2022年07月
7月の体重と徒歩数
歩=散歩 不=体調不良
ボ=ボーリング 水=水汲み
上=上高地 山=登山
日時 体重 徒歩数
1日 70.5
2日 70.4
3日(日) 70.7
4日 70.3
5日 70.3
6日 70,2
7日 69.8
8日 69.7
9日 70.0
10日(日) 70.3
11日 70.2
12日 70,2
13日
14日 70.4
15日 70.3
16日 70.0
17日 69.9
18日 70.2
19日 70.1
20日 69.9
21日 70.3
22日 70.3
23日
24日 69,9
25日 70.3
26日 70.4 27日 70.6
28日
29日
30日 70.4
31日 70.4
藤圭子さんの歌う四国遍路の歌を見つけました。
平成13年に四国遍路をはじめ、平成19年に四国八十八ヶ所霊場会の公認先達に補認された頃には八十八ヶ所のお寺の名前を全て暗記していました。
ところが最近では物忘れが激しく、お寺の名前が出てこないことも多く、また暗記するのも苦痛だと思っていたところに簡単に暗記できそうな歌を見つけました。
第一番札所から順に、
(1)霊山寺、(2)極楽寺、(3)金泉寺、(4)大日寺、(5)地蔵寺、(6)安楽寺、(7)十楽寺、(8)熊谷寺、(9)法輪寺、(10)切幡寺、(11)藤井寺、(12)焼山寺、(13)大日寺、(14)常楽寺、(15)国分寺、(16)観音寺、(17)井戸寺、(18)恩山寺、(19)立江寺、(20)鶴林寺、(21)太竜寺、(22)平等寺、(23)薬王寺、(24)最御崎寺、(25)津照寺、(26)金剛頂寺、(27)神峰寺、(28)大日寺、(29)国分寺、(30)善楽寺と安楽寺、(31)竹林寺、(32)禅師峰寺、(33)雪蹊寺、(34)種間寺、(35)清滝寺、(36)青竜寺、(37)岩本寺、(38)金剛福寺、(39)延光寺、(40)観自在寺、(41)竜光寺、(42)仏木寺、(43)明石寺、(44)大宝寺、(45)岩屋寺、(46)浄瑠璃寺、(47)八坂寺、(48)西林寺、(49)浄土寺、(50)繁多寺、(51)石手寺、(52)太山寺、(53)円明寺、(54)延命寺、(55)南光坊、(56)泰山寺、(57)栄福寺、(58)仙遊寺、(59)国分寺、(60)横峰寺、(61)香園寺、(62)宝寿寺、(63)吉祥寺、(64)前神寺、(65)三角寺、(66)雲辺寺、(67)大興寺、(68)神恵院、(69)観音寺、(70)本山寺、(71)弥谷寺、(72)曼荼羅寺、(73)出釈迦寺、(74)甲山寺、(75)善通寺、(76)金倉寺、(77)道隆寺、(78)郷照寺、(79)高照院、(80)国分寺、(81)白峰寺、(82)根香寺、(83)一宮寺、(84)屋島寺、(85)八栗寺、(86)志度寺、(87)長尾寺、(88)大窪寺
藤圭子さんの歌に合わせて一番寺から順に見ていくと簡単に覚えられそうです。
ついでに四国遍路に関係する歌も見つけて添付しました。
私の応接間?
行きつけの珈琲店です
アイス珈琲とあんみつ
本日は午前中に来客に応対し、昼は同級生とともに昼食から午後のマックに出かけ、夕方にはコーヒー屋さん経由でかかりつけ医まで出かけました。
療養中の身にあり何もできない役立たずでありながら、お金を使うだけの生活が続いています。
両手の不調によりずいぶん前からこのブログもスマホの音声入力で書き込んできました。
パソコンも同じように音声入力でワードやメールができるため、昨日から挑戦しているものの結局利用ができないまま、本日も1日が終わりました。
新しいパソコンは簡単に音声入力ができるようですが、我が家の古いパソコンでは外部アプリを入手しないと音声入力は難しいとの話です。
ブログの一言を始めたのは平成16年からですが、パソコンのキーボードがスマホに変わっても当たり前にして手で、指で書き込んできました。
右手が不調になるまで音声で入力できることを全く考えたこともありませんでしたが、最近は毎日スマホの音声入力でブログを書き込んでいます。
この際は、頑張ってパソコンも音声入力ができるようにして、ブログや Facebook の書き込みが一日でも長く続くようにしたいと思います。
2021年7月22日~25日
車中泊による四国遍路 | 大鹿一八 『今日の一言』 (ameblo.jp)
1年前には四日間に渡り四国遍路を巡拝していました。
これからは自分の体調と相談しながら肉体的ストレスを感じないゆっくりした巡拝に心がけていかないとならなくなりました。
裏庭に鎮座するオニユリの12個目となる最後の花弁が開花しました。
7月9日に初めて花を咲かせた裏庭のオニユリが本日最後となる12個目の花を咲かせました。
我が家に来て30年以上経過するオニユリですが、今年のオニユリは2メートル 50センチほどあり、過去最高の高さとなりましたが支柱も無いのに風雨に倒されることなく12個のつぼみ全てに花を咲かせました。
毎年成長し花を咲かせるものの、強風に倒されたり強い日差しで最後まで花を咲かせないまま終わってしまいますが、今年は全ての蕾が花を咲かせました。
我が家のオニユリにとっては、今年は天候に恵まれたと思われます。来年も楽しみに開花を期待したいものです。
2週間前にブルーベリーの葉にに着いた毛虫を駆除しましたが、本日熟したブルーベリーの実を収穫しました。
7月10日の一言
毎年の繰り返しとなりますが、今年は毛虫のイラガを一匹づつ駆除 してあったため安心して収穫することができました。
そして意外に多くの実を収穫したものの、全体の1割も収穫していないため、しばらくはブルーベリーの収穫が楽しめそうです。
我が家ではブルーベリーの収穫が終わると残るはゆずとかりんの収穫のみとなります。
本日の写真です。
テレビから土用の丑を知らせるうなぎのコマーシャルが続々と流され、コロナ禍の中で行列に並んで食べに行く気持ちにもなれないため、本日はスーパーのうなぎを買い求めて食しました。
ただし、店内で国産の鰻を炭火で焼いているあま市のスーパーまで出向いて購入してきました。
戦前戦後の栄養不足の時代では無いため、わざわざコマーシャルに惑わされてうなぎを食べる必要はないのかもしれませが、療養中の私を気遣う家族の温かい気持ちに感謝して完食しました(笑)
2013年08月04日
かつて名古屋市中区にある納屋橋の近くに大友と言ううなぎの老舗が存在しました。
私の幼馴染が嫁いだ名古屋を代表する鰻屋の名店でしたが、低価格で誰もが気楽に立ち寄れるお店でした。
最近ではいたる地域でうなぎの看板を目にしますが、何処のお店でも価格の高さに驚かされます。
3週間前に食べたすき家のうな牛
ありがたいことにファーストフードのお店でも、低価格で美味しいうなぎを口にできるようになりました(笑)
弘盛寺 愛知県津島市越津町
善通寺の前管長樫原禅澄さんに頂いた日めくりカレンダーの21日分の言葉ですが、この日めくりには「笑顔一番」の表題がつく禅澄法話で、揮毫した禅澄さんの顔を思い浮かべれば自然と笑顔になりそうです。
毎月21日は町内の弘盛寺の本堂で阿息観に参加していますが、2ヶ月前から正座ができなくなり、椅子を用意していただいての座禅になりました。
さて、本堂でご本尊に届くように意識して大きくゆっくりと息を吐き、御本尊から戻ってきた白い清浄なる空気を身体いっぱいに吸い込んでいくと、本当に仏様と一体になったような錯覚を覚えてしまいます。
本日午前中に訪れた同級生が連れて行ってくれたお店の昔ながらの中華そばです。
こうした訪問者が無いと、闘病中の身体ではパジャマを着替える必要もありませんが、慌てて着替えて応対し、昼食後はお寺へ行くまでマックで時間をつぶしたものの、来客がなければ本当の病人になってしまいます。
お寺に座った後は家内と珈琲店経由で最後はかかりつけ医でリハビリを受けただけの一日ですが、そろそろ留守番だけでも午前中から行動する環境に転換したいと思っています。
島根県松江市に住む家内の友人が送ってくれた干物のギフトです。
山陰地方の日本海の港から直接送られてきた海の幸は食欲をそそります。
そして何よりもギフトに同封された値段入りのパンフレットから、 購買意欲もそそられましたが、見栄や体裁ではなく送られてきた干物だけに友人の温かい真心を受け取ったように思われます。
私の住む津島市には地元の名産品やお土産が存在せず、遠方への贈答品選びに困りますが、送られた側が心からありがとうと返信したい土産物が存在することを羨ましく思いました。
そして、こんな贈り物がその土地を訪れたいと思わせます。
ありがとうございました。
植木鉢のトマトです
本日の写真です。
役所からの手紙は税金や公共料金の請求書ばかりと思っていましたが、本日は愛知県からタクシーに利用する燃料費高騰に対する支援金支給の案内が届きました。
昨年に引き続いての支援金支給となりますが、2年前にはコロナ感染防止対策用の補助金もあり、こんな案内は本当にありがたく感じるものの、焼け石に水としかなりません。
もっとも、支援金の金額は少ないものの、期待もしていないところに届けられる案内は心温まるものがあり、闘病中の身ながら早期に回復を図り、もうしばらく社会貢献したいと思う気持ちにさせられました。
車の運転を控えてと言うよりも、両手の平の不調から6月3日以来ハンドルを握っていませんでしたが、本日行きつけの珈琲店まで運転してきました。
私にとっては学生時代からバス会社の添乗員として遠方まで外出し、起業後は新聞販売店を生業としており、議員生活も地域を歩き廻る生活環境だったことにより、自分が行きたい時、行きたい場所に自由に行けない最近の環境は大きなストレスになっていました。
キャラバンの運転は5月中旬に行った長野善光寺以来となりますが、運転席が高く乗り降りが苦痛だっものの、今までのようにハンドルが握れるようになりました。
もっとも未だに指先に力が入らないため、人の介助は当分できませんが、自分の行きたい場所へ自由に行けることは前進です。
アルコールチェック義務化とは?
令和4年 4月より 改正道路交通法施行規則が施行され、白ナンバーにおいても安全運転管理者(乗用車なら5台以上、定員11名以上の車両なら1台以上保有している事業者が対象)による運転者の運転前後のアルコールチェックが「義務化」されます。これまで対象にならなかった業種においても運転者のアルコールチェックが必須となります。
- 2022年4月1日施行
- ・運転前後の運転者の状態を目視等で確認することにより、運転者の酒気帯びの有無を確認すること
- ・酒気帯びの有無について記録し、記録を一年間保存すること
- 2022年10月1日施行
- ・運転者の酒気帯びの有無の確認を、アルコール検知器を用いて行うこと
- ・アルコール検知器を常時有効に保持すること
昨年飲酒運転のトラックが登校中の小学生の列に突っ込む死傷事故があり、今年から道路交通法が厳しく改正されました。
そんなわけで、本年10月よりアルコール検知器による酒気帯びの有無を確認することが求められ、ボランティアで運営する福祉有償運送においても検知器が必要になりました。
とりあえず1台購入し、我が家で私と家内が先行して試験的に導入することにしました。
本日使用したところ機器の検知力は有効でしたが、もともと飲酒しない家内と医師からお酒を止められている私しかいないため、息子が帰ってきた飲酒時に検知してみたいと思います。
最近になり日本全国で新型コロナの感染者数が急増していますが、1年前にも新型コロナの対策として愛知県では蔓延防止等重点措置が出され、市民の移動に対して大きな制約を施していました。
さて、私は1年前に県外の上高地へ出かけるため国や県の定めた施策に批判的な一言を期していました。
それから1年が経過し新型コロナの感染者は昨年以上に増大しているものの、新型コロナそのものが無力化し生死に関わる病気ではなくなり、1年前の厳しい外出自粛は出されなくなりました。
一方で、1年前の外出意欲満々の私の身体は、今年5月になって突然膠原病に襲われ免疫細胞を抑制する投薬を受けているため、外出して風邪や新型コロナ等の感染症によって重症化する可能性が出てきました。
これまで大きな病気や障がいもなく自由に目的地まで走り、高齢者や障がいを持つ人々を搬送するボランティアに従事しているにも関わらず、全く対象者の身体や生活環境について無関心であったことが1年前に記したブログの記事に垣間見られます。
膠原病はストレスによって突然発症し、患者はストレスが大敵と言われているため、年金受給者になっても現役引退になっていなかった生活を見直してみたいと思います。
先週金曜日から朝晩2錠ずつ、一週間に1日分のみ処方されたメトトレキサートと言う免疫機能の異常を抑える膠原病の薬です。
本日2回目の投与となりましたが、細胞増殖を抑制することにより病気を治療する半面において、免疫機能が低下し感染症などの副作用が起こる可能性があると聞いています。
来週と再来週の投与を受けていますが、免疫機能の低下により風邪やウイルス感染などに注意して生活する必要があります。
特に最近再拡大している新型コロナウイルスに感染すると重症化する可能性もあり、しばらくは注意が必要です。
「事故後のストレスが大きかったのかなア」
「そうではないと思うけど…」
「いや、かなり落ち込んで見えましたよ」
かかりつけ医との会話ですが、膠原病はストレスが原因となって発症することが多く、これからの生活はストレスを感じることは避けて、病気を自覚した8分目の生活に徹していきたいと思います。
次回の診察日となる8月3日の血液検査の結果が改善されていることを祈るばかりです。
スタートです
ライブの映像
小川君が一着でゴールです
昨日に引き続き三男の同級生で地元の小川大地選手が、名古屋競輪場のA 級準決勝を一着でゴールしました。
昨日1位通過したレースに感動し、朝から期待して待機していたものの、まさか二日続けて1位でゴールするとは思ってもおらず、昨日以上に大感動の瞬間となりました。
高校時代は同じ舞台で三男も走っており、緊張して眺めた競輪場の臨場感と、卒業後はロードレースの世界で全国各地へ家内が同行して行った思い出や、何度もレース場で転倒に巻き込まれ大怪我した緊張感が未だに脳裏に浮かんできます。
息子の接骨院で笑顔で挨拶してくれる小川君が、厳しい競輪の世界で頑張っている姿から久々に感動と元気をもらいました。
出走選手の紹介
本日の映像です。
本日名古屋競輪最終レースとなる12レースに出場した近藤龍徳選手も息子の同級生で、高校は違うものの高校時代一緒に練習で走っていた仲間でS級選手として愛知県を代表する選手になっています。
明日の最終日に二人が活躍する姿を期待しております。
本日の写真です。
本日の午前中に家内の運転する車でかかりつけ医の診察とリハビリを受けて帰宅し、何をすることもないままにマックに出向いて帰宅しました。
両手の不調から車の運転を控えて一か月が経過し、何もしない無気力な生活が本日も続くと思っていましたが、帰宅後の息子のパソコン画面に映る競輪のライブ中継から久々に新鮮となる元気をもらいました。
息子の高校時代の同級生で地元の競輪選手小川大地君が本日名古屋競輪場の第3レースで1着に入りました。
息子は高校卒業後に競輪ではなくロードレース界に進み、プロチームに所属して活躍していた時期もありましたが10年前に引退しており、かつての懐かしい思い出が小川大地君の活躍する姿から思い起こされました。
ありがとう!!明日も頑張って!!
先週から添付している我が家のオニユリですが、連日新しい花芽が開花し同じように見えるものの日々変化しています。
さて、五里霧中だった私の体調も先週金曜日から処方された薬によって、精神的なストレスが大きく解消され、しばらくは試行錯誤の生活環境が続くものの明るい兆しが見えてきました。
何よりも5月の連休頃からロキソニンの常用が必須でしたが、本日は痛みに耐えながらも1日だけでも我慢ができました。
一方で、手のひらの浮腫が治まったことで、3月末の交通事故による頚椎挫傷による右手の痺れと首の強張りが蘇ってきました。
まさしく試行錯誤の生活が続いて行きます。
本日のプランター
コスモスの新芽
2年前道路に咲いていたキバナコスモス
昨年咲いたキバナコスモス
2年前、道路に生えていたキバナコスモスの種を自宅に持ち帰り、昨年自宅のプランターに種をまきました。
2020-11-04
我家の春、夏、秋から冬へ | 大鹿一八 『今日の一言』 (ameblo.jp)
奈良井の宿に咲いていた黄色いコスモス
事務所の2階に保管していた「黄色いコスモス」と書かれたタネですが、道路に生えていたキバナコスモスの子孫か、昨年購入した黄色のコスモスか判別がつかなくなりました。
2日前プランターに種を蒔いたところ新しい新芽が出てきましたが、さて、どちらのコスモスでしょうか。 花が咲くまでわかりません。
昨日買ってきたひまわりの種
昨年外出先でみたひまわり
2020-11-04
我家の春、夏、秋から冬へ | 大鹿一八 『今日の一言』 (ameblo.jp)
昨年12月に畑に咲くひまわりを見つけ、我が家でも真冬にひまわりの花を咲かせたいと思ったもののタネが入手できませんでした。
本日プランターにタネを撒き、開花した花からとった種を今年の冬に開花させたいと考えています。
本日の写真です。
昨日から降り続けた激しい雨が夕方になってあがり、熟したブルーベリーに手を差し出すと、シカッと刺されたような激しい痛みが走りました。
子供の頃にはオコゼと呼んでいましたが、成長すると蛾になるイラガの幼虫で、刺されると痛みだけでなく大きく腫れ上がります。
ブルーベリーが実り始めているため殺虫剤が使えないことから、本日はピンセットで一匹ずつ取り除きました。
アンズやサクランボにも毛虫は着きますが、イラガの幼虫のように刺されても痛みはなく、果物だけに殺虫剤も使えません。
イラガは我が家の柿の木にもついていますが、柿の収穫される秋には成長して害がありません。
本日も家族の買い物に同行し、我が家から遠く離れた珈琲屋に立ち寄り一日が終わりました。
本日の写真です。
本日午前中は晴れ間もあった愛知県ですが、午後からは雨が降り続き、夜になりさらに激しい雨が降り続けています。
長期療養中の私は、午前中に息子の接骨院を訪れ、午後は家内とコーヒー屋へ行っただけで一日が終わってしまいました。
さて、昨日凶弾に倒れた安倍元首相について、日本国内だけでなく、世界中から哀悼の意が寄せられています。
長期政権による弊害や、森友加計問題、桜を見る会など対応に納得できないことは多々あるものの、年齢的にもまだまだ期待できる政治環境にあり、面識もない無職の男に一方的に殺害されたことは、腹立たしいだけでなく怒りが沸き起こってきます。
個人的にはこれまで犯罪人の死刑制度には反対だったものの、近年利害関係のない人々への無差別殺戮事件が多発しており、今回のような一般大衆が集う中へ向けての凶悪殺人事件は、国民の敵として被害の大小に関わらず厳罰の死刑を検討すべき大罪だと思います。
現在病気療養中の身である私でも、まだまだ回復してからやりたい目的が複数存在することを考えると、安倍元首相のやり残した無念な思いは計り知れないものが考えられます。
この悲しみを絶対に繰り返さないことは重要です。
自然界のルールの中で生きる動物よりも劣る人間の存在にうんざりする一日となりました。
昨年前立腺肥大症の手術を受けた後は、血圧の薬一錠だけだったものの、3月の事故後から薬が増え、本日は9錠も一度に飲むことになりました。
3月末の交通事故による頚椎挫傷からくる首と右手のシビレを治療していましたが、5月の連休前後に両手の平と両肩に激痛が走り、その後両手の平が腫れ上がり改善する兆しもありませんでした。
「私の症状と似ています」と、1年前の自身の体験談からブログのコメント欄にアドバイスをいただいたことで、6月中旬になってから膠原病の検査を受け、膠原病と確定したら2日前の水曜日の診察で治療薬を処方されることになっていました。
しかし、診察室で「残念な報告ですが」と頭が真っ白になる言葉を聞くこととなりました。
「B型肝炎ウイルスの抗体が見つかりました」
「10年前の検査で抗体が見つかったものの、抗原は無いはずです」
「万が一身体に少しでもB型肝炎ウイルスがあると治療はできません」
「それと肺に白い影があります」
「エッ、今度はなんですか?」
「万が一肺がんだと致命的になります」
そんな応答から、急遽B型肝炎ウイルスと肺のCTの検査を受けることになりました。
万が一、B型肝炎ウイルスが身体にあれば肝炎の治療を優先し、肺がんならガンの治療が終わってから膠原病の治療になると先の判らない説明です。
「検査結果は陰性なら金曜日に電話するから」と言われたものの、帰宅した水曜日の夜は肺がんとB型肝炎ウイルスの心配で眠られませんでした。
そんな状況の私の携帯電話に、翌日は朝から病院へ搬送を希望する患者さんの連絡が続き、電話を無視していたものの、着信履歴を確認すると、中村日赤からの着信履歴がありました。
医師から「金曜日に連絡する」と聞いていたため、一日早い連絡は良からぬ悪い予感が走り、家族が心配するなか覚悟して電話しました。
「大鹿さん、陰性ですよ。一日遅れたけど明日から薬を飲めますよ」
一刻も早くと一日早い朗報を連絡いただいた医師の声がまるで天国からの電話のように思え、地獄から光明がさしてきました。
簡単に書き記してきましたが、悪夢のような目まぐるしい一日で、家族だけでなく幼馴染のNさんやブログでアドバイスを頂いたTさんと、ボランティア仲間の真言宗僧侶が一日中同行していただいたことが大きな励ましとなりました。
音声入力で過去最長の一言になりました。
【情報求ム】77番手前の親父さん
道隆寺手前で小さなお地蔵様の焼物をお接待しておられた親父さんですが、今年通ったお遍路さん複数名から「今回は親父さんが出て来なかった」との情報が入っています。
何かあったのでしょうか?それとも単にお遍路さんが減ってお接待を止めてしまったのでしょうか?何かご存知のことはございませんか?
四国八十八カ所を巡拝するFacebook の発信の中に、かつての歩き遍路で出会った懐かしい人の安否を心配する記事を見つけました。
2011年11月02日
大鹿一八「本日の一言」 : 讃岐・七ケ寺まいり (livedoor.blog)
かつて77番道隆寺を目指して歩いていた私の背後から「お遍路さん」と大きな声が聞こえ、私を追いかけてくる親子の姿がありました。
「息子の焼いたお地蔵様をもらってください」と走って私に追いつかれ、後ろから息子さんが追いつかれたときには涙を堪えるのに必死でした。
それが松井さんとの初めての出会いでした。
2013年11月23日
その後歩き遍路友の会東海のメンバーと歩いている時にも出会い、仲間と一緒に記念写真に納まりました。
その後10年ほど歳月が経過しており、Facebook の発信を読んでいつでも会えると思っていた自分自身が、最近の体調不良で何時でも四国に行けるわけではなくなったいる現実からも、時間の経過を実感させられました。
四国遍路で出会った人たちがそれぞれお元気でおられることを祈るばかりです。
さて、本日は中村日赤の医師から電話があり、検査結果とともに病名が確定したことから明日から新しく処方されていた薬を飲むことになりました。
私にとっては天国からの電話ともなりました。
本日の写真です。
病院で午前中私に付き添っていただいたTさんのフェースブック ↓
本当にありがとうございました。
平成17年に障がいのある幼児を幼稚園へ送迎するようになり、平成19年より高齢者や障がいのある人たちを病院や施設へ送迎する福祉有償運送を仲間と始めました。
それ以来運転主役として患者さんを送迎してきましたが、本日は初めて患者側として幼馴染の仲間に病院まで送ってもらいました。
さて、病院では私の病状を心配してブログや Facebook でアドバイスを頂いた Tさんが、検査や診察を待合室で私に同行してくださり、落ち込んでいる私を励ましてくださいました。
お昼には家内が訪れて食欲のない私のランチに付き合い、午後は私の診察室まで付いてきてくれました。情けない(悲)俺は保護者付きかい(笑)
そして、私の体調を心配する真言宗の僧侶でボランティア仲間である愛西市のOさんが、何度も留守中の自宅を訪れて帰宅後の私の珈琲タイムにお付き合いくださいました。
朝から晩まで知人や仲間の存在に励まし続けられ、感謝の一語しかない一日となりました。
本日の写真です
我が家の裏庭と事務所の横に当たり前のように毎年花を咲かすオニユリですが、我が家に来たのはは今から35年ほど前に遡ります。
2013年07月15日
我が家の庭にはいろいろな百合が花を咲かせますが、当時健在だった父親の前で入手したオニユリは開花するたびに父親の顔を思い出させてくれます。
もっとも、その父親はオニユリが来てから数年で他界してしまい、その父親が鬼籍に入った年齢から四年も長生きしてしまいました。
私が鬼籍に入った後に、私が残した樹木や花によって私の顔を思い出してくれたら幸いですが、今でも大木になって家族に困られているあんずの木や、アキニレの木など迷惑顔で思い出されるのかもしれません。
これからは、子孫に喜ばれる花や樹木を残していきたいものです。
昨年8月から愛知県奥三河や木曽路の五平餅の名店や、我が家周辺の五平餅のお店36軒の中で、私が最高点の評価をつけた五平餅が木曽路上松宿の食堂中村です。
2022-01-19
2021-11-29
2021-09-22
昨年から五平餅の名店を訪ねて食してきましたが、それぞれが名店と評価されていても、その五平餅を食べた満腹感で他のおやつを食べられない例も多く、昼食のおやつとして食べられる五平餅として私は今までで一番の味だと思っています。
もちろん味も美味しく、お土産用に購入した真空パックの五平餅を、2ヶ月後に自宅で焼いても近所で購入する五平餅よりダントツに美味しく食べられました。
そして何よりも一本一本の五平餅が丁寧に焼かれて出されていることもおすすめの団子です。
昨日の写真です。
祖父が御嶽教の先達だったため、小学校2年生の冬から御嶽山を訪れるようになり、最近は毎月麓の黒沢にある明栄講の霊神場を訪れることにしています。
そんなことから木曽路や御嶽山は懐かしい場所であり、過去を振り返る機会にもなります。
もっとも、山頂へ最後に登頂してから20年以上が経過しており、随分と年齢を重ねたことから、体調を整えで再度登頂したいと強く思うようになりました。
御嶽山は山頂付近の噴火や地震が繰り返し起こったため、観光客が大幅に減少し、御嶽教の先達もなり手がなく減少の一途をたどっていることから人と遭遇することはほとんどなくなりました。
自分の行動するフィールドまで自分の運転で行けなくなっている現状が寂しいものの、2ヶ月ぶりの木曽路や御嶽山から元気をもらって帰宅しました。
本日の写真です。
本日は家内の運転で御嶽山霊神場を訪れて、講祖諸霊神や祖父の霊神碑に手を合わせてきました。
ここ数年上高地の帰り道に必ず立ち寄る場所ですが、両手の不調により4月以降訪れておらず2ヶ月ぶりの参拝となりました。
さて、5月に上高地を訪れた際に、知人と一緒に行動していたこともありましたが、それよりも両手の不調により身体全体にストレスを溜めていたため御嶽山に立ち寄らず、へ「毎月来る」ことを怠ったことも現状の体調不良につながっているかもしれず、何も言わない私を心配する家族からプレゼントの参拝ともなりました。
日頃、木曽路は深夜に通行することが多く、本日は午後からの出発だったものの、私自身が木曽路で一番の評価をつけた上松宿「中村」の女将さんと五平餅の雑談に花を咲かせることができ、目の前で真空パックにつめた五平餅をお土産に持ち帰ることができました。
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