大鹿一八「本日の一言」

平成16年2月から令和1年7月末までの「本日の一言」です。ヤフーブログ閉鎖により、ライブドアへ過去の記録として引っ越しました。

2019年03月

林のようなツクシの群生を眺めて


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 もう、とっくに終ったと思っていたツクシですが、親族の先祖供養と永代経に出かけたところ、車を停めた道路沿いに見事なツクシが出ており、しかも軸が太く新しいツクシも出ており、足の踏み場もないツクシの群生となっていました。

 さて、明日発表される元号について、知人から10案の候補がメール添付されており、私は「永和」が良いなと思っていましたが、この元号を予想する人は多く、さらにネット検索すると、南北朝時代に北朝方で使用されていた元号であることが記されており、可能性は低そうですね。

永和(えいわ)は、日本の南北朝時代の元号の一つ。北朝方にて使用された。応安の後、康暦の前。1375年から1379年までの期間を指す。この時代の天皇は、北朝方が後円融天皇。南朝方が長慶天皇。室町幕府将軍は足利義満。

知人の送ってきたメールです。
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 昨日のブログ爺二人の写真拝見しました。ブログ掲載ありがとうございました。
 さて、【明日発表】の新元号案が話題ですが、
恐れ多くも小生の案を披露させて頂きます!
【第一案】永泰⇔栄泰
【第ニ案】安久
【第三案】永安⇔栄安
【第四案】安永⇔安栄
【第五案】久安
【第六案】永平⇔栄平
【第七案】久栄
【第八案】文元
【第九案】文承
【第十案】文仁⇔仁文
 この中で、1つでも近い元号が選ばれたら大変嬉しく、今後の人生がよりもっと良くなる様な気がします!隠居爺の独り言と お笑い下さいませ(^_^)

 この中に果たして新しい元号があるのでしょうか?ロト7や宝くじよりは確率が高そうに思えますが、当っていたら当人はびっくりで、生きているあいだ中自分が考えていた元号と自慢されそうな顔が予想できます。

 万が一「永和」であったら私の人生も明るくなるような気がします。

                                    3月31日の一言

仲間とマックで待ち合せて


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 目的がないままに車のエンジンをかけて、知人に電話をかけたところ、両者の中間点となるマクドナルドで待ち合せとなり、限られた時間でしたが外出ができました。

 昨日のニュースに、中高年のひきこもりが61万人とする内閣府の発表が報道されており、深夜族の私にとっては午前中が苦手で、昼食後に仮眠してテレビを見ていると夕方になってしまうケースがあり、明日は我が身の改善も必要と思われます。

中高年ひきこもり61万人 初の全国調査、若年層上回る

 現在は「今何をやっているんだ」と連絡できる知人が複数存在しますが、そんな知人が存在しなくなると外出する機会も減っていく可能性もあり、限られた年金では外出すればするほどお金が減っていく現実も外出の足を鈍感にしていくのかも知れません。

 もっとも、私たちは爺さんとは言っているものの、行動は決して老人ではなく、若者に負けない行動力を持っており、自分が病気でもしないかぎりひきこもりにはならないと思いますが、周りには外出しない知人が複数存在します。

 本日は町内の役員会が開催され、一年間の行事や役員会のスケジュールが示されましたが、町内の行事は優先して欲しいとの話もあったものの、議員を辞めて年金受給者になっても、参加する上高地のボランティアや、NPO法人の予定が一年先まで埋まっており、求められても思うように参加ができず、地域で嫌がられないように参加していきたいと思う夜になりました。

 ただし、町内の行事か老人会しか外出の機会がない老人にはなりたくありませんね。

                                    3月30日の一言

君子ランから過去を思い出す一日となって


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我家の君子ラン

 我家の君子ランは近年では毎年花を咲かせていますが、花が咲くたびにこの花をいただいた故人を思い出し、過去に何度もこの一言に記してきましたが、いただいた水野静江さんが亡くなって15年も経過していたことを過去の書き込みから知らされます。


 水野さんは大手企業に勤めておられたご主人の海外赴任から帰国された直後に、「歩いて新聞配達しても良いかな」と、慣れない日本に馴染むことと健康のために、団地内だけの新聞配達を始められ、私が議員になった平成11年まで22年間もお付き合いが続き、亡くなる前日に顔を会わせていた家内にとっては姉のような存在になっていました。

信じられない訃報…16年12月5日

 ヤフーブログが今年いっぱいで終了となりますが、過去に日記のように書き込んだ記事が残っているため、過去を思い出して対比ができ、今年はまもなく議員ではなく新しい生活になるので、心機一転して新たなブログを発信したいと思います。

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 さて、小学校から通っていた理髪店のご主人が入院され、店舗のシャッターが半開きになっているため、我慢に我慢を重ねてきましたが、本日新しい理髪店を訪れましたが、5年前にもご主人のケガで半年ほど行けなかったものの、今回は大病と聞いているため早期の復活を願うのみです。


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 「イョッ ご隠居さん」と言いたくなるような御仁から久々の写真が送付されてきましたが、羨ましいことは未だに来てくれと言われる仕事があり、添付した写真のようにいたるところに出没していく遊び心も持ち合わせていることです。

 飛行機で名古屋を訪れる方は、この御仁のスーツ姿を見かける可能性が高いので、この一言を覚えておられたら、「イョッ ご隠居さん」と声をかけてくださればブログの面白さは倍増していきます。

                                    3月29日の一言

孫の写した携帯電話の写真


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 孫がお気に入りにしているのが私の携帯電話で、勝手にボタンを押して遊ぶだけなら我慢ができますが、間違って第三者に発信したり、以前には表示される文字が極小になっており、老眼鏡がないと見えなくなっていました。

 本日は、昨日に持ち歩いた祭に写した写真の中に、自分の足が写った写真が残されており、1歳3ケ月の子供の行動だけに、その成長に嬉しさは隠せません。

 私は完全に孫の僕(しもべ)になっており、何をされても怒りませんし、意味のない遊びにとことん付き合い、求められれば抱っこして相手しており、時々でも物を取り上げたり、注意する家内よりは人気があり、爺ちゃんが一番のまま成長を見守りたいと思っています。

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 添付したイチゴは、昨年に孫のために買ってきたイチゴの子孫です。特別大切にしていたわけではありませんが、これからは枯らさないように孫にも自分のイチゴと認識させて育てていきたいと思います。

                                    3月28日の一言


任期最後の3月議会が終了して


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津島市議会青風会の仲間と 上野聡久議員(左)と山田真功議員

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この議席も本日が最後です

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 平成11年から津島市議会議員になり、5期20年にわたって座ってきた議席も本日が最後になり、議会終了後に同じ会派青風会の上野聡久議員と山田真功議員とともに、3人で一緒の記念写真を撮りました。

 市民派として政党や会派の馴れ合いを嫌い、一人会派として無所属で活動していた私のもとに、今から12年前の選挙で29歳の若さでトップ当選を果たした上野議員が一緒にやりたいと言ってくれ、8年前から山田議員が加わり、3人で活動してきましたが、それもあとわずかとなりました。

 上野議員には12年前に一緒に活動を始めた直後に、同じく会派に入ってきた新人議員が選挙直後に選挙違反で辞任し、若い上野議員には辛い思いをさせ、私のために議会内で何度も辛い環境下にしたものの、最後まで一緒に行動してくれたことに感謝の言葉しか思い当たりません。

 私は学生時代に朝日新聞の販売店主にスカウトされ、高校野球や各種のイベントに参加し、5年ほどミニコミ紙を発行していたこともあり、23年間お世話になってきた愛読者の支えで議員になり、前回を除く過去4回目の選挙まで事前運動をしなくても当選できました。

 今回も大学時代からお世話になっていたお客さんや、一緒に活動したPTA役員や中学や高校の同窓会関係者など、世代交代しているとはいえ関係者に土下座して廻る気持ちがあれば当選できたかもしれませんが、65歳になって自分より若い有権者に頭を下げて投票を依頼してまで議員活動を続ける気持はありませんでした。

 一方で、私が踏ん張らないと継続できないNPO法人の福祉有償移送や、横井庄一記念館を次世代へ継承するためには、65歳になってから議員との2足のワラジでは存続が危ぶまれ、私を頼りにされている四国遍路の仲間や、大好きな上高地のボランティアも健康で身体が動く今でないと参加ができません。

 もっとも、限られた人生の65年が経過し、空海(弘法大師)の残した「即身成仏」、すなわち生きて仏の境地に近づくためには、今のこの時間が重要で、ミニコミ紙の復刊や、昭和63年に始まった朝日旅行友の会も再開したいと考えています。
 また、議員という公職にあったため我慢していた発言も、一般人として物の良し悪しを正直に発信して、行政に不満や不信感を持つ人々の代弁と、よりハイレベルの在宅支援に励みたいと思っています。

 有難うございました。
                                    3月27日の一言





ボランティア保険の納付に走り


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 NPO法人で活動する祭の万が一の事故に備えるボランティア保険の支払いのために、名古屋市東区白壁一丁目にある愛知県社会福祉会館まで走りました。

 ボランティア保険は、市町村にある社会福祉協議会で申し込みができ、災害被災地に設置された窓口でも加入ができますが、津島市の社会福祉協議会は独自の規則で、団体の会員名簿や一年間の活動報告の提出を求められるため、津島市を活動拠点にしているものの、愛西市やあま市にも会員があるため愛知県の社会福祉協議会へ申し込むようになりました。

 そもそも、ボランティア保険は活動報告や、会員名簿を添付する必要はなく、個人でも団体であっても簡単に申し込みができるはずですが、津島市の社会福祉協議会は会員名簿と報告書を提出しないと申し込みができないことに不満を表明するとともに、愛知県の窓口に出向くようになりました。

 もっとも、市町村の社会福祉協議会を取りまとめる愛知県の窓口は、相談内容に何でも即決に近い応対をしてくれるため、保険についても取り扱い会社に問い合わせる必要もなく便利で、昨年から名古屋市も活動場所にする複数のNPO法人を運営するようになったため、苦痛になっていた名古屋市まで走る苦痛も感じなくなりました。

 さて、問題は、複数の活動団体を自分一人で取りまとめているため、資料も乱雑に混雑しており、パソコンに記録された資料も私以外のボランティアは触ったこともないため、私の物忘れや老化とともに整理と共有が課題となってきました。

 対応する愛知県の窓口や、県税や税務署の窓口についても私以外は出向いていないことから、銀行口座や提出する複数の書類作成も複数人の関わりがないと続かない心配もでてきました。

 明日は3月議会の最終日となりました。          
                                  3月26日の一言

今週が最後となる市役所の仲間たちと


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 本日は市役所で予算審査特別委員会が開催されましたが、昼休みには数少なくなっている同級生の職員とともに昼食に出かけ、65歳となった同年の職員は今月末で全員離職するため、2人で愛知県に派遣されている同級生を訪ねたところ休みをとっていました。最後の休暇で、世話になった関係者への御礼の品を買いにいっていたとの話でした。

 我々65歳組には今週が最後です。歌手の森昌子さんが今年で引退すると大きく報道されていましたが、引退は人生の終わりではなく、総ての呪縛から開放されて行動できるスタート地点であるべきと思います。

 「アメリカでは定年は人生のスタートで、オメデトウゴザイマスと言います」の一言は、アメリカから来日されていたケリーさんの一言で、ケリーさんは名古屋市の河村市長と会ってから本日無事に帰国されたようです。

「本当に辞めちゃうの?」
     「そうです…」
「まだ若いし、元気だし」
     「でも、65歳になってから四年先を考えると…」
「選挙には勝てるのにもったいない」

 今になって知人たちはこんな言葉を発しますが、残された寿命が判らないため、絶命する瞬間に後悔しないためには、これから出会う人々は気の合う仲間と、自分が教えを請いたい人だけにして、自分のやりたい事と、過去から引きずるやるべき事だけに専念していきたいと思っています。

 やりたい事は秘密です。問題は、過去から引きずる仕事で、福祉有償ボランティアの責任は重く、津島市だけでなく、愛西市とあま市の高齢者や障がい者を病院まで移送する体制を整備拡大することと、昨年に法人化した横井庄一記念館は次の館長に指名されており、これだけでも議員より忙しくなりそうです。

 やりたい事は秘密にしますが、環境省の上高地パークボランティアと、公認先達に補任されている四国遍路は別として、これからは公人ではなく一般人と言うよりも、5年も高校生活を送った不良の落第生の延長として、自分勝手なブログ発信で書き記していきたいと思っています。

                                   3月25日の一言

言葉の壁を忘れたケリーさんとのランチ


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横井庄一夫人 スティーブン・R・ケリーさん 通訳の水野民基さん

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最後の記念写真

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午後6時15分 横井庄一記念館

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 アメリカから来日して横井庄一さんの調査と研究をされていたケリーさんの記念館訪問も本日が最後になり、記念館開館日のため、通訳の水野さんと横井夫人と私の4人で、ケリーさんの持参したお寿司でお昼のランチを楽しみました。

 過去に新聞記者やテレビ局の取材に立ち会ったことがありますが、長い外交官経験を有して大学の教壇にたっているケリーさんは、一つひとつの事実を正確に聞き取り、横井庄一という人間の心情まで理解しようと真剣な会話が続きました。

 横井庄一記念館の公式サイトに記された経歴は、かつて私が書き記した情報ですが、改めて問われると忘れてしまっていることがほとんどで、発見されてから47年の年月が経過しているため、取材する記者も横井さんを知らない世代になっており、過去の報道や記録のみを頼りに発信している現状について、ケリーさんの調査は新鮮なもので、改めて91歳になっている夫人と過去を復習したいと思わされるケリーさんとの出会いともなりました。

 アメリカは遠いですね。ケリーさんの健康と活躍をお祈りしたいと思います。

                                   3月24日の一言

ケリーさんと津島市から名古屋市博物館へ


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学芸員の竹内さんとケリーさんを撮影する水野さん 名古屋市博物館

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絵馬について説明する通訳の水野さん

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本日は津島神社に参拝しました

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津島神社奥の宝寿院でアメリカ通の水谷氏と遭遇 3人の英会話は見事です

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お寺でアメリカ談議に

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お茶のお接待を受けました

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津島市の日比市長も駆けつけてくれました。 尾張津島観光センター

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津島市を熱心に紹介する日比市長

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津島市観光交流センターへ移動

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水野さん 日比市長 スティーブン・ケリーさん 私

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学芸員の竹内さんから調査を 名古屋市博物館

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ケリーさんと竹内さん

 本日はアメリカから来日して、グアム島の残留日本兵横井庄一について研究されているスティーブン・R・ケリーさんを、名古屋市の宿から名古屋城経由で津島市まで案内しました。

 津島市に到着したものの、観光よりも横井庄一に関心のあるケリーさんは、名古屋市から車中で横井の幼少期の生活環境を質問し続け、珈琲でも飲んで座って私の話が聞きたいと言われ、津島神社の門前にある観光センターでメモをとりながら、アメリカ領事館に勤務されていた水野さんの通訳で書き留めていきます。

 水野さんとは旧知の関係となる津島市の日比一昭市長と時間調整してあったものの、ケリーさんの質問と確認が続いたため市長との待ち合わせた観光交流センターにも移動ができず、市長が観光センターまで走ってきてくれました。

 ケリーさんはアメリカの国防省の外交官を永く務めておられた経験から、市長に津島市の現状と観光施策等についても質問され、市長の熱心な説明を真剣に聞いておられ、その後立ち寄った津島神社や宝寿院でも日本人と同じ作法で参拝されていました。

 偶然にも宝寿院で出会った水谷孝三さんは、京都大学からアメリカに渡って大学を卒業された経歴から、ケリーさんとアメリカの話で盛り上がり、観光交流センターで待つ日比市長や、午後に約束してある名古屋市博物館の予定がなければもっとお寺に滞在したい雰囲気の会話が続きました。日本の国内で、日本人から声をかけられ、当り前のように自然な英会話が続くのはケリーさんの人柄もありますが国際化されていることも実感させられました。

 さて、名古屋市博物館の学芸員竹内さんは、帰国後の横井庄一について現状では一番把握され、理解されている第一人者ですが、65歳になられたことで今月末に博物館から離れられるため、横井を知る人物の引退は寂しいかぎりです。

 「横井さんがグアム島で28年間も生き延びたのは、決して偶然や運が良かったのではなく、本人の緻密な努力の結果です」の一言は竹内さんの一言です。

 本日同行したことで、横井庄一さんが出会った新聞記者やマスコミには絶対に見せない素顔を竹内さんにも見せていたことが判り、過去の報道や雑誌に報道されたことのない横井像とともに、何故に28年間もグアムで生き延びられたのかについても、私の認識を確信させてくれることになりました。

 もしかすると、アメリカからやってきたケリーさんが、日本人よりも横井庄一について理解していくのかもしれません。ケリーさんは来週アメリカに帰国されるため、明日は最後の記念館訪問となります。時間の経過は早いものですね…

                                   3月23日の一言

定期便のような名古屋行きへ


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中村公園大鳥居前

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おっ、すごいな

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名古屋駅西口のビル

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我家のアンズの花

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県道の名物になってきました

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アンズは可憐な花です

 横井庄一記念館は名古屋市中川区にあり、津島市の我家と名古屋駅の中間地点になり、昨日も名古屋駅まで走りましたが、本日も家内が移送ボランティアで名古屋市の病院まで4往復することになりました。

 明日は土曜日ですが、家内は市外の医療機関と、市内の福祉施設で研修中の女子大生たちの依頼を受けて移送ボランティアに走り、私は横井庄一記念館を訪れたアメリカの研究者と通訳さんを乗せて津島市を案内し、午後には横井庄一さんを担当されていた名古屋市博物館の学芸員さんを尋ねて博物館まで同行することになっています。

 遠く離れたアメリカから来日されたスティーブン・R・ケリーさんは68歳になっておられますが、情報化社会で何でもネット検索できる世の中にあっても、一つ一つを確認しながら質問され、調査されている姿に学者の真髄を見せら、新聞やテレビの取材との違いを実感させられました。

                                    3月22日の一言

横井庄一記念館へアメリカの研究者を迎えて


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 本日は横井庄一記念館にアメリカノースキャロライナ州にあるデューク大学の研究者スティーブン・R・ケリーさんが訪問され、横井庄一のグアム島の生活や、帰国後の生活や幼少期の生活環境など詳細に調べられました。

 スティーブン・R・ケリーさんは、米国国務省の外交官として西アフリカ、東南アジア、ヨーロッパ、カナダ、メキシコなどに勤務され、大学では国境問題、移民問題などについて教えておられ、現在、第二次大戦後に太平洋で発見された旧大日本帝国陸軍の最後の残留兵の一人である元軍曹横井庄一について調査研究されておられます。

 ケリー氏の通訳として同行されたのは在アメリカ領事館に勤務されていた水野民基さんで、横井庄一夫人のオイで、英国に留学経験もあり、英国の法廷弁護士資格を有する京都の幡新大実さん(大阪女学園大学教授)も駆けつけていただき、3人の見事な英会話に外国に居るような感覚を覚える一日ともなりました。

 午前中は記念館での聞き取り調査とし、昼食後は横井庄一さんの菩提寺にある戦死したと思われ建立された陸軍軍曹横井庄一の墓と、平成9年に他界した後に立てられた千音寺霊園にある横井庄一とグアム島の小動物を慰霊するお墓も訪れて手を合わせました。

 ケリー氏は来週まで名古屋に滞在し、23日(土)には名古屋城や私の住む津島市も案内する予定ですが、日曜日には再度横井庄一記念館を訪れ、来日中に名古屋市の河村市長とも会われる予定になっています。

 ケリー氏は68歳になっておられますが、研究者として我々よりも詳しいほど横井庄一の年譜や発言した内容等を調べておられ、年齢を重ねることで異国人とは思えぬ人柄に親近感を覚える一方で、英語がさっぱり判らない自身の不勉強と言葉の壁を痛感する一日ともなりました。

                                   3月21日の一言


本日の写真 小学校の卒業式へ


ご卒業おめでとうございます
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 本日は愛知県内の小学校で卒業式がおこなわれ、私も母校となる小学校に来賓として出席しました。

 添付した写真は、卒業生の保護者から提供された卒業するお子さんたちの写真ですが、毎日一緒に通学して、一緒に下校していた小学校生活から、成長するとともにそれぞれの道へ進んで、大人の厳しい洗礼を受けると考えると小学校の同級生は大切ですね。

 「卒業式の写真は、写っている人の承諾を貰わずしてネットに流さないで下さい」と学校側から説明がありましたが、全員の承諾を取らなければ使用できないとすれば、卒業式だけでなく、高校野球やサッカー会場は勿論ですが、上高地の開山祭やお祭りの写真も流せないことになり、何か間違ってはいませんかと言いたいものの、小学校で教えられば終生そのように思ってしまうでしょうね。

 さて、今月だけでなく、来月の手帳もスケジュールが埋まってきましたが、夜の番組で四国を歩いて結願した男性が、先の予定まで決めてしまうと、大切な物を見逃してしまうため、明日のことしか考えないと発言しているのを聞き、先の目標を決めないと何もできなくなってしまった自分の人生と対比してしまいました。

 明日も定められた仕事と約束に走ります。

                                    3月20日の一言


31歳の愛車を置いてきた翌日になって…


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 本日も厚生病院委員会が開催され、市役所の一日になったものの、市役所の退庁時間には帰宅ができ、夜の書道会にも参加することができました。

「車が無かったけど、どうしたの?」
       「廃車するので昨日置いてきた…」
「やっぱり、いつもあるのに無かったから…」
       「直せば乗れたんだけどね…」
「あの車で何所にでも行ったのにね…」
       「うーん、そう言われると、置いてこなきゃ良かったかな」
「お遍路にも行ってきたし…」
       「うーん…」
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 アイドリングの不調で置いたままにしてあり、4月になると自動車税の請求が来るため、来年1月まで車検がありながら、家内に急かされて自動車屋さんに置いてきた翌日になって、駐車してあった場所に残る轍を見ると悲しみがよみがえり、知人との会話も姨捨山のように置いてきた一抹の後悔ともなりました。

 そもそも、半年前から車検切れで置いたままになっていた息子の軽自動車について、周りから燃費が良いからと言われて車検を受けたことが、31歳になっていた平成元年登録のライトエースの廃車を導いてしまったと思われます。            平成20年9月25日の愛車                             
                                              
 早く忘れることにします。
                                    3月19日の一言

31歳の愛車  最後のドライブ


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この3台が並ぶのも本日が最後になりました

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平成1年登録のライトエース

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この車で四国や九州も訪れました
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最期の運転席です

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1万円いただきました

 平成1年登録のライトエースを車検や修理を受けてきた自動車工場に置いてきました。

 31歳の車とか、本日最後と考えると感傷的になるので、何も考えないように淡々と出向いたものの、廃車するのに実印と印鑑証明が必要と言われ、解体屋に出す利益として1万円札を差し出されると何とか修理して乗ろうかと後ろ髪を引かれ、最後の写真を撮ろうとすると家内に止められました。

 一週間に一度、しかも、30分しか動かさないのに、故障する度に修理して車検を受けて10年になることから、家内から何度も廃車して欲しいと言われ続けたライトエースですが、私が起業した昭和50年代から何台も乗り継いできた車だけに寂しさは隠せません。

 たかだか移動する道具と考えれば、使えなくなればお払い箱ですが、この車で九州の長崎まで駆け落ちした娘夫婦のアパートまで走り、20年前に8人で広島から四国を旅行したうちの4人が亡くなっている現実や、ライトエースを使う仕事のない現実はいかんともできません。

 この車だけで生活しておれば、不調部分を調整してでも乗り続けたと思いますが、青ナンバーの営業車2台と、足代わりに燃費の良い軽自動車を利用するようになり、出番が無くなってきたことが廃車の決断となりました。

 悲しい一日となりました。
                                    3月18日の一言 
                                                                                  

甚目寺観音内の新四国八十八ヶ所へ


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甚目寺観音のハト

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四国八十八ヶ所の石柱

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発心の道場 徳島県

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修業の道場 高知県

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菩提の道場 愛媛県

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涅槃の道場 香川県

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境内の新四国八十八ヶ所巡り

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甚目寺観音の本堂です

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涅槃会の案内看板

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弘法大師御正當の案内

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手前が大師堂です

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 本日は(と言うよりも毎週になりましたが)横井庄一記念館に出向いた後に、甚目寺町の知人宅を訪れたものの不在で、近くの甚目寺観音に立ち寄って境内の新四国八十八ヶ所を訪れました。

 伝承ですが、甚目寺は推古天皇5年(597年)に、伊勢国の漁師である甚目龍麿(甚目龍麻呂、はだめたつまろ)が漁をしていたところ、当時海であったこの地付近で観音像が網にかかり、その観音像を近くの砂浜に堂を建て安置したのが始まりという歴史のある真言宗智山派のお寺です。

 空海(弘法大師)が生まれたのが宝亀5年(774年)であることから、真言宗のお寺の中でも高野山や智山派の本山智積院よりも歴史は古く、天智天皇(626年から 672年)が病気になったとき、祈祷して快癒したことから、甚目寺は勅願寺となったとあり、欽明天皇元年(540年)に創建された津島神社と変わらぬ歴史があります。

 境内のミニ四国八十八ヶ所巡礼についても、これだけ綺麗に維持管理されている例は当地方でも珍しく、久しぶりに四国遍路や弘法大師の真言を唱えて参拝することができました。

                                    3月17日の一言

本日の写真 春の息吹


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縁側の庭に咲く花

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藤まつり 津島市
4月20日から5月5日

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桑名水郷舟めぐり 3月23日から4月7日
九華公園さくらまつり 4月1日から15日
桑名市

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やとみ三花まつり 4月13日14日
弥富市

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相ノ川桜祭り 3月23日(土)から
愛西市 古瀬、千引地区

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立田道の駅 河津桜

 花は正直ですね。我家のサクランボが満開から散りかけ、今度はアンズの花が咲きかけましたが、今年は春が早いと言われていたものの、昨年も同時期に花を咲かせていたことが判り、人間と違って勘違いはありません。


 本日添付した写真は、桜に関係する近隣のイベントポスターです。

                                  3月16日の一言

歯の痛みから始まった一日


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本日出かけた歯科医院で読んだ雑誌

 数日前から歯が痛みだし、毎日悪化し続けており、本日朝に鎮痛剤のロキソニンを服用したところ痛みがひいたものの、昼ごろには痛みがより酷くなってきたため、急いで歯医者さんに走り、そこで目にしたのが添付した雑誌です。

 この本は長生きするために有効な食習慣と、食べない方が良い食材などが紹介されており、最近仲間と行きつけにしているマクドナルドのフライドポテトは注文できなくなり、好物にしているプリンのキャラメルも食べられません。食習慣はなかなか変えられませんが、悪い食材は避け良い食事に心がけたいものです。

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昨日ホラ貝フキオジサンから
                        メール添付されてきた本2冊です

運動苦手でも大丈夫 高校部活で広がる「eスポーツ」

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 世の中は大きく変わっており、子供の頃には夢だった携帯電話が当り前となり、現代はコンピューター内臓のスマホの時代となり、車が自動で停止する自動運転が現実になりつつあり、スポーツにゲームまで含めて議論されるようになってきました。

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我家のサクランボの花

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我家のアンズの花

                                 3月15日の一言

テレビの取材に立ち会い


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横井庄一記念館内で取材中です

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記念館玄関

 本日は市議会厚生病院委員会が開催され、市役所からの帰宅は夜7時過ぎになりましたが、昼休み後の午後1時からは横井庄一記念館に出向いて、フジテレビ開局60周年特別番組の撮影と取材に立会いました。

 本日撮影された映像は、今月27日(水)の午後3時50分から4時50分の時間帯に放映される予定で、「世間を賑わせた人」というテーマで有名なった方々をご紹介する中で、横井 庄一 さんのニュース 映像や夫人と一緒 に映っている「 全国 ・縦断 紅白 歌合戦」を使用したいとの依頼で、本日は記念館外観や夫人へのインタビューが行われました。

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 添付した写真は、左に添付したホラ貝フキおじさんの昼食で、愛知県半田市にある魚太郎の1580円のランチだそうです。創作料理が食べ放題で、デザート・ドリンク飲み放題で「美味しかった」と添付されていました。


 年金おじさんは何でも何所にでも挑戦できます。

                                  3月14日の一言


漫画が経営(人生)指南する時代になり


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難波金融伝・ミナミの帝王週刊漫画ゴラクから引用

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主役の萬田銀次郎

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誤った道は戻ることはできないが
                       この先の道は選ぶことができる

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 最近はインターネットを利用した宣伝広告が当り前になり、タウン誌の広告や新聞折込が当り前と思われる現代社会に、各家庭のポストに直接広告をポスティングすることの効果と有効性を説く「ミナミの帝王」萬田銀次郎のセリフは漫画とは思えぬ説得力があります。

 2年前に息子が接骨院を開業した時に、新聞販売店に依頼して新聞に折り込み広告を依頼しましたが、これも広告会社に全てを任せるのではなく、広告折込料金を持参して各販売店にそれぞれ持ち込んで、一番上に折り込んでくれるよう依頼すると効果的です。

 ミナミの帝王は、それぞれの家庭のポストに直接投函するのが効果的と話し、ポストに投函すれば必ず捨てる前に目にすると折込広告との違いを表現し、チラシの重要性を説いており、これは商売人には的を得た教示でもあります。

 一方で、麻薬取締官を主役とするマトリズムでは、大麻や覚醒剤に手を染める人たちの心理状況をリアルに表現し、添付した「誤った道は戻ることはできないが、この先の道は選ぶことができる」の一言は人生訓でもあります。

 添付した2作品は週間漫画ゴラクに連載されている劇画ですが、原作者の作品を漫画化している作品が多いため、漫画が我々の生活にも大きな指南役になりうることを実感させられます。

                                    3月13日の一言

スーパーの閉店セールの看板にびっくりして


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会員さんの買い物に同行しました

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 議会の合い間に、通院の帰り道に買い物への同行を依頼された家内の助手席に座って同行してきました。

 入り口にあった「閉店セール」の看板に撤退かとびっくりとさせられましたが、新しい店舗に生まれ変わると記されていたため、ホッとさせられましたが、私自身が付いていくお店は限られており、店舗の閉鎖だけはあってほしくありません。

 さて、随分と頭髪が伸びて白髪が増えたため、理髪店に行って短くしてからシルバーに染めようと考えていると、本日開催された書道会で、私が小学校の頃からいきつけにしている理髪店のご主人が入院していると、同じ理髪店に通う知人から耳にしました。

 理髪店のご主人は起き上がれないため救急車で病院に搬入され、肺がんであることが判明して2度の手術を受けられたとの話で、数年前に腰の骨折によって半年ほど休業された二の舞となり、しばらくは何所か代替のお店に行くとしても、この歳になって新たな理髪店を探してまで行きたいとは思えません。

 深刻な病状のようですが、再起してハサミを持ってもらいたいものです。明日はボランティアのチラシ印刷に走ります。

                                   3月12日の一言

本日の写真 市役所に座ったままの一日に


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午後からは快晴となった津島市内

 本日から市議会の厚生病院委員会が開催され、来週まで文教建設委員会と総務委員会が連日開かれる予定ですが、本日は8年前に起こった東日本大震災の発生時となる午後2時46分に委員会だけでなく市役所全体で1分間の黙祷が行われました。

 8年前の3月11日の地震発生直後には、私自身が一般質問で登壇している最中にも地震が発生し、船酔いのような気分になったことを思い出すとともに、あっという間に8年という歳月が経過してしまったことに驚きです。

 8年前に死んでしまった愛犬モモの存在と、新たに1歳3ヵ月となる孫が誕生して、家庭内の様子も大きく変わっていることを考えると、8年後の我家の姿はもっと変わっている予測とともに、自分自身の生命も大きな岐路になっているのかもしれません。

 100歳まで生きた金さんや銀さんが、12人バトンタッチすれば空海が生きていた時代になりますが、8年前に起こった大震災の反省も感じられない国の原子力行政と、未だに5万人を越える人々が避難所生活を送っている現実に8年の長さも実感させられます。

                                    3月11日の一言

終日雨の一日は気分も沈んで

                               息子が送ってくれた昨日の写真です
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どこの梅園か判りますか?
                ヒント 三重県です

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新しい道路が建設されます 名古屋市中川区

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延伸上には宅地

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こんなにもかかります
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本日の横井庄一記念館前

 本日の愛知県は終日雨の一日となりました。こんな日は気分も憂鬱となりますが、昨日記した軽自動車を下駄代わりにして、名古屋市まで走りました。

 1リッターあたり7キロ程度しか走らないキャラバンと違って、1リッターで14キロも走られることから、気軽に外出の道具となり、普段なら家でゴロンとしている天候でしたが、横井庄一記念館まで足を運びました。

 添付した写真のように、記念館の前は道路拡幅によって門柱や樹木が伐採されて更地となっており、記念館も閉館していると勘違いして帰られたり、問い合わせて訪れる人もあるようで、整備が早く終わることを祈るばかりとなります。

                                  3月10日の一言

軽自動車の運転にはまっています


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本日の夕暮れ 午後5時46分

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事務所前のeKワゴン

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楽々の駐車です

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コンパクトな運転席

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ギア変速です

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 息子が乗っていた軽自動車ですが、車検切れで半年間放置したままになっていまたものの、車検を受けてから走ってもあまり減らないガソリンと、オートマチックとは違うギア変速に、運転している実感を覚えて運転の楽しみを久々に覚えました。

 私の愛車キャラバンは全長が5メートルありますが、三菱のeKワゴンは3メートル30センチしかなく、車高が2メートル30に近いキャラバンのように駐車場に困らず、行きたい場所に何も考えずに進入していけストレスを感じません。

 ただし、私と待ち合わせた知人たちは、10人乗りのジャンボタクシーを想定しているためびっくりし、狭い運転席のギアチェンジの度に助手席に座る知人の足に手が当たります。しかし、自分の車の操作が車との一体感を覚え、運転の楽しみにはまっています。
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 そして、何よりもすれ違う知人たちが一目で判るキャラバンや、他の愛車のように私が運転していることが判らず、燃費の悪い他の車とは違って、車検を受けてから一度もガソリンを補給していない経済性にも外出意欲は高められます。

 さて、明日は久しぶりの休日となります。

                                    3月9日の一言

本日の写真 議会の一般質問が終って


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津島市内のマックスバリュ

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我家のサクランボ

 本日は3日目となる市議会一般質問が開会され、私も2人目(今回の議会には15人が登壇)で登壇しました。平成11年に議員になってから、20年間で80回目(1年に4回の定例議会開催)の一般質問となりました。

 そして、午後にはボランティアで福祉有償運送のボランティアに出動しました。

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 私が初めてヤフーブログに投稿したのは平成18年8月14日ですが、この一言をホームページ上に書き始めたのは平成16年2月13日になります。

 以来一日も休まず、パソコンが不調時に書き込めないため、予備のパソコンを用意して、旅行先にも持ち込んで連日記しており、現在は閲覧できなくしてあるものの、我家のペットや個人的な記録も全てヤフーブログに書き残してきました。

 このヤフーブログが本年12月に終了することになりました。落胆です。今年から年金を受給する人生の最終章を迎え、これまでとは違う新たな生活を始めるには良い機会とは思えるものの、庭に眠るペットや、鬼籍に入られた知人との生活など、過去15年間の歴史を消し去ることはできないため、新たな移転先を探して保存したいと思っています。

 ヤフーブログを通じて親しくなった知人も多いため、移転しても各ブログにつながる窓口を設定して、皆さんと旧交が温められるようにしたいと考えています。

                                     3月8日の一言


ピアノリサイタルの案内やテレビの話題が届いて


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 本日は昨日に続いて議会の一般質問が続き、一般質問は明日まで続くため、市役所の一日となりました。

 添付した写真は、一宮市在住の佐藤由美さんのピアノリサイタルのパンフレットで、来月4月20日(土)に一宮市木曽川文化会館・尾西信金ホールで演奏会が開催されます。

「背景は何所か判るかな?」
    「えっ? 何所ですか?」
「上高地音楽祭の会場の木と青空」
    「じゃー、カラマツとヤナギですか」

 数年前まで6月に開催されていた上高地音楽祭へ演奏者の父親と出かけており、今回のパンフレットを作成した父親が感動して残していたそうで、広告デザイナーでもある父親が自信をもって引用した自信作のパンフレットでもあります。

 さて、佐藤由美さんは中学時代にピアノの全国優勝を果たし、高校から東京芸大の付属校に進学し、大学から大学院まで修了し、これまでにドイツやポーランドなど海外でも演奏経験のある本格的ピアニストです。

 来週3月11日には、宮城県の被災地で「3.11震災の日コンサート」を行い、その様子は現地のラジオ局で生放送されるだけでなく、愛知県一宮市のFMいちのみやでも同時中継され、ネットでも聞けるそうです。是非ともお聞きになってください。

フジテレビ 開局 60周年特番
グレイティストT Vショー
〜 ブラウン管が生んだスターたち〜

放送枠:フジテレビ開局 60周年ウィーク 周年ウィーク
 3月25日 (月)〜29日 (金) 15:50 〜16:50
放送概要 :ビックリ人間 から 世界で活躍するスーパースター まで!!
60年分のスターを振り返る!! あの時話題になった人今を追跡するコーナも展開

 さて、偶然にも本日の受診箱へ、来月に放映されるフジテレビの特番で、横井庄一に関係する映像が使用され、来週には夫人が取材をうけるため、テレビ制作会社から番組の内容がメール添付されてきました。昨年からテレビ局や新聞社の取材が続いていますが、91歳となった横井夫人はこんな機会から元気をもらっています。

                                3月7日の一言


知人から送られてきた写真 名城公園


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取り壊される名古屋城

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金シャチ横丁

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本丸御殿

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金シャチのレプリカ
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 知人のほら吹きではなく、ホラ貝吹きおじさんが送ってくれた写真を添付しましたが、これだけ外出しておれば運動不足で倒れる心配はなさそうで、最近外出意欲が減退している私には、早朝の散歩や各地へ出かけていく元気を分けて欲しいと思うようになりました。

 本日は津島市議会の一般質問が開催され、6人の議員が質問に立ちました。

 さて、私の留守中でも家内は福祉有償運送のボランティアで、早朝から名古屋の病院と市内の医療機関へ患者さんを送迎していましたが、車のラジュエターから水漏れが見つかったため、昼休みに私の車輌を自宅へ戻したところ、直後にタクシーを依頼する電話が入り、市役所で遊んでいた私の車も有効に廻せることができました。

 本来は私が主役となって走る福祉タクシーや、福祉有償ボランティアは、議会開催中は家内に任せっきりとなっており、病院に通院する患者さんにとっては、私が議員であることより、福祉有償運送のボランティアを安定して継続し、安心して医療機関へ通院できることを期待されており、議会開催中は全くの役立たずとなります。

 3月はそんな環境の毎日となりますが、再来週にはアメリカから横井庄一を研究している人物が来日し、アメリカ総領事館の元職員を通訳として会いたいと連絡が入り、昨年の3月以上に忙しい月末になっていきそうです。

                                    3月6日の一言


愛知県の中学校は本日が卒業式でした


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 知人から送られてきた写真です。名古屋市中川区の戸田川緑地のサトザクラ(修善寺桜)だそうですが、今月の16日から来月の21日まで「さくらまつり」が開催されます。我が家では梅の花が8分咲きになっており、我が家のサクランボやアンズの花は開花の気配もありません。

 本日は愛知県内の中学校で卒業式が行われ、議員として来賓席に座りましたが、私は平成5年にPTA会長として卒業式に出席し、その後は同窓会長として、平成12年からは市議会議員として出席したため、4人の子供の卒業式にすべて出席してきました。

 校長室に掲げられた歴代校長の写真は16枚あり、自分の恩師となる2名と、平成4年にPTA役員として関わって以来8人の校長先生と顔をあわせてきたことと、私の恩師の残した書が誰かも判らなくなって世代交代していることに自分の置かれている環境を実感させられる一日となりました。

 私が平成27年まで、20年近く同窓会長を務めていたことは過去の物語で、私の知る中学校とはまるで違う学校になってしまったような、鬼籍に入られた恩師の顔を思い浮かべると、寂しさも覚える一日にもなりました。

                                    3月5日の一言


小浜漁港と三方五石観音

                                         3月2日の写真です
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三方石観音 盆梅展
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参道

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本堂

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奉納された提灯

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小浜漁港

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時間が停まったような空間

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イカ釣り船でしょうか

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夕食
響(ひびき) 小浜市川崎1丁目3-6 魚商会館1階

 久しぶりの若狭路です。もっとも、昨年5月に西国三十三ケ所で訪れてはいるものの、ゆっくりとできたのが久しぶりで、高齢者に同行する運転のため、目的地だけに走ったものの、三方石観音は参道から本殿を越えて奥の院まで歩くともっと魅力を感じられたと思います。

 小浜市についても、過去に国宝めぐりや、観光船による蘇洞門めぐりなど、何度も訪れながら、時間に追われる行程が多く、漁港を散策したり地元の人のように食事する機会は本当に久しぶりとなりました。

 私の最近の旅行は、お遍路や巡礼が時間に追われるためか、目的地到着後に次の目的地を考えてしまうことが多く、日程や帰りの時間を無視した放浪のような旅行気分を味わえたら最高でしょうね。

 いつか来る最期の日まで、カウントダウンの中の貴重な一日となりました。

                                   3月4日の一言

平成31年3月4日の日本ブログ村の記録


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平成31年3月4日の記録です。

ヤフーブログ閉鎖のため記録として残しておきます。


本日の仕事は終ったと思っていると


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本日のタクシーの運転席 午後6時21分

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JR永和駅

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改札口

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1本前の列車 午後6時13分

 2日前に「電話がお金を生んでくれることを実感して」と題して、タクシーを依頼される電話によって、お金をうんでくれるという一言を記しましたが、昨日と本日はタクシーを依頼されて出向いた家内が、目前でタクシーに乗り込む若者を見かけてお客不在で帰宅しました。

 電話依頼したタクシーが来ないため、スマホでネット検索して重複して電話したものと思われますが、遅れていたタクシーが来たためそのまま乗り込んだと思われ、こんなことが続くと電話に出るのも嫌になってきます。

「タクシー頼めますか?」
    「福祉車輌ですが良いですか?」
「ジャンボタクシーを頼めますか?」
    「えっ?」

 暗くなってからの電話で、当方がジャンボタクシーを所有しているのを知った依頼にびっくりしましたが、1ヶ月前に乗せた三河の女子大生グループの4人からの依頼は嬉しいかぎりで、本日から10日間福祉施設で研修を受けるため、海外旅行のような大きなバック持参で駅から出てきました。

 それにしても、1ヶ月前に依頼したタクシーの連絡先を覚えていてくれたのは嬉しく、施設周辺にコンビニや飲食店が何もない田舎のため、10日間施設内から出ないとの会話を聞いて、施設到着後に近くのコンビニやお店のある地理をサービスで案内しました。


 1ヶ月前にも「世の中捨てたもんじゃない」と記した依頼でしたが、私の住む地域は名古屋まで30分の距離にありながら、完全なる農村部のため、タクシーを依頼しても長時間待たされたり、断られるケースもあるためか、困っていた人々から「有難う」と感謝されて料金をもらうことがよくあります。

 遠くまで迎えに走って、わずかの距離を移送する依頼は、本業とする一般タクシーの運転手は嫌でしょうが、これから年金で生活していく爺さんにとっては、お金よりも「有難う」と感謝される一言は有難いものです。出会いに感謝して、喜ばれるサービスにつとめたいと思う一日となりました。

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 本日の横井庄一記念館ですが、新しい道路の拡幅工事のために記念館前に重機が入っています。
 本日は茨城県や兵庫県、京都市など遠方から訪れたお客さんがあり、閉館までご一緒したお客さんを近くのバス停まで送ったものの、私の気持は名古屋駅まで送りたい心境でした。ここでの出会いも嬉しいことの連続です。有難うございました。

                                     3月3日の一言

若狭 神宮寺お水送り

若狭小浜 神宮寺境内 午後7時20分

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本堂

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午後7時32分

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大松明

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ホラ貝を吹く行者の一団

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一般の参加者

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長い行列が続きます 

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午後7時55分 神宮寺から2キロの松明行列

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香水を遠敷川に流します 午後8時40分

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午後8時50分

 3月12日に奈良東大寺二月堂で行われる「お水取り」に先がけて、毎年3月2日に行われる小浜市神宮寺の「お水送り」は、奈良と若狭が昔から深い関係にあったことを物語る歴史的な行事です。
住職が送水文を読み上げ、邪気払いをし、香水を遠敷川に流す。香水は10日後、奈良東大寺の「お水取り」で汲み上げられます。


電話がお金を生んでくれることを実感して


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稲沢市(旧平和町) 六輪病院

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午後1時57分 六輪病院前のタクシー

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午後5時30分 名古屋笹島交差点

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午後5時48分 

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本日の横井庄一記念館前です

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 本日の午前中は津島市の市政72周年記念式典と、津島市立看護学校の来賓として参加するため、電話を封印してマナーモードにしていると着信のオンパレードで、私が抱えていた車イスの患者さんを自宅で電話に出た家内が病院へ同行していくことになりました。

 午後には私が一緒に病院まで迎えにいきましたが、私が善意で車イスを押して、車イスからベッドへの移動も手伝っていたため、家内にも当り前のように求められたようで、家内から苦言をもらうことになりました。

 夕方に仕事を終えてホットスペース(珈琲屋)に行こうと考えていると、タクシーを依頼する電話です。いつも断ってばかりの応対にも家内から苦言をもらっているため、電話口にでると津島市外のあま市(旧七宝町)からの依頼で、名古屋駅まで走って欲しいとの依頼でした。

 普段なら10分もかからず到着する距離ですが、金曜日の夕方の通勤時間帯のため車が渋滞しており、やっと依頼された場所に到着し、時間がかかったことを謝っていると、近くのタクシー会社への電話で断られていたようで、謝る当方に来たことに感謝する言葉が続きました。

 私自身が長年にわたって生業としていた新聞販売店の電話は、新聞の入れ忘れと新聞購読の断りがあるため、電話に出たくない性癖が身についておりましたが、電話に出るとお金になるタクシーの依頼は金の卵のような心境となります。

 さて、名古屋から帰る途中で横井庄一さんの夫人から電話で、横井庄一記念館前の道路拡幅のため本日から工事が始まり、玄関前に重機が入って木も伐採されたとの話に、記念館に立ち寄りました。

 昭和47年にグアム島で発見された年に自宅が建設された時に造られた庭で、平成9年に亡くなった横井さんを見送った玄関前の庭木も見事に伐採されており、工事に関わる人たちには木々への愛着も何もないため、ものの見事に更地にされていました。

 寂しいものです。玄関前の松と、我家から掘って持って行ったマキの木は残してあるようですが、雑木と言われても全て横井さんが手植えした木々で、そのまま置いておかれても困るものの、全てが廃棄された更地を見ると可哀想なものです。

 偶然ですが、昨日に記念館から名古屋駅へ移送した親族がありましたが、まさか本日玄関前が更地にされるとは思ってもおらず、明後日に記念館へ訪れる人はびっくりとされるでしょうね。

 明日は若狭の小浜までの運転手となります。
                                     3月1日の一言

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