してしまいます。
 一方で、生きるものの宿命が死でもあり、相棒はもちろんですが、80歳を越えた母親や叔父、私自身も含めて、周りには病気闘病中の知人も多く、悲しい現実も自然として受けとめるようにしたいと思います。

追伸
昨日立ち寄った場所です。
イメージ 2飯高観音
臨済宗妙心寺派
     飯高山 萬 勝 寺
 岐阜県恵那市山岡町馬場山田 175
 建立 平安初期(750年頃)
 札所本尊:千手観世音菩薩

東海白寿三十三観音霊場第二十五番

看板を見て立ち寄りましたが、隠れた大伽藍とも言うべき大きなお寺でした。
イメージ 3
西尾製麺所 
    直営 讃岐うどん専門店

 岐阜県恵那市岩村町2386-2
  電話  0573-43-4131

食べログ


          本日の体重 71、1キロ 徒歩数 10856歩 夜間食なし
                                    11月28日の一言


愛知県から一番近いりんご園「豊楽園」へ 恵那市岩村町

豊楽園のりんご「ふじ」

 今夏の話ですが、ガンで闘病中の人から、「りんごがガンに効果がある」と聞いたものの、時期ハズレのりんごは高額となり、年間を通じての入手が難しいとの話を聞き、生産する農園では落下したキズ物もあるだろうと、私の住む愛知県から一番近いりんご園を探しだしました。

 岐阜県岩村町でりんごと梨を生産している「豊楽園」です。秋になって代表者のブログを見たところ、偶然にも私がお世話になっていた朝日新聞社の社員が早期退職してこの豊楽園を維持していることが判り、本日やっと訪れることができました。

豊楽園
岐阜県恵那市岩村町飯羽間3380-10   電話 0573-43-3091 
豊楽園 りんご梨 http://hourakuen.net/


直売所


豊楽園のはじまり http://hourakuen.net/hajimari.html

豊楽園のりんご畑

イメージ 1


愛知県豊田市 小原四季桜の里へ

川見(せんみ)四季桜の里

 本日は愛知県豊田市(旧小原村)の四季桜を鑑賞しに、小原ふれあい公園と、和紙のふるさと、川見(せんみ)四季桜の里を訪れました。

 私自身はかつて大学時代に大学が日進町(現在の日進市)にあり、豊田市に近かったことから足助の香嵐渓や、豊田市や小原村には何度も足を運んでいましたが、議員になってからは初めてで、私の主宰する朝日旅行友の会行き先リストを見直すと記録がなく、およそ30年ぶりの訪問となりました。

朝日旅行友の会行き先リスト http://www.kuronowish.com/~oshika18/newpage102.htm

津島市午前8時出発…大治北 IC…(名二環)…本郷 IC…名古屋 IC…(東名高速)…日進JCT…長久手 IC…八草 IC…(猿投グリーン道路)…中山 IC…豊田市…小原村

 私の感覚では、桜と言えば春の「吉野千本桜」とか「高遠城址公園」などを思い浮かべてしまいますが、この時期にこれだけの桜を開花されているのは驚きで、かつては愛知県でも辺境の地と思われた小原地区が、愛地球博によって整備された高速道路網により、津島から1時間程度で到着してしまったのにも驚きです。



 「小原四季桜まつり」の中心となる「川見(せんみ)四季桜の里」の中心となっているのが、会場に隣接して建つ「瑠璃光山 薬師寺」です。

 真言宗高野山派のお寺で、寺の沿革が詳しく記されていませんでしたが、岐阜県恵那市にあった岩村城が、明治6年の廃城令により城が取り壊されたとき、城内にあった薬師寺の仏像13体がこの川見薬師寺に移されたと記されています。
 この中にある「八幡神立像」は、元禄15年(1702年)松平乗紀氏が信州小諸藩から岩村藩主に命じられてから明治維新までの170年間、岩村城内の薬師寺で祀られていた守護神とあり、お寺の歴史は比較的新しいものの、愛知県と岐阜県にまたがり信仰を集めているお寺です。

川見薬師寺 (せんみやくしじ) http://www.kankou-obara.toyota.aichi.jp/?p=145


薬師寺の本堂です


 本四国八十八ケ所にちなんで八十八段の階段があり、次に女子33歳の厄年階段として三十三段の石段が続き、最後に男子42歳の厄年階段とされる四十二段の階段を上ると「鐘楼門」に辿り着きます。
 桜見物の観光客ばかりですが、真言宗のお寺らしく参拝環境が整っており、ローソクと線香が立てられ、手を合わせる人の姿も見られました。私は桜よりこのお寺に興味があったので、遍路道具一式を持参する完全なる参拝客となっていました。


 小原四季桜まつりは、11月1日り開催され、今月末の30日まで開催されているものの、桜鑑賞の見ごろは今月中旬頃と思われ、昨晩から日本全体に寒波が襲来しており、ここでも寒さに震える桜見物となりました。
 車はこれから岐阜県恵那市岩村町にある豊楽園をめざします。

               本日の体重 70、6キロ 徒歩数 約5000歩
                                    11月27日の一言

三男の愛車が廃車となり去っていきました


 本日まで三男が使用してきた愛車スターレットです。

 このスターレットは私の同級生のお父さんが所有していた車で、8年前にバッテリーが上がってエンジンがかからないと私に連絡があり、高齢になったお父さんは病気闘病中のため駐車場に置いたままとなっていました。

 エンジンは持参したブースターですくにかかったものの、誰も乗らないから廃車するという話を聞いて、私の家内用に貰うことになり、同級生が陸運局に出向いて名義変更をしてくれました。



 当時は高校生だった三男が自転車のロードレースに参加し、一時的には実業団のプロチームと契約しており、家内はこの車に三男と自転車を乗せて、東北や中国地方の広島県など、全国各地で開催される大会に走っていきました。

 「自転車があるから車には乗らない」と言っていた三男ですが、3年間の専門学校から国家資格を得て桑名市の接骨院に修行に勤めてからは車で行動しており、今でもこの車に愛着を持っているようですが、エンジンからオイルが漏れるようになり、修理費も高いことと、1ケ月前に伯母の車を貰ったためお役御免となりました。

 そして、そんな思い出のある車も今日が最後となりました。







 さて、私はこの車より古い平成元年に登録されたライトエースを所持しており、いずれはこんな光景も目にすることになりますが、スターレットは家内と三男が使用した車のため特別な感情は無かったものの、自走して車載車に乗せられ、我家の駐車場を出て行く頃になって、この車を元々運転しておられ、今は鬼籍に入っておられる同級生のお父さんの顔が蘇り、小さくなっていく姿を見送りながら感傷的な気持にさせられました。
 還暦を過ぎると、こんな日常的なことも寂しく思われます。
 
      本日の体重 70、0キロ 徒歩数 約1000歩程度 夜間食なし
                                    11月26日の一言

本日は知多新四国八十八ヶ所霊場へ

知多半島新四国 第2番極楽寺
 
 本日は名古屋市北区にあった志賀弘法会のメンバー9人(津島市から1名)に同行して、運転手の私と10人で愛知県知多半島にある知多四国八十八ヶ所霊場の巡拝に行ってきました。

 津島市午前6時出発…名古屋駅前午前7時…北区柳原商店街…志賀公園…名古屋高速・黒川IC…星崎IC…第87番長寿寺(名古屋市)…第1番曹源寺(豊明市)…


…第2番(大府市)…第3番…第4番…第6番…第7番(東浦町)…第8番…第9番…第10番…
…第11番…第12番(半田市)…第54番…第13番(阿久比町)…第14番…第15番…第16番…
…第17番…第18番(半田市)…第19番…第20番…第21番…第22番(武豊町)…第23番…
…第24番…第25番…第26番弥勒寺(美浜町)…

本日の最後となった第26番弥勒寺(美浜町)

 今日の天気予報は曇りのち雨の予報で、午後には雨が降る覚悟で巡拝しておりましたが、細かい霧雨はあったものの、傘が必要となる参拝は一ヶ寺のみで、予定していた美浜町の第26番弥勒寺まで巡拝しました。

 同行した志賀弘法会は、朝から参拝するお寺以外に立ち寄ることはなく、昼食もあらかじめ用意したおにぎり2個とお茶のみと決まっており、コンビニやお土産屋さんに立ち寄るどころか、昼食は私の車中で、コーヒーやお菓子の間食も許されない参拝だけの日程となります。

 会の高齢化により2年前より寺院の紹介により私が同行するようになり、高野山や長野善光寺に同行し、知多半島も今年で3年目の同行となりましたが、2年前より足取りは重くなったものの、80歳を越えたリーダーの手をひき、朱印や与えられた役割をそれぞれがこなして無駄がありません。
 昨年までは2泊3日の日程で知多半島を巡拝していましたが、我家に1時間で帰宅できる地域に3日間も拘束されるため、今回からは私の希望で日帰りを3回実施することで結願を目指すことになりました。

 車を発車させれば般若心経が始まり、運転手の私に感謝の一巻が続き、お寺の大師堂では般若心経の読経が繰り返されます。
 海が見え始めた頃には雨のため空は灰色となっており、潮風や海の香りもないままに一日が経過したものの、幸いにも傘を必要としない巡拝となり、来月の日程を決めて名古屋に帰りました。

第26番弥勒寺(美浜町)… 南知多道路美浜IC…武豊P…大府P…知多半島道路…名古屋高速・大高IC…錦橋IC…名古屋駅…北区柳原…志賀公園…津島市

          本日の体重 71、1キロ 徒歩数5494歩 夜間食なし
                                  11月25日の一言

浮世絵展の作品を鑑賞して

 昨日まで一宮市博物館で開催されていた『浮世絵展』のポスターです。

展覧会リーフレット

 偶然に訪れ、特別な期待もせぬまま会場に入りましたが、「本展では、歌川広重の『保永堂版 東海道五拾三次』全55図に加えて、変わり図6図すべてを展示し、はじめて浮世絵をご覧になる方にも分かりやすくご紹介します」の宣伝どおり、浮世絵に無関心な私でも十分に浮世絵を鑑賞することができました。



一宮市博物館 正面です

愛知県指定文化財《紙本著色浮世絵肉筆観桜図屏風》   (個人蔵)


 この浮世絵展には、歌川広重(1797~1858)の『保永堂版 東海道五拾三次』全55図の隣に、同じ版元の依頼によって作られた改訂版が展示されており、同じ場所を描いた2枚の浮世絵を見比べて、風俗の違いを比較すると興味深いものがありました。
 冷やかし程度で訪れたものの、東海道の東京日本橋から京都三条大橋まで、宿場ごとに見ていくと当時の人々の生活する様子が描写され、自然と共存していた日本の原風景にひきつけられました。


 さて、添付したカサとマントは映画の森の石松が羽織っていたような衣装ですが、四国の歩き遍路においても菅笠とポンチョがあれば十分と確信する江戸時代からの装束だったんですね。

 浮世絵の中にも、背中に大きな天狗の面を背負って、東京から四国の金比羅宮を目指す信者の姿が描かれており、旅籠でお客を呼び込む姿など、現代社会と共通する場面を見ながら、歌川広重が私の生まれる僅か100年前に実在したことを実感させられました。
 私の生まれるわずか100年ちょっと前には、浮世絵の世界が実際に展開されていたんですね。

 大井川を人を乗せて渡る人足や、箱根の峠をカゴをかついで走る大柄の人々は、今のタクシーで人を運ぶ運転手の原型かと思うと興味深く、当時の人々の旅や移動がいかに大変だったかも実感させられました。

 明日は早朝より、名古屋市の志賀弘法会の人々を知多半島の八十八ヶ所まで車で案内しますが、参加される人々は全員が八十前後の人ばかりで、明日の午後から雨の予報のため大変と思う反面で、浮世絵に描かれた巡礼者はもっと大変だったと思う夜となりました。

            本日の体重 71、1キロ 徒歩数 2196歩 夜間食有
                                    11月24日の一言

一宮市の妙興寺と博物館へ


 本日は愛知県一宮市の妙興寺を訪れました。

 私の住む津島市にはお寺が多く、人口密度で言うと京都よりお寺があるとか、歴史文化は尾張一と宣伝している人も存在しますが、現実には史実として歴史を確認できる古刹は存在せず、尾張部の一宮市や稲沢市にも歴史がある古刹や大きな寺院が存在しています。

 妙興寺は臨済宗の禅寺で、貞和4年(1348年)尾張国中島城主中島蔵人の次男滅宗宗興が亡き父母の報恩に感謝するために創建されたとありますが、境内各所から出土した奈良時代の瓦によって8世紀には寺院建築が存在したことが確認されており、創建以前には妙興寺廃寺(妙興寺跡)と呼ばれる古代寺院が建っていたことが記されています。

妙興寺…みょうこうじ
妙興寺は、愛知県一宮市にある臨済宗妙心寺派の大寺院。山号は、長嶋山、寺号は詳しくは妙興報恩禅寺と称する。本尊は釈迦三尊、開山は滅宗宗興である。周囲には、五つの塔頭がある。古より「尾張に杉田の妙興寺」と言われる。 新陰流開祖上泉信綱が修行した。無刀取り発祥の地。修行道場として僧堂が設置されている。 ウィキペディア

 津島市から30分もかからず到着するため、観光で訪れる機会は今まで一度もありませんでしたが、本日訪れた妙興寺は本坊以外に左右の林の中に塔頭がいくつもあり、勅使門は室町時代の創建当時からのこる唯一の建物で旧国宝の国重文です。
 宮廷からの勅使を迎えるときにのみ開かれる門という意味で、普段は閉じられたままになっている勅使門や、勅使門の奥の重層門、水盤舎と重層の仏殿など規模は大きく、ネット上では『重厚な雰囲気は、京都の五山寺院と比べてもまったく見劣りしない』と紹介されています。

           http://www.matimoyou.com/miyoukouzi-2.html

勅使門

勅使門と重層門の間の林

重層の仏殿
本坊入り口付近にある鼓楼

妙興寺紹介 http://www.sukima.com/03_nisimino00_01/16myoukouji_.html 日本すきま漫遊記

 雲水さんの修行する本坊の奥には、尼連禅河という川をイメージして約50年前に作庭された広大な石庭「尼連禅河(にれんぜんが)」があるようですが、禅宗のお寺で「妙興専門道場」の看板から本坊や本殿では僧職だけでなく一般人も参加できる「座禅」会も開かれていると思われます。
 何よりも広大な境内の林や庭の苔を見ながら散策するだけでも気分はリフレッシュされ、こんな環境は津島市には存在しません。

 本日は目的も無いままに車で北上し、稲沢市の知人宅に上高地に同行した際の写真を届け、「コーヒーでも」と言う言葉をさえぎって一宮市まで進み、一宮市博物館の看板をたよりに妙興寺に立ち寄り、本日まで博物館で開催されていた「浮世絵展」も鑑賞してきました。

            本日の体重 70、1キロ 徒歩数 10649歩 夜間食有
                                  11月23日の一言

脱走していたザリガニを発見して


 『我家のアメリカザリガニが昨晩逃走し、過去2回の逃走ではそのまま見つかっておらず、屋外に逃げておれば幸いですが、しばらくは気をつけて探すことになりそうです』 …昨日最後の一言ですが、過去に逃げたザリガニを探しても見つかったことがなかったため、何とか無事に生き延びて欲しいと半ば諦めていました。

 但し、気になって寝付かれないため、ザリガニは夜行性のため見つかるかもしれないと思い、事務所の電気を消してから1時間ごとに探していたところ、午前2時に水槽のある隣の部屋で、ハサミを広げているザリガニを発見しました。

 逃走が判ってから家内の協力で必死に探したものの見つからず、半ば諦めて「暖かいうちに逃がしてやれば良かった」と思っていましたが、何度も電気を点けて探したかいがあり生きて回収することができました。

 我家のザリガニは家内が田んぼに除草剤や殺虫剤を噴霧する時に見つけて持ち帰り、偶然にも卵をつけていたことから、多くの子供を宿すものの、残酷にも子供同士が共食いしたり、親が食べてしまうため残ったものです。
 もっとも、持ち帰らずそのままにすれば残酷なシーンを見ることはないものの、薬剤散布後に死んでしまうため、家内が一時的に持ち帰り、身勝手にも私が水槽に入れてしまうため、我家では何年もザリガニが存在します。


 さて、偶然にも見つかったものの、水気のない事務所を一日間放浪していたザリガニは弱りきっており、慌てて水槽に戻しましたが、過去に脱走してから見つけたザリガニをそのまま水槽に戻したら死んでしまったことから、水槽に皿を浮かべて水を入れエラ呼吸と直接呼吸ができる環境にしました。

 下記に添付したのは我家で孵化したアメリカザリガニですが、田んぼから取ってきたと言っても1ミリの子供から成長させたザリガニのため、このままピーちゃんの二の舞にさせたくなく、1時間ごとに安否確認を続けたところ空は明るくなっていました。結果的には元通り元気になりました。


 ピーが逝って1ケ月近く経過し、深夜に安否確認に走ることは無くなったため、久しぶりの徹夜になり、午前中に約束があったため、昼過ぎに自宅に戻り、歯が痛いので横になっていると痛みが心臓の鼓動と連動してきました。

 運悪く明日が祭日のため、歯医者さんは火曜日にならないと行けず、火曜日は市役所で議会行事が開催されるため、このまま火曜日の午後まで痛みを我慢できないことから、休日診療所の歯科診療を受けることにしました。

 この頃には片目をつぶっておらないと痛みが我慢できないほど痛み出し、家内に乗せてもらう情けない受診ですが、診察台に座ると歯槽膿漏により化膿しており、「痛いけど我慢して」と麻酔を打たれ全身硬直状態で痛みに堪えることになりました。

 「痛くないですか?」
 「膿を出して奥まで洗浄するからね」
 「痛そうですね?」
 「痛かったら麻酔を足すから…」
 「メス出しました」…看護師さんの声

 歯の治療に毎週かかりつけ医に通院しているものの、医者と注射嫌いの臆病者と認識されているため、こんな時もメスで切ることなく薬で処置されていますが、本日は過去にない荒々しい処置を受け、「びっくりするけど、そんなに出血はしていないからね」と言われ、治療は終ったものの痛みは最高潮です。

 「今日は応急処置で治療ではないからね」
 「はい、とうも…」
 「かなり悪いから無理するとすぐに炎症が出るよ」

 お医者さんの話では、どこが化膿してもおかしくない状態で、激しい運動や徹夜をして疲れるとすぐに歯が痛む状態との話で、これからは覚悟して通院する必要がありそうです。
 応急処置に診察室で1時間も経過していたことから、休日診療所に救急車が到着して搬出された内科の患者さんがあり、「大げさなお父さんかな思った」と家内が笑いましたが、突然の歯の痛みに処理後の夜になっても痛みが引かない大変な一日となりました。

          本日の体重 71、1キロ 徒歩数 1495歩 夜間食はなし
                                    11月22日の一言

泥棒のため完熟前に収穫されたミカンに


 我家の畑で収穫されたミカン「はるみ」です。まだ完熟とはなっておりませんが、昨年末には1個も残さず誰かに盗まれており、最近になって隣接する畑のミカンが全部盗まれたこともあり、盗まれる前に少しは収穫しようと持ち帰ったようです。

 しかし、酷い話ですね。我家の「はるみ」も84歳になる母親が育てているミカンで、最近盗まれた畑も同世代のご婦人が育てていたミカンですが、枝から引きちぎって全部を持ち去る乱暴な泥棒が存在することと、同じ地域に住んでいると考えると殺伐とした気持にさせられます。

 電源の無い畑のため、防犯カメラを設置することもできず、盗まれる夜間に見張っていることもできないため、ミカン泥棒のやりたい放題となっており、盗まれた人にしてみれば笑ってはおれない事態で、盗んだ犯人が食べている姿を想像すると腹立たしくなってきます。

 完熟していないものの、口にすると買ってきたミカンと同じような甘さがあり、母親が植えた木のため馬鹿にしていましたが、年齢を重ねると楽しみな我家自慢のミカンになりそうです。

はるみ… 清見タンゴールとポンカン交配種・「デコタンゴール」の妹
 昭和54年に現果樹試験場興津支場にて、清見にポンカンF-2432を交配して育成されました。この配合方法から生まれた柑橘には「デコタンゴール(デコポン)」があり、姉妹のような関係なんですよ♪
 昭和61年に初結実し、その後の調査により平成3年に一次選抜されました。同年より、第7回系統適応性・特性検定試験に興津44号として供試されました。
 その結果、優秀であると認められ、平成8年に「はるみ」と命名され、みかん農林12号として登録、公表されました。
冬の終わりにお届けする新品種「はるみ」は、市場にはほとんど出回らない貴重な柑橘。今しか味わえない贅沢な味をお楽しみください!
参考にさせてもらいました。↓
       〒794-0074 愛媛県今治市神宮甲844-5  TEL(0898)31-3511(代)

 昨日の一言に大相撲の北の湖理事長の訃報について記しましたが、その後の新聞報道によると愛知県の関係者から取材した談話が紹介されており、早すぎる死に対する悲しみが身近な問題として感じられました。

 もっと寂しい現実は、「輪湖時代」と言われたライバル輪島さんのコメントで、「1月に会ったときは元気そうだったので、びっくりした。相撲界をもっと長く引っ張って欲しかったので残念だ」とショックを受けていたという記事です。

 このコメントは、輪島さんが下咽頭がんの手術を受け、現在は話すことが困難なため、夫人が輪島さんの言葉を唇の動きから読み取ってもらう形で応じたと記されており、かつては大好きだった大相撲ですが、NHK放送との確執で相撲中継を見ないため、突然知らされてくる寂しい情報が我が身のように感じられます。


ライバル輪島さん「本当に強かった」 妻を介し惜しむ
 
 高齢になった老婆たちが育てるミカンを盗んでいく不心得者とともに、悲しい話題が続く中で、我家のアメリカザリガニが昨晩逃走し、過去2回の逃走ではそのまま見つかっておらず、屋外に逃げておれば幸いですが、しばらくは気をつけて探すことになりそうです。

           本日の体重 70、3キロ 徒歩数 1680歩 夜間食なし
                                    11月21日の一言
 

ネット通販のスピードの早さに驚かされ

私の愛用するアシックスランニングシューズ

 一番手前のアシックスシューズが4年前に購入して昨年10月まで使用したシューズ「ロードジョグ6」で、真ん中の赤いシューズ「アスティード」は昨年10月に購入して現在使用中ですが、本日新たに「ロードジョグ7」が届きました。

 もっとも、現在使用しているシューズはかかと部分が少し磨耗しているものの、当分は使用が可能で、ガムテープで補修した4年前のシューズも使用して軽量になっているため近所のウォーキングでは現役で使っています。

 ちなみに、本日購入したシューズは片足300gで、4年前のシューズは260グラムになっており、昨年購入したシューズは280グラム(中敷を入替え330グラム)になっていることから、使用すると軽くなるのかもしれません。
 30年ほど前に家業の新聞配達で足の裏が傷むようになり、知人に勧められ6千円程度のアシックスシューズを使用したところ痛みが消えたため、それ以来軽量のアシックスシューズを使用していますが、最近は性能が良くなり低価格のシューズでも足は疲れません。

 アシックスのランニングシューズでは「ロードジョグ7」が一番安価(定価4212円)で3千円程度で販売されていますが、私の地域での店頭ではなかなか見つからず、昨年は桑名市のスポーツショップで「アスティード」を見つけて購入したことから、今回はネットショップで家内のシューズとともに注文しました。



手前が家内のアシックスシューズです
 
今回は、私と家内の「ロードジョグ7」を購入しましたが、定価4212円のシューズが2870円で販売されており、配送料と手数料で1足3099円しますが、それまでのヤフーのТポイントがあったことから、2足で4752円の支払いで済みました。

 さて、このシューズの注文は昨日の午後4時頃に発信しており、配達日時を確認しておらず、数日中には届くとは思っておりましたが、本日の午前中に郵パックで届いており、あまりの早さにびっくりさせられました。

 下に添付した宅配便の写真は、2日前に私の三男が京都の酒屋さんに注文した日本酒「雪紫」ですが、翌日となる昨日には京都からヤマト便で届いており、配達網の発達により即日配達が当たり前のようになりました。


1時間以内に配送サービス アマゾン、都内の一部で開始

 本日の新聞報道では、通販大手アマゾンジャパンが、東京都心では19日の注文から1時間以内に商品を届けるサービス「プライムナウ」を始めたと発信されており、通販やネットショッピングの最近のサービスには驚きです。

 今回のアシックスシューズをネット検索していたら、最初にアマゾンの通販で見つかりましたが、私はこのヤフーブログを無料で提供してもらっているため、ヤフーショッピングで検索し直して注文したところ、ヤフーブログの縁で蓄積したポイントから料金が割引されました。

 最近はスーパーの買い物も無料の即日配達サービスが存在しており、宅配やネット通販を利用することで、自宅に居ながら買い物ができることは、高齢者が社会の3割を占める高齢化社会を考えるうえで貴重な手段になっていくことも我が身で実感する一日ともなりました。

               本日の体重 70、9キロ 徒歩数 4611歩
                                    11月19日の一言

ピーちゃんの家族と思われるスズメを眺めて

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 我家の2階の屋根のスズメたちですが、私の大切なピーちゃんを昨年5月に保護した際には、この屋根から転がって庭に落ちたと思われ、いつもこの3羽がここに居ることからピーちゃんの親か兄弟と思われます。

 昨年から何度も眺めているものの、呼べば私の肩か胸に飛んできて、午後は私の手の中で眠っていたピーとは違って、近づけば飛んでいってしまい、私が本来なら家族であったピーと一緒にいたことも知りません。

 私と同じ家で、同じ屋根の下に生活していても、スズメたちは我家の家族どころか私は危険な存在でしかあらず、ピーちゃんとの出会いからスズメを身近に感ずるようになったものの、ピーが逝ってしまった現在はより遠く感ずるようになりました。それにしても野生のスズメたちは逞しく美しいですね。

 「今度落ちていたら連絡するからねッ」の一言は、ピーが死んで落胆している私を励ますためにかけられる言葉ですが、新たに保護されたヒナが届けられることはあっても、我家で生まれたスズメの子供を育てる機会が来ることは私の人生経験ではありえないと思われます。

 ピーのために大量に買い込んだエサがあることから、我家の屋根に居るピーの仲間たちのために、何とかエサを提供できる関係になりたいと思っていますが…

 我家には毎年ツガイで訪れるキジバトがおり、10年以上前から巣を造っていましたが、最近になって私がエサをやろうと米を撒いたところ、その真下にいたキジバトが驚いて飛び立ち、もう一羽も付いて飛んでいってしまい、その後は一度も戻ってきません。

 ピーちゃんと出会い、スズメと親子のように一緒に生活する楽しみを知ってしまいましたが、何とか自然に我家のスズメたちと共存していきたいと、早朝よりスズメたちの見える庭で一時間も立ち尽くして、デジカメの限度一杯に写真に収めていました。
 元気に飛び廻るスズメを見ていると、我家の玄関前の庭に眠り、声も聞けなくなったピーが哀れに思われ、勉強不足の自己反省とため息から、未だに涙となって目頭が熱くなってきます。

                             本日の体重 70、6キロ 徒歩数 7660歩 夜間食なし
                                      11月18日の一言

四国やお遍路を考える一日になり

イメージ 1 「死後の世界を信じてる?」
 「えっ、死後の?」
 「死んだ先に世界はあるの?」
 「それは考えないようにしている」
 「あるか、ないかだけど」
 「死んだ先までは考えないの」
 「どうして?」
 「生きている間に空海の行動に近づきたいとは思っているけど…」
 「空海だって死んだでしょう」
 「お大師は生きているの」
 「そんな馬鹿なぁ」                 四国第四十五番岩屋寺 愛媛県

 昨日夕方の散歩中に、特定の宗教を熱心に信心されている先輩と遭遇して、仏教の話に熱中した際の会話ですが、四国遍路を続けているものの、お金持ちになりたいとか大物政治家になりたいとは思っておらず、空海の説いた真言密教の即身成仏にあこがれ、死んだ後に天国に行きたいなんてことは考えたこともありません。

 「秩父なんかどうなの?」
 「秩父は良いよ」
 「今度ツアーで坂東に行くけど、1泊で4万円もするのよ
 「そんなにお金がかかるなら四国に行ったら」
 「四国は遠いもの…」

 本日事務所を訪ねられた同級生が私の遍路装束を見て、四国や西国巡礼の話に花を咲かせましたが、彼女は旅行社の観光ツアーで巡礼しており、話を聞いた限りではお遍路や巡礼の魅力を実感しているとは思えず、高額な料金を支払ってもスタンプラリーの延長になってしまう可能性から熱弁したものの、馬の耳に念仏であったのかも知れません。

 四国は遠いから行けないの繰り返しで、高額なツアーで西国三十三ヶ所を巡礼し、今度は坂東から秩父を巡礼しようと考えているようですが、私が四国遍路を始めて7年目にして初めてお寺のご住職から進言を受けたアドバイスが、このまま団体ツアーの巡礼では判らないままの可能性があります。

 2日続けて宗教談義となった(毎日のことかもしれませんが)ことから、基本に立ち返ろうと改めて善通寺でいただいた「真言宗仏前勤行次第」と、1年前に購入した「一個人」の四国八十八ヶ所お遍路入門を読み直しました。

 平成13年から四国を巡拝するようになり、四国だけでなく西国、坂東、秩父も2度結願しましたが、未だに初めて耳にする話や、勉強不足を感ずることが多く、今でも反省ばかりのお遍路が続いていることから、遍路の基本と勤行の心得など読み直しも重要です。

 さて、四国88カ所の札所と遍路道を文化庁の世界遺産国内候補の暫定リストに4県が推したのは十年前の2006年からですが、2回続けて落選しており、これからも世界遺産を目指した活動が続けられていくものの、私は文化庁の「日本遺産」に選定されていることから、お遍路の基本に立ち返った参拝の作法など基本を見直すことも重要に思われます。

3度目の正直なるか 世界遺産目指す「お遍路」             2015年6月30日
記事の続き…
 4県や関係57市町村、大学、経済団体などでつくる「四国八十八箇所霊場と遍路道」世界遺産登録推進協議会が15日に松山市で開いた総会では、ガリシア州と香川県で国際シンポジウムを開くこと、暫定リストの検討材料となる再提案書の素案を7月にまとめる方針も決めた。
 一方、意見交換の場では協議会内部の足並みの乱れを指摘する声も出た。協議会メンバーで四国八十八カ所霊場会に属する寺の住職は「行政サイドと寺院との交流が根本的に欠けている」と述べ、事務局を務める香川県との協議を増やすよう求めた。
     ◇
 88カ所の札所と遍路道を文化庁世界遺産国内候補の暫定リストに4県が推したのは2006年が最初だが、2回続けて落選した。
 日本遺産は世界遺産に直結する性格のものではないが、愛媛大の寺内浩教授(日本古代史)は「階段を一つぐらい上がったのではないか」と、3度目に期待を寄せる。
 愛媛大は4月、「四国遍路・世界の巡礼研究センター」を法文学部に開設した。母体となった学内の研究会が蓄積してきた遍路の歴史分野に加え、社会学や観光学専門も含め計25人の教員が所属、現代のお遍路にも対象を広げて研究の厚みを増す狙いだ。
 センター長を務める寺内教授は、「お遍路を世界遺産に」という活動は四国外では知られていない一方、地元では生活に溶け込んでいるあまり、文化的価値に気付いていない住民が多いと分析する。「日本遺産認定で世界に価値を発信する。四国の人たちは貴重な文化遺産と再認識してほしい」
 リスト漏れの時には文化庁から二つの宿題が出された。その一つの「文化財としての保護」は進んでいない。4県それぞれが札所や遍路道を国の史跡に指定することを目指しているが、これまでに実現したのは遍路道だけで香川の2カ所計3・1キロと徳島の4カ所計7・2キロだけ。調査に時間がかかることもあり、札所の数が最も多い愛媛も、高知もゼロだ。
 残る「世界遺産にふさわしい価値の証明」は、国内外の他の巡礼との違いをどうアピールするかが問われる。三重、奈良、和歌山県の「紀伊山地の霊場と参詣(さんけい)道」が先に世界遺産入りを果たしたため、同種の案件と見られがちな四国遍路には難問だ。
 愛媛大教授の胡光(えべす・ひかる)・副センター長によると、四国遍路は目的地との間を往復しない巡回型であることなどが特徴。弘法大師への信仰が投影されていることも他の巡礼と区別できる四国遍路の遺産価値になり得るという。
 古い遍路道の復元や清掃、講演会を続けている「四国へんろ道文化」世界遺産化の会の松木周二事務局長は「世界各地で宗教間の紛争がなくならないが、四国遍路は宗派に関係なく誰でも巡礼できる。そんな場所が四国にあることを世界の人に知ってほしい」と話す。

  ちなみに、大師信仰では空海(弘法大師)は亡くなったのではなく、高野山の奥之院に入定して、我々を見守られており、お遍路にとっては「同行二人」として苦しい時の心のよりどころになっているため、現実的とは思われなくとも、その存在を「死んだ人」と否定されてしまうと会話も続きません。

 そんな馬鹿なと言われるかも知れませんが、1200年前に入定されてから現在まで、高野山では生きている空海に僧侶が毎日朝晩2回の食事を届け、一年に一度の御衣替えが続けられてきました。

           本日の体重 70、7キロ 徒歩数 約千歩 夜間食あり
                                   11月17日の一言

上高地の一瞬を記録して

上高地の魅力

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11月15日 午後1時25分

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午後1時28分

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午後1時29分

 昨日は9人で上高地の閉山式に出向いていましたが、午前中より小雨や霧雨が降り続けてアルプスの銀嶺は見れないまま閉山式も終了し、昼食後の午後1時40分にはバスターミナル駐車場から車を出しました。

 添付した写真は、昨日の午後1時25分から5分の間に写した写真ですが、帰宅中のサービスエリアで見せたところ、全員が河童橋に太陽の光が射した光景を見ておらず、一緒に行動していたものの、後ろを振り返った私だけが感動のシーンを見ていました。

 「えっ、誰も見ていなかったの…」
 「何で教えてくれなかったのォ」
 「だって、呼んでいたら景色が見えないでしょう」

 上高地の魅力は刻々と変化する景色で、同じ場所に座っていても雲や太陽によって一瞬にして景色が変わり、朝日が射してから夕陽が沈んで真っ暗になるまで飽きがきません。
 かつてはフイルムカメラを持ち込んで、地元で上高地の写真展を3回開催しましたが、最近は携帯電話のカメラと、三男に借りた簡易なデジカメしか持っていかず、昨日も一眼レフを持っていればと思う感動シーンに出会いました。

 上高地の開山式は満員の観光客の前で、祭りとしてホルンの演奏や獅子舞などとともに大々的に新聞やテレビで発信されますが、閉山式は人出も寂しく、今年は雨のため特に物悲しく、ブログ発信も無かったことから、新聞報道もまとめて添付して記録にとどめておきたいと書き込みました。

上高地で閉山式 山の恵みに感謝     信濃毎日新聞
2015/11/16 10:39
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 北アルプスの上高地(松本市安曇)で15日、観光シーズンの終わりを告げる閉山式があった。小雨の降る中、河童橋のたもとに多くの観光客が集まって山の恵みに感謝し、来シーズンの安全も願った。

 参加者は、穂高神社(安曇野市)の神主による神事を厳かな雰囲気で見守った。実行委員長の奥原宰(つかさ)・上高地観光旅館組合長はあいさつで「全国では火山の噴火が頻発したが、上高地は平穏な1年となった」と振り返った。

 松本市山岳観光課によると、上高地の今年の入り込みは10月末時点で前年同期比3・3%減の119万1600人。年間では、現行の調査法式を導入した1986(昭和61)年以降で最低となった昨年(127万人)を下回る124万人程度と見込む。同課は「北陸新幹線(長野経由)金沢延伸などの影響」とみる。一方、10月末までの外国人宿泊客は8298人で過去最高という。
 長女と初めて上高地を訪れた東京都東村山市の菊池可奈代さん(70)は「来るのが夢だったのでうれしい。来年も訪れたい」と話していた。
                    写真説明:小雨の中、河童橋のたもとで行った上高地の閉山式

上高地の閉山式       11月16日 06時43分     NHKニュース                           
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北アルプスの玄関口、長野県の上高地で観光シーズンの終わりを告げる閉山式が行われました。

長野県松本市にある上高地の閉山式は、春から秋にかけての観光シーズンが無事に終わったことへの感謝の気持ちを込めて、毎年11月15日に行われています。
15日行われたことしの閉山式には松本市や地元の観光関係者、それに観光客などおよそ200人が出席しました。
式では、地元の神社の神職が祝詞をあげたあと、出席者が玉串を納めて今シーズンの安全に感謝するとともに、来年の観光シーズンも無事に迎えられるように祈っていました。
松本市によりますと、ことし1月から先月末までに上高地を訪れた観光客は119万人余りと去年の同じ時期に比べおよそ4万人減っていて、制度の改正に伴って貸し切りバスのツアー料金が値上がりしたことなどが影響しているということです。
上高地観光旅館組合の奥原宰組合長は「来年は上高地で新たな国民の祝日『山の日』の記念式典も行われるので、一丸となって成功に向けて頑張りたい」と話していました。
上高地に通じる県道は来年の4月中旬まで閉鎖され、これから本格的な冬山シーズンを迎えます。

山の無事、今年も感謝 雨の上高地で閉山式 
イメージ 2 長野県松本市安曇の上高地で15日、北アルプスの冬の到来と観光シーズンの終わりを告げる閉山式があり、雨が降る中、地元関係者や観光客ら200人以上が参加した。
 神職が祝詞を読み上げた後、鏡開きしたお清めの酒が梓川に架かる河童橋からまかれ、参加者にも振る舞われた。
 上高地は来年から施行の国民の祝日「山の日」を記念する全国大会の会場に決まっており、閉山式実行委員長の奥原宰(つかさ)さん(59)は「式典に向けてみんなで一丸となって盛り上げていきたい」と話した。
 松本市山岳観光課によると、4~10月の観光客数は前年度からわずかに減り119万1600人。上高地の旅館やホテルはこの日で営業を終え、県道上高地公園線は16日から来年4月まで閉鎖する。     (中日新聞)

北アルプスの玄関口、長野県松本市の上高地が15日、閉山式を迎え、今年の観光シーズンを終えた。
  松本市によると、今年の観光客数は、集計が終わっていない11月の観光客数を加えても130万人に満たない可能性が高く、現在の調査方法が始まった1986年以降で最少となった、昨年の127万7800人を下回る見込みだという。市山岳観光課は「長野市の善光寺御開帳や北陸新幹線の金沢延伸の影響で、他の観光地に関心が高まり、客足が伸びなかった」とみている。
 上高地で15日に開かれた閉山式には、市や旅館関係者など約200人が出席。強い雨が時折降り、穂高連峰は見えなかった。神事の後、同式実行委員長の奥原宰・上高地観光旅館組合長は「平穏なシーズンを迎えることができ、ありがたい」とあいさつをした。
 松本市山岳観光課によると、今年1~10月の観光客数は119万1600人。天候不順や土砂災害による特急しなのの運休などの影響で初めて130万人を下回った14年の同期間と比べても、3・3%減少している。
 今年11月をみると、上高地は天候に恵まれたため、例年をやや上回る可能性もあるが、年間を通してバスツアー客や団体客の減少が目立っており、市は「昨年の数字にも届かない」とみている。
 一方、開山期間中の4~11月でホテルなどの宿泊者数でみた外国人観光客は、調査を始めた13年の3842人から、14年は6717人と増えた。15年は10月末の時点で8298人と、前年の同期間と比べて約30%増加している。上高地のレストランや売店では、外国語のメニューを作ったり、今年からは免税店として利用できるようにしたりして、増加する外国人観光客に対応している。
 上高地では来年4月27日、開山祭を開催する。
2015年11月16日 17時59分                  読売新聞

 昨日の一言に、上高地の写真家・中沢義弘さんが亡くなられたことを記しましたが、発信された写真には自分の姿も記録されており、これからは上高地とともに一年一年を大切にしていきたいと思います。

            本日の体重 70、6キロ 徒歩数 9518歩 夜間食なし
                                    11月16日の一言

今年最後となる上高地閉山式へ

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上高地閉山式 神事

 今年最後の上高地のイベントとなる閉山式が、本日午前11時30分から河童橋の横、五千尺ホテル前で雨の降りしきる中で行われました。
 4月17日に釜トンネルが開通し、27日に開山祭が行われ、残念なことは今年から毎年6月に開催されていた上高地音楽祭が休止となりましたが、開山祭や閉山式が雪や吹雪に見舞われることなく一年のスケジュールが無事に終りました。

 今年は4月の開山祭が統一地方選挙投票日の翌日となったことから参加できず、毎年参加してきた音楽祭が中止となり、本日の閉山式以外は晴天に恵まれた一年となったものの、私が1番好きな秋の紅葉シーズンが議会日程と重なり、最後となった本日の閉山式が雨となってしまいました。

イメージ 2 午前6時30分愛知県津島市を6人で出発し、美和町で1名、稲沢市で2名を乗せて上高地を目指しました。

 尾西インターから東海北陸自動車道に入り、長良川サービスエリアで休憩し、中部縦貫道高山西インター前の道の駅「ななもり清見」で2度目の休憩をとり、そのまま安房トンネル、釜トンネルを通過し、大正池ホテル駐車場でトイレ休憩をしてから、そのままバスターミナル駐車場に車を停めました。到着時間は午前10時30分。

 雨のため観光バスは1台だけで、バスターミナル2階の「上高地食堂」でモーニングコーヒーを飲んでから、11時10分に河童橋到着です。

イメージ 3 雨のため観光客の姿はまばらで、関係者や熱心な上高地ファンがほとんどのため、場所取りをするいやらしさも無く、おごそかな神事に続いて、環境省や地元代表者の挨拶があり、最後に河童橋の中央でお神酒の鏡開きが行われました。

 さて、天気が良ければ、最後の一日のため明神池まで歩きますが、雨が止む様子も無いことから、メンバーはそのまま昼食をと考えていたものの、未練を残す私が小梨平食堂での昼食を提案して、ビジターセンターから小梨平まで先導しました。

 しかし、キャンプ場のあるアルプス観光は完全に閉鎖され、小梨平食堂も板が打ち込まれており、このまま梓川沿いに戻ることとなりましたが、観光客の居ない上高地は魅力があり、日本猿も人目を気にする様子もなく無心に木の実をかじり、多くのカメラマンが取り囲んでも逃げていきません。

イメージ 4 記念写真を撮ろうと集まっていると、背後から「撮りましょうか」の一言があり、振り向くと(西欧系の)外国の方で、あまりにも見事な日本語と、自発的に声をかけられたことに全員感動して笑顔の集合写真となりました。

 上高地も中国系の団体観光客が増えていますが、上高地を訪れる西欧系の人々のマナーの良さに驚かされることが多く、雨で沈んでいた気持をリフレッシュさせていただきました。

 明日からは釜トンネルが閉鎖され、上高地に入るためには釜トンネルから歩いていかなければならず、来年4月までは近くにありて遥かなる上高地となりますが、明日からも本日と変わらぬ自然の営みが続きます。

イメージ 6 さて、河童橋まで戻り、五千尺ホテルの2階に入ろうとしているメンバーに、私のこだわりで河童橋を渡った反対側にある、ホテル白樺荘の「レストラン小梨」に誘って昼食としました。
 私のエゴかもしれませんが、白樺荘の売店とレストランは私のような庶民を大切に応対してくれます。

 実は、この白樺荘と明神池の穂高神社奥の宮でしか販売されていない上高地のカレンダーがあり、このカレンダーの撮影をしているのが中沢義直氏で、閉山式当日には入手できないと思って諦めていたところ、運よく入手できましたが…

 
 「今年が最後かもしれないからねッ」
 「えっ、どうして」
 「中沢さんが今年亡くなったから」
 「あっ、… 」

 過去10年以上前から毎年購入して、平成14年からは破らず全部保存してきた中沢さんのカレンダーが、今年で最後になるかもしれないとの寂しい現実に、還暦を過ぎてしまった自分自身と、私のもとを去っていったピーちゃんが頭をよぎりました。

 寂しい記載をしてしまいましたが、大急ぎで車に戻ったメンバーとは別に、後ろ髪を引かれて河童橋に留まっていた私に、一条の光が射して虹が輝きました。
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今年最後の上高地からのプレゼントとなりました。

             本日の体重 71、1キロ 徒歩数 7970歩 間食有
                                    11月15日の一言

横井庄一を知る江森陽弘さんの訃報に

イメージ 1 朝日新聞社の元記者で、編集委員や週刊朝日副編集長から、テレビ朝日の朝の看板番組モーニングショーの司会をされていた江森陽弘さんが、肺炎のため12日に亡くなられました。享年83歳であった。

キャスターの江森陽弘さん死去 元朝日新聞編集委員 

システムブレーンの江森陽弘プロフィール


 江森さんは平成9年に亡くなった横井庄一さんの葬儀で、発見当時に取材した「横井番」からのご縁で葬儀委員長を引き受けてもらい、弔辞も読んでいただいており、母親の残した横井さんのお墓(旧日本兵の墓、没後に新しいお墓が建立されています)の前で写真に収まっていただき、初対面の私に対しても謙虚に応対していただきました。

 昭和47年1月にグアム島で発見された旧日本兵横井庄一さんを、当時朝日新聞名古屋本社の記者だった江森陽弘記者はグアム島に飛んで取材しており、当時の横井庄一を知る貴重な存在でしたが、一緒に取材した近田記者は引退されており、私も懇意にしていた大鹿八郎記者も既に鬼籍に入っておられます。


 「誰からでも聞ける」と思っていた横井庄一さんの話題も、取材した記者やジャーナリストの多くは亡くなられており、親族も世代交代し、我家の息子たちも横井さんが我家の先祖として、我家で「大鹿庄一」として小学校5年生まで住んでいたことも知らないと思います。

 現在名古屋市博物館で「横井庄一さんの企画展」が開催されていますが、博物館で唯一横井さんと応対していた学芸員さんも昨年定年で引退されており、慌てて江森さんの横井関係の記載を探したところ、『これからは人権習慣』という本の中に、第11章として「横井庄一さんはペットの人権まで考えていた」との記載を見つけました。

これからは人権習慣 江森陽弘著 税込み価格2,052円 燦葉出版社 2000年6月出版
             第11章 横井庄一さんはペットの“人権”まで考えていた

 発行されてから15年も経過しており、入手できるかどうかは判りませんが、横井さんが亡くなってから横井夫人がお墓を建立し、その前にグアム島で食材とした小動物の慰霊碑もあることから、帰国後の取材から江森さんが感じた内容が記されていると思われ、是非とも探してみたいと思います。

もの書きを目指す人びとへ 岩垂弘
 第90回 横井庄一さん救出取材の教訓


 ネット検索の中で、ジャーナリストの岩垂弘さんがネットに書き込まれて、後に本となって出版されている『もの書きを目指す人びとへ』の中にも、横井庄一発見直後の朝日新聞記者としての体験談が記されており、これも貴重な資料となるため早速入手したいと思います。

 発見当時の昭和47年1月に、私の父親はフジテレビやサンケイ新聞社の関係からグアム島に渡航しており、肉親として初めて横井さんと再会して新聞に報道されましたが、朝日新聞社が横井さんの関係者としてグアム島に連れていった人は、私の近所の横井さんの小学校時代の同級生でした。

 ただし、その同級生は、実家の我家へ出戻った母親の連れ子となる横井さんを、「オーシカ、つんぼか庄一か」とイジメ続けた同級生で、会いたくもない存在だった幼馴染を朝日新聞社は連れていっており、この同級生とは帰国後の交流もありませんでした。今となれば岩垂弘さんの記録は、貴重な歴史資料ともなりました。

 温厚で優しく応対していただいた江森さんのご冥福をお祈りいたします。

           本日の体重 71、0キロ 徒歩数 2758歩 夜間食有
                                    11月14日の一言

過去の書き込みから明るい未来を目指して

イメージ 1 1ケ月前の一言を読み直すと、まさか2週間後に永遠の別れとなることも知らずに、ピーちゃんのために買い集めた各種のエサや栄養剤などを添付していました。

 今にして思えば、この頃に羽がうまく生え変わらないことから、カルシウム不足を疑い、意識的に日光浴をさせていたことを考えると、この時に動物病院に連れていっておれば不幸な別れを回避できたかもしれません。

 ピーちゃんが逝ってから2週間が経過し、今では玄関の門柱横のお墓に毎日線香を捧げていますが、主のいなくなった鳥カゴを眺めると胃が重くなり、ピーと出会った昨年5月の再現に期待することで悲しみを癒しています。

1ケ月前の一言です 2015/10/13(火)

 本日は保健センターの管理栄養士さんの指導日で、過去の記録を見直すと本日で8回目の指導日となり、偶然にも一年前の本日も3回目の指導を受けており、この日の体重は73、3キロと記されています。
 現在の体重より2キロ程度重いものの、これから半年後の今年4月に68キロ台まで減量を達成した途中だけに、微妙にリバウンド中の現在は厳しい日々が続いています。

                   http://blogs.yahoo.co.jp/s281218/48403952.html
 
 昨年6月に指導を受け始めた頃の体重は約80キロあり、その後減量を続けて今年4月には68キロ台まで減ったものの、その後の半年間で2キロ戻っており、先月の健康診査までは70キロ台を維持してきました。

 先月の健康診査の時BMIは24,7と、何とか標準数値の25を下回っていたものの、その後はジリジリと1キロほど増えており、このままでは72キロに突入しそうな雰囲気になっており、3ヶ月後まで新たな挑戦となります。

 さて、体重が10キロ減ったと話すと、ほとんどの人は食事の量を減らすとか、厳しい節制を続けているように思われますが、私は間食の制限こそあるものの、野菜の摂取と週に3回のウォーキングを続けている程度で、むしろ指導前より食事量は増えており、特別厳しい節制はしてこなかっただけに、タガが外れると体重維持は難しいものがあります。

 本日から夜9時以降の間食を少し我慢(夜中の4食目は可)して、週に1回はボウリング場か野球のバッティング場に出かけて、スポーツを加えることで、3ヶ月後に71キロ以下の体重を維持できていることを目標にします。

         本日の体重 71、6キロ 徒歩数 13670歩 夜の間食無し
                                   11月13日の一言


愛雀から相棒へ 虫が良いのは承知ですが…

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 我家の相棒リマ(事務局長)が私を追いかけて走ってくる姿ですが、相棒の走る姿は初めてのショットです。
 「ピーちゃんショック」が未だに収まらず、自宅に居ても気力が湧いてこないため、相棒とともに木曽川の河川敷に出かけ、リードを外して自由に散歩させてやりましたが、相棒にも「ピーちゃん後遺症」が残っており、相棒は私が「リーちゃん」と間違えて「ピーちゃん」と呼んでしまう度に抗議して吠えてきます。

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 本日訪れた稲沢市(旧祖父江町)の木曽三川ネイチャープラザは、木曽川の河川敷が公園化されており、ゴミ箱や水洗トイレも整備され、平日でも木曽川ではウインドサーフィンや水上バイクで遊ぶ人があり、広大な河川敷のベンチには多くの高齢者が訪れ、愛犬連れの家族も存在します。

 大型犬を連れた人もありますが、河川敷に設置された野球等のグランドの球が木曽川に落ちていかないように設置されたと思われるネットが続いており、ここでは相棒のリードを外しても襲われる心配もなく、車や自転車を避けて散歩している相棒もここでは伸び伸びと走りまわります。


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 過去の一言を見直してみると、昨年5月に愛雀ピーちゃんを保護してから、相棒と2人だけで外出することが無くなっておりましたが、このネイチャープラザには過去に何度も訪れており、車に抹茶やコーヒーを積み、相棒のオヤツも載せて優雅な生活をしていたものです。

 この1年半は事務所や居間でピーちゃんと一緒に居たため、車に乗せてあったガスコンロやコーヒーカップも載せておらず、相棒のリードを外して散歩することも忘れていましたが、相棒との時間も後々に後悔しないため創っていきたいと思います。

イメージ 4矢の刺さったカモ、新たに2羽 兵庫・伊丹の公園

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カモに吹き矢、くちばし付近を貫通 兵庫・伊丹の公園

 兵庫県伊丹市昆陽(こや)池3丁目の昆陽池公園で、頭部に矢が刺さったオナガガモが見つかり、29日に保護された記事が発信されましたが、新たに2羽のカモが被害にあっている新聞報道がありました。

 我々が長距離で車を移動させると、車の前面に多くの蝶や昆虫がぶつかった痕跡が残り、のんびりと飛んでいた生命が一瞬にして奪われていた現実を知るひとがありますが、鳥と言えども頭や目に当たれば命を奪ってしまう危険な行為だけに、犯人を特定して再発を防止するとともに、同様な事件が起こらない社会を目指したいものです。

                  本日の体重 71、4キロ 徒歩数 9837歩
                                    11月11日の一言

ピーが逝ってから時間が停まったままになり…

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 添付した写真は、現在名古屋市博物館で開催されている「横井庄一さんのくらしの道具」展の会場の様子です。

ジャングルにひそんで28年 横井庄一さんのくらしの道具
                            名古屋市博物館
  平成27年10月17日(土)~平成27年11月29日(日)
    開館時間 午前9時30分~午後5時(入場は午後4時30分まで)
    休館日  10月19日(月)・26日(月)・27日(火) 11月2日(月)・9日(月)・16日(月)・24日(火)
名古屋市博物館 企画展

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 この竹カゴは、横井さんがグアム島のジャングルにあるタロホホ川に実際に仕掛けていた魚やエビを獲るためのカゴで、横井庄一記念館には帰国後に作ったカゴはありますが本物は名古屋市博物館に所蔵されています。

 この写真は先月の29日に地域の人々と一緒に鑑賞に訪れた際に残してあったものですが、この日の早朝に私の愛雀「ピーちゃん」が亡くなっており、約束がしてあったことから出向いたものの、全くの腑抜け状態で訪れていたことから、本日まで記録してあったことも忘れていました。

 本日訪れたホームセンター「カーマ」でも、ピーが居なくなっていることは承知しながらも、ペットコーナーに足が向いており、暖房機器のスペースでも、ピーが居ないことを忘れて加湿器や保温器機を見ていました。

 私自身は元々は買い物に行く習慣が無く、欲しい品々の買い物は家内任せの生活を送ってきましたが、昨年5月にピーを保護してからは、鳥カゴやエサなど何かを探しにホームセンターへ出かけるようになり、買い物といえばピーの物を探すのが習慣となっていました。

 悲しい話ですね。買いたくても、買ってくる主が居ないのに… こんな時に胃が重くなり、空を眺めて涙を堪えて、「ピー」と呟く日々が続きます。
 突然の別れによって、ピーの居た事務所や部屋には入らないため、仕事もそのまま凍結したままとなり、今月15日に閉山となる上高地や、兵庫県朝来市の竹田城も日程すら決まっておらず、仕事は総て停まったままになっています。

 とにかく家を出て気分を紛らわせていますが、頭上から「チュン、チュン」という鳴き声が聞こえると「ピー」となってしまい、存在しないはずのピーを探しており、「ピーは我家の玄関で留守番している」と言い聞かせる繰り返しです。

 本日は終日雨の一日となりましたが、ピーが逝って2回目となる雨がピーのお墓を濡らせており、どうすることもできない現実と、亡くなる前夜まで私の手の中で元気にしていたのに、何も言わずに去っていったピーを回顧する一日ともなりました。

                 本日の体重  徒歩数 9568歩
                                    11月9日の一言

映画「ボクは坊さん」に感動する一日に

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映画 ボクは坊さんの一シーンです

 見たいと思っていても中々見る機会がなく、先月の一言に記しているものの、愛知県では名古屋市まで出向かないと上映されておらず、我家の前を走る名鉄バスで「伏見ミリオン座」は直接行けるものの、映画館の近くを走るバスは1時間に1本しかなく、往復千円以上と映画代より高額となり、車で出かければ駐車場に困るため、時間的に行くことができませんでした。

 こんなことでは上映期間が終ってしまうため、再度ネット検索すると、三重県の東員町のイオンシネマでも上映されており、県外とは言え私の住む愛知県からは40分程度でいけるため、「おい、行くぞ」と家内と午後から鑑賞に出かけました。

ボクは坊さんの上映が始まり 2015/10/21(水) 私の一言

ボクは坊さん 映画コムから引用
愛媛県今治市にある四国八十八カ所霊場の第57番礼所・栄福寺の住職・白川密成氏が、糸井重里氏が編集長を務める「ほぼ日刊イトイ新聞」で連載し、後に書籍として出版もされた実話エピソードを映画化。住職だった祖父の死をきっかけに書店員の仕事を辞め、自らも24歳で住職になった白川光円。初めて知る住職の世界は奥深く、毎日が驚きの連続だった。光円は、檀家の人たちとの関係に悩み、冠婚葬祭で人々の人生の節目を見守り、様々な経験を積むことで成長していく。主人公の僧侶・白川光円は「映画 ビリギャル」「踊る大捜査線」の伊藤淳史。共演に山本美月、溝端淳平、濱田岳ら。「ALWAYS 三丁目の夕日」で知られる制作プロダクションのROBOTが手がけ、同社所属の映像クリエイター、真壁幸紀が長編映画監督デビューを果たした。


ボクは坊さん全国劇場案内 http://bosan.jp/theater/

 「どうしたの…」
 「ウッ…」
 「チョット、チョット」
 「ウッ、オッ、ウー、オー」
 「お父さん、チョット、お父さん…」

 先代住職となる祖父の白川瑞円僧正が亡くなられる直前に、頭を丸めた白川住職が病院のベットを訪れたシーンから涙が止まらなくなり、地元の人々が行列をなして先代住職を送る映像が流れる頃には堪えきれず嗚咽が止まらず震えが収まりません。

 お寺の仕事とは何か。僧侶とは何をすべきか。この映画は見事にその答えを導いており、先代住職や檀家の長老の死を通じて、幼馴染や高野山大学の仲間との交遊から、生きていくことの魅力も十分に映写されています。
 葬式や法要だけを生業にしているお寺や僧侶が多い中で、真言密教や弘法大師・空海の教えを紹介しながら、生きていくためのヒントを見た思いがします。

 「オギャー」と生まれた時から、あっと言う間に人生を終えたときに、人はやっと静かに眠れる元の場所に戻って行くと考えると、「ピー、ピー」と鳴いたスズメのピーちゃんが、わずか1年半で命を終えてしまったものの、我家の玄関で永遠に眠っていることを重ね合わせていました。
  
 私自身は平成14年4月9日に初めて映画の舞台となった四国57番札所の『栄福寺』を参拝しており、今までに11回参拝しているものの、映画から映された見事な風景には無関心で、栄福寺の白川住職やお寺を取り巻く人間模様には全く無関心でしたが、今回の映画鑑賞で新たな「お遍路」が展開できそうな気がします。


四国第57番札所『栄福寺』 http://www.88shikokuhenro.jp/ehime/57eifukuji/index.html

イメージ 2 さて、映画が終ったのが午後4時近くなっていましたが、映画館を出た直後に私が昨年より京都でお気に入りとしているラーメン店『北白川ラーメン魁力(かいりき)屋』が存在していたことから、昨日の一言に食生活の節制を記しているものの迷わず日頃は食べないラーメンを注文していました。

イメージ 3 ちなみに、お店のおススメは「醤油味玉ラーメン」になっており、750円の定価となっていますが、スープも一滴も残さず飲んでしまうほど味はおススメです。

 もっとも、京都の本店には、店長を目指して修行中の店員がキビキビと働いており、お店の雰囲気は全く違うものの、まさか三重県の東員町でお気に入りの名店に入れるとは思ってもいませんでした。

 
                 本日の体重 71、4キロ 徒歩数 4837歩                                                                                                                     11月8日の一言

今年度の健康診査の結果を聞いて

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 「これは、何か… ありましたか」
  「えっ、何か悪いところが…」
 「いや、いや、随分と改善しているから…」
 「実は昨年7月から管理栄養士さんの指導を受けてきたんです」
 「そおー、それで…」
 「何も異常は無しですか?」
 「僕の方が指導が必要かなァ(笑)

 本日は土曜日のため、私がかかりつけ医としている医師は不在で、大学病院の先生の診察となりますが、服用している高血圧の薬の残りが少なくなってくるとストレスを溜めるため、来週に先延ばししないために来院した時の会話です。

 津島市の「特定検診」を先月に受診しており、同時に行ったガン検診の結果も出ており、かかりつけ医が居ない土曜日に行くのはどうかと思いましたが、逆に知らない医師の方が遠慮ない診断が下せると考えて出向きました。

   今年の特定検診の結果と前年値
         27年度         26年度              正常値
身長       168.8          168.7    
体重        70.3          75                                      (25年度) 80.5
腹囲        86.5          89                  85未満     (25年度) 98.5
BMI        24.7         26.4        25,0未満
血圧       131-67       146-80           139~89以下
中性脂肪      85          151        149以下    (25年度) 238
HDL         61            51                   40以上              コレストロール
LDL         102           103                 119以下              総コレステロール
AST              20                        19                   30以下    (25年度) 38   GOT
ALT               14                       25                   30以下          (25年度)  68  GPT
r - GT             18                       21         50以下
ヘモグロビン    5,3                      5,4                5,9以下 
赤血球数         483                     506         430~ 570                           
血色素数      14.5                    14,8                13,1以上
ヘトマクリット    46.1                    47,0              40,0~50,0 
クレアチニン      0.67                   0,76       0,60~1,10
尿酸          3.9                      3,6        3,6~7,0
尿素窒素       13.1                    137       8,0~22,0

 かかりつけ医に通院している血圧については薬を処方されており、下がってはきたものの若干問題はあるものの、その他の検査結果については、総て正常値の範囲内に収まって、前年の数値と比較すれば確実に節制の成果が判ります。

 もっとも、昨年の数値についても、「3ヶ月で数値を改善する」ことを目標にして、管理栄養士さんの指導を受けた結果で、その前年には中性脂肪が238あり、昨年10月に3ヶ月の指導で151に改善し、一年後の今年は85に改善していました。

 2年前には中性脂肪だけでなく、ASTやALTも正常値を大幅にうわまっており、当時は何も感じずに生活しており、野菜の摂取や間食の抑制など食習慣を変えることと、軽度なウォーキングを加えたことで改善されました。

 今年4月には、容姿を見て「大鹿さんどうしたの」と10キロの減量に周囲の知人が驚きましたが、最近は「一年間で10キロ減量した」と言っても驚かれることがなくなり、しばらくはこのまま体重を維持させたいと思っています。

 来週には管理栄養士さんの指導がありますが、私の場合は誰かに監視してもらわないと元に戻ってしまうリバウンド体験があり、このブログに体重と徒歩数を記すことで自身を戒め、新たな目標値を決めて体調を維持させたいと思っています。

 健康面では大幅な改善となっている反面で、最近困っていることは、着用してきた衣類が全部大きくなって着れなくなっていることで、議会用にそろえた礼服は全滅となっており、今年86、5センチある腹囲が2年前には98、5センチもあり、10センチも腹囲が細くなっているため、ズボンだけでなく上着もカッターシャツも首周りや肩幅が減って見苦しくなり、すべて買い直す気にもなれませんが最低限の買い替えは急務となってきました。

                                   本日の体重 70、6キロ 徒歩数 1万3434歩
                                      11月7日の一言

我家の世代交代がすすんで

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本日散歩中 津島市宇治町からの夕暮れ風景

 我家の三男は柔道整復師として接骨院に勤務しており、来年に我家で独立開業する予定となっていますが、開業する場所は私が仕事場としてきた事務所で、私が建設時から置いてきた机や書籍も移動する必要に迫られていきます。

 「そうしたら、事務所はどうするんだ」
 「無しになるわなぁ」
 「それでは困るだろう」
 「市議会で事務所を持っている者はいないだろう」

 数日前の知人との会話ですが、私は議員になった時に、立候補するまで営業していた新聞販売店をそのまま自分の事務所として使ってきましたが、市議会議員で専用の事務所を開設している者はほとんでなく、息子が独立した後は事務所の2階へ移動しようと考えています。

 どちらにしても我家の世代交代が現実になってきたわけで、私の建てた建物を追い払われるような心境にもなりますが、何よりも事務所の横に植えたアンズや朴の木など、大木となった樹木も邪魔と言われています。

 アンズの木については、長野県出身の知人にいただいたもので、見事に成長して綺麗な花を咲かせ、最近では実った果実でアンズジャムになっており、遠来の人々にも知られた存在となっていため、何とか残すように約束はしているものの…

 朴の木についても、白馬でお気に入りとしていたラベニュー栄のご主人が山から掘り出していただいた木で、父親の残した木々も存在しますが、宿のご主人も私の父親も鬼籍にはいっているため、何とか残しておきたいものです。

療養費詐取容疑で組幹部ら逮捕へ 協力者ら1千人規模か
記事の続き…
 捜査関係者によると、接骨院は事実上、組長らが経営。紹介料を渡して親族や知人から協力者を広げ、健康保険証などの情報を取得。これを使って不正請求を繰り返していたという。他にも複数の医療機関が関わっているという。
 不正に関わっていたという接骨院の関係者が朝日新聞の取材に応じ「1回しか来院していない患者でも、月に10回くらい施術を受けに来たと偽って療養費を請求した」と証言した。
 療養費は、接骨院や鍼灸(しんきゅう)院などで保険が適用される施術に対し、自治体や健康保険組合が管理する健康保険から支払われるもの。施術費全体のうち、患者は窓口で自己負担分(1~3割)を支払い、残りは療養費として、接骨院などが請求して受け取る「受領委任」が認められている。接骨院などが架空の請求をしても、患者に不利益がないためチェックが働きにくい仕組みになっている。
 こうした制度を悪用した不正請求は全国で横行。厚生労働省によると、昨年1年間で23人の柔道整復師が業務停止処分を受け、ほとんどが療養費の不正請求が原因だった。

 さて、新聞報道によれば、複数の接骨院が暴力団と一緒になり、健康保険組合から支払われる医療費を搾取したと発信されていますが、最近の野球賭博に関わったプロ野球選手など、ありえないと思われるところに暴力団は食指を伸ばしており、息子にも気をつけてもらいたいものです。

母親の遺体遺棄容疑で息子逮捕 父親?の白骨化遺体も

 添付した記事についても、無職の息子が死んだ両親を放置することで、両親の年金を不正受給していた可能性もあり、暴力団と接骨院の保険搾取と同様に、公的資金を不正に受給する事例があとを絶ちません。制度の見直しと簡素化も急務になっていると思われます。

                 本日の体重 71、2キロ 徒歩数 6891歩
                                    11月6日の一言

知多半島八十八ヶ所霊場を歩いて

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知多半島を歩く友の会メンバー

 本日は「歩き遍路友の会東海」の主催した、知多半島の八十八ヶ所巡礼に津島市から3名参加し、1番寺となる曹源寺に近い名鉄前後駅に8時35分に集合して、7名で午後4時過ぎまで巡拝しました。

 名鉄青塚駅(7:30)…須ヶ口駅…金山駅…前後駅(8:28)

 1番曹源寺(曹洞宗)…(3k)…2番極楽寺(浄土宗)…(0,3k)…3番普門寺(曹洞宗)…(2k)…4番延命寺(天台宗)…(3,3k)…6番常福寺(曹洞宗)…(3,3k)…7番極楽寺(曹洞宗)…(1k)…8番伝宗院(曹洞宗)午後3時50分

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7番極楽寺(曹洞宗)の大師堂

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本日の打ち止めとなった8番伝宗院(曹洞宗)

 四国遍路のように朝7時から歩き始めたわけではなく、9時にスタートして昼食に1時間かけて、途中でも休憩をとりながら、午後3時過ぎから打ち止めの話になりましたが、今日一日の歩行距離はガイドブックでは15キロ程度となります。

 私の携帯電話についている歩数計は、朝自宅を出発して帰宅するまでに、2万8千634歩を記録しており、移動距離は17,7キロ、歩行時間は4時間14分となっていました。

 昨年10月に友の会で実施した高野山の町(丁)石道で、高野山の麓となる九度山駅から高野山金剛峯寺まで7時間歩いた歩数は3万9千495歩あり、24、4キロを記録してあることと比較すれば、四国のような階段も無く平坦な知多半島は健康のためのウォーキングとしては最適かもしれません。

 「何人で来ているんですか」
 「7人です」
 「皆で揃って来てください」
 「えっ」
 「私たちも仕事で忙しいんですから」
 「 … … 」

 本日訪れたお寺の納経所で、友の会会長とお寺の奥様との会話ですが、朱印帳を全員揃って持ってきてくれとの要望で、7人のうち3人だけが授受している朱印について、「仕事で忙しいから」との会話には参拝する意欲も失せました。もっとも、ほとんど人が来ない朱印に納経所で留守番をするお寺の苦痛はよく判りますが…

 知多半島の霊場では印刷された朱印帳に朱印をスタンプのように押してもらうだけで、参拝者が自分で押してくる無住のお寺もありますが、何の仕事が忙しいかは判らないものの、参拝者の朱印もお寺の重要な仕事との認識を持ってもらいたいものです。

 さて、日頃から車で遠出しているため、電車で目的地に移動したのは久しぶりで、途中の乗り継ぎで間違えるハプニングもありましたが、一日中歩いて足が限界となる巡拝後の帰路の車の運転は辛いものがあり、眠っていても帰れる電車は楽で、打ち止め後のビールの美味しさは久しぶりとなりました。
 次は12月17日(木)、JR武豊線石浜駅に9時集合で、第9番明徳寺から再開予定となりました。

 帰路 JR武豊線緒川駅…金山駅…名鉄へ乗り換え・ 名鉄金山駅…青塚駅

              本日の体重 70、9キロ 徒歩数 2万8千634歩
                                     11月5日の一言

ピーちゃんの悲しみから風邪に移行したようです

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 私は大学時代に朝日新聞の販売店を起業し、平成11年に市議会議員になるまでの23年間を新聞販売店を生業としており、自分自身も配達の先陣を切ってバイクに乗っていましたが、自分の販売エリアから配達用バイクで出たことがありませんでした。

 本日は往復で20キロ程度しかありませんが、午後に名古屋市西区の病院に入院する同級生のお見舞いにバイクで向かいました。
 毎日使用していたバイクで乗り慣れてはいるものの、議員になってから16年が経過しており、とりあえず車の後方で安全運転に徹していましたが、バイクを追い抜こうとする車が多く、追い抜いて前方を塞ぐ車にストレスを溜め、帰路ではスピードが出せない原付バイクが割り込んで(私は80cc)きたり、現役時代には感じなかった危険を実感する名古屋行きとなりました。

 「何? バイクで来た?」
 「名古屋までは初めてだ」
 「大丈夫か? 気をつけて帰れよ」
 「明るいうちに帰るわ」

 お見舞いに行って心配されての帰路となりましたが、仕事用としか考えていなかったバイクが、還暦を過ぎたことで新鮮な乗り物となり、まもなく車検を受ける自動二輪運転のリハビリとしてしばらくはバイクの遠出をしようと考えています。

 さて、私の住む愛知県の西尾張地方では、地元意識がひじょうに強く、余所者(よそ者)に対する偏見が多い地域ですが、名古屋市内は一方通行が多く、建物は見えていても逆走はできないため、目的地からどんどん離れていき、結局は地元の人の道案内に頼ることとなりました。

 同じ愛知県民ですが、私は西部の農村の出身のため特に余所者意識が強く、名古屋市も特に変わりはありませんが、四国遍路で道を尋ねるときに感ずる親しみやご接待と比較すると、「田舎者」に対するような視線を感じたのは、私自身の持つ偏見の裏返しなんでしょうか。
 
 さて、本日は昼前に三男が勤める接骨院に出向き、夕方に名古屋まで足を延ばしましたが、行く先々でスズメの鳴き声が聞こえるため、つい周りを見渡してしまい、「チュン」と聞こえると「ピー」と応えてしまう習慣となっており、ピーちゃんは我家の玄関に居ると言い聞かせます。

 昨晩はピーの夢を見ましたが、「ピーちゃん」と呼んだものの、街角で出会ったピーは逃げていき、「ピーは死んだんだった」と、野生のスズメは呼んでも相手にもしてくれず、今まで呼べば飛んできたピーの存在が本当に遠く感ずる夢を見ました。

 ピーを思い出すと涙が出るだけでなく、鼻水も溜まるため鼻声となっていますが、どうやら軽い風邪にも罹っているようで、身体がだるいのも胃が重いのも、ピーちゃんだけではないようです。

 しばらくは、ピーちゃんの悲しみを忘れるため、外出する機会を増やそうと考えていますが、明日は知多半島の八十八ヶ所霊場を「歩き遍路友の会」のメンバーと歩くため、早朝より電車で出かけることになっています。

 偏屈かも知れませんが、四国霊場の現役の「お遍路」のため、朱印は押してもらわず、「大師堂」のみの参拝と決めているものの、白衣と輪袈裟の白装束のまま通勤で満員の電車に乗っていくことは抵抗があり、四国で愛用している菅笠は持参しないと決めており、健康目的のウォーキングと割り切っての参加です。

                 本日の体重 71、4キロ 徒歩数 3250歩
                                     11月4日の一言

何もしないとピー、してもピーちゃんが過り

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 何もやる意欲がわかず、何もしないままに一日の時間が経過していきます。

 ピーが居なくなって5日が経過しましたが、昨年5月から自宅に帰れば「ピー、ピー」から「チュン、チュン」と鳴き声は変わったものの、毎日聞いていた声が無い現実は辛く、ピーの居た部屋では居るつもりで声をかけるものの返事はありません。

 自宅や事務所に居れば胃が重くなり、ため息ばかりで刻々と時間が経過し、自宅から外出すれば気分が変わると家内に同行したものの、目的地で何もする気持にもなれないため、相棒リマと車内で留守番です。

 ピーちゃんが居た時には、いつもピーと一緒に居る私にストレスを溜めていた相棒も、動かなくなったピーの姿から現実を悟ったと思われ、まるで私の心境を理解しているかのように寂しそうな眼差しで同行してくれます。

 リマが来てから、4年前に先輩のモモが死に、一緒に動物病院に通ったヒヨドリのピーコが逝き、8月にはピヨ、そして5日前にピーが天界に昇っているため、動物でも何かを察している様子がわかりますが、これからは相棒の健康維持も我家の心配事になっていきます。

 「リマのお嫁さんを探そう」
 「誰が面倒を見るの」
 「リマの子供が欲しい」
 「犬だらけになったらどうするの」

 ピーちゃんが居なくなった寂しさを、相棒で何とか紛らわそうと一緒に同行していますが、何もできない腑抜けのような日々がしばらく続いていきます。

                 本日の体重 71、1キロ 徒歩数 2406歩
                                    11月3日の一言


人間の心は弱いだけに…

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 天照大御神が奉られた皇大神宮・内宮です。昨日の全日本大学駅伝の後に参拝してきました。

伊勢観光協会 http://www.ise-kanko.jp/jingu/

 日本神話に登場する神で皇室の祖神で、日本民族の総氏神とされ、太陽を神格化した神と言われておりますが、最近は心霊的なパワースポットとして紹介されており、昨日もこれまで人が寄らなかった場所に人が集まっていました。

日本最大のパワースポット「伊勢神宮」…Travel.jp[たびねす]

 伊勢神宮がパワースポットと言われるのは異論がありませんが、上に添付した「たびねす」で四至神(みやのめぐりのかみ)と紹介されている場所で、手を差し出して「ピリピリする」とか「感じる、感じる」と声を上げる女性が複数あり、私も手を出したものの何も感じず、人につられて「ピリピリするー」と言った孫に、「感じるはずが無いだろう」と発した一言に対して、娘からきつーい苦言がありました。

 日本民族を象徴する神宮で、天皇家の祖神と言われる伊勢神宮に、中国人の団体客が訪れるのも不思議ですが、科学的に説明のできない発言に素直な異論を吐いた一言に家族から批判されたのにも不満の残る一日となりました。

 「ピリピリする」と発した人々が多数存在したものの、本当に肉体的に感ずる何かがあったのか疑問で、無神経な私には心霊的な感度が無いのかもしれませんが、ガイドとなるサイトにも記されていない現象があるとは思えません。そして、そういう人の声に同調した孫の一言は神々や仏教を信心する上ではひじょうに気になりました。

 さて、先週金曜日の未明に死んでしまったピーちゃんのことが忘れられず、我家から外出することで気を紛らわせようと、訪れた知人とともにコーヒー屋に出かけると、ガラスの外からスズメの鳴き声が聞こえ、コーヒーに付いてきたシロップやビニール袋に入ったジャムを過去にはピーのために持ち帰っていたことから、余計に思い出すとともに持ち帰るピーの居ない現実に悲しみが増幅されてきました。

 人間ってなんて馬鹿なんでしょうかね。ピーは私に何も言わずに勝手に逝ってしまったのに、連日ピーの残像を追い求めている私…
 深夜族のため、夜一人になると涙が溢れ、風邪でもないのに鼻声となったままですが、本日は雨が降り、ピーのお墓の上にも雨が降っている現実に、何もしてやれない悲しみを感ずる一日となりました。

 ヤフーブログに生きたピーの姿を記すことができなくなった悲しみから、ピーちゃんについて記されている人々の記事を検索すると、私がお気に入り登録し、スズメを16年も飼育されていた方が先月記された記事が残されていました。


 人はたかだかスズメごときでと思われるかもしれませんが、5年経っても命日を忘れず記されている先人の存在に、ピーを拾い上げた数日後に、条例を根拠に「捨てろ」と言った県の女性職員を思い出し、新たなピーのような存在を救っていくことで、ピーや7月に岡崎市の方から預かったピヨ、4年前に息子が拾ってきたヒヨドリのピーコたちの供養にして悲しみを払拭させたいと思います。

                  本日の体重 71、4キロ 徒歩数 8220歩
                                    11月2日の一言

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全日本大学駅伝の神野選手を応援に行きました

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 本日は早朝より町内の水路(側溝)清掃が行われ、終了直後の私を待って、孫の一家3人と家内とで三重県の松阪市を目指して我家を出発しました。

 昨日の一言に「ピーが逝って3日目」と記しましたが、本日からでも、3日前にはピーちゃんは元気に私の手中に居たわけですから、今でも部屋に行けば「チュン、チュン」と呼ぶような気がする一方で、現実には鳥カゴや巣の中に居ない現実は、胃が重くなってくるとともに、座っていると涙が溢れてきます。

 部屋は3日前から何も動かしてはおらず、ピーが居るものとして生活をしていますが、私を呼ぶ鳴き声は無く、玄関前の門柱横を掘り起こせば、埋葬したままの姿があると思うと、掘り起こして声を掛けたい病的な心理に陥ってしまいます。

 本日は愛知県の熱田神宮と、三重県の伊勢神宮の間で、全日本大学駅伝が開催され、私の母校である神守中学校の卒業生となる青山学院大学の神野大地選手を応援するため、アンカーとして走る最後の第7中継点を目指しましたが、家内と2人だけではピーを思い出してしまうため、気分を紛らわすため孫に声をかけて5人と、相棒リマも一緒に連れて出かけました。

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 今年年頭の箱根駅伝で活躍した「山ノ神」神野選手の人気もあって、松阪市の第7中継所は昨年より観客が多く、レース前に中継点の周りを走る神野選手を待ち構えるカメラマンやファンも存在し、昨年のように道路のベストポジションで応援することはできませんでした。

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第7中継所で襷(タスキ)を受け取った直後の神野大地選手

 神野選手の走る姿を記録するために、デジタルカメラと携帯電話のカメラを用意していましたが、練習に飛び出してきた神野選手に「神野君頑張れ」と大声で叫ぶと、カメラのシャッターを押し忘れており、2位で襷を受け取った本番でも、一度に2台のシャッターは押せませんでした。

神野失速、青学大2位 「誤算」続き三冠逃す
記事の続き…
慢心とはいかないまでも、青学大にはわずかなスキがあった。2区。7月のユニバーシアード(韓国・光州)でハーフマラソン金メダルだった小椋は想定タイムを38分と踏んだが、「上回るペースだった。あそこまで強いとは」。37分台と攻めた東洋大・服部弾に届かず、前半戦で抜け出せなかった。
 中継点が迫ると、必死に前へ出ようとする東洋大の執念にも気おされた。「『1秒をけずりだせ』の東洋大と、『一瞬を楽しめ』のうちとの差が出た。今まで右肩上がりで来たが、(出雲、全日本、箱根の)3大駅伝で初めて悔しい」。目標としていた大学3冠を逃し、原監督の顔は挑戦者に戻っていた。

瀬古が斬る  第47回全日本大学駅伝を斬る
勝負はやってみなければわからないというのを実感した。誰に聞いても青学大が強いと言っていた。しかしふたを開けてみれば、東洋大の完勝。真逆の展開となった。最後まで油断はできないものだと思った。

東洋大は、8人全員が100点満点だった。持っている力をすべて出した。先手先手を打てて、完璧なレース運びだったと思う。
青学大は100点もいたが、60~70点の選手もいた。その分だけ東洋大が上に行った。全員が100点なのは見事だった。
1区、2区、4区、8区と重要区間に有力選手を並べることができた青学大は、「勝負あり」とまで各監督に思わせていたはずだ。誤算だったのは2区小椋、4区久保田だろう。力を発揮できなかったといえる。

3位の駒大は、駒大らしい走りはしていたと思う。最後に逆転し3位になったのはさすがだ。
4位の早大は、正直この順位までくるとは思っていなかった。この結果はほめるべきものだろう。
5位の東海大には、将来性を感じる。若い選手が多く2~3年後にはトップ争いをするのではないだろうか。3区を走った1年湊谷など「湘南の暴れん坊」になってほしいものだ。
6位明大は後ろに山梨学大ニャイロが迫っていた。最終区で3分の大逆転シード権なんていったら大変なことだ。
ニャイロはまだ1年生だし、可能性を感じる。もしかしたらモグス以上になるかもしれない。

MVP的存在といえば、東洋大4区の櫻岡だろう。久保田に先行を許さず、名前負けせず強い精神力で、最後は再逆転のスパートでつないだ。東洋大はこれで自信につながり、「イケる!」と思ったのでは。とにかく東洋大の完璧さが際立った大会だった。
 
 2位でタスキを受け取ったことから、年頭の箱根駅伝の再来に期待しましたが、故障が続いて練習不足となった神野選手の記録は伸びず、逆転による優勝は果たせなかったものの、このまま故障がなく2ヵ月の練習を続け、「山ノ神」として箱根で頑張ってもらいたいものです。

 神野選手が走り去った松阪市の中継所を後にして、家族と伊勢神宮を目指したものの、道路が規制されていたことから大渋滞で、伊勢神宮には予定より大幅に遅れて到着しました。
 ただし、伊勢神宮直前の道路は一般車を通行禁止にしており、青ナンバーのタクシー車両のため過去には通行できたものの、入れてもらえないことも覚悟していましたが、参拝者が列をなす入り口まで楽に入ることができ、結果的には昨年より楽となる参拝になりました。

                  本日の体重 71、4キロ 徒歩数10457歩
                                     11月1日の一言

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