名古屋市千音寺土地区画整理組合 組合事務所
記念館裏と区画中の更地
この道路が拡幅され、庭が無くなります
現在の門前
この門柱も撤去されます
名古屋市中川区の横井庄一記念館前の道路が都市計画道路として大幅に拡幅され、玄関前の庭がほとんど無くなるため、記念館として存続していくために地元の区画整理組合事務所を訪れて駐車場確保のため調整してきました。
大規模な計画道路に併せて土地区画整理事業が行われており、記念館の玄関先の庭が道路拡幅で削られ、横井庄一さんが存命中の生活空間が変わってしまうことと、記念館のイメージが残せるか心配は尽きません。
この記念館の土地や建物は、横井庄一さんがグアム島で発見された際に、全国から寄せられた善意のカンパを資金として、土地を購入して建てられたもので、庄一さんがパーキンソン病になる前には、自給自足と称して野菜が作られていました。
一時は名古屋市に寄贈して記念館として残す約束ができていましたが、名古屋市が将来は寄贈された土地を記念館ではなく更地にして売却すると約束を反故にしたことから、横井夫人から記念館として残したいと相談があり、50年先まで残す覚悟ならと平成18年に記念館を開館しました。
地元の人々も横井夫人が高齢の独居老人のため、夫人が亡くなった後の記念館は自然消滅と思われていたらしく、記念館の後継者に私が指名され、NPO法人として認証を受けて存続する予定であることを伝えたことで、記念館の入り口に駐車場を確保してもらうことになりました。
もっとも、後継者として指名された私も還暦を過ぎており、将来は私の娘と孫に記念館の存続を託していくことになりますが、夫人や私が他界した後々まで記念館を開館していていくことは大変と思われ、夫人からは記念館存続にはこだわらず、私の娘や孫たちが生活しやすい環境で住み続けて欲しいと言われています。
さて、名古屋市の千音寺地区には知り合いも少なく、初めて訪れた区画整理組合でしたが、応対された地元の役員さんは、偶然ですが2人とも私の親しい知人の知り合いと縁者で、横井庄一さんが元気な頃から親しくされていた人のため、余所者ではなかったことを実感させられました。
そして、幼少時に我家で大鹿庄一として生活していた横井庄一さんの遺産が、薄くなっているとは言え、我家の血を引く私の娘や孫に受け継がれていくことに、脈々と続く血縁や一族の絆も感じさせられる一日ともなりました。
本日の体重 73、3キロ 徒歩数 3307歩 間食あり
2月28日の一言