大鹿一八「本日の一言」

平成16年2月から令和1年7月末までの「本日の一言」です。ヤフーブログ閉鎖により、ライブドアへ過去の記録として引っ越しました。

2016年11月

ちょっとおかしな世情について

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津島市役所前のイチョウ
                        せっかくの黄葉も剪定が悪く寂しさが漂います

 昨日から12月議会が開会し、本日正午は一般質問の通告書提出期限となりましたが、今議会には15人の議員が質問通告書を提出しており、来週火曜日から3日間にわたって議会質問が続きます。
 ちなみに、私の登壇は13人目となり、2日目の最終となりそうです。

 さて、これまでは四国遍路に出かけるため、家内に名古屋駅まで車で送ってもらったことがありますが、明日の夜行バスで家内と妹が四国の一日歩き遍路へ出発するため、私が乗せて送っていくことになりました。

 四国遍路も様々で、私は白衣姿と金剛杖、菅笠を持って夜行バスに乗るため、一緒になった初対面の人々とも遍路話で盛り上がりましたが、家内たちは白衣はカバンにしのばせ、金剛杖も持っていきませんし、ロウソクと線香も持ってはいかないと話しており、私からすればウォーキングと、朱印のスタンプラリーとなり、2日目は徳島の観光を楽しむとの話ですが、心中は許しがたいものがあります。

 そんな家内たちのお遍路を象徴するような天草版四国遍路が新聞に掲載されており、四国遍路とは違うものの、旅としての魅力から添付しました。

天草版お遍路、般若心経もアーメンも 御朱印集め企画

 今月15日に上高地の閉山祭があり、その日の夜に高山駅に近い高山桜庵に宿泊しましたが、外国人の団体の受け入れに手間取って後回しにされ、夜のバイキングの際には、中国人と間違われて料理人から変な英語で応対されました。

 日本人でありながら、日本国内において日本語ではなく、チャイニーズ用の英語と手を使った説明を受けたのは初体験でしたが、上高地で大声で騒いで歩く中国人の団体と、歩きタバコの中国人に嫌悪感を感じておりながら、中国人と間違われたことに気分は最悪となりました。

飛騨高山に外資系高級ホテル初開業へ 森トラストが誘致

 「どうしたの」
 「外人と間違われた」
 「英語?、中国語?」
 「よく判らない…」

 ホテルや観光業者にとっては、中国人は大切なお得意さんなんでしょうが、日本人の観光客にとっては、国内で外国人と間違われるのは心外で、日本人にいきなり外国語で応答する対応はおかしいですね。

 東京オリンピックが開催されることから、外国人の受け入れや国際化が課題にされていますが、外国人観光客に対する応対は世界共有であるべきで、人種によって違う応対は不快感を与え、日本国内の主役は日本人で、堂々と日本語で挨拶してもらいたいものです。

 四国遍路にウォーキング感覚で行く家内についても、帰宅後に四国の珍遍路体験談を聞かされると考えると、行けない境遇に辛いものを感じる夜となりました。

            本日の体重 72、4キロ 徒歩数 4007歩 間食あり
                                    11月30日の一言

長嶋監督のもとに集った名選手たちの姿に

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長嶋監督の野球教室に集まった元巨人の選手たち
前列左から中畑氏、長嶋監督、松本氏、後列左から角氏、篠塚氏、定岡氏、元木氏
                            週刊誌フライデー引用

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 私にとっては、久々に嬉しく、元気をもらえそうな記事を週刊誌「フライデー」に見つけたので、著作権も考えずに添付してしまいました。

 長嶋監督の下で一緒に練習して、一緒に優勝を目指した懐かしい巨人のメンバーが、病魔によって後遺症を負い、80歳になった監督とともに、監督の出身地千葉県佐倉市で開催された少年野球教室で子供たちに指導したとの記事です。

 長嶋監督の魅力は私が語る必要もありませんが、現役を引退しても巨人一筋で指導し、「地獄の伊東キャンプ」など選手と一緒になってグランドで汗を流し、カンピューターと言われても、選手を信じて起用した監督と選手の絆を改めて感じさせられました。

 最近のプロ野球は、選手の価値を年棒によって評価し、好きでもないチームにドラフトで入団し、活躍すればより待遇の良いチームに移籍して、優れた選手はアメリカの大リーグに渡っており、私は夢も希望も感じられず、子供の頃から大好きだった巨人も、桑田選手や清原選手の扱いや、一浪してまで巨人を希望して入団した元木選手がトレード要員にされて引退した頃には大嫌いになりました。
 ちなみに、定岡選手も球団のトレード話を断って引退しているのですね。

 そんな中で、長嶋監督と一緒になって活躍した選手たちが、長嶋監督とともに少年たちに野球を指導する姿と、横浜の監督まで務めた中畑選手が、長嶋監督の一番弟子として参加したことに、同じ学年の同世代としても嬉しさは隠せません。

 長嶋監督の人柄もありますが、存在そのものが周りを明るくし、一流プレーヤーとして活躍した名選手が、揃って集まって地域貢献している記事を読み、久々に心温まる一日となりました。

           本日の体重 72、6キロ 徒歩数 2842歩 間食あり
                                    11月28日の一言

日中から鉛色の一日となり…

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白黒写真ではありません。日中でも夕暮れのような日曜日になりました。

 昨晩から雨が降り続いており、日中から薄暗く肌寒い一日となりました。

 半月前に木曽路から上高地に入り、閉山式の翌日(16日)に高山市から帰りましたが、今年は暖かい日々が続いて、紅葉も遅れていたものの、その後は日本中を大寒波が襲来し、北日本だけでなく四国の愛媛県にも降雪がありました。

長野)驚きの積雪量 飯田・諏訪、11月の記録更新 2016年11月25日
記事の続き…
http://www.asahicom.jp/images/asahicom/hand.png一方、飯田市でも、中心市街地が早朝から一面の雪景色となった。市立丸山小学校4年1組の体育の授業では、予定していたマラソン練習を校庭での雪合戦などに切り替えた。数人がかりで雪だるまづくりをした渡辺真優(まひろ)さん(9)は「11月に飯田でこんなに雪が降るなんて、びっくり。授業で雪に触れることができて、うれしかったです」と喜んでいた。
 長野地方気象台によると、県内では24日未明から雪が降り始め、午前中が降雪のピークとなった。同日午後4時までに、積雪が確認されたのは県内13の観測地点のうち8地点。最大積雪量は軽井沢の23センチだった。飯田市が14センチ、諏訪市が13センチで、両市とも統計開始以来11月の最大積雪量を更新した。
 一方、最低気温は県内30地点のうち28地点で零下を記録。県内で最も低かったのは野辺山(南牧村)の零下5・9度で、ほぼ全ての地点で12月上旬から同中旬の低さだった。

岐阜)うっすら雪化粧、外国人も驚き 高山市中心部 2016年11月25日

 こんな新聞記事を見ると、上高地が開山となる4月までは、まさに冬の冬眠期間となるばかりか、四国でも横峰寺や雲辺寺は積雪があることから、遍路もシーズンオフとなります。


 四国と上高地と地元を3等分する気持で生活してきただけに、四国と上高地がなくなると身体をもてあましてしまうため、無人となる上高地入りと、冬季の四国遍路も考えてみたいと思っています。

 年内は12月議会があり、何もできませんが、9月まで3900円で高速バスが四国まで走っており、夜行日帰り夜行の一日歩き遍路を温めていると、これを聞いた家内と妹が今週末に四国へ歩き遍路に出かけることになり出し抜かれます。

 これまで家内に送ってもらって、深夜の高速バスで四国に向っていたわけですが、初めて四国へ送る立場になり、議会開催中ではありますが、週末の休日にストレスを発散できる新たな外出を考えて、身体の無力感を払拭していきます。

             本日の体重 72、6キロ 徒歩数 2032歩 間食なし
                                     11月27日の一言

懐かしさから散歩に出ました

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西尾張中央道 北神守の歩道橋より南方向
                      右のネッツは元トヨタオート 左に喫茶アメリカンが見えます

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北神守 歩道橋より北方面

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私の行きつけの理髪店クラウン ノリタケバス停前

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中神守 養源寺の黄葉

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下神守交差点へ

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道路左の白い建物付近が「一八」跡地

「… … 大学時代から渡米直前まで、あのソバ屋さんでずっとバイトしてたんです。無くなってしまったのがとても残念。… … 今思えば、割と青春の一ページだったんですけね」                         

 2日前のコメント欄への書き込みに、私自身も懐かしくなり、行きつけの理髪店に行ったついでに、コメントにあったソバ屋さんがあった場所まで歩き、そのまま北上して蛭間町まで歩いていきました。

 それにしても、西尾張中央道は私の中学時代にできた道路ですが、多くのお店ができたものの、そのほとんどが姿を消しており、私自身が還暦を越えているため、店舗に勤務していた人々も世代交代して知らない人ばかりになってしまいました。

 誰もが大きな夢と目標を掲げて、大きな借金を背負って会社や店舗で起業しますが、後継者に恵まれない人がほとんどで、自身の高齢化によって看板を降ろすか、経営難で廃業や倒産になってしまう現実を見ると、夢も希望もありませんね。

 近所とは言うものの、車で走り抜けてしまうため、家々の様子を見て歩く機会はほとんどなく、平成5年に他界した父親が交換した家に我家の樹木が残されているのを確認し、歳月の経過の早さを実感する散歩となりました。

 さて、久しぶりに喫茶店へ一緒に出向いた同級生と、体調不良について話をしていると、全く節制とは無縁で、朝は珈琲店のモーニング、夜はビールと刺身があれば良しとする話と、全く不勉強な病院に関する会話に、隣のテーブルのお客さんが口を挟んでこられました。

 恥ずかしいですね。10年ほど前までは、毎日のように喫茶店に出かけていた同級生ですが、これだけ不勉強で、身体に異常が出ているのに、医師任せで何も節制もしていないのを当たり前にして、私と話している内容は何の進歩もありえません。

 そんな私も、今月は旅行三昧と、酒や暴飲暴食によって、今週は73キロ台の体重が3日間続いており、意識はしているものの減量とは無縁で、腹部の張りが確実に増しており、1ケ月前に71キロの壁をはさんで節制していたことが信じられません。

迷い犬「さくら」、温泉施設の人気者 募金で腫瘍を手術

 本日の心温まる新聞記事です。殺伐とした事件や事故が続く中で、唯一ホッとする記事に、こんな優しい話題を発掘して、世の中が殺伐とならないようにしたいものですね。

             本日の体重 73、3キロ 徒歩数 5264歩 間食あり
                                     11月26日の一言

知人の仕事を手伝った成果が体重増へ

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本日も暮れていきます

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近くの漫画喫茶 ディズニー

「おい、飯でも食いに行くか」
  「うん…」
「どこにするか?」
  「ジョイフルか」
「ジョイフルは寂しいだろう」
  「なか卯でもいいぞ」
「せっかくだから、もっと良い処にしようぜ」

 本日は同級生の遺産相続の各種申請書の様式を、法務局のホームページから取り出し、最低限必要な書き込みを手伝ったお礼として、昼食に誘われたものの、最近は食べすぎによる不摂生を自覚しており、それなりの場所に誘おうとする友人の配慮も余分な心配でしかありません。

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昼食は西尾張中央道にある「そば処更科」へ

 パソコンの普及によって、20年前には司法書士や専門家に依頼するしかなかった遺産相続の各種申請書も、自分の家のパソコンから取り出すことができ、司法書士や行政書士と変わらぬ成果品が作成できるようになりました。

 10年前にNPO法人を設立する際には、パソコンから申請書類の様式を取り出したものの、随分と苦労して法務局に登記に関する書類を提出しましたが、今年6月に三男が接骨院を開業し、公的な証書を作成する際には、地元の法務局の相談員の指導で、息子が簡単に書類を作成してしまいました。

 こんな状況を考えると、若者は学校でパソコンの教育も受けている現状から、これから行政書士や司法書士への依頼は益々激減していくと思われ、資格を取得すれば生活できるという甘い社会ではないことを実感させられます。

 さて、運動や節制した食生活は、結果が出るまでずいぶんと日時を要しますが、不摂生の結果はあっと言う間に身体に現れ、2週間前から続いた旅行や、仲間との飲酒を伴う会食によって、2キロの体重増加となりました。

 夏ごろから体調不良と運動不足によって、目標とする体重になるまで、1キロの減量に一ヶ月間の時間を要しました。
 10月中旬にはなんとか71キロ前後の体重を維持していたものの、最近の不摂生によって、本日は73キロを記録したことから、明日からは非常事態として食事の節制と、ノルマとするウォーキングを再開しないと大変な年末を迎えそうです。

             本日の体重 73、0キロ 徒歩数 2637歩 間食あり
                                      11月24日の一言

さて、本日23日のこだわりについて…

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佐藤由美ピアノコンサート
    平成29年1月14日(土) 会場 岐阜県川辺町 そば処 山法師

納め弘法と阿息観  12月21日(水) 津島市越津町 弘盛寺
       http://kouseiji.jp/aso.html

 かつての私にとっては、本日の11月23日(勤労感謝の日)はこだわりのある日で、昭和63年より開始した朝日旅行友の会において、毎年目的地を定めて観光バスによる日帰り旅行を企画し、平成20年まで21年間にわたって会員募集を続けました。

朝日旅行友の会 行先リスト http://www.kuronowish.com/~oshika18/newpage102.htm

 こんな私の過去のこだわりは、家内には全く意識も皆無の様子で、「どこかに行ってこようか」の一言は、無情にも完全無視となるばかりか、「庭の選定もやってないのに…」の応対に一目散に2階の事務所へ退散しました。

 私は大学進学前に、旅行の仕事に就くため、東京の観光専門学校に行きたいと考えていたくらいで、父親の猛反対から大学に入ったものの、名鉄の職員だった父親に、名鉄系の名古屋観光バスのアルバイトを依頼してもらう約束で進学し、3年間に渡って名古屋観光バスの車掌と添乗員を経験しました。

 結果的には、大学在学中に朝日新聞社からスカウトされ、旅行の仕事に携わることは無かったものの、昭和55年頃から従業員の慰安を中心にした旅行会を企画し、朝日旅行友の会の募集前からバス旅行を行ってきました。

 もっとも、当時の大卒はバスの運転手にはなれず、名鉄に入社した弟は駅の改札業務から始まり、電車や観光バスの運転手になれなかったことから、名鉄への入社を考えることなく現在に至りましたが、私の心中には鉄道員だった父親の影響から、運転手や旅行に関心が強く、仕事とは無縁であった大型免許を取得していたことから、タクシー事業を開始するにあたっても、観光バスに乗れる大型2種免許を取得することになりました。

 そして、一度は観光バスの運転をしたいと思っていたものの、定年となる60歳を超えてしまい、その夢は無くなりましたが、10人乗りのジャンボタクシーを購入した心中は、介護とか福祉以上に観光を意識するところがありました。

 人生はやり直しがきかず、運転手になることはできませんが、連日でも旅行に出かけたい気持は学生時代から変わらず、もっと思い起こしていくと、中学時代に学校から反れて、ズル休みで自転車で遠方に出かけた開放感にあると思われますが、10年若かったら…

             本日の体重 72、4キロ 徒歩数 1966歩 間食あり
                                     11月23日の一言

本日からは忙しい議会日程へ

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本日の夕暮れ 新日光橋から

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我家の黄葉 花梨

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隣の畑 お気に入りの雑草

イメージ 4 本日は12月議会の議会運営委員会が開催され、委員会終了後に、車イスも傍聴できるようバリアフリー化のため改修されている本会議場が披露され、新たに設けられた質問席に立つ私を、同会派の山田議員が撮影してくれました。

 9月議会終了後は、公的日程以外は、上高地のパークボランティアと、市民の方や書道会のメンバーと四国遍路や高野山、北陸などに出かけていましたが、これからは議会だけでなく、年末を控えているため緊張した日程が続いていきます。

 議員としては落第生かもしれませんが、自分の仕事としてボランティアを公約としており、地元の人々を病院や買物に移送する福祉有償ボランティアを主題としているものの、これも家内やボランティアの仲間が頑張っており、私は旅行に行きたい人々の要望に応えることを勝手に役割としているため、最近は身体は疲れるもののストレスはたまりません。

 ただし、福祉有償運送や福祉タクシーの認可を得るために苦労した創生期を考えると、NPO法人の後継者を発掘して、より多くの人々に対応できる活動にしないと、私一代でボランティアも衰退してしまうため本当は奮起が急務でもあります。

 さて、昨日の一言に記しましたが、北陸で購入してきたクマのぬいぐるみハッピーベアーは、息子の接骨院で受付担当「クマ太郎」と名づけられ、忙しい時は騒々しいものの、暇な時には待合室に笑いを生んでいます。
 皆さんにもお薦めのぬいぐるみです。

             本日の体重 72、0キロ 徒歩数 4010歩 間食あり
                                     11月22日の一言

ハッピーベアーが新しい家族に

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「こんにちわー」
   「コンニチワー」
「いらっしゃいませ」
   「イラッシャイマセー」
「はははは」
   「ハハハハ」
「有難うございました」
   「アリガトウゴザイマシター」

 話しかけるとモノマネで同じ言葉を反復する玩具、「ハッピーベアー」を息子の接骨院の受付に置きましたが、ピョコピョコと動きながら、お客さんとの会話を繰り返し話すクマのぬいぐるみに笑いが絶えません。


 ハッピーベアーは、金曜日に訪れた越前海岸の東尋坊前のお土産物店「千舟」さんの売店に置いてあったぬいぐるみで、ベアーの他には恐竜や柴犬とともに、我家の相棒リマと同じポメラニアンもありましたが、一番愛らしかったハッピーベアーを購入してきました。

 案の定、店頭から聞こえてくる笑い声に、大人ばかりで笑う機会も少ない我家に、新しい家族かペットが来たような新鮮な雰囲気にしてくれました。そして、私には元気をくれます。

    ハッピー★ベア②のユーチューブ https://www.youtube.com/watch?v=eM3BSjuvL_w

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 さて、接骨院のお客さんが帰った後で、相棒リマの前に持っていくと…

「リマ」   …
  「リマー」   …ハッピーベアー
「ワン ワン」   …リマ
  「ワン ワン」   …ハッピーベアー
「ワン ワン ワン」   …リマ
  「ワン ワン ワン」   …ハッピーベアー
「ハッハッハッハ」   …家族
  「ハァッハッハッハァ」   …ハッピーベアー

 突然の珍客登場に、相棒リマは吠え続け、ハッピーベアーも、まるで生きているかのように反応してリマの鳴声を反復するため、リマは不思議そうに吠え続けますが、このぬいぐるみを相棒は何と思っているのでしょうか。

 相棒にそっくりのぬいぐるみも探してみたいものですが、とりあえずハッピーベアーの愛称を考えなくてはなりませんね。どんな名前が良いのでしょうか…

           本日の体重 72、5キロ 徒歩数 2660歩 間食なし
                                     11月21日の一言

相棒リマが美容院へ

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2時間後の姿
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もう、安心です
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 本日は相棒リマのカットについていきました。 かつては、入り口を見ただけでブルブルと震えていましたが、最近は馴れてきたので震えることはなく、自分で待機するケージに入っていくとの話です。

 私は別れが辛いので、入り口からは入っていきませんが、迎えに行く時は真っ先に顔を見せて、「やっぱりお父さんか」とリマとの仲間意識と人気をもらおうと意識してきました。

 昨日まで、2日間家内とともに家を空けていましたが、置いていかれた怒りと、帰ってくる可能性も考えて、母親や息子たちが声をかけても無視して、入り口の扉をずっと見たまま動かず、相手になると怒るのでケージに入れられたままになっていたとの話です。

 車に乗って一緒に行く癖は、私が連日車で連れ出していたのが始まりで、当初は私だけでしたが、最近では家内の買物にも付いていき、家族旅行で四国遍路まで一緒に行くようになっているため、置いていかれると留守番の家族にも怒るようになっているようです。

 こんな至福のひとときがいつまで続くのでしょうか…

              ここで、仲間に誘われて、私はちょっと飲みに行ってきます。
 書き込み中のまま朝を迎えていました。
2年間の節制を皆無にしてしまうような一週間となりました。

北陸 那谷寺とゆのくにの森へ

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那谷寺の参道 もったいないような道です

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那谷寺山門で記念撮影

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紅葉は最高です

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重要文化財の三重塔

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国名勝指定園 奇岩遊仙境

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護摩堂を見上げるメンバー

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金堂 華王殿 開創千三百年は高野山より百年古い

 本日訪れた那谷寺です。

那谷寺  http://www.natadera.com/  石川県小松市那谷町ユ122 

 十数年ぶりに石川県小松市にある那谷寺を訪れましたが、ご本尊の前に記された「オン バザラ タラマキリク」のご真言を見て、観光で訪れたお寺だったものの、参拝客の居ないお寺で般若心経は迷惑と思い、十句観音経を繰り返し読み上げました。

 山門から国名勝指定園奇岩遊仙境ほ経て、本殿から、三重塔と進み、参道を歩くと護摩堂があり、石柱に「四国八十八ヶ所」と「小豆島八十八ヶ所」の名前が記されていたことから、護摩堂では手抜きの無い読経を唱えました。

 見事な紅葉の境内を歩き、最後に訪れた金堂華王殿の納経所で那谷寺が高野山真言宗のお寺であることが判明し、お寺を訪れるのに事前に下調べもせず、参拝する気持ちがなく訪れたことを少し反省することになりました。

 高野山は昨年開創1200年を迎えましたが、この那谷寺は来年1300年を迎える歴史があり、神仏混合の白山信仰がそのまま受け継がれてきたことと、観光の寺とおもっていたものの、金堂華王殿を訪れて信仰の対象としての那谷寺を実感させられました。

「白山三カ寺(那谷寺・栄谷寺・温谷寺)」
・寺については、「加賀下山七社として白山本宮・金劒宮・岩本宮・三宮・中宮・佐羅宮・別宮があり、白山五院に柏野寺・温泉寺・極楽寺・小野坂寺・大聖寺をあげ、中宮八院に護国寺・昌隆寺・松谷寺・蓮華寺・善興寺・長寛寺・湧泉寺・隆明寺があり、三ヶ寺として那谷寺・温谷寺・栄谷寺をあげている。」(『白山・立山と北陸修験道』

本日の行程
宿泊・あわずグランドホテル別館…那谷寺…ゆのくにの森…道の駅越前…敦賀インター…養老サービスエリア…羽島インター…津島・午後7時着


 本日は那谷寺に参拝後、ゆのくにの森に立ち寄り、国道8号線沿いの福井市内で昼食後に、越前海岸の道の駅越前で開催されていた「かに祭り」を目指しましたが、雨足が強くなり、終了間際に会場に到着したものの、辺りは真っ暗になり強い雨が降っていたことから早々に退散して津島市に戻りました。

             本日の体重 72、2キロ 徒歩数 8008歩 間食あり
                                     11月19日の一言

追伸
昨日のホテルでは、カニ一杯と3人分ほどの夕食となり、体重は72、9キロとなっていました。

書道会の一泊慰安旅行で東尋坊へ

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東尋坊と観光船

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丸岡城

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丸岡城天守閣から見る城下町

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久しぶりの波しぶきです

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東尋坊の入り口です

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船上から見る東尋坊

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東尋坊の観光船

 本日は我家の2階で開催されている書道会、「神守丈友会」の慰安会を兼ねた一泊旅行に福井県の越前海岸から東尋坊、石川県小松市へ車を進めました。

 丸岡城、東尋坊の観光船、吉崎御坊と、小松市の木場潟公園西より白山を眺めるコースです。宿泊は「あわずグランドホテル」

 久しぶりの北陸と、観光船から見る景色に加えて、日本海に沈む夕陽はリラックスできる一日となりました。四国遍路と上高地だけしか眼中になく、今回の旅行も行き先が決まらなければ京都の宿坊に泊まりたいと思っていたくらいですが、メンバーが宿泊場所を決めてくれたため、久々の北陸行きとなりました。

 明日は那谷寺から…

                                     11月18日の一言

上高地の帰り道にせせらぎ街道へ

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本日(16日)のせせらぎ街道 モミジは真っ赤に紅葉しています
 
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閉山後の河童橋はこんな感じなんでしょうか 昨日の河童橋
 
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本日から上高地の主役になりました
 
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閉山後も流れは止まりません
 
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本日も大正池の主役として頑張っているのでしょうね
 
 「明日は雪になるんじゃないかなァ」の一言は、上高地の関係者が昨日発した言葉ですが、本日からは見に行くこともできず、滞在していた高山市から眺める上高地方面の早朝の空は鉛色であったことから小雪が舞っていたのかもしれません。
 
 もっとも、想像するだけでなく、釜トンネルから歩いて入る健脚があれば、閉山後もいつでも入れますから、今シーズンは久しぶりに入ってみたいと思っています。
 
 昨日まで発信されていた五千尺ホテルのライブカメラも停止しているため、想像することしかできませんが、高山市から「せせらぎ街道」へ車を進めると、見事な紅葉が残されており、本日は帰路にある全ての道の駅に立ち寄ってみました。

 かつては、愛知県から高山方面の観光に利用されていた「せせらぎ街道」も、現在は東海北陸道があるため観光バスもとおりませんが、道の駅が点在しており、紅葉がしばらく続くため、道草をしながら高山市を目指すのも魅力があります。

 ただし、高速道路の建設によって、せせらぎ街道にあった多くのお店が廃業し、廃屋となった建物も点在しており、寂しさは隠せませんが、高速道路を避けた高齢者の運転する車が平日でも道の駅の駐車場をうめていました。

 こんな現実を考えると、スローライフを考えて、愛犬を連れたドライバーや、高齢者が行きたくなるような改善をおこなえば、元々が素晴らしい自然環境に恵まれているため、すばらしい街道に再現ができそうなんですが…

             本日の体重 72、0キロ 徒歩数 3549歩 間食なし
                                     11月16日の一言
 

上高地最後(閉山祭)の日 その弐

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本日、多くの関係者や観光客の参加で閉山祭が行われました

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穂高神社の神官の祝詞が読まれます

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その頃、河童橋の中央では…

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鏡割り用の樽酒が鎮座しています

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ボランティアの先輩(後列右)も玉串を奉納します

 私は毎年公的な行事がなければ、4月の開山祭と11月の閉山祭に参加するようにしてきましたが、今年は4月から環境省のパークボランティアに参加しているため、上高地最後となる閉山式の前に、ボランティアとして明神池までゴミ拾いを兼ねた巡視にでかけました。

 午前11時30分から、河童橋の横で穂高神社の神官による神事が行われ、地元各界の代表の挨拶や玉串が奉納され、神事終了後に河童橋中央で樽酒の鏡割りが行われ、観光客にもお神酒がふるまわれましたが、車を運転する私は香りを嗅ぐだけで通り過ぎます。

 「大鹿さんも一緒に来てよ」
 「えっ、私は結構ですから…」
 「前もって席を用意してあるから」
 「こんな格好で良いんですか」
 
 閉山祭終了後に、河童橋の前にあるホテル白樺荘で、上高地に関係する地元各界の代表者が参加する「直会」が開催され、礼服姿のご来賓と同じ会場に、ゴミ袋を持った長靴と作業着姿の私まで席を用意していただき、恐縮しまくりの参加となりました。

 今年4月から参加した新参者の私も、一緒に会場に席を用意していただいた先輩方に感謝するしかありません。

 「今度来る時は、飲むから車で来ちゃダメだよ」
 「はぁ、そうですか」
 「1月に新年会があるから、絶対に来なさいよ」
 「はぁ、そうですか…」

 簡単に会話を交わしていますが、愛知県から松本まで新年会に来るのは大変となるものの、どうやっても来ようと思わせるお誘いに、帰宅後の家族への説明を考えるか、家内も一緒に松本まで来る覚悟が必要になります。

 今年一年間に多くの方々と、上高地を縁にして知り合いました。そんな人々の顔を思い浮かべながら、上高地を後にして、知人の居る沢渡に走り、上高地について話に花を咲かせていると、閉山後の釜トンネル前まで車を走らせていただける話となり、今年は来年4月の開山前にも上高地を訪れる可能性を感ずる一日ともなりました。

                      本日の徒歩数 16536歩
                                     11月15日の一言

上高地最後(閉山祭)の日 その壱

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誰も居なくなった明神橋です
                             閉山になっても、この景色は明日からも続きます。

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明神館 既に閉鎖され鉄条網で囲われています

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嘉門次小屋  ここも店じまいの最中です

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六百山と霞沢岳に雪が見えます

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 本日は上高地の釜トンネルが通れる最後の日となり、私は午前9時からボランティアの巡視に出て、河童橋から明神池までの行程を、ほとんど目につかないようなゴミを探して午前11時30分に河童橋に戻りました。

 河童橋が近づくにつれ、祭り太鼓の音が聞こえ、多くの関係者や観光客で一杯になっていました。今年は小雨は残っていたものの、雨具もなく閉山祭を迎えられることができました。

 しかし、最後の日と言うのは寂しいもので、4月に開山して以来、一緒に活動していただいた環境省や公園財団、パークボランティアの人々と来年までお別れとなり、夏場に小梨平で一緒に生活した人々の顔が浮かんできました。

 今年は上高地のパークボランティアに参加しているため、多くの人々と知り合うことができました。


昨晩の飲み歩きの顛末を

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一宮市萩原町の居酒屋正ちゃん
 
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提灯の灯りに魅せられて
 
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店内の様子を覗いてみると…

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えっ、一宮市議会副議長の横井忠史さんじゃないですか?

 かつて、津島市で屋台の正ちゃんラーメンを営業し、障がい者施設や高齢者施設へ慰問に訪れ、無料のラーメンを提供していた野杁さんが、一宮市の自宅のガレージを改装して開業していた居酒屋「正ちゃん」に、津島市の知人と一宮市の知人を誘って訪れました。
 
 車で走れば簡単ですが、飲酒を伴うため、知人の息子さんに自宅から名鉄津島駅へ送ってもらい、電車に20分ほど乗車して、二子駅で降車し、知人の車を待ちましたが、この二子駅そのものが一宮市の知人ですら判らないような場所にありました。
 
 駅から10分の距離ですが、車で探すとずいぶん遠くまで走ってしまい、店主の電話ナビゲーションで到着です。
 
 私にとっては駆け出しの頃から知る店主でしたが、一緒に同行してくれた知人も、店主のラーメン屋さんに立ち寄っており、「なーんだ、あんたかァ」と久しぶりの再会にアルコールが入る前から盛り上がりました。
 
 
 ちょうど、飲み物の話で盛り上がり、先月に鹿児島県の人たちに勧められた焼酎が美味しかったと話をしていると、その焼酎の名前について岡崎市の遍路友の会の仲間から電話があり、「長梅」というプライベートブランドであることと、現物が届いたとの連絡があり、後日いただきに走ることとなりました。
 
 私にとっては、議員になる前には連日入り浸っていた居酒屋ですが、議員になってからはほとんど飲酒に参加することは断っており、久しぶりの気の許せる仲間との居酒屋行きとなりましたが、とんだサプライズが店主からありました。
 
 一宮市の市議会議員で、私が新人の頃から旧知の横井忠史さんの自宅も近く、店主も応援しているとの話から、日曜日とは言え、くつろいでいる時間帯にもかかわらず我々のために顔を出していただきました。
 
 私自身は、議員でありながら、議員と飲み歩くことが好きではなく、一緒に酒を酌み交わすこともありませんが、横井さんの亡くなられたお父さんは、選挙のたびにトップ当選を続けられており、私も知恵を授かりたいと思っていましたが、後を継ぐ忠史議員はトップ当選や上位で議員活動を続けており、私とは違って副議長の要職についている人格者です。
 
 こんなメンバーで店主と一緒になった談笑が閉店間際まで展開されました。一宮を訪れたとの話は意外な所に波及して、再度出向く約束となり、店主からの連絡でも津島近隣の仲間で一緒に訪れる話になっているようです。
 
         本日の体重 72、0キロ  徒歩数 2746歩 前日3705歩
                                     11月14日の一言
追伸
明日は上高地の閉山式です。最後のボランティアに参加するため、今晩に家を出発します。
 
 

初体験 ローカル電車で居酒屋へ


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津島駅から名鉄尾西線で一宮行きに乗車

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まもなく目的の駅です

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さて、何駅か判りますか?

 本日は知人と名鉄尾西線の列車に乗って、一宮市の居酒屋まで出かけました。電車を使って名古屋の居酒屋に出向いたことはありますが、愛知県の西尾張を走るローカル線で居酒屋に行くのは初めての体験です。

 さて、ここが何駅か判りますか?

                                     11月13日の一言

追伸
酔っ払いが目覚めるまでこのままとなります。

今更ながら…英会話の本を

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 「おはようございます」
 「オハヨウゴザイマス」
 「ぐっど もーにんぐ」
 「オー!ベリー ○△○…○…」

 四国遍路で出会う外国人(西欧人)の多くは、我々の日本語の挨拶に日本語で応えてきますが、八十歳の女性の発した英語の挨拶に、振り返って笑顔で言葉を返してくれた姿が印象的でした。

 今年4月から参加している上高地のボランティアにおいても、外国人から声をかけられることがありますが、「イングリッシュ ノー ノー」と挨拶すら満足に交わせないことを残念に思ってきました。

 「英会話を勉強しようかな」
 「直接話しかければ上達するよ」
 「その会話ができないので」
 「中学程度の英語で十分通用するよ」
 「その中学程度ができないので…」

 高校入試の英語については、自分の好きな歴史でカバーすると決め、0点を覚悟していた位ですから、基本的な会話から見直さないと話せません。

 「議員なら、英語だけでなく韓国語や中国語も勉強してよ」
 「ダメダメ、上高地の中国人は嫌いだから」
 「そんな偏見は問題だなぁ」

 知人との会話ですが、大声で引率され、騒々しく路を占拠する中国人団体客や、人の前に入ってきて写真を撮ったり、歩きタバコですれ違う中国人にはうんざりしており、自分たちで下調べをして、日本のマナーにあわせて行動する西欧人とは同じには見えません。

 4年前には、四国遍路の韓国人が、韓国人のためハングル文字の道案内シールを電柱や道路標識に処かまわず貼りまくり、地元住民の反発が人権問題として批判されたことがありますが、日本人が外国の観光地で、勝手に日本語の案内シールを貼る行為はありえず、西欧人のお遍路は日本を勉強してから来日しています。

四国遍路にハングル文字 http://biznot.xsrv.jp/post-1844-1844

 個人的な好き嫌いはさておき、世界の共通語である英語なら中国人にも使えますから、基本的な会話ぐらいは身につけたいと、本日は書店でも一番簡単で持ち歩ける本を購入してきました。

 さて、私の生活圏には、かつて4軒ほどの書店がありましたが、現在はすべて廃業していることから、隣町まで出かけて本を探しましたが、訪れた書店では海外旅行に出かけた時に使用する英会話の本しかなく、日本へ訪れた外国人に応対する英会話の本は存在していませんでした。

 上高地は来週15日に閉山となり、四国遍路も冬はシーズンオフのようになりますから、来年4月までかかって簡単な会話程度はできるようになりたいと思っていますが、親しい知人が英会話を三日坊主(厳密には5日間)にしており、どこまで身に付くのかは疑問で、過去にやろうとしてここに記したままになっていることは多く、かつて個展まで開いていた写真についても、フィルムからデジタルへの乗換えができず、面倒だから止めてしまった事例が頭をよぎります。さて、続くでしょうか…

私の地域から見える養老山脈の夕暮れです
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 本日は、町内の水路清掃と、来客や電話応対していると一日が経過してしまいました。
            本日の体重 72、2キロ 徒歩数 15123歩 間食あり
                                     11月12日の一言

昼食に稲沢市矢合観音へ

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残念ながら…相棒リマは入れません

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稲沢市矢合町の国分禅寺
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尾張国分寺 ←クリックして下さい

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 「ご飯でも食べてこようか」の一言で、家内と昼食に出かけましたが、私の住む地域では昔ながらの飲食店がほとんど無くなっており、チェーン店やファミリーレストランにわざわざ行きたいとは思えないため、10日前にも訪れた稲沢市の小玉食堂に行ってきました。

 ここは店主が同級生と言うだけでなく、私の好きなみたらし団子や五平餅があり、おでんや田楽など、旅先に行ったような雰囲気と、麺類や丼物の日本伝統の食堂を継承しており、注文に迷う心配がありません。

 ただし、かつては昼食時に行列ができた矢合観音も、最近は訪れる信者が減少するとともに、国府宮駅から出ていた名鉄バスも半減し、現在は1時間に1本しかありませんし、参拝者も観音様の隣にある無料駐車場に停めてそのまま帰ってしまうため、門前や周辺の商店も厳しいやりくりが続きます。

 最近は、毎月18日に地域で連携したイベントを開催されていますが、かんじんの矢合観音はお寺ではなく、在家の観音様であることから、世帯主の気力不足で、読経から全く霊力が感じられない雑な般若心経が読まれており、医学や科学の発展で霊験ありと言われた井戸水の人気も低くなってきました。

矢合観音 http://www.yawase.com/
やわせ十八番市ブログ http://ameblo.jp/yawase18/

 さて、本日は30代の頃に出かけていた地元の居酒屋が、ほとんど残っていない現実について語っていると、かつて津島市でラーメン店をだしていたご主人から連絡があり、現在一宮市の自宅で居酒屋を開いているとの話に、同席していた知人と日曜日に出かける約束をしました。

 かつて出向いていた居酒屋についても、現在はほとんどが暖簾を降ろしており、飲酒運転の取締りが厳しくなったこともあるでしょうが、寄り付いていた馴染みのコーヒー屋さんや居酒屋が姿を消して、チェーン店ばかりになった現状が寂しく思える一日ともなりました。

             本日の体重 72、0キロ 徒歩数 7794歩 間食あり
                                     11月10日の一言

久しぶりのウォーキングへ

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東京ではありませんが、木枯らし1号を思わせる愛知県の夕暮れです

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稲刈りも終わりました

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私のお気に入り ネコジャラシもそろそろ限界に

 1ケ月前の奈良明日香路の日帰りから上高地、孫との四国遍路、伊勢神宮と高野山に続いて知多半島を巡礼で歩き、豊橋市のトリエンナーレ、月末の上高地、今月に入って四国遍路と、遠出が続いていた日程が、来週に出かける上高地閉山式まで久しぶりに地元での生活になりました。

 左の腰痛から歩くのも億劫となっていましたが、本日は久しぶりにノルマとしていた夕方のウォーキングに出かけ、稲刈りの終った田園風景と、寒波が襲来している空模様は違うものの、足の負担や苦痛は全くなく、腰痛の改善を図れば一年前の体調が戻ってきそうです。

 さて、3日間の四国遍路では、宿では刺身など生ものを食べない同行者の分まで食べ、運転手役としてお礼のビールを振る舞われ、帰路は夜行のため一食増えており、翌日の体重こそ疲労から71キロ台だったものの、翌日から本日まで72キロ台が続いています。

 毎日の食事は野菜を意識しているものの、宿泊先では美味に舌鼓を打ち、連日のビール摂取が帰宅後に1キロの体重増となり、これまでは歩けば1キロ程度の減量は可能でしたが、一週間の不摂生で思うようにはコントロールができません。

 夜行で帰宅し、翌日も睡眠不足のまま行動し、その後の生活も乱れており、今週になってやっと日常的な生活に戻ったので、しばらく歩いて元の体調に戻したいと思います。
           本日の体重 72、2キロ 徒歩数 10107歩 間食あり
                                     11月9日の一言

久しぶりに家と街中へ

冷たい雨にうたれる我家の柿

行きつけの珈琲屋さんのサービス アンミツ

こんな小さな処に気配りが

スプーンベル 津島市葉苅町

 今晩から天候が急変して、全国的に寒波が訪れるとの天気予報ですが、私の住む愛知県でも冷たい雨が降り、まるで晩秋になったような雰囲気で、庭の柿の木の葉がほとんど落ちて寂しさは隠せません。

 本日は叔父と同じ浄土宗の僧侶で、私が議員になった17年前には、叔父と一緒に連日のように駆けつけていただき、一緒に旅行にも出かけていたNさんの通夜が催され、私とは20年の年の差があるものの、私にも確実にその影が近づいていることが実感させられました。

 世話になった人や、親しくしていた人の訃報があると、生前にもっと楽しい時間を共有できれば良かったと反省すると同時に、時間は確実に経過している現実を実感させられ、今年85歳になる母親や、8才となった相棒リマの顔を見てしまいます。

 そんなわけではありませんが、本日開催された書道会では、指導する恩師も84歳になっておられることから、急遽来週末に一泊の慰安旅行を行うことを決めましたが、上高地と四国遍路しか眼中にないため、目的地が定まりません。

「五輪肺炎」復活? マイコプラズマ肺炎が大流行
記事の続き…
 http://www.asahicom.jp/images/asahicom/hand.pngその原因の一つと指摘されるのが耐性菌だ。感染研によると、治療で主に使われているマクロライド系の抗菌薬に耐性を持つ菌が00年から増え始め、現在は50%以上と推定されている。別の抗菌薬も使えるが、特に子どもで副作用の心配があるという。
 感染研細菌第二部の見理剛(けんり・つよし)室長は「90~00年代はマクロライド系の薬が効き、80年代までのような大流行が抑えられていた可能性がある。耐性菌の広がりによって、かつてのような周期的流行が復活していくかみていく必要がある」と話している。

 今年8月から9月末まで、原因不明の疲労感や風邪のような症状に苦しんだものの、かつて歯科医師から処方されていた細菌の感染を防ぐ抗生物質を一錠呑んだところ、一晩にして症状が改善したことがありました。


 この経験から、風邪でも歯が化膿しても、感染症に効果のあるクラビットという薬と、痛み止めのロキソニンを持ち歩けば、安心して遠出ができるお守りのように思ってしまいますが、抗生物質の多用は副作用も多く、薬が効かなくなる耐性菌も作ってしまうため、注意も必要となります。

 年齢を重ねると、加齢による老化現象が起こるのは当然ですが、老化による不調か、病気による不調かが判断できない体調に悩まされるようになります。
 私の当面の課題は、左腰の痛みと、長距離運転後の違和感を改善することですが、不摂生な生活を改善することも必要で、何とか一年前の走れる体調に戻していきたいものです。

             本日の体重 72、2キロ 徒歩数 5338歩 間食あり
                                      11月8日の一言

久しぶりに横井庄一記念館へ

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 かつては毎週日曜日にボランティアで出かけていた「横井庄一記念館」ですが、最近は上高地や四国遍路に頻繁に出かけるため、日曜日はなるべく出かけないように意識しているため、記念館も久しぶりの訪問となりました。

 館長(横井夫人)はまもなく89歳になりますが、医者に行ったことがないとの話に、私も病院嫌いで、風邪をひいても医院には行きませんが、風邪の予防に市販の風邪薬を飲み、上高地や四国遍路には複数の薬を持参しており、最近は加齢による苦痛を感ずることが多く、かかりつけ医に新たな薬を処方してもらいました。

 さて、昨日の未明に3日間の四国遍路から帰りましたが、初日は前日の夜から徹夜で運転し、午後6時に宿に到着するまで寝ておらず、夜の食事に関しては、生ものを口にしない人と、小食の人から刺身などを2食分以上いただき、ビールや大盛りご飯など、我家では絶対に考えられない暴飲暴食の旅ともなりました。

 行き帰りは深夜の長距離運転のため、眠気防止のため菓子と飲料水を口にし続けており、我家の生活では夜の間食を節制し、歩く事で体重を維持していたことを考えると、無茶苦茶な旅行ですが、3日間で5日分の運転のため、暴飲暴食をしても疲労からか体重も増えません。

 2年前から約10キロの減量に成功したものの、8月から左腰の不調や雨によって歩く量が減り、ふんだんに採れた畑の野菜が減って、体重の維持に四苦八苦していたものの、最近では71キロ代に収まっており、加齢からくる未知の苦痛や疲れの改善が課題となってきました。

 体重と身体のコントロールは、管理栄養士さんの指導と監視のお陰で、食べても歩く事で何とか維持できるようになりましたが、腰の痛みや疲労は加齢から来る経験のない体験となり、かかりつけ医に訴えても「年齢がくるとねぇ」と、年齢から当然のことのように説明されてしまいます。

 そんな中で、私がお気に入り登録しているブログの発信に、体重や健康問題について記された記載も複数存在し、私より2歳年長の発信者から、最近になって夜のトイレの回数が増えたことが記されていました。

 実は、同時期に同じような症状から医師に告げると、とりあえず前立腺が小さくなる漢方薬を処方するとして、「八味地黄丸」を1ケ月分もらってきました。
 ただし、私の前立腺が肥大しているかどうかは検査もしておらず、トイレの回数が増えた原因が前立腺かどうかも私自身が疑わしく思っており、過去に僅かな血尿について検査した際に、何も原因は判らないが、目には見えないような結石が存在したかも知れないと言われたため、ビタミンCを飲んで改善していたこともありました。


 もっとも、帰宅して薬についてネット検索すると、「なかなか疲れがとれなくて、腰が痛い、小便の出が悪い、夜何度も小便に起きる、軽い尿もれ等の症状がある時に用いられています」とあり、私の腰痛や疲れも考えると、医師に相談して良かったと思われますが、ネット発信された発信者の体験も大いに参考になります。

 そんなわけで、体験者のお声も参考にしたく、コメント欄でも、ゲストブックでもかまいませんから参考になるご意見をお寄せいただければ幸いです。
 手前味噌ですが、そんな交流がネット発信者の健康長寿にもなっていくと思われ、病魔によって発信が途絶えたままのブログ発信者を回顧する一日ともなりました。

            本日の体重 71、7キロ 徒歩数 1405歩 間食あり
                                      11月6日の一言

コンサートと演劇の一日に

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北川桜コンサート

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アルプスホルンの演奏

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ヨーデル歌と踊りと

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会場の観客と一緒になったコンサート

 今年8月に上高地で開催された信州四方山祭りで、北アルプス穂高連峰をバックにしてすばらしい歌声を聞かせていただいた北川桜さんのコンサートが、弥富市の社会教育センターで開催されました。

 「入場整理券はお持ちですか」
 「持っていませんが…
     無いと入れないのですか」
 「そうです」
 「仕方ないなぁ」

 本日のコンサートは、弥富市の文化協会10周年記念として開催されましたが、予め整理券を持っていないと入れないとの話で、一緒に同行した3人で立ち往生していると、「私の整理券をあげるわ」と、後ろのご婦人が来れなくなった3人分のチケットを下さりました。
 偶然の出来事ですが、我々がこのご婦人の前に居たことと、ちょうど3人分の整理券を持っておられた人の前だったことから、押し問答することなく当然のように入場できるとともに、出演前の北川さんに再会することもできました。
 
 アルプスの民族音楽ヨーデルは、上高地の北アルプスを背景にして聞くのが最高と思いますが、ステージの背景として映し出されたアルプスの舞台により、北川さんの歌声だけでなく、用意されたアルプスホルンなどの演出によって見事なコンサートが開催されました。


 昨日まで四国遍路で愛媛県にいましたが、上高地で11月5日の弥富市のコンサート開催を知り、遍路の日程を一日早めてもらったものの、偶然にも知人が出演する演劇も開催されており、本日の4時が最終となるため、3時に会場を後にして高速道路から名古屋市の芸術創造センターに走りました。

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舞台の終わりの挨拶です

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サンダカン八番娼館 望郷

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 昨日の午後5時に愛媛県今治市で遍路を終え、しまなみ海道から広島県尾道市へ渡り、山陽道から岡山、兵庫、大阪、京都、三重と車を走らせ、名古屋市に到着したのが午前1時となり、7人の同行者を各地に送り届けて帰宅すると時計の針は3時近くになっていました。

 そして、午前9時に起きれば6時間の睡眠となり、今日一日の行動は可能と考えていましたが、身体がフラフラと揺れており、さすがに昨日朝7時から午後5時まで遍路と運転をした後に、名古屋まで走ってきた身体は悲鳴をあげています。

        本日の体重 71、7キロ 徒歩数 2253歩 夕食が2回
                                   11月5日の一言

11月1日の徒歩数 4020歩
     2日の徒歩数  5554歩
    3日の徒歩数 5635歩
        4日の徒歩数 9456歩

遍路は(びっくりの)出会い旅

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午前6時40分 第46番浄瑠璃寺の前で出会いを記念して

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大阪のKさんとツーショット

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第45藩岩屋寺

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岩屋寺駐車場でKさんと愛車

 「お手伝いしましょうか?」
 「大丈夫ですよ」
 「私に何かできることはありませんか?」
 「有難うございます」

 車イスを用意してあっても、自分の足で歩くしかない岩屋寺で、両肩を私と家内で支えて参拝し、薄暗くなってから参道を降りる我々の背後から、手伝おうとする若者から善意の声がかかりました。

 両肩を支える高齢の女性遍路が、弘法信仰50年以上となり、かつては独りで通しの歩き遍路を数回経験している弘法会の代表とは知らず、「頑張って」とか、「もうすぐだよ」との声は同情としか思えず、ご本人も口惜しい気持で岩屋寺の長い坂道を登って参拝しました。

 足に障がいを持つ者にとっては、登りよりも下りの方が楽なように見えますが、実は針の板を踏むような激痛が走っており、苦痛によって休みながらの帰り道に、「何か手伝えることはないか」の一言は、私は弘法大師の代弁のように聞こえました。

 その若者は、我々の前後を付き添って降りてくれましたが…

 「あら、あんたとは何処かで前に会っているでしょ?」
 「はい、実は間違いなら失礼と思って黙っていましたが…」
 「前にお遍路で会ったのかな?」
 「そうです」

 声をかけてくれた若者を見たメンバーの一言で、2年ほど前のお遍路で声を交わしていた若者であることが判り、まるで作り話のような出会いにびっくりさせられましたが、こんな偶然の再会もあるものなんですね。

 45番の岩屋寺で午後5時過ぎに別れているため、翌日の朝に46番の浄瑠璃寺で出会うのは必然となり、若者の安全祈願のため志賀弘法会のメンバーで般若心経を一巻あげて記念撮影をしてお別れとなりました。


 四国遍路の魅力は新たな出会いがあり、挨拶や親切な一言が思わぬ交流となります。こんな不思議な体験がお遍路の力となり、遍路の継続となっていきます。
 私は平成13年からお遍路を始めましたが、会うことのないような偶然の再会と、背中合わせで蜘蛛の糸のようなご縁が多く存在し、お遍路の原動力ともなりますが、これもお互いの挨拶から始まっており、挨拶によって会話に発展し、ここから金持ちも地位も身分も越えた交流が生まれます。

四国遍路  3日目最終日

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夕暮れの来島海峡  しまなみ海道

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ほら貝を吹いて歩く僧侶  第51番石手寺

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弘法信仰50年 信念の参拝

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仙遊寺大師堂

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 松山市内の路面電車 

3日間の四国遍路も本日が最終日となりました。

      車イス遍路ですが、第31番竹林寺(高知市)から、
                      第59番国分寺(今治市)まで巡拝できました。

11月4日の一言

遍路の難所 車イス利用者と岩屋寺へ巡拝

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私と家内で両肩を支えて石段と坂道を歩きます
                      この後ろから腰を押す人(カメラ)と連携して登ります

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まもなく大師堂に到着します

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岩屋寺大師堂前で記念撮影

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途中の休憩所の横には多くのお地蔵様が

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全員で支えあい参拝しました

 名古屋市北区の志賀弘法会の四国遍路は、代表者が足に補そう具を必要としており、車イスを車に乗せた遍路となりますが、急坂と石段が長く続く岩屋寺では、車イスが使えず、私と家内が両肩と腕を支えて引き上げ、後ろから押す人の協力によって何とか本堂まで辿り着きました。

 車イスを使用する者にとって、岩屋寺の巡拝は車イスが使用できないため、本堂への参拝は絶望と言う人もありますが、両肩と後ろから押す人の協力で、本人に参拝する気力があれば参拝できることを本日証明することができました。

 もっとも、車イスと言っても、自分で立ちあがれる人の話で、車イスに座ったままの人は、誰かに背負ってもらわなければ岩屋寺には参拝できません。

 引っ張る者も大変ですが、立っているだけでも足がクギで刺されている位痛いとの話ですから、本人の苦痛は大変なもので、登りは介助者は大変ですが、下りは本人の足に予想もできない苦痛が走り、休憩の連続となりました。

 こんな体験が、病床にあるお遍路さんの励みになれば幸いです。

                                11月3日

四国遍路 第2日目

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別格二十霊場8番十夜ケ橋 橋の下に集まる鯉

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十夜ケ橋下の大師像前で合掌

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42番仏木寺近くのコスモス

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40番観自在寺周辺のお祭り

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第43番明石寺の石段

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42番仏木寺門前

 今年4月に始まった車イスによる2回目の遍路ですが、昨日から車イスを使えるお寺がなく、両肩を支えた遍路で、高知県を巡拝し終え、本日は足摺岬から松山インターまで車を走らせ、午後5時に45番岩屋寺まで巡拝し、46番門前の遍路宿長珍屋さんに到着しました。

 先月の初めに孫や家族と四国を訪れた際にも、香川県の各地でお祭が開催されていましたが、本日は愛媛県の各地でお祭が開かれており、私の住む地域よりも厳粛に祭礼が行われている印象を受けました。

 さて、明日は午前6時30分から、宿の前にある46番浄瑠璃寺に参拝し、納経帳の朱印を終えたのちに朝食をとり、松山市内の53番円明寺まで巡拝し、午後5時まで今治市内のお寺を巡拝後に、しまなみ海道から広島県に渡って名古屋に戻る予定です。
 ともに老朽化した私の身体と、私の愛車をいたわりながら、何事もなく愛知県に帰りたいと考えています。

                                      11月3日の一言

お遍路の合間に四万十川下り

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 志賀弘法会は、午前中は水以外は口にできず、最終日の午後まで観光やお土産の購入も禁止されていますが、本日は私の独断で「四万十川下り」に参加し、屋形船を貸しきった観光も体験しました。

 まるで、別世界に来たような穏やかな風景でした。
                                      11月2日の一言


四国遍路 第1日目

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本日は第31番竹林寺(高知市)からスタートです

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足の悪い人には難所となる第36番青龍寺の石段

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本日最後の参拝 第38番金剛福寺大師堂 足摺岬

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金剛福寺は綺麗になりましたね
                        天国に来たような景色です

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ホテル足摺園から見た夕暮れ

 本日は名古屋市の志賀弘法会のメンバー7人と、高知市の竹林寺から、足摺岬の金剛福寺まで巡拝しました。

 昨晩の午後10時半に名古屋を出発して、午前7時から午後5時30分まで高知県内を9人で参拝し、31番から38番まで巡拝しました
 明日は39番から巡拝し、松山市内の宿の周辺まで巡礼予定としています。

                                      11月2日の一言


小さな花が訴えているようです

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時期はずれに、かろうじて咲いた君子ラン
 
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我家の花梨の実です
 
 秋と言うよりも初冬を思わせる天気の中で、完全にあきらめていた君子ランの花が芽を出して咲きかけました。
 
 この君子ランは、ご主人の海外勤務が終わり、日本に帰国された直後から私の仕事を手伝ってもらい、家内も姉のように親しくしていた水野静江さんからいただいた君子ランの子孫で、生前中にいただいても翌年には花が咲かず、「ウチの植木鉢と交換すれば良いわ」と言われていましたが、久しぶりに小さな花を咲かせ、この花によって亡くなられて10年も経過したことと、6年前にも「5年ぶりに咲いた」と記していたことが判りました。
 
 
 我家では色々な花をいただいても、そのまま育てるだけで精一杯で、枯らさないために地面に移植しており、ましてや「ラン」などは花が咲けば幸いで、鉢植えの花は数年後には枯らしてしまいますが、花は咲かずとも10年間も植木鉢のまま残っているのは驚異的です。
 
 そして、その水野さんが63歳で亡くなられていた現実も、今年その歳になる私には万が一起こりうる現実かも知れません。人生のはかなさを実感させられる半面で、花は芽を出し続けて花を咲かせ続ける逞しさを実感させられました。
 
 添付した「花梨」の実も、平成5年に他界した父親が、我家の庭にあった、横井庄一さんが大正時代に種をまいた「マキ」の木と、神守町の知人宅にあった花梨の木を交換したもので、毎年実をつけるようになりました。
 
 我家に残っている樹木は、先祖伝来の木や、父親が植えて残したものばかりで、それぞれの木に植えた親たちの顔を思い出すと、大きくなって「切れ」と言われても、ノコギリを引く気持ちにはなれず、私が知人からもらってきたアンズや朴の木なども屋根を越す大樹になってしまいました。
 
 ブログの発信も、このまま記録が残されている限りにおいては、過去に記した記事によって知人の元気な姿を回顧でき、自身の戒めにもできることを実感し、時期はずれに開花した花が何か訴えているかのように感ずる一日ともなりました。
 
                                        11月1日の一言
追伸
本日の深夜から四国遍路に出発します。
 
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