大鹿一八「本日の一言」

平成16年2月から令和1年7月末までの「本日の一言」です。ヤフーブログ閉鎖により、ライブドアへ過去の記録として引っ越しました。

2017年03月

木曽川中野の渡し船へ 旧尾西市

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木曽川県営西中野渡船場へ来た30歳の愛車 一宮市・旧尾西市西中野

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誰も居なかったものの、現在も一日3便あります

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岐阜県側の羽島市へ無料で渡してくれます

渡船で愛岐県境を越えよう。
   木曽川に唯一残る「西中野渡船」に乗ってみました。

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新濃尾大橋の建設現場

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橋までのアクセス道も建設中です

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旧尾西市から上流の木曽川は綺麗です

 「今から行って見ますか?」
     「何所に?」
 「蕎麦を食べに」

 ちょうど時計が12時を指していたことから、訪問中の知人と蕎麦を食べにいく話となり、一宮市の知人にも声をかけて、祖父江町にある善光寺の無料休憩所の「山菜そば」を食べるために自宅を出発しました。

 蕎麦の名店と言われるお店も各地に存在するものの、味を自慢している名店の多くが高額となり、味についてもこだわる個性によっては、リピーターになりたくないお店も存在する現実があります。

 本日訪れた善光寺の山菜そばについては、料金が450円と低額で、店番役の高齢のお婆さんが作る、何のこだわりもない蕎麦ですが、意外なことに蕎麦の味が良く、問い合わせたところ、この蕎麦は長野県から取り寄せているとの話でした。

 蕎麦の名産地でもない都市部で、大きな駐車場で客を呼び込んでいるお店より、ノレンも出していない無料休憩所で、注文するメニューがなく、仕方なく注文する山菜そばが美味しいという現実の裏には、長野県出身の奥さんをもらった善光寺の蕎麦へのこだわりがありました。

 さて、ここから10分も車を走らせると、県内の木曽川に唯一残された「中野の渡し船」があり、その上流には8年後の開通を目指す「新濃尾大橋」が建設されており、完成すると先人から引き継がれてきた渡船そのものが無くなっていきます。

 本日は朝から雨が降り続けており、平成元年登録の愛車に知人を乗せて、懐かしい原風景を求めて、木曽川を北上していきました。
 そして、深夜には四国遍路のため、高松市へ出発していきます。

                      徒歩数 3767歩    3月31日の一言

自由な時間ができても身体を持て余してしまい

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ヤマハメイト80で我家の畑まで

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平成10年から付いていた原付のナンバー
                           本日市役所へ返上しました
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同級生の玄関前で暫しの休憩へ

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私の看板も立ててもらっています

 議員になった平成11年に、購入してまもない新車だったため、誰も乗る予定はないままに残し、一時は娘婿が使用したものの、ほとんど乗らないままに置かれており、使用しないバイクの傷みは早いものです、

 私の乗っていたメイト80も、ほとんど乗っていないため、シートのひび割れを直し、チェーンやギヤとブレーキシューを交換しましたが、エンジンは好調で、私の寿命が尽きるまで使用することができそうです。

 18年間も乗らないままに単車2台分と、車検が切れたままの自動二輪の自動車税を支払い続けてきましたが、昨年6月に三男が接骨院を開業し、私の事務所が2階に追いやられたばかりではなく、単車を置いていくスペースも無くなったことで、雨ざらしではないものの、風雨にさらされる単車の傷みは激しく、家内に再三言われてきた廃車の声を機会に自動二輪とメイト80は乗ることにしました。

 さて、市役所の仕事を終え、残された仕事のため待機していると、市役所から予定していた仕事がキャンセルになったと連絡があり、思わぬ自由時間ができたため、バイクに乗って市内を目的もなく走ってきました。

 3月議会が閉会したことと、寒かった冬から温かい春を実感し、ストレスのない一日を過していましたが、市役所の定年後に再任用されている同級生たちは、それぞれの部署に転任するため、後任への引継ぎや新たな職場の準備に忙しい時間を送っており、休日も出勤するとの話です。
 
 私は明日の夜から土曜、日曜を1泊2日で、家族と共に四国遍路の結願を果たして高野山へ行く予定を立てていますが、半年ぶりの四国にしては感激が湧かず、無事に帰ってこないと山積したままの仕事がこなせないため、逆にストレスを感じています。

 やっぱり、本来済ませているべき仕事を山積させていることが原因で、先送りしてきた仕事が残っている間は、本当の楽しみも先送りにしているのでしょうか…

             本日の体重 72、5キロ 徒歩数 5415歩 間食あり
                                      3月30日の一言

化石のようなお店へ昼食に行き

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蟹江町平古の弁当 600円

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道路沿いではなく住宅地にあります

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ノレンが出ていました

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「あっ、やっていたんだー」
    「久しぶりー」
「もう、閉まってるかと思っていたけど」
    「まだ10年は頑張るから」

 蟹江町の住宅地で営業する料理屋の「平古」は、かつては有名温泉旅館の板長をしていたご主人が夫婦で営んでいるお店で、数えで80歳となるご主人は10年以上前に歩くのが精一杯の状態となっていたことから、もう廃業していると思いながら、本日は恐る恐るのぞいてみた次第です。

 蟹江町の友人から昼食を誘われ、蟹江町で仕事をしてきたため何所でも知っていると言う友人が、「そんな店は知らないぞ」と言うため、廃業していなかったら行ってみようと訪れました。

「こんな所にあったのか」
   「だけど、やっているかな」
「電気が消えているからなぁ」
   「それでも暖簾が出ているから」

 一年間で正月の2日の1日だけ休んで、年中無休で営業しているお店ですが、一般道路から入り込んだ住宅地にあり、宣伝もしていないため本日の昼食時にも我々2人だけのお客さんでしたが、新鮮な刺身と温かいカツや味噌汁を待たせず出せることと、何よりも600円で満腹となるボリュームは以前と変わりません。
 

 私は議員となる18年前まで、同級生や知人と従業員などと、連日のように外食や飲食に出かけていたものの、そのほとんどのお店が廃業しており、添付した「平古」もご夫婦の年齢を考えると風前の灯と思われます。

 辺鄙な住宅地の一角に建っているため、飛び込みのお客さんは入ってこないものの、かつては郵便配達の人たちが昼食後に個室で仮眠してから仕事に出たり、職人さんが昼食に立ち寄っていました。

 時代は変わり、ネットやスマホで希望するお店が検索でき、コンビニで多用な弁当が買える時代になっており、食ベログにも住所と電話番号以外は何の情報もない「平古」は時代から完全に取り残されていますが、「まだまだ頑張ってやっとるで、また来てよ。○○ちゃんにもよろしく」と、お客さんとの関係は永遠につながっている懐かしさに友人と満足して帰るお昼になりました。

              本日の体重 72、6キロ 徒歩数 3075歩 間食なし
                                              9時過ぎ間食なし
                                       3月29日の一言

3月議会が終って…とりあえず自由の身になり

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津島市議会本会議場 閉会後の議場

友人が、去年の大晦日に腹痛を訴えて、行きました
しかし、触診と問診のみで、痛み止めを処方されて帰ってきました。
年を越してまた腹痛で病院に行ったのですが・・・
CTを撮り、大腸がん?とのことで手術・・・・が、膵臓癌で手の施しようも無く、ストマーをつけて閉じてしまった。

   …中略…
 友人は2ヶ月ちょっとで亡くなってしまいました。
   …中略…

 昨日のコメント欄に、昨年の大晦日に病院に行き、年明けに診察を受けた友人が、手術をしたものの「手の施しようも無く」、2月に亡くなったとの書き込みがあり、「中略」の中に休日や時間外診療の対応が悪かったのではないかと思われる記載がありました。

 対象となる人物の詳細が判らないので何とも言えませんが、大腸ガンと言われて手術したら、すい臓ガンで手の施しようも無かったとの書き込みは、医学の発達した現代社会では信じられないような結末で、対象者のご遺族の怒りから伝わった文言のようにしか思えませんが、病院の医師から十分な説明が不足していた可能性は否めず、こんな不幸な発信が繰り返されないことを祈りたいものです。

 さて、4年前にガンが再発し、治療しても治らないと宣告され、このままでは病院で1ケ月程度の命と悟った女性が、病院への入院と治療を断って、漢方薬と食生活の治療で1年ほど延命された際に、自宅から病院と漢方薬を購入する薬局への移送を依頼されて同行していました。

 2年前にも同じように、事実上死の宣告を受けた男性が、入院を断って最後まで自宅で生活すると決められ、病院や買い物等の同行を頼まれたケースも、何も治療をしない状態で約半年の延命を果たされました。

iPS、医療利用への試金石 他人の細胞から初移植

 本日の新聞記事の中に、「他人のiPS細胞を使った移植手術が行われた」との発信があり、あと5年もすればガンも完治しそうな予感を実感させられますが、過去のネット上で「がんで余命ゼロと言われた私の死なない食事」を資料として残していたことを思い出し、下記に添付しました。

がんで余命ゼロと言われた私の死なない食事

 この本には、末期がんを宣告されて14年という”奇跡のシェフ”が、「食で病気を治すんだ」と、調味料をすべて変え、旬の食材は皮まで食べるという、昔の日本食をヒントに辿りついた命の食事法が記されており、何よりも実践によって14年間も延命されていることに説得力を感じます。

 添付した病院の治療を断り、食生活と漢方薬で1年延命した女性の例を記しましたが、この時にガンが好む食材と、嫌う野菜の摂取を意識していた時に、管理栄養士さんに「ガンでない大鹿さんがそんなことしたら、逆に病気になってしまうよ」と言われましたが、日頃からの食生活が病気に大きく影響することは間違いがありません。

 一方で、添付したコメントのような、医療の貧困を感じさせられるような現状もあり、万が一の場合に慌てず相談できる「かかりつけ医」を持ち、最善の治療を選択できる環境にしておきたいものです。

            本日の体重 72、2キロ 徒歩数 5269歩 間食あり
                                              9時以降もあり
                                      3月28日の一言

新車のまま18年も眠らせたバイクを廃車に

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事務所前のアンズの花 家族に切られて小さくなってしまいました 

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かつては10台ほどあった最後の2台となりました
                                右のバイクは18年前は新車でしたが…
                     新車ゆえに残して、乗らないままに年月が経過しました

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私のメイト80 今も現役です

 新聞販売店を廃業した18年前には、10台以上の配達用バイクがありましたが、私のメイト80と、買ったばかりの新車を残して総て手放したものの、新車も乗らないままに歳月を重ね、時々乗る私のメイトも、エンジンからオイルが滲むようになってきました。

 それでも50ccの原付バイクとは違い、加速は四輪者よりは早く、70キロ近い速度が出ますが、それよりも還暦を過ぎた私の体力の衰えが著しく、急減速したときや右左折時にかつての運転のようにはいかず、近々戻って来る自動二輪は「トラクター」に乗る気持で走らせないと危険であると実感させられます。

 戻ってきてからの話となりますが、二輪を預けてある知人から「80キロ程度のリハビリツーリング」を薦められており、日帰りで上高地まで往復四百キロを越える道程を走った若い時のようにはいきません。

 もっとも、私自身は、若い時に購入した自動二輪で遠出したいと考えているわけではなく、添付したメイト80に道具箱を積んで、遠くの知らない場所に出かけて、出かけた先で地元の人々と同化したように走ることに憧れています。

 さて、バイクを2台並べたのは、毎年のようにバイクを廃車するように催促され、右の1台のナンバーを今月末までに返上するためで、軽自動車税が倍増してしているために、置いていくだけでは家内が納得しなくなりました。

 考えてみると、議員になってから乗っていない自動二輪と廃車するバイクは、乗らないのに18年間も自動車税を払い続けてきたわけですから、もっと早く使い道を考えれば有効に使用できたと反省しても時間はさかのぼれません。寂しい現実ですね。

        本日の体重 72、5キロ 徒歩数 5444歩 間食あり
                                           9時からはなし
                                    3月27日の一言

相棒リマと家族で祖父江砂丘へ

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祖父江砂丘と昔から変わらぬ松並木

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こんな雄大な自然が残されています

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木曽川対岸の羽島市とはるか先には伊吹山が

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下流には馬飼大橋、馬飼頭首工が

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相棒リマが孫と走ってきました

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相棒は我が子です

 本日は孫が連れられて来て、「じいちゃん、お出かけするよー」との一言によって、普段は開放したままの事務所を施錠して、娘の車に乗せてもらって出かけました。

「おーい、今来たけどー」
   「あっ、出かけているんだけど…」
「カギがかかっているぞ」
   「スズメを飛ばしてあるから」

 留守中に鳥カゴから出してある2羽に万が一があってはいけないと、普段は施錠しないカギを事務所にかけて外出していると、事務所を訪れた知人から電話ですが、留守でも勝手に出入りできる事務所が閉めてあるため、何事かと思っての電話です。

 一週間に3日はノルマとしているウォーキングですが、今月は一日も外出していなかったものの、孫に誘われて初めて9千歩を超える散歩となりました。
 「一緒に」と言われて外出したものの、娘と孫は木曽川のバードウォッチングが目的で、家内は寒いと言って歩かないため、孤独な散策となり、帰路に買い物に立ち寄ったため、私だけ途中下車で歩いて帰宅しました。

 さて、帰宅した事務所では、私が不在のため放鳥した2羽もカゴに戻らないままに薄暗くなってしまい、暗くなると眠ってしまうため、私の手で捕獲して、ポケットに入れると保護した直後のヒナのようにじっとしてそのまま眠っていました。

 手のかかる2羽です。「あー、ピーだったら」と、かつての愛雀「ピー」が声をかければ当方の意志を理解して行動してくれたことが懐かしくなり、ピーの記録を残しておきたいと別のブログに書き入れることにしました。


 ピーちゃんを保護する平成26年5月より3年前にヒヨドリのヒナ「ピーコ」を保護し、翌年7月に岡崎市から「ピヨ」を預かり、ピヨを8月に亡くし、10月末にピーも失い悲しみのどん底を体験しました。
 スズメとの縁も無くなったと思っていた昨年4月に、蟹江町の知人より保護したヒナの「チー」が届けられ、月末に市内の知人より保護した「ボク」と「ムー」を預かり、スズメの保護生活が再び始まりました。

 そして、奇跡的としか思えない、2年前にピーを拾い上げた庭で、屋根から落ちた「ヒー」を5月に拾い上げ、その翌日に名古屋市の企業で保護されたヒナ「サブロー」が持ち込まれ、5羽の鳥カゴ団地が形成され、何とか越冬して春を迎えられそうになってきました。

 訪問される知人には、亡くなったピーも、ヒーもサブも、鳥カゴの3羽も一緒と思われ、預かって1ケ月で死なせてしまったピヨは忘れられ、勝手に呼ばれている姿から、鳥カゴに記名しましたが、家族にも個々の個性を忘れないために簡単に記録して残すことにしました。

 そして、夜になってこの一文を記して、ピーの記録を読み直していると、ピーが亡くなった直後の悲しみがよみがえり、涙が頬をつたい、呼吸まで苦しくなってきたことに、この悲しみを一日も先送りして5羽の保護生活を永く続けたいと思う夜になりました。

          本日の体重 72、2キロ 徒歩数 9041歩 間食あり
                                              9時からもあり
                                      3月25日の一言

愛車を法定3ヶ月点検に持ち込み…

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法定3ヶ月点検です   ニッサンの車をトヨタの工場へ 稲沢市

 人を乗せるタクシー車輌(営業車)であることと、年式も旧くなってきたため、これからはこまめな整備が必須となり、今年は5台以上となる他の車を安全に管理するため、運行管理責任者や安全運転管理者の講習も受講する予定となっています。

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下校中の通学団を見守る町内役員さん

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あれっ、こんな所に…

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小さいものの可憐なスミレ草
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今日も暮れ行く養老の山並み

津島市保健センター … 津島市役所・議会だより編集委員会 … 自宅 … トヨタネッツ稲沢 … 

 本日は午前中に保健センターで管理栄養士さんの指導を受け、と言うよりも私自身の健康チェックと振り返りのためでもありますが、年末年始の不摂生分を2月に何とか取り戻したものの、3月は議会開催のため運動不足と不摂生により、体重も食生活も目標とは程遠くなっています。

 私自身も自覚しているものの、ストレッチや運動どころかウォーキングもできていませんが、体重は72キロ以下を保っているため、次の指導日となる6月までに、食事内容の改善と、私の課題である間食と、夜9時以降の間食をチェックする指導を受けて帰宅しました。

 ただし、直後に戻った市役所で、昼食は節制してパン食にしたものの、仕事を終えて立ち寄った自宅で用意されていた昼食を無意識に食べ、稲沢市の自動車工場で待っている間にコーヒーを飲みながら、帰宅途中で珈琲店に立ち寄り、コーヒーと手作りパンを注文し、サービスで付いてきたメロンパンも口にしていました。

 これだけで、朝食と昼のパン食と、帰宅時の昼食を摂り、帰宅するまでにコーヒー4回と間食のパン2個を口にしており、帰宅後の夕食後は間食を節制したものの、指導後にも無意識で多くの間食を摂っていました。反省です。

 さて、市役所で仕事を終えた直後に、私の自動二輪を預けてある市職員U君と会い、4月早々に車検場へ二輪を持ち込むことと、我家に保存してある原付(ヤマハメイト50)を引き取ってもらう打ち合わせと、私の「リハビリツーリング」の話をしました。U君の異動がなかったことで時間がとれ、いよいよ車検が現実となっていきます。

 自動二輪は親しい市役所職員に預けてあり、2年前に車検が受けられる状態になっており、この頃にはバイク(メイト80)も時々乗っていましたが、昨年8月以降は一度も乗っていないため、明日にでもメイトにまたがってみたいと思う一日ともなりました。



 添付した『VF400F』は、昭和60年に初年度登録した私の愛車で、今でも利用しているヤマハメイト80も、議員になった平成11年に仕事で使っていたバイクですが、平成元年登録のライトエースとともに、しばらくはと言うよりも、使えるうちはこのままの環境で総てを残したいと考えています。

ホンダ「モンキー」、8月生産終了 排ガス規制強化受け

 そんな過去の環境をとどめることにこだわる私にとって、本日の悲しい話題が添付したホンダモンキー生産終了の新聞記事でした。
 好きで買い求めた『VF400F』についても、小回りが利いて加速の早いヤマハメイトは、ホンダのカブに配達では負けず、普通車で軽自動車並みに路地に入れるライトエースも、私の人生では難路に入る必需品でした。

 何とか維持していきたいものです。

          本日の体重 71、9キロ 徒歩数 3954歩 間食あり 
                                         9時から間食無し
                                    3月24日の一言

帰宅は午前様となって…

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市役所の北西側 東柳原町

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市役所の北方 立込町

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市役所の北東 古川町

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更に東方向  いずれも午後5時30分頃

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午後11時57分 やっと委員会が終りました

 私が所属する厚生病院委員会は、今月の10日、15日、21日に引き続き、本日も午前9時より開会されましたが、午後5時を過ぎても終らないため、夜の食事も返上して午後11時57分に総ての審議が終了しました。

 3月議会は、28日の本会議が最終日となっていますが、明日と30日に議会だより編集委員会が開催されるため、空白となった来週月曜日と水曜日に愛知県庁や県の社会福祉協議会の所用を済ます必要に迫られます。

 12月を師走と表現して忙しそうに思えますが、議員にとってと言うより、最近の私の日程では3月の年度末の方が確実に忙しくなっており、4月からは四国遍路や上高地のボランティアも予定しているため、慌ただしい日々が5月のゴールデンウィークまで続いていきます。

 全く束縛の無い完全自由の身に憧れる一日ともなりました。

            本日の体重 72、0キロ 徒歩数 2772歩 間食あり
                                     3月23日の一言

厚生病院委員会 現在継続中

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厚生病院委員会が継続中です。現在午後11時を過ぎました。

夕陽を眺める習慣から哀愁を感じて

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本日の夕暮れ午後6時30分 津島市宇治町

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夕陽に輝く愛車キャラバン

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ホッと一息 毎日の定期便

 当たり前の話ですが、太陽は東の空に昇り、半日後に西の山に沈んでいくものの、夜型人間の私には沈んでいく夕陽しか目にすることがないため、「今日もこれで終わりか…」と、人生の哀愁ばかりを感じてしまいます。

 朝日を眺める人たちは、「今日も一日頑張ろう」と思えるかもしれませんが、夕日は「また一日が終ってしまった」と、年齢とともに早くなった時間の経過と、迫り来る寿命を考えてしまうため、生活習慣を見直した方が良いとは思うものの、簡単には変えられません。

 午後に訪れた知人の仕事に同行し、喫茶店で談笑して別れたものの、独りになると毎日の習慣となっている珈琲店へ車を走らせ、あたかも仕事が終ったかのように夕陽を横目にして自宅へ戻ります。夕陽とともに帰宅する日課が随分と長い習慣になりました。

お遍路訴訟、62番札所の脱退認める 霊場会の請求棄却

 四国八十八ヶ所霊場紹介 愛媛県(伊予)の霊場

 4月になると2回の四国遍路を予定していますが、2度目に同行するグループは60番横峰寺から3日間の予定で巡拝を予定しており、本日の新聞報道で62番宝寿寺が霊場会から脱退するとの発信にびっくりしました。

 寂しい話ですね。お寺の主張は高松地裁で認められたものの、四国の遍路道を世界文化遺産へ登録するために、八十八ヶ所のお寺だけでなく、四国四県が一丸となっている時だけに、協調性のないお寺の行動は残念です。

 四国遍路と一くくりに言うものの、四国八十八ヶ所のお寺には、黙っていても納経帳や掛け軸への朱印によって、年間およそ1億円の収入が入りますが、弘法大師と縁の深いお寺でも八十八ヶ所以外のお寺は閑古鳥が鳴いている現状を考えると、霊場会は脱退しても八十八ヶ所から外れる覚悟があるとは思えません。

 八十八ヶ寺には黙っていてもお遍路さんが訪れ、同じ朱印代を支払っていきますが、水洗トイレや駐車場のバリアフリーを進める清潔なお寺が増えたものの、昭和以前の環境下のままのトイレや洗面所のお寺も残されています。

 若いお遍路も増えてはいるものの、いずれは歳を重ねていき、4月に同行するメンバーの中には、何度も歩き遍路を体験しているものの、足腰に障がいがあり、様式トイレしか利用できなくなった人もあり、個々のお寺の勝手ではなく協調した改善を求めるためにも、今回の脱退騒動は寂しい現実を実感させられました。

             本日の体重 72、6キロ 徒歩数 2994歩 間食あり
                                      3月22日の一言

今年もサクランボの花が開花し

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本日午後6時に自宅へ戻りました

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見づらいですが、サクランボの開花です

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 本日は午後5時過ぎまで3日目となる厚生病院委員会が開催され、延長しても終らないため23日に再開することになり、帰宅した時には薄暗くなっていましたが、サクランボの花が見事に開花していました。

 薄暗いことと、サクランボの背景が空になるため、美しさが表現できませんが、サクランボの開花により、数日後には事務所前のアンズの花が開花し、その後に事務所の裏にある大きなアンズも開花すると我家は春爛漫となっていきます。

 そして、1ヶ月後にサクランボが真っ赤に実り、その半月後には美しいアンズの実が大量に実ると、家内には辛いアンズジャム作りが連日続けられる日々がやってきます。

 一年はあっという間に経過してしまうことを実感させられます。

 サクランボの木は、私の父親が孫(私の長男)のために植えたもので、父親は平成5年に他界しているものの、父親の死後も毎年実をつけており、子供や孫に喜ばれる樹木を残しておきたいものです。

 ちなみにアンズは私が長野出身の方からいただいたもので、実が大きくなって大量に駐車場や歩道に落ちるため、何度も切られて樹勢が衰えており、最近は花もスケールが小さくなってきました。

              本日の体重 72、0キロ 徒歩数 2914歩 間食あり
                                       3月21日の一言

老体にムチ打つ車と自販機と、我々も…

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30年目の愛車で相棒リマとドライブ 元々はここが相棒の専用席です

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ただし、電車には関心なし

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日光川沿いの河津桜 平和町

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タバコの自販機に…ウン?

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自販機も高齢化社会へ

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この人も自販機と同じ還暦過ぎになり…
                          役所や税務署の催促が続きます

 車も20年を経過すると販売したメーカーから相手もされなくなり、良心的に対応してくれる町工場を探すことになり、「いい加減に買い替えんかい」と、国からも旧い車を対象にした増税が科せられ重税になります。

 高齢者になってから減らされていく年金と、負担が多くなる介護保険と医療負担など、還暦を過ぎて年金では生活できない現実に、これからは行政とは一線をひいたお互いの「支えあい」社会を考えていきたいものです。

 これまでの人生で体験した体験と、仕事を通じて会得した経験で、自分たちの生活を支えあっていけば、経済的にも豊かな生活が実現され、何でも買い換えて消費する社会に左右されない生活が可能です。

「おい、飲みに行かないか?」
   「金は無いぞッ」
「今日の飲み代で車を塗装してもらうから」
   「なに、塗装?」
「前の剥げたところを」
   「うーん、しょうがないなァ」

 写真を添付した還暦過ぎの自動車板金業の友人との3日前の会話ですが、業者に依頼すれば相当の金額が必要となる塗装を、わずかな飲み代と交換できるところが、少年時代からの付き合いで、長年の交遊は商売にはなりません。

買い物送迎バス、運行200回 スーパーに感謝状 秋田
記事の続き…
 http://www.asahicom.jp/images/asahicom/hand.png共助組織の奥山良治会長(66)は冬季、降雪で道幅が狭くなり、車のすれ違いが難しい道に出て、バスを先導する。「道路も悪く、細い道を入ってきてくれる」と感謝し「バスの利用者が顔見知りになり交流、地域の結びつきが深まった」と話した。
 マルシメの遠藤宗一郎社長(35)は、「引き続き継続していくので、店の利用をお願いします」と呼びかけた。「地域に寄り添い、みんなが集まる場所にしたい」という。

 秋田県横手市の山間地で、高齢者の買い物支援で始まった無料送迎バスの運行が17日、200回に達したとの新聞記事を添付しました。

 過疎地や辺ぴな農村部の問題のように思われますが、都会でも足腰が弱った高齢者は買い物や通院に行く手段がなく、秋田県でできることが、都市部や我々の住む愛知県でできないわけがありません。

 困ったことがあれば、出来る者が助ける共助を考えることは、仕事に追われて仕事を業者に依頼するしか方法のない若者とは違い、時間に余裕のできた高齢者には可能となるはずですが、その中継となる仕組みがありません。

 そんなことを考えながら、30年目の車を自転車代わりに近所の知人を訪ねる三連休となりました。

             本日の体重 71、8キロ 徒歩数 1565歩 間食あり
                                      3月20日の一言

家内の在所でサトイモを掘って

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畑で栽培されているような道端のツクシ

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家内の在所に生えていました

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畑の土を掘り起こすと 義兄と義姉です

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家内の手の中には

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サトイモです

 我家の近くで人目を気にしてツクシを取っていましたが、本日家内の在所を訪れたときに、道路から庭先までの道端に目をつぶっていても取れる大量のツクシを目にして、もっと早く来れば良かったと、まさに「灯台下暗し」を実感させられました。

 街角の道路の端に細々と生えるツクシを見慣れていたため、畑の道端に生える農村の太々としたツクシを久々に見た気がします。

 「墓にお花を」との家内の一言に、車を走らせてお寺へ到着すると、「何所に行くの」と言われて、家内は自分の両親のお墓を目的にしていたことが判り、先週に我家と横井家のお墓を訪れておりながら、家内のお墓は全く眼中に無かったことを反省する一日ともなりました。

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 「とこか遠くへ行きたい」

 1年前から愛車ライトエースのエアコンが故障したままのため、キャラバンやセレナで遠出をしていましたが、半月前にキャブレターを洗浄し、ガソリンタンクの水抜き剤や燃料系の洗浄液を入れ、座席や室内の掃除をしたため、エンジンをかけると目的もないままに車を走らせるようになりました。

 平成1年に登録された29年目の車ゆえに、エンジンをかけるのにコツが必要で、エンジンが温まるまで時間がかかり、冷えたままでは走れませんが、7人が乗れて軽自動車並に小回りがきき、後部座席は合い向きになり、座席をたためば貨物にもなることから、家財道具の移動や粗大ゴミの搬出には軽トラックの役目も果たしてきました。

 車が旧いためにぶつけられた小さなキズにも、「大丈夫ですよ」と譲ってきたことから、車体には小さなキズが無数に残されており、エンジン不調時に部品が無い場合は廃車と隣り合わせとなりますが、もう一度四国遍路か西国観音巡礼に走らせたいとの夢をもっています。

 明日は何所に走らせましょうか…

            本日の体重  徒歩数 7174歩 間食あり
                                    3月19日の一言

春眠 暁を覚えず 我家の相棒を見て

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我家の相棒リマ 爆睡中ですが…

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我家のサクランボ 開花が近づきました

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あれっ? 近所は咲いているのかな?

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見事に咲いています

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こちらのお宅も咲いています

 我家のサクランボがまもなく開花しそうになっていますが、我家から見える近所のサクランボは既に咲いており、満開から散りかけになっており、町内では他のサクランボも満開状態になっていました。

 我家では、サクランボが開花した数日後に事務所前のアンズが開花し、その後に庭の奥にあるアンズが開花しますが、例年より早いように感ずるものの、昨年も一昨年も今年より早い3月17日には満開とこのブログに記されており、人の感覚はいかにいい加減かを実感させられます。


 さて、三連休の初日ですが、議会開催中のため遠出の予定はなく、昨日に続いて夕方より車で一宮市まで出向きましたが、愛車ライトエースの調子が良いため、散歩代わりに走り出しています。明日からは議会以外の仕事ですが、それらの残務処理をするだけの三連休になりそうです。

           本日の体重 72、0キロ 徒歩数 2077歩 間食あり
                                     3月18日の一言

買い物ついでにツクシ取りへ

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5分でこれだけのツクシが取れました

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足元はツクシだらけです

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用水沿いの土手です
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我家の畑 越津ネギ

 本日は総務委員会が午後2時に終った場合に、午後3時から厚生病院委員会が開催されるとの予定だったことから、午前中から事務所に待機していましたが、時間内に終らないとの連絡があり、待ちぼうけの午後になってしまいました。

 さて、家内と買い物に出かけた道路沿いに、ツクシが輝くように夕陽に照らされており、取るために車を停めたものの、身体が凍るほど寒風が冷たく、5分も経たないうちに取るのをやめましたが、足の踏み場もないほど生えていました。

 「かずや君、ツクシ取りに連れてって」の一言は、私が小学生の頃に町内の同級生の「真知子」さんに言われた言葉で、家から1キロほど離れた日光川の堤防まで、女子だけでは行けないため、週末に同級生を誘い合って弁当を持って遠足のように出かけました。

 当時の日光川の堤防は、大人の背丈ほどあるヨシが茂り、ジャングルを探検するような気分でツクシ取りに出かけていましたが、今にして思うと、何のとりえもない私がこんな頼み事をされたことが、今でも人に頼まれて車で旅行に行くことが楽しめる原動力になっているのかも知れません。

 かつての我家の近くは、低湿地のためツクシは家から離れた日光川の堤防しかなく、そのためツクシ取りは遠足のようで楽しく、夢がありましたが、最近では道路のいたるところに生えているものの、道路には犬の散歩によるフンが残され、汚いため取る人も少なく、ツクシ取りに行く小学生も見かけません。

 その「真知子」さんが末期ガンで逝ってから10年以上が経過し、町内で6人いた同級生の女子のうち3名が既に他界しており、残された3人も遠くに嫁いでいるため、顔を会わせたのも「真知子」さんの葬儀が最後になりました。

                  本日の体重  徒歩数 2857歩 間食あり
                                     3月17日の一言

県内の公立小学校では卒業式が開催されて

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神守小学校の卒業式です

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現在の神守小学校正門            

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中村友七(岐阜)氏揮毫の書

 「写真を公表する場合は、全員の承諾をいただいてください」の一言は、卒業式の司会を担当する教員から開始前に説明された案内ですが、100名以上となる卒業生と保護者が存在するため、承諾は不可能なためモザイクをかけて添付しました。

 この小学校では過去に卒業式の写真を政治利用され、保護者の指摘で削除されてブログそのものが閉鎖されたことがあるための説明と思われますが、めでたい卒業式にこんな制限をかけなければならない世の中と、何でも政治利用しようとする現実に寂しさを実感させられます。

 一方で、晴れ晴れとした卒業生の、イキイキとした表情を伝えられない世の中にも、荒んだ世の中に生活していることを実感させられます。

 還暦を過ぎた爺さんですから、白黒写真風の厳格な卒業式とは違い、カラフルなハカマ姿がほとんどとなった卒業式と、保護者のほとんどがスマホやビデオカメラを構える卒業式には馴染めないものがあります。
 私はこの神守小学校を50年前に卒業していますが、私たちの思い出に残る建物や木々は皆無となっており、ここに在学していた足跡も皆無となってしまい、年月の経過を感じずにはおれません。

 さて、添付した「日進月歩」の書については、岐阜の中村友七氏の揮毫による額ですが、中村氏はモラロジー研究所の社会教育講師として、かつては当地方の会場で催された座談会に弁士として何度も訪れておられたご縁により、私の町内の人が小学校に寄付したものです。
 ただし、このことを知る教員は一人も無く、ネット検索しても中村氏そのものの情報も皆無のため、ここに添付して残した次第です。

モラロジー研究所 http://moralogy.jp/

 当地方の一般家庭の中には、中村氏によるモラロジーの格言「慈悲寛大自己反省」と書かれた掛け軸が多く残されており、かつては当地方の会員も多く、「道徳科学」として在家による座談会がさかんに催されていました。

渡瀬恒彦さん出演ドラマ、予定通り放送 2月まで撮影

 1月に最後の映画スターと言われた松方弘樹さんが74歳で他界され、2日前に渡瀬恒彦さんが72歳で死去されたとの報道は、同世代の人々だけでなく、還暦を過ぎた私にも「あと10年か…」とのため息がもれてきます。

 高齢化社会となったとは言え、還暦を過ぎると身体の隅々に異変を感じるようになり、年齢を理由に放置していくと手遅れになりかねず、残された人生を無にしないためにも健康管理は重要で、病院に行ってから「しまった」と思わないようにしたいものです。

 日頃から後向きの性格から、知人や芸能人の訃報が、確実にブログの内容にも影響していきます。

             本日の体重  徒歩数 3536歩 間食あり
                                      3月16日の一言

市役所にカンヅメの一日となり

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元名古屋市長杉戸清氏からいただいた書
                                 ちょっといがん(傾いて)でいますね

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横井庄一さんからの書
 
 昭和52年元旦に私が起業した記念として、商売繁盛を願った「来る人も 来る人も 福の神」と記された色紙を、元名古屋市長の杉戸清さんから、私の父親を経由していただきました。
 
 杉戸さんは日本画の浅見香城先生の弟子で、門弟で一番若手となる私の父親と交流があったことから、大学生の私が朝日新聞の販売店で起業することへの励ましを込めて、添付した書をしたためてくださいました。
 
 休みの無い仕事であり、私自身に新聞配達の経験が皆無だったため、家族や親族が大反対する中で、唯一販売店の経営者になることを勧めたのが横井庄一さんで、グアム島で発見されただけで無職のため保証人にはなれませんでしたが、新聞社との契約書に「推薦人」として名を連ねてくれました。
 
 杉戸さんに色紙をもらったことを聞いた横井さんは、「オレも忘れられては困るよ」とばかりに、「求る人 読む人 福神」と記した、杉戸さんより一回り大きい色紙をくれましたが、新聞を買って読む人を福の神と記した機転は、28年間グアム島で独り暮らしをしていた人物とは思えません。
 
 議員になった18年前に新聞販売店は廃業したものの、杉戸さんの書は私の事務所の正面に飾っており、昨年6月に三男の接骨院起業で事務所は2階に追いやられましたが、この色紙は階段入り口の壁に掲げてあります。
 
 どちらも、私にとっては記念すべき宝物です。
  
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 本日は2日目となる厚生病院委員会が開催されましたが、午後5時になっても終らないため、21日に再開することを決めて散会となりました。この日に終らないと大変な日程になっていきます。

自転車で四国一周1千キロ 愛媛県がコース発表

 四国四県を自転車で11日間かけて一周するサイクリングコースを愛媛県が発表したと発信されており、こんな感覚で四国遍路を廻れば半月で結願できそうですが、普通に生活する人には11日の休暇は難しく、現役を退いた時には体力が伴わず、私には永遠のあこがれとなりそうです。

             本日の体重 72、0キロ 徒歩数 3433歩 間食あり
                                     3月15日の一言
 

夕陽に照らされた工場を眺めて

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サカエ理研工業   津島市椿市町 
サカエ理研工業 http://www.sakaeriken.co.jp/

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 我家から500メートルの距離にある工場で、最近は歩いていないものの、週3回のウォーキングでは工場の横を歩いており、田園がひろがる農村風景の中に、唯一大きなサカエ理研工業が建っています。

 津島市では昭和51年に建てられた新しい工場ですが、国内に1086名、海外に760名の従業員を有する企業で、工場の近くに創業者一族が大邸宅を構えており、地域では誰もが知る存在となっています。

 この辺りは、私の子供の頃には工場どころか家も存在せず、目的地を見ながら田んぼ道を歩いて行っても川が行方を阻んで、目的地がはるか彼方のように遠く感じたことが懐かしく思い出されてきました。
 
稲田氏が答弁一転・野党は反発 森友問題14日の動き
記事の続き…
http://www.asahicom.jp/images/asahicom/hand.pngその後の参院予算委でも、稲田氏はこれまでの答弁を撤回して謝罪した。舟山氏が「虚偽答弁を認め、責任を取るべきではないか」と指摘すると、稲田氏は「記憶にもとづいて自信をもって答弁していた」と述べ、記憶違いだったと強調。引責辞任は否定した。
 稲田氏はこの日の同委で、夫が04年10月~09年8月ごろ、籠池氏と顧問契約を結んでいたことも初めて明かした。稲田氏は「私は(同じ弁護士法人の)社員なので、顧問契約自体は夫個人が締結したものだが、その責任が(自分に)全くないとは言えない」と釈明。稲田氏はこれまで、自身と籠池氏との顧問契約について否定していた。
 一方、与野党の国会対策委員長は14日、国会内で会談。民進、共産、自由、社民の4野党は「明確な虚偽答弁をした。大臣の資格に著しく欠ける」(民進の山井和則国対委員長)として稲田氏の辞任を要求した。野党側は籠池氏らの参考人招致も改めて求めたが、与党側はいずれも拒否した。
 安倍晋三首相は14日の衆院本会議で「しっかりと説明責任を果たし、今後とも誠実に職務に当たってもらいたい」と述べ、辞任の必要はないとの認識を示した。与党も「しっかり職責を担ってほしい」(吉田博美・参院自民党幹事長)など問題視しない構えだ。

 国有地売却問題に揺れる学校法人森友学園については、学園理事長のウソで固められた発言によって風前の灯のようになっていますが、安倍首相だけでなく、稲田防衛大臣についても学園と無縁のような発言を繰り返していたものの、国会答弁のウソが発覚し、虚偽答弁の疑いが強まりました。

 政治は汚いと当たり前のように言われますが、稲田氏は13日の国会で「籠池夫妻から法律相談を受けたことはない」「裁判を行ったこともない」などと答弁して関係を否定してきたものの、2004年12月、同学園が起こした民事訴訟の第1回口頭弁論に原告側代理人弁護士として出廷していた記録が残されていました。

 記憶違いと謝罪しているが、弁護士として法廷に立ったかどうかが判らないはずが無く、これで説明責任を果たしたことにはならず、国の財産に関わる不正だけに、野党には政権与党の数の力に屈っすることの無いよう期待したい。

 それにしても、国民の生活を守る弁護士でありながら、政治に転出するとこんな見え透いたウソを堂々と発するところに政治の汚さを実感させられます。
 こんな国会答弁や謝罪を見ていると、張本人の籠池理事長が可哀想に思えるほど、政治家の非情さと汚さを痛感させられました。

             本日の体重 71、9キロ 徒歩数 4366歩 間食あり
                                      3月14日の一言

福祉有償運送の申請に運輸支局へ

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中部運輸局愛知運輸支局2階 名古屋市中川区

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自動車検査登録の事務所入り口

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1階は車検登録に訪れた人で溢れていました

 先月開催された「あま市」の福祉有償運送運営協議会で、新たにあま市でボランティアによる有償運送が認められ、本日は中部運輸局愛知運輸支局へ申請書類を揃えて提出に訪れました。

 私の所属するNPO法人「ひとまち生活ネット津島」は、平成21年に津島市と愛西市の海部西部圏域において、ボランティアの自家用車による有償運送が認可されて活動してきましたが、本日からはあま市においてもボランティアによる有償運送を始められることになりました。

 ただし、現地であるあま市での福祉有償運送が初めての事であり、認可を審議した運営協議会で、現地の窓口とあま市民によるボランティアを展開すると説明してあるものの、現在は現地のボランティアが1名しかなく、現状は私の事務所からボランティアを派遣することになっており、現地で安全管理をして活動するのにはしばらく時間がかかります。

 そして、ボランティアの活動範囲が拡大し、ボランティアの使用する車両が5台以上になると、運行管理責任者や安全運転管理者を置く必要があり、こうなるとボランティアと言うもののタクシー会社と一緒であり、ボランティアの延長ではなくなっていきます。

 愛西市と津島市を圏域とする福祉有償運送運営協議会が今年8月までに開催されることから、あま市を含めた運行体制と、安全に移送ボランティアを継続する環境を整備していくことを、運輸支局の担当官の指導ですすめていくことになりました。

 他人事のように思っていましたが、青ナンバーの「おおしか福祉タクシー」と、白ナンバーのボランティア移送も、ボランティアの延長戦上で一緒に考えていた自己反省と、横井庄一記念館のNPO法人化など、私自身の身に多くの新しい任務が乗っかっている自覚が不足していました。

 ボランティアは任意の活動ですが、我々の活動が無ければ病院や買い物に行けない患者さんや高齢者にとっては、ボランティアに休みは無く、必要とされる会員の存在はボランティアが永遠の任務となっていきます。

             本日の体重 71、9キロ 徒歩数 4317歩 間食あり
                                      3月13日の一言

横井庄一さんのお墓へ

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尾張西部から見える伊吹山 冬は伊吹おろしの寒風が舞います

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名古屋市中川区

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横井庄一さんのお墓
                     墓標の手前は小動物の慰霊碑

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菩提寺にある「陸軍軍曹横井庄一のお墓」

 寒暖の差が激しいものの、日中は確実に春爛漫の一日となり、冬には当たり前となっている伊吹山の雪も、現在残ってはいるものの、気がついた時には無くなっている可能性が高く、そんな暖かい一日でも夕方の伊吹降しは身を凍らせる寒風が吹いてきました。

 さて、横井庄一記念館について、横井夫人が亡くなった後々にも記念館を存続させていくため、現在NPO法人化を急いでおり、本日も打ち合わせのため訪れると、有難いことに親子連れの来館者があり、夫人が案内しているため久しぶりに横井庄一さんのお墓参りへ訪れました。

 横井さんのお墓については、菩提寺の行雲寺に母親つるが建立した「陸軍軍曹」のお墓があり、「庄一は生きとる」が母親の口癖だったようですが、昭和23年に我家の隣のお寺に永代供養が依頼され、昭和30年には立派なお墓を建てていました。

 平成9年9月に横井庄一さんが亡くなり、2年後に本人の遺言で建てられたお墓には、小動物の慰霊碑が建立され、これはグアム島で生きていくために殺生した魚やエビなど、小動物を慰霊するもので横井さんの遺言でした。

 横井さんの在所の跡取りとは言え、我家のお墓でも忘れた頃しか訪れない横着者ですから、横井さんのお墓を訪れるのも久しぶりで、建立された当時と比較すると住宅が建ち並び、お墓の周りに塀があるため、何度も車で通行しながら墓地が見つからないため探すのに苦労しました。

 ここまで来たのだから、ついでにお寺にも寄っていこう。
 
 「どこに行っていたの」
    「久しぶりにお墓まで」
 「お墓にも行きたいけど…」

 帰宅後の夫人との会話ですが、お彼岸までにお墓に花を供えたいとの話で、本日は記念館を開館しているため、明日か明後日に花を用意して墓地とお寺のお墓へ改めて訪れることになりました。

 横井さんが平成9年に亡くなってから、夫人は独りで生活しており、89歳になった現在も買い物や墓参りも歩いて行動しており、家族の居ない記念館で20年も独居生活をおくっていたことを改めて実感させられました。

 今頃になってからでは遅いものの、少しは孝行しようと思いますが、我家にも口うるさい母親が存在し、横井家に出向いて畑を耕したり、お墓参りをすると我家の家庭不和にもなりますから、しばらくは内緒の行動となります。

            本日の体重 71、5キロ 徒歩数 2937歩 間食あり
                                     3月12日の一言


スズメの兄弟を別々の鳥カゴに分けて

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春爛漫の梅園 稲沢市矢合町  

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見事な梅です

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イチゴを6株植えました
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既に実が付いていました

さて…厳しいかもしれませんが…

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左がボク 右側の鳥カゴはムー 昨日から別れ別れに…

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 昨年5月に、2羽一緒(左の写真)で、鳥カゴごと届けられたスズメの兄弟ですが、最近になって体力の差が著しく、「ボク」が「ムー」を乱暴に追いかけるため、昨日弱い方「ムー」を無理やり捕まえて、新しい鳥カゴに入れました。

 昨日までは強い方を「ボク」と呼び、弱い方を「ムー」と呼んでいましたが、カゴを分けたことで名前がはっきりと識別できますが、同じ鳥カゴで追いかけられていた「ムー」が、新たらしいカゴに馴染めず、「ボク」の居る鳥カゴに戻りたいと落ち着きません。

 一年前から入っていた鳥カゴですし、一緒に成長してきた兄弟ですから、2羽を一緒に入れてやりたいものの、「ムー」の換羽が遅れており、時期的に繁殖期が近づいているため、そのために乱暴になっている可能性もあり、心を鬼にして別々の鳥カゴで保護することにしました。

 さて、持ち込まれた時から1羽で生活する「チー」はさておき、「ヒー」と「サブロー」も一緒の鳥カゴで生活していますが、このコンビは私に馴れているため、自由に鳥カゴを出入りさせているためか、私が「ヒー」をポケットに入れて眠らせていると「サブ」が心配して探すなど、当分は名コンビが続きそうです。

 そして、有難いことに、「サブ」は1羽となった「ムー」の鳥カゴの上や横に飛んで行って遊んでいるため、「ムー」も早く1羽の生活に慣れてくれそうです。

 「サブ有難うなッ」と言いたい心境ですが、「ヒー」に与えたミルワームを隙をみて食べてしまうズル賢さもあり、「コラッ」と言う反面で、取られても辛抱している「ヒー」に「馬鹿」と叫びながら、温かい春を心待ちにする小鳥の事務所です。

 ちなみに、5羽のために50畳ほどある事務所は、昨年から24時間冷暖房が入れてあり、知人から「えー、大変じゃないの」と言われますが、「いえ、いえ、電気代は三男が払っているから」と言う私は、「サブ」に馬鹿と言える立場にはありません。

           本日の体重 71、8キロ 徒歩数 3672歩 間食あり
                                     3月11日の一言

明日はホッと一息にしたいですね

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本日の市役所 午後5時30分

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午後6時30分 車の上には月が輝き

 本日は厚生病院委員会が開催され、朝9時から午後5時過ぎまで市役所の一日となりましたが、市役所を定年退職した後も、引き続いて勤務している同級生たちも金曜日は休みにしているため、「おい」と言える仲間が居ない市役所は寂しいものがあります。

 ただし、今年3月より、市役所の国保税を滞納している家々を集金に歩く、嘱託徴収員として高校と大学が一緒の仲間が働くことになり、新たに新入社員のように市役所に通っていることから、物珍しく会話を交わせるようになりました。

 さて、議会中ではありますが、あま市の福祉有償運送の申請条件が整い、運輸局愛知支局へ申請書類を提出する必要に迫られ、新たにあま市でボランティアを展開するためミニコミ紙を発行する予定もあり、同時進行で横井庄一記念館をNPO法人化する準備もあることから、議会の休会日もボランティアの日々となっています。

 それでも、明日は土曜日となり、ホッと一息にしたいですね。

            本日の体重 71、7キロ 徒歩数 2334歩 間食あり
                                     3月10日の一言

横井庄一記念館の畑へジャガイモを植えて

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畑にはジャガイモを植え付けました 

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本日はワラ(藁)を持ち込みました

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イチゴはとりあえず植木鉢へ

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これはサンチェ

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ブロッコリーは2本

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記念館の周りはツクシがほころんで春爛漫

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記念館(左端)の西側は造成工事中 将来は住宅街に

 昨日まで市議会の一般質問が3日間続き、明日から常任委員会が開催されるため、本日はゆっくりと休息にしようと思っていると、家内から車にワラを積んだまま2週間も経過することから、横井庄一記念館に置いてくるように言われました。

 ワラを置いてくるだけなら簡単な話ですが、2週間前に草が生え放題となっていた記念館の畑を耕して、イチゴを5本植えると話してあることから、ついでにイチゴを植える必要もあり、名古屋に住む娘と合流して、本日はイチゴを1本だけにして、ジャガイモの種芋を植え、ブロッコリーとサンチェの苗を植えつけました。

 植え付けましたと記しましたが、私は2週間前に作った畝(うね)に適当に植えておけば、何らかの作物はできるだろう程度の感覚でしたが、一緒に同行した家内が草の根が多く混入しているのを見つけ、根を取らないと草だらけになると言い出し、草が生えたら取ればいいだろうという私の意見は却下となり、畝作りからやり直しになりました。

 掘り返して、草を取り、畝の土中にワラを入れて、その上に土を入れなおす作業は重労働で、身体は悲鳴をあげます。何も判らない娘だけにして、家内は置いてこれば良かったと思ったものの、家内しか畑のことは判りません。
 農家の長男としては恥ずかしいかぎりです。

 さて、横井庄一記念館は名古屋市中川区にありますが、幸いなことに500メートルの距離に花や野菜の苗のあるショッピングセンターがあり、買い物は便利なんですが、私の住む地域より店は都会風ですが、苗や肥料の値段が高く、イチゴは2倍程度と高いため、1本だけにして帰宅後に近くのホームセンターへ出向きました。

 名古屋の人たちは、津島市の人たちより高い野菜の苗でも、家庭菜園に植えるためでしょうが、当たり前と思って買っていかれるんですね。

 横井夫人は現在89歳になるものの、一人で歩いて買い物に出かけ、一人で食事の用意もゴミ出しもしており、年齢よりも若くは見えますが、最近は一週間に2度ほどヘルパーさんに掃除を依頼するようになり、薦められるままにデーサービスへも足を運んでいます。

 横井庄一さんの残した土地と建物(記念館)について、私の娘が引き継いで、記念館を今後40年ほどは開館(毎週日曜日だけですが)していくと約束したため、安堵から年老いたようにも感じられ、京都のオイに子供が生まれたと喜んで家内に話す様子を聞くと、元気なうちに記念館に座っておられるだけの環境にしたいと思う一日ともなりました。

            本日の体重 71、7キロ 徒歩数 6047歩 間食あり
                                      3月9日の一言

議会開催中 市役所の話題しかない一日に

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久しぶりの指定席に停めました
                                         
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 津島市役所 東側駐車場

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 災害時のために市役所東側へ防災施設が建設されており、そのために駐車場も閉鎖されていましたが、完成したことによって開放され、本日は久しぶりにかつての指定席のような場所に車を駐車しました。

 車が大きいので、市役所では唯一安心して停められる場所です。

 「おー、久しぶりー」
    「ホント、本当!!
 「茜屋が閉まっちゃったからなぁ
    「今日は、何の用で?」

 議会が終り、添付した駐車場や車を撮影していると、「写真を撮ろうか」と旧知の知人が声をかけてくださり、久しぶりのため懐かしい話に花を咲かせましたが、知人とは皆戸正幸さんと言い、添付した魅力ある津島市内の絵を「津島町並ミュージアム」に公開していた津島の文化人です。見た目、風貌も芸術家です。

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 皆戸さんとは6年前に惜しまれて閉店した画廊喫茶「茜屋」で顔を合わせていましたが、茜屋の閉店によって顔を合わすこともなくなり、私の勘違いでブログがお気に入りに入っていなかったため、更新した情報もなかったため、本日はお気に入り登録してブログを読み直しました。


 さて、最近の「津島町並ミュージアム」を拝見し、津島市で頑張って活躍する人々の姿を目にして、津島市の議員でありながら、津島市で楽しむことを忘れて、福祉有償ボランティアだけが自分に与えられた使命として専念し、息抜きを上高地と四国遍路に求めていた反省もする一日となりました。

            本日の体重 72、4キロ 徒歩数 3599歩 間食あり
                                      3月7日の一言

京都のキツネの嫁入り風景が送られてきました

本日の津島市議会一般質問終了後の本会議場
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 先週の金曜日(3日)に、京都の本田さんより「東山花灯路」の様子がメールで添付されており、「今日から12日までやってます たまたまキツネの嫁入り行列に会いました」とのメッセージが記されていました。

                                      写真は全て本田さんの提供です
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キツネの嫁入り 異次元のようです

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 本田さんとは、毎年年末の大晦日に百万遍知恩寺の除夜の鐘で一緒になる知人ですが、京都に行きたいと思った頃に京都の様子が送られてくるため、京都に居るような感覚にさせてもらっています。

 今回は東山の花灯路で、3日より12日まで開催されており、私自身は12月の嵐山花灯路には訪れたことがあったものの、この時期に東山で花灯路が開かれている認識はありませんでした。

 行ってみたいですねぇ。

 誰か「一緒に行ってみようか」と誘っていただけませんか。

 議会開催中ですが、基本的に土曜、日曜日の議会は休みですから、近所の人から「連れてって」と依頼されれば、いつでも行く用意はありますが、議会が終了した4月に四国遍路や上高地に出かけるため、第3者の誘いがないと家族(と言うより家内)の理解が得られません。情けない話ですね…

 本日の津島市議会は、午後5時までに6人の議員が一般質問に立ちましたが、私は12番目の登壇のため、明日の午後(6番目)の質問になります。

 旅立ちは明日の一般質問と、週末の常任委員会が終ってからの話で、京都は我家から1時間半の距離とは言え、事故でも起こすと議会に出席できませんから、現実には難しいものの、行けない場所ではないので、「行きたい」とのあなたの一言が決断となります。誰かありませんか?

            本日の体重 72、6キロ 徒歩数 2925歩 間食あり
                                      3月6日の一言

矢合観音から祖父江善光寺へ

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日本四善光寺の一つ 善光寺東海別院 稲沢市祖父江町

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役行者と観音様

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弘法大師と不動明王

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大聖不動明王のお堂も

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無料休憩所の「みたらし団子」 

http://blogs.yahoo.co.jp/s281218/49710636.html  ←この記事の続きです

 矢合観音から祖父江町の善光寺まで15分の道程ですが、ここの無料休憩所にも「みたらし団子」や食べ物があることから、同行者には黙って車を走らせました。

 矢合観音にはもう一軒食事のできるお店がありますが、小玉屋が風邪で休業しているからと言って、他所で食べるのは私の仁義に外れるため、善光寺の境内で団子かぜんざいでも食べようと出向きましたが、意外に他のお客さんが食べている「蕎麦」が美味しそうに見えたので2人で注文しました。

 善光寺参りで、境内の休憩所で、みたらし団子(90円)と、山菜そは(450円)を食べてくる雰囲気は最高で、待っている間に口にした無料のお茶と「ラクガン」だけでも十分な休憩となりましたが、意外なことは山菜そばの素朴な美味しさでした。

 この善光寺から200メートル離れた場所が私の母親の里であり、私の出生地となり、周辺には顔なじみの知人や同級生も存在し、この善光寺の三男が京都大原の宝泉院のご住職となり、今でも親しく訪れていますが、還暦を過ぎたため、こんな場所で時間を気にせず滞在し、突然に知人たちと酒を酌み交わしてみたいものです。

 偶然ですが、夕方帰宅すると、テレビ朝日の番組で、女優が南国に移住して生活する様子が放映され、宮崎県日南市に住まいを決めて移住する様子に見入ってしまいましたが、私も早く完全自由の身になって3ヶ月程度の短期移住が繰り返せたら最高と思う一日になりました。

水野裕子、宮崎県日南市で移住生活

イチから住 テレビ朝日 http://www.tv-asahi.co.jp/ichijyu/

 3月議会終了後に訪れる四国遍路と、上高地への旅立ちだけでなく、完全に自由な環境になって、1ケ月を地元と四国、上高地を3等分する生活と、短期移住も考えると早く老後の年金暮らしがこないかと、自分の寿命も判らないのに高齢になるのを期待してしまう一日ともなりました。

            本日の体重 72、5キロ 徒歩数 3216歩 間食あり
                                       3月5日の一言

矢合観音門前で 「あんまき」だけが昼食ですか…

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本日は「あんまき」が昼食がわりに

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矢合観音門前の矢合観音饅頭

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ここも創業80年の老舗です

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あれっ、閉まっているぞ…

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日曜日なのにお休みとは一大事です

 「お昼でも食べてこようか」と稲沢市の矢合観音まで出かけましたが、門前の小玉屋食堂はカーテンが閉められており、入り口に「本日休業」の看板が下がっていました。ここを昼食場所として出かけたため、次の行き場所はなく、観音様に参拝した後で、むかえの饅頭屋さんに尋ねると「インフルエンザでお休み」との話でした。

 おい、おい、お休みかよ… せっかく遠くから来たため、声でもかけてから帰ろうとすると、「感染するから行かない方が良いよ」との、饅頭屋さんの女将さんの一言に、明日から議会の一般質問が始まるため、遠巻きに眺めただけで退散となりましたが、正月後に2回のテレビ番組で紹介されたため、忙しい営業が続いたことで体力の限界になっていたとの話でした。

 それでも、昨日まで営業していたとの話に、一日の違いで我々まで感染していた可能性もあり、定休日は幸運だったのかもしれません。

 饅頭屋さんの「あんまき」だけでも十分との同行者の話でしたが…


久しぶりに相棒とともに外出して

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これから何所に行くんだろうなぁ…

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助手席は相棒リマの指定席です

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ソフトバンクのお店に寄りました

 「大鹿さん、今から頼めます?」
    「今はダメなんだけど…」
 「お昼までに○○医院まで行きたいんだけど」
    「それなら良いですよ」
 「あっ、それから…、主人は入院しているので…」
    「えっ、それじゃ、奥さんですか?」

 ご主人を移送すると思っていると、ご主人は市民病院へ入院されており、付き添いの奥さんを市民病院から市内の開業医へ移送する依頼で、ご主人は家内のリフト車が必要になりますが、奥さんは私の車で対応できるため急いで出動しました。

 「診察が終ったら連絡ください」
    「帰りも来てくれもらえるの?」
 「大丈夫ですよ」

 ただし、診察が終る時間が判らないため、近くの知人宅を訪れて暫しの待機となりましたが、以前は当日になってから突然の依頼は断っていたものの、会員さんは判った人ばかりのため最近はそのまま出動するようにしています。

 「主人が会いたがっていたから、来てやってね」
    「いつまで入院しているの」
 「あと2週間くらいかな」
    「ふーん、大事にして下さいね」

 ご主人の肺ガンは頭部に転移していたとの話に、見舞いに行くのも気が重くなり、移送ボランティアとしては、症状の重症化を想定すると、肩の荷がどんどん重くなっていきますが、ご夫婦とは議員になる前から20年以上のお付き合いのため辛いものがあります。

 さて、午後から買い物に出かけたついでに、ソフトバンクのお店に出向き、「長期継続特典」について聞き、契約内容について確認すると、母親が目覚まし代わりに使用している携帯電話が千円安くなることが判りました。

 そして、ドコモの携帯電話を利用している家内がソフトバンクのスマホに乗せかえると、ドコモに残った機種代金のキャッシュバックが2万円あり、毎月の契約も通話し放題にしても安いことが判り、そのままスマホに交換してしまいました。

 簡単なものですね。私の通信環境を考えて、スマホやアイパッドなどを対比して考えていましたが、現在固定電話はドコモの光通信で、インターネットは有線テレビとなっており、旅先用にOCNのワイファイを利用していますが、全てをまとめると格安になることは判るものの、ホームページアドレスが変わるとか、今までの環境を変えたくないため複雑な契約となっています。

 午後4時頃に来店したものの、お店を出た時には6時を大幅に廻っており、これだけ長く応対していただいたのも初めてで、今まで遠くのお店まで出かけて並んでいたことが馬鹿と思えるような対応で、人が並ぶ人気店より目立たないお店の方が時間を気にせず相談できることを実感させられました。

             本日の体重 72、3キロ 徒歩数 2923歩 間食あり
                                       3月4日の一言
追伸
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五平餅 150円

 相棒リマと一緒に、家内と立田村の道の駅「ふれあいの里」に行ってきました。
 実は昨日に、家内がここを訪れて五平餅と桜餅を買ってきましたが、お客さんにあげてしまったため、五平餅を目的にして足を延ばしました。

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不良少年の私が、23年間も母校の卒業式へ

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母校神守中学校の卒業式

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母校へは至誠橋を渡ります

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最後のクラスも退場していきます

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卒業生にとっては最後の母校です

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 愛知県では中学校の卒業式が挙行され、私は母校である神守中学校の卒業式に来賓として出席しましたが、平成5年にPTA会長として卒業式に出席し、その後は同窓会役員、会長として、平成12年からは市議会議員として参加してきました。

 平成6年に卒業した長男はPTA会長として、長女は同窓会長、次男と三男は同窓会長と議員の来賓として出席しましたが、本日教育委員として参加された小出先生は、PTA会長当時の教頭先生のため、当時の昔話にも花を咲かせました。

 私の中学時代は非行に走っており、卒業することで「二度と来るもんか」と、学校との縁が切れることに大喜びでしたが、そんな私が母校の卒業式に20年以上も出席しているのは不思議な縁としか思えません。

 卒業式の間に、校庭の外から暴走族の爆音が何度も聞こえてきましたが、母校の卒業生の所業とは思えるものの、社会からは迷惑と思える彼らの存在が、実は自分のやりたい事が思うように出来ずに発散している可能性を理解してやらないといけません。

 「大鹿が、いつも何か問題を起こしているのは、自分のやりたい事ができないためではないか」、「もし、やり直す気持ちがあるなら、ボクのクラスで一からやりなおしてみないか」、「いや、先生にもチャンスをくれないか」の一言は、2年も続けて高校を留年した私に恩師が発した言葉でした。

 私は、本当は3年生の歳に、新一年生と同じクラスで、恩師と後輩に手伝ってもらい自分の机を46番目の位置に置き、一度に不良が優等生にはなれませんが、2年年下の同級生とともに成人式後に卒業し、恩師の強い勧めで大学にも進学しました。

 こんな体験を知る恩師たちから、同じような環境下にあった後輩の相談を持ち込まれ、私の雇用した高校退学者を定時制高校に復帰させ、家庭環境が良くなかった従業員を大学まで進学させたこともありましたが、自分の子供たちの成長の陰で、そんな行動はまったく忘れ去っていました。

 真面目な優等生からすれば、世間からはみ出した不良少年は、何ともならない存在でしかないかも知れませんが、暴走族の爆音を耳にした私は、自分が同じような不良生活だったことも忘れて、優等生の立場で見ていたような反省となる卒業式にもなりました。

 残された人生、そんな昔話を思い出して、もう少し頑張ってみますか…

            本日の体重 72、1キロ 徒歩数 3164歩 間食あり
                                       3月3日の一言

車も老体も施術が必要に思う一日となり

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平成1年登録のライトエースです (手前)

 昨年1月に車検を受け、来年1月まではこのまま乗れますが、最近はエンジンをかけた後に回転が安定するまでに時間がかかり、エアコンが故障しているため、次の車検は限界ではないかと思っていましたが…

 ガソリンタンクの中に、燃料系洗浄液を入れ、キャブレターのヘッドを外して洗浄液で汚れを取ると、エンジンが静かになり、タイヤの空気圧も1年ぶりに調整したところ、見違えるような運転環境になってきました。

 このライトエースは7人乗りで、屋根がスカイルーフになっており、後部座席は360度回転し、最後部の座席をはねあげると、荷台には原付バイクや自転車も載せられるため、家具の移動や引っ越しにも役立ちますが、最近は草刈機やスコップが積んだままとなり、現在は畑にひく藁が大量に積んであります。

 農家には軽トラックがありますが、我家はライトエースが軽トラックの代用となっており、家内は大量の資源ゴミや生活ゴミを集積場にも運んでいきます。

 手をかければかけただけ良くなるため、週末までにジェームスに持ち込み、オイルとオイルエレメントを交換し、不具合になったままのワイパーのゴムを交換し、全ての点検をしたいと思っています。

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我家の梅   本日 
                              我々が気付かなくても時期がくれば咲いてくれます

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週刊現代の記事

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本日の私 息子の接骨院の患者です

 行きつけの珈琲店で読んだ週刊現代には、最近病気や医療について毎号連載のように記されており、興味深く読んでいますが、帰宅後に息子(三男)から「それを鵜呑みにしてはいけない」と言われました。

 そこで本日は、三男の接骨院で施術を受けましたが、さすがにもち屋は餅屋のことわざどおり、腰の痛みが取れました。最近は議会日程のため運動不足となっており、運動後の痛みとは違う違和感を持っていましたが、治療器と手技によって痛みが取れたことから、前記した車の整備と同じように、息子の施術によって身体の異変にも気付ける環境を有難く思う一日ともなりました。

             本日の体重 71、9キロ 徒歩数 3610歩 間食あり
                                       3月2日の一言

金婚式を祝う会場から歩いて弘法寺へ

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津島市の金婚記念式典が開催されました

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今年は昭和42年に結婚された方々が対象です
                                      私もあと10年で金婚式ですね

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文化会館の近くにある弘法寺へ

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訪れた時はこんな感じでしたが…

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30分後は護摩行の煙でこんな感じに

 本日は津島市文化会館で、結婚して50年となる市内の金婚夫婦を祝う式典が開催されましたが、昭和42年に流行した「ブルーシャトウ」やグループサウンズの懐かしい曲が会場に流され、自分の少年時代を実感させられる金婚式にもなりました。

 私の金婚式までは後10年となりましたが、私の父親の晩年はガンなどの闘病生活となり、65歳で鬼籍に入ったことから、これからの10年間は病気と隣り合わせの生活が予想され、車の運転が好きなことから、無事故への挑戦ともなりそうです。

 さて、3年前に、ブログに添付する写真を、感度の良い携帯電話のカメラによって向上させたいと機種変更したものの、実際には写りが良くないため、デジカメを持参していましたが、使っていた2台のデジカメの故障により、新たなデジカメかスマホへ交換したいと考えていました。

 最近はコンパクトデジカメよりもスマホの写真の方が写りが良いとの声も耳にしていましたが、携帯電話のカメラも先週末に不調となり、設定をいじっていたところ、一番感度が悪く暗い条件で使用していたことが判り、設定を標準にして昨日から携帯電話の写真を使うようになりました。

 3年間もその事実も知らなかったことにも驚きですが、これでしばらくは携帯電話だけでブログの写真を添付できることから、機種変更してから3年目にして初めて当初の目的を果たしたことになります。

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 本日は午後から雨が降り出し、ノルマとするウォーキングもできませんが、平成元年登録の愛車「ライトエース」についても、一週間前に燃料系を洗浄する添加剤をガソリンタンクに入れ、キャブレター洗浄液を購入して使用したところ、エンジンそのものの音まで静かになり、昨日は昨年1月以降一度も調整していなかったタイヤの空気圧を調整してきました。

 何でも買い換える時代ですが、使おうと思えばそれなりに使えるもので、本日は久々に「ライトエース」で行きつけの珈琲店に出向き、来年1月の車検で廃車を覚悟していましたが、新車に戻ったような感覚から、「オレが生きている間はオマエを捨てないからな」と呟いていました。

             本日の体重 71、7キロ 徒歩数 4670歩 間食あり
                                       3月1日の一言

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