大鹿一八「本日の一言」

平成16年2月から令和1年7月末までの「本日の一言」です。ヤフーブログ閉鎖により、ライブドアへ過去の記録として引っ越しました。

2016年04月

久しぶりとなるスズメのヒナに

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我家に来て3日目になりました。

 「ピーちゃん」
 「違うだろう」
 「ピー、ピー」
 「勝手に名前をつけるな!!
 「可愛いからピーちゃんでいいわ」
 「ピーはピーだから…」

 火曜日の夜に持ち込まれたスズメのヒナですが、家族が勝手に「ピーちゃん」と呼ぶことから、名前を考えて「チー」ちゃんの仮称をつけましたが、姿形は同じスズメのヒナでも、保護した環境とともに、スズメの性格が違うため戸惑っています。

 2年前の5月3日に保護したピーは、眼も開かぬ状態で保護したため、エサを食べさせて死なせないことばかり考えていましたが、今回は眼を開いて母親の姿を認識したヒナで、エサを食べさせることはできましたが、ピーとは行動が全くちがいます。
 家族にはピーちゃんと呼ばないように叱っているものの、私自身も「ピー」と言ってしまうことに寂しさも覚えますが…

 我家にやってきた一日後には、家族の手に乗ってエサをもらって人気者になっていましたが、本日の朝には家内から飛んで逃げようとしており、手の平の上に乗せているとカゴに入るのを嫌がり、カゴに入れると出てくるのを嫌がります。

 幸いにしてエサの食欲は旺盛のため、夜の保温に苦労している程度で、何とか野生に戻せる可能性も高く、私以外には絶対に懐かず、私の肩や手から離れなかったピーとは違った保護となりました。


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 私にとっても幸いなことは、家族にはピーと同じに見えるヒナが、全くピーとは性格だけでなく顔も違うことで、別のスズメとして保護できたことですが、5年前にヒヨドリのピーコのために作った手製のエサやり棒が、2年前にピーが使って削られてはいるものの、今回も引き続き使えていることが不思議でもあります。

 ちなみにエサについては、2年前に「すずめSOS」の緊急時のエサとして記されていたドックフードに、当時はすりえを混ぜて与えていましたが、今回は小松菜の粉末も混ぜて耳たぶ程度に練ったものを、人肌に温めて一口ずつ手から与えています。


          本日の体重 71、3キロ 徒歩数 約1000歩 間食あり
                                     4月29日の一言

上高地ネイチャーガイド養成講座現地研修

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 NPO法人やまぼうし自然学校が運営する「白樺自然学校」の、上高地ネイチャーガイド養成講座の現地研修が、開山式が行われた27日に行われていました。
 上の写真は、集合場所となった自然学校のあるホテル白樺荘裏側にある駐車場で、一日のスケジュールと行程が発表され、班分け後にそれぞれ案内役となる指導者に引率されて出発しました。

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ホテル白樺荘横から穂高の説明を聞くメンバー

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こんな小さな小鳥や植物を判別して説明します

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明神池嘉門次小屋前 レリーフの説明

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ホテル白樺荘前の自然学校の看板

 午前9時30分に集合して、午前中は河童橋周辺から開山式を見物し、午後12時30分に再集合し、明神方面へガイドの研修を受けながら歩き、午後3時30分に戻り、次回5月の講座の確認をして散会し、それぞれの車で上高地を離れました。

 さて、白樺自然学校は、ホテル白樺荘のオーナーの呼びかけで運営されており、ホテル正面に自然学校の看板が掲げられていますが、学校を運営するNPO法人スタッフが私の差し出した次回の会費のつり銭を両替するためホテル売店を訪ね、白樺自然学校との名前を告げたものの、「両替はダメ」と冷酷な対応をされ、スタッフは必要の無い土産物を買ってつり銭を作ってくれました。

 こんな対応を見ていて、売店で両替を依頼する身勝手自体が無理としても、我家の家族は上高地滞在中に必ず昼食場所にしてきたことと、私も毎年中沢義直氏のカレンダーを購入してきたことから、両替をしない事が決められたルールとしても、「白樺自然学校」の大きな看板も掲げながら、自然学校を運営するスタッフに対する対応だけに嫌悪感を感じました。
 白樺荘はこのガイドを使用して有料でガイドウォークを営業しています。

 私自身も自分が缶コーヒーでも買って会費(次回の宿泊代)を差し出せば、若いスタッフに無駄な散財をさせずに済んだと反省ですが、「おもてなし精神」皆無の応対は中国系買い物客が大量に押し寄せている影響としたら寂しいものがあり、こんな対応は白樺荘のリピーターには絶対になりません。

 ちなみに、私もガイドウォークの養成講座に参加していますが、私は上高地では無償のボランティアとして環境省のパークボランティアに登録しており、ガイド料を貰うことはありませんので念のために…

              本日の体重 71、2キロ 徒歩数 2157歩 間食あり
                                     4月28日の一言

本日は蟹江町からスズメのヒナが持参されて

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本日蟹江町のSさんより託されたスズメのヒナです

 昨日の一言で、稲沢市から屋根から落ちたスズメのヒナを持っていくとの依頼を受け、現地を確認して親スズメに託して帰宅したことを記し、長男が落ちてきた鳥の卵を拾ってきたことを記しましたが、本日は蟹江町在住の知人から、マンションに落ちた飛べないスズメを保護し、近くにネコが多いことから持ってこられたため、野生に戻す前提で一時保護することになりました。

 一度に降って湧いたような展開に、2年前にピーちゃんを保護した資器材を持ち出したものの、ピーと生活した事務所1階は三男の起業のため追い出されており、引越し中のためエサも点在して探すのが精一杯の夜となりました。

 久しく遠ざかっていたスズメの保護ですが、孵化して2週間程度のヒナと思われ、眼が見えるようになってから親にエサを貰っていたため、ピーちゃんのように私のエサを食べませんが、食べなければ死んでしまうため無理やり食べさせ、保温して本日はコタツの下で眠らせます。

 午後7時にスズメのヒナが届き、7時30分から書道会が始まりましたが、明日は上高地の白樺自然学校のネイチャーガイド研修会が行われ、自宅を午前5時に出発するため、書道会も夕食も関係なくヒナの世話をする夜となりました。

 実は、昨日に保護を依頼されたスズメのヒナを現地に置いてきたため、スズメを飼うことはないと我家の屋根を見ると、我家のスズメたちは完全に巣立ちが終っており、今年は温かいためスズメの産卵と巣立ちも早いことを実感していました。

 その夜にスズメが届けられ、眼も開かぬヒナの飼育の難しさをピーの保護から感じていましたが、親鳥が子育て中の巣立ち前のヒナも人間に慣れないため、エサも食べさせられない現実に難しさを実感させられる夜となりました。

           本日の体重 70、8キロ 徒歩数 6756歩 間食あり
                                     4月26日の一言

続々と鳥の保護話が舞い込み

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ピーちゃんの再来か?

 「スズメを拾ったんだけど…」
 「えっ?どうしたんですか?」
 「屋根から落ちてきて…」 「何とかしてもらえませんか?」
 「飛べないんですか?」
 「飛べない…」
 「近くに親は居ないんですか?」
 「今から持って行くけど…」
 「ちょっと、待ってください。私が行きますから…」

 本日は午前中より「福祉有償運送運営協議会」が開催され、自宅に帰った昼休みに何度も携帯電話へ留守録が残されており、愛知県稲沢市で屋根から落ちたスズメを拾った人のため、慌てて連絡すると私に保護して欲しいとの依頼でしたが、巣立ち間際の可能性もあることから私が出向くことにしました。

 「困るから持って帰ってください」の一言で、念のために鳥カゴは持っていったものの、私に手渡すため既にカゴに入れられていました。

 もう少しで巣立ちできるヒナのため、親がエサを持ってくる可能性もあり、カゴから出して様子をうかがっていると、親鳥らしきスズメが飛んできたので、家人に説明して様子を見ることにしました。

 「でも、飛べないからダメでしょう」と言われ、とにかく連れ帰って欲しいと依頼されたものの、明日までそのまま様子を見て、親スズメがエサを持ってこなかったら連絡してくれと伝えても、「持って行けば良かった」と引き下がられないため、しばらく珈琲でも飲んできましょうかと外出しました。

 午後4時には市民病院で会合があるため、戻って様子を見たところヒナの姿は無かったので、明日にもそのまま姿があったらとの話で津島市に戻りましたが、親が面倒を見てくれることに期待するしかありません。
 2年前に保護したピーちゃんにそっくりですが、死なせた後悔もあって親元で生きて欲しいと願っています。

イメージ 3 さて、本日は鳥については、まだ終りません。

 仕事から帰った長男が、胸元に落ちてきたと言って、鳥の卵を持ち帰ってきました。

 長男の話では、木の上から落ちてきた卵で、巣が高くて戻せなかったとのことで、私なら育てると思ったと言いますが、ヒナのピーちゃんですら1年半で死なせてしまった私が卵を孵化させられるはずがありません。

 しかし、見捨てることもできず、38度程度の温度を維持して、卵の位置を変えながら、しばらくは様子を見るためペットヒーターの上に箱を置き、コタツの中に入れました。それよりも何の卵かも判らず、カラスだったらどうしたものやら…もっとも、卵から孵化する可能性は極めて低いようです。

 2年前にピーを保護した5月3日が近づき、逝ってから半年近くなりましたが、10日前にもスズメのヒナを保護して欲しいとのメールがあり、私より鳥の飼育のできる人のため断り、本日は2度目のスズメですが、逝ってしまったピーを思い出すと手元に欲しいものの、ピーの身代わりではその鳥もピーも可哀想で、野生のまま生きて欲しいと思うようになりました。

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 写真は、コタツの上のハムを狙う相棒ですが、私たちの視線が無いと前足を伸ばして引き寄せようとしており、気付かないふりをしてカメラを向けると、気付いていることを自覚してカメラから外れていきます。


 スズメの保護にはなりませんでしたが、正体不明の鳥の卵がきたことで、日頃から私とは険悪な長男も、三男も一緒になって夕食を忘れていたことに、生き物に関わる事は家族円満の秘訣かも知れないと思う夜になりました。

 私は子供の頃からニワトリやヒヨコが我家に居た事から、高校の頃にニワトリを飼っていたこともあり、弱った鳥を見かけると保護するものの、元気に放鳥したのはまれです。2年前に瀕死の目も開かぬピーちゃんを保護したのも、今から5年前に長男が拾ってきたヒヨドリのピーコを保護したことが縁で、ピーコの保護資器材がピーの保護にもなり、本日の卵もピーの保温資器材が活きました。


 ネット検索すると、鳥の卵は20日前後かかるため、しばらくは可能性に期待して温めてみますが、さて、思ったようになるでしょうか。

            本日の体重 71、6キロ 徒歩数 2151歩 間食あり
                                     4月25日の一言

ホームレス画伯も冬眠から覚め

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 ホームレス画伯こと、千葉県旭市の渡辺勝夫さんの上高地が本日よりスタートしました。
 河童橋のたもとで上高地を描き続けて57年。今では上高地の名物画伯となり、テレビでも紹介されるようになった渡辺さんのテント生活が本日始まり、私も引っ越し作業のお手伝いをしました。これもボランティアです。

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小梨平食堂裏側から半年振りに家財道具をリヤカーへ

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穂高を背にワイルドだろう?

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小梨平を引っ越し中です 昔を思い起こします

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何とかそれらしくなりました

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意気投合した富士宮市の女性と一服です

 長いお付き合いとなりましたが、テント設営に関わったのは初めてで、本日に上高地入りすると聞いていたため、昨日から来ていた上高地パークボランティア終了後に引っ越し作業へ立ち会いました。

 本日から閉山間際の10月末まで、この場所が画伯の居場所となり、千葉県の自宅よりも長く生活するわけですが、初めて出会った当初はオジサンだった画伯も、今では完全なるオジイサンに様変わりしており、健康が創作活動の源となります。

 例年の上高地なら、ゴールデンウィークでも猛吹雪ありますが、今年は雪が少なく、本日も夏と変わらないような温かさで、設営したテント内は汗ばむような環境が、画伯の引っ越し作業を後押ししてくれました。

 ただし、昨晩も激しい雨が降り、私が帰路に釜トンネルを越え、安房トンネルを越えた時の飛騨側は今にも雨が降りそうな雰囲気で、ここで半年も生活する画伯の上高地好きは尋常ではありません。このテントは「世界の交差点」とも記されていますが、日本人だけでなく、外国からの観光客も「ワンダフル」と叫び、新たな出会いも演出されていきます。




上高地パークボランティア

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午前9時にインフォメーションセンターへ集合し、
現場に向かいます。

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ボランティアと言えども作業は大変です

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作業が終る頃には声も出ません

 ただし、…

 ボランティアの場所が上高地ですから、木々の隙間から焼岳が見え、働く我々の背中には見事な穂高連峰が頂いており、凛とした空気の中で心地よい汗をかき、これまで観光客として歩いていた散策路が、ボランティアだけではありませんが、環境省関連の職員の地道な活動があったことを実感させられました。

 本日の作業は、散策路にはみ出し観光客の歩行の邪魔になるため、あらかじめ伐採されていた笹を片付けるボランティアで、明神方面から岳沢登山口付近までの笹やゴミを5人のボランティアと、自然公園財団職員2名が一緒になって活動しました。


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 本日のご褒美は、活動後に河童橋から見た穂高連峰です。昨晩は激しい雨が降っており、作業を始めた頃には頂きに雲をかぶっていましたが、活動終了時には添付した写真のように、雲ひとつ無く見事な穂高が我々を迎えてくれました。

 上高地が大好きなボランティアばかりですから、作業終了後は上高地で一番早く花を咲かす「ヒメイチゲ」の咲いている場所に案内してもらい、新たなボランティア談議には疲れが吹っ飛んでいました。

上高地パークボランティア https://www.env.go.jp/park/chubu/effort/pv_kamikochi.html
アクティブ・レンジャー日記 http://chubu.env.go.jp/blog/

            本日の体重 71、8キロ 徒歩数 18109歩 間食あり
                                      4月24日の一言

上高地パークボランティアに参加して

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 昨年末に応募して、今年2月にボランティアの候補者に書類選定され、3月に松本市で開催されたボランティア研修会に参加し、4月から中部山岳国立公園上高地地区ボランティアに登録されておりましたが、本日はボランティアになって初めて現地で活動に参加しました。

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田代池周辺の自然研究路の清掃です

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ボランティアの宿となり拠点となる活動ステーションです

 本日のボランティア活動は、午前9時からはじめられていましたが、私は午前8時に自宅での約束があり、8時25分に愛知県を出発し、東海北陸自動車道尾西インターより入り、途中休憩をしないまま高山インターを経由し、昨年11月以来となる釜トンネルを通り、大正池手前の駐車スペースに車を停めました。

 ここで、焼岳と穂高連峰を写真に収め、そのままバスターミナルの駐車場に車を入れました。

 ボランティア初体験のため、何もわからないままに上高地インフォメーションセンターに入り、環境省自然公園財団上高地支部の関係者から、パークボランティアの身分証明書と、上高地施設社員証を発行してもらって、ボランティア専用の帽子とワッペンなどを支給してもらいました。

 午後の仕事は午後1時から再開との話で、その間に車で着替えてから、河童橋まで歩いてからセンターに戻り、他に参加されたメンバー3名と一緒に、自然公園財団の職員さんの説明を受け、職員とともに作業車に乗せてもらって現場に向かいました。

 ちなみに、本日参加しているボランティアは、東京都の女性と、愛知県岡崎市、岐阜県垂井町の男性と私の4人で、遠くから上高地に走ってきてボランティアに参加される意欲と、交わされる会話から新鮮な気持にさせられました。

 日頃から庭の草むしりもしない私には、家族に見せたくない光景ですが、これまで観光客として訪れていた上高地では、環境省や自然公園財団の職員だけでなく、多くのボランティアの方々のこうした活動もあって清々しい環境が保たれていたことも実感する一日となりました。

 さて、作業は午後4時に終了し、本日の宿となる上高地公園活動ステーションに移動しましたが、散策路から奥に入っているため、こんな立派な施設が存在することも知らず、静かで物音一つしない環境の中で、宿泊したボランティア3名で上高地や世情について花を咲かせました。

上高地公園活動ステーション http://www.bes.or.jp/kamikochi/station/

 明日も午前9時からボランティアに参加し、午後は上高地入りしてテントを設営されるホームレス画伯のお手伝いをしようと考えておりますが、月曜日は朝から津島市の公的協議会があるため夜には津島市へ戻ります。


             本日の体重は不明 徒歩数 13447歩 間食あり
                                     4月23日の一言

今年初めての上高地

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 平成28年4月23日(土) 午前11時30分の上高地 大正池です
                                      大正池と穂高連峰

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大正池と焼岳

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バスターミナル駐車場 半年ぶりの駐車です

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河童橋と穂高連峰

 昨年11月15日の閉山式から5ヶ月ぶりとなる上高地です。天候は曇りの予報でしたが、私を待っていたかのように青空のもとで、上高地大正池と穂高連峰が出迎えてくれました。

50年前の懐かしい風景を見るために走り

 『赤い電車の色にワクワクしながらこの踏切を渡り、友人とともに蜂須賀やら甚目寺を目指して自転車を走らせたものです。ああ、懐かしい。』
                                       昨日のコメントです
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青塚駅の東 道路右が津島市 左はあま市蜂須賀の入口です

 昨日書き込まれた遥か彼方からの発信に、私自身も中学校に入学した直後に、蛭間小学校区の青塚町や蛭間町の同級生たちに連れられて、蜂須賀へ自転車を走らせたことと、ここが戦国時代の武将蜂須賀小六の出生地で城があったことに感動した懐かしい思い出がよみがえってきました。

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道路の先にこんもりした森が見えてきました

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やっと目的地が見えてきたぞ

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山門から本堂が見えてきました。この左側が蜂須賀城址

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 我家から車で10分程度で行ける場所ですが、中学校に入学した当時の私にとっては、自転車通学となった同級生たち(私は徒歩通学でした)に連れられて、初めて自転車で走っていったかなり遠くまで走った記憶が残っており、右手にある蜂須賀山を走り回って遊びました。

由緒
弘仁年間(810年~824年)空海の開山により創建されたと伝えられる。この地から出たとされ、阿波国徳島藩主となった蜂須賀氏の帰依を受け、尾張徳川家からも寺領が安堵されている。 蜂須賀小六の菩提寺であり、蜂須賀小六・家政親子の位牌が安置されている。 南西には、蜂須賀小六の旧宅や1ヘクタールに及ぶ蜂須賀城があったと伝わっている。


 蜂須賀の地名について、『この地には毒蜂が多く,その害を受ける人が多かった。そのため,弘法大師が法力をもって蜂を封じ塚を築いた。それ以後,害はぱたりとやんだと言う。これによりこの地を蜂須賀にしたと言われている。』と記されており、空海は熱田神宮の神託を得て蓮花寺を開山したとも伝わります。

 ただし、空海の年表を調べてみると、蓮花寺どころか、熱田神宮や愛知県(知多半島)も訪れたという記録は見られず、空海の弟子たちが訪れたと推測されますが、当地方では歴史のある史跡で、ここから2キロ西方に織田信長が誕生したと伝わる勝幡城があります。

 中学生になって、これまで徒歩で通学していた生活範囲が、他の小学校区へ自転車で走るようになり、学校の「ズル休み」に快感を覚えてからは、学校をズル休みして市外の稲沢市や祖父江町まで足を延ばし、初めて見る街の景色に探検気分になっていた頃を思い起こしました。

 書き込まれたコメントによって、今から50年も前となる中学入学直後に訪れた懐かしい景色を見に行くことになりました。
 ちなみに、50年前の蓮花寺はもっと荒んでおり、子供たちがやりたい放題我が物顔で暴れていても叱られることもなかった雰囲気は現在も変わりません。

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本日のオマケ
 弥富市に新しく開業した動物病院へ相棒リマを連れていきました。初めての動物病院ですが、受付の女性の白衣を見た相棒はブルブルと震えだし、自身の立場を一瞬にして察知したようです。家を出るときは、私たちとドライブに行くため喜んでバッグに飛び込んできたのでしたが…

ひので動物クリニック http://www.hinode-ah.com/

 このクリニックの院長さんは、かつて横井庄一記念館を訪れて私と懇意にしていただいた名古屋競馬場の獣医師さんの息子さんで、名古屋の動物病院に勤務中も相棒はヒヨドリのピーコとともに連れて行っていたので、診察が終った後ではホッとした表情で和んでいたので安心しました。

            本日の体重 72、3キロ 徒歩数 3415歩 間食あり
                                     4月22日の一言


四国遍路 車イス同行記 

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4月13日(水)から15日(金)の記録
 4月12日夜10時に名古屋市の志賀弘法の9人(私と家内も含む)で出発し、途中の淡路島南パーキングで仮眠後に13日午前6時30分より第1番霊山寺に参拝しました。
 車イスのお遍路を案内するのは初めての体験ですが、メンバーの協力が不可欠となります。
 
 1日目
 1番から12番 17番から15番まで巡拝して、13番大日寺門前の名西旅館に宿泊
 
イメージ 1 遍路ころがしと言われる第12番焼山寺を参拝後に石段を降りるメンバー。
 
 車から車イスに乗せ、私が行ける所まで押して、階段は手すりがあれば、手すりを持ってもらって私の肩を貸して登っていきます。手すりが無い場合は、もう1人の肩を借りて2人で補助して登ります。
 
 焼山寺には駐車場から左に車イスの通行できる通行路は存在しますが、砂利や土の庭を通るため、車イスの前進はできず、大きな車輪のある後ろからバックで進んでいきました。
 
 参拝後に、車イスの通行路は下りで危険なため、メンバーが両肩を貸して、1歩1歩階段を下りることを本人が希望されました。階段を転んで落ちないため、前に家内を歩かせました。
 
 まったくの車イス生活者ではなく、人の介助があれば杖でも歩ける状態ですが、長距離を歩くことはできません。
 
2日目
 午前6時より第13番大日寺に参拝し、参拝後に朝食をとって出発としました。
 13番、14番から18番恩山寺へ。19番から、別格3番慈眼寺の穴禅定へ。
 
イメージ 2 メンバー9人のうち、車イスの1名を大師堂(納経所)に残して、穴禅定の入り口まで上りましたが、メンバーの1人が体格的に入れないことが判り、私と2人で下山することになりました。
 
 全員が70代のため、普通より時間が大幅にかかり、3時間近く要したため、宿泊予定としている第23番に近い宿に着かない可能性が出てきました。
 
 この時点で、22番の平等寺へ、納経所が閉められる午後5時までに着かない可能性が高く、5時過ぎに全員で参拝を済ませ、翌日の午前6時に私が車を走らせ、7時に朱印だけ授かりに行くことにしました。
 
イメージ 3 大変な展開となりましたが、20番と21番を歩行者よりも早く車イスを押して参拝し、21番太龍寺のロープウェー乗り場には、朱印帖をまとめて持つメンバーを先に走らせて、車イスを走って押していくと、貸切状態だったため、我々の到着を待ってロープウェーを発車させていたたきました。
 
 さて、ロープウェーには車イスも乗車できたものの、到着後の急坂を車イスを押すことは大変で、私一人ではなく、メンバーも車イスを引っ張っての参拝です。
 
 このロープウェーに乗れたことで、20分の時間短縮となり、参拝後の車のカーナビで次の平等寺を検索したところ、5時10分の到着時間を示したため、近道で時間短縮が可能と思われ、念のためにお寺へ事情を説明したところ、「待っているから、安全運転で来てください」の言葉をいただき、心に余裕をもらって走ったところ、5分前に22番の平等寺へ到着しました。
 
 このおかげで翌日に走る必要がなくなり、23番の門前にある「道の駅」に立ち寄ってから、宿を予約してあった「うみがめ壮」に到着しました。
 
3日目
 午前7時に第23番薬王寺から、別格4番鯖大師、明星ヶ丘弘法大師青年像、御蔵洞、第24番最御崎寺から第30番善楽寺まで巡拝しました。第27番神峯寺も車イスで参拝できました。
 
 さて、室戸岬にある御蔵洞と神明窟ですが、昨年10月の参拝時には右側の神明窟が落石によって立ち入り禁止となっていましたが、今回は御蔵洞の前にも落石があり、立ち入り禁止となっていたものの、事情が判らないメンバーは入ってしまい、私も迎えに入っていきました。現在善後策を検討中との話ですが、このまま永久に立ち入り禁止になる可能性もあるそうで、無謀ながら貴重な体験となりました。
 
 善楽寺では、全員の納経帖を大師堂の本堂前に並べて遍路の無事の御礼と祈願をし、最後に私に納経帖をメンバーに手渡す際の秘儀を授かり、5時30分にお寺を出発しました。今回はここまでです。
 
 高知インターから瀬戸中央大橋経由で山陽道から名古屋を目指し、高知県南国サービスエリアでお土産を買い込み、香川県豊浜サービスエリアで夕食、西宮名塩と御在所サービスエリアでトイレ休憩。名古屋への帰着は16日午前1時、市内各地と尾張旭へ送り、午後2時30分に津島市の自宅に到着しました。
 
 過去に半身不随の同行者もありましたが、すべての大師堂の前まで車イスの同行者へ同行したのは初めての体験となり、車イスでも四国遍路ができる実体験となりました。

 本日は21日のため、午後から地元のお寺の「阿息観」に参加し、夕方には志賀弘法会の代表を名古屋市の大須から送迎して自宅に帰宅しました。

 実は、2日前の夜から息をすると胸が苦しく、身体中に鈍痛を感ずることから、昨日は午前中に市役所から帰ってから横になって眠り続け、今朝まで寝たままの生活を送っており、「医者に行ってきたら」と言われても、過去に無い体調不良で医師に説明もできない苦痛で、横になったままの生活となっていました。

 本日の朝には苦痛は治まり、夜には何とか息苦しさは無くなったものの、今週末には上高地では初めての体験となる現地ボランティアにエントリーしており、体調を万全に戻して現地入りしたいと思います。

             本日の体重 72、2キロ 徒歩数 1820歩 間食あり
                                     4月21日の一言

車中泊とエコノミークラス症候群について

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 地震が連続する熊本県で、車に避難する人々の肺塞栓(そくせん)(エコノミークラス症候群)による死亡事故が発生して、大きな社会問題となっています。

 この問題については、添付した新聞記事にも記されていますが、2004年に発生した新潟県中越地震において車中泊避難者が最大で約10万人いたと推測され、2週間以内に発症したのは少なくとも11人存在し、いずれも女性で、そのうち6人が亡くなっています。

 車中泊によってエコノミークラス症候群を発症する要因として、座席に座ったまま動かないことと、トイレを我慢して水分の補給がされていないことにより、血液中の水分不足により血液がドロドロとなって血栓を作ることが指摘されています。

 添付した写真は、私がかつて車にテーブルを入れ、ペーパーフィルターを使ったドリップ珈琲を楽しんでいたときのもので、我家のように車にテントや寝袋を積み、ガスコンロや調理用品など生活できる環境になっていれば今回のような事件にはなりません。

エコノミー症候群、なぜ多発 「きわめて異常な状況」

イメージ 2 災害が発生するたびに現地の様子が発信されてきますが、避難所の限られたスペースに詰め込まれ、子供の泣き声や隣のイビキを気にして生活するよりは、個人のプライバシーが護られる車中泊の方がストレスはありません。

 寝る場所を車内として、避難所そのものを車中泊用に対応すれば、エコノミークラス症候群を発症するリスクは軽減され、被災者のストレスも少ないと思います。

 右に添付した写真は、私が一人で車中泊遍路を続けていた時のもので、食材すらあれば長期間の生活にも困りませんから、現在の被災地のように、狭い車中に逃亡者のように避難している環境を改善する必要を感じます。

トリチウム除去は困難、海放出が最短と評価 経産省部会

 さて、地震によって新聞やテレビが災害報道一色になっている最中に、「東京電力福島第一原発にたまり続けている低濃度の汚染水対策で、除去が難しい放射性物質トリチウムについて経済産業省の作業部会は19日、分離は困難とする評価をまとめた。さらに五つの処分方法を検討した結果、水で薄めて海に放出する方法が最も短期間で安く処分できると評価した」との報道があります。

 五つの処分方法を検討したとあるが、「水で薄めて海に放出する方法が最も短期間で安く処分できる」との判断は全くの横着な決定で、汚染水が海の環境を破壊する可能性については二の次となっており、安いという処分費用が34億円もかかることから、原発再稼動も含めた国民の厳しい視線が必要に思われます。

            本日の体重 72、3キロ 徒歩数 1151歩 間食あり
                                     4月20日の一言

被災地の車中泊で死亡との報道に

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上高地開山式 2年前の4月27日

 月末の上高地開山式(4月27日)を控えて、本年4月より登録された環境省のパークボランティアとして、今週末の23日(土)と24日(日)に上高地を訪れますが、「車中泊で女性死亡」という気になるニュースが被災地の熊本から発信されています。

 14日から続く地震の避難者のなかで、17日夜から車中泊をしていた熊本市の女性(51)が、18日朝に車外に出た後で倒れ、病院に搬入されたときにはすでに死亡していた事件は、肺塞栓(そくせん)(エコノミークラス症候群)が原因と判り大きな問題となっています。

被災地での車中泊、エコノミー症候群急増 医師ら危機感

 被災地の熊本では、エコノミークラス症候群による医療機関への搬入が相次いでおり、症状を示す患者の外来受診や搬送は、熊本市内だけで20~30件程度あったと報じられていますが、車中泊を楽しんできた私にはショックな事件です。


 エコノミークラス症候群については、飛行機内などで、長時間同じ姿勢を取り続けて発症することがよく知られていますが、車の車中泊で発症するとは考えたこともなく、3月に書き込んだ一言に、「豪華なホテルよりも車中泊の方が自由でストレスを感じることがありません」と私は記しています。

 新聞報道によると、水分の補給を我慢して、狭い車中で身体を固定して動かないことにより、血管内に血栓ができると記されており、専門医も警鐘を鳴らしていますが、私自身は車の車高が高く、車中を歩けることから、環境の違うホテルよりストレスを溜めることはないと思われます。

 ただし、こんな事例が発信されてくると気になり、今週末の上高地行きも車中泊と決め込んでいたものの、開山式前だけに気になり、酸欠や暖房による火災で世間を騒がす当事者にはなりたくないと考えていると…

 「二日間の活動ということですが、宿泊場所はご自分で確保されているのでしょうか?公園活動ステーションの予約はされていないようですが、いかがでしょうか」と、環境省関係者よりメールがあり、ご厚意に甘えることにしました。


 私の性格を知る家内も、4月の上高地は真冬と同じような環境であることから、私が車中泊をやめたことを伝えると安心したようですが、むしろ入ったことのない施設に1人で泊まるよりはストレスがなく、行き場が無く車中泊を選択しているのではありませんから、さらに安心な車中泊を目指していきたいと考える一日となりました。

            本日の体重 72、1キロ 徒歩数 3070歩 間食あり
                                     4月19日の一言

来客の応対は珈琲屋さんのハシゴとなり

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名鉄青塚駅前 津島市青塚町

 本日は朝から来客があったものの、事務所1階は三男の接骨院開業のためリフォーム中で、近所のコメダに移動して応対して帰宅すると、次に訪れた知人が車を停めるスペースが無く、近所のコンビニに待機しているとの連絡が入り、私の車も建設業者の車が邪魔して出かけられないため、ついでに市役所まで送ってもらって仕事を済ませてから珈琲屋さんで応対すると時間は昼近くなっていました。

 朝食後に2回も珈琲屋さんを訪れ、それぞれにモーニングサービスを受けたため、昼食抜きでパソコンの前に座り、今週末に訪れる上高地のボランティアの段取りを連絡し、来週開催される協議会の資料に目を通し、先週訪れていた四国遍路の車イスのバリアフリーを確認していると次の来客があり、三男の来客も2階で対応したため外出し、再び珈琲屋さんに出かけました。

 やっと自由になり帰宅してくつろいでいると、午後4時30分に歯医者さんが予約してあり、慌てて走って治療を受けると時計は5時30分を経過していました。

 さて、事務所の2階には三男が6月から採用する超音波や電気治療器のデモンストレーション用の器機が置かれていますが、本日は身体の構成を測る器機が持ち込まれ、家族は揃って体験してきました。

 三男が第3者の身体の健康に寄与しようとしている時でもあり、私自身の健康にも留意することと、上高地のボランティアや四国遍路に出向くことから、当面は自身の左腰の違和感を解消していきたいと思います。

腰痛を軽減する「腰みがき」(1)まずはチェック

腰痛を軽減する「腰みがき」(2)ストレッチ

腰痛を軽減する「腰みがき」(3)筋力の強化

腰痛を軽減する「腰みがき」(4)いすを使った筋力強化

骨盤を前に押すイメージで反らす 腰痛予防「これだけ体操」

           本日の体重 71、5キロ 徒歩数 4080歩 間食あり
                                      4月18日の一言

美濃和紙の里会館の絵付け和傘展へ

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 本日は、岐阜県美濃市にある美濃和紙の里会館で開催されている「絵付け和傘展」の鑑賞に訪れました。

 午前に引き続き、午後1時から町内の農水路整備の仕事があり、午後2時に家内と交代して市内の知人2人と会場を目指し、到着後に作者の梅村茂一さんと談笑して、和傘の制作や絵付けについてうかがってきました。

 私が小学校に入学した当時の和傘は、独特の油紙の強い臭いがあり、未だにそのイメージがとれませんが、今回の作品には油が塗布されておらず、和紙の傘の上に黒を基本とした動物の作品が描かれています。こうした見事な作品を残せる人は羨ましい限りです。会期は25日まで。

第2企画展示「梅村もいち 絵付け和傘展」

美濃和紙の里会館 http://www.city.mino.gifu.jp/minogami/

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作者の梅村茂一さんと和傘を背に

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 「絵付け和傘展」は梅村さんの個展ですが、同じ会館内では「全国和紙画作家選抜展」が開催されており、全国の和紙画作家から選び抜かれた優秀作品75人・75作品が展示されており、絵筆による絵画と見間違えるほど見事な「ちぎり絵」にびっくりとさせられました。

2016 全国和紙画作家選抜展 http://www.city.mino.gifu.jp/minogami/pages/1072

 私の過去を振り返ると、出かけた旅先で出会った作家や、気に入った民芸品を買い求めた時期もありましたが、三男の起業のため事務所の家財を移動させた時に、今まで積み置かれたままの品々や、父親の恩師や門弟の残された日本画や書が、くすんでシミだらけになり、紙が粉々になる現実と、使用もしないまま年月を経た品々を粗大ゴミとして出した苦い経験が頭をよぎりました。

 我家には、父親の恩師で日本画の浅見香城先生の日本画や、門弟となる元名古屋市長杉戸清さんらの書や絵画が多く残されており、横井庄一さんの遺品となる書や陶芸作品も多数保存してありますが、私には貴重な作品であっても、代がわりした時にどうなっていくかを考えると物の多さが憂鬱にもさせられます。

 これからは何も持ち帰らない生活に徹したいものです。

                本日の体重  徒歩数 4166歩 間食あり
                                     4月17日の一言

久しぶりに我家のひと時が

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津島市越津町交差点 北向き

 3日間の四国遍路から、同行した7人(私と家内を含めた9名)を各地に送って帰宅したのは、本日午前3時になっていました。

 昨日の午後5時過ぎに高知県南国市の善楽寺で最後の参拝を済ませ、高知ICから高速道路に入り、香川県の大豊SAで夕食を済ませ、雑談に花を咲かせていると時計は8時近くになっていました。
 帰宅を待つ家族を考えると大変で、ここから兵庫県の西宮名塩SAと、三重県の御在所SAのトイレ休憩のみで何とか午前1時前に名古屋市南区に到着し、北区と尾張旭市経由で6名を降ろし、最後のメンバーを津島市へ送ってから無事に帰宅しました。

 今回のお遍路は車イスを使用しているため、石段や坂道の多い四国遍路は大変で、「この体験をちゃんとメモしておくんだよ」と当事者に忠告されておりながら、帰宅後に記録しようとすると何も思い出されてきません。

 せっかく苦労して体力で車イスを押したことを無にしないため、その場その場で記録する必要性を実感させられましたが、車の運転と参拝で時間は精一杯となっており、これからも続く車イス遍路のため再検証に務めたいと思いました。このまま車イスによる四国遍路について、四国霊場で一番詳しい公認先達を目指します。

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 さて、6月に開業予定となっている三男の接骨院に使用する治療機器選択のため、今週の火曜日から2種類の機器がメーカーによって置かれていますが、本日は私の身体を見本にして家族の前でデモンストレーションがありました。

 治療は、立体動態波と言い、ハイボルテージと超音波のコンビネーション治療だそうで、プロEMSにより筋力強化が図られ、脳卒中後で自分の手足を自由に動かせない人の筋肉を動かしてリハビリができる器機との話でした。これらの治療器については、接骨院でもあまり導入されていない最新器機との説明です。

 私が不在だった3日間にもリフォームが進められ、私の事務所は完全に様変わりしており、予定通りに6月1日開業となりそうですが、事務所横の木々を切りそろえるのは私の役目で、来週から始まる上高地行きも考えると忙しい日々が6月まで続きます。

            本日の体重 72、2キロ 徒歩数 2458歩 間食あり
                                     4月16日の一言

四国遍路第三日目

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本日は四国遍路第三日目になりました。

午後5時まで巡拝してから高知インターに入り、瀬戸中央大橋経由で名古屋を目指しています。

四国遍路 第2日目が終り

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別格3番慈眼寺の穴禅定入り口です

 四国遍路2日目は、午前6時から名西旅館の前にある第13番大日寺に参拝し、7時前に納経帳に朱印をいただき、朝食後に余裕で出発して、第14番常楽寺に参拝後に、第18番恩山寺に参拝し、第19番の立江寺を経てから、午前11時に別格3番慈眼寺に到着しました。

 ここで志賀弘法会代表を残して、本堂横にある穴禅定に8人で向かいましたが、穴禅定の入り口で1人が入れないことが判り、私と2人は納経所のある大師堂に戻ることになりましたが、案内するK野さんのご配慮で入れる所まで入れてもらえることになり、私も入って入り口で写真に収めました。

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 順調だったのはここまてで、2人で納経所のある大師堂に戻り、久しぶりに納経所に座る案内役のK児さんと談笑していましたが、いつまで待っても穴禅定に入ったメンバーが戻ってこなくて、結局は予定時間を大幅に超える3時間近くも経過してから戻ってきました。

 大変なのはこれからで、本日の宿は第23番薬王寺の近くにある「うみがめ荘」を予約しており、その前の22番平等寺まで巡拝してないと、翌日に戻って参拝しなおす必要があり、カーナビで検索すると、参拝時間を考えずに走っても納経所の閉まる午後5時まで15分間の余裕しかありません。

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 「朝に30分早く出てこればよかった」

 お遍路では、こんな反省と後悔の繰り返しで、成るようにしかなりませんから、慈眼寺を後にして第20番鶴林寺に走り、高齢軍団の歩きより早く車イスを押し、第21番太龍寺では、車が到着直後に全員の納経帳を持たせた家内をロープウェー乗り場に走らせ、車イスを走るように押して向かったところ、「本日は貸切状態」とは冗談ですが、ロープウェーの発車を待っていていただきました。

 このロープウェーに乗れたことは大きく、20分の時間短縮ができ、太龍寺の車イスの歩道は一度も通行したことがありませんでしたが、私一人だけでなく、2人のメンバーも車イスを押してくれ、参拝後に発車前の記念撮影して下山しました。

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 ロープウェーを降りて、車イスは家内に託して車に戻ってカーナビを設定すると、次の平等寺には午後5時8分到着と検索され、近道を走れば何とかなる可能性から、お寺に電話で事情を伝えたところ、「待っています」との快諾を得ました。

 最終的には、納経所の閉まる午後5時の3分前に到着し、無事に朱印と参拝を終えることができました。
 明日は午前6時30分から朝食を摂り、薬王寺へ午前7時前から参拝に走り、夕方までに高知県南国市にある第29番国分寺に参拝してから名古屋に帰る予定ですが、参拝後に温泉に寄り、夕食を摂っていると名古屋到着は翌日の午前2時から3時になってしまいます。

              本日の体重 71、8キロ 徒歩数 9327歩 間食あり
                                      4月14日の一言

半年ぶりの四国遍路へ

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四国八十八ヶ所第1番霊山寺の門前で8名?

 本日は昨晩に愛知県を出発して、途中のサービスエリヤやパーキングで仮眠をとりながら、徳島県鳴門市にある四国八十八ヶ所霊場会第1番霊山寺へ午前6時に到着しました。

 今回のメンバーは名古屋市北区の志賀弘法友の会メンバーの7名と、運転手役の私と家内の9名で、本日は第1番霊山(りょうぜん)寺から、第12番焼山(しょうざん)寺まで巡拝し、第17番井戸寺から第15番国分寺まで逆打ちで参拝し、午後5時過ぎに第13番大日寺の門前にある「名西(みょうざい)旅館」に到着しました。

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 今回のお遍路には車イスを持参しており、足に補そう具を付けるメンバーも車イスに乗ることで満願を目指していますが、高齢のメンバーではあるものの、午前中は何一つ口に入れない、買わないを原則としており、大師堂での参拝以外はご法度となっているため、予想外に巡礼が進み、「遍路ころがし」と言われる焼山寺も、駐車場からではありますが、車イスを押して参拝を達成してしまいました。

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 高齢と闘病中のメンバーでもお遍路は可能であることを実感するとともに、これこそ「福祉タクシー」の本領を発揮した形で、今後はお遍路や上高地へ高齢者や障がいを持った人でも同行できるアピールをしていきたいと思う一日ともなりました。

 明日は旅館の目の前にある第13番大日寺から参拝して、徳島県海部郡にある第23番薬王寺まで参拝して、お寺に近い「うみがめ荘」に宿泊の予定です。

                 本日の体重 不明 徒歩数 11145歩 間食あり
                                      4月13日の一言

2階への引越しが終って

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 本日も1階の事務所から2階に運び込んだ荷物の整理を朝から続けていましたが、午後3時には何とか収まり、夜の書道会に間に合うことができましたが、6月に接骨院を開業する三男の導入する超音波や電気治療器のメーカーによるデモンストレーションも行われることになり、首のヘルニアで手が痺れている知人が急遽駆けつけてモデルになりました。

 今晩遅くから四国に出発する私の腰の治療もしてもらいたいものの、息子と一緒に働いてもらう人にも試してもらい、器機の選定や開業後の治療法を決めていく必要があることから、私の治療は開業するまでの楽しみとなりそうです。

 さて、本日は午後7時30分から9時まで書道会があり、終了後の午後10時に津島市を出発し、名古屋市に集まるメンバーを拾ってから四国徳島県まで走り、暫しの仮眠後の午前7時から四国遍路をスタートさせます。

 明日からは事務所の正面のリフォームが始まり、入り口には足場が組まれるとの話で、4日後に帰宅した時を考えると、期待よりも不在時の展開だけに心配が募るものの、これも代代わりの宿命と思われます。

 明日からは、久しぶりとなる四国遍路の様子を発信していきます。

            本日の体重 71、6キロ 徒歩数 9020歩 間食あり
                                      4月12日の一言

旧神守の宿 静かなる街並み

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神守の目医者として有名だった先代から続く神守診療所(左)と、旧寺本薬局(右)

 昭和30年に津島市と合併した旧「神守村」の村役場があった(左の火の見櫓の建っている場所)場所と神守小学校、旧佐屋街道(旧東海道熱田と桑名間の海路が利用できない人々の陸路)神守の宿の町並みです。

 村役場は、合併後も昭和50年代まで津島市役所の神守支所となっていましたが、現在は消防団の分団車庫と詰所になっており、幕末までは道路の突き当たりに「本陣」が置かれ、明治維新までは大(小)名の行列もここを通っていました。
 かつては海東郡の郡役場があり、旧神守村の役所から現在に至ります。

 私の子供の頃は、ここを名古屋駅と津島駅を往復する名鉄の路線バスが走っていましたが、正保5年(1648)に神守宿が設けられてから、街道の両側には宿屋や鍛冶屋などが並び、この宿には尾張徳川家第14代藩主徳川慶勝候や明治天皇も休息されています。

 かつては道路の両側にお店が並んでおり、旅籠だけでなく、鶏肉屋や八百屋、薬屋などが複数存在していましたが、東京オリンピックの頃に新しい道路ができ、昭和40年頃にはバスも走らなくなり、現在は事実上の小売店は皆無になってしまいました。
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 本日午後の神守町上町の様子ですが、神守の宿には上町のほかに、南に中町と下町があり、添付した上町については、佐屋街道の宿場を造営するため(1648年)に、ここから500メートルほど北部にあった集落を集団移転させて造られた宿場町です。

 徳川尾張藩主や、明治天皇も通行した歴史のある街道ですが、現在の神守町には上に添付した神守診療所があるだけで、かつて存在した市役所支所や郵便局も移転して、商店が1軒もない街と化しており、大通りの静かな環境が余計に賑やかな時代を連想させてくれます。

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本日のオマケです。 ここが何処か判りますか?

 さて、我家では本日から、三男のために私の事務所のリフォームが始まり、私を訪ねてこられる方々の座る場所も無く、珈琲屋さんに出向いて話し込んでいると次の来客があり、荷物の散乱する2階にも居れないため、再度違うお店を訪れることになり、世代交代の宿命とは判るものの、還暦は過ぎたとは言えども、現役の議員であることを家族に忘れられているような寂しさも実感させられます。

舞い戻った冬、積雪ゼロだった札幌でも雪模様

大塚家具訴訟、勝久氏側が勝訴 15億円支払い命じる

 世間を騒がせた大塚家具のお家騒動ですが、世代交代したとは言うものの、親の遺産は企業のものと考えて株の譲渡代金を支払わなかった現経営陣に、東京地裁は15億円の支払いを命じた記事が報道されています。

 事務所を三男に提供するのは私の意志ですが、そのために新たに移転する冷暖房機器や、ネット、通信機器などの経費は私の負担となり、家族に引っ越しを急かされると、「何で自分が損をしてまで…」と、引退した大塚家具のお父さんについ同情してしまいます。

 明日の晩には四国遍路に出発するため、帰宅する週末まで事務所の変化は見届けられませんが、同行する人々は超高齢者のため、本日よりぶり返した寒波も心配となり、しばらくは我家と遮断された生活が我家にとっては幸いになるのかもしれません。

            本日の体重 72、0キロ 徒歩数 2866歩 間食あり
                                     4月11日の一言

松本市最後のガイド研修会へ

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 本日は「白樺自然学校」の主催する上高地ネイチャーガイド養成講座に参加するため、長野県松本市にある浅間温泉文化センターを訪れましたが、会場周辺は桜が満開となっており、一緒に同行してきた家内は温泉に行き、薄曇りのため車中の相棒も余裕の一日となりました。

 一週間前の松本城周辺の桜も満開状態でしたが、本日も満開は過ぎたものの最高の花見日和となり、ライトアップされた昨晩の松本城は、人出が多くて車が近づけないため花見を断念したとの会話も耳にしましたが、松本市内は観光客で溢れる春本番ともなっていました。

 今年2月から始まった養成講座も、松本市内を会場とする座学は今回で修了し、今後は15日に開通する上高地の現地研修となり、27日の開山式と5月には1泊2日の日程で現場で実際の研修を受けることになります。

 本日は18名のメンバーが参加していますが、受講生の中にはホテル白樺荘に所属するガイドを目標とする人もあれば、上高地の情報収集のため参加している人も多く、私は今年4月から登録された環境省のパークボランティアとして、プロのガイドさんに負けない上高地のガイド力を取得することを目標に参加しています。

 私自身は開山式の前に、上高地散策路の除雪や整備のボランティアに参加する予定ですが、その前に明後日に出発する、元々の本業(?笑)である四国八十八ヶ所の案内を無事済ませたいと思っており、明日からは頭を四国遍路に切り替えたいと考えています。

 私の残された人生について、地元の津島市を10日とすると、四国巡礼10日、上高地10日分と、1ケ月を3等分できれば最高と考えており、こんな身勝手なセカンドライフを掲げられるのも家族(家内)の理解があって実現できることで、6月に開業予定の三男の接骨院が軌道に乗ってくれれば最高となりますが…

 明日からは事務所のリフォームが実際に始まりますが、2階に移動された家財道具一式を火曜日までに整理できないと、平成6年から会場となっている書道会が開けないため、明日からも仕事(議員活動と福祉ボランティア)と両立させる忙しい日々が続いていきます。

          本日の体重 72、4キロ 徒歩数 2085歩 間食ありあり
                                      4月10日の一言

本日も家庭内引っ越しの一日に

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沈黙です。

 本日は朝から車のタイヤを冬用スタッドレスから、夏用タイヤに交換するために知人が訪問してくれたため、知人が交換するのを見ているだけですが、タイヤを移動させるだけで足腰に苦痛が走ります。

 御礼とはなりませんが、一緒に近所のコメダ(珈琲)で雑談していると、家内から電話で、明日が期限となっている事務所の引っ越し作業の催促で、明日は松本市で開催される研修会へ走るため、昼食後の休憩も取らず、黙々と作業していると「9千歩」のノルマ達成のファンファーレが鳴りました。

 いつもなら夕方は珈琲タイムとして走っていきますが、夕食の声がかかっても止められず、「もう、これで終り」と夕食にして日本酒を口にしたものの、一瞬の仮眠後に作業にかかり、午後10時に引越し作業は終了しました。

 ただし、台所に戻ってから、来週出発する四国遍路の資料の置き場所が気になり、再び2階に上がったものの、家内と三男も一緒に荷物を移動させたため、置き場所が見つからず、苦戦してやっと探しだすと、明日の上高地の資料も何所にあるのか判りません。

 やっと探し出したとき、時計は午前様になっていました。

 忙しさと、連日の雨で行けなかった玄関のピーちゃんの眠所に線香を持っていくと、ポストにも大量の郵便物がたまっており、連日の引っ越し作業によって、ピーも郵便物も忘れていたことを実感です。

 この郵便物の中に、環境省からの手紙が届いており、本年4月から2年間の任期で、私に対するパークボランティアの登録証が同封されていました。来週15日に釜トンネルが開通しますが、今年からは上高地の観光客としてだけではなく、ボランティアとしても参加していく気持にさせられました。

少女誘拐容疑の男「ずっと束縛していたかった」 富山
記事の続き…
http://www.asahicom.jp/images/asahicom/hand.png捜査関係者によると、少女は遼容疑者に「家出をしたい」と伝えていたという。県警は、少女が何らかの悩みを抱えて家出しようとした可能性があるとみて調べる一方、両容疑者が少女を誘い出した目的を詳しく調べている。
 少女は8日に富山県内で家族と再会したといい、両親は県警を通じて「娘が無事に帰って来てくれて本当によかったです。ご心配をおかけしておりますが、家族は今大変動揺しておりますので、どうか静かに見守っていただければ幸いです。(事件について)何があったのか知りたい」とのコメントを出した。

 さて、忙しいと世の中の世情や事件にも疎くなり、富山県の13歳の女子中学生が、山形県新庄市の25歳の男と、48歳の母親の2人に誘拐されていた事件を知り、千葉県の誘拐監禁事件が終ったばかりに、親子によって誘拐されるという前代未聞の事件が起きていた事にびっくりさせられました。

 母親も一緒になって少女を誘拐するという事件に、異常な世の中を実感させられますが、記事によれば少女も家出したかったと記されており、事件の真相は判らないものの、この事件によってこの親子も大変な家庭環境が続きます。

        本日の体重 72、2キロ 徒歩数 12345歩 間食なし
                                      4月9日の一言

密告社会の悲哀と裏表に

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私の母校神守中学校のマスコット「かも神」さんです

 昨日のコメントに感化され、地元の人しか判らない写真を添付しようと考えていたものの、朝から電話や来客が相次ぎ、午前中から荷物を2階に運んでいると、家内と2人では持ち上がらない大型印刷機の処分に困り、メーカーに廃棄を依頼したものの、明日までに事務所を空ける必要があり、近くの資源回収所に持ち込みました。20年前の印刷機とは言え、月5万円の5年リースで購入した物が邪魔になり、捨てる現実には寂しいものがありました。

 事務机に座った記憶もなく、仕事はコタツで済ますようになっていますが、事務用のスチール机が6台もあり、2階に上げようと運んだところ、大きすぎて入り口の扉から入れることができず、知人から分解して入れるように勧められたものの、連日の引っ越しで身体が悲鳴をあげており、これも鉄くずとして廃棄処分となっていきます。

 そんなわけで、本日の一言には、私の母校に関連して過去に書き込んだ記載を添付しました。アメリカのイリノイ州からの書き込みや、山形県から県内に戻ってこられる人々のコメントに、遥か彼方の地域が見えてきそうな錯覚に陥ります。

イメージ 2http://blogs.yahoo.co.jp/s281218/48638765.html 2015/3/31





神守交差点から用水を南へ

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神守中から日本一ランナーへ 神野大地選手に乾杯  2015/1/2    http://blogs.yahoo.co.jp/s281218/48489351.html





神守中学校の校庭南側道路

 プロ野球だけでなく、アマチュアスポーツにも賭博に手を染めた選手が存在し、オリンピックでメダル獲得が期待できる若い選手が出場を断念することになりましたが、賭博の裏カジノに出入りして大金をかけていた現実に、期待していた家族や関係者の心境を考えると複雑です。

裏カジノ、選手恩師らに衝撃「かける言葉見つからない」

 私の20代の頃と比べて、インターネットの普及で、家だけでなく外出先でもゲームができるようになり、ゲームや賭け事に対して罪の意識が希薄になっているのかもしれませんが、密告社会になって仲間内のマージャンまで逮捕されることには違和感が否めません。

 私は賭け事やマージャンは一切やらないことにしてきましたが、議員になった直後に地元の市町村で構成する競輪組合の議員になり、決められた日に市役所の車に乗せられて競輪場に行くようになりました。
 私はギャンブルの経験もなく、競輪についても何も判りませんから、複数のスポーツ紙の予想が重なる予想番号を参考にして投票すると、当選しても配当は少ないものの、2千円の日当が1万円や1万8千円となっていました。
 「競輪は儲かる」は大げさですが、損をする意識は皆無だったものの、競輪場に集まる人々の雰囲気には馴染めず、組合が解散したこともあって行かなくなりました。

 最近は、かつて違法と思われたことも抜け道が存在し、風俗営業にしても厳密には違法と思われることが放置されており、ネット上にも違法性のある画像や映像が垂れ流し状態となっており、そんなことも他人に迷惑をかけない賭け事を悪く思わない一面があるのでしょうか。

 残念ですね。将来が安泰であったはずの清原選手が覚醒剤に走り、オリンピックのメダル確実と言われた若者が、罪によって将来の道を断たれていきます。
 一方で、夜の歓楽街など、違法であることが放任されて無法地帯に陥っているように感ずることもあり、今年2月から通うようになった松本市についても、夜間には売春を勧める女性が駅からついてくるなど、もっと厳しく取り締まる場所が放任されている現実の反省も求めたいものですね。

            本日の体重 72、3キロ 徒歩数 7520歩 間食あり
                                       4月8日の一言



同郷人からのコメントに

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津島市葉苅町 葉苅橋から勝幡方面(西)を見る 4月4日夕方

 本日のコメントに、私の母校である神守中学校の卒業生から、「28年前に渡米し、今はイリノイ州在住です。ここ数年は実家に帰っていないので、写真を拝見し、涙が出ました。」の記載がありました。

 これまでも何度か同郷の同窓生から同様のコメントを貰い、その都度地元の写真を添付しようと思いながら、地元の風景を紹介していない現実を実感し、3日前に撮ってあった地元の写真を添付しました。

 過去のブログにもアメリカや遠方から発信された同郷人からのコメントがあり、同郷しか判らない地名や字名を記し、中学時代に引っ越していたり、社会人になって愛知県を離れた人々から懐かしい内容を記したメッセージを受けてきました。

 今にして思うと、同窓生や同郷人のブログや発信元は記録しておけば良かったと反省しますが、連日のことで忘れてしまっており、毎日記していることから、過去の検索は実際には不可能となります。


 津島市や神守中出身で、遠く離れて生活しておられる方々を意識し、とりあえず本日は津島市の天王川公園を記した過去ログを添付し、今後はよりリアルな地域性のある写真も添付していこうと思う一日となりました。

 さて、日曜日は松本市で開催される上高地ネィチャーガイド研修会に参加予定ですが、来週から事務所は三男の接骨院に改装するため建築屋さんか入るため、本日も午前中から家財を移動させ、過去40年にわたる思い出の品々を家内が捨てに走ります。

 過去を捨てたいとは思いませんが、過去に購入した品々が実際にはゴミになっており、大切な思い出の品物を残しておきたいものの、使うこともできなくなった多くのフイルムカメラや大量のビデオテープなど、捨てることも残すこともできずに時間だけが経過していきます。保存した当時は高価な宝物であっても、数十年が経過すると無用の長物になってしまいます。

 ただし、捨ててしまえば無になってしまうため、捨てた後になってから見たくても存在しないため、自分が死んだら見たくても見れないと開き直り、残念ですが今後も必要な物以外は全部捨てることに決めました。

             本日の体重 72、1キロ 徒歩数 6102歩 間食あり
                                       4月7日の一言

孫の入学式より引っ越し作業です

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 本日、愛知県下では小学校の入学式が行われ、私は地元の小学校へ来賓として出席していましたが、今年が新1年生となる孫は、名古屋市内の小学校の入学式が終った後で、ランドセルを背負って我家にやってきました。

 普段の生活であれば、孫が来れば昼食を食べに行くか、午後のショッピングを兼ねて珈琲屋さんに走りますが、本日は三男に追い立てられて事務所の引越し中で、かつては高額でお宝だった品々をゴミとして捨て、簡単に運んで入れた家財道具が老化のため動きません。

 「本当に捨てて良いの?」
 「うーん、もう見ないからなァ」
 「だって、高いんでしょう?」
 「そう思ったら、何も捨てられないから…」

 これまで購入した高額な書籍や、分厚い六法全書などについても、現在はインターネットを検索すれば調べられ、「最新医療」に関する大量の雑誌も、20年前の最新情報は化石となっており、「田舎暮らし」の月刊誌も、この歳になって実現させる可能性も無く、大量に集めた旅行の雑誌やパンフレットは残しておきたいものの、2階に持って階段を上がる気力が湧きません。

 これらが1階の事務所にあったことから、訪問者に出して見せることもできましたが、これからは三男の接骨院になってしまうことから置いておく場所が無く、残された人生を考えると2階に上げるのを躊躇してしまいます。

 一方で、事務所の2階は、元々は50人が入れる机と折畳みイスがあり、卓球台も2台置いてありましたが、1階に置いてあるスチール机5台のうち3台は扉を通らず、置き場すらない現実に唖然とさせられました。

 訪問者に大量の書籍や雑誌を置いておいても、自分はもう見るわけでもなく、人に自慢したところで知人しか訪れないため、この際は「家内が捨ててしまった」と処分した方が良さそうです。

 今回の引っ越し作業の中で驚いたことは、多くの人たちから頂いた絵画も多く場所を占領していることと、先人たちも残りの人生を考えて、購入したまま箱の封も切ってない豪華なビデオ全巻を私に委ねられたことが、本日の我が身と重ね合わせてしまいました。
 結果的には、これまで蓄積してきた家財や書物などを、半分のスペースに収めるために苦戦していますが、事務所だけの話ですから、私が死んだ場合にはこれらを全て処分する家族を考えると良い機会になるのかも知れません。

がん生存期間、在宅でも変わらぬ傾向 入院患者と比較
記事の続き…
http://www.asahicom.jp/images/asahicom/hand.png対象の医療機関での初回診察時に余命が「2週間未満」と見込まれたグループでみると、診察から死亡するまでの期間が、自宅の人では13日だったのに対し、病院の人では9日。「2カ月未満」ではそれぞれ36日と29日で、どちらのグループも自宅のほうが長かった。一方、比較的状態がよい「2カ月以上」では差が認められなかったという。
 筑波大の浜野淳講師(総合診療)は「断定はできないが、十分な在宅ケアがあれば、退院しても生存期間が短くなることはないと言えそうだ」と話す。

 さて、末期ガン患者が入院せず、在宅で生活した方が長生きしている実態を、筑波大学と神戸大学のチームがまとめたとの新聞記事を添付しましたが、余命1ケ月と事実上の死の宣告を受けた2人の在宅支援に関わりましたが、治療を断ったことにより抗がん剤の副作用が無く、1人は10ヵ月、1人は半年ほど生き抜いた結果を2年前と昨年に目にしました。

 医学の進歩は目覚しく、ガンも完治する可能性が高まっており、最新治療や最善の治療に期待して治すのも一考ですが、強い抗がん剤の副作用で体力を奪われて亡くなる人もあり、ガンと共存して食事や漢方薬で寿命を延命させるのも現実的かも知れません。
 更なる医学の進歩に期待するとともに、我が身の万が一を考えていくことみ必要ですね。

                本日の体重 72、1キロ 徒歩数 6681歩 間食あり
                                       4月6日の一言

障がい者の駐禁除外標章、相次ぐ不正の報道に

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なか卯の和風牛丼とサラダ(500円)

 かつてはお気に入りとして、嫌がる家族を無理やり連れて行った「なか卯」ですが、最近は高齢者にとってサービスの良い「ジョイフル」ばかりとなっており、本日は家内と久々にランチ(昼食)に訪れました。

 「何所に行くの?」
 「東宝シネマズまで」
 「お茶でも飲もうか?」
 「2階にあるから」

 車で走行中に自転車で走る知人と並走し、久しぶりのため珈琲屋さんに行くことになり、映画館の隣にあるスーパーに入りましたが、このスーパーは津島市が本社となっているものの、私はこのスーパーに入らないばかりか、このスーパーの不買運動を宣伝してきました。

 知人の話では、珈琲屋はチェーン店で、スーパーとは関係ないお店との話で、映画館もスーパーとは別の建物と判りましたが、知人から不買運動の理由を問われて話すと、知人も納得して同調してくれたものの、教育的配慮のない店の対応に私は20年以上にわたって不買運動を貫いてきました。
 ※不買の顛末は下記の過去ログに記してあります。

私のこだわる不買運動を話題に 2009/12/23

 さて、身体障がい者の『駐車禁止除外標章』を悪用した不法駐車が横行しており、大阪府では「昨年11月以降に集中取り締まりを5回実施。標章を置いていた計126台のうち47台(37%)に青切符を交付した」と発信されています。

障害者の駐禁除外標章、相次ぐ不正 家族「あればタダ」
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http://www.asahicom.jp/images/asahicom/hand.png不正使用はパーキング・チケットで目立つという。府警幹部は「パーキング・チケットは短時間に限り、多くの人が譲り合って使うのが本来のルール。不正に占拠すれば正当に止めようとしている人が困る」。
 府警は大阪市中心部の複数のエリアで今後も取り締まりを続ける方針だ。ある幹部は「不正使用が蔓延(まんえん)すれば、制度を見直そうという声が上がり、本当に必要な人が困ることになりかねない」と懸念する。
 大阪府の場合、標章は府道路交通規則にもとづき交付される。障害者本人が乗っていなければ駐車違反で取り締まりを受けるが、不正使用自体に罰則はない。だが、常習の場合は逮捕したケースもある。
 府警は昨年6月、大阪市中央区の勤務先近くの路上を駐車場代わりにしたとして会社役員の男性(66)を自動車保管場所法違反容疑で逮捕。男性は罰金20万円の略式命令を受けた。車を通勤で使っていたという。
 府警によると一昨年10月ごろ、「路上にいつも止まっている車がある」という手紙が南署に届いた。捜査員が確認すると、車内に男性の母親(当時88)の標章があった。母親は昨年4月に死亡したが、男性はその後も標章を置いて路上駐車を続けていた。
 府の規則では、本人が死亡するなどして標章が不要になった場合は「速やかに返納しなければならない」とされている。男性は取材に対し、「車高が高くて契約している立体駐車場に入らず、標章が便利だと思ってしまった。逮捕されると思わなかった」と話した。
 大阪市身体障害者団体協議会の手嶋勇一会長(74)は取り締まり強化を歓迎する。自身も病気で左腕を失って標章を持っているが、「もっと必要な人がいる」と使用を控えている。「標章に対して世間の目が過度に厳しくなれば、一番困るのは障害者。不正に使っている人はそのことに思いをはせてほしい」と話す。(荻原千明、中島嘉克)
     ◇
 〈駐車禁止除外標章〉 大阪府の場合、下肢不自由(1~4級)や聴覚障害(2、3級)、重度の知的障害などがある人が運転したり同乗したりしている車に掲げれば、標識などで駐車が禁止されている場所で規制対象から除外される。府警によると、本人や家族が警察署に身体障害者手帳などを持参して申請する。有効期限は3年間。警察庁によると全都道府県に同様の制度があり、2014年末で55万5046枚が交付されている。

 私の知人にも駐車禁止除外標章を所持する人物があり、「何所に停めても駐車禁止にはならない」と聞かされたことがありますが、これはあくまで本人が同乗するか運転している車の話で、この標章を利用した家族や第3者の駐車違反が横行していることは問題です。

 問題は、障がい者に与えられた各種の権利が悪用されている実態があり、家族の障がいを理由にした車の購入や税の免税が、全く本人の生活支援に関わらない家族が利用している現状は改善が必要です。

 一方で、今回の大阪府からの発信のように、実態を優先することが重要と思いますが、かつて障がい者手帳を持つ人に同行した施設で、障がい者スペースに車を入れた際に、駐車場係の男性が走ってきてえらい剣幕で怒鳴られたことがありました。

 「ここに停めてはダメだ!! 」
 「障がいのある人が乗っています」
 「手帳は持っているか!! 
 「家に置いてきたと言っています」
 「手帳が無ければダメだ!! 」
 「車イスを積んできたが」
 「ダメだ!! ダメ!! ダメ!! 」

 この会話は、高野山の金剛峰寺前の駐車場の実話ですが、行政から派遣された高齢の係員に咎められ、遠くの駐車場に停めてから車イスに人を乗せてお寺に入ったところ、お寺から抗議の電話を入れてもらうことになり、今後はお寺の裏の建物に直接車を入れるように案内されましたが、車イスを使用する人が存在しても手帳の所持が無いことを理由に固辞される例から、手帳を持っていれば停めて当然の権利のようにも感じてしまいます。

 人の話を信用せず、現実を直視しない反面で、証明する書面があれば実態と違っても通用してきた現代社会の歪みが存在し、本当に相手の状況に対応する人にやさしい対応が求められていると思います。

            本日の体重 72、4キロ 徒歩数 4120歩 間食あり
                                      4月5日の一言
 

日常の生活にとっぷり浸かり

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本日午後6時30分の夕暮れ風景

 3月議会が終って10日が経過しましたが、唯一残された仕事が議会だよりの編集委員会で、本日は久しぶりの感覚で午前9時から午後3時過ぎまで市役所に居ましたが、明日も午後には協議会参加の日程があり、上高地の開山や四国遍路の再開を前に済ませるべき仕事があることを実感させられました。

 「おい、HPは大丈夫だったわなァ」
 「HP?オレで大丈夫かな」
 「やれるって言ったじゃん」
 「やれないことはないけど、そんなんで良いのか…」

 6月に接骨院を開業予定の三男に対して、開業資金の確保が確約されたことで、今月中旬から建物のリフォームが始まりますが、それまでに私の机や荷物を全部移動させる必要があり、「先の話」と安易に引き受けていたHPも作る必要に迫られました。

 来週は松本市を訪れ、四国遍路にも出向くことから、今週中に引っ越しを終らせる必要があり、人と安易に約束した約束も大きな束縛となり、議会中として何もせずに済んだ3月よりも忙しい日程となってきました。

住宅用太陽光発電、4割値下がり 「自給自足」近づく?
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 http://www.asahicom.jp/images/asahicom/hand.png住宅用の太陽光発電システムの設置費用は現在、平均的な容量5キロワットのタイプは170万円前後と、5年前に比べ3割強も下がった。太陽光パネルの価格競争が世界的に激しくなっていることが背景にある。
 試算は、発電した電気をすべて自家消費する前提だが、実際の利用は異なる。太陽光の発電量が多い昼間は、余った電気を電力会社に買いとってもらい、逆に足りなくなる朝や夜は電力会社から電気を買うためだ。
 太陽光発電協会によると、住宅用太陽光発電は14年度末で累計約170万件。戸建て住宅での太陽光の設置率は約6%とみられる。

 さて、新聞記事を添付しましたが、太陽光発電機器のコストが低くなり、日中に溜め込んだ電力を電力会社へ売電せず、夜間消費用に蓄電できれば、完全なる電力の自給自足も可能になりそうです。

 こんな新聞記事を見れば、安部政権や電力会社が固執する原子力発電の再稼動が必要とは思えず、一部の利益のために広範囲の人々を危険にさらす原発は廃止しても困らないことは間違いがなく、脱原発の社会実現にシフトされることを望みます。

 津島市でも、新年度の事業で小学校に太陽光発電器機が設置されますが、設置目的は自己消費だけでなく、災害時に電気が停止しても発電によってライフラインを確保することにあり、更なる器機のコスト削減が図られ、全国へ普及させたいものです。

           本日の体重 72、1キロ 徒歩数 8920歩 間食あり
                                      4月4日の一言

ネイチャーガイド研修会で松本市へ

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松本市中央大手橋の東 田川沿いの桜


 本日は上高地ネイチャ-ガイド養成講座に参加するため、朝6時にわが家を出発し、名神高速から中央高速道路、長野自動車道を経由して、会場となる松本市の中央公民館Mウイングまで来ました。

 今回は家族や孫と、相棒リマも含めて7名(犬?)
の行程で、私の研修会が終わる午後4時まで松本城や美術館など、松本の町歩きに出向いていました。

 本日の研修会は上高地の動植物の学習が主目的でしたが、これまで無意識に歩いていた場所に、多くの知らない花や動植物の宝庫だったことを実感させられ、地質的な特長と併せた植物や動物の連鎖も勉強することができました。

イメージ 2 さて、今年2月から、上高地の勉強のためにに松本市を訪れるようになりましたが、列車を利用したことから、何度も市内を歩いたため、松本の街並みについても詳しくなり、松本市の魅力を家族に伝える一日にもなりました。


 家族は松本城や資料館からスタートし、ナワテ通りの商店街を散策し、あがたの森公園に車を移動させ、松本市美術館から中町商店街を散策するなど、心配した雨に降られることなく 行程をこなした様子です。



         本日の体重 72、2キロ 徒歩数 4107歩 間食あり
                                      4月3日の一言

本日の全行程 475キロ 
 研修会終了後、松本市内湯の華銭湯瑞祥で入浴後、国道19号を塩尻から木曽路に入り、恵那市で夕食後に名古屋市で孫たちを降ろしてから帰宅しました。

カード詐欺事件の後日談です

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 2日前に発覚した第3者の他人によってインターネットから私の「アメリカンエキスプレス」のカード申し込みをされていた事案は、本日速達が届き、私自身と家族や関係者から申し込みをしていない「宣誓供述書」の返信を求め、今後は詐欺事件として調査していくことが記されていました。

             ご協力のお願い
謹啓
時下ますますご清栄のこととお慶び申し上げます。
この度は、大鹿一八様のお名前を利用した詐欺事件につきまして、大鹿様には多大なるご心配をお掛けいたしましたことを深くお詫び申し上げます。
現在、鋭意調査を進めております。
つきましては、弊社にての事務処理の都合上、下記書類をご提出いただく必要がございますので、誠にお手数ではございますが、ご記入日、ご署名、ご住所をご記入、ご捺印のうえ、同封の返信用封筒にてご返送くださいますようお願い申し上げます。
ご多用中誠に恐縮ではございますが、何卒ご協力賜りますよう重ねてお願い申し上げます。
                                                        謹白

 2日前に突然の電話があり、私が申し込んだものとして、私の本人確認が始まったものの、私自身が申し込んだものではなく、相手側にも第3者による申し込みで、発信元のメールアドレスも私や家族のものではなく、申し込みそのものが破棄されたため実害はなかったものの、私自身だけでなくカード会社も電話代だけでなく、添付した事後処理など大きな迷惑となりました。

 カード会社も「詐欺事件」と記し、「鋭意調査する」と記しているものの、現実にはメールの発信元を記録する程度で、犯人の特定までするとは思えませんが、本来なら警察関係に訴えてでも、当事者を罰しないと当事者は笑っているかもしれず、そう考えると腹立たしくなってきます。

 もっとも、ネット犯罪は巧妙化しており、他人の情報を入手して多額な被害を与える事件が多発しており、金銭的な被害に及ばなかったことは幸いですが、こんな悪戯のような行為を見逃すことが次の被害につながる可能性から、徹底的に排除していく対策は急務とも思います。

 さて、明日は早朝より上高地のネイチャーガイド研修に松本市を訪れますが、研修は来週以降も松本市と、15日以降は上高地の現地研修が来月まで続き、環境省のパークボランティアは4月に登録が終ってまもなく活動が始まるため、今年は上高地を訪れる機会が圧倒的に増えていきます。

 一方で、四国八十八ヶ所のお遍路についても、今月の12日夜から4日間9人で巡拝をスタートさせ、高野山や知多半島巡礼も予定が続き、10月には1年前から予約された伊勢志摩と高野山のマイクロバスを運転する旅程も約束してあることから、上高地と四国、京都を往復する一年間になることを実感する夜になりました。

 ちなみに、本日は隣のお寺で永代経が行われ、受付に座っていましたが、お寺のご住職だけでなく、参拝者が超高齢化しており、亡くなられて世代交代している家も多く、参拝者の減少とともに、ご住職の健康問題から先を危ぶむ会話が交わされていました。

             本日の体重 72、3キロ 徒歩数 4354歩 間食あり
                                       4月2日の一言

ピーの最後を看取った小松菜が花を咲かせ

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 この菜の花は、昨年10月29日に落命した愛雀「ピーちゃん」の鳥カゴに入れてあった小松菜の花で、右側の花はピーが食べかけていた1本で、左は小さな植木鉢ごと入れてあった小松菜の花です。

 ピーも元気ならと考えてしまいますが、ピーが逝ってから5ヶ月が経過して、小さな小松菜が成長して花を咲かせました。できれば種を採って、ピーとピヨの墓前に撒いて花を咲かせたいと考えています。



 畑作業は母親まかせで、父親が亡くなる平成5年に、ガンに効果があると言われた野菜スープを作るため、ダイコンやニンジン、ゴボウを植えたことはありましたが、2年前に保護したピーに与える小松菜を事務所裏で作り出し、青虫に食べられて一晩で葉が無くなるため、鳥カゴに入る小さな植木鉢に種を撒いて、植木鉢に入れたのが昨年6月14日のことでした。

イメージ 2 左の写真は、昨年3月17日に花を怖がるピーを無理やり掴んで撮影したものですが、この頃は市役所から帰れば事務所裏のピーの部屋に走り、写真のように無理やり外の花を見せたり、一緒に昼寝したり、私がパソコンを使っているときは、パソコンの横から出る温かい排気口で居眠りをしていました。

 こんな頃からでしょうか。それまでスーパーで買ってくるか、畑に植えられた小松菜を与えていましたが、事務所裏の植木鉢に小松菜の種を撒いて育てるようになりました。

 今にして思えば、一年前にはピーが居ることで一目散に自宅に帰り、ピーのためにホームセンターに走り、ピーを主役にした生活でしたが、夜型の私のためにピーもパソコンの横で眠り、ピーのお父さんとして気分も充実していました。

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 最近は1人でコタツに入って、パソコン画面にブログを書き込んでいますが、ピーが居たら、写真(昨年3月27日)のように私の横で居眠りして、私の仕事が終るのを待っていてくれたかと思うと、心強いパートナーであったことも実感させられます。

 もっとも、こんな夜まで付き合わせ、欲しがると言って甘い菓子やハチミツを好きなだけ与えたことが寿命を縮めたと反省もしていますが、ピーの落ちていた庭の上の屋根では家族が新しい巣作りを始めており、不謹慎にも「落ちて来ないかな」との下心もあり、未だにピーの温かい温もりが忘れられません。

 自分の手で玄関の横に埋葬したものの、今でも生きていると思うようにしており、春になれば私の手元に戻っている姿も想像し、巣から落ちたヒナが存在すれば引き取りに走るため、鳥カゴもそのまま置いてありますが…

           本日の体重 72、4キロ 徒歩数 4415歩 間食あり

                                      4月1日の一言


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