大鹿一八「本日の一言」

平成16年2月から令和1年7月末までの「本日の一言」です。ヤフーブログ閉鎖により、ライブドアへ過去の記録として引っ越しました。

2017年04月

ツツジが満開となりました

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我家の先祖伝来のツツジ

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私の父親が残した山ツツジ

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我家の白ツツジ

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横井庄一記念館のツツジ

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一本で赤と白が楽しめるツツジ
                       横井庄一記念館

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3月に植えたジャガイモ
                       横井庄一記念館

 ゴールデンウィークの行楽地として、各地のツツジの話題を新聞紙面より見て、本日は我家のツツジと、横井庄一記念館に植えられているツツジをカメラに収め、記念館の畑に植えたジャガイモに追肥を施してきました。



 3月に30年ほど放置してあった畑に畝を作り、ジャガイモの種を植えましたが、周りは草だらけとなっており、ジャガイモの周りにもスギナが芽をだしており、「採り続ければ無くなるだろう」と抜きましたが、土地も痩せており、果たしてどれだけの収穫があるのか疑問となりました。

             本日の体重 72、6キロ 徒歩数 1833歩 間食あり           
                                      4月30日の一言

昼食に息子の誘いで羽島の魚勝へ

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岐阜県羽島市桑原にある川魚料理の魚勝へ行ってきました。

                              魚勝 岐阜県羽島市桑原町八神1799


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まるで昭和40年代の風景です
                            突き当たりは木曽川の堤防

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レトロな玄関 昭和の田舎です
                               懐かしい仕出し屋のイメージ

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広い駐車場が満車でしたが…
                             とにかく広い部屋がいくつもあります

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味はもちろん お腹は満腹
                               料金の安さは有名店とは思えません

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とにかく長い廊下が続きます

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大きな鯉が泳ぐ本格的日本庭園

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八神の魚勝
【 月〜金】
10:30〜14:30(L.O)
17:00〜20:00(L.O)
【土・日・祝・盆・正月】
10:30〜20:00(L.O)

 本日は三男のおごりで、家族が揃って岐阜県羽島市にある魚勝へウナギを食べに訪れました。
 川魚料理で有名なお店で、家内の在所に近く、家内の母親の在所が魚勝の近くにあるため、時々「ウナギ」を買い求めてくるものの、私自身は17年前に立ち寄って以来となりました。

 駐車場は満車状態でしたが、とにかく大きな部屋がいくつもあり、広大な日本庭園を眺めながら、ゆったりと待ち時間の苦痛を感じさせられず、何よりも価格の安さに驚かされ、最近高騰しているウナギ屋の料金に警鐘を鳴らせる存在です。


 かつて、私の同級生が名古屋の中心部にあるウナギの有名店に嫁いでいたため、2階の座敷から名古屋の堀川を眺めながら、風流な感覚で低価格で提供されていたウナギを口にしており、「ウナギなんか高くなるはずがないでしょう」と言っていた店主の言葉が忘れられません。
 本日の魚勝はウナギの上で1700円でしたが、女性では食べきれない量で、並みの1300円のウナギ丼で十分な量でした。

 さて、魚勝はお千代保稲荷に近く、ここには弘法堂もあることから参拝し、ここから近い「かわしま屋」で、五平餅とみたらし団子を食べて、草餅を買っていたところ、周りは大きな雷鳴が轟き、車が倒されそうな強風と激しい雨に見舞われ、自宅の洗濯物を気にする家族にせかされて帰宅しました。

             本日の体重 72、7キロ 徒歩数 2940歩 間食あり
                                      4月29日の一言


昨日の丹生川の景色が脳裏に浮かんで

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土手いっぱいのツクシ 昨日の高山市(旧丹生川村)荒川家住宅前

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ツクシと桜が満開

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四国では1ケ月前に見た桜の風景です
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高山では桜が見ごろです

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あっと言う間に袋が満杯です

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本日の家内の仕事になりました

 私の住む愛知県では1ケ月前に生えていたツクシが、岐阜県高山市周辺では最盛期になっており、桜も満開状態になっていることから、時間が巻き戻されたような錯覚におそわれ、土手で夕陽に輝くツクシを採ることになりました。

「ここ、ここッ」
  「うーん」
「停めないと採れない」
  「停められない」

 ツクシが針のように生えている土手を家内が指差しますが、車を停めるスペースがなく、個人の畑の近くでは気が引けることから、結局は3年前に声をかけた国の重要文化財荒川家住宅に立ち寄ったところ既に閉館され綱が張られていました。

 それにしても見事なツクシで、太くてみずみずしく、都会の砂塵にまみれたツクシとは一味違います。



 さて、明日からゴールデンウィークが始まりますが、4月に2度の四国遍路と、上高地にもボランティア活動とは言え2回も訪れたことから、まとまった日時を仕事にしようと考えていると、暇を持て余した知人たちの声がかかります。何か成果を残したいものですが…

           本日の体重 72、5キロ 徒歩数 3371歩 間食あり
                                     4月28日の一言

上高地 開山式

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上高地開山式の花 アルプス(アルペン)ホルン

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河童橋から入場です

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続々と運ばれてきます

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神聖な神事が中心です

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地元の獅子舞のアトラクション

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多くの上高地ファンが訪れました

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多くのテントに行列ができました

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河童橋で鏡割りされたお神酒がふるまわれました

天候にも恵まれて、多くの人々と開山式を鑑賞することができました。

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 本日の私は、早朝より上高地の散策路の除雪にボランティアで参加していました。毎年上高地の開山式に参加していることから、今年も家内の運転するタクシーで訪れた知人たちと午後に合流し、乗せてもらえると思っていたら、私が運転して帰ることになりました。

 予定では、沢渡に戻って、1泊してバスで帰ろうと身勝手に考えており、地元から家内に同行されてきた知人たちとの日帰りになってしまいましたが、途中の旧丹生川村(現高山市)で、愛知県で1ケ月前に見たツクシや満開となった桜を見つけ、ツクシ取りも体験して帰宅しました。新鮮な気持になれた一日でした。

                                       4月27日の一言

相棒もスズメたちも健康状態は良好で

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相棒リマの狂犬病予防とフィラリアの注射を動物病院へ
                                            ブルブルと震えていました。
 
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手で掴まれることが嫌いなサブローと
                                  私の肩や腕は勝手に飛んでくるのですが…
 
 昨日は、日昼に飛島村や弥冨市へ散歩気分で出かけておりましたが、相棒リマの狂犬病とフィラリアの注射のため再度弥富市の動物病院を訪れ、保護しているスズメたちの糞(フン)検査もお願いしたところ、伝染病や心配する病気は無いことが判りました。
 
 もっとも、動物の獣医さんでも小鳥を治療できる先生は少なく、ましてや野鳥のスズメに対応できる先生は皆無と思われることから、私がネット上に保管している保護した写真を見せて、スズメにも対応できるよう依頼して帰宅しました。
 
 振り返って見ると、私が初めてこの先生の勤務する動物病院に来院したのは、今から6年前の話となり、相棒リマではなく、息子が拾ってきたヒヨドリのヒナ「ピーコ」の骨折を診てもらったのが初めてでした。
 このピーコの保護経験が、4年前に目も開かぬスズメのヒナ「ピー」を育てる糧になり、ピーの2年間の保護経験をネット上で見た人々から昨年4羽のスズメが持ち込まれ、我家の屋根から落ちた「ヒー」と5羽のスズメを育てることにつながってきました。
 
 
 50歳を超えてから、本音で会話できる心強い友人は出来がたく、:名古屋競馬場の競争馬の獣医をされていた先生のお父さんと横井庄一記念館で話し込むようになり、お父さんから聞いた息子さんの動物病院へ行くようになり、そしてこれからも我家のペットが世話になっていくわけで、亡くなられたお父さんとの記録も検索する一日となりました。
 
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本日は雨です
 
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  さて、我家の庭では朴の木が新芽を出し、サクランボの実も大きくなってきました。
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 そして、我家の庭にある柿の木には、我家のスズメたちの食べ残したエサと、古米を置いてあります。亡くなった「ピーちゃん」や、昨年落ちてきた「ヒー」の家族や仲間たちが元気で飛び回ってくれたら幸いで、屋根のスズメたちも「ピー」や「ヒー」の存在から家族と思うようになりました。
 
                                       4月26日の一言
 

芝桜 弥富三ツ又池公園

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弥冨市三ツ又池公園の芝桜です
 
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日光川と筏川の中間にある水郷公園です
 
三ツ又池公園  弥富市鳥ケ地1丁目709-5
 
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見事な芝桜です
 
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規模の大きい川を利用した水郷公園です
 
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 岸には亀が一杯です

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隣接する十四山総合福祉センターへ
 
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初体験 デイサービスの施設で昼食のランチ体験
 
     弥富市子宝六丁目80  電話 0567-52-3800
 
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 本日は愛知県飛島村にある「ふれあいの郷」と、弥冨市(旧十四山村)の三ツ又池公園にある芝桜の鑑賞に出かけました。我家から30分程度のドライブとなります。
 
 ふれあいの郷には「足湯」があり、三ツ又池公園に隣接する福祉センターの施設内には昼食のランチサービスがあり、日頃はデイサービスに利用されている食堂で日替わり弁当や軽食が注文でき、「老人」とは思いたくありませんが、還暦すぎとして初めて老人施設を利用しました。ここのモーニングサービスやランチは高齢者でなくても利用できるそうです。
 
 ちなみに、「老人とは何歳からですか?」と聞いたところ、事務室に問い合わせて「60歳からです」との話に、私自身も老人施設が利用できる年齢になっていたことを自覚させられました。
 
 さて、2日前に上高地のボランティアから帰ったばかりですが、27日の開山式にボランティア参加を連絡したところ、「除雪作業を進めていただきたい」との返信がありました。
 開山式を見ながらボランティアもとの甘い考えもありましたが、今年の雪の多さを考えると覚悟して参加する自覚をするとともに、芝桜ののんびりムードを払拭して、体調万全で臨みたいと思う一日にもなりました。
 
                                       4月25日の一言
 

芝桜 飛島ふれあいの郷

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飛島村 ふれあいの郷
 
                                愛知県海部郡飛島村竹之郷五丁目44番地
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温泉と足湯があります
                                 温泉は飛島村在住の高齢者しか利用できません
 
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温泉施設
 
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健康の森
 
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誰でも無料で利用できる温泉の足湯です
 
 日本中で一番財政力の高い愛知県飛島村の「ふれあいり郷」にある、芝桜を鑑賞に訪れました。村営の敬老センターには天然温泉がありますが、ここは飛島村在住の60歳以上の高齢者しか利用できませんが、見事な芝桜を鑑賞して足湯でのんびりしてきました。
 

御嶽山の霊神場に祖父の言霊を求めて

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平成5年に他界した父親が残したボタンの花が開花しました

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御嶽山明栄講の霊神場 昨日の夕方です

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祖父の石碑(道成霊神)を訪れました

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御嶽山山頂の噴煙

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夕暮れの噴煙は悲しいですね

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 家族に本日の朝一番で訪れると話していた御嶽山に、昨日の夕暮れ時に祖父(母親の父)の碑がある黒沢口にある御嶽本教明栄講の霊神場に立ち寄りました。

 上高地で御嶽山の霊神場に日暮れ頃に参拝すると話すと、「霊がついてきそう…」と言われましたが、霊感の鈍い私にとっては、何か聞こえてくれれば幸いで、何も反応の無い私には45年前に他界した祖父の石碑をさすって話しかけましたが…

 祖父の周りには数百の石碑が建てられていますが、家族や信者が誰も訪れなくなった碑も多く、祖父の家人もほとんど訪れておらず、私の少年時代にバス数台を先導していた先達の祖父の碑も、私が死ぬと訪れる人は居なくなるかもしれません。


 数年前の話となりますが、空海が19歳の時に太龍寺の舎心嶽の岩の上で、虚空蔵求聞持法を百日間修行された場所で、深夜まで真言を唱えようとしたものの、真っ暗になって何も見えなくなった恐怖心で退散したことがありました。

 小学校2年生の時から55年も通う祖父の霊神場も、真夜中に訪れたことはなく、薄暗い夕暮れ時でも辺りに誰も参拝者は居らず、通行する行楽の車が私の顔を恐ろしそうに眺めて走り去っていきます。

 祖父の霊があれば幸いですが、あると信じて無言の石碑に語りかけるものの、全く無反応で、頼って語りかける祖父の享年を上回った自身の現実を考えると、死ぬ前に一度は神の声か心霊的な祖父の言霊を聞きたいと思っています。

 それにしても、数百と言うよりも、数千となるかもしれない石碑が存在するものの、霊が存在すれば随分と騒々しいと思われる御嶽山が静寂に包まれ、まるで墓場のようになっている現実は、後継者が出て行って空き家や廃屋が増加する現代社会を見せ付けられているようにも思えてきます。

            本日の体重 71、9キロ 徒歩数 3787歩 間食あり
                                     4月24日の一言

上高地からの車窓 御嶽山へ

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上高地をシャトルバスで後にします 
 
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帝国ホテル前のバス停
 
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「また27日に来るぞー」
 
昨日は午後4時半から上高地を後にして、沢渡から奈川を経由して御嶽山を目指しました。

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奈川から南アルプス駒ケ岳が見えました

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御嶽山の麓黒沢口から見る駒ケ岳

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途中から木曽駒ヶ岳が見え、日没までに御嶽山の麓まで到着しました。
 
携帯電話のカメラでも頂上部の噴煙が見えます。これではしばらくは安心して頂上まではいけませんね。私の目標は登山ではなく参拝ですから、見事な眺めと戒めにしか映りません。

上高地パークボランティア びっくりの雪の量に

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バスターミナル インフォメーションセンターの通路を除雪しました

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入り口を確保しないと施設にも入れません

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とにかく想定外の雪の量です

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台湾からの観光客が飛び入り参加

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除雪に興味津々の外国人観光客

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午後からは木道散策路の除雪

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雪の下には10センチ近い硬い氷が…

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 先週の大雪は4月の雪が珍しくない上高地でも過去に無い積雪となり、27日に開山式をむかえるものの、現在大正池からバスターミナルまでの散策路が積雪で通行不能となっており、明神池までの散策も左岸のみとなっています。

 大正池ホテル前でバスを降り、大正池から田代橋、帝国ホテル経由で河童橋まで歩こうと計画されている観光客には、しばらく歩いて散策することは困難ですが、ボランティア精神はあるものの、都会の除雪とは違う氷との格闘となり、午後には身体が悲鳴をあげました。

 さて、文明の発展した現代社会においては、小さい除雪機を使えば簡単に思われますが、環境保護の最前線では人力に頼るしかなく、お金をもらってもやりたい仕事では無いものの、ボランティアがお互いに頑張る姿から頑張る気持ちが湧いてきます。
 そして、何よりも大好きな上高地であり、本日のように一日中雲一つ無い大自然の雄大な景色と、汚れのない凛とした空気が、我家でも何もしないナマカワな私に、肉体労働を運動のためのストレッチと解釈し、汗を流した後の景色が疲れを払拭していきます。

 本日は上高地周辺にとどまり、明日の朝に御嶽山を経由して帰宅する予定でしたが、身体は悲鳴をあげても気力が残っていたため、午後4時半に上高地を出発し、祖父の石碑のある御嶽山の霊神場に手を合わせてから帰宅しました。
 本日には戻ってこないと思っていた家内はびっくりの気力です。

             本日の体重  徒歩数 11029歩 間食あり
                                     4月23日の一言

半年ぶりの上高地

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本日の河童橋 午前8時30分

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バスターミナル駐車場横の雪

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バスターミナル入り口

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一日中雲一つない上高地は珍しい

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焼岳も綺麗です 携帯電話のカメラであることが残念

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バスターミナル前の雪

昨年11月の閉山式以来、半年ぶりの上高地です。

今年は雪の多さにビックリしました。

数年前に吹雪の開山式もありましたが、今年の雪は多いだけでなく氷ついており大正池からバスターミナルまでの散策蕗は現在通行止めになっていました。

本日は除雪のボランティアとなりました。


環境の変化がストレスになってきました

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津島市制施行70周年記念式典
 
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大村愛知県知事の挨拶
 
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永年勤続表彰を受ける寺坪消防団員
 
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見事な伝統芸能が披露されました
 
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藤浪中学校吹奏楽部のマーチングバンド
 
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 本日は津島市制施行70周年記念式典が津島市文化会館で開催され、大村愛知県知事や国会議員、県会議員や地元市町村長を来賓に迎え、津島市に貢献された市民の方々や、公職に永く携わった市民の方々の表彰も行なわれました。我々市議会議員も来賓とは思えない来賓の顔ぶれです。
 
 式典は午前11時より開催されましたが、会場から100メートル離れた場所に真言宗の弘法寺があることから、1時間前に立ち寄ったところ、四国遍路を経験された住職より、四国各地の奥の院や、空海が修行中に立ち寄られた旧跡など、私の知らない貴重なお話をしていただけました。
 
 明日は長靴と防寒衣を持って長野県の上高地に出向き、27日に行なわれる開山式に先立ち、河童橋周辺の除雪作業や、散策路の整備に参加する予定ですが、すっかり春となった地元との環境の違いにストレスを溜める一日ともなりました。
 
 3月議会が終わり、4月に入って四国へ2回訪れ、今月内に2度上高地入りする予定を立てていますが、四国と愛知県、長野県の環境の違いに昨年までとは違う体調の変化に戸惑っている自分があります。
 年齢を意識して自然体で望めないところと、地元にやるべき事も山積していることがストレスを溜めていきますが、今晩出発し、月曜日の朝に御嶽山にある祖父の霊神場に手を合わせてから帰宅したいと思っています。
 
                 本日の体重  徒歩数 間食                               
                                        4月22日の一言
 

椿堂からいただいた椿の花を見ながら

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 津島市越津町にある弘盛寺の本堂前に植えられた四国椿堂ゆかりのツバキです。4年前に我家のツバキと一緒に持ち帰った木ですが、我家とは花の開花時期がずれ、阿息観が開かれた本日も花が咲いていました。

 椿堂からいただいてきた時に、一緒のプランターに植えられていたツバキが、四国から遠く離れた愛知県津島市で別々に植えられ、我家はさておき、お寺のツバキは私が死んでもお寺の本堂前で大切に成長していく姿を想像すると感慨深いものがあります。


弘仁6年(815)10月15日未明巡錫中の弘法大師がこの庵を訪れ、当時この地に熱病(インフルエンザ)が流行し住民の苦しめるのを知り、住民をこの庵に集めて手にせる杖を土にさして祈祷し、病を杖とともに土に封じて去る。後にこの杖より逆さなるも椿が芽を出し成長し、住民はこの椿を大師お杖椿として信仰の対象としてこの庵を「椿堂」と呼びこの地方の地名ともなりました。安政六年(1859)に火災に遭いましたが、現在の椿はその時焼けた株から芽を出したものといわれています。

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 昨年から車イスを使用した四国遍路を始め、先週末に3回目の遍路から帰り、83番のお寺まで巡拝し、今年11月に予定するあと5ヶ寺の巡拝で満願となりますが、車イスの遍路体験を記録しようと考えていたものの、車を運転し、お寺に到着して車イスを押して参拝し、車イスを押して車に戻って運転席に座ると、メモする時間が無いことが判りました。

 3日間の巡拝後に自宅へ戻り、車イスで通った境内の道順を思い出しても、適当な記憶しか残っておらず、せっかく体験した経験が次に活かせないと反省するしかありませんでしたが、四国八十八カ所霊場会の公認先達、灘健二さん(68)=奈良県王寺町=が、八十八カ寺の車いすで参拝できるルートなどをまとめた冊子を作っておられたことが、今月の霊場会会報「へんろ」に記載されていました。

 昨年9月から約2カ月間かけて、かかしを乗せた車いすを押しながら身体障がい者の目線で各寺を点検したと聞き、場当たり的に車イスで挑戦し、当事者に辛い思いもさせてきた反省をするとともに、早速送付していただいた冊子を今後活かしていきたいと思います。

車いす利用者も安全に札所巡り 参拝ルートの冊子製作   2017/3/14

車椅子でのお遍路冊子 http://www.san-yo.co.jp/henro/pdf/kurumaisu.pdf

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 上の写真は我家で開花している花々です。花は教えなくとも、我々が無関心でも可憐な花を咲かせており、自然と一体となって成長し、毎年生命を輪廻させている現実に吾が身もそうでありたいと思う一日ともなりました。

            本日の体重 71、8キロ 徒歩数 3507歩 間食あり
                                     4月21日の一言

四国から届けられた記念写真を眺めて

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我家から見た本日の夕暮れ

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先週金曜日の善通寺 朝の記念撮影

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樫原管長の後ろをついて歩きます

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はい、はい、袈裟はこうしてね

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あなたは帽子をまげて顔をよく見えるようにしてね

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あなたは白衣の紐を直しましょうね

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「足は大丈夫?」 樫原善通寺法主から温かいお言葉が

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届いた記念写真です

 先週末に訪れていた善通寺の記念写真が月曜日に送付されてきました。

 平成13年に四国遍路を始め、善通寺の宿坊に宿泊している時には、朝の勤行と朝食後に記念撮影を撮ることにしていますが、一緒に同行するメンバーによって写真屋さんと交わす言葉も違ってきます。

「おい、安くならんかなッ」
   「それは、ちょっと…」
「まけてくれれば全員買うぞッ」
   「うーん、困りましたな」

 一番最初に訪れた際の会話ですが、マイクロバスで訪れた22人分をタテにした値段交渉で強引に値引きしてもらい、他のお客さんを意識して困る写真屋さんに、「儲けさせてやった」と得意顔の同行者もおられました。

「おい、俺たちが先じゃないのかッ」
   「すいませんね…」
「一番早く来たのに」
   「ちょっと待ってくださいね」

 会員募集の団体さんが先に撮影することに腹をたてたメンバーもいましたが、実は一番最後のお客さんが一番のおもてなしで、後がないためゆっくりと撮影され、撮影後に善通寺の樫原禅澄法主と世間話をしながら宿坊にもどります。

「1枚いくらするの?」            
   「1枚千円です」
「高いから止めとくわッ」

 私は写真屋さんとは親しくしており、同行者の辛辣な言葉に心が痛んだこともあり、樫原管長が不在の時に、「管長でないなら撮ってもしようがない」と断った人もありました。
 しかし、私が初めて樫原管長と出会った当時は「宗務総長」であり、後に善通寺の法主や、真言宗善通寺派の管長になられ、真言宗のトップ真言長者になられており、人をその時の肩書きや地位で判断する同行者の空しさを感じたこともありました。

 こうして撮りだめた写真を見比べると、私自身は勿論ですが、管長も当然のように歳を重ねられており、一緒に写った同行者の多くが鬼籍に入られている現実を考えると、感慨深いものを実感させられました。

            本日の体重 72、3キロ 徒歩数 4404歩 間食あり
                                     4月19日の一言

ムーの生命の危機にボクの兄弟愛が

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のどかな名古屋市の街角 東区役所の近くです
 
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電線の上を鳥ではなく大型旅客機が
 
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亀島の高架橋と列車
 
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ボク(左)とムーの兄弟 今では3㎝の隙間が…
 
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サブローと危険なエサ入れ

 あまりにも鳴き続ける鳥の鳴声に、鳥かごを見ると鳴いているのはボクで、「ハイ、ハイ」と適当に相槌をうっていましたが、何時までたっても鳴き止まないため近づくと、となりの鳥カゴでムーが丸まって身動きできない状態です。
 
 「どうしたの」と鳥カゴから無理やり引き出しても飛べず、「おい、おい、死んじゃうんじゃないか」とびっくりの事態ですが、伸びすぎた下のクチバシと羽が絡まってまん丸になっており、どうやら水浴び後に羽を毛づくろいする時に引っかかったのか、瀕死の状態です。
 
 病院に連れて行く余裕もなく、固まってしまった羽を水で洗い、引っかかっている伸びすぎたクチバシをハサミで切り落とし、引っかかって、体液で固まりくっ付いてしまった羽を何とか引き剥がし、何とか自由にしてやりましたが、フラフラの状態で体力を消耗しています。
 
 水で洗ったため、温めようと保温球をカゴに取り付けたものの、慣れない保温球の登場に怖がっており、何ともならず様子を見ていたところ、何とか元気に回復しましたが、夕方には早々に巣の中に入ったことから疲労は明らかで、本日の夜は室温を25度程度に設定することにしました。
 
 それにしても、昨年4月に我家に持ち込まれた人嫌いの兄弟ですが、仲が悪くなり、1ケ月前に乱暴なボクと切り離して別々の鳥かカゴに入れたものの、やっぱり一緒に生活していた兄弟だけあって、ムーの危機に必死に鳴き、励ましていたのか、私に訴えていたのかは判りませんが、ボクの兄弟愛に親しみが増すとともに、私に救われたと感じたのか、ムーとの距離が狭まったようです。
 
 さて、健康優良児のサブローですが、鳥カゴから出して自由にさせていると、過去に2度アコーディオンカーテンの隙間に挟まり、行方不明になったことも数回ありました。

 そして、添付したカゴの外付けとなるエサ入れは、カゴの中でサブ専用(同居のヒーはここから食べません)となっているものの、カゴの外に放鳥したまま私が長時間不在となった時に、エサ入れに外から身体を突っ込んだまま固まっていました。

 てっきり、「死んでしまったか」と慌てて引っ張り出しますが、後でブログの特ダネ写真を逃したことになり、2日前にも同じようになっていましたが、身動きもできないため窒息死している可能性を考えると写真を撮る余裕はありません。

 2度もあったことから、事務所を不在にするときは上にフタをしてから外出しないと大変なことになる可能性もあり、注意が必要ですが、突然の来客によって外出することもあり、最近は自由意志で出入りさせているため、そのままにしてしまいがちです。

パークボランティアの皆様

いよいよ上高地が開山しました。
開山初日から観光バスが何台か駐車された駐車場を見て、上高地シーズンが来たなぁとしみじみ思いました。
今年の上高地は雪が多く、除雪作業が大変ですよ。皆様よろしくお願いいたします。

 本日、上高地から届いたメールです。昨年は雪が少なく除雪作業はありませんでしたが、今年は雪が多く、昨日までの春の嵐も上高地周辺は激しい雪だったようで、例年は4月からテントを張るホームレス画伯こと、千葉県の渡辺さんにも現地からの助言があり、ゴールデンウィーク後に入山することにしたとの話です。

 そんなわけで、日曜日は町内の用水清掃を家内に任せて、日帰りで上高地へボランティアに出向くことにしましたが、家内を納得させるため、27日の開山式には家族サービスで一緒に行き、私はボランティアで家族は観光の一日とすることにしました。

 手帳の空白を上高地と四国や西国に充てると、休息は皆無となり、成人した息子たちは大丈夫ですが、5羽の子供たちには私が生命線となるため、還暦過ぎの爺いには体調管理も重要となります。

            本日の体重 72、1キロ 徒歩数 5123歩 間食あり
                                     4月18日の一言

西国三十三観音 華厳寺まで

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西国三十三観音 華厳寺

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「今日は何か予定はありますか?」
    「なーんも無いよ…」
「ふーん、…」
    「何かあるの?」
「うーん、3時半まで行ってきますか?」

 三男の接骨院に来られた知人と顔を合わせ、何もやることが無いという知人の言葉に、一瞬にして旅心が芽生え、息子の午後の施術の始まる3時半にもどってこればと思い、知人の仲間も誘って西国三十三観音の谷汲山の華厳寺を目指しました。

第三十三番 谷汲山 華厳寺 http://www.saikoku33.gr.jp/place/33

 珈琲屋に行っても1時間以上、昼食でも2時間になることがあるため、4時間程度であれば近所に出かけていた程度で家族の許容はあるため、午前11時30分に自宅を出たものの、天気予報に無関心だったことから、出発直後から雨が降り出し、目的地に到着する前に激しい豪雨になっていました。

 さて、雨で歩く事も苦痛となり、私以外はカサも無いため、カサまで入手して目的地に到着すると、参道の1キロ手前で道路が封鎖され、今月20日まで「桜まつり」のため、お寺の駐車場まで行けないとの話です。

 知人は歩くのが苦痛で接骨院に来ており、声をかけた知人は身体障がい者3級の手帳を所持しており、雨の坂道を歩いていけないことを係員に告げたものの、「道路規制」との一点張りで聞き入れてもらえません。

 過去に訪れた際にも、観光シーズンで道路規制がされており、足腰の弱い書道会の恩師が途中でリタイヤしたこともありましたが、今回も知人2人は華厳寺の山門まで来たところでリタイヤです。

 「お寺の近くで何か食べてこよう」と出かけたわけですが、激しい雨と苦痛で「ここを出てから食べよう」と早々に退散となりました。

 観光目的の道路規制により、障がい者や歩行が苦痛となる高齢者に対する配慮が全くなく、目的地まで辿り着けない現状を、揖斐川町に問いただしたい心境ですが、駐車料金の問題ではなく、誰でも行きたい場所に行ける移動権と、バリアフリーに対する配慮が全くない現状は問題です。

            本日の体重 72、1キロ 徒歩数 5880歩 間食なし
                                     4月17日の一言

庭の樹木を伐採する一日に

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本日伐採した枝   写真は全体の3分の1の量です

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使用した電動ノコやハサミ

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カリンの花 これは切れません

 本日は玄関前の庭に茂って、隣地にはみ出している樹木の枝を切ることになり、「木が可哀想なので自分の手で」と、ノコギリで切ろうと考えていたものの、屋根より高い脚立から足元を見ると、肉体労働とは無縁のジジイには膝が震え、万が一の落下を考えると、電動ノコギリが無難と判断したものの、それでも枝が太く切るのに苦労し、結局は電動チェーンソーの力を借りた伐採となりました。

 ハシゴや造園用の脚立に乗ったのは久しぶりで、若い頃には何とも思わなかった高さが、万が一足を滑らせたらとか、落ちたら大変と想像すると、家内に脚立を持ってもらうか、命綱をつけないと危険であることと、還暦を過ぎた老化を実感することになりました。

 ※こんなブログも存在しました。

 作業を始めて1時間ほどした時に同級生が訪れ、「ちょっと行ってくる」と珈琲店に外出し、自宅にもどって昼食後に作業を再開し、1時間も経つと足腰だけでなく、チェンソーを持つ手の握力が低下し、そろそろ限界かと思っていると、「今なにしているの?」と別の同級生から電話があり、汗だらけのためシャワーを浴び、着替えてから外出です。

上高地パークボランティアの皆様

日頃よりお世話になっております。いよいよ上高地事務所も開所いたしました!!
明日から釜トンネルが開通し、シーズンが始まります。今年のPV活動も積極的なご参加よろしくお願いいたします。

 さて、昨年11月15日に閉山されていた上高地が、いよいよ明日から釜トンネルが開通することと、環境省の上高地事務所が開所したとのメールが届けられ、温かい陽射しの中で四国遍路に行っていた雰囲気から、一気に雪の残る冬の意識に逆戻りです。

 今年は、ここに横井庄一記念館の法人化と、福祉有償運送のボランティアの組織拡大とミニコミ紙発行が増えており、議員になった直後と比べると随分と忙しい生活になっていることを実感させられます。

            本日の体重 72、8キロ 徒歩数 4236歩 間食あり
                                     4月16日の一言

四国巡拝の三日間から帰って

名古屋志賀弘法友の会四国巡拝の旅 3回目
                          志賀弘法会7名 私と家内の9名

4月11日(火) 21時50分自宅出発 津島…名古屋駅…名古屋市役所…北区柳原…名古屋高速…
  …伊勢湾岸道…第二名神…名神高速…中国道…山陽道…瀬戸中央大橋…高松道…松山道…

一日目
 ・午前7時 第64番前神寺…第63番吉祥寺…第62番宝寿寺…第61番香園寺…第60番横峰寺
   …西条弘法水…昼食…別格12番延命寺…第65番三角寺…第66番雲辺寺…
                      宿 白地温泉小西旅館

二日目
 ・宿を午前6時30分出発…大歩危、小歩危峡…祖谷かずら橋…  午前10時・第67番大興寺…
    …第68番神恵院…第69番観音寺…第70番本山寺…昼食・天然温泉高瀬の湯…
    …第71番弥谷寺…第72番曼荼羅寺…第73番出釈迦寺…第74番甲山寺…
         …第76番金倉寺…第77番道隆寺…第75番善通寺
                       宿 善通寺宿坊いろは会館

三日目
 ・第75番善通寺…第78番郷照寺…第79番天皇寺…休憩・清水屋ところてん…第80番国分寺…
    …高松・栗林公園…第83番一宮寺…第82番根香寺…第81番白峰寺…坂出北IC…
    …瀬戸中央大橋…山陽道…三木SA・夕食…中国道…名神高速…第二名神…東名阪…
          名古屋市午後11時20分…名古屋各地…津島市自宅・午前1時30分
 
 初めて四国遍路に出向いたのは平成13年で、マイクロバスを運転して17人の仲間と、般若心経どころか参拝の作法も判らず、観光バスの団体客と朱印の競争で廻り、スタンプラリーのように先を急ぐお遍路でした。

 何も知らないというのは無礼で、納め札箱の中の金や錦の納め札を勝手に持ち帰り、歩くのが苦手な同行者は階段の下から賽銭を投げ入れ、駐車場代を請求されても「歩いてきた」と払わず、記念写真の代金を値引き交渉するなど、私だけではないと言えども随分と恥ずかしいお遍路でありました。

 そんな私が毎年四国を訪れ、八十八ヶ所霊場会の公認先達になっているのは、四国遍路で出会った人たちとのご縁であり、人との会話によって知恵を授かり、知人となった人に恥ずかしくないお遍路を心がけてきたなかで先達の補任を受けました。

 そして、何よりも感謝したいのは、50代を超えたいい大人に、躊躇せずお叱りや苦言を言っていただいた人々で、地元では「先生」とも呼ばれる議員であっても、間違いを指摘して淡々と教授していただいたことである。

 四国遍路をお年寄りの極楽浄土を求めるお参りのように言われることも多いものの、朝起きて朝食をとり、出会った人と挨拶し、お遍路の決められた作法どおりにお寺で参拝し、厳しい陽射しを受けて、常に弘法大師と一緒に歩いていると意識することで、「十善戒」の教えを行動で実践していく非日常的な行為は、還暦で定年を迎えて枯れていく心境から、新1年生のような新鮮な気持にさせられていきます。

 さて、今回のお遍路では、最近ワイドショーや週刊誌で霊場会脱退で騒がれている第62番宝寿寺も参拝し、世俗化したお寺の現状を垣間見ることとなり、午前8時になるまで納経所が開かれず、他のお寺からは無償で授かっている御身影の代金を求められましたが、何よりも残念なことは、午前8時になっても本堂や大師堂の鍵がかけられたままになっており、それまで僧侶が朝のお勤めのためお堂に入った形跡も無かったことです。
 残念です。真剣に巡拝するお遍路には悲しい現実です。そして、他のお寺が当たり前として実践している決め事は努力して実践して欲しいと思います。

 私のお遍路は叱られることで新たな発見がありましたが、叱られても聞く耳を持っていないと何にもなりません。納経所で注意され腹立たしい思いをした事もありましたが、人として当たり前のことが出来ていないことや、知らないことがまだまだあり、私は四国遍路によって多くの知遇を得てきました。
 しばらく四国遍路の余韻に浸ります。

                本日の体重  徒歩数 2361歩 間食あり                     
                                       4月15日の一言

四国遍路第3日目 巡礼

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四国八十八ヶ所第82番根香寺の石段

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はるか奥の石段から帰ってきました

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今回の最後 第81番白峰寺

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団体による遍路

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今回は60番から83番まで廻りました
                               今年の秋に満願を目指します

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瀬戸中央大橋から岡山県へ

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瀬戸内海に陽が沈んでいきます


四国遍路第3日目 高松栗林公園に

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高松栗林公園に立ち寄りました


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ボランティアガイドの和田さんに案内していただきました。

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見事な庭園です

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和船による案内

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時間を忘れてしまいます

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これから気分一新してお遍路です


四国遍路第3日目 朝の勤行

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善通寺朝の勤行(午前6時)前に 志賀弘法会だけのお勤め午前5時30分から

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樫原管長の後に続くメンバー

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記念撮影の準備中

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善通寺本堂

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樹齢1300年以上となる楠木
                               空海の生まれた時に生えていたとの話です

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善通寺御影堂

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宿坊いろは会館 そろそろ出発です


四国遍路第2日目

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本日は快晴の桜遍路となりました 海岸寺大師堂

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本日最後の第77番道隆寺境内のはと

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中にはこんな仲良しも

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私が近づいても逃げません

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第77番道隆寺本堂に写る私と背景

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本日は終りです

 本日は第67番大興寺から第77番道寺まで参拝し、午後5時に宿となっている善通寺宿坊いろは会館に到着しました。

 志賀弘法会では、最終日の午後まで買い物や買い食いが禁止されていますが、本日は朝から大歩危峡やかずら橋を見物し、昨年から3回目となる四国遍路では昼食はコンビニとなっていましたが、昨日に続いて本日は天然温泉高瀬の湯で昼食をとりました。

 昨年の2回のお遍路で、予定以上に巡拝していたため、余裕の巡拝となっているものの、納経所の締め切り時間となっている午後5時が近づくと、執念のお遍路に戻り、午後5時過ぎまで巡拝となりました。

 明日の朝は午前6時から朝の勤行が始まり、橿原禅(かしはらぜんちょう管長の法話を聞き、管長さんと弘法会メンバーの記念写真も予定しており、メンバーにとっても思い出となる善通寺となりそうです。


 もっとも、志賀弘法会の朝のお勤めは午前5時30分からとなっており、お寺の勤行の前から御影堂にメンバーの読経が響きます。私も連日の5時起きとなります。

               本日の体重 72、6キロ

四国遍路2日目  お遍路の前に

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「かずら橋」を渡る志賀弘法友の会のメンバー

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作家林芙美子さんわかりの小西旅館 徳島県白地温泉
                                  午前6時から朝食 そして旅立ちへ 

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大歩危峡 徳島県三好市
                              午前8時のため、こいのぼりも眠っていました

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祖谷のかずら橋 徳島県三好市

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まさに秘境です

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粗谷のかずら橋は日本三奇橋のひとつで、国指定有形民族文化財
追っ手から逃げるため、いつでも切り落とせるように
                      かずらという植物で架けたと伝わる平家伝説の橋です

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琵琶の滝 かずら橋から100メートルの地に

 志賀弘法会60年記念記念の四国遍路ですが、午前中は観光や買い食いも禁止の厳しい決まりを破り、本日は6時30分に宿を出て、徳島県三好市の大歩危峡を目指し、祖谷のかずら橋を渡り、琵琶の滝を見てきました。

お遍路は、第67番大興寺に到着してスタートしました。


志賀弘法友の会 半年ぶりの四国遍路へ

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桜が満開の中での遍路は自然と笑いが起こります 第61番香園寺

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参拝は真剣です

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本日最後のお寺 第66番雲辺寺

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本日の宿は白地温泉小西旅館

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小西旅館は林芙美子さんゆかりの宿です

                           本日の体重 72、3キロ
明日は午前6時から朝食です

弘法大師ゆかりの津島名物あかだ

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津島名物 あかだ・くつわ 製造本家 松屋儀左衛門
                                            店主 加藤通生さん
 
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店舗は近代的ですが天保11年から続く老舗です
 
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雨で鉛色となった津島神社
 津島市の名物となっている「あかだ」について、当地では「弘法大師が当地巡錫の歾津島神社に悪疫退散の祈願を擬め米団子の油揚を神前に供えて参詣人に頌たれたに基く」と伝承されてきました。
 
 あかだは、米の粉を湯で練って団子状にしたものを、胡麻油で揚げた一種の油菓子である。砂糖や甘味料は一切用いないのが特徴。くつわは、米の粉に砂糖を混ぜて団子生地を作り、これをクツワ型に成型したものを、あかだ同様に胡麻油で揚げた菓子である。あかだの応用品として、江戸時代に創作されたという。あかだと異なり、甘く味付けがなされておりかりんとうに近い。
                                            ウィキペディア
 
 津島名物 あかだ・くつわ http://www.city.tsushima.lg.jp/shokai/bussantokusanhin.html
 
 空海(弘法大師)が愛知県の津島市や津島神社に立ち寄ったと示される事実はなく、(知多半島もそうですが)弘法大師の弟子が立ち寄って「あかだ」を伝えたと考えられますが、偶然にも四国善通寺の門前にも「石パン」なる歯が折れそうなお菓子が存在することに興味深いものがあります。
 
 本日は午後10時に津島市を出発し、9人で愛媛県西条市をめざし、2泊3日の四国遍路になり、週末金曜日の深夜か、土曜日の未明に愛知県に戻る予定です。
 家族の遍路と違い、相棒リマも留守番となるため、かなりのストレスを溜めそうですが、残していく5羽の愛雀たちともお別れとなります。
 
             本日の体重  徒歩数 間食あり
                                       4月11日の一言
 

津島市の県民センターから名古屋市の県施設へ

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桜に彩られた名古屋市政会館

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愛知県海部県民センター (旧海部事務所)

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ウィルあいち (女性会館)

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あいちNPO交流プラザ

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桜に彩られた市政会館周辺

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 本日は午前中に市役所の議会日程があり、午後に愛知県の海部県民センターに出向いた後に、名古屋市のウィル愛知内にある「あいちNPO交流プラザ」に出向いたところ、月曜日は休館日になっており、休館中の看板が出されて廊下も真っ暗になっていました。

 持参した書類の締切日が今週末となっており、明日は市役所の議会日程があり、明日の夜から今週末の金曜日まで四国遍路に出向くため、持参した書類が提出できず、土曜日や日曜日に開館していたことが判ったものの後の祭りです。

 同行した家内に私の代理で明日に出向くよう依頼したものの、書類の書き込み内容について説明ができないため、今後の対応を思案しながら、真っ暗の廊下を進み、休館中の扉をノックすると…

 事務所内に出勤していた職員が存在し、担当する職員ではなかったものの、持参した書類を確認して受理していただき、明日に担当する職員と電話連絡しあうことにしていただいたお陰で、何とか本日出向いた役目は果たすことができました。

「今、何してる?」
   「家に居るけど」
「ちょっと、付き合ってくれ」
   「今からか…」

 三男の接骨院で左腰と右肩の施術を受け、これから自宅に入って家族で夕食をと考えていると、大阪に出張していた同級生から、一緒に居酒屋まで同行して欲しいとの連絡が入り、頼まれて居酒屋に行く展開に、いかにも苦しい依頼かのように振る舞って家内の同意を取り付けました。

「ちょっと行ってくる」
   「今から?」
「うーん、余程の困り事があるようだ」
   「 … 」
「こんな歳になると、助け合いだからなぁ」

 さて、明日は市役所の仕事がありますが、夜行で四国に出発して、2泊3日のお遍路が予定されており、旅行保険の手続きや旅立ちの準備もありますが、最近は何か忘れ物が存在し、準備不足による反省が当たり前になっているため、しまったと後悔しない旅程にしたいと思います。

             本日の体重 72、5キロ 徒歩数 5781歩 間食あり
                                      4月10日の一言

季節が街の景色をかえて

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道端のタンポポ 愛西市(旧佐織町左折)

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横井庄一記念館(右側)前の様子

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記念館前で開花する樹木 名古屋市中川区千音寺

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記念館前のお宅の桜 大治町

 本日は愛西市の叔父のお寺の永代経が開かれ、午後3時には慌てて名古屋市中川区の横井庄一記念館に走りました。

 明後日の夜に四国遍路に出発し、週末まで帰らないため、明日と明後日は市役所の仕事だけでなく、愛知県へNPO法人の報告書を提出するなど、来週分に済ませる仕事を2日間で終らせる必要に迫られます。

 記念館で京都の大徳寺門前の酒屋さんの話をしていると、「私も大徳寺のお墓参りに行きたいんだけど」と横井婦人が語り、先の約束はストレスを溜めるため、来週に横井さんの在所から、私が懇意にしている大原の宝泉院に行き、帰りに大徳寺の黄梅院のお墓参りに立ち寄る話に発展しました。


 さて、明日も頑張りましょう。

             本日の体重 72。5キロ 徒歩数 1610歩 間食あり
                                      4月9日の一言

相棒リマが主役となった買い物へ

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「うわぁー、お出かけだぁー」 嬉しそうな相棒リマくんです

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両岸の桜並木も満開 旧平和町

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バロー平和店へ

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何か、店内の雰囲気がなぁ…

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新たにペット専門の建物が建っていました

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「良かったぁー」 多くの品揃えでした

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帰り道にも見事な桜が  勝幡駅の近く

 本日は相棒リマと一緒に買い物に出かけましたが、私の車と同様に助手席を指定席にしているものの、家内の運転する車に乗る表情は、明らかに嬉しそうにしており、私の横に座っているときとは違います。

 我家から3キロほど離れた愛西市(勝幡駅の近く)にホームセンターのバローがありますが、本日は更に3キロ程度遠くなる店舗規模の大きいバロー平和店(稲沢市)に行き、相棒は家内のバックに入って店内を廻っていました。

 久しぶりの店舗ですが、店内の配置が変わって目的とする商品が見つからないため、家内が店員さんに尋ねると、新しくペットショップを立て直したとの話で、それに伴ってこれまで入れた店舗はペット厳禁になっていたようです。

 それにしても寛容な店舗で助かりましたが、店舗北側に2階建てのペット用品専門の店舗が建設され、この中には動物病院や美容院まで入っており、多くの品揃えに連れてこられただけの相棒の表情も輝いていました。
 さて、動物の勘にも驚かされます。我々もペット厳禁とは知らずに店内を歩いていましたが、明らかに相棒は違和感を感じており、ペット同伴のペット専門店に入ってからの表情とは違っていました。

             本日の体重 72、2キロ 徒歩数 7225歩 間食あり
                                       4月7日の一言

昼休みにお千代保稲荷まで走って

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愛西市(旧八開村)の桜並木

「今から何所に行くの?」
   「うーん、○○さんとお千代保さんまで」
「ふーん、気をつけて」
   「ところで、あんたは、何かあるの?」

 小学校の入学式から帰宅すると、息子の接骨院から帰ろうとする知人と顔をあわせ、午後2時から市役所の約束があるものの、ちょうど昼休み前のため、一緒に同行して岐阜県海津市のお千代保稲荷に行ってきました。

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裏門から入ります

「こっちではなく、あっちへ行ってください」
   「何所に行くの?」
「一番近い駐車場まで」
   「ここが一番近いんだよ」
「いや、いや、もっと近くに停められるから」

 愛知県からお千代保稲荷に参拝する場合は、木曽川と長良川を渡って、東側か南側から駐車場に入りますが、正月や、縁日となる月初めの1日は車が渋滞して長蛇の車列ができます。
 そして何よりも、大きな駐車場が完備されているものの、駐車場から社殿までの長い露天やお店が並ぶ参道を歩いていく必要がありますが、現地の人々は渋滞しない本殿の近くまで行ける道を利用して、簡単に参拝を済ませて帰っていきます。

 「こんなに近くまで入れるのか」と、商売繁盛で長年参拝に訪れている知人もびっくりですが、近所や地域の参拝客には、参道の露天や買い物が目的ではありませんし、地元の人まで観光客で渋滞する道路で並んでいたら生活できません。

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お稲荷さんに捧げる油揚げとロウソク

「ライター持って見える?」
   「何するの?」
「ローソクに火をつけるの」
   「火なら点いてるじゃないか」

 四国遍路や真言宗では、お寺の本堂前のロウソク台で、他人の立てたロウソクの火をもらって灯すことは縁起が悪いとされており、愛煙家の知人のライターを借りて火を灯すと、知人たちは「初めて聞いた」と驚いていました。
 ちなみに、お寺の賽銭箱へ賽銭を投げ入れるのも好ましい行為ではありません。

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完全なる後期高齢者となる同行者です

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お千代保稲荷から50メートルの場所にある弘法堂

 私にとっては毎日弘法大師が吾が身に同行しておわれる「同行二人」と思っていても、やっぱり弘法大師の尊像を目にすると実感が違います。

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 我家から40分でお千代保稲荷に到着し、参拝後に近くの和菓子屋「かわしまや」で草餅と桜餅に、私の好物の五平餅を買い込み、長良川の道の駅クレール平田に持ち込んで休憩して帰宅すると午後1時になっていました。

道の駅 クレール平田 http://www.clairhirata.com/

 午前11時に自宅を出て、2時間の外出となりましたが、最近はこんな外出が身体の疲れとして実感するようになり、自宅か珈琲店でのんびりしていた方が良かったのかと、考えさせられようになりました。

            本日の体重 72、2キロ 徒歩数 4578歩 間食あり
                                      4月6日の一言

神守小学校 入学式

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新しい校長先生の祝辞

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津島ライオンズ倶楽部から置きカサの寄贈

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毎年有難うございます

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本日は県内の小学校で入学式がおこなわれ、私は母校の神守小学校の入学式に来賓として出席しました。小学校の入学式にあわせて、体育館前の桜が満開になっていました。

還暦を過ぎ、自分の子供が世話になる時代とは違い、孫が世話になる世代となっているため、子供のような先生が教壇にたつ現実に、完全なる世代交代を実感させられました。


家族は花見三昧の一日だったようですが…

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孫たちが行っていた木曽三川公園のチューリップ   岐阜県海津市

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私の散策路の菜の花  津島市葉苅町

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散策路の桜  津島市葉苅町

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タンポポ  宇治町

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愛知県海部事務所内

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今年4月から開設されました

 3月末に議会は終ったものの、議会だよりの編集や、入学式の来賓など公的行事が続いており、「ジジイと一緒に冒険に行こう」と孫に言っていたものの、本日も市役所の私を無視して、家内と一緒に木曽三川公園に行ってきたようです。

 私自身は、朝から市役所でしたが、昼休みに愛知県の海部事務所に一人だけ派遣されている同級生を訪問し、午後4時に市役所から帰宅した後に、本当に久しぶりとなるウォーキングで出かけました。

 寒風の吹く3月と違い、完全に春の陽気になっているため、道端に咲く花々も咲き誇っていましたが、家族が出かけていた木曽三川公園のチューリップなどは、計画的に植えられているため、家族の撮りだめてきた写真は壮観です。

 明日は小学校の入学式に出席して午後から市役所へ走り、翌日には愛知県庁に出向く所要があり、週末は横井庄一記念館と、叔父のお寺の永代経に走り、週明けの2日間に市役所の日程を済ませた夜から、9人を乗せて2泊3日の四国遍路に走るスケジュールが続きます。

 そして、四国遍路から帰った翌週からは、昨年4月より登録された環境省のボランティアとして上高地に入るスケジュールを考えると、還暦を過ぎてから日程的にはかなりのハードになっていることが判ります。

 余裕のある日々に、ぼんやりと何もせずに一日を経過してしまい、日程的に余裕が無くなってから、慌てて綱渡りのような仕事を消化していく繰り返しが日常的となり、締め切りのない仕事は「やる気」が沸かず、次々と山積されてしまうストレスに悩まされる日々が続いています。

             本日の体重 72、2キロ 徒歩数 9863歩 間食あり
                                      4月5日の一言

津島市立看護専門学校の入学式で

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市民病院手前の白い建物が津島市立看護専門学校

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本日が入学式です

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津島市立看護専門学校 校歌

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学校の前を流れる用水では亀が甲羅干し中でした


 本日は津島市立看護専門学校の入学式が開かれましたが、会場に掲示されている校歌を作詞したのは私の高校時代の恩師・塚本文雄先生で、後に市内に昭和53年に開校した津島東高校(昭和53年開校)の初代校長を務められ、最後は当地方の進学校五条高校で定年退職を迎えられました。

 広島大学で国文学を専攻しておられたため、各地に校歌や歌碑が残されており、定年後は津島市にも図書館の催事で講師を務められたり、一宮市(住まいは旧尾西市)で短歌や句会等を指導されており、多くの人々の短歌が新聞紙面を飾っています。

   津島市立看護専門学校 校歌
                  作詞 塚本 文雄
                  作曲 服部 勇次
1  鈴鹿の峰の  影冴えて
   流れ豊かに  木曽の川
   名も橘の   清き里
   重き使命に  集い来て
   燃やす若さの  輝きよ
   ああ   津島看護学校
        われらの誇り

2  天王川に   風薫り
   藤紫に   さゆらげば
   人の命の   尊さを
   護る誇りを   刻みつつ
   励み明るく   究めなん
   ああ   津島看護学校  
        われらのきづな

3  伊吹おろしの   雄叫びに
   試練の冬は   来るとも
   行学一如   さわやかに
   熱き友情   信じつつ
   拓く未来に   光あり
   ああ   津島看護学校
        われらの母校

 退職されて20年以上も経過した津島市で、恩師の残された校歌が歌い続けられる光景に感動し、恩師の現役当時の姿と言葉を忍びながら、入学式に来賓として参加してきました。

 この恩師が、私の結婚式(昭和52年)に出席された時に、私と家内の名前を組み込んだ短冊の短歌をいただきました。

 幸多し 可たみに思う 数や増し  ←大鹿一八(かずや)が入っています
 日々に仲好志 恋乃○○や支  ←日比美子が入っています
                 ↑ ※解る方があったら教えて下さい
 
 結婚式と披露宴が終った時に、「大鹿には読みが解からないと思うから」と、文字と読みを一字づつ説明していただきましたが、結婚して40年近く経過した今になると、教えていただいた最後の文字をさっぱりと忘れていました。そして、崩された文字そのものが違っている可能性も否めません。

 訃報は聞いていないため元気でおられると思いますが、最近は何も動向をうかがっておらないため、これを機会としてお元気なうちに自宅を訪問してみたいと思う一日ともなりました。

            本日の体重 72、5キロ 徒歩数 4183歩 間食あり
                                      4月4日の一言
   

高野山 あゝ同期の桜の塔と鶴田浩二さんのお墓

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海軍第十四期会海軍飛行予備学生 あゝ同期の桜慰霊碑
                                              昨日の写真です
 
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高野山奥の院参道入り口 一の橋
 
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一の橋左側
 
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散る桜 残る桜も 散る桜
慰霊碑の説明文
 
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慰霊碑の右奥に鶴田浩二さんのお墓が
 
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鶴田浩二さんのお墓です
 
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鶴峰院栄誉誠純悟道大居士
 
 高野山奥の院参道入り口となる一の橋を渡り、左側を見ると白い大きな塔が見えますが、それは昭和18年学徒出陣で出征した第十四期海軍飛行予備学生の慰霊碑「あゝ同期の桜の塔」です。
 
 この塔は昭和42年に大圓院墓地内へ建立されていますが、毎年9月第二日曜日に慰霊祭が開催され、俳優の鶴田浩二さんは亡くなられた(昭和62年)前年まで、自前で演奏するバンドの仲間を引き連れて毎年欠かさず出席しておられました。
 
 かつて右翼の街宣車が、鶴田浩二さんの唄う軍歌を大音響で流して走っていたことと、多くの戦争映画に出演されていたことから、華々しい映画スター鶴田さんを右翼の軍国主義者のように勘違いされている人も存在しますが、実際には多くの仲間を見送った戦争体験から、多くの資財を提供して遺骨収集を支援し、亡くなった戦友の慰霊を続けられていました。
 
 私にとっては、映画スターとしても、唄の歌い手としても、その生き様を尊敬する人物で、周りに厳しい不条理と思える一面も残されていますが、できれば生前の鶴田さんに直立不動のままに嫌な説教をしてもらいたかったと思いますが…
 
 平成13年から四国遍路を始め、御礼参りに必ず立ち寄る高野山に鶴田さんのお墓が存在することを知ってから、私は必ず墓前で手を合わせることにしており、「何で、お前みたいなヤツが、俺の前に来るんだ」と言われそうですが、生前の鶴田さんに叱られないことと、悲惨な戦争によって多くの学生や若者が死んでいったことを忘れないためにも、寿命が尽きるまで墓前を訪れたいと思っています。
 
 安倍政権になってから、戦前の思想を美化するような動きと、自国防衛のために軍備を拡張して、いずれは若者が戦争現場に立たされるような可能性に、高所から戦争を指揮する視線ではなく、鶴田さんの戦争体験からくる苦言を聞いてみたいものです。
 
 その鶴田さんのエピソードについて、生前親しくしておられた後輩の杉井輝応さんの記された「鶴田浩二」の一文を紹介したいと思います。
 
 昭和天皇から、天皇陛下が主宰する園遊会に出席してほしい、という招待状が届いた。
「俺は行かない」
「天皇陛下から『おまえたちは、よくやってくれた。どうもありがとう』と一言、言ってやってほしいのだ」
「僕にじゃないよ。もう帰らない奴にだよ。言葉も出ない奴にだよ」
「それがあれば、成仏はできないまでも、ある程度、納得できるんじゃないかと思うんだよ」
「先に死んだやつのことを考えてやらんと可哀相でね」
 そして、
「たった一言でいいから『すまなかった』と言ってやってほしい」
「その一言がない限り、俺は園遊会には行かない」
 
 私は高野山の鶴田さんの墓前で、「私に何か言いつけてください」、「私を何かお役に立たせてください」と、身勝手な話をしていますが、私にとっては弘法大師の「十善戒」と同じような人生の師として手を合わせて、私自身の反省の場にもしています。
 
 今月は、昨日に続いて、6月にも訪れる機会があり、上高地一辺倒だった昨年とは違う一年がスタートした思いを実感させられました。
 
             本日の体重 72、9キロ 徒歩数 3109歩 間食あり
                                       4月2日の一言
 

親子四世代での四国結願と高野山参り

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高野山金剛峯寺で法話を聞いた尼僧さんと記念撮影 親爺・娘・孫

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ビジネスホテル紀州路 和歌山市
                                  1泊2食付で4千500円(1名)

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最初に金剛峯寺へ

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駐車場には除雪した雪が…

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歩道脇にも雪 身震いする参道です

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奥之院 中の橋

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奥之院 水向地蔵

 昨日に親子四世代(私の母親、私の妹、私たち夫婦、私の娘と孫)で、四国八十八ヶ所霊場を結願し、本日は高野山の御礼参りに、金剛峯寺、大師教会、根本大塔、女人堂、徳川家霊台、奥之院を参拝してきました。

 私自身は続けて巡拝した四国遍路の10回目の満願となりますが、私の妹と、娘と孫にとっては初めての結願で、お遍路のたびに親子喧嘩を繰り返して、「もう二度と一緒には行きたくない」と思いながらの満願でもありました。

 半月後には、名古屋市の志賀弘法会のメンバー9人の四国遍路を、松山県から香川県に向けて3日間の予定で巡拝しますが、朝7時から午後5時まで買い物や飲食の時間も惜しんで廻るのとは違い、家族との巡拝は、「まだ小さいから」とか、「トイレは我慢できない」など、孫(小1)の年齢のせいにして無駄に時間を消費した結果でもあります。

 それにしても高野山は標高800メートルの高さにあるため、本日も大量の雪が残されており、車中の暖かさと車外の温度が相反し、強い陽射しと、土冷えする中でトイレに走る回数は異常なほど増えました。

                         徒歩数 11575歩 間食あり
                                    4月2日の一言

家族一緒の四国遍路が満願になり

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本日の八十八番大窪寺 満願です
本日は八十四番から八十八番まで巡拝し、最後に一番寺を参拝しました。
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本日は八十四番屋島寺から 門前の家内と相棒リマ
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八十五番八栗寺
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お遍路も最終章へ

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 私が参拝していただいてきた四国別格二十霊場の数珠は、昨年71番弥谷寺を参拝中に、石段を踏み外して滑って転んだ時、手に持っていた数珠のお陰でケガもなく済む代わりに、数珠がちぎれてしまいました

 そして、知り合いのご住職からもらった数珠と、私の父親が使用していた遺品とも言うべき数珠と、どうやら父親の中国土産らしい数珠、それぞれ破損中の四種類の数珠を、須見光栄堂に持ち込み修理を依頼してきました。

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日替わりランチ 680円

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私のお気に入り やまじゅう

うどんと寿司の やまじゅう https://blogs.yahoo.co.jp/tokisa3316/19007083.html

                                徒歩数 7103歩    4月1日の一言

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