大鹿一八「本日の一言」

平成16年2月から令和1年7月末までの「本日の一言」です。ヤフーブログ閉鎖により、ライブドアへ過去の記録として引っ越しました。

2016年05月

清原選手に執行猶予つき判決が

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 写真は昭和59年9月5日に発行された「アサヒグラフ」増刊号に掲載された、8月10日に甲子園球場で愛知享栄高校との試合で、3回に本塁打を放って三塁を回る清原選手ですが、笑顔が似合う清々しい高校生でした。
 
 それから30年が経過して、清原選手は裁判所で判決を受ける立場になり、世間の好奇の視線を浴びせられていますが、 こんな清々しい選手を司法によって裁かれる立場にしたのは、勿論本人に責任があるのは当然ですが、彼が少年時代に憧れた読売巨人軍によって、一度ならずも二度も裏切られた世の中の汚さも彼のファンとしては忘れてはならないと思います。
 
 私の住む愛知県は熱狂的な中日ファンが存在する中で、私はずっと巨人ファンでしたが、清原選手とPL学園高校で同僚だった桑田選手の最後と、一浪してまで希望する巨人に入団した元木選手の最後など、選手のプライドを無視して、「たかだか選手ごとき」とのオーナー発言などにより巨人ファンをやめました。
 
 清原選手についても、入団を希望していた巨人に裏切られ、西部ライオンズで活躍して主砲として入団した巨人には再度煮え湯を飲まされており、こんな醜い仕打ちも覚醒剤に走った要因になったと私は思います。
 
清原被告「申し訳ありませんでした」 猶予付き有罪判決
 『覚醒剤取締法違反の罪に問われた元プロ野球選手・清原和博被告(48)に対し、東京地裁は31日、懲役2年6カ月執行猶予4年(求刑懲役2年6カ月)の有罪判決を言い渡した』
 
 覚醒剤使用が法律に反する犯罪であることは言うまでもありませんが、使用した害は自分自身の身体に影響し、暴力団関係者の関係は良いとは言えないものの、他人の身体を傷つけた犯罪とは違うことから、本人の反省と、再犯をさせないことで本人の再登場に期待したいと思います。
 
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昭和59年8月8日 開会式のPL学園
 
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8月19日 松山商戦で好投する桑田選手
 
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8月10日 2ラン後の桑田と清原の笑顔の握手
 
 この試合を見て、私は桑田選手と清原選手のファンになり、明日開業する息子のために事務所を移動し、多くの雑誌や書籍を資源ごみとして処分するときにも、この2人が笑顔で握手する写真を掲載した「アサヒグラフ」は残しました。
 
 清原選手が再起して、再度野球の現場に立つ姿に期待しています。
 
            本日の体重 70、3キロ 徒歩数 5612歩 間食あり
                                     5月31日の一言
 

忙しくてもペットも家族の一員です

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 次々と持ち込まれるスズメのヒナにストレスを感じていた我家の相棒リマですが、私が相棒に事務局長として任命していた事務所も三男の接骨院に取って代わられ、扉の向こう側で交わされている知らない人々の会話に我慢を重ねていました。

 自分が主役として歩いていた場所には内覧会終了後しか入れず、相棒の隣を通って行き来していた扉は閉められたままとなり、家族も開院を控えた内覧会のため独りで留守番している寂しさは否めません。

 そんなわけで、本日は「リマが一番だよ」と、我々の入浴前にシャンプーで洗ってもらい、ドライヤーで乾かしてもらった姿から、「忘れられていなかった」との安堵感がうかがえます。

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 私の手の中で仲良く並んでいる(ように見えるだけですが)のは、左側が今月24日に我家の屋根から落ちてきた「ヒーちゃん」で、右側は27日に名古屋市から保護を依頼された「サブロー」ですが、我家の「ヒーちゃん」はエサの咀嚼が下手で、成長が遅れたため足や羽が不自由で、目を空けて間もない「サブロー」に噛み付かれてしまいます。

 何でも食べる「サブロー」に対して、「ヒーちゃん」は咀嚼が下手で、保護した直後は食べてもエサが喉を通らず、そのまま動かなくなっていったため、点滴がわりにポカリスェットを温めて薄めた水分を30分おきに与え、保温の温度を上げた結果、今では何とかエサを普通に食べられるようになってきました。

 庭で発見した直後は、2年前の「ピーの再来」と思いましたが、どちらかと言えば昨年7月に岡崎市から預かった「ピヨ」に似ており、巣や屋根から落ちたヒナは何らかの障がいを負っており、「ピー」から「ヒー」に改名し、「ヒー」の延命によって「ピー」と同じような存在にしたいと思っています。

 さて、今月26日朝のことですが、私のグーブログに保護したスズメのヒナのエサについて問い合わせのコメントがあり、午後2時過ぎに「先ほど息を引き取りました」の書き込みがありました。


 私がコメントに気付いたのはその日の夜で、コメントの内容から直接電話連絡ができていれば救えたと思われ、残念な結末となりましたが、死を待つばかりと思われた「ヒーちゃん」の回復には、スズメの保護者が発信した記事が参考になっており、スズメを保護する人と連絡が取り合える環境に期待していきたいと思っています。

            本日の体重  徒歩数 6505歩 間食あり
                                     5月30日の一言

接骨院内覧会 第2日目

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本日の接骨院前

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隣の貸し店舗にも接骨院の自転車が

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我家の名物 アンズの樹の下にも自転車

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アンズの実も色づいてきました

 息子(三男)の開業する接骨院の内覧会と施術体験会も2日目となり、初日のような賑わいが続くか心配していましたが、駐車場には2台の車しか停まっていなかったものの、店舗の前と横だけでなく、隣の貸し店舗にも来院者の自転車が置かれ、待合室が満員で入れない状態となり、私の知人たちは2階を開放した「無料サロン」で雑談に花を咲かせていました。

 車の駐車スペースが6台分しか無く、裏庭を駐車スペースにする予定ですが、今年は暦の年回りが悪く来年以降の拡幅となりますが、車社会であっても接骨院のお客さんにとっては自転車が生活の足となっている現実を本日は実感させられました。

 さて、2階の無料サロンは、選挙の時だけ人が集う私の事務所を、地域の人々に開放する「ふれあいサロン」にすると、昨年4月の選挙時に公言しており、息子の接骨院開業にあわせて、間に合わせで解放した次第です。

 この2階には、グアム島で発見された横井庄一さんの書や陶芸作品が展示されており、現在は私が1階から持ち込んだ備品に隠されてしまったものの、近いうちに整理して鑑賞できる環境に戻したいと思っています。

             本日の体重 70、4キロ 徒歩数 5732歩 間食あり
                                      5月29日の一言

人と人とのご縁と、小さなヒナのご縁に

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本日夜に名古屋市からやってきた「サブロウ」君(?)です

 「 … 顧客の設備点検中、機器に絡まった巣の中にいた一匹の雀の雛を保護しました。 … 非常に厚かましいお願いなのですが大鹿様で保護して頂く事は可能でしょうか。 … 」
                                           2016/5/26(木) 午後 2:17

 会社で保護され、捨てられてしまう運命だったスズメのヒナが、上司から心優しい社員に命を託され、昨日私へ連絡が入ったものの、我家にはすでに3羽のスズメのヒナが預けられ、3日前に我家の屋根から落ちたヒナも一進一退の生命のため迷いました。

 「ヒナを預けたいとの話だけど…」
 「ダメ、ダメ、何を考えているの
 「だけど、死んじゃうだろ…」

 昨年10月末にピーを死なせてしまった悲しみから、救えるスズメのヒナがあれば全部助けるとの意気込みでしたが、他所から3羽の人嫌いのヒナを託され、我家の屋根から落ちたヒナは、発育不良で足に障がいを持ち、エサの咀嚼が満足にできないヒナで、目が放せない状態のため、ここに新たなヒナを預かることと、預かっても生かせる自信もないため、家内に反対される前に迷いました。

 しかし、1時間ごとのエサやりと保温を考えると、断ることがヒナの命に関わることと、依頼主が会社が終った夜に名古屋市から持ってくるとの熱意に、預かることとして約束しましたが、実際に夜預かった瞬間に我家のピーの異常が確信されました。

 名古屋から持ち込まれたヒナ「サブロウ」は小さいものの大変元気で、我家のピーは異常があるため親から見放された可能性が高く、一緒にしたいと思いましたが、一緒にすると死んでしまうくらい弱く、2年前に保護したピーは本日のサブロウと同じく食欲旺盛だったことを実感させられました。

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 上の大きいのが「ピー」で、下の小さいのが「サブロウ」ですが、どうやらピーは、私の介助なくして生きていけない可能性が高く、昨日の朝には死を待つのみの状態から、本日は私を認識して頼るようになってきました。

 そして、ピーの名前では代役のようで可哀想なため、「ヒー、ヒー」と鳴くため「ヒーちゃん」にしようかと考えています。

 さて、明日は三男の接骨院の内覧会で、実質的には明日から仕事がスタートとなりますが、多くの方から応援をいただけることに感謝し、立派な観葉植物を贈っていただいた知人宅へ御礼に訪れると、9年前の選挙時に、私の代役で三男が記していた私のブログとコメントの顛末をお聞きして、忘れていた過去の記憶が蘇ってきました。

 選挙に立候補している者が選挙中にネット上に記すことを当時は制限されており、平成19年4月15日から21日まで私の代役で三男が記しており、その一週間の書き込みに対して連日コメントをいただいており、その時から三男を応援していたとの一言にびっくりとさせられる一日ともなりました。

   ↓        ↓     
           ↓

息子(三男)がんばれ。大いに突っ張ってください。人間として、人として、男としてひるむことなく真っ直ぐな優しさをもちつづけて。フレーフレー息子・・・・ 削除
2007/4/22(日) 午前 9:54 [ マイ・パン教室 ]

 人と人とのご縁にびっくりとさせられる一方で、人との縁は意図してできるものではないことから、すれ違う人とのご縁も大切にしたいと思った瞬間です。

 本日名古屋市から保護した「サブロウ」を持ってこられた方の名刺から、勤めておられる企業には、かつて私の知り合いが存在したものの、名前が出てこない現実に還暦を過ぎた老体の寂しさも実感させられましたが、小さなスズメの命が、知らない者同士を取り次いだことと、こんな環境にあれば悲惨な事件はおきないことも実感させられました。

 蟹江町から来た「チー」、知人から預かった名無しの2羽と、我家の「ヒー」とともに、本日の「サブロウ」が加わり、スズメのお宿の様相になってきました。

             本日の体重 69、9キロ 徒歩数 4997歩 間食あり
                                       5月27日の一言

ピーの落ちた場所で、「えっ? ピーちゃん?」

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 ピーちゃんの再来としか思えません
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この高い屋根から落ちてきたんですね
 
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 「おい、ピーちゃん、ピーちゃん、ピーちゃん」
 
 こんなことがあるんですね。今年5月3日に、2年前と同じ日にピーを拾い上げた庭で、死んでいたスズメのヒナを発見し、気付くのが遅れたことをピーに申し訳ないと残念な気持ちでいっぱいとなりましたが、本日の午後2時過ぎに、2年前にピーが落ちていた場所と全く一緒の地点でピーのファミリーとなるヒナを拾い上げました。

 涙が自然に流れそうになりますが、涙を気にするより、絶対に救いたいため、エサを準備して、ピーの遺品の飼育道具を箱から取り出して必死でエサを与えました。
 昨年10月にピーを死なせていなければ、もっと感動的なピーとの出会いが体験させられましたが…
 
 5月3日に死んだヒナを見つけたことから、今年の巣立ちは終わったと思っていましたが、2年前にピーを拾った時より3日位成長したヒナで、目を開けたばかりと思われ、2年前のピーより元気はありませんが食欲はあり、ピーの再来として何とか生かしていきたいと思います。
 
 
 今年4月に蟹江町より持ち込まれたヒナに対して、家族が「ピーちゃん」と呼ぶのを、必死で「ピーじゃない」として「チー」の名前をつけましたが、本日は見た瞬間に2年前の「ピー」と全く同じで、しかも高い2階の屋根から同じ場所に落ちてきた境遇から、ピーちゃんと命名し、誰にも触らせずに保存していたピーの飼育道具と、ピーを成長させた巣カゴを持ち出して保温を始めました。
                        
 その後、どうされたのか、気になってました。
チーちゃん、お元気で良かったです。栄養十分で、健康そう。羽もきれいですね。… …

 
 本日朝9時頃のコメントですが、4月26日に預かったチーへの書き込みをいただいた午後に、2年前に拾い上げたピーの落ちた場所で、ピーの兄弟か、オイかメイにあたるスズメのヒナを拾い上げたことに、偶然ではなく、神がかり的な運命とさえ思えてなりません。

 我家には、4月26日に蟹江町より持ち込まれたヒナ「チー」と、先週19日に知人より預かったヒナ2匹が居ますが、本日は本命としか思えない「ピーちゃん」2世が現れ、しばらくは忙しい日々となりそうです。

餌の間隔は大体1~2時間おきを目安としますが、その子によって食べる量や消化速度が違いますので、1時間も持たない子もいます。
赤裸の子は、まだ小さいので、一度に少しづつしか食べれません。
そのため30分~45分間隔、長くて1時間くらいだと思いますので、そのうのへこみを確認して餌を与えてください。


 すずめSOS http://www.geocities.jp/suzumesos/
 
 2年前にピーを保護して、1時間おきにエサを与え、真夜中でも生死を確認していた心境と同じで、落ちたショックで足を痛めている可能性があり、2年前のピーより状態は悪いためしばらくは大変な日々になりそうです。

 玄関に眠るピーと、岡崎より預かったピヨのためにも、久々にピーちゃん2世の「お父さん」になって、愛雀生活カムバックのスタートとなる一日です。

            本日の体重 70、7キロ 徒歩数 7593歩 間食あり
                                     5月24日の一言

留守中に看板が完成しており

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本日の午前中に大きな看板が完成しました

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 刻々と三男の開業日(6月1日)が近づき、本日午後に市役所から帰宅すると、入り口の正面と、駐車場に大きな看板が設置されており、私の事務所から三男の接骨院へ主人が交代していきます。

 電話番号は「24-0017」で、ツシマはイーナと読めますが、この電話番号も私が将来の商売に利用できると思って取得していたもので、私の事務所で名前の一八をとった「24-0018」、ツシマはイッパチと連番となっており、この電話番号は海部元総理大臣の弟さんで、秘書を務めておられた尚樹さんの尽力により18年前に入手していただいた電話番号です。

 その尚樹さんも10年前に他界されており、子供にとっては適当な電話番号程度にしか思っていないでしょうが、開業する店舗についても、先祖が苦労して守り抜いてきた土地であり、この土地で我家のご先祖となる「横井庄一」さんも、大鹿庄一として生活していたことも実感されていません。

 自分が主人公で事務所にしていた店舗を建て、私を訪ねられるお客さんを迎えていた土地へ、三男の接骨院を訪れるお客さんが主役となって訪れ、私は裏口から出入りするようになるのですから世代交代は複雑な心境にさせられます。

 さて、私には4人の子供がありますが、4人目となる三男が接骨院を開業することで、固定資産税の高い土地の後継となりましたが、サラリーマンの長男や次男では県道沿いの土地を相続することは難しく、先祖代々住んできた土地が勝手に評価され、固定資産税や高額な相続税によって相続もできない環境を考えると、これからの家系や一族の継承に難しい現実を実感させられます。

 三男の接骨院開業にあわせて、移動した事務所2階を誰でも自由に出入りできる「休憩所」として開放しようと考えており、現在荷物置き場となっている2階を、今週末までに整理と清掃する必要に迫られており、週末には50畳を冷やす大型エアコンも設置されますが、平成18年に横井庄一記念館が開館した際に、我家もミニ記念館として遺品となる書や陶器を展示していることから、私の最後の仕事になるのかもしれませんね。

            本日の体重 71、4キロ 徒歩数 3807歩 間食あり
                                     5月23日の一言

変わり行く我が家の風景に

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我家と私の事務所(道路右側)です

 本日は町内の葬儀(幸福の科学・帰天式)に参列して、帰宅後は三男の店舗前の樹木を(少しだけですが)切り、来客の応対や引っ越した事務所2階を片付けていたら夜を迎えていました。

 これから起業して仕事を展開していく子供と、世代交代によって事務所を追われていく自分を対比させると、親の建てた自宅に住みながら、自宅で起業して店舗を建てたことで、世間には主であるかのように思われていた30年前に、親はどんな心境であったかと思われてなりません。

 私が生まれた当時、この道路は存在せず、藁屋根の我家は大木に囲まれており、交通事故の心配もなく、道路が建設されたことにより、我家の先祖から引き継がれてきた土地がそのまま道路の下敷きになりました。

 そして、我家がこの土地でいつから生活してきたかは判りませんが、判るだけでも300年以上前から住んでおり、何よりもこの土地には、我家で私が飼っていた愛犬や愛猫がそのまま眠っておりますから、子供たちにはそのことを認識して継承していってもらいたいものです。

「笑点」6代目司会に春風亭昇太さん 桂歌丸さんの後任

 笑点の桂歌丸さんが司会者を引退されました。いつの世にも世代交代はつきもので、命は永遠ではないことから、引き続いて継承してくれる後釜が存在することは最高の至福かもしれません。

 今年から新たに上高地のボランティアへ登録されましたが、まだ経験したことのない仕事にも挑戦する気持で、残された議員活動や四国遍路だけでなく、スズメの保護活動など、新たな活動にも挑戦して「あの世」からお迎えがこないようにしたいと思う一日ともなりました。

            本日の体重 70、9キロ 徒歩数 3875歩 間食あり

                                      5月22日の一言


幸福の科学の通夜式に参列して

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 本日は三男の接骨院開業によって邪魔者となる我々の車を停めるスペースを確保するため、田んぼに土を入れるため隣地への挨拶に伺い、一時的に車を停めさせてもらうお宅へ挨拶に訪れました。

 その間に、我家を訪れた知人たちが、既に配置された治療台に乗って、三男の施術の試験台になるかわりに、院内の備品の組み立てを手伝い、広告を地域に配布してもらうなど大変な状態となっていました。

 午後は毎月21日に開催される「阿息観」に参加するため、町内のお寺に走りましたが、議会から上高地と知多半島の歩き遍路など、身体の休息のない中で久しぶりの座禅と瞑想により、生きる者へのお寺のご利益を実感させられました。

 阿息観の後で慌てて名古屋市まで走り、志賀弘法会代表を自宅に送り、車のエンジンを切ることなく礼服に着替え、蟹江町で行われた町内の先人の通夜式に走りましたが、故人は「幸福の科学」の信者で、大きな施設が建てられていることにびっくりしました。

 私の住む地域はまだまだ田舎で、新しい宗教団体や信者に違和感を唱える人が多いものの、故人やご家族が真剣に教えを学び、教えに忠実に生活されてきたことが通夜式で披露され、雑談や雑音のない厳かな式が展開されました。

 幸福の科学では、葬儀のことが「帰天式」と記されており、人は身体が死した後に魂が天に戻っていくイメージですが、この教えでは死に対する恐怖心は払拭されるかもしれないものの、私はまだまだ現世に未練が多く、しばらくは空海(弘法大師)の説く「即身成仏」に励んでいきたいと思います。

            本日の体重 71、0キロ 徒歩数 2127歩 間食あり
                                     5月21日の一言

接骨院開業の広告を手配して

 三男が6月1日に開業する接骨院の広告が届き、本日は三男とともに地元の新聞販売店4軒へ日曜日の新聞折込をお願いに伺いました。
 私が現役時代の17年前には商売敵となった販売店でしたが、他のお店にも私が訪れるとの連絡を入れていただくなど親切な対応をいただき、朝日新聞にいたっては明日の配達終了後に受け取りに来てくれるなど、旧知の人々の有難みを実感させられる一日ともなりました。

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 販売店の中には、「○○ホームに持っていけば」と、わざわざ販売店を訪れなくとも広告を依頼できると三男に伝えられたお店もありましたが、私の販売店の経験からは広告会社から配送される広告の料金は仲介分を差し引かれており、実際の部数より予備分を上乗せして配送され、何よりも店頭で直接手にする現金は店主にとっても有難い存在でした。

 何よりも、どんな商売でも、一人でも多くの知遇を得ることは重要で、これから仕事を起業する三男には、面倒でも仕事を他人任せにせず、自ら顔を出して地域の人々との信頼関係を築いてもらいたいものです。

 さて、日曜日の新聞に広告が折り込まれ、来週に看板が設置されると、4日間の内覧会を経て開院となります。

 本日は朝一番でボランティアの福祉有償移送で病院へ同行し、市民の訪問に対応してから午後は前記したように三男と広告を配布し、夕方には知人の電話によって約束してあった仕事に走り、久しぶりに仕事で汗をかきました。

           本日の体重 71、7キロ 徒歩数 2931歩 間食あり
                                    5月20日の一言

2羽のスズメのヒナを預かり

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本日預かったスズメのヒナ 兄弟(姉妹)です

 「スズメのヒナを預かってもらえませんか?」
 「どうしたの?」
 「熊本へボランティアに行くので…」

 明後日から熊本県へ災害ボランティアに出かける知人から、知人から預かっていたスズメのヒナを預かって欲しいとの連絡があり、鳥カゴに入った2羽のスズメがエサつきで持ち込まれました。

 1ケ月前の生まれた直後に保護されたスズメのヒナで、5羽のうち3羽のヒナは死んでしまったとの話ですが、私の知人が今週預かり、本日我家に連れてこられた次第で、ここまで育てるのは大変だったと思われます。

 「鳥のヒナを拾わないで」と言われますが、眼も開いていないヒナを「拾わない」ことはそのまま死なせることとなり、拾っても成長させることは大変で、生かせたとしても飛べるようになって外に放すとほとんどは死んでしまうため、拾うことはかなりの覚悟が必要になります。

 2年前の5月3日にピーちゃんを拾い上げて保護し、昨年7月に岡崎市から「ピヨ」を預かり、結果的には2羽を死なせてしまったものの、先月に稲沢市から落ちたヒナの保護を依頼する電話があり、親鳥の養育に任せようと置いてきたところネコに食べられてしまったようです。
 そして、その翌日に蟹江町で巣立ちに失敗したヒナが我家へ持ち込まれ、「チー」と命名して保護していますが、クチバシは黄色いものの、本日預かった2羽よりは成長が早く、私が育てた贔屓目から美しく見えます。

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本日のチーちゃんです

 本日までコタツの横に置かれ、私の枕元で一緒に寝ていたものの、ピーと比較すると人嫌いと思われていましたが、本日預かった2羽の鳥カゴと並べて置くと、人恋しいのか夜には手に乗ってくるではありませんか。
 
 ピーとピヨの鳥カゴが並んでいた一年前が懐かしくなってきました。

          本日の体重  徒歩数 3154歩 間食あり
                                      5月19日の一言

知多半島新四国霊場を歩いて

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知多半島 新四国八十八ヶ所霊場を行く「歩き遍路友の会」メンバー

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名鉄青塚駅 午前7時40分 出発です

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JR武豊駅 午前9時28分 到着です

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武豊駅から24番徳正寺を目指します

 本日は、歩き遍路友の会東海の知多半島新四国霊場の歩き遍路が行われ、武豊駅から24番徳正寺(とくしょうじ)を目指し、25番円観寺、番外葦航寺(いこうじ)を巡拝して、名鉄河和口駅前の珈琲屋さんでランチ(昼食)休憩となりました。

 参加者は8名で、私が夕方に約束した仕事があるため、津島市から参加した3名はここで分かれて津島市へ戻りましたが、メンバーは番外影現寺(ようげんじ)、26番弥勒寺(みろくじ)から27番誓海寺(せいかいじ)を目標に歩いていきました。

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帰りはこんな列車で帰りました

 先週末に訪れた上高地の疲れがピークとなっており、上高地滞在中も体調は万全ではなく、帰宅後は風邪の症状が現れ、本日の早朝は肌寒かったものの、日中は真夏日並みに気温が上昇したため、4時間程度の歩きで終ったことは幸いだったのかもしれません。

 さて、子供のこととは言え、三男の起業については、電話の移設や名義など私しか判らないことも多いため、しばらくは自宅を空けられず、2階に移動させた荷物の整理も進んでいないので、整理して仕事のできる環境にする必要があり、できれば三男のリハビリとして治療台に寝かされれば幸いと思いますが…

            本日の体重 72、2キロ 徒歩数 14627歩 間食あり
                                      5月18日の一言

いよいよ開業が近づいて

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大鹿接骨院 6月1日開業です
 
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 本日は6月1日に開業する三男の治療室に、治療機器が運び込まれて、何とか診療するイメージに近づきましたが、明日には治療台となるベットが納入され、これから開業の広告が届くと地域へ配布して、少しでも親しまれる接骨院として存在を知ってもらわなければなりません。
 
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 子供の起業について、金融機関やリフォーム会社、医療関係者などとの応対を見ていると、私の目には未熟な面ばかりが映りますが、考えてみれば、自分も一度も経験したことのない仕事を、一文無しの大学生という立場で起業しており、自分を安売りせず目標を下げずに頑張れば何とかなるのかも知れません。

 私の場合は経営学を専攻していたものの、仕事の経験は皆無で独立しており、三男は国家資格を取得して、実績のある大きな接骨院で修行しており、寝る時間を惜しんで頑張れば結果はついてくると信ずるしかありません。

大鹿接骨院ホームページ これから私が制作中です

 さて、覚醒剤取締法違反の罪に問われれている元プロ野球選手・清原和博被告の初公判が17日、東京地裁で開かれ、検察側は懲役2年6カ月を求刑し、清原被告は罪を認めており、弁護側は保護観察・執行猶予付きの判決を求めて結審した。

 判決は31日に言い渡されると言うが、「覚醒剤の使用が生活の一部になっていた。再犯の可能性は高い」と言う検察側に対して、長年親交のある元プロ野球選手佐々木主浩氏が、弁護側の情状証人として出廷して「2回目(再犯)はないと信じています」と発言したと報じられています。

清原和博被告に懲役2年6カ月求刑 「薬物に負けた」
 
 清原選手にとって、本当に頼れる旧友の存在と弁護は救いです。逮捕直後に色々コメントを出していた面々とは違い、最後となる法廷の場で発言した佐々木選手の存在に真の友情を感ずるとともに、ファンとしてはこれを糧にして再起して欲しいと願います。

            本日の体重 72、1キロ 徒歩数 1878歩 間食あり
                                      5月17日の一言
 

上高地から帰って

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上高地 ニリンソウの群生地

 今年は8月11日(木)に、国内16番目の国民の祝日として「山の日」が決まり、その記念すべき第1回記念大会が上高地で開催されることが決まっており、その記念すべき日の上高地を自分の目で見届けてみたいと思います。

第1回「山の日」記念全国大会in「上高地」 
        http://811yamanohi.org/  成28年8月11日(木)

イメージ 2 昨日上高地を後にするとき、バスターミナルにタクシーが数台停まっていましたが、周辺に人影は無くなっており、こんな雰囲気では後ろ髪を引かれ、釜トンネル手前でまもなく開通を待つ「上高地トンネル」を眺めているとこのまま後戻りしたい心境になって感傷に浸っていました。

 「もう一度画伯のもとに戻ってみようか」と迷っていると、時計は午後7時近くになっており、釜トンネルが閉鎖されてしまう現実に我に返り、慌てて帰路についたものの、家族には月曜日まで居るかもしれないと伝えてあったことから、丹生川村をゆっくりと進み、せせらぎ街道経由でそのまま愛知県まで戻りました。


 さて、自宅は6月1日に三男が接骨院を開業するため、大きなパソコンが2台導入されており、私のパソコンと電話が邪魔者扱いされており、それを解決するため地元のケーブルテレビ局に工事を依頼中でしたが、三男の話を聞いているとパソコンを設置してくれた知人は素人としか思えず、このままでは三男に新たな契約とともに毎月の費用がかかってくることから、私のパソコンの保守を依頼している専門家の知人に連絡して、無線ランの分配と増設を依頼しました。

 こんなことから、私まで三男のパソコン台の組み立てや、下駄箱の設置に付き合うこととなり、昨日の疲れを取ることもできず、そのまま午後9時近くまで経過してしまいましたが、私が不在のままだったら新たなネット契約による経費増になっていました。自分の知らない事は、何でも聞くしかありませんが、業者に聞けば商売にされてしまい、新たな経費ばかりが増えていきます。

 さて、5月臨時議会が終わり、今週は6月議会との挟間の貴重な休養期間となりますが、三男の独立だけでなく、自分の関係する仕事や、積み残してきた約束が山積されており、身体の休養にはなりそうもありません。

 身体が悲鳴をあげています。私は上高地では時間を忘れて、北アルプス穂高の清涼な空気を吸い、六百山から湧き出る霊水により、身体の細胞を全部入れ替える「阿息観」のイメージで滞在していますが、今回の2日間はガイドの養成講座のため、時間に制約されてひたすら歩き続ける滞在となりました。

 「18日(水)は,やはり無理でしょうか。無理にとは申し上げませんが,余裕があるようでしたら,参加して下さい」との、歩き遍路友の会会長のメールに、遍路も歩き続けるため、明日は完全休養にして備えたいと思います。

            本日の体重 71、7キロ 徒歩数 5113歩 間食あり
                                      5月16日の一言

上高地 本日のオマケ

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小梨平 世界の交差点でブログ発信

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穂高連峰を前に本日挙式の新郎新婦 白樺荘東

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河童橋前で結婚式 昨日午後
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上高地の輝かしい景色がより華々しくなります。

追伸
昨日の結婚式を身内のように写真に収めていると涙腺に熱き涙が…

上高地ネイチャーガイド養成講座 最終日

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朝食前の野鳥観察へ出発前のミーティング アルプス山荘前

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小梨平と明神の中間地点 まもなく常念岳が見えてきます

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ニリンソウの群生地 明神から徳本峠方面に入った場所

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かつて明神で岩魚を養殖していた場所 
               現信州大学関連 上高地ステーション

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 本日は上高地白樺自然学校の主催する上高地ネイチャーガイド養成講座の最終日となりましたが、朝食前の野鳥観察会のあと、ホテル白樺荘裏の駐車場に集合し、河童橋から徳沢方面へのガイド研修が行われました。

 これまで何度となく上高地を訪れていますが、花や動植物に無関心な私と違い、メンバーはそれぞれがプロのガイドになろうという人ばかりのため、花や樹木の説明に花が咲きますが、私にはチンプンカンプンの話となります。

 徳沢園のソフトクリームを食べたいという声もありましたが、ニリンソウの群生地を見るため徳本峠方面に入り、徳沢方面は古池までで折り返し、明神池の穂高神社奥の宮とかつて岩魚を養殖していた養漁場跡を見学して出発地となった河童橋、白樺荘横で記念撮影して散会となりました。

 私は環境省の上高地パークボランティアの会に所属しているため、今回の講座で教えていただいた知識を、私の地元である愛知県尾張地方の人々に同行して、無償で案内させていただきたいと考えています。

 「おい、いつまで居るの?」
 「今晩に帰ろうと思っているけど」
 「寂しいから泊まっていけよ」
 「うーん、… 」

 午後5時30分まで河童橋でキャンパスにむかう画伯の留守番となり、大自然の中でパソコンを打ちながら、氏の帰りを待ってから愛知県に帰りたいと思います。

          本日の体重 71、3キロ 徒歩数 27078歩 間食あり
                                      5月15日の一言

上高地ネイチャーガイド養成講座

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梓川右岸より六百山の説明を聞いています

 本日は上高地のネイチャーガイド養成講座に参加しています。

 今年3月より受講してきた「上高地ネイチャーガイド養成講座」は、本日と明日の現地研修によって修了となり、受講生の中でも本格的な職業としてガイドを目指す人と、私のように知人や同行した人に語る程度を考えている人もあります。

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田代池と言うより湿原ですね

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上高地小梨平の名物男 ホームレス画伯

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自分の人相の悪さにびっくりです


  午前9時30分にホテル白樺荘の裏庭に集合し、ウェストンレリーフから田代橋、田代湿原、大正池とベテランガイドさんについて歩き、ここから私は環境省のパークボランティアの総会と、ビジターセンターのガイド研修のため、一人でバスに乗ってバスターミナルまで移動してきました。

 上高地でバスに乗るのは久しぶりで、10年ぶり位で大正池からバスターミナルまでバスに乗りました。420円でしたが、地元でもバスに乗りなれていないため、料金の両替に手間取ります。「慌てなくても大丈夫ですよ」と言われても、降りる先頭だったことから慌てました。

 本日は上高地の河童橋前「ホテル五千尺」で結婚式をあげているカップルに出会いました。感動の写真は後日とします。



 「いつまで居るの?」
 「うーん、明日までだけど」
 「オレのテントに泊まっていけよ」
 「どうしようかナァ…」

 月曜日の予定が空いているため、月曜の朝まで居て帰ろうか、それとも明日の夜に車中泊をしながらゆっくりと帰ろうか…

 「おい、いつに帰ってくるんだ」
 「明日の夜中か、明後日かな」

 優柔不断な性格のため、画伯のテントに寝るように勧められ、地元から帰って来いコールにも心が動きます。

           本日の体重 71キロ 徒歩数 14061歩 間食なし
                                      5月14日の一言

公金の不正疑惑が続々と…

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近所のコメダで一服です

 本日は昨日に続き津島市議会臨時会が開催され、例年は午前中に終っている議事が午後3時過ぎまで続き、議会閉会後に開催された議会改革協議会と議会報告会資料検討委員会を終えると午後4時を廻っていました。

 議員にとって議会が一番重要なことは当然ですが、私の帰宅を待っていた市民の方々にとっては、仕事を夜まで遅らせてしまい大変なご迷惑をおかけしました。

 さて、高額な海外視察や別荘に公用車を使用していたことに正当性を主張していた東京都の桝添知事でしたが、政治資金として処理されていた個人流用の飲食費の存在を認め、謝罪するとともに、「これからはしっかりと仕事をして都民のために今まで以上に働く」と話して知事職を続ける意向を記者会見で示した。

舛添知事、飲食費など「返金したい」 知事職続行の意向

 もっとも、今回謝罪して返金される飲食費の金額は、津島市市議会の政務調査費の一年分の支給額より高額で、費用の使用目的は違うものの、もっと少額の不正により辞任した地方議員も多く存在する。

 問題は、東京都知事に就任してから、公の税金や公金を個人や家族で流用していた事実が発覚した場合はどうするのか。5千万円を選挙資金に借りていただけで辞任に至った猪瀬前都知事より、金銭感覚は悪質と感ずるのは私だけではないと思うが…

「東京招致、2.2億円送金」 五輪巡り仏検察が捜査
記事の続き…
http://www.asahicom.jp/images/asahicom/hand.pngて、捜査を進めていく。▼22面=金銭支払い「あり得ぬ」
 声明によると、振り込み時期は13年7月と10月で、「2020年東京五輪招致活動」との名目が記されていたという。これは東京五輪開催が決まった13年9月の国際オリンピック委員会(IOC)ブエノスアイレス総会の前後にあたる。
 ディアク前会長はこの時期、古参のIOC委員で、総会で五輪開催都市を決める投票権を持つとともに、他の委員の票を取りまとめる一定の影響力もあった。
 この疑惑については今年1月、ロシアの組織的ドーピングを調べていた世界反ドーピング機関(WADA)独立委員会が公表した報告書の中で、「東京側が国際陸連側に協賛金を支払った」との記述があった。

 さて、東京五輪の誘致にからんで、誘致が決まる前に日本から巨額な資金が送金されていたことが判り、フランスの検察により捜査が行われていることが報道され、関係者は不正を否定はしているものの、現金は確実に送金されているとの報道から、今後の展開によっては日本のイメージは最悪となる可能性も否めません。

 これは桝添知事の就任前の話となりますが、公金や税金に対する感覚だけでなく、三菱の燃費不正や、耐震工事の不正など、人命に関わる偽装が日本全体で平然と行われており、何を説明されても信用できなくなってきました。

              本日の体重 72、1キロ 徒歩数 4164歩 間食あり
                                      5月13日の一言

子供を背負った自転車事故で

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津島市新日光橋から東へ 正面の遥か先には名古屋駅ツインタワーが

 本日は津島市議会で臨時議会が開催され、正副議長や各委員会の割り振りが行われましたが、私が指定席のように所属していた文教建設委員会については、会派の諸事情で、「口にマスクをします」と希望しない厚生病院委員会に決まりました。

 今年はNPO法人の福祉有償ボランティアについても、新たな目標を掲げてあり、四国遍路や高野山については一年前から日時の予約を受けており、今年から新たに上高地のパークボランティアに登録されたことから、秋まで手帳のスケジュール表を見ながらの生活となっていきます。

 さて、子供を背負った母親の自転車事故で、背負っていた子供が死亡したしとから大きな社会問題にもされていますが、子供を背負った自転車が突然対向車線から飛び出し、避けられず衝突して「自動車運転死傷処罰法違反」で逮捕された女性ドライバーも大きな衝撃を受けたと思われます。

子をおんぶして自転車、法的問題は? 安全面どうすれば
記事の続き…
 http://www.asahicom.jp/images/asahicom/hand.png妊娠8カ月の今は自転車を控えているが、「ヘルメットやチャイルドシートは、1歳以上推奨ばかり。他に安全な方法があればいいけど、2人目が生まれたらどうしたら……」と悩む。
 同乗中の子どもが犠牲になる事故は、過去にも起きている。川崎市では2013年、転倒した自転車の後部座席から女児(当時5)が投げ出され、トラックにひかれて亡くなった。警察庁によると、昨年までの10年間に同乗中の事故で亡くなった6歳未満の幼児は7人。昨年1年間では823人がけがをした。
 国民生活センター消費者庁が収集した62件の事故情報では、約8割が頭や顔にけがをし、34%はヘルメットをつけていなかった。走行中以外にも、「自転車の向きを変えようとしてハンドルを取られた」といったケースがあったという。
 ブリヂストンサイクル(埼玉県上尾市)によると、幼児2人を乗せた場合の全重量は100キロ超。発進時や低速走行時、ハンドルが振れやすくなる。安全を保つためには、電動自転車の場合、おんぶではなくチャイルドシートを使う▽子どもを乗せる前に安全な場所で練習する▽かかとの低い靴をはく、などがポイント。自転車を選ぶ際は、一般社団法人自転車協会が発行する「BAAマーク」が目安になるという。
 自転車協会の手引では、幼児のヘルメット着用を推奨する一方、1歳未満はヘルメットの首への負担が大きくなることがあるため、同乗はやめるよう呼びかける。協会の担当者は「自転車は命を預ける乗り物。子どもを乗せる前に、ルールも学び直してほしい」と話す。

 悲しい事故ですね。子供を亡くした母親や、その家族や祖父母の心情を考えると堪りませんが、避けることができず人を死なせてしまった若い女性ドライバーも、突然に加害者として逮捕されており、双方とも取り返しのつかない事態となりました。

 平成元年の話となりますが、私が雇用していた女性が帰宅途中の交差点で交通事故に遭遇し、高校生の娘さんを残したまま他界しました。
 通夜に訪れた相手の運転手が、「突然飛び出してきたから…」と、自分は悪くないとして謝罪することもなく、むしろ迷惑したとの文言を続け、反論しようとした私を遺族となるご主人が必死で止められました。

 この事故は交通事故と労災事故になったことで、私が雇用者に複数の損害保険をかけていたこともあり、多額の損害賠償金が遺族に支払われましたが、結果的には賠償金で購入した家も他人にわたり、一家は離散することになってしまい、今では連絡先も判らない状態となってしまいました。

 昭和初期に交通事故で母親を失った私の父親たちは、当時は保険金もかかっていなかったことから、3歳の叔父はお寺へ小僧に出され、働き手を失った祖祖母は60歳を超えてから乳母車を押して野菜の行商に出ました。
 現在は保障制度が整備されているため、経済的には困らなくなったと思いますが、家族環境は元通りにはなりません。

 明日は我が身…

 交通事故の加害者になる可能性もあり、被害者になる可能性も否めませんが、今回の事故も子供を背負った母親が、いったん道路で止まり、自転車を降りて道路を渡っておれば防げた事故で、人が優先とは言われていますが、被害に遭わない自己防衛を第一に考えたいものです。

           本日の体重 72、3キロ 徒歩数 1743歩 間食あり
                                     5月12日の一言

人を捕まえる警察官の視線にストレスを溜め

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バロー勝幡店内の相棒リマです

 愛雀ピーちゃんが居た昨年10月末までは、ピーのために毎週訪れていたホームセンターですが、このお店はペットと一緒に買物ができるため、相棒も学習しており、自分が入ることを当たり前と思っており、本日は私が抱いて訪れました。

 ピーが居た当時の相棒は、何時も私の肩か手の中に居るピーに対して大きなストレスを感じていましたが、2週間前に蟹江町より持ち込まれたスズメ「チー」に対しては、ピーのように私と蜜月ではないことからストレスを感じておりません。

 動物(相棒)の直感に驚かされるとともに、可愛いペットと言えども、買ってきた(貰ってきた)ペットと生まれた直後から人間に育てた動物では関係が全く違い、眼も開かぬ赤子から育てたピーと私の関係の再現はなさそうです。

 「朝から取締り中ですよ」
 「あっ、そう… うちでやっているの?」
 「○○でやっています」
 「ふーん…」

 早朝から警察のスピード違反取締まり中との電話に、最初は我家の前で取締まりをしているのかと思いましたが、電話の主に乗せてもらって現場を通過すると、見るからに人相の悪そうな警察官と視線が合いました。

 過去の一言に、何度も取り上げてきましたが、我家の事務所前のアンズの木の下の歩道にレーダー探知機を置き、我家の垣根に隠れて捕まえており、私が議員であることから警察と一緒になって取締りに協力しているように言われて迷惑してきました。

 トイレに座っていると、捕まえた運転手にはネコの子をかぶったように接していますが、違反者を捕まえるために「来たぞー」と警察官の罵声が飛び交い、人が人を犯罪人として、まるで獣でも捕まえるような臨場感が伝わってきます。

 違反した女性ドライバーが泣いていたり、罪を認めないドライバーと警察官がこう着状態になっている現場に、我家の前と隣の駐車場が舞台になっていることに、荒んだ気持にさせられ、取締りが行われるとストレスが溜まります。



 過去に事務所の前で若い警察官と口論になったことがありますが、事故防止のための取締りであれば、見晴らしの良い道路で取締まれば良いのに、我家の木や垣根に隠れて取り締まるのは捕まえやすい場所として認識されており、地域の人々に恨まれる場所として話題にされるのは堪りません。

 「人相の悪そうな警察官と視線が合いました」と記しましたが、全ての警察官がそうではないものの、人を犯罪人として疑って見る習慣が、人相を悪くしているのかも知れず、上から目線をやめて地域の安全を護る原点に立ち返って欲しいもので、捕まった女性が涙を浮かべている姿を見ると、我家の前を爆音をたてて走る暴走族が一度もパトカーに追われていない現実との矛盾も解消して欲しいと思う夜になりました。
            本日の体重 72、5キロ 徒歩数 3640歩 間食あり
                                      5月10日の一言

雨のため事務所2階へカンヅメの一日に

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 添付した葉は、数日まで雑木としての認識でしかなく、先祖伝来の木と表現していた「イスノキ」の葉で、葉の表面が丸くふくれた虫えい(虫こぶ)があり、虫によって虫えいの形がいろいろであると説明されていますが、子供の頃から家の裏に生えており、我家の玄関と事務所横には私が植えました。

 苦労して木の名前を探し出したものの、古代神話に出てくる櫛がこの木から作られたことや、材は国産材のなかで最も固く釘も打ち込みにくいほどといわれ、宮中や大奥に納められる櫛はイスノキ製であったという話と、建築、器具、楽器などに利用されていたことは初めて知りました。

イメージ 2 この葉は、笛のように吹くと音が出ることも初めて知り、佐賀県有田焼の柿右衛門釜では樹皮を焼いて他のものと混ぜ釉薬にしていることと、鹿児島県の剣道で有名な示現流の木刀にされていることを家族に伝え、結寿の木(ゆすのき)と漢字を当て、縁起の良い木であることも言い残しておきたいと思います。

 こんな可憐な花も咲かせていたんですね。

 さて、市内の町内会から、個人の私有地に伝承されてきた地蔵堂を、今後どのように残していくか相談を受けており、市役所の関係する部署に出向く予定を立てていましたが、担当者が不在であったことから個別の電話連絡で方向性が見出され、今週末に発表する予定となっている議会報告会用の文教建設委員会の原案についても、市役所からメール添付で資料を求め、電話で確認していると、市役所に出向かないままに原稿が仕上がっていきます。

 会社や企業に出社しなくても、自宅でも仕事ができる時代になってきましたが、議員活動も在宅で仕事ができるようになり、パソコンと携帯電話を携帯していれば何所にいても仕事が可能になってきたことを実感する一日ともなりました。

 現実は、事務所の1階を三男の店舗に改装中のため、今までのように自宅から事務所内を移動して2階に移動できず、雨の中を自宅に戻るのも面倒なために、2階に上がったままの一日となり、携帯電話とパソコンを酷使したことの実感でもありました。

            本日の体重 72、4キロ 徒歩数 2014歩 間食あり
                                      5月9日の一言

仲間と放浪のドライブに出かけ

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津島市の練成館です 市内中一色町

 津島市の練成館は、柔道や剣道の試合に使われるだけでなく、隣接する弓道場や相撲場とともに、日本の伝統的スポーツを通じて心身を鍛練し、身体を訓練する中で、奉仕や人を愛する心、国を愛し伝統文化を重んじる心を育成する場所として建設されました。

 政争が激しい地域ゆえに、建設当時の市長だった井桁克氏の箱物行政として批判する人もありましたが、津島市の施設では市外や県外から人を呼べる大規模な大会が開催される唯一の施設となっており、観光用の城や施設を建設するよりは有効に活用されています。

 周辺には市営の野球場や庭球場、総合プールやサッカーやソフトボールができる競技場と、児童科学館やレストランがあり、市民の憩いの場にもなっており、成長した樹木によって市民のウォーキングや散歩にも活用されています。

 かつては、ここの津島球場が夏の甲子園を目指す高校野球の地方大会会場になっており、大リーグで活躍するイチロー選手も愛工大名電の投手として出場したことがあり、阪口監督(現大垣日大監督)が指揮をとった東邦高校が合宿や、奈良の天理高校と練習試合の会場に使用していた時代もありました。

 一方で、茶道や華道のイベントに使用されるほかに、中学校新入生のオリエンテーリングに使われるなど、幅広い活用がされています。

 さて、この周辺は地域文化広場と呼ばれていますが、その周り一面は麦畑となっており、まもなく収穫期を迎えるため黄緑色から黄金色に変わっていきます。小麦の収穫後は稲の水田となり、緑一色になっていきます。

 「おい、何やっているんだ」と、旧知の不良仲間の誘いで昼食に誘われ、車で迎えに来てもらい、私の知り合いの稲沢市の食堂まで足を運んだものの…

 「免許証持ってきたか?」
 「持っているが何故に?」
 「一杯飲みたくなった」
 「オレだって一緒の気分だ…」

 と、しばらくはお互いにオデンを口にしていましたが、「飲めよ」とビールを勧め、帰路は私が運転して目的もないままに稲沢市を徘徊し、稲沢市の知人のお宅に立ち寄ってサービスの良いお店に案内してもらいました。

 酒を飲んで心地よい知人と一緒にいると、自分まで飲んできたような気分となり、知人の事務所で無駄話に花を咲かせていると、家内から鬼の形相が見えそうな電話が入りました。
 実は、午後から家内が水田に肥料を撒きに行っており、迎えに来てもらうわけにもいかず、飲んでいる知人に送ってもらうわけにもいかないため、「運動のためだ」と何事もなかったように小走りで鬼の待つ我家に戻ってきました。

          本日の体重 72、1キロ 徒歩数 8951歩 間食ありあり
                                      5月8日の一言

今年も朴の木が花を咲かせました

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我家の朴の木(ホウノキ)の花です 本日午後

朴の木
枝先に花径15センチから20センチくらいの大きなクリーム色をした杯形の花が上向きにつく。
花には強い香りがある。花びらは8枚から9枚あり、萼片は3枚である。中央部には、たくさんの雄しべと雌しべが集まって円錐状についている。



 数日前の一言や、過去の一言に何度も記してきましたが、我家の朴の木は、平成14年6月28日に長野県白馬村のラベニュー栄のご主人が裏庭から掘り出してくれた木で、我家では二代目となる朴の木です。

 岐阜県の飛騨地方や長野県の山々では当たり前に見られる木ですが、当地方では温かいためか満足に育たず、我家の朴の木も2階の屋根までは届いたものの、図鑑に紹介される15メートルから30メートルの樹高や、100センチから150くらいになるという幹の太さにはいたっていません。

 さて、私の希望としては、あと5メートルほど成長して欲しいと思っており、家族が希望するように切る気持は微塵も無く、朴の木は中国の漢方薬の原料となる厚朴(コウボク)の仲間で、和厚朴と呼ばれており、乾燥した樹皮は生薬の厚朴の代用品として風邪だけでなく、腹痛や下痢に効き、和厚朴の実は解熱に特効があると言われているので、何とか秋まで実が残せるようにしたいと思っています。

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 さて、昨日の一言に我家のサクランボを添付したところ、早速サクランボ狩りを希望するコメントが入り、今年は空のギャング「ムクドリ」が熟す前から食い尽くしており、「明日にはなくなりそう」と返信すると、夕方には我家にとっても初めてのサクランボ狩りとなりました。

 これも数日前の一言に記しましたが、ブログの書き込みを通じて、連絡を取り合える人が存在していることに心強さを感じる一方で、悪意のある書き込みや、なりすましも存在することから、ネット上の無責任な書き込みを防止する方策を考えて更なるブログやネット社会を繁栄させたいと思う一日ともなりました。

 明日の午前中に近所の知人が訪れると、今年のサクランボも終わりをむかえそうですが、春が一瞬にして過ぎ去っていったような感覚を覚えるものの、毎年記してきた書き込みを読み直すと、人間(私)の錯覚は甚だしく、自然は当たり前に時間を刻んでいることも実感させられます。

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 このサクランボも、平成5年に他界した私の父親が、私の長男のために植えた木で、我家で植わっている木にはそれぞれのイワレがありますが、我家は3人の男の子供がありながら、未だに一人も結婚しておらず、新たな分家が存在しないため庭は満杯となり、10年ほど前からは新しい木を1本も植えられないことに寂しさを実感させられます。

            本日の体重 72、4キロ 徒歩数 2807歩 間食あり
                                       5月8日の一言

サクランボから遍路気分へ

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我家のサクランボです

 本日のテレビ番組の中で、「四国八十八ヶ所をお参りしたのと同じ功徳がある」として、「お砂ふみ」を紹介していました。


 「四国遍路と同じ功徳がある」としたら、わざわざ四国まで行ってお寺を巡拝する必要はなく、単純に一緒と信じられているとは思いませんが、「お砂ふみ」の満願の証を大切に飾っておられる人もあり、俗世で遍路の心境に浸り、十善戒の教えを体感するには良い機会となります。

 本日は、我家の近くで行われる「お砂ふみ」について調べました。
 
せんき薬師 西福院 稲沢市大塚町 http://www.senki894.com/
  四国八十八カ所霊場 逆打ちお砂ふみ 5月18日(水)~21日(土)

地泉院 稲沢市祖父江町 http://jisennin.ehoh.net/
  お砂ふみ大祭  5月21日(土)~5月29日(日)

弘盛寺 津島市越津町 http://kouseiji.jp/koseji.html
  阿字観 5月21日(毎月21日)  一灸さん 6月1日(毎月1日)
 
 個人的な想いでは、1番から88番までそれぞれの「ご真言」と「般若心経」を唱えて廻りたいものですが、参拝客が渋滞を起こしてしまうので、せめて「ご真言」くらいは念じてお参りしたいものです。
 
高野山金剛峯寺 http://www.koyasan.or.jp/experience/

 現実には難しいものの、目標として1ケ月を3等分して、10日を四国遍路、10日間を上高地として、残った10日を地元に設定しておりますが、距離的に遠い四国は大変で、「お砂ふみ」のように四国の土を踏んで巡礼気分に浸りたい心境はよく理解できるようになりました。

御真言とご宝号一覧 http://www.bukkyo.net/tisiki/singon.htm

 真言宗のお寺は、死んだ人の葬式や供養だけでなく、生きている我々に対する行事が日常的に行われており、お寺を廻って参拝するだけでなく、本堂に座って瞑想したり、阿字観や呼吸法で心を落ち着けることができます。
 久々に、そんな心境となりました。

            本日の体重 72、2キロ 徒歩数 2555歩 間食あり
                                      5月6日の一言

ゴールデンウィークが終ってしまい

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久々に自宅前で太陽が沈む風景を見ました

 麻生財務相は、独フランクフルトで開かれているアジア開発銀行の総会で、来年4月に予定されている消費税率の10%への引き上げについて、「増税をしないと社会保障制度を維持できない」と発言し、予定通りに消費税を引き上げる方針を言明したと発信されてきました。

麻生財務相、消費税引き上げ実行を改めて言明

 この発言の一日前にも、安部首相がイタリアで消費増税を話している事も報じられていますが、安部政権の経済対策は結果的に成果が出ておらず、日銀のゼロ金利政策など経済体制が末期的状況にあるなかの発言だけに、選挙や政治状況を読んだ風見鶏的な発言では済まされません。

 私自身は、国民への社会補償制度や福祉の名のもとに増税されることには大反対ですが、身近な中小企業や商店主の中には、厳しい経済状況下を考えて前回の増税時に価格や料金を据え置いている人々も多く、増税の先送りで破綻する危機感と、予定通りとは言え増税は国民の生活に直結していきます。

 明日は市役所で5月臨時議会の運営委員会が開催されますが、2日と6日を休める人は10連休となり、私自身もこのゴールデンウィークに単車による四国遍路を考えていたこともありましたが、4月中旬の夜行による四国車イス遍路に同行したことと、上高地の開山式前に3日間も現地を訪れたことの疲れが取れず、三男の起業の邪魔になる樹木の伐採もあり、何もせぬままに連休が終ってしまいました。

 しかし、今年の連休中には多くの交通事故が発生し、多くの人命が損なわれていますが、一瞬にして命を奪われる高速道路の事故が多発しており、相手の一方的な運転ミスによって突然命を奪われた人々の心境を考えると何事もないことを幸せと思わなくてはなりません。

トンネル内で正面衝突、2人死亡 徳島・美馬市長ら重傷
関門トンネル、車同士が正面衝突 北九州、3人が重軽傷
常磐道でバスと乗用車が衝突、女性と6歳娘が死亡
対向車線に入り正面衝突、1人死亡 飲酒運転か 北海道
落石が助手席を直撃、女子大生が死亡 島根の県道
山陽道で7台事故、9歳児含む3人死亡 トラック衝突か

 本日は久しぶりとなる夕方のウォーキングに出向きましたが、最近は月曜日と水曜日と金曜日をノルマとしていたウォーキングを半月ほど休んでおり、四国、上高地、木の伐採などによって体重が維持されてきました。

 5月の臨時議会が終ると6月議会が続き、6月1日には三男の開業日を迎えることから、体調管理、体重維持には基本が重要と思う一日ともなりました。

            本日の体重 71、7キロ 徒歩数 7069歩 間食あり
                                      5月5日の一言

事務所2階へ移動して

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右は白馬から移植した朴の木、左は先祖伝来の木で名前は不明

 私の事務所2階から見える風景ですが、私の植えた木々が屋根を越しているため、見晴らしは良く、まるで山の峠にいるような気分に浸っていますが、この木々を廻って家族と大変なバトルにもなっています。

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 6月1日に三男が接骨院を開業するため、事務所前と横の木を切ることになっていますが、多少の剪定は我慢ができるものの、全て切ってしまえば良いと考える家内とはこの考えの違いで冷戦中となっています。

 事務所の前にあるアンズが建物や看板の邪魔になるのは自分でも理解していますが、私の胴回りほどに成長した幹を切る事はできず、三男の理解によって軒下の看板の邪魔になる部分の伐採で納得してもらいましたが…

 アンズの奥にあった山茶花(さざんか)は半分に切り詰め、2階の屋根を越していた月桂樹(ローズマリー)も半分に切り1階程度にしました(下記の写真)が、切ってから切り口を見ると小枝を切って幹を残すべきだったと後悔し、次に伐採予定でハシゴをかけた(写真中)先祖伝来の木は、切ることができません。

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 さて、第三者から見れば、店舗や看板の邪魔になる木は切るのが当たり前と思われるでしょうが、これらの木々は私の仕事で建てた建物とともに成長し、岐阜県海津市の人から「名古屋に行く途中で一番早く桜(実際はアンズ)が咲くところ」と認識されるなど、津島街道ではほとんど見られなくなった雑木林でもあります。

 「あの木は残さなきゃダメだよ」と言う人もあり、三男が仕事の実績で繁盛させれば、看板や建物が見えるかどうかは二の次になりますから、何とか無事に開業が済むことを祈りながら、木を切るふりをしながら日時の経過を待ちたいと思います。

 我家にはもっと大きな木が存在しますが、私が知らないうちに家内が庭師さんに依頼して切ってしまった木も多く、玄関前の庭で一番大きかった木も、切り詰めたことで枯れて小さくなってしまい、サクランボなど家内が切ったことで樹形が衰えてしまった木々も多く存在し、先祖伝来の木との認識もない家内の独断に腹を立ててきました。
            本日の体重 71、8キロ 徒歩数 2053歩 間食あり
                                       5月4日の一言

追伸
先祖伝来の木はイスノキでした

2年前にピーを保護した日 偶然にも

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本日我家の屋根から落ちていた雀のヒナです

 本日5月3日は、2年前に眼も開かぬピーちゃんを庭で拾い上げた日ですが、偶然にも本日の午前中に昨日に屋根から落ちて死んだヒナが見つかり、ピーの落ちた場所から1メートルしか離れていないことから血縁と思われます。

 悲しい結末です。ピーと同じ日に拾いあげたことと、一週間前に預けられたヒナ「チー」が私に懐かず苦戦しているだけに、ピーの弟かオイにあたるヒナを物言わぬ姿で拾い上げたことが悔やまれてなりません。

 2年前にピーを拾いあげた時にも、我家でスズメのヒナを保護したのは初めてで、二度と拾う事はないだろうと思っていましたが、日頃から屋根を注意して眺めておりながら、肝心なときに気付くことができませんでした。残念の一語です。



 1週間前の月曜日に稲沢市のスズメのヒナを拾った人から保護を求める連絡を受け、そのヒナは現地の親スズメの養育に期待して置いてきましたが、翌日に蟹江町より保護されたヒナが我家に持ち込まれました。

 しかし、エサや保温については過去の経験と、ピーとピヨに使った飼育道具が役にたっているものの、眼を開く前に拾ったピーや過去のヒヨドリのピーコと、眼を開いてから人に保護(拉致)されたスズメの行動は全く違い、まるで不良少年を子供に持ったような気持にさせられ、保護を止めて外に放そうとさえ思えてきます。


 さて、昨年10月末にピーを失ってから、心にぽっかりと穴が開いたような気持でしたが、現実に次のスズメが持ち込まれても、ピーの鳥カゴや飼育道具は使えなく、逆に無言のピーを思い出し、2ヵ月ほど前からは庭に飛んでくる我家の屋根に住むスズメを可愛がろうとしていただけにピーの存在していた時のような気分にはなれません。

 過去の一言にも記してきましたが、私は自分の子供たちの養育を家内任せとして、風呂に入れたり買い物に連れて行くような父親らしいことをしたことがなく、ピーを拾い上げてから1時間おきにエサを与え、成長してからは一緒に昼寝するなど初めて親らしく生活していたため、新たなスズメが来たことで余計に悲しみが募るようになりました。

 そして、他所から持ち込まれたヒナを保護しながら、我家の屋根から落ちたピーの兄弟か後輩の存在と悲鳴も知らずにいたことと、拾い上げたヒナをピーとビヨの墓の真ん中に埋めたものの、降りしきる雨によって線香も立ててあげられません。

           本日の体重 71、8キロ 徒歩数 5021歩 間食あり
                                     5月3日の一言

自分の植えた樹木の伐採作業を続けて

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3月18日の事務所横の樹木

 「いつになったら切ってくれるの?」
 「うーん、やるから…」
 「まだ、切らないの?」
 「やると言っとるだろう…」
 「本当に切ってくれるの?」
 「 … 」                               家内と1ケ月前からの会話です
      
 昭和57年に建築した私の建物ですが、当時は1階を新聞販売店として使い、2階は卓球台を2台置き、50人は座れる机とイスを用意し、完成時には2階で高校野球の写真展を開催しました。

 完成直後にアンズの木と花ツゲを植え、その奥に植木鉢で買ってきた月桂樹と山茶花を置き、横に斑入りのグミとマサキを植えたところ、鉢から根を張り30年の歳月を経て2階の屋根を越えるような大木になりました。

 真ん中の大木は先祖伝来の木で、一番奥には平成14年に長野県白馬村にあるラベニュー栄のご主人丸山さんが裏庭から掘り出してくれた朴の木で、氏が亡くなられた7年前から花を咲かせるようになりました。
 

 自分の建てた建物を三男に譲るだけでなく、長野県更埴市出身の知人から頂いたアンズや朴の木とともに、先祖伝来の木まで切られてしまうのは許しがたく、アンズと朴の木はそのまま残し、その他の木々は1階部分で切り詰めることとして、昨日からハシゴをかけて切りはじめました。

 家内は自分の在所よりチェンソーを借りてきており、全ての木を根元から切ってしまうつもりだったようですが、家内は嫁いで来ているためか、土地に対する愛着とか木々に対するこだわりが皆無で、バス停の真ん前に建つ地の利があるのに、木が邪魔になって看板が見えないことが原因で、三男の仕事が成り立たないようなことでは先はありません。

 「チェーンソー使わないの…」
 「自分が植えた木だから、自分の手で切るから」
 「使えば早いのに…」
 「木も痛いと思うぞ」
 「馬鹿じゃないの…」

 我家のアンズの木は桜の花と勘違いされ、名古屋市と津島市の間で一番早く咲く花として語られており、私ならアンズの花と、これから収穫される実を使ったジャムで宣伝していきますが…

 さて、明日と明後日で真ん中の木を切り、容姿を整えると私の限度となり、何とか三男には理解してもらいたいものですが、伐採が終了した後の写真添付はしばらく先の話となりそうです。

            本日の体重 70、8キロ 徒歩数 約1000歩 間食あり
                                       5月1日の一言

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