大鹿一八「本日の一言」

平成16年2月から令和1年7月末までの「本日の一言」です。ヤフーブログ閉鎖により、ライブドアへ過去の記録として引っ越しました。

2019年05月

野上がりの準備へ


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津島神社の御札が納められています
                              20年前から立っていた私の看板         

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田植えは終りました

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社の中の御札です

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稲藁を編んでいきます

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「なまず」を藁で作ります

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昨年の「なまず」です

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明日の野上がりを待つのみだす

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水田に映えるサツキの花

 本日は明日に予定されている田植えの終わりを祝う「野上がり」の準備で、津島神社の新しい御札と入替えるため、近所の人が集りましたが、私も65歳になっているものの何の役にも他立たず、皆さんの作業を見学するだけになりました。

 全くの役立たずです。

 今晩に出発する上高地についても、65歳でも役立たたずですが、こちらは若い気分になって体力を武器に頑張るのみで、今年から与えられた新しい任務を全うしたいと考えています。

 これまでは一人でボランティアに出かけておりましたが、今回は隣町に住む先輩ボランティアの同乗で一緒の参加となるものの、上高地の帰り道に御嶽山の霊神場に参拝することに決めているため、私の参拝する異様な姿をさらすことにもなりそうです。

 明日の「野上がり」の不参加を反省するとともに、上高地しか眼中にない反省と、来年は町内の行事にも参加していこうと思います。

 もっとも、いつでも自由に上高地と四国遍路へ行きたいため、20年続けてきた議員生活の幕を閉じており、しばらくは20年間のご褒美として、上高地からの発信にお付き合いしていただきたいと思います。

                                   5月31日の一言


寡黙なお百姓さんの田植え風景


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 この道50年と思われるお百姓さんは、仕事一筋にわき目もふらずに黙々と仕事に励んでいました。一昔前のお百姓さんなら、知り合いの顔を見つけると手を休めて雑談に花を咲かせていましたが、田植え機に追われて働いているため、無駄話をしている余裕はありません。

 半ズボンに半袖シャツで田植えをしていた時代とは違い、長袖シャツに手袋、長ズボンと長靴姿が現代のお百姓さんのスタイルです。

 我家も少しながら水田がありますが、三十年以上田んぼに入った記憶もなく、田植えや稲刈りは業者に依頼しており、除草剤や肥料の散布は家内が担っているため、一年に一度畦道の草刈りに訪れるだけのナマカワ亭主となっています。

 さて、本日は朝8時から3人の患者さんを病院に移送しましたが、診察が終る時間は予測ができず、診察後の病院で車イスの患者さんを乗せていると、診察が終った患者さんから連絡が入り、とんぼ返りで病院に戻り、市外の医療機関まで迎えに走ると帰宅は午後1時半になっていました。

 明日は夜行の上高地行きとなります。

                                  5月30日の一言

愛知県の水源 木祖村味噌川ダム


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我家の本日のアンズです

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見事な水量に見えますが…

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直前まで水不足が報道されていました

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落差の大きさに驚かされます


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味噌側ダム管理棟


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石組みによるダムです

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ふれあい館

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高さ140メートルのロックフィルダム

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 先週の上高地の帰り道に木祖村の味噌側ダムに寄り道しましたが、木曽川の源流にあたり我々の住む中京圏の水がめとして貴重なダムであり、木曽川に建設されたダムとしては最も堤高が高く、最も新しいとのことです。

 ダム湖(人造湖)の名は奥木曽湖(おくぎそこ)というそうですが、ここをはじめ木祖村の水が我々の住む愛知県の広大な木曽川を流れてくることと、木曽川と言うと御嶽山の麓から流れてくると勘違いしている人々に木祖村の魅力を発信していきたいと思っています。

 そういう私も、半月ほど前に水不足の報道によって、味噌川ダムの水が我々の生活に大きな関係があることを知ったしだいで、一年を通じて豊富な水量を誇る木曽川の源流にあるダムが大きな役割を持っていたんですね。

 さて、今年度における上高地の外来植物調査の分担として、田代橋から小梨平の梓川両岸に生える「センダングサ」の担当になり、センダングサそのものは我々の住む地域では見慣れているものの、発芽直後や成長期の葉の判別が難しいことと、間違って除去してはならない事から、早急の勉強が必要になってきました。

                                    5月29日の一言

上高地 様々なニリンソウ

                          携帯電話のカメラためピンボケはご容赦ください
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ニリンソウとミドリニリンソウ

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ニリンソウの群生

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サルにとっては貴重な食料

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夜と雨の日は花を閉じます

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完全なるミドリニリンソウ 判りますか?

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美しいミドリニリンソウ

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変り種のニリンソウ

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ピンクのニリンソウ

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花弁に見えるのは10枚の萼(ガク)片

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 ニリンソウは上高地の春を代表する花で、夏になると根を残して地上にある葉は枯れて姿を消してしまいます。

 ニリンソウを目的にして上高地を訪れる人も存在し、ミドリのニリンソウや花弁に見える萼(ガク)片の多いニリンソウを探しながら移動する人もありますが、ニリンソウはサルの食用になるばかりでなく、上高地の外では食べる人もあるそうです。

 昨日のコメントにニリンソウに関する書き込みがあったので、25日に撮りためていたニリンソウを添付しました。

                                 5月28日の一言

上高地 徳沢トレッキング

                                                                                           日曜日の写真です
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徳沢園 最高のキャンプ日和でした

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トレッキング前の準備体操 午前9時ビジターセンター前

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ガイドはパークボランティア三澤さん

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ニリンソウの群生地

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明神へ到着 午前10時50分

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出発前の説明

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10枚のガクがあるニリンソウ

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心地よい歩きです

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木陰に隠れて見ています

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景色が変わってきました

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まもなく到着です

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徳沢園への到着時間は午前12時12分

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徳沢園

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ソフトクリーム

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熊の目撃情報

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小梨平ビジターセンター前 ボランティアのガイド中でした 午後3時15分

 2日前に開催された徳沢フラワートレッキングの様子でした。

上高地での徒歩数

4月20日 20893歩 長靴の除雪作業
   27日 19892歩 長靴で開山祭後に明神池まで巡視
5月11日 16546歩 長靴で明神池までカモの生息数調査
   12日 19779歩 ランニングシューズで大正池まで野生動物(サル)の追い払い
   25日 25638歩 ランニングシューズで徳沢まで

 ゴールデンウィークの四国遍路の徒歩数は、3日が13065歩、4日が13854歩で、5日が10016歩だったことを考えると、上高地の徒歩数は格段に多く、昨日の安土城跡の散策も9630歩だったことを考えると上高地では歩いていますね。

 今から30年ほど前の話となりますが、右足のカカトの裏側が連日痛み、痛みが長期化していた中で、知人のアドバイスによって当時6千円程度のアシックススポーツシューズに履き替えたところ足裏の痛みが無くなりました。

 新聞販売店を生業とするうえで足の痛みは致命的でしたが、アシックスの靴になって一度も痛みは出ておらず、上高地で登山靴を履きかけたものの足に嫌な前兆があり、上高地ではアシックスのランニングシューズと、長靴は裏に生ゴムが付いた靴を履くことに決めています。

 もっとも、最近では4千円程度のアシックスランニングシューズにしていますが、量販店やネット通販では安価な靴が入手できないものの、靴の良し悪しは徒歩数に影響することから、夏を前にして買い換えたいと思っています。

                                    5月27日の一言


安土城跡から近江八幡と琵琶湖を眺めて 弐


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天主跡から摠見寺本堂跡へ

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琵琶湖西の湖が見えます

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三重塔

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仁王門

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仁王門までの厳しい石段

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羽柴秀吉邸宅跡

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駐車場前の観光案内所

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琵琶湖のウインドサーフィン


 今から五百年前となりますが、我家から歩いて30分の距離にある勝幡城で生まれた織田信長が、清洲城から岐阜城を経て建造した安土城は、山城としては類の無い大きな規模であるばかりか、無信心とさえ言われる信長が自分の菩提寺となる大きな摠見寺を残していたことに驚かされます。

 革新的な国づくりを考えていた信長にとって、無知な農民を非科学的に先導して対立する本願寺や、武装していた延暦寺を倒すのは当然の行為であっても、自然の法則の延長となる神教や密教には関心が高く、多くの寺院や僧侶と対立する中で、自身の安息の場所となる菩提寺を城の隣に築いていたことに興味がわいてきます。

 さて、平成5年に安土城を模して大々的にオープンした伊勢の戦国時代村が経営難に陥っていますが、当時の資金を利用してこの安土城跡地に再建していれば、多くの観光客を集めていたと思われます。名古屋城を木造で再建する河村市長のような大胆な発想があれば可能であったかもしれませんが、国内に例のないこれだけ大規模な城跡だけに残念でなりません。


 上高地から昨晩に帰宅し、真夏のような滋賀県にでかけましたが、五百年前確実に織田信長が踏んだと思われる石段を歩き、背中から溢れてくる汗に、信長も秀吉も同じように汗をかいて安土城の石段を行き来していたと考えると感慨深いものがありました。

                                   5月26日の一言

安土城跡から近江八幡と琵琶湖を眺めて 壱


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道の駅・近江母の郷 滋賀県米原市

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昨年亡くなったマスコット「ラッキー」君

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今はその子孫が2匹
左がチー 右がルナ

 道の駅母の郷の奥に建てられた文化センターは宿泊施設にもなっており、宿泊した人々から可愛がられている2匹のポメちゃんを見つけました。昨年までマスコットとなっていた「ラッキー」君は16歳で亡くなったものの、後継者となる2匹が玄関で出迎えてくれます。我家の相棒とそっくりで、連れて行けばよかったと後悔しました。

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エクシブ琵琶湖 午前6時8分

 本日は私の三男が仕事仲間と3人で琵琶湖を自転車で一周するため、エクシブ琵琶湖からスタートしていきましたが、議員になった直後の20年前に、数年前他界した先輩の真野議員と一緒に宿泊したことがあり、懐かしい記憶が蘇ってきました。

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午前11時33分 安土城跡受付

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ものすごく大きく長い石段が続きます

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まだ、まだ続きます

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天主跡周辺の石垣

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二の丸跡へ

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天主跡

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織田信長公本廟

イメージ 12織田信雄四代供養塔


安土城跡から近江八幡と琵琶湖を眺めて 弐に続きます。

快晴に恵まれた上高地


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穂高連峰と河童橋 本日午前7時57分

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河童橋

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河童橋と焼岳

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清水橋と清水川

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小梨平のキャンパス

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私の好きな場所 カラマツと穂高

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梓川と焼岳

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雲ひとつ無い穂高連峰

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小梨のツボミ

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ホームレス画伯こと千葉県の渡辺さん 4月から10月までテント生活で描きます


本日の上高地は快晴の一日となりました。

午前9時から上高地ビジターセンターの主催する徳沢フラワートレッキングのガイドを務められた三澤さんの補助員として随行しました。徳沢到着は午前12時10分でした。

朝から午後まで雲のない快晴の上高地となりましたが、こんな天気は珍しく本日訪れた人は幸運と思われるものの、真夏のような天候に顔が焼け付いてヒリヒリとする一日ともなりました。

とりあえずバス車中からの発信しました。


                                     5月25日の一言

明日は上高地徳沢トレッキングへ

                                          本日の上高地 五千尺ライブカメラ
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 明日は上高地ビジターセンターの主催する「徳沢フラワートレッキング」に参加するため、今晩から出発しますが、日曜日に家族の琵琶湖行きに同行するために、明日一日だけの上高地になり、添付した写真のような快晴の予想だけに残念でもあります。


 さて、徳沢トレッキングは2年ぶりの参加となりますが、案内する三澤さんは上高地パークボランティアの先輩となり、2年前には私の勉強のため無理に連れていってもらいましたが、今回もガイドする立場での復習とはなるものの、自分自身が忘れていたか知らない上高地の再発見の機会にしたいと考えています。

第73回ウェストン祭 2019年6月1日(土)・6月2日(日)

 来週の週末にも徳沢トレッキングは開催されるので、関心のある方々の参加をお薦めするとともに、来週は添付したウェストン祭も開催されているため、来週も上高地へ行く予定としていますが、最近役務的になっていた上高地の反省から、観光客として訪れたいとも考えています。
 近くの人(愛知県西尾張地域)であれば一緒に行ってみませんか。

 本日は「人にやさしい街づくりin津島歴史・文化ゾーン体験型検証とシンポジューム開催事業」の市費補助金等交付申請書を担当する窓口に届けてきましたが、申請は簡単でもその後のスケジュールを考えると、年金生活者には大きなストレスにもなりそうです。

 しかし、無職の年金受給者(まだ全額支給されていませんが)には、有り余る時間と健康な身体を遊ばせることなく、上高地と四国遍路を中心にして、しばらくはボランティアと並行して楽しみたいものです。

 人生の中で、こんな環境は何時まで続くか判りませんから楽しみたいと思います。

                               5月24日の一言

名刺の整理を始めたものの更に拡散してしまい


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 本日は8時30分に名古屋市の赤十字病院に搬送予定があり、目覚まし時計をセットしてありましたが、それよりも早い6時30分に電話で、「デーサービスの予約を忘れていたので…」午前11時の予約を午後3時30分に変更して欲しいとの内容です。

 午前中の送迎で、午後1時頃にはボランティアも終る予定でしたが、私の貴重な珈琲タイムからボランティアがスタートする展開に、持て余した昼間の時間をNPO法人の事業報告書をまとめることにしました。

 しかし、…

 パソコンの前には大量の名刺が置いてあり、1枚を手にとると懐かしい人の名刺だったことから、探し出して整理しようとするものの、議員になって儀礼的にいただいた名刺と違い、議員になる以前の名刺は外せないため、整理するどころか整理できない状態に拡散してしましました。

 とりあえず、これからの人生に必要となる四国遍路や上高地で出会った人々の名刺を取り出しましたが、議員になった20年以前に関係した朝日新聞社の人々の現在に思いをはせると整理は進みません。

 そして、午後3時30分に会員さんのお宅に到着して市内の医院に搬送しましたが、帰りに理髪店に立ち寄りたいと依頼され、診察が終った午後6時過ぎに理髪店経由の帰宅は午後7時30分になりました。

 さて、議員になる前に、仕事関係の年賀状を除くと、162人の恩師や友人、知人から年賀状が届いており、議員になって20年間は年賀状を出しておらず、最近は年賀状を出さない時勢になっているものの、一般人になった年金受給一年生として来年から20年のブランクを埋めていきたいと思います。

                                5月23日の一言

大治町の迷いネコのチラシです


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 愛知県大治町の珈琲屋「コメダ珈琲」に貼られていたチラシですが、昨年12月中旬から保護されているネコの飼い主を探しているとの内容で、中学時代に父親が捨ててきた(逃がしてしまったと言ってはいましたが…)ネコを探しに、大治町まで自転車で探しに歩いた経験を思い出し、携帯電話に記録してきました。

 今から30年前の話となりますが、これまた父親が車に乗せていたネコが隣町で逃げ出し、わずか1キロ程度の距離を3か月経ってから戻ってきたことがあり、我が家に帰った直後の大きな鳴き声に感激したこともありました。

 我が家の前が県道のため、次々と車に撥ねられることから、我が家では迷いネコや捨て猫以外は飼わないことに決めていますが、最後の迷いネコも、その前のネコも車の犠牲になりました。人と違って堂々とひき逃げされて死んだ愛猫たちを思い出すと不憫でなりません。

 早く飼い主のもとに帰れることを願います。

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本日の横井庄一記念館前

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 さて、横井庄一記念館前の道路は拡幅予定で、記念館前の庭は3月から更地にされたままとなっていますが、いよいよ道路工事が迫ってきました。
 道路の下敷きとなる土地にも、希少な植物が生えており、何とか移植したいと思ってはいるものの、今週末は上高地と琵琶湖に出かけ、来週も上高地行きと決めているため、来週中に移植してやりたいと思ってはいますが…

 さて、…                              5月22日の一言

阿息観を挟んで病院と弘法会送迎へ


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自宅前の夕暮れ 午後6時43分

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越津町交差点 午後6時55分

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日光橋 午後6時56分

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愛西市諸桑町

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午後6時58分

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阿息観会場 越津町弘盛寺

 本日は朝から三男の接骨院で施術を受け、余裕で福祉有償ボランティアに出かけ、会員さんを病院へ送迎しましたが、毎月21日は1時半から町内のお寺で「阿息観」が開かれるため、時間ギリギリの参加となりました。

 ゴールデンウィークに四国遍路へ出かけ、来月高野山で一泊する予定もあり、本堂で目を閉じて座る面前に、弘法大師が座っているイメージで背筋を伸ばすと、これまでとは違う感覚になってきました。

 絶好調です。

 こんな時に真言密教や空海の修行した霊蹟について話し出すと時間を忘れてしまい、名古屋市の志賀弘法会の勤行後に、私を待つ弘法会代表の存在がありながら、こちらもギリギリの到着となりました。

 そして、夜は書道会があり、こちらでも絶好調で話していると筆は進まないものの、時間はどんどん経過していき、自宅に戻ったのは9時を廻る一日となりました。

                                   5月21日の一言


走りすぎで疲れました


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富士宮市 浅間大社の愛車 5月15日

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大正池

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沢渡駐車場の愛車 5月12日

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空き缶で作られた風鈴 四国遍路

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久しぶりの四国遍路 5月4日

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明神岳を背景に雪の中へ

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上高地バスターミナルの愛車 4月20日

 今週末と月末に上高地へ行く予定をたてていますが、4月から上高地へ3回訪れ、ゴールデンウィークに四国遍路へ行き、先週は富士山麓の白糸の滝まで運転し、地元では連日病院まで同行するボランティアに出ています。

 今月から無職の年金暮らしになったため、行きたい所へ自由に行こうとは考えていたものの、帰宅したあとの休養日がボランティアとなり、人の訪問や雑用が続いてくると身体の疲れが残ったままとなります。

 そして、2つのNPO法人の事業報告どころか、横井庄一記念館は会計処理も済んでおらず、月末までに完了させる必要に迫られており、次の四国遍路を考えているとボランティアを問い合わせる電話が続きます。

 「来月の高野山のついでに寄る場所を考えてくれる」の一言は、名古屋市の志賀弘法会の月行が開かれる明日に発表したいとの電話で、考えていると歩き遍路友の会での企画も頭に浮かび、何もまとまらないままに一日が経過しました。

 なんか大変な環境になってきました。

                                     5月20日の一言

歩き遍路友の会前会長の位牌の前に



イメージ 1讃岐七ヶ所まいり 歩き遍路 右から2人目が上野前会長 平成23年11月1日


 歩き遍路友の会東海の前会長上野勝彦さん(愛西市)が今月10日に逝去され、本日は現会長はじめ4人でご自宅を訪れましたが、上野さんと歩いた四国や高野山の思い出とともに、昨年からガンに侵された私の三男のために自身の体験からアドバイスをいただいていただけに未だに受け入れたくない現実でもあります。

 私は平成20年に四国遍路の先輩より友の会への入会を奨められ、平成24年ににその前年に会長になられた上野さんから副会長を要請されて活動してきましたが、一緒に歩いた四国や高野山の思い出が走馬灯のように浮かんできます。


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海岸寺駅からスタート 一番左が上野前会長 赤い杖が私

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最後の天皇寺 一番右が上野さん


 四国の遍路道も歩きました。


 平成26年には高野山を麓から9時間半かけて金剛峰寺まで歩きました。

 この10年間には色々なことがありましたが、上野さんの遍路体験は大いに役に立ち、上野さんが体調を崩され会長を辞任される際には、上野さんの前任の会を創設された元会長から「あんたが引き受けなければ友の会は後が無い」と言われたものの固辞し、現在の安藤会長と池田副会長にお願いしましたが、歩き遍路の先輩を失ったことは大きな痛手になっていくと思われます。
 
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一番手前の後姿が上野さん 昨年5月27日


 昨年5月に実施した名鉄須ヶ口駅から旧街道を歩いて津島神社を歩いた際には、ガンの闘病中でありながらナビゲータ役となり、昼食会場まで案内して夜の打ち上げ会場でも一緒にビールを飲んでいただけに信じられない訃報です。

 本日は副会長の池田さんと、上野さんが案内してくれた昼食をとった「お好み屋さん」まで行きましたが、あいにくと臨時休業となっており、近くの珈琲店で思い出話や雑談後に別れたものの、今年は上野会長時代のように四国の歩き遍路を友の会で実施したいと思います。

 午後は久しぶりに横井庄一記念館の一日にもなりました。

                                    5月19日の一言


知人から送られてきた写真


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千葉県浦安のディズニーシーです
平日にも拘らず若者で満員盛況です!

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大鹿さんのブログの旅行友の会からたどった【沼津*湯河原温泉(万葉の湯)】です。

入館料金は一人1520円です。
シニア(60以上)でたまたま木曜日は1500円のところ1200円でリーズナブルな宿泊ができました。大鹿さんのおかげです。

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魚市場にて駿河湾沼津港絶品といわれる出汁【琥珀色の出汁】とイナダの干物を購入!

海は引き潮でした!(午前9時半頃)

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帰りに沼津の千本松原を通りかかったらそこに【歌人*若山牧水の旧居跡】とかいたパネルがありました!


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 16日夕方電話をもらいましたが、眠らず運転し爆睡中】

国道23号線と1号線を使って
横浜の鶴ヶ峰と浦安と沼津に!! 高速道路は使いません。

15日は夜9時出発、休憩しながら横浜の竜泉寺の湯に朝7時ごろ到着し入浴。

16日はディズニーシーに昼頃到着、約四時間滞在。

16日夕方は沼津に向い、万葉の湯にて温泉三昧。

17日は朝9時出発して
沼津漁港にて魚市場で買い物を楽しみ帰路に!!
本日六時ごろ帰宅しました。
          以上

知人から送られてきた文章と写真です。
私の個人的趣向で発信するブログとHPですが、少しは役になったようでした。

                                     5月18日の一言


暇と思った年金暮らしが意外にも忙しくて


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新旧交代 昨年の柚子の実と今年の花

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本日も中村日赤へ

 本日は朝8時30分と、午前12時に名古屋市の日赤第一病院まで搬送の依頼が2件ありましたが、朝の患者さんのご協力で、午後の搬送時間に合わせて帰宅してもらったため、名古屋まで一往復減らすことができました。

 午後の送迎が終ったのが午後4時30分になりましたが、今月から年金生活になり暇を持て余すと思っていたものの、2つのNPO法人のボランティアと、上高地のパークボランティアに参加することに加えて、孫の相手をしていると毎日が忙しく経過していきます。

 「無職で暇なので、いつでも呼んでください」と、上高地の関係者へ口にしていましたが、暇と思っていただけで今までの継続で、四国遍路の仲間や移動を担っている志賀弘法会のスケジュールもあり、毎週日曜日に開館している横井庄一記念館についても、無職になった5月から一度も訪れていません。

 「大鹿さん、あちこちにいきますね」のコメントが知人から入っていましたが、議員という公人の羽が取れたことで、自分を必要とする人と、本当の仲間だけと言葉も選ばずに語れる生活と言うよりも、不良だった少年時代の延長が始まりました。

                                     5月17日の一言

人が寄らなければ廃業となる現実に


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白糸の滝前の土産物店 創業明治四十五年

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御嶽山四合目 弘法堂

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大祓滝田中旅館

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完全に閉館されていました

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裏の新館 

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背景には御嶽山の銀嶺が…

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同じく四合目 日出滝旅館

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過去に使った選挙街宣車の看板

 昨日訪れた静岡県富士宮市白糸の滝前の売店の看板に、「創業明治四十五年」の書き込みを見つけ、店舗は新しいもののお店の歴史の古さに驚くとともに、先週訪れた御嶽山霊神場付近の廃業した旅館を思い出しました。人が寄れば商売も繁盛していく見本です。

 私が小学生の頃に、祖父が先達をしていた愛知県明栄講の団体で利用し、宿泊していた旅館ですが、田中旅館は弘法堂前に立派な看板があり、シーズン中には営業していると思っていましたが、完全に廃墟となっており、新館についてもオーナーの家族が利用しているような様子でした。

 祖父の霊神碑の前に建つ日の出旅館についても、飲料水の自販機はあるものの営業している姿を見たことがなく、子供の頃に旅館横で捕まえたクワガタムシを放すように叱られ続けた祖母の顔を思い出すと寂しさばかりが募ります。

 多くの霊神碑が立ち並ぶ霊神場ですが、昨年夏以降に誰一人として信者に出会っていないことから、多くの御嶽講の信者に支えられてきた旅館の衰退は、信者頼みから転換を図れなかった結末です。

 御嶽山の信者の衰退についても、四国遍路や西国巡礼のような信者の新しい組織への転換が図れておらず、医学や科学の発展で迷信や信仰に対する妄信が無くなった現代社会では当然の衰退とも思われます。

 さて、最後に添付した選挙の宣伝カーに載せる看板は、近くのレンタカー屋さんに預けてあったもので、昨日中に我家に持ち込まれ、私の車が入れないため本日は家内と慌てて解体を始めたものの、あまりにも頑丈に作られていたため、解体が得意な知人の力を借りて作業を終えました。
 これも議員生活20年の終焉とともに破棄の運命となりました。

                                  5月16日の一言

白糸ノ滝と富士山本宮浅間大社へ


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富士山本宮浅間大社 世界遺産センター前の大鳥居

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桧皮葺の山門

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本殿

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世界遺産センター

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勇壮な音止の滝

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白糸の滝

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 本日は愛西市の立田文芸部のメンバーに同行して白糸吟行に富士宮市を訪れました。

立田道の駅7時30分出発…伊勢湾岸弥富IC…新東名高速…浜松SA…新富士IC…
  富士山本宮浅間大社…音止の滝・白糸の滝…静岡県富士山世界遺産センター
新富士IC…静岡SA…伊勢湾岸弥富IC…立田道の駅

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 静岡県富士山世界遺産センターから見える富士山ですが、あいにくと本日は雲に隠れて富士山は見えず、添付したのは晴れていたら見えるとされる施設内の写真を引用しました。
 新東名高速道路の開通によって、日帰りの行程も余裕の旅程となりました。

                                    5月15日の一言

知人から送られてきた写真を見て


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名古屋市内の見事な竹林

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筍(タケノコ)

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芍薬(シャクヤク)の花

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風情があります

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名古屋の白鳥庭園

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兼六園にはかないませんが…

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水琴窟のようです

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さて、誰でしょうか?


知人から送られてきた写真です。


 明日は静岡県富士宮市の白糸の滝まで愛西市のグループに同行するジャンボタクシーの運転ですが、あらかじめいただいていた行程表を大切だからと別の所に置いたものの、探すのに30分かかり、車の中に入れておきながら、ゴミと一緒に車外へ出してしまい再度探し回ることになりました。

 「明日の朝8時50分に議長室まで来ていただけませんか」の一言は、4月で任期の切れた津島市議会の事務局からの電話で、永年勤続の表彰がいただけるような話でしたが、明日は前記したように富士山の麓まで走っており、一瞬現役の時のようにドキッとしたものの、現役ではありませんから後ほど届けていただけることになりました。

 本日は、上高地の公園財団からも、松本市内の中学生を引率するガイドの募集が届き、先週上高地で「今年は何時でも参加できるから言ってください」と伝えていたものの、初日の21日は真言宗の「阿息観」と重なり、月末は一日おきにトンボ帰りとなり、6月1日と2日は上高地のウエストン祭に仲間と行こうと考えていただけに行けるものの考えさせられてしまいます。

 行こうと思えばいつでも行けるものの、21日、25日、28日と行ったり帰ったりり繰り返しはできないことから、明日の帰宅後に熟考してみようと思いますが、ボランティアだけに楽しく参加できるように長野県の先輩ボランティアの参加に期待したいと思います。

 とにかく、明日はタクシードライバーとしての責任があり、無事に帰ることだけに専念したいと思います。

                                     5月14日の一言

水木沢天然林 木祖村


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木曽川の源流となる水木沢

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駐車場は貸切状態です

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入り口の道標

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沢と天然林

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太古の森

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整備された散策路

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 上高地の帰り道として、観光目的で訪れていた4年前までは、岐阜県の旧丹生川村から高山市を経由して愛知県に帰っていましたが、3年前から環境省に登録されたパークボランティアになり、環境省から指定された松本側の沢渡駐車場に車を停めるため、松本市や木祖村を通って行き来するようになりました。

 そんな関係から、木曽川の源流となる木祖村や木曽路のお寺や旧跡を訪れるようになり、過去の一言にも記してきましたが、昨日は上高地の帰り道に木祖村の水木沢天然林を訪れました。


 さて、添付した写真でも判るように、水木沢の水は平成の名水100選に選ばれていますが、名水と言っても生息するサルや獣のフンによって大腸菌に犯されている可能性があり飲むことは自己責任となります。

 そうして考えると、上高地の水源となる清水川は300メートルで梓川に合流し、六百山から湧き出たばかりの水のため安心で、過去にペットボトルに入れて半年後に飲んでも異常がなかったことから、名水と言うよりも霊水とか秘水と言ってもよいでしょうね。

 水木沢にはイワナの人工産卵場の看板が立っていましたが、黒いイワナが動く姿も見えました。天然林に整備された2時間程度の散策を考えていましたが、熊に注意の看板だけでなく、周囲に人は誰も居なかったため早々に退散しました。

                                    5月13日の一言

上高地パークボランティア 猿の追い払い


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本日の大正池と焼岳

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サルの追い払いに出発します

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田代湿原

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木道散策路を歩きます

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大正池と穂高

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サルの追い払いの啓蒙とガイド

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貴重になった枯れ木

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私の好きな大正池の風景

 本日は環境省の野生動物対策として、上高地のサルのオイ払いが行われ、私は大正池周辺の担当となり、メンバーとともに河童橋から梓川右岸から、林道コースから田代湿原経由で大正池に到着し、梓川左岸経由でバスターミナルまで帰りました。

 もっとも、サルとの遭遇は帰路に数匹ありましたが、多くの観光客の視線の中でサルを追い払うのは本位ではなく、他の観光地のような馴れ合いは無いものの、中国人観光客の中には菓子を与えるケースもあり、サルの追い払いの意味と必要性を啓蒙しながら歩きました。

 私自身はサルの追い払いは好きではありませんでしたが、昨年生まれたばかりの赤ちゃんサルが、車の走る県道で2匹轢かれて死んだことを聞き、サルを人と離れた山に追い払うことも必要と言い聞かすことにしています。

 さて、愛知県から上高地のボランティアに参加すると、これまでのキャラバン(ジャンボタクシー)では56リットル程度のガソリンが必要になり、燃料と沢渡からのシャトルバスの料金で1万円以上かかっていましたが、今回利用した軽自動車では半分の燃料で行けることが判りました。

 今月から年金生活者になるため、こんなところで節約していく気持ちが重要ですが、半額で行けるなら今までの2倍は上高地に行けると、帰宅後に家内を納得させようとしているようでは反省もありませんね。

                                     5月12日の一言

上高地の名物 ホームレス画伯のテントが

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天候に恵まれた河童橋のにぎわい

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アズマヒキガエル

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清水川

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焼岳

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ポスター

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インフォメーションセンター

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桜の下の三男の車

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ホームレス画伯 渡辺さん

本日の写真です。

「大鹿さん、いいと良い所に来てくれた」の一言は、テント設営中のホームレス画伯こと渡辺さんの一言で、昨日から上高地の小梨平に入って、10月25日まで滞在するため準備中の現場に出合いました。少しは設営の役にたちました。

半年ぶりの再会です。

二十年来の付き合いとなりますが、今年80歳になられたものの益々?元気です。


上高地 カモ類個体数調査

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明神橋を渡ります

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こんな所です

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静から動へ

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静かなる明神池

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木道を帰ります

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まだ雪があります

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明神館前

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にりんそうの花

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明神で初めて車イスの人を見ました

上高地のパークボランティアでカモ類の個体数調査を実施し、私は明神池周辺を担当しました。

午後はボランティアの総会が開催され、本日は終了後に沢度に下ります。

明神で車イスの人を見たのは初めてです。他の希望者のため、写真撮影を依頼して後ろ姿を撮らせていただきました。

上高地へ車イスで行きたい人は私まで連絡ください。

初めての体験 軽自動車で上高地まで


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本日のサクランボ

 明日と明後日の2日間ですが、上高地のパークボランティアに参加するため、本日の夜のうちに車で沢渡地区の駐車場まで走りますが、今回は運転免許証を取得して初めて三男の軽自動車で走って、狭い車内で車中泊に挑戦します。

 私個人は、マイカー規制の上高地まで入れる青ナンバーの車両を所有しているものの、個人の観光目的や第三者を乗せてタクシーとしては入りますが、環境省のボランティアに参加する場合は沢渡の指定された駐車場に停めてバスで入ることに決めています。

 10人乗りのキャラバンの車中泊は、食料や荷物も制限なく積めて、寝る環境も慣れない宿に宿泊するより快適なため、4月から毎週上高地や四国遍路に出かけている間にも、家内は町内の農業水路の清掃や、明後日はドブ掃除に駆り出されており、窮屈な軽自動車の車中泊の苦痛と、少しでも車の燃費と高速代を節約する姿をみせるための上高地行きにもなります。

「お父さん、本当に大丈夫なの」
     「大丈夫、大丈夫」
「最近、事故も多いし…」
     「ゆっくりと行ってくるわ」

 周りや家族の心配から、本日の午前中にはキャラバンで行く雰囲気になっていましたが、午後に荷物や食料を積み込んで出発を待つのみとなりました。

 最近の高速道路では、軽自動車が高速で追い越し車線を追い抜いて行きますが、使用していた三男の話では80キロ以上のスピードを出すと、普通自動車とは違う振動や危険を感ずるから絶対に低速で走るように言われました。

 実際に足代わりに使用する際にも、キャラバンとは違ってフラフラとしますから、本日は安全に注意して走ることにします。
 さて、キャラバンは上高地まで往復すると55リットルはガソリンを消費しますが、果たして軽自動車は燃費がどこまで伸びるか興味深く、結果によっては日帰りの仮眠程度のボランティアの場合は軽自動車にしても良さそうです。

 さて、さて、3日後にはどうなっているのでしょうか。

                                    5月10日の一言

畑いっぱいのネギ坊主に


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 越津ネギです。私の生活する愛知県津島市越津町が発祥の地元野菜で、江戸時代から栽培が始まったとありますが、偶然にできた品種ではなく、杉浦さんの先祖が品種改良したと先人より聞いています。

 古くは江戸時代中期に現在の愛知県津島市越津町周辺で栽培され始め、当時は徳川幕府への献上品として扱われていました。その後木曽川沖積地帯を中心に広く栽培され、現在では江南市を始め一宮市、津島市、稲沢市などで栽培されています。
 JA愛知北としては、平成12年に江南市と岩倉市が国からねぎの指定産地に認定され、主要野菜の一つとして確立されました。出荷時期は11月から3月までで、中京地域をはじめ関東地域にも安定した出荷販売を行っております。
関東・東北地方で代表的な白根の部分を主に食用とする根深ねぎ(下仁田ねぎや千住ねぎ)と、関西以西で代表的な緑の葉の部分を食用とする葉ねぎ(九条ねぎなどの青ねぎ)との中間的な性質を持ち、柔らかく、葉の部分と軟白(白根)部分の両方とも食べられるのが特徴です。
 さらに分けつ性(白い茎の先から緑の葉の部分にかけて株別れする性質)が強いため九条ねぎ群に分類されるようですが、通常の一本ねぎよりやや細いが水分が多く柔らかく、甘味があり鍋物から生食まで使用できます。
 栽培に適した土壌は軟白部を長く育てるための土寄せに最適な土壌が必須となります。固すぎず柔らかすぎずといった中間的な土壌が必要です。又、干ばつには強く水(湿気)には弱いといった特徴をもつため排水対策が重要となります。

 関東や東北地方で栽培される白根部分を食べるネギと、関西以西方面で食べられる葉ネギの両方を持ったネギで、白根も葉も柔らかく食べやすいものの、柔らかいため痛みやすく、全国に流通するにはいたっていません。
 
 私の子供の頃には、名鉄電車の運転手をしていた父親が、早朝に単車にネギを積んで市場に持ち込んでいたこともあり、最近は種苗店でタネや苗を購入して栽培していますが、当時はネギ坊主を軒先につるしてタネをとっていました。

                                     5月9日の一言

本日より田んぼが水田になって


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 ゴールデンウィーク初日の27日は上高地の開山式に出向き、5月には四国遍路に出ていましたが、上高地開山祭を放映したテレビ画面から私の姿を見たとの電話を複数いただいたものの、本日まで回顧する余裕もありませんでした。

長野)小雪吹きつけ、上高地で開山祭

 昨日に引き続いて名古屋市の中村日赤に患者さんを搬送することになり、午後は約束してあった知人と会話に花を咲かせていると、昨日の予約を忘れて本日に変更してもらった歯科医院の診察時間が迫っていました。

 ゴールデンウィーク前に複数の歯痛で治療と投薬を処方され、10連休の間に悪化する可能性もありましたが、幸いにも抗生物質の効果で運よく改善しており、本日は折れて残っていた歯の抜歯が行われました。

 やはり、帰宅後には麻酔が切れ、歯の痛みで痛み止めと消炎抗菌薬を飲みましたが、今週末も上高地に出かけるため、金曜日に診察を受けることになり、久々に虫歯の痛みとは違う抜歯の痛みに耐える夜になりました。

                                     5月8日の一言


年金族とは思えない忙しい一日となり


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我家のさくらんぼ

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久々のマックへ

 ゴールデンウィークが終って、やっと日常の生活が戻ってきたような感覚ですが、今年は5月から年金生活者となっているものの、無職にはなってはおらず、本日は朝から名古屋市内の病院へ患者さんを送迎して自宅に戻ると、市役所の嘱託として働いている同級生が待っており、一緒に珈琲屋さんに行くと、遠方の知人が我家を目指して走っていると電話があり、久々となるマックに出向いて話していると議会や市役所関係者から電話が続き、予約してあった歯医者の時間を過ぎており、明日に日延べして帰宅すると、4月の選挙に立候補しなかったことから、私の健康面を心配した市民の方の訪問を受けており、家内に急かされて訪問しました。

 そして、帰宅すると夜の書道会の時間になっており、恩師を迎えて書道会が終ると時計は9時を廻っていました。朝7時から夜9時過ぎまで外出したままの一日となり、ゴールデンウィークの四国遍路より疲れましたが、明日も午前7時から名古屋市の病院まで患者さんを送迎します。


 私の個人的趣向として、豪華な宿に宿泊するよりも自分の車で車中泊した方がストレスが無く、議員になった直後から四国遍路や長野県の各地へ車中泊で出かけており、ワンボックス車のライトエースや現在のキャラバンで遠方まで出向いてきました。

 今回の四国遍路も愛犬と一緒の車中泊でしたが、道の駅の駐車場の端で隠れるように駐車していた10年前と比較すると、最近はわざわざ隣に寄ってきて車中泊する車で満杯となり、駐車する場所にも困るようになってきました。

 一方で、迷惑にならないように静かに駐車していた過去と比較すると、隣に寄ってきた車の大きなドアを開ける音にも配慮はなく、深夜に暖をとるため大きなエンジン音をたてる車も存在し、周りへの配慮に無関心な人も増えました。

 こんな渋滞状態の駐車では車中泊の魅力も半減し、車外で騒がれては安眠妨害となるばかりか、食料品の包装紙のゴミや、アルコールの空き缶を、飲料水の缶入れのフタを開けて捨てる姿を見せられると、車中泊の車が締め出される日が来るのも時間の問題かもしれません。

 サービスエリアや道の駅の駐車場を車中泊として利用するだけでなく、ゴミ捨て場とトイレに利用するだけでは市民権は得られず、自分のゴミは持ち帰る最低限のルールは必要と思われます。

 さて、運転免許を取得してからワンボックスや比較的大きな車を所有してきましたが、今年から燃費の良い三男の軽自動車を足代わりにしており、毎週出かける上高地行きにも軽自動車で車中泊しようと考えています。
 長距離運転と車中泊ができるかどうか不安と期待が混ざる胸中ですが、年金暮らしになってから現役以上の浪費は家族の理解も得られないため、上高地だけでなく四国遍路にも挑戦予定です。カブでテントを積んで移動することを考えれば、天井のある車は天国と思われますが…

                                     5月7日の一言


四国遍路から帰って


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相棒リマとの遍路旅

 四国遍路へ愛犬と一緒に巡る人もよく見かけますが、私にはこだわりがあり、犬をリードで連れまわすのではなく、愛犬リマも人間の子供と同じように扱い、パンツを履かせて屋外での排尿をさせず、境内は歩かせないようにしています。

 もっと言うと、相棒リマには芸として、「合掌」と言うと前足を揃えて出し、「南無大師遍照金剛」と唱えると、私の差し出した手とともに、3回前足を下げる特技を持っており、私は愛犬というよりも家族の子供として同行させています。

イメージ 2イメージ 3 そんな習慣になった大きな訳は、今から9年前に愛犬とともに巡拝しておられた広島県の小野さんとの出会いで、当時17歳になっていた愛犬と一緒の姿に感動して、まるで旧知の友人のように話したことが大きな原因となります。

  https://blogs.yahoo.co.jp/s281218_hobby/67946015.html
 犬を畜生と呼ばせないためにも、人間と同じように清潔に連れ歩いてみたいものです。

 平成13年から四国巡拝をはじめ、平成19年に四国八十八ヶ所霊場会の先達に補任され、多くの資料を集約して、白衣を着込めばいつでも出発できるようにしていましたが、何でも判っているはずが、それは時代遅れの旧式でしかないことを今回のお遍路で実感させられました。

 まずは道路事情が大幅に変わっていることは判っているものの、カーナビもお遍路用にセットしてあり、使いやすさは自分の運転経験とマッチはしても、10年前のデータは古くなりすぎており、新しい情報への更新と勉強をしなおさないと過去の経験が足を引っ張ります。

 また、ガラケーの携帯電話からスマホへの交換ができませんが、スマホの情報を使いこなせば四国遍路は大幅に変わり、私の旧式の情報よりも格段に高いことから、経験とともに新しい情報を加える必要があります。

 四国には親しい人も増え、「大鹿さんなら何でも判っている」と言われますが、お寺そのものの情報は先達教典頼りで、お遍路以外の名所旧跡は無関心のため、先達になる以前の研究心を思い出したいものです。

 私は歩き遍路も好きですが、何よりも何度巡拝しても仲間と一緒のお遍路は、他のお遍路との交遊ができず、共有する時間の協調によって、関心があってもそのままになってしまうため、これからは時間を度外視して、案内する人のためではなく自分自身のために訪れたいと思います。

 さて、四国遍路の先達教典には、先達の最低限の条件として、「健康」や「時間の確保」とともに、「一定の経済的事情」が挙げられています。

 今年から年金受給者となり、有り余る時間と健康は問題はありませんが、限られた年金で生活する立場になり、同じく交通費や宿泊、食事が自己負担の上高地パークボランティアと併せて、単独での四国遍路行きは、家族の理解も重要になるため、来週出かける上高地は燃費の悪いキャラバンではなく、三男の軽自動車で出かけることに決め、家内の同意を取り付けました。

 四国遍路も、一人で単車にテントと寝袋を積んでいくことも視野に、馬鹿親父も節約を考えていると家族に理解されるようにしないと、毎日ボランティアで現場に出る家内だけでなく、毎日働いている息子たちには見限られてしまいそうです。

                                    5月6日の一言

四国遍路 第三日目


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相棒リマと同行三人旅

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第26番金剛頂寺

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ご接待です

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第31番竹林寺の石段

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新しい納経所 4月末から新しくなりました

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本日の最後 第34番種間寺

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種間寺の周辺を参歩中

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付いて来てるな

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こんなのがあったのか…

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ヤギの「ウメー」に相棒はびっくりです

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四国遍路三日間があっという間に過ぎました。

最後となった第34番種間寺周辺には。陶芸の店や飼われているヤギなどお遍路とは違う魅力も感じさせられました。

ご接待と四国の自然を感ずる巡拝となりました。

今回はここまでです。

                                      5月5日の一言

四国遍路 第2日目


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別格ニ十番慈眼寺 穴禅定

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穴禅定 入り口

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途中の景色

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まもなく奥の院 本堂へ

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さらに登ります

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鉄の扉を開けて入ります

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まもなく穴の入り口です

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本日は四国別格二十霊場第三番慈眼寺の穴禅定に入りました。

四国のお遍路で穴禅定を知らない者は素人と言われてもしょうがありませんね。
一年ぶりの穴禅定義は大変でした。一人でも行けると言われていた穴禅定でしたが一年のブランクは大きく、緊張感が走りました。

一人でも行けるように修業のやり直しです。

四国八十八ケ所は十八番から23番まで巡拝しました。

明日まで巡拝して深夜に帰宅です。

                                     5月4日の一言

四国遍路 第一日目


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四国遍路第一番霊山寺 午前7時

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いらっしゃしませ

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長命杉 第2番寺

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第8番 熊谷寺

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第10番切幡寺のご接待所

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ご接待の昼食 うどん・サツマイモ・おにぎり

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第12番 焼山寺

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焼山寺


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第17番井戸寺

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四国八十八ケ所を巡拝中

本日は1番から第17番まで巡拝しました。

                                   5月3日の一言

久々となる四国遍路に思わぬプレゼントが…


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 平成13年から巡拝を始めた四国八十八ヶ所のお遍路ですが、昨年は一度も四国を訪れておらず、明日からの3日間は一年半ぶりの四国となり、久しぶりに荷物を準備していると、何から何まで探さないと出てこない現実に苦戦する一日となりました。


 最後の四国遍路は名古屋市の志賀弘法会に同行するお遍路で、車イスを押す旅程でしたが、今回は久しぶりの個人的な身勝手な遍路旅で、過去を払拭して知り合いとは無縁の行程で巡拝したいと思います。

 志賀弘法会の前の遍路は、家族や愛犬や孫と一緒でしたが、今回は息子の家族の納め札と賽銭を預かっての代理参拝で、息子は昨年ガンの手術を受けて小さな子供も抱えているために手抜かりのないお遍路にしたいと考えています。

 さて、四国行きの準備中に、津島市を訪れた県内の観光客のご夫婦から電話で、車に追突されて自宅まで送迎して欲しいとの内容のため、慌てて駆けつけると津島市の歴史を研究中との話が出て、私の恩師の樋田豊先生の書物も読んでおられたことから、私に協力できることがあったらと連絡先を手渡しました。

 「金は天下の回りもの」と言われますが、個人の四国行きは高速料金や燃料代が割高となり、今月から年金受給者となった私には堪えますが、思わぬタクシーの依頼により、割り引きサービスでお客さんから感謝されただけでなく、私にとっては大きなプレゼントにもなりました。

 明日から何事もないことを先祖に祈願しての出発となります。

                                   5月2日の一言

令和元年


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令和元年
 ゴールデンウィークと重なり、令和元年初日はまるで正月の元日のようなお祝いムードに包まれました。

 しかし…

 私の周りには『令和 せめて「礼和」にして欲しかった』の記事もあり、内容を読むとおめでたいばかりとは思えず、安倍政権によって創られた元号のように思えてしまい、命令される令ではなく、礼節を重んじる礼の方が良かったの書き込みにも納得させられます。

私のお気に入りのDOCさんの記事

 昭和天皇の崩御によって誕生した平成天皇と違い、令和元年新天皇の誕生は明るい話題一色になっていますが、我々国民の生活は何も変わらず、国民の負担増ばかり強いる安倍首相が、国民の代表として新天皇に挨拶する姿は、民意を無視し続けられる沖縄県民だけでなく、私自身も不快に思いました。

 平成天皇は常に国民とともにあり、災害被災地を訪問された際にも腰低く膝を折って励まされており、安倍首相よりも国民目線であったことは間違いがなく、新天皇にも是非とも継承して欲しいと思います。


 3年前の山の日に皇太子時代の新天皇がご家族と上高地を訪問されましたが、ロープを張られて三列に並んで2時間以上待ちうけた多くの国民とは遠く離れた場所を、窓を閉め切ったままの車で会場のテント内に入られ、明神までの散策は観光客は立ち入り禁止にされた厳重警備で、平成天皇とは違う距離間を感じさせられました。

 「天皇陛下なら…」と、当時の皇太子殿下とは同じ山岳会会員と語っていた先輩も距離感を口にしていました。
 長野県警の警備に問題ありとした人もありましたが、国民と皇室とのあいだにある大きな壁を取り除くのも課題で、秋篠宮家の後継者の机に刃物を置く変質者も存在する世の中だけに、本当に平和で安心して生活できる世の中になって欲しいと願います。

 こんなことを記しているので、私にとっての令和元日は雨の降るただの肌寒い一日に終りました。
                                      5月1日の一言

おおしか福祉タクシー

おおしかタクシー

































ひとまち


























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