大鹿一八「本日の一言」

平成16年2月から令和1年7月末までの「本日の一言」です。ヤフーブログ閉鎖により、ライブドアへ過去の記録として引っ越しました。

2018年06月

上高地 時間が止まったような感覚に


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私が上高地で一番好きな場所

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西欧の女性が好むテーブル

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午後の昼寝に最高のベンチ

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本日の河童橋

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上高地に同化した仙人 別名ホームレス画伯、失礼、渡辺さんです

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足元から離れないキジバト

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ゼンテイカ

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カラマツソウ

 昨晩の愛知県は各地で大雨洪水警報が出され、私の目的地とする上高地に旅立つ前に激しい雨に見舞われ、家族だけでなく知人まで、「こんな日でも行くのか」と電話をくれるような激しい雷雨の中を出発しました。

 幸いにして長野県に入った頃には雨があがり、雲間に月がでるような天候に恵まれましたが、上高地も2日前には激しい雨に見舞われ、昨日も終日雨の一日であったとの話に、運の良さに感謝するとともに、昨日ボランティアに参加していた人々には聞こえないものの、ご苦労様と言わないとすまない心境になりました。

 本日は明神方面の外来種除去が目的で、2週間ほど前に我が家の近くで撮影してここに添付した「ヒメジョオン」と、「エゾノギシギシ」を除去しましたが、環境省職員とボランティア2名で9、1キロの成果がありました。


 ただし、これも広い上高地の氷山の一角で、すべてを取り除くには限界があり、何とか増えないようにするだけで精一杯となります。

 明日は、田代湿原周辺が活動場所となり、最近の豪雨で散策路にあふれた土砂やゴミの除去と整備が予定されています。明日も天気に恵まれれば幸いです。

                                      6月30日の一言

一ヶ月ぶりとなる上高地へ


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本日の夕方 直後に激しい雨が落ちてきました。

 本日は明日と明後日に上高地のボランティアがあるため、月初めに提出する議会だよりの原稿を仕上げて提出し、知人と約束してあった案件を処理し、早朝の移送ボランティアと上高地行きの準備をしていると一日が終ってしまいました。

 長野県の情報ではありませんが、岐阜県の中濃や高山方面は集中豪雨で川が氾濫し、道路も通行止めになっている場所が多く、長野県の木曽路から上高地へ向うものの、天候不順によって万が一の迂回や、上高地から出られなくなる可能性も考えると、家族には心配をかける出発となります。

 明日は外来植物の除去が仕事となり、明後日は公園内の施設維持活動の予定ですが、音を立てて降りしきる豪雨の中の旅立ちとなります。
                                      6月29日の一言

子供の見守り隊に初出動し


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小学生の帰りを待ちます

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子供に慣れていないので孫と一緒に

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本日法定3ヶ月点検へ トヨペット稲沢店

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2日前エアーバックリコールでニッサン津島店へ

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開花したアサガオ

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名前不明

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名前不明

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アストロメニア
「はい、小学生が来ますよ」
   「来るけど何かな?」
「見守り隊はいつからやるのかな」
   「うーん、恥ずかしい…」
「立たなきゃ、いつになっても立てないよ」
   「うーん、じゃー、こいつと一緒に…」

 自分の子供たちの世話もしたことがなく、他所の子供たちに何を話しかけてよいかも判らず、独りで道路に出る度胸もないため、昨年12月に生まれた孫を抱っこして、小学校から帰ってくる子供たちを事務所前で待ち構えました。

「オジサンも見守り隊だからね」
    「こんにちわ」
「気をつけて帰ってよ」
    「バイ、バイ」

 孫のおかげで通学路に立てましたが、肩からかけた見守り隊のタスキが、選挙に立候補した候補所のように思えて、タスキを手渡されたものの1ケ月ほど放置したままになっていました。

 本日は6月議会の最終日となりましたが、明後日から上高地のボランティアに参加するため、本日の夕方と明日は仕事の残務処理と移送ボランティアに励んでからの出発となります。

                                    6月28日の一言

四国別格二十霊場のご朱印


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平成19年10月16日が初めての朱印
                            4回分の重ね印

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平成22年9月10日からの朱印
                          先達になってからの朱印 5回の重ね印

 四国八十八ヶ所は平成13年から巡拝するようになりましたが、別格ニ十霊場は平成17年秋の逆打ちで108ヶ寺を廻ったものの、当初は納経帖を持たず、参拝だけで朱印は授かってはいませんでした。

◎ 四国八十八ヶ所と別格20霊場5-① (5巡り目) 19年10月16日(前夜発) 先達前
 1日目・1番から12番まで、宿泊・名西旅館
 2日目・13番から23番まで、宿泊・ホワイトビーチ
 3日目・24番から30番まで、別格4番まで  参加者8名、2泊3日
◎ 四国別格20霊場の旅 22年9月10日(前夜発) 先達後
 1日目20番から、1番から4番
 2日目5番から12番
 3日目13番から19番     参加者2名 2泊3日

 当初は八十八ヶ所のついで程度に別格霊場を考えていましたが、空海との関わりや歴史から別格霊場のお寺にも足を運ぶようになり、平成21年に霊場寺院の関係者から「あんたなら推薦するよ」と言われて先達になりました。

 一方で、平成20年夏に「子供が産めない」と病院医師に宣告された娘に、「四国で願をかけてくるから」と励まし、娘と婿の代参として四国八十八ヶ所を廻り、別格15番箸蔵寺では「健康な孫を授かるように」と護摩祈願を依頼しました。

 不思議なことに、偶然としてはできすぎたように娘は妊娠し、医師から「早期の子宮摘出」まで言われていたのに、翌年7月に健康な孫が誕生し、箸蔵寺に御礼に訪れ、この奇縁から孫は箸蔵寺のご住職の推薦によって別格ニ十霊場会の「子供先達」にもなりました。こんなご縁も年月の経過によって、年数も判らなくなってきました。

 西国巡礼は参拝日の日付が記されていますが、四国八十八ヶ所や別格ニ十霊場は重ね印だけのため、過去の巡礼の振り返りをしないと、一緒に同行した人々の安否確認どころか、名前すら判らなくなってきました。

 今年秋から再開する四国遍路を前にして、過去の巡拝の整理をするとともに、更なる寺院や歴史も調べなおしてみたいと思います。


                   本日の体重 73、4キロ 徒歩数 2581歩 間食あり

                                    6月27日の一言


四国遍路第1番霊山寺のご朱印


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四国八十八ヶ所霊場第1番霊山寺の朱印
                     平成19年公認先達になってから
                            平成20年9月25日から7回の重ね印

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四国遍路初体験の朱印
                       平成13年10月10日

◎  四国八十八ヶ所巡り1-① 13年10月10日(前夜発) 
 1番寺から35番まで マイクロバス 2泊3日
    宿・1日目 民宿明日香   2日目 ドライブインミツウラ 参加者18名

四国巡礼6-① (6巡り目)  20年9月25日(前夜発)
 1日目・1番から13番まで、宿泊・名西旅館
 2日目・14番から21番まで、宿・うみがめ荘
 3日目・22番から29番まで       参加者7名、2泊3日 、別格1番から4番

 添付した納経帖は、四国八十八ヶ所霊場第1番霊山寺の朱印ですが、上の納経帖は平成19年に公認先達になってからの7回分の重ね印で、下の納経帖は初めて四国遍路に廻った平成13年10月10日の朱印です。

 初めて四国を訪れた時は18名で、マイクロバスで巡拝しており、当時はカーナビも無かったため、地図を頼りに間違えて何度も引き返し、乗用車しか通れない道路に立ち往生したことが懐かしく思い出されます。

 この18名の中で、8人が他界されており、年月の経過を実感させられるとともに、私自身がいまだに四国遍路を続けていることと、公認先達になって高野山へも出向いている現実を当時は全く考えていませんでした。

 お遍路と言っても、般若心経も読めず、まるでスタンプラリーのように走り、観光バスの団体と納経所へ競争で走っていたことを考えると、一緒に同行していた人々に申し訳ない気持で一杯となります。

 四国遍路の朱印帳について、「死んだら棺桶に」と希望する人も多く、私の家族も「死んだら全部入れてやる」と言いますが、本人が希望している場合は別としても、私は燃やして欲しいとは思っておらず、我家の仏壇の中に保存して、孫以降の子孫に伝えて、この場所で我家を連綿と繋げて欲しいと考えています。

 観光客で賑わう寺院を訪れると、賽銭箱へ神社のように威勢よく賽銭を投げる人や、参拝後に縁起の悪いと言われる鐘を撞く人などを見かけ、真っ先に納経所で朱印をもらい、参拝しないままお寺を立ち去る人も朱印ブームの中では日常的に見かけますが、空海の教えた生きたまま仏を目指す「即身成仏」を目標にして参拝した証となる納経帖だけに、これからも蓄積して我家の家宝となるようにしたいと思います。

                                   6月26日の一言


西国1番青岸渡寺のご朱印


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西国1番那智山青岸渡寺の重ね印
1回目 平成14年10月2日
2回目 平成24年9月18日
3回目 平成29年11月2日

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平成29年11月2日の朱印

◎ 1回目 西国三十三ヶ所めぐり 14年10月2日(前夜発) 
 1番寺から11番寺まで マイクロバス 2泊3日 
       宿泊・1日目、和歌山・国民宿舎湯浅城・2日目、長谷寺・大和屋、参加者18名

◎ 2回目 24年9月28日
 1日目 1番青岸渡寺   宿・紀泉閣 白浜3段壁 
 2日目 
2番から5番まで   
和歌山電鉄タマ駅長    参加者8名 1泊2日


西国三十三観音巡拝 2012/9/28

◎ 3回目 29年10月31日
 1日目 84番~88番 与田寺  宿 東横イン徳島
 2日目 高野山金剛峯寺 奥の院 宿 白浜御苑
 3日目 熊野三山 青岸渡寺          参加者9名 
2泊3日 宿


和歌山県 熊野三山と那智青岸渡寺へ 昨日の話です 2017/11/3

 3回目となる西国巡礼は、昨年5月17日に第8番長谷寺からスタートし、昨日第19番革堂行願寺で結願しましたが、初めて西国を廻った時はマイクロバスを使用して18人の仲間と巡拝し、2回目は8人で巡拝して、このまま坂東と秩父の結願を果たしています。



 今にして思うと、スタンプラリーの団体旅行が、2回目はグループ旅行になり、3回目は家内と2人で個人的な祈願を目的とした巡拝ですが、行く先々で起こるハプニングを読み直すと、年齢だけでなく信心の度合いによって内容が変わっています。

 「西国の輪袈裟もお持ちですね」の一言は、複数の納経所で言われた一言ですが、私が西国霊場の先達用納経帖を出すため、先達に渡すことになっている御詠歌護符を渡すため先達かどうか確認するために輪袈裟をつけて欲しいことから発せられる言葉です。

 ここにも私の身勝手なコダワリがあり、私は四国遍路の同行二人の延長で、弘法大師の足跡を求めて、大師に見守られて西国三十三所霊場を巡拝しており、西国の先達としてではなく、一人のお遍路として四国の白衣と輪袈裟で廻っています。

 ただし、こんなコダワリで相手に迷惑をかけるつもりはないので、満願となった昨日は途中から西国の輪袈裟に取替えましたが、心は四国のお遍路のままです。
 そして、ただ単に回数を重ねるだけでは能もなく、過去の一言を読み直して、自分自身の変化についても検証して、次の巡礼を考えたいと思っています。

                                     6月25日の一言

西国三十三観音巡礼が本日満願に


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先達納経帖(左)とこれまでの納経帖

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本日最初に訪れた西国13番石山寺

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私の大好きな15番新那智山観音寺
                                  弘法大師空海が開基したお寺です

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弘法大師ゆかりの五智水

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外国人観光客でにぎわう清水寺

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清水道も人・人・人

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本日満願となった19番革堂行願寺

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革堂行願寺のハス

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満願となった革堂行願寺の朱印

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こちらは三度目の重ね印

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道の駅南山城村

「この朱印は16年前になるのか」
    「平成14年と24年に廻りました」
「これ書いた人、今は居ないよ」
    「そうですか、次に来るまでは頑張ってくださいね」
「2、3年は頑張れると思うけど (笑) 
         「お元気なうちに来ますよ」

 西国18番六角堂頂法寺の納経所での会話ですが、平成13年に初めて四国遍路を巡拝し、翌年の14年に西国巡礼を廻り、翌年に坂東と秩父を巡拝しましたが、自分の筆で記した朱印や、先代住職の朱印を懐かしむ会話で花が咲く機会が増えました。

 昨年秋から巡拝していた3回目の西国巡礼が、本日8ヶ寺目の19番革堂行願寺で満願となりました。本日は滋賀県大津市の第13番石山寺から、京都市内6ヶ寺を巡拝して家内とともに満願となりました。

          本日の体重 73、4キロ 徒歩数 12032歩 間食あり
                                     6月24日の一言

上高地の油絵を飾り直して


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上高地のホームレス画伯こと、渡辺さんの作品です

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三男の接骨院内

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海部元総理の書と一緒に飾ってあります

 2年前に三男の接骨院の開業記念としていただいた上高地の渡辺画伯の油絵ですが、最近発生した地震の教訓から、万が一落下して患者さんに被害をもたらしてはいけないため、本日補強して飾りつけました。


 私が昭和49年に初めて上高地を訪れ、翌年に結婚する前に家内と滞在したことから、機会があれば上高地を訪れており、議員になった平成11年からは家族も伴って長期滞在するようになっているため、我家にカレンダーや暖簾をはじめとした上高地の風景は当り前になります。

 三男については、小学生の時から上高地を訪れ、明神や焼岳に登っているため、自分の接骨院の壁に上高地の油絵を飾ることに違和感はありませんが、渡辺さんの大きいだけでなく、額も含めると重量があることから壁の補強をして飾りつけました。

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我家の畑を彩る花々

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 さて、上高地には月末と月初めにボランティアで訪れる予定ですが、7月下旬にマイクロバスが確保してあり、目的地が未定となっているため、その目的地を決めるにあたっても、私の個人的趣向が影響して、乗鞍岳でご来光を見てから上高地に入るとか、雨天の場合は高野山の阿字観を体験するコースを考えてしまいます。

 元々が低価格で旅行を楽しむことが目標ですから、こだわると金額も高額となってしまい、行きたい場所から連れて行きたい場所になってしまう反省も必要となり、本日はバスを仲介してくれる知人と数日後に再検討することになりました。

                                     6月23日の一言

四国の椿を植木バチから庭に植え替えて


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本日植え替えた椿

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こんな感じです

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正面 左上の白い植木鉢から移しました

イメージ 9 本日は我家の植木鉢にあった椿を、庭の真ん中に移し変えましたが、5年前に四国別格ニ十霊場の椿堂さんから頂いた空海ゆかりの椿で、本日まで植木鉢に植えてありました。

 昨日訪れた町内のお寺に植えられた椿(左の写真)を見て、一緒に貰ってきた椿でありながら、庭と植木鉢の違いで成長に大きな差があることと、今年の冬に庭の真ん中に植えてあったサツキが枯れてスペースが空いたことから植木鉢から植え替えました。

       https://blogs.yahoo.co.jp/s281218/47663492.html



 もっとも、椿堂さんから椿を貰ったのは2回目で、最初は11年前にご住職からご接待と言われて頂いたものの、3年後に枯らしてしまったことから、再度お願いしていただいた椿で、一緒に頂いてきた1本を町内の弘盛寺にも植えていただきました。

 これで、私の寿命が尽きても子孫が続く限りここで成長してくれるものと思います。

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本日は歯医者さんを訪れました

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支払いは自動支払機になっていました

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太陽に背を向けて咲く畑のヒマワリ

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畑のトマト

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まもなく収穫となるトウモロコシ

 数日前から冷たいものを口にすると歯が痛み、偶然にも定期的に予約がしてあったため本日訪れると、歯周病によって歯肉が下がってはいるものの虫歯ではなく、神経を刺激しているためしばらく様子を見ることになりました。

 夜になり、歯科医院で貰ってきた薬用歯磨き「シュミテクト」で丹念に歯を磨いていると、「ガリッ」と音がして奥歯につめてあった金属が取れてしまい、明日にも早速連絡して治療が必要となりましたが、歯全体に経たっているものと思われます。

 本日の夜は、娘と孫が訪れたため、我家の孫も一緒に家族で外食とする約束をして外出しましたが、遅れてやってきた三男と孫たちは隣の席が確保できず、他の店に行ってしまいました。
 何故に三男たちの仕事が終るのを待ってから外出できなかったのか、席を確保できるまで待てなかったのかと、家内や娘たちの無神経な行動が私には理解できないとともに、食事に対する感覚のズレを実感する一日となりました。

          本日の体重 73、2キロ 徒歩数 2440歩 間食あり
                                   6月22日の一言

2ヶ月ぶりとなる阿息観へ


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平成5年に他界した父親が残したギボウシ

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家内が買ってきた斑入りのギボウシ

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我家のウメの実

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お寺の阿息観へ

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四国別格椿堂からいただいた椿

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私の近くにくる小鳥
                   コチドリと思われます

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 本日は2ヵ月ぶりとなる阿息観に参加するため、町内のお寺に出向きましたが、数年前には1人か2人しか居なかった参加者が10名を超える参加者になっており、昨日記した「空海」や真言密教の人気がそのままお寺の盛況になっています。

弘盛寺・阿息観 http://www.kouseiji.jp/aso.html
 
 私自身は高野山で阿字観を初体験した後に、町内のお寺で毎月21日に阿息観が開かれていることを知り、平成23年7月から参加するようになりましたが、参加した当初は座っていることが苦痛で、わずか1時間程度の時間が長く感じられました。


 最近では、目を閉じて自分の座っている場所を、上高地の小梨平とか高野山奥之院の御廟前と想定し、穂高連峰の神々しい空気や、御廟前の霊気を感ずるように座っていることがあり、一瞬でも勘違いしそうな雰囲気になってきました。

 阿字観や阿息観の本質はどうあるかは判りませんが、瞑想法で宇宙とか太陽や月をイメージするのであれば、私のような離れた場所に座っていると瞑想するのもありで、雑音や人の気配の中で場所の瞬間移動ができれば、千二百年前の空海の足元にも移動できる可能性も感じてしまいます。


阿字観と阿息観の違いは

            本日の体重 73、8キロ 徒歩数 3792歩 間食あり
                                      6月21日の一言

雨の中をボランティアとボーリングへ


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本日も第一赤十字病院へ  名古屋市中村区
                                午後には家内も患者さんを送迎しました

夕方は稲沢グランドボールへ
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金、土、日・祭日は深夜3時まで営業

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全日本シニア選手権大会のポスター

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マイボールと靴とバッグで1万円
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                                 ホラ貝フキおじさんの提供です→

            稲沢公園のバラ

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河本純子さんのサイレントラブ

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内藤完次さんのマルシェルブ

 数年前に高野山を歩いていると外国人から声をかけられ、カメラのシャッターを切って欲しいと思って応対していると、私の菅笠と白衣を着て金剛杖をつく遍路姿を写真に収めたい意向で、私の写真が複数の外国人のカメラに写されました。

「クーカイの教え」に魅せられて 高野山へ外国人の波

 高野山に限らず、上高地を物見遊山で訪れるアジア系の観光客や、日本人の団体客と違って、西欧人は訪れた観光地で何かを学びたいという姿勢が強く、自分本位に大声を出して歩く中国や韓国の観光客とは違い、日本の精神に同化しようとしているとさえ感じさせられます。

 我家は浄土宗の檀家ですが、「南無阿弥陀仏と唱えるだけで極楽浄土に行ける」などという、非科学的な教えはわざわざお付き合いしたいとは思えず、空海の実践した修業や、空海の示した三密行や十善戒など、人が生きている間に仏に近づく努力(精進)によって即身成仏を目指す真言密教の魅力と、阿字観など生きている我々の精神状態や健康に繋がる教えは、今から1200年前に示されたとは思えないばかりか、日本を訪れる西欧人にも関心を集めているようです。

 私が四国遍路や高野山と、長野県の上高地を同じ道筋のように語ると、全く馬鹿げた話と聞き流す人と、「どうして」と理由を尋ねる人に分かれますが、空海の残した真言密教は、太陽や自然の法則とも言うべき大日如来をご本尊としています。

 四国遍路を歩いた人の体験として、徳島県を歩いている間は、足に豆ができて臭い体臭が汗となってしたたっていたものが、高知県を歩くうちに、足は軽やかになり体から流れる汗が無臭となり、愛媛県に入って身体中の体液が生まれた時とおなじマッサラになり、最後の香川県で新たに生きていく体力や精神力が備わるという話をよく耳にします。

 数年前に韓国人の先達の誕生によって、四国各地に韓国のハングル文字の道案内が張り出され、地元の人々とトラブルになったことがありましたが、西欧人は日本人の文化や言語を学んで、日本に同化して四国を巡礼していきます。

 上高地でも、韓国や中国系の団体客が訪れた後にはタバコの吸殻やゴミが捨てられていますが、西欧人の観光客のマナーは日本人より高く、こんなところが高野山や空海の残した真言密教に通ずるものがありそうで、私自身の目指すものと共通する魅力を再発見する新聞発信ともなりました。

            本日の体重 74、1キロ 徒歩数 不明 間食あり
                                     6月20日の一言

神守 吉祥寺の写経会の案内


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憶感山吉祥寺  津島市神守町字上町35
吉祥寺の縁起
当寺は、憶感山と号す、新義真言宗智山派にして蜂須賀蓮華寺の末寺な、恵心作正観世音菩薩の木座像を本尊とする。
 式内憶感神社の別当職にて、社号を山号に呼び来れり、元は当寺及び神社は大木南東の地に在りしを、正保5年佐屋街道を開き神守宿を設けられる時、北神守の郷家と共に此処に移れり。其旧地は、現在の処より北方二町許字寺屋敷と称する所なり。此時の主僧良桂を中興開山とす。


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全景

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本堂

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護摩堂

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弘法大師像

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憶感神社と一体になっています

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憶感神社

 お寺の檀家離れが叫ばれる中で、私の住む町内の真言宗の弘盛寺は、毎月1日と21日に誰もが参加できる行事を開催していますが、偶然通りかかった隣町の真言宗のお寺でも毎月16日に写経会が開かれていました。

 お寺の台所事情までは判りませんが、津島市の真言宗のお寺の頑張りは評価すべきものがあり、アートなご朱印として全国に発信されている観音寺も津島霊場会のお寺として、これまでとは違う多くのファンを集めています。

  愛知県津島市天王通り六丁目43番地の1
 当山は山号を牛玉山、寺号を観音寺と称し、本山を京都東山七条の智積院に持つ。永正12年(西暦1515年)快祝法師が中興し、見越村(現在の愛西市佐織町)にあり、戦国武将織田信長の父信秀の頃より白山信仰の先達として寵愛を受け、豊臣秀吉・徳川家康の信頼も厚く、白山社(天王通5)と共に現在の地に移り、津島神社の社僧に加わり、牛玉山神宮寺と呼ばれた。御本尊は不動明王、坐像(応永6年良辨作)で毎月28日の縁日には護摩を焚き現世利益を祈願している。参道には四国八十八ヶ所霊場が祀られている。

 今年12月に年金が受給できる年齢となり、議員引退後に自由な行動ができるようになったら、津島市や近隣の真言宗のお寺の行事に合わせて参加することも、日常生活の中に弘法大師を感ずる機会となりそうです。

           本日の体重 74、2キロ 徒歩数 4923歩 間食あり

                                     6月19日の一言


追伸
体重が危機的状況です。10日前に訪れた高野山以来、間食と大食漢が節制できません。

爺の日?  父の日のプレゼントに


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父の日のプレゼント 差出人は生後6ヵ月の孫でした

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私の行きつけのお店のチケットです


 昨日の夕方に家内より手渡された小袋を見ると、私の行きつけとしている珈琲店のチケットが入っており、差出人は昨年12月に生まれた孫の名前ですが、どうやら三男の嫁さんが孫にペンを握らせて記されたと思われます。

 これを見ても何の意味かも判らず、「これは何だ?」と呟くと家内から「父の日」のプレゼントだと聞かされたものの、昨日が父の日だとの認識もなく、これまで息子たちにももらったことがないため孫が愛おしくなってきました。

 親のスネをかじる息子に何かを買って貰っても嬉しくもありませんから、三世代、四世代が家庭を築いていくためには、「敬老の日」ではなく、「父の日」や「母の日」と同じように「爺さん」や「婆さん」の日があっても家庭円満のためには有効ではないかと思います。

大阪北部地震、死者4人に 高槻市が新たに1人死亡発表

 さて、自宅を出ようと準備していると、大きな揺れを感じ、老朽化した自宅が倒壊しはしないかと思われるような地震でしたが、逃げ出す余裕もないままに収まるのを待ち、そのまま自宅を出たため、大阪で大きな被害が出ている実感もないままに夜を迎えました。

 阪神淡路大震災の規模とは比較ができないものの、直下型地震の被害は大きく、4人の犠牲者がでるだけでなく、多くのけが人や建物の被害も発信されています。

 何よりも悲しい事は、小学校の挨拶運動のため他の生徒より早く登校していた生徒が学校のブロック塀の下で犠牲になり、子供たちの安全な登校を見守るため自宅を出た高齢者も犠牲になっていることで、人のために頑張っていた人の訃報はつらいものがあります。

 一方で、他の2人の被害者も80歳をこえた高齢者で、ともに家財道具の下敷きになっており、自然災害においても被害者は高齢者や子供などになり、家族が同居しておれば救われる高齢者もあるのではないかと考えると、核家族化を見直して三世代の生活や、家や家庭を中心とした社会構造に代えていく努力も必要に思います。

                                     6月18日の一言

水田の除草剤散布に同行して


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我家の水田と畦道を除草中の家内

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綺麗な雑草です 名前不明

家内の話では、
                     この花は背丈が高くなり、放置すると大変な存在のようです。

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ヒメジョオンらしい雑草



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昨年上高地で採取したヒメジョオン

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 家内の除草剤散布に同行して、いずれは枯れてしまう雑草ですが、可憐な花のため携帯電話の写真に収めて帰宅して、山野草の百科事典を見ると「ヒメジョオン」でした。

 しかし、昨年9月に参加した上高地の外来植物除去で見た「ヒメジョオン」とは葉の形が違うため、昨年の一言に記した花の名前が違うか、ここに記した本日の花が違うのか確信を持てなかったものの、左に添付した低木の花の葉を見ると丸っこいため、上高地は大きくなる前の状態で除去していると思われ、発芽直後と花の開花時期とは同じ花でも外見が大きく違うことを実感させられました。


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超満員の駐車場

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矢合観音への参道

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本日の小玉食堂


 昨日家族と出かけた稲沢市の矢合観音入り口の小玉食堂で、今月24日をもってこの店を閉鎖し、道路の反対側にある喫茶店と土産物売り場を食堂として移転すると聞いたことから、本日知人にそのことを話すと、「今から行こう」と連日の小玉食堂行きとなりました。

 小玉食堂は創業して100年が経過しており、この店も大正時代から続いていると考えると、このままの状態で残して欲しいものの、お店の家庭環境や経営上の問題も考えると無理も言えず寂しいものがあります。

 この店には、平成5年に他界した私の父親も、名鉄産業の重役とともに立ち寄っていた時期があり、子供の頃から訪れていたことを考えると、私自身が今年に年金受給者になることの実感と、我家も他人事ではないことを感じさせられます。

 私の住む津島市には大きな津島神社がありますが、津島神社によって生計を立てている人が存在しない中で、お寺でもない個人のお宅の矢合観音に、津島神社より多くの人々が日頃から参拝し、その参道で食堂や園芸店が軒を連ねていることに観音様の有難さを実感させられる反面で、最近は参拝者が減少している現実は改善も必要です。

 ただし、このお店は壊されることなく、今後はライブ会場やイベントに利用する予定との話ですから、新たな展開に期待したいと思います。

            本日の体重 73、4キロ 徒歩数 5894歩 間食あり
                                       6月17日の一言

尾張津島天王祭のポスター


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息子の接骨院に張られたポスター


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息子の接骨院 おもてなしステーションの幟旗

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相棒と久しぶりにドライブへ

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こちらは稲沢市の国府宮神社の土俵入り

 津島神社の祭礼として600年近くの伝統を誇る「尾張津島天王祭」は日本三大川まつりのひとつに数えられ、7月の第4土曜日とその翌日に開催されますが、息子の接骨院内に大きなポスターが貼られていました。

 昨年から息子の接骨院は、津島おもてなしステーションとして登録され、店先の県道沿いには幟旗が出してあり、営業中には道案内とトイレの提供もすることになっており、店内にはパンフレットも置かれています。

 さて、久しぶりに相棒と家族とともに外出したところ、外出先の食堂に大相撲の横綱土俵入りのポスターがあり、大型ショッピングセンターや、トヨタ系の大型工場を持つ稲沢市の勢いを実感させられました。

                                       6月16日の一言

一年前の風景を対比させて…


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今年最後のアンズです

 本日は厚生病院委員会が開催されましたが、夜まで委員会が続くと覚悟していたものの午前中に終り、福祉有償運送のボランティアに走っている家内に確認すると、何とかスムーズに廻っているとの話でしたが…

 「お父さん、予定より遅れるので名古屋まで走って…」と、家内から突然の電話ですが、家内は名古屋の中村日赤に患者さんを送り、治療を終えて待っている先に送ってあった患者さんを津島市まで送ってくる予定で、まさか同じ病院に2台で走るとは思っていませんでした。そして、病院玄関に我家の2台が並びました。

 遅れの原因は、患者さんが買い物を依頼していたヘルパーが、時間になっても戻ってこなかったことで、自宅から5分の距離にあるスーパーの買い物が1時間30分を超えることは異常で、「車が混んでいたから」との理由は明らかにおかしいものの、人の介助を必要とする患者さんの立場の弱さを実感させられます。

 この患者さんの場合には、過去にヘルパーから自分の買い物をした料金まで請求されていたことがあり、抗議したところ次のヘルパーのなりてがおらず、歩行困難な状態の患者さんを家内がスーパーまで同行していた時期もありますが、事実としたらヘルパーの名前を公開してでも改善を求めないと、行政の信頼まで失っていきます。




       https://blogs.yahoo.co.jp/s281218/49826166.html


 今年最後に落ちてきたアンズを眺めていると、一年が終ってしまった寂しさを感じて、一年前の一言を読み直すと、アンズに関しては10日ほど熟すのが早いものの、私自身の行動は、議員生活だけでなく上高地や高野山などまったく同じような行動をしているのを実感させられます。

 ただし、今年は西国巡礼に廻っており、個人的にはボランティアなど苦境に立たされていることから、年齢に流されることなく打開していくことが必要です。

              本日の体重 72、8キロ 徒歩数 1914歩 間食なし
                                      6月15日の一言

議会の休会日に


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老人保健施設 六寿苑

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津島リハビリテーション病院

 本日は昨日まで開催されていた議会一般質問と、明日から開かれる委員会の合い間の休会日となりましたが、ボランティアこそ家内が走ってくれたものの、8月に参加する東日本大震災の被災地訪問や、福祉有償運送を利用したい依頼に応対していると夕方になっていました。

 添付した建物は、津島市新開町にある津島リハビリテーション病院で、我家の県道沿いにある水田に広告看板が立っており、今年の土地提供代金をいただきに訪れました。かつて事務長をしておられた病院長の親族となる知人の近況を聞いたところ判らず、ここにも世代交代を実感させられました。

医療法人 六寿苑 http://www.rokujyukai.com/group.php

津島リハビリテーション病院|医療法人 六寿会

 名古屋から全国展開しているコメダ珈琲が、新規に開業する店舗は全面禁煙になるとの発信があり、レンタカーのタイムズも全車禁煙にして、喫煙した利用者からは損害賠償を請求するとの記事も発信されていました。

コメダ珈琲、新規店舗は原則全面禁煙 「吸う人減った」

タイムズレンタカー、全車禁煙に 喫煙には損害金請求

 明日も家内は2人を津島市内の病院に送迎し、2人は名古屋市の中村日赤まで送迎することになりますが、自宅まで迎えに行く時間は予め調整できるものの、4人の診察が終る時間が判らないため、重複すると待たせることになり、津島市と名古屋市を往復していると車の運転席で一日が過ぎていきます。

                                 6月14日の一言

市議会一般質問が終わって


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知人が送ってくれた花の写真
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名古屋庄内緑地公園のサルビアと百日草

 本日は3日間にわたって開催されていた市議会一般質問が終りました。

 議員である私にとって議会は何よりも優先すべき仕事となりますが、主宰している福祉有償運送を利用される患者さんにとっては、病院の診察や治療が終っても、思うように車が配車できずに待たされる可能性がでてきます。

 今年に入って「70歳」の高齢を理由にしてボランティアが辞められ、さらに最近になって腰痛で思うように活動できないボランティアが存在するため、家内はボランティアの域をこえて活動しており、私が不在となると診察終了時間が重なった場合に患者さんに待ってもらうしかなくなります。

「有償だけど、誰かボランティアは居ないだろうか?」
      「それで、時給いくら位になるの?」
「市民病院まで行って600円位にはなるかな」
      「そこにガソリン代かな」
「ガソリン代も込みの料金なんだけど…」
      「そりゃー、安すぎるわ」
「だから、ボランティアだから…」

 本日の会話ですが、有償ではあるものの、束縛される時間と事故等の責任まで考えるとボランティアを探すのは大変で、利用したい人々の希望を考えると、ボランティアの増員は急務で、需要に応えられないため口コミで活動してきましたが、幅広い発信によってボランティアの確保と同時に、自宅から移動困難となっている人にも応えていく必要があります。

                                     6月13日の一言

議会一般質問が続いて


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日光町のパチンコ店建物

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本日の日光川

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成長を続けるプランターのスイカ

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落下が続くアンズ

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道端に咲くゆり

 本日は市議会の一般質問が続き、夕方に帰宅したところ大量のアンズが裏庭に落ちており、一週間前に開花してパチンコ玉程度の実を付けていたスイカが10センチほどの大きさに成長していました。
 一週間前に6月議会が開会し、週末は高野山に出かけていたため、庭の花すら見る機会がなく、ほとんど落下してしまったアンズの木は寂しいものの、これから熟していくブルーベリーなど庭の世代交代が進んでいました。

 さて、明日も議会が続き、金曜日からは委員会が開催されます。

                                     6月12日の一言


ちょっとした発想の工夫で


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障害者と身障者の違いに 害を使うのと使わない違いに

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慈尊院 九度山町

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弘法大師像とゴンの碑

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17回忌の塔婆がありました

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乳がんの治癒を願う女性たちの絵馬

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大師堂

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仲間が支えあっての参拝です

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こんな場所まで車イスで

 本日から3日間は議会の一般質問が開催され、私自身は市役所の本会議場に座る日々となりますが、一般市民の中には病気に苦しみ、病院に足を運ぶことが最重要となり、本日も家内は津島市内からあま市と名古屋市を往復していました。

 さて、添付した写真は、昨日訪れた和歌山県のものですが、道の駅に表示された「身障者」の言葉に、未だに「障害者」として「害」を使用している駐車場がある中で、誰にも差し障りのない表現にうならせられました。

 もっとも、駐車場の身障者スペースに車を停める場合に、身体障害者手帳の提示を求める係員もあり、車イスを載せていても停められない場合もありますが、善意のスペースを悪用する存在が、本当に必要な人まで利用できなくしてしまいます。

 慈尊院は女人禁制の高野山に入れない弘法大師のお母さんが住んでおられたお寺ですが、最近は乳がんの治癒を願う女性の絵馬が多く残されており、1200年以上経過したにもかかわらず女性の信仰が続き、女性の拠り所になっていることを実感させられます。

 そして、この慈尊院から約20キロ程度ある高野山まで、歩いて参拝する人たちを案内していた犬のゴンは絵本にもなりましたが、最近になって17回忌の法要が行われた塔婆が立てかけられており、ゴンの供養だけでなく、ペット全般の冥福を祈る人々が参拝するようになりました。
 もう、17回忌にもなっていたんですね。

 人々が集う場所には共通するものがあります。

                                     6月11日の一言

高野山の魅力と優しさを実感する一日に


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今から1200年前の弘法大師の話に聞き入る志賀弘法会メンバーと僧侶

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金剛峯寺 三宝荒神社

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波切不動尊 本堂

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波切不動尊本堂天井の龍

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大師の衣を洗う 宝亀院

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開創1200年に完成した中門

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根本太塔、金堂から金剛峯寺へ

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金剛峯寺山門に向います

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奥の院から切り出された杉 金剛峯寺

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蟠龍庭

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新別殿での法話

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女人堂に参拝しました

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女人堂から見る高野山への道

 本日は宿泊した総持院から、金剛峯寺の隣にある三宝荒神社に参拝し、波切不動尊、宝亀院、壇上伽藍、金剛峯寺と足を進めました。

 さて、本日は高野山・龍神温泉ウルトラマラソンが開催されているため、金剛峯寺前の駐車場が大会関係者によって使用禁止になっており、車イス使用者が存在することを告げても使用できず、残念な気持はあったものの、金剛峯寺の関係者から駐車場が使用できない場合は、お寺の関係者用駐車場の使用を案内されていたため、逆に普段よりもスムーズな参拝となりました。

 車イスの参拝について、お寺の多くは本堂内は寺院に備え付けられた車イスに乗り換えたり、使用する車イスの車輪の汚れを厳しく掃除するように求められますが、金剛峯寺ではそのまま乗り入れ、職員が本堂上まで昇降機で誘導してくれます。

 当り前と言えばそのとおりですが、道路から入ってきた車イスをそのまま本堂前まで誘導し、じゅうたんがひかれた参拝者にお茶を提供する新別殿の前まで進めて、そのまま僧侶の法話を聞れることに有難さを感ずる一日となりました。

高野山・龍神温泉ウルトラマラソン http://jtbsports.jp/contents/koyaryujin/
 
 さて、偶然にも地域の一大イベントが行われていましたが、金剛峯寺前だけでも身障者用の駐車スペースを確保しておくべきで、本日は雨は降っていなかったものの、雨天時に車イスの人は参拝ができないことから、来年以降には改善されていることを祈るばかりです。
 
 そんな心配も払拭したのが僧侶の見事な法話で、本日はこのことによりすべて良しの一日となり、金剛峯寺参拝後に女人堂に参拝し、宿泊した総持院で昼食後に高野山を下り、九度山町の慈尊院に参拝後に名古屋へ戻りました。

                                    6月10日の一言

半年ぶりの高野山参拝へ

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本日は和歌山県へ 何所か判りますか?

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ネコの駅長の居る和歌山電鉄貴志駅です

ここからは高野山奥の院です
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願いをかなえてくれるお地蔵様

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仏像を水で洗います

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奥の院参道 ここからはカメラ撮影厳禁です

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奥の院納経所

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厳粛な納経風景

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見事な揮毫が目立ちます

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元総理大臣海部先生の揮毫

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鶴田浩二さんのお墓です 高野山一の橋

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部屋から見る総持院山門

 本日は名古屋市北区の「志賀弘法会」のメンバー7人と、家内を運転補助員として和歌山県の高野山へ参拝に訪れました。半年ぶりの高野山です。

 自宅を午前6時に出発し、名古屋市から東名阪自動車道で奈良県へ入り、途中で車の渋滞を避けるため阪奈道で和歌山県を目指し、予定では最初に西国3番粉川寺へ参拝予定でしたが、はじめに和歌山電鉄伊太祈曽駅から猫の駅長の居る貴志駅まで電車で移動し、私は車を配送して待機しました。

 巡拝目的の和歌山行きですが、メンバーが高齢でこれから何度も訪れるのには限界があるので、代表者からネコの駅長に会いに電車に乗ることも良しとされ、お寺より先に観光としてしまいましたが、午後1時に貴志駅を後にして、粉川寺へ参拝しました。
 粉川寺は宗派の総本山だけあって規模も大きく、メンバーの一人を車いすで押す私の身体は汗だらけとなり、時間的には余裕があったものの、本日の高野山は奥の院だけの参拝とすることになりました。


 高野山には午後3時過ぎに到着し、奥の院御廟前で読経して納経帳に朱印をいただき、車で一の橋の入口まで移動して、私の個人的こだわりである「鶴田浩二」さんのお墓を訪れたところ、真新しいお花が供えられてありました。

 鶴田さんは1987年(昭和62年)6月16日に死去されており、命日が近いためご家族がお花を手向けられた可能性も考えると、これまでとは違う感傷にも浸りながら、これからの高野山参拝には鶴田さんのお墓と、奥の院近くにある四国八十八か所公認先達の物故者の皆さんの慰霊碑にも花を持参しようと思います。

 人間には寿命があり、いつかはあの世に行く宿命にありますが、高野山に残された歴史上の人物や、著名人のお墓に手を合わせていると、あの世に行く恐怖心も和らぐようになり、自分も弘法大師の教えである「即身成仏」に近づき、子孫から永遠に手を合わせられるような家庭環境を残していきたいと思う高野山参拝ともなりました。

            本日の体重 72、1キロ 徒歩数 7824歩 間食あり

                                      6月9日の一言


ふと、上高地の花々を思い出して


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何の花か判りますか?  上高地5月27日
                                            キジムシロです
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4人で乗ればバスより低額に…

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イワカガミ

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マムシグサ
                                茎の縞模様からついた名前のようです

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タケシマラン

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ルイヨウボタン

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何か判りますか?

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トウヒの木肌でした

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ツマトリソウ

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嘉門次小屋 明神

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上高地と沢渡のシャトルバス 片道1,250円

 知人から送信されてくる各地の草花や、我家で毎年開花する草花を過去と比較して添付していましたが、私の携帯電話のカメラで保存した上高地の花も多く残されており、多すぎるため時間が経過すると名前も調べずに削除する繰り返しでした。

 添付した花々は、5月27日に開催された徳沢トレッキングにおいて、パークボランティアの先輩で、私にとってはガイドの先生役にもなってもらっている三澤女史が、案内した参加者と散会した後に、徳沢園からの帰り道に教えてもらった草花です。

 上高地には多くの山野草が生育しており、標高1500メートルの多様性に富む自然環境の中に、春から夏にかけて高山植物や北海道にしか生育しない植物が、一斉に花を咲かせていきます。

 上高地は3千メートル級の北アルプスへの登山の通過点でもありますが、人が踏み込まずに保護された自然環境の中で、貴重な花々が花を咲かせ、自然と共生する野鳥が我々の目前に現れ、神々しい穂高連峰の空気を吸いながら図鑑片手に歩くのも魅力の一つです。
 図鑑は大変ですが、ビジターセンターには現在咲いている「今日の花20種」が随時更新して置かれており、簡単な散策ガイドを手にして歩くと、ウォーキングとは全く違う上高地の魅力を実感できます。

 「花と鳥は判りません」を口癖にしていますが、こうして教えていただいた花の名前をひとつひとつ記憶して、上高地を訪れる度に5種記録し、一種ずつ記憶する程度のノルマで知識を蓄積したいと思います。

 上高地で覚えた日本在来のエゾタンポポと、外来種の西洋タンポポの違いが判るようになり、こんな簡単で些細なことが私の植物への関心を高めてくれました。

            本日の体重 72、2キロ 徒歩数 3706歩 間食あり
                                      6月8日の一言

10日ぶりとなるウォーキングに


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青々とした水田  ここを歩くのは田植え後は初めてとなります

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時間が止まったような田園風景

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苗を植えてまもない水田

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自宅に戻ってきました

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本日落ちたアンズ

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本日も暮れていきます

 本日は先月27日以来となる散歩に出かけましたが、4月から上高地や西国巡礼で歩いた記憶はあるものの、数年前から続けてきた夕方の散歩は、田植えの時期から歩いた記憶がなく、久々のウォーキングであることを実感させられました。

 上高地や巡礼で10キロを超えるウォーキングもあまり苦痛には思いませんが、片道3キロか4キロ程度の散歩が苦痛で、本日も汗がしたたり、帰宅後には家内に「臭い」と言われて衣類と下着を全て着替えることになりました。

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ピンおじさん

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桑名九華公園の花菖蒲

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 桑名市の九華公園の花菖蒲は添付した「ピンおじさん」が送付してくれた写真ですが、仕事を持ちながら空いた時間を各地に出向くバイタリティは見習いたいもので、健康のためボーリングに行く約束も2ヵ月ほど滞ったままになっています。

漂う悪臭、犬・犬・犬…えさまき散らし 多頭飼育の現場

肉球焼く・洗剤液に沈める…猫の虐待動画、止まらぬ投稿

             本日の体重 72、4キロ 徒歩数 8860歩 間食あり
                                      6月7日の一言

雨の中をボランティアへ


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事務所裏のアンズ

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事務所前のアンズより大きい果実

 本日の愛知県は終日雨の一日となり、このまま梅雨入りになっていくと思われますが、我家は私が午前7時から名古屋市の中村日赤に患者さんを移送し、家内は午前8時30分から市内の医療機関へ走り、午後には名古屋市の総合病院へと走り、とんぼ返りで市外の患者さんを移送に走りました。
 いずれも片道ではなく、往復のためそれぞれ診察の終る時間が重複し、家内の場合は車イス専用車のため代車がなく、朝から午後5時過ぎまで帰ってきませんでした。

知人から送られてきた写真です
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性海寺のあじさい祭です   

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 あじさい祭の会場となる性海寺は稲沢市の大塚町にあり、私の三男が柔道整復師になるため3年間通学した専門学校に近く、かつては何度も訪れていた場所ですが、最近は足を運んでおらず、ボランティアの合い間の空いた時間でも行けそうなものですが、忙しいとその気にもなりません。

 知人の送ってくれた写真を見て、あじさい祭りに関する過去の一言を読み直して懐かしい気持になりました。



                                              6月6日の一言

6月議会 私の一般質問です


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我家のプランターのスイカの実です

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6月議会 本日提出した私の一般質問の内容です。

1件目 高齢者の住宅確保について
 要旨1 公営住宅の現状について
 要旨2 保証人のいない高齢者の住宅確保について

2件目 道路や歩道上の看板について
 要旨1 葬儀の案内看板について

3件目 市民の公共交通の足確保について
 要旨1 3月議会後の展開について

 1件目の質問については、高齢になって少ない年金生活の中で、家賃の支払いが滞り、連帯保証人に請求が行く事例から、退去しようにも保証人がなく、新たな住居が見つけられない現実の中で、行政はどのように支援していくのか質問します。

 2件目の質問については、最近になって新たな葬儀場が開業したことで、街角のいたるところに葬儀の案内看板が置かれ、高齢の市民から「葬儀の看板を見るたびに知人の安否が気になり、自分も体調が悪くなる」という相談を受けたことから質問します。

 3件目の質問は、昨年12月議会と本年3月議会の継続となりますが、3月議会の質問後に、市民から便数を減らされたバス路線の増便を果たすためにも、行政に引き続いて対策を要望して欲しいとの複数の連絡が入ったことから、路線バスの増便と、隣接市町と巡回バスの連携等について質問します。

 津島市議会の一般質問は来週月曜日から3日間予定され、16人の議員が質問に登壇し、私は13番目の質問ですから、順調に進めば2日目午後の最終質問者となりそうです。

 こんな中でも福祉有償運送のボランティアは忙しく、議会休会日の明日は、私自身も朝7時から名古屋市の中村日赤まで走り、戻って津島市内の1人を送迎し、昼過ぎに朝送っていった患者さんを中村日赤から自宅まで移送する予定となっています。家内も市内2人と、名古屋まで2人送迎する予定となっています。
 ボランティアと言えども、依頼される患者さんにとっては、生命に係わる問題ともなるため議員との両立は厳しいものがあります。

                                     6月5日の一言

本日から6月議会が始まって


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本日の夕暮れ 事務所前

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我家のアジサイ

 本日から6月議会の本会議が開会しました。


 来週月曜日(11日)から3日間の日程で一般質問が行われ、12日(金)から厚生病院委員会に続いて、再来週に文教建設委員会と総務委員会が開催され、28日(木)が本会議最終日となります。

「創業年に八ッ橋まだない」 ライバルを「老舗」が提訴

 京都銘菓「八ッ橋」の老舗大手菓子店が、ライバル店の創業年を巡る創業年の表示の使用禁止と、600万円の損害賠償を求める裁判を京都地裁に起こしたとの新聞記事が発信されています。

 文化2年(1805年)創業という井筒が、元禄2年(1689年)創業と表示する 「聖護院八ッ橋総本店」を訴えているが、京都簡裁で開かれた調停が成立せず、裁判によって争われることになったとあり、創業した年月を巡って見苦しい争いが長期化するのかもしれませんね。

 私の住む津島市にも名物となる菓子「あかだ」と「くつわ」があり、「あかだ」は弘法大師(空海)が伝えたと伝承されて商品にも明記されていますが、そうなると「あかだ」の歴史は1200年前から存在することになるものの、弘法大師の年譜には大師が津島市に来た記録はなく、菓子の「あかだ」を伝承した記載もありません。

 私自身も、弘法大師が愛知県に来たという記録が無いことにこだわっていた時期もありましたが、1200年前の大師の名前が使われるていることに、仏教界のスーパースター空海の存在感が現代まで残っている証として、善通寺の樫原管長に「弘法大師伝承のあかだ」として持参したことがありました。

 もっとも、井筒の売上高は29億2千万円(2017年6月期)で、聖護院の売上高は23億8千万円(16年10月期)と記されていることから、激しい売り上げ争いを繰り返してきたと思われ、京都のイメージを壊さぬ解決を望みたいものでもあります。


              本日の体重 72、3キロ
                                    6月4日の一言

久々の横井庄一記念館とお墓へ


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横井庄一記念館裏庭のアジサイ

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本日の記念館前

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花盛りの記念館

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千音寺霊園
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横井庄一さんの墓と小動物の慰霊碑
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 本日は横井庄一記念館にいる娘夫婦と孫を訪ねて、我家の三男夫婦と孫に、私の妹と家内を伴って訪れました。
 独り暮らしの横井夫人の日常生活では考えられない、私の9人の家族が集って10人の親族で記念館は満員となり、本日記念館を訪れた方がお墓への参拝を希望され娘たちが案内し、枯れた花を見てきたため、お墓まで夫人と7人で新しい花と入替えに走りました。

 親族が7人も揃ってお墓参りするのは珍しく、横井庄一さんのお墓の他に、横井さんの母親の眠る横井家のお墓と、横井さんと仲が良かった知人のお墓の花も入替えて手を合わせました。菩提寺に存在する元軍曹横井庄一のお墓は、明日の早朝に夫人が花を供えてくるとの話でした。

バス運転手が意識喪失、乗客3人で停車 富山の高速道

 さて、富山県の東海北陸自動車道下り線で、岐阜県内のバス会社が運行する大型観光バスの乗客から「運転手の具合が悪い」と110番通報があり、乗客の3人がブレーキやハンドルを操作して停車させたとの新聞記事です。

 運転手はくも膜下出血の疑いと発信されていますが、これは誰もが起こりうる可能性があり、来週は依頼されて高野山まで運転し、8月には東北の仙台までマイクロバスで人を移送する約束がある私にも他人事ではありません。

 最近は長距離運転には、タクシーでもマイクロバスについても、運転の予備役として家内を同行させていますが、私が突然意識を失った場合に安全に車を停めるのは至難の業で、助手席から車を停止させるためには事前の訓練も必要です。

 こんなことは若い時には何も考えたことがありませんが、2年前の夏に上高地への道中で目が廻ったことがあり、還暦を過ぎると経験したことのない体調不良も考えられることから、添付したような新聞記事が切実な問題として気になるようになりました。
           本日の体重 72、6キロ 徒歩数 3592歩 間食あり
                                     6月3日の一言

各地でお祭りが行われて


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知人から送られてきた尾張西枇杷島祭りの花火
                                  中村区の日比津公園から撮影
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本日の夕暮れ 自宅前

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野上りの祭 近所の観音堂前 午後7時00分

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津島神社の天王様

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提灯に灯を入れます

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町内の3ヵ所の野上りを訪れます

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他の字からも訪れます

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子供の頃はもっとニギヤカでしたが…
                            午後7時30分
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相棒は留守番でした

 本日は町内の「野上り」の祭が行われました。野上りの祭は、田植えが終った水田の豊作祈願で、町内4ヶ所の天王様(津島神社の末社)に提灯を並べて、お神酒とお菓子を用意して他地区からの使者を待ち受け地域全体で祝います。

 私の子供の頃には地域全体が農家だったため、町内や字全体のお祭でしたが、最近は農家が高齢化するだけでなく、宅地化がすすんで農業と無縁の住宅が建ち、道路に照明灯があり、提灯の灯りも形式的となり、後継者の居ない家庭もあるため子供の姿も少なくなりました。

 こんな時に大酒飲みの私の父親たちは、腹いっぱい日本酒を飲んで、酔っ払って夜遅くに帰宅したものですが、最近はほとんどの人が日本酒を飲まないのか、飲んだ感覚もないまま、誰もお代わりをしないため、お菓子もほとんど残り、残ったお神酒の処理に困る有様で、私も自宅に帰ってから飲みなおしとなりました。

            本日の体重 72、8キロ 徒歩数 3072歩 間食あり
                                      6月2日の一言

連日のアンズジャム作りが始まり


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本日のアンズの実

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我家のアンズジャム

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出番を待つアンズジャム

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本日購入してきた大量のビン

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次はブルーペリー

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今年の柚子の実

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プランターのスイカの実


 我家の事務所横のアンズが熟し、昨晩から家内のジャム作りが始まりましたが、今年は例年の半分ほどしか結実しておらず、腕が痛いと悲鳴をあげることはなさそうなものの、事務所の裏にはこれから熟す大きいアンズの木があり、しばらくはジャム作りが続いていきます。


 年によっては大量に結実し、事務所横のアンズは道路に落ちて踏まれて困り、事務所裏のアンズがガンガンと音を立てて屋根に落ち、作ったジャムの貰い手にも困ったことがありますが、実が少ないとジャムが全員に渡らないことにもなります。

 それでもジャムを入れるガラスビンは、我家だけでホームセンターのガラス容器売り場から無くなってしまい、本日は2軒目となるイオンの売り場でまとめ買いしてきました。
                                     6月1日の一言

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  • ようこそ 大鹿一八の納経所へ
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  • 令和6年 上高地開山式の様子です
  • 三重県桑名市大福田寺の聖天祭へ
  • 毎年恒例となった我家のアンズジャム作りへ
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  • 我家のきゅうりとプランターのイチゴです
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