大鹿一八「本日の一言」

平成16年2月から令和1年7月末までの「本日の一言」です。ヤフーブログ閉鎖により、ライブドアへ過去の記録として引っ越しました。

2018年12月

除夜の鐘 八事山興正寺

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八事山興正寺の除夜の鐘に先立ち、五重塔前でベートーベンの第九の合唱を鑑賞しました。

まもなく除夜の鐘が始まります。


追伸
除夜の鐘を撞いてから、本堂内のご本尊と、弘法大師と不動明王に読経後に帰宅しました。明日は京都に行けそうです。

ついに大晦日がやってきました


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 平成30年もついに最後の大晦日を迎えました。訪問いただいた皆様には身勝手な書き込みにお付き合いいただき大変感謝いたしております。
 昨年末に家の後継者となる孫を授かり、3月に横井庄一記念館の法人化が愛知県から認証され、慌ただしい一年でした。

 一方において、一年前のブログに記した3年前にせせらぎ街道からモミジの幼木を持ち帰った行為について、悪意を持って警察署長に直接通報され、罪には問われなかったものの新聞記者にも通報されて実名で報道されました。
 ※山から抜いてきたものではなく、台風で川から溢れた土砂やガレキと一緒に道路わきに山積みされた中にあった20センチ弱のモミジです。被害届もなく、検察庁は事件として扱えないと不起訴になりました。

 議員という公職にあることから、市民の名を借りた政治的な通報と、任意捜査の不起訴案件は実名報道しない慣例に反し、全国に汚名が発信されました。

 多くの方から励ましを受けましたが、何でも正直に記して、間違いがあれば訂正し、正々堂々と生活しておれば怖いものなしと思っていましたが、議員という公職にある意識が希薄だった反省と、実名発信は敵意を持って閲覧する人の存在があることも実感させられ、これまで記してきたペットや趣味などプライベートな書庫の大半を閲覧できなくしました。

 この一言は、平成16年から毎日記してきました。当初からお付き合いしてきたブログ運営者の中には、実名と連絡先を教えていただいた人も多く存在し、今年10月にはDOCさんに沖縄を案内してもらいました。
 私の上高地の発信を読んでいた人が今年から上高地のボランティアに参加されるようになり、横井庄一関係の発信によって、昭和47年に横井庄一と手紙の交換をした当時の高校生から、横井庄一直筆の色紙が多数里帰りしてきました。

 ブログ発信が自由にできることで、世の中が大きくかわっており、市民が自由に意見を発信し、自分の趣味や特技を公開することで参考にされ、遠く離れた土地や旅先の情報を共有できるようになりました。

 来年は年金受給者となりますが、来年以降もブログ発信することで、全国各地のブログ発信者と交流し、お互いがよりハイレベルで、楽しい生活を送っていけるように頑張りたいと思います。

 来年も宜しくお願いいたします。
                                  12月31日の一言


本日の写真 空き巣の現場を見て


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新おにえ橋西詰 津島市中一色町

 本日は横井庄一記念館が開館しており、夫人の元気な姿を確認してから知人の事務所を訪れました。

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知人の事務所の窓です。 ウン?

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ガラス窓から外の景色が眺められます

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そして、入口も

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室内の様子が覗けます

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元をたどれば…

 まもなく新年を迎える慌ただしい時期ですが、2日前に知人の事務所の窓ガラスが割られて空き巣が入る事件が起こっていました。

 しかし、この事務所はわざわざ窓ガラスを割って侵入しなくとも、入口は施錠されておらないと言うよりも、一年前に空き巣が入った時に入口のガラスが割られ、直すとまたガラスを割って侵入されるため、被害にあったままになっており、苦労しなくても24時間出入り自由になっています。

 元をただせば数年前に窓ガラスが割られて泥棒が入り、警察に通報したものの、指紋や足跡を調べることもないままに、事務所荒らしの常習犯の仕業として、その後何の連絡もないままとなっていたため、入口のガラスが割られた際には数万円の被害があったものの、通報しないだけでなく、今度泥棒が来ても割られたままにしてあれば入ってこないと考えた結果でした。

 裏側の窓ガラスが割られ、次に入口のガラスが割られ、2日前には最後に残された反対側のガラスが割られており、3方すべてのガラスが割られたことで、今度来る空き巣はどこからでもガラスを割らずに侵入できますが、知人は金目の物は何も置かないようにしており、ここまで被害に会うと警察への通報もなく、こんな事例が増えると空き巣の実態も把握できないでしょう。

 知人は自動車関係の仕事ですが、顧客の車については厳重にガレージに入れ、カギをかけていますが、自分の車については無施錠にしており、過去にガラスを割られた経験から、金目の物を置かないようにして、無施錠ならガラスを割られる心配もないと語っています。

 一番の問題は、被害届を出しても警察はそれぞれの事案を捜査していないと思われ、偶然に逮捕された犯人が正直に供述すれば判りますが、逮捕されてもほとんどは被害の弁済には至らず、結局は被害者の泣き寝入りになっている現実で、人手が足りないと捜査しないことが空き巣を助長する悪循環も社会問題です。

 ホームセンターに行けば、数多くの防犯グッズが販売されており、心配するよりは防犯ライトやサイレンを購入して、犯人が入ってこれない環境にするべきと思いますが、我が家も道路沿いで犬が居るから大丈夫とは思わず、玄関周辺と裏庭の防犯を考えたいと思う事例となりました。

                                  12月30日の一言


明日に廃業する矢合観音小玉屋食堂へ


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矢合観音 本日12時54分

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参道から見える小玉屋食堂

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今年の初雪が積もりました

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駐車場の雪

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母親の残した色紙

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ここも明日で廃業となります

 愛知県も昨晩は寒風が舞い、道路こそ雪は溶けてないものの、尾張地方は白黒の世界となりました。

 明日30日で100年の歴史に幕を降ろす矢合観音の小玉屋食堂ですが、突然に三男の家族が知人と昼食に訪れると話し、私の車なら全員が乗れますが、昨日から不調なため、知人を誘って家内と3人で一緒に出向きました。

 親子三代にわたって暖簾を守ってきたお店が今年で最後になると思うと残念ですが、多くの店員さんを抱えた食堂経営は大変で、何よりも矢合観音に参拝する信者が減っていることが原因とは言え、何とか存続させて欲しかったと思います。

 この観音様に立ち寄るようになって、若かりし頃は何も思わなかったものの、四国遍路や高野山に出向くようになり、観音様の当主の読み上げる般若心経があまりにも雑で、仕方なく読経しているとしか思えなくなってきました。こんな応対では水に祈願を頼む気にもなりません。

 この観音様の庭にある井戸水は霊泉として信者を引きつけてきましたが、医学が発達して水よりも医療や薬に頼るようになり、50年前とはお寺や信心に対する感覚が変わってきており、時代にあった信者の居場所に変身させなければ人は寄ってきません。

 私ならと思うものはありますが、私自身も時間から時間を拘束された仕事は苦手ですから、観音様や食堂に批評はできても、その身になれば廃業も仕方がないものの、この食堂の存在によって元気に働いておられた高齢者の方々の姿はもう見られません。

 「おふくろ」と呼ぶ 売店の客ふえ、わが天職のうれし店番

 店内に飾ってあった店主の母親の色紙ですが、参道入り口にあった名物食堂の閉店は、個人の問題ではなく矢合観音全体を益々寂しくすることは必至で、名鉄国府宮駅から矢合観音のバス路線の便数減らしや廃止を考えられると地域全体の問題になっていくと思われます。

                                   12月29日の一言


名神高速一宮PAでランチを食べてきました


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尾張一宮パーキングエリア 下り線

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駐車場はほぼ満車状態です

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寒いので人影はありません

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ぷらっとパーク駐車スペース
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ぷらっとパーク 尾張一宮PA

ぷらっとパーク設置SA・PA一覧 http://sapa.c-nexco.co.jp/guide/platpark
 
 本日は名古屋市の中村日赤まで福祉有償ボランティアで患者さんを移送し、診察に3時間ほどかかるとの話から、足を延ばして一宮市千秋町にある名神高速道路尾張一宮パーキングエリアでカレーライスを食べてきました。
 私と家内がボランティアができない場合を想定し、他のボランティアを会員さんに紹介し、我々の不在時にも対応できるようにするため、2人で出向いていたことから遊び心で出向きました。

 最近の高速道路はサービスエリアやパーキングエリアに一般道から入れるように駐車場を設置しており、高速道路を利用しなくても食事や売店を利用できるようにしており、若かりし頃にサービスエリアの従業員入り口から肩をすぼめて進入していたことを思うと便利な世の中になりました。

 本日は一宮パーキングエリアの下り線(大阪方向)を訪れましたが、車3台分と身障者用スペース1台分とあるものの、入り口に従業員用と思われる広い駐車場も空いており、上り線(東京方面)には17台分のスペースがあります。

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 我々のように津島市から訪れるには距離がありますが、パーキングエリアは飲食店やコンビニだけでなく、名古屋を代表するお土産も各種販売されており、自己満足ではなく贈られた相手に喜んでもらえる買い物もできそうです。

 なによりも、高速道路を利用しなくても、日常生活の中で高速道路のSAやPAに立ち寄ることで、旅に行った気分になれることから、気力が落ちた時や、憂鬱な日々の気分転換にはお勧めのスポットとなります。
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 パーキングエリアからの帰り道に「お好み焼き130円」の看板のお店が目に映りました。帰宅後に検索すると、一宮市丹陽町伝法寺にあるお好み焼き、たこ焼きのお店「うまいや本店」さんであることが判りました。名岐バイパス伝法寺交差点を右に入った場所にありました。
 ここは家族で訪れることにします。
                                 12月28日の一言

本日の光景


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 まもなく新しい年を迎える年末になって、福島市の認可外の保育園で昼寝中だった1歳2カ月の男児が死亡した事故で、園は1時間おきの間隔でしか見回りをしていなかったと報じられているが、我家の1歳になった孫を考えると幼児の子育ての難しさを実感させられます。

認可外保育で1歳死亡 うつぶせ寝、10分おき見守らず

 我家も自宅の前が県道のため、目を放すと危険と遭遇していますが、私自身は家内任せで子育てをしたことが無いので、寝ている幼児が10分おきに見守らないと死んでしまうという現実にもびっくりとさせられました。

 0才児の保育施設が当り前に言われる社会ですが、10分おきに見守らないとならない幼児を預けなければならない事にも疑問で、どんな幼児にも4人の祖父母が存在するため、家族で助け合えば何とかなりそうに思われますが、わずか1歳2カ月の男児を死なせてしまった後悔は他人事とは思えません。

 さて、明日は御用納めとなりますが、過去の年末年始は何をしていたのか読み直していると、年齢を重ねたことで随分と行動力が低下しており、天気予報では年末年始は雪の予報になっているため、自宅での寝正月になる可能性も出てきました。



 半月前に大晦日に来れないかもしれないと京都を訪れましたが、かつてなら天候の良し悪しに関係なく絶対に出かけており、家族の声に耳を傾けるようになったのは年齢ばかりではなく、1歳になった孫の存在も大きいのかもしれません。

                                 12月27日の一事

我家の自動販売機が撤去されて


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本日我家の光景です 午前9時24分

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昨日の自販機

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利用できなくしてあります

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前に出して…

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クレーンで吊り上げます

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寂しいものの、見通しが良くなりました 午後4時44分


 左の写イメージ 7真は今月10日の写真です。


 この自動販売機は三男が設置していたもので、冬は飲料水を温めるために電気料金が高くなり、この自販機だけのために電気を引いているため基本料金も必要になり、利益にもならないので撤去すると言っていましたが、利用する人もあるため接骨院を経営する三男が引き継いでそのまま残しても良いと話していたものの、本日ついに撤去する業者がやってきました。



 この自販機が設置されたのは8年前の話となり、当時は三男も接骨院を始めておらず、現在となりの貸店舗に入っている塾の前に違う業者が入っており、設置した次男は自分が飲むために設置したと言い、利益は二の次でしたが、物珍しさにで私も毎日のように買っていました。

 もっとも、その後道路の向えにコンビニができ、次に貸店舗に入ったのが塾で、子供を乗せてくる母親の運転する車が自販機を傷つけたり、自販機以外の空き缶や家庭ゴミが捨てられることもあり、駐車場に出入りする車にとって道路が見にくいなど、家内まで無い方が良いと言っており、私自身も4年前から管理栄養士さんに止められて炭酸飲料を買わなくなっていたことも原因です。

 昨日まで存在した自販機が無くなったのは寂しいものの、自販機の前にバス停があり、道路の見晴らしが良くなったことで駐車場の出入りも安全になっており、8年前に記した当時とは随分と生活環境が変わっていたことも実感する一日ともなりました。

                                  12月26日の一言


本日の写真 家内とマクドナルドへ


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 本日12月定例市議会が閉会となりました。いよいよ今年もあと6日となりました。

 添付した写真はマクドナルド津島神守店の外観で、本日家内と出向いたスーパーでの買物後に訪れました。

マクドナルド津島神守店
愛知県津島市神守町字元屋敷130-5  電話 0567-55-7178

 私の住む愛知県では来客があっても珈琲店に出向く人が多く、かつては商談や仕事の打ち合わせにも珈琲屋が利用されていましたが、最近ではコンビニの100円コーヒーが利用されるようになり、珈琲屋の利用が減る反面で、豪華なモーニングサービスが全国に発信されるようになりました。

 しかし、家で朝食をとってからのモーニングサービスは健康上問題となり、来客があるたびに400円のコーヒーでは年金生活者には負担となり、そんな時にマクドナルドは100円のコーヒーだけでも座って談笑できるため、まもなく年金生活者となる私にはお気に入りの居場所となってきました。

 私のお気に入りと記しているマクドナルドも、数年前にはほとんど入ったことがなく、自分の行く場所ではないと思っていましたが、利用するようになると便利で、最近になって知人からネットカフェを勧められており、長距離ドライブの仮眠や、外出先のパソコン利用など、新しい居場所作りも挑戦したいと思います。

                                    12月25日の一言

冬用タイヤに交換しました


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家内の車をスタッドレスタイヤに交換しました
                              ジャッキはキャラバン用です

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知人のジャッキを借りました

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何とか終わりました

 年末に雪が降るとの天気予報に、家内の車だけでも冬用タイヤに交換しておことて作業にかかりましたが…

 家内の車(ニッサンセレナ)の車高が低く、私の車(ニッサンキャラバン)のジャッキが入らないため、家内の車からジャッキを取り出して作業しましたが、ジャッキは上がってもタイヤは地面についたままで地面から上がりません。

 ジャッキはセレナに備え付けのニッサンのマーク付きですが、結局限界まで上げてもタイヤは上がらず、自動車関係者の知人に連絡して大型のジャッキを持って来てもらいましたが、今までの経験では理解できません。

 そして、本日初めて判りましたが、セレナにはパンクした時の予備用スペアタイヤが何所にも存在せず、家内のセレナが車イス車載用の車輌のためかと思っていると、セレナにはスペアタイヤが積んでないことが判りました。

 タイヤがパンクすることが無くなり、タイヤ交換をした記憶もありませんが、スペアタイヤが無いということは、パンクした場合にJAFを呼ぶか、空気入れで空気を入れてガソリンスタンドへ走るしかありません。

 ネット検索すると、「この車両にはスペアタイヤおよびジャッキが標準で搭載されていません。 タイヤがパンクしたときは、タイヤ応急修理キットで応急修理ができます」とあり、我家の福祉車輌には積載されておりませんが、セレナにはエアーコンプレッサーと修理剤ボトルも搭載されているようです。

 全く無関心でしたが、世の中は変わっていたのですね。さて、私の車(キャラバン)は、雪が降ったら乗らないこととして、万が一にはチェーンで対応できないかと考えています。雪が降ったら乗らない方が良さそうですね。

                                 12月24日の一言


孫を抱っこしてスーパーへ買い物に


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 本日の新聞に折り込まれた広告を見た家内が、夕方4時から卵が安くなると言い、私が同行すると2バック買えるとの話に、付いて行くだけなら(1歳になった孫)〇〇を連れていけば良いだろうとの話になりました。

「〇〇も連れて行って3バック買ってこよう」
       「そんな子供ではダメでしょう」
「子供でも手に持たせれば良いだろう」
       「そんなバカな…」
「馬鹿かどうかやってみないと判らないだろう」

 本当に馬鹿な会話ですが、私が孫を抱いて買い物がしたい一心で息子に連絡すると、目的のスーパーの近くへ買い物に出かけており、無理やり〇〇を連れて安売りのスーパーに行くように依頼しました。

 家内とスーパーに到着すると息子たちの車が停まっており、息子が玉子を3パック確保しており、家内と孫を抱いて3人分購入しようとしていると、1000円について1パック買えると記されており、孫を抱いて買い物がしたい私は買う目的もないままに孫の喜びそうな陳列台を見て歩き続けました。

 今月18日に1歳になったばかりの孫ですが、赤ちゃん用の食材の前に立つと商品を手にとり、レジの前から口にくわえますから、店員さんに笑われながら清算を済ませ、何かを買ってやろうと本屋ものぞいてみたものの、まだ自分で好き嫌いの認識はないためこれは先の楽しみとなります。

 孫と一緒に居たいばかりの私ですが、一緒に居るだけでは危険な物を手にしたり、食べていけない物を口にいれてしまうため、家内や息子たちから私は子供の面倒が見れないと厳しい注意があるものの、抱っこしているだけでは危険はないため唯一の子守りとなります。

 ただし、そんな役立たずの爺さんも、孫にとっては叱られたり、思うようにならない親や家内よりは、成長するにしたがって大事な爺さんになる可能性は高く、しばらくは家族の厳しい意見にも耐えて孫と一緒に同行する外出を目標にしたいと思っています。

                                  12月23日の一言


矢合観音にある小玉屋食堂が年内で閉店となり


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矢合観音 小玉屋食堂

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矢合観音参道

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矢合観音 バス停

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現在の小玉食堂(左)と、かつての食堂(右)

 愛知県稲沢市の矢合観音入り口で、創業して100年以上となる名物食堂「小玉屋食堂」が、今月30日を最後に閉店となると聞き、「何とか存続できないか」と言ったところで、既に決まっていることで、「夫婦だけで喫茶店でも続けたら…」と言ったものの年内廃業は決まっています。





昼休みの遠出 2007/9/14

 何度もテレビに放映され、昨年1月には2月7日に放送されたCBCテレビ「イッポー」の撮影に遭遇して、撮影風景までこの一言に紹介してきましたが、そんな名物食堂も今年が最後になるのは寂しい限りの話題です。

 今年6月には店舗をむかえの売店に移動させており、まさか今月末で閉店とは思っておらず、親子三代にわたった食堂も四代目に主を譲ることなく消え行くことに、店主の年齢と時代の変革を実感させられました。

 もっとも、店舗の形態を替えれば存続も可能と思われるものの、家庭の事情とともに、一番の原因は矢合観音への参拝客の減少が大きく、小玉食堂の閉店によってより参拝客が減少していくことが予想されます。

 小玉食堂の閉店によって、地域全体で頑張ってきた観音様の日とした18日のイベントにも大きなダメージを残すことになりそうです。
 そして、私の行き場所、居場所も減っていきます。

                                   12月22日の一言


覚王山日泰寺の縁日とと新四国八十八ヶ処へ


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覚王山日泰寺の縁日

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山門前

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境内も出店でいっぱいです

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本堂まで参拝客が並びます

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やっと本堂入り口まで来ました

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覚王山日泰寺 本堂

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覚王山新四国八十八ヶ処

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地蔵堂(弘法堂)

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一番寺から

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 本日は町内の真言宗のお寺に参拝する予定を立てていたところ、名古屋市の病院まで移送して欲しいとの依頼があり、一年最後となる納め弘法に行けないと思っていると、病院は覚王山日泰寺の近くで、診察時間が2時間程度かかることから、日泰寺裏の駐車場に車を停めて「弘法さん」の縁日に出向きました。

 覚王山の縁日は毎月21日に開かれており、沿道の出店に多くの参拝客が集りますが、山門前から境内横や地域全体に設置されている新四国八十八ヶ処も関係者がご接待の用意をして堂の扉を開けておられました。

 全国各地にお寺の境内や敷地内に設置されたミニ八十八ヶ所が存在しますが、「覚王山新四国八十八ヶ処」は日泰寺の境内ではなく、門前や地域の道路沿いやお寺周辺に八十八ヶ所のお堂が作られており、全部参拝するためには2時間半以上かかり、四国八十八ヶ所のご本尊の真言を唱えて廻るとそれ以上の時間が必要になります。

 全くの不勉強で、物見遊山の参拝のため賽銭も持ち合わせず、参拝する環境にはありませんでしたが、ボランティアを依頼されて諦めていた午前中の納め弘法を、覚王山で体験させてもらい、その後病院から依頼者を津島市の自宅まで搬送すると、午後1時半から町内のお寺で開催される阿息観の時間に間に合いました。

 午後3時半に阿息観が終わり、名古屋市北区で開催されていた志賀弘法会の関係者を迎えに走り、津島市の自宅に戻ると午後6時を過ぎていました。

 ボランティアの依頼によって、午前中の納め弘法に参加できなくなると思っていましたが、朝から出向いた名古屋市覚王山で新四国八十八ヶ処に足を運ぶ機会に恵まれ、午後の真言宗の瞑想法阿息観にも参加でき、移送を依頼されている志賀弘法会のメンバーの移送も済ますことができ、朝からの一日が弘法信仰三昧の最高の一日となりました。

                                   12月21日の一言

移送ボランティアとお寺のご縁が重なって

              14日の写真です
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覚王山日泰寺 本堂

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山門

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本堂と五重塔

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五重塔

 14日に訪れた名古屋覚王山日泰寺の写真です。日本で唯一のいずれの宗派にも属さない日本の全仏教徒のための寺院で、釈尊のご真骨をタイ国より拝受して安置されている大きな寺院です。

 
 毎月21日は日泰寺参道で縁日が開催されており、偶然にも明日に日泰寺の近くの病院まで搬送を依頼されており、診察が終るまで待って欲しいとの依頼のため、車が停められれば縁日の様子を見てきたいと思っています。

 もっとも、21日は真言宗のお寺でも催しが行われており、12月は終い弘法が行われ、私も町内のお寺に参拝する予定でしたが、午前中は病院へ同行することになったため、午後の阿息観に間に合えば訪れたいと考えています。
 夕方には名古屋市内で開催されている志賀弘法会のメンバーを名古屋から津島市まで2往復する移送も依頼されており、ボランティアと言うよりも本職のタクシー運転手のような一日となりそうです。

イノシシに乗る仏像発見 四国の寺で正月三が日に開帳

 さて、来年の干支はイノシシですが、四国霊場85番札所・八栗寺でイノシシに乗る仏像が新たに見つかり、正月三が日は本尊とともに開帳し、仏像の御朱印を特別に用意するとの報道です。

 こんな発信を見ると、10年前には独りでも走っていったかも知れませんが、年寄りになったためか、冬には京都まで出向くのも億劫となっており、四国も雪の心配がなくなる春までははるか彼方のように感じてしまいます。

                                 12月20日の一言


老齢年金の手続きと書道会の忘年会


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老齢基礎年金裁定請求書を市役所へ

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介護保険の保険者証と納付書

 昨日65歳になったことから、市役所に老齢年金受給の手続きに訪れましたが、提出した年金請求書を提出してから2ヵ月以内に審査結果を届けるように務めていると記され、この時に届く「年金証書・年金決定通知書」が届いてから、50日経過しないと支払いとはならないと記されています。つまり、年金は4ヶ月後にならないと支給されません。

 一方で、65歳になる前に市役所から介護保険の保険者証とともに介護保険料の納付書が届けられ、1ヶ月1万360円の保険料が今月分から請求されており、年金を受給する前から支払いを求められることに嫌悪感を覚えました。

 年金を受け取れる喜びよりも、介護保険の料金の高さに不快感が上回ります。

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 本日は書道会の忘年会が行われました。

 書道会は平成6年に中学時代の恩師長谷川丈夫先生に指導をお願いして、神守中学校の神守と先生の名前をとって「神守丈友会」とし、指導者は後藤毅先生に代わったものの会費を積み立てて旅行や食事会を楽しんできました。

 歴史は古いものの、メンバーの高齢化によって半減しており、観光バスを使った日帰り旅行を行っていた時のようにはいきませんが、グループで一泊旅行に出かけるなど、しばらくは歴史を刻みたいと思っています。

                                  12月19日の一言


本日は孫と私の誕生日です


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東海テレビで祝ってもらいました

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紅白の餅を搗きました

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餅をリュックに入れて背負います

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昼食で祝ってもらいました

 本日18日は私の誕生日で年金がもらえる年齢になりました。私の誕生日はクリスマスが近いことから、子供の頃にはクリスマスのケーキと一緒に祝ってもらっていましたが、最近は子供達にも忘れられ、家内のささやかなお祝いでしたが、昨年生まれた孫が同じ誕生日となったため、今年はテレビでも祝ってもらい、お昼には中華料理でお祝いしてもらいました。

 今にして思うと、同じ家に同じ誕生日の孫が生まれるとは思ってもおらず、後継者誕生の願を賭けていた御嶽山霊神場の霊力に驚くとともに、更に平成9年に祖母が同じ12月18日に亡くなったこととあわせると奇縁としか思えません。


 孫はこれから年齢を重ねて成長する姿が楽しみになりますが、私はこれから一年ごとに身体は老化していき、孫が成人するまで生きておられるか判らないものの、これからの人生で一年ごとに人格に磨きをかけ、最後の一日まで自宅で自律した生活をおくることを目標にしたいと思います。

 私の父親は平成5年に65歳で亡くなりましたが、戦前に満州鉄道に勤務した経験から、中国語を学びなおし、定年後は満州で縁のあった中国人と交流し、厚生省から依頼され、帰国したものの何の情報もない残留孤児の話し相手になっていましたが、志半ばで他界しました。

 私には地元の福祉有償移送のボランティアと、横井庄一記念館の運営に加えて、四国遍路と上高地のボランティアも続けますが、今まで撮りだめた写真と、個人的に収集した歴史資料を孫に託せるようにしたいと思います。

                                   12月18日の一言


京都大原のランチと茶菓 15日

    土曜日の写真です
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大原天皇陵 宮内庁 後鳥羽天皇と順徳天皇

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案内板

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三千院前 土井の志ば漬

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京美茶屋 三千院前

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山菜そば定食 右上は湯葉

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ここから天皇陵まで歩きます

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宝泉院の茶菓子 

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若狭屋末則 宝泉専用のお菓子「ひととき」

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お寺で箱詰めの「ひととき」を頂きました

お茶を求め、京へ上ル~女子大学生の茶道修行~

「京都の何所に行ってきたんだ?」
    「大原の宝泉院まで…」
「何しに(尾張弁)行ったんだ?」
    「ランチとお茶に…」

 愛知県から高速道路で1時間半、一般道でも2時間で大原まで到着し、昼食とお茶を飲んで自宅に帰る京都行きですが、小学校の修学旅行で1泊2泊で訪れた印象から遠く離れた旅先のように話される人も多い。

 土曜日の10時に自宅を出発して、途中でコーヒーを飲んでから大原に到着し、三千院前の京美茶屋で山菜そばを食して、宝泉院で額縁庭園を見ながらご住職と雑談に花を咲かせ、お茶をいただいてから帰ってきました。

 高速道路と違って一般道を利用すると、愛知県の我家の前を走る県道と京都の大原街道が続いているような実感がして、思いつきで車を走らせるようなドライブ気分が味わえ、住職との会話も近所の茶飲み話のように感じてしまいます。

 大原と言えば三千院しかないように語られる人もありますが、大原には後鳥羽天皇と順徳天皇の天皇陵もあり、静かな静寂の中にたたずむと悠久の歴史も実感し、観光コースとは違う味わいも実感できます。

 久しぶりの京都行きでしたが、静かな京都のランチとお茶を楽しみ、帰途に大徳寺門前の山国屋細見酒店を訪れ談笑の後、大阪府の東淀川区の親族宅に畑で採れた野菜を届けてから大急ぎで帰宅しました。大阪から高速道路利用により2時間で自宅に到着しました。

 大晦日と元旦も京都の予定となりますが、さて…

                                 12月17日の一言

追伸
明日の午前11時過ぎに、孫と一緒の写真が東海テレビに紹介されます。

本日も横井庄一記念館の一日となり


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本日の記念館

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横井庄一さんのお墓

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記念館内の取材

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頼むよ

 先週に引き続いて横井庄一記念館の一日となりました。

 昨日訪れた京都大原は初雪となり、途中の滋賀県では雪を横目の運転となり、宝泉院では扉を取り払った額縁の間で膝を震わせて住職と話していましたが、本日はさらに寒い今シーズンになって一番の冷え込みとなりました。

 横井庄一記念館も本日はテレビ局の取材を受けましたが、エアコンの暖房の音が撮影に影響するため、冷え冷えとした室内となりましたが、本日は地元の方々だけでなく、福島県や宮城県の仙台から来られた来館者があり、本日も夫人が91歳になったとは思えない熱心な案内をおこなっていました。

 今年は最後の日曜日となる30日も開館する予定ですが、記念館前の道路拡幅が予定されており、来月から玄関前の工事がおこなわれるため、添付した玄関前の景色も今月が最後となります。この機会に是非ご来場下さい。

                                  12月16日の一言


京都大原 宝泉院


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宝泉院境内

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魚山園前から

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三千院山門

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実光院

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勝林院

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宝泉院 山門

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囲炉裏の間と裏庭園

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玄関前

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額縁庭園 五葉松

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抹茶とお菓子 宝泉院のひととき

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額縁庭園
客殿の西方、柱と柱の空間を額に見立てて大原の借景を鑑賞する

 本日は京都大原の宝泉院を訪れました。大原はこの日が初雪でした。

                                   12月15日の一言
宝泉院
京都市左京区大原勝林院町187番地
075-744-2409  http://www.hosenin.net/



知多半島新四国八十八ヶ所巡礼の結願


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知多半島結願後に参拝した八事山興正寺 午後1時15分

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本日最初の寺第78番福生寺・知多市 午前8時30分

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第80番栖(せい)光院の楠

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第86番観音寺 午前11時00分

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第84番 玄猷寺(げんにゅうじ) 午前11時44分

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第5番 地蔵寺 午前12時08分

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地蔵寺の階段

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第88番円通寺 午前12時23分 満願です


 今年3月と4月、11月に続いて、本日4回(日)目の巡拝で、知多半島新四国八十八ヶ所の巡礼が満願となり、御礼参りに八事山興正寺に参拝し、昼食後に覚王山にある日泰寺に参拝して今年の巡礼を終えました。

 同行した志賀弘法友の会は、名古屋市北区の歴史のある弘法会ですが、高齢化によって足腰が弱り、数年前までは2泊3日で知多半島を巡っていたものの、日帰りに変えて疲れを分散し、3日の巡拝が4日になったものの全員が結願しました。

 来年は4月から知多半島の巡拝を再開し、6月に1泊して高野山へ参拝しますが、私自身は昨年から家内と西国巡礼をしていたため、今年は一度も四国遍路に訪れておらず、来年からは年金生活者になるため本格的なお遍路を目指したいと考えています。四国遍路に一度も訪れない年は久しぶりとなります。

                                   12月14日の一言


元名古屋市長の色紙 「吟月弄風」


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吟月弄風(ぎんげつろうふう)

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友月交風

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杉戸 清(すぎと きよし)さん1901年10月10日- 平成14年(2002年)4月24日百歳で没 
  元名古屋市長。名古屋市長を3期務め、1973年に勲二等瑞宝章を受章されている 

 2日前に日本画家浅見香城先生の画帳がゴミと一緒になっていたため、その付近を整理していると、古い色紙が多数山積みされており、この中に元名古屋市長の杉戸清さんの色紙が含まれていました。

 添付した「吟月弄風」(ぎんげつろうふう)については、吟風弄月と同意語と思われ、吟風弄月とは、自然の風景を題材にして詩や歌を作ることで、風に吹かれながら詩を吟じて、名月を眺めながら楽しむとあることかせら、名月を見ながら、風に吹かれながら詩を楽しんだと記されているように思います。

 真ん中の「友月交風」は、月を友とし、風と交わる。月と友し(仲良くし)、風と交わることで、自然と親しみ、自然と一体になりながら暮らしておられた様子がうかがえますが、市長を引退する前の市長在職中の書であることから、最近の市長とは違って日本画や書をたしなむ文人としての姿がうかがえます。


 添付した一言は、学生時代に起業した私にいただいた色紙が記してありますが、杉戸さんの「朱竹」の色紙を見た記憶があり、年内に探し出して添付したいと思います。

 本日は午前中に委員会が終わり、いったんは帰宅したものの、今では数少なくなった職員(65歳)から食事を誘われ、再度市役所に出向くことになりました。

                                    12月13日の一言


本日も市役所で一日が経過して


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自宅前 午後5時05分
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夕方の津島市内 午後4時30分

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午後4時30分

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午後4時31分

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夕方の市役所 午後4時52分

 本日は厚生病院委員会の2日目の審査になりましたが、すべてが終らないため明日の午前9時から再会することで散会となりました。

 遠方から我家を目指した知人は勿論ですが、週末に知多半島に同行する約束がしてある人々は、連絡ができないため予定が立たず、いらいらしておられたと思いますが、12月は議会開催月のため迷惑をかけることになります。

 一方で、福祉移送ボランティアについては、議会があるときは役立たずとなり、本日の家内は職業ドライバーのように、午前7時から名古屋の病院まで走り、市内の複数の病院へ走って、午後3時まで自宅に戻れなかったとの話でした。

 今年最後の12月も半分が過ぎました。昨年の反省から、年末年始は例年通りに行動したいと思います。

                                   12月12日の一言


捨てる物にも注意が必要に


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柿の木と雀 朝見香城先生の画帳から

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古希記念展画集

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富士山

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 毎週火曜日の夜は、平成6年から続けている神守丈友会の書道教室が私の事務所で開催されるため、普段さわらない場所まで掃除して、いらない物を捨てようと移動させていると、父親の日本画の恩師であった浅見香城先生の画集が入っていました。

朝見香城 あさみ-こうじょう (1890-1974)
大正-昭和時代の日本画家。明治23年5月4日生まれ。京都で西山翠嶂(すいしょう)に師事。大正元年名古屋にうつり,4年文展で「陶器窯図」が初入選。帝展でも第2回の「雨に煙れる琴平」以降たびたび入選する。昭和3年中京美術院を設立。戦後は日展で「松林図」「洋犬図」などが入選。昭和49年8月29日死去。84歳。兵庫県出身。本名は寅次郎。

 中身を見ると、昭和34年5月1日から8日まで、名古屋松坂屋の6階画廊で古希個展が開催され、会場に展示された23作品を一年後に記録して発行された画集で、松村静雄氏、鬼頭鍋三郎氏、森田沙伊氏らが挨拶文を寄稿している。

 鬼頭鍋三郎氏と森田沙伊氏については愛知県出身の画家として判別できるものの、松村静雄氏については茶道や食に詳しい文筆家らしいとしか判らず、60年近い歳月の経過を実感させられます。

 私の父親の日本画の先生となりますが、教え子には元名古屋市長の杉戸清氏や、名古屋大学の名誉教授だった大西誠一郎氏など各界の第一人者を指導しておられ、私の父親は一番の若手となります。

 添付した画帳は非売品で25ページの薄い小雑誌のため、雑誌と重ねてあればゴミと化してしまう可能性は強く、父親が先生から指導を受けていた手本(画帳)や色紙もたくさんありますが、私が死んでしまうと息子たちは名前すら知らないために捨ててしまうと思われることから、由来を記して整理していく必要性を感ずる一日ともなりました。

                                    12月11日の一言


本日の我が家の光景


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闘病中だった息子の接骨院が本日から再開となりました
その前に…

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鉄板です

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鉄板の下には

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メーターのフタが割れてきました

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 7月よりガンの闘病生活により休診していた三男の接骨院が本日から再開することになり、駐車場にある水道メーターのフタを保護するため、ホームセンターで鉄板を買ってきました。

 水道メーターを破損すると地主の自己負担になり、メーターのフタについても交換すると高額になるため、ホームセンターで鉄板を探してきましたが、車が出入りする駐車場の入口に置かれたメーターは配慮が無さすぎましたね。

 昨年には流し台の排水口が詰まり、原因は道路の側溝に堆積した土やヘドロでしたが、最近になって風呂の排水が床下にあふれ、台所の土台を腐らせており、今回の水道メーターだけでなく、屋根の雨どいや事務所の壁の塗装など補修を必要とする場所が山積しています。

 こんな時にホームセンターは有難い存在になっており、生活するために必要な品は何でも手に入るようになりました。

 しかし、やるのは私ですから、不器用なだけでなくナマカワのため、限界がこないとなかなか改善にまで至らず、こんな時に口うるさい家内の苦言を聞かされることになります。ただし、本日の鉄板は実にうまく収まりました。

                                12月10日の一言


横井庄一記念館の一日になり


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スカイラインGT-t

 本日は横井庄一記念館へ日本テレビの取材があり、午前中から午後4時30分の閉館時間まで記念館の一日となりました。添付したスカイラインは記念館横の駐車場に置いてありました。

 テレビ番組は、本年10月からスタートした「THE突破ファイル」で、ウッチャンこと内村光良さんの司会で、サンドウィッチマンがレギュラー解答者として出演しており、横井庄一さんがグアム島で体験した絶体絶命のピンチをどのように乗り越えたか再現ドラマとして来年1月24日に放映される予定です。是非ご覧下さい。

番組概要
絶体絶命のピンチにこそ人間の真価が発揮される!あらゆるジャンルで実際に起きた驚きの突破劇を再取材。詳細な情報を基に物語を再構築し、再現ドラマとクイズで奇跡の突破劇をドラマチックにお届けする新感覚ドラマ&クイズバラエティー!

THE突破ファイル|日本テレビ - 日テレ https://www.ntv.co.jp/toppa/

 取材を受ける前に、横井庄一さんの絶体絶命のピンチは何だったかと夫人と雑談に花を咲かせましたが、私はアメリカ軍の艦砲射撃をかいくぐって生き延びたことと、昭和47年1月にグアム島のジャングルで銃を手にした現地人2人と遭遇したことが絶体絶命のピンチではなかったかと思います。

 しかし、28年間も食料もなく、隠れて生活することはピンチの連続で、毒のある食べ物を口にしたり、医者しか治せない身体の異変にも生死を分ける決断が必要となり、洞穴の周りに現地人が行き交うときは生きた心地がしなかったと思われます。

 ジャングルでサバイバル生活をおくったことと、旧日本兵と言うことで本人とは違ったイメージを持たれる人も多く、帰国後に一緒に生活した夫人と、横井さんが生後3ケ月から小学校5年生まで生活した我家の肉親として2人が取材に応じたことで、今までは違う横井像と、生き抜くための本音も感じてもらえたかも知れません。

 横井庄一さんをテーマにした雑誌や本は多く出版されていますが、帰国後の生活を記した記録と、不屈の精神力の源となった幼少時の生い立ちについては記録されていないため、夫人が元気なうちに私の合作で記録を残していくことも必要です。

 MCの内村さんとサンドウィッチマンの明るいキャラクターで、軍人ではなく人間としての横井庄一さんが語られることに期待しています。

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中村公園の大鳥居

 おしゃべりの私の影響で取材時間が大幅にのびたため、家内が取材陣を中村公園まで送っていきました。本日は福岡県から来られたご婦人や、近隣の来訪者も続いて、にぎやかな一日となりました。

                                 12月9日の一言


フルーツ宅配便がドラマ化されて


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本日午後4時50分

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知人から送られてきた虹 午前8時15分

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ビッグコミックオリジナル

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    現代社会で行き場のない貧困女子が流れ着く場所、
    デリバリー・ヘルス──────
    もし、
     離婚して養育費を受け取れなかったら…
    もし、
      親の介護で、今の仕事を辞めたら……
    誰もが陥るかもしれない人生の困難、
    誰の手も届かない絶望と孤独が、ここにある。

フルーツ宅配便

 私の愛読するビッグコミックオリジナルから「フルーツ宅配便」がテレビドラマ化されることになりました。

 ビックコミックオリジナルからは「釣りバカ日誌」や、「三丁目の夕日」など映画化された大作も多く、現在放映中の「黄昏流星群」に続いて、来年1月からテレビドラマ化される「フルーツ宅配便」についても、デリバリーヘルスを舞台にしながら、真面目な生き方を追求する見事な作品です。

 最新版では、風俗業界で働く女性が病気になり、幼少時に黙って残してきた娘を関係者に探してもらい、一時間でも良いから会いたいと公園で待ち、最後に自分の貯めた貯金通帳を渡してから病院に入院し、後に病室を訪れた娘が、「いつも黙って姿を消してしまう」と話し、今度は「病気を治してから」と涙の和解を遂げるストーリーに涙がでてしまいます。

 さて、明日は横井庄一記念館を日本テレビが訪れますが、91歳になったとは言え認知症のカケラも無い夫人が健在のため対応できますが、夫人が不在となった記念館を考えると前途多難と思わざるをえません。

                                   12月8日の一言


届けられた喪中ハガキに


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 本日は議会の常任委員会が開催され、市役所の一日となりましたが、屋外は薄暗く寒風が舞う一日となり、完全に冬の景色に様変わりし、帰宅するとポストに投函されていた喪中ハガキから余計に寒さを実感させられました。

 「エッ」、と思わされるのが60代で亡くなられた訃報で、添付した2通は69歳と68歳で亡くなられた家族の名前が記されており、自分自身と変わらない同世代の訃報は寂しい現実を実感させられました。

 私自身の小学校の同級生は40人ほどで、亡くなっているのが判っているのは7人ですが、私の村の男子7人は全員元気なものの、女子6人のうち3人が亡くなっているため、多くの同級生が死んでしまった印象が強く、小学校時代の恩師は全員が鬼籍に入られています。

 10日後には65歳の誕生日を迎えますが、これから1年生として、せめて成人式を迎える歳まで生き抜き、孫の運転する車で四国遍路に行くことを目標にして、できることなら同級生全員の訃報を受け取ってからあの世に逝きたいものですね。

                                  12月7日の一言


3カ月ぶりのボーリングへ 


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昨日の写真です

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後姿はプロ並ですが…

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実は、こんな人です
                       https://blogs.yahoo.co.jp/s281218/49927927.html

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良くてこんなレベルです

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こんな中年、いや今では老年コンビです
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 健康のため2週間に1回とか、毎週行こうと話していたボーリングですが、3カ月ぶりのボーリングになりました。ハイスコアは149点、アベレージは139点でした。

 健康のためスコアは二の次ですが、若い時に当り前に出ていたスペアがなかなか取れませんし、真面目にやればやるほど点数が悪くなり、休養をとりながらのボーリングは雑談ばかりで運動にはなりません。


 一時は3人になったボーリング仲間が、肩の骨折で2人になり、まもなく復帰する予定ですが、忙しいと忘れてしまい、寒くなると外出そのものも億劫になりますが、手渡されたサービス券の有効期限が年末のため、できれば年内に3人で訪れたいと思っています。

 さて、本日ソフトバンクの携帯電話とスマートフォンの電話が不通になり、私も知人と連絡ができないため夕方に知人の事務所に直接訪れました。

 ニュースを見ると午後1時半から通信障害が発生していたようですが、私の電話履歴を確認すると午後3時12分に最後の通信記録が残っており、午後4時過ぎに知人と連絡しようとしても繋がらず、直接訪れた知人は電話が不通になっていること自体も知らず、本来はあったと思われる業務上の電話も繋がらなかったと思われます。

 誰もが着信自体が無いため電話の故障とは気づかず、発信しようとした私も自分の携帯電話の電波か機能が不調と思い、知人とともに不通になった電話をいじっていても事態が判らず、帰宅後に電話の不通を話した家内は何も知らないままに午後6時過ぎに復旧したようです。

 本日添付した昨日のボーリングも、知人と外出先から連絡をとりあって合流しましたが、通信が不通になっていたら合流はできず、重要な仕事や緊急事態の連絡ができずに取り返しのつかないことになっている人も存在するはずです。

 電話が不通になるとは誰もが考えられない社会になっており、今回の通信障害で救急車の手配ができず、命を落としている人が存在したら大変な事件で、連絡ができずに仕事を取りはぐれていたら大きな痛手になった可能性もあります。

 私がソフトバンクの携帯電話のため、家族やボランティアの仲間の多くがソフトバンクのユーザーになっていることから、今後はこんな通信障害も想定した対策は必要と思う一日となりました。

                                   12月6日の一言


沖縄から届けられた本物のお菓子に


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これ、何だか解りますか?

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沖縄から2日で到着しました

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箱を開けると

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沖縄のお菓子が入っていました

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そして、主役のサーターアンダギーが

 月曜日に沖縄から発送された小包が、本日午前中に我が家へ到着しました。飛行機で運ばれたとは言え、月曜日に発送された小包が2日後に愛知県まで到着する郵便局の配達体制にびっくりさせられます。


サーターアンダギー  2018/12/3(月)

 「沖縄特産でも こんな大きなものは少ない」と記されていましたが、先月に訪れた際に購入したものや、1週間前にスーパー内の沖縄の出店で買ったものの3倍から4倍はあり、箱を開けた瞬間に美味しそうな香りが漂いました。

 何よりも我が家だけでは食べきれない位の大きさで、かつて沖縄まで魚釣りに出かけていた知人(不良時代からの同級生)にも持って行って見せたいと思います。

 送り主の〇城さんとはブログを通して知り合った同年生まれの同級生ですが、初対面で沖縄を案内してもらい、こうして沖縄名産のお菓子を送ってもらい、ブログで見たお菓子を実際に自分の手で持つ感覚に不思議なご縁を感じてしまいます。

 私の大好きな鶴田浩二さんが、昭和57年9月15日に大阪フェスティバルホールで開催された「歌手生活30周年記念コンサート」の最後の挨拶の中で、ファンの観客に対して、「人間というものはなんと素晴らしいんでしょう。旧い人とは、もう、うん十年です。ご縁というものが無ければ、縁というものが無ければ、なれないものはなれません。それが、こうして…」と涙まじりで語ったセリフがよみがえってきました。

 同じ昭和28年に生まれ、同じ時代を同じように駆け抜けた人生が、ブログを通して共感し、これから残された人生を一緒に生きていく同志として、遠く離れていても大きな力になっていきます。

 本日は市議会の一般質問が開催され、私と最後の議員の質問が終わり、明日の休会日をはさんで明後日から常任委員会が開催されます。

                                   12月5日の一言


市議会一般質問二日目


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 本日は昨日から開会した市議会一般質問の2日目で、午前9時から午後5時まで市役所の一日となり、帰宅後は毎週火曜日の夜に開催されている書道会に参加し、自宅の居間に座った時には9時を廻っていました。

 議会は明日も開会され、9時から私自身の一般質問で登壇します。

 一年の経過は早く、あっという間に師走に入り、添付した広告のように「終い弘法」と来年1月の「初弘法」の案内がお寺の境内に張り出されており、今年もいよいよ終いが近づいたと実感せざるをえません。

 議員になってから毎年年末に京都を訪れ、八坂神社の「をけら参り」と、百万遍の除夜の鐘を撞いてから新年を向かえ、建勲神社に参拝後に愛知県に帰ることを慣例としていましたが、昨年は年末に孫が生まれ神社に入れないため行きませんでした。

 そんなことが原因とは思えませんが、今年は私自身も政治関係者から警察署長に3年前のブログ記事について通報があり、森林法違反の疑いで書類送検され、検察庁は事件として取り上げませんでしたが、全国に実名で報道されたことで、人を信じられなくなるダメージを負い、息子も生命に関わる大病に冒されました。

 縁起担ぎではありませんが、毎年行ってきたゲン担ぎを止めて悪いことが起きると後悔することから、今年の年末は間違いなく京都の大晦日と新年を迎えることになりそうです。

 ただし、しばらくは議会日程が続きます。

                                     12月4日の一言


お寺のランチ 昨日の話です


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名古屋100メートル道路の黄葉

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山門を入って

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光明殿八琴庵

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昨日のランチ ハムカツ

 昨日訪れた八事山興正寺内にある八琴庵の昼食ランチです。お寺の前には主要道が走り、周りの大学生たちが行き交う繁華街となっていますが、山門の中は静寂な自然環境となっており、時間が停まったままのスペースがあります。

 昼食を楽しみにしていた家内と一緒にお寺の中にある喫茶室に入ったところ、食後のコーヒー付きで600円のランチがあり、豪華とは言えないものの高齢者の胃にはやさしく満腹になりました。

 当初はお寺を出て、魅力あるレストランかお店で食事をする予定だった家内も、停めた車の駐車料金の心配も無く、広い境内を散策し、無心でご本尊に手を合わせてからの食事は満足できたようでした。

 駐車場に困る都市部で、何よりも時間を気にせず座れる場所は貴重なスペースで、散策できる自然環境とあわせて癒しの空間になっていました。

 本日は午前9時から津島市議会の一般質問が開催され、6名の議員が登壇しましたが、今議会には14人の議員が質問を通告しており、明日と明後日にも引き続いて質問が続きます。

                                      12月3日の一言


八事山興正寺の紅葉と食事を楽しんで


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八事山の紅葉
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中門

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釈迦牟尼佛と五重塔

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本堂

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エスカレーター

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心に沁みる参道

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奥の院 不動護摩堂(左)と東山本堂

 本日は運転免許証の更新のため名古屋市天白区にある平針免許試験場に行きましたが、家内に乗せてもらっていたため、帰り道に昼食場所を探しながら、私にとっては珈琲屋さんより身近に感ずる真言宗の興正寺を訪れました。

 住職の土地売買を巡って本山となる高野山金剛峯寺と泥沼の争いが新聞やテレビを賑わしていましたが、名古屋市の都市部に広大な境内を持ち、観光ではなく参拝と信仰の対象として存在する寺院の魅力を久々に感じさせられる一日ともなりました。

 中門から大仏と五重塔に手を合わせ、本堂でご本尊である大日如来と弘法大師に読経して、エスカレーターを利用してそのまま東山にある奥の院を目指します。 

女人禁制

 高野山でも女性が自由に参拝できる現代社会ですから、途中の「女人禁制」の石碑を見てもそのまま通っても良いと思われますが、縁起担ぎで家内と遠回りして奥の院となる不動護摩堂と東山本堂に参拝しました。

「お父さん、何所へ食べに行こようか」
    「うーん、まだ観音堂にお参りしていないだろう」
「うーん、… 」

 最後に観音堂に参拝し、光明殿の中にある「八琴庵」のぜんざいを指差して家内を誘い、結局はランチと食後のコーヒーを飲んで昼食を済ませましたが、静かな八事山で久しぶりにのんびりとした時間を過ごせました。

                                   12月2日の一言  


爺さんの一日となり


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 7月に手術を受け10月まで闘病生活を続けていた三男が今月10日から仕事を再開することになり、本日はその準備をする中で、まもなく1歳になり、つたい歩きができるようになった孫の面倒を見る役目が必要になり、家庭内では役立たずの爺が出番となりました。

 子供の面倒も見たことのないままに子どもが成長し、子供の面倒を見たくても見れなくなり、愛犬が子供役となった家庭に、面倒を見なければならない孫が登場し、仕事に忙しい息子夫婦や、食事や洗濯をこなす家内とは違い、家庭内で邪魔者扱いとなっている爺さんは適役になりそうです。

 こんな生活が何年続くかは判りませんが、初孫となる娘の息子が運転免許を取って乗せてもらうことを夢見ていたものの、既に9歳になっていることを考えると、我家の孫の車に乗せてもらうことに目標を変えたいと思える一日ともなりました。

 さて、本日は生涯学習センターで開催された、市民活動の持続・発展のための資金調達(ファンドレイジング)講座と、市民活動団体交流会に家内と参加しました。

 ボランティア活動を持続させるためには、ボランティアに参加するメンバーの存在が先決ですが、活動を持続していくためには活動資金も大きな壁となり、設立した当初は目的のため身銭も惜しまず頑張れますが、年齢を重ねて年金暮らしになっても続けていくには大きな障壁も出てきます。

 私は現在高齢者や障がい者を病院や買物に移送する福祉有償運送のボランティアと、横井庄一記念館を存続させるためのNPO法人を主宰していますが、双方とも車輌や建物の存続のために大金が必要になり、人の移送は責任も伴うため新たなメンバー確保にも苦慮しています。

 一方で、個人的には上高地で環境省のパークボランティアにも参加していますが、交通費や宿泊代や食事も全額ボランティアの負担となり、愛知県から参加するのは大変な出費となるものの、「上高地が好きである」ことが参加する前提となっているため、好きな場所で活動できることで役務的な負担とはなりません。

 活動する目的と趣旨を再確認し、今後も必要である信念のもとに、ボランティアの増員と資金調達を考えていくために貴重な学びの場ともなりました。

                                    12月1日の一言


ギャラリー
  • ようこそ 大鹿一八の納経所へ
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  • 令和6年 上高地開山式の様子です
  • 三重県桑名市大福田寺の聖天祭へ
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