大鹿一八「本日の一言」

平成16年2月から令和1年7月末までの「本日の一言」です。ヤフーブログ閉鎖により、ライブドアへ過去の記録として引っ越しました。

2018年09月

台風のストレスが沖縄の選挙で吹っ飛び


イメージ 1

 本日は台風が来るので、午後3時に名古屋市の横井庄一記念館で人と会う約束を早めて、午前中に記念館へ訪れると、はるばる富山県から訪問されたご家族があり、こんな大変な時にこられて感激して横井夫人の応対を見ていました。

 記念館では、今年からNPO法人化した活動の中に、小学生を対象にしたクラフト教室などを開催することや、横井庄一さんが潜んでいたジャングルが竹林だったことから、今年は竹を使った笛を作ることに決めていました。

 ただし、竹を使ったクラフト教室で竹笛作りを指導できる者が記念館の関係者にはなく、上高地の環境省パークボランティアで、記念館の近くに住まわれるH先輩が存在していることから指導をお願いしてあり、本日の打ち合わせで11月18日に開催することを決めました。

 記念館では、毎週日曜日の午前10時から午後4時30分まで開館していますが、本日は台風の影響で午後4時に閉館して帰宅しました。横井夫人は90歳の独り暮らしとなっており、横井さんのジャングルとは違いますが、今晩も独りで台風を迎えると思うと後ろ髪を引かれながらの帰宅です。

【中継中】沖縄知事に玉城氏初当選 政権支援の候補破る

 さて、今回の台風は1ヶ月前の21号より大型と言われていますが、その進路上に愛知県の我家があり、夜8時頃から風雨が強まりましたが、午後10時40分には完全に風雨が弱まり、どうやら台風の目に入った模様で、愛知県内に大雨洪水警報や高潮など全ての警報が出され、土砂災害警戒警報も出されました。

 それにしても、強風と雨が完全に消えたことは不気味で、今度は台風の目から出た後の吹き返しの風が心配ですが、テレビ画面の台風の位置は愛知県になっており、三重県の土砂災害警戒警報が解除され、このまま何事もなく過ぎ去ることを待つのみとなりそうです。

 そして、何よりも安倍政権の強大な国の組織を総動員した相手に、開票早々に沖縄県知事選挙で当選した玉城氏の選挙報道は台風のストレスを払拭し、沖縄県民の総意に民主主義の良識を実感させられました。
 私の個人的感情ですが、民主主義と地方の民意を無視した安倍政権には、沖縄県民の示した民意を尊重して沖縄県の基地縮小に尽力してもらいたいものです。

                                   9月30日の一言


台風の襲来に身を潜める一日に


イメージ 1
本日午後8時の台風24号の情報

イメージ 2
 右に添付した台風情報は、1ヶ月前の8月31日の台風21号の進路予想図で、多少の違いはあるものの、大型であることと、日本列島を縦断していくコースは共通で、今回の台風は私の住む地域を中心にして明日の夜に襲来してきます。

 前回の台風は幸いにしてコースから外れていたものの、屋根瓦が数枚飛んでおり、近所でも瓦やトタンが飛ぶ被害が多くでました。今回は直撃を受けるためただならぬ不安が隠せません。

 さて、本日は朝から雨が降り続けて、日中でも夕方のように薄暗い一日となり、朝一番で名古屋市のガンセンターに走っただけで、終日家にこもる一日となりました。

 「単なる交通障害が起こるレベルではなく、もっと何かが起こる心配がある」との気象庁の会見を聞き、各地から報道される被害状況を見せられると、台風が到来する明日の夜がより心配となります。

                                    9月29日の一言

台風の接近が信じられない空模様に


イメージ 1
見事な雲 本日午後5時26分

台風24号、29日に沖縄に最接近 本州縦断の見込み

 1ヶ月前に大きな被害をもたらした台風21号と同じようなコースで、台風24号の進路が予想されており、2日後には私の住む愛知県を直撃する可能性も高く、前回の台風で我家の屋根瓦が飛んだことを考えると心配な週末を迎えます。

 本日の夕方には、そんな予測が信じられないような雲が空に広がっており、この雲の先に大型台風が繋がっていると思うと、本当に「嵐の前の静けさ」とか、「一寸先は闇」の言葉が思い浮かぶとともに、台風の到来が信じられません。

 さて、台風による交通機関の混乱や停電の可能性も考えられますが、そんな環境でも闘病生活をおくる患者さんの中には、毎日の通院や治療が欠かせない人も存在し、明日と明後日の通院への同行を考えると我が身も心配になってきます。

 そして、人と約束してある予定も見直す必要に迫られ、建設してから年数の経過した古家は、我家だけが倒壊したらどうしようと大きなストレスになってきました。

                                     9月28日の一言


本日で議会が最終日となり


イメージ 1
新日光橋 はるか先には名古屋駅のビル群が見えます 午後6時20分

 本日は9月議会本会議の最終日となりました。

 市議会の定例会は3ヶ月おきに開催されており、3月と6月、9月と12月の年4回開かれますが、9月議会は昨年度の決算審査特別委員会の審議があるため、徹夜の一日もありましたが、本日が最後の議会となりました。

 さて、週末は上高地に出かける予定でしたが、台風の直撃を受けそうなこともありますが、議会だよりの原稿締め切りが月曜日で、月初め(3日)に北陸まで行政視察が予定されているため、月末は横井庄一記念館に出向くことになりました。

「おい、京都でも行ってくるか」
     「京都の何所に行くのかな」
「何所でも良いから」
     「何所でも良いなら止めようか」

 私の議会終了を待っていた知人との会話ですが、手帳を見ると来月の中旬まで予定が入っており、目的もないままに出かける京都は魅力があるものの、そんな余裕はないと断りました。

 が、中旬までの隙間に、知人と京都に行こうと勝手に考えています。
 私自身は年末の大晦日と、8月16日の送り火に必ず京都に行くと決めていましたが、春に家内と西国巡礼で訪れてはいるものの、京都の馴染みの場所には昨年から訪れておらず、知人の誘いは有難い言葉にもなりました。

                                     9月27日の一言
 

樹木にも治療は待ったなしです

イメージ 1
愛知県がんセンター前の植え込み

イメージ 2
2階通路

イメージ 3
見上げると光が

イメージ 4

イメージ 5

 命に関わる患者さんたちは、どのように感じておられるか判りませんが、病院の屋上庭園の樹木は全滅状態で、建物の北側にある植え込みも枯れたままの現状は何とか改善して欲しいと思います。

 2人に1人がガンと言われるようになりましたが、確実に治療方法が向上して治癒率も上がっているものの、ガンセンターに掲示されているポスターから、対象となる人々が大変な心理状況にあることが判ります。

 患者さんにとっては自分のことしか気にならない心境かもしれませんが、通院する玄関に枯れたままになった植え込みは寂しいものがあり、規模が大きいだけに個人的な思い入れでは何ともなりませんが、これだけ豊かな世の中になっているだけに、人力の提供でも募ってもらえたら何とかしたいものです。

 さて、病院の掲示板には多くのポスターが貼られていますが、身近な場所でのイベントも紹介されており、健康なうちに参加しておこうと添付した2枚を持ち帰りました。健康な人は気にもならないでしょうが、2人に1人がガンと聞かされると、万が一の場合に備えた心の準備も必要に思う一日となりました。

                                     9月26日の一言


相撲界から貴乃花親方が退職し


イメージ 1

 貴乃花親方の引退が大きな話題となっていますが、元々は昨年11月に弟子の貴ノ岩が横綱日馬富士に暴力をふるわれた被害者であったが、この傷害事件の後で相撲協会の体質を批判するだけでなく、今年3月に内閣府に提出した告発状によって協会の中で孤立していったと思われます。

 今にして思えば、自分の弟子による暴力事件が起こり、協会批判の足元が崩れたことも大きいが、貴乃花を中心に団結していた一門の親方も、協会になし崩しにされ、今夏7月に、一門に所属しない親方は部屋を持てないと決められたことも原因で、貴乃花親方の性格では他の一門の親方の下に下ってまで部屋を継承できなくなったと思われます。

 そして、一代年寄りの親方だったため、貴乃花部屋はなくなります。


貴乃花親方が日本相撲協会に退職願を提出

「圧力かけてない」相撲協会が反論 貴乃花親方退職問題

 相撲に限らず、名選手が指導者として成功するとは限りませんが、かつて多くの名力士が親方として協会を去っていった事例も考えると、相撲協会の組織に対して嫌悪感しか沸いてきません。

 親の大関貴乃花は勿論ですが、伯父の横綱若乃花の残した「ニ子山部屋」の遺伝子が、相撲界から消え去ってしまったことに寂しさが隠せません。

 しかし、弟子を自分の子供として親から預かっていると常々発言していた貴乃花親方だけに、子供である弟子たちのためにも、苦渋の選択でもかつての兄弟子を頼って部屋を残す責任があったはずで、自分だけの判断で部屋を閉めたとすれば大人としての責任感は少しもありません。

 還暦が過ぎて何も無くなって、まもなく年金頼みの生活となった私には何もできませんが、私より若い理事長の下で、文句も言わずに従順な親方ばかりの協会は異様で、かつて長老のご意見番が存在した相撲界が懐かしくもあります。

                                      9月25日の一言

知人から送られてきた彼岸花


イメージ 1
祖父江ネイチャープラザの彼岸花

イメージ 4

                                  提供者はホラ貝フキおじさん→





イメージ 2
我家の彼岸花

イメージ 3

 本日唯一の外出は珈琲店とドラッグストアーだけになりました。

                                                 9月24日の一言


懐かしいドライブインの閉鎖を見て


イメージ 1
我家から40分でこんな環境へ 
                              養老山地 庭田山山頂公園
イメージ 2
天気が良ければ木曽三川や濃尾平野も

イメージ 3
いなべ市の彼岸花

イメージ 4
桑名と大垣を結ぶ国道258号線

イメージ 5
寂しい現実です
イメージ 6

「おい、何をしている」  「何って、何もしていないこと判っているだろ」
「何か食べに行こうか」  「何所に行くんだ」
「○×まで行ってこようか」  「うーん、わざわざ行ってまで食べたくないなぁ」

 食べるために外出する気にもならず、不良少年時代からの友人を乗せて車を走らせましたが、目的もないままに愛西市の道の駅に立ち寄ったものの、お客さんは疲れた高齢者ばかりで、岐阜県側の南濃ドライブインを食事場所として目指したところ完全に閉店されていました。

 寂しいと言うよりも悲しい現実です。とにかく車を走らせて、道の駅月見の里に立ち寄ってみましたが、ここにも疲れた高齢者の姿が多く、簡単に軽食を摂ってから養老山地のニ之瀬越えで三重県側に車を走らせました。

 このニ之瀬の峠越えは、今から30年ほど前に自動二輪で走った懐かしいコースで、峠の庭田山山頂公園で知人は喫煙タイムとし、望遠レンズで野鳥を撮影する人たちと時間を忘れて佇みました。

 庭田山山頂公園の峠を越えると三重県のいなべ市で、ここから地図に無いような山道を走り、何もない村の道端で休憩していると、我家よりも新しい家が空き家になっており、我々には心癒される環境も生活するには苦痛になる現実も垣間見ることになりました。

 いなべ市から東員町に入り、多度大社に立ち寄ってから帰路に入りましたが、閉店されていた南濃ドライブインが気になり、多度から旧街道を通りながら訪れ、道路の反対側にある喫茶店に立ち寄り、今年4月に閉店になっていることを聞かされました。


 このドライブインは、私の子供の頃には父親の車で連れてこられ、大学時代になって名古屋観光バスのアルバイトで観光バスで訪れたこともあり、近場で旅行気分に浸るため時々訪れていた場所だけに、還暦過ぎの年代には寂しいものがあります。

喫茶美松 〒503-0414 岐阜県海津市南濃町上野河戸1034−8

 さて、偶然にも立ち寄った喫茶店で、店主から私の住む津島市に姉妹が存在することを知り、その親族は私が長年お付き合いのあったお店の店主であったことにもびっくりさせられましたが、閉店したお店は残念なものの、新たな出会いがあったことは救いともなりました。

                                     9月23日の一言

お彼岸に墓参りへ

イメージ 1
お寺の墓にお骨は入っていません

イメージ 2

イメージ 3
グアム島の小動物の慰霊碑とともに

 本日はお彼岸でもありますが、横井庄一さんの命日でもあり、自宅で菩提寺のご住職をお待ちして仏壇に手を合わせた後に、千音寺霊園にある小動物の慰霊碑とともに建つお墓の花を替えてから、菩提寺にある旧陸軍軍曹のお墓にもお参りしてきました。

 皮肉なもので、横井さんの母親がお寺に残したお墓については、昭和47年に横井さんが発見されるまで主は不在で、平成9年に本人が没した後には遺言で、グアム島の小動物を慰霊する碑と一緒のお墓に葬られました。

 グアム島で28年間に及ぶ自給自足の生活で、口に入れた小動物の数は膨大となり、生きていくためとは言え、生きた動物の命を絶って生き抜いた横井さんの気持を考えると風化させたくない遺言です。

 さて、夜には知人の通夜があり、名古屋市港区まで知人とともに走りましたが、若かりし頃に一緒に汗を流した朝日新聞販売店主の先輩で、現在は地方紙の販売店主に鞍替えされているため、20年以上にわたって音信不通でもありました。

 突然の訃報に病気かと思っていると、遺影はかつての元気なままの顔であり、ご家族に聞くと今月に入って階段から落ちて治療中だったとの話に、元気すぎる死に顔から、今から30年前に戦車のように走る故人の姿が偲ばれてきました。

 この先輩には何度もお世話になっており、私が新聞社の幹部社員と大喧嘩して、「もう辞めてやる」と自宅に戻ったことを知り、仲間を呼び寄せて引きとめていただいた恩もあり、3年前に娘が中川区から港区に転居した祭に、近いため訪れたいと思いながら元気な声を聞かぬままのお別れとなってしまいました。

 私は学生時代に起業したため、新聞社だけでなく恩師や、父親の会社の重役さんとか、新聞社に出入りする著名人の方々にも可愛がられており、議員になってから疎遠になっている人が多いため、訃報を聞く前に会っていきたいと思う一日となりました。

                                      9月22日の一言


お彼岸にお寺で阿息観


イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

 毎月21日は町内のお寺(弘盛寺)の本堂で「阿息観」に参加することに決めており、本日も当り前のようにお寺へ走ると、門前に「彼岸花」が咲いており、花の真ん中にこれまで気づかなかった弘法大師の坐像がありました。

 お寺の阿息観に参加してから8年ほど経過しましたが、最近は真言宗の瞑想法の人気が高まっているためか本堂は参加者で一杯になってきました。

 私自身は高野山の阿字観や結縁灌頂などに参加し、今から1200年前に空海が四国の山や崖で修業されていた環境を体感したいと思って、一人で四国遍路に出かけている頃に阿字観に参加しはじめており、お寺の阿息観の前後に日頃の雑談に花が咲くのは好きではありませんが、そんな雑談も受け流す余裕が必要かもしれません。ただし、お寺の配慮で座る環境は格段に良くなっています。

イメージ 4

↑ 名古屋市の都市空間 ↓

イメージ 5


 そして、21日は名古屋市の北区で開催されている志賀弘法会の会場まで、津島市に住まわれる代表者を送迎するもの仕事になっており、午前中に家内が名古屋市まで送り届け、私は午後4時頃に迎えに走って自宅まで送り届けるのも毎月の慣例となっています。

 そして、本日も一日が終りました。
                                   9月21日の一言


半年ぶりの高山市へ

イメージ 1
そろそろ紅葉の気配が

イメージ 2
柏木工の守護樹「柏」

イメージ 3
文化会館に貼られていたポスター

イメージ 4
美濃白川 道の駅温泉

イメージ 5
日帰り入浴ができます
美濃白川道の駅温泉 http://1126onsen.info/onsen/242

イメージ 6
新聞紙で放送された日本酒

 私の住む津島市に、かつては柏木工の営業所があり、現在も家具を製造して保管していた倉庫が残っているため、高齢になって運転ができなくなった管理者を乗せて、本社のある高山市まで走ることが定例になってきました。

 かつては上高地へ高山市経由で入っていましたが、最近は木曽路経由で松本側から入っているため、高山市そのものを訪れる機会も減っていることから、雨で何もできないので親しくしていた知人を訪ねたもののお2人とも不在でした。

 残念ですが、電話で年内の再会を約束して高山市を後にしました。

 
 本日の収穫は、国道41号沿いにある道の駅で新聞紙でつつまれた「蔵元の隠し酒」を手に入れたことです。

 美濃白川にある道の駅ピアチェーレには、日帰り入浴のてきる温泉施設があり、高速道路では通過してしまう地域の魅力と、添付した日本酒など、飛騨地方から美濃地方の特産品を見ながら走ってきたことは久々の発見もありました。

                                     9月20日の一言

 


久しぶりの徹夜からの一日となり


イメージ 1
午前5時28分 自宅に帰宅しました

イメージ 2
委員会が終りました 午前5時20分

イメージ 3
早朝の市役所 午前5時20分

 私自身は完全なる夜型人間で、朝まで起きていることは苦にもならず、夜に自宅を出発して四国まで走り、朝7時からお寺を巡拝して午後5時に納経所が閉まるまで遍路を続けており、上高地や旅先まで朝までに移動しているのを当り前にしてきました。

 しかし、議会活動とは言え、昨日の午前9時から始まった委員会が、午後5時を過ぎて深夜におよび、朝の5時を過ぎるまで連続して審議が続くことは想定外で、老眼鏡をはめ机の書類を前にして座ったままの徹夜は辛いものがあります。

 元々が、午前3時前から働く新聞新売店の仕事が生業だったため、午前5時過ぎに自宅に帰ることは慣れた行動ですが、徹夜の後であっても熟睡ができず、仮眠程度で行動してしまうため、疲労は確実に身体に蓄積されていきます。

 さて、私は大学3年の時に朝日新聞社から声をかけてもらい、在学中に販売店主として23年間も早朝の仕事を続けており、早朝の行動は強かったものの、議員になってからはその時間に熟睡しており、久しぶりとなる夜明け前の行動となりました。

                                   9月19日の一言


イメージ 4
午後6時7分 我家の夕暮れ


 8月から雨が続き、久しぶりの夕暮れ風景です。



厚生病院委員会が深夜まで続いて

イメージ 1

快晴の津島市内 午前中

本日は委員会が深夜まで続くようなので市役所から帰れないため午前中の市内の写真をとりあえず発信しました。議会日程が限られているため、朝までかかっても審議を続けるとの話です。

顛末は後日に

身近な医療施設の存在を見て


イメージ 1
昨日 福祉有償運送運転手講習の行われた会場

イメージ 2
胃がん検診 500円にびっくり

イメージ 3

イメージ 4

 昨日開催された福祉有償運送の運転手講習会の会場に、胃がん検診が500円でできるとの広告が貼られていました。

 私の住む津島市が補助金を出している胃がん検診は2800円することから、500円の料金にはびっくりさせられましたが、講習会の開催されていた名古屋市南区の天白町には生協の運営する「かなめ病院」があり、その周辺には介護施設が集っており、安心して生活できる環境はうらやましいものがあります。


南医療生協かなめ病院 http://www.minami.or.jp/kaname/

総合病院 南生協病院 https://minami-hp.jp/services/index.html

 会場となっていた「みなあんの家」には、500円の胃がん検診の広告だけでなく、月曜日からお茶会や体操、ふれあい食事会、折り紙サロン、こどもの広場、男のサロンなど連日の企画が案内されていました。

 来年から年金生活となる私には限界がありますが、2階の事務所は元々2台の卓球台を無料開放し、各種教室に無償提供するスペースとして建てており、参考にして高齢者の憩いの場所に考えてみたいと思いました。

 今後のテーマは、健康で楽しい日々を送ることになってきそうですね。

                                     9月17日の一言


久しぶりの海岸線に立って

イメージ 1
知多半島新舞子海岸

イメージ 2
対岸には風力発電

イメージ 3
南洋のような道路

イメージ 6
親子連れで海を楽しむ人々

イメージ 4
海岸にも見事な石がありました

イメージ 5

 三連休ですが、本日は国土交通省認定の「福祉有償運送運転車講習会」が開催され、私のNPO法人から2人のボランティアが参加しており、午前8時10分から午後6時30分まで講習が続くため、私と家内で名古屋市南区の会場まで同行しました。

 福祉有償運送は、白ナンバーの自家用車でも低額の料金をもらって人を移送することが許されていますが、タクシーやバスの運転できる2種免許を所持するか、本日開催されたような認定講習を修了している運転手に限られています。

 本日参加したメンバーは、1人は私の同級生で65歳となり、もう1人は70歳になっておられますが、ボランティア意識が高いため期待しているものの、2人とも5年後や10年後まで続けられるような年齢ではなく、こんなところからもボランティアは高齢者が支えていると言っても過言ではないかもしれません。

 さて、本日訪れた南区は知多半島に隣接しているため、午前中に東海市から知多市に足を延ばし、かつて海水浴場の名所であった新舞子海岸を訪れたところ、海岸の対岸が干拓によって陸地になっていたことに驚きましたが、100人を超すウインドサーフィンが一斉に海に出て行きました。

 上高地だけでなく四国遍路も山ばかりで、私にとっては久々の海となりましたが、午後には車イスの会員さんを名古屋から自宅まで送迎する必要があるため、モーニングコーヒーを飲んでから帰ろうと車を走らせましたが、同じ愛知県でも知多半島の海岸線には喫茶店がほとんどなく、常滑市まで車を走らせました。

 今にして思うと、所用のついでとは言え、目的もなく出歩いたのは久しぶりで、海に山で見かけるような石があることに気づき、家内は海の臭いがわかったようですが、臭いも感じない年齢になった現実は実感させられました。

 知多半島にもかつて訪れていた親しい知人や場所が存在していましたが、議員になってからはほとんど足を延ばしておらず、今更「久しぶり」と訪れることは不自然かもしれませんが、残された人生を考えると足元を見直してみたいと思います。

                                     9月16日の一言


本日は休養日なんですか


イメージ 1

イメージ 2
四国善通寺で販売されている大師せんべい

 本日は朝から胃がん検診と肺がん検診を受けたことと、明日は国土交通省認定の運転者講習受講者2名を名古屋まで送迎するため、休息日と決めて検査後に台所で横になっていると、容態の急変した会員さんから電話で、名古屋中村日赤の救急外来まで送迎することとなりました。

 救急外来を受診するものの、救急車で搬送されない場合は順番待ちとなり、平常日と変わらぬ患者さんがあったことから、午後1時に搬入して治療が終わったのは午後6時過ぎとなり、家内は午前中に車いすの会員さんを名古屋まで送迎し、午後には名古屋市のガンセンターに走っていきました。

 勝手に休養の一日と思っていても、会員さんの容態によっては走らざるをえず、上高地や四国遍路に出ていればお断りするしかありませんが…

 そんなわけ(無理やりこじつけ)で、賞味期限は切れていますが、香川県善通寺で購入してきた「大師せんべい」を出して口にしました。
 大師せんべいは香川県の「名物かまど」が製造しているお菓子ですが、香川県には同じようなせんべいに「瓦せんべい」もあり、ともに口にすると病みつきとなる美味です。善通寺には石より硬いと言われる「カタパン」も存在し、こちらは保存がきくため賞味期間も関係なく美味しく食べられます。

名物かまど http://kamado.jp/

                                                9月15日の一言


紅葉なら嬉しいものですが

イメージ 1
津島市保健センターの植え込み

イメージ 2
今年の酷暑による夏枯れです

イメージ 3
彩雲館前の植え込みも被害に

連日の猛暑、逆にビールの販売量減る 不思議な現象

 今年の夏は猛暑というよりも酷暑と災害をもたらし、生活にエアコンが必須となる社会になりましたが、人は空調や水分補給でなんとかなるものの、今年の夏は公園の植え込みや街路樹を容赦なく枯らしていきました。

 本日訪れた保健センターの植え込みも、一瞬は紅葉のようにも見えますが、よく見ると夏の猛暑で枯れており、隣の彩雲館前の植え込みも同様で、元通りに回復するには数年ががりとなりそうです。

 台風や地震など、日本中から暗い話題が発信されてくる中で、私的には久々に嬉しい発信を見つけ、下記に添付しました。

野良ニワトリの大群、国道脇に 「もう捨てないで」

 野良ニワトリの大群が高知県中土佐町久礼の国道56号にいるとの話題です。

 私の家は、子供の頃にはニワトリ小屋に10羽ほどのニワトリが飼われており、小学校の頃には鶏舎小屋が建てられて200羽から300羽のニワトリがケージに入れられて卵を農協に売っていた時期がありました。

 私の父親は名鉄電車の運転手でしたが、ニワトリは母親に任せて増やし続け、子供の頃から生まれたばかりのヒヨコを買ってきて、箱の中の裸電球で保温して成長させ、飼育の限界となる大量のニワトリに囲まれるようになりました。

 さて、現在は私の住む地域に養鶏業者は一軒しかありませんが、当時は町内にも数軒の養鶏農家があり、逃げ出したか病気で捨てられたか理由は判りませんが、田んぼの中を集団で行動するニワトリが存在しました。

 私の高校時代には我家のニワトリは居なくなっていましたが、子供の頃から見慣れたニワトリは懐かしく、父親と捕まえて拾ってきたことがあり、今回の野良ニワトリの報道には懐かしい思い出が甦ってきました。

 ニワトリが庭の中を自然に行動する姿は、今でも再現したいものの、最近は野良ネコが襲うため、日本で見慣れたような光景も再現は難しくなっていることが寂しい現実でもあり、高知県の野良ニワトリには自然とともに生き残ってもらいたいものです。

                                     9月14日の一言


天赦日に購入したロト6に期待して


イメージ 1
ピアゴ勝幡店の宝くじ売り場

イメージ 2

 火曜日の夜に天赦日の話を聞き、本日13日は天赦日だけでなく、一粒万倍日と大安吉日と重なる最高に縁起のよい日と判ったため、家内と一緒に出かけたスーパーの前にある宝くじ売り場を訪れました。

 さて、ここでロト7を買うために家内と当たり番号を決めて訪れたものの、申し込み用紙の書き込み方が判らず困っていると、「今日はコッチだよ」と常連さんがロト6の用紙を取って、書き入れ方を教えてくれました。

 半月ほど前に、深夜のテレビ番組でロト6に当りやすい番号が放映されており、その番号を手帳に控えていましたが、ロト7を窓口任せの番号で購入した経験しかなく、300円を出したらロト6は200円とのことでした。


 家内と一枚ずつ購入し、ロト7を1枚買って抽選日を訪ねると、ロト6は今日が抽選日で、ロト7は明日が抽選日と聞き、楽しみが一日で終ってしまうような感覚になりましたが、縁起の良い日だけに当っているかもしれず、期待して明日を迎えようと思います。

 当っていたら(当っていなくても)お伝えします。

                                     9月13日の一言


最上の吉日 明日は天赦日


イメージ 1
これも最上のサービス 9月15日から24日

天赦日(てんしゃび)って何だ?

「13日は天赦日だと知っているかい」
      「何ぃ? てんし…?」
「てんしゃび」
      「どうやって書くの?」
「天に、難しい字でしゃと日」
      「初めて聞く言葉だな」
「13日は一粒万倍日とも重なっているから」
      「一粒万倍日?」

 天赦日という言葉も、一粒万倍日についても初めて聞く言葉で、昨日知人と電話中に聞かされて初めて知った次第で、昨晩開催されていた書道会の恩師も知らないとの話に、自分の無知と知らないことばかりであることを実感させられました。

天赦日は日本の暦の上で最上の吉日とされており、新しい何かをスタートさせたり躊躇していたことに挑戦するにはもってこいの日。
 
 ネット検索すると、天赦日は日本の暦の上で最上の吉日とされており、新しい何かをスタートさせたり躊躇していたことに挑戦するにはもってこいの日と記され、ウィキペディア(暦注下段 - Wikipedia)によると、『この日は、百神が天に昇り、天が万物の罪を赦(ゆる)す日とされ、最上の大吉日である。そのため、天赦日にのみ「万(よろづ)よし」とも注記される。』と書かれており、年に5~6回しかない貴重な開運日のようです。


 「一粒万倍」とは、一粒の籾(もみ)が万倍にも実る稲穂になるという意味である。一粒万倍日は何事を始めるにも良い日とされ、特に仕事始め、開店、種まき、お金を出すことに吉であるとされる。但し、借金をしたり人から物を借りたりすることは苦労の種が万倍になるので凶とされる。

 その天赦日が明日の13日となり、一粒万倍日とも重なるとともに、大安吉日でもあるため、結婚、結納、入籍、慶事、出生届、引っ越し、開業、財布の新調、今まで躊躇していた事を始めるには絶好の日ともなります。

 こんなことを知った上は、明日は人から物を借りたり借金をしないようにして、宝くじかロトセブンを購入すると良さそうですね。

                                      9月12日の一言 

    

知人から送られてきた写真から


イメージ 1

イメージ 2

「修禅寺は修善寺温泉発祥の寺で、807年に弘法大師が開基したお寺です。」
                                       知人からのメールです

 知人から送られてきた修禅寺の写真と寺の説明を読んで、弘法大師と修禅寺の関係とともに、まずおかしいと思って寺の概要を見ると、「大同2年(807年)、弘法大師に依って開創され、その後約470年間は真言宗として栄えました」とありました。


 日本中に空海(弘法大師)の伝承は多く残されていますが、観光地で有名な修禅寺の公式ホームページにまで記されていたことに驚きで、私の持つ四国遍路の「先達経典」には、前年の大同1年に「明州の港を発ち、帰国の途に就かれる」と記されています。

 記録を正確に読み直すと、この大同1年に中国の皇帝に帰国を申請し、九州の太宰府の鴻臚館に入り、朝廷に帰国を報告し都へ上京する許可を申請しており、定説では約1年間大宰府の観世音寺に留まっていたとされています。

 この1年間の記録が定かではないことから、空海が各地に寺院を建立したとか巡礼の伝承が残されていますが、20年の留学期間を2年で切り上げて無断帰国したことは重罪に値するため、大同2年(807年)には留め置かれた大宰府の観世音寺に居たと思って間違いがないでしょう。

 修禅寺を開基したと言われる大同2年の記録として,空海は九州から和泉国(大阪府南部)の槇尾山寺に入ったことが残されていますが、前年に朝廷へ唐から持ち帰った新訳の経247巻、梵字の真言等44巻、経の注釈は170巻、その他に仏像、曼荼羅、法具類を目録(後の御請来目録」)にまとめて渡したとされています。

 私の住む愛知県でも、大同3年に知多半島の岩屋寺で100日間にわたって護摩修行をして、自分の像を岩窟に納めたと伝承されていますが、空海は中国密教界の最高権威者の「恵果」から大日経系の胎蔵界と金剛界の伝法灌頂を受け、真言密教の後継者に指名されており、国内の安易な弘法伝説の比ではありません。


 こんなことを記すと、対象となるお寺や地域から厳しい批判や悪口をもらうことになるため、先輩諸氏から「こだわるな」と言われていますが、宗教にはあり得ないと思われる非日常的な現象を現実のように話し、弘法大師の声を何度も聞いたとか、姿を見たなどと言う人が崇められたり、錦の納札を手渡して謝礼金を受け取る輩も存在することから、私はお寺が適当な年代をあげて宣伝する行為はやめるべきと常々思っています。

 それにしても、添付した「空海年表」はよく調べてまとめてあります。空海が高野山の御廟に御入定されたのが62歳。私はもうその年齢もこえてしまいましたが、知人の送ってくれた空海の伝承によって、久しぶりに弘法大師を認識する一日となりました。
                                     9月11日の一言


厚労省が結核の検査を呼びかけるとの報に

イメージ 1

本日の夕暮れ 津島市日光川から名古屋(東)方面 正面に名古屋駅のビル群


 結核に感染する高齢者が多いとして、厚生労働省は通所介護施設などの高齢者施設に、結核の検査を利用者に呼びかける通知を出したと発信されています。

 全体の患者数は減少しているものの、高齢者の罹患率は高く、昨年の新規患者全体の約7割が60歳以上で、このうち90歳以上は1900人を超し、過去最多を更新したとあり、年金受給の年齢に近づく私にも気になる話題となりました。

結核患者、7割が60歳以上 高齢者施設に検査呼びかけ

 さて、忘れていましたが、今から10年前に、横井庄一夫人が老人性結核に罹患して、隔離されている病院に出かけたり、夫人不在の記念館の留守番をしながら、外泊や退院する当日の様子がこの一言にリアルに残されていました。


 昔のような命を落とす危険な病気では無くなったものの、結核に冒されていることが判ると翌日には強制的に病院へ隔離されてしまい、完治するまで長期にわたって退院させてくれませんから、家族や仕事には大きな影響がでてしまいます。

 また、自分だけでなく周りに感染させてしまう恐れもあり、私たちも横井さんと接触していたため病院で検査を受けましたが、感染していることを知らずに行動すると、多数の人に感染させてしまう可能性もあります。

 今にして思うと、病院の病室を訪れた時や、記念館に潜む結核菌の恐怖など、他人事ではないリアルな記録が残されていたので再掲し、今度は年齢的に対象となってきていることから、注意して生活したいと思います。

 そして、最近の医師の多くは結核患者を診察したことがなく、横井さんも最初は咳が出るため風邪と思って通院し、半年経っても咳が改善されないためレントゲン検査を受け、医師は肺ガンの疑いを本人に告げており、大きな総合病院に紹介されてガンではなく結核であることが判明しました。

 幸いにして横井夫人は2ヵ月程度で退院できましたが、半年間入院していた先輩も存在しており、目に見えない結核菌は予防のしようが無いため、当時の慌ただしい生活を思い出さされる新聞報道ともなりました。

                                    9月10日の一言


手作りの紙袋


イメージ 1
マクドナルドの紙袋ではなく、私の手作りです

イメージ 2
トレーに敷かれたマックの紙が  ↓

イメージ 3
折ればこんな紙袋に

イメージ 4
一枚の紙が   ↓

イメージ 5
こんな紙袋に

 昨日に上高地で覚えてきた紙袋を早速作ってみました。

上高地のビジターセンターでは、小さなアクセサリーやグッヅを入れる紙袋を、期限が過ぎた「上高地散策マップ」や「まがもだより」の用紙を使った手作りで作っており、この紙袋も人気となっているとの話で、昨日は雨で外の作業ができないため、手伝いで参加しながら、作り方を教わってきました。

 ホームセンターや安価な100円ショップでも様々な紙袋が販売されていますが、期限切れの会報やパンフレットを利用した紙袋には魅力があり、サービスエリアの道路地図や観光地の期限切れの紙を利用すれば、お金では得られない価値があると思います。

 さすがに自然保護や環境問題を所轄する環境省です。期限切れとなったパンフレットも無駄にせずに紙袋を作っていたんですね。
 不器用な私ですが、今年は上高地で紙袋の作り方と、竹を使った竹笛を作れるようになりました。
                                      9月9日の一言

傘と長靴が必需品となる上高地で

イメージ 1
沢渡バスターミナル 
                             ススキから秋の気配が 午前7時30分

イメージ 2
増水した梓川と河童橋 午前8時20分

イメージ 3
誰もいない河童橋

イメージ 4
ホームレス画伯もテントにこもって出てきません

イメージ 5
梓川にもススキが

イメージ 6
雨のビジターセンターと六百山 午前中はここに

イメージ 7
小梨(ズミ)の実

イメージ 8
午後はこちらへ

イメージ 9
アライグマと遭遇 バスターミナル

 半月ぶりの上高地も、沢渡バスターミナルから激しい雨で、県道上高地線が通行止めになる可能性が話題になる上高地入りで、実際に到着した直後に大雨洪水警報より危険な土砂災害警戒警報が出ており、本日の作業目的となっていた散策路整備は中止となり、ビジターセンターでの作業となりました。

 手先が不器用な私は役立たずで、手先が器用な人のようには間に合いませんが、8月にクラフト教室で竹笛を作って以来のものづくりで、後日にその成果と完成品をお披露目したいと考えています。

 さて、午後は活動ステーションでの定例会が開かれ、8月に開催された環境省のイベントや活動報告と、ボランティアの活動や今後の予定について報告があった後に、先輩を講師役としたミニ勉強会が開かれました。

 津島市では上高地について誰にも負けないと思っていても、ボランティアの先輩達の蓄積した知識や経験には全くの無知であることを自覚させられ、素直な小学生のような気持で学ぶ気持にさせられます。

 次の上高地は月末で、ガイド勉強会が開催されます。

 本日は朝から午後まで雨が降り続け、午後4時頃には雨があがって太陽の日差しが差したものの、残念ながら日帰りとなりました。
 ただし、完全なる晴天はしばらく期待できないため、長期滞在中の渡辺画伯が月末まで居残るかが微妙な環境ではありますが、本日の小梨平のテントはまだらとなり、ススキなど秋の気配に寂しさもしのび寄る上高地となりました。

                                       9月8日の一言

明日の予感   雨の上高地へ


イメージ 1
お盆の上高地

明日も雨の可能性が高く、雨中の上高地になりそうです。

お盆に滞在した上高地も一日晴れただけで、2日目から毎晩のように雨に降られ、最後となった14日と15日は激しい雨に見舞われ、靴も濡れたため長靴で行動していました。

どうやら明日もそんな覚悟が必要になりそうです。

                                       9月7日の一言

屋根瓦の修理が終わりました

イメージ 1

2日前の台風で飛んだ瓦の修理


 本日朝の天候は晴れでしたが、夕方からは雨との予報に、2日前の台風21号の強風で瓦数枚が飛んでいるため、夕方には来てくれる瓦屋さんの到着前に雨漏りを防ぐブルーシートを張ってこいという家内との会話です。

「夕方までに雨が降ってこないかなぁ」
     「判らない…」
「明日からも当分は雨みたいよ」
     「だからと言っても…」
「念のためにブルーシートでも張ったら」
     「えっ、オレがやるの…」

 瓦職人でも雨降りには屋根に上がれないため、万が一の雨に備えて私にシートを張れという家内でしたが、実際に屋根の下から眺めると、不器用な私では落ちてくる可能性が高く、雨漏りよりは命が大切と断念してくれ、その足で車を名古屋のガンセンターまで走らせました。

 夕方まで雨が降らないことを祈っていると、昼前に知人の瓦屋さんが来てあっという間に瓦を張りなおしてくれました。夕方と思っていたため大歓迎の到着でした。
 今回の台風によって私の地域では瓦が飛んだ家も多く、昨日夕方に我家を見て通ったものの、日照りの作業に疲れて通り過ぎたとの話で、本日も夕方まで修理が続くとの話でしたが、修理後に一緒に出向いた昼食会場でも修理を依頼する電話が入っていました。

 幸いにも修理が済みましたが、天気予報では来週まで雨の予報が出ており、台風で被災したままの人々には苦痛となる日々が続きそうです。

2人死亡、30人安否不明 5人心肺停止か 北海道地震
 
関空7800人の救出終了 近畿27万9千戸で停電続く

西日本豪雨から2カ月 死者227人、不明者の捜索続く

 さて、2ヵ月前の西日本豪雨はもちろんですが、2日前の台風でも大きな人的被害が出ており、本日未明の地震でも大きな被害が報道されており、我が家の屋根の心配など記すことすら気が引けますが、2日前の大阪の被害を見ると、コースが愛知県を向いていれば甚大なる家屋の被害と、伊勢湾台風以来となる堤防の決壊も考えられ、日本中が安全とは言えない現実を実感させられます。

 明日は議会の委員会があるため市役所の一日となりますが、留守をまもる家内は名古屋のガンセンターと中村日赤へ2往復し、津島市内は1人を仲間の協力をもらうものの、市民病院への通院も1人あり、本職のタクシー運転手よりも忙しい一日となりそうです。

 全く役たたずを実感させられます。
                                     9月6日の一言


市議会一般質問が続いて

イメージ 1
市役所の夕暮れ

 本日は市議会の一般質問が開催され、7人が質問に登壇しました。

 一般質問は、月曜日から3日間予定されていましたが、昨日の台風の影響が確実だったことから、月曜日に9人が質問に立ち、夜7時過ぎまで開催して昨日を休会日とし、本日が最終日の質問となりました。

 私の質問は、市民生活における移送サービスについて、近隣市町の現状と行政の今後の支援策について質問しました。

 公共交通のサービスが低下している中で、病院や買物に行けない移送困難者の増加に対して、我々民間ボランティアの有償移送サービスだけしかない現状と、ボランティア全員が年金受給者となっている現実から、ボランティアの継続のためには行政が本気で取り組む必要があります。

 隣接する愛西市には、高齢者を無償で移送するボランティア制度が存在し、車イスだけでなく寝たままストレッチャーで移動できる移送もタクシー会社に委託しており、あま市も2年前から社会福祉協議会が無償の移送サービスを展開しており、今年も運転ボランティアの養成講習を開催し、新たに8人の受講がありました。

 より高度な医療を受けるためには、患者さんを車イスやストレッチャーのまま病院から病院まで移送するサービスは必須となりますが、愛西市のように週に1回、500円の負担で利用できるのに対して、津島市は自分でタクシー会社を探して最低でも1万円程度の負担を強いられるため、医療費より高額な負担になっています。

 私たちが移送ボランティアをスタートしたのが10年前で、若いと思っていた年齢は全員が年金を貰う年代となっており、このままでは5年後の存続は厳しいのは当り前で、我々の有償運送しか存在しない現実の改善は急務です。

 いずれ自分たちも病院に連れて行ってもらうようになるからと言っていたボランティアですが、乗せてもらえるどころか、ボランティアが辞めるに辞められない現状からの若返りが課題となっています。

                                       9月5日の一言


台風は離れて行ったものの

イメージ 1
早朝の名古屋市中村区 名古屋赤十字病院 午前8時ころ

イメージ 2
中村の大鳥居

イメージ 3
我家の屋根 瓦が飛びました 午後5時ころ

 本日は台風の影響で議会が休会となったため、津島市民の会員さんを名古屋ま病院まで移送することになり、私は中村日赤に送迎し、家内は千種区のガンセンターへ走りましたが、午前7時に出発したものの、橋の上では強風に車体が大きく揺れました。

 平常時には病院の玄関前に車が並んで停める場所に困りますが、本日は一台も車がなく、私の車両だけだったものの、病院内には多くの患者さんで行列ができていたようで、家内が訪れたガンセンターも大量の患者さんが訪れていたようです。

 ガンセンターについては、一日でも休むことは命に係わるため、大型台風が近づいていても患者は躊躇することなく通院することになりますが、鉄道や公共交通機関ですら運行を休止している中での通院はボランティアとは言えない責任が伴います。

 幸いにして双方とも午前中に診察が終わり、なんとか無事に自宅まで送迎することができました。

「車いすで利用したいんだけど…」
     「いつですか」
「今から頼みたい」
     「えっ、今からですか…」

 台風で電車が運転を見合わせ、タクシードライバーでも運転を躊躇している中を、我々低額な福祉有償運送と解っていても、当たり前のサービスのように電話される人もありますから、最近では非情かも知れませんが、日頃利用されている交通機関へ連絡してくださいと断ることが増えました。

 さて、コースから離れた愛知県でも、午後から風が強くなり、午後3時頃には経験したことのないような強風で、家の周辺で物の倒れる音が響き、今から30年ほど前に父親が手作りしたトタン屋根が吹き飛び、自宅前の道路上を多くの物が音を立てて転がっていきます。

 愛知県は午後5時前には強風が治まったため、我が家の周りを確認すると、2階の屋根瓦が数枚飛ばされており、隣の2軒も同じように瓦が飛んでいることから、トタン屋根や瓦は強風(突風)によって地域的に被害を受けている可能性も高く、我が家は停電にならなかったものの、広範囲で停電がおこっている模様です。

 今年はすでに多くの台風が襲来していますが、まだ9月になったばかりであることを考えると、四国遍路や上高地の紅葉など楽しい予定ばかり考えてはおれない厳しい現実も実感させられる一日となりました。

                                      9月4日の一言

台風の前日とは思えないものの


イメージ 1
市役所から見える風景 西南多度方面 午前10時19分

イメージ 2
同じく市役所から東南 蟹江方面 午後3時

明日に台風が来るとは思えない天気です

イメージ 3
午後5時15分

イメージ 4
午後6時22分 南方面

 ただし、窓をあけるとかなりの強風が吹いていました。本日は議会の一般質問が開催されていましたが、明日に台風21号が近づき暴風雨圏内に入る可能性が高いため、明日は議会が休会と決まりました。

 さて、議会は休みになりましたが、私は午前7時から名古屋市の中村日赤と、千種区のガンセンターに患者さんを移送することになり、治療は命に関わるため休めないので、台風でも診察は行われるとの話です。

 まさに嵐の前の静けさのような一日となりました。

                                       9月3日の一言


台風の進路が気になる一日となり


イメージ 1
本日の空模様 午後5時津島市葉苅町

イメージ 2
3日前の進路予想

イメージ 3
本日午後3時の進路予報

 雨こそ降っていないものの、2日後には本州に上陸が予想される台風21号の進路が気になってしようがない一日となりました。

台風21号 非常に強い勢力を維持し4日(火)に上陸のおそれ

 このまま21号が非常に強い勢力で日本に上陸すると、25年ぶりの大型台風となり、台風が接近すると見られる4日には四国や近畿、中部などで暴風に警戒が必要となり、また各地で強雨・大雨となる恐れもあるとの報道で、「早めに暴風雨への対策を行ってください」とありますが、築50年をこえた我が家には家そのものが倒壊する心配な台風ともなります。

 3日前の進路予報とほとんど予報は変わっておらず、多少は西にずれているものの、台風の勢力圏に入るのは確実と思われ、強風だけでなく、私の住む地域は木曽三川の河口部で海抜ゼロメートル地帯にあるため、堤防の氾濫や浸水も同時に心配となってきます。

 私は明日から市議会の本会議が始まりますが、福祉有償運送に係わるボランティアの仲間たちは、病院に通う高齢者や障がい者の方々の移送を予約されており、私の家内については、4日に入院して手術を受ける会員さんを名古屋の病院まで運ぶ約束と、同じく名古屋市内まで命に係わる治療を受けている人を移送していく予約があるため、今から台風の進路が気になって仕方がない様子です。

 同じ台風を迎えるわけですが、闘病中の人々だけでなく、建設が始まったばかりの家もあり、それぞれの人によって心配の大きさは違いますが、こんな時には新しいマンションに生活されている人や、家の心配をしなくて済む人々がうらやましく思われます。

 来ることが判っていても、これこそ他力本願で何事もないことを祈るばかりです。

                                       9月2日の一言

昨日は歯科医、本日は耳鼻咽喉科医院へ


イメージ 1

 数日前から朝起きると右の耳と喉の辺りに違和感があり、これまでの人生では経験したことのない痛みのため、風邪ではなさそうなことから、扁桃腺か中耳炎のリンパ腺痛かと思って耳鼻咽喉科を訪れました。

「いつから痛いの?」 
      「3日ほど前から…」
「どんな痛みなの?」 
      「このあたりがキリキリと…」
「いつも痛いの?」  
      「唾を飲み込む時と、口を開けた時に…」

 喉の扁桃腺は異状なく、鼻も異状なく、耳も悪くないとの診察ですが、原因がわからないため、先生は「ものすごく痩せているけど」と、過去の私と比較した話となり、管理栄養士さんの指導で4年ほど前から10キロほど痩せた説明をし、昨日訪れた歯科医院での治療を問われ、歯の噛み合わせの可能性と、胃潰瘍や胃痛がないか問われたものの、何も異常はないためとりあえず1週間分の胃薬をもらってきました。

 「えっ? 耳鼻咽喉科で胃薬」とは不思議でしたが、それでも医院から帰宅するころには痛みが消えていたのも不思議だったものの、何もしていないのに治るはずはなく、午後には同じように痛みます。

 ここの先生と話すのも久しぶりで、私の体重の減量がよほど不思議だったのか、胃がんの心配かどうかは判りませんが長話になり、治療後にわざわざ待合室まで出てこられ、私が知人と訪れていた四国遍路の話から、それで体重も減ったのかなぁと語られていましたが、体重が80キロあった4年前までと、私の顔や体形が変わってしまったことが先生には信じられなかったのかも知れません。

 息子に電話で部位と痛みを説明すると、(がく)関節症の可能性がたかく、ネット検索して確認しました。


 最近はご存知のように書類送検されたとの新聞報道もあり、議会が始まったストレスが原因かもしれませんが、過去から睡眠のとり方に問題があり、身体のリフレッシュとともに、10月に実施予定のがん検診や、基本健診を早めて痛みを払拭したいと思います。

                                        9月1日の一言

ギャラリー
  • ようこそ 大鹿一八の納経所へ
  • ようこそ 大鹿一八の納経所へ
  • 令和6年 上高地開山式の様子です
  • 三重県桑名市大福田寺の聖天祭へ
  • 毎年恒例となった我家のアンズジャム作りへ
  • 毎年恒例となった我家のアンズジャム作りへ
  • 本日もボランティアの一日となって
  • 我家のきゅうりとプランターのイチゴです
  • 我家のきゅうりとプランターのイチゴです
アーカイブ
  • ライブドアブログ