大鹿一八「本日の一言」

平成16年2月から令和1年7月末までの「本日の一言」です。ヤフーブログ閉鎖により、ライブドアへ過去の記録として引っ越しました。

2018年11月

我家の畑で収穫されたアスパラ菜


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アスパラ菜

 まるで春の菜の花のようです。

 我家の畑から収穫されてきた「アスパラ菜」と言う事ですが、私はブロッコリーか大根に咲いた花と思って写真に収めました。

 まさか、今晩の食卓にあがるとは思っておらず、収穫が終って咲いた花ではなく、食べるために栽培されていたと知りびっくりしました。我家の畑は30坪ほどしかありませんが、87歳になる母親が一人で耕しており、現在もキャベツやダイコン、ニンジンなどが収穫され、母親は夕方になると必ず畑に出かけています。

セブン向け「野菜工場」を公開、来年稼働へ

 コンビニのセブンイレブンでは、サラダに使う野菜の工場を本格稼動させると報道関係者に公開したと報じられていますが、天候の良し悪しに左右されず、フル稼働時の人員は一般的な野菜工場の約4分の1になり、露地栽培では種まきから収穫まで60~70日かかるが、工場では40日弱で無農薬の野菜が出荷されるとあります。

 農業そのものが見直されているものの、後継者不足によって高齢化が問題となっており、今年のように自然災害が続くと収穫に影響が出て、生産者だけでなく、野菜の高騰によって消費者も泣かされましたが、野菜が工場で生産されるようになると生産量の確保と価格の安定化につながりそうです。

 さて、明日から12月になり、各地から積雪の話題が届くようになりましたが、我家の庭には寒さに弱い医者イラズや観葉植物が置かれたままになっており、本日はブーゲンビリアを新しい大振りの植木鉢に植え替え、冬でも常時20度以上に設定してある事務所の2階に移動させました。

 一年間に買い込んだ観葉植物や草花が外に置かれたままになっており、気がついたときには寒風に吹かれて枯れてしまうことが繰り返されてきたため、今年は今のうちに室内に移動させて来年も花を咲かせたいと思います。

                                   11月30日の一言


そうだ、マックに行こうが現実となり


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そうだ !! マックへ行こう

 昨日の一言の最後に冗談半分で記した言葉ですが、本日のテレビでマックのコマーシャルを見た家内から、こんな時に行かなきゃどうするのと言われ、今週の日曜日まで150円で提供されているフライドポテトとコーヒーを飲みにいきました。

 数年前まで私とは全く無縁であったマックが、最近では何もやることのない時間の暇つぶしに談笑する場所となり、未だに一人では行ったことがありませんが、知人や家内ばかりではなく家族とも訪れています。

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ペチュニアのタネが入っていました

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 毎日のように宣伝勧誘の電話が入り、訳の判らない勧誘や広告の手紙が届いてくる中で、販売目当ての手紙とは言え、「お誕生日おめでとうございます」のメッセージは還暦後の老人には嬉しく思います。

 小林製薬の通信販売を利用しているため、一年に一度送られてくる花のタネですが、毎月送られてくるパンフレットばかりではなく、私の誕生月になると機械的(役務的)とは言え忘れずに届けられることは素直に嬉しく思います。

 子供の頃にはクリスマスが近いためクリスマスと一緒の誕生祝いにされ、昨年まで子供たちに誕生日すら忘れられていましたが、今年の誕生日は昨年生まれた我家の孫と一緒の誕生日のため、忘れられずに一緒に祝ってもらえそうです。

全国の「道の駅」にホテル開業へ 1室1万円台を想定

 全国の道の駅にホテルが開業されるとの報道ですが、旅行者の選択肢としてホテルもありとは思いますが、最近の道の駅は車中泊の家族連れの車も多く、ホテル併設によって車中泊の車が駐車しづらくなるとヤブヘビかもしれません。

 一部の道の駅には、車中泊を排除する意図の看板も存在することから、24時間時代の旅行形態として、車中泊が夜間でも安全に駐車できる道の駅への改善も考えてもらいたいものです。

 今から15年ほど前のコンビニに車中泊を告げると、「困ります」と言われた経験が複数ありましたが、最近のコンビニは大型トラックの仮眠スペースも確保するなど、利益も取り込んで改善されており、今回の道の駅へのホテル併設が車中泊の旅行者の締め出しにならない事を祈るばかりです。

                                   11月29日の一言


何もせぬままに一日が経過して


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市役所前のイチョウ

 一週間前に歯が痛み、連休中に歯科医院の診察をうけましたが、歯の奥の根の部分が炎症をおこしていたことから、首や肩にも違和感が残り、襲来した寒波による寒暖差によって歯痛と風邪の混ざったような不調が続いています。

 耳か喉が悪いと耳鼻科に行けば、耳ではなく顎の顎関節症になっていたり、じっくりと睡眠がとれずトイレに走り、トイレが近いから眠れないのか、何度も目覚めるからトイレに行きたくなるのか判りませんが、夜間に何度も目覚めてしまいます。

 議会が開会しており、私の提出した一般質問への問い合わが担当部署からあるため家も空けられず、体調を考えて横になっていると身体がよけいに不調となり、最近は頭痛が当り前のようになってきました。

 こんな時の頼りが漢方のケロリンと風邪薬のジキニンですが、薬漬けの生活を自重しているため、衣類や温度環境で回復を期待しているものの、歳を重ねた老体は思うようになりません。

 そうだ、明日はマックに行こう。こんな発想しか出てきません。
                             
                                   11月28日の一言



懐かしさから沖縄銘菓を購入してみたら


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スーパー内の沖縄名産品コーナー

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沖縄名産ちんすこう

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まーさいびーん(左)とサーターアンダギー

 近くのスーパーの一角に沖縄の銘菓を販売する出店があり、半月前に訪れた懐かしさから立ち寄って、店員さんと沖縄の話に花を咲かせ、「まだ家にあるでしょう」と言う家内の反対を押し切って、自分が食べるからと購入して帰宅しました。

「これと、あれと、これも…」
    「お父さん、まだ同じ物が残っているでしょう」
「せっかく来ているんだから」
    「うーん…」

 ただし、帰宅後に賞品に記された販売社名を見ると名古屋市内で生産されていたことが判り、人の寄りが悪いから少しでも利益に協力したいと思って購入した気持ちが裏切られたような気持になりました。

 試食用のサーターアンダギーを口にして、沖縄で買ってきた商品より食べやすかったことから、「沖縄で買ってきたものより油が少なくて食べやすい」と言った時に、店主から「こちらの人が食べやすくしてある」と言われたことを深読みすればよかったと思っても後の祭りです。

 もっとも原材料は沖縄県産の黒糖などが記されており、売られていた商品の一部だけかもしれませんが、観光気分がよみがえり、物好きで購入した自分の馬鹿さかげんを家族からも指摘され、私以外は誰も口にしない顛末となりました。

 本日は12月議会の一般質問を通告し、質問内容を担当する部局に伝えました。

12月議会 私の一般質問
1 件名 市民の健康診査とがん検診及び医療について
  要旨 1 特定検診とがん検診について
  要旨 2 市民病院の医療対応について

2 件名 上水道事業の現状と今後の展開について
  要旨 1 事業収入の現状と施設維持の展望について


せっかく相棒リマと出かけたものの


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ドッグカフェ ハッピーランド   昨日の写真です

愛知県稲沢市稲島東2-123 0587-24-7654
             営業時間 8:00~20:00 定休日 月曜、第2・4・5火曜日

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お昼で終っていました

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降りられるはずだったのに…

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また来れるだろうか

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心中お察しいたします

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稲沢市平和町のバロー「ペットワールド」

 「犬と触れ合える場所に連れて行きたい」との一言は、まもなく1歳になる孫に犬を見せてやれる所に行きたいとの三男の言葉で、ネット検索して稲沢市の国府宮神社の近くにあるハッピーランドを訪れたところ臨時休業で閉まっていました。
                                       昨日の話です

 見せてやりたいはずの孫は何も反応がありませんでしたが、私の助手席に座る相棒リマが、初めて訪れた場所にもかかわらず、降りるはずがそのまま帰るという顛末に不満アリアリで、孫よりは知恵があり、ストレスを与えないためそのまま近くの珈琲店から大型ペットショップに車を走らせました。

 もっとも、犬である相棒リマは、他の犬と触れ合うのが大嫌いで、人間の子供と勘違いしているのか、家内のバックの中に入ったままで、自分の食べる食材を大量に買ってもらいました。

 さて、犬を見せたいと言っていた孫は、大きな水槽を泳ぐ金魚に興味津々で、やっと声をあげるようになってきたものの、水槽を指差して声を発する様子から、まもなく意思表示ができる成長を実感させられました。

 本日は12月議会の本会議が開会し、市役所の一日となりました。

                                   11月26日の一言


地元の陶芸展を鑑賞して


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登り窯で焼いた作品

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津島市中央公民館

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会場入り口

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 本日は昨日の土曜日から来週水曜日の28日(水)まで、津島市中央公民館で開催されている陶芸展覧会へ鑑賞に訪れました。

 主催はこの中央公民館の陶芸クラブで、2回目の展覧会ですが、老朽化した公民館が閉鎖されるため今年が最後となり、クラブで使用している他施設の焼窯も故障して、今後の運営が難しいとの話を聞くと、自治体の財政力や文化に対する意識の低さを実感させられ、市外に目を向けるしか打開策は考えられません。

 メンバーが10年選手になり、作品のレベルが高くなっているものの、来年以降の先の読めぬ活動を考えると寂しい現実でもあります。

 横井庄一さんも昭和50年(1975) に 陶芸を始め、昭和54年(1979) 秋に、自宅へ窯(灯油窯)を築き、六十路(むそじ)窯と命名して花瓶や茶器を多く残すとともに、 全国8ヶ所で陶芸展を開催)しました。

 現在も窯は残されていますが、30年近く使われていないため、修理をしないと使えないそうで、何よりも使う人がいないため、六十路窯はこのままでは日の目を見ることなく姿を消す運命と考えると同じように寂しいものがあります。

                                   11月25日の一言




夫婦で歯科医院に走って


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根管治療の説明書

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タクミ歯科医院 愛西市

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薬は2種類

 昨日の朝に前夜から痛みだした歯がジンジンと痛み、消炎鎮痛剤のロキソニンを飲んで薬用歯磨きで小まめに歯を磨き、夜にロキソニンを飲んで寝たところ朝には痛みが消えていたものの、鼻の根元部分に鈍痛があり、このままロキソニンで快方できないか迷った末に歯科医院へ連絡しました。

 午後一番で診てもらえることになり、痛みが薄らいできたことから簡単に考えていると、虫歯だけでなく細菌が歯の神経から入って歯の根の部分で炎症をおこしており、細菌に感染した歯や神経を徹底的に殺菌して除去しなければならず、時間をかけた治療が必要になっていました。

 考えてみると、この歯は10年以上前から炎症をおこし、本格的治療は痛いためその都度その場しのぎの炎症押さえでごまかしてきた歯で、「80歳で20本以上」と言われる歯が、65歳を前にして差し歯や被せ物の歯がほとんどとなり22本しかない現状に、何としても残したい貴重な歯となっています。


 紅葉の最盛期の三連休ですが、歯が痛むと肩こりと頭痛も伴うため、明日の約束が果たせるか心配な体調が続きます。

                                    11月24日の一言


三連休も初日は歯痛のためリタイヤ


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首里城・鎖之間(さすのま) お茶菓子 11月14日

鎖之間は王子などの控え所であり、また諸役の者達を招き懇談する、御鎖之間(おさすのま)と言われる広間で、往時の賓客がおもてなしを受けたように、琉球のお茶菓子で接待を体験できます。

鎖之間で出される4種類のお菓子は、花ぼうる(砂糖・鶏卵・小麦粉・膨張剤)くんぺん(小麦粉・砂糖・鶏卵・ごま・ピーナツ・膨張剤)ちいるんこう(小麦粉・砂糖・卵・結餅・落花生・着色料(赤色102))
ちんすこう(小麦粉・砂糖・ラード・酸化防止剤(VE)・膨張剤)で、お茶はさんぴん茶(ジャスミンティ)

書院・鎖之間と庭園 http://oki-park.jp/shurijo/guide/55

 本日から3連休となりますが、昨晩から歯がうずき、朝には歯に痛みを感じていたものの、炎症止めの鎮痛剤ロキソニンを飲んだところ、痛みは治まっていったものの、依然として疼いており、台所で横になったままの一日となりました。

 痛みは家内も数日前に歯痛のため医院を訪れており、沖縄や滋賀県に出かけた疲れが出たと思われ、突然の寒波襲来によって、寒暖と寝不足が原因と思われますが、訪れた孫の相手をしていると痛みも忘れておれます。

 本日はこのままと思っていると、少年時代からの悪友から電話で、誘われて珈琲店に行ったものの、歩数計は数百歩しか示さない一日でした。

 11月23日は、私が朝日新聞販売店を経営している時には、朝日旅行友の会の日帰りバス旅行を企画していた日で、いずれは再開したいと思いながら廃業して20年近くが経過してしまいました。歯痛によって余計に寂しい一日となりました。

                                     11月23日の一言


風呂水が溢れて床下が水浸しになっており


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台所の床下です

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 家内が発した「床下が溝(ドブ)臭い」の一言が、本日の一日を一変させてしまいました。

 床下ののぞき窓を開けると、風呂の落とし口から風呂水が溢れて床下が水浸しになっており、落とし口に置かれたコンクリートのフタも癒着して動かず、バールや金槌を持ってきても何ともなりません。

 早速三重県に住む水道工事業の従兄弟に電話し、指示された作業をしようにも、コンクリートのフタが動かないため何ともならず、午後からの仕事を休んで高速道路を走って来てもらうことにしました。


 こんなことになってから、一年前に流し台の水が流れず従兄弟にパイプを掃除してもらい、道路前の側溝が堆積した泥で詰まって流れていないため、愛知県の工事業者にも来てもらったことを思い出し、この時に風呂水の排水も確認しておけば良かったと思っても後の祭りとなります。

 従兄弟が到着する前に、屋外の排水路を確認すると、屋内から流れてくるパイプが詰まっており、太い針金を入れて突(つ)きますが、少し流れるだけで効果はなく、結局は従兄弟が到着してから対処してもらいました。
 外の側溝のマスとマスをつなぐパイプも木の根が入り込んで詰まっており、完全とは言えないものの、しばらくは何とか生活できそうです。

 長期間溢れていたと思われ、台所の土台も腐っており、いずれ床も張りなおさないといけませんが、とにかく風呂の水漏れが直って緊急の事態は収まりました。

                                   11月22日の一言

佐屋 東保八幡社クロマツ


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遠くからも目をひきます

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松だけでなく鎮守の杜

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社殿

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愛西市の天然記念物クロマツ

 本日21日は町内のお寺で「阿息観」があるため、午前中は休息にあてようと考えていると、愛西市の会員さんから銀行と薬局に薬を取りにいきたいと連絡があり、家内も病院に搬送中のため、我家から9キロ離れた会員さん宅まで走りました。

 会員さんは旧佐屋町の東保に住んでおられますが、愛西市にタクシー会社は何も無く、タクシーを利用とすると津島市から呼ぶしかなく、空車がないと1時間以上待たされることもあり、タクシーを頼んでも近距離は運転手に嫌がられ、ご夫婦とも歩行が極めて困難なため、車を降りてから自由に移動できないため、我々福祉有償運送を利用されているわけです。

 実は、半月ほど前に家内が同行した祭に、車イスがないと移動できず、私の座席のたかい車輌の乗り降りは難しいと言われていたため、厳しい介護が必要と覚悟していたものの、1人で歩けるようになっておられ、前回は病院を退院した直後のため歩けなかったとわかりホッとする同行となりました。

 さて、本日の午前中には「あま市」の福祉関係の職員から電話があり、あま市の実態を知りたいとの話でしたが、あま市に登録されたボランティアは1名しかおらず、津島市から出動すると目的地まで時間がかかるため、現在は本当に困っておられる人しか対応していないと説明すると、「今後はどうされる予定ですか」と問われたものの、津島市からあま市に走り、あま市から名古屋市の病院まで搬送し、一度自宅に戻ってから診察後の病院からあま市に搬送して自宅に戻ると50キロ以上走行することになり、私の燃費の悪いキャラバンも、家内の車イス対応車輌もガソリンは千円近くになってしまい、仮に往復で2千円頂いても出動するボランティアは無いのが現状です。

 まぁ、そんなグチを言ってもなんともならないので、市外の人を搬送する祭には気になった場所を訪れて自分の記憶に残して居場所にしていきたいと考えるようにしています。

                                   11月21日の一言


紅葉の滋賀県湖東三山へ


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金剛輪寺の三重塔

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山門

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本堂前の紅葉

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西明寺の本堂

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重文ニ天門

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三重塔

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百済寺本坊の庭園

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本堂の紅葉

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百済寺の地酒

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道の駅奥永源寺渓流の里


津島市午前8時…名神高速・羽島IC…多賀SA…湖東三山スマートIC…金剛輪寺午前10時
  …西明寺午前11時40分…道の駅湖東三山館あいしょう(昼食) …百済寺午後1時40分…
    …永源寺(外から鑑賞)…道の駅奥永源寺渓流の里午後3時02分…午後4時15分津島市へ

 本日は書道会「神守丈友会」の日帰り旅行として、滋賀県の湖東三山の紅葉を鑑賞してきました。参加者6名

 かつては、名神高速彦根インターを利用していた湖東三山行きでしたが、現在は湖東三山スマートインターが建設されたことで、愛知県から2時間以内で目的地に到着し、帰路についても永源寺の前を通る八風街道に石榑トンネルが開通したことで、愛知県からの所用時間は大幅に縮まりました。

 今年の紅葉は夏の異常気象の影響か「今ひとつ」の色づきですが、今シーズンでは最高のロケーションになったのではないでしょうか。何よりも参加メンバーには8時に集合することしか知らせておらず、思いつきで行って明るいうちに帰れる行程になったことにびっくりですね。

                                  11月20日の一言


年金相談に銀行へ


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 来月の誕生日に65歳になることから、銀行から受給する年金の相談会の案内があり、今まで一度も訪れた記憶のない銀行窓口を訪れると…

 窓口にシャツターが下ろされて、キャッシュコーナーしか入れず、手帳を見直して約束の日時を確認したものの、銀行窓口は3時に終了するため、私の記載ミスかと思って帰ろうかとも思いましたが、とりあえず店内から連絡すると、銀行横にある入り口から入って欲しいとの話でした。

 予約してある時間は3時15分から4時まで45分間予定されており、年金の受給手続きを済ませた同級生の話では、結構時間がかかって大変だったと聞いていましたが…

「国民年金だけですか?」
   「一度も勤めたことが無いので」
「じゃー、簡単ですね」

 私の場合は一度もサラリーマンになったことがなく、国民年金の受給しかできないため、わざわざ社会保険労務士さんに相談するような難しい問題もなく、10分もすると書類に銀行の印鑑をもらい、誕生日以後に市役所に持ち込むだけになりました。

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NPO法人の普通預金通帳

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 さて、横井庄一記念館のNPO法人の普通預金の通帳は残高0のままでしたが、昨日開催したクラフト教室で集った5千800円を口座に入れてきました。

 もっとも、クラフト教室に使用する竹や工具の購入に8千円程度かかっており、ボランティア保険なども含めて1万円は自己負担しているため、実質には赤字運営となっており、法人設立時の費用等も含めて黒字に転換するのには時間がかかりそうです。

 それでも初めての預金となりました。
                                    11月19日の一言


横井庄一記念館のクラフト教室


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会場にした記念館の座敷が満員になりました

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それぞれが竹を使った作業です

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先生役のHさん 環境省のボランティアです

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子供が主役です

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真剣な作業です

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やはりお父さんは頼りになります

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私の作った竹笛

 横井庄一記念館で開催したクラフト教室は、開館時間の午前10時前から参加される親子連れの方々が集り、開館直後の記念館は満員となり、待ちきれずに帰られる人もありましたが、午後4時過ぎまで「竹笛」づくりが続きました。

 親子連ればかりかと思っていましたが、80歳過ぎのご婦人も参加され、今年91歳となる横井夫人と談笑し、自分の作った竹笛を持って帰られました。

 もっとも、添付した竹笛のように、2本の太い竹と細い竹があれば簡単に作れますが、竹を接着する位置が難しく、原理は判っても音は簡単にはでず、先生役を依頼したHさんが存在したことで全員笛を完成させて帰られました。

 今回の竹を使ったクラフト教室は、上高地で環境省のパークボランティアに参加され、お盆に開催されるクラフト教室の責任者を務められるHさんが、名古屋市中川区の住民であることから先生役をお願いして実現しました。

 平成18年に開館した記念館は、これまで洞穴の模型や横井庄一の遺品等を鑑賞してもらう施設として毎週日曜日に開館してきましたが、今回のクラフト教室のようにもの作りのイベントや、横井庄一の茶碗を使った簡単なお茶会など、今後は見るだけでなく参加する行事を開催していく予定です。

 これまでに自分で作った陶器の器でお茶や珈琲を楽しむ会や、横井庄一のサバイバル生活を真似た自炊のキャンプ生活など、記念館に期待する声も届けられており、記念館でできる陶芸教室やお茶会など、大人も子供も楽しめる行事を考えています。

 本日の竹笛作りを開催するため、記念館と道路をはさんだ向かい側となる大治町の人々にも案内したことで参加者があり、これまでの名古屋市や中川区の記念館ではなく、地域の記念館になれたようにも思います。

 参加された多くの人々に感謝です。
                                   11月18日の一言


DOCさんとの写真

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13日沖縄うるま市具志川グランド

携帯電話のピンボケ写真ですが、思い出に残る写真となりました。

下記にDOCさんのブログも添付しておきます。皆さんもお読み下さい。


本日の写真


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 横井庄一記念館のクラフト教室を明日にひかえて、当日朝に竹笛を作るための机や材料を持ち込んで設営する予定でしたが、今年91歳になる夫人の負担を減らそうと、本日午後に訪れると会場となる座敷は見事に片付けられていました。
 小物は別としても、重い座敷机まで90歳の老人の仕事とは思えない片づけがしておりました。びっくりです。

 横井庄一記念館を護る会が3月にNPO法人化されて初めてのイベントとなり、何人の参加者があるのか判りませんが、平成18年に記念館が開館してから、オカリナ演奏会などに場所を提供したことはありますが、記念館が地域に向けて発信するのは初めてのため「良かった」と思える一日にしたいと考えています。

 竹を使ったクラフト教室は、グアム島で横井庄一さんがジャングルの竹を使った漁具や生活道具を作っていたことから企画しましたが、今後も継続して開催していく予定で、日本に帰ってから自分の窯で焼いた花瓶に花を生け、遺品となる抹茶茶碗を使ったお茶会も予定しています。

 さて、沖縄から帰って次の予定が始まっていますが、沖縄には上高地にも背負っていくリュックサックを持っていったため、次の行動に移る前に入っているパンフレットを整理する必要があり、本日も沖縄の余韻にひかれる一日となりました。

 「沖縄は良かったでしょう」の一言は、横井夫人の言葉で、横井庄一さんと一緒に沖縄を訪れていたと思われ、何が良かったのかも考えず、伯父の戦死した場所としての想いを熱く語っていると、「もう疲れたからそろそろ終りにしましょう」と、本日が終っていきました。

                                   11月17日の一言


沖縄の旅  三日間の私


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沖縄で戦死した伯父の記名を指す私  12日(月)

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愛知県の慰霊碑・愛国知祖之塔前

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首里城周辺・玉陵の樹木前

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首里城・守礼門の前 14日(水)

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伊計ビーチ 13日(火)

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知人の練習場所 うるま市具志川総合グラウンドへ

「おい、何所に行ってたんだ?」
   「何で?」
「電話がつながらなかったぞ、何所にいたんだ」
   「沖縄」
「ウソつけ !! 」
   「本当に沖縄に行っていたんだ」
「俺も沖縄は詳しいが、行っていた所を行ってみろ」
   「ウーン…河童橋かな…」 これは冗談で発した言葉でしたが…
「それ見ろ !! 紅葉は良かったかな?」
   「だから、本当は沖縄なんだって…」

 私が飛行機に乗らないと知っている知人との会話ですが、沖縄に行ったと伝えても全く信用されず、上高地に行って電波の届かない山にいると思われ、沖縄の話をしても冗談としか思われませんでした。

 「沖縄からいつ帰ってきたの?」の一言は、本日訪れた名古屋市内のホームセンターで出会った津島市の知人との会話で、私のブログを閲覧しておられるためこんな会話になり、戦死した私の伯父と知人の父親の話になりました。

 今年3月に、このブログに一年前に記した3年前の記事について、アラを探して警察署長に通報した人物もありましたが(罪に問われず不起訴になりました)、このブログを通して知り合った心を許せる知人も多く、今回の沖縄旅行で教えてもらった自宅を訪れ、知人が陸上競技の練習を続けるグランドに立ち、私たちの観光案内もしてもらいました。

 この知人とは私と生まれ年が同じで、同じ時期に大学まで通い、還暦を過ぎて今年から年金をもらう年になっており、飛行機に乗らないことにしていたため、まさか会えるとは思っていませんでしたが、今回の家族旅行によって会うことができました。

 不思議なもので、この知人とは初対面でありながら、まるで昔からの知り合いのように感じられ、健康で永いお付き合いになることを願っていますが、正直なブログ発信と生活は、還暦後も新たな出会いと交流ができる事例として今後もブログ発信による新たな出会いに期待したいと思う沖縄旅行ともなりました。

 機会があればもう一度訪れて再会したいと思っていますので宜しくお願いします。

                                   11月16日の一言


沖縄県民の民意が無視される現実に


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キャンプシュワブ
                                         13日の写真です↓
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自由には入れません

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キャンプ・ハンセン

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キャンプ・コートニー

 昨日まで訪れていた沖縄県で、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設先、名護市辺野古にある米軍キャンプ・シュワブの工事用ゲートで、本日から工事車両による資材搬入が約3カ月ぶりに再開されたと報じられています。

沖縄・辺野古で資材搬入再開

米政府当局者「辺野古が唯一の解決策」 玉城知事に語る

 日本側の仕掛けた太平洋戦争で唯一地上戦が行われた沖縄では多くの民間人も犠牲になり、現在も国内の米軍基地の約7割が沖縄に集中しており、改善されたとはいえ人道上にも問題と思われる事件や問題に苦しめらてきました。

 県民の多数が基地の縮小を求めるのは当然ですが、県民の意思を無視して基地移転を強行する安倍政権や自民党だけでなく、米政府当局も「辺野古が唯一の解決策」と渡米した玉城知事に語ったと報じられています。

 戦争被害は沖縄県だけではなく、東京空襲や広島、長崎に投下された原爆被害も大きいものの、敗戦後に見事に復興した国内と違い、いまだに沖縄の15パーセントの面積を米軍基地が占めている現状は無視できません。

 私は観光目的で家族とともに沖縄を訪れましたが、敗戦から73年が経過し、我家で沖縄戦で戦死したまま遺骨や遺品も戻っていない伯父が存在し、絶命した場所すら特定されていないことを知らないまま生活する家族の現状に、観光の前に平和祈念公園を訪れて伯父の名前が刻まれた石碑と愛知県の愛国知祖の塔を訪れました。

 全く観光目的だった三男の家族にも伯父の碑を訪れるよう連絡しましたが、米軍の艦船から花火のように発車される砲撃のビデオを見て、この砲弾を受けた伯父の心中を考えると涙が止まらなくなりました。
 
 観光目的の沖縄行きによって、我家の伯父が眠ったままになっていることを息子や家族に伝えられたことと、今まで関わってきた横井庄一記念館を運営していく中でも、戦争の犠牲者の存在を継承していきたいと思っています。

                                  11月15日の一言


沖縄県 三日目


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首里城 正殿

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首里城 守礼門

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御差床(うさすか) 国王が座る玉座

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玉陵

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波上宮

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護国寺

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孔子廟

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旧海軍司令部壕

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旧海軍司令部壕の内部

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道の駅豊崎

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豊見城市の街路樹

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豊見城糸満バイパス


 月曜日から3日間の沖縄の旅はあっという間に終ってしまいました。

 息子夫婦と一緒にまもなく1歳になる孫が一緒のため、ただそれだけの理由で同行した沖縄旅行で、現地まで何も下調べもせぬままの横着旅でしたが、この遠く離れた土地で伯父が戦死しており、本日訪れた真言宗の護国寺で弘法大師に手を合わせる機会に恵まれました。

 明治12年(1879年)までは日本ではなく琉球王国であった歴史と、護国寺が1368年に創建されて高野山真言宗てあることに、中国から密教を持ち帰った空海と、日本の真言密教が当時の琉球国王の尊信を得て勅願寺として建立された歴史のダイナミックさに驚かされました。

 そして、本日の夜に無事愛知県に戻ってきました。

                       11月14日の一言

 

沖縄県 2日目

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伊計ビーチ

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徳洲会病院

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沖縄特有の樹木

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果実

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海岸線

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海の駅

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沖縄そばと海蘊

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伊計ビーチ入口

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伊計ビーチ海岸線

本日は伊計島を目標に車を走らせました。海中道路を走り、海の駅あやはし館に立ち寄り、伊計大橋から伊計ビーチまで行きましたが、朝から降っていた雨が止み、持参した傘もささずに散策が楽しめました。

さて、本日の楽しみはブログ仲間と会うことで、私と年齢が一緒の○城さんと会う約束がしてあり、うるま市のお宅を訪れてから沖縄の象徴ともなっている辺野古基地や米軍基地を案内してもらいました。

その後は名護市や西海岸にある海岸や御菓子御殿などに行きましたが、何よりも金○さんの練習するホームグランドや仕事のルーツになる場所へ案内してもらったことが、自分の過去を振り返るような心境にもさせられました。

二人のツーショットは後日に発信する予定ですが、遠く離れていても同じ年に生まれた仲間は心強く、一生に一度の沖縄と思っていましたが、元気な姿で再会できれば幸いです。

明日は最後の沖縄となります。


初めての沖縄本島へ

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知念岬の夕暮れ

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中部国際空港セントレア

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沖縄に到着です

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平和祈念公園を案内してもらいます

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愛知県の戦没者慰霊の場
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愛知県の愛国知祖の塔

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平和祈念公園から見える海岸線

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全景

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平和の礎

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戦没者の記名碑

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私の伯父大鹿英雄の名前が

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本日は三男夫婦と孫に家内と家族5人で沖縄旅行に来ましたが、沖縄空港で知人と沖縄入りした妹に出合い、同じ飛行機に乗っていたことがわかりました。

ここで三男夫婦と別れ、ひめゆりの塔に行きましたが、館内の映像で米軍の艦砲射撃が容赦なく沖縄に放たれる様子を見て、涙がとまらなくなりました。

沖縄で戦死した伯父の顔が頭によぎり、とにかく平和祈念公園へ車を走らせ、愛知県の慰霊の場所を訪れ、伯父の名前が刻まれた石碑を見つけましたが、我が家から遠く離れた沖縄にある伯父の名前に涙がとまらなく嗚咽がこらえられなくなりました。

幼くして両親を亡くしている伯父の戦死を誰が悲しんだのか考えると、兄の戦死を知らずに満州にいた父親やグアム島に潜んでいた横井庄一さんなど、思い出すと我が家の先祖の苦難の時代が忍ばれます。

会ったことのない伯父ですが私の父親の兄であり、私の生まれる8年前には生きていたことと、未だに遺骨どころか戦死した場所すら判らないままになっていることが問題にもされない悲しみを実感させられました。


明日も沖縄から発信となります。


ボランティアからボランティアへ

本日の夕暮れ

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偕行会リハビリテーション病院 弥富市

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 明日から沖縄まで家族旅行に行くことになり、昭和49年以来封印していた飛行機に乗るため、万が一の事故の場合を想定し、来週日曜日に横井庄一記念館で開催する「竹笛」を作るクラフト教室の道具と竹を持ち込み、来訪者や横井夫人と談笑していると、津島市民の方から車イスのご家族を施設から自宅まで送迎して欲しいとの電話です。

 自宅で家族と憩いの時間を共有するための送迎と思っていると、本日の朝に98歳になられるご主人が亡くなられたため、施設におられる奥さんと最後のお別れをさせたいとの送迎で、憩いどころか悲しみの送迎となってしまいました。

 このお宅は私が学生時代に起業した朝日新聞販売店のお客さんで、開業した昭和52年からお世話になっており、夕刊配達や集金時にお茶を入れていただいた事もあり、議員になるまで23年間お世話になったご家庭であったため、同行されたご家族と故人の懐かしい昔話に花を咲かせました。
 亡くなられたご主人は98歳になられますが、施設や病院に入ることなく自宅で自律した大往生を迎えられとの話に、四十年前の絶頂期のお顔がよぎりました。

 本日のタクシーメーターは3,100円をさしており、往復で6,200円となりますが、公共交通機関の少ない海部郡では移送にかかる負担は大きく、福祉有償運送はタクシー料金の半額以下の負担に設定されているものの、車イスに対応できる車輌は限られており、明日から3日間は私たちが不在のため移動に応えられません。

 さて、私が企画したこととは言え、クラフト教室の竹笛づくりについて問い合わせが続き、記念館のある名古屋市の図書館や中川区役所も、横井夫人が「次期館長」と紹介しているため、私宛に連絡が入るようになり、最近は津島市と名古屋市の二重生活になってきました。

 上高地に10日、四国遍路に10日、地元に10日と、1ヶ月を3等分する生活をセカンドライフの目標としていましたが、ここに名古屋市も考えると、来年から少ない年金だけでなく、日程のやりくりも大変になりそうです。

                                    11月11日の一言

削除される写真の中から 御岳山里宮


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日中でも神々しい場所です

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神社入口です

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御岳神社黒沢口里宮

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こんな急な階段です

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御嶽山明栄講霊神場

 携帯電話のカメラに保存してある写真を削除する中で、この一言に紹介する予定で残していた写真も役務的に消しており、先月26日に訪れた御岳山の写真も消している途中で気づいてここに添付しました。

明栄講  開祖・覚礼  愛知県海部郡甚目寺町新居屋
尾張国の覚明系御嶽講。寿覚(福寿講講祖)の系譜を継承し、開作(上田松尾講)にも師事した覚礼が設立。1861年(文久1年)に若者組として設立された山田組が起源。1874年(明治7年)に明栄講に改組した。甚目寺町の明栄分祠殿が主な拠点。明治中期にいろは順に組を制定した。多くは木曽御嶽本教に所属しているが、一部は御嶽教に所属している。稲沢にある稲沢明栄講は、同地の御嶽神社(稲沢市稲葉三丁目)を拠点としているが、その護摩は「御嶽教明栄講の護摩修法」として市指定無形民俗文化財に指定されている。御嶽山黒沢口四合目の護摩堂原霊神場に霊神場がある。(関敦啓「中部地域における御嶽講の展開と現状」)

 今年は四国遍路に一度も訪れておらず、春に西国三十三観音を巡礼していたことと、2年前から御嶽山に願をかけていたことから、多くの西国と御岳山の写真を破棄していました。

 毎日記すことをノルマとしていますが、一日に数枚の写真を添付してメモリーカードから大量の写真を削除している現状に、今後は記録としても残して記していきたいと思っています。

 添付した御岳神社については、我が家の先祖も、母親の父も先達をしていたことも含めて、家の中心に神棚が祀ってあることから、子孫への継承の意味でも書き記しておきたいと思います。

                                   11月10日の一言


里帰りした横井庄一の色紙


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我家に届けられたゆうパック

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同封されていた手紙

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誠心

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仏心

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辛抱

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差出人は横井庄一(戴徳)の昭和47年8月と9月の直筆

 昭和47年8月と9月の2度にわたって福井県の中学三年生Aさんと、横井庄一が手紙で交流した際に同封した色紙で、長年ラップ等で大切に保管されていたものが、横井庄一記念館に里帰りし、我が家の2階にあるミニ記念館と分けて展示保存していくつもりです。

 48年の3月に高校受験を前にしたAさんに激励の手紙も送っており、Aさんは受験当日にこの手紙もカバンに入れて受験したエピソードも記されていました。
 送付された色紙や手紙の権限は私に一任するとの書き込みもありますが、横井美保子夫人と相談して大切に継承していきたいと思っています。

 横井庄一は昭和47年1月24日にグアム島で発見され、4月に名古屋市中川区千音寺に帰り、11月に結婚して翌年2月に現在の自宅が完成しており、里帰りした色紙や手紙のやりとりは帰国後の慌ただしい時期に交わされていたことになります。

 さて、平成18年に記念館を開館して以来、横井庄一の作陶した茶碗などが里帰りしていますが、買い取って欲しいと高額の金額を提示されるケースもあり、記念館を開館した記念に無料で差し上げた印刷した色紙がネット上で高額で売買されるケースもあります。

 発見されて四十数年が経過し、平成9年に亡くなってから20年以上が経過する中で、本人と直接関わった人たちの多くは鬼籍に入っておられ、世代交代によって横井庄一の品々も捨てられたり他人の手に渡っていきます。

 そんな中で、手紙や色紙の詳細を記した説明書きも添付して帰ってきた品は貴重で、手紙から横井庄一の素顔がにじみ出ていました。

 有難うございました。                                 
                                    11月9日の一言


横井庄一記念館のボランティア


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曹洞宗長禅寺 名古屋市中川区千音寺
                           中川区富田町大字千音寺字南屋敷2782

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 今月18日に横井庄一記念館で開催予定の「クラフト教室」の宣伝のため、家内と一緒に名古屋市中川区内の住宅地へ案内チラシを配布しましたが、名古屋市と合併する前は私たちと同じ海部郡だったことを実感する環境が千音寺には残っていました。

 むしろ、私の住んでいる旧神守村の農家よりも規模の大きい農家がそのまま残されており、立派な豪農が存在したことで区画整理がなされなかったのか、車の通行できない小路がそのままになっており、添付した曹洞宗のお寺についても、津島市には存在しないような広大な敷地に建っていながら、一般の車が通らないためかネット情報も何も存在していません。

 そして、昔ながらの竹林や竹薮が各地に残されていることにも驚きで、今回のクラフト教室のテーマは「竹」としており、横井庄一さんが隠れていたグアム島の密林に竹が多く、竹を使った漁具などを使っていたことからクラフト教室でも竹を使った「竹笛」を作ることにした次第です。

 広告は今週月曜日に配布しており、この広告を見た人から問い合わせや申し込みの連絡があり、これまでにも地域へイベント情報を配布した経験はありますが、自分の住んでいない地域での活動は自身の利害がない本当のボランティアのため、新たなボランティア意識が芽生えてきました。

 横井庄一記念館についても、横井さんの直筆の手紙も多数残されており、黒柳徹子さんから届けらた手紙や著名人の手紙もあることから、今後は秘蔵されている遺品や写真などを定期的に公開して、人が集う記念館にしていきたいと考えています。

 さて、今月に入って3日に上高地で2万歩近く歩き、5日にチラシ配布で1万5千歩、そして本日も1万5千歩歩いたことで、健康を意識せずにウォーキングになっており、こんな環境が考えずに続けられたら幸いと思います。

                                     11月8日の一言


知多半島新四国巡礼の一日


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午前6時18分 名古屋駅前の噴水

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第四十八番良参寺 美浜町 午前9時25分

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午前10時24分

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常滑市内のお店
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第70番地蔵寺 午後3時36分

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第75番誕生堂 午後4時47分

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最後の参拝 午後4時54分

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 本日は名古屋市北区の志賀弘法会の知多半島新四国八十八ヶ所巡拝に同行しました。津島を午後5時30分に出発し、名古屋市北区柳原から緑区鳴海町を経由し、10人のメンバーで午後5時まで巡拝して、帰宅は午後8時30分になりました。

 美浜町の第44番大宝寺から知多市の第77番まで巡拝し、年内に満願を達成して八事興正寺に参拝予定。毎年参拝しているものの、道に迷うことが多く、自己嫌悪に陥る場面もありましたが、足腰の悪いメンバーの頑張りがあって予定する巡拝ができました。

                                  11月7日の一言


上高地 田代池と湿原


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田代池

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立ち入れない神々しさ

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湿原から見える穂高連峰

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穂高橋から見える温泉ホテル

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梓川左岸提から見る穂高と明神岳

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上高地の三段紅葉


 「今年のカレンダーはどうしたの」の一言は昨日家族が発した言葉で、うかつにも毎年購入している上高地のカレンダーを買わないままに帰宅し、先週が最後かもしれないと言っていたたけに家族に指摘されても後の祭りです。

 予定に全くなかった沖縄へ家族で出かけることになり、上高地閉山式の前日夜に帰宅するため、15日は何とか行きたいと言うエールに期待していたものの、前日まで沖縄に滞在することを知る人々からは声が上がりません。

 行きたいと言ってもらえれば行く気満々なんですが…

 学生時代に観光バス会社のアルバイトをしており、飛行機を利用した際に無重力状態のように揺れ、これ以後は絶対に飛行機には乗らないと決め、北海道までフェリーを利用し、仙台や九州への仕事は新幹線や列車を利用してきました。
 ここ10年程前から上高地の開山式と閉山式は必ず出向くと決めていたものの、家族というよりも、昨年12月の私の誕生日に生まれてきた孫と一緒に出向く機会は二度とないため、上高地と飛行機の封印を解きました。

 もっとも、毎年8月16日の送り火と大晦日の除夜の鐘は京都に出向いていたものも、昨年からは足を向けておらず、慣例化させてしまうのも問題と思いますが、やはり上高地に足が向くのは親しい知人が複数存在することにありそうです。

 さて、来週出かける沖縄にも会いたい知人が存在し、わざわざ仕事を休んでいただいたため、こんな出会いも大きな魅力で、沖縄の観光名所に期待する家内とは違い、13日は知人任せで行動したいと思っています。

 明日は知多半島の巡礼の旅に同行する一日となります。

                                   11月6日の一言


午前中胃カメラ、午後はボランティアで汗を流して


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本日の夕暮れ 津島市日光交差点 午後5時08分

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中川区千音寺の自然 東名阪大治南302号沿い

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赤星神社

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千音寺すみれ保育園前

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名古屋高速千音寺インター付近

 胃がん検診で要観察となったため、私の意思で本日朝に胃カメラの検査を受け、異状はないことを確認し、ピロリ菌検査を受けて帰宅しましたが、午前11時までは麻酔がかかっているため飲食を控えることになり、朝食抜きで知人のボランティアに走りました。

 幸いにして午後は太陽の陽射しがあったため、午後は横井庄一記念館の周辺に18日に開催する竹を使ったクラフト教室の案内チラシを、家内と2人で配布することにしましたが…

 自宅を出発しようとすると三男の車が嫁さんと孫を乗せてやってきました。
 来月の私の誕生日と同じ日に満一歳となる孫は、私にとっては我が子より可愛い分身のような存在であり、車を降りて相手をしていると時間がどんどん経過していき、心を鬼にして外出しました。

 「横井庄一記念館から来ました」の一言は、チラシをポストに配布する祭に出会った人に発する挨拶ですが、昭和47年にグアム島で横井さんが発見される以前から千音寺に住んでおられる人は反応が良く、「美保子さんは元気かなぁ」の会話となり、今年NPO法人化した記念館を地域住民の憩いの場所にしたいと新たな意欲が湧いてきました。

 記念館は名古屋市中川区と海部郡大治町の境界道路に位置しますが、大治町に案内チラシを配布した家内には、「横井さんは名古屋市でしょう」と間違って配布していると感じる人が多く、かつて千音寺も海部郡であったことを知らない住民も多く、町の名前に関係なく立ち寄れる記念館にしていく必要も感じました。

 本日の配布に要した歩数は約1万4千歩で、土曜日に1万8千歩歩いた上高地のようには歩きませんが、今後は議員活動で会報を配布していた体力を、NPO法人やボランティア活動に役立て、一般市民として名古屋市でも新たな居場所ができれば幸いと思う一日となりました。

 庄一さんが幼少時に「大鹿庄一」として生活していた我家(津島市)と、横井庄一として夫人と晩年まで生活した自宅(名古屋市中川区)を舞台にしてボランティア活動ができることも、使命感として私の健康長寿になれば幸いです。

                                    11月5日の一言


小雨降る横井庄一記念館から


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 横井庄一記念館では18日に竹を使ったクラフト教室を開催予定ですが、参加者を募集するために案内チラシを配布するため、昨晩に上高地から帰ってきたものの、本日は小雨が降ったり止んだりしており配布ができません。

 小雨の連休で記念館も来客が無かったことから、プロカメラマンが生前の横井さんを撮影した写真を夫人が引っ張り出し、仏壇の下から横井さんが作陶した皿を出すと、座敷は荷物置き場と化し、足の踏み場もなくなってしまいました。

 「ピンポーン」

 そんな中へ記念館見学のお客さんがご夫婦で訪問され、座敷に入れないことを説明して、夫人が横井さんの戦争体験を語っていると次のお客さんの訪問があり、私も久々に記念館の説明係りになりました。

 今年65歳になる私が老眼鏡がないと文字が判別できないのに、91歳になる横井夫人は老眼鏡を使わずに新聞も読めますから、それを聞いた人はびっくりとします。

 記念館に展示してある品々もそれなりの価値はあると思いますが、遺品を整理して横井庄一さんが生前やりとりした手紙や写真を整理すれば、今までとは違う鑑賞ができ、作陶した茶碗や壷についても初期の失敗作品に面白い品々が存在します。考えるのは簡単ですが、何かをすればお金がかかり、私の無責任な会話がどれだけ実現できるかはわかりません。

 「大鹿さんが次期館長ですので」と、横井夫人がお客さんに説明しているのを聞くたびに、無料で開館を続けてきた夫人の苦労とともに、年金受給者になっていく自分の大きなストレスにならないようしたいと思います。

                                     11月4日の一言


上高地パークボランティアに参加して


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河童橋から田代湿原まで木道の清掃です

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いざ出発です 午前9時

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ウェストン碑

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温泉ホテル前

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参加者が多く渋滞中です

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こんな環境なので苦痛は感じません

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信州大学東城教授の講座

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環境省からボランティア参加15年表彰を受ける埴崎さん(右)

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午後4時37分の河童橋


私には今年最後となりそうな上高地パークボランティア参加です。

午前中は田代湿原まで園路清掃を行い、午後は研修会とボランティアの定例会が開催されました。詳細は後日に。

明日は横井庄一記念館のボランティアのため愛知県へ戻ります。


                                     11月3日の一言


紅葉の上高地へ


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沢渡の紅葉です

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沢渡バスターミナル 朝7時40分

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車窓から見るバスターミナル

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車窓から見る大正池

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まもなく上高地バスターミナル

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終点です

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バスターミナルとインフォメーションセンター(右)

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久しぶりの上高地です。

紅葉はもちろんですが、落葉したカラマツの香りが最高になっていました。

とりあえずは朝のバスターミナルまで……


忙しすぎる綱渡り生活に


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クラフト教室の案内 横井庄一記念館を護る会

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グルーガンと接着剤のスティック

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竹引きのノコギリ

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竹に穴をあけるドリルの歯

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息子が高校時代に作った万力

 本日は近所の知人の葬儀があり、私が議員になった直後に広島と四国を車2台に分乗して、知人と私が運転手で町内の仲間と2泊3日の旅行をしたことを思い浮かべていると、この旅が私の四国遍路のきっかけとなったことと、後に知人の奥さんとも四国遍路に廻ったことなどがまだ最近のことのように思い浮かびました。
 ただし、この時一緒だったご夫婦と、私の後援会長も他界されている現実と、若いと思っていた知人は83歳になっておられたこと、旅行当時は私の現在の年齢だったこと、旅行から20年も経過していたことにもびっくりです。

 葬儀場で僧侶から個人のエピソードを聞いているうちに、当時は自前のモーターボートで九州から山陰にかけてマグロ釣りに出かけられ、釣れ過ぎて困ったマグロを近所で料理屋に運び込んで近所の皆さんと食べたことも思い出しました。

 今年65歳になる私の年齢は、若いと思っていてもあと20年ほどて終わる現実と、早ければいつでもお迎えがくる現実を考えると、悔いのない生活に努めたいと思います。

 さて、本日は福祉有償運送の依頼が5人あり、家内が一人で受ける限界と、何故に他のボランティアに割り振らなかったと叱っていると、連絡の無かった会員さんから待っていると電話が入り、相手の連絡ミスでも病院の予約時間があるため、葬儀前と後に私が走ることになりました。

 「12日も頼んであるんだけど…」の一言に、この日は沖縄を訪れるためボランティアを断って空白になっているため、連絡したと思いこんで勘違いしておられるとは判りましたが、他のボランティアが快く引き受けてくれきした。

 家内に確認すると、連絡を忘れていた人のほかに、2人の依頼は昨晩になってからあったため他のボランティアに依頼できなかったと判りましたが、今月の月末まで患者さんの通院予約があると病気にもなっておれません。

 添付した案内は18日のイベントですが、明日に上高地のパークボランティアへ参加し、日曜日に横井庄一記念館の近くに案内チラシを配布するものの、私に万が一の事態があると実行できないため、当日必要になる竹はもちろんですが、必要となる道具を揃えてあり近々持参しておこうと考えています。

 来週に知多半島88か所巡礼の運転手を依頼されており、12日から沖縄への家族旅行があり、何よりも来週は胃がん検診の再検査で胃カメラを飲む個人的なスケジュールをこなしていくと、約束したボランティアにも万が一の仕組みを考える必要もありそうです。

                                     11月2日の一言


時代を超えてきた柿の木を眺めて


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庭にある柿の収穫

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食べごろです

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こちらは大正以前からある柿の木

 現在我家には2本の柿の木がありますが、主役は庭の中心にある柿の木で、昭和の終わりに父親が植えたもので、庭の真ん中で成長したため「切っても良いぞ」と言い残したようですが、私が残すことにこだわり現在に至り、タネのない大きな実を大量に実らせています。

 成長して屋根より高くなったため、私は火事の時に逃げられると残していたものの、雨どいの中に落ち葉が詰まるため家内が毎年切り続けていますが、それでも大型の脚立でないと収穫ができません。

 さて、もう1本の柿の木は、私の父親が生まれる前から植えられており、大正期に納屋が火災にあった際の焼け焦げた後が黒く残っていることから、明治時代に植えられたと思われ、私の四代前の祖祖母の時代から残る歴史をつないでいます。

 こんな古くからある柿の木が最近は甘くなっており、嫁いできた家内は渋柿と思っていたようですが、元々が甘柿で我家で一番甘かった柿の木で、この木の根元には私の少年時代に飼っていた愛犬が眠っているため、私だけでなく誰も口にしなかったことから渋柿と思われていたのかも知れません。

 明治、大正、昭和、平成と残った我家の歴史を知る木でもあり、新しい年号になり、私が滅した後でも残してもらいたい木でもあります。

ダム湖に沈んだ古里 増山たづ子写真展、被災地でも反響

 ダムに沈んだ岐阜県旧徳山村を撮り続けた故・増山たづ子さんの写真展が、88歳で亡くなった翌年の2007年から友人の手で始まり、東京や北海道だけでなく災害被災地など全国各地で開催されてきたと報じられています。

 増山たづ子さんが亡くなって22年の歳月が経過していたことに驚かされ、早すぎる時間の経過と自分の歳にも驚かされます。

 本日は近所で亡くなった人の通夜が営まれましたが、せいぜい人間は80年ほどしか生きられないため、その人の人生どころか、家の歴史や先人についても写真や説明書きを残して語り継いでいきたいものです。

                                    11月1日の一言


ギャラリー
  • ようこそ 大鹿一八の納経所へ
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  • 三重県桑名市大福田寺の聖天祭へ
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