大鹿一八「本日の一言」

平成16年2月から令和1年7月末までの「本日の一言」です。ヤフーブログ閉鎖により、ライブドアへ過去の記録として引っ越しました。

2019年01月

複合型大型ショッピングセンターららぽーと名古屋へ


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広大なショッピングセンターです

ららぽーと名古屋みなと 名古屋市港区港明2丁目3番2号

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駐車場からの入口

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3階から見る2階と1階

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だがし(駄菓子)屋も

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アウトドア感覚になれるカフェ

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そして、マクドナルドも

 本日は知人と3人で目的も決めないままに車を走らせ、昨年9月にオープンした名古屋市港区のショッピングセンター「ららぽーと名古屋みなとアクルス」に行ってきました。
 東海地方では初となる複合型大型ショッピングセンターですが、三井不動産が全国で展開しており、名古屋の場合は港区役所の正面に位置し、近くのレゴランドや名古屋港水族館などとあわせて港区に人を寄せる中心となっています。

 さて、一度も行ったことのない場所のため訪れましたが、結局は店内のマクドナルドを探して座っただけで、岐路にカインズホームを探して買物後に津島市へ帰りました。年金生活者となり、何所にでも住める環境にあれば、交通費も敬老パスで無料となる名古屋市の、ショッピングセンターや総合病院の近くに住んでみたいと思う一日ともなりました。

                                    1月31日の一言


本日の写真 中村日赤までの送迎


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本日の夕暮れ 午後5時22分

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朝 午前7時37分

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ご夫婦を名古屋第一日赤病院まで

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玄関は貸切状態

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早いので人の姿はありません

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帰りは少し渋滞しました

 本日は朝7時前から名古屋の中村日赤まで患者さんの搬送でしたが、車のフロントガラスが凍っており、溶かすのに四苦八苦しての出動となりました。

 津島市から7時前に出発すると渋滞もなく、30分程度で病院に到着してしまいますが、こんなに早く到着することで午前中に帰ってくることができ、私は一度自宅に戻って待機し、電話を受けてから病院へ向いました。

 本日送迎した患者さんは、一年前は津島市民病院の治療を受けていましたが、早朝の診療時間外に体調に異変を感じて連絡したところ、外来の診察が始まる時間まで休んでから来るように指示され、経験したことの無い痛みから、名古屋の中村日赤を受診したところ、心臓の血管3本が詰まっており、緊急手術(カテーテル)を受けました。

 医師の話から治療が遅れると命に関わるか、重篤な後遺症が残ったことが判り、他の余病も一緒に日赤で治療を受けることになったものの、病気や体調も改善しており、経済的には交通費も高額になりますが、ここに来なかったらとっくに死んでいたと月に数回診察に訪れることになりました。

 移送する立場とすれば、タクシーの半額以下の福祉有償ボランティアで名古屋まで2往復して1往復分の仕事は、車の渋滞や半日仕事と考えると苦痛もありますが、搬送する患者さんが全快して元気になっていく姿はストレスがかかりません。

 福祉有償運送は平成21年に運輸局の認可を受け、他のボランティアとともに10年の間に多くの患者さんを送迎してきましたが、偶然にも私が名古屋市の病院に搬送する患者さんで亡くなった人が全くないことが驚きです。

 定期的に移送に同行する患者が改善することなく亡くなっていくのは大きなストレスとなり、ガンに関しては個人的な意見ですが、ガンや治療の難しい病気は市外の名古屋市か専門病院に行くことを奨めています。

 さて、明日は同級生3人で午後に外出する約束になっており、久しぶりにストレスを発散してきたいと思います。

                                    1月30日の一言


本  お姉ちゃんと同じ学校に通いたい


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15年前に感動した本です

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 今から15年ほど前の話となりますが、愛知県の主催した「人にやさしい街づくり連続講座に」参加した時に入手した本で、この連続講座に参加した主婦3人が調査して発行された本で、当時愛知県の職員として関わった星野広美さんから本日大量に手渡されました。

 この本は平成10年(1998)に発行されたものですが、義務教育では誰もが公平に教育を受ける権利がありながら、障がいがあることから自分の住む地域の学校に行けず、本来は同級生として認知されたはずの生徒が、誰にも知られることなく生活し、その存在すら知られずに地域で生活していく現実にびっくりとさせられました。

 私の地域にも対象となる生徒が存在し、私たちはその存在すら知らされず生活してきた現実と、ハンディがあっても兄弟と同じ学校に行きたくても行けない現実に、当時の議会で希望すれば地元の小学校に行けることを当時の教育長に確認しました。

 しかし、現実には学校の敷居は高く、遠く離れた養護学校に通う現実は変わらず、今春中学に進級する特別支援学級の児童が、地元の中学校を希望しても遠くの養護学校に通うことになっている例があり、本人と保護者の決断とは言え、同級生と一緒に6年間小学校に通学していた生徒が希望する学校に行けない現実は変わっていません。

 この本に関わった星野広美さんは、その後愛知県の建築局長に昇進し、初当選した津島市長に請われて4年前に津島市の副市長に転身したものの、昨年5月の市議会で信任されず副市長のイスを離れていますが、街づくりの専門家でこんな処にも気づかせる人材は珍しく、彼を活かせなかった街づくりの後退は否めません。

 私が感動した本ですが、私の持っていた本は障がいを持つ児童の保護者に差し上げてしまい、手元に無いばかりか、本の題名となった「お姉ちゃんと同じ学校に通いたい」と思う子供たちのためにも、是非とも読んでいただきたいと思う本です。

 安倍政権になって、個人の意思や希望に耳を貸さない体質が増えているように感じられ、義務教育でありながら地域の希望する学校に入学できないハンディを持った子供たちの存在を減らすとともに、どんな人でも痛みを感じないやさしい街づくりを発信していきたいと思います。

 今から20年も前に発行された本ですが、この本に記された内容は現代でも参考になり、義務教育を考える貴重な資料ともなります。興味や関心のある方には送付しますので、遠慮なくお問い合わせ下さい。

                                   1月29日の一言


家内の居候のような一日に


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戸田川緑地の梅の花  本日の朝知人からの発信です

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家内の車(右)と合流しました

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 本日は朝から身体が重く、この冬一番の寒さの中で、着替えたもののコタツの中で寝ていると、家内は朝から移送ボランティアに出かけていき、機嫌が良かったのか「コーヒーでも出かけてくる?」と電話があったものの、何も仕事をしていないので断りました。

 昼食後にも人を病院に送った家内が、「マックに1時半」のメモを残しており、何もしていないのに車を出すと、私が来ないと思った家内は買い物中で、家内に連絡してマックの駐車場で家内を待ちました。

 情けないものです。到着する家内を待って、注文こそマックの会員になっている私で、私のカードにポイントは加算されるものの、元々財布を持ち歩かないため、家内の財布から出してもらって一服です。

 本来は私が主役になって走る移送ボランティアも、この冬は家内の車に冬用タイヤを装備して、私は雪の日は車に乗らないことになりました。
 議員になって20年目となりましたが、議員は交通事故を起こしても新聞報道されるという認識もないままに生活しており、昨年は一年前のブログ表現に悪意を持って森林法違反の疑いとして警察に通報され、不起訴になったものの新聞記者にも通報されて実名報道された後遺症は家族にも大きく残されました。

 政治家はこんな時に奮起することが重要と言われますが、私の家族や小さな孫のプライバシーも考えると、家族には何もせずにのんびり生活するように言われ、本日のように何もしないのに家内に誘われてマックで一服です。

 もっとも、こんな情けない日ばかりではいけませんから、明日は朝から仕事をこなしていきますが、日延べのできる環境は、身体の動きを鈍らせ、やるべきことも進捗せずに必要に迫られての仕事が続きます。

                                   1月28日の一言


横井記念館の一日となり


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 添付した写真は、横井庄一記念館の裏にある小屋で、横井さんはこの小屋を六十路窯と命名し、茶碗や花瓶を焼いていました。屋根から出た煙突の下に窯があります。
 先週の木曜日に日本テレビで横井庄一をテーマにした番組が放映されたことで、本日は午前中から記念館を訪れる人が多かったようです。

 本日は上高地で活動するパークボランティアの先輩が、ご夫婦で松本市から記念館を訪れられたため、閉館の午後4時30分まで記念館の一日となりましたが、年末から記念館へ出向く機会が増えてきました。

 記念館は平成18年に開館しましたが、来館者で満杯となることは無くなったものの、物見遊山とは違う人たちが遠距離から訪問されることも多く、新しい人々との出会いが91歳となった横井夫人の生きる原動力になっているようです。

 この記念館を数十年後までどのように継承するかを色々考えていましたが、来館者と語る戦争や生きるというテーマの会話に、出会いを楽しむことにして、夫人や自分の死後の記念館の行く末まで考えないことにしました。

 よくよく考えてみると、ここは横井庄一さんの家で、我家で私の祖母や祖祖母たちと一緒に生活していた横井さんと思えば、記念館の維持などではなく、親戚の家でくつろぐ感覚で訪れ、周りの理解者の方々と記念館を護っていきたいと思います。

 ご訪問有難う御座いました。
                                   1月27日の一言

長男の飼っていたウサギが死んで


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隣のお寺 空巌院

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 本日未明のことですが、長男が部屋で一緒に生活していたウサギのピーターが突然倒れて死んだとの報に、長男だけでなく、私や家内と母親まで朝まで眠れぬ夜になりました。

 ウサギは10年ほど前から長男が自分の部屋で飼っており、車に乗せてドライブや散歩にも行っており、私とはあまり接点が無かったものの、家内や母親は日頃から声をかけており、8年前に愛犬のモモが死んだとき以来の悲しみが襲う一日となりました。

 死因は判りませんが、高齢になっていたことから、明日に動物病院に行く予定だったと言い、突然の絶命に長男は朝まで泣き、そのまま仕事に出て行き、会社に断ってから自宅に戻りましたが、隣の尼寺で供養してもらい、自宅の庭に埋葬しました。

 いまだに独身の長男にとって、帰ってくると部屋に待っているピーターが生きがいとなっており、これからは待っている相棒が居ないことを考えると私まで悲しくなってきます。そして、残されたピーターの遺品と一緒にいる姿を想像すると…

 さて、昨晩には私の相棒リマ(愛犬)が何度も吠えており、私には判らない動物的な勘があったのかも知れませんが、本日は娘夫婦と孫が午前中から訪れ、三男の家族や孫とともに昼食をともにし、夕方には次男も戻ってきたため、偶然にも私の4人の子供や家族が勢ぞろいしたことにも、ピーターが長男の周りを呼び寄せたとしか思えません。

 生き物を飼う運命ですが、最後には悲しい別れがきます。何匹もの猫を自宅前の道路で死なせ、捨て猫か迷い猫しか飼わないことにしましたが、愛犬も死ぬたびに悲しみに包まれ、小さな可愛かった相棒リマも高齢となり、玄関前には3羽の小鳥のお墓を立てましたが、庭がペットのお墓だらけになってしまいました。

 この悲しみが無にならない事を願うのみです。  
                                    1月26日の一言 

本日の写真 カピバラかヌートリアか


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名古屋市中川区の戸田川緑地の動物

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なんにしても可愛い仕草です

 知人から送られてきた写真ですが、名古屋市中川区の戸田川緑地でカピバラではないかとの発信があったものの、私には当地方で見慣れたヌートリアとしか思えず、知人もヌートリアかもとトーンダウンとなりました。

 「庄内川緑地には絶対カピバラが居る」の一言は変わらず、庄内川にカピバラが存在すれは注目されることは確実で、どちらにしても外来種で、ヌートリアは稲を食べる害獣として迷惑な存在になっているものの、家族でほのぼのとした様子を見る限りそっとしておいてやりたいですね。


 さて、実際にカピバラなのかヌートリアなのかなのかは皆さんでネット検索して判断してくだされば幸いですが、そっくりな姿ではあるものの、ヌートリアはカピバラとは違ってとても凶暴な害獣であるということです。

                                   1月25日の一言

グアム島で横井庄一さんが発見された日


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発見の翌日の朝日新聞

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発見直後の様子

 本日は横井庄一がグアム島で発見された日ですが、日本テレビが年末に何度も記念館へ取材に訪れており、内村光良さんが司会をするTHE突破ファイルで本日放送されました。
 発見されて47年が経過しており、豊かで平和な世の中になっているため、グアム島での逃亡生活は番組とは若干違いますが、衣食住の全く無い中からどうやって生き延びたかという事実を、記念館からも発信して、横井庄一の希望した戦争の無い平和な社会と、命を大切にする発信に務めたいと思います。

 さて、かつての横井庄一の公式ホームページは、サイトの提供元が閉鎖されたままになっており、当時のホームページビルダー内に多くの写真が保存されているものの、取り出せないようになっているため、マスコミの要望にも応えられないことが多く、何とか取り出して保存し直したいと思います。

                                     1月24日の一言


明日は横井庄一が発見された日です


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名古屋の庄内緑地公園です

明日1月24日午後7時から、
              チャンネルは日本テレビへ
THE突破ファイル 1月24日 https://www.ntv.co.jp/toppa/
 明日24日は、昭和47年にグアム島で横井庄一が発見された日です。

 この日の朝に車で出勤中の父親がニュースを聞き、東海ラジオに問い合わせたことから、系列のフジテレビや産経新聞の記者と同行してグアム島へ渡り、2月2日に横井さんを乗せた特別機で一緒に日本へ帰国しました。

 今にして思うと、真冬の衣装のまま着の身着のままでグアム島に渡り、戦死したと思っていた親族との再会はびっくりしたと思われ、戦後に嫁いで横井さんと一度も会ったことのなかった私の母親も東京の小川宏モーニングショーに出演しました。

 横井さんは4月25日に名古屋市へ帰郷し、11月に現在の夫人と結婚しましたが、私自身はこの年の夏に長期入院(右大腿部骨髄炎)しており、病院に見舞いに来てもらったような気もしますが、はっきりと2人で対話した記憶は、秋の我家の法要の場でした。横井さんは生まれた大正4年から15年まで我家で大鹿庄一として生活しており、私の祖祖母が横井さんの伯母(母親の姉)にあたります。

 発見されてから47年が経過して、当時の記憶も曖昧になっており、こんな機会に当時を振り返り、横井さんの記憶を蘇らせたいと思います。明日の番組が楽しみです。皆さんもご覧くだされば幸いです。

                                   1月23日の一言


横井庄一さんの月命日へ


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横井庄一記念館西の道路新設現場 本日午前11時

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記念館玄関の庭も道路下へ

 本日22日は横井庄一さんの月命日(平成9年9月22日没)のため、家内とともに記念館(自宅)を訪れました。 今年は横井さんの23回忌の年にあたります。

 さて、1月24日は、昭和47年に横井庄一さんがグアム島で発見された日ですが、偶然にも明後日の24日(木)には、紅白歌合戦の司会者内村光良さんがメインキャスターを務め、サンドウィッチマンがレギュラー出演する日本テレビのTHE突破ファイルで、夜7時から横井さんをテーマにした番組が放映されます。

1月24日午後7時から、チャンネルは日本テレビへ

THE突破ファイル 1月24日 https://www.ntv.co.jp/toppa/


 この番組は、追い詰められた人間の奇跡の突破劇をドラマ化したもので、食料も仲間も居ないグアム島で、生きていくために口にした食料や、病気を自分で治した体験とともに、発見時に射殺される危機一髪の時に発した「デマカセ」の一語など、これまで一度も報道されたこともない発信があるかも知れません。

 自然界のなかで、自分ひとりで生きる事は絶えず生命の危機に瀕しており、これまで公では語られたことのない言葉について、おしゃべりの私に同調して夫人が口にした内容も発信されると思われます。

 横井庄一さんは、母親の実家である我家で小学校5年生まで「大鹿庄一」として生活していましたが、離婚した母親の連れ子として周りの同級生からイジメられ、横井家に養子で連れて行かれた後には親族にいじめられ、自分の苦しみや悲しみは人に言わない寡黙な人物でした。

 横井さんと同じように、幼くして両親と死別した私の父親も、自分の嫌な事や泣き言は言わぬ性格でしたが、恵まれて育てられた私は、困ったことや苦しみは何でも人に伝えてその助言を糧にして生活してきたため、横井さんのイメージを損なったとしても事実を正確に後世に残したいと思っています。

 今や夫人も91歳になっており、認知症のかけらもなく記憶力は衰えてはいないものの、体力の衰えは否めず、夫人しか知らない横井さんの私生活や逸話について、事実を正確に書き記して欲しいと思っています。

 明後日のテレビを是非ともご覧下さい。 
               
                                   1月22日の一言

                                                                                   

上小田井(名古屋市西区)の星神社まで


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星神社(上小田井)

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太閤天然温泉 湯吉郎 愛知県清須市

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名岐バイパス 新名西橋ととんぼ橋(右上)

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庄内川橋

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参拝者の記念撮影

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鳥居には立派なしめ縄

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本殿
星神社 縁結びと夫婦円満の社
 名古屋市西区上小田井一丁目172番地
御祭神 大己貴命 (おおなむちのみこと 大國主命 ) の別名


 本日は志賀弘法会のメンバーを名古屋市北区から津島市に移送し、病院に入院中のメンバーを見舞うため、家内と一緒に名古屋に走ることして、途中で行ったことのない場所に立ち寄ることにしました。

 津島市から甚目寺町(あま市)を通り、清須市経由で名古屋市西区の庄内川沿いを走り、庄内川緑地に到着しましたが、堤防下を見ると駐車場も完備した神社が存在し、道を選びながら訪れたのが上小田井の星神社でした。

 私の少年時代には尾張地方の川の堤防は上流まで道となって続いており、私たちも川の上流や下流かによって地名が判ったものですが、最近は高速道路やバイパスの開通によって堤防を走り続けることができず、随分と大回りすることによって遠い存在になりました。

 約束の時間まで余裕があり、家内とマックで時間調整していると…

「今から中村日赤まで来てもらえないか」
     「えっ、今は2人とも名古屋に来ているので…」
「家内を自宅まで送ってもらいたんだけど」

 近所で中村日赤に入院された方から、付き添いの奥さんを自宅まで送迎して欲しいとの依頼で、名古屋から津島市に戻ると、先約の人に間に合わず、先約の人を送迎してからでは遅くなるためお断りしました。

 ここでひらめきが…

 名古屋市北区から依頼者を乗せて、帰り道に中村区の日赤に立ち寄れば一度に2人の要望に応えられるため、連絡をしなおして一緒に同乗してもらうこととし、ボランティアの延長だけに、お金を貰わなければ何とでもなることを実感です。

 そして、車内で病気の話に花を咲かせ、さらに、「一度は四国遍路に行ってみたかった」との話となり、「こんな足でも行けるだろうか」の一言に、同乗するメンバーから「昨年車イスの人も四国に行ってきた」と四国遍路や弘法様の話ともなりました。

 今年も四国遍路や高野山の話題が出てきました。

                                    1月21日の一言


初弘法と阿息観へ お寺の一日に


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 本日は午前10時半から地元のお寺で開催された初弘法会・大般若祈祷に家内と参加し、お昼の食事も提供していただき、午後1時半からは毎月の行事である阿息観の指導も受けるまさにお寺の一日ともなりました。

 私は平成23年から、町内にある弘盛寺で毎月21日に開催されている阿息観に参加してきましたが、家内と一緒に参加したのは初めての体験で、浄土宗の檀家の先祖供養しか参加したことのなかった家内にとっては、自分自身を見つめなおす真言宗の行事はどのように映ったか知りたいものです。

 檀家の多い浄土宗や浄土真宗のお寺の行事では、檀家総代を頂点とした檀家同士でも上座と下座が存在することが多く、参拝者の多くが行事に顔を出すのみで、健康や運勢について質問し、人の生き方まで談笑するお寺の存在は、多くの人に知らしめたいもので、私自身も家内すら同行させていなかったことから一緒に同行しました。

 今にして思うと、宗派は違うものの、娘の愛犬が死んだ時にも、人間と同じように供養していただき、我が家の愛犬の写真とともに境内に祀られており、毎月訪れることから空海の教え「十善戒」を思い出し、参加者と一緒に読経して健康を確かめ合う環境を一日も長く続けたいと考えています。

 何でもお金と言われる現代社会の中で、お寺から発信される良識に、今年からは裏方でもかかわって高野山や四国へ同行したいと思う一日ともなりました。

                                    1月20日の一言


市民活動人材育成講座に参加して


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津島市生涯学習センター

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かつては県の建物でしたが…

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講座の様子

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講師の団体が発行する広報紙

 昭和63年から平成5年まで新聞販売店として「ふるさとアサヒ」というミニコミ誌を発行し、A3版まで印刷できる輪転機で議会だよりも発行していたため、多くの人が印刷や広報には詳しいと思われていますが、パソコンの普及した現代とは違ってワープロ原稿や写真を切り貼りした編集だったため、新しい情報を収集するため人材育成講座に参加してきました。

 「広報力向上講座」には、名古屋市で「ボラみみ」というボランティア広報紙を発行しているNPO法人ボラみみより情報局の織田元樹氏を講師にして、午後2時から2時間にわたって生涯学習センターで行われました。

 自分たちの訴えたいことをまとめてチラシにするのは簡単ですが、誰に訴えたいかという基本が忘れられており、自己主張ではなく、関心を持ってもらえる表現や、チラシを受け取る側のタイミングなど、内容や表現方法について無意識であった反省ばかりの2時間となりました。

 さて、我々の行っているボランティアは、買い物や病院に通院することが難しい人々を対象としており、本来は困っている人への情報提供が重要ですが、利用したい人に情報提供すると、ボランティアを提供する人材不足に陥り、広報も控えているのが現状で、このままではボランティアの高齢化に陥り、必要とされる人々の要望にも応えられないため、広報やチラシは重要なキーワードになりそうです。

                                     1月19日の一言


管理栄養士さんの指導を受けて


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 「笑えば笑うほど 健康で長生きできるのじゃ」と、福禄寿が言っております。

 この絵手紙は、本日訪れた保健センターの管理栄養士さんからいただいたもので、絵手紙の指導者に認定されたという腕前は、まるで福禄寿に成り代わって発せられた言葉のように思えてしまいます。

 今週の月曜日や火曜日に、私の老後を心配する知人たちから、新しい仕事や行動を指南され、真剣に考えると65歳になった私に何ができるかとか、65歳になって必要とされるかなとどと真剣に考えると不安になり、2日ほど前からブログの内容も陰気臭くなっていました。

 さて、本日一緒に指導を受けた同級生から、新たな仕事を紹介してもらうことになりましたが、後先を考えずに何でも挑戦することとし、私自身はお金にならないボランティアや、イベントを企画することは得意ですから、お金にはならぬとも楽しんで人が集う行事を新たに考えてみます。

 四国遍路や上高地など、自分の得意分野へ人を連れていくことや、大型バスの運転もできるため、周りの人々と旅行に出かけて、少しはお小遣いをいただける程度の新生活も視野に、無職でボケ老人にはならないようにしたいと考えます。

 そして、何よりも現職の市議会議員であることを忘れたような会話が続きましたが、私と一緒に起業したいという先輩もあり、「あと何年生きられるだろうか」と、先の読めぬ予想をせず、何でも加わっていくべきかなと思う一日ともなりました。

                                   1月18日の一言


本日の写真 ホッと一息


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 本日はこれまで横着に引き伸ばしてあったNPO法人ひとまち生活ネット津島の確定申告するため税務署に出向き、NPO法人横井庄一記念館を護る会の償却資産申告書を市役所税務課に届けました。

 基本的にNPO法人の利益は無く、税務署に出向いても課税の対象にならないゼロ申告ですが、福祉有償運送の実績の総合計に間違いがあり、原因を聞かれても私の転載ミスしか考えられず、数字に詳しい担当者が全て確認し直すことになり、私の記載ミスとして訂正印を押して届け出は終りました。

 収益事業を何も行わない横井庄一記念館を護る会は、税務署の申告と愛知県と津島市の法人税が免除されていますが、生活ネット津島は収益は上げていないものの、利用者から利益とならない程度の対価をもらっているため、愛知県の法人税が必要になり、この法人税の捻出に苦慮しています。

 さて、昨日の一言に、老後の働く意義について知人との会話を記しましたが、利益を求めない複数のNPO法人から抜けられない立場にあり、活動の拡大が求められているものの、忙しくなればなるほど無償の仕事から抜けられません。

 10年前には無償のボランティアを何とも思わず参加してきましたが、年金を貰って細々と生活する環境が近づくと、いつまでも施す立場ではないと矛盾を感ずるようになり、必要に迫られて活動しているものの、活動すればしただけ出費が増えていきます。

 年金暮らしの老人という立場ではなく、一人前の労働者とは言えなくとも、自分の生活費くらいは自分で稼げる環境が、無職になっていくこの歳になってから恋しく感ずるようになりました。

                                    1月17日の一言


先輩諸氏や仲間と働くことをテーマにして


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我家の庭の寒菊

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 「一週間に2日は働きに行かないと…」の一言は、今春から年金生活者となる私に知人たちが共通して発する言葉で、少ないものの年金で細々と楽しもうとする私に、健康で長生きするためには現状とは違う行動が必要と先輩諸氏は語られます。

 苦痛でも週に2日くらいは決められたスケジュールどおりに行動しないと、運動不足と気力低下によって長生きできないと言われると、2日間程度は嫌なことでもできると思いますが、周りは辛抱できず長続きはしないと思っているようです。

 昨日訪れた「なか卯」で、週2日以上勤務の条件で深夜から朝までのアルバイトを募集していましたが、私はできそうに思えるものの、周りは誰もできないと口を揃え、近くのガソリンスタンドで深夜の留守番を募集していると書道会のメンバーが口にしましたが、応募する度胸が沸いてきません。

 週に1回は電車で遠出するとか、月に1回は仲間と旅行に行くとか、身体を動かす目的は設定できるものの、頭に思い浮かぶものはお金を浪費する遊びばかりで、少なくともお金を自分で稼ぐ気力が重要と言われ、働いて労賃を手にする気力が失せていることを実感です。

 土曜日に出向いた松本市で、となりのあま市から参加していたパークボランティアの先輩が、定年後は一日3時間半の清掃アルバイトに行っていると語り、名古屋市在住の先輩から人目を気にしていたらダメと助言をいただきました。

 さて、本日も横井庄一さんの夫人の買物に同行していると、となりの愛西市で我々の移送ボランティアに参加し、名古屋市で弁護士さんが主宰する成年後見や、日常生活の介助等のボランティア団体に参加する僧職の先輩から、一緒に連携して頑張ろうと声がかかりました。「是非参加させてください」と伝えました。

 私自身が移送ボランティアの仕事を主としているため、関連する他団体の福祉有償ボランティアに参加し、より多くの人々のお役に立つことを目標として、週に2日間は新たなアルバイトを見つけることで新鮮な身体の苦痛もノルマにしていきたいと思います。考えてみると、アルバイトは大学時代が最後で、新しいアルバイトを考えるとウキウキする気分になれますが、年金受給者になっていく老人に何ができるか考える日々が続きます。

 皆さんのお考えもお聞かせくだされば幸いです。

                                    1月16日の一言
添付して明日ゆっくりと調べます。
「鮮魚列車」に乗る限定ツアー 近鉄名古屋駅発着

名古屋市へ付き添いの一日となり


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名古屋中村公園大鳥居

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名古屋第一赤十字病院(中村日赤)

 本日は2日前に休日診療の診察時の検査結果を聞くため、中村日赤まで横井夫人に同行しましたが、家内が付き添ってくれたので、その間に運輸局へ提出書類を届けるとともに、福祉有償運送の実務について指南を受けてきました。

 中村日赤には津島市から毎週一回は患者さんを移送していますが、中村公園の大鳥居を正面に見る機会はほとんどなく、走行中は写真が撮れませんが、本日は偶然にも鳥居正面に停車する機会に恵まれました。

 この鳥居は高さ24メートルあり、この道路の奥には豊臣秀吉を祀る豊国神社が建ち、昭和4年(1929)に名古屋市編入を記念してたてられたと記録されています。

 さて、先週転倒して頭を打った横井庄一夫人は、青い内出血のあざが残ったもののいたって元気で、CTの結果も異状がなく、しばらくはあざが消えるのを待つのみとなりましたが、91歳のひとり暮らしは家庭内にも危険が存在し、万が一何かがあった場合の連絡や対応を考える良い警鐘となりました。

 毎週遠くから訪れていただく人々が夫人の原動力になっており、日曜日の記念館開館を生きがいとして91歳とは思えぬ記憶力と、健康を維持してきたものと思われます。私も少しあやかりたいと思います。

                                    1月15日の一言


昨日の横井庄一記念館閉館後に

                        昨日の写真です
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閉館時間直後の横井庄一記念館

 上高地のパークボランティアの先輩から、月末に横井庄一記念館を訪れたいと言われ、記念館での再会を約束したご夫婦があり、昨日帰宅後に記念館に連絡した祭に、夫人から玄関の外で転んだことを聞きました。

 昨日も一日中記念館の案内をしており、本人も縁起の良い転び方だったと話していたため、気にもとめていませんでしたが、家内の元へ娘から、「病院に行くように勧めても大丈夫の一点張りだから」とメールが入っていることが判りました。

 「本人が大丈夫と言っているから大丈夫じゃないの」と言ったものの、頭に傷が残り顔に内出血の痕が残っているとの話で、大丈夫かどうか見に行った方が良いと言われて記念館を訪れました。

 さて、夫人は病院が好きではなく、近くのかかりつけ医の往診は受けているものの、ほとんど自然治癒にまかせていますが、今回は転んで頭を打ってできた内出血のため、大事をとって娘の家族と家内とともに中村第一赤十字病院を訪れました。

 3時間という待ち時間は91歳の夫人には負担でしたが、CT検査の結果は脳内出血も無く、念のため15日に専門医の診察を受けますが、時間をかけて自然に内出血がひくのを待つのみとなりそうです。

 平成9年に横井庄一さんが他界してから、夫人は一人で生活してきたためか、顔に大きな内出血の痕をつくっても、我々を頼ることなく頑張ってしまい、昨日も娘が訪れないとわからないままとなっていました。

 記念館と我家は車で20分程度の距離にありますが、記念館は名古屋市にあるため、休日や時間外の診療場所や仕組みが判らず、結果的に大きな病院に行くしかなく、待ち時間だけでなく診療代金も高額になってしまいます。

 91歳の横井夫人だけでなく、我家にも88歳の母親がおり、今はともに一人で行動できていますが、こんな介助を必要とする機会が増えそうな予感を実感させられる一日ともなりました。

                                   1月14日の一言

松本市から中央本線の車窓を眺めながら


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JR平田駅前(松本市)のモニュメント

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平田駅前のロータリー

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駅舎から見たアルプスの山並み

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松本行き普通列車

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中津川行き普通列車

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松本市内の車窓

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藪原周辺の山並み 午前8時51分

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国道19号道の駅木曽福島 午前9時08分

 JR平田駅 午前7時48分発普通中津川行 … 10時14分着 JR中津川駅 10時20分発 …
   … JR金山11時20分到着 …名鉄金山駅11時22分急行岐阜行 … 11時34分須ケ口  
   … 須ケ口11時38分発弥富行 … 勝幡駅に11時50分到着

 寒さを心配する家族からヒートテックの下着とタイツを履かされ、次男の温かいジャンバーまで持たされた松本行きでしたが、昨日は歩くと汗が吹き出し、室内の暖房が必要ないくらいの温かさでした。

 車での移動については衣類も余分に積み込んで行けますが、電車での移動はそんなわけにもいかず、どんな寒さでも困らない温かい格好で出向いたため、春のような温かい陽射しにヒートテックの下着はビショビショとなりました。

 本日も朝こそどんよりした雲がありましたが、列車が木曽路に入った頃には雲一つ無い強い日差しがさし、列車内も陽が当ると温室状態のように汗が噴出しました


 さて、添付した写真でもお解りのように、松本から名古屋までの木曽路にはほとんど雪がなく、まるで紅葉が終った秋のまま静止しているかのように映りました。

                                    1月13日の一言

追伸 大変なのは帰宅後にありました。本当の帰宅は夜になりました。


上高地定例会のため松本市へ


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松本市内 正面は八ヶ岳 

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中津川駅 午前9時35分

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松本行き普通列車 午前10時発

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日出塩(ひでしお)駅 塩尻市

 本日は上高地パークボランティアの定例会が開催されるため、松本城に近い松本市市民活動サポートセンターを訪れました。個人的趣向で在来線の乗り継ぎです。

津島市 名鉄青塚駅07時20分 …須ヶ口… 金山総合駅 … 08時19分発快速中津川行 …
 09時32分着 JR中津川駅着 10時発松本行 … 12時24分JR松本駅着

 そして、見送る家族が心配した雪はほとんどなく、上高地も11月の状態と変わらないとの話で、上着を脱いでも家内が用意したヒートテックの下着が汗でビショビショになってしまいました。

 定例会は午後1時から始まり、環境省と上高地公園財団の活動計画に続いて、パークボランティアの活動について報告と説明を受け、次年度の取り組みについて白熱した議論が続きました。

 質疑応答の後に、公園財団加藤所長を講師にした「上高地の歴史」を演題にして、風穴の説明や上高地の地名の由来、乗鞍スカイラインや戦争秘話についてプロジェクターを使用した講演を聞きました。

 残念なことは明日の予定で、メンバーの中で上高地に現地調査に入るボランティアが存在し、今年はほとんど雪がなく、特別な装備も必要ないとの話から、頭を柔軟にすればついて行く選択肢も可能だったものの、優柔不断な性格から決断できないままに別れました。

 今年から年金生活者になるので、バラエティに富んだ生活と、お誘いは断らないことを原則にしなければならないと解っていても、口が勝手に自分の思いを発してしまいます。これも今年の課題です。

 明日は本日都合で欠席されたメンバーと、早朝に資料交換と情報交換することになっており、済み次第名古屋に戻る予定です。この資料は次回の定例会が開催される3月まで待っておれないので期待して眠ります。
                                     1月12日の一言

私の薬の変革


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薬箱の風邪薬が製造されなくなり 2012/1/29



 昨日の一言に新たな薬を処方された内容を記したところ、私の過去の書き込みを覚えていただいていた知人から電話をもらいました。


 今から10年ほど前の書き込みで、風邪薬のジキニンと富山の置き薬のケロリンをお守りとして持ち歩いていると記していますが、それは現在でも続いており、その後置き薬が入手しづらくなり、ドラッグストアを利用するようになりました。

 電話をもらって過去の書き込みを読んで、10年前と比較すると、医師を頼らなくとも2種類の置き薬だけで心配もなかった体調が、医師の判断を仰ぐようになって、医師の処方する薬を頼りにしている現実を実感させられました。

 10年前に「必需品のお守り」と記したジキニンとケロリンは、現在は必需品ではなく本当のお守り状態になり、風邪薬のジキニンは医師に処方された小青竜湯になり、頭痛薬のケロリンはロキソニンになっています。

 身体が悪くなった場合は別ですが、病気になる前の健康体では、医者に行く必要もありませんが、私自身は大きな病気になるのが嫌で定期的に医者に通院しており、こんな患者にとっては病気とは言われないような変調(老化)も相談できる医師が存在することが重要です。

 還暦を過ぎて確実に実感する老化現象と、最近ではかかりつけ医の二世医師が聞く耳を持ってくれるため、自分の体調とネット検索した内容も伝えて、医者まかせではなく、自分自身も納得して薬を処方してもらうようになりました。

 病院や医者嫌いのため、若い時は置き薬や薬局で購入した薬を頼りにしていましたが、10年前とは全く違い、現在は医師の判断を頼りにしていることも実感させられました。

                                    1月11日の一言


薬が2種類から5種類になり


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私の薬局 ココカラファイン津島東店

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カムシア配合錠 血圧の薬です

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八味地黄丸 

ここからは本日から処方された薬です
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ベタニス錠

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小青竜湯 風邪薬です

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ロキソプロフェン

 私は30年ほど前から彦坂外科の彦坂行男院長をかかりつけ医にしていますが、最近では息子さんで副院長の壮洋先生に意識して行くようにしており、後継者のあるかかりつけ医は安心感があります。

 親の医院を引き継ぐ2世医師とは言え、患者の声に真剣に耳を傾ける姿勢と研究心は、病院勤務の実績から独立した親とは違う魅力があります。
 最近では、私は診察するようなものではない気になる体調や、ガンに罹った場合など、普通では医者に聞けないようなことは副院長に聞き、万が一の場合は経験豊富な院長が存在するため、パソコンを見て患者の身体を触診しないと言われる市民病院の医師より信頼ができます。

 昨日までは血圧の薬カムシア配合錠と、漢方薬の八味地黄丸の2種類を服用していましたが、1ヶ月前に通った歯科医院でもらった痛み止めの「ロキソニン」を飲んだところ、夜間の頻尿が見事に止まったことから、緊急時はロキソニンを使い、ネット検索した3種類の薬から副作用の少ないベタニス錠を処方してもらいました。

「インフルエンザも心配で…」
     「熱もないし、喉も痛くないから風邪でしょう」
「1歳の孫がいるので大丈夫でしょうか」
     「鼻水を止める薬をだしておきます」

 副院長の話では、私が心配するロキソニンの副作用についてもあまり心配することもないと話していましたが、薬の副作用についてこだわる私のためか、風邪薬も漢方薬が処方されていました。

 薬漬けの高齢者が問題にされることもありますが、私も2種類の薬が3種類となり、ここに風邪薬と痛み止めのロキソニンを合わせると、薬を食事のように服用するイメージになりました。

                                    1月10日の一言

風邪です 大変です


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 日曜日の外出は、外では吹雪のような寒風にさらされ、湯たんぽのような電車の温かい電車で帰宅したところ、喉の調子がおかしくなり、昨日には咳がでるようになったため、常備する風邪薬を飲みました。

「お父さん、インフルエンザじゃないの」
      「ただの風邪と思うけど…」
「インフルエンザなら(孫の)○○にうつったら大変」
      「じゃー、夜に医者に行ってくるわ

 こんな会話をしていたところ、私のかかりつけ医は水曜日の午後が休診になっており、午後には遠来の知人があって外出し、夜には治まっており、熱がないのが救いですが、喉の不調はつらいものがあります。

 さて、週末には松本市まで出向く必要があり、愛知県とは違う雪や寒さを心配すると、明日一番で医者に行き、2日間ゆっくり休養して備えたいと思います。
 何よりも、インフルエンザともなれば、孫の顔も見られなくなります。すべては明日に…
                                    1月9日の一言


電車の乗り継ぎに頭を巡らせる一日となり


名鉄電車路線図
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愛知県路線図ドットコム

 名鉄電車の路線図ですが、愛知県にはJR東海や豊橋鉄道の他にも、近鉄、名古屋臨海高速鉄道、愛知高速交通(リニモ)、愛知環状鉄道などが存在し、岐阜県には長良川鉄道や、樽見鉄道、養老鉄道、明知鉄道があり、三重県の三岐鉄道も含めて考えると、私の住む津島市から電車を乗り継いで外出することにも興味が湧いてきました。

 日曜日に津島市から蒲郡市を経由して、JR東海も利用して豊川稲荷に行ってきた体験は、高校時代に行き先を決めず電車に乗って外出していた体験がよみがえり、同行した家内にも好評でした。

「電車の乗り継ぎは楽しいぞ」
    「新幹線に乗れば行きたい所に行けるだろう」
「新幹線では街角の景色が見えないだろう」
    「ふーん、そうかなぁ」

 本日訪れた同級生に語ると、私の伝えたい魅力がうまく伝わらず、在来線を乗り継いで目的地に行く工夫とか、鉄道会社の違いから乗り継がない路線に入ることも、今は切符ではなく、共通の乗車カード(私はマナカ)で乗り降りできるため、自由に目的地が変更できることすら車社会の愛知県では理解されていません。

 一年前に東京から名古屋に帰る際に、知人に勧められて在来線を乗り継いできましたが、JR東日本の駅員さんから、乗り継ぎで当日帰れない場合も想定し、最低料金の切符を購入し、降りる駅か、JR東海の管理下となる豊橋駅でカード(マナカで)清算するよう助言を受けました。

 私の学生時代であれば、キセル乗車の疑いで罪に問われるような乗車方法も、最近では自動改札機の普及で、様変わりしており、行き先を決めない鉄道旅や、自由に目的地を変更できる利用が可能になっています。

 愛知県は車社会になっており、何でも車で走った方が便利かもしれませんが、一枚の切符とマナカを持参して、月に一回程度は電車に乗ってみたいと思います。

 我が家は父親が名鉄の職員だったため、当時は高校や大学を卒業する際に優先的に入社できる恩典がありましたが、私自身は電車の運転手か、観光バスの運転手が希望のため、父親も運転手から名鉄産業に異動していた現実と、大卒は運転手はできないとの話でそのままになり、その後に弟や妹は名鉄に入社していきました。

 子供の頃に、父親からもらった車掌さんや駅員の玩具で、縁側のガラス戸を開け閉めして兄弟で電車ごっこをしていたことと、私の小学校時代の文集にも、将来の夢を運転手と記していたことなど、万が一はなくとも観光バスを運転できる大型二種免許を所持してきました。

 そんな子供や少年時代の懐かしい思いが久々に頭をよぎる外出となりました。

                                  1月8日の一言


蒲郡から豊川稲荷へ JRと名鉄の乗り継ぎ

                       昨日の写真です
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豊川稲荷

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豊橋行き普通 JR蒲郡駅

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新快速豊橋行き JR蒲郡駅

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JR飯田線新城行き JR豊橋駅

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豊川稲荷参道

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総門

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本殿前の大鳥居

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奥の院参道

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大黒堂

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参道となる商店街

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名鉄豊川稲荷駅

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国府行普通列車

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国府駅 特急に乗り換えます

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名鉄勝幡駅に着きました

JR蒲郡駅13時57分 … 14時09分JR豊橋駅14時12分 … 14時24分JR豊川駅 … 豊川稲荷 … 

 … 名鉄豊川稲荷駅15時38分 … 15時49分国府駅15時53分 … 16時30分神宮前駅
 16時35分 … 16時50分須ケ口駅16時50分 … 17時02分勝幡駅 

 愛知県では熱田神宮と犬山市の成田山とならんで、豊川市の豊川稲荷の初詣は有名ですが、私自身が勉強不足で、大きな鳥居が本殿前にあるため、神社と勘違いして参拝しながら真言があるため、お寺と自覚しなおし、奥の院への参道に弘法堂を見つけて真言宗の勤行で読経してきました。

 恥ずかしい限りで、豊川稲荷も他のお稲荷さんのように神社と勘違いしておりましたが、山号を圓福山とする曹洞宗の寺院で、正式名は「妙嚴寺」というお寺で、曹洞宗門僧侶の修行道場でもあると昨日初めて知りました。お寺なら参拝の方法もありましたが、後の祭りです。

 もっとも、昨日は電車に乗るのが目的で、名鉄電車はどこまで乗車しても無料の家族券(社員の家族用)を利用して、行き先を決めずに乗車し、普段行かない蒲郡駅まで行って竹島まで歩き、ここからはJR東海道本線で豊橋駅を経由してJR飯田線の豊川駅に行き、豊川稲荷に参拝後に名鉄電車を利用して帰ってきました。

 私は父親が名鉄職員だったため、子供の頃から家族券で行きたい場所に遠出していましたが、これも妹が定年となる数年後には家族券は無くなると思うと、父親の運転する姿とは様変わりした名鉄電車とともに、父親が退職して30年経過していることと、私自身が年金受給の年齢になっていることも実感させられました。

 さて、一枚の切符によって、電車を乗り継いで知らない場所に行くことの魅力を感じたので、この楽しみをこれからの生活の中に組み込んで、新鮮な気持ちになっていきたいと思っています。

                                     1月7日の一言


名鉄電車で蒲郡の竹島八百富神社へ


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竹島海岸 愛知県蒲郡市

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新安城駅 午前10時39分

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蒲郡行き 吉良吉田駅午前11時27分

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蒲郡駅 12時05分

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人に寄ってくるカモメ

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竹島へ渡る橋

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日本で唯一鳥居の下を通る橋

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八百富神社参道 午後1時01分

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やっと境内へ

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本殿へ参拝

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戻ってきました

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竹島水族館

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東海道本線 JR蒲郡駅

名鉄勝幡駅午前9時46分 …津島線… 名鉄須ヶ口駅10時04分 …名鉄本線… 名鉄新安城駅10時45分 …三河線… 名鉄吉良吉田駅11時26分 …蒲郡線… 名鉄蒲郡駅12時01分 …

 本日は家内と名鉄電車の家族券で、名鉄勝幡駅から蒲郡駅を目指して、竹島の八百富神社に参拝し、蒲郡からはJR東海道本線を利用してJR豊橋駅へ移動し、JR飯田線でJR豊川駅から豊川稲荷に参拝しました。

 20年ほど前にも電車を利用して竹島を訪れたことがありますが、行先を決めずに電車に乗り込んだため、乗換駅を思い出していましたが、以前は新安城駅で乗り換えずに吉良吉田行きに乗って行ったと思われ、久しぶりに鉄道旅の楽しさも実感することになり、そのまま名鉄電車では帰らずにJR東海道本線で豊橋駅に移動して、JR飯田線で豊川稲荷を目指すことにしました。

 蒲郡駅に隣接するアピタで昼食をとり、海岸沿いに20分ほど歩くと竹島に架かる橋の入り口に到着しました。
 橋の下には無数のユリカモメとトビが飛び交い、観光客の差し出すエサに群がっていましたが、竹島はここから387メートルの竹島橋で結ばれており、強い寒風に吹かれながらやっとのことで竹島に渡りました。

 島の中央部には、日本七弁財天のひとつで、開運・安産・縁結びの神を祀った「八百富神社」(旧竹島弁才天)があり、福徳やご縁をいただくことができるとあり、本殿にある「福種銭」をいただいて帰りました。
 島の先には竜神岬があり、そのまま遊歩道で海岸沿いからも帰れますが、本日は風が強いだけでなく、寒さが堪えるためそのまま戻りました。

 竹島から蒲郡駅まで歩いて20分ほどかかりますが、予定より早い列車に乗車することができ、約10分で豊橋駅に到着しました。
 
 蒲郡から豊川稲荷の顛末は明日に書き入れます。

                                     1月6日の一言

本日の写真 何もやる気が湧かずに


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 正月気分が残っているものの、現実には週末の土曜日になっており、何もやることがないままに午後を迎えてしまい、「こんな事ではいけない」と、家内と相棒リマとともに外出しました。

 やるべきことはありますが、正月の浮かれた気分でやる気が全く湧かず、仕事は来週からと先送りしますが、こんな繰り返しで山ほど手付かずの案件を積み残しており、夜中に頭によぎって眠れないこともあるため深刻です。

 さて、明日はどうしましょうか…
      
                                     1月5日の一言


津島神社 孫と茅の輪めぐりへ


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天王川公園 愛知県津島市

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津島神社 東鳥居

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楼門

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拝殿と楼門

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本日の拝殿前

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茅の輪くぐり

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本殿裏の元神宮寺 真言宗 智山派 牛頭山 宝寿院.

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南門

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本日の南門前

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天王川公園

 本日は娘夫婦と孫と一緒に家内と津島神社へ参拝し、本日から7日まで開催されている悪疫退除を祈願した後茅の輪をくぐりました。

和魂社例祭 茅の輪くぐり1月4日
古くは蘇民祭と称し、和魂社(古称 蘇民社)において悪疫退除を祈願した後茅の輪をくぐります。
この祭の由緒は、御祭神建速須佐之男命の蘇民将来伝説に基づき、当日は「お守り・御幣・粟餅」が授与されます。

 参拝後に珈琲屋さんに立ち寄りましたが、帰宅後に我家の1歳になった孫とは久しぶりの顔合わせとなるものの、さすがに8歳になった孫はまるで弟をいたわるように面倒を見て遊んでいました。

 不思議なものですね。同じ孫として、可愛い盛りとなる我家の孫ばかり可愛がってはいけないと意識していたものの、8歳になるまでに上高地や四国遍路に同行してきた孫は、まるで私の心境を理解したように我家の孫の相手をして、1歳になったばかりで何も判らない我家の孫の面倒を見て、何とか喜ばせようと一生懸命になってくれました。

 何も説明することもなく、同じ血が流れる従兄弟は自然に遊び、何も判らない孫も兄について歩く弟のようについて遊びます。こんな光景によって、すぐに帰ると言っていた娘の家族も、我家の三男の仕事が終るまで待って一緒に夕食をともにしました。こんな雰囲気を作った8歳となった孫に感謝の一言です。

                                    1月4日の一言


本日は孫と一緒に地元の氏神様へ


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津島市越津町の氏神様 簗川(やながわ)八幡社

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町内の氏神様です

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孫と一緒です

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孫とブランコにも乗りました
簗川八幡社 祭神
品陀和気命(応神天皇)ホムダワケノミコト(オウジンテンノウ)
『品陀和気命』は、第15代天皇『応神天皇』の諱(いみな)。父『仲哀天皇』、母『神功皇后』の間に生まれた第四皇子である。武勇の神として知られているようです。

 本日は家族で町内の氏神様へお参りに行きました。

 町内の神社ですが、添付した幟に記された簗の字が当用漢字にない字が記されており、間違って注文した可能性もあるものの、本当はどちらかはっきりとさせるべきでしょうか。私自身は何よりも奉られている祭神すら判りませんでした。

 ネット検索すると、応仁天皇や八幡社について色々な記載がありますが、そもそも越津に初めて人が住んだ年代が判りません。ただし、西尾張地方で一番南にあった古墳が存在した記録が残っていることと、周辺に古墳時代の須恵器などが多数出土しているため、神社もかなり古いとは思われます。

 孫と一緒に訪れたことが幸いでした。

                                      1月3日の一言


船岡山 建勲神社

                                      昨日の写真です
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建勲神社 京都市船岡山

建勲神社のホームページ http://kenkun-jinja.org/
京都市北区紫野北舟岡町49

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急な石段を登ります

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さらに進みます

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昨年9月台風21号被害を修復中の手水舎

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参拝します

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神門(祝詞舎) 本殿はこの奥です

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社務所と貴賓館(正面)など境内

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標高112メートル船岡山から見る京都市内

 建勲神社は本能寺の変で倒れた織田信長の霊を慰霊するため、豊臣秀吉が船岡山に信長象を本尊とする寺を建立し、正親町天皇より天正寺の寺号を賜ったのが始まりで、明治天皇より信長公の御偉勲に対し特に神社創立の宣下があり、国家安泰・万民安堵の神として、明治3年(1870)「建勲神社」の神号を賜りました。

 尾張出身の織田信長公の出生地は我家に近く、愛知県から天下統一を導いた郷土の偉人に、新年の挨拶と一年の安穏を祈りに行くことを20年ほど前から行ってきました。
 また、8月の京都五山送り火を鑑賞する名所でもあり、近くの左大文字だけでなく、嵯峨野の鳥居形以外すべての送り火が鑑賞でき、大晦日は人も居ないため京都市内の除夜の鐘を聞くことができます。

 船岡山については、1200年前に京都に都が定められた時、中国の陰陽五行思想、風水思想に基づいて、龍気みなぎる地形であり、大地の気がほとばしり、溢れ出る玄武の小山であると、卜せられ、船岡山の真南が大極殿、朱雀大路となったと記されていますが、帰化植物がほとんど入っていない自然が残された貴重な森となっています。

 京都という観光地にあって、人が入らない静寂な環境は、遠景を眺めて、山の向こう側に遠く離れた愛知県があると考えると、5百年前に織田信長や豊臣秀吉が京都に入った道筋を瞑想するには絶好の居場所になっています。

                                    1月2日の一言


謹賀新年

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                                                          東寺五重塔            
明けましておめでとうございます。

       本年も宜しくお願いいたします。

                     平成31年元旦


 例年の大晦日と元旦は、京都の八坂神社で厄を落とし、百万遍で除夜の鐘を撞き、新年のお勤めに参加し、船岡山の建勲神社からスタートしていましたが、昨日の大晦日は名古屋市の八事山興正寺で除夜の鐘を撞いて新年を迎えました。

 本日の元旦は、午後から京都船岡山の建勲神社と、真言宗総本山 東寺〔教王護国寺〕に参拝して帰宅しました。


ギャラリー
  • ようこそ 大鹿一八の納経所へ
  • ようこそ 大鹿一八の納経所へ
  • 令和6年 上高地開山式の様子です
  • 三重県桑名市大福田寺の聖天祭へ
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  • 毎年恒例となった我家のアンズジャム作りへ
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