大鹿一八「本日の一言」

平成16年2月から令和1年7月末までの「本日の一言」です。ヤフーブログ閉鎖により、ライブドアへ過去の記録として引っ越しました。

2018年10月

本日のボランティア

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名古屋中村日赤から我家までのタクシー料金
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本日の利用者(津島市)宅から中村日赤までの料金

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利用者宅までの走行距離

 本日は午前7時から名古屋市中村区の日赤まで通院される患者さんの移送に出かけましたが、病院の診察と治療が終る時間が判らないため、一度自宅に戻って待機し、連絡を受けてから再度日赤に走ります。

 中村日赤から我家まで9,8キロあり、実際にタクシーメーターをまわすと4,250円となりますが、福祉有償運送の料金は1,720円となります。

 本日は午前中に治療が終りましたが、日赤から患者さんの自宅まで11キロあり、ボランティアとなる福祉有償運送の料金は1,960円でしたが、タクシー料金では4,550円となりますから、概ねタクシー料金の半額以下が福祉有償運送の料金と
なっています。

 本日の患者さんが公共交通機関を利用した場合、名鉄バスの料金が片道520円ですみますが、自宅からバス停まで約1,5キロの距離を歩き、名古屋でもバス停から1,5キロ歩くか、地下鉄に乗り換える必要があり、この患者さんは半身不随で奥さんの同行も必要なため、高額となってもタクシーしか通院手段はありません。
 本日の患者さんは2人とも障害者手帳によってバス料金は半額になるものの利用できず、タクシーを利用すると1回の通院で往復9千円以上にはなりますから、何度も通院する場合は年金生活者にとって大きな負担となり、我々の福祉有償運送しか交通手段がありません。

「今から利用したいんだけど来てくれる」
    「どういう状態ですか」
「障がい者なら利用できるんでしょ」
    「そうですが、予め会員登録が必要なんです」
「じゃー、会員になるから来てくれる」
    「ですが、本日は他の予約があるので」
「済み次第来てちょうだい」
    「ですから、先約があるので本日はタクシーを利用してください」
「タクシーは高いから損するじゃない」

 どんな依頼にも応えたいものの、初対面となる電話で障がい者だから利用できるとか、タクシーは高いから損と言ってタクシー代わりに利用を依頼されると、ボランティアとは言え、タクシーと同じ労働になることと、重複した場合に料金の高いタクシーを利用してくださいと言えないため、他のボランティアの心情も考え心を鬼にして断るしかありません。

 現実には、会員さんの依頼を断ることは病気の悪化や命に関わることから、1人で一日に5人の予約をこなしたこともありますが、依頼の無い日もあり、仕事として報酬を求められないため、メンバーのボランティア意識に期待するしかありません。

 そのボランティアも10年を経過し、本年末で年金受給者となることと、何よりも家族やペットが病気になり、予約を優先して家族を後回しにしているのは苦痛で、ボランティアの限界を感ずるため、ボランティアの継続には仲間を増やすしかないと実感するとともに、NPO法人の拡充に一頑張りが求められています。

                                  10月31日の一言

マックからホームセンター、そして夜の書道へ


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家内と2人でマックへ
                        私はアイスコーヒーMサイズ120円と
                                  150円(Lサイズ)のフライドポテトです

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家内のお気に入りシナモンメルツ
                          コーヒーとセットで300円です

 午前中に予定した仕事があったものの、朝からボランティアで患者さんの通院に同行していた家内が帰ってきて、「お茶でも行く?」の一言によって、時間が無いためマックを訪れたことから、我家のペットたちのためにホームセンターに行くことになり、帰宅後は購入した品物の組み立てに四苦八苦していると夕陽は沈んでいました。

 さて、10月は火曜日が5週になることから、書道会の恩師からこの日は休みにしようと連絡がありましたが、書道会は書道だけでなく旅行も楽しむ会になっているため、高齢で旅行に行けなくなった恩師が不在の方が都合が良いため、書道後は近くのコメダの珈琲タイムとして旅行先の雑談に花を咲かせました。

 明日で10月も終わりになりますが、11月の最初は上高地に走り、5日に胃カメラの検査を受け、7日には知多半島巡礼の団体の運転手役になり、翌週は三男夫婦と孫に同行して家内と沖縄に出かけることが決まり、18日には横井庄一記念館のNPO法人化初のクラフト教室が予定されているため、参加者の動員と準備に忙しい上に、自分自身の栄養相談や年金相談会だけでなく、ほぼ毎日ボランティアの予定がはいっており、このまま更に忙しい師走入りとなっていきます。

 この中に書道会の旅行をあてはめるのは限界で、例年1泊の予定が日帰りになってしまう可能性もあり、今月が締め切りとなるホテルの宿泊無料券があるものの、ボランティアのため利用する日程すら作れそうもありません。何と言っても食事と温泉のある宿泊券のため無駄にはしたくはないものの…

 もっとも、家族の闘病生活と、ペットの体調管理なども考えると外出すら難しい環境ですが、意図せず忙しくなってきたことで前向きに活動できそうな雰囲気になってきました。

                                   10月30日の一言


紅葉が最盛期を迎えて


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知人と昼食に  かつや一宮尾西店


 本日は一宮市の知人に依頼した仕事のため朝から資料を準備していると、来客があり応対してから慌てて家を出ると昼近くなっており、仕事が終ってそのまま帰るのも申し訳ないと昼食に同行してから時計を見ると、歯医者さんの予約時間が迫っており、歯医者さんの駐車場まで家内に歯ブラシを持って来てもらう綱渡りとなりました。

 最近受診した健康診断の結果は出ていませんが、胃がん検診でポリープが見つかり、血圧の数値から眼科を受診(異常はありませんでした)することになるなど、確実に身体は疲弊していると思います。

 本日の歯科医院でも新たな虫歯が発見され、明後日から治療が始まります。


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御岳山の紅葉

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 富士山の五合目付近の効用が最盛期となっており、麓付近では11月上旬まで紅葉が楽しめると報道されていますが、愛知県の紅葉の名所香嵐渓では人によって植えられたモミジが増えすぎたことで紅葉の彩が悪くなったと、シーズン後に伐採していくとの発信があります。

紅白のコントラスト鮮やかに 富士山麓の紅葉が最盛

モミジの名所…でも「多すぎ」 紅葉シーズン後、伐採へ

 昨日訪れた御嶽山でも紅葉が身頃になっていましたが、自然の山々の紅葉も見事ですが、やはり人家や人里の辺りに植えられたモミジの紅葉は美しく、自然と人のかかわりによって見事な紅葉が造られているのかも知れません。

                                   10月29日の一言

御嶽山五合目 八海山小屋


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本日の御嶽山 木曽町三岳から

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台風の影響は現在も続きます

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カラマツ林を走ります

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遠方に見える木曽駒ケ岳

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八海山小屋

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貴重な山小屋です
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時間が停まったようです

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額縁のような景色

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 2年ほど前から御嶽山黒沢口にある明栄講の霊神場に願をかけ、上高地からの帰りに必ず御嶽山に立ち寄るようにしており、今年も4月から毎年訪れてきましたが、本日は家内と外出する行き先が定まらず、まもなく87歳になる母親も一緒に御嶽山に行くことが突然決まりました。

 もっとも、午前10時近くになって出発したため、家内はお昼には到着すると思っていたようですが、途中の道の駅木曽福島で昼食をとり、見事な紅葉を鑑賞しながら走ったため、実際には御嶽山の麓である黒沢口へ午後2時の到着となりました。

 家内が御嶽山を2時間程度で到着すると勘違いしていたのは、私と出かける上高地まで3時間で到着しており、私がその上高地から1時間程度で御嶽山に立ち寄って帰宅しているため、上高地より1時間は早く到着すると思っていたようです。
 我家から御嶽山は上高地よりも距離は近いものの、上高地は高速道路が高山市まで利用でき、中津川より国道19号線を走って行く御嶽山は上高地より時間がかかります。もっとも、中津川から一般道を利用して薮原経由で上高地へ走ると、夜間でも4時間程度はかかります。

 さて、本日は御嶽神社黒沢口の里宮と、祖父や新家の霊神碑のある四合目日の出旅館前の明栄講霊神場から、田中旅館前の弘法堂に参拝し、足を延ばして白崩林道から八海山小屋にある御岳大神(神社)と弘法様に参拝しました。

 何事もなければここからも御嶽ロープウェーまで行けますが、現在は台風の影響で通行止めとなっており、林道の一番奥にある中の湯駐車場にも行けませんから、黒沢口から御嶽山に登頂するためには、直接ロープウェー乗り場経由でしか御嶽山登山はできません。

御嶽山の歴史 【偉大な行者】 http://ontake38.com/info/sinkou/gyoja/post_6.html

 さて、御嶽山の黒沢口の登山道を開いた覚明霊神は愛知県の人物で、西尾張地方や私の住む津島市にも信者が多く、私の知る先人たちが霊神として石碑に名を残しておられ、本日は参拝の道中で元郵便局長の碑を見つけ手を会わせてきました。

 愛知県から遠く離れた木曽の里に多くの人々が眠っておられるというか、霊神として後輩の我々を見守っておられると考えると、知らない土地を走るときにも、我々の先人たちが存在した可能性を考えて譲り合う気持を持って訪れたいと思う一日ともなりました。

                                   10月28日の一言


秋の蓮根(ハス)田を眺めて


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 愛西市はレンコンの産地で、梅雨明け頃には多くの観光客が鑑賞に訪れますが、本日は夏が過ぎた秋のハス田を見てみたいと車を走らせました。

 秋のハス田も魅力があるとカメラに収めていた知人が存在したことを思い出して訪れた次第ですが、まもなく年金受給者になってから見る秋のハス田は、まさに自分の人生と重ねあわせてしまいました。


 添付した記事は4年前の一言ですが、対比させると開花したハスの綺麗さが際立ち、知人の発した秋から冬のハス田の魅力が理解できません。知人の話は30年ほど前の話だけに、30年の年齢が経過した現状では侘しさしか浮かんできません。

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津島市宮川町の街路樹

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地元のイベント

 4月27日に開山した上高地も、まもなく(11月15日)閉山式を迎えようとしており、パークボランティアの最後の案内が届くようになりました。何とか都合をつけて参加したいと思っています。

                                    10月27日の一言


薄れ行く歴史 佐屋街道


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自性院の石柱

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大治町砂子の自性院

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四国八十八ヶ所ゆかりの石碑

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大治町砂子の高札跡地

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 2日前に名古屋市中川区から津島神社まで、旧東海道熱田宿から桑名宿の陸路となる旧佐屋街道を歩いたところ、目新しい観光用の表示が整備される一方で、かつて人が集っていた名所旧跡が廃れている現実も気になりました。

佐屋街道(名古屋市~愛西市) http://network2010.org/article/220

 添付した大治町砂子の自性院についても、多くの弘法大師の幟旗がはためいているものの、参拝する環境が整っておらず、本堂も締め切られたままになっていましたが、境内には歴史を感じさせられる海東郡二十六師第四番や、昭和二十一大師第一番の石柱が残されていました。

 今でこそ檀家も少なく、人も寄り付かない環境にありますが、自性院の『縁起』には、大宝2年(702)に.開基された北野山成願寺という大寺院が元々のお寺で、14世紀の絵図に大きな堂や五重塔が記録されていることを考えると、 明治政府の廃仏毀釈運動によって衰退してしまったことが推測されます。

 さて、帰宅後に石柱に刻まれていた「海東郡二十六師」や「昭和二十一大師」をネット検索したところ、関係する記録は何も無く、かつて存在した海東八十八ヶ所霊場や三十三観音についても存在せず、観光目的で最近創られた「津島霊場会」ばかりが検索されてきます。
 観光目的で作られた霊場ではなく、参拝目的で自然に継承されていたかつての巡礼や霊場が姿を消したことは仕方ないとしても、その記録まで消え去ってしまっていたことは本日まで知りませんでした。

 今から15年以上前の話となりますが、浄土宗の僧侶であった私の叔父が、海東郡八十八ヶ所霊場や法然上人尾張二十五霊場について調べており、公開していたホームページ上に写真も添付しており、地元テレビ局にも資料の提供を求められていましたが、老人福祉施設へ入所する際にパソコンを破棄して記録は見えなくなってしまいました。

 それでも当時は私の住む地域に存在した霊場を記録するネット発信が複数存在しており、それらの検索できる環境が無くなっていたことに寂しさを覚えます。


 添付したブログは名古屋市の守山区在住の牧さんが運営されていたものですが、今から7年前に新たな更新が停まったままで、新たな発信は永遠に無いと思われますが、過去の歴史を記録して残そうとする意欲は行政には感じさせられず、復刻して残した記載ミスによって歴史が正しく残されないことも問題です。

 これまで人の発信に期待していましたが、この一言でも過去の歴史を意識して書き残しておきたいと思う一日ともなりました。

                                 10月26日の一言


津島山妙延寺・加藤清正ゆかりの松


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用紙一杯に書き込まれた朱印

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山門から見える妙延寺本堂

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右側が清正公草紙掛松の2代目

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元の草紙掛松が生えていた場所

 昨日名古屋から津島神社まで歩いた津島詣で立ち寄った妙延寺では、本堂で寺の由来について説明があり、戦国武将の加藤清正が幼少時にお寺で読み書きやそろばんなどを習っていたことと、習字の半紙を干して乾かしていた松の由来を聞きました。

 この松は戦後に枯れてしまい、現在は2代目になっているのは残念ですが、慶長16年に亡くなった加藤清正ゆかりの松が、その後400年も生き続けていたことを考えると、植物といえども寿命がある現実と、お寺の歴史も実感させられました。

妙延寺の公式サイトから引用
 清正が5歳の時に、母親いとの弟である五郎助の家がある津島に来ました。この津島の叔父の家は、現在、清正公神社となっております。清正公神社は、津島駅より西へ、徒歩10分のところにあります。
 清正の母親いとは、この津島で生活をした数年の間、清正をこの妙延寺に通わせて、時の住職日順に、読み書きそろばんなどの学問を習わせました。
 この妙延寺寺子屋時代に1つのおもしろいエピソードがあります。妙延寺境内に大きな松の木があり、清正が、よく習字の半紙をこの松の木に掛けて干していたそうです。この松の木は、以来「清正公草紙掛松」と呼ばれ親しまれましたが、第二次世界大戦後、枯れてしまいました。現在、妙延寺には、この「清正公草紙掛松」の幹の一部が残されています。
 また、尾張津島秋祭りの折には、清正公神社より鬼祭り行列が出発し、津島市内を練り歩きますが、途中、清正公と妙延寺の縁をしのび、鬼祭り行列が妙延寺にたちよります。
 この鬼祭り行列は、清正公神社につたわる清正公幼少時の故事に由来しています

 あま市の七宝町下田には、源義経が弓を掛けたと言われる「弓掛け松」があり、昭和48年夏に3代目となる枯れかけの松を写真に収めましたが、その後訪れた際には全く縁もゆかりもない新しい松が植えられていました。

 我家に植えられた木々の中には、横井庄一がタネを蒔いたマキと、空海ゆかりの四国椿堂から頂いてきた椿などとともに、私の旅先である白馬村の朴の木や更埴市のアンズの木など、私の死後にも残して欲しい樹木が存在します。それらを残していくためには、子供たちに木々の由来を説明していくことが重要で、その前に我家の歴史や先祖について話したことがない反省も必要です。

                                   10月25日の一言



津島詣で岩塚から津島神社まで


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本日最初に訪れた荒子観音(天台宗)
                        前田利家ゆかりのお寺です 名古屋市中川区

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庄内川を渡ります 万場大橋

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新川を渡ります 砂子橋

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神守一里塚へ 津島市神守町

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日光川を渡ります 日光橋

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津島一里塚へ 

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本町の道標前 津島神社参道道
                         ここで津島上街道と下街道が交わります

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津島神社に到着です

 本日は歩き遍路友の会東海メンバー11人とともに名古屋市中川区から津島下街道(旧佐屋街道)を歩くため、午前8時30分に荒子駅に集合し、中川区の荒子観音から庄内川と新川を渡り、横井庄一記念館の見学と休憩の後に、大治町、七宝町から津島市に入り、神守の宿から日光川を渡って、津島一里塚を経て目的地の津島神社に午後4時20分に到着しました。
 約20キロ越(徒歩数2万越え)の行程です。

 午後5時より、まぐろ居酒屋三代目網元・さかなや道場で打ち上げとし、午後8時に名鉄藤波駅で散会としてメンバーを見送りました。

                                    10月24日の一言


相棒リマの通院からマックまで


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子分(私)が居るので少しは落ち着いていますが…

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近鉄電車 弥富市

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何でも買い取るキンブル 弥富市

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国道1号線ピアゴ十四山店の隣のマック

 今月9日に会陰ヘルニアの手術を受けた相棒リマ(ポメラニアン雄)の通院のため家内と弥富市まで走りましたが、手術後の経過は順調で、傷口もきれいに治まってきたため、本日傷口を縫った抜糸が行われ、首につけていたエリザベスカラーも本日から取ってもらいました。

 手術直後から相棒は手術した傷口は痛がってもいませんでしたが、首に取り付けられたカラーについては、ご飯も食べにくいことと、ボール遊びも邪魔になり、何よりも首や顎などが痒くても足でかくことができずに苦しんでいました。

 深夜に「カリカリカリ、カリカリカリ、…、…、」とカラーを足で掻き続けると、相棒から3メートル離れて寝ている私が熟睡できないばかりか、あまりにも苦しそうに掻き続けるため、その都度私が手で掻いてやることになります。

 おまけに、最近では私に首付近を掻いてもらうため、日中でも寄ってきて離れませんから、うれしい半面で手を休めると舐めて催促するため、私にも苦痛になっていました。それも今日で終わりとなります。

 しばらくは病院に行くことはありませんが、病院で与えられていた缶詰の食事がお気に入りとなったことから、これからも定期的に病院に行く必要があり、これまで震って怖がっていた病院通いを少しは楽しみに変えていくため、今後はマックに立ち寄ってリマの喜ぶおやつも与えたいと思います。ここは外で一緒に座れそうです。

                                   10月23日の一言


横井庄一記念間西側のススキが見事です


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横井庄一記念館西側のススキ

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見事なススキです

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記念館前の草ボケ

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記念館の柿の木

 横井庄一記念館は名古屋市中川区にありますが、記念館前の道路が拡幅されて新道が建設されることに伴い、記念館西側や南側に残っていた水田や畑を区画整理して、将来は住宅地になっていきます。

 現在は記念館西側の広大な土地にススキが群生し、都会では珍しい自然環境になっていますが、これも今年が最後になりそうで、記念館玄関の道路建設が来年には始まる可能性があり、記念館前の樹木の剪定はしないように言われています。

 記念館玄関周辺に植えられている樹木は、横井さんが帰国後に自分が幼少時にタネをまいたマキの木を移設したり、知人からいただいたお気に入りの木が多く残されてきましたが、道路拡幅による庭の削減によって柿の木など今年が最後になる樹木も存在します。

 昭和47年にグアム島で発見され、帰国直後に自宅が建設されましたが、自給自足の耐乏生活をおくっていた頃には畑も耕され、庭にも自分で入手した木々が植えられたものの、平成になった頃には病気によって現状維持となり、本日も親族の庭師さんが庭の剪定に入っていますが、畑は雑草が生え放題になっています。

 それも魅力で、記念館西側のススキの原っぱは観光地とは言えないものの、都会の中では珍しい自然環境となっています。

                                10月22日の一言


阿息観と弘法大師報恩法会へ


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本日の夕暮れ 左は平成元年登録のライトエース 午後5時30分

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阿字観本尊

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弘法大師報恩法会

 毎月21日は町内の弘盛寺で阿息観が開かれていますが、本日は高野山の布教師を招いて弘法大師報恩法会が開催されるため、30分早く阿息観が開かれ、午後2時から4時まで報恩法会が行われました。

 布教師は福岡県普門院の才田亮舜住職で、近隣市町寺院住職や檀信徒も集う中で報恩法会が行われ、金剛峯寺座主の中西啓宝大僧正(高野山真言宗管長)のお言葉を代行して読み上げられ、その後1時間程度の法話がありました。

 今から1200年前の弘法大師(空海)の密教の教えが、師匠から弟子へと引き継がれ、現代人に伝えられていると考えると、法話後の「南無大師遍照金剛」の唱和がまるで先祖に唱えているように感じて震えさせられました。

 空海が入定した 承和2年3月21日(835年4月22日)から、後15年で1200年の歳月が経過します。できればこの年まで生きていたいものですね。

                                    10月21日の一言


地元のイベント会場から移送ボランティアへ


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みたらし団子3本100円に並ぶ行列

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プログラム

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会場は神守小学校校庭

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人、人、人

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賞品に並ぶ人たち

 本日は神守小学校区のコミュニティ推進協議会のフェスティバルが開催され、運動場と体育館を会場にして、晴天にも恵まれて多くの人で一杯になりました。

「お父さん、9時に○○さんまで行ってくれる」
     「何、何で○○さんに行くのだ?」
「病院に行きたいと連絡があったの」
     「予定に入っていなかったんじゃないか?」
「朝7時前に電話があったから…」

 フェスティバルの来賓に招待されているため、突然断ることは不可能ですが、家内にも言ってなかったため、会場に早く行って様子を見ようと8時に家を出たものの、会場で出会う人々の笑顔を見ると断れるはずもなく、病院の診察が終った迎えを約束しました。

 送迎する人は愛西市の人で歩く事が困難で、事務所に戻って車イス対応の車に乗り換えて到着すると病院入口に待っておられ、車イスのまま車に乗せようとすると、「座席に座っていく」との話ですが、車イスから車に乗り換えるのは限界で、四苦八苦の末にやっと乗車して車イスを後部に乗せました。

「隣の薬局に行ってくれ
   「えっ、そうですか…、それでまた車イスで行かれるんですか?」
「あんたが行ってくるんだよ」
   「えっ、アー、そうでしたか…」

 薬局に行くと10人ほどのお客さんがおられ、「座って待っていてください」と言われたものの、立って待つ人もある状態で、やっと受け取って料金を支払うと、風邪薬の処方の細かい説明があり、「本人ではないので」と言うと、「説明してあげて下さい」と延々と説明が続きます。

 車に戻って、料金とおつりの説明とともに薬の説明をして、やっと自宅に到着して往復料金700円と告げると、「ここから持っていってくれ」と言われた袋に小銭は少なく、おつりに困っていると、「今度の時まで覚えておいてくれ」との返事です。

 さて、苦労して車から降ろして、車イスを下ろして持ってくると、車イスは病院の車イスだったとも知らずに積んできてしまい、会員さんを降ろしてから病院に戻しに走ることになりました。

 この会員さんの住まれる地域に公共交通機関は無く、タクシーも津島市や弥富市から呼ぶしかありませんが、我家から8キロ程度離れており、往復するだけでも大変な環境で、自宅から500メートルもない開業医まで送迎して、片道350円の料金の中で、車イスからの乗降介助と、薬局の受取り代行にかかる時間を考えると、日頃対応しているボランティアの苦労が実感させられます。

 泣けてくるようなボランティアの最悪のケースですが、本日は本人が罹患していたと思われる風邪の影響で背中に寒気も感ずる活動となりました。

 明日21日はお寺の一日となります。

                                   10月20日の一言


早朝から名古屋 夜にも名古屋の一日


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名古屋にも紅葉の兆し ガンセンター玄関前

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日泰寺舎利殿

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愛知県芸術劇場

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出演した役者さんを囲んで

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夜の名古屋テレビ塔 名古屋市中区栄

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夜の笹島交差点

 早朝より名古屋市のガンセンターまで送迎し、夜は仲間の出演する演劇鑑賞のため、名古屋市の愛知県芸術劇場まで5人で訪れました。

 病気についても、地元にこだわらず、名古屋市内の高度な専門病院に行く津島市民が増え、地元で頑張ってイベントを企画する人もありますが、本格的な演劇やイベントは30分走って名古屋市まで行けば本物の体験ができます。

 そうなると鉄道やバス路線など公共交通の利便性の高まりに期待したいですね。

                                   10月19日の一言


眼科からブラブラ歩きながら半日間


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ピアゴ勝幡店駐車場にある伏見稲荷大明神

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あき眼科 愛西市勝幡町

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ピアゴ駐車場の伏見稲荷

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ピアゴ内 飛騨路

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昼食の山菜そば

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介護施設の募集

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施設内の部屋の注意書

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バロー 勝幡店

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これも看板

 昨日の健康診査で血圧が143あったことから眼科の検査が必要になり、本日の午前中に愛西市の眼科医院を訪れ、視力検査とともに眼圧と眼底検査を受けましたが異常はなく、眼科の基本健診は無料とのことでした。

 この時点で午前12時を廻っており、歩いて馴染みの珈琲店に行こうと思いましたが、通りかかった踏切にうどん屋さんがあり、昼食のため近くのピアゴ勝幡店に立ち寄り、ここで移送ボランティアに出動中の家内と待ち合わせて合流しました。

 昼食時のスーパーの広場は高齢者の憩いの場になっており、まもなく年金受給者となる高齢者の仲間ですが、行き場のない高齢者の視線と姿に違和感を感じながら店名の飛騨路に導かれて山菜そばを食しました。こんなのもありです。

 ここから叔父の入所する介護保健施設を訪れ、携帯電話の使用が困難になってきた叔父の相手をしますが、手先の細かい操作ができなくなっており、目的の相手へ連絡することが難しくなってきた現実と、介助する家族の大変さを実感して退出しました。

 さて、添付した運転手募集の内容に、一日4時間とは言え、毎日午前中と午後に2時間ずつ勤務することと、土曜日と祝日に勤務が条件となっていることに、我々の福祉有償運送のボランティアとは違うものの、引き受けたら大変な負担になることを実感させられました。

 そして馴染みの珈琲店に移動し、家内とホームセンターで愛犬の食事用缶詰を探して購入し、4時に送迎の約束がある家内と別れて、ここから4キロ程度の距離を歩いて帰宅すると辺りは薄暗くなっていました。

                                  10月18日の一言


ボランティアの合い間に健康診断へ


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本日も中村日赤へ 午前7時30分

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津島市のマンホール

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近所の夕景


 久しぶりに福祉有償運送のボランティアの一日となり、早朝より名古屋市の中村日赤まで津島市民を搬送し、診察が終るまでの空いた時間に、自分の健康診断に津島市まで戻って基本検診を受けました。

 身長168、8センチは少し縮んでおり背伸びすれば良かったと思いつつ、体重は前日からの節制で70キロ丁度と納得の結果です。血液の採取と心電図の検査で本日の検査は終り、1ヶ月前に受けた胃がんと肺ガン検査の結果を聞いて気持ちよく帰るつもりでしたが…

「大鹿さん、胃にポリープがありますね」
      「エーッ、それはガンですか?」
「心配するようなものではないよ」
      「どうしたら良いですかね?」
「去年も同じ場所に写っているから、様子をみましょう」
      「それでもガンじゃないですか?」

 昨年に見落としたというよりも、今年は院長の息子さんが第一読影者になって指摘しており、院長としては問題とは思っていなかったかもしれませんが、父親が胃がんで死んでいることと、今年7月に三男が精巣ガンの手術を受けたことから、一年先まで経過観察では心配です。

 とりあえず来月早々に胃カメラを入れて確認することになりましたが、血圧についても今年から140以上は眼科で眼底検査が必要となり、昨日とは一変して患者のような心境となりましたが、再検査を必要とする診断ではなく、経過観察の診断と「心配することはないよ」の医師の一言をお守りとして結果を見極めたいと思います。

 さて、上高地の閉山式まで1ヶ月を切りました。限られた日程での上高地のボランティア参加と、四国遍路、知多八十八ヶ所など約束した日程が次々と迫っており、次男から沖縄旅行のプレゼント話もあり、忙しすぎる日程となってきました。

                                   10月17日の一言 


秋の散策から感じた郷愁


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本日の夕暮れ

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日光川の東側 舗装中です

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まもなく収穫される稲

 3日前からウォーキングに出るようになりましたが、地元であっても車で走り去っていけば見えないものも、何も感じない風景からも悠久の時間を体感されてきます。

 津島市の中央を流れる日光川の東側の堤防が舗装中ですが、そのことを知る市民はほとんどおらず、舗装が完了しても通行する人が居るとは思えず、ガードレールを設置しないと被害者を出しそうな予感がします。

 私の小学校時代の日光川の堤防は、大人よりも背丈の高いススキや葦原になっており、同級生で探検気分で訪れたり、女子に同行を頼まれてツクシ取りに行った懐かしい場所でもありますが、通行に便利になっても自然の魅力はなくなっていきます。

 今にして思うと恐ろしい話ですが、私の少年時代には堤防に隠れてしまえば人目にもつかず、逃亡する罪人や犯罪の場所になりそうな環境も、中学校をズル休みする常習犯であった私には憩いの場所でもありました。

 時代とともに変わっていく環境の中で、現代社会にあった憩いの場所にするアイデアが求められますが、最近の津島市や行政にはそんな無駄話も耳を傾けそうにはありません。
 かつての議会で、日光川の雑草を放牧したヤギかヒツジに食べさせて、伐採費用を浮かせたらと発言したことがありますが、市民病院の赤字が一般会計を圧迫し、現状維持どころか、公共施設の廃止や民間への売却が語られる現状では夢のような話ともなってきました。

                                   10月16日の一言


久しぶりのウォーキング


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田舎の原風景 本日の夕暮れ

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「おーい、小玉食堂に行こうか?」
    「うーん、遠くまで行きたくないなぁ」
「じゃー、スプーンベルにしようか?」
    「それも昼にはいきたくないなぁ」
「そうか…」

 知人から昼食の誘いですが、家内が昼食は用意しており、それならコーヒーと言われても、何よりも私の馴染みの店名をあげれば行くと思われる誘われ方が気に入らず、知人をマクドナルドに誘いました。

 マクドナルドは明日の午後からコーヒーが無料のキャンペーンを行いますが、本日も「見せるキャンペーン」で、コーヒーМサイズが120円で、フライドポテトのLサイズが190円で注文でき、知人の昼食は100円のハンバーガーで我慢してもらいました。

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マックキャンペーン

「プレミアムローストコーヒー」のSサイズが、10/16(火)~10/19(金)の期間、15時から21時まで無料でお試しいただけます。



マックキャンペーン  


 本日は横井庄一記念館の雑用で一日が経過してしまい、夕方に家内に誘われたスプーンベルから歩いて自宅まで帰ってきましたが、来週に20キロ程度の街歩きが予定されており、先月から天候不良とともに、我が家の相棒の不調によって上高地を訪れておらず、このことが足腰の鈍化と体調不良を招いているため、久しぶりのウォーキングは足に堪えました。

                                   10月15日の一言


動物病院に見習いたい


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我家の相棒リマの診療中です 弥富市ひので動物クリニック

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物流の拠点 弥富インターに近い佐川急便

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我家のサルスベリの花

 先週火曜日に手術を受け、金曜日に退院してきた相棒リマ(ポメラニアン)の経過を診せに弥富市の動物病院を訪れたところ、県外の三重県から連れられてきたペットや、近隣のお客さんでいっぱいでした。

 日曜日にもかかわらず診察しているのはここだけでなく、私の住む津島市でも新しい動物病院は土曜日も日曜日も診察しており、名古屋市まで行けば夜間や24時間対応の医療機関が存在するなど人間よりもサービスの良い環境にびっくりです。

 私の息子がガンの疑いで開業医の診察を受けた時に、5日後か1週間後しか血液検査の結果が判らないと言われましたが、相棒の通院する動物病院は人間と同じ項目の検査を1時間後に説明してくれました。

 パソコンの画面を向いたまま触診も無いと言われる人間の病院と違い、ペットは触らないと異状も判らず、診断の先送りは命取りになるため即断が求められ、手術も他の病院任せにはしませんから、医師の責任も大きく、対応の良し悪しが病院経営に直結していきます。

 有難い世の中です。かつて、体調不良の愛犬を抱えても近くに病院もなく、死なないことを祈りながら朝を迎えていた頃とは時代が変わりました。
 とりあえず、あと5年を私と相棒の共通目標にして、ともに健康な日々を送りたいと思っています。

                                   10月14日の一言


年齢を考えるとボランティアの限界も


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 2日前に受講した安全運転管理者の手帳と講習修了証明書ですが、車を5台以上使用して事業展開している企業や団体には必ず必要となる公安委員会の資格で、毎年講習を受講することが求められています。

 年内に65歳をむかえて、いずれは年金受給者として生活していくわけですが、ボランティア活動のために多くの資格を必要とされ、それらにそれぞれの参加費用が必要となり、無報酬の役員として参加しているため継続は苦しいものがあります。

 平成17年に幼稚園へ通園できない障がいを持つ園児をワンコインで運ぶボランティアを始め、その後に病院への通院を依頼された高齢者も対象にする一方で、国土交通省の認可を得て、仲間を募って福祉有償運送を始めました。

 年寄りとは思わない50代が還暦を越え、まもなく年金受給者になる年齢を考えると、ボランティアもほどほどにして、自分の楽しみを考えたいと思うと、好きで行くようになった四国遍路や上高地も、全てがボランティアの延長となっていました。

 最近になり、息子の闘病生活や愛犬の手術が重なり、自分のやるべきことの足元を見ながら、私や家内の移送に命を託しておられる高齢者の存在に、ボランティアの縮小や停止との、非情な選択を迫られる時期が近づいていることを実感させられます。

 犬嫌いの人からみれば愛犬の通院なんかは余分なことかもしれませんが、移送ボランティアの予約と依頼によって、相棒の通院や退院が後回しになり、我家にとっては愛犬も家族で、私の大切な息子となっており、人間のためとは言え、他人の移送のために相棒を後回しにしたことは重大です。
 そして、昨日に畑で転んでケガをした母親が、本日には自転車で医者まで通院していました。

 まもなく90歳に近づく母親や、高齢期を迎える愛犬だけでなく、私たち夫婦や息子とともに、昨年末に生まれたばかりの孫も含めて、誰か一人でも病気になれば他人のボランティアには走っておれないことから、昨日退院してきた息子と愛犬を考えると何もできないままに一日が過ぎ去りました。


 添付した記事についても、我が身になって考えないと理解できないものがあるかもしれませんが、2人に1人がガン患者と言われる社会では、当り前の事実として考えて、ガン患者を排除する発言は慎みたいものです。

                                    10月13日の一言


ガンセンターから動物病院まで


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がんセンターに貼られた掲示物

 がんセンター入口に張り出されたポスターに、風邪やインフルエンザを蔓延させないためマスクの着用や手洗い等のエチケットが記されていました。

 がんセンターには抗がん剤を使用した治療中の患者さんが多く、抗がん剤によって身体の白血球数が減少しており、インフルエンザや風邪に感染させられると抵抗力がないため危険な状況になり、肝心ながん治療にも大幅な遅れと影響が出るため、これから冬を迎えて注意が必要となります。

 がんを治療中の患者は病院に入院していると思っている人が多いものの、患者の多くは家庭から通院して放射線治療や抗がん剤治療を受けており、地域の中でも自分の風邪を第三者に感染させない配慮が必要で、病気によっては致命的な影響を与えてしまいます。
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がんセンター玄関前の愛車

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弥富市で見た鈴鹿山系の夕暮れ

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 本日は午前中に市内の開業医と、市外の整形外科と接骨院に通院する市民の移送に走り、午後は名古屋市のがんセンターと、弥富市の動物病院の退院に同行する一日となりました。

 さて、動物病院は3日前に手術を受けた我家の相棒の退院となりましたが、順調に回復して連れ帰ったものの、病院で食事を口にしていないことと、大便をしていないことが心配で、事前に身体に良いヨーグルトとチーズを購入してきました。

 病は気からと言いますが、人間だけでなく愛犬にもその言葉はあてはまり、我家に帰った安心感からか私の食べる果物を口にして、今までに見たことのない量の排便がありました。

 動物病院では相棒も必死に耐えて我慢していたと思われ、知らない他人に貰う食事は口にせず、部屋を汚してはいけないと思って必死に便意を我慢していたのでしょう。我家に帰った安心感からか、帰宅直後に3日か4日分はある大便を出し、家族全員で喜んで見守りました。大量の排便で喜ばれるとは相棒もびっくりですが、会陰ヘルニアで排便に苦しみ、手術後も必死に我慢していたと思うととりあえず一安心です。

                                   10月12日の一言


入院中の相棒の笑顔にホッと


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入院中のリマ

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ひので動物クリニック http://www.hinode-ah.com/
                   【住所】〒498-0031 愛知県弥富市平島町大脇4-1
                        【TEL】 0567-74-5012

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元気な表情です

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明日には迎えに来るからなぁ

 今週火曜日に手術を受けた相棒リマの面会に、弥富市にある「ひので動物クリニック」を訪れたところ、孤独に横たわっていましたが、私たちの姿を見てホッとしたのか、2日前に手術を受けたとは思えない元気な表情を見せてくれました。

 会陰ヘルニアの手術前は、排便の苦痛で食事もできずに苦しがっており、手術後は点滴を受けて無菌室で眠っていたため、久しぶりに元気な姿を見て安心するとともに、予定通り明日に退院できることになりました。

 相棒(ポメラニアン)は毛が長くモフモフ感に魅力がありますが、今月初めに連れて行った美容院で丸裸のように刈られて帰宅し、「なんで、短くしてきたんだ」と腹がたちましたが、短くしたことでヘルニアが判った次第で、美容院にも感謝の一言しかありません。

 病院の院長は若いものの、院長の父親は名古屋競馬場の馬の獣医さんで、横井庄一記念館で出会って意気投合し、娘が愛犬を診てもらっていた名古屋の動物病院に勤務されていたことを聞き、弥富市で開業する前から診てもらっていたため、安心して預けることができました。

 相棒はまもなく10歳になりますが、15歳までは一緒に生活することを目標にしており、これからは相棒の食生活と運動についても注意し、自分自身と同じように時間を共有していきたいと思う一日ともなりました。

 相棒リマは、意外に頑固な暴君のような性格で、病院で与えられる食事には絶対に口をつけないようですが、本日も家内が帰る姿に動揺しているものの、クーンとか鳴いて甘えず頑張っているため、私だけはと思って居残りました。

 明日が楽しみです。
                                    10月11日の一言


可愛い捨て猫の発信に


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公園に捨てられていた子猫たち

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戸田川緑地公園秋祭り

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どうするのかな

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こんなに小さいのに…

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飼い主が見つかると良いですが…

 公園に置き去りにされた捨て猫たちだそうです。捨てられたばかりらしく、人に懐いているようで逃げるどころか寄ってくるとの話に、現地で遭遇しなかったことは幸いで、見てしまったら悲しい思いをしたと思われます。

 私の小学生の頃には、捨ててあったネコや犬を拾ってくる癖があり、拾ってくると怒られるものの、私の父親は幼少時に両親を亡くしていたためか、必ず飼ってくれたので、猫が5匹(4匹は捨て猫)いたことがあり、蚊帳の中に入れて寝るため布団がフンだらけになったこともありました。

「捨てられたのかなぁ」
    「捨てられたばかりだと思うよ」
「まだ、小さいのかなぁ」
    「シャム猫のようで可愛いかったよ」
「ふーん…」

 知人との電話を聞いていた家内から、「持ってきちゃダメだよ」の厳しい一言ですが、我家では子供の頃から犬と猫を飼っていたものの、自宅前に県道が走っており、猫は轢かれて死んでしまうため、最近は我家に入ってきた迷い猫や捨て猫は飼うことにしていますが、貰ってきてまで飼うことはしないことにしています。

 仮に現地で捨て猫を見てしまったら困ったと思いますね。下から2枚目の灰色の子猫だけを見ると可哀想に思えて、飼ってやりたいと思いますが、他の兄弟と切り離すのも可哀想で、全員連れ帰ってやりたい心境にさせられます。

 ただし、年末で年金受給者となる年齢と、運悪く相棒(犬)リマが昨日に手術を受けて入院中で、相棒のストレスを考えると新たな家族は迎えられません。

 家内の在所にも捨て猫が住みついていますが、捨て猫の子供は人間には懐かずに逃げていきますが、捨てられたばかりの子猫たちは飼い猫だったため人を怖がらず寄ってくるだけに悲しい現実があります。
 この子猫たちが人懐っこいうちに新たな飼い主が現れることを祈るばかりです。

                                    10月10日の一言


相棒リマが入院することに


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 数日前から我家の相棒リマの調子が悪く、動物病院で会陰ヘルニアと診断され、本日の午後にかかりつけ医から手術を受けました。

 本日午前中に病院に置いてきた時に、家内との別れを悲しんでいた様子を聞き、今から7年前に動物病院で手術を受け、その翌日に死なせてしまった愛犬モモの顔が浮かび、無事に手術が成功した連絡を待ち続ける午後となりました。

 モモの死後に、今後飼っている愛犬が病気になっても絶対に手術はしないと決めていましたが、医師が手術に自信を示したことと、相棒を痛みと共存して生活させるわけにもいかず、手術を知らずに病院に預けられた相棒の心情を考えると複雑な心境となりました。

 手術が成功したとの連絡を受け、病院を訪れると、相棒は温度管理された無菌室で眠っており、麻酔が少し残っている状態で点滴を受けており、金曜日には退院できるとの説明を受け、声をかけたかったものの、一緒に帰れると期待させて悲しませるのは可哀想なためそのまま帰宅しました。

 相棒リマは、平成21年12月6日に我家に来て、現在9才になっていますが、四国遍路や東北の岩手県まで家族と一緒に行動しており、これからは高齢になっていくため私と一緒に健康長寿を考えたいと思います。




 過去の思い出の一部を添付しましたが、今回は美容院に連れて行って病気を指摘されたことから、我家に来た当事は私自身も毎日散歩に連れ出し、車に乗せて2人で同行していたことを考えると、最近は家内任せにしていた反省もあります。
 医師の話では、1ヶ月前くらいからヘルニアになっていたと思われ、何も感じなかった反省とともに、手術を受けるために受けた検査では、健康な状態で病気もなかったことは救いとなりました。

 会陰ヘルニアについては、足の筋肉の衰えも原因となり、人間と同じように犬の消化に良い食生活と同時に、適度の運動によって苦痛の無い排便ができるように考えたいと思います。

 とにかく、無事に退院してからの話となります。

                                     10月9日の一言




本日の夕焼け


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本日の午後5時37分の夕焼け

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「ノーベル賞記念価格に」過熱する免疫療法、流れる患者

オプジーボ誤解しないで がんセンター長に聞く免疫療法

 京都大の本庶佑(たすく)先生のノーベル医学生理学賞によって、がんの患者や家族だけでなく、2人に1人がガンに罹患すると言われる世の中に大きな希望を与えたと思われますが、「免疫療法」について大きな誤解もあるようです。

 ガンの治療にはこれまでの外科手術と、放射線治療と抗がん剤治療があり、身体にダメージのある外科手術よりは抗がん剤治療、そして放射線治療に期待しますが、何よりも自分の細胞や免疫によってガンを治そうとするオブジーボについては、現状では治るという段階ではなく、延命効果があるという段階と思われます。

 本庶先生の免疫療法や京都大学のIPS細胞などの研究によって、ガンは治らない病気ではなくなったとは思われるものの、現状では5年生存率の向上や10年生存率の報告はあるものの、ガンが完治するという報告は見当たらないことです。

 ネット社会になり、病気に対してもパソコンから詳しい内容を知ることができる時代になってきましたが、免疫療法についてガンを専門にするガンセンターや大学病院よりも、民間の診療施設や個人のクリニックの発信ばかりが目をひき、治療費についての説明は発信されていないことは注意も必要と思われます。

 添付した国立がん対策情報センターの若尾文彦センター長の記事は大変参考になりますが、ガンと言われたら拠点病院となるガンセンターか大学病院の診断を仰ぐことが重要と思われ、ネットで宣伝されている医療についても、ガンの拠点病院の治療を前提にしたいものです。

 さて、明日は我家の相棒リマが、動物病院で会陰ヘルニアの手術を受けます。
 明日に自分が手術を受けることも知らずに眠る相棒を見ながら、手術が無事に終ることを祈る夜になりました。

                                     10月8日の一言


時間がとまった一日に  東海大橋を往き来して


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祖父江町の銀杏 見るのは綺麗ですが…

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長良川の堤防 海津市
                        ススキが完全にセタカアワダチソウに侵食されています

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長良川と木曽川を渡ります

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東海大橋西

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まもなく愛知県です

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木曽川

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東海大橋の東側は愛西市

 本日は家内の在所の法要があり、昼食は木曽川と長良川を渡った岐阜県海津市の大和田にある割烹の「丸菱」からマイクロバスの送迎がありました。

 愛知県と岐阜県は木曽川と長良川という大河が存在して、往来する橋が限られていますが、家内の在所のある祖父江町では、東海大橋や馬飼大橋が架けられる前から、岐阜県側の羽島市や海津市の人々との交流があり、まるで隣村に行くかのような関係が続いています。

 橋が架けられる前には渡し舟が各地に存在し、愛知県と岐阜県の行き来がさかんに行われていたためで、家内の在所でも岐阜県側の親類が多く、家内の父親は岐阜県側の旧制中学に通っていたようです。

 そして、私の個人的なイメージかもしれませんが、岐阜県での会話には時間がとまったような緩やかな余裕が感じられ、本日訪れた割烹と仕出しの店でも仕事とは違う話題に花が咲いていきます。

 こんなお店から愛知県に戻ったためか、法要後は在所の大掃除をすることになり、銀杏の色づいたイチョウの木の下を歩く事になり、普段は上高地用に車に積んである長靴が大活躍する一日ともなりました。

                                   10月7日の一言


雨上がりの夕暮れ


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午後5時50分 がんセンター玄関前

真夏日185地点、台風25号が影響 新潟では36度

 台風25号の影響は無いかと思っていましたが、蒸し暑さだけではなく、夕方にはかなり強い風と雨が愛知県でも降りました。

 3日前に我家の相棒リマ(ポメラニアン)を美容院に連れて行ったところ、腸の病気を指摘されたため、昨日家内が動物病院に連れて診察を受けた結果、会陰ヘルニアと診断され手術が必要であることを聞いてきました。

犬の会陰ヘルニア

 そんなことが以心伝心したのか本日は便秘で便が出なくなり、そんな相棒を我家に残したまま外出しても気になり、こちらまでお腹の調子が悪くなってきました。

 世の中は連休となっており、月曜日は観光目的で上高地行きも選択肢にいれていましたが、そんなことは言っておられなくなり、明日の午前中に動物病院に行くことになったものの、明日は家内の実家で親の法要が営まれるため、綱渡りの一日になりそうな雰囲気となりました。

                                   10月6日の一言



人と人との出会いを思い出しながら


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 添付した写真は、4年前の7月に仙台市で出会った愛知県西尾市の岩瀬康大君(当時21歳)と私のツーショット写真です。

 旅先で日本一周に挑戦中の人々と出会う機会も多く、添付した岩瀬君を見つけたときは感動的で、出会ったと言うよりも、わざわざ追いかけて行って声をかけて話した次第で、バイクに限らず車や自転車で日本一周する人との会話は初々しいものがあります。



 日本一周に限らず、四国遍路についても、自分の身体一つで旅立ち、基本的に野宿やテントで行動する人は人恋しく、会社や社会での肩書きに関係なく旅しているため、声をかけるタイミングは難しいものの、会話を続けると心強い仲間のように感じてしまいます。これは、あくまで四国遍路での私の体験です。

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 左の写真は、大阪の警察署から逃走していた樋田容疑者の写真と言われていますが、報道されてくる顔写真を見るかぎり、逃走中の犯罪人とは思えない愛くるしさを感じます。

 所持金を持たない逃走劇と日本一周は、いずれ罪を犯すしかなく、結果的に万引きで逮捕されましたが、この笑顔を見ると犯罪を悔い改めて、自分の資金を蓄えて再度挑戦すれば人生もやり直しができそうにも思えてしまいます。

「日本一周中」看板、県庁に依頼 逃走中の容疑者、愛媛で

 もっとも、30歳の年齢と罪を重ねていることを考えると容易ではありませんが、四国のご接待の慣習を体験したことと、一緒に同行できる仲間を得たことが樋田容疑者の表情を和ました可能性も感じます。

 罪人にも罪を償えばやり直すチャンスはあります。私は樋田容疑者の過去や人柄は判りませんが、逃走中に彼の家族や仲間の存在が見えなかったことから、信頼できる友人や護ってくれる家族に恵まれなかったと思われ、何とかしてやりたいものですね。

 さて、愛媛県は自転車の愛好家にとっては最高の環境が整っており、歩いて四国を歩くお遍路にとっても四国の「ご接待」の習慣が清々しい気持にさせてくれますが、今回の逃走劇によって地域の人々に不安を与えて環境が変わることのないように願いたいものです。

                                    10月5日の一言


かほく市の行政視察から帰って


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西田幾多郎博士像 かほく市宇野気駅前
                    西田さんの出身地で、哲学の里ができていました。

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宿泊したニュー松任ターミナルホテル

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松任駅

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宇野気駅前
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かほく市役所の車
                    マスコットのにゃんたろう

 昨日から行政視察で石川県小松市を訪れ、本日はかほく市へ移動しましたが、鉄道を利用して石川県の金沢市周辺を訪れたのは久しぶりで、日頃は車で走ってしまうため、開通を目指して建設中の新幹線の工事現場や、駅舎や駅前の景観の変化に驚かされました。

 さて、大学時代の昭和49年か50年に、名古屋観光バスの添乗員として、輪島の朝市を目的とする観光客を乗せて、名古屋から夜行でバスに添乗して早朝にガイドさんと交代したことがあり、当時名鉄百貨店のポスターのモデルになっていた海女の「小島みなこ」さんが店番をしていた朝市のお店をのぞいていたことがありました。

 ガイドさんと交代した後は、帰りの鉄道代金を手渡されており、自分の好きなように帰ればよかったので、大学を休んで列車を乗り継いで帰ってきましたが、鉄道の路線図を見て思い出そうにも当時どうやって帰ったかが判りません。

 朝市を見学していた記憶はあるものの、どうやって駅まで行ったのか思い出すことができず、年月の経過と年齢のせいと思っていると、現在は廃止されているものの当時は輪島まで鉄道が走っていたことを聞かされて納得できました。
 当時は歩いて駅まで行けたんですね。

 今にして思うと、夜行で宮城県の松島海岸や広島の尾道市などへ添乗して、鉄道を乗り継いで名古屋まで帰った記憶があり、朝日新聞の仕事をしている時には、私は飛行機に乗らないため、鉄道で九州の佐賀県や東北まで行き来した鉄道の記憶が懐かしく思い出されてきます。

 行政視察のため、物見遊山の鉄道旅は許されませんが、在来線を乗り継いで若かりし頃の気持に立ち返りたい気持にも駆られる一日となりました。

                                    10月4日の一言


行政視察に石川県小松市へ

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小松駅前のコマツ大型ダンプトラック

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小松市内レンガ通り

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小松市のマイクロバス

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チリで活躍したダンプ

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小松駅 金沢行き普通列車

本日は津島市議会厚生病院委員会の行政視察で、石川県小松市を訪れました。

久しぶりの石川県となりました。


久しぶりの秋晴れに


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蛭間町市営住宅と喜多神住宅 葉苅町から

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椿の新芽が出ました

 今年は東から西に襲来した台風や、記録に残る大型台風が2度にわたって愛知県を通っていきましたが、添付した写真のように、水田の稲はほとんど被害が見当たらず、本日は久しぶりの秋晴れとなり温かい一日になりました。

 添付した椿の木は、四国中央市にある別格二十霊場椿堂のご住職にいただいてきた木で、今年の酷暑に元気がありませんでしたが、台風が去った今になって、赤茶色の新芽がでており、しばらく成長を続けそうです。

 今から千二百年前の話となりますが、空海が四国で流行した熱病を鎮めるため、自分の持っていた杖をさして祈祷し、病を土に封じ込めて立ち去りましたが、後になってこの杖から逆さの新芽が出て成長し、地域の人々はこの地を椿堂と呼んで信仰を集めてきました。

 添付した椿は、空海ゆかりかは定かではありませんが、椿堂から持ち帰った大切な椿で、我が家だけでなく町内(津島市越津町)の弘盛寺にも分けて植えてあり、いずれは空海ゆかりの椿の木として大きく成長してくれるものと期待しております。

                                    10月2日の一言


台風一過と本庶佑先生のノーベル賞に


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台風の被害がなかった水田の稲穂

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台風は去ったものの 午後4時40分

 伊勢湾台風よりも強大な台風とか、過去に経験したことのない台風被害を予測するテレビの発信と、我家の真上を通過する進路予想図に、堤防の決壊も想定して車に積んである寝袋や、大量の食料や水まで事務所2階に運んで台風の到来を待っていると、台風が通過する前に突然風雨が止み、台風の目から出る際の吹き返しを心配してテレビの台風情報を見ていたものの、そのまま台風は過ぎ去っていってしまいました。

 水田の稲の被害は確実になると覚悟していましたが、本日歩いて散策したところ被害はほとんどなく、私の住む地域の被害は県外よりも少なかったと思われます。

本庶さん「チャンスを若い人に」 基礎研究の大切さ力説

 そして安倍政権が、与党の国会議員やあらゆる組織を動員して戦った沖縄県知事選では、国の方針や基地移転に反対する玉城氏が圧勝し、台風のストレスが払拭されたと記しましたが、本日は京都大学の本庶佑先生がノーベル賞に決まるという本当に明るい話題が発信されてきました。

 2人に1人がガン患者と言われていますが、旧来の外科手術と抗がん剤治療に、放射線治療が加わり、医療レベルが格段に向上しましたが、本庶佑先生によって「免疫でがんを治す」という第4の道がひらかれ、これまで対処法のない末期ガン患者でも進行を抑えられることが可能になりました。

 人の命に関わる医学への貢献だけに、国籍や人種に関係なく評価されてのノーベル賞だけに本当に誇らしく思うとともに、山中伸弥さんとともに京都大学の存在を心強く感ずる一日ともなりました。

                                     10月1日の一言


ギャラリー
  • ようこそ 大鹿一八の納経所へ
  • ようこそ 大鹿一八の納経所へ
  • 令和6年 上高地開山式の様子です
  • 三重県桑名市大福田寺の聖天祭へ
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