大鹿一八「本日の一言」

平成16年2月から令和1年7月末までの「本日の一言」です。ヤフーブログ閉鎖により、ライブドアへ過去の記録として引っ越しました。

2018年04月

横井庄一さんの遺品を見学に名古屋市博物館へ


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我家のサクランボ 完熟となりました

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名古屋市博物館

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企画展 博物館イキ!のポスター

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見物する横井庄一さんの夫人と私の母親と家内

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グアムで布を織った機織り木 帰国後の複製

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グアムで使った道具

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グアムで着ていた自作の衣服

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横井さんのコーナー

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横井庄一さんの夫人 記念館館長

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見事な槙の木の盆栽 博物館の玄関前


 名古屋市博物館は、昨年10月に開館40年を迎えたことを記念して、4月28日から6月10日まで「企画展 博物館イキ!」を開催し、この地域の歴史を伝える基本的な資料、近年博物館が積極的に取り組む テーマから、まさに”活き活き”と活躍する資料を展示しています。

 横井庄一さんのコーナーでは、横井さんがグアム島での生活で作り実際に使った道具を展示して、戦争に翻弄された個人の生き方を伝える唯一無二の資料として展示されていました。

 本日は横井さんの夫人に誘われ、私の母親と家内とともに、横井さんのお墓や仏壇を護っていく私の娘夫婦と孫の7人で博物館を訪れましたが、横井さんがグアム島から持ち帰った遺品は全て博物館に寄贈してあり、夫人も我々も久しぶりに生活道具を目にしました。

 親族の手前味噌で語るわけではありませんが、グアム島で着ていた衣服は、現地のパゴの樹木の繊維をほぐして糸にして、自作の機織り器で織って布にした上で、鉄砲の薬きょうを切って作った針で縫い上げ、ボタンは貝殻を加工して造った全て手作りの作品です。

 もし仮に、私がグアム島に置いておかれたら、食料の調達もままならず、衣類は作れませんから草や葉を巻くしかありませんが、横井さんはアメリカ軍や現地人に隠れながら27年間も自給自足の生活していたのですから、同じ血縁者と言えども絶対に真似はできません。

 さて、夫人は今年91歳になり、3人いた兄弟も全て鬼籍に入っており、血を別けたオイやメイは京都周辺に生活しているため、記念館の独り暮らしは大変と思いますが、本日は86歳になる私の母親も連れていったため、久しぶりに横井さんを偲ぶ会話に花が咲き、昼食に訪れた「ステーキのあさくま」でも年齢を感じさせない食欲を見せてくれました。
 もう少し元気でいてもらいたいものですが、今日のように博物館まで外出しようとする意欲が続くうちは大丈夫と思われます。

            本日の体重 72、5キロ 徒歩数 3470歩 間食あり
                                      4月30日の一言

知人から送られてきた上高地ベスト10


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 空は曇っているのにも拘わらず、澄みきった残雪の山肌が、立体感を自らの肌に直接冷たく感じさせる様な感動的な興奮を覚えた。
 私が写した美しいベストテンです。全て額縁に収めて永く眺めていたい風景です。

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岳沢湿原から

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小梨平梓川の堤から

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温泉ホテル前から

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田代橋から

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梓川の流れ

 後の4枚のうち3枚(焼岳と大正池)ですが、少しずつ位置を変えてみました。どれも絵はがきにできる美しい風景ですよね。

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大正池ホテル横の白樺と大正池
ここまでは知人の投稿です。

 今年12月に65歳になり、少ないものの年金受給者になることから、できるだけ早く上高地と四国、そして地元津島市を3等分した生活を送りたいと考えていますが、
10年前に始めた福祉有償運送が高齢者の増加に伴って依頼が増えており、希望通りに行くことを願うばかりです。

 上高地は開山したばかりですが、4月から上高地で働く新人の方々の姿を見かけると、しがらみもなく行動できる人々が羨ましくもなります。

北朝鮮が核実験場を5月中に廃棄、米韓メディアに公開へ

正恩氏「いつでも日本と対話する用意ある」 文大統領に

 北朝鮮と韓国の融和が進み、南北朝鮮から戦争の危機が回避されようとすることを予想していた人が、日本にはどれくらい存在したか判りませんが、誰もが命を削る戦争を起こしたいとは思っていないことから、このまま関係が改善されることに期待したいものです。

 さて、南北朝鮮の和平が進み、韓国に駐留する米軍が撤退か縮小し、南北朝鮮と中国の関係が好転していくと、日米同盟を頼りにしていた日本の立場は厳しくなり、これからは米国頼みの強硬外交は通らなくなります。

 大統領になってから変人扱いされ続けてきたトランプ大統領と、実の兄まで暗殺したと言われる独裁者金正恩委員長ですが、常識を無視して行動できることから、いがみ合っていた両者の会談が開けてきたのかもしれません。

 そして、南北朝鮮が統一され、統一はできなくとも自由に行き来できるようになれば、韓国から中国やロシアを経由してヨーロッパに行ける鉄道や道路も展開されると、我々日本人にとっても今までとは違う世界観を持てそうです。
 我々が生きている間にそうなって欲しいものです。

 少年時代に出会った不良仲間との出会いを連想してしまい、本日もそんな仲間と一緒に行動していましたが、そんな友人との行動は、譲れないところやコダワリは絶対に妥協できないため、「両雄並び立たず」のことわざのようにならない工夫が必要です。

           本日の体重 71、8キロ 徒歩数 3246歩 間食あり
                                    4月29日の一言

上高地 明神までの散策蕗を歩いて

                                        昨日の写真です
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明神池から河童橋までの木道散策路  梓川右岸

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明神館前の道標

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明神館

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明神岳

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明神池と明神岳

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梓川右岸沿いの木道

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おもわず立ち止まってしまう空間

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岳沢湿原と六百山

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昨日午後4時の上高地

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河童橋とこいのぼり

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一緒に歩いたメンバー

 上高地では昨日開山祭が行われましたが、私は開山祭が始まる前に田代湿原から、昼食後には明神池までの巡視(ゴミ拾い)を行い、愛知県の地元から開山祭に参加した知人たちもゴミ拾いに協力して、田代湿原周辺から明神池まで手伝ってくれました。

 地元の人たちと上高地を歩くのは久しぶりで、せっかくならと現地の案内(勉強中)もしましたが、メンバーは落ちているゴミ探しに熱中し、出会った観光客に問われた花の名前を図鑑で調べている間に姿は見えなくなっていました。

 せっかくの上高地の自然環境を、ただ単にゴミ拾いとウォーキングだけで行動するのはもったいが無く、都会の道を歩くように歩いて行ってしまったメンバーを必死に追いかけました。

 さて、案内と記しましたが、昨年1年間集積したガイドの閻魔帳(メモ)を自宅に忘れており、適当な案内なら何とかなるものの、詳しい説明を求められたら、花のハンドブックや野鳥の本を開けるしかなく、残念な失態となりました。
 本日になって、この閻魔帳はリュックサックのポケットの中にあった事が判明し、忘れたと思ったものの背中に積んでいたことが判りました。

 一週間前に赤い新芽を出していたケショウ柳も、昨日には新緑にかわっており、多くの植物が新芽を出しており、これからは花を見ながら散策するのには最高の季節となります。「私は花は判らないので…」の口癖は、覚える気持も湧いてこないため、これからは足を止めて眺めたいと思います。

「この近くにはカエルが多く居るから」
     「本当だ、あそこにも居る」
     「ところでカエルの名前は何?」
「うーん、閻魔帳を見れば…」

 そして、忘れてきたと思っていた閻魔帳を背負っていたリュックから発見し、アズマヒキガエルである事を確認しましたが、現在交尾の真っ最中で、既に道路の水溜りに散乱された卵もありました。花だけでなく、動物や生き物にもにぎやかな春が訪れています。                  
                              昨日の徒歩数 22503歩
 次の上高地は5月13日のガイド研修日となります。

             本日の体重 72、7キロ 徒歩数 3167歩 間食あり
                                      4月28日の一言


上高地 開山式が行われて



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開山式前のセレモニー  アルプス(アルペン)ホルンの演奏

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午前10時 ホテル白樺荘前

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演奏の打ち合わせ中

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ここでの演奏も魅力的です

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河童橋は人でいっぱいです

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真正面  最高の位置取りです

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真横にも人がいっぱいです

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穂高神社の神主さんによるお祓い

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山の神様をお迎えします

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河童橋上のお神酒

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開山祭50年を記念する舛とピンバッチ

 上高地開山式が行われました。上高地の開山式は毎年4月27日に開催されてきましたが、昭和42年から50回目の開山式となります。

昨年の 上高地 開山式 2017/4/27

5年前の  吹雪の上高地 開山式  2013/4/27

                                             4月27日の一言

名古屋市の…病院まで搬送が続いて


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名古屋市中村区  太閤通稲葉地周辺 西向き

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太閤通 中村公園の東 西向き

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分離帯のあかめがし

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2台とも名古屋市へ

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YEBISU CAFE 大治町
                             愛知県海部郡大治町三本木金久35   
                                     電話番号  052-618-7150        

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元チェッカーズ大土井裕二さんのサインが壁に

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モーニングサービス

 本日は病院に搬送する依頼が多く、津島市内の医療機関はメンバーの協力をもらいましたが、家内は明日が手術予定となっている女性を中村日赤病院まで運び、私は近々手術予定の女性の検査のため名古屋駅に近い名古屋セントラル病院(旧JR東海総合病院)まで走りました。

名古屋セントラル病院 http://nagoya-central-hospital.com/

 私にとっては、平成9年に他界した横井庄一さんの病室を訪れて以来のJR病院でしたが、セントラル病院として新しく新装され、都市開発された名古屋駅の南部地区の玄関口に相応しい建物になっていました。

 横井さんは、平成9年9月にこのJR病院で亡くなりましたが、自宅に帰ってから亡くなったことを朝日新聞社に連絡したところ、朝日新聞だけのスクープ記事となり、他社は後追い記事となりました。こんな身内の情報によって、私は販売部だけでなく編集局からも大きな表彰を受けました。

 さて、名古屋からの帰り道に家内と大治町のスーパーで合流し、小さなカフェに入りましたが、知らない珈琲屋に入るのも久しぶりで、津島市より名古屋市に近いだけあってか新鮮な感じがするモーニングコーヒーになりました。

 さて、さて…

 本日の福祉有償運送のボランティアはこれで終らず、家内は津島市からあま市の医療機関に走り、午後に出迎えるだけとなりましたが、昼食時になって突然の電話で、中村日赤から帰りたいと依頼された津島市民を迎えに走ることになりました。

名古屋第一赤十字病院 http://www.nagoya-1st.jrc.or.jp/

 さらに夜になってから、明日の早朝に中村日赤まで送って欲しいとの依頼があり、明日は津島市内より8人を乗せて上高地の開山式に行く約束がしてあり、私は午前9時から上高地のボランティアに参加するため午前5時の出発となり、家内も同行することになっているため、急遽他のメンバーに走ってもらうように手配することになりました。

 こんな状態で依頼があるのなら、普通のタクシー運転手として走れば本業にでもなりそうですが、ボランティアである福祉有償運送は忙しくなるばかりで、宣伝すれば大変な事態となることを実感させられる一日となりました。

           本日の体重 71、7キロ 徒歩数 2059歩 間食あり
                                     4月26日の一言

雄大な木曽川の堤に立って

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木曽川に係留されたボート 遠方は多度山

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愛西市三和町

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安泉寺(あんせんじ)
 〒496-0945愛西市三和町中ノ割173番地の1
 TEL:0567-28-0001. FAX:0567-28-0001.

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永代経のご案内

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遠方に見える千本松原   増水した木曽川

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堤防の先には岐阜城まで見渡せます

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木曽川観光船乗場

 本日は約束がしてあった愛西市三和町(旧立田村)の安泉寺を訪れましたが、ご住職には地域の高齢者を病院へ搬送する福祉有償ボランティアとして活躍されていたものの、70歳からは人を搬送しないと言われていたため、今後は運転ではなく側面からご協力いただけることを願っています。

 安泉寺では日頃から文化的イベントを積極的に開催されており、場所的には木曽川に近く、愛西市観光協会の運営する観光船乗場や道の駅にも近いことと、お寺の規模が大きいため今後の発信に注目して参加したいものです。

 さて、お寺を後にして木曽川の堤防へ車を走らせると、養老山脈の多度山が手の届くような近くに感じられ、東を眺めると名古屋駅前の高層ビル群が見え、北方には岐阜城や一宮市の三川公園のタワーや、稲沢市の三菱エレベーターの棟とともに小牧山まで見渡せます。
 冬の見晴らしの良い日には、伊吹山はもちろんですが、白山や恵那山から御嶽山、乗鞍岳まで見渡せる景観は雄大です。

 昨日の豪雨によって木曽川の水量は多く、普段は水に浸からない堤防まで水が増水していましたが、雄大な木曽川の流れは時間の経過を忘れさせ、この水が源流となる長野県木祖村から来ていると考えると、はるか遠くまでさかのぼっていける可能性に、上高地の行き来に見かける風景まで脳裏に浮かぶ一日ともなりました。

              本日の体重 71、8キロ 徒歩数 2059歩
                                      4月25日の一言

知人から海の香りが届けられて


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のどかな知多半島の海岸

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師崎港の定期高速船

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フェリーターミナルから見える港

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のんびりと歩きたい海岸線

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半日はたたづめる空間

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知多半島から日間賀島と篠島を結ぶフェリー 師崎港

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我家の山ツツジ

 まもなく上高地が開山となりますが、知人から発信されてきた知多半島の写真に、先月と今月に知多半島を訪れていたものの、八十八ヶ所の巡礼だったためか、写真から時間が止まったようなのんびりとした感覚を実感させられました。

年中無休の保育園、空港に続々 「GWも働ける」

 全国各地の空港内に年中無休の保育園が続々と開設されているとの新聞記事ですが、企業内や駅構内に開設される保育園が増え、24時間営業のコンビニなど世の中が無休になっている中では有難い存在となります。

 かつて女性医師の子育てが障壁となって退職する事例も聞きましたが、三交代で夜間も勤務する看護師さんなど、だれもが困らない社会の仕組みを考えていくことは重要で、民間保育園も休日の対応を真剣に考えていくべきだと思います。

 もっとも、我家は親子四世代で生活しており、87歳になる母親が生後4ヵ月になった私の孫のだっこ役になっており、家族の面倒は家族で支えあうのを信条にしてきましたが、子供が成長したら好きな仕事や土地へ出て行ってしまう社会を、家と家族を中心とした社会に代えていけば、高齢者の介護や、幼児や子供の施設整備にかける公的負担も大幅に減らせられると思います。

 ただし、家族が多いと楽しい時の喜びは多い反面で、事故や病気の苦しみも共有しますから、一長一短でもありますが、高齢者の病院や買い物への移送を考えるときには家族は頼りになる存在となります。

 保育園にしても、存在すれば良いという時代から、目的や職業にあわせて多種多様な要望に応えられる施設に改善されていることを実感する一日となりました。


             本日の体重 71、9キロ 徒歩数 3343歩

                                    4月24日の一言

江南曼陀羅寺の藤まつり 知人からの写真


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歴史を感ずる見事な庭園です

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イベントは5月6日まで

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津島市とともに桜の名所です

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心癒される藤とボタン

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異国のような空間

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私も居るような感覚に

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立派な山門です

 愛知県では昨日と違って風が肌寒く、出かける衣服の選択に困りましたが、昨日には初夏のような温かさだったことを考えると、数日おきに繰り返される寒暖の差に、体調がついていけません。

GWまでもたない! 藤もツツジも…暑さで早くも満開に

 そんな中で知人より各地の話題がメールで届けられましたが、江南市の曼荼羅寺については子供が小さかった頃に訪れてから一度も行っておらず、届けられた写真を見ても街の位置関係すら甦ってきません。

 江南市は愛知県の尾張地区の北部にあり、私の住む津島市は尾張部の南西部に位置するため、日頃から行き来する機会も少なく、かつては藤の名所として名をはせていたものの、最近は各地に花の名所が続々と誕生しているため行く機会もありませんでした。
 そんな意味では新鮮な写真となりました。

 さて、添付した新聞記事からも、今年の連日の暑さから花々の開花時期が早まり、各地のイベントとかみ合わない事例が紹介されています。藤の開花についても、開花時期の微妙な違いが関係者をヤキモキさせているようです。

 私は肌寒いと感ずる一日となりましたが、新聞記事を参考にすると、明日と明後日の天気はぐずつくものの、気温が高い日がしばらく続くとあり、ゴールデンウィークには花が終ってしまわないことを祈るばかりです。

                                     4月23日の一言

上高地から帰って

                                   昨日の写真です
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河童橋と穂高連峰    梓川堰堤から

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梓川と焼岳  河童橋から

 携帯電話のカメラでこれだけ綺麗に写せるのは、上高地が素晴らしい場所の一言ですが、何よりも雲一つ無い晴天に恵まれたことが大きく、普通のデジタルカメラを持参していたら一生の宝物のような写真が撮れたと思われます。

 上高地の一日は、まるで鏡のような大正池に映った穂高や焼岳も魅力ですが、早朝の誰も踏んでいない河童橋に足跡を残すことも魅力で、日中の観光客でにぎやかな雰囲気と、誰も居ない上高地では受ける感動も全く違います。

 誰も人物の居ない河童橋や梓川の写真は久しぶりとなりました。

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後ろ髪を引かれながら帰ります

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奈川村の桜

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木祖村から見える駒ヶ岳

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御嶽山  木曽町

 昨年は30日ほど上高地に滞在しましたが、高速道路を利用せず5時間ほどかかる帰り道も、自宅まで繋がっていると考えると遠くは感じず、まるで上高地まで通勤でもしているような錯覚を覚えるようになりました。

 ただし、自宅からの電話が入り、家内が患者さんを病院に送迎して車内で待っていると聞くと、現実の世界に引き戻され、最近は議員生活と言うよりは、高齢者や障がいを持った人々を移送するボランティア生活に戻ります。

 本日の午前中は、町内の農業用水の清掃作業に参加しましたが、かつてのゴミだらけの用水とは違って綺麗になり、幼馴染や同級生との貴重な再会の場となることから、町内の高齢者の後ろを役務的に歩いていた若い頃とは違った感覚を実感させられました。

 上高地の開山式は来週の27日に行われ、私は午前中の巡視の途中に開山式を鑑賞し、午後にはそれこそ久しぶりとなる明神池まで巡視を予定しており、地元津島市から同行する人々の案内役もしたいと考えています。

 身体を使うボランティアが3日間続けられました。
                                      4月22日の一言

上高地パークボランティア2日目


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本日午前8時9分の上高地バスターミナル

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沢渡足湯公園 午前7時20分

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上高地行きシャトルバス 沢渡バスターミナル午前7時40分

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車窓から見える焼岳

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車窓から見える穂高 大正池

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車窓から見える帝国ホテル

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梓川左岸の清掃

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中の瀬園地までの作業

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活動の報告 バスターミナル前のインフォメーション

 ボランティア2日目となりました。本日の上高地は雲一つない晴天で、こんな日は一年の中でも何度と体験できないカメラ日和ですが、ボランティアが目的のため、そんな気持を封印していると、今年から新たにメンバーになった人たちの真剣な会話に、気持も引き締まりました。

 こんな時に携帯電話のカメラしか持ち合わせていないものの、そんなカメラでも綺麗に写ってしまうのが上高地の魅力で、ボランティアの前と後に撮影した写真は明日にでも添付したいと思います。

 本日は午前中にパークボランティアに参加し、午後は帰路に御嶽山の霊神場に立ち寄りましたが、奈川や木祖村の桜と、晴天ゆえに北アルプスだけでなく、乗鞍岳と木曽駒ケ岳、御嶽山の見事な雪化粧を眺めながら、デジカメを購入したいと思う一日ともなりました。

 明日は町内の川の清掃に参加です。

                        本日の体重 71、5キロ 徒歩数 9236歩
                                     4月21日の一言

半年ぶりの上高地へ


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本日の上高地河童橋と穂高連峰

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同じく上高地河童橋と焼岳

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本日は観光ではなくボランティアです

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清水川 清水橋から

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小梨平野営場

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中川のせせらぎ 小梨橋

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明神への散策路 左岸には雪が残っていました。

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私の大好きな場所

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小梨平と明神岳

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明神岳とけしょう柳

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アルプス観光の建物

 昨年11月15日以来、半年ぶりの上高地となりましたが、本年初日となるパークボランティアの重点活動が実施され、幸いにも晴天に恵まれ、汗ばむような陽射しを受けた活動となり、バスターミナルとビジターセンター間の清掃作業を行いました。

 半年間怠けていた身体は悲鳴をあげそうでしたが、担当者のご配慮もあって何とか初日を終えましたが、明後日に町内の清掃作業が行われるため、明日の午前中でボランティアを切り上げて愛知県に戻ります。

 今年から登録された新しいボランティアの人々の参加もあり、初々しい気持ちと同時に半年ぶりに顔をあわせた先輩ボランティアの方々との久しぶりの会話によって、上高地に対する新たな魅力も感ずる一日となりました。

                                     4月20日の一言

津島天王川公園の藤情報が届けられて


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津島市天王川公園の藤 4分~5分咲き

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太い幹周りです

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藤棚から見える風景
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提供者は
                          今回もホラ貝フキおじさんでした→




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我家の花

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我家も花盛りです

 午前中は福祉有償運送のボランティアに走り、携帯電話の電池交換のためソフトバンクの営業所を訪れると、携帯電話に保険がかけてあるため無料で好感できることが判り、同行した家内のスマホの相談やら、我家の節約術について説明してもらえました。

 さて、明日と明後日は上高地のボランティアに出かけますが、半年ぶりのため軽量の雨合羽や衣類が見つからず、汗をしたたらせて探す午後になりました。

 明日と明後日は上高地からの発信となります。私にとっての新しいシーズンが始まります。
                                  4月19日の一言

久々のウォーキングと本日の花々


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             ↑長福寺の屋根     葉苅町 中央病院の樹木と目比川堤防

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喜多神団地 地元の人が植えた花  宇治町

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父の残した山ツツジ

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先祖伝来の山吹

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我家のツツジ

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ひょうたん木の花

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先祖伝来の花

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子供の頃から咲くシャガの花

 週末に上高地のボランティアに出向くため、足腰の準備運動を兼ねて昨年秋から怠けていたウォーキングに出かけると、行く先々で見事な花が咲いており、帰宅後に我家の庭で咲いている花々を携帯電話のカメラに収めました。

 息子たちから借用したデジタルカメラを次々と落として壊したため、一昨年から新しいデジカメは買わないことを決め、携帯電話のカメラで総てを済ませてきたものの、その携帯電話のバッテリーが限界となり、15枚程度の撮影しかできなくなってきました。

 スマホに代えたいとは思わないため、バッテリーを交換して携帯電話を引き続いて使用したいものの、携帯電話の使用料も高額なため、バッテリーの料金によってはスマホへ交換となってしまうかもしれません。

 さて、明後日の金曜日と土曜日に上高地のボランティアに出向き、27日の開山式にも例年通り出かける予定ですが、私が上高地に行くことを想定した会話の中で、一緒に同行したい仲間が複数出現し、ボランティアには登録されていない人は参加できませんが、私の巡視(兼ゴミ拾い)に勝手に付いて来るという話になりました。

 上高地は観光地として観光客には憧れの地ではあるものの、ボランティアは長靴と軍手、雨合羽が必須と連絡があり、この時期には普通の運動靴やトレッキングシューズでは濡れてしまうことと、雨天の場合に私の作業終了を待つのは大変なことから月末までの天候も苦になってきました。

栗林公園でコイヘルペス、殺処分へ 江戸期から続く名勝

 四国からも大変な話題です。栗林公園の六つの池にニシキゴイとマゴイが約1千匹いたが、2月初旬からこれまでに247匹が死に、検査の結果コイヘルペスと確定したことから、国の指針に基づいて園内の残り約750匹をすべて殺処分することが発信されています。

 これが我家の池のコイならば、薬品によって治療して何とか生かしてやりたいものですが、感染していないかもしれないコイまで全部殺処分してしまうことには、鳥インフルエンザに感染したニワトリも同様ですが、生き物にもそれぞれの命があることが軽く見られているように思えてなりません。

                                   4月18日の一言

久しぶりにHB101の話題に


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HB-101

顔アイコン
愛犬が鼻腔内腺癌となり大学獣医学病院にて手術、全部取り切れなく、余命3~4ヶ月診断。HB101水に2滴/日、3回/日すると、顔面に突出していた腫瘍が縮小その後3年半生存しました。 削除
                                         2018/4/17(火) 午後 午後 5:47
  

 4年前に書き込んだ一言のコメント欄に、本日書き込みがあり、HB-101を使用して愛犬の病気に効果があったことと、獣医師の診断した余命より長生きした事例が記されていました。そして、私が4年前に添付した一言にも、HB-101の効能について記されたサイト(下記に添付)を紹介していました。
                                                                                                                                   

 平成5年に父親が末期ガンで他界した当時、ガンに効果があると言う高額な健康食品や、ガンに聞く霊水など様々な知恵が我家にもたらされましたが、このHB-101も近くの薬局のご主人に勧められ、当時はガンや病気に効果があった体験談が雑誌になっていました。

 私の父親には使用しなかったものの、私の母親が飲用するようになり、実際に目に見える形で効果が現れ、その後もコーヒーやお茶に2、3滴づつ入れて現在87歳になりますが、病院通いを趣味にしているものの健康です。

 ただし、薬局で購入していたHB-101が薬局では購入できなくなり、現在は園芸店の店頭に並べられていますが、あくまでも植物の成長活性剤のため、薬事法によって薬局に置かれなったと思われます。そして、人間の健康のためにHB-101を特集した雑誌も目にしなくなりました。

 そんな経緯は別として、発信されてきたコメントや、HB-101が人間や動物にも害が無いばかりか、間違いなく効能があることは確実で、病気を治すためではなく、病後の体力回復や、健康のためにはあくまで本人の責任ですが、飲用しても損にはなりません。


 こんなことを記すと、誤解されるかも知れませんが、以前闘病中の知人に勧めるために医師に副作用が無いことと、人畜無害であることと併せて、内容物について確認したことがありました。

 あくまで病気を治す特効薬ではありませんが、添付した製品で3ヶ月か半年は使えて、2千円程度で購入できることと、最近では人間用の製品も販売されているので、気休め程度に使用しても損はありません。

 もっとも、病気治癒を期待するのは禁物で、ガンの再発で余命宣告された患者さんに副作用が無いから体力温存のため薦めたところ、ガンへの効果を期待されてしまい、薬剤師さんから苦言をいただいたこともありました。

 一方で、効果は確信するものの、健康で何も不自由しないと飲もうと決めても飲み忘れてしまい、自分自身の身体で効果を実感するには至りません。

              本日の体重 73、5キロ
                                     4月17日の一言

平成30年1月 セミナー参加の記録

さて、1月31日に開催された東京都千代田区の剛堂会館で開催された、超高齢・人口減少減少社会のタクシー、公共交通の機能・サービス開発とドライバー不足対策について、「タクシー生き残り戦略―地域密着型外出支援事業のビジネス化と働き方改革」のセミナーについて書き記しておきます。

1 ICT、シェアリングエコノミーの進展とタクシーサービスを取り巻く環境変化
                       横浜市立大学大学院 教授 中村彰宏氏

1、シェアリングエコノミーで何が変わるのか
2、市場構造変化とビジネスモデルの変化
3、消費者評価情報は規制を代替するのか
4。自動運転などの技術革新とタクシー産業の今後

2 タクシーイノベーションと乗務員不足対策への挑戦
           ~ライドシェアの先を見据えた経営改革とサービス開発 
                      (有)三ケ森タクシー代表取締役 貞包健一氏

1、道路運送法の変革とタクシーがどう変わってきたか
2、タクシーの現状と課題を整理してみよう
3、タクシー運賃料金制度の不思議
4、ライドシェアを研究し良いところを学ぼう
5、規制改革推進会議への提案
6、今、働き方改革でタクシーは変わっていけるか

3 相乗りグループタクシーのシステムと課題
            ~高齢社会における外出支援とタクシー活用
                       前橋工科大学 工学部教授 森田哲夫氏

1、パーソントリップ調査による高齢者の交通特性
2、公共交通による外出支援
3、前橋市の相乗りグループタクシーのシステム
4、グループタクシー利用特性と利用意識
5、相乗りグループタクシーに関する課題
6、外出支援に関する今後の展開

4 宮城・仙台市 地域密着型タクシーサービスの展開
                         フタバタクシー代表取締役 及川孝氏

1、介護福祉タクシーでの生き残り策
2、子育てタクシーの運行と規制
3、移動制約者の移送をどうするのか
4、今後の支援サービスの展開について

 タクシーは料金が高額なため、バスや電車のように低額では利用できませんが、高齢者や障害を持つ移動困難者にとっては、唯一ドアツードアが実現できる交通手段であるため、グループで相乗りする制度とか、我々が展開する福祉有償運送など、白タクとはならない合法的な移送方法を考えることは重要で、議員だけでなく、豊田市をはじめ愛知県内の自治体から複数の参加があったことから、真剣に公共交通を研究している自治体の視察も重要と思えるセミナー参加となりました。

知人から送られてきた風景と自画像とともに


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こんなもんでいかがでしょうか? ふたりで決めてみました!!

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アクアトトのせせらぎ

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庄内緑地公園のパンジー

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ベニバナトキワマンサク  
                          木曽三川公園 木曽水園

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山吹の花  木曽三川公園木曽水園

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木曽水園のせせらぎ 上高地を思い起こしました

 一年前の一言を読み直すと、前日に四国八十八ヶ所の遍路から戻り、翌日には西国観音巡礼の華厳寺まで足を延ばしており、上高地から発信されたメールが添付してありましたが、同じように本日上高地からボランティアの案内が届きました。


 毎年同じような生活をしているわけですが、今週末に上高地のパークボランティアに参加する予定で、27日の開山式にも参加しようと考えているものの、四国と西国に加えて、今年から横井庄一記念館にも足を運ぶ必要を考えると昨年以上に忙しい一年になりそうです。

 そして、何よりも福祉有償運送の依頼が増えて、私の代役となる家内は平日休みなしの状態になっており、有償とは言え患者が病院に通院する時間が重複するため、私が上高地や四国へ足を運ぶことにも嫌味を聞くことが増えました。

 今月末に乳がんの手術を受ける患者さんが存在し、手術後に退院した翌日から35日間放射線治療を続けることが決まっているため、私が家を空けるためには、確実に代役となるボランティアを配置しておく必要にも迫られます。

 一方で、低額なボランティアであっても、人を移送する責任は大きく、ボランティアであっても相応の手当てが必要となり、これまでは患者さんを待たせることなく、約束した時間に配車していたものの、これからはタクシーのように待つことも当り前としてもらわないと運営は難しくなってきました。

 こんなことを記していると、上高地のボランティアに出向く回数が増えた分、四国に足を運ぶ回数が減っており、私のやりたい放題にさせておくと散財は大きく、来年から年金生活となりますが、年金だけでは好きなことはできませんね。

                                    4月16日の一言

永代経と選挙の投票へ


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ピンクと白の2色が混ざったツツジ

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市長選の投票に行きました

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叔父の自宅

 本日は市長選の投票に出かけてから、愛西市にある叔父の(お寺)説教所で開催された永代経に出かけました。
 叔父は今年89歳になり、現在老人介護施設で生活しており、今から10年ほど前には隣の村からも多くの参拝客があったものの、叔母が亡くなり叔父が自宅を空けているため、親族と関係者だけになり、叔父が子供の頃から関わってきた信者の多くが鬼籍に入られました。

 かつて叔父の住んでいた長福寺には4人の僧侶が存在していましたが、叔父の説教所に来られていた複数の僧侶が亡くなられている現状で、まさに高齢化社会の象徴のような永代経になってきました。

 私は浄土宗の檀家ですが、「南無阿弥陀仏と唱えれば極楽浄土にいける」という教えは、生きていく上での糧にはならず、お寺には先祖供養をお願いしているだけですから、親や子供など家族を亡くした時は縁があっても、平和で平凡な生活を送っておればお寺に無関心になっていきます。

 仏教という言葉で、お寺を一ククリにして語られることが多いものの、「南無阿弥陀仏」と念ずるだけで良いとする浄土宗や浄土真宗と、四恩や十善戒を定めて「即身成仏」を目指す空海(弘法大師)の教えとは全く違います。

 即身成仏については、生きたまま死んだミイラのように錯覚する人もありますが、空海の説いた即身成仏は、この身、このまま、この世の中で仏となることで、三密(身と言葉と心)行の実践によって、生きているうちに菩薩の領域へ近づくことを目標にしています。

 私自身は、背中の後ろから弘法大師に見守られているものと信じて、十善戒を遵守して、空海が修業された史蹟で同じ真言を唱え、お大師の声と共鳴することを目標にしており、自己流ですが阿字観瞑想によって五感を極めて新たな領域に入りたいと考えています。

 宗教に無関心な人や、無神論者には理解されないでしょうが、こんな自己流の巡礼でも願をかけて参拝し、そしてその願いが現実のものになると、偶然とは言え家族や身近な人たちは、目に見えない何かの存在を意識し、私が願をかけていた孫が、私の誕生日と同じ日に誕生したことで、私の孫がまるで先祖の生まれ変わりではないかと思い、わずか生後四ヶ月の孫の目が、総てを知ったうえで見ているかもしれないと有り得ないことを考えて孫を見てしまいます。

 考えてみれば、先祖の血を引く私の息子の子供ですから、先祖と無縁ではなく、先祖から引き継いだ孫と考えれば、孫を見る目も違ってきます。
 本日の永代経の開始前に、三男夫婦が孫を連れてきたことで、我家の後継者として孫のお披露目の機会ともなり、息子たちにも先祖や親族の存在を意識させられたと思うと、例年とは違う意義のある一日ともなりました。

                本日の体重 72、6キロ    4月15日の一言

一宮市までピアノリサイタルへ


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ピアニストの佐藤由美さんの挨拶

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尾西信金ホール 一宮市木曽川文化会館

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有難うございます

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後援会長とのトークショー

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演奏中の撮影は不可です

 本日は一宮市の木曽川文化会館「尾西信金ホール」で開催された、「佐藤由美ピアノリサイタル」を鑑賞に訪れました。元々は木曽川町の庁舎だったようですが、一宮市と合併したことで市民の憩いの場所に変わりました。

 佐藤由美さんのピアノリサイタルは4月30日にも仙台市青葉区のピアノサロン「ルフラン」でも開催(午後3時開演)されますので、お近くの方は是非とも足を運んで、見事なピアノの音色を鑑賞してください。
 私のような音楽音痴にも声をかけていただくことで、クラッシック音楽を鑑賞させてもらっています。

 私は佐藤由美さんの父親との縁があって平成11年からピアノ演奏会を鑑賞するようになりましたが、津島市でも西愛宕町の茜屋さんで10年以上にわたって演奏会が開催されていたことから、津島市にも多くのファンが存在します。
 その中心となって尽力されていた茜屋のマスターが本年2月に他界されており、本日の会場にその姿が無いことは判っていても探してしまう自分には、会場内にマスターが存在していたと思えてなりませんでした。




オマケ ↓
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 昨年12月に生まれた孫が、数日前から寝返りを打つようになり、足をけって前に進んでいく姿です。足腰の強さに驚かされる一方で、目を離すと窒息してしまうため、注意が必要となりますが、孫の成長に毎日が楽しくなってきました。

           本日の体重 72、8キロ 徒歩数 2398歩 間食あり
                                    4月14日の一言


新しい輪袈裟が四国より届けられて


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ひので動物クリニック  弥富市

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診察が終って相棒にも笑顔が

 不思議なもので、相棒リマも年齢を重ねてきたことで、我々の話している内容がそれとなく判っているようですが、本日は車窓から見える風景に見覚えがあるのか、私の腕の中で眺めていました。

 今月初めに和歌山県から奈良方面へ同行させていたため、喜んで車に乗ってきたものの、到着した場所が病院と判って身体中が震えだしましたが、本日は他の犬がくつろいで待っていたことと、先生の対応に馴れてきたのか、狂犬病の予防接種を受けて蚊やダニの薬を処方され、診察後は笑顔を見せてくれました。

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四国霊場会からの宅配便

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新しい輪袈裟

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平成19年に授けられた輪袈裟

 平成19年に四国八十八ヶ所霊場会から授かった輪袈裟が汚れただけでなく、縫い目が解れて糸が垂れたり、紐の部分も切れたり伸びたりしているため、巡拝する度に結び直して使用していました。

 この輪袈裟は公認先達だけか使用できる輪袈裟で、新たな輪袈裟を授かるためには、今まで使用してきた輪袈裟を霊場会に返上する必要があり、限界とは思っても授かってから四国を7回結願し、西国や坂東、秩父の観音巡礼にも一緒に同行した汗と思い出の詰まった輪袈裟のため、新たな輪袈裟を授かることはできませんでした。

 新たな輪袈裟と交換した今までの輪袈裟は、霊場会の僧侶によって「お炊き上げ」にされるとの話でしたが、新しい輪袈裟のために燃やされてしまうのは偲びがたく、私の「お炊き上げ(火葬)」まで手元に置いていきたいと霊場会に検討をお願いしていました。

 霊場会の話では、使われなくなった先達の輪袈裟を悪用するニセ先達も存在するため交換と決まっていたようですが、ニセ物の錦の納め札をお金に交換していたニセ遍路に騙された過去の経験があることから、輪袈裟も悪用されると大変なため、本格的な修理と洗濯に出そうかとも考えていました。

 そんな展開の中で新たな輪袈裟が届けられました。先達に補任された当時の新鮮な気持を思い起こして四国に赴きたいと思います。

 さて、お遍路ブームの中で、全国各地に巡礼地や霊場会が展開され、朱印を集めるのも珍しい行為では無くなったためか、朱印をスタンプラリーのように集める人や、四国霊場以外の読経もしない参拝客に「お遍路に行ってきた」と話をされることが増えました。

 「お遍路」や「四国遍路」を近くの寺社巡りの参拝と混同している人も多いものの、辞書を調べると「お遍路」は「祈願のため、四国における弘法大師修行の遺跡八十八か所の霊場をめぐり歩くこと」とあります。

 愛知県内の知多四国は勿論ですが、津島霊場会の参拝はお遍路ではなく、参拝や巡礼を否定するものではありませんが、四国の公認先達として四国遍路の魅力と弘法大師(空海)の教え「即身成仏」を目指したいと思う一日ともなりました。

                                    4月13日の一言

知人の遺した君子ランが開花して

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見事な花を咲かせた君子ラン

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庭の君子ラン

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息子の接骨院も彩っています

 我家の君子ランです。大きな花を咲かせていますが、この君子ランは平成16年12月に亡くなられた水野静江さんに頂いた花で、育てた人が亡くなって14年が経過した現在も見事に花を咲かせ続けています。


 当時63歳の若さでの訃報にびっくりさせられましたが、水野さんは昭和53年から22年間我家で働いておられ、私の家内と一緒にボランティアに参加していたことから、ご家族だけでなく我家にも大きな悲しみをもたらしました。

 月日の経過は早いものです。そして、植物は大切にすれば永遠に残ることから、私も子供や孫たちに「じいさんの遺品」として、永続される花や樹木を残していきたいと思います。

 さて、本日は親しい知人たちが生活の相談に訪れ、入居する施設の苦しい現状について訴えられましたが、通帳や現金だけでなく、これまで使用していた携帯電話も没収され、親しい人とも音信不通になったとの話に、明日は我が身の心境で聞き取り、行政窓口にも対応を求めました。

 健康で人を引っ張って活躍していた人であっても、大病に冒され障がいを持つ身になると、家族関係も逆転して子供に出て行けと言われれば行き場所も無くなります。幸いにも周りの知人たちの支援があり、何とか自律して頑張ってもらいたいものです。

                                     4月12日の一言

わが家の庭木が花盛りに


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父親の残したドウダンツツジ


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先祖伝来のツツジ 赤

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先祖伝来のツツジ 白

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父親の残したコゴミ

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我家のマキと
                          私の父親が交換してきた神守町伊藤宅のカリン

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父親が残したサツキ 白

 我家の庭に生える樹木が一斉に花を咲かせ、庭中が花だらけになっている一方で、長年庭を彩っていたサツキが枯れて、掘り起こしてみると根元がアリの巣状態になっており、父親が残した樹木を残していくのは簡単ではありません。

 本日は朝7時から中村日赤まで患者さんを搬送しましたが、2ヶ月前の早朝に体調不良から市民病院へ連絡したところ、「体調が落ち着いてから外来を受診するように」と応対され、過去とは違う体調に日赤まで走ったところ、心臓付近にある血管が3本詰まっており、外来ではなく救急対応でカテーテル処理されてしばらく入院されていた患者さんでした。

 「死んでいたたも知れない」の一言は、便利が良いからと近くの病院に通っていた習慣に対する反省で、最近になって「体調はどうですか」と通院しない患者に病院から連絡があったとの話ですが、他の病院に入院して「命が救われた」と思っている患者は戻ってはいきません。

 現実には1本の細い血管が未処理で、中村日赤に移ってから複数の病変が発覚したため、しばらくは私が移送の足となりますが、最近は重篤な患者さんを海南病院や中村日赤など、高度な病院に走るのが日常的になってきました。

【予算委詳報】首相「柳瀬氏を信頼」 「首相案件」文書

 さて、添付した記事を読むと国会の動きがリアルに理解できますが、安倍首相が無関係を強調しても影響していることは確実で、事実関係を明らかにしない政権や自民党だけでなく、無関係ではありえない責任も問えない野党にも無力感を覚えます。

 花は良いですね。温かくなると間違いなく花を咲かせ、我々の管理が悪ければ確実に樹木の勢いに陰りがみえ、人間のようにごまかしは通用しません。

                                 4月11日の一言

道の駅明宝と善兵衛桜


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満開の善兵衛桜(エドヒガン)  岐阜県郡上市明宝

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麿墨の里公園   道の駅 明宝

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名馬 麿墨(スルスミ)の像

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花桃も咲きかけました

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最高の気分に 撮影をお願いしました

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道の駅から歩いて5分
                       別世界に来たような感覚になりました

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見事な善兵衛桜へは10分

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山里が桜色に染まります

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見上げればまだまだ力強い樹形

 快晴に恵まれた本日の郡上市も、昨日と一昨日は雪が降ったとの話で、午前中は日差しがあっても肌寒く、午後になってもジャンバーが恋しい一日となりました。

「これ今日の朝に撮ったんだけど」
     「ウォーすごい、これは何ですか」
「善兵衛桜が満開になっているので行ってみたら」
     「どうやって行くんですか」

 道の駅明宝から歩いて10分の距離にあるのが善兵衛桜で、私がお気に入りとしている道の駅の団子屋さんのご主人のスマホに納められた桜に感動です。

「画像を送ってもらえませんか」
     「残念だけどやれないからやってくれる」
「私はスマホどころかこれ(携帯電話)ですから」
     「歩いてもスグだけど」

 車なら尚早いとハンドルを切りましたが、駐車場が無く道も狭いため歩いた方が魅力があり、あまりにも見事な桜の樹形と山里に時間を忘れていました。

 これまで上高地の通過点でしかなかった郡上市ですが、桜だけでなくこれから花桃が開花し、対岸に絨毯のような芝桜が彩る環境は、時間を忘れてのんびりとしたい場所であることを再認識です。愛知県から高速利用で1時間半、一般道でも2時間半で楽々到着する余裕のドライブとなります。

 ここの五平餅やみたらし団子は私のお薦めです。家族の土産用に焼いてもらったみたらし団子は、5時間後の夜になってもモチモチでした。
 今から30年前に、セカンドハウスとして、この辺りの空き家や廃校を知人たちを誘って訪れていたことも懐かしい思い出となります。

                                    4月10日の一言

知多半島の名刹常楽寺


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知多四国霊場21番天龍山 常楽寺  愛知県半田市東郷町

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広大な境内

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大師堂

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               尾張徳川家初代藩主より
               「浄土宗西山派知多一郡の総本寺」とお墨付を得たとされる寺院

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納経所の建物も大きさにびっくり

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日本すきま漫遊記 常楽寺

 昨日訪れた知多半島の寺院ですが、これまで何度も同行していたものの、運転手として駐車場にとどまっていただけで判りませんでしたが、境内に入ってから名古屋市にある尾張徳川家先祖代々の菩提寺である浄土宗の建中寺と遜色ない規模にびっくりとさせられました。

 由来書きには徳川家康の従兄弟が住職を務めていたことや、本能寺の変の前後に家康が訪れていたことが記されています。
 知多半島の浄土宗のお寺の多くが常楽寺の修行僧によって建てられたとありますが、これだけ規模が大きい仏閣でありながら、知多四国の巡礼者以外に参拝客が全くないことは残念でありません。

 もっとも、昨日巡拝して遭遇していた知多四国の巡礼者のほとんどが、大師堂で般若心経を唱えているのは稀で、中には納経所で朱印をとるだけで退散する姿に、寺院が創建された当時の熱気をとりもどしたいものです。

 我家も浄土宗の檀家ですが、日常的にお寺へ参拝に行く習慣がなく、日頃の縁の少なさが檀家の減少となり、お寺だけで生活できないため、生活のためお寺以外に職を求めるとより檀家との距離が広まっていくため、日頃から地域と一体となった行事を展開して、人が集うお寺にしてもらいたいと思います。

 さて、昨日に朝5時から車を運転して夜9時に帰宅した疲れは過去に無い疲労として残り、突然に戻ってきた寒風舞う気候にも対応できない一日ともなりました。

                                  本日の体重 72、6キロ
                                    4月9日の一言

知多半島新四国巡礼の一日


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なんとか桜の花にも間に合いました

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 知多半島を巡拝するため、午前5時に起床して午後9時に帰宅しました。

とにかく疲れました。

 津島市から愛西市を経由し、名古屋市内で10名を乗せ、本日は東浦町の弟7番極楽寺からスタートし、前回済ませた27番から40番を含めると南知多町の弟46番寺まで巡拝して終了です。

 かつては3日間で満願となった知多半島の巡礼ですが、平均年齢80歳となる志賀弘法会の高齢化は勿論ですが、運転する私の高齢化も影響して4日間が必要となっており、年内に満願として知立の三弘法も巡拝する予定です。

 数年前までは2泊3日の行程でしたが、私の提案で宿泊費を浮かせて日帰り3日間の巡礼と代えたため、運転する私のストレスは少なくなったものの、肉体的疲労は大きくなり、午前6時から午後6時まで納経所が開いているため(四国は午前7時から午後5時)疲れは倍増します。運転手にとっては四国八十八ヶ所の遍路より疲れる巡拝でもあります。

 ある意味では私のシーズンが始まったことを実感させられました。

                                      4月8日の一言

孫の安産の御礼と健康祈願へ


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孫の安産の御礼に地泉院へ  稲沢市祖父江町神明津

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読経後に祈祷を受けます

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あっ、ご本尊から孫に一線の光が

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本堂前で孫と記念撮影

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我家の庭のダイコンの花

 昨年7月の戌の日に三男夫婦が安産祈願を受けたお寺へ、孫が12月に無事誕生した御礼に参拝してきました。訪れたお寺は、旧祖父江町の地泉院で、我々の住む愛知県西尾張地方では安産で有名な真言宗のお寺です。

 先月に神社へお宮参りに訪れましたが、本殿内に並んで祈祷を受けたものの、自動車のお祓いを依頼した人たちと一緒のお祓いで、高額な特別拝観をお願いしていない赤ちゃんの親は本殿前にも案内してもらえない、赤ちゃんのうちからお金で格差を感じさせられるようなお祓いに寂しい思いで帰宅しました。

 本日も複数の赤ちゃんが御礼に訪れていましたが、そんな思いを払拭するような御礼参りとなりました。

大谷翔平、3戦連続本塁打 3打席目は押し出し四球選ぶ

 こんな夢を見るような活躍に、晴れ晴れとさせられました。気分一新です。

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本日の小玉食堂

 さて、添付した写真は水彩画のようにも見えますが、本日訪れた稲沢市の小玉食堂です。
 この食堂は矢合観音の入り口にあり、最近休んでばかりいると伝聞されていましたが、店主の母親が最近亡くなり、入院されていたため半月ほど休んでいたとの話で、2日前から再開したとの話だったものの、亡くなられたご母堂は私の母親と同じ年齢のため、一緒に同行していた私の母親には聞かせたくない訃報でした。

          本日の体重 72、3キロ 徒歩数 5360歩 間食あり
                                     4月7日の一言

小学校の入学式が行われて


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小学校の卒業式が終了した後に

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何だか判りますか?

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はい、どうぞ

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地元ライオンズクラブから傘の寄贈です

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新入生へ全員へお披露目です

 本日は愛知県内の小学校で入学式が開かれ、来賓として出席しましたが、これまで学校評議員として出席していた同級生と書道会で一緒だった女性2名が3月末で辞任したため、当り前に見ていた姿が無い入学式が、何か人生の卒業式が迫ってきたような寂しさを覚えてしまいました。

 私には4人の子供がありますが、中学校のPTA会長や同窓会長の職にあり、その後は市議会議員として卒業式の来賓として出席してきたため、全員の卒業式を見届けてきましたが、それも過去の話で本当の御爺さんになり、これからは見届けることが出来ないと考えると寂しいものがあります。

 一方で、我家にも昨年末に三男の子供が誕生しているため、6年後には我家の孫もこの場に居るのかと考えると、来賓ではありながらこれまでの他人事のような感覚とは違う、新入生の子供たちが身近に思える入学式ともなりました。

「おじいちゃんは?」
   「小学校の入学式に行った」
「えっ、誰の入学式に…」
   「誰って…」
「ねぇ、ダレ、ダレ」

 名古屋の娘の家に立ち寄った際に孫と家内が交わした会話ですが、学校の入学式や卒業式に参加する姿を当り前としてきた我家と違い、小学校3年生になった孫には私が議員であることや来賓の意味が判らず、誰のために出席したのか理解ができないようでした。

気が緩む? 小学1年生、5月に事故増 4月の1.8倍

 昨日の一言にも記しましたが、娘の孫は横井庄一さんの家の仏壇とお墓を護る唯一の後継者になり、我家も生後3ヶ月の孫が唯一の後継者になるため、次世代まで血縁をつないでいくためには、貴重な存在となり交通事故は絶対に避けたいものです。

 最近は小学校の下校時に児童に同行されている高齢者の姿を見かけますが、私も我家に孫が誕生したことで初めてその心情が理解できるようになりました。良い事とは判っていても、我が身にならないとその気にはなれないことを実感です。

                                     4月6日の一言

知人が送ってくれた花の便り


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木曽三川公園のチューリップ 岐阜県海津市

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4月15日まで開催

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チューリップと言えばオランダのイメージが

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多くの露店が出ていますね

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見事なチューリップです

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提供者です

 連日の緊急要請により、家内が名古屋の中村日赤まで会員さんを移送していったため、私も家内の代役のボランティアの朝となり、市役所の福祉課に提出する書類を提出して帰宅すると昼になっていました。

 午後1時に横井庄一記念館で新聞社の取材を受けるため名古屋市中川区にある記念館に走り、昨日に引き続いて夫人と在りし日の横井さんについて語り、記念館を長期にわたって継承するための展開を話す一日ともなりました。

 それにしてもわずかとは言え、血縁がつながって継続することは不思議で、娘と孫が横井家を継承することになるとは思ってもおらず、生前の横井さんも私の子供たちが可哀想だからと養子の話には否定的でした。

 私には4人も子供がありながら、未だに2人しか孫が居ない現実と、その貴重な1人の孫に我家の将来がかかっており、最後まで見届けることのできない世代交代の現実にも横井記念館の継承と重ね合わせる一日ともなりました。

                   本日の体重 72、3キロ
                                      4月5日の一言

横井庄一記念館の桜


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記念館の門前にある桜

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記念館の外(西側)から見た桜

 太平洋戦争が終ったことも知らずに、グアム島の洞穴に潜んで昭和47年に発見された横井庄一さんは、平成9年に鬼籍に入りましたが、平成18年に夫人が自宅を記念館として毎週日曜日に開館し続けてきました。

 「後は全部あなたにやってもらうことにしました」の一言は、2年ほど前に突然記念館の館長を務める夫人が私に発した言葉でしたが、還暦を過ぎた私が引き継いでも10年先が判らないため、将来の記念館を私の娘と孫に託して、私は残された人生を次期館長として頑張ることになりました。

 昨秋から「横井庄一記念館を護る会」のNPO法人化を進め、本年3月1日に愛知県知事から認証が下り、3月末までに法務局への登記や、関係する行政への届出が総て終り、本日は法人県民税の減免について県税事務所に出向きました。

 本日午前中には、今年91歳になる夫人の財産管理をしている大手信託銀行の担当者と、夫人と娘とともに遺言状の確認と、相続の手続きについて説明されましたが、我々を見送るため門の外に出た夫人が、我々の車窓から消えるまで立ったまま見送っていた姿が気になりますす。

 さて、添付した桜は一時は枯れかけたものの、最近は樹勢を盛り返しており、予定では記念館前の道路拡幅により切り倒される運命でしたが、美しい花を咲かせているため、庭師さんに聞いて移植が可能なら植え替えることになりました。

 記念館に植えられた木々の中には、横井庄一さんが幼少時に大鹿庄一として私の家にタネを蒔いて成長したマキの木が2本移植してあり、わずかでも横井さんの血縁となる私の娘と孫が仏壇とお墓を護っていくことに、道路拡幅によって伐採される樹木にも情を感ずる一日ともなりました。

          本日の体重 72、9キロ 徒歩数 2824歩 間食あり
                                     4月4日の一言

知人が送ってくれた花便り


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岐阜県の養老公園から

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見事な桜です

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久しく行っていない場所です

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キャンプ場もあるようです

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由来書き

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導き地蔵前の知人

 本日は津島市立看護学校の入学式が行われましたが、年度が代わるだけでなく、小中学校や高校大学は新入生を迎え、満開の桜のようにフレッシュになる反面で、還暦を過ぎると年々老化が進んでいくためか年度代わりはため息が漏れていきます。

 余裕のないまま一日を消化してしまった私には有難い知人からのメールです。

 知人のメールには、「四国八十八ヶ所の巡礼修行祈念碑」とありましたが、私自身の認識不足によって詳しくは判りませんが、建立者と思われる「松永修岳」氏が庚申こうしん)昭和55年に四国八十八ヶ所を巡拝していた時に、地蔵菩薩が降臨され、養老の地に我が姿を建立せよと「導き地蔵」建立を教示されたようなことが石碑に記されています。

 私自身は平成13年から四国遍路を巡拝するようになりましたが、地蔵菩薩どころか一緒に同行されているはずの弘法大師の声どころか、夢の中でも一度も姿すら見えてこない現実に、松永氏の巡拝は興味が尽きません。

 外出する機会が多ければ多いほど健康長寿と言われていますが、毎日外出している知人はさぞ長生きできるのでしょうね。
 私も知人とも今年から年金受給者になりますが、仕事3割、ボランティア3割、残りを自由な時間にあてられたら理想で、四国と上高地と津島を3等分する生活が私の理想ですから、先行する知人の生活は羨ましくてなりません。

 さて、明日と明後日は横井庄一記念館の所用で記念館の一日となります。

               本日の体重 72、4キロ 徒歩数 2396歩
                                    4月3日の一言

西国観音巡礼  大阪藤井寺から奈良県明日香村まで

                         昨日の記録です
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西国第6番南法華寺・壷阪寺の石仏
                       常識外の桃源郷にきたような錯覚を覚えます

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相棒リマも主役の巡拝です 葛井寺前

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西国第5番 紫雲山葛(ふじ)井寺 藤井寺市
                         藤井寺は「葛」(クズ)と書いてフジと読むんですね

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葛井寺 本堂

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門前の道標 伊勢路は右へ

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西国6番 壷阪寺の桜

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最高の桜日和に訪れました

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本堂に無数のヒナ飾りが置いてありました
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壷阪寺 本堂

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西国第7番 東光山竜蓋寺 岡寺

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時間が止まったような境内

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ご本尊の菩薩像は弘法大師が土で造ったと伝承

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本堂前の香炉 本日最期の参拝となりました 午後4時40分

 ここに添付した3軒のお寺は弘法大師と縁のある真言宗の寺院で、四国遍路より100年の歴史ある開創1300年の西国のお寺で修行していた名残があり、青年僧空海の姿を連想しながらの巡拝となりました。

 昨日は6ヶ寺のお寺を巡拝しましたが、西国三十三観音のうち16のお寺が真言宗であり、真言宗以外でも弘法大師が逗留して修行したり、残された仏像が伝承されているため、大師と同行二人の巡礼ともなります。

 「袈裟までとは言わないが、名札は付けて下さい」の一言は、納経所で西国札所会の先達納経帖を提出した際に言われた言葉ですが、先達であっても個人的に巡拝しており、人々やお寺に先達として認識して欲しいと思っていないため、四国遍路の延長で四国の輪袈裟と白衣姿の西国巡礼です。

 西国巡礼は三十三ヶ所ですが、それぞれのお寺で駐車料金と拝観料が必要なため、家内と2人で巡拝すると思っていた以上の金額が財布から出ていきます。これから京都に入ると更に大変になります。

 土曜日の夜に愛知県から和歌山県に移動して、一日で奈良市の第9番の南円堂(興福寺)まで巡拝しようと(1番青岸渡寺と8番長谷寺は昨秋に巡拝済み)考えていましたが、各地の桜が満開になって道路が渋滞しており、次回は9番から再開となります。

 奈良から和歌山まで無料の京奈和自動車道が整備されたことで、高野山や和歌山県に移動する時間が大幅に短縮されており、全線が開通したら近畿自動車道や阪和自動車道と併せて西国巡礼の日程も変えてくれそうです。

 さて、本日は現実に戻って、ボランティアで愛西市の会員さんを海南病院まで運びましたが、ガンの告知を受けるとの話に、我々が個人的に抱えている心配事などは、命の限界に臨んでいる人から見ると笑い話にされそうな気持にされました。

 もっとも、対象者はこれまで何度もガンの手術を受けており、早期発見のため転移や再発には至っておらず、初めてガンの告知を聞いた時のような怖さは無いとの話ですが、海南病院の良い医師と出会っていることも大きな安心になっています。

 明日も家内は中村日赤に患者さんを送りますが、対象者は近々乳がんの手術を受ける予約との話に、会員さんの苦痛を共有して帰宅してくるため、明日の夜も辛い話を聞くことになりそうです。

                                      4月2日の一言

西国観音巡礼 和歌山から大阪府和泉市へ


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西国2番 紀三井山護国院(紀三井寺)  和歌山市

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身体に堪える階段 234段

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近畿地方で一番早咲きの桜

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大師堂 身代わり大師

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西国3番 風猛山粉河寺へ 

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花に彩られた本堂

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不動堂
弘法大師が爪で彫ったという不動尊が安置されています

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西国4番 槇尾山施福寺山門 大阪府和泉市

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愛染明王堂

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弘法大師によって彫られた仏像が

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桜の名所でもある施福寺本堂

 昨晩に家内と愛知県の自宅を出発し、午前4時前に紀三井寺に到着し、車中で暫しの仮眠をとり、午前7時30分から参拝しました。納経所は8時から午後5時まで
 花に彩られた景色とは違い、234段の石段は結構身体に堪えますが、参拝後に見る和歌山市の遠景は見事で、本日は桜を目当ての観光客も多く訪れておられました。

 西国2番粉河寺到着は午前9時10分。本堂参拝後に山門に近い弘法大師が彫ったと伝わる不動明王が安置されている不動堂へ参拝し、駐車場の管理をしているお土産屋さんで「ぜんざい」を食べました。このお店は、本業は柑橘類を栽培する果樹農園との話に、家内はミカンを買ってきました。

 西国4番施福寺には11時30分の到着。ここは西国巡礼の中でも山門から本堂までの距離が遠く大変なお寺です。槇尾山から見る景色は見事ですが、本堂に到着するのにはナマカワをした身体には一苦労となります。

 ここから大阪府藤井寺市にある西国5番藤井寺までは高速道路のお陰で楽々ですが、本日は桜満開の観光客の車で渋滞しており、早々に奈良県明日香にある6番の壷阪寺と7番岡寺までとしました。後編へ…

                 本日の体重73、4キロ 徒歩数 10570歩
                                     4月1日の一言

ギャラリー
  • ようこそ 大鹿一八の納経所へ
  • ようこそ 大鹿一八の納経所へ
  • 令和6年 上高地開山式の様子です
  • 三重県桑名市大福田寺の聖天祭へ
  • 毎年恒例となった我家のアンズジャム作りへ
  • 毎年恒例となった我家のアンズジャム作りへ
  • 本日もボランティアの一日となって
  • 我家のきゅうりとプランターのイチゴです
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