大鹿一八「本日の一言」

平成16年2月から令和1年7月末までの「本日の一言」です。ヤフーブログ閉鎖により、ライブドアへ過去の記録として引っ越しました。

2017年11月

12月議会 私の一般質問です


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快晴の津島市内  市役所5階議員控室から

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青風会控室

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行きつけの喫茶店の欅(ケヤキ)

 私の12月議会の一般質問です。

1 件名 高齢者の在宅支援および外出支援策について
  要旨 ・緊急通報システムについて
     ・移送援助サービスについて
    
2 件名 成年後見制度について
  要旨 ・成年後見制度の必要性と取組みについて


「1億3千」の音声記録…でも価格交渉は否定 森友問題
記事の続き…
ログイン前の続き担当職員が挙げた「1億3千」は、2015年に実施したごみの撤去費として国が負担した1億3200万円を意識したもので、具体的な売却額を示したものではない――。太田局長はそう強調し、「価格交渉」との見方を否定した。
 佐川宣寿前理財局長は3月、事前の売却価格の提示を国会で否定している。その答弁との整合性についても太田氏は、ごみの撤去費を下回る価格での売却はあり得ないとする「考え方」を伝えたにすぎず、佐川氏の答弁は虚偽にはあたらない、との見解を示した。
 音声データをめぐっては、24日の衆院内閣委員会で菅義偉官房長官が「一方的な報道」と説明を避けたばかり。麻生太郎財務相は27日、「総理も丁寧に説明する旨、発言をしている」と説明責任を果たそうとする姿勢を強調した。
 ただ、音声データには、職員が「ゼロに近い金額まで努力する」と発言したり、「マックス10年であとの8割を返すやり方もある」「劇的に月額の負担料が安くなる」と異例の分割払いを職員側から提案したりする様子も記録されている。政府からはこの日、この部分について明確な説明がなかった。
 真相の解明への姿勢にも疑問が残る。野党は27日、首相の妻昭恵氏や佐川氏らの招致を要求したが、与党側は拒否した。
 「森友・加計問題」で安倍晋三首相を追及し続けるのは、存在しないことを証明させる「悪魔の証明」のようなものだ――。今回の衆院予算委員会で時間配分が増えた与党質問からにじんだのは、政府・与党一体となって「問題なし」としたい姿勢だった。
 「赤いカラスがいるかいないか。すべてのカラスを捕まえないと証明できない」。田村憲久氏(自民)はこう強調し、「悪魔の証明」の難しさを訴えた。その上で首相に「天使のように謙虚にお答えいただきたい」と求めると、首相は「委員会を通じて真摯(しんし)な説明を丁寧に行っていくことで理解を得ていきたい」と応じた。
 菅原氏(同)は、財務省幹部から音声データの内容に関連して「売却価格を提示したこともない」との答弁を引き出すと、「正直言って、もっと早く言ってよという感じですね」と述べ、こう戒めた。「『1億3千万円を下回らない』と言っちゃっている。不適切だ」
 竹内譲・元厚労副大臣(公明)は、地中から見つかった「新たなごみ」の量や撤去費用の算出方法について「慎重な調査検討を欠いていた」などと指摘した会計検査院の報告について質問。同じ公明の石井啓一・国土交通相は「ギリギリの対応だった」などと釈明した。終了後、竹内氏は取材に対して「国交省がでたらめをやったとは思っていなかった。一定の合理性のある考え方をしていると確認できた」と胸を張った。
 衆院予算委の質問時間は慣例で「与党2対野党8」だったが、衆院選で大勝した与党が「5対5」を要求。厳しい交渉の末、今回は「与党5時間、野党9時間」で決着した。
 それだけに、野党は不満を抱えていた。質問者が与党から野党に代わったのは27日夕方。最初に質問に立った長妻昭氏(立憲)は「(従来通りの配分なら)野党のトップバッターは昼前に始まっていた」と不満を漏らした。
 長妻氏は首相が側近に野党の配分を削減するよう指示したと追及し、「国会による行政の監視のあり方の問題だ。元に戻すと指示してほしい」と要求。だが、首相は「時間配分は国会が決めることだ」とかみあわなかった。
 終了後、衆院予算委で野党筆頭理事を務める逢坂誠二氏(立憲)は与党の質問について「野球の試合に例えれば消化試合を見ているようで、出来レースといった感じだ」と指摘。「政府の姿勢を確認するにしても、20分ぐらいでできる」と話した。

 国会での白々しい安部首相のウソがまかり通り、子供でも判りそうな理不尽な官僚の答弁に、地域から選挙で選ばれた大臣が誰一人として異論も唱えない国会質問は、日本自体がウソでまかり通ったとしても国会議員の責任は免れません。

 私の住む津島市の議会においても、過去に答弁した結論がそのまま放置されて、何も実行されていない現実に、今回の質問は平成24年に行った一般質問の繰り返しと対比により、当局の場当たり的答弁を指摘していきたいと思います。

 津島市民病院の経営改革が効果なく、大幅な財政投資と慢性的な赤字によって、高齢者をはじめとする市民生活に大きな打撃となっており、財源不足は市民サービスの低下と、新たなサービスに着手できないだけでなく、市役所職員のやる気も失せていきます。

             本日の体重 73、4キロ 徒歩数 3183歩 間食あり
                                     11月28日の一言

世の中の変化を実感させられる一日に


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郵便局のレターパック(360円)を届けてもらいました

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 郵便局の窓口が終了後や、休日に速達をだすことはできませんが、レターパックは速達と同じ時間で届き、夜間の郵便ポストにも投函できるため、これまで事務所に備蓄してありましたが、存在そのものを忘れており、昨日の日曜日に郵便局を訪れたものの、午後は窓口が閉められていたため、事務所を探し500円と350円のエクスパックを見つけました。

 現在は510円と360円に価格は変わっていますが、追加の切手を貼り付けて昨日は愛知県に提出する書類をポストに投函しました。

 名古屋まで車で30分の距離にありますが、ガソリンだけでなく、目的地に到着した後に駐車料金もかかるため、これまで簡単に届けてきた書類についても、夜の間にポストに投函してしまえば翌日に届き、電話でやりとりすれば費やす時間も必要なく、エクスパックを持っていながら何で利用してこなかったかと思います。

 そんな訳で、早速知り合いの郵便局職員に連絡したところ、配達の途中に360円のレターパック5通分を自宅まで届けてくれました。
 私はこれまでにもレターパックを利用して、遠方の知人まで写真を送るついでに名古屋名物のういろうを入れて送付していましたが、まさに灯台下暗しであり、今まで肝心な仕事には一度も利用することがありませんでした。

自動運転、早期実現に時速20キロ以下走行 愛知で実験

名古屋でマンション急増、車社会変わる? 日銀リポート

 さて、私の足元である愛知県では車の自動運転の実用化が実現しそうな発信と、車社会が変わるとの発信が本日あり、情報化社会の中で無関心なために不便を不便とも思わず生活していたことに反省です。

             本日の体重 73、7キロ 徒歩数 不明 間食あり
                                   11月27日の一言

本日も結局、横井庄一記念館へ


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私のために家族が横浜で作ってきたカップ麺です

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カップヌードルミュージアムのお土産でした

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横井庄一記念館前の紅葉

 本日は午前中の早くから、愛知県のNPO法人の窓口となっている職員から、横井庄一記念館を護る会のNPO法人申請書類の助言があったことから、パソコンの前に座る一日となり、来週火曜日が締め切りとなっていた書式を揃えて提出することにしました。※NPO交流プラザは日曜日も開庁しています。

 ただし、私の意図に関係なく訪れる来客まで無視することはできず、応対していると名古屋まで走って行く時間はなくなり、記念館に走って横井夫人の署名と捺印をもらって郵送することにしました。

 横井庄一さんが存命中には、多くの宗教関係者が勧誘に訪れ、宣伝に利用しようとされたため、夫人も宗教団体には距離をとってきましたが、私が四国遍路や高野山を訪れて不思議な体験を話すことから、時々人には聞かせられない仏教や神様の話になることがあります。

 本日も横井庄一さんが、「神も仏も無い」とグアム島の洞穴で思っていたことから無神論者だったとの話になりましたが、帰国後に神がかった直感で自身の身体の異変に気づいていた五観と六感の話に花を咲かせてきました。


 添付した一文は、私が今年の10月1日に訪れた御嶽山の霊神場で体験した不思議な感覚と、平成16年に体験した吉野の金峯山寺蔵王堂の体験が記されていますが、こんな不思議な感覚や体験を話しても、体験者や修業した修験者でないと話は盛り上がらず、「弘法大師の声をいつでも聞いている」とか、「姿を見る」など、明らかに科学的とは言えない妄想や虚言の人では話もできません。


 最近になって時々閲覧する僧侶のブログに、私が不思議に思っているヒントになりそうな記載があり、本日は下記に添付しました。

自身には表面上、五つを感じる五感が有ります。
見て認識する眼識  聞いて認識する耳識  匂いで認識する鼻識  味わって認識する舌識
身体で認識する身識  自分の意思である意識
この五つは五感、五識と言います。

そして
第六識=意識  ここまでが表層心理です。

第七識=未那識(まなしき)   第八識=阿頼耶識(あらやしき)  第九識=庵摩羅識(あんまらしき)
これらは深層心理です。

             https://blogs.yahoo.co.jp/ajyarikou/71332288.html

 御嶽山の祖父の石碑前で不思議な感覚になり、まるで祖父が私に示してくれたような感覚は、私が五感を研ぎ澄ませて、石碑前に残されたローソクや線香の残りカスに、「誰が参拝したのか」と連想したことと、「何のために手を合わせたか」を想像したことで、祖父の心境に成り代わって各地に連絡した複数の問題が浮かび上がったと考えられます。

 私の勝手な思いつきであり我流ではありますが、阿字観瞑想の延長で、弘法大師が空海時代に修行した太龍寺舎心ヶ嶽で、空海と同じ真言を唱え続け、弘法大師の言霊を聞こうとしたり、上高地で穂高連峰を前にして座り、高野山奥之院の御廟前に座っている感覚になろうとしていますが、添付したブログに記された第七識や、第八識とはどんな感覚なんでしょうか。

 さて、ブログの表題となっている「量子力学」について、今から10年前に電話をもらった宝塚在住の大鹿譲さん(大阪工大名誉教授)は、量子物理学の権威であったことから、今の私ならお会いして知恵を授かることもできたと思いますが、氏に関する記載をしたところ統一教会の信者として批判するコメントが殺到したため、そのままとしてしまい、年齢的にご存命とは思えぬ時間の経過は巻き戻せません。

 来年4月まで上高地が閉山されており、そのシーズンオフにそんな世界に迫ってみたい心境の一日ともなりました。

            本日の体重 73、6キロ 徒歩数 3894歩 間食あり
                                     11月26日の一言

元巨人軍 水野雄仁投手の講演を聞いて


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講演前の演壇 愛西市文化会館(旧佐屋町)
                       講演中は撮影禁止のため水野選手の写真はありません

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パンフレットと2人分の抽選券

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愛西市文化会館玄関

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伐採した枝をお宮に集めました
                       本日は町内の側溝と集会所の草刈りが行われました

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集会所だけでこれだけの草がありました

 愛西市文化会館で元プロ野球巨人軍投手「水野雄仁」氏を招いた「僕の野球人生」の講演会が行われ、知人と2人で会場を訪れました。

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水野雄仁オフィシャルサイト

 私自身は子供の頃から長島選手のいた巨人が大好きで、愛知県の大府高校から槙原投手や、東邦高校出身の山倉捕手が入団した頃にも巨人の大ファンで、水野投手やPL学園から入団した桑田投手など、当時は愛知県人でありながらアンチドラゴンズの巨人ファンでした。

 本日の講演でも話題が出ましたが、水野選手が池田高校で優勝した頃に、愛知県では中京高校の野中徹博投手が甲子園で活躍しており、当時主催者となる朝日新聞社の球場設営の関係で一宮球場や熱田球場で出会う機会も多く、中京の主将として礼儀正しい野中選手の大ファンになり、3年生の夏の甲子園準々決勝で池田高校と中京の対戦を昨日のことのように記憶していました。

 さて、会場入口で手渡された抽選券は、最後に何か記念品が当ると知人と期待していたところ、司会者から当選者は水野氏に何か質問できると案内され、当選後の賞品しか眼中になかった私たちは必死に質問内容を冷や汗をかいて考えていました。

 当時の愛知県には中日ドラゴンズに入団した享栄高校の藤王選手も存在しましたが、球場で出会う態度は良いとは言えず、中京の主将として球場の裏方の我々にも礼儀正しく挨拶する野中選手は模範生で、甲子園で野中投手と対戦した経験談を水野氏から聞いたことから、池田高校で蔦監督の指導の中での礼儀作法について質問しようと考えていたものの、くじ運の悪い私には当りませんでした。

 さすがに大成し、プロ野球で活躍して指導経験もある水野氏の講演は、これから自分の夢や目的を持つ若者に聞かせたい内容で、池田高校で負け続けながら甲子園を目指した蔦監督の、「人生は敗者復活戦」や、「鍛錬は千日の行、勝負は一瞬の行」など、名将が残した名言も印象に残りました。

          本日の体重 73、2キロ 徒歩数 4122歩 間食あり
                                   11月25日の一言

月曜日の忘れ物に気づき


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近所のオムライスのお店
                              本日は日中から薄暗い曇り空の一日となりました

危うく削除してしまいそうになった1枚

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豊橋市の道路にあったモニュメント

「お家へ帰りましょうね」
    「ヤダー、ヤダー!!  もっと遊んでいたい」
  とか、
「負けないぞー」
    「頑張ってごらん」
「ウー、ギー !!
    「もっと頑張ってー」

 なんて子犬と馬の会話を連想してしまいそうなモニュメントを、月曜日の豊橋市で発見しながら本日まですっかりと忘れており、携帯電話のピクチャーから削除する中に入れており、あやうく忘れたままに消える運命でした。

知県豊橋市~街角アート天国?~

 私が勝手な会話を連想していましたが、銅像には「ボクがタズナを引っ張るから、はやく走るようになろうよ」と、犬が子馬を引っ張っている会話が記されており、鈍感な私にも新鮮な感動を与えてくれたモニュメントです。

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 さて、上に添付したダルマの絵は、私の父親の描いた絵で、日本画家の浅見香城先生に教えられた一番若手でしたが、多くの日本画を描いたものの、才能はなく私が唯一欲しいと思ったのがこのダルマの絵です。


 大きなダルマに小さなダルマが張り合う姿を、私と家内にたとえて、父親に欲しいと言ってもらった唯一の絵で、この一言がよほど嬉しかったのか、父親は同じ構図の絵を何枚も描いていましたが、欲しいと思える絵の再現はなく、描こうと思っても魅力ある絵の再現は難しいものがあります。

 本日は現在愛知県に申請中のNPO法人の書類を修正し、訪れた人々の応対をしていると一日が経過してしまいましたが、その間に市役所や愛知県の窓口、私自身の理髪店など、何もしていないようで雑用をこなしていると一日はあっという間に経過していきます。

           本日の体重 73、3キロ 徒歩数 5870歩 間食あり
                                   11月22日の一言

お寺の阿息観に参加して想う


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夕暮れの日光橋

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昨日の私です
 
 本日は12月議会の議会運営会が開催され、来週に本会議が開会し、年末の25日まで議会活動が継続していきますが、世間では忘年会が関心事となり、本日開催された夜の書道会でも日程を決めました。

「これ、何してるか判る?」
     「パンを食べているんでしょう」
「えっ、パンに見える?」
     「パンしかないでしょう」

 上に添付した昨日の私の写真について、市役所で議員仲間との会話を紹介したものですが、パンを食べている写真と勘違いされたことに、がっかりとするとともに、それだけ法螺貝(ホラガイ)が珍しくなっていたものと実感させられました。

 四国遍路や、吉野、大峰山の行者、熊野古道に関心がある人には馴染みのある法螺貝も、現代社会ではその存在すら判らないのですね。

 「絶対に止めてね」の一言は、かつて法螺貝に興味を持った私に家内が発した言葉ですが、四国の遍路路と言うよりも、人がほとんど歩かない山道を独りで歩き、夕陽が沈んだ真っ暗な足元から、ウーという獣の唸り声を聞いた時に法螺貝でも持っていればと思ったことがありました。

 「そんなもの持ったら二度と付いていかないからね」と、法螺貝を持ったら四国や高野山にはついて行かないと宣言されており、法螺貝は腹式呼吸が必要とか、健康にも良いと言ったところで家族の理解はありません。

 さて、本日は21日のため、町内の弘盛寺の阿息観(真言宗の瞑想法・座禅)に参加しました。この阿息観(阿字観)についても、毎月変わらず参加していますが、最近は瞑想する内容が変わっており、人には語れませんが、私流に場所と時間を移動できるような感覚を実感するような気持になってきました。

 そして、御嶽山の祖父の霊神碑に手を合わせていると、碑から何かの異変を感じたことがあり、帰りの車中から親族に次々と連絡したことから、私の知らないところでそれぞれに大きな問題が生じていることが判りました。

 こんなことを記すと、心霊的なイメージをもたれるかもしれませんが、現実は科学的なことで、碑の前に残ったロウソクや線香の燃え残りや、残されたタバコの燃えカスなどをじっくりと観察し、参拝者の予測をすると、信仰心も無い参拝者が訪れた場合は本人の身体的異変か、家族の心配事で手を合わせており、これまでそんなことに何も感じていなかった自分と、知ろうとする私とに大きな違いが生じています。

 私にとっては祖父の石碑ですが、これまで孫として碑に手を合わせていたものが、最近は祖父と同年齢になり、祖父が孫の私を見ていた心境や、私の叔父達を子供として見ていた祖父の心境から周りが見渡せるようになってきました。

 音を出す楽器としての法螺貝についても、今から千年近い歴史があり、修験道の山伏が持ち歩き、戦国時代には合戦の合図を送る法具として使われてきたことを考えると、法螺貝の実践も私の知らない世界を体感させてくれるかも知れません。

 この歳になって、体験したことのない世界には興味が尽きません。

           本日の体重 73、3キロ 徒歩数 4349歩 間食あり
                                   11月21日の一言

穂の国豊橋市の史跡を歩いて


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吉田城のほとりを流れる豊川

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豊橋市の路面電車

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ほら吹きでないと法螺貝は吹けません

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250円の珈琲がお膳で出てきました

穂の国 法螺貝  穂の国  http://honokuni8.ocnk.net/
愛知県豊橋市菰口町3丁目90番地

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林龍沁さんの模範吹奏

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三河と遠州への交通の要所です

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旧東海道 名残の1本松

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瓜郷遺跡  豊橋市瓜郷町寄道


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豊川に掛かる吉田大橋から見る吉田城

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昭和48年にこの場に立って以来の訪問となります

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歩兵第18連隊跡地の碑


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豊橋公園の紅葉

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豊橋駅前のイルミネーション

 健康維持のため知人と一週間おきにボーリングとウォーキングを行っており、先月末の可児市に続いて、本日は名鉄電車を利用して豊橋市を訪れ、名所旧跡を訪ねましたが、携帯電話の歩数計では21458歩、移動距離は13,5キロを記録していました。


 知人夫婦と午前9時30分に名鉄新清洲駅で待ち合せ、目的地を豊橋市の瓜郷遺跡に定め、急行列車で11時に豊橋市に到着しました。

 豊橋市には4年前に姫路城で出会った法螺貝奏者の林さんのお店があるため、知人のスマホを頼りに訪れ、ご主人が不在であったことから、練習用に置いてあった法螺貝をお借りして知人と吹きますが音が出てきません。帰宅されたご主人にお話を聞きながら談笑し、法螺貝の手ほどきを受けると知人は音が出ました。


 豊橋駅から1時間弱で瓜郷遺跡に到着しましたが、その道中は旧東海道の街道であったため、1本だけ残った名残の1本松など歴史を実感させられ、大きな豊川に架かった豊橋の名前に、今まで考えたこともない豊川市と豊橋市の関係を知らされました。
 最後に吉田城を目的に歩き、路面電車に乗ってみたい気持もありましたが、運動目的のため、このまま豊橋駅まで3人で歩きました。吉田城で豊橋駅まで歩くために道を聞いた地元の人々は、歩く事は大変との話でしたが、日頃の運動の成果か苦痛なく余裕で到着し、道中の魅力あるレリーフや彫刻にも癒しとなりました。

 本日の疲れ具合を考えると、一日に15キロ弱程度を目標にして計画を立てると、身体にもある程度の負荷がかかり、歩くだけでなく周りを見渡す余裕ができそうで、年内にもう一度は何所かに出かけたいと思っています。

          本日の体重 73、2キロ 徒歩数 21458歩 間食あり
                                    11月20日の一言

岡崎市で久々にVF400Fを走らせて


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私の愛車ホンダVF400Fです  岡崎市

キョウセイ交通大学 http://www.kotsu-daigaku.jp/menu2.html

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上杉君がハンドルを握ります

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上杉君は二輪の指導員です

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まもなくスタートします

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30年前の二輪とは思えぬ輝きです

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いよいよスタートです

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スラロームへ

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私の愛車が走っていきます

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エンジンは快調に廻っています

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無事に戻ってきました

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久々にシートにまたがりました

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相棒リマはVF400とは初対面です

 市議会議員になった18年前に、「事故でも起こしたら支持者を裏切ることになる」と、熱心な支援者たちに言われ、事務所に飾ったままにしていたホンダVF400Fを、数年前に二輪運転の指導者でもある市役所職員の上杉君に預けました。

 3年前に還暦を迎えたことから、このまま老け込みたくないと二輪カムバックを宣言し、車検を取りなおしてVF400Fとともに復活することとし、「リハビリツーリング」に挑戦する気持になりました。

 「まだ乗る気でいたの」と言われましたが、車検こそ受けていないものの、毎年7千円の自動車税を支払い続けていたのは、議員引退後に乗るつもりがあったためで、引退を待っていると身体がついていけないためまもなく復活させることにしました。

 本日は岡崎市にあるキョウセイ交通大学のコースで、二輪安全運転練習会が開催され、私自身は申し込んでないため乗れませんが、指導員の上杉君が私の愛車をトラックに積んで持ち込み、コースを走らせてくれました。

 走らせていないため温まったマフラーから白い煙を出しますが、エンジンは静かに高回転まで廻りそうで、5メートル離れた場所から眺めると新車時と遜色ないものの、近づくとアルミホイールや部品に細かい錆があり、これから磨き上げてタイヤも新調していくことになります。

 18年前まで私が乗っていた愛車が、上杉君によってコースを走る姿を見た家内も、久しぶりに元通りの愛車を見たことと、これまで上杉君によって細部まで整備されていたことによって、私のカムバックには理解を示してくれそうです。

 今度VF400Fがこの一言に登場するのは車検を受ける日で、その日から私のリハビリツーリングをスタートさせていきます。

            本日の体重 73、5キロ 徒歩数 2201歩 間食あり
                                    11月19日の一言

NPO法人申請書類とともに愛知県の窓口へ


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津島高校前の並木道  昨日

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我家の畑のミカン  昨日

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大治町三本木の街路樹  本日

 本日は名古屋市東区のウィルあいち内のNPO交流プラザに、設立予定の特定非営利活動法人「横井庄一記念館を護る会」の申請書類の相談に訪れました。
 10年前にも「ひとまち生活ネット津島」の法人認証を受けていますが、今回のように審査が厳しいと思えなかったものの、担当者から当時と変わらないと言われると、私自身が年齢を重ねた鈍化しかありません。

 月末に再度愛知県の窓口を訪れ、12月中に完成した書類を受理してもらい、来年3月中頃に法人として活動をスタートする予定ですが、記念館の館長を努める横井夫人は89歳になっており、少しでも早く安心できる体制を作りたいと思います。

 さて、昨年に2台のデジカメを落として壊したため、今年は携帯電話のカメラと決め込んでおり、プリントする気もありませんでしたが、家内がスマホの写真をプリントしたいと言うので、本日は名古屋から帰る途中にある大治町のカメラ屋さんに立ち寄りました。

 昨年にカメラのキタムラが津島市から撤退したことから、今年は一度もカメラ屋さんに立ち寄ったことがなく、久しぶりにカメラ談議に花を咲かせると、大治町から名古屋市までカメラ屋さんが無くなったとの話を耳にしました。

 私の住む津島市には、かつて多くのカメラ屋さんと写真館がありましたが、現在は数件しか存在せず、学生時代からライオン写真館に入り浸って知恵を授かり、朝日新聞に関係したことから高校野球の写真展を何回も開催し、上高地の写真展を3回主催したのが信じられないカメラと無縁の生活となっていました。

            本日の体重 73、3キロ 徒歩数 2524歩 間食あり

                                    11月18日の一言

横井庄一記念館   畑の収穫と植え付け


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小さいもののサツマイモを収穫しました

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畑どころか雑草が生い茂っていました

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やっと草刈りが終り…

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何とかサツマイモの葉を発見しました

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小さなサツマイモと菊イモ

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ブロッコリーも残っていました

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越津ネギを植え付けます

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これで正月まで困りません

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私のクツも大収穫です

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そして、私の身体中にも…

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哀れな姿です  1時間半の作業に30分の後始末

 本日は横井庄一記念館に出向きましたが、名古屋に住む娘と待ち合わせて夫人と3人で談笑していると、家内が畑に植えてあったサツマイモを掘って、新たにネギを植えるため持参したため、予定外の畑作業となりました。

 畑作業とは言うものの、現実は夏に植えただけで放置してあったサツマイモだけに、その間に胸の高さまで生い茂った雑草を取り除かないと入れないため、雑草処理に30分以上かかり、やっとサツマイモの葉が出てきました。

 こんな状態ではサツマイモどころではありませんが、掘り起こすと小さいながらも綺麗なサツマイモが現れ、夏に取り残したジャガイモと菊イモも少しあり、89歳となる横井夫人が食べるには十分な収穫となりました。

 掘り起こした畑にワラを埋め込み、私の住む津島市越津町が発祥の名産「越津ネギ」を植えて作業を終えましたが、スーパーで買ってくれば100円もしない収穫だったものの、グアム島で発見された後に「耐乏評論家」と言われた横井庄一さんだけに、本来は自給自足にこだわることも重要かと思います。

 さて、作業はたいしたことはなかったものの、記念館を出たものの、クツや身体中についた雑草(引っ付き虫)のタネを取らないと車にも座れないため、寒風吹く夕方にシャツを脱いで種子を取るはめになり、通り行く車中から奇異の眼にさらされることにもなりました。

           本日の体重 73、1キロ 徒歩数 2976歩 間食あり
                                   11月17日の一言

閉山式一日後の大雪にびっくりの上高地に


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本日午前10時頃の大正池ホテル前

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本日午後5時過ぎの大正池ホテル前

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本日午前9時50分の釜トンネル

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午前9時50分頃の沢渡

16日は平地でも積雪のおそれ 11月15日 17時52分

 昨日の一言で、「今年の閉山式も寒風吹く震えるような一日となり」と記しましたが、昨日は雪こそ少なかったものの、身体の震えが止まらぬような一日となり、本日のテレビニュースで上高地の積雪を知り、上高地ライブカメラは昨日で終了しているため、国土交通省松本砂防事務所の「北アルプス東麓防災情報」より、昨日通った大正池ホテル前と、釜トンネルに沢渡の写真を見てびっくりとしました。

 一日違いとは言え、昨日にこれだけの雪が降っていたら、首都圏から来た観光バスや、スタッドレスタイヤに交換していたものの、我家のタクシーもチェーンを巻かないと入れなかったと思われます。

 何よりも、閉山式の翌日となる本日に、後片付けして上高地を下ると語っていた関係者は大変な一日になったと思われます。
 そして、この寒波による雪を見て喜んでいるスキー場関係者の姿も発信されていましたが、私の長距離ドライブに出る気力は一気に減退してしまい、この雪が上高地だけでなく四国遍路も来年4月まで冬眠状態となりました。

                                   11月16日の一言

上高地閉山式 今年最後のボランティアへ


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穂高神社の神官によって神事が執り行われます

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寒風舞うなか多くの人が集いました

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河童橋も人の波が

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穂高連峰に向かって祝詞が読まれます

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河童橋の中央で鏡割り

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運転手でなかったら(悲)

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神事が終ったら直会(なおらい)会場へ

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上高地の役員さんの挨拶です

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閉会後は粉雪(アラレ)が舞いました

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バスターミナルも本日が最後となります

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人の居なくなったウェストンレリーフ

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来年4月まで静寂となる大正池


 4月27日に開山した上高地も、あっという間に閉山式を迎えました。今年の四月は雪が多く、上高地のパークボランティアも鉄のように固い氷を割る除雪作業でスタートしましたが、今年の閉山式も寒風吹く震えるような一日となり、前日の風雨の影響か開始直前になっても人の姿がまだらで心配しましたが、神事が始まると何処に待機していたのかと思うような人で一杯になりました。

 それにしても寒い閉山式となり、多くの人が震えながら神事を見守りましたが、過去にも積雪や吹雪の開山式や閉山式を体験しましたが、本日は還暦を過ぎた身体の影響かもしれませんが、過去に無い震えが止まらぬ一日でした。

 神事が終った後に行われる直会(なおらい)は、上高地に関係する地元関係者や来賓として神事に参加された人々の納会でもありますが、例年会場となるホテル白樺荘が改装中のため、今年は五千尺ロッジを会場として開かれました。

 昨年の一言(下記参照)にも記してありましたが、直会に「今度来る時は、飲むから車で来ちゃダメだよ」と言われていましたが、私がここ数年間に渡って開山式と閉山式に出かけていることを知る愛知県の人たちが同行しており、今年もお酒を口にしない直会となりました。

昨年11月15日の一言

 しかし、明日から上高地の釜トンネルは閉鎖され、来年4月まで自由に入れないばかりか、半年間に渡って顔を合わせていた人々との別れは寂しいものがあり、我々はボランティアですが、上高地で働く人々が閉山後に何をされるのかを考えるとより寂しさが募ります。

 さて、今年はボランティアに22日間参加しましたが、我家から車で3時間半、約200キロ離れた距離がありながら、帰り道に寄り道をするようになり、少年時代の学校への行き帰りの道草のような新鮮さを実感した一年でもありました。

 本日は朝5時に津島市を出発し、8時40分に上高地へ到着し、田代橋まで巡視(ゴミ拾い)後に閉山式と直会に参加し、午後2時過ぎに上高地を離れ、沢渡の足湯公園で足湯に浸かり、境峠から薮原経由で道の駅や寝覚ノ床に立ち寄って午後7時にそれぞれを自宅へ送り届けました。

                                   11月15日の一言

熊野三山の名物 もうで餅

 
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熊野三山の名物「熊野もうで餅」

熊野もうで餅 http://moudemochi.com/

 月初めに訪れた熊野三山の中で、最後に訪れた新宮市熊野速玉大社の境内で、試食した瞬間に「伊勢の赤福餅より美味しい」と感じたのが熊野もうで餅で、帰宅後に口にした息子たちも同様に「赤福より美味い」と言いました。

 お餅であんを包み玄米粉をかけた製品とありますが、これだけ美味い餅を今まで口にしたことも無かったのは、本宮大社・熊野速玉大社・熊野那智大社の3ヶ所だけの限定販売となっており、通信販売やネットによる注文も風味や品質面を考えて断っているためと判りました。

 しかも、熊野速玉大社は駐車場から歩く参道に出店しているものの、熊野本宮大社は鳳凰殿内で販売し、熊野那智大社は茶房珍重庵に入らないと目にしないため、知らない人はそのままになってしまい、 名前は浸透していないものの、ここでしか買えない名物にびっくりさせられました。

ここから下記は知人が送ってきた常滑市の写真です

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焼き物散歩道の土管坂

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登り窯のようですね

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常滑らしい狭い雰囲気です


 本日はNPO法人「横井庄一記念館を護る会」の設立申請書を愛知県に提出するため車で出ようとしていると、市役所から電話で議会改革協議会が開催されるとのことで、私の勘違いで自分が委員になっていることを忘れており、大急ぎで市役所に走ったため、午前中の予定は総て無になってしまいました。

 そして、横井夫人や理事就任予定者と打ち合わせて愛知県の窓口である、ウィルあいち内のNPO交流プラザに到着すると、月曜日は休館日で、半年前にも同じ体験をしておりながら、全く記憶に無く、またもや休日出勤の職員に対応してもらうとともに、今週の土曜日に再度訪れることになりました。

 今から10年前にNPO法人ひとまち生活ネット津島の認証を愛知県から受けましたが、「3、4回は書き直しが必要」と言われても、当時にそんな苦労をした記憶は無く、改めて大変な作業をしていることを実感です。

 申請も大変ですが、認証を受けると法務局に登記する必要もあり、10年前と比較すると一つ一つの仕事が苦痛になっていることを実感させられ、明らかに還暦を過ぎた年齢からくるストレスでもあります。十年前の半分の能力です。

 明日も市役所で委員会が開催され、明後日は上高地最後のボランティアとなり、閉山後は来年4月まで長い冬となります。この間に山積した仕事ができそうですが、身体がナマカワになっているのか、気力も失せて熊の冬眠のように動けません。

           本日の体重 73、0キロ 徒歩数 3978歩 間食あり
                                   11月13日の一言

留守番三日目 意味不明の メールが送付されて


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弥富イオンタウンに立つテラ吉君 私と相棒の散歩です

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小田急ロマンスカー
                        御殿場に行く途中の写真とのことです

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小田原城と武将隊

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珍しい菊の花です 小田原城内菊花展

 昨晩にパソコンの面倒を見てもらっているTさんにパソコンを調整してもらい、どうしても過去の画面のXPやウインドウ7から新しい10に移行できない私に、過去にとらわれず10を使うように言われました。

 パソコンに詳しくなく、何でも勝手にクリックして画面が変わってしまい、その都度電話して対応してもらっていますが、突然パソコン画面やメールに現れる表示にGoogleやYahooの表示があると信用してしまいます。

 下記は本日の午後に受信したメールですが、間違いのないようにも思えますが、本当にYahoo JAPANプライバシー・サポートが本物かどうかも判らず、このまま情報を入力して大丈夫か判断もできず、送信先も不明のためここに添付して皆さんの知恵を寄せていただきたいと思った次第です。


!!!注意!!!あなたのアカウントを確認してください!
Yahoo JAPANユーザー、

これは私たちのサーバーからの自動メッセージです。このメッセージが届いた場合は、最近のウイルス攻撃やデータベースのハックにより、Yahoo JAPANのメールアドレスアカウントが停止していることを意味します。現在、特定のメールアカウントのメンテナンスを行っています。その結果、電子メールサービスを継続するためにアカウントのメンテナンスを行い、メールボックスのサイズを増やす必要があります。アカウントはウイルスによって攻撃されています。
アカウントを確認するには、以下の必須情報を入力してください:

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地域

あなたのアカウント情報は、あなたのアカウント情報を確認し、電子メールデータベースで確認された後も有効です。あなたのYahoo JAPAN電子メールアカウントが永久に無効になると、アカウント電子メールシステムから一時的に停止されます。

ご迷惑をおかけしましたことをお詫び申し上げます。ご理解いただきありがとうございます。

敬具、
Yahoo JAPANプライバシー・サポート

本日も私は留守番 家族からの旅情に


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本日の夕食 玉ネギ1個入り讃岐うどんとキムチにトマト
                                 過去に記憶にない単身生活です

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鶴岡八幡宮でしょうか?

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茅の輪くぐり 江ノ島の神社
                  人と車の祈願ができるようです

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江ノ島なんでしょうね

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夜に江ノ電に乗ったようですね

 単身生活といっても3日間だけのことですが、私が家を空けることはあっても、私が独りで留守番となった記憶はなく、一人で買い物や食事に出ることが嫌いな私は、冷蔵庫や台所に置かれた食べ物を口にするしかありません。

 「肉じゃが食べる?」の一言は、朝に仕事で接骨院に戻ってきた三男の言葉でしたが、私は基本的に家内の作った食べ物より口にしたことがなく、つい「いらない」と言ってしまいましたが、これからは息子の嫁さんの作ったものも食べないと居り場が無くなってしまうかもしれませんね。

 朝は基本的にバナナとヨーグルトがあれば良いのですが、昼はあてもなく横になっいると三男が外出すると言うので、五平餅とみたらし団子を買ってきてくれと伝えていたところ、五平餅と団子は5本も買ってきてくれました。

 本日は15日に出かける上高地について、積雪の心配から道路の凍結に備えるために夏用タイヤを冬用のスタッドレスタイヤに交換してもらいましたが、愛知県でもいよいよ冬の到来を予感させるような強風舞う一日となりました。

 さて、私が旅立ったときには、私の安否確認が求められるのに、昨日の本日も我家の様子を確認することもなく、私が連絡しても電話にも出ず、家族の不在で寂しがっている相棒と一日中一緒に行動している私の苦労は何も考えられていません。

         本日の体重 72、9キロ 徒歩数 2210歩 間食あり
                                  11月11日の一言

私は留守番 家族からの旅情に


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鎌倉の大仏さんです


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中華街にも行ったようです

横浜中華街の公式サイト http://www.chinatown.or.jp/

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 カップヌードルミュージアム 横浜 https://www.cupnoodles-museum.jp/ja/yokohama/

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横浜桜木町駅前から見える夜景

 本日の我家は、次男の運転する車で家内と私の母親と妹の4人で、午前5時頃から2泊3日で神奈川県に観光のため出発し、旅先から添付した写真を送ってきました。

 当初は私もメンバーに入っていましたが、私まで参加すると我家の相棒だけを家の留守番にはできず、私の車に相棒と家族を乗せていくだけではなく、夜に相棒だけを車中で寝かせられないため、私が相棒と一緒に車中泊となるため、あまり関心のあるわけではない鎌倉や横浜には不参加となった次第でした。

 相棒リマ(ポメラニアン雄9才)は、我家に来た時から、私たちの子供として人間と同じように生活してきたため、自分だけ家で留守番となると大変なストレスを溜め込み、私と家内が一緒に旅行で外出してしまうと食事も口にしなくなり、我々が帰ってくるまで入り口で座って待っているとま話です。

 相棒は車での外出にもなれていますが、観光地では施設に入れないだけでなく、我々も食事はコンビニ弁当になってしまうため、今回は私が残ることにして、食事の面倒は三男が見てくれますが、私と2人だけの食事では催促されて一緒に食べているためか、これまで聞いていたようなストレスは感じていないようです。

 さて、本日は鎌倉から横浜に移動し、明日も鎌倉を訪れるとの話ですが、できれば私の行ったことのない場所から発信して欲しいと明日の発信を楽しみにする相棒との夜になりました。

             本日の体重 73、1キロ 徒歩数 3054歩 間食あり
                                     11月10日の一言

おい、何処に行っていたんだの一言に

 
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「おい、何処に行っていたんだ」
     「家に居たよ」
「毎日車が無かったじゃないか」
     「何だ、先週の話か」    
「一週間は車が無かったぞ」

 本日訪れた知人の一言ですが、先週は月曜日の夜に四国に出発し、四国遍路と観光を楽しみ、フェリーで和歌山県に渡り、高野山から龍神スカイラインで白浜海岸に行き、最終日は熊野三山を訪れ、愛知県に帰宅した金曜日は家族で祖父江の善光寺などに出かけ、その夜にはボランティア目的の上高地に出発し、日曜日の夜に帰ってきました。

 久しぶりに会った知人に説明するだけで時間が経過していきますが、私自身が確認しないとあまりにも訪れた場所が多く説明が終りません。

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10月31日 四国八十八ヶ所満願です

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31日 鳴門の渦潮見物と徳島市内クルージングへ

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31日 阿波踊りの鑑賞と踊りに参加しました

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1日 高野山金剛峯寺へ

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1日 高野山奥之院へ

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1日 龍神スカイラインの紅葉

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2日 白浜海岸から

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2日 熊野三山参拝へ 写真は那智青岸渡寺

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2日 和歌山の海岸から三重県へ

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3日 祖父江善光寺へ

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4日の上高地 終日の雨

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5日の早朝 焼岳

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5日の午後 河童橋と穂高

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5日の夕方 沢渡の駐車場の愛車


 忙しいと一日があっという間に過ぎてしまいますが、締め切りのない仕事ははかどらずに一日が長く、昨日も本日も各地を走っているものの、何もしているようには思えずに夜を迎えました。

 濃密な一週間があっという間に過ぎ去り、しばらくは愛知県に提出する書類を完成させ、まもなく始まる本業の議員活動に気持を切り替えないと、旅行気分の継続によって大晦日になってしまいます。

 実は、明日からの3日間を、私を除いた家族は次男の運転する車で横浜や鎌倉を訪れることになっており、当初は私も参加予定でしたが、私が参加すると多く搭乗できる私の車となり、運転までして行きたいとは思えないため留守番としました。

 新鮮な旅情が発信されてくることに期待して仕事に励みます。

                 本日の体重  徒歩数  間食
                                    11月9日の一言

上高地からの帰路に 木曽川の源流・縁結神社

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奈川村と木祖村の境の山の中にある縁結神社

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このセセラギも木曽川へ流れていきます

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縁結神社の入り口 

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こんな丘を登っていきます

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最後の上り坂です

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人里離れた山の中の祠

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多くの絵馬が並んでいます

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この小川の水も木曽川へ

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そして、だんだんと大きくなって木曽川へ  
                   ここは衣更著(きさらぎ)神社前
                               宮沢川と菅川が合流する場所

 上高地から国道158号線(松本市と高山市を結び福井県福井市に至る)を松本方面に走り、沢渡大橋を渡って奈川渡ダムを右に曲がると、木曽路の国道19号薮原に抜ける長野県道26号奈川木祖線に入り、途中の旧奈川村と木祖村の境にあるのが境峠です。

 この境峠に降る雨は、松本側から奈良井川となり信濃川から日本海へ流れる信濃川水系となり、境峠から南側に流れる水は木曽川水系となり、木曽川から太平洋側に流れていきます。
 今週の日曜日に眺めた境峠周辺や、木曽川の源流となる木祖村のセセラギを眺め、この水が我家の近くを流れていくのは何時になるのかと考えると、我が身も自然の一環であることと、水にも生命が宿っているような感覚を覚えました。


 
縁結神社所在地 長野県木曽郡木祖村小木曽5441番地2

 上高地の帰り道に、境峠を下り始めた直後に存在する縁結神社の幟があり、別荘地の管理棟の奥にあることから、しゃれで建てられた神社のように思って車を停めましたが、境内に表示された由来や伝承を読むと、観光の延長線上の神社ではなく、祠の周りには縁結びを願う真剣な絵馬が並べられていました。

 日本で唯一「縁結」の名を持っている神社で、「お参りをすると必ず思いの相手と縁結びが叶う」とか、「恋愛だけでなく、人脈にも利益がある」という長野県NO1のパワースポットに選ばれたと知ると、一度は訪れてもらいたい神社で、当日は家族連れと女性二人の参拝客と出会いました。

 私の住む愛知県とは200キロほど離れた場所にあり、わざわざここを目的として愛知県から行く人はないかも知れませんが、私の住む地域には各町内にそれぞれの神社があるものの、建立された由来や伝承がはっきりとせず、その理由は歴史がありすぎるのかもしれませんが、木曽路に建つ神社にはそれぞれの由来が伝承され、地域の人々によって綺麗に管理されています。

 さて、上高地の帰路については、来週15日に上高地が閉山されてしまい、この日は高山経由で行き来するため、シーズンオフとなる来年4月までは何も記載できませんが、来年には木曽川の源流から愛知県に至る229キロを寄り道してみたいと思っています。
 もっとも、来年は64歳になっているため、そんな根気が残っておればの話となりますが…

           本日の体重 72、7キロ 徒歩数 4606歩 間食あり
                                     11月8日の一言

半月ぶりのボーリングへ

 
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本日の3ゲーム目 7投目以外は全てスペアでした
 
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稲沢市のグランドボウル
 
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15ポンドが私のボウル
 
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多くの貸し靴が並んでいます
 
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知人の見事なフォーム
 
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こんなスコアは久しぶりです
 
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旧祖父江町黄葉まつりのポスター
 
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稲沢市のコミュニティバスです
 
 7月より運動目的として毎週1回を目標にしていたボーリングですが、一週間前には岐阜県可児市から愛知県犬山市までウォーキングにしたたる、半月ぶりのボーリングとなり、3ゲーム目は若かりし頃を思い出したようなゲームとなりました。
 
 本日のハイゲーム 164 ローゲーム 125 アベレージ 147
 
 先月までは5ゲーム立ったままをノルマとしていましたが、健康診断も終わったため、楽しみながら3ゲームとなり、一週間おきにウォーキングとボーリングを交互に行なうこととして、次は場所は未定ながら20日に散策に出る約束としました。
 
 月末から四国遍路、上高地のボランティアと身体を動かし続けてきましたが、ホテルのバイキングで食べ過ぎたツケか、体重が微妙に増加しており、15日まで食生活を見直してベスト体重に改善したいと思う一日ともなりました。
 
               本日の体重  徒歩数 
                                     11月6日の一言
 

上高地 私の大好きな居場所・小梨平


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雄大な銀嶺とカラマツ林  小梨橋
                         橋を渡った右側にキャンプ場受付と食堂、お風呂が

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小梨平を流れる中川

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小梨平の梓川沿いに一本だけ立つカラマツ
             私の一番好きな居場所で、正面の穂高だけでなく、
                        右を見れば明神岳、左を見れば焼岳が眺められます

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鮮やかな黄色いじゅうたんの上は足に優しく

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挙式直後の笑顔の素晴らしいカップル
                      私までうれしい気持ちになりました。お幸せに
                                          昨日午後の写真です

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2台の望遠鏡  ビジターセンター前

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左は奥穂高山頂、右は西穂高独標が見えます

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上高地パークボランティアの野竹会長が望遠鏡を案内されていました


 上高地を訪れる人々がそれぞれの価値観を持っているのは当り前ですが、観光客が他の観光客に「ここが一番」と言う場所が必ずしも最高ではなく、河童橋から一歩足を進めると、自分だけの最高の居場所が存在します。

 一泊数万円のホテルに宿泊したことに満足した話や、わざわざ東京から帝国ホテルの水を飲みに来たという話も聞きますが、上高地の魅力は大自然のまま保存された自然環境であり、ホテルの居心地は東京の近代的ホテルには敵いませんし、帝国ホテルの水だけが特別の湧き水ではなく、上高地の水は総て六百山から湧き出た清水川の湧き水です。

 そんな上高地で、4月から10月まで小梨平でテント生活をおくり、河童橋で油絵を描き続ける渡辺画伯は別格ですが、還暦後の有り余る時間を小梨で長期滞在される人が年々増加しており、ホテルですれ違う人間関係とは違う、上高地の隣組や町内会的な関係ができていきます。

 なんせ、一泊800円で滞在できるわけですから、ホテルの1泊分で1週間から半月は滞在でき、雨の日が続いても、目覚めると必ず雲一つない快晴の穂高連峰に出くわし、長期滞在は上高地の自然と同化したような気持になれます。
 ただし、これも私の勝手な価値観ですが…

 さて、小梨平には環境省のビジターセンターが存在し、昨日もパークボランティアの野竹会長が望遠鏡を持ち出して案内されていましたが、奥穂高岳山頂や、西穂高岳独標の山頂に登った登山者の姿を見た人々が感嘆の声を上げていました。

 「出来ないんじゃなくて、来年からはやるんだよ」の一言は、望遠鏡の設置と調整のできない私に会長が発した言葉で、決められたボランティア作業が終った後で、会長や一部の先輩ボランティアが案内されており、昨日は保管場所や設定について教えていただいたため、来年からはボランティア終了後に参加したいと思います。

 今年は中学生を引率して、明神池までガイドとして案内して歩いた経験を、来年は更にパワーアップして、出会った人々に上高地の魅力を発信していきます。

           本日の体重 72、7キロ 徒歩数 2250歩 間食あり
                                     11月6日の一言

徒歩数 1日 10623歩 2日 7283歩 3日 6624歩 4日 14612歩 5日 11720歩

上高地 見事な三段紅葉の一日に


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本日早朝の穂高連峰三段紅葉です   午前8時30分

             穂高連峰の「三段紅葉」
              http://www.kamikochi-guide.net/autumnleaves/sandankoyo.html

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バスの車窓から見えた大正池

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早朝の河童橋

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早朝の焼岳

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午後の三段、いや五段紅葉

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午後の河童橋と穂高と明神岳

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午後の河童橋

 添付した写真は、総て携帯電話のカメラで撮影した上高地ですが、本日の上高地をデジタルカメラで撮影したらどれくらい綺麗に写るのかと思うような、雲一つない晴天の一日となりました。

 皮肉なもので、こんな見事な快晴の日に上高地を訪れる人もあれば、昨日訪れた人々は傘をさし、終日足元を濡らして歩く雨の一日となり、本日訪れた人たちは素晴らしい一日に感動し、昨日訪れた多くの人は「二度と来たくない」と思われたかもしれません。

 昨日の上高地は終日雨となりましたが、穂高では雪が降りしきり、途中で登山を断念した登山者も多く、本日早朝の上高地は山だけでなく、地表も霜が降りて凍り付いており、綺麗な景色は厳しい環境と隣り合わせともなります。

 こんな見事な三段紅葉を目にして、上高地を描いて57年となる渡辺(ホームレス)画伯も、4月から10月までテントを張っていながら、凍えて生活できない厳しい自然環境となり千葉に帰ってしまいましたが、一日中雲一つ無い上高地はめったに遭遇できません。

 私自身はボランティアとして、本日はバスターミナルと河童橋の間の側溝の落ち葉と泥を取り除く作業となりましたが、こんなに天気が良いと土木作業で身体を酷使していても疲れも払拭させてくれました。

 さて、本日は昼食抜きでビジターセンター前で望遠鏡を設置し、1つは奥穂高岳山頂と、1台は西穂高山頂にセットして観光客に無料開放していましたが、山頂に存在する登山者の姿に感動する観光客の姿から、来年はガイドとして更に貢献したいと思う一日ともなりました。

 今年のボランティアは閉山式の15日にも巡視(兼ゴミ拾い)に参加しますが、何と言ってもあと十日後に釜トンネルは閉鎖され、来年4月まで閉ざされた世界となり、しばらくは上高地と隔絶される生活が近づいてきました。

                                    11月5日の一言

上高地   閉山式が近づいて


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本日夕方の穂高連峰
                         上高地は終日雨でしたが、山は見事な雪化粧です。

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既に閉鎖それたホテルの案内
                              寂しいものがありますね

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ホームレス画伯のテント跡地 
                             今年4月から10月末まで滞在した
                                       渡辺画伯も千葉に帰りました。

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上高地から沢渡に戻ります。

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沢渡足湯前の様子です



 半月ぶりの上高地ですが、今年は一度も雨に降られなかったものの、本日は朝から終日雨が降る中でのボランティア活動となりました。
 雨でも活動中は汗だくですが、活動が終った夕方の穂高は真っ白の冬景色となっており、寒さに肩を震わせながらシャトルバスを待ち、沢渡は紅葉が最高となっているものの、冬の寒さに震えることとなりました。

 明日は、午前中のボランティアに参加して、御嶽山の祖父の石碑に参拝後に愛知県に戻っていく予定です。上高地最終日となる15日の閉山式は冬用タイヤに履き替えないと平湯峠は越せないかもしれませんね。

                                    11月4日の一言

上高地 雨の中のボランティア


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今年は上高地に多くの雨が降りましたが、私は20日以上上高地を訪れて一度も雨に降られたことがなく、このまま一年が終わるかと思われたものの、本日の上高地は朝から夕方まで雨となりました。

本日のボランティアは、午前中は田代池周辺の散策蕗の笹の刈り取りと清掃をして、午後はボランティアの定例会が開催され、今年一年の反省と来年の活動について話し合いました。




雨の上高地となって


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日の上高地は雨となりました。

沢渡バスターミナルを発車した頃は曇り空でしたが、途中から雨が降りだし、上高地では完全な雨模様となりました。

雨中のボランティアとなりました。



和歌山県 熊野三山と那智青岸渡寺へ 昨日の話です

                                           昨日の旅程です
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熊野本宮大社で記念撮影する志賀弘法会のメンバー

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本宮大社本殿

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山門から見る本殿

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那智の滝と五重塔

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那智熊野大社 本殿

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胎内くぐりができる巨木

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西国1番那智青岸渡寺

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西国霊場先達の青年と遭遇しました

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新宮 熊野速玉大社

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 昨日は和歌山県の熊野三山と西国1番那智山青岸渡寺に参拝してきました。

 私にとって巡礼は新たな人との出会いでもあり、今回も青岸渡寺で西国霊場の公認先達である奈良県の青年と出会い、来年の12月に四国八十八ヶ所霊場会の先達研修を受ける予定との話に遍路談議に花を咲かせてきましたが、同行する8人のメンバーがあるため、納め札を交換して再会を誓ってお別れとなりました。

 今回の旅程で多くの人々と出会い、徳島の阿波踊り会館で見事に踊っていた3才くらいの可愛いお子さん(後々公開します)や、仕事とは言えサービス精神満点で応対していただいた白浜御苑のフロントマン「むらい」さんなど、人との出会いが次の旅立ちをかりたててくれます。

 さて、昨日の夜に自宅に帰り、本日は深夜に上高地まで車を走らせ、明日と明後日のボランティアに参加し、それからしばらくは(15日の上高地閉山式までは)自宅で山積した仕事に専念することになります。

                                    11月3日の一言

南紀白浜温泉 白浜御苑


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南紀白浜温泉 白浜御苑

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ホテルの窓から見えた白浜海岸 本日午前6時20分

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昨晩のビンゴゲームで家内が一等賞をゲット

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商品は湯快リゾート宿泊券でした

湯快リゾート http://yukai-r.jp/

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出発です 午前8時10分

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白浜海岸 円月島


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和歌山県朝日ゆ夕陽百選

和歌山県の朝日・夕陽100選                 

 今回の旅程は、一日目が四国遍路結願と阿波踊り、二日目が高野山御礼参りから白浜温泉、三日目が熊野三山と決めており、本日の一言は熊野三山の予定でしたが、宿泊していた湯快リゾート白浜御苑で、昨晩の夜に開かれたビンゴゲームで家内が一等賞を当て、湯快リゾート1泊宿泊券を獲得したことから御礼を込めて添付しました。

 徳島県から和歌山県の高野山に出かけて、その後に熊野古道にある熊野三山を訪れて愛知県に戻る場合に、白浜温泉は和歌山県では愛知県から一番遠い位置にあり、宿泊する場所を効率の良い龍神温泉か那智勝浦を考えていたものの、「白浜温泉の湯快リゾートが良い」との家内の一言によって、昨日は龍神スカイラインの山道を走り続けてやっと白浜海岸まで到着しました。

 今回の遍路は9人のメンバーで行っており、夕食時に午後9時30分から開催されるビンゴゲームに参加することになり、個人的にはクジ運が悪いだけでなく、参加費の500円が無駄になると思っていましたが、意外なことに家内のクジ運は良く、過去にも何回か当りくじを当てており、昨晩も一番早くビンゴとなり、一等賞の宿泊券をいただいてしまいました。

 本日は午前8時過ぎにホテルを出発し、熊野本宮大社と熊野那智大社、西国1番青渡岸寺と、新宮の熊野速玉大社を参拝し、私とはあまり縁のない三重県の南部地域から名古屋へ帰りました。

 その顛末は明日に…

                                    11月2日の一言


高野山参拝から龍神スカイラインを走り白浜温泉へ


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高野山金剛峯寺

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慈尊院 九度山町

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慈尊院 大師堂

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金剛峯寺で参拝

高野山真言宗 総本山金剛峯寺 https://www.koyasan.or.jp/

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高野山奥之院一の橋前
                          橋を渡った左側に鶴田浩二さんのお墓があります

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高野山奥之院前の御廟
                        ここから奥は写真が撮影できません

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最近テレビで話題になったお地蔵様
                       お告げを聞いて成功した米国女性が放映されました

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龍神スカイラインの紅葉

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護摩壇山 スカイタワー
ごまさんスカイタワー http://gomasanskytower.com/
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紀伊半島の山々が見渡せます

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四国から紀伊半島へと大活躍のキャラバン

 愛知県から高野山には行きますが、その奥(南)に位置する龍神スカイラインへ車を走らせると、紀伊半島を一周することになり、宿泊しないと行けない場所だけに、今回は白浜温泉に宿泊し、最終日に熊野三山を参拝して愛知県に帰る旅程で車を走らせてきました。

 四国から和歌山県の紀伊半島一周は、旅行が好きでないと運転手としては酷なドライブとなります。それも払拭するような見事な紅葉のお陰で、何とか白浜海岸の茜色の夕暮れを見ながら白浜温泉白浜御苑に到着しました。

 なっ、なんと… 夜のビンゴゲームで、家内が一等賞となり、宿泊券をプレゼントされました。私はオマケのような羊羹が賞品でした。
                                      11月1日の一言

四国から南海フェリーで和歌山県へ


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徳島港乗船前の南海フェリー  ゲートがまもなく開きます

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南海フェリーつるぎ

南海フェリー http://www.nankai-ferry.co.jp/

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車で9人が乗船しました
                        JAFカードの掲示で割引されます

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徳島港ともお別れです

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船内の様子 イス席だけでなく大広間もあります

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2時間10分で和歌山港到着です

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まもなく和歌山港に上陸です

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紅葉の中を高野山に向かいます

 宿泊した徳島市の東横インを午前7時15分に出発して、約15分でフェリー乗場に到着し、午前8時の和歌山行きに乗船しましたが、車を降りることなくドライブスルーで乗船手続きができました。

 これまでは徳島県から淡路島を通過して、大阪経由で高野山へ走ってきましたが、料金はネックになりますが、高速道路の通行料と燃料代は勿論ですが、フェリーの約2時間は早くて仮眠をしながら和歌山県に到着できるため、大変楽な高野山行きとなりました。

            
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