大鹿一八「本日の一言」

平成16年2月から令和1年7月末までの「本日の一言」です。ヤフーブログ閉鎖により、ライブドアへ過去の記録として引っ越しました。

2022年04月

津島市宇治町のれんげ畑(田)と鎮守の杜

津島市宇治町字城 八釼社とレンゲ畑(田)


宇治町字新堀田

ここからは宇治町字城のレンゲ畑です





八釼社 宇治町新堀田


本日の写真です。

 我家から歩いて10分の距離にある宇治町のレンゲ畑(水田)2ヶ所を訪れました。

 私が小学校時代には廻りの水田はほとんどがレンゲ畑となっており、男は相撲をとったり、花に寄ってくるミツバチを捕まえ、女の子はレンゲを摘んで首飾りにしたり、学校の通学路から外れてレンゲ畑を横切って帰るなど、何処にでもある身近な風景でした。

 現在では私の町内だけでなく、隣の町内でもレンゲ畑は見かけられず、我家では水田の畦道に少しあるだけで、今回添付した宇治町のレンゲ畑は希少な存在となってしまいました。

 宇治町には4か所の神社(氏神様)が存在し、畑から土偶が発見された古い村で、戦国時代には宇治城が存在し、織田信長の弟織田有楽斎長益が城主となっていますが、築城した篠田左衛門の息子四郎左衛門は信長より大杉姓を拝領し、長益の家老になったと伝わっています。

 宇治町には現在でも大杉姓の旧家が多く、戦前の無政府主義の社会運動家大杉栄氏の父親も宇治町の出身で、栄氏も憲兵の監視つきですが、度々親の在所を訪れていた様子を実家の隣の大杉さんから伺いました。

宇治城について
【歴史】1500年前後に築かれた篠田左衛門の居城とされる。篠田氏の後、信長の弟織田
有楽斎長益が入るが、篠田左衛門の息子四郎左衛門は信長より大杉姓を拝領し、長益の家老
になったと云う。場所は福祐寺の南西辺りとされる。


 かつての水田や道も土地改良で新しくなり、車では通り過ぎてしまいますが、時間を気にしない老人のウォーキングでは、こんなレンゲ畑や鎮守の杜が現れ、杜の中に入るとかつての時代にタイムスリップしたような感覚を覚えます。

手の平のシビレと肩の痛みから四国遍路を断念し

本日の夕暮れ 雨天の一日に夕陽が射しました


 右手だけだった手のひらのシビレと痛みが、2日前に突然左肩も動かせないほど痛み出し、本日から出発を予定していた四国遍路を中止し、何とか連休最後の3日間だけでも四国へ行こうと静養してリハビリに専念しています。


 3月末の交通事故によって、当初は指のシビレだけで簡単に治まると思っていたものの、時間の経過とともにシビレが治まると手のひらが痛み出し、肩や腕を動かしてもシビレは解消できなくなり、パソコンのマウスや食事の箸を持ってもシビレ、セカンドライフとしている患者搬送にもハンドルを握るとシビレるため家内の出動が増え、最近はシビレだけでなくシビレが治まると右手全部の指が痛みだし、朝の起床時には重度のシビレが残るため夜間の不眠にも悩まされるようになりました。

 3日前の診察で、「処方した薬の効果が神経にいきわたるのには時間がかかり、長期戦になるのを覚悟して」と医師に言われたため、これまで1ヵ月間の体調変化を思い出して記録しておきたいと思います。
 

3月26日(土) 午後6時稲沢市の交差点で追突事故に遭う。左肩と背中に鈍痛。

   28日(日) 右手の親指と人差し指と中指にピリピリとシビレが発生

3月28日(月) 彦坂外科を受診 レントゲン検査で首の頸椎に挫傷の痕。

          三種類の薬と湿布の処方

3月29日(火) 後藤整形外科医院でMRI検査

          MRI検査のデータを持って彦坂外科で診察 

  3月30日(水) この日から薬指と小指にもシビレが発生

4月 2日(水) 彦坂外科

  この頃から、息子の接骨院と彦坂外科のリハビリをうけるようになる

  4月10日頃には、親指から3本は常時シビレ、小指と薬指はシビレの繰り返しに

4月14日(木) 彦坂外科

4月20日(金) 名古屋赤十字病院で診察 CT検査を受ける

   偶然か、翌日の半日ほどシビレが治まる その後は元通りにシビレの繰り返しになった。

   この頃までは両肩を動かすとシビレが治まることがあったが、シビレが治まると手の指が痛むようになり、指も曲げられなくなる。

  4月26日(水) 朝から夜まで右手がシビレたままになり、夜も寝られなくなった

4月27日(木) 彦坂外科 新たな薬の処方とリハビリ

  4月27日の夜に左肩が突然の痛みで動かせなくなった。当初鈍痛が軽減していたため治療は受けていなかったものの、事故後から左肩に違和感が残っており、左の中指が痛んで曲げられなかったのが、肩の痛みが出た後になって解消したことから、中指の痛みも事故後の肩の後遺症であったと思います。


4月29日(金) 左肩の痛みは改善し、今度は左手の薬指に違和感が出たものの、昨日には全く動かせなかった右腕が動かせるようになり、本日は動かしても問題が無さそうなため積極的に動かして痛みと強張りを取りたいと思います。


 右手の手のひらについては、シビレと痛みによって握力も日赤で検査した20キロより確実に低下しており、シビレが治まると痛みが襲ってくることから神頼みの状態です。


 何よりも横になって身体を休めたり寝ることで右手がシビレるため何ともならず、これからの四国遍路や上高地のボランティアだけでなく、毎日の患者搬送にも支障が出ており、平成16年から毎日発信してきたブログについても、スマホのタッチペンが握れず、パソコンのマウスを持つとシビレるため、何とか続けていきたいもののこれこそ神頼みとなってきました。


                            4月29日の一言

木曽路 道の駅賤母の五平餅

道の駅 賤母

岐阜県中津川市山口1番地14






一本110円


 国道19号木曽路の道の駅賤母は通過することが多く、今まであまり利用してきませんでしたが、先週たちよった際に五平餅の売店を発見し食べてきました。

 それが、思っていた以上に美味で、クルミとゴマの風味が強く、110円の料金はみたらし団子と同程度のため、追加して2本目を食べていました。

2021-11-29
2021-10- 21
2021-10-16
2021-10-19
2021-09-22

 愛知県東三河地方の五平餅は大きく見栄えは良いものの、おやつとしては量が多すぎて、行く先々で食べるのには限界がありますが、木曽路の五平餅は小ぶりのため、道の駅に立ち寄った都度口にしてもおやつ感覚で食べられます。

土砂崩れによって上高地の開山祭も中止となり

上高地公園線の崩落現場


上高地への県道でのり面が崩落 シーズン幕開けの日、開山祭が中止に:朝日新聞デジタル (asahi.com)

太兵衛平バス停近

何もなければ穂高連邦の銀嶺に感動する場所ですが…


本日の写真です。

 釜トンネルとバスターミナルをつなぐ県道公園線が土砂崩れにより通行止めとなり、本日開催される予定だった開山祭が中止になってしまいました。


開山式のシンボル アルプホルン
2021-04-27


 本日上高地で活動するパークボランティアは3名ありましたが、カレンダーに環境省から「上高地線通行止めのため中止」と記されており、何が起こったか調べようとしていると、上高地で半年間油絵を描き続ける千葉県の渡辺画伯から電話です。

ホームレス画伯 昨年6月

「昨日から上高地へ入った○○さんと連絡が取れない」
       「今年は15日から上高地と聞いたけど」
「15日の予定だったけど8日に入ろうと思っている」
       「元気そうで」
「それで、大鹿さんに頼みたいことがあるんだけど…」

 私が青ナンバーのタクシーを所有していることから、渡辺さんにも必要になった生活物資を頼まれることは多く、上高地で長期に滞在する知人たちで連絡を取り合って(町内会のように)助け合いますが、マイカー禁止の上高地へ入れるとは言うものの、開山式が吹雪になったことが何度もあり、今回のように土砂崩れになれば上高地から車で帰って来れなくなってしまいます。

 本日の新聞やテレビ放映では、750人が上高地に取り残されていると報道されていますが、前日からバスターミナルに停まっているバスやタクシーも存在しており、完全復旧するまで取り残される可能性を考えるとストレスにもなってきます。

 ましてや、車で走行中に落石に直撃される危険性もあり、活火山の焼岳の噴火や集中豪雨などを考えると極楽のような環境とは言いがたく、2年前からのコロナ禍の前から毎年のように自然災害が起こっています。

 コロナ禍のなかで、開山式や閉山式として関係者だけで行われていた儀式が、今年は堂々と観光客を迎えた開山祭として実施が予定されていただけに、期待して訪れていた観光客だけでなく上高地の関係者の出鼻を挫く豪雨と土砂崩れになってしまいました。

 もっとも、私自身も例年だと絶対に開山式に行っていますが、今年は先月末に受けた追突事故による手の平のシビレと痛みが残っており、患者移送のボランティアもあることと、連休に四国遍路にも行きたいため自宅に居て難を逃れました。

 次の上高地は来月13日から3日間の滞在を予定しており、知人はテントを張ると話しているため、今回の土砂崩れの回復とともに、穏やかな天候が続くことを祈るばかりです。

                            4月27日の一言

上高地の帰りにさわんど温泉へ

23日の上高地


大正池と小鳥のさえずり

田代湿原

河童橋

ホテル五千尺前のベンチ

清水川

ビジターセンター

小梨平食堂

明神方面へ向かいます

残雪の中を歩きます

明神館前の道標

明神岳

準備中

嘉門次小屋も準備中

上条嘉門次のレリーフ

明神橋と梓川

大正池

釜トンネル

上高地は27日に開山します。


沢渡地区へ到着です

梓湖畔の湯





さわんど温泉 梓湖畔の湯

                    長野県松本市安曇4519-14

もうしばらく頑張ってもらいます


 上高地の中にも温泉のある上高地温泉ホテルがありますが、上高地の近くには岐阜県側には平湯温泉や奥飛騨温泉郷など多くの温泉があり、長野県側にも白骨温泉だけでなく、中の湯温泉や坂巻温泉など多くの温泉が存在します。

 長野県側から上高地へ入る場合には、沢渡地区にシャトルバスが発着するバスターミナルがあり、その周辺にも「さわんど温泉」として日帰り入浴のできる温泉施設やホテルが多数存在しており、3日前には「梓湖畔の湯」を訪れました。

 幸いにして先に入浴客が居なかったため、許可をえて写真を撮ってきました。


 沢渡地区には湯の郷公園(足湯公園)があり、無料で利用できる足湯と公共トイレが設置されており、隣の広大なさわんど第2駐車場では、公認されているわけではありませんが私だけでなく多くの車が車中泊の場所として利用しています。

 ちなみに駐車場前の「山小屋ともしび」のライダーハウスは千円で宿泊でき、素泊まりでも三千円で露天プロも利用でき、簡単な食料や冷たいビールも販売されているため、車中泊の場所としても最高の環境を備えています。

上高地のパークボランティアへ

4月23日の穂高連峰


9時前 ボランティア参加者がインフォメーションに集合します

環境省や公園財団から作業内容を聞きます

何をしているか判りますか?

冬季に雪の中に立てられた竹材を集めて運びます


 簡単な作業ですが、所々に置かれた竹を集めて1キロ先まで運ぶ仕事です。楽そうに思われますが、2往復もするとかなり疲れますよ。


田代湿原

次は木道の清掃です

完全に肉体労働です

お客さんが通り過ぎるのを待ちます

右が私です



 竹材運びが終わった後は、田代湿原から田代橋まで木道散策道に積もった土砂や枯れ枝の掃除で午前中の作業は終わりです。


時には梓川からもゴミを収集します

かなりの大物です

除雪・清掃作業終了後のメンバー

竹重会長の雑談がメンバーの疲れを吹っ飛ばします

23日の写真です。

午後は杉本さんの巡視へ同行しました 梓川左岸

明神橋まで足を延ばしました

残雪が残る梓川右岸散策路

ハシリドコロの花です

前日のクマの目撃情報です


 今年になって初めてのボランティアとなりましたが、環境省に登録された79名のうち18名のパークボランティアが集合し、田代湿原方面の除雪と木道整備の班と、バスターミナル周辺の清掃作業の班に分かれ、私は大正池の近くから田代橋まで冬季の散策路の位置を示す竹の回収作業に参加しました。

 最初に添付した「何をしているか判りますか?」の回答は、野生のサルが散策路や木道に残した糞(フン)の清掃で、観光客の人たちが踏むと大変臭いため気づいたら撤去するよう指導されており、我家では農作業は一切家内任せの私が長靴姿で働く姿は家族には奇異の目で見られています。

 ボランティアは基本的に自己参加型で、上高地では環境省や公園財団職員の指示のもとで、自然解説や清掃活動を行っており、最近ではサルの追い払い(野生動物対策)や外来植物の調査や除去など、上高地の自然環境の維持管理に関わる何でも屋となります。

ボランティアの活動紹介

 もっとも、重労働や危険な作業はほとんどなく、巡視を希望すればゴミを拾いながら上高地の行きたい場所を自由に選択でき、夏でも木陰にはいれば涼しい上高地の自然環境と、四方を見渡すと穂高連峰や北アルプスの山々に癒されますから、上高地が好きな人にとってはたまらないボランティアとなります。

 開山祭は27日となりますが、11月15日まで上高地が閉山されるまで私のセカンドライフとなり、今年は四国遍路と同様に積極的に足を運ぼうと考えています。
 ちなみに、河童橋のたもとで油絵を描くホームレス画伯こと、上高地の有名人となった渡辺さんは5月15日に入山との話で、今から再会が楽しみにもなっています。

 次の上高地行きは5月13日の予定です。

                          4月25日の一言

桜が散ってしまった高遠城址公園を訪れて

道の駅 小坂田公園 長野県塩尻市

高遠城址公園案内図

桜が終わった公園内

天下第一位の石碑


問屋門

新城神社と藤原神社

太鼓櫓(たいこやぐら)


道標

白兎橋

南入口

高遠の町

桜まつり後の城址前

信州高遠美術館

高遠湖と三峰川

案内図

城址公園からの案内

歴史博物館前の桜


保科正之公と生母お静の碑

碑文


高遠町歴史博物館

高遠ダム

甲斐駒ケ岳

高遠町の町並み

はびろ農業公園みはらしファーム

みはらしファーム

みはらしファーム

みはらしファーム

伊那路と木曽路を結ぶ権兵衛トンネル

道の駅 日義木曽駒高原

花桃

御嶽山

弘法堂前の桜

本日の写真です。

 本日は桜の開花が終わった伊那市の高遠城址公園を訪れました。

 高遠の桜は満開の様子がテレビでも放映されており、昨日城址公園へ行くと聞いた松本市の知人から「行っても花は無いよ」と言われましたが、日本一と言われる桜の名所だけに少しは咲き遅れた花があると思っていました。

 全国の桜の名所には、真冬から花を咲かせ春まで花を観賞できることと、私が主催した朝日旅行友の会で平成2年4月29日に満開の高遠城址公園を訪れていたため、少しは花が残っているとタカをくくっていましたが、高遠の桜はコヒガンザクラだけであることを考えると花の時期は限られていたことを実感させられました。

 今回は桜の時期に公園内で和菓子の移動販売をしている知人と再会するのも目的でしたが、桜の散った高遠城址公園付近のお店はすべてシャッターを下ろしており、ここは桜の時期しか注目されていないのかもしれません。

 ただし、観光客の居なくなった城址公園を歩き、桜の最盛期では何も判らない城の位置関係や、城址周辺の見事な風景をゆっくりと歩き、木曽路とは違う伊那路の雰囲気を十分に味わうことができました。

 本日は新城市の道の駅小坂田公園からスタートし、城址公園から伊那市の「はびろ農業公園みはらしファーム」に立ち寄り、権兵衛トンネルから木曽路へ移動して、毎月訪れることにしている御嶽山の霊神場と弘法堂を訪れて帰宅しました。

                            4月24日の一言

明日から上高地のボランティアへ

焼岳にも見える小石

昨年3月新島々駅近くの梓川で見つけました


ボランティアの必需品

                   これが無いと活動できません


明日の天気

本日の写真です。

 私の住む津島市では現在市長選挙が行われており、明日と投票日の日曜日も愛知県に居ないため、本日は家内の車で投票所まで歩いて行けない母親とともに不在者投票に市役所を訪れたものの、3年前まで出向いていた場所とは思えない浦島太郎のような心境にさせられました。

 同時に行われている市議会議員の補欠選挙については、立候補している候補者2人とも面識も無く、選挙公報も届いていないため選択もできません。帰宅後に自宅のポストを見ると選挙公報が入っていましたが、新聞販売店の広告と一緒に投函されており、金曜日に届いても参考にもできませんでした。

 さて、明日は早朝より上高地のボランティアに参加しますが、昨年11月以来となるため活動に必須となる環境省から支給されている帽子探しから始まり、残雪の中での作業となるため、しまい込んでしまった冬用の衣類も引っ張り出しました。

 幸いにして天気予報は昨日より良くなっており、用意した雨合羽も必要はなさそうですが、上高地では27日に開かれる開山祭が吹雪ということが何度もあり、5月のゴールデンウィークまでは雪の可能性もあるため、愛知県から持ち込む衣類には頭を悩まされます。

 何事も無く長野から帰ると、次は一人で行く四国遍路を予定しており、本日環境省からあった5月の案内にも参加を申請したため、まさにしばらくは上高地と四国遍路のための生活環境となっていきます。

 今年は追突事故後の右手手のひらのシビレが残っており、身体と相談しながらの行動になっていきます。

                                4月22日の一言

21日は弘法大師の日です

我家の畑のイチゴ



 我家へ60年ほど配達してもらっていた「伊藤クリーニング店」が廃業することになり、本日最後となる私のシャツが届けられました。 


2014年10月09日


 過去の一言を確認すると、昭和38年には配達されており、開業直後から我家へ出入りしていたクリーニング店だけに一抹の寂しさは隠せず、父親は名鉄電車の運転手からレストランの支配人やサービス業へ移動し、本社勤務も続いたためクリーニングは必需品でしたが、私が3年前に議員を引退したため、わずかな配達は申し訳ないと思い、潮時も近いと思っていた中での廃業は悲しい現実となりました。

最期に届けられたシャツ


 10年程前に先代の経営者が亡くなられた時、配達されていた弟さんから我家の昔話を聞かされ、仕事上で出入りするだけてなく、地域の中に入り込んだ人間関係を実感させられましたが、コロナ禍だけではなくクリーニングを必要としない衣類が宣伝される社会環境の変化も実感させられます。

 さて、平成11年3月1日の早朝ですが、昭和52年元旦より一日も休むことなく我家の前に停まっていた新聞配送用のトラックがゆっくりと徐行しながら通過していきました。議員との兼職禁止による無念の廃業でしたが、新しい世界に旅立つための変化にも寂しさが募ったものの、人生の終末期となった現在になって、長年我家へ出入りしていた業者の廃業は寂しさよりも悲しい気持ちにさせられました。


本日の上高地 インフォメーションセンターの画像


上高地の遊歩道


上高地の天気


高遠城址公園の天気

本日の写真です。

 週末出かける上高地から発信される情報は多く、出かける前から現地の様子が見られるのはありがたいものです。土曜日は上高地で、日曜日は高遠城址公園を訪れる予定です。

 さて、私にとっての21日はお寺に行く一日となり、毎月真言宗のお寺の本堂に座って「阿息観」の瞑想法に参加してきましたが、今年1月からコロナの蔓延防止のため中止が続き、4ヵ月ぶりの阿息観参加となったものの、参加者は私一人となりました。

 家内は名古屋市で開催されている志賀弘法会の代表を送迎しましたが、我家にとって21日はお寺や弘法大師の姿を思い浮かべる一日となります。

病院の検査と診察で一日が経過して

我家のツツジです

私が代々プランターで育てるダイコンの花です


ここからは知人が送ってくれた写真です。


津島市天王川公園の藤棚です。





花おじさん

ホラ貝フキおじさんでした

本日の写真です。

 本日は名古屋市の中村日赤まで、治療に訪れる患者さんに同行して、追突事故後に発症した私自身の手のシビレと、レントゲンとMRIで異常が発見された頸椎について、赤十字病院の専門医の診察を受けるため訪れました。

 昨年10月に前立腺肥大症の手術を受けてから通院している病院ですが、整形外科を受診される患者さんの数は多く、受付で診察の予約時間より1時間以上遅れていると説明があり、診察時にCTの検査が必要と言われたものの、予約や重病患者の患者を優先するため検査に3時間も待つことになりました。

 「終わったら連絡下さい」と伝えてあった同行した患者さんの治療が先に終わって、私の検査と診察を待ってもらう事態となり、朝9時に自宅を出発してから、午後3時まで昼食どころか何も口にしないまま呼び出されるのを待つ一日となりました。

 本日の診察は、事故後にかかりつけ医で検査したレントゲン写真やMRIで確認された首の頸椎挫傷部位の精密検査で、恒久的に治癒しない心配から訪れました。

 3月26日の事故から1ヵ月近く経過したものの、指のシビレは日常的となり、最近は朝の起床時からシビレたままになる日もあるため、シビレの原因ヶ所の特定にも期待したものの、首から肩や腕まで検査したものの特定はできませんでした。

 ただし、びっくりしたのは握力の低下で、左手の握力が36キロあったものの、利き腕の右手は20キロしかなく、医師の話では神経症状が出ているため右手に力が入らないとの話で、とりあえず右手のシビレを解消しなければ力も入りません。

 医師の説明では安静にしているだけでは回復せず、適度のストレッチや身体を使った普段通りの行動が重要と言われ、「治るまで外出自粛」と言って上高地行きや四国遍路にクギを刺す家内への言い訳にはなりましたが、シビレを早期に解消しないと大変な生活になってしまいます。

 さて、本日診察していただいた医師は頚椎外科の部長と判り、同行した患者さんから良い医師にあたったねと言われましたが、泌尿器科の担当医師もすばらしい医師に恵まれたことことは幸運であるものの、病院で一日が終わってしまう生活環境は先送りにしたいものです。

 知人が送ってくれた津島市の藤棚の写真から、20年前に足利市のフラワーパークまで視察に出かけ東洋一と宣伝していた当時より随分と花が短く寂しくなっていることを実感し、花や植物は一度には回復しないことを自分に重ね合わせて実感させられました。

                             4月20日の一言

週末のボランティアは上高地へ

自宅前の夕暮れ


父親の遺したボタン



同じく父親が遺したアマドコロ


 週末の土曜日にボランティアへ参加するため本日環境省に参加申請をしました。例年なら開山式前のボランティアに参加し、更に27日の開山式当日も訪れてきましたが、先月末に受けた追突事故後の右手手の平のシビレに悩まされており、家内の同行でとりあえず一日参加することにとどめました。

 さて、桜の時期に高遠城址公園内で働く知人と再会する約束がしてありましたが、前記した理由から桜の最盛期をさけて日曜日に訪れることにしました。もっとも、知人には知らせていないため会えるかどうかは当日の楽しみです。

 今年の冬は厳しい寒波が続いたものの、上高地の残雪は例年よりも少なさそうで、ボランティアで予想される除雪作業も楽そうに思えます。もっとも、自宅では農作業もしない私が唯一長靴姿で働くのが上高地です。

平成16年4月の開山祭

平成16年6月の音楽祭

誰だか判りますか?


 最近になり過去に撮りだめた写真を整理しており、目の前にあった開山式と音楽祭の写真を添付しましたが、音楽祭は平成27年から開催されておらず、コロナ禍により減少した観光客を考えると何とか復活させたいイベントです。過去の音楽祭には毎年魅力ある音楽家が参加されており、ささやかでも再開してもらいたいものです。

日進市の愛知牧場を訪れて

愛知牧場

愛知県日進市米野木町南山977


愛知牧場 | バーベキュー・パターゴルフ・乗馬など、名古屋近郊のレジャー施設 (aiboku.com)







トラクターの観覧車です

牛舎

牧場

重機にも馴れた乳牛

牛の楽園です

モー

エサをねだるヤギ

人と触れ合う馬たち

ニンジンをもらう白馬

ポニーの小屋


売店


 大学時代に近くの看板を見ながら一度も行ったことのない愛知牧場を昨日訪れました。

 名古屋市内には動物園もありますが、愛知牧場は入園料もとらず広大な施設を維持していることと、人工的に造られ入園料を取る動物園とは違う家畜の姿や酪農の様子を眺められる貴重な施設になっています。
 
乗馬クラブとパターゴルフ場





昨日の写真です。

 牧場内には食堂や売店もあり、健康目的での牧場内のウォーキングや、仲間とパターゴルフを楽しんだ後のバーベキューは最高となりそうです。



名古屋市農業センターを訪れて

名古屋市農業センター
 名古屋市天白区天白町大字平針字黒石2872-3

温室内にはバナナも




名古屋市内に牧場です

乳牛の放牧




生後1ヶ月の子牛


乳製品の売店

牧場でしぼられた牛乳

ヤギ

孵化したばかりのヒヨコ


鶏舎小屋


竹林

大きな筍

大量に生えています

売店

ファームで取れた作物


ハナミズキ

本日の写真です。

 本日は運転免許証の更新に訪れた家内に同行して、名古屋市天白区の免許試験場から5分の距離にある名古屋市農業センター「delaふぁーむ」を訪れました。


 名古屋市に牧場と言うとびっくりですが、東京都の八丈島のように名古屋市も東部はかつて雑木林の丘が続き、本日訪れた天白区から日進市も私の学生時代には私の住む津島市より田舎の風景が続いていましたが、現在は完全なる住宅街に変貌していました。

 さて、農業センターには牛や羊の放牧だけでなく、ニワトリの卵が孵化する様子が観察でき、施設内の乳牛から搾った牛乳やアイスクリームなどを食すことができ、時期が過ぎましたが七百本と言われる梅の名所は国内有数と思われます。

 本日は更に日進市まで車を走らせて、本格的な愛知牧場も訪れましたが、通過する道路は私が大学時代に通っていた場所で、各地で寮生活を送っていた同級生たちの懐かしい顔が思い浮かぶものの、連絡が取れる同級生はほとんど居ません。寂しい現実ですが、今更名乗っても判らないほど年月が経過してしまいました。

桑名市のはまぐりプラザと赤須賀漁港へ

桑名市 赤須賀漁港

三重交通バス 長島温泉行き

揖斐川 後方は揖斐長良大橋

はまぐりプラザ



はまぐりの漁具

赤須賀漁港

鉄筋でありながら漁港らしい建物


アピタ桑名店のマック

本日の写真です。

 本日は港の雰囲気を求めて三重県桑名市の赤須賀漁港を訪れました。

 昨日戻ってきた軽自動車はギアがオートマチックではなく、最近ハンドルを握るとシビレてくる右手の手の平の様子を見ながら外出しましたが、来週から上高地や四国遍路など遠距離の外出を予定しており、このままでは不安な外出となってきます。

 本日も20分ほど運転すると右手手の平がシビレだし、信号待ちの間に肩や腕を回してシビレの解消を図りながらの運転となりましたが、シビレる原因箇所がわからないため、しばらくは試行錯誤のリハビリが必要になります。
 

 さて、桑名市のハマグリは全国的に有名ですが、揖斐川沿いの海と交わる地域で収穫されており、木曽川の対岸となる愛知県ではシジミしか取れないことと、愛知県内の潮干狩りはアサリが主であるためハマグリとは随分と縁がありません。

 かつては海苔ソダが存在し、漁師も多数存在した木曽川の河口部ですが、伊勢湾台風後はどんどん干拓がすすめられ、漁港らしい雰囲気はほとんど無くなっており、少年時代に南へ走れば簡単に出られた海は殆どが工場や企業の土地で占められてしまいました。

 我々の住む愛知県西部はかつての水郷地帯ですが、最近は水害対策のため強固な護岸工事が行われ、殆どの川にフェンスが張られており、川や海の水を触る機会は無くなってきました。少し、港の雰囲気に浸れる一日となりました。

                              4月16日の一言

車の修理のように人間の身体は治りません






本日の名鉄電車


ポピー


津島市へ到着です


車が戻ってきました

ナンバーは22日に取替です

ここまで本日の写真です


先月27日 事故の翌日です

ナンバーもクシャクシャです

29日に修理に行きました


 先月末の追突事故により修理に出してあった息子の車が本日戻ってきました。ナンバーだけは来週22日以後新しいものに替えてもらえますが、事故から三週間が経過したものの、私の身体は思うように回復せず、右手のシビレは深刻になってきました。

 事故翌日は親指と人差し指と中指だけだったシビレが、翌日に薬指と小指がシビレだし、先週は手の平全体がシビレ、スマホやパソコンのマウスを持つとシビレ、車のハンドルを握ってもシビレるようになり、本日は起床時から午後まで手の平がシビレて痛みも感ずる状態になっています。

 起床時に手の平がシビレているのは不快で、寝る体位まで考えていると寝不足となり、本日は出かけた珈琲店で腕を曲げてソファーの背中に置くと偶然シビレが無くなりましたが、事故後に手のシビレが治らなかった人も存在するため何とかしたいと試行錯誤の毎日となります。
手前は西洋タンポポ
         奥3本はニホンタンポポ

 さて、本日のウォーキング中に、在来種のタンポポの近くに西洋タンポポとの合の子(あいのこ)のようなタンポポを見つけ、植物に詳しい上高地パークボランティアのSさんに連絡し、我々の地域にはトウカイタンポポも存在することを聞きました。

 上高地にも侵入して増殖する西洋タンポポを意識して、愛知県に帰ってもタンポポの裏側の外総苞片を見る癖になっていますが、在来種と外来種の二者択一しか念頭になかったため、タンポポについて改めて勉強しなおしたいと思います。

                              4月15日の一言

令和4年 4月の体重と徒歩数

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の体重と徒歩数
 歩=散歩 不=体調不良
  ボ=ボーリング 水=水汲み
 上=上高地 山=登山

日時      体重   徒歩数
  1日       71,0    10,105 歩            
 2日       72,0     2,109                                   
 3日(日)  72,1     8,922 歩                
  4日                 7,932 歩                        
  
5日       72,0     6,187                     
 6日       71,8     5,633                               
  7日       71,7     2,889                        
  8日       72,4     8,378 歩                                             
  9日       72,1     6,070         
10日(日)  72,3     5,638                           
11日                 3,122                                                    
12日                 3,476                            
13日                 5,761               
14日                 3,068               
15日       72,5     6,842 歩                                      
16日       72,2     3,972                 
17日(日)            9,489 歩       
18日                 3,062                                       
19日                 4,237                                    
20日                 3,123                     
21日                 2,769                            

22日                 4,433                                      
23日               24,832 上                  
24日(日)            8,245                                         
25日                 3,076                                                         
26日                 3,980                               
27日                 6,189                
28日                 2,659                                               
29日(休)            1,151
30日                 1,738     



 

タクシー依頼が続々と増え

本日の写真です。   木曜日はガソリンの特売日のため2台一緒に出かけます

 本日は自分の通院があったものの、午前中に白内障の手術を受ける人と、内科医院へ通院する患者さんを送迎する中に、自宅から200メートル離れたカラオケ店まで運んで欲しいという人の依頼がありました。

「タクシーに断られた人を運んで欲しいんだけど…」
     「なんで断られたの?」
「距離が近いので運転手に断られたの」
     「なんで私のところへ」
「市役所へ相談したらお宅に相談するように言われたので」

 足腰が悪く手押し車が必要なカラオケ仲間が、タクシーに断られて来られなくなったから何とかして欲しいとの依頼で、車イスではカラオケ店の扉を通れないため、手押し車を積んで同行して、玄関先とカラオケ店の通路を見守って欲しいとの依頼でした。

 病院への移送ではなく普段なら断ってしまう依頼ですが、断るとこの人は二度と仲間とカラオケ店には行けないことと、何よりも断ったという地元の金儲けしか考えないタクシー会社と、そービス精神皆無でレベルの低い運転手への怒りから引き受けました。

 現実には、自宅のマンション玄関からスロープを下りて車に乗るのに10分程度かかり、同じく車を降りてカラオケ店の部屋までも10分かかるわけですが、見守るだけで手を貸すことも出来ないので、たった200メートルの移動に30分もかかってしまいました。

 そして、4時間後にお迎えに走りましたが、これから基本的に毎週木曜日の送迎を期待しておられることから大きなストレスとなりそうです。

 昨日名古屋市の病院まで搬送した患者さんとの会話で、私自身が同じ病院を20日に予約したことを話すと、偶然にも同じ日に診察の予約をしておられ、わずかな時間差で我家から2台が走ることは苦痛のため、時間を合わせて一緒に通院することになりました。ただし、診察にかかる時間が私は短いため、名古屋市へ2往復することには変わりがありません。

 偶然にも昨晩かかってきた知人との電話で…

「土曜日にタクシー頼んだら断られたわ」
    「なんで?」
「距離の短い予約の時間指定はダメだって」
    「それでどうするの?」
「娘でも来てくれないかと…」

 この人は毎月名古屋市まで搬送している人ですが、「距離が近いので私には依頼しなかった」と言われたため、土曜日に観光地へ外出する話をしていた最中でしたが、名鉄系のタクシー会社に断られていたため当方から同行すると伝えました。

 私の住む津島市には名鉄系と地元の2社のタクシー会社が存在しますが、車イスのまま送迎できる車両は無く、早朝の予約は断っており、私の住む地域より東側への配車は基本的に断っているため、公共交通だけでなくタクシーすら空白の生活環境となっています。

 要するに、運転手不足と、地方のタクシー運転手は利益も少ないため、お客さんへのサービスは二の次となっていると思われます。おまけに、車イスを乗せる介助タクシーも業者の多くは高額になるため、安易には依頼もできません。

 そんな訳で、家内と2人でタクシーを動かし、福祉有償運送のボランティア仲間と低額な運送を続けていますが、今月は私の車のエアコンが故障して10万円近い出費となり、燃料代の高騰によって忙しくても忙しいだけ利益にならない現実はストレスとなりました。

 明日も同じような環境になります。

                             4月14日の一言

上高地からの便りに試作色々と

環境省の登録証が届きました

               本年4月から令和6年3月末まで有効です


 今月17日から半年間閉鎖されていた釜トンネルが開通し、27日に開山される前の上高地でのパークボランティアに参加するための登録証が届き、仕事よりも大自然に同化した自分の生活を思い浮かべて新しい魅力を想像してしまいます。

家内が100円ショップで買ってきた簡易五徳


3枚の組み立てです

何とか使えそうです

上に置きます

2人分の珈琲に10分かかりました

これだけで持ち運べます


ただし、イワタニコンパクトバーナーには敵いません

ここまでは本日の写真です。

昨年11月14日 明神館前

雪の中でカップ麺のランチでした


 車にはカセットガスコンロが積んであり、昨年から一人で山に入る時にはリュックに添付したコンパクトバーナーと食料を入れて歩くようになりましたが、山の中で美味しい珈琲の味を楽しみたいとより軽い装備を考える中で、アルコールランプで湯を沸かそうと考えたのが本日の顛末です。

 結論として軽くても燃料のアルコールと水、そしてナベを持ち歩く必要があるため、火力が強くライターの要らないガスコンロの方が食事にも利用でき実用的で、珈琲を飲むだけなら保温ポットに熱い湯を入れて持参した方が軽くて場所を選ばずに休憩が取れることを自覚しました。飲料水はペットボトルの珈琲で十分ですね。

 もっとも、千円以下のアルコールバーナーも販売されていますが、何処でも販売されているカセットガスを利用できるイワタニコンパクトバーナーがあれば十分で、今年はカップ麺やカレーメシレベルではなく、持ち込む食材を考えてみたいと思います。

 さて、今年は23日に上高地へ入りたいと考えていますが、安易に約束した高遠城址公園に行くことと、毎月訪れることにしている御嶽山へ行くことを考え、知人が関市の岐阜県立博物館で開催している個展へ訪れることを考えると日帰りの上高地行きとなりそうです。

                             4月13日の一言

よしこおばあちゃんの五平餅 岐阜県揖斐川町

五平餅とみたらし団子 さんさん谷汲

道の駅 さんさん谷汲

駐車場

散りゆく桜

谷汲緑地公園

売店

売店の店先に

よしこばあちゃんの五平餅

メニュー

抹茶のソフトクリーム 300円

日曜日の写真です。           本当に美味しい

 昨年8月から五平餅を名物とする愛知県の東三河地域の道の駅と、岐阜県から木曽路方面の名のある五平餅を食べ歩いており、西濃地区で五平餅を食べようとは考えていませんでしたが、さんさん谷汲の「よしこおばあちゃん」の屋号にひかれて口にしていました。

 五平餅とみたらし団子は私の大好物のため、屋号に関係なく旅先で見かければ必ず食べてきましたが、五平餅を注文を受けてから真剣に1本1本焼いているお店は美味しく、大量に作り置きされた団子や五平餅はお薦めができませんね。

 さんさん谷汲のお薦めは、抹茶味のソフトクリームで、お茶の産地である揖斐地方だけに口にした瞬間お茶の香りと味に魅了されます。

昨年の8月からの五平餅と団子関連記事

 昨年8月から五平餅を食べ歩き、それぞれの評価も身勝手にしてきましたが、上に添付したブログ記事をよんでいただければ幸いです。
 そして何よりも団子の味だけでなく、食べるための環境も重要で、さんさん谷汲の「よしこおばあちゃん」の店先にはゆっくり座って食べられるベンチが置かれていました。 

                            4月12日の一言

池田町にある女流歌人伊勢大輔の歌碑

伊勢大輔の石碑

 

道の駅池田温泉

昨日の写真です

昨日の車中ランチ

 

    寝覚めの里  風の音に 

 おどろかされて 我妹子か

   ねざめの里 夜うつらん     伊勢大輔

 

 寝覚の里は遠く平安の昔から京の都人に知られ、伊勢大輔、冷泉為尹など歌人のお歌も多い。十四世紀後光厳天皇はこの地に鳳輦を駐めて、鶯の音に耳を傾けられたといわれている。             平成二十四年八月 高野川左岸より移す

 

後光厳天皇 (ごこうごんてんのう) (1338―1374)
南北朝時代の天皇(在位1352~71)。北朝第4代天皇
 
冷泉 為尹(れいぜい ためまさ) (1361-1417) 
南北朝時代から室町時代の公卿(くぎょう)歌人。
 
伊勢大輔(いせのたいふ。990年~1070年頃)
  祖父は49番・大中臣能宣(おおなかとみのよしのぶ)、父は正三位神祇伯・大中臣輔親(おおなかとみのすけちか)で、代々歌詠みの家系として知られていました。父が伊勢神宮の祭主、神祇大副(じんぎのたいふ:大輔)の職にあったところから伊勢大輔と呼ばれました。美貌の人で、上東門院彰子が中宮として敦成親王を生んだ50日目の祝宴には、選びぬかれた若女房の一人として配膳に奉仕しています。
57番・紫式部とともに、2年後に出仕した56番・和泉式部とも親しい間柄でした。名高い歌人として認め合っていた2人は、初対面の夜、寝ずに語り明かしたと伝えられています。彰子が開いた「上東門院菊合(じょうとうもんいんきくあわせ)」など、多くの歌合で高い評価を得ました。自分で歌合を主催したこともあり、多くの歌人と交友しています。

勅撰集に51首も選ばれ、中古三十六歌仙、女房三十六歌仙の一人です。

後年は、白河天皇の育児の任にあたったようです。夫は中宮定子のいとこ・高階成順(たかしなのなりのぶ)で、2男3女に恵まれました。「古本説話集」によると、成順は「いみじうやさしかりける人」だと記されています。誠実で人々からの信頼も深かった夫と、幸せな結婚生活を送りつつ、出産後も仕事を続けました。康資王母(やすすけおうのはは)など3人の娘はいずれもが勅撰歌人となっています。やがて夫が出家し、大輔自身も夫の一周忌の頃(1060年以後)に出家して山里に移り住みました。老いてもその才気は衰えず、70歳(または80歳)という高齢で亡くなったようです


 岐阜県池田町の道の駅「池田温泉」の駐車場にある石碑ですが、伊勢大輔の名前から男性と思っていると女性歌人で、寝覚めの里や高野川と記されているため、当地に関係する人物かと思ってしまいますが、京都や愛知県など記された環境が良く判りません。
 
 一般的に寝覚めの里と言うと、長野県上松宿にある「寝覚ノ床」が有名なため、長野県のように思われてしまいますが、日本武尊が干潟に打ち寄せてくる波音で寝覚めたという伝承で、愛知県の熱田神宮やその周辺が候補地になっています。
 
江戸時代の旅行案内書『東海道名所図会』には、寝覚めの里については熱田の宮駅、浜の鳥居の東と記される一方で、美濃地方との説もあると記されています。
 
 伊勢大輔の歌では波の音ではなく、風の音が歌われており、いかにも岐阜県池田町のような感じもしますが、歌碑が京都の高野川にあったのか、歌を記した石が高野川にあったものか由来が理解できませんが、せっかくの歌碑だけに解りやすい説明が欲しいですね。
 
 さて、道の駅池田温泉については、日本中を旅して2年前に池田温泉で一緒に車中泊した上高地のボランティア仲間の「流山のおっさん」から、泉質は日本一と言われたことがあり、その後何度も訪れていますが、大垣市から池田町にかけては魅力ある観光資源が複数眠っています。
 
令和1年12月15日、16日
 
2021-05-30 
 
                            4月11日の一言

岐阜県池田町で霞間ヶ渓の芝桜を鑑賞して

霞間ケ渓の芝桜 岐阜県池田町


道の駅 池田温泉


霞渓寺の鐘楼


霞渓寺

岐阜方面の遠景

霞間ケ渓花畑

岐阜方面

芝桜


小寺展望台の桜

いび茶の茶畑

道標

禅蔵寺

石段

本堂



道の駅 さんさん谷汲

 

谷汲緑地公園

抹茶味のソフトクリームは最高です

道の駅 織部の里もとす

地元産のお茶

本日の写真です。             アフタヌーン珈琲

 午前中に自宅を出発しましたが、岐阜県池田町にある霞間ケ渓の芝桜を鑑賞後に池田温泉で入浴した後の冷えたビールを目標にしていたものの、揖斐川沿いの山々にはまだ桜の花が残されており、谷汲方面まで車を走らせました。

 芝桜の開花はこれからでしたが、眩しい光に新緑が輝き、開花を終えた桜の新芽の緑と一部に残る桜のピンク色が混ざり、山腹に残る桜を眺めていると時間の経過も忘れてしまいました。

 道の駅池田温泉でカセットガス沸かした湯で昼食と珈琲をとり、霞間ケ渓の芝桜を鑑賞後に道の駅さんさん谷汲へ移動し、五平餅とみたらし団子にソフトクリームを食し、最後の道の駅織部の里もとすで買い物後に自分で入れた珈琲を飲んでから自宅へ戻りました。

                               4月10日の一言

花々が開花するだけ防虫・除草作業が必要になり

水田の畦道へ除草剤散布

家内の仕事です

我家のサクランボの木

青い実が付いています

これは毛虫の巣です

こちらも毛虫

アップにすると

花梨(カリン)の花

ハナズオウ

椿の花

ハナニラ

スミレ

チューリップ

本日の写真です。

 我家の庭には花々が続々と開花し、気づかないまま花が散ってしまった花もありますが、一方で無数の毛虫がクモの巣のような膜を張って大量に発生しており、二連ハシゴを出して殺虫剤を散布しましたが、ハシゴが届かない高所は毛虫の楽園と化しています。

 とりわけサクランボとアンズは花が終わり、サクランボは青いものの実をつけており、これから実をつけるアンズも我家の名産品となっているジャムにするため、殺虫剤を不用意に散布できず、毛虫をピンポイントで駆除するため危険な作業となります。

 さて、毎年家内の仕事としている水田の除草剤散布については、毎年家内の苦言を聞きながら同行していますが、今年は追突された事故後の右手リハビリ中のためか、「お父さん、何もしないで」と髪結いの亭主のような扱いです。

 今のうちに草刈りをすればと毎年思うものの、毎年雑草に覆われてから仕方なく伐採する繰り返しとなっており、危険な草刈り機も家内でも安全に使用できる電動の機器を購入したため、私任せの時とは違って随分と綺麗な水田となってきました。

 今年は厳しい冬からあっという間に温かくなり、花も一斉に咲く半面で、植え替えや種まきも一斉に始める必要に迫られています。

                                4月9日の一言

日光川の菜の花堤防を訪れて

日光川と目比川の合流地点 愛西市塩田


目比川堤防の日本タンポポ


目比川


目比川河口排水機場


左が日光川


旭自動車学校 津島市


日光川

日光橋
日光川左岸堤防の菜の花

川岸の水鳥

遠方は旧神守村の牛田町

対岸は日光町

愛知県工業用水道 日光川下切水管橋

新日光橋






左は老人ホーム 真ん中遠方はマンション 右は分譲住宅地

本日の写真です。

 車で日光川を渡るたびに堤防に咲く菜の花を眺めていましたが、本日は遠方から知人が訪れ、市内最北部の珈琲店まで家内と3人で外出したため、知人と別れた帰り道は目比川を下り、日光川の菜の花の咲く場所を経由して自宅へ帰りました。

 日光川は昭和36年に襲来した伊勢湾台風で破堤したため、何度も堤防の改修工事が繰り返され、現在の右岸堤防は自動車の通行する道路となっており、我々の生活する左岸側の堤防は車は通行できないもののアスファルトで舗装されています。

 私の小学校時代にはこの堤防は大人の背丈より高い葦(ヨシ)で覆われており、上流部の染色工場の排出する悪水によって当時の日光川は真っ黒な川だったため、川から恐竜が出てくるような怖いイメージがありました。

 ただし、春になると多くの土筆(ツクシ)が取れるため、日ごろは嫌われ者の私でしたが、毎年同級生の女の子から「ツクシ取りに連れていって」と頼まれ、探検隊の隊長役のように町内の幼馴染の女の子たちを引き連れてかなり下流まで訪れていた懐かしい場所でもありました。日曜日に弁当を持った遠足のような一日でした。

 私に声をかけるのはクラスで一番成績の良い学級委員をしていた幼馴染で、私が選挙に出た時には電話で投票を依頼する嫌な仕事を引き受け頑張ってくれましたが、今から15年ほど前に病魔に倒れて旅立ってしまいました。

 この時も自分本位の私は、彼女が高齢の両親と、大学進学を控えた娘さんのために病気を隠し、自ら治らないことを自覚していることも知らずに、彼女が通院していた病院では「ガンは治らない」と配慮のかけらもない言葉を発しており、今になって反省しても鬼籍に入った彼女には伝わりません。

 私は起業してから「朝日旅行友の会」を主宰して多くの観光地を訪れましたが、旅行好きは小学校時代に彼女に頼まれたツクシ取りの案内役が影響している可能性も否めず、学校嫌いの私が唯一頼られていたのが日光川のツクシ取りだったのかもしれません。

 さて、時代が変わって日光川の堤防には、添付したように見事な菜の花が咲き誇っていますが、鑑賞するために遠方から訪れても車を停める場所が皆無であることと、堤防に入れる場所が限られているため、せっかくの名所でありながら人目につかないことが残念です。

 今年はここもウォーキングのコースに加えようと思います。

                               4月8日の一言

リハビリ中の私に通院の移送依頼が続々と

久しぶりの名鉄電車

手前の麦も大きくなってきました

本日の写真です。

 追突事故に遭遇したことで、大きなキャラバンでは送迎できない患者さん用の軽自動車が修理中のため、家内が頑張って走っているものの、本日は患者さんの送迎時間が重なったため、久しぶりに愛西市まで移送に参加しました。

 そんな訳で久しぶりに名鉄電車の踏切を渡り、患者さんを待つ合間に電車の行き来を眺めることができました。

 身体の状態は相変わらずで、右手のシビレは深刻となり、当初は親指と人差し指、中指のシビレだけでしたが、事故後3日目から小指と薬指もシビレるようになり、右の肘も痛くなり、事故直後に痛みが引いた背中や首までもがいまだに重く、最近は朝の起床時に右手全体がシビレるようになっており、シビレだけだった指も中指は絶えず痛むようになりました。

 命に関わる病気ではありませんが、これからの老後を考えると心配は尽きず、上高地の活動や四国遍路にも影響は否めず、処方された薬と施術の効果に期待するしかありませんが、何よりも移送するボランティアだけにハンドルを握るとシビレるのは致命的です。

 さて、こんなことからボランティアは家内任せで留守番生活になっていますが、外出時には聞くこともない事務所の電話が気になり、基本的には固定電話しか応対しないことにしている電話も、何度もかかってくるため応対すると、タクシーが運んでくれない移動困難者や車イス利用者の切なる依頼を聞くことになり、断りきれない人の移送が皮肉にも増えてしまいます。

「〇月〇日に依頼された」
    「何時なの?」
「〇時〇分の希望だけど…」
    「お父さんが行ってよね」

 基本的に車イスの患者さんは家内が担当でしたが、車イスの患者さんの移送は搬送だけでなく診察後の自宅に帰るまで車が拘束されてしまい、途中の長い待ち時間が苦痛になるため、最近の家内はお客さんが増えることが苦痛になってきています。

 一方で、高額な福祉タクシーや患者搬送業者も存在するため、知人から安価な料金を聞いたり、市役所に相談すると我々の福祉有償ボランティアや私の福祉タクシーを案内されることが増え、私が議員であったことを承知で依頼されると断ることができません。

 明日は我が身の言葉がありますが、命に関わる病気で闘病中の患者さんにとっては、我々の移送そのものが生命の綱にもなりかねず、「指がちょっと」とは言っておれない現実と、自分の治療を後回しにはしたくない心情との狭間で悩まされます。

                                 4月7の一言

リハビリと休養の一日となりました

我家の君子ランです

全部で6鉢になりました


 我家の君子ランは6鉢になりましたが、平成16年12月に亡くなられた水野静江さんにいただいた1本を基にして増やし、すべての鉢が花を咲かせますが、水野さんが存命中は管理が悪く、立派な君子ランをもらっても翌年には花が咲かず、毎年立派な花をいただいていました。

2018年04月12日

 亡くなられて18年の歳月が経過しましたが、唯一の遺品と思って大切にしてきたためどんどんと増え、花から結実した実から発芽した子供も数本存在することから、そろそろ水野さんのお宅へ里帰りさせるか、故人を知る知人へ差し上げて後世へ残したいと思います。

 それにしても月日の経過は早く、亡くなられて18年も経過していますが、私が大学時代に御主人とともに海外から帰国され、直後から私の仕事を手伝ってもらうようになり、学生結婚の家内にとってもお姉さんのように頼れる存在でした。

 毎年立派な花を咲かせることで必ず故人を思い出すことから、私も残された家族に喜んでもらえる花を見つけて残したいと思います。4年前のブログを読み直すと、本日と同じことを記していました(笑)

かかりつけ医 彦坂外科

昔ながらの田んぼ道です

タンポポが咲き誇っています

残念ながら外来の西洋タンポポです

草の上で眠りたくなりそうでした

善太川の支流です

水面には大きな亀

右手遠方には津島市民病院

回り道したものの外科の近くです

昔ながらのヨシが茂っています

本日の写真です。

 本日は歯科医院経由でかかりつけ医に到着し、交通事故後に受けている首の温めとけん引のリハビリを受けた後に、田んぼ道を歩きながら家内の車と合流しましたが、本日は何もしないままに昼をむかえました。

 追突された軽自動車は修理のため代車が届いていますが乗りなれない車であり、私の愛車キャラバンは本日エアコンの修理に出しているため、ボランティアの合間に家内が私を歯科医院と彦坂外科に送迎してしれましたが、自家用車が無いと生活できない高齢者の生活を実体験する一日ともなりました。

 ただし、日頃は車で通り過ぎていく場所ですが、人の歩かない田んぼ道を久しぶりに歩き、健康目的とは違う歩く目的本来の目的地までの移動は新鮮で、小学校への通学路の道草を思い出しました。明日もこんな生活となります。
                                 4月6日の一言

一年前のブログとの共通点に驚かされます

一年前に刺されたハチ

車の窓に引っかかっています

大きく腫れた右手中指


 一年前のブログを読み直すと、車に入ってきた大きなハチに刺されて、右足の痛みと右手の中指が大きく腫れた写真が掲載されており、この日に通院していた稲沢市の医師から、膀胱結石だけでなく前立腺肥大の手術を勧められびっくりした心情が記されていました。


2021-04-24

予期せぬ医師の言葉とハチにも刺されて | 大鹿一八 『今日の一言』 (ameblo.jp)


 すっかりと忘れていましたが、車の助手席に座る右足に激痛が走り、とっさに右足へ差し出した右手にも激しい激痛が走り、手を引っ込めると右足が痛み、そんな繰り返しの末に大きなハチに刺されたか噛まれたことが判ったものの、帰宅後の右手中指は添付した写真のとおり大きく腫れあがっていました。


 先月末の交通事故の後で、右手の指がシビレたままになっており、最近では右肘や肩まで痛くなっていることに、偶然とは言え同じ右手が災難にあっている現実と、一年前にもコロナ禍のなかで上高地へ行く思案をしていることに今年も共通の思いがよみがえってきました。


 一方で、私を頼りにして病院への搬送を依頼しておられる患者さんが存在し、私の代わりに家内が朝7時前から午後3時過ぎまで走り回っており、最後に搬送した患者さんが同行しない私を心配されており、元気な姿を見せるため家内に同行して顔を出しました。


 首の頚椎からくる指3本のシビレが残っており、小指と薬指は腕を伸ばしたり、スマホのタッチペンやパソコンのマウスを持つとシビレるようになり、最近では肘や肩まで痛むときがあり、心配なことは車のハンドルを握ってもシビレが出ることで、引退後のセカンドライフが患者さんを運送する福祉有償運送のため、手がシビレるから休みますとは言えない現実は辛いものがあります。


 さて、本日は私の父親が最後の場所となった名鉄病院まで通院する患者さんがあり、入会して初めての患者さんのため私が同行しましたが、命に関わる重大な病魔と関わっておられる患者さんと比べれば病気とは言えないような我が身にまだまだ頑張る気力をもらいました。


                               4月5日の一言

上高地から便りが続々と

五千尺ホテル発信の穂高 3月30日

五千尺ホテル発信の焼岳 3月30日


市民タイムズの記事 4月2日


環境省から本日のメール


 今月27日に開山祭が開かれる上高地ですが、毎年釜トンネルは17日に開通し、環境省のパークボランティアは23日(土)と24日(日)から活動が始まるため、活動に必要な手続きや案内が届くようになりましたが、昨年11月から閉山となっていた上高地も2週間後に開山となりました。

 2年前には新型コロナによって7月まで上高地入りができず、昨年も県をまたぐ外出自粛によって10月まで入れませんでしたが、今年は4月から上高地へ入れることになったものの、先月末の交通事故による右手のシビレが治まっておらず、最近では首や背中にも未体験の痛みが残っており、身体を酷使する活動には参加できないハンデ付きのスタートとなりそうです。

上高地の入り込み者数について

R3 (4/17~11/15)      486,353人

R2 (4/17~11/15)      402,561人

R1 (4/17~11/15)  1,130,966人

H30(4/17~11/15)  1,143,693人

H29(4/17~11/15)  1,131,391人

H28(4/15~11/15)  1,155,776人


 私は平成28年から上高地のパークボランティアに参加するようになりましたが、毎年のように集中豪雨や地震にも見舞われており、一昨年のクマによる人的被害とコロナ禍によって上高地を訪れる観光客は大幅に減少しています。


 一方では、コロナ禍によって中国系の騒々しい団体観光客が減少したことで、上高地の環境は一段と良くなっており、自然環境を満悦できる雰囲気は最高で、与えられた環境下での上高地を楽しめると思うものの、身体の変調は楽しみよりも苦痛を予感させてしまいます。


                                   4月4日の一言

小雨降る中で桜を眺めて散策し

稲沢市平和支所近くの桜 本日の午後

今週のコークオン

本日目標達成しました

愛西市相ノ川の桜 本日の午後

悠々と泳ぐカワウ

塩田グランド横の噴水


稲沢市平和支所前

平和町農村環境改善センター前

須ヶ谷川桜づつみ

麦畑と桜

動画です

庁舎前水路の桜

最近では珍しくなったレンゲソウ

この周辺は在来種のタンポポが群生していました

手に持つ1本は外来種の西洋タンポポです

道端には菜の花

二級河川 日光川

日光川桜づつみはまだツボミ状態です

咲き始めた桜の花とツボミ

休憩スポット

満開の桜

日光川堤からの遠景

本日の写真です。

 本日は曇り空で午前中から小雨が降る一日となり、平生なら出歩きませんが、コカコーラのコークオンの週間ウォーキングが最終日で、ノルマの3万5千歩まで8千歩足りないため、小雨の中を愛西市と稲沢市の桜並木を歩くことにしました。

 一週間前にもここを訪れていますが、相ノ川の桜は満開となっており、本日は最下流にあたる塩田グランド付近の桜を鑑賞後に稲沢市平和町の桜ネックレスを北上し、帰路は日光側沿いの堤防を下りましたが、こちらは開花が始まったばかりでほとんどがツボミ状態でした。

 日光川の堤防には、奈良八重桜や佐野桜など十種類以上の桜が植えられており、これから一週間は桜の開花が続きそうです。

 さて、明日は朝から患者さんを名古屋市の中村日赤まで送迎することになっており、自分自身も2日前に日赤への紹介状をかかりつけ医からもらっているため、自分の予約を先に済ませたい心境ですが、明日だけでなく明後日にも患者さんを日赤まで搬送する予約をもらっています。

 人を病院まで送迎するボランティアですが、自分自身は病院どころか注射も苦手で、最も行きたくない場所でありながら、昨年からは他人だけでなく自分も通院治療する立場になっており、今月から始まる上高地のボランティアに向けて一抹の不安材料でもあります。

                                4月3日の一言

追突事故から一週間後の手のシビレに

本日の夕暮れです

中村日赤の整形外科への紹介状

歯科医院の治療

本日の写真です。

 一週間前の3月26日に稲沢市の交差点で追突事故に遭遇し、月曜日に地元の外科医院で診察後に頚部挫傷の診断を受け、翌日火曜日に市内の整形外科医でMRI検査で精密な頚椎の画像を入手して投薬と治療を受け、水曜日からは三男の接骨院でも施術を受けるようになりました。

 事故の翌日になって左の首と背中付近に痛みがあり、右手の親指と人差し指、中指にシビレが発生しました。月曜日に受けた診察後になって右手の小指と薬指もシビレるようになり、スマホのタッチペンや車のハンドルを握ると小指と薬指がシビレるようになりました。

 医師によると、小指と薬指は右腕の関節付近の神経が原因のようで、水曜日になると食事の箸を持ってもシビレ、本日は良かったものの木曜日と金曜日の起床時には指だけでなく、右手の手の平と手首もシビレていました。

 事故後3日目となる月曜日には痛みが軽減した左側の首や背中が、今になって辛い鈍痛が残り、最初の親指から3本指はシビレの感覚は変わったものの常時シビレており、右手を使うと小指と薬指がシビレて、最近は右腕や右肩まで違和感を覚えるようになりました。

 こんな時に限って差し歯が取れてしまい、休日であるはずの土曜日は外科と歯科医院のハシゴとなり、外科では大きな病院で頚椎の精密検査を受ける紹介状をもらったことから、同じような右手のシビレから手術に至った2年前に亡くなった叔父の顔が浮かんできました。

 さて、今から15年ほど前の話となりますが、私にホームページの開設を熱心に薦め、自分のパソコンまで私に持ってくるだけでなく、自分自身もホームページでお寺の歴史や廃ってしまった地元の巡礼を調べて発信していた叔父が、手がシビレてパソコンができなくなりました。

 パソコンは代わっているものの、今週からパソコンのマウスを握ると右手がシビレる現実に、平成16年から一日も休まず発信してきた一言を継続するためにもこの際徹底的に検査して元通りに改善を目指したいと思います。
                                  4月1日の一言

ウォーキングで在来種のタンポポを探して

津島市葉苅町 目比川

眩しい夕陽

対岸(西側)の桜

川を挟んだ中央病院

満開の桜

排水機場の貯水池

堤防から覗いた桜

動画風景

水路沿いの桜

満開の桜です

夕陽に映える桜

対岸に生えていたタンポポ

在来種のタンポポの群生

まもなく日暮れです

この範囲はすべて在来種のタンポポでした

宇治町の在来種のタンポポ

同じく在来種のタンポポ

本日の写真です。

 片道30分のウォーキングですが、これまで外来種の西洋タンポポしか見たことがなく、目的地としている珈琲店まで通りかかった道を確認しましたがやっぱり西洋タンポポで、私の往復する道端には西洋タンポポばかりと実感したため、帰り道は目比川の堤防からコースを代えて歩きました。

 さて、ウォーキング途中にある中央病院は桜が満開となっており、用水の対岸から桜の写真をスマホに収めていた足元にもタンポポが群生していました。

 そして、花弁の裏側を確認すると外来種の西洋タンポポではなく、日本の在来種と思われる在来タンポポで、この一帯はすべて在来タンポポが群生しており、無いと思っていた在来種が存在したため、この帰り道を確認しながら歩くと、この地域から500メートル位の道路には所々在来種のタンポポが存在することが判りました。

下記の写真を参考にして地域のタンポポを見てください。

 さて、本日確認した道路端には犬の散歩で放置された糞(フン)があまりありませんが、私の住む町内の道端は犬のためのトイレと化しており、確認する気持ちにもからないものの、そんな環境でも在来種のタンポポが存在するか調べてみたいと思っています。

 調べてどうするの? と、言われると何とも答えようがありませんが、日本の在来タンポポが頑張って増えるようにしたいと思います。

                                 4月1日の一言

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