写真は昭和59年9月5日に発行された「アサヒグラフ」増刊号に掲載された、8月10日に甲子園球場で愛知享栄高校との試合で、3回に本塁打を放って三塁を回る清原選手ですが、笑顔が似合う清々しい高校生でした。
それから30年が経過して、清原選手は裁判所で判決を受ける立場になり、世間の好奇の視線を浴びせられていますが、 こんな清々しい選手を司法によって裁かれる立場にしたのは、勿論本人に責任があるのは当然ですが、彼が少年時代に憧れた読売巨人軍によって、一度ならずも二度も裏切られた世の中の汚さも彼のファンとしては忘れてはならないと思います。
私の住む愛知県は熱狂的な中日ファンが存在する中で、私はずっと巨人ファンでしたが、清原選手とPL学園高校で同僚だった桑田選手の最後と、一浪してまで希望する巨人に入団した元木選手の最後など、選手のプライドを無視して、「たかだか選手ごとき」とのオーナー発言などにより巨人ファンをやめました。
清原選手についても、入団を希望していた巨人に裏切られ、西部ライオンズで活躍して主砲として入団した巨人には再度煮え湯を飲まされており、こんな醜い仕打ちも覚醒剤に走った要因になったと私は思います。
清原被告「申し訳ありませんでした」 猶予付き有罪判決
『覚醒剤取締法違反の罪に問われた元プロ野球選手・清原和博被告(48)に対し、東京地裁は31日、懲役2年6カ月執行猶予4年(求刑懲役2年6カ月)の有罪判決を言い渡した』
覚醒剤使用が法律に反する犯罪であることは言うまでもありませんが、使用した害は自分自身の身体に影響し、暴力団関係者の関係は良いとは言えないものの、他人の身体を傷つけた犯罪とは違うことから、本人の反省と、再犯をさせないことで本人の再登場に期待したいと思います。
昭和59年8月8日 開会式のPL学園
8月19日 松山商戦で好投する桑田選手
8月10日 2ラン後の桑田と清原の笑顔の握手
この試合を見て、私は桑田選手と清原選手のファンになり、明日開業する息子のために事務所を移動し、多くの雑誌や書籍を資源ごみとして処分するときにも、この2人が笑顔で握手する写真を掲載した「アサヒグラフ」は残しました。
清原選手が再起して、再度野球の現場に立つ姿に期待しています。
本日の体重 70、3キロ 徒歩数 5612歩 間食あり
5月31日の一言