雨が止んだ自宅前 午後7時01分
本日は昨日に引き続いて朝から終日雨の一日となり、時々前が見えないほど激しい雨に見舞われましたが、私は名古屋市まで2往復走り、家内も4人を運ぶボランティアの一日となりました。
キヤノン、フィルムカメラ販売終了 80年の歴史に幕
富士「黒白フィルム」販売終了へ 80年超の歴史に幕
私が始めてカメラを手にしたのは小学校6年の時で、正月のお年玉で買ったオモチャのカメラで、「ライトパン」の巻紙白黒フイルムを買って、フイルムの箱に記してあったガイドナンバーを頼りに写真を撮っていました。昭和40年頃の話です。
このカメラはオモチャとは言え、3000円近くしており、両親に内緒で購入して内緒で撮影していましたが、母親に見つかり厳しく怒られたものの、父親からは怒られることもなく中学3年になってミノルタのハイマチック9を買ってもらうまで使用していました。
当時、教員をしていた叔父が本格的にカメラのDPEを行っており、父親も私の子供の頃からオリンパス6で写真を撮っていたため、自然にカメラを手にしていましたが、親に隠れて内緒でカメラを購入した時に父親が怒らなかったのは、戦争で戦死した父親の兄が、昭和初期に当時では珍しいカメラを持ち、電球1個しか無い貧乏な農家でありながら、「英雄写真館」と称して趣味で暗室作業まで行っていたためで、伯父と性格が似ていると言われていた私がカメラを手にしたことに血縁を感じていたようでした。
さて、私は伯父から本格的な暗室作業用の写真機材をもらい、高級品ではないものの二眼レフや中古で手にしたカメラで写真を撮っていましたが、オートマチックの先駆けとなったキャノンAE-1プログラムを購入して以来、キャノンのイオスまでフイルムカメラはキャノンのカメラを使用してきました。
デジタルカメラ時代になってからカメラを購入することはありませんでしたが、今でも全てのカメラを残しており、使用することはないものの、暗室作業用の機器が全て残したままにしてあります。
そんな時間が止まったままの環境下にあって、キャノンがフイルムカメラの生産を打ち切り、富士フイルムが白黒フイルムの生産を止めたことは寂しい限りで、そのうちにカメラの電池が無くなれば、私のカメラも完全にお蔵入りになっていきますね。
本日の体重 72、4キロ
5月31日の一言