大鹿一八「本日の一言」

平成16年2月から令和1年7月末までの「本日の一言」です。ヤフーブログ閉鎖により、ライブドアへ過去の記録として引っ越しました。

2017年01月

過去の一言にも同時期の体重増が記されており

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 本日の体重は72、5キロでした。

 年末までは72キロ台だった体重が元旦から73キロ台になり、何とか20日に72キロ台にもどし、2月までに何とか71キロ台まで落とそうと考えていましたが、28日に71、9キロ、翌日に71、8キロを記録した翌日から72キロ台に戻ってしまいました。

 27日に管理栄養士さんの指導日があり、この日を目標に野菜の摂取とウォーキングを増やし、何とか1キロの減量を果たしたものの、指導日が終ったことも影響して、体重は増加しそうになってきました。

1月6日 73、6キロ → 16日 73、7キロ → 20日 72、8キロ → 29日 71、8キロ

 もっとも、昨日は午前中に訪れた知人に昼食を誘われ、家内が用意していた昼食と2食になり、夕方にも来客があったことからノルマとしているウォーキングに出られず、本日も午前中から夕方まで来客があり、こんなことが影響して体重は減っていきません。



 偶然にも1年前と2年前の一言にも、同時期に体重がリバウンドしたことが記されており、正月に体重が増加しやすいことが判り、今後の参考になると思いますが、これでも3年前には10キロ程度多い80キロ台だったことを考えると節制しているとは思いますが…

 還暦を過ぎ、仕事に区切りをつけて、時間に余裕ができた同級生が多く、最近になって少年時代に遊んでいた悪友たちと時間を共有するようになり、私がノルマとしているウォーキングとか、外食や間食を控えたいと思っていながら同行していることが体重の増減の大きな要因となっています。

 本日も夜の書道会の前に夕食をとりながら、9時過ぎに自宅に戻ると次男が夕食を摂っており、食べないと言いながら、ワインのツマミに刺身を食べ、飲んだ時の癖で菓子パンを口にしていました。

 管理栄養士さんの指導日を目標に体重が落ちたことと、2キロ程度の体重はコントロールできそうなことから、プロボクサーが試合前に体重を落とすように、10日刻みで目標体重を決めて節制できたら何とかなりそうですが…

 「節制しても癌になったらイチコロじゃないの」の一言は、知人の発した言葉ですが、体重のために節制するのは苦痛となることから、カロリーを消化する趣味を考えて見たいものです。

             本日の体重 72、5キロ 徒歩数 2400歩 間食あり
                                      1月31日の一言

テレビ撮影の現場に遭遇して

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CBCテレビ リポーターの井駒彩ちゃんです


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おやっ、テレビ撮影かな?
                             矢合観音 門前の小玉屋食堂の中から

小玉屋食堂 ユーチューブ https://www.youtube.com/watch?v=uV5x_-BYFig
小玉屋食堂  □おでん・中華そば
住所:愛知県稲沢市矢合町2474-3  電話:0587-36-2008
定休日:水曜 ※18日が水曜・祝祭日の場合は営業(翌日、振替休み)

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稲沢市の矢合観音をCBCテレビが撮影中です

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創業104年の小玉屋食堂にもカメラが
                                CBCテレビ「イッポー」の撮影中です
CBCテレビ「イッポー」 http://hicbc.com/tv/ippou/

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団子三兄弟?
                              いやいや、名物店主と女将に囲まれた若旦那です

ちなみに、お嫁さん募集中とのことです

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撮影の合い間にピース
                              サービス精神満杯の彩ちゃんです
感度の悪い携帯電話の撮影が残念です

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CBCテレビ取材陣もサービス満点
                                 イッポーのポーズ(左)で合図をもらいました

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さすが、彩ちゃん
私のピンボケ携帯電話カメラのためにご飯をパクリと

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井駒彩ちゃんの隣は勝新太郎さんの息子かな?
                                 いやいや、小玉屋四代目名物店主でした

 本日は忙しくて外出どころではありませんでしたが、事務所を訪れた複数の来客を無視し続けることはできず、「お昼はどうするの」との友人の言葉に、どうせ行くなら知人のお店へと、稲沢市の矢合観音まで足を延ばしました。

 すると、矢合観音の井戸を撮影するテレビクルーと遭遇しましたが、我々が昼食に立ち寄った小玉屋食堂が撮影場所になるとは思っておらず、邪魔にならないように離れていると、撮影の合い間にリポーターの女性が笑顔でピースマークをくれました。

「写真撮っても良いかな?」
   「いいですよッ」
「撮った写真をブログに載せちゃっても良いかな?」
   「もちろん、大丈夫ですよ」

 こんな展開で、来月2月7日に放送されるCBCテレビ「イッポー」で、本日撮影された映像が放映されるとの話でしたが、恥も恐れぬ還暦親父は、リポーターの名前を聞き出し、食べ物を口にするポーズまで要求し、最後は名物親父とツーショットまで撮らせてもらいました。

 帰宅後にデジタルカメラを持っていかなかったことを後悔するとともに、東海地方では多くのテレビ番組に出演し、モデルでもある井駒彩ちゃんを、携帯電話のピンボケ写真でここに添付することは残念でしかありません。

 さて、私自身も横井庄一さんを放映する番組で何度もテレビ出演したことがあり、街角で撮影するテレビクルーを見たこともありますが、撮影の合い間に傍観者の我々に自分の名前と年齢まで教えて、撮影する様子をカメラで撮らせてくれるクルーは初めてで、こんな雰囲気で撮影される「イッポー」の魅力も感じました。

 「イッポー」は、東海地方で月曜日から金曜日まで、午後4時52分から7時まで放映されている番組で、大石キャスターを中心にして、事件や事故から、視聴者のリクエストで天気予報を伝えたり、市民の特ダネ提供など、身近な番組として放送されています。

 これからはリポーターの井駒彩ちゃんの登場を楽しみに、我家の夕方はは「5チャンネル」にすることにしました。

            本日の体重 72、2キロ 徒歩数 3039歩 間食あり
                                     1月30日の一言

本日の蛇足 久々の横井庄一記念館へ

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昨日私をお寺まで案内してくれた柴犬 右の影は私です

 知多半島の新四国第27番誓海寺の入口からお寺の駐車場まで約200メートル。

 最初は、他所者の私を威嚇して吠えていると思われた柴犬ですが、足の具合が悪いのか5メートルほど歩いて、振り返って吠えて、また歩いていく繰り返しで、途中で家々への入り口があったのに入らず、小高い丘の駐車場まで導いてくれました。

 この犬がお寺の犬かどうかは判りませんが、我々が参拝して戻って来るまで車の近くで座っており、誰もが案内してくれたとしか思わず、威嚇して吠えるのであれば、車から降りた私に近寄ってきませんから、白衣を見て我々がお寺に来たことが判ると思われ、案内してくれていたとすれば忘れがたく、犬が放たれたまま居る知多半島の環境にも癒されました。

 さて、本日は横井庄一記念館を久しぶりに訪れました。平成18年に開館した記念館を、館長の横井夫人は毎週日曜日に開放するだけでなく、訪れる来訪者と意気投合すると説明して時間を気にせず応対してきました。

「あなたに後を守ってもらいたいから…」
   「まだ元気なんだからそんな事は…」
「何を言っているの。私はもう89歳になっているのよ」
   「そう言われると…」

 開館する前から、「記念館を開館するなら50年は続ける計画で」と私が発言しており、館長はもちろんのこと、私自身も50年後まで生きておれない現実から、記念館を存続させるには自分たちの死後も想定した話となってきます。

 横井さんには子供がなく、京都に大学教授となった夫人の甥が存在しますが、京都に親から引き継いだ建物や土地を有して生活しており、横井庄一さんの母親の里の跡取りとなる私に記念館の白羽の矢が立っています。

 後継を託すと言われる私も63歳になっており、横井夫人よりは若いものの、私の父親は65歳で鬼籍に入った現実を考えると、私も子供や孫たちの協力なくして無責任な話はできません。

 私自身も24年前に父親から土地や財産を引き継ぎ、相続税を支払ったまま、今度はまもなく子供に相続させる時期になっており、横井家の遺産を引き継ぐ相続税だけでなく、毎年の固定資産税を考えると、私の老後の負担が増える現実と、横井夫人と私の死後の記念館運営まで考えると新たな価値観が求められてきます。

 太平洋戦争の敗戦も知らず、グアム島の洞穴で28年間生き続けた横井さんの生命力を考えると、これまでの戦争の悲惨さを訴えることから、最近になって増加し続ける自殺者や、死を意識した人々の生きる道標になる記念館にしていくのも一つの方向性かも知れません。

 来館者を送り出し、私の長話に花を咲かせていると時計は7時近くなっており、「あなた、ご飯は」の言葉に慌てて記念館の看板を外しに玄関を出ると、外は久しぶりの雨となっていました。

            本日の体重 71、8キロ 徒歩数 1329歩 間食あり
                                     1月29日の一言

巡礼 意識は翌朝まで続いていました

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知多半島 師崎港

昨日の写真です
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知多新四国 第43番岩屋寺

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第46番如意綸寺
手前の大師像の下でネコが巡礼者を眺めていました

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夕暮れになりました

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第52番蜜蔵院

「ここで何番まで廻れるのでしょうか?」
   「もう4時半だから、うちの2ヶ寺だけかな」
「5ヶ寺あるでしょう?」
   「お参りに30分はかかるでしょ」
「朱印だけでも先にできませんか」
   「ここも、5時に閉めてしまうから」

 第51番野間田大坊の納経所でのやりとりですが、ここの500メートル内に5ヶ寺が密集しており、何とか朱印だけでも先に全部済ませたいと問い合わせたところ、本堂と大師堂で真言を唱えると30分かかり、参拝を済ませないと朱印は受け付けないから、野間大坊と同じ寺内にある大御堂寺(第50番)の2ヶ寺しかできないとの話です。

そんな馬鹿な…

 知多半島で、1ヶ寺に30分の真言を唱えている信者は何人ありますか?
 納経所が無人となって、信者が自分で朱印を押すお寺がたくさんありますが…
 そこまで言い切るなら、野間大坊で大御堂寺と2ヶ寺分の朱印を押さず、それぞれに納経所を造って応対してくださいよ…

 こんな横着な考えは、巡礼者として問題外でしかありませんが、大師堂に真言を唱えることしか考えない志賀弘法のメンバーはさておき、同行するタクシードライバーとしては、30分で5ヶ寺分の朱印を先取りしてでも済ますのも能力です。

 午後5時までに50番から56番まで朱印を先取りして戻り、巡礼に加わりました。

「ちょっと待ってくださいよ、今開けますからね」
   「わざわざ、有難うございます」
「若い者が外出してしまったから…」

 午後5時を廻ってから参拝に訪れた第52番蜜蔵院での会話ですが、我々のために大奥様が大師堂の扉を開けてくださりました。
 このお寺には「盗難除」のお札があり、扉を開けていただいたことで、我家をはじめ4人がお札を頂きましたが、外出したご住職のお母さんが留守番しておられたことで、午後5時過ぎに4千円のお札代がお寺に入っていきました。

 観光客が観光バスで訪れる野間大坊と、巡礼者しか訪れない蜜蔵院との違いがよく判りますが、5時過ぎに訪れた第53番安養院でも外出しようとされていたご住職が、わざわざ窓を開けにきていただき、お寺らしい優しい気持に触れさせていただきました。有難うございました。

 さて、昨晩に添付する予定の写真でしたが、帰宅後の夕食後は爆睡して起きられませんでした。朝5時に自宅を出発し、知多半島の巡礼を済ませてから、メンバーをそれぞれ送って午後8時30分に帰宅しましたが、距離は違うものの、四国のお遍路より長い運転は身体に堪えました。

開山寺 誓海寺禅林堂へ案内してくれた柴犬

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参道から第27番誓海寺まで案内してくれた柴犬

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開山所 誓海寺禅林堂

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師崎港から日間賀島を目指します

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バイバーイ !!

本日は志賀弘法のメンバーと知多半島八十八ヶ所新四国巡礼に来ました。

最初に巡拝した第27番誓海寺は、知多半島新四国巡礼の開山者岡戸半蔵行者をまつるお寺ですが、参道入り口に我々を案内する柴犬がおり、本堂駐車場まで連れて行ってくれました。


 最初は、入ってくる私の車に吠えていると思っていましたが、吠えて5メートルほど走り、後ろを振り返って吠え、200メートルほどある参道を犬のペースで付いて行くと、お寺の駐車場に到着し、犬は車から降りた私に近寄ってきました。白衣姿の我々がお寺に来たことが判っていたのでしょうね。


本当にありがとう。

さて、しばらく巡拝後、メンバーは日間賀島と篠島の巡礼に船で出航して行きました。

運転手にとっては、暫しの休憩になりました。


                     本日の体重 71、9キロ 徒歩数 6144歩 間食あり
                                     1月28日の一言


観光交流センターの陶芸展へ

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津島市本町一丁目の町並み

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津島市観光交流センター

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「ちょっと 一服陶芸展」
                         1月21日~3月12日

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こんなにたくさん展示されています

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この仏像も陶器です

 本日は保健センターで管理栄養士さんの指導(私のおしゃべり会)を受けに出向き、この指導日があるために、20日から体重が減少して(節制して)おり、この体験を3月の指導日につなげていきたいと思います。

 さて、本日は市役所に出向いて依頼してあった資料を受け取り、そのまま観光交流センターに出かけましたが、明日の土曜日は名古屋市の志賀弘法会の知多巡拝に同行することになっており、隣のあま市役所に提出する書類が急ぎのため事務所に帰りました。

 提出する書類は、あま市で展開される福祉有償運送の許認可に関わるもので、私が提出する申請書を受理後の2月から3月に運営協議会を立ち上げるとの話ですが、警察など公的な書類も必要なため、急いでも月末に書類は整わず、突然の仕事に過去に無い慌ただしい日程と化しました。

           本日の体重 72、5キロ 徒歩数 2341歩 間食あり
                                      1月27日の一言

同郷の劇画家「佐藤まさあき」さんの復刻本を求めて

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劇画家「佐藤まさあき」氏の描いた原画とサイン


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かふぇぎゃらりぃ 類  祖父江町山崎

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ギャラリー類の珈琲ルーム

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展示ルーム ギャラリー

場所 愛知県稲沢市祖父江町山崎鶴塚260-2  電話 0587-97-1203

類 かふぇぎゃらりい 一服する「の~民」

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展示されていた劇画


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今回復刻された「夕映えの丘に」

 本日は稲沢市祖父江町にあるギャラリー「類」へ家内と出かけ、劇画家の「佐藤まさあき」さんの作品や漫画本の展示を見て、親族が復刻された「夕映えの丘へ」を購入し、案内しておられた方と私の高校時代の祖父江砂丘の話に花を咲かせてきました。

 今から30年ほど、愛読していた漫画の中身に、私の出生地である祖父江町の見覚えのある風景とそっくりの書き込みがあり、「佐藤まさあき」さんの漫画のファンとなり、その後に祖父江町のお寺や駅の名前を見て、祖父江町に関わりのない者では描けない風景から同郷の人と確信しました。

 本日買い求めた「夕映えの丘へ」を読んで、戦争を体験して大阪から疎開した体験と、同じような境遇の同級生へのイジメや、空襲によって亡くなった両親の姿を読み、年月を経て還暦を過ぎているため涙が溢れてきました。
 過去に読んだ時には涙が出るどころか、自分の知っている風景が雑誌に載ったことが嬉しかったのですが…

 佐藤まさあきさんは昭和12年に生まれ、昭和19年に大阪から祖父江町山崎へ疎開し、山崎国民学校、26年に祖父江中学校を卒業している。

 地元でも、彼の作品が暴力や監禁などを描くアウトローで、大衆向きではなかったことから、ゴルゴ13の「さいとう・たかを」と劇画界を二分する大物劇画家として名を馳せていたことも知られずに平成16年に他界されている。

劇画界の重鎮・佐藤まさあきによる復讐物語『野望』など第1巻が無料!

 さて、本日訪れたギャラリーでは、木曽川の祖父江砂丘周辺で撮影された野鳥や昆虫などの冊子も展示されており、案内しておられた方から祖父江砂丘の昔の写真が現存していないとの話に、高校時代に撮影した当時の写真を持っていたことを思い出したものの、高校時代から撮りだめた写真の多さから、山積して探すこともできない現実と、つい昨日のように見ていたような錯覚の挟間で、私の少年時代を過した祖父江町の様子もよみがえってきました。

 私が若かりし頃に撮りだめた写真も、今となっては貴重な歴史の記録となりうると思われますが、整理していないことから掃除する時は捨てるしか選択肢がなく、提供してくれとも言われないと荷物のまま私とともに消えていく運命となります。

             本日の体重 72、4キロ 徒歩数 1918歩 間食あり
                                      1月25日の一言

松方弘樹さんの訃報を聞いて…

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今週発売された週刊現代に「がんばれ、松方弘樹」の記事が…

 昨日立ち寄った珈琲屋で、週刊現代に掲載された「がんばれ、松方弘樹」の記事を読み、難病で苦しむ最後の映画スターの様子と、復活を願う仲間やファンだけでなく、編集者にも愛されていた松方さんの復帰に期待して帰宅した直後に、テレビ画面から訃報が流されてきました。


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今週の週刊現代

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23日の新聞広告

 偶然にもその日に読んだ松方弘樹さんの再起に期待する記事の直後に、訃報が伝わってきたことにも驚きましたが、すでに21日に亡くなっておられたことにびっくりさせられました。

 週刊現代の記事には、最後の映画スターとして、映画関係者や出会った人を引き連れて飲み歩く豪遊や、石垣島での大型マグロを釣り上げた話などが紹介され、映画スターとして得た利益を惜しげもなく人との交遊に使って誰にも愛されたエピソードが記されていました。

 さて、松方さんの訃報について、私はご本人が亡くなられたことと同時に、私が大好きな鶴田浩二さんを「おっさん」と呼んで、嬉しそうに語られるだけでなく、その笑顔もそっくりだった人物が消えてしまったことにも寂しさを隠せません。

GREE 松方弘樹 2011/11/11

 鶴田さんが亡くなってから制作された追悼番組だけでなく、何度もテレビ番組の中で鶴田さんの思い出を語り、5年前の自身のブログにも鶴田さんの思い出を記されており、上に添付しましたが、鶴田さんとのエピソードを語れる貴重な存在でもありました。

 最新記事が2013年6月に途絶えていることと、津島市に住む私の同級生に、松方さんと一緒に石垣島でマグロを釣りに同行していた知人がおり、彼の心境を考えるとともに、74歳という享年が、我々にも10年後に迫ってくる現実も実感させられました。

 この週刊現代には、昭和47年1月24日にグアム島から発見された「横井庄一」さんの記事も掲載されており、本日が発見された当日にあたることを再認識させられました。今度の日曜日に「横井庄一記念館」の今後の継承について、館長の横井夫人と相談する約束になっていますが、横井さんは亡くなって20年が経過しており、経過した年月が存在を風化させていく現実も感じさせられます。

           本日の体重 72、5キロ 徒歩数 3749歩 間食あり
                                    1月24日の一言

カメラのキタムラが閉店となっており…

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 偶然に通りかかった「カメラのキタムラ」のシャッターが閉まっており、一緒に同行していた知人は、「改装でもしているんじゃないか」と言いましたが、フイルムカメラの時代から長年利用してきた私には嫌な予感があったことから、帰り道に運転する知人にキタムラに寄ってもらいました。

 閉まったシャッターの前に張り出された小さな告知文に、「閉店のお知らせ」が記されており、「尚、今後は一宮・中島通り店をご利用頂きますよう」と書かれていますが、名古屋より遠い一宮市まで行けるはずもありません。

 私は学生時代より、写真撮影や暗室作業の知恵を借りて世話になっていた「ライオン写真館」を利用していましたが、ご主人の体調が悪化して人工透析を受けられるようになり、留守が多くなったため、写真館の近くにあった「石原カメラ」を利用するようになりました。

 そのカメラ屋も一時は親子で複数の店舗を経営していたものの、全て廃業されてしまったため、我家から2キロほど離れた「キタムラ」を利用するようになったものの、デジタルカメラが主流となり、フイルムカメラの現像焼き付けに時間がかかるようになり、フイルムカメラを使わなくなったことから出向く回数が減ってきました。

 そして、5年前に節電のためとして営業時間が短縮された時(2012年6月)に、こんな時が来るような予感がし、その後もフイルムカメラの全盛時と比較して客足が少ない現実から、いずれ閉店されるのではと思っていましたが…



 寂しい現実です…

 一年前に、30年以上通っていた歯科医院が閉鎖され、我家から30メートル離れた銀行も閉店となり、息子が接骨院を開業する際にも、私の店舗兼事務所を建設した関係者が全て廃業しており、電気も水道も新しい業者に依頼した現実から、事業主の高齢化による廃業はいたし方ないものの、津島市から多くの企業や店舗が撤退して閉店となっている現実に寂しさは隠せません。



 大手チェーン店の進出によって、小さなお店がどんどん閉店に追い込まれ、思うような集客が果たせないことから、大手チェーン店が撤退していってしまうと、利用者は行き場が無くなり、しいては市民生活のレベルまで低下させていきます。

 かつて、津島市には鉄道系の旅行社が複数あったものの、すべてが閉鎖されて地元の小さなトラベル会社のみとなりましたが、明らかに選択肢が狭められ、名古屋市や一宮市の営業所から来てもらって相談することは苦痛なため、私が主宰していた旅行会のバスツアーも止めてしまいました。かつては、津島の営業所で気軽に相談できたんですが…

 今回の「キタムラ」の閉店についても、関係ない人には「カメラ屋が潰れた」程度にしか映りませんが、カメラだけでなく、津島市にはスポーツ店もホームセンターも、大手チェーンが一軒も無く、市民生活にとって大きなサービスが不足している現実が認識されていない現実にも悲しさが漂ってきます。

         本日の体重 72、3キロ 徒歩数 10460歩 間食あり
                                      1月24日の一言

町内のお寺へ初弘法と阿息観へ

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阿息観の開始前です 津島市弘盛寺本堂

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初弘法 絵馬と御札

 本日は午前中に新年初弘法大般若祈祷会に出席し、昼食をはさんで午後1時30分から始まった阿息観にも参加してきました。

「高野山奥之院と上高地に座っている感覚になりたい…」
   「なんで、上高地なの?」

 阿息観が終った後で、参加者で雑談しているときの会話ですが、私は阿息観で座っている時に高野山奥之院の御廟前か、上高地の穂高連峰に向って座っていると錯覚するような感覚になりたいと話すと、何故に上高地なのかと参加者に問われました。

 阿字観や阿息観は、息を吐くことから始まり、清涼な白い空気が口から入ってくるような感覚で吸い込み、身体中の細胞から二酸化炭素を絞り出すような感覚でゆっくりと息を吐いて、また新鮮な空気を吸って吐いての繰り返しとなります。


 穂高連峰の頂から降りてくる神々しい空気をいっぱいに吸い込み、身体中に溜まった汚い空気と入れ替え、六百山の麓から湧き出たばかりの汚れのない聖水を飲み、身体中の汚れた体液を排出していくと、身体の細胞も数日で入れ替わっていきます。
 そして、口に入れる食材を、自然の土の中から生まれてきた野菜を中心に食して生活すると、私は間違いなく身体の中身が変わると信じています。

 これは、四国の歩き遍路と共通するもので、10日間かけて徳島県を巡拝すると、身体中の汚れた体液が汗や尿から排出し、10日間かけて高知県を廻り終える頃には、身体から流れる汗から体臭が消え、10日間かけて愛媛県を巡礼すると、生まれた時のようなまっさらな身体に生まれ変わっていきます。

 そして、最後の10日間の香川県で「即身成仏」の教えに近づく心に入れ替える四国遍路と同じように、上高地の環境は阿字観には最高と私には思え、ある宗教家は、「美しい上高地の自然の中で、瞑想と歩行禅(散策)をしながら巡礼し、自らの心身を基として、自然の調和を学んでいきたい」と記し、上高地を聖地と発信しています。

 町内のお寺の本堂で、私は座っている場所を高野山奥之院に座っているか、上高地に座っている感覚になるよう瞑想しており、その場に居るがごとくの心境になりたいと考えて参加しています。

 さて、下記に添付した札は、先週に当選番号が発表された「ロト7」の券ですが、年末の私の誕生日に家内と1枚づつ購入した宝くじが300円の当り券だったため、その配当金で代わりに購入したもので、今回は数字が3個当っている6等で、300円が千円の当り券になりました。

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                          http://blogs.yahoo.co.jp/s281218/49609335.html

 さて、さて…
 12月18日600円→ 年末300円  1月16日300円→ 1000円に


 先月の18日から始まった楽しみが、どこまで続くのでしょうか…

           本日の体重 72、7キロ 徒歩数 1553歩 間食あり
                                   1月21日の一言

かかりつけ医の副院長・息子さんの成長を頼もしく思い

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本日かかりつけ医でもらった腰痛対策の冊子

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薬局でもらってきた冊子

「どこか具合は悪くありませんか」
   「悪いところだらけだけど、歳だからなぁ…」
「歳のせいにしたら、我々の役目はないんだけど」
   「そうですね、その通りですね !!
「何とかするのが医者の仕事なので…」

 本日はかかりつけ医としている病院へ家内と2人で出かけましたが、主治医としている院長先生ではなく、息子さんの副院長の診察日だったので、薬をもらいに行く程度の感覚で出向いていたところ、「具合の悪さを歳のせいにしてはいけない」と思わせる診察に、医師として立派に成長された言動に感激です。
 ※ 下記の一言には、私の三男が研修医時代の副院長に診てもらった記載がありました。



 息子さんが市民病院の研修医になったばかりの頃、偶然にも私の三男が自転車レースで転倒して休日の時間外診療を受け、出血の多さにびっくりした姿を数回見ており、頼りない印象を持ちながら現在に至っており、患者さんも父親の診察日に集中していますが、新鮮な気持で患者を診る姿勢に、経験豊富な院長と、新鮮な目を持った副院長の組み合わせは患者にとって有難いかぎりとなります。

 接骨院を開業した息子から、腰痛は「筋力の低下と、股関節の固さから、運動とストレッチが必要」と言われているものの、万が一病気のせいで腰が痛んでいる可能性から、息子が接骨院を開業した話をしてから訊ねると、添付した冊子を取り出して息子と同じストレッチの説明を受けたことから、息子の話は素直に聞けないものの、医師の話だけに帰宅後は素直に体現してみました。

 さて、次の患者さんが待っている院長と違い、診察に余裕がある副院長ゆえに、自分の体調の不具合を色々聞くことができ、経験は少なくとも医師としての知識は有しているため、急病人ではなく、体調不良から病気にならないことと、慢性の痛みに悩む患者にとっては有難い存在になるとを実感すると、隣の薬局でも食事に関する冊子を手にして、偶然にも新人の薬剤師さんと薬の話に花を咲かせ、久しぶりに新鮮な病院行きとなりました。

 昨日の一言に、今月末まで野菜中心の食生活と運動によって、体重を2キロ近く減量したいと記しましたが、一緒に病院に出かけた家内から、「どこかで昼食を」と言われても強引に帰宅して不機嫌にさせましたが、夕方に我が家を訪れた知人にもウォーキングに出ると別れたものの、歩いて到着した珈琲店では共通の知人と一緒に待ち受けていました。

「乗せていくわ」
  「いや、歩いて帰るから」
「暗いから危ないから」
  「いつもの事だから」
「途中まで乗せていくから」
  「うーん、途中までか…」

 自分の健康管理のためのウォーキングですが、知人にはその真意は理解されておらず、8千歩をノルマとしていた歩数は、知人のために7千6百歩に止まり、深夜に「お父さん」と言われて家内が差し出したパンを口にしていました。
 意志の弱さを実感させられましたが、昨日の体重73,6キロが、本日は73,2キロとなっており、明日もそれ以下にしていきます。

                  本日の体重 73、2キロ 徒歩数 7624歩
                                       1月19日の一言

切羽詰って、久しぶりのウォーキングへ

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子供の頃から見慣れた夕暮れの山影

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ボランティアの合い間にオークワへ

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市民病院前のコンビニで一日が終り…

 午後に依頼されていた移送ボランティアへ、家内の車の方が乗りやすいため一緒に同行すると、直後に他の用件の依頼があり、自宅に帰っても中途半端になるため、ホームセンターに出向いて買い物することになりました。

 午後から350円の有償ボランティアのために、鳥のエサをはじめ数千円の散財となって帰宅となりましたが、入ってくるお金より、出て行くお金の多さに生活の見直しが必要と認識させられました。

 今週末にも寒波が襲来し、先週のように雪が降るとの天気予報に、家内が冬用のスタッドレスタイヤが欲しいと訴えますが、一年に1度か2度の積雪のため7万円程度の費用をかけることは無駄と思われ、雪の日は自宅でおとなしくしている方が得策と考えるものの、そんな時ほど依頼する人が多く、私が公務と重なると大変なことになります。

 さて、昨年末に体重を72キロ台から、何とか71キロ台に戻したいと指導を受ける管理栄養士さんに話していましたが、今年の正月明けから体重計は73キロ台を示したまま、一度も72キロ台に戻りません。

 年末に悪友に誘われて居酒屋に行き、体重計が73キロを示した時に驚き、何とか72キロ台に戻しましたが、大晦日と正月は家族と外食と食卓を囲んで、今年初めての体重が73キロで、戻そうという気持はありながら、運動不足が続いたため本日はウォーキングに出たものの、73、6キロと改善ができません。

 今月末に管理栄養士さんの指導日があり、何とか10日間の減量で72キロ台に戻して相談したいと思い、明日からは意識して食事量を減らしてみたいと思いますが、明日になると「明日からでも良いか…」の繰り返しなので、何とか絶食してでも達成したいと考えています。

 とりあえず、明日はヨーグルトと野菜だけを目標にして…

             本日の体重 73、6キロ 徒歩数 8793歩 間食あり
                                     1月18日の一言

久しぶりに日常的な一日に

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午前8時41分 日光橋西

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午後5時5時04分 葉苅町でホッと一息

 本日は午前9時より市役所で議会改革協議会が開催され、昼休み直前に終ったため、定年を過ぎて市役所の再任用となっている同級生と、元中学校長で定期的に市役所へ仕事に来る同級生の3人で、市役所前の喫茶店に行きました。

 市役所に勤務する中学時代の同級生は多くいましたが、ほとんどは定年を迎えて退職しており、定年後も市役所に残っているのは2人だけで、偶然に出会った元校長と3人で談笑する機会も最後になる可能性があり、久しぶりに昔の話に花を咲かせました。

 自宅横の駐車場に車を停めて昼食をとろうとしていると、昨日に出動した自動車板金業者の知人から電話があり、このまま同行して欲しいとの話で、午後2時30分に約束があることから、昼食抜きのまま家に入らず出かけました。

 午後2時30分からの仕事は、市民病院まで500メートルの位置にある会員さんを、病院に移送する有償ボランティアですが、車での移動はあっと言う間の5分で終わりますが、玄関から車に乗るまでの乗降が大変で、このために出かけているようなボランティアとなります。

 福祉有償移送の料金は、おおむねタクシーの半額以下の利用料金となっていますが、病院への送迎は診察が終る時間が決まっていないため、2時間程度の待ち時間をどうするかが課題で、料金をコーヒータイムにするのも方法ですが、コーヒーを注文したら診察終了の連絡が入ることもあり、重複して人を移送することは診察が同時期に終る場合があるため、それぞれのボランティアが時間をもてあまして待機する不効率なボランティアとなっています。

 さて、本日のボランティア終了は午後4時30分。行きつけの珈琲店で休憩後に、毎週火曜日に開催している書道会の準備で事務所を清掃し、恩師を迎えに走り、午後9時に終了するまで、久しぶりに自宅に戻らない一日となりました。

              本日の体重 73、4キロ 徒歩数 4342歩 間食あり
                                       1月17日の一言

雪が降れば儲かる仕事もあれば…

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車窓から見えるのは祖父江町の善光寺です

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本日は、知人の金儲けに無償のボランティアです

「タクシー頼みます」
   「どちら様ですか?」
「タクシーですね?」
   「そうですけど…」
「今から来て欲しいんだけど」
   「ウチは予約制ですので」
「…ガチャン…」

 早朝一番の電話は、タクシーを依頼する電話でしたが、家内が名前を尋ねても名乗られず、何所まで行く話かも判らないため、通院を予約されている会員さんもあることから、「予約制」と伝えると電話は切られてしまいました。

 本日は週末に降り続けた積雪が主要道は雪解けしているものの、住宅地の生活道は雪が残っているため、冬用の装備をした私の車で会員さんのお宅へ出かけ、帰りは家内のタクシー車輌でも走れることを確認して事務所に戻りました。

「○○の○○ですけど…」
   「お久しぶり、何でした?」
「病院まで主人を乗せて行って欲しいんだけど」
   「良いですよ。でも20分ほど待ってもらえます?」
「突然で申し訳ありません」

 どうやら道路に雪が残っているため、普段利用している一般のタクシーが予約できないことから、早朝から電話が続いたようですが、名前を聞いても名乗られない依頼もあり、断ってから「誰だったのか」と思案するのも嫌ですが、凍結した道路を走って行く危険性を考えると、名前も言わない知らない人のためには走っていけません。

「おい、今なにしてるの?」
   「家に帰る途中だけど」
「ちょっと手伝ってもらえないか?」
   「いいけど…」

 知人を下ろして帰宅途中の電話ですが、昨晩居酒屋で一緒だった自動車板金業者(同年生の不良仲間)からの依頼で、修理車輌を引き取るため、10キロほど離れた稲沢市祖父江町まで同行し、彼が乗って行った車を運転してくる依頼がありました。

 雪のため多くの車が事故を起こし、板金修理業者は手が廻らない繁盛ぶりですが、「夕方も頼めないか?」の一言に、「ノー」と言えない性格のため、「明日は市役所だからな」と念を押してから行くことになりました。

 雪が降ると自動車板金業者が儲かるかどうかは判りませんが、そのために人を抱えていないため、車の引き取りや、代車やレンタカーの手配など、修理そのもの以外に時間をとられると修理もできず、人の仕事量は決まっているため、この知人も儲かると判っていても断ることがあるようです。

 仕事は断らず、頑張って儲けて、俺におごってくれよな !!  

 さて、本日病院に同行した知人は、私が議員になる以前から、私が主宰していた朝日旅行友の会の会員でしたが、最近はご主人の足腰が悪いため、日常から移動に困っておられた様子で、夜には福祉有償移送の会員(NPO法人の)になりたいと連絡がありました。
 ただし、我々を必要とされる人の入会を断ることは無いものの、ボランティアの受け入れには限界があり、金儲けにならないことを前提にしているため、会員の増加は苦痛も増えることを実感する一日ともなりました。

             本日の体重 73、7キロ 徒歩数 3805歩 間食なし
                                      1月16日の一言

雪の中(私は事務所内)の一日に

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本日の我家です

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車も重くなりました

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事務所の裏

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越津町への入り口

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道路の雪は夕方には溶けましたが…
                  歩道は私と家内で除雪しました。
      看板の先が雪で白いのが判ってもらえますか

 予定では昨日に松本へ行って沢渡で泊り、本日釜トンネルから上高地に入る予定を立てていたものの、寒波による大雪の予報から自宅にこもる一日となりましたが、家内は一人で行くことに反対していたので機嫌の良い一日ともなりました。

 さて、接骨院を開業した三男のため、家内が駐車場と歩道の除雪をはじめ、はじめは無視していたものの、時間がかかっていたため、大きな板切れを探して手伝いましたが、かんじんの息子は家を空けており、還暦を過ぎた親バカとしか思えません。

 さて、そのお陰で家内の機嫌が良く、夕方に全国の駅弁を販売するスーパーに出かけ、こんな日に悪友と急遽約束した居酒屋へも気持ちよく送り出してもらい、雪道のため嫌がられたものの、飲兵衛の2人をラーメン屋と悪友を自宅まで送ってくれました。

 正月気分もこの寒波と大雪で終りでしょうね。

            本日の体重 73、5キロ 徒歩数 2776歩 間食あり
                                     1月15日の一言

我家も真っ白に雪化粧しました

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今晩9時 我家の駐車場

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本日午後4時 私の自宅です

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本日午後5時 駐車場の車

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自宅の庭も真っ白になりました
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ボクは何事もありませんよ…
                 サブローの尾羽が生えてきました

 気象庁が「数年に一度の強い寒気」と説明する寒波は、日本列島全体に大雪を降らせ、明日も冬型の気圧配置が強まると発表されていますが、観測機器の発展により天気予報の精度は高まり、私の住む愛知県西部地方にも午後から雪が降り出し、夜にも深々と雪が降り続けています。

強い寒気、日本海側中心に大雪 空の便の欠航相次ぐ

 私は学生時代の昭和52年元旦から、我家で朝日新聞の販売店を起業しましたが、この年は元旦早々から雪の日が続き、雪で配達人の到着が遅れたことから、配達したこともなかった新聞を、それまで乗ったこともなかったカブに乗り、読者の順路帳とともに、地図と懐中電灯を持って配達に出ました。

 そんなスタートを体験したことから、雪の天気予報を聞くと、前日から車のタイヤにチェーンを巻き、夜空の雪を確認しながら徹夜で朝を迎えて、全員が仕事を終えるのを待ち、配達後も入れ忘れや濡れた新聞を届けるため待機していると夕刊が届き、雪が続くと大変な日々を送りました。

 ただし、若い店主だったことから、全てのバイクにスノータイヤを取り付け、雪でも平日と変わらぬ時間に配達を終るため、私は雪道でも先頭を切って配達に出ており、雪は得意としていたものの、議員になって18年が経過し、雪の運転が怖くなってきました。

 本日は予定では松本市で開催された上高地関係の会合に出席し、翌日に釜トンネルから歩いて上高地へ入る予定を立てていましたが、家族が心配して反対することとともに、私自身が凍結した雪道を歩いて怪我をする可能性から、自宅に篭ったままの一日になりました。

             本日の体重 73,3キロ 徒歩数 2022歩 間食あり
                                      1月14日の一言

待ち人来る…四国霊場の名札が届き

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 年末訪れた京都で、元旦になった午前0時の直後に百万遍知恩寺の駐車場か、船岡山の建勲神社周辺で「名札」を落とし、新年早々に今年の不運を感じさせられて落ち込んでいましたが、本日新しい「名札」が郵送されてきました。

 この「名札」は、四国八十八ヶ所霊場会からいただいた公認先達の番号が記された名札で、平成19年12月に先達に補任されてから私のウエストポーチに付け、四国遍路や巡礼中だけでなく、日常生活でもつけていた名札です。

 10年の使用によって、裏側に付いている虫ピンが変形して、何度も落として探しに戻っており、「落とすから取っておいたら」との家内の忠告に、「取ったら名札の意味がない」と付け続けた結果ですが、魂は宿っていないものの、私の名前を刻んだ名札が京都の道端に人目を忍んで落ちていると考えると悲しいものがありました。

 霊場会公認先達の多くは、この名札を霊場会からいただいた「輪袈裟」に付けて巡拝しており、これからは私もそうしようと考えていますが、最近ではその輪袈裟も汗によって汚れ、縫いこんだ糸が綻んで剥がれており、新しい輪袈裟に替えたいと思っていましたが、霊場会に問い合わせたところ、新しい輪袈裟にする場合は、これまで使用している輪袈裟を返さないといただけないことが判りました。

 余談ですが、現在でも四国遍路で出会ったお遍路さんに、錦の納め札を出して「気持だけで結構」と言って、千円程度の謝礼を受け取る偽の先達も存在しており、そんな輩に公認先達の輪袈裟が悪用されたら大変ですから、霊場会も厳重に取り扱っているものと思われます。

 輪袈裟は汚れていればいるほど何度も巡拝した証として語られますが、あまりに汚れた輪袈裟は見た目が悪いため、何度もベンジンで拭いたものの、最近では金糸がくすぶっており、新しい輪袈裟に替えたいと思っていましたが、これまで一緒に四国や西国などを廻った輪袈裟を手渡すこともできません。

 本日届けられた名札とともに、輪袈裟についても法衣専門の業者に修繕と洗いに出し、私の人生の最後まで一緒に同行させたいと思います。

医師・看護師が「修業」する寺とは 生死見つめ「瞑想」
記事の続き…
http://www.asahicom.jp/images/asahicom/hand.png約20人が集まった昨年11月中旬の指導者講座。熊本市医師会が開設する「熊本地域医療センター」から消化器内科医長の中原和之さん(46)が参加していた。
 専門は膵臓(すいぞう)。難治性の膵臓がんの発症が分かると「助からない」と絶望する人は多いという。医師として治療に力を尽くしながらも、悩む患者を前に心が乱れることもあった。患者はもちろん、自身の心のケアが大切だと考えて心理療法なども学んだ後、瞑想にたどり着いたという。
 15年9月から寺を4回来訪。大下さんが考えた4段階瞑想で最終段階の、「ゆだねる瞑想」まで学んだ。
 命をゆだねる対象となる「何か大きなもの」は、神や仏、宇宙、大自然、祖先など、人それぞれでよいという。中原さんは「死は人生の集大成で、自然なことと受け止めるようになりました」と話す。
 「医者の自分の気持ちの安定は患者さんに伝わる。穏やかに最期を迎える方が増えたように思います」
 東京都内の大学病院看護師長、越山智子さん(51)も飛驒千光寺で瞑想を学んだ。その体験を生かし、亡くなった患者への対応を看護師たちが振り返る「デスカンファレンス」と呼ばれる会議の前に、出席者による瞑想を採り入れる。
 患者の死後は、往々にして反省や後悔など様々な感情が看護師を襲うといい、そうした感情のケアも兼ねての瞑想だ。患者の表情や言葉、自分たちの看護について6~7分間、全員が静かに思い返す。越山さんは「一人ひとりの死を丁寧に見送ることで、多くのスタッフは死を尊く思うようになります。それは次の丁寧な看護につながっていくはずです」と話す。
■求められる死生観
 米グーグルなどが社員研修で採用した「マインドフルネス」でも実践される瞑想。指導する大下さんが最も意識するのは、仏教と社会とのつながりだ。
 高野山やスリランカで密教や仏教瞑想を学び、約30年前から故郷の飛驒で末期患者や様々な病の人の心のケアを続けてきた。不治、難治の患者と向き合う医療関係者に「診断と治療だけでなくもっと人間の心をみるべきだ」と力説。昨年は1年間で約80日、全国で講演や講義をした。その約7割は医療や介護関係者向けだったという。
 高齢化が加速して「多死社会」が迫る日本。聖路加国際病院(東京都中央区)で精神腫瘍(しゅよう)科部長を務める精神科医、保坂隆さん(64)は「日々、多くの死と向き合う医師や看護師が自分の死生観を持つように求められている」とみる。保坂さんも密教や空海を研究。同病院では昨年暮れ、「臨床瞑想法」基礎講座が開かれ、大下さんが講師を務めた。
 「瞑想は宗教者だけのものではない」と大下さんは語り、心を落ち着かせて生と死を見つめる動きの担い手として医療関係者に期待をかける。大下さんと日本看護協会が連携した瞑想の研修会が今年、青森県など全国数カ所で実施される。(永持裕紀)
■大下大圓さんが考えた瞑想の4段階(大下さんの著作から)
①「ゆるめる」(主に呼吸法を通じて心身共にリラックスする)
②「みつめる」(過去の嫌なできごと、コンプレックス、対人関係の課題などをありのままに観察、洞察)
③「たかめる」(自分が生き生きする暮らし方、生き方をイメージ)
④「ゆだねる」(自分の命が「何か大きなもの」とつながっている感覚を持つ)


 さて、錦の納め札でお金をせびる悪徳遍路について記しましたが、四国遍路や高野山で出会う人の中には、遍路体験が少ないのに「お大師の声が聞こえる」とか、「何度も空海の姿を見た」と言う人がおり、私はウソ八百で科学的には何の根拠もないと思いますが、添付した真言宗の瞑想法は効果があり、私は町内のお寺で「阿息観」の指導を受け、高野山では「阿字観」に参加するようにしており、皆さんにもお薦めです。

            本日の体重 73、4キロ 徒歩数 6872歩 間食あり
                                     1月13日の一言

老人の孤独死…届いたメールの内容に

昨日に私のパソコンへ届けられたメールの内容です。

老人の孤独死
自宅から南向の家(○○さん)と言いますが年末に孤独死されていました。
○○○団地周辺を見てみるとこれからも老人の孤独死は多くなるのでしょうか?
自分が○○さんのお婆さんを最近見ないなと思っていてもそこから先が個人ではどうにもならないです。

新聞配達員さんとかは新聞受けに沢山新聞が貯まっている場合等は様子を見たり出来ないのでしょうか?

 記されていた人は、今から20年ほど前には、家内と同じ公民館の教室に通っておられた人で、今でこそ「お婆さん」と記されているものの、かつては社会を構成していた人であり、家を築いて子供を育てていた人たちでもあります。

 「人生の最期を住み慣れた場所で平穏に迎えたい」とは、誰もが思うこととは思いますが、成長した子息が自宅に戻らず、伴侶を失って独居老人となれば、添付されたメールのように孤独死を迎える危険性も否めません。

 添付された新聞配達員の機転についても、かつては販売店から集金人が月に一度は訪れており、家人の顔だけでなく、家族構成についても判っていたものが、最近では夕刊購読者が減少し、金融機関から自動振込みが増えて自宅へ集金に行かないため、配達人と購読者との間に大きなカベができてきました。

 私自身も休んだ配達人の代わりに配達した際に、数日分の新聞がポストにたまっていたことがあり、この家が独居老人だけのお宅と判っていたため、異変を感じて近所の人に通報したことがありましたが、通報した近所の人でも家人が死んでいるのを確認できたのは半日後となりました。

 新聞配達だけでなく、家々を訪れる牛乳配達や水道・電気の検針員など、日常的に高齢者の安否確認をするシステムを作れる可能性もありますが、民生委員が安否確認のために訪問しても、プライバシーの侵害として怒鳴られる例も多く、隣人の名前も知らない人が存在する環境下では難しい現実があります。

自宅で穏やかに…は難しい? 望まぬ延命、不本意な最期
記事の続き…
 http://www.asahicom.jp/images/asahicom/hand.png重い肺炎の80代女性が搬送されてきた。気管切開し人工呼吸器がつけられ、透析など濃厚な治療が行われた。女性は、約1カ月後に息を引き取った。実はその女性は、在宅医の訪問診療を定期的に受けていて、心臓マッサージや気管内挿管は希望せず、自宅で穏やかな最期を希望していたという。
 山崎医師は「果たして本人がこうした治療を望んでいたのか。かえって苦しみを与えているのでは、という葛藤があった」と率直な心境を吐露した。救急現場で家族は、医師から「全力を尽くして治療する」という選択肢を提示される。しかも短時間で返答しなければいけない。そうなると、たとえ家族が延命治療の拒否について決めていても、どうしても「全力を尽くしてほしい」と答えがちになる……。山崎医師は、救急現場での家族の心境をそう推察する。
 「不本意な最期」ともいえるケースは、ほかにもあるという。「在宅医が海外旅行中だったため、救急搬送され病院で最期を迎えた」「リビングウィル(延命治療の拒否などを事前に意思表明しておく文書)があったのに、知らずに挿管された」などだ。

■5割超が「異状死」扱い
 こうした実態は、数字に表れている。立川在宅ケアクリニック(東京都立川市)の荘司輝昭医師(51)が、訪問診療をする東京・多摩地域で2012年に自宅で亡くなった1106人を調査したところ、56%にあたる615人は、医師が「異状死」として届け出ていた。そして異状死扱いの30%が、老衰やがん、肺疾患などの慢性疾患で、医師が定期的に診ていれば、「病死」という診断書が作成でき、警察を呼ぶ必要はないケースだったという。
 「異状死」には、事故や事件、心疾患や脳疾患などによる急性死のほか、死因を特定できない場合も含まれる。医師法では、遺体に異状があった場合、医師に24時間以内の警察への届け出を義務づけている。異状死扱いになると、警察は関係者への事情聴取や遺体の検視をして、事件性の有無を調べる。冒頭の救命救急センターの密着取材の際も、警察官が来て、救急医らに事情聴取する場面がみられた。自宅に警察官が来て、家族を事情聴取することもある。家族にとって「穏やかな最期だった」とは感じづらい状況になってしまう。

■「家族以上のケア」も
 「不本意な最期」を防ごう、という動きも出ている。地域の複数の在宅医が、自宅でのみとりを希望する患者をカバーし合ったり、市民にリビングウィルの書式を配ったりする取り組みだ。横浜市鶴見区医師会は、地域の病院や行政などと連携し、リビングウィルを普及させる活動をしている。同区医師会の訪問看護ステーションからサービスを受ける松本孝彦さん(81)は、リビングウィルに「終末期の心肺蘇生はしてほしくない」などと記してある。松本さんは「こうして書いておくことで、家族ともじっくり話ができ、自分が望む最期を迎えられるようになる」と話す。
 介護施設でも取り組みが進む。私が取材した特養「グリーンヒル泉・横浜」(横浜市泉区)では、2008年度から施設内でのみとりを実施している。グリーンヒル泉を含め多くの特養では、配置医が非常勤のため、みとりに対応するのが難しい。そこでケアマネジャーの小山輝幸さん(42)は、隣の区のみとり経験が豊富な在宅医に頼み込み、実現させた。「本人、家族が施設内での安らかな最期を望んでいるのはもちろん、職員の側も『長年心を込めてケアしてきたのに最期は病院に救急搬送されてしまった』ではモチベーションが落ちてしまう」と小山さんは言う。私は、この施設でみとりを経験したご家族3組に話を聞いたが、みなが口をそろえて「本人の希望を最期まで聞き、家族以上のケアをしてくれた」と感謝していた。

 しい現実ですね。最近では、捨てられた犬や猫でも、保健所に持ち込まれて薬殺されることに心を痛めて、動物の里親を探したり、行方不明の犬や猫の広告を印刷して配布する人が珍しくもない現実の中で、隣人にも声をかけられずに孤独死する人が存在している現実が…

 議員としての綺麗事ではなく、還暦を過ぎた最近になって、少年時代の悪友・仲間たちとの交流が再開し、お互いが残り少なくなった人生の中で、一緒に飲み歩いて行動する楽しみと、苦痛も共有する可能性から、私は仲間たちと助け合い、家族に頼っていきますが、家族も仲間もなく、隣人とも会話を交わさない人は自業自得なんでしょうか…

 何かはできると思いますが、高齢者の予備軍にできることは限られており、自分のことは自分で考えるしかないのも寂しい現実です。

             本日の体重 73、1キロ 徒歩数 3276歩 間食あり
                                      1月12日の一言

ニジマスをもらって

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本日いただいたニジマス(?)です

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家内がさばきます

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今晩の夕食のオカズになりました

 「あっ、ちょうど良い所に来た !!
     「なんでしたか?」
 「魚、魚、今帰ってきたところ」
     「そうでしたか…」
 「何匹もらってもらえるかな?」

 私が夕方に行くことにしている珈琲屋さんでの会話ですが、渓流釣りを趣味にされて家族に仕事を任せておられるご主人が、本日釣ってこられたニジマス28匹の後始末に分配中のところに来店し、我家は5匹もらってきました。

 大量の氷で冷やして、何重ものビニール袋に入れられたニジマスは大きく、私が珈琲屋さんで手渡されて帰る直前まで生きていたとの話で、私は生きている魚を調理して食べるのは嫌いなため、死んでいることを聞いて持ち帰りましたが、帰宅後も柔らかく生きているような新鮮な魚でした。

 ここのご主人は、仕事を子息に任せて悠々自適の生活を送っておられますが、趣味の渓流釣りで釣ってきた魚の後始末に困っておられ、先月末に「もらってもらえますか」と問われて2回目のおすそ分けとなりましたが、前回も8匹もらっており、何かお返しがしたいものの、何かを買って持っていくと困られるだろうし、私のお気に入りの「千枚通し」では迷惑でしょうし…

 さて、数年前までは、岐阜県丹生川村で養魚場を経営しておられた知人がおり、イワナとともに育てられていたニジマスの刺身を食べさせていただいていた時もあり、上高地の帰り道のため楽しみな訪問でしたが、事業そのものを閉鎖されてしまったため久しぶりのニジマスです。


本年最後の上高地 2007/11/11(日)

 イワナの里「琴水苑」は、旧丹生川村にあり、上高地に行った帰りに必ず立ち寄るようにしていましたが、数年前に諸事情で突然閉鎖され、それまで旧知の知人のようにしていたことから寂しさは否めません。

 本日ニジマスをいただいたご主人も、先月80歳の誕生日(私の1日前)を迎えておられ、年齢を感じさせられない若さと元気を持っておられますが、年齢を考えるとこんな幸せな関係もいずれ無くなると、後向きの性格から寂しく感じてしまいます。

            本日の体重 73、4キロ 徒歩数 2481歩 間食あり
                                     1月11日の一言


知人から鹿児島の焼酎をいただいて

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長梅(ちょうばい) 芋焼酎 25度 1800ml
超限定焼酎!ある酒店さんのオリジナル商品です!とてもまろやかな味わいで、ロック・水割りがおすすめ。
ある酒屋さんのオリジナル商品。製造は鹿児島県の国分(こくぶ)酒造。原料を吟味し、仕込み水に霧島山系の伏流水を使用しています。清酒仕込み用麹で仕上げて、香りと旨みを強調しています。とてもまろやかな味わいに仕上がっています。
お湯割りでも結構ですが、ロックか水割りで飲んでいただければ製品の味がひきたちます。
(1800ml=一升瓶) 【鹿児島県霧島市】 【cyoubai/kokubu/shochu】
 
 添付した写真は、昨日岡崎市の知人よりいただいた焼酎で、鹿児島市の「新福酒店」のプライベートブランドとの事ですが、地元の鹿児島でも入手が難しいお酒らしく、昨年高野山に同行した関係者から知人を経由して送っていただいた焼酎です。
             
 
 さて、私は昨年10月の高野山行きまで焼酎は飲まないことにしていましたが、「どうしても飲んで欲しい焼酎」と言われ、鹿児島から持ち込んでこられた「長梅」をいただき、あまりの飲み心地の良さに驚き、名前を聞きなおしたことから今回知人経由で送ってもらうことになりました。

 最近は、安い赤ワインしか飲まないことにしており、議員になるまで連日飲み歩いていた頃のように、酒の良し悪しを論ずる資格はありませんが、酒を良薬とは言うものの、飲まない方が良い事は確実で、それでも飲む以上は良い酒とともに、飲む場所と相手を考えて口にしたいものです。

極上の酒場で、元祖チューハイを
記事の続き…
 http://www.asahicom.jp/images/asahicom/hand.pngJR秋葉原駅から総武線の各駅停車に乗り16分。東京の東端、小岩が「極東会」の拠点だった。「だった」というのは、そこに大衆酒場の聖地「浅草バー」があったからだ。
 小岩にあるのに浅草、居酒屋なのにバー。「これには立派な訳があります」と店の主人。浅草にあった居酒屋「ニュー浅草」ののれん分け。「大衆酒場」の「場」をもじり「バー」と名づけ、1961(昭和36)年に創業した。
 看板メニューが「焼酎ハイボール」だった。浅草バーでは「チューハイ」と呼ばず、単に「ボール」と呼ばれてきた。
 「ボール」をつくるエキスが入った一升瓶を見せてくれたことがある。麦芽糖や香料などが配合されている清涼飲料水だった。製造元は下町の飲料水メーカー。戦後進駐軍が飲んでいたハイボール(ウイスキーの炭酸割り)をヒントに、焼酎の炭酸割りを飲みやすくするためにエキスを開発したという。
 たしかにこれを加えることで少し甘く、すっきりとした味わいの「チューハイ」ができあがる。モツ焼きや煮込みなど脂っこいつまみとの相性もバッチリ。まさにこれこそが「元祖チューハイ」だった。
 小岩の「浅草バー」は惜しまれつつも2012年5月に閉店したが、我が「極東会」は現在、江戸川区のほぼ真ん中にある「松江」という地域を拠点に活動を続けている。ここに元祖チューハイを出しているモツ焼き屋「六兵衛」がある。創業57年。駅からバスに乗って向かう。
 のれんをくぐり、細長い店内に入る。タン、シロ、カシラ、煮込みなど定番メニューの最後に「ダイヤモンド」と書かれている。氷のことだ。もともと無料だったが、なじみ客から「少しはお金を取ってよ」と言われ、20円になり、いまも値段を据え置いている。それにしても「ダイヤモンド」とは粋なネーミングである。
 チューハイ1杯350円。カランと鳴る氷。2017年もいいことがありそうな予感がする。
 
 添付した長梅についても、一般には流通しない酒店のプライベートブランドで、今後は入手できるかどうかも判りませんが、嫌っていた焼酎と久しぶりの出会いが、人に薦めたいような銘酒だったことは、勧められた鹿児島県人の人たちのお陰です。

           本日の体重 73、4キロ 徒歩数 4303歩 間食あり
                                     1月10日の一言

名古屋市の能楽堂で邦楽を鑑賞して

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名古屋城天守閣から見る名古屋駅のビル群

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名古屋能楽堂

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能の様子 井筒

途中の合い間に…名古屋城へ
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正門

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名古屋城天守閣

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らせん状の階段

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名物 金のシャチホコ

 本日は知人の案内により、名古屋城正門前にある「名古屋能楽堂」で開催された、名古屋清韻会を鑑賞しましたが、大槻文蔵師が国の重要無形文化財個人指定(人間国宝)されたことを祝賀する邦楽でした。

 私の住む津島市について、歴史的伝統文化を誇りにした発言をよく耳にしますが、本格的な能や邦楽を鑑賞する機会はなく、地元本位で語られていることが多い現実に、名古屋市では連日各地でクラッシック音楽や演劇などが鑑賞できる環境が整っていることを羨ましく思います。


 名古屋能楽堂は昭和6年に建てられたものの、昭和20年3月の名古屋大空襲によって消失し、平成9年に再建された施設ですが、行政の箱物政策が批判される反面で、施設の存在によって日本の伝統文化が継承されていく姿に、名古屋市の河村市長が提唱する名古屋城の木造による建て直しにも納得させられる気がしました。

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能 井筒

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人間国宝大槻文蔵師

 名古屋城には正門前と、二の丸東駐車場の2ヶ所の駐車場がありますが、名古屋城や名城公園だけでなく、県庁や市役所のある周辺は、土曜日や日曜祭日の道路への駐車禁止が解除されているのも有難いものです。

 さて、名古屋市を訪れる機会は多いものの、名古屋駅や名古屋城に行く機会はほとんど無いため、本日は知人を乗せるため初めて名古屋駅正面に車を入れ、名古屋城も駐車場の位置を初めて確認しました。
 これまで、名古屋市は近いため観光で訪れたことがなく、目的地に車を走らせるか、電車を利用してきましたが、これからはゆっくりと滞在して、経験したことのない異文化や、大都市のゆたかな環境も体感してみたいと思う一日となりました。

             本日の体重 73、1キロ 徒歩数 9742歩 間食あり
                                       1月9日の一言

孫と夕暮れの田舎道へ

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目比川堤防道  津島市宇治町

「一緒に歩いて帰るか?」
  「うん、行く、行く」
「最後まで歩くんだぞ」
  「大丈夫」

 家族と一緒に出かけたホームセンターから、7才の孫と歩くことになりましたが、自宅まで3キロほどあり、歩き出したのが夕方5時のため家に着く頃は真っ暗になっている環境下で、私はわざと川の堤防とか田舎道を通って帰ることにしました。

「あっ、ススキだッ」
「これは何ッ?」
   「アッ、それは触ってはダメ」
「タンポポだァ」
「引っ付きが刺さったから取って…」

 歩き始めた頃は元気で、川に石を投げたり、ススキやタンポポを見つけて好奇心全開でしたが、すぐに薄暗くなり、田舎の神社(宇治町)を裏から表へ通り抜ける場所があり、「トトロが居るかな?」と言うと、孫は固まって動きません。

 私が小学校に入った頃の話ですが、母親に連れられて習字に通った会場が宇治町のお寺で、この神社を横切ると近道になるものの、日中でも薄暗くて気味が悪かった場所ですから、孫の足が止まるのも当然です。

 「ジジイが一緒だから」と手を引いて通り抜けましたが、この頃から「まだ遠いの」とか、「ママは来てくれるのかな」と言い続けるようになり、「もう少しだ」とか、「この道を行くとジジイの家だ」と励まして歩きます。

 「ママが探しているかなァ」とか、「足が冷たくなった」の声を聞きながら、孫でも記憶がある私の自宅が近づくと、「ママー」と大声で泣き出し、「静かに、シー」と静まった住宅地で誘拐犯と勘違いされては困るので黙らせます。

 我家の前を通る県道を渡り、私の事務所の2階に上がって水槽の魚を見て、机に座って絵を描いていましたが、階下から聞こえた母親の呼ぶ声を聞くと、「ママー、ワー」と大声で泣き出しました。

 何事もないように歩いてきたと思っていましたが、夕暮れから真っ暗になって3キロの道程を帰宅した散歩は、孫にとっては大変な体験だったのでしょう。2年前にも道は違うものの同じ距離を孫と歩いていますが、名古屋市の明るい街で生活する孫にとって、真っ暗の田舎道は冒険になったのかしれません。


 最近は車で走るため、明るい道路を通行しますが、夕方の田舎の生活道は薄暗く、夜には真っ暗になってしまうものの、私自身にとっては、中学時代に無理やり入れられた学習塾をサボって歩いていた懐かしい記憶が蘇ってきます。

             本日の体重 73、1キロ 徒歩数 7236歩 間食あり  
                                       1月7日の一言

知人と100円マックで競馬談議に

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知人の購入していた馬券です

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ここが何所か判りますか?
「今どこに居ますか?」
  「ちょっと出かけているけど…」
「パソコン見れますか?」
  「何ですか?」
「競馬の結果を見て欲しいんだけど」

 一宮市の知人からの電話ですが、津島市へ仕事で出向いて帰る車中からの電話で、私の出かけていた場所の近くだったため落ち合い、私の携帯電話でネット検索して、知人の買っていた馬券のレース結果を調べました。

 私は競馬の馬券を一度も購入したことがなく、本日競馬が開催されていたことも知りませんでしたが、知人は津島市に来るついでに、弥富市にある場外馬券場まで足を延ばして、絶対の自信を持って馬券を購入していました。

 添付した馬券は、知人に言わせると、競馬通には見ただけで惜しかった事が判る馬券だったようですが、結果的には2千円程度の馬券が外れ券になっており、最近になって熱心に競馬を語る知人と驚きの会話となりました。

 私が大学時代に新聞販売店を起業した時に、朝日新聞社の担当社員から、ギャンブルやマージャンに走って失敗する経営者が多いことから、「ギャンブル厳禁」を条件にされていた事と、パチンコ機器メーカーを経営していた親族から、「パチンコは絶対にやるな」と言われていたためギャンブルとは無縁の生活を送ってきました。

 そんな私が、議員になった17年前から一宮競輪場の七市三町競輪組合の議員になり、数年間の任期中にしばしば競輪場を訪れ、当日支給される2千円の日当分を車券を買って使い切って欲しいと言われて購入するようになりました。

 ただし、何も判りません。競輪場で提供された予想紙と、スポーツ新聞2紙のコピーの3紙の予想が全部一致する車券を購入していると、2千円の日当を4回に分けて購入して一度も当たらない場合は、千円程度の損になったこともありましたが、1万8千円とか1万円程度を持ち帰ってきたことが数回ありました。

 「そんなのはギャンブルではない」とか、「面白くもない」と言われましたが、そんな経験から「競輪は損をしない」と公言しているものの、個人的には一度も競輪場に行ったことがありません。

 さて、そんな私ですが、名古屋競輪場に所属する小川大地選手は、三男が高校時代に一緒に自転車で走っていた同級生で、出世が遅れていたものの、今年はS級に昇格することが決まっており、この時には横断幕を作って応援に行く約束がしてあります。
 その時には、「競輪は損をしない」の公言を実況したいと思いますが、息子が「元プロスポーツ選手」と記し、実業団のロード選手として全国各地を走っていた時の感動を、大地選手の活躍から再現したいと期待しております。

一宮競輪場で 2008/6/17

 「大鹿さんは、他人のギャンブルにあれこれ言ってはダメだよ」と知人に言われましたが、「2千円のお金を捨てるくらいなら、孫に何か買ってやった方が良い」と思ってしまい、「止めた方が良いよ」が口癖の私には、ギャンブルを語るどころか、何も判らないので話がかみ合わないのでしょうね。

               本日の体重  徒歩数 4930歩 間食あり
                                      1月5日の一言

京都 護王神社の初詣の様子です

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御所の西側にある護王神社 2日   京都本田さん提供

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      護王神社のイノシシ    京都本田さん提供

 平安京の建都に貢献された和気清麻呂公をお祀りしている神社です。足腰の守護神として広く崇敬されており、境内の狛猪に因み「いのしし神社」とも呼ばれ親しまれています。

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        護王神社    京都本田さん提供

 護王神社  http://www.gooujinja.or.jp/

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        北野天満宮の書初め  2日    京都本田さん提供

 添付した京都の写真は、京都の本田さんからのメールに添付されて送られてきた昨日の写真です。

 本田さんとは、京都の百万遍知恩寺の大晦日で一緒になり、一緒に除夜の鐘を撞く仲間で、今年は百万遍の一番乗りで、寺の法主や関係者の後で一番に鐘を撞かれましたが、数年前から会話を交わすようになって、約束はしていないものの大晦日と元日にまたがって、一年に一度だけ会う貴重な知人です。

 私は議員になった17年前から、毎年大晦日に京都へ行って初詣をして愛知県に帰る慣例を続けていますが、この百万遍にはかつて津島市内の寺院のご住職が勤めておられたこともありますが、本田さんたちと親しくなったことも継続して訪れる大きな原動力となっています。

 昨年の元旦は、初詣としている建勲神社に参拝しないまま愛知県に帰り、正月に2度京都を訪れましたが、今年の京都行きは貴重な名札を落とすハプニングもありましたが、大原の宝泉院にも駐車場まで行きながら、閉館時間が迫っていたことで引き返しました。

 「何故に止めちゃったの」とは、家内が本日発した一言ですが、普段の私なら住職に電話をしてでも宝泉院を訪れていたと思われ、そんな長年にわたるお付き合いがありながら、門前まで行きながら娘に「迷惑でしょう」と言われて断念したことを、住職から届けられた年賀状を見て後悔することになりました。

 最近は、行動すると何か一つは失敗や後悔する事が起こり、その多くは家族の意見に左右されています。本日は事務所の壁に孫の描いた魚の絵が多数貼り付けてあり、私は感心して見ていると、家内から壁にテープを貼ると表面が剥がれてしまうと指摘され、以前なら私が怒っていたことも孫には麻痺してしまっている現実を実感させられました。

 しばらくは、自分の思いのまま行動したいと思います。

                                       1月3日の一言

津島神社へ

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津島神社の楼門
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鳥居から参拝者が並びます

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屋台は素通りですか
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人数を規制して本殿に進みます

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やっと本殿前にきました
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まだまだ参拝者が並んでいます

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南の山門から帰ります

 孫が両親とともに訪れ(大晦日から連日ですが)、初詣に地元の津島神社に行くというので、「じいちゃんも行きたいんだって」の一言で、乗せてもらって行く事になりましたが、参拝者の車の渋滞にびっくりです。

 個人的には渋滞を避けて、神社の近くに車を停めていたたける知人もありますが、娘たちが嫌がるため、本日はジジイ役で後部座席に座り、駐車場から神社への行き方も判らない遠くからの参拝客について行きました。

 かつての私なら、参拝後のお店で串カツと日本酒を楽しみにしていましたが、娘が嫌がることから足も運べず、孫の食べたい屋台を廻り、知り合いのお店にも立ち寄らず、本当にジジイになったように自宅へ帰りました。

                                     1月2日の一言

謹賀新年

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元日の平安神宮   京都本田さん提供

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元日の伏見稲荷参道  京都本田さん提供

明けましておめでとうございます

    本年も宜しくお願いいたします
                          29年元旦

大晦日 京都八坂神社と百万遍へ…2

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京都百万遍 除夜の鐘を撞く私です。今年は20番目でした    同行した三男提供

除夜法要・修正会のお知らせ http://hyakusan.jp/?p=476

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百万遍 除夜法要前の挨拶   京都本田さん提供

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除夜法要の様子  本田さん提供

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除夜の鐘を撞く前に般若心経が読まれます  本田さん提供

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最初に法主から鐘を撞きます  本田さん提供


 毎年の年末行事として、大晦日は京都の八坂神社のをけら詣りと、百万遍知恩寺の除夜法要に参加していますが、毎年参加していることで顔見知りもでき、一年に一度しか会わないのに旧知の友人に会ったような気持にさせられます。

 今年の一番乗りを果たした本田さんもその一人で、彼らの存在が今年も無事に終り、健康で参加できたことを素直に喜べ、一年後に顔を合わせたいと話してお別れとなります。

 元旦となる本日は、知恩寺から船岡山の建勲神社に参拝し、帰り道に岐阜県のお千代保稲荷に参拝し、「朝マック」とはならなかったものの、「すき屋」で朝食後に参加者を自宅に送って散会となりました。

 今年は注意が必要となる一年になりそうで、昨年最後の一日となる昨日には、コンパクトデジカメを落としてピントが合わなくなり、元旦早々の建勲神社の入り口で、四国八十八ヶ所霊場会からいただいている名札を落としました。

「しまった、無いぞッ」
   「何が、何が無いの?」
「名札を落とした…、探しに戻ろうか…」
   「名札ならいいじゃん」

 たかだか名札と家族は思っていますが、四国遍路だけでなく、日常生活にも常につけてきた名札のため、自分の看板となる分身を落としてきたような心境で、すぐに戻って探せば良かったと思ったものの後の祭りとなりました。

 そして、「すき屋」でも、紅ショウガが入れてあった容器のふたを落としたことから、一日で三つの落し物に、今年はうっかりミスや落し物に注意する必要を感ずる元旦ともなりました。


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