大鹿一八「本日の一言」

平成16年2月から令和1年7月末までの「本日の一言」です。ヤフーブログ閉鎖により、ライブドアへ過去の記録として引っ越しました。

2017年12月

温かい空間を探して一宮市まで


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赤い提灯に引き寄せられて

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懐かしい雰囲気です

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酒が隣人を引き寄せます

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静寂の街角に花が咲いています

 本日は昭和50年代より馴染みとしている店主の居酒屋まで仲間とともに訪れました。一宮市までです。

 かつては地元の津島市で連日飲み歩くお店がありましたが、通っていた馴染みの店が次々と灯りを消し、冬でも暖かい居場所がなくなり、最近は飲み歩くことも無くなりました。

 久々に時間と支払う料金を考えることなく飲み続ける夜となりました。

                                   12月30日の一言

元日まであと三日間 餅をつきました


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散歩中のリマ 三男の赤ちゃんにストレスを溜めているので一緒に出かけました

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我家で三十年近く頑張る餅つき器

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もち米を丸めていきます

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あっという間に完成です

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右の容器で取り出します

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入りました

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昼の食卓へ

 「今年1年間の交通事故による全国の死者数が、68年ぶりに過去最少を更新する見通しになっている」との新聞報道があり、「このペースで推移すると、統計を取り始めて最も少なかった1949年の3790人を下回る」と記されています。

交通事故死、68年ぶり最少更新の見通し

 1949年は昭和24年ですから、私の生まれる4年前の話となり、道路の安全対策とともに、車の安全装置によって、水田を牛が耕していたのどかな時代の死者数まで減少していることに関係者の努力が偲ばれます。

 さて、そんな中でも愛知県の死亡事故状況は11月末で172人と報告されており、昨年の12月には22人が亡くなっていることを考えると、昨年よりは減少が見込まれるものの改善は急務でもあります。

 そのうちでも65歳以上の高齢者が全体の半数を占めていますが、被害者にならないためには夕方や夜間に黒い衣服を着ないことで、夜間に黒いジャンバー姿で道路を歩けば車からは見えにくく、白い衣服やズボンを着て、反射テープでも持ち歩けば確実に事故は減らせられることから、歩行者にも安全対策を義務付ける必要を感じます。

 我家では18日に生まれた孫が衆目を集めますが、我家の主人公であった相棒リマは明らかにストレスをため込んでおり、本日は相棒を連れ出して畑まで散歩に出かけました。何にも感じていない赤ちゃんと違い、ペットは敏感に反応し、相棒が来た時にも愛犬モモが悲しい声をあげていた過去の反省から、相棒にストレスを与えないようにしたいと思います。

 2階の事務所に保護しているスズメについては相棒以上に意識し、私が「ヒー」と呼ぶと「ヒー」に負けじと「サブ」も鳴き、「サブ」と声をかけると「ヒー」も鳴き続け、私に懐いていない3羽のスズメも大合唱を始めます。ましてや「ヒー」だけにエサをやると、「サブ」も飛んできて確認しますから、残る鳥カゴの3羽にも与えています。

 今年もあと2日間です。

           本日の体重 74、0キロ 徒歩数 3806歩 間食あり
                                   12月29日の一言

年末は一日の経過が早く、訃報も届いて


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我家のスイセン

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私の憩いの場所も一日を終えて

 本日は御用納めのため連絡待ちの一日となり、今年は孫が誕生したことで初詣に行けず年末年始の京都行きを諦め、年末には仲間で居酒屋に行く約束をしていると、長年世話になってきた知人の訃報が入り、年末は突然の通夜と葬式で締めくくることになりました。

 さて、今年一年間は安倍政権の忖度が当り前に見過ごされ、反論した文部官僚は私生活を暴かれて公表され、反旗を翻した幼稚園長は鉄格子の中に入る一方で、何も語らぬ加計学園には巨額の補助金付きで認可される理不尽な政治が、選挙によって大勝する最悪の年でもありました。

 そして、年末には弟子が傷害を追わされた貴乃花親方が、加害者側の関係者よりも厳しい解任案を示され、個人の尊厳や正論よりも、組織に都合の悪い人物が排除されていくような嫌な社会を見せられて不愉快な年末を迎えました。

貴乃花親方「何もありません」 解任案決定に弁明せず
記事の続き…
 ログイン前の続き理事会後の記者会見で八角理事長は「貴乃花理事の解任を評議員会で審議していただくべきであるとの結論に至り、全会一致で評議員会の招集を決議しました」と話した。決定前に弁明の機会を与えられた貴乃花親方は、「何もありません」とだけ答えた。理事会は1時間ほどで終わった。
 理事会の後、貴乃花親方を乗せた車は、東京都江東区の貴乃花部屋へまっすぐに向かった。「どんな処分が出たんですか?」「抗議はしたんですか?」
 長いマフラーを首から垂らし、車から降りた貴乃花親方は、報道陣の問いかけにも終始無言で、部屋の中に消えた。貴乃花親方の処分を最終的に決める評議員会が開かれるのは1月4日。一連の騒動の決着は、年を越すことになった。

元横綱日馬富士の障害事件の経緯
10月25日 秋巡業で鳥取入り
  26日 未明に、鳥取の飲食店で元横綱日馬富士が当時幕内だった貴ノ岩を素手などで殴り、頭部裂傷などを負わせる。鳥取巡業が行われ、両者も出場
  29日 貴ノ岩と師匠の貴乃花親方鳥取県警に被害届を提出
11月1日 同県警から日本相撲協会に捜査協力の要請
  5日 貴ノ岩が福岡で入院
  12日 九州場所初日
  14日 同協会が事件を初めて公表。危機管理委員会が調査に乗り出す
  17日 この日から12月中旬まで、協会側は貴ノ岩の聴取を8度にわたり要請。だが貴乃花親方は捜査への影響を理由に拒否
  26日 九州場所千秋楽
  29日 日馬富士が引退届を提出
12月11日 同県警が元横綱日馬富士を傷害容疑で鳥取地検に書類送検
  19日 同協会側が貴ノ岩を聴取
  20日 同協会は、事件時に同席しながら防げなかったとして、横綱白鵬鶴竜を減給の懲戒処分。日馬富士の師匠だった伊勢ケ浜親方は理事を辞任し役員待遇に
  25日 同協会側が貴乃花親方を聴取
  28日 同協会の臨時理事会で、同親方を理事から解任すべきだとの意見で一致。鳥取区検が日馬富士傷害罪で略式起訴

 相撲協会も情けないもので、貴乃花親方の処分を危機管理委員会の長に発表させ理事長は同席したものの、横綱審議委員会の意見が優先して発信されており、自分の意見や意志で物事に対処できない八角理事長をトップにしていく組織で相撲をとる力士もかわいそうですね。

 貴乃花親方の行動にも問題はあるものの、加害者側の供述でまとめられた危機管理委員会の報告は、委員長を務める高野利雄・元名古屋高検検事長も所詮は協会に雇われた使用人でしかなく、こんな報告書のもとに弁明もせず処分を受け入れた貴乃花親方も無念で仕方ないと思われます。

 そんな気持を今後の奮起する材料にして、優れた弟子を全国から集めて活躍させることで相撲界のトップに登りつめて欲しいものです。
 
            本日の体重 74、1キロ 徒歩数 1924歩 間食あり
                                    12月28日の一言

仕事に追われて雪化粧も添付できず


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本日は雪の舞う一日だったためマックにも客は居ません 店内から見る駐車場

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昨日の散策途中

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昨日の散策終了時 善光寺本堂前

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昨日の健康的ランチ

 本日締め切りの仕事が3件あり、昨晩はこの一言を仕上げながら、仕事を終えたのは午前4時過ぎになり、ゆっくりと眠ってから市役所へ行く予定でしたが、早朝から振り続けた雪のため、朝からボランティアの福祉移送サービスに借り出されました。

 一年に数回しかない街角の雪化粧のため、雪の降った津島市の各地の様子をお伝えしたいものの、仕事に追われていると写真どころではなく、仕事が終ってこの一言に添付する写真もなく、無人のマックにシャッターを切ると、昨日メール添付された知人の写真に気づきました。

イメージ 5 ←送信者は昨日のウォーキングで一緒に歩いた「ホラ貝フキおじさん」ですが、私のリクエストで撮ってもらった写真を眠らせてしまっては申し訳ないため、本日ここに添付しました。

 昨日も雪こそ降らなかったものの、寒風が吹き続ける鉛色の空のもとを真っ暗になるまで歩き続けられたのは、一緒に行動できる仲間が存在したことによります。

 今年もいよいよ終わりとなってきました。

           本日の体重 73、4キロ 徒歩数 3548歩 間食あり
                                  12月27日の一言

祖父江町の尾張七福神を歩いて


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浄土宗・歓喜院 元の弁財天があったお寺です
                                 愛知県稲沢市祖父江町祖父江下沼226


                         イメージ 2 クリックしてご覧ください
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善光寺 福禄寿
                           愛知県稲沢市祖父江町祖父江南川原57-2

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善光寺内・根福寺 恵比寿
                               愛知県稲沢市祖父江町祖父江南川原57-2


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永張寺 布袋尊
                           愛知県稲沢市祖父江町祖父江中屋敷135

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永張寺山門

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領内川の堤を歩きます


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正塔院 毘沙門天
                          愛知県稲沢市祖父江町祖父江南川原45

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刈萱堂 ミニ四国八十八ヶ所

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刈萱堂 寿老人・弁財天
                       愛知県稲沢市祖父江町祖父江江西147

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馬飼頭首工 木曽川

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ゲゲゲッのGさん

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地泉院 大黒天
                       愛知県稲沢市祖父江町神明津231

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 稲沢市祖父江町にある尾張七福神めぐりを4人で歩いてきました。

 そもそも、舞台となる祖父江町は私の出生地で、高校生活を5年も体験した場所であり、母親だけでなく家内の故郷でもあり、今回の七福神めぐりも縁のあるお寺が多く、故郷に帰ったような気持になりました。

 まず、車を善光寺に停め、善光寺の福禄寿を参拝し、同じ境内にある根福寺の恵比寿さまを参拝します。このお寺は善光寺東海別院ともいい、長野、山梨、飯田の三善光寺に加えられた四善光寺と称され、私の同級生である京都大原にある宝泉院住職はこの善光寺の三男でもあります。

 さて、ここから300メートル離れた場所に毘沙門天をまつる正塔院がありますが、ここは私の生まれた母親の在所の前にあり、私は子供の頃から先代からも可愛がってもらったお寺で、ご住職は不在でしたが本堂は開放されており、真言宗のお寺のため勝手にあげさせてもらって読経しました。本日は仲間4人と母親の在所で休憩し、祖父の残した御嶽様の神棚にも手を合わせてきました。

 ここから約1500メートル離れた布袋尊の永張寺を目指しましたが、このお寺も最近亡くなられたご住職が私の高校時代の恩師で、本堂に上げていただいて恩師の遺影にも手を合わさせていただきました。不良で落第生だった私の良き理解者でもあり、私の母親とは小学校の同級生のため、卒業後も可愛がっていただいた恩師のお寺です。

 次は、このまま寿老人と弁財天をまつる刈萱堂を目指しますが、私が携帯電話を車に忘れたため、車を停めてある善光寺経由となり、途中で祖父江名物の銀杏もなかを食べるため花乃屋さんに立ち寄ると、お茶を出して中に招き入れていただきました。ここでも知り合いの話題で花を咲かせました。

 ここから1キロ弱で刈萱堂に到着しますが、元々の弁財天がまつってあった歓喜院前に立つと、むかえにある祖父江幼稚園の園長さんが我々の姿を見て山門を開け、本堂も開けて招き入れてくださりましたが、ご住職がご病気のため弁財天を刈萱堂にお願いされたとの話でした。

 ここから約5分で刈萱堂に到着しました。ここにはミニ四国八十八ヶ所めぐりが配置されており、浄土宗のお寺ですが弘法大師の尊像とともに南無大師のノボリもはためいていました。

 さあ、これから地泉院までが大変です。約4キロ程度離れていることと、木曽川沿いを歩くため寒風にさらされ、鼻水をたらすウォーキングとなりました。途中の喫茶店で昼食としましたが、時間外にも関わらずランチを作っていただき、この休憩によって重くなっていた足が甦りました。よしっ、頑張って歩こう。

 喫茶店から約1キロ程度で地泉院に到着しましたが、このお寺のご住職は日展に34回も選ばれた書道の大家で、私の母校の校歌碑を揮毫され、教壇にも立たれていた方ですが、私の叔父とも旧知の仲と聞いており、私の家内たちの書道の先生でもありました。

 ただし、私は一度もお会いしたことがありませんでしたが、本日は山門に入る前にご住職の奥様が出てこられ、叔父の名前を出したことから、参拝後に仲間4人で奥の座敷まで招き入れていただいて、叔父とは大学の同級生であったことや、津島市での思い出にも花を咲かせていただきました。

 地泉院を出たのが午後5時近くで周りは薄暗くなっており、ここから善光寺まで戻った頃には真っ暗になっていましたが、久々に長距離のウォーキングとなり足腰にも堪えたものの、出会った人々との会話が一日とは思えない充実した時間にもなりました。
         本日の体重 73、4キロ 徒歩数 25772歩 間食あり
                                  12月26日の一言

年末に秋の名残を探して


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ブルーベリーの紅葉

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サツキの黄葉

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我家の柚子

 本日は12月議会の最終日となりましたが、今年の御用納めまで3日間しかなく、明日一日は知人とウォーキングに行く約束がしてあるため、仕事が終らないままに大晦日と新年を迎えることになりました。

 議会だより用の原稿の締め切りが27日になっており、1月に視察予定としている相手自治体への申請書類と、政治活動用の看板の証票などの更新申請も28日になっているため、夜に仕上げて朝届けることになりそうです。

 年内に行くことにしていた御嶽山の霊神場どころではなく、大晦日の京都行きも風前の灯になっていることを、新年まで一週間を切ってしまった今になって実感させられています。

            本日の体重 73、7キロ 徒歩数 3646歩 間食あり
                                    12月25日の一言

相棒リマと久々の美容院へ


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「お父さん、今日はどこに連れていってくれるのかなあ」と言っています

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これは見たことがあるけど…

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目的地に到着しました

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なんだ… … ここだったのか

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暫しとは言え、別れは辛いものがあります

 相棒リマは車のドライブが大好きで、家に置いていかれるとストレスをため、家族と一緒に出かけて助手席の車窓から景色を眺めるのが好きですが、動物病院と美容院に行くのは大嫌いで、到着するとブルブルと身体が震えていきます。

 本日は私と2人だけで美容院に行きましたが、基本的に私は嫌がる場所には連れていかないため、安心して付いてきたら美容院だったのでつらいものがあったものの、何度も訪れてなれてきたのか、自分でオリの中に入っていきました。

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美容院で撮ってもらった写真です

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この格好でいいのかい?
                           尻尾がたれているので緊張しています

 この2枚の写真は、美容院の息子さんから私の携帯電話に送信していただいた複数の写真から引用しましたが、頑張って言われるままにポーズをとっている相棒の姿と、リボンまで付けて写真に収めていただいたお店に感謝です。

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今度は何処に行くんだ…

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おっ、ボクの家だった

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さあ、降りていこうか


 車に乗って何処に出かけるのか判らない時の表情と、美容院で頑張っている姿と、我家に到着して安心して微笑んでいる様子を比較して添付しました。
 我家では私の息子として、今までは何でも一番の主役として生活していた相棒ですが、我家に待望の孫が誕生し、孫の姿を見ていないものの、孫のために持ち込まれた家具やチャイルドシートから異変を感じており、孫が来た時にストレスを感じさせないようにしたいものです。

 かつて我家の主役だったモモは、リマが来たことで連日悲しい声を上げ、私も小さなリマを可愛がりつづけましたが、気がついたときには末期ガンに罹っており、ストレスから9歳で死なせてしまったことから気をつけたいと思います。

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モモとリマ 平成22年4月


 添付した写真は、平成22年に狂犬病の予防接種に訪れた相棒とモモですが、摂取直後より容態が悪くなり、半月後に亡くなりましたが、集団接種の医師は犬の容態も確認せず注射を家畜に打つように刺しており、翌年から相棒は動物病院で予防接種を受けるようになりました。

 相棒については、私と家内が旅行で家を空けると、家族の呼びかけも無視して、食事も口にしないことから、孫が我家に来たことに浮かれているとストレスを溜め込むののは確実で、何も判らない孫はさておいて相棒を主役にした生活を考えることにしています。

             本日の体重 73、6キロ 徒歩数 2904歩 間食あり
                                     12月23日の一言

本日も偶然の一致にビックリして


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これが何の部品か判りますか?

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修理中の車の後部ドアでした

 本日は同級生の経営する自動車板金工場に立ち寄ったところ、私の相手をしておれないような忙しい作業中で、黙って見ていることしかできませんでしたが、最近の車の裏側には多くの配線と部品が組み込まれていることにびっくりさせられました。

 添付した写真は軽自動車の後部ドアですが、私の感覚ではドアは鉄板だけの扉のように思っていただけに、こんなに多くの部品が付いていることも、複雑に配線が張り巡らされていることは驚きでした。

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さて、本日のびっくりです

 昨日の一言に、朝に車へ「鳩サブレ」を1枚入れたところ、訪れていたお寺の午後のお茶に「鳩サブレ」が出され、偶然とは言え、朝のサブレが引き寄せたようでびっくりしましたが、本日助手席に乗せた同級生のポケットから出されたハンカチと、私の助手席に置いてあったハンカチが全く一緒だったことから本日も驚きのツーショットとなりました。

 ハンカチは葬儀場の返礼でいただいた物と思われ、何処にでも同じハンカチがあるとは思いますが、昨日の朝に鳩サブレを置いたら午後に鳩サブレが出され、本日置いたハンカチについても、偶然乗せた同級生のポケットから同じハンカチが出てきたことから、2日続きの出来事にびっくりです。

 もっとも、昨日の顛末を知らない人には、ハンカチが同じことは驚きでもありませんが、2日続けて起こった偶然に同級生と顔を見合わせました。

 これからは欲しい物があったら車の運転席に持ち込んでみようかとの冗談の出る一日となりました。
             本日の体重 73、8キロ 徒歩数 2609歩 間食あり
                                     12月22日の一言

本日は名古屋まで走って  昨日の顛末も


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都会のダイナミックな機能美

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中村公園 豊国神社前

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名鉄病院 名古屋市西区栄生

 本日は9月から書類を作成し、愛知県の担当職員に相談を続けていた横井庄一記念館を護る会のNPO法人申請書類一式をウィルあいちの窓口に届け、本日付で受理してもらいました。

 予定では、3月初旬には愛知県の認証が下りますが、これまで横井夫人が毎週日曜日に開いてきた記念館を、ボランティアの力で維持させていくのは大変で、認証後は明るい話題ばかりではありません。

 本日はウィルあいちと、中村区の豊国神社に近い喫茶チェリーに立ち寄り、最後に少年時代5年間にわたってお世話になった名鉄病院へ家族を送り、近くの名鉄産業の油脂庫の跡地や、名鉄体育館跡地周辺を散策しました。

            本日の体重 73、6キロ 徒歩数 4295歩 間食あり
                                    12月20日の一言
さて、昨日の続きです。
 書道会の忘年会前に 岐阜…関市迫間不動尊へ

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金比羅山山頂 383m 

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山頂から見える関市

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迫力は四国の穴禅定並みです 迫間不動尊奥之院

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護摩堂

 昨日は書道会メンバー5人で、各務原市を訪れた際に関市の迫間(はさま)不動尊に立ち寄りましたが、子供の頃に父親に連れていってもらった場所だったものの、最近は記憶間違いで苧ヶ瀬(おがせ)池と混同しており、新たに建立された護摩堂や、子供の頃に神秘的と感じた奥之院そのものも、人の手が加わったことで子供が後ずさりしそうな雰囲気も一新されていました。

 迫間不動尊は弘仁14年(823年)に開基されており、不動明王を本尊とする仏閣ですが、日本古来の神仏習合の修験場で、同時期に真言密教の霊場を開創した空海と共通する岩窟に安置されたご本尊を前に、四国の穴禅定や岩屋寺と錯覚してしまいそうな雰囲気が残されています。

「迫間不動」「日本珍スポット100景」 http://bqspot.com/tokai/gifu/544
 
 もっとも、私が子供の頃に訪れると岩窟の中で必ず読経を続ける老婆が存在し、人間とは思えない霊的な違和感を覚えましたが、現在は修験場のイメージは薄れ、参拝客の姿もほとんどありませんでした。

 さて、昨日は参道途中にあったハイキングコースをメンバーの一人が登っていったため、追随した2人を追って護摩堂に参拝後に急な登山道を登り始めました。
 1ケ月前に上高地が閉山され、2ヵ月前から坂道を登ったことも無かったため、わずか383メートルの山頂までが乗鞍岳に登った時と変わらぬ苦痛を感じ、右足の膝関節が痛み、左足のふくらはぎがつりそうになりました。

 昨日は最後に各務原市の前渡不動尊に立ち寄ってから、忘年会を予約してあった津島市内まで大急ぎで戻りました。

書道会の忘年会前に 岐阜…各務ケ原行き 1


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コンサート終了後の奏者と

イオンモール各務原店 Otona Cafe コンサート

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本格的なコンサートです

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米田浩美さん(左)ソプラノ 中村恭子さんピアノ

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12月25日の長良川コンサートの案内

 本日は平成5年秋から始まった書道会「神守丈友会」の忘年会の日で、夕方5時からの開かれる忘年会の前に、男性5人だけで岐阜県の各務原市を目指しましたが、途中のイオンモール各務原店で毎日コンサートが開かれていると聞き、珈琲タイムとして鑑賞してきました。

 無料のコンサートではありますが、毎日違う奏者によって本格的なコンサートが開催されていることに、名古屋から30分の距離にありながら、イオンやアピタなど大型ショッピングセンターが存在しない津島市と比較して、各務原市の恵まれた文化環境を実感させられました。

 意外な寄り道に予想以上の満足感です。

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八大竜王を祀る神式の八大竜王堂

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仏式の堂宇である八大竜王本殿
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 苧ヶ瀬池は奈良時代の宝亀年間(770~780年)のある日、突然一晩の内に出来上がったと伝えられ、古くから信仰の対象ととして龍神や大蛇の伝説が残っています。

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私の好物 みたらし団子 社殿横

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 1ケ月前に岐阜市から犬山経由で可児市まで名鉄電車に乗車し、途中の苧ヶ瀬(おがせ)駅の名前から、子供の頃に父親の車で苧ヶ瀬池を訪れていたことと、神秘的な修験場としての印象を残していた過去の記憶が蘇り、過去の思い出を頼りに各務原市を目指しました。

 とりあえずネット情報で、岐阜から飛騨地方までの真言宗のお寺で一番歴史があるとの情報を頼りに高家寺を訪ねましたが、日頃から参拝者が祈願に訪れているお寺とは程遠く、納経所も留守のようで人の気配も感じず、手を合わせて参拝する環境ではなく、読経後に早々に退散しました。ネットだけを盛大に飾りあげても、訪れれば弘法大師のイメージもないお寺は旅人には迷惑ですね。

 そして、苧ヶ瀬池を訪れたところ、私の記憶に大きな間違いがあり、龍神や白龍を祭るイメージはそのままでしたが、岩穴の中で信者が読経を続けていた思い出は、参拝後に立ち寄った本殿脇のお店でみたらし団子を焼いてあられたオバサンから、迫間(はざま)不動尊と混同していることを知らされました。

 関市の迫間(はざま)不動尊はこの後に…
     
           本日の体重 74、7キロ 徒歩数 9610歩 間食あり
                                   12月19日の一言
追伸
せっかく迫間の山道を歩きましたが、夜の忘年会でビールと豪華食材で減量にはなりませんでした。

私の誕生日に新たな家族の誕生となり

 

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本日誕生した私の孫です

 本日は私の誕生日です。昭和28年12月18日に中島郡祖父江町(現稲沢市)の母親の実家で誕生しました。


 そんな記念すべき日ですが、平成5年の12月18日には私の祖母(母方)が亡くなった日にもなりました。私の生まれた日に、祖母が亡くなったことにびっくりした人もありましたが…

 そして、昭和から平成に年号も変わり、まもなく29年が経過した本日は、私にとっては64歳の誕生日となりましたが、私自身は誕生日が限られた寿命へのカウントダウンになるため嬉しくもなく、子供の頃からクリスマスが近いためケーキはクリスマスと兼用にされ、最近は子供たちからも忘れられて誰も祝ってくれなくなりました。

 ただし、来年の12月18日からは、我家でも「お誕生日おめでとう」と盛大にお祝いが行われることになりました。

 私の誕生日である本日12月18日午後1時28分に、我家の後継者となる三男夫婦にとっては長男となる孫が元気に誕生しました。

 「まさか」と思われるような孫の誕生となりました。そして、何よりも私自身や我が子たちと似ており、私にとっては2人目の孫になりますが、我家には平成2年に誕生した三男以来となる赤ちゃんの誕生となりました。

 この赤ちゃんが健康ですくすく成長するために、これからはお祖父さん役として頑張っていきたいと思う誕生日となりました。

           本日の体重 3268グラム(赤ちゃん)
               私の体重 74、4キロ 徒歩数 1988歩 間食あり

                                     12月18日の一言

横井庄一さんのお墓へ案内して


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千音寺霊園の横井庄一さんのお墓を撮影中

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お墓の前には小動物の慰霊碑が

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菩提寺にあるお墓へも

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記念館の掛軸「竹」  本日

 最近は横井庄一記念館の案内に出ていませんが、本日記念館を訪れていたところ、横井庄一さんのお墓を探したが見つからなかったと言って訪れたご夫婦があったことから、戦死したと思って母親が建立したお寺のお墓と、平成9年に亡くなってから建てられた霊園のお墓に案内してきました。

 案内したご夫婦は大阪の方で、奥様が動物を慰霊する日本人について研究中で、横井庄一さんの小動物の慰霊碑とともに建つお墓を訪れ、大学の論文にまとめていく予定との話で、記念館に戻ってから閉館時間を過ぎたことも忘れて雑談に花を咲かせていました。

 本日は八丈島から訪れた方もあったと聞きましたが、閉館時に東京から訪れた女性もおられたことから、私の車で名古屋駅まで送る車中で、来年に香川県善通寺市の乃木神社を訪れるとの話を聞き、せっかく善通寺市に行かれるなら「善通寺」そのものに宿泊して朝の勤行に参加されることを勧めていました。

善通寺市 乃木神社

乃木館:香川県の自衛隊善通寺駐屯地 http://toshitsugu.com/zentsuji.htm

善通寺宿坊「いろは会館」 http://www.zentsuji.com/shukubou/
 
 私自身は毎年善通寺市を訪れているものの、明治天皇の御大葬日(1912年)に夫人とともに殉死した陸軍大将乃木希典(のぎまれすけ)氏と善通寺の関係については何も知らず、四国はお遍路のためだけに訪れていることから、別の角度から四国の魅力を実感する一日になりました。

 乃木大将は、軍人としての輝かしい功績だけでなく、学習院院長を歴任して後の昭和天皇の人格形成にも大きな影響を与えた偉人で、何よりも仕えていた明治天皇の葬儀当日に夫婦で殉死した事実は、戦争の是非はさておき、私は日本国の先人として尊敬しても足元にも及ばない偉人と思ってきました。

 善通寺の乃木神社の話を聞いた女性は、各地の戦争に関する史跡を訪れておられると聞きましたが、私自身は横井庄一さんを親族として見ており、記念館も戦争の資料館としての意識は無かったものの、香川県で戦争資料を集めておられる三豊市役所の森さんとも、横井庄一記念館で出会って親しくなったことを思い出し、機会があれば四国の戦争関連の施設も訪れたいと思う一日ともなりました。

 もっとも、自分に残された時間には限界もあり、何でもかんでもやれるわけではありませんから、何事にも無関心で見過ごさないことが必要です。

            本日の体重 74、3キロ 徒歩数 2726歩 間食あり
                                    12月17日の一言

四国から遍路の便りが続々と


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別格ニ十霊場会のカレンダー

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四国八十八ヶ所霊場会会報「へんろ」

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別格ニ十霊場会の案内

 本日は車の法定3ヶ月点検のため、稲沢市のトヨタの営業所へニッサンの車を持ち込み、併走してきた家内の車で名古屋市のウィルあいちまで乗せてもらい、申請中のNPO法人「横井庄一記念館を護る会」の書類を確認してもらいました。
 2日前に救急車で病院に運ばれた家内に、遠くまで車に乗せてもらわないとスケジュールがこなせないことに私の厳しい現実があります。

 指摘された箇所の修正をして、来週の20日に愛知県へ提出する運びになりましたが、それぞれの書類には役員を引き受けてもらった方々の認印が必要になるため、たかだか1本の印鑑のためにも名古屋市まで走ってきました。

 法人としては来年3月に認可される予定ですが、私自身は「ひとまち生活ネット津島」と2つの団体を主宰することになり、生活ネットはボランティアが毎日走り回っているため、日曜日に開館している記念館との関わりが増えると、上高地や四国遍路に費やしてきた生活に影響は否めません。

 今年は4月に家族との四国遍路が満願となり、10月には車イス同行遍路も結願しましたが、昨年から上高地のパークボランティアに参加するため、これまでのような自分独りで巡る四国遍路や先達研修会には行っていません。

 そんな私の環境には関係なく、毎月1日に発行される八十八ヶ所霊場会の会報「へんろ」が届き、本日は別格ニ十霊場会から来年のカレンダーや案内が届き、議員活動とボランティアに加えて、四国遍路も考えると年中無休となり休まる日がなくなります。

 今年9月末に訪れた御嶽山の霊神場で、五感を研ぎ澄ますと六感が働き、聞こえるはずのない声が聞こえるような感覚は、これまで63年の人生の中では新鮮で、四国の僻地で空海が1200年前に修行した聖地に独りで訪れたい願望は益々増加している反面で、遥かなる遠い四国になってしまいました。そして、年内にもう一度訪れると約束した御嶽山の祖父の石碑も遠く感ずる年末を迎えました。

           本日の体重 74、0キロ 徒歩数 3277歩 間食あり
                                    12月16日の一言

新たな健康管理を指導されて


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本日の夕暮れ 市内葉苅町

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管理栄養士さんにいただいた絵手紙

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左は私へのノルマ 右は私に代わって家内へ

 今月になって体重が増加し、10月には一時的としても70キロを切った体重が74キロ台に突入し、ここらで持ちこたえないと年末年始に更なる体重増が予測されることから、本日は管理栄養士さんの指導を受けてきました。

 ウォーキングの目的地としていた珈琲店の営業時間が夜7時から6時に短縮され、これまで午後5時以降に歩き始めていた時間が早くなり、5時以前では仕事と重なるため最近は車で行くようになっていました。

 今週になって74キロを超えたため、3日前からウォーキングを再開させ、本日は時間が無かったことから珈琲店に降ろしてもらい、片道だけでもと帰り道を歩いてきました。

 2ヵ月先の指導日までのノルマと言うよりも、私自身の宣言してきたことは、週3回のウォーキングの際に電柱5本分(約300メートル)はゆっくり走る(早歩き)ことと、ボーリングと野球のバッティングセンターへ一週間おきに出向き、我家に積んだままにしてある卓球台を出すとともに、三男の接骨院で股関節を柔らかくするストレッチを行うことを決めてきました。

 3年前にウォーキングと野菜摂取に、炭酸飲料と珈琲店のサービスとなるシュークリームを食べないことで10キロの減量に成功したものの、最近はタガが緩んで間食が止まらず、食事も量が増えているため、運動量を増やすことで減量に挑戦です。

 歩く事は全く苦になりませんが、股関節や身体の柔軟性がないため、歩く事で腰に負担が増え、腰の痛みも歩く障壁となるため、しばらくはストレッチで身体を柔らかくしたいと考えています。

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昨晩の我家の駐車場 救急車と消防車が来てくれました

 昨晩は家内が倒れて救急車で救急外来に運ばれましたが、意識を失って倒れたのか、倒れて頭を打って意識を無くしたのか本人に自覚が無く、幸いにして血管や脳には異常がなく、入院するには至らず本日に脳外科の診察を受けてきました。

 ブログを運営している癖で、こんな絶好な添付材料は無いと携帯カメラのシャツターを押したい心境を、一生懸命応急処置をしてくれる救急隊員の姿を見て封印していましたが、家内とともに私が同乗した救急車を三男が一枚だけ写真に収めていました。


 さて、2年前に母親が救急車で運ばれた際には、リアルに写真に残して発信しており、救急車に乗ると病院から帰ってこれなくなるため、後から車で追いかけており、親と家内を天秤にかけてはいけませんが、この一言が貴重な記録として残されていました。

 ちなみに、本日の体重は73、8キロですが、2年前には71、0キロと記録されており、毎日の書き込みが自身の反省ともなりました。

            本日の体重 73、8キロ 徒歩数 5909歩 間食あり
                                    12月15日の一言

まだまだ田舎の道すがらから


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子供の頃は冬の田んぼは遊び場でした  市内椿市町

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夕方にはマガモの大きな鳴き声が 蛭間町

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 国民の大多数が無関係とは思っていないと思われるが、安倍首相は国会の党首討論の中で「籠池氏は詐欺を働く人間」と発言し、自分も夫人も被害者と説明しているものの、自分の都合の悪い者は排除し、国のトップに詐欺師とされた籠池氏は接見禁止のまま四ヶ月も拘留されている現実は、国民として見過ごしてはならない重大事件と思われます。

                                     郷原信郎が斬るから引用

 自分に都合の悪い発言をした籠池氏を犯罪者とし、国民に十分な説明をするとしていた加計学園問題については無言を貫いてやり過ごそうとする姿は、戦前の言論統制や、独裁政治と同種の薄汚い社会に生活しているような気分にさせられる。

 安倍政権になってから、各種公共料金は値上がりし、国保税や介護保険等の公的負担も増すばかりで、国民一人ひとりを直視した国民視線の政策は皆無で、麻生首相の「高速道路どこまで走っても千円」など、誰もが笑って共有できる政策もありません。ささやかな家庭の楽しみと、人の痛みが判らないとしか思えません。

長寿1位、男性で長野がトップ陥落 15年の平均寿命

 厚生労働省が13日に公表した同年の「都道府県別生命表」では、男女とも長寿1位だった長野県の男性寿命が2位になり、滋賀県がトップ(81.78歳)になりましたが、私の住む愛知県の男性もトップと僅差の81、10歳で8位と頑張っています。

 さて、昨日の私の体重は74、4キロで、今年前半は72キロ前後を維持し、10月の健康診査時には70キロを下回っていたものの、その後微増でも73キロ台を維持していたものが、今週に入ってから74キロを超えたことから、昨年も年末から新年にかけて体重が増加しているため、本日より節制の非常事態宣言をして、今週中に73キロ台に戻して、何とか年内に72キロ台に戻すことにしました。

 2キロ程度の減量は、食事とウォーキングで簡単に達成できるとは判っていても、最近は食事と間食の我慢ができず、歩けば減量できるものの、夏は暑さから歩かなくなり、9月の天候不順と最近は寒風舞うため外出しておらず、本日は小雨舞う夕方となりましたが傘を持参して歩いてきました。

 3年前から管理栄養士さんの指導を受け、順調に体重を減らし、2年前にはハーフマラソンに参加できそうな体調になっていたものの、昨年から続くウォーキング後の腰痛によって歩くことを控えるようになり、それでも4月から11月まで上高地のボランティアに参加すれば確実に減量していたものが、来年4月まで上高地が閉山されているため、上高地に変わる節制は急務となりました。

 改めて月水金のウォーキングと、週一回の運動(ボーリングと卓球)を維持して、新たに身体の柔軟性を増すためバットの素振りを週2回やることにしました。
 それが継続できるかどうかは、私自身の甘さを克服できるかどうかにかかってきますが、本日も知人に誘われてマックに足を運び、珈琲だけと言っていたもののハンバーガーを口にしており、夜にも間食が止まらないところに厳しい現実があります。

               本日の体重  徒歩数 10180歩 間食あり
                                     12月13日の一言

今年一番の身震いする一日となり

 
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 今年になって一番となる本格的な冷え込みとなり、全国各地から積雪の話題が発信されていますが、私の住む愛知県でも過去の冷え込みは何だったのかとさえ思える冷え込みに、台所のコタツに入っていても身体を震わせる一日となりました。

 夕方に訪れたホームセンターで、家内が電気カーペットを見ており、昨年に電気カーペットとコタツを天秤にかけてコタツを選択し、エアコンも常時運転させている環境にカーペットまで加えると、床、コタツ、天井とフルセットになりますが、電気カーペットだと私が何処でも寝てしまうとコタツにした反省は何も活きていません。

 あげくに、今度は石油ストーブを眺めており、2年前にタンクの下の灯油漏れから発火したため、火事の危険からタンク式のストーブは今後使わないと決め、エアコンを新調したことも忘れて、「石油ストーブは加湿器がわりになる」との話です。

 「それなら、玄関に家中温める事務所のストーブを持っていったら」の一言には、家中温める必要は無いと話し、2階には一台で家中温めるストーブが2台眠っており、玄関にも筒状の大型ストーブが置いてあるのに、新しい製品を物色していました。

 便利な世の中になり、愛知県に申請中のNPO法人の書類についても、かつては些細なことでも名古屋まで行き来していましたが、最近はメールによる確認と修正もできるため、昨日送信しておいた書類の修正版が本日返信されてきました。


ネットで仕事受注、地方移住は成り立つか 月収まだ低く
 
 本日の新聞記事にも、ネットで仕事を請け負えば、東京の仕事を地方でも受注できることと、地方や自分の住みたい場所に移住して生活ができると発信されていますが、ネットや通信がつながることで社会は大きく変わってきました。

 パソコンを開けば世の中のどんな情報も検索できるようになり、かつては行政書士や司法書士しか出来なかった仕事が自分で出来てしまうようになりました。
 一方で、自分の目で見てみたい物まで、先発する情報に感化されてしまうため、情報を否定したい心境にも陥ります。

無料低額宿泊所に法規制 「貧困ビジネス」を排除へ
記事の続き…
ログイン前の続き報告書は「良質なサービスを提供する施設も貧困ビジネスと考えられる施設も外見上区別できず、玉石混交になっている」と指摘した。厚労省は法律で施設の質に関する最低基準を設け、下回る場合は業者を調査したり行政指導をしたりした上で、事業改善命令や業務停止命令を出せるようにする。一方、自立支援に積極的に取り組む施設には財政支援をする。自治体への届け出時期も、今の「設置後1カ月以内」から「設置前」に早め、自治体が事前に情報を集められるようにする。
 報告書は、困窮の背景には社会的孤立などの事情があり、「早期の予防的な支援」が必要だと指摘。困窮に陥るのを防ぐため、関係行政機関などが当事者の個人情報を共有できるようにすることや、貧困の連鎖を防ぐための子どもの学習支援の強化などの対策も盛り込まれた。
 
 さて、貧困ビジネスとはよく耳にしますが、生活保護を受ける対象者から利益を図る輩にも腹立たしいものがありますが、格差社会が批判されることで、真面目に働いても労働意欲のない生活保護者と変わらない生活では意欲も湧きません。

 働いても働いただけ税金が増え、親からの相続で課税され、親の遺産が公共の利益のため買収されても課税され、自分が死んだ後も先祖の遺産によって子孫に課税されると、真面目に働くことと、遺産を残す意欲もそがれていきます。

            本日の体重 74、4キロ 徒歩数 7123歩 間食あり
                                    12月12日の一言

あま市…真夜中のイルミネーションへ


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あま市(旧美和町)のイベントに行ってきました

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 午前中にパソコンの前に座り、何もない一日になるかと思っていると、夜になって知人より美和町でイルミネーションフェスタが開催されていることを聞き、薄着のため震えるような格好でしたが3人で会場を訪れました。

 毎年開催され、尾張地方では冬の風物詩ともなっていますが、ミゾレ混じりの小雨が舞う環境のためか、会場に人の姿はほとんど無く、余計に肌寒くなり、早々に退散してマクドナルドに駆け込みました。

 厚手とはいえ、肌着のシャツと2枚きている上にダウンジャケットだけのため、今年になって初めて冬を実感する夜になりました。

電車内でLED「冬ホタル」 徳島・高知の阿佐海岸鉄道

 本日は、知人と健康目的で約束していたボーリングの日で、年末にボリュームのあるウォーキングを約束して散会としましたが、約束する度に手帳のスケジュールが埋まり、空白(余裕)のない生活に陥っていきます。

             本日の体重  徒歩数 4988歩 間食あり
                                   12月11日の一言

本日も名古屋まで走って、夜はアッシー君になって


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まるで外国に行ったようには見えませんか?

 本日も「横井庄一記念館を護る会」のNPO法人申請のため、横井庄一記念館経由で名古屋市のウィルあいちまで走り、再度の修正箇所の指摘をもらい、明日中にメールで修正書類を送付し、今週の土曜日に確認のため訪れてから、今月20日には愛知県に受理してもらう目途がたちました。

 記念館に立ち寄った際に、横井庄一さんのグアム島での生活を切り絵で表現した女性の出版希望に、「私のお金を使ってでも発行の力になりたい」と言う夫人に、もしそんな意欲があるなら日本に帰国してからの生活や、人に勘違いされている横井庄一の素顔や想いを書き残して欲しいと伝えました。

 横井夫人は今月中に90歳になり、「あと2年は頑張れる」と言ってまもなく一年が経過しており、私は残された人生を人のためではなく、自分のために燃焼して欲しいことから、夫人しか知らない横井庄一を書き記して欲しいと思い、横井庄一が我家で大鹿庄一として生活した幼少期から小学校5年生までの家庭環境と、私が聞かされた戦前から発見までの横井家の様子を伝えるからと話していると…

「大鹿さん、本日は1時からの相談ですよ」
     「えっ、1時から3時までの間じゃなかったのですか」
「ええ、1時からですよ」
     「それは申し訳ありませんでした」

 私の勘違いで、1時からの相談とは思っておらず、1時から3時までに訪れれば良いと思っており、これまでの相談も全て1時を経過していましたが、日曜出勤の県担当者には大変な迷惑をかけてしまいました。

 「そんなことまで手を出すのは止めてよ」の一言は、記念館の夫人との会話を聞いた家内の言葉で、四国遍路だけでなく上高地にも出かけ、この上に記念館の維持に参加し、地元で展開する福祉有償運送のボランティアを家内任せにしているため、引退する年齢になって無償の仕事が増え続けている現実への苦言でもありました。

 午前中に事務所の清掃に取り掛かったところ、日曜日に市役所へ出勤する嘱託職員となった同級生が立ち寄り、珈琲屋に走ってから横井庄一記念館経由でウィルあいちを訪れ、相談中に電話のあった不良仲間を帰宅後に訪れると居酒屋に行くつもりになっており、さすがに飲んでしまったら仕事にならないため、アッシー君となって送り込み、その間に仕事を済ませてから迎えに行くことにしましたが、仕事が終らないままに迎えに走りました。

 「議員の先生を足代わりにするなんて…」と知人に同行した人物に言われ、年内に改めて飲み会をする約束をしてしまい、約束後にこのままでは大晦日に京都に行くこともできないと実感する日曜日となりました。

 明日もパソコンの前に座り、仕事と事務所の清掃に明け暮れる一日となります。

            本日の体重 73、2キロ 徒歩数 3940歩 間食あり
                                    12月10日の一言

ネタ切れにグッドタイミングのメールが届き


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中部国際空港セントレアのクリスマスツリー

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空港らしい模型です

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JALのわく旅フェスティバル

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大がかりなイベントです

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提供者  ホラ貝フキオジサン

 本日は事務所の片付けと荷物の移動をしていると午後になっており、昼から家内と出かける予定にしていた買い物に出かける時には2時を過ぎており、岐阜県瑞穂市にあるプラント6に着いた時には3時近くになっていました。

 当初は家内と2人の買い物でしたが、遅くなったことから母親と三男夫婦も誘ったため、急かされて目的とする買い物が十分にできず、店舗が大きく低価格の商品がありながら車の移動に時間をとられてしまいました。

 帰宅後には午後6時近くとなっており、午前中から放鳥してあったヒーとサブを鳥カゴに入れるため、ヒーを強制収容してサブが入るのを待っていると、ヒーが出て行ってしまい、再度強制収用してもサブが入ってこず、またヒーが飛び出し、こんな繰り返しに苛立って電気を消してサブを強制逮捕して鳥カゴに収めました。

 こんなことでは肝心の事務所の片付けが終らず、明日も引き続いて掃除に励まないと火曜日の書道会が開催できませんが、昨年春に事務所を1階から2階に引っ越した際に、重要と思って残した品々が無用の長物となっており、捨てられないものの捨てないと事務所が機能しなくなってきました。

           本日の体重 73、1キロ 徒歩数 6203歩 間食あり
                                     12月9日の一言

本日から委員会の審議が始まり


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本日の空模様  市役所駐車場から西方

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市役所南方の空 鉛色の一日です

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昨日の蛭間町界わいです

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初めて入ったお店 グーニーズ

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すごいボリュームです

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ビリヤード台やダーツも

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こんなお方も
ジェームズ・ディーン 作品一覧 http://eiga.com/person/35753/movie/

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ジーパンをはいて行きたいムードです

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別世界と思える店内

「おーい、お昼はどうしたの」
    「今日は家だぞー」
「そうか、金曜日かぁ」
    「残ーん念」

 定年後も市役所に勤めて残っている同級生は、全員が金曜日を定休日にしており、昼休みに一緒に昼食へ行こうと連絡すると、休みで自宅に居るため一人で寂しい昼食となりました。

 本日開催された厚生病院委員会は午後5時に終了しなかったため、来週木曜日の委員会予備日に再開されることになり、来週は月曜日に文教建設委員会、火曜日に総務委員会が開かれ、水曜日に議会運営委員会が開催されます。

 個人的には日曜日に県庁の担当者からNPO法人の申請書類の審査を受けるため、明日に不足する書類を仕上げる必要があり、年内は年末まで手帳が真っ黒になっており、時間を空けて毎日外出する苦しい師走が続きます。

            本日の体重 73、7キロ 徒歩数 2835歩 間食あり
                                     12月8日の一言

県庁からの帰り道  清洲城へ


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信長の居城 清洲城

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五条川

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JR東海道線の高架橋下

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対岸から見る清洲城

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清洲公園の信長公像

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いよいよ登城です

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城門から入ります

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 本日は市議会が休会日になったため、ウィルあいち内にあるNPO担当部署に書類を届け、そのまま普段とは違う道路を走り、私の大好きな織田信長公が治めた清洲城に立ち寄りました。

 織田信長は、天文3年(1534)年に私の自宅から4キロほど離れた勝幡城で生まれ、今川義元と戦った桶狭間の戦いには清洲城から出陣しており、勝幡から清洲、清洲から桶狭間と、今から5百年前の風景を一直線に想像するとともに、織田信長とともに全国各地へ出て行った津島の先人の姿を連想すると感慨深いものがありました。
 清洲城の上空100メートルから勝幡方面と桶狭間方面を眺めてみたいものです。

 明日からは市議会の委員会が開催され、議会活動は年末まで続きますが、外出意欲さえあれば近くても魅力ある場所に出没は可能なため、頑張って近隣の様子を発信したいと思います。

昭和天皇回想録、高須院長が3千万円で落札 査定の2倍

 今年7月に民進党の大西健介衆議院議員に「陳腐なCM」と揶揄された「高須クリニック」の高須克弥院長が、米国で競売にかけられた「昭和天皇独自録」という文書を、「お金に換えられない日本の心。必ず落札すると決めていた」として3千万円の高額で落札した。

 落札した文書は、昭和天皇のひ孫にあたる秋篠宮家の悠仁さまに届けたいとの意向で、皇族には多額な財産を譲渡するには国会の議決が必要なため、「悠仁さまがご覧になれる場所に差し上げたい」と話している。

高須院長「お金に換えられぬ日本の心」 天皇独白録落札

 高額な税金を納税している高須院長が、国の税金で生活し、国民の納めた税金を使わないと何もできない国会議員に揶揄されたのも理不尽だが、人のために大金を投じても貢献できるには、税金で生活する私も含めて、稼がないことには何も出来ないことと、改めて人を見下したような大西発言が腹立たしく思えてきました。

          本日の体重 73、8キロ 徒歩数 10930歩 間食あり
                                    12月7日の一言

夫婦旅立ち 知人の伊勢詣り


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身が引き締まるような神々しい境内

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広大というよりも雄大な境内

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内宮本殿

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白馬は空勇号と記されていました

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新婚さんではありませんが

 本日3日目の市議会一般質問が開催されており、私は午前9時から登壇して高齢者の在宅支援と外出支援策及び成年後見人制度について質問に立ちましたが、そんな訳で昨日伊勢神宮を参拝した知人夫婦から発信されてきた写真を勝手に引用させてもらいました。

 私自身は、三重県の伊勢方面を目的として旅立った際には良からぬことが多く、周りも私は伊勢方面には行かないと認知されており、20年近く伊勢方面には行っていないと思っていると、3年前と2年前に続けて大学駅伝の神野選手の応援で訪れており、昨年にも鹿児島県の同級会にマイクロバスの運転を依頼されて伊勢方面を訪れていました。




 過去に伊勢方面への旅行に誘われて。何度となく断ってきましたが、無意識に最近訪れていたことを、このブログの一言に記録されていたことから認識させられ、縁起が悪いため行きたくはないものの、隣の県ゆえに足を延ばしていたことを実感させられました。

NHK受信契約、テレビあれば「義務」 最高裁が初判断

 最高裁で審議されていたNHKの受信料について、1950年に制定された放送法に記される「受信設備を設置したらNHKと契約しなければならない」との規定によって、「契約の自由」を保障する憲法に違反すると主張した男性の上告を退けられました。

 私自身も数年前まで、自民党国会議員の圧力によって番組内容が改ざんされたことによって、「NHKを見たくない権利」として、請求が続けられた受信料を支払っておらず、民放しか見ないにも関わらずテレビを設置したら受信料を支払うのが当然とのNHKと、私が生まれる前に決められた放送法がまかり通ることに違和感を覚えます。

 現実にNHKでもBS放送はスクランブルがかけられ、受信料を払わなければ見れないことから、「絶対にNHKを見たくない者」にはスクランブルをかけて見れないようにするか、テレビ受像機にNHKが映らないようにした「見ない権利」を認めるべきと思います。

 我家では現在でも、NHKのニュースは政府に飼われた犬が話しているという私の影響で見ないようにしており、NHKを見ないために大相撲や大河ドラマも見なくなっており、私にとってはこんな無駄金が庶民を苦しめているとさえ思えます。

           本日の体重 74、0キロ 徒歩数 2384歩 間食あり
                                    12月6日の一言

本日も議会一般質問開催中


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津島市役所と西の山? ではありません。 本日の夕方

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西の山(養老山脈)は雲の中です

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昼頃の市役所前

 今回の12月議会には16人の議員が質問を通告しており、初日の昨日に7人の議員が登壇し、14番目(本日7人目)の私は最後の登壇の可能性もあることから、質問する心構えでいたところ、私の一人前で本日の質問は打ち切ると議長から伝えられました。

 本日の質問からは開放されたものの、明日は一番目(午前9時)から登壇となり、明日の朝は内陸部も雪の可能性も予報されており、雪の場合に凍結した日光橋の坂を超えられないと大変で、市役所にはマスク姿の職員もいるため、体調維持も考えると余分な心配をする夜になりました。

 添付した写真は、夕方に市役所を出ようとした頃の写真で、西の養老山脈のように見えるのは雲で、青々と陽がさす晴天下でどす黒く、まるで山と勘違いしてしまいそうな低空を雲が占めていました。

 明日の一般質問は3人が登壇して終るので、昼過ぎには帰宅ができると予想され、明後日が提出の締め切りとなっているNPO法人の申請書類を完成させる必要があり、議会と同じように迫られる仕事に追われていきます。

 さて、明日の雪は大丈夫でしょうか?

            本日の体重 73、9キロ 徒歩数 4645歩 間食あり
                                     12月5日の一言

国府宮神社の茶会月釜に誘われて


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席主に誘われ本格的なお茶会に参加しました

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国府宮神社本殿

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社務所奥の三笑亭と庭園

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雑踏の街中とは思えない静寂な空間が

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席主が揃えられた掛軸と花器

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横井庄一が作陶した抹茶茶碗

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入館者の赤ちゃんを抱く横井夫人
                           横井庄一記念館で


 一週間前に知人からお茶会に参加しないかと誘われましたが、私自身には茶道の心得が全く無く、場違いなため断ったものの、お茶会の座主が横井庄一さんの夫人の知り合いのため話したところ、自分が行けないから私たちを代表して行ってきて欲しいと言われ参加することになりました。

 茶会が開かれたのは稲沢市の国府宮(こうのみや)神社の三笑亭と言う和室で、天下の奇祭と言われる「はだか祭り」で有名な神社のため、神社内にこんな閑静な空間があることも判りませんでした。

 参加するにあたって横井夫人から簡単な茶会のマナーは聞いてきたものの、私を誘った知人ですら普段着で訪れるとの話に、せめて上着は着ていきましょうと話したような顛末で、何も作法が判らない知人と2人で参加しました。

 もっとも、現在の私には無縁の世界で、掛軸の良し悪しも、茶碗の見方も判らないし、私自身が限られた空間ではなく、大自然の中で動物や植物と一体になって生活したいため、こんな機会はもう無いかもしれませんね。

 さて、茶会には横井庄一さんの作陶した茶碗も使われており、作り手の当時の心境を考えながら茶碗を手にとると、お茶の味も違ってくるとともに、やみくもに土をいじって見せるために焼いた茶碗ではないことが判ります。

 お茶会後に訪れた記念館には、赤ちゃんを連れたご夫婦が訪れており、高校時代に訪れていた人と判り、夫人と家族のような会話に花が咲いていました。

           本日の体重  徒歩数 2531歩 間食あり
                                      12月3日の一言

本日も法人申請のため名古屋まで


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名古屋市市政資料館

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名古屋丸の内交差点

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名古屋景雲橋交差点

 NPO法人「横井庄一記念館を護る会」申請のため名古屋市東区のウィルあいち内NPO交流プラザを訪れ、県の担当者から申請書類の修正指導を受け、来週木曜日までに修正した書類を届け、来週の日曜日に審査を受けると、年内受理の可能性が出てきました。年内に受理されると3月中旬に認可となりそうです。

長崎に響いたあの声 ジャパネットからJ1クラブ社長に
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ログイン前の続き2月の開幕前、ずさんな経営が明るみに。先行き不透明のままシーズンに入ったが、ジャパネットHDが支援表明。4月に高田氏が社長に就き、再出発した。
 GK増田卓也(28)は当時を振り返り、「大きな分岐点になった。この流れを受けて、選手たちがいい結果で恩返しできればいいと思うようになった」。チームは夏場から一気に勢いに乗っていった。
 就任後、高田社長は練習場にすぐに現れた。その後も選手やスタッフを自宅に招いて、バーベキューを実施。高田社長の姿勢に、ある選手は「この人のためにという気にもなる」と明かす。こうした積み重ねがチームの明るい雰囲気につながっていった。
 高木監督の采配も大きい。J1で大きな実績を残した選手がいないチームを分析力で後押しした。
 自ら、長崎や相手チームの映像を編集し、ミーティングで選手らとともに確認。相手チームがボールを奪ってから何秒でゴールを決めているか、どのエリアの攻撃が多いのかといったことを数値化して伝えた。
 また、独特のデータに基づいて、試合前のコイントスで勝ったら、どちらのサイドを取るかあらかじめ決める念の入れようだった。
 相手チームが自分たちのサポーターに向かって攻める方が点を取っているのか、あるいはサポーターを背に後押しされる方が点を取っているのかまで分析。この堅実な戦い方がクラブ最高成績をもたらした。
 大きな一歩を踏み出した長崎には、気がかりな点もある。観客数の問題だ。
 J1昇格を決めた日は、Jリーグの試合ではクラブ史上最多の2万2407人を集めたが、これまで観客は多くなかった。J2参戦以降の5シーズンの1試合平均入場者数は、1年目だった13年の6167人が最高で、その後3シーズンは減り続けた。今季は5941人と戻したが、それでも今季のJ1平均入場者数の約3分の1だ。
 昇格を控え、今季からチームに加わったMF島田譲(27)は言っていた。「リーグ戦終盤にきて、サポーターも含めてチーム一丸になりきれていると感じる」。J1初挑戦の来年、長崎は順位とともに、観客でスタジアムが埋まる状況をつくれるかも問われる。

 通販大手ジャパネットタカタ創業者の高田明社長の声がテレビから消えて久しいが、サッカーJ2の長崎が来季、J1に初昇格するとの記事に、今年からジャパネットHDが支援表明し、4月に高田氏が社長に就いて再出発していたと発信されており、引退後も地元の長崎県で活躍しておられた社長に元気をもらった気持です。

初マラソンの神野「福岡国際、どこまで勝負できるか」
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ログイン前の続き 「走り込み中心の練習に反発する選手もいるけれど、結果を出した人の言うことを聞くのが一番じゃないですかね」。今回、初マラソンに挑む。「マラソン素人なのでやってみないと分からない。でも、今の自分がどこまで勝負できるか楽しみ」。目標は2時間8分59秒。初マラソンでの2時間8分台は、藤原正和と森下広一しかいない。
 結果の出ていない現在のマラソン界に対し「今のままの練習だけではだめ、ということ。プラスで何ができるか」。神野の場合、それがフィジカルトレーニングだという。箱根駅伝の山登りで一躍注目を集めた青学大時代から師事するトレーナーと契約し、太もも、お尻、腰回りなどの筋肉を強化。低負荷ながら回数を重ねる方法で持久力を高める。一回で2時間半にも及ぶトレーニングで高橋の言う「限界超え」に挑んだ。
 青学大の有力選手は学生時代にマラソンを経験する傾向にある。ただ、神野はその誘いに乗らなかった。「とりあえず出てみようでは、失敗した時にそれが頭に残って後に響く。ちゃんと準備して出れば後悔はない」。そして、競技は東京五輪までと言う。「東京五輪のメダルに向けて、今のきつい練習に耐えられるのはあと3年しか無理」。覚悟は相当とみる。

 さて、明日に開催される福岡国際マラソンに、私の母校神守中学校出身の神野大地選手が出場し、ゆくゆくは東京五輪を目標と語っていることから、明日の結果に注目するとともに、地元でも応援していきたいと思います。

 私の母校では唯一箱根駅伝で活躍し、現在は全国区で活躍している神野選手ですが、母校の後輩にメッセージを寄せてくれたり、母校の校長室に顔を出したり、飾らぬ素直な性格たけに、明日はテレビ観戦ですが応援して良い結果に期待したいと思います。

               本日の体重  徒歩数 2401歩 間食あり
                                    12月2日の一言

クリスマスツリーの季節になりました


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稲沢グランドボウルのクリスマスツリー  昨日の写真です

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1階の卓球場…よく見ると

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こんなサービスがあったのですね

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元々がサービス満点です

 2週間に一度のノルマとしているボーリングですが、10月に健康診査を終えたことから、身体に堪えるスポーツ感覚が2人が3人になって娯楽化おり、体重も検診後はお互いに微増しているため何とかしたいと考えていたところ…

 ボーリング後に無料で卓球が出来ると知りましたが、卓球台は無料でもラケットを持っていないため、窓口で確認しないまま卓球場を訪れると、30分はラケットも無料で借りられることが判り、これからはボーリングの後に卓球をやることにしました。

 仮に30分を過ぎても200円の追加で済み、ボーリングも60歳以上はシルバー割引のため、昼間のボーリング場は高齢者ばかりですが、マイボールどころか、キャリーバックにウエアも積み込んでプロポーラーのような姿で登場する人ばかりです。

 さて、今月は議会が開催されているため、3人の日程を合わせるのも大変で、再来週の月曜日に再会することになりましたが、できれば時間が取れてウォーキングになれば幸いで、年内にもう一度ボーリングと卓球を実施したいと考えています。

 本日のハイゲーム 145 ローゲーム 120 アベレージ 132
 前回のハイゲーム 164 ローゲーム 125 アベレージ 147

 今年は体重の微増が定着し、健康診断の日には驚異的に70キロを下回ったものの、今月は73キロ台で一度も72キロ台に落ちないため、ウォーキング不足と食べ過ぎが原因と思われ、歩くと腰が痛くなるのは、三男から身体の関節が硬いために、歩けば歩くほど腰に負担が増すとの話です。

 三男の話では、痛みは関節を柔らかくするストレッチで改善できるとの話で、数日前から10分間だけですが、足腰のストレッチを始めており、ウォーキングを開始して痛みも無くしていきたいと考えています。

           本日の体重 73、3キロ 徒歩数 3665歩 間食あり
                                     12月1日の一言

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  • ようこそ 大鹿一八の納経所へ
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  • 令和6年 上高地開山式の様子です
  • 三重県桑名市大福田寺の聖天祭へ
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  • 我家のきゅうりとプランターのイチゴです
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