大鹿一八「本日の一言」

平成16年2月から令和1年7月末までの「本日の一言」です。ヤフーブログ閉鎖により、ライブドアへ過去の記録として引っ越しました。

2018年05月

本日も激しい雨の一日となり

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雨が止んだ自宅前 午後7時01分

 本日は昨日に引き続いて朝から終日雨の一日となり、時々前が見えないほど激しい雨に見舞われましたが、私は名古屋市まで2往復走り、家内も4人を運ぶボランティアの一日となりました。

キヤノン、フィルムカメラ販売終了 80年の歴史に幕

富士「黒白フィルム」販売終了へ 80年超の歴史に幕

 私が始めてカメラを手にしたのは小学校6年の時で、正月のお年玉で買ったオモチャのカメラで、「ライトパン」の巻紙白黒フイルムを買って、フイルムの箱に記してあったガイドナンバーを頼りに写真を撮っていました。昭和40年頃の話です。

 このカメラはオモチャとは言え、3000円近くしており、両親に内緒で購入して内緒で撮影していましたが、母親に見つかり厳しく怒られたものの、父親からは怒られることもなく中学3年になってミノルタのハイマチック9を買ってもらうまで使用していました。

 当時、教員をしていた叔父が本格的にカメラのDPEを行っており、父親も私の子供の頃からオリンパス6で写真を撮っていたため、自然にカメラを手にしていましたが、親に隠れて内緒でカメラを購入した時に父親が怒らなかったのは、戦争で戦死した父親の兄が、昭和初期に当時では珍しいカメラを持ち、電球1個しか無い貧乏な農家でありながら、「英雄写真館」と称して趣味で暗室作業まで行っていたためで、伯父と性格が似ていると言われていた私がカメラを手にしたことに血縁を感じていたようでした。

 さて、私は伯父から本格的な暗室作業用の写真機材をもらい、高級品ではないものの二眼レフや中古で手にしたカメラで写真を撮っていましたが、オートマチックの先駆けとなったキャノンAE-1プログラムを購入して以来、キャノンのイオスまでフイルムカメラはキャノンのカメラを使用してきました。

 デジタルカメラ時代になってからカメラを購入することはありませんでしたが、今でも全てのカメラを残しており、使用することはないものの、暗室作業用の機器が全て残したままにしてあります。

 そんな時間が止まったままの環境下にあって、キャノンがフイルムカメラの生産を打ち切り、富士フイルムが白黒フイルムの生産を止めたことは寂しい限りで、そのうちにカメラの電池が無くなれば、私のカメラも完全にお蔵入りになっていきますね。

              本日の体重 72、4キロ
                                     5月31日の一言

終日雨の一日になり


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名古屋庄内緑地

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花しょうぶ園

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まだまだこれからですね

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あれっ? そのポーズは…

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ピンおじさん?
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                               ホラ貝フキおじさんでした→


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我が家のサツキです

 知人から庄内緑地の花菖蒲の写真が送られてきました。

 本日は、東日本大震災の被災地と交流を続けている愛西市の知人より連絡が入り、8月に約束してあったマイクロバスの運転手役を確認するものでしたが、地元の中学生たちも参加する行事だけに、病気や足の骨折などによって運転ができない場合も考えると、無償のボランティアの代役は無いため強いストレスを感じます。

 若い時には何も感じなかった先の約束が、還暦を過ぎた頃からは体調の不調を考えると苦痛を伴うものになってきました。上高地のボランティアは、片道4時間を休むことなく通勤として運転しており、数年前までは一般道を9時間かけて四国まで運転していましたが、第三者を乗せて行く約束は大変なプレッシャーを受けます。

 さて、明日のボランティアは、朝8時50分と9時、10時と10時30分に4人を病院まで搬送する依頼を受けていますが、10時の約束は名古屋市の病院まで走る約束のため、家内1人では到底対応ができず、それぞれの診察が終る時間も未定なため、病院の医師は自由に診察時間を決めますが、公共交通を利用できない患者には大変な通院となり、送迎するボランティアも本職のように時間を拘束されていきます。

 そして、こんなボランティアに参加しながら、先々の約束をしていくわけですから、数年前のように予定のないままに四国をブラブラすることはできず、上高地のボランティアも夜行日帰りになることさえ当り前となりました。

           本日の体重 72、4キロ 徒歩数 3810歩 間食なし
                                     5月30日の一言

畑から可愛い茄子の登場に


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我が家の畑で採れたナス 何に見えますか?

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甚目寺萱津神社の私   日曜日の写真

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福島正則生誕地の私

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蜂須賀蓮華寺の私

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我が家のアンズ

 家内が畑から持ち帰ったナスですが、出来損ないのため母親が捨てたナスを家内が拾ってきたものらしく、私は小さな生き物のように見えたため写真に収めたものの、家内には初ナスとしか見えなかったようで、既に食卓にあげられていました。

 日曜日に街歩きを行った際の私の写った写真が、参加した知人よりメール添付されてきましたが、帽子を菅笠に替えて金剛杖を持てば四国遍路と変わらぬ姿になるものの、さすがに四国とは環境が違いすぎて異様な視線も感じさせられました。

 私の住む愛知県尾張地方にはお寺が多いものの、法要や先祖供養が主体となる浄土真宗のお寺が多く、お寺の本堂前にロウソクや線香を捧げる台や香炉が存在せず、お寺に日参して祈願する人がほとんど無いためか、途中で見かけた弘法堂にもカギがかけられていました。

 本日は6月議会の議会運営委員会が開催され、来週からは議会が開会し、一般質問や委員会の日程が続きますが、私自身はNPO法人の山積した仕事があり、6月までに満願とする予定の西国巡礼や、上高地のボランティアなどで休日も空きのない日程が8月のお盆まで続いていきます。

 税金から支払われる議員報酬をいただきながら、ボランティアとなる福祉有償運送や、無償となる上高地の日程と、8月に予定される東北被災地との交流ツアーが最重要のように感じてしまうと議員失格と言われても弁解すらできません。

 議会日程を眺めながら、議会開催中に急病や体調の異変で、病院への搬送を求められた際に応対できない事態が起こると、当事者にとっては命に係わるボランティアだけに、組織の拡充は急務ですが、人を乗せていく責任を考えると、安易に声をかけられない現実もあります。

 3月議会中には、ボランティア仲間や、肝心の移送対象者にも迷惑をかけており、議員活動と同じレベルで対応したいものの、市役所でも我々が好きで活動していると思われているような対応ですから、残された議員任期中に議会でも声を上げて、高齢者や市民の足確保を少しでも市役所の仕事と認識させたいと思います。

             本日の体重 72、4キロ 徒歩数 4120歩 間食あり
                                      5月29日の一言

上高地 ホームムレス画伯も健在です

                               先週土曜日の写真です
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上高地の名物画伯です

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上高地の中心地河童橋

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絵具を塗っていきます

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どちらが景色か判りません

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渡辺画伯です

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上高地を描き続けて59年

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人と話すと止まりません

上高地を描いて59年のホームレス画伯渡辺勝夫さんです。


 私が初めて上高地を訪れたのが昭和49年の夏で、それからでも44年が経過しているものの、画伯は描き続けて59年ですから、上高地で働いている人たちより永くこの景色を見続けてきたのですね。

 今では半年間上高地の小梨平でテント生活を送っており、私の上高地からの発信で渡辺さんの安否確認をされている人も存在し、今年は5月15日からテントを張り、10月頃まで滞在される予定ですが、初めて出会った頃と比較すると、背の高いおじさんから完全なるお爺さんになってしまわれました。

 上高地を訪れるたびに顔をあわせていると、近所に住んでいる旧知の知人のような感覚となり、夏には隣にテントを張って本当の近所付き合いともなり、息子の開業時にも大きな油絵を記念に頂きましたが、大きく重すぎて壁にもかけられません。

 今年も上高地の名物ともなったホームレス画伯に会いに来てください。河童橋の横に立てたキャンパスか、小梨平のテントを探すと80歳とは思えない元気な画伯の声がかかってきます。

                                    5月28日の一言

津島詣 須ヶ口駅から津島神社まで歩いて


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歩き遍路友の会東海の街歩きです

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名鉄須ヶ口駅前の打ち合わせ 午前9時

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甚目寺観音

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三重塔

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大師堂

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総勢18名の街歩きです

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あま市甚目寺町内

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福島正則生誕地碑前 旧美和町
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菩提寺 菊泉院

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蜂須賀蓮華寺 旧美和町

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釜地蔵寺 旧佐織町

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雲居寺 五百羅漢

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雲居寺境内 津島市内

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津島市本町筋 午後3時30分

 歩き遍路友の会東海の主催する津島詣では、遠くは静岡県浜松市や、県内各地から18名の参加があり、名鉄須ヶ口駅から名鉄津島線沿線となる旧甚目寺町、旧美和町、旧佐織町を歩き、目的地の津島までの上街道の名所旧跡を訪ねました。

 津島上街道には勝幡城で生まれたと言われる織田信長や、蜂須賀小六の生まれた蜂須賀城址と蓮華寺、福島正則公の生誕地など戦国武将にまつわる史蹟が点在し、現在は住宅地となってしまいましたが、5百年前には目的地へ直接馬を走らせたと考えると様子は一変しています。

 津島市が発行している津島詣でマップには、総距離15、7キロメートルと記されていますが、実際には道路だけでなく史蹟や寺院まで訪れると、23キロから26キロは歩く必要があり、本日のように気温が高く強い陽射しの中では厳しいウォーキングとなりました。

 主催した歩き遍路友の会東海は、四国八十八ヶ所を歩いて廻ることが主題となっており、歩くことには慣れているものの、四国とは歩く環境が違い、お寺の受け入れが全く違うため、歩く目的を設定しないと持続性のあるコースにはならないと思われます。

 そして、残念なことは津島神社まで歩き終わった後に食事のできる場所が津島駅との間に存在せず、本日は神社から駅を通り越したロイヤルホームセンターにある居酒屋までタクシーで移動してから打ち上げを行いました。

          本日の体重 72、5キロ 徒歩数 23470歩 間食あり
                                    5月27日の一言

上高地 徳沢フラワートレッキングへ


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快晴の河童橋 午後3時

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ビジターセンター前の小梨の説明からスタート 午前9時

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梓川から穂高を展望します

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シナノ笹の説明

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樹齢350年 別名黄門様のカラマツ

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本日は花のトレッキングです

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幸せを呼ぶ緑のニリンソウ

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快適なトレッキング日和です

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ダイナミックな北アルプスの展望も

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徳沢に到着です

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午後12時30分 現地で解散です

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徳沢園

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最高のキャンプ日和です

 上高地ビジターセンター主催の徳沢フラワートレッキングが開催され、ガイド役の三澤さんはパークボランティアの先輩で、昨年の徳沢トレッキングにも同行させてもらい、私にとってはガイドの先生役でもあるため、今年もお願いして補助員として同行させてもらいました。

 河童橋から明神まで徒歩で約1時間かかり、徳沢には更に1時間ほどかかりますが、花や樹木だけでなく、小鳥の声にも耳をすませて案内するため、観光客より急ぎ足の行程となり、現在明神館前の公衆トイレが使用できないため、明神池経由の徳沢行きとなりました。トレッキングでトイレが使えないのは致命的です。

 そんな不運も、上高地はミヤマザクや小梨が満開で、ニリンソウなど花盛りの環境が参加者の疲れを払拭し、参加者の好奇心が衰えることなく徳沢に到着しました。

 花盛りの上高地ですが、説明を聞いてもあまりにも種類が多く、最初に聞いた花がメモを見ても判らなくなり、最後尾を歩く参加者から問われても四苦八苦となり、「僕はゴミ拾いのプロを目指します」の一言に、「なにを言ってるの」と帰路は私への案内までしてもらうことになりました。それでも…

「大鹿さん、この花なんだったかな?」
    「うーん、確か、タケ…」
「うん、うん」
    「(閻魔帳を見て)、タケシマランか」
「そうやって覚えるしかないわ」

 花を見ただけで名前が判り、小鳥の鳴き声を聞いただけで名前を説明できる先輩のようにはいきませんし、花が咲いているのは長くても一週間程度で、次に出会うのは一年後となりますから、自分の得意な花からひとつひとつ覚えていくか、ガイド前日の予習が必要になります。
 今年も勉強の一年となりますが、今年から登録された新しいメンバーの存在も頑張れる刺激となり、新しいボランティアとの出会いや、先輩方からの思いやりが清々しい気持にしてくれます。

                          本日の徒歩数 25750歩
                                       5月26日の一言

今月2回目となる上高地パークボランティアへ

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小梨平から見る本日の穂高連峰 手前はマユミの木

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本日はサルの追い払いと普及啓発活動

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サルを追い払う試射
                        サルに当てるのではなく威嚇です
                         そして、弾は自然に戻る原材料でできています

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小梨の木 ビジターセンター前

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小梨の花

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河童橋から見る梓川と穂高

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ニリンソウの花

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ビジターセンターのガイドツアーに出会いました

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田代橋からの遠景

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大正池

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道路に出ていたサルを山に追い払います

 本日のボランティアはサルの追い払いと観光客への普及啓発活動ですが、生まれたばかりの子ザルを連れた群れを威嚇して追い払うのは可哀想で、私の持ったパチンコの石を引く力も緩みますが、人を怖がらないサルは危険で、今年生まれたばかりの赤ちゃんザルが今年になって上高地で2匹車に撥ねられて死んだそうです。

 死んだ子ザルから母猿が離れないため、亡骸を回収もできなかった話や、死んで白骨化した子ザルを抱かえて移動する親ザルの話を聞くと、サルと人間が適当な距離を置いた方が自然で、サルに菓子を与える観光客の存在を考えると、サルを追い払っていくことと、我々の存在から観光客がサルに近づかないようにするしかありませんね。

 本日の活動範囲は、バスターミナルから小梨平へ行き、もどって河童橋から梓川右岸からウエストン碑、穂高橋経由で田代湿原、大正池へ到着し、林道散策路から田代橋まで戻って、帝国ホテル前から県道(バス道)をバスターミナルまで戻りました。

 本日も過ごしやすい絶好の上高地になり、明日の天候も良さそうなので、明日の徳沢フラワートレッキングも楽しみとなります。
                        本日の徒歩数 24176歩
                                    5月25日の一言

廃線された名鉄谷汲駅を訪れて

                      昨日の写真です
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平成13年9月で廃線となった名鉄谷汲駅と展示されている電車

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7年前に廃止されたとは思えない駅舎

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今にも動きそうな電車

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懐かしい車輌です

 何度も訪れている谷汲ですが、西国巡礼が目的のため駅舎や鉄道車両の存在も昨日まで知らず、家路を急ぐ家内を制して車を停め、自由に出入りできるようになっていたため駅のホームから車輌を眺めました。

 私の父親は若い頃に名鉄電車の運転手をしており、管理職になってからは名鉄産業に勤務しドライブインやガソリンスタンドの所長から本社に勤務していましたが、退職する頃には名鉄沿線の西部地区の鉄道車輛の清掃や遊園地の駐車場などの責任者になっており、岐阜や犬山方面には日常的に出向いていました。

 父親が親しくしていた運転手仲間が初めて駅長になったのが谷汲駅に近い黒野駅で、父親の最後の勤務地も岐阜駅に近かったため、私には生前の父親たちが現役で働いていた当時の電車に会えたような懐かしい感覚を覚えました。

廃止が迫った頃の谷汲線 1 http://tsushima-keibendo.a.la9.jp/tanigumi/tanigumi-F1.html
         津島軽便堂写真館さんのアドレスを添付しました。ご覧ください。

 駅のホームと電車を見る限り、現役としか思えないものの、駅舎から離れるとレールは片づけられており、自力では戻っていけない車輛から哀愁を感ずるとともに、平成13年10月から当地域の人々の足が無くなった現実の厳しさも実感させられます。

 我が家には昭和20年代の名鉄車両や駅舎から、パノラマカーが誕生する頃まで運転手をしていた父親の残した写真が多く残されていましたが、無関心であったため母親が処分してしまったようで、添付した谷汲駅のホームページからも懐かしい名鉄電車を見て若かりし頃の父親を思い出す1日ともなりました。

 本日は午前中は市役所に出向いていましたが、明日から2日間は上高地のボランティアに参加し、日曜日は名鉄須ケ口駅から津島市の津島神社まで仲間と歩くことになっています。

                                     5月24日の一言


西国三十三十観音 谷汲山華厳寺へ


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雨の観音霊場へ

 本日は雨の一日となったため、午後から西国三十三ヶ所の第33番谷汲山華厳寺に家内の運転で車を走らせました。
 「ちょっと行ってこようか」と出発したものの、カーナビの案内に任せていたところ、時間は刻々と過ぎていきましたが、平日のためか入り口の駐車場で足止めされず、参道横の無料駐車場まで入れたため、1時間半で山門をくぐることができました。

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西国第33番華厳寺の山門

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新緑の参道

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本堂前の階段

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本堂裏の笈摺(おいずる)堂と子安堂

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おいずる堂に積まれた巡礼者の笈摺((白衣)

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満願堂前の千羽鶴

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満願堂

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奥の院側から見た本堂の裏側

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阿弥陀堂前の鐘楼

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本堂を後にします

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経堂

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昭和2年3月に、名古屋の伊藤萬蔵氏によって建立された石柱

 過去の一言を読みなおすと、一年前の4月に訪れており、この時も商店街入り口の有料駐車場に誘導され、身体障がい者手帳を持つ知人も1キロある商店街を歩いたため、山門で参拝するのを諦めており、8年前の秋にも「もみじ祭」のため身体障がい者1級の人が商店街入り口で足止めとなりました。


 さて、雨で歩く事も苦痛となり、私以外はカサも無いため、カサまで入手して目的地に到着すると、参道の1キロ手前で道路が封鎖され、今月20日まで「桜まつり」のため、お寺の駐車場まで行けないとの話です。
 知人は歩くのが苦痛で接骨院に来ており、声をかけた知人は身体障がい者3級の手帳を所持しており、雨の坂道を歩いていけないことを係員に告げたものの、「道路規制」との一点張りで聞き入れてもらえません。
 過去に訪れた際にも、観光シーズンで道路規制がされており、足腰の弱い書道会の恩師が途中でリタイヤしたこともありましたが、今回も知人2人は華厳寺の山門まで来たところでリタイヤです。



 さて、西国巡礼の多くのお寺が駐車場代と拝観料が必要になる中で、華厳寺は拝観料だけでなく駐車場も無料で、参拝する信者には最高の自然環境でもあります。
 華厳寺は西国巡礼33番目のお寺で、結願寺とも呼ばれていますが、本堂裏の笈摺(おいずる)堂には、満願となって巡礼を終えた人々の使われた杖や、着用されていた白衣(おいずる)が高く積まれており、無言でも何かを語りかけているように感じられました。

 そして満願堂に参拝した後に、奥の院へ足を進めようとすると、雨のため山道が滑って危険なため、本道裏のお堂に手を合わせると、堂内には信者から預かった骨壷が置かれており、観音巡礼でご本尊や仏像に手を合わせてきたものの、鬼籍に入られた人々に手を合わせたのは初めての体験です。

 西国観音巡礼は今から1千300年前に開創されていますが、これまでに数え切れない数の信者がご本尊の観音様に手を合わせていることを実感させられる華厳寺参拝となりました。
          本日の体重 72、4キロ 徒歩数 4550歩 間食あり
                                    5月23日の一言

我が家の新メンバー


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赤星シャクナゲとユキノシタ

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アンズも色づいてきました

 本日は久々にのんびりとした一日となり、久しぶりに訪れた高校時代の同級生に同行して母校を訪れ、午前中は訪問者や電話応対で終り、午後ものんびりと考えていると、ボランティアの担当者と連絡が取れないとの依頼者の電話で、突然の病院行きの依頼に走ることになりました。

 我家から8キロ離れた依頼者のご自宅まで走って、依頼者宅から500メートルの内科医院までの送迎ですが、男性は一人では歩けないので、指示された位置まで車を移動して、腰の部分のズボンを持ち上げて補助するわけですが、力を入れると痛いと言われるので、言われるままに支えながら同行します。

 病院駐車場に到着すると、「玄関まで」と言われて車を狭い玄関前まで突っ込み、「車イスを借りてきて」と言われて借りてくると、「こっちを向けて」と指示され、受付まで押して行くと、「あっちへ押して」と言われ、押して行くと通路で「ここで」と言われますが、指示された場所では他の患者さんが通れず苦慮していると、「テレビが見えるここに決めてある」と言われて、依頼者の身勝手な指示に内心は穏やかではあれません。

 そして、西日が差す車内で待つこと40分…

「お父さん、何所に居るの !?
     「何所に居るのって、病院に待っているぞ」
「車が居ないって怒ってみえるよ !? 

 車を停めた玄関先に車が無いため、家内の携帯電話に連絡が入ったようですが、怒ってみえるので謝って車イスから移動させ、自宅に到着して仕事は終わりと思っていると、庭に置いてある手押し車に座らせて、私が押して玄関まで進み、ここで終わりと思うと、玄関の中まで介助し、部屋の扉を開けてベットの上に移動するまで介助が必要でした。

 最低料金の片道350円のボランティアですが、20分かけて依頼者宅まで走り、車への乗降介助は当り前としても、病院内の移動介助だけでなく、40分の駐車場待機の後に、車から自宅の部屋のベットの上まで移動介助を求められるとは思ってもおらず、依頼者を担当しているボランティアの日頃の苦労が実感させられます。

 「突然の依頼には応えられない場合があるので事前予約を」と伝えて帰宅しましたが、過去に代役で対応した家内の話では、前にも予め予約して欲しいと伝えてあると言い、ボランティアなので耐えているものの、これは介護保険制度のヘルパーが有償で行うようなサービスです。

 ヘルパーが病院まで有償で移送すると白タクとなり、一般タクシーの運転手がサービスで歩行困難者を病院や自宅のベッドまで運ぶとは思えず、常識で考えればヘルパーさんの同行介助を依頼してタクシーを呼ぶべきと思う仕事を、我々福祉有償運送は当り前に求められ、サービス精神を発揮するとそれが当り前になってしまいます。

 これでは家族でも怒ってやらないように感ずる一日となりました。

名古屋・興正寺前住職と総本山が和解 土地売却問題

 さて、お寺のお金にまつわる揉め事は聞くのも嫌ですが、和解との新聞報道にお寺本来の魅力を発信されることを期待したいものです。


                                 5月22日の一言

名古屋まで走って


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都市高速と都市公園の街路樹

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我家のさつき

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畑に満開の花

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本日の夕暮れ 自宅前

 先週の日曜日に長野県の上高地から帰り、月曜日から水曜日まで福祉有償運送で連日名古屋まで走り、木曜日に静岡県の三保の松原に行き、金曜日は名古屋市の日赤まで三往復患者搬送し、週末は滋賀県から京都の天橋立まで西国巡礼に走ってきました。

 今週末も上高地へ走り、来月は志賀弘法会のメンバーを和歌山県の高野山まで移送する予定で、月初めに法定3ヶ月点検は受けるものの、人を遠方まで運ぶ場合車の故障が心配となりますが、還暦過ぎの私にとっては運転中の体調不良も課題になっていきます。


運転手急病時に自動停止 日野が非常用ボタン付きバス

 本日の新聞報道に、運転手が運転中に意識を失ったり、突然運転不能に陥った場合に、運転席と客席に緊急停止する非常用ボタンを付けた観光バスが日野自動車で商品化されると発信されています。

 最近は長距離を運転する場合には、助手席に座る人に注意してもらうようにしていますが、信号の見落としや突然の飛び出しなどを考えると、常に交通事故の危険性と隣り合わせになっており、ましてや同乗する人の安全を考えると心配は尽きません。

 事故を起こしたら引退と口では言っているものの、40年以上も事故を起こしていないと、事故は起こさないことを当り前として運転しており、意識がしっかりとしていれば何とかなるものの、運転中の心臓発作や脳梗塞だけは何ともなりません。

 万が一があれば、自分自身だけでなく、同乗者や対向車や歩行者を傷つける加害者にもなってしまうため、新しい技術の開発に期待するとともに、今一度初心者の気持になって運転したいものです。

           本日の体重 72、5キロ 徒歩数 3717歩 間食あり

                                    5月21日の一言

西国三十三観音 巡礼二日目の竹生島


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パワースポット 竹生島龍神拝所の鳥居

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今津からの竹生島航路

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竹生島港

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参道入り口の階段

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西国第30番宝巌寺本堂

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三重塔

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都久夫須麻神社本殿

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長浜や彦根へのクルーズ船

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今津航路の乗場

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大浦?へ向う高速艇

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竹生島から今津港へ戻ります

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琵琶湖は大きいですね

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道の駅 浅井三姉妹の郷 http://azai3-st.jp/

 竹生島への航路について、西国巡礼のガイド本の影響で、今津港から渡るのが自然と考えていましたが、一日に4便しか無いことから、西国29番から竹生島30番、31番長命寺と順番に巡拝するのではなく、私の住む愛知県側から考えれば、32番観音正寺と33番の華厳寺(谷汲山)の間にある長浜港から乗船すれば一日に9便も出航していることから、より効率的であることが判りました。

 本日は竹生島の後に岐阜県の華厳寺まで参拝する予定でしたが、天橋立展望台でコーヒーを飲み、舞鶴港の道の駅で買い物に費やした時間が影響して残してしまいました。我家から1時間の距離でしかないことから、6月までに何とか参拝しておきたいと思います。

                                  5月20日の一言

西国三十三観音 巡礼二日目


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日本三景 天橋立

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西国第28番成相(なりあい)寺

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本堂

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撞かずの鐘

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お寺の柴犬と我家の相棒リマ

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成相寺展望台にカフェが営業していました

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「道の駅」舞鶴港とれとれセンター

京都府舞鶴市字下福井905番地 https://toretore.org/

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西国第29番松尾寺

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本堂前の石段

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本堂 手前は香炉台

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納経所



 本日朝8時から成相寺参拝 … 展望台でカフェ 9:10 … 舞鶴港「道の駅」舞鶴港とれとれセンター 10:30 … 松尾寺 11:35 … 

 余裕の西国巡礼でしたが、次の竹生島渡航が午後1時10分と判り、慌てて走りましたが、舞鶴若狭自動車道が整備されていることを忘れ、過去と同じ一般道を進んでいきました。


午後から西国三十三ケ所観音巡礼へ


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観音正寺から見える東近江市五個荘

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第32番観音正寺

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本堂

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観音様

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第32番長命寺参道入口の階段

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山門

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境内

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本堂と三重塔

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三重塔

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厳しい階段です

 本日はお昼に愛知県を出発して、関ヶ原経由で滋賀県に入り、東近江市の観音正寺と長命寺に参拝しました。

 3回目の巡礼となり、平成15年はマイクロバスで廻っていますが、当時の同行者やバスを停めた駐車場など、何一つとして思い出せるものがなく、5年ほど前に巡拝した記憶も何もよみがえってきません。

 平成13年に四国遍路に旅立ち、西国、坂東、秩父と巡礼を続けてきましたが、家内と2人だけの参拝は今回の西国巡礼が初めてのことで、声をあわせての読経も初めてのことになります。

 当初は滋賀県と京都市内を巡拝予定としていましたが、家内の意見を聞いて、明日は我が家からは一番遠い「天橋立」にある第28番成相寺からスタートし、松尾寺と竹生島に渡航し、時間があれば33番の谷汲山に参拝したいと思います。

                                   5月19日の一言

朝から名古屋まで三往復する一日となり


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中村公園の木陰で待機中です メーターも待機中

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名古屋駅を目指します

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名古屋笹島交差点

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三井ビル

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横井庄一記念館に咲く花

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横井庄一記念館に咲く花

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横井庄一記念館に咲く花

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横井庄一記念館に咲く花

 本日は午前8時30分から名古屋市中村区にある第一赤十字病院まで患者さんを搬送し、一度自宅に戻り、11時20分に同じく中村日赤へ搬送する2人目の患者さんに備えていたところ、11時過ぎに1人目として搬送した患者さんから診察が終ったと連絡が入りました。

 我家から中村日赤まで約30分かかることから、2人目の患者さんを送って行ってから1人目の患者さんを自宅へ搬送するのが自然ですが、これだと1人目の患者さんを1時間ほど待たせることになるため、津島市内の患者さんを病院に送って待機中の家内に走ってもらいました。

 2人目の患者さんを中村日赤に搬送したのが午前11時50分で、折り返して午後1時に名古屋駅に送迎する3人目の予約者を時間内に搬送しました。

 2人目の搬送者の診察が終る時間と、3人目の搬送者の用事が終る時間が未定なため、中村公園の木陰で待機していると、3人目の搬送者から午後2時40分に用事が終了すると連絡が入り、この時間から3人目を自宅に送迎していると、2人目の患者さんを出迎えるのは、午後3時40分過ぎになってしまうため、迷ったものの家内に名古屋駅まで走らせることにしたところ、午後2時45分に2人目の患者さんから治療が終ったと連絡が入りました。

 本日は3人のお客さんを名古屋市に搬送し、津島市内で家内が2人のお客さんを送迎しており、朝から晩まで津島市内と、名古屋市と津島市を三往復する一日となり、一般のタクシーであれば3万円以上の売り上げになりますが、福祉有償運送は有償とは言えボランティアのためお金にはなりません。

 本日は2台の車で名古屋市まで5往復しており、3人のお客さんのために5往復もする送迎は不効率で、何よりも診察が終る時間が判らないため、待機していても何時電話がかかってくるかも予測ができず、途中で夜になるかもしれないと考えるとストレスがたまります。

 ただし、明日のボランティアは津島市内を一人だけで雨の一日のため、午後には家内と滋賀県まで西国巡礼に出かけたいと考えています。

           本日の体重 71、8キロ 徒歩数 2580歩 間食あり
                                    5月18日の一言

立田文芸クラブの三保松原吟行に同行して


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三保の松原「羽衣の松」  静岡市清水区

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お茶をラッピングしたタクシー

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三保の松原入り口

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三保の松原と御穂(みほ)神社をつなぐ神の道木道

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御穂神社の入り口

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御穂神社本殿

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日本平ロープウェーに乗ります

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88歳とは思えない先生の健脚

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久能山東照宮の参道

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東照宮の本殿

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徳川家康を祀る霊所 神廟

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清水河岸の市

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東名浜名湖SAから見える湖畔

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本日最後の休憩浜名湖SA

 本日は愛西市の立田文芸クラブ(俳句)のメンバー8人と、静岡県旧清水市の三保の松原と日本平・久能山東照宮に同行しました。

 依頼された三和町安泉寺住職ご夫婦以外は知らない人ばかりと思っていると、文芸クラブの代表者である堀田竹重先生は、私の中学時代の恩師長谷川丈夫先生の仲間で、かつてお会いしたことがあり、私宛に手紙をいただいたことがあったものの、30年近く前の話でどんな状況でお会いしていたのか思い出せません。

 そして、メンバーの坂本先生は、教えていただいたことは無かったものの、私の高校時代の体育教師であられたことが判り、懐かしい恩師たちの昔話にも花が咲くことになりました。

 それにしても、恩師たちの顔は思い出しても名前が出てきません。私自身が還暦を過ぎてから、明らかに物忘れが多くなり、恩師や知人の名前を思い出そうにも出てきません。

 「大鹿さん、平成31年も頼みますよ」の一言は、別れ際に堀田先生が私に言われた言葉で、88歳になられても健脚でメンバーの先頭を歩かれる姿と、来年まで思い描かれている姿に、私の恩師長谷川先生は10年前に他界されていることと、長谷川先生の後継者として我々の書を指導される後藤毅先生も、最近では長い距離を歩けず、旅行にも行けない現実を考えると寂しい現実と同時に、まだまだ頑張れるとの想いにもかられました。


 そして、恩師が亡くなった日も定かではなく、幸いにも過去の一言に葬儀当日の記載が残っており、平成20年3月29日の一言を読み直し、平成9年から務めていた中学校の同窓会長を3年前に辞した頃から、恩師たちとの縁が途絶えていることと、高校時代の恩師たちとも疎遠になっている反省をする一日ともなりました。

 さて、8月のお盆前には、上高地へ10日間テントを張ることを3年前から行っており、今年も公言してきましたが…

 「大鹿さんが被災地交流ツアーに行ってくれたら」の一言は、本日同行された安泉寺住職から発せられた言葉で、8月3日から6日まで仙台の震災被災地へ、地元中学生と訪れる現地のマイクロバスの運転手役を期待されての依頼でした。

 「上高地の予定が入れてあるので」とお断りしましたが、「お金は払えないけど…」の一言によって、この言葉は私にとっては一番弱い言葉で、「お金は払う」と言われれば簡単に断れるものの、「お金が払えない」台所事情を聞くと捨て置けません。

 「愛知県からマイクロバスで行けば、経費をもっと節約できるでしょう」と、お金も貰えないボランティアに、家内と2人で東北まで運転して行く可能性を思い浮かべてしまいました。返事は5月末までにとの話ですが…

           本日の体重 71、9キロ 徒歩数 5580歩 間食あり
                                    5月17日の一言

ドクダミを天日干しにして


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庭の物干し竿に干されたドクダミ

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ドクダミの花


 庭では困られもののドクダミですが、「十薬」という生薬名があり、ゲンノショウコ、 センブリと合わせて日本三大薬草のひとつとされており、どくだみ茶に含まれるイソクエルシトリンなどのフラボノイド類はには高血圧などの生活習慣病を予防します。

 
 どくだみ茶の生活習慣病予防効果には、「血液をサラサラにする」、「血圧を下げる」、「動脈硬化を予防する」など、血圧が高く脳梗塞を心配する私にはぴったりの薬草で、一番薬効があるという7月の土曜の丑頃にも採集してお茶にしたいと思います。



どくだみ茶の作り方と飲み方
 採取する時期や乾燥のコツと飲む量は?  https://lettre-du-nature.com/archives/1162

 もっとも、今から6年前にも同じ発想でドクダミを採集してお茶を作ったものの、翌年には熱が冷めており、家内が代わりに作ってくれましたが、大量に作ったお茶にカビが生えてほとんど使えなかった反省から、今年は湿気にも注意して保存していきます。

 さて、明日は愛西市の俳句同好会の人々から、静岡県の三保の松原まで移送を依頼されていますが、明後日のボランティアは大変で、家内は午前中に市内3人の送迎と、午後には名古屋市まで走る約束をしており、私は早朝より名古屋市の中村日赤まで患者さんを搬送してから、名古屋駅に1時に行きたい人と約束がありました。

 そこに、市内の酸素吸入器とボンベが必要な患者さんから、午前中に同じく中村日赤に送迎して欲しいと依頼があり、中村日赤の2人と、名古屋駅の送迎を時間差で往復する、本職のタクシー運転手と変わらぬ一日となります。

 もっとも、タクシーなら診察後は病院に待機しているタクシーで帰って下さいと言えますが、料金がタクシーの半額以下の福祉有償運送のため、自分たちで往復して送迎するしかありません。

 本日は、明後日の午前中に、弥富市の海南病院から退院する歩行が困難な患者さんの家族からも依頼があり、歩けない人をエレベーターの無い4階の部屋まで移送する力仕事のため、他のボランティアにも依頼ができないためお断りしました。

 これは完全にボランティアの領域を超えており、早々に議員を辞して本気で患者さんの移送を考えないと要望には応えられなくなりました。人の命に直結するボランティアだけに責任を痛切する日々が増えました。

          本日の体重 72、4キロ 徒歩数 3431歩 間食あり
                                   5月16日の一言

ボランティアで中村日赤に走り、自分はかかりつけ医へ


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町内の用水 かつては葦が生えて舟が行き来していました

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本日のボランティアはここから発車です

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名古屋市中村区  名古屋第一赤十字病院まで送迎です

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津島市東愛宕町  田植えが終っていました

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薬局から見える私のかかりつけ医  彦坂外科

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薬局で無料配布される冊子

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気になる一冊です

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そして、本日も陽が暮れていきます 自宅前

 本日は津島市内のご夫婦を名古屋市の病院まで送迎しましたが、通院のたびに発生する利用料金の高さが気になるものの、名鉄バスと地下鉄を利用した2人分の料金でタクシー同様に利用できるのですから、身体に障がいを抱える2人には負担とはなるものの、「有難う」の一言にボランティアは救われます。

 当事者は3ヶ月前の早朝に身体の異変を感じ、通院している市民病院に連絡すると、「体調が落ち着いてから外来に来るように」と応対され、このままではいけないと名古屋市の中村日赤に走ったところ、心臓周辺の血管が3本詰まっておりその場で緊急手術を受けられました。

 その後、これまでの身体の不調も訴えたところ、これまで検査もされなかった他の部分の検査が続き、本日は大腸の内視鏡検査を受けられましたが、バスでは通院できない移動困難者ゆえに、「遠いと運賃もかかるし」とグチが聞こえたものの、「日赤に来なかったら死んでいたと思う」と言われ、最近は「金がかかっても命にはかえられん」と言われるようになりました。

 タクシーの半額以下に設定された福祉有償運送の料金ですが、通院するたびに料金が必要となり、料金をもらう我々も心の重荷となり、何よりも送り届けるだけでなく、診察や治療が終った後まで帰宅して待機していると、それだけで一日が経過してしまいます。

 そして、最近では津島市内では治療できなくなった患者さんを名古屋市内の病院まで送迎する頻度が増え、私が議会中や上高地に行っている日も、家内や他のボランティアが会員さんの送迎に走っていきます。

 「えっ、また行くの…」の一言は、上高地の徳沢トレッキングに補助員として同行するとの言葉に対する家内の返答で、明後日には愛西市の俳句同好会のメンバーを静岡まで運び、今月中に西国巡礼にも行く予定のため、手帳の空白が全て埋め尽くされ、外出と運転が好きだから出来るものの、休息のない毎日が続くと家族にも苦痛となっていきます。

 「去年も一緒の行動だぞ」と反論したものの、毎日病院に走っている家内にとっては、「何かあったら」と限界を感じており、ボランティアの増員は急務になります。

            本日の体重 72、3キロ 徒歩数 4493歩 間食あり
                                    5月15日の一言

上高地の帰路 御嶽山霊神場へ

                                                               昨日の写真です
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長野県木曽町三岳 昨日は終日雨でした

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日の出滝バス停

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日の出滝

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明栄講の霊神場

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昨日の明栄講ろ組の霊神場 

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昨年の霊神場です

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霊神碑が倒れていました 昨年

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倒れた石灯篭  昨年の明栄講霊神場 

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轟音を立てて白川に流れる土管の排水

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雨の中で咲いていた八重桜

 昨年から、上高地の岐路に必ず足を運んできたのが、木曽福島から御嶽山黒沢口に入った木曽町の御嶽山明栄講霊神場で、ここに建てられた祖父の霊神碑と、我が家の新屋(分家)の霊神碑や知人の石碑に般若心経を唱えてきます。

 「ドドド、ドドド~」、「ポツ、ポツ、ポツ、ボツ」

 日の出の滝と、霊神場の裏山から流れてくる水が白川に注ぐ音が響き、私の雨傘をたたきつける雨音も大きく、般若心経の声がかき消されないないように大声で唱えましたが、一年前に地震によって倒れたままの石碑も残るものの、多くは元通りに修復されていました。

 かつては尾張地方には多くの御嶽様の先達が存在し、我家の新家の祖父も明栄講ろ組の先達ですが、私の祖父も明栄講へ組橋本講社(旧尾西市)の先達で、私は小学校2年生から御嶽山の頂上まで毎年登ってきました。

 我家の座敷は仏壇の横に御嶽様の神棚が中央に位置し、祖父が亡くなってからは祖父の知り合いの先達さんに来てもらっており、私の事務所のお祓いや神棚もお世話になっていましたが、今年になって亡くなられたため、これからは依頼する先達さんが存在しなくなってしまいました。

 近所にも多く存在した御嶽様の先達が、全く皆無になってしまったのは何故か。

 私自身が四国八十八ヶ所霊場の先達をしていることから比較すると、御嶽山の先達の修行は厳しく、真冬でもお勤めの前に水をかぶるとか、科学的に理解できないような厳しい修行を続けるのは現代社会では受け入れがたくなってきたと思われます。

 一方で、四国霊場の先達の中には、仕事として旅行会社のツアーガイドになるために補任を受ける人もあり、宗教的な修行を求められておらず、西国巡礼の先達にいたっては1回巡拝しただけで、観音経どころか般若心経が読めなくても、お寺に申し出れば誰でも先達になれます。

 同じ先達ではありながら、他人の家の神棚やお祓いまでする御嶽山の先達は、個人の病気治癒や心配事への加持祈祷も求められており、人を霊場やお寺に連れて行くだけで良いとされる四国遍路の先達とは全く違います。

 科学的とは思えないかも知れませんが、明らかに神通力を持っているとしか思えない先達さんを探すのは大変で、我家も座敷と店舗に置かれた御嶽様を引き続き祈願していくのは大変になっています。

           本日の体重 72、7キロ 徒歩数 3501歩 間食あり
                                     5月14日の一言

雨の上高地 パークボランティアガイド研修会


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雨の河童橋 本日午前8時18分

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沢渡バスターミナルの山ツツジ

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シャトルバス 沢渡午前7時40分発
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しかし、上高地到着時には激しい雨が…

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環境省活動ステーション前から出発です

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雨に濡れて指導する講師の八巻先生

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雨でも河童橋は風情がありますね

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傘と合羽姿のガイド研修です

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雨で身体が震える研修会となりました

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雨で閑散としたホテル白樺荘売店前

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シャトルバスで沢渡へ戻ります

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私の足です 気持良い温かさ

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沢渡足湯公園 源泉かけ流しです

 本日は環境省主催のパークボランティア・ガイド研修会が開催され、活動ステーションで環境省職員のガイダンスと安全対策に続いて、講師の八巻さんによるガイドの基礎知識について学び、激しい雨の降る上高地へ出てガイドの指導を受けました。


 沢渡駐車場の車中で、長靴と愛用の雨合羽は重荷になるため、鉛色の空を眺めて、天気予報どおりに午前中は軽い合羽と、折りたたみ傘で凌げると判断し、長靴を置いたままバスに乗り込んだところ、発車してまもなく雨が降り出しました。

 雨の上高地は、ヨーロッパやカナダをイメージする穂高連峰の頂も雪渓も見えず、身体は寒さから強張り、合羽を脱いで施設や食堂に入るのも大変なため、早々に退散してバスで沢渡に戻りました。

 昨年はボランティアだけで22日間参加し、約30日ほど上高地に滞在はましたが、不思議なことに一日も雨に降られておらず、久しぶりの雨となりましたが、やはり足元が濡れると気分も億劫となり、何よりも雨の上高地は目的がないと過ごしようがありません。

 さて、本日の研修会で、雨の中でも上高地の魅力を発信して案内するプロ根性を講師より見せられ、雨の場合でも雨を楽しみ、雨の中でも満足できる上高地の滞在方法を考えてみたいと思います。

 片道4時間かけて運転し、前夜から出かけて仮眠して、上高地での滞在時間5時間で退散するのはあまりにももったいないものですが、雨でも行動できる靴と雨具を装備して入らないと何ともなりません。

 もっとも、こんなに早い帰路になったことで、雨中ですが塩尻まで遠回りしてから、木曽福島までの風景を楽しみ、祖父の眠る御嶽山の霊神場でゆっくりと祈ることができ、我家の夕食に間に合う帰宅となりました。

                                    5月13日の一言

地域コミュニティと防災会の総会が開催されて


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レモンバーム

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子供時代から見慣れたサボテン?

 本日は上高地で環境省パークボランティアの総会が開催されていますが、私は地元愛知県津島市の神守小学校区のコミュニティ推進協議会と、地域防災会の総会に出席してきました。

 一年に1回のボランティアの総会をめぐり、自分が会員として参加する上高地と、来賓として招待されている地元と、天秤にかけるようなことではありませんが、どちらも重要な会議ゆえに苦しい選択を迫られます。


 さて、添付したハーブ「レモンバーム」は、私がお気に入りとしている珈琲店スプーンベルのアイスクリームの上に乗っていた葉で、今から6年前から我家の植木鉢で発芽し、それ以来本日まで生き延びていたんですね。

 一時は植木鉢から溢れて、困って刈られるほど茂っていましたが、その後は虫に食べられ瀕死状態になったものの、昨秋に追肥を置いたため今年は丈夫な新芽が出てきました。触るとスッキリとした香りが漂うため、我家のペットたちが眠る庭に移植してみようと考えています。

 明日は環境省主催のガイドボランティア研修会が午前9時から開催され、明日の早朝の旅立ちでは遅刻する可能性があるため、今晩自宅を出発して沢渡の駐車場で仮眠後にバスで上高地に入ります。

 私の愛車キャラバンはタクシー車輌のため、マイカー規制の対象外で、我家から高山経由で3時間で上高地バスターミナルまで到着しますが、ボランティアの取り決めでマイカー禁止のため、沢渡からバスに乗るため前日出発となります。

 祈るのは天候のみで、昨年一日も雨に降られなかった強運が明日も継続するか微妙な予報が出ており、本日長野県で発生した地震の影響も考えると楽しみばかりではありません。

                                      5月12日の一言

本日も臨時議会が開催されて


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アンズの実

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スミレの花

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ハーブの花

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ユキノシタの花

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ブルーベリーの実

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柚子の花

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午後6時6分

 本日は昨日に続いて臨時議会が開催され、提出された議案と市議会の正副議長の選出や各委員会の割り振りが終りました。

 個人的には福祉有償運送のボランティアの責任者として、私が議会に出席している日は、病院に通院する会員さんや、突然の体調不良で病院に行きたい高齢者を、私の家内や仲間が搬送しているので最近は気になってしようがありません。

 明日は地域のコミュニティの総会があり、明後日は環境省が主宰する上高地のガイド研修があるため家を空けますが、同日に町内の水路清掃があり、これも私の代理で家内が出て行くことになり、ここに横井庄一記念館の留守番が加わるとお金にならないボランティアだけで限界となっていきます。

丸の内、中型犬が走って東京駅方面へ 警視庁が行方追う

千葉にロバ?国道テクテク ドライバーたちノロノロ運転

黒猫2匹、大阪オフィス街のアイドル グッズ販売も

警察犬「きな子」の像を丸亀に作ろう ネットで資金募る

 さて、本日の新聞記事には、全国各地から動物に関するニュースが発信されており、犬や猫だけでなく、ロバまでが登場して人と同じように扱われていることにホッとさせられました。

 私の子供の頃には、捨て犬が自由気ままに地域を走り回っており、いたるところにネコが出没しても新聞記事にもならなかったことを考えると、世の中は大きく変化したものだと思います。ただ、東京都内を犬が走り去ったり、大阪の都心部に居るネコが新聞記事になることには救われた気持になりました。

              本日の体重  徒歩数 3312歩 間食あり
                                      5月11日の一言

5月臨時議会が開催され


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我家の庭のプランターのイチゴ

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予想に反して甘かったようです



 ホームセンターで毎年のようにイチゴの苗を買い求めますが、翌年まで持ち越して実を生らすことはほとんど無かったものの、今年は昨年植えたイチゴが花を咲かせて実を付けており、食べた家族の話では甘かったとの話でした。

 昨年は我家だけでなく、横井庄一記念館の庭にも植木鉢に植えましたが、今年は枯れてしまっており、日頃の小まめな水やりや管理がないと維持して育てることは難しく、今年の経験を来年まで持続させたいと思います。


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朝日新聞8日の夕刊に掲載されました


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 今週火曜日の夕刊に掲載された横井庄一記念館の記事ですが、東海地方だけでなくデジタル新聞で全国に発信されているものの、掲載された記事を読みたいとの連絡が続いたためここに添付しました。

 記念館の後継者に指名された私ですが、2年前に横井夫人から突然に「後はあなたに全部任せます」と言われ時の心境を、他社の新聞記者に問われた夫人は、「ずっと前から考えていましたよ」と応え、何も知らずに四国や上高地に出かけていた自分の無神経さを実感させられています。

 こうなることが判っておれば、記念館が開館した平成18年からできた事は多く、夫人が90歳となって無理もできなくなった今から再建するのは大変で、お金もないNPO法人に会員を集めるのも急務で、真剣な対応が求められてきました。
 
 そんな訳で、横井庄一記念館を存続させてやろうと思われる方は、正会員か賛助会員になってくださるようにお願いいたします。

           本日の体重 72、6キロ 徒歩数 3363歩 間食あり
                                    5月10日の一言

ボランティアのため、外出する一日となり


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自宅前の夕暮れ  本日午後6時36分

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中村日赤病院前  午前7時25分

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朝の中村公園大鳥居前  

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横井庄一記念館裏の畑

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本日植えたカボチャ 午後5時30分

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同じくサツマイモ

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記念館  午後6時1分

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我家のアマガエル

 本日は午前7時に津島市から名古屋市中村区にある赤十字第一病院まで津島市民を搬送しましたが、診察が終って迎えの連絡が入ったのは午後1時過ぎで、片道30分の移送ですが、いつ終るか判らない診察は我々を待機状態とし、連絡が入るまで何もできません。

 このあたりの苦痛は利用者には判りませんが、突然の発症で予約が重複して我々が対応できない通院時に、一般タクシーを利用して高額の料金を支払った際には我々福祉有償運送の有難さを実感してもらえるようです。
 命に直結する重病を背負った人々には、私が議員であることより搬送してもらう運転手としての期待が大きく、「議会があるので」の一言では済まされず、ボランティアの拡充が急務となってきました。

 本日は、昨日の朝日新聞夕刊に横井庄一記念館の話題が大きく報道されたため、全国各地から連絡が入り、かつて横井庄一を診察した病院医師から本人が手渡した陶芸作品を里帰りさせたいなど、心温まる会話が続きました。

密林27年耐えた横井さん 記念館がNPO管理で存続へ

 一方で、新聞報道に、昨年から再開した裏庭の畑について記されていたため、雑草まみれになっている畑に、家内がサツマイモとカボチャの苗を植えました。
 今年91歳となる横井夫人が元気なうちに、記念館運営の道筋をつけていきたいものです。

            本日の体重 72、3キロ 徒歩数 3368歩 間食あり
                                      5月9日の一言

西国巡礼 家内の視線を写真から


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第9番南円堂(興福寺)本堂を目指す私

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第24番中山寺の参道のシャクナゲ

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同じく中山寺のアジサイ

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第21番穴太寺山門横の大樹
                         なぜか龍に見えてきました

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第22番総持寺の提灯

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第20番善峰寺  日本一の遊竜松
                        桂昌院お手植えの天然記念物

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第23番勝尾寺に残されたダルマ

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奈良公園の車夫

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中山寺の私

 開創されて1300年となる西国巡礼は、四国遍路よりも旧い歴史を刻んできましたが、同じお寺を巡拝しているものの、祈願する内容はさておき、家内のカメラに収められている風景は全く違い、同じ道筋を歩いても目を向ける視線は全く違うことを実感させられました。

 さて、ただ単にお寺の本堂に手を合わせるだけでなく、道中で行き会う人々との出会いを大切に思っていると、交わす会話の内容も変わってきます。

 私の場合は、四国八十八ヶ所霊場会の先達であるという意識が強く、西国三十三所の先達であるものの、弘法大師と同行二人で白衣も袈裟も四国のままで巡拝しており、こんな気持の中に西国巡礼を軽んじているものがありました。

 西国番外となる兵庫県三田市の花山院菩提寺の納経所で、ご住職らしき僧侶より先達としての心構えについて説明があり、一年前に奈良県櫻井市の西国開山堂の「法起院」のご住職より「先達のくせにそんなことも知らんのか」と叱られたことを思い出し、勉強不足のまま巡拝していた反省と、何事も無心になった求道者にならないといけないことを実感させられました。


 今から10年前の秋に、四国第30番善楽寺のご住職に納経所の先頭で、後ろに並ぶ10人ほどの視線を感じて20分ほど叱られていたことがあり、先達になったばかりの私への叱咤激励を込めた言葉は今となっては有難い思い出ですが、今回の花山院菩提寺のやりとりから懐かしく思い出しました。

 怒るのと叱るのとは違い、怒られたと思うか、忠告のために叱られたと感ずるのかによっては大きな違いがあります。
 久々に西国巡礼から新鮮な気持をもらいました。

           本日の体重 72、4キロ 徒歩数 3654歩 間食あり
                                      5月8日の一言

祭日が終わり、日常的な一日となり

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ジェームスのコックピット

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愛車のオイル交換です

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 3月に法定3ヶ月点検を行い、4月に入って知多半島や、長野県の上高地まで2往復走り、ゴールデンウィークは2日に姫路市まで走り、3日間かけて兵庫県から大阪、京都、奈良、滋賀まで走って帰ってきました。

 今月は、来週に上高地まで走り、静岡県清水の三保の松原まで愛西市のグループに依頼されており、今月末までに家内と西国巡礼へ走る予定のため、本日はオイル交換のためジェームスまで車を持ち込みました。

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本日は雨の一日となりました。

 グループサウンズの「ザ・スパイダース」で活躍したギタリストの井上堯之(いのうえたかゆき)さんが2日、敗血症で死去した。77歳だった…と報じられた。

「ザ・スパイダース」ギタリストの井上堯之さん死去

 私は高校時代から鶴田浩二さんのファンで、映画だけでなく歌についても鶴田さんのカセットテープしか車に積んでいませんが、中学に入った直後はスパイダースのファンで、いつまでもどこまでも/バン・バン・バンを購入して以来、発売された全てのレコードを購入し、解散後も堺正章さんの「さらば恋人」や、かまやつひろしさんの「どうにかなるさ」「我が良き友よ」、井上順さんの「人生はそんなくり返し」などを購入しました。

 昨年78歳で他界したかまやつさんに続いて2人目の訃報に、残されたメンバー5人の健康長寿を願うしかありませんが、メンバーで一番若かった井上順さんも71歳になっている現実を考えると、青春の思い出も老人の思い出になってしまいました。

 かつて、鶴田浩二さんの付き人をしていた川谷拓三さんと、私の叔父がゴルフ仲間で、「そのうちに会わせてやる」と言っていたものの早々に川谷さんは亡くなり、その叔父も平成11年に他界し、俳優の林与一さんの親族が津島市におられ、「名古屋の御園座に来た時に会わせてやる」と言われていましたが、その親族もとっくに亡くなられました。

 寂しいと言うか、悲しい現実ですが、かつての思い出も、相手が亡くなってしまうと私の勝手な独り言になってしまい、世話になった恩師や恩人についても、何時でも会えると考えていると連絡があった時は最後の別れになってしまいます。

 西国巡礼中の今月3日に、娘たちが訪れていた神戸の須磨海浜水族館を訪れたのは、孫に会いたかったのではなく、この水族館の名物飼育員でもある「大鹿達弥」さんに会いたい一心で訪れたのでした。


須磨海浜水族園 大鹿達弥さん - Kobe  http://1995kobe20th.jp/2015/03/2758/

「すいません、ここの大鹿さんにお会いしたいんですが…」
      「どういうご用件ですか」
「愛知県から来た大鹿と言いますが…」
      「クス、クス、お待ち下さい」

 受付の女性が伝言に行ってくれましたが、この日の大鹿さんはお休みのため不在で、受付の女性は勝手に親戚と勘違いしたかもしれないものの、私たちは一度も会ったことがありません。
 持参したお土産だけでも置いてこようと思いましたが、娘から「初対面の人にお土産は失礼でしょう」と言われてそのままとなりました。

 今から10年ほど前の話になりますが、宝塚在住の大鹿譲さん(大阪工大名誉教授)から電話があり、「朝日新聞社の大鹿八郎の兄」と名乗り、八郎さんと親交のあった私から「亡くなった弟の話を聞きたい」と言われたものの、そのことを記したこの一言を読んだ人から、「統一教会の広告塔」として譲さんを批判するメールが届いたため、煩わしさからそのままにしてしまいました。

 最近の私のもとには、東京や遠隔地に住む「大鹿姓」の人たちから、自分のルーツ探しや、一族の歴史やイワレを問う連絡が入り、珍しい名前ゆえにそんな気持になるのか、津島市から出て行った先祖のルーツを問われます。

 井上堯之さんの訃報を読んで、残された人生を考えると、人の常識は無視してでも思い立ったら思った行動をして、他人でも仲良くする世の中ゆえに、後悔しない出会いを考えたいと思う一日となりました。

           本日の体重 72、6キロ 徒歩数 3515歩 間食あり
                                     5月7日の一言

西国観音巡礼の三日間から帰って


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須磨海浜水族館で孫と記念撮影  5月3日午後6時

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車窓から見えた姫路城 3日午前10時30分

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イルカショー 須磨海浜水族館

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クジラの複製 須磨海浜水族館

5月5日(土)
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猿沢池さるさわのいけ) 5日午前8時30分奈良公園

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西国第9番興福寺 南円堂 午前9時

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西国第10番三室戸寺参道 午前12時

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本堂とハスの水鉢

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第11番醍醐寺観音堂 午後2時8分

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五重塔

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祖師堂(大師堂)  午後2時50分

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西国第12番正法寺(岩間寺) 午後4時20分

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岩間寺本堂

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次のお寺 石山寺

 5月3日の午前8時30分に兵庫県姫路市の円教寺ロープウェイに乗ってから、昨日の午後4時30分に滋賀県大津市の石山寺門前に立つまで、大阪から京都、奈良と巡拝し、西国巡礼13ヶ寺を巡拝してきました。

 私は平成14年と、10年後の平成24年に西国三十三ヶ所を巡拝していますが、最初は般若心経も読めずと言うよりも、読もうとも思わず朱印目当てで廻っており、目的地に到着するだけで満足していました。

 最初に廻った18人のうち7人が他界し、6年前に廻った8人のうち1人が亡くなっており、今回の西国巡礼ではそんな過去の巡礼の記憶を蘇らせる参拝でもあり、家内と2人だけの巡礼も初めてのことです。当時の会話や行動を思い出すと、無言の故人たちが居そうな雰囲気となってきます。

 4月に第8番の長谷寺まで廻っており、普通は9番目の奈良から廻りますが、一番遠い姫路市まで前日夜から走り、大津まで戻って来る行程で巡拝し、初日の3日の巡礼後には神戸まで来ていた娘の家族に合流し、孫と水族館に行き夕食を共にするなど、参拝だけでない行楽も体験できました。

 さて、本日は現実生活に戻り、知人に頼まれて名古屋市まで走り、午後は家内の同行で田んぼへ肥料散布と草取りに借り出され、ゴールデンウィークが本日までてあったことも忘れる一日となりました。

           本日の体重 72、6キロ 徒歩数 3814歩 間食あり
                                      5月6日の一言

西国三十三観音 巡礼第3日目


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奈良公園の鹿    午前8時

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鹿と初遭遇した我家の大鹿リマ

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興福寺の五重塔

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奈良観光の人力車

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大鹿リマも鹿には興味深々

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三室戸寺の福徳兎と家内

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醍醐寺の五重塔

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本日も営業を終えます 午後4時30分

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石山寺の門前で打ち止めです 4時40分

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相棒リマも主役の西国巡礼

 西国巡礼について不勉強のまま旅立ったため、本日最初の第9番南円堂(興福寺)では拝観が午前9時からとは知らず早々に奈良公園を訪れ、最後となる第13番石山寺では午後4時45分で山門の扉が閉められるとは知らずに、「5時までに…」と4時30分に飛び込んだものの読経ができないため次回からの巡拝としました。

 もっとひどいのは、第11番醍醐寺について、平成14年10月4日には上醍醐寺に参拝しており、この時は醍醐寺から1時間かけて山を登って参拝しており、上醍醐寺が火災によって消失し、平成24年10月18日に参拝した際に醍醐寺で納経したことが判っておりながら、本日は上醍醐寺をカーナビに入れており、通行止めになった山道を行き止まりまで走ってから戻ってきました。

 その醍醐寺では拝観料が1500円かかり、家内と2人で3000円かかり、ここに朱印代600円と駐車場代1000円を支払うと5000円ほどかかり、「西国のお参りに来ただけですが」と入口で話しましたが、入らない三宝院と霊宝館の拝観料も含めて徴収され、少し不満を持ったまま入場しました。

 しかし、観音堂では僧侶が参拝客に読経する場に立ち寄り、一緒に御経を唱えられたことと、祖師として弘法大師の祖師(大師)堂や、不動堂にも参拝できたことで、お金ではないと反省ともなりましたが、家内には私が2700円の書籍を購入したことと、一日目には娘夫婦と孫の旅先を訪れて、想定外の水族館代や食事代もかかったことが頭を離れず西国はお金がかかるが口癖となりました。

 本日は南円堂と、第10番三室戸寺、第11番醍醐寺、第12番正法寺の4ヶ寺を巡拝しました。今回は、3日間で第9番から12番と、第20番から27番まで参拝し、次回は未定ながらも、13番から19番までと、28番から33番までの13ヶ寺を残すのみとなりました。

 大津市から愛知県の帰路は、多賀大社周辺から三重県いなべ市経由で渋滞とは無縁の帰宅となりました。

                本日の体重  徒歩数 11519歩 間食あり
                                      5月5日の一言

追伸

本日の巡礼は明日以降に記します。

西国三十三観音 巡礼第2日目


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勝尾寺の願がかなったダルマ

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第24番中山寺の山門

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本堂と五重塔 右はエスカレーター

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中山寺の本堂

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勝尾寺の山門

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本堂 左奥が大師堂

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四国遍路姿のご夫婦

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第22番総持寺の山門

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本堂

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立派な建物です

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第21番穴太寺への参道

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本堂

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多宝塔

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亀岡市のマクドナルド店からの風景
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第20番善峰寺

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日本一天然記念物 遊竜の末

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相棒リマも一緒です

 本日は第24番中山寺から、23番勝尾寺、22番総持寺、21番穴太寺、20番善峰寺の4ケ寺を参拝して奈良市へ移動しました。

 明日は9番興福寺南円堂から京都に向けて巡礼を続けます。

      本日の体重 70、9キロ 徒歩数 8469歩 
                                    5月4日の一言

西国三十三観音 第1日目


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新緑の中ほ西国巡礼に

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書写山 ロープウェイ 午前8時30分始発

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相棒リマもゲージで連れていきました

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西国27番円教寺 家内と相棒

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26番一乗寺

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見事な本堂です

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家内と私です

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25番清水寺  朱塗りの山門

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本堂

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花山院菩提寺

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本堂

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納経所

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相棒も一緒に参拝します

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もう疲れたぞー

 本日は西国27番円教寺から4ケ寺巡拝し、最後となった花山院菩提寺ではご住職から先達としての心構えを指導され、不勉強で未熟な自分を反省するとともに、四国遍路のついでのような西国巡礼を戒められたような気がしました。

 さて、本日は名古屋から娘夫婦と孫が須磨海浜公園の水族館を訪れており、巡礼が終わってから我々も立ち寄ってイルカショーを一緒に見学し、夕食をともにしました。その顛末は後程に…

           本日の体重 71、4キロ 徒歩数 10697歩
                                        5月3日の一言

車の点検に稲沢市のトヨペットへ


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ニッサンのキャラバン(写真中央)をトヨタ店へ  

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彼女が手配してくれます

 我家から300メートルの位置にニッサンの営業所があり、1キロの距離にトヨペットの営業所がありますが、20分も車を走らせて稲沢市のトヨペット店にニッサンの車を持ち込んで点検するのは、担当者がささいな事にも応じてくれることにあります。

 私は車検だけでなく法定3ヶ月点検もトヨペット店に持ち込んでおり、家内のセレナもニッサンの車ですが、このトヨペット店に持ち込み、整備する担当者も他のメーカーの整備は迷惑かもしれませんが、ニッサンよりも丁寧に対応してくれます。

 担当者は女性ですが、車が好きで働いているため、年式が旧くなった私の車の状態を訴えても、的確に取り次いでくれ、困った時は何時でも電話して迷惑をかけています。

 さて、世の中はゴールデンウィークに入り、ニッサンの営業所も休みとなっていますが、有難いことにトヨペット店は休まず営業しており、明日から遠出する我々には大きな安心となる反面で、申し訳ない気持で訪れました。

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四国八十八ヶ所霊場会会報「へんろ」

 明日からの3日間は、家内と西国三十三観音を巡礼予定で、明日の午前8時30分には、兵庫県姫路市にある天台宗別格本山の書寫山 圓教寺(しょしゃざんえんきょうじ)のロープウェイに乗りたいと考えています。

 西国巡礼は今回が3巡目となり、前回は圓教寺の宿坊に泊って朝の勤行後に山内を案内してもらいましたが、別格本山となっているだけあって、ここだけでも半日は滞在したいような規模の大きいお寺です。

 今年2月に亡くなった、津島市の西愛宕で画廊喫茶を経営していたマスター梅谷さんは姫路の出身で、「しょしゃ山にも知り合いが居ってなぁ」と、一年前に少年時代の思い出として、このお寺の話をしていたのも今回最初にここを選んだ理由です。

西国27番札所 寫山圓教寺 http://www.shosha.or.jp/

西国三十三所 http://www.saikoku33.gr.jp/

 第27番圓教寺を参拝後に、第26番法華山 一乗寺へ戻り、25番、24番と逆打ちで神戸、大阪と車を走らせ、25日の午後5時まで巡拝してから愛知県に戻りますが、果たして何所まで廻れるでしょうか。

 西国観音巡礼が開創されて1300年と言われますが、車も鉄道もない時代には当然として歩いて巡礼が行われていたことを考えると、肉体の限界と闘いながら参拝していた巡礼者の強い信仰心が偲ばれてきます。

 渋滞する高速道路は使わずに、ゆっくりと廻ってきます。


            本日の体重 72、5キロ 徒歩数 3721歩 間食あり

                                      5月2日の一言

管理栄養士さんの指導を受けて


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我が家の朴の木の花です

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2階の屋根は越しましたが…

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長野県のようには成長しません

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下からは葉に隠れて見えません

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上から見ると大きな花です

 長野県白馬村の朴(ほう)の木です。この朴の木は、平成14年6月28日に長野県白馬村にあるラベニュー栄のご主人が裏山から掘り出してくれた朴の木で、過去に何度も紹介してきましたが、この木をもらった丸山さんは8年前に他界されており、花を咲かせる度に故人の顔がよみがえってきます。


 我が家に来て16年が経過しており、8年前の写真と見比べるとずいぶんと太くなり、事務所の2階より高くなっています。

 私の事務所の駐車場には、白馬から来た「朴の木」と、長野県更埴市出身の津島市民からもらった「アンズ」の木とともに、先祖伝来の「イスノキ」の木の三本が2階の屋根よりも高く成長しており、最近は家族によって刈り込まれています。

 朴の木の花が咲くと丸山さんを思い出すように、私が死んだ後々になってこれらの木々から孫たちが私を思い浮かべてくれれば最高ですが、私が居なくなったら待っていたかのように伐採されてはたまりませんね。

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私には耳障りな言葉ですね

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 本日は管理栄養士さんの健康指導日のため、一緒に同行する知人とともに津島保健センターを訪れましたが、初めて指導を受けたのは平成26年6月26日で、定期的に指導を受けるようになって10キロ程度の減量に成功し、最近は運動不足が続いて微増しているものの体重は安定しています。

 添付した絵手紙は管理栄養士さんの作品で、「つべこべいうやつほど、やらないんじゃよ」の言葉は私の戒めとなり、「七転び八起き」を励ましとして、下記の「初心にもどって…」の指導を忠実に実行したいと思います。

 現在の現状は、私自身が一番自覚していますが、運動不足と同時に、間食が止められず、ウォーキングが全くできていないことと、2ヵ月前の指導日に炭水化物を3食とも摂取することにしたため、不摂生は間違いありませんが、幸いに体重については72キロ台を維持しています。

 ただし、節制しているわけではなく、昨日のように外食の野菜とは言え食べ放題は一気に体重増となるため、今回の指導は初心にもどって、この一言に体重と徒歩数を記すことからはじめ、自然に身体を動かす機会をつくるようにしたいと思います。

 次の指導日は7月末で、10月の健康診断に向けて健康な身体を維持したいと考えています。

           本日の体重 72、3キロ 徒歩数 4669歩 間食あり
                                     5月1日の一言

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