大鹿一八「本日の一言」

平成16年2月から令和1年7月末までの「本日の一言」です。ヤフーブログ閉鎖により、ライブドアへ過去の記録として引っ越しました。

2018年01月

移送支援サービスのセミナーに参加して


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セミナー会場の様子 フタバタクシー及川孝代表取締役

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横浜市立大学中村彰宏教授

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三ケ森タクシー貞包健一代表取締役

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森田哲夫前橋工科大学教授

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剛堂会館 東京千代田区

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東京メトロ麹町駅

 本日は地域科学研究会の主催する公共交通やタクシーなど移送手段についてのセミナーに参加しました。

 昨年に引き続いて参加しているセミナーですが、全国各地から行政の担当者や市議会議員などと、愛知県内からは大手タクシー事業者の幹部や代表者も参加しており、国の規制緩和から今後の動向や将来像について発表されました。

 詳細については、後日記す予定ですが、明日は名古屋市の御器所消防署で患者等搬送乗務員(民間救急隊員)の更新研修が行われるため、急いで愛知県に帰りますが、一泊二日の予定が、交通網の遅延を考えて前日移動したため、慌ただしい三日間となりました。

                                      1月31日の一言

埼玉県志木市へ行政視察へ


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埼玉県志木市役所

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風格のある議事堂

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説明後の質疑時間 
                         議長さん(右)から議長室を提供していただきました

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私と、西川議長(中)と市民後見人の竹前氏(右) 手前は健康福祉部職員

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西川和夫議長(中)と竹前栄二氏(右)の三人で記念撮影

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東部鉄道東部東上線 志木駅

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市内には至るところに雪が残ります

 高齢化社会になり、悠々自適に生活する年金生活者もある半面で、年金が少なく資産はあっても生活費の無い高齢者や障碍(がい)者も存在し、相談する成年後見人を必要とする対象者も多く存在します。

 私の12月議会の一般質問で、担当部署の用意した答弁書には、「29年度においては成年後見制度申立手数料として1万3000円、制度申立負担金16万5000円、制度利用支援事業費として33万6000円を計上し、実績については平成26年度に2件の申し立てを行った」との答弁が記されていました。

 つまり、予算こそあるものの行政窓口に相談に来る市民もなく、対象者は社会福祉協議会が対応しているとの事ですが、市内には年金もなく司法関係者にも頼れない対象者も存在し、障がいを持つ子供を持つ人には極めて重要な制度です。

 事実上行政とは無縁のようですが、私の住む津島市にも相談したくても弁護士や司法書士の事務所とは無縁の市民も多く、破産宣告をするため行政から弁護士を紹介されたものの、弁護士から60万円の手数料を請求され夜逃げした人も存在します。
 破産する人にこの金額が払えますか。また、破産する人からもお金が取れますか。弁護士も市民には遠い存在です。

 このような人々に対応していくためには、市民目線で相談に乗れる市民が対応する市民後見人制度や相談窓口は有効で、本日視察した志木市はその先進地であり、現在6人の市民後見人が市民に対応されています。

 実はこの市民成年後見人第1号となった竹前氏は登山家で、私の愛する上高地で山仲間と談笑したのが縁で、2年前から市民後見人制度の必要性を話され、手紙までいただいており、いずれ視察に訪れると約束をしていました。

 本日の視察により、市民後見人制度の必要性を地域で発信していく必要性を感じましたが、何事も作ってしまうのは簡単でも継続が難しく、私が平成19年に認可を受けた福祉有償運送についても、個人的に協力者を募ってスタートさせたものの、私が倒れるか辞めれば継続が難しい現実に悩まされています。

 福祉有償のボランティアについても、設立してから10年が経過し、私はすでに還暦を過ぎている現実から、若いボランティアも誘いながら成年後見人についても勉強会から始めたいと思う視察になりました。

                                    1月30日の一言
追伸
議員視察については、訪問先の市議会の議長さんが出迎えて挨拶をされるのは慣例ですが、志木市の西川議長は担当職員との質疑に議長室を提供していただいただけでなく、私の質疑応答にも加わって一緒に議論に参加してくださりました。

 視察先の健康福祉部長寿応援課の担当職員さん、議会事務局の職員さんとあわせて、西川議長には深く御礼申し上げます。有難うございました。


万が一を考えて東京へ移動中


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 明日の午前10時から埼玉県志木市へ「成年後見人制度」について視察予定ですが、先週からの寒波の影響で早朝の鉄道が予定通り走らない可能性から、万が一の遅延を回避するため本日夕方より出発することにしました。

 世界に誇る日本の鉄道ダイヤも、降雪や凍結の影響はどうしようもなく、私一人の視察を受け入れていただく志木市の担当職員や、今回の視察を呼び掛けていただいた志木市の市民後見人の竹〇氏を考えて、確実に到着するため本日の移動を決めました。

 今回の視察は明後日に毎年参加している公共交通のセミナーが東京都千代田区で開催されるため、1泊2日の予定で「政務調査」として行程を組みましたが、前日移動することによる宿泊代は出ないため、留守中の仕事や書道会の準備等を頼んだ家内も渋い顔で送ってくれました。

 さて、添付した写真は、愛西市の勝幡駅の私ですが、津島市の議員でありながら、駐車場が整備された勝幡駅を利用することが多く、一番近くにある青塚駅の整備をしないと利用者の利便性だけでなく、昨年には踏切で死亡事故も起こっているため早急の改善が必要です。

 人の命が奪われないと考えない社会は問題ですが、駅の踏切や、主要道の交差点など更なる安全対策は急務ですね。

 成年後見人制度と、公共交通について市民目線で勉強してきたいと思います。

                                    1月29日の一言

久々にウォーキングへ足を進め


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この景色も久しぶりです

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まだ日陰は凍てついています

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大きな建物の北側は滑ります

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用心しないと危険です

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我家の玄関前です

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歩道は凍って光っています

 3日前と翌日に降った雪が凍てつき、太陽の光があたらない建物の北側にはそのまま残り、車は勿論ですが、歩くのも危険な状態が残っており、本日夕方には随分と融けていたものの、空から小雪がちらつき不安定な天気がしばらく続きそうです。

 年齢の衰えとは考えたくありませんが、冬には幾度となく降雪や道路凍結を体験していたものの、スタッドレスタイヤにチェーンを付けながら、何度もコントロールできない運転は恐怖で、何事もなく走ってきたことに驚きです。

 久しぶりのウォーキングで、凍りついた歩道を歩きながら、車の走行する主要道には凍結防止の融雪剤がまかれるものの、人や自転車の通行する歩道は天候任せでしかない現状を実感させられました。

 2日後の午前10時には埼玉県志木市へ行政視察に訪れる予定となっていますが、交通機関に問い合わせたところ、寒波の影響で当日の早朝出発するのは遅延する可能性もあり、前日の明日の午後に出発した方が良さそうです。

                                    1月28日の一言

本日も凍結した道路を走って


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本日も屋根に雪を載せて出動です

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車窓は雪ばかり

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錬成館 津島市中一色町

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本日は雪の田園を佐屋町まで走ります

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佐屋町から見る津島市愛宕町

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庭に残された足跡
                     足跡の主は何でしょうか

 本日も昨日に続いて未明に積雪があり、雪の中を病院へ移送する一日となりました。市内と市外に2件の送迎を済ませると、市民病院から名古屋の名大付属病院で目の処置を受けられる会員さんを家内が送り、夕方に私も同行して迎えに走りました。

 ビルの多い名古屋市内は、私の住む津島市よりも建物の陰となる道路が完全に凍結しており、普通に走行していると突然現れる凍結道路に家内の普通タイヤの車は恐る恐るの走行となりました。幸いにして帰路は高速道路の走行を依頼され、明るいうちに市民病院へ到着することができましたが、家内と一日中移送の一日となりました。ボランティアと言うよりも、タクシー運転手のようです。

 さて、気になる新聞記事です。

レジオネラ菌、加湿器が感染源か 家庭でも注意必要
記事の続き…
使用機種「超音波式」
 県によると、施設で使われた加湿器は、タンクの水を微細な霧にして放出する「超音波式」だった。タンク内には「ぬめり(生物膜)」が確認され、水100ミリリットル中22万個のレジオネラ菌が検出された。膜に守られ、菌が増殖したとみられるという。
 レジオネラ菌は60度以上で死滅するとされる。日本電機工業会によると、超音波式はタンクの水を加熱しないため、「清潔に保たないとレジオネラ菌など雑菌が繁殖するリスクはある」とする。96年の東京での集団感染の後、多くの大手メーカーは、水を加熱して吐き出すスチーム式などの生産に切り替えたという。(枝松佑樹)

加湿器のレジオネラ菌繁殖を防ぐには
◇タンクの水はつぎ足しせず、毎日新しい水と入れ替える。水は塩素処理された水道水を使う。浄水器を通すと殺菌効果が薄れる場合もある
◇タンク内側は1週間に1~2回は洗い、清潔に保つ
◇「ぬめり」を防ぐ方法として、クエン酸20グラムを溶かして一晩置く。または60度以上のお湯で洗う。機種によってタンクが変形する可能性もあるので注意
◇機種によらず、取り扱い説明書の記載通りに必ず定期的に手入れする
日本電機工業会、県への取材による)

 年末に誕生した孫のために、乾燥した室内はインフルエンザ等に感染しやすいため加湿器を購入しましたが、過熱式より安全と思って超音波式を購入しており、加湿器でレジオネラ菌に感染して1人が死亡した原因との記事にはびっくりさせられました。

 水を追加する時にぬめりが気になり、追加ではなく完全に水を入替え、最近は洗剤で洗うようにしていますが、新聞記事を見て改めて洗浄しなおして水を入れ替えたものの、細菌は目に見えないので気になります。

 健康のため購入した機器が病気の原因になっているとしたらショックですね。

                                    1月26日の一言

大変なボランティアに 凍結した道路を名古屋市まで


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本日はスタッドレスタイヤの上にチェーンを巻きました

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お客さんを乗せます
                        滑るため歩くことも困難な状態です

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交差点で立ち往生する乗用車
                          本日は名古屋の中村日赤病院まで送迎です

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何度も滑りながら無事に戻りました

 大変な一日となりました。 

 津島市から名古屋市中村区の日赤まで約10キロ程度の距離で、普通なら30分か40分程度で到着しますが、昨晩からの積雪で道路が凍結しており、昨晩にチェーンまで巻いて準備したものの、名古屋市の入り口となる大正橋の坂を登れない車によって渋滞が続き、予約した診察時間どころではありません。

 そして、名古屋市内に入ると通行した車によって道路はツルツルのアイスバーンとなっており、チェーンを巻いていても前輪が滑って止まらず、あわやと思われるシーンに、有償とはいえ低額なボランティアでは事故でも起こしたら堪りません。

 午前9時には間に合い、そのまま津島市まで戻る帰路も滑って大変で、診察が終ったと連絡が入った午前11時には雪が溶けており、慌ててチェーンを外して名古屋を目指すと、建物の陰になった道路は凍結しており、何とか仕事は終えましたが、今回の寒波では多くのタクシーが事故を起こしたと報道されています。

 さて、昨晩振り続けた道路の雪は、朝からの強い陽射しによって夕方には建物の陰になっている場所以外は見事に溶けましたが、今晩10時頃から再び降り出した激しい雪によって、明日の早朝も今朝と変わらぬ雪のスタートとなりそうです。

             本日の体重 74、4キロ 徒歩数 3408歩 間食あり
                                      1月25日の一言

天気予報どおりの吹雪模様に


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降り始めて1時間でこんな真っ白になりました

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息子の接骨院前

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駐車場

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1時間で雪だらけに

 最近の天気予報は正確になっており、愛知県でも今夜9時頃から明日の未明まで雪が降ると予報がでていましたが、午後6時前には激しい雪が吹雪のように降り出し、1時間程度で道路も歩道も真っ白となって車も走れないようになっていました。

都心、あすの最低気温-4度予想 33年ぶり低温注意報

日本海側で降雪続く 兵庫・富山など大雪、交通にも乱れ

 明日は早朝から名古屋市内の病院までボランティアで走る予定が入っていましたが、それでも夜間の降雪までは判らないと様子を見ていると、道路は凍結して轍も白く凍結しだしたため、午後10時になってからチェーンを装着することにしました。

 ワンタッチで装着できるチェーンですが、昨年にも装着に手間取り、今晩も辺りが暗いことと、チェーンがよじれて知恵の輪のようになっており、簡単な取り付け方も忘れており、家内も手元の照明係りに呼び出してビショビショになって取り付けました。こんな苦労を依頼者は知っているのでしょうか。

 全国的に降雪による被害が各地から発信されてきましたが、私の住む愛知県では今シーズン初めての降雪となり、スタッドレスタイヤは装着しているものの、第三者を乗せるためチェーンも装着しました。

 さて、明日の朝はどんな状態になっているのでしょうか…



             本日の体重 73、8キロ 徒歩数 2070歩 間食あり
                                      1月24日の一言

冬季閉山中の上高地を想像しながら


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昨年11月5日午前11時50分の上高地 三段紅葉

 上高地でボランティアの募集があれば教えて欲しいと言われていた知人がおり、本日募集内容を確認すると10名程度の追加募集が発信されていましたが、交通費と宿泊費だけでなく食事も自己負担となるボランティアだけに、これまで上高地に強いこだわりを持っていたとは思えない人に伝えると、遠い愛知県から無理強いする可能性があることからここに添付しました。 ※詳細は下記を参照してください。

上高地パークボランティアの追加募集について

 下記に添付したアドレスは上高地ビジターセンターのライブカメラで、左下にあるライブカメラをクリックすると閉山後の上高地が映し出され、過去の映像も見ることもでき、私は閉山後の上高地の様子をここから見ています。

上高地ビジターセンターライブカメラ https://www.kamikochi-vc.or.jp/

 さて、かつては毎年閉山後の上高地へ歩いて入ることを決めていましたが、平成22年に上高地を訪れた際には、深い雪の中をかき分けて8時間ほど歩いた後遺症として、3日後にわずかでしたがピンク色の血尿が2日間続き、この原因を確認するため病院の泌尿器科で内視鏡検査まで受けることになりました。

 幸いにして何も異常は見つからず、激しい運動によって見えないような細かい結石が下りたのではないかと言われ、翌年からも再び訪れていたものの、雪崩の発生もあることから、年齢を考えて謹んでいたところ、2年前からボランティアに登録されたため、事故で名前がでるような個人的な冬季入山はしないことに決めました。

 ただし、車だけでなく、人そのものが居ない冬の上高地は、車のエンジン音や人の会話もない無音の白黒写真の世界で、ほこりや汚れもない雪の上高地に自分だけの吐息と、鳥や木から雪の落ちる音しかしない自然との一体感は魅力があります。
 愛知県から行きたい人がありましたら連絡をください。一緒に行きましょう。

イメージ 2今年最後となる上高地入りです  12年12月23日の一言
 上高地にも入山税は必要かも   
 
冬季閉鎖の上高地に足を延ばし   11年12月23日の一言
 
今年最後の上高地入りとなり   10年12月18日の一言
 
 上高地は毎年11月15日に閉山式が行われ、翌年の4月中旬(開山祭は27日)まで釜トンネルが閉鎖されるため、我々にとってはシーズンオフとなりますが、北アルプスを目指す登山家だけでなく、上高地内で運営される施設や宿では新年早々から仕事がスタートしています。

18年度スタッフ募集情報
上高地で働いてみませんか?

五千尺ホテル&五千尺ロッヂ http://recruit.gosenjaku.co.jp/news/

 私は一年後には年金生活者となり、これから働いていく年齢ではありませんが、企業の若い上司からストレスを受けて雇用されている位なら、4月から11月とは言え大自然の中で自然と一体になって働くのも一考かと思います。

 「よし、自分も」と言いたいところですが、ボランティアとは言え、地元の高齢者や移動が困難な人々を病院や買い物に同行する運行管理者となっており、複数のNPO法人を主宰しているため、現在参加しているパークボランティアだけで限界です。

 1月もすでに後半に入っており、長いと思っていた上高地のシーズンオフもあっという間に4月を迎えると思われ、四国遍路と併せて今までとは違う新しい体験と出会いを考えると、明日からの雪の天気予報も温かく感じてしまいます。

            本日の体重 74、2キロ 徒歩数 3617歩 間食あり
                                     1月23日の一言


孫の小さな手と足です


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本日の孫と私の手の平です

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こんなに小さいのに…

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小さいながらも立派な足です

 東京から大雪の情報や映像が発信され続ける一日となりましたが、私の住む愛知県は冷たい雨が降り続ける一日となり、覚悟して事務所に居座ると来客続きの一日となって節制どころか珈琲屋さんへの往復となりました。

大雪、帰宅の足直撃 駅は入場規制、転倒で16人搬送

 月末に埼玉県志木市へ行政視察し、翌日に東京都千代田区で開催されるセミナーに参加する予定のため、今回の大雪情報や交通網の混乱は他人事ではなく、慣れない東京の電車移動だけに、余裕をもって前日に移動しようかと考えさせられてしまいます。

 生後一ヶ月になる孫の写真を添付しましたが、市役所や地域でインフルエンザが流行しているため、外出して感染してくると大変なため、自宅にこもりがちとなり、孫を抱くときはマスクを着用する徹底振りです。

 自分の子供たちの頃にはそんな気持にもなりませんでしたが、小さな孫に風邪やインフルエンザを感染させたくないため、自分には何ともなくても、人と応対した際に感染している可能性も考え、抱き上げる前に必ず手を洗ってマスク姿で応対しています。

 さて、2階の事務所には5羽のスズメを保護しており、家族から小鳥はアレルギーの原因となると言われ、鳥インフルエンザの報道もあり、家族も2階には上がってこなくなりましたが、野鳥とは言え生まれたヒナの時から保護しているため、私には赤ちゃんと同じように愛おしい存在です。

 しかし、放鳥して頭や肩に止まっている時にフンをすることがあり、私の移動先に時々フンを落としていることもあり、そのことも忘れて日常の当り前の生活としてきた反省も必要で、4年前に初めてピーを拾い上げた頃に感じていた小鳥の臭いも最近は何も感じなくなってしまいました。

 私は4人の子供が居ますが、私の子供たちには考えてもいなかった気遣いを自らしてしまうことに、親子とは違う孫への想いを実感させられます。

                 本日の体重  徒歩数 2372歩 間食あり
                                      1月22日の一言

今年初めての真言密教「阿息観」へ


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相棒リマです

 本日は今年になって初めての21日となり、私の町内にある真言宗の弘盛寺では午前中から初弘法が開催されていましたが、私は午後から開催された「阿息観」に参加してきました。

 阿息観は真言密教の瞑想法で、「阿字観」と同じような呼吸法ですが、鼻から大きく吸った空気を、口からゆっくりと吐き出す繰り返しで、禅宗の座禅のように無の境地を目指すのではなく、阿字観のウォーミングアップのようなもので、呼吸に集中してリラックスして行います。

 ただし、私は自分勝手に目をつむり、自分の座っている(例えば高野山の御廟前とか御嶽山霊神場や上高地などと)場所を決めて、その場に座っていると勘違いするように瞑想しており、この阿字観によって五感を鍛えて、第六感を働かせたいと考えています。
 そんな感覚が研ぎ澄ませられたら、今から1200年前に空海が修行された聖地に座って瞑想し、弘法大師の面前に座って真言をあげている感覚を体験したいと思います。

第六感」を鍛える3つ方法 http://zaza-club-551.com/intuition/7677
 
 昨年は御嶽山の霊神場に願をかけ、10年前にも四国霊場で願をかけて共に願いどおりになったことと、昨年9月に御嶽山の祖父の霊神碑の前で般若心経を唱え続けていたら、親族に大変な事態が起こっている予感がして、思い当たる親族に連絡をとったところ複数の重篤の事象が存在しました。
 五感を研ぎ澄ませると何かが見えるような気持になることがあります。


 私が初めて阿字観を体験した日時は判りませんが、町内のお寺の「阿息観」には平成23年7月に初めて参加しており、その2年前の春と秋に高野山の「結縁灌頂」を受けていることから、今から10年ほど前から阿字観に参加しており、結果は伴っていないものの、私なりの瞑想法にしてきました。


 さて、歳を重ねないと判らないこともあり、不思議な物事や、目に見えないエネルギーやパワーについて、科学的に研究している学者が存在し、10年ほど前に「量子力学」の大鹿譲(元大阪工大名誉教授)氏とも連絡がとれる環境にありながら、私の神秘的体験が量子物理学として話せる対象とも思ってもいませんでした。
 できる事ではありませんが、大鹿譲さんが蓄積されていた知識に問いかけたかったと思っても時すでに遅しで、当時の一言に譲さんの記載をしたところ、統一教会の被害者という人物から厳しい批判を受け、関わりたくなくてそのまま連絡しないままに終わりました。


 今にして思えば、統一教会に名を残されていたなら余計に神や仏についても話をうかがっておきたかったと思っても、当時は四国遍路の公認先達に補任されていてもスタンプラリー状態でしかなく、先人の知恵を聞く機会を失ったことが残念です。

            本日の体重 74、0キロ 徒歩数 3241歩 間食あり
                                    1月21日の一言

連日届く小鳥のメール写真を


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止まり棒の小梅(キンカチョウ)

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腕に乗る小梅

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餌箱に入って自分で食べ始めたようです

 今から30年ほど前の話となりますが、ツガイのジュウシマツを2羽づつ鳥カゴに入れていたところ、卵を産んだ直後にヘビが鳥カゴに入って食べてしまい、残った鳥カゴを屋内に入れたものの、屋内までヘビが入ってきて2羽と卵を食べられてしまいました。

 そんな経験から小鳥を飼うことは無いと思っていましたが、平成23年8月20日に長男がヒヨドリのヒナ「ピーコ」を拾って帰宅し、動物病院にも連れていったものの9月15日に死なせてしまいました。
 しかし、その時の経験と飼育道具が、3年後に自宅の屋根から落ちてきた「ピー」ちゃんの保護(26年5月)に生かされ、2年後に死なせてしまったものの、翌年に次々と持ち込まれたスズメたちの飼育に役立ちました。

 現在の5羽は人に懐かない3羽と、手乗りだった2羽も一緒のカゴに入れたために完全なる手乗りではなくなりましたが、2年前に死なせてしまった「ピー」ちゃんは、私には完全なる手乗りスズメで、呼べば飛んで来て、私のお腹で昼寝して、自宅に居る時は必ず一緒に生活していました。

 そんな姿を見ていた孫や娘たちが小鳥を好きになり、ピーが居なくなってからペットショップへキンカチョウを見に行くようになり、一緒に同行していた孫たちが今回キンカチョウを飼うことになりました。

 羨ましい話ですね。買ってきた小鳥と、屋根から落ちて必死で命を救ったスズメとは環境が全く違いますが、さすがにお客さんに手乗りとして販売されたヒナは、購入した日から人に懐いており、2年前のピーちゃんが懐かしく思い起こされてきました。

イメージ 4 さて、右の写真は保護して一年後のピーちゃんですが、私と一緒に生活しているだけでなく、我家の家族どころか、相棒リマも怖がらずに、リマも私がピーを大切にして可愛がっている姿を知っており一目おいて襲ったり噛み付いたりすることはありませんでした。

 愛犬とスズメを一緒にすることはこれからも不可能と思われますが、相棒は今でも「ピーちゃん」の一言に反応して、私の事務所に連れて行くと5羽のスズメたちの鳥カゴを目指して走っていく姿は、ピーの残像を記憶しているのに違いありません。

「ピーちゃん」
  「チュン、チュン」 こんなやりとりを思い出し、「ヒーちゃん、ヒーちゃん」と連呼すると「ヒー」だけでなく「サブロー」が競って鳴き、「サブ、サブー」と呼ぶと2羽に続いて3羽のスズメが合唱を始めます。

 「ヒー」ちゃんは、「ピー」が落ちていた我家の同じ場所に落ちており、2年の時間差はあるものの同じ巣から落ちたと思われ、目も開かない状態で拾った「ヒー」と違い、発育不足と障害を持って巣立ちが出来なかった違いはあるものの、5羽の中でも唯一私とのコミュニケーションがとれるため、ピーちゃんとの関係に近づけていきたいと孫のキンカチョウに触発されました。

 もっとも、私と一心同体だったピーちゃんは、私の食べる甘い菓子が大好物で、菓子の包装紙を破る音でも飛んできて、私も何も考えず与えていましたが、2年で死なせてしまった大きな原因と考えられることから、過去の反省も重要です。

            本日の体重 74、0キロ 徒歩数 3506歩 間食あり
                                     1月20日の一言

満30年の愛車が車検から戻って


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平成1年5月登録のライトエース 満30歳です

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本日の矢合観音参道

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小玉食堂の団子屋

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あれっ? 18番
                        私の行きつけの珈琲店の駐車場

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我家の車のナンバーも18番 左キャラバン 右セレナ


 初年度登録から30年が経過したライトエースの車検が終り、本日稲沢市祖父江町の自動車工場へ引き取りに行ってきました。

(有)山内商店 
 愛知県中島郡祖父江町大字森上字本郷三52番地  無料電話:0066-9711-206279 

 これだけ古くなると各部に異常が出ますが、製造メーカーのトヨタの営業所に連絡しても若い整備士では原因が何も判らず、「持って来てもらえれば…」の応対になり、修理も部品交換しか出来ないため高額となりますが、肝心の部品が無い可能性も高く、本日引き取ってきた町工場では部品のオーバーホールなどでも対応してもらい、電装関係は近所の特機工場に持ち込んできました。

 昨年秋にはオルタネーターが故障しましたが、メーカーでは電話で原因が判らず「持って来てもらえれば」との対応でしたが、この工場では電話でオルタネーターの故障と判断し、「バッテリーが消耗した時点で止まってしまうから引取りに行く」と応対され、近所に車の電装会社があることを告げてそのまま持ち込みました。

 昨年にはエアコンも故障し、毎年各部に不具合が起こりますが、ここまで古くなると万が一の場合は廃車を覚悟しなければならず、細かいキズや塗装も治したいものの、故障しても部品が無ければ廃車となり、治してもいつまで乗れるのか判らないため傷だらけの運転となります。

 それでも車検が済んだことから2年間はこのまま乗り続けたいと考えていますが、車検が済んだことで新しくなったようにも感じられ、元々好きで乗っている車だけに遠くに行きたい心境に駆られます。

 さて、本日の夕暮れ時にお気に入りの珈琲店の窓の外を見ると、私と同じ「18」番ナンバーの車が停まっており、思わず携帯電話のカメラに収めました。我家の車もそれぞれ「18」番ですが、固定電話も「18」番で、この電話番号は海部元首相の秘書で弟の尚樹さんが苦労して私のために確保して下さったものです。

 「24-0018」は「ツシマハイッパチ」とも読め、津島市の一八と認識できますが、昨年12月18日の私の誕生日に我家の孫が生まれたことから、電話番号を孫に継承すると家族に話し、私だけの電話番号でしたが孫に引き継げることになりました。

            本日の体重 74、3キロ 徒歩数 5525歩 間食あり
                                     1月19日の一言

孫の誕生から1ケ月が経って


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本日の私と孫です

 孫が生まれて早くも1ケ月が経過し、最近は声や光に反応して目で追うようになっており、赤ちゃんの成長の速さと、10年一昔と言いますが、年齢を重ねたことによる時間の経過の早さを実感させられています。

1ケ月前
1年前
2年前

 1年前にも体重増からウォーキングに出ており、2年前に車検整備を受けた平成1年登録の愛車を引き取りに行っていますが、明日に満30歳になった愛車を受け取りに行くことから、毎年同じ繰り返しを行っていることが判ります。

5年前
10年前
本日は大阪七福神へ 2008/1/18

 さて、本日は近所に住む同級生の母親の葬儀に参列してきましたが、10年前に大阪まで出向いたメンバーのうち3名が鬼籍に入っており、我が身に置き換えると10年後はどうなってるか判りません。

 平成16年2月から毎日の一言を記すようになりましたが、過去に記した記載に反する書き込みはしたくないため、読み直すことも多くなりましたが、1ケ月前に誕生した孫の成長をいつまで発信し続けることができたら幸いです。

私の記した過去の一言集 https://blogs.yahoo.co.jp/s281218/folder/1016959.html

 毎日記していることから、自分の体重管理についても比較ができ、1年前にも年末年始に体重増になり、4月の上高地開山式までに減量した記録が残り、しばらく節制して3キロの減量に挑戦していきます。

            本日の体重 74、5キロ 徒歩数 3887歩 間食あり
                                     1月18日の一言

過去の不思議な出来事について


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本日届いた孫とキンカチョウのヒナです

 昨年末の私の誕生日に三男の子供が生まれ、その奇縁に驚かされていますが、一年前に三男は子供どころか結婚もしておらず、私の父親が65歳で他界しており、私も今年にはその歳になるため、「何とか大鹿家の後継者を」と御嶽山の祖父の霊神碑に願をかけてきました。


 『祖父の霊があれば幸いですが、あると信じて無言の石碑に語りかけるものの、全く無反応で、頼って語りかける祖父の享年を上回った自身の現実を考えると、死ぬ前に一度は神の声か心霊的な祖父の言霊を聞きたいと思っています。』 昨年4月24日の一言


 上高地のボランティアを続けている間は、帰路に祖父の石碑の前にたち、祖父の言霊を聞くまで訪問を続けたいと思っています。 

 昨年は4月から11月まで上高地のパークボランティアに出かける際に、必ず木曽福島経由で御嶽山の霊神場を訪れており、祖父の碑に心経を唱えて後継者の願をかけていると三男に子宝ができ、今度は五体満足な赤ちゃん誕生を祈願していると、予定より早い私の誕生日に孫が誕生してきました。

 他人から見れば偶然の一致でしかないでしょうが、実は10年前にも私の娘が名古屋の国立病院医師から「子供が産めない」と断言に近い言葉と同時に、「最悪の場合は子宮の摘出を考えた方が…」との絶望的な所見を聞いてきたため、四国遍路で願をかけて巡拝し、箸蔵寺では「健康な子供を授かるように」と護摩祈願を依頼し、不思議な体験の後に翌年孫が誕生しました。

5年前に名古屋の国立病院で「もう子供はできませんよ」と医師から宣言された娘のため、直後に四国遍路で願をかけて参拝し、箸蔵寺では護摩祈願を依頼しましたが、このとき私は納経帳をお寺に忘れて帰り、不思議なことは忘れた納経帳が参拝していない護摩堂に忘れてあったとの不思議な体験と、その2ヵ月後に妊娠が確認され、翌年に孫が生まれるという因縁があったからです。


 当時は娘たちのプライバシーもあって、この一言にも詳細は残していませんが、護摩祈願をお願いした箸蔵寺に納経帳を忘れ、忘れてきた納経帳が参拝しなかった護摩堂に忘れてあったとの話から同行したメンバーもびっくりして引き返しました。

本日は、失敗が多く、別格の箸蔵寺へ朱印帳を忘れ、一時間かけて取りに戻るハプニングとなりました。主人に忘れられた朱印帳は、主人も乗らなかったロープウェイで下まで戻ってきました。

 箸蔵寺に置き忘れた納経帳が、参拝していない階段の上の護摩堂に飛んで行くことはありませんから、忘れ物を誰かが置いてくれたと思いますが、病気治癒を依頼した護摩木を祈願する護摩堂にあったことと、その後の妊娠を考えるとびっくりの出来事になりました。

 国立病院の医師が「子供は産めない」と診断した直後の妊娠と翌年の孫の誕生は、四国遍路に同行していた仲間だけでなく、愛知県の医療関係者にも伝え、この不思議な出来事によって誕生した私の孫は、後に箸蔵寺のご住職の推薦で「子供先達」にもなりました。

 孫は8歳になっており、同行した人々の記憶だけでなく、私自身の記憶や年月も判らなくなるため、結果論ですが過去の一言を読み直し、総てを添付することはできませんが、四国遍路で祈願した娘の病気治癒と初孫の誕生に、昨年御嶽山霊神場に願をかけていた我家の孫誕生を記載しました。

 昨年の一言に「五感を研ぎ澄ませると」と記しましたが、御嶽山で真言を唱えている間に親族の騒々しい胸騒ぎ感じ、親族に電話をかけまくった結果、複数の重大問題が起こっていることも判りました。これは勘と言うか、大六感と言うのかは判りませんが、平成16年4月29日に吉野蔵王堂で体感した不思議体験とあわせて記録に残したいと思っています。

昼食だから早く… 平成16年4月29日の一言


            本日の体重 74、1キロ 徒歩数 2533歩 間食あり
                                      1月17日の一言

庭木の剪定が進んで


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玄関の槙(マキ)の剪定
                            私の祖母と横井庄一さんが種を蒔いた木です

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名古屋市笹島東周辺

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名古屋市納屋橋周辺
                             正面は長年関わった朝日新聞名古屋本社

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名古屋市錦二丁目 目的地周辺です

 数日前から庭の剪定に同級生の庭師さんが訪れており、私が居る時くらいはと朝10時の休憩に顔を出していると、同級生から昼食へ一緒に出かけないかと電話があり、他の同級生を11時半から名古屋市まで送る約束がしてあると断り、パソコンの前に座っていると時間が近づき、名古屋市中区まで車を走らせました。

 慌てて帰宅して庭師の同級生と談笑して、5羽のスズメの鳥カゴの掃除とエサや水の入替えをしていると午後3時の休憩が近づき、車の清掃と残した仕事をして3時の休憩後に孫の相手をしているともう夕暮れが近づきます。

 火曜日の夜は、私の事務所2階で書道会が開かれており、お茶やコーヒーの準備をしていると他の同級生が仕事で訪れ、簡単に応対して別れると他の同級生が三男の接骨院を訪れており、送ってきた娘さんと話していると周りは真っ暗になっていました。

 そろそろ書道の恩師を迎えに行こうかと考えていると、名古屋市まで送っていった同級生が近くの駅まで迎えに来てくれと連絡があり、駅で同級生を拾ってからそのまま同乗したまま恩師を迎えに走りました。

 書道会は午後7時半から9時近くまで開かれ、メンバーで談笑後に参加していた同級生を送迎して帰宅するとやっと夕食です。本日だけで5人の同級生と応対しており、書道会に参加していた同級生も含めると6人の同級生と顔をあわせていたことになります。こんなことは珍しいものの、最近は知人との電話や応対だけで時間が経過し、孫とスズメの世話をしていると一日が終ってしまいます。

 遅い夕食時に酒が入り、直後に居眠りしてしまうため、目が覚めてからこの一言を記していると午前0時を過ぎ、それから風呂に入って自分の趣味や仕事をしていると午前3時頃になっていきます。そして、目覚ましが鳴ると明日が続いていきます。

           本日の体重 74、2キロ 徒歩数 6451歩 間食あり
                                    1月16日の一言

本日も娘のキンカチョウ


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本日もキンカチョウのメールが届きました

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孫の手に乗っていました

 小鳥の成長は早く、昨日から娘の家族になったキンカチョウも室内を飛んだのでびっくりしたとの連絡があり、ペットショップでさし餌で育てられてきたため、既に手乗り状態になっており、私が保護したスズメのピーちゃんのように、目も開かぬ生きるか死ぬかの状態で1時間おきにエサを与えて手乗りになったような苦労は全くありません。

イメージ 3 昨日の一言にも記しましたが、2羽の小鳥を同時に飼うと手乗りにならないとの話は、我家のピーとピヨも手乗りであったことと、昨年7月に出会った美濃の仙人に連れられた2羽のインコ(写真右)からも複数飼いは可能と思われます。

 この仙人の2羽のインコに驚かされたのは、仙人が人が行き来する道の駅のベンチに座って2羽を止まらせていたことで、逃げるどころか通行人や私の手に乗せても驚くことはありませんでした。


イメージ 4 私は拾ったスズメしか飼育したことがありませんが、目が開くかどうかのヒナから手の上でエサを与えておれば手乗りになり、それぞれ別の鳥カゴに入れれば手乗り状態で飼育できます。左の写真は岡崎市で保護されたピヨ(手前)と愛雀ピーですが、2羽とも手乗り状態でした。

 そして、手乗り状態でも複数の小鳥を一緒の鳥カゴに入れて、一緒に放鳥して遊ばせていると手乗りの継続は難しくなると思われ、現在のヒーとサブは手乗り状態でしたが、自分の意思で手や肩に止まり、私の勝手にはならなくなりました。

 このあたりがペットショップで買ってきた小鳥と、巣から落ちたり巣立ちに失敗して保護したスズメとの違いで、保護したスズメは偶然の出会いから命を救うために必死で、ペットのように買い替えができないため、いかに生かすかを考えると手乗りを目標にはしなくなります。

雛(ヒナ)から飼おう!手乗り文鳥の育て方 https://www.fanimal.jp/article15290

 さて、2年前に預かってわずかでピヨを亡くし、ピーも2年の短命で失いましたが、スズメとの別れは突然で、前日の夜まで元気でも翌朝には冷たくなっており、ピーは死ぬ前夜に私しか馴れていないのに家内の背中まで飛んで行って相手をし、死ぬ前兆は何もなかったのに半日後には冷たくなっていました。

 まるで死ぬことを自覚して我々に挨拶していたかのようで、死ぬような苦しい体調でありながら、私たちにその素振りも見せないままでの別れは、人間より大人のような別れで、残された私たちに大きなダメージを残します。

 そんなことを考えると、我家には5回の悲しみが残されており、一日もその悲しみが先になるようにしたいものです。

           本日の体重 74、5キロ 徒歩数 4381歩 間食あり
                                    1月15日の一言

孫の家にキンカチョウが


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冬は保温が大変です

 私がスズメのヒナを保護した時は、コタツの中に入れたダンボール箱の中で38度の温度に調整して、1時間おきに流動食を与えていましたが、ペットショップで買ってきたキンカチョウはこんな便利な保育器があり、エサは4時間おきで良いそうです。

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こんなに小さい命です

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うれしそうですね

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 私の携帯電話のメールに娘からキンカチョウのヒナの写真が添付されており、確認したら購入してきたとの話で、2年前に死なせてしまったスズメの「ピーちゃん」が手乗りで、私の呼びかけに応えて飛んで来る姿を見て小鳥を飼いたがっていた念願がかなったようです。

 もっとも、私自身も2年前に突然ピーを失った悲しみから、ペットショップでスズメに似たキンカチョウを眺めて、ピーの代わりに飼おうかと迷っていた時期もありましたが、半年後に5羽のスズメが次々に持ち込まれたためキンカチョウを飼うことはなくなりました。

 その間に娘は孫と一緒にペットショップでキンカチョウを眺めて、飼う機会をうかがっていたと思われ、2羽いたキンカチョウの元気な方を買ってきたとの話ですが、1羽残された兄弟は寂しがっていたとの話に可哀想な別れですね。

 手乗りにするためには1羽だけで、2羽飼うと手乗りにはなりにくいためですが、ペットとは言え兄弟を永遠の別れにしてしまうのは人間のエゴで、2羽まとめて買ってきて欲しかったと思います。

 私は現在5羽のスズメを保護していますが、2年経っても未だに懐かない3羽は別として、目も開かぬ時期に別々に保護して手乗りでエサを与えていた「ヒー」と「サブロー」についても、2羽の仲が良いため一緒の鳥カゴに入れていたため、「ヒー」は手でつかめるものの、サブは手でつかまれるのを嫌います。

 そして、放鳥してもサブは自分で鳥カゴを出入りし、ヒーは鳥カゴから私の手で出すものの最近は自分で入っていき、2羽とも放鳥中は私の頭や肩に飛んできて、私の手からエサを口にします。別々の鳥カゴにすれば、元の手乗りになるかもしれませんが、せっかく仲良くなった2羽を引き離すことはできません。

 「ピー」と呼べば「チュン、チュン」と鳴き、私の声が聞こえれば鳴いて呼び、離れた部屋まで私を探して飛んできたピーとの生活は、小鳥とは切っても切れない環境にしてしまいましたが、ピーのように人間を親として生活させるより、鳥として仲間と一緒の生活を私は優先して見守っていこうと考えています。

 ペットショップで買ってこれば簡単ですが、私は屋根から落ちたスズメを保護するのを使命として、飼い主の都合で手乗りにはせず、昨年は1羽も持ち込まれなかったものの、今年は新たに救いを求めるヒナを受け入れたいと思います。

 ただし、5羽も保護している現状でこの話は家内にはタブーですが…

            本日の体重 74、0キロ 徒歩数 4222歩 間食あり
                                      1月14日の一言

かかりつけ医へ定期検診に


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彦坂外科 津島市愛宕町

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周りはのどかな田園風景

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あれっ? 聞きなれた声が…

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黒柳徹子さんのパンフレット
                         この人の声が聞こえなくなったら寂しくなりますね。

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隣の薬局にありました 無料です

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読み応えのある雑誌です 無料です

 私が2ヵ月に1回訪れるかかりつけ医です。ここへ20年以上前から通院していますが、開業医は一般的に自分が主治医とは思ってはおらず、私も平成11年に議員になった当時は自分が主治医とは思われていませんでした。

「大鹿さん、何所かで健康診断は受けているの?」
      「何所かと言われても彦坂さんしか行っていませんよ」
「お医者さんはウチだけなの」
      「そうですよ、何か心配ですか?」
「そりゃー心配だよ、早速健康診断はやらなきゃー」

 市長を引退してまもなく亡くなられた山田市長の通夜に交わした会話ですが、お医者さんは自分だけが主治医になっているとの認識はなく、翌年の平成13年から健康診断を受け、現在まで血圧の管理を受けており、万が一の場合にはここで高度な医療機関を紹介してもらおうと考えています。

 最近は息子さんが副院長として診察もしており、「大鹿さん、歳をとるとそんなものですよ」と経験から言う院長に対して、「歳のせいにしたら我々医者はいらなくなっちゃいます」と言う息子さんに期待して、腰の痛みやトイレの回数が増えた相談もしています。

 私自身は注射が大嫌いで、病気になったら我慢して風邪などは市販薬で治してしまいますが、病気になっては困るから病院に行っており、悪くもないのに膵臓がんの心配をしたり、症状もない病気の話をすることから、経験から「心配ないよ」と言う院長と、「検査してみないと判らない」と語る副院長の存在は心強い限りです。

 さて、かつてアジアの鉄人と言われたハンマー投げの室伏選手のお父さんから、「聞く耳を持って、たえずアンテナを張っていないといけない」と、自分がスランプになった時の体験談を聞いたことがありますが、私の欠点は自分の話をしてしまって相手の話を聞き流してしまうことにもあります。

 定期的な健康チェックと、薬局での会話も心の静養となり、何事もない生活の繰り返しを続けたいと思います。薬局のジェネリックの宣伝で流されていた黒柳徹子さんの声に、当り前に聞いてきた声が聞けるのも当り前ではなく、いずれは…

 我家に帰ると孫が寝かされており、泣いても何もできない私の横で、90に近い母親が当り前のように抱き上げ、「年寄りが止めろ」と心中では叫ぶものの、老い先短い母親が私の孫を可愛がることに世代交代を感じつつ、息子では考えたこともない血縁を実感した生活になってきました。

            本日の体重 74、4キロ 徒歩数 2276歩 間食あり
                                      1月13日の一言

恩師から頂いた新年の色紙


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恩師からいただいた今年の色紙です

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平成10年11月の朝日新聞記事

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随分と大きく報道されました

 毎年の繰り返しとなりますが、我家の2階で開催されている書道会「神守丈友会」の恩師からメンバーに新年の色紙が手渡され、私には「一攫千金」と揮毫されていましたが、私には無縁の夢物語になりそうです。

 神守丈友会は平成6年秋に開始し、当初は私の中学時代の恩師長谷川丈夫先生に無償で指導をお願いし、参加者は会費を積み立ててそのお金で旅行を楽しむこととして、自分の名前を毛筆で書ける程度の遊び感覚でスタートしました。

 3年後から恩師の後輩となり、同じく私の中学時代の恩師となる後藤毅先生に指導が変わり、毎年市内で書道展を開催するようになり、何度も新聞記事として取り上げられ、一時は観光バスを利用する日帰り旅行も企画しました。

 数年前に書道展の会場にしていた建物が解体され、人数も以前より減少したものの、一年に一度の一泊旅行と慰安会は続けており、毎週火曜日の夜には休むことなく書道会を続けてきました。




 スタートした直後は20年以上続くとも思っておらず、恩師の長谷川先生は鬼籍に入られ、後藤先生も胃ガンの手術を受けられており、メンバーの中から2名が亡くなって高齢化してきました。

 添付した平成10年の新聞記事は、中学の後輩で事故により全盲となったメンバーについて大きく扱われたもので、書道展の開催や旅行について新聞や中学校の同窓会報などで何度も紹介もされました。

 さて、恩師も高齢となり、メンバーも減少しており、書道会に明るい話題はありませんが、私自身は我家の2階で開催されているため忙しくても参加でき、上達はしていないものの「下手な書を出せ」と言われて現在も展覧会に出展しています。今年は今一度気合を入れなおして精進したいと思います。

            本日の体重 73、6キロ 徒歩数 3619歩 間食あり
                                     1月12日の一言

久しぶりの日差しです


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津島市役所5階から見た養老山脈と鈴鹿山脈

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多度山方面

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遠景は鈴鹿山脈

 最近は孫の顔を見て、来客があれば応対し、不足する場合に移送ボランティアへ走り、所用があれば市役所に走って自宅へ戻り、午後も孫の顔を見てから夕方にボランティアで人を移送すると我家の夕食になります。こんな繰り返しで一日が経過していきます。

 やる事はいっぱいありますが、自宅に戻ると孫が寝かされており、何もできませんが見ていると時間がどんどん経過して、2階の事務所で放鳥すると外出もできないため、自宅だけで時間が経過してしまいます。

 今週末に松本市市内で上高地の定例会が開催され、自分も出かける予定で計画していましたが、最近は息子夫婦が仕事中は家内が孫の面倒を見ており、買い物も自由に出かけていない環境から、自分だけ外出し辛いことと、月末にも埼玉県と東京都に出向くため見送ることにしました。

 全くの三無主義というか四無主義のような無気力な生活を日常としてしまっています。もっとも、明日は家内が病院に行くため午前中はボランティアが忙しく、午後には車検のため車を持ち込むため、自分のやりたい事や、やるべき事をやれないままに一日が過ぎ去っていきます。

           本日の体重 73、8キロ 徒歩数 2942歩 間食あり
                                     1月11日の一言

孫と孫の初顔合わせ


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 昨年12月18日の私の誕生日に生まれた我家の孫のもとに、先週土曜日に私にとっては初孫で現在8歳となった孫(娘の長男)と一緒に訪れ、孫と孫の初対面に立ち会いました。

 我家にとっては後継を担う待望の孫の誕生ですが、8歳になった孫とは上高地だけでなく、四国遍路や高野山まで一緒に出向き、3年前には四国別格ニ十霊場会の子供先達に推薦されるなど、私の想いに随分とつき合わせており、2人を見比べると頼もしく、できることならあと10年間生き抜いて孫の運転する車で四国や高野山に連れて行ってもらいたいと考えています。

「おい、2人だけで冒険に行こうか」
      「ママが良いと言うかなぁ」
「おい、ジーちゃんも一緒に泊めてくれるか」
      「ママに聞かないと…」

 こんな口癖で言い続けていますが、もう少し大きくなるとそんな日がやってくるのかも知れません。

 さて、我が子を風呂に入れたりオムツを替えた経験もありませんが、孫が我が子のように感じられ、何かをしてあげたいと思っても何もできず、顔を見ているだけで時間が経過していきます。
 そして、自分の子供では感じたことがない、こんな小さな赤ちゃんが大人になるまで何事もなく成長できるか心配となり、元気に成長してもらいたいと願います。

赤ちゃん支える「授乳クッション」 成長に応じ変幻自在

 私の子供の頃は勿論ですが、私の長男の頃もオムツは布製だったものが、最近は子育てに必要な品々がひじょうに便利になり、母親の負担も随分と軽減されておることから、子育てをしたことのない私でも何とかなりそうなものの、大事な孫に風邪をうつしてもいけないため距離をとって見守るしかない毎日です。

            本日の体重 74、5キロ 徒歩数 3115歩 間食なし
                                      1月10日の一言

西国観音巡礼 三十三所札所会からの案内


 平成30年イメージ 2(2018)は、大和国長谷寺の開山徳道上人が起請文と宝印を授かって現世に戻され、その証拠でもって人々に観音信仰、及びその霊場へ参ることをすすめられた養老2年(718)より、数えて1300年になります。西国観音巡礼は四国遍路や高野山開創より歴史があるんですね。

 西国三十三所札所会では西国三十三所草創1300年「いまこそ慈悲の心を」として全札所寺院において平成28年3月より同32年にかけてさまざまな事業を催すことが発表されており、八角形納経札の朱印や170年前に発行された「観音霊場記図会」を翻刻して先達対象ですが勉強会も開催されます。

 ちなみに、この観音霊場記図会は先達だけでなく西国三十三所の5ヶ寺、四国八十八ヶ所の2ヶ寺、高野山1ヶ寺において一般巡礼者も購入可能のようです。新年になり先達宛に送付された案内の一部を添付しましたので、この機会に西国観音巡礼にも足を運んでください。

西国三十三所 草創1300年記念 特別拝観
2016年から2020年まで5年間にわたり、西国三十三所各札所では、普段は非公開のお堂や諸尊のご開帳、および庭の公開や寺宝の観覧などを行います。
※以下のスケジュールは2017年の予定です。
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寺院名称特別拝観概要拝観期間
第一番
青岸渡寺
那智山経塚発掘佛像3/25~5/7
第二番
金剛宝寺
本堂内陣特別公開3/25~5/7
※4/15~5/7は土・日・祝日のみ
第三番
粉河寺
千手堂本尊御開帳3/25~5/7
第四番
施福寺
天台18世座主 慈恵大師良源御木造 1躰3/25~5/7
第五番
葛井寺
未公開寺宝展示4/22~5/6
第六番
南法華寺
① 大雛曼荼羅公開
② 多宝塔開扉 秘仏大日如来像(平安時代)御開帳
① 3/1~31
② 4/1~6/18
第七番
岡寺
三重塔壁画・扉絵特別開帳4/1~5/7
※土・日・祝日のみ
Saturdays, Sundays, and Holidays
only during April 1-May 7
第八番
長谷寺
① 春季 本尊大観音尊像特別拝観
② 秋季 本尊大観音尊像特別拝観
① 3/18~6/30
② 10/14~12/3
第九番
南円堂
仮講堂特別拝観(阿修羅像他)3/15~6/18
第十番
三室戸寺
重要文化財 仏像5体(阿弥陀三尊、
釈迦如来、毘沙門天)御開扉
4/1~30
第十一番
上醍醐 准胝堂
重要文化財 弥勒堂及び弥勒菩薩坐像 快慶作
重要文化財 純浄観
重要文化財 奥寝殿
4/1~5/7
※弥勒菩薩坐像は4/20まで
※法要、行事等で拝観できない場合あり
第十二番
正法寺
本堂内 礼拝(重要文化財 地蔵菩薩公開)
三十三観音堂開扉
1/1~12/31
第十三番
石山寺
役行者及び前鬼後鬼像1/6~11/30
第十四番
三井寺
愛染明王像(重要文化財)、毘沙門天像他
観音堂内陣諸尊特別参拝
4/1~5/14
第十五番
今熊野観音寺
本尊御開帳 特別内陣参拝 刀八毘沙門天特別公開3/11~20
第十六番
清水寺
① 陸前高田震災流木松造 大日如来結縁参拝
② 東日本大震災七回忌追善法要 厳修 於)
  陸前高田流出松造 大日如来座像御佛前
① 3/11~18
② 3/11
第十七番
六波羅蜜寺
特別内陣参拝 後光御影参拝 3/11~13
第十八番
六角堂 頂法寺
秘仏 御本尊如意輪観世音菩薩 御開扉 3/11~4/10
第十九番
革堂 行願寺
特別内拝
(御本尊御開帳と革堂の名のいわれの皮衣を堂内で展示)
3/11~17
第二十番
善峯寺
文殊寺宝館春期公開4/1~6/30
※土・日・祝日のみ ※4/1~16は毎日
第二十一番
穴太寺
安寿姫・厨子王丸肌守御本尊特別拝観5/1~6/30
第二十二番
総持寺
寺宝特別拝観 6/1~30
第二十三番
勝尾寺
寺宝拝観6/1~6/30 ※土・日曜のみ
第二十四番
中山寺
宝物拝観6/1~6/30 ※土・日曜のみ
第二十五番
播州清水寺
根本中堂御本尊十一面観世音菩薩御開帳 11/1~30
第二十六番
一乗寺
重要文化財 大悲閣の内陣拝観と秘仏御本尊特別拝観5/3~5、11/10~15
第二十七番
圓教寺
① 「新緑まつり 春の文化財公開」大講堂釈迦三尊像、
  常行堂丈六阿弥陀如来坐像、開山堂性空上人像特別公開
  (建物仏像いずれも重要文化財)
② 「もみじまつり 秋の文化財公開」塔頭十妙院拝観、
  金剛堂公開(重要文化財)
① 5/3~8
② 11/17~19
第二十八番
成相寺
涅槃図特別公開(室町時代)5/1~10
第二十九番
松尾寺
① 松尾寺宝物殿第18回春季展観
② 松尾寺宝物殿第19回秋季展観
① 3/18~5/21 ※3/22、4/18、19を除く
② 9/23~11/26 ※10/23、24を除く
第三十番
宝厳寺
三重の塔開扉10/15~31
第三十一番
長命寺
重要文化財 三重塔内陣拝観10/15~29
第三十二番
観音正寺
千手観音絵図の公開、御本尊お身拭い内陣拝観10/15~29
第三十三番
華厳寺
御本尊御前立特別拝観10/15~31

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 西国巡礼
――三十三所の歴史と現代の意義――
西国三十三所札所会監修
文・絵;
五叟鐵太郎(ごそう・てつたろう)
四六判並製本 本文368ページ
(地図・イラストはオールカラー)
本体価格 2,500円(税別・送料サービス)

                            購入申込み http://www.denkijoho.jp

草創1300年!
日本人の巡礼の原点とその思想・哲学を現代に活かす
西国三十三所巡礼は、世界の巡礼の中でも独特な光彩を放つ。日本人の巡礼の原型であり、幾つもの巡礼文化を生み出してきた。また、京畿の名だたる寺院で構成され、国宝級の堂塔や仏像類をはじめ、境内やその周囲の風景も見事な寺院が多い。本書では、三十三所寺院の紹介はもちろん、観音巡礼の黎明期(飛鳥時代)からの歴史を追いつつ、各時代の巡礼思想や哲学、巡礼が流行した経済的な背景などを俯瞰。さらに現代に活かす巡礼の意義や価値までも考えていく。

                                            〈西国巡礼とは〉
近畿地方の代表的な観音霊場を巡る「西国巡礼」は平成30年(2018)に草創1300年を迎える。伝説では、奈良時代に長谷寺を開基した徳道上人が、人々が地獄に堕ちることのないよう閻魔大王との約束で「33の観音霊場巡り」を広めようとしたのが始まりとされる。しかし、人々は観音巡礼の功徳を信じなかったため、徳道上人はその弘宣をやむなく中断。270年後の平安時代前期に、花山法皇によって再興されたと伝わっている。史実としては、平安時代後期に、園城寺(三井寺)の高僧が33の観音霊場を巡ったのが始まりとされ、当初は僧侶の修行の一環であったが、室町時代中期頃から庶民の参加が目立ちはじめ、江戸時代には物見遊山を兼ねながらの観音巡礼が大流行する。そして現在においても、33の観音霊場の全てがその法灯を守り続け、現代人に巡礼の醍醐味と意義を伝え続けている。

                                              〈本書の構成〉
いまこそ慈悲の心を・序にかえて 西国三十三所札所会 会長 鷲尾遍隆
序章 世界の代表的な巡礼と西国巡礼――巡礼の定義・類型と21世紀の動向
第1章 紀州から和泉、河内を経て大和へ――7世紀から9世紀の三十三所巡礼の黎明期を探る

 青岸渡寺・金剛宝寺(紀三井寺)・粉河寺・施福寺・葛井寺・南法華寺(壷阪寺)・岡寺・長谷寺・南円堂(興福寺)
第2章 宇治から洛中、洛外へ――10世紀から13世紀の観音霊場形成期を探る
 三室戸寺・上醍醐准胝堂(醍醐寺)・正法寺(岩間寺)・石山寺・三井寺(園城寺)・今熊野観音寺・清水寺
 ・六波羅蜜寺・六角堂頂法寺・革堂行願寺・善峯寺
第3章 丹波から摂津、播州を経て丹後、若狭、近江、美濃へ――14世紀からの庶民化と現代の意義を探る
 穴太寺・総持寺・勝尾寺・中山寺・播州清水寺・一乗寺・圓教寺・成相寺・松尾寺・宝厳寺(竹生島)・長命寺
 ・観音正寺・華厳寺
終章 現代における西国巡礼の意義と価値――三十三所の歴史をさらに鳥瞰し、今後を探る
番外 西国三十三所の創始と再興の物語――徳道上人と花山法皇の伝説を探る

 法起院・元慶寺・花山院菩提寺
〈西国三十三所地図や各札所の境内図付き。各寺院のワンショットをイラストで描写〉

株式会社電気情報社
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URL 
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ちょっと東員町まで足を延ばして


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カインズホーム東員店の地酒コーナー

 本日は還暦3人組で三重県東員町まで足を延ばし、東洋一のショッピングセンターと言われるカインズホームに行きましたが、雨の日でも大型店舗ならウォーキングになると思ったものの、寝不足と体調不良で今一歩の外出です。
 東洋一と言うのは随分と昔の話のようで、名古屋市の港区にも大きなカインズホームがあり、品揃えは名古屋市の方が多そうでした。

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多くの地酒があります

                        写真提供はホラ貝フキおじさんです→イメージ 6

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                  私が手に取ったのは

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 三重県の地酒「鈴鹿川」は、我々大鹿一族発祥の地にある鈴鹿市の清水清三郎商店で作られ、入手が難しい「大吟醸滴取り大鹿(おおか)」を醸造しており、私も一度は訪れたい酒蔵でもあります。

 この酒蔵では日本酒の最上位として「大鹿」を醸造しており、この地方を治めて第30代敏達天皇との間に子を宿し、子孫となる34代舒明天皇につながる大鹿一族を意識しておられると思われることから是非とも近いうちに訪れたいと思います。

 さて、東員町には縁は切れているものの、私の祖父の実家となる家があり、その奇縁とも思える偶然のすれ違いに驚かされて過去の一言に記しており、ここから4キロほど離れたいなべ市に家内の姉が嫁いでおり、そこから数キロ先の菰野町には三男の嫁の実家があり、大学の同級生や知人も存在することから最近は身近に感じている地域ともなっています。


 午前9時半に津島市を出発しカインズホームで昼になったため、場所を移してイオン東員店に移動したところ、私が大好きな京都の魁力屋があり、日頃は昼にラーメンを食べないものの迷わず足を向けましたが、ここには2年前にも訪れていました。

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イオン東員店内
ラーメン魁力屋 http://www.kairikiya.co.jp/



 4年前の話となりますが、京都の「北白川ラーメン魁力(かいりき)屋」北山店へ偶然に訪れ、味の良さだけでなく独立心から全身全霊を込めて働く店員さんの姿に感動してファンとなりました。味は一押しです。

            本日の体重 74、9キロ 徒歩数 6100歩 間食あり
                                      1月8日の一言

消防出初め式が開催され


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勢ぞろいした市内8分団の消防車

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整列 手前はラッパ隊

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一斉放水

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上空の防災ヘリを見送り

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会場となった天王川公園
                        かつては木曽川の支流だった面影があります

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市民の憩いの場

 本日は津島市の消防出初式が天王川公園で開かれ、市内8消防分団の隊員と消防本部から職員が集いました。
 例年成人式の前に行われており、かつては15日が成人式の日だったことを考えると、正月気分も済んでいないため早すぎる感があります。地域によっては地域全体のお祭りイベントとして盛り上げている例を考えると役務的でもあります。

 そして、会場を文化会館に移して開会された成人式は、議員になって19年の中でも記憶にない静かでおとなしい真面目な雰囲気で、最前列で酒を飲んだり、大声で騒ぎ立てた前例を考えるとインパクトも感じぬまま終りました。

 考えてみると、明日の連休まで正月休みの会社もあるようですが、我家では4日から三男の接骨院が開院しており、市役所も5日から出向いたため、正月があっという間に終ってしまいました。

 議会は2月中旬まで予定がありませんが、来週末は上高地パークボランティアの定例会が松本市内で開催され、月末には埼玉県志木市や東京都千代田区で開かれる研究会に参加するため、一月もあっという間に過ぎ去っていきそうです。

                                     1月7日の一言

それぞれの愛車


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えッ? なんですかな

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どうやらナンバーですね

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前にもついています

 どう思われますか? 完全防水のカゴ袋と、喉が渇いた時のためにドリンクホルダーを2個も装着した自転車です。そして、何よりも前後に付けられたナンバーに自転車愛を感じます。

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ドリンク入れです

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こんな自家用車も

 4日から仕事を再開した三男の接骨院には様々な車が駐車されますが、自転車に車のようなナンバーを付けて、ハンドルにドリンク入れまで付けた工夫には使用者の意気込みを感じずにはおれません。

 本日は町内の親睦会の新年会が行われましたが、飲み放題、食べ放題とは言うものの、還暦を過ぎて節制を心がけていることと、薄暗い居酒屋では老眼鏡がないとメニューも見えず、ビールを飲み続けるとトイレが近くなり、話に花を咲かせていると食べないうちに散会となりました。

 結果的にはそれが身体には良かったと思いました。

                                     1月6日の一言

箱根駅伝を記念するビールをいただき


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今年の箱根駅伝を記念するビール

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応援の手旗

 箱根駅伝で活躍した選手のお父さんより記念のビールと手旗をいただき、数年前に活躍した地元の神野大地選手の快走を思い出すとともに、我家のタンスにしまわれていた箱根駅伝関係者用のジャンパーと帽子を取り出したところ、20年の年月が経過していることにびっくりさせられました。


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20年前のジャンパーと帽子

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第74回の記名がありました

 この帽子とジャンパーは平成10年の箱根駅伝に関係者が使用していたもので、中央大学の陸上部に在籍した私の長男が持ち帰ったものです。

 私の長男は駅伝ではなく走り高跳びの選手で、当時の監督から「オリンピック選手に育てたい」と言われて入学し、陸上雑誌にも進路が掲載される有望選手でしたが、入学当初に足を痛めて手術を受け、周りは再起に期待していたものの、頑張っても日本一にはなれないと競技に復帰することはありませんでした。

 当時の中央大学の駅伝チームは優勝を狙える有力チームで、長男の高校の一年後輩となる花田選手も箱根で活躍し、私自身も朝日新聞社の主催する名古屋と伊勢を結ぶ大学駅伝などに主催者側の準備に借り出されていたこともあり、中大の応援に大声を出して声援を送っていました。懐かしい昔話です。

 懐かしいとともに、陸上の長男に続き、次男も大学時代に相撲でテレビに放映されたことや、歳の離れた三男が自転車競技で全国を転戦していた頃から10年ほど経過しており、子供たちの応援にいくこともなくなった寂しさも実感させられます。

 本日は、午後から先月私の誕生日に生まれた孫が寝かされており、何もできませんが孫の姿を見ながら、この子が成長して応援に行けるまで生きておられたらと寂しい発想しか出てきません。久しぶりに子供の活躍する20年前を思い起こす一日となりました。

                                   1月5日の一言

正月早々に交差点で追突されて


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一宮市開明南の交差点で追突事故 先頭が次男の車

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真ん中で追突された車

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先頭が次男の車

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追突した乗用車

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真ん中で挟まれた車

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次男の車


 午後から家内とともに次男の車に乗せてもらい、一宮市のイオンに行く途中の交差点で、突然ドーンという大きな音がした直後に、我々の車にもドーンと衝撃があり、車を降りて後方を確認すると追突された車に追突されていました。

 後ろの車がノーブレーキの車に追突され、勢い余って次男の車に追突したニ重事故で、警察に通報して事故を確認していると寒風に身体中が震えだし、相手と連絡先を交換し損害保険会社に連絡してもらってから別れました。

 さて、目的地のイオンに着いて店内を散策しようとしていると、次男から福引会場に続く行列に並んでくれと言われ、長蛇の列に並んでいると、列の途中の人から「1時間半並んでいる」の一言を聞き、帰りたい心境になりましたが、5本の抽選券があったため2時間近く並ぶことになったものの、一等賞品2万円の獲得とはならず、5枚のティシュペーパーを貰っての帰宅となりました。

 結果論になりますが、5枚のティシュペーパーのため約15キロ離れたイオンに走り、事故処理で寒風吹く事故現場に1時間もたたずみ、「行かなきゃ良かった」と呟きたい心境ですが、購入して1年の新車を傷つけられた次男はもっと傷ついていました。明日に知り合いの業者に持ち込みますが、私も同行することになり、市役所や予定したスケジュールがあることから突然の事故の後始末は大変です。

 とは言え、次男の車に乗せてもらったのは初めての体験で、身体に異常もなかったことは幸いと感謝しなければなりませんね。

                                    1月4日の一言

時代の移り変わりにびっくりとして


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最近の日課ともなったマックへ

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イオンのレジの裏側

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自動支払機

 「何も知らないと損をする」のは昔から変わりませんが、マックに行く時に家内や知人のスマホの画面を見せてサービスを受けていたものの、親切な店員さんから「携帯でも出来ますよ」と「マクドナルドトクするサイト」を教わりました。

 このサイトで会員になって「ケータイクーポン」を出すと、150円のコーヒーMサイズが100円で飲め、多くのサービスが付いてくるのが面白く、最近では還暦仲間を伴ってマックに行くことが当り前となりました。

 私自身もそうですが、同世代の知人の多くは、「マック」だけでなく「ジョイフル」などファーストフード店に入る習慣がなく、入るまでの敷居は高いものの、仲間と一緒であればお気に入りになっていきます。

 さて、添付したイオンのレジですが、久しぶりに出かけると料金の支払いが自動支払機になっており、これまでのようにレジで料金を支払うのではなく、レジは計算するだけで買い物客が自分で支払うシステムになっていたんですね。

 私のように銀行にも行かないし、カードを使った支払いをしない人間には生活しにくい世の中になってきました。

 さて、お気に入りブログに10年前のブログの読み直しが記されており、私自身も10年前に記したブログを読み直してみると、その当時に亡くなった知人の情報が記されており、知人たちが亡くなってからあっという間に年月が経過していることにびっくりさせられました。


 それよりも匿名で記されているため、人物の特定も困難な事例があり、読み直していると時間だけが経過し、当時の生活とは随分と環境が変わっていることを実感させられる一日ともなりました。

 本日で正月休みも終り、過去にない短い正月のようにも感じられました。

                                   1月3日の一言


1月2日のながーい一日


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本日の相棒リマ

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本日のサブロー

 全く外出しない正月も珍しく、大晦日から室内にこもってテレビ三昧にしようと思っていましたが、日常的に特番が当り前になっているためか、特別に印象に残る番組がないままに2日間が経過しました。

 さて、正月早々に我家の近くで全国発信のニュースがあり、夫婦揃って飲酒運転の話題だけにネットでも話題となっており、舞台となった津島市のイメージが低下するとともに、ネット上では住んでいる我々も容疑者と同じように扱われていました。

夫婦そろって酒気帯び運転容疑 夫の車は田んぼに転落…


 かつての私なら知人を誘って現地を見に行くような元気がありましたが、誘う仲間の反応を考えると無関心になり、何事も考えないままに大晦日と元旦過してしまいそうです。来年には年金を受給する年齢となりますが、何もしないままに年金が振り込まれてくる生活は、きっとこの3日間のような気分になるのかも知れません。

 そんな予感がする一日ともなりました。

                                      1月2日の一言

謹賀新年

 明けまして
      おめでとうございます

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本年も宜しくお願いいたします

                    
平成30年元旦



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