大鹿一八「本日の一言」

平成16年2月から令和1年7月末までの「本日の一言」です。ヤフーブログ閉鎖により、ライブドアへ過去の記録として引っ越しました。

2018年02月

横井庄一記念館前の道路が拡幅されるために


イメージ 1
名古屋市千音寺土地区画整理組合 組合事務所

イメージ 2
記念館裏と区画中の更地

イメージ 3
この道路が拡幅され、庭が無くなります

イメージ 4
現在の門前

イメージ 5
この門柱も撤去されます

 名古屋市中川区の横井庄一記念館前の道路が都市計画道路として大幅に拡幅され、玄関前の庭がほとんど無くなるため、記念館として存続していくために地元の区画整理組合事務所を訪れて駐車場確保のため調整してきました。

 大規模な計画道路に併せて土地区画整理事業が行われており、記念館の玄関先の庭が道路拡幅で削られ、横井庄一さんが存命中の生活空間が変わってしまうことと、記念館のイメージが残せるか心配は尽きません。

 この記念館の土地や建物は、横井庄一さんがグアム島で発見された際に、全国から寄せられた善意のカンパを資金として、土地を購入して建てられたもので、庄一さんがパーキンソン病になる前には、自給自足と称して野菜が作られていました。

 一時は名古屋市に寄贈して記念館として残す約束ができていましたが、名古屋市が将来は寄贈された土地を記念館ではなく更地にして売却すると約束を反故にしたことから、横井夫人から記念館として残したいと相談があり、50年先まで残す覚悟ならと平成18年に記念館を開館しました。

 地元の人々も横井夫人が高齢の独居老人のため、夫人が亡くなった後の記念館は自然消滅と思われていたらしく、記念館の後継者に私が指名され、NPO法人として認証を受けて存続する予定であることを伝えたことで、記念館の入り口に駐車場を確保してもらうことになりました。

 もっとも、後継者として指名された私も還暦を過ぎており、将来は私の娘と孫に記念館の存続を託していくことになりますが、夫人や私が他界した後々まで記念館を開館していていくことは大変と思われ、夫人からは記念館存続にはこだわらず、私の娘や孫たちが生活しやすい環境で住み続けて欲しいと言われています。

 さて、名古屋市の千音寺地区には知り合いも少なく、初めて訪れた区画整理組合でしたが、応対された地元の役員さんは、偶然ですが2人とも私の親しい知人の知り合いと縁者で、横井庄一さんが元気な頃から親しくされていた人のため、余所者ではなかったことを実感させられました。
 そして、幼少時に我家で大鹿庄一として生活していた横井庄一さんの遺産が、薄くなっているとは言え、我家の血を引く私の娘や孫に受け継がれていくことに、脈々と続く血縁や一族の絆も感じさせられる一日ともなりました。

            本日の体重 73、3キロ 徒歩数 3307歩 間食あり
                                     2月28日の一言

3月議会 私の一般質問です


イメージ 1


3月議会 私の一般質問です
1件名 成年後見制度について
  要旨 ・市民後見人制度の必要性と取り組みについて

2件名 公共交通と市民の移送について
  要旨 ・公共交通の現状について
     ・交通空白地帯や市民の足確保について

 1件目の質問は、1月に視察に訪れた埼玉県志木市で行われている市民後見人制度について、津島市の現状と今後の展開について問い、今後高齢者や認知症の対象者の増加が予想されるため要望を込めた質問をします。

 2件目の質問は、行政が公共交通について調査研究せず、名古屋鉄道とバスに放任した結果、年々ダイヤ改正のたびに便数が減らされる現実と、今年の改正でも日中20分おきに発車していたバス路線が30分に一本となることから、警鐘を込めた質問ですが、私自身も福祉有償運送のボランティアを展開していることから、誰もが行きたい時に行きたい場所に行ける移動権を前提に質問します。

 さて、添付した血圧カードは、本日午後2時39分と40分に市役所で測定した私の血圧ですが、最初の測定値が最高血圧162、最低血圧92とあまりにも高いため、繰り返し測定したところ、1分後には最高血圧132で最低血圧が81に落ち着きました。

 同じように5分後に測定したところ、歩いて測定器に座った直後は最高血圧142、最低血圧84を示した数値が、1分後には最高血圧134、最低血圧85と落ち着いたことから、病院の待合室から歩いて診察室で座った直後に計ることにも血圧が高くなっている原因と思われます。

 私自身は20年以上前から高血圧を自覚してきましたが、病院でも待合室から診察室に歩いて座った直後に血圧を測定することから、問診後に血圧を測れば数値が低くなると思われます。血圧が高いことから病院に通っており、こんなことは病院も配慮が必要に思います。

 さて、明日は私が一般質問を通告した市役所の担当部署は、答弁書を完成させるために必死となるでしょうが、私は午前中は福祉有償運送のボランティアに走り、午後は名古屋市中川区まで横井庄一記念館前の道路拡幅について打ち合わせに訪れます。記念館前の道路が広くなるため、記念館前の駐車場と庭が無くなるため、土地の区画組合との折衝が必要になりました。

          本日の体重 73、4キロ 徒歩数 4732歩 間食あり
                                   2月27日の一言

3月議会が始まって 孫の添い寝です


イメージ 1
こんな平和なひと時が何時まで続くのでしょうか

 本日は3月議会が開会し、本日の夕方まで市役所にカンヅメ状態でしたが、議員にとって当り前の行動であるものの、私を必要とする人々にとっては他の所要が重要で、携帯電話には多くの着信履歴が残されていました。

 私が居ないことよりも、車イスが搭載できる家内の福祉タクシーは引っ張りダコで、本日も複数の依頼者を市外の病院まで運んでいますが、明日の午前中は私も協力しないと依頼に応えられません。

 元々がボランティアの福祉有償運送を元にしているためか、タクシーメーターを回して高額な料金になると心苦しく、車イスを搭載するとなると手間はかかりますが、高齢者や障がい者から高額な料金をもらうのは後ろ髪を引かれるため、家内には一定額に達したら貰いやすい金額で打ち切るように指示しました。

 タクシーが決められた料金を適当に割り引くことは違法ですが、タクシーの半額以下で運行している福祉有償運送を仲間のボランティアと一緒に運営しているためか、福祉の名を冠しながら、一般タクシーより高額なタクシー料金を請求する福祉タクシーの料金を聞くと、何とか低額で応対したくなっていきます。

 車イス生活で仕事もない人ばかりか、ガンの再発により余命を宣告され、一日一日が死への階段を下りていく人から、最後まで在宅で移送の面倒を見て欲しいと哀願され、3人の人を最後まで病院へ運び続けたものの、死の前日まで料金を貰っていることには心が痛みます。

 縁起かつぎですが、私は私だけの身勝手の判断ですが、病院に入院する福祉有償運送の会員さんの料金は貰わないことに決め、「退院されたときにいただきます」と言う事に決めております。
 批判はあるかも知れませんが、移送していく人々が命を失っていく現実は、仕事とは言えストレスを溜め込み、ボランティアである初心は忘れたくありません。

 さて、そんな身勝手な気持で行動することが、私の不在時の代役と言うよりも、移送の主役となる家内のストレスと苦痛をもたらし、本日も朝9時前から午後5時まで車で走り回る一日となりました。

 そして、この仕事やボランティアも、私たちが年齢を重ねていくため、組織的に若返えるとともに、若い後継者を見つけないと私が倒れたらそのままになってしまいます。
 そして、来月からは横井庄一記念館へNPO法人の認証が愛知県から下りることから、法務局や行政に走るとともに記念館の仕事が新たに加わります。

            本日の体重 73、2キロ 徒歩数 4074歩 間食あり
                                     2月26日の一言

お墓を考える 議会開会一日前の日曜日に


イメージ 1
富有柿です リマの大好物なので買ってきた柿です

イメージ 2
我家の旦那寺長福寺 津島市葉苅町
                          右側の石柱は叔父の寄進です

イメージ 3
我が家のお墓

イメージ 4
新家のお墓

イメージ 5
檀家なら誰でも入れるお墓
                           自分が入るため叔父が建立しましたが…

 添付した富有柿は、昨日訪れたスーパーに並べられていた柿で、我家の相棒リマの大好物のため購入してきましたが、冷凍と表示されていたものの、秋に収穫した柿とは思えないような見事な柿でした。

 さて、先週にお寺を訪れた際に、お墓に花がなかったと話したことから、本日は家内と花を買ってお寺に向かいました。

 我家のお墓は旦那寺にありますが、私の叔父が幼少時からお寺に預けられ、現在の住職がお寺に入られるまで家族でお寺を護っていたことから、私の父親がお寺のお墓の横に建立させてもらいました。

 この墓には、現在は私の父親と父親の祖母の2人しか納骨されていませんが、残された母親や私自身も含めて永代に渡って残されていくことを希望しています。
 我家から分家した新家のお墓も添付しましたが、新家の先祖はかつてこのお寺の住職を務めており、貧しいながら両家が支えあって現在に至った歴史もお墓から実感させられます。

 一番最後に添付した団信徒なら誰でも入れるお墓(納骨)は、娘2人を嫁がせて家の後継者のない叔父が、自分の入れるお墓として、檀家の人々と一緒に入れるお墓として建立しましたが、自分より先に頼りにしていた叔母が入るとは思っていなかったと思われます。
 自分のお墓にこだわるよりも、末代にわたってお寺で護ってもらえる叔父のお墓も発想が良かったですね。

「墓なんていらないと思ってた」弔い、慣習でなく自らで

 新聞にも葬儀やお墓についての発信がありましたが、大学を出てそれぞれが好きな場所や企業に就職すれば、親子でも家庭は別々となり、出身地の離れた孫やその子孫は親の実家には戻ってきません。

 我家は理不尽と思いましたが、私の進学についても長男だから家から通える大学と限定され、私も同じように東京の中央大学を卒業して遠くに就職する予定の長男を無理やり故郷に戻るようにしました。

 仕事よりも家庭と家族を優先しないと、先祖伝来の土地や家は維持できず、どこでも好きなように生活すれば、伴侶や子孫は実家に戻ってこず、親が急病になっても看病もできず、伴侶を亡くせば孤独な独居老人となってしまいます。

 個人の考え方ですが、学校を卒業して就職する場合には、親元に戻れる場所に就職するか、大企業でも親元に近い勤務地に配属するような配慮がないと、日本中の家や家族は崩壊してしまい、自分のルーツも判らない難民日本人ばかりになってしまうことと、国にも介護保険など大きな財政負担になることから、相続制度などと併せて国家的な改善が必要に思われます。

           本日の体重 73、3キロ 徒歩数 2275歩 間食あり
                                    2月25日の一言

空海  久々の映画鑑賞に


イメージ 1
空海 美しき王妃の謎 劇場公開記念ガイド

イメージ 2
映画館前に珍しいスイカが

 久々の映画鑑賞ですが、コロナワールドのサービス券を見ると昨年7月に有効期限が切れており、ココナッチョカードを持たずに出発しましたが、窓口で再発行となり、ポイントは切れてもカードは有効だったことが判りました。

空海-KU-KAI- 美しき王妃の謎 【日本語吹替版】 http://ku-kai-movie.jp/
 
コロナワールド中川 http://www.korona.co.jp/cinema/nak/top.asp

 映画の題名が「空海」になっているため、家内が私は当然行くだろうと予測していたことから、公開日の初日に出向くことになりましたが、史実としての空海像とは違うものの、中国の名匠が監督をつとめ、中国を舞台に撮影された壮大な映画に規格外のスケールを実感させられました。

 6年もの歳月をかけて、東京ドーム8個分の広大なセットを建築したスケールにも驚きですが、現在の長安の街に残された仏教遺産の大きさから、人口だけでなくこんな広大な中国大陸に侵略した小国日本の決断にも驚かされます。

 空海が私費留学生として遣唐使船に乗ったいきさつや、船が難破して海中に沈む映像など史実とは違う映写や、長安青龍寺の恵果和尚が、多くの弟子が存在する中で、唐に渡ったばかりの日本人空海を真言密教の後継者に指名した事実など、私の関心や真言密教を伝承する僧としての空海についての映写は全くありませんでした。

 しかし、日本では考えられない壮大な撮影は、ユルブリンナーが主演した「十戒」と遜色ないスケールの東洋版大作で、こんな見事な日中合作映画が創られたことに、小さな島国根性を捨てればもっと魅力ある日中関係が構築できるとも思われました。

 そして、できることなら、中国大陸を舞台にして、日本人監督によって日中合作の歴史映画を作り出して欲しいものです。
 日本と中国や朝鮮は、空海が唐に渡る(805年)前から交流があり、天智天皇の在位中にも日本(倭国)と百済の連合軍と中国(唐) ・新羅連合軍が戦った白村江の戦い(663年10月)が起こっており、戦いに敗れた百済王の一族を日本で保護して近江に住まわせるなど、大陸と朝鮮半島、日本を巡る大きな歴史は、太平洋戦争の侵略や、秀吉の朝鮮出兵だけでなく、古くから続いており、それは戦争だけでなく、仏教や文化面の交流も含めて、民族の対立ばかりではありません。

 竹島、尖閣諸島など、中国や韓国と現在も障壁は続いていますが、青龍寺の恵果和尚と空海の師弟関係や、朝鮮半島の百済軍と一緒に中国・新羅連合軍と戦った日本の歴史など、国境線を無視すれば関係も好転できる可能性を感じさせられる映画鑑賞ともなりました。

                                      2月24日の一言

多度山中の獣道に迷い込み


イメージ 1
見晴らしは良いものの帰り道はありません

イメージ 2
余裕のスタートです

イメージ 3
ここが過ちの始まりです

イメージ 4
獣の侵入防止の扉を開けて山へ入ります

イメージ 5
途中で道が無くなりました

イメージ 6
何とか抜け出しましたが…

イメージ 7
桑名の町を遠くに眺めて

イメージ 8
川原には春の息吹が

イメージ 12
童心に戻った気分です

イメージ 9
多度上げ馬神事の馬の慰霊碑

イメージ 10
左側の坂を馬が駆け上がります

イメージ 11
多度大社本殿

イメージ 13

 本日は管理栄養士さんの指導を受け、私が体重を減量するために「ご飯」や炭水化物を抜いて野菜だけ摂取する食事の弊害も指摘され、これからは朝・昼・晩の3食に炭水化物摂取して食べることにしました。

 さて、午後は運動のため登山道を歩こうと、一緒に指導を受けた知人と多度大社の駐車場から歩き始めましたが、1時間程度で歩けると思っていたら、3時間程度必要なことが判り、途中から近道と思って一般の登山道とは違う小道に入りました。

 これが過ちの始まりで、帰宅後にネット検索するとハイキングコースにない道で、久々に足腰に堪える登山道に、近道と思ってイノシシが通るような獣道を選択して進むと道が無くなり、戻ろうにも下るには危険で山中をさまようように歩きました。

 結果論ですが、真っ直ぐ歩けば50メートル程度の登山道を、30分もかけてさまよっていたわけですから、標高403メートルしかない多度山となめきっており、こんなことが原因で遭難することを実感です。


 それにしても地元の人が使う山道なんでしょうが、山をなめると大変なことになることを実感し、人の通れる登山道に出た時は笑いが止まりませんでした。

 俳優の大杉漣さんが66才で突然亡くなられ、私の父親も65才で他界したことを考えると、健康でストレスのない楽しい生活を求めたいのは必死で、少年時代のような童心にかえって楽しむため、一緒に行動できる知人を増やしていこうと思います。

 大杉さんが亡くなる前日まで撮影に参加していた連続ドラマ「バイプレイヤーズ~もしも名脇役がテレ東朝ドラで無人島生活したら~」も、6人の俳優仲間が実名で参加しており、亡くなる瞬間も奥様と仲間が見送ったと発信されています。

 このヤフーブログでも、多くの人々が突然の病気を発信し、回復した人もあるものの、そのまま発信が途絶えたままの人もあり、亡くなった可能性が想定されますが、自分の最後は発信できないことから、ブログを通して元気で楽しい人生を発信し続けられるようにしていきたいものです。

 私は3ヶ月に一度程度の間隔で管理栄養士さんの指導を受けており、一年ほど前から知人と2人で訪れて指導を受けるようになり、運動のためにボーリングやウォーキングに出かけるようになりました。

 還暦を過ぎた私たちが、残された時間を考えると、何かを投資するような楽しみは限界がありますが、仲間と一緒に行動していけば、海の見える場所や山に小さな小屋を建てる程度のことも可能となり、ストレスのない心の底から笑える少年時代に戻ったような行動を心がけて生きたいと思う一日ともなりました。

 山の雑木林から登山道に戻った瞬間は心の底から笑えました。

            本日の体重 73、3キロ 徒歩数 8181歩 間食あり
                                     2月23日の一言

何だか大変な一日となり


イメージ 1
えっ? このバンドエイドが…

 本日鳥カゴの扉を開けたものの、普段は素直に私の手でカゴを出す「ヒー」が落ち着かず、「サブロー」が飛んでいっても、カゴの中で暴れており、やっとつかんで出したものの、クチバシを開けて呼吸しているのでそのまま鳥カゴに戻しました。

 「ヒー」の場合は、私の着ている衣服を替えるだけで暴れ、そんな時は衣服をお気に入りに戻しても手には乗ってきませんが、昨日までと一変する暴れ方に原因が判らず、無理やり出したものの…

 原因は私の親指に貼ったバンドエイドで、たったこれだけのことで怖がって近寄りません。
 もっとも、夕暮れ時に「ヒーちゃん」と呼ぶと、「チュン、チュン」と元気に鳴き、他の4羽も競って鳴いていたため何事もありませんが、衣類の色や環境の変化など野生の小鳥との共存は難しいものがありますね。

イメージ 2
市内の養護老人ホーム

イメージ 3
お雛様が飾られていました

「病院まで乗せていってもらえないかな?」
    「何時のことですか?」
「今からだけど…」
    「えっ、今からなの…」

 早朝にけたたましく鳴る電話に出ると、朝の散歩中に具合が悪くなったとの話ですが、近くの病院ではなく名古屋市内まで走るため、顔を洗って着替えてから8時前に出向く約束をしてトイレに行っていると、待てないので自分の車で行くと連絡がありました。

 福祉有償運送や福祉タクシーの営業はしているものの、本日は家内が往復の予約を受けた人が既に3人あり、一人は名古屋市内の病院まで走るので、私自身が午前中の約束を延期する電話をかけて出発しようと考えた直後の断りに、「本当に悪いなら救急車を頼んでよ」とか、「自分で運転して行けるなら7時前から電話をかけるなよ」と心中で呟いていました。

 対象者は心臓疾患でそのまま入院となり、乗って行った車を家族が引き取りに行ったとの話ですが、突然の発病や異変はあるものの、突然の依頼は一般のタクシーを呼ぶべきで、ボランティアの看板をあげて低額で運行している我々を頼られても限界があります。それよりも心臓疾患で入院となった患者が、自分で車を運転していく判断にびっくりですし、それよりも方法が無い現実はなんともなりません。

 それでも依頼に応えられなかった反省をしていると、近所の人が美容院に連れて行って欲しいと訪れ、目的地に到着するとお店は更地になっており、市内を走ってやっと新しい移転先に到着すると「これ」と千円札を出されました。「こんなに貰うわけにはいかない」と半額を返して、「オレは500円の男」かと自問自答です。

 そして、午後になって午前中に約束してあった叔父の老人ホームを訪れていると、知人から次々と連絡が入り、ホームに近い珈琲屋さんで待ち合わせるも随分と待たせることになり、市内の目的地に立ち寄って帰宅すると…
 息子の接骨院に来ていた知人が待っており、送り届けると一日の仕事が終りました。
 家内は午前中から市内と名古屋市の病院を送迎し、3人目は他のボランティアに依頼したものの、朝8時30分から午後6時まで外出したままでした。名古屋市内に送迎した女性の病気は深刻で、他の病院に転院して手術を受けることになりますが、若いものの女性の独り暮らしで、精神的動揺が激しく、診察後も看護師さんが付き添っていたものの、精神的ケアができないと手術を受けても改善しないとの話でした。送迎だけでなく、家内が相談役に期待されて離れられない現実もなんともなりません。

 明日も家内は市内2人と、名古屋市まで車イスの患者さんを運び、私は一人だけの移送ですが、知人と遊びが約束してあり、我家は家内が居ないと廻っていかず、仕事のある三男夫婦の孫の世話は87歳になる私の母親の仕事と化しています。

          本日の体重 72、9キロ 徒歩数 1908歩 間食あり
                                   2月22日の一言

阿息観でお寺の本堂に座り


イメージ 1
四国霊場椿堂ゆかりの椿の木 津島市越津町弘盛寺

イメージ 2
福寿門

イメージ 3
弘盛寺本堂

イメージ 4

 本日21日は議会運営委員会が開催され、引き続いて行われた厚生病院委員会の報告会が正午過ぎまで行われましたが、何とか午後に開かれた阿息観に間に合い、お寺の本堂に座ることができました。

 高野山の金剛峯寺で受けた阿字観を、町内にある弘盛寺で体験できることを知った7年程前から、当時は参加できる時に行く程度に参加していましたが、最近は市議会の行事と重ならなければ必ず参加すると決めて足を運んでいます。

 1ケ月に一度の繰り返しですが、本堂に座って身体を動かしてから足を組み、鼻から胸にいっぱいの空気を吸い込み、身体の隅々の細胞から汚れた空気を絞り出すようにゆっくり口から吐いていきますが、その日の体調の変化がよく判り、体調不良の時は心が乱れて思うような瞑想ができません。

 私の身勝手な瞑想法ですが、目を閉じてしまって、自分が座っている場所を穂高連峰の神々しい冷気を感ずる小梨平と想定し、まるでその場に身体が瞬間移動して座っているように念じて座るようになっており、高野山奥之院の御廟前とか、御嶽山の霊神場の石塔前と想定して座りますが、体調の良し悪しで呼吸が乱れて、雑念ばかりで落ち着きません。

 これが不思議なもので、阿息観を健寿法や呼吸法として考えていた時と違い、瞑想を心がけると脳が錯覚を起こすのか、本当にその場に座っているような錯覚を覚える瞬間が存在し、ただ単に眠気によるものか、ドーパミンとか脳内の神経伝達物質が影響しているのかどうかは判りませんが、まるで違う世界に入ったような感覚になることがあり、そんな感覚が時を超えて1200年前の弘法大師の足元に座れるようにならないかと念じてしまうところに、人には語れぬ馬鹿な精神状態に憧れてしまいます。

 どちらにしても、私は八百万の神仏ではなく、間違いなく弘法大師と同行二人と信じて行動しており、空海の行動に憧れて四国や高野山を訪れているので、私の願い事は総て弘法大師に理解されていると考えるとストレスは失せていきます。



 さて、本日は四国別格霊場椿堂さんからいただいて弘盛寺に植えられた椿の木を添付しましたが、四国から愛知県に移植された空海ゆかりの椿は、私の死後も順調に成長し、私の孫が還暦を過ぎた時にどのように成長しているかを想定すると、この椿を見た孫が何を考えるか興味は尽きません。

 上高地も11月から4月まで冬眠中と決めましたが、私の四国遍路や巡礼は来月3月から再開となっていきます。

          本日の体重 72、8キロ 徒歩数 2378歩 間食あり
                                   2月21日の一言
追伸
毎月21日は、町内のお寺の阿息観に参加していますが、私が巡礼のお世話をしている名古屋市の志賀弘法会でも勤行が行われており、午前中に家内が送った代表者を、私が夕方に自宅へ送迎しており、この車中で交わす真言密教の不思議な話も、私を弘法大師の下に導いていただけます。

福祉有償運送運営協議会が開催されて


 本日は津島市総合保健福祉センターで海部西部圏域の福祉有償運送運営協議会が開催されました。

 海部西部圏域は津島市と愛西市が対象となり、公共交通やタクシーなどが利用できない人々を対象にして、ボランティアが自家用車を利用して病院や買い物に同行していますが、岐阜県や三重県の県境となる木曽川沿いの地域には対応ができておらず、我々対象事業者の更新の審査だけでなく、交通(移動)空白地域を解消するために議論しあう協議会であるべきだが、行政に真剣な対応がなく、委員を委嘱された人々の発言が皆無で、タクシー協会と運輸局の代表者と私が議論するだけの現状がもどかしく思われます。

 昨年4月にあま市の圏域でも移送ボランティアを展開することになりましたが、現地のボランティアの安全(運行)管理が確立できないため、依頼の電話があると福祉タクシーで津島市から出向いている現状の打開も急務となっています。

 東京都の武蔵野市は、自治体が福祉有償運送の車両を購入し、市民のボランティアに提供して福祉福祉有償運送を展開していますが、行政に交通空白地域を解消する意欲が全くない津島市や愛西市の市民は不幸ですね。

健康長寿の秘訣 外出する人は健康長寿

イメージ 1
 
 添付した表は多摩市の資料ですが、外出をする人と、めったに外出しない人との健康長寿に対する格差は明らかで、病院に行く交通手段がなく、異変を感じても我慢して、買い物にも行けない人たちの健康寿命が短くなるのは当然のことかも知れません。

 私もまもなく年金を受給する年齢になりますが、老後の心配をしてお金のかかる外出を控えたり、何もしなければお金もかからないと自宅にこもると健康寿命が縮まる調査結果から、毎日外出する生活習慣を考えていきたいものです。

 「えっ、また行くの」の一言は、昨年の上高地に向かう私に対する家内の口癖ですが、外出すればお金も必要になり、無職になった年金受給者の肩身は狭くなりそうですが、かつて四国遍路に行く場合も一人で行くと「お金もかかるし」と言われていたことから、仕事を引退後に無職となってからの外出は家族の風当たりも厳しいのでしょうね。

 年金支給額の多少の差もありますが、車に乗れれば何所までも行くことができますし、豪華なホテルに泊まらなければ低額な宿泊施設も存在し、日帰り入浴のできる施設も各地に登場していることから、できる限り外出することを意識したいものです。

 もっとも、旅行でなくても、日々の生活の中で、外出できる生活様式や趣味を考えれば、外出先の情報をブログ発信するなど、お金をかけずにできることは多く存在します。

 さて、NPO法人の認可を受けて10年が経過し、50代前半だった私も60代になっており、総急に若いボランティアの参加を募り、10年後の私を行きたい場所に連れて行ってくれる組織に発展させるのも残された使命かもしれず、私の周りの人々だけでも行きたい時に行きたい場所に行ける環境を目指したいと思います。

                本日の体重 73、3キロ 徒歩数 3571歩 間食あり
                                          2月20日の一言

桂の六地蔵 あま市七宝町

イメージ 1
六地蔵の裏側です

イメージ 2
前方横から見た六地蔵

イメージ 3
横側から見た六地蔵

イメージ 4
立て札

イメージ 5
正面から見た六地蔵

イメージ 6
七宝町安松交差点

 本日は所用で名古屋市中川区の横井庄一記念館を訪れた帰りに、七宝町桂にある「六地蔵」を訪れましたが、駐車場もなく道路も狭いため、車から降りて写真を撮るのが精一杯で、謂れを聞くこともできませんでした。

 この六地蔵は、天正12年(1584年)6月に起こった蟹江城合戦で敗走し,秋竹で切腹した武士の遺骨を引き取った僧が,その冥福を祈って刀剣とともに葬って建立されたという説と,法光寺の開祖が父の死去によって,その墳墓の傍らに六地蔵を安置したという説と2つの説があると伝承されています。

 私自身が蟹江城合戦について詳しくは知りませんが、織田信長が本能寺に倒れた後に豊臣秀吉と徳川家康との間で小牧・長久手の戦い以降に起こっており、蟹江城合戦では秀吉軍と家康・織田信雄(信長の次男)連合軍の闘いです。

 歴史では秀吉が織田信長の後継者のようなイメージがありますが、本能寺の変の後で尾張地方の織田一族は徳川軍と一緒に家康と行動を共にして、蟹江城合戦は織田・徳川連合軍が勝っており、国を統一した秀吉も徳川軍にはてこずっていたことが判ります。

 ちなみに、六地蔵に近い桂城主は当時織田大和守が護っており、我家から千五百メートル離れた宇治町にあった宇治城も、信長の弟である織田源五郎(後の織田有楽斎・茶人)が城主を務めており、今から5百年ほど前には各村々に戦国武将の砦や拠点が点在していたことは興味深いものがあります。

 今から五百年前に、七宝町の秋竹で切腹した武士の遺骨が刀剣とともに葬られ、桂の六地蔵として伝承されてきたと考えると、我々の生活圏で命のやり取りが行われていた臨場感と、戦いの代償に命を差し出す残酷な時代を想像し、景色も白黒のように感ずるとともに、地蔵の頭や身体に被せられた赤い布が鮮血のようにも思えました。

小平奈緒、五輪新で金 スピード500m 日本女子で初

「金メダルは名誉、でも生き方が大事」 小平が会見
小平と李の友情、日韓関係もこうなら…韓国ネット反応
相沢病院の応援団、現地で声援 「奈緒の世話係」感無量
 さて、感動的な発信に、殺伐とした現代社会の中の清涼剤のような小平選手や周りの人々に感謝の一言です。南北朝鮮のきな臭い発信もありましたが、スポーツやオリンピックが平和の祭典であることを小平選手が示してくれました。有難う御座いました。

              本日の体重  徒歩数 2650歩 間食あり
                                      2月19日の一言

ペットに囲まれる幸せを家族全員で

       
イメージ 1
家族の主役に踊り出たキンカチョウの小梅(オス)

イメージ 2
↑  リマも嬉しそうです

イメージ 3
初対面なのに一緒にスマホを眺めます

イメージ 4
↑      リマも余裕ですが…

イメージ 5
↑       毛を抜かれてびっくりです

イメージ 6
完全に主役交代です

 本日は久しぶりに娘たちのアパートに行き、今年になって加わったキンカチョウの小梅を見てきました。
 昨日の一言にも記しましたが、相棒リマが主役から付き添いになっており、動物病院に連れて行かれる恐怖心も持っているため、本日も主役として連れていきましたが、昨年までいた「テツ」が存在せず、新たなキンカチョウが主役となっていたアパートにしばらくは馴染めませんでした。

 やっと小鳥と一緒の生活に、3年前の「ピー」を口元に置いても一緒に生活していた我家の台所を思い出したのも束の間で、まだヒナの小梅が怖いもの知らずで、リマの長い毛を口で引き抜くため、リマも痛い為防御するので一触即発となってきました。

イメージ 7 左は3年前のリマとピーちゃんですが、ピーを私が一番可愛がっていることを知るリマも大切にしており、ピーも私には噛み付いても、リマに噛み付いたりしないため一緒に居ることができました。

 本日は、久しぶりに懐かしいピーとリマのツーショットを思い浮かべる一日ともなりました。


昼前に売り切れるだんご屋、久しぶりに開店 愛知
記事の続き…
ログイン前の続きだんごを作る米粉も、石臼でひいたものと機械でひいたものを独自の配合で混ぜる自家製。念入りにこね、舌触りがきめ細かい。すべて、店を始めた祖母のやり方を守ってきた。
 もう一つ、祖母の言いつけを守っているのは「宣伝するな」ということ。「つい、ホラを吹きたくなるでしょう」。だから取材を受けるのも苦手。「味」だけで店を守ってきた。
 「明けましておめでとう」「ようやく冬眠からさめたなぁ。待っとったで」。店にとってはこの日が年明け。常連客とはこんな会話が交わされていた。

 本日の朝日新聞の記事です。午前中に売り切れてしまう「だんご屋」さんが愛知県碧南市に存在し、店名は「津島屋」であることと、人々は「天王のだんご屋」と呼んでいるとの記事に、ネットで住所検索すると碧南市の天王町に津島社も存在することが判りました。

 私の住む津島市の津島神社の末社が碧南市にあり、地名にも天王という名前を残して、95年前から営業するだんご屋さんが「津島」を屋号にしていたことに、津島市と各地の人々が行き来していた歴史を感じさせられました。是非とも訪れてみたいものです。

            本日の体重 72、9キロ 徒歩数 1004歩 間食あり
                                     2月18日の一言

追伸 我家の孫も生まれて2ヵ月となりました。

相棒リマと買い物へ


イメージ 1
お母さん 早く帰ってこないかなァ

イメージ 2
大丈夫だ 余裕だよ

イメージ 3
まだ戻ってこないのかなァ

イメージ 4
愛雀のために8種類のエサを購入しました

 久しぶりに相棒リマを助手席に乗せて買い物に行き、ペット専門ショップに同行した相棒が喜んでいると思っていたら、両足を震わせて怯えており、販売されるペットの犬たちを見て震えているのかと思っていたら、入り口にあった動物病院を見て震えていることが判りました。

 本日は小鳥のエサを補充するために出向きましたが、最近は相棒を同伴できるショップに連れて行ってなかったため、知らないショップに入ると動物病院に連れられていくと勘違いしていたようでした。

 久しぶりに買い物は楽しいと認識させるため、チーズ味のオヤツを購入して与えて、家内と買い物に行く予定でしたが、私も車に残って相棒と家内の買い物を待つことにしました。リマを車に乗せて一緒に出かけるようにしたのは私で、最初はリマのためのドライブだったことが忘れられ、最近は乗せて連れ歩くだけになっていた反省が必要です。

羽生結弦66年ぶり五輪連覇 宇野昌磨が銀 フィギュア

藤井五段、羽生竜王を破る 将棋・朝日杯で公式戦初対戦

藤井五段、朝日杯V 最年少15歳で棋戦優勝 六段昇段

 本日は私が外出している間に、スケートの羽生選手が金メダルを獲得し、15歳の藤井五段が羽生竜王を破るだけでなく、朝日杯でも優勝して六段に昇格を決めるなど、一年分とも思える明るい話題が発信されていました。

 個人的には、午後からお寺で行われた法然上人の法要にあたる「 御忌 」と、お釈迦様の「涅槃会」に参加したものの、私が議員になってから19年目の参加となりますが、多くの人々が鬼籍に入られて参加者の顔ぶれが代わっていることも実感させられ寂しさも隠せません。

          本日の体重 72、9キロ 徒歩数 2225歩 間食あり
                                   2月17日の一言

キンカチョウの小梅です


イメージ 1
娘の家の手乗りキンカチョウ小梅です

イメージ 2

 娘のキンカチョウはペットショップで買ってきた時から手乗りですが、我家の愛雀たちは「ヒー」以外は手でもつかめず、自分の意思で肩や腕に止まる「サブロー」も、手の平には乗ってきません。

 私を怖がらない2羽ですが、一緒に行動しているため、「ヒー」が私の手の中で眠っている間は、姿が見えないので「サブ」が必死に探しており、「ヒー」が鳥カゴに入っていくと後に続いていきます。

「クルマ、地方疲弊の重大原因の一つ」藤井聡・京大教授
記事の続き…
ログイン前の続き 都市は駅や港、城などの点を中心として、施設や人が集積する効果で競争力を保っています。中心にはにぎわいがあり、人々が交流する公共空間がある。それは人間が人間であるために、必ず求められるものです。しかし、郊外はべたっと広がる面ですから、中心にはなりえない。地方都市の郊外化は競争力を失わせ、東京など大都市への人口移動を促します。
 また、私の研究室の調査によれば、全国チェーンの大型SCで生鮮食料品を買うと、出費の8~9割が地域の外へ流れていきます。日本中、世界中から商品を集めているからです。一方、地元商店街はその地域から仕入れる比率が高く、5~6割は地域に還元される。言い換えれば、全国チェーンの大型SCはお金を吸い上げ、地方経済を疲弊させていくシステムです。
 郊外化に対抗して、中心市街地には駐車場が整備されました。しかし、私の調査では、人々が商店街でクルマとすれ違うと楽しい気分が損なわれてしまう。むしろクルマを締め出すことで人は戻ってきます。歩行者天国のにぎわいを思い出してください。京都市では3年前、中心部の四条通りの車線を減らし、歩道を広げて歩きやすくしたら歩行者数が1~2割増えました。
 富山市では中心部の道路をイベント広場に変え、路面電車の一種であるLRTを整備して真ん前に駅をつくりました。北陸新幹線の開業もあり、年間約35万人が新たにLRTを使って中心部などを訪れたと推計されています。沿線の地価も上がりました。
 言うまでもなく、クルマ産業は日本経済にとって最後の頼みの綱です。また、高速道路はトラック輸送のために必要です。ただ、それは物流を支えるものであり、「人流」までクルマが担うべきとは限りません。クルマの利用をかしこく制御する「交通まちづくり」こそが、地方をよみがえらせることができると考えています。

 世の中では、自動車の運転手のいらない自動運転によって、高齢化社会の移動手段を解決しようとしていますが、車製造販売会社だけでなく、道路や街づくりに関係する建設会社も一緒になって築いてきた地域社会が疲弊してきました。

 高度成長社会の中で、駅や中心市街地の利権を死守しようとした商店街に対して、郊外に大型ショッピングセンターが展開し、街角の商店がほとんど姿を消した今になって、高齢化によって郊外にでられない買い物客は、街角に次々と誕生するコンビニを利用するようになり、寿司屋や食堂の出前が無くなった今、外食大手チェーン店やスーパーだけでなく、コンビニも配達するようになり、家に居ながら商品を注文できるようになりました。

 添付した記事のように、駅や公共交通の有効利用と、人の集中する中心市街地を見直す必要もあり、車が無ければ生活できない社会の改善も急務で、人の住まない地域に開業しても顧客が来ないことは商売の原点でもあります。

 まさに社会も輪廻しており、ファッションと同じように歴史は繰り返します。還暦を過ぎた今となっては、10年後や20年後を見越した起業はできませんが、過去の経験から将来を予測できる知恵があり、この知恵を後継者や家族が活かせる三世代、四世代の住宅が基本になれば、世の中の無駄も無くなりますが…

              本日の体重 72、8キロ

                                  2月16日の一言


愛西市 日置八幡宮と大聖院


イメージ 1
旧佐屋町日置 八幡社(左)と大聖院

イメージ 2
大聖院本堂 真言宗智山派

イメージ 3
八幡社正面の鳥居
イメージ 4
境内にある仏式のお堂

イメージ 5
神社参門

イメージ 6
三木武夫元総理大臣の揮毫

イメージ 7
見事な石細工です

裏面 ↓
イメージ 8
寄付者は医師の伊東春太郎氏 旧美和町

石工 角田六三郎氏
角田六三郎石材店(愛知県名古屋市西区)
                          名古屋市西区名西2丁目34-15  052-531-6765
イメージ 9
本殿 日置八幡宮
                                左に秋葉神社と右に貴船神社の
                          三社が祀られています
イメージ 10
地域力を感ずる立派な本殿です

 津島市と境になる愛西市の日置にある八幡社ですが、立派で広大な駐車場が完備されているものの一度も訪れたことはなく、本日初めて訪れたところ、隣のお寺(大聖院)と隣あわせであるばかりか、鳥居の奥に仏像を安置したお堂があり、日置という地域だけではなく尾張地区にまたがって信心される歴史のある神社であることにびっくりさせられました。

 鳥居をくぐった先にあるお堂は、明らかに仏式の建物で、隣の真言宗智山派の大聖院と自由に行き来できることから、私の勝手な想像ですが、明治維新後の廃仏毀釈前は神仏習合の信仰の場所だったと思われます。

 鳥居を進んだ参門には元総理大臣の三木武夫氏が揮毫した「日置八幡宮」の扁額(へんがく)が掲げられており、三木首相の後継者でこの選挙区から後に総理大臣になられた海部俊樹元代議士に関わる日置の人々の縁で存在するものと思われます。
 この扁額を三木元首相が揮毫した経緯を書き記して残して欲しいものです。

 本殿が参道から直接見えないように建てられた大きな石でできた衝立の裏側には、旧美和町(現あま市)古道の医師「伊東春太郎」氏が昭和4年に寄附されたことが刻まれていますが、左下に小さく刻まれた「ナゴヤの石工」として角田六三郎氏の名前が残されています。

 名古屋市の西区には、現在も角田六三郎石材店が継承されており、佐屋町日置の八幡社のために、稲沢や甚目寺に近い美和村古道の伊東春太郎氏の寄進で、名古屋城に近い名古屋市西区の「石工」角田六三郎氏が依頼された石を持ち込んで造営したと考えると、昭和初期の道路事情や人の行き来にも興味は尽きません。

 もっと、関連して考えてみると、全国各地の有名な神社や寺院に石造物の寄進を続けた「伊藤萬蔵」氏も名古屋市西区の人物であり、昭和2年に鬼籍に入られているものの、「石工」角田六三郎氏の居所に近いことから、伊藤萬蔵氏との関係についても知りたいものである。

誠に申し訳ありませんでした。下記の赤字の部分は私の間違った発信でした。

 そして、この日置八幡宮にも伊藤萬蔵氏の寄進した狛犬があることから、間違いなく「石工」の角田六三郎氏と伊藤萬蔵氏は関係があり、伊藤萬蔵氏が各地に寄進した石の香台や石塔にも「石工」として角田六三郎氏が関わっていたと推察されます。
 身体が二つあったら調べて書き残したいものですが…

平成30年10月27日に現地を訪れたところ、伊藤萬蔵さんの狛犬は存在していませんでした。ブログ発信時に萬蔵さんを研究している知人に確認する際に、「日置の神社」と聞いたことが原因で、他の日置神社の狛犬の存在を聞き取り、伊藤萬蔵さんと角田六三郎さんの接点と勘違いして確認することなく記してしまいました。

今後は寺院や神社を訪れる際に下記に添付した一覧表を持参して情報発信することで、研究者の足しになればと考えています。

誠に申し訳ありませんでした。
石の語り部 伊藤萬蔵
伊藤萬蔵について記した私の過去ログ

 今から百年ほど前の史実となりますが、こんな時期の地域と地域をつなぐ記録が、ネット社会となった現代になって各地から発信されているものの、地方自治体も市内の歴史は残しているものの、他地域と連携した記録はなされておらず、何とか関連づけて残しておきたい歴史となります。

 さて、日置八幡宮に安置された木造の獅子頭は、建長4年(1252年)に制作されたことが修復の際に獅子頭の内部に記されていたことで判り、はっきりと年月の記された獅子頭としては日本国内で一番古いことが確認されています。

 何気なく訪れた場所で、今から50年近く前の高校時代に、恩師の樋田豊先生について木曽川沿いの史跡を訪ね歩いた記憶が蘇り、当時訪れたお宅の人々の懐かしい顔が思い出される一日ともなりました。

           本日の体重 72、6キロ 徒歩数 3277歩 間食あり
                                    2月15日の一言


極寒の中にも春の息吹きが 木曽三川公園


イメージ 1
木曽三川公園の相棒リマ 岐阜県海津市

イメージ 2
リード無しは久しぶりです

イメージ 3
この場所も久しぶりです

イメージ 4
公園内の雰囲気はもう春ですね

イメージ 5
見事なチューリップ

イメージ 6
結局はお母さんの抱っこに

 先月末から家族が風邪ぎみで、先週は家内もインフルエンザに感染し、自身も軽度の風邪で体調も不完全ではありましたが、家の中に居る孫に風邪を移してはいけないと、外出も控えていたために、本日は久しぶりの外出となりました。

 わずか10日程度の休養でしたが、わずか三千歩程度の外出が足腰に響き、これまで感じたことのない負担を体感させられました。
 我家の相棒リマも9才になっており、人間にすると私よりも高齢になっているためか、家内の腕の中で抱っこされるのを当り前にしているのも寂しい現実で、まもなく始まる3月議会のためにも外出する機会を増やして体調を完璧にしたいと思います。

 久しぶりに訪れた木曽三川公園(岐阜県海津市)では、春と勘違いしそうなチューリップが大量に花を咲かせており、あと一ヶ月もすれば春爛漫になってしまうことを実感させられました。

 今年からは、午前中と午後に三男が接骨院を施術中に、12月に誕生した孫を家内か私が抱っこして面倒を見ており、体調不良よりも部屋にこもっているため、身体が鈍っていると思われ、家の中に居るために間食の機会が増え、体重の維持も大変な環境に陥ってきました。

 明日も午前中はボランティアに参加し、午後には個人的に外出して、仕事のできる体調に戻したいと思います。

            本日の体重 72、8キロ 徒歩数 3889歩 間食あり
                                     2月14日の一言

寒さに震えて緩んだ精神力を実感して


和歌山)極寒の高野山奥の院で水行  1月29日朝日新聞
イメージ 1
極寒の高野山奥の院(高野町)で28日、恒例の寒中水行があり、信者らが冷水につかり、世界平和などを祈った。
 奈良県川上村の高野山真言宗の寺「宝寿院」の信者らで、60年以上続けているという。午前10時半、近くの温度計が零下4度前後をさす冷え込みの中、男女5人が積雪が周囲に残る玉川の水行場に入り、約10分間、般若心経を唱えた。
 宝寿院の辻田真海副住職は「檀信徒の方の安寧と世界の皆さんが幸せに暮らせる世の中になるように祈願させて頂きました」などと話した。

 日本中が寒波に見舞われ、雪に閉ざされ寒風に震えている先月末に、高野山奥之院で、極寒の玉川に浸かる水行が行われていたとの新聞記事がありました。

 自分も数年前なら水行や滝行を考えた時期もありましたが、水に入るどころか、裸になるだけで倒れてしまいそうな極寒の中で、同世代と思える信者が般若心経を唱え続けたとの報道にびっくりです。

 最近は四国遍路に孫や家族で訪れており、独りで四国を歩いたり、空海が修行した場所で空海の真似事の真言を唱えていた頃から5年ほど経過し、訪れるお寺や高野山でもお年寄りの参拝になってしまっていることを実感させられます。



 過去には一人で四国を訪れる機会も多く、太龍寺では空海が19歳のときに「南舎心嶽」で「求聞持法」を修行された岩山にへばりつき、お寺に告げて夜遅くまで空海と同じ真言を繰り返し唱えたこともありました。

 もっとも、日中は遠方に見える太平洋や山並みを眺められたものの、日が沈んだ直後に真っ暗になり何も見えず、このまま崖から落ちても誰にも気付かれないのではないかとか、崖の背後に座る弘法大師像が生きているのではないかと何度も振り返り、私の真言を聞いた山犬など獣が襲ってきはしないかと、真言どころか暗闇の恐ろしさから恥ずかしいことに早々に山を降りてしまいました。
 
空海−KU-KAI− 美しき王妃の謎 映画今月末公開
解説
弘法大師としても知られる真言宗の開祖・空海が遣唐使として中国に渡った若き日の姿を描く、日中合作の歴史スペクタクル大作。夢枕獏の小説「沙門空海唐の国にて鬼と宴す」を原作に、「さらば、わが愛 覇王別姫」「始皇帝暗殺」の名匠チェン・カイコーがメガホンをとり、主人公の空海を海外作品初挑戦となる染谷将太が演じた。8世紀、遣唐使として日本から唐へやってきた若き僧侶の空海が、詩人・白楽天とともに首都・長安を揺るがす巨大な謎に迫っていく。空海の相棒となる白楽天を中国の人気俳優ホアン・シュアン、物語の鍵を握る楊貴妃を台湾出身のチャン・ロンロンが演じるほか、日本から阿部寛、松坂慶子らが参加している。

 空海が高野山の御廟に座して1200年の歳月が経過していますが、真言密教の「阿字観」では自分なりの瞑想法で座れるようになっていることから、今年は四国の空海の修行した場所でも「阿字観」を体験してみたいと思います。そんな時に日中合作の映画空海が公開されます。

御嶽山開山 覚明霊神 春日井市HP
覚明霊神は、享保4年(1719)現在の牛山町で生まれました。俗名を丹羽仁右衛門(にわじんうえもん)といいます。20代で出家し、四国の霊場を幾度も巡礼するなど修験者として厳しい修業を続けていた覚明は、7回目の巡礼中の明和3年(1766)、高知県の山中で法力を得て、覚明という名と鉦鈷石(しょうこいし)を授かりました。その際「信濃国の御嶽山を開け」という神のお告げを受けて郷里に帰った覚明は、まず恵那山を開き、ついで後御嶽山開山をめざしました。


 私は1年前から御嶽山の霊神場に通い、祖父の石碑に願をかけてきました。結果的には願は叶ったと思いますが、祖父の言霊は聞こえてこず、これは五感を研ぎ澄ませて六感を鍛えるしかないと思います。
 ちなみに、私の祖父は、私の高校時代に御嶽山の何かの百年祭で、真冬に毎日水をかぶる寒行を続けました。そして、その年の7月に他界しました。その命と引き換えにしたような修行の源は何んだったのか。

 御嶽山を開山した覚明霊神も、四国霊場で厳しい修行を続けて7回目の巡礼中に高知県の山中で法力を得たとありますが、そこまで行かなくとも、寒中で水に入って真言を唱えられるくらいの精神力と強靭な身体を目標にしたいものです。

 こんなことを記していると、願が叶うと思うのか、家内が「今年は西国に行こうか」とささやき、「それ去年の話じゃなかったのか」と、家族の甘い言葉が真剣な修行とは程遠い巡礼にしてしまいそうです。

               本日の体重 72、9キロ
                                     2月13日の一言

三連休は無気力に座ったままに


イメージ 1

 三連休である楽しみは何も無く、何もせずに気力もないままに3日間が過ぎ、何か目標を考えないと身体も衰えてしまいそうな生活になっており、明日からも目標もないままに寒さに耐える一週間になりそうです。

 国の奨学金を返せず自己破産するケースが、借りた本人だけでなく親族にも広がっていると報道されている。
 進学時に貸与される奨学金は、担保や審査はなく、卒業から20年以内に分割で返す制度に無理があるとは思えないが、16年度末現在、410万人が返している中で、過去5年間で1万5千人の奨学金破産があるとの記事にはびっくりである。

奨学金破産、過去5年で延べ1万5千人 親子連鎖広がる

奨学金、進む回収強化 「あきらめればモラルハザード」

 最近の新聞報道の傾向では、奨学金を返せないと言うよりも、返さない対象者にも同情する記事を目にしますが、私からすれば返さなければ自己破産という選択も安直なら、奨学金が返せないようなら最初から夜間の2部に進むか、働いて学費を稼いでから入学すべきで、それが出来ない結果の自己破産は同情どころか許されるべきではありません。

 私自身は大学入学直後から始めた名鉄系の観光バスの添乗員で貰うアルバイト料が、名鉄に勤める父親の給料より高かったため、一年が経過した頃から就職せず起業する道を考えるようになり、独立するためには綺麗な旅行社だけではなく、人の嫌がる清掃業のアルバイトも経験しました。

 誰もが就職もしないで起業することは不可能と言っていましたが、私の独立心の高さを知った朝日新聞名古屋本社販売部の幹部から、「販売店を経営しないか」とスカウトされ、新聞配達もしたことのない私は大学3年の時に、「卒業はさせる」との約束で独立しました。
 もっとも、休みのない仕事ゆえに家族は大反対でしたが、休みは人を雇えば作れますし、利益追求を目的にしなければ、労働時間も短く苦痛にはなりませんでした。

 そして、父親が居ないためアルバイトをしていた高校生を、朝日新聞の奨学金制度によって大学に進学させたこともあり、借金を背負ったため会社の出勤前に配達に来た人を雇用していたこともあります。


 借金をすれば返すのは当り前で、法によって認められているとは言え、総ての借金を無にする自己破産は許されるものではなく、ましてや国民の税金から捻出された奨学金を返せず破産するのは許されるべきとは思いません。
 そして、苦労して大学に進んだ人や、アルバイトをしながら難関な国家資格に合格した人も多く存在することを知らせる必要もあります。

 人生は突然の事故や苦難に陥ることもありますが、奨学金は真面目に働けば返せない金額ではなく、返そうとする責任感があれば破産は考えられず、厳しいように思えても返さない者や、自分の子供の奨学金も返そうとしない保護者の責任は免れません。

             本日の体重 72、6キロ

                                     2月12日の一言


当たれば嬉しいものです


イメージ 1
私の行きつけスプーンベル 創業30年記念大感謝祭の抽選

イメージ 2
空くじなし 私は卵1パック 家内は大量のパン

 私が十数年お気に入りとしている珈琲店スプーンベルで、5年ぶりのガラポン抽選会が行われており、昨日粗品を貰って帰宅したところ、家内から「コーヒーチケットを買ってこなかったの」と言われ、本日も家内と出かけました。3日間だけですが、3600円のチケットが3300円で購入できます。 

 このお店は朝から夕方まで満員で、日中に訪れると席が空くまで待つことになり、私は午後5時30分に訪れてお気に入りの席に座ることにしていましたが、昨年から閉店時間が午後6時になったため行けない日も増えました。
 大学時代に起業して、毎日通っていた珈琲店が20年前に閉店し、その後は決まったお店もありませんでしたが、最近は一人で決まった席に座って一日の最後にしたいと考えており、一緒に行きたいと言われると迷惑になります。そんな気持も知らずに誘う知人にも本当はウンザリなんですが…

イメージ 3
これは807円(税込み)で買ってきました

君とトリスといつまでも 広告

 さて、最近はビールや日本酒は口にせず、毎晩赤ワインと決めていますが、本日訪れたスーパーで、テレビコマーシャルに出ている吉高由里子さんの顔が付いたトリスクラッシックを衝動買いしてきました。

 アドレスを添付しましたが、一緒に買い物から帰った若いカップルが、夕陽を見ながら「綺麗だネ」と言う彼女に、「君もネ」と言うロバートの馬場さんと、「キャッ」と応える吉高由里子さんの初々しさは懐かしい魅力を感じさせられます。

 ましてや、お笑い芸人とは言え、コンビのロバート秋山さんに誘われるまま一緒に上京し、笑いをつくるのではなく自然そのままに行動し、最近は得意の料理を披露することも増えた馬場ちゃんがフライパンを握り、吉高由里子さんがトリスのフタを切るコンビは最高と思います。

 私自身が自分で飲むウイスキーを購入したのは大学以来で、このコマーシャルを見ていただけでなく、付録に付いていたソーダ水の吉高由里子さんの顔がなかったら買わなかったことから広告の効果は大きいですね。

           本日の体重 72、4キロ 徒歩数 2407歩 間食あり
                                     2月11日の一言

立田村(愛西市)の野焼きと養老山脈


イメージ 1
最近では珍しくなった葦(ヨシ)と野焼きの煙 立田道の駅

イメージ 2
津島文化広場

 寒波が和らぎ午後から雨になりましたが、午前中は久しぶりに出かけた木曽川に近い立田村で、懐かしい葦(ヨシ)の残った田園風景と、稲藁を燃やす野焼きの煙を背景にした養老山脈を見ることができました。

 私の子供の頃には、冬の田園は遊び場になっており、田んぼで稲や籾殻が燃やされていると近所の幼馴染とサツマイモを持ち込んだり、暖をとるために火遊びをしていた思い出があり、夕暮れの養老山脈を見て家に帰っていました。

 添付した写真は、我家から30分の距離になりますが、私の住む地域の50年前の面影もあり、しばらくたたずんでいたい心境にさせられました。

 オリンピックに政治を持ち込むことを良しとする人は無いかもしれませんが、オリンピックを利用して米国を沈黙させ、自分の妹を使者として韓国に送り込んで、韓国大統領を手玉にとる金正恩は見事で、30代とは思えない指導力は日本の政治家にも見習いさせたいものがある。

 日本の国益とはならないが、同じ民族として南北統一を目標にするのは両国民にとっての悲願で、核兵器を持つことで米国と張り合う北朝鮮と韓国が歩み寄れば、日本よりも優位に立つことは間違いありません。

北朝鮮、文大統領に訪朝要請 「条件整え実現を」と返答
記事の続き…
ログイン前の続き金与正氏は会談で「私が特使だ。金正恩委員長の意思だ」と説明。南北関係改善を目指すとした正恩氏の親書を文氏に渡した。高位級代表団長の金永南(キムヨンナム)最高人民会議常任委員長は「五輪開会式が成功したことを共に祝いたい」と述べた。
 文氏は「南北関係発展のためにも、早期の米朝対話が必須だ。米国との対話をより積極的に進めてほしい」と要請した。金与正氏らの訪韓について「緊張緩和や南北関係改善への契機になった」と評価した。
 双方は南北関係と朝鮮半島を巡る問題全般について意見交換したが、文氏は北朝鮮の核開発については直接言及しなかったという。
 北朝鮮高官が韓国大統領府を訪れるのは、09年8月に金大中(キムデジュン)元韓国大統領の死去を受けて訪韓した朝鮮労働党の金己男(キムギナム)書記らの弔問団以来。金与正氏は正恩氏の最側近で、党宣伝扇動部副部長を務める。北朝鮮最高指導者の直系血族の訪韓は初めて。
 金永南(キムヨンナム)最高人民会議常任委員長率いる北朝鮮高位級代表団は10日夜、平昌(ピョンチャン)冬季五輪の会場のひとつ、江原道(カンウォンド)江陵(カンヌン)で趙明均(チョミョンギュン)統一相主催の夕食会に出席。その後、文氏とともに女子アイスホッケー南北合同チームの試合を観戦した。代表団は11日に帰国する。

文氏「内政問題」と不快感=安倍首相の米韓演習要請に

 情けないのは日本の安倍首相で、米韓合同軍事演習の早期再開を韓国の文在寅大統領との日韓首脳会談で訴え、「内政問題だ」と不快感を示されていたことが発信されています。オリンピック開催中に政治的発言を封印している文大統領には無用の一言でもある。

 一方で、マイク・ペンス米副大統領は大会開会式に先立って行われた夕食会への出席を見合わせたが、安倍首相は北朝鮮のナンバー2と言われる金永南(キム・ヨンナム最高人民会議常任委員長と同じテーブルで言葉を交わしたと報道されている。北朝鮮に対する強行発言との整合性が見られない。

 平和の祭典とは言え、ドーピングでロシアが排除され、北朝鮮が国を挙げて参加している中で、日本は「メダル、メダル」とマスコミが取り上げ、観客席でのんきに日の丸の小旗を振る安倍首相を見ていると、メダルも取れずに期待はずれのオリンピックになるのではないか。

 いや、オリンピック開幕の陰に紛れて、存在しないと発言されていた森友学園の国有地売却問題で、財務省が9日に新たな内部文書20件を公表しており、明らかなオリンピック報道を見込んだ姑息な政治利用もしていたのである。だとしたら、私には情けないとしか思えません。

             本日の体重 72、9キロ 徒歩数 2680歩 間食あり
                                      2月10日の一言

サービス精神はどうなったのか

 岡山県を中心にバス事業などを営む両備グループは8日、傘下2社の78路線のうち赤字31路線を一斉に廃止すると、国土交通省に届け出たと発表した。

赤字31路線を一斉廃止へ バス会社、規制緩和に抗議
記事の続き…
ログイン前の続き両備側は「過当競争が起きる」と反発したが、国交省は近く認可する見通しだ。両備のバス2社は西大寺線などの収益により、全体の6~7割を占める赤字路線を支えてきたが、八晃の参入で年3億円近い減収となり、全路線の維持は難しいとしている。
 小嶋代表は、和歌山県の旧南海貴志川線を、猫の「たま駅長」がいる和歌山電鉄として立て直すなど、地方公共交通の「再生請負人」として知られる。会見では「規制緩和の弊害で公正な競争ができなくなっていることへの問題提起だ」と述べ、国などの対応次第で廃止の見直しもあり得るとの考えも示した。
 八晃運輸は朝日新聞の取材に「参入を申請するのは自由だ」とコメント。国交省中国運輸局の担当者は「参入が不当な競争を生まないかはきちんと審査する」と語った。
 全国のバス事情に詳しい交通ジャーナリストの鈴木文彦さんは「バス需要が右肩下がりの時期に実施されたため、各社の消耗戦のような価格競争や、ツアーバスの安全性低下など、規制緩和に問題があるのは確かだ。ただ、バス利用者の多くはそうした業界の実情を知らない。『路線廃止』というやり方で、両備側の意図が市民にどれだけ伝わるかは微妙だ」と話す。

 路線バスの業界は全国で苦境にある。国土交通省の統計では、年間の乗客数は42・8億人(2016年度)で、ピークだった1960年代の約4割に。規制緩和前の00年度と比べても1割少ない。マイカー普及や地方の人口減が原因だ。
 バス会社は、大都市と地方を結ぶ高速路線を拡充するなど、収益の確保に努めてきた。だが、30両以上のバスを持つ全国248社のうち、65%の161社が赤字(15年度)だ。三大都市圏以外の地方では83%にはね上がる。労働時間が長いのに賃金が低い傾向が続いており、運転手の確保も悩みの種となっている。
 国交省によると、15年度までの10年間で廃止された赤字路線は、東京―大阪間の距離の約40倍となる計1万6千キロメートルに上る。

 ショックな記事です。添付した記事中にもありますが、廃線が決まった和歌山県の南海電鉄貴志川線を、地域住民と一緒になって存続させ、世界中に三毛猫の「たま駅長」を発信させていたのが岡山の両備グループで、その岡山県で赤字とはいえ31路線を一斉に廃止するとの発表が信じられません。

 公共交通が赤字を抱えて存続が危惧されるのは全国的傾向ですが、現状では鉄道会社が独自で存続させるのは無理で、地方自治体だけでなく住民も一体となって存続を考えていくのが当り前になってきました。

 規制緩和によって新たな事業者の参入も見込めるものの、利益を見込める黒字路線に低価格の新規参入を認めれば、既存のバス会社の経営は破綻しかなく、今回の記事から両備グループと岡山市との連携不足は明らかです。

 岡山県の両備ホールディングスが赤字で廃線となる南海電鉄貴志川線を再生させた実績は高く、小嶋光信・両備グループ代表は地方鉄道再生の旗手と話題になった人物だけに、今回の会見は残念であると同時に、規制緩和だけでは地域の足は確保できないことを実感させられました。



 6年前の話となりますが、和歌山電鉄を実際に視察し、地域住民と自治体も一緒になって存続するために活動した記録を調べましたが、本当に鉄道を必要とする地域の切実な声がないと公共交通の存続は敵いません。

 3年前に「たま駅長」が亡くなっており、地域との連携が希薄になっているとは思いませんが、和歌山県では救世主の両備グループも、地元の岡山県では大手企業であり、住民と一体となった経営がなされてこなかったのも事実で、今回の路線廃止をきっかけに全国の自治体にも交通は行政の問題との認識を持ってもらいたいものである。

                本日の体重 72、5キロ 徒歩数 不明 間食あり
                                       2月8日の一言

外出したまま一日が経過して


イメージ 1
本日の夕暮れ 新日光橋

 本日も寒風舞う一日となりましたが、幸いにして雪が降らないのが救いで、北陸地方の国道で車が立ち往生し、駐車場の車内で亡くなったり、医療機関に行けずに治療が受けられない人々を考えると恵まれた地域に住んでいることを実感させられます。

豪雪で立ち往生の車に500人前 餃子の王将、無償で

透析患者、豪雪で家に足止め 医療スタッフの通勤難しく

 テレビ報道では雪に埋まった車や、国道で立ち往生する車列が映されてくるものの、重篤な救急患者や、定期的な通院が必要となる透析患者の搬送の遅れは深刻で、車が走れないことは命に直結します。

 かつて長野県の行政職の人から、予想を上回る積雪に対する除雪費の予算が不足する予測不能の悲鳴を聞いたことがありますが、突然の雪で病院に搬入できない場合の対応も考えられているとは思うものの、突然の発病までは予測できず、心肺停止状態での救命は絶望的となります。

 我々のボランティアである福祉有償運送や、福祉タクシーを必要とする人々は、元々が持病か障がいを持つ移動困難者であることから、車が使用できないと病院や買い物にも行けず、買い物については第三者の善意で対応できますが、治療や診察は本人を同行させないとなんともなりません。

 本日は午前11時に約束があり、その後外出したまま帰宅は午後7時になっていました。特別に何も無い生活のため、それはそれで済んでいますが、北陸の人々の生活を考えると恵まれています。

           本日の体重 72、2キロ 徒歩数 2003歩 間食なし
                                      2月7日の一言

情報化社会ではあるものの…


 「牛丼チェーンの吉野家が2日に実施した無料キャンペーンで、客の車が店の周辺に列をつくり、渋滞を引き起こすトラブルが全国各地で起きた」との新聞報道に、読み直してみると、『ソフトバンクのキャンペーン「スーパーフライデー」で同社のスマートフォン利用者に毎週金曜日、外食チェーンなどで特定の商品が無料になるクーポンを配信するサービスで、今月は全国の吉野家の牛丼が対象だった』と記されていました。

牛丼無料で客殺到→全国の店舗周辺で渋滞 吉野家が謝罪

 長年ソフトバンクを利用しているものの、残念ながら私は未だに携帯電話を使用しており、昨年にスマートフォンに乗り替えようとしたものの、他社からの乗り替えは安いものの、ソフトバンクからの乗り替えには割引が無かったことから腹を立てて交換しませんでした。

 ただし、この時に家内はドコモの携帯からソフトバンクのスマートフォンに換えてり、今回話題になっているキャンペーンの対象者であるものの、サービスそのものの存在も知りませんでした。せっかくのサービスも知らなければ何にもなりませんし、もし仮にソフトバンクの利用者全員が吉野家を訪れたに大変なことになります。

 今まで無関心で見向きもしなかった新聞の折込広告にも、切り取れば無料となるクーポンや割引券が添付されており、粗末に扱う人と、何事も関心を持って粗末に扱わない人との差は明らかです。

 そういう私も無関心に放置してしまうことから、せったく貯まったポイントが期限切れになってしまったり、高速道路のETCマイレージサービスのポイントが期限切れになったこともあり、貯めるばかりで使わないのも損になっていきます。

 さて、我家に毎月送られてくるJAFメイトの中にも、ジャフプラスが同封されており、ここにも「吉野家」のサービス券が添付されており、今月と3月は「なか卯」の無料券や「すき家」の割引券とともに、アルペングループの500円引き券、スギ薬局の15%割引券等が添付されています。

 もっとも、サービスに目の色を変えて外出すれば、移動するガソリン代もかかり、必要もない他の安物を手にしてしまうため、無駄遣いは反省しないといけませんが、サービス券がありながら定価どおりの賞品を買ってしまうことも多く、日常生活の中で情報収集は重要になります。

 正月から2月に入っていますが、議会日程も今週から入ってくることから、正月ボケや正月気分を一新し、人の風邪をもらわないように気を引き締めていきたいものです。

           本日の体重 72、5キロ 徒歩数 3654歩 間食あり
                                     2月6日の一言


連日各地のお寺から便りが届いて


イメージ 1

 毎年の繰り返しとなりましたが、京都の大原にある「宝泉院」から節分会のお札と福豆が届けられてきます。一年に一度の便りとなりますが、年賀状も返礼も出さない無礼な私を忘れずに届けていただけることには感謝するしかありません。

 そして、この一言にも12年前から毎年記してきましたが、同じことの繰り返しとしか思えない慣例にも、私の生活環境と年齢を重ねたことで微妙な違いを感じることから、ブログを日記がわりに読み直してみました。






 私は最近でこそ「四国」と「上高地」と語っていますが、元々は京都が大好きで新婚旅行も京都駅で降りて都ホテルに宿泊したくらいで、明石家さんまさんが本名で司会をしていた京都花月にも足を運んでいました。

 それから40年の歳月が経過し、何度も訪れることによる馴染みのお店や立ち寄る居場所もできましたが、最近はそういった居場所の世代交代にも遭遇するようになっており、宝泉院から届けられたお札と福豆についても、ご住職との関係が末永く続くように願いたいものです。

 偶然ですが、本日にご住職の縁続きとなる知人が訪れ、昼食とコーヒータイムに懐かしい話と、こういったご縁で人々が東京から一緒に仙台や山形まで足を延ばす交遊関係の話となりましたが、以前の私なら「自分が運転して」と言ってしまいそうな一言を口ごもりました。


イメージ 2


 「おじいちゃん、はい」と言われて、慌ててマスクをしてから孫を抱きかかえて、泣かずに黙って寝てくれるように祈りながら、引き取りに来てくれるまでひたすら孫とともに座っていると30分や1時間はあっという間に過ぎ去っていきます。

 こんな孫との時間が永く続くことも祈願します。

                  本日の体重 72、5キロ 
                                     2月5日の一言

一日遅れの節分豆まき


イメージ 1

 私が毎月「阿息観」の指導を受けている町内のお寺(弘盛寺)で、節分の豆まき「星祭り祈祷会」が開催され、多くの参拝客で賑わい、家族が厄除けのお札とともに「福豆」や粗品をたくさんいただいて帰りました。

 我家は家内の在所が祖父江町神明津(現稲沢市)にあり、家内が我家に嫁いできた昭和53年から家内の書道の先生が住職を務められる地泉院で節分会に参加してきましたが、私が町内のお寺の「阿息観」に平成23年7月から参加するようになったため、最近は弘盛寺の節分会に参加するようになりました。

 我家は元々家族が多く、父親が健在であった平成5年までは10名分の祈祷をお願いしており、今年からは三男の嫁さんと孫が誕生したことから、四世代9名の祈願をお願いすることになりました。

 昨年12月に誕生したばかりの孫が、数え年で2歳と記されていることにはびっくりしましたが、先週は三男の嫁さんと孫以外の家族は全員が風邪をひいており、孫への感染を防ぐため完全に隔離生活を送ってきましたが、本日から今までどおりの生活に戻りました。

 私自身は先週の3日間を埼玉と東京に出向き、続いて名古屋市の搬送の講習に参加していたため、孫とも一週間ぶりの対面となりましたが、家族が多ければ楽しみだけでなく苦痛や心配事も尽きぬと実感させられる一日となりました。

 ちなみに、孫が誕生して以来、私は孫を抱いたり近くに居る時は必ずマスクを着用するようにしており、自分の子供たちには考えもしなかった行動に、子と孫の大きな違いも実感されられています。

イメージ 2

 さて、家族9人と記しましたが、自宅で留守番役となっていた相棒リマも孫が誕生するまでは私の子供役として我家の主役になっていたことを考えると、我家の環境もにわかに大きく変化してきました。
 ペットと一緒に生活できる年限は非常に短いことから、相棒たちとの時間も大切にしていきたいものです。

             本日の体重 72、3キロ 徒歩数 1026歩 間食あり
                                       2月4日の一言

体調不良と隣り合わせの生活に

 先月29日に東京まで移動して、30日に埼玉県志木市役所、31日に東京都千代田区のセミナーに参加し、麹町駅から有楽町まで満員の東京メトロに乗車した時に、身体中から汗が噴出し、一枚脱いで有楽町から電車に乗車した際には身体が冷え冷えとし、車のように自由に着替えられない冬場の列車移動の難しさを実感させられました。

 名古屋から津島への移動についても、汗がでた名古屋駅から津島市が近づくと車内は隙間風が吹き、着こんだ下着の汗が冷えて風邪を引きそうな雰囲気で帰宅すると、家族も全員が風邪を引いていました。

 インフルエンザではないのが救いですが、不調でも昨日は患者等緊急搬送乗務員の講習に参加し、本日午前中にボランティアを終えると、午後は休養として外出もしませんでした。しばらくは養生が必要です。

 立憲民主党の枝野代表が、「籠池さんに今さら証拠隠滅の恐れはないですよ。証拠隠滅してきているのはむしろ財務省」と発言しているが、安倍首相にとって都合の悪い人物の口封じが行われているとしか思えません。
 そんなことで、保釈されずに拘留が続いているとしたら、三権分立とは言えず、籠池さんがかわいそうですね。

「籠池氏を保釈して説明求めたい」立憲・枝野氏

 安倍晋三首相の妻昭恵氏から「電話があった」と述べて交渉している音声データについて、安部首相は電話の否定と、関与も否定しているが、音声データの存在がある以上は、本人の参考人招致と関係者の招致があってしかるべきと思われるものの、絶対に阻止しようとする体質が自民党まで一蓮托生としてしまう。

首相「妻は電話していない」 籠池氏めぐる音声データ

森友新文書・録音に昭恵氏の名… 佐川氏らの招致焦点に

 「廃棄した」はずの交渉関連文書の存在がまた発覚し、安倍晋三首相の妻、昭恵氏に学園の籠池泰典前理事長が言及する新たな音声データが示されたことは、行政は何事でも記録して残していることの証で、森友問題について総て破棄するか存在しないこと自体の説明がつかない。

 森友学園の籠池泰典前理事長自体が胡散臭い人物であることは間違いないが、この学園の名誉校長を安部首相の妻昭恵氏が務めて交友関係にあったことは明らかで、関係する国や県の担当者は安倍首相の存在を意識して対応していたのは確実なことから、やはり事実関係を明らかにしないと政治の信頼は得られません。
 さて、国会でどこまで事件の解明が図れるのでしょうか。

                                     2月2日の一言

患者等搬送乗務員の講習に参加して


イメージ 1

 本日は名古屋市御器所消防署において、愛知県消防長会が主催する「平成29年度患者等搬送事業に係る講習」(適任者講習・定期講習)が行われ、県内各地より集った搬送事業者やタクシー乗務員が受講しました。

 定期講習は2年ごとに講習が行われ、この講習に参加しないと初心者と同じ3日間の研修が必要になり、明日と明後日にも講習が行われます。

 さて、個人的には5月に上高地で開催される松本市広域消防局の普通救命講習も受講するため、救命講習について忘れることはありませんが、現実に対象となる現場に遭遇した場合に講習で学んだとおりにできるかどうかは判りません。

 ましてや、AEDどころか、消防署にも連絡ができない北アルプスや、携帯電話を所持しない田舎道で遭遇した場合には心肺蘇生法や心臓マッサージを続けるしかありませんし、連絡に走れる第三者もいない単身の場合を考えると大変です。

 もっとも、福祉タクシーや福祉有償運送については、対象者の多くが患者である場合が多く、搬送中に患者の容態が急変した場合にどのように対応するかは、日頃の予行演習を徹底するしかありません。

 津島市の救急車が通報から現地に到着する時間は約6分であり、この間に何もしないまま救急車を待つのではなく、心肺蘇生法で心臓マッサージ等が行うことは有効で、たとえ呼吸が止まっていても、心臓が血液を送り続けていれば血液中に残る酸素によって後遺症を減らすことが可能です。

 呼吸と心臓が止まってしまった患者さんに遭遇することは稀とは思いますが、家庭で一人くらいは救命講習を受けて、万が一高齢者が餅や異物を詰まらせたときなど、最善の措置が施せれば幸いとなりますね。

                                 2月1日の一言

ギャラリー
  • ようこそ 大鹿一八の納経所へ
  • ようこそ 大鹿一八の納経所へ
  • 令和6年 上高地開山式の様子です
  • 三重県桑名市大福田寺の聖天祭へ
  • 毎年恒例となった我家のアンズジャム作りへ
  • 毎年恒例となった我家のアンズジャム作りへ
  • 本日もボランティアの一日となって
  • 我家のきゅうりとプランターのイチゴです
  • 我家のきゅうりとプランターのイチゴです
アーカイブ
  • ライブドアブログ