大鹿一八「本日の一言」

平成16年2月から令和1年7月末までの「本日の一言」です。ヤフーブログ閉鎖により、ライブドアへ過去の記録として引っ越しました。

2019年04月

平成最後の日になり


イメージ 1
玄関前の道端の花

イメージ 2
孫のクツ

 平成最後の日は雨が降り続ける一日となりました。そして、市議会議員として5期20年間の最後の一日ともなり、何事もないままに無事任期を終えました。

 平成から令和へ…

 日本ではテレビが特集を組み大事になっているものの、今日の次は明日で当り前の時が刻まれるだけですが、平成の30年間では我家でも父親が亡くなり、多くのペットをあの世に送りました。

 愛犬4匹と愛猫2匹に小鳥が3羽。人間を除く我家のペットはともに我家の庭に眠っており、それぞれの命日や遺品が残されていますが、息子の接骨院開業によって私の事務所も1階から2階に移転して探さないと出てきません。寂しい現実です。

 一方で、娘の長男が誕生して、平成生まれの三男にも我家の孫が生まれ、毎日を孫と遊ぶという過去には無かった時間が生まれ、令和時代には一日も長く孫の記憶に私を焼き付けていきたいと思います。

 そして、このヤフーブログも今月9日以降に他のブログに移行していくことになり、学生時代に起業してから本日を最後にどこにも所属しない無所属の年金生活者になっていきます。

 もっとも、お金にはなりませんが、横井庄一記念館やNPO法人の主宰者としてボランティアとしての仕事は続き、上高地のボランティアでは環境省に所属し、福祉有償運送のボランティアと、おおしか福祉タクシーもあることから、令和とともに新しい生活が明日から始まります。

                                     4月30日の一言

朝日村古見 古川寺から芦之窪神明宮まで


イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3
弘法大師の立像

イメージ 4
古川寺庫裡

イメージ 5
山門

イメージ 6
観音堂本殿

イメージ 7
鐘楼

イメージ 8
本堂

イメージ 9
芸術としか思えません
イメージ 10
こんな綺麗な水で作られる作物
                         美味しいにきまっていますね

イメージ 11

イメージ 12
芦之窪神明宮

イメージ 13

イメージ 14
また来れるでしょうか

イメージ 15

イメージ 16
大古見神社

イメージ 17
大古見神社本殿(手前)と古川寺観音堂

朝日村古見古川寺 https://fumonzan.com/kosenji


 古川寺の開基は平安後半の永長年間(1096〜97)と伝えられていますが、京都や高野山から遠く離れた長野県まで空海の弟子が真言密教を布教し、グーグルの地図にも表示されない古見の郷に継承されてきたことに驚かされます。

 古川寺裏の沢から尾根を千五百メートルほど登った所にある慈眼山清水寺が古川寺の奥の院とありますが、田畑への動物よけと思われる鉄条網が山に張り巡らされており、地図検索もできないため訪れることはできなかったものの、この辺りは賽の神山と伝承されていることから興味は尽きません。

                                   4月29日の一言

信州から木曽路の魅力を探して


イメージ 1
長野県朝日村から見える北アルプスの銀嶺 午前7時45分

イメージ 2
道の駅 今井恵みの里 午前7時28分

イメージ 3
リンゴ畑の花 今井古池

イメージ 4
花モモ 日本アルプスサラダ街道

イメージ 5
朝日村古見

イメージ 6
朝日村古見

イメージ 14
朝日村古見

イメージ 7
普門山古川寺観音堂の桜 高野山真言宗

イメージ 15
朝日村古見 上條家の古民家

イメージ 16
朝日村古見

イメージ 8
木曽側から見える乗鞍岳

イメージ 9
木曽側から見える木曽駒ケ岳

イメージ 10
御嶽山への入り口 古道

イメージ 11
黒沢から見る御嶽山

イメージ 12
御嶽山 明栄講霊神場

イメージ 13
携帯電話のカメラでも噴煙が確認できます

 本日は長野県東筑摩郡の朝日村をぶらりと車を走らせました。

 道の駅今井恵みの里周辺はリンゴの花が見事に咲いており、りんご畑から、昨日から降った雪で真っ白になった北アルプスの山並みを鑑賞し、その後は日本アルプスサラダ街道を通って朝日村古見の郷を歩きました。

 この地には、真言宗高野山派の古刹古川寺観音堂があり、村の歴史とともに伝承されており、何も考えずに郷の山まで続く農道を歩き、地図にも掲載されていない芦之窪神明宮や道祖神を眺めることができました。

 この辺りはグーグルの地図にも「古見」と記されているだけで、道路標示もお寺の名前も出てきませんが、歴史的には「賽の神山」と記され、多くの道祖神があった地域で、家々に植えられた桜やモモが満開となっていました。

 古見の古川観音堂は大古見神社と並んで建立されており、神仏が別々にされた時代を乗り越えて一緒に奉られてきたことに日本の原風景のようにも感じました。

 古見観音堂や郷を歩いた様子は明日に書き記します。
 
                                    4月28日の一言

吹雪の上高地となりました


イメージ 1
河童橋

イメージ 2
雪が舞ってきました

イメージ 3
振り向くと道路は真っ白に

イメージ 4
バスターミナルも真っ白に

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7
完全な冬景色になりました。

雪から吹雪の上高地に

上高地 雪の開山祭

イメージ 1
アルプスホルンの演奏
イメージ 2
穂高神社の神事

イメージ 3
ホテル五千尺前

イメージ 4
河童橋の様子

イメージ 5
上高地町会長の挨拶

イメージ 6
環境省の挨拶

イメージ 7
地元の獅子舞

イメージ 8
裏方も見事です

イメージ 9
迫力満点の演技

イメージ 10
河童橋では鏡割りがおこなわれました

イメージ 11
ビジターセンター前にも行列です

イメージ 12
特設テントも行列です

本日の写真です。

雪の上高地 開山祭準備中の様子

イメージ 1
早朝の帝国ホテル

イメージ 2
上高地バスターミナル

イメージ 3
帝国ホテルの裏から

イメージ 4
ウェストンレリーフ

イメージ 5
 ウェストン園地

イメージ 6
ホテル白樺壮前

イメージ 7
河童橋

イメージ 8
開山祭の準備中です

イメージ 9
ここで式典がおこなわれます

イメージ 10

本日は上高地の開山式です。

開山祭前の帝国ホテルから梓川沿いに歩きました。

設営中の河童橋からウエストンレリーフまで足を伸ばしました。

本日の写真  勝手口に出現したネギ坊主


イメージ 1
我が家の勝手口に生えたネギ坊主
                    食べるつもりで置いてあったのですが…

イメージ 2
戸田川緑地公園こどもランド

イメージ 3
大きな鯉のぼりです

イメージ 4
提供はコマネチおじさんでした

 本日は新たに参加してくれるボランティアとともに、今まで福祉有償運送の案内をしていなかったマンションに、案内広告を配布しましたが、新たなボランティアを確保しないと活動を広めることが7できません。

 もっとも、新たなボランティアは私の同級生で、65歳になったばかりの年金一年生ですが、3月まで現役で働いていただけに、当分は大きな戦力として期待できるものの、何とか5年の間に組織としての拡充が必要になっています。

 本日も2人の移送を担いました。

 さて、明日は上高地の開山祭です。

 他の希望する方々と参加する予定でしたが、明日は単身で環境省のボランティアに参加し、単身ゆえに日曜日は久々の長野県を探訪して発信したいと考えております。

                          4月26日の一言

申し込んでいない楽天カードが届いて


イメージ 1

イメージ 2

「お父さん、本人でないと渡せないんだって」
          「何、何なんだ?」
佐川急便と玄関先での会話
「楽天カードが届いています」
       「頼んだ記憶が無いんだけど…」
「生年月日を教えてください」
       「えっ、厳重だねー」
「免許証を確認させてください」
       「我が家でそんなの必要なの?」
「最後に、この画面にサインしてください」
       「私宛だから仕方ないかな…」

 家内からマック用にもらった楽天ポイントカードのポイントには興味があるものの、キャッシュカードを申し込んだ記憶はなく、届いた封筒の中のカードと書類を見ながらも、身に覚えのないことだけに困惑していると、家内が銀行と連携しているんじゃないかと言い、私が間違えてパソコンで申し込んだんじゃないかと疑われる始末です。

 そんな馬鹿な話はないと記された窓口に電話するも、何度かけてもつながらず、やっとつながると10秒10円の電話料がいるとの案内です。入会しても良いと思っていましたが、第三者に勝手に申し込まれての入会には納得ができません。

「申し込んだ覚えが無いんだけど」
          「4月16日にお客様が申し込まれています」
「間違えての申し込みなら仕方ないが、申し込んではいないので」
          「お客様から申し込まれています」
「その申し込みのメールアドレスを教えてくれ」
          「それは教えることができません」
「本人の私にも教えられないのか?」

 何度も質問していくと、私の使用しているメールアドレスではないことが判り、連絡先も最近使用していない自宅の電話番号になっており、担当者は教えてくれないものの、申し込みの際に私の知らない勤務先も記されていることから、見知らぬ第三者の悪意の申し込みと判り解約することになりました。

「解約すると、今後は会員になることはできません」
          「入会した覚えがないカードを解約すると、何で私の将来の入会の機会を奪われるんだ」
「規則ですから」
          「誰が申し込んだが調べて欲しい」
「三週間ほどもらえれば調査結果を連絡させてもらいます」

知人に連絡すると
「ポイント目当てで間違って入会をクリックしたんじゃないか」
          「そんなバカな…」
「よくあることだよ」
          「クリックしただけでカードはできないだろ…」

 その後知人から同様の被害の対処法の資料が届きましたが、受け取って30分で解約しており、被害に遭うことはないと思いますが、公に名前や個人情報まで公表してブログ発信しているため、念のため警察にも連絡して出向くことになりました。

 現実に起きた事例として、皆さんにも注意を促せたらと思っています。

                                    4月25日の一言

アメリカから届いた手紙をめぐって

                              父親が残した我家の花々
イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

 添付した写真の手紙は、2日前に津島市役所へ届けられた私宛の手紙で、米国オレゴン州セントラル・ポイントから届けられたものですが、総て英文のため知人に翻訳を依頼しようとしていると、三男がパソコンで翻訳してくれることになりました。

 ただし、英文を日本語に変換してくれたものの、差出人が横井庄一さんの戦争体験に大変興味をもっており、私から資料提供や関係する情報を求めておられるのは判りましたが、どんな内容の資料を求めているのか、何のために情報を求めているのかが判りません。

 先月米国から来日されたスティーブン・R・ケリーさんは、元アメリカ領事館職員の水野さんを通訳として同行され、資料に対して会話で調査されたため、言葉の壁は感じながらも日本人よりも的確な調査になったとも思いました。



 さて、三男が活用したグーグル翻訳ですが、何とか内容の全体像は判るものの、固有名詞や細かい内容までは判らないものがあり、試しに日本語を英語に翻訳してみたものの、正確に翻訳しているかどうか判らないことと、手紙の返信を考えると詳しい知人のサポートが必要になりそうです。

 この4月からは、横井庄一さんの夫人から記念館の館長と紹介されているものの、外国からの問い合わせには対応ができないため、英国の弁護士資格も有する夫人のオイで大学教授の幡新さんに英訳の協力を依頼してありますが、横井さんが発見されたグアム島がアメリカ領であるため、早急な対策が必要と思う一日ともなりました。

                                    4月24日の一言

知人から送られてきた餃子の写真です


イメージ 1
我家の牡丹 一瞬の美となります

知人からのメールです

今日は仕事から帰って、餃子を100個分作っています表情にこにこ
インターネットで王将の餃子の再現レシピを見て、2~3年前から作っています!

王将の餃子が好きで昔(10年程前)から作っていましたがなかなか美味しい餃子ができませんでした。

そこでネットで調べたところ、王将餃子再現レシピ【ポイントは①肉だねのやわらかさ②ジューシーさ③キャベツのシャキシャキした食感④タレ無しでもそのまま食べられる味付け⑤辛味】を完成させるのに丸一ヶ月かかった方のホームページを見つけました。

大変美味しい餃子を味わっていますよ!!【隠し味はウェイパーを入れます】

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4
追伸です
上高地の開山式が済んで、落ち着いたら、又作りますので、是非私の作った王将餃子の作り方を真似た餃子を食べに来て下さいませ
(卵とワカメのスープが合います)
イメージ 5
                                        発信者は有名になってきたホラ貝フキおじさんでした→
                                   クリックしてご尊顔をご覧ください


 日曜日に選挙の投票日が終わり、新しい市議会議員が選出されていますが、今月で任期満了となる私のもとに連日市民から電話が入り、昨日はアメリカから市役所へ議員宛としての手紙が届き、本日は稲沢市の社会福祉協議会の職員と民生委員の訪問を受け、しばらくは完全なる市民にはなれません。

 市民の方々の心配は、選挙に出なかったことで私が健康を害しているのではないかとの問いかけと、議員を引退することで病院や買い物への移送ボランティアも無くなるのではないかの心配もあるようです。

 もっとも、運輸局の認可を受けている福祉有償運送については、選挙に出て4年後となる69歳になってからではNPO法人とボランティアの維持が難しくなり、91歳になる横井庄一夫人の年齢を考えると、記念館存続のためには引退するしかありませんでした。

 そして、個人的にシニアのセカンドライフとしている四国遍路や、上高地の環境省パークボランティアについても、議会活動の合間では責任ある約束もできず、中途半端な参加ではあてにもされないため、これからの5年間は地域や町内会に嫌われても今まで関わってきた活動で地域貢献を目指していきたいと考えています。

 3日後には先週に続いて上高地に入り、連休中には四国遍路を予定しており、こんなハードな予定を立てられるのも議員でなくなったからで、大鹿一八は病気ではなく、極めて健康であることを宣言して、やりたい放題の行動を楽しみます。

                                  4月23日の一言

半年ぶりの上高地 その参

                                  2日前(土曜日)の写真です
イメージ 1
清水橋から明神へ 梓川左岸歩道

イメージ 2
案内看板

イメージ 3
風穴の前

イメージ 4
周りは雪だらけです

イメージ 5
白沢から見える明神岳

イメージ 6
明神館前

イメージ 7
ニホンザル 明神館

イメージ 8
明神橋 塗装中でした

イメージ 9
穂高神社奥宮

イメージ 10
明神池

イメージ 11


 2日前土曜日の上高地です。


 河童橋から清水橋、小梨平を通って明神を目指しました。添付した写真のように、日陰部分はほとんど雪が凍結した状態で、強い陽射しで雪が溶けた坂道はすべり、水溜りのために長靴でないと濡れてしまいます。

 この状況も、今週27日の開山祭までには雪が溶けていくと思われますが、今度は雪解けで溜まった水溜りによって、散策には濡れない靴か濡れても良い準備が必要で、私は長靴を履いていくことにしています。

 さて、昨年11月からの閉山期があっという間に経過したことから、できれば長く感ずる上高地の一年にしたいと思います。

 次は27日の開山祭です。
                                     4月22日の一言


半年ぶりの上高地 その弍

                                          昨日の写真です
イメージ 1
除雪機でハスターミナルから河童橋の歩道確保へ

イメージ 2
かなりダイナミックです

イメージ 3
車道横はこんな具合です

イメージ 4
通行止めの案内

イメージ 5
上高地パークボランティアによる除雪作業 帝国ホテル周辺

イメージ 6
一日前に除雪した散策路

イメージ 7
延々と続く木道の除雪あと

イメージ 8
雪が残る清水橋周辺

イメージ 9
雪に囲まれるビジターセンター

イメージ 10

こんな雄大な景色の下でのボランティアです


 今年は雪が少ないと聞いていたため、半年振りに訪れた上高地の雪の多さにびっくりしましたが、環境省のパークボランティアの施設維持活動もツルハシとハンマーを持参する除雪作業となりました。

 3月末と4月始めに降った大雪が残り、大正池から河童橋への散策路は通行止めとなっており、来週(27日)の開山祭までに歩けるようにしたいものですが、2年前の長靴でも苦労した除雪作業ほどではなく、前日の作業の効果がはっきり認識でき、本日活動するボランティアの手でかなりの除雪がはかれそうです。

 それでも来週の開山日は長靴かレインシューズで訪れて、水溜りで靴が濡れて不快な思いをされないことをお薦めします。

 昨日の除雪作業は午前中で終えて、午後は明神池までの巡視作業にしましたが、梓川右岸は通行禁止となっており、通行できる左岸も雪と厚い氷で凍結し、春の温かい陽射しを受けて、午後には溶けた水でツルツルになり、水溜りを避けて歩いた私の家族も靴はびしょ濡れになっていました。

 私は一年間を通して長靴持参にしていますが、しばらくはこんな環境下の散策となるものの、天候さえ良ければ最後に添付した写真のような雄大なアルプスの中での散策となります。

明神池までの顛末は次に続きます…
                                   4月21日の一言

半年ぶりの上高地 その壱


イメージ 1
大正池に映る穂高連峰 午前8時20分

イメージ 2
上高地バスターミナル 8時32分

イメージ 3
河童橋 8時40分

イメージ 4
午前8時42分

イメージ 8
穂高連峰 8時43分

イメージ 5
除雪中

イメージ 6
五千尺から見るバスターミナル方向

イメージ 7
本日午前8時46分の焼岳


 本日の写真は半年ぶりの上高地です。


 午前5時30分に愛知県津島市の自宅を出発し、尾西ICから東海北陸自動車道を走り、ひるがのSAでトイレ休憩後に、高山IC経由で平湯トンネル、安房トンネルを通過し、釜トンネル、上高地トンネルを経て午前8時20分に上高地大正池に到着しました。

 本日は雲一つない快晴の上高地となりましたが、今年は1月から3月初旬まで雪が少なかったため、開山前のボランティアも除雪を行うとは思ってもおらず、3月後半と4月になってから降った大雪によって、大正池から河童橋までの散策路が雪に埋もれて通行止めになっており、本日は帝国ホテル周辺の木道散策路をツルハシやハンマーで氷を割って一部ですが散策できるスペースを確保しました。

 午後は小梨食堂で昼食後に明神池まで巡視に出かけましたが、こちらも梓川右岸は通行止めになっており、左岸を往復したものの、途中の凍結した坂道で転倒する人が多数存在し、雪解け水で靴はビショビショとなります。
 ※私はゴム長靴のため濡れませんが、上高地は長靴が一番ですね。

 ボランティアの除雪の様子と、明神までの巡視については明日以降に書き記そうと考えていますが、一年に何度もないような快晴の一日となり、明日以降もボランティアに参加したいと思うものの、明日は市議会議員選挙の投票日であり、毎月21日は真言宗の寺院で「阿息観」に参加しており、午後3時には横井庄一記念館に出向く必要があるため、本日の上高地は午後3時までの滞在して、御嶽山の霊神場経由で愛知県まで帰りました。
                                    4月20日の一言

世の中はお金ばかりではありません


イメージ 1
昨日知人からいただいた案内広告

 知人よりいただいた弥富市の訪問看護ステーションのチラシですが、長年ガンセンターに勤務された医師が在宅医療のために開院して併設されたステーションで、医院の院長挨拶には、「かかりつけ医として疾病の予防管理から、24時間対応の在宅医療まで … 地域の皆様のお役に立てれば」と記されていました。

よしだクリニック  https://yoshida-clinic-jp.com/aboutus.html
 
 簡単な挨拶ですが、長年ガンセンターの医師として勤務され、在宅医療やガン相談外来をホームページの表紙にされていることから、医師としての覚悟も読み取れ、我が家から30分離れた市外の医院ですが、こんな医師と医院が存在することを津島市のお医者さんにも知ってもらいたいと思います。

 この医院の近くには、三次医療機関となる大きな海南病院があり、この中にも訪問看護ステーションが開設されていることから、あえて個人医で訪問看護ステーションを開設した志も感じさせられずにはおれません。

 津島市には医師不足と多額な借金を抱えた市民病院がありますが、経営が苦しいからなるべく行ってやろうという貧しい発想ではなく、ガンセンターと連携し、最後は住み慣れた在宅生活を支援する吉田先生の存在だけでなく、同様に高度な医療機関と連携する優秀な医師が周りに存在することを知る努力も我々には必要と感ずる案内広告となりました。

イメージ 2
名古屋市の徳川園です

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

ここからの藤棚は名城公園です
イメージ 7

イメージ 8


イメージ 9                   花の写真提供はコマネチおじさんです→
                           クリックしてご覧ください


 政府・与党は、一定以上の収入のある高齢者の厚生年金支給額を減らす「在職老齢年金制度」廃止の検討に入った。政府は、意欲のある高齢者が働き続けられるよう制度改正する方針を打ち出しているが、在職老齢年金には支給されるはずの厚生年金が減額され、高齢者の就労意欲をそいでいるとの指摘がある。高齢者の就労を後押しするには制度廃止が必要と判断した。

 添付したのは昨日の毎日新聞の記事ですが、「高齢者の就労を後押しするには制度廃止が必要」との政府見解を読んで、皆さんはどのように感じられますか?

 高齢者が生活に意欲を持つことは重要ですが、働くことによって在職老年年金制度まで廃止することが必要との政府見解には納得ができません。政府の愚策や海外支援で増大する借金により、国民に公的負担が増額され、年金まで減額どころか、廃止が検討される安部政権がなぜに終止符が打たれないことに無力感が漂います。

                                  4月19日の一言

本日の写真 懐かしい選挙風景に


イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 6

 平成11年から5回続けて立候補した市議会議員選挙ですが、今回は連日選挙とは無縁の静かな生活を送ってきたものの、やはり同じ会派だった同志の様子は気になり、本日は街頭に立つ「上野としひさ」候補を応援に訪れました。

 一人で交差点に立つ候補者に何の役にもたてませんが、起業して23年、議員生活20年の人間関係は、私が依頼すれば絶対に投票してくれる人が相当数存在し、電話で依頼する協力はできますが、「自分の活動の結果だから」と、「まあ、見ていてください」と固辞して頑張る姿を見守ることになりました。

 ちなみに、津島市で「本人」の幟旗を立てて走ったのは、平成11年の選挙選の私が元祖になり、当時は本人の幟旗は販売されておらず、恩師の手書きの幟旗を5回の選挙に使用しました。

イメージ 4

イメージ 5

 写真は愛西市(旧立田村)のレンコンで、収穫で破損して使えないレンコンが道路に捨て置かれていましたが、商品として出荷はできないとしても、このまま干からびて道の肥やしにするくらいなら、町の人々に食べてもらいたいような立派なレンコンです。

 本日は津島市の患者さんを愛西市の医院まで送迎し、診察の待ち時間に旧立田村でボランティアの同志となるお寺を訪れ、5月に依頼されているボランティアの打ち合わせを済ませました。

 さて、この訪問時に在宅医療を支援する往診と、訪問看護ステーションを運営する医療機関のパンフレットをいただき、私にも紹介したいと言われました。弥富市の医院ですが、元気な住民の協力で津島市にもこんな医療機関が実現できたら有難いものですが…

 新たな光明を見た思いです。
                                  4月18日の一言

仕事とは言えないような仕事で一日が終わって


イメージ 1
名城公園の桜と名古屋城

イメージ 2
タクシーの依頼です

イメージ 3
我家のシャガ

イメージ 4
我家のヤマブキ

イメージ 5
我家のドウダンつつじ

 本日は朝7時から名古屋市の中村日赤(病院)まで患者さんを送り、一旦自宅に戻ってから午前中にボランティアの送迎は終わりましたが、家内は名古屋市北区まで走っていき、待機後の夕方に自宅まで送迎です。
 ※添付した名古屋城は家内のメール発信です。

 何も予定がないままに午後をどうしたものかと考えていると、タクシーを依頼する電話があり、家内が依頼されているお客さんですが、家内の代わりに青塚駅まで移送して仕事は終わりです。

「おい、今何してるの?」
     「何もすることが無くて困っている」
「ちょっと頼みたいんだ」
  
 こちらは少年時代からの悪友の依頼で、ボランティアと言うよりも、コーヒーをおごってもらって無償の移送です。

 これからは年金生活とは言え、こんな依頼があることから、何もやることのない日が無いことを祈るばかりとなります。

                                    4月17日の一言

孫の成長が生活の中心に


イメージ 1
孫を見ているだけで一日が過ぎていきます

イメージ 2
長靴も自分で履きます

イメージ 3
親のスマホを使い

イメージ 4
私の携帯電話もお気に入りです

 一昨年前(平成29年)に私の誕生日(昭和28年12月18日)と同じ日に誕生した我家の孫です。やっと言葉を理解し始め、自分で靴を履くようになり、その成長に驚かされるばかりですが、大人の真似事でもスマホを使い、私の携帯電話をいじくるため、間違って知人へ発信されるようになりました。
イメージ 5
         この人にも間違って発信したため、返信がありました→

 自分の子供では感じたことのない孫の僕(しもべ)のようになり、自分の1歳4ヵ月の頃は判りませんが、子供とは比較にならない成長の早さにびっくりして、孫の喜ぶことを一番にしたいと思う生活になりました。

 添付した写真だけ見ると、携帯電話を使いこなし、スマホの画面で確認する姿は1歳4ヵ月の子供とは思えず、末恐ろしい気もしますが、同じ誕生日に生まれてきたこの孫のためなら自分の総てを譲って死んでいきたいとさえ思えてきます。

 そのためには、自分のこだわってきた電話番号(24-0018)とか、車のナンバー(18)など、誕生日にまつわる話や、我家の家系や歴史等を孫が理解できる年齢まで生きて伝えるのが夢となってきました。

                                   4月16日の一言

名古屋市で夕暮れを迎えて


イメージ 1
名古屋市中川区千音寺上空を飛ぶ消防のヘリ

イメージ 2
あま市(旧七宝町)方面の夕暮れ

 高速道路の集中する中川区の千音寺ジャンクション交差点を、けたたましいサイレンをならした数台の消防車が走りぬけ、上空を赤い消防のヘリコプターが旋回し、事故か事件の大きさが予想されます。

 昨日も中川区の横井庄一記念館で夕暮れをむかえており、本日も大治町で家内の写真プリントと買い物に同行し、知人に連絡したことで夕暮れまでマックの席を温めてしまい、帰宅しようとすると外は薄暗くなっていました。

 下記に添付した写真は、昨日弥富市で立ち寄ったお店です。

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

 過去20年間に5回の選挙を経験しましたが、今年で引退したため選挙中でも何事もなく生活していますが、立候補した選挙用掲示板に私のポスターが無いことに気づき、心配した知人から電話が続くだけでなく、夜には訪問まで受けました。

「掲示板にポスターが無かったけど」
    「今年で引退しました」
「何で引退するの?身体でも悪いの?」
    「もう65歳になっているし…」
「まだまだ若いし、まだやれるのに」
     「議員は辞めても今までどおりボランティアは続けますから」

 20年間応援していただいた方々には申し訳ありませんが、実際に応援いただいた人を特定して引退することを報告する事は難しく、私自身に残された寿命も判らない中で、自分が設立した2つのNPO法人の運営と、四国八十八ヶ所霊場会から補任された公認先達や、3年前に自ら応募した環境省のボランティアなど、元気にうちに活躍し、5年後に組織的に存続できる法人にしたいと考えています。

 議員を辞めることをもったいないと思っていただけることに感謝し、議員よりも頼れるボランティアとして70歳まで健康で活動し、私個人の楽しみも実践して、棺桶に入る時に後悔しない人生に転換したいと思います。

 これだけ引退を惜しむ人が存在するとは思ってもおりませんでしたが、4年後に議員にカムバックできるような体力を温存していたら最高ですね。

                                   4月15日の一言

本日の写真 喜びも束の間のドライブ


イメージ 1
私の助手席とドライブが大好きな相棒ですが…

イメージ 2
車が停まったそま先には…

イメージ 3
動物病院でした

イメージ 4
こりゃーダメだ

 かつては私の車の助手席を専用席として散歩に出かけ、家族で四国遍路や東北旅行まで一緒に行っているため、相棒リマは家に留守番で置いておかれることにストレスを溜め、なるべく一緒に連れ出すようにしています。

 本日は狂犬病の注射と、半年分の蚊の薬を処方してもらうため、弥富市の動物病院を訪れましたが、慣れてきたとはいえ建物を見ただけで震えだし、家内に抱かれて病院に入る頃には身体を硬直させていました。

 愛犬も年齢を重ねると飼い主の意向が理解できるようになり、我々が外出する時の衣類や荷物を見て、すぐに帰ってくる買い物程度の外出か、長時間帰ってこない外出かを見分けるようになっており、長時間の外出にはなるべく同行させているため、本日もドライブと思っていたと思われ、到着した病院を見た時にはびっくりの外出となりました。

                                   4月14日の一言

知人から送られてきた絵手紙


イメージ 1
勇気を出して前に進めば 今までと違った景色が見えるんだ

 昨日一緒に管理栄養士さんの指導を受けた知人が管理栄養士さんからいただいた絵手紙です。今にして思うと、知人にぴったりの助言のようにも思えます。

イメージ 2

 さて、本日出向いた「かかりつけ医」で、明日に告示される選挙直前のため「今は忙しいでしょう」と言われて、「暇すぎて困っています」と応え、立候補しないことを伝えましたが、20年も議員を続けてきたためか、当然立候補すると思われている人が複数存在し、「まだ若いのに…」と言われても議員になる前の若さは戻ってきませんし、これからは楽しい生活と行動に徹したいと考えています。

 それでも、自宅のポストに届けられる手紙には「市議会議員」と記された書類も多く、来月からはすべてが無くなると考えると一抹の寂しさは隠せず、しばらくは新しい環境に慣れていく必要があります。

 大学時代に朝日新聞社から声をかけられ、いきなり経営者としての生活が始まり、20年前から議員としての生活を続けてきたため、今にして思うと趣味としていた写真も、「夏の高校野球展」や「上高地写真展」も仕事の延長線上に行ってきた感もあり、旅行についても「朝日旅行友の会」は大学時代のアルバイトにしていた観光バスの添乗員の延長と考えると、「本当にやりたかったのは何か」と、考えされられてしまいます。

 実は、昨日の管理栄養士さんの指導日に、一緒に同行した知人から「本当の趣味は何なのか」と問われて、私の父親が定年後に日本画や書道を楽しみ、中国語を学びなおして戦前の満州で知遇を受けた中国人と交流を再開した直後に65歳で他界した姿が脳裏に浮かんできました。

 私が昨日いただいた「他人の目なんて気にしない。もっと自由に生きてごらん」と、本日知人から送られてきた「勇気を出して前に進めば 今までと違った景色が見えるんだ」の絵手紙は、今の私にはぴったりの言葉となりました。

                                   4月13日の一言

管理栄養士さんの相談指導日


イメージ 1
管理栄養士さんにいただいた絵手紙
「他人の目なんて気にしない。もっと自由に生きてごらん」

イメージ 2
市内の街角の桜

イメージ 3

 今から5年前に管理栄養士さんの指導を受けるようになり、一年後には80キロ程度あった体重が、70キロを切って69キロになり、その後4年間の健康診査において、総てが正常値内になっていましたが、半月前に74キロを越えました。


 4年前の今頃は、統一地方選挙告示の直前で、歩く歩数が多くなり、選挙は自転車で走り回るため体重は自然と減りましたが、今年は選挙に出ないだけでなく、仕事も自分の意思次第となり、ボランティアも他の人に廻せば絶対に自分とはならないため、起床時間も定めないと夜型人間のためルーズな生活になって節制どころではなくなります。

 決めていた予定はあるものの、何日までに完了しなくてはならないとの締め切りがないことと、ボランティアは仕事ではないため、何も手をつけなくとも済んでしまうことから、これからは一日の決め事をしないと無気力な生活になりそうです。

 さて、次の指導日は2ヵ月後の6月になりますが、今月から上高地が開山してボランティアが始まるため、自然に身体を動かせる環境ができるものの、日常生活のけじめとなるものが見当たりません。

 次の指導日までの課題として楽しんで行える行動の発見と、夜間の菓子パンや間食の節制に務めて、何とか73キロ以下の体重に戻したいと考えています。

                                   4月12日の一言

車の法定3ヶ月点検に名古屋市へ


イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

 車の法定3ヶ月点検のため、名古屋市中村区のトヨペット岩塚店まで出かけました。これまでは稲沢市の営業所で車検や点検を受けていましたが、担当者が転勤したため今回よりここに行くことにしました。

 我家から300メートル先にニッサンの営業所があり、1キロ先にトヨペットの営業所もありますが、担当者の転勤によって津島市から稲沢市となり、今回から名古屋市となりました。もっとも、、稲沢市も名古屋市も我家からの距離は変わりません。

 さて、本日はこここで終わりと思ってのんびりしていると、津島市民病院から電話があり、救急外来に移送を希望される患者さんがあるとの内容に、あわてて自宅へ戻って車イス対応車輌に乗り換えて走ることになりました。

                                     4月11日の一言

本日の写真と比叡山延暦寺 その参


イメージ 1
本日息子の接骨院を訪れた若者

 添付した写真は、小雨の降る道路を大量の商品をひいて売り歩く若者で、スィーツやパンを奨めに息子の接骨院へ来店しました。

「クリームパンはどうですか?」
       「えっ、なに、何ィー?」
「こんな賞品を持って来ました」
        「どこから来たの?」
「金山からでーす」

 私の知人で大手建設会社の「百軒飛び込みセールス」という、軒並み訪問する営業の話を聞いたことがありますが、こんなに重そうな商品を引っ張って売り歩く姿に感動で、わずかな買い物しかできませんが、次のお客を探して歩いて行く姿を、息子のお嫁さんと小さくなるまで見送っていました。
※清水屋の生クリームパンは有名なようです。

 頑張って大成して、もう一度訪れて欲しいものですね。

                             ここからは月曜日の写真です
イメージ 2
比叡山から見える琵琶湖の遠景

イメージ 3
延暦寺を下山します

イメージ 4
坂本ケーブルは長さ日本一

イメージ 5
車内の様子

イメージ 6
麓の坂本まで降りてきました

イメージ 7
バスでJR坂本駅まで移動です

イメージ 8
JR坂本駅

イメージ 9
近江今津行き列車

イメージ 10
この列車で京都山科駅まで移動します

イメージ 11
忍者をラッピングした列車 JR山科駅

イメージ 12
この列車で米原を目指します

イメージ 13
JR名古屋駅 関西線へ

イメージ 14
JR永和駅に到着しました

 10年ほど前に高速道路を利用せずに四国まで一般道で走ったところ、愛知県の自宅前から四国まで道が繋がっていることを実感させられましたが、高速道路は道路の横が壁で覆われて景色も見えないため、一般道の気の向いた場所に車を停められる魅力にはまりました。

 同じようなことが鉄道でも思われ、移動手段と時間を考えれば新幹線となりますが、在来線の乗り継ぎ旅は車窓から見える景色がリアルに変化し、一人旅であれば途中下車も可能となります。

 さて、今回の比叡山への鉄道旅は、JR関西本線から草津線、東海道本線と湖西線を乗り継いで琵琶湖側から比叡山に入り、帰りは京都側に下って、叡山電鉄と京阪本線を乗り継ぎ、京都市営東西線で山科駅からJR東海道本線と関西本線で自宅に帰る予定としていましたが、メンバーの疲労を考えて徒歩からケーブルカーで琵琶湖側の坂本駅に降りたため、予定より大幅な時間短縮となり、名古屋駅で夕食を摂ってから関西本線で永和駅に到着しました。

比叡山…坂本ケーブル…バス…JR比叡山坂本駅…JR湖西線…山科駅へ
JR山科駅16:36…米原駅17:30分…名古屋駅18:48分到着
JR名古屋駅19:35発…永和駅19:50分到着

                                    4月10日の一言

比叡山延暦寺 その貮

                        昨日の写真です
イメージ 1
                4月8日は何の日か判りますね?     比叡山延暦寺

イメージ 2
日吉神社 大鳥居

イメージ 3
坂本から延暦寺と大原までの道標

イメージ 4
途中から見える琵琶湖

イメージ 5
厳しい登りが続きます

イメージ 6
延暦寺会館
イメージ 7
大書院

イメージ 8
鐘を撞きます

イメージ 9
根本中堂

イメージ 10

イメージ 11

イメージ 12

イメージ 13


 昨日訪れた比叡山延暦寺の記録です。

 平成13年から四国遍路や高野山を訪れており、毎月21日には近くの真言宗のお寺を訪れていますが、これまで私を引きつけてきた理由が延暦寺にきてはっきりと自覚できたように感じました。

 本殿に参拝する前に朱印帳を探す家内に、「まだ参拝が済んでいないだろう」と叱ると、「お堂に入る前に朱印帳をお出し下さい」の掲示板を指差して、「先にと書いてあるから」と走っていきました。

 四国遍路のマナーとして、納経帖への朱印はご本尊に参拝後が基本となっており、参拝前に朱印帳を預かるのは観光寺院の都合と思われ、参拝客から駐車場の代金を取らない高野山では、奥の院の拝観料も取ってはいません。

 義務教育の日本史の中では、空海と最澄を一緒にして教えていますが、他力本願の宗派と真言密教とは大きな違いがあり、空海と最澄が疎遠になったのもそこに原因があり、生きているうちに仏に近づく「即身成仏」を目標にする空海の教えに魅力を感ずる一方で、参拝する前に駐車代金や高額の拝観料を払わないと入れない観光寺院は何とも馴染めません。

 もちろん、お寺も建物を維持して僧侶が生活していくためには資金が必要ですが、参拝後に賽銭と志を納めるのと、参拝前の入山時に決められた料金を支払わないと入れないのは大きな違いを感じさせられます。

 日本国憲法では「信教の自由」を定めており、どんな宗教を選択しようとも他人が口を挟む問題ではなく、一般に宗教を信じない自由もありますが、年金を受け取る年齢になってしまった私は自分のこだわりを大切にしたいと思います。

 今回の比叡山は電車の乗り継ぎと、山中を歩いて延暦寺に到着することにあったので、全員がリタイヤすることなく帰宅(歩き遍路友の会東海のメンバーは延暦寺会館の宿泊)できたことと、自分の緩んだ身体に大きな刺激となった達成感を覚える一日となりました。
                                     4月9日の一言


比叡山延暦寺へ その壱


イメージ 1
比叡山延暦寺まで歩いて目指します

イメージ 2
JR関西本線愛知県から三重県へ

イメージ 3
早朝のため車掌さんから切符を購入

イメージ 4
JR関西本線柘植駅

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7
JR東海道本線 山科駅

イメージ 8

イメージ 9

 本日は書道会「神守丈友会」のメンバー6人と、鉄道在来線乗り継ぎで比叡山延暦寺を目指し、比叡山坂本駅で新幹線で先行していた「歩き遍路友の会東海」のメンバー4人と合流して、約2時間かけて東塔根本中堂まで歩きました。

永和駅、午前5時56分発JR関西本線亀山行き…06:57分亀山駅到着 
亀山駅 07:05発JR関西本線加茂行き…07:31分柘植駅到着
柘植駅 07:42分JR草津線京都行き…08:55分山科駅到着
山科駅 09:03分JR湖西線近江今津行き…0914分比叡山坂本駅到着

 所用時間3時間18分 料金2270円 乗換3回
 
 「マナカ1枚あれば大丈夫」と聞いていたものの、JR東海とJR東日本の乗継がマナカではできないことから、深夜に名古屋と京都のマナカの使用を検索したところ、新しい発信で「できる」とあったものの、JRの鉄道会社間をまたいだカードの使用はできないため、駅で確認するとやはりできませんでした。

 勘違いされるのは、京都市内の鉄道会社や地下鉄でマナカが使用できるために、京都・名古屋間はマナカで行けると思われていると思われ、JR東日本の駅員さんの助言にあった最低料金の切符を購入して降りる駅で清算することにして乗車しました。

 幸いにして乗車した列車はワンマンカーではなく、最後尾の車掌さんから追加分の切符を購入することができ、乗り継いだ列車は遅延することなく、正確に予定通りの時間に比叡山坂本駅に到着しました。

 新幹線では味わえない在来線ゆえに、線路沿いの街や河川を彩る見事な桜を鑑賞し、坂本駅からも桜の下を歩いたものの、標高900メートルある比叡山まで3キロを約2時間で登っていく道程は、標高800メートルの高野山を7時間かけて歩く「町石道」とは違う、厳しい登山のような歩きとなりました。

 四国八十八ヶ所の第60番横峰寺、約2,6キロの行程に安易に登り始め、下山した時に足腰が立たなくなった過去の記憶が蘇り、そんな過酷な行程ではなかったものの、1万9千歩に及んだ歩数は久々に堪えました。

                                     4月8日の一言

高齢者には住みやすい名古屋市からの発信を


イメージ 1
ポートメッセなごや

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6
コマネチおじさん
クリックすると大きくなります

本日は愛知県議会議員選挙の投票日でした。

 添付した写真は、昨年末に津島市から名古屋市民になった同級生が送ってくれた写真ですが、名古屋市の敬老パスを使うことで地下鉄や市バスが無料で乗車できるため、私の倍以上の行動力となっています。

 高齢者には田舎の方が住みやすいイメージを持ちがちですが、現実には名古屋市の方が健康保険税や健康診査など公共料金が安く、病気になっても高度な医療機関や施設が多いため、車が無いと買い物に行けない津島市との大きな30分の壁を感じさせられます。

 少子高齢化社会になって、人口減少が大きな問題になっていますが、名古屋市の中心部に建設される高層マンションを希望する高齢者は多く、人口は減少どころか増加していきます。

 一方で、これから出産をひかえた若者にとっても、今月から子供医療費の無料化が拡大されたと言っても、小児科の入院施設が無くなった津島市での出産は大きな不安材料で、出産後のトラブルに対応できる名古屋の医療機関との大きな格差を感じさせられます。

 そして、何よりも先祖代々生活してきた土地から、65歳になって名古屋市に移住を決断した知人に、私にはできない可能性も感じ、地元に固執せず生活拠点を多様化していきたいと思わされるようになりました。

                                     4月7日の一言

半年ぶりのウォーキング


イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

 本日は久しぶりのウォーキングに出かけましたが、5年前に管理栄養士さんの指導を受けるようになり、順調に減量して健康診査の結果も改善されてきたものの、最近になって体重が2キロほど増加しており、昨年秋に上高地が閉山してから歩いていないことから自宅を出発しました。

最初の指導 平成26年6月
野菜を食事ごとに意識して摂取することと、エレベーターを使用せず階段を使うことと、毎日体重を量ることをノルマとして指導され、次に訪問する8月までそれを続け、
2回目の指導 平成26年8月
 ① まんじゅう(間食)を昼間食べたら、夕食時のビールなし。ビール(アルコール)が飲みたかったらまんじゅう(間食)は食べない② CCレモン2本摂取を1本にする③ 夜中の間食はロールサンドやホットミルクにする  小さな習慣① シュークリーム…もって帰る…食べない行きつけの珈琲店のサービス・シュークリームを検査まで食べない② 今日 行く … 人に会う、電話で済ませない③ 体重計測と野菜摂取は今までどおり 


 過去の一言を読み直すと、5年前の6月に管理栄養士さんの指導を受け始め、三回目に指導を受けた平成26年10月よりウォーキングの目標をたて、月曜日と水曜日、金曜日に3キロ離れた珈琲店まで歩くことにしました。

 この日の体重が74、8キロと記されており、翌春には70キロを切って68キロを記録したこともありますが、現在の体重は74キロに近づき、数日前に74キロを越えてしまったことと、来週月曜日に比叡山を上り、中旬から上高地のボランティアに出かけるため初心を思い出して歩くことにしました。

 人間というよりも私自身の問題ですが、目標とか締め切りを定めないとなし崩しになってしまい、仕事を山積させるだけでなく、何もしないままにしてしまうため、これからの年金生活では区切りが必要になります。

 初心忘れず…
                 本日の体重 74、1キロ 徒歩数 6966歩
                                      4月6日の一言

小学校の入学式が開催されて


イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

 本日は愛知県内の小学校で入学式が開かれました。議員になった平成11年から来賓として出席してきましたが、それも今年が最後になりました。添付した写真はライオンズクラブから新入生に黄色のカサが寄贈された模様です。

--------------
塚田副大臣の忖度発言はけしからんと思います。議員も辞めるべき!
平成の終わりの発言で新年号案を【忖度】と言いたくなる様な低次元発言です!
(以上 ○○男でした!)

 私の受診箱に届いたメールですが、安倍政権になってとんでもない問題発言が当り前のように発信され、野党の追及にも深刻には対応しておらず、沖縄県の民意を無視した基地問題から、私たちの孫たちが徴兵される可能性も含めて、個人的人権が踏みにじられる匂いのする世の中になってきました。

 医療費や公的負担が軒並み増加し、消費税の増税前から生活物資の値上げが当り前となっており、国によって膨らむ一方の借金と、周辺国から無視されて主張もできない安倍政権が何故に続いていくのだろうか。

 さて、65歳になり年金生活者になりましたが、過去の職歴や経歴から開放されて、まっさらな新しい生活に移行しようと考えていましたが、生まれ育った場所から住居も移さないと、地元の町内会や老人会に参加して当り前との声を聞かされることになります。

 地域の中で協調性もない個人主義を貫きたいとは思っていませんが、田舎特有の地域優先の風潮は迷惑で、自分に正直に生活していこうとすると波風もたちそうですが、人の物指しに合わせた生活は送りたくありませんね。

                                     4月5日の一言

各地からおくられてきた写真に


イメージ 1
                         若狭湾      家内が送ってきた写真です

イメージ 2
金崎宮(かねがさきぐう)

イメージ 3
中学校の入学式   知人の息子さんです

イメージ 4
名城公園の桜

イメージ 5
桜に彩られた名古屋城のお堀

イメージ 6
片足お爺さん?
ひょっとこ爺さん?

                                      ホラ貝フキおじさんでした→                                             イメージ 7

 本日はバス旅行に参加した家内を名古屋駅まで送り、帰宅後に孫の顔を見て朝の挨拶をしてから、福祉有償運送のボランティアでご夫婦を整形外科の医院へ送り、次の依頼に出かけようとしていると、ご夫婦から診察が終ったとの電話です。

 ご夫婦を送った医院は我家から7キロ離れた愛西市で、次に搬送するする人は逆方向へ5キロ走るあま市で、搬送後にあわてて車を走らせますが、稲沢市を通って12キロの迎走となり、道路工事で目的地が見えても車は動きません。

 ご夫婦はご主人が90歳になっておられ、待つことも苦痛となりますが、外出する機会が減っておられるため、本日は天王川公園を一周して桜並木を鑑賞してから自宅まで送迎しました。

 本日は午前12時30分にあま市に送った会員さんを自宅に送って仕事は終わりですが、走行した距離は50キロ近くなり、ボランティアでなく一般タクシーであれば1万円を越える料金となりますが、年金族はこんなに儲けてはいけませんね。

 家内は若狭方面から午後5時に名古屋駅に到着し、家内を待つ相棒リマを助手席に乗せて迎えに走って本日の移送は終りました。

                                     4月4日の一言

当たり前だった風景も最後が近づいて


イメージ 1

 津島市役所5階にある「青風会」控え室から見える津島市内の景色です。議員になって2年目から、この部屋で19年間見慣れた風景も、今月末までで任期が終了するとともに、この部屋の主も新しい議員になっていきます。

 もっとも、同じ会派の仲間が当選してこの部屋を確保してくれれば、再度訪れることはできるかもしれませんが、完全なる市民生活と言うよりも、20年前に突然切れてしまった元の生活に戻したいと思っているため、本日の景色が最後になると思われます。

 上高地にも自分のお気に入りとしている場所があり、毎年その場所に家族でテントを張っていますが、この場所に他の人がテントを張っていると気になり、半年間テント生活を送っている「ホームレス画伯」渡辺さんのテント撤収後に張られるテントには一年が経過してしまった寂しさを覚えます。

 もっとも、23年間お世話になった朝日新聞名古屋本社については、議員になってから20年間一度も足を運んでおらず、全く無縁となってしまった場所には懐かしさだけでは訪れる機会もなくなりました。

 この機会に、議員になる前に訪れていた知人や場所にも足を運んでみようと思っています。
 さて、明日は家内が一人でバス旅行に参加するため、名古屋駅まで早朝に送り、家内が依頼されていた患者さんを送迎することになっていますが、家内不在を知らずに連絡があった依頼を断らずに受けた後になってから、元々は私が主宰するボランティアであったことを実感させられました。

 私の身代わりで家内が走り回っていたボランティアですが、明日は一人で留守番とボランティアの一日となります。

                                   4月3日の一言

2人の孫の笑顔に癒された一日に


イメージ 1
イベント会場のマックおもしろ写真 娘と孫と一緒に

イメージ 2
心に残る医療絵画コンクール展示会場 

イメージ 3
多くの入賞作品が展示されています
                                    会場 ポートメッセなごや

イメージ 4
動脈硬化検査を受ける私

イメージ 5
薬を粉にする孫

イメージ 6
健康未来EXPO 2019会場

イメージ 7
マクドナルドのブース

イメージ 8
私の初孫(9才)と我家の孫(右)

イメージ 9
兄弟のように仲良しの孫2人


 本日は名古屋市港区にあるポートメッセなごや(国際展示場)で開催されている健康未来EXPO 2019の会場を家内と娘と孫の4人で訪れました。

 会場内に「心に残る医療絵画コンクール」に入賞した絵画が展示されており、入賞して表彰された孫の絵を見るのが目的でしたが、会場内では最先端医療や健康をテーマにした展示や、健康チェックと体験ブースか並べられ、全部見学するためには半日を要する大がかりな会場でした。

 来週に津島市の管理栄養士さんの指導を受ける予定になっており、看護師さんと管理栄養士さんのブースでは聞く必要もないと思っていましたが、ブースに座った娘と孫の相談を聞いていて、まだまだ知らないことばかりであることを実感させられました。

 会場内には身体中をチェックできるブースが並び、ゆっくりと訪れて総て体験すると、医師の健康診査と比べても遜色の無いデータがとれそうで、自分自身の健康や体力を測る機会となるのでお勧めです。会期は来週7日の日曜日までです。

 さて、本日一緒に行動した孫は9才になる初孫ですが、午後には我家の1歳3ヵ月となる孫と遊ぶため、私の車の助手席に乗せて帰宅し、私の子供たちでも見せたことのない笑顔で遊ぶ姿に、目に見えない血縁の力を感じられずにはおれませんでした。教えなくても判るとすれば不思議でしかありません。

                                     4月2日の一言

おめでたい新元号発表の日の街角では


イメージ 1

イメージ 2

 一寸先は闇と言いますが、昨日まで色々と予想されていた元号とは全く違う「令和」が新しい元号として発表されました。

 「大鹿さんはひらがな一文字違いでしたね」の一言は、昨日の一言に南北朝時代に北朝の元号として使用されているから可能性は低いと記した、私の予想していた「永和(えいわ)」が、「れいわ」と一字違いだったことで送られてきたメールでした。

新元号の予想企画、軒並み外れる「『令』は新鮮な漢字」

 もっとも、元号は漢字二文字のため一字違いは珍しいことではなく、それよりも「令」の字が簡単そうで書きにくいことで、今まで予想もされていなかった「令和」を予測していた人があったら表彰したいものですね。
 そして、安倍政権によって「安」の字が使われると予想していた人たちの予想が外れたことは良かったですね。

 さて、今回の元号発表については、昭和天皇崩御を受けて発表された平成の時のような厳粛な雰囲気とは違い、めでたい新元号発表となりました。

 新元号によってしばらくは華やかな話題が続くかもしれませんが、病気に苦しむ人や生活苦にあえぐ人たちにとっては無縁の話で、本日は病院のたらいまわしにされた患者さんを乗せて、泣かれたまま自宅に送り届けて帰宅しました。

 元々は腰の痛みで津島市民病院を訪れた患者さんが、何事もないとして何の処方もないままの帰り道に、他の病院に寄ってコルセットを付けてもらったものの、その後の激痛のため救急車で名古屋の中村日赤へ搬送され、腰椎の圧迫骨折であることが判明し、そのまま治療を受ける腹づもりでいたところ、希望しない骨折を見落とした津島市民病院へ転院する紹介状を手渡されたことにありました。

 何でも大病院は問題ですが、傷みを訴えても何ら対応されず、次の規模の小さい病院でも原因を見落とされ、やっと骨折を見つけた大病院から、近くの原因を見落とした病院に戻される現実は、患者の無力感を実感させられます。

 めでたい元号発表の日に、私たち夫婦はこんな患者さんに対応して、自宅に残してきたことに苦痛を感ずる一日ともなりました。

                                     4月1日の一言

ギャラリー
  • ようこそ 大鹿一八の納経所へ
  • ようこそ 大鹿一八の納経所へ
  • 令和6年 上高地開山式の様子です
  • 三重県桑名市大福田寺の聖天祭へ
  • 毎年恒例となった我家のアンズジャム作りへ
  • 毎年恒例となった我家のアンズジャム作りへ
  • 本日もボランティアの一日となって
  • 我家のきゅうりとプランターのイチゴです
  • 我家のきゅうりとプランターのイチゴです
アーカイブ
  • ライブドアブログ