大鹿一八「本日の一言」

平成16年2月から令和1年7月末までの「本日の一言」です。ヤフーブログ閉鎖により、ライブドアへ過去の記録として引っ越しました。

2016年08月

画伯のテレビ出演の録画を依頼されて

イメージ 1

イメージ 2
葉苅町から千引橋(旧佐織町)方面

イメージ 3

イメージ 4
宇治町の横断歩道橋から

 8月の最終日となり、明日から9月がスタートしますが、今まで感動的に眺めてきた夕暮れも、夏の終りというか、秋を迎える日の入りは感傷的であり、一年の3分の2が終ってしまったことにも寂しさを実感させられます。

 台風が去り、これからもしばらくは猛暑が続くと言われているものの、夜間や早朝は涼しい日々が続き、夕暮れの雲も夏から秋色に変化しており、私のホームグランドと化した上高地も、あと2ヶ月半で閉山を迎えます。

イメージ 5 本日は久々に上高地のホームレス画伯こと、渡辺勝夫さんから連絡が入り、今週末の土曜日に放映される東海地区の中京テレビ「ゴリ夢中」に画伯が映るため、番組を録画して欲しいとの依頼がありました。

 4月から10月まで上高地でテント生活をおくり、河童橋のたもとで油絵を描く名物画伯ゆえに、これまでにも新聞やテレビには登場しているものの、一緒に酒を酌み交わし、隣にテントを張って家族ぐるみ(写真中央・相棒リマも懐いています)で交流している知人のテレビ出演はうれしいものがあります。

中京テレビ「ゴリ夢中」 9月3日(土) 11時45分~12時まで放送

次回(9月)の放送は、平湯~上高地~乗鞍~松本へ
まだまだ暑い日が続きますが
涼しげな高原の映像をお届けしたいと思っています。

 もっとも、我家には録画する機器がありませんから、万が一の録画ミスも考えて、娘と妹に連絡して録画を依頼しましたが、画伯も77歳になっていることから、こんな場面も貴重な思い出と記録になっていくとともに、知り合ってあっという間に年数を重ねてきたことを実感すると、何でも寂しいテーマにつなげてしまう私の反省も必要です。

 本日は久々に一万歩を越えるウォーキングを行いましたが、猛暑から涼しい気候になっていくことから、歩くには都合がよくなるものの、息子からアスファルト上のウォーキングは控えるように言われており、歩く方法も考えたいと思います。

           本日の体重 70、6キロ 徒歩数 10802歩 間食あり
                                      8月31日の一言

9月議会 私の一般質問です

イメージ 1
本日午後2時42分 市役所から市内南方の空模様

イメージ 2
午後3時過ぎの津島駅

イメージ 3
午後6時4分 まぶしい夕陽が差しました

 台風に直撃された地域の人々は大変な事態になっていると思われますが、愛知県では雨による被害もほとんどなく、午後から青空が広がり、夕方にはまぶしいような黄金の陽射しが街を輝かせました。

増えるシニア留学 80歳過ぎてリピーターになる人も
記事の続き…
http://www.asahicom.jp/images/asahicom/hand.png世界各国で語学学校を展開する「イー・エフ・エデュケーション・ファースト・ジャパン(EF)」(本部・東京)は昨年、50歳以上を対象にした留学説明会を始めた。ハワイやマルタなど、観光もできる島などが人気だ。学校はビーチや繁華街の近くにあり、自由時間には海水浴も楽しめる。
 EFのシニア向け留学の期間は2週間~3カ月が一般的。利用者の年代は60代が最多で、大半が退職後に単身か夫婦で留学するケースだという。昨年4月~今年4月には、80歳以上の人も3人が単身で留学した。社会人留学担当の鈴木将人さんは「訪日外国人の急増や20年東京五輪の影響もあり、英語を学びたい中高年層が増えた。特に団塊の世代は活動的で経済力もある。シニア留学には今後、力を入れていく」と話す。
 旅行業界も動き出した。JTBガイアレック(本社・東京)では、13~15年の各年、50歳以上向けの留学利用者が前年比で2~3割伸びた。「時間的、経済的な余裕ができ、若い頃からの夢だった留学をしてみたい人が多い」と担当者。世界各国の50歳以上と一緒に学べるコースのほか、「英語でガーデニング」「イタリア語を使ってワイナリー見学」などのコースもある。滞在先も様々な希望に応えるため、ホームステイや寮、ホテルなどの中から選択できるという。
 62歳の時から計5回、ロンドンなどに短期留学した横浜市の本田正尚さん(69)は「英語をものにしたい。脳を活性化させて、認知症にならないようにしたい」と話す。
■86歳「どう見られるか気にしていたら人生終わっちゃう」
 東京都の河野寿子(こうのとしこ)さん(86)は、80歳を過ぎてから留学に目覚めた。英語が「敵国語」だった戦時中に青春時代を過ごしたが、20年ほど前のフランス旅行をきっかけに、英語を学びたくなったという。夜中にホテル到着後、タクシーに忘れ物をしたことに気付いたが、フロントに相談しても日本語が通じない。英語の必要性を痛感し、帰国後に英会話学校に通い始めた。
 初めての留学は10年。英会話学校の英国人講師がオーストラリアに引っ越した縁で、同国の語学学校へ。約2カ月間、様々な国籍、年齢の生徒と一緒に学んだ。以後は毎年のように米国や英国に2~3カ月ずつ行く。「もっと長く行きたいけど、医者が高血圧の薬を3カ月分しか出してくれないの」とぼやく。
 どこへ行っても最年長。だから「いつも有名人」だ。意気投合した20代のドイツ人女性の「メル友」もできた。放課後は買い物や博物館めぐり。「英語でコミュニケーションが取れるのは本当に面白い。顔が違っても心は通じるから」
 河野さんは今年に入り、体験をシニア留学希望者に語り始めた。EFが都内で開いた説明会では、「年を取ったからできないということはない。『いい年して』と言われるけど、どう見られるかを気にしていたら人生終わっちゃいますよ」と呼びかけた。
 留学にはまったのは、日々の生活を退屈だと感じ始めたからだとも思う。同世代と話しても、昔話か孫の自慢話が多い。そんななか、「自分が何をするかが大事」と思うようになったという。
 熱は冷めそうにない。河野さんは7月、3カ月間の留学のため米シアトルに旅立った。空き時間に趣味のテニスをしようと、ラケットと靴も持参した。「勢いのあるうちにしたいことをしたい。大切なのは昔ではなくて、今でしょ」

 還暦を過ぎ、体調維持に苦労するようになり、周りの訃報で自分の寿命を考えるようになっている私には信じられないような報道ですが、海外留学をするシニア層が増加し、80歳を過ぎてからリピーターになる人もあるとの発信に驚きの一言です。

 本日は昨日から開会した9月議会で、私の質問する一般質問の内容を通告し、答弁する担当部署の職員と内容を確認しあい、夕方に市役所をあとにしました。

 9月議会 私の一般質問


1 件名 公共交通機関の現状と対策について
  要旨 ・名鉄電車のダイヤと便数、利用者数について
     ・名鉄バスのダイヤと便数、利用者数について
     ・巡回バスと路線バスの連携について
2 件名 名鉄津島駅および駅周辺の整備について
  要旨 ・駅や鉄道高架部分の耐震工事に関して
     ・駅東側の開発や整備計画について
     ・駅周辺の施設や店舗等について


 一般質問は、来週の5日から3日間の予定で開催され、今議会には14名の議員が質問を通告しています。

            本日の体重 71、9キロ 徒歩数 3307歩 間食あり
                                     8月30日の一言

イジメによる自殺が繰り返されて

イメージ 1
週刊漫画ゴラクに連載されている にゃん組長

杉作のホームページ杉作村  http://sugisakumura.web.fc2.com/

 見るからに人相の悪い暴力団の組長が、捨てられた子猫を見てしまったことから、組員に内緒で自宅で可愛がるようになり、その関係は組長が子猫の子分のようになっており、子猫を可愛がる姿を組員に見られないようにしている組長に魅力を感ずる漫画です。

「いじめがなければもっと生きていた」中1男子記す
記事の続き…
http://www.asahicom.jp/images/asahicom/hand.png母親によると、メモには学校でいじめに遭っていることなどが書かれ、「じさつ」と大きな文字で記した部分もあった。生徒は今年6月、担任との面談で特定の同級生と席が近いことを「嫌だ」と訴えていたが、残されたメモにも、いじめに関わった人物として同級生の名前を挙げていた。
 母親は28日、取材に対し「(苦しんでいるのを)わかっていたのに(自殺を)止められなかった」と話した。生徒が亡くなる前に「死にたい」と漏らしたのを聞き、学校にその旨を伝えていたという。

 青森でいじめを苦にして中学1年生の男子生徒が自殺したとの発信ですが、「いじめがなければもっと生きていたのにね、ざんねん」などと書いたメモを残していたことが記されています。

 繰り返される生徒の自殺で、結果論にしかなりませんが、6月に母親から「授業中に椅子を蹴られるなどの嫌がらせを受けている」と生徒の担任に相談があったことと、自殺する直前にも「死にたい」ともらしているのを母親が学校に伝えていた事実を考えると、真剣に考えて対応していれば死なせることはなかったように思います。

 イジメは何処にでもあり、中学時代の私に対して「何をされるかわからなかった」と、いじめっ子のように思われていたことを、大人になってPTA役員になってから聞かされた同級生の女性もありましたが、私自身も中学校の1年生から2年生まで、担任からイジメのような対応を受けており、学校が嫌でしようがありませんでした。

 我家は父親から、「やられたら、やりかえすまで帰ってくるな」という教育を受けており、イジメられるよりイジメる側だったかもしれませんが、担任の教師から受けた苦痛は学校嫌いと、非行の芽が芽生えました。これは3年生になって担任が変わったため収束したものの、その頃には不良のレッテルがはられていました。

 そして、中学時代に足の負傷で入院し、高校受験に間に合ったものの、病気の再発で高校の落第を経験し、不良少年として仲間と遊びまわり、2度の落第に至っては退学の危機に陥っていきました。

 そんな私でも、目をかけて指導してくれる恩師に出会い、成人式を過ぎてから高校を卒業し、恩師から大学進学を熱心に勧められ、学生時代に朝日新聞社からスカウトされ、学生結婚や起業で親には心配をかけたものの、まともな生活になっていきました。

 何年経っても完治しない骨髄炎と、2度の落第によって、元々が不良だった私の生活はどん底になり、やり直すことは大変だったものの、今となっては貴重な体験と経験になって活かされ、社会人になってから高校の恩師たちから、非行に走ったり退学の危機にある生徒の相談を受けたり、複数の高校退学者を復学させました。

 私が居なかったら高校を卒業できなかったという者や、未だに「大鹿先生」と言ってくれる者が存在し、私が苦しんだ高校生活が、卒業後の後輩たちや、私が雇用していたアルバイトの苦境時に役立ちました。

 そういう私も、非行に走って2度も落第した不良を相手にしてくれた恩師が存在し、高校を辞めないように繰り返し言い続けた中学時代の恩師が存在したことを考えると、イジメによって命まで失ってしまう自殺が繰り返されることが残念でなりません。

            本日の体重 72、1キロ 徒歩数 2741歩 間食なし
                                      8月29日の一言

不摂生と暴食のツケが体重に

イメージ 1
我家の柚子(ゆず)です 

 昨日の和歌山行きは、最近の体調不良を払拭するため、家内と温泉に入ってゆっくりと出かける予定でしたが、娘と孫からの電話で「伊吹山のご来光」となり、雨のため和歌山電鉄の貴志駅に目的地が変わり、高野山こそ行かなかったものの、西国巡礼の粉河寺と九度山の慈尊院に立ち寄っていました。


 本来は上高地のボランティアに参加する予定でしたが、体調不良のため参加をやめて目的地を変えたものの、結果的にゆっくりどころか上高地より遠い和歌山に行き、白衣に着替えて「お遍路さん」に姿を変えていました。

 静養どころか、徹夜の遠出は体調の限界となり、昨晩帰宅するとそのまま眠ってしまい、ブログ更新の途中で意識は途絶え、知人からの携帯電話の呼び出し音で目覚めると本日の午前10時22分になっていました。

 これまで何度も徹夜での旅立ちを経験しており、今年4月の四国遍路も夜行で出発していますが、今月に入って体調不良もあってか、夜行の旅立ちは大きな苦痛も感ずるようになり、今回も大きなダメージを実感して帰宅しました。

 「こんなの辛いだけだわ」
 「仕方がないだろう」
 「お父さんが決めたんでしょう」
 「○○(孫)と○○(娘)の希望だから…
 「じゃー、白衣や朱印帳は勝手に持ってきたの」

 何処に行くか決めてはなかったものの、私は自分が納得しない場所は絶対に行かないことから、娘たちが万が一を考えて持参したものの、予定の3倍も遠い目的地を決めたのは私だけに、自業自得の結末ですが、この一言にも記しているものの、本当に年齢を考えた無理のない行程が必要になってきました。

 旅に出かけると、朝のサービスエリアや道の駅には、仮眠から目覚めた高齢の運転手が洗顔と歯磨きに向う姿を見かけますが、時には大丈夫かと見直す人も存在し、居眠りでもすれば大変な事態をまねくことから私自身も気をつけたいと思います。

            本日の体重 72、4キロ 徒歩数 2204歩 間食なし
                                     8月28日の一言

西国第3番粉河寺と慈尊院へ

イメージ 1
粉河寺本堂



西国三十三観音 第3番粉河寺 http://www.saikoku33.gr.jp/place/3
イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

書き込み中

和歌山まで足を延ばして

イメージ 1
「我家の旅の主役はボクだったんだぞ」  助手席の相棒リマ

イメージ 2
和歌山電鉄貴志駅 ネコの駅舎と愛車

イメージ 3
たま駅長の後継 ニタマ駅長

イメージ 4
西国観音霊場 粉河寺へ 相棒も一緒に

 「伊吹山でご来光を見ようか」の一言で、家族とゆっくり温泉につかって帰る予定で集まったものの、昨晩は激しい豪雨が降り注ぎ、目的地を乗鞍岳に変えると、定番の上高地行きとなってしまうため、間逆の高野山を目指して午前0時に家を出発しました。

 昨日のデジタル新聞で、和歌山電鉄貴志川線貴志駅のたま駅長の写真展が開催されていることを知り、孫や家族に見せるために、上高地より遠い和歌山県まで車を走らせました。


どこか、近く(遠くに)に行きたい

イメージ 1
本日の夕暮れ アサヒゴルフセンターとマンション

 「おい、何をしているの」
 「別に、…」
 「ふーん、…」

 今月中旬に、同居していた家族を亡くした知人との会話ですが、何もやることがなくなり、家に帰っても独り(独居老人)になる知人が、連日三男の接骨院に訪れていただくことは有難いものの、相手になる私も辛いものがあり、本日は夕方ではあったものの、私がウォーキングの目的としている珈琲屋さんに誘い、帰りは一人で歩いて帰宅することにしました。

 災い転じて…のことわざがありますが、体調不良もあり、暑いため今月は上高地は別として、自宅周辺は歩いていないため、とりあえず片道ながら歩くことができ、本日は約5千歩ほど歩いて帰宅しました。

 さて、予定では日帰りで上高地のボランティアに出向く予定でしたが、体調不良もあって、温泉でも入ってゆっくり静養する話をしていたところ、娘から「明日は何処に行くの」との連絡が入り、行くあてもないまま孫や妹も連れて外出する話となり、月初めに乗鞍岳のご来光を見れなかったため、距離の近い伊吹山のご来光を見に行こうと話していると、夜になってから激しい雨音が聞こえてきました。

 さて、どこに行こうか… 「どこか 遠くへ 行きーたい」とは違い、遠くない近くもない場所を今から考えることになりました。夜に走る可能性から、夜の定番としている赤ワインもお預けとなりました。

和歌山)たま駅長の写真展、開催中 和歌山電鉄の貴志駅

 和歌山電鉄貴志駅のたま駅長が死んでから、もう一年以上も経過していたんですね…

            本日の体重 71、2キロ 徒歩数 5261歩 間食はなし
                                      8月26日の一言

大鹿商店街 御用達

 
旅行や買い物や通院の足は おおしか福祉タクシー  0567-24-0018
 
肩や足腰の痛みは おおしか接骨院 0567-24-0017
 
 
 
 
税金や相続の相談は    寺西利夫税理士事務所
         名古屋市名東区牧の原 052-709-6551 HP http://www.tera24.com/
 
遺言・相続・登記などの相談は 
         祖父江道行司法書士 愛知県清須市新清洲1丁目7-4 052-7004-4970
 
家庭の水周り、水道工事は
         祖父江水道工事 090-8488-7785    
 
家のリフォームやドアやカギの修理は  河合トーヨー住器(株)  娘婿が勤務しています
   名古屋市港区正保町3-51  052-381-5133 http://www.lixil-madolier.jp/5000052/
 

御用達


自動車板金塗装は    オートショップサクラギ
         津島市南新開町2-112  0567-22-5590

自動車の修理  有限会社山内商店 稲沢市祖父江町  0587-97-0238 

自動車の電装関係 しょうでん
 
屋根瓦は  かとう瓦店 津島市莪原町字不毛17-2   0567-25-7192
 
電気工事は   (有)吉野電設   愛西市 0567-28-1001




 
 
 
憩いの場所
 
 
 
   
 
 

交番の指名手配犯のポスターを見て


イメージ 1
本日の夕暮れ 我家(越津町)の西

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

 「お父さん、顔は出さないでよ」と言われ、孫の顔にボカシを入れ、人の特定をされないため固有名詞や名前には気をつけてブログ発信を続けてきましたが、本日は堂々と名前と顔写真を出しても良い、「むしろ、出して協力して欲しい」とまで言われて添付しました。

警察庁指定重要指名手配被疑者1 https://www.npa.go.jp/wanted/2/jyuyo1.html
都道府県警察の指名手配ページへのリンク https://www.npa.go.jp/wanted/link/index.htm

 「お父さん、何処に居るの?」
 「警察の交番に居る」
 「どうしたの?」
 「今、逮捕されて取り調べを受けているの」
 「えっ、えっ? どうして !!
 「冗談、冗談 !!  」 

 本日津島駅前で市民の方から情報収集していると、懐かしい同級生が歩いており、何故にここに居るのか訊ねると、今年から駅前の警察交番に勤務しているとの話で、勤務先に案内してもらいました。もっとも、同級生は退職後の勤務で、もう現役ではないのが寂しい現実ですが…

 議員になる17年前までは、地元の派出所の警察官とは親しくしており、警察へ協力を依頼されたことも多く、派出所は身近な場所でしたが、議員になってから交番や派出所に出向いたこともなく、久しぶりの訪問となります。

 「天網恢々疎にして漏らさず」のことわざがあり、どんなに小さな悪事でも決して見逃されるようなことはないと思われますが、重大事件を犯して指名手配された被疑者が、こんなに多く存在する実感は本日までありませんでした。

 連日のように起きる交通事故や事件は後を絶たず、ひき逃げや空き巣など、まったく無関係な人々に被害を与えた犯人について、当事者でないことから、個人的な恨みも湧いてきませんが、被害にあった人や、人命まで絶たれた被害者やご家族の心境になれば許しがたい犯人であり、犯人の家族でも恨みたい心境と思われます。

 この発信が、少しでも犯人逮捕につながれば幸いで、ネット発信者が転載したりリンクして事件解決を図っていきたいものです。

            本日の体重 71、0キロ 徒歩数 3521歩 間食なし
                                     8月25日の一言

町内のお地蔵様の供養が行われて

イメージ 1
本日の夕暮れ カメラのキタムラ津島店へ

イメージ 2
町内の地蔵堂です

イメージ 3

 昨日の話になりますが、知人から京都の化野念仏寺で開かれる千灯供養へ誘われたものの、体調不良から後ろ髪を引かれて断りましたが、本日は町内に2ヶ所あるお地蔵様の供養があり、我家も当番となっていることも知らず、家内任せにしていたため出向きました。

 この地蔵堂は、町内の大鹿一族によって維持管理が行われており、ご本尊が建立された経緯は誰も判りませんが、一族の亡くなった子供を供養するために立てられた可能性も考えると、今まで他人事のように思い、女性軍だけに任せてきた反省も必要に感ずる一日となりました。

 町内の歴史を記した記録は何も残っておりませんが、町内の真ん中を通る道の東側に大鹿姓の家が建ち並び、西側に杉浦姓の家々が立っていることから、こんなところにも過去の一族の歴史が隠されているのかも知れません。

 さて、大鹿姓の家々も子息が町外に転出して高齢化しており、町内の地蔵堂と観音堂の供養をする浄土宗のお寺も、後継者が定まらないまま高齢になっていることから、伝統を守っていくことに対する心配の声も聞こえてきます。

 京都や高野山、四国遍路ばかりに関心を持ってきましたが、足元である町内の一族で守るお地蔵様や観音様に対して、全く無関心であったことに反省する一日ともなりました。

京都)京都・化野念仏寺で千灯供養

 記録として添付しましたが、ヨーデル歌手北川桜さんの事務所から送信されてきたメールに添付されていた写真に、岡山市の登山家Sさんとともに写る自分の姿を発見し、添付する前にカメラのキタムラでプリントしてきました。

ヨーデル北川桜とエーデルワイスムジカンテンからのおしらせ
イメージ 4
  ↑発見 !!  ヨーデル歌手北川桜さんの背後に私の姿がありました。  8月11日 上高地

          本日の体重 71、4キロ 徒歩数 3503歩 夜の間食なし
                                      8月24日の一言

本日も体調不良の改善を考えますが…

イメージ 1
夕暮時の隣の畑

 名古屋から全国展開している居酒屋チェーン「世界の山ちゃん」の創業者である、山本重雄さんが大動脈瘤で昨日亡くなったとの訃報が発信され、議員になった17年前に地元では飲み歩かないかわりに、知人たちと名古屋まで行って会食していたお店だったことと、59歳という年齢から他人事ではない予感のように思えてなりません。

「世界の山ちゃん」看板の創業者、なごやめし広めた人生
記事の続き…
 http://www.asahicom.jp/images/asahicom/hand.png手羽先は、みそカツやきしめんなどとともに名古屋名物となり、最近のなごやめしブームの土台にもなった。関係者からは、その立役者の早すぎる死を惜しむ声が聞かれる。
 「イベントで真っ先に掃除を始めるなど、会社が大きくなっても人となりは変わらなかった。米国進出の夢を語ったまま、伝説の男になってしまった」。創業時から山本さんを知り、全国の有力手羽先店が名古屋に集まる「手羽先サミット」を14年に立ち上げた大内ひろのしんさん(58)は、無念そうに話した。
 なごやめしに詳しいフリーライターの大竹敏之さんは、「名古屋流の濃い味つけで全国チェーンになった背景には、自身の似顔絵を使った看板などキャラクターづくりの巧みさもあった」と指摘。河村たかし名古屋市長は22日の記者会見で、「悲しくて残念。ゼロからスタートした努力の人だったと思うし、名古屋の中で大変重要な人だった」と悼んだ。

 「これは良いなぁ」
 「欲しいのか?」
 「欲しいけど」
 「頼んでみろよ?」
 「こんなんを頼むの…」
 「じゃー、買っていくか?」
 「買ってまでは要らない」
 「じゃー、オレが頼んでやるよ」

 山ちゃんに置いてある滑り止めの付いた箸を気に入った知人との会話ですが、飲み過ぎて酔っ払った勢いで、持ち帰っても使うかどうかも判らない箸を廻って議論し、顔なじみになっていた店員さんが、「見ていないフリをしているから」と、知人が貰ったと言うか、持ち帰ったこと(泥棒ではありませんよ)も懐かしい思い出です。

 この頃には出店ラッシュのように「山ちゃん」の店が名古屋駅周辺に開店し、酔っ払って歩くと存在するお店に、「山ちゃん」のハシゴをしたことも、看板の店主の似顔絵を仲間のように思って通っていた当時が懐かしく思いおこされました。

 最近では飲酒の伴う外食はほとんど出歩かないようにしており、「世界の山ちゃん」の思い出も完全なる昔話となりますが、同じく愛知県から全国展開したカレーハウスCoCo壱番屋も、創業者が経営から退いており、オーナーの早すぎる突然の死が「世界の山ちゃん」の経営に影響しないことを祈るばかりです。

 さて、本日は津島市の保健センターで、管理栄養士さんの指導を受けてきましたが、今月は車と共に体調も絶不調のため、とりあえず10月中旬に受診する基本検診の数値を昨年並みに維持するため節制の目標を決めてきました。

 車は部品を交換すれば新車と同じ状態に戻せますが、還暦を過ぎた老体というよりも今月になってからは、自分の思ったように回復しない体調に、突然に亡くなった人の話や、添付した「山ちゃん」オーナーの解離性大動脈瘤の記事を見ると、吾が身のように思えてしまいます。

 第3者の声を参考にすると、好きなこととは言え、上高地や四国遍路などの話となると、空いた日を全部充ててしまう事に問題があり、自分では遊びと思っていることでも、自分の完全なる休養日が一日もないことに問題がありそうです。

 本日から10月中旬までは、夜の9時以降は食べ物を口にしないことを目標にして、置いてあれば迷わず口に入れてしまう菓子パンを我慢するなど、数点を決め事にして体調の回復と健康維持を目指していきます。

             本日の体重 71、3キロ 徒歩数 3154歩 間食なし
                                      8月22日の一言

年に一度の草刈に出かけて

イメージ 1
平成5年に他界した父親の残した草刈機

イメージ 2
稲穂の花芽を見つけました

イメージ 3
サギでしょうか?

イメージ 4

 「草刈はどうするの?」
 「今日はダメだ」
 「じゃー、いつになったらやるの」
 「やる時にはやるから…」

 こんな繰り返しで田んぼの草刈をひきのばしてきましたが、稲に花が咲き出すと田んぼに入れないため、家内にせかされて午後4時に出発の予定が、なにせ一年ぶりの草刈のためガソリンが見つからず、穿いていくズボンも見つかりません。

 不思議なことは、草刈の主役となる草刈機は、平成5年に他界した父親の遺品となりますが、一年の一度の草刈とはいえ、必ずエンジンが廻って使用できることで、製造メーカーもなくなっているのに故障もなく動くことです。

 田んぼといっても一ヶ所だけの草刈で、畦道を一周するためにはガソリンの補給を1回する必要がありますが、本日は私の体調不良で、3回の休憩をしてやっと乱雑な作業が終わりました。

 もっとも、私は田んぼの外周を草刈機で刈るだけですが、田んぼの中の水草や雑草は家内の担当にしているものの、水が満杯となった田んぼの草取りは大変で、私が終っても半分も終っていません。

 「もう、帰ろうか…」
 「まだ、残っているから」
 「暗くなってきたぞ」
 「やらないと帰れない」

 父親は亡くなる年まで農作業をしていましたが、サラリーマンだったことから、暗くなっても作業を続けて、「もう帰ろうよ」と口癖のように言っていた当時の記憶が、暗くなっても帰らない家内の姿から蘇ってきました。

 身体を惜しまず働き者だった父親と、作業が終るまで暗くなっても帰らない家内が一緒に働いたら、3人分の労力になると実感させられましたが、父親の生前中は子供が小さかったことから、家内は早く帰されていたとの話でした。

 それよりも、身体は絶不調で、帰宅後にシャワーを浴びてから横になったものの、深夜になっても体調は戻りません。日頃の不摂生と、肉体労働とは無縁の生活が影響していると思われますが、還暦過ぎの老化現象だけとは思えない苦痛が続いています。

             本日の体重 71、5キロ 徒歩数 2975歩 間食あり
                                      8月20日の一言

相棒リマや愛雀たちとの生活を考える一日に

イメージ 1
本日 養老山脈へ日が沈んでいきます

イメージ 2
ボクも見たかったんだけど

イメージ 4
イメージ 3ピーちゃん  →

平成26年5月3日 我家の庭で、屋根から落ちたピーちゃんを拾いました。



イメージ 7
イメージ 5ピヨちゃん →
平成27年7月13日に岡崎市の保護者から預かりました。





イメージ 6
昨年8月12日のピー(手前)とピヨちゃん

 現在5羽のスズメを保護していますが、そのきっかけとなったのは、2年前の5月に庭でピーを拾い上げたことで、ピーの保護をネット発信していたことで、昨年7月に岡崎市からピヨの保護を依頼され、結果的には8月18日に死なせてしまいました。

 そして、10月末にはピーまで死なせてしまい、スズメを飼う機会は二度とないと思い、今年から庭のスズメたちにエサを与えていたところ、4月に入って続々と保護を依頼する連絡が入り、断っていたものの4月26日に蟹江町よりスズメのヒナが直接持ち込まれました。



 そして、5月19日にヒナを保護していた知人から、熊本へボランティアに行くため、2羽のスズメのヒナを預かり、蟹江町からあずかった「チー」とともに、私を怖がって暴れるスズメを3羽保護することになりました。

ところが…



 ありえないような話ですが、2羽を預かった数日後に2年前にピーを拾い上げた庭で「ヒー」を拾い上げ、その2日後に名古屋市で保護された「サブロー」の保護を依頼され、翌日の夜に我家まで届けられてきました。

 こんな顛末から、人嫌いの3羽とともに、我が子となる2羽を保護していますが、本日行われた知人の葬儀で、故人は昭和17年生まれとの紹介があり、自分の残された人生に指を折ると、相棒リマとともに、愛雀たちの生活を考えてしまいました。

             本日の体重 71、6キロ 徒歩数 3020歩 間食あり
                                      8月19日の一言

10日ぶりに車が戻りました

イメージ 1
修理と車検が終わりました

イメージ 2
日産キャラバンですがトヨタネッツへ

イメージ 3
「う・18」家内のセレナに続く愛車「い・18」

 今月5日にラジュエターから冷却水が漏れ、上高地から自宅へ回送して、9日の午前中に車検をかねて修理を依頼してあった愛車キャラバンの整備が終り、本日家内のセレナに乗せてもらって引き取りに行きました。

 本来なら日産の車は日産の工場に持ち込むのが自然ですが、愛知県ではトヨタの工場の方がサービスが良く、日頃から車を整備している担当者でないと私の車の状態は判らず、ラジュエターの冷却水漏れについても、本体部分の損傷ではなく、過去の私なら修理を依頼したと思いますが、人を乗せる営業車のため新品に交換してもらいました。

 10日間も車から離れて、家内の車に乗せてもらっていましたが、家族にとっては車が早く戻ってくると、16日の大文字送り火に走っていくことから、担当者に対して「慌ててないのでゆっくり」とクギを刺され、冷却水漏れで心配をかけたことから我慢してきました。

 もっとも、車以上に私の身体の方がダメージは大きく、無気力状態となっていますから、部品を交換すると新品となる車のような復活は難しく、不調の回復に努めるしかありませんが、不調の原因が判りませんから、しばらくは我慢の日々となっていきます。
 還暦を過ぎ、過去の経験から対応できない腰痛や背中の痛みから、不吉な予測をしてしまいますが、安静にしていても体調は回復してきません。

 来週には9月議会の議会運営委員会が開催され、来週末に上高地のパークボランティアに参加を予定しており、月末には9月議会が開会することから、こんな状態では9月の一ヶ月間を乗り切れません。

 さて本日は、昨年岡崎市から預かったピヨちゃんが逝って一年目の命日となりました。あっと言う間でしたが、今年から預かった5羽の中には、ピヨのように障がいを持った我家の屋根から落ちたヒーもいることから、気を引き締めて見守りたいと思います。


             本日の体重 71、2キロ 徒歩数 2782歩 間食あり
                                      8月18日の一言

忍び来る秋色に訃報もあり…

イメージ 1
我家のホウノキの葉です

 5月に大きな緑の葉の中に、真っ白な大きな花を咲かせていた朴の木の朴葉が、最近は黄緑色から茶色が混ざり始めて落葉を始めており、我家の名物となっているアンズも秋色に変色しています。

 ガサッ、ガサッと大きな葉が落ちてくるのは寂しいものがあり、確実に夏の終わりを実感させられるとともに、その寂しさを払拭する材料が少なくなってきた現実を、我が身と重ね合わせてしまいます。


 春に添付した写真を見直すと寂しさは隠せません。

 「○○がなくなったので…」
 「なくなったって?」
 「昨日の夜に風呂場で…」
 「えっ、本当の話なの…」

 共に伴侶を亡くして、一緒に同居中だった知人から、同居するご婦人が亡くなったとの訃報ですが、風呂場でおぼれて水を飲み、心肺停止状態で緊急搬送されたものの、心筋梗塞で亡くなったとの連絡です。

 2人は今週の金曜日から九州に出かける予定で、早くから切符を購入して、九州で親族と落ち合う約束もできており、足腰を鍛えるために私の三男の接骨院に通っておられただけに信じられない結末です。

 「もうすぐ、私も75歳になってしまうので…」
 「何を言っているの、まだ75歳でしょう」
 「まあ、いいかげん、いい歳になったもんだわ」

 私の家内と故人が最近交わした言葉で、かつてはご主人が亡くなった後の家具屋さんを一人で切り盛りした元気が衰えており、もう充分生きてきたような会話が気になっていただけに、突然の訃報に無力感が漂いました。

 もっと気がかりなことは、同居している知人は80歳になっており、一緒に同居することで車で外出するなど、役割分担をして孤独な生活ではありませんでしたが、二度目となる悲しい独居生活が始まります。

 上高地への道中でエアバックの警告が点滅し、ラジュエターの冷却水漏れがあり、滞在中は大きなストレスを感じ、不安をかんじながら車を自宅まで回送し、再度上高地へ出向いて帰宅したものの、翌日からは身体が強張って動きません。

 原因不明の体調不良は、気力も失せており、こんなときに聞く訃報は堪えますね。

            本日の体重 71、3キロ 徒歩数 1014歩 間食あり
                                      8月17日の一言

夕暮れの日光川の堤から

イメージ 1
日光川 新おにえ橋

イメージ 2
錬成館

イメージ 3
名古屋駅前のビル群

 北海道でダニに刺された患者が死亡するという症例が発進されていますが、私も上高地で虫に刺されたため、体力も気力も無くなってしまったのかと思われるほど、身体中から脱力感が漂っています。

 しかし、疲れの蓄積だけなら問題はありませんが、還暦を過ぎた加齢による症状については体験がないことから、体調不良を改善するためには何もせずにボーとしているしかなく、何もしないことは三無主義どころか五無主義になっていきます。

 最高気温35度以上の猛暑日になりそうな日は自動的に社員にメールを送るシステムを、ソフト開発の「インフォテリア」(東京)が開発し、同社は猛暑日は自宅で勤務する体制を勧めています。

猛暑日は自宅勤務を 天気予報もとにメール通知システム

 「通勤だけで体力を消費してしまうのを防ぐ狙い」と発進されていますが、通勤時間も考えると、自宅で仕事をした方が効率がよく、最近は過去の経験や実績よりも、仕事の成果を求められるため、自宅でも仕事量をこなせば良しとされそうに思えます。

 例年だと、8月16日は必ず京都に出かけていましたが、今月はじめの上高地行きで車の不調(エアーバックの警告灯点滅とラジュエターの冷却水漏れ)と同時に、自身の忘れ物と身体の不調で一日寝ていた後遺症が未だに続いており、出かけないと何事もないように送り火が済んでいる現実にも無力感となります。

 何もせずに静養に務めても身体中が強張り、腰痛は治らず、風邪の初期症状のような体調から、何かをやろうとする気持になれず、何かをやることが事故や怪我を誘発するような気持になって、胃に鈍痛が残ります。

 さて、明日は何をやりましょうか…
 
           本日の体重 71、7キロ 徒歩数 1850歩 間食あり       
                                         8月16日の一言

精神的には三無主義に陥っており

イメージ 1
夕暮れの津島街道 神守郵便局前 本日午後6時30分

 戦後71年の終戦の日となった15日、政府主催の全国戦没者追悼式が日本武道館(東京都千代田区)で開かれ、天皇、皇后両陛下が臨席して約310万人の戦没者を悼んだ。                   15日 朝日新聞

天皇陛下、再び「深い反省」 改めて戦没者への強い思い

 この記事中にもありますが、海外に残された戦没者遺骨が約113万柱あり、世代交代によって対象者の親は既に存在せず、遺族そのものにその認識も無くなっているだけに、「おひとりでも多くの方々が、ふるさとに戻っていただけるよう、全力を尽くす」との安部首相の言葉にも具体策は示されてこない。


 さて、一年前のこの一言を読み直していると、毎年同じ行動を繰り返しており、本日はお寺の「施餓鬼供養」に午後2時30分に訪れ、昨年の一言をそのまま添付しても同じようなものですが、今年は必ず訪れていた明日の京都行きを断念しました。

 私の少年時代に「三無主義」という言葉をよく耳にしましたが、まさに最近はその心境に陥っており、無気力と無関心状態で、何もしないため無責任ではありませんが、何もしないことは無感動にもなっていきます。

 一年前の記載に注目すると、数日後の18日に岡崎市から預かった「ピヨ」を亡くしており、死因と思われる夜間の急激な室温低下を考えると、夜に気温が気になって睡眠不足になり、このことが翌日の無力感につながっていきます。

           本日の体重 71、6キロ 徒歩数 4447歩 間食あり  
                                       8月15日の一言
 

しばらく雨の日が続きそうです

イメージ 1
我家のブルーベリーです

イメージ 2

 上高地の一週間はすべて快晴の中で、一日も雨に降られることはありませんでしたが、愛知県に帰った翌日となる昨晩は激しい雨が降り、軒先に置いてあったテントや持ち帰った備品も濡れてしまうハプニングです。

 これから花をつける田んぼの稲や、畑の農作物にとっては雨が欲しいものの、行楽やイベントにとって雨の影響は大きく、私の大好きな上高地は晴れていなかったら散策もできず、16日に予定されている京都五山送り火についても雨の中の点火は深刻な事態となります。

長野県の天気 http://www.tenki.jp/week/3/23/

京都府の天気 http://www.tenki.jp/week/6/29/

 「大文字行くの?」の一言は、本日午前中に娘から届けられたメールですが、平成3年に嵯峨野で「鳥居形」の送り火を鑑賞して以来、1年間だけ行けなかったものの、毎年訪れていた日程だけに天候は気になります。

 もっとも、10日前に上高地を目指す車の冷却水漏れがあり、遠距離への運転は大きなストレスになることを実感し、今回の上高地行きは還暦を過ぎた私自身への大きな警鐘のように思え、夜間のドライブは自粛しようと考えていただけに届けられたメールへの返信ができません。

認知症と言われても…マイカーに代わる移動手動どう確保

 さて、上高地や四国遍路とともに、今回の京都行きについても、前日となる明日に車を運転できなくなった患者さんを名古屋市の病院に送迎するボランティアがあり、送り火の翌日となる17日も早朝から病院へ移送するボランティアが入っていることから、毎年続けてきた送り火鑑賞ですが見送ろうと考えています。

 添付した新聞記事は、認知症に限らず、高齢となって病気や障がいによって車の運転ができなくなった人々にとっては無関心ではおれない話題で、ボランティアで対象となる人々を運んでいる私たちにとっても他人事ではありません。

 そして、四国や上高地など、私自身が遠距離にセカンドライフの拠点をおいているため、車が運転できなくなれば大きな障壁となり、現在は人を移送する立場にあるものの、自身も車の無い生活を想定した心構えは必要ですが、行政に期待するだけでは何ともなりません。
 私自身は、ボランティアの若手発掘と組織化を図る必要がありそうです。

               本日の体重 71、8キロ 徒歩数 3032歩 間食あり
                                       8月14日の一言

上高地 最終日

イメージ 1
夏休みとお盆休みが重なり、バスを待つ長い列ができました

イメージ 2
ボランティアの運営する人形劇

イメージ 3
今年のクラフト教室も始まりました

イメージ 4
本日の大正池 
 
 本日は午前8時から午後1時まで上高地のボランティアに参加し、4日から小梨平キャンプ場に張ってあったテントを片付け、小梨平食堂で昼食をとってから上高地を後にしました。

 観光客として上高地のビジターセンターで開催されているクラフト教室を眺めたことはありますが、ボランティアの人々が補助的に参加されていると思っていたものの、材料の準備から会場の設営も全てボランティアの手で行われていたことを知りびっくりしました。

 先週末に参加した外来植物除去のボランティアで、本日の午前中にクラフト教室の材料の搬出作業があることを知り、参加予定者から大変な苦労話を聞いたため、テントをそのまま張り続けて、この資材搬出を手伝うことにしました。もっとも、私のテントや生活用具は引揚げには、本日のために訪れた家内と妹の協力をもらいました。

 さて、私自身は上高地での生活を節制に務めており、野菜を中心とした食材にこだわっていたものの、昨晩は別れを惜しむ小梨平の焼肉バーベキューが行われ、その前日には大学院に通う留学生がテントを訪ねてくれたことから、連日の酒盛りとなってしまいました。

 「お盆が過ぎると本当に寂しくなってくる」の一言は、4月から10月まで小梨平にテントを張るホームレス画伯こと、渡辺画伯が本日私の家内に漏らした言葉ですが、「久しぶり」と訪ねてくる多くの人たちも、全てが「お元気で」と帰っていってしまい、小梨に長期滞在する人々とも来年までお別れとなることと、賑やかなテント村もまばらになっていきます。

 上高地は昨日の山の日記念イベントで湧き、お盆休みで最高の賑わいとなっていますが、これからは確実に秋の気配がしのび寄り、あっという間に11月の閉山を迎えることを、上高地を第二の故郷とする画伯や仲間は感じています。

 9月には議会が開催されるため、今月はあと2日間のボランティアへの参加を予定していますが、今月は上高地、四国遍路と地元を3等分する生活目標について、上高地はクリアすることができそうです。

            本日の体重 71、2キロ 徒歩数 11797歩 間食あり
                                      8月12日の一言


上高地 信州四方山祭り 小林綾子さんとの出会い

イメージ 1
                  女優の小林綾子さんです。   
                   私のようなジジイのために立ち止まっていただき恐縮です。

 こんな自然な人間らしい出会いがファンになってしまいます。機会があったら舞台にかけつけたいとおもいました。

イメージ 2
                     小林綾子&小林千穂トークショー
                         お2人はともに8月11日が誕生日とのことです。すばらしい                              会話を聞かせていただきました。

イメージ 3
               前日ヨーデルコンサートを開催された北川桜さんが、
              すばらしい歌声とホテル五千尺のバースディケーキを持って、
              お2人を祝福に駆けつけてくれました。感動のシーンです。

イメージ 4
小林綾子&小林千穂トークショー  
バースディケーキを口にする小林綾子さんです。
カメラの故障が恨めしいショットです

小林綾子さん公式ブログ

イメージ 5
セイジ・オザワ松本フェスティバル 山のコンサート

 本日は午前9時に上高地バスターミナルで開催された記念式典へ出向き、皇太子殿下の到着を待ちうけ、明神池まで散策される様子を梓川の対岸で待ち受けましたが、天皇陛下より物々しい警備で、待機した人々のほとんどがお顔を拝謁もできず、デジタルカメラが故障した私にはアリのようにしか見えませんでした。

 しかし、午後から小梨平で開催されたイベントでは、歌手の芹洋子さんからすばらしい歌声を披露していただき、トークショーでは女優の小林綾子さんと山岳記者の小林千穂さんが聞き応えのある体験談や想いを披露してくださりました。

 忙しいスケジュールの中で、私の願いに一人で写真に収まっていただいた「おしん」の小林綾子さんにはただただ恐縮しかなく、近くで出演される舞台やイベントがあれば、絶対に駆けつけたい心境にさせられました。

 明日は上高地最終日で、午前8時からボランティアに参加予定ですが、別れが重なった山男たちに誘われ、小梨平では焼肉パーティーとなり、節制する予定も台無しとなり、風呂の入浴もできませんでした。

 しかし、今日の出会いと、明日の別れは貴重な一日となりました。

                本日の徒歩数 8152歩      8月11日の一言

上高地 信州四方山祭り

イメージ 1
歌手の芹洋子さんの歌声に感動です

イメージ 2
品川聖さんのヴィオラ演奏 

イメージ 3
芹洋子さんがこんな身近で

イメージ 4

セイジ・オザワ松本フェスティバル


 デジタルカメラが故障して、こんな見苦しい写真を添付して、すばらしい歌声を届けていただいた芹洋子さんに申し訳ない気持です。

11 日(木)
11 時 30 分~15 時 30 分
品川聖 「ヴィオラ・ダ・ガンバ solo」
芹洋子 「山の歌うたごえコンサート」
SKO 「山のコンサート」
小林綾子&小林千穂 「8.11birthday 山の日トーク」
小梨平



上高地 梓川の対岸に皇太子殿下が

イメージ 1
私の携帯電話のカメラで撮った皇太子殿下のご一行

イメージ 3
信濃毎日新聞に掲載された写真

イメージ 2
ホテル白樺荘横の展望台です

山の日の記念イベントに参加された皇太子殿下は、河童橋から梓川の右岸を明神池まで妃殿下とともに歩いていかれました。

こんな機会はめったにありませんが、不運にもカメラが不調のため携帯電話でしか撮影ができませんでした。

うぅ-残念……

上高地  画伯2年ぶりの再会に

イメージ 1

 上高地で一番有名になったホームレス画伯こと、渡辺画伯(真ん中)の隣の女性は台湾から来た陳さんで、画伯とは2年ぶりの感動の再会となり、今回は友人で登山家の鄭さんと一緒の来日との話でした。

 ちなみに、鄭さんは上高地から見える穂高連峰や六百山まで11の山を踏破されているとのことです。

 上高地の魅力は、自然のすばらしさにあることは当然ですが、自然のすばらしさを共有した者どうしの交流は国境も無くなります。


上高地 信州四方山祭り

イメージ 1
「山の恵み、そして山と海のつながり」 信州大学鈴木啓助教授 小梨平

 今年から制定された山の日を明日に控えて、上高地では第1回の記念式典の準備に慌ただしく準備が進められていますが、私が滞在する小梨平では、「信州四方山祭り」が本日から開催され、午前11時から信州大学鈴木啓助教授による「山の恵み、そして山と海のつながり」の講演が行われました。

 山から海に豊富な栄養分が流れて、豊かな魚介類や環境を作りますが、逆に海から発生する水蒸気が山に雨をもたらし、林から綺麗な水が湧き出し、海に循環していく貴重なお話を拝聴させていただきました。

 山の日(明日)は皇太子殿下をはじめ、国の関係者が集う一大イベントとなりますが、これについては下記の公的ホームページを参照してください。

山の日公式サイト http://811yamanohi.org/


イメージ 2
午後1時から開催された「山のヨーデルコンサート」

イメージ 3
ホルンの演奏もありました

イメージ 4
参加者にも演奏体験をさせてもらえました

イメージ 5
北川さん(左から2人目)と記念撮影

 「山のヨーデルコンサート」は、NHKの子供番組にも出演された「ヨーデル歌手」の北川桜さんによるコンサートで、ドイツやスイス、オーストリアの本物のヨーデルが披露され、参加者がスプーンを使って演奏に参加したり、お互いが腕を組んで踊るなど、無愛想な私も一緒に楽しませていただきました。

 ちなみに、北川さんは11月5日に愛知県弥富市の公的イベントでもコンサートを開催されると聞き、現地での再会を約束したものの、先約があったことから、何とか都合を変えてもらってでも再会を果たしたいと思っています。

            本日の体重 70、3キロ 徒歩数 9152歩 間食なし     
                                       8月10日の一言

再び上高地へ

イメージ 1
松本駅 松本電鉄上高地線ホーム

イメージ 2
松本バスターミナル 高速バス降車場

イメージ 3
新島々駅から上高地へバスで向います
イメージ 4
夕暮れ時の河童橋へ到着です

イメージ 5
家族が残しておいたテントです

 日曜日に愛知県へ戻り、昨日と本日の午前中に仕事を済ませ、本日午後に名古屋名鉄バスセンターから松本行きの高速バスに乗り、松本駅から新島々駅まで電車に乗り、上高地へバスで到着したのは6時近くになっていました。

 ただし、先週に日曜日まで家族が滞在していたテントがそのまま残してあり、到着直後にカセットガスコンロに鍋で水を沸かし、置いてあった食材と、途中で購入してきた食事があることから、到着して10分後にはワインを飲む環境が整いました。

 食事中に東京農工大に留学中の大学院生が訪れ、話に夢中になっていると辺りは真っ暗となり、明日に改めて乾杯する約束をして散会となりました。
 今からは何もできませんが、明日は一日を散策日として、明後日の山の日のイベントを体感したいと思います。上高地入りは車と決めていましたが、列車やバスによる行程もたまには良いものと思う一日となりました。

                      本日の徒歩数 5500歩
                                       8月9日の一言

不調の車といたわり帰還へ

 4日夜から家を出発し、昨晩に上高地から帰宅して、オリンピックが開幕していたことと、夏の高校野球が開幕していることを自覚し、本日になって天皇陛下のお気持ちがメッセージとして発表され、大リーグのイチロー選手が3千本安打を達成したなど大きな話題がありながら、社会と全く遮断されていたことを実感させられました。

 上高地のテント生活は、朝になるとテントの天井が明るくなり、夜になると自然と真っ暗になり、午後9時には物音も無くなり、帰宅した自宅では当たり前に手が伸びる間食もなく、何をするのにも自分の足で動いて、汚れのない六百山の湧き水を飲んで穂高の冷風を吸う大自然の中で、世間とは無縁の生活になっていました。

陛下のメッセージ、各局が一斉放送 街頭で涙ぬぐう人も

イチロー、大リーグ3千安打達成 史上30人目

大型の台風5号、日本列島の東側に 時速25キロで北上
岐阜・多治見で39.7度 今夏の全国最高気温

 さて、上高地に到着前に愛車のラジュエターの冷却水が漏れたことで、多くの方々や車の関係者の助言をいただき、昨日はそれらの助言により、娘婿に松本市まで車で来てもらい、家族や荷物の負荷を軽減してから、万が一の危険も覚悟して車を走らせました。

 冷却水漏れは、愛知県から東海北陸道を利用して高山市経由で平湯まで走り、時間が早かったことから、乗鞍スカイラインに入った途中でトイレ休憩をした時に、運転席の下から緑色の冷却水漏れを発見しました。

 JAFに連絡して、早朝にも関わらずすばやく対応してもらったものの、高山市から来てくれた関係者は、車を高山市の自社工場に運ぶ段取りだけで、車の現状を診断できず、冷却水も持っていないことと、運ばれてもラジュエターの交換には日数がかかり、家族5人の身動きができなくなることから、冷却水漏れは一瞬だったことと、その後に漏れが続かないことから、近くのガソリンスタンドまで降りて、冷却水を補充しました。

 その後に上高地から沢渡駐車場に車を移動させても冷却水漏れは無く、3日間の上高地滞在後に車を点検しても漏れは止まっており、車の整備環境の良い松本市のオートバックスまで約40キロをエアコンを切って、エンジンを低回転にして移動しました。

 オートバックスに到着したものの、点検まで30分の順番待ちとなり、走れると判断して補修材と冷却水を入れても、その後の責任は持てないと言われ、ラジュエターの交換以外は安心できないことと、その部品交換は当日にはできない現実…

 そして、平湯峠から上高地、沢渡までの移動で冷却水が漏れなかったことと、沢渡から松本市まで約40キロの走行でも冷却水漏れや水温系に異常が無かったこと…

 そんな経緯から、愛知県までの約200キロを、松本までの走行実績から、40キロの走行距離か、1時間の走行で車を休め、水温計に目を凝らしながら走る決断をしました。

 車の発進時には、エンジン回転数を2千回転以下で発進させ、上り坂でも2千回転以上はアクセルを踏まず、平地は1500回転以下で走行し、40キロ程度か1時間の走行で休憩することにして松本を出発です。

 「観自在菩薩…不異空空不異色…不生不滅…涅槃三世…般若心経」
 「お父さん、眠いの?」
 「何を馬鹿なこと言っているんだ」     まさに、弘法大師と同行二人です。

 炎天下の道路が塩尻市までは渋滞が続き、エアコンが効かない車内はサウナ状態でしたが、国道19号の木曽路に入ってからは渋滞も無く、2千回転以下でも他の車に迷惑をかけることなく走行し、3回目の休憩となった土岐市で伴走する家族と夕食をとることができました。
 幸運なことに、木曽路に入った直後に雨が降り出し、中津川市に入るころまで曇り空が続き、夕陽が沈んだことからエアコンなしでも何とか凌げました。

 ラジュエターの冷却水漏れや水漏れについては、そのまま走ることは危険ですが、ラジュエター本体の破損箇所の違いや、破損していなくても高回転で酷使すると冷却水漏れもあることから、日頃から車を整備している担当者の意見は重要で、今回も帰宅するまで状態を電話でナビしてくれた知人もあり、無事に帰宅できたことから10日に車検を兼ねた修理を段取りしてもらいました。

 帰宅したばかりですが、11日の山の日を記念するイベントが上高地で開催され、翌日にパークボランティアの資器材移動の参加を登録してあることから、明日には電車とバスで上高地に向かいますが、着替えや食料は小梨平のテントに置いてあるため、行くと言うよりも戻るという感覚でもあります。

           本日の体重 71、0キロ 徒歩数 4028歩 間食あり
                                      8月8日の一言

上高地から 不調の愛車と無事に帰宅しました

イメージ 1
本日の穂高連峰 河童橋から

イメージ 2
本日のパークボランティア

イメージ 3
道の駅 大桑

イメージ 4
道の駅大桑 ツバメのヒナたち
                      我家のヒーとサブローの姿が思い浮かびました

 本日は朝9時からボランティアで、道路わきの水路清掃に参加し、午後はタクシーで沢渡まで下り、2日前(金曜日)に上高地に向う途中でラジュエターから少量の冷却水漏れを起こした愛車を松本市のオートバックスまで移動させました。

 旅先での愛車の不調は久しぶりでしたが、JAFが早朝から対応してくれたお陰で、一時間後には高山市内から平湯峠まで車を積載する車が来てくれましたが、冷却水を持っておらず、担当者は車を乗せて行くことしか眼中になく、上高地を前にして高山市へ車を持って行かれるだけでなく、具体的な修理は何も判らない担当者のため、結局は近くのガソリンスタンドで冷却水を補充してもらいました。

 車はその後上高地から離れた沢渡の駐車場に置いてあるため、状況が判らないため連日ストレスを溜めていましたが、その後の冷却水漏れは無く、本日も異常はないため約40キロ離れた松本市まで移動させましたが、JAFの案内や、現地のプロドライバーの話では、高山市より松本市の方が車の整備環境が良いため、普段は高山経由で行き来しているものの、本日は松本経由を選択しました。

 結果的には自己責任となり、デイラーも整備工場も、本格的なラジュエターの交換以外は保障できないと言い、30分順番を待ってから、担当者が車を診断しないことには何も言えないとの話ですが、ラジュエターの取り寄せはすぐにはできないため、私の自己判断は危険は伴うものの、何とかそのまま帰れる可能性に託しました。

 もっとも車の負担を減らすため、家族4人と荷物を娘婿に名古屋から松本市まで引き取りに来てもらい、車のエアコンはつけずに、回転数を上げずに一般道を利用して無事に我家まで到着することができました。

 この顛末は後日に…

          本日の体重 70、7キロ 徒歩数 9665歩 間食あり
                                      8月7日の一言

上高地 ボランティアの一日に

イメージ 1
上高地小梨平 ホームレス画伯のテント前の孫です

イメージ 2
メマツヨイグサ これも外来植物です

イメージ 3
ヒメジョナン これも外来植物です

イメージ 4
これはオマケ こんな綺麗な珍客とも遭遇します

 本日は、午前9時からボランティアで大正池周辺の外来植物除去を行い、エゾノギシギシと西洋タンポポを除去し、午後1時からはバスターミナル周辺の外来植物の除去に参加しました。

 環境省職員と、ボランティア6名の活動ですが、大先輩の後期高齢者(失礼)の御3名が頑張られる姿に、午後は家族サービスしようかと考えていましたが、午後も参加することになり、今期一番の暑さの中で家族には見せられない奮闘をしました。

 家族は、午前6時30分からビジターセンターの野鳥観察会に参加し、明神池まで散策していたようで、昼食ぐらいは一緒にと考えてテントに戻ったものの、寂しい昼食となりました。

                 本日の体重 70、2キロ 徒歩数 10155歩
                                        8月6日の一言

上高地 大変な一日に

イメージ 1
上高地 小梨平 

イメージ 2
渡辺画伯のテントの隣人になり

イメージ 3
我家の(ファミリー)テントと右は私のテント

 添付した写真を見るとほのぼのとした一日に思えますが、岐阜県の美濃加茂市に入った頃に車のメーターが異常を示し、知人に連絡しようとすると携帯電話を忘れていることが発覚し、家族も道連れに家まで戻ることになりました。

 本日は快晴ではないものの、陽が上っていることから乗鞍スカイラインに立ち寄ることにしたところ、駐車場でラジュエターから水が漏れており、JAFへ連絡して来てもらったものの、オイルクーラントを持っていないため、近くの平湯峠のガソリンスタンドに走って補充しました。

 ただし、夏場の遠出で冷却水が漏れるアクシデントはストレスがたまり、その頃から目が廻りだして吐き気をもよおし、身体が震えだしたため、上高地の手前に来ながら断念する事態でしたが、渡辺画伯から依頼された荷物を積んでいたことと、スタンドに下りたころには冷却水が漏れていないため、予定通りの行動になりました。

 もっとも、車を停めた沢渡駐車場は上高地から離れており、心配は尽きませんが、午前中横になっていると身体も何とか復活し、明日のボランティアに参加できそうな体調に復活しました。

 家内と、妹と、娘と孫の5人連れですが、私はボランティアに参加し、孫と娘は明日早朝の野鳥観察会に参加し、家内と妹はリフレッシュの3日間となりますが、日曜日に無事に愛知県までたどりつけるか心配な上高地滞在となりました。

              体重 71、2キロ 徒歩数 7080歩 間食なし
                                    8月5日の一言

ついに入れ歯の爺になって

イメージ 1

 「どうですか?痛くはないですか?」
 「痛くはないけど…」
 「けど?」
 「何か引っかかる感じが…」

 数年間にわたって歯茎が腫れたり、激痛で悩まされた歯ですが、本日初めて作られた入れ歯を装着したところ、噛み合わせた歯に違和感があり、その歯は骨から浮いて歯肉に浮いている状態で、いずれは抜歯すると説明されていた歯でした。

 「今日抜きましょうか?」
 「今日ですか?」
 「何か心配でもありますか?」
 「週末からしばらく山に行くので…」
 「それじゃー、次回にしましょう」

 ただし、それまで噛み合わせに違和感があっては、いずれ痛みに悩まされる心配もあり、次回の予約日まで心配でストレスが残るため…

 「抜くのは痛いですね?」
 「麻酔の注射が痛いだけですよ」
 「抜いた後は大丈夫ですかね」
 「翌日に消毒に来られれば3日後は何ともなくなりますよ」
 「うーん、どうしようかな…」

 2ヵ月前から将来的には抜くと説明されており、毎日痛みと隣り合わせの歯だったものの、自分から抜く決断はできず、さりとて痛むのも困るし…

 「うーん、今からやって下さい」

 麻酔のため3本ほどの注射が打たれ、痛みは無かったものの、私は注射が大嫌いなため、全身硬直状態で注射を受け、ガキガキと大きな奥歯が抜かれてしまいました。前記したように骨から離れ、歯肉に浮いて傾いた状態の奥歯で、固い物を噛むと痛んで腫れていた歯ですが、残り少なくなった歯ゆえに名残惜しい抜歯となりました。

 「汚い歯でしょうが、記念にもらえますか?」
 「あっ、はい。綺麗にしてきますね」
 「汚いままで良いですよ」

 添付した写真でお解りのように、抜いた歯をハート型のカプセルに入れて記念にもらえましたが、今年2月に中学の先輩となる歯医者さんが引退され、新しい歯医者さんに替わったため、多少の痛みにも我慢していますが、歯の空白は全部埋めるつもりで義歯が作られていきます。

 入れ歯一日目となり、今まで無かった物が口の中に存在する違和感は苦痛で、毎日夜に取り外すなど面倒なことが増えましたが、いずれは全ての空白が埋まり、口全体を使って食べ物が食べられることに期待してしばらくは試練が続きます。

            本日の体重 72、2キロ 3158歩 間食あり
                                      8月2日の一言

小指の痛みは自分だけの問題ではなく

イメージ 1
昨晩は本格的なテーピングをしましたが、本日は簡易で目立たなくしました

 何処で痛めたのか判りませんが、数日前から右手の小指が痛み出し、曲げると痛むため引っ張ってみたり、無理やり曲げて曲がるようにしていたものの、患部が硬くふくらんできたことから、深夜に帰宅した三男にテーピングしてもらいました。

 「骨か靭帯の異常なら治るけど」
 「そうじゃなかったら…」
 「そうじゃなかったら治らない」

 後になって判ったことですが、昔から指が痛い時は引っ張ったり、曲げることでスムーズに曲がるようにしてきましたが、それは間違った行為で、そんな時はテーピングして動かさないことが重要とのことです。

 さて、本日超音波エコーで確認してもらったところ、骨ではなく靭帯の異常のようで、私の身体自身が既に修復しようとしている様子が2ヶ所ほど確認できましたが、治療後のテーピングは目立たない簡易なものに変えてもらいました。

 昨日の一言に、ピンクのシャツを着た私を見て、ヒーとサブローが暴れた顛末を記しましたが、本日の朝になってテープを巻いた指を見たサブローは何も感じませんが、臆病なのかヒーは巣から降りてきません。

 鳥カゴの扉を開けると、一目散に飛び出してくるサブローはさておき、ヒーはこれまでも私の右手で掴んで出しており、テーピングを怖がっては出せませんが、本日は無理やり掴んでだしたものの、天井から降りてきません。

 問題の小指の痛みは骨が折れていなかったのが幸いですが、過去に経験の無い痛みで、何処で痛めたのか全く記憶に無く、車の乗り降りで打ったような気もするものの、朝の無理な体勢から起きたことが原因かもしれません。

 いつまでも若くは無いため気をつけるのは勿論ですが、これまで指の痛み程度では治療を受けたこともなく、自然治癒に任せていましたが、素人考えは余計に悪化させる可能性から、これからは注意したいと思います。

 東京都の新知事の話題でテレビは一色ですが、元横綱千代の富士の九重親方の訃報は、昨年亡くなった北の湖理事長の訃報に続いて、同世代の私には大きなショックを受けました。

 花のニッパチと言われた北の湖親方の訃報は、同じ昭和28年生まれの私にとって大きな幹が倒壊したような心境でしたが、私自身の身体の警鐘のようでもあったものの、私より2歳若い筋肉隆々とした九重親方の死は残念でしかありません。

 明らかな先輩となる永六輔さんや、大橋巨泉さんなど、我々がテレビを見て育った人々の訃報が連続していますが、これからは私自身の同世代の訃報が増えるのは当然なことになっていきます。
 誰もが自分の死期は判りませんが、いつかは絶対にやってくる宿命だけに、これからの生活を後になって後悔しないものにしたいと思います。

             本日の体重 71、8キロ 徒歩数 1875歩 間食あり
                                       8月1日の一言

ギャラリー
  • ようこそ 大鹿一八の納経所へ
  • ようこそ 大鹿一八の納経所へ
  • 令和6年 上高地開山式の様子です
  • 三重県桑名市大福田寺の聖天祭へ
  • 毎年恒例となった我家のアンズジャム作りへ
  • 毎年恒例となった我家のアンズジャム作りへ
  • 本日もボランティアの一日となって
  • 我家のきゅうりとプランターのイチゴです
  • 我家のきゅうりとプランターのイチゴです
アーカイブ
  • ライブドアブログ