大鹿一八「本日の一言」

平成16年2月から令和1年7月末までの「本日の一言」です。ヤフーブログ閉鎖により、ライブドアへ過去の記録として引っ越しました。

2019年07月

最後のヤフーブログ「本日の一言」


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 昨年12月18日の私の誕生日に孫と一緒にテレビで紹介されました。孫の名前と私の名前が記され、孫の1歳の誕生日と、私が65歳になったことが放映されました。
 私が御嶽山の霊神場に願をかけて誕生した我家の後継者で、まさか私の誕生日に生まれてくるとは思いませんでしたが、私にとっては今まで生きてきた中で一番の宝物となりました。そして、昨年から私も誕生祝をしてもらえるようになりました。

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娘の孫(初孫)とマックの店舗で

 私が四国遍路で願をかけて誕生した初孫は小学校四年生になりました。今年も夏休みは一緒に上高地でテント生活をおくります。

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家内と妹と四国遍路 今月の写真

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相棒リマも遍路に同行です

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毎年訪れる上高地の開山式 今年4月27日

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開山式前の大正池 4月20日

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上高地に必要とされる存在を目指します

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 平成16年2月より「本日の一言」を書き始め、平成18年からヤフーブログで書き続けてきましたが、年内にヤフーブログのサービスが廃止されるため、8月になる明日からはアメーバブログで『本日の一言』を発信することになりました。

 ヤフーブログを始めてから2人の孫に恵まれ、相棒リマやペットが主役となる生活となり、四国八十八ヶ所霊場会から公認先達に補任され、高齢者や移動困難者を病院に運ぶボランティアや、上高地のパークボランティアが忙しくなり、横井庄一記念館の次期後継者になっていたため、今年4月で20年間続けてきた市議会議員も立候補しませんでした。

 これからは、健康に留意して、与えられたボランティア活動に励んでいきます。このブログは自分が読み直すための記録用として他サイトにコピーしますが、ヤフーとともに心中して消えていきたいと考えています。

 多くの人々に閲覧していただいたことと、これまでのヤフーサイトに感謝します。

                             令和元年7月31日の一言

カウントダウン あと2日


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四国八十八ヶ所第55番南光坊から届いた手紙

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遍路通行手形

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 8月からアメーバブログに完全移行するため、ヤフーブログのカウントダウン2日となる本日、四国八十八ヶ所第55番南光坊から手紙が届き、納経所の平田さん特製の遍路通行手形が同封されていました。

イメージ 5 団体バスの観光遍路では、朱印帳をバスの添乗員に任せて、基本的に納経所を訪れないため、お寺の僧侶や関係者との会話もない場合が多く、四国特有の「ご接待」とも無縁の遍路になってしまいます。

 私自身の反省にもなりますが、家族が同行すると納経帖を一緒に預けてしまうことがあり、貴重な話や情報が聞けなくなってしまいます。

 もっとも、四国遍路や西国巡礼を巡拝しても、お寺から自宅に手紙が届くのを嫌って、納め札に住所を記名しない人や、朱印帳の朱印目的の場合には、お寺の関係者と話すことも避けている人も存在し、そんな人にはこんな手紙は届けられてきません。

 こんな繰り返しを私はヤフーブログに書き記してきました。それもあと2日となり、寂しさは隠せませんが、私自身の記録として残しておきたいと考えています。

                                   7月30日の一言



ヤフーブログを回顧しながら


 平成16年2月に毎日のネット発信を始め、平成18年からこのヤフーブログで一言を発信し、昨日までの記事数は4千879記事になっていますが、読み直すとその記事内容は当初とは大幅に変わっていることが判ります。


 https://blogs.yahoo.co.jp/s281218/45541264.html

 今から8年前になってしまいましたが、道路に落ちていたヒヨドリのヒナ「ピーコ」を息子が拾ってきました。

 毎日の世話によって成長したピーコは順調に成長したものの、間に合わせのハムスターの鳥カゴによって足を骨折し、動物病院に通院したものの1ヶ月で死なせてしまいました。

 こんな人懐っこい小鳥は初めてで、ヒナを育てたのも初めての体験でしたが、悲しい別れとなりました。

 しかし、その3年後に我家の屋根からスズメのヒナが庭に落ちており、ピーコを保護した時に利用した飼育材料と、ピーコの失敗を教訓にして保護したところ、私の声が聞こえれば鳴いて呼び、無視していると探して部屋まで飛んで来るような親子関係に発展していきました。


 私とピーちゃんの生活を発信していましたが、家に居れば私と一緒の生活はピーちゃんの寿命を狭め、夜遅くまで私と一緒に生活し、私の食べる菓子の袋を破ると催促する生活はわずか2年で終わりました。

 子供の面倒イメージ 2を見たこともなかった私にとっては、我が子よりも実の親子のように生活していたため、そのショックは大きく、連日ため息ばかりの生活が半年ほど続きました。

 ところが、ピーちゃんとの2年間の生活と、失ってからの苦悩を読んでおられた地元や名古屋市の人々から、翌春には次々とスズメのヒナの保護を依頼され、偶然にもピーと同じ巣から障害を持ったヒナ「ヒー」が落ちてきました。ヒヨドリのピーコやスズメのピーちゃんとの経験は活きました。

イメージ 3 我家にヒヨドリやスズメのヒナがやってきたことで、私の生活は大幅に変わり、愛犬リマやペットが中心となり、旅行にも相棒リマが同行していくため、当り前のように車中泊となり、一時的には旅や上高地、四国遍路の話題が増えて行きました。

 そんな中で、娘の子供(私の初孫)が誕生し、我家にも後継者となるべき孫が2年前に誕生しました。

 たかだか小鳥や愛犬と言っても、私にとっては我が子のような家族であり、そんな記録が4千879という記事の中に残されています。

 ヤフーブログによって、連絡の取れるようになった知人も多くなり、昨年は沖縄県でも同年のブロ友さんに案内もしてもらい、立ち寄っていただける知人も存在し、そんな交流の場として貴重な存在となっていますが、ヤフーのサービス廃止により、これからはアメーバブログにてこれまでどおり実名で発信していきます。

 これからも宜しくお願いいたします。

                                     7月29日の一言


ヤフーブログへ最後の上高地を添付します


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早朝の河童橋

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河童橋で渡辺画伯と

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閑散とした明神館

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岳沢湿原

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午後の河童橋

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インフォメーションセンターではサルの写真展

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沢渡足湯公園

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↑ アジサイが見頃です ↓

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 本日は午前5時に愛知県を出発して、東海北陸道、安房トンネル経由で、午前8時に上高地バスターミナルに到着すると、上高地の名物画伯となった渡辺さんがリヤカーとともに待っておられました。

 渡辺さんから依頼されていた生活物資だけではなく、10日後にテントを張る私自身のテントなども持参して預かってもらいました。これからは寝袋だけを持参すれば上高地でテント生活が送れます。

 さて、本日は外来植物の調査を予定していましたが、今年に入って連日のように上高地にクマが出没しており、環境省もクマの出没状況の調査と安全対策が必要との話から、午後は本日出没情報のあった明神方面へ環境省の外来生物担当職員とともに調査に訪れました。

 深刻な状況です。

 観光客が当り前に歩いている大正池から田代橋までの出没件数が圧倒的に多く、ボランティアの我々も万が一を想定して、一人では行動しないように求められている中で、何も知らない観光客が続々と歩いており、本日も明神館の近くで多くの人々が遭遇したクマの写真や動画を撮影しておられました。

 四国遍路から帰って2週間経過したものの、身体の疲れがとれないまま本日に至っており、本日は途中で足のふくらはぎが攣るハプニングにびっくりしたものの、上高地は歩くのが宿命のため、歩きながら足の痛みを和らげる一日ともなりました。

 ヤフーブログから上高地について発信するのは本日が最後になりそうです。

                                   7月28日の一言

ヤフーブログからアメーバブログへ

イメージ 2 クリックしてご覧ください

 悲しい現実です。来月からはアメーバブログから発信することを決め、このヤフーブログは他のサイトに過去の記録として保管することにしました。


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s281218さん
昨日はAmebaに登録していただき、ありがとうございます♪
今日もAmebaで、たのしくヒマつぶししませんか?

私のアメーバブログです https://ameblo.jp/s281218/

 平成18年からヤフーブログで発信しており、年内でサービスが廃止となっても愛着は残り、このままヤフーとともに心中して消えようかと思っていましたが、最近になって携帯電話からのメール発信もできなくなり、一方的に不都合な現実に対する不満から心機一転で出直すことにしました。

 たかだか私の日記程度のことかも知れませんが、昨年には数年前にせせらぎ街道の道路わきから、台風で流出した土砂やゴミの中から持ち帰った「モミジ」について、このブログで定期的に成長を発信していたことで、結果的には政治的な通報でしたが、警察署長に直接通報されて捜査を受けました。

 このことについて、検察庁は事件として扱えないと不起訴になったものの、新聞記者にも通報され、警察から書類送検されたと全国に実名発信され、テレビでも全国放送される悪夢のような事件がありました。

 今にして思うと、議員という公人の立場では、敵意を持った政治関係者も「あらさがし」で閲覧しており、本年4月末で議員を辞めたものの、元議員としての視線は避けられず、来月からはこのブログを通じて旧交を温めた人々や、上高地や四国とともに、私生活で共感を確認してきた人々と、人生の最終章として発信を続けてまいりたいと考えています。

 明日は上高地の一日となりますが、このヤフーブログでは最後の上高地情報となります。やっぱり、寂しいものです。

                                   7月27日の一言

http://stat100.ameba.jp/sp_ml2/20150630/logo.png

本日の夕暮れを最後にしばらくは雨天に


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本日の夕暮れ

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日中は大きなヒマワリが主役

 梅雨明けを期待していると台風発生の報があり、他人事のように思っていると明日の夕方から深夜にかけて紀伊半島から愛知県を予想進路にしており、規模は違うものの伊勢湾台風のように我々の地域を目指してきます。

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 台風6号は規模こそ大きくないものの、日曜日の早朝から日帰りで上高地に出かける予定になっており、上高地で私を待つ知人から依頼された物資を明日に買い込む予定にしていたため、本日は慌てて買い物へ走ることになりました。

 気になるのは台風後の上高地で、日曜日の天気予報は曇り一時雨になっており、カサと長靴は必須と思われます。

 さて、日曜日は上高地で勉強会と外来植物の調査を予定していますが、家内と妹も同行するため、日帰りの日程にするとともに、タクシーで直接上高地へ入るため、上高地でテント生活するホームレス画伯こと、渡辺さんに簡易ガスと食料を運ぶことになりました。

 上高地が好きと言っても、これだけ天候不順が続くと、洗った衣類の乾燥ができず、大量のガスを消費して乾かしているそうで、定期的な物資の補充がないと長期間のテント生活は続けられません。

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10年前の渡辺さん

 こんな人間関係も長くなりましたが、渡辺さんが80歳になったことから、一日一日が貴重に感ずるようになってきました。

                                   7月25日の一言

過去の書き込みを振り返って


 ヤフーブログが年内でサービスを終了するため、来月からは他のサイトから発信しようと考えていますが、平成16年2月13日より「毎日一言を記す」ことを目標に地元のケーブルテレビからネット発信し、ヤフーブログは平成18年から毎日書き綴ってきました。

浪漫亭砂九と永遠の別れ  2006/11/26 平成18年


ヤフーブログ 開​設日​: ​20​06​/8​/1​4(​月)​  平成18年

昨日(令和元年7月24日)のにほんブログ村のランキング
総合ランキングで967,374サイト中15,460位
旅行ブログ 43,034サイト中813位
遍路。巡礼 329サイト中14位
ニュースブログ 9,733サイト中200位
気になるニュース 1,553サイト中22位
地域生活・中部ブログ 13,354サイト中188位
中部情報 152サイト中3位

ヤフーブログ訪問者総数 469070人 コメント総数 9562人

 本日午後11時現在の訪問者総数は46万9千70人となっていますが、最近は一日の訪問者数が100人を下回り、約半数になっており、ヤフーブログ閉鎖の現実から、訪問者履歴から親しい人々の足跡が無くなってきました。

 今にして思えば、16年前から書き入れた毎日の一言が全て残されており、晩年はこの一言を全て読み直してから目を閉じようと考えていたことと、ブログ仲間の中にはこの世を去っている人も存在し、そんな人々の書き残した記録も年内で消えてしまう現実はさらに辛いものがあります。

 さて、新天地でも寿命の続くかぎり書き記すつもりですが、寿命が尽きた後に故人の残した記録はいつまで残されるのでしょうか。
 週末は久しぶりの上高地となりますが、自分の四国遍路だけでなく、これまで関わってきた雑用の多さが苦になり、ゆっくりと周りを見渡せない環境も今月で終わりにしたいと思っています。

                                    7月25日の一言


梅雨明けを予感させられる一日に


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 我家の畑の道端で生長したヒマワリです。

 我家のヒマワリと言うのは不適切かも知れませんが、母親が道端に植えたヒマワリが大きく成長して、昨日までの続いた梅雨空が信じられないような、清々しい夏の風景の中で花を咲かせていました。

 もう夏ですね…

 このブログもそろそろ潮時になりました。お気に入りとしていた人の多くがアメーバブログに移転し、訪問者の履歴にも足跡が残らなくなり、訪問者の数字も100人を割り込むようになってきました。

 突然のブヤフーログ終了に気力も減退し、このまま消えていこうかと考えていた時期もありましたが、過去の一言は記録として移転させ、8月からは心機一転新しい環境で新たな人との出会いの場にしたいと考えています。

                                    7月24日の一言

久々に雨のない夕暮れになり


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久々の夕暮れ風景

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最近の足です

 本日もボランティアで2人の会員さんを病院へ搬送しましたが、2人とも車の駐車場の関係で添付した軽自動車が活躍することになり、夜に開催された書道会も、恩師の送迎には普通車は道路が通行できないため軽自動車で走りました。

 昨年から半年間車検が切れたままになり、廃車予定になっていた軽自動車を、今年2月に車検を受けたことで、平成1年に登録されて31年目となっていたライトエースを廃車することになり、家族の同情をひくために一度だけですが上高地にも走りました。

 大きなキャラバンを愛車にしている中で、これまで通行できなかった田舎の細い道を簡単に通行できるため重宝しており、本日は主役のように活躍してくれました。

 さて、キャラバンと軽自動車を運転して比較すると、車の大きさが運転に大きく影響しており、狭い道路を走行すると軽自動車は大きな車に威圧的に幅寄せを強いられることが多く、楽に通行できる道路でも車を停止して動かず、軽自動車に路肩に寄せて走らせる女性ドライバーも存在します。

 ただし、本日の走行では、軽自動車ゆえに走行スピードを控えめにした安全運転のため、警察のスピード違反にも速度を落とす必要なく走行しており、軽自動車の感覚でキャラバンを運転したいと思う一日ともなりました。

                                   7月23日の一言

カブトムシがやってきました


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「カブトムシのオスとメスが欲しいんだけど…」
     「何で今頃そんなことになったんだ」
「学校に箱を持っていかなかったのでもらえなかった」
     「もう学校から帰ってきたのか」

 子供が居ないと小学校が夏休みになっていることも知らずに、カブトムシが手に入らず泣いている孫に、家内の在所の義兄が養殖しているカブトムシを貰う約束をしたものの、横井庄一記念館でテレビ局の番組担当者と約束がしてあったため、一緒に同行ができません。

 我家には1歳7ヶ月になる孫も居るため、我家にもカブトムシを貰うように依頼して、孫たちを残して名古屋の記念館へ走りました。

 さて、帰宅後の我家には3匹と2匹のカブトムシが2箱持ち帰られており、大きなガラスケースに入れてエサも与えられていましたが、カブトムシは冬になると死んでしまうと聞いて、鳴き声もあげずにこの中で一生を終えてしまう虫の命が可哀想に思えてきました。

 本日も午前中はボランティアで、明日も同じ時間に複数の移送依頼があるため、家内と同時進行の活動になります。

                                  7月22日の一言

昼食に缶ビールを飲んだことで


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 添付した写真は、夜になって次男が作ったたこ焼きです。たこ焼き専用のカセットガスコンロを購入し、新鮮なたこや具材を買い込んで作られましたが、我家より三男の家族の評判が良くリクエストがきました。

 さて、本日は午前中より町内会の作業があり、昼食に缶ビールが用意されており、タクシーで名古屋に走っていた家内と、横井庄一記念館に確認して口にしたものの、ひと時の気分で飲んだビールが午後の予定を全て無くしました。

 とにかく車の運転ができないため選挙にも行けず、家内の送迎で酔った状態の投票となり、駐車場に停めた車の移動ができないため、次男に移動してもらうなど、運転免許証の返納者の気分を味わうことになりました。

 議員生活が20年におよび、議員になる前は新聞販売店を営んでいたため、日中から酒を飲酒する習慣がなく、飲酒後に近所の景色を眺めながら帰宅したものの、これからは日中の飲酒もできる環境にあることを実感させられました。

 さて、明日は早朝より名古屋の病院まで移送のボランティアと、午後は横井庄一記念館で東京のテレビ局との打ち合わせの予定が入っています。

                                    7月21日の一言

四国遍路で撮りだめていた写真


                                         一週間前の写真です
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ボクは坊さん http://bosan.jp/

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映画で使用されたバイク

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第57番栄福寺の全景

 今から4年前に公開された映画「ボクは坊さん」は、四国八十八ヶ所霊場栄福寺の住職白川密成さんによる随筆作品を原作とする映画作品です。
 現在も納経所の隣に、映画で主人公が使用していた黄色いバイクが置かれており、映画を見に行った当時の記憶が蘇ってきたものの、同行した家族は映画そのものの記憶もなく、何事も月日によって風化してしまうことを実感させられました。

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 四国八十八ヶ所霊場会第62番宝寿寺の納経所の受付時間を巡って、霊場会と寺院との紛争が遍路の現場となり、霊場会の設置した62番礼拝所が、61番香園寺の駐車場内に建てられていました。

 複雑な問題ですね。過去の納経帖には宝寿寺の朱印が押されており、重ね印に使用される朱印や納経掛軸には第62番礼拝所の印が使用される現実に、八十八ヶ所の歴史や意義を考えると、何でも代用がきくとは思えず残念で堪りません。

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 岩屋寺の参道入り口の茶店の看板ですが、年号が変わっても人の生活は変わらず、口から入れた食材によって身体が維持されることから、身体に良い食材と水によって汚れの無い身体に変えていきたいものです。

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                                               7月20日の一言

車イスの津島市民を稲沢市から弥富市まで


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 本日は仲間と2人で福祉有償ボランティアで市内の医院に搬送しましたが、搬送料金は2人で珈琲屋さんに入ると無くなるのでマックのコーヒーで待機してから自宅まで移送を済ませましたが、夜になって料金間違いで低額で運行していることが判りました。「アー、がっくり」の一言ですが…

 「金は天下の回り物」のことわざは、「まじめに働いていればいつか自分のところにも回ってくるだろうという励ましの意味を込めて使う」とありますが、本日はまさにそのことわざどおりの一日となりました。

 午後になり、稲沢市の施設入所者のご家族から電話で、愛西市の医院まで車イスのまま移送を依頼されましたが、高額になったタクシーメーターにびっくりとし、障がい者割引とタクシー助成券と併せて、相手によって私の身勝手で引用する「大鹿特別大割引」を適用したものの、何も無いと思っていた午後の仕事のため、それでも大きな収入となりました。依頼主は津島市民で、今後も利用したいとの話でした。

 更にオマケが…

 稲沢市の施設へ戻る途中で、津島市内の施設から自宅に送って欲しいとの依頼があり、「何時まででも待っているのでゆっくり戻って来て欲しい」との温かい言葉と、些少ながらも思わぬチップとなりました。

 さて、今年から年金生活者になっているため、このような思わぬ収入については、新しい車の購入資金として貯蓄しておくことにしました。

                                   7月19日の一言

激しい雨の一日となって


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 本日は午後から雨で、夕方訪れた珈琲屋さんでは激しい雨によって車に戻れなくハプニングで、店先で雨脚が弱まるのを待ちましたが、弱まるどころか強くなってきたため、川のように流れる駐車場を車に走りました。

 店先には私の他に3人が待っていましたが、私が走り出したのに感化されて全員が車に走りこみ、全員がずぶ濡れになったと思われるものの、あと5分待っていれば小雨になったため、10分も待ったあとだけに残念な結果になりました。

 さて、自宅に帰ると自宅内の側溝が水で満杯になっており、調べると水路への排出口がゴミでつまって流れなくなっていたため、溢れた水が倉庫内に流れ込んでいました。後からしまったと思っても何ともなりません。

 台風が迫ってきていますが、雨どいの漏れている場所もあり、何事もなく過ぎるのを祈るばかりとなります。

                                     7月18日の一言

税務署と市役所に出向いて


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 本日はNPO法人「ひとまち生活ネット津島」の確定申告に、津島税務署に出かける準備をしていると、津島市役所の福祉課から電話があり、対応していると2ヵ月前に受け取ったタクシーチケットの請求書が提出していないことと、福祉有償運送の実績報告が送付してないことに気づきました。

 4月末に議員生活が終わり、年金受給の手続きに行った以来の市役所で、65歳になる私の同級生は全員仕事は辞めているものの、元校長を務めた同級生の車を見つけたため教育委員会を訪れました。

 同級生の仕事が終るのを待っていると、親しくしていた職員が相手をしてくれ、12時に私の事務所に来て昼食を約束していた市役所で唯一残る同級生の嘱託職員を待たせたまま、四国遍路や上高地などの話題に花を咲かせました。

 議員を辞めたら縁もないと思っていた市役所ですが、20年も通っていた場所だけに親しくしていた職員が声をかけてくれ、議員は辞めたら声もかけてくれないと言われていたものの、現職当時と変わらぬ居場所がありました。

「まもなく介護施設に入るんだが、たまには買物に車を利用したいが」
      「大丈夫ですよ」
「障がい者手帳を持っているので」
      「はぁ、我々は障がい者割引はありませんよ」
「施設見学会に来てくれないか」
      「何故に私が見学会に行くんですか」
「介護制度を利用したいので」
      「福祉有償運送は介護制度は利用できません」
「それじゃー、何のために介護保険があるのか」
      「介護施設に移送してもらわれたらどうですか」
「してくれないから…」
      「我々は公的補助を受けている移送ボランティアではありません」
「じゃー、どうしたら良いのか」
      「タクシーを利用してください」
「高いから利用できないだろ」

 電話の相手はまもなく介護施設に入居する高齢者で、施設から外出する車を確保したいのですが、障がい者割引や介護保険を利用して低額の移送を期待しておられ、市役所福祉課の紹介で電話をかけてこられました。

 私としては一番嫌なタイプで、最後まで自宅で生活したいと頑張る高齢者には何でも支援したいと考えますが、施設に入りながら、自由に外出するため我々の移送ボランティアを低額で利用したいとの考えは虫が良い考えとしか思えません。

 何よりも我々は1円たりとも行政の補助は受けておらず、生活保護や公的扶助によって生活する人々のために活動しないことにしており、行政を介すれば何とでもなるとの依頼は不快にさせてくれます。
                                   7月17日の一言






一年ぶりの迫間不動尊へ


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 本日は書道会「神守丈友会」のメンバー9人と、岐阜県各務原市の「かかみがはら航空宇宙科学博物館」を目指したものの火曜日が休館日で、一年前に訪れた関市の「迫間不動尊」を訪れました。

 2日前に四国を歩いていましたが、四国遍路とは違う熱心な信者の存在を感じたものの、私自身は熱心なようで奥之院で「不動明王」のご真言を間違えて手を合わせており、虚空蔵菩薩 (こくうぞうぼさつ)の真言を唱えていました。

虚空蔵菩薩の真言
「ノウボウ アキャシャキャラバヤ オンアリキャ マリボリソワカ」

不動明王の真言
「ノウマク サンマンダ バサラダン センダンマカロシャダ ソハタヤ ウンタラタ カンマン」
 
 不動明王は密教の根本尊である大日如来の化身であると見なされていますが、この「迫間不動尊」は仏教と神教が一緒になった密教の原形がそのまま残されており、人知れず祈願する信者の灯した大きな蝋燭が明々と炎をあげていました。

 本日は夜に書道会の食事会がありましたが、夕方にサービスの良い一宮市の珈琲屋さんに立ち寄っており、腹一杯での散会となりました。

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三日間の四国遍路から帰って


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 今回の四国遍路は、木曜日の夜10時30分に愛知県を出発して、午前3時30分に高知自動車道南国サービスエリアに到着し、2時間の仮眠後に第35番清瀧寺から参拝をスタートさせました。

 一日目は35番から43番明石(めいせき)寺まで参拝しました。ただし、納経所の終了時間5時までに43番まで終らせて、次のお寺まで移動したいため、41番の龍光寺で朱印を先取りして、42番と43番の参拝を済ませてから、再度訪れて参拝することに決めました。

「何故にそんなことをするのか」
     「5時までに43番まで済ませたいので…」
「参拝してからでも十分に間に合うのに」
     「間に合わないと困るので…」
「先達は何をしているのか」

 龍光寺で家族が住職に叱られてきましたが、3巻分の心経を唱えているため時間がかかり、「十分に間に合う」との話だったものの、お寺の説明どおりでは43番到着が5時を廻っており、43番を残すか残さないかは翌日の予定が2時間遅れるところでした。不謹慎かも知れませんが、予定通りに巡拝する悪知恵かもしれません。

 2日目は、45番岩屋寺から、44番、46番、47番と愛媛県松山市の巡拝を進めて、今治市の第55番南光防まで巡拝しました。家族の都合から巡拝のスタートが一時間送れましたが、激しい雨の中でよく廻れました。

 最後の南光防では、納経所の平田さんと懐かしい昔話に花を咲かせ、時間ばかり気にしていてはお遍路談話もできない反省と、かつて時間を気にせず独りで廻っていた当時が懐かしく思い出されました。

 三日目の昨日は、56番泰山寺から香川県の67番大興寺まで参拝して3日間の遍路を終えました。

 ここでも最後は5時近くなり、10分を巡る攻防戦となりました。60番横峰寺の駐車場でトコロテンを食べていた時間が影響して、大興寺に到着したのは納経時間を3分経過していました。

 「朱印がダメならお参りだけして帰ろう」と、お寺の善意に期待した巡礼でしたが、「あらかじめ電話をくれれば慌てて走ってこなくても良かったのに」と有難い対応によって、次回は68番からの遍路再開になりました。

 昨日は大興寺の参拝を最後にして、三豊市の「たかせ天然温泉」で入浴と夕食を済ませてから、高松自動車道、鳴門大橋、明石海峡大橋、山陽道、名神、東名阪経由で本日未明に愛知県まで帰りました。

 納経所の閉まる午後5時が近づくと、最後の朱印のため必死に走ることになり、同時に日中の時間の浪費が苦になり、「あれをしなければ良かった」との反省ばかりとなりますが、朱印だけを目標にすると人との出会いはなく、四国遍路の魅力は半減していきます。

 さて、今回は三日間で33ヶ寺巡拝し、残された21ヶ寺は2日間の巡拝でも満願が可能ですが、最後は三日間でゆっくりと参拝して、旧知の僧侶や知人との旧交も温めたいと思います。

                                    7月15日の一言

四国遍路 三日目


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本日も雨の一日となりました 第60番横峰寺

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弘法大師と握手して、お願いです。

 本日が最後です。

四国遍路 二日目


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朝の出発です 道の駅小田の郷せせらぎ

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岩屋寺 せりわり行場のポスター

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第四十五番岩屋寺 かつては簡単にハシゴを登っていましたが…

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第四十四番 大宝寺

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第五十一番 石手寺

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松山の路面電車

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第五十二番 太山寺

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第五十五番納経所 平田さん

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第五十五番 南光坊

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 本日は愛媛県を巡拝中で、第四十五番岩屋寺から、四十四番、四十六番、四十七番と順々に巡拝し、今治市の第五十五番南光坊まで巡拝しました。

 朝七時から巡拝しておれば、もう少し先まで巡拝できましたが、家族とが同行すると1時間は遅れが出て、本日も後4ケ寺廻る予定が途中で終わり、これが当たり前と思われると観光気分になってしまいます。

 さて、納経所の僧侶や関係者から納経帳の扱いについて注意されますが、もっともなことです。
 私の四国遍路には多くの知人が存在しますが、お寺の納経所にも知り合いは多く、かつて一人で巡拝していた当時の関係がいまだに続いており、納経帳を家内任せにしていると私の存在も判りません。

 久ふりの再会は新鮮な気持ちにさせられます。

                                    7月13日の一言

四国遍路で高知県へ

本日は高知県四国八十八ケ寺第三十五番清滝寺から第四十三明石寺まで巡拝しました。

ネット環境が整わないため、本日はここまでで終わります。

明日は愛媛県の第四十五番岩屋寺から今治までは巡拝する予定です。

残念ながら写真の添付ができないため、四国の3日間は写真なしになり、帰宅後に添付したいと思っています。

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何とか写真を添付できました。

では、また明日に

今晩の夜行で四国遍路へ


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我が家の畑で採れたトマトです

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手前のスイカは家内がプランターで育てたものです

 本日のボランティアは2件。市内の病院と名古屋の中村日赤です。

 さて、今晩は雨の中を四国の高知県まで夜行で走ります。明日は7時から35番清滝寺から日曜日まで愛媛県を巡拝して、香川県を目指します。

                                   7月11日の一言


横井庄一記念館の一日となり


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 本日もボランティアの一日となりました。

 午前中は会員さんを病院へ移送するボランティアで、午後は横井庄一記念館のテレビ局の撮影に立会い、撮影後に横井夫人と夕食を済ませてから帰宅すると午後10時を廻っていました。

 撮影は日曜日にも行われますが、私自身は四国遍路に出かけるため夫人が一人で対応しますが、今回の撮影には過去にマスコミ公開されていない物が撮影され、これは新米館長の私だけでなく、横井夫人も興味を示してくれました。8月に全国放送の予定です。お楽しみに。

 「3年前から後始末を始めた」とか、「もう91歳になったから」の言葉が口癖になっていますが、横井庄一さんとの生活を記した原稿が多く残されており、本にして残したいとの意欲もあり、横井さんが戦争に行く前の幼少期から、横井さんと直接親交のあった人々の見た横井像もあわせて記念館で発行できるかも知れません。

 本日は9月22日の命日に、横井庄一さん手作りの抹茶茶碗で「お茶会」を開催することと、夫人の強い希望で無料で提供することも決まりました。
 来月8月には、昨年に続いて竹を使ったクラフト教室の開催も予定しており、私にとっては熱い夏になっていきます。

 明日もボランティアの一日です。
                                    7月10日の一言

朝から晩までボランティア生活になり


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 本日は午前8時10分に名古屋市の中村日赤に患者さんを搬送する予約があり、携帯電話の目覚ましが設定されていましたが、目覚まし時計より早く電話があり、体調不良で市内の診療所に運んで欲しいとの電話でした。

 8時前に診療所まで搬送し、その足で中村日赤まで走って帰宅し、診察が終った診療所の患者さんを迎えに走り、しばらく休憩して午前11時から名古屋市の名大付属病院に走るため備えていると、中村日赤の診察が終ったとの連絡が入り、2人同時には対応できないため、家内を中村日赤に走らせると、家内が市内の医院に運んでいた患者さんが診察が終ったと連絡があり、私が対応してから名大付属病院に走りました。

 名大付属病院の患者さんは何時診察が終るか判らないため、待機して欲しいと言われており、車中でできる仕事を持参して待っていると午後4時に診察が終り、帰宅したのは午後5時を廻っていました。

 本日は夜に書道会があるため珈琲屋さんに行きたいものの、行きつけのお店は午後6時に閉店のため、家内とマクドナルドで休養し、私のおしゃべりで書道会が終わったのは午後9時30分になっていました。

 議員を引退しても議員に相談するような問題の電話が入り、安心してボランティアが頼めるためか、ボランティアは議員時代の倍以上に増え、走り回っているとやるべき仕事も手がつけられません。

 明日は午前中に2件のボランティアがあり、午後3時からは横井庄一記念館へテレビ局の取材があるため、一日が経過してしまいそうで、明後日も午前中にボランティアを済ませて、夜には四国へ走ることになります。
                                     7月9日の一言

元気な91歳にご縁があって…


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 今週金曜日から三日間(木曜日の夜に出発し、月曜日の未明に帰宅)の四国遍路を予定しているため、賽銭や線香などを用意しましたが、肝心の納札に住所や氏名を記入しておらず、本日は70枚に書き入れました。

 添付した納札は私の納札で、左の赤い納札は四国八十八ケ所霊場用の納札で、中央の白い納札は別格20霊場用、一番右の納札はご接待を受けたり、納札の交換用にしており、他人には「南無大師遍照金剛」と唱えて記入するように話しているものの、他所事に気をとられての書き込みとなりました。

「あんたが居ないと生きていけんなァ」
      「そんなことはありませんよ」
「有難うなァ、こんなになってしまって…」
      「また気軽に呼んでください」

 本日突然の電話で、近くの病院まで歩いていけないので、私に移送を依頼された会員さんは91歳になっておられ、最後までご夫婦で在宅生活を希望して頑張っておられますが、低額とはいえ近くでも料金が発生するだけに大変です。

「記念館もあなたが死んだら無くなっちゃうかな…」
      「孫に頑張るように感化していくから」
「そんなに無理しなくても良いから」

 昨日の会話ですが、くしくも91歳になる横井庄一夫人の発した言葉で、私では先がしれているため娘や孫を横井家の後継に指名しており、子孫が続けば家は残っていくものの、家を護っていく使命感を伝えなければ家系は途絶えてしまいます。

 昭和47年に横井庄一さんが発見された時は、「とおい親類」程度に考えていたものの、後に我が家で「大鹿庄一」として小学校5年生まで生活していた先祖と知り、私の学生時代の起業や学生結婚でも後ろ盾となって支えてもらいました。

 そんな縁が続いて、横井さんより父親が早く他界し、横井さんが他界して23年経過した現在も関係が続き、4月からは記念館の館長に祭り上げられていますが、夫人に長生きしてもらわないと、上高地や四国遍路にも行けないため切に健康長寿を願うようになってきました。

                                    7月8日の一言

横井庄一記念館の前に咲く雑草


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横井庄一記念館の玄関前 道路拡幅のため更地になっています

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紫蘇(シソ)

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エノコログサ 別称ネコジャラシ

夏から秋にかけてつける花穂が、犬の尾に似ていることから、犬っころ草(いぬっころくさ)が転じてエノコログサという呼称になったとされ、漢字でも「狗(犬)の尾の草」と表記する。
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 横井庄一記念館の玄関前は、新しく開通する主要道の用地に予定されており、今年2月に急かされて門柱を取り壊し、植木も伐採して更地にしましたが、肝心な道路建設の進捗は進まず玄関前は雑草が生い茂っているものの、雑草といえども成長期の植物は美しく輝いており、いずれ道路の下敷きになると考えると寂しいものがあります。

 本日も横井夫人が一人で記念館の案内をしており、毎週日曜日の開館と案内が心のはりになっていると思われ、とても91歳とは思えませんが、こんな時間が少しでも長く続くことを祈るばかりです。
                                     7月7日の一言

知人から送られてきた七夕の写真


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中部国際空港の七夕飾りに興味深い願い事がイッパイ!!

◎志望校に○○が、はいれますように
◎剣道で優勝できますように
◎雨が降りませんように
◎カブト虫のメスが産まれますように
◎パティシエになれますように

など、特に子供のお願いには興味深いですねぇ!

 中部国際空港で働く知人から送られてきた七夕の写真ですが、雑用に追われて本日は上高地のボランティアをキャンセルし、七夕の時期であることも知人のメールを見るまで忘れていました。

 やることは山積しているものの、何から手をつけてよいのか、手をつける気力も湧いてこないため、しばらくは必要に迫られた案件から減らしていきたいと考えています。明日は横井庄一記念館の一日となります。

                                    7月6日の一言
追伸
昨日から携帯電話からのブログ投稿ができなくなりました。

御嶽山に咲く雑草の名前を探して


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御嶽山の空き地を彩る雑草の花

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霊神場の階段にも

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 御嶽山の霊神場や空地を彩っている雑草の花ですが、雑草と言えども踏んで歩くのには可哀想で、帰宅後に草花の名前を調べるものの、雑草に詳しい資料は少なく、ネット検索してやっと「ムシトリナデシコ」ではないかの結論になりました。

イメージ 5ムシトリナデシコ(虫取り撫子) Silene armeria は、ナデシコ科の越年草ハエトリナデシココマチソウムシトリバナの別名がある。
原産地はヨーロッパで、現在は世界の温暖な地域に広く分布する。の高さ30-60cmに成長する。葉は卵形あるいは広披針形で対生し、基部は茎を抱く。また葉の根元から茎が分岐する。茎上部の葉の下に粘液を分泌する部分が帯状にあり、ここに虫が付着して捕らえられることがある。
5月から6月にかけて枝の先に紅色で直径1cmの5弁のを多数つける。雄蕊は10本、萼は花弁と同じ紅色で長さ約15mmの筒状である。
名称の由来は上記の粘着部で小昆虫を捕らえることであるが、捕獲された昆虫を消化吸収することはなく食虫植物ではない。花のを盗むだけで、効果的な受粉に与らないアリが、茎をよじ登って花に達するのを妨げていると考えられている。
日本では江戸時代に鑑賞用として移入されたものが各地で野生化しており、道端や空き地でも群生しているのを良く見かける。

植物の名前を調べるなら https://greensnap.jp/post/2819975?tid=12931

 携帯電話のピンボケ写真では判りづらいものの、人が行き来しなくなった御嶽山の霊場に咲き誇り、見事に群生していますが、上高地では外来種の除去だけでなく、北海道しか見られない植物が多く咲いており、花の名前がなかなか覚えられないため、今後はこんな機会に花の名前を覚えていきたいと思います。

 明日は上高地の予定でしたが、昨日の選挙ポスター貼りによって予定していた仕事が滞ってしまったことと、日曜日にはテレビ取材の内容を横井庄一記念館へ届ける必要もあるため、久しぶりの自宅待機の週末を迎えるものの、来週は四国遍路に出かけます。

                                    7月5日の一言

無責任なヤフーブログの対応について

いくら年内でサービスを終了するとしても、最近では文章の修正ができなかったり、コメントの投稿ができなかったり、ヤフーブログの無責任な対応はショッピングやヤフーそのものの信頼を損ねるのではないか。

本日もメールで投稿した画像が画面に表示されず、投稿した内容が反映されるまで待つことにストレスを感じています。

企業の社会的責任として、最後までサービスを維持してもらわないと書き込みの気力も低下し、最後までヤフーブログと心中しようと考えるファンの心境は限界となっていきます。

一方的に終了を決めた企業には「馬の耳にも念仏」なのでしょうか?

本日の一言は、ムシトリナデシコの花をメール投稿して待機中です。

本日から参議院選挙がはじまって


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 午後11時24分の生ビール

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冷やし中華 食べかけです

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 本日は新たに加入したボランティアとともに、会員さんを病院に搬送して待機していると、本日から選挙選に入った参議院選挙に立候補した候補者の親族から電話で、津島市の選挙掲示板にポスターを貼って欲しいとの電話です。

 お手伝いをしても良いと伝えてあったものの、まさか私を戦力としてあてにされているとは思ってはおらず、本日中に全て貼れるかどうか判らないため、土曜日に予定していた上高地のボランティアをキャンセルして、午後3時からポスターを貼りかけました。

 津島市内全域で92ヶ所の掲示板があり、知人に2時間手伝ってもらい、夜は家内と2人で午後11時までかかって全ての掲示板にポスターを貼り終えました。

 それで乾杯となりました。

 過去20年間政党とは無縁の無党派として選挙に臨み、5回の選挙を経験しているとはいえ、ポスターを貼ったのは20年近く前の県知事選と、仲間の国政への挑戦選以来で、自分の選挙は全て知人たちがやってくれていた恩返しのポスター貼りでもありました。

                                      7月4日の一言

上高地の帰路 木曽福島の宿場へ


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山村代官屋敷
長野県木曽郡木曽町福島5808番地1
TEL : 0264-22-3003

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木曽川沿いの町家

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御料館 (旧帝室林野局木曽支局庁舎)
御料館
長野県木曽郡木曽町福島5471番地1
TEL : 0264-23-2033

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ながわ山彩館 直売所
長野県松本市奈川黒川渡2120−1  

 木曽福島の町は小学校2年生の冬休みに、御嶽山の先達だった祖父の団体と蒸気機関車で降りた町で、子供心にも懐かしい思い出の場所ですが、後に車社会となり観光バスで移動するようになると、御嶽山の参拝客も木曽福島を素通りして立ち寄らなくなりました。

 木曽路は11宿ありますが、一番大きな宿場町でありながら、奈良井宿、妻籠宿、馬籠宿などの人気を考えると多くの名所や旧跡がありながら、十分に宣伝されていないようにも思われ、せっかくの観光資源がもったいない気がしますね。

 せっかく木曽路を走りながら、旧街道へ立ち寄ることもなく、久しぶりに木曾福島の旧街道に入り、木曽川の対岸(右岸)を走ったことで、これまでとは違う木曾の街の魅力を見たようにも思います。

                                    7月3日の一言

上高地の帰路 木曽福島興禅寺


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萬松山 興禅寺・山門 木曽福島

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正面

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庭園入り口

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観音堂 大悲殿

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木曽義仲手植えの時雨桜

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山頭火の歌碑

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蛻庵稲荷

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山村氏や関係するお墓

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木曽義仲の墓所

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方丈と蛻庵稲荷

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方丈

 3年前から上高地の帰路に御嶽山に立ち寄っており、その途中に各地の名所や旧跡を訪ねていますが、御嶽山の入り口となる木曽町にも多くの名所があり、2日前は木曽福島の宿場を訪ねました。

 添付したのは臨済宗妙心寺派のお寺で、木曽義仲公の菩提寺となる興禅寺で、永享6年(1434年)木曾氏が鎌倉建長寺5世の円覚大華を迎えて創建したと伝わり、木曾義仲、木曾義康・義昌父子と、江戸時代の木曾代官山村氏歴代の墓地があります。

 平成3年4月に私の主宰する朝日旅行友の会のバス旅行で訪れ、同行した私の父親が境内に茂っていたフジのタネを持ち帰り、議員になった平成11年頃には大きくなって花を咲かせるようになっていました。

 父親は平成5年に他界し、議員になった直後に駐車場を整備するためフジを移植した際に枯らしてしまったことが、まるで最近のことのように思い出されてきました。そして、父親の命日が明日になります。

                                      7月2日の一言

ヤフーブログを通じた知人からの手紙の中に


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 週末に上高地に出向いていたため、久しぶりに玄関のポストを確認すると、大量の手紙が溢れており、中にはズブ濡れで全く読めない物もあり、郵便配達や宅配便の配慮のなさに電話で抗議しようかと思っていると…

 見覚えのない差出人からの手紙があったものの、差出人の名前から「なるほど」と、ブログのニックネームから笑いがこみあげてきました。

 差出人は、先月からアメーバブログに移転されたものの、それまでヤフーブログを毎日発信されていた「ブロ友」にあたり、小鳥や愛犬の記載に共通するものがあり、私が行動の参考にしてきた人物でもあります。

時間はあるが金はない https://ameblo.jp/ogakuniman

「俺の履歴書」反響続々! https://ameblo.jp/ogakuniman/entry-12487139160.html
「俺の履歴書」自主制作映画化! https://ameblo.jp/ogakuniman/entry-12486326918.html
「俺の履歴書」反響大! https://ameblo.jp/ogakuniman/entry-12483568635.html
「俺の履歴書」本日発売! https://ameblo.jp/ogakuniman/entry-12478832908.html

 さて、さっそく流し読みではありますが、大学から新入社員となり、定年まで上司や各地の営業所と、取引相手に残された足跡に、多くの先輩や知人、同期、後輩との交流が記されており、ブログ同様に忌憚のない正直な行動がリアルに残されていますが、まったく知らない世界でも違和感なく読まさせていただきました。

 最近の本の自費出版のブームの中で、豪華な表装で一見して高額と判りながらも、四国遍路に関しては中身が全くなく、定年後に夫婦で初めて四国を車で一周した体験が、感動と神秘的に記されているものも多く、自己満足の本を見て四国遍路の達人と勘違いさせてしまうものもありますが、何よりも初めての体験に定価をつけて出版されることに疑問を感じてきました。

 添付した「俺の履歴書」については、多くの文字数がコンパクトにまとめられており、何冊売れるか様子を見ながら出版された本とは違い、本人の覚悟で大量に印刷されていることに驚くとともに、関係する企業だけでなく、一貫した人間の行動と交遊録は参考にもなります。

 読んだ感想は「びっくり」の一言です。出版後の行動も発信者らしく、下心がなく恐れをしらない行動力にもびっくりするとともに、自分らしく正直に生きることで多くの仲間が存在することも実感です。

 私も5年後に健康で発信を続けていたら、四国遍路や上高地は勿論ですが、誰も知らない横井庄一さんについて記したい良き手本になりました。希望される方は添付したブログを読んでみてください。
                                    7月1日の一言

ギャラリー
  • ようこそ 大鹿一八の納経所へ
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  • 令和6年 上高地開山式の様子です
  • 三重県桑名市大福田寺の聖天祭へ
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