大鹿一八「本日の一言」

平成16年2月から令和1年7月末までの「本日の一言」です。ヤフーブログ閉鎖により、ライブドアへ過去の記録として引っ越しました。

2016年10月

ピーが逝って一年が経過して 

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 私の携帯電話の待ち受け画面になっている、私の永遠の愛雀「ピーちゃん」です。

 私の人生の中で、私の一番近くに存在し、生まれて初めて目にしたのが私のため、私と一心同体のように行動し、私も自分の子供にも感じたことのない愛情を感じていましたが、一年前の10月29日に死んで(死なせて)しまいました。


 現在5羽の小鳥を私の事務所で保護していますが、ピーと同じ屋根から落ちてきた「ヒー」以外の4羽については、私とピーの2年間の生活をこのブログで発信していたことが縁で持ち込まれており、目も開かず冷たくなっていたピーを生かした経験が現在も生きていると思います。

イメージ 2 こうして記していても、玄関の門柱の横に眠っているものの、写真から「おい、お父さん」と呼びかけてくるような錯覚を覚え、私が事務所に行けば当たり前のように鳥カゴから飛んできて、私が菓子の袋を開けると飛んできて一緒に食べていました。
 好物のハチミツや甘い菓子を自分と同じように与えていたことが短命に終らせた一因とも思い、これは大反省となりますが…

 本日は、我家のアイドルとなった「サブロー」が、私の背中と肩に乗ったまま遊んでいましたが、ピーちゃんのように私の意思と一体となって行動することは無いと思われ、私と一緒に昼寝をして、私の声が聞こえる部屋まて探して飛んでくるような関係の再現はできないでしょうね。そうなって欲しいとは思うものの…

イメージ 3 寂しいのは、ピーは深夜族の私の傍らで、連日パソコンの横に居ましたから、夜でも独りではなく、ピーが逝ってからは本当に寂しくなりました。

 もっとも、こんな不摂生な生活も2年しか生かせなかった原因で、ピーを亡くした反省を今の5羽の保護の肥やしにしたいと考えています。

 「ピーちゃん」
 「チュン」
 「ピーちゃん、ピーちゃん」
 「チュン、チュン」

 一年が経過しても、呼びかけに応えていた「ピー」が忘れられず、我家の後輩「ヒー」が「ピー」に変身する姿を夢見ていますが、同じように私の手で育ちながら、何故に「ピー」のようにならないのか苦しんでいます。

 さて、本日は今年受診した「がん検診」と「基本検診」の結果をかかりつけ医に受診して、全て異常なしと診断されましたが、医師と同じように頼る管理栄養士さんに報告し、一年後も現状維持を続けるため、基本にかえって歩く事によって新たな目標を目指します。

           本日の体重 71、3キロ 徒歩数 11560歩 間食なし

                                      10月31日の一言


少年時代の悪友と稲沢市まで足を延ばして…

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稲沢市矢合町の竹林 
                           住み着いたサギのフン害により伐採中です

私にとっては、お気に入りの雑木林でしたが、これで消えていきます

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竹の切り株をそのままにすると…
                            節に雨水が溜まって竹は腐っていくとの話です
 
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矢合観音入口の小玉食堂
                          小玉食堂の名前の由来を知っていますか?
 
来店して主人の姿を見れば簡単に判りますよ
 
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私の好きな中華そば
 
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お土産の草餅もお奨めです
 
 「おい、どっか行ってこようか」とは、少年時代の悪友の一言ですが、私の行動はワンパターンで、家内が芋掘りに出かけた祖父江町の家内の在所に立ち寄り、中学時代に学校をズル休みして自転車で放浪した稲沢市まで出向きました。

 稲沢市の矢合周辺は植木の産地で、畑だけでなくいたるところに雑木林が存在し、私の中学時代にこの辺りで時間をつぶしていても、出会う人もないため、学校をズル休みしていることは誰にも判らず、誰にも束縛されない時間と空間がありました。

 さて、添付した伐採中の竹林は、矢合観音の横にある自然豊かな場所でしたが、ここに巣を作って集まるサギのフン害により、近くの国分小学校のプールがフンだらけとなるなど、地域の問題となっていたため、伐採に反対する地主も存在したものの、地域全体で伐採が行われていました。
 
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2014/6/6(金)
            

 2年前の春にはこんな見事な竹林と、雑木林を形成していた場所だけに残念ですね…


 中学時代には、こんな場所を見つけて中に分け入り、社会から隔離された空間で何時間でもボーとしていましたが、その3年後にグアム島から横井庄一さんが発見され、隠れていたジャングルと環境が似ていることと、我家の先人であることから、妙な共通点を実感させられたこともありました。

 本日は不良時代の友人の車に乗せてもらい、2才年下とはなるものの、私が落第して同級生となった主の食堂で昼食を共にして、友人もこの食堂をお気に入りとしてくれていることに時を越えた嬉しさも実感する一日となりました。

 私は中学校時代に学校をズル休みして放浪すると、担任の注意も聞こえてこないため、現実のトラバーユが癖になってしまい、高校時代になってもその習慣は続き、高校4年目となる頃には、「○○に行くから休む」と担任に宣言して休んで行く様になりました。

 そんな私が、休みのない新聞の仕事を選択し、17年前からはズル休みが許されない議員活動をしており、私の幼馴染の中には私の雲隠れと、突然のトラバーユに憧れていることを知っている者もおり、「何かやらかすのではないか」と言われることもありますが、良くぞ我慢して生活してきたものです。

           本日の体重 71、4キロ 徒歩数 2023歩 間食あり
                                     10月30日の一言

寒風に身体を震わせる一日に

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夕陽に染まるマンション 午後4時51分越津町

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朴の木から落ちた朴葉

 日中は日差しが強く暖かかったものの、強い風が吹き続けていたため、夕暮れから夜になって身震いする寒さを感じ、本格的な秋到来と言うよりも、夏から温かい日々が続いていたためか、まるで冬を迎えたような体感となりました。2日前に訪れていた上高地と変わらないような寒さです。

 青々としていた隣の畑のネコジャラシも真っ白となり、我家のアンズもほとんど葉を落とし、今年は多く実っていた花梨も本日で全て落下してしまいました。

 大阪管区気象台は29日、近畿で「木枯らし1号」が吹いたと発表した。昨年より4日遅いという。30日以降、風は弱まるが、気温は下がっていく見通し。   朝日新聞記事から

 横浜市港南区で28日、集団登校中の小学生9人の列に軽トラックが突っ込み1人が死亡した事故は、運転していた男性の87歳という年齢を問題とするテレビのコメンテーターも存在するが、私は高齢を問題とする前に、免許を取得してから道路交通法や道路の現状について、何も説明や研修が行われず、運転が自己勝手流になっている現状を改善する必要があると思います。

高速逆走、昨年最多259件 7割で65歳以上が運転
記事の続き…
 http://www.asahicom.jp/images/asahicom/hand.png発生場所では、柵などがなく、反対車線に容易に入れてしまうインターチェンジやJCT、サービス・パーキングエリア、料金所付近が全体の6割以上を占めた。残りは本線上で起きたか、場所が不明だ。
 また、過去5年で高速道路で発生した逆走1034件を調べると、700件(68%)は高齢の運転手だった。国交省によると、高速道路の逆走事故件数が日本と同程度のドイツでは65歳以上が32%、逆走の死亡事故のみを分析した米国では60歳以上が20%だ。海外では若い世代の飲酒による逆走事故が多い一方、日本では社会全体の高齢化が一因となり、逆走を引き起こす高齢者の割合が突出して高いという。
 14年現在で、日本の65歳以上の免許保有者は約1640万人。10年前から1・8倍に増えた。全ドライバーの2割を占め、今後も増加が見込まれる。
 秋田大大学院の水戸部一孝教授(人間情報工学)は「高齢になると認知や反応が遅れるのが特徴。標識を見逃すなど一度はミスをしても、二重三重に逆走を気づかせる安全対策が必要だ」と話している。
 国交省は昨年11月、「2020年までに逆走事故ゼロ」を宣言。進行方向を分かりやすくする看板やカラー舗装で注意喚起するほか、カーナビを使った警告や自動運転技術の活用などの対策も検討している。

 高齢者の身体的な問題ばかりが報道されますが、これだけ道路が複雑となり、地域事情や地理的要因で、道路の進入方法や交差が複雑となっており、信号の矢印指示などは地方ごとに差があることから、私自身も何度かびっくりした経験があります。

 数年前の体験ですが、姫路市を深夜に走行中に、二車線とも一方通行の道を走っており、途中でコンビニに立ち寄った後に、間違えて逆走してしまい、しばらく進行後に道路標示が何も無いことに気付き、逆走に気付いた先に、二車線を対向してくる車の集団を見つけて慌てたことがありました。名古屋の常識では、一方通行の表示板が必ず複数存在します。

 愛知県内においても、名古屋市に入ると、バス専用道路が左側だけでなく真ん中にあったり、真ん中の分離帯の反対車線側を進行したり、右折車線の右側をバスレーンの直進車線が存在するなど、市外から名古屋市に入る運転手は年齢に関係なく戸惑います。

 信号についても、交差点の左折レーンが信号無しの地域もあり、右折時に対向車が信号の時間差で止まっている交差点もあり、地域によって多少であっても違いがあることから、信号や通行方法を厳格に全国統一する必要性も感じます。

 私もあと3年で65歳となりますが、知らない土地に行き、高架上の高速道路と併行する一般道や、複雑な構造になっている都市部の道路で、進路の頼りにしているカーナビの指示によって逆走になってまう危険性もあり、道路のスピード化ばかり考えてきた結果が、事故を回避できなくしている可能性も改善する必要があります。

 新聞にも記されていますが、二重三重の安全対策や、カラー舗装などで誰でも間違えないか、間違えても事故を回避できる対策が必要に思いますね。

           本日の体重 71、5キロ 徒歩数 2953歩 間食あり
                                    10月29日の一言


絶景が日頃の嫌なことも忘れさせて 上高地

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上高地バスターミナル

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我家のタクシー(家内用)です

 火曜日の夜に電車と高速バスで松本に到着し、翌朝に電車とバスで上高地に入り、2日間のボランティアに参加していましたが、私の上高地行きに便乗して、家内と家族(私の母親と妹)が、私を迎えに来るという名目で上高地へ観光目的で訪れました。
 ※昨日の話です。

 小梨食堂で昼食を食べている時に、「大変だったわ」と言う家内の一言に、来たことを喜んでいると思っていたため、思いがけない文句を言われてびっくりです。

 「釜トンネルの入口で停められて…」
 「何故に?」
 「ここは入ってはいけないと言われて」
 「タクシーは入れるだろうが…」
 「タクシーと伝えると、車内のタクシーメーターも確認されて…」

 家内の話では、家内が女の運転手のため、間違えて入ろうとしていると勘違いされたらしく、タクシーの青ナンバーも確認せず停車させられ、確認後にナンバーを見て入れてくれたとの話で、私の運転時には停車させられないことから、明らかに家内が女であるため停車させられたようで、こんな所に男女の差を実感させられました。
 ※今まで家内の運転で何度も入っており、今回がはじめてのことですが…
 
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そんな顛末後のツーショットです

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母親の写真を撮る妹

 「私の写真も撮ってくれないかな…」
 「撮ってどうするんだ」
 「上高地も最後と思うから…」
 「また来れるだろうが」
 「葬式写真にしたいから…」

 母親の縁起でもない一言です。85歳の年齢を考えると、本当に葬式写真になってしまいそうで、妹に撮るように依頼しましたが、爽快な上高地の環境がそんな気持にさせたのかも知れません。

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環境の良さは嫌な事も忘れられます

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 私は昭和49年に初めて上高地を訪れましたが、この時に別世界へ来たように感じたイメージが未だに持続しており、これは私だけでなく、我家の家族にとっても共有する場所となっており、昨日は河童橋からウェストン碑まで歩いてバスターミナルに戻りました。

 昨年までは、家族で上高地を訪れていても、私は自分のお気に入りの場所に歩き、一緒にお店で食事をすることもなく、一緒にゆっくりと歩いたこともありませんでしたが、今年はガイドの研修会で学んだ知識と、ボランティアで見つけた場所を家族に見せてやりたいという心境にもなり、快晴に恵まれた秋の紅葉期が久しぶりに家族の憩いの一日にしてくれました。

             本日の体重 71、5キロ 徒歩数 2666歩 間食なし
                                     10月29日の一言

上高地 今年最後のボランティア参加

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上高地のシンボル河童橋
                          観光客が感動して集う自然環境の裏側では…

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本日午前9時 お客さんが訪れる前に落ち葉の清掃です

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バスターミナルと河童橋間の道路清掃

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梓川左岸のベンチ清掃 昨日の作業です

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活動ステーション前の私です

 上高地では自然環境保護の聖地として、ゴミ一つ無い環境を目指して、観光客にゴミを捨てさせないばかりか、環境省や自然公園財団の職員が、連日公園内の散策路やトイレ、施設の清掃など維持管理をしていますが、パークボランティアも施設の維持管理や自然環境の保全のため活動に参加しています。

 昨年まで私は、上高地を汚しはしないものの、家族や自己満足のため頻繁に上高地を訪れていましたが、還暦を過ぎた現実から、体力のあるうちに上高地の自然環境保全のために少しは貢献したいと考え、今年4月から環境省に登録されたパークボランティアとして活動に参加してきました。

 その上高地も、20日後の11月15日に閉山となり、最終日もボランティアとして参加を予定していますが、実質的には重点活動への参加は本日が最後となります。

 私は議員になってから、防災ボランティアや、街づくりのボランティアに参加し、NPO法人を設立して、高齢者や障がい者の通院や買物に同行するボランティアを主宰し、福祉有償輸送や福祉タクシーで国の認可を受けて活動してきました。
 今年4月からは上高地のパークボランティアに登録され、街づくりに貢献する大学や司法など、多彩な経歴を持つ先輩ボランティアとの出会いが、還暦を過ぎて老人へ移行しつつあった私を、新人ボランティアとしての新鮮な気持にさせていただきました。

 上高地の魅力は、観光バスからバスの出発時間を告げられて降ろされ、自由散策するだけでは体感できず、上高地へ直接乗り入れできるタクシーを所有し、現地の説明もできる無償ガイドとして、来年には更なるレベルアップを目指していきます。

         本日の体重 72、2キロ 徒歩数 13297歩  間食あり
                                   10月27日の一言

上高地の魅力 朝の静寂 

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本日朝の焼岳 河童橋から

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河童橋から 穂高連峰

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早朝の梓川 右岸道ウェストン碑方向

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アルペンホテル前の倒木

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梓川 右岸道河童橋方向

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河童橋と六百山 ホテル白樺荘前

 私は人の姿がない早朝の上高地が大好きで、10年ほど前には河童橋の一番乗り(渡り)にこだわっていた頃もありましたが、神々しい穂高連邦から降りてくる汚れのない空気を吸い込み、梓川を流れる水音以外の雑音のない散策路を歩き、その日に六百山から湧き出たばかりの水を飲んで自然と一体になったことを体感します。

 本日は久しぶりにそんな雰囲気に浸ることができました。

                                               10月27日の一言

上高地  最高に素晴らしい一日です

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雲一つ無い穂高連峰は久しぶりです

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小梨平のカラマツ


イメージ 3梓川
梓川沿いのカラマツ

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紅葉も綺麗です

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清流梓川 穂高連峰 
                            こんな日に河童橋を渡れる人は幸運です

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朝の焼岳

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二匹の猿 私を威嚇しています  
   ボランティアは猿を追い払わなければなりませんが、
 私には難しい仕事です

平成28年10月26日

上高地 パークボランティアへ

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午前9時から上高地一斉清掃が行われました

本日は、上高地の関係機関や関係者による一斉清掃が行われ、午前9時に河童橋に参加者が集まって一斉清掃が行われました。パークボランティアからの参加は6名で、環境省や公園財団職員と共に、河童橋から梓川左岸のベンチや施設を田代橋まで清掃し、バスターミナルまで散策路を清掃した後に、田代橋まで戻って梓川右岸を河童橋まで清掃しました。

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朝6時松本駅です

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松本電鉄上高地線 6時31分発新島々行き

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新島々からはバス
                           7時15分発で上高地へは8時20分到着です

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ボランティアの始めはこんな感じでしたが…

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見事な紅葉の中を移動します

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 本日のボランティアには、午前中だけでなく午後も参加する予定でしたが、参加メンバー全員が午前中だけで帰るとの話から、やる気は満々だったものの、身体が思うように動かず悲鳴をあげていたため、これ幸いと午前中で参加を打ち切りました。

 私は青ナンバーのタクシーを所有しているため、愛知県の我家から3時間で上高地に来られますが、環境省のボランティアに参加するためには、松本方面か高山方面からバスで上高地に入るとの決め事になっているため、ボランティアに参加しようとすると前日に自宅を出発する必要があります。

 そんなことから、ボランティアに参加することは、観光のようにその日に簡単に上高地へは来られず、身体の負担もありますが、4月から参加したボランティアの中でも、身体の疲れが吹っ飛ぶような晴天と、見事な紅葉によってボランティアに参加して本当に良かったと思う一日ともなりました。

                   徒歩数 17024歩
                                    10月26日の一言

上高地ボランティア 夜行で松本まで 

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名古屋名鉄バスターミナル 午後8時40分発松本行き

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夜7時49分 名鉄青塚駅

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夜の名古屋駅前

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ななちゃん人形も夜に模様替えです

 明日と明後日の上高地パークボランティアに参加するため、名古屋を午後8時40分発の松本行き高速バスに乗りました。

 本日の夜は私の事務所で書道会が開催されるため、午後7時10分に恩師を迎えに走り、会場の空調とお茶やコーヒーの準備をして、午後7時40分から家内の運転で青塚駅まで送ってもらいましたが、7時30分から開始される書道会の前から分刻みで名古屋に到着してバスに乗車しました。

 深夜11時40分(予定より30分早く到着)に松本駅に到着し、駅前のなじみのネットカフェ「ネムル」で(6時間パックで1700円)仮眠して、午前6時31分発の電車で新島々駅を目指し、ここからはバスで上高地を目指します。

 学生時代には一日がかりで上高地に入っていましたが、最近は仕事後の夜に出発しても訪れることができ、便利になったことを実感させられます。このブログは車中からの発信で、電源のコンセントもついています。

 もっとも、私の車には2日から3日は生活できる食材と、寝具も搭載してあるため、車で3時間の上高地入りもできますが、還暦を過ぎており、見送る家族の安心感と確実な睡眠を確保できるため、これは助かります。

 学生時代に真っ暗になった駅で震えながら朝を待ち、登山客とタクシーの乗り合いで上高地入りした記憶がありますが、現在は24時間営業のコンビニも存在し、夜の移動が楽になりました。

 明日は午前9時から、河童橋周辺の一斉清掃が行われます。

                                    10月25日の一言

千両役者のサブローが中心に

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こんなポーズでいいかな? カメラ目線のサブローです

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何でオレだけ手の中なんだァ  ヒーです

 5月24日に我家の2階の屋根から落ちてきた「ヒー」と、名古屋市の会社で保護され、その3日後に我家へ届けられた「サブロー」ですが、一緒の鳥カゴに入れてあるものの、5ヶ月の経過と成長によって性格も行動も随分と違ってきました。

 生育が遅れて巣立ちができずに落ちた「ヒー」と、建物の管理者が誤って落とした巣の中に居た「サブロー」とは成長が違い、やっと同じように飛ぶようになった「ヒー」に対して、「サブロー」は水遊びやすべり台で遊び、事務所の隅々を探検して、他の3羽の鳥カゴへ遊びに行きます。

 自分で鳥カゴを出てこれない「ヒー」は私の手で出しているものの、最近は鳥カゴに入るのを嫌い、捕まえるのに大変になってきましたが、「サブロー」は出たいと意思表示し、自分で出てきて、自分の意思で鳥カゴに戻っていきます。

 保護してから5ヶ月が経過し、我家で生まれ、障がいがあるため苦労した「ヒー」を贔屓目で見てきましたが、最近は放鳥しても、自分で勝手に飛んでいる「ヒー」に対して、私の頭や身体に寄ってくるだけでなく、私に見せているかのように遊ぶ「サブロー」が中心となってきました。

 私の手の中でエサを口にして、私と一緒にコタツの中で寝て、私の手の中を当たり前にして、一緒に昼寝をしていた「ヒー」でしたが、日々進化する「サブロー」と一緒に居るためか、鳥として成長したのか私の手を嫌うようになっています。

 「ヒー」と言うと飛んできたヒーが飛んでこなくなった反面で、「サブロー」と呼ぶと飛んでくるようになり、サブローが私の周りに居るのを見て、ヒーも私を観察はしていますから、一緒の鳥カゴの中に居ても、それぞれの名前は認識している様子です。

 さて、今週末には「ピー」が逝って一年目の命日を迎えます。あっと言う間の一年間で、二度とスズメを飼うとは思えませんでしたが、我家の屋根から2羽のスズメが落ち(1羽は死んでいました)、4羽のスズメが持ち込まれました。
 どうしても、私と一心同体のように生活していた「ピー」と比較してしまいますが、「ピー」が居たことでスズメと語れるようになり、「ピー」の記憶が後輩たちの保護に役立ってきました。

 脱線どころか、まるで記するテーマを変えてしまいましたが、離島や山奥に生活する人々の生活を一変させる、ドローンを使った宅配便が現実になろうとしており、都市部においても回転寿司の延長のように輸送を考えれば、物流は画期的な変化をもたらしそうです。

ドローン、見えない場所での操縦に基準 離島の宅配に道
記事の続き…
 http://www.asahicom.jp/images/asahicom/hand.pngドローンを使った宅配事業については、規制を緩める国家戦略特区に指定された千葉市などで実現を目指す動きもある。だが、建物が密集する都市部でドローン宅配の安全性を確保するのは難しく、実用化のめどはたっていない。安全飛行のためのカメラを搭載したドローンが住宅街を飛ぶことに対しては、プライバシーの問題も指摘されている。
 新たな許可基準の対象は、人の少ない離島や山間部に限られるため、国交省は、安全性の確保やプライバシーの問題は比較的クリアしやすいとみている。
 安全性確保のためには、衝突回避センサーや、360度を映し出せるカメラの搭載などを許可の要件として想定。また宅配に使う場合も、安全やプライバシーに配慮し、民家から少し離れた場所に専用の発着場「ドローンポート」をつくり、住人が届いた荷物を取りに行く運用を検討している。
 民間企業は、すでにドローン宅配への参入を目指し、動き始めている。ネット通販大手の楽天は、離陸して目的地で荷物を下ろし、帰還まで自動で行うドローンを開発。今月には、愛媛県今治市の離島に向け荷物を運ぶ実験を始める。同社はドローン宅配を「ビジネスだけでなく、災害時の物資搬送などの社会的意義のためにも活用する」としている。
 国交省によると、欧米やアフリカなどでも、ドローン宅配の実用化を目指した動きがあるという。
 ドローンの飛行性能は向上しており、トラブル時にパラシュートが開いて落下の衝撃を和らげる仕組みができたほか、互いをセンサーで認識し、衝突を自動回避するシステムも開発されつつある。

           本日の体重 72、0キロ 徒歩数 3545歩 間食あり
                                    10月24日の一言

大学の給付型奨学金には疑問だ

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私のお気に入りのエノコログサ(狗尾草・ねこじゃらし)
                隣の主が入院中のため、皮肉にも畑のねこじゃらしが見事です

 高校の学費無償化や国による給付型奨学金導入を求め、愛知県内の私立高校の生徒らが23日、名古屋の繁華街を約4キロにわたりパレードしたとの新聞記事がありましたが、私の三男も在学中にこの運動に参加していました。

「教育は平等に」 学費問題解決訴え高校生らがパレード

 私の3人の息子はスポーツ推薦によって長男と次男は指導者から声がかかり、愛工大名電高校に入学しており、3人とも陸上、相撲、自転車と競技種目は違いますが、それぞれが全国大会に出場しました。

 娘は地元の公立高校に通学しましたが、私立高校に3人の息子を通学させたことから、親として経済的に厳しいのは当然理解できますが、中央大学に進学した長男をはじめ、愛工大名電高校で運動をしているだけで、息子たちの学力では予備校に通っても進学できない有名大学に進学が可能となりました。

 そんな経緯から、義務教育でない私立高校については、進学する目標から何でも無償化とか奨学金と言う前に、親としての経済的な覚悟も重要で、その覚悟がなければ子供たちの進学した成果も望めないと思います。
 生活ができなければ、学費がほとんど不要な公立高校や、定時制とか通信制の高校も選択できたと思われます。

高校成績「4」以上→月3万円 給付型奨学金の自民案
                     
19~22歳扶養控除、縮小検討 給付型奨学金の財源に
                     
「貧乏なのに進学した罰」 風俗で働く短大生
中学時代、5千円で売春 「これで上履きが買える」

 さて、国においても給付型奨学金の支給が実施されていくようですが、返済が不要となる給付型の奨学金を考える反面で、その財源についても検討されているものの、国民全体で支払う税金が財源として一部の大学生に返済不要の給付金に回される事には疑問が残ります。

 何ゆえに返済が必要な奨学金ではいけないのか。添付した新聞報道にも記されていますが、離婚して母親が交際相手を代わる代わる家に連れ込んで生活保護を受けるという事例は、完全に家庭が破綻しており、この状態では最初から通信制か夜間の定時制大学に進学すべきで、生活できないから風俗のアルバイトをする事例はどうやって考えても普通とは思えません。

 5年かかって高校を卒業した元不良の私に、「今はアルバイトをしながらでも大学に行ける」と薦めた恩師は、家庭が貧乏だったため、一年間働いて学費を貯めてから広島大学に進学した自身の体験を語ってくれました。

 そして、私の体験からも、経済的に苦境にある家庭でも、離婚や家庭崩壊していなければ、アルバイトをしながら私学の大学生活を送ることは可能で、新聞配達をしながら昼間の大学に通学できる新聞社の奨学金制度など、働きながら大学に通学することは可能です。

 「貧乏人は麦を食え」と言った政治家が存在しますが、医療保険や公的負担が年々増大している中で、税金も納めず生活保護を受ける家庭も一緒にして「教育は平等に」は義務教育だけの話で、私立高校や大学まで無償化や平等にとの主張には疑問が湧き、返済不要の給付型奨学金には納得がいきません。

             本日の体重 71、9キロ 徒歩数 2009歩 間食あり
                                     10月23日の一言

地震は気持も揺らしてきます

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町内のお寺のお地蔵様

 本日、午後2時7分ごろ、鳥取県で震度6弱の地震が観測された。

鳥取で震度6弱 西日本中心に広く地震 津波の心配なし
鳥取地震「1週間程度、震度6弱のおそれ」 気象庁

 鳥取県で発生した地震は、私の住む愛知県でも大きな揺れを感じ、東日本大震災のような広範囲で震度が観測されていますが、私はその時にお寺の本堂で、真言密教の「阿息観」のため座っていました。

 揺れを感ずる少し前に、本堂が「ミシッ」と音を立て、地震の前触れを予感し、まるで船に乗っているような揺れに、「これは…」と言いかけたものの、一緒に座る人々が何事もなく無言で座っておられたことから、このままであって欲しいと揺れが収まるのを待ちました。

 真言宗の座禅は、曹洞宗の座禅のように無の境地を求めて、身動きをすれば背中から警策(きょうさく)棒で叩かれるようなものではなく、頭の中に浮かぶ物事の良いことだけを残して、リラックスすれば良いと言われる瞑想法ですが、地震の時にも何事もなく座る人々に、オタオタした吾身の小ささを感じさせられました。

 4日後には松本から上高地に入り、来月早々には四国遍路に同行しますが、上高地は閉山式が迫っており、本日名古屋で開催されていた志賀弘法会では、四国遍路の準備と段取りが既に行われており、大きな流れの中で、私一人ではどうにもならない現実にいかにリラックスした平常心でおられるかと考えさせられました。

 明日は百羽の小鳥が放鳥されているトリエンナーレの豊橋会場に出かけようと考えていましたが、自分からは動かないことも重要と、地震の揺れの中で、時の流れに身を任せたいと思う一日ともなりました。

 朝から忙しい一日でした。午後に誰とも判らない市民の方が、生活苦を綴った要望書を持って私が不在の我家に届けられ、夜には家庭が破綻して精神的に侵されている市民の方の電話を家内が受けていました。次々と続くスケジュールの中で、外からのストレスにも気が重くなる一日でもありました。

            本日の体重 71、3キロ 徒歩数 4115歩 間食あり 
                                    10月21日の一言                       

八十年前、曾祖母や家族が歩いた道を通って…

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宇治町の歩道橋から名古屋方面を見る

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我家の花梨です

 月曜日と水曜日、金曜日は4キロほど離れた珈琲屋さんまで歩く事にしていますが、今週は外出を考えて歩いておらず、明日も予定があることから、本日は片道だけですが、家内に珈琲屋さんに降ろしてもらって歩いて帰宅しました。

 この珈琲屋さんは津島市葉苅町にありますが、このお店に近い浄土宗のお寺は、昭和初期に我家から私の父親の弟になる叔父が、「生活苦」から小僧として預けられたお寺で、現在叔父は同じ町内にある老人施設に入所しています。

 2年前から、私はこのお寺と老人施設の前を歩くことをノルマにしてきましたが、我家にとっては、叔父をお寺の小僧に出したことは悲しい歴史として、父親からは勿論ですが、叔父からも聞かされており、この事実は叔父の娘たちも知らされていない我家のどん底生活の中で起こりました。

 私にとっては祖母にあたりますが、叔父や父親の母親は、昭和8年7月31日に名古屋市中区矢場町にて交通事故で死亡しており、両親を失った父親たちは、当時60歳を超えていた祖母が、事故後から乳母車に花や野菜を乗せて売り歩くようになった収入で生活していました。事故の賠償は1円も無い時代でした。

 そんな中で、三代前の住職が我家の分家から出ていた縁で、お寺に子供をもらってもらえる話となり、お寺は少しでも大きい私の父親が欲しかったようですが、少しでも幼い2歳年下となる弟の叔父が5歳の時にお寺へもらわれていきました。

 「兄貴も常楽寺(津島市内の禅寺・数代前に大鹿家から住職が出ている)にもらわれていく筈だった」と叔父は話していますが、私の父親の話では、戦死した兄から「常楽寺にもらわれていくと嘘を言って、叔父に綺麗な服が着せてもらえる」と言って上手にお寺へ出さないと自分が出されると知恵を授かっていたようです。

 現実は幼い叔父にとっては辛い小僧生活となり、何度もお寺を逃げ帰ってきたようですが、叔父がお寺から追い出されると困る為、曾祖母が私の父親と、叔父の妹の3人で、孫となる叔父をお寺が見える千引(旧佐織町千引)の橋まで送っていって、叔父がお寺に入っていくのを見届けてから我家に戻っていたようです。

 お寺に戻って行く叔父は勿論ですが、我家の曾祖母や父親も泣いて別れていたとの話を、私は父親から聞かされており、叔父からは我家に帰った時に、六十を過ぎた曾祖母と、兄、妹が一緒に布団に入って泣いて寝たことが懐かしく嬉しかったと語られたことが、今となっても想像すると涙が溢れてきます。

 そんな我家と因縁のあるお寺や、宇治町、椿市町の道路を、私は健康を目的として珈琲屋通いをしているわけですから、八十年前の当時を知るのは叔父のみとなり、伝え聞いているのも私一人ではないかと思うと、歳月の経過にも驚かされます。

 こんな顛末も、昭和47年1月に、グアム島で28年の洞窟生活を経て、旧日本兵横井庄一さんが発見されたことと、横井さんが我家の先輩・大鹿庄一として、大正末期の小学校五年生の時に、横井家に養子に入ったことから、発見後に雑誌や書物に記されたことから伝承されてきました。

横井庄一記念館・明日への道 http://www.kuronowish.com/~oshika18/newpage201.htm

 秋になり日の入りが早まり、暗くなった我家までの帰り道が、80年前にも我家の曽祖母や父親、叔父たちが通っていたと考えると、叔父の施設の窓の下を、他人のように通り過ぎている一歩一歩にも、振り向く必要を感じさせられました。

             本日の体重 70、9キロ 徒歩数 5026歩 間食あり
                                     10月20日の一言

上高地へ格安で行ける方法を問われて

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我家の柚子(ユズ)です

 「もう、上高地には遅いかな」の一言は、私が安価で上高地に行けると話していた人からの電話で、私に同行する期待もあったようですが、ボランティアの場合はバスで上高地に入るとの話をすると、一人では行けないとの話となりました。

 昨年までは観光客として、青ナンバーのタクシーを所有しているため、思いつくままに上高地を訪れていましたが、環境省のパークボランティアは、バスでの上高地入りが前提となっているため、一緒に上高地に連れて行くこともなくなりました。

 そんなわけで、本日は格安で上高地に行き、低価格で滞在する方法を「朝日旅行友の会」ブログ(下記に添付)に記し、知人にメールで送信しました。
 「山の上では氷や霜柱が見られる季節になった」との上高地の発信から、テント生活は無理ですが、11月15日の閉山式も迫っているため、行く気があれば名古屋なら日帰りも可能です。


 以前の一言にも記したこともありますが、沖縄県で基地移転に反対する沖縄県民を、強制的に排除するため警視庁や県外の警察官が動員され、県民の中には骨折したり裂傷を負うなどの被害が出ていても泣き寝入り状態で、座り込む沖縄県民は力で排除されてきました。

 そんな環境下で、沖縄県民を「土人」と発言した大阪府警の警察官が存在し、中には「シナ人」と発言した警察官も存在する可能性が指摘されており、地元の民意を国の政策で封殺するばかりか、国の決定したことには先祖伝来の地に住む住民の権利より優先する悪夢を実感させられました。

機動隊員「ぼけ、土人が」 ヘリパッド建設抗議の市民に

 この事件を受けて、国や安倍政権がどんな弁解をしたところで、県外から動員された警察官の行動や発言は正直で、本音が漏れたとしか思えず、県民の対応は沖縄県警に任せ、人道的に行われるべきではないかと私は思います。

            本日の体重 70、6キロ 徒歩数 3027歩 間食なし
                                    10月19日の一言

知多四国を歩こう 日間賀島と篠島へ

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日間賀島と篠島を終えて師崎港へ到着しました

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河和港から日間賀島へ向います

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今回の参加者は9名 日間賀島へ向う船上です

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篠島を歩きます

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第38番正法禅寺 篠島

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師崎港へ渡ります

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知多半島を歩きます

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行程を終えて内海駅から自宅を目指します

 本日は歩き遍路友の会東海主催の「知多四国を歩こう」第6回目が開催され、河和港から日間賀島と篠島の4ヶ寺を巡拝し、師崎港に戻って知多半島の西側に廻り、約12キロの行程を歩きました。

 「電車が遅れているが、出航を少し待ってもらえないか」
 「電車が遅れているの?」
 「事故でダイヤが大幅に遅れており、仲間が遅れている」
 「駅から何にも連絡がないから…」
 「連絡があれば待ってもらえるのか?」
 「少しのことなら…」
 「少しても待ってもらえますか?」
 「駅から何も連絡が無いから…」

 本日の早朝に岐阜県の竹鼻線で事故があり、名鉄電車は大幅に遅れており、私は予定した電車の1本前の電車に乗ったものの、10分ほど遅れ、計画した電車に乗車した仲間が遅れており、河和駅で駅員に問い合わせたところ、「船は関係ないから」と船は待ってもらえないと言われました。

 しかし、河和港の乗船場では、電車が遅れている時には連絡が入り、多少の時間は待っているとの話で、名鉄全線で終日に渡ってダイヤが遅れていたものの、駅から連絡がないとの話で、駅員は船は関係ないと思っているようでした。

 私の父親は若い時に名鉄電車の運転手をしており、直属の乗務区の上司が後に名鉄海上観光船の社長になられた時に、学歴が無いのに社長になったと喜んで、出向した名鉄産業で燃料の油脂を担当していたことから、私は何度も観光船の現場にも連れていってもらいました。

 同じ名鉄のグループとして、父親の担当した油脂は、グループ全社に関わることから、私は各地の関連会社に父親の車に同乗して付いていき、現場でも可愛がってもらいましたが、最近の名鉄はグループの連携と協力が希薄になっていますね。

 さて、電車のダイヤが遅れると、電車の到着時間を目安に集合時間を決めていたため大変な混乱となり、幸いにも船の出航に全員間に合ったため、予定した行程をこなせましたが、最近は名鉄電車とバスが別会社になっており、鉄道やバス、定期船など公共交通がより密接に連携してくれないと仕事や行楽の予定が大幅に狂います。

 本日は第40番影向寺まで巡拝し、タクシー2台に分乗し、名鉄内海駅から乗車し、金山駅でメンバーのご苦労さん会ですが、私と家内は毎週火曜日に開催される夜の書道会があるため、大慌ての帰路となりました。

          本日の体重 71、5キロ 徒歩数 21348歩 間食あり
                                    10月18日の一言 

子供が犠牲になっているのは悲しいですね

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我家の柿です

 豊かな世の中になり、豪華な商品から低額な商品の選択ができ、誰もが旅行に出かけられる環境が整ってきた中で、我が子を母親が死に至らす事件が後を絶たず、周りには救いの手をさしだせる余裕もあることを考えると無念に思います。

「バイバイ」笑顔の幼子、母は橋から落とした
記事の続き…
 手を離した。ドボンという音が聞こえたが、その場を離れたくて車まで走った。自宅の前で車を止めると車内で少し泣き、部屋に戻った。
 翌日、橋の約1キロ下流で女の子の遺体が見つかった。3歳の誕生日を迎えたばかりだった。
 事件は2014年、日本海側の人口約8万人の地方都市で起きた。弁護士や親族らの証言、裁判記録、事件後に県がつくった「検証報告書」などをもとに、その経緯を追った。
 女性は21歳で娘を出産したが、夫の家庭内暴力(DV)もあり、娘が2歳のときに離婚した。その後、相談相手だったアルバイト先の男性と同居を始めた。
 女性は娘の発達に不安を抱えていた。周囲の子より遅く歩き始め、言葉もなかなか出ない。アトピーとぜんそくの持病もあった。かかりつけ医だった小児科医に「なんでうちの子は弱いの?」と何度も聞いた。予防注射はすべて受けさせていた。小児科医は「精いっぱい育児していたという印象」と話す。
 「育児に疲れてイライラする」。事件の2カ月前、女性は市役所を訪れ、泣きながら相談員に悩みを打ち明けていた。
 相談員は「1日1回、7秒間、抱きしめてあげて」と声をかけた。女性は言われた通り娘を毎日抱きしめてみた。娘は最初は喜ぶ様子を見せたが、育児のストレスは消えなかった。
 相談から約1カ月後。娘が発熱し、迎えに来るように保育所から電話がきた。だが女性は「もう無理」と泣きじゃくって電話を切り、引き取りを拒んだ。
 保育所から市に連絡が入り、児童相談所(児相)は娘を一時保護する方針を決めた。しかし、実家の祖母が保育所に向かい、娘を引き取ったため、保護の決定は取り消しになった。それから1カ月後、事件は起きた。
 法廷で女性は「橋から落としてしまうことしか考えられなかった。最低なママでごめんなさい」と涙を流しながら語った。
 この夏、女性の父親が取材に応じた。育児に悩んでいた女性に「焦るんじゃないよ。笑える時がくるから」と言い続けたという。どうにもならない時は「絶対に親に相談してくれるというおごりがあった」と悔やむ。女性が市に相談していたことは事件後に知った。「最優先は命。それだけを救いたかった」
 女性は懲役9年の判決を受け、今は服役中だ。両親への手紙には、常に謝罪の言葉が並んでいるという。

 高校時代に非行に走っていた私は、3度の落第を経験する中で、私に救いの手を挙げていただいた恩師の存在によって、成人式後に高校を卒業し、大学の受験勉強をしていなかったにも関わらず、恩師たちから「絶対に大学に行くべきだ」との勧めで進学しました。

 結果的には大学在学中に起業し、学生時代に結婚したため、真面目な学生生活は送っていないものの、仕事の責任と子供の存在によって荒んだ生活とは無縁の環境に変わっていきました。

 少年時代に乱暴な行動をしていたものの、子供と家族ができたことによって、街角でトラブルになると、とことん相手を負かせようと思っても、子供が車の中で泣き出したり、家内が泣いて静止するため、トラブルそのものを回避するようになりました。

 そんな自分の体験と経験とは違う、子供が犠牲になる事件が続くことと、私の周りの出来事なら、吾が身と我家の力でも何とか救うことができそうな環境もあり、何ともできないままに幼い子供が犠牲になっていく現実は寂しいものがあります。

 添付した記事には、橋の上から川に落とそうとする母親に、3歳の娘がにこっと笑い、「バイバイ」と言ったという記載があります。

 悲しいですね。

 何故にこんな男と同居するのか。近くに母親の両親も存在しており、何とでもなっと思いますが…

             本日の体重 71、6キロ 徒歩数 1111歩 間食あり
                                     10月17日の一言

街角から遠くを眺めて

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となりの畑のネコじゃらし

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神守アブヤス前の歩道橋から 西 津島方面

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神守アブヤス前の歩道橋から 東 名古屋方面

おはようございます
横峰寺売店横で会った同行+4匹のあくひまと言います

その日に無事阿蘇に帰り着き
阿蘇山の噴火の被害もたいした事ありませんでしたよ
被害が大きければ、危機管理能力疑われますから笑

 先週末に四国遍路で出会った「同行+4匹」のあくひまさんからコメントが届き、無事に阿蘇に帰ったことと、その後の被害も大きくないことが記されており、四国から九州に帰った顛末もブログ発信されていました。


 四国遍路の魅力について、人はそれぞれの考えがありますが、私は本堂と大師堂の前に立っている時以外は、意外性のある(人間らしい)人との出会いが楽しみで、過去にも犬とともに遍路中の人をここに添付したこともありました。

 四国を歩いて遍路中に、疲れて足が動かなくなったときに、四国で親しくなった知人の自宅が近いと、最悪の場合には携帯電話で救いを求められることが励みになったり、出会った知人との思い出や、一緒に同行した人の顔が心強さになってきます。今回は2日間だけの遍路でしたが、帰宅した直後に善通寺の写真屋さんから手紙が届いており、こんな繰り返しが再度四国へ足を運ぶ原動力となります。

来年1月2、3日に開催される第93回東京箱根間往復大学駅伝の予選会が15日、東京立川市の陸上自衛隊立川駐屯地から昭和記念公園までの20キロコースに50校が参加して行われ、史上最多の87回連続出場を続けてきた中大が出場を逃した。

箱根駅伝、中大が予選敗退 最多87回連続出場

実弾なしでは…中大の駅伝改革実らず 「箱根」予選敗退

 残念な結果です。私の長男は、平成8年にインターハイの走り高跳びで入賞したことを評価され、翌年中央大学に入学したことから、箱根駅伝だけでなく、愛知県の熱田神宮と伊勢神宮を結ぶ大学駅伝なども家族ぐるみで中央大学を応援してきただけに来年の箱根駅伝は寂しいものがあります。

 もっとも、この2年間は、地元の出身で、山の神となった神野大地選手を応援してきましたが、来年は神野選手の姿もありませんから、応援する対象がなくなったことにも寂しさが隠せません。

             本日の体重 70、9キロ 徒歩数 2005歩 間食なし
                                      10月16日の一言


ハッとして草柳大蔵氏の本を探しました

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本日は神守小学校区のコミュニティフェスティバルが開催されました

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婦人会の炊き出し(右)と農協のおにぎりに並ぶ参加者

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餅投げです

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警察官によるマジックショー 手品です

 本日は神守小学校区のコミュニティフェスティバルが開催され、会場となった神守小学校の運動場では、幼稚園や保育園の園児による演技も行われ、多くの保護者や祖父母も参加して鑑賞されました。

 体育館内では添付したフラダンスショーや、手品だけでなく、津島カルタを詩吟風に披露されたり、各種啓蒙作品も展示され、運動場では地元消防団が日頃の訓練を披露し、農協によるテントでは野菜の即売や、神守中学校のボランティアの手伝いによるみたらし団子の販売にも長い行列ができました。

 市内に8小学校区にコミュニティ組織が設置され、神守小学校区でもフェスティバルが恒例となっており、あわせて防災訓練や、道路の安全や美化活動が定期的に行われるようになってきました。

 一方で、私が子供の頃に行われていた、水田の虫追い祭りや、各種の宗教的伝統行事が姿を消しており、記憶から消えたり、伝承されない行事の再現と記録も重要でしょうね。

 さて、本日久しぶりに出会った知人と、一度参加した曹洞宗の座禅について語り、座禅会場となる本堂に入る時には右足から入って、本堂を去るときは左足から出ることを確認しましたが、先週訪れた四国遍路や、今週訪れた高野山においても、私より年長者でありながら、あまりにも基本的な作法を知らない人の多さを実感させられました。

 そんなことから、三男の接骨院開業によって、事務所移転により多くの書物をゴミとして破棄したことを思い出し、夜になってから草柳大蔵さんの「礼儀覚え書」の行方を探しだし、再度読み直すこととしました。

  草柳大蔵さんは、平成14年に78歳で亡くなられているが、この本を読んだときに品格のある生活を送るためには何一つできていない現実を実感し、新鮮な気持で読んだことがあまり活かされていない現実も実感させられました。

            本日の体重 70、9キロ 徒歩数 5008歩 間食あり

                                     10月15日の一言


隼人中さんさん会 同行最終日 

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高野山奥之院 御廟橋前で記念撮影

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宿坊福智院 石庭

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中の橋駐車場前 奥之院入り口

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奥之院 水向地蔵

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御廟橋 ここから奥は写真撮影厳禁です

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一の橋 鶴田浩二さんのお墓の前で

 鹿児島県の隼人中学校を昭和33年に卒業した人たちに同行した、伊勢志摩から高野山への旅は、あっという間に旅程の3日間が過ぎ去り、関空から鹿児島に帰る人と、関西方面の方々12人を午後2時に和歌山県の橋本駅に降ろし、中部地区や関東地区の人々12人を午後6時に名古屋駅へ降ろして散会となりました。

 卒業した学校の近くで同窓会や同級会が開かれることは当たり前の光景ですが、60年近く前に中学を卒業した仲間が、全国各地から集合して同級会を行う姿は見たことがなく、マイクロバスの運転手役の私まで同じように接していただき、自分も同級会に参加したような気持にさせていただきました。

 四国遍路から帰った翌日の遠出となるため、初日は体調不良を心配した旅立ちとなりましたが、自身のリハビリ・休養と考えて運転し、昨日に高野山に到着して金剛峯寺に参拝し、本日奥の院の燈籠堂に座り、弘法大師の御廟前で読経を唱えていると絶好調になっていきました。

 「お久しぶりです」
 「 … 」
 「何とか来ることができました」
 「 … 」
 「また来ますので…」
 「 … 」

 高野山を訪れると必ず立ち寄ることにしている鶴田浩二さんのお墓ですが、私の独り言に、「君は俺に何を期待しているんだ」とか、「おまえみたいなヤツは知らないぞ」と言われそうですが、自分の親のように、尊敬している恩人として近況報告するとともに、ここに来れば子供のように謙虚になれる私の居場所ともなりました。

 私の高野山行きは、6月に志賀弘法会に同行して以来となりますが、志賀弘法会は宿坊総持院の勤行前に朝4時半からお勤めをして、午前中は奥の院から、荒神様、浪切不動尊、女人堂、宝亀院など読経三昧となり、お昼までは何も口にできずお土産も購入できません。

 それも大変ですが、本日は参加したスケジュールの中で、手抜きのない参拝ができたことは、久しぶりにゆとりとなる高野山行きとなり、先週の四国遍路から継続した巡礼は、上高地行きで忘れたようになっていたお遍路の魅力を実感する一週間となりました。

 一方で、昨年から今回の伊勢から高野山行きを依頼されていたことから、10年ほど前からハンドルを握っていなかったマイクロバスのリハビリに、今年6月から琵琶湖や上高地、奈良へと地域の人々と出かけることができました。

 こんな機会をいただいた隼人中さんさん会に感謝するとともに、これを記している間も散会したメンバーは遠い自宅を目指しておられる現実を思い、これはこれで気分一新し、月末の上高地パークボランティアと、来月月初めから志賀弘法会のメンバーと出向く四国遍路の準備に体調を万全にしたいと思います。

            本日の体重 71、9キロ 徒歩数 9833歩 間食あり
                                    10月13日の一言

隼人中さんさん会 同行2日目 

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鳥羽シーサイドホテル出発前の記念撮影

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ミキモト真珠島 海女さんの実演開始です

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見物の我々も寒さに震える中を…
                            ご苦労様としか言いようがありません
                                       家内を想うと涙が伝ってきます

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女人高野 室生寺前の太鼓橋
                             紅葉が始まっていました

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室生寺山門です

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昼食は室生寺前の橋本屋旅館

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山芋の汁はお薦めです

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今晩の宿坊 高野山福智院に到着です

 本日は鳥羽市のミキモト真珠島で、海女さんの素潜りの実演を鑑賞後に、奈良県の室生寺門前の橋本屋旅館で昼食をとり、そのまま和歌山県九度山町にある慈尊院に参拝し、高野山金剛峯寺に到着したのは拝観締め切り直後の午後4時30分になっていました。

 本殿の雨戸は全て閉ざされており、拝観は終わりましたとの説明を受けましたが、納経帳への朱印と本殿の参拝だけでもとお願いし、全員で本殿前まてすすんで参拝しました。そして、金剛峯寺の裏手になる宿坊の福智院に入りました。

 明日は午前6時から始まる朝の勤行に参加し、奥之院へ参拝しますが、メンバーは鹿児島県の隼人中学校の卒業生のため、一の橋から島津家のお墓に参拝しながら奥の院を目指します。勿論、一の橋には「鶴田浩二」さんのお墓があることも説明してありますから、メンバーは参拝されるものと思います。

             本日の体重 71、7キロ 徒歩数 7455歩 間食あり
                                     10月12日の一言

鹿児島県の隼人中さんさん会に同行して

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伊勢志摩スカイライン山頂と運転してきたマイクロバス

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伊勢神宮外宮

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ガイドさんの案内を聞くメンバー

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内宮前でも説明を聞きます

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伊勢志摩スカイライン山頂部から見える島々

 本日は、鹿児島県の隼人中学校を昭和33年に卒業した「隼人中さんさん会」のメンバー24人とともに、マイクロバスで伊勢神宮まで来ています。

 名古屋周辺や関東地方に住む卒業生12人を名古屋駅前で乗せて、東名阪から伊勢自動車道で伊勢まで走り、12時40分に鹿児島や関西から近鉄特急で降りた12名のメンバーと合流し、外宮で待つガイドさん2名の案内で外宮と、内宮を参拝して「おはらい町」と「おかげ横丁」を散策しました。

 「お父さん、大丈夫なの?」
 「何とも言えないが…」
 「調子悪かったら呼んでね」

 昨日まで絶好調だった体調が、8月から長期にわたった不調時のような状態になり、個人的には家内も助手として依頼したい心境でしたが、一年前から私の都合にあわせて計画されてきた、鹿児島県の「隼人中」同級会メンバーの企画ゆえに、私の住む津島市から名古屋駅まで運転して体調が戻らなければ、家内にも同行してもらう覚悟で家を出発しました。

 本日から3日間の予定で、伊勢志摩から高野山を巡る同級会ですが、私が不調時に突然マイクロバスを運転する知人は家内より存在せず、いきなり家内同伴の運転手では依頼者も困りますから、午前中は忍の一字で伊勢を目指しました。

 「隼人中さんさん会」では、2年ごとに同級生で集まっており、今回は伊勢と高野山を目標に巡りますが、一日目の宿となった鳥羽シーサイドホテルでは、一次会から歌と踊りで盛り上がり、二次会のカラオケから三次会まで予定されており、私よりも十歳も年長とは思えぬパワーをいただきました。

 「焼酎はどうですか?
 「遠慮しておきます…」
 「これは良いですよ」

 体調不良から飲酒そのものを節制しようと考えていましたが、本場から持ち込まれた本格的焼酎を幹事さんから勧められ、私まで幼馴染の同級生のように夕食の宴会に誘っていただきました。

 明日の朝には絶好調となるように祈りながら部屋に戻りましたが、自分の意思で体調が戻らなくなっており、今晩はゆっくりと休養し、明日には鳥羽のミキモトの真珠島を見学後に、奈良の室生寺から明日香村を通り、九度山の慈尊院から高野山金剛峯寺を目指して走ります。

                           徒歩数 7233歩
                                      10月11日の一言

先輩の訃報を聞き、通夜会場へ

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孫を主役にした家族四代の遍路 昨日の写真です

 昨日5時まで四国を巡拝して、本日未明に高松市から名古屋に戻ってきましたが、孫を中心に考えると、私の母親と妹も同行しているため、ジジイと孫ではなく、家族四代6人のお遍路になります。

 孫はお寺に到着すると梵鐘を撞き、本堂で賽銭と納め札を入れ、本堂前にひらがなで表示してある、ご本尊のご真言を読みながら3回唱えて、大師堂では母親と一緒に般若心経を一字一句読んで読経しています。

 3年前に別格二十霊場の「こども先達」を「ちびっこセンダーツ」と言い、何も判らないままに四国を巡礼しており、まだ1年生のため、長い階段を上っていくと「おんぶして」とせがみますが、「子供先達が先頭を行かなければ」と言うと、私の前を走って駆け上がっていきます。こんな生活がいつまで継続できるのでしょうか。

 さて、遍路中に高校の5年先輩で、17年前に初めて選挙に挑戦した時に、同窓会長として津島市に住む卒業生全員に推薦文を送付してくれた恩人の訃報が入り、本日は私の出生地祖父江町で開かれた通夜式に行ってきました。

 先輩は代々続いた水道工事会社を経営しており、私が大学時代には外車ジャガーで夜の街をハシゴして豪遊してもらい、社会人になってからも日中から懐石料理をおごってもらうなど、世話になりっぱなしの先輩でした。

 大相撲名古屋場所の桟敷を開催中借り切って、知人や先輩に提供したり、人から頼まれると大抵のことは何とでもしてしまう先輩でしたが、実は政治嫌いで、私が連れて行った地元の議員への応援を本人の前で断りました。

 「いい大人になって、議員になろうとするものが、僕みたいな所に来なくても、自分の力で頑張って当選してくださいよ」の一言に、私の初選挙の時に、毛筆で推薦文を書き、大量の封筒に全て会社印を押していただいたのは何故かと思いました。

 「大鹿君の場合は、順調に経営していたお店を廃業してまで選挙に出ると言うから、奥さんや子供を路頭に迷わせてはいけないと思った」と、私の応援の理由を聞かされましたが、自分の仕事を持ったまま兼業する議員には厳しい面もありました。

 先輩に恩を受けた人は多く、大相撲をはじめ、地元で依頼された仕事は多く、今年4月から稲沢市の選挙管理委員にも選任され、仕事は子供に任せて今後は地域貢献できる環境が整っていただけに残念でなりません。

 「酒は止めた方が良いよ」の一言は、私が議員になった17年前に私の後援会長が私に発した言葉で、私の父親をはじめ、町内で「酒が強い」と言われた大酒飲みは全員早死にしていることから、酒をたしなむように諭されました。

 私とは5歳しか離れていない先輩の早すぎる死も、仕事柄酒席が多く、後輩とは言え大学生の私を豪遊させてくれた当時を思い起こすと、四国遍路を奥さんと廻るような気分にもっと早くなっておればと思います。

 昨年訪れた際に、奥さんに「2人一緒でお遍路へ」と薦め、「私はそうしたいんだけど…」と言われていただけに、そのままにしていた反省をしてみても、こんなに早くお別れの日が来るとは思ってもおらず、私の年代はそんな時期になっている自覚も必要と思うお別れとなりました。

            本日の体重 71、2キロ 徒歩数 5156歩 間食なし
                                    10月10日の一言

孫との四国遍路 2日目

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第75番善通寺 宿坊前の池の孫です

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第71番 弥谷寺

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善通寺 本堂
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香川県はお祭の真っ最中でした

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相棒にはお父さんですが…孫は爺婆になります 

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本日最後となった第83番 一宮寺

2日間だけですが四国遍路が終わりました。

 本日は、第70番本山寺から第83番一宮寺まで巡拝しました。

あと一日で孫も満願になります。 次はいつになるのかな…


          本日の体重 69、7キロ 徒歩数 13492歩 間食あり
                                    10月9日の一言

四国遍路第1日目 ペットと同行2人

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同行2人+4匹
ご支援有難う 今度は阿蘇に遊びに来てください。

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 50ccのバイクに、3匹の愛犬を連れて四国遍路を巡拝中の青年と出会いました。場所は四国八十八ヶ所第60番横峰寺の駐車場ですが、この青年より阿蘇山で大きな噴火が起こったことを聞き、このまま阿蘇へ帰ろうかとの話にびっくりとさせられました。

 新聞報道によれば、阿蘇山の噴火によって兵庫県まで降灰があり、少なくとも1ケ月は警戒が必要との発信に、阿蘇から来た同行2人+4匹さんの心配が、他人事ではないと実感させられました。

阿蘇山、高い噴煙が特徴 「少なくとも1カ月は警戒を」

阿蘇山、中岳第1火口で爆発的噴火 兵庫まで広く降灰か

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ヤマガラが私の金剛杖の先に

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横峰寺駐車場の売店にヤマガラが餌付けされていました

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 愛犬とともに四国を巡礼する人は多く、そんな姿を見つけるとつい声をかけてしまいます。私が相棒と一緒に四国に行くようになって数年が経過しましたが、愛犬を通じて親しくなった人は多く、こんな環境では人を憎む気持にはなりませんから、もっとペットと一緒に生活できる環境にしたいものです。

 さて、3日前に日本一周中の女性ライダーを記しましたが、本日は愛知県一宮市から自動二輪で遍路中の青年と知り合いました。

 「一宮市って愛知県の一宮市なの」
 「尾張一宮です」
 「それで一宮の何処なの?」
 「愛知県ですが… 」
 「その一宮の何処なの?」
 「あっ、愛知県なんですか。西萩原です」
 「僕は、津島市だわ」
 「僕の祖母が津島の下新田なんですよ」

 旅先の出会いは良いものですね。

 本日は愛媛県の第60番から、香川県観音寺市の第69番まで巡拝し、家族は坂出市の坂出国際ホテルに宿泊していますが、私は相棒が居るため愛車の中で車中泊となります。家族での遍路は、相棒と私の2人旅ともなり、我家より近い私の顔の横で相棒が眠っています。

                                      10月8日の一言

まもなくお遍路出発へ

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私の自宅(青い屋根)と事務所

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隣の畑のネコじゃらし 

 私にとっては半年ぶりの四国遍路ですが、孫や娘を含めた家族のお遍路は一年ぶりとなります。運が悪いことに、明日と明後日は天候が悪いため、予定した行程がこなせるかは判らないものの、愛媛県の第60番横峰寺から香川県の80番位まで巡拝したいと考えています。

 心配なのは車で、先週上高地を訪れた帰路に、一瞬ですがエンジンが不調だったことから、整備はしてもらったものの、過去の遍路とは違うストレスを抱えた四国行きとなります。
 最近は遠出するたびに何らかの不具合が出てくることから、年式も古く(平成14年)なっており、走行距離も長くなっていることから、日常のメンテナンスは欠かせませんが、「ニッサン車なんか乗るからだわ」と言われるとメーカーの奮起を願います。

 旅立ちの前になると、最近は必ず体調の不調も出ており、最近は絶好調のため本日健康診査を受けてきましたが、実は首を寝違えたのか痛みで首も廻らず、自分の身体もいたわりながらのお遍路となります。


イメージ 3 吉本新喜劇の劇団員で、「おじゃましまんにゃわ」のギャグで知られた井上竜夫(いのうえ・たつお、本名龍男〈たつお〉)さんが5日午前4時20分、高度肺気腫で死去した。74歳だったとの新聞記事を見ました。

 愛知県では毎週土曜日に吉本新喜劇がテレビ放映されており、いつ頃から放映されているかは判りませんが、ずいぶん前から(若い頃から)見続けており、私は家族のブーイングを浴びながらも土曜日は必ずチャンネルを5番(CBCテレビ)にかえてきました。

 劇中で眠ってしまう役や、死んでしまったと勘違いする役どころが多かっただけに、現実に亡くなられてしまったことに寂しさを覚えずにはおれません。
 私とひとまわり違うものの、このひとまわりの年月は一瞬にして来てしまうことでしょうね。ご冥福を祈ります。あちらの世界にも、ずいぶんと多くの知人や友人が行っており、あの世があるとしたら心強くなっていくのでしょう。

            本日の体重 70、8キロ 徒歩数 3248歩 間食なし
                                     10月7日の一言

日本一周中… 羨ましい

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名古屋の中心部を走る日本一周中の女性ライダー

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北海道竜飛岬や宗谷岬のステッカーが

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次の交差点でお別れです

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名古屋笹島交差点のビル群

 本日は久しぶりにフリーの一日としていたので、岡崎市の知人と名古屋の金山駅で11時に会う約束をしており、ゆっくり電車に乗っていく予定を立てていましたが、朝の来客に応対して市役所に出向き、消防本部と市民病院に書類を届けて、親しい職員と雑談していると完全なるタイムオーバーになっていました。

 電車そのものは早いものの、駅まで行って車を駐車場に入れている時間と、電車の待ち時間を考えると完全なる遅刻となり、そのまま車で高速道路を利用して目的地まで走りましたが、車でファミレスに移動してフリーゆえにゆっくりと打ち合わせができました。
 名古屋の場合には、やはり公共交通より車社会なんですね。

 さて、本日は名古屋市の金山駅の近くで、オートバイで日本一周中の女性ライダーを見かけて、おもわずカメラのシャッターを押していましたが、名古屋の4車線もある大通りでなかったら、私は声をかけてエールを送っていたと思います。

 2年前の夏でしたが、宮城県の仙台市で日本一周中のカブを見つけ、ナンバーが愛知県西尾市だったことから、しばらく追走して、無理やり追い越してカブを停めて会話を交わした岩瀬康大君を思い出しました。


 女性がバイクとわずかな所持品だけで日本を一周できる環境になっていることに、日本の豊かな社会を実感させられる一方で、若い頃からそんな生活に憧れながら、仕事や家庭のシガラミから行動に移せないままに還暦を過ぎてしまった自分と対比してしまいます。

           本日の体重 70、3キロ 徒歩数 10596歩 間食あり
                                     10月6日の一言

台風は済んだものの、慌ただしい週末を迎えます

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台風前の駆け込みでしょうか 地域で初めて見た稲刈り後の田んぼです

 「まだ風は強くなるのかなぁ」
 「何を言っているんだ」
 「12時までは安心できないから…」

 大きな台風18号が日本を縦断していくとの予報に、我家の家族は夜も心配して会話を続けていたものの、台風は夜9時過ぎには佐渡島沖で温帯低気圧になっており、会話中には風もほとんどなくなっていました。

台風18号は5日午後9時ごろ、佐渡沖で温帯低気圧に変わった。5日夜遅くから6日未明にかけて北陸地方から東北地方を通過する見通しだ。  10月5日21時53分 朝日新聞

 運が良いと言うのか、私の住む愛知県西部地方は、過去10年ほど台風の直撃を免れており、愛知県でも一番海抜の低いゼロメートル地帯にあるものの、県内各地で水害が発生しているものの、水害による被害からも免れてきました。

 子供の頃には、私の住む津島市も、伊勢湾台風によって日光川が決壊し、屋根まで水に浸かる大きな被害を受けましたが、我家とは反対側の堤防が決壊したため、我家は水に浸かっておらず、金魚の名産地弥富町より流されてきた金魚を友人たちと獲った思い出しかありません。

 「今度はそっちが切れるから」
 「そんなことは判らないだろう」
 「こっちは堤防を強くしてきたから」

 同じ津島市でありながら、日光川を挟んだ対岸の知人との会話に、伊勢湾台風以後に対岸は堤防を強固にしてきた歴史があり、現在対岸は道路になっているため、堤防が軟弱な私の地域が破堤するとの一言がありました。

 やはり、堤防が決壊して、1ケ月以上水に浸かった経験から、対岸の津島市民には私の住む側の堤防より強固にしたいという意識は存在し、堤防道路になっていることも水害を意識したものとしたら、何事も無かった当方は無策と言うべきか…

 海抜ゼロメートル地帯の宿命で、平常時でも日光川の水位が我家の居間より高い現実があり、伊勢湾の満潮と局地的な豪雨が重なれば、水害の被害にあう可能性は高く、いったん破堤すれば稲どころか、車も家も全滅となる危険とともに生活していることになります。

 さて、9月議会は終ったものの、連日市役所に出向く生活が続いており、明日はのんびりと約束した所用に出向く予定でしたが、朝から市役所に出向く必要ができたため、大慌てで名古屋市まで走って行くことになりました。
 週末の四国遍路に続き、帰宅後の連休明けは高野山行きとなり、家を空けることから準備も大変となります。

           本日の体重 70、8キロ 徒歩数 10342歩 間食なし
                                     10月5日の一言

上高地からの帰り道に …昨日 

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昨晩の松本城  夜の松本城は初めて鑑賞しました

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大通りの真ん中を移動中の屋台

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あがたの森

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夕暮れの旧制松本高等学校

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夕暮れの松本城

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ライトアップされた松本城

 魅力のある街は、夜になっても日中とは違う魅力を見せてくれます。名古屋に戻る場合には、遅くとも3時頃には観光地から帰り仕度をはじめますが、ここから4時間とどまるとライトアップされた松本城や、県の杜では旧制高等学校の校舎から生徒の声が聞こえてきそうに思えてきます。

 昨日は、上高地から松本側に車を走らせ、夜の7時まで松本市内を歩きました。



上高地  渡辺画伯と

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上高地河童橋にある画伯のキャンパス台
                      穂高連峰が雲に隠れていても画伯の絵が代わりになっています
 
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上高地を描いて57年
 
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上高地の名物画伯 (1番右) と
 
 「今日はは何処まで行くんだい」と、今年も上高地の小梨平で4月からテント生活を送っている渡辺画伯は、上高地を訪れる人々に気軽に声をかけています。
 
 私はいとも簡単に「ホームレス画伯」と命名していますが、夏場には画伯の周りに旧知の仲間がテントを張り、登山者も声をかけて行き来する上高地の名物人となっており、画伯は絵を描くのが目的ではあるものの、知り合いどころか知らない人も無視できない性格のため、「お茶でも飲んでいってくれよ」と雑談に花が咲きます。
 
 最初に出会った時には「オジサン」でしたが、今は私自身も還暦を過ぎており、画伯は77歳の「オジイサン」になってしまい、周りの人々も何だか高齢者ばかりになってしまったように思われます、
 
 「また来たら寄ってくれよ」も口癖ですが、画伯は10月末までテントを張っている予定ですので、これから上高地を訪れる方は、是非ともビジターセンターの奥にある画伯のテントにお立ち寄り下さい。
 
 人と人とは因縁とか、奇妙な縁がありますが、私自身も画伯の存在が上高地を身近な存在とし、多くの人々との交流が深まり、ストレスのない空間と時間が持てるようになりました。
 
 
 

上高地 ボランティアの一日

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上高地もやっと秋色になってきました 清水橋です

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沢渡バスターミナル シャトルバスに乗ります

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ボランティアのスタート 上高地インフォメーションセンター

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本日は中の瀬園地(田代橋の近く)の清掃作業です

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シャトルバスで上高地を後にします

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沢渡第2駐車場と愛車です

 今年4月から参加するようになった上高地パークボランティアですが、あっという間に11月15日の閉山が近づき、活動が終った後の「来年もよろしく」との一言に、寂しさを実感させられます。

 「この花は何と言うのですか?」
 「僕は詳しくないので、あの方に聞いて下さい」
 「どんな花なの?」
 「白く丸いヒゲみたいなものが」
 「それなら、○○だわ」

 ボランティアをしていると、カメラマンから花の名前を聞かれることも多く、花の図鑑を携帯していても、花の咲く前や、咲き終わった花を問われても判別は難しいのですが、ボランティアの先輩方は特長を聞いてスラスラと名前が出てきます。

 上高地のことなら、何を聞かれても説明ができるボランティアに精進していきたいと思う一日ともなりました。

           本日の体重 71、8キロ 徒歩数 16015歩 間食あり
                                     10月2日の一言

上高地への道中に御嶽山と開田高原へ

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開田高原木曽馬センターの木曽馬です
                              長生きして欲しいものですね

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上松宿の寝覚めの床です

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開田高原への国道沿い 工房やまぼうし
               春日井市のご夫婦の山小屋生活に感動です
                              陶芸や手芸品が魅力です

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開田高原の蕎麦畑と白樺

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収穫後の蕎麦畑

 本日は上高地への道中に、木曽福島から御嶽山の黒沢口へ立ち寄り、御嶽教の里宮と明栄講の霊神場に参拝して、開田高原に立ち寄りました。
 明日にそば奉りが開催されるそうですが、天候も悪いためか本日の観光客はほとんどおらず、行く先々で寂しさだけがただよい、かつて子供たちと訪れた木曽馬牧場は閉鎖されたそうです。

 本日は上高地へは入らず、沢渡まで車をすすめ、足湯だけでは寂しいため、天然温泉に入って休息をとりました。

 明日は上高地でのボランティアに励みます。



ギャラリー
  • ようこそ 大鹿一八の納経所へ
  • ようこそ 大鹿一八の納経所へ
  • 令和6年 上高地開山式の様子です
  • 三重県桑名市大福田寺の聖天祭へ
  • 毎年恒例となった我家のアンズジャム作りへ
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  • 本日もボランティアの一日となって
  • 我家のきゅうりとプランターのイチゴです
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