大鹿一八「本日の一言」

平成16年2月から令和1年7月末までの「本日の一言」です。ヤフーブログ閉鎖により、ライブドアへ過去の記録として引っ越しました。

2016年06月

本会議が終り、大学時代の知人と長話中に

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津島市役所の東側駐車場です
 
 本日で6月議会の本会議は終了しました。

 「久しぶりだけど」
 「本当に久しぶりだなぁ」

 本会議が終り、市議会の委員会も終って駐車場に戻ると、大学時代の知人から着信履歴があり、彼とは卒業後に会った事はありませんが、数年前に彼が超有名人になってしまったため、連絡して会う約束をしたものの、お互いにすれ違いのままになっていました。

 40年近く会っていないものの、彼の住む三重県の自宅は、私が会ったことのない生き別れの祖父の実家と、家内の姉の嫁いだ家にも近く、私が中年になって知り合った知人とも若かりし頃からの知り合いだったことと、彼の存在によって卒業後に音信不通となっていた知人とも再会しています。

 さて、車の運転席に座ったまま電話が長くなり、車は市役所の駐車場に停めたままとなりましたが、この間に私の車の回りを出入りする高齢者のマークが付いた車輌や女性ドライバーの車の際どい運転に、いつぶつけられてもおかしくないと実感させられました。

 本日の委員会で、この市役所東側の駐車場が、来月から半年以上にわたって閉鎖されることが発表されました。
  
津島市役所 庁舎防災機能整備及び議場等改修工事
東側駐車場の閉鎖  平成28年7月11日(月)から平成29年2月28日(火)まで

 実は、数年前に市役所の耐震改修工事が行われた際に、庁舎東側の駐車場が閉鎖され、西側の駐車場へ停めていた時に、隣に停めた車のドアによって付けられたと思われる傷が、私の車の横腹に付けられており、車が大きいだけにしばらくは悪夢の再現が無いよう駐車位置の注意が必要になります。
 
小学生の列に車、8人けが 運転の60代男聴取へ 岐阜
「ボン」と大きな音、立ち尽くす小学生…岐阜の事故現場
記事の続き…
http://www.asahicom.jp/images/asahicom/hand.png集団登校中の児童が車にひかれ、死傷者が出る事故は各地で起きている。
 京都府亀岡市では、2012年4月、歩道を歩いていた小学生らの列に、無免許の少年(当時18歳)が運転する軽乗用車が突っ込み、女児2人と付き添いの保護者の計3人が死亡、児童7人が重軽傷を負った。
 文部科学省は当時、全国の通学路の緊急点検を要請。海津市教委によると、今回の事故現場も点検対象となった。担当者は「交通量が多いわけではない。夏になると草丈が伸びて見通しが悪いため、対象にしたようだ」と説明した。現在は草刈りを定期的に行って見通しを確保しており、「危険な場所という認識はなかった」という。
 高須小はこの日の授業を一部切り上げ、集団下校とすることを決めた。市教委は、市内10小学校を巡回しているカウンセラーを、高須小に重点的に派遣。児童の心のケアにあたる。

 帰宅後にテレビ画面から流れてきた交通事故の現場は、岐阜県とはいえ我家からも近い、海津市の通学路が映し出されており、興味本位で見られがちですが、60代の運転手の起こした事故だけに、明日は我が身かもしれないと思う一日ともなりました。

             本日の体重 71、2キロ 徒歩数 3093歩 間食あり
                                      6月30日の一言

65歳以上が人口の4分の1を超えて

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昨年10月以来となる毎日の光景となりました

 総務省は29日、2015年の国勢調査の速報値を発表した。今回から「団塊の世代」が含まれるようになった65歳以上の割合は、10年の前回調査より3・7ポイント多い26・7%で過去最高となった。一方、15歳未満の子どもは12・7%で過去最低だった。これにより1920年の調査開始以来、初めて全都道府県で65歳以上の割合が15歳未満を上回った。
                                           朝日新聞 2016年6月29日

65歳以上、人口の4分の1超える 主要国で最高の割合

 これまでも語られてきたことですが、昨年の国勢調査で65歳以上の人口が、3342万2千人となり、総人口の4分の1を超える26・7%で過去最高になったと報道されています。

 一方で、15歳未満の人口は65歳以上の半分に満たない1586万4千人で、総人口の12・7%だったとのことから、このままでは高齢者の自立なくして若い世代では支えられない厳しい現実が理解できます。

 私はまだ年金を受け取ってはおりませんが、議員になる前まで一度も企業に勤務したことがないため、65歳になっても年金の受取額は少なく、年金だけを頼りにした生活はできませんし、子供に頼って生活できるわけでもなく、家内名義の貸店舗と三男から受け取る店舗の家賃を主体にして生活していくことになります。

 若い頃には4人の子供が居ることから、「一人から5万円ずつ貰えば月に20万円はあるな」と冗談で言っていたものの、現実には5万円どころか1円も貰わず食事の世話をしている有様で、夫婦がともに健康でなくなったら大変な老後になりそうです。

 四国遍路で10日間、上高地で10日間、地元で10日間の生活をシルバーライフの目標にしていますが、健康であればの話であり、病気になれば四国や上高地には行けない事になりますから、まずは健康であり続けることが一番ですが、家庭の経済状況によって病院にもかかれない高齢者の増加だけは防ぎたいものです。

             本日の体重 70、3キロ 徒歩数 4225歩 間食あり
                                      6月29日の一言

マイクロバスの車窓から街角を眺めて

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久々のマイクロバスの運転台 名古屋市中川区

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 数年前に同級生に見せてもらった小学校の文集に、私は将来の夢として車の運転手になりたいと記されており、最近になってカーレーサーか観光バスの運転手か気になり、同級生に尋ねると文集は現在行方不明になっており、何の運転手か判りませんが、私が小学校時代に「運転手」になりたいと思っていたことは間違いがありません。

 私の父親は、戦前に満州へ渡り、満州鉄道の駅員をしており、戦後に日本へ帰国してから名古屋鉄道(名鉄)の駅員から運転手になり、私が小学校時代にグループの名鉄産業に異動し、ガソリンスタンドやレストランの支配人になりましたが、私たちは子供の頃から駅員の切符切りやカバンで遊び、名鉄電車やパノラマカーの運転席に座る父親の姿を見て育ちました。

 大学入学直後から、当時の名古屋観光バス(現在の名鉄観光バス)の車掌や添乗員のアルバイトをしたことと、元々が知らないところに行くことが好きだったことから、観光バスの運転手になりたいと思ったものの、当時の大卒は運転手に採用されなかったことと、大学時代に朝日新聞社から誘われ、いきなり経営者としての仕事が始まったことから、観光バスの運転手はあこがれだけになりました。

 そんな経緯から、昭和60年に趣味で大型運転免許を取得し、議員になった平成11年以降はマイクロバスを利用した旅行をはじめ、平成21年にタクシー事業の法令試験をクリアし、福祉タクシーの認可を受けてから、タクシーの2種免許を取得する時に、観光バスの運転ができる大型2種免許を取得しました。

 観光バスの運転手については、議員として還暦を越えてしまい、営業車の観光バスを運転する可能性は極めて低いものの、バスやマイクロバスの運転は可能で、昨日の琵琶湖一周に続いて、当分は毎月朝日旅行友の会の企画で、会員とともに遠出を楽しみたいと考えています。

 元気な高齢者が増えて、ボランティアも高齢者が戦力となり、旅行のツアーの顧客も高齢者が大きな存在となっていますが、高齢になり、病気や足腰の不調で外出が困難となっている人も多く、「もう一度旅行に参加したい」と訴える朝日旅行友の会のメンバーを連れて外出したいと考える一日ともなりました。

 久々のマイクロバスの運転ですが、日頃から大きいキャラバンを運転していることから違和感は感じず、本日は名古屋まで車輌を返しに走りながら、改めて小学校の文集が気になっていると、午後一番で文集を見せてくれた知人から連絡が入って珈琲屋さんに行ったことも、あながち偶然と思えない夜になりました。

           本日の体重 71、3キロ 徒歩数 3768歩 間食あり
                                     6月27日の一言

マイクロバスで琵琶湖を一周して

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近江八幡 水郷めぐり

近江八幡 水郷めぐりと琵琶湖周遊の旅  明日26日(日)
津島市8時出発…名神高速・羽島IC…養老SA…彦根IC…近江八幡市・水郷めぐり…琵琶湖大橋…昼食(高島市)…白髭神社(高島市)…メタセコイヤ街道(高島市マキノ町)…琵琶湖水鳥・湿地センター…道の駅…北陸自動車道・木の本IC…養老SA…羽島IC…津島市

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白髭神社の鳥居

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メタセコイヤ街道 高島市

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マキノ町の道の駅と使用したマイクロバス

 本日は23人で滋賀県の近江八幡市水郷めぐりから、琵琶湖を一周して帰る朝日旅行友の会の日帰り旅行を行いましたが、参加者のうち18名が四国遍路を一緒に巡拝した同行者で、遍路の同窓会のような一日ともなりました。

 今回の旅行は、かつて旅行に参加していたものの、最近は病気や足腰が弱くなり、外出が難しくなった高齢者を主目標にしたため、予想外に移動に時間がかかり、最終目的地に到着した時に入館時間を過ぎており、羽島インターから愛知県に入るころに夕陽が沈みました。

 さて、参加者が高齢であるのは前記したとおりですが、水郷めぐりの船頭さんも高齢化しており、私の船は67歳の筋肉隆々とした船頭さんだったものの、85歳で現役の船頭さんが存在する話にはびっくりです。

 そして、船頭さんの漕ぐ力だけで4キロの水路を案内されるわけですが、私の記憶では過去数回訪れているものの水郷めぐりの案内があったとは思えず、今回貸切った3艘の1艘は船頭さんが歌を披露され、私の舟は最後まで案内が続くとともに、私の孫は艪をこがしてもらいました。

 地域の高齢化が進む中で、高齢者が現役の仕事として活躍する場所があることに、無償のボランティアが高齢者によって支えられている各地の現状と比較しても羨ましく思う一日となりました。

 10年ぶりになるマイクロバスの運転となりましたが、乗用車としては大きなキャラバンを日ごろから使用していることから、思ったほどの違和感はなかったものの、かつてのようにマイクロバスで四国遍路へ行く気持にはなれず、自身の年齢も実感する一日ともなりました。

             本日の体重 71、2キロ 徒歩数 3059歩 間食あり
                                      6月26日の一言

参加者も運転する私にもリハビリ旅行となり

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ホームセンターバローのショッピングカートに乗る相棒リマ ごきげんです

 明日は久しぶりとなる朝日旅行友の会としての旅行を企画しており、近江八幡市の水郷めぐりから琵琶湖を北上して一周りしてから帰るコースを、23人の会員が私の運転するマイクロバスで廻ります。

近江八幡 水郷めぐりと琵琶湖周遊の旅  明日26日(日)
津島市8時出発…名神高速・羽島IC…養老SA…彦根IC…近江八幡市・水郷めぐり…琵琶湖大橋…白髭神社(高島市)…昼食・ソラノネ食堂(高島市)…メタセコイヤ街道(高島市マキノ町)…琵琶湖水鳥・湿地センター…北陸自動車道・木の本IC…養老SA…羽島IC…津島市

 朝日旅行友の会は、昭和63年11月に観光バスによる旅行を初めて企画し、平成20年11月までに100ヶ所以上の目的地へ出かけましたが、平成13年から自分の運転するマイクロバスで企画をはじめ、13年秋からは四国遍路にも出かけるようになりました。

朝日旅行友の会 行き先リスト

 「議員は旅行を企画して選挙運動ばかりしている」との風潮を耳にすることが多く、平成11年に議員になったことから、議員の旅行と比較されることが嫌で、旅行本来の魅力を追求すると宿泊を伴う旅行や、遍路や巡礼の企画が増え、平成21年から10人乗りのジャンボタクシーの認可を得たことで、観光バスやマイクロバスの旅行は無くなりました。

 「昔が懐かしいなぁ」とか、「いろんな所に連れて行ってもらったけど…」と、昨年の選挙前に廻った旅行友の会に参加していた人々から聞き、高齢になり足腰が悪くなったり、病気になって旅行に行けなくなったと会員から訴えられました。

 今年になってから、車イスとともに四国遍路をスタートさせ、一週間前には車イスを載せて高野山へ行きましたが、今回も車イスを携帯して、日常に使用している手押し車を持参した会員も参加する企画としました。

 さて、過去の旅先リストを詳しく見直してみると、私自身は10年前から大型バスやマイクロバスの運転をしておらず、明日は参加者のリハビリ旅行だけでなく、私自身の運転のリハビリともなり、安全に帰る事も大きな目標となりました。

 マイクロバスを手配してくれ、明日は助手席に座る知人から、「お年寄りだから運転は気をつけろよ」と言う言葉がありましたが、お互いに少年時代は津島駅でたむろした不良仲間で、真面目な学生たちに嫌われた不良が、高齢者の人々の手足になっている現実に思わず顔を見合わせました。

           本日の体重 71、1キロ 徒歩数 4125歩 間食あり
                                      6月25日の一言

人との出会いを実感する一日に

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愛知県愛西市 ボランティアガイドの会発行 「あいさい通信」

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 本日はボランティアの合い間に市役所へ走り、明後日の日曜日に琵琶湖へ行くメンバーの旅行保険のための生年月日と、当日の乗車場所の手配をしていると夕方になっていました。

 「おい、何処に居るの?」
 「家に居ますよ」
 「今、来たばかりなんだけど…」

 今月1日に三男が接骨院を開院し、私の知人が贔屓(ひいき)にしていただくのは有難い話ですが、利用されるお客様のために、これまで駐車場に置いてあった私の車は離れた場所に移動させてあり、居所が判らないため電話がかかってきます。

 息子の接骨院を訪れていただいたものの、昔からの知り合いの訪問は有難い一方で、一人ひとりと珈琲屋さんに出かけたい心境ですが、出費が大変なことになってしまうため、2階に移転した事務所で昔話に花を咲かせることとなります。

 「ところで、お客さんの入りはどうなの?」
 「うーん、良く判らないけど…」

 親バカかも知れませんが、新規で開業している中で、何とかお客さんに来ていただいていると思うものの、毎日のように顔を見せていた人の姿が見えないと、「何故だろうか」と心配になってしまいます。

 「何か気に入らない事があったのかな」とか、「来て具合が悪くなったのか」などと、来られなくなった理由が気になって、息子の先行きが心配となるものの、親しい知人と言えども連絡して理由を聞くことはできません。

 「○○さんは来ているのかな?」
 「来ていないよ」
 「どうしちゃったの」
 「だって、良くなれば来ないでしょう」

 うれしいと喜ぶべきなのかも知れませんが、具合が悪かった部位の痛みが減り、調子が良くなった患者さんは、調子が悪くなるまで接骨院には来られませんから、人気のあるラーメン屋さんやケーキ屋さんのように、頑張れば頑張っただけお客さんが連日通ってくるわけではなかったのですね。

 息子の開業によって、はやっていると思われたお医者さんに対する認識が変わり、治療の効果があれば患者さんは通院しない現実と、治療効果を出して、その上で繁盛させていくことの難しさも実感させられました。

 さて、久しぶりにゆっくりと訪れた珈琲屋さんで、愛西市の「ボランティアガイドの会」の発行した「あいさい通信」を観光協会の理事さんにいただき、その中に8月11日の「山の日」の記述があり、愛西市の先人津田正生氏が小説の中に紹介されていることを教えていただくとともに、「山の日」の記念イベントのある上高地で、愛西市出身の女性が今年から活躍していることを紹介し、お互いが上高地へ行く話で盛り上がりました。

天保時代の槍ケ岳には、地理学者・津田正生が登頂(上)


 北アルプスの槍ヶ岳を開山した播隆上人に、遅れること数年となる天保4年に登頂した津田正生氏は、江戸時代の歴史学者ですが、現在の愛西市から遠く離れた槍ヶ岳を踏破していたことと、今年から愛西市出身の若い女性が北アルプスで活躍していることを対比して想いをはせる一日ともなりました。

           本日の体重 70、8キロ 徒歩数 8615歩 間食あり
                                      6月24日の一言

目的もないままに名古屋市を体感して

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名古屋城内 清洲城天守閣を移築したと伝わる清洲櫓とキャッスルホテル

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竜泉寺の湯
                           http://www.ryusenjinoyu.com/index2.htm

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尾張四観音竜泉寺
                http://www.ryusenji.com/

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名古屋城

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名古屋城が正面に見えるレストラン喫茶 ノルシャトウ

 本日と明日を幼馴染の同級生と仕事の約束をしていたものの、2日間の天候が悪いため何処かに行ってこようとの話になったものの、突然のことで行きたい所も思いつかず、近所の同級生宅を訪れると仕事に行くため車で出かける所で、もう一人を訪ねて3人で珈琲屋を訪れていると、町内の用事で急遽散会となりました。

 「日帰り温泉に行ってこよう」と言う知人が、名古屋市の「竜泉寺温泉」の名前を出したため、知人も知っている私の従兄弟の税理士事務所に立ち寄ってから温泉に行くことになりました。

 津島市を10時前に出発したものの、立ち寄った事務所で雑談に花を咲かせ過ぎて、温泉に到着したのが午後2時となっており、昼食後に温泉を出たのは4時近くになり、近くにある尾張四観音と言われる天台宗の竜泉寺に立ち寄りました。

 「そういえば名古屋城の見える場所に…」と、以前立ち寄った喫茶店が小中学校の同級生の親戚らしいと聞いていたため、立ち寄ったところ店主と名古屋城や名古屋市の歴史について花が咲き、このお店の一族は清洲の出身で、在所は17代に渡って薬屋を営んでおられたことや、元々は稲沢市や祖父江町の豪農の出身であることも判りました。

 名古屋城は、名古屋市の河村市長が現在の鉄筋コンクリート製の城から木造の再建を目指しており、最近は木造による再建に議会や市民の理解も伴ってきたものの、名古屋城周辺に残されている伝統あるお店も大切にして、城を中心にして廻りに庶民が生活していた昔ながらの雰囲気も継承してもらいたいものです。

 目的のないままの外出は久しぶりですが、還暦を過ぎており、こんな一日の行動もできるはずと思うものの、ほとんどの同級生は現役で働いており、健康のままに仲間と行動できる機会は成り行きでは難しい現実を感ずる中で、貴重な体験ともなりました。

              本日の体重 70、6キロ 徒歩数 4255歩 間食あり
                                       6月23日の一言

久々のウォーキングへ

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宇治町(東)の花畑 

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宇治町に沈んでいく夕陽

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家の屋根の形をした垣根 越津町

 2年前からノルマとしてきた月曜日と、水曜日、金曜日のウォーキングですが、今月はほとんど歩いておらず、本日は火曜日でしたが、雨もあがったため久しぶりに目的地である葉苅町の珈琲屋スプーンベルまで歩きました。


 今月は市議会が開催されていることと、三男が6月1日に接骨院を開業したため、事務所に居るときでも来客が多く、計画的なウォーキングができず、梅雨に入っていることも歩く機会を減らしています。

 もっとも、一年前には雨の日でもカサをさして歩いていたことから、体重を10キロ減らして安定していることも、身体をナマカワにしている原因と思われ、歩く目的を見失っていることから、目に見える新たな目標が必要になってきました。

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阿字のご本尊

 さて、本日は朝から来客が続き、午後には予定していた来客を待っていると、時計は午後1時30分を指しており、毎月21日に開催されている「阿息観」に参加するため、慌てて町内のお寺に走りました。

阿息観 弘盛寺 http://kouseiji.jp/aso.html

 到着した時には既に勤行が始まっており、慌てて塗香をいただき、本堂に座りましたが、慌てて走ってきたため汗が止まらず、阿息観が始まってからも汗が額から頬を伝わって下着まで届く有様です。

 とても雑音を無視して座り続けることは不可能で、完全に目を閉じたまま座っていましたが、やっと精神的に安定して落ち着いた頃になって「阿息観」は終わりとなり、終了後に呼吸の仕方で体温を調整できることを教わったものの、「瞑想」とは言えない参加となってしまいました。

 明日は親バカの一日となります。

           本日の体重 70、7キロ 徒歩数 9747歩 間食あり
                                     6月21日の一言

91歳の高齢者に学ぶこと

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 高野山金剛峯寺前の記念撮影ですが、昨日ここに居たことが信じられないほど遥か彼方に思えてしまいます。

 高野山に参拝して五十年以上となる代表者に連れられ、一番若い人でも70歳を超えており、最高齢は名古屋市北区のMさんで、大正14年生まれで91歳になっておられますが、足取りは軽く年齢を感じさせられません。

 帰りの休憩時に健康の秘訣となる毎日の行動を聞いてきました。

 かつては、名城公園を毎日一周(1.3キロ)歩いていたが、最近は半周にして、暑いときは歩かないようにしているが、毎日歩いているとの話で、一週間に一度は、病院でビタミン剤を静脈注射してもらい、一週間に一度は、あんまとマッサージへ通うことを日課にしているとの話でした。
 
 生活する部屋は2階のため、階段を上り下りしておられ、不調と思うと悪くなる前に近くのお医者さんにビタミン剤を投与してもらい、何でも食べられることが元気の秘訣と思われます。
 我家の母親も6歳ほど若いものの、毎日の日課は畑に行くことと、毎日のように違う病院に通院(内科、整形外科、歯科、接骨院や針灸院)することを日課とし、夕方には町内を散歩しており、一日中何かをしている(天声人語の書き写し等)ことが共通しています。

 本日は、保健センターの管理栄養士さんの指導日となりましたが、最近の上高地や遍路話のおしゃべりに花を咲かせてしまったものの、最近では食事の節制ができなくなっており、菓子パンや間食の歯止めが効かなくなっていることを自覚していることから、次の8月の指導日まで、お菓子や甘い飲料水を控えることを決めてきました。

 しかし、夜になって独りになると、菓子パンの誘惑を絶つことができません。好きなクッキーも口にしてしまいました。それでも、一日をトータルで考えると、昼食と夕食までは節制したことから、とりあえず良しとしてみますが…

 体重は2年前より10キロの減量を維持し続けており、10月の健康診断に昨年の正常値を維持するために食生活の改善と、知人からの誘惑が多く、夕方のウォーキングができないことも当面の課題となります。

            本日の体重 70、3キロ 徒歩数 3279歩 間食あり                 
                                      6月20日の一言

高野山から名古屋へ戻って

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朝の出発  宿坊とした總持院(そうじいん)前

 總持院の朝の勤行は午前6時からですが、同行した志賀弘法会の朝のお勤めはもっと早く、「午前4時半」に起きるとの時間を、「お勤めを始める時間」と勘違いした私は、4時半になる前から白衣と輪袈裟姿で待機していました。

 滋賀弘法会のお勤めから、お寺の勤行と朝食をすませて、午前8時半に金剛峯寺の隣の荒神様に参拝し、大師の衣を洗う宝亀院で水を汲み、真新しい中門から御影堂、金堂を経て金剛峯寺へ参拝します。
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宝亀院 山門前

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宝亀院内で参拝 水をいただきます

喜21年(921年)醍醐天皇の枕元に弘法大師が立った。天皇は直ちに勅使を高野山に向かわせたところ、延喜21年11月のある明け方、御廟に弘法大師が現れたが、その衣はひどく汚れていたので、勅使に同行していた観賢僧正は大師の汚れた衣を替えたという。
このことが基になり延喜21年(921年)に醍醐天皇の勅命により観賢僧正はこの寺を開いたと伝わる。


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土砂降りのため屋根の下で参拝 金剛峯寺

 金剛峯寺では、新別殿まで入りお茶とお菓子をいただき、僧侶から法話を聞かせていただきます。

 本日の当番となる僧侶から、「生きているのが地獄なら、自殺するのはもっと地獄」として、弘法大師の教えは「即身成仏」を目標としていると話され、即身成仏を果たすには「三密」の行に励むことだと話されました。

 三密の行とは、手にインゲンを結ぶ(合掌)こと、口で真言を唱えること、心に仏をいただくことと話され、「ありがとう」と感謝の気持で、ウソをつかず正しいことを話し、やさしい仏の心で人と接することと判りやすい法話がありました。

 身と口と心、口を慎み、正しい行動(十善戒)により、心を極める三密行について誰もが判るように話された僧侶に、私だけでなくメンバーも感謝の一言でした。

 金剛峯寺から、波切不動尊に参拝し、2日間の巡礼で初めて許される土産物の買物のため、宿坊の總持院と縁のある珠数屋四郎兵衛と、饅頭の「みろく石本舗」に立ち寄り、總持院で昼食後に高野山を下りました。

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本日最後の参拝 慈尊院(九度山町)


 最後に高野山の麓となる慈尊院に参拝し、近くの道の駅で最後の買物と休憩です。帰路は、橋本市から阪和自動車道、近畿自動車道、名神、第二名神を通行して名古屋市へ到着しました。

         本日の体重 71、7キロ 徒歩数 4974歩 間食あり
                                     6月19日の一言

京都 東寺から高野山へ

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東寺は広いなァ  左は五重の塔

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高野山奥之院 水向知蔵前
                    今回は車イス2台です

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高野山一の橋 ああ同期の桜の碑 (白い塔)
                  鶴田浩二さんのお墓(右側の奥)

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奥之院 海部元総理が揮毫された見事な碑
               シニアサポートセンターの石碑

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東寺 大師堂前の志賀弘法会メンバー

 本日の高野山参拝は、京都の東寺を参拝してから高野山へ入る行程となり、メンバーに京都市内の風景を見せながらと思い、京都南インターではなく、手前の京都東インターで降りたところ、土曜日で車が渋滞しており思惑どおりにはいかないことを実感です。

 東寺は観光バスの生徒や、外国人観光客も多く、大師堂の参拝は違和感がなかったものの、食堂(じきどう)で参拝する人はほとんどなく、真言密教の修業道場も観光のお寺になったように思えてなりません。

 ここを午前11時過ぎに出発して、名神高速から近畿自動車道、阪和自動車道経由で高野山に着いたのは午後2時を廻っており、中の橋駐車場から奥之院を目指し、車に載せてきた車イスと、中の橋案内所でお借りした車イスの2台で弘法大師の御廟に向いました。

 「おい、行ってきたら?」
 「何処にですか?」
 「そりゃー、コーちゃんに決まってるでしょう」
 「コーちゃん?」
 「浩二さんの所に決まっているでしょう」

 私が高野山に行く時は、必ず俳優の鶴田浩二さんのお墓を訪ねていることを知るメンバーから、奥之院に参拝する前に鶴田さんのお墓に参拝することを許され、走って一の橋から「同期の桜」の碑と鶴田さんのお墓に手を合わせてきました。

 「君は人の所を訪ねる礼儀と言うものを知らないのか」と、鶴田さんに言われそうな気がしますが、墓石に手をあてて自分の思いを伝え、私にとっては目標とする人物の存在が正道を歩くエネルギーになってきました。

 私にとって高野山は、人生の目標とする弘法大師(空海)と、生活の目標(勝手に師匠とする)とする鶴田浩二さんが眠っておられ、肉体が滅びたときになって、魂がここに戻ってこられたら理想のように思われますが…

 般若心経と南無大師遍照金剛の一日となり、志賀弘法会の定宿である金剛峯寺隣の總持院(そうじいん)さんに宿泊となります。

                       本日の徒歩数 6808歩 間食あり
                                     6月18日の一言

明日は東寺から高野山へ

 明日は名古屋市の志賀弘法会のメンバー8人と、京都東寺に参拝してから、高野山へ一泊で出発しますが、1ケ月前に事務所が1階から2階へ移転しており、4月に四国遍路から帰って以来の巡礼のため装束と巡礼道具が散逸して見当たりません。移転してからまだ持ち物のポジションが定まっておらず、置いた場所が判りません。

 東寺は今年1月に訪れていますが、高野山は一年ぶりとなり、志賀弘法会との巡礼は行楽一切ご法度の読経三昧のため、上高地やスズメの保護でゆがんでいた精神を入れなおしてきたいと思っています。

和歌山)高野山参詣登山  2016年5月17日

 「電話してみたら」
 「電話では失礼でしょう」
 「皆んな喜ぶと思うよ」
 「そうかなぁ」

 昨日の話ですが、平成13年に初めて四国遍路へ出かけたメンバーが事務所を訪れ、かつての朝日旅行友の会のメンバーで、足腰が悪くなり旅行に行けなくなった人から、「どこかに連れて行って欲しい」と言われていることを話すと、当時のメンバーに電話して誘うように言われ、久しぶりに連絡すると10人の同行者が名乗りだし、私の車ではなくマイクロバスで今月26日に琵琶湖を一周する話が決まりました。

 「主人は車イスが無いと行けないの…」
 「大丈夫です」
 「迷惑でしょう?」
 「車イスを乗せて行きましょう」

 車イスに乗るのは、私の高校時代の恩師で、私は恩師のご夫婦とも一緒に四国を廻っており、かつては元気だったメンバーが外出できない現実は寂しいものの、私が少しでも手助けできれば幸いと思っていばらくは頑張ります。

 そして、「どこかに連れて行って欲しい」と言われていた張本人の参加を確認する前に、20人の同行者が決まったものの、私と一緒に四国へ行った人は50人程度あり、亡くなった人や施設に入所中の人の多さにも驚かされました。悲しいものの高齢者の宿命のようなものです。

 朝日旅行友の会は、昭和63年から旅行の企画をはじめ、観光バスを使用した行程で100ヶ所以上の旅行を行いましたが、私が議員になったために参加者が増え、一度に3台のバスで一緒に行った時に旅の魅力を全く感じなくなり、その後はマイクロバスで少グループの旅を企画するようになり、私自身が好きな四国遍路や上高地にこだわり、ジャンボタクシーを入手したため、マイクロバスの旅行は10年ぶりとなります。

            本日の体重 71、2キロ 徒歩数 3155歩 間食なし
                                      6月17日の一言

気持もナチュラルになりたいものです

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ピンボケですが、タヌキかアライグマです

 「お父さん、お父さん !!
 「なんだ !! 何だ !!

 昨日のことですが、道路の真ん中にタヌキかアライグマが座ってこっちを見ており、車を停めてしばらく眺めてから、カメラを持っていることに気付き、慌てて取り出してズームで拡大させていると動き出し、垣根に入っていく姿しか写せませんでした。

 場所は愛西市(旧立田村)森川の堤防道路で、人を怖がっている様子はなく、この辺りに住みついているように思われ、のどかな自然が当たり前の風景として見えてしまうところは、立田村の魅力と同時に、私の子供時代の風景がよみがえってきました。

 私が生まれた当時の話となりますが、母親の在所のある旧祖父江町から我家まで、自転車で向っていた母親の兄が、旧佐織町の西川端の辺りで、荷台に積んであった食べ物をキツネに盗まれてしまったことがあり、キツネの話はどうかと思いますが、我家周辺でもタヌキが居たと聞いているため、添付した写真から当時の面影を感じてしまいました。

 ただし、私の家の駐車場にも夜にはタヌキが出没し、2年前には屋根裏に住みついたイタチに悩まされていたことから、タヌキやイタチの存在よりも、自然に写った風景に懐かしさを覚えました。

昨年の山岳遭難、過去最多3043人 半数が60歳以上
記事の続き…
 http://www.asahicom.jp/images/asahicom/hand.png遭難者の入山目的は、ハイキングなども含む「登山」が2283人(75・0%)、「山菜・キノコ採り」が391人(12・8%)。スキー場で管理区域外の場所を滑る「スキー」は57人(1・9%)だった。「バックカントリー」と呼ばれるスキー、スノーボードで遭難する人が相次ぎ、今回初めて集計した。
 遭難原因のトップは「道迷い」で、1202人(39・5%)に上った。次いで「滑落」501人(16・5%)、「転倒」467人(15・3%)だった。単独で入山して遭難した人のうち死亡・行方不明に至ったのは17・3%で、7・6%だった複数の場合と比べて高くなっていた。

 昨年1年間に全国の山で遭難したのは3043人で、うち死者・行方不明者は335人に上り、遭難者の約半数、死者・行方不明者の約7割を60歳以上が占めたとの報道には「やっぱり」としか思えません。

 私が学生時代に北アルプスに入った時の荷物は重く、衣類も重ね着で身動きが苦痛でしたが、最近は軽量な防寒具や荷物によって、足が軽く身軽に山歩きに入れるものの、還暦後の体力は確実に衰えており、上高地から岳沢方面へ登っていくと、疲労と酸欠が重なって感覚が鈍感になって、身体が揺れていることが自覚されてきます。

 高齢者の遭難や事故が毎年発信されているのに、一向に減っていかない現実に寂しさを覚えるとともに、このまま老け込んでいきたくない心境もあり、これからオートバイへカムバックする予定もあることから、気になる発信となりました。

             本日の体重 70、8キロ 徒歩数 6268歩 間食あり
                                      6月16日の一言

久しぶりに愛西市と弥富市へ

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津島市の天王川公園を南へ 宮川町


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津島高校(旧制愛知三中) 入り口

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津島自動車学校 佐屋町

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第24代内閣総理大臣 加藤高明の碑 佐屋町(現愛西市)

 愛知県出身の総理大臣としては、平成元年8月から平成3年11月まで総理大臣を務められた海部俊樹元代議士が有名ですが、大正13年6月から大正15年1月まで総理大臣を務められ、総理大臣在任中に亡くなられた第24代首相加藤高明氏も津島市の隣町となる旧佐屋町の出身です。

 添付した記念碑の近くに生誕の地があると記されていますが、現職総理大臣のまま他界されたのが1926年の話ですから、知る人も少なくなっているものの、旧制愛知一中から東大を出て、三菱に入社してイギリスへ渡り、帰国後に三菱財閥の創業者である岩崎弥太郎氏の長女・春路と結婚した地元の偉人でもあります。

 この近くには私の恩師の大邸宅も存在し、私の事務所で教え子に書道の指導をしてもらうため、毎週火曜日に迎えに来ていたものの、亡くなられて10年ほど経過し、子息によって宅地が更地にされて転売されたとの話を聞いてから余計に足が遠くなり、懐かしさを感ずる寂しい通過となりました。

            本日の体重 70、5キロ 徒歩数 13794歩 間食あり
                                      6月15日の一言

一大事です

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久々にビックリしました。

歯を磨いていたら……

歯が折れた??

一大事です。

慌てて歯医者さんに電話して走りました。

あ~あ、また歯が一本なくなってしまいました。

「あ-、良かったですね。歯は折れてないですよ。」

折れたと思っていた歯は、自分の歯ではなく、つめてあったものだったようです。

救われました。

追伸、
あまりにも可哀想な顔のためボカシを入れました。

議会の一般質問が終って

 本日の津島市議会では昨日に続いて一般質問が開催され、私も午後から5番目(昨日から12番目)として登壇して、津島市の生活環境として犬のフンの放置と、野焼きや野外焼却、資源ゴミについて質問し、津島市民の健康診査については、健康診査やがん検診等について質問しました。

 帰宅後に、市民の方から「何故に一度も質問をしない議員が居るのか」と電話があり、その言葉使いから私が批判されているようにも感じたことから、「私ではなく、本人に連絡して下さい」と伝えたものの、個人的には市民に選ばれた議員が質問しないことは職務放棄としか思えず、私は引退するまで議会での一般質問を止めることはありません。

 さて、帰宅後に来客があり、本日は事務所2階で書道会があったことから、自宅に帰ったのは午後9時過ぎになりましたが、パソコンの前に座ってデジタル新聞に目を通すと、東京都の舛添知事の進退問題がワイドショーのように発信されていました。

 過去の一言にも記しましたが、何かと批判の多い議員の政務調査費の悪用でも考えられない税金の個人流用であり、住民の支払った税金の使用については、1円たりとも悪用は許されないことから、国民の税金を家族で浪費しておいて、涙を流してまで続投しようとする舛添知事の真意が判りません。

舛添氏、失職は確実な情勢 リオ五輪後までの猶予求める

舛添氏「都政を混乱させられない」 9月まで猶予求める

都議会、自民のぞく7会派が不信任案提出 自民も提出へ

舛添都知事、辞職を拒否 議長の説得に「応じられない」

 前任者となる猪瀬都知事は、個人的に5千万円の選挙資金を借りていたことが発覚し、相手が徳洲会であったことから、全額を返しても辞任することになりましたが、税金を家族で着服しておいて違法とは言えないとは思えず、ここまで説明ともならない言い訳を続けてはテレビのコメンテーターにも戻れないでしょう。

 「大鹿さんは大丈夫ですか」と、こんな話題が出ると誰かから質問がでますが、津島市議会議員が自分の裁量で使用できる資金は政務調査費だけで、しかも年額15万円と決められ、支出については1円単位で領収書の添付が求められます。

 還暦を過ぎてから、過去の栄光や実績を無にしてしまう失態はみっともないものがあり、舛添さんも67歳になっていることを考えると、若いサラリーマンのように領収書を集めて、家族の遊行費まで税金から経費として食らった汚名は、一生挽回するチャンスがないのかもしれませんね。そんな税金を食らってしまった家族も悲しい存在です。

 明日と明後日は議会の休会日となります。

            本日の体重 70,8キロ 徒歩数 3167歩 間食あり
                                      6月14日の一言

追伸
津島市議会一般質問映像発信 大鹿分です

議会の一般質問により自宅は不在となり

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我家の奥にあるアンズです

 本日の津島市議会は一般質問が開催され、7人の議員が登壇しました。6月議会には13人の議員が質問を通告しており、私は12番目の質問のため、明日の午後に登壇する予定となっています。

 一般質問は、本日と明日の2日間で終り、2日間の休会日をはさんで、週末から厚生病院委員会が開催され、来週に文教建設委員会と総務委員会が開催それますが、議会日程が最終日の30日まで続きます。

原爆で黒こげの少年「兄では」 鑑定で同一人物の可能性
記事の続き…
 http://www.asahicom.jp/images/asahicom/hand.png西川さんによると、兄・谷崎昭治さんは当時、旧制中学1年で爆心地近くに下宿していた。原爆投下前日、父が現在の西海市の自宅に連れて帰ろうとしたが「翌日英語の試験がある」と言って、とどまったという。母は戦後、兄が生前に出したはがきを小銭入れに収め、肌身離さず持っていた。鑑定結果が出て、西川さんは「写真を持って、お墓で両親と会わせてきました」と話した。
 深堀さんは「一般の社会ではあり得ない写真。とてつもない熱線で照射され、水分が蒸発し、一瞬のうちに命が奪われたと思う」と原爆の悲惨さを訴えた。

 長崎市に原爆が投下された時に犠牲となった少年の家族と思われる姉妹が名乗り出たとの新聞報道ですが、我家の伯父も同じ年に沖縄戦で戦死しているものの、伯父を知る人々が近所や町内には既に存在せず、親族でも唯一弟となる叔父が知るのみとなっている現状を考えるときに奇跡のような発信です。

 現実には、法医学の専門家に生前の家族写真との鑑定を依頼し、輪郭が一致しているなど「同一人物の可能性がある」との結果が出ただけですが、私の伯父については探す親族も存在せず、探されることなく土になっていると思われます。

 日本人の平均寿命が男性80、50歳、女性86、83歳になっていますが、昭和20年に生まれた人々が今年71歳になっていることを考えると、戦前の話題そのものが高齢者の昔話でしかなく、昭和30年代が思い出せない我が身を考えると戦前を美化しようとする人が存在しても不思議ではありませんね。

 さて、今週末は1泊で高野山へ同行する約束があり、月末には10年ぶりにマイクロバスを借りて朝日旅行友の会の日帰り旅行を予定していますが、自分自身の四国遍路は勿論ですが、今年4月から登録された上高地のボランティアにもしばらくは出かけられません。

            本日の体重 70、4キロ 徒歩数 4480歩 間食あり
                                     6月13日の一言

茜合同展に書を出展して

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 津島市で芸術の交流拠点となっていた画廊喫茶「茜屋」は、3年前の2月に40年の歴史に幕を閉じて閉店となりましたが、ここを舞台に活躍されていた地域の芸術家による『茜合同展』が、本日まで3日間にわたって津島市児童科学館で開催されていました。

 かつては、毎週店内で入れ替わりに作品が展示され、百人を超える芸術家が一年に一度の合同展に出展されておりましたが、多くの作家が鬼籍に入られ、書を出展していた私の恩師も亡くなられたため、それまで上高地の写真展をしていた私も、マスターの「へたくそだから」の一言で、書道作品も出展するようになりました。

 私は過去に「神守丈友会」の仲間と一緒に3回の書道展を開催し、上高地の写真展を2回開催しており、店の閉店がなければ閉店後の4月にに3回目の写真展を開催する予定となっていましたが、用意した作品だけを残して開催は未定となりました。

 しかし、「茜屋」を通じて旧交を温めておられた方々の熱意で、毎年合同展が開催され、来年も開催が決まっており、全員が健康を維持して新たな作品を仕上げて出展したいものですね。



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『世譽不足慕、唯仁為紀綱』 世間での誉れというものは追い求める価値などなく、仁をこそ基準としよう。  

『座右銘』 崔子玉(中国後漢の人)

【原文】

無道人之短、無說己之長                           

施人慎勿念、受施慎勿忘                            

世譽不足慕、唯仁為紀綱                            

隱心而後動、謗議庸何傷                           

無使名過實、守愚聖所臧                            

在涅貴不淄、曖曖内含光                            

柔弱生之徒、老氏誡剛彊                           

行行鄙夫志、悠悠故難量                           

言節飲食、知足勝不祥                            

行之苟有恆、久久自芬芳

【訳】

○人の短所を言わず、自分の長所も言わないでおこう。

○人に物品を与えたことは気に掛けず、与えられたことは注意して忘れないようにしよう。

○世間での誉れというものは追い求める価値などなく、仁をこそ基準としよう。

○考え抜いてから行動に移せば、誹謗など何時も気にすることもなかろう。

○評判が実際を上まわらないようにしよう、愚直であろうとするのは聖人が良しとしたことであるから。

○どす黒い環境にあっても、それに染まらないようにしよう、(それでいて)外見は暗愚のようにして明哲さを保持しておこう。

○なよなよしたさまが生きているものの姿であり、かたくななさまは老子が誡めたもの。

○かたくなな何も分からない人の志は、遠い先のはかりしれない(禍の)種である。

○言葉遣いに注意し飲食を節制しよう、ほどほどの満足に心掛けていれば、良からぬ事にも合わないだろう。

○行いに(このような)基準があれば、末々うまくいくだろう。

 私は毎年「般若心経」の写経を出展してきたものの、今年は私の好きな崔子玉(中国後漢の人)の『座右の銘』から、「世譽不足慕、唯仁為紀綱」を記して出展しました。
 茜屋では2回の写真展(上高地)を開催し、高校野球の写真展も数回開催した写真については、フイルムのカメラにこだわっていたため、デジタルカメラの普及とともに撮影することも無くなり、今では一眼レフを手にすることも無くなりました。

 書道については、平成6年の秋から、中学時代の教頭であった恩師に、講師料無料で指導をお願いした「神守丈友会」を毎週火曜日に開催してきましたが、年数だけ経過しても上達しておらず、更なる精進をして会場で恥ずかしい想いを払拭していきたいと思います。

            本日の体重 71、3キロ 徒歩数 4238歩 間食あり
                                     6月12日の一言

花のようにありたいですね

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裏庭の隣との境に咲くアジサイ

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庭の真ん中に咲く先祖伝来のアジサイ

 今年は異常気象と言われていますが、我家の庭でも例年より早くブルーベリーの実が実っている反面で、未だにサツキの花が咲いており、ボランティアや三男の起業で庭の様子は落ちてくるアンズの実しか目に映らなかったものの、庭の陰ではアジサイの花も咲いていました。

「死んでも死にきれない」 舛添知事、続投を力説

「富山市議が女性記者に暴行」北日本新聞社が被害届

 若い時には考えられないような醜態に、還暦を過ぎた我が身を重ねてしまいますが、違法かどうかは別としても、舛添知事は国の税金を流用しているだけに適法とは言えるはずがなく、「名前は言えない」とする相手は、存在しない可能性を否定できなければ偽証としか思えません。

 まるで若いサラリーマンと同じで、「会社の経費で落とすから」と言って、見栄を張って飲食代を支払った知人が、「経費として認められなかった」と悲鳴をあげていた若かりし頃を思い出させます。
 自分のお金を何に使おうと勝手で、領収書も必要としないことから、領収書にこだわる舛添知事は自分のお金を使う人生を送ってこなかったのでしょう。

 地方でも議員の醜聞は続き、68歳の自民党市議が取材中の30代女性記者を押し倒して取材メモを取り上げるという事件が発信されており、家に帰れば孫が居るような年齢になっての愚行だけに恥ずかしいものがあります。
 これもお金が絡んでおり、審議中である議員報酬を10万円上げて月額70万円に増やす条例改正案への賛否を、別の市議数人に取材していた記者への暴行だけに嫌らしい光景が浮かんできます。

            本日の体重 71、0キロ 徒歩数 2574歩 間食あり
                                      6月11日の一言

自宅の電話が10日間も不通になっていたものの

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我家のアンズで作ったジャムです

 我家の自宅の電話が通話できない状態になっており、前日の午後4時頃からNTT西日本に連絡を入れていたものの、「ただいま、受付が大変混雑しています。 … またおかけ直してください」のテープが流れるばかりで、本日の午前中もこの繰り返しでした。

 さすがに昼近くなってきたため、相談窓口に連絡して、故障担当の担当者から連絡が入るようにしてもらったところ、午後2時に2人の技術者が来てくれ、屋内で不調になっていた配線を直してくれました。

 我家には3本の電話がありますが、先月末に三男の接骨院開院のため、1本の電話の端子を分離移設してもらったことが原因の故障ですが、一番の問題点は私の電話の転送による料金が高くなるため、無料で転送するソフトバンクに代えていたことで、故障に直接対応できないソフトバンクゆえの不都合でした。

 自宅と接骨院の電話はNTTですが、私の事務所関係はソフトバンクのため、事務所が2階に移転した後も、私の電話は接骨院の棚の下に親機を置き、事務所に子機を置いて対応してきましたが、本日訪れたNTT職員に依頼して端子を移動してもらいました。

 自宅の電話は10日間に渡って不通になっており、そのこと事体も知人に口頭で指摘されるまで判らず、現実には私の事務所と息子の接骨院の電話だけで事足り、自宅の電話は無くしてもいいのかも知れませんが…
 我家も子供に代代わりしていく中で、電話番号などの整理も必要になってきたと思われます。

さて、…

 『テレビ東京の人気番組「世界ナゼそこに?日本人」で、世界平和統一家庭連合(旧・世界基督教統一神霊協会=統一教会)の信者が不適切な形で多数回にわたり出演しているなどとして、全国霊感商法対策弁護士連絡会が先月、同局に事実関係や出演の経緯などについて回答するよう申し入れた』と報道されている。

テレ東番組「旧統一教会信者が多数回出演」 弁護士指摘

 テレビの視聴者にとっては、対象(出演)者がどんな宗教に信心していたとしても、その信教を普及させたり強要しない場合には関係がなく、弁護士が訴えたことで統一教会の元信者と判った次第であり、出演者の内容も判らずに的外れになるかもしれませんが、信ずる宗教団体に属するだけで批判されることには違和感を覚えます。

 私の、かつての一言で、朝日新聞社の編集委員を務められた大鹿八郎さんについて記した一文を読んで、連絡を入れていただいた実兄の大鹿譲さん(大阪工大名誉教授)との会話を記したところ、氏が統一教会の信者として、私まで批判するコメントを貰ったことがありました。

 全く理不尽なコメントでしたが、私がこの一言で元オウム真理教の上祐史浩氏の最近の修行する行動を評した際にも、私まで犯罪集団を庇護すると批判されたことがありましたが、心理を求めて修行する姿まで否定することが理解できません。

            本日の体重 69、8キロ 徒歩数 7004歩 間食あり
                                      6月10日の一言

明後日から茜合同展が開催されることから

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    葉手那窯 まんまる工房 
 
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 茜合同展 28
             平成28年6月10日(金) ~12日(日) 9:00 ~ 17:00 (12日は15:30まで)
 津島市児童科学館・2階ホール 津島市南新開町2-74 0567-24-8743 (駐車場完備)
 
 「明日は忙しいんじゃないかな?」
 「そうなるかも知れません」
 「忙しいなら預かるよ」
 「明日の何時でしたか?」

 津島市の芸術文化の中心となっていた画廊喫茶『茜屋』に集っていた作家44人による「茜合同展」が、今週金曜日の10日から12日(日)までの3日間、津島東公園内にある児童科学館で開催されます。

 明日の1時から会場の設営と、展示される作品の納入となっていますが、主宰するマスターから連絡が入り、議会中の私が忙しいと心配していただき、添付した愛西市の「まんまる工房」で私の出展する「書」を預かってもらえる話となりました。

 さて、安部政権が、来年予定されていた消費税の増税を先延ばしを発表した直後の6月2日のこの一言に、「不景気な世の中ゆえに、前回の消費増税の際に次回の増税まで値上げしないと据え置いた中小の商店主は、今回の増税先送り発表に悲鳴をあげています。」と記しましたが、名古屋市では大手の名鉄タクシーが値上げの申請を行いました。
 
 名古屋市の大手タクシー業者である「名鉄タクシー」が、タクシー料金の値上げを中部運輸局に申請し、名古屋の大手「つばめタクシー」も値上げの申請を進めていることから、来年2月から値上げが実施される可能性が高くなりました。

名古屋のタクシー、値上げ申請相次ぐ 来年2月にも
記事の続き…
 http://www.asahicom.jp/images/asahicom/hand.png対象17市町村のタクシーは個人を除き約6千台。値上げを8月5日までに申請した会社の保有台数がこの7割を超えれば中部運輸局は審査に入る。不当な利益につながらない限り認め、個人も含めて適用する。
 つばめグループと名タクHDだけで地域の4割近くを占め、タクシーチケットで提携している会社の台数を含めると6割超。値上げ申請に前向きな社はほかにもあるとされ、7割を超える可能性が高まっている。
 東京23区とその近郊では名古屋に近い内容の申請がすでに「7割超」からあり、来年1月ごろ認められる見通しとなっている。
 
 私はここに、「中小の商店主が悲鳴を…」と記しましたが、名古屋では大手タクシー2社が値上げを申請していくことから、来年に予定されていた消費増税にあわせて値上げを我慢していた企業の値上げが続いていく可能性も否めません。

 実は、前回5パーセントから3パーセントの消費税の増税が行われた際に、個人経営の「おおしか福祉タクシー」にも、運輸局より料金値上げ申請の問い合わせがありましたが、次の増税が決まっているため、今回は消費税分も値上げしない旨を伝えたものの、政権の公約違反と身勝手な先送りは企業の台所を揺るがす可能性もあります。

 安部政権には、中小の下請け企業や、個人の商店主や経営主の現状は理解されておらず、全てが自分の思いのままになると勘違いされているのかもしれませんね。

            本日の体重 70、5キロ 徒歩数 3785歩 間食あり
                                      6月8日の一言
 

平和に見える街角の裏側で

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拡幅されて広々とした蛭間小学校周辺

愛知県道518号蜂須賀(はちすか)白浜線は、かつて青塚永和線と言われましたが、あま市蜂須賀と津島市白浜町を結ぶ県道です。

 車社会となり、歩道の無い狭い道路はどんどん拡幅されていきますが、添付した道路の左側にも、かつては肉屋さんや、米屋さん、薬屋さんが営業しており、道路拡幅だけが原因ではないもののスーパーも姿を消していきました。

 「狭い道を何とかして欲しい」とか、「歩道の設置を」などと言った希望が議員には寄せられてきますが、道路の拡幅や歩道の設置については、その道路沿いに住んでいる人々にとっては先祖伝来の土地を削られたり、立ち退きによって住み慣れた家から引っ越している現実を考えると安易には代弁もできません。

 我家の前には、名古屋市の中心となる栄や名古屋駅の笹島交差点と津島市を結ぶ県道が走っていますが、私の小学校時代に開通した道路で、子供の頃に遊んだ裏庭が道路の下敷きになり、我家の前で2人の住民が交通事故で命を落とし、我家のネコたちも次々と犠牲になっており、20年前から捨てネコや迷いネコが入ってくる以外はネコは飼わないことにしました。

 ネコを飼わないと決めた我家ですが、平成5年に迷いネコが入ってきて、末期ガンで余命を告げられていた父親に抱かれていたことから飼うことになり、このネコは7年ほど経ってから車に轢かれ、その後に入ってきたネコも家内に可愛がられていたものの、家の前で車に当てられて死にました。
 もっとも、最近は我家の倉庫に勝手にネコが住みついています。

震災で多数の迷い犬、「不明届」と照合 帰り待つ飼い主

被災ペット預かります 大分・九重に施設オープン

 さて、最近ではペットの存在が大きくなり、人間の家族と同じように家族の一員として認識されるようになり、自然災害の被災地でも被災したペットが保護されるようになっており、ペット同伴で買物ができるショッピングセンターも増えてきました。

 ペットが家族として人間のように大切にされるようになった反面で、人の命が簡単に奪われたり虐待される現実に矛盾を感じますが、ペットを飼えない住環境を改善していくことによって、小さな命を大切にする世の中にしたいものですね。

            本日の体重 70、8キロ 徒歩数 4359歩 間食あり
                                        6月6日の一言

開業から慌ただしい一週間が過ぎて

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 一週間前の土曜日から三男の接骨院の内覧会が始まり、引き続き1日から開院したため、我家の車は近所の知人の土地に置かれていましたが、本日は午前中で施術が終了して久々に我家に戻ってきました。

 これからは来院する人々のための駐車場となり、我家の車は夜間と、土曜日の午後と、日曜日と祭日にのみ戻ってくることになります。

 当初の予定では、右側の樹木は全て切り倒して、少しでも駐車スペースを確保することと、看板を目だ立たたせたいと希望されていましたが、それぞれに頂いた人や先祖から引き継いだ歴史があることから、私の粘りでそのまま残ることになりました。

 一年後に、奥に茂る樹木を移植して駐車スペースを増やしますが、我家の車を停めるため水田を埋め立てて、畑として転用するとともに、駐車スペースも確保するため既に業者の重機が置かれて埋め立てが始まっています。

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本日家族で訪れた近所(隣)のラーメン店です

 開業(院)して一週間ですが、お客さんを待つ仕事は人が来てくれないことには成り立たないため、子供の仕事とは言え、2階に追いやられた事務所で待機して、私の知人や関係者が来院した際にはお茶を用意して応対していますが、残した木々の存在が客足に影響していると言われるのは耐え難いものがあります。

 私が23年間営業した新聞販売店と、廃業後に転じた議員活動17年間の知り合いや縁者を全力で訪問すれば、残した木々のハンディも克服できるとは思いますが、仕事に政治を持ち込まれたくない息子の気持と、人の身体の良し悪しに関わる仕事ゆえに、三男の施術の腕と成果に期待するしかありません。

 我家から30メートル隣に、上に添付したラーメン店がありますが、元々は日本人経営者によって繁盛していたお店で、最近は店主が次々と代わり、中国人の経営者が日本人より頑張って味も良いものの、看板は目立っていても店についた負のイメージを払拭するのは大変と思われます。

 接骨院に来院する人について、息子は否定したいと思いますが、繁盛するまで毎日行かないといけないと言って通ってくる私の知人や、私の父親の縁で私と関係が続く知人など、我家がこの地に存在したことの恩恵が確実に実感され、見て見ぬふりをしながら親バカで繁盛を見守っていくこととなります。

            本日の体重 71、0キロ 徒歩数 6345歩 間食あり
                                      6月4日の一言

我家のヒーちゃんと、名古屋出身のサブローです

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手前がヒーちゃんです
                    奥は家内の指とサブローです

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「サブロー君は行かなくて良いの?」…家内
                  「おとうちゃん」…手前のヒーの代弁

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「2人で何してるんだい」…サブロー
「…」 ヒー

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ヒー(手前)とサブローのツーショット

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ヒーの上に乗ってでも付いてきます
                     「迷惑なヤツだなぁ…」 ヒーの代弁

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 サブローはヒーより遅く生まれて小さいものの、鳴き声も大きく身体も力強く、私とヒーのツーショットに割り込んで、エサをヒーに与えていると、跳躍して食べにきます。
 ヒーは添付した写真でも判るように足の指に障がいがありますが、私の声がすると私を呼んで跳び、手の平に置いておくとおとなしくしており、最近は羽ばたきして少しは飛べるようになっており、完全に私をお父さんと認識している様子です。

 保護した経緯が違うため、エサの好みも違いましたが、最近になり食欲旺盛なサブローは何でも食べるようになりました。まもなくエサが統一できそうです。
 「一緒に入れてあげたら」と、ピーの鳥カゴをヒーに用意した私へ家内が言いますが、知人から預かった2羽のヒナを観察していると、生きたミルワームを与えても全部1羽が食べてしまい、2羽の体力差が出てきたことから、栄養不足で羽の成長が遅く、エサの咀嚼力が低いヒーのためには別々の鳥カゴになりそうです。

                                       6月2日

熟したアンズと愛雀に囲まれて

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 我家の名物ともなっている「アンズ」が熟して、次々と下の歩道や駐車場に落下しはじめ、今年は三男の接骨院が開業しているため、歩行者や自転車に踏まれると見苦しいため、こまめに拾い集めています。

 毎年の恒例行事となり、拾い集めたアンズの実は、家内がナベに入れて煮込み、大量のアンズジャムに生まれかわりますが、焦げないように混ぜ続けるのが大変で、毎年手が痛くなると悲鳴をあげるものの、今年は三男の接骨院があるので治療には都合がよくなりました。

 幸いなことに、接骨院を訪れた患者さんが「アンズを欲しい」と貰っていただけるので楽ができそうですが、それでも既に大量のジャムを入れるガラス瓶をホームセンターで購入してきました。

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 さて、昨年10月末に逝ったピーちゃんと同じ屋根の巣から落ち、同じ庭の場所で先月26日に保護した「ヒー」ですが、口の咀嚼が不得意なことから栄養不足となり、身体全体が弱く、両足にも障がいが残っているようですが、何とか飛べるような状態にはなってきたことから、ピーの兄弟か、オイかメイにあたる可能性が高いため、誰にも使わないと決めていたピーの遺品となる鳥カゴと巣や道具をそのまま使うことに決めました。

 少しでも永く生きて欲しいものですが、ピーと同じように、私の声がすると鳴き、私の手の平の中ではおとなしくしており、ピーの再来とはいきませんが、とりあえず今年の冬を超えて、ピーの生きた年月を更新させたいと思っています。

※我家で保護したヒーちゃんと、名古屋市から持ち込まれた「サブロー」の写真をファン限定で添付しました。
                  http://blogs.yahoo.co.jp/s281218/49326695.html

消費税、8%のままなら? 財政の推計プログラムを公開

違法民泊許しまへん 京都市、苦情相次ぎ通報窓口開設へ

 安部政権の場当たり的な経済政策や、軽率な発言によって、国内の市民生活に大きな影響が出ており、不景気な世の中ゆえに、前回の消費増税の際に次回の増税まで値上げしないと据え置いた中小の商店主は、今回の増税先送り発表に悲鳴をあげています。

 オリンピックを控えて、大量の外国人観光客の宿泊施設を確保する「民泊」や、自家用車に乗りあう「ライドシェア」など、国のトップが安易に発言したことにより、生活環境や安全面での対策が伴いません。

             本日の体重 69、9キロ 徒歩数 6206歩 間食あり
                                       6月2日の一言

息子の接骨院が本日開院して

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 息子(三男)の接骨院が本日開院し、私は18番目の患者として「NO18」の診察券を発行してもらいました。
 
 地元の人々に愛され、人のお役にたつ接骨院として頑張ってもらいたいものですが、私は「お客さんを待つ商売」は性格的に向いておらず、大学時代のアルバイトは旅行会社の添乗員と観光バスの車掌で、大学時代に新聞販売店を起業し、議員になってからもボランティアの福祉有償運送と、福祉タクシーを開業しましたが、外に出て行く仕事しか眼中になく、息子の開院前の4日間の内覧会を眺めていると、お客さんに来ていただく仕事は大変であることを実感させられました。

 限られた新聞記事だけを頼りに記すことは問題がありますが、交通事故の新聞報道では、事故の原因や内容に関わらず、事故の相手が死亡すると、運転手は容疑者とされ、自動車運転死傷処罰法違反(過失運転致傷)や過失運転致死傷疑いで現行犯逮捕されており、時には事故の巻き添えとなった運転手が加害者として犯人扱いを受けていることもあります。
 
車とトラックが衝突 2人死亡、1人重傷 愛知・一宮
 
 本日未明に愛知県一宮市で発生した事故では、『現場は信号のある交差点。乗用車が右折する際に前から直進してきたトラックと衝突した』と報道されていますが、右折した乗用車が矢印信号で右折しておれば、直進してきたトラックが悪いものの、記事だけで判断して、お互いが青信号で、乗用車が対向車を確認せず無理に右折しておれば、逮捕されたトラック運転手は、車が乗用車であれば被害者となって死亡していた可能性も否めません。

 交通事故の賠償責任を廻って、交差点での過失割合で双方が妥協できないケースも多いものの、信号無視と一時停止違反による交差点事故は、信号無視や停止違反がなければ事故にならないことから、残酷ですが違反者の全面的賠償にすべきで、今回の事故でも容疑者とは言うものの、加害者として一方的に犯人扱いされていることに疑問を感じずにはおれません。

 私の知人の話となりますが、信号無視の車と出会い頭で衝突して、相手が信号無視を認めず知人が信号無視をしたと主張し、首が痛いと訴えたため人身事故となり、警察によって目撃情報を求める看板は立てられたものの、証言者は現れずに信号無視をした相手が被害者となり知人は加害者になってしまったことがありました。

 私の車にも、隣の車のドアによって付いたと思われる傷と、自宅の駐車場に停めておいて、隣の貸店舗に入ってきた車にバンパーを傷つけられており、いずれも当て逃げされていますが、車によるトラブルが世の中を殺伐とさせているのかも知れません。

            本日の体重 70、3キロ 徒歩数 7664歩 間食あり
                                      6月1日の一言

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  • ようこそ 大鹿一八の納経所へ
  • ようこそ 大鹿一八の納経所へ
  • 令和6年 上高地開山式の様子です
  • 三重県桑名市大福田寺の聖天祭へ
  • 毎年恒例となった我家のアンズジャム作りへ
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  • 我家のきゅうりとプランターのイチゴです
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